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Full text of "Arishima Takeo zenshu"

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Arishlma,  Takeo 

Arishima  Takeo  zenshu 


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次 


同 級 生  In 一 

一九 一三 年 

ワルト *ホ ヰプト マンの I 斷. ゆ  一で 

草  Q  槳  P0 

本 學の過 去  ■ 

故 田中稔 氏に 就いて  l;s 

一九 一四 年 

新しい 畫羝 からの 晴示  fs 

內部 生活の 現彔  : 二  1.: 

一九 一六 年 

ク ロボ 卜 キンの 印^  

惠迪^ ^歌^ 序  ;ズ 

一九 一七 年 

一聖 書」 の 0 成  B 

再び 口. タン 先生に 就て  S 


1 


一九 〇 八 年 

米國の 田園 生活  さ 一一 

日記よ り  七 1 

札 幌獨立 基督 敎會 沿革  九 1 

一九 I 〇 年 

二 1 つ の 道  ニー 

もう 一 度 「二つの 菹」 に 就て  二八 

0 逆 者  1 ま 

一九 I 一年 

泡 鳴 氏への 返事  151 

「 お 目 出た き 人」 を讀 みて  一 IU 

目  次 


. 1 九 〇 五 年  < 

ブ ラ ン ド 

北歐の 一 孤客 イブ セ ン、 ある 夜 羅馬を 逍遙して サ ン,ビ ヱ ト a 寺院の 前 を 過り、 その 大 伽藍の 居然お^ を^して 

ぎ さき  ァ レキサ .V タ. I 

聳 ゆる を 見、 ァ リツ キヤの 竄 居に 歸る や、 マセ ドニ ャ王 フィリップ の 后が、 龍 化せる ジ ュビタ ー を 抱く と 夢み て^ 山 

大王 を 孕みし 如く、 この 大劇曲 「ブランド」 を 産み出した りと 世は傳 ふ。 時 は 千 八 六 卜 五 年、 ^はい m は。 - 

國。 節 は 盛夏、 居 は 逆旅。 試みに この 一 卷を繙 き 行き、 マ ー トル、 潆薈の 花香む せぶ ばかりなる^::: S: ト、 無 花 

あんえい 

橄欖 の濶葉 暦々 の 紫 影を投 ぐる 窓邊 に、 鐵 筆を呵 して、 フ 31 ドの 暗篛、 雪山の 頹^ を 描き、 現代の 文 叫に, H 

つて 峻絕烈 絶なる 疑惧と 批判と を 投じた る^ 者の 風貌 を 想 兌し 來れ ば、 意味 深き 一 幅の^ H を^; き はるの 感なき 

にあら す や。 我等 は 一 暦精邃 なる 凝視の 力 を 有せざる 可ら す。 我等が 稱 して 平板^ 調 他の 奇 なしと-" ムふ现 R  , 

文 的 生活の 中に も、 若し 透徹の 眼 だに あらば、 我等の 生活 は忽 如と して 色彩^ かなる  一^の たるべし。 

二 

あや i 

中庸 — この 謬ら れ 易き 贅 語の 生れた るが 故に、 人 は 思 はざる に 幾度 か 蹉跌し けん。 ノル ゥ HI の 北方なる . 川 


有島武 郞仝蕖 第五 卷  四 

に 一 小 市 あり。 その 誇りと する 所 は 所謂 中庸の 德の 奉戴と 傳播 とに して、 これ を 以て 社會 生活の 凡ての 機 關は油 

せられたり。 世界 同胞 主義 は國 家の 隆興を 毀損せ ざるの 範圍に 於て 唱道 せらるべし。 人道主義の 眞理 は國家 主義 

と牴觸 せざる の 範圍に 於て 主張 せらるべし。 信仰 は價 値に あらす して 報酬な り。 道義 は條 件に あらす して 手段な 

り。 人 は 少しく 泣かざる 可ら す、 而 して 適度に 笑 はざる 可ら す j 人 は 叉 能 ふだけ 多く 獲得す 可し。 仁慈 は 美德な 

り。 身 を 殺し 財 を 竭さビ る 圈內に 於て これ を爲 すべし。 利己 は 科 舉の認 むる 眞理 なり。 され ど 社 會の指 彈を受 く 

るに 至らざる を 以て 限界と すべし。 半殺しに せる 良心と、 衣 着せた る 野性と を 以て、 美名の 下に 事々 に 當れ。 何 

事 も 巧みに 一 蔭 歩せ よ。 我等 は 先 づ愛を 解せ ざる 可ら す。 愛の 故に 汝の 意志 喑 まば 許さる 可し C 愛の 故に 汝の 良知 

晤 まば 許さる 可し。 此の 如くして この 一 小 市 は 上、 W りしつ \ 歩 を 進む。 肉 を 切って 骨に 入る 事な く、 骨 を 割って 

髓に 徹する 事な し。 

この 市 を その 平和なる 墮 落の 深淵に 投 ぜんとす る 三 箇の大 なる 条石 あり。 愛な り。 人情な り。 讓 歩な. リ。 十の 

中 七 を 得て、 一面に は滿 足し、 他面に は 不平 を感 する 心なり。 人の 疵を輕 く 癒 やし、 その 然ら ざる 時に 安し/, \ 

とい ふ 態度な り。 互に 己れ が 非を掩 はんが 爲 めに 人の 非 を 免し、 己れ の 名を擴 めんが 爲 めに 人の 名を宣 ぶる 交際 

法な り。 輕く 舊來の 習慣に 粘着して、 又輕く 現代の 新 思想に 接觸 する 處世 術な り。 努力な き 生活に して、 充實せ 

る 生命 は 地を拂 ひたり。 

せ は  まんさん 

この 市に 饑饉 起り ぬ。 市長 は 牧師と 共に 救濟に 忙しく、 市民 蹒跚 として 四方より 蟮 集し 来り、 餓狼の はしたな 

さもて 食を爭 ふ。 


ブランドと 云へ る 僧 あり。 その 鞏固なる 意力 は、 「內 的の 事物に 集りて、 问^ もこれ を遊樂 に^-;;.:;: 乂ナ、 -、 ^ 

稚 より 彼 を孤獨 となし ぬ。 夙に 父 を 亡 ひ、 金錢を 貪り 蓄 ふる を これ 事と する その 母と は相乖 きぬ。 彼に 宠さ. eA- 

る は 唯一 つの 熱烈なる 信仰の み。 「凡て か 無 か」, これな り。 

フヨ ー ド の 岸頭に 饑ゑ たる 市民が 救濟を 叫べる 時、 ブランド は 市の 背後なる 絡 壁の 上に ありき。 

ブランド の 行ける 道に 一 人の 農夫と その子と 從 ひぬ。 彼等 は 元 ブラ ンド の 東 道たり しが 、雲 野の 屮に近 を^し, 

共に 今 斷崖を 跨ぎて 懸れる 一 大 薄氷の 上に あり。 耳 を 傾 くれば 脚下 遠き 所に 嘈々 として 大潘 のた ぎり^つ ろ ふ を 

聽く 可し。 農夫 は 死に 瀕せる その 愛娘 を フヨ ー ドの邊 なる 市に 見ん が爲 めに 来れる なれ ども、 身の^ 水の 上 こ あ 

る を 知る に 及びて、 その 脚 は復た 動かす。 

ブランド は敢往 二人に 跟隨 せよ と 麾 く。 農夫 戰慄 して 應 ふらく 「この 氷 上 を 横ぎ らんと する は 奇蹟 を (IJ+i ん 

とするな り」。 ブランド 云 ふ、 「堅く 信ぜよ、 奇蹟 も 亦 行 はれん」。 農夫 歩 を囘ら さんと して 更に 曰く、 「さなり^ 

て は 日常の 茶鈸 事と して 奇蹟の 行 はれし 時 も ありき。 され ど 今の 時 は 則ち 然ら ざるな り」 と。 ブランド 遂に:: 

を 捨て \ 去る。 以爲 らく 「己が なし 得る 以上 を 欲求せ ざる ものに 助力 を 提供す る は 遂に 無益な り」 と。 

五 

さなり 農夫 は 獨り往 く 能 はざる ものな り。 彼が 少しく 離れて 歩む は、 孤獨を 好む が 故に あらす、 ^おな ろ.:::^ 

の 寂寥と 親しむ に堪へ ざれば なり。 彼 は 傳說に 執着す。 何の 故ぞ。 そ は 傳說は 幾多の 手より 乎に 波され て り 


有 島武郞 全集 第五 卷  六 

したれば なり。 こ \ に 人 臭の 紛々 たる もの あれば なり。 その 內容の 如何 は 固より 問 ふ 所に あらす。 彼 は 信仰 を 尊 

信す る 事 を 知って 豫言 を恐郤 す。 畢竟 豫言は 多 數に逆 ひたる 一 人の 聲 にして、 信仰 は 群集に 共通せ る 一 箇 の假定 

なれば なり。 彼 は必す 指導者 を 要す。 その 眼 は 指導者 を 見る 事 を 得れ ども、 遂に 眼前に 横 へられた る坦々 たる 大 

道 を 見る に 由な きなり: 

農夫 は 叉、 指導者 を 要する が 如く 隨伴 者を耍 す。 その 意志 は 指導者に 屈從 して、 全體 として 活動 せんに は 一味 

の 驕慢 を 殘せ るが 故に、 他人 者の 意志 を 屈服して、 酬ゅ ベから ざる 損失 を 酬いん と 試む るな り。 これ この 農夫が • 

一面 卑屈の 性 を 示して、 一 面惡 劣なる 壓制 者なる 所以な り。 ゲ ー テの 所謂、 「全く 支配す る 事 も、 又 全く 服從 する 

事 もな し 得ざる 不用の 人物」 なり。 

なんな  こ ひねが 

フヨ ー ドの 彼方に は その 愛娘 病みて 死に 垂ん とし、 死前必 すその 父 を 見ん と 庶幾へ り。 彼 は隨伴 者と して その 

一子 を拉 し、 ブランドに 從 つて 嶮路を 冒したり しが、 危害の 將に 己れ に 及ばん とする に 及びて は、 その 隨伴者 を 

保護す るの 美名の 下に、 神聖なる 義務 を 無視して、 指導者なる ブランドより 脫 逸し、 日 来の 迷信に は 似 もやら す、 

てんぜん 

恬然と して 奇蹟の 存在 を すら 疑 ひたり。 

ブラ ンド はこの 農夫 を 敵と 呼べり。 

北 國の習 ひとして 盛夏に も 山上に は 氷原 あり。 しかも 風 陣ー轉 すれば、 和煦 たる 春 日の 觀を なす。 ブランドが 

濃霧 を排 し、 薄氷 を踣 みて なほ 猛進す る 彼方に、 陽 を 浴びた る 草 野 ありて、 和煦 たる 日光 さやかに これ を 照らせ 

り。 脚下 を 見やる に 計ら ざり き 戀の歌 を 唄 ひつ 、舞 ひも つれたる 若き 一 對の 男女 あり。 知ら すして ブラ ンドが 過 


お. t レ 

り 来れる I 渠の 上に 分け 人らん とす。 ブランド 警めて その^ を 報じ, 更に^ を 定めて^ れば、 ァグ ネスて ふ^ 夂 

を 伴 へ る 靑年ァ ィ ナ ァ はこれ 彼が 竹馬の友な りき。 

さなり 竹馬の友 なりき。 され ど 今、 この 二人の 間に は 架すべからざる 鴻溝 あり。 アイナ ァは^ 人と して、 を 

酒に 溶きて、 これ を 杯の 中に 眺 むる 藝 術の 人たり。 世 は 又 彼を容 る、 にやぶ さかなら ざり き。 鄉 t おは 彼を迎 へて 

贈る に 祝杯と 花環と を 以てし、 妙齢 可憐の ァグ ネス は 彼が 華 かなる 心 を荅 びぬ。 かくて 婚約 新たに 成れる この 二 

人の 果報者 は、 己が 心の 暖さを しるべと して、 船に 乘 じて 南 歐花 深き の 地に 旅せん とするな り。 ブランド 彼: ふに 

告げて 曰く、 我 も 亦 同舟の 客た らんと する ものな り。 アイナ ァ驚喜 して、 何の 故に 安く 行く か を 問 ふ。 ブランド 

爲 めに アイナ ァが稱 する 神 死せ るが 故に、 これ を 葬らん が爲 めに 船に 上らん とする ものなる を ぐ。 アイナ ァは 

藝術 家な り。 彼が 住める 世の、 常に 華麗 快適なる を 要する の 外、 他に 一 の 求むべき もの あらす。 縱令个 の^に. t 

あば 

死したり とする も、 徒らに これ を發 きて 鞭撻 を 加 ふる 亦 何の 益す る 所ぞ。 死したり ともこれ を^と する に 何の,, r: 

ぞ J ブランド その 心 を 知り、 これに 應 じて 曰く、 「試みに 君の 描かん とする 神 を 云 はんか。 銀の 絲の 如く,:: 

く、 愛憐 濃 やか なれ ども、 偶々 夜半 兒童を 脅かす に 足る のい かめし さは 備 ふるなる 可し。 ;… お 敎の徙 は 救^ :-. に 

を マリヤの 胸に 倚る 嬰兒 となした るに、 君 は 神 を 本 卦歸り せんとす る 老朽の 夢想家と 做し 了 せんとす。 され ども 

我が 神 は異れ り。 

「わが 神 は 異れる 神な り。 

わが 神 は 嵐な り。 君の 神 は 休息な り。 

わが 神 は 妬む 神な り。 君の 神 は 土塊な り。 

わが 神 は 凡て を 愛する に、 君の 神の 心 は 鈍りたり。 


有 鳥 武郞仝 集 第五 卷  八 

わが 祌はハ ー キ ユリ ー ス の 如く 若く して、 , 

生命の 殘滓を 喜び 啜る 頹 齢に は あらす。 

ホ レブの 頂に て モ ー ゼ の 傍に、 

侏儒の 生める 侏儒の 傍に 立てる 如く、 

燃 ゆる 荊の 中に 神 そ \ り 立ちし 時、 

その 聲は光 くらめ く 夜に 鳴り はためけ り。 

ギべ ォ ン の 谿に彼 は 目を止めぬ。 

數 知れぬ 奇蹟 を 彼は爲 して、 

君の 如く —— この 世 病み ほうけ すば、 

更に 數 知らぬ 奇蹟 を爲 さんと するな り。」 

アイナ ァ のこれに 對 する 答 は簡孽 なり。 「例へば ブランド 地獄 を も 覆さば 覆せ。 わが 神 は 昔の ま k の わが 神た 

るべ きのみ, T かくて 兩者は 相 異れる 道 を 擇んで 、フヨ ー ドに 急ぐべく 相 別れぬ。 ァグ ネス は ブラ ンドの 去れる 後、 

物 思 はしげ になり て 遂に アイナ ァに曰 ふ。 「君 は 見たり しゃ」、 アイナ ァ 「何 を」、 「物言へ る 時、 巍 然として そ X 

り 立て るブ ラ ン •  、ト の 姿 を, f 

七 

アイナ ァ はァグ ネス を 伴 ひたり。 

己れ に跪拜 する もの は崇拜 者 を 得 ざれば 生く 能 は ざれば なり。 彼が 崇拜者 を 失へ る 時 は 無情 冷酷なる 道德 家と 


なる の 時な り。 自我 主義者の 存在に はニ途 あり。 一 つ は獻身 的なる 崇拜者 を 得る にあり。 而 して 悲慘 なる 逆 免よ、 

最も 優良なる 性格 を 有する ものが、 屢々 この 主我 的 性格の 前に 盲目と なるな り。 かくて オフ イリヤ は ハム レット 

の 前に、 マ ー ガレット は ファウストの 前に、 頹 然として 盲目と なり 了ん ぬ。 一は 彼が 全く 崇拜者 を 失へ る 時、 冷 逸 

無情なる 道德 家と なる にあり。 これ 主我主義者 がその 威力の 高潮に 達する の 時な り。 彼 は その 唾棄し つべき^.^ 

と 不干渉と を 以て、 担むべからざる 暴力と 變す るな り。 マクベス 夫人 はかくの 如くな りき。 へ ダ.ガ ブラ ー はか 

くの 如くな りき。 

その 何れなる にせよ、 自我 主義者 アイナ ァの 欲求す る 所 は 唯一 つなり。 自己の 滿足 (自己の 向上に は あらす ンこ 

れ なり。 彼と 社會 との 調和 は、 社 會が彼 を 謳歌す る 間にの み存 す。 社會 にして 謳歌 せんか。 彼 は その 社^れ ^1 

に 地獄の 關門を 目が けて 猪突し つ-ある とも、 手 を 拱いて これ を傍觀 して 平然たる を 得るな り。 

可憐なる ァグ ネス は その 犧牲 たりき。 ブラ ンド は獻身 者ァグ ネス を この 主我主義者の 掌握の 中より 救 ひ 出さ L 

る 可ら す。 

かくて ブランド は アイナ ァを 敵と 呼べり。 

ブラ ンド はな ほ嶮 難を排 して 道 を 進め、 崖 角より 下瞰 すれば フヨ ー ドに 瀕して 建てら 乜 たる 一 茧 っ打 、匕:: でつ =5 

にあり。 これ 彼が 故鄉 にして、 一葉の 舟 も、 一棟の 家 も、 共に 彼が 二十 年の 夢 を 喚起せ ざる ものな し。 殊に^ し 

こ 海に 近き 隴勵の 間に 立てる 赤 壁の 農屋 こそ は、 寡婦と なれる 貪慾の 母が 今 も 住める 忌むべく もな つかしき 故:^ 

ならす や。 衢路に 群り つ X 蠢爾 として 動き 行く は、 かの 古色蒼然たる 寺院に 詣づる 今 も 昔 も 變らな 人 々てして- 


有 島武郞 全集 第五 卷  10 

主の 祈 禱の中 「我等に 日々 の糧を 今日 も與へ 給へ」 といへ る 一 節 をのみ 聲 高く 誦する 群集な り。 

きびす めぐら 

微風 だに 動か じと 見 ゆるば かり 沈滯 せる 彼處の 生活、 遂に 居る に堪 へん や。 ブランド はかく 思 ひて 踵を囘 さん 

とする 時、 端な く ー顆の 石塊、 ブランド を かすめて 飛び 來 るに 遇 ふ。 見 上 ぐれば ゲ ルドの 爲 せる 業な り。 

ブラ ンドは ゲル ドを唯 十五ば かりなる 野鳥の 如き 少女と 見た るの み。 され ど 彼女 は ブラ ンドと 全く 緣なき 少女 

に は あら ざり き。 ブランドの 母 獍ほ處 女たり し 時、 一人の 靑年 ありて これに 戀せ しが 應ぜ ざり しに、 飄然と して 

その 市より 姿を消し, 往く所 を 知らざる もの 數年。 一日 忽如 として 地より 湧け る 如く 再び その 市に 現 はれたり し 

時 は、 乞食せ る ジブ シ ー を 妻と せる 浮浪の 徒な りき。 ゲル ドは卽 ち この 二人の 子に して, やがて その 父母の 再び 

その 市より 韜晦し 去りし 後、 この 少女 は 人 寰と相 離れ、 獨 りこの 山中に さまよ ひ、 朔風の 去來 する が 如き 生を營 

めるな り e 

お ほ はやぶさ 

ゲル ド Q 石 を 投じた る は ブランド を 目して に は あらす。 一羽の^: 隼 を 目が けたるな り。 ブランド は 大隼の 飛び 

去る 姿 を 認め 得 ざり しが、 ゲル ドは 黝黑の 眸に黃 色の 輪 を 描け る 眼焖々 たる 鴛鳥 なりと 語る。 隼 は ゲル ドを搏 た 

ん とし、 ゲル ドは隼 を 殺さん とするな り。 

ブランド 問 ふに ゲル ドの 至らん とする 所 を 以てす。 ゲル ドは 寺院に 赴かん とする を 云 ふ。 ブランドの 志す 所 も 

亦 寺院な り。 され どゲ ルドが 意味す る 寺院 は、 フヨ ー ドに 瀕せる それに は あらす。 この 懸崖の 更に- (\ 高き 所、 

衆人の 呼びて 「氷の 寺」 と稱 する ものにして、 互巖呀 然として 自然の 祠を なし、 垂氷 四時 絶えす、 時に 岩石 轉び 

落ちて その 危險 容易に 近づく ベから すと。 ブラ ンド その 行の 無謀 を警 むる や、 ゲル ド 言下に 答 ふらく、 「市の 寺院 

には^ 敗 あり、 恐れざる 可ら す」 と。 旣 にして 驚 鳥 再び 襲 ひ來れ るが 如し。 ゲ ルド 「隼の 力 勢 侮り 難し。 これ を 

避け 得る 所 唯 氷の 寺 あるの み」 と ブランドに 吿げ 呼ば はりつ.^、 飄然と して 風の 如く 走り去りぬ。 


ゲ ルド、 隼と 共に あり。 

農夫の その子に 於け る、 7 イナ ァの ァグ ネスに 於け る關係 は、 直ちに 引いて ゲ ルドと S- との 關係 となす 4 らざ 

るに 似たり。 上 二者に ありて は、 その 主と 從とは 相 親め るに 反し、 ゲ ルドと 华 とに ありて は 相 敵視 すれば なり。 

これされ ど 軍に 皮相の 觀 のみ。 その子 を 害 ふ 事 最も 甚 しき は實に 農夫に して、 ァグ ネスの 靈忭 を^ まさん とする 

もの は、 遂に アイナ ァ なる を 思 は^-、 ゲル ドは その 從と 葛藤す るの 點に 於て 對ぉ をせ:: ふの 罪 却って 前 二お よりも 

輕 きもの ある を 着 取せ ざる 可ら す。 

彼女 は 父母 を 失 ひ 去りた る孤兒 なり。 宛ら 地より 湧き出で たるが 如く 生じ 來 りて、 孑 然として 人^と 相距 りて 

住めり。 彼女 は 農夫の 如く 不卽 不離の 陋劣なる 態度に 居らす。 义 アイナ ァの 如く 內部 的に 人と 交 ゆなき 放^の^ 

界に 住ます。 彼女に は不拔 なる 企圖 あり。 卽ち 「氷の 寺」 に參 して: 大 啓の 讃美と 說敎と を 問かん^ なり。 唯 その 

心情の 無 思慮と 亂雜と を 奈何すべき。 

ブ ランド は ゲル ド と 語り て これ を 詰責す る 事 農夫 アイナ ァに 於け るが 如 き 事 能 は ざり き。 ゲ ルドの 所- K、  ^ に 

ブランドの 口 を つぐまし むる 事な きに あらす。 しかも ゲ ルドの 爲す所 悉く 偶發、 その 背後に 何^-の^: なく 何 や 

の 目途 ある 事な し。 彼女 は 何の 故に 隼 を 殺し、 何の 故に 氷の 寺に 詣 でんと する や。 氷の 寺の^ 立と、 ホの 死と、 

現實の 世界との 間に は 何の 脈絡 あり、 何の 交涉 あり や。 此に 於て か 彼女 は 一個 渾沌た る^:.^ の^: 動に 過ぎ ざらん 

とす。 

ブラ ン ドはゲ ルド を 敵と 呼べり。 


有 鳥 武郎仝 集 第五 卷  jll 

一 o 

喪心 (faint  hearo.li 心 (light  hearo-荒 心 (wild  heart) の三大 勁敵 は、 今 現 然として ブランドの 前に 旯は. e ぬ。 前後 

はじ 

に戰。 上下に 戰。 是 等の M 靈 を滅盡 して 世は甫 めて 眞の 健康に 還るべし。 彼 は 事業 を 感ぜり。 この 三角 同盟 をな 

せる 敵に 對 して、 彼 は 敢然と して 立たざる 可ら す。 

「心よ、 立ちて 身づ くろ ひし、 腰より 劎を拔 け、 天 を嗣ぐ もの X 爲 めに 戰 はるべき 戰ぞヒ 

喪心。 輕心。 荒 心。 

智。 情。 意。 

過去。 現在。 未來。 

道德。 藝術。 自然。 

ヘブライズム。 ヘレ 一一 ズム。 一一 ヒ リズム。 

歷史。 生活。 革命。 

し ま 

愚な り この 如き 揣摩! ブランド 自ら この 愚 を 犯せり。 何故に 農夫 を 喪心と 呼び、 アイナ ァを輕 心と 呼び、 

ゲル ドを荒 心と 呼ぶ の 愚 をな せし や。 一人の 圃 上に 立てる もの を 捕へ 来りて ブランドの 傍に 置き、 これ を 農夫と 

呼び、 一人の 少女に 好 愛せら る \ もの を 捕へ 來り、 更に 一人の 放浪 度^き もの を 捕へ 来て、 彼に アイナ ァと 命じ、 

これに ゲ ルドと 命す。 その 名 i|T そよ き。 


農夫。 アイナ ァ。 ゲ ルド。 廣漠無 際なる 名よ ひ 幽遠 祌 妙なる 象徴よ。 

名に 勝りて よき もの 復 あり や。 人 をして その 名に 屬 性を附 する 事 勿ら しめよ。 人 をして 名の 領域 を狹 めしむ る 

事 勿ら しめよ。 

一二 

悲劇 「ブランド」 は その 主人公が この 三 大敵と 苦闘して 遂に 斃れ たる 哀史な. リ。 我 をして 暫く その 給^に 一竹 

を與 へしめ よ。 

その 悲劇た る 所以 は、 ブラ ンドが 全然 この 三 大敵に 壓 服せられ たるが 故に あらす。 反對に ブラ ンド はこの: 

に 向って その 目的 を 達成せ り。 卽ち彼 は 農夫より その子 を 救 ひ、 アイナ ァ より ァグ ネス を 放ち, ゲ ルドが 追へ る 

不逞の 隼 を も、 遂に その 強硬なる 意志の 下に 置きぬ。 フヨ,' ドに 臨める 市の 員 等 は、 市 .4i と 牧師と を^て V ゾ 

ラ ンド の崇拜 者と なり、 ァグ ネス は アイナ ァを 去って ブラ ンド の^とな り、 隼 は 最後に ブラ ンドを 誘惑して 却つ 

て ブランドの 爲 めに 破れぬ。 三 大敵 は 共に ブラ ンドに その 從を奪 ひ 去られた るな り。 

三 大敵 はかくて 遂に ブランドの 軍門に 來 つて 降 を 乞 ひしゃ。 あらす。 ハ ー キ ユリ,' ズと戰 へる ヒドラの 如く、 斬 

られ たる 首 は 直ちに 首 を 生じて, 再び その 毒 威を逞 うし 來る なり。 ブランド 渾身の 力 を^め てこの: 一: 大敵 を找て 

ば、 彼等 悉く 斃れ たるが 如し。 しかも その 骸は 再び 生きて 惡笑 しつ、 ブランドに 嬰 ひか、 るな り。 

ぁャ 

ブランド、 悉く 敵の 武器 を 奪 ひ 去れる 時、 敵は異 しむ 可し、 最も 强し。 

これ 悲劇な り。 これ 我等が 目睹 してし かも 厪 i 悟らざる の 悲劇な り。 これ 永遠に 人^に 1=^ を投 すろ^^ の 竹 

髓 なり。 これ 徹 入すべからざる 凡ての 悲劇の 樂屋 なり。 


^島武 郞 ^^笫 五卷  一四 

イブ セ ンは ブラ ンドに 於て この 鍵 を 握りた るな り。 

ニー  I 

饑餓に 瀕せる 一群の 市民の 間に 立ちて、 市長と 書記と は 餉糙の 分配に 忙殺せられ、 アイナ ァ とァグ ネスと 亦 あ 

つて、 その 財囊を 傾け 盡し、 更に 旅程 を續 けんに は, 僅かに 典 質すべき 一箇の 時計 あるの み。 人 は ^ な 協力 同、 レ 

あ ひすく 

して 栢濟 ふの 道 を 講ぜり。 

この 時 ブランド、 山 を 下りて 來り會 す。 市長 は勸 進に 慣れし 巧みなる 口 辯の 力 を 振 ひ、 ブランドに 說 くに 喜捨 

を 以てし、 アイナ ァ亦 自己の 義務 を果し 了れ る 滿心を 携げて 義捐 を勸 む。 ブランド 峻 担して 云 ふ、 「若し 飢餓 を 救 

ひ 得べ くんば、 渾身の 血肉 を 披瀝す る も 復た惜 まじ。 され どこの 群衆に 布施す る は 罪 を 犯すな. o,。 艱難 もて 自ら 

を强 くす る 能 はざる もの は、 遂に 救濟に 値せざる ものな り」 と。 餓死に 瀕した るの 民 誰か これ を 聞 い て 憤ら ざ 

らん。 彼等 は ブランド を搏 つべ く 石 を すら 拾へ り。 

この 時 一 女 あり。 狂氣の 如く 髮 振り 亂 して 急坂 を奔 馳し來 り、 氣息崦 々として 云 ふ 所に 依れば、 フヨ ー ドの 彼方 

に 彼女 は その 良人と 三 子と 共に 住めり しが、 飢餓の 爲 めに 食餌 窮乏し、 己れ が 乳 枯れ 果て たれば、 嬰兒の 苦悶 遣 

る 所な かりし を 見る に 忍びす、 父 は 刺して これ を 殺し、 罪の 呵責に 堪へ すして 自 裁せ しが、 肉體は 生く るの 望な 

く、 靈魂は 恐 愧の爲 めに 未だ 死せ す。 「僧侶、 僧侶 は 在し 給 はす や。 彼の 死す る 前、 行きて 罪の 許された るべき を 

宣 明し 給 ふ 僧侶 は 在 さす や」。 これ 彼女が 悲 喚哀號 なり。 

鬣の 露 打ち 拂 ひて 立てる 獅子の 如く、 ブランド は 立ちて こ、 に 事業 を 感ぜり。 彼が 唾 手して なすべき の 事 は 目 

前に あり。 祈し も頹嵐 フヨ ー ドを 横ぎ つて 到り、 波浪 遽 かに 洶 湧して 見る 眼 も すさまじく、 萬 死を瘩 する にあら ざ 


よ、 5 を. ^上に 1ゃ了 るべ からす。 しかも ブラ ン K は 意 を 決して 舟に 上り 一 人の 助 乎た るべき もの を 魔け ども、 絶え 

て應 ぜんとす る ものな し。 依りて かの 哀願 度な き 女 を 呼びて 彼に 從ひ來 らし めんと す。 彼女 亦逡 巡して 口く、 「我 

若し 死せば 生 殘れる ニ兒を 如何すべき や」 と。 義憤せ る 佾侶は 舌 打なら して 云 ふ、 「砂の 上に 築かん とする もの 

よ」 と。 

ァゲ ネス は 吠して ブラン ド が 爲す樣 を 見守り っ& 感激の 情に 堪 へす。 決然と して アイナ ァ を 指して:. ム i  、「玆 に 

一人の 勇氣 あり 誠意 ある 男子 あり。 願く は 彼 を 伴へ, r そ を 聞きた る アイナ ァは 顔色 を變 じつ"、 「ァグ ネス をび 

てより わが 生 は 新しく 甘し。 我 は 彼女の 爲めを 思 ふ 時 生死 を 賭する に堪 へす」 と, 美しき^ ^もて その^^ をお 

み、 人間 一生の 中、 二度と は來る まじき 大事の 機會を 塵の 如く 擲ち 去らん とす 

ァグ ネス 3 展は 開けたり。 二人の 間の 脆き 緣は、 宛ら 傷める 葦の 如くち ぎれ^て ぬ。 卽ち滿 ^の^も て アイナ 

ァに 向って 云 ふ、 「世界の 廣 きが 如く 廣く、 世界の 遠き が 如く 遠く、 逆潮 漲り、 大濤 打し ぶく 沲^ 今お と 我との^ 

に撗 はる」 と。 この 最後の 宣言 を 投じ 了る や 否や、 自ら かの 小舟に 投じ、 ブランド と共に 奔 風に 向って 必死の 

を 解きぬ。 

忽如 として 舟 は旣に 怒濤の 中に あり。 瞻を 消して 一 群の 民 は 固 唾を飮 めり 

稍 m ありて 一人 i かに 口 を 開きて 云 ふ 、「 これ こそ は 我等が 求む る 善知識 なれ」 と。 衆 口 忽ちに これに 應 じて- ム 

ふ、 「さなり、 我等が 求めて 得 ざり し 善知識 は洵に 彼な りき」 と。 

一 四 

ブランド は 波濤 を 犯して 萬 死に 一 生 を 幸し、 フ 31- ドの對 岸に 渡り 得て、 自货 の爲 めに 敢て 死し^ ざろ. ぃー ク 


有 鳥 武郞仝 集 第五 卷  I 六 

父 を 慰藉し、 晏 然として 死途に 就く の 權びを 得せし めぬ。 過 嵐の 跡荒凉 たる 海 添 ひの あばら 屋の 中より 彼 は 瞑想 

に 沈みつ X 首 を 垂れて 出で 来れり。 

この 時 一 群の 人來り 近づきて 彼に 乞 ふ、 「願く は留 りて この 地の 民を牧 せよ。 今に 至る まで 君の 說き 給へ る 所 を 

說 ける もの は少 から ざり しか ど、 君の みは そ を 行 ひたり」 と。 

廣野四 圍に人 を 招く 時、 誰か 窩 中に 潜む もの あらん や。 果樹 高く 生ひ聳 ゆるに、 誰か 種子 を 地に 播 きて その 生 

長 を 待たん とする もの あらん や。 ブランドの 目前に 横れ る 磽确の 地 は、 斷 崖に 遮られて 日 を 仰ぐ 事 稀れ に、 冬に 

は 潤 寒、 夏に は 湯 霧、 加 ふるに 住民 稀 疎に して 鈍 劣 蠹遲、 彼が 世界の 大 耳に 訴へ、 人生て ふ大 オルガン を 通じて 

傳 へんと する 大鵬の 志 を 仲ぶ るの 地た るに 適 はす。 卽ち 聲を勵 まして 彼等に 告げて 曰く、 「汝等 自ら 我が 指導な く 

んば爲 すなき を 云 ふ。 さらば 晏 然として 往け。 力なき もの は 義務 ある 事な し。 若し 汝等 にして あるべき 道に 進む 

事 能 はすば、 心を盡 して 唯 あるが ま \ の 者 たれば 足れり。 身 魂 を 擧げて 土の 人 たれ」 と。 

彼等 これ を 聞きて 望 を 失 ひ、 悄然と して 元来し 道に 歸り 去れり。 

一 五 

不圖 打ち 見やれば、 湖岸の 舟 上に 坐して ァグ ネス I 人 あり。 物に 聞き惚れ たる 人の 如く、 眼 を 定めて 何物 を か 

見す ゑたり。 ブランド 近づきて その 故 を 問へば、 眸をも 動かす 事な く 神託 を 蒙りた る 巫女の 如く 語る。 

「犬なる 地 彼處に 輝け り。 

ありく と 空に 描かれて、 

潮 漲り、 波浪 溢れ、 


霧の 裡に 赫耀 たる 陽の 光を昆 る。 

蓆 紅の 光 ある 焰、 

雲 か-る 山の 顚 にあり。 

と 兌れば 果てな き 荒野の 上" 

吹きす さぶ 嵐の 中に、 

椰子の 斡 ゆがみた わみ つ X, 

淋しき 影 を 地 に 落す 所、 

新たに 成れる 世の 如く、 

生ける ものと て は 更に あらす。 

奇 しき 纏 I その 中に どよめき 

1 つの 聲 その 心を傳 ふ。 

『選べ 無 劫の 失 か 得 か。 

汝の 事業 をな して その 痛苦に 堪 へよ I 

汝 生命 もて この 新 世 を滿 さ^る 可ら す』 と。 

わが 心の中に、 

我 は 新たなる 力の 湧き起る を感 す。 

我 は 春の 日の 臨む を 知る。 

我 は 寄せ 返す 潮を覺 ゆ。 


有 島 武郞仝 集 第五 卷 

我が 心 は 廣く放 たれて 

世界 を も その 中に 抱  く 

一 つの 聲 更に 云 ふ、 

このぶ 

『汝斯 世に 生命 を滿 たさ ビる 可ら す j と。 

凡そ 人の 遂 ぐる 凡ての 事業、 

醒め、 さ やき、 振 ひ、 語りつ 么、 

宛ら 直下に 生れ 出 づとぞ 見 ゆる。 

我 又 高く 王の 座に 

『彼』 いますと 見る —— いますと 感沪。 

『彼』 慈悲 光に 滿 ちて 我 を 見る。 

あした  U き 

晨 朝の 氣 息の 如くな よめ かしき 輝きに 加 へ て、 

死 程に 深き 哀憐の 顔 もて。 

奇 しき 聲 又も 聞 こ ゆ。 

『今 こそ 汝に形 あれ。 

選べ 無 劫の 得 か 失 か。 

汝の 事業 をな して その 痛苦に 堪 へよ』 と。」 

一 六 


知ら すやこれ 第 二十世紀 を 生まん とする 產 褥の聲 なる を。 我等 心 耳 を 澄し 手 をお き 添へ て 深く 聽 く 時、 この^ 

の密 やかに 我等に も 達し 來るを 見 ざらん や。 椰子の みま ばらに 生 ひたる 荒野に、 新たなる 生命 を 起さん は、 時代 

が 我等の 衷 にあり て 叫ぶ 所な り。 荒野と や。 荒野 は 我等の 衷 にあり。 我等の 衷に 若き 地 あり、 斧鉞、 銶鋤サ ::: に 未 

だ 入らす。 こ \ に 神聖なる 生命の 誕生 は 企てられざる 可ら す。 アダム は 新たに 生れざる 可ら す。 我等 は エリサべ 

スを 訪づれ 行かん とする 處女 マリヤの 如き 畏懼と 期待と を 以て, 新しき 生命の 出現 を 待たざる 可ら す。 

我等が 希望の 何 ぞ爾く 若く して 輝け る。 

ブランド はァグ ネスに 於て この 希望の 權化を 見、 新しき 決意 もて 叫べり。 

「完全に 自己 を充實 せん 事、 

これ 人間の 正しき 機 威な り。 

しぶき 

この 他 何の 庶幾す る 所ぞ。 

(や X 沈默 せる 後) 

自己 を充實 すると や。 しかも 父母 傳來の 負債 をば 如何にすべき」。 

一七 

傳來の 負債 を 如何すべき。 ブランド がかく 獨語 ちつ X 見やる 彼方に、 老いさら ぼへ し 一人の 老婆 現 はれぬ。 そ 

の 近づける を 見れば 豈に 計らん や これ 彼が 血肉の 母な らんと は。 この 老女な り ブラ ンド の雙お に拂 拭す ベから ざ 

る 負債 を 擔 はしめ しもの は。 

ブランドの 未だ 幼 かりし 頃な りき。 秋の 一夜、 父 死し 母 は 病床に ありき。 夜に 紛れて ブランド は 父の 死^に. ムに 


有 島 武郞仝 集黎 五卷  二  G 

り、 物 蔭に 潜みて、 聖書 を 抱きつ \ 、蠟燭 の 黄なる 光の 下に 撗 はれる 父の 眠り 何ぞ 長き やといぶ かれる 折りし も、 

輕き跫 音を立て X 一人の 女 忍びやかに 入り 來り、 ブランドの あるに は心附 かすして、 死者の 衣 を 探り、 更に^. 中 

もと 

を 探り、 窒內を 彼 處此處 索め 盡 して、 あらん 限りの 貨幣 を 奪 ひ 去れる を 見き。 これ 彼の 母な りき。 

老いて かくまで 墮 落し 果てた る 母に も、 その 妙齢なる 時には 又 華やかなる 夢な きに あら ざり き。 彼女 は 一人の 

さと  せこ 

若き 曲 K 夫 を 愛しぬ。 然るに その 父 彼女に 論して 云 ふ 「若き 農夫 を 捨て \ 他に 嫁げ。 彼 は 白 頭 なれ ども 世故に は慣 

れ たり。 必す 我が家の 財 を 倍加すべし」 と。 彼女 は 美し けれども、 愚かしく 見 ゆる 胸中の 夢 を 容易に 捨て去りて、 

唯々 として 父の 意に 從 ひぬ。 

然るに 事 望みと 違 ひ、 家財 は 些か も 殖えざる に、 彼女 は その 靑春を 老齢の 夫の 爲 めに 犧牲 にせざる 可らざる の 

けみ 

悲境 を閲 しぬ。 彼女の 爲 すべき 唯一 事 は、 徐ろに その 夫の 死 を 待ちて、 遣 産の 凡て を 奪 ふに ありき。 

かくの 如くして この 母 は その 靈性を 塵に 委しぬ。 而 して その子 ブランドの 靈 性に 醫す 可らざる 傷を與 へぬ。 今 

や この 母 ブラン ド に 來り會 し て 云 ふ、 「故な くその 生命 を輕す る 勿れ。 そ は汝の 生命 は こ の 母が 付與 せし も のにし 

ゎづか 

て、 一族の 中生 殘 せる は 纔に汝 のみ。 更に 我が 汝に 遣す の 財 を 愛護せ よ。 汝は 我が 財貨 を汝に 遣す に 酬いて、 わ 

が爲 めに わが 死 床に 最後の 祈禱 をな さ V る 可ら す。 我 は 自ら 破棄した る靈 魂の 爲 めに 祈るべき 善知識 を 得ん 事 を 

期して 汝に儈 職 を 選びた るな り」 と。 

一八 

ブランド、 フヨ I ドの對 岸に 瀕死の 人の 床邊に 侍して 後、 俯 首して その 家 を 出で 来りし は 何故 ぞ。 彼 は 彼處に 

殘 された る 二 孤 兒の上 を 思 ひたれば なり。 二 孤兒に パン を與 ふる 父の 亡きに 至りし を 思へ るに は あらす。 かの 二 


孤兒が 恐怖の 眼 を 張って、 その 父が 乳兒を 殺し、 尋で 自ら 殺せる を 目擊 しつ、 ありし を 忍 ひ、 n ,し 幼時の 2^ よ 

り、 痛慘の 念に 驅られ たるが 故な り。 

,v はく  く る 

この 素帛の 如き ニ侗. の靈 魂の 上に、 醜き 汚點は 深く 染められたり。 例へば その ニ兒長 じて K つ 老い, ^^して 

歩む に 至る とも、 かの 汚點は 永久に 消えす。 嗚呼 相傳の 罪過 何處 にか その 尤め を歸 すべき。 「我 生けり」 てふ^ 句 

の 中には、 山積せ る 罪の 餘蘖 あるな り。 然るに 人 は 輕き心 もて 平然として 生活の 舞臺に 跳躍し、 永劫に 瓦り て 地 

球の 表面 を喑 からしむべき 行爲を 犯し、 その子 孫に 重々 の 負 擔を殘 して、 恬然と して 知らざる が 如き は何ぞ や。 

內觀の 力 鋭敏なる ブランド は、 この 畏懼すべき 世相に 對 して、 鐡の 如き その 頭 宵 を 垂れて 苦 思す るを禁 する 能 

は ざり しなり。 

一九 

然るに 何事 ぞ。 こ は 又 ブランド 自身に も 免る 可らざる 運命な らんと は。 母 は 彼の 靈魂を 四 裂せ り。 しかもな ほ 

强 ひるに、 謹みて その 財貨 を 護り、 死 床に 侍して その 靈を 天上に 送る の 祈 をな さん 事 を 以てす。 

父母 は その 脫ぎ 捨てた る 衣 を處理 すべき 執事 を 以て その子に 擬 せんとす る や。 これ 猶 つ 忍ぶべし。 ブランド 

は 自ら 任じて 母が 殘 せる 負債 を雙 肩に 擔ふ べし。 彼女 は 神に よって 附託せられ たる 靈性を 蹂躪し、 人々 が 出 や-と 

共に 胸中に 抱け る 神の 面影 を 塵と 黴と に 委し、 嘗て は 天に 翔ける の 翼 を 有せし 靈 魂を拉 して 卑陋の 地に 陷れし は、 

皆 これ その 母が 神に 負へ る 借 債 なれ ども、 ブランド は敢て 進んで これ を 己れ が n5 上に ねぶべし。 化の 胸屮 にあり 

て 汚され 躏られ たる 祌は、 彼の 意志に よりて 洗 はれて 淨く 立つべし。 そ は ブランドが 爲し W る 所な り。 され ども 

全く 靈魂を 失 ひ 去れる は、 これ 負債に あらす 罪に して、 失へ る もの 先づ 悔悛して その 復歸を 企つ るに あら ざれば、 


有 島 武郎仝 集 第五 卷  ニニ 

救 はるべき 道 は あらす、 親子の 愛 も 亦 無益な り。 

そ を 聞きた る 母 は 驚愕して いふ、 「さらば その 悔悛の 道 は 如何にすべき/ ブランド 答へ ていふ 「母上の 世 を 去り 

給 ふ 時、 愛で 給 ふ もの は 凡て これ を 捨て、 ヨブの 如く 灰 を 被りて 墓に 入り 給へ, T 母 「かの 財貨 も か」。 ブランド 「最 

後の 一 厘に 至る まで」 

然り、 苟も 償 はんと 欲せば 最後の 一 厘に 至る まで 償 はざる ベから す。 凡て か 無 か。 躊躇す る もの は 立ち どころ 

に 滅びん。 ブランド は 最も 酷烈なる 言辭 もて、 最も 誠意 ある 愛着 を 語れるな り。 され ど 母 はこれ に耐へ ざり き。 

すご^ (\ と歸り 行く 姿 を 目送し つ \、 悵 然として ブラ ンドは 歎す らく、 

r 然り、 子 は 母の 近くに あらん。 

呼びお こし 給 は ビ彼必 す 聞き漏ら さじ。 

その 手 を 伸べ 給 はビ、 その 手 冷たく 朽ち果て たる 後な りと も、 

なほ その子の 胸 そ を 抱き しむべし」 

二。 

ブランド の 覺醒は その 母に 遇へ る 事に よりて 更に 新しき 衝動 を 受けたり。 今に 至る まで 彼は大 なる 世界に 於て 

のみ 犬なる 事業 は 行 はるべし と 思惟せ しが、 その 母に 於て 渾身の 全力 を 振 ふに 値する 事業 ある を 知りて、 己れ に 

適 ひたりと 見 ゆる 舞臺を ノル ゥ HI 北 邊の堆 雪の 中に も 見出し 得べき を 悟る に 至りぬ。 世より は 遠く 懸隔し、 日 

^くど 

光 幽かに 雲 を 沁み 出で- -、 その 現 はる.^ ゃ遲 く、 その 隱る  >- や 早き 谷間の 确 土の 中に、 彼が 家 は 設けら るべ し。 

き  4 めづか  £ こと 

劍を拔 いて 地を斫 るて ふ 瓧士の 態度 は 救世の 聖 業に 何の 與る所 か あらん。 誡に洵 に 謹みて 鍬 を 握り 得る の 手 は , 


こ丄 直ちに 贖罪の 業に 任じ 得る の 手な り。 耍はー つの 意志 あるの み。 意志 を 將て牌 札と なし、 祌の. 手 をして その 

上 に 文字 を 書か しむる にあり。 

您ひ 一度び こ- -に 至る や、 ブランド はかの 失望して 彼より 去り 行きし 一群の 村民の 懇請に 應じ、 永く その 地に お 

りて 女 民の 事業に 膺 るの 決心 を 成しぬ。 而 して ァグ ネス 亦 ブラ ンドと 志 を 共に せり J アイナ ァ彼欠 を逐 うて 來り、 

甘言 喃言 お さ に 誘引の 情 を 致し、 その ブランド と共に あるの 不幸 を 主張し、 己れ に 從ひ來 る の 冬; 1 を說 きて 已ま 

ブランド 亦 彼女の 決意が 艱難 を經來 つて 或は 渝 らん 事 を 恐れ、 その 生活 は晚 秋の 漸く 老いて 冬な らんと すろ^ 

寞 たる ものなる を吿 ぐる や、 彼女 は 毅然として 徐ろに 立ち上りながら 云 ふ、 「死 を經て 進まん、 死の 巾に 進まん。 

薔薇の 色な せる 曙光 彼 處に見 ゆ」 と。 

二 一 

「ブランド 一 は 最上の 瞬間に 於け る 我な りと イブセン は その 友に 書け り。 彼の この 戯曲 を 草す る や、 机上に ある 

玻璃 K 中に 一尾の §ビ 養 ひき。 而し てこの 死毒 を裹 める 小蟲、 時に 毒液の 分泌 度 を 超えん とする に 遇 ひて 悶 ゆる 

を 見る や、 不平 骯 薪の 詩人 は卽ち 果實の 一片 を 取って これ を授與 すれば、 蝎は 驀地に これに 躍り か" り、 ^汁 を 

め 产ぇ い 

放射し 終りて 再び 安き もの \ 如し。 ァ リツ キヤの 夏、 綠葉歷 々の 影を投 する 空 $f  :& 太^-に^: 列なる 巧^ 火の^ 

き 太陽の 光の 下に 筆を呵 しつ-、 時々 首を囘 らして この 激しき 不平 兒に 栗實の 小片 を與 へ、 默 して その は を 

見守りた る 彼が 風貌 想 見す ベから す や。 果然 彼 は 蝎に敎 へられて 曰へ り、 

「『ブランド』 は 我が 實驗 したる (單 に觀 察した るに は あらす) 或る の 結^と して 現 はれた るな り。 我が^ 心に あ 


有 鳥 武郎仝 集 第五 卷  二 四 

りて 經驗し 終りし その 者に 詩形 を陚與 して 放捨 せん 事 は、 我に 取りて は 必要事たり。 一た び 放捨す 、『ブランド J 

は復た 我に 興味 ある 事な し。」 

然り蝎 は その 毒 を 放射して 又關 知せ ざる もの \ 如くな りしが、 イブ セ ンは 遂に 家 言の 放 膽を實 にす る 能 は ざり 

き。 實に イブ セ ンは 『死者の 復活せ る 時』 を 世に出せ し晚 年に 於ても 尙 一 個の ブラ ンドに 外なら ざり しが 故な り。 

ブラ ンドに 於て 表徵 せられた る イブ セ ンは、 或は イブ セ ンが 放射した りて ふ ブランド は、 自ら 知らざる 一 の 使命 

を 帶ぴて 世に 臨めり。 彼 は 南方の 文明が 死に 瀕せる を 見、 南方 文明の 支配せ る 民衆が 解體 せんとす る を 知れり。 

世 は扳を 裏返す が 如く 反轉 せざる 可ら す、 彼は少 くと もこれ を感覺 せり。 而 して その 宣 傳の爲 めに 一生 を 賭して 

か たち  らいて. S  や、 

立てり。 その 容は 日月、 その 聲は 雷霆、 その 目的の 遂行の 爲 めに は その 眼 淚を絕 ち、 その 心 夢 を 知らす。 動 もす 

れば 憤激し、 その 憤激 は 夢 死の 徒を摺 伏す るに 足れり。 しかも その 世 を 覆へ し 人 を 改めた るの 後、 何事 をな すべ 

きかに 至って は 自ら も茫 として 知る 所な し。 偶々 彼 は 民衆 を 率ゐて 神に 歸 らしむ るを說 けど も、 その 神の 何者な 

るか は 自ら 知る 所な きなり。 この 時に 當 りて 彼に 理想の 閃 影 を 示せる 者 はか の 可憐の 處 女ァグ ネスな りき。 

ニニ 

ァグ ネスが 湖畔に 獨 坐し、 眸をも 動かさす して 獨語 せる 時、 (一 五參 照) ブランド は 始めて 幻覺 より 覺め たる 如く 

自己の 立脚地 を 物色し 得た る を 感じたり。 而 して、 この ァグ ネスこ そ イブ セ ンが輕 侮 巳むな き 南方 文明の 中より 獲 

来れる 一典 型なる に 至って は、 自然の 配合 も 亦 皮肉な りと 謂 ふべ し。 南歐の 地に 着想 せられて、 更に 南 歐の臭 

味を傳 へす と稱 せらる i 「ブランド」 に、 諦視 すれば 南方の 分子 明ら さまに 含蓄 せらる、 を 了知すべし。 農夫 然 

り, アイ アナ 然り、 而 して ァグ ネスに 至って は その 最 たる ものな り。 


イプセン がその 戲 曲の 構成に 必す 相對峙 せる 二人の 女性 を 用 ひ、 一は 不礙 奔放なる 現代的 女性に して、 他 は^ 

順貞眞 なる 舊世的 女性なる は 世旣に 定評 あり。 而 して 「ブランド」 の 女性 も 亦 この 二 の忭^ によって 代^せら 

る。 ァグ ネスと ゲル ド是れ なり。 而 して 謂 ふまで もな くゲ ルド は 近代的 代表者に して、 ァグ ネス は お 文明に 場す 

る ものな り。 唯 この 戲 曲に 於て は 近代 文明 を 代表す る もの は 最も 原始的に 蕪雜 粗野の 典 刑. -に 選び、 g 文明 を 代^ 

する もの は 最も 精練せられ たる 優秀の 典型に 選びた るの 點に 於て, イブ セ ンが後 來社舍 劇に 用 ひたる 選棵^ ゥぼ 

ね反對 なると 好 箇の對 照 をな す ものと す。 

ァグ ネス はォ ー ソ ドック スの 貞操 を 知り、 自己 を 滅却して 美しく 活 くる 舊き 女性の 處世 法に 據り、 ^仰 を: 

無限の 心靈的 到達 地と なして、 信仰の 上に 更に 懷疑を 加 へんと する ゲ ルドの 如くなら す。 一た び 享受した る 感激 

の 鞏固に して、 終世 渝る 事な き 執着 は、 近世 的 女性の 點々 飛躍、 曆々 階を經 上って 飽くを 知らざる に 比すれば^ 

世の 感 あり。 家庭 を 神の 宮の 如くし、 その子 を 神の 子の 如くす る 彼女が ブランドの 師表と なりし を 思へ し 

イブセンの みならん や。 ブランドの みならん や。 新しき 文明 は 常に 此の 如き 舊 文明との 混淆 錯^ を 以て、 その 

幕 を 開き 行くな り。 而 して その 幕 は必す 矛盾の 悲劇に 閉 され、 第 I 一幕に 於て 稍 M 調 ひたる 情景 を點 出し 來る なり。 

請 ふ 我 をして 更に 筆 を 進めし めよ。 

ニミ 

嘗て ボストンの 一老 擧者、 道に 伊太利の 勞働 者が 樓衣を 纏うて 勞役 せる を 見、 黯 然として 一詩 を娬 せり。 その 

あ 3  さ it 

詩 意に 曰く T 噫嘻 滅亡し 去りた る 古代 大帝 國の 民、 遠く 海 を 越えて 不知の 異郷に 徨 ひ、::: に K な 化す。 见ょ、 彼^に 

葸罵 せる もの はシセ 。 の 額 を 有し、 彼處に 困憊せ る もの はケト 1 の 眼 を 有し、 彼處 に土壤 を摧 ける もの はシ ー ザ 


有 島武郞 全集 第五 卷  二 六 

1 の 鼻 を 有す。 而 して シセ a を 出し、 ケト〜 を產 み、 シ ー ザ ー を 育てた る 大帝 國の跡 今 安くに あり や。 噫嘻 蒼茫 

として 時は往 く。 この 悵みを 如何」 と。 この 老舉者 は羅馬 大帝 國を 以て、 地を拂 つて 空しき に歸 せる 者な りと 信 

じき。 焉んぞ 知らん、 この 大帝 國の喑 影 は 儼然として 今 も 我等の 上に 臨み、 我等が 自ら 誇りて 新ら しき 基礎の 上 

きょぜん  わら 

に 立てり とい ふ 時、 歷史て ふ 老爺 は遽 然として その^ 臭の 自負 を 且つ 笑 ひ 且つ 哂 へる を。 

こと さ 

さらば 羅馬 大帝 國の喑 影と は何ぞ や、 余 は 故ら に 暗影と い へる 語 を 用 ひて、 その 內容 の朧 ろなる 嗜示 をな せる 

に 過ぎす と雖 も、 その 事た る 全く 捕捉すべからざる 架空 事に も あらざる なり。 試みに 新 文明の 下に 住めり と 自任 

する 我等が、 一 事に 就て 或は 思考し 或は 行爲 する 時、 不知 不識の 間に 我等 を 掣肘 せんとす る もの はこの 喑影 なり。 

その 暗影の 一 は 我等の 有する 國家觀 念な り。 羅馬 人は國 家なる 觀 念に 關 して 强烈 無比なる 一 つの 系統 を與 へた 

り。 彼等に 取りて は國家 は絶對 的と も稱 すべき 一 の 存在に して、 その 存在の 保障の 爲 めの 故に は、 殆 んど爲 さ^ 

る 所な かりき。 自由 を 極端に 疾呼した る 時 も、 壓抑 を容捨 なく 強行した る 時 も、 そ は 共に 阈 家の 存立 隆 興に 資せ 

んが爲 めな りし を 知らざる 可ら す C その 主義 そのもの がー の 價値を 以て 働きた るに は あらす して、 主義の 背後に 

は 常に 國 家て ふ 最後 目的が 潜在し つ X ありし なり。 國 家は實 にか X る 主義て ふ 一時的 方策の 上に 超越して、 その 

威力 を 振 ふの 特權を 有する ものと 思考され たり。 この 大帝 國が 生み出し たる 幾多の 風雲 兒は、 その 經綸を 行 ひ、 

野心 を滿 足す るに 於て、 敢て 爲さビ るな きの 擧に 出で しが 如き も、 國 家て ふ 一 の 力の 前に は 彼等 は 母の 膝に 倚る 

一箇の 赤兒 たるの 觀 ありき。 而 して その 弊の 極まる 所、 扠隸 と、 奸 商と、 貧しき 農夫と、 驕奢 窮 りなき 責 族と、 

暴戾 なる 兵士と、 節操な き攀者 と は 生じ 來れ り。 而 して 獨り羅 馬 大帝 國は タリ ー ト 島の ミノ ト ー ルの 如く、 凡て 

の 靑春を 喰ひ盡 して 毬の 如く 肥えたり。 而 して 我等 は喑々 裡 にこの 暗影の 下に あり。  - 


その 喑 影の 二 は 勝者と 敗者との 確 別な り。 羅 馬の 人民 は イスラ H ルの 民の 如く 聖^せられ たる 尺な りと 思惟し 

たり。 彼等 は 征服者 を 以て 任じ、 勝者 を 以て 居り、 苟も 地上に 住める 他の 民 は 一 に $1 夷狄 乂は扠 隸 を 以て これた 視 

た り。 かくて 一 方に は 良心の 詰責な き 專撗、 他方に は 中心よりの 努力な き勞役 ありて、 Michele の稱 する Machinism 

は社會 生活の 首尾に 徹せり。 かく 自己の 獨立を 把持 主張す ると 同時に、 他者の 獨 立に 對 して 同, の^ 敬 を拂 ふ^ 

雜 なる 崇 貴なる 人々 間の 態度 は 彼等の 夢想 だ もす る 能 はざる 所な りき。 卽ち 人格の 尊 威 は个: 然 地を拂 つて 無く、 

驕慢なる 侗人 慾の 强 張と、 卑陋なる 個性 退 縮の 現象と は、 渾沌と して 社會の 上下 を 通じて 満卷き 流れ * ポ純强 列 i 

なる 色彩 はありながら, 社 會は雜 然として 諧調な き 不快なる 沙漠と なり 枭 てぬ。 若し 所謂 r 戗全 なる 屮流」 の 絶 

無なる 世 ありと すれば、 羅 馬帝國 末代の 濁世 は、 實に その 最 なる ものな りしと 云 はざる 可ら す。 而 して かくの 如 

き 暗影 は 今 も 我等の 間に その 殘蘖を 絡たざる なり。 

二 五 

その 暗影の 三 は 眞實の 意味に 於け る 自由 精神の 滅却な り。 羅馬 史を繙 くもの は、 羅^ 人が C.E を^ ひ、 : せ.^ を 

憤れる の 跡 を 見出さ ビる にあら す。 され ども 前述せ るが 如く, 羅馬 人が 主張せ る なる もの は、 その::: 的の 終 

局に 於て、 羅馬帝 國 の 消長と 關聯 せる ものにして、 人の その 自由 を渴 仰せる 所以 は、 羅^ 帝!: の 忠^なる 奴^た 

らんが 爲 めに 外なら す。 各個の 人格が 內部 的に 要求す る 自由の 如き は、 到底 これ を 彼^の^ に:: チ るせ を g す J 「偶 

性的 獨 立の 感情、 卽 ちその 結果 如何 を 顧慮す る 事な き 純 莨 の自. H に對 する 憧馈、 而 して その n.H の糨^ に滿: ^せ 


冇^^ 郎仝^  ^五^  二八 

ん とする 心」 は、 ギゾ ー の 云へ るが 如く、 羅馬 末代 史のニ 要素た る 羅馬人 も、 基督教 徒 も 共に 有せ ざり し 所の も 

のにして、 彼等 は 嘗て 此の 如く 放膽 自由なる 人間性 情の 振動に 瞥 視を與 へん とだにせ ざり しなり。 スパルタ カス 

る ゐ せ つ 

が 縲拽の 中に ある 奴隸の 一 大群 を 率 ゐてヴ エス ビ ヤスの 山中に 立籠り, 奴隸 解放の 爲 めに 萬 丈の 氣焰 を擧 げし は 

その 羅馬 人に あらす して ス ラ シ ァ の 出な りしが 故な り。 自由 はダ 二 ュ ー ブ の 河 上、 ゴ ー ル の 森林より 来れる も、 嘗 

て 七 丘の 上に は 宿ら ざり き。 

こ の 自己に 立ち 歸 り 得ざる 昏迷せ る 心情 は、 羅馬 帝國が 我等に 遣した る 暗影の 第三な り。 

二 六 

その 暗影の 叫は眞 理に對 する 不忠 實 なる 態度な り。 

ピラトが 基督に 對し、 傲然と して 「眞理 とや、 眞理と は何ぞ や」 と 反問して 以来、 眞理は 彼等に 取りて、 永久 

の 謎と なりぬ。 國 家の 存亡 以上に 關 心すべき もの 此の世に なしと 斷定 せる 時、 眞 正なる 自由 そのもの X 追求が 全 

く 無視せられ たる 時、 理性の 活動が 人の 存在に 何等の 重き を爲 さ^るに 至る は 自然の 數 なり。 羅馬人 も 嘗て は眞 

理に對 して 全くの 盲目に は あら ざり き。 彼等 は 嘗て 忠實 に徹視 し、 事物の 眞 相に 逢着せ ざれば 已 まざる の 意氣な 

きに は あら ざり き。 基督 紀元前 後より 三百 年に I れる羅 馬 人の 彫刻 を 見よ。 その物の 本質 を 捕捉 せんとす る 熱情 

眞摯 にして、 苟も その 眞に 徹せ ざれば 已 まざらん とする の 態度 は、 到る 處 にこれ を 窺 ふ 事 を 得べ し。 嚴密 正確な 

る 肖像の 彫刻 は、 近代より 見る も 亦 珍 襲すべき ものな り。 然るに 第 叫 第五 世紀に 至って は、 眞理 討究の 精神 顏然 

として 跡 を 絶ち、 偶々 鑿 刀 を 加へ たる もの を 見れば 單に 模倣の 模倣に 過ぎす。 その 自然に 不忠 實 なる、 自ら 體逹 

せんとす る 勞を厭 ふ 事の 甚 しき、 大膽 なる 想像力の 萎靡し 盡 せる、 史を讀 むも^ をして 人間 趣味 性の 堕落 實に斯 


の 如き もの あるか を洪 歎せ しむに 堪 へ たり。 

事物の 眞を 正視し 能 はざる の 結果 は、 頹廢的 風潮の 蔓延と なれり。 極端なる 現世 的 物 愁、. に^ ハ设^ を 促し、 地 

上の 生 を 貪り 味 ひながら、 常に 中心の 安定 を 贏ち 得ざる 煩悶の 素地 を 作り出せる もの は^に この^^ を 侮^せる 

羅 馬帝國 末路の 悲境が 生み出せる 所な りしな り。 

二 七 

羅馬 大帝 國は 上に 列擧 せる が 如き 自己 體內の 排泄物に よって 困憊し、 周圍 より 侵入し 來れる 野^人なる もの V 

壓 迫に 堪へ 兼ねて、 頹 然として 沒 落の 悲運に ひた 走りし ぬ。 而 して その 跡に 起り 來れる もの は、 赏 に屮, 紀の门 

由 都市な りと す。 

單に 自由 都市と 云 はぐ、 宛ら 一個の 新 規模 を 有する 團體 制度の 發生を 意味せ るが 如き も、 寳 は然ら す。 羅 お,::: 

身 その 當初は 一 個の 自由 都市たり しのみ ならす、 羅 馬が 征服した る 近在の 地 亦^,::: 出 都^の^ 合に 外なら ざり き。 

唯羅 馬市が その 武力に 於て 他 を 凌駕し、 ra: 方の 志 を 達成す るに 至る や 幾多の 都. W を 合併して、 雜然 たる 統沽の 下 

におく の 到底 不可能なる を 知り、 宛ら 豆を囊 中に 盛りて 囊の 豆と 云 ふが 如く、 凡ての 都市 を ー伞の 下に^ めて、 

これ を羅馬 大帝 國と は稱 したるな り。 

而 して その 豆の 袋 は 破れたり。 豆 は 再び 舊の 豆たら ざる 可ら す。 かくの 如く 羅^ 大帝^ は 亡びたり。 而 して 各 

都市 は その 本來 の 姿 を 恢復し、 自由 都市と して そ の 首 を 擡げ 始めた るな り。 


打 武郎^ 第 ^五卷  一二 〇 

Michclc 羅馬 は、 大帝 國を 運動せ しめたる 横 杆を稱 して Machi-ism と 云へ るに 對し、 自由 都市 を囘轉 せしめた る 

中軸 を稱 して Ibve と 云 へり。 ク a ボト キンが 進化論の 立脚地より Mutual  Ai(一 と 呼びた る は 更に 肯綮 を 得た るに 

ちが  I 

虎 幾 からん か。 羅馬帝 IT は その 滅亡と 共に 野蠻 人の 間にの み 見ら るべき 凡て の 制度 を 伴 ひて 滅びたり と Sismondi 

が 云へ る は 適 當と云 ふべ しとす る も、 自由 都市の 勃興と 共に、 羅馬 及び 羅馬 以前の 未開人が 知ら ざり し 新 精神が 

顯 著に 發揮 せらる 》 に 至りし は 被 ふ 可らざる 事實 なり • 

羅馬 大帝 國 と共に 破れざる を 得 ざり しもの は 國 家 至上 主義な り。 その 必然的 累系 として 起る もの は 勝者 敗者の 

融合 (Fur-icn) なり。 帝國 主義の 殘蘖 は尙殘 りて、 フランク 人に 屬 せる ゴ,' ルの 如く、 ヴネ シゴス 人に 屬 せる スべ 

インの 如く、 サ クソン 及び ノルマンに 屬 せる 英國の 如く、 王權の 設立 を 馴致して- 近代 歐洲に 於け る 君主 國の遠 

因 を 作り たれ ども、 羅馬 末代 帝國 主義の 慘禍 に戰慄 せる 伊太利に 於て は、 幾 個 かの 小 共和 國に 分れ、 各 共和 國は 

自己に 屬す るの 外 他に 屬 せす。 國 家の 爲 めに 人民 あるに あらす して、 人民の 爲 めに 國家 ある を {ー 曰; 揚し、 多 數者を 

奴 隸 として 治者の 福祉 を 計るべし て ふ羅馬 帝國の 傳說を 弊履の 如く 放拋 せり。 Machinism はかくの 如くして その 

根柢より 覆れり。 此に 於て か 彼等 は 是れに 代 ふべき 統治 機關を 摸索し、 行き /(- て 遂に 人て ふ單 位に 逢着せ り。 

彼等 は 初めて 羅馬帝 國が人 を 人と して 認めす、 一箇の 機械と して 用ゐ たる を 驚き 覺れ り。 かくて 人 は 認められた 

り、 而 して 自由 は 認められたり。 

自由 精神の 勃興と 共に 盛大と なりし は眞 理に對 する 眞摯 なる 研究 的 態度な り。 見よ、 歐洲の 大部分が 君主 專制 

の 下に 遲々 たる 文化の 歩 を 進め、 產 業の 進歩に よるより は專ら 討伐に よりて、 王侯 は 僅かに その 驕奢の 財源 を 得、 

上下 相擧 りて 憐れむべき カル チ ユアに 滿 足しつ- - ありし 間に、 幾度 も戰 禍の爲 めに 一 度 は 灰燼の 如かり し 伊太利 

くつき 

の 全土より 堀 起せる 自由 都市 は、 忽如 として その 智的 生活に 於て、 富に 於て、 生活の 様式に 於て、 拔 群の 進歩 を 


我等 は 所謂 近世 史の 舞臺 上に 棲息す。 その 我等が 棱息 する 近世 史 中に 於て 如 伺なる 戯曲が 浈ぜ られつ、 ある 力 

は、 我等の 眼 親しく これ を覩、 我等の 耳 親しく これ を 聞く。 人々 各よ 眼 あり 耳 あるが 故に 敢て! S ま を^せ ざろ 吋 

しと 雖も、 前說の 連絡 上 特に 注意すべき は、 近世 は 直系 的に 中世と 連 綾せ る ものに あらす して、 却って 屮^: をぬ 

耀 して 古代 殊に 羅馬 帝政 時代と 密接なる 交涉を 有せる 事 これな り。 


示し、 ^1 たる 北方 諸國の 傍に 介して、 宛ら 粗雜 なる 貝殼の 中に 置かれた る 露珠の 如くに 輝く に^れり。 

若し 自由 都市に して 正當 なる 發達 をな したらん に は、 第一 一十 世紀の 歷史は 今日の 如き 狀況 を呈 する 事な かりし 

ならん。 され ど 自由 都市が 駸々 として 殷盛に 赴き、 宛ら 猫 額に 等しき 地域に 位置して 尙 よく 富 を 積み、 ^を 装 ふ 

事 比類な きに 至れる 間に、 歐洲 北方の 諸 王國は 他の 方面に 發 達せり。 その 主 權者は 始めは 單に 一部 落の ホ櫬ぉ に 

遇ぎ ざり しが、 浸 略に より、 相績 により、 結婚に より、 僧侶との 結合に よりて 漸く その 版^ を撊大 し、 遂に は そ 

•J  M  つく 

の兵烕 によりて 優に 自由 都市 を壓 する に 至れり。 かくて この 諸王國 の、 Hi 權者は 自己の 民人: n^; の^ 血 を 搾り^ r 

ともな ほ 得難 かるべき 鉅富 を、 「自由 都市の 蹂躪に よりて 獲得すべき を 知る や、 餓 魔の 餌 を 漁る が 如く、 アル プ 

スの 高嶺 を 越えて 伊太利の 沃野に 飛 下し 来り、 掠奪 叉 掠奪、 幾多 所在に 散布せ る. nn 由 都市が、 恥し め を 蒙りし お 

女の 如く、 面 を 伏せて また 仰ぎ見 ざるに 至りて、 甫 めて その 暴 逆なる 振舞 ひ を やめぬ。 

かくの 如くして 中世史 は 近世 史に繫 がれた るな り。 か-る 徑路 を經來 りし 近世が 如何に 中世 n.E 都市の 新 精神 

を 無視せ しか。 而 して 如何に 北方の 文明が イプセンの 「ブランド」 を 通じて これに 抗 を^げ しか は、 ^ふ 

更に 筆 を 改めて 說 かん。 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  11 ニー 

何人も 疑 を 挾む 能 はざる 事實 は、 現 歐洲に 於け る 所謂 列强 なる もの \ 起原 は、 實に中 世紀に 於て バァ バリ ヤン 

に 依りて 建設せられ たる ものにして、 かの 自由 都市と は 何等 有機的の 連絡な きものなる 事 これな り。 卽ち 歐洲列 

强の 目途と する 所 は、 而 して 延 いて その 富强を 致し 得る 方法と 信す る 所 は、 帝國 主義の 立場の 上に その 發展を 計る 

にあり。 各國は その 存在と 隆盛と を 保障 せんが 爲 めに、 國家を 以て 凡ての 權 威の 主 座 を 占めし め、 民人の 生存 は 

一 偏に 國家繁 榮の爲 めに 資する が 故にの み 許さる \ の實 狀を呈 する に 至れり。 ルヰ第 十四 世 統治 下の 怫國の 如き、 

ビ ー タ, '大帝に よりて 建設せられ たる 大 露帝 國の 如き、 實に その 好 典型た るべき ものな り。 

羅馬帝 國に現 はれた る 第二の 喑影 として 我が 指摘した る 勝者 敗者の 確 別 は、 近代に 於て 經濟的 生活の 中に 現 は 

れ 来れり。 生活の 緊迫と 機械工 藝とは 自ら 資本の 偏榮を 促が し、 延 いて 資本家 勞働 者の 二階 級 を 助成し、 所謂 社會 

問題なる 近世の 難問題 を 惹起すべき 素因と なれり。 佛國 革命 直前に 於け る同國 農民の 狀 態を撿 せば、 又 農奴解放 

前に 於け る露國 農民の 狀 態を撿 せば、 羅 馬帝國 時代の それと は その 形を變 へつ X、 しかも その 度に 於て は 却って 

彼に 過ぎん とする、 勝者 敗者の 二階 級 を 現出す るに 至りし 事 は 智者 を 待た すして 知る を 得 可し。 

旣 に帝國 主義の 建設 あり、 勝者 敗者の 確 別 ありと すれば、 趨勢 は 自ら 個人的 自由の 返 縮と 理性的 滿 足の 放擲と 

を 結果す るに 至る は、 固より 覩易 きの 理 のみ。 羅馬 帝政 は旣 にこの 結果 を 暴露せ り。 その後 糧 者なる 近世に して 

獨 りこの 事な きの 理 なし。 枭然 近代の 初期より 中期に 瓦, りて 最も 著し かりし 現象 は、 民人 大多数に 對 する 高壓と 

及び 彼等の 智的 生活の 退 縮な りしな り。 かの 中 世紀に 見た るが 如く、 各侗 人が 有せし 光榮 ある 權威 は、 全く 或る 

少數 の特權 階級の 專 有に 歸し、 智的 生活の 餘裕に 至りて は、 國民大 多數の 夢想 だに する 能 はざる 所と なりに き。 

此の 如き は 羅馬帝 國の喑 影が 近代に 及ぼせる 影響の 一斑に して、 全 歐洲は 第 十九 世紀に 於て 羅馬卽 ち 南方 文明 

の 節度の 下に 晻々 として 雌伏した る を 知るべし。 ブランドが ァグ ネス を 師表と なした るが 如く、 如何に 最近の 文 


明が 古代に 倣 ひし か を 見よ。 

ミ o 

文明 は 西漸す ると 共に 北漸 すと は、 史家の 屢 ふ 所な り。 仉し 文明 北漸の 意義 を 解して、 南方の 文明が 勝ち:^ 

りたる 征服者の 如く、 その 固有の 文化に て 北方の 民 を 順化す る ものと せぱ、 そ は. S 々しき 誤謬な りと ^はざる 可ら 

す。 蓋し 文明 北 漸とは その 文字が 明示す る 如く、 文明が 北漸 する の 謂 ひに して、 南方の 文明が 漸次 北方に おろ Q 

意に は あらざる なり。 文明 は その 北漸 すると 西漸す ると を 問 はす、 常に 必す乎 痛き 抵抗に 遇.^ ざ 1、ま 已まざ ろよ 

り。 南方の 文明が 何等の 變化を 見る 事な く 易々 として 北方に 移る とい ふが 如き は、 我等の: f::^ する 能 はざる 所、 

文明の 屮 心北漸 する や、 少く とも 幾 干 か 最初の 特色 を 失 ひて、 他の 屬性 を附帶 する に 至る を 以て その 法則と す。 

こ れ 文明 南 漸と大 に そ の 趣き を 異にす る 點な り。 

現代 歐洲 文明の 屮 心が 年 を逐 うて 北漸 する の 傾向 ある は、 人の 汎く 知る 所な りと 雖も、 多く はこれ を 解して、 

單に 南方の 文明が その ま \ 次第に 北方に 根 #- を 占む るに 至る ものと なすに 至つ て は、 未だ: 止ま. を^た るの::: ル とな 

す 可ら す。 北方 は 南方 文明 を爾く 容易に 攝受 せざる のみなら す、 殆んど 敵意 を 含める:^ 抗の熊 ぼお r; て, これ を- 

觀 察し、 解剖し、 商量し、 批判し、 その 襲來を 防止 せんとし つ、 あるな り。 此の 如き は 然しながら^に 巧妙なる 

自然の 配 劑と云 はざる 可ら す。 この 衝突の あるあって、 文明 は卽 ちその 衣冠 を 改め、 {杯 姿 を變 じ、 倦お せる 人心 

の 奥底に、 再び 覺醒と 猛進との 衝動 を 投與し 得る に 至れば なり。 これ 文明 北 渐の特 ft にして、 文明 小 m 渐が^ に 行 

はる \ のみなら すその 地域の 廣狹 よりこれ を 云へば、 文明 は 北に よりも 南に 傅播 せる もの 多き に 系ら す、 .g 何に 

る 文明 は 同 一 なる 文明の 單に 南方に 移動した るに 止まり、 世界 文明 史を^ 的に 論究す る 楊 八;: にあり て は、 牛^に 


有 島武郎 全集 ^五^  三 四 

だに^ I せざる 所以な り。 

三 一 

歐洲の 北端 は 露西亞 及び 那威瑞 典に 速 なれり。 

か の 羅馬 大帝 國 の 後繼 者な る 近代 文明が、 中部 歐洲 にあって その 權威を 揎ま、 にし、 ナボレ オンの 帝政 を 生 み、 

獨逸 聯邦 を 成就し、 澳太 利の 匈牙利 合 邦 を 促成し、 露西亞 をして ボ I ランド を 併合せ しめ、 伊太利 諸 市 をして I 

王家の 下に 屈伏せ しめ、 貧富の 差 を 激^し、 多數 者の 智的渴 望 を杜絕 し、 旋風の 枯葉 を 揞く勢 を以 で、 更に 北方 

に その 猛威 を 振 はんとす るに 臨み、 この 文明の 棂 心に 向って、 痛烈 深刻なる 批評 を 加へ しもの が、 相次いで 歐洲 

? 1 と 

の 北端なる 露 西亞、 那 威より W 出せし は、 洵に 偶然に あらざる なり。 而 して その 中に あって、 特に 頭角 を 現 はし、 

批評の 鋭利 を 以て 知られた る も c に ヘンリック. イブセン あり、 而 して イブセンの 「ブランド」 は、 我の 信す る 所 

によれば、 彼の 著作 中 南方 文明 批钊 のな 先鋒 をな せる ものと 謂 はざる 可ら す。 

さらば ブラ ンド の 南方 文明に 對 する 批判 はよ く 徹底し、 よく 普遍し、 南方 をして 敢て その 矢面に立つ 能 は ざら 

しめたる か。 徹底 は 或は これ あり。 され ど 普遍に 至りて は、 未だしき もの 極めて 多き を 思 はしむ るの みならす、 

南方 文明の 潮風 感化 は ブランドが 想像せ ざる 逯 より 潜入し 來り、 ブラ ンドを その 警戒せ ざる 方面より 襲 ひたり。 

ジュリア ン 大帝が 反敎 者と して 西漸し 來る 基督 敎に對 し 強烈 無比なる 抵抗 を 試み (イブセン 作 「皇 帝と ガラ リャ 人」 

參照) 、遂に 戰 場の 露と 消えん とせる 時、 大呼せ る 「ガ ラリャ 人よ 汝戰ひ 勝てり」 の 一語 は、 また 移して ブランド 

が 南方 文明 に對し て 叫ぶ の 聲 たらしむ ベ し。 

比の 如くして ブランドが 苦闘の 菜て は 敵の 勝利に 終れり と雖 も、 彼 は 無益に 苦鬪 したる に は あらざる なり" ブ 


ランド 指摘して、 侃々^々 として 詰責せ る 所 は、 確かに 現代文明の 病弊に おれり。 現代文明 は ブランドに 於て:,、 

懼 する彈 疋官を 見出した る ものにして、 縱令 ブランド は 反 正の 犧牲 となりし と雖 も、 その 逍^ は 生きて 死ケゃ - 

殘 りて 亡びす。 現代文明 がその 病弊 を 矯正せ ざる 限り、 常に 黑 影の 如く これに して、. その 良心 を^す^^.: 卜 

めざる 可し。 而 して 此の 如くして 南方 文明が 遂に 北方の 要求に 讓歩 する 時、 その 北漸は 始めて 完全に 成就 せらる 

べきたり。 

我 は讀者 を將て 端な く 岐路 を迎 らしめ たる か。 さらば 更に 本洛に 還り 來る べし。 

あ ひせ ま 

フヨ, -ドの 奥- 懸崖 相、 逼 りて 上に 氷を述 ね、 日天 に冲 して 甫 めて 殘光を その 底に; i らす のみ。 效-M の:^ リ 5? 

閉ざし、 瘴氣 骨に 徹す。 ブランド はか \ る 寂寥 の 地 を 選び、 その 愛妻 ァ グ ネ ス と 共梭す る 事お 干 年 の 出に はへ/や ァ 

ルフと 云へ る 可憐の 嬰兒 ありて、 稍よ この 無人の 寂寞 を 慰む る もの ありき。 ブランド はこ、 にあり て- か >  「丄 

或 無」 の 主義 を 絶えす 體 達しぬ。 その 母の 病 更に 革 まりて 救 ふべ からざる に 至る や、 翳 師と^ 使と 交 M 來り て、 ブ 

ランドに その 死 床 を 護らん 事 を 乞へ りし も、 彼 は 母が 最後の ー錢 を擲 たざる を 知りて、 頑として その f= を はけ * 

ァグ ネスに 敎 へて 曰く 「我が 行路に 成功の 伴 ひ來る はこれ わが 精祌 力の 足らざる を 晤示 する ものたり。 祌 の C が 

にが さか づき  -r  (  -  V 

苦き.^ を 我より 放ち 給へ と 祈れる 時、 祌は よくこれ に 耳 を 傾け 給 ひしゃ。 祌の子 は 失敗^^の 人と して 逝ナ り。 

祌は萬 人に 唯一 つの 耍求 をな し 給 ふなり。 そ は 讓歩を 苟もせ ざるに あり。 半熟 不 成の 事 紫 は 神に^ はる。 ,お > でに 

口に そを說 かす, 行 ひもて そを傳 へざる 可ら す。 愛て ふ 語に 增 して 雜 多なる 誤解と: g 解と に^ら 叱 し^^して あ 

り や。 人 は 困憊の 上 を 面紗の 如く 愛 もて 被 ひ、 以て 己が 弱 點を嗞 まさん とするな り。 行路お 1 な 7?た ゥ. てして 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  ヨふノ 

愛せし めよ。 罪の 中に ありて しかも 晏如 たる を 欲せん か、 彼 をして 愛せし めよ。 祌を 求めて しかも その 努力 を惜 

まんと する か、 彼 をして 愛せし めよ。 愛の 故に 義行 はれ ざら ば、 則ち 人 これ を 許せば なり。 その 墮^ せる 愛 を將て 

再び 眞 生命 を帶 ばし むる の 道 奈何。 愛する の 前 意 念すべき のみ。 眼 を 張り、 臂を 擧げ、 滿 身の 意氣を 傾け、 渾身 

の 精力 を 振 ひ、 挫けて 屈せす、 跚 いて 倒れす、 自己の 全力 を盡 して 先づ意 念すべき のみ。 これ 實に人 をして 眞愛 

の 光に 浴せ しむる 唯一無二の 道な り。 若し この 苦悶に ありて、 汝の 意志 捷を 奏さば、 卽ち愛 は、 生命の 橄欖の 葉 

を 含める 白鴆の 如くに、 來 つて 汝の 上に 憩 はん。 世 未だ この 境地に 達せざる 間 は、 我等 愛する の 前先づ 憎まざる 

可ら すと。 

芮 母の 急使 一度 來り、 二度 來 るに 及んでも、 ブランド は 更に 前言 を 改めす。 しかも その 衷心に は 實に鎔 鉛を飮 

む の 苦心 を經驗 せるな り、 しかも この 苦心 は 彼が 最愛の 嬰兒ァ ル フ が 陰 湯の 峽 底に 生れて 遂に 病魔の 犯す 所と な 

るに 至って 更に 悲慘を 加へ 来りぬ。 

, 三 一二 

恰も この 時、 彼の 熱し もせす 冷やかに も あらざる 市長 來り訪 づれ、 自己の 巿に對 する 抱負なる もの を 語り、 仄 

か に ブ ラ ン ド の 所信 所行 と 相反せ る もの ある を 諷して、 ブランドに 請 ふに この 地 を 退き 以て 民人 に 不安 動掎 の 念 

を 起さ^ら しめん 事 を 以てす。 而 して 云 ふ、 「ブランド 君よ、 君の 爲す 所は旋 渦の 如し、 生活と 信仰と を 合一し、 

神の 義の爲 めの 戰 ひと、 馬 鈴薯の 施肥と を 混同 せんとす。 我 その 可なる を 知らざる なり」 と。 ブランド 敢然と して 

これに 答 へ て 曰く、 「然 り。 しかも 焉んぞ 可な ち ざらん。 我 は敢て こ 、 に 孤立し, 此處を 去らす して 最後にまで 戰は 

ん のみ。 我 は孤獨 にして 戰ふ ものに あらす。 至上 者 我と 共に 在し 給 ふ を 知らざる や」 と。 市長 乾 笑して いふ、 「さ 


も あらん。 され ど 设大多 數者は 我と 傦侶 とに 屬 せる を 忘れ 給 ふべ からす」 と。 

市長の 去れる 後 ブラ ンド 顧みて 喟 然として 云 ふ 、「これ 所謂 多數 者の 戰士 なる もの。 公. 牛^ 人なる 卩腕 を^し, 

心情 皓潔 にして 常識 豐 かなる もの。 しかも 彼等が 歲々 なす 所の 害毒 は それ 何に 比すべき。 洪水 も 如かす、 ^^も 

如かす。 世の 凡ての 殘害も 遂に 敵せ ざるな り。 彼 あるが 爲 めの 故に、 高邁なる 思想 は 夭折し、 熱烈な ろお ぶ は W 

总し、 敢爲 なる 歌聲は 杜絶し 去るな り、 遂に この 人民の 愛護 者な きに 如かん や」 と。 

更に 叉 醫師が ブラ ンドの 母の 急 を 吿げ來 り、 必す ブラ ンドに 母 を その 死 前にお すべき を 以てし、 逡巡 これに. 愿 

ぜ ざる は 人道の 常に 反く ものな りと 云 ふや、 ブラ ンド の聲は 再び 雷霆を 呼び 起しぬ。 「人 逍? この ^ぉ の g^i. こ 

そ 今 代の 標語と する 所なる。 この 語 を 以て かの 卑劣の 犟は、 爲 すべき を敢 てせ ざるの^ を 被 ひ、 かのお.^ の 徒 は、 

よく 平然として その 約 を 二に して 恥ぢ す。 而 して 汝 はかの 『人の子』 をも變 じて、 一 筒の 人 近 ヒ^^たら しめんと 

す C 强ふ るの 罪 も 亦 酷し。 基督が 死の 杯 を 味 ひし 時 神 はよ く 人道的な りし や」 と。 

ブランドの 熱情 は ブランド を乔 みて、 彼 は 理想 そのもの \ 化身と なりき。 彼の 前に は 唯 神の^ あるの み。 所ぶ 

愛なる もの、 所謂 人道なる もの、 所謂 共同生活なる もの-如き は、 現 はるべからざる 時に 現 はれた る ものと して、 

一 々彼の 熱烈なる 鞭打 を 被りき。 彼の 意志 は 火 を 出で し鐵の 鋼と なれる 如く 堅くな りぬ。 人の! S は:: いや 彼 や^か 

し 得べ しと は 兌え ざり き。 

しかも 人 は 遂に 人なる を 奈何すべき。 ブランドが 醫師 に對し 侃々 の 語 をな せりし 時、 その ゆ:: 几 アル ソ は^- 

籃 にあり て 生死の 間 を 彷徨し つ-あり しなり。 ァグ ネスの 急告に 應じ、 醫師 これ を 診して、 速 かに:^ を 移して.^ 

子の 命 を 救 ふ の 策 を講す ベ きを 云 ふや、 ブ ラ ン ド の 心 は 端な くも 軟化せ り。 彼 は^ 師 とァグ ネ ス と を^み て そ の 

^の屮 にこの 豁谷を 去りて 溫暖の 地に 移るべき を 云 ひ、 倉皇として 心玆 にあらざる もの ゝ 如し。 


有岛 武郎佥 m 1が 五卷  ! 二八 

三 四 

この 時醫師 徐ろに 彼に 近づき、 その 肩を撫 して 云 ふ、 「君が 市民に 臨みし 所、 母に 告げし 所、 共に 嚴肅を 極めて 

さな-か 

宛ら 天 上の 聲の 如かり き。 しかも 一旦 その 兒の病 篤き を 知る や、 忽ち 心機 を轉 じて 溫情 玉の 如く 掬すべき もの あ 

る は何ぞ や。 我 君に これ を 云 ふ は 君の 食言 を 責めん とする が爲 めにあら す、 ^の 父と して の自覺 がよく 君 をして 

人の 情に 返らし めし を 喜ばん とする のみ。 幸に 過去 を 省みて 迷 ふ 所な きに あら ざり し を 悟れ」 と。 

ちゅうせき 

ブランド この 語 を 閱 くと 共に、 劃然と して その内 心の 二分 兩 裂せ るを覺 りぬ。 今の 情よ きか、 S 曰の 想 謬れ る 

か。 さらば かの 人 を 罵り 母 を 苦しませし の責を 奈何。 今の 情惡 しき か、 疇 昔の 想 正しき か。 . さらば アル フの壽 を 

延べ 難き を 奈何。 

半生 硬骨 を聳 かして 宜言 せし 所の もの 畢竞 一片の 囈語に 過ぎ ざり しか。 神意 炳 として 日の 如し。 曲ぐ ベから す。 

しかも 恩愛の 絆は牢 として 鐵 鎖の 如し。 絶ち 易から す。 この 時ァグ ネス、 その 兒を 擁して 來る。 され ど ブランド 

は旣 に愛兒 の 病 報 を 聞きし 時 の ブランドに は あ らす。 躊躇 逡巡 の 色は慘 として その 面に 漲れり。 

^如と して かの 野生の 兒 ゲル ド亦墻 外に 現 はれ, 大笑して 云 ふ、 「わが 牧師 は 向上 飛躍せ り。 この 地上の 寺院 は 

古り て 且つ 荒れたり。 今 は 唯 かの 山上の 氷 寺 あるの み。 そこに わが 牧!: は 白衣 白 襟, 大千 世界 を 動かす 獅子吼 を 

なして、 敎へを 叫 海の 外に宣 べん」 と。 ブランド 彼女 を 慰めて 答 ふらく、 「ゲ ルド、 汝の云 ふ 所 誤れり。 汝の 牧師 

は汝が 見る が 如く こ、 に 立てり。 汝何ぞ 偶像の 歌 をな して 我 を 誘惑 せんと はする」 と。 ゲル ド卽ち 曰く、 「玆に 立 

てる は 一箇、 人の 父の み。 わが 敎師に は あらす。 我が 偶像の 歌 をな せりと 云 ふ は 却って 偶よ 我を强 ふるのみ。 偶 

像、 偶像の ある 所 を 知らん とや。 見よ、 かしこ、 君が 妻の 立てる 所に、 その 胸に 抱かれた る孩兒 こそ は、 君に 由 


由 しき 偶像の み。 聞け、 鐘聲 を。 人 も靈も 共に 山上に 向って 急ぐ。 わが 牧師 は 魔の 翅に乘 じて 去りぬ」 と。 忽ち 

にして 往く所 を 知らす。 

三 五 

ァグ ネス 徐ろに ブランドに 近づき^き ていふ。 「おそくな りぬ。 立ち 出で 給 はす や」 

ブランド 「この 道 を か (始めに 庭の 木戶を 指して かく 云 ひ 更に 家の 戶を 指しつ、) 或は この 逍を か」 

ァグ ネス (驚きし ざ- リっ 、) 「ブラ ンド この 兒の爲 め ::: この 兒の爲 め」 

ブランド 「寧ろ 問 はん、 我人の 父たり し 前 僧侶たら ざり しか」 

ァグ ネス 「たと へば その 聲雷 と 響かば 響け、 我 は 口 を つぐみて 應へ せじ」 

ブランド 「さ 云 ふ は汝が 人の 母た る 故なる べし」 

ァグ ネス 「人の 妻な り。 君の 心の 欲する 事 我必す 成し 遂ぐ 可し」 

ブランド 「母 か 妻 か 何れ を 揮ぶ や」 

ァグ ネス 「さらば 母と はなる まじき ぞ」 

のぞ 

ブランド 「祌の 裁斷今 こそ こ、 に 臨め」 

ァグ ネス 「君 は 何れに 從ひ給 ふべき か」 

ブランド 「神の 定め 給 ふが ま-に」 

ァグ ネス 「さらば 神の 御 召に 任せ 給 ふや」 

ブランド 「さなり (ァグ ネスの 手 を 握りつ、: T 最後の. si 一一 口 をな せ、 生か 死 か」 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  rao 

ァグ ネス 「何方な りと 神が 君 を 導き 給 ふ 方へ」 

ブランド 「おそくな りぬ。 いざ 行かん」 

ァグ ネス 「何方の 道 へ」 

ブ ラ ン ド 答 へ す。 

ァグ、 不ス r 庭の 木戶を 指し) 「此方へ か」 

ブランド r 家の 木戶を 指し) 「否、 此方へ」 

ァグ ネス (我が 兒を 高く 腕に 擧げ) r 祌ょ汝 の 求め 給 ふ もの を 我 今汝の 目前に 致す。 殉敎 の 火 もて 我 を 缚き袷 

ひね」 (家に 入る) 

ブランド は 妻の すごく として 再び蕩 屋に 入り 行ける を 見て 淚に 破れ、 身 を 階段に 投げて 叫び 云 ふ、 「基督、 基 

督、 我に 尤を與 へ 給へ」 と。 

試練 は 遂に 長く 待ち望みし ブラ ンド の 上に ひし,, {\ と 押し寄せたり。 

三 六 

試練 は來 りぬ。 その 愛兒 アル フは氣 候の 壓 迫に 堪へ かねて、 遂に 一杯の 土中に 眠るべき 淋しき 運命の 末に 走り 

ぬ。 遞々 たる 日月 且つ 來り 且つ 往 きて、 寂寞た る ブラ ンド の孤屋 にも 祌子 降誕の 記念日 は 来れり ノ ヒ れど そこに 笑 

語と 歡聲と は 共に あらす。 露々 たる 白雪 地 籟を壓 して 頻りに 下り、 戶 外なる アル フ のさ i やかなる 墓亦訪 ぬるに 

ばう"  せんきん 

.E たからん とす。 喪心 病める が 如き 若き 母ァグ ネスの 眼底 淚^ 沱 として 沾襟を 代 ふるの^だ になし。 僅に 囘 顧の 

中に 生き、 愛子の 在世 を假 想して、 愛子の 爲 めに 夏より 心して 蓄 へお きたる 飾 木 を 立て、 以て 喪家に も强 ひて 一 


抹の 春風 を 誘ひ來 らんと す。 昨夜 彼女、 夢に 愛子 を 夢み ぬ。 紅 頰短祸 、雙 手を展 き、 辛く 跚歩 して、 彼, V が獨り 

橫 はれる 床 邊に 近づき 「母よ」 と 呼びながら、 眄 然として 笑みぬ。 ^は 「我 を 暖め 給へ」 と.. ム へるな り。 彼.^ 實 

にこれ を 夢み ぬ。 寒から ざらん や 朔風 吹きす さむ 北國の 冬。 その 北 阈の土 巾に 彼女が 袋 愛なる 船:: 儿 は^はれ り。 

ァグ ネスに 取りて は、 雪中に 眠れる アル フ こそ、 天に ありと ブランドが 云 ふ アル フ よりも、 ^に ^ なろ ものな り 

しなれ。  - 

ァグ ネス は 甲斐々々 しく 降誕 祭の 設備 をな し、 盛んに 燭火を 點し牕 被 を 開きて 窓外 を^み, アル ソの^ に^し 

て獨 語して いふ、 

「アル フょ、 我 汝の爲 めに 牕被を 開きぬ。 窒内 の 輕暧と 明 光と 願 はく は汝の 墓の 上に 至れ」 

と。 ブランド これ を 聞く や、 忽ち ァグ ネスに 命じて 牕被 を閉ぢ しめ、 勵 語して 2 く、 

「何等の 痴態 ぞゃ。 休めよ、 祌 意に 對 して 絶 對の服 從を爲 すべきの 我等に して、 服從 する 所^って 絶對 なら ざら 

んに は、 我等の 爲 せし 所 は 全く 徒勞 とならん のみ。 界は旣 に 甘んじて アル フを祌 の 祭^に 搾 げぬ。 しかも 今 もな 

ほ 彼 を 捧げた る を 惜しみ 悲しむ の 心 あらば、 犠牲 は 遂に 犧牲 たる 能 はす。 我等が 淚を 乔んで 恩愛の^ を斷 ちしみ 

衷は 空しく 水泡に 歸 せんなり。 速 かに 牕被 を閉ぢ よ」 

と。 ァグ ネス は 悄然と して 牕被を 閉ざす と共に、 恩愛と 感情との 扉 を 閉ざしぬ。 

ブラ ンド がその 愛妻に 要求す る 所 は尙こ 、 に 留まら ざり き。 ァグ ネスが ァ ル フ の 遣し 行きし 衣類 を 取り出し、 

アル フ の 汗と 己が 淚 との 跡 を 留めた る 記念品 を 胸に 懐き、 悲しき 囘 想の 杯に 醉 へる 時、 偶 2 飛 3 を & し, 尸 を^き 

て 突入し 來れる もの あり。 打ち 見やれば 襤摟を 身に まと ひて、 寒 氣の爲 めに 戰慄 せる 嬰兒を 抱け る 乞^の 老ケな 

りき。 彼女 窒內 に來る や、 直ちに ァグ ネスに 就いて アル フ の 服 を 求む。 ァグ ネス 固より 逡 巡の 色 あり、: フジ ン ド^: 


有 鳥武郞 令; ^  ^ 五卷  四 二 

び 色 を 作して ァグ ネスの 惰弱 を 罵り、 凡て を擧げ てこれ を 乞食の 老女に 贈らし む。 ァグ ネスが 胸中に 潜めて 珍 襲 

措 かざりし アル フの 頭巾 も 亦 免る \ 能 はす。 ァグ ネス 憤 泣して 遂に 凡て を 抛ちぬ。 嗚呼 これされ ど 彼女に 生命 を 

求む るに 等し かりき。 彼女 は 忽然と して 他の 世界の 人となりぬ^ ヱ ホバ を 眼の あたり 見る もの は 死す」、 アル フ の 

墓と 云へ る 語 も 今 は 彼女の 耳に 悲しから す。 アル フは實 に 天 に祌 と共に ありき。 嗚呼され ど 「エホバ を 眼の あた 

り昆る もの は 死す. T ァグ ネス の 復活 はァグ ネス の 死なり き。 

悲しく も 苦しく も畏 るべき 人生の ディ レ ン マ を 見よ j 

三 七 

若し 犧牲獻 身の 典型 を 見ん と 欲せば ァグ ネスに 來れ。 甘く 香ばしき 心の 歌なる 戀 愛と 訣別して、 祌の 名に 於て 

生きん が爲 めに. ブランドに 從 ひて フヨ ー ドの 奥深く 隱れ 住み、 凡ての 欲念 を 放擲して ブランドが 精進の 犠牲と 

なし, その 甚 しきに 至って は、 最愛 最籠、 世の 何者に も 代へ がた き アル フの 夭折 を も 看過せ ざるべ からす。 その 

囘想を だに 罪と して 却け ざるべ からす。 その 肉に つける と靈 につける と を 問 はす、 一 にこれ を 擧げて エホバの 祭 

壞に 供した る もの は 彼女な りき。 犧牲 若し 人生の 最高 最大なる 靈的 活動なら ば、 ァグ ネスこ そ は 月桂の 冠 を 以て 

酬いら るべき 第一人者に あらす や。 而 して ァグ ネスが その 短 生涯の 報酬と して 贏ち 得た る もの は 何なりし や" 死 

のみ。 唯 一 介の 死の み。 

犧 牲と實 生活との この 調和す ベから ざる 矛盾 を 如何す ベ き。 

ブ ランド は そ の 最愛 の 妻ァグ ネス をして 犧牲を 捧げし め ぬ。 自己 の 意志 I 自ら 神意な り と 信ぜ る —— の 下に 

一人の 可憐なる 女性 を粉谇 しぬ。 而 して ブランド は 平然として 食 ひ 且つ 笑 ひしゃ。 あらす、 あらす。 彼 はやが て 


その 愛 兒を追 ひ、 その 愛妻 を 追 ひ、 その 老母 を 追 ひて, 自ら も 最後の 犧牲の 道 を 選び 求めざる; ^ら ざるな り。 宛 

ら鍅槌 もて 粉碎 されし 如き ァグ ネスが、 「今 は 唯 感謝の み。 よき 夜 を 過し 給へ。 我 は 休息 を 欲す」 とて^き 火る ゥ、 

獨り殘 されし ブラ ンド は雙拳 もて 胸を撲 ちつ &、 肝膽を 搾って 叫んで 曰く, 

「我が 靈 魂よ 痛みに 堪 へよ、 勝利 は 苦き 價を 要す。 凡て を 失 ふ は 凡て を 得るな り。 亡失に 倚らす し, て 物 をか瘦 

得し 得べき」 

と。 ^然彼 は 犬なる 試練に 堪 へぬ。 彼の 「凡 或 無」 主義 は、 ^頭に 上せて 人の にの み說 くべき { や:^ なる^: せ 

に は あら ざり き。 彼 は 刻々 已 みがた き 精 祌の服 を 閃かして 己が 會 堂を兑 ぬ。 小なる もの-何 ぞ醜 き。 ゲ ルドの 所 

謂 「小なる もの 何ぞ 醜き」。 彼 は^ 勵 して 更に 一 大 伽藍の 建立 を發 念し ぬ。 時に 叫 近の 民衆 ブランドの 戒行 を^^ 

きふ ザん 

し、 翁 然として 來 りて その 下風に 就く に 至り、 嘗て 民衆 を恃 みて、 ブランドに 對抗 せる 市お は^ 铖 なる 俗お た^ 

かし 忽て ちその 態度 を 豹變し 、鞠躬 如と して ブランド を 訪ひ來 り、 ブ ラ ン ドを 起して 货 尺 救濟所 立 の ^をお く。 

しかも ブランド 昂然と して これに 應 する 事な く、 吿 ぐるに 己が 事業 ありて, その 爲 めに 凡ての 力と 金と を^ぐ ベ 

ぎつ きょ 

きを 以てし、 一年 有半 拮据 經營の 後、 その 愛兒と 愛妻と を 人身御供と なせる 一大. ^院 は^ 然として 幽ハ介 に^ 

立す るに 至れり。 

一一 一八 

一大 寺院の 設立 せらる、 と共に、 忽ち ブランドの 前に 現 はれて、 その 寺院 を. S 己の 川に 充てん とする もの は 巾 

長と 長老と なりき。 ブランド は 自己の 開基に か、 る 寺院 を、 自己の 事 菜に^ せんとせ しが、 ^ぉ と-: i:^ と は, ての 

寺院が 先づ 市の 輻祉と 在 來宗敎 の 保護の 故に 用ゐら るべき を 主張して 已 ます。 ブランド は^々 に ^ 綿して 他の^ 


4?^ 武郎佥 ^第五 卷  ray 

業 を 利 ffl せんとす る 彼等の 態度に 義憤 を發せ ざらん とする も 得ざる に 至れり。 

この 時 突如と して 一人の 外 國傳道 者 現 はれ 出で ぬ。 ブランド これ を諦視 すれば 實 にこれ ァグ ネスが 最初の 愛人 

たる アイナ ァ なりき。 驚愕せ る ブラ ンド に對し アイナ ァは云 ふ、 「我 はァグ ネスと 相 別れて より 無恥 無 賴の生 を 送 

りぬ。 而 して その 極、 我が 贏ち 得た る もの は殘 害せられ たる 健康な りき。 祌は我 を その 膝に 招き 給 はんが 爲 めの 

こと さ 

故に、 故ら に 我に 唱歌の 才と 華やかなる 性情と を 賜 ひぬ。 而 して 其 等 を 無にまで 害 ひ 給 ひぬ。 是れ 我が 今日 ある 

所以な り。 今 は 世の 凡ての 驟粋 我に 於て 宛ら 浮 雲の 如し。 我 は是れ より 基督の 敎を說 かんが 爲 めに 異教徒の 群れ 

に投 する もの、 慷語の 寸暇 も 亦 憎まざる 可ら す」 と、 飄然と して その 往く所 を 知らす。 

何等の 矛盾 ぞゃ。 アイナ ァ こそ は 嘗て ァグ ネス を 誘惑して、 人生 を 夢 死せ しめんと したる 醉牛; 享樂の 酒徒に あ 

ら ざり しゃ。 而 して ブランド はこの 兇 乎より ァグ ネスの 純潔と 靈 魂と を 救 ひ 出せし にあら ざり しゃ。 その 救 主た 

る ブラ ンド はァグ ネス を强 ひて 己が 事業の 爲 めに 身 を 殺す に 至らし め、 而 してな ほ 煩悶と 苦痛と に 滿ち滿 ちた る 

悪戰 を糗 けつ-ある 間に、 アイナ ァは忽 如と して 復活の 大歡喜 を 味 ひ、 惑 はす 躊 はす、 平然として 自己の 天職 を 

樂 しむの 色 あり。 此の 如くん ばァグ ネスの 死 は 栗して 何の 用ぞ。 人の 手に よりて 成れる 一個の 寺院に 執着して、 

理想の 成就 を樂 しまん とする ブラ ンド の 懷憶は 何ん の 陋ぞ。 ブ ラ ンドは 望 洋の歎 をな して 自己の 血塗れなる 心中 

を 凝視し ぬ。 

さしまね 

而 して 遂に 彼 は 更に 飛躍せ り。 民衆 雲の 如く 媢 集し 來れ るを麾 き、 聲を勵 まして 彼等に 告げて 曰, く, 

「讓歩 こそ 悪魔 なれ。 今 汝等を 誘引す る 寺院と は 果して 何ぞ。 單に 一個の 見世物の み。 汝等は その 壯 年の 最上 時 

よ. H ひ  はじ 

期 を 淫樂と 耽溺との 中に 送り、 功名と 富貴と に 齷齪し、 齡 進み 病 膏肓に 入る に 及んで、 甫 めて 神 を 求む。 汝等は 

人世の 春 を 浪費し 盡し、 瘦人 となる に 及んで 則ち 神の 懷に隱 る。 此の 如き は; 大の惡 む 所な り。 汝 等の 中 紅 顏壯齡 


なる もの 來 りて 我と 共に 神の 國を嗣 がんと はせ す や。 來れ。 神 は 遠き にあり、 人袞 遂に そ S 聖座 たら. その!: 

土 は 自由にして 美な り」 

かくて ブランド は、 ァグ ネスと アル フを 人身御供 となし、 一年 有半の 歲 =: を 費して 建立した る 寺院 を 一 庇 だに 

開く 事な く、 その 鍵 を 深淵の 中に 投じ、 宛ら シ ー ザ ー が ルビコン 河 を 渡り、 基督が ゲッセ マネ を 出で しの 意^ を 

以て、 民衆 を將て 山頂 を 目指しぬ。 民衆 は 恰も 醉へ るが 如く ブランドの 熱意に 呑み 盡 されて 家 を扮て 骨肉 を^て 

糾 然として ブランドの 後を遂 ひぬ。 この間に ありて 失祌 せる が 如く 驚倒せ る は 長老な り。 彼が 多年の 愛牧 した 

5£ よ 

る 羊 群 は、 悉く その 牧者 を 離れて あらぬ 方に 彷ひ 出で たり。 頹 齢の 彼 は 何ん ぞ 失望せ ざる を^ん。 しかも^ は 

長老 を 慰め 勵 まして 曰く、 「民衆 も 亦 我等と 等しき 人な り。 彼等の 逡巡 する 所に は 我等 も亦逡 巡すべき なり。 く 

彼等に 隨ひ 行きて 時機 を 窺 ふべき のみ」 と。 

民衆の 心 を 測る に 巧妙なる 市長よ。 汝は實 に ブランドの 急所 を 捕へ 得たり。 長老 も 亦 云へ り 「神 は 人 を 失^せ 

しめんが 爲に獨 創 カを與 ふ」 と。 長老よ、 汝も亦 人生の 機微に 觸れ たる 老獪 漢 なり。 

民衆 は 某して 中道に して 狐疑し 始めたり。 

夜 近づき、 眩 體疲勞 し、 食 S 乏しき に 及んで、 民衆 は 漸く 自己 を 省み 始めたり。 彼等の せ 院 は何處 にある たる 

や。 彼等 は 如何に 永く 戰ふ べきなる や。 その 戰の 勝敗 は 如何" 勝ち得て 獲る 所 は 果して 何ぞ。 彼等 は ブランドに 

信賴 する 前、 先づ 普遍なる 理解 を 要求したり。 ブランド 卽ち 彼等に 敎 へて 曰く、 

「さらば 知らし めん。 聞け。 この 戰は 生命の あらん 限り 繽 けらるべし。 神の 前に 汝等 先づ 『凡て か 無』 の% ^を 

なせよ。 汝 等が 失 ふ もの はマム モンの 神が 與へ 得る ものと 逸樂の 高枕、 汝 等の 狻 得する もの は强烈 なろ な^、 向 

上す る 信念、 純一なる 精神力、 獻 身の 美德、 荊棘の 冠卽ち これな り」 


有 岛武郎 仝 集 第五 卷  四 六 

と。 此に 於て か 民衆 は 愕然として 相呼應 してい ふ、 「汝の 我等に 約せ る は 勝利者の 榮冠 なりき。 而 して 實 は犧牲 

の强請 をな さんと する に 過ぎざる か」 と。 かくて 混亂は 忽ち 群衆の 屮に 生じ、 甲論乙駁 更に 窮極す る 所 を 知らす。 

きふち  け-. リ 

この 時 市長と 長老 急 馳山を 攀ぢ來 りて 曰く、 「若し 汝等卽 ち 今 山 を 下らば, フヨ ー ドに 於て 稀 有の もの 汝等を 待 

てり。 鰊 魚の 大群 岸逯に 寄せたり」 と。 群衆 等しく これ を 聞いて 踵を囘 し、 ブランドに 酬 ゆるに 石と 罵詈と を以 

てし, 倉皇 山 を 下り 去りぬ。 

知らす や 一 群の 鰊 はよ く 眞理を 呑む に 足る を。 

一二 九 

市長と 長老と、 かの 民衆 を 率 ゐて山 を 下る や, 民衆 を將て 再び 舊 態に 返らし めし を 誇り、 相慶 喜して 語る らく、 

長老 「神の 恩惠 によりて 我等の 間に 反動の 精神の 絶えざる を 謝す」 

市長 「反 亂の 漸く 甚 しから ざるに そ を防遏 せし は 我が 力なり レ 

長老 「奇蹟に よら すん ば 遂に この 效菜を 牧め得 じ」 

市長 「奇蹟と は」 

長老 「魚群の 市 近く 來れる 一 事な り」 

市長 「そ はわが 方便の 虚構の み」 

長老 「虚構と や M:」 

卽ち 互に 口に 手して 相 顧みて 竊笑 しぬ。 


こきょう たよ 

ブラ ンドは 遂に 孤獨 となりぬ。 打ち 見やれば 遙 かなる 彼方、 孤筇を 便りて 孑 然として 山顶を 指して 歩 を 述ぶも 

の は 彼な り。 唯 一 人 ブランドの 踵 を 追 ふ もの あり。 是れ かの 山野の 兒ゲ ルドな りき。 長老^ かに これ を^み は. て 

E  く、 

「彼 尙 ほその 夢想 を 休む る 事な くんば, 彼が 墓に 刻まるべき 記銘は 『ブランドの 墓、 彼の 一 生 は 悲しき 一 や: なり 

き。 彼 は 唯 一 箇の靈 を 救へ るの みなり。 而 して その 靈と はゲ ルドと 云へ る 狂 亂の兒 のみ』 ならん なり」 

と。 群衆 亦 長老に 和して 口々 に 罵りて 曰く、 「見よ、 不孝の 子、 不 愛の 夫、 不 慈の 父、 詐 偽お, 夢 遊お^、:,;: も 

て 打ち、 打ちて 死に 至らし むべき の鞏」 と。 

ブラ ンド は旣に 彼等の 聲を 聞かざる までに 彼等と 懸絶せ り。 彼 は、 氷結んで 永劫の 春 を 閉ざし、 頻 -M か k つて 不 

斷の冬 を 叫ぶ 山頂に 向って 進み、 群衆 は フヨ ー ドの 一 端、 黑く 雨に さらされ たる 一 群の 陋屋み 若. 十の W 圆、 お: 十の 

そんろ 

牛馬、 若干の 漁 魚と を 有する 己が 祖先 傳來の 村閻を 目が けて 退き 行きぬ。 ブランド は蟥 群の 如く 眼下 遙 かに 恋 励 

する 群衆 を 見やりながら 浩 歎して 曰く, 

「彼等 遂に 甦生の 好機 を 逸し 去りぬ。 嗚呼 誰か 彼等の 生活 を 見て 且つ 悲しみ 且つ 歎く を 禁じ 得ん や。 彼等 抓 

は 塞がれ、 彼等の 熱意 は 冷され、 彼等の 希望 は閉 さる。 IK に 就くべき の 靈を享 けて 生れた る 彼等 は、 荷の はめ 

に 地 を 匐うて 死す。 彼等の 悲慘 なる 運命 を 思 ひ、 幾度 か 彼等の 爲 めに 憐憫の 淚を拭 ひしと する ぞ。 ^えなん とす 

る 傳說を 固守し、 反撥の 力なく 一  日を偷 安し、 生くべき 眞の道 を 失 ひ 去りた る 彼等 は に憫れ むべき にあら す や。 

夜、 暗き 夜、 而 して 更に 夜。 誰か 炬火 を 執って 彼等 を 夢 死より 救 はんも のぞ。 好矣。 彼等 我に ^ かざらば、 そ は 


有 島武郞 全集 笫五卷  四 八 

兎 まれ、 我 彼等の 爲 めに 最後まで 生きん。 百 千の 彼等の 中 奮勵已 まざる もの 我 一人 あらば, 神 も 亦 彼等の 罪を少 

しく 輕 くし 給 はんか」  , 

この 時^ 屮に聲 あり、 嵐の 間に 響きて いふ、 

さと 

「蟲 よ、 夢み る ものよ。 汝 救世の 大業 を 成さん とする の 無謀 を 覺れ。 汝の 一大 授は克 く 救世主たり 得べき それなら 

す。 天 を嗣ぎ 得る もの は汝 にあら す。 地に 生れた る蟲 よ、 地の 爲 めに 生きよ」 

と。 ブランド この 聲を 聞き 疑惑 衷に萌 す。 この 時义 空中に 影 あり、 婦人の 姿に して 暗雲 を 劈きて 現 はる。 自ら 

云 ふ、 「我 はァグ ネスな り。 君 を 幸福に 導く、 の 道 は 唯一 つ。 二度 その 道 を 失せば 君の 前途に は 死、 我と アル フ との 

前途に は 苦悶 あらん。 一. 事 を 捨てよ、 然 らば 君 は 生き 且つ 安 からん」 と。 ブラ ンド卽 ちその 一 事の 何なる か を 問 

へば 卽ち 曰く 、『凡て か 無 か』 これな りと。 ブランド 敢然と して 曰く 「焉ぞ 再び 劍を 鞘に する を 得ん や」。 幻影 曰く 

「拔劍 も途に 何の 爲す 所な きを 知らば、 寧ろ そ を 鞘に する を擇 ばざる 可ら す」。 ブラ ンド 曰く 「若し 我が 努力 何ん 

の 効 菜 を齎し 得. f とする も、 少く とも 憧憬て ふ 大氣魄 を 後昆の 爲 めに 遣す を 得べ し」 と。 幻影 此に 於て か 大呼し 

て 曰く 「死せ よ 地上に 於け る. i 用の 長物よ」 と。 殘る もの は 唯 鷲 鳥の 羽音の み。 これ ブランド を 最後に 誘惑 せん 

とせし 「讓 歩の 靈」 なりき。 

とさ 

忽ちに して ゲル ド、 銃を秉 つて 現 はる 。嚮 きの 羽音 を 殘 して 飛翔し 去りし もの こそ 彼女が 追踪 して 已 まざりし 敵 

手 なれ。 ゲ ルド、 ブランドの 完膚なきまでに 傷つき 痛める を 見、 その 前に 跪きて 云 ふ 、「これ ぞ 我が 救 主 基督の 再 

來なら す や。 我 今に 至る まで 君 を 一箇の 僧侶と なしき。 焉ぞ 知らん 君 は 彼、 世界の 第一人者な らんと は。 見 給へ、 

君が 在る 此處 こそ は 我が 常に 云 ふ 所の 氷の 寺なる を」 と。 ブランド 苜を囘 らして W 邊を 兒れ ば、 實に爾 かなり 

き。 鳴 呼 ゲル ドも亦 彼 を 解せ す。 ゲ ルドが 最高 最崇 なりとの 氷の 寺 も ブランドに は 何者 にても あらす。 彼の 往か 


,  fc うねん 

ん とする 所 は 更に 千里の 彼方の み。 ブ ラ ンドが 祌に禱 念して 得ん と 悶えた る もの は 遂に 得る に. S なき か 。「何故に 

神 は 一 度 だに 我 を その 胸に は 抱き 給 はざる」、 これ ブラ ンド がその 十字架 上に 發 せる^ 後の 叫びな りき。 

あや i 

この 時 轟然と して 銃 聲四邊 に 響き、 ゲル ドは 謬た す 彼の 敵手 を 屠りぬ。 「讓 歩の 靈は 死し ぬ」、 「凡て か 無 かは^ 

上の 玉座 を 占めぬ」。 人の 遂に 成し 能 はざる 所 は將に 成就 せられん とせり。 

四 一 

- れ  つ んざ 

この 時 突如と して 大雪 崩 は 山頂より 起り ぬ。 巖を 劈き 樹を根 こぎに し、 百雷 を驅 り千電 を^め、 天 を^ ひ 地 を 

動かして、 唯兒 る漫々 たる 大雪 野 は 山背の 傾斜 を 河漢の 如く 流れ 下りぬ。 あな やと 云 ふ 問 もな く ブランドの 姿 は 

その 下に 葬られたり。 

唯 聞 ゆる は頹 雪の 怒號 のみ。 その すさまじき 怒號の 中に、 更に 莊嚴を 極めて 聞え 來 るの as あり。 

「神 は 愛な り」 

これ 何等の 謎語ぞ や。 

四 二 

「神 は 愛な り」 

嗚呼 是れ 何等の 謎 語ぞゃ e 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  五 〇 

はじ 

「ブランド」 一度び 文壇に 投ぜら る .1 や、 イブセンの 名聲は 一躍して 世界的と なれり。 イブセン は甫 めて 歐洲の 

注目す る 自己 を 見出せり。 ク . ス チア 一一 ァ 及び 露國の 劇場 はこれ を 登場して 熱狂せ る 觀客を 牽引せ り。 歐洲の 北 

部が 南部に 對 して 發 したる 彈 正の 聲は、 默 殺に 遇うて 亡ぶべく 餘 りに 大 なりき。 

餘光 漸く かすかな らんと する 信仰の 焰、 曖昧に 衣す るに 模稜を 以てせん とする 道義の 光、 生に 對 する 倦怠の 餘 

り 極端なる 刺戟 を 追 ひ 求む る頹 壞の氣 勢、 內在 能力の 分裂、 外来 感化の 不統一、 個性の 破 壌、 社會 生活の 不均衡、 

摸索 的 盲動、 詭辯 的 無爲、 一代の 趨勢 は 常に その 最後の 幕 を かくの 如くして 閉づ。 第 十九 世紀 後期に 於け る歐洲 

の 狀態は 亦 かくの 如き ものな かりし とせす。 劍と 火と を 以て 現 はる-革命な かりし 故 を 以て、 我等 は 時代の 推移 

を 等閑 視す るの 愚 をな すべ けんや。 かの 文藝 復興の 淵源 を爲し 華々 しく 近世の 幕 を 開きし 歐洲の 南部 は、 匆々 馳 

馬の 馳す るが 如き 文明の 進歩に 對 して、 過去 を囘 顧して 後昆に 誇示す る 老爺の 痴態に 陷れ り。 

南方の 衰 ふるや、 歐洲の 文明の 重心 は 自ら 北方に 移らざる 可ら す。 而 して 北方 はハ ー キ ユリ ー ズの 精力と 敢爲 

とを以 て この 北 来の 文明に 對 して 深刻なる 解剖 的 批判 を 加 へ 始めたり。 

若き 者の 意氣 可ん ぞ g 昂 たる。 その 眼力 は 透徹し、 その 判斷は 果敢なり。 見よ、 かの 「凡 或 無」 の 宣傳者 ブラン 

ドは 純然たる 北方の 權化 にあら す や。 彼 明確 何者 をも蔽 はざる 自己の 態度 を 提げて、 南より 来れる 髯 白き 珍客 を 

迎 へぬ。 而 して その 威儀 堂々 たる 老 者の 面影の 中に、 經 験て ふ 小皺 もて 波打てる 表情の 後ろに 傳說と 歷史と を 衣 

したる 醜き 「死」 の 冷笑 を 見たり。 ブランド は 猛然と して この 「死」 を 一撃の下に 斃 さんと せり。 これ 然し ブラン 

ドの 誤算な りき。 「死」 は 千 軍 萬 馬の 間 を馳せ 潜りて、 機に 臨み 變に應 する 術 數を體 得せる した \ か 者 なれば ブ 

ランドが 唯 一 撃と 打ち下ろす 匁 を 易々 とか はして 幾度 か签を 打た しめたり。 此に 於て か ブラ ンドは 年少 氣銳氣 を 

良うて 惡戰 苦闘の 已 むな きを も 敢て擇 ぶに 至れり。 その 母と その子と その 妻と を犧牲 となし、 係累 覊絆を 身邊ょ 


り 絶ちて 孤 身單劍 萬 事 を この 一事に 賭して 戰 へり。 ブランド は その 全 努力 を その 目途す る?^ に倾ヒ し、 ^こ 

農夫より は その 若き 子 を 救 ひ、 アイナ ァ より はァグ ネス を 救 ひ、 巿長佾 侶より は 群^ を 救 ひ、 より は ゲレド 

を 救 ひぬ。 餘す所 は 自己の 理想の 建設 あるの み。 ブランド は 渾身の カを扳 ひこの 一 事の 成就に 沒:: g せり。 この ク 

ライ マックスな くんば 今に 迨 るの 努力 は 畢竟 煙の 如く 徒 雨 なれば なり。 

*  き 

しかも フ ランド はこの 最後の ー篑に 蹉跌せ り。 これ その 悲劇な り。 凡そ 新しき 者の 努力が 陷る 悲劇の 第 だ^::: 

なり o 

四 四 

かの 農夫の 若き 子 は 再び その 父に 從 ひて 去りぬ。 アイナ ァは ブランドが 苦悶して 使命の 成就に 隊し せる 出に、 

超然と して 一 圖に傳 道に 傾注す る 神の 使徒と なりぬ。 群集 は 市長の 口 辯に い^はられて ブランドに^ きて 去りぬ o  ^ 

に ブランドに 向上の 一路 を喑 示せし ゲル ドも 最後の 危機に 臨みて は、 依然として: の ^キ£ に陷 りぬ。 かくて ブ 

ラ ンドが 企てた る 折伏 的 事業の 凡て は 宛ら 砂上の 家の 如く、 頹 然として 失敗の 悲境に ひた 定 りしぬ。 

詮方な く ブラ ンドは 唯獨り その 積極的 事業なる 自己 理想の 建立に 向って 驀進 せんとせ り。 しかも ブランドが こ 

の 事業に 對 して 歩 を 運ぶ 事數 歩なら ざるに、 頹雪は 山を壓 して 襲 ひ 来れり。 ブランド は 莊碳, 比なる 「p は: にな 

り」 の聲を 耳に しつ.^、 失敗 絕望、 喑黑の 谷底 遠く 冷 かなる 白雪に 包まれて 墜落し 去りぬ。 

さなり、 我等が 期待す る 樂園は 遠し。 ブランドの 短き 然しながら 強き 一生 を 悲劇に 終ら しめたる イブセンの: 人 

才と 衷情と を 我等 は 崇め 且つ 悲しまざる 可ら す。 我等 はこの 劇に 於て、 歐洲 文明の 極致 も 亦が ぼと もす ベから ャ J 

る 悲しき 謎の 人類に 投 ぜられ たる を覺 るべき なり。 「祌は 愛な り」、 この 語:!: ぞ 我等の 耳に せき。 しかも 我^が;::: し 


有 島武郞 全集 第五 卷  五 二 

たる 文明、 有せん とする 文明 はこの 語に 的確なる 具體 的の 證明 を與へ 得べ しゃ。 イブセン は 新しき 文明の 舊き文 

明を嗣 がざる に 先 だち、 斷乎 として 我等の 失望に 終るべき を宣 明せ り。 かくて 新たに 生れ 來 らんと する 北方 文明 

は、 イブセン によりて 旣に II に 悲しき 豫 想を與 へられたり。 而 して 我等 は 衷心 イブセン のこの 傲 語に 對 して 唯々 

たるの 外 を 知ら ざらん とす。 

さえ ど 文明 は 遂に 南方に 停滞せ しむ 可ら す。 文明 は必 す北漸 すべし。 何故 ぞゃ。 憧憬の 熱情、 現在に 對 する 執 

1、 新たに して 日に 又 新たな らんと する 衝動 は、 これ 北方の みが 有する 新しき 力なれば なり。 人類 は 最後の 理想 

に 達し 得すと する も、 一 轉歩を こ&に 成就し 得べ し。 その 行爲 によりて 地上 樂 園の 切實 なる 追慕 を 大呼す る を 得 

べし。 

戎 就し 得すん ば少 くと も 意志すべし。 意志せ ざる を 得す。 こ-に 我等の 力 はあり、 本能 はあり。 この 新しき 力 

をカ說 せる 「ブランド」 が 嵐の 如く 歐洲の 思潮 を 震 ひたる は 洵に宜 ならす や。 筆致 を 以て 生く るの 書 あり。 情理 

ぁづか  、- 1 1 

を 以て 生る の 書 あり、 思想 を 以て 生く るの 書 ぁリ。 「ブランド」 は その 何れに も與る 事な し。 そ は 力 を 以て 生く る 

の If 曰 なれば なり。 

• 四 五 

「ブラ ンド」 は イブ センが それに 次いで 世に 問 ひし 「ビ ーケ ギン ト」 と 倂せ讀 みて 始めて その 意義の 完 きを 見る 

を 得 可し。 「ブ ラ ン ド」 は 北方が 南方 文明に 與 へたる 深刻なる 批評に して、 「ビ ー ル. ギ ン ト」 は 南方 文明が 北方に 對 

して 投げた る 骨 を 刺す 諷刺 なれば なり。 後來 イブセン は、 「人民の 敵」 を 著した る 後 自己の 態度 を 容赦な く觀 照し 

て 「野 鴨 一 を 世に 示しぬ。 「ビ ー ル. ギン ト」 が 「ブランド」 に 於け る 關係も 亦 かくの 如き もの あり 


イブセン、 ブランデスに 致せる 書中に 曰く T 我 は 『ブランド』 の 主人公に 如何なる 入 を も 常て 篏め 可し と^ 

す。 敢て 僧侶た る を 要せす。 地 動說を 主張せ る ガリレオ 可な り。 デン マ.' クに 於け る 保 や 反^派の^ に^する パ 

を 以てする も 亦 可な り」 と。 

つ t づ 

然 らば 「祌は 愛な り」 の 最後の 天啓 も 我等 言語に 沒 せらる-者に 取りて は往々 にして 蹉 きの 石 たるべし • 文^ 

のま、 にこれ を讀 みて イブ セ ン の 心 を 忖度 せんとす る もの は 違 へり。 文字よ。 そ は 我等に は 拙く 竹し き^^たり J 

とばり 

我等 は瀑 i この 象 徵を撤 して 帷の 彼方に 潜める 一 物 ある を兑る 事 を 忘る。 平板なる 文字 そのものに 何の^ おか 

あらん。 文字の 後ろに 葡萄の 房の 如く 垂れ 下れる 甘き 智慧の 實を 我等 は 求め 摘む 可し。 法樂の 大味 は そこに こそ 

潜むべきな り。 

四 七 

夜の 光 を 仰げ。 マ ー テル リンク、 スト リンドべ ルヒ、 ブランデス、 トルストイ、 ケィ • クロポトキン ゆの^^ 

は、 極光の み 淋しく 輝き 慣れし 北 歐の空 高く 輝き 始めぬ。 

亂宴 の夜闌 はに、 杯 を 枕して 敗 殘の歡 樂を追 ひつ \ 覺 むる ともなき 南 人の 醉 眼よ。 …… 夜の 光 を 仰げ。 

( 一 九 〇 五 •— 一 九 〇 六 年 「文武, 報」 所^ ン 

ご 九 一 九 年 四月 「白樺」 所載〉 


一九 o 六 年 


ィ ブ セン 雜感  , 

悪女 明鏡 を惡 み、 これ を 毀ちて 則ち 其の 醜容を 忘れん とす。 世に イブセンの 死 をき-明鏡 を 毀ちた る^ 女 £膨 

を爲す もの 如何に 多 かるべき ぞ。 死 は 此の 戰鬪的 詩人が 現世に 加へ たる 最後の 鞭撻な り。 現世 若し 此の^ 人の 死 

を悲 ますば 現世 は 詩人 を 其の 墓に 悲 ましむ 可し。 人 習癖 あり、 愛する の 法 固より 一なる 事 能 はす。 イブセン^て 

ノル ゥ HI の特 愛の 詩人 ビョル ンソ ンに 送れる 書の 中に 曰く、 

「親愛なる 友よ、 ^は 善良 緩和なる 心 を もてり。 君が 我の 爲 めに 頒ち しもの は宏 且つ 善、 何者 も そが^と なすに 

足らす。 唯一 事 君が 性情の 中 凡てに 勝りて 呪詛 すべき もの あり。 何ぞ や、 容易に 成功の 人たり 得る これな り i 

、口一マ 莳 より。 ノ 

U 八 六 七 年 十二月 九日」 

と。 彼 は 成功の 人 I. 容易に 多 數の稱 讃と人 氣とを 博し うる I たる を 以て^^ の 第一歩と なせり。 彼が 畢生 

の 事業 は 多 數を牽 きて 向上の ー轉 歩を爲 さしむ るに あり。 容易なる 成功と は、 彼に 取りて は 自己 を 冬 数お の.^^ 

に 下らし むる を 意味す。 これ 彼が 一瞬 時も堪 ふる 所に あらす。 矛盾 を 意味 すれば たり、 破滅 を^ 味す 乜 ゴ な, リ、 

主義の 放拋を 意味 すれば なり、 人格の 縮 退 を 意味 すれば なり。 

其の 消極的な ると 積極的な ると を 問 はす、 眞理の 二 事 は 彼の 腦裡に 極印せられ たる 所な り。 ^獵 人が^^ なる 

イプセン 雜感  £ 五 


有 島武郞 仝集笫 お卷  ョ六 

美容 を 愛した るが 如く、 彼 は裸體 なる 眞理を 愛しき。 彼、 衣 着た る 眞理て ふ もの-存在 を認 むる 所以 を 知らす、 

衣 着た る 者に あへば 被 を 裂き 裳 を斷ち 狂者の 熱意 もて これ を 赤裸々 となし、 其の 眞理 なる か眞理 ならざる かを窮 

むる 迄 は 彼の 見開きた る 眼 凝然として 閉づる 事な し。 彼が H ドマ ンド. ゴ スに與 へて、 その 戲曲 「社會 の 柱石」 の 

批評に 答へ し 書に 曰く、 

「見よ、 我 一事の 君と 異論すべき もの あり。 そ は 君が わが 戲 曲の 韻文なる ベ かりし を 云へ る それなり。 知り 給 ふ 

如く この 戲曲は 徹頭徹尾 現實的 なれば 描寫 する 所 は眞理 其の 者に して、 讀 者に 與 ふべき 印象 は讀 者が 目前 其の 讀 

む 所の もの を 見なん 事な り …… 我等 は 旣にシ H タス ビヤの 世に 住ます —— 舊 思潮 を 逐ふ もの & 語意に 從 へば、 

此の 著に 悲劇の 名 を 下し 難 かるべし。 しかも わが 描かん と 試みた る は 人な り。 我等 をして 『神の 語』 を 語らし む 

る 所以 を 知らす」 

と。 彼が 詩の 內容と 外形と に對 する 此の 動かす 可らざる 自覺 は、 一 八 六 九 年 「靑年 同盟」 を 出せる の 時に 創れ 

る 物にして、 爾後 彼が 創作の 生命と する 所は讀 者の 前に 讀者 自身と その 時世と を 赤裸々 にして 示す にあり。 此の 

目的の 遂行の 爲 めに 彼が 示した る 確信と 勇 氣と眞 率と は 凛 乎と して 殉教者の 風 ありき。 彼 は 南部 歐洲 が產 して 育 

てた る 文明の 北漸 する を 見て、 其の 核心に 徹底の 眼光 を與 へ、 金 光 十字の 中に 毒蛇 を 見、 玉座 王笏の 蔭に 蛆蟲を 

見、 輿論の 後ろに 利己 無恥の 反響 を 聞き、 社 會の裡 に僞善 沈滞の 喑示を 見たり。 彼 は そ を 叫ばざる ベから す。 さ 

らすば 石 叫ぶべし。 卽ち敢 て 鞭撻 を秉れ り。 彼 は 愛せる が 如くに 鞭て るな り。 彼の ブランド は 此の 如くして 「凡 

或 無」 主義 を 叫びたり。 彼の ビ ール. ギン トは 此の 如くして 因習 脫 却の 爲 めに 戰 ひたり。 試みに 彼が 作の 一 を 取り 

C ぶし かた 

て そ を繙き 見よ。 咄々 として 直ちに 汝に逼 り 來る者 は、 讓歩を 知らざる 戰 士の齒 がみして 拳固め たる 面影な り。 

彼の 前後と 左右と に は黑き 影の 如き もの 陸 梁せ り、 而 して 光 は何處 にも あらす、 唯戰士 の衷に 幽かなる 光 潜めり。 


彼 は 此の 光と 照應 すべき 他の 光 を 求む。 かくして 彼は滿 身の 力 もて 進む。 彼 勢に 乘 じて 一 牛ソを 巡 むれば^ びで; き 

影の 如き もの あり。 搏 ちて 更に 一歩 を 進 むれば 更に 再び 黑き 影の 如き もの あり。 彼 は搏て ども m き 影の 如き もの 

は搏 たす。 黑き 影の 如き もの は搏 たれす 敗れす、 彼 は卽ち 搏ち掉 ちて 遂に s 死る。 (「ビ ー ル. ギン ト」 

照) これ イブ セ ン の 創作せ る 人物の 多くが 必至 的に 到逹 する 運命の 終局な り。 

さらば イブセンが 號叫は 何の 益ぞ。 彼が 一八 八 一 年戲曲 「幽 靈」 を 出す や、 歐洲 の文塽 は^ 然として 此の 疑^の 

聲 もて 滿 されたり t 悲觀」 「無意義」 「沒 道義」 r 不 道德」 「汚穢」 「瀆 祌」 等の^ 語より、 ^1 しきに 至りて は 「^魔 

の 口吻」 とい ふが 如き 痛罵に 至る まで、 待ち設け たる 如く 自由に 批評家の 筆 を 通じて 叫ばれたり。 バイ:: ン^: き 

て 後 評 擅 神聖の 蹂躪せられ たる 此の 如く 甚 しき は 聞かざる 所なる べし。 英國の 小なる イブ セ ン の 投擬ぉ ジ" ー ン 

ス の 如き すら 其の 禿 筆を呵 して 罵って 曰く、 「汚穢なる 大人物 出で X 汚穢なる 戯曲 を 草す る や 小人^ 出して:^;^ な 

る 小話 を 綴り 得々 として これ を戲 曲と 名づ く」 と。 

され ど 誰か イブ センが 我等に 提供す る 事實の 正確 を 担み 得る や。 覺醒 せざる ベ ル 一一 ック (「社^の ^ 心」) と ノラ 

(「人形の 家」) と は 我等が 日常 目睹 する に 慣れて 怪訝の 念 を 揷むを すら 忘れた る 典型に あらざる や。 ハル バルト. 

ソル ネス (「頭領」) とョ ハ ネス •。 スマ ー( 「ロス マ! ホルム」) とに 於て 時代の 殿將と 時代の 先驅 とが、 如何に 明,::: に 

且つ 深刻に 描かれた るぞ。 へ ダ. ガブ ラ ー( 「へ ダ. ガブ ラ ー」) とジ ユリア ン 大帝 (「帝王と ガリ レ ャ 人」) とが 極端なる 

個性 發展 の犧牲 として 如何に 痛慘 なる 悲劇 を 歷史と 人情との 上に 極印せ るか を兒 よ。 共の 同^の^ 汎とル :u^」. に 

於て 彼をシ ェ タス ビヤに 比せん は 不倫な り。 其の 藝術的 良心の 純淸と 均等と を 以て これ をゲ ー テに 比せん は 小^ 

なり。 然れ ども 或る 部分に 關 する 人生の 觀 察の 深刻と 忠實と を 以てせば、 シ H タス ビヤ、 ゲ I テと雖 れに. ノる 

所な き 能 はざる もの あり。 沙 翁が 羅 馬と エジプトに 拾ひ來 りたる ブル ー タスと クレオ パ トラと * イブセンの 北方 

イブセン 雜感  -九ヒ 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  五八 

に 拾 ひ 得た るク ー ルドと インカ ー とに 比し、 ィャゴ とへ ダとを 比し、 マクぺ スとョ ー ルディ スとを 比し、 誰か 後者 

に 多くの 邏 色を認 むる 者ぞ。 ゲ ー テの 「ファウスト」 が 若し 實 世界的 聖書なら ば、 イブ セ ン の 「ブランド」 は 聖書 的實 

世界な り。 彼は敎 へんと し、 此は 示さん とし、 彼 は 抱擁 せんとし、 此は 解剖 せんとす るの 差 あるの み。 ファウスト は 

第 十九 世紀が 發 したる 最後の 祈に して、 ブ ラ ン ド は來る べき 世紀に 備 へ られ たる 呱々 の聲 なり。 ファウスト の聲は 

ファウスト 以上に 莊嚴 なる 事 能 はす、 ブランドの 叫び は ブラ ンド 以下に 渾沌た る 事 能 はす。 旣 成の 文明が 未来の 文 

明と 接觸 する 所 其の 批判の 深刻と 純烈 なる に 於て イブ セ ンは實 に旣に 生れた る 詩人の 大 なる 者よりも 大 なりき。 

バ I ナ ー ド; ン ヨウ は 其の 「イブ セ ン の 心髓」 に 於て イブ セ ン の 藝術的 位置 を斷定 して、 奇矯 深刻なる 諷刺 家と な 

せり。 され ど 我が 見る 所 を 以てすれば 彼 は 純然たる 悲劇の 作者な り。 彼 を 目して 近世の 、ノ ム レットと 云 ふの 最も 適 

切なる を 思 ふ。 ハム レット は觀 察と 批評と 諷刺との 人な り。 彼の 猜疑 的 傾向 を すら 猜疑して、 一度 は 實行的 能力 

ある 男な りと 思 ひ 做した る 事 すら ありき。 彼が 有名なる 六 大獨語 は、 皆 これ 人生と 自己と に對 する 鋭利なる 批評 

と 諷刺と にあらざる はなし。 しかも 彼の 死と 生と が 一片の 諷刺と して 終らす、 痛切なる 悲劇と して 淺れる は何ぞ 

や。 自己 を すら 批評 諷刺す る 透徹の 眼 ある もの は、 悲劇の 主人公たり 得べき 最大の 資格 を 有する 者 なれば なり。 

イブセン は 亦觀察 諷刺の 人な り。 彼は羅 馬が 產み、 第 十六 第 十七 世紀が 育て、 第 十八 世紀が 支配せられ たる 文 

明に は 慣れざる ス カン ヂナ ビヤ 半島の 一 隅に 人と なれり。 彼が 第一 の 經驗は 淚に濕 ひたる パ ンを食 ふこと なり 

き。 第二の 經驗は 輸入 的 政黨の 陋劣なる 行動 を 目撃した る 事な りき。 第三の 經 驗は自 國がプ a シャ の强 勢に 恐れ 

て デンマ ー クの 危急 を 救 は ざり し を 見聞した る 事な り。 かくて 彼 は 踵の 塵を拂 ひ、 故 國を辭 して 古羅 馬の 地に 好 

んで 流離の 客と なりぬ。 彼 は自國 民の 中に 「人間たり 得る よりも 英國 紳士 然」 たる を 以て 光榮 となす 風潮 ある を 

ar 「國家 滅亡と いふに 增 りたる 悲哀 を 知らざる」 人間の 集圑を 見、 舊來の 信仰に 纏綿し つ \ しかも 新進の 知識に 


伴 はんとす る 不熱不 冷の 宗敎家 を 見, 國 家と 社會的 習俗に 朿 縛せられ、 侗 性を沒 却した る 土偶の 如き:^.^ を は と 

り。 彼の 銳利鷥 鳥の 如き 眼光 は、 如何にして 此の 明白なる 大事 實を 雲烟過 眼視し 去る ベ けんや、 皮 は^ 察 亡り、 

批評せ り。 「嬉 戲戀 愛」 に 於て 其の 曙光 を 示した る 彼が 諷刺 的 技能 は 倒 然として 其の ブランドと ビ I ル. ギン トに 

注がれたり。 ブランド は實に 新しき 文明 を產む 可き 北方の 一 强頑兒 が澎湃 として 逼り 來る哲 文明 倒せろ ハ ::、- 

なり。 ビ ー ル. ギン トは舊 文明が 其の 据ゑ たる 陷弈に 褪れる 北 人の 弱點を 指して 呵々 として 哄笑す るの^ なり。 .0 

後 彼が 出した る 凡て の戲 曲に して、 此の 諷刺 的 意義 を 有せざる 者 は 殆ど ある 事な し。 

され ど 彼の 諷刺 は、 ハ ム レットの 一 生の 如く 悲劇的 境域に 達せ ざれば 已 まざるな り。 彼 は 人^の 缺陷を sii^ レて 

强ひ てこれ を 笑 はしめ、 以て 自ら 快と せし スヰ フトの 如き 能 はす。 彼 亦 眞理の 現 成の ために 物 g た ざろ:: c なきに 

至りて、 自己の 卓絶なる 智 見に 甘 じ 超然と して 獨り飽 笑 を 漏した る ボル テ ー ルの 如き^ 能 はす。 彼 は^に^ じの 

反響に 彼 自身 を 見、 彼 自身の 反響に 時代 を 見たり き。 されば 彼の 叫喚 は MM 現實を 夢に 見た るお ぉ^ の それに ル 

すして、 現實 によりて 夢より 覺め たる 豫言 者の それなりき。 其の r 國家は 亡びざる 可ら す」、 「^^はやへ 叩に 遇 は ざ 

る 可ら す」、 「精神的 結合の みが 人類 合同の 唯 一 策な り」 、「我 は勞働 者と 婦人との 友な り」、 「我お し 人と して. k しく 

考 ふる 事 を 得しめば 我事 成る」、 等の 熟語 は 思想家 ク a ボト キンの 口吻な り。 革命お マツ ヂ 一一 ] の 叫 あなり。 :: 

者 トルストイの 主張な り。 志士 ォ ー ゥヱ ンの 主義な り。 科舉 者フム ボルトの 抱懐な り。 約- すれば 新しい 時代の 

新しき 精神が やがて 高む ベ. き 哄聲の 凡てな り。 此に 於て か斯の 銳利靈 犀なる 諷刺^ イブ セン は 一 胩-^: 钊ぉ ゆなる 

悲獻の 作者と 化し 去るな り。 疑 ふ 者 は 試に 其の へ グっガ ブラ ー を讀 め。 讀 みて 請 者の 感 する^ は fnz: と:^^ と^: お 

の氣 とに 滿 された る 一 場の 惡夢 なり。 再讀 して 讀 者の 感 する 所 は 現 社會の 喑黑 面と 述 命の^ 戯とを 描きお したる 

明晰なる 諷刺な り。 三讀 して 讀 者の 感 する 所 は 個性 發展て ふ 新しき 精神の 犠牲と なりし 一 夂忭 が:::. 〈の 缺 おとお 點 

イブセン 雜感  五 九 


有 島 武郞佥 集 第五 卷  六 C 

と を^て 尙 苦悶し 奮激し 遂に 起た ざり し痛慘 なる 悲劇な り。 我等が マクべ ス 夫人の 心機と 行動と に 憐憫の 淚を與 

ふるが 如く、 來 るべき 世紀の 贖 者 はへ ダの僻 性と 其の 自盡 とに 同情の 淚を垂 る \ なる 可し。 

され ど イブ セ ンは豫 言 者. 科擧者 • 志士. 革命家に は あらす して 依然として 詩人な り。 試みに 其の 製作の 外容 自身 

をして そを說 明せ しめよ。 彼 は 其の 思想 を 歌劇と 素 劇と に篏 入せ り。 而 して 其の 戯曲の 形式 は 純然たる 獨 創の も 

のにして 作劇の 方式 は 彼に 於て 新たなる 發展の 源 頭 を 得たり。 ショウの 如き 或る 意味に 於け る イブセン の 徒弟 は 

撒 て^は^、 ズ ー デルマン、 ハウプトマン. トルストイ 若しくは ゴルキ ー 等が 其の 作劇に 用ゐ たる 形式 を毘 よ。 

或 者 は 其の 外容に 於て 舊套を 襲 へ る 者な きに あらす と雖 も、 其の 形式 を 生みた る イブ セ ン の 精神 を 採取せ ざる 者 

ある 事な し。 化に 形式の みならん や、 イブセン は 其の 用語 操縦の 自在に 於て 亦 詩人の 本能 を發 揮せ り。 彼の 國語 

に 通暁した る ブランデス、 ゴス、 へ ャフォ ー ド 等が 所 說に從 へば、 彼 は 古人の 轍 跡 を 越え、 後人の 模擬 を 許さ ざ 

る 特殊の 成就 を爲 せる 者 あり。 殊に 其の 詩 律の 簡潔 遒勁 にして 印象の カ饒 かなる と、 其の 劇 白の 適確 切實 にして 

聽 &の慨 あると は 彼が 獨 擅の 長 技な り。 啻に 用語の みならん や、 イブセン は 自然との 交涉に 於て 深邃 なる 詩人 的 

本能の 機微 を 示せり。 唯 彼が 自然 を闡 明す るの 機會 甚だ 少 かりし を憾 むの み。 しかも 「ブランド」 に 於て 「ピ ー 

ル. ギン ト」 に 於.」、 「海の 夫人」 に 於て、 「死者の 復活 せん 時」 に 於て 彼が 描出した る 自然 を 見よ。 自然 は 等しく 

皆 詩人 を 得て 新たなる 呼吸 を爲 しつ \ ある を 見るべく、 自然と 人生との 緊密 交涉を 描きて 前人の 足跡な き 領土 を 

開拓せ るの 一事 は 少しく 彼の 書 を讀む 者の 認識せ ざる 能 はざる 所な り。 彼が 象徵の 傾向 も 亦 彼の 詩人た る 本能 を 

說明 する ものな り。 「野 鴨」 の 鴨、 「海の 夫人」 の 海、 「ロス マ ー ス ホルム」 の 白馬、 「幽 靈」 の 幽靈の 如き は 亦 こ 

こみち  • 

れ 彼が 開拓せ る 一 路の逕 にして、 他の 侵 踏 を 許さ ビる 祌祕の 天堂に 連れり 

比の 如く 己 を 持し、 比の 如く 人を觀 じ、 此の 如く 思想 を表顯 したる 詩人 は 逝け り。 彼が、 狹 けれども 高く 聳え 


たる 額、 「老いて 益 i- 輝きた る 眼、 嗨 むが 如く 結ばれた る大 なる 口、 廣 くして 厚き 胸、 ^に 及ばん とすろ でに 衣、 

雪 を 欺く 髮鬚、 共に 復た 見る ベから すなり ぬ。 彼 は 偏 僻の 人な りき。 交遊す る 所 最も 少く i 交遊 は た 

と 自ら 云 ベり —— 己 を 領解せ ざる 者に は 絶交 を斷 行し I 半 成の 領解に 居らん より は 母と 絶つ を 選め りと 彼はピ 

ョ ルン ソン に 書け り —— 排他の 力 甚だ 强し —— 彼はソ ル ネス 其の 人な りき II 兑る事 多くして 語る^- 少く、 ビ 3 

まと  アイコ/クラスト 

ルン ソ ンが ノル ゥ HI 特 愛の 詩人な りしに 反して 彼 は 常に 畏懼の 的な りき。 世 は 彼 を 極端なる^ 巡^の 一人に 

數へ、 危險 なる 時代 潮流の 權 化の 一 人に 數 へたり。 しかも 世 は 同時に 彼 を 以て トルストイに 於ての み奸 配を兑 出 

し 得る 詩人と 爲すを 否む 能 はざる なり。 

新しき 時代 は 如何なる 迫害と 誤解との 中に 置かる \ も、 早 晚必す 生れ ざれば 已 まざるな り。 イブセンの; を 

評定すべき 時機 は 未だ 至らす、 彼 をして 誤解と 迫害の 中に 眠らし めよ。 纏て 來 るべき 復活の 喇叭 は^お せらる- 

人の 畏 るべき 韻に は あらす、 誤解せられ たる 人の 懼る \譜 にも あらざる なり。 

•L  0  ム、  H?"  「  乍 

九 〇 八 年 三月 「文, 武會 報」 第 五 十 三 號 所載 


イブセン 雜感  六 1 


一九 o 八 年 


米國の 田園 生活 

其 一 

今 わが 在る は、 峭 壁の 麓に して 蒼海に 瀕せる 一 孤屋 なり。 孤獨は 過去の 交遊 を 想起せ しむ。 試みに 其の 一 を^ 

して 見ん か。 

余が これより 語らん とする 農家 も、 亦 孤立して 立てる 一 小屋な りき。 去れ ど 其の 周 圍には 沃野 連なり、 家^ 返 

•  ひ、 S 樂 の氣滿 ちて、 余が 今の 境遇と は異れ り。 

こと さ 

米國に 遊べる 初年、 余 は 故ら に擇ぴ て、 本邦 人の あらざる 地に 赴きたり。 不完全なる 英語と、 他に 親しみ パ 

性情と は、 同窓の 近づき 來 らんと する 好意 を も 反撥して、 餘り 永く 隱 返せる 啞 者の 如き 日を迗 りたり。 

好意 ある 同窓 中、 一人 殊に 好意 ある もの ありき。 入塾 後 二 曰 目の 夜、 彼 は 「牡牛」 と^ 名され たる、 肥大なる 

くわん き 

學生を 伴 ひて、 余の 窒を 訪れ 來れ り。 余 は 其. の 時の 懼 喜 を 忘る-能 はす。 

暖き握 乎の 後、 彼 II 彼 は 名 を Arthur  Crowell と 呼べり ! は 心 mil きな き 質朴なる 態度 もて、 ^が 遠來 の^ 

をね ぎら ひたり。 佘は 直ちに、 彼が 秀才に も あらす 俊哲 にも あらざる を 看取した ると 共に、 少く とも 表^ を^む 

事な き靑 年なる を も 看過す る 能 は ざり き。 而 して 余の 城府 は、 平常よりも 速 かに 撤 却せられ、 三人^^、  ^^の 

來國の 田園 生活  六!!! 


有 鳥武郞 令; 集 第五 卷  六 四 

何なりし か は 記憶に 値せ ざれ ど、 余が 稟け 得た る 慰藉 は、 身 其の 境に ありし ものなら すば 知る 事 を 得ざる 可し。 

爾後, 彼は展 i 余 を 訪れ、 余 も 亦 時に 彼の 窒を訪 ひたり。 彼 は 小話の 主人公た るべき 人物 なれば、 少しく 其の 

爲人を 描き 試みざる 可ら す。 彼の 身長 は 六尺に 及びて 竹の 如くに 瘦 せたり。 廣き 高き 前額 を 有し たれ ども、 鍛鍊 

せられた る 跡 は 見 難し。 其の 眼眸 は灰綠 色を爲 して、 一文字なる 瞼の 下に 輝け ども、 活動と 敏捷との 氣は缺 け 

て, 稍 i 沈 IB なる 誡實の 色 を 示し、 鼻と 口と は、 農 人に 通有な りと 見 ゆる 堅忍と 遲 鈍との 相 を 現 はし、 語 は遲く 

低く 且つ 稍 I- 吃して、 其の 爲 人に 適へ り。 粗雜 なる 衣服の 縞の 田舍 めきた る は、 新來の 余が 眼に も 明ら さまに し 

て、 余 は 此の 如き 學 生と 親交して、 自家の 威權を 損する なきやと、 唯 瞬時な りし かど 思 ひたる 事 すら ありき。 余 

はかくば かり 卑劣なる 時 あり。 ァ ー サ ー は 其の 生家 を 以て 最美 最善なる 處 とせり。 後年 彼が 測量技師 たるの 位置 

あ 吏ね 

を 得て 處々 を 奔走せ る 間に、 余に 書した る 事 あり、 「余 は 米國の 西部と 南部と に 足跡 を 普くし、 あらゆる 階級の 人 

に 接する の 機會を 得たり。 され ど武郞 よ、 今 も尙ほ 全地 上 最も 祝福され たる 地點 は、 我が 生家なる を聲 言し 得る 

を 感謝せ ざる 能 はす」 と。 されば 彼が 余 を 訪れ 來る 毎に、 說く處 は 其の 家庭の 樣 なりき。 去れ ど 彼は說 きて 飽く 

事 を 知らす。 其の 父に 乞うて、 何時か 余 を も 伴ひ歸 らんと するな り。 

感謝祭の 休暇 は來 りぬ。 ァ ー サ ー は 躊躇せ る 余を拉 して、 休暇の 第一 日 其の 弟なる トムと フ イラ デルフィ ャ府 

より 夜汽車に 搭ぜ り。 余 は 其の 時の 様 を 明かに 記憶す。 I 客車 は, 田園に 歸り 行く 勞働者 .會 社員. 敎師. 農夫 *攀 生 

ひとき は 

等 もて 充滿 し、 我等 は 僅に 車 隅に 佇立の 地 を 得て、 棒の 如く 立てる のみ。 ァ ー サ ー は 忽ちに して 喧騷の 中に 一際 

聲を 高めて 滿 面の 笑み を 傾けぬ。 打ち 見やれば 客車の 他 隅に、 二人の 靑 年に 一人の 少女 ありて、 又 高く 歡 喜の 饕 

を ひめ ひ  o 

を擧 げたり。 ァ ー サ ー 余 を 顧みて 曰く、 「彼處 なる は 余が 兄と 甥 姪な り、 招かれて 余が 家の 客と なる もの」 と 

乘客少 き 汽車の 淋し さは、 宛ら 死屍 を 棺槨の 中に 搖る 如きが 常なる を、 其の 夜の 客車 は賑 しさ を 積み 入れた る 計 


丄ん く  *-  , 

りなり き" 玉蜀黍 は剝 皮せられ て 穀倉に 入り、 バム ブ キン は 紅に 熟して 霜 白き^ 佌か此 處彼處 に拔 はり, 女 草 但 

は^ 滿豐饒 の 趣 をな して、 畜舍の 傍らに 小 斤-の 如し。 秋 は 慕れ 去らん として 寂し さ墦 せど も, ^人 閉 を^て 垅火 

の 紅な らんと する はこれ よりな り。 彼等 冬籠り の 調度 かれ くれ、 感謝祭 に 食ネを 飾 るべき 七 :.g ラスプ ベリ,' • 鋭 

しき^の 贈答品な ど 買 入れた る を- 赤き 白き 靑き包 銑に 包み 膝も^ げに 打ち 乘 せて、 其の^ は!^ れる こも 識 らざ 

るに も 等しな みに 好意 もて 輝き, 其の 輝きた る 眼 は、 必す 一 度黃 面矮 少なる 稱 旅の 客 を 奸^ もて 打ち 守りたり。 

は 人 の 心 を も 豐 かなら しむ。 

物の 墜 つる 如く 暮る \ 秋の 日 は、 山野 を喑に 投じて、 窓外 を 窺 はむ も 難く、  ^は 華やかなる 群^に 交りて、 不 

知の 地に 赴く 人の 如く、 不安の 行末 もて、 しかも 現在の 懼樂に は 和し 居たり, - 行き 過ぐ る 停 単^の g ま、 f& 

お ぽ ろ  " J 

バンく 膨 になり て、 汽車の 人口 稀 疎なる 境に 近づきつ、 ある は 明ら さまな り,^ 乘容は 入る ものより も 謝する もの 多 

く、 我等 も 遂に 座席 を 得て ァ ー サ I の 兄 及び 甥 姪 亦 我等が 近くに 座 を^め ぬ。 

七 時 三十 分な りと 覺 ゆる 頃、 汽車 はと ある 停車場に 着きぬ。 豫め、 外套 を 被り 帽子 を 戴き. i 包な ど 取 卸し W た 

りし ァ I サ ー 其の 他 は、 余 を 促して 客車 を 降れり J 此の 小 驛には 我等.; ハ 人の 外に 下举 せる ものな かりき, ぉポ場 は 

塗れる が 如く 1  口ら み 渡りて 反射鏡 附 したる 一 一三の ラ ンプ ありて 潸 やかに 光 を 放てる のみ o 我等が 汽ポを 降れる 時、 

一 f の黑き 影 ありて 近づき 來 ると 見えし が、 懼呼は ァ,' サ ー 等より なりし か、 彼等より なりし か、 忽ち; si. . め 

となりて j  此の 時 汽車 は 轟然と して 進行 を 起し 忽ち 喑 中に 走り 入りて-すさまじき 饗 のみ 遠き が * と はなり ぬ J 

汽 単の 去りし と共に、 都會 との 線 全く 破られて、 今 は 田園に 人となり ぬと 余 は 思 ひ 入りぬ。 ァ ー サ ー は 彼の ; 

群の 人々 に 余 を 紹介し たれ ども、 其の 心 は 今 中 有に 懸れ るに や、 余 も 自ら 誘 はれて、 誰が 誰な りと も 別た すに 捉 

手した るの み。 商店 は 米 闺の 習 ひとして 旣 に閉ぢ たれば、 僅に 牕被を 通じて、 燈影 の^る ト: きの 街路 を 行く 

米^の S  2? 生活  な V. 


有お 武郞仝 集 笫五卷  六 六 

t は 

事 稍 丄ニ丁 程に して、 右に 折 るれば、 家 #: み渐く 疎らに、 木 柵な ど 多くな りて、 遂に は 打ち 開きた る 平野 を 貫け 

さなが 

る、 街道に 出で ぬ。 幼き 妹 等の 脚 は 宛ら 跳れ る 小 鹿の 如く、 手 を 連ね 肩 を 抱きて、 權 語し っ& 澄みた る 夜の^ を 家 

路に向 ふ。 ァ ー サ ー に すら 忘れられん とせる 余 は、 默 して 彼等の 後ろに 從 へり。 他の 喜 悅に醉 ひたる 余 は、 そ を 

物憂き 事と は 思 は ざり き。 

道の 彼方に 幽かな りし 窓の 燈, 渐く 近くな りて、 我等の 足 街道より ァ, 'サ I の 家に 通す る 逕路に 向 はんとせ し 

時、 忽ち 喑 中より 躍り 出で たる 小犬 あり。 一群に 近づく や 狂へ る 計り 蹭 りて、 悲しげに さへ 聞 ゆる 叫び を爲 しつ 

つ 一人々々 の 靴 を 嘗めて" 佘に來 りしが, 忽ち 數歩を 飛びの きて、 其の 心安げ なる 態度 を變 じぬ。 こも 亦 一 同に 

は歡 笑の 種な リき。 

「階な し危 し」 と 心 添 へられて、 それ を 昇れば 廣緣な り。 最も 小さき 少女 は 逸早く 馳せ 上りて 戶を排 しぬ。 內 より 

は、 琥珀 を 解ける が 如き 灯の 光、 寒き 夜の 喑に 溢れ出で たる 樣、 群 鴉の 中に 鳩の 翼 を 伸べ たるが 如し。 一同 は 今 

夜 第一 の, s 客た るべき 余 を 殘し笸 きたる 儘、 競うて 屋内に 侵入せ り。 一人, 終りまで 余 ある を 忘れす、 自ら 最後 

に殘 りて 余 を 招じ入れ たる 少女 あり。 余 は 直ちに 其の 少女 を 酷 愛しぬ。 而 して 後に 其の 誤りたら ざる を 知りき" 

もえさか 

內には 老父 母と 長女と 我等 を 待てり、 輝け る燈火 あり、 燃 熾り たる 煖爐 あり、 窒 隅に は 犬なる ピアノ あり、 壁 際に 

は充塡 せる 書架 あり" 日本に 於け る 農家の 內部を 想像し つ \ ありし 余に は 是れ實 に 思 ひ 設けざる 體な りし ぞ かし" 

其 二 

余 は今頹 瀋打 ち 寄す る巖 頭に 坐して 筆 取りつ i あり、 潮當 さに 滿 たんと す。 滿を 持して 未だ 放たざる の 氣象雄 

なる かな。 余 はかく 思 ひつ、 余が 足踏み 入れた る 農家の 様に 較べ 見たり。 見す や、 彼處 にも 若き 時代 は^れぬ。 


五 人の 強健なる お 兒は、 發展 の! I:  口に 立てり。 彼等の 乎に は 鍵 あり、 n かるべき 户は 何虚ぞ や。 かの {¥ に,," に 

滿 たんと するな り。 

父なる クロ ー ゥュル 氏 は、 小軀 E 頭なる 半白の 人な り。 粗き 頭髮は 櫛らざる ま、 に亂れ たる を、 m 一 up, い 小. S 

巾に 抑へ、 鷲 嘴の 如き 鼻に は 古風の 眼鏡 ありて、 其の 奥より 小なる ある 人 好げ なる^ 軟 かに 人 を见る 。 ^に 

は 濃く 仲ば して、 其處 にの み酋 父の 面影 はなき にあら ね ど、 彼は酋 父の 寬容 を冇 せんに はへ i りに 祌^ 的た るが 如 

し。 母なる 人 は 丈け も 高く、 肉も豐 かにして、 其の 顔 殊に 眼に は、 家事に 辛勞 する^し き 疲れの^ ある もの か 

ら、 夫なる 人に 比して は 齢 若く、 權衡 正しく 品位 ある 容貌 を 有し、 其の 微笑 は 母ら しき 慈愛の 相 を^ら しむ。 .レ 

女 は 名 を マ ー ガレットと 云 ひて、 此の 家に 祌祕的 色彩 を 添 ふるもの は 共の 人な り。 釣合 ひは荧 しく 調 ひながら^ 

小 痛ましき までの 體格を 有し、 表情 更にな き 蒼白の 顔面の 中、 黑 漆の 眸 のみ は 異様の 光 を 放てり。 人を见 る 時、 U. 

返さる、 とも 其の 異様なる 眸は 凝然として まじろ かす。 彼女の 眼 は 外を兑 すして、 其の 衷心た. る 何^; をか^ り 兌 

ん とする もの、 如し。 余が かの g に 入れる 時、 黑 装して 大 なる マホガ 一一 ー のビ ヤノの 傍に 靜に立 ち たれば、 ァ ー 

サ ー 等 さへ 彼女の ある を 知らす。 「マギ ー」 はと 母に 問 ひて、 母の 「彼虚 によ」 と 云へ るに、 彼女 は 始めて 淋しく 

乎 を さし 仲べ て、 微笑 を 含みつ-、 無 一一 一一:: のま \ に 新來の 人々 と 握 乎し ぬ。 

長男 は 彫刻家に して、 旣に家 ある 身 なれば 感謝祭に は來ら すと なり。 次男 はゥ ネリ ャム とて、 ベン シルヴ r 

大舉 機械工 舉 科の 舉生 なり。 丈け は 父に 似て 低く 皮膚 は淺黑 く、 眉 問に は 一種 疝慘 なる 悲愁の 色 あり。 おろせ〜 

だ罕 に、 しかも 其の 語る や、 更に かの 悲愁の 色 を 加へ 來るな り。 余 は 彼 を: ^る 毎に、 「フ ラウ. ゾルゲ」 のボ ー ルを川丄 

起す るを禁 する 能 はす。 三男 はわが ァ, 'サ ー なり。 g! 男はト ー マスと て 余 等と 校 を M: じつす。 ァ ー サ ー に 似た る 

體 格を冇 し、 しかも 飭肉 逞しく、 血色 雙頰に 漲リ、 饒 古なら ざれ ども 語れば 必. す 人 を 笑 はしむ。 此の^の ハ ー 午 

米國 8ran 生活  六 七 


冇 0 武郞仝 第 ^ 五 卷  六 八 

- リス は 彼たり。 五男 はジヱ I ムスと て 父の 寵兒 なリ、 中舉 校に あり。 體 格と 容貌との 麗しき は、 遙に 他の 同胞 

を 凌駕し、 女装せば 美しき 少女た る を 得 可し と 思 はしむ。 乳白の 精 やかなる 皮膚, 潤澤 なる 黄金の 髮、 靑く 澄み 

たる 眸、 希臘 式なる 鼻梁、 滑らかなる n 辯、 張り ある 笑聲、 人な つ こき 性情 を 以て, 彼 は此に 神擲の アポ a たる 

べし。 彼の 下に 一 一人の 女兒 あり、 姉 はフラ ン セ ス とて 十三、 妹 は 力 口 ラインと て 九つ 位に や、 一 一人 は黑が 白と 異な 

る 如く 相 異なれり。 ファー 一 ー( フランセスの 略稱) の 性情 は、 珠玉 を 霞 もて 裹み たるが 如し。 眼の 表情に も、 微笑 

にも, 語る にも 默 せる にも, 彼女の 周圍に は、 彼女に 深度 を與 ふべき 一種の 氣 ありて 靉 けり。 されば 語る よりも 

聞け る 時 美 はしく、 働け るよりも 考 へたる 時 美 はしく、 考 へたる よりも 無想の 時 更に 美 はしき は 彼女な り。 彼女 

は 美 はしけれ ども、 其の 相貌に は 美 はしき 何者 も あらす。 濃 けれども 短き 黑髮, 際立ちて 黑き 皮膚、 大なる 手、 

長き に 過ぎた る 脚、 不規則なる 鼻と 唇と を 見た るァ ー サ ー の 一 友 は、 「彼女 は ジブ シ ー の 如し」 と 云 ひたる 事 あり。 

され ど 余が 酷 愛する を禁 する 能 は ざり しもの。 最後まで 戶 外に 立ち居り て、 余 を 招じ入れ たる は 彼女な りし。 ベ 

ビ ー C 末兒 なれば 何處も 同じ、 力 a ライン は尙 かく 呼ばる X なり) は黄髮 紅顔- 人形. の 如き 小兒 なり。 人 をお ぢ 

す、 憚らす。 語り、 笑 ひ、 泣き、 命令し、 驅 役す。 長髯の 老父 も, 彼女の 前に は 何者 にても あらす。 余 は 小兒. な 

るが 故に、 彼女 を 愛し 得たり。 され ど 彼女 は 時に 衷心よりの 親切 を 盡す事 あり。 

ァ ー サ ー の甥ジ ヨセフと 云 ふ は、 齢 ジム 程なる 長大の 少年な り" 敢 爲の氣 象に 富みて、 快濶 丈夫の 資 あり。 其 

の 妹なる メリ ー は 温良 可憐なる 少女な り。 

ク a 1 ゥ h ル氏 夫婦と 余と は、 立ちながら 簡擎 なる 會話 をな せりし が, 長く して 發 音し 難き 余の 名 は、 明瞭に 

記憶せられ、 家に ある 凡ての 日本的 装飾品 は、 悉く W 壁 を 飾れり。 余 は先づ 其の 周到の 用意 を 心に 謝しぬ。 須臾 

にして 今迄 あら ざり しファ 一一 ー 入り 來り、 食^-の 用意 は戎れ りと 云 ふ。 


ビ ヤノと オルガンとの を拔 けて 戶を排 すれば、 居間 を 兼ねた る 食堂 あり。 客 {ャ: と 2 じく、 低き 犬并 はお. ほく 

煤け、 壁 底 は 汚れて、 粗雜 なる 額緣に 入れた る 油繪數 多く 懸け 迚 ねられ、 椭阅 なる^ 卓に^. {:: の 目立ちて 見 ゆる 

卓 被 を かけて、 種々 なる 形の 椅子 は 並べられたり。 八 水 は: 止 客の 座に 招ぜら る。 左に はク a 1 ゥ エル 火 人、,. I こ 

は マ ー ガレット C ク nl ゥ H ル 氏が 得意の 絕巔は 其の 兒輩を 膝下に 集む る 時なる べし 。か,, る 時に 共 ハ辯は 流 おと 

なるな り。 小頭 巾を璦 i 後 顔に 押し やりながら、 むづ かしげに 寄せた る 厢の皺 の^に、 隱し おふせぬ^ ほつ 色 あ 

り。 今宵 はァ ー サ, 'が 食卓 主な り。 大 なる 七面鳥 を 自在に あっか ひ 兼ねて 椅子より 立ち上り、 ^^刀 をむ づ. A し 

げに かす を、 蜜の 如く 笑み 傾けた るク n 1 ゥ エル 去 人 は 珈琲 を 注ぎながら 注意 を與 ふ。 メリ ー ま ファー 11 と^ 

じ やかに 相 語り、 ゥ ネリ ー は默 して パ ンを喰 ひ、 マギ I は伏視 して 猫 を 撫で、 ジョ ー と ジムと は 隔たりて^ をい:: め 

たれば、 大聲擧 げて手 まねさ へ しつ 、何處 かにて 鬪 はれし フ I トボ ー ルの事 語る を、 トム 折々:: さし 入., L て、 かく 

なりし、 さに は あら ざ. リし など 云 ふ。 べビ ー は 彼と 一語、 これと 一語、 乎 は^ゃ 皿 や を 忙しく 此^ 彼^に 分^ r。 

主賓なる 余は默 して 微笑めり。 一種の 醉を覺 えたるな り。 

食事 菜て-後、 少女 等 は 狼藉た る 卓上の もの を 厨に 運び去りて、 彼 處に慷 語と 笑漀と を^ かしめ、 我 やは^び 

客 II に歸 りて、 賑 はしき 座談に 夜 を 過ごさん とす。 ジョ, 'と ジムと は^ 上の 話題^ ほ^きざる にや、 -mm おん,;,; 

ばして 打ち 語ら ひつ-、 客室に 入り 来れる 時、 クロ  I ゥ ヱ ル氏 は當 さに 余 を 招きて、 日 木のお 共^かん とな^: へ 

たる 時 なれば T ジョ, 'も ジム も 玆に來 よ。 フ ー トボ ー ル など 口にする も 國辱ぞ 。陋劣なる 發戯を 喋々 して、 , にれ 

を卑 うする を 思 はざる や」 と 威 丈 高な り。 ジム は 「义 例の が 始まれり」 と、 氣 にす る氣& もな し。 され どか、 はリ 

はる、 ま \ に- 我國の 事情 を 拙き 英語に て 何 くれと 語り 出で しが、 の 熱心に H ザる を 兄る ま k に、 渐く  :4 

勢 を 得て、 遂に は 英語の 拙き こと も 忘れ^て ぬ。 大は 立憲君主政 體の 得失より、 小 は 下駄の^^ S すげ 方まで、 

米 國の田 阅生沽  ^1 


^島 武郞仝 集 笫五卷  七 〇 

矢つ ぎ 早なる 質問 を、 受け, かう 流 す^に 時 移れば、 ク 夫人 は 二 少女 を 顧みて、 就寝の 時 は旣に 遠く 過ぎたり 

と 云 ふ。 今宵の みは 尙ほ寢 ねで あらんと 云 ふ。 兎角の 爭ひ ありし が、 ニ兒は 遂に 母の 膝に 頭 を 埋めて、 寢 前の 祈 

り を 捧げぬ。 母 は雙手 を ニ兒の 頭に 措き、 首 を 垂れて 默禱 せり。 

該興十 一 時 を 過ぐ る迄猶 結え ざり しが、 ク氏は 「客人 は 疲れ 給 ひしなる べし、 寢ね 給へ」 と 云 ふ。 余の 神經は 

昂奮して、 尙ほ寢 ぬるに 堪へ ざり しかば 一曲 ピ ヤノの 彈奏を 請へ り。 ク 夫人、 マギ ー を 顧みて 「何 か 彈じ給 はす 

や 一と 云"。 マギ ー は躊ふ 色な く、 熱した る 面 持 もな く、 ビ ヤノに 對 して シュ ー マンの メロ テ ー を ^じぬ 

かくて ァ,, サ,' 、トム、 ジムと^と の rax は、 階上なる 寢窒に 入りぬ J 「君の 寢臺 は、 有名なる 震 鳴 床と 云 へ る 

ものた るぞ" 驚くな」 とァ ー サ ー 云 ひぬ。 更衣して 橫 はらんと すれば、 實に古 型に て 木造なる が、 村々 相 摩して 

聲を爲 すなり。 寢藁も 貧しく 堅 けれども、  < 水 は 尙ほ醉 へる が 如く、 凡て を を かしと! a ぬ。 

ァ ー サ T 等 は 久濶なる 故 家の 枕に 頭を橫 へて、 幾ば くもなく 幽かなる 鼾聲 となりぬ。 余 は 何時までも 眼 冴えた 

れば、 頭 を 抱き たるま X 窓外の 寂寥に 耳 を 傾けたり。 寂寥て ふ 無 聲の聲 に 耳 を かたむけたり。 今 は 秋の 蟲も早 や 

死に 絡え たるに や、 自然 も 亦 深く 眠れる が 如し。 

忽ちに して 階下に 輕くビ ヤノ 0 聲起 りぬ。 半睡な りし 余 は 愕然として 耳を欹 てたり" 嫋々 たる 哀音 は W 圍に滿 

てる 無 數の聲 と相爭 ひて、 晝には 聞き 難き をの \ きを 爲す。 翌朝、 余 は 昨夜の 彈 者が マギ ー にして、 曲はシ 3 パ 

ンのフ パン タジ I。 彼女に 取りて 明喑の 他に、 晝と 夜との 區 別な きを 知り 得たり き。 

余 はかくまでに 囘想を 迪 り來 りて 稍ぷ疲 勞を覺 えたり。 次 日 更に 筆 を 新たに すべ し。 

巖 頭より 見やれば 潮 は 正に 退き 去りつ 、あり、 眞晝 はやが て來 らんと するな るべ し。 

( 一 九 〇 八 年 四月 「文武 會報」 第五 十四 號 所載) 


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I  know  I  SISUld  be  1-appy  with  the ョ. 

 H: IVhif ミ w. 

美しき 秋の 曰 和 打ち 繽き ぬ。 睛れ たる 秋の 日ば かり 心 ゆく もの は あら じ。 一^が^に 經來 りたる, や^ゃ を、 

靜 かに 囘 顧して、 微笑まん にも、 嘆かん にも、 ふさ ひたる 秋な り。 物の 亂れ たるが、 獰 へらるべき 時な り。 小. 女 

だに 靜 かなる 夜 頃 を 針箱に 亂れ たる 絲 ほどき 分けん との 心萠す 可し。 大空 を. 漂 ふ- g も、 何^より:^ り、 何お 一 こ./ 

く か は 知り 顔な り。 我 も 亦 寂寞の 中に 立ちて 心に 觀すれ ば 萬 縷の想 直々 たる  一^の 絲 となりて、 お^の W ら さま 

さな 力 

なる、 宛ら 明鏡の 前に 立つ が 如し。 秋の 寂しき はこれ あるが 故な り。 


有島武 郎仝蕖 笫五卷  七 二 

我 は 磯邊の 礫を羡 む" 小さく 醜く 黑 けれども、 永遠 は そが 導 者、 そが 鞭撻な り。 風に 逐 はれて 起る 大波 小波, 

思 ふが 儘に 岸を嘰 みて、 そ を 弄び 得 可し。 され ど 風 死 まば 波 は 無 からん、 風 死む とも 其處に 一粒の 礫 は殘れ り" 

…… 我が 日毎に さまよ ひし 芝生の 彼方なる 小さき 森に 分 入りて, 掬の 老 幹に H.A.  、04,  Japan と、 我が 名 彫り 付 

寸ぬ。 を かしきよ 人の、 いなる かな、 凡て は 逝きて^ まる 事な き 此の世に 生 を 得ながら、 何物 かの 記憶 を殘 さんと 

i か  かづら 

はやるな り。 我が 名 を 彫りし 古木の ほとり は 畑と なりて、 其の 幹の 切り倒さる、 時 ある 可し。 樹 益よ 老いて 葛 一 薪 

も *A 

そ を 蔽ひ盡 すの 時 ある 可し。 一夜の 風雨に 脆く 摧 くるの 時 ある 可し。 若しくは 雷火 瞬轉の 間に、 そ を 割り 裂き^ 

可し。 我よ くこれ を 知る。 かくても 尙ほ わが 名 を 其處に 彫らん とする の 念を禁 する 能 はざる なり。 ナボレ オンの 

爲 せる 所 ァレキ サン ダ ー の爲 せる 所、 亦 唯 此の 如きの み。 彼等 は 野心 欲望の 爲 めに 驅られ て、 億兆の 血 を 徒費し 

を さ 

骨を摧 けりと 人 は 云 ふ。 され ど 欲望なる もの は何ぞ や。 野心 欲望の 下 底に 藏 める もの は何ぞ や。 不朽の 追慕な り 

永遠の 吿白 なり。 彼等の 持てる 所の もの は、 我等の 持てる 所の もの。 我等の 持てる 所の もの は、 彼等の 持てる 所 

の もの。 彼等と 我等との 持てる 所の もの は、 實は感 世の 尊者 聖師 が總 てに 勝りて 珍重 擁護せ る 其の物な りつ 尊者 

聖師は 其の 眞諦 第一義 を 護り、 彼等 は 終世 其の 摸索に 短 ひ、 我 は 其の 模索に 悶 ゆるの 苦痛 を だに 避けん とす。 思 

へば 彼等に 勝りて 憐れむ 可き もの、 わが 上なる に 似たり。 

此の 朝悤 者と 共に 芝生に 出で.^、  E 氏より 贈り 來れる Journal  of  George  Fox を讀 む。 嘗て 日本に ありし 時 


其の 譯 文を讀 みたる 事 ありし が、 感興の 異なれる^ 壤も啻 ならす。 其の 文字 は 一 々^力 を もて 勁き、 ヱ マ ー ソン 

が モンテ ー ヌの文 を 評せる 語なら ね ども、 試みに これ を 切れば 生血の 淋漓たる を^ん とす。 彼 は 幼少に して. ほに 

純潔と 經驗の 何者なる か を 解し、 弱冠 商家に 僦 はれて は "Verily" の 語 を^ 用し、 人 をして 「フォックス 此 

の 語 を S ゐば 安んじて 凡て を 任じて 可な り」 と 云 はしむ るに 至り、 十 火 歳に して 神の^ 愈よ 共の 攻 心に: 過る や, 

彼の 眼 忽ち 開けて 世界の 虚偽と 悪 德とを 見、 其の 痛み を 忍ぶ に堪 へす して 絶^に 沈まん とし, 遂に^ を 決して 大 

なる 豫霄 者の 生涯に 入りし までの 辛酸 瞻望 に堪 へたり。 彼の 人格 は 驚くべき かな。 彼の C 任 は 如何に 高き かな。 

彼 は 宛ら 鏘々 として 鳴り やまぬ 銅 鐵の古 鈴の 如し。 これ を 鞭うつ^ 愈よ 激しければ 共の 嗚 愈よ^  くして 愈! 强 し" 

祌 にある 人: 止に 此の 如くなら ざる 可ら す。 此の 齷齪 措く 所 を 知らざる 人生に 虚して、 恐怖 を 知らざる 人 は^む..^ 

きかな。 幾度 か 卷を掩 ひて 问 情と 感激と に滿 たされし ぞゃ。 され ども 我 は 云 はん。 我 は 彼の 跡を跺 む^を^ I す, 

彼 は. 21 己の 罪 惡に關 して は 極めて 容易なる 解脫を 得 たれば なり。 共の 書 を 見る に、 彼 は: 侗 小敎^ 的: 人ォ なり、 

彼 は 尊く^ まれし 人な り、 尊く 惠 まる-人に は あらす。 さるに 我 は 幼く して 純潔と 敬^と を^^し、 そ シ^な;:. 一」 

しが 如き 經験 なきの みならす、 幼く して 我 は 色慾 を 知り、 盜 みを爲 し? il 一一 口 を 叶: き、 姑息に 住み 蔭.::.:: を 避け ざり き。 

而 して 此の 惡性は 今に 至りて 尙拔く 事 能 はす。 何故に 我 はかくば かり 卑陋なる ぞと、 ,1: らを 憐れむ の 外な き卞ム 

り。 余 はかくて フォックスと 同情の 人たり 得す、 我 は 彼の 道 を 歩む に ふさ はす。 祌はル む W く 他の 道 を^へ!^ ひ 

ぬ。 われ は 其の 道 を 歩む 可し。 不遜の 性 を もて 自ら を 憐れむ われ は 憐れむ に堪 へたる かな。 

汝の 智慧 を 信仰にまで 鍛ひ 上げよ。 汝の 道理に 火 を點ぜ よ。 犧羊を 持て ども、 祭^に 薪 を 燃やさ ビる ものに, 3 

n  ^ ょリ  七-:; 


冇島武 郎仝集 第五 卷  七 四 

なる 力な 

六 

先 全 週 N 市に ありて 過ごせり。 大 なる 都會の 喘ぎ 苦しむ 様 は 人の 心を穩 かなら ざら しむ。 都 會は晝 叫びて 夜悶 

ゆ。 田園に ありて は 人 は 自然の 隸屬 者な り、 都會 にあり て は 人 は歷史 の隸屬 者な り。 自然との 交渉に ありて は、 

人 各 i きる 所 あり。 歷史 との 交涉 にあり て は、 代表的 若干 數の 頭顱を 除く の 外 は 唯 飛 塵 破沫の 如くに して 去る。 

此の 如き 多數 群集の 喧々 囂々 の 中に 沒 入して、 一個の 秩序 を 索 出せん とする は 不可能な るに 似たり。 目前に して 

都會に 接すれば、 宛ら 一個 苦悶せ る E 人 を^る の 想 あり。 何の 苦悶 ぞ。 何の 故の 苦悶 ぞ、 其の 苦悶 を 匿し 得る は 

佝 なるべき ぞ、 絡え て 知る に 由な し。 ミケランジェロが 沈痛なる gB! 圖に對 する の感 あらす や。 

され ど^よ、 彼 處に大 なる 渴仰 あり、 熱 慕 あり。 問け、 その 犬なる 叫喚に 耳欹 てよ、 徒らに 汝の耳 を閉ぢ て、 田 

園の 祌聖を 云々 する を 休めよ。 汝の耳 を 閉ぢ、 眼 を 塞ぎた るに よりて、 都會は 亡せ す、 此の世に 都 會は存 せり。 

人 彼處に 住めり、 彼處に 父母 あり、 彼 處に子 あり、 彼處に 若き 男 あり、 彼處に 若き 女 あり、 彼 處に大 なる 資本 主 

あり、 彼處に 多くの 勞働者 あり、 彼 處に大 なる 祌の 鎔爐 あり。 金と 鐵 屑と はまが ふ 方な く ふき 分けら る& なり。 

忘る &事 勿れ、 彼處 にも 汗 あり、 淚 あり、 而 して 血 あり。 「神 田園 を 創り、 惡魔 都會を 創れ り」 と 云 ひし 人の 冷 刻 

なる 心 を われ は惡 む。 

• 七- 

夜ほの^^と 白み 初む る 頃、  列車 は 口 ー ドア イラン ドを 過り て、 コ ンネッ カットの 丘 岡に 並び 立てる 若き 林の 間 


を 過ぎつ k ありき。 うと, (-と 夢 多き 眠より 覺 めて 窓外 を 望めば、 月 依 稀と して 稍よ 低く?: のおに あり。 穴」 け 透 

藍、 黃を满 へて、 春 淺き草 野の 雨に 見る が 如き 軟き綠 となり、 片々 鱗の 如き 白雲 は、 濁りな き 桃色に 染みて、 ^« 

IKm が 着た るが 如き 朧の 光に 榮ぇ たり。 地に は 日の目 猶ほ裕 かならねば、 薄喈萬 象 を^め て、 物の^ は^れ 勝ちた 

る 紫な り。 過ぎ行く 林の 若き 梢、 厚き 下草、 七 分 は 秋と 口 づけし ぬ。 殊に 美しき は 樺の 若木な り。 c:^ 纖枝 なよ 

やかなる 事處 女の 如き 木 振なる が、 心蟥の 形せ る 細き 葉 一 々異なる 黄 や 紅 やに 染みて、 朝風に ほ ゝ么み 交せる。 

わ れは 今朝よ り、 白樺 を此 の 世 旅路 のな つかし き 伴侶 に 加 ふべ しと 心 決めぬ。 

さる にても、 花の 色の 移 ふに も增 して、 短き は. d: 然の美 はしき 瞬時の 移 ひなり。 人 は 多く 思 ふ、 c 然は、 ^を 

放つ 何處 にも 展 ベら れ たり。 自然 を 見ん とすれば、 眼 を 開けば 足る e 五十お お:^ しと は.: ムふ 可ら ね ども、 n 然を 

見盡 さんに は、 餘 りて 猶ほ裕 り ありと。 され ど 自然 はつ & ましき 深窓の 乙女な り。 彼女の 被 衣 は 深く、 其. s,l は 

かき 合 はされ たり。 

然り。 平凡なる 自然 も、 世の 凡ての ものより は 美し かり。 され ども 自然が —— 笑へ るなる か 泣けるな るか I . 

色と 形と 聲 とに 於て、 破る 可らざる 調和に 入りし 瞬時 は、 其の 容 何物よりも 美に、 共の 尘 何物よりも おし。 

今朝 我が 見たり し 自然の 姿 は、 殆んど 哀れなる 人 を戰き 畏れし むる 程 突し かりし が、 つれ/ ^と はる^も あら 

す、 西北に 濁れる 雲 起り、 間然すべからざる 調和 は 忽ち 破れて、 自然 は 平凡なる 内 然に歸 りぬ。 

生と は何ぞ や。 知らす。 さらば 何が 故に 生く る や。 知らす。 さらば 何が 故に 死せ ざる や。 死せ ざる は、 死 を だ 

に 知らざる が 故な り。 


冇^ 武郞 仝^ 笫五卷  セ山、 

生と 死と は、 我 知らす。 され ど 我 一個の 事實 ある を 知る。 我 生 を 呪 ひ、 死 を 思 ふ 時, 一-の 力 わが m にあり て わ 

が 意志に 抗 するな り。 其の 力に は 暖かみ ありて 濕ひ あり、 而 して 光 あり。 其の 力 は 幻 象 を 現 はし、 聲音 を爲 し、 

其の 黨 する もの を 愛する や 酷し く、 其の 敵す る 者を惡 むゃ甚 し。 其の 力 は 常に 我が 意志 を 屈曲して、 わが 知る 事 

なき 他の 意志に 合一 せしめん とす。 我れ 時に 藻搔 きて 其の 力より 脫 せんと すれば、 其の 者 聲を爲 して 曰く、 

「ま汝 を 創り 汝 我の 內に 生く。 汝の 我より 脫 出せん と勉 むる は、 波の 水より 脫 せんと 勉む るが 如し」 と。 

其の 力 我に 悲しまし め、 瘦 せしめ、 眠らし む。 然して 此の 力の み 我 を 活かしむ。 

實に、 我 は 其の 力が 弄ぶ 傀儡なる に 似たり。 殘 忍なる 其の 力よ。 

昨日 古き スクリ ブナ ー 誌 を 繙き, n ゼ ツチの 亡せ し 頃、 其の 親しき 友に よりて 記された る 囘想錄 を 見出で たり o 

其の 一節に 曰く T 彼 は 其の 經歷に 於て 年齢に 於て、 ラフ ァ H ル前 派の 建設者た らんに は、 i ひから ざり き。 され 

ども 彼 は 凡てに 勝りて 骨 頭 を 有せり き。 是れ 彼が 事實に 於て 頭領たり し 所以な り。 彼 は 虚偽と、 明晰 を缺 ける 想 

像と を惡 めり。 花 一 ひら を 描く にも、 一 道の 光線 を 描く にも、 其の 花 其の 光線の 肖像 を 作る の 意氣を 以て これに 臨 

めり。 これ 此の 派の 作 をして 動もすれば 生硬の 氣を帶 ばし めし 所以 なれ ども、 同時に 此の 精神 を 注ぎて あの 派の 

特色 は 討ぬ 可ら す」 と。 さなり、 彼 は 此の 屈ぐ 可らざる 忠實眞 率の 意志と 感情と を 以て、 其の 畫と 其の 詩と に 施 

せり。 彼の 感化 力の 如何に 强甚 なりし か は、 ミレ I が 彼の 生存 中に 成せる 畫と、 死後に 出した る 作と を 見れば 明 

力なる 可し。 彼の 生前に ありて は、 ミレ I は 恰も 嚴 父の 前に ある 小兒の 如く、 其の 死後に 至りて は 其の 作 虱頹然 

として 亂れ、 復た收 拾すべからざる もの ありき。 


若し、 a ゼ ツチ 自身、 大 なる 風潮 を 作る 能 は ざり しとす る も- 彼の棻 と 詩と は、 世紀の 粱と 詩と をして, 大な 

る 屈折 を爲 さしめ、 新たに 生る \藝 術の 源 頭と なりし は 否む 可ら じ。 

此の 美しき 小春日和 を、 エマ ー ソンの 故 地に 探らん と 決したり。 

秋に 入りて より、 黄葉の 黄なる に對 して、 煉瓦の 色 殊に 赤き 法科 講堂の 角より: お ポに乘 る。 £3 然を赏 せんとて 

か、 敎會に 列 せんとて か、 車 は 人の 山 を 築きたり。 車の 外に も、 衣 杏 傘 影 共に 華 かなる を 戦せ たる n 狗ポ、 ^小 

こしき 

の 類、 穀を 摩して 落葉の 中 を 走る。 

街 樹の楷 漸く 疎らと なりて 骨 を 碧 签 に衝 き、 滑 かなる 道に は 黄なる 樺なる 落 紫, 椎き 迄に^り たり。 A 紅き シ 

3i ル 肩に 卷 きたる 老女の 髮白 きが 手籠 かき 抱きつ、、 とぼく と 紫の 影贲 なる 光の^ を 行く。 華 かなる^ のリ 

ボン、 花、 羽 等 を 幅廣き 帽子に なよ くと 装 ひて、 裳. ® く 十二 n 一の 少女の、 乎つな ぎて 歩める。 黑に裝 ひし: ^お 

き老 紳士の、 乎 を 後ろに して 緩 かに 歩 を 運べる。 大學 生の 緋 なる 校帽阿 彌陀に 被りて、 ^々たる 靴^^く 行き 過 

ぐる。 それ 等の 群 を 秋の 日は靜 かに 暖かく 照らしたり。 

家の 漸く 疎らに なれる 頃、 窓より 窺へば、 道より 延びて 林に 入れる 野の 草の、 際立ちて 綠に 映えた るが 先 づ^ 

を 喜ばしめ ぬ。 

レキ シン グ トンと 云へ る は * 閗 きしに まさる 小さき 町な り。 n; 叉せ る 道に 狹 まれて * こ、 も^^ き 芝生の 一 

端に、 獨 立戰季 第 一 の 先驅者 大尉 パ ー 力 ー の 銅像 立てり。 .EI 然 石の 礎の 下に は、 ハ牛 若き^ 二人 安 坐して、 お ぼに 

煙管く ゆらしたり。 當時 七十 餘 人の 壯 丁が 流した る 尊き 血 は、 乾き * て、 年^き ぬ。 平和 は 彼等の の 卜: に^り 

口 記よ リ  ヒヒ 


冇岛 武郞 全集^ 五卷  七 八 

たり。 一度 修羅の 衝な りし 此の わたりに も. 秋の 村の 靜け さは 見ら る-なり。 草^られ たる 牧場に は、 牛 羊 曰の 

光 を 浴びて 立てり、 取りめ ぐらした る 柵に は、 數 人の 勞働者 相 倚れり。 ごしき 色に 塗りた てられた る 逆旅の 看板 

にも、 雜貨寶 る 小店の 玻璃 窓に も、 晝の光 は 輝き渡れり。 樹の下 蔭に、 小 兒の頰 の 如き 林檎、 うづた かく^ まれ 

たる は、 やがて 林檢 酒に 體 さる \ なる 可し。 

電車 は稻 妻の 如く、 此の 平和の 村 を 閃き 過ぐ。 我 は 今迄 登り 降りせ し乘 客に 眸は 凝らさ^り しが、 思 ひ 出で \ 

窒內を 見廻せば、 車 を 代へ しか、 疑 ふ 計り 異なれる 人の 乘れる を 見出で ぬ。 わが 前に は 三人の 婦人 あり。 始めよ 

り同乘 せる も Q にて、 案内 記 取り 摘げ たるに、 遊觀の 客た る を 知るべし。 左に は 老いた る 人 坐せ り。 鍔廣 き懵子 

の 灰色なる を 目 深 かに 被りて、 雙手 は黑く 光りた る 杖の 上に 重ねられたり。 皺 多き 衣に も 靴に も、 此の 邊 りに 住 

む 農 人なる が 明ら さまな り。 隣り に は 若き 婦人 あり。 頼 赤く して 肉髻: かに、 十指 は 最も 太し。 眼 は 羊の それの 如 

く、 柔和と 空虚と を 示せり。 黑の 上衣 鮮綠の 裳、 色の 配合の こちた きに、 此の 人 やがて 樵 夫の 妻 たるべし など 思 

ひぬ。 最も 眼を牽 きたる は、 左斜に 坐せ る 人な り、 誠の 齡は尙 ほ 叫 十 計りなる ベ けれども、 白髮 斑々 たれば 老い 

て 兌 ゆべ し。 すらく と疫 せて 丈 高き 樣は 螳螂,. ビ思ひ 起さし む。 髮 延ばした る 下顎 を、 打ち ふるはせつ、 眼 鋭く 

あたり を 見廻して、 何と はなき 嗞慢 の 態度に 腕 組したり。 ソ の亞流 か、 ホ ー ソ ー ンの 輩^、 我 は コンコ ー ド 

にかくの 如き 人 ありて 住める を 怪します。 わが 後方に は 二人の 老いた る 農婦 あり。 黑に裝 ひて 黑の 小さき 帽子 戴 

き、 ;人は 林檎 盛りし 籃、 一人 は 雪白の 衣 着せた る 少女 を 膝に 据ゑ たる 樣、 宛ら 黑ビ a ウドの 上に ルビ ー と ダイ 

ャ モ ンドと を 置きた る 如し。 

コ ン コ ー ドに 入りて 電車の 停れ る 處に廣 場 あり。 これより 三 道 出す。 煉瓦に 梟 まれし が、 昔 忍ばし く 踏み 滅 

ら されて、 家並み は 三, なる は 稀なる に、 窗く 低き も 交り たれば、 宛ら 老いし 人の 齒 並みの 如し。 、王 街の 一端に 玄 


ちて 彼方 を 見やる に、 家の 赤き 靑き、 看板の 角な る^ら かなる、 參差 として 相 交れる が、 やがて は 秋の 杯に 醉 

ひ 飽きた る 街樹の 黄と 紅と に 混じ 去るな り …… 

人に 遠ざかる の 時 を 作る を 忘る \ 事 勿れ。 種子 播く者 は 風な き 日 を 搾び て 畑に 出づ るに 非す や。 秤厂^ に^ は 

れす. 播く 者の 定めた る處に 落ちな ば …… 風雨 額 嵐 何事 を かなし^ん や。 またく 共の 發芬 を-似す の媒 たらん の 

み。 

人な き 寂寞の 境 を 求む る を 忘る、 勿れ。 種子 播く者 は 風 ある 日を擇 びて、 畑に 出づ るの^ を はさん や。 

一二 

雪降り 精み たる 橋の 袖に、 形ば かりなる 屋臺店 あり。 煮た る は 何な らん、 異臭 地 を 這 ひて、.^^ に倣リ もやら す。 

黄なる 齒の眇 なる 媼、 紺色 あせた る 暖簾の 蔭に 坐して これ を赍れ り。 

暖簾の 中に 包みた る 頭 を さし 入れた る 者 あり。 酒氣 を帶 びた る 若き 勞働 者な り。 氣頻 りなる 鍋の 中より、 一 

串拔 きて 俘 を燒 かじと 白き 齒 あら はに 貪り 喰 ひしが、 やがて 銅貨 一 つなげて 彼 は 去れり 

夜 は 落ちて 空 は 雪と なりぬ。 人の 往来 は 絡え^ てたり。 

媼の おぼつかなげ なる 眸は、 とろ と 風に 搖ぐ 灯の 下に、 鍋より 立ち上る 湯氣を 兌据ゑ たれ ども、 何 を =: 八お 

ゑたり とも, 自ら は 知らぬな る 可し。 古き 鍋の 傍に は 先き に 抛 げられ たる 銅貨 一 つ 横 はれり。 


冇 ii? 武郎 全集 筇五卷  八 C 

ーミ 

窓より 望めば イン ハ ルテル 停車場の 黄なる 煉瓦、 冬の 雨に 濡れて、 道行く 人、 馬車、 電車の 聲唯囂 ビ。 自然 如何 

に 狂 ふと も、 其の 聲には 常に 破る 可らざる 諧調 ある もの を。 人 自然の 一分 子と 生れて、 何故に 爾く 諧調 を 破る に 

巧みなる や。 

一四 

例の 家に て 中 食す。 M 氏 も あり。 見る に 悲しき 面ば せかな、 生氣 全く ある 事な し。 かくても 世に 生く る, 世に 

生きん とする。 あらす, 世に 生きざる 可ら すと 信ぜん とする、 其の 不可思議なる 力の 源 は:^ 處 にあるな り や。 此 

の 同じき 力, 亦 我 をも拉 して 世に 活かしむ。 我等が 此の世に 活 くる を兑 るに、 其の 生く る 所以 を 明日 は 解し 得 可 

しとの 希望に あらす、 希^ を 得んだ に 希 はす。 

愚かなる 者よ、 我 かく 記して、 而 して 明朝 再び 床上に 眼 を 開くなる 可し。 

一 五 

今朝 隣室に 住める 新聞記者 なりと 云 ふ 人, 家人と 意 合 はやと かにて、 他に 移りぬ。 打ち 聞く に、 言 ひ 罵りつ、 

荷 を 造る 昔、 何と はなく 人の 心 を 牽く。 窓の 外に は 雨し と /(\ と 降り 居たり。 ラスキン を 読みながら, 彼の 人の 

移リ 行ける 家に、 濕 りたる 荷の 着く 様 杯 想像して、 幼き 折 石板に 徒ら 書きせ し 時の 如く ..... (搽 馬に て) 


フ オリ I  ノに 汽車 を 代へ て、 アツ シシに 達せし は、 秋の 日の ゃ&倾 ける 顷 なりき。 旅^の 乘へ :ぉ^ こ. H 我 ゆ 二 

よぎ 

人な り。 馬車 は 葡萄畑 を 過り、 橄欖園 を經、 左に サン. フランシスコの K 刹、 械の 如く. ES= ぞ^せる を 眺めつ、、 

ホテ ル. レオ ー ネに 入りぬ、 - 

直ちに 導 者に 伴 はれて, サン タ* クララの 尼院に 至る。 死せ るが 如く 靜 まりし 俾 は、 SSS: なる 純 石に 冷えて、 .内 

の 空に は 澄みた る 月の 光 あり、 寺 は 荒削りの 大现石 もて 建てた る 初代 ゴシックな り。 n を排 して 内に 人し.. H、  ,i 

壁に 映す る 夕陽の 色の 美し さ 云 ふべ からす。 左方なる 一 龕に クララが 敎 友の^ K=! ある を 兌す ると-. ム ふに、 ^き、、. T 

もて 待てる^、 白 障の 彼方 忽ち 火影に かビ やきて、 人の 影靜 かに 二度! 二度 動きた る 後、 门 ほ は^かれぬ。 

れば、 喑き 一室の 中、 白 蠟の 火、 滋々 として 燃え かすれた る 下、 mi 衣して *:: 乖れ たる 足、 金 欄に.^ まれて 色 ざれ 

たる 髑髏、 地 は アツ シシ、 節 は 秋、 時 は 夕暮、 われ も 亦 あながちに 拾て^ つべき 心の みに て は あら ざり けりと、 

つら/ \ 思 ひぬ。 

一七 

戶を敲 かれて 眼を覺 まし、 燭に灯 すれば 五 時半、 曉の鐘 ゥムブ リャの 平野 を 籠め盡 したる おの 巾に、 ^卷 き^ 

りぬ。 面白き はかし まだち する 旅の 心なり。 夜なら ぬに 灯して、 面 洗 はんに 瓶の 水 は 冷えたり。 を 食 欠 こ 

スれ ば、 昨日 相 知と なりし 英人 あり。 「新しき は 胃に よから す これ を」 とて、 一 昨日 燒き しとお ゆる パ ンゃぱ けら 

れて、 香 ある 蜜に 朝餉 を 終る  (ァ プシシ にて) 


有 島武郞 全集 第五 卷  八 二 

I 八 

フ 口 レン スは物 乞の 多き 市な り。 

世に 捨てられて 世 を 捨てす、 人の 憐みを 受けて 人 を 呪 ふ。 親 ありし ならん も旣に 路傍の 人、 子 もな したらん を 

今 は 相 知る ことなし。 夜々 に 物 思 ふ 事 多くして、 晝は 働くべき 腕 を 空しく 垂れたり。 我が 欲する 所 は 他が 欲する 

所なら す、 他が 愛する 所 は 偶 S- わが 厭 ふ 所、 友 は 仇敵に して 仇敵 は 友、 歷史 なき 過去 を 作りて、 希望 定かなら ぬ 

未 來を遂 ふ。 要な き 暖かき 心 を 彼も稟 けたれば、 たまさかに は 想の 花 も唤き 出で けんと、 摘む 人 も 見る目 もな く 

て、 枯れ 凋みぬ。 訴へを 聞ん かと 云 ふ 耳なければ 其の ロは默 す。 其の 眼に は 日の 光 も 月の 色 も 唯一 つなり。 憫笑 

を 買 ふべき むさき 衣 を 着けて、 平然として 知らざる 如き 其の 心 悲しから す や。 物 乞に 似た る 人の 世 を 見す や。 

一九 

此の 夜 家より 『太陽』 を 送り 来る。 II 氏の 文 あり。 余 はこれ を讀 みて 淚を 零せり。 I にあり し 時の 彼の 面影 

は 余の 眼に は 漸く 薄らぎ 行く を覺 ゆ。 余 は猶ほ 彼の 主張 を 疑 ふ 事 をせ じ。 そ は 一人の 信じた る 者 を 失 ふ は * 余に 

取りて は 無上の 苦痛 なれば なり。 され ども 余の 胸は靜 かなる 事 能 はす、 寒氣を 冒して 外出し、 何處 ともなく さまよ 

ひ 歩きぬ。 人 は 遂に 其の 窮極に 於て 孤立せ ざる 可ら す。 而 して 余 は それ を爲 すの 勇氣 なし、 恥ぢ ざる 可 けんや。 

二。 

ふさ 

人 は 何者に も 敵す る 能 はす。 人 は 人の 前にす ら扠隸 なり、 唯惡に 於て 彼 は 最も 適 はしき 敵 を 見出し、 これと 徤 


鬪 する によりて 彼 は 世の 何物よりも 强 し。 

二 一 

處を 異にし 時 を 隔て X 藝 術が 人文の 高潮に 達した る もの 三、 一 を 希獵藝 術と し、 二 を ゴシック^ 術と し、 三 を 

復興 朗の藝 術と す。 凡そ 藝 術と 目稱 すべき ものが 發 達の 高潮 をな す 時代 を兑 るに、 必す智 的 方面が 給 介 的 何, :!: を 

示せる ときに ある もの \ 如し。 ペリクレ ー スが 外敵 を 制し、 所在の 都市 を 服し、 人心の 倾 {!: 一途にお して、 ^所 

を 確立す るの 必要 を 感じ、 辨證の 哲學が 人事に 直觸 せる 宗敎的 本能に 陶冶せられ たる 時、 フ イデ ヤス、 ソ フォク 

レ ー ス、 アリス トフ ァ ネス 等の 天才 は 儕 出せり。 驚異すべき 事體の 一 致 は 亦、 ゴシック^ 術の 上に:: ルる卞 を^^ 

し。 久しく 東漸せ る 移民の 動 搖に惱 まされ、 無法の 權威を むさぼりし 法王 廳の壓 制の 下に ありし 北方の 人^が、 

自由 市の ギル ト との 組成に よりて、 獨立 自治の 覺 醒を爲 し、 常に 外来の 刺戟に 應す るに ぎれ^な りし 人心が、 內 

向の 餘裕を 得て、 一個の 圑體 (ー國 にせよ 一市に せよ) が 注意す る 所、 其の 團體 内部 全體の 事に 涉る もの あるに 至 

5 つ ぜん 

つて、 蔚 然として ゴシック 藝 術の 名花 は ほころび 初めたり。 復興 期に 於け る 美意識の 發 M も 亦然ら ざる はなし。 

若し 綜合 的 傾向 を 喜びた る希臘 盛代の 文化が、 フ ロレ ンスに 住みた る 巨頭 を覺醒 する^な かりせば、 かく". な 

る 人心の 覺醒は 我等が 歷史を 飾ら ざり しなら む。 此の 光榮 ある 三 大時柳 を 軒輊して 何れ を 優秀と なすべき かは讁 

者 も 亦 惑 ふ 所なる ベ けれども. 一 事の 誰が 眼に も 否むべからざる は、 此の 三大 時期が 發 抓した る^:^ の^^なり j 

希臘と ゴシックと は 創造的な り, 復興 期 は 大成 的な り。 されば 前 二者に て 時に^ 調 未完の 悲しみ ありて、 筏.^ 

に は 誇大 不整の 嫌 ひ あり。 我 はわが 前に 聳え 立ちた るド ー 乇 づ omo を 仰ぎ、 これ は 役 M ハ^の^ 築に 比して、 お 

ちに 其の 明晰なる 例 證に逢 ひたる を 思 はざる 能 はす。 故に 頭裡に ゴシック 寺院 を 思 ひ 浮べ 兄よ。 尖:: S の:::;:::: ュ々 


有 島武郞 全集 第五 卷  八 四 

として 空 を 仰ぎ、 雜然、 紛然、 糾然、 一種 厭惡の 念を禁 する 能 は ざら しむ。 眼前 これに 接する 者 も 亦 此の 感を 免" 

る \ 能 はざる 可し。 され ども 一度 其の 堂に入り 屋に 上り、 細部 を觀視 して、 顧みて かの 復興 期が 產 みたる 建築 を 

思へば 其の 雜殆ん ど 堪へ難 からん とす。 我等 は 再び 裸に して 花 を 冠り たる アル 力 デャの 昔に 住ます。 心 漸く 複糾 

して 自ら 華 匿と 彩 潤に 親しむ。 ゴ シック も 復興 期 も、 等しく 此の 思潮の 耍 求に 應 じたる ものながら、 一 は 自ら 創り 

,  じょ 

他は假 りたる の 跡 遂に 否む 可ら す。 暫く ゴシックが 走りし 極端なる 傾向 を恕 して、 大體の 趨勢 を學 ベ。 何ぞ 其の 

自創 的に して 發展 0 餘地裕 かにして、 而 して 美的 直覺の 花の 如き や。 不幸に して ゴ シック 藝 術を產 みたる 精神 は、 

其の 餘 りに 高 かりし が 故に、 花と ならす して 早く 萎み 落ちぬ。 急 湍の勢 もて 走る 時代 は、 其の 萎 花の 上に 囘 古の 

文化 を 樹立し、 倒 SK の 力 もて 馳 せて 現代の 文化 を 生みな せり。 知らす 僅かに 蕾み て 空しく 摧 かれし ゴシックの, X 

化 は、 其の 種子 を 後代に 見出ださす して 已 むべき か。 或は 繼承 せる 文明 組織に 漸く 倦まん とする 現代の 人心 は、 

涸潮を 溯って ゴ シック 文化に 新なる 活泉を 求め 出づ べき か。 來 るべき 藝術 (敢 へて 藝術 のみと 云 はんや) の 發展に 

關し て 、 不斷 の 興趣 もて 觀 察す べき は 此の 點 にあり とわれ は 思 ふ。 

人 は 漸く 部分に 厭き 始めたり。 科舉は 漸く 各 分科の 綜合す る 所が、 歷史 の事實 となす 角度に 就きて 學び 始めた 

り。 社 會科舉 は 形而上 學 と交涉 せる 諸點に 注視し 始めたり。 人心の 傾向 は喑々 裡に、 過去が 知ら ざり し 世界的 思 

想の 表現 を 求めつ &ぁ り。 淸 新なる 藝 術が 生るべき 舞 臺には 北::: 景 帷幕の 備へ渐 く 成らん とする にあら す や。 開場 

の 夕、 袖 を 連ねて 伎 を 遊ばす の 優 人 は、 復興 期の 人の 心 もて 舞 はんとす る や、 將た ゴシックの 世の 意 もて 歌 はん 

とする や。 (ミラン 客舍 にて) 

ニニ 


イン ガ! 'ソ ー ル を讀 む。 會心 の 句、 

「他 を 奴隸視 する もの は 自由なる 事 能 はす。 權利を 無視す る もの は、 己れ を 侵^: する 者な り」 

さんよく  きっかう  アト. I 

「意志の 恐怖 を 退く る 時、 心 臟の頭 腦を黉 翼す る 時、 義務の 運命に 拮抗す る 時, 名 死の 脅迫 を叱咜 する 寺 • 

—— 其の 時に ヒ n イズム はあり」 

ニミ 

若し 憐み 得る 廣き心 ある もの あらば、 喑 にある 反逆の 人を憐 めよ。 

二 四 

午前 は 岩 鼻に て 瞑想す。 余 は 生れて より 今に 至る まで 嘗て 中心の 要求の 爲 めに 動きた る^; なかり き。 余 は 世 Wg3 

の爲 めに 動きたり、 卽ち 人より よく 思 はれん が爲 めに 動きたり。  < 水 はかくして、 或點に 於て、 人に 眷 めら れ たり。 

され ども 彼等 は 余を譽 むる 事に 於て、 氽は輕 蔑せ り、 此の 如き 尊重 を 贏ち 得た る 人 は^はるべき にあら す やな ど。 


甲蟲の 飛ぶ を 見よ、 勇ましき 姿なら す や。 其の 勇まし さは、 大鷲 の^を 仲し たるま-、 ^闼を 菜き て 穴..: を 翔け 

. 行 くに も暂 したり。 

風に よりて、 名 もな き 草葉が 作りな す 美しき 曲線 を 見よ。 風の す さびの 强 弱に 應 じて、 北ハ の:^ 線の 深く^く な 

名 樣を 見守れば、 日 も 亦 足らざる を覺 ゆべ し。 


有 鳥武郞 全集 笫五卷  八 六 

二- 1 ハ 

ァ ー チ街 にて^. ii 顔 知れる 汚き 乞食に 遇 ひぬ。 遇 ひし 瞬間に 余 は 忽ち 彼の 何人なる か を 知れり。 余が 降誕 祭の 

休暇 を 利用して、 P 府に滯 在し、 商業 會議 所の 圖書 館に 通 ひつ X 讀書 せる 時、 常に 彼處 にて 遇へ る 一人の 男 ぁリ 

き。 髯 むさく 生じて、 衣は鈹 多き を 着たり。 余 は 讀書を 妨げられん 事 を 恐れて、 彼の 頻りに 語 を 交 へんと する を 

避けたり しが、 一日 彼 は 遂に 余 を 捕へ て 濁りた る聲に 抑揚な く、 種々 なる 事 語りたり。 「我 も 亦 君の 如く 挾 書の 人 

として、 敎 室の 椅子 こ 坐した る こと も ありし が、 中道に して 校 を 去り、 諸處に 放浪して 今日に 至れり。 思 ふに 學 

あやま 

究の用 は 實務の 急に 如かす。 新進 君の 國の 如きに ありて 讀書を 事と する が 如き は 固より 本來を 謬れ り わが 親^ 

に 毛氈の 製造に 從事 せる もの あ 5、 厭 ふ 事な くば 我 請 ふ 君 を 率て 其の 規模 を 示さん」 と。 され ども われ こえ を 固 

辭 して 館 を 出 づれば 彼 も 亦從ひ 来れり。 かくて 誰彼 時の 街 は 人の 往来 忙 はしき 頃、 彼 は 余 を 見返り 勝ちに、 余 は 

彼 を 見返り 勝ちに 相 別れぬ。 余の 心 は 此の 偶邂の 人の 上に 繋がれて、 此の 圖書 館に は 明日より 來ら ざれば 彼と 相 

見る はこれ を 以て 最後と すべし など 思 ひぬ。 

而 して 見よ、 余 は 再び 彼に 遇へ るな り。 人の 蓮 命の 轉變何 ぞ爾く 量り 難き。 僅かに 八 箇月に して 彼 は 殆んど 別 

人の 如き 容貌と なりぬ。 其の 力なき 眼 は愈ぷ 鈍りて 梅雨 時の 空 Q 如く、  口 は 半ば 開かれて 唇 は 厚み を 加へ ぬ。 蹒 

i として 脚 許 もさ だかなら ぬ 歩度に、 勞働を 厭 ひし 手 は 1" ら 棒の 如く. 兩 脇に 垂れ 下れり。 彼 は 其の後 酒に 親しめ 

るが 如し。 余の 眼 は 彼を毘 分け つれ ども、 彼の 眼 は 旣に余 を 忘れ 果てたり。 余 は 三度び 振 返り 見て 觀 念の 眼を閉 

ぢ たり。 畏懼すべき 實 有の 世よ。 彼 はかくの 如くして、 彼の 道の 末 遠く 走り去る なるべし。 彼の地に 踏み 付く る 

歩み ま 愈よ 鈍りて 愈よ 定かなら ね ど、 眼に 見えぬ 彼の 歩み は、 宛ら 疾風の 如く 疾く 銃く して、 遂に 犬なる 顚 倒に 


至る まで は、 休む 時な く 時限と 方 處とを 横ぎ り 去るべし。 畏懼すべき 實 有の 世よ。 


此の 夜 は 寒き 雨と なりたれば 外出せ すして 案內記 取り出して、 明日 兌るべき もの、 調べな どす。 やがて は それ 

も 厭きて、 不圖 窓より 望めば、 道 を 隔て \ 立てる 一人の 男 あり。 七 歳に は 足ら じと 兌 ゆる 小兒 を-おに 负 ひて 歌 謠 

へり。 其の 歌 何の 意なる や を 知る に 由な けれども、 打ち 聞く に 悲しき 音 あり。 我 は 冷えた る ガラスに^ を あてた 

る 儘 これ を 見る〕 行く さ來る さの 人、 これ も 憐れと や 見る らん、 錢を與 へて 去る もの 多し。 共の 錢を與 ふる 人 1 

人 一 人の 心 を、 冷えた るガラ ス に 額 を あてた る 儘、 夢の 如く 思 ふ。 (へ I グ にて〕 

二八 

過ぎし 世の 煉り 成せる 圓ら かなる 珠、 日照ら せば 喜びの 色、 月 させば 憂 ひの 姿。 

人の、 七て ふ もの を、 かくと 思 ひ 做しても 見るな .OSO 

二 九 

二つの 道 あり、 凡ての 人 は 其の 岐點に 迷へ り。 此の 二つの 道の 何なる か を 明瞭に 云 ひ はたる もの は 少し。 され 

ど 其の 必在を 感ぜざる もの は あらす。 アダム は 嘗て 其の 岐點に 迷へ り、 われ も 亦:! 1: じき 所て 立ちて^、 り。 

われの 迷 へ る を 見て 笑 ふ ものよ、 汝も われと!: じき 所に 立ちて 迷へ る を 知らざる か。 

汝は旣 に 業に 迷へ る を 感ぜり、 而 して 未だ そ を 知らざる なり。 


有 鳥武郎 全集 笫五卷  八 八 

われ はわが 迷へ る を 憐れみ、 而 して 自己 を 鞭撻すべし。 

汝も汝 自ら を 憐れみ、 わが 己れ を 鞭撻し つ \ ある を 指して 笑 ふ の 愚 を 爲し給 ふ ベから す。 

ミ。 

日仄く 頃、 我等が 客 単の 隣室に 一隊の 兵士 入り 来り、 我等の 室に は 叫 人の 勞働者 入り 來 りぬ。 而 して 我等の 目 

前に ゴ ルキ ー が 小說の 實景は 開かれたり。 

白耳義 製の 粗 造なる 列車 は、 夕暮に 促された る 如く 疾く 走り出で たれば、 其の 動搖と 音響と は 人 を 病まし むる に 

足れり。 頭上に は 揮 發性少 き 油燈ー つ 煙りて、 沈みた る空氣 を 通じて、 丸寢 したる 如き 若干の 旅心 を 照らすな り。 

かの 一 隊の 兵士と 勞働 者の 一 群と は、 か-る 光景の 中に、 突然 喑黑 より 突入し 來 りぬ。 齢 五十 七な りと 云 ふ、 

油 じみた る 大黑帽 頂き、 if もさ だかなら ぬ 上衣に、 太き ズボン 着けた るが、 わが 左 斜めの 向 座 を 占めて、 他の 三 

人 の IC 力 働^ は 其の 右と 前方と に 坐したり。 

老いた る 勞働者 は、 其の 向 ひなる 稍ぷ 物識りら しき 若き 男に 其の 鋒 鋩 を 指し 向けたり。 われ は 怫語を 解せ ざれ 

ば 意通ぜ ざれ ども、 片言隻語の 耳に 解され たるより 推せば、 政治、 社會、 宗敎 など 論じ 居りし は 明ら さまな り。 彼 

は 其の 厳の 如き 拳 を、 聞かん とする 男の 鼻端に つきつけて、 引く手 も 見せす はっしと 他の 掌 打合せ、 其の 瞬間に 

^頭 は潑 刺と して 轉 ぶが 如き 佛 語の 罵言 を 漏らし 來る なり。 一 度 出で し 罵聲は 再び 腕と 拳との 力 を 借りて、 更に 

强 張し 騰^し、 罵り 終って 一座 を 見渡した る 其の 眼 は 輝くな り。 一座の 一人 これに 答 へんと して 僅かに 唇 を 動か 

せば、 彼の 举は 待ち設け たる 如く 其の 鼻端 を かすめて 鳴り、 彼の 罵 聲は囂 々として 車 聲を沒 し、 隣に て 歌へ る 兵 

-士の 歌を沒 す、 我 は 快 笑 もて 此の 健氣 なる 一老 勞働 者の 雄 辯に 聞き惚れたり。 彼 は 過た す、 ダントンの 再生な 


,り。 彼 は 自信の 上に 論理 を 構成し、 以て 他の 信仰の 權 成に 絕對的 否定 を 加 ふる * テマ ゴ ー クの 絶好の タイプな り。 

され ど 彼の 自信に は 自信 あり、 其の 性格に 純一なる 所 あり。 かくて 彼 は 他 を 動かし^る なり。 n ル ょ北ハ の 裂きて 破 

りたる が 如き 顔面の 蔭に、 何等 强靱 なる 吸引の カを蓄 ふる ぞ。 

かくの 如くして 過ごす 事 一時間の 後、 二 一人の 勞働者 は辭し 去りて、 彼 一人^りぬ。 ^隅に 孤 ,して!!!^ を嶙み 

つ-"、 時に 犀の 如き 齒を現 はして、 黑く 汚れた る 唾を處 選ばす 吐きつ-あ りしが、 不 n 隣^の 欲^に: 斗 倾 けて、 

彼 は 笑 ひつ. ^立ち上りぬ。 何事 を かすらん とする 程 もな く、 其の 巖の 如き 学 は 破れん 計り 权ぼ を敲 きて、 其の 無 

遠慮なる ^は 佛阈々 歌 を謠ひ 初めたり、 隣.^ は 暫く 靜 まりて、 やがて  一 S の 笑 ^閒 えぬ。 老いた る^ 働^: はこれ 

に 耳 を も假す ことなく 其の 歌 をつ ^けたり。 彼 は 驚くべき 突聲を 有したり。 须5< にして 隣お に 於て、 彼の. に 

- 和して、 怫國々 歌囂 然として 起り ぬ。 打ち 振り向き たる 彼 はわれ を 見て 舌 を 吐く 事 三寸、 W び 共の 廄 の 如き^ を 

:擧げ て、 ハメ板 を 三度 敲 きて 大口 開きて 笑 ひたり。 (白 耳義 より 佛國 への^ 上) 

一一 一 I 

彫刻に 於て はミケ ラン ジヱ a、 繪畫に 於て はジ ヤン • フラン ソァ • ミレ ー、 詩に 於て は ワルト *ホ ヰット マン、 文^ 

-に 於て は レオ. トルストイ、 傾向に 於て は ヘンリック • イブセン、 人に 於て はわが 祖^。 

三 二 

ミ レ ー 巴 里に 遊びて デラ ロックの 門に 入る や、 徒弟 彼に 綽名して 「森の 人」 と 云 ひぬ。 ^む W きかな 此の ゆ 名。 

我 は 人の 巾に 生れて、 人の 中に 育ち、 人の 習慣 を 衣して 活 きつ-あり。 か \ る强 く^しくお き^ 名 は、 死に^ 


有 鳥武 郞佥蕖 第五 卷  九 o 

るまで、 我の 上に は與 へられざる 可し。 

S 


たづ 


. 思へば 同じき 人生 を享 けて、 人の 履み たる 跡 を だに 討ね 難し。 

(1 九 〇 八 年 「文武 會報」 五十 四 及び 五十 五號 所載) 


札 幌獨立 基督 敎會 沿革 

本年 我が 札 幌獨立 基督 敎會は 創立 以來ニ ト 五 年を經 ちました ので、 それ を lg 念して 聊か 祝^ 9ぉ を^ はします。 

序に 當敎會 が 誕生 以來 受けました 困苦 や 試練 や 感謝 や 祝 幅 を 忌憚な く 述べまして、 常敎^ に:!: おを^せ て 下さる 

諸君と 懼 喜を頒 ちます と共に、 當敎會 が 此の世に 尙 存在 を 續 けて 居ります 现由 を御资 成 下さる fi^ に對 しまして 

は、 如何に 神が 此の 弱き 圑體を も 愛護し 給 ひて、 其の 使命 を果 さしめ る爲 めに は 特別の 恩^ を 乖-れ 給 ひし か をお 

知らせし たいと 思 ふので あります。 

當敎會 が 天父の 擁護の 下に 今日まで 存在 を 綾け る 事 を 得ました の は、 全く^し^ す 可き 一 の 使命が^: るからで 

あります が、 それ は 都合 上 後段に 述べる 事に して、 先づ どう 云 ふ 事情の 下に 常 敎會が 成り立つ たかをお 話 して 見 

ませう。 

輦毂の 下で は 廟堂の 議論が 沸騰して、 西南 戰爭が 起ら うと 云 ふ 暫く 前、 卽ち 明治 八 九ハ やの^で ありました。 時 

の 開拓 使 長官 黑田淸 隆氏は 北海道に 大いに 拓地 植民の 効 を擧げ ようとの 心から、 先づ 高等の € ゆ^を 起して 仃爲 

人物 を 養成す るの 必要 を 感ぜられ、 種々 計畫 された 際、 米國 マサ チュ セット 州ァ マ ス トポ 州た €: や:; ぐ; ^ゥ ネリ ャム • 

クラ ー ク 先生が 非凡の 敎育 家で 有る こと を 聞き及ばれて、 同氏 を 擧げて S 學校^ 立の 琪を^ する^に なりました。 

クラ ー ク 先生 は 僅に 一 年間の 契約で 明治 九 年の 夏 東京に 着し、 黑田 長官と 玄武 丸に 搽乘 して 北:^ 逍に向 ひました。 

其の 船 上で 此の 武人 政治家と 武人 敎育 家との 間に 敎 育の 方針に 就いて 種々^^ が 交換され ましたが、 ^ハ 巾 frg 

が德育 問題になります と、 クラ ー ク 先生 は 基督 敎が 最も 鞏固なる 德育敎 有の^ 礎 をな す ものなる^ を、 n& し、 お 〈に 

札幌 1: 立 某 眘敎會 沿革  九 一 


有 島 武郎仝 集笫 五卷  九 二 

は 激烈に 反對を 試み、 互に 相 下らなかった のであります が、 此の 時 クラ ー ク 先生の トランクの 中には 旣に學 生に 

付す ベ き 聖書が 何十 册か 有った と 云 ふこと であります。 それで 黑田 長官 も 愛て クラ I ク 先生の 熱誠に 敛 しか は 

5* り は 

て、 陽に は 許されなかった が、 實 際に は 徳育の 權を 全然 先生の 手中に 委ねた のであります。 クラ I ク 先生 は 一 千 八 

? 一十 六 年米國 マサ チュ セット 州で 生れた 新英國 人で、 學者 になり 得る 敎育を 自國と 獨逸國 とで 受け、 南北 戰爭の 

時には 出征して 黑人, 放の 爲 めに 花々 しい 義戰 をして 到る 所に 功名 を 博した 人で、 此の 戰爭が 終る と、 感 する 所が 

ちって か 返いて 敎育 家と なって 農業 敎 育に 力 を 致した のであります が、 先生 は學 者た るに 勝り, 軍人た るに 勝り、 

教育家た るに 勝って、 立^な 人間であった のです 。先生が 札 幌農學 校に 来られて からの 教育の 方法 も餘程 普通 一 般 

の やり方と はちがつて 居りました。 殊に 毎朝 學生 全體を 集めて 試みた 聖書の 講義 は當 時の 學 生に 取って は實に 天 

啓であった のであります。 勿論 學 生の 殆んど 全部 は 基督 敎に關 して 何等の 知識 も 無い もので ありまし たが、 クラ 

I ク 先生の 人物 其の 者が 說き 出す 基督 敎は、 學 生に 强ぃ 印象 を與 へす に は 居りませんでした。 かくて 學 生の 中に 

は 先生から 配付 せられた 聖書 を繙 くもの が 段々 增加 しまして、 先生が 歸國 の顷に は、 黑岩 四方 之 進、 伊藤 一隆、 

佐; 介、 內 田瀞、 田內捨 六、 大島正 健、 渡瀨寅 次郞、 柳 本 通義、 小 野 琢磨 氏 等 十六 名 は、 熱心な 信者と なって 

クラ ー ク 先生が 自ら 草した 誓約書に 署名し ました。 其の 誓約書の 譯文は 次の 如くであります。 

ィ ェ スを信 する 者の 契約 

玆に 署名す る 札 幌農學 校の 舉生 は、 基督の 命に 從 うて 基臀を 信す る 事を^ 白し、 且つ 基督 信徒の 義務 を忠實 

に盡 して、 祝す 可き 救 主. 卽ち 十字架の 死 を 以て 我 儕の 罪 を 履 ひ 給 ひし 者に 我 儕の 愛と 感謝の 情 を 表し、 且つ. 

基督の 王國擴 がり 榮光顯 はれ 其の 贖 ひ 給 へ る 人々 の 救 はれん 事 を 切望す。 故に 我 獰は今 麦 基督の 忠實 なる 弟^ 


となりて 其の 敎を缺 なく 守らん こと を嚴 かに 神に 誓 ひ, 且つ^に S; ふ。 我 儕 は 適 常なる 機 4:^- る 時 は 試験 を^ 

け て 受洗し 福: W 主義 の 敎會に 加 はら ん事を 約す。 

我 儕 は 信す、 聖書 は 唯一 直接 天 啓の 害なる 事 を。 又 信す^ さは 人類 を^き て 架 光 ある 來 世に 至らし むる 唯一 

の 完全なる 嚮導 者なる 事 を。 

我 儕 は 信す、 至 仁なる 創造者、 正義なる 主權 者、 最後の 霧 判^たる 絕對 無^の 神 を。 

我 儕 は 信す、 凡て 信 實に悔 改めて 神の 子 を 信じ 罪の 救を受 くるお は 身 を 終る まで や:^ の; S 绍を殳 け、 :大 父の 

奍 顧 を 蒙りて 終に 贈 はれた る 聖徒と なり、 其の 喜 を 受け 其の 業 を 勤む るに 適 ひたる^: とせら る^し。 され ど 凡 

て 福音 を閱き て 信ぜざる^ は 必ゃ罪 に 亡び て 神の 前より お へに 退けら るべ き $ を。 

次に 記す る 誡は我 儕 如何な る 辛酸 を嘗 むる とも 終身 こ れを服 i?^ 行 せんこ と を 約す。 

爾精祌 を 盡しカ を盡し 意を盡 し 主なる 繭の 神 を 愛す 可し。 又 己の 如く 雨の 隣 を 愛す 可し。 

生命 あると 生命な きとに 係らす 凡て 祌の 造り 給 へ る ものに 象りて 彫み たる 像、 おしく は 作りた る 形 を 拜 すべ 

からす。 

爾の祌 エホバ の 名 を 妄りに 云 ふべ からす。 

安息日 を覺 えて これ を 聖日と せよ。 此の 日に は 凡て 緊要なら ざる 業務 を 休み、 勉めて※. S を硏究 し、 己の 徳 

を 建つ る爲 めに 用 ふ 可し。 

雨の 父母と 有司に 從ひ、 且つ これ を 敬 ふべ し。 

詐欺 窃盗 兇 殺 姦淫 若しくは 他の 不潔なる 行爲 をな すべから す。 

爾の隣 を 害すべ からす。 

礼 幌镯立 某 督敎食 沿革  九 S 


冇島武 郞仝集 第五 卷 

斷 えす 祈るべし。 

我等 は 互に 相 助け 相勵 まさん 爲め 此の 誓約に よりて 一 箇の 圑體を 組織し、 これ を 「ィ H ス の 信徒」 と 稱し而 

して 我 儕處を 同じう する 問 は 毎週 ー囘 以上 共に 集りて 聖書 若しくは 宗 敎に關 する 他の 書籍 雜誌 を讀 み、 若しく 

は宗敎 上の 談話 を爲 し、 また 相 共に 祈 禱會を 開く 事 を 誓約す。 希く は聖靈 我 儕の 心に 臨みて 我 儕の 愛 を勵 まし、 

我等の 信 を 堅く し 我 儕 を 眞理に 導きて 救 を 得る に 至らし めんこと を。 

一 千 八 百 七十 七 年 三月 五日  於札幌 

タフリ ュ 1-ェ ス. クラ ー ク 

かくて 一一 ュ ー イングランドの 偉大なる 教育家 は 明治 十 年 四月 一群の 誠 實な舉 生 等に 名 殘を惜 まれて、 遠く 太平 

洋を 横ぎ つて 歸國 の途に 就き ましたが、 先生が 播 かれた 一粒の 辛子 種 やがて 當敎會 の 最も 大 なる 親 石と なった の 

であります。 先生が 晚 年に 色々 た 悲運 を 嘗められて 憂慮の 中に 殘年を 送られた 問に も、 常に 其の 念頭 を 往来して 

先生に 無上の 慰藉 を齎 した もの は 一 は實に 先生が 短日月 間 小なる 日本の 北の if 田舍 臭い 少數 の學 生に 神の 道 を 

傳 へた それで あつたと 云 ふ 事であります。 兎角 悲痛の 多い 現世に 唤き 出で た 美しい 花の 中、 最も 美し い 一 の 花は實 

に 此の 溫 かい 師弟 C 同情 殊に 天に 一 人の 父 を 戴いて 其の 愛に 繫 がれた 師弟の 同情で ありませ う o 私共 は 此の 敎會 

が 今日まで 其の 存在 を繽 けて、 祌 の攝理 をし み, <\ と 感じます 每に考 へす に 居られな いのは、 楡の 林と 樺 3 木立の 

連なった 二 ュ ー イングランドに 立って 居る 先生の 墓であります。 其の 墓に は雜 草が 茂って 居ん,、 倒れ か \ つて g 

る 力 それ は 分りません が、 其の 墓の 下に は 昨日 も 今日 も 明日 も 私共に 對 する 同情の 火が 輝いて 居る のであります。 

クラ ー ク 先生 去られた 年、 卽ち 明治 十 年 八月 函館 美以敎 會宣敎 師ェム .シ1 ハリス 氏が 先生の 請求に 應 じて 来 

札せられ、 伊藤 一 降 氏 を 除き 十五 名の 靑 年が 同氏から 受洗し ました。 但し 伊藤 氏 は旣に 明治 九 年に 受洗して 英國 


基督 敎會 員であった のであります。 當時 基督 敎徒 となる ことの 困難 は 非常な もので, 學 友の 迫^、 S 校の 威 3 に 加 

へて 下宿屋 までが 家の 中で 洗禮 をす るの を 拒んだ ので、 往來で 儀式 を擧げ ようとして 亦 巡^の 干涉を 受け, クラ ー 

ク 先生の 家で 渐 やく 其の 儀式 を擧 げたと 云 ふ 様な 話も殘 つて 居ます。 九月に は 第一 一^の 入^生が 參 りました が、 

これ も 第一 期の 舉 生と 同じく 外國 文明、 殊に 宗教に は殆ん ど接觸 した ことのない 人 々で、.^ 級^の 体^に 對 して 始 

め は 手痛き 反抗の 態度 を 示し ましたが、 彼等の 衷心に は 3 異 面目な 忠實な 精神が おる のです から、 现の光 は 割合に 

容易く 其の 心を茛 いたのであります。 栗して 一人 降り 二人 降り 十三 名 漸次に^ 約^に 名 を:^: して、 叫^ 十一^:: ハ 

月 ハリス 氏が 來 札され た 時に、 足 立 元 太郞、 藤 田 九 三郞、 廣 井^、 宮部金 吾、 太 m (新 波 p)_€#3、 高木 玉 太郞、 

內村鑑 三の 七 氏 は 遂に 受洗し ました。 

かく 札 幌農學 校の 第 一 期 生と 第一 一期 生と は 全校の 中心と なって 基督の 笫子 となり、 闲難 の^に 其の^ 仰 を 練り、 

毎週 集會を 開いて 聖書の 研究 を 致して 居り ましたが、 明治 十三 年 七月 第一 期 生 は 卒業す る になり ますので、 大 

島 正 健、 黑岩 四方 之 進、 內 K 瀞氏等 九 名の 信徒 は 第二 期 生の 信徒と 會食 などして 離刖 を惜ん だ。 ^に 近き 未來に 

於て 禮拜堂 を 設立し 我等の 信仰 を 隣人に も 分た うで はない かと 云 ふ 相談 も 纏まった のであります。 

其の 當時 監督 敎會 の宣敎 師デン 一一 ング 氏が 講義 所 を 北 叫 條東ー 丁目に 開いて 居ました から 突以 派の W 年 ^徒 も 

これに 出席して 自 個の 集 會を廢 しました。 これ 然し 乍ら 美 以敎會 に 取って は 信徒が 共の^ 仰 を 失った に 勝る 火お 

件で ありました。 所に 是 等の 信徒 一同が 一 の 會堂を 建設しょう として 委員 を 選びな どして 計^に 熱中して W ると 

云 ふの を 聞き込んで、 米 國美以 敎會は 直ちに 金 七 百圆を 寄贈して 來 ました。 單 純^ 救なる^^^ 徙ゅは W より^ 

の 金が 袅 面に 如何なる 意味 を 有って ^るか を考 へて 見る 事 を 知りません。 故に 寄贈 は 担み ました けれども ^ん 

で それ を 借りる 事に し、 出來 得る 丈け 速 かに 返濟 する 約束で、 土地 を購 ひ、 會 堂の^ 築に 取懸 らうと しました が 

礼 幌獨立 基督 敎會 沿革  九^ 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  九 六 

諸種の 事情の 爲 めに 其の 擧は 一 時 中止の 姿と なりました。 

彼是れ して 居る 中に 二三の 靑 年の 頭に 一 つの 感想が 浮かんで 參 りました。 それ は 基督 敎が 何故 なれば 澤 山の 宗 

派を耍 する かと 云 ふ 事であります 。「主 一 つ 信仰 一 つ 洗禮ー つ」 なる 基督 敎の 信者 は 何故 なれば 異なった 信仰 胬條 

儀式 習慣の 下に 互に 隔意 をして 互に 壘を 守って 居らねば ならぬ かと 云 ふ 事で ありまます。 少く とも 當時札 幌の樣 

な 小さな 町で 殊に 過去から 傳 はった 宗敎 上の 傳說 もない 處で、 しかも 周 圍の壓 迫 はさらぬ だに 嚴 しいのに、 何 次な 

れば! 一派に 分れて 互に 割據 せねば ならぬ かと 云 ふこと であります。 二三の 靑年 等に 起り ました 此の 感想 は 當敎會 

が 起った 理. S の 基礎 をな します ものであります が 故に、 聊か 玆に 申し 續 けます。 深厚なる 煩 鎖 哲擧を 有する 宗敎、 

例へば 怫敎の 如き は 多くの 宗派 を 有す 可き 害であります, また 嚴密 なる 儀式 習慣 を 有する 宗敎、 例へば 神道の 如 

き は 多くの 宗派 を 有すべき 害であります。 然し 基督 敎は 其の 根柢に 於て か、 る 宗敎と は 趣 を 異にして 居ります。 

基督 敎の 哲舉的 分子 は單純 直截な ものでありまして、 傳說に 束縛され す 聖書 を解釋 して 見ます ると 誰でも 一 致せ 

ねばならぬ 二三の 動かすべからざる 耍點 があります。 これが 基督 敎の 信仰 箇條 であり 哲學 であり 儀式で あり 傳說 

であらねば なりません。 若し 其の 外に 種々 な 信仰 箇條 哲學 儀式 傳說が あると しま すれば、 それ は 基督 敎の もので 

はなく、 基督 敎の 名の 下に 造られた 各 宗派の もので 有ります ので、 直接に 基督の 弟子と ならん とする ものに 取つ 

て は 全然 不用の 物であります。 考 へる 迄 もな くこれ は 至って 明瞭な 事實 であります にも 係 はらす、 歐米諸 國で其 

の 實の擧 りません の は、 それ は 藤 史的 傳說に 縛られて 居る 結果であります。 然る^ 日本の 如き 新たに 祌の默 示に 

浴した 國で 此の 事 を廢 すの は、 僅かな 心掛けさへ あれば、 直ぐに 出來得 可き 害でありまして、 我等 は 基督 敎を奉 

すると 共に 此の 天 職 を 全うすべき 責任 を 有して 居る のであります。 然 らば 此の 天職 を 全うする に は 如何に すれば 

い、 かと 云 ふに、 舊來の 習慣 を脫 して 直ちに 基督に 至る と 云 ふこと が 最大の 捷徑 であると 信じます。 直ちに 基督 


に 至る こと は 我々 が 思想の 自由 を 維持す る ことによって 達せられ、 思想の 自由 を 維持す る 事 は 我々 が 先 づ余錢 上 

に獨 立す る ことによって 達せられ ると 確信す るので あります。 玆に 誤解 を來 たさぬ 様に せねば ならな いのは、 獨 

立と 云 ふの は敢て 他の 好意 を 無にして 我意 を 張り 通す 意味で はなく、 また 國粹 保存と か偏狹 なせ W 心と, か. ヘム ふ も 

のから 割り出した 考へ でもない のであります。 切實に 申し ますれば、 凡て の點に 於て 獨 立した もの-みが 他に 對し 

て眞 正に 公平な 寛大な 態度 を 取り得る ので あらう かと 思 ひます。 甲に 依賴 して 居る もの は 甲に 對 しての みは 公平 

過ぎる 程 公平で も、 如何にして 乙 や 丙に 對 して 同じく 公平なる 事が 出來 ませう か。 かく 基^教 徒が 思想に 於て 金 

錢に 於て 獨 立し 得なかった 結果が、 歐 米に 於て 神の 名の 下に 人の子の 血 を 流した 原因であります。 日 木に 生れた 

我々 は 此の 大 矛盾 を 打ち破らねば ならぬ、 これ を 打ち破る 迄 は 此の 敎會は 倒れて はならぬ。 凡ての^^ 敎徒 がー 

つ の體 となる 迄 は 此の 敎會は 存在 を鑌 けねば ならぬ のであります。 これが 實に當 札幌獨 立^^ 敎^ が $5 つて 居り 

ます 責任で、 其の 爲 めに 當敎會 が 如何なる 苦境に 陷り、 如何なる 天佑に 浴し たかは これより 語るべき 順序と なる 

のであります。 

偖て 話が 前に 戾 りまして、 靑年 信徒 等 は會堂 建設の 企圖は 破れました けれども、 甙百餘 回 を 以て 南 一 一條 西 六 丁目 

(今 の 白 官邸であります) に適當 S 家屋 及び 地所 を 買 入れまして、 第 一 第 一 一期の 靑年は 交代して 日曜 U 及び 水曜! n 

の 禮拜を 司り、 會員も 漸次 增加 致します し、 監督 敎會 員の 信徒 も 合併して 旲れ るの みならす、 オルガン ャバ^ を も 

寄附して 下され、 又 横 濱神學 校 卒業生 角 谷 省 吾 氏 は 自給 傳逭の 志 を 起して 來 札し 忠 實に敎 ^を 衲 助され ました は 

めに 敎勢頓 かに 盛んになり、 從 つて 敎會獨 立の 問題 も 熟しまして 遂に 下の 理由の 下に 獨立 を宜言 する ことにな り 

ました。 

一 、 同窓の 學生 其の 宗敎 上の 意見の 殆ど 相 同じき に 係らす 分離す るの 不可なる 事。 

私 幌獨立 基 瞀敎會 沿革  九 七 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  九 八 

1 1、 札榥の 如き 狭隘なる 市街に 一 一派の 集 會所を 設けて 競爭 する の 愚策なる 事。 

三、 嚴 酷なる 信仰 箇條 と煩雜 なる 禮拜 儀式の 束縛 を 厭 ひたる 事。 

四、 外國 人の 扶助 を 借らす して 我國に 福音 を傳播 する は 我が 國 人の 義務な りと 知りた る 事。 

然し 乍ら 世の中に は 情實と 申す 不思議な ものが ありまして、 如何に 明白な 正當な 理由の 下に 企てられた 事柄で 

も、 此の 情 實の爲 めに 無殘の 障碍 を 被る 事の 少 からぬ ものと 見えます。 明治 十四 年 も 雪の 中に 暮れまして 同 十五 

年の 正月 元且兩 派の 信徒 は 漸く 購^ 得た 假會 堂に 集まり、 種々 の 過去の 事 や 將來の 希望 や を 語り合 ひながら、 獨立 

的 基督 敎が 遂に 此の 地に 成就した 事 を 祝し 合って 居ります。 其の 夕 突然 一 封の 書 狀が函 館 美 以敎會 から 届き まし 

た。 披 いて 見ます と 意外な 事に は、 彼等が 要求した 退會の 許可ではなくて、 前に 寄贈して 來た 七百餘 圓を卽 座に 

電報 爲替で 返却せ よとの 催促であった のです。 

今の 有様で 申します と、 基督の 信徒と なります 事と、 一 宗 一 派の 敎會 員と なります 事と は、 全然 意義 を 異にして 

居る のであります。 迫害 は必 す敎會 員と なる 前に 基督の 信者と なった 者の 上に 落ちて 參 ります。 それ 故 迫害 は 新 

年 早々 から 此の 憐れなる 一 圑の靑 年の 上に 落ちて 參 りました。 七 百圓と 申せば 或る人に とりまして は 僅かの 金で 

1 日豪 遊の 費に も 足らぬ 程で ありませ うが、 貧乏 書生の 寄 合 ひに 取りまして は 容易なら ざる 巨額であります。. 美 

以敎會 は札楳 信徒が 少數で 微力なる を 知って 居ります が 故に、 此の 催促 をしたならば 其の 意志 を 枉げ、 主義 主張 を 

捨て X、 迷へ る 羊 は 再び 美 以敎會 と 云 ふ 牧者に 集まる と 信じた のであります。 然し 乍ら 此の 一群の 迷へ る 羊は不 

幸に して 尙ほ 此の 牧者の 心 を 疑 はすに は 居られませんでした 。金錢 で 人の 良心 を 彼是れ しょうと する の は、 俗人の 

中の 俗人が 慣用す る 手段であります。 迷へ る 羊 は 決心 致しました。 七 百圓の 金を斷 じて 返濟 しょう、 返濟 する 迄 

は 我等の 獨立は 全く 出来た と は 云へ ない。 然し 乍ら 憐む 可き 彼等 は 如何にして 此の 纏まった 七 百 圓の金 を 得 ませ 


うや。 彼等 は洽ど 途方に 暮れ ましたが 遂に 躊踡 する 事な く、 斷 じて 如何なる 方法で も 講じて 悉^: 共の 金 を 返さ 

うと 決心 致しました。 丁度 前年 十 一 月 十五 日 一 封の 書が 卒然 太平洋 を 越えて クラ ー ク 先生の 許から 參 りました。 

先生 は 自分の 弟子 等が 寄 合って 一 っ獨 立した 敎會を 建てる と 云 ふ 企圖を 非常に 赘 成獎勵 した。 書. 向と 共に tKUM 

を 送って 吳れ たのが 殘 つて 居りました ので、 種々 なる 工夫 算段の 結果、 貧乏 書生が 有って る 限りの 財教 をし ぼつ 

て 贰百圓 を 調達し、 一 先づ それ を 電信で 返濟 しました。 而 して 其の後 も 各 會員は 凡ての 勞苦を 共に 頒 ちあって 漸 

次返濟 し、 十 一 一月 一 一十 八日 遂に 全部 を 償却し ましたので、 美 以敎會 の 十二月 二十 八 H の 大會で 逸に 札 幌^^ の^ぉ 

を 認めました から、 彼等 は 天下晴れて 何處 から も 朿縳を 受けない 獨立獨 歩の ー圑 となりました。 赛 業の 量から 屮 

しま すれば、 小なる 事に は 相違ありません が、 其の 種類から 申し ますれば、 彼等が 獨 立の 旃幟を 鮮明に 致し まし 

たの は 決して 小なる 事で はない と 思 ひます。 歷史を 繰り返して 見ます ると、 歐洲ゃ 米^に 行 はれた ウ小敎 にの ぶ^ 

喑鬪は 其の 中心に 於て は必す 此の 問題、 卽ち 基督の 敎訓を 宗派 的 束縛から 脫 せしめようと 云 ふ 群に 歸 おして がる 

のであります。 而 して 彼の 國に 於て は 永く 傳說ゃ 習 惯の爲 めに 成就し 兼ねた 靠 を 彼等 微弱なる  一 ^の^: 年 は 成就 

したので あります。 神の 事業 は屨ょ 税吏 や 娼婦 や 漁夫 や 農民 やによ つて 成就せられ るので あります。 斯くク W け 

の 基礎の 全 體は實 に 明治 十五 年 十一 一月 一 一十 八日に 定められました。 常敎會 は 此の 天職 を 神から 投 けられて 今 U ま 

で 其の 存在 を續 けて 居る ので、 若し 當敎會 が 此の 天職 を曠 しくし なかったならば 如何なる^お にも 打ち 脇ち 

き 箸であります。 私共の 力 は 至って 微弱で、 今日 迄に 成し遂げた 所 は 決して 犬ではありません が、 お敎^ 外に も 

尙 ほか- r る 天隞を 認めて 居らる \ 諸君の 同情者と なり、 一 臂の 力と なり、 又 諸君から も 同情 を^て 此の ー おを^ 徹 

4J んと して、 今 も 感謝して 懼んで 此の 敎會を 愛護して 居る のであります。 

斯様な 譯で 兎に角 敎會の 設立 は 成就し ましたが、 依然として 牧會者 は 御座いませす、 鹆來の 共: ^、nA に 化き ま 

札 幌獨立 基督 敎會 沿革  九九  * 


有 島 武郎仝 集 第五 卷  1〇〇 

して 會員 互に 分擔 し、 敎務 から 庶務 會 計まで を處理 し、 一 人で も 手 を 空しう して 居る 者 はなく、 日曜日の 朝夕 竝に 

水曜日の 禮拜 は靑年 信徒が 交代して、 司の 講壇に 立つ 人と 煖爐に 薪 を 運ぶ 人と は 同じ 尊敬 を 受け 同じ 權威を 有し 

た 次第であります。 

これより 先き 明治 十 W 年の 頃、 札幌 市中 を 別って s: 箇の傳 道區と 致し、 各 區に集 會所を 置き、 信徒 等 は 交代して 

熱心な 傳道を 致し ましたが、 明治 十五 年 九月 辻 元 全 二 氏が 来られて 傳道師 となられ てから は、 敎勢頓 かに 振 ひま 

して、 其の後 明治 一 一十 年の 末 迄に 入會 した 者の 數は 六十 餘 名に 達し ましたが、 其の 中靑年 書生 は 僅かに 七 八 名で 大 

部分 は質實 勤勉な 商人の 人々 でありました。 此の 人々 の 中には 生活と 最も 密接した 信仰 を 有 たれた 人々 が 多く、 

眞 率忠實 なる 會員 として 敎會を 重から しめ、 今に 至る 迄渝ら ざる 誠意 を 示され まする 事 は、 今日 此の 盛典に 臨み ま 

して 殊に ニー  1  一口せ ねばならぬ 所であります。 又 明治 十六 年 七月に 起り ました 婦人 會は、 毎月 ニ囘會 員の 宅に 會し、 

編物 裁縫な ど をして 實 質的に 敎會を 補助 せられた 事 も 容易な ことではありませんでした。 

かく 當敎會 の 事業 は 年を逐 うて 益 M 有望と なり、 忙 はしくな り 行きます 間に、 敎會の 設立に 盡 力し、 又 其の 事 

務に 密接の 關係 ある 人々 は 段々 札幌を 去ったり、 又は 業務 繁忙の 爲 めに 十分の 盡カ をす る 事が 出来なくなる 様な 

事情から、 牧會傳 道の 事務 は 大島正 健、 辻 元 全 一 二 一氏に 御依賴 する 事に なりました。 殊に 大島氏 は 其の 同窓 等が 或 

は 事業 を 企て、 或は 洋行 を圖 り、 その 本懷を 伸ばさん と 試みた 間に も、 尙ほ 此の 幼稚 羸弱なる 當敎 會を昆 捨てる に 

あた 

忍びす、 獨り 踏み 止って 明治 一 一十 五 年まで 牧會の 任に 膺 られた 事 は 私共 敎會 員の 深く 感謝す る 所でありまして、 當 

敎會が 其の 基礎 竝に 制度に 於て 今日 ある を 見ます るの も 同氏の 同情と 盡カ とに 負 ふ 所 多大なる 事であります。 

以上 申 上げました 通り、 當敎會 の 足並み は 割合に 滑 かに 漸次 歩 を 進めまして 明治 十七 年に なり ましたが、 段々 

會 員の 數も增 加す るに 從 ひまして、 會堂 も手狹 になり ました 故、 寄附 金 を 募集し, 藤 田 九三郞 氏の 設計の 下に 明 


治 十八 年 五月 ェを 起し、 七月に 亙って 新築の 會堂を 建築 致しました。 それ は 今 私共の 用ゐ つ-ある 此の^: 堂で あ 

ります。 建築 萬 般に千 參百八 拾 五圓を 要しました。 嘗て は甙百 餘圓を 支出して 長屋の 一 楝を購 ひ、 祌の 殿堂が 出 

來 たと 喜んだ 會 員に 取りまして は、 此の 建築 は實 に莊嚴 無比なる ソ ロモン の 殿堂に も 比ぶ 可き もので ありました 

のです。 これ は歡 喜の 音信であります が、 美しく 建てられた # 堂の 中には 又 悲哀の 音信 も傳 へられねば なり ませ 

ん。 それ は 次の 様な 次第で 御座ります。 

今でも 左様であります が、 其の 頃 は 殊に 基督 敎界に 不問の 眞理 として 認められて^ りました^ の屮 に、 按了禮 と 

云 ふ もの を 受けない 牧會者 は 洗禮と 晩餐の 禮を 施行す る 事が 出來 ない と 云 ふ 事であります、 然るに 我が 敎^: は 叫 

洽十丸 年 臨時 總會を 開きまして 按手 禮を 受けて 居らぬ 大島 氏に 洗 ^晩餐の 式 を 司らせる と 云 ふ^を 議^^し まし 

た 所が、 秩序と 儀式と を 重ん する 基督 敎界の 紳士 は 盛んに 非難の 聲を 擧げ、 越 權の處 であると^ めろ^; も あり 

洗禮の 無效を 叫ぶ もの も あり 甚だしき に 至って は 私共 を 目して 異端 邪 敎の輩 だと 罵る もの も あるに. 允り ました。 

一 應御尤 の 事で はあり ますが、 人 を 異端 邪敎視 致します に は 相當に 精密な 顧慮 を 要する 事で 御座ります。 それで 

同年 七月 農舉 校の 出身者 某が 肺 患に 罹りまして 入院し、 基督 敎に 接して 洗 禮を大 島 氏に 請 ひました から、 大^ 氏 

は 其の 式 を 司りました。 所が 折し も當時 札幌に 滞在中であった 外國宜 敎師 から 乎^い 抗議が あり、 じく 滞 札 巾 

の 新 島 襄氏も 頻りに 按手 禮を 受けん こ を大島 氏に 勤められました ので、 當敎會 は 明治 一 一十 ギ十 バー 一十 五 ロを以 

て 左の 如き 書面 を 東京 諸 敎會の 牧師 竝に 宣教師の 中 某々 の 人に迗 りました。 其の 文面 は 次の 如くであります。 

益 i 御淸福 奉賀 候陳ば 當札幌 及び 其 近 郡に 於て 幅 音の 勢力 日々 熾に 相 成 候に 付き 此際 弊^ は 愈よ 獨立 S 體^ と 

基礎と を 鞏固に して 益ぶ 傳 道に 從事可 仕 所存に 候 處弊會 に は 未だ 一 般他 敎會の 公認 を 受けて 洗 禮と晚 ^との 式 

を 司る 者 無之爲 めに 大に 不便 を 感じ 候に 付き 從來 弊會の 主任者なる 大^正 储 氏に 今 囘其權 を I: 公^ 被 下 度 念願 

札 幌獨立 基 眘敎會 沿革  101 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  I 〇 二 

に付き 一 應御依 賴申上 候 尤も 御 承知の 如く 弊 會は他 敎會と は 其 起源 を 異にせる 敎會に 候 得 者 何卒 札幌獨 立敎會 

會 員の 一 人と して 同氏に 按手 禮御 授け 被 下 度 候 又 御 黉成被 下 候 諸 敎師に は 可成 御 立 會被下 候 様 御 周旋 を 仰ぎ 候 

草々 頓首 

明治 一 一十 年 十月 1 1 十五 日 

札 幌獨立 基督 敎會 書記 

さう 致します ると、 植村 正久、 井深 梶之 助、 小崎弘 道、 本多庸 一等の 諸氏から 承諾の 返事が 來 ましたので、 明洽 

二十 一年 一 月 十一 百 東京 一 番町 一 致敎會 堂に 於て 東京 諸 敎會の 牧師から 試驗を 受けられました。 然しながら 此の 

按手 禮の 式場で 持ち 上った 提議の 結果、 大島氏 は 札 幌獨立 基督 敎會會 員と して ビ はなく、 組合 敎會の 一 牧師と して 

按手 禮を 受けさせられた のであります。 斯様に して 私共 は洗禮 晩餐の 二 大禮を 司り 得る 牧師 を 得ました — 玆に 

申 添へ ますが 私共 は 大島氏 は 始めから 此の 二 大禮を 司り 得た の だと 思 ひます —— が 私共に 取りまして は、 私共の 

中に 組合 敎會の 牧師なる 大島 先生 を 戴きます るよりも、 獨立 敎會の 平民なる 大島君 を 有する 方が 遙 かに 嬉しい 事 

であった のであります。 私共 は 謙 讓を擧 むで 讓歩を 致した 結果と して、 否 神の 命す る 所よりも 儀式の 命す る 所 を 

重む じました 結果と して か \ る 主の 義鞫に 遇 はねば なら なくなった のであります。 これ は 偏に 私共 自身 を責 むる 

意 を 表 はす 爲め にかく 委しく 申 上げた のであります。 

辻 元 全! 一氏 は 明治 十五 年 以來大 島 氏 を 助けて 熱心に 當敎 會の爲 めに 盡 力せられ ましたので、 當敎會 が 今日 ある 

を尋 まする の は 固より 天佑に 依る 事であります が、 又實 に忠實 なる 會 員の 熱き 祈禱と 强き實 行と が これ を 翼 成し 

たの は 云 はすと も 明かなる 事で、 私共 は是 等の 方々 に對 して 特別の 感謝 を 表 はさす に は 居られません。 幸に 同年 

十月 馬場 種 太郞氏 (後 竹 內と 改姓され ました) が 來て辻 元 氏の 跡 を 引受けて 下された ので 敎會の 受けた 大打 擊は大 


に醫 されました。 

明治 一 一 十 年頃より は歐化 主義と 申します 一 種の 風潮が 日本 全國を 風靡 致し ましたが、 共の:^ 果 として^^: 敎も 

一 種の 流行の 様になりまして、 明治 二十  一 、 二十 二 年は會 員の 增 加に 於て は 過去. K 牛^に 於け る教 おの^^ S 代 

とも 申すべき 時期で ありました。 日曜日の 禮拜に 臨む もの は必す 百 四 五十 名, 靑年會 も:^ 人^も 活^ を:^ し、 市 

內傳 道の 外に 市來 知、 月形、 當別 等に も傳 道の 範圍 を廣 め、 明治 二十 三年 一月に 行った 連夜: 脚 S おの 如き は、 衆 

實に 二百 數十 名に 及び、 老婦 人會も 起れば 签 知 監獄 內 にも 求道者が 現 はれ、 此の 爲 めに 一人の 傅 逍師を 要し まし 

たので、 中江汪 氏を聘 して これに 當 つて 頂き、 市 來知敎 會は當 敎會に 合併し、 娼妓の 中に も^^に 列席して 近 を 

聽 くもの が 起り ます 様な 次第で、 救 は 實に稅 吏 や 娼婦から 始まる かと 思 はれました。 

然し か- * る 風潮 は 長く 繽き ませんで、 明治 I 一十三 年頃から 國粹 主義と 云 ふ 反動的 風潮 か 勢力 を^う して^り ま 

したので、 今迄 火の 如く 熱した と 見えました 基督 敎熱は 脆く も 灰の 様に 冷え 去りまして 信者の 數は兑 るく 減;^ 

し、 かて \ 加 へて 三月に は 中 江 氏 は 公務の 繁忙に 妨げられて 其の 職 を 退き、 九月に は竹內 氏も修 の爲 めに^^ を 

提出され ましたので、 當敎會 は 牧者 を 失った 群羊の 様な 有様で 御座いました。 かく 敎^ 内 に秫々 の W 苦が 起り ま 

して 會 員の 希望が 搖 ぎました 際、 明治 一 一十三 年 當敎會 に 出席して 居った 信徒 中 一 致 派の 人々 は常敎 付より 分離し 

て 市中に 自己の 講義 所 を 造る 事に なり、 一 一十 叫 年に は 美 以敎會 と 聖公會 とが 新に 起り ましたので、 遂に 札幌 の: 人 地 

に は 四 侗の敎 會が竝 び 立つ 事に なりまして、 當敎會 創立者の 苦心 は 容易なら ぬ 手痛き 打 擎を受 けました、 i^c 給 

果 として 禮拜 出席者の 數は頓 に 減退し、 苗 穗傳道 は 三 四月 頃に 全廢 し、 市中 講義 所 も 五月の 大火 以來 再與 致し ま 

せす、 盛大 を 誇りました 婦人 會の影 もな く、 老婦 人會 のみ 纔に氣 息 を 保ち、 地方 傳 道の 如き は 仝 く^みる 暇の な 

い 事に なりました。 若し 物の 盛に なり ましたの を 祌に對 して 感謝 致します のが 基督 信徒の 光滎 でありますなら、 

札 幌镯立 基督 敎會 沿革  1C 


有 鳥 武郞仝 集 笫五卷  1〇 四 

其の 衰 へたの を 見て、 其の 衰 へた 原因 を考 へて 心 を 取り直し ますの も 大切な 義務であります。 「基督の 苦み 我等 

に 多く あるが 如く 我等の 安 慰 も 基督に よりて 多し」 と 云 ふ 一 百 葉 は 私共が 謹む で 服膺すべき もの だと 思 ひます。 

心 を 取り直した 當 時の 會員は 振って 當敎會 設立者の 意志 を 貫徹す る爲 めに 諸敎派 合同の 責に 任じようと 決心 致 

しまして 種々 苦心 を 致して 居ります 際、 明治 二十 五 年 海老 名彈正 氏が 來 道され ましたので、 當敎會 は 此の 事 を 同 

氏に 相談 致しました 所 熱心に 黉 成の 意 を 表せられ、 日本 基督 敎會の 押 川 氏、 美 以敎會 の 本 多 氏 等と 協議の 上 北海道 

に 於け る傳道 局の 事業 を 停止し、 其の 地の 布敎は 一 圑に 合同した 獨 立の 敎會に 一 任す る 方針に しょうと 云 はれて 

其の 歸途仙 臺に立 寄って 押 川 氏に 相談され た 相で ありまし たが、 押 川 氏 は 此の 議に對 して 全然 反 對の意 を 漏らさ 

れ たので、 折角 北海道に 實 現さる ベ かりし 當敎會 の 希望 は殘 念ながら 水泡に 歸 しました。 尙ほ 海老 名 氏 は 好意 を以 

て 當敎會 と 組合 敎會 との 合同 を勸吿 せられました けれども、 これに は當敎 會は應 する 譯に參 り ませなん だ。 と 云 ふ 

譯は、 別段 此に くど しく 申す 必要 はない 樣 であり ますが、 偶に は 此の 邊に 誤解 も ある 様であります から 一 言 申 

述べる 次第であります が、 當敎會 の 願 ひ は 諸 宗派 を 合同して 勢力の 扶植 を 謀らう と 言 ふので はありません 。却って 

反 對に諸 宗派 を 無くなして 凡ての 基督 信徒が 一 體 になる 事に 盡 力しょう と 云 ふので あります。 札 幌獨立 敎會が あ 

るの は 取り も 直さす 一 つの 新 宗派 を 樹立す る 事で、 當敎會 其の 者の 主義 天職と 稱 する ものと 全然 反對 矛盾した 現 

象 だとの 非難 も ある 様であります が、 それ はさう 非難す る 人の 誤解で、 當敎會 は 凡て の 宗派が 合同す ると 同時に 消 

滅 すべき 運命に ある ものなる 事 を 御 承知ない のに 依る 事と 信じます。 喑夜を 照す 爲 めの 細き 燈は 日の出 づ ると 共 

に 光 を 失 ふの は當然 であります。 それ 故 當敎會 は 組合 敎會と 合同して 他派に 對峙 すると 云 ふ 態度に 出る の を 担ん 

だ 次第であります。 明治 一 一十 六 年 七月 我等 は竹內 氏の 盡カ によって 四方 素 氏 を 牧師と して 招聘す る 事に なり、 明 

治 二十 七 年 四月 八日 當敎會 は 臨時 總會を 開き、 信 w 條例 竝に會 員の 心得 及び 約束 を 修訂 致しました。 舊來 は萬國 


幅 昔 同盟 會の 信條を 用ゐ來 つて 居り ましたが、 其の 字句が 檠雜で 拘泥す る 所が 多く、 當敎會 で用ゐ るに は 不適 當 

と 信じ ましたが 故に 左の 如く  r 會員の 約束」 なる もの を 定めました。 

札幌 基督 敎會會 員の 約束 

我等 は $ 新舊兩 約 聖書の 敎 示に 從 ひて 唯 一 の 天父 及び 救主ィ H ス • キリスト を: ^じ 罪 を悔改 め 身 を獻 げてボ へ 

奉らん こと を 願 ひ 信仰の 同じき によりて 共に 札幌 基督 敎會 の會 員たり。 

我が 敎會は 我等 會員 一同の 組織す る 所 なれば 各自の 得る 所に 從ひ、 應 分の 金 を 出して これ を 維持すべし。 我が 

敎會の 盛んなる も衰 ふる も榮 ゆる も枯 る^-も 皆 我等が 忠實 なると 否ざる とに よるが 故に、 我等 は 各自の^ 務を 

怠らす 責任 を 盡す事 を勉む ベ し。 

我等 は 我が 敎會の 典禮を 重んじ 規則 を恪 守し キリストの 教訓に 從ひ 世の 光と なり 地の 鹽 とならん^ を 期す。 

會 堂に 於て 會員 共に 祌を禮 拜し又 祌の道 を學ぶ 事と 日曜 を聖く 守る 事 は 我等の 靈 魂の 爲 めに^ だ^: 益な りと:^ 

神の 道の 世に 弘 まり 衆人の 救 はれん 爲 めに 我等 は 力 を 致すべし。 

願く は 神卽ち 我等の 天父 は 我等 を惠み 我等 をして 相愛し 相 助けて 神の 子た るの 榮を撝 げしめ 給 はん 事 を。 

私共の 信じて 行 はんとす る 所 は 唯 これ だけであります。 此の 約束 は 其の後 字句の 上に 多少の 修正 を 致し ままし 

たが、 大體に 於て は 其の儘 今日まで 用ゐて 居ります。 私共 はこれ を 以て 十分 滿足 致して おります。 

明治 I 一十 九 年 此の 年まで 講義 所であった 組合 敎會に は 敎會の 組織が 出來 上りまして、 札 幌には 五 個の 敎^ が あ 

る 事に なりました。 

札 幌獨立 基督 敎會 沿革  一〇 五 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  一〇 六 

其の後 當敎會 は 明治 三十 三年に 至.^ ます 迄 さした る 波 灑 もな く 起伏 もな く 過し ました。 所謂 沈滯の 時代で あり 

まして、 日 淸戰爭 以後 人民 一 般の 傾向が 功利的 現世 的に なった のに 起因す る 所が 多い と 存じます T 進む 事な き は 

退く にも 劣れり」 との 諺 を 深く 感じました 時であります つ 此の 年 當敎會 は 出席者の 少ぃ爲 めに 祈禱 會は廢 し、 明治 

三十 一 一年の 如き は 日曜日の 禮 拜に當 つて 會 堂に 集った 者 は 日曜 學 校の 敎師 のみであった 樣な事 も ありました。 

是 より 先き 明治 三十 一 年に は 四方 牧師 職を辭 され 當敎會 は 再び 中 江 氏 を 招く 事が 出來、 山 北 孜氏も 傳道師 とし 

て 暫く 敎務を 補助せられ ました、 明治 三十 三年に 入りまして から 當敎會 は 頓に沈 滯の氣 を 一 掃して 靑 年から 老人 

に 至る まで 一様に 活動の 氣に滿 ちました。 其の 二月 十八 日 臨時 總會を 開き 規則に 改正 を 加へ ました。 卽ち、 

1、 我が 敎會 を獨 立札 幌 基督 敎 會と稱 する こと (舊 規則 「本會 を札幌 基督 敎會 と稱 す」)。 

二、 「牧師 は會 衆を牧 し禮拜 及び 傳 道の 事 を 掌る」 と 云へ る 節 を 「牧師 は 會衆を 牧し禮 拜傳道 及び 典禮を 掌る」 

と 訂正す る 事。 

三、 「牧師 は 常 議員 其 候補者 を 推薦し 總會の 決議 を 經て之 を 確立す る 者と す」 なる 節 を 加 ふる 事。 

の 三 件であります。 卽ち當 敎會が これまで 他 を 憚って 稱 へなかった 獨 立の 二字 を 公然 稱 する 事に なった のと、 當 

敎會 の會員 全部 は 自己 を牧 して くれる 牧師 を定 むる 權 利と 責任と を 有し、 牧師 は 又 人が 授 くる 按手 禮と云 ふが 如 

きもの を 受けす とも 凡ての 典禮を 司り 得る ものと なった のであります、 此の 議案 通過の 討議 は、 午後の 二 時から 

八 時に 及び 其の 結果と して 中 江 氏 は 職を辭 する 事に なり ましたが、 田 島 進 氏 は 日本 基督 敎會を 去り、 我が 獨立主 

あた 

義を 賛成して 牧會の 任に I! らる X 事に なりました ので、 當敎會 の 前途に は 更に 一 道の 光明 を認 むる ことにな り ま 

した。 其の 間に 靑 年の 活動 は 益 ぷ 其の 歩武 を 進めまして、 入會の 方式 を 確定すべき 場合に 立ち至りまして、 會員 

の 熱心なる 熟議の 結果、 明治 三十 四 年 三月 七日の 総 會で洗 禮晚餐 停止の 議が 決せられ 「會 員の 約束」 中 左の 修正 


を 致しました。 卽ち、 

「我等 は 我が 敎會の 典禮を 重んじ 規則 を恪 守し キリストの 敎訓 に從ひ 世の 光と なり 地の 鹽 とならん 事 を 期す」 と 

云 ふ 項 を、 

「我等 は キリストの 教訓に 從 ひて 身 を 神の 意に 適 ふ聖き 活ける 祭 物と して 神に さ- げ 以て 世の 光と なり 地の^と 

ならん こと を 期す」 

と 云 ふので あります。 洗禮と 晩餐と に對 する 當敎會 の 態度 は 此の 二 大禮を 行 はねば 基督 敎徒 となる^が 出來ぬ 

と 云 ふ觀念 を絕對 的に 否定す るので あります。 これ を 行 ひたければ 行うても 障り はない が、 となり^ろ 

さは  ,  o 

資格 は その ^ てより て 何の^. りに もなら ぬ 事 を 確信す るに ある のであります 

此の 年 八月 田 島 氏 は 米 國遊擧 の 爲め敎 職を辭 する 事に なりました ので、 暫時 は 他敎^ の敎^ S 詣パ にお^ ひし 

て 日曜の 禮拜を 司って 頂き ましたが、 後に は會 員が 交代して 感 話を爲 し、 初期に 於け る常敎 ^の 有様 を^ 活 して W 

りました。 然るに 明治 三十 五 年 三月 宮川已 作 氏が 當敎 會を牧 せらる &事 になり ました。 {ぉ 川 氏 は rn.il? 氏と :!: じく 

明治 學院の 出身で 敎 會の獨 立と 申します 事に 非常に 同情 を 有 たれ、 氏に これ 最も 頼んで^ つた 内地の 或る 敎^ に 

名殘を 告げて 當敎會 を 助けら る&事 になり、 又 設立 以來當 敎會に 深き 同情 を 寄せて 居らる & 內衬鑑 氏も^,^ Y 

忙を 極む る 暇 を 我等の 爲 めに 割かれて 明治 三十 四 年と 三十 五 年と にわ ざく 此の 地まで 參 られ、 ^ど 凡て の 時^ 

を當敎 會の爲 めに 割かれて 强き 宗敎的 印象 を與 へられた 事 は 特に 此處に 申し上げて 置かねば なりません。 

明治 三十 七 八 年 はかの 有名な 日露 戰爭 の戰 はれました 年で、 基督 敎 のこれに 對 する 態^ は^に 个 2尺€注= を 

牽 いた 次第で ありまし たが、 其の 中 極 少数の 基督 信徒の みが 基督の 無抵抗主義 を 叫んで^ りました。 巾に 

の 宫川氏 も 其の 一人で、 氏 は 恐れ 憚る 所な く 平和の 福音 を說 かれ ましたの は目覺 ましい^ であり まし ハ, 

札 幌獨立 某 督敎會 沿革  一〇 七 


有 島武郞 全集 第五 卷  1〇 八 

明治 四十 年に 至りまして 宮川氏 は 長い間の 忠實 なる 牧會の 後、 已むを 得ざる 事情の 爲 めに 遂に 札幌を 去らる \ 

事に なりました。 其の後 私共 は 其の 年の 七月から 九月に かけて 自給 的に 應 接に 來て 下された 高. 椅 卯三郞 氏の 忠實 

なる 補助の 外に は 牧會者 を 有せす、 會員 各自が 奮勵 して 求道 を 心 懸けました 事 は、 其の 以前 屡-起り ました 時の 

通りで ありまし たが、 幸なる 事に は 其の 十 一 月 殆ど 偶然の 事から 竹 崎 八十 雄 氏 を 當敎會 の 牧師と して 招聘 致す 様 

になり ました。 氏 は 嘗て 札 幌農學 校に 擧 ばれた のです が、 哲學 研究の 志 を 起して 渡米され、 渐次 基督 敎に對 して 

深い 研究 を 重ねられた 末、 昨年 歸朝 された のでありまして、 嘗て 札 幌農學 校に 居られた 事であります から 當敎會 

の 歷史に は 深い 趣味と 關 係と を 有して 居られ、 當敎會 の 主義に 對 しても 強き 同情 を 分 たれます ので、 私共が 同氏 

を 得 ま した 事 は實 に攝理 とも 申す べき ものであります。 

斯様な 次第で 當敎會 は 設立 以來 一 一十 五 年の 歳月 を經て 今日に 至りました。 當敎會 の 歷史は 大體右 様な 次第で あ 

ります。 顧みて 當敎會 が 攝理に 負 ふ 所の 犬なる を 思 ひ、 其の 成し遂げた 事業 を 見 ますれば、 其の 小なる 事 九 牛の 

一毛に も 及ばぬ 事であります が、 幸に して 未だ 其の 確信 を 失 はぬ 以上、 當敎會 は何處 まで も 神の 命じ 給 ふ 所を果 

す 決心で 居ります。 近年に 至って 本邦の 此處 彼處に 漸く 敎會獨 立の 聲を 聞きます こと、 又 諸外國 にあっても 敎會 

合同の 實鑌が 所々 に 起り ました こと は、 當敎會 に 取りまして は實に 感謝に 餘る 慰藉であります。 何卒 一日 も 早く 

基督の 信徒が 一 の大 なる 圑體 となって 手を携 へて ー齊に 神の 榮光を 讃美し 得る 時の 一日 も 早く 來 らんこと を 祈つ 

て やまぬ 次第であります。 尙ほ 終りに 臨みまして、 是非 一 言 致し ませねば ならぬ の は、 當敎會 設立者の 一 人なる 宫 

部 金 吾 氏が 一 一十 五 年間 渝る 事な く當敎 會の爲 めに 容易なら ぬ 御 助力 をお 與へ 下さいました 事で、 氏 は 今日に 至る 

まで 實に當 敎會の 柱石と して 逆境に あり 勝ちな 當敎會 を 指導され ました 事 は, 此の 敎會の 存在す る 限り 記憶 さる 

べき 犬なる 功鑌で 御座います。 


死亡者 名 表 

嘗て は 我等と 共に ありて 懼喜を 分ち 苦痛 を頒 ち、 我が 敎會を 其の 雙 肩に 負 ひて 立ちし 會 員の 中 祌の阈 に 召され 

て旣に 業に 我等と 共に あらざる 者 七十 人に 垂ん とす。 彼等 は 所謂 世の 功名 富貴の 前に は 塵よりも 拙き ものな り 

き。 歷史は 遂に 一度 だ も 其の 名 を 唇 頭に する 事な かるべし。 され ど 彼等 は 我が 敎舍に 取りて は 決して 忘れら る 

べきに あらす。 其の 最小なる 者も敎 會が據 つて 立つ 基礎の 最大なる 堆石 なれば なり。 我が 敎^ の說 かる \ 所に 

は、 彼等 は必す 語られざる ベから す、 我等 は 美しく 彼等 を 記憶すべし。 我等なら すして 誰か 其の^れ たる 尊き 

功 鑌を傳 ふるもの ぞ。 憾 むらく は 紙面 限り ありて 凡て の 芳名 を 網羅す る 能 はざる を。 

(氏名 以下 略) 

(一 九 〇 八 年 十二月 「輔 立敎 会"」^ 三十 七號 附錄) 


札 幌獨立 基督 敎會 沿革  1〇 九 


二つの 道が ある。 一つ は 赤く、 一つ は 靑ぃ。 凡ての 人が 色々 の 仕方で 其の上 を 歩いて 居る。 或る は 赤い 方 を 

まっしぐらに 走って 居る し、 或る 者 は 靑ぃ方 を 徐ろに 進んで 行く し、 又 或る 者 は 二つの 道に 兩胶を かけて 慾 張つ 

た 歩き 方 をして 居る し、 更に 或る 者 は 一 つの 道の 分れ 目に 立って、 凝然として 行 手 を 見守って 居る。 搖篮の 前で 

道 は 二つに 分れ、 それが 松葉つな ぎの 様に 入れ違って、 仕舞に 墓場で 絶えて 居る。 

人の 世の 凡ての 迷 ひ は 此の 二つの 道が させる 業で ある、 人 は 一生の 中に 何時か 此の 事に 氣が 付いて、 驚いて 其 

の 道 を 一 つに すべき 術を考 へた。 哲擧 者と 云 ふな、 凡ての 人が 其の 事を考 へたの だ。 自ら 得た として 他 を 笑った 

喜劇 も、 己れ の 非 を 見出で-人の 危 きに 泣く 悲劇 も、 思へば 世の あらゆる 顯 はれ は、 人が 此の 一事 を考へ つめた 

結果に 過ぎまい。 


有 島 武郞全 第 第五 卷  一一 二 

松葉つな ぎの 松葉 は、 一 つなぎ づ X に 大きな ものに なって 行く。 最初の 分岐 點 から 最初の 交叉 點 までの 二つの 

道 は 離れ 合 ひかた も 近く、 程 も 短い。 其の 次の は 稍-長い。 それが 段々 と 先き に 行く に從 つて 道と 道と は 相 失 ふ 

程の 間隔と なり、 分岐 點に 立って 見渡す とも、 交叉 點の あり やなし やが 危 まれる 遠 さとなる。 初めの 中 は 靑ぃ道 

_  つきあた 

を 行っても 直ぐ 赤い 道に 衝當 るし、 赤い 道を迪 つても 靑ぃ 道に 出 遇 ふし、 慾 張って 踏み 跨がって 二つの 道 を 行く 

事 も 出来る。 然しながら 行け どもく 他の 道に 出 遇 ひ 兼ねる 淋し さや、 己れ の 道の 何れで あるべき か を 定め あぐ 

む 悲し さが、 追々 と增 して 来て、 軌道の 發 見せられて 居ない 彗星の 行方の 様な 己れ の 行路に 慟哭す る 迷 ひの 深み 

に 落ちて 行く ので ある。 

四 

二つの 道 は 人の 歩む に 住せて ある。 右 を 行く も 左 を 行く も 共に 人の 心の ま >- である。 ま \ であるならば 人 は 右 

のみ を 歩いて 滿 足して は 居ない。 又 左の みを迎 つて 平然として 居る 事 は 出来ない。 此の 二つの 道 を 行き 盡し てこ 

そ充實 した 人生 は 味 はれる ので はない か。 所が 此の 二つの 道に 踏み 跨がって、 其の 終る 慮まで 行き 盡 した 人が 果 

して ある だら うか o 

五 

人 は 相 對界に 彷徨す る 動物で ある。 筢對の 境界 は 失 はれた 樂園 である。 


人が 一 事 を 思 ふ 其の 瞬時に ァ ンチセ シスが 起る。 

それで どうして 一 一 つ の 道 を 一 條に 歩んで 行く 事が 出来よう ぞ。 

或る 者 は 中庸と 云 ふ 事 を 云った。 多くの 人 はこれ を 以て 二つの 道 を 一 つの 道に 爲し 得た 努力 だと 思って 居る。 

御 目出度い 事で あるが、 誠 はさう ではない。 中庸と 云 ふ もの は 二つの 道 以下の ものである かも 知れない が、 少く 

とも 二つの 道 以上の もので はない。 詭辯で ある、 虚僞 である、 夢想で ある。 世 を^ ふ術數 である。 

人 を 救 ふ 道で はない。 

中庸の 德が說 かれる 所に は、 其の 背後に 必すー つの^ 級な 目的が 隱 されて 居る。 それ は 群狻の 平和と r ムふ卞 で 

き は 

ある。 二つの 道 を 如何にすべき か を 究め あぐんだ 時、 人 はた まりね かて 解決 以外の 解決に 定る。 何んでも ぃ&か 

ら氣の 落ち 付く 方法 を 作りたい。 人と 人と が 互に 不安の 眼 を 張って 顔 を 合せたくない。 長閑な 口和 だと 祝し 八:: ひ 

たい。 そこで 一 つの 迷信に 滿 足せねば ならなくなる。 それ は、 人生に は 確かに 二つの 逍は あるが、 :t£ 伐に よって 

は 其の 二つ を こね 合せて 一 つに する 事が 出來 ると 云 ふ 迷信で ある。 

凡ての 迷信 は 信仰 以上に 執着 性 を 有する ものである 通り、 此の 迷信 も 群集心理の 機微に 觸れ て^る。 凡ての 時 

ゎづか 

代 を 通じて、 人 は 此の 迷信に よって 纔に 二つの 道と 云 ふ ディ レンマ を 忘れる 事が 出来た。 而 して 人の 世は链 ー$ 泰 

平で 今日まで も 鑌き來 たった。 

然し 迷信 は何處 まで も 迷信の 喑黑面 を 腰に さげて 居る。 中庸と 云 ふ ものが 群集の 全部に 行き渡る や 否や、 人の 

努力 は 影 を 潜めて、 行 手に 輝く 希望の 光 は 鈍って 來る。 而 して 鉛色の 野の 果てから は、 脔肥を あさる 卑しい ひ?5 

羽音が 聞こえて 來る。 此の 時人が 精力 を 搾って 忘れようと 勉 めた 二つの 道 は、 まざく と^ 前に 現 はれて、 救 ひ 

の 道 は 唯 此の 二つ ぞと、 惡 夢の 如く 强く 重く 人の 胸を壓 する ので ある。 


冇 島武郞 全集 第五 卷  11 四 

人 は 色々 な 名に よって 此の 二つの 道 を 呼んで 居る 。アポロ、 ディ ォ 一一 ソスと 呼んだ 人 も ある。 ヘレ 一一 ズム、 へ 

ブラ イズムと 呼んだ 人 も ある Hard-headed,  Tender-hearted と 呼んだ 人 も ある。 靈、 肉と 呼んだ 人 も ある。 趣味、 

主義と 呼んだ 人 も ある。 理想、 現實と 呼んだ 人 も ある。 空、 色と 呼んだ 入 も ある C 此の 如き を數へ 上げる 事の 愚 

かさ は、 針 頭に 立ち 得る 天使の 數を數 へ ん とした 愚 さに も 勝った 愚 さで あらう。 如何なる よき 名 を用ゐ ると も、 此 

の 二つの 道の 內容を 言 ひ 盡す事 は 出来まい。 二つの 道 は 二つの 道で ある。 人が 思考す る 瞬間、 行爲 する 瞬間に、 

立ち 現 はれた 明確な 現象で、 人力 を 以てして は 到底 無視す る 事の 出来ない、 深奥な 殘 酷な 實 在で ある。 

七 

わきめ 

我等 は溼 i 悲壯な 努力に 眼 を 張って 驚嘆す る。 それ は 二つの 道の 中 一 つ だけ を 選み 取って、 傍目 も ふらす 進み 

行く 人の 努力で ある。 かの 赤き 道 を 胸 張り ひろげて 走る 人、 叉 かの 靑き道 を たじろぎ もせす 歩む 人。 それ を 眺め 

て 居る 人の 心 は、 勇し い 者に 障られた 時の 如く、 堅く 嚴 しく 引き しめられて、 感激の 淚が淚 堂に 溢れて 來る。 

所謂 中庸と 云 ふ 迷信に 附隨 して 居る 樣な 沈滯 は、 此の 如き 人の 行 手に は 更に 起らない。 其の 人が 死んで 倒れる 

まで、 其の 前に は 炎々 として 焰が 燃えて 居る。 心の奥底に は 一 つの 聲が 歌と なる までに 漲り 流れて 居る。 凡ての 

疲れたる 者 は 其の 人 を 見て 再び 其の 弱い 足の 上に 立ち上る。 


さりながら 其の 人が 一 寸 でも 他の 道 を 顧みる 時、 其の 人 は a トの 妻の 如く 鹽の 柱と なって 仕舞 ふ。 

®  ナ 

さりながら 又 其の 人が 何處 まで も 一 つの 道 を 進む 時、 其の 人 は 人でなくなる。 釋迦は 如來に なられた。 ^姬は 

蛇に なった。 

一。 

一 つの 道 を 行く 人が 他の 道に 出 遇 ふ 事が ある。 無數 にある 交叉 點の 一 つに ぶっかる^ が ある。 北ハの 時 共^に 安 

住の 地 を 求めて、 前に も 後ろに も 動くまい と 身 構へ る 向き も ある 樣だ。 其の 向きの 人 は 自分の 努力に 何の^:^ を 

も 認めて 居ぬ 人と 云 はねば ならぬ。 餘カ があって それ を用ゐ ぬの は 努力で はない からで ある。 井の 人の 過^ は 共 

の 人が 足 を 停めた 時に 消えて 無くなる。 

一 一 

此の ディ レンマ を 破らん が爲 めに、 野に 叫ぶ 人の 聲が現 はれた。 一つの^ は 道の み を^して 人 は 滅びよ と.. ムっ 

つら あ  . , 

た。 餘 りに 意地 惡き 二つの 逍に對 する 面當 て^-ある。 一 つの 聲は 二つの 道 を 踏み破つ て觅に 他の 知らざる 逍 に 人 

れと 云った。 一種の 夢想で ある。 一 つの 聲はー つの 道 を 行く も、 他の 道 を 行く も、 共の 到 點 にして M 一  であら 

ばか ま はぬ ではない かと 云った。 短い 一生の 中に も 凡て を 知り、 凡てた らんと する 人^の 慾 念 を、 个- 然^^した 

叫びで ある。 一 つの 聲は 二つの 道の 中 一 つの 道は惡 であって、 人の 踏むべき 道で はない、 ^魔の 踎 むべき^ だと 


冇鳥 武郞仝 集 第五 卷  II 六 

云った。 これ は 力 ある 聲 である。 がー つの 道の み を 歩む 人が 遂に 人でなくなる 事 は 前に も 云った 通りで ある。 

一 二 

今でも ハ ム レットが 深厚な 同情 を 以て 讀 まれる の は、 ハム レットが 此の ディ レンマの 上に 立って 迷 ひぬ いたから 

である。 人生に 對 して 最も 聰明な 誠實な 態度 を 取った からで ある。 雲の 如き 智者と 賢者と 聖者と 祌 人と を 產み出 

£ つた なか 

した 歷史 の眞唯 中に、 從容 として 動く 事な きハ ム レット を 仰ぐ 時、 人生の 崇高と 悲壯と は、 深く 胸に 沁み 渡る では 

ないか。 昔 キリスト は 姦淫 を 犯せる 少女 を 石に て搏 たんと した パリ サイ 人に 對し、 汝 等の 中 罪な き 者先づ 彼女 を 

とが 

石に て搏 つべ しと 云った 事が ある。 汝 等の 中、 心尤 めされぬ 者先づ ハム レット を 石に て搏 つべ しと 云ったら ば 1 

して 誰が 石 を 取って 手 を擧げ 得る であらう。 1 つの 道 を 踏み かけて は 他の 道に 立ち 歸り、 他の 道に 足 を 踏み入れ 

て尙ほ 初めの 道 を 顧み、 心の中に 悶え 苦しむ 人 は 固よりの 事、 一 つの 道 をのみ 追うて 走る 人で も、 思 ひ 設けざる 

此時彼 時、 眉目の 凉 しい、 額の 青白い、 夜の 如き 喪服 を 着た デンマ ー クの 公子と 面を會 せて、 空恐ろし いなつか 

しさ を感 する ではない か。 

如何なる 人が 如何に 云 ふと も、 悲劇が 人の 同情 を牽く 限り、 二つの 道 は 解決 を 見出だされ すに 殘 つて 居る と 云 

はねば ならぬ。 

其の 思想と 技倆の 最も 圓 熟した 時、 後代に 捧 ぐべき 代表的 傑作と して、 ハ ム レット を 捕へ たシ H タス ビヤ は、 

うら 日 も て 

人の 心の 裏表 を 見知る 詩人と しての 資格 を 立派に 成就した 人で ある。 

ニー 一 


ハ ム レットに は 理智を 通じて 二つの 道に 對 する 迷 ひが 現 はれて 居る。 未だ 人 八 上 體卽ち テムべ ラメ ント 其の 者が 

動いて は 居ない。 此の 點に 於て へダ. ガ ブラ ー は 確かに 非常な 興味 を 以て 迎 へられる べき^で あらう。 

一四 

ハム レットで ある 中 はい &。 へダ になる の は 實に厭 だ。 厭で も 仕方がない。 智慧の 實を味 ひ 終った 人であって 

^れ ば、 人と して 最上の 到達 はへ ダの 外に はない 樣だ。 

一 五 

長々 とこん な 事 を 云 ふの も を かしな 者 だ。 自分 も 相 對界の 飯 を 喰って 居る 人間で あるから、 此の 議論に は^ぐ 

アンチ セ シス が 起って 來る 事で あらう。 

(I 九 一 〇 年 五月、 「c 樺」 所載) 


有 島 武郎仝 集 第五 卷  】1 八 

も 一度 「二つの 道」 に 就て 

此の 前 「二つの 道」 を 書いた 時、 人 S1 は 相 對界に 彷徨す る ものであって、 絡 對と云 ふが 如き は 永久に 窺 ひ 知る 

事の 出来ぬ 境界で ある、 と 云って 置いた が、 自分 はこれ を 出發點 として 更に 所信 を 進めて 見たい と 思って 居る。 

畢竟 人間の思考の 狀態 は、 これ を假 りに 圖示 すれば、 環 狀を爲 す もので、 直線 狀を爲 す もので はない。 卽ち 我々 

の 思考が 如何なる 點 から 始まる にせよ、 それが 結論に 達する や 否や、 直ぐ 其の 先き に 其の 結論 を 前提と した 他の 

理路 を 追 ふ 事が 出来る。 而 して それ を 幾 干 か 繰り返す 中に 再び 最初の 出發 點に歸 着して 来る。 卽ち 人間の 內在的 

生活 は、 或る 環內に 限られて 居て、 其の 生活が 如何に 豐富 になって、 遠心 的に 擴 大した 場合で も、 環 周に 沿うて 

出來 得る だけ 廣ぃ 活動 をす る 分で、 環 外に. 脫 逸する 事 は 到底 不可能で ある。 凡そ 循瑗 して 巳まない 內在的 生活の 

現象に、 强 ひて 一 つの 結論 を與 へようと する 事 は、 かの 無 終の 瑗中 から、 一部の 弧 を 切り放す 様な ものである。 

環の 全體は 決して 切り放した 弧 だけで 盡す事 は 出来ない。 これ を 補ふ爲 めに は 又 他の 部分の 弧 を 切り放す 必要が 

ブ ロ七ス  ちと 

ある。 而 して 此の 過程 を 綾け て 行く と、 仕舞に は 故の 弧に 歸 つて 來 るの 巳むな きに 至る ので ある。 更に 換言 すれ 

ば、 人間 は 人生と 云 ふ 複雜な 問題に 對 して、 論理 を 結着す る 程の 能力 を 持って は 居ない と 思 ふ。 相對 的の 能力 を 

以て、 絡對 的の 事實 とか 觀念 とか を 捕捉す る 事が 出來 ぬと 云 ふ 事 は、 何人も 担む 餘地 がない 事で、 隨 つて 少しく 

複雜 した 問題に 對 して、 人間が 結着した 論理 を 求めようと 云 ふの は、 木に 緣 つて 魚 を 求む るの 類 だと 思 ふ。 若し 

假 りに 結^した 論理が あつたと すれば、 それ は 技巧的な 作爲に 出た もの か、 若しくは 偶然に、 絕對 的事實 若しく 

は觀 念が、 相對 的な 人間の 頭腦を 通過した 結果で ある。 世に 哲擧の 到達し 得べき 範疇 は、 此の 二つ を 指す ものと 


見て 差 支へ あるまい。 

比の 如く 考 へて 來 ると、 自分 は 哲擧に 立脚して、 此の 生 を 託する 事の 危險 であるの みならす、 ^^である^ を 

思 はざる を 得ない ので ある。 古来 幾多の 哲學 は、 各 i 其の 結着した 理論 を 提げて 我々 の 前に 現 はれ、 其の 斷 案を提 

供して、 これ こそ 眞理 である、 これ こそ 人生 終局の 到達で あると 宣言した。 我々 の 祖先の 多數は 其の 前に..^ を 俯せ 

て そ e を 受け入れて 眞 なりと した。 しかも 彼等の 子孫なる 我々 は 竹學史 なる もの を 作って、 過去の 竹樂 なる もの を 

一 々批判 解剖して 居る ではない か。 批判 解剖して 不條理 と 矛^と を 指摘して 居る ではない か。 n 分 は,::: 分の::::! .1 

に、 か. T る 事の 繰り返され るの を、 幾度 も 見聞して 居る。 此の上 何等の 權威 を竹舉 に^める^ が出來 よう ぞ。 史 

に 一歩 を讓 つて、 哲擧は 今 其の 發 達の 途上に あると する。 卽ち 哲舉が 指摘 剔抉した 缺點 は、 他 U 補充 せらる" 時 

が ある ものと する。 而 して 恐らく は 其の 事 は實際 あり 得る であらう。 人間の 知識 は见に 知識 を 生んで、 竹^-の. 2: 

はさ  •  * 

容が 整頓せられ、 修飾 せらる-に 至る 事 は 自分 も 亦 疑 ひ を 挿まない ので ある。 然しながら^ にも 述べた^に 人出 

能力の 發揮 は、 如何に 擴充 せられた 場合に も、 到底 相對 的で ある 以上、 哲學の 內容が 如何に^ 顿 修飾せられ て も、 

それが 絕對觀 念の 成就 を 成し 得る と 云 ふ 事 は、 到底 考 へられぬ 所で ある。 かく 最後の 到 建が、 旣 に^おせられ た 

上 は、 哲舉 なる もの \ 內容 が、 i 璧に 進めば 進む 程、 危險の 度 を 加へ て、 虚偽に 充 ちて 來 ると 云 はねば ならぬ。 

例へば 横濱 行の 汽車が、 京都 行と 云 ふ 札 を 掲げて、 安價な 切符と、 立派な 客車と を 供して る 様な ものである。 

更に 第二の 哲舉的 到達なる もの を考 へて 昆る。 これ は 前に も 云った 如く、 哲學 なる もの & 中には、 人^の^ W 

的頭腦 を絕對 的事實 若しくは 觀 念が 通過した 結果と して、 起る もの も あり 得る 譯だ。 例へば 我々 が 二と 二と を 加 

へれば 四で あると 論す る、 其の 論す る 所の 一 一と 一 一との. 和 は W と 云 ふ 事が 或は 絶對 的の s.^ であるか も 知れない。 

偶然に 我々 の 思考した 所が、 絡對 事相の 肯綮に 中って 居る かも 知れない。 これ は 決して 不 W 能で あると は^」 ム 

も 一 度 「二つの 道」 に 就て  一 一九 


有 島武郞 全集 第五 卷  一 二 〇 

出来ない 事で ある。 然しながら 此の 場合に 於て 最も 困難なる 事 は, 其の 果して 絕對的 事相で ある や 否や を 識別す 

べき 標準が 全く 缺 けて 居る と 云 ふ 事で ある。 例へば 玆に 人が あって、 或る 論理的 過程 を經 て、 一 つの 確信に 達し 

たと する。 而 して それが 筢對的 事相と 符合して 居る かも 知れぬ、 符合して 居ぬ かも 知れぬ と 云 ふ 時、 我々 は果し 

て 如何して 動かす 事の 出来ない 批判に 到達す る 事が 出来る であらう。 かく 論じて 來 ると、 哲擧と 云 ふ もの は、 自 

分が これから 考 へて 見ようと する 信仰なる ものに 比して、 一 I ^曖昧な 立場に 立って 居る と 思 ふ。 當然の 事 だが 哲 

擧は理 を 推して 物の 眞を觀 する 方法で ある。 然るに 哲擧が 或る 結論に 達した 場合、 如何に 理を 推しても、 其の 眞 

僞を 知る 事が 出來 ぬと あれば、 それ は 推理 法の 根本的 誤謬 を 暴露した もの だと 云 はねば ならぬ と 思 ふ。 

然 らば 直覺が 齎らす と稱 する 所の 信仰なる もの は、 菜して 物の 眞に徹 入して 居る であらう か。 これ も 物の 眞に 

徹 入し 得ぬ とは斷 言す る 事が 出來 ぬと 思 ふ。 然しながら 同時に それが、 絕 封 事相 を 掌握し 得る とも 云へ ぬ蒈 だ。 

加 之 信仰の 事 は絡對 的に 個人的の 事で ある。 哲擧 にあって は、 理を 推して 最後の 結論に 到達す るので あるから、 

若し 其の 論理に 悅服 する 人 さへ あれば, 其の 哲學は 人から 人へ と傳 へて 行く 事が 出来る 譯 であるが、 信仰に 至って 

は 全く 個人的 經驗 であって、 各個 人が 自ら 其の 經験 を體 達しなければ、 信仰の 傳播は 全く 出來 ぬので ある。 それ 故 

信仰 は 全然 主觀 的に のみ 價値を 有する もので、 客觀 的に は、 それが 實 世間に 現 はす 功過 を 除いて、 何等の 價値を 生 

すべき もので ない。 甲 某が 有する 信仰なる もの は、 乙 某 丙 某に 取って は無價 値な ものである。 又 信仰 其の 者の 內容 

に 立ち入って 考 へて 見て 人間の 信仰の 中に 絕對 事相が 如 實に現 はれ 得る かと 云 ふに、 決して さう ではない と 思 ふ 3 

人間の 直 覺と云 ふ もの- - 成り立ちに 神祕 的な 意味 を附 する か、 一宗の 信仰 を 創立した 人の 性格に、 人間 以外の 力 

の 存在 を 許容す る 上 は 知らす、 苟 くも 我々 Q 理性の 確實に 承認す る 範疇で 考 へて 見る 時 は、 信仰 は 遂に 相對 事相の 

特殊な 變 態と 見る の 外 はない と 思 ふ。 結對 なる 信仰と 云 ふが 如き は、 哲擧が 其の 所論の 絕對的 肯定 をな さんと す 


ると 等しく 過分な 申 分で ある。 一宗の 開基が 權威を 以て 己れ の 信仰 を 人に 强 ふるの は、 其の 傅 道^; の^ W なる 人 

格 を顯彰 して 如何にも 潔い 事で は あるが、 冷靜に 其の 眞理 に對 する 態度 を觀 察すれば、 寧ろ 共の 愤摱に 驚かざる 

を 得ぬ ので ある。 我々 各 侗人は 大小 上下 は あれ、 兎に角 一個 他と 混淆す る 事の 出来ぬ 個性 を^け て 生れて 來て罟 

る" 其の 我々 に 向って 我が 信す る 所 を 信ぜよ、 信ぜす ば汝 の靈滅 せらる べしとの 要求 をす るの は, 我々 の 忍ぶ ベ 

からざる 所で ある。 解放 せられた 我々 の 理性 は、 或る 哲舉 系統の 中に 封入 せられる 事が 出來 ぬと 共に、 或ろ::;: 仰 

侗條の 下に 縛せられ るに 堪 へ なくなった。 

此の 如くして、 嘗て は 自分と 同じな 人間 すら 神と あがめて、 人力 を 超絶した 大 威力と 見た のが 段々 と 進歩して、 

相 對界の 人で ある 事 を 誇りと する 様になった。 然し 相 對界に は 相 對界の 悲哀が ある。 それ は 一筋の 道 を 行く と.. ム 

ふ 事の 不可能な 事で ある。 我々 は 現在 此の 地上の 生活に 安住す る樣 になる と共に、 此の 現在の 化活 に對 して 充^ 

と 飽和と を 要求せ すに は 居られなくなる。 而 して 此の 要求 を滿 足しよう とする 時、 我々 の 前に は 必す少 くと も 一 一  つ 

の 道が 現 はれて 來る。 自分 は 未だ 如何なる 言葉 を 以て、 此の 二つの 道 を 最も 適切に 言ひ顯 はし^る か を 知らない。 

然しながら 讀 者の 內的 生活の 經驗 は、 此の 二つの 道なる もの を 勢 髴 し 得る 事と 思 ふ。 少く とも rt: 分の 愧 少な 經驗 

は 常に 自分に 內的 生活の 分離 を自覺 せしめる。 自分が 思 ひ 切って 一方 を 取れば、 ^非 捨て & 仕舞 はねば ならぬ 他 

の 一方が ある。 自分が 一方 を 愛すれば、 是非 他 を 憎むべく 餘 儀な くされる。 ジ HI ナスの 颜の 様に、 二 而は必 す 

相反して 居る。 一 つの 事 を 思 ふ 時、 又は 一 つの 事 を 行 ふ 時、 それに 直ぐ 附隨 して 起って 來る もの は、 の^^^ 

しく は 行爲に 反對の 思想 行爲 である。 

これ は 自分 一 個の 經驗 のみでない 事 は、 自分が 此の 事 を 語った 友 も、 自分の 意見 を 承認して Ef< れ るし、 乂  i:" から 

の 思想の 中に も、 此の 現象 はま ざ, ,《\ と 現 はれて 居る ので も 分る と 思 ふ。 孽に侗 人的 經驗に 於てば かりで なく、;^ 

も I 度 「二 つの 道」 に 就て  一 二 一 


有 島武郞 全集 第五 卷  一 ニニ 

族の 歷史 にも 歷々 其の 跡 を 尋ねる 事が 出来る。 希臘 神話に ある ディ ォ 一一 ソスと アポロ は、 反對 せる 二 思想の 代表 

神で ある。 又 ヘブライズムと ヘレニズム は、 歐洲 歷史を 支配した 二 潮流の 代名詞で ある。 色と 空と は 佛陀の 大手 

腕 を 假 りても. 容易に 調和す る 事の 出来ない 二 現象で ある" 唯 心. 唯 物と 云 ふが 如き も、 永く 解き 難い 謎 語で ある。 

倫理 上の 個人主義. 社會 主義と 云 ふ 様な 事 も 其の 一例で ある。 凡そ 世に ある 名詞に して 單獨に 存在して、 對を爲 さ 

ぬ 名詞が 果して ある だら うか。 アダムの 初めより 我々 の 末に 至る まで、 此の ディ レンマの 爲 めに、 人間 は どの位 

惱 まされた か 解らない。 

さらば 全然 一方 を 捨て-一方 のみ を擇み 取らう か。 これ も 亦 人が 努力して 成就 せんとした 所で ある。 人の 思索 

力が 漸く 成熟した 文明の 中 世紀に 於て、 此の 種の 努力 は 殊に 目覺 しかった と 思 ふ。 彼等 は 一 の 理想 を 建立し 其の 

理想の 命す る 型の 中に、 心身 を 挺して 自己 を 入れ込んだ。 中 世紀の 歷 史 t に 名 だ-る 人 は槪ね 此の 種類の 人で あ 

る。 比の 時に 於て 輩出した もの は、 人間で なくして、 聖僧 であり、 忠臣で あり、 孝子で あり、 抒情詩 人で あり、 

烈婦で あり、 暴 王で あり、 悪漢で あり、 扠隸 であった。 彼等 は 彼等の 哲 學に敎 へられ、 信仰に 導かれて、 かくの 

あが 

如き^ esignation の 生活に 入る 事 を 以て、 最も 尊い 態度 だとな した。 而 して 此の様な 態度に 成功した もの を 崇めて 

最も 豪い 人物と した。 然 らば 彼等 は 果して 此の 如き 態度の 中に 大安 心 をして 居た かと 云 ふに、 決して 左樣 ではな 

い。 其の 心の 最も 奥まった 處に は、 或は 不安の 念と なり、 或は 僞 善の 形を爲 し、 或は 自己 滅却の 態 を 取り、 或は 

自 尊卑 他の 狀を 作つ て、 人が 人全體 として 擧 ぐる 反抗の 聲が 潜んで 居た ので ある。 

自分 は 人生の 解決の 爲 めに、 かくの 如き 苦痛 多き 努力 を爲 した 人の 誠 實を疑 はう ともしな いし、 又 其の 愚 をも嗤 

はない。 然しながら 世 は 何時までも、 彼等の 間違った 態度 を 認容して 居る 程に、 進化の 鈍い もので もない と 云 ふ 

事 を附け 加へ ねばならぬ。 時 は 過ぎた、 而 して セル ヅン テスが ドン .キ. ホ ー テで、 騎士 的 思想の 捕虜と なった 片輪 


者 を 嘲笑した と 同時に、 シェ タス ピャ は ハム レットに 於て 理想の 桎梏 を脫 逸した 一人の 人 を 描き 始めた c 

性の 解放 は 必然的に 如何なる 影響 を 人心に 及ぼす か を、 的 示した もの は、 歐洲 近世 史の 初朋 より 現 はれ 始めた ノ 

の變 化で ある。 此の 前に も 云った 如く、 ハム レット は 孝子た るよりも、 哲舉 者た るよりも、 愛人た るよりも t 

行 家た るよりも、 よりんで ある。 ハム レットに 當て篏 むべき 型と 云 ふ もの は、 ハム レット rt: 身の 外に は 一つ,、 

い。 おは 藻 搔き、 迷 ひ、 苦しんだ。 中 世紀の til マンスに ある Hero の 面影 は、 ハム レットに は に^め? リが 

出来ぬ。 ォデ ッセ, -と イリヤ ッドと は ハム レットに 至って、 鋭角 を爲 して 方向 を轉 じた。 二つの 近の 何れ か を 探ぶ 

ベく 餘儀 なくされた 人 は、 ハム レットに 至って 自由に 兩 者の 間 を 迷 ひ 祓いた。 自分 は 此の様な S 象 を 無な 淡た せ 

と 看過す る 事が 出来ない。 何故 なれば 如上の 現象 は、 自分自身の 內部 にも 行 はれた^ を 的確に 感卡 るからで ある J 

ヘム レット は 相 對界に 定住しょう とした 人の 絡 好の 典型で ある。 然しながら 相 對界の 悲哀 は, お ほ 彼 を は^て 

なかった。 彼 は 二つの 道に 迷 ふと 云 ふ 事は敢 てしたが、 習慣 は 彼 を K めて、 其の 不見識 を 恥ぢ しめた。 ハムレ" ト 

は 迷へ る 己れ を 日 一つ 憐み 且つ 卑しんだ。 其の 理性に 於て 前人の 迷 蒙 を 打破した 彼 は、 其のお 惯に 於て 依然 あ—〜 

の 身で あつたが 故に、 彼 は 常に 己れ の正當 なる 行爲を 運命に 假 託して、 僅かに 所^^ 心の^ ® を 免れよう とした 

自分 は 心から ハム レットの 苦衷 を 憐れまざる を 得ない。 何故 なれば 現在 我々 の 大部分 は、 大抵 此のお^ にあって 

煩悶して 居る からで ある。 

然しながら 能く 考 へて 見る と、 此の 悲哀 は 畢竟 謂 はれの ない 悲哀 だと 思 ふ。 今まで 我々 の 上に あって さ ン 

配して 居た もの は、 絶 對に對 する 觀念 である 事 は 前に も 言った。 此の 觀念は 々な 形 を 取って 我々 グ、 に、 成 ザ,:: 

に 現 はれた。 或る時 は 信仰と なった。 又 或る時 は 理想と なった。 我々 は 其の 现想 なり^ 仰な りに にな シノ  I 

曲げて、 曲り 兼ねる 部分 は 抛げ 捨て \、 換言すれば 己れ を 其の 理想な り 信仰な りの 鑄 型の 巾で 改^して 4" 卞る^ 

i 一  お 「二 つ S 一に 就て  -  一 ニー 一一 


. 有 島武郎 全集 第五 卷  ニー  四 

ら ねばなら ぬと 思って 居た のが、 今 突然 相 對界の 人と なって 見る と、 嚮に 曲り 兼ねる と 思って 捨てた 部分 も、 再び 

自己の 一 部分に なって これに 統 一 した 思考 行動が さまたげられる 事になる。 玆がハ ム レットの 煩悶した 所以で あ 

る。 然し 一 度 かふる 態度に 出た 以上、 我々 の 思考 行動に 昔日の 樣な铳 一 が あり 得な いのは 當然の 事で vii かも 怪し 

む 要はない 害 だ。 矛盾の 起る の は 知れた 話で ある。 我々 の 生活に 矛盾の ない 漦な 事が、 全體 間違った 事 K なので、 

ク 口  .1 ズ 

結着した 論理が 作爲 である 如く 矛盾の ない 人生と 云 ふ ものが あったらば 自分 は 其の 人生の 根柢 を 疑 はざる を 得 

ない ので ある。 我々 は 今まで 此の 矛盾 を 苦痛 だと 思 ひ、 恥づ べき 事 だと 思 ひ、 統 一 した 一筋道 を 歩まねば、 內的 

生活 は 立ち どころ に 消滅す ると 思って 居た が、 結 對的實 在と か眞理 とか 云 ふ もの は、 全然 人間の 思 度 以外に ある も 

のと 感じて は、 此の 矛盾 こそ 人間 本来の 立場 だと 云 ふ 事を覺 つて、 其の 中に 安住し 得る を 誇るべき だと 思 ふ。 

卽ち 矛盾 を 抱擁した 人間 全體 としての 活動、 自己の 建設と 確立、 これが 我々 の勉 むべき 目前の 事業で はない 

か。 其の 事業が 出來 上った 上で 如何す ると 云 ふ樣な 問題の 解決 は、 明日 此の世の 中に 生れて 來る 人に 讓 つて 置け 

ばい-。 自分 は 此の 點に喑 示を與 へる 爲 めに 此の 前へ ダ. ガブ ラ I を 引き合 ひに 出した ので ある。 へ ダは實 に 此の 

程度に 於け る 代表的 人物 だと 思 ふ。 彼女 は 決して 自己 內 部の 矛盾に 就て 悲歎した 事 はない。 彼女に 取って は 驚く 

に堪 へた 其の 內 部の 矛盾 は 當然な 事な ので ある。 唯 彼女が 恐れに 長れ て 悶えた の は、 へ ダと云 ふ 一個の 人が 外界 

の壓 迫に よって 破碎 されん 事であった。 此の 爲め にへ ダは肉 を 殺して まで 戰ひ拔 いた。 彼女 は 立派な 殉敎 者で あ 

る。 ハムレ ット はへ ダに 至って 更に 急激な 囘轉 をした と 云 はねば ならぬ。 

^々に 取って へダ となる の は 苦痛で ある。 然しながら 其の 苦痛なる にも 係 はらす、 我々 はへ ダ たるの 要求 を 心 

の 奥底に 感じ はしない か。 先づ 我々 は 先祖 傳來の 筢對觀 念に 暇 乞 をして、 自己に 立ち 歸ら ねばならぬ。 而 して 我 

我が 皆 立ち 歸る 事に 於て 成功したならば、 其の上の 要求 は 其處に 我々 を 待って 罟 るで あらう。 


これ は 少しく 餘 論に 亙る が、 自分 は 如上の 立場から、 藝術界 の 主義なる ものに 對 して、 心からの^^と^ 侮と 

を ¥5 する 旨 を 一言して 置きたい。 人生 を 如 實に觀 じて これ を 具象すべき 藝術 を、 主義の 名の 下に 狭め ゆがめる の 

は 果して 何の 意で あらう。 かの 評者と 云 ふ 命 名 を 以て 能事と なす 人々 が、 勝 乎に 名 を 命す るの なら、 ^の 

爲 すが 儘に 委せる の も 妨げない が、 作者 自らが 臂を 張って、 自分 は 何 主義で 御座る と 云 ふに 至って は、 n ら #1 ら 

ざるの 責を 免れる 事 は出來 まい。 文 學とは 兄弟の 關係 ある 繪畫 彫刻に 於て は、 主義 や 宗家 を 以て、 其の 作" の说 

S とする 馬鹿 は、 急激な 勢 を 以て 破 壌され つ-ある ではない か。 自己の 勢力、 自己の 確立、 n,J の^^: と -s^ リ 

が、 藝 術の 第一義と して 承認され 體 得されて 居る 間に、 文擧は 主義の 名の 下に 人^の 见方、 见 るべき 人^の Mm 

を 限って、 得々 として 居る の は 何ん たる 事で あらう。 自分 は 主義の 爭 ひの 爲 めに 作家が m ゐた 努力 を、 W び 作物 

の 方に 牧 めん 事 を 切望す る 者で ある。 

(一 九 一 〇 年 八月、 r.M^j 所載) 


も I 度 「二 つの 道」 に 就て  一 二 五 


冇 島武郞 全集 第五 卷  1 二 六 

叛逆 者 

(a ダンに 關 する 考察) 

Stationary  Period とか Dark  Ages とか 云 ふ 名で 知られた 歐洲 史上の 一 時期 は、 新しい 意義 を 提げて、 現代文明 

の 核心に 萠芽 を 出し 始めた と 私 は 信す る。 喑黑 から 喑黑 に迗 つて やった 父無し子の 記憶が、 肉 情の 衰へ かけた 母 

の 胸底 を 薄 氣味惡 く かき 亂す やうに、 現代の 文明 はと もす ると 喑黑 と名づ けられた 過去の 一時期の 爲 めに 脅かさ 

れて 居る。 脅かされて ゐ ると 云 ふだけ では 未だ 足りない。 其の 時期の 精神の 復活と 勃興と に對 して、 悶えながら 

彌缝 に JI- はしい と 私 は 田 3 ふ。 

ー體歐 洲史は 何故 r 喑黑 j とか 「停 滯」 とか 云 ふ 名の 下に、 今まで 中 世紀 を 顧みす に 居た ので あらう。 或は 研 

究 材料と か 言語と かいふ 物質的の 色々 な 困難が、 其の 研究 を 妨げた のか も 知れない。 又 實際歷 史家が、 中 世紀に 

は、 瑣末な 事件の 外に、 特別な 研鑽に 値する 題目がなかった と 信じて 居た のか も 知れない。 若し 原因が 前者 だと 

すれば、 それ は據 ない 事で も あらう。 これに 反して 後者が 原因 だと すれば、 歷 史家の 讀 史眼 は、 花簪の 美醜 を 見 

分け 得る 少女の 眼識に も 劣った もの だと 云 はなければ ならぬ。 中 世紀の 間に 建てられた 典型的な 寺院 一 つ を 眼の 

前に 置いて 考 へれば、 此の 時期の ゆるがせに 出来ない 事 は 直ぐ 判る 害で ある。 歷 史家の 凡てが それに 氣附 かない 

程 非常識で は あるまい。 自分 は 此の 時期の 研究が 等閑に せられた 原因 を 他に 求めて 見たい。 それ は歷 史家が 中世 

紀と 現代文明との 間に は 何等 有機的の 連絡が なく、 却って 遠く 中 世紀 を 遡り 盡 した 羅馬 文明が、 密接の 交渉 を 現代 


に i いで 居る の を 認めた ので、 其の 研究が 勢 ひ 古代に 偏して、 中世に 疎くな つたの だと 見る ので ある。 此の 兑方 

ならば ひ ー"| りの 理由が あらう と 思 ふ。 實際 近世 史上に 現 はれた 諸 現象 を 過去の 事實に 照らし 合せて 兌る と、 屮^ 

を 飛 f 越して、 一躍 古代 殊に 羅馬 帝政の 盛時に 遡る 場合が 確かに 多い。 中央 集權 的の 傾向が さう である。 、に 

義的 がさう である。 奴隸 階級 (其の 形式 は 一見 その 如く 見えぬ にもせ よ) の 設立が さう である。 の 興亡 をお お 

て、 き 在に 於け る國家 存在の 基礎に 合理的な 論理 を與 へる のが 歷史 研究の 本義と 心^た 常世の^^^ は、 か" る 

き 象を昆 て、 中世と 現代と を 結ぴ附 くべき 緊要な 連絡 を 見出す のに 苦しんだ 結 菜、 中世 は 過去の 忘却の 巾 に^り 

去られた 者 だとして、 これに 「暗 黑」 とか 「停滞」 とか 云ふ諡 をした。 而 して、 不幸な 此の 一時期 は、 ^^^^1 

達から 云 ふと、 僅かに 少年 期 を 過ぎた 許りで、 無殘 にも 挫折した ま X、 か \ る 忌 はしい 諡の 下に 葬られて り^つ 

たので ある。  _ 

然し 實際 中世 はそんな 喑黑な 時代で もな く、 叉 そんな 停滞した 時代で もない ので ある。 中^お のィ した W ィの 

特き から 論す るなら ば、 表面の 暗黑 停滞に 似 もやらぬ 獨創 的な 有機的な 現象が 其の 底に 流れて^ て 諸方, いに 向 

つて 華々 しい 發達 をな さんと して ゐ たので ある。 所謂 ゴ シック 文化と 概稱 せられる 膀ぉ的 現象 は それであった 

然し 不幸に も 此の 時期の 發達は 途中で 杜絶して 仕舞って、 其の後に 文藝 復興 期と 云 ふ 近世の^ 礎が^ ゑら れ たの 

である。 自由 都市 は片 つばし から 倒れて 近代の 國家 組織に 代り、 コム ミュ ー ン の 制度 はす たれて ^も M ぼに^ 

じ、 超然と して 凡ての 現世 的 桎梏から かけ 離れた 僧庵 は 滅びて、 國 家政 體と 密接な 關 係の ある^ 仰が 起り 「人 は 

中 世紀の 羅馬 法王 朝 を 云々 する が、 これ は羅馬 末世の 一 現象の 接繽 である 事 を 忘れて はならぬ)、 n^*A^ 

藝術は 跡 を 絶って 貴族的 客間 的藝 術が 榮ぇ、 自由な 獨創 的な 人心の 活動 は屛 息して 世は復 ト^ もまの^と/ Z  / 

こ 1 よ ,一面に は 今世紀の 病 所ば かり を 指摘して、 一 面に は 中 世紀に 於け る 發展を 光明 的 方面ば 力り 力ら 數へ 立て 

叛逆 者  一二 七 


有 島武郞 全集 第五 卷  一二 人 

た 一 面觀 では あらう けれども、 一 面觀 にせよ、 上述の 現象 は 確かに 起った ので ある。 かくの 如くに して 中世の 精^ 

は 事實に 於て 斃れて 近代の 歷史が 始まった。 而 して 歷 史家 は 安堵して 此の 時代 を 度外視しょう とした。 然るに 死 

ん だと 思 はれた 中 世紀 的 精神の 閃光が、 近世 史の此 所 波 所に 現 はれ 出した。 始めの 中 は 此の 現象 は、 過去と 何等の 

關係 もない 偶發 的な ものと して 取り扱 はれた が、 日を經 るに 從 つて 其の 顯 はれ は 頻繁に 且つ 顯著 になって 來 Ja。 

le して そ. V が 現代文明の 根本的 要件と 牴觸 さへ する やうに 嵩 じて 行った。 ァ ダビ チズ ムの 法則に 從 つて、 遠く 古 

代の 特質 を繼 承して ゐた 現代 は、 見 も 知り もせぬ 直 親の 面影 を 自己の 中に 發 見して、 而 して 其の 出現が 自己 本來 

の 面目と 矛盾す る 場合 さへ ある 事を覺 つて、 驚いて 悶え 始めた ので ある。 

佛國 革命が ルヰ第 十四 世に よって 完成され た羅馬 帝政 型の 帝國 主義に 對 する 中 世紀 自由 都市 的 精神の 反抗で あ 

つた 如く、 社會 主義の 勃興が 古代の 扠隸 主義 型の 資本 制度に 對 する 中 世紀 コム ミュ ー ン的 精神の 反抗で ある 如く、 

科擧 の發展 が、 希臘羅 馬の 系統 を 引いた、 攉威を 立して 鑄 型に 篏め 込む 瞑想 的 哲學の 傾向に 對 して、 中 世紀の 事 

實 討究の 精神の 反抗で ある 如く、 近世 藝 術の 勃興 は文藝 復興 期 I 延いては 羅馬 風の 藝術 家の 個性と 自然と を 無 

視 した 模倣 藝 術に 對 する 獨 創的ゴ シック 藝 術の 反抗と 稱 して い X。 

かの 文藝復 輿 期が クラシ シズム の 復興 を 謀って、 その 爲 めに 模倣の 醜態に 陷 つた 事 は、 圓柱 若しくは 角柱の 上に 

意^も なく ェ ン タブ レチ ユアの 斷片を 置いた あの 遣り方 一 つ を 見た ビ けで 大體を 窺 ふ 事が 出来る。 又ビ ラスタ ー 

と 云 ふやうな、 形骸の みを殘 した、 装飾と して は 拙い 装飾 を 案出した の を 見ても、 如何に クラシ, ク 趣味の 復興 

が單に 模倣に 終って、 眞 精神の 傳承を 誤って ゐ たかの 證據 になる。 此の 事實は 建築ば かりで はない。 繪畫の 上に 


も 現 はれて 居る。 かの ラフ ァ H ル前 派の 畫家 をして、 ラフ ァェ ル 以後の 畫 家に 舉 ぶの を 卑しい 事と 思 はせ た 一 事 

を 兌ても、 如何に 當 時の 畫界が 形式の 末に 泥んで、 自ら 見る の 眼 を 失って 居た かの 例證 とならう。 こんな 狀 態に 

あって 獨り 彫刻が 除外例で 居る 害 はない。 復興 期 以來大 彫刻家 も 出て ゐ ないで はない。 傑作と 云 はれる もの も 生 

れてゐ ないで はない。 然し 確かに そこに は傳習 的な 模倣から 出發 して 或る 程度の 効果 を收め 得た に過ぎない 恨み 

が 明かに 見出される。 最も 獨創カ を 要する 藝術界 にあって 模倣と 傳習程 恐ろしい 獅子 身中の 蟲 はない。 お 然^ 十七 

十八 世紀に 及んで 彫刻 は 痛ましい 程の 退化 墮落 をな した。 第 十八 世紀の 中葉から は 殊に 古代お 術の 殘^: を^め る 

傾向が 生じ、 ナボレ オン 第一 世が 怫國を 統一 する に 至って は、 古羅馬 帝!: を 夢み て, 文物 制度 は 一 向に 其の 昔に 则 

つたので、 彫刻 も 自ら 其の 影響 を 蒙らざる を 得なかった。 ナボレ オン 第; 二世に 至って 其の 弊 は^に^し かった。 

かの 全く 內部 生命 を 閑却した 權威 なき 製作 は、 大多數 の 匠 人に よって 臆面もなく 試みられ、 嘗て アミ ァ ン の 基^、 

サン. デ 一一 スの 浮彫に 全然 新しい 藝術的 精神の 發露を 示した ゴシック 藝術 家の 子孫 は、 見る 影 もな くゆ^に 陷 つた 

ので ある。  • 

然し か-る 墮 落の 風潮 は、 美的 直覺の 極めて 鋭敏な 佛國 民の 長く 堪へ 得る 所ではない。 彼等 は クラシシズムに 

對 して 反抗の 聲 を擧げ 始めた。 文學界 にあって フロ ー ベル、 ゴンク ー ルの斃 した メヂ ュサ はこれ であった。 綺 W 

にあって クルべ ー、 ドラ ク ロアの 屠った スフィンクス はこれ であった。 ゴ シック 精神の 復活 は、 多大の 反抗と 非難 

との 間に、 藝術界 にも 行 はれつ、 あつたの だ。 獨り 彫刻界 だけ は 他の 藝術的 活動から は 非常にお くれて^く^ 眠 

から 覺め 兼ねて ゐ たので あるが、 ォ I ギュ スト. ロダンが 現 はれて、 絶大な 甦生の 風潮 を 捲き 起してから、 俄然と 

して 一 時に 一 大 飛躍 を 試み、 藝術界 の 先頭に 立って 一 代の 傾向 を 指導す る 程の 機 威 を 振 ふに 至った ので ある。 

叛逆 者  ニー 九 


有 島 武郞仝 集 第五卷  一 三 〇 

ミ 

くさびがた 

Tympmnm の 尖 頭で 大空 を 楔形に 立ち 割って 聳え 立つ 灰色の バ ン テオンの 前に 立って, 一 わたり 極めて 嚴肅典 

整な クラシックの 建築 を 見渡した 後、 鐵 柵を橫 ぎって portico の 石段に 足 を かけて 上 を 仰ぐ と、 看る 者の 前に 直線 

まづし ぐら 

をな して 水平に 橫 はるの は、 幾 層の 階段に よって 作らる \ 併行線で ある、 H ン タブ レチ ユアから 慕 地に 切り込む 樣 

に 落ちて 來 るの は、 二十 一本の コ リン シャン 柱の 垂直線で ある。 此の 嚴肅な 垂直線と 水平線と が 交って 直角 を爲 

す 所に ロダンの 「考 ふる 人」 は 置かれて あるの だ。 彫像 を 作る 時に、 其の 彫像の 置かるべき 位置から 周圍 から 廣 

さから を 綿密に 商量して の 上で、 始めて 鑿 を 取る と 聞いて ゐた P ダ ン のか &る 作物が か X る處に 置かれて 在る の 

は、 自分に 取って は 謎と しか 思へ なかった。 あの 不規則な vigorous な、 而 して 極めて brutal な 一 個の mode ョ e は、 

かの コ リン シャン の 柱頭、 David  (r Angers の tympanum 、かすかに 中高な 階段の 併行線と 何の 關 はりが あらう ぞ。 

自分 は 巴 里の 中央で 茫然と して、 此の 二つの 大きな 矛盾に 眼 を 見張った。 この 奇怪な 對照を 皮肉 を 極めた 惡戲と 

見るべき であるか、 それとも 深刻な 痛烈な 寓意と 解すべき であらう か。 自分 は此 Q 鑄 像 を 彼 處に据 ゑて 得意で ゐ 

る怫 人の 心の 程を危 ますに は 居られなかった と共に、 平氣で それ を させて ゐる 巨匠の 大膽と 自任と を 驚異せ すに 

は ゐられ なかった。 フロレンスの サン •  ロレ ンッォ にある ミケラ ンジ エロ の r 考 ふる 人」 でも 持って 來て玆 に 建てた 

ら、 建築物に 對 してや-ふさ はしい 調和 を 見せる 事 も 出来よう が、 ロダンの r 考 ふる 人」 では ァ テナと タイ タン 

と を 夫婦に した 程の 矛盾で ある。 佛國人 は 嘗て ル ー ソ ー を 生かして 置いた 爲 めに、 佛藺西 王國を 失った やうに、 

ロダンの r 考 ふる 人」 を パンテオンの 前に 立て、、 最も 强烈な 革命の 到來を 馴致して ゐ るので ある。 ゴシック 精 

神 は 此のむ くつけ き 男に 於て 正しく 復活した。 紐 を 束ねて しごいた やうな 其の 筋肉 は、 アル 力 ヂャの 野に 見る 筋 


肉で はない。 顎の 下に 堅く 押し まげた 太く 鈍い 指 は、 竪琴 を奏づ べき 指で はない。 それ は^しく 饯槌 を捉 るべき 

指で あるつ 而 して 其の 顔 I * の 表情 ——が う 何して かくまで 傳說 を小氣 味よ く 蹂躪す る 事が 出来たら う。 ー广" の 

顔面 筋で も 一線の 皺で も、 クラシシズムと 背中 合せ をな して ゐな いもの はない。 背部 を 滑り落ちる 猛烈な 锐 0^ 

顯 する 力の 感じ は、 雪な だれが アルプスの 峻坂を こそいで 落下した やうな 心地が する。 クラシシズムの 理想が 肅 

整 典雅 を 以て 立って ゐ るのに 反して、 これ はまた 最も 破格で 最も 露骨で ある。 バランスと 云 ふ 様な^ は .U 然カ 

一同の 人間 を 腰かけさせ るに 必要と する 程度 以上に は 濫用して ない。 彼 は斯の 如く 從來の 俾說を 超絶して、 巴迅 

の眞 中で、 ケ 0 かんとして 夜 も 晝も考 へて ゐ るので ある。 彼が 思案 を 拾て-、 顎 を さ-へた 跺を 仲ば して、 徐ろ 

に 顔 を 擧げる 時が 來 たら、 今の 巴 里 は 如何なる 變 化に 出 遇 はなければ ならぬ^ だら う。 其の 時考 へ^けて^ た 彼 

の 思想 は 如何なる 形態 を 取って 顯 はれて 來る であらう。 彼の 後ろに 置かれて ゐる ^^ヨ on の聖ジ ュネビ エブと 

クロビスと は 其の 時 も 依然として 彼の 後ろで 其の 存在 を耮 けて 居る だら うか。 

白晝 に、 世界の 最大 都會巴 里の 中央に、 大衆 注目の 中に、 明ら さまな 興 廢が行 はれん としつ、 ある。 スフ 口  I 

?.: ン テオンが 倒れる か、 ロダンの 「考 ふる 人」 が斃れ るか。 歐洲史 の 二 大潮 流 は 此の 二つの シンボル によって 

t 表されて ゐる。 其の シンボルの 底意 を 明かに 兌て 取った 人 こそ は、 やがて 來 るべき 思想 上の 要求 を滿 足し^る 

人で あらねば ならぬ。 

四 

ゴ シック 藝 術の 一 特色 は 醜の 美化で ある。 寧ろ 醜と美と に對 する 標準の 改造で ある。 古 f .&a はま^,— し- 川ダ 

の 標準 以+こ 立って、 更に 新たな 眼 を 開いて 美 を 認める と 云 ふ、 複雜 な精祌 活動に 立ち 歸る $ が^ 來 ないで お 

奴 逆 者  一 _ 一 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  I  一一 一二 

る。 罄: 止、 典雅、 均衡、 肅靜、 高遠、 莊嚴と 云 ふ 様な 一 一ー| 口 葉の みが、 古代 藝術 批判の 標準語と なり 得る ので ある。 

自然に 現 はれた 一方 小さい 眼、 乾から びた 腹、 萎えた 足、 無心な ナイ ー ヴな 醜い ボ I ズの 如きが、 美の 對象 とな 

り 得ろ と 云 ふ 事 は、 紛糾した 頭腦を 抱いて、 恐れす 韶 はすに 自然の 內懷 ろに 手 を 入れた 人で なければ、 理解す 

る 事の 出来ない 境地で ある。 我々 は餘 りに 長く 類型の 捕虜と なって 居た。 文藝 復興が 古代 藝 術の 復古 を 計って、 

美の 標 i. とか 美 その 者の 範疇と か を 立て \ 以来、 我々 は 自然の 中に 住む 代りに 其の 概念の 観に 住み 暮 した。 同じ 

人間の 設けた 係 蹄に か \ ってゐ ながら、 藻 搔く事 すら 忘れて、 喜んで 謳歌して 居た。 此の 意味から 云へば、 其の 

技巧 は 例へば 一 代に 冠絕 して 居た にせよ、 カノ I バもト ー ルヴ アルド セン もジ ヤン. グ ー ゾンも 到底 過去の 人で あ 

つて、 重き 權威を 新しい 藝術的 良心の 上に 耍 求し 得る もので はない。 頭腦 から 頭腦 に、 手から 手に 專へ傳 へて 來 

た 結 栗、 美と 云 ふ もの は 其の 本来の 光澤 を 滅却して 垢光り に 光って 居る。 i かなりと も 自然に 對 して 端的に 艮を 

開いた 現代 は、 復興 期 系統の 彫刻に 對 して あざむかれて 居た と 云 ふ 感じ を 起さす に は 居られない。 新しく 見る HT 

新しく 感する 心 を 持った 人が 出て、 新しい 生 々しい 美 をつ かめよ かしと 云 ふ 要求が、 思潮の 底流 を容捨 なく 鞭つ 

た。 

その 時 俄然と して ロダンの 「鼻の かけた 人」 が 出た。 取り返しの つかない 大事が 持ち 上って しまった。 かの h 

さな 醜い 一 つの 首 は、 其の 濁った 眼 を 光ら かして 遠慮げ もな く あたり を 見廻した。 新しい 美 を 要求して やまな か 

つた 現代人 は、 此の 作品に 對 して、 珍寶を 期待して 妖怪に 襲 はれた 舌 切り 婆さんの 痴態 を 演じた。 新しい 醜 を 要 

求し はしなかった の だ。 新しい 美 を 要求した の だ。 自分 等の 耍求 したの は 新しい 醜で はない、 新しい 美で あるの 

だと 泣き 聲 になって 叫んだ ので あるが、 かの 小さい 醜い 一 つの 首 は、 當 惑げ に 一 己れ が 其の 新しい 美なん だよ」 

と 云って 眼 を まじ- f\ させた のであった。 


かう して 昆 ると 現代 も 天才の 出現に 遇 ふまで は、 過去の 夢を見 つ^けて 居た と 云 ふ 事が 知れる。 現代 は 復^の 

耍求を 心の底に 感じて は 居た が、 新しい 存在が 如何なる 者で あるかに 就て は, 朧 けな 用意 すら 持って 居なかった 

の だ。 革新の 要求と 共に、 彼等 は 美の 標準 を 依然として 過去の 世界に 置いて ゐ たこと に^ 附 かなかった の だ, 卽 

ちその 要求した 新しい 美と 云 ふの は、 クラシシズムの 名 を かたった 詐欺師に、 最ー つ 詐欺 を 働かせる と- ムふ はの 

意味に 過ぎなかった。 然るに a ダン は 天才の 本能から、 新しい 美の 要求に 對 して、 全然 的に 新しい^ を^ 供した 

の だ。 丁度 ゴ シック 盛時の 彫刻が 希臘 の轍蹤 から 絶 對に獨 立して、 其の 若々 しい 潤みの ある 發展 をな したやう に, 

ロダン も タイ タンに 等しい 力 を 振って、 長い 束縛の 繩目 を斷ち 切った ので ある。 かくの 如くして 现 代が..::::, し 所作 

の 思 はざる 結果に 戰慄 して 居る 間に、 醜の 美 は綾發 せられた 。「鎧 切り」 も 出た。 バルザック も 出た。 ^ゆ は^い 

て 仕舞った。 

ー體 世に 完全な もの はない。 空想され る やうな 完全な 美 は 勿論ない。 希臘藝 術, 從 つて 共 S 校 倣お な 7ノ; 仅 1:^ 

おぎな 

系の 藝術 は、 人力 を 以て 此の 自然の 不完全 を 補 はう とした ものである 事 は 云 ふまで もない。 然るに ゴ シ ッ クぉき 

は 此の 完全と 不完全との 間に 漂 ふ 言說し 難い charm の 存在 を發 見した ので ある。 換言すれば 不 {- ル个 から (んト に 

向って 放射す る 一 種の 力 を 自然の 中に 見出して 小躍りし たので ある。 始終 動 搖 して 進化し つ、 ある 人^ や: 活 にあ 

つて、 一番 人間の 心 を 引きつけ、 一番 人間に 强く 深く 訴 へる もの は、 この 變 化から 變 化に 移り 進む^ おの 外にな 

いので ある。 その 道程が 生み出す 美 こそ は、 人に 殉情 的な 滿足 こそ 與へ はしない が、 ; 止しい 板牴の 深い^ち ふい 

た享 樂を惠 むの だ。 それ故に ゴ シック 藝術は 一 翳 不完全に 固着して、 不完全 を 精細に 徹視 する せ を 以て あ. ぬし- 

心得た。 更に 換言すれば 堅く  realist の 立場に 立った ので ある。 卽ち 不完全の^ 在 を 怖れぬ 許りで た, , ノれを 

饴 しむ 程の 徹底的 態度と 若々 しさと に 到達した ので ある。 a ダンが ゴ シック 傾向 を 代^して ゐ る^ は 此の 點 から 

叛逆 者  1 三 三 


有 武 郎仝蕖 第五 卷  I 三 四 

も 云 はれる と 私 は 思 ふ。 

社會 主義の 論理に 惡 意がない 如く、 醜の 美 を 主張す る n ダンの 努力に も惡 意がない。 C! ダンに 取って はかの 理 

解し^い 「接吻」 を 刻んだ 時に も、 腹の 皮の 垂れ 下った 老衰 者 を 彫った 時に も、 自然が 祕藏 する 新しい 美 を 敬虔に 

ぶ 實に發 見しょう とする 一 心の 外に は 何者 もなかつ たの だ。 然し 彼が 本當に 民衆に よって 理解され 鑑賞 せられる 

までに は、 現代 は 汗水 垂らして 走らねば なるまい。 幾年 かの 後に 渐く 追ひ附 いて、 人々 が 「鼻の かけた 男」 とミ 

口 のヴィ ー ナスと 竝 ベて 眺める 程に なった 時、 ロダン の大 さは 初めて 定評に 上る 事が 出來 るので あらう。 

五 

みぞれ  ぬ 

しょ ぼくと 霎の 様な 雨の 午後、 リュク サン ブル グ畫 堂の 濡れて 冷た さうな 階段の 許に 來て左 を 見る と、 「銅の. 

時代」 の靑 年が 右の 乎 を 握った ま-額の 上に 加へ て、 上向き 加減に しと ('と 雨に 打 たれて 立って ゐた。 その 細 

つ そりと 淸く瘦 せた 顔に、 雨雲の 灰色が 映って すさまじい。 若い 婦人 もく すんだ 色の 外套 を 着る 時節で、 来る 人 

こ きざ 

も 來る人 も 此の 像に は 眼 も くれす、 衣 物の 襟 を ひき 立て、 小刻みに かけ 込んで 行く。 自分 も それ 等の 群れに っビ 

はれぎ 

いて 畫 堂に 這 入った。 いきなり 暖く 人い きれが して、 外套 を脫 いだ 華やかな 婦人 達の 晴 衣の 色が、 射る やうに 眼 

きぬ 

に あざやか である。 其の 衣 すれ や、 私語 や、 驕奢な 香料の 香の 中で 自分 は ロダンの 「ダビ イド」 と 「聖 ジョン」 と 

を 見た。 

劃然と 火の 筆で 境界線 を 引いた 様に、 此の 二つの 作物 は^の 作物から かけ 離れて ゐた。 成程 技巧 は 非常に 勝れ 

て 居る し、 違っても 居る。 然し 技巧の みが これ 程に 是 等の 作物 をして 他と 異ならし むる 要求 を 成す であらう か。 

ー絲も 着けぬ 「聖 ジョン」 の 裸體、 疲勞の 極點に 達した 「ダビ イド」 の 筋肉の ゆるみ、 一つの 骨の 位置, 一つの 


筋^の 動作 を も隱し 得ぬ 製作 を敢 てして、 少しも 悪びれて 見えない 其の 技巧に 對 する 確信 は、 先づ兑 る 人の きた 

奪 ふに 足る が、 それが 菜して 是 等の 作物 を 他と 異ならし める 全體 であらう か。 

私 はかくて 藝術 家の 個性と 云 ふ 事に 思 ひ 及んだ のであった。 個性が 藝術的 製作の 中心なる と 云 ふ^は、 ^^に 

於て 乾み 難い 所で あらう。 然し 藝術冢 が 己れ の 個性 を 取り扱 ふ 態度に 於て は、 おしなべて 一様で あると はろ.. 

勿論 出來 ない。 從 つて 自然と 製作 物との 問に 立つ 個性が、 其の stamp を 作物の 上に 極大に 現 はす か、 極小に 现は 

すか、 と 云 ふ 問題が 考 へられねば ならぬ。 換言すれば 個性 を 本位と すべき か、 概念 を 本位と すべき かと 、、>^^ 

になる。 此の 點 から 見て 私はゴ シック 藝術は 前者の 代表者で、 クラシック 藝術は 後者 を 代表す る 者で あると-. ム へ る 

と 思 ふ。 

前に も 云った 如く クラシック 藝 術に は、 美の 內容 に對 して 一定の 制限が あった。 卽ち 美と 云 ふ ものに 對する W 

定 した 概念が 出 來てゐ て, 藝術家 は 其の 概念の 前に は 一個の 盲目なる 奴 僕で あるべく 要求され た。 ^に ム代 にあ 

つて は 其の 所謂 美の 概念なる もの は、 美 を 見る に 鋭敏なる 國民 性の 發露 として、 祟髙 端整 を 極めた ものであった 

爲 めに、 藝術 家は樂 しんで 自己の 個性 を 其の 概念 中に 浚 却した ので ある。 然るに ゴ シック 藝 術が 北 ハの發 ^のな 

に 達した 時 を 見る と、 自由 都市 內に 於け る 人民の 生活 は、 最も 自. S な 平等な 生活であって、 各 O が..;::: 「しの. 向 w A し 

發镩 すべき 自由 を 得た 事 は、 當 時の 一 建築物 內の柱 冠が, 匠 人 毎に 其の 形 を 異にして 居る のを见 て も^かで あ 

る。 叉 復興 文化の 發源 地が 伊太利に あるに 反して、 ゴシック 文化の 源 一 H は 未だ 傳說 ぉ惯 を^せ ぬ 佻 にわつ ハ 

が爲 め、 自ら 己れ を 律す ると 云 ふ 態度が 盛に 發撺 せられた ので ある。 成程 一見す ると ゴシック 時代の 吣 刻 は H れ 

も 同じ 典型の 中に 籠 めら れて區 別 を 認め 難く、 私の 主張 を 否定す る やうに も 思 はれよう が、 仔細に a お/るん-^ 

の 多數は 建築物の 附羼 品と して 製作され たもので, 形に もボ ー ズ にも 越え 難い 建築 上の テク - ックス 限が あ 

叛逆 者  ニニ 五 


有 島 武郞仝 集 笫五卷  I 三 六 

つた 事 を 同時に 考 へて 見ねば ならぬ。 若し 希 臘ゃ羅 馬に 行 はれた 樣な、 彫刻の 獨 立が 可能で ある 場合 を 想像した 

ら、 ゴシック 造形美術の 華やかな 發展が どれ 程で あつたか は、 に はかに 摩する 事が 出來 なから うと 思 ふ。 アミ 

アン、 ノ ー トル ダム、 コ nl ン、 -1 ュ ー ン ベル ヒ 等の 寺院に 參 して 自分の 驚異した の は、 前述の 理由で 非常な 製 

作 上の 制限 を 受けながら, 其の 製作 品の 中には 自由な 確實な 個性の 浮動 を 見得た 事であった。 此の 傾向 は 繪畫の 

方で、 ビザ ンチュ ー ムの 平板 單 一な 類型的な 描寫 が、 チマ プェ、 、ヂ オット、 アン ジ H リコ 等に よって-俄然 侗 性の 

反影 を 見る に 至った 事實 によっても 窺 ひ 知る 事が 出 來る蒈 である、 

而 して 自分 は 此の ゴ シック 特有な 傾向の 復活 を n ダ ン に 於て 認め 得る と 思 ふので ある。 a ダ ン の 製作 品に は斷 

じて 他の 踏襲 を 許さぬ 境地が ある。 巳 タンで なければ 見る 事の 出來 ない 嚴乎 たる 見方が ある。 凡ての 自然 は 一度 

ロダンの 侗 性を經 て、 其の 關 門の 印章 を 受けて 作物の 上に 現 はれて ゐる。 それ故に n ダンの 作品 を 見てから 他の 

一般の 作品に 眼 を 移す と. 色調の 涸渴 した 畫の 前に 立つ 思 ひがす る。 出た 所が 出て 居ない。 引 込んだ 所が 引 込ん 

で 居ない。 意味の ない 美しい 線と 美しい 平面と が雜 然として 積み重ねられて ゐる ばかりで、 有機的の 組織 を 持つ 

て 居ない。 云はビ 影と 日向との 無意味な 結合で ある。 

け ふさく 

それなら ロダン は 全然 狭窄した 主觀に のみ 立って ノ仝 想の 使役す る 所と なった ので あらう か。 全く 反對 である。 

彼 は 嘗て 後進に 告げて、 一本の 手で も 一本の 足で も かま はない から、 征服す る 積り で 研究 をし ろ。 其の 手な り 足 

なりに 就て 一 つの 知識 も 取り 殘 してない 迄に 綿密な 執着 をし ろ。 執着 をし ろ。 一度 手 を 着けた もの は 征服す る 迄 

放すな と 云った と 聞いて 居る。 これ は 彼の 放 1  一一 口で ない に 違 ひない。 彼 は 事物の 認識 は 到底 主觀の 外にない 事 を 悟 

つた。 所謂 美の 標準と 云 ふやうな もの も、 畢竟 幾多の 古人の 主觀の consummation に過ぎないと 觀 じた。 自然に 

對 する 純 客觀的 態度と 云 ふやうな 事 は、 理論に よって 割り出された 空想に 過ぎない と 知った。 然 らば 自己の 侗性 


にして 擴 大して、 權威を 以て 美の 傳說 的標 ,を さく  (-と 批判す る 事が 出來る やうに さ へ なれば、 苦しん て 他人の 

歩いた 道 を 追 ふ 必要 はない。 獨 立した 米國 は英國 に, つて 王政 を 布く 必要 はない。 米阔は 大威張りで 共の^: しと 

する 共和制 を 行 ふの が 當然の 筋道で あるし、 それが 最莕 の處 置で ある。 耍は 強大な 倘性を ^立して、 共の M ハに 

よって 萎えた る 人民の 爲 めに 新たな 世界 を 開拓す るに ある。 か \ る 態度 を 以て 口 ダ ン は 新たな 要求に^ じたの 

だ。 卽ち彼 は 新たな 眼 を 開いて 世界 を 新たに 見渡した ので ある。 彼の 製作 品 は, H 然を 無み した 彼の ゆで はなく 

て、 新たな 眼に よって 見られた 昔の ま、 の 自然で ある。 彼の 作品 は 自然と 彼の 侗性 とが 取り結ぶ 婚禮の や 脉ひぁ 

る。 製作 品 を 通じ て 彼 は 自然 を 抱擁し て 靈と 肉と の 交り をな すので ある。 

かくて 自分 は最 一度 r 聖 ジョン」 の 像 を 熟視した。 「祌 の國は 近づけり、 悔い改めよ」 と をた けぶ ョハ や: に、 "I に 

にも 詩に も 彫像に も 飽き 一る 程 接した が、 「我 は爾 より バブ テス マを受 くべき 者なる に. 爾^て 我に 來る 乎」 と 一. ムふ 

コ ハネは C! ダンに 於て 始めて 意義 あり 權威 ある 表現 を 得た と 思 ふ。 (これ は 固より.!:: 分; 侗 のかの 彫 悦に對 する 

interpretation である。 ロダンが 如何 云 ふ 積り であるか、 他の 人々 が 如何に 考 へて 居る か は 些か も 知らない 0 だ、 

これ 實に ヨハネが 生涯の 絶頂で ある、 ヨハネが 使命の 最終で ある。 野 蜜と 蝗 とで 瘦 せに 瘦 せて、 と^ 慨 とで 

劍の 如く 險 しくな つた 其の 顔が、 神の 子に 遇へ る歡 喜と、 永遠の resignation と を 以て、 幽かなる 微ゃ 、のお 衣した 

その sudli ョ itp と lathos とよ。 ョ ハネの 生涯 を 尊ね て かくまで 緊迫した 一 瞬 を 捕へ 得た ロダンの 心 は 靴^く も 

尊いで はない か。 旣に ヨハネの 心裡に 投入す る 事に 於て かくまでに 深 W な 眼識 を 示した 彼 は、 其の^ 八;: のや^ = を 

體 現すべき 祌の 如き 手腕 を 持って ゐた。 傳說 を超脫 した ョ 尸 ネ は傳說 を超脫 した 技巧に よ つて 現 はれれ ばなら 

ぬ。 ^して 一 つの 肉 も 一 つの 筋 も 悉く 彼 自身の 新たなる 眼で 研究し 盡 した 筋で あり 肉であって、 か、 ろ^ 作ん, ゆ 

に洪 せん 爲 めに は、 斷 じて 古人の 糟粕を 嘗めまい と 云ふ覺 悟が、 見る 人 を 威晴 r る稃 である。 殊に 小 *  ノぺ - ヒ 

叛逆 者  ニニし 


有 わ 武, 全集 笫五卷  一 三 八 

クん かふ こつ  しぶ 

イド」 の 痰せ てあら はなお 肋骨の 邊り, 腰部の あたり、 人の 全く 注意 を 怠る 所にまで、 勢力 を 搾り 盡 した 努力の 

跡の あるの を 認めて は、 眞率 敬虔な 天才の 態度の 崇高に 打 たれて、 こんな 尊い 活き方 をせ めて 半日で もして 見た 

いと 思 ひ 入った。 

畫 堂の 表! n を 押した 時は旣 にた そがれて 居た。 街燈の 光が 燐の 樣に靑 # 色い 光 を、 雨に 濡れた 歸石 になげ て、 

人の 往来が せ はしく 見える。 「銅の 時代」 は佼 然として 深い 1: 祕を藏 しながら、 絕大絕 偉な 技巧に よって 創造 せら 

れた 全身 を、 夕噔に 包ませて 立って ゐる。 

六 

いちる 

「銅の 時代」 以上の 祌祕は 「アダム」 から 溢れて ゐる。 骨太な, 肉の 逞しい 體格 は、 一縷の 活氣の 通じた 爲め 

に、 からく 地上に 立ち上って ゐる。 左 肩 を 稍ノ聳 やかして、 兩手を 力無げに 垂れて ゐる。 その 指先き に はま だ活 

力が 行き渡って ゐ ない らしい。 左の 肩 Q 上に 深々 と 垂れた 首 は 未だ 眠って ゐる。 しかも 存在の 意義が ほの^^と 

曙の やうに 顏全體 に 染め出されて ゐる。 殊に 驚くべき は その 顏 である。 額と、 鼻から 眼に かけて と 、雨 方の 頰と、 

口より 顎に かけて と、 此の 五つの 部分が、 あると も 云へ ぬ 調和の 中に 堅められて、 精妙な、 强靱 な、 素 厚な 相貌 

を 成して ゐる。 而 して その 凡て を 深く 包んで ゐ るの は、 晝の やうな 明かな 神祕 (若し こんな 造語が 許されるなら 

ば) である。 

嘗て ロダン は 天才に 特有な 深甚なる 徹視の 力に よって、 神 祕的崇 美の 權 化と 見ら る \ミ e のヴィ T ナス を 評し 

て、 其の 彫像の 古今に 冠絶す るの は、 それが 何 處迄も 一 個の 女で あるから であると 云った。 0 ダンに 取って は 此の 

地上の 生活 その 者が さながら にして 神祕 であった の だ。 新しい 生活に 神秘の ない と 云 ふ 人 はロダ ン の 製作に 眼 を 


船す がい >, と 思 ふ。 クリン ゲル ゃスッ ックの 祌祕を 謎の 如き 神祕 だと すれば、 ロダンの 神祕 は、 神秘 そのお である. 

我々 が 唯の 人間 を 眺める 場合、 如何 かした 拍子に、 その 人が. i つの 神祕 として 現 はれる 事が ある。 其の 人 は 平々 

凡ケな 一 人の 人で あるつ 明白に 一個の 普通な 人で ある。 何の 謎 を も 祕密を も 持ち 合して は をらぬ。 しかも: 牛 凡.^ 

常な その 人の 全體 が、 宇宙 大な 神祕 として 我々 の 全 靈を慄 はすので ある。 陸の 極まる 處は 海に 述 なるやう に、 凡 

て もの i 突き 當 りに は 神祕が ある。 この 神祕は 昔と 同じ 大さを 以て 新しい 生活に 附 きまつ はって 居る。 义 うるさ 

いやう では あるが、 自分 はこの 種類の 神 祕をゴ シック 藝 術の 中に 見出し 得る と 思 ふ" 切言 すれば クラシックお 術に 

は! &祕 なる もの はない。 若し 强 ひて ありと すれば、 それ は 謎で あるか、 比喩で あるか、 若しくは ^意で ある" 此 

の阽 にで ご クラシック 藝術は cnsual な藝 術で ある。 然るに ゴ シック 藝術 となると もっと 切^つ まって ゐ ると でも 

云 はう か、 當 時の 人間の 生活と 密接して ゐ たと でも 云 はう か、 一種 人 問と 絶緣 する 事の 出來 ない、 それ故に^ め 

て祌祕 的な 奥妙な 力が 其の 製作 品に 籠め られて 居る。 それ を 最もよ く體 現した もの は. 恐らく は、 ゴシック.. 乂化 

の 最大 遣 物の 一 つなる 寺院で あらう。 固より 寺院が 神 祕的倾 向 を 現 はすと 云 ふ 事 は、 ^将敎 殊に 中世 紀^^ その 

物の 固有 性に よる 事 も 多から うが、 一 面に 义ゴ シック 藝術は 其の 神 祕的倾 向 を 最も 切 實に現 はし 得た とも.. ム へる 

の だ。 口 ダンが 大抵 日曜日 毎に 行って 瞑想 を 凝らす と 云ふノ ー トル ダムの 如き も實に その 一つで ある。 ノ ー トル 

ダム なれば こそ クヮシ モドが 現 はれても ェ ス メラ ルダが 捕 はれの 身と なっても、 一つの まとまった 口 ー マンス と 

なる ので ある。 巴 里 雜沓の 中心に ありながら、 宛ら 太古の 大 森林 を 思 はせ るの は、 この 大伽 藍^. は、 で、 ステ f ン 

ド. ダラ ス にあた る 日が、 蔭ったり 明るくな つたり する 度に、 百の 色 千の 綾 は 石疊の 上に 現 はれた り^れ たりす る: 

アブ ス の 壁 際に ある 厚 彫りの 樫の 椅子に 腰を下ろして 聖龕を 見 つと、 眞 暗な 隅に お; の 如く. S 婦の ともし 殘 ー た蠟 

燭 がー つ 燃えて 居る。 赛錢を 集めに 來た憒 侶の 足音 は、 宛ら 大風の 如く 百呎 にも 餘る 天井の 隅々 まで^いて そ 

叛逆 者  一三 ゾ 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  一四 o 

れ がまた 遙 かな 地上に 降りて 來る 頃に は、 かの 足音の 主の 姿 はもう 見え なくなって ゐる。 時限と 方 處とは 此の 寺 

院の 壁で 切斷 されて、 玆には 我々 が 得 知らす にゐた 新たな 世界が 開けて ゐる事 を 感ぜす に は ゐられ ない。 。ダン 

の 作物に も、 明かに かう い つた 一 種の 感じが 漂うて ゐる ではない か。 

ロダンの 「アダム」 を 見た 人 はすぐ フ ロレン ス なる ミケラ ンジ ヱ 口の 「捕虜」 を 田 5 ひ 起さす て は ゐら丫 まい。 

は ダン は 恐らく は 「捕虜」 に 眺め 入った 事が あるで, あらう。 而 して —— 自分の 勝手な 推察が 此の上 許さる、 なら 

ば  その ボ ー ズを 取って 「アダム」 を 創出した ので あらう。 ミケ ラン ジ H  口 と ロダンと 何れが 大 なる 天才で あ 

るか は 自分 は 知らない。 然し 彼 は 「捕虜」 として 餘 りに extravagant なミケ ラン ジ h  r! の デザインが 「アダム」 と 

して 最も 大 なる 成功 を牧め 得べき を 見て取った。 而 して 我々 の 面前に は 今、 我々 の覺醍 第一 瞬を體 現した 永久の 

記念碑が 生れた ので ある。 「捕虜」 の 中に 眠りつ \ あった 神祕 は、 「アダム」 に 於て 我々 の 前に 曝された ので ある。 

我等の 前に は 二つの 態度が 提供せられ 始めた。 文藝 復興 期の 心 を 以て 舞 ふべき か、 ゴシック 盛時の 心 を 以て 歌 

ふべき か。 凡ての 人 は その 二つの 間に 選ぶ の 必耍に 迫られて ゐる。 一方 を 選ぶ の は 時代の 寵兒 たる 事で ある。 妝 

あへ 

を 選ぶ は敢て 叛逆 者た る 事で ある。 而 して 自分の 信す る 所に よれば、 かの 柔和で 謙讓な & ダン は、 イブセン、 ト 

ルス トイ、 マネ ー、 セザ ンヌ、 ホ ヰット マン 等 近代の 巨人と 共に、 居然たる 叛逆 者の 頭目で あらねば ならぬ。 

(一九 一 〇 年 十 一 月、 「白樺 ロダン 記念 號」 所載) 


• 泡 鳴 氏 へ の 返事 

小生の 「も 一度 二つの 道に 就て」 と 云へ る 感想文に 對し、 去年 早稻田 文事 十一月 號に 御揭戟 なされ 候 御 批評 は 

旣に 一 讀 致し 早速 御 答申すべき かと 存候得 共、 兎角 議論と 申す もの は 十 中の 九まで は 文字の 末に 泥み て m の 木 源 

を 閑却し、 結局 字句の 爲め にいらぬ 奉公 を 致す 馬鹿らしき はめに なり 勝ちに 候へば、 御返亊 は 致す まじと お. おへ 

居候 得 共、 先頃 白樺 社に 對し 特に 御 申 越しの 次第 も 有 之、 十 中 九まで は 無益な りと も 十 中 一との 便り も ある^な 

れば、 かたぐ 御 返事 致す 事に 思 ひかへ し 申 候。 六菖十 菊の 嫌 ひ は 不惡御 諒察 下され 度 候。 

御敎 示に よれば 貴下 の 定義せられ たる 藝術 上の 主義と は、 

「藝術 上に 人生 を 如 實に觀 する …… (に は) 必す 見識と 修練と が 必要 だ。 且つ 修練と 見識と が^ 術^の 獨创的 人格 

と 一 致した 時に 於て 最も 多く 意義 ある ものと なる ので ある。 僕 等の 主義と 云 ふの は それで ある。」 

と 申された ると、 

「主義 は藝術 家の人 格と 生命と である」 

と 申された る 御 一 一ー 一口 葉に 盡 きたりと 存じ 候。 これ はさりながら 餘 りに 平凡なる 御 申 條に無 之:^ や e  ^も^ 術に 係 

り 合 はんもの にて、 此の 覺悟 なきが 果して 有 之 候べき や。 藝術 家た らんと する 以上、 他と 混 问 せざる 獨创的 人格 

を發 揮す るに 勉 むべき は 同よりに て、 これと 一致した る 見識 を 養 ひ 修練 を 遂げん と心懸 くべき は、 赤 P が^ を 便 

泡 鳴 氏への 返事  一 四 ! 


お 島武 郞仝蕖 笫五卷  一四 二 

り, 少女が 装 ひする と 等しく、 更に 他の 奇 なき 家常 茶飯事と 存ぜ られ申 候。 餘 計な 推量 か は 存ぜす 候 得 共、 假り 

に責 下が 第 一 一流 第三 流に 墮 したりと 罵り 給 ふ藝術 家に 對し、 貴下の 提唱され たる 藝術 上の 主義なる 者 を 披露 致し 

候 はんに、 其の 人々 は 直ちに 答へ て、 左様の 事 は 云 ふまで もな き 沙汰な りと 申し 候べ し。 尤も 內容が 普通 尋常な 

りと て 主義に なり 兼ね 候 理由な き義 は、 萬々 承知 致 居候 得 共、 さりと て それ 程の 事 を 主義 呼ば はりして、 徒らに 

世の中 を 小面 倒に 致 候 必要 は、 乍殘念 小生に は 認め 難く 候。 肉 茱兩樣 の 食物に 活 くるが 常例なる 我等の 生活に、 

菜食の みに て 押し通 さんと 企つ る もの あれば こそ、 茱 食と 申す 主義 も 聞こえ 候に、 常例の 食事 をな せる 人、 我 こ 

そ は 肉 茱兩食 主義な りと 名乘 りを揭 げん も 異な ものに は 候 はす や。 

はたまた  .S にしへ 

將又藝 術 家の人 格と 生命と が 主義な りと 仰せられ 候 御主 張 も 如何にも 潔く 且つ は 高遠に て、 かの 古の 豫言 者の 

獅子吼な ど さへ 思 ひ 起され 候 次第ながら、 これ 亦 文字の 儘に 解し 候 はビ、 主義と 云 はん は 業々 しと も 業々 しき 限 

りと 存じ 申 候。 藝 術と 云 はす、 眞 面目なる 生活 的 態度に ありて は、 人格と 生命と が 根柢 を爲 すべき 義は、 餘 りに 

明白なる 事實に 候。 斯 くの 如き を 主義な ど 申して 喋々 致し 候 事、 實 生活に 對 する 一種の 侮辱な りと 小生に は 愚考 

致され 候。 

耍之責 下の 仰せられ 候藝術 上の 主義なる もの は、 餘 りに 普遍的に して 他 を snvince する の 要な きもの なれば、 

主義と して 存在す るの 餘地 全くな きものと 斷じ 候。 

さりながら 貴下の 主張せられ 候 藝術的 態度の 實行 程度 如何と 申 候 事に 至りて は、 云 ふべき 事 は 極めて 潤澤 なる 

ベく 候」 氣 カに 思 ふに 貴下 御所 論の 歸結 する 所 も 此の 邊に 候なる べし。 卽ち 低徊趣味 とか 『あそび』 主義と か 其の 

他 貴下が 第! 一流 第三 流に 數 へられ 候べき 藝術的 態度 は、 貴下の 仰せられ 候 主義の 實行 足らざる ものな りと 單に御 

お 慮な され 候 義と存 申 候。 さらば 伺 上 候が、 貴下 は 架して 御 提唱 相 成 居候 主義の 體現を 全うせられ 候 や。 小生 は 


貴下が 誇大妄想狂に あらざる 限り、 又 努力と 進歩と 申す 事に 信仰 を 有せられ 候 限り、 以上のに におして W と 答 z  o 

るべき を 信す る 者に 候。 獨創的 人格と 見識と 修練と が 三拍子 揃うて 調和に 入り 候嗞 は、 共の 人の 飛踨 が^^ を^ 

げたる 驟 時に 候の みならす、 第一 そんな 事が 人間と 名のつ く社會 にあり 得べき 事に は 無 御座 候。 結^ 下の^ぶ 

藝術的 生活の 三 要素が 互に 相尅 し相爭 ひ、 交る. <\ 上に なり 下になる 所に、 人 問 世界の^ 相 も 成就し、 逃^ ひノ 力 

の 影 も 認めら る-に は 候 はす や。 卽ち藝 術 的 生活 三 要素の 體 現と 云 ふ は、 捕 ふると 共に 消え 失する? - ョ 0ボ き 

にて <  g ひて その 捕捉 を 主張 候 ひしと て、 そ は 畢竟 程度の 問題に 過ぎす。 貴下の 藝 術が 一等な り 他の 爇 術が ニ^' 

三等な りと 痛 呼せられ 候 意氣は 愛すべきに 似 たれ ども、 五十 歩 を 以て 百 歩を嗤 ふ 謗り は 免れ 給 はざる ベく 候。 

且つ 人格と か 生命と か 修練と か 見識と か 仰せられ 候 得 共、 小生 は 其の 內容を 一 曆 明瞭に 承知^ 咴候 J 社お が 公に 

知り 得た る 貴下の 御 生涯 竝に 貴下の 御作 品に 現 はれた る 人格 • 修練 • 見識 を 標準と して 其の 內容と 定め 候て お 支 無 

御座 候 や。 貴下の 藝術的 主義の 定義より 推せば 左様 致さす 候て は 却て 理に 悖る 次第と 相 成 巾 候。 ^して 然 らば 小 

生 は、 貴下の 人格 作品が 貴下の 稱 せらる、 第二 第三 流 藝術的 人格 作品に 比して、 一頭 地 を抽ん する 所以 を 知る に 

苦む 者に 御座 候。 貴下 は 此の 如き 人格と 此の 如き 修練と 此の 如き 見識と がー 致したり とて、 ^正なる^ あに 於け 

る 藝術勺 主義が 成り立ち たりと 思 召され 候 や。 獨創的 人格 を 或る 程度 或る 範 園に 制限し 終って、 これに ふさ はし 

き 修練と 見識と を 造り 出す は出來 難き 儀に 候 はね ど、 小生 一個より 申 候へば 聊かも^ ましと は^ 不 屮^。 小^ は 

寧ろ 其の 犬なる 矛盾に 驚異 せん 方 を 擇び申 候。 

最後に 申 添へ 候が 主義の 主張 も 批評家が 致す 沙汰なら ば、 小生 は それまで を 拒む ものに は鲁 S. おお さる" - 

の 思潮 を 統一し 若しくは 歷 史的に 取扱 ふ 場合に、 批評家が 同じ 傾向の もの を 採り^ めて それに 或る 屯^の 名 を 附 

する は 勝手 なれ ども、 藝術 家が 何故 自己の 主義なる もの を 人の 前にて 喋々 する 必要お 之 候 や。 人つ、.^  : 

包 鳴 氏への 返 $  "卩三 


有 鳥 武郞仝 集 第五 卷  一 3£ 

ると 屮し候 は 自己 獨 得の 人格 を 通じて 人生 を觀 ると 云ふ義 にて、 左様 致 候 事 を 主義と 仰せられ 候なら ば 主義に て 

差 支 無 之 候へ ども、 藝術家 は 其の 見た る 所 を 忠實に 作物の 上に 現 はせば 足る 事に て、 これにむ づか しくん 叩 名 (, 

へば 心 物、 內 外の 燃燒 合致 的 刹那の 悲痛) して、 人に 强 ふるに 至って は、 藝術家 は 其の 本領 を 忘失した る ものな 

る 事 を 御注意 申 上 置 候。 小生が 「も 一度 二つの 道に 就いて」 に 申 候藝術 家と 批評家と 主義との 關係 更に 御 復讀を 

煩 はし 度 候。 

又 御高 說の 最後の 節に 於て 小生 感想文の 本文に 對 する 御 批評 有 之 「氏 は 『人間 は 相 對界に 彷徨す る もので あつ 

て、 絡 對と云 ふが 如き は 永久に 窺 ひ 知る 事の 出来ぬ 境界で ある』 と 云 ひながら まだ 絕對 其の 者の 觀念を 消して し 

まふ こと は出來 ない らしい」 と 「らしい」 より 論 を 起して, 嚴 しき 鞭撻 を 加へ 下され 候へ ども、 「らしい」 の 上に 

論據を 定められ 候 儀は以 來斷然 御免 を 蒙り 申し 候。 

書きつ r り 候 ま- -に 筆端 禮を 失した る 侗所も 候 は ビ 御高 免 下され 度、 文意の 存 する 所 御 推 讀の程 願 上 候 o 草々。 

(一九 一 1 年、 「白樺」 所載) 


「お 目出^き 人」 を讀 みて 

力; W タ 

老成め いた 事 を 云 ふの を 許して 下さるなら、 は 兄の 作品 は 凡て 未成品 だと 思 ひます。 兄の 文^的 行稅の 彼岸 

は隨分 近から ぬ 彼方に あると 思 ひます。 

批評家め いた 事 を 云 ふの を 許して 下るなら、 僕 は 兄の 作 ni は 他人 ハ ^ て +を 付けなかった 所に 七; なが^ えられ 

て あると 思 ひます。 

此の 二つの 事 は 兄に 非常な 努力 を 要求し、 兄の 將來の 文 舉 的 生活に 苦^と^ 戰 とを掰 すに^ ひない と^ひ ま r 

而 して 僕 は それ を羡 ましい 事 だと 思 はないで は 居られません。 人の 難行 を^むと 云 ふ^は を かしい 伐です が 兄 

は それ を諒 として 下さる 事と 信じます。 僕 は 兄の 「お 目 出た き 人」 を 始めて^ 稿で 讀んだ 時、 不^ 謎に^ た 心 

地に なりました。 而 して 美 装され た 其の 作を最 一度 讀んだ 時 も 全く 前と M じ 様な 感じに 打 たれました" 而 して^ 

の洁果 として 僕 は 何だか トルストイの" What  is  Art?- を讀み 底して^ たい 氣 になり ました。 兄の 作物 を兑 てト 

ルスト ィを讀 みたくな つた 感情の 經路は 自分で も 判然し ません が 兎に角 讀 みたくな つたので す。 而 して 一お 卯 成 

に藝術 論の 最初の 字から 最後の 字まで 讀み 通して、 可な り 委しい 摘要 を 作りました。 しかも それだけで も滿 にが 出 

來 なくなって、 文 藝會と 云ふ靑 年の 團體の 前で 其の 趣旨 を 話しました。 三時 問 たて 綾け にしゃべ つたの は、 ^门 

身が 惘れた 事で、 こんな 事 は 死ぬ まで 無い かも 知れない と 思って 居ります。 Basngarten から 巾^され た: たの.: パ 

^を 簡潔 明晰に 批評して 來て、 其の 凡て を 否定して 立てた トルストイ. R 身の 藝術觀 が、 ^g^c ハ^に どれお^ き 

「お 目 出た き 人」 を讀 みて  1^-/ 


有 鳥 武郞仝 集 第五 卷  一 w 六 

を爲 して 居る か、 僕 は それまで を 研究す る 餘裕と 博識 を 持って 居りませんで したが、 端的に 僕の 心に 受け入れら 

れた トルストイの 意見 は、 强 いはつき りした ものでした。 藝 術と は遊戲 ではない、 享樂 でもない。 理想の 體 現で 

もない。 人が 自己の 經驗 した 所 を 自己の 感情に 於て まざ/ 1\ と 經驗し 返し 得た 時、 其の 感じ を 種々 な 方法で 他人 

に傳 へて、 同じ 感じ を 味 はせ るの を 言 ふの だと 論じた の は、 僕に は價 値の 高い 强ぃ聲 だと 響きました。 これから 

考 へる と藝術 家の 資格 は 直ぐ 決定せられ ます。 それ は 何よりも 先に 藝術家 は 鋭敏な 感受の 力 を 必要と します。 そ 

れ から 廣汎な 同情 を 必要と します。 それから 表 顯の 技能 を必耍 とします。 それ か ら 徹底的の 誠實 を必耍 としま 

す。 それだけです。 

僕 は 兄の 作品 を讀ん で、 何時でも 銳敏な 感受の 力 を 感ぜす に は 居られません。 兄が 兄 自身の 經 験に 對 する 感づ: K 

力 は 痛ましい 程 尖った ものと 僕 は 思 ひます。 僕 は 兄の 作品 を 讀んで 居る と、 兄が 僕の 手 を 捕へ て、 どん, 兄の 

胸の 中に 其の 手 を 押し込んで、 赤い ぬら, C した 心臟の ある 所まで 持って行って、 觸れ觸 れと言 はれる ので、 此方. 

ハ心 がお くれ を 取って、 思 はす たじろく 様な 思 ひ をす る 事が よくあります。 何んだ か 「新生」 にある ダンテが 心. 

贜を喰 はされ た 夢の 事 を考へ 出して、 僕 は 此の 經驗を 兄の 作品に 感謝して 居ます。 兄の 作品 は 他人の 嘗て 手 を 付: 

けなかった 所に 土 臺が据 ゑら れて 居る と 僕 は 書き出しに 云った の は、 少し 違って 居る かも 知れません。 寧ろ 他人. 

の据 ゑた 地表より 深く 土 を 掘って、 兄 は 土 臺を据 ゑようと して 居られる と 云 ふべき でせ うか。 然し^れ にしても 

困難 は 一 つです。 其の 困難な 事業に 兄が 臆せす ぶっかって、 力の ある 限り 働かれる の を、 僕 は 羨ましく 心憎く 思 

ふので す。 表顯 された 兄の 思想に 特別 新しい ものが あると は 僕 は 思 ひません、 又 それ は 博い もの だと も 思 ひませ 

んが、 其の 思想 を 取り あっか ふのに、 兄に は 兄 自身の 經路 があって、 僕 は 成程 斯う 云 ふ 考へ方 も あるな と 驚いた 

り、 こんなに 突き つめられ もす るかと 驚いたり します。 感受 力が 强 くって 執着が 深くなければ こんな 獨創は 出て 


來な いと 思 ひます。 

又 第^-の 徹底的の 誡實と 云 ふ 事 は、 口にし 筆に する には餘 りに デリ ケ ー ト な問题 だと 思 ひます。 誠^の 卞決 X 

は、 若し 神なる ものが あれば 其の 神に 任せ 奉る のが 最上の 事と 思 ひます。 畢竟 各自の 内心の 奥底の ^おで r。 -仪 

は 兄が 誠實 であると 云 ふ 様な 事 を 云って、 自己 を僞善 者と します まいし、 又 兄の 個性の^ R を 犯したくない し^ 

vj ます 

それから 表顯の 技能と 云 ふ 事から 兄の 作を兒 ると、 又 驚かされる 事が あります。 兄に 知識が あっても 使 はない 

のか、 無い から 使 はない のか、 それ は 知りません が、 兎に角 兄 程 所謂 通語 を 使 はない 作お は 無い 様です。 %ん ど 平 

易に 書いた 論文の 様な 筆致で、 兄 は 易々 と 纏綿した 情緒の 葛藤 を精寫 して 居られる のは不 m お 鎖た^です。 兄 は 一 

万 流の 達人です。 而 して 其の 技巧と 思想との 調和 は 申 分がない と 思 ひます a 但し 兄よ、 惚れて はいけ ません。 

兄の 思想が これから 精練 せられて 發展 する 以上、 技巧 も 亦 これに 伴って 行く 必要が あるから であります。 而 して 

そ Q 努力が 成就す る や Kn や は、 僕が 次に 云 はう とする 一 事で 定まる と 思 ひます。 

それ は 第二の 廣汎な 同情と 云 ふ 事であります。 無遠慮 を 許して 下さい。 兄の 同情 は廣汎 だと は如仆 しても- ムハ 

/ム ハと思 ひます。 兄の 作が 未 或 品 だ なぞと 云った の も、 僕 は 主に 此の 點 から 思 ひ 付いた 事であります。 ^は: 一山:^ 

あき  1  I 

暇々 に トルストイの 「戰爭 と 平和」 を 讀んで 居ます が、 其の 同情の 廣汎 なのに は 惘れて 仕 芻 ひました- ^ひない:; ^ 

とい ふ もの は、 そんなら 如 化すれば 養 はれる かと 云 ふに、 感受の 力の 强ぃ人 は 非^な 乩く psyge を 持って W て、 感 

じ を 鋭敏に 働かした^ けで、 それに 逹 する 事が 出來 ませう が、 それと 同時に、 廣く 見、 廣く 接すろ と. パふゴ ; "しむ 

を 得ざる 必要で はない かと 思 ふので す。 (玆 まで 書いて 来たら ラ ンプ の 油が 盡 きて 仕舞 ひました。 叫 くより わ 

方が ありません。 締切までに 間に合へば 宜ぅ 御座ん すが) 人の 事^ は 限りなく 擴大 する もので 乂せ しむべき もの 

お ;: Z 出た き 人」 を讀 みて  一 r 七 


有 鳥武郞 仝集笫 If 卷  I 四 八 

である 以上、 藝術 家の 事業 も 其の 法則に 潟れ る 事 は 出来ない 害です。 兄 は 今 自己の 建立した 堅固な 高い 城郭の 中 

に閉ぢ 籠って 居られます。 シャロット 姬の樣 に 其處で 美しい 錦 を 織って 居られます。 それでも シャ e! ット姬 は 自分 

の 前に 鏡 を 置いて、 それに 寫る 窓の 外の 自然 や 人物 を も 模様に 加へ るの を 担まなかった が、 兄の 織機の 前に 立て 

られた 鏡に は 兄の 姿が 大きく 濃く 寫る 許りで、 窓の 外の 景色 は 幽かな 弱い 光で 兄の 姿の 後方に 昆 やられる 許りで 

す。 ハンス. ト ー マに 見る 様な 感じが 兄の 作品の 凡て を 浸して 居る 樣 にも 見えます。 それ を 僕 は 惡ぃ事 だと 云 ふ 

のではありません。 然し 同時に 兄が 其の 境界に 滿 足して 居られない 事 も 僕 は 感ぜす に は 居られません。 兄が 忙は 

しく 自己の 創造に 脔 心して 側 目 も ふらす に 居られる の を 僕 は 承知して 居ます。 而 して それ を 最も 確 實な眞 正な 藝 

術 的 良心の 發露 だと 思って 居ます。 然し 兄 は何處 まで も 其の 境界に 安住す る 積り ではない のでせ う。 先日 僕の 心 

を强く 動かした 一 つの 偶然な 出来事が 起り ました。 それ は 白樺 社から 送って 來た 二月 號 にある 兄の 「桃色の 家 

を 讀んで 居る と、 或る 頁に べったりと 血 をな すくった 跡の あるのに 出逢 ひました。 僕 は 汚い ものが あるな、 多分 

職工で も、 製本す る 時に 指 を 切った か、 鼻 でも 出したん だら うと 思 ひながら、 成る 可く 其の 頁 を 早く 讀んで 次 

の 頁に 移り ましたが、 其處 にも 指の 先で なすく つた 血が 黑く なって 染まって 居ました。 それで 僕 は 變な氣 になつ 

て考へ 込みました。 桃色の 女 は 灰色の 女と ER と を 相手に あくまで 担ぎ 戰 つたが、 その 灰色の 男の 中に 若し 此の 頁 

を 汚す 樣な血 を 持った 男が 居たら 如何す る だら う。 さう 云 ふ 男の 居る 事が 分ったら 如何す る だら う。 桃色の 女の 

夫と 灰色の 男と は 何んだ か 永久の 敵の 様に も 見える が、 若し 偶然に 1 一人の 手が 握り 合 はされ た 事が あったら、 兩方 

から 思 ひも 設けぬ 暖 みが 通 ふので はないだら うか。 ト ルス トイが 將來の 藝術家 は 第 一 藝術を 職業と して それで 生 

計き 立てる 事 は 無くなる し、 第二に 彼等 は多數 者と 同じ 方法に よって 活計 を 立てる 爲 めに 額から 汗 を 流す であら 

うと 云って 居る 隨分 極端な 言說を も, 其の 時の 僕 は 極めて 嚴 重に 想 ひ 起さ^る を 得ませんでした。 又 普通人の 生 


活から かけ 離れた 生活 をしながら 藝術的 作品 を 提供し ようと 云 ふの は 不可能の 事 だ。 何故と 云 へば か、 る藝 術^ 

の 感得す る 所 は 特殊な 境遇が 生み出し たもので、 普通人に は 理解の 出來 ない 感じ だからで あると: -ム つて^る おな 

ども 僕の 心 を强く 刺戟し ました。 文藝雜 誌の 上に 塗られた 職工の 血。 僕 は 如何しても それ を 只事と 肴 過す る^に 

は 行かない のです。 そんな 事 を 思 ふと 僕 は 兄が 其の 同情の 範 圍を擴 げても^ 支の ない 時が:: いく 來れ ばい、 たレ .^ 

るので す。 さうな つたら 最も 自然に affectation なしに 兄の 技巧 も 延びて 行く でせ う。 兄の:^ £ の爐火 を;^ じて 兄 

のみが 現 はれる 許りでなく、 僕の 様な 奴 も 現 はれる でせ う。 頁で 血 を 拭った 職工 も现 はれる でせ う。 に:^ 

の銳ぃ 感受の 力 は どんなに 齒 切れよ く 活動す るで せう。 兄の 作品 を 讚んで^ 而 E になる 僕 は、 此の ポを 兄に 願 ふ 

以上に 忠實な 進言 をす る 事 は出來 ない と 思 ふので す。 

兄が 自己 を 完成し 得た 時 こそ は 兄が 文舉的 行程の 彼岸に 達する 時であります。 而 して 其の 時に 兄の 据ゑ たに,: :- 

は 他人と は 全く 異 つて、 他人より 更に 深く 据 ゑら れ たものと なる のでせ う。 然し ひょっとすると 斯う 云 ふの は、 

僕が 兄に 惡 魔の さ-やき を傳 へて 居る のか も 知れない のです。 僕 自身の 滿足ゃ 普通人の 滿足ゃ を n ふ はめに, 

の 向った 鏡に 强 ひて 色々 な 物を寫 さう とする の は考へ ものでした。 僕はぢ つと して 兄の 心の 巾の metamorphosis 

を 待って 居なければ ならなかった のか も 知れません。 兄の 心 を 外界に 誘 ひ 出さう とする のは惡 い^でした。 然し 

僕の 心 も 察して 下さい。 

「お 目 出た き 人」 が 出た 時に、 日本の 人 は大體 から 云って 振り向いても 兒 なかった と 云って 好いで せう。 仪は それ 

を 痛快な 事に 思 ひます 。「お 目 出た き 人」 は 日本人 を默 殺して やった のです。 器用な 技巧 や、 山の ある plot ゥ 

んだ 生活と 云 ふ 様な もの さへ あれば やん やと 讃め そやす 今の 批評 界に、 兄の 作品が^ めら れな いで、 默々 の 巾に^ 

られ ようとす るの は、 實 に小氣 味の い 、アイ 口  -1 1 です。 「知られざる 祌に」 と 殿堂の ソ リ ー ズ にセ :3 き迚 ねて ほき 

「お;!:: 出た き 人 I を讀 みて  ; M ん 


有 島武郞 全集^ 五卷  一 五 〇 

ち ざけ 

ながら ボ 1- 口 に對 して 其 Q 信す る 所の 神なる もの を 嘲った 希 臘の學 者 以上の、 自己 所作の アイ a 一一-です。 何故 

彼等 は 作品 を 通して 昆る 事の 出来る 作者の 個性 を、 も 少し はっきり 認める 事が 出來 ないだら うと 怪しむ の は、 怪し 

む 人が 親切 過ぎる のか も 知れません。 坪內 博士が 戲 作者 氣 質の 排斥 を やられてから 何十 年 かになる のでせ うが、 

t の 中 は 依然として 藝術 家を戲 作者と して 取り扱って 居る のです。 日本人が 輕佻 浮薄な 朝三暮四の 國民だ なぞと 

云 ふの は勿體 ない 事共です。 

兄の 前途の 逡遠 なの をお 目 出た くお 祝 ひします。 兄が 笑って 域郭の 窓から 廣ぃ 世界 を 取り入れる 時の 來 るの を 

待 遠し く 待って 居ます。 ^りに 兄の 作品が 僕 を 眞 面目に した 事 を 感謝し ます。 

(1 九 一 1 年 四月、 一 白樺 j 所載) 


又廻覽 手紙 を 出す と 云 ふ 事に 定まった のが 此の 正月で、 小生が 札幌に 居る 餓鬼共の 事 を 十 把〗 からげ に ま:: く は 

自を 仰せ付かった 。但し 小生と は 誰の 事 だか 此處に 披露す る 必要 は絶對 的に ない o 娥鬼 共が 赤い 燕尾服 を^たり ホ 

ワイト • シャツ を 後ろ前に かぶったり、 高 襟で 火傷 見たい な 擦傷 を こしら へたり、 おり もせぬ 鬚 を 延ばして 見た 

り、 牧草の 様な 頭の 毛に 臭い 油 を 施肥した りして、 おたまじゃくし 然と 校門 を 泳ぎ 出してから 十^になる、 ドな 

ひとむかし 

1 昔になる。 十 年と 云へば 日 淸戰爭 が濟ん でから 日露 戰爭が 始まる 迄の 長さ だ。 「十年一日の 如し-と: 1:^ かで 頌 

德表か 何か讀 まれる 連中が 出て 來る 長さ だ。 ダ I ゥネン が 進化論の 種取り を 始めてから 纏まった 意見が 頭の 巾で 

出來 上った 長さ だ。 當年 ちゃき/ \ の 新進 農學士 が 襟 垢の 光る 銘仙 か 何 かで、 小便^ い 御曹子 を 膝の 上に 抱きな 

がら、 右手で 頭の 素; 大邊の 禿げ か- r つたの を ぼんやり 撫で., 見る 程の 長さ だ …… それ だから 人^は^^に しなく 

つち やい けません。 

で、 話 :替 つて 此の 大舉に 五 人 居る 事 は 知らない 人 は 知らない だら う。 誰から 拾 玉に 擧げ るかな …… 兎に^ 此の 

五 人の 事 を 「ぬるま^ 黨」 と 云 ふ 因緣を 知って 居る 人が あるかい。 知らす ば 云って 聞かさう が、 ぬるま 渴 と.. ムふも 

の は 上る と銮 いものた。 五 人の 餓鬼 も 御 扶持が 上れば 上る 程 寒い さう だ II そんな 揚 になら 這 入らない 方が い 、 

など、 まぜ 返して はいけ ない さう だ。 まぜつ 返す と 尙ほ寒 くなる からな I. 共處で 文: f (新 渡 n 氏に よればが..:^ 

小生 は 新 S 戶 氏の 說を 取らぬ!) は 茶釜 を やめて 鼻の 下 だけに プロ フヱ ッソォ ー ル ,バ I ルド とつ ム ふ.^ を ぜ や し 〈 

居る。 舊は 特別の 器械 か 何 かで 特別に ひねり 上げて 居た から、 盜難 除け の" 利  1! があった が 此の頃 はさう でもない, 

同饯生  一 五一 


有 鳥武郞 全^ 第お^  一  五 二 

但し バ ー ルドの プロ フ 丄ソォ ー ルと 云ふ譯 ではなく、 本職 は園藝 だ。 講義が 馬鹿に まづ い。 これ は 特別に 御 通知 を 

して 置く。 共の ま づぃ譯 は 凡そ 人間に は 舌の 下に、 舌 を 下顎に つり 付けて 置く 膜狀の ものが ある 事 を 諸君 は 小 寺 

ベ ンタ によって 知悉され たで あらう。 あれ は 何ん と 云 ひます か, 小生 は 忘れち やった が、 其奴が 文 幅 にあって は 

舌の 尖端までに 及んで 居る から 勢 ひよ いくに 聞く 如き 發音 をす るので ある。 文 幅 は それ を 非常に 淺念な ものに 

思 つ て、 子供が 生れる 度 毎 舌の 裏 をめ く つ て 見る さう だ。 親と 云 ふ もの \ 難 有さ はどう だ い。 我々 餓鬼共の 中から 

も 斯う 云 ふ 親が 出た と 思 ふと 過去が 賴 もしい 譯だ。 此の 親に 一 一人の 御曹子と 一 人の 息女が ある。 爭 はれぬ もので、 

どれ もこれ も 頭が でっかい。 札 幌に來 てひどい 巾着 頭が 見付かったら、 文 幅の 御 落胤と きめて 間違がない e 文 幅 

は 大學に 大きな 栗樹 園と 立派な グラス 人 ウスと を 持って 居て、 飛んでも な. S 時に ト マト を 出したり、 チサ を 出し 

たりす る。 又メ ンデ リズ ム ス のォ ー ソリチ ー である。 纏て 博士論文が 出る から 鶴首して 居た まへ。 但し 博士 號は 

漱石 見た 様に もらって から 慌て  > 返上 する 樣なブ マ はしない さう だ 。文  ー1 は 又 北海道の 園 藝會長 だし、 旭川 公園の 

設計者 だ。 ワイ マ ー ル に イルム 河 を 挾んで ゲ ー テ が 造った あの 有名な 公園も^: 旭川 公園の 前に 顏 色がない の は 云 

はで もの 事で ある  と當人 はやに 下って 居る と 云 ふ 事 を 聞いた 事が ある 。それ はさう であらう と 思 ふ 。それ は^ 

て 置き 此に又 半澤の 坊ちゃん は 大分 齢 を 取った。 木 村 狐の ちゃんく が 去ん ぬる 叫 十一 一年に 洋行 歸 りで 札 幌に來 

た 時、 坊ちゃん 鞠躬 如と して 狐の ちゃんく の 前に 進んで、 久濶 を 序した 所が、 さすが は 狐の ちゃん/ \ だ、 いや 

に 澄し 返って 「君 は 誰 方でした かナ」 とやつ たんだと よ。 然し これ は强ち 狐の ちゃんく の 罪ば かりで はない。 坊 

ちゃんに は旣に 三人の ス ボアが ある。 或る 皮肉 家が 坊ちゃんの 細君のお 腹が 小さくな つたら、 構 はない から 「お 

い 君 今度の は 何時 だい」 とやって 見ろ、 さう すると 坊ちゃん はに やり- {\ やりながら 「此の 十月 だよ」 とか、 「此 

の 十三 月 だよ」 とか 答へ るから 面.: n いと 云って 聞かせて 吳れた 事が ある。 まあ そんな 次第 だ。 是非 もない 次第 だ。 


で、 坊ちゃん は 扣變ら すお となし くって 何 かこちよ- (- やって 居る。 、しク " オヤ ー ガ 一一 ズ ムを いぢく つて W ると 

あ、 なる 者と 兑 える。 小 兒枓の 御醫者 様が、 い やにに た/. \ す るのと 问じ^ 則に 從ふ もの だら う。 一寸 例へ て は 

れば: 級會 があった 晚でも 唯 は歸ら ぬ。 サ イダ ー の 栓の裏 を 引つ ばが して、 コルクが ^くな つて 店る のを兑 ると 

やたらに 幾 個で も ポッケ ット の屮に 押し込んで 行く。 而 して 其の 翌々: :: 位 先 A の敎 室の 黑 板に は、 シク ロコ" クス、 

サ イダ リイと か 何ん とか *J いてあって、 生徒が 乎, ぐす ね 引いて それ をノ ー ト ダウンす ると 云 ふ^だ (^だよ つ W 

しろ 坊ちゃんの 敎室 はかび 臭い もんだ。 其の 中に 端然と 構へ てァ  一! リン 色尜か 何 か を いぢく り 廻して W る 所 は、 

夭 晴れ 植物 攀者の 謀叛 人 だ。 從っ^ 化學の 殉敎者 だ。 そら^ 給へ、 物に は 何時でも 二 面が ある。 スヰフ トのァ 力 

, テ ミ! ォヴ. ラガド ー と 云 ふ もの を やらされた つけな あ。 坊ちゃんの やって^る^ は、 あすこ いらから 來 たもので 

はない かと も 思 はれる。 いまに 胡瓜から HI 光が 取れない とも 限らない よ。 諸君 は 坊ちゃんの 雜草 g;- と-. ムふ もそ^ 

んだ桌 が あるか、 讀 まなかったら 讀み 給へ、 買はなかった ら買ひ 給へ。 あれ は 坊ちゃんが 桢物 に 永遠の; ^^を 

する 記念の 出版で、 マダム-口 ー ランが 首を切られる 前に 慨然と して、 「あ、. よ、 汝 C 名に よりて 如何なる^ 

事 かなされ ざり しぞ」 と 獅子吼し たのと 同じ 調子の 本 ださう だ。 悲壯な 本で はな. S か。 

森木バ ンド. マスタ ー は 相 變らす 頭と 目玉と が 大きい が、 近頃お 腹まで せり 出して 來た。 純..^ 經^ ゆ 助敎校 小以 

て敎務 主任 を 兼ね, と 何んだ. か.^ 罾に 聞え るが、 實際 大^なん だから 仕方がない。 此の^.^ 隣の 大工 小 おか 

ら 火が 出て 燒け 出された。 藤田瑗 氏の リヅ ム說 によると、 森 本の リ^ム はた 口 本 帝^ 竝に^ 北 帝^ 大 m^^&w 

の リヅム と 規をー にして 居る さラ だ。 で 東北で 大水 害が あった 年, 大^で 大工 小屋が 燒 けた 年に、 夫予 の々,:: 小:: も 

燒 けた 次第で ある さう だ。 これ を 反對 にして- 考へ ると、 森 本が 免職になる 年は大 R: 木 帝 M が 滅亡す る 年で、 :! 時 

に柬 北帝阈 大舉 農科 大擧 が廢. ^される 年になる。 父國を 愛し 母校に 忠なる ハ 餓鬼 諧^、 猪^ は 共の、 ff^ に,:: ふ ほな 

同^生  1 五!: 一 


有 鳥 武郞仝 集 笫五卷  一 五 四 

らんが 爲 めに は 何 處迄も 彼 を 免職せ しむべき でない のであります。 先生に は 文 子 孃と云 ふ お嬢さんが 居る、 當年 

取って 花の 二 歳、 中々 怜 悧な兒 で、 幼に して 新聞 を 弄ぶ 事が 好きだ。 そこで 細君 一 日お 孃 さんに 新聞 を あてがって 

置いて、 臺 所の 仕事に 從 事した の ださう だ。 所がお 孃 さん 「當世 學生氣 質」 をなら つて、 ノ ー トを 鵜呑みに する 

積り であった か 如何 だか 知らないが、 翌日に なって 見る と 黄金 變 じて 經 世の 文字と なると 云 ふ 稀 有な 現象が —— 

ことわ 

話が 下って 失禮 だが とか 何ん とか 斷 るべき 所 だ —— 雪隱で 持ち 上った の ださう だ。 これが 昔で あったら 「南無 大 

日 如來」 と 云 ふ 文字 をに ぎった ま-生れ たと ある 弘法と 一所に される 所で あるの だが、 惜哉文 子孃時 非に して 今 

だに 森本バ ンド • マスタ ー の 一 令孃 として 目 を ぱちくり させて 居る。 

もと 

次に ひかへ ましたる は、 東海の 林 カスべ の 君で ある。 御 心配な さるな 鼻の 形 は 故の ま& であります。 所が 姿 は 

花む こに なつてから 一 段と 上って、 後ろ姿で も 見せたら 何處の 貴公子 かと 思 ふ 程 だよ。 尤も 本人 は 始めから 貴公子 

の 積り で 居る のか も 知れない が —— で カスべ 早速 一 子 を 設けた。 鼻の 點は 小生 未だ 點檢に 及ばない から 何とも 保 

證 が出來 ぬが、 矢張り 窬麥 はう は^みの 様に 喰 ふ 事で あらう と 思 ふ。 媒介 人なる 舉長 閣下が おなじみの 禿 頭 を 撫で 

廻して 三つ 名 を 選んで やった。 カスべ これ を携 へて 紀元節の 祝賀 式に 敎官の 寄り合った 中に 持ち出して 各々 の 意 

はじめ 

見 を 求めた、 其の 三つの 名と 云 ふの が 元、 德藏、 勤と 斯う だ。 毒舌 家の 高 岡 先生 は、 普通 作物の 先生に は 德藏が 相 

まぎら 

當だ、 杏兵 衞 なら 尙 ほい &と云 ふ。 結局 德藏に は 木 村 狐の ちゃん/ \ が 居る から 紛 はしい と 云 ふので、 勤が 選に 

這 入った。 元は カスべ と 音 相 通す と 云 ふ譯で 否定され たので はない。 これ は 勤 君の 名 譽の爲 めに 辯 じて 置く。 力 

ス ベが 早 川 顽鐵と 兄弟分に なった の は 些か 振って 居る。 大いに 超然と やる 事 だら う。 坊ちゃん も カスべ ももう 洋 

, さ i 

行して い、 時分 だが、 世の中が 馬鹿に 複雜 にな • つて I 分る だら う II 未だ 何等の 消息がない。 小生 聊か 齒の根 

がぎ り^ \ 云 つてる 次第 だが  下らない 熱 はやめよう、 追々 暑氣 になる からな。 


一番 後から 大攀に 這 入って 來 たのが 有 島の ミュル だ、 大舉 の豫 科に 英語の 敎師を やってくす ぶって 居る。 例の 

如く 耍領を 得ない 男 だが、 當人は 其の 耍領を 得ない のが、 何 か 一 かどの 功名で^-も ある 様に 忍って 店る から,: や III: 

難い。 此の 大舉で 先年 満洲から 来た 驢馬 を ボー 一 ー にかけ て 日本で 始めて ミュル が出來 た。 共 奴が 韓人 ^ が は. 

時に 大 面で 拜謁 仰せ付かった。 本家本元の ミュ ルは舉 長 付 主事と か 云 ふので、 驥尾に 附 してて くく やつ 一し, し., 

其處を 不^識と も 何ん とも 思 はない らしい のが 一寸え らい、 神經 でも 過 鈍な の だら う。 近來は 「白樺」 と 云 ふ.^ 

藝雜 誌に、 小說 なん ぞを 書き はじめた。 札 幌農舉 校から 色々 な 種類の 人 問が 出た が、 未だ 小說^ は 出ない と-. ムふ 

のに 昆 込み を 付けた ものら しい。 こいつ は 少し 要領 を 得 過ぎて 居る やう だ。 ミュル にも 兒が 出來 た。 共の 名 を敎 

へよう か、 驚くな よ —— 行 光 —— 源平 時代が シルク ハ ットを 被って 足駄 を はいた 夢から 思 ひついて 忖 けたれ だ… 

うだ。 

今度 は 銳眼を 道廳に 向ける と、 其 處には 名物 男ネン カン 和 尙と勘 平と がお る、 ネン カン は 北海道に 缺く ベから 

ざる 巡囘 講師 だ。 「二階から 目藥」 主義 だと か、 「橋の 下の 力持ち」 主義 だと か 云 ふ S 粱敎投 法を發 明して 盛に 吹き 立 

て& 居る。 吹き 立て-居 るが 惡 ければ 鈹 吹して 居る。 長男に 稻 雄と 云 ふの が ある。 共の 名の^ は^^の^ だが 尬 

の 方の 故事 來歷 は、 小生 も 穿鑿が してなかった。 非戰 主義なる ネン カン は、 玩其 にで も鐡 砲と か劍 とか は あてが 

はない。 世界 同胞、 王義 なる ネ ン カン は 萬 歳と 云 ふ ベ き 所に 宇宙と 云 はせ て 居る。 所が 稻公 恐ろしい ^£、.— にお ^ に.」 

國者 だ。 客の 卷 煙草なん ど を 火に くべ る 位 は 朝飯前で、 乃父 を 世界 第一 の ものと 思って 居 るんだ からな。 然るに^ 

年 稻雄は 二人の 妹 を 同時に 設けた。 卽 ちネン カン 和尙雙 生兒を 生んだ 事になる。 我等 餓鬼共 は 其の 屮の】 人 だけ 

は 是非 官費で 育てようと 云 ひ 合って 居たら 一 一人 共 前後して 死んで 仕舞った。 其の 葬式に ついて 行きながら ミ ュ ル 

が 生後 十日 や 二十日で 餓鬼が くたばっても、 そんな 悲しい もの ぢ やない と 思 ふなと、 こんな 鬼 の^な $ を.. ムふ t 

同級生  一 れん 


有 島武郞 全集 笫五卷  1 £ハ 

カスべ と バンド * マスク !• が 躍起と なって、 そんな 馬鹿 を 云 ふもん ぢ やない。 、不ン カン 和尙 愁然と して、 千と 百 の 

差 は 一 と 〇 との 差より 小 だ、 一 でも 何んでも 此の世に 出た ものが 〇 となる 悲しみ はた まらない、 と 云って 居る と敎 

へて 聞かせて 居た。 ミュル の 奴 自分で 餓鬼 を 持ちながら、 不相變 不得要領 を 云って 居る。 此の 事 だけ は 小生 も あ 

まり 毒舌 を 弄する 氣 がしない。 人の 死ぬ と 云 ふ 事 は 實際變 な もんだ な。 勘 平さん は大 しょげに しょげて 居る と 云 

ふの は 外で もない が、 此の 謙 信、 ガンべ と 云 ふ 信玄を 失った の だ。 さすがの ガンべ も 勘 平の 前に 出る とちよ い- (\ 

I  ■  ,  かなしい かな 

勘 平 を 横目に 睨んで、 お づ(. 杯を擧 げた もの だが、 此の 人 今や 亡し。 噫悲 夫で ある。 ガンべ が 旭川 アル コ ー ル會 

社に 這 入った 時、 勘 平 はお 輕が緣 側で 讀 みさうな 長い 手羝を 送って 友情 的 警告 をした と 云 ふ 話 は、 ブル ー タスが 

私情 を 忍んで シ ー ザ ー を 刺した 大 悲劇と 共に、 古今 歴史の 雙美 である。 勘平嗣 なし 羊 を 養 ふ。 (勘 平嗣 なし は可哀 

相だった、 勘 平 未だ 嗣 なしと 訂正して 置かう。) 

次に 在野 黨 中の 餓鬼共 を 追 ひめく つて 御覽に 入れよう。 餓鬼共と 云 ふが 二人し か 居ない。 井口 天神 は 肥る に從 

つて 益々 天神 然となる。 拓植の 重役 窒の內 では どれ 程 頭 を 上げたり下げたりし たか 知れぬ が、 闥を排 して 悠然と 

£ た 

事務 窒に 出て 來る所 は千兩 だ。 胶 すれで もした 様な 歩き 振りでの そりく と 丁稚 や 長 松の 間 をお ねりになる 所 は 

君 等に 見せたい よ。 狸 小路の 西の方に ちんと した 邸宅 を 構へ て、 人が 行く とやう かんの 三 圓分も 菓子 皿に 載せて 

出す よ。 うそ ぢ やない ょ本當 だよ。 令息 令 孃の數 は 一寸 記憶が 出来ない 位澤山 居る。 其の 舉 校の 成績が 優秀 だと 

云 ふに 至って は 賢夫人の 面影が 忍ばれる だら う。 賢夫人 は 眼鏡 を かけて いらっしゃ るんだ。 それに 繽 いて は 先般 

歸 朝の 森 靑飘簞 、其の 顔 益 ぷ 靑く、 其の 鬚 愈々 薄い が、 そんな 事 は 棚の 上に 抛り 上げて、 片脚を 飛ばして 活動す る 有 

樣は、 すさまじ なんど 云 ふ 許りな しだ。 東京に は 米國の ナント カ會 社、 カント カ會 社の 直取引の 支店が あって、 

札幌に 本店が ある 害 だが 其の 所在 は 小生 一寸お 知せ に 困る。 大店に なると 看板なん ぞは 懸けて ないから なァ。 但 


し 種物 農具 塗料 店 は 確に ある。 舊 先生の 牛が の そ- (\ して 居た 所に 立て ある。 あれ を 見る と アメリカの 場ぶ に 

ある イタ リ ヤン か 何 かの 小店 を 思 ひ 出して、 そビろ 曾遊の 昔 を 忍 ぶんだ と 云ったら、 小生のお 里が 暴^す る^に 

思 ふだら うが 其の 位の 事 を 聞き かじって 覺 えて 居られない 小生と 思 ふと 大分お 門が 遠 ふぞ。 それより 大に 披^に 

及ばなければ ならな いのは 先生の palace だ。 木立の こん もりした 中に、 ケント あたりに でも ありさうな 城壁 造リ 

の 木造が 屹 立して 叫 方を啤 睨して 居る。 內には マ ホガ 二 ー とまで 行かない が、 ォ ー クづ くめの 装飾が 施して ある J 

其處で 洋服の 細君が 喲嘵 たる ピアノの 音 を 響かす の だ。 どう だ 諸君、 諸お どう だ。 懸 値が あると 思 ふなら 買 はな 

くと もい- -ょ。 何も 僕 は 諸君に 是非 買へ と 云って、 此の 大道に 立って 押し 寶り をして 居る ので はない から …… ど 

うだ 諸君、 買 ひたい 人 は 買って 行き 給へ と緣 日で 壯士が 流行歌 を 費 つて 居った。 

札幌の 中心 點 から 少し 外れる が、 筆 序に 犬 公の 事 も毒づ いて 置かう。 今 は 月 寒の 大旦那 だ。 ^^あすこの 大旦 

那は惡 くない、 島 松 街道の 右手の なだらかな 斜面 を うんと 廣く 占領して、 一寸 日本で は E- られ ない 色々 な^ 舍が 

立って 居る。 これ を 犬 公が 始めから 設計し たんだと あって は 「不可能」 を 字喾に 入れるな と: K つた 奈翁 がお^に 

出来なくなる。 但し 斷 つて 置く が Ne  me  dites  jamais  ce  b ひ te  de  mot! と 始めて 云った の は、 揮りながら 奈 翁で 

はな いんだ。 奈 翁の 巾着切り 扠、 ミ ラボ. I の 一 一; 一 2 葉 を斷り もな く拜 借に 及んで 居た の だ。 それ だから 奈翁は 矢張り 

馬鹿にして もい \んだ。 い- T 事に な るんだ。 餓鬼共に は 解らん だら うな、 何しろ 犬 公 は;^ ましい、 出づ ろに^^. 

あり 肥馬 あり、 入る に官舍 あり 閨窒 あり、 丁度い、 加減に 子供 も ある。 東京に も 出張す る。 犬 公大に 彼處で ふん 

ばる と 面白い よ。 

あ-馬鹿 もこれ 程 愚に 返る と 後光が さす だら う。 これ だけ 書く のに 半 曰か、 つた。 耶蘇 は小尘 の^た 人の 卞を 

感心な 扠だ、 そんな 扠は 天國に 入る ベければ なりと 云って 下さって る。 これ をせ めても の 慰^と して^も ルが 

同級生  一 五 七 


冇島 武郞佥 集^ 五卷  I 五八 

を 云 はう と 空耳 を 走らす からさう 心得 給へ。 今 札 幌には 春が 來た。 柳 花 春色 を 散す と 云 ふ 程の 淺ぃ舂 では あるが 

中々 い \。 クロッカス は 盛り を 過ぎて、 ナ ー シサス が唉き 出した。 ヲダ マキの 葉は廣 がり 始めた。 野に は キバナ 

ノア マナが 黄金の 杯 を 天に 開いて 居る。 楓の 芽が 大きくな つた。 シキザ クラの 芽 は 破れた。 馬の 糞が 飛ぶ。 澤庵 

が 酸ば くなる。 いまに 見た まへ、 春が 過ぎる と 夏が 來 るから、 夏が 過ぎたら 秋が 來る。 秋が 過ぎたら 冬になる 害 

だ。 草々。 

四十 四 年 四月 二十 三日 日曜日  當番 小 生 


九 一三 年 


ワルト • ホ ヰ" ト マンの 一 斷面 

「月曜 講習」 と 云 ふ 冊子で、 內村 氏の 筆 を 通して、 始めて 此の 人の 名が 日本の 活字で 紹介され た 時、 口 本の 上 は 

毛 程 も 彼 を 受け入れる 用意 をして 居なかった。 私 は 其の 評傳 を讀ん でも、 それと 一緒に 論じて あった 力,' ライル 

すぺ  しとね  ふ 5 

や ブライ ヤン トゃホ ヰ ッテャ ー から 彼 を 分離して 見る 術 を 知らなかった。 「大^の 琮 とせんに は 適 はしき 中米の 

pnlirie」 と 歌った と 云 ふ 事 や、 米國 西部の 發展 を豫ー 一 一一 口し! た 其の 豫言が 恐ろしい^-止 確に^ 現された と 云 ふやうな 

事が、 其の 本に 書かれた 彼の 評論に 聯關 して 幽かに 今でも 私の 記憶に 殘 つて 居る 位の もの だ。 私 は あの "Lsves 

of  Grass: を 藏誊の 中に 加へ たい 望み も 起さす に;^ を 去った。 高山 氏が 前後して 「太陽」 で發 表した ^ ぶ も、 

私の 輕ぃ 好奇心 を そっと 誘った ばかりだった。 

かくて 私 は 在 來の傳 習と 形式と 信仰と を 球の やうに 抱いて 米 國と云 ふ 所に 渡った。 それ は 丁度 n^ge- が 化 ソリ 

前の 年だった。 ぎ 何 云 ふ 方針で 三年 を 住み 暮さ うと 云 ふ 事も考 へす に、 夢遊病者の やうに 船路 を^いだ その 時の 

事 を 思って 見る と、 私 は 恐ろしい と 云 ふ 事 を 知らぬ 白痴で あつたに 違 ひない。 米!: の 第一 年 は 日 木での, が^の 

ま \ に —— と 云 ふより 寧ろ 引き締って II 績 いた。 然し 其の 當時私 は 日露 戰&と 云 ふ もの を 遠くで 眺めながら 時 

時ト ルス トイに 氣を 取られて 居た 事を吿 白し なければ ならない と 思 ふ。 それ は 私の 心の奥の 領土に は.;. M リんら ぬ 

|;、 おで、^ は默 つて 恐れ 戰 いた。 私 は 其の 夏 思 ひ 切って 自分の いやがる やうな 所に 自分 を 連れて行った 一: ハ m」 

ワルト *ホ ヰ" ト マン 1 斷面  1;土 九 


^島 武郞 全集 第五 卷  二 ハ〇 

私 は ダンテと ジ 31 ジ. フォックス の 日記と だけ 持って、 他界に 住む やうな 人々 の 間に 居た ので あつたが、 ニ^ 

月の 終りに は 私の 所謂 信仰なる ものから 離れて 居た. (つ い 先頃 私はス クタ リ衞戌 病院に 居る 或る 土 耳 古の 高級 看 

護 婦 が、 バルカン 戰爭の 悲傪を 描いた 一文 を英 國の雜 誌に 寄せた の を讀ん だ。 その 中に 「若し 基督 敎と云 ふ 名が 

人道と 云 ふ 名で 替 へられて あったなら、 十字軍と 銘 を 打つ この 戰爭 はかくまでの 悲慘 を盡し はしなかったら うに」 

と 云 ふ 風に 書き 現 はされ た 文句 を 見た。 私 は 感動した。 私 は それだけの 事 を玆に 書き 添へ るつ) 

二 年 目に 私 は 北の方に 漂って 行った が、 その 時から 私 は 生れる 前の 渾沌に 生れ 返った。 私 は 明かに 自己の 分離 

を自覺 せねば ならぬ はめに 這 入った" 今まで 內 外から すかしたり なだめた りして 居た 假睡の 私 は 私 相 常の 自覺を 

自分に 强 ひた。 その 頃に ホヰ ット マン は 突然 その 大きな 無遠慮な 手で、 tril! らしく 私の 肩 を 驚く ほど 節 いた 3 

だった。 

私 は 紐 育 市 生れの 一 人の 放埒な 然し 美しい 靈魂を 持った 辯 護士と 共同生活 を 營んで 居た が、 舉 校の 講堂から 夕 

暮に 送られて 歸る私 は、 ボストンから 塵 を かぶって 戾る その 人と 夕食後 ランプ を 隔て.. r 坐る のを樂 しん^。 支 ま 

必す 書架から 草色の 一冊 を拔き 出して、 男らしく 張りの ある 同時に 感慯 的な 聲を わざと 抑へ て、 此の 詩 かの 赞と 

ヱ マ I ソン 力 力 I ライルに nclv.lescripl: ョ onster と 云 ひ 送った —— ホ ヰット マンの 作物 を誦讀 した。 私 は 今 

思 ひ 出しても 一 種の 小氣 味い \ 戰慄 を感す る。 

<) t  of  the  rolling  oc:an,  the  crowd,  (alnc  ; i  二 l.op ち Mu;\、  t 二  me 

w  lllspcrillg.  I  love  you,  before  / ミぉ I  d ヌ  

と 云 ふ あの 寶 玉の やうな 小歌 や、 

out  or  the  cradle  endles^y  recking,  


で 句 を 起す 海鳥の 悲釗 や、 リンカ ー ンの死 を 追慕して 歌った 死の 讃歌 や、 自分 を 歌った 太陽の やうなん きい^い 

た 二  Walt  whitman-- や、 私 は 何時でも 淚を 溜めて^ なくて は 聞く 事が 出來 なかった。 彼 も淚を 頰に俾 はらせな 

がらお かしげ もな く 讀み繽 けた。 涕を かむ 時の み 歌が 途切れる。 何時でも 彼が 此の 魔 杖の やうな 本 を m おろ 時に 

は、 彼と 私と は 同じ 人に なって 居た。 ホ ヰット マンに なって 居た。 

私の 心の 領土 は 今でも 混亂の 限り を盡 して 居る。 私の 內部 では 正しく 二つの 力が 對峙 して 居る。 外部に も內部 

にも 矛盾 を 極めた この 自分 を 見る と、 我ながら 沙汰の 限りと 云 はねば ならぬ ソ 然し 私 は 慰藉な しで はない。 私 は 

若 ハ、. :" と 一緒に 生活して 居る 事 を 知って 居る からで ある。 私 は 今でも 偽善者で ある。 偽^お である けれども 少し 

づ、 自分に 歸 りつ.^ ある 事 を 知って 居る からで ある。 私 は 段々 最後の olimax の 方に 進みつ k ある 事 を 知って 居 

るからで ある。 健全で あれ 不健全で あれ、 私の 脈 は 地球の 脈と 同じ 打ち方 をし 始めた 事 を 知って W るからで ある。 

如 かしなければ ならない と 云 ふ 事 をより 强く 感じ 始めた からで ある。 こんな 衝動と 慰藉 を 感じさせて くれた^ 

を 私はホ ヰット マ ン に 感謝し なければ ならない。 

私 は ボストンの 町 を "Leaves  of  (; rass" を 尋ねて 歩いた 時の 事 を 思 ひ 出す。 本屋の^ 頭はホ ヰット マンの 名 を 

聞く と、 パリ サイ 人の やうな 額 をして、 そんな 本 は 持ち 合さない と 云った —— さう 云 ふ 事が 木屋 としてのお りで^- 

も ある やうに —— 私の 尊ね た 1 一三の 本屋 は 皆ん な 同じ 態度で 黄^の 顧客 を はねつけた。 

私 は 友達の 注意で 一 二月の 或る日 社 舎 主義の 害 物な どを賫 る P 汚い^ を 訪れた a 其 返に、 今 私の 傍に 坭づ いて 横 

はって 居る 此の 離れが たい 害 物 は 私 を 待って 居た。 私に 買 はるべき 運命 を擔 つて 私 を 待って 居て くれた。 今でも 

思 ひ 出す、 その 日 は その 店の やうに 薄汚く 暴った 寒い 日で あつたが、 店の 爺さん は 私 を 隅の 方に 引つ ばって 行つ 

て、 その 時 マサ チュ セット 州で 發赍禁 止に なって 居る と 云 ふ トルストイの 「ク 口 イツ r ソナタ」 を 無^に H はせ よ 

ワルト *ホ ヰ.' 卜 マ ン 一 斷面  I  .K 1 


有 島 武郞仝 集 ぁ五卷  一六 一一 

うとした。 

ホヰッ トマ ン とその 詩集 は 今でも その 故國の 義人の 間に か X る 待遇 を 受けて 居る 事 を 記憶せ ねばならない。 そ 

の 義人 達 も そんな 待遇 をした 事 をし つ かりと 後日 の爲 めに 覺 えて 置く のが 肝要 だ。 

^ぃ 中から 白くな つた 頭の 毛と 髯とを 不作法に 亂 して、 さすがに 詩人ら しく 稍よ 靑み を帶ぴ た顏 に, 灰色が か 

つた 眸を 光らして、 特有な 鈍色の だぶ くした 衣 物と 鍔の 廣ぃ 帽子 を 装って ブル ー クリン の 町 を 御者 や 工人に 挨 

^しな 力ら 步 いて 行く 此の 人 を 見る と、 人々 は 好意 を こめて good  old  gray  poet と 呼ん 、さう だ。 まお し:^ 

の稱 呼の 中に、 這らない 大きな 調子の ある それだけ は 取れる けれども、 此の 人 は全體 かう 呼び かくべき 人で はな 

いと 思 ふ。 彼を考 へる 事 は, 强 さと 若さと 輝かし さと を考 へる 事 だ。 

弑育 市の 對 岸に 魚の 形 をして 撗 はる n ング. アイ ランド は 彼の 生れ 故鄉 だった。 東に 面した 一 帶は 荒れ果てた 砂 

岸で、 波の 强 さに 沖から 寄せ集められた 砂 は 積んで 細長い 洲嘴を 連ねて 居た。 難破船 も 珍しく はなかった。 小さ 

い ワルト は メキシコ や エリサべ スと云 ふやうな 船 (マ ー ガレット. フラ I は エリサべ ス と共に 沈んだ 人 だ) の 悲劇 を 

覺 えて 居る。 彼 は惡戲 仲間と 鰻 を 突いたり 海岸で 氷、 仁 り をしたり 海鳥の 卵 を 集めたり して、 海風に 頭の 毛 をな ぶ 

ら せながら 跣 足で 飛び 廻った 。文明と 云 ふ 者 を 知ら ぬげな 原始的な 粗暴な 船 子と、 細 農の 爲 めに 羊 を 集めて この 瘦 

土で 放牧しながら 今日々 々を 暮す、 乞食よりも 貧しい 牧者 は、 島の 精の やうに まだ 其の 邊を: g 徨ふ 頃だった。 彼 は 

この 島の 砂原に 生える saltgrass の 葉の 一 つの やうに 土に 喰 ひ 込んで 身丈 を 延ばした。 此島を 銅色 人 は Paumanock 

と 呼んだ。 彼 は その 名を戀 人の 如く 愛した。 其の 詩の 中に この 名が 出て 來る. 名 を 組み立てる 字の 一 つ I つが 懷 

舊の 敍に乘 つて 戰へ ながらす 、り 泣いて 居る ( ealhore  Memoricsy-  十に なつてから 彼は此 Q 當寺を 見返って, 


「私の 性格 を 造つ" た 力が 三つ ある。 遠い 和 繭から 來た 最上の 血統 (母方の)、 父方なる 英 人の 血統から 來た 執拗と 

自恃。 それに 生地 ブル. ー クリン、 紐 育、 南北 戰爭 以後の 經驗 だ」 と 云って 居る。 母方の 近親に は 殊に 强烈な 性格が 

あった。 男の やうな 性質と 氣 象を備 へて、 馬上から 奥 業の 監督 をした 伯母が 居たり、 更に 深 た識 兌と 意ぶ と を 

持 ちながら タエ 力 ー の 典型ら しく 家 を 守った 贤婦人 も ある。 けれども 彼が 最も 強く 吸收し (彼 ^を 借りて 云 

へば)、 彼 を 最も 强く 吸牧 した もの は 自然だった。 

彼 は 一八 一九 年 1 九月 三十日に 世の 光 を 見た。 その 同じ年に、 英國 では ラスキンが 生れ、 米^で は ロウ H ルが生 

れて 居る。 ゥヰ リャム .II ゼ ツチが 彼の 詩 を 英國で 出版した から ラスキン は 屹度 讀んで 居る に逮 ひない が、 讁ん 

で 何ん と 思った か 知らない。 ロウェルに はてんで 解らなかった。 いくら 讀 んで昆 て も 何處が 好 いんだか^ おり:^ 

當が 付かない と 皮肉 を 含んで 云って 居る。 皮肉 を 含む、 さう 云 ふ 喜 悲釗が 詩と 云 ふ ものに あらねば ならぬ の だ。 

私 は 日 附けを 竝 ベる 事ば もう 止める。 此の 人 は 靈の發 達と 曰附 けと を 結び 造 けても らう 必要 は^じて ,からない 

と 思 ふ。 で、 ワルト は , もな く ブル ー クリンに 移った。 彼 は そこに 居る 間に 色んな もの を 見た。 ジ.' クソン、 ゥょ 

ブス タ ー、 コッス ー ト、 ブライアント、 英 H 皇儲、 ディケ ンス。 曰 本の 大使 (sg 初の)、 ジェ ー ムス. ク ー パ、 ー、 ボ ー 

と-: ム ふやうな 膝 史的 人物 も その 記憶に 殘 つた。 ラフ ァ H ット がー 一 度 H: に來た 時、 この 米阈獨 立の 大^^ は 微迎式 を 

見ようと 集った 人垣の 中から 小さな 五 歳の ワルト を 抱き上げて 高い 所に 置いて くれた、 そんな 察 もあった。 彼 は 

夏に は 木 日毎に 生、 地に 行って 眞 裸で 岸 を かけすり 廻りながら、 ホ ー マ ー、 シ H タス ビヤの 名句 を 海^ を 和^に 大 

聲 で朗讀 したり、 印刷工 場で 眞黑 になって 働く に、 ヮシ ン トン を: n: 前に 兌た と 云 ふ 革命的な b. リ ss と 懇意に なつ 

て、 HSI 館に 通 ふ 便宜 を 得て、 ス コット を 始め 小 說と云 ふ 小 說を手 當り次 笫に讀 み 耽ったり 釗塌に 行って ゆ 屮 にな 

つた. リ した。 彼の 音 樂ゃ劇 曲の 評 は 超越 的な もの だ。 藝 術の 中心に 分け入って 其の 價 を吸牧 し、 少しん 他人の 

ワルト • ホヰプ トマ ン 一 斷^  i 六 了. 


有 島 武郞令 ;蕖 ^五卷  -六 3 

是非 好 惡に煩 は されない 有様 は 彼の 創意 の氣 分の 異常な の を 遣憾な  く 現 はして 居る。 だが それに も增 して 彼の 、ひ 

を 捕へ たもの は 都市の 自然だった。 渡船、 乘合 馬車、 ブ t! 1 ドウ HI の 見渡し、 彼 は 其の 中に 融け 込んで しま ふ 

事 を 心の 燃料と した。 乘合 馬車 0 騷 がしい 音に まぎれ 込んで 彼 はよ くシ ー ザ ー や リツ チヤ I ド から 火の やうな 文 

句 を 拾って 高 誦したり、 御者と 近付きに なって 晚 年まで 名を覺 えて 居た。 K.dky  SI, (g  Kl。phant その 弟の 

Young  Klephant と 云 ふやうな 名前 は、 リンカ ー ンゃ ワシントンと 同様の 横 威 を 提げて、 彼の畲 物の。 /| ジ Q 上 

に 挑って 居る。 ("A  Broadway  pageant,--  "Crossing  Brooklyn  Ferry,"  "Starting  from  paianok,"  etc.) 

彼 は 萬 人の やる 事き 皆ん なやった。 法律家、 醫師の 書生に も、 活字 職工に も、 大工に も、 小舉 校の 敎師 にも、 

書記に も、 新聞記者に も、 請負業者 にもな つた: 寢坊 だった。 數 日の 間 何處を i よって 居る のか 分らない と S ふと、 

どう 力して 精々 と 働く 事 も ある。 その外 面で は 如何なる 勞働 者より よい 勞働 者と 云 ふ 事 は 出来なかった が、 其む 

內 部に 目まぐるしく 働、 いて 居る もの i ある 事 は、 その 兄で も 知らなかった。 この 三十 男の 心の奥に は simmer す 

る 何者か ビ あつたの だ。 それ を 彼と 雖 もどう すれば い-のか 判らなかった。 

彼 は 何時もの 通り ポッケ ットの 中に 本 を 一 冊 入れて 仕事に 出た。 晝食 時に 何時もの 通り、 片手に 母が 作った サ ン 

ドウ ヰ ツチ を 握って 嚼 りながら、 もう 一 つの 手で 本 を 讀ん だ- それ は 偶然に も エマ ー ソンの 乍だった。 彼 は in 舞 

に 食 ふ もの を 忘れて 讀ん で讀ん で讀ん だ。 此の 時 亞米利 加の 上天 は 降り 大地 は 上って 大きな 拘擁 をした の を 歷史 

も 人 も 知らす に しまったの だ。 「靈の 法則」 「自然 論」 「 自矜 論」 など を 彼 は 毎日 持って 出て 讀んだ 結果 sim ョ er し 

つ >f あった ものが、 とう/ boil  over したと 皮 は 云って 居る c 

マツ チが 爆裂した ので はない。 爆彈の 口火に 火 を 導いた の だ" ェ マ ー ソ ンが彼 を 詩人と したので はない o 彼の 

詩 メカ エマ !• ソン を緣 にして 眼を覺 ましたの だ。 彼 は boil  over した 其の 隨 間から エマ ー ソンと は 全く 違った 道 


を 歩いて 居る。 四十 一にな つた 時、 彼が "Leaves  of  Grass" の 三 版を發 行す る爲 めに ボストンに 行ったら、 K 

十六の 分別盛りな エマ ー ソン は、 理^ 盡 して 彼に 詩の 改訂 を 求めた。 二人 は ボストンの 大道 を 二月の 蹇ニ 時間 

と 云 ふ もの 往 つたり 來た りして 論じ 合った。 主と なって 論じた の は H マ ー ソンだった が、 其の 理論の 透 倣と M:^ 

の 深切な のに は 彼 も 返す 曾 葉 を 知らなかった。 二 時間 經っ てから エマ I ソン は 彼に 向って 「で、 おは どうは ふ 

と 云った。 彼 は r 私 は 一言 も 答 へられません が、 私 は 益 is 分の 說 を!: 執して これ を校範 とする S に^めろ^ に 

ありません」 と 云 ひ 放った。 而 して 二人 は 睦まじく 食事 を 共に して^れた。 

彼の 詩の 初版が 出た の は 三十 六の 時 だ。 彼 は 自分で 字 を 組んで 自分で 印刷した。 簿ぃ 冊子が 弱い おの やうに^ 

も 薄く この 世に 生れた。 これから -  Leaves  of  Grass  " は 其の 著^の 生長と 共に 生長して 行く ので ある。 一 一-版! * 

は あの 大膽 不礙な " Children  of  Ada ョ" と -calamus- が 附け加 へられ、 更に 其の後に "Gsn-.Taps, と 云 ふ 

戰陣の 詩が 這 入って、 彼 を 不朽に すべき 記念碑 は 成り立った。 彼の 詩 は 誤解と 迫害との 十字火 を ゆった。 發 行が 

妨げられた ばかりで ない、 彼 はこれ が爲 めに ワシントンに 於け る專寶 特許 局から 免せ させられた。 H マ,' ゾ: 

やうな 無私な 人で も、 人前 を かねて 心に もない 事 を 云った 形跡が ある。 一 冊 を 力 ー ライルに 送った 時 添へ た ^'紙 

の 如き は、 明かに 米國 の野蠻 人と 昆 下される の を 恐れる かの やうに、 自分が 英國 人で ピも ある 風た 物 St." ひぶ A 

して 彼 を::: 下して 居る。 

ホヰッ トマ ン がか- -る默 殺と 罵詈との 問に 立って 取った 態度 は凉 しい 大きな ものだった。 彼 は 未來の 勝利 を 叫 

かに 見得る 超人の 如くに 惯値 ある 者の 何時か は 世 を 征服すべき を 信じて 疑 はぬ 樂ー 大^の 如くに、 平^で^ ふ t- 

初 一 念を飜 へ す 事 をし なかつ た。 

I  know  I  am  deathless  ; 

ワルト. ホヰヴ トマ ン 一 斷面  一 六 五 


有 島武郎 全集 笫五卷  ニハ六 

】 Jsow  this  orbit  of  mm ひ cannot び ひ sw.ef>t  by  the  carpenters  compass; 

I  know  I  shall  not  pass  like  a  chilcrs  carlacue  cut  with  a  burnt  stick  at  nieht. 

. I に now  I  am  august: ; 

I  clo  not  trouWe  my  spirit  to  vindicate  itself  or  be  understood; 

I  sera  that  the  cle ョ ntary  laws  never  alslonze; 

( i reckon  J-  b-dlave  not  p>roudc:r  tlian  the  】cvd  I  plant  mv  Iiousc  L>y,  ciftcr  all.) 

I  exist  as  I  am  I  thai;  in  cnourah  ; 

If  no  other  m  the  world  he  a\v.!rc,  I  sit  content; 

And  it  each  an<i  all Ij ひ rlware,  I  sit  content. 

One  \vor】」 13  aware,  and l)y  far  the  largest  to  me,  and  that  is  mv 二 「;  • 

Antl  whether  I  come  to ョ v  own  to-dav,  or  in  ten  thousand  or  ten  million  years, 

■  can  cheerfully  tak ひ it  n9v,  or  with  equal  cheerfulness  I  can  wait. 

r  Walt  whitman." 

彼が 北 や 南で 新聞の 編輯に 從 事して 居る 頃、 米國は 一 つの 大きな 試みに 會 つて 呻いて 居た U  . 米國の 第二次 獨立 

戰爭と 云 はる \ 南北 戰爭は 其の 徵候を 到る 所に 現 はして 居た C 彼 は 其の. 生れ 故 鄉の關 係から 云っても 本來の 性情 

から 云っても 純血 種の 扠隸廢 止 論で あつたが、 愈ぶ 戰が 起って 其の 兄^の 一 人が 戰 地で 負傷す ると、 彼 は 何も か 

も 偖て 置いて 其の 看護の 爲 めに ワシントンに 走った。 "Leaves  of  Grass" の 第 一 及び 第二 皈は、 此の 國民的 大^ 

亂の 渦中に 埋もれて 世から 忘れられ たの を 彼 は 忘れて 居た。 物々 しい 南 人の 振舞 だ、 多寡が 一揆の 類に 何ん の^ 


備 がいる もの かと 云ふ氣 構へ で、 北方の 兵士 は 南 人 を 引つ 捕へ て 縛り上げるべき 繩を 用意して、 * 歌 まじりで 小 m 

に 向った。 然し それ は 恐ろしい 打^の 誤りだった。 wu】l の 一 戰 に^く も微 瘦 に 敗られた 北: 水 は、 ^の 

ぼくと 降りしきる 中 を意氣 沮喪して ワシントン に 逃げ 歸 つた。 これからの ヮ シン トン は 中央政府の^ 位で、 -, 

と共に 混亂と 悲慘を 極めた 一大 病院に 化して しまった。 凡ての 大きな^ 物と 云 ふ^ 物に は负慯 おが 溢れて 冲 いて 

居た。 專赍 特許 局の 見事な 標本の 間から も 遝命を 呪 ふ 患者の 聲が 漏れた。 彼 は 兄の 病氣が 癒えても 此虚を 去る お 

が出來 なくなった それから 滿 三年と 云 ふ もの、 この 熊の やうな^ は鸠の やうな 心に 鞭 たれて^ 護夫と なつた: 

"Specimen  Days  in  America" の 中に 描かれた 此の 一二 年間の Outline  sketch は トルストイの 「 戰爭と 平和」 f 

比 敵すべき 深刻な epic だと 私 は 思 ふ。 彼 は單に 病に 侍した ばかりで はない、 その 若于 もない 金 璲を ひつく りか 

へして、 ありったけ 美味い もの や 文房具の やうな もの を 買って、 寓遍 なく 忠 おに 分けた。 ^人の 傍に ついて 伙^ 

な 好意 ある 話 相手 ともなった。 又 文字の ない 者の 爲 めに 手鉞も 害いた (母 ゃ戀 人に^る 乎 紙 は 入念に 優しく 力い 

て やった と 彼 は 云って 居る)。 斯うして 彼 は 生きた 亞米利 加、 生きた 人逍 と、 血 を 兌る やうな 接觸 をした。 收^。 

混亂に 人々 が氣 を上づ らして 居る 時 黑衣を 纏って、 毅然た る 面 持に 日顷の 人柄 も 忍ばれる 老中 人が、 雨に ぬれな 

がら 兵士の 間に 食物 を 分つ 光景、 若い 兵士の 傍に 附添ふ 母の やうな 老 看護 傷の 癒えた 兵士と 共、 にま^; ハ^に 

立って、 天使の やうに 讃美歌 を謠ふ 若い 看護婦、 米 國全國 民の菩 憂 を^さう に 眉 問に 擔 つて、 人 Si の. は-^ から.^ 

く 悲哀と、 確信の 聖壇から 漏れる 法悅 とを顏 一 面に 漲らしながら、 一 隊の 兵士に 護衞 せられて ぉポ を驅る 犬^ W 

リンカ ー ン、 その 測に 小さく 蟠る その 愛兒、 肩章 はいかめ しく 飾りながら、 おめく と 逃げ 歸 つて ワシントン あ 

1 の 旅館に したり 顔す る 一群の 將校、 雨に 濡れ そぼって 居る 尻尾から 水 を 滴らして 立ち 盡す 一列の^ お、 りんに 

見た 大統領 {R 舍、 生に 還る 驚^、 死に 赴く 苦悶、 憤怒、 涕泣、 大笑、 切齒 …… 、 彼 は 凡て それ 等の 中に、 そのす ム 

ワルト • ホヰプ トマ ン 一 斷面  一 六 七 


有 島武郞 仝 集 第五 卷  1 六 八 

大な 同情 を以 て 溶け込んで しまった。 

彼 は 何時しか リ ンカ ー ンと 挨拶し 合 ふ 程の 知り合 ひとな つて 居た。 ある 時 彼が 其の 長大な 體を聳 やかして 往來 

を 歩いて 居る の を 見た 大統領 は、 側に 居 合 はせ た 人 を 顧みて 「あそこに 一 人の 男が 歩いて 居る」 と 云った さう だ、 

兎にも角にも 其の 當 時の ヮシ ン トン 市 はよ く壞れ もせす にこの 大きな 一 一人の 男 を 抱き か i へて 居た もの だ。 

戰爭は 遂に 終 つた。 而 して リンカ ー ン は 殺さ れて しまった。 ヮル ト は戰爭 中 の功勞 によって 特許 局 に 書記 の 位 

置 を 得た が -  Leaves  of  〇rass  " の 著者た るか どで 免職に なって 他の 役所に 移った。 其の 中に 戰爭 中の 疲勞が 出 

て 中風に なった。 而 して フ イラ デルフィ ャの 郊外の キャムデンで、 始めは 兄の 家に、 後で は 電車の 車掌 夫婦 を 同居 

人に 置いて 靜 かに 餘生を 達って 此の世 を 去った。 

彼が 南北 戰爭 で、 人と、 人の 事業と 云 ふ もの を 知った やうに、 キャムデンの 幽棲で 自然と 云 ふ ものと 默會 した。 

それ は 彼の 詩の 凡てが 證 明を與 へて 居る、 彼 は 草の 語る を 聞き、 木の 歩む を 見た。 而 して 自然と 人類と 自己と 云 

ふ もの を 全く 融合した。 彼の 指す 所に 人類 は 歩む。 彼の 叫ぶ 所に 自然 は 呼ぶ。 見 給へ、 念々 刻々 向上し 發展 して 

やまぬ 人の 群れの 勇ましい 歩み。 永世 を喑 示して、 人の 耳に は餘 りに 高き 歌 を 奏でながら、 私 等 を 圍む無 際の 自 

然 それが ホ ヰット マ ン その 人 だ。 

I  w:li  effuse  egous ョ, and  show  it  underlying  all  an(I  i  will Le  the  bard  of  personality ; 

And  I  will  show  of  male  and  f」nalc  that  either  is  but  ths  equal  of  the  other  ; 

And  sexual  o^p-^  and  yets!  do  you  concentrate  in  me  for  I  am  determin、d  to  tell vou  with  courageous 

( 一 "Ir  voice,  to  Drove  you  illustrious; 

And  I  will  show  that  there  is  no  imperfection  in  the  present  and  can  be  none  in  the  future; 


And  I  will  show  tliat  whatever  happens  to  anybody,  it  may  ho  tu ヨ、 d  to  beautiful  results I 

and  I  wul show  that  nothing  can  happen  more  beau  than  death : 

And  I  wil】  thread  a  thread  through  4  poems  that  time  and  events  are  compact. 

Ana  that  all  the  things  of  the  universe  are  perfect  miracles,  each  as  profound  as  any. 

(starting"  from  Paumanock し 

私 は 明かに 玆に豫 言す る 事が 出来る。 私の 内部の 聲が I. 習俗に よって 卷ひ 成された 私から お」 いて ペレグ ノン 

の 所謂 純 粹持糗 の 中に 投入した 私の 聲が IJ 私に 告げる 所に よれば、 ホヰッ トマ ンは來 るべき 時 t を^み ur お 

の聲 である。 ホ ヰット マンの 思想に 避くべき 何者 もない。 生活の 充實 した 部分で 彼に 觸れ て兑 給へ、 彼ケ がさ 

膚觸 りを與 へ る もの は復 たと あるまい。 

私 は 彼の 慰藉と 鞭撻と を季 る。 慰藉と 鞭撻、 そん眷 葉は 彼に 適 はない。 彼の 撫愛と f  。  nr 

る o  Oarcss  cu"c 

へ】 九 I 三年 六月 二十 口、 r. ^武分 報」 所^ 

U 九 I 九 年 一 月、 「大 觀, 所 あ sr^ 


ワルト. ホヰ" ト マン  一^面 

一 ナ 九 


有 島 武郎仝 集 笫五卷  *  4 

草の葉 

(ホ ヰット マン に關 する 考察) 

「 :: に。、 優し い 草の葉。 冬枯れ もお 前 を 凍え死にさせる 事 はし まレ 

毎年お 前 は萠ぇ 出て 來る — 隱れ 退いた その 所から お前 はまた 芽 を ふ くだらう。 

行きす りに どれ だけの 人が お前 を 見つけ 出して、 その かすか I ひ を, わける か、 心細い— けれども 全 4 

5 と は 云へ まい。  , 

t た わ やかな 草の葉よ。 私の 血の 華よ。 お前の 胸に を さめた 思 ひど ほり を、 お前な りに 云って 見ろ •:.: 」 

"Sccntal  Herbage  of  KTy  Breast.- 

凡ての もの は 分ち さい I れ る、) 羊 は 獅子から、 子 は 親から、 it 人は秦 から、 過去 は未來 から、 

p し 5 魔は种 から。 この 痛ましい 分裂 は 容赦な く 私の 內部 にも 漲って ゐる。 考へ ると めた 瞬間から 

この 分裂の 種子 は播 かれた。 一方の 磁極に 近づいて、 その 極の 力に 飽和され た鐵片 が、 急に その 極 を 反撥して 他の 

磁極に 移り、 又 他の^から 同じ 過程 を 踏んで 前の 極に 歸る やうに、 私の 魂 は 中 有 を 電光 形に 照らしな 力ら 進んで 行 

く。  fKcceH 纖 一の 議に、 一一 イチ ヱが した 偽らざる 吿白 は、 いみ じく も 私の 魂の 傾向 を 云ひ盡 した ものである 

何故 人 ま 二き 秦 Afer よの だら う。 一つの 魂 I 事し なければ なら まのに、 人 は 何故 二つの 主に y 

てゐ るの を、 あるべき 事と 思って ゐ るの だら う。 假 りに 純一の 生活 を 心がけて ゐる 人が. あっても、 それ は 要する 


に 程度に 於て だ。 印度の 峻烈た 婆羅門の 徒 も、 榮養攝 取の 機能 を 全く 捨てる 事が 出來 ない。. ^蹶. の 極端な アナ ク 

レオンの 徒 も、 何 かの 機會に 起る 靈€ 要求から 自由で ある 事 は出來 ない。 この iS けない 生^ 分裂の 桎枯 にお げら 

れ ながら、 人 は それが 與 へられた 遝 命の 不可 杭な 絶對命 今-と 思 ひこんで ゐる。 而し てこの 奇怪な^ 赏を见 凝める 

事な しに、 その 事實 から 出發 して、 曲り なりに も 自分 達の^ 活を 調節し ようと 試みて ゐる。 人の^^ はこの^で 

旣に^ 敢 ない。 人 は 睨み合 ふ。 人は爭 ひ 合 ふ。 人 は 慯け合 ふ。 而 して そ C 後味と して 救 ひ 難い 悲哀と 怨^と 絶や: 

と を^の 上に 殘す。 

人 は 何^までも かう して 居れば い \ のか。 居なければ ならない のか。 これが 人 化の あるべき 姿な のか。 地^ は 

夜の 陰影の 外に、 更に この 陰影の 爲 めに 喑 くされて ゐ なければ ならない のか。 それ を 私は敎 へて K ひたい。 それ 

を 私 は 徹底したい。 

私 は 恐怖と 期待と を 以て、 この 內 部の 分裂の 始末の 出來 ないやう に 段々 と 大きくな り稅雜 して 來 るの をれ^ つ 

てゐ る。 何故か- 1 る悲慘 な內 部の 傾向 を 見守る かなら ば、 私 は それによ つて、 私の 生活が 今の 入々 の尘^ とお: 

堅く 結び 附 けられて ゐ るの を體 達する からだと 云 はう。 何故 今に 生きる $ が 私 を 喜ばす かなら ば" 生命 は 今の 外 

に はない、 今が 生命で あるから だと 云 はう。 謂 は ビ糜斓 した 魂 —— な-は それ を經驗 する。 私 は カを缺 いて はゐな 

い、 力の カを缺 いて ゐる" 私 はかの ボ. I ドレ ー ルの やうに 酒 を 被って 路頭に 倒れ 呻 き はしない。 义 路^に 倒れ f- 

きながら、 喑ぃ 寺院の 戶 口に 這 ひよ つて、 人 問に はあり 得ない 程 痛烈な 饿悔の ん, 叶ぬ 物と 共に 叶-き 出す^ は— 

ない。 外面に 擴 がる 力 を 授からなかった 私 は、 形に 現 はして 自己 内部の 矛 W を 人々 に 物語って 開かせた^-にた 「 

^しながら 憐れむべき 魂 は、 健全な 肉の 中に 閉ぢ こめられながら, Mi —— あまりに M- よ —— そのが を跺り 人.! 

てゐろ 。 嗚呼 私 は 何ん にも 知らない。 然し 何んでも 知って ゐる。 私も亦 今の 人々 と共に 苦しんで ゐる、 ぉ揽 いて 


有 島 武郞仝 集^ 五卷  一 七 二 

ゐる。 私 はこの 苦痛と 焦慮と を 謹んで 今に 生きる 凡ての 人々 に 捧げたい と 思 ふ。 貴方 だけが 苦しんで ゐ るので は 

ない。 私 だけが 苦しんで ゐ るので はない。 貴方と 私と は 生活の 何處 かで 手 をつな ぎ 合 はして ゐ るの だ。 お 互に 程 

度と 云 ふ 皮相な 見斷 を^ 無して 考 へよう。 而 して 互が 同 一 の 悲しい 運命に よって 堅く 結ぴ附 けられて ゐる 事を實 

感 しょう。 而し て靜か にお 互の 魂に 耳 を 傾けよう ではない か。 

私 は 永い、 眞に 永い 間 あるべ からぬ 生活に この 身 を 任せて 來た。 私 は 自分 を昆 凝める 代りに 私の 周圍 ばかり 見 

凝めて ゐた。 今にして 私 は、 私の 魂に 對 して 暴 逆の 王に なり 切って ゐ なかった 事 を 感謝す る。 私は危 くも、 凡て 

の 物事に 封して は寬大 の德を 認めながら、 魂に 對 して だけ は、 容赦 も 情け もない 振舞 ひ を 死ぬ まで 績 ける 所 だつ 

た。 私 は 大きな^ を 開けて、 外部の 莊嚴と 絢爛と に 氣を奪 はれ、 本當 のお t の 主人なる 魂が 氣息 も趦 え, <\ に 私に 

呼びかける その 聲を 聞き落す 所 だつ だ 3 私 はよ くこ そそ こに 氣が ついた。 よくこ そ 魂の 蟲の 息に 親切な 耳 を 傾け 

る眞 純と 本性と を 失 はないで 濟んだ 。 かの 驕, 慢と 虚飾と を 以て、 魂の 周圍 をと りかこみ、 これ を さいなみ 苦しめ 

る 事 を 以て、 最上の 德 行と 自分 決め をし、 安から ざる 時に 安し 安し と 高く 聲を 放つ 人に 私は吿 げたい。 か k る 態 

たと ひ 

度 は 悲しい 誤謬 だ-、 不純な 模傲 だ。 どうぞ 凡ての^ 事に 對 して は、 縱令 猛虎の 殘忍さ を 以て 振舞 はう とも 虐げ 

られ てゐた 魂の 私語に 對 して は、 耳に 手 を 置き 添へ てまで、 靜 かに —— 注意 深く 聞け と。 

「私 は 魂の 變通を 認める I 劣弱と 淺 薄と は 私に つ いて 廻って ゐ る- 

私の 云ったり 爲 たりす る ことに は それが ついて 廻る し、 

胸の 中で あがいて ゐる 思想の 中に も それが あがいて ゐる」 

-  Walt  whitman."  I077II08P 


い、^ であらう が, 惡ぃ 事で あらう が、 あるが ま \ を 痛感す る 事が、 私の 生活 を 徹底す る 唯一 不二の 道 だ。 私 

は 私 を 痛感す る 事に よって、 人が 今 痛感し つ \ ある もの、 何者で あるか を 知る ことが 出来る。 ごまかし てはいけ 

ない。 ひねくらし てはいけ ない。 ためら はす、 僞ら す、 あるが ま 、を嚴 しく 感す るの だ。 底から 底 を 打ちぬ いて • 

打ちぬ けない ところまで、 自分の 力が 能 ふ 限りにまで 進んで 行く の だ。 そこに 私の 魂が ある。 而 して 人の 魂が あ 

る。 これ は 高慢な 1!1  一 n ひ荜 ではない。 高慢で も謙遝 でもない、 當然 な、 その ま.^ な 一 百 ひ 草 だ。 私 は 嘗て c 分の 魂の 

道行き を 確め る爲 めに、 ぉづ/ \ 他人の 魂に 觸れて 見た。 聖人 を 探り 祌に 觸れ ようとした。 これ こそ^^ ひで あ 

つた。 高慢な ことであった。 私 は 聖人に なった かも 知れない。 神に さへ なった かも 知れない。 然し, 少く とも 私 

に はなれなかった の だ。 私で ない 私が 一 體 何ん の 役に立た う。 危 いところ だった の だ- 私 は 今、 人の 魂の^ 行き 

を 確め る爲 めに も、 容赦な く 私自身の 魂に 觸れて 見る。 これが 本當 におし ぃ當 然な逍 である こと を 私 は 知る やう 

になった。 

かくて 私 は 凡ての 魂の 號 泣の 何故で あるか を 知った。 それ は 外部が 內 部の 承認 を 待た すに、 .::1^ な 先走り をし 

てゐ るので ある。 傅 道 者は內 部と 外部との 併行 一致 を 以て、 人の 生活の 極致 だと 敎 へて ゐる。 さう 敎 へて ゐ なが 

ら、 ^等の 大多數 は, 外部 をして 內 部の 先驅を させて ゐる。 內 輪に 善 をな すと いふ^、 控へ ほに 德を行 ふとい ふ 

事 は 顧みられない。 彼等 は 善事の 乎 枷と 德 行の 足枷で 魂 を 縛り上げ、 魂に 猿 §: を ねまして、 したり 颜を しょうと 

する。 この 不倏理 な 不自然な 罪悪から、 人を襄 切らせまい とする 彼等の 武器 は、 社會 的の (Af! と 迫^だ。 (こ、 で 

私 は社會 的と いふ 言 葉 を 最も 廣ぃ 意味で 使って ゐる。 卽ち 自己 以外から 來る赏 讃と 迫害 だ。 それが から 來ょ 

うと、 天國 地獄から 來 ようと 差別 はない。) 舜の衣 を 着、 舜の食 を 食し、 舜の行 を 行はビ 卽ち舜 のみと いふ あの •:.;: 

草の葉  一 七 r 


有 島 武郎全 m 第五 卷  【七お 

葉. tr" ての 魂に 投げつ けられた 極 惡の雜 言 だ。 人々 は餘 りに 思 ひあがって ゐる" 柄に もない 飛び 上り をす る。 

而 して 魂の 烙印 を 受けな いもの を 擅に 世の中に さらけ出す。 それが 何になる。 それ は 瓦礫 だ。 それ はつ ま づきの 

石 だ。 外部が 內 部の 支配者と なる 時、 內部は 唯 悲慘な 分裂 を 結果す るの みだ。 痛ましい 魂の 分裂 はこ.^ から 始ま 

るの だ。 彼等の 行爲は その 魂の 裏書きし たもので はない。 魂 は 彼等の 行 爲の餘 りに 氣 高く, 餘 りに 神に 近いの を 

恥ぢ てゐ る。 外部 は內 部の 聲 をした &か 蹂躪して、 信條と 綱領と に 握手した。 信條と 綱領と は 人の 外部が 造り 出 

した 唯一 つの 事業で、 神靈の 宿らぬ 宮居の やうな もの だ e 魂 II それ は 何んだ。 信條と 綱領 II それ は 何んだ。 

前者 を 失 ふの は 死ぬ る 事 だ。 後者 を 失 ふの は^れる 事 だ。 嘗て 羅 馬の 士卒が 十字架に かけられよう とする 基督の 

面に 唾 を 吐き かけた。 その 瞬間から 人の 世 は 亂れて しまったの だ 。外部 も 同じ やうに 內 部の 面に 唾 を 吐き かけた。 

TM: 部の 分裂と は-、 魂の 糜^と は、 實 にこの 痛ましい 凌辱の 果て ビ ある を 知らない のか。 

•  は しゃ  くら 

私 はま だ 云 はなければ^ が濟 まない。 何故 魂 だけ を 後ろに 殘 して、 物 皆は噪 いだ 走り 競べ をしょう とする の 

か。 何故 偽る 事の ない、 人の 船 li を氣 にしない、 魂の しっかりした 歩度 を 振り かへ つて 見ようと はしない のか— 

物 皆 は 影 だ、 泡 だ、 人の 顏を 吹く 風 だ、 波の 藍色 を 染める しぶきの 白 だ" 魂の みが 眞だ。 規矩 だ、 進化す る實在 

だ, ^そのもの だ。 神 は 急がない のに、 人 だけ は 何 を 苦しんで あせり 急ぐ の だ。 物 皆 は 魂 だけ を 後に 殘 して、 一 

體何處 に 行き 涪か うとして ゐ るの だら う。 

魂が せかし 急がす の だと 彼等 は 思って ゐる。 さう だ、 確かに 魂 は 急ぐ。 魂 は 急ぎ はする が、 あわて はしない 

その 足跡 を 一 つく 堅く 地. の 上に 印さなければ、 前に は 進まない の だ。 それ を 彼等 は 見落して ゐる 魂の 計畫 する 

c は、 よき 計 S 者の する やうに 偉大で 堅實 だ" 魂 はた. -き 大工で はない。 义 下駄の 齒 入れで はない。 魂の みが^ 

まする カだリ 物 皆 は 魂の 目的 を 悟らないで、 あり 来りの 村 料を縱 にしたり 横にした りして、 魂の 云 ひ 現 はしが た 


い 苦痛 をな だめよう として ゐ る、、 私の 魂 は それ を默 つて 兒てゐ るに 堪へ ない。 私の 魂 は —— 某^の^し い 比喩の 

一 っを假 りて 云へば —— 牝鷄の その 雛 を 翼の 下に 集めよう とする やうに、 內 部の 分裂の 統一 されん^ を 待ち こが 

れてゐ る。 

^の 魂は而 して 淚を こぼす。 

「淚!  f. 淚! 

夜 寂寥の 中 …; 淚ょ。 

,:: い 汀に 流れて は、 吸 ひ 込まれて、 行く 淚  一 つの 星 も 出て ゐ ない II 眞^な 物淋し さ。 

頭 を 包んだ 彼の 眼から 流れる 濕っ た淚 —— お \ その 亡靈は 何者 だ —— 暗闇の 中で 淚を 流す そ の 異形 は 何^だ。 

瀧な す淚 —— す 、 り 泣く 淚 —— 息 も 絡え^ \ に 泣き叫ぶ その 苦痛。 

ギ 一 や うさう 

お、 嵐 形相 すさまじく、 海 沿 ひ を 吹き まくお、 物す ごい 夜の 嵐  風! お \ その はげし さ、 ゆ、 しさ ー 

お.^ 影よ II 晝の間 は、 沈 祌な顔 付 をして、 規則正しい 歩調で、 威儀の 正しい 影よ。 

夜に なって、 人 を 離れて 孤獨に 返る と、 お-その 時の 淚の 海" 

淚の! 淚の! 淚 の!」 

思へば 大鶯の 行く 空の 道の 知りが たい 程に、 內 部の 分裂 は 極めが たい ものに なった。 アダムの 時から 亂 れに亂 

れた 心の 聲は 紛雜に 紛雜を 極めて、 私 は 何ん といって それ を 云 ひ 現 はして い x か を 知らない。 然しながら、 かす 


有 島 武郞仝 笾笫 五卷  !七六 

さろ 

かにても 魂の 姿に 觸れて 見た 私に は、 その 分裂 を 朧げに 具象し 得ない 事 はない。 こ.^ に 一つの 例 を 擧げて 見よ 

う。 私達 は科舉 の破產 と. S ふ 事 を 耳に する。 それ は 科學が 到底 私達 を 救 ひ 得ない と訴 へる 斷定 的な 叫び 聲だ。 而 

して この 事實の 根柢 を 形造って ゐる もの \ 一  つ II 而 して 唯 一 とも 云 ふべき ほど 大 なる 一 つ は II 科擧 者が 魂と 

仕事と を 全く 引き離して 出發 した その 點 にある と 云 はねば ならぬ。 彼等 は 科 學に對 する 貢献と いふ 美しげ な 幻影 

に 釣られて、 自己の 仕事に 對 する 魂の 滿 足と いふ 事 を 無視した。 それ は 嘆美すべき 獻身的 態度の やうに 思 ひぎ _ さ 

れた。 而 して それに 附隨 した 斷片 的の 消極 德 II 熱心と か、 忍耐と か、 忘我と か、 公平と か、 精緻と か II と ^ 

しい やうな、 魂から は 孤立した 發見 とが dilettante と philistine と を 有 頂 天 にさした。 而 して 彼等 は向不 見に —— 

言葉 を換 へて いへ ぱ科 擧に對 する 貢 獻の爲 めに II た^ひた 走りに 走った。 私達の 生活 II 表而 的な 意味に 於け 

る I は そのお 藤で、 どれ 程 色彩 を 加へ、 便利 を 得 たかは 測り 知る 事が 出來 ない 程で ある。 科學者 はこの 勢に 乘 

じて 益-その 歩 を辏 けて 行きつ、 あるの だ。 而 して その 前途に は 過去よりも 澤 山の 寳 蔵が 用意され て あるの を 誇 

り として ゐる。 

この 時 早計ら しく も科舉 の破產 とい ふ聲が 地から 湧き出して 來 たの は 如何い ふ譯 だら う。 科舉 がま だ その 最後 

の 目的に 達し 切らない 中に 私達が その 力 を 疑 ひ 出さねば なら なくなつ たの は 如何い ふ譯 だら う、 - 私 逹は玆 に 停つ 

て考 へて 見なければ ならない。 全 體科學 者が その 魂を沒 却して 貢献し ようとい ふ科舉 と は 何で あるか。 若し それ 

が, 成就の 曉に、 人の 魂に 何等 直接の 交涉を 要求し 得ない もの だとす るなら ば、 換言すれば、 ult.mate とい ふ 言 

葉が 科 a- の辭 書の 中に 見出す 事の 出来ぬ もの だとす るなら ば、 私共の 期待の 第一 は 反古になる 譯で、 私共が 日常 

生活に 附け 加へ 得た 色彩 も 便利も^ 竟は 大事の 前の 小事で ある。 畢竟 無駄 事で ある。 

實際 その 昔 人の子が 魂の 祕事を 味 到しょう として 藻搔 いて ゐた 時, 科舉 は^ 等の 態度 を 笑 狡して 起った ので は 


なかった のか。 人と 自然、 卽ち內 部と 外部との 正しい 關係 を發兒 する の は、 煩顼 哲^-の やうな^ 漠な, 論 现のヒ 

に 論理 を疊む やうな 方法に よって は 到底 成就され る もので はない と呼號 したの は 科^で あつたの だ。 科^が  

^に 至って 何ん と 取 繕ろ はう とも —— 始め その 第 一 歩 を 踏み出した 時は實 にさう だった の だ。 けれども^^ ケゅ 

があった やうに、 科舉は その 第 一 歩に 於て、 旣に 囘復の 出来ない 見落し をして ゐ たの だ。 それ は 科^が 魂の^^ 

を 或る 程度まで 滿 たさう として ゐた にも 係 はらす、 魂 そのもの をして 魂の 要求 を滿 たさし めすに、 魂 以外の 小 弱な 

力 をた よって 旅程に 登った 事だった。 科攀も 亦 物 皆の やうに 魂 をお きざり にして §1  地に あてもなく 唯.^ つたつ 科 

學は 自然 そのもの をして 自然 を 語らし めようと した。 その 企て はい \。 然しながら C! 然の mouthpiece に、 t を 

^へす、 五官 を傰 へた 事に よって 取り返しの 附 かない 蹉跌 をした の だ。 その 歩み は 魂の 歩みより 造 かに:: いかった 

けれども、 畢竟 非常にお そかった。 人類 は科舉 のお 蔭で 巧妙な 工匠と は 成り 得た が、 人類 そのもの ゝ^ 殿に 付け 

加 ふべき 何物 を も 見出さなかった。 チン ダル は科舉 者の 偽らざる 自覺を 以て 「私逹 は 現象の 砂濱に 立って: H  : e 

り 砂 を摑ん だに 過ぎない」 と 歎じた。 一握りの 砂で すら 尊い。 私 は それ を 卑しめよう とする もので はない。 然し 

問題 は そこに はない。 如何に その 砂 を 摑ん だか C それが 問题 なの だ。 砂の 與 へる 觸感は 人^に 取って  一^ 緊ぉな 

事で はない の だ。 クロポトキンが 何故に その 初戀 なる 科學の 研究 を擲 つて- もっと 乎 近い 直接な ^ 题 II 卽ち人 

間 生活の 根柢 を滿 足させるべき 生 的 動向の 研究と 建設と に 一 生 を 託さねば ならぬ やうに なった か。 それ は 科 を 

考 へる もの、 熟慮せ ねばならぬ 一 大事で ある。 

私は餘 りな 老婆 親切に 墮 したやう だ。 私 はこ、 に 私の 魂の 耍求を ほのめかす 爲 めに、 假 りに 科學を 例に 叹 つた 

に過ぎない。 哲擧 についても、 道德 についても、 宗敎 についても、 藝術 についても、 それが 魂の 要求 を 無視して 

ゐる 限り、 同じ 事 を 繰り返せと 私の 魂 は 云 ふ。 私の 魂 はまた 私自身に ついて、;^ も 鋭く この |$ を 以て 私 を 竹 かす。 

ずの 葉  I ヒ七 


苷鳥 武郎仝 集^ 五卷  一七 八 

く, ひき  ひがごと 

魂に 對 する 全 存在の 迫害。 鈍い 斧 を 振って 王者 を馘 らうと いふ 僻事。 凡そ 長く 强く 痛ましく 鑌 けられた 壓 制で、 

物 皆が 魂に 對 して 取り 來 づた壓 制に 比ぶべき もの は 世に あるまい。 人 は 時々 思 ひ 出した やうに 幕の 切れ目から J 

寸魂 を^き 見す る。 然しす ぐ 幕 を 引いて 自分の 魂 を 自分の 生活と を 懸け隔たらして 了 ふ。 而 して 魂の 周圍 ばが り 

を ど  , , 9  , 

;て 死の 舞踏 を 跳りながら はしゃいで 狂 ひ 遊んで ゐる。 魂に やさしい、.? を 見せる ものに は これ は いつでも まざ ま 

ざと 見ら る、 悲劇 だ。 悲劇の 第三 幕 目 だ。 

私 はかくまでに 內 部の 分裂 を 見守り 且つ 歎いた つ 私 は 魂の 爲 めに 歎いた。 魂 は 私の 爲め にかく 歎いた。 然し 私 

はこの 慘狀 から 獨り 逃れようと はしない。 又 逃れる 事が 出来ない。 否、 否、 私 はこの 內 部の 分裂 を 歎き もし 樂し 

みさへ もしなければ ならない 現在で あるの だ。 現在 を 度 外して 私の 落ち着き 所が 何處 にあら う。 あらゆる 缺陷と 

矛盾と 束縛と を 以てして、 玆に 私の 眼前に ある 現在の 尊 さよ。 而 して 慕 はし さよ。 私 はこの 現在に 更に 何者 を附 

け 加 へれば、 この 完全 さ を 更に 完全に する 事が 出来る だら う。 

「樂 しく 快 く^は 歩く。 

何處に 歩いて 行く のか 自分で も^らな いが、 歩く 事の い X 事な の は 分って ゐる。 

全 宇宙 もさう だと 敎 へて ゐる。 

過去 も 現在 もさう だと 敎 へて ゐる。 

生きと し 生ける もの- 1 美し さ 完全 さよ! 

又 地球と その上の 微細な もの-完全 さよ! 


おと 呼ばれる もの も 完全 だが、 惡と 呼ばれる もの も 亦 等しく 完全 だ。 

桢物も 鑌物も 共に 完全 だ。 又 重量の ない 流體も 完全 だ U 靜 かに 確かに 凡ての もの は 現在の 有様に 進んで 來た。 

而 して 靜 かに 確かに 尙 遠く 進んで 行く」 

^  To  think  of  Time."  5511 


おの 糜爛した 魂 —— 私 は 試みに その 似顔 繪を 描いて 見よう か。 支離滅裂に 摧き亂 され、 ひしぎ^ され てんる にも 

係 はらす、 その 額に 億劫の 年 を經た 深い 皴を昆 出す と共に、 その 腰に は處 女に のみ ある, 力の 溢れた^ ゆの 强ぃ ^ 

し を 見る。. その 右の 手に は 永遠 を 握り、 左の 手に は 他の 永遠 を 握る。 その 奏でる 昔樂に 於て はハ I モ  一一 I とメ  "デ 

ィ I と は 畢竟 同一 の もの だ 。彼 は 過去で もない、 現在で もない、 又未來 でもない。 今 も 過去 も 未來も その外 凡ての も 

の も 飽滿の 醍醐味 を 魂に 齎すカ は 有たない。 唯 それ 自身の みが 魂の 眞の 伴侶で ある。" The  soul  of  itsell である。 

「^よ 女よ. E 給へ- 

それ は 渾沌で もない、 死で もない II 形體 である、 統 一 である II 計晝 である  水^で ある I ST:.i である」 

"wal  whitman.-  二  151  二 17. 

一 魂 を 滿.. 足さす もの は 遂に それ 自身の みで ある。 

魂 は それ 自身の 敎訓の 外 凡て の 敎訓に 反抗すべき 無限. の 誇り を 抱いて ゐる」 

r lvlanllattan、s  Street  I  slaunter-cl,  ponderinp" さ ——40. 

草の葉  一七 九 


^鳥 武郎企 集^ 五卷  J へ Q 

「私 は旣 知の 事 を 抛り 棄 てる。 

而 して 私と 一 緒に 凡て の 與 女 を 不知の 境に 送り出す。 

時間 は 瞬間 を 指し示す  水 遠 は 何 を 指し示す と 思 ふか。 

私達 はこれ までに 無限の 冬と 夏と を 使 ひつく した。 

私達の 先き に は 更に 無限が ある、 

甦生 は 私達に 豐滿と 多様と を覽 した。 

更に 他の 誕生 は璺滿 と 多様と を齎 すだら う。 

私 は 物に 大小の 差別 は 置かぬ。 

時と 處と を滿 たす もの は 凡て 相等しい。 

男女よ、 人類 は 君に 對 して 兇惡で 嫉妬 がましいと 云 ふか。 それ はお 氣の毒 だ -—— 然し 彼等 は 私に は兇惡 でもな 

く 嫉妬深く もない。 

凡てが 私^ は 柔順 だ。 —— 私 はくよ, (- しながら 勘定 はして ゐな い。 

(くよ,, f\ する 譯 なん ぞ あり はしない ではない か) 

私 は 成就され たもの、 極致 だ。 又來 るべき もの、 抱 藏者だ 。 


私の 爲 めの 準備 は 宏大 もない ものだった。 私 を はぐくんだ 腕 は 忠實に 且つ 好意が あった。 . 

快活な 船 子の やうに、 ひた 漕ぎに 漕いで、 輪廻が 私の 搖篮 な. 漕ぎ 進めた。 

私の 爲 めに は 星 も 軌道 を 曲げ て 通った。 

而 して 私 を 抱く もの を 世話す る爲 めに、 その 力 を 送って よこした。 

私 を 完成し 私 を 喜ばす 爲 めに は、 凡て の 力が 休む 時な く 働いた。 

而し て 私 は今玆 に、 私の 元氣 溢れた 魂と 共に 玆に立 つて ゐ るの だ」 

"Walt  whit ョ an."  II32ITI ま. 

私の 魂 は 莊嚴な 魂で あると 共に、 醜惡な 魂で あると いふ 事 を 人 は 驚く だら うか。 然し それ は^くべき^ でも:^ 

むべき 事で もない。 醜惡 とい ふ 字に 忌むべき 意味 を 與へ得 る 場合 は、 魂の 醜惡な 部分で よき S をし、 ^^な 部分 

でよ からざる 事 をな す 時で ある。 私の 魂 を 神の やうな 完全な もの だと 思 ふ 人に 私は齿 げたい。 それ は 誠に! 1: に 神 

の やうに 完全 無缺 では あるが、 私の 思 ふ 所と、 さう 思 ふ 人の 思 ふ 所と に は、 渡り 難い 鴻 溝が ある。 私の 魂 は 「今」 

にあって、 これ 以上の 完全 さに 仕上げられる 事 は 出来ない。 然し 今 は 未 來を胎 める 如く、 私の 魂 もお に 一 つの ウル 

全から 他の 完全に 飛越す る。 私 は 私の 魂 を 無下に 卑しみ 無み する ものに 對 して 執拗な 怒り ケ感 すると 共に、 ある 

がま i 以上に それ を 理想化す る ものに 對 しても 等しい 怒り を 投げ 與 へよう。 凡て 魂と 私との^ に^ 偽の ^を^れ 

ようとす る もの は^はるべ きで ある。 


有 島 武郎佥 集 第五 卷  I 八 二 

「お、 呵責すべき もの! 

私 は 認める.. I 私 は奸發 さるべき もの だ! 

(お-嘆美 者よ! 私 を 嘆美す るな! 私に 會釋 するな! 君 は 私. を 縮み 上らせる。 

私 は 君の 見て ゐな いもの を 見て ゐ るの だ。 . i 又 君の 知らない もの を 知って ゐ るの だ) 

この 肋骨の 中に 私 は 汚れ 屛 息して 橫 はって ゐる。 

■ 叉 苦痛 なげに 見える この 顔の 後ろに は、 地獄の 潮が 絶えす 流れて ゐる。 

淫欲と 邪 惡とを 私 は 退けない。 

. 私 は 犯罪者 と共にあって 燃える やうな 愛を覺 える、) 

私 も その 仲間 だと 私は感 する —— 私自身が 罪囚 であ. OS1 淫 である からだ。 

而し てこれ から 私 は 彼等 を 退ける 事 をし まい II 私 は 如何して 私自身 を 退け 得よう ぞ」 

-  Yo 二  Felons  in  Tnal  in  courl>  7 1 1 ひ. 

魂の 醜 さ を 凝視して、 その 傳習 的な 醜の 概念の 後ろに 潜む 本 體の實 質 を 恐れな く 見 透すべき 勇氣 の缺乏 が、 人 

の 子を驅 つて 永遠の 漂浪に 赴かせた 魔の 杖で はない か。 rM 足 動物 を 以て 被 はれた」 私の 魂 は、 私の 弱かった が爲 

5 ち 

めに、 私の 僞善 者で あつたが 爲 めに、 卽ち私 は驕馒 であった が爲 めに、 淺 ましく も 肋骨の 裡に 汚れて 屛 息した。 

私 は 魂 を 理解す る 事 を 知 つ て 以來、 か A る 悪 虐を行 ふ 事の 恐ろし さ に戰 く。 

魂の 風說 にば かり 耳 を 傾けて、 • 魂 そのもの. 1 影 も 見ない 人の 爲 めに、 私 は 如何しても 魂の 醜 さ を 高調し なけれ 

ばなら ない。 醜い もの は 肉で、 魂 は 白玉の やうに 淸 S もの だと 云 はう とする のか。 どラ かそん な 傳說に 欺かれて 


ゐる事 はやめて K ひたい。 それ は國利 民; I とか實 用 的道德 とかい ふ もの を眞 向に 振りかざして, 天下 を 無;? 

にしよう とする 人々 が 捏ね 上げて、 一 神」 の 香爐に 投げ こんだ 抹香の 中で も、 一番 劣 惡な抹 # であるの だ。 魂と 肉 

とが 爭 ふの だとい ふの か。 そんな 瀆聖を n にした その 口 は 先づ呪 はれねば ならぬ。 肉 —— 肉が 魂の 小なる  一^分 

でな くして 何んで あらう。 肉の 叫びが 魂 そのもの.. - 小さな 叫びで なくして 何んで あらう。 魂 は 肉と 對立 させて 考 

へねば ならぬ 程爾 かく 小さな もので はない。 魂と いふ 言葉に 附帶 した 習俗 的な 屬性 を、 人 は 根 こそぎ 取って 抡ー」 

てし ま はなければ ならない の だ。 

「己れ の 肉 身 を壞 敗に 陷ら せる もの は 自分 を蔽 ひひし やげ る ものであると 云 ふ 事。 

生. を 汚す もの は 死者 を 汚す のと 同じく 惡逆 だと 云 ふ 事。 

叉 肉 は 魂と 同じ W を爲す もの だとい ふ 事が 疑 ひの 中に あると 云 ふの か。 

若し 肉が 魂で ない としたら、 ー體 何が 魂 だと 思って ゐ るんだ」 

" I  sing  the  Body  electric. 一一  5 —— 8. 

「私 は 不滅で ある 事 を 知 つて ゐる。 

私の 軌道 は 大工の コ ンパ ス 位で 思 ふま-に される 者で はない 事 を 知って ゐる。 . 

私. は 又 子供が い たづら にす る 暗中の 火の 輪の やうに たやすく 消える 者で ない 事 を 知って 居る。 

私 は 自分の 莊嚴を 知って ゐる。 

私 は 自家 辯 護 をしたり、 人の 理解 を 得ようと して 苦心す る 馬鹿 はしない。 


, 有 島武郎 仝蕖 0  i 卷  一 八 四 

おきて 

私 は 自然の 律. が 決して 申譯 などした 事の ない の を 心得て ゐる。 

(かう いったと て、 結局 私 は 建築に 使 ふ 水準器 以上に 驕馒な 振舞 ひ をして ゐ るので は. ない 積り だ) 

私 はありの ま&. に 存在す る  それで 澤山 だ- 

誰も 私に 頓着し ないから といって II 私 は平氣 だ。 叉 誰も 彼 も 頓着す るから といって In 私 は平氣 だ。 

そんな ものより 遙 かに 大きな 一 つの 世界が 私に 注意して ゐる  それ は 私自身 だ。 

而 して 私 は 今日 自己 を實 現しよう とも、 千 萬 年 を 待たねば ならぬ とも、 

私 は いづれ に も 等しく 滿足 して ゐる だ らう」 

-- Walt  Whil ミヨ., さ 5  —  4 一一- 

私の 魂 は莊嚴 である。 今まで 人 は 首 葉 を 盡し心 を 傾けて、 その 莊厳 を說 いた。 然し その 人々 の 思 ひ 設けな かつ 

た 程 魂 は莊嚴 だ。 私の 魂 は 過去と 現在との 總和 であり、 未來の 凡て にある。 未 來に現 はるべき あらゆる 偉大な 思 

想と 偉人と は、 私の 魂が 子孫に 殘 して 行く 形見で ある。 私 は 各 瞬^に 進化し 各 瞬 問に 蓄積す る。 祌と いふ 字 を W 

ゐょ とならば、 私 は 憚る 所な く 大膽に 私の 魂 を 神と 呼ばう。 如何なる 一一 1R 葉 も 私の 魂 を 呼ぶ には餘 りに 貧しく 卑し 

い 曾 葉 だからで ある。 私 は 魂に よって 凡ての もの を 肯定す る 事を覺 えた。 人^の 外部に 起る 衝 軌 が、 祌經 質に も 

なるべく 細かく 物の 區劃を 立てる 時、 私 は 魂と 連れ立って 片っぱ しから それ を 破って 行かう。 魂は暧 野で なけれ 

ば 走らない、 高山で なければ 飛躍し ない" 

これが 空疎な 表現と 聞こえる か。 私 は 魂 をい ひ 現 はす 爲め にもつと 放膽な 霄葉を 假 りて 来たい と 思 ふ 位 だ。 何 

故なら ば 魂 は 今まで 餘 りに 慘 めな 言葉で 飜譯 されて 來た爲 めに、 人の 心の中の 魂の 置き場が 云 ひやうな くせ-こ 


ましい 汚い もの. になって しまって ゐ るから だ。 大きな 尊い 美しい もの は 曙 示に よって のみ 晃 はさ える。 こ?.:!::" 

の 味を嚙 みしめ 得る 程に 本能の 働く 人 は 幸 だ。 

「勝利、 結合、 信仰、 一 致、 時限、 

解體 すべから ざる 凝集、 豐潤、 祌祕、 

永遠の 進歩、 宇宙、 及び 近代の 反響、 . . 

これ こそ は. 生 だ。 

幾多の 苦悶と 死 痛の 後に 表面に 表 はれ 来るべき もの は玆 にある」 

rstlrtir-TO  fKsl  Pauma コ OCIC.S  15 II 21. 

「この H 黎明 前、 ^は 丘上に 立って 滿 fK の 星斗 を 見渡した。 

而 して 私の 靈に 曰った。 私が; 大體の 凡て を 抱擁して、 その 中に ある 凡て の 快樂と 知識と わ 船む する 寧 を:^ たら、 

その 時 私 は滿ち 足る 事が 出來る だら うかと。 

その 時 私の 靈は 答へ て 曰 ふ。 否。 私達 は その 到達 を 無視して 更に その 先き に蹦 進す るの みだと」 

.  ••  Walt  w;-itnyln."  I2I7—I2r9. 

「足に まかせて 心も輕 く、 私 は 大道 を濶 歩す る。 

健全で、 自由で、 世界 を 眼の 前に 据. ゑて。 

草の葉  一 八 あ 


有 鳥武郞 ^集 笫五卷  】 八, 六. 

私の 前の 黑褐の 1 路は 欲する がま i に 遠く 私 を 導いて 行く。 

これから. 私 は 幸運 を 求めな い I 私が 幸運 そのもの だ。 

これから 私 はくよ, ^ しない、 躇は ない、 叉?: 者 を も 要しない。 

剛健に 鉋滿 して 私 は 大道 を 旅して 行く。 

こ i ろぶ  にな 

(しかも 私 は 快い 重荷 を檐ひ つ けて 行く。 

男と 女 —— それ を 私 は 運ぶ、 何處に 行く にも それ を 蓮ぶ。 

誓って いふ 私に は 彼等から 遁れる 術 はない。 彼 は 彼等で 一 杯 だ。 その代り 彼等 も 私で. 一 杯に してやる」 

Song  of  the  Open  I^oad  -  III4. 

「船 を乘り 出せ! 深い 海原の み を 指して 舵 を 引け! 

お., 魂、 大膽な 探險、 私 は 君と、 君 は 私と、 私達の 行 手 は 船 子の 嘗て 行く 事を敢 てし なかった 所 だ。 

そこに 私達 は 船、 私達 自身 及び 萬 事を睹 して 乘り 出す の だ。 

勇敢なる 私の 魂よ! 

遠く、 更に 遠く 帆走れ! 

お. - 不敵なる、 然し 安全なる 歡樂! 彼 處も亦 神の 海原で はない か。 


一お 4:1  く、 遠く、 遠く 帆走れ! 」 

"passing  to  Indip-  —— 2^6. 

「見ろ 誇りげ に眼銳 き科學 を! 

ひと; 0 

高い 峰からで も 見お ろす やうに、 近代 を 一眼に かけて、 つぎ/、、 に as 對 のな 叩 令 を煥發 する。 

しかも 見よ、 凡ての 科舉の 上に 立つ 魂 を、 

魂の 爲 めに、 地球の 周圍 に地殼 が榘 まる やうに、 歷史が 相 集まり、 

もろ/ \  - 

その 爲 めに 諸 の 星 は 大空 を 流れ歩く。 

迂路に よる 螺 線形の 道の 上、 

(海上 を 一杯 に^いて 走る 船の やうに〕 

魂の 爲 めに 部分 は 完成に 流れ 行き、 

その 爲 めに 理想 は 理想に 向って 進む。 

その 爲 めに 神祕な 進化 も 行 はれる。 

義 のみ 義 とせられす、 私達の いふ 不^ も亦義 とせられ るの だ」 

"Song  of  the  Universal"  10121 

草の葉  一べ.: j 


有 島 武郞仝 第 ^五卷  一八べ 

私 はかくして 私の 魂 を 通じて 人と 自然と を 眺めて 見たい。 私 は 長い^ 馬鹿な 眼に 遇って ゐた。 私 の^の 後ろに 

私の 魂 を つれて 來 るまで、 私の 昆た もの は 凡て 無益だった。 私の 耳の 後ろに 私の 魂 を つれて 來 るまで、 私の 閒ぃ 

*H  0 こ 

たもの は 凡て 無益だった。 私は惡 夢から 覺め たもの、 やうに、 今まで 私の 眼 や 耳の 後ろに 何者が 跋扈して ゐ たか 

を 思って 心が 惑 ふ。 額 を 銀く する。 藤史 とい ふ 桎梏に かけられて、 私の 心 は 萎え * て、 ゐ たと 見える。 叉 道德と 

いふ. 牢獄の 裡にゐ て、 祌 妙に その 莛の 上に 坐す る 暇に、 心 は 死に かけて ゐた。 魂を兒 出し 得なかった 私 は 何を桎 

梏 にかけ、 何 を 牢獄に 投じて、 自分の 生活 を 安全 だと M ろて ゐ たの だら う。 私 は 汗す るよりも 更に 淚 せんとす 

る。 高 價に媾 はれた 敎訓 であるよ。 然し 私 は 遂に 歷史 よりも 道德 よりも 大きかった 事 を 知る。 私 は 糜^した 私の 

魂 を 何より 愛惜す る 工夫 をし 得た からで ある。 

私 は 私が 出來 得る 限り 仔細に 私の 魂 を 調べて 見た。 而 して 糜 I した 魂 は その ま、 健全な 極に ある 事 を 知った。 

去年の 枝 を 切り 拂 はれて 春風に 雀躍り する 若木の やうに、 私 € 魂 も慯々 しい 疵の 中に あって 歡 呼の 聲を擧 げてゐ 

る。 私は甫 めて 生の 喜びの 如何なる ものである か を 知った。 生と は 押しな ベて の 人の 言 ひ 草の やうに 死の 對 照で 

みつぎ 

はない。 生の 大きな 海原から 週れ 出 得る 如何なる 泡沫が あり 得よう。 死 —— 死 も 亦 生に 貢す る】 つの 流れに 過き 

ない の だ。 劫 初から 劫 末に、 人の 耳に は餘 りに 高い 青樂を 奏でつ、、 滔々 と 流れ 漂 ふ 生の 海原 は、 今の 私の 眼の 

前に ほの-^ と 開け 度る。 凡ての 魂 はこの 海原に 聳え 立つ 五 百 重の 波で ある。 その美し さと 勇まし さと を 見ない 

か。 この 晴れ やかな 光に 照らされ ると、 死 も 亦 美しい 一人の 保護 女神 だ。 死 を 讃美しょう。 

「来い、 可憐な なつかしい 死よ、 


地上の 限り を隈 もな く、 落着いた 足 どり で 近づく、 近づく 

晝 にも、 夜に も、 凡ての 人に、 各ぶ の 人に、 

早 かれ 遲 かれ、 華奢な 姿の 死よ。 

測り 難い 宇宙 は讃む ベ きかな、 

そ Q 生、 その 喜び、 珍ら しい 諸 の 物象と 知識、 

又 その 愛、 せい 愛 II 然しながら 更に (-讃 むべき かた、 

^の 冷靜に 凡て を 捲き こむ 死の 確 實な枸 擁の乎 は。 

静かな 足 どり で 小 息み なく 近づいて 來る喑 き 母よ。 

心から あなたの 爲 めに 歡迎の 歌 を 歌った 人 はま だ 一 人 もない とい ふの か。 

まさ 

それなら 私が 歌 はう —— 私 は 凡て に 勝って あなた を光榮 としょう。 

あなたが 必す來 るべき ものなら、 間違 ひなく 來て 下さいと 歌 ひ 出で よう。 

近づけ、 力強い 救助 者—. 

それが 運命なら —— あなたが 人々 を かき 抱いたら、 私 は 喜んで その 死者 を 歌 はう 

あなたの 愛に 滿 ちて 流れ 漂 ふ 大海原に 溶け こんで、 

あなたの 法樂の 洪水に 有頂天に なった その 死者 を 歌 はう、 お、 死よ。 


ね^ 武 郞仝笾 m ^ ^_  1 九 〇 

私から あなたに 喜びの 夜曲 を、 

义 舞踏 を 挨拶と 共に 申し出る 1 1 部屋 の 飾りと 饗宴と も 亦" 

おしく は廣 やかな 地の 景色、 若しくは 高く 擴 がる 筌、 

^しく は 生活、 若しくは 圃園、 若しくは 大きな 物 思 はしい 夜 は 凡て あなたに 適 はしい。 

芯し く は 星々 に 守られた 靜 かな 夜, 

おしく は 海の 汀、 私の 聞き 知 つ た あの 皺が れ聲で さ X. やく 波、 

おしく は 私の 魂 は あなたに 振り向く, お、 際涯 もな く 大きな、 面 被 ひの 堅き 死よ.』 

モ して 肉體は 感謝して あなたの 膝の 上に 丸 まって ^喰 ふ。 

の 上から 私 は 歌 を {仝- に 漂 はす、 

紅り SS  く 浪を越 え て:、 —— 無數 の圃圃 と荒漠 たる 大 草原と を 越えて、 

ト,.  ふなつきば 

辻て こんだ 凡ての 市街と、 群集に 埤 まる 繋船 場と 道路と を 越えて、 

私 はこの 歌 を 喜んで 喜んで {4! に 漂 はす、 お \ 死よ」 

.  r  Pres.  LincoIn*s  .Bur.al  Hvmn."  136 1 1 ひ 3. 

私 は 自ち强 者と 名乘る もの を 哂 ふ。 又 他の 呼んで 弱者と 云 ふ もの を 見て、 その 何ん の 故で あるか を 知る に 苦し 


む。 魂の 前に 強弱の 差別 はない II それ 自身に して 完全 だ。 魂 は 魂に 對 して かう 告げる。 

「私 は 降り 行く 人 を 捕へ る、 而 して 無敵の 意志 を 以て 彼 を 引き上げる。 

お、 失望す る I よ * 玆に 俺の 頸が ある ぞ, 

祌 かけて: S ふ 降って 行って はいけ ない、 構 はない から 安心して 俺の 頸に つるさ がれ」 

r  Walt  whitman.-  I8SIIOIO. 

實 にこ 一の 言葉の 「家 を 建てる に 使 ふ 水準器 以上に 驕慢」 な 言葉で ない 専を 私の 魂 は 知って ゐる。 おし さう でな 

かったら、 魂の 背景 を 作る 永劫の 進化の 徑路は 水泡 だと 云 はねば ならぬ。 假 相を剝 いで 釗 いで 魂にまで 行かつ" 

而 して そこに 普遍 圓滿 な 生の 海原に 溶け 流れよう、 —— 自由に 自然に 而 して 力強く。 

私 は 新しい 藝術 S 傾向 を 魂に 行く 傾向と 云 は う。 ft: 然が魂 を 脅かす 様 を^^だ け を 働かして 唯::: や 汁った^ ほ 

や、 魂 を 出し 拔 いて 自然と 自然と が交涉 した 跡 を淺く 尋ねる 態度 は、 旣に 過ぎた。 私 は 殊に 新しい 傾向の^ W お 

として 後靱 印象派と 概稱 される 畫家 その他に 感謝せ ねばならぬ。 騫ェは 遂に 人生に 相關 はろ^ 術^にまで 飛^し 

た。 彼等 は 魂に 浸 滲し 始めた。 魂にまで 行かう とする 敬虔な 向上 I 此の 目覺 ましい 活動の 外に、 彼, の^に は 

何等の 動向 もな く 乂發心 もない。 況んゃ 何者に 對 する 何等の 敵意が あり 得よう。 かくて 彼等 は私逮 に 魂 の35 の耍 

求が 何處に 4 ら ねばなら ぬか をお ぼろげ ながら 示して くれた。 水盤に 水を滿 たして 雙 乎に 捧げる 如く, 公-や 透 做 

な 心 を 持す る 事な くして、 如何して 此の 宏大なる 企圖 がな し果 され 得よう。 

草の葉  一九 一 


有 島 武郎仝 集 ^五 卷  一九二 

,ト rickle,  drons  !  my  blus  veins  leaving  ! 

( ) drous  of  mc  !  trickle,  slow  dl.of}s- 

(  、;5£d,  from  me  falling,  drop,  l)lce(ling  (Irops. 

一- r  )m  wounds  made  to  free  you  whence  yo 二  were  prison、d, 

1-Tom  my  face  from  my  forehead  and  lips, 

Krom  my  l)rcast  irom  within  where i wils  ronccar(l  ^^.0^  forth,  red  (Iro づ s  conlcssinr?  drops; 

Let  them  know,  vour  scarlet  heat  let  them  glisten; 

x^^-so  them  with  y 乙 I17clf.  all  ashalnQl  and  wet; 

二 low  unon  all  I  nave  written,  or  shall  write,  weeding  drops; 

Let  it  all  be  seen  in  your  ligllll,  blushing  drops. 

"、rrk,klle  Drops.,* 

魂の 拘擁" より 犬なる 魂のより 犬なる 抱擁。 神の 大 なる 抱擁に 至るべき 習練と 努力。 私は靜 かに これ を 思 ふと 

ホ ヰット マンの ccmerade と 云 ふ 常用の 稱呼を 先 づ思ひ 浮べる。 义 彼の 死に 對 する 自然な 愛着 を 想 ひ 起さないで 

は 居られない。 大きな 生の 海原に 溶け込んだ 魂 は、 物 皆の 醜い 隔て を乘り 越えて 互に さ、 やいて 居る" 

「今 私共 は 遇 ひ、 見、 而 して 安全 だ、 • 


平和に 再び 大洋に 還れよ、 私の 愛する 者よ、 

私も亦 その 大洋の 一 部で ある —— 私共 は 思 ふ 程 隔たった 仲で はない、 

御覽 この 大きな 輪廻 を —— 凡て の 順應、 何と 云 ふ 完全 さ だら う」 

"Out  of  the  Rolling  Cccan,  the  Crowd"  619. 

若し 最も 自分 を 信じ 得ない もの を 求めたならば、 乂最も 力 を 用 ふるの を懶 がる もの を 求めたならば、 又:^ も 物 

皆の 驅 使に 唯々 たる もの を 求めたならば、 私 は先づ 私自身 を 指さねば ならぬ 事 を 知って おる。 私 は 木 力 もが^ 

を、 草の葉が 黑土 を裝ひ 始める 時から、 黄 落の 悪夢に 脅かされる ほど、 びく /(- した 心 構へ で:^ る^ を,::,:: せれ 

ばなら ぬ。 然しながら 私の 魂 は、 それに も 係 はらす、 凡てが 大歡 喜の 巾に ある 事を^.;: M く宜. ::n する。 私は而 しこ 

神聖なる 喜劇が 存在の 實相 である 事 を 明かに 體 得する。 私が 魂に 觸れ 得る と 云 ふ ler かこの s-s^ の夾 害で ある。 ホ 

ヰット マ ン すら rET 聞き 而 して 默す」 瞬 ^ は ある。 然し それ は 物 呰に卽 した 時の 瞬 I! であらねば ならぬ- 私 は 

その 薄い 膜の 彼處に 絶大な 光明 世界 を 見る の 外 はない。 私 は 私自身の peevishness からこの 一大^ を 此の^: から 

葬り去る 程の 害心 は 持ち 得ない。 物 皆に 卽 した 今の 私に 徹底的な 悲觀論 は 如何に 歡迎 さるべき ものであるよ。 所 

が 私の 魂 は、 糜爛した 魂 は、 その 奧 にあって 胎を 立ち 出で たる 太陽の 如くに^ び 笑って W るの だ。 

「お X 私の 靈の喜 び! 靈は囚 はれす して 電光の やうに 飛ぶ。 

此の 地球 を 所有し 或る時 間 を 所有す る だけで は 飽き 足らない。 

私 は 千の 天體と 永遠と を 得よう」 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  I 九 四 

" l)02m  of  Jcv."  9 1 Mo. 

私の 魂 はかくて 久遠の 光明 裡に 凡ての 魂の 行進 を 見る。 「永久に 生きて、 永久に 前方に、 或は 堂々 と、 或は 嚴 

肅に、 或は 愁然と、 或は 身 を 避けて、 或は 辱 しめられ、 或は 狂 ひ、 或は 噪 暴に、 或は 弱く、 或は 不平が ましく、 

或は 絕望 的に、 或は 倨傲に、 或は 愚に、 或は 病みて、 或は 人に 容れ られ、 或は 又 人に 遠ざけられながら、 彼等 は 

行き 行く の だ。 彼等 は 行く 事 を 知って は 居る が 何處に 行く か を 知ら-ないで 居る。 然し 私 は 彼等が 最上の 方へ、 又 

何等か 偉大な もの-方 へ 造み つ \ ある 事 を 知って 居る」 

「魂の 流 射、 

お.^ 

魂の 流 射 は、 問題の 種 を まきながら、 木の葉に 被 はれた 門 を 潜って、 內 部から 出て 來る。 

この あこがれ 心、 それ は 何故で あらう? 又 それと 定めが たいこの 想 ひ、 それ は 何故で あらう? 

何故 男女の 人達が 私の 側近く 居る と、 太陽の 光が 私の 血に 漲る の だら う? 

ちゃう? つ 

何故 彼等が 私 を 離れる と、 私の 歡 喜の 長旒 はだら りと 細く 垂れ 下る の だら う? 

何故 私が その 下 を 歩く 毎に、 彼 處の樹 から 偉大な 音律 的な 思想が 私の 上に 降る の だら う? 

(私 思 ふに 人 は あの 樹に夏 冬 をつ るして 置いて、 私が 通る とその 果を 落して よこす の だ) 

私が 見す 識ら すの 人と 突然 取り 交す もの は 何んだ。 御者の 側に 坐って 居る 時、 その 御者と 取り 交す そのもの は 

何んだ。 

私が 行きす りに 立ち 停って 見る、 引 網 を 引く 漁夫と 取り 交す その 者 は 何んだ。 


女な り 男な りの 好意に 對 して、 自由に それ を 受け入れ しむる そのもの は 何んだ。 

又 彼等 をして 私の 好意 を 自由に 受け入れ しめる そのもの は 何んだ」 

"ひ onj?  01  tn"  Opon  Road."  oo 1 105. 

然し 私は餘 りに 平和に 魂の 行進 を說 いたか 知らん。 それならば 私 は 云 ふ、 エホバ を 兌る もの は 死す、 魂 は 在 

であるから 假 相に 取って は 恐怖で あり 破壞 である 事 は 云 ふまで もない と。 私 は 魂が 物 の 上に 立つ 時 を 想像す る 

と、 想像した^ けで、 眼 は 眩み、 耳 は St する を覺 える。 その 時、 今の 恃む 凡ての 堅!: なる もの は、 世に 憐れな^ 

滓と して、 一 つ 殘らす 塵に 歸 する だら う。 物 皆 は藻搔 き藻搔 いて 魂の 歩みから 拔け 出ようと する けれども、 それ 

等 は 一 見 成功した らしく 見えて 失敗に 終って しま ふ。 物 皆が あわてふためく ii に、 魂の 歩み は 一 絲亂れ ない。 而 

して 遂に 永遠の 秩序 は 基 を 定める であらう。 

「決然た る行爲 の 前 に 論議 は 如何 に 卑陋な るよ! 

男 若しくは 女の 一視 線に、 如何に 都市の 美 觀は縮 退し 了る よ! 

强き 者が 現 はれる まで、 凡ての 物 は 怠慢な やり方 をしながら 待って 居る。 

强 き 者 は 宇宙 の 人種と 村 能との 證據 である。 

若し 彼 又は 彼女が 現 はれ &ば 物^ は摺 伏す る、 

魂に 關 する 論^ は 止んで しま ふ。 

草の葉  一 九 五 


有 島武郞 全集 第五 卷  】 九 六 

古き 習慣 古き 用語 は 敵對を 受け、 退けられ、 葬られる。 

その 時 君の 金 まう けが 何の 役に立つ? 

君の 體 面が 何の 役に立つ? 

君の 神學、 敎育、 社會, 傳說、 法令 全書が 何の 役に立つ? 

存在に 對 する 君の 嘲笑 は 今 安くに ある? 

魂に 對 する 君の 妄語 は 今 安くに ある? 」 

「私 は 誓言す る、 私 は 嘗て 征服せられ. ない もの 、味方 だ。 

其の 根性 を 一 度 も 曲げた 事の ない 男女の 味方 だ。 

法律 や、 學說 や、 傳 習に 打ち勝 たれない 人々 の 味方 だ。 

. 私 は 誓言す る、 私 は 全地 球と 肩 をなら ベて 押し 歩く もの \ 味方 だ。 

凡て を 開始す る爲 めに 一 事より 開始す る 者の 味方 だ」 

^  Marches  now  the  war  is  over.*,  29" J. 203, 

「この 次に 何が 起る か を 誰が 知る か —— 恐るべき 兆候 は 日夜に 滿 つる、 


未知の 年よ! 私が 歩きながら 見 窮めよう としても 見^められない 前方の^ ^は 妖^で 溢れて.^ る、 

生れざる 行爲、 やがて 現 はるべき 事象 は、 私の 身の 圍 りに 隱毘 する、 

お & 想像 も 及ばぬ こ の 突進と 灼熱 —— こ の 奇怪な 感極まれる 夢の 熱、 お \ 年よ! 

お、 年よ、 お前の 夢 は 存分に 私に 貰 徹する。 (私 は覺 めて 居る のか 眠って 居る のか) 

働き を 終 へた アメリカと ョ In ツバ と は、 私の 後ろの 影の 奥に 退き 去って、 

今までより 更に 絶大な これから 働くべき 國々 は 私の 上に どん^ (\ 進んで 來る」 

"Years  of  tlie  M0J2.n."  2"——3p 

私 は おだやかな 魂 を おだやかに 人に 語る の だが、 魂の おだやか さは 颭 風と 大濤の 荒き よりも や、 荒き^ を 知ら 

ねばならぬ。 魂の 卽位を 避ける 事 は出來 ない。 それ を 避け ざらん に は、 老いた る もの は滅 おる^^ を、 ==,H きも 

のは廢 たる、 準備 を、 倨傲なる もの は ひれ 伏す 身 構へ をして 居なければ ならぬ。 頑迷と、 姑^と、 稱邛 と、 メ^ 

と は 魂の 防禦に は 最も 鈍った 武器で ある。 

「行け、 大道 は 私達の 前に ある! 

そこ は 安全 だ —— 私 は 歩いて: D- たの だ —— 私の この 足が 十分に 試みた の だ。 

行け、 躊躇す るな! 

書かない ま.^ で 紙なん ぞは 机の 上に 措いて 置け- 書物 は 本棚に 開かす に 仕舞 ひこめ ー 

草の葉  一 九 七 


右 烏武郎 佥集笫 五卷  I 九 八 

ま 具 ま ,ェ蕩 に、 金 は 諸け すに ほったらかせ! 

® 校に も 近づくな、 敎師の 云 ふ 事なん ぞには 耳を貸さないで! 

坊主に は 脇 手に 講壇から 說敎を させ、 狀師に は 勝手に 法廷で 論じさせ、 法官に は 勝手に 法 を ひねくらせて 置け ー 

わが 子よ! 私 はお 前に 乎を與 へ る! 

お前に 金より は 少し 贵ぃ 私の 愛を與 へ る! 

說敎ゃ 法令の 代りに 私 はお 前に 私自身 を與 へ る! 

お前 もお 前 自身 を 私に くれない か、 而 して 一 褚に 旅に 出ない か。 

生きて る 限 り. お 互 にしつ かり 結び 附ぃ ていったら 如何 だら う」 

-song  of  the  Open  H.0C11  一、 2291 23r 

私の 魂 はかく 私に 告げる。 而 して ワルト. ホ ヰット マ ンは 私の 魂 0 告げる 所に かく 唱和す る。 

「私 は 私の 身 を 塵に 委 する、 而 して 私の 愛する 草に 現 はれよう。 

君が 私 を 求めたい となら、 君の 靴の 下に 私 を 尋ね 給へ。 

君に は 私が 何んで あり 何 を 云 ふの か 解るまい。 

もたら 

解ら なくって もい-、 私 は 君の 爲 めに 健康 を齎 さう、 而 して 君の 血を淨 めて 力 をつ けよう。 


1 度 私 を 捕へ 損ねて 失望し ちゃい けない、 

たづ 

玆で 尋ね あてなかったら 外 を 尋ね 給へ。 

, 私 は 君 を 待って 必 す何處 かに 居る からね」 

* 二 Valt  Whitman."  I337II343- 

詩の 飜譯は 不可能な 事です から^ 文の ま、 に 出さう としまし たが、 字を桢 ゑる 人の 苦 勞を思 ひやって、 ^しました。 ^^に 

は 詩 題と 行数と を 書き 添 へて 置きました から、 原詩 を 讀んで 下さ い。 

:原 文 のま 丄 出した のは譯 する に は 餘リに 勿體な かった からです。 「船 を乘リ 出せ 云々」 の 詩 も 原文 で^ぐべき^ の ものです。 

(1 九 一 111 年 七月 「& 禅」 所載〕 


草の葉  I 九九 


有 島 武郞仝 集 笫五卷  一一 〇〇 

本學の 過去 

(東北 帝 國大舉 農科 大學) 

玆に 明治 敎 育史 を 編む 者が 出て、 明治 初期に 屬 する 敎育界 に 特殊な 色彩 を 放った 舉校を 索め たら、 勢 ひ 先づ指 

を 屈する の は、 福澤 先生の 慶應義塾と 新 島 先生の 同志 社と 而 して 本學の 前身なる 札 幌農學 校と であらう。 當時は 

敎育 事業 も 亦新舊 過渡の 潮流に 漂 はされ て 居た ので あるが、 一 の擧 校の 方針 施設 一切が 其の 統率す る 人物に よつ 

て 確定され た點 は、 昔風の; ^塾の 面影 を存 して 居った と 云 はねば ならぬ。 福澤 先生 は當 今に 有用な 實務家 を 得よ 

うと; ぶふの が 目的で、 新 島 先生 は 日本の 內部 生命 を 指導す る 人物 を 造る のが 主義で、 兩 先生の 人格 は 赤裸々 に發 

露して、 他と 混同すべからざる 特殊の 校風 を 成した ので ある。 わが 札 幌農學 校に も 亦 一人の 統率者が 居た。 彼 は 

00, 新島兩 先生に も 劣らぬ 程な 高邁な 人格 を備 へた 人で、 それが 煥發 して 札 幌農舉 校に 比類のない 一種の 色彩 

を與 へる 事に なった。 

此の 統率者 は 名 を ゥ イリヤ ム*ス ミス. クラ ー ク と;. ム つて マサ チュ ー セット 州 生れの 米國 人で ある。 ァ マス ト大學 

を 卒業した 後、 ゲッ チン ゲン 大學に ビス マ ー ク など ゝ机を 列べ た 事 も ある。 歸米後 は 母校の 敎授 として 科 舉的研 

缵 に 貢献した 所も尠 くないが、 殊に 其の 性格の 全豹 を發 揮した の は 南北 戰爭の 時、 北 軍の 一 指揮官と して 劎を秉 

つて 扠隸廢 止 運動 を實 行した 其の 時であった らう。 後に は 陸軍 少將の 榮職を 以て 擬 せられた の を固辭 して、 戰爭 

が濟 むと 一 の 農業 大學校 (マサ チュ ー セッ ト 農業 大舉 校〕 を 起して 其の 經 營を以 て 畢生の 住と した。 

然るに 明治 九 年 彼 は 突然 日本 政府から 農事 校 設立の 爲 めに 招聘され た" これ は當時 北海道 開拓 使の 顧問で あつ 


た 陸軍 少 將ケプ ロンの 進言した 所が、 時の 開拓 使 長官 黑田淸 降: によって 納れ られた 結^で ある。 彼 は^んで これ 

に應 じ、 ホ イラ ー、 ベン ハ nl の 二 敎師を 伴って 日本に 渡り、 自ら 試驗 して 奮札幌 學 校の 生徒 十二 名と 新たに 募 

集した 十一 名、 併せて 二十 三 名を簡 び、 札幌に 來て玆 に本舉 の 前身 札 幌農舉 校の^ 礎を据 ゑた。 咬お は 常時の^ 

  I  あた 

拓使 小.^ 官 調所廣 丈、 クラ ー クは敎 頭と して 訓育の 任に 贋る 事と なった。 これが 明治 火 年 弋パ 十四日で ある。 

クラ ー クは 日本の 一隅に 一 の 舉校を 創立す る 事 を 以て、 格別 興味 あり、 働き S. 斐 ある 事業と 思った。 此.: ^を 成 

すに も 渾身の 力 を 籠め ると 云 ふ 獅子の 如き 努力 を 以て 赴任 後 直に 彼 は 萬般の 施設 を 試み 始めた。 共の 就^.: u..:::i: 

の 如き は眞に 特色 ある 堂々 たる 文字で ある T かくの 如くして 諸君 は、 莨 面目に して 现|2 と 精力と に める^ をめ 

耍 とする 重要なる 位置に 適する 人と ならなければ ならぬ。 此の 如き 人 は 如何なる 邦に 於いても 化、 仏? 以上に^ ^亡 

られて 居る ので ある」 と 生徒 を激勵 し, 一面に 乂 若し 長官に して 數年^ 同校の 幼^期 を 保護す るなら ば、 M-ぉ は 

北海道の みならす 曰 本 全 帝阈の 人民より 尊敬と 輔 助と を 蕖け、 而 して 粱 けた 所に 酬 ゆる だけの^ 紹を^ げれ るに 

至る だら うと、 同校の 將 來に對 して 多大の 希望 を 表. n! して 居る。 

クラ ー ク敎頭 は札幌 には滿 一年と は 居なかった が、 其の 人格 的 感化 は實に 著大であって、 零 碎 な.:: :: 励 も 今 だに 

殘 つて 舉風 鼓舞の 種と なって 居る。 米國 北部の 特色で ある 淸敎徒 的の 廉潔 方正に 加へ て、 恬爽 高邁な^ 性的の^ 

德を 十分に 發 揮して、 若き 靑年 共の 崇拜を 集めす には已 まなかつ たので ある。 其の^ 業と して すべき^ は、 

今尙 ほ殘存 して 居る 第一 一 農場の 家畜 房 位の もので あらう が、 形と なって 顯 はれない 內部 的の 蒸 化 は 、巾々 說き盡 す 

事が むづ かしから う。 かくて 其の 翌年の 春、 松 島まで 彼 を 送り 來 つた 一 群の 靑 年に 對し、 "Boys  be  ambitious" 

なる 一 語を殘 して 此の 偉大なる 眞侗の 敎育家 は自國 に歸り 去った。 

跡に^つ たホ イラ ー と、 新たに 招聘 を 受けて 來た ブルックスと は 協力して クラ I ク敎 頭の 殘 したお 業 を 樅 水し、 

本學の 過去  二 〇 1 


有島武 郎仝菓 笫五卷  二 o 二 

熱心に 札 幌農學 校の 改良 發 達に 苦心した。 其の 結果 事鑌 は敎務 上に も經營 上に も續々 として 擧り、 これに カツ タ 

1、 ピボテ ー 其 0 他日 本人に して 敎鞭を 取る もの も 次第に 增 加して 力 を 副へ たから、 一大 農擧 校と しての 面目 は 

略 備 はるに 至った ので ある。 

殊に 明治 十 一 年に 於いて は 生徒 數も 第三 囘の入 學生を 入れて 五十人に 達し、 札幌に 於け る 記念 的の 建築物 演武 

場 (現在 假 郵便局) 完成し、 「札 幌農擧 校報吿 集」 と 云 ふ 農家に 對 する 通信 講義の 定期 刊行 も 興り、 又 北海道に 於け 

る 最初の 農事 品評 會も 催された。 

明治 十四 年! 一月 調 所 氏が 校長の 職 を 退かれた ので、 當時 開拓 使 小 書記官であった 森 源 三 氏が 其の 跡 を 襲うた。 

此の 年 以後の 北海道の 施設 は 猫の 眼の 様な 變化 を爲 した。 卽ち 拓植の 事に 任じた 開拓 使は廢 せられて、 北海道 

は 三縣に 分割され る 事に なり、 札 幌農學 校 は 勢 ひ 農 商務省の 管下に 置かれた が、 耱て三 縣が廢 せられて、 北海道 

廳と云 ふ ものが 出来る 事に なり、 同校 は 其の 管轄 內に 入る 事に なった。 十九 年に は 森 氏が 校長の 職 を 退き 撟ロ文 

藏 氏が これに 代った。 

札 幌農學 校 設立 以来 かくして 十 年 は 過ぎた。 此の間に 初期の 卒業生の 中に 舉 術に 身 を 委ねた もの は、 立派な 擧 

者と なった。 第一 期 出身の 佐 藤 昌介氏 は、 多年 米國に 於け る 研鑽の 餘を 提げて 歸 朝し、 氣銳の 志 を 負うて 明治 二 

きっきょ 

十七 年 四月 校長の 椅子 を 占めた。 雨來 今日に 至る まで 幾多の 波瀾 變遷 に處 して 拮据 經營 し、 現在の 本學を 見る に 

至, らしめ たのに は、 氏の カ與 つて 實に大 なる 者が ある。 

佐 一勝 氏が 校長 心得 をな せる 時分から 旣に 改革が 校 內に行 はれた。 明治 一 一十 I 一年に 新設され た ェ攀科 は. 一 翳の 改 

良發 達を爲 し、 新たに 農 藝傳習 科なる ものが 生れて 農家の 子弟に 簡易な 實用 的農學 を敎授 する 事に なった。 其の 

他 植物園、 博物 場の 設備の 如き も 氏の 赴任 以後 長大の 進歩 を 見、 廣大 なる 農 圃も亦 北海道 廳 より 移されて 同校の 


管理す る 所と なった。 

か X る II に 同校に は廣井 勇、 宫部金 吾、 南 魔 次郞、 新 渡戶稻 造 等 各よ 斯 S- の^ 奥 を 極めた る^ 銳の谇 年 敎授を 

得て、 校 運 は 益よ 發展 した。 

然るに 明治 一 一 十九た 牛 札 幌農舉 校 は 時^の 要求に 應 じて 規則 を 改正し H 學科 及び 豫 科の^^.: て斷 行す るの, しむな 

きに 至った。 これ は實に 同校の 危機であった。 

豫科は 年を遂 うて 下級から 消 減して 行き、 ェ舉科 は 三十 年に 跡 をも^ めす 繙 かに これに 代って 起った のが 土木 

ェ舉 科なる 簡^ 科で ある。 此の 如くして 同校 は I 時 縮小の 極點に 達した ので あるが、 苒び 機述が 熟し 來 つて、 三 

十 一 年 五月に は 元の 豫 科に 代るべき 豫修 科ニ舉 年が 制定せられ、 共の 翌年 を 以て 森林 科と 云 ふ 簡^ 科も^ 立 せら 

れ、 更に 三十 ra; 年に 至って は 土 木工 舉科も 森林 科 も 程度 を 高めて、 入舉者 は屮舉 校 卒柒生 以 にの ものたら し 

むる に 至った。 

先 之 明治 三十 二 年 二月、 五箇 年の 繼綾 事業と して 校合 を 本舉 現在の 位^に 建築す ろ^ となり、 T:^ の迆涉 と共に 

新たなる 希望 は 同校の 上に 輝き 初めた。 更に 此の間に 於いてお 力 新進の 敎 宵 が綏々 ^を M 校に 述 ねて、 敎投法 及 

ぴ 設備に も^ 足の 進歩が 見 ゆるに 至った。 元 來札幌 農 舉校常 初の 目的 は、 北 ^近の^ 拓に有 川の 人物 を 作り出す 

キ Jt  く.? i-*J 

と 云 ふので あつたから、 名 は€舉 校であった けれど 敢 へて S 舉 に跼蹐 しなかった。 然るに 時述の 描 移 は^ 門 的^ 

識を耍 求す る 事が 極めて 急であった 爲 めに、 直接 農 舉に關 係の ない 舉科は 削り 去られて 純然た ろ ng^%2 機關 C 

M 相を發 揮す る 様になった。 更に 社會 一般の 倾 向を考 へて 见 ると、 奧 業に 對 する!:^ 今:^ の 態^に も^: 大た: !z 化 

があった。 農業 者 をして 其の 楮に 安ん ぜ しめる 政略と して 「農 は國の 本な り」 と 喋々 した 時代 は 過ぎて ほ;., Mr: に 

S 業が どれ だけ 一 阈の 福祉と 密接な 關係を 有する か を 熟考せ ねばならぬ 時が 來た。 ロ淸戰 ,は 確に 此の^ -ズ の 時 

本學の 過去  二 0 ョ 


有^ 武郎^ ^ 笫五卷  二 〇四 

を 促進した。 人と 土地との 離るべからざる 關係を 痛切に 感ぜし めすに は 置かな くな つた。 同時に 近^的 工業の 發 

達が 都 會に强 固なる 勞働的 階級 を 現出した 結果、 其の 階級の 反影と して 地方 勞働 者が 特殊の 注意 を 喚起す る 様に 

なった。 曰 本の 農業 者 は 何を爲 しつ X あるか、 彼等 を 如何にな すべきで あるかと 云 ふ 問題 は國民 全體が 意識的に 

若しくは 無意識的に 解決せ ねばなら ぬと 感じて 居る 所で ある。 かくの 如き 機運 は 同校 を 促して 更に 發展の 歩を轉 

ぜ しめた。 かくて 明治 十 年 六月に 札 幌農舉 校 は 仙臺に 置かれた る 東北 帝 國大學 の 一 分科と して 農科 大舉 と稱す 

るに 至った。 而 して これに 附屬 して 大擧豫 科、 農擧實 科、 土木工事 科、 林舉 科、 水產學 科が 併置 せられて 今日に 

至った 次第で ある。 

以上 は本擧 と 其の! ii 身との 厫史の 素描で ある。 かの 一種 他と 混同すべからざる 特色 を 有した 札 幌農學 校が 北海 

の 一隅に 頭 を 擡げて、 クラ ー ク敎 頭から 多年 一日 日本 全土の 保護に より、 それに 應す るの 事業 をな すで あらう と 

の 豫言を 得て 以來、 實に 1 一十 五 年の 歳月 を閱 して 漸く 其の 初志 を 達した ので ある。 本學の 發展は 固より これから 

である。 農學て ふ 知識 は 漸く 社會の 多大なる 注目 を 被る やうに なって きた。 曰本內 地の 農 制 施設 は 固より、 隣邦 

の 中に も 開拓 T べき 餘地 は潤澤 にある し、 遠く 海外に 渡航す る もさして 不思議と 思 はれぬ 世と なった。 卽ち 農業 

なる もの は 眞に實 質的に 新しき 發 展の戶 口に 立つ やうに なった ので ある。 幾 百年に I つて 社會 生産の 根元 を 委ね 

ながら 復 なき 程の 輕 蔑を以 て 農民 を 遇した 其の 報い とし て 、 國民は 今 農民 に 幾 百年 未拂 となし 置 い た 價を拂 ふ ベ 

き 時が 来たので ある。 其の 賠償の 一 として 現 はれ 來 つたの はこれ から 詳說 せらるべき 本學 である。 

(一 九】 三年、 「東北 帝國 大學」 記念 集 所載) 


故 田中稔 氏に 就いて 

故 田 中 稔君は 幅 井 市の 舊家田 中 ャソ平 及 きみ子の 次男と して 明治 三年 五月^ 盤 木 町 に^れました。 明治 卜. べ^- 

十月 一 1 井市蝠 井小學 校で 小學 中等 科 を 卒業し 十七 年 一 一月 福 井 尋常 中舉 校に 入舉 して 一 一年^^ 通 ゆ を 修めました 

が、 明治 十九 年齢 十七 歳の 時 志 を 決して 京都 同志 社に 入學 せんこと を 父上に 請 ひ 遂に 許し^ 受けました。 御^ 知 

の 通り 福 井 は 昔から 怫 法の 最も 盛んな 所です のに 君が 十七 歲 位で 基督 敎主義 ,い::^ 心 社 を 搾んだ と 云 ふぼ: ハ のぼ W は 

判然して 居りません。 然し 兎に角 古い 生活から 躍進して 新しい 生活に 突き 入った 此の ー擧 は^の 个卞 W を】 つの 

方向に 固定して 統 一 を與 へる 基と なった に 違 ひありません。 而 して 十九 年から 二十 三年 迄: :!: 志 社に 在って^^^ 

文舉 の敎授 及び 英語です る 講義 を 受けまして 普通 學第叫 年 級 を 卒業し ました。 これ だけが おが^に 出る 迄の^. 備 

時代であります。 

それから 君 は 自分の 取るべき 仕事 を 色々 と考 へた 末に、 日 高 國浦河 郡 荻 伏 村 赤心 株式^社に 入って 北ハ の^ t を 

助ける と 云 ふ 決心 をし ました。 赤心 社 は 基督教 徒が 合同して 經營 して 居る 開墾 場で、 常時のお S おい 心に は 花々 

しい 生活よりも 此の 素朴な 堅實な 事業に 心 を 引かれる 事が 多かった と 見えます。 而 して^々 の 穴- -想を 胸に 收 めた 

二十 二 歳の 一 靑年は 後年に も 著る しい 其の 素朴なる 心 を 同伴と して 北海 近の 奥に 引 込みました。 これから 七^ 0 

間 君 は 其の 山奥で 會 社の 枭樹 栽培 を擔當 し、 傍ら 元 浦 河 敎會の 傳道を 助け、 日 嘥舉抆 を經^ し、 茶^;^,.::^ へ I: て 

起して 其 の 會長 となり、 又 靑年會 の機關 として 夜舉校 と 讀害會 を n いて 熱心に 其の 地の 若い 人々 S 指 ゆに^ を 入 

れ ましたが、 君が 設立した 靑年會 は 今日まで 鑌 いて 益 2 盛んと なり、 其の ^員で 社 合の はめに 立派な 化^-をして 

故 W 屮稔 氏に 就いて  二 〇 五 


^鳥 武郞 全集 第五 卷  二 o 六 

居る 向き も 少なくな いと 云 ふ 事です。 

此の 赤心 社 時代に 君 は、 矢張り 赤心 社に 其の 一家と 引 移って 事業 を 助け マ 居た、 柴田 やす 君と 結婚して 家庭 を 

造りました。 これが 明治 二十 九 年卽ち 君が 二十 七 歳の 時の 事です。 其の 中に 或る人の 紹介が あって 君 は 札 幌農舉 

校に 勤務す る こと.^ なり、 住み なれた 浦 河 を 捨て 一 旦根を 張った 赤心 社 を 離れて 明治 三十 二 年 久し振りで 札哓へ 

出て 来ました。 而 して 一寸 郵便 電信局に 務め ましたが、 すぐ 廢 めて 當 時の 札 幌農學 校に 入って 圖書 館の 勤務 をす 

る 傍ら 農藝 科の 英語の 一部 を擔 任す る 事に なりました。 これが 其の 第二の 屈折 點で、 札 幌農舉 校が 農^ 大學 にな 

いき 

つても 同じ 職務 を繽 け、 最後の 氣息を 引取る 迄、 君が 俗界でして 居た 仕事 は 一個 ライブラリ ヤンと しての 辻 事で 

した a 大體に 申せば 君の 表面の 生涯と 云 ふ もの は それだけです。 

君は默 つた、 而 して 蔭 日向の ない、 而 して 自己の 權利を 要求す る 事の 最も 下手な 質の 人でした。 心の 自由 さへ 

朿 縛され なければ 如何なる 所に 落して おかれても 君は默 つた 儘で 自己 權 利の 要求と 云 ふ 事 もせす に、 蔭 日向な く 

働いて 居ました。 それ は 側で 見て 居る 方が もどかしい 位でした。 と 云って 君 は 何も 物臭 さから さう して 罟 るので 

はありません。 君が 農舉 校と 農科 大學 との 圆書 館の 事務 を 引受けてから 君 は 外の 事に は 頓着せ す こつ/. \ と- そ 

の 整理と 圖 書館學 とに 耽って とう, (^大 舉圖書 排列 法 を 世界 最新式の デ シ マル: ンス テム に 改める こと を斷 行し 

て 非常な 便利 を與 へて くれました。 又 圖書館 取扱に 關 する 著書と 定^: 物と は 細大 漏 さす 眼 を 通す 事に 心 懸け まし 

た。 英語の 知識 だけで は 不滿足 だと 云 ふので、 獨逸 語と 佛蘭西 語の 研究に も 熱中して 大體に 通す る だけにな つて 

居ました。 又 今度 病氣 になって 轉地 する 時で も 彼 地で 研究す ると 云って 圖害 館に 關 する 書物 を 行李 一 杯 持って行 

つた さう です。 例の 默 りこんだ 君の 事です から 自分の 蘊蓄 を發 表する 様た 事 は 一度 もなかつ たの は 勿論です が、 

仕事に 對し てこれ 程 眞劍な 態度 を 持して 居た と 云 ふ 事 も 人 は 知らな からう と 思 ひます。 


君 は又默 つて 仕事 をす る 質でした からよ く 人から 使 はれました。 隨分人 はい、; ^になって S に 色々 な こと を强 

ひたと も 思 ひます。 然し 君 は 其の 人を兒 すに 仕事 を 見て、 仕事が する だけの ^値の ある ものなら ば 平氣で 人に 使 

はれて 居ました。 而 して 其の^に 尊い 仕事 を 人知れ すいくら も 仕遂げました。 

君が 精祌 界に對 してな した 貢獻 として は 中々 澤 山あります。 禁酒 會の 仕事に も 有力な 片腕でした。 又^^ :敎^ 

年會 殊に 其の 靑年 寄宿 舍には 創設 以來盡 力して 居ます。 組合 敎會 を 去って 此の 敎^ に揚 して 後 は として 乂  n 

害 館 係と して 日曜 學校 敎師 として 忙 がしい 身分に も 係 はらす 十分 努力 を惜 みませんで した。 又 遠 友 夜 m 校の^^ 

にも 一 臂の 助力 を 貸して 居ました。 始終 蔭 を 歩いて 居る やうな 君の 姿 は 札幌に 於け るよ き^^の^に 兑受 けられ 

て 居ました。 

未だ 君の 功績 を數へ 上げたら 澤山 ありませ う、 然し 君の 功績 は數へ 立つべき もので なく、  S と  一^に 人の 限 か 

ら 葬って しま ふ 方が 尊く 思 はれます。 こんな 現 はれた 部分よりも 隱れた 部分の 多い と 云 ふやうな 人が 社 含に^ て 

くれる の は實に 心强ぃ 事であります が、 其の 一 人なる 君 は 遂に 我々 から 奪 ひ 去られた のです。 

一 體君は 見かけに よらぬ 勝れた 健康 を 持った 人でした が、 どうした もの か 去年 あたりから 少し^が あつたので、 

養生 旁々 夏に 旅行 を 思 ひ 立って 三十 何年 振り かで 鄕里福 井に 歸 つて 親戚 故舊に 遇 ひました。 S 無精 出無精 のれに 

此の 事が あつたの は 不思議です。 今年の 冬に は 殊に 健康が 害 はれて、 遂に 床に 親しむな となって しま ひました。 

而 して 三月 十三 日 北海道の 寒さ を 避けて 明 石 町の 湊 病院に 轉療 する ことにな りました。 一 時 の 便りで は 大分 顺^ 

に 向ったら しかった ので 知人 は 窃かに 愁眉 を 開いて 居ます と 突然 七月 叫 日 午前 三時 死去の 飛報が 札幌 に^って お 

の 上 を氣遣 ひつ i めった 家族に 達しました。 君 は 最愛の 妻と 四 男 一 女と を 殘 し 長 と" 女との 護の^ に 名^り 

惜しい 然しながら 安らかな 旅に 上った さう です。 

故 田中稔 氏に 就いて  二 〇 七 


有 島 武郎仝 蕖 笫五卷  ニ〇 八 

家族の 方 は 一 一男 を 除 い て は 皆 福 井 に歸 つて 居られ る 害です。 御 家族の 御 悲歎 を 深く お 察し 致します。 

飾氣 のない 差 出が ましくない 幽鬱な、 然し 何處 かに晏 如と した 君の なつかしい 姿が もう 見られな いと 云 ふ 事 は 

私共に 取っても 悲しい 事實で 御座います。 

(一 九 一 三年 八月、 r 獨立 新報」 所載) 


一九 一四 年 


新しい 畫 派からの 暗示 

古來、 人の 心 は 常に 二つの 極を往 きつき りっして 進んで 行った。 一一 イチ ヱが いみ じくも^ ひ 彼. つた ァボ " と ディ- 

ォ 一一 ソスの 二 柱 は、 相互に 或は 祌と顯 はれ 或は 惡 魔と 顯 はれて, 人の 心 を 支配して 居た。 

昔 は 人の 心が 單 純であった。 と 云 ふの は, アポ 口 を 納れた 心 は ディ ォ 二 ソスを 納れる 事が 出來 す- ディ ォ 一一 ソス 

を 納れた 心 は アポ 口 を 納れる 事が 出来なかった 。白で なければ 黑 であった。 アポ 口 祌糜と ディ ォ 一一 ソ ス 冲.! おとなお 

りが かけはなれて 居た から、 その 間 を 通 ふ 心の 振子 は、 勢 ひ 運動の 兩 極の 間に 非常な 鈍^ を 描いた。 然し 時代が 

たつに 從 つて 兩神座 は 近づいて 行く ので、 振子 は 漸く その 往復の 距離 を 縮めて 行った。 

か \ る 現象に 伴つ て 起る 結果 は 又 自ら 一 一 つ に 別れて 行く。 

一 つ は 中庸、 姑息、 不徹底, 沈澱、 高踏、 遊戲 など 云 ふ 言葉で 現 はされ る とも, IT ともつ かぬ 灰色で ある。 私 

共の 間に は 最早 「惡 魔よ, 退け」 と 獅子吼した 基督 を 見る 事が 出來 なくなった。 义ォ リン ブス に^^り を 始めた 

祌々 を 震駭して、 北方の 森の 中から 凱歌 もろとも 跳り 出た パンの 群 は 見る ベから すなった。 世の 屮は^ 活 と-." ふ 

リトマス 紙に, 何等の 反 應をも 起さぬ 中和の 狀 態に 移って 行く。 大 なる 信 仰の 創 #3^; は 何故に. H:! 代に 现よん て^ 

代に 姿 を 見せぬ か。 疑惑の 眼 を 輝かして 厘 : 人 はさう 問 ひつめ る。 然し それ は 自分の —— 近代 人の I 心 を 报り 

返って 見れば すぐ 教る 問題で はない か。 私共の 心 は 灰色で はない か。 疲れ 濁って 居 はしない か。 ^^のに^: に^ 

新しい 喪淤 か ら の 喑 示  二- 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  ニー  0 

は ら  うま: 

倒さ- i て は g ないか。 どうで もい \ と 思って 居 はしない か。 その 心が どうして 信仰の 創造者 を 孕み 得よう — 石. 

おつやうな その 、ひが —— 私共 は 生活の 殘滓 をす、 りながら、 夢の やうな 憧^ を 不可能 的に 繋いで 居る 點に 於て 1 

面 等しく デカダンの 輩と 云 はねば ならぬ。 

然るに 眼を轉 じて 見る と、 他の 一つの 結果 は 東雲の 如くに 天の一角に 現 はれ 出で 居る。 それ は アポ W ティ 才 

一一 ソスの 接近 を 他人 事と が^さす、 その 機會を 捕へ て、 二 注の 神の 一 つの 心の中に 併 坐 させようと 云 ふ 努力で あ 

る。 かくて 近代 人の 心 は 古人の 知らなかった 複雜な 波紋 を 疊んで 行く。 アポ a を祌と 崇める 時 は ディ ォ ュソス は 

葸 a、 ,ティ ォ 一一 ソスを 神と 敬 ふ 時 はァボ a は惡 魔、 かく あるべき 關係を 打破して、 新たな 意味 を この 二 神の 交涉 

の S3 に 見出さう として 居る。 アポ 口 と ディ ォ 一一 ソ ス の 神威の 剋す る 所に 新たなる 神の 姿 を 認めよう として 居る。 

それが 近代の 力で ある。 近代 人の 命で ある C 

上に 述べた 第一 の 結果 は 人類の 退化 的 動向であって、 第二の 結果 は その 進化 的 動向で ある。 第一 の 波に 乘 つた 

もつ は、 にの、 い の 底 を そ.^ る やうな、 なつかしく 見える 過去の 記憶 を 呼び さます、 同情と 云 ふ 方面に 訴 へる、 甘 

、悲しい 歌聲 を擧げ るで あらう。 而 して はかなく 滅んで 行く であらう。 第二の 波に 乘っ たもの は、 黎明 前に 天地 

を 領 する。 夜半の そ.^ にも 過ぎた 喑黑を 打ち破る ベ く  をめ き 叫んで 乘り 出して 行く。 人 は その 叫び 聲の 意味 を- 

經驗 しないが 故に、 それ を 聞いて 不安 は感 すると も 同情 は 感じない。 彼等 は その 粗野に 見 ゆる 聲を 張り上げて 竭 

り 注く。 他 こ, 和 鳴 を强ひ 得る に 至る まで 獨り往 く。 彼等の 群れ は强 ふる 者で ある、 同情 を 求める 者で はない。 人 

に 話しかける もので はない、 神に 話しかける ものである。 彼等 は 生き 殘 つて 行く ものであるが 故に、 憐れまれ 

る、 賞め られ る、 なつかし がられる と 云 ふやうな 事が 甘い 味と なって、 その 舌 を 刺戟す る 事 はない。 彼等 は 勝せ 

を自覺 せる もの、 大膽 不敵 さと 傲慢と を 持って 居る。 彼等 は 遂に 地を嗣 ぐべ く 生き 淺る であらう。 


私 は 新しい 畫派を 見る 時に、 實 にこの 第二の 種類に 嵐す る 人の 群れ を见 る。 

嘗て マネの 所に 一 人の 靑 年が 自作の 畫を 見せに 來た。 その 製作 は 物の 见方に 於て マネ 自身の ものと 異ら なかつ 

た。 マネ は靑 年に 對 して、 君 は 果して 自分 を いつはら すに 斯う 云 ふ 見方 をして 居る のかと 問 うた。 w ^が^おげ 

に然 りと 答へ る や 否 や、 そんなら 玆に旣 に マネが 居る、 マネと 仝く 同じ 見方 をす る 君が 霰^と して^ 在す る 必^ 

はない、 左様なら、 と 一 言の 下に、 手痛く も 戸口から 追 ひ 返した。 私 は マネの 淋しい 孤獨 な、 しかも ハ然 として:!: 

者に も 自ら を卑 うしない 眞劍な 態度 を 思 ひやる 事が 出来る。 新しい 畫 派の 人々 は 先づ. E 己から^ く掘リ 始めて-了 

つた。 而 して 彼等 は 其處に 何で あるよりも 先づ 人で あらねば ならぬ 事 を 知った。 而 して^ ェか らお^に なった。 

卽ち 民衆の 爲 めに 働かす に 自己の 表現の 爲 めに 勉 めた。 價 値の 顚 倒が 根柢 的に 成就 せられた。 

i 度 石は轉 ばされ た 。それからの 彼等の 運動 は 世に も 稀な 强烈な 加速度 を 以て 進行した。 マネ を 蹴飛ばして セザ 

ンヌが 進み出た。 彼 は先づ ディ ォ 一一 ソ ス の やうに 凡ての 形式 を 打破す る 事から 其の 事業 を 始めて;;;: つたが は、 j 

度 彼の 製作 を 見る ものが 直ぐ 首肯す る 所で あらう。 物の 量と 云 ふ 事 は 彼に は 何者で も なくなって.. や:: た。 火鉢 を 人 

鉢の 量に 於て 再現す る 事 は、 寫眞 と畫ェ との 能くす る 所で ある。 人の 手 を 待って ffi めて 成さるべき^ ではたい。 

人の 手の 成さねば ならぬ 事 は その 質で ある。 

さりながら 恒久の 物の 質を獻 立す る 事 は、 ディ ォ 一一 ソスの 成し 得る 所ではない。 其處に アポ a の^ 、な 力 

が 働かねば ならぬ。 私はゴ ッホの 製作に 通じて 深く この 力 を 感得し 得る と 思 ふ。 ゴッホ が,::: 己の 裡 なる ^久 の,::,」 

を發 見せん が爲 めに 形 を 破り、 更に 形 を 破って、 狂氣の 如く 突進した その 跡 を、 世に^して 行った 彼の 幾 枚 かの 

煑 布の 上に 見る 時、 私の 心の 一角 は强ぃ 和嗚を 感ぜす に 居られない。 ー兑 支離滅裂に 見える その 技巧の 後に, 何 

んと云 ふ 崇高な クラシカル な 感じの 漂つ て 居る 事 だら う。 

新し ぃ窖: 派からの 喑示  二  J 一 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  ニ  ー  二 

斷 つて 置く が 新しい 畫 派の 人々 は 創造の 氣 分に 生きた 人々 である。 彼等の 製作 は 過去の 囘憶 ではない。 その 律 

呂は 私共の 耳に は 始めて 響く 律呂で ある。 それ 故 過去の 形式 を 尺度と して、 これに 臨む の は、 自分の 眼に 塵を蓄 

へて、 他の 塵 を 除かん とする やうな ものである。 然しながら 私が 始めに 言った、 近代の 喘ぎ 求めつ.^ ある その 動 

向 を 心に 感じて これに 臨むならば、 彼等 は 忽ち 賴み 甲斐 ある 力と 變 じて、 私共の 胸の 奥に 沁み 込んで 來る。 

せつ 

私 は 又 彼等が 事業 を 成就した と は 云 はぬ。 反對に 彼等の 凡て は 犬なる 事業の 一齣 づ i を 演じ 去った に 過ぎぬ。 

ぬか 

これ は 彼等の 悲しみで あり, 又 誇りで ある だら う。 アポロの みに 額づ くもの は 或る 終結に 適し 得よう。 ディ ォ 一一 

ソ ス のみに 香 をた くもの も 亦 或る 解決に 至り 得よう。 然しながら アポ !1 の 上に ディ ォ 一 ーソ スを 築き、 ディ ォ 一一 ソ ス 

の 上に アポロ を 築かん とする もの は、 常住の 動搖、 無 終の 躍進 を覺 悟せ ねばならぬ。 マネから セザン ヌとゴ ー ガ 

ンとゴ ッホ とに、 又 マチスと ビ カツ ソとゥ ネス ビアン スキ ー とに、 又 更に カリ リと ロッソ 口 とボ ツチ ォニ とに、 やむ 

時 もな く 變り遷 る 生命の 流れ を覺 悟せ ねばならぬ。 彼等が 邪の ない 心 を 以て、 アポ a、 ディ ォ 一一 ソスに 神威の 相 

剋す る 所に 神 を認 むる 間 は、 その 神 は何處 まで もい や 高き 完全に 向 ひつ、 ある 神で ある。 ブランドの 所謂 白髮長 

く 垂れて 思慮 深げ に、 夜間 小兒を 脅かす に 適 ひたる 祌 ではない、 無 終の 道を敢 て孤往 する その 心、 私 は 彼等の 心 

を 思 ふ 時 * 世に も 悲しく 勇ましき 光景 を 眼前に 描く を 禁じ 得ぬ。 

私 は 新しい 畫 派の 人々 として マチス 以下の 最新の 運動に も觸れ ねばならぬ 約束の 下に ある。 然しながら 私の^ 

い 心 は 彼等の 意味す る 所に 同情 を を 持ち 得ながら、 その 事 ま ど 理解す る だけの 準備 を 持たぬ。 私 は 自分の 不敏 を 

恥ぢ るの 外 はない。 

( 一 九 一 M 年 二月 二十 三日、 「小樟 新聞」 所載) 


內部 生活の 現象 

私 は玆で 一 般に亙 つて 內部 生活の 現象 をお 話しし ようと 云 ふので はありません。 さう 云 ふむ づか しい^: 题は純 

粹 心理 舉の 範疇に 屬 する 事で、 門外漢の 私な どに は 及び もっかない 企であります。 私 は 唯 私の 牛:^ の內 部に 起る 

現象 を その 儘 いつはる 事な く 申し上げて 見たい と 思 ふだけ であります。 それです から 本當を 云 ひます と 題の 設け 

方が 不適 當 であるか も 知れません。 「或る 男の 內部 生活」 とで も .5. すの が 寧ろ 安當 であり ませう。 

私の やうな 淺 薄な 凡 衆の 一 人の 內部 生活 を —— どれ 程 いつはら すに. E. して 兌ても —— 大した^: a の^じない 位 

は 自身で 承知 致さないで はありません。 然し 私 は 信仰 を 持って お出でになる 方の やうに、 A: 分 以上の 力 を インス 

ビレ ー シ ヨン として 感 する、 卽ち 自分 を 通して 自分 以上の 力が 現 はれ 働く とい ふやうな 尊い 心の 狀 態に ありませ 

ん。 ですから 假令 どれ 程 私が 大擧者 大聖 人の 說を 咀嚼して 御 紹介す る 事が 出來 たと 致しましても、 畢兗 私の 内 

^生活で その 說を 切り取つ ただけ を 御 紹介す るに 過ぎぬ と 云 ふ結枭 になって、 つまる 所 は 私自身の 內部 生活 を 巾 

し 上げる と 云 ふのと 同じ はめに 陷 るので あります。 それです から 始めから 端的に 私 E 身の 内部生活 を 披瀝して は 

る 事に 致しました。 それの みならす 私に は 今まで 一 つの 惡 い^が ありました。 それ は GI 分の 心が どんな もので あ 

るか を 知りたい 爲 めに 他人の 心に 觸れ て见た 事です。 卽 ち歷史 を硏究 すると か 文舉を 味 ふと か 偉人の 傅 記 を讀む 

とか 生きて 居る 人の 行動 を觀, 祭す ると か 云 ふ 風に、 自分より 外部の もの! t りに 手 を 觸れて それ を 色々 とひね り ま 

はして ゐた 事です。 然し それ は 結局 全く 無益な. I 無益な 計りで なく 高投な 企であった^ に氣が 付きました。 而 

して それに 氣が 付く と 私 は 全く 反對の 態度に 出る やうに なりました。 今 は 私 は 他人の 心 を 探る^ めに も-:::: 分の 心 

內部 生活の 現象  二 一 三 


有 島 武郞仝 築 第五 卷  ニー 四 

に 觸れて 見ます。 自分の 心 を 知る 爲 めに 自分自身の 心に 觸れて 見る の は 申す まで もない 事であります。 固より こ 

I. な覺 悟に なった 今でも 私 は歷史 にも 文學 にも 傳記 にも 生きて 居る 人の 生活に も 興味 は 感じて 居ります。 のみな 

^じ 

らすパ ラ ドック ス の やうで はあり ますが、 かう 云 ふ 態度に 變 つて こそ 是 等の ものが 甫 めて 活 きた 意味 を 私に 與. へ 

て くれる の だと 現在の 私 は 固く 信じて 居ります。 かう 云 ふ 心の 態度の 變化 をもう 一 つ 違った 言 ひ 現 はし 方で 申し 

て 見れば かう も 云へ ます。 卽ち私 は 今まで 私の 心の 內容 の充實 加減 を 疑って 居た のです。 佝ん だか 私の 心 だけに 

俄賴 して 居て は 人生の 全 野 を 見渡す 事が 不可能の やうに 思って 居た のであります。 それ 故 自分より もっと 內容 〇 

おぎな 

ゆたかな 人の 心の 働き を 借りて 來て 自分の 心に 全く 缺 けて 居る もの を 補 はう として 居た のであります。 然し そん 

た I 一益な こと は、 永劫 績 けて 居た とても 出来る 害の ものではありません。 それ は 丁度 草木に 人の 持つ やうな 感情 

や 知識 を 持たせようと 云 ふ 無益な 企てと 同 一 轍であります。 然し 今の 私、 前の 態度 を 悔いた 私 は 私自身の 心の 內容 

を そんなに さげすんだり 疑ったり はしない 私であります。 立派な 發達 こそ は 遂げて 居ない だら うが、 如何なる 秀れ 

やから  1.1 こ 

た 聖者で あれ 如何なる 惡 業の 翬 であれ、 凡ての 人の 持って る 凡ての 心の 屬性は 一 つ 殘らす 私の 心の中に 藏 めら れ 

て ある 事 を 信す る 私であります。 私 は 私の 心を眞 面目に 忠實に 僻見な しに 掘り下げて 行く 事に よって 凡て の 人 の 

心と 抱き合 ふ 事が 出来る 事 を 信じて 居ります。 此の 地表で は 離れ/^ な 苺の 株が、 地の 下で は 根に よって 有機的に 

つながれて をる 樣に、 一 寸 t に はと もす ると 互に 見失 ふ 程 かけ 隔たった 人の 心 も、 その 奥で は 無差別な 親しみの 濃 

かな 大きな 生命の 海に 通って 居る の だと 感じます。 卽ち 私の 心 は —— 私の 今 意味した 意味で — 私に 取って は 萬 

人の 心 を 見るべき 唯 一 つ の 鍵であります 。私の 心 は 私の 心で あると 共に あなたの 心であります。 私が 玆で 臆面 もな 

く 自分の 内部生活 を 申し上げて 見る と 云 ふ 事が、 私に 取って 所以の ある 事な の は それで 察して 頂ける と 思 ひます" 

た^ 玆にー っ殘 された 問題 は 私が どれ 程 深く 自分の 心 を 掘り下げて 居る かと 云 ふ 事です。 淺 薄な 私ね 私 だけに 


は 相當な カを盡 して 居る にも 係らす、 諸君に は 何等の 噔示を も 提供す る 事が 出来ない かも 知れません。 然し 私 は 

玆に 出席 致す 事を餘 儀な くされた と 云って、 前 申す 理由で 私の 力 以上 を 語る 事 も出來 ません。 乂 私に それ を强ひ 

られ るの は 間違 ひだと 思 ひます。 で、 菜して 諸君が 御滿 足な さる かどう かと 云 ふ 事 は、 物好きに も 私 を玆に 引き 

出された 委員の 方の 责任 にして 置いて、 私に は 私の 言 ひたい 事 を 云 はせ て 頂きます。 

尤も 「私の 云 ひたい 事」 と 申した その 私と 云 ふ 言葉に は 語弊が ありました。 諸君が 眼 を 以て 御^にな つて 居る 

私 は 前 通り だけの 事 を 申して 引き 下ります。 これから 諸君に 申し上げる もの は 眼に 見える 私で はなく つて、 私の 

內 部であります。 諸君 は 私の 聲を 通して 私の 內 部と 直接に 觸れて 頂きたい のです。 ですから これまで 私 は 私と 屮 

して 居た の はこ、 に 立つ 一 つの 外部であります が、 これから 私と 申します もの は 私の 內 部であります。 侗性 とか、 

自己と か、 良心と か、 震 魂と か、 色々 に 呼ばれて 居る やうです が、 私 は それ 等に 附帶 した 不純な^ 味が あるの を 

嫌 ひます から、 假 りに 私 は それ を 魂と 呼びます。 魂 は 私に 告げて かう 申します。 

私 は 魂 だ。 私 はお 前の 魂 だ。 私 は 肉 を 離れた 一 つの 概念の 幽靈 ではない、 又靈を 離れた 一 つの 肉の 働きで もな 

い。 お前の 外部と 內 部との 互に 融け 合った 一 つの 全體の 上に お前が 存在 を 有して 居る やうに、 私 も义全 體の 中で 

きびしく 働く 力の しめく- -り だ。 實を云 ふとお 前 は 私の だらけた 時の 狀 態で、 私 はお 前の 引きし まった 時の 狀態 

だ。 私と お前と は 同じ もの だ。 然しながら だらける のと 引きし まるのと が、 嚴肅な 生活と 云 ふ 物 さしで はると 

その 値打ちに 天地のへ だ、 りが ある 以上、 私と お前と は黑と 白と が 違 ふやう に 違った もの だ。 更にお: 喩を お前に 

去って 聞かさうなら お前 は她 球の 表皮 だ。 千樣萬 態の 相に 分れて 地球の 表皮 は 目まぐるしい 稃の變 化 を:^ して 居 

るが、 畢竟 其處に 見出される もの は 不統一で あり、 原因で なくして 結 架で あり、 死に 近づきつ、 ある もので あ 

內部 生活の 現象  二 一 五 


有 島 武郞仝 集 第 W 卷  二】 六 

り、 奥行の 深くない 現 はれで ある。 私 は 地球の 內部 だ。 一寸見た 所では 其 處には 渾沌と 單 一 とが あるば かりに 思 

はれよう が、 その 實質は 他の 星の 世界の 實 質と 同じ 實質 であり、 其處の 中に 潜む 力 は 一瞬の 間に 表皮 を 破 壤し去 

る 事 も出來 るし、 新たな 表皮 を 生み出す 事 も出來 るの だ。 私と お前と は 或る 意味に 於て 同じ もの だ。 然し 多くの 

意味に 於て 較べる 事の 出来ない 程ち がった もの だ。 地球の 內部は 外部から は 見られない。 外部から 見て 一番 氣の 

つく 所 はどうしても 表面で ある。 だから 人 は 私に は 注意せ すに お前ば かり を 見て お前の 全體だ と 思って 居る し、 

お前 も 人を昆 るのに 表面ば かり 昆て滿 足して 居る。 それで はいけ ない。 そんな 事で はお 前が 何處 まで 苦しんで 行 

さかのぼ  へ た 

かう とも、 急な流れ を 溯らう とする 下手な 泳 手の やうに、 手足 こそ は 力 限りに 藻 接いて 居る だら うが、 何時まで 

たっても 進んで 居 はしない の だ。 更に 譬喩 を 前に 戾 すが、 地球に しても、 今 ある 表皮が 跡形な く壞れ てし まって 

内部 だけが 殘 つたと しても、 地球 は 地球と して 存在す る。 然し 內部 のない 表皮ば かりの 地球と 云 ふやうな もの は 

想像す る こと も出來 ないだら う。 それと 同じに 私と 云 ふ もの、 ない お前 は 想像す る 事が 出来ない の だ。 だからお 

前 は 私の 云 ふ 事に 耳を倾 けなければ ならない、 上官の 命令 を 待つ 兵士の やうに、 基督の 傍に 侍る マリヤの 様に。 

お前に 取って 私 ほど 完全な もの はない と 云 ふ 事に 十分 氣が 付いて 居なければ いけない。 又お 前の 存在の 源と な 

いし ナゑ  おそ 

り 礎と なる もの は 私ば かりだと 云 ふ 事に しっかりと 納得が いって 居なければ いけない。 而 してお 前 は 私 を 畏れ 愛 

しなければ いけない。 而 して 最後に お前 は 私と 一 つものに なる までの 境涯に 進んで 來 なければ いけない。 

お前に 取って 私 以上 完全な もの はない と 私 は 云った が、 そんなら 世の中の 人が 《41 に考へ 出す 神 ゃ佛の やうに 完 

全で あると 云 ふの かとお 前 は 直ぐ 反問す る だら う。 お前の 見る 所に よると 私 は 倫理 學で云 ふ 良心と 云 ふ ものより 

ももつ と 不完全に 見える がどう だと 云 ふだら う。 肉の 要求に も 躊躇せ すに 頭 を 突っ込む 私 はお 前に 取って^-すら 

なじ 

も あんまり 完全な ものと は 思 はれな いとお 前 は 詰る であらう。 それ はー應 尤もで ある。 成程 私は惡 魔の 樣に恥 知- 


らす ではない が义 fK 便の やうに 淸淨 でもない。 お前の 魂なる 私 は 人 ii の やうに 人 的 だ。 お^の 魂なる 私の 今の 

此の 瞬間の 誇り は、 何の 躊躇 もな く、 全靈 全心の 確信 を 以て 人^的で あると:. ム ふのに あるの だ。 私の 所に. 船^だ 

とか: 大使 だと か、 人間の 頭 だけで ひねくり 出した 土 像 を 持って 來 るな。 ゆら, (- と搖 ぎながら 燃えさ かる 現在の. 

生活に そんな ものが 何ん の價 値が あるか。 

お前が 私卽 ちお 前の 魂の 極印の すわった 許可 を 受けす に、 靈 から 引き離した 肉 だけにお 前の^ を ム:! : るが をす る 

と 其 處に實 質の ない 惡 魔と 云 ふ ものが、 さも いかめしい 實 質を備 へたら しく 立ち 現 はれる の だ。 乂ぉ 前が 肉から 强 

ひて 引き離した 靈 だけに 身寶り をす ると 其處 に、 實質 のない 天使と 云 ふ ものが、 さもい かめし い^ を備へ たらし 

く 立ち 現 はれる の だ。 そんな 事 をして 居る 中に、 お前 は 段々 私から 離れて 行って、 實質 のない 幻の 影に 捕 はれて 共 

處に 不思議な 空中 摟閣を 描き出す の だ。 而 してお 前の 心の中に は 苦しい 二 元が 獻立 される。 ^と. E。  水と 地^,. 

理想と 現實。 天 使と 惡魔。 それから 何 それから 何と 對 立した 觀念を 持ち出さなければ 何んだ か 安心の 出來 ない、 

その 癖、 觀 念が對 立して 居て は 何んだ か 安心の 出來 ない、 兩 天秤に かけられ たやうな、 どん底の ない 穴.:^ に 浮んで 

をる やうな 不安が お前 を 襲って 來 るの だ。 さう なれば さうな る 程お 前 は 私から 遠ざかって、 お前の 一. ム ふこと たり 

行 ふこと なり 思 ふこと なりが、 一 つ 殘らす 外部の 力に よって 支配され る やうになる。 お前に は 及び もっかぬ^: お 

が 出来、 良心が 出來、 神が 出來、 道德が 出来る。 而 して それ は 呰んな 私が お前に 命じた もので はなく つて 外^ん 

ら來 たものば かりだ。 プラト ー の 理想。 ソクラテスの 良心。 ボ ー 口の 祌。 孔子の 逍德。 さう:. ムふ もの を^り 廻し 

てお 前 はお 前の 寄 木 細工 を 造り 初める の だ。 而 して お前 は 一 而に惡 魔で も II 赏 質 も 何もない^ 魔で さへ が^ 

をふさぐ やうな、 醜い いやしい 想を懷 いたり 行 ひ をしたり して 居ながら、 人の 眼に 付く 所では しら しさに,::: 

分で 恥し くなる 程 立派な 行 ひ をしたり 言葉 を 吐いたり する の だ。 しかもお 前 はそんな さげすむべき 卞を する のに 

內部 生活 の 現象  二】 七 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  二 1 バ 

相 當の理 由 をつ けて やって 居る。 聖人 君子に 露 似る の は —— も 少し 尤もらしく 云 ふと 聖人 君子に 擧 ぶの はやが て 

聖人 君子た るの 第 一 歩を爲 すの だ、 我れ 堯舜の 一一 一一 口 を 云 ひ 堯舜の 行 ひ を 行 は^ 卽 ち堯舜 のみと 云 ふの がそれ である。 

なさけ 

. かくして お前 は 中心に 容易なら ぬ 矛盾と 不安と 情な さ を 感じながら 益丄 咼くバ ベ ル の 塔 を 昇りつ める の だ。 

さう 云 ふお 前の 態度 は 社會の 習俗から 云 ふと 又 誠に 都合の い- - 態度 だ。 實 際の 社會は 進歩 を 要求す るので ある 

けれども 習俗 的な 社會は 平和 I 平和と 云って は勿體 ない I 無事 を 要求す るの だ。 兎角; 大 下に 事な かれは 隨分 

.强 い 社會の 惰性に なって 居る。 其處で 他人 模倣で お茶 を 濁して 行かう と 云 ふお 前の やうな 扠は 尤も 調法 がられる 

の だ。 お前の 內部 にどれ 程の 矛盾が 有る か 無い か は 社會は 頓着す る 所ではない, お前が お前に 似合 はない 善良な 

行 ひさ へして くれ、 ば、 それだけ 天下 は 事な く 濟んで 行く の だ。 「あの人 は 思った より 感心な 人 だ」、 「人と 云 ふ も 

の は 見かけ V によらん もの だ」、 さう 云 つ て社會 はお 前の 苦しい 內 部の 分裂 を讃め あげて くれる だら う。 お前 は 苦笑 

ひ をしながら その 讃辭を 頂戴して、 更に 社會の 無事の 爲 めに 犬馬の 勞を盡 す ことになるの だ。 お前に 云って 聞か 

すが、 さう 云 ふの を 本當に 犬馬の 勞と云 ふの だ。 

こんな 事 をして お前が 外部の 壓 迫の 下に 心に もない 生活 をして 居る 中に、 いつしか お前 は 私 を 出し 拔 いて、 飛 

ん でもない 聖人 君子に なり 了せ てし まふの だ。 お前 は 人で はなくな つて 専門家に なって しま ふ。 專門 家と 云 ふと 

大變 立派に 聞こえる が、 人と 云 ふ 背景の 添 はない 專門 家と は 片輪 者の 別名で あり、 機械に つける 譚名 である 事 を 知 

ら ねばならぬ。 專門 家は舉 問に のみ 限った 譯 ではない。 自分の 內 部と は 何等 有機的な 關係 がな くっても い \、 當 

面の 社會に 善良ら しく 見える 事 を すれば い X と 云 ふやり かた をす る 人 は 善行の 専門家であって、 言 ひか へ て 見^ 

ば 善行 を 刻み出す 機械と 云 ふ 事が 出来る。 

お前に 云って 聞かす、 お前が さう 云 ふ 事 をして 居る 以上 はお 前 は 偽善者 だ。 ダンテが r 聖劇」 中に 鉛の 衣 を 頭 


から 引つ かぶせて 地獄の どん底に 陷れた その 僞善者 だ。 お前 も 偽善者と 云 ふ 名 は 恥ぢる だら う。 

恥ぢ るなら お前 はさ, ぅ輕 はすみ な 先き 走りば かり をして 居るな。 外部ば かり:^ て^すに 此方 を^け、 而 して 玆 

にお 前の 魂なる 私が 居る 事 を 思 ひ 出せ。 

お前が 見る 通りに 私 は プラト ー の 理想の やうに 崇高な もので はない、 又ボ ー 口 の 神の やうに^ 嚴な もので はな 

い、 ソ クラ テ ス の 良心、 孔子の 道德の やうに 森厳な もので もない が、 私 はお 前に だけ はト 分な^ 高と^^と を冇し 

て 居る。 私 は 肉 慾 を 遂行す る 事 もなければ 又 靈界を 飛び 廻る 事 もない、 キヤ リ バンで もなければ、 H イリヤ ルで 

もない。 私の 命す る 事 は、 肉 慾の 遂行と 同じ 形 を 取つ て も 肉 慾の 遂行で はなく、 祌聖 なる 行 爲と问 じ 姿に 顯 はれて 

も 所謂 神聖なる 行爲 ではない。 私に あって は靈 肉と 云 ふやうな 區別は 全く 無益で ある。 又 善 惡と云 ふやうな お^ 

は 全く 不可能で ある、 私 は 凡ての 活動に 於て 生長す る 計りで ある。 私の 生長 はお 前が 忍 ふ ほど^ 速な もので はた 

い。 私 は 人の 足跡の ない 荒 地 を 進む の だ。 從 つて 私の 一歩 は 凡ての 考察 を經た 一歩で なければ ならない。 で、 

想 家なる お前、 理想と 云 ふ 疾病に 浮かされて 居る お前 は、 私の 歩み方 を もどかし がって, ^ロ^に も 先き 走り を 

しょうと する の だ D お前 は 私よりも 早く 走る が、 畢竟お そく 走る の だ。 何故と 云 へばお 前が 私 を だしぬいて 外^" 

刺戟で 走りぬ いて 何處 かに 行きつ いたと しても、 その 時 はお 前 は 一個の 人で なくなって 居る からだ。 お前-:::^.: 

影 はだん- (« 薄くな つて、 その 薄くな つた 所が 聖人 君子の ぼろ 切れで つぎはぎ になって 居る からだ。 で、 お前が 

それに 氣が ついたら 又す ご. /(\ と 私の 處 まで 逆戾 りする より 仕方がな いの だ。 

だからお 前 は^の 全 支配の 下に 居なければ ならぬ。 お前 は 私に 抱擁 せられて 歩いて 行かねば ならぬ。 だから^ 

1 間に 於け る 私 は その 瞬 問に 於け るお 前の 全權を 握って 居る もの だ、 お前 は 甘んじて 私に 從 はねば ならぬ、 -, つ \ 

ら私 ほどお 前に 取って 完全な もの はない の だ、 叉 私 ほどお 前の # 在の 源と なり 礎と なる もの はない の だ。 

內部 生活の 現象.  二 1 九 


有 島武郎 全集 第五 卷  ニニ 〇 

なげう 

魂に 立ち 歸れ。 お前の 今までの 名譽と 功績と 誇りと を擲 つて 魂に 立ち 歸れ。 お前 は 生れる とから 外部に 接蠲し 

た。 私 を 出しぬ いて 先き 走りす るの も 無理 はない。 お前の 倫理の 敎師は 私に 大分 近寄った 所に ある 良心と 云 ふ も 

の を 指して、 凡て の 行爲ゃ 思想 を 良心に よって 判斷 しろと 敎 へ て 置きながら、 他方に は 力 を 極めて、 國 家に 對 する 

義務、 社 會に對 する 責任、 父母に 對 する 報恩と 云 ふやうな 事を敎 へたら う。 而 してお 前 Q 敎 へられた 義務 や 責任 や 

の內容 は、 永年 か-つて 形式的に 研究され たぐけ あって、 良心 を 用ゐる 暇の ない 程に 完全で 煩瑣な ものである 事 

を發 見したら う。 而 してお 前 は、 私に 相談 もせす に、 愛の ない 處に 愛の 籠った やうな 行 ひ をしたり、 惡 しみ を 心の 

中に 燃しながら 寬大 らしい 事 を 云ったり したら う。 そんな 事 をす る爲 めに 起る 一 種の 不愦 快な 感じ をお 前 は 努力 

に 伴 ふべき 自らの 感じ だと 思 ひな さう としたら う。 そんな 風に してお 前 は 私 を だしぬく の を 努力 だと 思った。 お 

前の 感情 を 訓練す るの だと 思った。 私 はお 前の 見え透いた おべんちゃら を 見せつ けられて 幾度 恥 かし さに 面 を菘 

うたか 知って 居る か。 お前が そんな 風な、 私と 無 交 涉な事 をして 居る 間 は 山 ほど それ をした とても、 お前の 魂な 

* る 私 は 一 分の 生長 もす る 事が 出来す にぢ つと して 居なければ ならない の だ。 而 してお 前が そんな 態度 を糗 ければ 

繽 ける ほど、 社會は 生命の ない 生活の 殘 り 屑 を 積み上げられる 事に なって、 滯 つた 無事に 沈んで 行く の だ。 

お前 も 】 度 は 信仰の 門 を 潜った 事が あったらう。 人並の 事 をし なければ 人間の 仲間入りが 出来ぬ やうに 思って 

居た お前 は、 人の すなる 信仰生活と 云 ふ ものに も 手 を 出した の だ。 お前が 知って る 通り 私 は —— お前の 魂なる 私 

は渴仰 的と 云 ふ 點卽ち 生長 を 望んで 居る と 云ふ點 で宗敎 的で ある。 然し 私 はお 前の やうな おっちょこちょい では 

ない 害 だ。 お前 は 私に 相談 もせす に I 相談せ すに と 云ったら 少し 語弊が あるか も 知れない が II お前 は 私に 一 

寸 い-加減な 事 を 云 ひ 置いて、 直ぐに 友達と 聖書と 敎會 とに 走って 行った。 私 は ひや (- しながらお 前 を 見守つ 

て 居った の だ。 お前 は 例の 如く 努力 を 始めた II お前の 努力の 感じと 云 ふの は 何時でも 柄に もない 飛び 上り をし 


た 其の 際に 殘る 苦い 味 を 云 ふの だ。 お前 は 一方に 非常な 崇高な 信仰 を吿 白して 居ながら、 盜み もし、 奸姹 もし、 

人殺し もし、 佯 りの 祈禱を もし、 佯 りに 祌を あがめた ではない か。 お前の 行 ひが 疚しくな ると、 「人の 義 とせら る 

る は 信仰に よりて 律法の 行 ひに 由ら す」 と 云って、 乞食の 様に 神なる ものに なさけ を 乞うた ではない か。 又お お 

の 信仰に あやしい 處 が出來 ると 、「主よ、 主よ と 云 ふ もの 悉く 天國に 入る にあら す 、我! K に在す 父の ぼに^ ふ もの、 

みなり」 と 云って 自己 を 辯 護した ではない か。 お前の 神と 稱 して 居た もの は畢竞 する に、 極く かすかな 私の 幻影 

ではなかった か。 ボル テ ー ルの 云った、 「神人 を 作れる にあら す、 人祌を 創れ るな り」 との 句 は、 しっかりと お前 

の 信仰の 狀態 にあて はまった ものだった の だ。 お前 は 私 を だしぬいて 宗教に 走って 置きながら、 その 對 象なる 祌 

を 私の 姿に なぞらへ て 作って 居た の だ。 卽ち お前 は 敎師ゃ 聖書から 敎 へられた 神と 云ふ觀 念から、 お^の 现 解の 

出来るだけ を 切り取って それ を祌 として 居た の だ。 だからお 前が 神 を 信す ると 云 ふ 事を廣 言して からで も、 お前 

*;た 

の 生活 は實 質に 於て 何等の 相異 をも來 さなかつ たの だ。 若し 相異 が出來 たと したら、 それ は赏 に^^ 的な S であ 

つて、 神が お前の 中に 住んで 居る の を經驗 した 事 なぞ は 無かった らう。 お前が 祌を 意識す る 時 は 何時でもお 前の 

方から お前の 頭 を 働かして 意識して 居た —— 卽ち お前の 表面的な 頭の 働きで 神 を 製造して: ^たの だ。 而 してお 前 

は 上からの 力 を 受けて, お前が お前 自身ので はない 生命に 甦った 經驗 なぞ は 持って^な いの だ。 それ だからお 前 

の 祈り は 空に 向って 投げ上げられた 石の やうに、 冷たく 力なく 再びお 前の 上に^ ちて 來る ばかりだった。 それに 

も 係 はらす お前 は 切羽つ まるまで お前 自身 を あざむいて 居た。 而 してお 前 d 身 を あざむく ^によって 他人 を も あ 

ざむ いて 居た。 お前 は 相當の 信仰に 生きる、 叉 信仰に よって 生活 を 導いて 居る 一人の として 取り扱 はれた。 

お S は それ を竊に 得意に して 居た 時 すらあった ではない か。 お前 は實に 卑劣な 人 ^ だった。 

それでもお 前に まだ いくらかの 誠 實が殘 つて 居た の は 何たる 幸であった らう。 お前に も 空^な^ 活の S 々しさ 

内部生活の 現象  ニニ  I 


有 岛武郞 仝 集 ^五 卷  ニニ 二 

が 感ぜられる 時が 來 たの だ *而 してお 前 は 絡え て 久しく 捨て k 置いた 私の 方に 顏を 向けた のだった U お前 は 今お 前 

の 道德的 行爲の 大部分が 虚偽であった 事 を 認め、 又お 前 は 眞實の 意味での 祈禱を 一 度 も爲し 得ぬ 人間で ある 事 を 

わきめ 

吿 白した。 これから お前 は 傍目 も ふらす お前の 魂に 突 貰して 行かなければ ならない。 お前の 魂の 泉から 命 をく み 

いしす る! 

その 礎の 上 に 新し い お 前 を 築かねば ならぬ。 

お前の 魂なる 私 はこれ からお 前に、 私に 卽 して 行くべき 道の 如何なる もので あるか を說 かう。 

先づ 何より 先き に 私が お前に 要求す る 事 は、 お前が 凡て の 外部の 標準から 服 を 退けて 私に 還って 來 るべき 事 だ" 

恐らく は それが お前に は賴 りなげ に 見える であらう。 外部の 標準と 云 ふ もの は 古い 人類の 歷史 —— その 中には 凡 

ての 偉人と 凡て の 聖人 を 含み、 凡て の哲學 と 凡て の 科學、 凡て の 文明と 凡て の 進歩と を蓄 へ た 人類の 歷史 である。 

それから お前が 全く 眼 を 退けて 私 だけに 注意す ると 云 ふ 事 はたより なげに も 心細く も 見える 事で あらう。 然し 私 

はお 前に 云 ふ。 躊躇す るな、 お前が 外界に 向つ て 廣げて 居た 細 根 を 凡て 拔き 取って、 先き を 揃 へ て 私の 中に 這 入, リ 

こめと。 私卽 ちお 前の 魂 は 多くの 人の 魂に 比べて 昆 たら、 卑しく 劣った もので あらう けれども、 お前に 取って こ 

の 外に 完全な もの はない の だ、 縱令 お前が 釋迦の 魂に お前の 根 を 張った とて、 それ は 全く 無意味な 事に 終る ばか 

り だ。 何よりも 先づ お前 は 全心 全靈 ケ擧げ てお 前の 魂に 歸 つて 来ねば ならぬ。 

偖て 魂に 還った お前 は それ を 切り こまざいて はならぬ。 お前が 外界 を考 へて 居た 時の やうに、 善惡 正邪と 云 ふ 

やうな 一 一元的の 見方で 强 ひて 魂 を 見ようと して はならぬ。 魂の 全 要求、 魂の 全 命令に 謹んで 耳 を 傾けねば ならぬ Q 

お前が 魂の 全耍 求に 應 するなら その 時 魂 は 生長 を 遂げる。 お前が 私に 從 つた 爲 めに 結果した 思想な り、 行爲な り、 

言論な りが、 假 りに 外界の 傳說、 習 ©、 敎訓 と、 衝突 矛盾 を 起す やうな 事が あらう とも、 お前 は 決して 心 を亂し 

て 私 を 疑 ふやうな 事 をして はならぬ。 急がす ためら はすお 前 はお 前の 魂の 生長 を 心 懸ける がい &。 然し こ \ で 私 


はくれ^ \- もお 前に 注意す るが、 お前が 今まで 外面 的な 約束から 馴致され た 下劣な 考へ 方で、 魂の 慟 きを 解決し 

たり 叻成 したりして はならない と 云 ふ 事 だ。 例へば 魂の 要求の 結 架か 一 見 肉に 属する 欲念の 遂行の やうに 忍 はれ 

る 事が あっても、 それ をお 前が 今まで 考 へて 居た やうに^ 純に 肉 慾の 遂行と してし まって はならぬ。 同様に その 

要求が 一見 靈に屬 する もの \ 様に 思 はれる 事が あっても、 それ を 全然 肉から 離して 考へ ると 云 ふ^は、 魂の.^^ 

に 背いた 考へ方 だ。 私共の 肉と 靈とは 或る 倫理 擧者 ゃ宗敎 家が 傳習 的に 考 へて 居る やうに 物の 二 極端 を^ はして 

居る もので な いのは 勿論、 普通の 人間が 思って 居る よりも 更に 密接な ものである 亊を私 は 知って おる の だ。 私卽 

ちお 前の 魂の 望む 所 は、 お前が 私の 要求 を 外部の 標準に よって 支離滅裂に する 事な く、 その 全體に 於て 受け入れ 

て、 出來 得る 限りの 滿 足を與 へて 吳れる 事 だ。 これ だけの 用意が お前に 整ったら、 もうお 前 は 何の^ 路をも 必^ 

としない。 魂の 誇りが なる 時、 誇りが となり、 魂の 謙遜なる 時, 謙遜と なり、 魂の 愛する 時 愛し、 魂の^ む^^ 

み、 魂の 欲する 所 を 欲し、 魂の 厭 ふ 所 を 厭へば い V ので ある。 

うぶぎ  , 

かくして 始めて お前 は 自分に 立ち 還る 事が 出来た の だ。 生れて 生 着 を 着せられる と共に 加 へられた 外部の ぼ 迫 

,  は 

から、 お前 は今甫 めて 自. H になり 得た ので ある。 今までお 前が 自分 を 或る 外部 の^に 篏 める 必要 力ら 强 むて イリ 

の ものと 見做して 切り捨てた お前の 部分 は、 本 當の價 値 を囘復 して、 お前に 必要な ものと なった。 お前の 凡て の 枝 

は 等しく 日光に 向って 若芽 を 吹くべき 運命に 達し 得た の だ。 お前 はこの 時 永遠の 肯定 Everlasting  Yea に:^ く つ た 

の だ。 

お前の 實 生活に も その 影響が 全く 無しで 居る 譯 はない。 これからの お前 は 必要 は感 する だら うが 無 はは 感 

じない。 お前の 魂が どんく 生長して お前 を 打ち破って 更に 新しい お前 を 造り 出す まで、 お前 は 外部の 摩:^ にお 

して 無理算段 をして まで も 態度 を かへ る耍を 見なくなる。 例へば お前が 外部に 卽 した 生活 をして W た 時、 お^は 

內部 生活の 現象  ニニ 三 


有岛武 郞仝蕖 笫五卷  ニニ 四 

控へ 目と 云 ふ 道 德を實 行して 居た。 お前 は 心に もな く 善 をし 過ごす 事 を 恐れて 控へ 目に 善行 をして 居たら う。 然 

るに お前 は缺點 を隱す 事に 於て は 中々 控へ 目に は隱 して 居なかった。 寧ろ 恐ろしい 程大膽 にお 前は缺 點を隱 くし 

て 居た ではない か。 お前 は 人の 前で は、 竊に 自信して 居る よりも 低く 自分の 德を 披露して、 控へ 目と 云 ふ 愨義性 を 

滿 足させて 居ながら、 實 際の 欲望と 云 ふやうな 缺點は 中々 一寸 は 見つからない 程大瞻 にかくし お ほせて 居た では 

ないか。 それ を 私 は 無理算段と 云 ふの だ。 然し 私に 卽 した 生活で はこん な 無理算段 はいらない 事 だ。 如何なる 欲 

望 も 畢竟お 前の 魂の 生長の 糧 となるべき ものであって 見れば、 お前 は內 容に對 して 統一 した 取り扱 ひが 出來 るの 

だ。 卽ち お前 は 私の 生長の 必要の 爲 めに のみ 變 化する ので、 外部の 顔面から 延ばしたり 縮めたり する 必要 は絕對 

的 にないの だ。 

又お 前 は 前に も 云った 専門 象に なった ビ けで は滿 足が出 來 なくなる。 自分 は 到る 處 自分の 主で なければ なら 

ぬ、 然るに 專門 家になる と 云 ふ 事 は 自分 を實 生活の 或る 一部 門に 寶り 渡す 事で ある、 外部の 要求の 奴隸 となる 審 

である- 完全な 人間, 侗 性と 云 ふ もの \は つきり 纏まった 人間と なりたい と 思 はない 者が 何處 にある だら う。 然 

るに お前 はよ くこの 第一 の 要求 を 忘れて しまって、 外聞と 云 ふやうな くだらない 誘惑 や、 も 少し 進んだ 處 で社會 

一般の 進歩 を 促し 進める と 云 ふやうな、 柄に もない 非望に 驅られ て、 お前 は 甘んじて あたら 一 つし かないお 前 Q 

全 生命 を 片輪に してし まひた がるの だ。 然しながら 私の 處に 還って 來た お前 はそんな 危險 から は 遠ざかり 得る の 

だ。 お前の 手 は、 お前の 頭 は、 お前の 職業 は 如何に 分業 的の 事柄に 亙って 居ようと も、 お前 は 常に それ をお 前の 

魂なる 私に 繫 いで 居る からで ある。 お前 は 大抵の 分業に は 統一 性を與 へる 事が 出来る。 しかの みならす 若しお 前 

のして ゐる 仕事が 到底お 前の 魂を滿 足し 得ない 時には、 お前 は その 滿 足の 爲 めに 仕事 を なげ 捨てる 事 を 意と しな 

いで あらう。 お前の 斯く する 事 は、 無事 をのみ 偏へ に 事と する 社 會には 不都合 を來 たす 事が あるか も 知れない。 


叉 上面 だけの 進歩 を 目 あてと して 居る 社 會には 不便 を 起す 事が あるか も 知れない。 然しお 前 は それ を氣 にす るに 

は 及ばない。 私 は 明かに 知って 居る、 社 會の本 當の耍 求 は 無事で もな く 上面 だけの 進歩で もない お を。 その 本お 

の耍求 は 人と 同じく 生長で ある 事 を。 だからお 前 は 安んじて 確信 を 以てお 前の 逍を IS ベば い、 の だ。 耥^. と 物 

と をお 互に 切り はなした 文明が どれ 程 長足の進歩 をしょう とも、 あだなる 的に 射つ けた 矢に 過ぎない。 それ は-. J 

度、 戀 愛と は 最も 醜い 肉 慾の 遂行に 人 を 導く 美しく 見える 夢に 過ぎない と 信す る 人の する 戀 の やうな もの だ。 乂 

戀 愛と は 最も 物慾から 離れた 靈 性の 交 はりで あらねば ならぬ と 信す る 人の する 戀の やうな もの だ。 彼等.?^ 愛の 

世界に 於け る 専門家 だ。 その 事業が 魂の 要求 を それて 空しく 消える q は 當然の 事た。 物の 全體 を- 物の 髓をぁ 

やまた す ひっつかむ 剛健な 氣象を 失った 病的な 心の はたらき だ。 獸と 人^と が M じ行爲 をす ると 云 ふ简ほ な^ば 

に 執着して その他 を 忘れた 心 、基督が 生涯 孤獨 であった と 云 ふ 一 つの 出來 察に 眼が くらまされて、 彼が^ 初に,:::, j 

を 現 はした の は カナの 結婚の 席で あつたと 云 ふこと を 忘れた 心、 かう 云 ふ 心 をお 前の 魂なる 私 は 何よりも^ むの 

だ。 お前 は 何故 人間の 癖に 獸 臭い まね や 天 使く さい まね をして 喜んで^る の だ。 それ は:^ も不 n....^::: な、 ,:: ふに 

本當に 觸れて 見ない 遊戲 三昧と 云 ふ もの だ。 さう 云 ふ遊戲 三味な 社會が 表面上 どれ 稃 進歩した と 兌え ようと も、 

亦 それにお 前が どれ 程貢獻 したと しても、 それ は 結局 社會を その^^の 生長から 妨げ 而 してお 前 の 犬 死 を將 

來す るに 終る ばかり だ。 私に 還って 来たお 前 はかう 云 ふ 物に 服 も 耳 も くれす にお 前の 道を擇 ベ、 而 して^ 門.:氷 と 

なり 終せ すに 必す 自己 に 主たる ベ き 人間 全體 となれ。 

お前 は 又 私に 還り 來る 前に、 お前が 全く 外部の 標準から 眼 を 返け て 私 を 唯一 の 力と 顿む 前に、 人類に S すろ お 

前の 立場に 就いて 迷ったら う。 お前が まっしぐらに 私と 共に 進んで 行く^が 人類に 對 して 非常な 迷^と なり、 お 

前 を 生長 させた ために 他の 人の 進路 を 妨げ、 從 つて 社 舎の 秩序 を 破り 制度 を破壞 する やうな 給^ を クシ 少なり とも 

内 郃生活 0 現象  一一 二  E 


肩 島 武^ 仝^ 第五 卷  ニニ 六 

惹き 起し はしまい か、 さう お前 は 迷ったら う。 それ はー應 尤もで ある。 然しお 前が 段々 眞面 33! になれば なる 程 さ 

う 云 ふ 外部 的な 問題 はお 前に は考 へられな くな つて 來る のた。 水に 溺れて 今 死なう とする 人が、 世界の 何處 かの 

禺っ 方で 死んで 行く 人 @ ある 事 を 想像して それに 同情 を 寄せる と 云 ふやうな 暇 はない と 同様に、 お前が 眞に 緊張 

して^に 來る 時に、 その 結果 や 影響な ど を 如何して 考 へて 居られよう。 自分の 罪 を 悔いて 棘の 中に 身 を ころがし 

て 居る フラ ン シス 聖者が、 同時に その 改悛の 結果が 人類に 如何 云 ふ 影響を及ぼ すだら うと 考 へて 居た と 想像す る 

者 ま、 人の 心の 尊 さ を 露 ほど も 味った 事の ない 賤民の 一人 だ。 私 はお 前に 云って 聞かす、 さう 云 ふ 問を發 し、 さう 

云 ふ 疑 ひに なやむ 間 は、 お前 はま だ 私の 處に歸 つて 來る 資格 はない の だ 。私 は 前後 を 顧慮し なければ 居られな いや 

うな だらけた 歩き 方 はして 居ない。 さう 云 ふお 前に 對 して は 私 は 最も 無慈悲な 野獣に も 勝る 無慈悲な 支配者で あ 

る 事 をお 前 は 承知して 居なければ ならぬ。 然しお 前 を 憐れんで 私 はお 前に 云って 聞かす、 殊にお 前 を 愛する 親が お 

前に 望む 所 は 何んだ。 社會 上の 位置で もない。 富で もない。 安逸で もない。 幸福で もない。 その 望む 所 はお 前が 

一 つの 事業 を 成就 せん 事 だ。 卽ち お前が 親から 受け 傳 へた 凡ての 潜んだ 力 を餘る 所な く發 揮す る 事 だ。 それが お 

前 を a も 愛する もの.^ 望む 所で あらねば ならぬ。 それから 推し 考 へれば、 お前 を 取り まく 人類 卽ち 社會 がお 前に 

望んで 居る 所 も 同じ 譯 であるべき 喾だ。 若し 人類な り社會 なりが お前に それ 以外の 事 を 要求して 居る とすれば、 そ 

I なお 前 を墮^ させよう として 居る の だ。 お前 を 機械と して、 その 人類な り社會 なりが 姑息な 無事 を 一時で も 永 

く^しむ 手^に 用ゐ ようとして 居る の だ。 お前 はそんな もの &犧牲 となる ベ き 責仕を 持たない 計りで なく 甘ん 

じても の犧牲 となると 云 ふ 事 はお 前に 取って は罪惡 なの だ。 お前 は 人類の 全體に 何等かの 形に 於て 生長 を與 ふべ 

き 動き をし なければ ならない I 然し こんな 事 はお 前に 云って 聞かす に は當ら ない 事だった。 老婆 親切な ど、 云 

ふ 事 は 私の 柄 こ はない。 私 はお 前に 命す る、 杖 を さぐる 目 くらの 樣に、 ^房 を 求める 赤子の やうに お前 は 私の 處に 


來 いと。 

お前 は 私に 還って 來た。 今 私 はお 前と 乎 を 取って 廣ぃ 大路 を 胸 を 張って 歩いて 行かう。 ホ ヰット マンが, 

「樂 しく 快く 私 は 歩く、 

何處に 歩いて 行く のか 自分で も 知らないが、 歩く ことのい- -事 なの は 知って 居る、 

全 宇宙 もさう だと 敎 へ て 居る、 

過去 も 現在 もさう だと 敎 へて 居る。」 

と 歌った の は 私と お前との 境界 だ。 また 彼が、 

「足に まかせて 心も輕 く、 私 は 大道 を濶 歩す る、 

健全で 自由で 世界 を 眼の 前に 据 ゑて、 

私の 前の 遠い 褐色の 道 は 思 ふ 所に 私 を 導いて 行く、 

これから 私 は 幸運 を 求めない II 私が 幸運 その 者 だ、 

これから 私 はくよ/. \し ない、 躇 はない、 又 何^ をも耍 しない, 

健かに 滿ち 足って 私 は 大道 を 旅して 行く。」 

と 歌った の は 各 ® 間の 私と お前との 關 係が、 凡て を 始める 前に 一から 始めるべく お前 は 私に? a つて 來た。 それ 

は 何ん と 云 ふい、 事 だら う。 私 は 今まで 默 つて 一 つ 所に 突っ立って 居た、 而 して 放蕩^の やうに せか/. \ した;^ 

分で、 彼方に 暫く 心 を 寄せ、 此方に 暫く 思 ひ を 託して あてど もな くさ まよ ひながら 藻搔 いて^る 慘め なお 前の 姿 を 

見やって 溜息 をつ いて 居た の だ。 お前の 還って 來た私 は 若 やいで 東 明の まぶた を 漏れる 旭の 光の やつで ある。 而 

して 統一 された 生長の 力が うづく する 程 身 體全體 に 漲って 居る。 

生活の 現象  ニニ 七 


有 島 武郎仝 集^ 五卷  ニニ 八 

< た  ひら 

今お 前の 眼の 前に は裕 かな 人類の 歷 史の活 畫が展 かれた。 お前 は 何故 さう 驚いて 居る のか。 お前 は 未だ 一 度 もこ 

んな活 々として 花々 しい 力の 現 はれ を 見た 事がない と 云 ふの か。 でも それ. にお 前が 今まで 見 綾け に 見慣れて、 そ 

の 中から お前の 教訓 を 引き出して 居た その 人類の 歷史 なの だ。 あ-今迄お 前 は 全く 統一 された 歷史と 云 ふ もの は 

見て 居なかった の だら う。 今 こそ 歷史 はお 前の 肉に 入り 骨 に^み 渡った の だ。 玆に叉 人の 生活が ある。 お前 は そ 

れ にも 驚きと あやしみの 服 を 見張る のか。 今お 前が 見る 生活 こそ 本當の 人の 生活 だ。 何ん と 云 ふ 勇し い 生活 だ。 

何ん と 云 ふ 力の 這 入った 生活 だ。 お前の 嘗て 見つめて 居た 義務の 生活、 努力の 生活 は 今 影 もな くな つたで はない 

か。 お前の 今 見る 生活で は、 人 は 各 i 自分 を 生きて 居る。 ソクラテス は 嘗て r 汝 自身 を 知れ」 と 云った が、 お前 

の. 見る 此處の 生活 は 「汝 自身で あれ」 と 呼んで 居る。 お前の 嘗て 見た 生活で は、 人 は 基督の 如く 生き、 釋迦の 如 

く 生き、 孔子の 如く 生きて 居た。 お前の 今 見る 生活で は、 彼等 は 基督 を 生き、 釋迦を 生き、 孔子 を 生きて 居る。 嘗 

てお 前 はお 前 だけが 蓄 へて 居た 小さな 力に 依賴 して、 事業 をしょう として 居た。 痩せて 乾いた 土に 生えた 草が、 

身丈け も碌々 延ばさぬ 中に、 お づ くと しなびた 葉 を 出して、 形ば かりの 花 を 開いて、 力弱い 種子 を あわてる や 

はた 

うに 結ぶ の をお 前 は 見た 事が ある だら う。 力の 缺 けたお 前の 慘 めな 努力 は 側から 見る とまるで その 草の やう だつ 

た。 かつゑた 犬が 食べられる ものなら 何 一 っ淺 すまいと する やうに、 熱の 薄い お前 は 人の 情け を 恥 も 知らす に 貪 

つて 歩いて 居た。 お前の 身の ま はりに は 生長 を 妨げる 友人と、 寶 女の やうな 戀 人と、 センチメンタルな 淚と、 皮 

肉な 笑 ひとが うじの やうに 横た はって 居た の を 思 ひ 出して 見ろ。 而 してお 前 は その 沈澱した 腐った {仝 氣の 中に ふ 

やけて うづく まって 居た の だ J 若し そこから お前が 突っ立ち 上る やうな 事が あると、 今度 はお 前の 所謂 事業が 始ま 

る。 お前 はたしない 力 を 惜しんで 僅に 拾 ひ 集めた 材料 を 後生大事に 一つの 城郭 を 築き上げる。 若し 人が 誤って 

きちが ひ *. ぬ  » 

それに 手で も觸れ たが 最後、 しはん ぼな お前 は氣 狂犬の やうに 誰れ 彼れ の 差別な く哙 つて か-つた らう 「火で や 


られ てまで 主張 を 守り 通す と 云 ふの は 馬鹿らしい 事 だ。 どんな 主張で も それ^^で はない かも 知れない。 然し 主 

張 を 造る ために、 又 主張 を變 する 爲 めに 燒 かれる と 云 ふの なら 私 は 甘んじて 燒 かれよう」 と 云った 一一 イチ ェ の •;;;" 

葉 J その 力の 有り 餘 つた 言葉な ど は、 その 時のお 前に は 馬鹿らし いほらと しか 聞こえなかった らう。 而 してお 前 

は その 言葉の 中に 論理 上の 矛盾 を發 見して、 あげ 足と りの 皮肉な 笑 ひ を 漏らす 位が 關の 山だった らう。 而 してお 

前 は 何んでも こちん と 小さい なりに も 固まった 一 つ 結果に 到着し なければ、 どうも 寢ざ めが よくなかった の だ。 

又 その 時のお 前は隱 謀と か、 嫉妬と か、 羡 ましが りと か、 僻見と か、 迫害と か、 ^切き とか、 憎しみと か、 おべ 

つかと か、 皮肉と かと 云 ふ 卑しい 言葉の 意味 をし み ふ、 と 味 ふことの 出来る 心の 狀態 にありながら、 大きな.:.:: お 

を 口にする の を 好んで 居たら う。 慈悲と か、 寬大 とか、 公平と か —— お前 は 恥ぢて 自分の 顔 を 被うて:^ る。 私 も 

もうお 前 の 過去 を 忘れ てし まふ。 

お前の 還って 來た私 は 受精 を 終った 卵の やうに 力に 滿 ちて 居る。 私 は その 力 を どうして い、 か 知らない S だ。 

私 はぐん /(\ 生長す る。 お前 はこれ から 道德と 交涉を 持つ か如佝 だか は 私 も 知らない。 然し 持つ とすれば お前 は 

今の 狀 態から 出發 する ことによって のみ 持つ 事が 出來 るの だ。 お前 はこれ から 信仰に 至る か 至らない か 私 も 知ら 

ない。 然し 信仰に 行く とすれば お前の 信仰に 行くべき 道 は 今にして 始めて 開かれた の だ。 お前 はこれ から 社^的 

の 事業 をす るかし ないか 私 も 知らない C 然し 事業 をす ると すれば * お前 は 今にして 甫 めて:^!^ の ^ 格^^た の 

である。 お前 は 私に よって 凡て それ 等の 力 を 得た ので ある。 

お前 はこれ からさ もしく 情け を 求めて 歩く 事 はない。 私 はお 前に 滿ち 足って 餘.^ ある 愛 だ。 いまによ き 友人が 

お前と 友情 を 交換し に來 る。 又よ き戀 人が お前の 情けに うる ほひに 來る。 お前 は 思 ふ^ 分與へ ろ立: びと^ ふ^ 分 

受ける よろこびとの 如何なる もので あるか を經驗 する であらう。 それからお 前 はもう 幻影に 捕 はれる:^ はないだ 

內部 生活の 現象  ニニ 九 


有 島武郎 全集 第五 巷  二三 0 

らう。 人並す ぐれて 脚. たけ 長く した 片輪 者が お前より 高く 飛び 上っても お前 は 驚かない だら う、 又髯と 皺の 多い 

こ は  */ じな ひ 

恐い 顔 をした 老人が お前に 咒の 様な 事 を 言って 聞かせても お前 は あわてな いだら う。 お前 は ゆたかな 心 を 持った 

人ら しく、 さわがす にお 前の 道 を 進んで 行 くだらう。 

私 はさうな るお 前 を 祝福す る。 張り出した 胸、 高く 揚げた 顔、 堅く ふみしめた 脚、 近づく ものに 堅く 握手 を與 

へる 暖かい 手、 眞 直に 向けられた 眼、 いつはらぬ 愛しみ と 憎しみ, 小兒の やうな 汚れぬ 心、 さう 云 ふ もの X 持主 

となるべき お 前 を 祝福 する。 

お前 はよ くこ そ 私に 歸 つて 來る だけの 眞 面目 さ を 持ち けて 居た。 人 はお 前の 歸 つて 來 かたがお そいと 云 ふか 

も 知れない。 然しながら や、 とも するとい つまで 經 つても 歸り 得なかった かも 知れない。 お前が 歸 つて 來 たの は 

私に は 凡てに まさる よろこび だ。 これからお 前 は 私の 痛い 然しながら 甘い 鞭 を 受けねば ならぬ。 而 してお 前 は 幾 

度 かこ ぼ たれて、 建て あげられて、 而 して その 度に 緊張して 行かねば ならぬ。 かくてお 前が 遂に 私に 融け 合って 

しま ふ 時, お前の 魂なる 私が お前の 占領す る 肉體の 全部 を 占領す る 時、 お前の 創造 は 成就せられ るの だ。 その 時 

お前 は 完全なる 人となり 完全なる 社會を 完成す るの だ。 

その 時お 前の 胸に 宿る 喜びと 感謝の 情と は、 天と地と 而 して 大海原との 喜びに 調子の 合 ふ 程 高い 喜びと 感謝で 

ある だら う o 

ri A 1 B 年 七月) 


「新潮」 記者 足下 

先日 わざ,, (\ お^ね 下され 候 節 は 失禮致 候。 その 際 外遊 中 遇 ふ 事 を 得た る文舉 者、 荇 樂家、 赘ぉ などより 受け 

たる 印象 を 書き連ね 候 やうお 勸め 下され 候.. 1、 私 は 元來 至極の 交際 嫌 ひのみなら す、 强烈 なる 性格に して受 く 

る 一 種の 壓迫は 未成品なる 私に 取りて 堪へ 難き 桎梏に 候へば、 與 へられた る 機 會をさ へ 振り 松て たる 仆控 にて、 

唯一度 クロ ボト キン を 訪れた る 事 ありし 由 申 上げ 候處、 その 折の 思 ひ 出 を 寄せ 候 やう 御 申出で にて 御^^ 致 候 次 

第に 候。 

偖て お 歸り後 六月 號の贵 誌 披見 致 候處、 拙稿の 載せら るべき 攔の 表题は 「親しく 會 つた^ 外藝術 家の 印象」 と 

申す のにて、 會見 記が 明かに 藝術 家に 限られ ある 事に 心附き 候。 かくて は 私の 記^ は 埒外に 逸した るの 嫌 ひ あり 

直ちに 電話に て 其 旨お 斷り 致すべき が當然 なりし を、 勞 働を强 ひらる- rs^ に 電話に か、 り攸; の 嫌 ひなる 私 たれ 

ば、 思 はす も 姑息に 延引して 今日に 至りし 次第にて、 今更 取 返しの つかぬ 始末に 相 成 巾^。 されば この^ の 取 

捨は 一 に 足下の 御意に 任せ 置き 候。 

ひる^へ 

. 力く は 申 候 もの \  ^つて^ ふに 藝術 家なる もの、 意義 を詮 する に 可な り 拔き差 しの 餘地 ある ものと も り へら 

れ候。 藝術 家が 創^者な らば、 又 生活と 思想との 一致 を條 件と する ものなら ば、 又 習俗に 煩 はされ すして^: 浴を批 


有島武 郎^ 笾 笫艽卷  二三 二 

I: する の權能 をお すべき ものなら ば、 又 深き 意味に 於け る 自然の 理解 者で あるべき ものなら ば、 又 愛と でも 云 ひ 

現 はすべき 心的 動向の 根柢に 徹 入すべき ものなら ば、 クロポトキン はまが ふ 方な き藝術 家な りと 信じ 候。 この 意 

味に て 私 は この 記事が II 卽ちク 0 ボ ト キ ン が II 「藝術 家會見 記」 中に 加 へ ら れん 事 を 深く 希望す る ものに 候。 

無政府主義な ど 巾す 思想から は 對角線 的に 交涉 なき 境遇と 敎 育との 中に 置かれ 居た る 私 は、 か-る 傾向に 對し 

ては吣 かしながら 無頓着と 一 種の 厭惡 とを感 する のみに て 三十 近くに 及びた る 次第に 候が、 明治 三十 七 年の 頃頻 

おぼろ  あきた 

りに ゲ オルグ • ブラ ン デスの もの を愛讀 致し 始め 候 頃 朧げに 露 西亞に 於け る 現存の 社會狀 態に 慊ら ざる 諸種の 主 

義を想 見し、 好奇心と 申す 程の 研究 慾 を 感じ 始め 候 折抦ク tl ボト キン の 自叙 傳の序 を ブランデスが 書き 居る を 知 

り、 それが 讀み 度き 許りに 始めて この 稀 有なる 大著 書に 接し、 さして 期待 も 持た-でに 本文 を 讀み迎 り 行き 候 程に、 

頭が 上らぬ 程 感心して 仕舞 ひ 申 候。 

私の ク tl ボト キンに 對 する 敬意 は此 時に 芽 ざせ しにて、 其 後 氏の 著書 を 彼れ 是れ 漁り 居り 候 中に、 敬意 は懷し 

さに 變り 行き、 英國に 渡る 機會も あらば 氏の 家屋の 下に は 一 度 此身を 運び 行くべし と 忍 ひ をり 候。 

この 宿志の 遂げられ 候 は 明治 四十 年の 二月に て ロンド ン府は 濃霧と 濕寒 とに 深く 鎖され て眞晝 にも 電燈 を點さ 

ねばならぬ 不愉快なる 季節に 候 ひし。 私 は國立 博物館の 近所なる むさぐ るし き 下宿の 三階より、 覺束 なき 英文に 

て、 紹介 を 煩 はすべき 人 もな きま \ に 、うちつけに 會見を 得た き 旨の 一書 を 飛ばし 候處、 直筆の 返事に て 次の 月曜 

日に 參 るべき 由 申し 來り候 J 私の 心の この 返事 を 受けて 怪しく 躍り 候 は 固よりに て 候。 され ど 困りた る 事に は 月曜 

日に は據 なき 前約 ありて 氏の 意に 應 じがた く、 されば とて 斷念 せん も 無念 なれば、 通知 も發 せす 一 日 繰 上げて 日曜 

日に 出かける 事に 致 候。 偖て 當時ク a ボト キン は 何處に 住み 居りて、 私 は 何 停車場より 汽車に 乘 りたるな ど 申 上 

ぐべき 順序ながら、 私 は 頓と其 等の 事 を 忘れ 居候。 何でも 水晶 宫の 見やらる \邊 り を 汽車の 走りた る 事の み 記憶に 


殘 りて、 何 處を發 し 何處の 停車場に 着きた るか は 中 絡え たる 夢の 如くに 候。 兎 まれ n ン ドン v.:rr- さる 停::: i. 場 t 

り 二十 分餘り 汽車に て 行く 市外の 一 小驛に 降り 立ちた る 醜き 小男の ありし は 確かに 候。 :: ンド ン U 外の ウド-せ 二 

申せば 世に 名 だた る 贅澤の 一 區寰を 心に 描き 給 ふべ けれども、 私の 降り 立ちた る は 小:」^ f と勞: s^: のおに.:」」" ン 

ドンより は 少し 生氣 ありと 思 はしき 枯 並木との 立ち 連り たる、 平らな 平板な 小 市街に て、 私 は どんより と ^リ * 

てた る 寒 空 の 下 を、 遇 ふ 人 毎に 道 を 尋ねつ \、 たピ廣 き穢き 歩道 を 我が 靴音の 高き に 心お めながら 七 八 町 ひ 歩 

き 候 ひけん。 やがて 三 軒績の 三階 建の 貸家ら しき 石造の 家の 右端の 戶 口に Villa  VioLi と 記された る 札の ある を 

見出で て、 ク ボト キンの 返事に それ を 眼 あてに と 記された る を 思 ひ 出して 足 を 留め 候。 灰^の 小: y,;: にて^ 雑 乍 

に 築き上げられ たる 壁、 ^純なる 白 ペンキ 塗りの 窓框、 同じく 白く 塗られた る 戸口 I Vina とは審 も を. ^しく 

候。 Viola とは樂 器の 意に ゃ堇の 意に や、 灰色の 寒空に は、 叉 英國の 签氣に はよ く. (ふさ はぬ、 さりながら,^ 

と 云 ふ 美しき 言葉よ など 思 ひつ \ 恐る, (戸口に 近寄り 申 候。 垢染みて 垂れ 下りた ろ 絲 を:^ き; g^、  ^まり 返り 

たる 家の 中に 女らしき 靴の 踵の 音 聞こえて、 ク & ボト キン 夫人 自ら 取次ぎ に 出て 來られ お。 よき:; でて. f  、くや i 

つ 肥りして 髮は あらかた 白く、 何よりも 「母」 を 思 はする にこやかなる 微笑み を 微笑みつ „、 この あたりに は 珍 

らしき 東洋の 一 靑年を 見やられ、 私の 色々 と 言 譯 せんとす る 暇 をも與 へす、 先づ とて 招じ入れら Ln^。 

戸口の 右なる 往來に 面する 奥に 長き 一室が 客間に 候。 様式の 統一 もな き 家具に 飾られた る狹き 部^ながら、 A 

に は 跳り 立つ ばかりの 感激 を與へ 候。 マン テルビ ー ス の 上に はト ルス トイと ド ス ト イブ スキ I との B は、 a かれ あ 

り 壁に は プル ー ドン、 バク 一一 ン、 ブランデス などの 寫眞 の揭 げられ あり 候が、 其 等の 多く は F "與^; がお^の 主 

人 公 その 人達に して、 しかも 所持者に 對 して 深き 同情と 交誼と を 抱け るな りと 思へば、 そに ろに 哎 かく 緊^し と 

る 空氣の 漲る を 感じた る 次第に 候。 尊き 心臟の 若干 を 堅く 把持し 得る 人格の 羡 ましく 候 かな。 

クロ. ホト キンの 印象  二三 三 


有 島武郎 全集 第五 卷  二三 W 

部屋の 中 を 彼れ 此れと 見廻す 程 もな く、 勢よ く 食堂に 綾き たる 戶を 開きて 十八 九と 覺し きこの 家の 令孃 出で 來 

られ、 父 は 仕 かけた る 仕事 を 終る まで、 母 は 庖厨の 事に 忙 がしければ、 暫く 待 たれた しとて 臆した る 色 もな く 私 

の 側に 座 を 占められ 候, T 戰爭と 平和 一 の ナタリア .! 私の 最も 好む 女性の 一人 —— を 私 はすぐ 聯想して、 若き 女 

*  、 、 、  いた づ 

に對 する 往来の はにかみ を 忘れ 申 候。 夫人に 會ひ令 孃に會 ひて 知りし 事に 候が、 この 家に て 徒ら なる 禮儀 は先づ 

以て 禁斷と 見え 候。 如何にして 父 を 知り、 父の 如何なる 書物 を讀 みたる や、 米國 にあり しとなら ば 西部に て發行 

せらる、 父の 機 關雜誌 【炬火」 を 見た る 事 あり やな ど、 矢つ ぎ 早に 誇り 氣も なく、 遠慮 もな く、 問 はれ 候て、 無 

舉 なる 私 は 赤面すべき 所たり しか ど、 知らぬ 事 は 知らぬ と 平氣で 答へ 得る が 自分ながら 不思議に も 快く も 感ぜら 

れ申 候。 

物の 三十 分 も かく 心 置きな く 語り合 ひ 居り 候に や、 再び 食堂との 通 ひの 戶 開かれ、 更に 飾り 氣 なき ク ロボ トキ 

ン氏は 「長く 待た したね」 と 氣輕に 云 ひながら 這 入り 来られ 候。 豫 て寫眞 にて 見覺 えたる 通りの 容貌に 候。 驚く 

ベく 廣く 高き 額、 白く 垂れた る 鬚髯、 厚み ある 正しき 輪廓の 鼻眼鏡の 臭に ありて 輝く 灰色の 眼、 寫眞 にて 窺 ひ 得 ざ 

りし もの は 健康と 淸 潔なる 生涯と を 裏書きす るつ や/ \ しき 皮膚の 色、 厚く 大きく 溫 かき 男々 しき 掌、 荒海の 唯 

お ほ 

中に 立つ 嚴の 如く 六十 幾年の 辛酸 艱苦に 鍊へ銶 へし 廣 やかに も 厚味 ある 胸 を 掩ふ單 純、 他の 奇 なき 平民の 服。 挨 

拶の手 を 堅く 握られて 私の 眼 は 端な くも 淚 にうる ほひ 申し 候。 

令嬢の 庖厨に 退きし 後一 一人 は 差 向 ひに 相 成 候が、 私 は 何にも 勝りて 自分が 慮外の 臆病者に て 暗中摸索に うめき 

居る 精神的 乞食なる 事 を 知りて いた^き 度く、 先づ その 事より 申出で 候に、 氏 は 好意 を こめて 微笑みながら、 私 

の 傷 を やさしく 撫で 下され 申 候。 是れにて安心の臍を固め話は色々 さま-^ の事に移り行き候。 唯 氏の 申さる、 

は 自分の 主義の 外に 出づる 事な く、 日本に 於け る社會 主義 運動の 現狀 など 事細かに 尋ねられ 候が、 かくの 如き 事 


書き連ね 候 は 5-、 本誌の 發寶 禁止と なるべき 事 眼前に 付き、 足下の 御注意 も ありし 事 なれば 一 切^ 略に 附し巾 候。 

こ の 事 不本意に 思 はれ 候 讀者も あらば、 责は 〇〇 と 中す 者に 有 之 候 ぼ 御 記 傥可被 下 候。 

話の 込み入り 候に つれ、 又 私が 讀 みたる 氏の 著書 殊に 「相互扶助 論」 に對 する 問に 答 ふる 爲め、 氏 は 私 を 伴 

ひて 二階なる その 書 齋に 登られ 候。 ^壁 は 天 井に とビ くまで 寄 物に 蔽 はれた る陰氣 なる 廣11 にて、 その 一端に お 

ゑら れ たる 長椅子に 私 を 坐ら せ 自分 も 近々 と 座 を 占めて、 さて 諄々 と說 明の 勞を 取られ 候。 私 は 從來の 凡ての 境 

遇 凡ての 傳說 より 切り放され、 英國に 居る と 云 ふ 事 も 忘れ、 日本人なる 事 を 忘れ、 この か::^ の何虑 如何なる 地點 

にある や も 忘れ 粱 て、.' 老 親の 膝下に ある 柔順なる 小兒の 如くに、 その 穩 かなる 慈愛に あふれた る 一 IT 紫に 聽き入 

り 候。 「未だ 人間の 運命に つきて 深く 考へ もせす 激しく 働き もせざる ものが、 我が 說の當 否 を あげつら はんと や。 

か、 る 人 は 唯 赤面せ よ、 而 して 默 せよ」 と 氏が 何 かに 書かれた る 事な ど 思 ひ 出で て、 嚴 かに 心 動かされ 候。 

か、 る 間に 時 は 何時の間にか 經ち候 ひけん、 ノプク して 入り 来れる 令嬢の、 晝餉の ffl 意 成りたり と 齿 ぐるに、 

二人 は 驚きて 立ち上 らんと 致せし が、 氏 は 思 ひ 出で たる 事 ありげ に 書架 を 漁りて 自著の -  Fields,  Factories  and 

Workshops" を拔き 出し、 それに 自署して 私に 與 へられ、 日本に 歸 りて 後 わが 著書 を飜譯 せんとな らば 余 は 喜んで 

君 に その 勞を 託す べしと 申 添 へ られ 候。 

廣 からぬ 食堂 なれ ども、 さすがに 快く 食事 をな さんに は事缺 かぬ 用意 ありて、 客 は 私の 外に 二人の 靑^. 紳士 を 加 

へ 居り 候。 か \ る もてなし を 受けん 事 思 ひも よら ざり し 私に は 後ろめ たくこそ^; ぜられ 候 ひしに、 夫人 は 今;!: は 

日曜日 なれば 娘 も 寄宿 舍 よりも どり 居り、 これなる 親しき 友 を 招き あれば 是非 れと勸 め 下され 候〕 贪^ につ 

ける 一家の 睦じ さは 固よりに 候。 普通なら ば 露西亞 語か怫 語の 用ゐら る、 事と 思 ふに、 今日は 私の 爲め にや 一同 

英語に て會話 致され 候。 寄宿 舍の ほとり を 毎夕 飾り立て- T 通る 一人の 靑年 あり、 眼 を あげて 少女 等に 秋波 を这る 

ダ e  - ト キン C 印 象  二三 五 


有 鳥 武^ 仝 集 第五 卷  二 三方 

あやえ 

いま/ \ しさに、 昨 曰 は 枕の 縫目 を ほどき かの 青年の 近づく を 眼が けて 二階の 窓より なげうち しに、 過た. f 鳥の 

羽の 無殘に 散り 立つ 枕 その 肩に 落ちて、 積 日の 胸の つかへ 一時に 晴れたり と、 令嬢の 語り 出で-心地 よげ なる 顏 

付した る 時な ど は 食卓の 皿 小鉢まで 笑 ひどよ めく かと 思 ふまでに 一座 は 賑ひ申 候。 か-る 折は老 主人 も老 夫人 も 

唯髮 白き 小兒に 候。 幾度 か 死 を もて 脅かされし 迫害の 跡 は何處 にぞ。 世界の 〇〇 をして この 人 一人 あるが 爲 めに 

にな 

枕 高き を 得 ざら しむる と は 思 ひも よらす。 人類の 或る 意志 を 一 人して 撸 へ る その 雙 肩の いかに 輕く笑 ひに 動き 候 

事よ。 堅き 信仰に 築かれ 淸き 良心に 守られた る 家の 中に も 私 は 未だ かくば かりなる 自由 は 見出し 得す 候 ひし。 

食事 後 露西亞 文壇の 事な ど 話題に 上り 候 折、 トルストイに つきての 意見 を 求め 候 ひしに、 彼と は 今 も 兄弟に 劣 

らぬ 親しみ あり。 され ど 余 は 彼の 壯年 時代の 思想に 最も 共鳴 を感 する ものな り。 彼 は 老いたり。 彼の 信仰に 瞹昧 

なる 神祕の 影の 混ぜられ たるな ど は 口惜しき 事な り。 かくまで 進み 来れる 文化 は 毀つべき ものに あらす 善用す ベ 

きものな るに、 そ をお しなべ て 罪惡視 する は 心得すな ど 申され 候。 氏 は又當 時露國 より カナダに 移住せ る ドハ ボ 

1 ル 宗徒の 現狀 にっき 深き 興味 を 以て 注意し 居られ 候。 彼等の 一 圑は 純然たる 〇〇 主義の 下に 生活し 着々 效果を 

擧げっ X ありと 申され、 尙 委しく その 內容を 語り、 更に 傍らなる ピアノ を 顧みて 「余 は 音 樂に對 して 熱烈なる 愛着 

心 を 有せり。 せめて は ー臺の ピアノ を 得ん と 願 ひし 事 幾年な りし ぞ。 而 して その 願 ひ は渐く 近年に 至りて 酬いら 

れ たり。 され ど 見 給へ、 この 樂器 はさして 上等なる 品に あらす、 七十 ボンド (約 七 百圓) を 値せる のみ。 しかも 余 

はニケ 年の 年賦に て その 價を 消却せ ざる 可から す。 余の 頭腦と 知識と は 一 臺の ピアノ を 得て 生を樂 しむに さへ か 

くば かりの 苦心 をな すべき 程 劣等な りと は 自ら も 思 はざる に」 と 云 ひて 一笑 を 漏らされ 候。 私の 背 は 思 はす 冷汗 

にす くみ 申 候。 

餘り 長居した りと 思 ひて 二 時 頃 暇 を 告げて 玄闢に 出で 候處、 一家の 人々 • 打ち連れて 私 を 見送り くれられ 候。 「こ 


の 次に は 君を& ン ドンに 伴 ひ 余の 島す る供樂 部の 人々 に 紹介すべし。 君 は 更に 學ぶ所 多 からん」 と 主人 は 巾され 

候。 夫人 は 母ら しく 私の 家の人々 の 有様な ど忙 がしき 中に も 尋ねられ 候て、 故郷の 人の 私 を 待つ らん 出な どを屮 

添 へられ 候。 家 を 離れて 見 か へれば、 や X 暫く 立ち去りが てに 私 を 見送れる 夫人の 白衣 あざやかに^ におり 候。 

美しき 卷髮 持ちた る 近侍と して 皇后の 膝に 眠りた る も 彼に 候。 贵 族の 出なる 俊才と 生 ひ 立ちながら!:^ の經ぉ 

を 輔翼せ ん爲 めに は、 自ら 撵ん てシ ベリ ャの 兵營に 身を笸 きし も 彼に 候。 地質 協會の 有力なる s.^: として フィン 

ランドに 探檢を 試み、 玆に 始めて 思想の 廻 轉期を 得た る も 彼に 候。 舞踏 會に夜 を 更かして その 御^: の 風 巧の 巾に 

眠れる を 見て 心 大いに 動きた る も 彼に 候。 意 を 決して 貴族の 光 榮と資 產とを 抛ち 去り チヤ ィコ フス キ ー 祕. お:^.^ 

に 加 はり 獄に 投ぜ られ、 小說 より 奇なる 脫獄を 試み、 西歐の 天地に 乘り 出した る も 彼に 候。 雨 來个: 歐洲 の:;;^: の 

中に 寸分 も 己れ の 主張 を 曲げす、 將來に 於け る 人類の 福祉 S 爲 めに 三十 餘 年の 長き 月日の 問、 ^き、 C な、 -1 じ、 

戰ひ、 愛した る もの は 彼に 候。 私 は 汽車の 中に て 眼に 淚を 浮べながら、 その 多事の 一 生 を^ .ぼ 致攸. 而 して:. ムふ W 

からざる 心 强さを 感じ 申 候。 彼の 與 へられた る は 人生に 力 强き左 券の 與 へられた るに て 候。 彼の 說 或は 却くべく 

或は 惡む 可く 候べ し。 その 愛 腸 慈心 は 我等 人類 一般の 寳玉 にて 候な り。 私 は 本誌の 前號に 與谢野 女史が" ダン を 

訪れ 給へ る 記事き 讀み、 佛國 民が 天才 を 遇する 道の 到れり 盡 せる を 見て 嬉しく 思 ひ 候 ひしが、 今 この 記 $ を 卞:" く 

に當 り、 二 氏の 境遇の 餘 りなる 相違に、 同じ 世 同じ 時に 有り得べき S- かと^ ひ 迷 ふば かりに 候。 され ど S する 所 

ロダンの 酬 いられた る もよ き 事に 候。 クロポトキンの 酬 いられざる も 亦よ き 事に 候べ し。 天才の^; s に 比して は 

酬いら る X も酬 いられざる も餘 りに 些々 たる 小事 件に 過ぎす 候べ し。 さはれ ク 口 ボ トキ ンが靑 年の 顷西歐 より^ 

壇の 天才の 来る 每に必 すその 演奏に 臨み 候て、 殆んど その 樂聲に 熱狂し 己が 思想に ffi 斛の 燃材を 加へ たりて ふ,::: 

叙傳の 一 節 を 思 ひ 出し 候 毎に、 私 は 今でも 彼の 隠棲に 一 臺の 美しき ピアノ を 加へ て 上げ たしと 念ぜぬ が は 無 之 

ク b ボト キンり e 象  二三 七 


有 島武郞 全集 第五 卷  二三 八 

候。 . 

その後 私 は 故國に 向って 旅立ち、 復た斯 のな つかしき 家 を訪る \ 機 會は摑 ますに 終り 候。 日本に 歸りな ば 記念 

の爲 めに 氏の 著書 を譯 さん ものと 存候 ひしが、 怠りの 心に かまけ て それすら 成し遂げ 居らす 候。 酬いる 事な く受 

けて のみ ある 私 は 今 もな ほ 精神的 乞食の 徒に 過ぎす 候な り。 早々。 

(一 九 一 六 年 七月 「新潮」 所載) 


惠迪寮 諸兄。 

嘗て 寮に 居た 事の ある 因緣 から、 今年 出る 寮歌 集に 序 を 書け と 云 ふ 御 依賴を 受けました。 それに 應 すると 云 ふ 

事 は、 現在 大擧と 直接の 交 涉を繫 いで 居ない 私に 取って、 偕 越の 事 だと 思 ひます。 然し 私 は、 この 機會 を與 へて 

下さった 諸兄の 御 厚意 を 捨て去る に 忍びません。 潜 越と 知りつ-筆 を 取る 我儘 を 許して 下さい。 

半年ば かりの 短日月で はあった が、 私 も 寮の 鈸を食 ひ、 寮の 寢臺 に寢 たもので す。 私の 部:^ は^おの 二階の 西 

の 隅で、 其處 から 每日 手稻 山の 後ろに 落ちる 夕日 を拜む 事が 出来ました。 而 して 祭 生 諸兄 は 私 を 齢の 遠った 友 建 

として 取扱って 吳れ ました。 一 緖に圓 山の 雪 JJ りに も 行き、 一緒に 鷄の雛 を盜む 鼠賊の 征伐 もし、 討論 會 には議 

長に 祭り上げられて 散々 油を搾られ、 食堂で は ー茱に 舌鈹を 打って 釵の喰 ひ 競べ もしました。 その g 惊は 今でも 

眼に 見る 樣に 頭の 中に 烙き 付けられて 居ます。 然し 時 は 過ぎて 消えました。 それ を 思 ふと 不思議に c: 分の 過去が 

なつかしまれます。 

今 寮に ある 諸兄の 上に も 纏て 私と 同様な 經驗が 到来す る 事と 思 ひます。 惠迪寮 は 幾 kn 幾千の 人の 若盛りの^ 念 

.5 たづ 

碑です。 其處 にも 毎夜と もされる 灯の 光 は、 爲す事 もな く 徒らに 老いた 人々 にと つて 如何に 痛烈な 鞭撻で ありま 

せう。 諸兄の 今 ある やうな 美しい 强ぃ 躍進 的な 時期が 一生の 中に 幾度 現 はれ 出る でせ うか。 ^の 出::: は 入口より 

大きい に 遠 ひありません。 然し 諸兄が 一度 その 出口から 外に 歩 を 移す と、 その 大きな 出口 さへ も苒び 兄 を迎へ 

入るべく 餘 りに 小さな 門と なる ので はありますまい か。 私 は 諸兄の 若盛り を 祝し ます。 而 して 諸兄が 此の 時期の 

惠迪寮 寮 奴 集 序  二  l!;f- 


有^ 武 郎仝笾 第五卷  二 四 0 

ため. に 最上 最善の 滿足を 求められん 事 を 祈ります。 

マセド ンの フィリップ 王の 所に、 或る 老婆が 行って 訴 へました。 王 は 忙しい から そんなく だらぬ 訴へ を聽く 暇が 

ない と 担み ました。 老婆 は 怒って, 訴へ を聽く 暇がない 位なら 王に なって る 暇 もない 箬 だと 申した と 云 ひます。 

諸兄 は フィリップで はない けれども、 今 王者の 權 威と 大望と を懷 いて 居ます。 私 は 老婆で はない けれども、 衷心 か 

ら 此の 訴へ をし ます。 王者 を 以て 任す る 諸兄 は 私に 耳を貸して 下さる と 思 ひます。 

(1 九 一 六 年 四月) 


九 一七 年 


「聖 書」 の 權威,  - 

私に は 口幅ったい 云 ひ 分か も 知れません が、 聖書と 云 ふ 外はありません。 聖書が 私 を^も 感 勅せ しめたつ t* 矢 

張り 私の 靑年 時代で あつたと 思 ひます。 人に は、 性の 要求と 生の 疑問と に壓 倒される 荷 を 負 はされ る 青^と 云 ふ 

時 あ 力あります。 私の 心の中で は 聖書と 性慾と が 激しい 爭闘 をし ました。 藝術 的の 衝, はも 愁 こ.^^ し、 リ 

の 衝動 は 聖書に 加: 摇 しました。 私の 熱情 は その 問 を どう 調和すべき か を 知りませんでした。 而 してお みまし ヒ。 

その 頃の 聖書 は 如何に 強烈な 權戚を 以て 私 を 感動し ましたら う。 聖書 を M から 隅にまで すがりついて 凡ての 誘 ま 

に對 する 唯 一 の 武器と も 鞭撻と も 頼んだ その 頃 を 思 ひやる と 立脚の 危 さに 肉が.^ きます。 

私の 聖書に 對 する 感動 は その後 薄らいだ でせ うか。 さう だと も 云へ ます。 さう でない とも;. ム へます C 聖寄 の.! r 

容を 生活と しっかり 結び付けて 讃む 時に 今でも 驚異の 眼 を 張り 感動せ すに 居られません。 然し 今. 义 はル, 欲 p:r:: て 

かけて 寬貞 者で ないやう に、 ^書に 對 しても ファ ナティ ック ではなくな りました。 これ は惡ぃ 事で あり 又い、 事 

でした。 樂園を 出た アダム は又樂 園に 歸る事 は出來 ません。 其 慮に は 何等かの 意味に 於て 自ら 額に 汗せ ねばなら 

ぬ 生活が 待って 居ます。 私自身の 地上 生活 及び: 大上 生活が 開かれ 始めねば なりません。 かう 云 ふ 所まで 來て 見る 

と 聖書から 嘗て 得た 感動 は 波の 遠 一昔の やうに 絶えす 私 Q 心^ を 打って 居ます。 神舉 と傳說 から 切り放された な 

の 姿が おぼろながら 私の 心の 屮に 描かれて 來 るの を 覺 えます。 感動の 潜入と でも 云 へばい., のです か。 

「樂- 書」 の攉威  二  q 一 


^岛武 郎仝第 ^五 §  二 ドニ 

化と 云っても 私 を强く 感動させる もの は 大きな 藝 術です。 然し 聖書の 內容は 畢竟 凡ての 藝術 以上に 私 を 動かし 

ま T。 藝 術と 宗敎と を併說 する 私の 態度が 間遠って ゐる のか、 聖書 を 一 箇の藝 術との み 見得ない 私が 間違って ゐ 

るの か 私 は 知りません。 

(一九 一 七 年 一 月、 「^潮」 所載) 


再び 口 ダ ン 先生に 就て 

この 前の 日曜日に 現 はれた 文藝襴 中に 私の 述べた 事の 筆記が 揭 載され た。 その 全文 は 私 を 驚かし 且 つ 苦しめ 

た。 私 は 自分の 不用意 を恥づ ると 共に 口から 耳へ 傳 へられる 事の、 如何に 心 もとない もので あるか をし み,^. と 

思 ひ 知った。 私 は 本 羝の讀 者が a ダン 先生の 名 譽の爲 めにあの 記事の 全部 を 記憶から こそぎ 取られる 事 を 願 ひ^ 

む。 

私 は 自分の 力 以下の もの を 或は 批評す る 事が 出來 よう。 それすらが 恐ろしい 事で ある。 C ダンの やうな::::^ に 

對し 私が なし 得る 所 は 軍に 敬意 を 籠め た api rcciaticm の 外に 出る 事が 出來 ない。 大膽 不敵な 比^^; せが T しと^ 

しまう とも 私 はかう した 態度 を變 へ る 事が 出來な い。 

先生 は 一 つの 世界で ある。 創造 は その 胎 から 生れ 出る。 外周 は 嘗て その 創造の ぎ、 仏と なる 事が 出來, H かった。 

「鼻の 缺 けた 男」 が 出てから 「海 妖の 首」 に 至る までの 凡 て は それ 全體に 於て 一 つの 仕事で ある。 こ、 こ 一 つの 

かしこ  こ W 

仕事が あり 彼 處にー つの 仕事が あるので はない。 それほど 内部的に 統一 された 創造で ある C 船ゲ设 も外緣 的に 

はァ ル ヌ ー ボ ー を 暗示す る やうな 技巧 (例へば tollste  de  Madi  Morla  Vicunha だの Le  Poete  et  la  Muse の 

やうな) を 人が^ 出さう とも、 それ は 作物 內 部の 生命 を 少しも かき 亂す事 は 出来ない。 

私 は 自分の 趣向の 上から 先生の 藝 術が ゴ シッ ク藝 術の 銃 流に 棹して 居る らしい の を 非常に 嬉しく S ふ。 ^=^,3: 

の 藝術は 希臘に 於て その 精華 を 極め 盡 した。 近代 歐洲 文化の 源 頭 をな す文爇 復興 期の 藝術は 人の、 レを^ かす^の 

さか 

肛麗を 以て 榮ぇ はした けれども 複雜 極まる その 分化の 水準 は畢竞 希臘藝 術の それ を., 凌ぐ 荜 は出來 ない。 これに 

び。 ダン 先生に 就て  二 冯ー; 一 


有 岛武郎 仝 第 笫五卷  二 

して ゴシッ ク 文化 は 狭い^ 所に 行 はれ 發 達の 中途に 摧 かれて しまった。 誰もが その 育ち行く 末の 如何なる もので 

あるか を 見極めない 中に 瞎史の 表面から 姿を隱 した。 然しながら この 文化の 素質 は 根强く 歐洲人 殊に 佛國 人の 心 

の 中に 宿って 居て しかも 古典的 文化の 所有し ない 幾多の 特色 を 包蔵して 居た。 それが 超凡な。 ダン 先生の 天才 を 

緣 として 再び 私共の 眼の 前に 崇高な 現 はれ を 見せた の だ。 人 問と その 所作との 有機的な 一致、 徹底した 自然の 表 

現、 屬性を 撥 無した 端的な 美、 灼熱した 生活が 將來 する 直覺、 苦愤 にまで 迫る 無 劫の 發展, 昆 窮められた 現象の 

直後に 厳存す る祌祕 II それ 等 は ゴシッ ク 文化の 特色であった。 而 して その 凡てが 色 濃く も 先生の 藝 術に 染めぬ 

かれて 居る の を 私 は感ゃ る" 而 して 私 は 崇敬と 感激に 滿 される。 

天才が しっかり 摑む 窮極の 實 在は大 なる 常 酷で ある こと を 私 は u ダン 先生の 藝術 によって 彭 へられる ^は 何 

と 云ふ宏 たな 接觸^ を 有して 居る だら う。 而 して その 接觸 面は內 部から 充擴 する 絶大の 力に よって 太陽の 如く 張 

り 切って 光って g る。 銳角 は何處 にもない。 否、 銳 角は餘 りに 無數 である、 その 尖端の 竝列が 人に 滑ら 力な 手觸 

り を m ハへ るまでに。 ピュ ビス. ド: ンャバ ンヌも 宏大な 接 觸面を 有して 居た。 然し 面の 彈カは ロダン 先生の それに 比 

ベる と 緩んで 居た と 私に は 思へ る。 ュ ー ゴ, -も 宏大た 接 觸面を 有して 居た。 然し その 面に は 不思議な 歪みが あつ 

た とめこ, は 思へ る, 佛國 近代の 巨匠の 中で は 私の よく 知らない バル ザッ クが獨 り 先生と 肩 をなら ベ 得る ので はな 

き は 

からう か。 私 はな ほ 此の 事 を 窮めて 見たい。 

先生 の藝 術が 將來 如何なる 製作の 發足點 となり 如何なる 製作 を 生み出す であらう か。 不學は 私に それ を 知る t 

を 許さぬ。 私 は その 委曲 を說き 得る 人の 敎へを 受けたい と 思 ふ。 唯 先生の 創造した 藝 術の 後ろに 潜む 氣棄が 如何 

に 未来 を 導く かにつ いて は 1 がながら 私な りの 豫覺を 感ぜす に は 居られない。 現代 文化の 破產を 促進す る もの 而 

して その 破 產の跡 こ 新しい 文化 を 樹立す る もの はこの 氣稟 でなければ ならぬ。 先生 はたし かに 王冠と 笏と を摑ん 


だ。 然し 彼の 君臨すべき 領土 は その 忠實な 一味 徒黨 によって 徐ろに 切り 靴 かれねば ならぬ だら う。 韋大 なる 反逆 

者の 陰謀の 上に 祝福 あれ。 

前の 日曜日の 記事 を 讀んだ 高 村 光太 郞氏は 直ぐ 私に 親切な 乎 紙 を^ つて 下す つた。 tl ダン 先^の 爲め に^;^ よ 

誤謬 を も 見逃すまい とする 氏の 眞摯な 態度 は殆 んど淚 にまで 私 を 動かした。 「白樺」 に訂 K 文 を 書かう として 居た 

^は 氏の 手羝を 見てから 思 ひかへ して 本紙の 上に 短文 を 掲げる 事に する。 この 文が 氏を滿 足せし むる か 否か を 私 

は 知らない。 私 は 唯 氏に 感謝の 意 を 表する ために これ だけの 事 を 書き 添へ る。 

0 ダン 先生の 危篤が 傳 へられてから 一 週^ は 事な く 過ぎた。 訛傳 であれと^ ながら 私 も 肝る。 

へ 一九 ーヒ;.;.1 一- リ.: Z 

〈「誠^ 新- s.n^ 附錄所 救 j 


再び ダ ン 先生に 就て 


二 四 五 


有ね 武郞 全集 第五 卷  二 四 六 

, ミレ ー 禮讃  -\ 

ナボレ オンが ェ ルバ 島に された 一 八 一 四 年に 生れ、 怫蘭西 共和 國の 憲法が 制定され た 一 八 七 五 年に 六十 一 

歳で 世 を 去った 巨匠 ジ ヤン. フ ラ ゾ ソ ァ. ミ レ I を 禮讃 する 爲め にこの 筆 は 執られる。 

ノル マ ン ディの 海岸線 を 形作る 峭 壁から 數町も 離れぬ 程の 山峡に 巢喰ふ 小 村 グルシ ー の 或ろ 田舍 家で ミレ ー は 

生れた。 コッテ の よく 取扱 ふ 淋しい ながら 事缺か ぬ 素朴な 半農半漁の 生活の 畫面は ,il ノルマンディと ブ リタ ー 

,U う 9  つむ ざぐ る £ 

一一 ュ との 相違 こそ あれ -I ミ レ ー の 搖籃の 地を讀 者の 腦 裡に 可な り 明らかに 描く であらう。 紡 車のお だ や 力な 音 

,  ,99,  かたびら  . , 

と- 金砂の やうに 日光に 踊る 窒內の 埃と、 巖乘な 大寢臺 に 垂れ 下る 粗雜な だんだら 染めの 帷とは 彼が この^で 受 

けた 外界に 對 する 最初の 印象であった。 彼が まだ 四つ 五つの 頃、 親の 假 初な 戲談 として、 大きくな つたら 何に な 

ると 問 はれた 時、 彼は卽 座に 答へ て、 「人間の 姿 を 描く 人になる の だ」 と 云った e 齢の 割合に 骨格の 逞しかった 彼 

は その子 供に 以合 はぬ 無口と 沈着と を 以て 年嵩の 少年に も 容易に 侮られなかった。 十二の 時 彼の 钗智を 愛した す 

る 長老が、 その 敎育を 辏 ける 爲 めに 任地 先へ 伴れ て 行かう とすると、 彼 は 酷 愛する ヴァ ー ジル を讀み 進み 得る 樂 

しみに か へても、 父母の 家と 田園と を 見捨てる 事 を いやがった。 然し 彼 はきれ て 行かれた。 而 して ra: 五ケ 月の 後 

正月 をし に 家に 歸 ると、 そこに は 新任の 若い 長老が 居て, この 深い 色の 眼み 豐かた 黑 褐色の 髮毛を 持った 少年 を 


非常に 愛して くれた。 彼 はこの 長老に 心の たけを 打ち明けて. c; 然に對 する 憧憬の 深さ 烈し さ を吿 げた。 默 つて そ 

の 言葉に 聞き ス つて 居た 長老 は、 少年の 未来に をの \ きながら かう 嘆 じた。 「嗚呼 可憐な わが 于ょ" お前 は 勞人 

の 心 を 授かって 生れて 來た。 これから 先き どれ 程 苦しみ 惱 まねば ならぬ か をお 前 は G 分で 知らないで:^ る」 

十八の 時 彼が 描いた 前 こ^みに なった 老人の 素描 は、 自分の 助手と していつ まで も 彼 を 引きと め :- おく t-.rv 

父に 抛た しめた。 その 頃 作られた 素描 は晚 年まで ミレ ー の螯窒 にか \ つて 居た が、 ある 時 彼 は サン シ ェ にかう.. ム 

つた さう だ。 「あれ はま だ 父の 家に 居た 時 モデル もな く 先生の 指導 もな くって 描き 上げた もの だ。 私 はい まだに 

あの 通りの 描き 方 をして ゐ たが、 表現の 點 から 云ったら 八/でも あれ 以上の やり やう を 知らない/ こ、 で 「丧現 を 

無視して 何ん の 構圖が あらう」 と 云った 彼の 晩年の 言葉 を 思 ひ 合 はせ る 必要が ある。 兎も^ 彼 は ダビデ 王が あつ 

たやう に、 又 彼の 尊敬す るヂ オットが あった やうに、 家畜と 田園から *m 業にまで 引き裂かれた。 而 して 彼の^: し 

い 然し 苦しみ ギ 斐の ある 地上 巡禮が 始まらねば ならなかった。 それ は 浪漫派の 頭目なる スコットと 近代^ 活の创 

始 者なる ゲ ー テ とが 世 を 去った その 年の 事で ある。 

父に 伴 はれて シ H ルブ ー ルに 行った ミレ ー は 二人の 師 についた が、 それ は 彼が 行く 道の 助けに も 邪魔に もなら 

なかった。 二人目の 師匠 は 然し ミレ ー を 見る 眼 を 持って 焐た。 ミレ ー を 市會に 推薦して、 彼 を 巴 m, に 遊^させる 

の は 更に 一人の 偉人 を怫國 に寄與 する 事 だと 云った。 而 して ミレ ー は 偉人に 仕立て上げられる 爲 めに、 不 m な 4 な 

好奇心と 嫌 惡とを 心に 抱きながら 一 一十三 歳の 時に 巴 里に 旅立つ 事に なった。 巴 里に 涪 いた その 瞬^から 彼 は 絡 —S 

に 都市の 生活に 失望して しまった。 

舉 術と 藝 術との 淵叢なる 都市の 女王 巴 里 をミレ ー 程の 惡意を こめて 眺めた ものが 外に ある だら うか。 そこ は亂 

雜に 荒れ果てた 大きな 墓場に 過ぎなかった。 彼 は 野獣の 如く 山林に 渴 き憬れ た。 彼の 師^した ドラ" r ンの 門^ 

ミレ, ^譜  n 七 


冇 c2 武郎 令^^ 五卷  二 四 八 

あだな 

等 は 彼 を 「森の 男. 「「木靴 を はいた ジュビ ー タ ー」 と 呼んで 罵った。 何ん と 云 ふい ゝ譚名 だ。 彼 は 大地の 如く 頑固 

で 執拗で 內氣 だった。 ル 1 ブル を 探し出す に すら 一 週間 餘を 浪費した。 ドラ a ッシは 彼 を 理解し 誤解し 愛し 惡み 

t が 且つ 長れ た。 「お前 は 十分 知って 居る。 而 して 餘り 何ん にも 知らない」 と 罵った。 巴 里 はミレ ー に 於て 文化 を 

理解す る 事 を 知らない 馬鹿正直な 賤民 (prclaariat) の 一 人 を 見 出 すに 過ぎなかった らう。 彼の 宿った 家の 細君 は 

-J さ- ジ  とん i  . 

懸想の 謎 を 解く 事 すら 知らない 彼の 頓馬 さから 火の 出る やうな 赤恥 を か. - せられて 氣違 ひじみ た 腹 をた てな けれ 

ばなら なかった。 彼 はいら/ \ しながら まご ついてば かり 居た。 巴 里に 住む 事はミ レ ー に 取って 實に嚷 野の 試練 

だった。 

隹ー つ そこに も 然し オアシス はあった C それ はル ー ブル 畫 堂の 原始 派と ミケランジェロと プッ サンとの 作品 を 

列ね た 部分だった。 彼 は 恭しく 足 を 爪立て 、そこに 近づいた T 思想が 正しく カ强く 表現され たる 力 ン、、 ヮ ス に 自分 

の 注意 は 一番に 引きつ けられる" 自分 は 力強い 凡ての もの を 好む」 と 彼 は 云って 居る。 自分の 傳統の 親 を ミケラ 

ンジヱ 口 に 見出した 事 は 恐らく ミ レ ー にと つて 一 生の 慰藉で あり 鞭撻であった であらう C 千 八 百 三十 年 派 (、卽 ち 

新たに 勃興した 浪漫派) に對 して さへ 殆んど 和 鳴 を 感ぜぬ 程に 孤獨な 彼の 事であった から。 

ミ レ ー が 巴 里に 足 を 踏み入れ てからの 十一 一年 は、 單に彼 を 都會的 生活で 苦しめた ばかりでなく、 一  度なら す瀕 

死の 重病 を 彼に 下し、 最初の 妻 を 三年の 間 病氣で 苦しめた 後に 奪 ひ 去り、 次に 作った 新 家庭に 極度の 貧困 を 容赦 

なく 投げ込んだ。 金が 出來る 代りに 彼に はつぎ (-に 子供が 出来た。 夏に は 暑さが あった。 冬に は 薪が なか つ 

た。 三十の 時 彼が サロンに 送った 「乘馬 演習」 に 感じ入った ディ ャッと トル ナウと が この 才能 ある 靑年畫 家を訪 

れて 行った 時、 辛うじて 探し あてた むさ 苦しい 部屋の 中には、 憐れむべき 病身の 妻が 死んだ ま X で 貧しい 床の 上 

に廣 たはり、 ミレ ー の 姿 は何處 にも 見當ら なかった と 云 ふやうな 事 もあった。 「世の中に は惡ぃ 人間 も 多い。 然 


し 善い ス^ も 多い。 而 して 一 人の 善人 は 多 數の惡 人の 作る 缺陷を 補って 餘 りが ある。 それ だから 俺 はつぶ やかな 

い」 と 彼 はこの 苦境の 間に 云って 居る。 又 「苦難 は藝術 家に 明確に 自己 を 表白すべき 道を敎 へる」 とも 云って 居 

る G 1 八 叫 八 年の 二月に 起った 革命 は サロン を. 〔# ^員の 手から もぎ 取って 公開した。 ミレ I の 「 穀を g ふ 人」 ま 

ド ミエ、 クルべ ー 等の 間に も 特異 ある 光 を 放って 輝いた。 然し その 一 家 は 一 二度の 食事に も事缺 いた。 二三の 有志 

カ^ 時の 內務 大臣であった レ ドル!  ロラ ン から 百 フ ラ ン の 金額 を 得て ミレ I の 所に 寺って-了って やつ ヒ寺、 ミレ 

1 は 三月 末の 寒い 夕暮に 食物 もな く 火 もな く、 箱の 上に 腰かけた ま X がた くと!! へて おた。 彼 は 漸く 「今日は」 

とだけ 挨拶した が、 纏て 金 を 受取る と 落ち着いた いつもの 調子で 「難 有い。 い, -時 金が 來た。 ぉ途. H  二  HHa  ~ 

にも 食 はないで 居た。 唯 子供達 だけ 兎に角 今日まで 餓 ゑないで 來 たと 云 ふの がめ つけものだった」 と 云 ひながら 

妻 を 呼び、 「俺 はこれ から 薪 を 買 ひに 行って 來る。 何しろ 寒い」 と 云 ひすて. t 出て 一 了った。 

^し 何よりも 苦しい 事 は 彼が 自ら を 偽らねば ならぬ 事であった らう。 ミレ I は 生活の^め に、 义 「トゥ^ 術,、 

何時までも 埋れて 居る の を もどかし がる 弱點に 刺戟され て、 いつの 間に か 心に もない 仕^ をす る^ を 習 ひお えた。 

彼が 巴 里に 這 入る や^ぐ 蟲酸を 走らした、 墮落 女の 醜態 を 曰の ほに さらけ出す やうな 迸 風 を彼自 ネ^み ュ丄 ^ ら 

ぬ やうに 飴 儀な くされた。 彼の 筆が ワット ー の それと 見分けが つかぬ までに 惯ら される に は 彼 は どれ^ 深く,.. -L 

の 心螨に 無念の 齒を嗡 み 込んだら う。 彼 は 淚を飮 みこみながら 產 婆の gig に 聖母の 像 を すら 描いた。 サロン こ 

も 彼は當 時の 輿論 を迎へ 得る やうな 作品 を 送らう とさへ 勉 めた。 然し、、、 レ ー の 心 はか., るお おに 對 して. v きな^ 

口 を 開いて をめ き 叫んで やまなかった。 凡て 偉大な 性格の みが 有する 心の 純一 さ を ミレ!  0 身 どうす る , も出來 

なかった。 彼 はこの 重荷の 下に 苦しみ.^ いた。 

巴 里に 共和 政府が 設立され、 ミ レ ー の 最も 惡み 避けた 政治的 暴動の 勃發 した 一 八 叫 八 年 は 幸に もミ レ I の.,, :ト" 

ミ Is  二 K 九 


有 島 武^-全 集^ 五^  二 五 0 

に 取って 一 轉期を 劃すべき 因緣を 結んだ。 彼の 嫌った 革命 は 畢竟 彼に 害 をな すよりも^ をな した。 革命 政府 は 彼 

さと  ふる 

に 幾分の 生活 を 保障 を與 へ、 同時に 彼 をして 都會 生活なる もの \淺 薄と 矛盾と を覺 らしめ た" 「穀を 篩 ふ 人」 によ 

こ  ほぞ 

つて 彼 は こ の 年に 自己の 行く ベ き 道 を 明らかに. 5 一一 〔した と 共 に、 公衆に 媚び る 作品 を 出す ま い と 云 ふ 決心 の 臍 を 

せま 

堅めた。 忠實な 賢明な 彼の 妻 は 刻々 逼り 近づく 饑寒を 尻目に かけて 夫の 決心 を 雄々 しく も勵 ました。 ミレ ー の 田 

園に 對 する ノス タル ヂャは 再び 彼の 心 を 火の やうに 燒き 始めた。 彼の 心の 準備 は 整った。 來 るべき 運命が 何んで 

あるか は 知らぬな がら、 花婿の 入 ^ を 待つ 花嫁の やうな 心 持 は 彼の 胸の 中に 出来 h つて 行った。 運命 は 畢竟 親切 

である。 彼の 底力が 現 はれ 出づ べき 舞 臺の幕 は 彼 自身 も 知らぬ 間に、 蓮 命の 手に よって 徐ろに 搾り上げられ たの 

だ。 


最も 惡み 嫌った 革命の 爲 めに ミ レ ー が 銃 を 執って 市街 戰に加 はらねば ならなかった 苦い 經験 は、 心の底から 彼 

せ きけん 

を 怖れ させた。 おまけに 一 八 四 九 年に は 猛烈な コ レラが 巴 里 を 席捲した。 「乾草 造り」 を 描いて 時の 政府から 千フ 

ランの 賞與を 得た ミレ ー はこの 恐怖から 一 時な りと も 逃れよう ために、 その 友達の ジャッ ク と金 を 分ち 合って 二 

家族 は政爭 の衢 なる 巴 里 を 後に 見て、 フォン テン ブ J- 1 の 或る 旅館に 避難した。 それ は 六月 十三 日の 革命が 破裂 

する 一寸 前の 事であった。 然し ミレ ー の 細君 は 旅館の 滯 在が 彼等の 輕ぃ 財布 を 直ぐ 空に する のに 氣が附 いて、 百 

姓 家で も 借りたら と 云 ひ 出した。 ミレ ー は 固より 異存の 申し出 やうがない。 何ん とか ゾン と、 ゾンが 語尾に つく 

村が 近^に あるの を 目 あてに 一家 族 は 大雨の 屮を 引越した。 ミレ ー は 三 歳と 二 歳との 子供 を 背負 ひ、 細君 は赤坊 

を 抱いた 上から 裳 を まくし 上げて 頭に 引つ かぶり、 下女 は大 荷物 を 引きす る やうに ぶら下げて 後に 綾いた。 村に 


這 人る と 一 人のお 婆さんが 一行 を 眺めて 「御覧、 旅役^が あすこに 行く よ」 と 云った。 

何ん とか ゾンと 云 ふの は パル ビゾン の 事だった。 ミレ I は 巴 里から 程遠から ぬ この 村に、 故 鄉を思 ひ 起させる 

やうな 田園の あるのに 且つ は 驚き 且つ は 喜んだ。 而 して 沃土に 下された 若木の 极の やうに この^しい^ 朴な小 付 

にこび りついて しまった。 一 八 七 五 年に 彼が こ の 世に 最後の 呼吸 を 呼吸した までの 大ボ な; : 十七 年 W は實 にこの 

土地が 彼 を 哺み養 ひ 育て 護った ので ある。 ミ レ ー と ジャックと は 畫筆を 執る 事 も出來 ない までに 興^ して、 ^日 

山野 を 歩き ま はった。 フォン テン プロ ー の 莊嚴な 森の 姿、 遠く 連なる 平 蕪の 描く 幽玄な 地: 个線、 セ, から 生えぬ け 

たやうな 農夫、 羊 群と、 神祕に 包まれた その 牧者、 田園に 特有な 1SM 響と 匂 ひ、 さう 云 ふ ものに 二人 は^く 醉 ひし 

れて 見えた。 ミレ ー は 自分の 夢が 眠の 前に 延びて 連なる の を 見た。 彼 は 自己の 世界に 觸れ た。 彼 は 彼の 小 族の 血 

を 血管に 感じた。 彼 は 再び 農夫に 還った。 

病苦の やうな 熱意 はやが て 創作の 欲求と 變 つて 行った。 朝の 中 彼 は 畑に 出て 本業の kl! 姓よりも 上 P に 畑 を 作つ 

た。 而 して 午後から は 彼が 畫窒と 呼ぶ 怪しげな 通 光の 惡ぃ小 部屋に 這 入った。 彼 は 感激に^ りながら その^に 舊 

約 聖書から 題 村 を 取った 畫を 描いた。 大きな 牧草 堆の 蔭に 農 人 共が 食事の ,備 をして がる。 そこに ボ アツが いた 

はりながら ルツ を 連れて来る 所で ある。 来るべき 幸福な 生活 を 半ば 豫覺し 半ば^れ ながら、 やがて わが 夫た るべ 

き惠み 深い 農 人に 憚り を毘 せて、 人々 の 群に 近づく ルツの 姿 は, 荒い 明暗の 筆 觸ハ屮 に 稀 有な charm を 以て 眺 

めら れる、 まるで その 可憐な 處 女が ミレ ー 自身 を象徵 する もの \ 如くに。 ミレ ー は乂 新鮮な 無數の 印象に 狩り 立 

てられて 驚く 可き 多數の スケッチに 彼の 周 圍を殘 りなく 表現した。 一 八 五 〇 年と 覺 しき 頃 彼が サ ン シ H に这 つた 

書翰の 中に 「何ん と 云っても 百姓と 云 ふ 題材 は 私の 傾向に 一番 適して! S る。 社會. 王^^と は 取ろ かも 知れない 

が、 藝 術に 於て 最も 私の 心 を 動かす もの は 人間味 (le  c6k 二 wmain) であるから である。 おし 心の ま、 が EE 來る 

ミレ I 鱭 BS  二 五 1 


有^ 武郞 仝^ 第五 卷  二 五 二 

ものなら 私 は 自然から 直接に 受ける 印象の 外 は 何物 も 描くまい と 思 ふ ! それが 人間で あれ、 風景で あれ —— o 

快 美の 方面 は 嘗て 私の 前に 現 はれない。 そんな もの も あるの だら う。 然し 私 は 嘗て それ を 見た 事がない。 私に 取 

つての 最大の 快 美 は、 森の 中 叉 は 畑の 上に 見出される 靜 寂と 沈默だ —— それ は 人 を 夢幻の 感覺に 導き 入れる ほど 

甘美で は あるが、 その 夢 は 畢竟 悲しい もの だ」 と 書いて 居る。 

バ ルビ ゾ ン にはミ レ ー の來る 前から 一 群の 絜 家が 住んで 居た。 その 中に テオドル. ル ー ソ ー を 見出した 事はミ 

レ ー に 取って 得難い 牧穫 だった。 一 一人 は 長い間の 凝視の 後に 甫 めて 離れが たない 友情 を 結んで 終生 渝る 事が なか 

つた。 ミレ ー が 「接 木」 を 描いた 時、 それに 見入って 心からの 同情 を 以て、 「彼 は 自分の 哺 むべき 者の 爲 めに 働い 

て、 多き に 過ぎる 花 蕾と 眾實を 生す る 樹木の やうに 枯れて 行かう として 居る。 彼 は 子供 を 生かす 爲 めに. CE 分 を 使 

ひ耗ら さう として 居る。 彼 は 粗々 しい 幹に 牧穫の 多い 嫩芽を 接ぐ」 と 歎じた の は 彼だった。 ミレ ー の 財布が 签に 

なった 時米國 人の 名で 其の 作物 を 買った のもル ー ソ ー だった。 偏屈な ミ レ ー はどう かする とこの 厚意 ある 友に 敵 

意 を 酬いよう とした。 然し 幸に も それ は 一時の 狂 ひで 結局 ミレ ー はル ー ソ ー に 貴い 分配 を 贈った。 それ は 素朴 純 

眞な 物の 見方と、 自然の 觀 察に 對 する 特殊な 視角と である。 ミレ ー が バル ビゾン で 得た 痛ましい 他の 收穫は 努力 

とげ  おび や 

の 後に 襲 ひ 来る 激烈な 頭痛だった。 ミレ ー の 「刺」 なるこの 頭痛 は 年と 共に 募って 彼 を 脅かした。 その 壓 迫に 堪 

くさ ふ 

へ 切れなくなる と 彼 は 幅の 廣い 帽子 を 被って 野と 云 はす 林と 云 はす 歩き ま はった。 而 して 草 生の 上に 仰向けに ぶ 

> や 

つ 倒れて 大空の 光 を 浴びた。 そこにの み 癒しの 力が 潜んで 居た。 「わが 神、 汝の 大空の 下に ある はいかに よき か 

な」 と 彼 は 心 を 躍らして つぶやいた。 

.  あぜ 

ミレ ー が 田園に 立て 饉っ てからの 第一 の 創作 は 「種播 く 人」 となって 現 はれた。 新たに 掘り起された 畦の 上 を、 

左手に 種子の 袋 を 持った 男が 大胶に 旋律 を 作って 歩いて 行く。 廣く 延ばした 右手の 先き から は 砂金の 様な 麥の種 


子 か 消え 殘 つた 夕陽の 光に^ きながら 落ちる。 畑に 這 入る 前に 一握りの 種子 を 取って 十字 を 5? る やう こ の 前て 

投げ、 低い 聲で 呪文 を稱 へてから、 足 を 用意され た 土の 中に 踏み込む 程に S 人に 取って 莊嚴な 行事が 、始めて^ 愛 

に 描き出され たの を 見た 時に 巴 里の 市民 は 二様に 驚倒した。 一 部の もの は II その 人達 は 不幸で ある I この 荒 

くれて 見える 表現の 中に 人類と 藝 術に 對 する 底意 深い 呪詛を 見た。 一 部の もの は I. その 人逹は 幸^である I 

こ の 中に 天才の 眞のカ を 見出した。 「激し い 身振りと 荒 くれた 誇りと に滿 ちた こ の 人物に は 崇高な 成る ものと^ 

大な 様式と が備 はって 居る。 種 捲く 人が 播き附 けす る その 土 そのもので 描かれた やう だ - とゴ ー チ ェは感 あした。 

ミレ I がつ ぎ/, \ に發 表した 凡ての 製作 は 殆んど 一 つの 除外例 もな くこの 無慈悲な 無視と 熱心な 辯 護との ト^ 火 

を 浴びた。 しかも 彼の 「木 樵と 死」 、「鍬に 倚れる 男」、 「犢の 搬入」、 「屠り 豚」. 「葡萄畑の 憩 ひ」 などが 出る と 辯, の 

聲は動 もす ると 呪詛に 代らう とした。 初期に 於て 極力 彼の 味方だった ゴ ー チェ も サン. ビクトル もボ ー ドレ I レも 

J.  '  V  •  ^:: ' . たて  じゅん きんてい 

^しい 言葉で 狼に 裯を ついた。 準 欽定の 美術 雜誌は 聲を揃 へて この 畫檀の 無政府主義者 を藝 術の i;:^ から 追放し 

ろと ひしめ いた。 愼み 深い 內氣 なミレ I は 「い、 新しい もの を眞 先き に 認める 程の 勇铽の あろ 人 はおい もの だ- 

と無 干涉な 態度に 出て 居た が、  やがて 彼 は 巴 M に 於て 自分の ^園に 戰が鬪 はれて 居る の を^ 依なく^ める とハ ハ, 

自覺 する 者が 振 ひ 立つ 如く 立った 。「私が 自己の 思想に 確立して 居なかったら、 叉 或る 友逑 をお して:^ なかったら 

(註。 ド カム デュ プレ、 ド, ビ 二,、 ディ ャッ、 ドラ ク ロア、 バ.' イエ、 ド ミエ、 ル,' ソ.. 'など は その 友達だった。) 私 は 内分 

が签 想の 奴隸 であり 夢想家で ある 事 を 思った かも 知れない。 ;… 私 は 注意して 求める けれども、 批評^の ル靴屮 

には騷 音の 外に 何物 もない、 私が 採用すべき 一 つの 忠吿 もない。 批評のお 役目と はこん な もの か II ^^だけた 

のか」、 「私 は 固く 立つ。 彼等が、 醜の 畫家、 わが 民族の 進歩 を 妨害す る ものと 私 を 呼ばう とも、 私は斷 じて お:^ 

の タイプ を麗 化する 馬鹿 はしない。 私 は 自分自身 を 弱々 しく 表現す る 位なら 表现 はしない まで だ I  a-rj- んで S 

ミレ ー 蹬讃  二 ^三 


有岛武 郎^ 第 第五 卷  ニ艽四 

る。 然し 彼 は クルべ ー ゃホヰ ッスラ ー の やうな 藝術 上の 鬪士 である 代りに 徹底的な 畫 家であった。 彼 は 自己の 主 

ょエま  t  *x 

張で なくべ ンで爭 ふやうな 事 は 全くし なかった。 彼 は 砲彈を その 畫に 装った。 而 して そこに 堅い 身 構へ をした。 

彼の 言葉 通りに 云 ふなら ば、 彼 は 自分の 藝 術に、 「首 を 賭けた」、 「木靴の 丈け だけ も 後に は 引かなかった」。 どれ 

もこれ も 不出來 な、、、 レ ー の寫眞 の 中に 一 つ 彼が 壁 を 後ろに して、 帽子 を 手に、 睽を ひろげて 仁王 立ちに 前 を見据 

ゑて 居る の だけ は 特色の ある もの だと 思った サ ンシェ が、 「銃殺され ようとす る 農民の 頭領の やう だ」 と 云 ふと、 

さすがの ミレ, 'も flatter されて 微笑んだ さう だ。 然し その 無 邪 氣な虚 誇と 微笑の 中には 純眞な 悲壯が 包まれて 

罟る G 

實 際から 大きな 天 力と 大きな 使命と を 授かった 人々 が必 すす \ら ねばならぬ 悲壯な 杯をミ レ ー もした, T かす. t 

ら せられた。 自殺の 誘惑 は 屢ぷ彼 をして 底無しの 深淵 を^ かせた。 

「肉體 的に も心靈 的に も 私は墮 落して 來 たやう だ。 君の 云 ふ 通りに 人生 は 悲しい。 而 して 憩 ひの 場所と て はあり 

はしない。 休息と 光明と 平和の 境界に 憧れて 溜息す る 人の 心 持が 判る やうに なって 来た。 ダンテが 幽界に ある 人 

をして 地上 生活の 囘顧を 『我が 負債の 時』 と 云 はした 事が 判る やうに なって 來た。 —— まあい X、 お I にやり 切 

る 所まで やって 見よう」 とル ー ソ I に 書いた 事 も ある。 或る時 は 思ひ餘 つて 自分の 魂 を そっと 僞る やうに 、「自^ 

し わざ  の-.! 

は惡 人の 仕業 だ —— それに —— 妻子 供に 遣す にして は 何と 云 ふ 立派な 遣產 だ」 と 云って ぢ つと そこに 居 合せた 友 

の 眼 を 見つめた 後、 突然の 衝動の やうに、 「行かう、 行って 日の入り を 見よう。 心が 轉 する 事 も あらう から」 と 叫 

んだ事 もあった。 自殺した 畫 家に 取り 鎚る 妻子の 有樣 を構圖 にした 畫を 作って、 恐ろしい 仕業から 逃れようと 藻 

力  すて まち 

接いた 事 もあった。 窮迫の 極 最後の 叫びの やうに 「さあ 何んでも 來ぃ」 と 措 鉢に 云 ひ 放つ までの 時 もあった。 

貧窮 はこの 稀 有な 畫家の genius の やうに さへ 兌え る。 バル ビゾン の 簡素な 生活に 移って から も、 彼の 家の 炊 


煙 は 常に 細かった。 ル ー ソ ー、 ディ ャッ、 サン シェ などの 心 を 籠め た 奔走に も 係 はらす、 彼の^ は 破約され て^ 

旋 人の 手に 還る 事が 多かった メ, また 月末 II 何處 にも 金の 見付け出し やうがない。 子供 等 を 食 はさす に は 近け な 

い 一、 「私の 心 は眞喑 だ」、 「未來 I 近い 未來 さへ が どれ 程喑黑 であるか を 君が 知ったら。 少く とも 私 は 終結まで 

さまた 

働きたい」、 「頭痛の 連發で 仕事が 無喑に 妨げられる。 實に はかどらない。 月末までに 出來 上らなかったら どうす 

れ ばい、 ん だ」、 「パ マ アジの やうに 嵐の 中で 『助けて くれ』 と 叫ばねば ならぬ 瞬間が 來た。 私 も 溺れて:^ る。 バ 

マ アジと 違 ふ 大切な 點は、 私の 方 は 乾いた 土の 上に 居ながら 溺れる と 云 ふ 事 だ。 私 は 全く 無 丁 又に なって しまつ 

た」 II かう 云 ふ 窮迫の 文句 は數 限り もな く 見出される。 その 間に 子供 は 九 人まで 生れ、 二人の 弟 は^.: になる 

目的で 國 から 出て 來て、 さらぬ だに 多過ぎる 口 を ふやした J ミレ ー は 然し 雄々 しく も その 牋乘な 肩に 運命の^^: 

を 背負って 忍從 した、 默 つて 首 木に つく 耕 牛の やうに。 一枚の 畫 布の ヒ にいく つも 傑作が 塗りつ ぶされ たと-. ムふ 

一 つの 事柄 さへ、 後人の 心 を 傷つけ るに は 十分な 悲劇 だ。 大抵の 才能 はミレ ー に來た 試練の 屮の 貧困と- ム ふこの 

試練 だけで 存分に 摧 かれて しまった であらう。 

然し ミレ, 'の 犬才は 病苦、 貧困、 迫害に よって 萎縮 させられる には^り に遝命 的だった。 彼の 灭 卞は枯 るべ く 

ではなく、 生むべく 生れた。 :入 才は 鬼子 を 生む。 否定の 眞: 唯 中に あって 彼 は 肯定 を 生んだ。 「汝の 額 によって 

生くべし」 と 云 ふ 永劫 渝る 事な き 人類の 運命、 その 蓮 命に ひたぶ るに 執お して 自然に 對し 鈍き 然し^く^ なき 他 

鬪を繽 ける 農 人の 生活、 —— 人類 全體の 苦惱と 誇りと を象徵 した 農 人の 生活、 それ を活 きたる ま \ に^, の 眼へ 1 

に 提供した の は實に 彼であった。 ミレ ー の 「接 木」 の畫を 見た テオドル。 ゴ , 'チェ は、 「不^議な もの は^ 術の 力 だ。 

注意 深く 表現され た 瑰鹧な 思想 も 人 を 氷の 如く 冷やかな ま X で 澄く のに、 灰色の 土地の.^ で^ 通な 仆^ をして:^ 

る この 二人 は觀 者の 心 を 捕へ て 夢想に 導いて 行く」 と 云った。 ミレ ー も 亦 確^ を 以て 云 つて 居る。 「どんな « 村で 

S レ ー 醴讚  二 五 五 


有 鳥 武郎 仝^ 第五^  二  C- 六 

もよ ろしい。 唯藝術 家が なすべき は 力強く 明確に それ を 現 はす 事 だ。 藝術家 は 己れ の藝 術に 對 して 一 つの 中心 觀 

念 を 持って 居て 雄 辯に それ を 表現し、 自ら Q 中に それ を 活かし、 烙印 を 押す やうに 的確に これ を 他人に 傳へ なけ 1 

ばなら ない。 藝術 は遊樂 ではない。 それ は戰 だ。 物を搗 きこなす ぉぽ だ。 私 は哲舉 者で はない から、 人生の 苦畜 

を 癒し 得る とも、 自分 を 一 個の ス トイ ックに 仕上げて 惡に對 して 無關 心になる 形式 を &み 出す の だと も 云 はない。 

苦痛 だって 惡 ぃ者ぢ やない ;… 。」 

それば かりで はない。 如何なる 難 境の 中に も 運命の 永劫な 微笑み を 感じ 得る の は 天才の 一 つの 特瞜 だ。 ミレ! 

も 亦 自然の 恩恵と 人の 心と を 痛感して 淚 にまで 微笑む 事の 出 來る祝 g された 一 人だった。 故 鄹の思 ひ 出 は 彼 を 嬰 

兒の やうに させた。 妻と 子供との 群れ は 彼 を 雀躍り させた。 その 友と 心 を 觸れ合 はす 勇 氣をも 彼 は享樂 した。 母 

が 一 八 五三 年に 殁 した S で 翌年 遣 産の 分配の 爲 めに 故 鄉に歸 つた 時、 彼の 要請した もの は 先祖から 傳 へた 古い 衣 

装^と、 壁の 這 葛 を 切り去らぬ やうに との 事だった。 彼 は 自分の 家の 小 庭の 蔓ー つに も 手を附 けさせなかった。 

若し 剪らう とすると 彼 は 痛が つた。 質素な 夕食 を 家族と 友達と 一 緒に する 程、、、 レ ー に 取って 麗 はし い 事 はな かつ 

た。 さう 云 ふ 時には 彼の 口から 驚くべき 諧謔 や 諷刺が 溢れて 周 圍の人 を 快活に した。 彼 は 又 言葉 通りに 樹々 の 物 

言 ふの を 聞き、 夜の 意味 を 知り、 沈默を 凝視し, 天體と 交涉 し、 雜 草と 氣脈を 通じた、 私 はこ, t でも 美しい 言葉 

で 彼 自身に 語らせよう。 

「あ \、 私 は 私の 作物 を 見る ものに 夜の 光榮と 恐怖と を これ 程に 味識 させたい もの だ。 大氣の 歌と 沈默 とつぶ や 

きと を觀 者に 聞き取らせる 事が 出来る 害 だ。 彼等 は 無限 を 感得すべき だ。 世紀 又 世紀 變る 事な く隱 見す る 星々 を 

考へ ると 恐ろしくなる ではな いか。 彼等 は 人類の 喜悅と 悲哀と を 等しく 照らす。 而 して わが 地球が 粉碎 した 時に 

でも、 この 生の 源なる 太陽 は 平然と 宇宙の 荒廢を 照し 繽 ける 事 だら う。 ! 


「何たる 沈默。 沈默を 聞き取ら うと 耳 傾ける 沈默。 沈默 よりも 觅に默 した 沈默。 これ こそ は 私の^ の 屮に现 はし 

たいと 願 ふ 所の 者 だ。」 

「若し 森 を 描くなら、 私 は觀者 をして エメラルド や トツ パ ー ッ やその 外の 賓石を 思 ひ 出させる やうに は 描くまい。 

光に 輝く 葉 や 濃い 影が 人の 心 を 喜ばし 靈を 動かす その 力 を 表現す る爲 めに 描かう。」 

「乾草 叉で 麥束を 高く か &げる あの人 達の 姿 を 見ろ。 夕暮の 光に 對 して 立つ その 形 は 驚くべき もの だ。 彼等 は^ 

光の 中に あって 巨人の やうに 見える ではない か。 向う の 物 蔭 を 這 ふやう に 歩いて 行く あの人々 を 兌ろ。 たしかに 

彼等 は 平野の 靈だ。 しかも 彼等 は 乾草の 重みに おされて 前屈みに なったり、 薪の 大 荷に; S 力なく とぼ/. \ と 歩む 

憐れな 人類に 過ぎない の だ。 然し こ- f から 見る と 何ん と 云 ふ 素晴らし さ だ。 夕 曰の 光 を 浴びて 肩の 上に^ 荷の 平 

衡を 取って 居る 様の 見事 さよ。 あれ は 美 だ。 而 して 祌祕だ ご 

「私 は どんな 事が あっても 冬 を 奪取され たくない。 ぁ&、 畑と 林との 哀愁。 それ を^な いのは 何ん たる m 失 だら 

う。」 

凡 衆 は 驚異の 中に 浸りながら 驚異 を 要求して 歸齪 する。 天才 は 自己の 周圍に 驚異の 多過ぎる のに 祝; 1 を 感じ^ 

れ をす ら感 する。 ルイ • ナボレ オンが 野心 を 遂げて ナボレ オン 第三 世と なり、 共和主義の 痕跡 をも殘 すまいと して 

凡て の大學 教授の 顔から 鬚 を 剃り 落させたり、 大 練兵場の 卽位 式に は、 羅 馬の 古 英雄 を 人民に 聯想 させろ はめに、 

兼ねて 馴らして 置いた 大鷲を 王宮から 放って 自分の 頭上に 舞 ひ 遊ぶ 仕掛 をしたり して、 乎 製 S 驚^ を播き ^らし 

て 居る 間に、 ミ レ ー は 人の 顧みない 地の 一 隅に あって 眞實 のどん 底にまで 自已を 掘り下げて 行った。 一 八 三 〇ハ个 は 

實に 佛國藝 術界の 一大 轉期 だった。 藤史螯 人物 畫に 於て はド ラクロアの 一派、 風景^で は ディ ュブレ の 一 派が 八/ 

までの 古典主義から 全く 獨 立して 浪漫派の 旌旗を 打ち立てた。 それ は 今までの 形式の {.兀 成の みを觇 つて,::: 然を鲁 一 

ミレ! 醴讚  一一^ 七 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  二 五八 

視 した 瀕死の 狀 態に 火 を 投げ込んだ 運動に 相違なかった。 けれども レ ォ ン ス. ベネ ティ ット がいみ じく 道破した や 

うに、 浪漫派 も 畢竟 古典派と 同様な 錯誤 をした 事 を 免れない。 彼等 は 神々 や 王侯 や 古 英雄の 代りに 中古の 武士 や 

殉教者 を 置き か へ、 プル タ ー ク ゃリビ ー ゃホ ー マ ー の 代りに オシ ヤン や パイ ロン ゃスコ ッ トを與 へたに と^まつ 

た。 然るに 一 八 四 八 年の 政治的 革命に よって 裏書き された 人心の 革命 は 遂に 藝術を 人 そのもの 自然 そのものに 肉 

白 一 させた。 クルべ ー、 ド ー ミエ、 バ ー イエ、 ル ー ソ ー、 コロ ー 等 は實に その 戰士 として 現 はれた の だ。 ミレ ー は 

勿論 その 最も 偉大なる もの、 一人 だ。 ミレ, "はより 多く 人の 藝術 家と して 出發 した。 その 初期の 製作 中に あって 

は 人 を 取り 圍む 自然 は 重に 人の 背景と しての み 役立 たれた。 然し 彼の 徹視 はこれ だ けで は 彼を滿 足させな かつ 

た。 彼の 人 は 自然に 融け 合って 行った。 而 して 遂に 人 は 自然の 中に 沒 入して しまった。 彼の 畫 幅に 在る もの は、 

物で もな く 風景で もない。 唯 彼の 異常な 天稟 を 通して 見極められた 自然が ある 許りと なった。 ド ー ミ H と クル 

v 1 とが 人物に 徹底した 間に、 又ル ー ソ ー とコロ ー とが 風景に 浸 滲した 問に、 ミレ ー は 人間と 自然との 有機的な 

融合 を 成就した。 ミレ ー の畫は 階段 的に 進歩して 行った。 かくして 彼の 名作 は 殆んど 毎年 その 實績を 示した。 二 

八 五 〇 年の 「種播 く 人」 から 始まって、 「鏠 物す る 女」、 「ルツと ボ アツ」、 「莉 手」、 「バル ビゾン の 牧羊者」 が 出、 

一八 五 五 年に は 「接 木」、 一八 五 七 年に は 「落穗 拾 ひ」、 「アンジュ ラス」、 一八 五 九 年に は 「木 樵と 死」、 一八 六 

〇ハ 牛 こ. は 「トビ」、 「毛^: り」、 「子等に 哺食 する 婦」、 一 八 六 一 年に は 「馬 鈴薯 播種」、 一 八 六 三年に は 「鍬に 倚れる 

E 力」, 「夕 暮羊を 伴 ひ歸る 牧者」、 一 八 六 年に は 「女 牧者」、 一 八 六 五 年に はト ー マ ス 家の 壁畫 及び 「グ レビ ェ の 

村はづ れ」、 一 八 六 九 年に は 「針仕事」, 一 八 七 〇 年に は 「十 一 月」、 「乳酪 造り」、 「絲績 ぎ」、 「屠り 豚」、 一 八 七 叫 年 

に は 「春」、 「收薆 一 などが 出で、 その 死後の 畫窒に は f グルシ ー の 海岸」 や 「グレ ビエの 寺」 が殘 つて 居た。 彼 

は 亦 稀 有な 鉛筆 畫の 妙手であった から、 寶 玉の やうな 小さな 作品が 非常な 數を 以て この 外に 製作され て 居る。 


かくして ミレ ー は 靑年を 味方に 持った 狭い 然し 根 强ぃ赏 讃と、 大多數 の 批評家と 欽ぉ^ ^によって 放 たれる 底 

意地 惡ぃ 罵詈と の g に 立 つ て 淋しい 自己 の 道 を柘 いて 進んだ。 勝利 は 遂に 徐ろ に來 た、」 ^名のない ミレ, 'の ,,,r  r. 

見て 賞 讃の嘆 聲を發 した ミレ ー の 先師 デラ ロッシ は その 作者の 名 を 問 くに 及んで、 「彼 は强き 人な り 」 と^ ::=:::= せ ざ 

る を 得なかった。 一八 六 七 年の 萬 國博覽 會はバ ルビ ゾン畫 派に 取っての ォ ー タ ー 口,' であった が、 ミレ ー、 ル I 

ソ I 等 は 動かすべからざる 勝利者と なった。 彼等の 靈 は僻兒 と 嫉妬と に 烦 はされ ない ぬ 尺 の^に 始めて 内れ の 光 

を 放 つ た" 美術 局長が レジオ ン .ド. ノ 1 ル 章 を 受く ベ き 作者 の 名 を擧げ てミレ ー に來 ると 參 列^; の 扪 采 は- M 

の 如く 渦卷き 起り、 局長 は 氣を顚 倒して 後を讀 み 綾け る 事が 出来ない 程だった。 ミレ ー はこの^ にあって サン シ 

ェ にかう 書き送った。 「私の 望む 凡て は、 私の 仕事に よって 生活し 子供 等 を 養せ する お が 出來、 而 して. c: 分が.^  乂 

した 印象の 凡て を 描いて、 それが 私の 熱愛す る 民衆の 同情 を 受けて 居る のを感 する、 それだけ だ、 それだけが 欲 

しい もの だ。 さう すれば 私 は 人生が 齎し 得る 凡て の もの を 得た 事になる。」 彼の 生活 もこの^ から やう やく 顺^ に 

向った。 「彼の 忠實な 伴侶で 同時に その 家庭の 守護天使」 と 呼ばれた 妻の 大病 も:!^ し、 子の フラン ソァ も^ 

家と なり、 二人の 娘 は 若い 妻と なった。 然し 同時に ミレ ー の 健^ は衰へ 始めた。 彼 は 一八 五! ハ やと _ん:: パ I に 引き 

續 いて 最愛の 祖母と 母と を 失 ひ、 一 八 六 七 年に は 眞實の 友なる ル ー ソ I を 失 はなければ ならなかった。 その"々々 

年に は ル,' ソ,' の氣狂 ひの 妻が ミレ ー の 手厚い 介抱に も 係 はらす 良人の 後 を 追った。 その^に 业:: 佻 の^に 1: 八 

七 〇 年) 戰爭が 起った。 プ 口 シャ の 兵 は 勝ちに 乘 じて 國 境に 攻め入った。 セダンの が 陷る数 =: 前ミ レ,' •  ^に 

この 忌 はしい 動亂を 避けて 暫く 故 擲に歸 つた。 その^に 共産主義者の 動 亂が巴 里に 起り、 ミレ ー は 忍 ひも かけす 

クルべ ー を 統領と する 藝術家 團體の 首謀者に 推された。 ミレ ー はか、 る 暴徒の 群れに,::: 分 を 兑 出す^ を^ 端に 滅 

つて 膠な く斷 つた。 彼の 頭 はか \ る 亂雜な 故!: の出來 事の 爲 めに 痛み 亂れ た。 然し かナる もお 術に S する 彼 

ミレ I 媲 m  二: 九九 


有 島武郞 全集 第五 卷  二 六 0 

の 愛 を もぎ 取る 事 は出來 なかった。 而 して 生涯 を 强く活 きた 天才の 晩年に のみ 見得る 厳かな 落着きと 深い 感情と 

を 以て 故鄉の 風景 を 描き 繽 けた。 シル べスタ ー は その 海岸の 畫のー つ を 見て 思 はす 叫んで 云 ふ、 「ミレ ー は その 

生涯の 絡 頂に 達した。 而 して 最も 平凡な 單 純な もの ^ 中に 崇美を 見出す 事 を 我々 に敎 へる。 ::: これ は 一 つの 作 

ほとばし 

畫 ではない、 魂の 迸り だ。 これは^ 間 だ、 光 だ、 而 して 靈だ。 これ は螯 かれた る 『詩篇』 だ」。 

1 八 七 一 年に ミレ ー は 再び バ ルビ ゾン に歸 つた。 七 〇 年に サ n ン の {# 査 員に ミレ ー を 推薦した 政府 は 七 四 年に 

バン テオンの 壁畫を 命じた。 ミレ ー は 喜んで この 承認に 報いよう とした。 而 して その 習作に 取り か,^ つたが もう 

遲 かった。 その 年の 夏に 突然 咯 血して 十二月 初めから 發 熱の 爲め 幾度 か 昏睡 狀 態に 陷る やうに なった。 一八 七 五 

年の 正月の 或る 寒い 日に ミレ ー は 突然 耳 近くで 鈇聲を 聞いた。 驚いて その 故 を 尋ねた 彼 は、 村に 近づいた 一匹の 

あた 

鹿が 彈に 中って 隣家の 庭に 逃げ込んで 死んだ と 云 ふ 事 を 聞かされた。 「これ は S 徵だ」 と 彼 はかす かに 云った。 數 

日の 後、 二十日の 朝早く、 彼は靜 かに 聖者の やうな 死 を 死んだ。 畫 窒に淺 された 「グ レビ ュの 寺」 は 淺ぃ舂 色 を 

籠め たま X 復活の 希望の やうに 畫 架の 上に 置かれて 居た。 彼はル ー ソ I の 傍に 葬られた。 

ミ レ I 自身の  ー||  一口 葉から。 

「私 は 何んでも 强 いもの を 好む。」 

r ミケ ランジェ I! とブッ サン に 次いで 私 は 最も 原始 派の 畫家を 愛する。 小兒の やうに 單 純な 主題、 無意識な 表現、 

理窟 は 云 はないで 生命に 充ち 溢れた 人物、 叫ばす つぶやかす 强 く忍從 する 人物、 敢て その 意味 を 尋ねよう ともせ 

お まて 

すに 人生の 锭を 確守す る 人物、 それ 等が 非常に 好きだ。」 


「昆る 事 は 描く 事 だ。」 

「色彩の 調和 は 或る 種類の 色の 併置よりも 明喑 の: 止しい 平均に よって 成就され る.。 そこに は 完全な 平衡がなくて 

はならぬ。」 

「私の 綱領 は勞 働で ある。 是は 人類の 自然の 條件 だ。 『汝の 汗に よって バ ンを喰 はざる^ からす J と は 遠い^ 紀の 

昔に 云 はれた 言葉 だ。 人 問 の 運命 は不變 だ。 又變 化させる 事が 出來 ない。」 

「美 は 顔の 形 や 色彩で 表 はされ る もので はない。 美 は 形 體の全 體の效 菜と、 その 場合々々 に? 5 切な 動作と によつ 

て 表 はれる の だ。 君の 所謂 可愛らしい 百姓 娘 は, 粗朶 を 集める 事 も、 八月の 陽の 下に^ 穂 を 拾 ふ 事 も、 井 尸から 

水 を 汲み上げる 事 も出來 ないだら う。 私が 一人の 母 を 描く とすれば, その 赤兒の 上に 投げる 顔 付 だけで 彼女 や. 力 

化しようと 試みる だら う。 美 は 表現に あるの だ"」 

「人 は 些細の もの をして 崇高 を 表現せ しめねば ならぬ。 そこに 眞實の 力が 潜む J 

「彼等 は 私を强 ひて 彼等に 服從し 客間 藝術を 作らせ 得る と 思って 居る が、 それ は W 逮 ひだ。 私 は^ 姓 に^れた。 

而 して 百姓で 死ぬ の だ。 私 は 自分の 感じた もの を 表現し、 私が 自分で はた もの を 描く。 木靴の 丈け も 後ろに は 引 

かないで 立場 を 守って 見せる。 必要が あれば 私も亦 自分の 名 譽の爲 めに は どれ^ 戰へ るか を 御^に 入れよう。」 

「寒く つて 冬の やうだった。 夜 は 冷え切った。 昨日の 朝 は 氷が 張って 地の 上 はかん くに 堅くな つた。 ^の 庭の 

樹には 花の^いた のが あつたが 可哀さ うだった ピ 

「(夕陽 を 見て) あすこに 眞理が ある" その 爲め にお 互に 戰 はう。」 

「『水 を 汲む 女』 で 私が 現 はさう としたの は 水 搬入で もなければ 下婢で もない。 ^に 一 人の^ 人が,::: 分の^. Ms は 

めに、 夫 や 子等の ソップ を 作る 爲 めに 水 を 汲む の を 表 はさう とする の だ。 私 は 彼女が 一 桶の 水より^ くも 4: くも 

ミレ, 禮讚  二 六 1 


有岛武 郞仝集 笫五卷  二 六 二 

ゆが 

ない もの を 運んで 居る の を 描かう. とした。 力 を 出す ために 歪めた 顔 付と、 日の 光に ひそめた 眼 付で 觀者は その 弒 

おそ 

に 素朴な 親切 さを認 むべき 喾 だ。 私 は 一 種の 怖れ を 以て セ ンチ メンタルに 近づく 凡ての もの を 避けた どころ か、 

外の 臺所 仕事と 同樣 にこの 仕事 も 彼女の 日々 の 行事で 生活の 習 はしに 過ぎない と 思って 居る 事 を 示さう とした。 

私 は义觀 者が 活々 した 古風な 井戸の 姿に よって 彼女が 水 を 汲む 前に 何 代 もの 人々 が こ X に來 たかを 想 はさう とし 

た J 

や 

「私 は:^ 象が 偶然に 取り集められ たので もな く、 畫 にされ る爲 めに 持ち出され たので もな く、 强ぃ已 み 難い 因緣 

によって 配列して 居る のを觀 者に 感ぜし める やうに 描きたい。 私の 表現す る 人物 は 恰も その 場所に 從屬し 彼等の 

ある 以外の ものであるの は 思 ひも よらぬ 事で ある やうに 描きたい。 ::: 私 は 必要な だけの 凡て の もの を强く 且つ 

完全に 描き出したい …… 」  し 

「(ル ー ソ ー の 家に 居た 畫家 ヴァラ ルヂの 自殺に 遇って) この 摺懼 すべき 最後の 様 は 私の 眼 を 離れない。 彼の 苦悶 

の 程 を 想像して 見 給へ。 …… その 晚も 眠れなかった ので 彼 は 自殺の 決心 をした の だ。 彼 は 食堂に 行って ル ー ソ ー 

夫人の 鋏 を 取った。 而 して 寢臺の 側に 突っ立つ たま、 力が 阻みき るまで 滅多 突きに, を 突いて、 倒れる 拍子に^ 卓 

に顏 をぶ つけ 床に 膝 をつ いた 事 は、 鼻と 膝頭の 擦疵で 察する 事が 出來 る。 その 騷 ぎで 蠟燭が 倒れた が 幸に も 落ち 

る 問に 消えた 。この 不幸な 男が 眞喑な 中 をのた うち 廻って、 流れ 溜った 血に 滑って はまろ び 滑って はまろ びし なが 

ら、 漸くの 事で 寢臺 まで 迪 りついた その 苦悶の 樣を 想像して 見 給へ。 この 恐ろしい 苦悶が 眞喑な 中で 行 はれた 辜 

を 想像して 見 給へ。 寢臺の 上で 彼が どれ 程藻搔 いた 事だった らう か は そこいら 中の ものに 生々 しく 印せられ て 居 

ぎやくと 

た。 若し 彼が 自殺す る 前に、 夜 明と 共に 現 はれ 出た この 酷たら しい 光景 を逆覩 する 事が 出來 たら、 屹度^ ひ 止つ 

たに 相逮 ない 程 だ。 家が 燒 けなかった の は 奇蹟の やう だ。 蠟燭は 始め 敷布の 上に 落ちて 床の 上を轉 がり、 やがて 


窓掛の 下に 行って 止った の だ。 若し 火事で も 出たら ル I ソ ー に 取って 何たる 事が 出來 したら う。 その^の^ 上に 

あった 畫窒は 同より 助かり やうがない。 考 へて 見 給へ、 ル ー ソ I の 油 繪と素 描 習作と が 一 炽に燒 けて しま ふ^を。 

彼が 手 をつ けた もの 成就した ものが その 不在 中に 全部 破壤 されて, 一 握の 灰ば かりが 殘 ると 云 ふ^をお へて 见給 

へ。 私 はま だ 上の空 だ。 …; 私 はま だ こんな^ じ を經驗 した 辜がない。 c 殺の 雰圍: ^の屮 に 呼吸す るの が こんな 

: 苦しい ものと は 知らなかった。 私 は 悪夢に 襲 はれ 通し だ ビ 

「人々 は カイユ 寺院の 周圍の 墓場 を壞 して 祭日の 舞踏の 場所に しょうとして 居る。 それ は 君 も 知って る 通り、 過 

ぎし 日 を 思 ひ 起させる 可憐な 稀れ なる 場所の 一 つ だ。 …… 白痴の やうに 馬鹿で 心から 無 な カイユの 化:^ は、 1」 

れの 血族の 骨で 自分の 土地 を 肥やさう として 居る。 宫 みさへ すれば どの 方面から 來る 金で も 平^な の だ。 竹. E で 

. 成り立った 地^ 競寶 する! この 賤民 ども は 自分の 家族の 骨 を 畑に 捲いて 馬鈴薯 でも 肥やす ^ りで W るの だ。 何 

と; ぶふ 罰 あたりな 畜生 っぽい 人間の 手 だら う。 施すべき 策が あるなら すぐ 何ん とかして くれない か。 彼奴 等の 心 

とめど  わき ま 

. の 卑陋 さと 來 たら 止 度 も辨へ もない。」 

「何しろ 大っ びら に 表現したい 事 を 表現して 見せる の は 溜飮の 下る 事 だ ピ 

「(『鍬に 倚れる 男』 の 評に 對 して) 彼 は 私の 發明 ではない。 この 表现 II 大地の 叫喚 II は^から^ こえて ゐ るの 

だ。 思 ふに わが 批評家 先生 達 は 高等な 趣味と 智能と を 持った 方々 だら う。 が、 私 は 先生 達の 皮 を 被つ て^ます IS 

に は 行かない。 そして 私 は生來 畑の 外に は 何ん にも 知らないの だから、 そこで 働いた 時^たり 感じたり したお を 

忠實に 申出よう とする 外 はない の だ。 私 以上に 出来る 人々 が 出たら、 私 は その 人违 を^に 幸; 1 た 人 だと 思 ふ J」 

『(テオドル.。 へ 口 ッケに 巾し迗 つて) 藝術は 言語 だ。 そして 言語 は觀 念の 表現の 爲 めに 設けられた もの だと. ム ふせ 

を 信す る 極めて 少數な 評論家の 君 は 一 人 だ。 II 何處 かで 讀ん だ覺 えが あるが T 蘇 術 以上に 才能 を.: 小す-お 術^ は 

ミレ ー 蹬讃  二 六 三 


有 島 武郞仝 集 笫五卷  二 六 四 

禍 ひなる かな』 だ。 …… モン ーフ ー ヌが 見事に 云っての けた やうに 『藝術 を 自然 化する 代りに、 彼等 は 自然 を 技巧 

化して 居る』 …… 」 

「如何なる もの も それ 自身の 時と 處に 置かれて 美で ない もの はない。 反對 に、 正しい 處と 時と から 離れて 美しい 

もの は 一 つもない。 木質 を 弱める やうな 事は斷 然して はならない。 アポ 口 は アポ 口、 ソクラテス は ソクラテス だリ 

1 一 者 を 混合しょう とすれば 出来 上らぬ 中に 兩者 とも 無くなって しま ふだら う。 眞 直な 樹と 曲った 樹 とどつ ちが 美 

しいの だ。 …… その 處を 得た 方が 美しい の だ。 だから 私 は 結論す る、 美 は 適合 だ。」 

「結對 の 美と 云 ふやうな 事 は 最も 馬鹿々々 しい 妄想の 一 つ だ。 そんな 事 を 思案す る 人 は 恐らく は 自然の 物象 中に 

美 を 感受す る 事が 出來 ないから に 違 ひない。 彼等 は 過去の 考察に 忙殺されて それ 等の 要求の 凡て を滿 たす もの は 

自然 だと 云 ふ 事 を 閑却して 居る。 氣の 毒な もの だ。 彼等 は 詩人で ない- 1 に 詩的な の だ ;… 」 

「天 氣は陰 氣で雨 だ。 空 は 暗く 雲 は 低い。 然し かう 云 ふ 天氣の 方が 私 は 日光より 好きだ。 凡ての ものが 悒 欝な豐 

富な 色彩 を 取る。 而 して 視力 を 和げ、 腦を鎭 める。」 

「藝術 家が 自然から 得た 印象の みに 直接に 單 純に 倚 賴 しなくなる 瞬 問に 藝術 は墮 落す る。 その 時 巧者な 仕上げが 

自然 を 追 ひのけて 頹廢が 始まる。 ァ ンチ ウスの 比喩 譚にァ ン チウ ス の 足が 地から 離れる と 力 を 失 ひ 地に 着く と 力 

を 恢復す る やうに、 人 は 自然から 眼 を 背けた が 最後、 力から 離れて しま ふ。 …… 」 

「人 は 他人に 觸れる 事が 出来る 爲 めに は 己れ が 觸れら れる事 を 必要と する"」 

「馳走が 代る 度に 新しい 皿が 出て、 葡萄酒 も 何もかも 最上 等だった。 然し 白狀 すると 私 はこん な 御馳走に は 嬉し 

がるよりも まごつく 方 だ。 この 次に はどう すれば. s \ かと 撗 眼で 隣の 仕方 を盜 見し なければ ならな いんだ。」 

「私 は 海 を 見渡す 『村 は づれ』 の畫を 描いて 居る。 古な じみの 楡は 風の 爲 めに くねり 出した。 私 はこの 樹が、 ^ 


の 思想の 中に 見得る やうに, {ゃ: 問に 際立って 現 はれる やうに したいと どれ 程 願 ふだら う。 あ \ 私の 少^の 時 ゆ 想 

It 滿 たされて 見えた 廣茫 たる 地平線, お前の 力 を どうかして 人々 に 感じさす 事 は出來 ないだら うか。 ::: 」 

「私 は 鵞鳥の 群れ を 描き かけて 居る。 直き 描き 上げなければ ならない が、 私と して は うんと 時^ を かけて 仕上げ 

たいの だ。 私 は 鵞鳥 共の 啼き聲 が 空に ひ^き 渡る やうに して 兌たい。 あ i、 生命、 生命、 全 の 生命 ー」 

「あの 美しい 天ま絨 の やうな 放牧地。 牝牛 達が 畫を 描き 得な い と 云 ふ の は SJ 念な 事 だ。」 

「(最後の 故鄕 訪問の 時) 私が 生れ、 父母が 生き 旦っ 死んだ 故屋に 一 個の 旅客と して 歸 つて 兌る と 深い 哀しい 感^ 

に ひたり 切る。 その 哀れな 家 を 見た 時 私の 胸 は 裂けよう とした。 何ん と 云 ふ 感慨 を 喚び 起す^ よ。 -符 て^いた^ 

の ある 畑に も 私 は 行って 見た。 其處で 私と 一緒に 働いた 人達 は 何處に 行って しまったんだ。 私と 一^に 渺茫 たる 

海 を 眺めた 眼 は 何處に 行って しまったんだ。 今日 その 畑 は 他人に 屬 して 居る。 而 して その 人 は 私に 對 して、 ^様 

は そこに 何 をして 居る の だと 詰問 もし 得る し、 しょうと 思 へ ば 私 を そこから 追 ひ 拂ふ蔡 も出來 るの だ。」 

r 藝術家 は 偉大な 崇高な 目的 を 有たねば ならぬ と 云 ふ 事に は 君 も 同意して くれる だら う。 それな しに は 彼 はどう 

して 彼 自身 さ へ 夢想 もし 得ない 目的に 達する 道 を 開く 事が 出来よう ぞ。 ゆ t 几な き 犬 はどうして 飚 物の 跡を逍 ふせ 

が出來 よう ぞ。 だから 藝術家 を判斷 する に は その 人の 目的の 性質と その 0: 的 を 達する 態度に よらなければ ならな 

い。 …… 」 

「(病歿の 前年) 私の 肉 體は益 i 衰 へても 私の 心臓 は 冷たくな つて 行く やうな s はない"」 

生, 活と 文化, この 二つの 言葉 は異語 同意で ある 如く 現代 は 云 ふ。 若しくは さう いふ 必要の ない 程に,::: ^なゆ^ 

ミレ ー 鵡讚  二 六 五 


有 鳥 武郎仝 集 筘五卷  二 六 六 

として、 詮議 を 重ねよう としない。 經濟學 は原朋 として、 牧畜から 農業、 農業から ェ藝、 ェ藝 から 商業と いふ やうに 

文化 發 達の 階梯 を 作り、 新しい もの 程 高度の 文化 を 代表す る もの X 如く 斷 じて ゐる。 工業と 商業と が 造り 立てた 

都會 は、 從 つて 現代 文化の 中心で あらねば ならぬ と 推論す る 3 人類 生活の 精華と 要素と は 悉皆 都 會と云 ふ 小 地積に 

集められた 觀が ある。 都 會は國 の 中に あって 一 つの 國 である 迄にな つた。 地方行政から 全く 獨 立した ければ 成り 

立って 行けない 程 特異な 生活が 都會の 中に 醱酵 した。 然し 都會的 生活と 人類 大多數 の 生活と の^に は 何ん とい ふ 

廣ぃ 溝が 撗た へられて ゐ るの だら う。 人類の 大多数 は 都會的 文化に 封して 羡 望の 眼 を 向ける か、 呪 詛の聲 を 放つ 

か、 無 干涉な 態度に 出る 外 を 知らないで ゐる。 力 ー ライルの 文章 を 少し 綿密に 讀んだ 人 は 誰でも 氣 付く 事で あるが 

彼 は (civilization) とい ふ 字 を 極端に 忌み嫌って ゐた。 而 して 世の 人が 文化と いふ 字で 現 はさう とする 所に は 進 

歩 (progress) とい ふ 字 を 用 ゐてゐ る。 偶々 彼が 文化なる 語彙に 據る揚 合 は、 大方 一種の 反語 又は 皮肉と して その 

字 を 使って ゐる。 カァ ペンク ー は 文化と は 人類が 或る 場合に 犯される 疫病の 一種で、 しかも その 疫病に 打ち勝ち 

若しくは 完全に 癒えた 揚合 は、 歴史上 皆無 だと さへ 云って ゐる。 普通に 考 へられて ゐる 所謂 文化の 酵母なる 都會 

生活 を、 我々 は 軍に 在る がま、 の 望ましい 狀 態として 考 ふべき ではない の だ。 我々 はもう 一度 この種の 生活 を險 

せま 

^して 見る 必要に 逼ら れてゐ るの だ。 都會的 文化の 功過 を 秤 量し 直したら、 我々 は 案外な 恐るべき 結 架に 驚く だ 

らう。 何故 に 文化 はかく 生活 を 出し 拔 い て 先き 走り をし て しま つたの だら う。 

それ は 人間の 中に 潜む イヴが アダム を 出し 拔 いたから だ。 彼女 は 好奇心と、 移り 氣と、 的の ない 向上心 (或る 

時 は それが CICWnvvard  aspiru-icn であり 得る) と、 煽動 力と、 美 装した 肉 性と、 健忘 性との 持主 だ。 彼女 自身の 

力 は 皆無 だ。. 然し 彼女が アダムとの 交涉を 繋ぐ 時には 恐るべき 力の 多產 者と なる。 アダム を樂圜 から 逐ひ 出した 

の も 彼女 だ。 ァ ゼンス に 寡頭政治の 濫觴 を 作った の も 彼女 だ J ァレキ サン ダ ー 大王の 心 をと ろかした の も 彼女 だ。 


へ 口 デ王 をして 洗禮の ヨハネ を馘 らした の も 彼女 だ。 羅 馬から ケト ー と スパルタ カス を 放逐して シ ー ザ,' と 情 を 

通じた の も 彼女 だ。 かくて 彼女 は帝國 主義と 中央 集 權とを 生んだ。 彼女の 多產 は、 中 世紀に よって 阢 まれた ビけ 

に、 近代に なつてから 更に 激し さを增 した。 その 頭 髮は異 國の膏 油を耍 求し、 その n は 他鄉の 珍味 を 求め、 その 

肉 は 絹と 羊毛と を 慕 ひ、 その 眼 は 絢爛な 色彩 を、 その 耳 は 淫蕩な 樂^ を、 その 頭 は 廻りく どい 现^ を 欲した。 彼 

女 はこの 底止す る 所 を 知らない 欲求の 遂行 を、 人^の 中に 潜む 主人に して 问 時に 奴 なる アダムに 命じた の だ。 

醜い なりに も 尊い 魂の 持主で あり、 力の 源で ありながら、 ^鈍で、 侃1: で、 しぶとい 忍耐力に よって 惯ら された 

アダム は r 汝の 額の 汗に よって パン を 喰へ」 と 命じた 祌の 宜齿を 今 も 守って、 永久に 地から 離れる^ が出來 たい 

でゐ る^に、 悲しむべき 彼が 運命的の 弱點 として、 氣狂 ひになる^ イヴに H 糸 はされ ながら、 彼女との^ 綵を斷 ち 

i ぎ  十 ベ 

切る 事が 出來 ない ばかり か、 イヴな しに は 地上 生活の 淋し さ を 紛らす 術 を 知らないで ゐ るの だ。 いか it イヴに.:. 迚 

用せられ て、 自分の 道 を 踏み迷 ふば かりで なく、 イヴ を すら あらぬ 方に 走り; あかせながら、 二人が 兀 に^り 合つ 

て 正しく 生きる 道 を 尋ね 出し かねて ゐ るの だ。 彼 は 醜い 力 リバ ン の やうに、 何 を 求めて い、 か を 知らないで、 水め 

てなら ない もの を 求めながら 呻いて ゐる。 イヴ は アダム を 易々 と 二つの 指の 問に 摘み 上げて ゐる。 而 して アダム 

の 頭の 上で 輕々 と 千 態 萬 様の 舞踊 を を どる。 

アダム は 水 だ。 而 して イヴ は 波 だ。 アダム は 斡 だ。 而 して イヴ は 花 だ。 生活と 文化と はかくして 人尘 に^ 

盾した 囘旋を 彫り付けて 行く。 

田園 は 神が 造り、 都 會は惡 魔が 造った と 誰か ビ 云った。 然し さう ではない。 ,K は 人^の 巾に 浒む アダムが、 

卽ち 男が 田圃 を 造った の だ。 而 して イヴが、 卽ち 女が 都會を 造った の だ C 

女が 都 會に對 する 興味 を 投げ 拾て, -兑 ろ。 子 はすぐ さま 都會 生活の 苦しい 不,: :: 然 から^れ 出て しま ふだら 

ミレ I 鱧 讚  二 六 七 


有 島武郎 * 集 笫五卷  二 六 八 

う。 雄の 孔雀が 雌の 孔雀の 前に、 苦しい 思 ひ をして 尾羽 を 摘げ て 見せる やうに、 男 は 都會で 女の 機嫌 を 取らう と 

して ゐ るの だ。 

かくて 都會的 生活 は 近代 文化の 具體的 表現に なった。 

かく 移り 氣な イヴが 生み出した 文化 の 姿 は それ 故 本質的な 何者 もない。 刻 々 變 化す る 萬 様の 姿態の どれ を眞 の 

文化 だと 指し示す ベ きで あるかと 詮議 をして 見る 時、 誰が そこに 的確な 答 解を馊 出し 得よう J 又 その 文化の 何れ を 

人間 本来の 生活の 様式と 定め 得よう。 コ; 代繽 けて 都會人 同士が 結婚 すれば、 その 血統 は 結える とい はれて ゐる。 

んも 

人間 全體の 生活と は 全然 沒交 涉な藝 術と 道德 とが 酸され てゐ る。 何等かの 意味で:^ 輪ば かりな 人間が 寄り集まつ 

てゐ る, そんな もの を 都會的 生活の 本質と 名 づけなければ ならない のか。 それ は 明かに 人間 全體の 生活に 對 する 

侮蔑で あらねば ならぬ。 

見よ 人間 本来の 生活 は 文化 を 一 皮め くった その 下に 潜んで ゐ るの だ。 それ は 永劫に 亙って 變る 事の ない 鈍い 喑 

い 生命の 流れ だ。 メデュ サの顏 を 思 はせ る 様な 冷やかな 酷 さが その 流れ を滿 たして ゐる。 多くの 人 は そこに 足 を 

踏み入れ るの を 非常に 躊躇せ ねばならぬ 程の 氣味惡 さが 潜んで ゐる。 然し その 生命に 喰 ひ 入る 勇氣さ へ あれば, 

喰 ひ 入れば 喰 ひ 入る 程 人類に 對 する 侗 性の 聯絡 は 緊迫して、 そこに 始めて 人生の 普遍と 特性と 本質と が 見出され 

るに 至る であらう。 ミレ I は 普遍 を typical で、 特性 を character で、 本質 を nature とい ふ 一一 一一 口 葉で 云ひ晃 はして 

ゐる。 彼 は その 生涯の 熱意と 愛慾と を 傾け 盡 して、 これらの 曾 葉に 生きた 表現 を與 へる 爲 めに 働いた の だ。 ミレ 

1 は 農 人で あつたが 故に、 農 人で 終った の だと 云って しまったの では 餘 りに 簡單だ 。 彼 は 都會的 文化に は、 耽溺 

すべき 凡ての もの はあって も、 徹底すべき 何物 もない 事 を嚴 しく 體驗 したの だ。 醉 つた 眼に は 色々 な ものが 見 

え、 覺 めた 眼に は 何物 も 兌えない。 さう した 不思議な 迷宮が 都會的 文化で ある 事 を見拔 いたの だ。 彼 は 凡ての 誠 


實な 人が 求める やうに、 動かない 足の 踏み 立て 場 を 求めた。 而 して それ を 原始的 だと 稱 せられる 農民の 生活の 4 

こ 架り 得た の だ。 彼 は 決然と して 唯獨 り、 寂しい 道 を 田園に、 卽ち 生活の 中核に で歸 つて 行った。 そこに 彼 を 

待ち設けて ゐ たもの は、 勞 役と、 苦悶と、 永劫に 瓦-る 「大地の 叫喚」 とであった。 渝る蔡 なき 悲慘な 人生の 姿が 

眞 向から 彼の、 い を 鞭った。 然し ミレ ー は 文化と 云 ふ 色眼鏡で 當 面の 苦痛から 逃れよう とする 卑^ はしな 力った。 

彼 は 更に その 奥に 進み 入った。 而 して 生活と いふ もの、 どん底に、 寛大と、 勒勞 と、 平和と、 ^^や もさ と 愛 

の 根と を 見出した の だ。 彼の 藝術 はこの 深みから 生れ 出る。 彼が ミケランジェロ を 理解し、 ヴァ ー ジル と默^ し、 

ダンテに 同感し、 バ ー ンス を賞讃 した 理由 は 明白 だ。 彼等 は 等しく 地獄 を 忘れようと はしなかった 力ら だ 地 $ 

を 突きぬ けようと したから だ。 彼等 は 等しく イヴの 奴隸 であるのに 滿足 する^な く, その^し き 主人た ろべき n 

覺に 生きよう とした 人 たちだから である。  ! 

ミレ ー の 「種 捲く 人」 を 見よ o 「鍬に 倚れる お」 を 兌よ。 「葡萄 圃の 中の^ ひ」 を 兌よ。 「屠り 豚」 を^よ そ 

れは 見る に廖 ましい 悲劇的な 生活の 姿 だ。 然し それが 偽る 事の 出來 ない 眞實 であるの を 如何しょう。 人生に はさ 

うい が 据 ゑら れてゐ る。 然し 同時に 彼の 「^木」 を 見よ。 「アン ジヱ ラス」 を兑 よ、 「お」 を 兄よ そこに は 

淚の 滲み出る やうな 希望と 慰藉と 歡喜 とが ある。 然し それが 偽る 事の 出來 ない^ 赏 であるの を 如何しょう 人り 

に はさう いふ 機能が 與 へられて ゐ るの だ。 物に 徹する 眼 を 開いて、 か \ る 深さにまで 人^ を兑 極めた 人 は 祝き さ 

るべき である。 神が 祝福す る 前に、 我等 人間 は 心より 彼 を 祝 幅すべき ではない か。 

「人生と は 自己と 自然と G 調節 I ふの だ」 と オイケン は? てゐ る。 $Aa0^n^i 

, \ ュ纾  二. i  メナ 

ミ レ 1 ね SSa 


有 島武. 郎仝笾 笫五卷  一 一七 ◦ 

す、 自然に も 立脚し ないで. 雨 者の 交涉の 上に 成り立つ 假 象にば かり 立脚して ゐた。 言葉 を換 へて いへば、 生活 

の淺滓 を畫 筆に ひたして 畫布を 塗り つ ぶした。 然し か \ る 後 fK 的な 藝 術の 對象は 人 を % み 疲らして、 やがて 自然 

がその 對象 となる 時が 來た。 ジ ヤン. ジャック. ル ー ソ I を 促した 同じ 精神が、 又 畫擅を 動かした の だ。 「如何なる 自 

然の 中に も 美 を 認め 得ない もの は、 その 人の 心に 缺陷の ある こと を 示す | とミレ ー をして 叫., H しめた もの は、 本 

ノっ ーノ  * 

實 にこの 機運の 仕業だった。 第 十九 世紀の 藝術は 要するに この 叫喚の 多様な 反響に 過ぎない。 印象派の 勃興 も- 

ラファエル 前 派の 崛起 も、 寫實 派の 運動 も この 機運に よって 哺 まれ、 この 機運 を 助成し 若しくは 完成 せんが 爲 

めの 努力だった。 

然しながら この 機運 は 又變ら ねばならなかった。 自然 を 征服す る 積り でゐ ながら、 却って 自然に 征服 せら, つ 

つ 行く 人類の 悲運 を 早く も 見て取った スチル ネル や 一一 イチ ヱが、 自然に 沒 入して 存在 を 失 はう とした 自己 を 引き 

戾 して そのお の 塵を拂 つた 時、 畫擅 にも 早く 自己に 目覺 めた セザ ンヌ ゃゴッ ホがゐ た。 彼等の 努力 は 一八 三 〇 

年に 旗擧 げして 歐洲の 美術界 を 席捲した 浪漫派の それに も讓ら ない 大きな 革命だった。 而 して その 辛勞 から 生み 

出された 效果は 藝檀に 特異な 色彩 を 招来した。 彼等の 畫の 前に は、 自然 派の 畫 はおし なべて 云 ふと 影の やうに 厚 

味なく 見える。 自然の 偉大、 多能、 變 化に 比して 人間の する 單 なる 摸倣 は 如何に 憐れむべく 力なき ものである 

よ。 人間の 力 は 何ん といっても 人 間 が 人 Si 自身に 主と なる 時に のみ 發 揮され るの だ。 かくて 主觀 派の 藝衔は 力の 

福音と なって 生活の 脈 捋を强 くした。 

然し 自己の 確立と いふ 事 は 古来 幾度 か 企てられて、 環境の 壓 迫に 打ち 衝 かれた。 殊に 現代 を 支配す る 文化なる 

もの は、 嚴密な 意味で 自己の 確立と は 背馳した ものである 事 を 知らねば ならぬ。 機械的な 國家 主義と、 その 奴隸 

になり 終せ た 宗敎、 科學、 哲學 に圍繞 された 個性が その 獨立を 恢復す るの は 非常な 難事で あらねば ならぬ。 その.^ 


果 として 自己が 强 ひて その 環境と 渾 一 する ために 一 稷の 哲^ を 生み出し、 一 ^の 木地 乖跡^ を^ち 出さなければ 

ならぬ やうた 運命に ある。 未来派の 藝 術と 稱 せられる もの" 如き は、 一 旦 n 放された 侗 性が 新しい 逍^に 上^ 代 

りこ、 t ろ を 向いて 現代の 物質 生活に 投入しょう とする、 その 根柢に 於て 妥協 的な 述動 であると 化る のが 無现六 

らう か。 又 傳統蠢 I 術と いはれ る もで 如き は、 翌 した 侗性 が 極めて 不安定で ある 念す る 給 

果、 過去の 傳 統一 切を攝 取し 變 化して 常 面の 急 を 救 はう とする 主知的な 努力と おへる のが 附^の 論で あらう 力 

自己つ 雀 立が 主張 せられて、 稍-眼 鼻が つき 出す と、 すぐ そこに は 反動の 影 を 見る ので ある。 ,M, し,:^ 1^ によつ 

て 力の 自覺て 達した 現代人 は、 瑗 境が 1 バ 中央 集權、 物質 崇拜 の氣 勢に あるのに 投合して、 乂の^ 狀を 助! さ 

す やうに 自己 を 振り向けて 行かう として ゐる。 この 妥協 的な 氣運は 詩 を 生まないで 舉說と W ゆと を^むに^ ひな 

い。 何故ならば、 生命の 充溢 は、 卽ち 詩の 誕生 は、 いつでも 妥協 を 忌み 悪む 衝動 を 伴って a はれる もので 〔や は 

の犮り 立つ 所に は、 もっと 靜舉 的な 傳說の 構 出 を 結^すべき 蓮 命に あるから である。 かくて 我々 の, n ィ にも n 

然と 自己との 交渉の 上に 成り立つ 傳說 のみが、 藝 術の 對 象と なった 第 十八 世紀の 繰り返しが 芽 を^さう とし 

て ゐる。  I  - 

第一 は 自然 だ。 第二 は 自己 だ。 第三 は 二者 交渉の 結^ 卽 ち傳說 だ。 この 三つの 各ぶ を^^に とって 薛術 るれ A 

する の は 無益で はない。 或る 藝術家 は 自然の 前に 赤子 程の 力 も 有って をらぬ。 叉 或る^ 術^ は n 巳グ おに^の ム 

く 無情 値 だ。 又 或る 藝術家 は 傳說の 前に 泡の 如く 消え失せる。 而 して 生活の どん底に 徹して、 Si 々し〜.,—〜 

ぴ 出ぬ 藝術家 のみが、 この 三つの 試練の 中から 無疵で 躍り上がる。 さ , , 

薛 りに ミレ ー を 立た して 見よう。 前に も 云った やうに、 彼 は 自然主義 勃興の 魁 をした 藝術 家だった。 ^グ ブ" 

自然と 觸れる 所 こ Q み 湧く と 力 を 極めて 主張した の は實に 彼だった。 誰も 彼の 作品が n 然に 恐ろしく して ミ 

二 七 一 

ミレ -躞讃  : 一 


有 鳥 武郞仝 集 笊五卷  一一 七 一一 

る 事 を 担む もの はない。 彼 は 明らかに 自然に 捧 誓した 殉敎 者であった。 然し それで あるが 故に 彼 は 全く 自己 を 浚 

却して しまった か。 それ は 明らかに 否と いふ 言葉で 答 へられねば ならぬ。 天才 は、 卽ち 自己 を 根本的に 知り 拔ぃ 

た 人 は、 自己 を 表現す るのに 唯一 つの 道 を 有する ばかり だ。 而 して その 道 は 彼のみ が 有する もの だ。 彼の 自己 は 

クルべ. 'ゃド I ミヱな どと 共に 特異 だ。 彼 は 自己の 個性に 從 つて 明確に 自然 を 切り取って ゐる。 自然に は 十分の 

自由 を 保障しながら、 切り取って ゐる。 一 體を いふと 自然 をして 自然 を 語らし める とい ふ 事 は、 極く 明白な 內容 

を 持った 命題の やうに 見える かも 知れない が、 僅かば かりの 省察 は その 意味の 極めて 空漠な ものであるの を S ら 

しめる だら う。 自然が 自然 を 人に 語り 聞かせる に は、 人 を 通して 語る 外 はない の だ。 自然 はどうしても 先づ 人の 

言葉に 飜譯 されなければ ならない の だ。 その 昔祌の 意志が 或る 特異な 人間の ロを藉 りて 神託と して さ. T やかれた 

やうに、 自然 も 亦 人に 物言 はせ なければ 自分 を 表現す る 事が 出来ない の だ。 自然主義に 溺れ 切った 第 十九 世紀の 

人々 は數も すれば この 明白な事 實を 無視して か- T つた。 而 して 自分の 魂 を 淸め鏔 める 代りに、 出來 得る 限り 自分 

を 縮小す る 事 を 心 懸けた。 その 結果 自然 はカ强 くその 人に 乘り 移ったら うか。 全く 反對 である。 自然の 姿 は その 

人 を 透して 薄れて 行った。 而 して 自然 は その 立 體性を 失って 平べ つたい 奥行の ない 畫の樣 に 描き出される 仕儀に 

なった。 ミ レ ー は 自然 以外に 藝 術の 求 源 を 置かなかった けれども、 その 天才の 力 强さを 以て、 その 當 時の 迷信に は 

陷ら なかった の だ。 彼 は 人間が 神で な. S 事 を 知り 拔 いて ゐた。 神で ない 以上 は 自然 全體の 創造 を 企てる 事が 無益 

であるば かりで なく、 愚策で あるば かりで なく、 瀆聖 である 事 を 感じた。 彼 は 謙遜に 自然 を 自己の 摑み 得る 範圍に 

まで 切り 狹 めた。 そして それだけの 部分 を 見抜く ために、 自己 を 堅固に 正當に 公平に 築き上げた。 ミレ, -の 表現 

はだから 自然 全體 ではない。 自然の 一 角に 過ぎない。 然しながら 表現され た 自然の 一 角 は、 正しい 人間性の 烙印 

を 有った 深い 眞實な 自然であって、 それから 自然 全體の 規模 を 髡髴 させる だけの 底力 を蓄 へて ゐる。 換言すれば 


ミ レ ー の 藝術は 的確な 表現の 外に 實質 性の 豐 かな 深い 暗示に よって 隈取られて ゐる。 ミ レ ー の 作品 は. ィ化^ な 介 

金 術 だ。 どの 畫も ミレ ー の 肖像 だ。 而 して 同時に 自然 だ。 彼の 一枚の 小 スケッチ も 彼の 全生^ を 恐ろしい 明, H さ 

を 以て, つて ゐる。 しかも 彼 はこの 結朵 によって 自然の 一 點ー 靈を もへ し 曲げて はゐ ない 

ミ レ ー が 傳說の 前に 立つ 時に も、 彼に は 強い 自信が あり 得る。 彼の 傳說は 時代の 作り出した それで はなく、 人^ 

の fe- ひ 出し t それ だからで ある。 文化 を底邊 として 自分 を 築き上げよう とする 人は禍 ひで ある。 その 人 は 门然に 

耳 を f けす、 人 を 正しく 見極めす、 自然と 人との 噂 話に 耳 を 傾けてば かり ゐる人 だからで ある。 「n の^れに アン 

ジ h ラス を 鳴らさな いやうな 時世が 来たら、 ミレ „ 'の アンジュ ラスの 靈 は 何等の M ハ味を も 引 かぬ ものと なる であ 

らう 一 と 評した 人が ある さう だ。 さう だ、 實 際傳說 とい ふ 背景 を その 人の 作物から 除き 去って しまったら、 お.^ 

と 同様な 價 値より 殘ら ない 作品 は澤山 あり 得る 事 だ。 然し ミレ ー はさう いふ 運命に 遇ふ爲 めに は 少し 深 過ぎる。 

ァ ンジ H ラス の 鳥ら なくなる 時の 絶對 にないの を どうしょう。 寺院 はこ ぼ たれる 時が 來るカ もお. ォ ない ^お ^鎔 

かされる 時が 来る かも 知れない。 然し 晩鐘と いふ 題に よって 象徵 され 喑 示された 大自然の アンジェラス I. 屮く 

睦まじく 勇ましい 夫婦が、 一日 を g 願から 血の 滲み出る まで 働きぬ いた 夕暮 に、 靜 かなお に 沈んで 行く 夕 H を感 

^と滿 足と を 以て 眺め やる 瞬間に、 二人の 心の中に 思 はすし も 湧き起る 祈念と 相愛との アン ジヱ ラス は、 永クに 

人の 心から 鳴り やまぬ であらう。 ミレ ー の傳說 はいつ でも 輕ぃ畫 面の 象徴 を 透して 板柢 のべ ー ソス にまで 馋み^ 

つて ゐ るから だ。 前に もい つた やうに, 彼 は 文化の 陶醉 者で はなく、 實に 生活の 捧獰 者であった からだ。 而 して 

永繽 的で あり 本質的で ある もの \上 にの みその 哲學を 築いて ゐ たから だ。 如何なる 時代が 來て も、 人 は 彼の 雀の 

中に 自己の 投影 を發 見し ない 譯には 行かない。 

若し デラ ロッシの 前に 自然 を 立た したら、 若し モネ ー の 前に 自己 を 立た したら、 而 して ダ- ヰッド のがに^ I を 立 

ミレ ー 禮讚  二 七三 


有 岛武郞 仝 集^ 五卷  1 一七 四 

たしたら …… C 

大 なる 藝術 家が 凡ての 時代 を 通して 活 きて 行く 事の 出来る 譯は、 その 人が 人生の 一番 眞實 な點に 立脚して ゐる 

からだ。 自分の 小さな ひねくれた 主觀を 後生大事に 守り立て- r、 それ を 唯一 の懷 小刀に して、 自然が 笑 ふ 時に も 

それ を^い 顔 だと 云 ひ 張ったり、 自然が 泣く 時に も それ を 笑ひ顏 だと こぢ つけたり する 事な く、 一番 奥深い 一番 

正しい 自己の 姿 を 謹んで 保護す る 事に よって、 自然と 正しい 愛に よって 抱き合 ひ、 自然の 泣く 時に 本當に 苦しみ、 

-、. £ 

自然の 笑 ふ 時に 本當に 喜ぶ 事が 出来る からだ。 人 は 虚偽にば かり 住ひ績 ける 事 は 出来ない。 彼 は 偶に 一 度づ 具 

實と いふ ものに 歸 つて 来る。 而 して その 時、 動く 事な く 露 實の 上に しっかりと 足 を踣み 立てた 天 才の 姿を瞻 仰す 

る。 眞實な 地點の 確立、 自然と 自己との 徹底的な 交涉、 それ は 天才の みが 成就し 享樂し 得る 境涯 だ。 ミレ ー は そ- 

れ を 完成した I 彼の 誡實と 熱愛と 忍耐と 勤 勞とを 以て、 不遇と、 貧窮と、 病苦と 死との 恐ろしい 地獄 を I めぐ 

つた 後に。 

七 

ミレ ー の 作品が 人に 與 へる 印象 は 音響 だ。 彼の 畫の 特色 は、 色彩よりも 寧ろ 線畫 によって 成り立ちながら、 彫 

刻 を 聯想させる よりも 音樂を 聯想させる の は 不思議な やうな 事實 だ。 そこに は 小歌が ある、 獨唱が ある、 合唱が 

ある、 合奏が ある。 「最初の 一 歩」 や r 兒等を 養へ る婦」 など は 可憐な 小歌の 例 だ。 「種 捲く 人」 、 「鍬に 倚れる- 

男」 など は 强烈な 男性 音の ソ 口 を 聯想 さす。 「アン ジヱ ラス」 や 「グ レビ ュ の 寺」 は 調和に 入った 合唱と 共に、 細 

き 伴奏の 聲をさ へ 聞く 事が 出来る。 「落穗 拾 ひ」 も 合唱の 目的で 作られた ものに 相違ない けれども、 そこに は 稍ぶ 

調子の 狂 ひが ある やう だ。 素晴らしい ミレ ー 獨 得の 合奏 は 「屠り 豚」 と r 春」 から 溢れ出る。 「屠り 豚」 は 或は、、、 • 


レ ー 自身が 評した やうに 戯曲と いふ 方が 常って ゐる かも 知れない。 「春」 では 完全な 諧調の 中に、 凡ての 色と 形と 

が 美しい 旋律 を 取って 震へ てゐ る。 音樂 とい ふ 最高 藝 術の 感覺 にまで 色と 線と を 積み上げて 行く とい ふ は、 ミ 

レ ー の藝術 上の 對 象に 對 する 至純な 愛と 洞察と を 裏書きす る もので あらねば ならぬ。 彼 はよ く^ 響 を g の 屮に描 

き 現ば したいと 焦慮した。 それ は 取り も 直さす、 彼の 心の中に 渦卷き 起る 樂獰を 何等かの 形に 附與 したいと 然^ 

した 洁菜 に過ぎない。 灼熱 は 何時でも 震動 を 伴って 起る。 ミレ ー の 心が 自分の 確實 に占铽 し^た 環境の 屮 にあつ 

て、 美しく 震動した 事に、 卽ち彼 獨特の 音律 を 組み立てた 事に 何ん の 不思議が あらう。 「^る^ は 描く ポだ」 とミ 

レ ー は 云った。 然し 本 當を云 ふと 彼の 自然に 對 する 感激 は 彼 をして 「見る 事 は 奏でる 箏だ」 と-ぶ はしむべき だつ 

たか も 知れない。 しかも ミレ ー は 子供の やうな 無 邪氣と 謙遜から、 眼 は 見る もの だとの み 思って 死んだ — 彼の 

殘 した ヱ オリ ャ ン. ハ ー プは、 今 も 主な きに 美しく 高く 鳴り 綾け てゐ るのに。 

C1 九】 七 年 三月、 「新 小抵」 所載〕 


ミレ -禕證  二 七 五 


冇島武 郞佥集 第五 卷  二 七 六 

惜しみな く 愛 は 奪 ふ 

概念的に 物を考 へる 事に 慣らされた 我等 は、 「愛」 と 云 ふ 重大な 問題 を 考察す る 時に も、 極く 習俗 的な 概念に 捕 

へ られ て、 正當な 本能から は 全く 對角線 的に かけへだたった 結論 を 構 出して ゐる 事が あるので はない か。 「惜しみ 

なく 與へ」 とボ ー n の 云った 言葉 は 愛する 者の 爲す所 を 的確に 云 ひ^った 言葉 だ。 實際 愛する 者の 行爲の 第一 の 

特 徵は與 へる 事 だ。 放射す る 事 だ。 我等 はこの 現象から 出發 して、 愛の 本質 を歸納 しょうと する。 而 して、 直ち 

に 愛と は與 へる 本能 を 云 ふので あり、 放射す る 勢力 を 云 ふので あると する。 多くの 人 は、 無 省察に この 觀念 を認 

めて ゐる。 世上 一般の 道德の 基礎 は、 そこに 据 ゑら れてゐ る。 利他主義の 倫理の 根據 とする 所の もの はこの 觀念 

に 外なら ない。 從 つて 人間 生活に 於け る 最も 崇高な 義務と して 犧牲 献身の 德が 高調され る。 而し てこの 觀 念が 利 

己 主義の 急所 を衝く ベ き 最も 鋭利な 武器と し て考 へられて ゐる。 

私の 小さな 愛の 經験 は、 然し、 愛の 本質 を 前の やうに 考 へる 事 を 許さない。 私の 經驗 する 所に よれば、 愛と は 

與 へる 本能で ある 代りに 奪 ふ 本能 だ。 又 放射す る 勢力で ある 代りに 吸引す る 勢力 だ。 

愛 は 心 を 支配す る數 多き 祌祕 的な 力の 中で も 一 番 興味深い 神祕 的な 力で ある。 その 作用 を 不完全な 言葉の 助け 

を 借りて 他に 傳 へようと する 試み 程 無謀に 近い 試み はない。 私 は 能 ふ 限り あからさまな 言葉 を 使って、 私の 意味 

する 所 を 表白して は 見る が、 そこに 暈 翳の つき まつ はるの を 如何す る 事 も 出来ない だら う。 私 は 寧ろ 言葉の 周圍 

た *- よ くまど 

に 漂 ふ 隈取り を も 私の 言葉と 共に 攝 取して 欲しく 思 ふ。 

他の 爲 めに する 行爲を 利他主義と 云 ひ、 己の 爲 めに する 行爲を 利己主義と 云 ふの なら、 その 用語 は 正當 である。 


然し 倫理 攀の 定義が 示す やうに、 他の 爲め にせん とする 衝動 乂は 本能 を 利他主義と:. ムひ、 己の 爲め にせん とする 

衝動 乂は 本能 を 利己主義と 云 ふの なら、 その 用語 は 正鵠 を 失して ゐる。 それ は當然 愛他主義、 愛己 主義と 喾き 改め 

られ なければ ならない の だ。 利す る —— それ は 結 某で あり 行爲 であり、 愛する —— それの みが 原因で あり 動機で 

あり 得る からで ある。 こ、 にも 1  ばく S 語の 上に 本質と 現象との 錯誤の 行 はれて ゐ るの を 我等 は 容易に 察する 事が 

出来る ではない か。 この 本質と 現象との 混淆から 愛に 對 する 我等の 现解は 思 はざる 岐路に 迷 ひ 込んで 行く の だ。 

私 は 己 を 愛して ゐ るか。 私 は 躊躇な く然 りと 答へ 得る。 私 は 他 を 愛して ゐ るか。 これに 肯定 を與 へる 爲 めに は 

私 は 或る 條 件と 限度と を附 する 事 を 必要と する。 私 は 到底 己 を 愛する 如くに は 他 を 愛して ゐな いと 云 はなければ 

ならない。 それで はま だ盡 して ゐ ない、 切賁に 云 ふと、 私 は 己 を 愛し 得る が 故にの み 他 を 愛する の だ。 それでも 

まだ 盡 して ゐ ない。 更に 切 實に云 ふと 他が 己の 屮に攝 取され た 時に のみ 私 は 他 を 愛する の だ。 然し 己の 中に 掭取 

された 他 は、 實 はもう 他で はない。 己の 一部 だ、 畢竟 私 は 己 を 愛して ゐ るの だ。 而 して 己の み を だ。 

私 は それほどに 己 を 愛する。 それに 聊かの 虚飾 もな く 僭 誇 もない。 ありの ま- -を^ : 白して ゐ るのに 過ぎない。 

然し 私が 私自身 を どれ 程 深く どれ 程よ く 愛して ゐ るかと 雀 察して 見る と、 問题は 自ら 新たになる。 私の 考 へろ 所 

が 誤って 居ないなら、 これまで 一般に 認められて ゐた 愛己 主義なる もの は 主に 功利的の 立場からの み兑ら れてゐ 

たので はないだら うか。 卽ち 生物 學 上の 自己保存の 原則から のみ^ 出された もので はないだら うか T ^物の 發^ 

の 狀態を 考察して 見る と、 愛己 主義 は 常に 愛他主義 以上の 力 を 以て 働いて 居る、 それ を 認めない 譯には 行かない」 

と 云った スべ ンサ ー の 1ーー门 葉 は 何ん と 云っても 愛己 主義 を 主張す る 上の^ 調と なって はゐ ないだら うか。 私 も それ 

を 認めない と 云 ふので はない。 然し そこで 滿 足し 切る 事 を 私の 本能 は 明らかに 担んで ゐる。 私の^ 活勅, :!: の 巾に 

はもつ と 深く もっとよ く 己 を 愛したい 欲求が 十一 一分に 潜んで ゐる 蓽に氣 付く の だ。 私 は en の 保^が 保^: された 

惜しみな く 愛 は 奪 ふ  二 七 七 


有 島 武郞仝 集 笫五卷  二 七 八 

のみで は 飽き 足りない。 進んで 自己 を 押し 擴げ、 自己 を充實 しょうと し、 而 して 休む 時な くその 願望に 驅り 立て 

ら れてゐ る。 

アミ ィバが 觸指を 出して 外物 を か \ へこみ、 やがて それ を 自己の 蚤 白 素 中に 同化す る やうに、 私は絕 えす 外界 

を 愛で 同化す る 事に よっての み 成長し 充實 する。 外界に 愛 を 投げ 與 へ る 事に よって 成長し 充實 する ので はない。 

例へば 私が 一 羽の 小鳥 を 愛する とする。 私 は それに 美しい 籠と 新鮮な 草葉と やむ 時な き 愛撫と を與 へる だら う。 

人 は その 現象 を 見て、 私の 愛の 本質 は與 へる 事に よっての み 成立つ と 推定し はしない だら うか。 然し その 推定 は 

さ 1- ま 

根柢 的に 謬って ゐる。 私が 小鳥 を 愛すれば 愛する ほど、 小鳥 はより 多く 私 その 者で ある。 私に とって.:;? 鳥 はもう 

小鳥で はない。 小鳥 は 私 だ。 私が 小鳥 を 生きる の だ (Bird  is  myself,  and  live  a  bird) 私 は 美しい 籠と 新鮮な 草 

葉と やむ 時な き 愛撫と を 外物に 惠み與 へた 覺ぇ はない。 私 は それ 等 を 私自身に 與 へて ゐ るの だ。 私 は 小鳥と その 

所有物の 凡て を 外界から 奪 ひ 取った の だ。 愛は與 へる 本能で はない。 愛 は 掠奪す る 烈しい 力 だ。 與へ ると 見える 

の は 極く 外面 的な 現象に 過ぎない。 

かく 己 を 愛する 事に よって、 私 は 外物 を 私の 中に 同化し、 外物に 愛せら る X 事に よって 私 は 外物の 中に 投入し、 

私と 外物と は卷 絹の 經緯の 如き 關係 になって、 そこに 美しい 紋様が ひとりでに 織り出され るの だ。 私の 愛が より 

深くな りより 善くなる に從 つて、 より 善き 外物 はより 深く 私と 交涉 して 來る。 生活 全 體の實 積 は斯の 如くして 甫 

めて 成就す る。 そこに は 犠牲 も、 ない、 義務 もない。 飽滿 と特權 とが 存す るの みだ。 

他の 爲 めに 自滅 を敢 てす る 現象 をお 前 は 認めない か。 お前の 愛己 主義 は それ を 如何 解釋 する 積り なのか。 その 

場合に もお 前 は 絡對愛 他の 現象の ある 事 を 否定しょう とする のか。 自己 を滅 してお 前 は 何 を 自己に 奪 ひ 取らう と 

する のか。 さう 或る 者 は 私に 問. ひ 詰める かも 知れない、 功利的な 立場から 愛 を 解かう とする 愛己 主義者 は、 自己. 


保存の 一 變 態と 見るべき 穩族 保存の 本能なる ものに よって この 難題に 常ら うとして ゐる。 然し それ は 愛他主義者 

を 存分に 滿 足させない やうに、 私 をも滿 足させる 答へ ではない。 私 はもつ と^った 視角から 兑 ようとして ゐる。 

愛が その 飽く なき 掠奪の 手 を 擴げる 時の 烈し さは、 ありきたりに、 なまやさしい ものとの み 愛 をお へ 馴れた 人 

のお; 3 像し 得る 所ではない。 假 初めの 戀 にも 愛人の 頰 はこけ るで はない か。 n: 己 は その 成長と 充赏と を 促進す る爲 

めに 凡ての 障§ を乘り 越えて 掠奪の 力 を 振へ と 愛に 嚴命 する。 愛 は 手近い 所から 事業 を 始めて、 右往左往に 戰利 

品 を 蓮び 歸る。 侗 性が 强烈 であれば ある 程 愛の 活動 も 亦 目 ざまし い。 遂に ある 世界が —— 時 W と 穴- を さへ 戎る 

程度に 撥 無す る 程の 擴 がり を 持った 世界が —— 自己の 中に しっかりと 獻 立され る。 其の 世界の 有つ 擴 充^が おい 

はかない 肉體 をぶ ち壞 すの だ。 破裂 させて しま ふの だ。 そこで 難 者の 云 ふ 自滅と は暴兗 何んだ、 それ は 自己の 亡 

失 を 謂 ふので はない。 肉體の 破滅 を 伴 ふ 永遠な 自己の 完成 を こそ 指す ので はない か。 又 功利、 H.:^g おの:. ムふ樣 に、 

それが 人類なる 稀 族の 保存に 資する 所の あるの は 疑 を納れ ない。 然し それ は 全 體の效 ^から 见て 何と 云 ふ 小さな 

囟子 であるよ。 

この 事 實を思 ふに つけて t 母で も 私に 深い 感銘 を與 へる もの は 基督の 短い 地上 生活と その 死で ある。 無^な^ 火 

と稅 吏と 娼婦と に圍繞 された、 人目に 遠い、 三十 三年の 生涯に あって、 彼 は比颍 なく 深く 善い 愛の 所有者で あり 

使役 者であった。 彼が 與 へて 與 へて やまなかった 事實 は、 如何に 自己の 轔 張の 廣大 なのに 滿 足し、 その. CL 己に^ 

へる 事 を 喜び としたか を證據 立てる ものである。 やがて 彼が 肉體 的に 滅びねば ならぬ 時が 來た。 彼 は 苦しんだ、 

それに 何の 不思議が あらう。 彼 は 愛の 對象 を、 眼 もて 見、 耳 もて 聞き、 手 もて 觸れ^ なくなる の を 苦しんだ にち 

が ひない。 又 肉體の 亡失 そのもの を 苦しんだ にち が ひない。 又 彼の 愛の 對 象が 彼 ほどに 愛の 力 を^ 解し^ ない の 

を 苦しく 思った にち が ひない。 然し 最も 彼 を 苦しめた もの は、 彼の 愛が その 攝 取の 事業 を 完成した か 否か を 迷つ 

惜しみな く 愛. は^ふ  二 七 九 


有 島武郞 全集 第五 卷  二八 o 

た 瞬間に あつたで あらう。 然し 遂に 最後の 安心 は來 た。 而 して 神々 しく その 肉體を 脚の 下に 踏みに じった。 

彼の 生涯の 何處に 犠牲が あり 義務が あるの だら う。 世の 人 は 云 ふ、 基督 は あらゆる もの を 犧牲に 供し、 救世主 

たるの 義務の 故に 凡て の 迫害と 窮乏と を ^ て堪へ 忍んだ。 だからお 前 達 は 基督の 受難に よって 罪から あがな はれ 

たの だノ お前 達 も 亦 彼に ならって 犧牲獻 身の 生活 を 送らなければ ならない と C 私 は 私と して 彼の 我等に 遣した 生活 

を かく 考 へ る 事 はどうしても 出来ない。 基督 は與 へる 事 を 苦痛と する やうな 愛の 貧者で は斷 じて ない。 基瞥は 私の 

さ-や 

耳に 囁いて 云 ふ、 「基督の 愛 は 世の 凡て の 高き もの、 淸 きもの、 美しき もの を攝 取し 盡 した。 眼 を 開いて 基督の 所有 

の 如何に 豐富 であるか を 見る がい.^。 基督が 與へ、 施した と 見える 凡ての もの は、 實は 凡て 基督 自身に 與へ、 施 

して ゐ たの だ。 基督 は 何 を も 失 はない。 而 して 凡ての もの を 得た。 この 大歡喜 をお 前 も 亦 味 ふが い-。 基督のお 

前に 要求す る 所 は 唯 この 一事 あるの みだ。 お前 は 偽善者 を 知って ゐ るか。 自己に 施しせ す 他に 施しせ る もの を僞 

善 者と 云 ふの だ。 自己に 同化し ない 外物に 對 して 浪費す る もの を 偽善者と 云 ふの だ。 浪費の 後の 苦々 しい after- 

taste を、 强 ひて 笑 ひに まぎらす その 歪んだ 顏付を 見ろ。 それが 僞 善の 肖像 だ」 と。 

愛が 若し 與 へ ん とする 本能で あり 放射す る H ネル ギ, 'であるならば、 世の 統合 は 遠の昔に 壞 れてゐ なければ な 

ら ない。 放射 は 遠心力に よって 支配され、 遠心力 は 何時でも 物々 間の 距離 を 遠から しむる 事に のみ 役立った から 

である。 これに 反し 相 奪 ふ 力で あるが 故に、 物々 は 互に 相牽 くば かりで なく、 互に 融合して 同時に 互に 深まり 高 

まるの だ。 か \ る 生活に 於て 貧しく される もの は 愛せられざる 者の みで ある。 愛せす して 與 へようと する もの は 

偽善者と なり, 愛せす して 受けよう とする もの は 物質に 落ちる。 

私 は 嘗て 人間 を 知らう として 周圍 を觀, 祭し 歴史 を讀 破した。 自己 を 知らう とする 時に さ へ傳 記と 哲擧 との 中 を 

探し 廻った。 然し それが 私に 齎す 結果 は 空 虛な槪 念に 過ぎなかった。 私 はやが て 態度 を 改めねば ならなかった。 


而 して 自己 を 知らう とする 時 は 勿論、 人 問 を 知らう とする お八:: にで も容抡 たく 自己 を撿 祭して 兑た。 而 して、 见 

よ、 そこに は 生 味の 饒 かな 新しい 世界が 開展 された。 寳 生活の 波瀾に 乏しい、 孤 獨な道 を 踏んで 來た 私の 中に、 

思 ひも かけなかった 侗 性の 多 數を發 見した 時、 私 は 恐れ もし、 驚き もした。 私が 服を据 ゑて^ りなく 自己 を::^ :i 

めれば 見詰める 程 大きな 篇實な 諸相が 明瞭に 意識され た。 何 だ それ は。 私 は 今にして それが 何で あるか を 知る。 

それ は 私と 私の 祖先と が、 愛に よって 外界から 自己の 中に 述れ 込んで 來た 捕^の 大きな 群れな の だ。 勿論 その 巾 

に は 私と 先祖との 下劣な 愛に よって 擄 にされ たもの も ある。 高贵な 愛に よって 述れて 來られ たもの も ある、 然し 

彼等の 凡てが 愛に よって 捕 へられ、 愛に よって 私の 衷に 育てられた ものである 事 を 誰が 拒み^ やう。 

私 は 自己 を 愛する。 而 して 自己 を 深く よく 愛せねば ならぬ。 自己 を 愛する 事が 深く 且つ 善い のに 從 つて 私 は 他 

から 何を攝 取せ ねばなら ぬか を 明瞭に し 得る だら う。 愛する 以上 は佾 まねば ならぬ 一 面が ある 事 を 察する 事が 出 

來る。 私 は 愛する もの を攝 取し 憎む もの を放拋 する。 然し 私の 自己 はやが て鍛鍊 された に 遠 ひない。 よく 愛する も 

の はよ く 憎む 事 を 知って ゐ ると 同時に、 憎む 事の 如何に 苦しい もので あるか を 痛感し 得る もの だ。 私の 自己が^ 

鍊 される に從 つて 憎んで 放拋 すべき もの &數は 減らされて 行く だら う。 如何なる もの も 愛の 眼に は、 適 常な 視^: 

から は、 愛すべき ものである 事 を 知る だら う。 而 して 凡ての ものが あるべき 配列 をな して 私の 中に 同化され る だ 

らう。 かくて 私の 中には 一 つの 完き 世界が 新たに 生れ 出る だら う。 この 大歡 喜に 對 して 私 は 何物 をも惜 みなく 投 

げ^へ る だら う。 然し それが 如何に 高價な もので あらう とも、 その 歡 喜に 比して は 比較に ならない 程 些少な もの 

であるの を 知った 時、 況して や、 投げ 與 へたと 思った その 贈 品す らも 畢竞. HI: 己に 退って 來る ものであるの を 知つ 

た 時、 第三者の 眼に 私の 生活が 犠牲と 見え 獻身 と兒 えても、 私自身に 取って は それが 鐽^ であり 成^で あるの を 

感じた 時、 私 は 徹底した 人生の 肯定 者で ないで ゐられ やう か。 

惜しみな く 愛 は 奪 ふ  二八 1 


冇. 島 武郞仝 第 笫五卷  二八 二 

更に戔 された 問題 は、 私の 心の中に 烈しく 働く 愛なる 力が 大きな 祌祕な 力から 分化され たもので あるか 如何 か 

と 云 ふ 事で ある。 私 はま だ この 謎 を 開くべき 鍵 を 確に 握って ゐ ない。 祌の 愛が 私の 中に も 働いて ゐ るの か。 ^り 

にさう だとしても、 私 は 神の愛と 私の それと を 異質の ものと 考 へる 事 は出來 ない。 祌は與 へる 力で はない 銮ふカ 

だ。 祌は 其の 力の ある 分配 を 私に 投げ 與へ るので はない、 其の 力の 全體の 中に 私を攝 取しょう とする の だ。 さう 

感 する 事が 私に は遙 かに 合理的で ある。 私 は 超自然 力 を 感知して ゐる 人に 此の 大膽に 近い 喑示を 提供して 私の 小 

さな 感想 を 終る。 

へ 一九 一七、 五月 十五 ロン 

^同 年 六月、 一 新潮」 所載 y 


「平凡 人の 手紙」 に 就いて 

所で 平凡 人 は、 前 田 氏が 時事 新報に 書かれた 批評 を 言葉 通りに 覺 えて ゐ なかった から、 (表現 はこの 通りで はな 

い の だよ。 然し 意味 はさう だった) と斷 つて、 前 田 氏が 「出て 來る 人間 は、 皆 それ,^ に 特色 づけら れてゐ ましたが、 

さて ど, e を 見ても 價 直の ありさうな 者 は 一 人 もありません。 少 くと も友逹 にして つきあ へ さうな おは 一 人 も あり 

ま 亡ん。 薄の ろで なければ 馬鹿 か、 でなければ 嫌な 扠か、 どれ を 見ても 何ん とい ふ友途 だら う、 と 嘆 まされる や 

うな 人達ば かりでした。 併し それが 滔々 たる 人間の 本體 でない と 誰に 言へ ませう」 と 泡 鳴 氏の 创作 を批 S したの 

を、 平凡 人 は 「作物に は 下劣な 醜陋な 人間ば かりが 活躍して ゐて、 讀 むの も 厭になる さう だ。 然し 人生の 赏相 はこ 

んな もんで ない と 誰が 云 ひ 得ようと 論者 は 作者に 强く 同感 を 表して ゐた」 と 云って ゐ ます。 前 田 氏に 從 へば 「滔 

滔た る 人間の 本體」 と 云 ふ 御自身の 言葉と、 「人生 の實 相」 と 云 つ た 平凡 人 の 言葉との 問に は 非常な 相與が あるら 

しい。 平凡 人に 代って 私が 冷 靜に考 へて 見る のに、 r 滔々 たる 人 問」 と 云 へ ば. ^今^ 西に 瓦って は, 波 す^り の 入^ 

と考 へて 少しも 差 支ない と 思 ひます がどうで すか。 勿論 かう 云 ふと 前 W 氏 は 「それ だから 君 は 頭が ぃゝ と-ぶふ.^ 

判 を 貰 ふんだ。 一寸 考 へても、 釋迦ゃ 孔子 や ソクラテスが ゐるぢ やない か。 滔々 たる 人^の 中に そん. な 人 を 入れ 

られ るか 入れられな いか、 それだけ 考 へれば 解り さうな もの だ」 と 云 はれる だら う。 然し 前 m 氏が あの 句 を^: い 

てゐた 時に そんな 除外例な ど を 頭に 置いて 居られたら うか。 氏 は 無意識的 にしろ 一 秫或ろ 思想に 對すろ 抗 的な 

態度で 大まかに 人間 全體を 腦裡に 描いて は をら れ なかったら うか。 さう だと すれば 平凡 人が 氏のお へ 方 を 「人^」 

と 云 ふ 字で 現 はした 事に 何ん の 不思議 もない 事 だ。 「本 體」 と 「實 相」 とで は 同じ 意味 をお も^ろ 卜-に  一 ^體」 と .ム 

「平凡 人の 手靳」 に 就いて  二べ 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  二八 四 

ふ 方が 餘程 根本的な 一一 一一 口 葉 だと 云って い \。 前 田 氏が その 作物に 「輿 味を覺 えました」 と 云 はれた に對 して、 平凡 

人が r 讀 むの もい やになる さう だ」 と 前 田 氏が 云 はれた やうに 覺 えて ゐて、 その 通り 書いた の は、 平凡 人が 前 田 

氏に 對 して 平凡 人な りの 好意と 同情と を 持って ゐた事 を 示す 外に 何物 を も 示して ゐ ない。 而 して それが 平凡 人の 

性格 を 色 濃く 現 はし 得て ゐ ると 作者なる 私 は 思 ふ。 

一歩 を讓 らう。 想像 を 避けよう。 而 して 前 田 氏が 「滔々 たる 人間」 と 云 ふ 言葉で 單に 人間の 大多數 を 指して ゐ 

るの だとしょう。 かく 一歩 を讓 つた その 點 でも 平凡 人と 前 M 氏と は 思想 的に 聯絡の 絲を絶 たれて ゐ るの だ。 あの 

作全體 がよく 示す やうに 平凡 人に は滔々 たる 人 問 は 薄の ろで なければ 馬鹿 か、 でなければ 嫌 ひな 扠か、 少く とも 

友達に して つきあへ さうな 者 は 一 人 もない と は 思 ひも よらない 事な の だ。 そんな 事 は 平凡 人に とって は r 讀み返 

して 見た ピけ でも 可たり 恐ろしい 氣 がする」 の だ。 この 眞喑な 本體の 露骨な 描寫を 興味 を 以て 讀む —— 前 田 氏が 

堅く 主張 せられる この 事實は 謙虚な 心で 訂正され るに あら すん ば、 取消す 事 はもう 出来ない。 私 は 今 この 事實を 

新聞紙 上で 書いて ゐ るが、 前 田 氏 は 自ら それ を 堂々 たる 雜 誌で 公け にされ たから だ。 前 田 氏 は 自ら 缺席 裁判 を 担 

ん だから だ o 前 田 氏が 批評の 筆 を 取る 以上 は 全責任 を 以て 筆 を 取られた 害 だ。 叉 用語の 上に 於ても 私 を 叱正して 

下さった やうに 明確な 適切な 用語 をして 居られる 箬だ。 私 は 氏の 言葉 をもう 一度 考へ ていた^き たいと 思 ふ。 あ 

の 場合の 「興味」 と 云 ふ 言葉 は 氏の 人生と 藝術 とに 對 する 態度 を どう 考 へさす か。 

滔々 たる 人 問の 本體は 薄の ろで なければ 馬鹿 か、 でなければ 嫌な もの かに 歸着 する ものと 前 田 氏の 說を 認める 

とする。 それに 對 して 高い 道義の 念 はー體 どうなる の だら うと 平凡 人は考 へて 見た の だ。 價値 のない のが 本體で 

ある 人間の 生活に、 道義の 念が 何ん の藥 になる。 前 田 氏 は 「強く 脈打って ゐた 高い 道義の 念」 と 云 ひ、 平凡 人 は 

「熱實 な 道義 的 氣魄」 と 云った、 (どっちが 强ぃ 表現 だか は 請 者の 判斷に 任せる) 高い 道義の 念が 如何に 强く 脈打 

 . tkfr,  ,  >  LtfitntKpi  1  1 — r  i I Frt  : 陽: --■ -ま 


つても 滔々 たる 人 問の 本體を どう 變 化させ 得よう もない の だ。 交涉 のない 大きな^ い 力と 小さな 沾ぃ 力との 對 

1、 それが 人生な のか。 それ は 明かに 或る人々 の 蛇蝎の 如くに 忌み嫌 ふ 善玉 惡 玉の 對立 を^お した 話で はない 

か。 それ は それでい X。 一面に 喑ぃ 人間の 本體を 肯定す る 人が、 一面 それと 氷炭 相容れ す、 又 その 木體を どうす 

る こと も 出来ない 道義の 念に 色 眼 を 便 ふ、 卽ち 出来ない 相談 を 常住 腰に ぶら下げて 歩く と 平凡 人が」 ム つたのに 何 

ん の 不思議が あるか。 而し て 平凡 人の 立場から こ んな 不幸な 人 II は澤山 居な いと 思った のに 何 んの 訝るべき^ 地 

が あるか。 

(一 九 一 七 年 八お、 「讀^ 新閗」 所^ ソ 


「平凡 人の 手紙」 に 就いて  二八 五 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  二八 六 

私の 母 

母が 繼母 でない 事。 こんな 難 有い 特權は 又と は 一寸ない と 思 ひます。 繼母を 持たねば ならぬ 子の、 世に 多い の 

を 知りながら、 こんな 幸, 幅 を 披露す るの は 心苦しい 程の 事です。 

母が 私より 多くの 悲しみ 苦しみ を 知って ゐる 事。 幼年時代が 華やかだった!, け、 母の 處女 時代 は 苦しかった で 

せう 妻と なつてから も, 母に は、 自由に 自分自身 を 振舞 ひ 得る 日と て は 一日 も來 なかった のです。 赵 の 幼 (寺 

小金 并 きみ子 氏が 會津 落狨當 時の 士族の 生活 を 描いた 文章 を讀ん で、 母が 非常な 名文 だと 感心して 淚を 流して ゐ 

たの を 記憶して ゐ ます。 母 は 凡ての 悲境と 壓迫 とに 對 する 悲しみ 苦しみ をよ く/ \飮 み 込んで ゐる 害です。 それ 

は 子に とって どれ 程の 力で せう。 

母 は 子に 死別れ なかった。 凡ての 痛苦 を 知って ゐ ながら、 . 母 は 子に 死別れ る 悲しみ を經驗 して ゐ ません。 母 は 

程 等 七 人の子 を 生み ましたが、 一人 も 死んだ ものはありません。 この 大きな 幸福 は、 どんな 音 さの 中に も^の 性 

格 を 明るい ものにして 来ました。 何物 も 曇らす 事の 出来ない 母の 顏を 見る の は 子の 喜びです。 

その外、 母の 性格 や、 修養 や、 信仰に ついて、 餘り 委しい 事 を 私自身が 書く の はい やです。 何しろ 私の 母 はい 

い 母です。 

(I 九 I 七 年 十月 、【新 家庭」 所載) 


藝術を 生む 胎 

藝術を 生む もの は 愛で ある。 その外に 藝術を 生む 胎 はない。 眞が藝 術 を 生む と考 へる 人が ある。 然しお が^む 

もの は眞理 である。 眞理 卽ち藝 術と はなり 得ない。 眞が 生命 を 得て 動く 時、 露は錢 じて 愛と なる。 その 愛の や. む 

ものが 藝術 なの だ。 

〇 

凡ての もの は 動く。 靜 4- の狀 にある もの は 絶えて ある ことがない。 凡ての もの は變 る。 不 S の狀 にある もの は 

嘗てあった 事がない。 若し 靜止 不變の ものが あると すれば、 それ は 或る もの を 凝視したい 欲^から 私 3 が^りに 

空中に 描く 樓閣 に過ぎない。 

眞と いふ もの も 謂 は^ 其の 樓閣の 一 つで ある。 私共 は 絡え す 動き 絶えす 變する 愛の 常體 を、 强 ひて, W く 假^ リぃ 

に 靜止不 變の狀 こ 置いて、 これに 眞と いふ 名を與 へて 兒 るの だ。 流れる 水か戎 るお の 問に^ ち こんで、 絶えす そ 

こに 一 つの 渦紋 を 描く とする。 若し 流れる 水の 量が 一定して ゐ ると、 そこに 描かれろ 波紋の 形 は 大抵 一^してん 

るで あらう。 然し その 渦紋の 內容は 一瞬と 雖も 同一で はない つ それ は 微細な 外界の 影 ! 例へば S 流 その^ 

上 を 泳ぎ わたる 小魚、 落ちて 來た 枯葉、 渦紋 自身の さ \ やかな 變. 化が 次の 瞬-^ に 及ぼす 力 I に 作って ^仏に 

眼 まぐ るし い 變化を 行って ゐる。 唯 その 渦紋 を 凝視しょう として ゐる 入に は、 さう いふ 動^ を 撥お して 渦釤そ 

藝術を 生む 眙  . 二人 七 


有 鳥 武郞仝 集 第五 卷  二八 八 

の もの を はっきり 腦裡に 再現して 見ようと する 欲求が 起って 來る。 而 して その 人の 心に は、 水が 或る 中心 點を求 

め爭 つて、 囘旋狀 に 求心 的な 運動 をす る 一 つの 現象が、 靜止不 變な假 象と なって 考 へられる の だ。 

渦紋 其の物が 愛であるなら ば、 渦紋の 假 象は眞 だ。 渦紋 は實 在す る。 然し 渦紋の 假象は 人の 心の中に 再現され 

た 幻影に 過ぎない。 渦紋が あって 甫 めて 渦紋の 假 象が 生れる 様に、 愛が あって 甫 めて 眞は 生れる の だ。 

だから 私 は 「眞が 生命 を 得て 動く 時、 眞は變 じて 愛と なる」 と 云った の は、 實は 本末 を顚 倒した もの 土 K ひ 方 

である。 本當 をい へば 眞が 動く とい ふ 事 はない。 眞が 動けば その 瞬間に 眞の 本質 は 失 はれて しま ふ。 愛が、 人の 

心の中で 假 りに 不變と 云 ふ 鑄 型に はめこまれて しまった 時に 眞 となる の だ。 

愛 は 人 を 動かす 力で, 眞は 人が 動かす 力 だ。 

さらば 何故 愛の みが 藝術を 生む 胎 だと 私 は 云 はう とする のか。 

私 は それ を斷定 する 前に 更に 前提して 置かねば ならぬ もの-ある 事を感 する。 

人の 行爲は 思索的な ると 實働 的なる と を 問 はす 共に 一 つの 活動 だ。 その 活動に 二つの 動向が ある。 一 っは自 ru 

を 對象 とする 活動で あり" 一 つ は瑗境 —— 自己 以外の もの —— を對 象と する 活動で ある。 自己 を對 象と する 活動 

と は 取り も 直さす 愛の 活動で ある。 何故 なれば 自己と その 所有と は 愛の 別稱 であるから である。 (自己 卽ち 愛が 働 

いて その 所有 を 外界から 攝 取して 略棼 する II その 道行き は 私が 本誌の 六月 號に揭 載した 「惜しみな く 愛 は 奪 ふ」 

と 云 ふ 感想文の 中に 見出して いた^きたい。 私 は玆に その 事實を 繰り返す 餘裕を 持って ゐ ないから)、 而 して 自己 

の對 象と する 活動の みが、 私の 考 へる 所に よれば 藝術的 活動で あるの だ。 


この 前提から 出發 して 私 はいふ、 自己 を對 象と する 活動が 愛の 活動で にる が 故に、 愛の みが 藝術 を^も 胎 であ 

ると。 

〇 

難す る もの はいふで あらう。 お前の 所 說は藝 術の 範疇 を甚 しく 狭小な ものにし てし まふ。 能動的に 社^々 お^ 

今 よく オォ 

として 活動す ベ き 分野 は藝 術に も廣く 大きく 殘 され てゐ るで はない か。 藝術は 抒情詩と. n 叙 何と に 5tMr ベ きも 

ので はない と。 

私 は その 難 者に 答へ ていふ。 藝術 家が 愛に よって 自己の 所有と した 環境、 言葉 を換 へて いへば、 c: 己の 巾に 取 

り 入れて 自己の 一部と なし 終った 環境 以外の 環境 を對 象と して 活動す るの は、 不遜な 事で あるば かりで なく、 小 

遜で あるよりも 何よりも 絡對に 不可能の 事で ある。 自己 以外の 社 會とは 自己の 所有に 鹧 しない! ^境の^-である。 

藝術 家が 如何に 非凡で あり、 天才 的で あっても、 自己の しっかりと 把持し 盡 さない 瑗境を 如何にして 取扱 ふ^が 

出来よう か。 それ を 試みない 瞬間に、 藝術家 は その 無謀に 罰せられて 斃れる 外 はない。 

藝術 家が 社 會を對 象と して 創造 を 成就した と 外面 的に 見える 例 は ある。 さう いふ 例 は 有り 餘 るお にある。 然し 

,^に 考察す るなら ば, その 創造が 價値 ある 創造で ある 以上 は、 その 對象 は藝術 家の 自己と 交渉 を沒 却した W や 

である 場合 は絶對 にない 事 を 私は斷 言す る。 その 藝術家 は必す 自己の 中に 攝 取され る 设境を S 現して ゐ るの だ。 

卽ち 自己 を 明かに 表現して ゐ るの だ。 題材が 社會の 事で あれ、 自己の 事で あれ、 客觀 的で あれ、 卞: 觀的 であれ 

眞の藝 術 品 は 畢竟 藝術家 自身の 自己 表現の 外で あり 得ない。 

而 して 自己の 本質 は 愛 だ。 だから 愛 の みが 藝術を 生む 胎な の だ。 

藝術を 生む 胎  二八 九 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  二 九 o 

一 見 乾燥に 見える 如上. の 推理から 私 は 暫く 實 際の 問題に 移つ て 見よう。 

藝 術は眞 から 生れねば ならぬ と 主張す る 人達が ある。 科攀的 精神の 勃興に 刺戟され て 起った 自然主義、 寫實 

主義の 奉 誓 者は卽 ちそれ である。 彼等の 信す る 所に 從 へば 事 或は 物の 眞相を 歪んで 見せる もの は 愛憎に 如く はな 

い。 人の 藝 術に 要望す る 所 は、 如何に 擴大 されても、 群集の 大には 及び もっかない 一個 性の 愛憎に よって 取捨 さ 

ふ つ 

れた 自然 及び 生活であって はならない。 反對 に、 藝術 家の 愛憎 (卽ち 自己) を 最小限に 壓 抑して、 能 ふかぎ り拂 

しょく 

拭した 心 鏡に 寫 つた 自然 及び 生活で なければ ならぬ。 故に 藝術 家が 愛憎 取捨 を 事と する の は 無益で あり、 或は 有 

害で あると。 

私 は それ を 信す る 事が 出来ない。 何と なれば 前に 云った 通り 眞は 愛の 假象 に過ぎないから である。 眞とは 私 等 

の 愛憎が 假 りに 設けた 約束に 過ぎない からで ある、) 枯死した 無機 的な 眞が 生氣 ある 有機的な 藝術を 生み出す と は 

考 へられない からで ある。 

餘談に 亙る が 私達の 心的 活動 はよ く智 情意の 三耍 素に 分割して 論じられる。 便宜上 さう する 事 を 私 は 担 まう と 

いふので はない、 然し 智 情意の 後ろに 愛 を 置いて 考へ ると、 一見 全く 異 つて 見える 此の 三. 要素 は 畢竟 愛の 作用の 

現 はれに 過ぎない 事 を 看取し 得る だら う。 愛が 事物 を選撵 する、 其の 能力 を假 りに 智と云 ひ、 選撵 した ものに 働 

きかけ る、 其の 能力 を假 りに 情と 云 ひ、 働き かけた 作用 を永續 する、 其の 能力 を假 りに 意志と 云 ふの だ。 智 情意 

は 畢竟 愛に 裏書き されて 三位 一 體 となる の だ。 

眞を 識別す るの は 智力に 在る 事 はいふ 迄 もない。 然るに 智力 は 愛の 作用の 一 面に しか 過ぎない。 智力が 獨り働 


く 所に 自己 全體の 働く とい ふ 事は考 へられない。 

眞が藝 術 を 生まねば ならぬ と 主張す る 人 は 誤った 歸 納に陷 つて ゐる。 藝術は 莨で なければ ならぬ が 故に、 ^術 

は 當然眞 から 生まるべき だとす る もの だ。 それ はさう ではない。 愛が 藝術を 生む の だ。 而 して 藝術 は、 愛から 生 

まれる が 故に、 眞を 生む の だ。 

藝術を 生む 力 は 主観的で なければ ならぬ。 この 主觀 のみから 眞の 客觀は 生まれ 出る。 

眞は 畢竟 一種の 概念に 過ぎない。 概念の 內容 は隨時 隨處に 人が 變化 させる 事が 出来る。 これに 反して キ-觀 は、 

自己 は、 愛 は 動かす 事の 出來 ない 嚴肅 な實在 だ。 

畢竟 自己の 問題 だ、 愛の 問題 だ。 藝術 家の 愛が どれ 程の 深さに 愛し、 どれ 程の 深さに 略 靡し、 どれ 程の 髙 さに 

向上し、 どれ 程の 熱さに 燃燒 して ゐ るか、 それが 問題 だ。 侗 性と いふ ものが 人間の 生お^ 體 から兑 て 如何に 小で 

あるか、 如何に 不正確な 尺度で あるかと いふ 事 は 問題で はない。 何と なれば よき 個性 は 人^の 化活仝 體 よりも 大 

きく、 又より 完全な 尺度で あり 得た 例 は、 歷史が 有り 餘る 程證 明して ゐ るからで ある。 

愛の 生活の 向上 —— これ を 外にして 何 處に藝 術 家の 權 威が あらう。 この 一事に 已 みがた き 要求 を^ じない もの 

は藝術 家た るの 資格 を 根本的に 持たない もの だ。 藝術家 はこ" に 苦しみ、 こ-" に 喜び、 こ, -に K ガ^し、 こ ゝに创 

造す るの だ。 その他 一 切 は 第一 一義 以下に 墮 した あはれ な屬 性に 過ぎない。 

藝術を 生む 胎  二 九 I 


有 島武郞 全集 第五 卷  二 九 二 

凡ての 活動 は 結局 自己 を 表現しょう とする 過程で ある。 私 は 前に 活動に 二つの 動向が あって、 一 つ は 自己 を對 

象と し、 一 つ は 自己 以外の 環境 を對 象と するとい つた。 而 して 自己 を對 象と する 活動が 藝術的 活動 だとい つた。 

それ は 人の 好き- f,. である。 或る 者 は 自己 以外の 環境 を對 象と し C 自己 を 表現し ようと 試みる。 彼の 個性 は 其 

の侗 性と 有機的な 交涉を 持たない 環境と 甚だしく 亂雜に 混淆す る。 所謂 事業家と か、 道攀 者と か politician とか、 

社交家と か 云 はれる もの-生活 は卽 ちそれ だ。 彼等 は 自己 を 散漫に 外物に 對 して 放射す る。 而 して 彼等の 個性 は 

す  ざんし 

段々 擦り へらされて 行き 乍ら、 其の 跡に 瑗 境と 個性との 奇怪な 化合物 を殘 滓と して 殘す。 その 個性 は 已然の 個性 

と 將然の 個性との 連絡と なる 事な く、 雜 然として 人生の 衢に 瓦礫の 如く ころがって ゐる。 

自己 を對 象と して 自己 を 表現しょう とする もの は 前の 樣な 生活に 對 して 堪へ 切れない 不安 を感 する。 彼等 は 純 

粹に 自己 を 表現し なければ 滿足 する 事が 出來 ない。 彼等と 雖も 自己 表現の 要求に 驅られ て、 環境と 未熟な 安 協 を 

試みる 誘惑 を 蒙る 事が 屡ぶ あるに しても、 如何にしても 其の 境地に 安んじて ゐる事 は出來 ない。 彼等 は 自己の 放 

散から 愛の 攝 取に 歸 つて 行く。 所謂 實 世間なる ものに 引出された 彼等 は、 極端な 革命家と して はね 飛ばされ るか、 

憐れむべき 敗殘 者と して 踏みに じられ る 外 はない。 かくて 彼等の 或る 者は實 世間に 唯一 っ殘 された 彼等の 城壘な 

る藝 術に たてこも るの だ。 こ-に 彼等 は 始めて 自己の 純粹な 雰圍 •: さ を 見出す 事が 出來 る。 而 して 彼等の 自己 は 形 

を 取って 人の 眼の 前に 現 はれる。 愛は酬 いられる。 藝術的 創造 は卽ち 成就す るの だ。 

〇 


: 事 をな さすして 藝術 的な 人が ある。 

なさ ビる なくして 非藝術 的な 人が ある。 

愛に 眼 ざめ ると 眼 ざめ ざると が これ を 定める の だ。 

藝術的 衝動と は 勢力の 過剩 がさせる 業 だとい ふ鎏術 遊戲說 のい かに 浮薄で あるよ。 

のんき 

藝術的 感興 は 實感を 伴 は ない の を 特色と す ベ き だ と い ふ藝術 享樂說 のい かに 暢 g であるよ。 

私 は 藝術的 衝動と は 愛の 過剩 がさせる 業 だと 考 へる。 乂药術 的 感興 は實 世^の 赛 象から は^ 接 にれ 、しれない ほ 

どな 純 粹な實 感を伴 ふべき もの だと 考へ る。 

だから 私 は 興味の みから 藝術を 感受しょう とする 態度に 對 して は 深い 侮^と 滅惡と を感す る もの?,: " 

白く 讀ん だ」 「興味深く 見た」 II さう いふ 言葉で 挨拶され る 時、 藝術家 は: 牛 然として ゐる^ は出來 ない^ ノ 

こんな 所で 云 ふべき 事で はない かも 知れない が、 近頃 私と 所思 を戰 はして ゐる 或る 論お は、 「わたし は 『卜卞 

架上の 基督』 に 興味 を もって 兒る。 併し、 わたし は 基督 を 殺した 人達の 行爲 を^ 認 しょうと は 思 はない」 と-、 , 

てゐ る。 『十字架 上の 基督』 と は 誰の 描いた 『十字架 上の 基督』. であるの か、 こ-に は 示して ない。 然し その W が 

もし 藝 術.^ 作品と して 許さるべき ものであると するならば、 而 して その 論者が ある やうに、 ^^を 殺 L た 入 辻の 

行爲を 否認して ゐる 人なら ば、 その 人 は その 靈 面から、 技巧 上の 興味と ともに 鋭い 實感を 感受せ ねばならぬ X だ 

と^は 思 ふの だ。 論者 は こ \ で淺 薄な 藝術 論に 謬ら れてゐ るか、 生 來藝術 を 感受す る 能力 をお して ゐ ない の か だ 

^活 上の 出來 事と 藝 術と を かくまで 遠く 分離して 考へ 得る までにな つた 藝術說 の^^ を識か 深く^し ますに ゐら 

藝術を 生む 胎  二 九 一一- 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  二 九 四 

れ よう。 

〇 

若し 私が 說く やうに 藝 術が 愛に よって 生まれる もの だと すれば、 藝術は その 窮極に 於て ます, -、 人類 的と なつ 

て 行かねば ならぬ 蓮 命に ある" 擲土、 人種、 風俗な どの 桎梏から 逃れ出で、 人間の 心に 共通な 愛の 端的な 表現と 

なるべき 運命に ある。 

私 はこ の考 へから 傳統 主義と いふ やうな ものに 藝術上 多くの 期待と 牽引と を感 する 事が 出来ぬ。 傳統は 人の 愛 

を 眼 ざます のに 役立つ かも 知れない。 然し 一 度 眼 ざめ た 愛 は 傳統を 後へ にの こして 先に 急ぐ だら う。 

私 は 自分が 藝術 家た らんと する 一人なる 事 を 忘れて、 藝 術を餘 りに 重く 餘 りに 尊く 描き はしなかった か。 今の 

私 はかくの 如き 藝 術の 捧誓者 たる 事 を 畏れ 憚る。 

然し それ は 私が 至らない から 畏れ 憚る の だ" 藝術 そのもの は 私の 言葉より 更に 重く 更に 尊き 言葉 を もて 語らる 

べき ものである。 たビ 今の 私 は その 重荷に 堪 へない。 

さは 

同時に 私 は 謙 讓の假 面の 下に 責任 を囘 避し はしない。 私の 藝術は 鋭く 私自身の 言葉に よって 裁かるべき ものな 

る 事 を 私は覺 悟して ゐる。 

あまりに 徐々 に —— 然し しぶとい 意志な しにで はなく、 私が これまで 準備して 来た 自己の 生活 を 顧みる 時、 赵 

は 自分の みが 知る 一 種の 强ぃ 感情に 打 たれす に は ゐられ ない。 


は. A 


私の 前に は 艱難の 多い 道が 遠く 繽 いて ゐる事 を 知る。 自 ら揣れ す敢 へて その 路上に 立った 私 は 今では 心からの 

禱 路を感 する。 

然し 幼稚で 粗野で は あるが 私の 愛が 私 を そこに 連れて行った。 

〇 

私 は 更にい ふ、 愛 は 藝術を 生む 胎だ。 而 して 愛の みが だ。 

(一 九 一 七 年 十 W 、「新潮.. 所 叔) 


藝術を 生む 眙  二 九^ 


,有 鳥武郞 全集 第五 卷  二 九 六 

言 ひ^い 事 二つ 

自己の 作物 を 創作す るに ついての 感想 を 述べろ との 勸めを 受けた の だけれ ども、 私の 創作の 態度 は、 い X にし 

ろ惡 いにしろ、 私の 作物が 十分に 說 明して ゐ ると 私 は 信じて ゐ るから、 多少 課題から それて ゐる かも 知れない が、 

こ の 機會を もって 次の 事 を 云 はして いた^き たいと 思 ふ。 

文壇の. S 氣が 沈滞して ゐ ると は、 私の 耳が 絡え す 聞かされる 噂で ある。 さう かも 知れない。 さう だとす るなら 

文 藝の價 値 評 量に 關係 する 人 はどう すれば い \ と いふの か。 文檀 不振の 聲を擧 げる人 は 多い。 然し それ を 救 ふべ 

き 具體的 方策 を 提供す る 人 を 見た 事がない。 少く とも 私の 寡聞 はこれ を 聞かない。 

私は氣 付いた ま X に 二つの 方策 を 提供して 見たい。 

その 一 つ は 作物の 眞價を 評定すべき 批評家の 態度に ついて ビ ある。 文壇に は 今でも 流派に 對 する 批評が 重き を 

占めて ゐる。 彼 は 或る 作家の ー圑を 或る 流派の 中に 押し込めて 批評の 對象 としょう とする。 それ は文藝 史的に 

考へ ると 興味の ない 事で はない。 然し 作物の 眞價を 決定し、 當 面の 文運 を强 張させる 爲 めに は 非常に 拙劣な 方法 

であると いはねば ならぬ。 

あ- 3 

文 藝史は 要するに 過去の 整理で ある。 當面 及び 將來の 進展に は與 かる 事が 甚だ 薄い。 云 ふまで もな く、 近代に 

於け る藝 術の 耍求 する 一 特質 は、 個性の 明確 獨自 なる 開展 である。 各自が 各自 自 身 流派た らんと する 傾向で ある" 

例へば 後期印象派 といって 概括され る 人々 を 取って 考 へて 見ても、 セ ザンヌ とゴッ ホ とゴォ ガンと は、 後期 印象 


派と いふ 因子 を 以て 括り 出された ものに 比して は、 比べ ものに ならな い^ 强ぃ 深い 侗性を 以て 裘づ けられて ゐ 

る。 この 顯 著な 倾向は 繪畫に 於ての み 然るので はない。 然るに 批評家 は往々 にして この 平明な M 時に. V 卞た お^ 

を 無視しょう として ゐる。 かくて 彼等 は 或る 流派に 當て はめて 考 へる 亊の 出来ない 程の 獨自性 を 持った 作物 を あ 

つか ひ あぐねて ゐる。 一 家卽 流派、 私 はこの 態度 を 批評家に 要求したい。 この 視角の 變更 は、 今の 文^に もぶ 外 

重視すべき 作物の ある 事 を 認めさせ ると 私 は 思 ふ。 

その 二つ は 作物 發表 機關の 態度で ある。 平たく いへば 文 藝雜誌 社と その 編 1: 者の 態度で ある。 彼^ は: ほに 名 を 

やぶ さ 

成した もの を歡迎 する のに 決して 吝か でない。 或は 吝 かで なさ 過ぎる。 然しながら 未知の 作^に 對 しての 冷酷 さ 

は 言語 に 絶 するとい つて 差 支ない。 勿論 或 る 文 藝雜誌 に は 同人の 私有と 稱 すべき ものが ある。 例へ ば^の 關 係し 

てゐる 「白樺」 の 如き は それであって、 それ は 一般の 文藝雜 誌と はおの づ から^:^ のな 味 を 異にして ゐる- 、-. 

私の 云 はんとす るの は 作者の 選擇に 自由 を 有する 雜 誌の 事で ある。 さう いふ 雜 誌が 未知の 作^に 對 して は ぐる 

態度 は實に ひどい。 私の 所 を 訪れた 或る 雜 誌の 編輯 者 は、 未知の 作者 を 自分の 雜 誌に 紹介す る^ 志 を:! らして、 

い-作物 を 紹介す る爲 めに は 首に なっても 仕方がな いと 云って ゐた。 パン を 失 ふ^まで 豫 め^^した ければ、 ぶ 

知の 作家 を 紹介 出来ない とい ふ 事 は 何ん とい ふ 悲しい 事 だら う。 雜 誌の 經營は 慈善事業で なく、 他の^お M« に 

營利 事業で ある 位の 事 は 私 も 心得て ゐる。 營利 事業なら 營利 事業で 宜しい。 何 故 彼等 は 事業 をす るに は必す 忭ふ 

所の 冒險 をしょう と はしない の だら う。 私の 狹ぃ觀 察に よれば、 兎に角 文壇に 名 を 成した 人々 は、 :!: やかの. は 味 

に 於て 自分の 私有に 屬 する 作物 發 表機關 によって、 自己 を 表 はす 事に よって、 始めて 一般の 雜; Hi 經^: ^を ^心せ 

しめたの だ。 或る 未知の 作家に、 若し 作物 發表 機關を 私有す る餘裕 がな く, 或る 阁體に 加入すべき^ しく は 

言 ひたい 事 二つ  二 九 七 


有 島武郞 全集 第五 卷  二 九 八 

融和 性がなければ その 作家 は 殆んど 世の中から 顧みられな いでし まふの . 。 

私 は雜誌 社と その 編輯 者が もっと 大量で あり、 もっと 本當の 意味で 自分の 商賣に 熱心であって ほしい。 さう し 

たなら ば、 必す埋 れた寳 を 拾 ふ 事が 出来る。 それ は 文運の 貢獻 になる ばかり ひなく 彼等 自身の 利益で あるべき 害 

だ。 

私の やうな 文壇 一 般の 事情に 就いて 未經 験な ものが こんな 事 をい ふの は 僭越 かも 知れない。 然し 貴誌の 與 へて 

下さった 機會は 私に この 二 事 を 云 はさす に はおかない。 

(一 九 一 七 年 十 一 月、 「中外」 所載) 


氣 分で 生きて 行く 人 

志 賀君は 生 馬さん の 友達であった から、 小さい 時分 はよ く 家に 來た。 けれども 私が 志贺^ を 知った の は、 价度 

私が 一年 志願兵に なって 麻布の 三 聯隊に 居た 時分であった。 志賀 君の 家が 直ぐ 近所に あつたので、 よく^ リ:: を 使 

はせ て 貰 ひに 行った。 その 時が 寧ろ 初めで あつたと 思 ふ。 それ は 明治 三十 五 年であった。 ,: お:^; は その ^m, 見さ 

ん と仲宜 くして 居た。 私達 は 多少 志賀 君の 一身上に 立ち入って 話した 譯 でもあった。 何でもぶ 加 只^の その^ は、 

宗教から 離れて、 スッ ウルム. ゥント ,ドラングの 時代で あつたと 思 ふ。 公に して ゐる 作物 はま だ 一つ もなかった 

と 記憶す る。 私 は志賀 君の 家に 來てゐ た 「サ ー ザン」 とい ふ 外國の 芝居の 雜誌 をよ く 兵營に 持って^って は樂し 

んでゐ たもので あった。 

志賀 君は氣 分の 人、 何處 まで も氣 分で 生きて 行く 人の やうに 兌え る。 それで どん, (-1: し 通して 行く ところが 

ある 。「所謂 橫に車 を 押す」 とい ふやうな ところがあった、 しかし^ 分が 純粹 で、 徹^的 だからに: 心贺パ の 所謂 「横 

に 車 を 押す」 ,なる もの も 後から 振り返って 見る と、 现智 的の 判斷 から 離れて は 居なかった やうに 思 はれる。 そし 

て、 一 つ ことに 執着す ると、 それ を何處 まで も 自分で 嚙 みしめ て 行く。 此の 事 は志贺 おの 容貌に も现 はれて;^ る 

と 思 ふ。 君の 容貌 は 特色の ある 容貌で ある。 額から 眉に かけて 满 へられた: gi の^^な g 分 や、 ^しい^の 輪郭 

の もって ゐる 威厳と でもい ふやうな 鼻の 線な どが それで ある。 それ を 作品と 比べて^ ると、 志 贺^ の特& あろ 忭 

格 は、 非常によ く、 しっくり 袅 ま曰 されて ゐる。 僕の やうに 君の 性格 を 知って ゐる おに は、 ^^が^り くない 

とい ふ 作品で も、 非常に 感じさせられる 場合が あります。 「鹄沼 行」 など は 世評 は 左 迄で もなかった けム い/.、  ^ 

氣 分で 生きて 行く 人  二 九九 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  f  一一  QQ 

ち ざ や 

んで 見て 君の 性格の 特色が 鮮 かに 出て ゐ ると 思 ふ。 志賀 君の 背は瘦 形で 高く、 大きくて、 筋肉質の 手 は 非常に 細 

長い。 そしてた るんだ 皺、 少し 毛の むしゃ- (\ と 生えた その 手 は、 極めて 神經 質な 事 を 思 はせ る。 

志賀 君の 潔癖で は 面白い 話が ある。 君が 旅行 をす る 時、 ^や 虱が 怖くて ならない ので、 屹度 袋 を^って 行く の 

ださう だ。 それに 體を 突っ込んで、 頭のと ころで 締める やうに なって ゐる。 けれども それだけで はま だ,/ 

全 だとい ふので、 遂に は 鯉幟の やうに 口 を こしら へて、 それにす っぽり 潜る と、 天 井へ 綱 をつ けて それ を 引 張り、 

鲤の瀧 上りの やうな 具合に やる の だとい ふこと です。 それから,: 芯贺 君が 創作 を考 へて る 時には、 廊下 を 歩き UL ら 

考へ るの ださう だが、 何分 體が 大きい もの だから、 夜中な ど 家中の 廊下 をみ し (. 歩き 廻る ので、 家の 者が 寢っ 

力れ ないで、 困る やうな こと も ある さう です。 

(1 九 1 七 年 十 一 月、 「新潮」 所載) 


作者 は 自己の 作品 を 自己が 解釋し 布衍すべき もので はない。 何處 まで も讀 者の 受 感と现 解と に 依^し、 その 心 

持の 廣さを 限る やうな 事が あって はならぬ。 何故と 云へば II 作品 は 作者が 滿 足した もので あれば ある^ — 作 

者 自身より 大きな ものであると 思 ふからで す。 例へば 作者 は 母で 作" i は その 嬰兒 です。 ^まれた 子が ^仝? あり 

が 優, e たもので あれば ある 程、 母は默 して その 生長 を 大切に 愛護す る 外 はない。 その子が 如何なる ものに A 

ま 叱 育って 行く か は 母 自身の 豫想だ もし 得ない 所 だからです。 縱し 生まれた 時、 その子が 不他仝 であり. さして 

優, I たもので ないやう に 見えても 誰が その子の 本當 の未來 をた しかに いひ 常て る 事が 出來 ませう。 作^と 作" 1 と 

の關^ も 同じ だとい へます。 作者 は 作品 を 創り ます。 然し 作品が 作^の^ を 離れる と 同時に、 作品 は 作^: かに 獨 

立した 存在と して 作者の 前に 立ちます。 而 して 作者 は旣に その 作品 を 謬り なく 解釋し 布衍す る 權能を 失って ゐま 

す。 そこに 作者の 良心が あり、 作品の 欉威 があります 。だから 私 はこれ まで. n 分の 作品が 如 :!: なるお 味 を^し, 

如何なる 目的 を 有する か を 明確に 公一 百した 事はありません。 

然し、 如何なる 要求に より、 如何なる 態度で、 作品 を 生む かとい ふ 問題 は、 答 へらるべき^ 题 であると 忍 ひます" 

私 は 第一 淋しい から 創作 をし ます。 私の 周 圍には 習慣と、 傳說 と、 時 問と、 ^問と が 卜 ポ: 卜^に:^ いて 

ゐて、 或る時 は 窒息す るかと 思 ふ ほどです。 その 厳めしい 高い 樯の^ から 時々 魂 をと ろかす やうな^ 活ゃ, = 然ゃ 

がふと 見えたり 隠れたり します。 それ を 見得た 時の 驚喜、 而 して それ を兑 失った 時の 寂し さ。 而 して 兌 失った も 

^つの 事  --0 1 


有 島武郞 全集 第五 卷  三 〇ー| 

のが 又と は 自分に 現 はれない なと はっきり 意識す る 時の 淋し さ。 その 時 見失 はれた もの を 私に しっかり 囘賓 して 

くれる もの は、 しっかりと 純粹 に囘復 して くれる もの は、 藝衛の 外にありません。 私 は 小さい 時から jl^f^ こ 

の 境地に 住んで ゐ ました。 それが 文學 とい ふ 形 をと つたので す。 

私 はまた、 愛する が 故に 創作 をし ます。 これ は 或は 高馒な 言葉の やうに も 聞こえ ませう。 しかし 人 として 愛 

しない もの は 一 人 もない。 愛に よって 自己の 中に 取り入れ. た、 若干 かの 生活 を 有って ゐな いもの は 一 人 もない。 

その 生活 は 常に 一箇の 人の 胸から、 出来るだけ 多くの 人の 胸に 擴 がらう として ゐ ます。 私 は その 癀充 性に 打ち 負 

かされる のです。 愛した もの は 孕まなければ ならない。 孕んだ もの は 生まれなければ ならない o 或る時 は 生兒を o 

或る時 は死兒 を。 或る時 は雙兒 を。 或る時 は月滿 たざる 兒を。 而 して 或る時 は母體 その も C- 、-死 を。 

私 は 又 愛したい が 故に 創作 をし ます。 私の 愛 は墻の 彼方に 隱見 する 生活 や 自然 や を 如 實に摑 みたい 衝; p て, 驅ら 

れ ます。 だから 私 は 私の 旗 を 出来るだけ 高く 掲げます。 私の ハ ンケチ を 出来るだけ 强く 振ります。 この 合言葉が 

應ぜ られる 機會は 勿論 澤山 はない。 殊に 私の やうな 孤獨な 性格に は澤山 はない。 然し 二度で も 一度で も、 私の 合 _ 

言葉が 誤りの ない 合言葉で 應 ぜられ るの を 見出す 事が 出来たら、 私の 生活 は 幸福の 結 頂に 達します。 その 喜びに 

めぐり 遇 ひたいが 爲 めに。 

私 はまた 私自身の 生活 を粳 たんが 爲 めに 創作 をし ます。 何ん とい ふぐうたら た-向上 性の 缺 けた 私の 生活 だら 

う。 私 は それ を 厭 ふ。 私に は 脫ぎ捨 つべき 殼 がいくつ も ある。 私の 作品 は 鞭と なって その^ 殼を きびしく ひつ 

ばたい て くれる の だ。 どうか 私の 生活が 作品に よって 改造され る やうに: 

(一 九 一 七 年 十二月、 「新潮」 所载) 


岩 野 泡 鳴 氏に 

創作に 亡 殺された 結果、 去る 十 一月 二十 一 日に 本紙で 發 表された あなたの 御意 見に お 答へ する のがお くれ まし 

た。 許して 下さい。 これからお 答へ します。 

あなたの 御意 見 を 伺って 私が 第 一番に 不滿に 思 ふ 事 は、 あなたの 鑑賞 力が 粗笨な 事です。 お 術に 觸れ て^ろ r 

は:^ とくに 毛ば だった 皮の 厚い 手で は 駄目 だと 思 ひます。 そんな 乎で 觸 られる 前に^ 術お は 壊れて しま ひま 

す。 旨の 先に 艮 Q 着いて ある 程 delicate な 手が 觸 つて くれる ので 藝術品 は 始めて その 生命 を 人 に^へ 得る の だと 

田 5 ひます。 餘程 以前の 事です、 私 はたし か 「太陽」 誌上で あなたが ホヰッ トマ ン の 『リンカ T ンを ^ふ 歌』 を" V  3 

9  9  9  9 

れヒ のを讀 I だ 記憶が あります。 その 第一 行 目にある ライラックと いふ 字 を あなた は^^の" 化と 譯 してり-に - 

した。 あなた は 主義の 上から そんな 勝手な 事 を飜譯 者に 與 へられた 自. s だと 思 はれた のか 知りません が、 私 は あ 

なた の祌 |H の 粗笨な 事 を 不愉快に 思 はすに ゐられ ませんで した。 今度の 論文 中に も あなた は 私の 创 作の •  一  ノ丫| 

に 批評して 居られ ますが、 『凱旋』 を 評して 「老將 軍、 書記、 若しくは 御者 を 中心に して 各々 训な 小^に W いて 

い k もの を 如何にも 不用意に お 粗末な 戯曲 化 をして しまった …… 」 と 書いて 居られます。 作お として 解が まし 

い 事 をい ふの は大嫌 ひだが、 あの 作 は 題目が 示す やうに 明かに 一匹の 老 馬が 主題に なって ゐる 位の 卞は、 少し 人 

間 的の 同情の ある 敏感な 讀 者なら ばす ぐ 分る 害です。 あなたの 鑑賞 力が 粗笨な ばかりに、 折角のお "^も ^を 

^れた 無益な 言葉の 羅列に なって しまって ゐ ます。 他人の 領分に 切り込む 前に は、 も 少し 切赏 な^おと おおに 

锄く神 經とを 用意して おいていた ビ きたいと 思 ひます。 

岩 野 泡 鳴 氏に  一一 一 0 一一 一 


有 島武郞 全集 第五 卷  一一 一 〇 四 

本論に 移って いふと、 あなたの 私に 對 する 攻擊點 は 三つに 別れて ゐ ます。 第一、 私 は 「藝術 を 生む 胎」 が 愛の 

みだと 主張し 乍ら、 眞と いふ もの を 立して 二元的な 考へ 方に 墮 して ゐる 事。 第二、 藝術專 門 家た る 人間が 他の す 

ベての 人間よりも 高尙 だと 思 ふ 僻見に 陷 つて ゐる 事。 第三、 「藝 術 は その 窮極に 於て 益よ 人類 的と なって 行かねば 

ならぬ」 と 私の いったの は 「風土、 人種、 風俗な どの 桎梏から 逃れ出る」 事で、 人類 若しくは 人間の 端的 現實の 

立脚地 を 知らない 無自覺 から 起って ゐ ると いふ 事。 

第一、 あなた は r 眞理は 人生の 他の あらゆる 方面と 同様、 動的、 過程 的、 刹那的で ある」 といって をら れ ます。 

仰し やる 通りです。 事實は その 通りです。 然し 人間の 眞 理に對 する 欲求から いふと、 眞理 とい ふ もの は 成るべく 靜 

的な 固定 的な、 存續 的な 存在で ありたい のです。 眞理の 內容が 結えす 變 化して は、 眞理は その 存在の 價値を その^ 

間に 失って しま ひます。 眞理 とい ふ 言葉 を あなたが あな た^けに 通用す る やうに 解釋 なさる のなら 論外です が、 

或る 一 定數 又は 一 定量の 事象 を 概括 規定す る 標準 的觀念 が眞理 とい ふ ものである 以上、 眞理 は不變 不易な 程 その 

價値 を增 加す るので す。 然し 人間の 欲求 は 思 ふやう に 行かないで、 眞理 とい ふ もの も實は あなたの 仰し やる, ^う 

に 動的です。 そこで 眞理を 標準と して 藝術を 生み出さう とすると すぐ 自己矛盾が 生じて 來 るので す。 比の 事 はこ 

こで 繰り返して 說 明す るに は餘 りに 明確に 私の 感想の 中に 述べて あるから、 多言 を 費し ません。 唯 私が 眞の 性質 

を說 明して、 眞 から は 藝術は 生まれない、 愛からの み 生まれる と 云った に對 して、 あなたが それ を 二元的な 考へ 

方 だと 云 はれる の は 私の 腑に 落ちない。 

私 は 愛は實 在で あり 眞は假 象で あると いった。 これが 二 元です か。 愛から 藝術を 通して r こ & では 藝術 だけ を 

論じて ゐ るの だから) 眞が 生まれる の だとい つた。 これが 二 元です か。 眞 から 藝術は 生まるべき もの だと 考 へる 

なっとく 

自然主義の 藝術觀 は 私に は 納得 出来ない、 藝術は 愛から 生まるべき 者 だと 云った。 これが 二元論で すか。 あなた 


ま 「愛と IK 、と は 果して さう はっきり 別存 して ゐる もので あるか」 とい はれた。 私 は^かに いふ 果實と 人力 そ 

れを 嗨んだ 時の 味覺 とが^^して ゐる 如く、 それ は^^して ゐる もの だ。 ^實は 味覺を 造り 出す。 然し 味^ は^ 

實を 造り 出し はしない。 愛と 眞とは 正に さう した 關係 にある。 然し かく 別^して ゐ るが 故に ニー 兀 だとい つたら、 

誰が 其の 考案の &f 本に あきれす に は ゐられ よう。 二つの 原因 乂は 二つの 結 * は 二 元 をな し 得よう。 然し 一 つの 原 

因と 其の 結 栗 は 二 元に 非す して 一 元の 延長 だ 位 は あなたと 雖も お分りな さり さうな もの だと 思 ふ。 

第 一 i、 藝術專 門 家た る 人間が 他の すべての 人間よりも 高尙だ なぞと は 私 は 何時 如何なる 場合に もい つて はゐま 

せん 「一事 をな さすして 藝術 的な 人が ある。 なさ ビる なくして 非藝術 的な 人が ある」 とこ そいって ゐる。 恐らく 

は あなた は」 所謂 事業家と か、 道擧 者と か" politician とか、 社交家と か」 といった 私の 霄 葉の 「所 請」 を 勝手 C 

取り去って、 私 を 見ようと された ので はない か。 自己 を對 象と する 活動、 環境 を對 象と する 活動 を じた 所 は. 

あなたの 頭に はよ く 這 入って ゐ ないやう です。 もう 一 度氣を 落ち 付けて 讀 み^して 下さい 。「^に 川^ 上の^^ を 

獨り でよ がって ゐ るのに 過ぎない」 と あなた は 豫め川 心の 釘 を 打って おかれた が、 それに も 係 はらす 私 は、 お 術ぶ 

は^ 術 専門家の みに 限らない 事 を 主張し ます。 一 事 をな さすして 藝術 的な 人が あると さ へ 私 は^ へ る ものです。 

c 人ん や 可んでも い. T がー つの 仕事 を藝術 的に する 人 は必す ある 辔 です。 あなた はこ、 で藝術 的な 人は必 すし も鄞 

術^と はいへ ない と 云 はれる でせ う。 藝術專 門 家と はいへ ません。 然し 藝術^ とはいへ ます。 而 して 私 は^ 術^ 

と 藝術專 門 家と を 全く 同じ 高さに 認める も の で す。 若し あなた が 藝術は 藝術尊 門 家 のみの 所有物 だとい ひた い な 

ら、 藝 術と いふ もの \ 內容 なり 定義な り を 明確に 提供され て 後に、 一. ム はれねば ならぬ 事です J 私に いは せれば、 いか 

なる 仕事で もい、、 その 仕事の 內容が 瑗境を 指す ので はなく 自己 を 指す 場合に は、 それ を 取扱 ふ 人 はお 術ぶ です" 

これに 反して 環境ば かり を對 象と して 働く 人 は、 その 人が 藝術專 門 家で あれ、 それ は^^す ベから ざろ 人^の r 

岩 野 泡 鳴 氏に  一一 一 〇 デ 


有 島 武郞^ 集 第五 卷  一! 一 〇 六 

たれ 者です。 

第三、 あなた は 人間の 向上 的 欲求 を 全く 無視して ゐ ます。 「人間の 端的 立脚地」 の 重ん すべく 叉脫 却し 難い もの 

なる 事 は 私と 雖も 知って 苦しんで ゐ ます。 然し 現在の 如き 人類 進化の 程度、 制度、 狀態 では、 人間が どれ 程 緊張 

し燃燒 して 生活しても 滿足^ 得られない の は 自明の 事です。 現狀を 緊張して 生活す ると 同時に、 それ を 突破して、 

更に 一歩 を 進めたい とい ふの は 人間に 拔く ベから ざる 欲求です。 緊張した 生活 は 自然に さう いふ 結 粟 を將來 しま 

す。 傳統が 人間 を 創った ので はなく、 人間が 傳統を 創った の だ。 而 して 人間の 力 全體は 傳統に 化成し 切って はゐ 

ない。 人間 は 傳統に 固く 圍 まれながら、 それ を 打ち破って 新しい 傳統を 創り 出す 力 を まだ 蓄 へて ゐる。 それ は傳 

統と いふ 固定した 形 を 取らない 自由自在な、 萬 人に 共通な、 根柢 的な 力 だ。 それ を あなた も 承認し ない 譯には 行き 

ますまい。 私 は その 力 を 愛と 名 づける のです。 而 して 愛が 藝術を 生む のです。 だから 藝術は その 窮極に 於て (と 

いふ 意味 は藝 術の 未來 はとい ふ 事で はない。 藝術を つきつめて 見る と、 卽ち藝 術 を 本質的に 考察す ると 、とい ふ 意 

味です)、 ます, ,(\ 人類 的になる べき 蓮 命に あると いふんで す。 明白な事ではありません か。 國家 主義者 は 自覺し 

たもので、 社會 主義者 は 無自覺 だとい ふやうな 事 は、 全然 考 へられない 事です。 あなた は國家 主義から 離れた 露 

西亞の 現狀を 痛罵せられ たが、 その 現 はれ 方が 間違って ゐる にせよ ゐ ない にせよ、 又 無自覺 な多數 者の 迷 蒙が 粉 

亂 から 粉亂を 生んで ゐる にせよ、 大きな 露西亜の 人間 全體の 心から 自覺 的に 又 無自覺 的に 迸り 出た あの 愛の 裸 形 

の 閃き を 誰が 驚異と 讃 嘆の 眼 を 持た すして 眺められよう。 第 I 1 十 世紀の 歷史を 最も 莊嚴に 彩る 思潮 は あの 面 も 向 

け かねる 熾烈な 熔爐の 中から 鍛へ 出される にき まって ゐる。 あなた は 藝術家 を 以て 自任して 居られる。 あなたに 

は それが 見えません か。 あなた は 人類の 運命 を 最も 賢く 導き 行く 哲學者 を 以て 自任して 居られる。 あなたに は そ 

れが 感ぜられません か。 


私 はこれ で S. を 措く。 あなた は尙ほ 私に 云 ふべき 事が あるで せう。 然し 文字の 上の ff 論 は往々 岐路に; つてく 

だらない ものです。 あなたが 若し 更に 是 等の 問題 を 誠實に 討究な さるお 心 持が あるなら 私 をお^ ね 下さい。 私 は 

喜んで 出来るだけ 冷靜 にあな たと 意見の 交換 をし ませう。 

へ 一九 一 七が 十二:: =: 十七::: ^ 一 

グ£  R 新聞」 所 載」 


岩 野 泡 鳴 氏 に  三 0 七 


有 お 武郞仝 集 第五 卷 

著作 集に 就いて 

S の 形です る 私の 創作 感想の 襲 は、 この 「著作 集」 のみに 依る こと、 します。 私の 生活 を 投入す る もの は、 

こ ウ^ Z  0 トに ありま ん o 

この 集で は、 滿 足の 出 來る だけの g を 加へ て、 先 づ舊 作から 襲し ますが、 二度の 勤め を させす、 この 集の 

みこよ つて 私の 乍 物 を 公け にす る 時機の 來る事 を 希望して ゐ ます。  2, , 

私の もの I んで 下意 方が 澤山 あらう と は 思 はれません。 私 は その 事 I ひました。 新潮 社 は それに も 係 は 

らす、 この 集の 刊行 を霞す る 事 を 約束して くれました。 私 は 嬉しく 思って ゐず 

とまれ 私 は 一個の 人間で ありたい。 それ を 信じて 下さい。 あなたと 私き 結び 附 けた 因 f 對, して S する 

而 して あなたに 私の 最上の 靳願を 捧げる。 この 集 を 顧みて 下さる 方に 私は敢 へて かう 申しず 

W  へ 一九 一七 年 五^) 

ぐ 著作 集」 笫 一 輯、 


自我の 考察 

今囘は 突然の 事と て、 何等の 腹案 もな く、 强 ひての 御 希望に より 何 か 巾 上げる^ になり ましたが、 ぶる^ 雜.^ 

「新潮」 に 投じた 小さな 感想が あります ので、 それ を 布衍 補充して 諸君の 御 批評 を 仰ぐ^-に^します。 

人間が 生きる 以上 は考 へる し、 考 へる 以上 は 哲舉を 作ります。 哲ゅ といへば むづ かしい が、 まで も 多少の 竹 ゆ 

者で ない ものはありません。 而 して それが 生活 を 離れて、 書!! 中で、 ; i 现で S めら れた^ 疎な 哲 S? ではなく、 

活が 作り出した ものである 以上 は、 確かに 考察の 價値 ある ものである 事 は 勿論です。 だから 私". E. し 上げ る^の 

哲舉も 全く 無意味で はあり 得ない と 私 は 思 ひ、 從 つて 諸 君の 御 批評 を 仰ぎたい と^ふ 所以で 御^います。 

私 は靑年 時代に、 色々 な 周圍 からの 感化に よって、 佛敎 とか 基^ 敎 とかの 宗敎に 私な りの 沒ま をし、 而 して^ 

督敎に 私の 信仰の 根 を 下し ましたが、 その後 自己 を もっと 极柢 的に 築き上げて はたい 欲求から 个- く^ 仰尘 活から 

離れる 事を餘 儀な くされました e 

かう して 外 園から 段々 自分 を 切り放して 来て 見る と畢竞 その 跡に 自己と いふ もの だけが 殘 りました。 私 は その 

自 己の 本體が 何で あるか を體驗 しょうと 試みまして、 .In: 己 を 立す ると、 その外 園に 他 己と いふ ものが^ら かに^ 

立す る 事 を 知り 得ます。 こ&で すぐに 起って 來る 問題 は、 我等の 生活 は. n 己 を 主と すべき か 他 TJ を 主と すべき か 

であります。 私 は 或る 期間 はこの 自他の 何れに も 偏執す る 事な く、 その に. 生活 を游 がせる^-によって、 s^c- の 

人間味 を體覺 すると 考 へた 事が ありました。 私が 本^ に 在職 中 この 講堂で 述べた 「二つの^」 とい ふ は その 

當 時の 主張 を 披瀝した も のであります。 

自我の 考察  ?ニ〇 九 


有 島武郞 全集 第五 卷  三 j〇 

然し この 考へ方 は 到底^ を滿 足させませんでした。 生活 を 一 元に 還元した いとい ふの は 何とい つても 人 本卞 

の 欲求です。 そこで、 本氣 に, 自他の 中 何れ を 主として 私の 生活 は 導かれなければ ならぬ か を 決定す る ^ かにな 

りました。 而 して 只今 私 は 自己 を 主と すべき 道 を 選んで 居ります。 何故で あるか、 その 理由 を 今日は 申し上げて 

毘 たい。 

私 は 端的に、 自分 を 愛する 程 他人 若しくは 他の もの を 愛して ゐ るかと 反省して 見ます。 私と して は、 その 解答 

は 極めて 明瞭です、 私 は 何者よりも 自己 を 愛して ゐ ます。 この 自己 を 愛する とい ふ 事實は 何とい つても 担む ベ か 

ら ざる 私の 本能であります。 この 本能 を 主張した の は 決して 新しい 事で も 珍ら しい 事で もありません。 哲擧 上の 

利己主義 も、 科擧の 自己保存の 法則なる もの も、 一一 イチ H 一派の 超人の 主張 も、 共に 等しく 愛己と いふ 本能の 爲 

めの 叫びであった のです。 然し 私の 考 へる 愛己の 本能 は是 等の 言說 によって は 說き盡 くされて ゐな いと 私 は感す 

るので す。 

ヒュ ー ムゃ ホップス の 所謂 利己主義 は 自己の 表面的な 觀 察から 出發 して ゐ ます。 己れ を 利 するとい ふ 事 を 極く 

物質的に 解釋 して ゐ ます。 自己の 完成と いふ 事よりも 利益と いふ 事に 重き を 置いて 論じて ゐ ます。 これで は本當 

に 自己の 要求が 滿 たされる 譯 がありません。 科擧の 所謂 自己保存の 法則 も 消極的な 見地で あると いふ 非難 を 免れ 

る 事が 出来ない と 思 ひます。 人間に は 自己 を 保存す る 欲求の 外に、 或は その 以上に 自己 を 完成 せんとす る 欲求が 

あります。 この 欲求 を、 科 學は單 に 自己保存の 偶然な 結聚と 見ようと して ゐ ます。 私 は その 見方に 滿 足して ゐる 

事が 出来ません" 一一 ィ チェの 「力にまで の 意志」 もた しかに 人間 內 在の 動向 を 喝破した もので ありながら、 意志 

の奧に 愛の 本能の 働きつ 、ある を 見逃して はゐ ないかと 思 ひます。 

私 は假に 凡ての 生活の 根源 を爲す 本能 を 愛と 名付けます。 愛 は 普通に は與 へる 本能と 考 へられて ゐ ます。 然し 


愛 は 奪 ふ 本能です。 又 愛は淚 つぼい なまやさしい 力 だと 考 へられて ゐ ます。 然し 愛 は 嚴肅な 激烈な 容赦の ない 力 

であります。 自己 完成の 欲求に 驅り 立てられた 愛 は 自己 以外の ものから 奪 ふにょい だけ^ ひ 取る のです。 ボ ー 口 

が 「惜しみな く與 へ」 といった の は實は 愛の 働きの 表面的な 現 はれ を 云った に 過ぎません。 私が 一 つの もの を やす 

ると いふの は、 その物 をより 多く 自分の 中に 攝 取して 自分の 生活の 一 部分と してし まふ^です。 例へば 私が • 匹 

の 小鳥 を 愛する とします。 私 は それに 美しい 籠と 新しい 餌と 水と を與 へその 外 あらん^り の 愛撫 を與 へる としま 

す。 まるで 私 は 外物に 對 して どん- 自己と 自己の 所有と を與 へて ゐる やうに 兑 えませう。 然しよ く 考察して 兌 

ると、 その 小鳥 を 愛すれば 愛する 程 小鳥 は 私の 生活の 中に 這 入って 私自身に なって ゐ るので す。 私 は 小.;:: T に 於て 

私自身 を 生活して ゐ るので す。 だから、 私が 小鳥に 與 へて ゐ ると 見える 愛撫 も、 飽も 食餌 も、 畢兗 私.::: 身に 與へ 

てゐ るのに 過ぎない のです。 私 は 愛 は 小鳥から 小鳥 を 奪った のみなら すその 所有まで 鸾ひ 取って しまって ゐ るの 

です。 かくの 如くして 私の 自己 は 時々 刻々 その 內容 を豐 富に して 擴充 して 行く のです。 これ は 科 ゆ の 所^,:::, し^ 

存を 肯定す る 生活 現象で はあり ますが、 同時に それ以上の 意味 を 持って ゐる 事が 容易に^; 取され ると m4 ひます。 

所が こ.^ に 愛己 主義に 反して 主張され る 愛他主義の 主張 を ^書きす ると 思 はれる^ 實 が^: 在して ゐ ます。 所^ 

「身 を 殺して 仁を爲 す」 とい ふやうな、 自己 の 存在 を 滅却す る 激しい 愛の 作用の ある^です。 愛 他^お^: はこの 

事 實を 以て 愛己 主義者 を 非難し ようとし、 科學は 種族 保存の 原則と いふ 自己保^の 原則の 一 變態 として この 卞^ 

を說 明しょう として ゐ ます。 然し 私 は、 こ、 でも、 愛他主義者の ^難に 承服が 出來 ません し、 科8- の^ 明の^ ゆ 

的な の を 不滿足 に 思 ふ ものです。 

- 自己の 完成と いふ 事 は 前述した 通りに 物質的な 意味に 於ての 完成で ない 事 は 前に も 申しました。 C, し个 ^ の ゥ儿 

成です。 自己 全體の 完成から 考へ ると、 肉體の 如き は その 極く 一  小 部分の 働きし か 助けて はゐ ません。 あまりに 

自我の 考察  :ニ 一 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  n ニニ 

激しく 自己 完成の 本能が 働いた 時、 誤って 肉 體の破 却せられ るの は 極く 毘 易い 理 ではありません か。 結果から 見 

ると 如何にも 自己 を 無視して 他の み を 愛した が 故に か &る結 菜 を來 したと 見え ませう が、 もっと 徹底的に 考察す 

ると、 それが 矢張り 自己 完成の 道程の ー變路 に過ぎない 事を發 見し、 從 つて 種族 保存の 原則 を 成就しながら、 も 

つ とそれ 以上の 現象で ある 事が 看取され ます。 

かう いふ 立脚地から 實 際の 生活 を 觀て毘 ると、 今までの 私の 見地が 願 倒す る 事が 往々 あります。 例へば 愛 他 主 

義の 本尊と 見られて ゐる 基督の 一 生の 如き も 私に は 在 來の兑 方と 反對の 見方 をせ すに は ゐられ なくなります。 基 

督は 凡ての もの を 犧牲に 供して、 唯一 つ 救世主の 名 をのみ 得た と 私は考 へて ゐ ました。 然し 今の 私に は 彼 はさう 

うつ 

は 映りません 彼 は 凡て 低に 高き もの 美しき もの 尊き もの 、完全な 所有者であった。 彼 は 過去 を 所有した のみな 

らす、 未來 幾千 年 を も 所有し 得る 事 を はっきり 意識し 得た 程に 豊富な 所有者だった。 彼 ほどに 强 列"". な 愛慾 を 以て 

奪 ひっ^けた 人 はない と 思 ひます。 彼 は 私に さ& やいて いふ 、「見ろ 私の 無 際限^ 領土 を …… お前 も 私に % って大 

きな 領土の 持主と なれ。 凡ての 高き もの 美しき もの 淸 きもの を 自己に 吸 ひ 取れ、 又 凡ての もの を 高く 美しく 淸く 

見得る 愛の 視角 を 求めよ」 と。 

にが 

^の ゆに は 苦い 顏 をしながら 與 へる 事 をす る 人が あります。 それ を 偽善者と いふの だと 思 ひます。 それ は 愛 を 

以て 自己の 中に 攝 取し 切らない もの 卽ち 自己 以外の ものに 與へ るからの 結 栗であります。 彼等 は佝等 かの 不純な 

動機から、 生意氣 にも、 自己と 何の 交涉 もない 他 已に對 して 働き かけ、 自己 を 放散し 浪費す るので す。 だから、 

その後で は、 いやな 不滿 足、 物足りな さ を 感ぜす に は ゐられ ません。 それだけ 自己が 空費され る 所に、 自己 完成 

の 本能の 呵責 を感 する から、 彼 は 自ら 苦い 顔に なり、 せめて は 他人が その 行爲を 肯定し、 是認し、 賞讃 して くれ 

るの を 便りに して, 自己の 生活の 失敗 を 忘れよう とする のです。 


然し 自己の 所有に 對 しての 外に は 何物 も與 ベない 人に 取って は、 そんな^い 顔 をす る 必^ は^に ありませ パ, -. 

彼に 與 へれば 與 へ る 程 自分が 豐 富になる 事を感 する からです。 又與 へ るのに 右の 乎です る^-を.^ の 乎に 知らせな 

いで 置く 必要 もありません。 右の 手です る 事 はちゃん と 左の 乎が 知って る 程 全人 的な 行 はで あるから であり ま 

す。 自己 は 自己で 充ち 足って ゐ ます。 この 立場から 考へ ると 善事 を內 所です ると か 入の 前です ると かいふの は 無 

意味 極まった 事です。 大 びら に 無頓着に 彼 は 彼の 所領の 中で 振舞へば それでい k のです。 彼が^ する のは铋 取で 

あり、 與へ るの は 奪 ふ 事で あり、 而 して その 度 毎に 自己が 擴充し 完成し つ-行く の を 肉覺 して、 誰が 人^の^ 能 

を 信じ、 生命の 歡喜 を享樂 して、 生の 肯定 者で ないで ゐられ ませう。 

かく 自己の み を 本位と した 生活が、 現在の 社會 生活に どんな 形 を 取って 影響す るか は、 ^^に 逆^— がたい^: 

題で はあり ますが、 私 は 私と して、 その 影響が 必 す社會 を 正當な 進路に 導く と^する のです。 人^の- しい^^ 

—— それが 第一 諦 です。 人間の 正しい 生活 は 正しくして 腐 なる 木 能に よって 導かせる 外はありません。 その はめ 

に 旣定の 制度 組織が 危地に 陷り、 破 壞を結 栗しても、 大して 驚く に は 常らない^ です、 我等の 人 化の s:^ に は,:: 

己と 他 己との 無機 的な 交涉 から 生まれ 出た 生命の ない 瓦礫が 餘 りに 餱雜 に散亂 して ゐ ま.^。 か、 る は 遂に^ 

疫を 以て 人間 を蕩盡 します。 我等の 生活 は 美しい 言葉 や 綱領で 律せられ るに は餘 りに 緊迫して^ 太です。 內 己の 

溺愛  この 一 昆 醜く 慾 深く 思へ る 一一 一一 口 葉が 眞に 人間の 欲求で あり 本能であるなら ば、 我等 は、 その. U おに; る 

習俗 的な 厭 惡を乘 り 越えて、 その上に 我等の 生活 を 建て 上げねば なりますまい。 

これが 私の 哲學 です。 

さて かく 歸納 された 哲舉 から 出發 して、 人間 生活の 諸 部門 を觀察 批判す るの は、 私と して 1 ハ 味^く はつ 人お な 

事であります が、 まだ それだけの 備も 有せす、 且つ 出過ぎた 事です から、 以下^に 私の 關 係して ゐる文 藝の方 

自我の 考察  三 ; ; 


有 島武郞 全集 第五 卷  三】 四 

面に 對 して 具 體 的に 一 言 を 費す にと^め ようと 思 ひます。 それ は 私の 藝 術が 如何にして 生まれる かの 解釋 にもな 

ります から。 

科擧の 勃興が 促した 近代 藝術界 の 著明な 現象が 寫實 主義 自然主義の 發生 である 事 は 勿論です。 理智派 若しくは 

浪漫派の 如き 諸 傾向に よって 率 ゐられ てゐた 十八 世紀の 文藝 は、 その外 容の 典麗、 優雅、 激越、 壯大 であった にも 係 

はらす、 我等の 地上 生活と は 或る 點で 筢緣 せられ、 近代の 生活苦の 體驗 者から 見る と、 どうしても 物 足らない 缺 

陷が ありました。 卽 ち充實 した 實感を 伴って 来ませんでした。 その 時に 科擧の 見地に 立脚して 起った のが、 ゾラ 

によって 高調され た寫實 主義 や、 ゴ ンク. I ル、 フ E! 1 ベ ル によって 主張され た 自然主義です。 要するに これらの 主 

義の 成就しょう としたの は 自然 をして 自然 を 語らし める 事でした。 自然の 再現でした。 併し 誰でも 考 へつ くやう 

に、 藝術 的に 自然 その ま、 を 再現し ようとい ふ 努力 ほど 馬鹿らしい 效果 のない 努力はありません。 自然 を その ま 

ま 再現す る 積り なら、 繪畫 によるよりも 寫眞 による 方が より 安全で 着實 です。 然し 寫眞 の發 達した 今日で も 矢 張 

り 繪晝の 重視され る譯は 何故で せう。 それ は 繪畫の 後に は、 自然から も寫眞 から も 窺 はれない 藝術 家の 氣稟が 窺 

はれる からではありません か。 

更にい ふべき 事 は、 自然主義の 根柢 を 爲す觀 念は眞 によって 現象 を摑 まう とする 一事です。 然し 眞と いふ もの 

をよ く考 へて 毘 ると、 それ は 流動 一瞬 も已む 事な き 現象 を假 りに 固定して 一 つの 概念に まとめた その 結果に 過ぎ 

ない 事 を 知る でせ う。, 現象が 本體 であるならば、 眞とは その 假象 に過ぎない のです。 この 眞 とい ふ假 象の 鏡に 映 

じた 自然が 自ら 活力 のない 硬ば つ た 像 を 鏡面 に 作る の は 自明の理です。 

私 は 眞が藝 術 を 作る ので はない と 思 ふ。 藝術 家の 氣稟 が卽ち 愛が 自然の 中から 或る 對象を 切り取って 藝術を 氤 

める の だ。 而 して その 藝 術が 本當の 愛から 生まれた ものなら ば、 それが 眞 であるべき 害 だ" 卽 ち實感 的で 本 當の意 


味の 客觀 性を備 へた もの だと 信す るので あります。 だから 諸君が すぐ 推知され る やうに、 眞は 動機で はなく して 

結果で あるので す。 眞が藝 術 を 生む ので はなく、 藝 術が 眞を 生む のです。 換言すれば、 愛が^ 術^ を:. 父 配す る 力 

で、 眞は藝 術 家が 支配す る 力なので す。 こ-に 自然主義の 主張 は 本末 顚倒を 演じて ゐ ます。 お 名な 話です が、 お 

家の 主觀 を絕對 に担絕 する の を 主張した 自然主義の 作家 フ n 1 ベ ルが、 その 代表作 「ボ、 、ヮリ I 夫人」 を脫 稿した 時、 

作家 自ら 作 中の 人物に 動かされて 號哭 したと いふ 事です。 これ はフ 口 ー ベルが 自分の 现窟 から 剡り 出した 主 

以上に 如何に 藝術 家であった かの よい 證據 です。 ボブ ー リ 夫人が 如何に 作^ .en 身であった かの よい 設據 です。 

實際 自然 を 親切に 見極めよう とすれば する 程、 人 は 自然 を 愛せす に は ゐられ ません。 自然 を ft: 已の 内に k り 入 

れて、 その 中に 生活せ すに は ゐられ ません。 然るに 自然主義の 作家 はこの 大 なる^^ を强 ひて 無視して, 科^の 

固定 的な 靜學 的な 見方に 殉 じょうとし たのです。 

又 文藝の 一 主潮と して 藝術 卽ち藝 術の 主張が あります。 この 中には 二つの 考へ 方が あります。 一 つ は 人^が お 

術 を 作る ので はなく、 藝 術が 人生 を 作る の だとい ふ ォスカ 1- ワイルド 等の 主張で あり、 一 つ はお 術 は 何等の 笫ニ 

次 的な 目的 を 有する もので なく、 表現 その もの i 中に 價値を 求むべき もの だとい ふァ ラン っホー ゃモ ン. パ ル ナチ 

ス の 詩人 等の 主張であります。 

私 は 前の 方の 主張に 對 して は 栢當の 共鳴 を 感ぜす に は ゐられ ません。 それ は畢 竞侗 性の^^と いふ:^ を、 にお.^ 

るに 等しい からであります。 と 同時に 生活が 藝術を 生む 事 も 肯定し ないで は ゐられ ません。 少く とも 今の^: にに. 

て藝 術が それだけの 大膽な 主張 を 人生に なさん とする の は、 その 主張の 內容を 穴 r- 疎に すると 忍 ひます。 ^術に ハ 

づ さはる 程の もの は その 藝術を 以て 人生 を 創造し 得る とい ふ實カ ある 自信に 達した ので あるが、 それ は現狀 につ 

いて 見る と 滅多に はい へない 言葉です。 

き 我 の 考察  II 二 五 


有 島 武郎仝 集 第五 卷  三 一 六 

第二の、 藝術は 表現の みとい ふ觀念 は、 私に は 如何にしても 同意 出來 ない 所です。 希 臘人は その 盛んな 生に 對す 

る 執着と 讃美と から、 完全な 人體の 彫刻 を 成就して 人類 1 におの 絡 美な 記念碑 を 創り ました。 併し その 表現ば かり 

を 探り 入れた カノ ー バ ー ゃト ー ル.、 ワルド セ ン の 作物 はどうで せう。 あの 端; 歷な 形體の 後に 潜む 空虚 は 人 をして 美 

姬を 放ち 去った 後宮 を 思 はせ ます。 表現 は 畢竟 主體 です。 、王體 なくして 表現の あらう 害が ありません。 表現 を 高 

調しょう とする の は 取り も 直さす 主體を 高調す る 事です。 表現主義と いふ 名の 空虚な の は, その 主張者の 侗 性の 

分散の いたまし さ を 語る に 外なら ない と 思 ひます。 

近頃 やかましく 云 はれ 出した 傳統 主義と 云 ふ もの も價 値の 薄い もので はない かと 思 ひます。 傅 統とは 要するに 

過去の 生活 を 整理した 結果です C 過去が 現在の 生活に 力 を 及ぼす 程度 は 現在の 生活の カ强 さに 反比例し ます。 現 

在の 生活が 强 ければ 强ぃ 程、 過去の 現在に 對 して 有する 力 は 減少し ます。 (この 詳しい 事 は メタ ー リンクの 「死 

--ノ V* つ i 

後の 生活」 を 讀んで 下さい。) だから 過去 は 愛の 目 ざめ を 促す 力 を 持って はゐ ませう が、 愛の 撰 充には 力が ありま 

せん。 否、 愛 は 寧ろ 傳統を 打ち破って、 獨自 性を發 揮しょう とする 傾向 を 持った ものです。 畢竟 傳統は 愛の 食料 

です。 愛 を 支配す る 力ではありません。 

かく 論じて 來 つて、 その 跡に 残された 一 つの 問題 は、 藝術家 を 背景と する 藝 術であります) 藝術 は藝術 家の 個 

性が 生み出すべき もの だとい ふ 主張であります。 而 して 私 は 愛己と いふ 自分の 哲學 からこの 主張に 同感す る もの 

です。 藝術的 作品 は 要するに 藝術 家の 愛の 過剩 がさせる 粱 です。 藝術 家の 自己と その 所有と が 生み出す 結果が 作 

品 となる のであります。 

唯玆で 問題な の は藝術 家の 愛が どれ 程廣く 深く 高い かとい ふ 事です。 卽ち藝 術 家が どれ 程 人間の 生活 を 自分の 

中で、 嗨 みしめ、 同化し、 生活して ゐ るかと いふ 事であります。 藝 術の 表面に 藝術 家が 顔 を 出して ゐ るの が惡ぃ 


のでな く、 醜い 低い 狹ぃ藝 術 家が 顏を 出して ゐる のが 惡 いのです。 人 は往々 この 區^ を 誤って 作品から 藝 術^が 

顏を 引つ こめる ようにと 要求し ます。 寧ろ、 顔 を 美しく して 現 はれ 出ろ と 要求すべき なのです のに。 

以上の 言葉 は 私が 自分で 自分 を 鞭つ 言葉です。 私 は、 この 標準に 照して、 誇り顔に 「我が 藓 術を兑 よ. 一 と^^ 

の 前にい ひ 得ない 事 を恥ぢ ます。 然し 私 はこの 難澀な 標準に よって 自己の 道 を^ 拓 する 外 を 知りません。 諸^が 

き だん 

私の 作物 を 顧みて 下さる やうな 事が あった 時、 忌憚の ない 敎示 を與 へて 下されば 非常に 難 有く^ ふでせ う。 

へ I 九 一 七 年 十 一 十 n、 札幌 北お^ 帝ン 

V 國大學 ^科 人お 辯^ 部^^^に 於て ) 


有 島武郞 全集 第五 卷  一一 一一」 

ロダン 先生の 藝 術の 背景 

白樺 社が 丁度 n ダン 先生の 七十の 年 を 記念して 翁に 祝詞 を 送って, そして 先生から 三つの 作品 を 好意 を もって 

贈って 下さった、 その 時から 旣に七 年になる。 その 當時 ロダンの 名 は 日本に 於て 餘 りに 多く 知られて 居なかった。 

そえ かこの 七 年の 間に 少しく 敎 養の ある 人 は 誰も 知らない もの., ない 迄に 擴 がった の は、 一 面に 於て 確かに 先生 

の 偉大 さ を 語って 居る ものと 思 ふ。 

自分 は パリに ごく 暫く 滯 在して 居た 際に ルク サン ブ I ル 美術館で 「黄金時代」、 「セント. ヨハネ」、 「ダネ I デ」 

の 三 作品と、 そえから パ ン テオンの 階段の 下に 立って ゐる 「 考 へる 人」 と を 昆 たに 過ぎない。 それに 未だ 先生の 

傳記 とか 著作 等 を 研究 的に 讀んだ 事がない から、 私の 說く ところ は 或は 獨斷に 流れる 恐れが あるか も 知れない o 

さて 先生の 偉大 さが 何處 にある か、 自分の 揣 摩した ところに 依れば 先生 は 第一 その 性格の 根柢に 於て 純 竽の弗 

蘭 西 人で あつたと 思 ふ。 卽ち 中世 期に 美しい 華 を 開いた ゴシック 文化 を 生み出した ゴ ー ス 人の 血液 を S  くにず け 

ついだ 藝術 またと 思 ふ。 私 は そこに 先生の 藝 術の 根 抵の强 味が 撗 はって 居る と 思 ふ。 ー體第 十六 世紀 以來 

紀 迄の 歐羅 巴の 持って ゐた 文明と 云 ふ もの は、 つまり 文藝 復興 期の 文化の 進 運に 對 して、 どれ だけの 價値を 要求 

し 得る カを考 へて 見る のに、 文藝 復興 期の 運動 は 要するに ギリシャ 文化の 輸入で ある。 ところが 一 つの 文化なる 

もの は その 生み出され たる 民衆 を俟 つて 始めて 完全なる 有機的の 發展を 遂げ 得る ので ある。 從 つて 或る 民族が 

1 つの 文化の 生み出した その 文化 を 他の 全く 異 つた 民衆に 移し 植 ゑて、 それに 本然の 文化の 有機的なる 發 達を庶 

幾しょう と 思 ふの は 不可能の ことで ある。 しかして 文藝 復興の 運動 は、 つまり 伊太利、 弗瞎西 等の 種疾 が、 ギリ 


シャ 種族の 生み出した 文化 を 輸入し、 再興し、 生長 させよう とした 努力な ので ある。 が、 今 も 一- ムふ 如く、 ラテン 

民族と 云 ふ 種族の 上に、 ギリシャ 民族と 云ふ異 つた 民衆の 生み出した 文化が、 有機的な 狀 態で 接がれ £ る^ はな 

い。 だから 文藝 復興の 運動 は 一時 非常な 勢で 歐洲の 全土 を 席捲した にも 拘 はらす、 十七 八 世紀に 至って は 漸く^ 

マンネリズム  レ たづ  , 

生命 を 失って、 そして 一種の 型 に墮 落して しまった。 そして 徒らに 精神の ない、 形骸の みが 傳 へられた。 

この 半世紀の 狀 態から 生き 還へ らうと 云 ふ 努力が 十八 世紀の 末から 社會の 諸方^に 現 はれて 來た。 n ダン も乂 

この 叛逆 的 運動の 頭目と 目 さるべき 人で ある。 そして 如何なる 點に 於て 文 藝復與 期の 末世の 悲境から 遁れ 出た か 

と云幺 と、 自分の 中に 有って 居る ところの 血液 を强 く、 深く、 高く 働かせる ことによって それ を 成就した ので あ 

ちんせん 

る。 と 云 ふの は ゴシック 藝 術が 生まれ 出た その 精神に 自分が 沈潜して、 そして そこから 藝術を 生み出し たので あ 

る。 そして あの ゴシック 藝 術の 特徵 である 執拗な 程に 理智 的で あるく せに、 又 非常に 理想的な、 そして り 

すぐれて 勝った ところの 藝 術が 生まれて 來た。 

しかし、 もし これで 止んだならば 先生 は 一 侗暗黑 時代の ゴ シック 文化の 復興^と 云 ふに と^まった らう けれど 

も, 一度 文藝 復興 期と 云 ふ 時勢の 洗禮を 受けた 先生 は、 その 復興 期 を 生み出した ギリシャ 文化の 藝 術に 迴るュ 5" 

も 有して 居た。 そして 先生に 於て 极强き ゴシック 藝術は 美しい ギリシャの 生命 慾に よって 埒れ、 衣せられ、 肉づ 

そな へ もの 

けられた。 そこが 先生の 藝 術の 新しい 時代に 捧げた 一番 大きな 供物で はない かと 思 ふ。 そして そこから 新しい 時 

代が 幾多の 餘慶を 受けて、 新しい 藝術を 生み出した。 かくて 先生 は來 るべき 多望な 藝術的 運動の 大きな 一 つの^ 

頭 をな すに 至った の だ。 (談話) 

へ 一九 一 七^ 十二  n-ン 

〈「中 央 类 術」 所 E 

0 ダン 先生の 藝 術の 背景  三 一九 


九 一八 年 


藝術家 を 造る もの は 所謂 

實 生活に 非ず  . 

生 田 長江 氏が 私 を 批評して、 「パ ンと 牛乳ば かり 喰って ゐて 胃の 强さを 誇る 人 だ」 と 云った とい ふ 新^の 雑報 を 

わざく 送って よこして くれた 友達が ある。 生 田 氏が この 言葉 を 吐いた か 如何 か は 知らない。 又 その 記^ を^つ 

てよ こした 友達の 心 持 も 分らない。 然し その 記事の 內容は 私 をぎ くりと させた。 何故なら、 衣食の 問題に 絶えす 

頭を惱 まして ゐ なければ ならない 社會大 多數の 人々 から 見る と、 私の 踏んで 來た實 生活 は 消化され^ ぃパ ンと卞 

乳ば かりで 育ち 上った やうな 生活 だからで ある。 私 は 社會の 大多数の 人々 に 向って こんな 偶然な 安^な^ 活を送 

るの を濟 まなく 思って ゐる。 他人から 私の こんな 境遇 を 指摘され ると 私 は 何時でもき くりとす る。 こんな 生活が 

人の 心に ぴったりと 密着す る 藝術を 生み出す 爲 めに は 非常に 損な 生活で あると いふ 否む 事の 出來 ない ハ ン, ティ 

わ づらは  つく 

キャップが あると 共に、 今日々 々 に累 されす に、 しっくり 落ち着いて 立派な もの を 創 り^る 餘 裕を與 ふべき^ だと 

いふ 事實 は、 私の 今までの 仕事 を あまり 慘 めな ものにし てし まふ、 私 は 私に 與 へられた 生活の 餘裕を どれ^ 亂^ 

に 浪費して 來 たらう と 思 ふと 苦しくなる。 こ の點 になる と 私 は 誰に 詫びる よりも E 分 自身に 膝 をつ いて^び たけ 

れ ばなら ない。  . 

藝術家 を 造る もの は 所謂 赏生沽 に 非ず  H 二 一 


有: 島 武郞仝 集 第五 卷  三 ニニ 

然し バ ンと 牛乳ば かり 喰って ゐ ながら 私 は 胃の 强さを 誇った か。 それ は 明かに 誣言で ある。 容易な 生活 を さも 

深刻な 生活で もした やうに 思 ひこんで、 それ を 安々 と 通りぬ けて 來 たの を、 徹底的に 人生の どん底 を 立派に 切り 

拔 けて 来た やうに 私 は 誇った か。 それ は 明かに 誣言で ある。 私 は 今まで 私に 與 へられた 生活 を 出來る だけ 深く 省 

察して、 その 中から 吸 ひ 取られる だけの 有らゆる もの を 吸 ひ 取らう と 及ばすな がら 努力 をした 覺ぇは あるが、 そ 

の 生活 を乘り 越した が 故に、 これ 見よ がしの 誇り を 感じた 覺ぇは 嘗てない。 明ら さまに いはう。 これまでの 生活 

をす るのに 私 はありつ たけの 力 を 出す 必要 を 感じなかった。 私 は 十 だけの 力が あるなら 六 位の 力で 生活して 來 

た。 若し 私が 十 だけの 力 を 搾り 盡 した 生活 をし、 而 して それ を 立派に 切り抜けて ゐ たら、 その 時、 存分 誇って 差 

支へ ない の を 私 は 知って ゐる。 

然し 信じて 貰 ひたい。 六 だけの 力で 私が 取り入れた 實 生活 を 私 は 有る限りの 力で 省察した とい ふ 事が 出来る G 

そこから のみ 私 は 藝術を 生まう として ゐる。 私よりも 深刻な 實 生活の 經驗を 持った 藝術家 は當然 私よりも 深刻な 

藝術を 生むべき 約束に ある。 私が 安易な 實 生活の 享有 者で ありながら、 敢 へて 藝 術に 關 はらう とする の はた ビこ 

の 省察が 私の 實 生活の 缺陷を 補 ひ 得る と 信す るから だ。 

アルプス を 旅行して 來た 人が 山中の 石塊 を カントの 所に 持って来た。 カント は 有名な 出 嫌 ひで、 散歩の 區域ま 

で 自家の 小さな 地積に 限って ゐ たとい ふ 程の 人 だ。 カント は その 石塊 を 見ながら、 その 旅行家に アル ブスの 景色 

を 想像で 語り はじめた J 地 翳の 模様から 山の 形狀、 動植物の 分布まで 眼に 見る やうであった 爲め、 その 旅行家 は 

驚い たとい ひ傳 へ ら れてゐ る。 擧 者が 理智 によって なし 得た 所 を藝術 家が 愛に よつ てな し 得ない 害 はない。 


本質的に いふと 藝術家 を 造る もの は その 所謂 實 生活で はない。 その 愛の 强さ 深さ 髙さ だ。 この 平凡 極まる $n 

は屢 i 誤解され てゐ る。 愛が 實 生活 を變 化させる ものであるのに、 實 生活が 愛 を 生んだり 滅ぼした りする やうに 

考 へられたり 說 かれたり する。 藝術家 は 他人 眼に 深刻な 實 生活の 所有者で あるよりも 愛の 所有^: でなければ なら 

ない。 兩 者が 共存した 場合に は 固より 理想的で ある。 然しながら 若し その 一 つのみ が與 へられる 場べ:: に は、 薦 

家 はためら はすに 愛 を 要求すべき である。 

然し 愛 は 働く。 愛 は藝術 家の 實 生活にまで 働く。 而 して その 生活 を 愛の 尺度に よって, 化さして 行く。 これ は 

愛が 必す 成し遂げなければ ならない 結果 だ。 私が 今までの 生活 を 十 だけの 力で なく 六 だけで^ 活 して ゐ たとい ふ 

事 は恥づ べき 事實 だ。 本 當に藝 術 家の 內 生活が 燃燒 して ゐれ ば、 その 霄 生活 も ト だけの 熱 力で や: きられねば なら 

ぬの だ。 私 はこの 意味から だけで も藝術 家た るべき 十分の 誇り を 持つ 事が 出来ない。 

私 は 又 この 意味から トルストイの 實 生活の 活き方 を 尊い ものに 思 はすに ゐられ ない。 或は 责 ほに:: ル たら、 彼の 

$ た 

生活に も 像らない 所が あるの かも 知れない。 けれども 文献の 報す る 所から 兒れ ば、 彼 は 近代の 術^の 屮に、 r 

て 自分の 藝術的 良心と 實 生活と を 最も 嚴 しく 結びつけて 考 へた 人と 思 はれる。 彼 は 人生に 對 して 絶や 的た^:^ に 

陷 らうと した 瞬間 を 幾度 も經て 來てゐ る。 それでも 彼 は 死ぬ 瞬間に 絶^しても 遲く はない と^ふ ほど 人^ を^し 

てゐ た。 生きて ゐる 問に、 生活力が 用ゐ 切れざる 間に、 人生に 絶望す るの は大 それた 假ぉの 上に のみ 成り立つ 給 

論で あるば かりで なく、 そんな 事 は 彼の 愛の 魂 を 汚し 虐げる 事 だと 彼 は 感じた に^ ひない。 そこいら には^く 人 

生の 表面 を 撫で \ 見た 位で、 い i 加減に 深味の 足りない 兑 切り をつ け、 人生 を 茶 かし 切った やりた^ 活を ゆいて、 

藝術家 を 造る もの は 所謂 實 生活に 非ず  -:、,:- 


有 島 武郞仝 集 笫 w 卷  n 三 四 

したり 顔 をして ゐる藝 術 家と 稱 する ものが 隨分 ある。 何ん とい ふ 恥 知らす だ。 愛 は 執着 だ。 粘り強く、 執念深く 

その 對 象に 嗨 りっかな いもの は 愛で はない。 だから 本 當の藝 術 家の 生活に は 人生に 對 して 何等かの 形の 切ない 背 

定 が裏づ けられて ゐる。 トルストイの 生活に は甚 しい 矛盾 ゃ撞 ぎが あるに も 係 はらす、 此の 大事な 肯定の 經路が 

力強く 表 はされ てゐ ると 私 は 思 ふ。 藝術 家と しての 私の 生活 も 一 生か i つて あれ だけの 强ぃ 愛に 動かされたい。 

私の 知って ゐる 或る 立派な 女の 思想家が 私に 云った 事が ある。 これからの 藝術家 は その 生活 を 以て 昔からの fK 

才 達が 犯した 罪 惡を償 はなければ ならない。 と 謂 ふの は、 過去に あって、 天才 は 普通の 人間から は 別物 あっか ひ 

にされ てゐ た。 天 才は 過剩に 鋭敏な 感覺の 所有者で あるが 故に、 人間と しての 道 を 踏み 誤っても、 踏みに じって 

も、 それ は 已むを得ない。 それ を尤 めて はいけ ない。 天 才も それ をく よ- (- 思って はいけ ない。 天才 はた ビ 立派 

な 藝術を 世に 提供 すれば 足りる。 さう 思 はれて ゐた。 而 して 實際 幾多の- fK 才は實 生活に 對 して 氣ま \ な 横道 を 働 

ちが 

いた。 これ は 然し 間違って ゐる。 それ は 第三者から いへば、 天才 を 崇める 積り でゐ ながら 寧ろ 片輪 あっか ひに し 

た 事で あり、 天才 自身から いへば、 自分の 長所 を弱點 にし 終せ た 忌むべき 事で ある。 これからの 藝術家 はこの 代 

代の 負債き 立派に 償還す る だけの 覺 悟がなければ ならない とい ふの だ。 この 言葉 は實際 問題と して 强く 私の 心 を 

打った。 

私 は 思 ふ。 藝術家 は その 思想 生活に 於ても 實 生活に 於ても 最上の 生活 をし なければ ならない。 藝術 がその 理想 

として 最も 健やかな 人間性の 表現で なければ ならな いのは 勿論の 事で ある —— 何事に も 例外 は ある。 非常に 暗示 

に 富んだ 調子の 高い 藝 術が 病的な 人間性 を 基礎と して 生まれた 事 は ある。 然し 古今 を 通じて 最大な、 人間の 歷史 


に 有機的な 交涉を 持つ、 價 値が 段々 と 高められて 行く やうな 藝術 は、 设 も储 やかた: :2 い^ 識が 生んだ^ 術で あろお 

を 忘れて はならない II 最も 健やかな 人^性 を 表現す る爲 めに は, 藝術^ は 最も 健やかな 生活の 所お^: でな けれ 

ばなら ぬ、 少く とも そこに 目標 を 置いて その 全 生活 を 導いて 行かなければ ならぬ。 ^術^の 生活の 创 #3 は^して 

一朝一夕の 事で はない。 銳ぃ 實感と 嚴肅な 反省。 奔放な 想像と 細心な 踏路。 理想的な 藝術 家の 生活 は 絶大な 鎔錢 

爐を思 はせ る。 白 熾の 熱が 要せられる と共に * その 熱 を 抱きす くめて 放さない カ强 い^ 壁が 要せられる。 そこ か 

ら甫 めて 頑固な 鐵も 飴の やう になって 取り出される。 そこから^ めて. な 人生が お 術にまで^ かし代へ らし 

まか  わざよ 

る 1 一力の 强 いのに 任せて それ を 浪費す る 藝術家 は 災^で ある。 少く とも 彼 は 生む ベ かりし もの、 个ぉを 出卞し 

犸 すに 死なねば ならぬ からだ。 それ は 自己に 忠實 であらう とする もの、 して はならぬ^;. だ。 

e ダ ン の 生涯 を 思へ。 

崩れ か-つた 障壁の 中に 燃え かすれた 焰を蓄 へて. なほ 藝術を 生まう とする 人の 牛; 活 ほど 悲慘な もの はまた と 

世に あるまい。 愛の 不足から か X る 境遇に 陷る 不幸 を 私 は 想像す る だに 堪 へない。 愛 か、 然ら ざれば 死を與 へよ。 

私 はさう 祈る。 

(一 九 一 八^  二お 、「新 沏」 所載) 


義 « 家 を 造る もの は 所謂 實生^ に 非ず  II! 一 . ん 


才 g 
片 


謓 書に 耽って 時 を 過ごし. 夜寒が しんくと して 膚に 迫る 頃、 私 はふと 手近に 犬の 遠吠え を 聞いた。 私 ま^ま 

- そば-  .  -I-  o 

す 耳 を欹て - 深く それに 聽き 入った。 腹から 搾り 出される その 哀聲に は 唯 渾沌と して これと 定めが たい 不思議な 

訴 へが 潜んで ゐる。 一節 ごとに 有らゆる 哀愁 を 籠め た その 聲が稍 i- 長く 綾いて * 消える と共に、 犬 は 何事 も 無益 

であると 悟った もの か、 無 聲の夜 はもとの 寂寞の 姿に 還って しまった。 

生まれる とから 私 は 犬の 遠吠え を 幾度 聞いた か 分らない。 然し 今夜の やうな 深い 恐ろしい 喑示を 受けながら 聞 

いた 事 は 絶えて なかった。 地球の 上に 生を稟 けた ものが、 その 生存の 枳柢に 觸れる 事を餘 儀な くされる 時、 身 震 

ひ をしながら ぶっから すに は ゐられ ない、 あの 深淵 を^き 込む 時の やうな 淋し さが、 ひし,, f\ と 迫って 來る では 

ないか。 それ を 無事に 突きぬ ける 爲 めに は. 一生涯の 努力 を 寄せ集めても まだ 足りない やうな 淋し さが。 

そこに も ある。 こ X にも ある。 さう いふ 淋し さは 私達の 周圍の 到る 處 にある。 而 して 私達に 無窑を 思へ と 云 は 

ぬば かりに、 それらの もの は 私達 を 幾重に も圍 んでゐ る。 

それ だのに 私 は —— 鈍い 神經の 持主なる 私 は、 毎 曰 平氣に それ を 見逃しな から 一 曰々々 の 安き を偷 んでゐ る。 

何故 もっと 目覺 める 事が 出来ない の だら う。 目覺 めて 小さな もの、 私語に も 慈悲 深い 耳 を 傾ける 事が 出來 ない の 

* たらう。 

.  のぞ 

私 は 筆 を 執つ て羝に 臨む 事 を恥ぢ ねばならない。 


有 島武郎 全集 第五 卷  三 一; 六 


「米 は 南京お かす は あらめ、 何んで 絲 目が 出る もの か」 

「製 絲ェ女 も 人間で ござる、 责 めり や 泣きます 病み ゃ寢 ます」 

r 板に なりた や 帳揚の 板に、 なりて 手紙の 中 見た や」 

「願 ひ 上げます 見番 様よ、 どうぞ 一 夜のお 情け を」 

「今^ やうれ しゃ 見番 様の、 お 目に とまりて 優等 ェ女」 

これらの 俗諦 は 信 州の 諷訪で 製 絲ェ女 か 歌 ふの ださう だ。 これ を 大きな^で 讀み 上げる 资 格 を 私 は 持って ゐな 

い。 誰か その 资格を 持って ゐる人 はない か。 而 して 大きな 聲で それ を 欲って くれない か。 而 して 私 を 始め、 ^の 

中の 眠った 魂 を ゆり 覺 まして くれる 人 はない か。 

尊い 藝 術の 材料の 如何に あり 過ぎる 事よ。 それ を 拾 ひ 上げて 自. s に 形 を 與へる 人の 如何に 少な 過ぎる ことよ。 

さう いふ 人生 は餘 りに 淋しい。 苦痛と 悲哀と を 胸 一杯に 包みながら、 啞の やうに 默 つて 歩いて 行く 人 翊 を はろ の 

は 寂しい。 

優れた 藝術 家が 出て 來る やうに。 私 は その 人の 前に 本當に 謙遜な 感謝の 心 を 以て 跪きたい。 

讀寶 新聞で 私の 「小さき 者へ」 に對 する 近 松 秋. 江 氏の 感想 を讀ん だ。 而 して C 分の 力の 不足 を 悲しんだ。 

秋 江 氏 は 私が 出産の 光景 を 描いた 所 を 讀んで 思 はす ふき 出した と吿. H: して^られる。 さう だ、 凡ての^., In た 

努力の 有様 を、 その 常事 者の 心に なれない 第三者が 見る と、 凡そ 沿^な 物で あるに 逮 ひない。 例へば:: 人 S 人が 

鋭い 匁 を 持って 殺し 合 ひ をして ゐる 恐ろしい 場合で も、 遠くに 兌て ゐる 人には^が 兑 えなかったら、 少 く, v-,-^ 

が 棒切れ か 何ん ぞの やうに 兌え たら、 見て ゐる人 は、 その 場の 滑 稃に思 はす 知らす 吹き出した に^ ひない。 火お 

想  片  三 二 七 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  ! 一三 八 

を 見す に 火 蓽揚で 働く 人 だけ を 兌、 死者 を 見す に 臨終の 床に すがり 附 いて 泣く 人を兒 たら、 誰でも 至極の 滑稽 を 

感す るに 決ま つて ゐる。 

秋 江 氏が 思 はす ふき 出した の は, 私が あの 小品の 中に、 讀者を 十分に 眞 面目に する だけの 力 を 持って ゐ なかつ 

た 證據 だとい はなければ ならない。 あの 出産の 場面の 描寫が 緊張した ものになる かなら ないか は、 あの 小品 全體 

の與 へる 心 持が 深い か淺 いかによ つて 決まる の だ。 本當 をい ふと、 讀 者の 資質 如何によ つて 決まる ので はない。 

勝れた 作品 は、 讀 者が 如何に 馬鹿にして か-つても、 讀ん でゐる 中に 何時と はなく 引き入れられて、 批評 的な 

態度 を 捨て \、 作者の 心 持で 讀 者の 心が 充ち 溢れる までになる やうな もので なければ ならない。 そこまで 行って 

ゐ なければ、 本 當の藝 術 品と いふ 事は斷 じて 出來 ない。 藝術家 も それ 以下の もので 滿 足して ゐて はならない。 

秋 江 氏の  一 一一 一一 口 を 私 は 深い 頂 門の 一 針と して 頂いて 置く。 而 して 足らぬな がら、 更に 努力 を 重ねて 見る。 

私が 秋、 江 氏に 對 しでかう いふ 物の 云 ひ 方 をす る やうに なった の は、 皮肉から ではない。 又 秋 江 氏に 對 して 恨み 

を 持つ からで は 勿論ない。 

私 は 去年 岩 野泡嗚 氏と 新聞紙 上で 或る 事柄に ついて 論戰 をした。 私 は その 時 も隨分 激しい 言葉 遣 ひ をした。 然 

し 途中で そんな 霄葉爭 ひの 無益 を 深く 感じた。 それ 故泡嗚 氏に 云 ひ 送って 二人で ゆっくり 問題 を 論じ 合って 互の 

理解 を 得. 若し 必要ならば、 兩 人の 名前で それ を 公表しょう とした。 

その後 私 は 含 田 百 一 二 氏が 「帝國 文學」 に 書かれた 「文 擅への 非難」 を 讀んで 深く 打 たれた。 實際 他人の 攻撃に 

對 する 今までの 私の 態度 は 非常に 間違って ゐた。 氣が附 きかけ てゐた 所に この 立派な 感想 を 讀んだ 事 は眞に 私の 

幸だった。 私が いくらか でも 私の 本性の 本當の 要求に 近づく やうに なった 事を^ 田 氏に 向って ぉ禮 する。 而 して 


今まで 私が 亂 暴な 言葉で 防 戰の矢 を 放った 諸氏に 對 して 陳謝す る。 

餘 りに 易々 と 自分の 態度 を變 へようと する 私 は、 輕 薄な 淺 慮な 男で あると いふ 非雞を 免れ る^が 出來 ない。 こ 

れは 仕方がない。 又僞善 的な 男で あると いふ 誹謗 を 受けない とも 限らない。 これ も 仕方がない。 

唯 信す る 事の 出 來る人 だけに は 信じて いたぐ きたい。 これから も 私 は どんな 場合に か、 思 はす 我れ を 忘れて、 

人 を 傷け る やうな 霄葉を 出さない と は 限らない。 恐らく それ は 私の しさうな 事 だ。 然し 木 常 は 私 は 何^か 心の 隅 

あ ひ £ 

でさう した 事に 苦痛 を 感じて ゐる —— 人間の 凡てが さう である やうに。 而 して 私 は その 過ち を 一 一度と しない やう 

に勉 める だら う。 それ を 信じて いた^-きたい。 

倉 田 氏と いへば、 「文壇に 對 する 非難」 を讀ん でから^に 思 ひ 立って 氏の 「出家と その^ 子」 を^み 終へ た。 

實は 私の 若い 友達の 二三 人が それ を 讀んで 非常に 感心して、 私に も^ 非讀 めと 云って くれた。 而 して 一入 は そ 

の 書物 を 貸して くれた。 私 は 纏まった 氣 分の 時讀み たいと 思った ので、 一 日々々 と 延ばして ゐた。 而 して • 時 は 

それ を眞宗 の 或る 僧侶に 又貸し、 た。 (その 傦侶は 惜しい 事に は それ を讀み 終へ なかった やう だ" 2: 緣の滩 い 人と 

いはなければ ならない) 所が この間から 私 は 急に 讀み 度くな つて 急いで その 佾 侶から それ を 返して 赏 つた。 

二 曰の 間 私 は 全くち がった 氣 分に 喰 ひ 込まれて しまった。 これ こそ 藝術 だ。 私達が 世界に 向って 誇って い、 勝 

れた藝 術 だと 思った。 白狀 する が、 私 は 幾度 も淚が 出て 來て字 を 拾 ふ 事が 出來 なかった 位 だ。 こんな 勝れた 人 を 

私達の 間に 見出した 事 を 何ん といって 喜んだら い- -だ らう。 私 は 自分の 心が これ を 勝れた ^術と 兌 分ける 卞が出 

來、 大きな 聲で その 所信 を 公言し 得る だけに、 自分の 藝術 上の 視覺が 正しかった 事 を 自分に^ 谢す る。 介 m 氏 は 

病身 だと 聞いて ゐる。 氏の 肉體 にも 新しい 力が 惠 まれる 事 を 私 は 心から 祈る。 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  三 三 o 

然し 私 は 倉 田 氏の 足跡に 從 つて 歩いて 行く 事が 出来る か。 悲しい けれども 私に はま だ それが 出來 ない。 私に は 

まだ 有り 餘る 不平が あり、 憤怒が あり、 憎惡が ある。 私は大 それた 未成品 だ。 苦しみながら も 私 は それ を どうす 

る 事 も: 3 來 ない。 それ を 毒釵の やうに 吐き出して しま ふまで は 私ま靑 い  もの こ /よ. ^_な Co 

>  ま 5  く. jj う 

禾 お 四十 だ- 而 して まだ そんな 所に 彷徨して ゐる。 而 して 自分の 生活 を 本當に 改造す る だけの 勇氣 すら 持って 

ゐ ない。 恥づ べき 事 だ。 然し 實際を 曲げる 事 は 如何しても 出來 ない。 それなら 何故 私 は 公衆に 向って 書く か。 お 

の 煩悶 を傳 へたい 爲め にだ。 幽かながら 私が 迪 つて 行かう とする 煩悶から 解脫 への 一 路 を白狀 したいた めに だ。 

多くの 讀 者に はこれ は 迷惑な ことで あるか も 知れない。 然し 或る 少數の 讀者は 私の 叫喚の 中から、 さ, - やかな が 

ら 愛の 苦しい 眼 覺めを 見分けて くれて ゐる こと を 思 ふ。 私 は それにす がりつ く。 

^京の 遠い 未 來は遙 か 先に ある。 それ を 目が けて 私 は 牛の やうに のろい、 然し しぶとい 歩み を 運んで 行かう。 

(1 九】 八 年 四月、 「新潮」 所載) 


林檎の 野 (米 國) 

(「花の 趣味と 各國民 性」 とい ふ 問に 答へ て) 

米國 に は、 nn 本の 樓花 や 菊花 の やうに National  flower と 云 ふべき 花の ある こと を ii かない けれども、. St  <tc  flower 

と 云って 各 州 を 代表す る 意味の 籠った 花が ある こと は 聞いて ゐる。 

しかし 私 は米國 人と 云 ふと 先づ 第一 に 林檎の 花 を 忍 ひ、 林檎の 花を兑 ると 米!: 人 を 聯想に?; t: ベる。 

林檎の 花 は 健全な 若い 婦人の 頰の色 を 見る やうな^ 紅色 をして ゐて、 何とも 云 ひやう のない 野趣と、 無邪氣 な 

好い 感じ を 持って ゐる。 この 花 は 庭園に 美 觀を添 へ る 目的で 川ゐる 場合に は 不適お であるが、 ^々とした の 

ふ さ 

花と して 眺める には實 にこ の 上な く相應 はしい。 

私 はか \ る點 から 林檎の 花が、 米!: 人の 仲び,/— とした リフ アイ ンメ ント に 捕 はれない 心 持 を 現 はして ゐ ると 

思って ゐる。 

私 は 都會の 喧騷な 刺戟に 疲れて しま ふと、 よく 田 舍に旅 をして 行って、 北ハ虚 此虑 の^ 樹^に^々 した 仞なの 光 

あ  I 

を 浴びて 美しく 哚き 誇って ゐる 林檎の 花 をみ て讃 嘆の 聲を あげた もの だ。 感じ^い 旅人の 心に この^ 樹^ ハも ^ 

が强ぃ 印象 を殘 した。 

林擒の 花の 次に 私の 心に 浮ぶ の は ライラック である、 - この 花 は 紫と .G との 一 ー秫 類あって 奸ぃ^ ; S を S: つて ゐる" 

日本で も 北海道に は 野生の ものが ある。 

私の 住んで ゐた^ 部米阈 の、 殊に 北方で は, ライラックが 到る 處の庭 ^や 生垣に 桢 ゑら れ てあつて、 人の 

林檎の &  11 二:: 1 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  I 一二 I 三 

非常な 愛着 を牽 いて ゐる。 

この 花 は 一年中で 最も 好い 氣 候の 五月 中旬から 六月へ かけて 開花 期 を 持って ゐる。 綺麗に 晴れた 碧空から、 躍 

る やうに 降り そ.^ ぐ 光線に ぬれて 哚 いて ゐる紫 ライラックの 花 は實に 美しい。 新綠の 草原に 寢轉ん で 淸淨な 签氣 

を 呼吸し、 田園の 靜寂を 破る 唯 一 の 虻め 蜜蜂の 翅音を 聞き 乍ら、 この 花の 茂み を 眺めて ゐ ると 資に 好い 氣 持に な 

る。 よく 田園詩に ある やうな 靈 魂の 搖籃の やうな 自然の やさしい 恩惠を 感じる。 

路傍に 哙 いて ゐる 瑠璃色の 多 瓣な矢 車 草、 可憐な 白い マ ー ガレット も 非常に 多い 花で、 そして 米國 人に 好かれ 

てゐ る。 マ ー ガレット は 牧草の ために は 有害な 雜草 では あるが、 牧場に はきつ とこの 野趣 ある 可憐な 白い 花が、 

媚び を 知らぬ 田舍 娘の やうに 哚 いて ゐる" 米 國人は これらの 草花 を 折り 集めて は 食卓 や 机上 を 飾って 慰んで 居 

る。 野の花の 野趣 や 無 邪氣な 感じに 彼等の 心が 牽 きつけられ るの だ。 

ー體、 米國 人に 限らす 西洋人 は 花の 趣味が 豊富で、 愛着 も强 いやう である。 だから 米阈 などで は 公園 は 勿論の 

こと、 侗 人の 庭園に も 美しい 草花が 植 ゑて ある。 殊に 繁華な 都會の 公園 地の 花 擅な ど は、 ^マ^1.敬1ーぉ_にょって 

莫大な 費 ffl を惜氣 もな く かけて、 花卉 を 綺麗に 植ゑ つけて ゐる。 

爇 術の 分野に 取り扱 はれた 花卉 は米國 の建國 の歷史 そのものが 新しいだ けに 非常に 少 いやう である。 

米!; 建築の 白^と も稱 すべき コ 口 一一  ャル. スタイルと 云って、 ひどく 太い 柱 を 幾つ もっかった 素朴な 重々 しい 感 

じの する 様式が あるが、 これた ども 希臘の コ ンリト 風の 柱の 装飾な どの やうに 花卉が 少しも 應 用され てゐ ない。 

文學の 方面で は、 詩人 ホヰッ トマ ンが 彼の 作 中に ライラックの 花 を 歌って ゐ るが、 しかし これ は 佛蘭西 人が 「花」 

に 就いて 謳った やうな そんな 重い 役目 を 負うて ゐ るので はない。 米國に 於て 一 般 的に 愛誦され る 口 ングフ H  " 1 

や ホヰッ テア は, 彼等の 美しい 優しい 詩の 中で、 私が 米國 人の 氣質 を象徵 して ゐる やう だと 云った 林檎の 花 を 謳 


つて ゐる c 

米!; 人が 美術品 を 取り扱 ふ 熊 度 II それ は 美術品 を^ 術 品と して 享樂 し、 珍柬 し、 愛;^ する ことなく、  d 分 を 

装飾す る 物品の 一 つと して 取り扱 ひ 愛玩す る 態度 を、 「花の 趣味と 米國民 性」 と 云 ふ 問題の k に 移して^-へ る こと 

が 出来る。 米國 人の 多數 は、 美術品 を 美術品と して 愛さぬ やうに、 又 花卉 を も 欺に 花卉と して 愛撫す る こと をし な 

い。 みな. e 分 を 中心として 自己の 装飾に 使 ふので ある。 利用す るので ある。 こ、 に 或る Si の 文化 を^み 出しつ、 

ある 米 國國民 性の 根強い 特色が あると 私 は 思 ふ。 

(一 九 一 八 年 四月 「新 小說」 所^) 


林^の 野-  さつ 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  コー 一一 一四 

める 六月の 日記 

十七 日 

. 昨夜 ディ ャル. チバを 一錠 呑んで 寢 たの だけれ ども、 黎明の 微光が 雨戸の 上の ガラス を 通して さして 來 ると、 も 

う 瞼が 開いて しまった。 夜着の 袖で 眼を隱 して、 寢息を まねて 見たり する けれども 寢 つかれない。 この 春の 熱 K 

以来の 惡ぃ 習慣に なって 了った。 今日 も 五月雨が 朝から 降って ゐた。 何ん とい ふなつ かしい 觀!5 の 感じ だ。 私 位 

雨の 妇 きな 人間 は 珍ら しいか も 知れない。 きら,/, \ した 日光が 梟の やうに 嫌 ひで、 書 齋の中 を 薄暮 程に 喑 くして 

置く 私に は、 雨 もよ ひの 空の 光 程 親しまれる もの はない。 ミレ ー も 曇った 空の 讃美 者の 一人で ある。 それ を發見 

した 時 は 可な り 愉快だった。 ミレ ー に 云 はせ ると 曇った 筌の 下に ある 物象 は、 色彩の 纖 美な 特色 を發 揮す る さう 

だ。 雨の 音 もい \。 その 潤 ひもい > -。 第一 私の ひそみ 勝ちな 眼が はっきりと 大きく 開く。 熱し易い 腦が 過度の 乾 

燥から 緩和され る。 

朝の 中 は 隣り から 生 馬 夫婦が 來て、 一葉 女史の 全集 を 返して くれた。 今夜 母と 歌舞伎 座に 行く ので、 母に 「に 

ごり え」 を讀 ませようと 思った の だ。 母が 讀ん でゐ るから ふと 見る と 「われから」 を 幾 頁 か讀み 進んで ゐた。 そ 

こ は 違 ふといったら 「にごりえ」 とい ふの は その 本 全體の 名で、 その 一 章に 「われから」 とい ふの が あるの だと 

思って ゐ たと 云 ふので 大笑 ひ をした。 書齋に 行って 「新時代」 に 寄せる 「藝術 制作の 解放」 とい ふ 小さな 感想文 

に 筆 をつ けて 見た が氣 が乘ら なかった。 書け ない となると どんな 下らない もので も 書く のがい やになる。 而 して 

何時でも g 間が 逼 つてから 攻め立てられて 苦しい 思 ひ をす る。 こんな 惡ぃ 習慣 を 破らなければ 到底 大 乍に 手を染 


める 時期 は來 ない。 大變惡 い 事 だ。 原稿 羝に向 ふの が 厭に なった ので 手近な 書物な どを跺 り顿げ てお む。 S 夫人 

が 貸して くれた フラ ンスの 「シル ベ スト ル. ボナ ー ルの 罪惡」 を 開く と 強烈な 香料の 匂 ひが 部屋に 溢れる か と^は 

れる。 香料の 爲 めに 弱い 心臓 を 殊更 弱くして ゐる や-病的な その 人の 趣味が 私に も乘り 移る やう だ。 ひ はお 樂 

に 近い 效果を 人の 感覺 に與 へて くれる。 

歌舞伎 座 は 一 一時から 始まる とい ふので、 母と 生 馬と 私と は 丁度 その 時刻に 直營の 茶屋に 行った J 「麻の L,r-」 と 

「一葉 會」 ともう 一 つの 總 見の 札が か-つて ゐた。 表看板 は 皆 取り入れられて 入口 正面の 所に 竝べ てあつた。 新派 

劇の 看板と いふ もの は 世に 俗惡な もの X 一  つ だと 思 ふ。 劇場に 這 入って から 廣^ を^る と 11 場 は 一二 時と なって ゐ 

て、 見所に は 撒いた 程し か 人 は 來てゐ なかった。 私 等の 席に は 生 馬の 招いた 赘 家の 長^ 氏が、 通知^り 一時^-か 

ぼつねん 

ら來て 待って ゐ ると 云って、 孑 然として ゐた。 

恥 かしながら 私は覺 えて ゐ ない 程 以前に この 座に 來た事 は あるが、 その後 は 一一; 叫 囘立兑 をした ぐけ なので 小ノし 

も 案內を 知らない。 が e: 人 連れ立つ て先づ 三階に 登って 見た が、 そこに はこれ とい ふ もの もない ので、 この = の 狂 

言の 繪 葉書 を 買って 二階に 降りる と、 そこに 故 春 葉、 一葉の 遣 品が 陳列して あった。 可な り廣 いおお き., い^^の 

中央に 椅子 テ.. 'ブルが 据ゑ てあつて、 番人の 娘が 二三 人 所在な さ-うに 散らばって 講談 か 何 かを讀 んでゐ た。 そ 

の 床の間に は 擦筆畫 らしい 春 葉の 大きな 肖像が 安置して あって、 誰から かの 造花の 大きな 花環が 供 へられて. 

た。 床に 繽く 違棚と いふ やうな 所に は、 春 葉、 一葉の 遣 作と、 春 葉の 「憂き身」 の 原稿と が 陳列して あった。 そ 

の 右手に あたる 一 間 位の 壁 間に 一 葉の 遣 品が 列べ てあつた。 

全集で 親しみの ある、 濃くない 髮 をつ、 ましく 結んで、 さっぱりした 衣服 を^た 半身の 肖像が 少し 引き延ばし 

て 懸けて あった。 甲 州 人の 一種の 覇氣 に、 江 戶兒の 切れ味の よさ を つきまぜて、 その 當 時に 受けて ゐた 女性の し 

ある 六月の 日記  三 三 五 


有 島武郞 全集 第五 卷  一 sj ゥ 

がない^ 命と いふ 様な ものです つかり それ を 包み こんで ゐる やうな 女史の 氣性 を、 其の 肖像 は 可な り 忠實に 苗き 

出して ゐ ると 云へ よう。 其の 容貌の 何處 にも 悒欝 らしく 見える 所 はない けれども、 一種の 陰影が 寫 眞全體 に^よつ 

てゐ るつ あんな 時代に あんな 境遇に 生まれて 来べき 私ではなかった の だとい ふ 形が: 十分の 1 がの 下から ほの 見 

えて ゐ る。 それが 彼女の 容貌の char ョ であるら しい。 「にごりえ」 を讀 むと、 お 力が 何 か 物に 飽き 足らぬ やうな 

風が あるの を 結 域が 不審して (■ お前 は 出世 を 望んで ゐ るな — とい ふ 所が ある。 讀んで 見る と 誰に でも 解る, o, 

うに あすこの 件 だけ は 作者が どうした のか 突然 客觀の 立場に 蹉. いて 露骨に も主觀 的な 弱點を 取り繕 ふ 暇 もな く 暴 

露した 跡が 著しい。 私 は あすこ を 讀んで 思 はす ひやつ とした。 一葉と いふ 人に も あんな 破綻が 見える 事が あるの 

だ。 修飾され ない 主觀 —— それ は 一 葉の 裏 を かいて 面白い。 fK 才が 到底 人間で あるの を 裏書きして ゐる のが 板 も 

しい。 一葉の 容貌に は, 女 だけに、 流石に そんな 隙 は 見せて ゐ ない。 然しながら よく 見て ゐ ると、 さう した 空氣 

は何處 かに 漂って ゐる。 

肖像の 下に は 馬場 孤蝶 氏に 送った 手簡の 一 部分と、 色羝と 短冊が 一 枚づ \竝 ベて あった。 圓 味の ある 美し い 手 

蹟だ。 自分で も 少し 歌の心 得の ある 母 は 千 蔭の 直流 だと 感じ入って ゐた。 手簡の 文句が また 痛く 一葉ら しい もの 

だった。 何 か 古事まで を 苦 もな く 引照して 少し 氣 取った 文體 で, 孤蝶 氏に 對 してから かふ やうな、 親しみ を 籠め 

たやうな 一 種の 淡い コケ トリ ー が 現 はれて ゐた。 その 前に 置かれた 分厚な 原稿 は 女史の 本當の 生活 史 らしく 私の 

眼に 映った。 

東洋 軒の 出店で 紅茶 を飮む 頃に 樂屋 からし やぎ ひの 音が 聞こえた。 長 島 氏の 京都 訛りと 慰ら かな 容貌の 感じと 

が^ を 珍ら しがら せた。 そこ を 出て 廊下に 來 ると、 女將 らしい 肥った 婦人が 一 一! 二人 こっち を 向いて 來 たが、 瘦 せた 

若い 男が 附き 添って ゐて、 どうも 餘り 新しい 文擧 書類 を讀 みつけない から、 「にごりえ」 の 筋 も はっきりと は 判り 兼 


ねる とい ふやうな 事 を 辯 解して ゐた。 

座に 就いて 暫くす ると 木が 這 入った。 右 後ろの 特等席に は S 家の 老若 奥さん 達が 來 てんた。 左の:! 1: 席に は屮尸 

川 氏と 山內 氏が 來てゐ た。 暫くす ると 谆も來 た。 その外に 一 紫 會で來 たらしい 人の 弒は兑 えなかった。 入り はじ 

分と いふ 所で あらう。 「にごりえ」 の 頃になる と 一杯に なって ゐた。 

春 葉の r 薆き 身」 は 長 帳場の 五 ^物で ある。 喜 多 村で も 河 合で も 私 は 始めて 兌た の だ。 その 人^が この 釗を ,H 

する のに どれ 程 自分の 技倆 を發 揮す る 事が 出 來てゐ るの か、 始めての 私に は 少しも 钊ら ない。 この 刺で ー桥 题 

となり 研究 を 要する の は 勿論 日出 子と いふ 河 合の 持 役で あらう。 彼女 は 一 面に 於て,;:: 分の 過去の^ 惡 (;: : 出丫は 

さう 信じて ゐる) を隱 し、 その 罪 惡の結 架なる 一子 を 捨て \ も、 生^の 安お と 榮^: と を 心 懸ける 物慾の 强ぃケ で 

ありながら、 その 道 德觀は 全然 在来の 習俗から 脫せ す、 一子に 對 しても 可な り 性格の 弱い 女の 抟 つ ^縛 を;;: して 

ゐ るの だ。 而 して こんな 矛 55 した 性格 や 習性から 胚胎され た擧 動が 悉く 無 に 行 はれて 行く の だ。 だから^の 

苦悶に も覺 悟に も 躊躇に も 遂行に も 何等 倫理的な 意義 はなく、 物質的な 力の 離 八:: が 勝手 放题に 彼女 を 弄んで^ 後 

しめぎ  し ぶ 

の 悲劇 を 生む に過ぎない。 部分々々 に は 人は締 木に かけられた やうに 淚を 搾らされる。 然し 凡ての 人物の;.^ おが 

五 幕 目の 終りに 來た 時、 人 は淚を 無理 强 ひされた 事 を 思 はすに は ゐられ なくなる。 この 釗を兑 終って から^の, お 

する 所 は 苦々 しさ だ。 人 問の 魂が窗 E な 物質の 力に こづき 廻され、 虐げられ、 踏みに じられ て、 しかも ー庞も W 

も覺 まさす、 物質の 力の 上に 其の 輝き を與 へる 事 もな くして、 おめ- と摧 かれて 了った。 その 卞:: 々しさ ヶ^す 

るば かりだ。 

それでもい \。 作お が 若し そこに 氣が附 いて、 さう した 無知な 人 の 群れ を 意識的に^ か-つと したの なら そこ 

に 一 つの 藝 術が 成り立つ 譯だ。 然し II それ は 原作^の 仕業 か、 釗 化した 人の 什^ か 知らないが II 此の 刺のお 

ある 六月の 口 記  H:!:- し 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  ーーー!ー 一八 

末に は 道德的 結論と か 運命的な 成り行き とか 云 ふべき ものが 明かに 示されよ うとして ゐる。 そこに 作家の 洞察力 

と 倫现觀 との 間に 非常に 廣ぃ 溝が ある。 それが 大變 いけない。 河 合の 日出 子が 少しも 觀 客の 同情 を牽く 事が 出来 

な いのは こ \ にある のでない か。 如何なる 名優で も 筋の 解釋を 全くし 直さす に は 此の 劇の 女 主人公 を 本當に 悲劇 

的な も の に す る 事 は 出來ま い と 思 ふ。 

^幕 目の 時 母 は 無理 强 ひに 淚 をし ぼり 出される 苦し さに 座 を外づ したので- 私 も 一 緖に座 を 立って 二階の 花 月 

で 夕餉 をした \ めた。 時間が 早かった 爲 めに 客 は 叫 組 ほどより なかった。 食堂の 一隅に 枯川 氏の ー圑を 見出し 

た。 食堂 を 出て 廊下 を 少し 歩いて 見た。 雨 は 小 やみに なって ゐた。 服の 下に は 狹ぃ撗 町が あって、 向う側に 建ち 

繽 いた 二階建の 長屋の 一軒に は 球 突きの らしい 看板が 出て ゐ たが, 客はなかった。 その 隣り の 二階の 手攔 から 下 

に は 簾が 垂らして あって、 その上に 束髮の 頭が 見えたり 隱れ たりして ゐた。 それが 裁縫で もして ゐる らしかった。 

しるしばんてん  キー. Ht" 

人通りの ない 往來 をた つた 一 人 印半纏 を 着た 五十 恰好の 男が 足駄 を 鳴らして 通って 行った。 束髮の 頭が 一 際 fng く 

持ち 上って それ を靦 いた。 と 思 ふと、 すぐ 引っ込んで しまった。 

穴の 奥と も 思 ふやうな 暗い 深みに 舞 臺が兒 えて、 神社の 鳥居の 前の 所に 二人の 女が 立って ハ ンケチ を 眼に あて 

て 何 か 話し合って ゐた。 眼の 前の 棧 敷に 後ろ向き になって 坐って ゐる 見物の 婦人 連 は、 一人 殘らす 舞 臺の人 を眞 

似す る やうに ハ ンケ チを顏 にあて- 1 ゐた。 そこに ある いくつもの 棧 敷の 入口に は 「柳 撟樣」 とい ふ 札が か X つて 

ゐた。 母が 卷 煙草 二 本 を 吸 ひ 切る 間 を 待って 私達 は 風月の 出店に 行って、 茶 を 啜らう とした。 給仕 をす る 女が 泥 

まみれに なった 足駄 を 仰向けに 後生大事に 右手の 上に 載せて 下から 昇つ て來 た。 而 して 乎 も 洗 はすに 私の 所に ァ 

イス タリ ー ムを 持って 來て くれた。 たしかに それ を 見届けながら 私 は 平 氣な顏 をして それ を 喰べ た。 私 はよ くそ 

んな事 をす る 男 だ。 


座に 歸 つた 時 四 幕 目 は 終りに 近づいて ゐた。 棧 敷に ゐ る人逹 は んな 泣いて ゐた。 所が 中途から 舞^ を =x る 私 

は どんな 悲しい 姿が 演ぜられ たの を 見ても、 恥 かしい 程の 泣蟲な 癖に. 泣く 氣に はなれなかった。 それ を 終^ r 

るの は 私に とって 不思議な 感じだった。 

いよ <  「にごりえ」 が 演ぜられる 岙 になった。 「薆き 身」 で 失望に 近い 退: S を 感じて ゐた私 は 不安な しに は II 

幕 を 待つ 事が 出來 なかった。 

然し 第 一 幕 を 見て 感激 を 感じた 私 は 第一 一幕に 來て 深く 感動して しまった。 原作と 比較して 兑る とこの 刺^に も 

その 改作に 苦心の 跡 は 兌え ながら 可な りな 無理が ある。 例へば 原作で はお 力と 給 城の 關 係の 巡行が 一一 •:! になって 

別々 に 描出され てゐ る。 お 力が 結 城 を^ら せる までに は實に 微妙な 心现の 推移が 行 はれて ゐる。 それ を この 劇で 

は 一場に してし まって、 お 力 を 身受けしょう とする。 原作で は 最初の 會兑 にお 力に 云 はせ て ある;::::: あ を、 そ €51 

使用して ゐる。 これで はお 力が 本當に 働く 餘地は 無くなって ゐ ると 云 はなければ ならない。 

そんな 缺點が あるに も 係 はらす、 此の 劇の 戲曲 的效^ は 前の ものに 比して 何ん とい ふ^^だ らう。 河 介で も^ 

#^  -ン 

多 村で も 前の 芝居の 河 合 や 喜 多 村と は 全く 別人の 觀が ある。 殊に 喜 多 村 は、 所謂 儲け役で は あらう けれども、 , 

醇な 人^味 を 十分に 出して ゐた。 私 は 一葉と 春 葉との 才能 を 比較し ようと は 思 はない。 ^一  私 は^ 藥の もの を <r: 

く讀 んでゐ ない。 然し 兎 まれ 一葉が 或る 種類の 生活 を 兌ず: く 力の 天 才的 であるの を 誰が 拒み^ょう。 刺と しての 

「にごりえ」 の效栗 は、 實に 女史の 天才の 力が 色々 な 障碍 物 を 潜り 拔 けて 現 はれた もの だと.: ム つてい、。 それに-. に 

多 村 や 木 村 や 河 合の 鼠 〈面目な 努力が 戲曲 化の 不十分 さ を 補って ゐる。 

第一 幕で 喜 多 村の 源 七が、 三菱の 古 半纏 か 何 か を 着て、 菊の 井の上 框に^ を かけて、 酌: g が 吸 ひつけて くれる 

長 煙管 を 受け取る 仕草 を 見る と、 私の 眼から はどうした もの か 淚が續 けさ まに 流れ出た。 而 して^ はす 嘆れ ハ^ 

ある 六月の 日記.  -. ::: 九 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  一一 一 

きせる  ん  一 * 

を 出した 疊に 近く 乎 を 出して 下から 煙管 を そっと 受けて、 跼み加 滅に體 の 方 を 其の 吸口に, つて 行く、 ぁ乜 は 

源 七の 心を畫 にして 描いて 見せて ゐる。 先き の 望み をぶ つりと 斷ち 切られた • 勝 氣でゐ て 極! gM, 淚っ? 7 つ C  A 力 

が, 運命的に 惚れ込ま すに は ゐられ ない 男の 甲斐性な さと、 控へ ひ^な 實意 とが 其の儘 現 はれて ゐた。 

第二 幕で 私 は 木 村のお 初に 感心した。 喜 多 村の 脇師 としても、 あれで 十分 だと 思 ふ。 若し 喜 多 村が 度々 延び 上 

つ て 近 用の 菊の 井 力ら 漏れて 來 るお 力の 三味線と 歌と に 聞き惚れる わざとら しい 仕草がなかったら、 M 七の 殳 

は 更に 光を增 した かも 知れない。 この 幕 も 原作で はたし かに ニ囘に 耳; る描寫 を、 縮めて ゐ るの だと 思 ふ。 然し こ 

の 場合 は 第一 幕の 場合よりも 遙 かに 成功して 不自然の 感 がない。 先 づ心を 奪 はれ、 生活 を 奪 はれ、 妻子 を 奪 はれ 

ながら、 不幸の 源で あるお 力に 益 M 盲目的な 執着 を 深めて 行って、 自分 や 妻子 を 救 ふ 事が 出来ない ばかりでなく- 

自分ながら 思 ひも よらない 深刻な 執着と、 淚 もろい 女の 弱味に しっくり はまり 込んで 行く やうな、 弱味の ^衣と 

でもい ふべ き 性格 を 以て、 とう, (-ぉ 力 を さへ 死に 導いて 了 ふ: 小 幸な 源 七が、 我と 我が身 を もて あっか ひ 兼ねて、 

性根な く 起きて 見たり 轉 がって 昆 たりす る 苦悶 は 可な り 强く晛 はれて ゐた。 

然し 第三 幕 目 を 見て 私 は 徹底的に 失望して 了った。 一葉から 離れる とその 瞬^に あの 作 は 死んで しま ふ。 天才 

と は實に 不思議な 煉金師 だ。 「誰も 人の 居ない 靜 かな 寂しい 所がない もの か」 と 云 ふやうな 述懷は 本文 通り 使って 

ある けれども、 その 所 を 失って ゐ るから- それが お 力の 口から 云 ひ 出されて、 ひどく わざとら しい ものに なって 

然し 兎に角に も 「にごりえ」 に は、 「憂き身」 に 見られない 嚴 肅なモ ー フルが 痛感 せられる J 私の いふ 乇 I ラルと 

は 物質 力に 對 して 精神力の 優越が 證據 立てられた 場合 を 云 ふの だ。 お 力 も 源 七 も、 大多數 の 人間が ある やうに、 缺 

點 だらけな 人々 だ。 而 して 二人とも 社會 上の 約束と 習俗と を滅 茶々々 に 踏み 躅 つた。 意地 惡な 運命 は 彼等 を 思 ひ 


のま、 に飜^ した。 然し 彼等 は どんな^が あっても その 最も 眞實な 最も 深い 要求 を 踏み 綱り はしなかった。 § 

は その 要求の 爲 めに 潔く 凡て を擲 つて 殉死した。 その Ihos に 私 は 打 たれて 泣く の だ。 卷槳の ものに はこの や 

うな 生活の 髓 がない。 

本 雨の 屮で源 七が 腹に 脇 指 を 刺し通し てお 力の 肩に もたれ かゝ ると 最後の 幕が 引かれた。 時^は 十 一 時 を 過ぎ 

てゐ た。 

义雨 がしと/ \ と 降り出して ゐた。 出口の 混 雜の屮 で 鏡 花 氏の 奥さんに 始めて 紹介され た。 :::人-::^巾にぉっ 

てから 念に 思ひ附 いて、 近所 だから 泉の 奥さん をお 呼びし ようと、 生 馬が 帽子 も 被らす に^の 巾 を^ね たけれ ど 

も 無駄だった。 先刻 私の 前まで 来て 挨拶 をした 一 葉 會の發 起 人の 馬場 孤蝶 氏が 折飽を 左手に 持って 人 ごみの 叫々 

分けながら おって 行く のが 見えた。 

三人 は 車の 中です つかり 一 葉に 感心して 了って ゐた。 

寢 たの は 十二時だった らう。 翌日 話し合って 兌る と 母 も 生^も 久しく 寢られ なかった さう だが、 ^附 きの M いい 

私 だけ は 仕 合せに もす ぐ 眠りに 落ちた。 

(一九 一 八 年 七お 、「新^.. 所^〕 


ある 六 =: の 日記  1 


有 島武郞 全集 第五 卷  三 BM1 

武者 小路 兄 へ 

武者 小路 兄。 

あなた や 同志の 諸君が 合理的な 生活 を 深く 望まれた 結^、 あなた 方の 實際 生活 を 改造し ようと 企てられ たに 就 

いて、 世間が 色々 な 評 钊 をし、 旣に それに 關 して 意見 を 公表した もの さへ あるの を 知りました。 早計に 失する か 

も 知れない が、 私に も 少し 云 はせ ていた^き たいと 思 ひます。 

昔から 人類の 生活 は その 進化, 境遇の 變 化に つれて 幾度 か 調節され 改造され て 來てゐ ます。 過去と 云 ふ 霞 を 透 

して 眺めて ゐ るから、 その 調節 作用 は緩漫 な もの \ やうに 見える けれども, 而 して 何んでも ない 自然な 經路の や 

うに^へ る けれども、 假 りに 想像 を 過去の その 時代々々 に 遡らして 考察して 見る と, 人類 生活の 様式 は 可な り 根 

本 的な 變化を 幾度 か經て 來てゐ るし、 新しい 様式が 古い 様式に 取って 代る 時には、 出産の 時と 同様な、 生か 死 か 

cr  かう せ \ 

とい ふやうな 危機 を 潜って ゐる 事を發 見し ます。 然しながら 人類が 眞に 更生す る爲 めに は、 眞に 活動的な 生活 を 

持績 して 行く 爲 めに は、 いやで もこの 危險を 犯して、 新たな 道 を 切り開いて 行かなければ なりません。 

而 して 今の 時代 は その 飛躍の 時期で ある 事 を 思 はせ ます。 扠隸 使役の 時代に 代った 封建制度の 時代、 封建制度 

の 時代に 代った 資本 制度の 時代 —— 卽ち 今の 時代 は旣に 老いました" ォ ー ヱ ンが 出、 サ ン:ン モ ンが 出てから 百年 

の餘 になります。 日本が 封建制度から 资本 制度に 移った の は 五十 年 前の 事 だと 云 ふけれ ども、 歐洲に 十分 發 達し 

てゐた その 制度 を その 儘 輸入した の だから、 その 凡ての 特長と 共に 弊害 も 思 ふ 存分 五十 年の 間に 現 はれて 來てゐ 

•5 す 


如何なる 時代の 如何なる 制度に も 弊害の 伴って 起る の は 知れ 切って ゐ ます。 然しながら それ を 恐れて 现^ 制^ 

の 弊害が つのりつ のって、 人の 心まで 萎まして 仕舞 はう とする の を^ 過して ゐる譯 に は 行きません。 どんな 弊^ 

が 起って 來 るか は 知らないが、 兎に角 今の 制度よりも 人類の 生活 をより 宰; I に^くと 思 はれる 境遇に 轉 化する 必 

耍は 日に- (\逼 つて ゐ ます。 

あなた も 私 も 割合に 安 同な 衣食住 を 保障され てゐる 家に 生まれて 來てゐ ます。 それ だのに、 この 人から^ まれ 

る べき 生活の 中に も、 私逹は 絡え す慯 ましい 思 ひ をして、 生活して ゐ なければ ならない のです。 笫 一 私迮は 都 八:; の 

い-境遇に 生 ひ 立った とい ふ點 から 私達 自身の 才能 を すら 割引きして 考 へなければ ならない のです。 公然と これ 

は 自分が 自分の 力で 造り上げた 才能 だ ぞと云 ひ 切る^ が出來 ないやうな 立場に ゐ ます。 私^の 持って ゐる 品性で 

も、 健康で も、 愛 心で も、 こんな 境遇に あれば こそと おみねば ならぬ 弱さ を 持って ゐ ます。 私^の 木忭 が^は X 

うとす る 幸. 1 にさ へ こんな ハ ン ディ キャップ を 置かねば ならない のです から、 物^; 的の宰 1 に對 して 似 ましい^ ひ 

をし 鑌 けなければ ならな いのは 勿論の 事です。 私達 は その 存在 を ぎこちなく 緙ら れてゐ ます。 水お の,::. E はあり 

ません。 资本 制度の 恩澤を 十分に 受けて ゐ る私逹 で すら さうな のです から、 この 制度の ま、 子で ある 人 の! W 

は 更に 思 ひ やられます。 

私の 若い 友が 云った 事が あります。 今の 制度の 下にあって は、 资產 階鉍の 人の 巾に お^な 人が あって、 n," に 

堪 へないで 勞働 者に なった としても、 その 人が 餘 計に 働けば 働く だけ、 勞働 階級の 人の 働く 分野 を^^して^^ 

を 及ぼす 結 菜に 終る に過ぎない。 こんな 制度に は何虚 か 間違った 所が あるに 相逮 ない と-ぶふ のです。 これは^. お 

に考へ て 見なければ ならない 事です。 

生 產過剩 の 私有 を正當 とし、 その 量の 大小 を 以て 人 問の 沽券 を 決める とい ふ^は 餘 りに W けない^ です。 かう 

武者 小路 兄 へ  Hi:: 


有 島武郎 ^集 笫:. ^卷  三 四 四 

ちつ 

簡單に 云 へ ば 誰に でも 直ぐ 判る 事の やうに 思 へます が、 實 際にな つて 見る とこ の 小 ぼけな 現象が 中軸に なって, 

生活 機關が 動いて ゐ るので すから 恐ろしい のです。 議會は 民意 を 代表せ すに 金 意 を 代表して ゐ ます。 社會は — 

人が 集ま つ て出來 上る ベ き 害の 社會は —— 金が 桀ま つ て 出來上 つ て ゐ ます。 戰爭と 平和 は 結局 资 本家と いふ 少数 

者の 手に よって 勝手に 左右され てゐ ます。 而 して 多數^ の 生命 は 無殘々 々その 犧牲 になって ゐ ます。 か-る 現象 

は 長い 說明を 加へ るに は餘 りに 平明な 現象です。 如何なる 權カ がそれ を 被ひ隱 さう としても、 被 ひ隱す 事の 出来 

ない 程; 牛 明な 現象です。 私の この 小さな 手紙が それ を 云 ひ 現 はした からといって、 若し こ Qvh 紙 を 生き埋め にし 

ようとす るなら、 この 手弒の 呼ぶ 聲 より 百倍 も 千倍 も 有力な 大きな 聲が 叫び 出す に 遠 ひない 程 平明な 現象です。 

もう 凡ての ごまかし は 無駄な 事です。 社會を 治める 人 も 治められる 人 も, この 一事に しっかりと 氣が ついて、 

C そく 

囘避 する 事な しに、 金の 洪水から 人 2? を 救 ひ 出す 爲 めに 力 を 藎 さなければ ならない 時が 来ました。 姑息な 彌縫を 

しの 

して、 一時 を 凌いで は ゐられ ない 11 轉 期が 到 來 して ゐ ます。 

それ を 無視す る 者 は 滅びます C 人類の 意志 はか &る 人類 進化の 邪魔物 を 踏みつ ぶさない では 置きますまい。 

それなら 次の 時代に 資本 制度に 取って 代るべき もの は 何んで ありませ う。 それ は 如何なる 形式 を 取る にせよ * 

廣ぃ 意味に 於て 人間が 金に 支配され す、 金 を 支配す る 制度で あるべき 事 だけ は 明かです。 今の 制度の 下で は资本 

主 も 勞働者 も 共に 金に 支配され てゐる 點に變 りはありません。 資本 主 は 金 を 集める 爲 めに その 力量の 全部 を 集注 

し、 勞働者 は 力量の 全部 を 提供して, 生活 を 支へ る だけの 金 を 得ようと して ゐ ます。 人類 全體が 斯うい ふ 風に 金 

の 締め 木に かけられて、 藻 接き 苦しまねば ならぬ とい ふ 事 は悲慘 極まる 事です。 人類の 尊嚴が 何處に 認められ ま 

せう。 人類の 本 當の自 .5 が 何 處に發 見され ませう。 

あなたが この 不幸に 忍び 得られ なくなって、 實際 生活の 改造に 着手され た 事 を 私 は 尊い 事 だと 思 ひます。 その 


方法の 內容 はま だ 全部 發 表されない 事で あるし, 义 これから 硏究を m- ねて 行かれる^ と^ひ ますから、 委しく 立 

ち 入る 事 は 避けます が、 あなたが 思 ひ 立た すに は ゐられ なくなった その 心 持 を 私 は 尊く 思 ひます。 而 して:!: ポに 

つけても、 他人の 新しい 企てに 對 して、 一と ひねり ひねって 皮肉な 兌 方 をし ないで は: s のす まない 或る^ 類の^ 

觀者を はしたな いと 思 ひます。 他人の 企て を 批評す る權利 は、 それ を 企てた 人と:!: 等 以上の 熱意 を 持った 人に の 

み 許される 事 だと 私 は 思 ひます。 

私 は 殊に 藝術 家なる あなたが この 企てに 走られた 事 を 愉快に 思 ふ ものです。 私 一 侗の兑 解に よれば、 今の 時代 

にあって は、 藝術家 は 謳歌 者で あるよりも 改革者で ある 事を餘 儀な くされる と 2ゃ ふからで す。 奴隸 使役の 時代 か 

ら 封建時代に 代る 時には、 宗敎が 强權に 結び付いて 入 心 を收攪 して ゐ ました。 封^制度から^ 木 M 度に 代 る^に 

は、 科學が 思潮の 根柢 を 支配して ゐ ました。 

然し 科學は 科舉自 身が 吿白 する 如く 到底 人^の 全 存在 を滿 足させる 力ではありません。 科 S& の 力 を^り て,::: 然 

を 征服しょう とした 第 十九 世紀の 文化 は、 その 功 綾と 共に^ 分に 弱點 を^ 露して ゐ ます。 この 缺點を # ふ 力 は  <,衛 

にある と 私 は 思 ふ ものです。 實際藝 術の 勢力が 實 生活の 中に 浸 徹して、 生活の 實 S に 影 饗した 著し さからい ふと、 

現代に 比すべき 時代はなかった と 思 ひます。 イブ センが 婦人問題 や 信仰 問題に 與 へた^ 示、 ト ルス トイ、 ドスト ヰ 

プスキ ー が露國 の國 運に 奥へ た 威力 、ロダン、 セ ザンヌ などの 思想 的 影響 は 他 の 時代 に 兑難 い 强烈な もので あ. n ま 

す。 それ は 現代の 藝術 家が 强ち 他の 時代の 藝 術^に 立ち 優れて ゐ ると いふ 譯 ではなく、 現代 は 蘇 術 以外の 精神お 

動から 未 來に對 する 喑示 的な 指示 を 受け 難いからの^ です。 殊に 朱來を t< ぐに 鋭敏な^ を 有する^ は^ 術^で 

す。 彼等 は 未來を 直覺 します。 現在の やうな 時代の 囘轉 期に 當 つて、 藝 術^の 兌 地が^く 兌ら れ るの はお 然ご r  . 

-, てれ だけ 藝術 家に は 尋^なら ざる 覺 悟が 要求され てゐ ます。 あなた は先づ 立って その耍 求に 應じ丄 うとされ る 

武者 小路 兄へ 四 五 


有 島武郞 全集 第五 卷  I 一 I 四 六 

.0 です。 私も藝 術に たづ さはる 一 入と して あなたに 對 して 敬意 を 表します。 

然し 率直に 云 はして 下さい。 私 は あなたの 企てが 如何に 綿密に 思慮され 實行 されても 失敗に 終る と 思 ふ もので 

す。 失敗に 終る のが 當然 だと 思 ふので す。 あなたが この 企ての 緖 にも 就いても をら れ ない 時、 こんな 事 を 云 ふの 

は. Inf 先の 惡ぃ 事の やうです が、 私 は 思 ふ 所 を 云 ふより 外 はない のです。 あなたの 社會 を周圍 から 取り かこむ 資本 

主義の 社會は 何ん と 云っても まだ 十分 死物 狂 ひの 暴威 を 振 ふでせ うから、 ドハ ボ ー ルの 移民 達が 外界から 被った 

やうな 壓迫を 受けられ るで せう。 あなたの 社 會の內 部の 人 も、 縱令覺 悟 は 出 來てゐ て も、 今まで 訓練 を經 てゐ^ 

さ c  _J 

い 境遇に 這 入って は 色々 の 蹉跌 を惹き 起す でせ う。 

s れ ども 失敗が 失敗ではありません。 今まで 斯 かる 企て は 凡て 失敗に 終って ゐ ます。 然し それ を 普通の 意味の 

失敗と は 云へ ません。 若し 今の 世の中で か-る 企てが 成功した やうに 見えたら、 それ は 却って 怪しむべき 事で あ 

ら ねばな りません。 そこに 人 は 屹度 安 協の 臭味 を 探し出す 事が 出來 るで せう から。 

要するに 失敗に せよ、 成功に せよ、 あなた 方の 企て は 成功です。 それが 來 るべき 新しい 時代の 墓は がる 事に 於 

て は 同じです。 日本に 始めて 行 はれよう とする この 企てが、 目的に 外 づれた 成功 をす るよりも、 何處 まで も 趣意 

に 徹底して 失敗 せんこと を 祈ります。 

未 來を御 約束す るの は 滑稽 かも 知れません が、 私 も 或る 機會の 到来と 共に、 あなたの 企てられた 所 を 何等かの 

形に 於て 企^ようと 思って ゐ ます。 而 して 存分に 失敗し ようと 思って ゐ ます。 草々。 

(一九 I 八 年 六月 二十日 稿。 I 九 一 八 年 七月、 「中央 公論」 所載) 


私の ト さい 待に 住んで 居た 所 は、 或る 役所の 官舍 であった 爲 めに、 そこに は 六十 P 餘 りの 宵^が M じ^ 度の 

k 活 をして ゐ たので、 そこに 生まれ 出た 少年 等 は、 自然 一 つの 交遊 闍體 とで もい ふ もの を 形作って W た。 そこに d 

子供 乍ら 種々 な 傾向 を 代表した ものが あって、 まるで 活社會 の 小さな iill の やうであった。 私 は その.. ル やに. i 

ける 父の 位置が 好かった 爲め であるが、 一 つの 少年の 阔體を 率 ゐてゐ た。 そのうちに は、 能辧 で、 ト^って、 お 

事に 世話 を燒く 事の 上手な S とい ふ 目の g れた、 口元に^ のお 炙を据 ゑら れた 少^も おたし、 K とい ,^3 门な^ 

つ ちゃんら しい 柔順な 少年 も 居た し、 M とい ふ 少しせ k つ こまし い 下町 肌のお h, 乎な^^も K- た L に- 0 とい n 

身體の いりした、 力の 强ぃ、 しとぶ い 性質の 少年 も 居た し、 S.H とい ふ 出つ 齒な: § の^に 文ク、 錢^ グ^ 

の ある、 如何にも C 然な、 尜朴な 少年 も 居た。 それらが 维 まって、 幻燈お. 浈說^ ネ^, 戰ゅ ごっこ、 とい L 

な 事に 曰 らして ゐた。 乂 この 團體 と、 町つ 子 S 體との n に は、 猛烈な 機 力 SII はれた。 そお は 

今の 少年 達が 想像す る 事の 出来ない 程 激しい ものであった。 それから、 私の 阒體^ £1 どうしても 入つ て^な 1 

少年の 幾人か^ ゐた。 そのうち にも H とい ふの は 年 も 幾らか 上であった が、 甚く 旋^り な、 きかぬ^ ゾ,. 年で、 

唯 一 人で 私共の 圑 體に對 して 榍を 突いた もの だ。 

十三 四の 頃の あ 共 は、 銘々 の 父の 轉業 やら、 志望 やらに 因って. 離れぐ になって しまった。 さう して^く の 

間お 互に 綾け て 居た 音信 も、 何時と なく 絶え * て-了った。 お 互の^ 在 は、 ぉ兀 の^に^ 無と L て考 へら オズ 

しかし、 因 緣が强 いの か、 世間が 狭い のか、 私共 はまた 偶然に 妙な 所で、 互に 顔 を 合せた。 

私の 友達 


有 鳥武 郞仝蕖 笫五卷  三 g\ 

^が亞 米 利 加に 行って、 或る日 本人 好きの 老 il 人に 招かれた 時 —— それ は 私共が 離れ,^ になって から、 十二 

一二 年 も 後の 事で あるが II その 客間で 突然 一人の 日本人から, 私 は 私の 幼名 を 呼び掛けられた。 呼びかけた 者 は 

圇らす も 私の 敵であった H その 人であった。 H は 艱難の 多い 世路を 切り 拔 けて、 そこの 町で ェ舉 の實習 をして 居 

た。 詰し 合って 兒 ると、 敵 は 敵ではなかった。 非常にお 互の 間に 親しみが 湧いた。 私共 は、 よく 生活 や 思想の 問 

題 を、 夜遲 くまで 語り合った ものであった。 

私が 日 木に 歸 ると、 祌戶の 埠頭に まづ私 を迎 へて 吳れ たの は、 坊っちゃんの S であった。 彼 は 或る 飲料の 製迭 

所の、 王腦 者と して、 でつ ぶり 肥えた、 溫 和らし い 紳士に なって 居た。 私共 はこの 苒會を 珍ら しい 事に して、 ヒぉ 

から 奈良、 京都 を  一^に 樂 しく 旅し て^れた〕 

私 力 札. 形の 大學に 赴 仕して 札. 幌に 着く と, 圖らす も そこで 又 H と、 昔 目の 爛れて ゐた S とに! -り 合った。 H は 

辫道院 に 技師 をして 居た。 S は铸 者に なって、 IE!: 立 病院の 婦人科 を受 持って 居た。 それ は 實に私 を 驚かせる のに 

十分だった。 因緣の 不思議 さ を 深く 思 はせ る やうな 出來 事だった-、 H は、 二人の 子供の ある、 その 癖何處 まで も 

昔の 腕白と 我 を 通して 威張り 返った. y 戶兒 であった。 S は、 これ も 二人の 子供の 親で、 地味な、 常識的な、 相變 

らす 非常に こまめな 活動家に なって ゐた。 三 人 はよ く 集まって、 昔話て 夜 を 更かした。 

あわ に 

し 力し、 ノ 生の^ 合は慌 だしい。 暫くす ると、 H は 祌戶に 移って しまった。 私 は 東京に 歸 つて 来る やうに なつ 

た。 が、 ^京で は 突然 M に 出 遇 ふやう に 運命 づ けられて 居た。 M は あらん 限りの 生活 を i り拔 けて、 死ぬ やうな 

目に 幾度 も 遭った 後に、 その 父であった 人の 道樂 だった 謠曲を 承け 欞 いで、 それ を 本業に する やうに なつ てゐ 

た 彼 は 昔の 厭な 下町風な ところが 脫 けて、 生眞面 n な 研究者に なって 居た。 さう して、 その 堅實な 生活 態度 は、 

^を 悅 ばした。 私 はこの 友達から 謠 曲の 手 ほどき をして 貰った。 M の 話で 聞く と、 その 遠い 親類 こ當る K は、 段 


まと 落ち目な 經铬を 取って、 今 は 兌る 影 もな く 零落れ たさう だ、 又 一 出つ 齒の守 禿ち よろ」 と譚 名され た S.H 

よ、 朝% ^農業 を^ 罃 して ゐる 私の 同窓のと ころで、 會 計の 役 をして ゐ ると いふ 事 を、 その 友 逢から 聞 力され た 

事が あった。 今 はどうして ゐ るか 知らない。 S は 其の後、 妻 を 失って、 私と:^ 様仍鳏 になって ゐる。 

レギっ 追憶 は、 可に つけても 慌 だしい。 私 は 竹馬の友の 幸福 を 祈らす に は 居られない。 向ト: しつ、 ある^; の 上 

にも、 落ち R になった 者の 上に は尙更 のこと。 

iA^^M,0^c その 人が しっかりと 自分と いふ もの を 建立 すれば する 程、 孤獨 になって しま ふ。 友途 とい 

糸, z I  {  でつく わ 

ふ もの も, 畢党 赤の他人と いふ ものと、 程度の 遠 ひだけ だとし か 思 はれない。 電 単の 巾 や 往來で 出^す 化す 知 

ら すの 人に も、 S はざる 親し さ を 感じたり、 親しげ に 語り合 ふ 友の 間に も、 思 はざる 不快 を感 する の は, 人の 常 

だ: 矢張り 人 問 は 孤獨 に、 自由に、 一人で 山の 中に 入る のが、 ー桥心 易い やう だ。 

( 一 九 I 八^ 八お、 「文章 俱榮 部」 所^) 


私の 友達  一二 ゅブ 


有 島武郞 全集 第五 卷  ニー I 五 〇 

若き 友に 

暑い 眞夏に 船 ぎ 見 をす る —— これ は餘り 人^ を辨 へない 事 かも 知れない。 然し 私が 本誌の 若い 讀者 諸君に 吿げ 

はばなら ぬ 一番 重い ものが あると するならば、 これから 害き 速ね る 心 持で あるの だから、 それ を諒 としていた ビ 

きたい。 

去年の 暮に私 は 或る 新聞社が 募^した 短篇 小 說の選 の 一 人に させられた。 新聞社の 報齿 する 所に よれば、 應 

募した 作品 は 六^ 篇の 上に 登った さう だ。 その 中から 社が 豫選 して 私の 手許に 屆 けた 作品 は 三十 篇 ありました。 

それが 發 表される 時、 選者と しての 讀後感 を 書け との 事でした が、 私 は大膽 にも、 「二三の 作品 を 除く 外 は、 作者 

の 藝術的 價値を 疑 はせ る やうな もの だ」 と 書いた。 これ は 一 侗の 作者と して、 私が 云 ひ 得る 隨分 傍若無人な 言葉で 

す。 そんな 言葉で 酬 いられた 應募者 は 或は 私に 對 して 反感 を 抱いた 事 だら うと 思 ふ。 然し 私と して は、 縱令餘 事 

では 事 をしても, 藝 術の 分野で 阿って はならない と 思った のです。 實際 三十 篇の豫 選され た、 云 は^ 選り 拔 

きの 作品の 中に、 私の 腹 を据ゑ かねさせる やうない やな 作品が 少く とも 十篇 はあった。 ー體 何ん の 目的で、 どう 

云 ふ 自信が あって、 こんな 紙屑 を 作る 爲 めに 時間 を ^ したの かに 驚きました。 年少な 作者の 極めて, 放埒な、 無責 

任な、 無 反省な 生活が、 一寸 小手先の 利く 技巧で だらくと 締り もな く 書き 現 はされ てゐ るので す。 なまじ ひ 僅 

かば かりの 文筆の 器用が あるば かりに、 それらの 若い 人達が 飛んでも ない 迷路に 這入り込ま うとして ゐる のが、 

まざ, C と 思 ひ やられる のです。 これから 考 へて 兑 ると、 りの 五 百 何十 篇の 中には どれ 稅 下劣な 作品が あった 

か 想像 も 及びません。 


もう 一 つの 出來 事を誊 きませ う。 それ は 今^' の 春に なつてから です。 朿京 でも^ 名な 或る 大 6- の^^だと いふ 

人が 大部な 原稿 を 持参して 私に 讀んで 見て くれとの 事でした。 私 は その 人に 讀んで 聞かせて くれと 云 ひました。 

極めて 自己 反^ Q 不足ら しい ゆるんだ 額 付 をした その 靑年 は、 どっかと 腿を据 ゑて 二 時^ 中 ほどに- 1 つて その^ 

稿 を讀み 上げました。 私 は その 問 牛 の やう に 忍耐して 閗ぃ てゐ たが、 幾度 椅子から 跳り 上 つ て 、「もう 澤 山、 を 

仕舞って 歸 つて 下さい」 と 云 はう としたか 知れなかった。 それ 程 その 小說 はた まらない やうな ものだった。 私 は 

仕舞まで 我慢して から その 靑 年に 私の 書いた もの を 何 か 讀んで くれた 事が あるの かと 尋ねて 兑た。 唯 一 篇ハ 小:: i 

ぁォ 

の 名が 名 ざされ た。 歐洲の 大家の 中で は 誰 を 好む と 尋ねて 見た。 一人 も讀ん では ゐな いとの S- だった。 仪は 偶れ 

すに ゐられ なかった。 何ん の爲に その 靑年は 僕の 所に やって 來 たの だ。 自分の 作品 を 兌て K ふべき その 人が どん 

な 作家で あるか も 知らす に、 臆面もなく やって 來 ると は、 自分自身 を 全く 馬鹿 あっか ひに して ゐる 人で なければ 

出来ない 事 だ。 又 外國の 名作 を讀 むと いふ 事が 決して 文攀者 を 作る 必要 條件 ではない。 然し, 緒 をた S- の 文科に S 

く 立派な 學 生が、 文擧を 以て 身 を 立てよう とする 學 生が、 海外の 大家の 一人に でも 好^心 すら 持ち S ない と:. ムふ 

の は、 明かに 極端な 精神 上の 怠慢 を 暴露した もの だ。 私 は その 靑 年に は文舉 上の 話 は:!: ん にもし ない のが 一番い 

い 事 だと 思って その ま \ 別れて しまった。 

私 はこの 二つの 揷話 を讀 者に 語って 何 を 云 ひ 現 はさう とする のか。 私 は文舉 殊に 小說 と:. ムふ ものが どれ^に 现 

むし は 

代の 靑年ゃ 少年の 心 を 蝕まう として ゐ るかに 驚いた。 それ を 云 ひ 現 はしたい の だ。 彼等の 若々 しい 心に は 文 ゆと 

か藝 術と か 云 ふ 言葉 は 如何にも 花々 しい 仕事の やうに 思 ひなされ るの だ。 或る は、 割 介に ハ牛少 の 人々 が この 分^- 

で 容易に 名 を 成す の を 見て、  功名 は 手に 唾して 取る 事が 出來 ると 思 ひ 込んで ゐる。 或るお は^ 術 上の 成功に よつ 

て 色々 な 生活 上の 安定 ゃ榮 華が 他愛 もな く保證 される と 思って ゐる。 而 して 自分の 本お の 心の 要氺 とか^. 備 とか 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  一 li 五一 一 

いふ やうな もの は 全く 度外視して、 輕 薄に も藝 術の 世界に 萬 一 を 僥倖し ようと 企てる の だ、 私 はこれ 程 忌むべき、 

恐るべき, 危ぃ 人生の 試み を 他に 見出す 事が 出來 ない と 思 ふ。 縱令 彼等が その 目指す 所に 成功した としても 失敗 

したと しても、 その 結果 は 共に 囘復 すべから ざる 失敗になる からだ。 

僥倖と 云 ふ 事 は 藝術界 には斷 じて 許されない。 殖利 とか、 戰爭 とか、 事業と か 云 ふ 方面で は 僥倖と 云 ふ 事の 成 

り 立つ 場合がない ではない。 而 して その 僥倖の 結 菜 も 強ち 擯斥すべき もので はない かも 知れない。 然し 藝 術の 世 

界で はこの 僥倖と いふ もの X 可能性 は 最小限に 縮小す る。 藝術的 制作 は 萬 人の 眼の 前に 明ら さまに 批判 を 受けな 

ければ ならぬ。 そこに 何等の 隱し 立て をすべき 餘地 はない。 その 點は 赤裸々 で 土俵の 上に爭 ふ 相撲に 似て ゐ る。 

然し 相撲で は、 隨分澤 山 僥倖と いふ もの &這 入り こむ 餘 地が ある。 所が 藝術 では I 藝術 にも 僥^ は 皆.^ だと は 

云 へない。 讀者の 或る 無 E 値な 要求に 阿る が爲 めに, 一 時 その 眞價 以上の 評價を 得る 作品 は尠 いと は 云へ ない。 

^しか. * る 作品の 生命 は 知れて ゐる J それ は その 人の 死ぬ の も 待た すに 消えて 行く 程の 短い 命脈 を 持った 幸 i だ、, 

その 跡に は その 作^に は 無錢な 死と 嘲罵と が來 るば かりだ。 

この 不幸から 超越して 作家が 本當に 自分の 仕事 を 完成に 導かう とするなら、 そこに 作家た らんと する ものが 根 

柢 的に 考へ 直さなければ ならぬ 必要が 起って 來る。 

端的に 云 はうなら, 藝術 家と なる 要求 は、 その fK 分の 有無 を 措いて 考 へれば- 自分 を 最も 純眞 に^きる ぶ 云 ふ 

事 以外に あって はならぬ。 純武に 生きる と 云 ふの は、 自分と 云 ふ もの を;^ 尊い ものと し、 その 尊 さに 忠實 であ 

り その 尊 さ を 力 かぎり 磨き上げる 事 だ。 その 結 菜が 作品と して 表 はれ、 自分と 云 ふ もの を 自分 以外に も擴げ て、 

行く 事になる の だ。 尤も この場合に 云って 置かなければ ならない 事 は- 藝術家 的で あっても、 それ を 形に 表 はし 

て 他に 表現す る 天 分を投 からない 人が ある。 さう いふ 人は藝 術^で はあって も 作家で ある 事 は 出来ない。 だから 


藝術 作家になる 爲 めに は 上に 述べた 二つの 耍素が 具備して ゐて甫 めて {兀 全す るの だ。 ギ 少の爾 者よ, あなた は 机 

と  のぞ • 

に 向って 筆 を 執る 時に どうい ふ考 へで 銑に 臨まれる のです か。 それ を 私 は 深く 考へ ていた^きたい。 凡ての 浪化 

と墮 落の 中で、 無 反省に 筆 鉞の爲 めに 時間 を 潰す 程の 浪費と 墮落 はない 事 を 十分に 理解して 下さい。 凡ての 仕^ 

は 如何なる 仕事で あれ、 眞劍 で沒頭 的で なければ 決して 價値を 生す る 者で ない 事 を 痛感して 下さい。 紙に 向って 

筆 を 執る とい ふ 事は餘 りに 簡單で 誰に でも^ぐ 出来る 仕事です。 人々 はこの 外面 的な 平^さに 欺かれ^い と 忍 ひ 

ます。 此の 一見 何んでも なく 見える 仕事の 背後に、 どれ 程 硬い 骨が 潜んで ゐ るか を見拔 いて 下さい。 文笨を 弄ぶ 

と 云 ふの は、 凡ての 遊蕩と 同じ だけの 個性の 墮落 だとい ふ 事 を 洞察して 下さい。 而 して 此の 火い たづら の やうな 

危 ぃ惡戲 から 逸早く あなた 方 自身 を 救 ひ 出して 下さい。 而 して 自分の 天分の 何で あるか を、 つまらない:::: 險心ゃ 

功名心に 累 はされ すに 深く 深 求して 下さい。 而 して 自分が どうしても 藝術 家と して 立つべき であるか、 お 術の 享 

受者 として 立つべき であるか を 十分に 徹底して 考 へて 下さい。 それでなければ あなたの 前途 は晤ぃ 危ぃハ 介^に^ 

かれる のみ だ。 

かう 云った とて、 私 は 天分 ある 藝術 家の 出現 を强 ひても 押へ 付けよう とする いではありません。 この 小さな 感 

想と 共に、 多分 今月 號の 「新 公論」 に發 表される と 思 ふ 私の 「藝術 制作の 解放」 とい ふ 感想 を^んで 下されば、 私が 

どれ 程 藝術界 に 新 分子 新 機運の 將來を 大事に 見て ゐ るか を、 知って 下さる ことが 出來 ると 忍 ふ。 他の ポ^と II: 拔 

に、 藝 術に 於ても 新しい 力が 加 へられる 事 は 不断の 必要事で ある。 然し その 新しい 力と いふ ものが 不幸に して 道 

樂氣の 流入であって は大變 です。 それ はお 互が 力 を 合せて 藝術界 から 驅り 出さねば ならぬ 第一 の ものです。 私 は 

- てれ を こ の 小さな 文に 於て 强 調したい のです。 

えら さうな 口 をき くと あなた は 思 ふか も 知れません。 然し 私が 何ん の權 利が あって えら さうな 口 をき、^ ま 

若き 友 に  三 五 三 


_ 有 鳥武郎 全^ 第五^  三 五 四 

せう。 私 は 碌な 仕事 は 一 つも 仕出 來 して は ゐ ません。 あなた を 鞭た うとす る この 文 はまた 私 を も 鞭って ゐ るの 

です。 

九 一 八 年 七月 九日 稿。 

九 一 八 年 八月 「秀ォ 文壇」 所載 


.0. 


繪畫の 世界に 二 科會の 出現した 事 は 種々 な 意味で 重要視され なければ ならない 事 だが、 私の 考へ では、 この^ 

が 設立され た爲 めに、 繪畫が 所謂 玄人の 手から 解放され て、 素人の 手に も 取り扱 はれる やうに なった。 その 現象 

に 重大な 功績が あると 思 ふ。 . 

一 一 科會が 創立され る 以前 I とい ふよりも 一 ー科會 出現の 機運 を 促した 風潮の 捲き 起る 前に は、 繪 S は 全く 取 門 

家の 手に 壟斷 されて ゐ たといっても 過言で はない。 勿論 その 當時 にも 所謂 繪畫奸 愛 者なる もの はあって、 已み難 

い 自分の 欲求 を滿 足さす 爲 めに 畫 筆を秉 ると 云 ふやうな 事 は あるに はあった が、 それ を 公表して 他人の 鑑^: 力に 

訴 へようと する 野心な どがなかった の は 勿論の 事、 それ 等の 人々 が 養って ゐた、 物の 見方 は、 全然^ 門^ 逑の昆 

方 を 模倣して、 少しで も その 埒^に 自分 をより 深く 篏め こむ 事 を祕訣 として ゐ たの だ。 卽ち アマチュア ー も アマ 

チ ユア ー ならざる 一般 世人 も、 繪畫 といへば、 職業的 畫 家の 領分に 專屬 する もので、 他人 は 容易に その 門 をも^ 

く 事の 出来ない もの だと 堅く 思 ひ 込んで ゐ たやう に 見える。 外 光 派の 花々 しい 蓮 動 は舊來 の^ (¥を^& なから し 

めた といっても、 畢竟 専門家が 代った とい ふまで の ものだった。 

然し 時勢 は 段々 變 つて 来て、 ニ科會 なる もの.^ 出現 を 巳むな くした と 同時に、 繪憲 製作の 權能 をせ 門^から 公 

衆にまで 擴げ るに 至った。 二 科 會が應 募 製作 品 を 鑑別す る 標準の 一 つと して、 今までの 繪^ 上の 傅お に烺 はされ 

すに、 自. H に 雄 辯に 自己の 看取した 自然 を 表現し 得た もの を 採用した の は、 時勢の 倾向を 促進す る 上に 著しい 效 

菜が あつたと 云 はなければ ならぬ。 誰でも 氣付 くが 如く、 同會で これまで 二 科^ を與 へられた 製作 は、 ニー 一: の 例 

藝術 製作の 解放  コ: 五 五 


な 岛武郎 仝^  ^  s  ^  一二 五た 

外 は あると しても、 大抵 看る 人に 未成品と いふ 感じ. V」 與 へる 種類の ものだった。 そこに は專門 家の 製作に はない 

上の 物 足らな さがあった。 今一 息と も 二 息と も 思 ふやうな 所があった。 從 つて 世間で は、 その 鑑別の 不^ を 

苦々 しく 思ったり 誹ったり する 傾向がないで はなかった。 然しながら その 非難の 中には もっとす つと 大切な もの 

か 見落されて ゐ たの だ。 それ は 今までの 職業的 畫 家が、 その 職業的な 習慣から 知らす .(zm ひて しまって、 見窮 

める 事の 出来ない 新鮮な 獨自な 物の 見方が 表 はれて ゐ ると いふ 一 事 だ。 これが 新しい 藝 術の 發 展の爲 めに は 一 番 

重要視せられ ねばならぬ 事だった の だ。 この 要求 を 或る 點 まで 充實 した 二 科會は 多大の 刺戟 を 繪畫の 世界に 與へ 

る 事に なった。 而 して 明治 以来の 繪畫史 に は 類のない 新しい 進展が 美術界に 行 はれる やうに なった。 

今から 十 年 前に 起った 白樺 同人の 文 舉界に 於け る 功績 も 略ぶ 同様の 意味 を 以て 認めら るべき 者で ある。 そ 1 な 

前に 文學を 志望した もの は、 如何にして 現存 大家の 思想 や 技巧 を體 得して、 せめて は その 壘 でも 摩する 事が 出來る 

や, ^ばなれようかと、 さう 云ふ點 にの み 腐心して ゐた。 然し 白樺 を 生み出した 機運 は 如何にしたならば 現存 大家 

の 桎梏から 解放され て、 更に 自由な 新しい 世界 を發 見す る ことが 出来る か、 そこに 力 を 籠め て 努力し 出した の だ。 

彼等 は 處女地 を 汗水たら して 掘り起し 始めた。 そこの 土 は 堅かった。 雜草は 茂り 放題に 茂って ゐた。 而 して 折き 

下ろした 種子 は 屡 M 失敗に 終った。 だから 世間 は 彼等 を 目して 「世間 見す」 と 云 ひ、 「お 坊ちゃん」 と. いった。 お 

坊ちゃん でも あり 世間 見す でもあった らう。 然しながら、 一面に 於て、 開拓者 は 何時でもお 坊ちゃん であり 世間 

見す とならなければ、 その 仕事 を 成就し 得る 者で はない。 老成な、 用意周到な、 純 批判的な 態度に しか なれない、 

大家に なり 切った 人々 に は 開拓の 事業 は出來 はしない の だ。 白樺の 同人 も實は 世間が 思 ふ 程 「世間 見す」 でも 

「お 坊ちゃん」 でもない の だ。 唯 彼等の 企てた 事業が 彼等 を實際 以上に さう 見せた^ けなの た。 

是 等の 諸 運動が 時勢の 機關 となって、 それ以来 この 傾向 は 加速度 を 取って、 色々 な 杉と なって 晃は. ^ おした。 


一 般藝 術界に 新しい 作家の 名が^ 出されて 来たの は、 此の 結^で ある。 

藝術 製作の 解放 はかくの 如くして、 最近 十 年間 位の 問に 成就され ようとして ゐる。 

かくして 日本の 藝術界 に迎へ 入れられ たこの 機運 を 私達 は 無駄に して はならない。 

第一 は 固定 的な 權 威と いふ 觀 念から 藝術を 解放す る 事 だ。 所謂 大家と か 新進作家と かいふ 懸け隔て を^ 無して 

しま ふ 事 だ。 政治の やうな 實際 的な 仕事に すら 人間 を^. 位と する 權 ^を 認める 倾 向の 斥けられよ うとして ゐる个 

口、 藝術界 にか \ る 弊風 を殘 して 置く 法 はない。 過去の 功績に 酬 ゆべき 方法 はおの づ から 別に ある。 その 功^が 

あるから とい つて、 今 は 何等の 實カ もない に 喑に藝 術 發展の 道 を 色々 に!. 肘 しょうと する の は冇る まじ き^-だ。 

藝術" てのもの-尊 嚴を 凡て の 力の 上位に 置かねば ならぬ。 これが 爇術的 製作 をい つまで も, :!: 卜: 的なら しむる 唯 一 

の 道で ある。 

第一 : は藝術 製作に 淸 新な 傾向 を 始終 導き 入れ^る その 機會を 助長 させなければ ならぬ。 所謂 玄人なる もの は、 

不知 不識の に 型と いふ もの を 造って、 それから 離れて 物 を は, るの が 困難に なり 勝ちな もの だ。 ^術 製作が 解放 

され- -ば、 そこに 全く 今までに は 類のない、 物の: ^方が 生まれ 出て 來る。 これが、 どれほど、 ^術に とって 必^ 

な、 而 して 尊い 事で あるか 分らない。 

第三 は藝 術に 對 する 理解 を社會 一般に 擴大し 得る 事 だ。 藝術 製作が 解放され たと 云って 必す しも 凡ての 人が そ 

ぁづ 

の 製作に 與 かる 事 はしない。 又出來 ない。 然しながら この CI 出 は 一般 社 會に藝 術に 對 する 好 愛の SE を ま、 起す る^ 

因になる 事が 出來 る。 專制 政治^りも 共和政^の 方が 民衆 をして 政治に 對 する 關門を 多から しめる と M に § 係で 

ある。 近頃 やかましく 云 はれる 藝 術の 民衆化と いふ やうな 赛も、 その 結^と して €: 然 に招來 される に^ ひたい。 

その外 綿密に 考察したら、. 色々 ない、 効 粜が藝 術 製作 の 解放と いふ^に よって 結^される だら う。 

粱術 製作の 解 K  三 お 七  • 


有 島 武郎仝 集^: 北卷  三 五八 

唯一 つ 誰でも 疑 はねば ならぬ 事 は、 藝術 製作の 解放が 藝術 そのもの、 平凡 化と なり はしない かとい ふ 事 だ。 一 

時 的の 心 熱 や、 野心と も 云へ ない 程の 名譽欲 や、 無 自覺な 自放 やに そ ゝられ て、 誰でも 彼で も藝 術と いふ 分野に 

足 を 踏み入れる。 その 結果と して、 藝術 そのものが 下落し、 安價 となり、 遊戲 となり、 本 當の藝 術 品 を、 悪貨が 

良貨 を驅逐 する やうに、 萎靡 させて、 ディレッタンティズム C 趺 扈を來 たし はしない かとい ふ 事 だ。 

これ は 極めて 有り得る 事 だ。 この 弊害から 藝術界 を 救 ふ もの は 批評家で あらねば ならぬ。 批評家と は 結局 天才 

的な 眼識 を 以て 藝術 品の 山の 中から、 各自の 歌 を 歌 はう として 待ち こがれて 居る 金 や、 銀 や、 金剛石 や、 その外 

たピの 土塊と 違った 尊い 鑛物を 掘り出す 坑夫 を 云 ふの だ。 

然しながら もっと 突きつ めて 考 へ て 見る と, 眞に 尊い 藝術を 見分ける もの は 民衆 そのもので なければ ならぬ。 

いかに 立派な 批評家が ゐて、 立派な 藝術品 を 指し示しても、 民衆の 生活が 緊張し 向上して ゐ なければ、 それ は 豚 

に 眞珠を 指し示した 程の 効果 もない の だ。 民衆の 要求が 眞摯 であり、 その 生活 態度が 充實 して ゐれ ば、 彼等 は批 

評 家 を 待たないでも, その 愛憎に よって 藝術 品の 善惡を 鑑^して しま ふ。 ディレッタンティズム なぞ は 自然 に 存在 

の 餘地を 失って しま ふ。 

だから 私 は 云 ふ、 藝術 製作の 解放 は 恐るべき 事で はない。 恐るべき は 民衆の 生活 態度 如何で ある。 藝術 製作の 

解放 は 如何なる 民衆に 對 しても 必要 だ。 若し 民衆が 低 殺なら ば、 その 民衆 を 益 i 墮落 さして 自滅に 陷ら せる 爲め 

に 必要 だ。 若し 民衆が 向上 的なら ば, その 民衆 を 益よ 刺戟して、 更に 向上の 轉歩 をさせる 爲 めに 必要 だ。 

(一九 一 八 年 十月、 一新 公^」^ 載〕 


人間の 凡ての 活動の 中で 藝術 上の 活動 ほど 特殊性に 依賴 する 活動 はない と; ム つてい、。 ^術 上の 製^: は个- 然^ 

術 家の 特殊な 性情と 習練と が 生み出す 者で あらねば ならぬ。 藝術 家が. n: 己の 性情と 習練と に 疑惑 を^ じ、 破綻 を 

見出し、 缺 陷を感 する が 最後、 その 人の 製作 は その 瞬 問から 向 下して 價値を 失って 行く。 それ は^ 仰 を 生命と す 

る 人が 信仰の 對象を 見失った 時と 全く 同じ 結果に 陷る。 そこに は 最早 や 生命の 燃燒 がな く, その 人 も 死に、 ^も 

亦 死ぬ る。 

如何なる 藝術家 も 如上の 一事 を 念頭から 離れさして はならぬ。 又 離れさす ことが 出来ない。 彼等に *  ^し^ 力 

な自覺 だに あれば、 自分の 生命が どんな 釘に 垂れ下げられ ねばなら ぬか を 知って ゐる。 n 分の 生命, 卽 ちその 製 

作 を、 自分の 特殊な 性情と 習練との 結合 點に 見出さねば ならぬ とい ふこと を 知って ゐる。 

これ は 前に も 言った 通り、 藝術 家の 覺悟 として は 最も 大事な 要素の 一 つ だ。 ゴ ンク ー ル兄 弟が 或る 创作を 介 竹 

したと か、 ミ レイ (Millais) とラ ンド シ,. 'ァ とが 同じ 力 ン、、 ヮ ス の 中に、 分; S して 婦人と 馬と を 描き 込んだ と:. ム ふィ 

うな 事 は — ゴ ンク, 'ルの 場合に は 物 を 物と して、 作家の 氣稟を 最小限に 縮小して 觀察 する 自然主義の 主張に 蹈 

まされた 事 だとして 見ても —— 藝術界 に 起った 一 つの 出来事 だとして 觀 察して 昆 ると、 どうしても あり^べ から 

ざる 事 を、 割合に 無 反省な 心で やって 退けた とより 考 へられぬ。 若し それらの 藝術 家が 露に, n 己の 特殊性に 依賴 

する 人であった なら —— 而 して か \ る 特殊性が 幾人 もの 人の 間に 同 一 量 同 一 赏 に 盛られて ある 場合 は 絶^にない 

の だから —— 決して この 無謀に 近い 大瞻な 試み を敢 てす る やうな 亊 はなかった に 遠 ひない。 合作と か 共::! 作^と 

大 なる ffi 仝 性へ  一一 一 五 九 


有 島 武郎仝 集 ^五 卷  11 一六 o 

か 云 ふやうな 事 は、 一 人の 藝術 家に 他の 藝術 家が 甘んじて ft 屬 した 場合に だけ 辛うじて 可能と せ, りるべき もので 

ある。 それ 位藝術 家の 特殊性 は 重んぜられ たければ ならない の だ。 

かう 云ふ條 件に よって 約束され る 結朵、 藝術家 は 知らす く 自分の 特殊性 を强 調す る 動向に 支配され て 来る。 

ある 場合に は 官能の 方面に、 ある 場合に は 主張の 方面に、 ある 楊 合に は 技巧の 方面に。 而 して 自分 を 他から 特殊 

する 爲 めに は 病的と 云 はるべき 境にまで 勢 ひ 込んで 這 入って 行く。 

これ は 人の 眼 を欹て さすのに 十分 だ。 人々 はさう 云 ふ藝術 製作に よって、 平凡な 日常生活から 極端に 引き離さ 

れて、 一種の 陶醉狀 態に 這 入る。 その 快味 を感 する 事が 出来る。 又 異常な 輿粲 によって、 人間の 內 部に 伏在す る 

向 下 的 傾向 (downward  aspiration) の 奇怪な 誘惑に 溺れる 事が 出来る II 丁度 ある 高さに 引き上げられた 石が、 支 

力の 除かれる 事に よ つ て 快げ に 落下す る やうに —— 。 - 

この やうに して 藝術を 製作す る 者 も 藝術を 味 ふ もの も、 互に 或る 點で滿 足し 合 ひ 認め 合 ふ 事が 出来る。 アダム 

と イヴと が 智慧の 果 について なした やうに、 互々 に 十分 自分の 衝動の 誤り を 意識しながら、 他に 喜ばす 爲 めに 互 

互 を勵 まし 合 ふ。 而 して その 結 架と して 本當の 意味に 於け る墮 落した 藝術、 病的な 藝 術と いふ ものが 表 はれ 出て 

來る。 

「あれ はい やな 作品 だ 。然し 何 處か人 を 牽き附 ける 所が ある C 人生 を 無視した 惡魔 味が ある。 輝. 窟 のない 物凄い 

やうな、 醜い 美し さが ある。」  、 

こんな 評語が 或る 藝 術に 關 して 私達の 間に 取り か はされ る 事 はな. S か。 その 時に 私達 は その 藝标 に對 して 深い 

警戒 を 加へ なければ ならない。 それ は屢 ぷ 私達 を 容赦な くもと 來た 道に 引き 戾す ものである 場合が 多い からだ。 

この 藝 術の 邪道 は何處 から 起る かと^ ふに、 藝 術の 特殊性と いふ 事實を 曲解した が 故で あると 云 はなけ にばな 


ら^。 私 は 前に 藝術は その 製作者の 性情と 習練との 特殊な 表現で あらねば ならぬ と 云った が、 それ は:^ して 孤立 

的な、 他人の 性情と 習お とに 全く 無關 係な 表現で あらねば ならぬ と 云 ふ 意味で はない。 反對 に、 よき^ 術^ はお 

人の 心の 正當な 理解 者で あり、 又 萬 人の 心と 同様の 心の 持主であって、 その 心が 運命に 對 して^ I る €: 皮の M 々扣 

を、 萬 人が 表現し 得ない 强 さと 疋確 さと 纖細 さと を 以て 表現し なければ ならぬ と 云 はう とする の だ" だから 私の 

云 ふ 特殊性と は、 質の 問題で はなく, 量の 問題と なる。 

私 は、 天才と か藝術 家と か 云 はれる もの は、 民衆から 全然 違った 質に よって 作られた 人^だ と は 信じない もの 

だ。 反對 に、 それらの 人 は、 最も 徹底した 民衆の 心の 持主で あり、^ 驗 であると 信す る^; だ。 ^に 尺^の: g つ、 

喜びと、 悲しみと、 動向と、 煩悶と を 際立って 多量に 持ち 合 はした 人々 であると 信す るお だ。 

本 當を云 ふと 藝 術に 於け る 貴族 主義と 民衆 主義と はこ \ に 立脚し て 論じられねば ならぬ もの だ。 (これ は 少し 

餘談に 亙る けれども) 民衆 を藝術 製作の 對象 とする から 藝術的 民衆 主義で あり、 或る^られ た 少數を 藝術的 製作 

の對 象と する から 藝術的 貴族 主義 だと 見る やうな a 方 は 成り立たない。 民衆 を對 象と しょうが、 ^られ た^ 数 を 

對象 としょうが, その 見方が 質的に 特殊で あれば ある 程 藝術的 貴族 主義で あり、 量的に 特殊で あれば ある 術 

的 民衆 主義と なる 譯 なの だ。 

だから 私 はこん な 差別 觀 から 見て 藝術 上の 民衆 主義者と い はれても 滿 足しなければ ならない と^ふ。 ^にも^: 

にも 私の 思 ふ 所に 從 へば、 特殊性が 質的に 强 調され ゝ ばされ ろ 程, その蕩 術^ は 自己の 働き かけて 行く 對象 「卽 

ち 藝術を 味 ふ 人) を 失って, その 極端な 結^ は、 その 藝術 家の 孤立に 終って しま ふ。 か、 る 人の 製作した^ 術 は 

それ 自身お 人類の 生活の 基調から 切り放す 結果になる。 而 して 人類が 健全で ある 限り、 いくら ゆ ひ 入って 來 よう 

としても、 か &る藝 術 は 何時か、 實 質的 生活の 國 外に 抛り 出されて 一種の 遊戲 (それ は どれ 稃 辛辣な 味 を 持つ に 

-大 なる 健全 性へ  三 六 一 


有 島武郞 全集 第五 卷  三 六 二 

しろ) 辛辣な りな 遊 戲に墮 してし まふ。 

畢竟 人生 は 常に 遊 戲に沒 頭す るに は餘 りに 嚴肅 だ。 人叛 全體は 自分が 本質的に 持って ゐる もの & 何んで あるか 

を 模 穿 し 把持し、 實 現し、 向上 させよう とする 動向 を 一刻 も 捨てないで ゐる。 この 嚴肅. ^動向 は、 , 段 初の 皮肉 

や、 突飛な 思 ひ 付き や、 弱さから 來る 旋毛の 曲げ 方位で、 ぐらつく もので は 決してない。 人類 を极柢 的に 動かし、 

永く 人類の 生命 を 培 ふ もの は、 その 健全 性 を 促進す る 力で あらねば ならぬ。 藝術家 はこの 一 大事 を 忘れて はなら 

ぬ。 

私達の 忘れる 事の 出来ない 恩人 達の 生涯 を 思って 見る がい X。 釋迦 でも、 基督で も、 プラト,' でも ダ ー ゥ キン で 

も、 私達が 偉大 を 感じない では ゐられ ない 人の 生涯 は 皮肉 や、 思 ひ 付き や、 一部 的な 特殊性の 强調 などで 築き 上 

げられ てゐる 例し はない。 部分的で なく 全部 的 だ。 病 性に 向って ビ はなく 健全 性に 向って だ。 又もつ と 問題 を狹 

くして 藝術界 の 事 だけ を考 へて 見ても、 長い 月日の 問 人類 全 體が澤 山の 人の 中から" 篩 ひ 分けて、 偉大な 藝術 家と 

仰ぐ 人々 を 見る がい \。 一  々名前 を 擧げる 迄 もな く、 彼等 は 自分 を 人間の 生活の 底 潮に 浸し 切った 人々 だ。 而し 

て 人類が 共同に 所有しながら 氣が 付かないで ゐた 運命 を 强く銳 く 握って, 的確た 表現 を與 へた 人々 だ。 人類 は是 

等の 尊い 藝術 家に よって、 何が 自分 等の 高貴な 屬 性で あるかに 目覺 め、 何が 自分 等の 本當の 悲しい 運命で あるか 

を 痛感し、 如何にして、 どの 道 を 通って、 この 地上 巡 禮の足 を 運び 行くべき かを喑 示された の だ。 

容易な 道 を 選んで はならぬ。 近道 を拔 けて はならぬ。 鬼面 を 以て 人 を 脅かしたり、 道化役者と なって 人の II 笑に 

すがった りして はならぬ。 成就し ようが 成就し まいが、 大きな 健全 性への 大道 を 藝術家 は 歩まねば ならぬ。 小さ 

い 道に 立って、 異 つた 服装 をして、 狂 ふが 如く 跳る もの は 目立つ。 侏儒で も 或は 人の 注意 を牽 くに 足る だら う。 

正しく 大きな 道の 上 を 歩まう とする もの は、 縱令器 置が 相當に 勝れて ゐても * 大きく も, 珍ら しく も 人の 眼に は 


映. らたい。 然し 藝術 家の 眞. 賞に 心掛けねば たらな いのは, 人の 心の 火 道に 立つ 事 だ。 そこに ケ てお^^ は n;: つ 

G1 身 を 試みねば ならぬ。 その外に; 止しい 道 はない。 而 して その外に 人類と 融合して その 生活お 向 h させて;. 仃く終 

路はた い。 

生存に 絶望した ものに は 凡てが 不用で ある。 藝術 もまた 不 川た。 ネ;# の 可能 を、 卽 ち人頹 の^ 全 性と, ^來 に 

於け る その 增 進と を 感する もの、 みが 凡て の もの を 必要と する。 藝術も 亦 必要 だ。 その 必耍に 促が された 藝 術が 

大 なる 健全 性へ の 示唆と なり 得なかったら 何ん の 役に立つ か。 

へ 一九 一八す 七 《: 十一;::^ 

ご 九 一 八た や 八お、 I 文 や,^: 所^ 


大 た る 健 仝 忭 へ  - ニハ パ 


^お 武郞 仝^  ^五, 3  一一; 六 四 

リ  自己と 世界 

今度 の 世界 戰& についての 感想 を述 ベ て 見ない かと の慫遛 を受 けた。 私 は 新聞紙 ゃ雜誌 の 上 に揭げ られた 世界 

事情の 上 を 漫歩す る^の だ。 科憨 者の やうな 態度で これに 服 を 通した 事 は 嘗てない と 云って ぃゝ位 だ。 私 こ, とつ 

て はこの 態度 は怠馒 からば かりの 事で はない。 虚構、 偏頗、 空想、 誇大、 曲筆 等の 悪德 から 正確な 事實を 選り 分 

ける 事 は 今の 揚合 全く 不可能な の を 知る からだ。 此の度の 戰 爭に對 する 明かな 批判 は 或る 歳月 を經 過した 後でな 

ければ 何人と 雖も 下す 事が 出来ない だら う。 

で、 問題が 少し 岐路に I るか も 知れない が、 私 は 自己と いふ ものと 世界との 交. 涉に ついて 自分の 思 ふ 所 を 申し 

出て 見たい。 

1 體 自己と いふ もの を 外にして 世界と 云 ふ ものが 存在す る だ らう か。 世界 及び 其の上に 行 はれる 凡ての 行事 

は、 物理的に は 自己な くしても 存在し 得る。 どの 國で どう 政治が 變 革した とか、 どの 國 とどの 國が戰 を 交へ て ど 

うい ふ 決着に なった とか、 どの 勞働 團體は 或る 經濟狀 態の 變 化の 下に 如何なる 行動に 出た とか- 如何なる 思潮が 

どの 國 にどう 云 ふ 風に 現 はれ 出た とか、 婦人の 社會的 地位が どの 阈で はどう 推移した とか、 それらの 物理的な 表 

はれ は 毎日 毎時 世界の 表^に 目まぐるしく 出沒 消長して ゐる。 然し それ は § 攀に ET まぐ るし く出沒 肖 憂して ゐるだ 

けで ある。 それ は 現 はれて は 纏て 隠れて 行くべき 假象的 存在に 過ぎない。 人 は その 現象の 集成 的で 規模の 宏大な 

のに 眩惑して、 其の 事象 それだけが 何 かなしに 決定的な 不變性 を 持った 存在で あるかの 如く 考へ 易い。 この やう 

^立場から 出發 した 世界 觀は餍 達の 服 を 過 まる。 然し それが 結局 何者で あらう。 私 は それ を稱 して 事大、 王^ 


の 世界 觀と稱 する J この 世界で は 量的に 卽 ち概理 的に 宏大な ものが 重大 事件と して 取り扱 はれる。 量的に 规 校の 小 

さい もの は、 如. 可 こ. 光って ゐても 思惟の 圈 外に 抛 衛 されて しま ふ。 厘 i 一握の 土が 一 摘の 金剛石と 交換され る。 

玆で 私が 云って 置かねば ならぬ の は、 私 は 決して 規模の 大きな ものが 無意義 だと 云 はう とする ので はない こと 

だ。 規模の 大きい と 云ふ蓽 に は、 その 大きく あり 得べき 相當の 正しい 理由が ある。 全然 無意義な もの は规 校の 大 

を すらな し 得ない。 凡て 犬なる ものに 對 して 私達の 持つ 畏服 心 は ひとりでに その 存^の 無益で ない こと を 保證す 

る。 量的に でも 大 なる もの は、 何者かで あるの だ、 無 有で はない 

m ン もっと 根柢 的に いふと、 世界 を その 實 在にまで 持ち 來す もの は その 質で なければ ならぬ。 世界に 起った 或 

る 事件が 世界の 實在 性で 確立す るの は、 その 事件が 有する 內 在的價 値に あるの だ。 世界の 實在は その^ 卽 ち數^ 

にある ので はなく、 その 質 卽ち價 値に あるの だ。 世界に 起った 或る 事件が、 その 世界の 過去と 未來 とに ィ機 がに 

結^^ ナら, 1 てゐる ばかりでなく、 その 事件 を 單獨に 放して 見ても, そこに 質的な^: s が^ 據 立てられねば なら 

ぬ。 • 

そ, e なら 比の 如き 內在 的賈値 は 如何して 發昆 される だら う。 これ を發 見す る 機能 を備 へた もの は 人の 外に^な 

い。 世界の 量的 數積 は禽 獸と雖 もこれ を 感知し 意識す る。 然し 內在 的價 値に 至って は 人 を^って 始めて ほ ゆされ 

る。 世界の 實在は 人に よって 創造され 建立され る。 

人 は 世界の 上に 起った 事件 卽ち 世界史 を 通じて、 こ i に、 この 地の 上に 樂圃^ かう として ゐ るの だ ^へ W 人 

間 生活の 最終が 虚無的な もので あれ、 悲觀 的な もので あれ、 さう 思 ふ 人達 は、 さう 思 ふ 彼等の 理想にまで 卞界の 

動向 を 導いて 行かう とし、 又 導かれつ \ ある ものと 說 明しょう として ゐ るの だ。 こ、 に 於て^ でもお 付く^く 

世界の 實在性 は 人 々各 i の 自己と 云 ふ 尺度に 合せて 造り 上げられて ゐ るの だ。 

C 己と^ 界  .-- ノ ゴ 


^^武^ 仝^  ^  ^  ^  コー. 2、 

世界 力 一人の 人 を 創る。 而 して その 人 は 自己 を 通じて 世界 を 創る。 結局 歷史 とい ふ もの 卽ち 世界の 價 値判斷 5 

る もの は、 自己が 世界にまで 擴 張す るのに 外ならぬ。  : 

歷秦 とい ふ ものが あるで はない か、 S 者と いふ ものが あるで はない 勺 世界の 價 値判斷 はかう 云 ふ 人? 

平 無私な 科擧 的 研究の 結果に よって 成就す る ものであって、 歷史に對 して 何等の I 難 もない 民衆の 自己 は 結局 世 

界の實 在 性 を 左右すべき 何等つ の 力に もなる 事 は 出来ぬ。 かう 或る人 は 主張す るか も 知れない C それ は その 人が 世 

界の 事件に 對 して 全く 考察 を 費やさない 間は眞 だと 云へ る、 然し その 人が 歷 史家な り哲墨 者な りに 嘖 つて 價直的 

に 見た 世界 を 知らう と 企てるなら、 その 企てた 1 間に その 人 はもう 世界の 價値判 f- 新たに 企てぶ る f 知ら 

ねばならぬ。 如何に 盲從 的な 人で も、 ある 歷 史家な り哲舉 者な りの 所說 を、 その ま X 變易 する 事な く 受け入れよ 

うとす る 事 はしない だら う。 假 りに 變 易す 暴な く 受け入れようと しても、 ?に 異なった 義は肉 f その 八丄 

て を 不可能な も Q にして しま ふだら う。 だから どれ 程 素朴な 自己で あっても、 自己が ある 以上 は、 世界 は その 人 

の 手に よって 新たに 創造され てゐ るの だ C 

だから 私は斷 言す る。 自己の ない 所に は 世界 はない。 民衆の 意識に 共通して 少しの" 出 M もない 世界 は 一 つもな 

い 世界 を i 造す る もの \單 位で あり 同時に 總和 である もの は 自己 だ。 

だから 世界が 美しい ものと なる 爲 めに は 自己が 美しく あらねば ならぬ。 世界が 善い ものと なる 爲 めに は 自己が 

善い もので あらねば ならぬ- 世界が 價 値を增 進して 行く 爲 めに は、 自己の 價 値が 增 進し つ \ あらねば なら ュ。 こ 

の 明白な事 實は 然し 餘 りに 多く 忘られて はゐ ないだら うか。 

私達 は 時に 皇と 世界との 因果 的 一 致 を無 視 して 世界に!! まう として ゐる。 自己の 喜び If 暴な しに 世界 

の 害び を 云 ひ. 肉 己の 痛み を感 する 事な しに 世、 界の 痛み を 云って ゐ る。 その 時の 私達に 取って は 世界 は 一 つの 見 


世 物 こし か 過ぎない。 世界が 成功し ようが 失收 しょうが、 それ は 自己と 何ん の 交渉 もない^ おな 现 ^たと 私達け 

思って ゐる。 而 して 勝手 氣 儘な 放言 を 世界の 顔に 投げつ けて ゐる。 こんな 種類の 放言 を、 私 逢 は 社會^ 各方.^ に 

れ义: て 平 氣でゐ る 場合が よく あり はしない か。 これ は 然し その 無知と いふ 點に 於て まだ 恕 すべ き 所が ある。 ^も 

醜い 事 は 自己の 陋劣な 1 かれない 姿 を 以て 臆面もなく 世界 觀を 作らう とする 事 だ。 私達 は^-の 行 はや H 的 や を 

自分つ ラ^ や 目的 やに 引き下げる。 ^達の 創造す る 世界 は、 食 1  一一 C と 陰謀と を 事と する 殺人お の 世^ん。 义ネ 益と 

物質的 充^との 外に 眼の ない 大食 者の 世界 だ。 偉大な 政治家の 計畫も 私達に は 譎詐と より 映 じない。 終 ^ル^の 

變化 によって 自覺 した 勞働 者の 運動 も 私達に は 賤民の 亂暴 とより 映 じない。 凡ての 尊い 努力 は 假^に 装 はれた 化 

盗の 外で はない。 私達の 心に は 無機 的な 數 量の 大小の みが 問題と な. リ たがる。 私達が 若し C 分から 進んで 世界の 

改善 を 主張す る やうな 事が あれば、 それ は 他の 凡ての 人が すると 私達が 思 ひ 込んで ゐる やうに、 それ を 以て^ 界 

の 耳目 をが g せん 爲め である。 私達 は 如何に 多く この種の 世界 觀 によって. ま 己の 努力 を^し まう として ゐる. たら 

しかも 私達 は 良心の 呵責な しに (本當 は 呵責な しにで はなく)、 かく 世界 を觀る はめに、 私^と して ホ^ だとす る 

理由 を 持って ゐる C それ は 人類 進化の 中道に あって は、 譎詐 も 亦 選ばねば ならぬ 方法 だと^って ゐるポ だ ^し 

て 私達 は强 ひて 醜い 自己の 窮地に 安んじ、 その 醜い 投影 を 世界の 上に 投げ かけて ゐる。 

しかも 更に 悪い 事 は、 自己に 對 して は 精進 を 怠ら. ない 私達 さへ が, この 權媒 術数の 捧锊ぷ たらん とする 4 であ 

る。 私達 は 世界の 進 運に 資せん が爲 めに は 自己 を 殺す 事 を あるべき 義務 だと 思 はせられ てゐ るの だ 私^」 n〜 

進んで ! 苦しみながら ! 自己 を 欺瞞の 世界の 犧牲 としょう として ゐる。 

私達 はどうしても か X る 病的な 境界から 脫 して 來 なければ ならない。 私逹は n 分の n 己が その ま」, 界 である 

自己と 世界  一 ラメ.^ 


有 鳥 武郎仝 集 ^五 卷  三. J、v 

の を 忘れて はならない。 自己の あり 得る 以下に 自己 を踣 みに じる もの は、 それだけ 世界 を墮 落させて ゐ るの, c。 

何故 私達 はか &る墮 落 をし なければ ならぬ 境遇から 自己 を 救 ひ 出し、 從 つて 世界 を 救 ひ 出さう と はしない のか。 

私達 はまた 自己が 陋劣で あるが 爲 めに 陋劣な 世界 觀 を紘ら ねばならぬ 場合^ 深く 考 へて 見なければ ならぬ。 自 

己のお 劣 を その ま \ にしておく 結果、 陋劣. な 世界 觀に 到着す るより、 何故 陋劣な 自己 を 反省し 改善す る 事に 努め 

ない の だら う。 人間 は 生きる 間 は 生きる、 卽ち 生きる 間 はいつ でも 變る 事が 出来る。 過去の 失敗の 爲 めに、 現在 

に、 及び 未來の 自己に 結 望すべき 謂れ はない。 出 發點は 如何なる 瞬間に も 捕 へらるべく 私達の 眼 0 前に ある。 妇 

何なる 過去 を 持つ にもせ よ、 私達 は 生きながら 亡骸と なって しまって はならない。 起き 上る 人が あつ. た 所に 私達 

は 喜んで その 人 を 認めなければ ならない。 その 人の 發 心した ® 間にお 互 は 互に!, れ合 はなければ ならない。 だか 

ら 過去 はどうで あれ、 又 他の 人達 は 何とで も 云へ、 私達 は喑ぃ 過去から 拔け 出して 明るい 自己 を 見出さなければ 

たらない ひがんで 物に 對 する いぢけ た 心から 先づ 自己 を 救 ひ 出さなければ ならない。 その 時に 世界 は 飛躍的に 

變 化する の だ。 而 してよ くなる の だ。 

私 は 自己と 世界と に對 する かう いふ 立場から 今世界に 荒れす さんで ゐる 悲慘な 戰爭を 眺めよう とする。 この 戰 

爭に對 して, Q が 國の當 事 者が 取って ゐる 意見 方針と いふ やうな 者 を 考察して 見る。 そこに 何等か 世界の 未来に, 

する 大きな 希^が 動いて ゐる だら うか。 量的の 觀察 のみで 今の 世界が 節ら れてゐ る 事 はないだら うか。 小 兒のゃ 

うな 獰 放された 暖かい 心で 未來を 夢み る ものが 餘 りに 少くは ないだら うか。 偶 M 獨 逸が 日本の 敵に な 1. は、 獨逸 

が あ X なって 行った 內部 的の 要求まで も 度外視し てた,, 一 圆に 敵懷の 心に | り、 露 西亞の 帝政が 分散した と 云へ 

ば 而 して その後に 行 はれつ、 ある 大規模な 社會 革命の 試みが つま づき 勝ち だと 云へば、 すぐ 彼等の 主張す る 主 

義の 無價値 を哂は うとし、 米 國の舆 論が 世界の 人道と 平和の 爲 めに 干戈 を 執る の だと 專 へられ X ば、 そ、 ル ま 直ち 


に 米 國が僞 善の 假:. s の 下に 自家の 勢力 を 扶植す る爲 めだと 罵り、 而 して 自分自身 はと 云 へば 幾つ もの 假面を 人 一 

倍に 用意して ゐて、 交る,^ 見え透いた 被り かた をして, 自國 民に すら 眉 を «■ めしめ る。 これ が^して 世界 を改 

造すべき 自己の 氣魄 とい ふ 事が 出來 ようか。 

先づ 自分 自ら を 偽らざる gJJJ に 歸れ。 これが 爲 めに は 一 國 一家の 運命 も亦堵 すべし。 か、 る,::: 己の 態^の 上に 

のみ、 た^その 上に のみ、 世界 は 力 を 受けて 新たに 若々 しく 生まれ 出る だら う。 

ん 一 レ .4- 七;; J 卜 "A 日 

九 一 八 年 八月、 「新 小說 1 所^ 


c 已と 世界  一一: 六 九 


有島武 郎仝蕖 笫:. A 卷  三 七 〇 

讀 者 に 

私が 中央 公論に 「武者 小路 兄へ」 と 云 ふ 短い 公開 狀を 書いた について 武者 君に その 事 を 一寸お 知らせして おい 

た處 が、 葉書で 返事が 來て、 厚意 は 喜ぶ が、 自分の 事業 は 育って 行く と 思って ゐる、 今 は 畑に 出て 農事の 稽古 を 

して ゐる とい ふやうな 事が 書いて あった。 私 は その 葉書に 對 して 聊かの 不快 を も 感じなかった。 のみなら す 君が 

自 分の 仕事の 成否に 對 しても 樂觀 的な 立場に あり 得る の を 私は氣 持よ く 思った 位だった。 

さう したら 白樺の 八月 號の 六號 欄に 武者 君の 私に (私の 論文に 對 すると 云 ふよりも) 對 する 意見が 出て ゐた。 

始めの 葉書と その 文との 調子に 非常な 相違が あると 思った ので 私 は 變な氣 持が した。 「武郞 さんに 何 か 云 はれて 

: :  うぬ ぼ 

確信が 爪の あか 程で も 動く と, 武郞 さんが 本 當に思 ひ 込んで ゐ るなら ば、 それ は 少し 自惚れす ぎて ゐる氣 がする 

云々」 と 云 ふやうな 句 は、 意見の 相違 は 兎に角、 厚意 を 持ち 合って ゐる 人の 間に 取り 交 はさるべき 言葉と は 私に 

は 思へ なかった。 で、 それ を 確め る爲 めに 手 羝で問 ひ 合せた。 

武者 君 はすぐ 返事 をして 下さった。 それ は 葉書だった。 

「御手 紙拜 見し ました。 あんな こと は 書く 氣は なかった のです が、 私達の 仲間 (新しき 村) の ものが 他の 人の は 何 

といっても 氣 にしません が、 あなたの 一 1ー 一口 葉 だけ は 可な り氣 にした ものが ありまし たので、 喜んだ 人 も ありまし 

たが、 あなたと 僕との 考 へのち が ひだけ を はつ 切りした く 思った のです が、 手元に 中央 公論がなかった ので、 

かいて ゐる內 にあん なにな つたので す。 かく 前にもう 一 度讀 みな ほさなかった こと は氣 になって ゐ ました。」 

その 翌日す ぐ 手紙が 來た。 


【昨 曰 ハガキ を 出し ましたが、 書き方が 少し 氣に 入りません から、 あらためて 手紙 を 書きます。 ポれー に-ぶふお に 

します。 中央 公論の 君の 私に あてた もの は 期待が 多かった せゐ か、 僕 は よんだ 時、 すぐ 不服だった のです。 で 

すから 僕 は 君への 葉書に も 『御 厚意 は うれしく 思 ひました』 と 申した のです。 君が 厚意 を もって かいて 下さつ 

た 事 は 否 定出來 ませんで したから。 『は』 と 云 ふ 文句 は 少し 反語が ふくまれて ゐ たのです。 …… ^は^ <n にかく 

のがい やだった のです。 しかし 僕の 友達 や 仲間 は 二三の 例外 を 除いて、 皆^の かき 方に 不服 を 持って ゐ ました。 

しかし 僕と 君との 關係 をよ く 知らない もの は、 君の 曾 葉 を 過重し、 僕が おと 问意兌 で 今度の こと を 始めた やう 

にと つたら しい 人が ありました。 それさへ なければ 君が、 先輦 らしい 辯 護の 仕方 を されても、 僕に- ム はなく つ 

て もよ さ \ うな こと を 云 はれても、 僕は默 つて ゐる 精り でした。 そして^の 僕に 對 する 厚 意. たけを 誇^した く 

思って たのです。 

しかし それ は 許して くれませんでした。 

僕の 不服 は 僕と 云 ふ 人間に 對 して 君 は 一 言 も 信頓を 示さす、 僕の する 仕事 をた^-仕事 としての み^めて、 - 般 

の 場合と して、 文士の 仕事と して 尊敬して くれた 事です。 僕 は 文士と して 今度の 事 を 始めた のではありません。 

僕 は 今度の 事が 出来ないで 文士の なかに まぎれこんで ゐ たと 云 ふ 方が 本當の 人間です。 伎に •:. ポ敎 的^ が ある 

こと は 君 も 認めて ゐて 下さった はすと 思って ゐ ます。 

君に とって は 意表 外の ことだった こと をば 苦しく 思 ひます。 が 僕に 取っても 意表 外でした。 :!: 時に 矢^り^ 

だと 思 ひました。 僕 も わざ-. (\ あんな 風に もの を 云 はなく つても よかった やうに 思 ひます が、 かけば あすこ ま 

で 云 はない と氣 がすまなかった のです。 僕 は 『君に 何 か 云 はれて 少し は 僕が 希^ を 失 ふやう に^った。 お 乂 

一 時 的に 失 ひかけ た。 反って 希望が 出來 たと は 云 ひました が、 若い 仲間に』 向っても 少し 腹が立った のでした。 

讀 者に  七 1 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  三 七 二 

それさ へ なければ 書き はしません」 (後略) 

而し てこの 手紙の 末尾に 「私の 六號 について 何 か 白樺の 六號 にかいて 下さる 方が い、 かと も 思 ひます、 僕に は 

勿論よ く はわ かりま せんが」 と 書き 添へ てあつた。 然し この 手紙の 方が 白樺に 書いた 武者 君の 六號 より 遙 かに 內 

容的 であると 思 ふから, 私信で あるが 私 はこ、 に大 體を轉 載した の だ。 

私 は 事業に よって その 成就 を先づ 懸念し なければ ならない 事業と、 成否 は 第 一 一としても 必す 起さなければ なら 

ない 事業との 二つが あると 思 ふ もの だ。 而 して 中央 公論で 發 表した やうに 武者 君の 事業 は その 第二の 範嚼 に屬す 

る 事業 だと 思 ふ もの だ。 所が 或る 會 合で 私 は 武者 君の 企圖が 失敗す るに きまって ゐ ると 主張して、 それ だから 武 

者 君 は 馬鹿な 眞似 をす る 人 だと その 愚 を 憐れむ やうに 云 ふ 人 を 見た。 私 は それに 對 して 反感 を 感じた。 武者 君の 

事業 は その 成否に よって 判斷 さるべき もので はない。 今の 世の中で か \ る 企圖が 一 見失 敗に 終る の は 寧ろ 當然で 

はじ 

その 失敗が 精み 重なって 甫 めて 最後の 牧穫が 得られる の だと 極力 主張した。 世. の 中には 武者 君の 事業 を 成否から 

のみ 判斷 する 人が 多い とその 時 氣が附 いたので、 私 は 君に 對 する 公開 狀の 形で あの 感想 を發 表した 次第な の だ。 

武者 君 は その 公生涯の 始めから 今日まで 一 人の 藝術 家と して 立って ゐた。 君 は それ を 恥 ぢては 居られな いと 思 

ふ。 然し 今の やうな 生活の 狀 態で 藝 術に 從事 する 事 は 傷まし い 事 だとい ふ 念が 段々 强 まって 來て、 忍び 切れな く 

なった 結果 今日の ー轉歩 をされ たの だと 思 ふ。 さう でなかったら 君 は 始めから この 事業に 沒 頭して 居られな けれ 

ばなら ぬ 害 だ。 私が 藝術 家の 所爲 として 君の 事業 を考 へた 事 を 今でも 誤って ゐ ると は 思 ふ 事が 出來 ない。 

武者 君と いふ 人間に 對 して 僕 は 一 ー百 も 費やさな いと 云って 居られる が、 僕に 取って は あの 感想 は 武者 君と いふ 

人間に 對 して 徹如徹 尾 云って ゐる 積り だ。 僕に は 武者 君と 藝術 家と を 切り離し、 武者 君と 生活の 改革者と を 切り 

離す 事 は 出 米ない。 


武者^ は T 武郞 さんに 何 か 首 はれて 確信が 爪の あか 程で も 動く と武郞 さんが 本 當に思 ひこんで ゐ るなら ば それ 

は 少し 自惚れす ぎて ゐる氣 がする」 と 云って 居られる。 意見の 相 遠 を 明かに される の はお 持の い だ" それに 

不服 はない。 然し 「自惚れ 過ぎる」 と 云 ふやうな fB 紫 は、 對 者の 人格 を而 して 氣持を 無視した だと 私 は 思って 

る。 武者 君が 自白され る やうに 君が 架して 私の 友情に は 或る 信賴を 持って 居られるなら^ にさるべき.:::!^ ではな 

い 箬 だと 思って ゐる。 

「先輩ら しい 辯 護」 この 言葉 も 武者さん が 受け取って 下さるなら 御 返却したい。 私に は それが 不快に 然く。 思想 

を 交換す る 饗宴に 於ても 戰 場に 於ても 先輩 後輩 はない。 强 ひて 武者 君が こんな 表現と 心 持と を 保^される となら, 

私 は 君が 私に 對 して 惡意を 持つ ものと 信ぜざる を 得ない。 

武者 君の 首 葉に よれば、 私の 意見と 武者 君の それと は 同じで あると 信じた 人が 二三 は ある さう だ。 それ は 武^: 

君に 取って 迷惑な 事 だ。 武者 君 は 武者 君 だし、 私 は 私です。 どうか この 事 を 混同して 武^れの-お 兑ゃ 仕^ を^ r 

事がない やうに して 下さい。 私 は^に この 一事 だけ を 白樺の みならす、 この; i_l の讀 おに 注 怠 すれば よかった のか 

も 知れない。 然し 武者 君の 態度と 私の 態度 を 少し 說 明して 置く 方が この場合 更に 便利 だと E 心った からこん なに: 

く. JjEI きました。 

(一 九 一 八 年 九月、, C 梯ー及 「新しき 村」 所 救) 


睛 者 に  n: 七三 


冇烏 武郞 仝集笫 五卷  三 七 四 

運命と 人 

鲁 

運命 は 現象 を 支配す る、 丁度 物 體が影 を 支配す る やうに。 現象に よって 暗示され る 運命の 目論見 は 「死」 だ。 

何と なれば あらゆる 現象の 窮極す る 所 は 死滅 だからで ある。 

我等の 世界に 於て 物と 物と は 安定 を^: てゐ ない。 而 して 安定 を 得る ための 道程に あって 物と 物と は 能^して ゐ 

る。 我等が エネ ルギ I と稱 する もの は その 結 菜と して 生じて 來る U 而 して H ネル ギ ー が 働いて ゐる^ 我等の 間に 

は 生命が 嚴存 する。 然しながら 安定 を 求めて 安定の 方に 進みつ k ある 現象が 遂に 最後の 安定に 達し 得た 時には, 

エネ ルギ I は 存在 するとしても 働かなくなる。 それ は 丁度 1 陣の 風に よって 惹き 起された.^ のヒの 皮が、 互 こ 相 

剋し つ、 結局 鏡の やうな 波の ない 水面 を 造り 出す に 至る のと 同樣 である。 そこに は 石の やうに 獸 した 水の 家が が 

凝然として 澱んで ゐ るば かりだ。 再び それ を 動かす 力 は何處 から も 働いて は來 ない。 生氣は 全く その 水から 径た 

れ てし まふ。 

^等の^ I 界の 現象 も 遂に はこ., T に 落ち 付いて しま ふだら う。 そこに は 「生」 は 杉 を ひそめて た 1* 一つ 3 「弋 

死」 が あるば かりだら う。 その 時運 命の 目論見 は 始めて 成就され るの だ。 

この 已む を犸 ざる 結論 を 我等 は 如何しても 承認し なければ ならない。 

〇 


我等 「人」 は 運命の この 目論見 を 承認す る" しかも 我等の 本能が II 人間と しての 本能が、 我, に强^ r ろ も 

の は 死で はなく して その 反對の 生で ある。 

人生に 矛盾 は 多い。 それが 或る時 は 喜劇 的で あり、 或る時 は悲釗 的で ある。 而 して 我等が、 歩いて 行く 到^ 點 

が 死で ある 事 を 知り 拔 きながら、 なほ 力 を 極めて 生きる が 上に も 生きん とする 矛 ^ほど 奇^な 恐ろしい 矛 めはな 

い。 私 は それ を 人生の 最も 悲劇的な 矛盾で あると 云 はう。 

o  : 

我等 は 現在の 瞬間々々 に 於て 本當に 生きる もの だと 云って ゐる。 一瞬の 未來は 兎に角、 一瞬の 現在 は^くと も 

生の 領域 だ。 そこに 我等の 存在 を 意識して ゐる 以上、 未來 劫の 後に 來 べき 運命の 所爲を 細^す る 要はない。 

或る人々 は 云 ふか も 知れない。 

然し これ は 結局 一 種の ごまかしで 一 種の 觀念論 だ。 

人間と 云 はす、 生物が 地上 生活 を 始める や 否や、 一として 死に 脅迫され ない もの はない。 我等の 11 に醱^ した 

凡ての 哲學 は、 それが 信仰の 形式 を 取る にせよ、 觀 念の 形式 を 取る にせよ、 實證の 形式 を 取る にせよ、 凡て 人の 

心が 「死」 に對 して 惹き 起した 反應 に過ぎない。 

我等 は 我等が 意識す る 以上に 本能の どん底から 死 を 恐れて ゐ るの だ。 運命の 我等 を 將ゐて 行かう とすろ 所に、 

必死な 尻 ごみ をして ゐ るの だ。 

運命と 入  三 七 W 


有 島 武郎仝 集 第五 卷  II; 七 六 

ある 者 は 肉體の 死滅 を 恐れる。 ある 者 は 事業の 死滅 を 恐れる。 ある 者 は 個性の 死滅 を 恐れる。 而 して 食料 を 求 

め、 醫藥を 求め、 勞 役し、 奔走し、 憎み 且つ 愛する。 

人間の 生活と は 畢竟 水に 溺れて 一 片の 藁に すがらう とする 空しい はかない 努力で はない のか。 

然し 同時に 我等 は玆に 不思議な 一 つの 現象 を 人間 生活の 中に 見出す だら う。 それ はより 多く 死 を 恐れる 人 を, 

より 賢明な、 より 洞察の 銳ぃ、 より 智慧の 深い 人の 間に 見出す と 云 ふ 事 だ。 

これらの 人 は 運命の 目論見 を 常人より よりょく 理解し 得る 人 だと 云 はなければ ならぬ。 よりょく 理解す る 以上 

は 運命に 對 してより 從順 であらねば ならぬ 害 だ。 そこに は 冷 靜なス トイ カルな 諦めが 湧いて 來 ねばならぬ 喾だ。 

而 して 所謂 常人が —— 諦める だけの 理解 を 有し 得ない 常人が、 最も 强く 運命に カ强ぃ 反抗 を 企てなければ ならぬ 

害 だ。 生の 絡 對權を 主張せ ぬば ならぬ 箬だ。 

然るに 事實は 全く 反對の 相を呈 して ゐる。 我等の 中 優れた もの 程 —— 運命の 企て を 知り 祓いて ゐ ると 思 はれる 

癖に — 死に 打ち勝たん とする 一 念に 熱中して ゐる やうに 見える。 

「主よ、 死の 杯 を 我れ より 放ち 給へ」 といった 基督の 1  一一 口 葉 は 凡ての 優れた 人々 の 魂の 號叫を 代表す る。 叫 苦 を 見 


て 永生 へ の 道 を 思 ひ 立った 釋迦は 凡て の 思慮 ある 人々 の 心の 發蜜を 表象す る。 運命の n^l 見に 最も 明かなる べき 

彼等の この 態度 を 我等 は 痴人の 閑 葛藤と して 一 笑 に^し 去る 事が 出來 ないだら う。 

死 へ の 諦め を敎 へす して 生 へ の 精進 を敎 へた 彼等の 心 を 我等 はどう 考 へねば ならぬ のか。 

こ., まで 來て 我等 は、 假 相から も 一 段 深く 潜り込んで 見ねば ならぬ。 

私 は 死への 諦め を敎 へやして 生への 精進と 云った。 それ は 然し 本當 はさう ではない。 彼等の 最後の^ 齿は その 

徹底した 意味に 於て 死への 諦め を敎 へたので はない。 生への 諦め を敎 へたの だ。 ^への 精進 を敎 へたので はな 

い、 死への 精進 を敎 へたの だ。 さう 私 は 云 はねば ならなかった の だ。 

何故 だ e 

〇 

それ を 私の 考へ なりに 云って 見よう、 それ は 或る 入々 には餘 りに 明白な事 であらう けれども。 . 

彼等 は 運命の 心の 徹底的な 體驗 者で あるの だ。 運命が 物と 物との 間の 安定 を 最後の n 的と したやう に, 彼^も 

亦 心と 心との 安定 を 最後の 目的と する 本能に 燃えて ゐた 人達な の だ。 彼等の 表現が どうで あれ、 その 木 能の^ 底 

を 支配して ゐたカ は實に 相剋から 安定への 一路だった の だ。 彼等 は 畢竟 遝 命と M じ 歩調 もて^み *  n: じ リズム も 

運命と 人  三 七 七 


有 島 武郞仝 集 第五 卷  三ヒ八 

て 動いた の だ。 

〇  - 

皮相の 混亂 から 眞相 のき: 正へ、 假 象の 紛雜 から 實 在の 統一 へ、 物質 生活の から 精祌 生活の Si くへ、 醜から 

美へ、 渾沌から 秩序へ、 憎みから 愛へ、 迷 ひから 悟りへ …… 卽ち 相剋から 安定へ。 

我等の 歷史を 見る がい- -。 我等の 先 覺者を 見る がい、。 又 我等 自身の 心 を 見る がい X。 凡ての よき 事、 よき 思 

ひ は 常に 同一 の 方向に 動いて ゐる ではない か。 卽ち 相剋から 安定へ …… 運命の 眼睛の 見詰めて ゐる 方へ。 

〇  .  : 

だから 我等 は 何 を 恐れ 何 を 憚らう。 運命 は 畢竟 親切 だ。 

だから 我等 は 恐れす に 生きよう。 我等の 住む 世界 は 不安定の 世界 だ。 我等の 心 は 不安定の 心 だ。 世界と 我等の 

心は屢 m やう やく 建立し かけた 安定の 礎から、、 y り 落ちる。 世界と 我等と は 有らん限りの 失態 を演 する。 この 醜い 

さ て つ 

蹉 おは 永く 我等の 生活 を 支配す る だら う。 それでも 構 はない, 我等 は その 混亂の 中に 生きよう。 我等 は 恐れる に 

及ばない。 我等に は その 混亂の 中に も 銃 一 を 求める 已み 難い 本能が 潜んで ゐて、 決して 消える 事がない からだ。 

それで 澤山 だ。 

我等 は 生きよう。 我等の 周圍に 迫って 來る 死の 諸相に 對 して 極力 戰 はう。 我等 は 肉體を 健全に して 死から 救 ふ 


爲 めに 有らん限りの 衛生 を 行 はう。 又社會 をより 健全な 茶 礎の 上に 遨く爲 めに。 生活 を 安全に する 爲め におら ゆ 

.X 一ず 

る 改革 を 案出しょう。 我等の 魂 を 永久なら しめんた めに 冇ら ゆる 死の 刺 を 滅ぼさう。 

我等が かく 努力して 死に 打ち勝った 時, その 時は焉 んぞ 知らん 我等が 死の 來る道 を^も^ ら にした 時な の だ。 

人 は その 時に 運命と 堅く 握手す るの だ。 人 は その 時運 命の 片腕と なって、 物々 の 相剋 を 安定に 持ち 來す述 命の 仕 

事 を 助けて ゐ るの だ。 

運命が 冷酷な ものなら、 運命 を壓 倒して その 先き ま はり をす る 唯一 つの 道 は、 人が その 木 能の^ の 執ぶ を 汀て 

て 「大 死」 を 早める 事に よって、 運命 を 出し 拔く 外に はない。 運命が 親切な ものなら 述 命と^ 乎して その^ * を 

受ける 唯一 つの 道 は、 人が その 本能の 生の 執着 を 育て、 r 大死」 を n 十め る 事に よって、 遝命を 狂^: させろ 外に はな 

い。 何れにしても 道 は 一 つ だ。 

だから ホヰッ トマ ンは 歌って 云った。 

「来い, 可憐な なつかしい 死よ、 

地上の 限り を 隅 もな く、 落 付いた 足 どり で 近づく、 近づく • 

晝 にも、 夜に も, 凡ての 人に、 各 i の 人に" 

述 命と 人  11: 七 力 • 


有^ 武郎^ 集 第五^  三べ C 

早 かれ、 遲 かれ、 華 車な 姿の 死よ。 

け 力  ま 

測り 難い 宇宙 は讃む ベ きかな。 

その 生、 その 喜び、 珍ら しい 諸相と 知識、 

又 その 愛、 甘い 愛、 然しながら 更に. /(\讃 むべき かな、 

か の 冷靜に 凡て を 捲き こむ 死の 確實な 抱擁な 手 は。 

靜 かな 足 どり で 小 息み なく 近づいて 來る喑 き 母よ、 

心から あなたの 爲 めに 歡迎の 歌 を 唄った 人 はま だ 一 人 もない と 云 ふの か- 

それなら 私が 唄 はう .— 私 は 凡て に 勝って あなた を光榮 としょう、 

あなたが 必す來 る ものなら、 間遠 ひなく 來て 下さいと 唄 ひ 出で よう。 

近づけ、 力強い 救助 者、 

それが 運命なら II あなたが 人々 を かき 抱いたら、 私 は 喜んで その 死者 を 唄 はう、 

あなたの 愛に 滿ち て 流れ 漂 ふ 大海原 に容 けこん^、 

あなたの 法樂の 洪水に 有頂天に なった その 死者 を 唄 はう、 お.^ 死よ。 

私から あなたに 喜びの 夜曲 を、 


义 舞踏 を 挨拶と 共に 申し出る —— 部^の 飾り も 饗^ も 亦 

若しくは 廣 やかな 地の 景色、 若しくは 高く 擴 がる {4T 

若しくは 生活、 若しくは 園圃、 若しくは 大きな 物 思 はしい 夜 は 凡て あなたに ふさ はしい。. 

若しくは^々 に 守られた 靜 かな 夜、 

若しくは 海の 汀、 私の 聞き 知った あの 皺が れ聲 でさ、 やく 波、 

若しくは 私の 魂 は あなたに 振り向く、 お-際限 もな く 大きな、 面紗 かたき 死よ、 

そして 肉體は 感謝して あなたの 膝の 上に 丸 まって 巢喰 ふ。 

梢の 上から 私 は 歌 を 空に 漂 はす、 

紆り 動く 浪を越 え て I -無數 の園圃 と荒凉 たる 大 草原と を 越えて、 

建て こんだ 凡ての 市街と、 群衆に 塊 まる 繋船 場と 道路と を 越えて、 私 はこの 歌 を 喜び^んで 突に^ はす 

死よ」 

(一九 一 八 年 十;::;、 「屮 外」 所^) 


有^ 武郎仝 集 第五 卷  ョ、 一一 

予に對 すろ 公開状の 答 

九十 篇 ほど 集まった 中から 本誌の 記者が 嚴選 した 六篇の 私に 對 する 公開 狀 を讀ん で、 私 は 可な り 色々 の 喑示を 

得ました。 それにつ いて 私 は 筆者 諸君の 勞を 謝します と共に、 本誌 記者の 要求に より、 私 は 思 ふま \ を 明白に さ 

答へ して 見ます。 私の 誤った 點を 更に 叱正して 下 されば 嬉し いと ふでせ う。 

志賀 氏が 私の 內 部に は 明かに 二 元が 働いて ゐ るのに 早計に も それに 一 元 的の 解決 を 求めようと あせる 所に 致命 

的な 破锭が あると 論ぜられ たの は、 私の 急所に 觸 れられ たものと して 容認し ます。 「實驗 室」 が 公け にされ た 時、 

私 は 自作 を讀み 直して、 末尾の 描寫の 急噪に 失する のを氣 にしない では ゐられ ませんで した。 隻眼の 醫師 が逮こ 

到達すべき 點は あすこに 置かれた 通りで ある 事 は、 今 も 私 は 疑って はゐ ません。 然し ぁ上于 取り 早く あの 結^ こ 

達する と 云 ふ 事 は その 場合の 彼の 心と して はあり 得ない 事で あるの を 痛切に 感じました。 それ 故 私 は あれ を 著お 

集に 移す 時に、 今一度 あの 主人公の 心に なって 考 へました。 而 して 結末の 方の 描寫を 全然 新たに 書き か へまし 

た。 あなた は それ を 見て 下さった のでせ うか。 而 して あなたの 主張 を 提出な さった のでせ うかつ 若し さうなら 私 

は あなたに 同意す る 事が 出来ない ものです。 

私 は實際 今でも 心の中に は 苦しい 二元的 爭鬪を 意識して ゐ ます。 唯 私に は 一 一元が いつまでも 一 一元であって はな 

ら ぬと 云 ふ 要求と、 おぼろげながら 一元的 境地の 何者で あらう かと 云 ふ 解^ を 持つ やうに なった のです。 それ を 

私 は 「惜 みなく 愛 は 奪 ふ」 「草の葉」 等に 於て 表現し ようと 試みて ゐ ます o 然し 作物の 中に 私の 一 元觀を 絕對 肯定 

的に 表現した もので はま だありません。 又實際 あり 得ない のです。 ある 人 は 私が 煩悶ば かり を 苗いて, 決 を與へ 


てゐ ない の を 非常に もどかし がって 責めて くれました。 然し 私 は 煩悶 を 描いて かすかな 解決の. 小 を 投^ r る, 

その外に 出る の は 自分 を 偽る もの だと 思って ゐ ます。 

Y.K 氏の 御注意に 感謝し ます。 私 は愛讀 者の 或る人 達が 私 を 信じて くれて ゐる樣 に^ 劍で はあり せん。 私 は 

しい 間に合せ 屋 です。 この 年になる まで 爲す事 もな く默 つて ゐた事 だけ を考 へても 自分で 惘れ ます。 さうて す、 

私 はもつ と 自由になら なければ いけません。 唯 信じて 下さい。 私 は 今の 境界に 決して 滿 足して ゐる もので ない と 

いふ 事 を。 こんな 灰色な 明白で ない 狀 態に ゐて 死んで しま ふか も 知れません が。 若し さうなら 死ぬ ii^ までも^ 

に 角 不滿足 を 持ち 繽 ける であらう 事を 信じて 下さい。 

山路 氏に —— 私 は 今の所で は藝術 家た る 事 を恥ぢ ません。 藝 術^と いって 大きな 顔 をす る资 格に ついては: ^1 

躊躇 を 感じます けれども、 藝術 家た る 事 を 得るなら、 こんな 嬉しい 事 はない と 思って ゐ ます。 私の^ 活の改 #5 も 

向上 も 私の 藝術を 完全に する 爲 めに したいと 思って ゐ ます。 藝 術に 生きる 事が 今の 私に 取って は现想 的に^ まし 

い 事 だからです。 若し この 自信がなかったら 私 は卽刻 藝術界 から 身 を 退きます。 

吉田 氏の 私が 最近 發 表した 感想文に 對 する 非難 は 心 深く 拜見 しました。 それに は 然し あなたに 私のお へに^ r 

る 多少の 誤解が あると 思 ひます から それ を 述べて 見ます。 藝術 家と して 自己中心 主義者なる 私 は 社^ 改良お とし 

T も 自己中心、 義 者です。 自己の 要求 を充實 する 爲 めに 社會 改良の 必要 も 認める ものです。 私 は C 己の 藝術 や^ 

賞して 貰ふ爲 めに 量的 價値を 思惟す るので はありません。 自己が 大 なる 健全 性に 憧れて ゐ るが 故に、 それが^た 

に 亦 人類の 憧れで ある 事 を 知り、 自己の 衷に 取り入れて 對象を 自己と して 考察す るに 常って は 勢 ひ 他 仝 性 へ の 尸、 

道から 外れた 傍系 的 心境の 考察に 道草 を 喰 はすに —— 人類の 屮心 意志から かけ 離れた 質の^ 議 立て をせ. f に I 

驀地に 健^ 性 へ の 動向 を 深く 鋭く r 量的に) 摑み 出さなければ ならぬ。 ^ 衆的藝 術と いふ 名を與 へろ なら かくの 如 

予に對 する 公開 狀の答  三 八 一 一一 


有 鳥武郞 全集 第五 卷  一一 一八 a 

き 藝術的 活動 を こそ 名づ くべき だと 云った ビ けなので す。 なほお 斷 りして 置く 事 は、 私が あの 感想文で 云った 人 

類と いふ 言葉 は 自己と いふ 言葉の 異語 同意で あると いふ 事です。 私の 云 ふ 人類と は 勿論 自己の 中に 攝 取され た 人 

類です。 だから 藝術 家が 健全 性 を憧懞 する 事 は 人類が 同様の 動向 を 感じて ゐる 事です。 だから その 人の 生む 藝& 

は 人類の 健全 性 へ の 示唆と ならざる を 得ません。 さう ではないで せう か。 

あなたが 「自己 あっての 社會、 侗 人あって の 環境 だと 思 ひます」 から その 文の 結尾に 至る までのお 考へ は、 ^ 

と 全く 一致す る ものです C 私 は 八月 號の 「新 小說」 に 書いた 「自己と 世界」 とい ふ 感想文で 全く 同様の 事 を 云つ 

てゐ ます。 あなたが 若し それ を 承認な さるなら、 私が あの 感想文で 書いた 自己と 人類と いふ もの., 間の 關係 もも 

つと 明瞭に 把持して 下さる 事が 出來 ると 思 ひます。 

私 は 岡 野 氏の r 藝 術の 意味」 を はっきり 伺 ふ 事が 出来ない から、 私の 作物が r 藝術 的」 でない と 云 ふ 非難に 對 

しても はっきり したお 答 は 出来ません。 然し, 餘裕 とか 氣 分と かいふ ものが 薄弱 だとの 非難に 對 して はおが 事が 

出来ません。 私 は 私 だけの 餘裕 なり 氣分 なり は 必要な 程度で 出して ゐ ると 思って ゐ ます。 その 餘裕が restf.nl で 

ない とか、 氣 分が 抒情詩 的で ない とか 云 ふ 非難なら 別です が。 私が 仁 右衛門の やうな 野 蠻人を 書く 時 は 私な りに 

仁 右衛門に なり 切る 事を勉 め、 凱旋 を 書く 時には 私な りに 凱旋に なり 切る 事を勉 め、 お 末 を 書く 時には 私な りに^ 

末にな り 切る 事を勉 めました。 人 は あれ 等の 作に 思想 的 背景がない からと 云って、 直ちに 純 客 觀的描 寫と銘 を 打 

つて くれました。 然し 私に 取って は あれ は 私の 主觀の 描寫に 過ぎません。 唯 さう 云 ふ 主人公に は、 主人公の 本^ 

の 性質 上、 思想 的 背景が 少 くって 情緒 的 背景が 多いだ けの 事です。 然るに 「迷路」 r 實驗 室」 「寡 口」 等の 人物 は、 そ 

の 性質 上 思想 的で あらねば ならぬ 害です。 あの 主人公 等の 抱懷 する 思想が 直ちに 私の 個性 全體の 思想で あると 取 

られて は 困ります。 私 は 自分に 攝 取した 人間 達の 中から/人 一 一人 を 引き 拔 いて 羝の 上に ^ かして 見た まで r す。 


思想 的 生活 I それ は 現代の 人類 生活の 一 特色と 云 はなければ なりません。 今まで は 思想 的 生活が 藝術 制作の 對 

象と なった 事が 稀れ でした。 偶に あると すれば 作者が 藝 術に 事よ せて その 主張 を^ら さう と 云 ふ 偶^的 乎 段で し 

た。 しかし 今の 時 は 思想 的 生活が 情緖的 生活と 併行して 十分 藝術的 制作の 對象 となり 內容 となる に 足る までにな 

つて 来ました。 今の 敎養 ある 人々 の 生活から 思想 的 生活 を 引き去ったなら、 その 人の 生活 內容は 完全に 現 はされ 

たと は 云 はれません。 さう 私は考 へて ゐる のです。 さう 云 ふ 意味で 私の 思想 的 内 容 のおる 作物 を讀ん でいた ピきハ 

いと 思 ひます。 つまり 作物 中の 人物の 持つ 思想が 現在の 生活に どれ 稅 緊迫 切 實な關 係 を 有って ゐ るか ゐ ないか^ 

私と して は 第一 の 問題です。 

私の 作物 は 一 見 私自身より 歪んで 見えよう とも 下って 見えよう とも、 明かに 私自身の 投影で ある 事を^-」 C- 卜 

さい。 私 は 歪んで ゐても 下劣で あっても、 私自身の 衷に 取り入れ たものに は 同様に 執涪を 感じます。 

私の 愛の 考 へが 常識 以上の 何物で もない と 云 ふ 事 は 私 を 嬉しく 思 はせ ます —— おし 常識と 云 ふその 化が E^., 

と 云 ふ 一一 一一 c 葉で 置き 易 へられて ぃ& もので なければ II 超 常識 は 神の 境界で あり、 非常識 は 狂者の 境界です。 一個 

の 人と して の 私 は 最も 健全な 常識に 至る 事 を 努力し なければ ならない と 思 ひます。 唯 その 常識が どれ だけ 强く 

く 創造され るか、 藝術 制作の 試金石 は そこに あると 思 ひます。 あなた は 私の もの を 「硬化した 愛の 常識」 と: _ム は 

れる。 さうな ると 「因襲 的な 愛の 概念」 とい ふ 事になります。 それなら 私 は 非常に c 分 を 恐れなければ な o まナ 

ん。 私 はな ほ あ�