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Full text of "Terada Torahiko zensh, bungaku hen"

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寺 田.?! 紊 全集 文學篇 


夢 
* 


CHENG  YU  T" 、'ひ 

EAST  ASIAN  Y 

UNIVERSITY  C  、NTO  UBRAftY 

130  St.  Georg    . ' 

8th  FLOOR  ^ 籍 

TORONTO,  CAK'ADA  m<^<^  l/[5 き 


編輯 者 安 能 成 小 宮豐隆 

<ム 根 東洋 城 矢 島祐利 


影 撮 * 年 九 和 昭 


隨 
筆 

五 


目 次 


ピタコ ジ ス と 豆  一 

山中 常 盤 双紙  六 

夕風と 夕風   一 Q 

廳を貰 ひ 損なつ ^話  一 五 

觀點と 距離  一八 

喫煙 四十 年  ノ  二三 

^  M   一二. 

雜 記帳よ, り rH)  四 三 

ゴルフ 隨行記  五三  1 


子規 自筆の 根 岸地圖  KO  2 

藤棚の 蔭から  六 五 

鳶 と汕揚  八 四 

明治 卅ニ 年頃  九 〇 

地圖を 眺めて  九 五 

映畫 雑感 (5  二三 

疑問と 空想  一 五一- 

破 片  1 五 七 

天災と 國防  一七 六 

家鴨と 猿  一八 九 

嶋 突き  二 九九 

追 慮の 冬 夜  一 一 〇 四 


夢判斷 • -- 

新泰 偶語 •  • 

新年 雑 俎 •  • 

相撲... 

追憶の 醫師達 

西 鶴と 科學 . 

ijl 厘 射スん - ノ 

詩と 官能 . - 

鴉と 唱歌 . • 

物賣 うの 聲 . 

伯林 大學. • 

五月の 唯物觀 


自由 畫稿  三- 一 四 

箱 根 熱海バ ス 紀行  三 九 六 

隨筆難  四 0 六 

映 畫雜感 <  W )  四 1 五 

B 敎授の 死  四 四 八 

雜考  niko 

映 畫雜感 (>>  四 七 八 

海水浴  四 八 一二 

絲車  四 九 二 

映畫と 生理  五 〇 一 

映 畫雜感 (さ  五 〇 七 

錚岡 地震 被害 見學記  五一 六 


4 


高. 原  五 二 六 、 

小淺間  五三 三 

震災 日記よ, リ  五 四 一 一 

映畫 雑感 (. さ  五 五 五 

雨の 上 高地  五六 〇 

日本人の 自然 觀  五六 九 

小 爆 發ニ件  六 C.K 

三 斜晶系  六 一 九 

埋もれた 漱石傳 記 資料  .1 ハ三五 


後 記 


豆と スラ ゴタピ 


ヒ タ ゴ ラ ス と 


幾何 學を敎 はった 人 は 誰でも ピタゴ ラ ス の 定理と いふ もの k 名前 ぐら ゐは覺 えて ゐる であらう ハ 

直角三角形の 一 番長い 邊の 上に 乘 つけた 拼 形の 面積が 他の 二つの 邊の 上に 作った 二つの 拼 形の 面 

積の 和に 等しい とい ふ Q である。 オル ダス . ハク スレ ー Q 短篇 「若き ァ ル キメデ ス」 に は 百姓の 

子の ギド I が 木片の 燃えさし で鋪 道の 石の 上に 圖形を 描いて この 定理の 證明を やって ゐる 場面が 

出て 來 るので ある。 また 相對性 原理 を 設立した アイ ンシュ タインが 子供のと きに 獨 りで この 定理 

を 見付けた とかい ふ 話が 傅へ ら れてゐ る。 この 同じ ピタゴ ラ ス がまた 樂 音の 協和と 整數の 比と 0 

關 係の 發 見者で あり、 宇宙の 調和の 唱道 者であった こと は 能く 知られて ゐる やうで あるが、 この 

同じ ピタゴ ラ スが 豆の ために 命 を 失った とい ふ 話が ディ ォ、 ゲ ネス . ライル チォス の 哲學者 列 》Q 

中に 傳 へられて ゐ る。 


1 


わ 此のえ らい 哲學 者が 日常 堅く 守って ゐ た^々 の 戒律の 中に 「食って はいけ ない」 とい ふ も のが 

色々 あった、 例へば 或 二三の 鳥類、 それから 獸. 類の 心 K、 反芻類の 第一 胃、 それから 魚類で はか 

ながしら などが いけない ものに 數 へら. れてゐ る 外に、 豆が いけない ことにな つて ゐ る、. こ Q  rs」 

(キュア モス) とい ふの が 英語で はビ— ンと譯 して ある Q だが、 併し それが 日本に ある どの 豆に 

當る のか、 それとも 日本に はない 豆 だか 分らない のが 遺憾で ある。 それ は 兎に角、 何故 その 豆が 

いけない かとい ふ理. m について は 色々 Q ことが! US いて ある。 胃の 屮に ガスが たまる からと か、 乂 

「生命 C 呼吸の 大部分 を 分 有する から」 とか、 或は また 「食 はない 方が 胃. のために よく、 安眠が 

出來 るから」 とか 書いて ゐ るかと 5 やかと、 また ァ リスト テレス の 書物 を 引 川して 、「豆 は 生殖器に 

似て ゐ るから、 或は また 地獄の 門の やうに、 ひとりで つが ひ!!: が 離れて 開く から」 とも あるし 何 

のこと か 矢 張よ く 分らない C それから また 「宇 {£ の 形 をして ねる から」 とか 「選擧 Q ときの 接に 

使 はれる、 從 つて. 寡頭政治 を 代表す る もの だから」 とも ある。 

それ はさて おいて、 ピクゴ ラスの 最期に ついても 色々 の說が あるが その 中の 一 つ はかう である- 

一 日ミ 2 における 住宅で 友人 達と 會 合しあって ゐた とき 誰か その 家に 放火した。 それ は 仲 問 

に 入れて もらへ なかった 人の 怨恨に よると もい はれ、 义ク n トン Q 市民 等が ピタゴ ラス 一 派 Q 權 


豆と スラ玍 -タピ 


勢が 餘り强 すぎて 暴君 化する こと を 恐れた ためともい はれて ゐ る。 鬼に 角 ピタゴ ラ ス は にげ 出し 

て 行く うちに 運悪く 豆 畑に 行き 常った。 そこで かれは、 戒律 を 破って 豆 畑に 進入す ろより は 殺さ 

れた 方が まし だとい つて 逃走 を あきらめた。 そこへ 追 付いた 敵が 彼の 咽喉 を 切開した とい ふので 

一 方で はまた 捕虜に なつ て 餓死した とか、 世 Q 屮が になつ て斷 食して 死んだ とか &々 の說が 

あるから 本當 G こと は 何だか 分らない" しかし 豆 畑 へ は ひる Q がいやで わざく 殺された とい ふ 

Q が本當 だとす ると、 それ は 胃に 惡ぃ とか 安眠 を 害する とかい ふだけ ではなくて、 何 かしら 信仰 

乃至 迷信 的 色彩 Q あ る禁戒 で あつたで あらう。 

こ Q ピタゴ ラスの 話が 丸で 喊で あると しても、 昔 Q ギリシャ か 口,' マに 何 かそれ に 類す る r 禁 

戒」 「タブ ー」 「物忌み」 といった やうな も 〇 があった ので はない かとい ふ 疑 ひ をお こさせる に は 

十分で ある。 

この頃、 柳 田國男 氏の 「一 つ 目小儈 その他」 を 見る と 一 つ 目の 祌樣 に聯關 して 日本 Q 諸 地方で 

色々 な 植物 を 「忌む」 實 例が 澤 山に 列擧 されて ゐる。 その 中に 胡麻 や 黍 や 粟 や 竹 やい ろ,, あつ ■ 

たが、 豆 はどうであった か、 もう 一 度よ く讀み 直して 見なければ 見落した かも 知れない。 それ は 


3 


いづれ にしても ピタゴ ラス OS に對 する 話 は 矢 張 かう した 「物忌み」 らしく 思 はれる Q である。 

「嫌 4 一  ともち がふし、 「こ はがる」 ともち がふ。 

故 芥川龍之介 君が 內田百 間 君の 山 高帽を こ はがった とい ふ 有名な 話が 傳 へられて ゐる" これ は 

「內田 君の 山 高 帽」 を こ はがった Q か 「山 高 帽の內 m 君」 を こ はがった 〇 か、 そこ 0 ところが は 

つきり と 自分に はわから ない が、 しかし こ Q 話の 神祕 的な ところが 何となく ピ タゴ ラ ス ,2  ; Et- を自 

分に 思 ひ 出させる ので ある"" 

ピタゴ ラ ス はィ タリ ー で 長い間 地下-: K に iSS つて ゐた 後に 瘦せ衰 へ て 骸骨 Q やうに なって 出て 來 

た。 さう して、 自分 は 地獄へ 行って 見物して 來 たと 宜 言して、 人々 に 見て 來た あの世の さま を 物 

語って 聞かせたら 聞く もの ひどく 感動して 號 泣し、 さう して 彼 はいよ/ \ 神樣 だとい ふこと にな 

つた。 地下室に ゐた間 は 母に たのんで 現世の 出来事に 關 する 詳細な ノ ー トを とって、 それ を屆け 

て もらって 讀 んでゐ たとい ふ 話も傳 へられて ゐる C これで は 丸で 詐欺師で あるが、 これ は 恐らく 

彼の 敵の いひ ふらした 作り事で あらう。 

ビ タ ゴ ラ ス 派 Q 哲學と いふ も Q は あるが、 ピタゴ ラスと い ふ 折:: 學者は 實は架 {4-  入物だ と の 說 

も ある さう で、 いよ/^ 心細くなる 次第で あるが、 しかし この ピタゴ ラスと 豆 Q 話 は、 現.;;^ 0 わ 


4 


豆と スラ ゴタ ビ 


れん- れ Q 周 @. にも 日常 頻繁 に 起り つ、 ある 人間 Q 悲劇 や 喜劇 Q 原型で あり 雛 形 で あ る とも 考 へ ら 

れ なく はない」 色々 QfoiQ ために 命を殒 さな いまでも 色,々 な 損害 を 甘受す る 人が 屮々 多い やうに 

思 はれる C である。 それ を ほめる 人が あれば 笑 ふ 人が あり 怒る 人が あり 嘆く 人が ある •」 ギリシャ 

の 昔から 本の 現代まで、 いろくの 哲擧 の 共存す る こと だけ はちつ とも 變 りがない も Q と 見え 

る C  (昭和 九 年 七月、 東京 H::: 新閉) 


5 


山中 常 盤 双紙 


お;!^ 义兵衞 作 山中 常 盤 双紙と いふ ものが 展覽 されて ゐる Q を 一 見した。 そのと き氣 付いた こと 

を 左に 覺書 にしておく。 

奥州にゐる牛若丸に逢ひたくなった母^^盤が侍女を 一人 つれて 東へ 下る。 途中の 宿で 盜賊の 群 

に 襲 はれ、 着物 を釗 がれた 上に 刺殺され る、 その あとへ 母 を たづね て 上京の 途上に ある 牛 若が 偶 

然 泊り 合 はせ、 亡靈 の吿げ によって そ Q 死 を 知る。 さう して 復饕 を計畫 し、 詭計に よって 賊 をお 

びき 少 せせ ておいて 错 殺しに する。 後日 W び 奥州から 大 軍の 將 として 上洛す る 途上 此 宿に 立 寄り 懇 

に 母の 靈を 祭る、 と い ふ 物語 を 総 卷物十 一 一 卷に仕 立 てた ものである。 

論 g 卷物 とい ふ もの は 現代の 映畫の 先祖と 見る ことが 出来る。 これに 就いては 前に も ま 曰いた こと 

があった が、 この 山屮; 般?: 双紙 は、 さう いふ 見方の 適切な こと を實證 する のに 好都合な 一例と 見 


6 


紙 双 常 巾 山 


る こと も 52 來る C 

ぉ卷物 Q 色々 な 場面 Q 拱列モ ンタ, -ジュ 叉 一 つの 場面の 推移 を はこぶ コ マ數 0 按配、 テ ンボ 0 

綏^ と 云った やうな ものに 對 する 畫 {豕0 計 畫には 丁度 映畫 監督 編輯 者 Q それと 同様な 頭腦 Q はた 

ら きを 必要と する ことが わかる C 

ぉ畫 として Q この 緣卷 Q スト ー リ ー は、 猿 蟹合戰 より 忠臣 藏 に 至る あらゆる 仇 打ち 物語 に 典型 

的な 型式 を =;、 へて ゐ る。 はじめは 仇 打ち 事件の 素因へ Q 道行で あり、 次に 第一 Q クライマックス 

の 殺し 場が ある C その 次に 復簪へ Q 徑路 があって 第二 Q 頂點仇 打ちの 場になる C さう して 結局 G 

大圑圓 なり ェ ピロ ー グ が 來る。 さう い ふ 形式が 可也 は つきり して ゐる のが 目につく。 

映畫 Q クイ トル に 相當す る詞書 Q 長短の 分布 も い ろく 變 化が あって 面. e: く、 こ の 點も 研究 に 

値 ひする。 

二つ 0 クライマックスの 虐殺 Q 場が かなり 分析 的に コ マ數を 多くして 描寫 されて ゐ る。 展覽畲 

場で は、 こ Q  二つ Q 頂 點の處 の 肝心な 數コ マが. HI 紙で 蔽 はれて 「カツ ト」 されて ゐ たこと からし 

て 見る と、 相當に 深刻な 描寫が あって 人間の 隠れた 本能 を 呼び さます も のが ある ものと 見える C 

全 十二 卷の 詞 書と い ふ も Q を寶っ てゐた Q で 買って 見る と、 詞 書の 上段に 若干 G 畫面 の 寫眞版 


7 


が 並んで ゐて、 その 中には 上記の カツ ト された もの 、中の 二三が あるので 大抵の 想像が 出来る。 

第 一 の頂點 では 常 盤と 侍女と 二人が 丸裸に され. て 泣き 騷ぎ その上に 無. 殘に 刺殺され 侍女の 死骸 は 

緣 湖から 下へ ころがされる とい ふいき さつが 數コ マに 互って 描かれて あるら しい。 又 第二の 山で 

は 牛 若 丸が 六 人の 賊を めちゃくちゃ にた、 き 斬る、 さう して 一 一つ 三つ に 切った 死骸 を 席で 包んで 

m へ 流しに 行く まで を 精細な 數コ マ に 描き 分けた ものら しい。 

かう いふ ことから 考 へて 見る と、 この 翁卷物 は、 一方で は勸 善懲惡 Q 敎訓を 含んで ゐ ると 同時 

に、 又 一 方で は 恐らく 昔の 戰亂 時代の 武將 などに 共通であった らうと 思 はれる 嗜虐的な アブ ノ  — 

マル . サイコ ロヂ ー に對 する 適當な 刺戟と して 役立った もので あらう と 想像され る。 殊に 第一 Q 

クライ マツ クス は 最も 極端な アブ ノ ー マル . ヱ 。チ シズム の 適例と して 見る こと も出來 はしない 

かと 想 象され る。 

かう いふ ものが 如何なる 時代に 如何なる 人の 需め によって 如何なる 人に よって 制作され たかと 

い ふこと は 色々 な 問題に 聯關 して 硏究 さるべ き與味 ある 題目と なる であらう と 思 はれる。 

それにつ けて 想 ひ 出される Q は、 佛敎ゃ 耶蘇 敎の 宗教 畫の屮 にも、 こ Q 繪卷 物の 巾に 現 はれて 

ゐる やうな 不思議な 嗜虐性 要素の 爆、、 現 はれる ことで ある。 十字架 C 基督 や 矢 を 受けた 聖セバ ス 


8 


紙 双 盤 常 中 III 


チ アン もさう であるし- 义 地獄 變相圖 やそれ に 似た 耶蘇 敎 Q 地獄 圖、 聖 アン トニ ォの 誘惑の 檢の 

屮 にも 同じ やうな ものが 往々 見出される。 かう いふ 一 致 は 偶然の ことではなくて 深い 奥の 方に 隱 

れた 人間 Q 本性に 根 を 引いて ゐる こと だら うと 思 はれる ので ある。 

この間 映畫で 見た が、 印度. の 聖地で は、 自分 Q 肉體を 責めさい なむ こと を 一生の 唯一 の 仕事に 

して ゐる 人間が 澤山ゐ る やうで ある。 どうも 不思議な こと だと 思 はれた が、 よく 考 へて 見る とこ 

の 謎が 小ノし 分り かけた やうな ハ湫 もす るので ある。 (昭和 九 年 七: 《、 セル パン) 


9 


ノ 


夕 ffi 'と 夕風 


夕 W は鄕 M 高 知の 名物 Q 一  つで ある。 しかし この 名物 は實 は他國 にも 方々 にあって、 特に 瀨戶 

做 沿」:; i にこれ が 著る しい やうで ある。 さう して 國々 で 〇〇 の 夕 wonlQ 夕 W と い つ て 他の 名物 

を n 慢 する やうに ま 慢 にして ゐる らしい。 ^通 は 特有な 好い もの を S 慢 にす るの だが、 適に は餘 

りょくない 特色 を ほ慢 する 場合 も ある Q である。 

ァ イン シ ュ タイ ン が 有名に なり かけた ころ、 方々 C 國々 で、 彼 は 自分の 國の 出身で あると いつ 

てい ひゆった ことがあった。 そ Q とき ァ イン シュ タイ ン が 「もし 私が bSte  noire だったら こん 

な こと は あるまい」 といって 皮肉に 笑った さう である。 なるほど 弓 削 道 鏡が 自分の! E 鄕 出身 だと 

いって, H 慢 する 人 は あまりない かも 知れない が、 しかし 石 川 五右衛門の!! E 鄕者 だとい つて シ 一一 力 

ル な.. H 慢を 狼り 廻す 人 は あるか も 知れない。 


10 


風 夕と 风夕 


それ は 兎に角、 暑い 國の 夏の 夕 « は、 その 肉 體的效 wif から 見れば 键に、 ベ ー ト. ノ アルで ある 

が、 しかし それが 季節的 自然現象で ある だけに 可也に 多彩な 詩的 題 村 を豐富 に包藏 して ゐる こと 

も事實 である。 

夕 W は 夏の 日の 正常な 天氣 のとき にの み 典型的に 現 はれる C 午後 Q 海 軟風 (土 佐で はマゼ とい . 

ふ) が衰 へて やがて 無風 狀 態になる と、 氣溫 は實際 下がり 始めて ねても 人の 感じる 暑さ は 次第に 

M= して 來 る。 穴.一 氣が ゼラチン か 何 か Q やうに 凝 同した とい ふ氣 がする。】 その 凝固した 空氣 Q 中 か 

ら 絞り出される やうに 油 蟬の聲 が 降り そ、 ぐ。 そのく せ 世間が 一 體に 妙に しんとして 靜 かに 眠つ 

てゐる やうに も 思 はれる。 じっとして ゐ ると 氣 がちが ひさうな 1^ノ 陶 しさで ある C この 壓迫 する や 

うな 感じ を 救 ふために は 猿股 一 つに なって 井 戶水を 汲み上げて 庭樹 などに 一 杯に 打 水 を するとい 

い。 葉末から 滴り落ちる 露が この 死んだ やうな 自然に 一脈 生動の 氣を通 はせ るので ある。 ひきが 

へ るが 這 出して 來 るの もこ Q 大きな 單調を 破る に 十分で ある。 夜 Q 十一 一時に もなら なければ なか 

なか 陸風が そよ ぎ はじめない。 窒內の 燈 火が 庭樹 Q 打 水 Q 餘涯に 映って ゐる のが 少しも 動かない。 

さう いふ 晚には {4! の 星の 光まで じっとして 隨 きをし ないやうな 氣 がする。 さう して 庭の 樹立の 上 

に 聳えた 舊 城の 一 角に 測候所の 赤い c;- 號燈が 見える とそれ で 故鄕の 夏の 夕贝の 詩が 完成す るので U 


ある e 

さう いふ 晚 によく 遠い 沖の 海, 酙パを 聞いた。 海拔ー ー百メ ー トル 位 G 山脈 をへ だて 上 一一 鬼 もさき の 

^邊 を廳 かす 土 W 波の音が 山. を 越えて 響いて くるので ある。 その 审: 苦しい 何が しら 凶事 を豫感 さ 

せる やうな 調な 音 も、 夕 W の 夜の 詩に は 割愛し 難い #.徴 的 景物で ある。 

東京と いふ 土地に は 正常の 意味での 夕風と いふ ものが^ 在し ない。 その代りに 現 はれる 夏の 夕 

ベのお 風 は實に 帝都 隨ー の 名物で あると S わ はれる のに、 それ を 自慢す る 江 戶子は 少ない やうで あ 

る。 東京で 夕风の 起る 日 は 大抵 異常な 天候の 場合で、 その 意味で 例外で ある。 高 知ゃ廣 島で 夕風 

が 例外で あると 同樣 である。 

どうして 高 知 や 瀬 戶內海 地方で 夏 Q 夕風が 著る しく 東京で 夏 の 夕風が 發 達して ゐ るか、 その 理 

巾 を 叫かに したいと E 心って 十餘年 前に K 君と 共同で 研究して 見た ことがあった。 それに は 日本の 

沿岸の 數 筒:.^ の 測候所に おける 毎日 毎時 Q 風の 觀 測の 結果 を 銃 計 的に 調べ て、 各地に おける 風の 

日變化 0 特^ を检^ して 見た ので ある。 そ Q 結 ra^ を綜 介して 見る と、 それ 等の 各地の 風 は 大體ニ 

つつ つ ^合せに よって 成立って ゐ ると 兑る ことが 來る。 その 一 つの 因子と いふの は、 季節 

,で そ の 地方 一 帶を支 配 して ゐ る 地方 的^ i:§ 風と 名 づ くべ きも ので、 これ は  一 n!.E.te 同な も の 


12 


風 夕と w 夕 


と考 へる" 第二 Qw 子と いふの は 海陸の 對立 によって 規定され、 從 つて 一 日 二十 叫 時間 を 週期と 

して 規則正しく 週期 的に 變 化する 風で いは ゆる 海陸 軟風に 相 常す る ものである。 そこで、 實際 Q 

風 はこの 二つ 子 を 代表す る 一 一つ Q ヴェ ク トルの 矢 Q 合成に よって 得られる 一 本の 矢に 相當す 

る。 

高 知 は 毎時 觀测 Q 村 料がなくて 調べなかった が、 廣島 ゃ大阪 では、 前記の 地方 的 季節風が 比較 

的 弱くて、 その代りに 海陸 風が 可な り 著る しく 發 達して ゐる、 さう して 夕方から 衣へ かけて は 前 

者が 後者と 相殺す る、 そのために 夕^が 可な りはつき り 現 はれる、 さう して 海陸の 位置 分布の 關 

係で この s; の 時間が 異常に 引延ば される らしい e これに 反して 東京の 夏に は 地方 的 季節風が 相當 

强ぃ 南東 風と して 發 達して ゐる ために それが 海陸 風と 合成され、 もし これがなければ ベた W にな 

る はす 0 夕方の 時刻 に 涼し い 南東が つ た 風 を 吹 かせる らしい。 その 1: じ 季節風が 朝方 に は 陸風 

と 打消し 合つ て 朝贝を 現出す る ことになる Q である。 

使 氣壓が 近づいて 来る とその 影響で 正常の 季節風が 狂って 来る。 低氣壓 による 北!; 風が 丁度 こ 

の 南東 風 を 打消す やうになる 場合に は 海陸 風 だけが 幅 を 利かせて、 從 つて 夕 が顏を 出す。 しか 

し 低氣壓 がもう 一 層 近くな つて それが 季節風 を 消却して なほお つりの 出る 場合に は、 夕風 は 夕風 1 


でもい つもと は反對 Q 夕風が 吹く ので ある。 同じ やうな 異常 はお 部 的な 雷雨の ために も、 ろく 

つ 《^ で 起り 得る ので ある。 

「浮世の 風」 となると こんな 二つ や 三つ 位の K 子でなくて もっと 數へ 切れない ほど 澤 山な W 子 

が 寄 集まって、 さう して それ gt 子の 結果? 成に よって 晋 なったり 風に なったり する も 

のらし い。  I 

こ S ごろ はしば らく 「世界の 夕 w」 である。 いまに どんな 風が 吹き m す 力 桥標.::^ダにリ『ぼに 

も 分り さう もない。 (昭和 九 年 八 H、 週刊 s-w) 


14 


話た つな 損 ひ 貰を鹰 


瞻を貰 ひ 損なった 話 


小學 時代 Q 先生方から 學校敎 育 を 受けた 外に 同擧の 友達から は 色々 Q 大切な 人間 敎# を 受けた。 

さう いふ 友達 Q 中に も 硬派と 軟派と 一 一種 類あって、 そ Q 硬派の 首領 株から は 大分 いぢめ られ た。 

板 垣 退 助 を 戴いた 自由 黨が 全盛の 時代であった ので、 軍人の 子供で ある 自分 は、 「官 權黨 G 子」 だ 

とい ふ理 出で いぢめ られ た。 東京 訛が 拔 けなかった 爲に 「他國 もん Q ベろ しゃく」 だと 云って 

いぢめ られ た。 さう して、 墨 をよ こさなければ 歸 りに 待 伏せす ると 威 かされ、 . ^刀を くれな と 

い ぞ (ひどい 目に 合 はせ る) と 云って は 脅かされた。 その 頃の 硬派の 首領 株の 一 人 は そ Q 後 

人力車 夭に なった と 聞いた が、 それから どうな つた か 一 度 も 巡り合 はす それき り 消, ゲ 一知る こと 

が 出来ない。 

さう ハ ^い 仲間と は 丸で 感じ のちが ふ X とい ふの が 居た C うち は 何商賣 だ つた か 分らな い 力 


15 


その {豕 の 店先に 小, おの 籠が いくつか 並べて あった」 梟が 撞木に 止まって まじ/ \尤 らしい 顏 をし 

てゐ たこと もあった。 併し 小鳥 屋專 門の 店ではなかった やうな 氣 がする。 

その X は 色の 白い 女の やうに 優しい 子で あつたが、 それが 自分に 對 して 特別に 優し 味と 柔か味 

Q ある 一 風變 つた 友達と して 接近して ゐた。 外の 事は覺 えて ゐな いが 唯 一 事 はっきり 覺 えて ゐる 

つ は、 こ の 子が 自分に とき/.^ 梟 を やらう とか 時鳥 を やらう とか 义廳を やらう とかい ふ 巾し 出し 

をした ことで ある。 但し それに は 交換 條件 があって、 お まへの もって ゐる 墨と か ナイフと かを吳 

れ たら、 とい ふので あった。 自分 はどうい ふ譯 かその 鷹が ひどく 欲しかった ので、 彼 Q.^ 込みに 

應 じて 品 は 忘れた が 彼の 要求す る も Q を 引渡した。 さう していよ/ \\瞻 が 貰へ ると 思つ て 夜が 寢 

られ ない 程 嬉しがつ たも ので ある。 鷹 を 貰つ てからの こと を 色 々 穴.^ 屮に畫 いて は H クス クシ I に 

耽った ものと 見えて、 今でも なんだか 本當に 一 度 鷹 を 飼った ことがあろ やうな 氣持 がする ことが 

あ る 、 勿論 事實は 鷹な ど 曾て 飼つ た經驗 はない ので ある。 

明 曰 はいよ./ が 貰へ ると 思って さん- <\ に 待ち かねて、 やっと その 日に なつ て 見る と 鷹 は 

, す 丁度 トャに 人って ゐ るから もう 一 ニニ 日 待って くれと いふ Q である。 ひどく がっかりして、 併し 

.is 局 あきらめて 辛抱して 待って、 さてもう い、 かと 思って 催促す ると、 今度 は 何とか どうと か 


16 


話た つな iU ひ 貰を騰 


して 何とかで 工合が 惡 いからもう 一 一三 日 待てと いふ、 その 何とかに 實に尤 千 萬な 何とかで 疑ふ餘 

地な ど は 鷹の 睫毛 ほど もない の だから 全く 納得 させられる 外はなかった C それから …… 。 さう い 

ふ 風に して 結お と う /^鷹 の 夢 をお 分 に享樂 させて 貰った だけで、 生きて ゐる 實在 の 鷹 はとうと 

う 自分の も の になら な い で おしま ひに なつ た-」 はじめに 交換 條 件で 渡した 品 を 返して 貰つ たか 貰 

はなかった か、 それ は mM〕 ひ 出せない。 

これな ど は 幼年時代に 受けた 敎 育の 屮 でも 可也た めになる 種類の もので あつたと 2 わ ふ。 多分 十 

歳 位の ことであった か、 或は じ 八 歳だった かも 知れない。 

X の 消息 は 其 後 全く 分らない。 

尤も、 此顷でも矢張とき/^は 「鷹 を 貰 ひ 損な ふ」 ことがある やうな 氣 がする ので ある。 

•  (昭和 九 年 八:::、 行動) 


17 


或 日、 濱 町の 明ュ m 座の 屋上から 上野 公園 を 眺めて ゐた とき 妙な 事 實に氣 がつ いた。 それ は 上野 

の科學 博物館と その 裏側に ある 帝國 學士院 とが 意外に 遠く離れて 見える とい ふこと である。 此の 

二つの 建築物の 前 を 月に 一 度 位 は 通る ので、 近くち 見た ときの この 二つの 建物 Q 距離と いふ もの 

について は 可也に 正確な 概念 を もって ゐる、 少 くも そのつ もりで 居た ので あるが、 今度 はじめて 

約三轩 半の 遠方から 眺めて 見る と、 この 先入 概念が すっかり 裏切られて しまって、 もう 一度 改め 

て科攀博物館對帝國攀士院のぉ.^間的關係とぃふものを考へ^さなければならなぃことになってし 

まった。 - 

どうして かう いふ {ゃ 一間 的 認識の 差違が 起こる かと 考へ て 見た がよく は 分らない。 色々 な 原因が 

あるで あらう が、 その 一 つと して は 或は 次の やうな ことがあり はしない か。 卽ち、 接近して 仰向 


離距 と點觀 


いて 見る 時には 横幅に 對 して 高さ Q 方 ATI 大きく 見積り 過ぎる やうな 傾向が あつ て. そ Q 爲にー 一 つ 

の 高い 建物の 問隔 がつ まって 見える ので はない かとい ふこと である。 これに 反して 遠方から 見る 

場合に は 最早 ふり 仰いで 見る 心 持 はなくな つて、 眼と 略: 1: 水平面に ある? i 角 Q 小さな 物體 を 見 る 

ことになる ので、 それで 上下と 左右の 比率が 正しく 認識され るので はない かとい ふので ある。 こ 

〇 解釋は 間違って ゐる かも 知れない が、 併し いくらか これ を 支持す る やうな 事實が 他に も 若干 あ 

る C 

太陽 や 月 Q 仰角 を::: 測す る 場合に 大抵 高く 見過ぎ る C その 結果と して 日出 後 又は 日沒前 Q  一  二 

時間に は 太陽が 特別に 早く 動く やうな 氣 がする" 

山 の 傾斜面で も そ の 傾斜角 を 大きく 見過ぎ る の が 通例で ある。 

これ 等と 少し 種類 はちが ふが、 紙上に 水平に 一直線 を 描いて、 そ G 眞 中から 上に 垂直に 同 長 Q 

^線 を 立てる と、 そ Q 垂直線の 方が 長く 見える。 顔の 長い 人が 鳥 打帽を 冠る と餘 計に 顔が 長く 見 

える とい ふ說が あるが、 これ もなん だか 關 係が ありさう である。  . 

藝術 寫眞の 一 つの 技巧と して、 風景な ど Q 横幅 を 縮め、 從 つて、 扁平な 家 を 盛 高く、 低い 森 を 

高く 見せて それで 一 種 Q 感じ を 出す G が ある e あれな ども、 ュ ー ク リツ ド 的に は 眞實を 曲げた 嘘 


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の §具 であるが、 心理的に は 却って 眞實に 近くなる とい ふ 場合 も あるか も 知れない。 

畫家 の 所謂 デ ッ サンが 正しい とか 正 しくな いと かいふ もの も 矢 張 かう い ふ 意味で 心理的に 眞實 

な 描寫を するとい ふ 意味ら しく  はれる。 これ を 極端 迄 もって 行く と カリ カチ ユアが 一 番 正確な 

$r 像畫 になる 勘定で ある。 

これに 聯關 して mij ひな:: はされ ろ こと は、 人 容貌の 肖 似と いふ ことに 就いての 人々 の 考の異 M 

である。 例へば、 屮某 の^に は A 某と B 某と が、 よく 似て ゐ る やうに 見える。 

ところが、 乙 甘 水に 云 はせ ると、 ちっとも 似て 居な いぢ やない かと 云 ふ、 これ は屮と 乙と で^ p、 

點 がちが ふため だと 云へ ば それ迄で ある" 卽ち にと つて は A と B との 二人の 顔の 屮で、 例へば 

^だけが 注意 の 焦點 となる のに、 乙に は 眼 はそんな に 問題に ならないで 口許が 特に 大切な 特徵と 

なって 印象され る、 とい ふ 場ん;: がそれ である」 ^し乂 かう いふ こと も あり る。 卽ち E- は Ac^ 

を少 し 大きく 見過ぎ て ゐ る 代 りに B  C  ^を少 し 小さく 見過ぎ てゐ る、 その 爲に實 際 は 可也 も が つ 

た 大きさと 形 をした AB の^が 似て ゐる やうに 思 はれる とい ふこと も 可能で ある。 

それから 义 こんな 場 八:: も ある。 巾が A とい ふ 異性の 容貌 に 好惡 い づ れ かの 意味で 特^ な M ハ味を 

もって ゐる とする。 し 乙 は A の 顔に 何等の 與ゅを ももって ゐ ない とする。 さう いふ 場 八:: に、 屮 


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離 s& と點 觀 


が B や C や D が A に似て ゐ ると 云つ て も、 乙が 見る とちつ とも 似た ところが 見お 力らない であら 

Aye  .  .  ■ 

その場合には、 甲の 頭の 屮に はちゃん と A Q 鑄 型の やうな ものが 出来て ゐ るので、 BCDO 巾 

に、 ちょっと でも A に 似た ところが あると、 その 點を つかまへ て、 A  Q 鑄 型に あてがって、 さう 

して 他 Q 部分 を そ の 型に 鑄-: d し て しま ふらしい"  . 

これと は乂 全く 刖の 事で あるが、 吾々 が 科 舉の硏 究に從 事して ゐる 際に 或 一 つの 現象と 他の 一 

つ の現象とQ間に著るしぃ形式的乃:ム.^:本I只的M似がぁると感じ、 さう して その 額 似 を 解 一説し、 主 

張して 見ても、 他の 觀點に 立って ゐる學 者から 見る と、 一向に そんな 類似 關 係が 認められな いと 

いふ 場合が 往々 ある。  • 

それが 爲に 甲に とって は 殆ど 明 的と 思 はれる ことが、 乙に とって は 全く 题 にもなら ない 寢 

言 つやう に la はれる こと も ある やうで ある。 

鬼に 角、 見る 眼の 和 速で 同じ もの 、長短 遠近が 色々 になったり、. 一 一本の 棒切れ Q どちらが 定规 

で どちらが 杓子 だか 分ら なくなった りする 爲 にこの 世 Q 巾に 喧啤が 絶えない" 併し、 义 そのお か 

げで科 攀が榮 え 文 學が賑 はふば かりで なく 批評家と 云った やうな 世に も 不思議な 職業が 成り立, つ 


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b けで あらう。 (昭和 九 年 八月、 文藝 


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年 十四')^ 喫 


喫煙 g; 十 年 


はじめて 煙草 を 吸った Q は 十五 六 歳 頃の 中學 時代であった  >」 .S 分より は 一 つ 年上 Q 甥の R が 煙 

草 を 吸って. tn い 煙 を 威勢よ く 雨 方の 鼻の 孔 から 出す のが 珍ら しく 羨ましく なった も Q らしい。 そ 

の 頃 同年輩 の屮學 生で 喫煙す る Q はちつ とも 珍ら しくなかった し、 それに 父 は 非常な 愛煙{^^ で あ 

つたから 兩親 Q 許可 を 得る に は 何の 困難 もなかった" 皮 製で 財布の やうな 恰好 をした 煙草 入に 眞 

鍮の銘 豆 煙管 を 買つ て 貰つ て 得意に なって ゐた C それから 又 胴亂と 云って 桐の 木 を 刳り 拔ぃ て 印 

籠 形に した 煙草 入 を 竹の 煙管 筒に ぶら下げた Q を 腰に 差す ことが 學生 間に 流行って ゐて、 喧嘩 好 

き Q 海 南健兒 G 中には それ を 一 つの 攻防の 武器と 心得て 居た の もあった らしい。 兎に角 その 胸亂 

も 買って 貰って 嬉しがって ゐ たやう である。  . 

はじめの うち は 煙 を 咽喉へ 入れる と 忽ち t ュ せかへ り、 咽喉 も 鼻の 奥 も 痛んで 困った、 それより 


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も 閉口した の は 船に 醉 つた やうに 胸が 惡 るくな つて 叶き さう になった。 便所へ 人って しゃがんで 

ゐ る と; ると 云 はれて それ を赏行 した こと はたし かで あるが、 それが どれ だけ 利い たかは 覺 えて 

ゐ ない。 それから、 飯 を 食 ふと 米の 飯が 妙に 苦くて^ を 嘗める やうであった ノ 全く 何! つと して 

好い ことはなかった のに、 どうして それ を 我慢して あらゆる W 難 を 克服した か 分り かねる。 併し 

兎に角 それに 打 勝って 平氣で 鼻の 孔 から!^. を 出す やうに ならない と 一 人前に なれない やうな 氣が 

した こと はたし かで ある。 

1^. 吖 いはたし か 「極上 國分」 と 赤字 を 粗末な 木版で 刷った 紙袋 人の 刻^ いで あつたが、 勿論 國分 

で 刻んだ のではなくて 近所の 煙苹屋 でき ざんだ ものである 。大 井から 竹竿で 突 張った 鉋の やうな 

もので ごしり/ \ と 刻んで ゐる Q が化來 から 見えて ゐた。 考 へて 見る と實に 始 的な もので、 恐 

ら く  11; せ f の 傳來 以來そ のま、 の 器械であった らうと 思 はれる。 

Ci 、火な どに は 未だ 燧 袋で 火 を 切り出し てゐ るの があった。 それが 羨ましくな つ て眞似 をした こ 

とが あつ たが、 巾 々 呼吸が 六 かしくて 結: S は: 刚 手の指 を 痛く す る だけで 十分に::: 的 を 迷す る こ と 

が 出来なかった」 祌 棚の 燈明を つける 爲に 使ふ燧 金に は 大きな 木の 板片 が把卩 について ゐ るし、 

ほくち も 多量に あるから 點 火し 巧い が、 喫 I; 川の は 小さい 鐵片の 頭 を 指先で 抓んで 打ちつ け、 そ 


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年 十四"^. 喫 


の . ^花を 石に 添 へ た 僅な 火 口に 點 じょうと する C だから 六 かしい ので ある。 

火の 消えない 吸殻 を 掌に 入れて 轉 がしながら、 それで 次の 一 服 を 吸 付ける とい ふ 藝當も 眞似を 

した」 こ Q 方 はそんな に 六 かしく は, なかった が 時々 は隨分 痛い 思 ひ をした やうで ある。 矢 張 それ 

が 屮:: 來な いと 一 人前 Q?- になれ ないやうな;, 湫 がした も 0 らしい C 馬鹿げた 話で あるが、 ^しこの 

馬鹿げた 氣 持が 何時 迄 も拔け 切らなかった おかげで 此の 年 迄 六 かしい 學 の 修衆を つ けて 來た 

のか も 知れない C 

羅{ 十の 眞中を 三本の 指先で 水平に 支へ て 煙管 を 紛^ 軸の ま はりに 廻轉 させえ-と いふ 藝常 も出來 

ない と 幅が利かなかった: 此れ も 馬鹿げ て 居る が、 後年 器械な ど いぢる 爲の 指の 訓練に はいくら 

かなった かも 知れない "人差指に 雁首 を 引 掛けて ぶら下げて おいてから 指で {<r; 巾に 圆を畫 きなが 

ら 煙管 をプ 口 ベ ラ の 如く 猶轉 するとい ふ 曲藝は 遠心力の 物理 を敎 はらない 前に 實験 だけ は 卒業し 

てゐ た. * 

い つ も 同じ 羅宇 屋が巡 廻して 來た = 煙草 は 專賫で なかつ た 代り に 何の 商寶 にも 餘 り競举 者の な 

い 時代で あつたの である。 その 羅宇 屋が 一風 變 つた 男で、 小柄で はあった が 立派な 上品な 顏をし 

て ゐて言 葉 使 ひも 野卑で なく、 さう して 屮々 の 街頭 哲擧 者で、 いろ/ \ 面.!:: い リマ,' クをド n ッ 


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プ する w であった。" いつも バ ンド のとれ た よごれた 鼠色の フ H ルト帽 を 目深に 冠って ゐて、 誰も 

彼の 頭の 頂上に 髮が あるかな いか を 確かめた もの はない とい ふ 話であった。 その 頃の 羅宇 屋は今 

の やうに ピ ー 汽^ を鳴ら し て :^; い て 來 る の で は なく て 、 天 种 棒で 狼り 分け に 商. 買 道具 を か つ 

いで 來る ので あつたが、 どんな 道: 4、 があった か はっきりした 記憶がない。 ^し いづれ も 先祖 代々 

百年 も 使 ひ 馴らした や うな ものば かりであった。 道具 も 永く 使 ひ 馴らして 手擦れ のした ものに は 

何だか 人間の 魂が は ひって る やうな 氣 がする ものであるが、 この 羅宇 屋の 道具に も 實際ー つ 一 

つに 「個性」 があった やうで ある。 なんでも 鏽 びた 鐵 火鉢に 炭火 を 人れ てあつて、 それで 煙管 

の 脂 を 掃除す る 針金 を燒 いたり、 义 新しい 羅宇 竹を插 込む 前に その 端 を こ Q 火鉢の 執 一 灰の 屮 にし 

ばらく 埋 め て 一 来らげ たりす るので あった. - 柔ら げた 竹の 端を搏 の樹の 板に 明けた 圓ぃ 孔へ捅 込ん 

でぐ い,^ と: G ぢる、 さう して 段々 に少 しづ 、小さい 孔へ 順々 に插 込んで 责 めて 行く と 竹 Q 端が 

少し 縦れ て 細くなる」 それ を 雁^に 插 込んで おいて 他方の 端 を 拍子木の 片っ 方み たやうな 棒で 叩 

き 込む」 次に は问じ やうに して 吸口の 方 を 嵌め込み 叩き込む ので あるが、 これ を 太鼓のば ちの や 

う に 振り 廻す 手付きが 屮 々 ..m.n い 見物で あ つ た。 乂そ の き ゆん,. -\、 と 叩く 音が 河 向 ひ の 解に 反響 

したやうな 氣 がする 位 明な 印象が 殘 つて ゐる C さう して 河畔に 茂った 「せんだん」 Q 花が ほろ 


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年 十四 堙喫 


ほろ こぼれて ゐる やうな 夏 Q  H 盛り Q 場:. g がそ Q 背景と なつ てゐる Q である。 

父 はいろ くの 骨 遼道樂 をした だけに 煙草 道具に も 中々 凝った も Q を 揃へ てゐ た" その 屮に錢 

煙管 Q 吸口に 純金 〇 口金 Q 付いた Q があって、 その 金 G 部分 だけが 螺旋で 取り外 づ しの 出来る や 

うにな つて ゐた" 羅宇 屋に盜 まれる 恐れが あるので 外づ して 渡す 趣向に なって ゐ たも Q らしい。 

子 供 心 に 何だか それ が 少 し ぎごちなく 思 はれた。 そ Q せゐ でもない が 自分 は 今 B 迄 煙管 に 限らす 

時計で も ボタンで も 金 や 白金の 品物 を もつ 氣 がしなかった。 

卷煙革 を 吸 ひ 出した Q も 矢 張中學 時代 Q すっと 後の方であった らしい、 宅に は 東京 平 河 町の 土 

M とい ふ 家で 製した 紙卷 がいつ も澤. 山に 仕入れて あった.】 平 河 町 は 自分の 生れた 町 だから それが 

記憶に 殘 つて ゐる Q である-し ピ ン へ ヅ ド とか サ ン ライ ズ とか、 そ G 後に は又サ ン ライトと いふ や 

うな 一せ 料 入りの: 刚切 紙卷が 流行し 出して 今の バット ゃチ H リ— 先驅 者と なった. - そ 0 うちの ど 

れ だった か 東京の 名妓の 寫眞が 一 枚づ 、紙函 に 入れて あって、 ぼん太と かおつ まと かいふ 名前が 

舍 の中學 生の 間に も廣 く宜傳 された.】 煙 is-Q 味 も 矢 張 甘ったるい、 しつつ こい、 安^水 C やう 

な 香の する ものであった やう な氣 がす る C 

今の 朝日 敷 島の 先祖と 思 はれる: 人狗 煙草の 榮 えたの は 日 淸戰ー や 以後ではなかった かと 思 ふ。 赤 


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天狗 人狗銀 天狗 金: 大狗 とい ふ 順序で 煙草の 品位が 上がって 行った が、 その 包装紙の 意匠 も 名に 

相應 はしい 俗. ぬ-な ものであった。 禅の 紋章に 天狗の 繪 もあった やうに 思 ふ。 その 俗衆 趣味 は、 や 

や も すれば ゥヱ ルテ リズム-い 阿:^ に醉 ふ危險 の あった その 頃の 吾々 靑年 の 眼 を現實 の 俗世間に 向 

けさせる 效 5^ があった かも 知れない。 十八 歳の 夏休みに 東京へ 遊びに 来て M 張 町 GI-;¥ に 厄介に 

なって £5 た s^、 銀座 通 を 馬車で 通ろ 赤 服の 岩 谷 一大 狗松 平氏 を 見掛けた 記憶が ある。 銀座 二 丁目 邊 

の 東側に^ があって、 赤 塗 壁の 軒の 上に 大きな 天狗の 面が その 傍お 無人の 鼻 を 往来の 上に 突出し 

てゐ たやう に 思 ふ. - 松 平 i は 第二 夫人 以下 i ぬ 何十 夫人まで を 包括す ス.. 日本一 Ct< 家族 Q 主人 だと 

いふ ゴシップ も 聞いた が 事實は 知らない。 兎に角 今 曰の 所謂 フ アイ ティ ング - スピ リツ トの 旺盛 

な 奥 上であって、 今 n なら 一部 G 人士の 尊敬の 的に なった であらう に、 ^しい ことに 少し 時代が 

早 過ぎた 爲に、 ^;; きゥ H ル テ ルゃルディ ン^^にはひどく毛嫌ひされたゃぅでぁった。 

ぉ^^!て開かれた 「$1; 草に 關 する 展覽 舍」 で この: 大狗 煙草の 標本に 稗 舎して 本 常に 淚 C 出ろ 程な 

つかしかった が、 ; 0 れは 恐らく CI 分 だけに は 限らない であらう。 天狗が なつかしい のでなくて、 

そ Z  0 我が 環! 5 んが なつかしい の で ある e 

製 草が 出來る やう になった ときの 記憶 は 全く { や- で ある。 併し 两 作で 一 一年 半 慕して: S り に 


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年 十四 邇喫 


シャトルで 日本 郵船 丹 波 丸に 乘 つて ク、 し 板り に 吸った 敷 島が 恐ろしく 紙 臭くて、 どうして もこれ 

が 煙草と は 思 はれなかった、 その 時の 不思議な 氣持 だけ は 忘れる ことが 出來 ない" 併し それ も- 

曰經 つたら すぐ 馴れて しまって 日本人の 吸. ふ 敷. おの 味 を 完全 に 取り 房す こ とが 出来た。 

獨逸滯 在屮は ブリキ 函に 尺った 「マノリ」 とい ふの を 日常 吸って ゐ た。 或 時下 宿の 老 :纖 フ u ィ 

ライン. シュ メルツ ァ ー 逹と 話して ゐ たら、 何 かの 笑談を 云って 「ヱ ス. ィ スト. ャ ー. マノ  — 

リ」 とい ふから、 - てれ は 何の 事 だと 問いて 見る と、 「馬鹿げた 事 だ」 とい ふ 意味の 流行語 だとい ふ。 

どうい』 譯 で- 「マノリ」 が 「お 鹿な こと」 になる かと 聞いて 見た が 要領 を 得なかった。 そ Q 後 こ 

の 疑問 を遙 々日本へ 持って^って 仕舞 込んで 忘れ て a た C 專. M 局 の 方々 にで も いて 見たら 分る 

かもしれ ない が、 事によると、 これ は 自分が 一寸 かつがれた のか も 知れない.) 

ク ツチ ャ 1 

獨逸は 葉卷が 安くて 煙草 好に は樂 土であった。 二三 十片 で相當 な も. のが 吸 はれた。 馬車:^ ゃ勞 

働 者の 吸 ふ もっと: 女い 葉卷 で、 吸口の 方に 藁 切れが 飛び出し たやうな のがあった がその 方 は 試め 

した 事がない。 

伯林の 美術館な ど 0 入口の 脇の 壁面に 數寸 角の 金 If 板が 蠟燭立 かなん かの やうに 飛 屮:; して ゐる 

の を 何かと 3 心ったら、 入場者が 吸 ひさしの シガ! を乘 つけて おく 棚であった。 點 火した の を そこ 2 


へ 載せて おくと 少時す ると E 然に 消えて 主人が 觀覽を 了へ て 再び 屮:: 現す るの を 待つ、 謂 はに シガ 

1 の 供 待 部屋で ある。 これが 日本の 美術館 だったら どうで あらう。 這 入る ときに S いた 吸 ひさし 

が、 出る ときに その 持主の 手に 返へ る 確率が 少 くも 一 九 一 〇 年頃の 怕 林より は 少ないで あらう。 

^し 大戰 後の 伯林で この シガ ー の 供 待 所が どうい ふ 運命に 見舞 はれ たかは 未だ 誰から も 聞く 機會 

がない。 

伯林で も 電車の 內は 禁煙で あつたが 車掌 憂 は 喫煙者の 爲に 解放され てゐ た。 山 高帽を 少し 阿彌 

陀に 冠った 中年の 肥大った SR などが 大きな 葉卷 をく はへ て 車掌 臺に 凭れて ゐる姿 は、 そ Q 頃の 伯 

林. 風俗 畫の 一景であった。 何處か のんびりした もので あつたが、 日本の 電車で はこれ が 許されな 

い。 いっか 須 m 町で. * 換 へたと きに 氣 まぐれに 葉卷を 買って 吸 付けた ばかりに 電車 を棄權 して 曰 

本 橋 迄 歩 いてし まった。 夏 HI 先生に そ の 話 をしたら 早速 そ の 當時書 い てゐ た小說 の 中の 點景村 料 

に 使 はれた" 0 と い ふ餘り ばし からぬ 役割の 作 屮 人物の 所業と して それが 後世 に 傅 はる こと 

になって しま つ た。. そのせ ゐ ではない が 往来で 葉 卷を買 つて 吸 付ける こと は そ の 時限り で やめて 

しまった。 

II 逸から 巴 へ 行った. I 葡萄酒が 安 い 代りに 煙-草が 高い ので 驚いた。 聞いて 見る と 政府の 專賫 


30 


ザ-十四 煙 喫 


だからと いふ ことて あった。 巴 M から. 口 ン ドン へ 渡って そこで 日本からの 送金 を 受取る 害に なつ 

て 居り、 從 つて 巴 m- 滯在屮 は 財布 の 内 壓が 極度に 低下 して ゐ たので. 特に 煙草の 專賫 に 好感 を 有ち 

損なった ので あらう。 マッチ も 高かった と 思 ふが、 それよりも マッチの フランス語 を敎 はって 來 

るの を 忘れて ゐた爲 に 巴 里へ 着いて 早速 當惑を 感じた。 ドイツで 敎 はった フラ ンス 語の 先生が 煙 

革 を 吸 はない のがい けなかった らしい。 兎に角 金がないのに 高い 煙草 を 吸 ひ、 高い マ 口 ン . ダラ 

セ ー を かじった のが 祟った と 見えて、 今日で も 時々、 西洋に 居て 金が 無くなって 困る 夢を見る。 

大抵 胃の 工合の 悪い ときで あるら しいが、 さう いふ 夢の 中で はき まって 非常に 流暢に 獨逸 語が し 

や ベれ るの が 不思議で ある = 巴 M で 金が 少ない のと、 言葉が 自由で ない G と W 方で 餘 計な 神經を 

使った のが 腦髓 の何處 かの 隅に 薄い しみの やうに 殘 つて ゐる ものと 見える。 心理 分析 研究家の 材 

料に この 夢 を 提供す る。 

西洋に ゐる 間はパ イブ は 手に しなかった。 當時 ドイツ や フーフ ン スで はそんな に 流行って ゐ なか 

つた やうな; m がする。 ロンドンの 宿に 同宿して ゐた 何とかい ふ 爺さんが、 夕飯 後 スト ー ヴ Q 前で 

旨 さう に パイプ を ふかし 乍ら 自分 等の U 仃の田 所 氏 を捉 まへ て、 ミス タ ー . タ— ケド— 口と 呼び 

かけて は 頻りに アイルランド 問題 を 論じて ゐた。 この ク ー ケド ー n が 出る と 日本人 仲間 は 皆 笑 ひ リ 


出した が、 爺さんには何が可笑しぃのか見當が付かなかったに相i^;^;ーなぃ。 

アイ ンシ ュ タインが 東京へ 來た. S から 吾々 仲間の 間で パイプが 流行し 出 したやうな 氣 がする 0 

し パイプ 道樂は E 分の やうな 不精者に は 不向きで ある。 結局 世話の か、 ら ない 「朝日」 が 一番 

である C 

煙草の 一希う まいの は 矢 張 仕事に 手 を とられて みっしり 働いて 草臥れた あとの 一服で あらう" 

义 仕事の 合間の 暇 を盜ん での 一服 もさう である リ 學生 時代に 夜更けて 天文の 觀測を やらされた 時 

など、 曆表を 繰って 手頃な 星 を 選み 出し、 望遠鏡の 度 盛 を 合 はせ ておいて、 クロノ メ I タ 1C 刻 

昔を數 へながら H 的の 星が 視野に 這 入って 來 るの を 待って ねる、 その 際どい  一 二分 間 を 盗んで 吸 

付ける 一服 は、 殊に 凍る やうな 霜夜 も 漸く: けて、 そろ./ \ 腹の 減って 來る ときな ど、 實に 忘れ 

難 い 不思議な 慰安 の 靈藥で あ つ た。 いよ /\E 生が 見え 出し て も n に銜へ た 煙草 を 拾 てないで 望遠 

鏡を观 いて ゐ ると 煙が 直上し て^を 刺 战し、 肝心な 瞬間に 星の 通過 を 讀み拟 な ふやうな こと さ へ 

あった。 後に はこれ に 懲りて、 いよ./ とい ふ 時の 少し 前に、 服 は 望遠鏡に 押 付けた ま k、 片チ 

は 纷華 片手 は 觀測簿 で 塞がって ゐ るから、 n で 煙草 を 吹き出して 盲 nM 搜 しに 足で 踏み消す とい ふ 

き は ど い 藝當を 演じた。 火事 を 出さな か つたの が 不思議な 位で ある。 


32 


年 十四 堙樊 


油 総に 凝って 居た 頃の 事で ある。 一通り 畫面を 塗りつぶして、 さて 全 體の效 ra^ をよ く 見渡して 

から そろく 仕上げに か、 らうと いふと きの 一 服 も. 一 寸說 明の 六 かしい 靈 妙な 味の ある も Q であ 

つた。 要するに 眞劍に はたらいた あとの 一服が 一番うまい とい ふこと になる らしい。 閑で 返 屈し 

ての む 煙草の 味 は 矢 張 空虚な やうな 氣 がする。 

煙草の 「味」 と は 云 ふ もの、、 これ は 明に 純粹 な味覺 でもな く、 さう かと 云って 普通の 喚覺で 

もない。 舌 や 口 蓋 や 鼻腔 粘膜な ど よりも も つ と 奥 の 方 Q 咽喉 の 感覺で 謂 は 煙覺 とで も名づ く ベ 

きもの \ やうな 氣 がする。 さう すると これ は 普通に 所謂 五官の 外の 第 六 官に數 へ るべき も C かも 

知れない。 して 見る と 煙草 をのまない 人 はの む 人に 比べて ー官分 だけの 感覺 を棄權 して ゐる譯 で、 

眼の 明いて ゐ るのに 目隠し をして ゐる やうな ことになるの かも 知れない。 

それ は 兎に角 煙草 をのまぬ 人 は 喫煙者に 同情がない とい ふこと だけ はたし かで ある。 圖書窒 な 

どで 喫煙 を 禁じ る の は、 樊 堙家 にと つて は讀 *1 を 禁じられ ると 同等 の 效果を 生じる。 

先年 胃 をゎづ ら つた 時に 醫 者から 煙草 を 止めた 方が い、 と 云 はれた。 「煙草 も 吸 はな いで 生き 

て 居た つてつ まらない から 止さない」 と 云ったら、 「亂 暴な こと を 云 ふ 5^ だ」 と 云って 笑 はれた。 

もし あの 時に 煙草 を 止めて ゐ たら 胃の 方 はたし かによ くな つた かも 知れない が、 その代りに 疾に 3 


死んで しまった かもしれ ない とい ふ氣 がする。 何故 だか 理由 は 分らない が 唯 そんな 力す るので 

ある。 

煙草の 效 能の 一 つ は 憂苦 を 忘れさせ 癎瘕 の蟲を 殺す にある であらう が、 それに は卷 煙草より は 

矢 張 煙管の 方が よい。 昔 自分に 親しかった 或 老人 は 機嫌が. 惡 いと 何とも 云へ ない 變な 咳拂ひ をし 

て は、 煙管の 雁首で 灰 吹 をな ぐり 付ける ので、 灰 吹の 頂上が いつも 不規則な 日本 アルプス 形の 凸 

凹 を 示して ゐた。 それば かりで なく 煙管の 吸口 を ガリ/. -嚙 むので 銀の 吸口が 扁 たく ひしゃげ て 

ゐ たやう である。 いくら 齒が 丈夫 だとしても あんなに 嘰み ひしゃぐ に は 口金の 銀が 相當 薄い もの 

でなければ ならなかった と考 へられる。 それ は 兎に角、 此の 老人 はこ Q 煙管と 灰 吹 Q おかげで、 

っひぞ 家族 を 殿 打した こと もな く、 又 他の 器物 を 打 毀す こ ともなく 溫 厚篤 實な 有德の 紳士と して 

生涯 を 終った やうで ある。 ところが 今 Q 卷煙 草で は 灰皿 を 叩いても 手 ごた へが 弱く、 紙 Q 吸口 を 

嚙んで 見ても 齒 ごた へがな い。 尤も 映畫 などで 見る と 今の 人 はさう いふ 場合に 吸殼で 錐の やうに 

灰 1 の眞屮 をぎ う/ \ 揉んだり、 义吸殼 を やけくそに 床に 叩きつ けたり する やうで ある。 あれで 

も 何もし な いより はまし であらう。 

自分 は 近 來は垔 草. でき 瘤 を まぎらす 必要 を 感じる やうな 事 は 稀で あるが、 併し 此頃堙 草の 有難 


34 


年 十四 煙 喫 


味 を 今更に つくぐ と 感じる Q は、 自分が 餘り與 味の ない 何々 食議 といった やうな 物々 しい 席上 

で 憂 管に なって しまった 時で ある。 他の 人達が 天下 國 家の 一大事で あるかの 如く 議論して ゐる事 

が、 自分に は 一向に 一大事の 如く 感ぜられないで、 どうで もよ ぃ些 末な 事 Q 樣に思 はれる 時程自 

分 を 不幸に 感じる こと はない。 最も 重要なる 會 議がナ ン セ ン ス Q 小 S 原 會議の 如く 思 はれる とい 

ふ Q はこれ は储 にさう 思 ふ 自分が 間違って ゐ るに 相違ない からで ある。 

さう いふ 憂 匿に 襲 はれた ときには 無闇に 煙草 を 吹かして この 憂 管 を追拂 ふやう に 努力す る。 さ 

うい ふ 時に、 口から はなした 朝日 0 吸口 を綠色 羅紗 Q 卓 布に 近づけて 口から 流れ出る 眞. H い 煙 を 

しばらく たらして 居る と、 煙が 丸く 擴 がり はする が 羅紗に へ ばり 付いた やうに なつ て散亂 しない „ 

その 「煙の ビ スケ ット」 が 生物 Q やうに 緩やかに 搖 鬼して ゐ ると 思 ふと 眞 中の 處が 慈姑の 芽の や 

うな 形に 持上がって やがてき り/ \ と 龍卷の やうに 卷き 上がる。 此の 現象 Q 面白さ は 何遍 繰返し 

て も 飽きな いも 0 である。 

物理 學の 實驗に 煙草の 煙 を 使った こと は ST あった。 殊に さ氣を 局部 的に 熟した ときに 起る 對 

流 渦動の 實驗に は 何時も これ を 使って ゐ たが、 後に は 線香 0 煙 や、 盥 酸と アム モ 一一 ァの蒸 氣を化 

合させて 作る 鹽化 アム モ 一一 ァの煙 や、 又 近頃 は 鹽化チ クンの 蒸 氣に水 蒸氣を 作用 させて 出来る 水 


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酸化 チタン c 煙 を 使ったり して ゐる。 これ は 所謂 無 鈴 白粉 を 煙に したやうな ものである。 かう い 

ふ堙 に關し て 研究す ベ き科學 的な 問題が 非常に 多い。 膠質 化. 學 の 方面から の 理論的 與味は 別と し 

て も實用 方面からの 研究 も 可也 多岐に 亙って 進んで はゐ るが 未だ 分らない こと だらけで ある。 國 

家の 非常時に 對 する 方面 だけで も、 煙幕の 使用、 中 寫眞、 赤外線 通信な ど、 みんな 煙の 根本的 

研究に 據ら なければ ならない。 都市の 煤煙 問題、 鑛 山の 煙害 問題 みんな さう である。 灰 吹から 大 

蛇 を 出す 位 はなんで もない ことで あるが、 大蛇 は 出ても 餘り 役に立たない。 併し 鑛 山の If 突から 

採れる 銅 や ビス マス ゃ黃金 は 役に立つ ので ある。 

尤も 喫煙 家の 製造す る 煙草の 煙 は 唯 空中に 散らばる だけで 大概 餘り 役に は 立たない やうで ある 

が、 或は 空中 高く 昇って 雨滴 凝結の 心 核に はなる かも 知れない。 午前に 本鄕で 吸った 煙草の 煙の 

數億 萬の 粒子のう ちの 一 つ 位 は、 午後に 日 比 谷で 逢った 驟雨の 雨滴の 一 つに 這 人って ゐる かも そ 

れは 知れない であらう。 

喫煙 家は考 へやう では 製 煙 機械の やうな ものである。 一 日に 紙卷ー 一十 本の 割で 四十 年 吸った と 

すると 合計 二十 九 萬 二 千 本、 ざっと 三十 萬 本で ある。 一本の 長さ 八. 五 極と して、 それだけの 朝 

日を縱 につな ぐと 二 四 八 二 〇 米、 ざっと 六 里で 思った 程で もない。 煙の 容精 にしたら ど 0 位に な 


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年 十四 通 喫 


るか。 假 りに 卷 煙草 一 センチで ーリ ー トル の 濃い 煙 を 作る とする、 さう して 一 本に つき 三セ ンチ 

だけ 煙に するとして、 三十 萬 本で 九十 萬 リ,' トル、 ざっと 見て 十 米 四角 〇 も Q である。 製 煙 機械 

として Q 人間の 能力 は餘り 威張れた もので はない らしい。 

. ; W し 人間 は 煙草 以外に もい ろ/ \ の 煙 を 作る 動物であって、 これが 他の あらゆる 動物と 人間と 

を區 別す る H 標に なる。 さう して 人間の 生活 程度が 高ければ 高い ほど 餘 計に 煙 を 製造す る。 蠻地 

では 人煙が 稀薄で あり、 聚落の 上に 煙の 立つ 0 は 民の 竈の 賑は へる 表徵 である。 現代 都市の 繁榮 

は 空氣の 汚濁の 程度で 測られる。 軍國の 兵力 Q 强 さも 或 意味で は どれ だけ 多く Q 火藥ゃ ガソリ ン 

や 石炭 や 重油の 煙 を 作り 得 るかと いふ 點に關 係す る やうに 思 はれる。 大砲の 煙な どは堙 のうちで 

も 隨分 高價な 煙で あらう と 思 ふが、 併し 國防 〇 爲 なら 止む を 得ない ラ キジ ュ リ— であらう。 唯 平 

時の 不注意 や 不始末で 莫大な 金 を 煙に した 上に 澤 山の 犠牲者 を 出す やうな こと だけ はしたくない 

ものである。 

これ は餘談 であるが、 一二 年 前の 或 日の 午後 煙草 を 吹かしながら 銀座 を 歩いて ゐ たら、 無帽の 

着流し ffi: し 人品 賤 しからぬ 五十 恰好 Q 男が 向, から 來 てに こくしながら 何 か 話しかけた。 よく 

聞いて 見る と 煙草 を 一 本 くれない かとい ふ Q である。 丁度 持 合せて ゐた MCC かなん か を 進呈し 


37 


て マッチ を かして やったら、 「や、 こり や あ 有難う/ \」 と 何遍も ふり 返って は 繰返しながら 行 過 お 

ぎた。 往来の 人が 面. さう にに こくして 見て ゐた。 甚だ 平凡な 出来事の やうで も あるが、 併し 

この 事象の 意味が いまにな つても、 どうしても 自分に は 分らない。 つまらない やうで 實に 不思議 

な 了 ドヴェ ンチ ユア ー として 忘れる ことが 出来ない ので ある。 若し 讀者 のうちで この 謎の 意味 を 

自分の 腑に 落ちる やうに はっきり 解說 して くれる 人が あったら 有難い と 思 ふので ある。 

(昭和 九 年 八 H -、 中央 公論) 


旅 初 


幼な い 時に 兩親 に 連れられ てした 長短 色々 の 旅は刖 として、 自分で 本當 の 意味で の 初 旅 を し た 

の は中學 時代の 後半、 しかも 日 淸戰爭 前で あつたと 思 ふから、 多分 明治 二十 六 年の 冬の 休暇で、 

それ も 押 詰まった 年の 暮 であつ たと 思 ふ。 自分より は 一 つ 年上の 甥の R と 二人で 高 知から 窒戶岬 

迄 往復 四 五日の 遠足 をした C その 頃 は 勿論 自動車 はおろ か乘合 馬車 もな く、 又 沿岸 汽船の 交通 も 

なかった。 旅行の 目的 は、 もしも 運が よかったら 鯨 を 捕る 光景が 見られる とい ふのと、 もう 一 つ 

は、 自分の 先祖のう ちに 一 人窒戶 岬の 東 寺 Q 住職に なった 人が あるので その 墓參り をして 來るゃ 

うにと いふ 父からの 命 をう けて ゐ たこと である。 

中學 校に は 未だ 洋服の 制服な ど 無い 頃であった。 屮の字 を 星 形に した 徵章 のつ いた 制帽 を 冠つ 

て、 紺の めくら じ まの 挎を はき 脚 群に 草鞋が け、 それに 久留米 耕の 綿 人 羽織と いふ 出で立ち であ 


つたと w 心 ふ。 さう して 毛絲で 編んだ^ ろしく 大きな 長い 羽織の 紐 をつ けて 居た と 想像され る。 そ 

れが 其顷の 出舍の 中, 學 生の ハイカラで シックで モダ ー ンな 服装であった からで ある。 

,站 ; 日 は 物 部 川 を 渡って 野 市 村の 從 姉の {豕 で: 汨 まって、 次の 晚は 加領鄕 泊り、 さう して 三晚目 

に窒津 の 町に 迎り 付いた 様に 思 ふ。 翌日 は 東 寺に 先祖の 一海 和尙の 墓に 參 つて、 窒戶 岬の 荒涼で 

雄大な 風景 を 眺めたり、 昔 この 港の 人柱に なって 切腹した 義人の 碑 を讀ん だり したが、 殘念 なが 

ら鯨は 滯在屮 遂に 一 匹 もとれなくて、 唯 珍ら しい 恰好 をして 五色に 彰 色され た 鯨 漁船 を 手帳に ス 

ケ ツチした りした だけであった。 父 は 維新 前 所 IS 御 方の 支配の 下に 行 はれた 捕鯨の 壯觀 と、 人 

漁 後の バ ッ カスの 饗娑と を 度々! R 擊 し體驗 して ゐ たので、 出發 前に その 話 を 飽きる 程 聞かされて 

ゐた。 それで 非常な 期待と 憧憬と を もって 出かけた ので あつたが、 運惡く 漁がなくて 濱は 淋しい 

ほど 靜 かであった。 併し 今にな つ て考へ て 見る とそのお かげで 却つ て 自分の 頭の 中には 父の 首 葉 

で 描かれた 封建時代の 捕鯨の 光景が 可な り 鮮明な 影像と なって!: 十 年後の 今日 もま だ 保存され て 

ゐ るので ある。 

窒津の 宿屋の 主人 はかなり のお 婆さんで あつたが、 吾々 一 一人の 中學 生の 初 旅 を 珍ら しがって 火 

變 にもて なして くれた 上に 「珍ら しい もの を 見せて 上げよう」 と 云って 持 出して 來 たのが ー卷の 


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總卷 物であった。 餘程貴 東な ものと 見えて、 5: 證で 見せて やる とい ふ條 件つ きであった やうな 氣 

がする。 殘 念ながら 詳しい こと は覺 えて ゐな いが、 鬼に 角 その 卷 物の 中には ありと あらゆる 鯨の 

種類 それから 親類 筋 Q いるか、 すなめ りの 類の 精細な 寫生圖 が 羅列して あつたので 吾々 一 一人の 中 

學生は 眼 を 丸く して それ を點檢 した 許りでなく、 婆さんの 許可 を 得た かどう かそ こ 迄は覺 えない 

が、 兎に角ニ人の寫生帳の中へその主なるものを^:ぉしとったのでぁった。 こ Q 鯨^ 卷の £ おしや、 

硯 石で 昔から 知られた 行當 岬の スケッ チゃ、 祖先の 出身 だとい ふ 一 世 一 海 和尙の 墓の 输 などが 鄕 

里の (!^ に 保存して あった 害で あるが、 いつの 前に かもう 無くなって しまった か、 それとも 未だ 倉 

の 中の 何處 かに 隠れて ゐ るか 不明で ある。 

此の 鯨の 繪卷物 は 恐らく 昔の 御 鯨 方に 傳 はつ た最責 重な 傅 書の やうな もので はなかった かと 思 

ふ" こ Q 綺卷 がそれ から 四十 年の 月日の 間に どうい ふ 運命 を閲 した か、 もし かこ Q 「旅と 傳說」 

の讀 者のう ちで、 彼 地に 緣 故の ある 人で も 居て、 この 責 重な 文獻の 所在 をつ きとめ、 さう して、 

もし 未だ さうな つて 居ないならば、 それ を、 水久に 安全な 場所に 安置し、 さう して 特志 者に はいつ 

初 でも 見られる やうに する だけの 面倒 を 見て くれる とい ふ 事に でも なれば 大變に 仕 合せ だと 思 ふ G 

旅 である。 


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尾籠な 話で あるが 窒戶の 宿の 宿泊料が 十 一 錢 であった こと を覺 えて ゐ る。 大變に 御馳走が あつ 

て 二の 膳 付 の 豐 富な 晚食を 食 はされ たので 聊か 囊中 の 懸念が あ つたで はない かと 思 ふ。 そのせ ゐ 

ではつ きり それ を覺 えて ゐ るの かも 知れない。 道中の 晝食は 一 人前 五六 錢 であった らしい。 何處 

かの 晝 食で 甥が 一 一 一杯 自分より 多く 飯 をく つたら、 その 分 だけ 一 錢 多く 取られた。 會計は 父の 命 

令で 自分 Q 方で もつ ことにな つて ゐ たので、 甥が ひどく 悄氣て 困った こと を 思 ひ 出 す。 恥 かしい 

.2: 證話 である。 

室戶 岬が 日本 何景か Q 一  つに なつてから 觀光 客が 急に 多くな り、 今では、 汽車 こそ 未だ 開通し 

ない が、 自動車 や 汽船で 樂 に日歸 りが 出来る さう である。 その代りもう 十一 錢の 宿泊料で は覺束 

ないで あらう。 鯨 取り も疾 にもう 那威式 か 何 かにな つてし まった 害 だから、 自分が 父から 聞いた 

やうな, 突し い 勇ましい 夢物語 は 矢 張 永久の 夢物語に なって しまったに 相違ない。 

甥の R が 死んで からもう 一 一十 餘 年になる ので 當 時の 想 出 を 話し合 ふ 相手 も なくなって しまった 

譯 である。 從っ てこの 想 出に は 色々 の 思 ひ 違 ひが ある こと、 S3 ふ。 (昭和九^^^八月、 旅と 傳說) 


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り よ 帳記雜 


雜 記帳より (n) 


一 

今年の 春の 花の 頃に 一 日用が あって 上野の 山內へ 出かけて 行った C 用 をす ました 歸り にぶらぶ 

ら 竹の 臺を 歩きながら 全く 豫期 しなかった お 花見 をした。 花 を 見ながら ふと 氣の 付いた こと は、 

若い ときから 上野の 花 を 何度 見た かしれ ない 譯 であるが、 本當に 櫻の 花 を 見て 樂 しむ 意味での 花 

見 をす る ことが 出来る やうに なった の はほんの 近年の ことら しい、 とい ふこと である。 それ 以前 

に は 花 を 見る つもりで 行っても 花より は 花 を 見に 來てゐ る 人間が 氣 になって 仕方がなかった。 人 

にこ だはりながら 花見 をして 歸 ると 頭が 疲れて がっかりした ものである。 家族連れで 出かける と 

その上に 家族に こだ はる Q で 疲れ 方が 一層 はげしかった。 それ だのに、 どうした ことか、 近頃 は 

そ^ほど 人に こだ はらないで 花が 見られる やうに なったら しい。 これが 全く こだ はらなくなる 頃 4 


に はもう 花が 見られなくなる かも 知れない。 

あらゆる 花 Q 中で も 花の 固有の 色が 單 純で 遠くから 見ても そ Q 一色し か 見えない 花と、 色の 複 

雜な 隈取りが あって、 少し 離れて 見る と 何 色と も はっきり 分らないで 色彩の 搖曳 とで も 云った や 

うな も Q を 感じる 花と が ある。 朱色の 馨莱ゃ 赤 稀な ど は 前者の 例で あり、 紫色の 金魚草 や a ベリ 

ァ など は 後者の 例で ある。 一 體に朱 赤色 や 濃 黄色. と 云った やうな 熱 色の 花に は單 調な 色彩が 多く 

て紫靑 色が、 つた もの や 紅で も 紫が、 つた ものに かう した 色 Q かヾょ ひとで も 云った ものが ある 

らしい。 柱 作りに 適する 口 1- ャル • ス 力," レットと いふ 薔薇が ある。 濃 紅色の 花 を 群生させる が、 

少し はなれた 所から 見る と il 脂 色 Q 團 塊の 周圍に 紫色の 雰圍氣 の やうな も Q が搖曳 しかげ ろうて 

ゐる やうに 見える。 

人間の^ 彩と 云った やうな ものに も 矢張り かう した 一 一種 類が ある やうに 思 はれる。 少 くも 藝術 

的 作品 はさう であるし、 又 ことによると 科學 的な 仕事に も いくらか さう い ふ 別が ある やうな 氣 

がする。 物理 學の 方面 だけで 見る と 一 體に 獨逸學 派の 仕事 は單 色で 英國 派の 仕事に は 色彩 0 陽炎 


44 


り よ 帳記雜 


とても 云った もの を 伴った ものが 多い やうな 氣 がする が、 それ は 唯 そんな 氣 がする だけで: :4、 體的 

の 說明は 六 かしい。 

三 

人間の 個性の 差別が 實に 些細な ことにまで 現 はれる とい ふ 一 つの 實例 をつ い 此の頃 見付け出し 

た C 或る 研究所の 廊下に 所員の 姓名 を 記した 木の 札が 掛け 並べて ある" 片側 は 墨で 片側 は 朱で 書 

いて あるの を、 出勤した とき は黑 字の 方 を 出し、 歸る とき は 裏返して 朱 字の 方 を 出して おく ので 

ある。 粗末な 白木の 札で あるから 新人で ない 人 Q 札 は みんな 手招で 薄黑く 汚れて ゐ る。 ところが、 

人に よって は 姓名の 第 一 番の 文字のと ころ だけに 眞黑に 指の 跡 を 印して ゐる 人が あるかと 思 ふと、 

又 一 一番 目 〇 字 を 汚して 居る 人 も ある。 さう かと 思 ふと 又 下 Q 一 一字 を 一 樣に 汚して 上 Q 一 一字 は 綺麗 

に 保存して ゐる Q も ある。 一方で は 又 ちっとも さう した 汚 點を つけて 居ない 人 も ある。 かう した 

區 別が 何 を 意味す るか はさう 簡單な 問題で はないで あらう C 併し、 ことによると 此の 姓名 札 Q 汚 

し 方の 同じ 型に 屬 する 人に は 自ら 共通な 素 貧が あるか も 知れない。 さう して、 人間の 性情 Q 型 を 

判斷 する 場合に この 方が 寧ろ 手相 判斷 などよりも、 もっと 遙 に科學 的な 典壤 資料に なり はしない お 


かと 想像され る。 

少 くも、 眞黑な 指の 痕を つけて ねる 人 は、 名札の 汚れな ど \ いふ 事に は 全然 無關 心な 人で ある 

とい ふ 位の こと は 云 はれさう である。 わざ/、 痕を つけて、 それが 日々 黑 くなる のを樂 しみに す 

る 人 はめった にな ささう に 思 はれる。 

氣が 付いて 見る と 自分 は 一 番 上の 字の 眞中 を眞黑 にして ゐる。 同じ 仲間が 近所に 一 一人 は ある。 

此の 二人と 自分と 大分 似た ところが あるら しい。 自分の 場合で は、 掛けた 札が ちゃんと 後ろの 板 

に 密着し ない と氣 持が 惡 い から 掛けた あとでば ちんと 札 を 押し つける、 それ を 押し つ ける に は 釘 

に 近い 上の 方 を 押す のが 一 番 機械的に 有效 だから さう する らしい、 勿論 無意識に さう する ので あ 

る。  . 

釘に 引っかける 札の 穴の 周 圍を疵 だらけに して ゐる 人と、 さう でない 人との 區刖も あるら しい 

これと 汚れ 方との 相關も あるら しいが 未だよ く 調べて みない。 

兎も角も 恐ろしい ことで ある。 「悪い こと は 出来ない」 わけで ある。 

四 


46 


り よ 帳記雜 


或る 家の 告別式に 參 列して 親類の 列に 伍して 棺の 片側に 居並んで ゐた。 參拜 者の 來る のが 始め 

G うち は 引 切りな しに 續 いてく るが 三十 分 もた つと 一 時 まばらに なり やがて 一 寸 途切れる。 又 一 

としきり どか/, \ 'と鑌 いて 來 るかと 思 ふと 叉ぱ つたり 途絶える ので ある。 それが 何となく 淋しい 

ものである。 

しばらく 人の 途絕 えたと きに、 佛 になった 老人の 未亡人が 椅子に 腰かけて 看護に 疲れた からだ 

を 休めて ゐた。 その 背後に 立って ゐ たの は、 この 未亡人 Q  二人の 娘で、 疾に 他家に 嫁いで 二人共 

に數 人の子 供の 母と なって ゐる Q であるが、 その 二人が 何 か 小聲で 話しながら 前に 腰かけて ゐる 

老母の 鬚の 毛の ほ つれ を 交る くと りあげて 繕って やって ゐる。 つい 先刻 迄 は 悲しみと 疲れと に 

やつれ ra^ て \ゐ た 老母の 額が、 さも 嬉し さう に、 今迄 見た ことのない 程 嬉し さう にか やいて 見 

える のであった。 

なんだか 非常に 羨ましい やうな 氣 がして 同時に 今迄 出なかった 淚 が^に 眼 頭を埶 (くす る G を感 

じた。 

五 


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八十 三で 亡くなった 母の 葬儀 も 濟んで 後に 母の 居間の 押入 を 片付けて ゐ たら、 古い ボ ー ル Q 菓 

子 箱が いくつか 積み重ねて あるのに 氣が ついた。 何 だら うと 思って 明けて 見る と、 箱の 奥に 少し 

づ、 色々 の 菓子の 缺 けらが 散らばって ゐた。 それ を 見た ときには つと 何 かしら 胸 を 突かれる やう 

な氣 がして、 張りつ めて 來た 心が 一時に ゆるみ、 さう して 止處 のない 淚が 流れ出る のであった。 

或る 食堂の 隣室に 自働 電話の 自働 交換 臺が ある。 同じ やうな 筒形 Q ものが 整列し、 それが 數段 

に 重なって ゐる。 食事 をしながら ぼんやり 見て ゐ ると、 とき/^ あちこちに 小さな 豆電燈 がつ い 

たり 消えたり する。 それ 等の 灯の 或る もの は點 つたと 思 ふと パ チ/ とせ はしな く 瞬き をし 

て ふっと 消える。 器械の 機構 を 何も 知らない もの k 眼で 見て ゐ ると、 その 豆電燈 Q 明滅が 何 を 意 

味す るの か 全く 見當 がっかない。 唯 全く 偶然な 螢火の 明滅と しか 思 はれない であらう。 し、 こ 

•Q 機構の 背後に は 色々 の 人間が さま, <„ ^の 用談 をし 取引 を 進行 させて 居り、 あらゆる 思惟と 感情 

の 流れ が 電流 の 複雜な 交錯と なって この 交換 臺 に 集散して ゐ るので ある。 

現象 を 記載す る だけが 科學の 仕事 だとい ふス a 1 ガンが 屢、、 勘 違 ひに 解釋 されて、 現象 Q 背後 


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リ よ 帳 記雜 


に 伏在す る 機構への 探究 を 阻止しょう とする ことがある やうな 氣 がする。 併し、 氣を つけない と、 

自働 交換 臺 の 豆電燈 の 瞬き を 手帳 に記錄 する だけで 滿足 する やうな ことになる 恐れがない と は 云 

はれない。  ,  • 

ドン キホ ー テの 映畫を 見た" 彼の誇大妄想狂の原因は彼の^^集した書物にぁるから、 これ を燒 

き 捨てなければ いけない とい ふので 大勢の 役人 達が 大きな 書物 を か \ へ て搬び 出す 場面が ある。 

この 畫 面が 進行して ゐた とき、 自分 Q 前の 座席に ゐた 男の子が 突然 大きな 聲で 「ァ ー、 大掃除 だ」 

と 云った。 つい 近頃 五月の 大掃除が あった Q を 思 ひ 出した Q であらう C あちらこちらの 暗がりで 

笑聲が 聞え た。 

子供 は 子供の 見方 をす る やうに 人々 は 又 思 ひ/. \〇 見方 をして ねる であらう。 自分 はこ Q 映畫 

を 見て ゐる うちに、 何だか 自分の こと を 諷刺され る やうな 氣 Q すると ころがあった。 自分の 能力 

を 計らないで 六 かしい 學 問に 志して いつば し Q 騎士に なった つもりで 武者修行に 出かけて、 さう 

してつ まらない 問題と とつ 組みべ 口 つて 怪物 Q つもりで た の 羊 を: H とめて みたり、 風車に 突き か 


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かつ て 培 やに 釣り上げられる やうな IZ に舍 つたこと はなかった かどう か、 そんな こと を考へ . ^い 

譯には ゆかなかった。 

併し 义 こんな こと も考 へた。 この 映 畫に現 はれて 來る 登場人物 のうちで 誰が 一番 幸福な 人間が 

と m ぬって 見る と、 天晴れ 衆人 Q 嘲笑と 愚弄の 的に なりながら 死ぬ 迄 歸士の 夢 をす てなかった ド ン 

キホ ー テと、 その 夢 を 信じて 案山子の 殿様に 忠誠 を 捧げ 盡す ことの 出来た サン チヨと、 こ 0  二人 

に まさる もの はない やうな 氣も する のであった。 

然ぇ盡 した 書物が フィルム Q 逆轉 によって 燒 灰から フエ ニックスの 如く 輕 つて 来る」 卷き 縮ん 

だ黑 焦の 紙が 一 枚々 々する/ \ と 仲び て燒 けない 前の ぺ ー ジに變 る。 その 屮 から シャ リ了ピ ンの 

悲しく も 美しい バスの メロ ディ ー が 溢れ出る のであった。 

1- 史に名 を 止めた やうな、 えらい 武人 ゃ學 者の どれ だけの パ ー セ ントが 一 種の ドン キホ ー テで 

なかった か。 現在 眼前に 榮 えて ゐ るえ らい 人達のう ちに も、 もしかしたら 立派な ドン キホ— テカ 

一人 や 二人 はゐ るので はない か。 そんな こと を考 へながら 帝劇の 玄關を 下りて、 雨の ない 六月 晴 

0 堀端の 薰 風に 吹かれた のであった G 


50 


り よ 帳 記 雑 


隨筆は 誰でも 書け るが 小說は 中々, 誰に でも 書け ない と 或る 有名な 小說 家が 何 かに 書いて ゐ たが 

全く その 通り だと 思 ふ。 隨筆は 何でも 本當 のこと を 書けば よいので あるが、 小說 は!^ を 書いて さ 

うして さも 本當 らしく 讀 ませなければ ならない からで ある。 尤も、 本當 に本當 のこと を 云 ふの も 

實 はさう しく はない と 思 はれる が、 それでも 本當 に本當 らしい 噓を云 ふこと Q 六 かし さに 比べ 

れば 何でもな いと 思 はれる。 實際、 嘘 を 云って、 さう して 辻 棲の 合はなくなる こと を 完全に 無く 

する に は 殆ど 超人的な 智惠 の 持主 である ことが 必耍と 思 はれる からで ある。 

眞實を 記述 するとい つても、 鬼に 角主觀 的の 眞實を 書き さへ すれば 少 くも 一 つの 隨 筆に はなる- 

容觀的 に は どんな 間違 つたこ と を 書き連ねて ゐて も、 その 人が さう い ふ こと を 信じ てゐ ると いふ 

事 實が讀 者に は 面白い 場合が あり 得る からで ある。 併し 本來は 矢張り 客觀 的の 眞實の 何 かしら 多 

少 でも 目 新ら しい 一 つの 相 を 提供し なければ 隨 筆と いふ 讀物 としての 存在理由 は 稀薄になる、 さ 

うだと すると 隨 筆なら 誰でも 書け ると も 限らない かも 知れない。 

前記の 小說家 もこん な ことぐ らゐは 勿論 承知の 上で それと は 少し 別の 意味で さう 云った に は 相 


遠な レカ 併し 不用意に 讀み 流した 讀者 Q 中には 著者の 意味と ちがった 風に 解釋 して、 それ だか 

ら 概括 的に 小說は 高級な もので 隨筆は 俄 級な ものであると いふ 風. に吞み 込んで ゐる 人が 案外 多い 

とい ふこと に 近頃 氣が ついて、 さう いふ 事 實に舆 味 を 感じて ゐる。 こんな 風に、 文字の 表面 Q 意 

味と 餘程 ちがった 意味 を讀 者に 暗示す る やうな 記述 法が 新聞記事の 中な どに は澤 山に 見出される 

やうで あるが、 これ 等 も 巧妙な 修辭 法の 一例と 思 はれる。 

鬼に 角科學 者に は 隨筆は 書け るが 小 說は容 に 書け さう もない。 

昔 或る 國で Q 話で あるが、 天文の 擧 生が 怠けて 星の 觀測 簿を僞 造して 先生に 差 出したら おち 見 

破られて ひどく お 眼 玉 を 頂戴した。 實際 一 晚 Q 觀測簿 を 尤もらしく 偽造す る 爲の勞 力 は 十 晚百晚 

の勸 5^ の勞 力よりも 大きい もの だら うと 想像され るので ある。 (昭和 九 年 八月、 文學) 


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sBffM フ ル ゴ 


ゴ レ フ i„}5Iy 1 了 己 

二  ノ  ーノ照 \v- 一一 lln 


すっと 前から M 君に ゴルフの 仲間入り をす、 めら れ、 多少の 誘惑 は 感じて ゐ るが、 今日 迄 のと 

ころで は 頑強に 抵抗して 云 ふ 事 を 聞かないで ゐる。 併し 鬼に 角 一 度ゴ ル フ場 へお 伴 をして 見學だ 

けさせて 貰 はう とい ふこと になって、 今年の 六月 末 Q 或 水曜日 Q 午前に 一 一人で 駒 込から 阒 タク を 

拾って 赤 羽の リンクへ 出かけた。 梅雨に 代表的な 天氣 で、 今にも 降り出し さうな 空が 不得要領 

に 晴れ、 太陽が 照りつ ける とい ふより は 寧ろ. S 氣 自身が 白つ ぼく 光り輝いて ゐる やうな 天 候で あ 

つた e 

震災 前と 比べ て 王子 赤羽界 隙の 變り 方の はげしい のに 驚いた。 近頃 Q 東京 近郊の 面目 を 一 新 さ 

せた 因子のう ちで 最も 有 效なも Q と 云へば、 コ ンクリ ー ト 0 鋪裝 道路で あらう と 思 はれる。 道路 

に 土が 顏を 出して ゐる處 に は 近代 都市 は 存在 しないと いふ ことになる らし ハ。 


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荒 川 放水路の 水量 を 調節す る 近代 科舉的 Si 門の 上 を 通って 土手 を數町 川下へ さがる と 右に クラ 

ブ ハ ウス が あり 左に リ ンクが 展開して ゐる。 

ク ラ プ の 建物 は いっか 舰 いて 見た 朝霞 村 のな どに 比べ ると 可也 謙遞な 木造 平家で、 何處か の W 

舍の學 校の 運動場に でも ありさうな イン テリ 氣 分の ものである。 休憩室の 土間の 壁面に メムバ ー 

の 名札が すらりと 並んで ゐる。 ハンディキャップの 數で 等級 別に 並べて ある さう だが、 矢 張 上手 

な 人の 數が少 くて、 上手で ない 人の 數が 多い から 不思議で ある。 黑 板に 競技の 得點 表の やうな も 

のが 書いて ある。 一等から 十 等 迄 賞が 出て ゐる。 これなら 樂 しみが 多い ことで あらう。 賞品 は 次 

の 日曜 R に 渡します と ある. - 人間い くら 年 をと つても 時には 子供 時代の 喜び を 復活させる 希望 を 

捨てなくても い、 Q である。 

M 夫人が 到着した ので そろく 出掛ける。 

一 の 地面より は 一 段 高い 芝生の 上に 小さな 猪口の 底を拔 いて 俯伏せに したやうな 阆錐 形の 臺 

を 置いて、 その上に あの .R い 綺麗な ボ ー ルを 載せて おいて、 それ を あの クラブの 頭で ひつば たく 

と 一 種 獨特の 愉快な 音が する。 飛んで 行った 球が もう 下り 始める かと 思 ふ 頃に 却っての し 上がつ 

て 行って それから^ ちる ことがある。 夫人 Q 球が 時々 途中から 右の 方へ 力— ヴを 描く。 球が それ 


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IB 行隨 フ ル ゴ 


て 土手 の 斜面 に^^^ち る と 罰金 ださう で あ る。 

河畔の 蘆 Q 中で しきりに 葭 切が 鳴いて ゐる e 草原に は 矮小な 夾竹桃が 唯 一 輪眞 赤に # 、いて ゐる。 

綺麗に 刈りなら した 芝生の 中に 立って 正に 打 出されよう とする 白い 球 を 凝視して ゐ ると 芝生 全體 

が 自分 をのせ て {ゃ; 中に 泛ん でゐる やうな 氣 がして くる C 日射病の 兆候で もない らしい。 全く 何も 

比較 Q 尺度の ない 一 樣な綠 の 視界 は 吾々 の. S 間に 對 する 感官 を 無能に する らしい。 

途中から 文科の N 君が 一 緒に なった。 三人の プ レ ィが 素人 IH に 見ても それぐ ちゃんと はっき 

りした 特^が あって 面..:!: い C クラブ と 球との 衝擊 によつ て 生す る 音の 昔 色まで が 人々 で 違 ふやう 

な氣 がする ので ある。 科學 者の M 君 は 積分 的效 * を 狙って 着實 なる 戰法 をと つて ゐる らしく、 フ 

ラ ン ス文學 の N 君 は H ス プリと エラ ン Q 恍惚 境 を 望んで ドライブして ゐ るら しく、.  M 夫人の 球 は 

その 近代的 闊達と 明朗 を もってしても 矢 張 何處か 女性ら しい やさし さた を やか さ を もって ゐるゃ 

うに 見えた。 口  0 悪い N 君が M 夫人の 球 を 「どうも 右傾 だな」 と 云った が 間もなく N 君 自身の 球 

が 右傾して 荒 川の 水に その 姿を沒 した。 夫人の 胸中 も自 から 平 かなる を 得た やうで ある。 

キア ディが 雲雀の 2 果を 見付けた。 草原の 眞唯 中に、 何 一 つ 被蔽物 もな く 全く 無限の 大{ 仝に 向つ 

て 開放され た巢の 中には 可愛い 卵子が 五つ、 その 卵形の 大きい 方の 頂點を 上向け て 頭 を 並べて ゐ 


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る。 その上 端の 方が 著しく 濃い 褐色に 染まって ゐる。 そ Q 色が 濃くなる とぢ きに 孵化す る だと 

キア, ディが いふ。 早く か へらない と、 萬 一 誰か Q 右傾した 球が 落ち か、 つて 来れば、 この 可愛い 

五つの 生命の 卵子 は 同時につ ぶされ さう である。 巢は 小さな 笊 Q やうな 形 をして ゐて、 思の 外に 

精巧な 細工で ある。 これ こそ 本能 的 母性愛の 生み出した 天然の 藝術 であらう。 

荒 川が 急に 逆様に 流れ出し たと 思ったら、 コ ー スが 何時の間にか 百八十度 廻轉 して 歸り路 にな 

つてん た。  .  . 

キア ディが 三人、 一 人はス マ ー トでー 人 は ほがらかな 顔 をして ゐ るが いづれ も 襟 頸の 皮膚が^ 

紙 色に 見事に 染め あげられて ゐる。 もう 一 人 はなんだ か元氣 がなくて 襟 頸 も 餘り燒 けて ゐ ない。 

どうした 譯 かと 聞いて 見る と 未だ 新米 ださう である。 未だ 新米に さへ もなら ない 自分の 顏 がそ Q 

n どんなで あつ たかは 自分に は 分らない。 疲れ はしない かと 三人から 度々 聞かれた。 

この キア ディの やうな 環境に おかれた 少年 は 例へば 昔の 本 鄕靑木 堂の 小店 員の 如く 大概 妙に 惡 

すれが してく る ものであるが、 こ、 Q 子供達 はそんな 風が 目に 立たない。 此 C リンク Q 御 客が 概 

して 地味で 眞面 E で 威張らない 人の 多い せゐ かも 知れない。 

いっか、 この キア ディのう ちの 一人が リンクの 池で 鮒 を;. 匹つ かまへ て、 ボ ー ルを洗 ふ 四角な 


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記行隨 フ ル ゴ 


水 桶 Q 屮に 入れて おいて、 一 廻りした 後に 取りに 來 たらもう 見えなかった さう である。 こんなの 

ん びりした 世界で さへ も、 自分 Q 手で しっかり 握つ てゐ ない 限り 私有物の 所有 權は 確定し ない も 

のと 見える。 して 見る と やっぱり 自分の 腕 以外に たよりになる 財產 はない かも 知れない。 

ゴ ル フも 段々 見て ゐ ると 中々 六 かしい 複雜な 技術 だとい ふこと が 少し は 分つ て來 る。 少 くも、 

單に 棒の 頭で 球 をな ぐって 飛ばせる と 云 ふだけ ではない ことが 僅かに 一 時間 半ば かりの 見學 でよ 

く 分った やうな 氣 がした。 この 日 M 君 N 君 0 解説 を 聞いた こと だけから 考 へても、 凡ての 藝 道に 

共通な 要領が ゴ ル フ の 術に も耍 求され てゐる ことが 分る。 一 番 大事な もの は 矢 張 心の 自由 風流で 

あるら しい。 

人間が 球 を 飛ばせたり 轉 がしたり する 遊戯の 種類が 一 體 どの位 あるか 數へ 切れない ほど あるら 

しい) 近代的の もので も ゴルフ Q 外に 庭球 野球 獄球 籠球 排球 などが あり、 今 は 流行らぬ ク リケッ 

ト、 ク ロケ ー から、 室 內 用に は ピンポン、 ピリア— ド それから 例の コ リント ゲ— ムま である。 

本の 昔で も 手 鞠 や 打球 や 蹴辎は 可也 古い も G らしい。 

人間ば かり かと 思 ふと、 猫な どが 喜んで 紙 を 丸めた ボ ー ルを ころがす のが、 何等い 吐 接 功利的な 

目的が あってす ると は 思 はれない から、 矢 張スボ ー ッの 一種ら しく も 思 はれる。 尤も これ は 結 21^ 


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から 見る と 鼠 を 捕へ たり するとき に 必耍な 蓮 動の 敏活 さ を 修練す るに 有效 かも 知れない。 家畜の 

糞 を 丸めて ボ I ルを 作り それ を轉 がし 歩く 黄金 蟲が ある。 あれ は 生活の資 料 を 運搬す る勞 働で は 

あらう が 鬼に 角 人間から 見る と 一 種の 球技で ある。 

ォッ トセ ィは 鼻の 頭で 鞠 をつ く 藝當に 堪能で ある。 あれ はこの 動物に とって は 全く 飼主の 曲馬 

師 から 褒美の 鮮魚 一 尾 を 貰 ふための 勞役 に過ぎない であらう が、 娱樂 の爲に 入場券 を 買って は ひ 

つた 觀客 Q 眼に は 立派な 一 つの 球技と して 觀 賞され るで あらう。 不思議な の はこの 動物に さう い 

ふ藝を 仕込まれ 得. る 素質が どうして 倫 はって 居る かとい ふこと である。 彼等の 自然の 生活に 何 か 

しらこれ に 似た 所行が あり はしない かとい ふ 疑問が 起る。 

動物の 場合に はこれ 等の 球技 は^ 接 間接に 食 ふための 勞役 である。 人間の 場合に 於て は、 球技 

を 職業と する 人 は 格別、 i ば 通に は 鬼に 角 不生產 的の 遊戲 であり、 日常 生計の 營 みからの 臨喊 

である。 かう 2 心って しまへば 誠に 簡單 であるが、 自分に はどう もさう ばかりと は 田 3は れ ない。 人 

間が 色々 な 球 を 弄ぶ ことに 與:^ を 感じる のに は、 もっと 深い 本能 的な 起源が あるので はない かと 

いふ 氣 がする。 例へ ば 人間の 文化の^ 光 時代に 吾々 の 祖先の 义 祖先が 生きて 行く 爲に 必要で あつ 

た 或る 技術と WL 果 の 連鎖で こっそりつ ながれて ゐ るので はない かとい ふ窣: 想 も 起されな いこと は 


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記 行隨フ ルゴ 


ない C 

もし か、 さう であった と假定 すると、 昔 は 腹 を 張らせる 爲に 使用され た 球が 今では 腹 を へらす 

爲に使 はれて ゐる 勘定になる。 

赤 羽の リンク 半日 Q 淸 遊の 歸り途 に、 II タクに 搖ら れてゐ るう ちに こんな 穴 r: 想が. JI 日の 夢の や 

うに 頭 Q 中 を かすめて 通った Q で あ つ た。 

序ながら、 人間 Q する 大概 Q 所業 は 動物界に も そ Q 原型 を 見出す ことが 出来る が、 唯 「煙」 を 

こしら へ て それ を 吸 ふとい ふ藝當 だけ は 全く 人間 だけに 限る やうで ある。 それで この 最も 人間的 

な 人間 固有 Q 享樂と 慰安に 資料 を 供給す る專賣 局の 仕事 はこ Q 點で 最も 獨自な も Q であると 云 は 

れる かも 知れない。 それで こ Q 機會を 利用して 專寶 局に 敬意 を 表する と 同時に、 (=£ 事 者が ます ま 

す 煙草に 關 する 科 擧的藝 術 的 乃至 經濟的 研究 を 進められて、 今よりも 一 層 優良な 煙草 を 一 層廉惯 

で W 給 されん こと を 希望す る 次第で ある。 (昭和 九年仄 =-、 專 賣協會 誌) 


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子規 自筆の 根 岸 地 SI 


子規の 自筆 を 二つ 持って ゐる。 その 一 つ は 端 書で 「今朝 ハか、 敬、 今日 午後 四時 頃 夏 目來訪 只今 

(九 時) 歸中 候。 寓所ハ 牛 込 矢來町 三番 地 字 巾 ノ丸丙 六 〇 號」 と ある。 片 假名 は 三 字 だけで ある。 

「叫 時顷」 の 三 字 は あとから 行 Q 右側へ 書き 人れ になって ゐる。 表面に は 「駒 込 西 片町十 番地い 

ノ 十六 寺^ 寅彦殿 上 根 岸 八十 二 正 岡 常规」 と あり、 消印 は 「武藏 東京 下 (介 ^三年 七月 二 

十 叫::: ィ便」 となって ゐる。 これ は、 夏 目先 生が 英國へ 留學を 命ぜられた 爲に熊 本 を 引上げて 上 

京し、 奥さんの おさとの 中 根 氏の 寓居に 一 と先づ 落着かれた ときの ことで あるら しい。 先生が 上 

京した 事 を わざく 知らして くれた ものと m 心 はれる。 その 頃 自分 は大學 二年生で あつたが、 その 

少 し 前に 鄕里 か ら妻を 呼び よせて 西片町 に 家 を もって ゐ たので ある。 

「今 rnj と あるの は 七月 二十 三日 だら うと 2 心 はれる の は 消印が 二十 w 曰の ィ便 であるのに 「只 


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圖地岸 恨の 筆 自规子 


今 (九 時) 歸 申 候」 と あるから である。 夏 目先 生が 歸 つてから すぐに 筆 をと つて この 端 書 を かき、 

さう して、 恐らくす ぐに 令妹 律 子さん に 渡して ボ ス トに 入れさせた Q ではない かと も 想像され るハ 

それが 最後の 集 便 時刻 を 過ぎ て ゐた ので 消印が 翌日の 日附 になった もので あらう。 

それ は 鬼に 角 「四時」 「九 時」 と 時刻 を 克明に n 曰い てゐる 所に 何となく 自分の 頭に ある 子規と い 

ふ 人が 出て ゐる 樣な氣 がする。 さう かと 思 ふと 日附は *1 いてな いのも 何となく 面. HI い。 

配達 局の 消印 も 明瞭で 駒 込 局の 口 便に なって ゐる。 一 體に その 頃の 消印 ははつ きりして ゐ たが、 

近頃の は捺し 方が ぞんざいで 不明な のが 多い やうな 氣 がする。 こんな 些 末な 處 にも 現代 Q 慌 だし 

さが 出て ゐる かもしれ ない と 思 はれる。 

もう 一 つの 子規 自筆の 記念品 は、 子規の 家から 中村不 折の 家に 行く 道筋 を 自分に 敎 へる 爲に描 

いて くれた 地圖 である。 子規 常用の 唐紙に 朱 it を 劃した 一 一 十四 字 十八 行 詰の 原稿紙 一 杯に かいた 

ものである。 紙 Q 左上から 右邊の 中程 迄 一 一條の 並行 曲線が 引いて あるの が 上野の 麓 を 通る 鐵道線 

路を 示して ゐる。 その 線路の 右端の 下方、 卽ち 紙の 右下 隅に 篤 横町 Q 彎曲した 道が あって、 その 

片側に いびつな 長方形の かいて あるの が卽ち 子規 庵の 所在 を 示す らしい。 紙の 右 半 は それだけで 

あ 1 は签 白で あるが、 左 半の 方に は 稍 ゴク, /^入り組んだ 街路が かいて ある。 不 折の 家 は 二つ 並 


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ん, だ 袋 町の 一方の 一番 奥に あって 「上 根 岸 四十 番不 折」 として ある C 隣の 袋 町に 〇 印 をして 「淺 ^ 

井」 と あるの は 淺井忠 氏の 家で あらう。 この 袋 町へ の 人口の 兩 脇に 「ュ ャ」 「床屋」 として ある。 

此の 界 隙の 右方に 鳥居 を かいて 「三 島 神社」 と ある。 それから 下の 方へ 下がった 道 脇に 「正門」 

と あるの は 多分 前 H 邸の 正門の 意味 かと 思 はれる。 

勿論 仰向けに 寢てゐ て 描いた の だと 思 ふが 中々 威勢 Q い- -地圖 で、 又 頭の い \ 地圖 である。 そ 

の. S はもう 寢た 切りで 動け なくなって ゐた 子規が 頭の 中で 极 岸の 町 を 歩いて 畫 いて くれた 圖 だと 

思 ふと 特別に 面. tu いやうな 氣 がする。 

表装で もして おくと い、 と 思 ひながら そ Q ま、 に、 色々 な 古手 紙と 一 しょに 突 込んで あつたの 

を、 近頃 見せたい 人が あって 搜し 出して 書齋の 机の 抽斗に 人れ て ある。 せめて 狀 袋に でも 入れて 

「正 岡 子規 自筆 根 岸 地圖」 とで も 誌して 置かない と 自分が 死んだ あとで は、 紙屑に なって しま ふ 

だら うと ふ。  , 

こんな 事 を 書いて ゐ たら、 に 三十 年來 行った ことのない 鴛 横町へ;. 仃 つて 見た くな つた。 日曜 

の 午後に 谷 中へ 行って 見る と寬永 寺 坂に 地下 鐵の 停車場が 出來 たりして 大分 昔と 様子が ちがって 


阖地岸 根の 筆 自規子 


居る。 昔の 御 院殿坂 を 捜し て 墓地の 中 を 歩いて ゐる うちに 鐵道 線路 へ 出た がどう も見覺 えがない。 

陸橋 を 渡る とそ こら Q 家 Q 表札 は日暮 里と なって 居る。 昨日の 雨で ぐ じ や ノ\ になった 新開 街路 

を 歩いて ゐ ると ラヂォ ドラ マ Q 放送の 聲が ついて 來 る。 上 根 岸 百 何番と あるから こ の邊 かと 思 ふ 

が 何 一 つ 昔の 見覺 えの ある もの はない。 昔の 根 岸 はもう 疾に 亡くなって しまって ゐる。 鶯撗町 も 

消えて ゐ るので はない かとい ふ氣 がして 心細くな つ て來 た。 と ある 横町 を 這 入って 行く と 左側に 

シャボ テン を賫る 店が あった。 もう 少し 行く と 路地の 角の * に 掛けた 居住者 姓名 札の 屮に 「寒 川 

陽光」 と あるの が 突然 眼に ついた。 そのす ぐ 向う側に 寒 川 氏の 家が あって、 その 隣が 子規 庵で あ 

る。 表札 を 見る と 間違 ひ はない ので あるが、 どうい ふ もの か 三十 年 前の 記憶と 大分ち がふ やうな 

氣 がする。 門 も 板 解 も 昔の 方が 今のより 古く さびて ゐ たやう に 思 はれ、 それから 門から 玄關 迄の 

距離が 昔 はもつ と 遠かった やうな 氣 がする。 勿論 思 ひ 遠 ひか もしれ ない。 唯 向う側の 割 竹 を 並べ 

た 垣の 上に Im 蒼と 茂つ て 路地の 上 に蔽ひ かぶ さって ゐる椎 Q 木ら しい も Q だけが 昔の 儘の やうに 

見える。 人間よりも 家屋よりも かう した 樹の 方が 年を取らぬ ものと 思 はれる。 鬼に 角 AJ の 樹の茂 

り を 見て はじめて 三十 年 前の 驚 横町 を 取 返した やうな 氣 がした。 

:! りに は やっぱり 御院 殿の 坂が 見付かった。 何處か 昔の 姿が 殘 つて ゐ るが 昔の こん もりした 感 


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じ はもうな い。 

鶯 横町の 推の 茂り を 見た だけで 滿 足して その ま、 歸 つて 来て よかった やうな 氣 がする。 三十, 

前の 錯覺 だらけの 記憶 を その ま& 大事に そっとして おくの も惡く はない と 思 ふので ある。 

歸 つてから 現在の 東京の 地圖を 出して 上 根 岸の 部分 を 物色した が、 圖が 不正確な せ ゐか鶯 横町 

も 分らない し、 子規 自筆 地圖 にある 二つの 袋 町 も 見えない。 ことによると 丁度 その 邊を今 電車が 

走って ゐる のか も 知れない ので ある。 (昭和 九 年 八 W 、東 炎) 


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らか 蔭の 棚 藤 


藤棚の 蔭から 


I 

若葉の 薰る或 日の 午後、 子供 等と 明治神宮 外苑 を ドラ イヴして ゐた。 ナン ジャ モン ジャ 0 樹は 

何處 だら うとい ふ 話が 出た C 昔 Q 練兵場 時代、 鳥人 ス ミスが 〈巾 返り 飛行 を やって 見せた 頃に は 極 

めて 顯 著な 孤立した 存在であった こ Q 樹が、 今では 一 寸 どこに あるか 見當 がっか なくなって ゐる。 

こんな 話 をしながら 徐行して ゐ ると、 車窓 0 外 を 通り か、 つた 一 一三 人の 學 生が 大きな 聲で 話し を 

して ゐ る。 その 話聲の 中に 突然 「ナ ン ジャモ ン ジャ」 と いふ 一 語 だけが ハ ッ キリ 聞き とれた。 同 

じ 環境の 中で は 人間 は 矢 張 同じ こと を考へ る も C と 見える。 

ァ ラン. ボ ー の 短篇の 中に、 一 緒に 歩いて ゐる 人の E 心って ゐる こと を あてる 話が あるが、 

あれ はいかに も尤 らしい 作り事で ある。 併し 滿 の噓 でもない Q である。 


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睡蓮 を 作って ゐる 友人の 話で ある。 此の 花の 楚は 始めに は眞 直に 上向きに 延びる。 さう して 苦 

の 頭が 水面 迄 達する と 塞が 傾いて 荅は 再び 水中に 沒 する。 さう して 十分 延び 切って から 再び 頭 を 

もたげて 水面に 現 はれ、 さう して 成熟し 切った 花冠 を 開く とい ふこと である。 つまり、 最初に 先 

づ 水面 の 所在 を 測定し 確かめ ておいて か ら 開花 の 準備に とり か、 ると いふので ある。 

なる 程、 睡蓮に は 眼 もなければ 乎 もない から、 水面が 五寸 上に あるか 三尺 上に あるか 分らない 

もし か 六尺 も 上に あったら、 折角 花の 用意 をしても 何の 役に も 立たない であらう。 自然界 を 支配 

する 經濟の 原理が こ、 にも 現 はれて ゐ るので あらう。 

この 荅が 最初に 水面 を さぐりあて モ 安心して 潜ぐ り 込んだ 後に、 こっそり 鉢 を もっと 深く 沈 め 

ておいたら、 どうい ふこと になる か。 

此れ は 一 度試驗 して 見る 價 値が ありさう である。 花に は 少し 氣の 毒な やうな 氣 はする が。 


らか 蔭の 棚 藤 


虞美人草の 荅は はじめ 俯向いて ゐ る。 いよ/ く 前にな つ て 頭 を 擡げて 眞 直に 起き直って か 

ら 開き 始める" 或 夏 中庭の 花壇に 此の 花 を 作った とき、 一日 試に 二つ Q 俯向いた 荅の 上方に ヘア 

ビ ン 形に 折れ 曲った 莖を紙 燃り Q 紐, で そっと 縛って おいた。 それから 一 ニニ 日た つて 氣が 付いて 見 

ると、 一 つ は 紙鈕が ほどけ か、 つて 荅の軸 は 下方の 纷 直な 壁に 對 して 四 五十 度 位の 角度に 開いて 

斜めに 下向いた 儘で 唤 いて ゐた。 もう 一 つ Q は 壁の 先端が すっと 延びても う 一遍 上向きに 生長し、 

さう してち やん と 天頂 を 向いた 花を唤 かせて ゐた。 つまり 莖 Q 上端が 「り」 の 字形に なった わけ 

である。 

もっと 詳しく 色々 實驗 したいと 思って ゐる うちに 花期が 過ぎ去った。 さう して その 年以來 他の 

草花 は 作る が 虞美人草 は それき り 作らない ので、 この 無慈悲な 花 いぢめ を 繰 返す 機會に 界 會 する 

ことが 出来ない。 

四 

カラ ヂゥム を 一 鉢 買つ て來て 露臺の 眺めに して ゐる。 芋 G 葉と 形 はよ く 似て ゐ るが 葉脈が 鮮か 

な 洋紅 色に 染められて その 周圍に 白い 斑點が 散布して ゐる。 芋から 見れば 片輪 者で あり 化物で あ 


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らうが 人間が 見る と 矢 張 美しい。 

ベコー ーァ、 レツ キスの 一種に、 これが 人間 Q 顔なら 火傷の 瘢痕 かと 思 はれる やうな 斑紋の ある 

のが ある。 やけどと W 心って 見る と ぞっとす る 位で あるが レツ キスと して 見れば 實に 美しい。 

ァ フ リカの 蠻 人で 脣 を鏡欽 の やうに 變形 させて ゐ るの や、 顏中 創痕 だらけに してね るの が ある 

が、 あ, e はどう もどう 見ても 美しい と ■£ 心へ ない。 あれで も 矢 張 未だ 餘 りに 多く 吾々 に 似 過ぎて ゐ 

るからで あらう。 

本當に 非凡な えらい 祌 様の やうな 人間の 眼から 見たら、 事によると 吾々 の あらゆる 罪惡 力みん 

なべ コ 一一 ァゃ カラ ヂゥム の 斑點の 如く 美しく 見える かも 知れない とい ふ氣 がする。 

? 一  一 ai の寢 SS の 床の 上で 眼を覺 して 北側 Q 中 敷 窓から 見る と 隣り の 風呂の 煙突が 見える。 煙突 

と 並行して 鐵の 梯子が 取 付けて あるのに よく 雀 Q 群が 来て 遊んで ゐる。 先づ 一 羽 飛んで 来て 中段 

に 止まる。 あとから すぐに; 羽 追つ かけて 來て次 の 段に とまる。 ^三の が來て <41 中で 羽搏きし 乍 

ら 前つ 二 羽に 何 か交涉 して ゐる らしく 見える C 喧啤が 始まる。 一 1^ が 逃げ出して 上へ くと 階段 


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らか 蔭の 棚 藤 


を 登って 行く。  二 段づ、 飛ぶ こと も あり 五六 段づ、 飛び上が ると きも ある" 地上 七十 餘尺 Q 顶上 

迄 上って しばらく 四方 を 展望 して ゐ ると 思 ふと、 突然 石で も 落す やうに ダ イヴす るが 途中から 急 

に橫に それて、 ^角雙 曲線 を 穴 H 屮に 描きながら 何 處か& 庭樹へ 飛んで 行く。 しばらく すると 义 11: 

突の 梯子へ 屍って 來て さう して M じ 遊戯 を 繰 返す。 見て 居ても 何だか-. me: さう である。 併し 何の 

爲に 雀が こんな 遊戯 をして ゐ るか、 考へ て 見る と 不思議で ある。 

梯子の 中段で 時々 二 羽の 雀の 爭鬪が 起る。 第三の«!1がこれに^^^ー加することもぁる。 これ はどう 

も 只の i 且 啤 ではなくて、 ゃっぱり彼等0種族を^殖する爲0^5^大な让事に關係した角逐の鬪技で 

あるら しく  はれる。 

餘 りに 突飛な 考へ では あるが、 人間の 色々 なスボ ー ッ の 起原 を 遠い/ \ 灰色の 昔まで たどって 

行ったら、 事によると それが 矢 張 吾々 Q 種族の 殖 の^みと 何等か Q 點 でつな がって ゐ たので は 

ないかと いふ 氣 がして くるので ある。 

電車に乘って{„^^席を搜す。 一 一人 Q 間に やっと. ni 分 Q 腰かけられる だけ Q.S 間 を 見付けて 腰 を 下 


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ろす」 さう いふ 昜合 隣席 70 人が 少しば かり 身動き をして くれる と、 自然に 相互 0 身體 がな じみ 合 

ひ 折 合つ て樂 になる。 ^し 人に よると 妙に しゃち こばつ て 土偶 か 木像の やうに 硬直して 動かない 

のが ある。 

かう い ふ 人 は 多分 出 *1 Q 出來な い 人で あらう と m ね ふ。 

尤も、 かう いふ 人が^ Q 中に: 人 も なくなって しまったら、 世の中に 喧 t. とい ふ も G もな くな 

り、 國と國 との 間に 戰举 とい ふ もの も なくなつ てし まふ かも 知れない。 さうな ると この 世の中が 

餘 りに 淋しい つまらな いもの になって しま ふか も それ は 分らない。 

かう いふ 人 も 使 ひ 道に よって は 世の中 C 役に立つ。 例へば 石垣の やうな 役目に 適する。 尤も 石 

垣と いふ もの は 存外 崩れ =^ いもの だとい ふこと は 承知して おく 必要が ある。 

七 

百足 Q 歩く  Q を 見て 居る と、 あの 澤 出の 足が 實に 整然とした 述動 をして 居る。 一種の 疎密 波が 

身長に 沿うて 蟲の 速度より は 早い 速度で 進行す る。 

もし か 自分が 百足に なって あれた けの 澤 山な 足 を; つ/ \ 意識的に 動かして、 あの やうな 歩行 


70 


らか 藤の 棚 藤 


をし なけ A ばなら ない としたら 實 に大變 である。 思って 見る だけで も 氣か狂 ひさう である。 

併しよ く考 へて 見る と 人間の 一 擧キ 一 投足 にも、 實は 百足の 足の 神經 などに 比べて 到底 比較の 

出来ない 程多數 Q 神經 細胞が 働いて ゐる であらう。 そんな こと は 夢にも 考へ ないで 百足の 足 を 驚 

嘆しながら 萬 年 筆 を 操 つて こんな こと を 書く とい ふ 驚く ベ き 動作 を 何 Q 氣も な く 遂行 して ゐ るの 

である。 

八 

軍隊 用 Q 喇叭の 音 は 勇ま しい 音 Q 標本に なって ゐる やうで ある。 成程 自分 Q 面前 の 近距離 で 吹 

き 立てられ ると 可也 勇ましく、 やかまし いくら ゐ勇 ましい。 併し 木枯 吹く タ暮 などに 遠くから 風 

に 送られて 來る 喇叭の 聲は 妙に 哀愁 をお びて 聞え る ものである。 

勇ましい とい ふこと の 裏に は本來 いつ で も 哀れな 淋し さが 伴つ てゐ るので はない かとい ふ氣が 

する。 

九 


71 


東 鄕大將 の 若い 時 G 寫眞を 見る と、 實に 立派で しかも 明るく 朗 かな 表 をした のが ある。 ジョ 2 

ン . バリモア ー などに も 一寸 似て ゐる のが ある C 併し 晚年 G 所謂 「東 鄕 さん」 になって からの 寫 

眞には どれに もこれ にも みんな 何處か 迷惑 さうな^;: g さうな^ がた よつ て 居る やうな 氣 がす 

る 0 

世人 は e: 分 勝手に c 分 等 G 東鄉 さん Q 鑄 刑. -を こしら へ て、 さう して 理が非でも そ Q 型に 嵌まる 

こと を 要求した。 寛.:^ な 東 鄕大將 はさう した 人 衆 Q 期待 を 裏切って 失望 させて は氣 Q 毒 だと 思つ 

て、 也 その 爲に氣 を 遣って 居られた ので はない かとい ふ氣 もす る" これ は 豚の 心で 象の 心 持 を 

推し量る やうな も Q かも 知れない が、 もし この 推量が 當 つて ゐ ると 假定 したら、 大衆 は 自分 達の 

我:^^で東鄕さんの本常{: えら さ を 封じ込めて しまったと いふ ことになる かも 知れない。 


祌保町 交叉 點で 珍ら しい 乘物を 見た。 一種の 三輪, n 轉車 であるが、 通の 三輪車と 反對に 二輪 

が 前方に あって そ G 上に 椅子 形の 座席が 乘 つかつ てんる。 その後お に 一輪車が 取 付けられ、 さう 

して 三つ Q 輪の 中央の サドルに 腰 を かけた 人が ペダル を 踏んで 推 逸する 仕掛けに なって ゐる。 座 


らか 蔭の 棚 藤 


席に 腰かけた 人 Q 右手に ハ ン ドルが あって それ をぐ る/ f\ 廻 はすと チ ェ I ン ギア —で 車臺 0 下の 

方の 仕掛けが どうにかなる やうに 出 來てゐ るら しい。 多分 坐乘 者が 勝 \ ^に 進行の 方向 を變へ るた 

めの 舵 Q やうな も Q らしい。 - 

座席に 腰かけて ゐる 人はパ ナ マ帽に 羽織袴 C 小 年 紳士で、 ベ ダル を 踏んで ゐ るの は 十八 九 歳 位 

の 女中さん である: 

此 Q 乘 物が 街 Q 四つ角に 來た とき、 そのうし ろから 松葉杖 を 突いた 立派な 風采 年が やって 

来て 追 ひ 越さう とした。 挎を はいて ゐ るが 見た 處左 Q 脚が 無い らしい。 それ を 呼 止めて 三輪車 上 

0 钟士が 何 か 聞いて ゐる。 隻脚 Q 靑年は 何 か 一 言極めて素::?^^ふぃ返事をしたま、、 松葉杖 0 テン 

ボ を 急がせ て 行き過ぎ てし まった。 思 ひ なし か靑年 Q 顏が眞 赤 になって ゐる やうに 思 はれた。 

呼 止めた 歩行 不能 の 中年 紳士  Q 氣持 も、 急いで 別れて 行つ た $ の 氣持も いくらか 分る やうな 

氣 がした C 自分が あの 二人の どちら かだった ら、 矢 張 M じこと をした であらう と はれた。 

十一 

風邪 を 引いて 輕ぃ 咳が 止まらな いやうな とき 昔 流 Q 振出し 藥を飮 むと お 外よ く 利く 事が ある。 


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草 BK:.^ い 成分 は 未だ 十分に は 研究され て 居ない Q だから、 醫 者の 知らない 妙 藥が數 々はりって 

ゐる かも 知れない、 叉ゐ ないか も 知れない I 

それよ 鬼に 角、 こ Q 振出し 藥の香 を 嗅ぐ と 昔の 鄕 里の 家の 長火鉢の 抽斗が 忽然と して 記憶の 水 

準 面に 出現す る。 さう して、 その 抽斗の 中には、 もぐさ や 松脂 ゃ燧石 や、 それから 栓拔 きの 螺旋 

子 や 可 こ. 使った か 分らぬ 小さな 鈴な どが だら しもな く雜 居して ゐる 光景が 實 にあり くと 眼前に 

田 3 ひ 浮べら れる。 松脂 は 痰の 藥 だと 云って 祖母が 時々 吞 んでゐ たので ある。 

こ Q 煎藥 Q 句 ひと 自分 等が 少年 時代に 受けた 孔孟の 敎 とに は 切っても 切れない つながりが ある 

やうな 氣 がする。 

時代に 適應 する つもりで 骨 を 折って 新ら しがって 見ても、 鼻に 滲 込んだ この 抽斗の 句 ひが 拔け 

ない^り 心底から 新ら しくな りゃうがない。 

十二 

W 五年會 はなかった 知人に 偶然 銀座で めぐり 逢った。 それから すぐ 歸 宅して 見る とその 同^人 

から 端 書が 來てゐ た。 町名 添 地が 變 つたから とい ふ 活版 刷の 通知 狀 であった が、 兎に角 年賀 狀以 


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らか 藤の 棚 藤 


外匸こ C 人 0 書信に 接した こと は 矢 張 四 五年來 一 度 もなかった 害で ある。 

その 端 書 を 出した の は 銀座で 會ふ 以前であった とい ふこと は 到着の 時刻から も 消印から も確實 

に證 明され た。  , 

こ Q 偶然な 二つの 出来事の 合 致が 起る とい ふ 確率 は 正確に は 計算し にくい が、 兎に角 千分の 

一 とか 二 千分の 一 とかい ふ小數 である。 しさう いふ 滅多に 起り さう もない ことが 實 際に 起る こ 

とが あると いふ Q が、 確率論の 正しく 敎 へる ところで ある。 して 見る とこれ は 不思議で も 何でも 

ない とも 云 はれる。 併し 又、 それ だから 不思議 だと も 云 はれる。 耍は 不思議と いふ 言葉の 定義 次 

第で ある。 

十三 

「陸の 龍宮」 と 呼ばれる m 本 劇場が 經營 困難で 閉鎖され ると いふ ことが 新聞で 報ぜられた。 翌 

日 こ Q 劇場 前 を 通ったら、 なる 程、 凡て C 入口が 閉鎖され 平生の 賑 かな 粧 飾が 全部 取拂 はれて、 

さう して 中央の 人口の 前に 「場內 改築 :! 組 整理 爲に 臨時 休業」 とい ふ 立札が 立って ゐる。 

近 旁 一 帶が 急に さびれて 見えた。 隣り の 東京 朝日 新聞社の 建物が 何だか 淋し さうな 顔 をして 立 


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つて ゐる やうに 思 はれる のであった。 

建物に もや つ ばり 顏が ある ので ある。 

十四 

マルキシズムの 立場から 科舉を 論じ、 科學 者の 任務に 對 して 色々 な 註文 をつ ける 人が ある。 そ 

の 人達と して は 一 應尤な 議論で は あらう が、 た の科學 者から 見る と 極々 狹ぃ 自分勝手な 視角 か 

ら 見た 管 見 的科學 論と しか E 心 はれない。 

科學者 の 科舉 研究 愁 に は 理窟 を 超越した 本能 的な ものが ある やうに 自分に は 思 はれる。 

蜜蜂が 蜜 を 集めて ゐる。 一 つ の 蜜蜂に は それぐ の哲舉 が あるの かも 知れない。 ^しそん 

な こと はどうで あつ て も 彼等が 蜜 を 集めて ゐ ると いふ 事實に は變り はない ので ある。 さう して 彼 

等に も 吾等に も 役に立つ もの は 彼等の 哲學 ではなくて 彼等の めた 蜜な Q である。 

マ ル キシズ ム その他 色々 なィズ ム の 立場から 蜜蜂に 註文 をつ ける G は隨 意で あるが、 蜜 峰 は そ 

んな 註文 を 超越して やっぱり 同じ やうに 蜜 を iiil^ める であらう。 さう して 忙 がしい 蜜蜂 は 恐らく さ 

うい ふ 註文 者 を 笑ったり そしった りする 暇 すらない であらう と 思 はれる。  . 


76 


らか 蔭の 棚 藤 


十五 

中庭 Q 土に 埋 込んだ 水 甕に 金魚 を 飼って ゐる" S が 丹精して 世話した おかげで 無事に 三冬 を 越 

したの が 三 尾 居た。 毎朝 廊下 を 通る 人影 を 見る と 三 尾喙を 並べて 此方 を 向いて 餌 をね だった。 時 

折 野良猫が 狙 ひに 來 るので. 金網の 蓋 を 被せて あつたの がいつ となく 鏽び 朽ちて 穴 Q 明いて ゐ るの 

を 其 儘に してあった。 この 夏の 或 朝見たら 三 尾の 一尾が 横にな つて 浮いて 居る。 よく 見る と 鱗の 

下に 創痕が あって 出血して ゐる Q である。 金網の 破れから 猫が 手 を 入れて 引っかけ 損なった もの 

と 思 はれた。 負傷した 金魚 は 間もなく 死んで しまった。 丁度 そ Q 日 金魚屋が 來 たので 死んだ Q 、 

代りに 同 歳の を 一 尾 買って 入れた。 夜 は 叉 猫が 來る といけ ないから とい ふ Q で 網の 代りに 古い 風 

呂桶 Q 蓋 を 被せて おいた。 翌朝 あけて 見る と 昨日 買った のと、 前から 居た 生殘 りのうち Q 一尾と 

が 死んで 居た G 

死因が 分らない。 ^し 多分 かう ではない かと 思 はれた。 夏 屮は晝 間に 暖まった 甕の 水が 夜間の. 

放熱で 表面から 冷え、 冷えた 水 は 重くな つて 沈む ので 所謂 對 流が 起る C そのお かげで 水が 表面 か 

ら 底まで 靜か にかき 廻 はされ、 .J^e 却され ると 同時に 底の 方で 發 生した. 惡ぃ 瓦斯な どの 蓄精も 妨げ " 


られ る。 それ を、 木の 蓋で 密閉した から 夜間の 冷却が 行 はれす、 對 流が 生ぜす、 從 つて 有害な も 

のが 底の 方に 蓄積して 窒息死 を 起した ので はない かとい ふので ある。 これが 冬期 だと 一 體 の水溫 

がすつ と 低い 爲に惡 い 瓦斯な どの 發生も 微少 だから 害 はないで あらう。 これ は 想像で ある。 

それにしても 同じ 有害な 環境に おかれた 三 尾のう ちで 二つ は 死んで 一 つ は生殘 るから 妙で ある- 

水雷艇 「友 鶴」 の 覆沒 Q 悲慘事 を 想 出した。 

あれに も 矢 張 人間の 科學 知識の 缺乏が 原因の 一 つに なって 居た とい ふ 話で ある。 

忘れても 一 一度と 夏の 夜の 金魚鉢に 木の 蓋 をし ない ことで ある。 

十六 

野中 兼 山が 「椋鳥に は 千 羽に ; 羽の 毒が ある」 と敎 へた こと を數年 前に かいた 隨筆 中に 引用し 

ておいたら、 近頃 その 出典に 就いて 日本 橋區の 或る 女擧 校の 先生から 問 合 はせ の 手紙が 来た。 倂 

しこの 話 は 子供の 頃から 父に 度々 聞かされた だけで 典據 について は 何も 知らない。 唯 かう いふ 話 

が 土 佐の 民間に 傅 はつ てゐ たこと だけ は 健 かで ある。 

野中 兼 山 は 椋鳥が 害蟲驅 除に 有效な 益鳥で ある こと を 知って ゐて、 これ を 保護 しょうと 思った 


78 


1 ノ 蔭の 棚 藤 


が、 さう いふ 消極的な 理由で は 民衆に 對 する 利 目が 藩い とい ふこ ともよく 知って ゐた。 それで か 

うい ふ 方便の 嘘 をつ いた もので あらう。  . 

「椋鳥 は 毒 だ」 と 云っても 人 は 承知し ない。 何故と 云へば、 今迄に 椋鳥 を 食っても 平氣 だった 

とい ふ證 人が そこらに いくら も 居る からで ある。 併し 千 羽に 一羽、 卽ち 〇 . 一 プロ セント だけ 中 

毒の 1^ 然 率が あると 云へば、 食って 平氣 だった とい ふ證 人が 何人 あっても、 正確な 統計 を とらな 

い 限り 反證は 出来ない。 それで 兼 山の やうな 一, 國の 信望の 厚い 人が さう 云へば、 普通の 眞 面目な 

良民で 命の 惜しい 人 はま づ/ \ 椋鳥 を 食 ふこと はなるべく 控へ る やうになる。 そこが 兼 山の 狙 ひ 

所であった らう。 

これが 「百 羽に 一 羽」 とい ふので はま づぃ。 もし 一 プロ セ ントの 中毒 率が あると すれば その 實 

例が 一 つや 二つ 位 そこいらに ありさうな 氣 がする であらう C 又 「萬 羽に 一 羽」 でもう まくない。 

萬 人に 一 人で は 恐ろし さが 大分 稀薄になる" 萬に 一 つが 恐ろしくて は 東京の 街な ど 歩かれない。 

やはり 「千 羽に 一 羽」 は 動かしに くいので ある。 

かう いふお どかし は 併し 兼 山に 對 する 民衆の 信用が 厚くなければ 何の 效能 もなくなる ことで あ 


兼 山 G 信用が 餘 りに 厚かった 爲に 色々 の 類似の 云ひ傳 へが、 何でも かで も 兼 山と 結び付けられ 2 

てゐ るので はない かとい ふ 疑 も ある。 實際土 佐で は 弘法 大師と 兼 山との 一 一人が それ, <\ あらゆる 

奇續と 機智との 專賣 人に なって ゐ るので ある。 

十七 

野屮兼 山の 土木 ェ學 者と しての 逸話 を 二つ だけ 記憶して ゐる。 その 一 つ は、 僅かな 高低 凹凸の 

複雜に 分布した 地面の 水準測量 をす るのに、 わざと 夜間 を 選び、 助手に 點 火した 線香 を 持って 所 

定の 方向に 歩かせ、 その 火光 を 狙って 高低 を 定めた と 云 ひ 傅 へられて ゐる ことで ある。 ^し 狙 ふ 

のに は 水準器 の附 いた 望遠鏡 か、 これに 相當す る 器械が 必要で あらう がそれ に 就いては 聞いた こ 

とがない。 

もう 一 つ は浦戶 港の 入口に 近い 或る 岩碟を 決して 破壤 して はいけ ない、 これ を 取る と 港口が 埋 

沒 すると 敎 へた ことで ある。 然るに 明治 年間 或る 知事の 時代に、 多分 机の 上 Q 學問 しか 知らない 

所謂 技師の 建言に よって^ あらう、 この 確が 汽船の 出入 Q 邪魔に なると 云って ダイ 十 マイトで 破 

碎 されて 了った。 すると 忽ち 何處 からと なく 砂が 港口に 押 寄せて 來て 始末が つか なくなった。 


らか 藤の 棚 藤 


故ェ學 博士 廣井勇 氏が 大學 紀要に 出した 論文 0 巾に こ C ときの 知事の こと を :a  ^;-ovei-ncr less 

wise  than  K> ミ; 一 n" としてあった やうに 記憶す る。 實に 巧妙な 措辭 であると 思 ふ C この 知事 0 

やうな 爲政者 は 今でも 搜 せば いくらでも 見付かり さうな 氣 がす るので ある。 

小ノ  くも、 無闇に 扁桃腺 を拔 きたがる 醫者は 今でもい くら も 居る であらう。 

十八 

近年 0 統計に よると 警視 廳管內 に 於け る 自殺者の 數が 著しく 增 加し、 大正 十 一 年と 昭和 八 年と 

では 管內 人口  Q 增 加が 約 六 割で あるのに 對 して 自殺 旣遂 者の 數はー 一十 割、 未遂 者の 數は 四十 割に 

增 加し てゐ ると Q 事で ある。 或る 新聞 Q 社說 に 此事實 を擧げ て その 原因に 就 い て 考察し 爲政當 局 

者の 反省 を 促が して ゐる C 誠に 注目す ベ き 文字で ある。 

併し 多くの 人 Q 見る 所に 據れ ば、 自殺の 增 加の 幾 割か は 倦 かに 新聞の 暗示 的、 乃至 挑發的 記事 

の 影響に 因る も Q であらう と 思 はれる が、 右 Q 新聞 Q 社說に はこの ことに 就いては 一 言 も 觸れて 

ない。 觸れ ない Q は當然 であらう が 一 寸を かしい C 

「自殺の 報道 記事 は 十 行 を 超 ゆべ からす」 とい ふ 取締 規則で も 設けたら、 それだけ でも 自殺者 


81 


の數が 二割 や 三 割 は 減る ので はない かとい ふ氣 がする。 試驗 的に 二三 年 だけで もさう いふ 規則 を ^ 

遂行して 後に 再び 統計 を 取って ほしい も Q である。 

十九  , 

入水 者 は 屹度 草履 や 下駄 を 綺麗に 脫ぎ 揃へ てから 投身す る。 噴火口に 飛び込む ので もリュ ク 

サ ッ ク を 下 ろしたり 靴を脫 いだり 上衣 をと つたり して か、 るの が 多い やうで ある。 どうせ 死ぬ 爲 

に 投身す るなら どちらで も 同じで はない かとい ふ氣 もす るが、 何 かしら、 さう しなければ ならな 

い 深刻な 理由が あると 見える。 

此 世の 羅 絆と 濁 糠 を脫ぎ 捨てる とい ふ 心 持 も 幾分 あるかと 思 はれる。 叉 一 方で は 捨てよう とし 

て 捨て 切れない 現世への 未練 の 絲の端 を これ 等の 遣 物 につな ぎ 留める やうな 心 持 も あ るか も 知れ 

ない。 

なるべく 新聞に 出る やうな 死 方 を 選ぶ 人の 心 持 は、 矢 張 この 履物 や 上衣 を脫ぎ 揃へ る 心 持の 延 

長で はない かと も 3 心 はれる ので ある。 

結局 はや はり 「生きたい」 ので ある。 生きる 爲の 最後の 手段が 死 だとい ふ 錯覺に 襲 はれる もの 


と 見える。 自殺 流行 〇 一 つ Q 原因と して は、 やはり 宗 敎の沒 落も數 へられる かも 知れない。 

(昭和 九 年 九月、 中央 公論) 


*l に 油揚を 攫 はれる とい ふこ とが 實際 にある かどう か確證 を 知らないが. 併し この 鳥が 高 { や: か 

ら 地上の 鼠の 死骸な どを發 見して まっしぐらに 飛び下り ると いふ Q は事實 らしい。 

鳶の滑 翔す る 高さ は 通例 どの位で あるか 知らないが、 M 測した 視角と、 鳥の 大凡の 身長から 判 

斷 して 百 米 一 一 百 米の 程度で はない かと 思 はれる。 そんな 高さからで もこ の 鳥の 眼 は 地上の 鼠 を 鼠 

として 判別す るの だとい ふ 在 來の說 はどう も 甚だ 疑 はしく 思 はれる。 假 りに 鼠の 身長 を 十五 耱と 

し、 それ を 百 五十 米 Q 距離から 見る 鳶の 眼の 焦點 距離 を、 少し 大きく 見 積って 五 粍と すると、 網 

膜に 映 じた 鼠の 映像の 長さ は 五ミク 口 ン となる。 それが 死んだ 鼠で あるか 石塊で あるか を辨 別す 

る 事に は少 くも その 長さ Q 十分 一 卽ち 〇 . 五 ミク" ン 程度の 尺度で 測られる やうな 形態の 異同 を 

判斷 する ことが 必耍 であると 思 はれる。 然るに 〇 • 五ミク n ンは 最早 黄色 光波 Q 波長と 同程度で" 


楊 油 と 鳶 


網膜 の 細胞 構^ の 微細 度 如何 を 問 はす とも 甚だ 困難で ある ことが 推定され る。 

視覺に 依らない とすると 嗅覺が 問題になる Q であるが、 從來の 研究で は 鳥の 喚覺は 甚だ 鈍い も 

のとされ てゐる C  .  .  . 

その 一 つ Q 證據 として は 普通 ダ ー ウイ ン Q 行った 次の 實驗 が擧 げられ てゐ る。 數 羽の 禿鷹 コ ン 

ドル を 壁の 根元に 一 列に つないで 置いて、 其 Q 前方 三ャ ー ド位 Q 處を 紙包みに した 肉 を 提げて 通 

つたが、 鳥 ども は 知らん顔 をして ゐた。 そこで 肉の 包 を 鳥から 一 ャ ー ド以內 の 床上に 置いて 見た 

が、 それでも 未だ 鳥 は氣が 付かなかった。 とう/ \ その 包 を 一羽の 脚 元まで 押し やったら、 始め 

て 包紙 を隊き はじめ、 紙が 破れてから やっと 包の 內容を 認識した とい ふ Q である。 叉 他の 學者は 

或 種の 鶚の 前へ 力 ンバ スで 包んだ 腐肉 を 置き、 その 包の 上に 鮮肉の 一 片 をのせ た。 鳥 は 鮮魚 を 喰 

ひ盡 したが 布片の 下の 腐肉に は氣 付かなかった と ある。 

併し、 これ は隨分 心細い 實驗 だと 思 はれる。 原著 を讀 まないで 引用 書 を 通して 讀ん だので ある 

から 餘り强 いこと は 云 はれない が、 これ だけ Q 事實 から、 鵞鳥 類の 嘆覺 の 弱い こと を 推論す るの 

は 甚だ 非科學 的で あらう と 思 はれる し、 まして や、 鳶の 場合に 嗅覺が 何等 役: をつ とめない と 

いふ こと を 結論す る根據 になり 得ない こと は 明かで ある。  . 


85 


壁の 前面に 肉片 を 置いた ときに でも、 その 場所の 氣 流の 模様に よって は 肉から 發散 する 揮發性 

の 瓦斯 は 壁の 根元の 鳥 Q 頭部に は 殆ど 全く 達しない かも 知れない。 叉、 極 近くに 肉 0 包み をお か 

れ て 鳥が それ を啄 ばむ 氣 になつ た Q は、 嗅 覺には よらす して 視覺に 0 みよった とい ふこと もさう 

簡單に 斷定は 出来ない。 それから 又 後の 例で も 鮮肉 を啥 つた 爲に 腐肉 Q 句 ひに 與味 が なくなった 

のか も 知れない。 或は 又 喰って 居る うちに 鼻が 腐肉の 臭氣に 馴らされて 無感覺 になった とい ふこ 

とも 可能で ある。 

ダ— ウイ ンの 場合に でも 試験 用の 肉片 を 現場に 持ち込む 前に その 場所の {4! 氣が汚 れてゐ て、 人 

間に は 分らなくても 鳥に はもう すっと 前から 肉の 句 ひか 類似の 他の 句 ひがして ゐて、 それに 馴ら 

され、 その 刺戟に 對 して 無感覺 になって ゐた かも 知れない。 

それから 又 次の やうな 可能性 も考 へなくて はならない C 卽ち、 或 食物が 鳥 Q 食慾 を 刺戟して そ 

れを 獲得す るに 必要な 動作 を 誘發し 得る 爲に は單に 喚覺の 刺戟ば かりで は 不十分で あつ て、 その 

外に 視覺 なり 或は 他の 感覺 なり、 もう 一 つの 副條 件が 具足す る ことが 肝要で あるか も 知れない Q 

である。 

或は 叉、 香氣 乃至 臭氣を 含んだ i41 氣が 鳥に 相對 的に 靜 止して ゐ るので は有教 な 刺戟と して 感ぜ 


86 


楊 油 と -m 


られ ない が、 もし その 空氣 が相對 的に 流動して ゐる 場合に は 相 當に强 い 刺戟と して 感ぜられ ると 

いふ やうな ことがない とも 限らない。 

鳥 0 鼻に 嗅覺 はな いが 口 腔が 鳴覺 に 代 はる 官能 をす る ことがある と 或 書に 見えて ゐ るが、 もし 

も 香 を 含ん だ 氣流 が强く 嘴に 當 つて ゐる 際に 嘴 を 開き でも すれば、 そ Q 香が 口腔に 感 するとい ふ 

こと も あるか も 知れない。  , 

上述の 如く、 視覺 による 說が 疑. はしく、 しかも 嗅覺 否定 說の 根據が 存外 薄弱で あると して、 さ 

うして 嗅覺說 をもう 一遍 考へ 直して 見る とい ふ 場合に、 一番に 問題と なること は、 如何にして 地 

上の 腐肉から 發散 する 互斯を 含んだ 空氣が 甚だしく 稀薄に される ことなしに 百 米の 上 { 仝に 達し 得 

るかと いふ ことで ある。 ところが、 これ は 物理 學 的に 容易に 說 明せられ る實驗 的事實 から 推して 

極めてなんでも ない ことで ある。 

例へば 長方形 Q 水槽の 底 を 一 様に 熱する と 所謂 熱 對流を 生す る。 その 際器內 0 水の 運動 を水屮 

に 浮游す る アルミ ニゥム 粉に よって 觀 察して 見る と、 底面から 熱せられた 水 は 決して 一様に は 直 

上しないで、 先づ 底面に 沿うて 器 底の 中央に 集中され、 そこから 幅の 狭い 板 狀の流 線 をな して 直 

上す る。 その 結果と して、 底面に 直接 觸れて 居た 水 は 殆ど 全部 此の 幅 Q 狭い 上昇 部に 集注され、 8 


殆ど 擴散 する ことなくして 上昇す る。 もし 器 底に 一粒の 色素 を 置けば、 それから 發 する 色付いた 

水の 線 は 器 底に 沿うて 走った 後に この 上昇 流 束の 中に 判然たる 一 本 Q 線 を 引いて 上昇す る Q であ 

る。 

もしも 同様な ことが 多分 空氣の 場合に も あると して、 器 底の 色素 粒の 代りに 地上の 鼠の 死骸 を 

置き かへ て考 へる と、 その 臭氣を 含んだ 一 條の流 線 束 はさう 大して は擴 散稀釋 されないで、 その 

ま \ 可也の 高さに 達し 得る ものと 考 へられる。 

かう いふ 氣 流が 實際 にある かと 云 ふと、 それ は ある。 さう して さう いふ 氣 流が 正しく 鳶の滑 翔 

を 許す 必要 條件 なので ある。 印度の 禿鷹に ついて 研究した 人の 結果に よると、 この 鳥が 上空 を 滑 

翔す るの は、 晴天の 日 地面が 漸く 熱せられて 上昇 渦流の 始まる 時刻から、 午後 その 氣 流が 止む 頃 

までの 間 だとい ふこと である。 かう した 上昇 流 は 決して 一様に 起る こと は 不可能で、 類似の 場合 

の 實驗の 結果から 推す と、 蜂窝狀 或は 寧ろ 腸 詰 狀對流 渦の 境界線に 沿うて 起る と考 へられる。 そ 

れで鳥 はこの 線 上に 沿うて 滑 翔して 居れば 極めて 樂に 浮游して 居られる。 さう して 甚だ 好都合な 

ことに は、 此の上 昇氣 流の 速度の 最大な ところが 丁度 地面に ある もの 、香氣 臭氣を 最も 濃厚に 含 

んで ゐる處 に相當 する ので ある。 それで、 飛んで ゐる 中に 突然 强ぃ 腐肉 臭に 遭遇した とすれば、 


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そこから 直ちに ダイ ヴィ ングを 始めて、 その 臭氣 Q 流れ を 取り外 づ さない やうに その 同じ 流 線 束 

を 何 處迄も 追究す る こと さ へ 出来れば、 いっか は 必す臭 氣の發 源 地に 到達す る ことが 確實 であつ 

て、 もし それが 出来るならば 視覺 などはなくて もい、 譯 である。 

鳶の 場合に も 恐らく 同じ やうな ことが 云 はれ はしない かと 思 ふ。 それで、 もし 一度 鳶の 嗅覺或 

は その 代用と なる 感官の 存在 を假定 しさへ すれば、 凡ての 問題 は 可也 明白に 解決す るが、 もし ど 

うしても こ Q 假定が 許されない とすると、 凡てが 祌ー祕 の 霧に 包まれて しま ふやうな 氣 がする。 

これに 關 する 鳥類 學 者の 敎へを 乞 ひたいと 思つ てゐる 次第で ある。 

(昭和 九 年 九月、 工業 大學蔵 前 新聞) 


明治 卅ニ 年頃 


明治 卅ー 一年に 東京へ 出て 來た ときに 夏 目先 生の 紹介で はじめて 正 岡 子規の 家へ 遊びに 行った。 

それと 殆ど 同時に r ホトト ギス」 とい ふ雜 誌の 豫約 購讀 者に なった ので あつたが、 あの 頃の 「ホ 

トト ギス」 は あの 頃の 自分に 取って は 實に此 上 もな く 面白い 雜 誌であった。 先づ 第一 に 表紙の 圖 

案が 綺麗で BI 新しく、 俳味が あって 而も 古臭くな いも Q であった。 不折、 默語、 外面 諸畫 伯の 插 

畫ゃ裏 繪が又 それぐ に顯 著な £1 の ある 新鮮な 活氣の ある ものであった。 現在の やうな ジャ— 

ナ リズム 全盛時代 では 恐らく 大多数の かう した 種類の 插畫ゃ 裏緣は 執筆 畫 家の 日常の 職業意識の 

下に 制作され たもので あらう と 思 ふが、 あの 頃の 「ホ トト ギス」 Q 上記の 畫 家の もの は 如何にも 

自分で 樂 しみながら 描いた もの だら うとい ふ氣 のす る ものば かりで ある。 どうし て そんな 氣が 

する か 分らない。 一つに は此等 Q 畫 家が 子規と 特別な 親交が あって、 さう して こ Q 病友 を 慰めて 


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頃 年 二 Ifr 治 明 


やり 度い とい ふ 友情が 籠って ゐた であらう し、 又 一 つに は當時 他に 類の なかった オリ ヂナ ルでフ 

レ ッ シな雜 誌 Q 體裁を 創 成す ると.^ ふこと に對 する 純 粹な藝 術 的な 興味 も 多分に 加 はって ゐ たた 

めに、 おの づ から 實 際に 新鮮な 活氣が 溢れて ゐ たので はない かと も 思 はれる。 かう した 活氣は 

てのもの k 勃與 時代に Q み 見ら る \ ものであって、 一度 隆盛 期 を 通り越す と 消えて しま ふ。 これ 

はどうに も 仕樣 Q ない ものである。 

たしか 淺井和 田兩畫 伯の 合作であった かと 思 ふが フラ ン ス G グ レ ー の 田 舍へ繪 を かきに 行った 

日記の やうな も のな ども 實に淸 新な 薫りの 高い 讀 物で あった。 その 內容 はす つ かり 忘れ て しまつ 

たが、 それ を讀ん だとき に 身に 沁みた 平和で 美しい フラ ン ス Q 田舍 G 雰圍氣 だけが 今でも そつく 

り 心に 殘 つて ゐる やうで ある。 

「闇 汁會」 や 「柚 味噌 會」 の 奇拔な 記事な ども 中々 面白い ものであった。 これな ども 具體的 5: 

容は覺 え て 居ない が、 この 記事で 窺 はれた 當時 の 根 岸 子規 庵 の 氣 分と 云 つた やうな も G だけ はは 

つきり 思 出す ことが 出来る。 

その 頃す でに 讀 者から 日記 や 短文の 募集 をして ゐた C  g: 分 も 時に 應 募して ゐ たが、 自分の 書い 

た 文章が 活字に なった の は 多分 それが 最初で あつたと 思 ふ。 理科 大學の 二年生で 西片 町に 家 を 持 


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つて ゐたそ Q 頃の 日記の 一 節 を 「牛 頓 日記」 と 名 づけて 出した ことがある。 牛頓は 一一 ュ I トンと 5- 

讀む Q である が實に 妙な 名前 を つけた も Q だと 思 ふ。 尤も 二年生 Q と き 牛頓祭 と い ふ 理科 大擧學 

生 年中行事の 幹事 を させられ たので、 それが 頭に あつたた めか も 知れない。 叉、 短文の 方 は 例へ 

ば 「赤」 とか 「旅」 とかい ふ 題 を 出して、 それにち なんだ 十 行か 二十 行 位の 文章 を *E かせる ので 

あった。 何とい ふ 題であった か 忘れた が、 自分が 九 歳の 頃 東海道 を 人力車で 西 下した ときに、 自 

分の 乘 つて ゐた 車の 車夫が 檜 笠 を 冠って ゐて、 その 影が 地上に 印しながら 走って 行く の を 椎茸の 

やう だと 感じた と 見えて そ Q 車夫 を 推 茸と 命名した とい ふ 話 を 書いた 。子規が その後 時々 自分に 

「あの 椎茸の やうな の はもつ とない かね」 と 云った こと を 思 出す。 あの 頃の 短文の やうな もの, な 

ども、 後に 「ホ トト ギス」 の專賫 になった r 寫生 文」 と稱 する も 0、 胚芽の 一 つと して 見る こと 

も出來 はしない かとい ふ氣 がする。 少 くも 自分 だけの 場合に 就いて 考へ ると、 すっと 後に 「ホト 

ト ギス」 に 書いた 小品 文な ど は、 この頃の 日記 や 短文の 延長に 過ぎない と 思 はれる。 

裏 繪ゃ圖 案の 募集 もあって 數囘應 募した C 最初に 軒端の 廻燈 籠と 梧桐に 天 C 河 を 配した 裏输を 

出したら 幸運に それが 當 選した。 その 次に 七夕 棚 かなん か を 出したら 今度 は 見事に 落選した C そ 

Q 後 子規に 會 つたと き 「あれ はま づぃ、 前のと 別人の やう だと 不 折が 云って ゐた」 と 云 はれた。 


頃 年 二 卅治明 


そ Q 後に 冬木立の 逆様に 映った 水面の 鎗を 出したら それ は 入選した が 一 あれ は餘り 凝り 過ぎて る 

と 碧 梧桐が 云 つ たよ」 と い ふ 注意 を 受けた。 

矢 張 そ Q 頃で あつたと 思 ふが、 子規が 熟 梯を寫 生した 繪を虚 子が 見て 「馬 門 かと 思った」 

と 云った C それ を 子規が ひどく 面白がって 「併し 本當 にさう 思つ たんだから」 とい ふこと を 繰 返 

し 繰返し 言 ひ譯の やうに 云 ふので あった C 

募集した 繪を ゆっくり 一 枚々々 點檢 しながら、 不折ゃ 虛子ゃ 碧 梧桐 を 相手に 色々 批評したり、 

义 同時に EI 分 Q 描いて おいた 繪を 見せたり して 閑談に 耽る のが あの 頃の 子規の 一 つの 樂 しみで あ 

つたら うとい ふこと も 想像され る C 

兎も角も あの 頃 〇 「ホ トト ギス」 に は 何とな しに 活々 とした 創 成 Q 喜びと 云った やうな ものが 

溢れ こ ぼれ てゐ たやうな 氣 がす る Q であるが、 それ は 半分 は讀 者の 自分が 未だ 若 か つ た爲 かも 知 

れ ない。 併し さう ばかりで もない かも 知れない。 食物に 譬 へれば 榮養價 は 乏しくても 豐 富なる ビ 

タミ ンを 含有して ゐた C さう して 他に はこれ に 代 はるべき 御馳走 は 殆どなかった C それが、 大正 

昭和と 俳句 隆盛 時代 Q 經過 する うちに、 榮 養に 富んだ 食物 も增し 料理法 も 進歩した こと は 健 かで 

あるが 同時に ビタミンの 含有 比率が 滅 つて 来て、 罐詰 料理 やい かもの 喰 ひの 趣味 も發 達し、 その 


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結果 敗血症の 流行 を來 したと 云った 様な 傾向がない とも 限らない。 

かう した 道程が もう 一 歩 進んで 墮 落と 廢頹の 極に 達し 俳句が 再び 「宗匠」 と 「床屋」 の 

占有 物と なる 時代が 來 ると、 そこで はじめて 次の 輪廻の 第 一 歩が 始まる ので はない かとい ふ氣も 

する。 その 前に はどうしても 一 度 行きつ く處 まで 行く 必要が あるで あらう。 

事によると 明治維新 後の 俳句の 眞の 黄金時代 は 却って 明治 卅 年代に あつたの ではない かとい ふ 

氣も する Q である。 勿論 これ は 自分 等の 年輩の もの、 自分勝手な 見方で は あらう が、 かう した 見 

方 も 或は 現代 の 俳人に 多少の 參考に はなる かもしれ ない と 思った ので 思 出 話の 序に 拙ない 世迷言 

を 並べて 見た 次第で ある。 (昭和 九 年 九月、 俳句 研究) 


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てめ 眺を圜 地 


他圖を 眺めて 


一. 當世 物は盡 し」 で 「安い もの」 を列擧 するとしたら、 その 筆頭に あげられるべき も Q  \ 一  つ 

は 陸地 測量 部の 地圖、 中で も 五 萬 分 一 地形 圖 などで あらう C 一  枚の 代價 十三 錢 であるが、 その 一 

枚から 吾々 が學べ ば學び 得らる 有用な 知識 は 到底 金錢に 換算す る ことの 出来な い 程 貴重な も の 

である C 今假 りに どれ か Q 一  枚 を 絶版に して、 天 下に 撒布され た あらゆる 檩本 を囘收 しそ Q 唯一 

枚 だけ を殘 して 他 は 悉く 燒 いてし まった としたら、 そ Q 殘 つた! 妆は少 くも 數百 圓、 相手に より 

場合によって は 一 萬圓 でも 買手が あるで あらう C 

一枚の 五 萬 分 ー圖葉 は、 緯度で 十分、 經 度で 十五 分の 地域に 相當 する ので、 その 面積 は、 勿論 

緯度に よってち がふが、 例へば 東京 附近で ざっと 二十 七 方里、 臺灣 では 約 三十; 方里、 樺 太で は 

約 二十 一方 里 位に 當る e  . 


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この 一枚の 地形 圖を 作る 爲 Q 實地 作業に 凡そ どれ だけ Q 手數 がか、 るかと 聞いて 見る と、 地形 

の 種類に より 乂作 業者の 能力に より 色々 では あるが ざっと 三百 日から 四百 日 はか 、 る。 それに 耍 

する 作業費が 二三 千圓 であるが、 地形 圖の 基礎になる 三角測量 Q 經費を も 入れて 勘定す ると、 一 

枚 分 約 一 萬 圓位を 使 はなければ ならない、 その他に まだ 計算、 整理、 製圖、 製版 等の 作業費 を 費 

す こと は 勿論で ある。 

それだけ Q 乎數 のか、 つた ものが 僅に コ ー ヒ ー ; 杯の 代 價で買 へる ので ある。 

尤も 物の 價値は 使 ふ 人 次第で どうに もなる。 地 圖を讀 む 事 を 知らない 人に は 折角の こ Q 地形 圖 

も 反古 同様で なければ 何 かの 包紙になる 位で ある。 讀 めぬ 人に は アツ シリア 文 は 飛白の 模様と 同 

じで あり、 サン スク リツ ト文は 牧場 Q 垣根と 刖に變 つたこと はない のと 一 般 である。 併し 「地圖 

の 言葉」 に 習 熟した 人に とって は、 一枚の 圖 葉は實 にあり と あらゆる 有用な 知識の 寳庫 であり、 

もっとも 忠實な 助言者で あり 相談 相手で ある。 

今、 假 りに 地形 圖の 中の 任意の 一寸 角 をと つて、 その 巾に 盛り込まれた だけの あらゆる 知識 を 

我等の 「日本語」 に飜譯 しなければ ならない となったら それ は. K 變 である。 等高線 唯 一 本の 曲折 

だけで も それ を 筆に 盡 くす こと は 殆ど 不可能で あらう C それが 「地 圖の首 葉」 で讀 めば た^ 一  目 


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てめ 眺を圜 地 


で 土地の 高 俄 起伏、 斜面の 緩急 等が 明. WI な 心像と なって 出現す るの みならす、 大小 道路の 連絡、 

山 Q 樹立の 模様、 耕地の 分布 や 種類の 概念まで も 得られる。 

自分 は 汽車 旅行 を するとき はいつ でも 二十 萬 分 一 と 五 萬 分 一 と Q 沿線 地圖を 用意して 行く。 遠 

方の 山な ど は 二十 萬 分 一 で 悉く 名前が 分り、 附近 Q 地形 は 五 萬 分 ; と 車窓 を 流れる 透視 圖と 見較 

ベて 可な りに 正確で 詳細な 心像が 得られる。 併し もし 地形 圖 なしで、 これ だけの 概念 を 得ようと 

したら、 恐らく 一  生 を 放浪の 旅に 消耗し なければ なるまい。 

こ Q 夏 信 州 星野溫 泉から 小 瀨溫泉 迄 散歩した とき 途中で 道の 分れる ところに 一 人 若い 男が 休ん 

でゐ たので、 小 瀬へ はこ ちらで い、 かと 聞く と、 それで は 反對で 白絲の 瀧へ 行って しま ふとい ふ。 

どうも 變 だと 思って 五 萬 分 一 に 相談して 見る と やっぱり 自分の 思った 方が 正しい。 それで 構 はす 

地 圖の敎 へる 通りに 歩いて 行く と、 あとから 先程の 若い 男が 驅 けて 来て、 「ちょっと 勘 違 ひし まし 

た、 どうもす みません/、」 といって 驅け拔 けて 行った。 小瀨へ 行って 見る とその 男 はもう ちゃ 

んと 宿屋に 納まって 子供と ピン ボン を やって ゐた C 人間 は 勘 遠 ひしたり、 故意に だました りして 

も、 五 萬 分 一 地形 31 はいつ も 正直で ある。 たまに、 萬に 一 の 地圖の 誤り を 指摘して 小言 をい ふ 好 

事 家が あるに しても 陸地 測量 部 地形 圖の: lil 用 は 小 ゆるぎ もしない であらう。 唯 一 番面 ら はされ 


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る Q は、 東京 附近な どで ハ牛々 に 新しく 開設され る電鐵 軌道 や 自動車 道路が そ Q 都度 記 \ されて る 

ない こと だけで ある." 

東京 附近 へ ドラ イヴ に 出る とき 氣 G つ いた こと は、 大抵の 運轉 手が 陸地 測量 部 地形^ を 利 出し 

ないで 却つ て 坊間で つて ゐる 不- 正確な.: IT 瞰的 地鬪を 使って なろ ことで ある」 どうも 地形 KG 讀 

方 をよ く 知らない 運轉 vl^ が 多い らしい。 併し 义 前記 C やうに 地形 圖が アップ . ッ . デ I ト でない 

爲も あるか も 知れない C 

地形 ii の 憒爐は その 正確さに よるし 昔べ ル リ ン^ 舉屮 彼の地 G 地理 學敎 -r*^- に 出入して ゐた s、、 

; 日 P 教授が rw,:: いもの を 見せて やらう」. といって 見せて くれた C は、 支那の 某 地 G 地形 11 で 

あった。 矢張り 一 一十 メ ー トル 1:^ 位の 等高線 を 人れ てあつた が、 それが : 見し て^どい、 加減な 出 

瞎;: : な ものであると いふ ことが 分った。 等.: t 線の 屈 =s 配布に はおの づ からな 方 則が あつ てい" か 

げんな ものと 正 ^ に 赏測 に よ つ たも の と は 自然 に 見分け が出來 るので ある C 

そ の 時 に^^切 に感じた こ と は 日本の 陸地 測量 部で 地形 31 製作 に從 事して ゐ る 人達 0 眞新 M で 忠 

實で物 を 説 魔 化さない 賴 もしい 精神の 有難 さであった. - ど 人跡未到な 山の 屮 G 道の ない 所に 道 

を 求め あらゆる 危險を 冒しても 一 本の 線に も 偽り を 描かない やうに とい ふその 科學的 日本 魂のお 


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てめ 眺を阖 地 


かげでぁの!;;^用出來る地形圖が仕上がるのでぁる" さう いふ 辛酸 を脊 めた 文化の 貢獻 者が どこ Q. 

誰かと いふ こと は 測量 部員 以外 誰も 知らない。 

登山 流行 時代の 今日 スボ ー ッ Q 立場から 嶮 姐 をき はめ、 朱 到 Q 地 を 探り 得て. チヤ ー ナ リズム を 

賑 はした やうな 場合で も、 食 は 十:! い 昔に 名の 知れない 測量 部 HI; が - 度 は そこら を 縱橫に 歩き 廻つ 

た あと かも 知れない。 

上に は 上が ある。 測量 部員が 眞に 人跡未到と 思 はれる 深山 を 歩いて ゐ たら 錨び 朽ちた - 本 C 錫 

杖 を 見付けた とい ふ 話 も ある さう である C 

地形測量 Q 基礎になる 大事な 作業 は 所謂 一等 三角測量 である C 所謂 基線 (ベ ー ス ライン) が 土 

臺 になって、 そ Q 上に 所謂 一 等 三角 點網を 組立て 、:. 仃く、 これが 地 "il の 骨格と なるべき 鐵骨構 ゆ 3 

である。 そ Q 網::: G 屮に 二等 三等の 三角 網 を 張り 渡し、 それに 肉 や 皮と なり 雜作 となる 地形 を 盛 

り 込んで 行く ので ある C こ Q 一等 三角 點には みんな 高い 山の頂 上が 選ばれる- - 

その 理由 は、 各 三角 點 から 數十キ n 乃-十: 百キ U  C 距離に ある 隣接 三角 點へ の 見通しが 利かな け 

れ ばなら ないから である C それ だから、 三角測量に 從事 する 入 達 は 年が年 屮 普通 C 人 は 滅多に 登 

ら ないやうな 山の頂 上ば かり を 捜して あちらこちらと 渡つ て 歩いて ゐ る"" さう して-人;.?^ が惡 くて 


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相手 Q 山頂 三角 點が 見えなければ、 幾日で も それが 見える 迄 待って ゐ なければ ならない。 關東震 

災 後の 復舊 測量で は 毛 無 山頂 上で 二十 八日 間 頑張って:  大城 山の 頭 を 出す Q を 今 か/ \ と 待って ゐ 

た 人が ある。 古い レ コ I ド では 七十 日と いふ Q さへ ある。 

測量 を 始める 前に は先づ 第一 に 三角 點の 位置 を 選定す る 選點作 t 菜が 必耍 である。 深山の 峯から 

峯と 一 つく^って 行って は そこから 百キ u 以內 Q 他の 高峯 との 見 透し を 調べて 歩く  Q である。 

ニ點を 決定す るのに 平均 二週間 はか、 る C さう して 三角 點 Q 配布が 決定したら、 に は そこに 橹 

を 組む 造標 作業が ある。 場所に よって は 遠い 下 Q 方から 村 木 を 引上げなければ ならす、 义見 透し 

Q 邪魔になる 樹木 を 伐らなければ ならない。 これに も 一 點に約 一 一週間 はか、 る。 

櫓が 出来たら 少 くも 一 年 は 放置して 構造の 狂 ひ を 十分に 落着かせてから いよ/ \觀 測に か、 る。 

一 點 における 觀測作 案に 天 氣 がよくても 一 一週間 位 はか、 る。 技師 一 人 技手 一 人と 測量 人夫 六 名 乃 

至 十 名 位の 一 行で:大^#生活をする。 場所に よって は 水汲み だけで も 中々 の大 仕事で ある。 食料 は 

米 味曖、 その外に 若布 切 干 i 苕 一 など は 赞澤な 方で、 罐詰 など は 殆ど 持たない。 野茱. 雜は 現場で 得 

られる もの は 利 川す る。 棒 太で はいろ/ \ な 植物 を 片端から 試驗 的に 食って 見た 人 も ある。 溪流 

で 小魚 を摑み 取り にしたり、 野獸を 射止め て 35 はぬ 珍味 にあり つく こと も 折々 は ある さう である。 


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てめ 眺を歸 地 


北海道で は 熊に おびやかされたり、 食糧 缺乏 Q 難場で 肝心の 貯蔵所 を こ 0 一山 Q をぢ さん」 に 

掠奪され て 二三 日 絶食した 人 も ある。 道 を 求めて 瀧 壷に 落ちて 危く 助かった 人 も ある C 暴風に テ 

ントを 飛ばされたり、 落雷 Q 爲に 負傷したり、 其 Q 外、 山崩れ、 洪水な ど Q 爲に 一度 や 二度 死生 

の 境に 出 1 入し ない 測量 部 貝は少 いさう で あ る C それに も 拘ら, f 技術 {H! で 生命 をお とした 人 は 殆ど 

ない とい ふの は 畢竟 多年 の經 験に よる 周到な 準備と 注意 による も Q であらう-」 

技術お に隨 行す る 測 夫と いふ 0 が 又 隠れた 文化 Q 貢獻 者で ある。 唯一 人山 頂 G 格に 廻 照 器 (へ 

リ オト" ー プ) を 護って、 時々 刻々 に 移動す る 太陽の 光束 を 反射して 數十籽 彼方 Q 觀測點 に 送る _ 

それに は多ギ Q 修練 による デリ ケ ー トな 神經と 筋肉の 作用 を 要する C この 測 夫 の 熟練 の 如何 に よ 

つて 觀測 作業の 進涉が 支配され る Q である。 或 時 向う の 山頂の 廻 照 器が いつ 迄 待っても 光 を 送ら 

ない。 信號 をしても 返事がない。 行って 昆 ると 櫓から 落ちて 死んで ゐた。 深山に 唯一 人 だから 行 

つて 見る 迄 わからなかった し、 死 M も 全然 不明であった ので ある C 

最も 大規模な 測量 Q 例と して はこん な 場合 も ある。 裘灣の 中央 山脈 を 測量した 時な ど は、 蠻人 

百 二十 名" IfH^ 十五 名を從 へ 軍隊 組織で 行列 二 里に わたり、 四日 間の 露營 をした さう であるが、 こ 

れ等は W2: 間 <ュ 山 {究 などに は 味 はふ こと 0 出来ない 一 種の 天國 行軍で あらう と 思 はれる C 


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鬼に 角、 これ だけ G 艱難辛苦 によって 一等 三角 網が 《元 成される C これ を 基礎と して それから 二 

等 三等 三角 網が 張り 渡され、 それ を n 標 として W 部々 々 C 地形測量 を 仕上げられる 迄 G いきさつ 

は、 そ 素人の 想像に 餘る もので あらう。 

^ マ 則 量 をす る 測量 班 M が 深山 幽 〔へ  = を さまようて 幾 n も 人間 G.^- ひ を か すに ほて、 やっと ど 

こかつ 三 fer 點の 格に たどりつ くと、 何となく 嬉し さとな つ かし さに 胸 を 躍らす とい ふ 話で ある。 

こ C  ; 事 だけで も、 こ Qti 事の 生やさし いもので ない 事が わかる であらう C  , 

,u 分 は 十つ と 前から この 世に 知られて ゐ ない 文化 Q 貢 獻者を 何 かの 機會に 世間に 紹介した いと 

い ふ 希望 を も つて ゐた C さう して 當 IS 者 の 好意 で 主要な 高山 に おけ る 三角 點 Q 觀測者 C 名前と そ 

の 測量 年度 を 表記した もの を 乎に する ことが 出来た C しかし 今 こ、 で その 表の 一 小 部分で も 載せ 

る こと は 紙- € の 制限 上 到底 されない。 それで 兹 では 唯 現在 陸地 測量 部 地形 圖の 恩惠を 蒙りな が 

ら それ を 意識して ゐ ない 一 般の譴 者に、 さう した 隠れた 貢獻 者が 一 枚々 々 の 21 葉の 背後に 布 在す 

る こ と を 指摘し 注意 を 促が すより 外に 途 はない。 

近 ハヤに なって 乂 日本の 陸地 測量 部 は 一 つ Q 新しい 方:. E で 世界 G 學界に 偉人な 貢獻 をす る やうに 

なった。 それ は 同 一 地域 Q 三角測量 や 精密 水準測量 を 數年を 隔て &繰 返し、 そ G 前後の 結果 を 比 


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てめ 眺を岡 地 


較 する ことによって 我等の 生命 を 託する 地殼 Q 變動を 詳しく 探究す る ことで ある C 近着の ァ メリ 

力 地理 學. C 雜誌 の 評論 欄に 我 邦 の 地球 物理 學者 の 仕事 を 紹介し て ある その 冒頭 に 「地 殼變動 Q 

測定に 關 して は 如何なる 國民も 日本人に 匹敵す る もの にない」 と 書いて ある。 

この 重要な 研究の 基礎と なる 實測 資料 は實に 悉く 我が 陸地 測量 部 ほ; の 汗血の^ 晶 で出來 たもの 

である C. 尤も この 測量に は 多大の 費用が か、 るので あるが、 それ は 幸 ひに 帝國 學士院 や、 原 田 積 

善會、 服 部 報公會 等の 財圑 又は 若干 篤志 {豕 の 有力な 援助に よって 支辨 され、 そのお かげで 次第に 

觀測资 料が 蓄 枝され、 その!^ は 我 邦の 有 爲な少 壯风. S 等 Q 乎に よって 逐次に 分析 的に 研究され 

つ、 あり、 その 研究の 結 Eif は 現在 世界の 地球 物理 學 おの 注意 を 紫め てゐる やうで ある。 私 は讀者 

0 屮で國 家 百年の 將來を 思 ふ 人々 が あらば、 どうか かう いふ 國家 的に も 世界的に も 意義の 深い 仕 

事に 有形無形の 援助 を 惜しまれ ないやう にこの 機會を かりて 切望す る次笫 である。 

人間が 地上ば かり を 歩 いて ゐ る 間 は 普通 の 地 11 で 足りる が、 {!^-を飛び歩くゃ うにな つた 今 口で 

は航. 穴. IS の 地 11 が 必要に なった e 併し、 現.;^ の航穴 J 地 岡 はま だほん の 芽生えの やうな もので i^-H 通 

C 地形 31 に小ノ しばかり 毛の 生えた ものである。 し 今に 航穴 r; が もっと/, \ 發逹 して、 空中の 各層 

に 縦横の 航穴 r: 路 が,: 父錯 する やうに なれば 最早 平面 的な 闘で は 間に 八!: はなくな つ て 立體 的な 或は 少 


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くも 立體 的に 代 川され る 特殊な 地 圖 が 必要になる かも 知れない。 

ぉ屮 ばかりでなく 人間の 交通 範闹は 地下に も擴 張され る 倾{ ^が ある。 

關 東大 震 後に 私 は 首都の 柩耍部 を 悉く 地下に 埋めて しま ふとい ふ 方法 を考 へた ことがある。 重 

耍な 宫衙ゃ 公共 設備の ビル ディ ングを 地上 百 尺の 代りに 地下 百 尺 或は 一 一 百 尺に 築造し、 地上 は 全 

部 公園と 安息 所に してし まふ C これなら ば 大地震が あっても 大丈夫で あり、 敵軍の 穴」 襲 を 受けて 

も 平 氣でゐ られる やうに する ことが 出來 るからで ある C この 私の 夢の やうな 案 は 常時 誰も 眞而目 

に は 聞いて くれなかった。 

し 現に 丸 之 內の元 警視 鹿 跡に 建築され る ことにな つ てゐ. る 第 一 相互の 新館 は 地下 六十 尺に 基 

礎を据 ゑ、 地下室が 四 階になる 害 ださう で、 いは 私の 夢の 一端が 旣に實 現され かけた やうに 見 

える。 もしも 丸 之內の 他の 建物 も 段々 に 地底の 第三紀 層の 堅固な 基礎の 上に 樹立され る 日が 來れ 

ば、 自然に^ 物と 建物の 各層 相互の 交通の 爲に 地下 道路が 縦横に 貰 通す る やうになる かも 知れな 

い。 さう なれば 丸 之內の 地圖は 最早 一 枚で は 足り なくなって 地下 各層の 交通 を 示す 立體圖 が必耍 

になる 勘定で ある。 

九: 一 nn は 帝都の 防お」 演 おで 丸之內 など は假想 敵軍の 络 襲の 焦點 となった こと、 S はれる。 演 


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てめ 眺を阖 地 


習 だからよ いやうな もの、、 これが 本當 であったら 屮々 の 難儀で ある。 併し、 もしも 丸之內 全部 

が 地下 百 尺 Q 七 層 街に なって ゐた としたら、 叉 敵に 狙 はれさうな あらゆる 公共 設備 や 工場 地帶が 

全部 地下に 安置され て 居り、 その上に 各 151! の 諸 所に 適 當な廣 さの 地下街が 配置され てゐ たと した 

ら、 敵の {仝 軍 は 嘸 や 張り合 ひの ない ことで あらう し、 市民の 大部分 は 心 を 安んじて その 職に つき 

枕 を 高く して 眠る ことが 出来る であらう と 思 はれる。 もし さう なれば、 東京の 地 圖 が 一 枚で 足り 

ない とい ふ 面倒ぐ らゐは 我慢しても 誰も 小言 は いはないで あらう。 

これ は 今の所で は 一 場 Q 夢物語の やうで あるが、 實 はこの 夢の 國へ の 第 一 歩 は旣に 踏み出され 

て 居る。 さう して 昨今 國 民の 耳 を 驚かす 非常時々 々 々 の 呼聲は 一 層 この 方向へ の 進出 を 促が す や 

うに 013 える C 

東京 市 全部の 地面が 美しい 大公 園に なって そこに 運動場 や 休息所が 程よ く 配 され、 地下 百 尺 

1 一 百 尺の 各層に は 整然たる 街路が 發 達し、 人工 日光の 照明に よつ て 生 W された 街路樹で 飾られて 

ゐる 光景 を 想像す る こ とも それ 程 困難で はない やうに 思 はれ る Q である。 

(附記、 陸地 測量 部の 作業に 關 する 項 は 知友 技師 梅 本豐吉 氏の 談話に 據 つたが、 もし 誤記が あ 

つたら それ は 筆者の 聞き違へ である。) (昭和 九 年 十月 、東京 朝 0! 新開〕 


105 


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L 「稱 媒」 へ? 迫 記〕 右 S 本文 は: W 刊 新聞紙 上に 揭 救した ものであるから、 折 1? 貧って あった 著名 高 出 

,叔 火 山 ーーー 角測傲 の 料を 載 せ る こ と が 出來 た か つ た が 、 今"は 本書 に 第錄す る こ の 機>^ に こ れ を 左 に 添 

付し て 公表す る こ と が 出來た のは^ 者?: 本懐と する とこる である。 此 5 表 S 作成に 盡 力され 义そ の 轉 

我 を 許容され た 常 W 者、 特に SiSaf 少將ぉ 木- 兀長 氏、 ^,庫少 佐 小川 三郎 氏に 深 たる 謝意と 敬意 を 表す 

る次笫 である" 


106 


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(III  )  44 號 ノ 北東 

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北 島  1 

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(III) 12^  ノ 西北 

二 千 五 百 米 

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" " 羅處和 島 

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gisra37 古田 盛 作 二三 等 混成 
造標大 2ni 原 尚義       %  7 
觀測大 4 伊藤 祐中 苦-木 嘉三治 

-三瞎 英譜 

八 】 佐々 木 利 JK 

三 等 5,  |!戶島左 馬廳 

^  ^ 小 野原 3Jr 郎 

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活 火口 1 

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活 火口  2 

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點ノ 西南 ISOni 

活 火口 1 

114 


てめ 眺を圖 地 


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燔發 2  FeJ 
南硫 黃島ノ 北東 3 

it 新 島 噴出 

(1606,  1870,  1905 
年) 

爆 S3 回 
豆 南 梅 中 所在 不明 

(1902 年, 191(3 年 •)  i 

1 碟ノ 西端附 近海 底 
1 火山 

(1906 年, 1 リ 15 年、 
爆 S2 同 
礎ノ 東北 10涯 海底 
火山 

爆转 1 囘 

鳥 島 南西 lit— 

噴出 

(1902 年 一 1902 年) 
ffi 發 1 囘 
子 挂山休 火口  2 

118 


てめ 眺を圜 地 


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活 火口 1 

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— 新 火口  2  J 

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121 


映 畫 雜 感 i.) 


一 にんじん 

「にんじん」 は忙 がしい 時に 一 寸 一 遍 見た だけで 印象 ひ 記憶 も 散漫で あるが、 兎に角 近頃 見た 

うちで は 矢 張 相 當而. 2 い 映畫の 一 つで あると 思 はれた。 - . 

登場人物の 中で 一恭 上手な 役者 は 主人公の にんじん である。 少しも 芝居 臭いと ころがなくて 實 

に 自然に 見える。 幼ない 女の子 も同樣 である。 尤も これ は 何も こ C 映畫に 限った ことで はない。 

昔の ジ: P キ ー - ク, -ガ ン以來 小さい 子供 は みんな 大抵 映畫 俳優と して 成效 して ゐる。 日本で も 

同様で ある。 先 n 見た H  ノ ケ ン の 醉虎傳 でも 御客様に 出して ある 菓子 を 掠奪に 出て 來る 男の子が 

どの 俳優よりも 一番 自然で 成效 して ゐる やうに 田^ はれた。 この こと は映畫 俳優の 演藝 が舞臺 俳優 


122 


感雜畫 映 


の それと 全くち が つ た 基礎 の 上に 立つ ベ きも の だとい ふこ と を 吾 々に敎 へる もので はない かと 田ぬ 

はれる C  n シァ映 畫で敎 養 も 何もない 農夫が 最も 光った スタ ー として 現 はれ、 アフリカ-映 畫 でも 

土人の 方が 白人 Q 映畫 俳優 0 下つ ばな どより 比較に ならぬ 程い、 芝居 をして 見せる の も 同様な 現 

象で ある 。 自然 を 背景 とした 芝居で は 人間 も 矢 張 自然な 芝 居 をし なければ 釣り合 はないで あらう- 

かう いふ 意味から すれば、 にんじんの 父 も 母 も 女中 もお ぢ さん もル I 少し 芝居 をし 過ぎる やうな 

氣 もす るが、 併し;; 儿來 西洋人 は 口 本人に 比べる と 平生で も擧 動が 大分 芝居 じみて ゐ るから、 あれ 

位 は 丁度い、 のか も 知れない。 

此 Q 映 畫に現 はれる フラ ン ス QE 舍の. RI 然は實 に 笑し い" 廿世紀 のフラ ン ス にも 未だ こんな 昔 

の 田舍が 保存され て 居る かと 思 ふと 實に 羨ましい 氣 がした。 コ n 1 ゃド ー ビー 一 1 'などの 風景 畫が 

そっくり 拔け 出して 來 たやう に 思 はれて 嬉しかった。 日本で は 恐らく こんな 處 はめった に 見られ 

ないで あらう C さう いふ W 舍の名 付 親のお ぢ さん 0 處へ 遊びに 行った にんじんが、 そこの 幼ない 

マチ ルド と 婚禮ご つ こ をして 牧場 を 練り歩く 場面で、 家鴨 や 豚 や 牛な どが フラッ シ で斷績 交ず: し 

て 現 はれ、 ぉぢ さんの 紙 腔 琴に 合 はせ て 伴奏 をす ると ころも 呼吸が よく 合って 愉快で ある。 さう 

した 趣向が うまい のではなくて、 唯 その :1 輯の 呼吸が うまい ので ある。 同じ こと を やる ので も獨 


123 


龟 J 决畫 だと どうしても 重 くるしく なり 勝の やうに 思 はれる。 同じ やうに この 呼吸のう まい 他の 一 

例 は、 停車場 Q 驛- おかなん かの 額の 大寫 しが 一寸 現 はれる 場面で ある。 實に 何でもな いこと だが、 

あすこの 前後の 時間 關 係に 說 明し 難い 妙味が ある。 

女中が 迎 へに 來て 荷馬車で 歸る 途中で、 他所の 家庭の 幸福 さうな 人々 を 見て ゐる うちに にんじ 

んの 心が 段々 に 苛立って 来て、 無茶苦茶に 馬 を 引っぱた いて 狂奔させる、 あすこの 場面の 伴奏 音 

樂が よく 出來て ゐる やうに 田^ ふ。 本當に 遣る 瀨 のない 子供心の 突き つ めた 心 持 を 想 はせ る ものが 

ある。  - 

池へ 投身しょう として 驅 けて 行く ところで、 スクリ ー ン の 左端へ 今にも 衝突し さう に 見える や 

うに 撮って ゐ るの も 一 種の 技巧で ある。 これが 反 對に畫 面の 右端 を 左 へ 向いて 驅 けって 行く ので 

は 迫つ た 感じが 出な いで あらう。 

妖精の 舞踊 や、 夢中の 幻影 は 自分に は 寧ろない 方が よいと 思 はれた。 

此 Q 映謇も 見る 人々 で みんなち がった 見方 をす る やうで ある。 自分 C やうな ものに は 此の t 屮 

で 一番 可哀相な は 干物に なった 心臓の 持主 卽ち にんじん C お母さん であり、 一番 幸福な の は 動物 

こ 乞 一 も 同情され るにん じんで ある。 さう して 一等い、 子に なって 儲けて ゐ るの は 世間の 「父」 の 


124 


感雑畫 映 


代表者で あると ころのお 父さんの 村長 殿で ある。 

二 居酒屋,  -- 

ゾラの 「居酒屋」 を映畫 化した もの ださう である C 原著 を讀 んでゐ ないから それとの 交 涉は分 

ら ない C 併し 普通 Q アメリカ Q 小 說映畫 と は 著しくち がった 特徵 Q ある こと だけ はよ く 分る。 話 

Q 筋 も 場面 も實に 尋常 普通の 市井の出来事で、 尤も 疯擬 病院の 中で 酒精 中毒の 患者の 狂亂 する 陰 

慘な 害の 場面 も あり はする が 一 體に 目先の 變 りの 少ない 或 意味で: §1 屈な 映畫 である。 それだけ 

に、 さう した もの を これ だけに 纏め 上げて さう して 餘り返 屈させないで 與味 をつな いで 行く に は 

相當な 監督の 手腕と 俳優 Q 藝が 必要で あると 思 はれた。 酒で 墮 落して 行く おや ぢ Q 顏 C 人相 Q 變 

化 は本當 らしい C 

一番お しま ひ 0 場面で、 倫 落の どん底に 落ちた 女が 昔の 友に 救 はれて その 下宿に 落着き、 そこ 

で 一 皿 Q 粥 を 貪り食った 後に 椅子に 凭って こんくと して 眠る、 そ 0 顏が 永い 間の 辛酸で こち こ 

ちに 固まった 顏 である。 それが 忽然と して 別の 顏に變 る。 十 年 も 若返った やうな 顏で 眼に は 一杯 

淚が 溜って © る。 堅く 閉ぢた 心の 水が 融けて 一 陽 来復の 春が 来たので ある。 さう して 靜 にこ Q 一 


125 


篇の 終末が フニ," ド アウトす るので ある。 此の 終末の 取扱 ひ 方に 何處か フランス 藝 術に 共通な 氣 お 

の 利いた 呼吸 を 見る ことが 出来る やうな 氣 がする。 

三 世界の S 极 

此の 映畫で 自分の 尤も 美しい と 思った 場 而 は 大勢の 白衣の; s 敎 徙がラ マダン の斷食 月に 寺院 0 

^場に 藥 まって 禮拜 する 光景で ある。 だが 折角の こ QKin い 場面 をつ まらぬ 持へ もの、 活劇で 打 

ち 毀して しまって ゐ るの は 惜しい ことで ある。 ラ マ 僧の 舞踊の 場而 でも 同様に 餘 計な 芝居が 現實 

の 深刻 味 を 破壊して しまって ゐる。  • 

囘敎 徒が 三十 n もの 間每日 十一 一時間の 斷食 をして、 さう して CI 分の 用事な ど は放鄉 して 禮拜三 

昧の 陶醉的 生活 をす る。 かう いふ 生活 は少 くも 火 多數の H 本の 都人 土に は 到- M 諒解?: 出来ない 不 

思議な 生活で ある。 

ペナ レス Q 聖地で 難行苦行 を 生 龍の 唯一 の 仕事と して ゐる 信徒 を、 映畫 館から 映畫 館、 歌舞伎 

から 百貨店と、 享樂 のみ を獵り 歩く 現代文明 國の 士女と 對 照して 見る の も 面白い ことで ある- 人 

生と は 何 かな ど、 いふ 問題 は、 世界 をす つかり 見た 上で なければ うっかり 持 出せない 問題 だとい 


感雜畫 映 


ふこと は, こんな 映畫を 見ても 氣が 付くて あらう。 

四 忠臣 藏, 

日活の 今度の 大 仕掛の 忠臣 藏は 前半 「刃傷 篇」 を 見た だけで ある。 なる 程數年 前の 時代 活釗か 

ら 比べる と 大分 進歩した もの だと 思 はれる 點は色 々ある。 例へば、 棘 使 接待の 能樂 を舞臺 背景と 

番組 書 だけで 見せたり、 切腹の 場を辭 世の 歌 を かいた 色紙に i 济 ちる 一 ル 櫻の 花瓣で 代^させた 

りする の は 多少 月並で は あるが 兎も角も 日本人ら しい 象徵 的な 取扱 ひ 方で、 あくどい 芝居 を 救 ふ 

爲 に有效 であると 思 はれた C 併し 一番 ra: る Q は 人間の 芝居で ある。 特に そ 0 對話 である" ^Mh^ 

野の 方 は 誰が やる としても 比較的 やさしい と 思 はれる が 淺野內 E の 方 は 實際六 かしい" 片:! 千 

藏氏 も餘程 苦心 はした やうで あるが、 どうも 成 效とは 思 はれない。 あの 前篇 前半 G クライ マック 

スを 成す 刃傷の 心理的 經過 をもう 少し 研究して 欲しい とい ふ氣 がする。 肉 分の 見る 點 では、 內ぽ 

頭 はいよ 最後 の 瞬間 迄 はもつ とす つ と 焦躁と 愤適 と を 抑制して K ひたい。 さう して 最後の 刹 

那の 衝動的な 變化を もっと 分析して 段階 的 加速 的に 映寫 したい。 それから 上野が 斬られて 犬 Q や 

うに 轉 がる だけでなく、 もう 少し 恐怖と 狼 猫と を 示す 簡潔で 有力な 幾コ マ か を フラッ シ ュ で 見せ 


127 


たい。 さう しないと 折角の クライ マツ クスが 少し 弱 過ぎる やうな 氣 がする C 

第二の クライマックス は 赤 穗城內 で 血盟の 後 復馨の 眞意を 明かす ところで ある。 內藏 助が rn 

的 はたった 一 つ」 とい ふ 言葉 を 繰 返す 場面で、 何 かもう 少し アクセント をつ ける やうな 編 輯法は 

ない もの かと 思 はれた。 例へば 城代の 顔と 二三の 同志の 顔の クロ  I ズ アップ、 それに 第一 Q クラ 

ィ マックス に 使 はれた 「柱に 突き さ.^ つた 刀」 でも フラ グ シ ュ バ ッ ク させる とか、 何とかもう 一 

工夫あって もよ ささう に 思 はれた。 

亡びた 主家の 家臣 等が 思 ひ, (-に 離散して 行く 感傷的な 終末に 「荒城の 月」 の 伴奏 を 入れた の 

は 大衆 向きで 結構で あるが、 城郭 や 帆船の カツ トバ ッ クが 少しく ど 過ぎて 却って 效果を そぐ 恐れ 

が あり はしない か。 自分が いつも 繰返して 云 ふやう に 若し 映畫 製作者に 多少で も 俳諧 連句の 素養 

が あらば、 かう いふ 所で いくらでも 效 ei^ 的な 村 料の 使 ひ 方が あるで あらう と 思 はれる ので ある。 

早 打の 使者 Q 道中 を 見せる 一 聯の 編輯で も 連句 的 手法 を 借りて 來れば どんなに でも 暗示 的な 面 

由 味 を 出す ことが 出来た であら うと 想像され る。 さう いふ ことに かけて は 恐らく 日本人が 一希 長 

じて 居 る 害 だ と 思 はれる のに、 その 長所 を 利用し ない のが 返す/— も殘念 な ことで ある。 


128 


五 イワン 

ドブジ H ンコ のこの 映畫 にも 前の 一大 地」 と 同様な 靜 的な 畫面を つないで 行く手 法が 目につく。 

堠堤 工事の 起重機 や 汽車の 運動 は、 見て おる. と 咬 暈 を 起す 程で あるが、 しかし そ Q 編輯 法 は 矢 張 

靜 的で 動的で ない。 

胃 頭の ドニ ヱ プル 河畔の 茫漠たる 風景 も靜 的で ある。 かう いふ 自然 Q 中に 生れた 國 民の 眞似を 

H 本人が しょうと する の は本當 に 無意義な ことで ある。 

此の 映畫は 文部省 あたりの 思想 善導 映畫 として 使 はれ 得る 可 能 性 を も つて 居る。 これ は 皮,^ で 

はない。 (昭和 九 年 六!;:;、 キネ マ 旬報) 

六 \ ン ジ ャ 

映畫 ーバ ンジ ャ J を 見た: 從來 G 猛獸 映畫 に比べて 多少の 特色 は ある やうで ある。 見えす いた 

芝居が 比較的 少ない ので、 見て ゐて氣 持が よく、 退屈し なくて すむ: 

象 力 人間に 使 はれて 實 によく 命 八? ゲ- 聞き、 見かけに 似合 はす わ まめに 上 事 をす る。 あ ほど 利 


129 


n な この 動物が どうして 人間の 無ハ を見拔 いて あばれ 出さない か 不思議に 思 はれて 來る c 人間 は 

智惠で こ の 動物 を氣儘 にして ゐ ると H 心 つ て 自惚れ て ゐ る。 ^^し こ れ等 の 象が 本氣で 暴れ出し たら 

大概の 人間の 智惠 では 到底 どうに もなら なくなる ので はない か。 „ ^が 人間に わ 〈けて ゐ るの は智惠 

のせ ゐ ではない。 協力と いふ ことが S 來 ないだ けが 彼等の 弱味で はない かと 2 心 はれる。 協同した 

暴力の 前に は智惠 など は 何の 役に も 立たない こと は 人間の- 晚史 が^ 前に 證 明して ゐる。 

華と い ふ ものが どうに も 不恰好な ものである。 併し どうして これが 他の 多くの 動物より もより 

多く 「不恰好」 とい ふ 形容詞に 對 する 特權を 享有す る ことになる のか。 

人間の 使 ふ 色々 な 器具 器械で も 一 ::: 見て 何となく 好い 恰奵 をした もの は.^ 抵 使って 工合が よい „ 

物理 舉赏驗 に 使 はれる 精密 器械で さ へ も 設計の まづ い 使って 工合の 惡 いやうな の は何處 となく 見 

た 恰好が 惡 いとい ふの が 自分の 年來の 經驗で ある。  . 

動物で も、 何とな しに 不恰好に 見える の は 矢 張 現在の 地球上に 支配す る 環境の 中で 生活す るの 

に 不便な やうに 來てゐ るので はない かと m 《一はれ てく る。 厚な どが 段々 に 人間に 狩り 盡 されて 絕 

減し かけて ゐる とい ふ事赏 はたし か に 彼等が 現 世界 に 生::^ する に 不利益な 條件を A ハ へて 居る 爲で 

あらう 0 


130 


感雑畫 映 


過去 Q 或 時代に は 犀の やうな ものが 時 を 得 額に 横行した こと もあった ので ある。 その 時代の 環 

境の 如何なる 要素が 彼等の 生存に 有利であった か f 而. ぃ問题 である" 

今から 何 萬 年の 後に 地球上の 物理的 條 件が 一 變 して 再び 厚 か 或は 厚の 後裔 か 幅 を 利かす やう 

になった としたら、 その 時代の 人間 —— もし 人間が ゐる としたら —— の 眼に はこの 犀が 恐らく 優 

美 典雅の 象徵の やうに 見える であらう。 さう いふ 時代が 來な いとい ふ 證明は 今の 科學 では 出來さ 

う もない。 

犀に 就いて 云 はれる こと は 人間の 思想に ついても 殆ど 同じ やうに 云 はれ はしない か" 

この 映畫で 一 番笑 はされ るの は 「眼鏡猿」 を 捕へ るト リツ ク である。 椰子の 實の穀 に 穴を開け 

その 中に 少しの 米粒 を 入れた の を繩で 縛って、 その 繩の端 を 地中に 打 込んだ 杭に つないで おく。 

猿が やって来て 片手 を 穴に 突 込んで 米 を 握る と 拳が 穴に 岡へ て拔 けなくなる C 逃げれば 逃げられ 

る 係 蹄に 自分で 一 生 懸命に つかまって 捕 はれる の を 待つ ので ある C 

御馳走に 出した 金米糖の 壺に お客様が を插 込んだら どうしても 拔 けなくな つたので 仕方なく 

壺を 毀して 見たら 拳 一 杯に 慾 張って 捉り 込んで ゐ たとい ふ 笑話が ある。 こんな 人間 はま づ 少ない 

であらう が、 これと よく 似た 係 蹄に 我れ と 我が 手に 懸 つて 人の 虜 になり 生 恥 を 曝す 人 は 實に數 へ 


131 


切れない 程 多数で ある。 「眼鏡猿」 ばかり を 笑 ふわけ に は ゆかない ので ある C 

大蛇が 豚 を 一匹 丸吞 みに して 寢てゐ る。 ー滿 腹」 とい ふ 言語で は 不十分で ある。 三百 パ I セン 

トか 四百 パ ー セントの 滿腹 である。 からだの 直徑 がどう 見ても 三 四 倍に なって なる。 他 0 動物の 

組織で こんなに 仲 長され て それで 破裂し ない ものが あらう と は 一 寸思 はれない やうで ある。 尤も 

胎生動物の 母胎の 仲 縮 も 同様な 例と して 舉 げられ るか も 知れない が、 併し この 蛇の やうに 僅少な 

時間に こんなに 自由に 伸びる の は 全く 珍ら しいと 云 はなければ なるまい。 これに は 吃 度 特^な 細 

胞ゃ纖 維の 特異性が あるに 相違ない が、 一寸した 動物 學の 書物な どに は、 かう した 一番 吾等の 知 

り 度い やうな 面白い ことが *1 いてない やうで ある。 

主人公の バ ッ ク 氏が 傘 蛇に 襲 はれ 上衣 を晚 いで 被せて 取り 押さ へ る 場面が ある。 此 場合 は柔能 

く柔を 制すと でもい ふべき である。 流石の 蛇 もぐに や/ \ した 上衣で は 一 寸 どうしてい 、か 見當 

が 付かない であらう。 この 映畫 では 又 金網で 豹 や 大蛇 をつ かまへ る 場面 も ある。 網と 云 ふ もの は 

上衣 以上に どうに も 仕樣の ない 動物の 强敵 であるら しい。 全く 蓮 命の 網で ある。 天網と いふ 言葉 

は實に 巧い 言葉 を考へ 付いた ものである。 押し破ら うとして 一方 を 押せば、 押した 方 は 引 込んで 

反對 側が 自分 を しめつける。 


132 


感雜畫 映 


大蛇が 箱から 逃 場面で 猿 や 熊の 恐怖した 顏 Q ク n  — ズ アツ プを 見せる。 あ Q 顏 がよく 出來 

てゐ る。 これに 反して 伞 蛇に 襲 はれた 人間 Q 芝居が、 り 0 表情 は わざとら しくて を かしく、 こ Q 

映畫 Q 中で 一 番まづ い 場面で ある" -我國 の 映畫界 のえ らい スタ, '諸君 もちと あの 猿 や 熊の 顏を見 

擧し 研究 するとい \。 

七 漫畫の 犬  I 

此頃 見た 漫畫 映畫 Q 內で 面白 か つ た C はミ ツキ— マウス Q シ リ ー ズ で 「ヮ ン 公大 暴れ」 (プ レ ィ 

フル . プル ー ト I) と稱 する も Q である。 そ Q 中で 覺 えす 笑 ひ 出して しまった 最も 愉快な 場面 は、 

犬が 蠅取 紙に 惱 まされる 動作 Q 寫實 的描寫 である。 鼻 Q 頭に くつ つ いた Q を 吹き飛ばさう とする 

ところ は少 し 人間 臭 い が、 尻に 膠着し た 0 を 取らう としてき り /\ 舞 をす る あたりな ど實 に 面白 

い。 それが 面白く 可笑しい Q は 「眞 實」 が 面.!!  く 可笑しい からで ある- 犬が 結局 窓の 日蔽 幕に 卷 

き 込まれて くる/ \ 廻る、 さうな ると 奇拔 では あるが 一向に 可笑しくない: それ はもう 眞實 でな 

いからで ある。 

漫畫 Q 主人公 0 鼠 や 鬼 や;^ など は顏 だけ はさう いふ 動物ら し く 描 いて あるが、 す る 事 は 人間の 


133 


する こと を 少しば かり 誇張した だけで ある。 結: S 假面を 冠った 人間に 過ぎない。 併し こ Q 犬 だけ 

はいつ でも 正眞 正銘の 犬で ある") 犬 を 愛し 犬の 習性 を 深く 究め 盡 した 作者で なければ 到底 表現す 

る こと Q 出来ない 眞實さ を 表現して 居る C 

こ Q 犬 を 描く Q と 同じ 行き方で 正眞 正銘 G 人間 を 描く ことが どうして 出来ない 0 か" それが 出 

來 たら それ こ そ 本 當の藝 術と L て Q 漫 畫映畫 の 新 天地が 開け る であらう と 思 はれる C 現在の 怪奇 

を 基調と した 漫畫は 少し 狙 ひが 外れて ゐ るので はない か。 實 在の 人間に 不可能で、 しかも 人間の 

可能性 0 延長で あり 人間の 欲望 Q 夢の 中に 搖曳 する やうな 影像 を 如 實に寫 し 出す とい ふ Q も 一 つ 

の藝 術で は あるが、 さう した 漫畫は 精神的に は! fin 々に 何物 をも與 へす、 唯 生理的に 寧ろ 廢類 的な 

效 wlf を與 へる のみで はない かとい ふ 疑が ある。 

ドン . キホ ー テ は此處 でい ふ 人間の 眞實を 描いた 漫 畫映畫 Q 好 題目で ある C 併し、 先達て 上映 

された シャ リア ピンの 「ドン . キホ— テ J はさう いふ 意味で は 寧ろ 不純な ものであった かと 思 ふ。 

自分 は 今度 見た ミツ キ— マウスの 中の 犬 を 描いた 華 法で ドン . キホ ー テを 描いた 漫 畫映畫 Q 出現 

を 希望した いと 思 ふ ものである。 


134 


感雜畫 映 


八 一本 刀 十 依 入 

日本 Q 時 4:^ も 0  、映畫 で 面白い と 思 ふ も Q に はめった に出舍 はない。 大抵 は 退屈で なければ 冷 

汗 Q 出る やうな ものである。 併し 近頃 見た 「 一 本 刀土恢 人」 だけ はたし かに 退屈せ す氣 持よ く 見 

られ た。 

第 一 に は カツ ト から カツ ト、 場面から 場面へ Q 轉換の 呼吸が い、" 例へば おった と 茂兵衞 とが 

一 一階と 下で かけ 合 ひの 對話 をす ると ころで も、 ほんの 僅かな 呼吸の 相 遠で たまらなく 返 屈になる 

箬 のが 一 向 退屈し ないで 見て 居られる の はこの 編輯 Q 呼吸 G よさに よる Q である C おった が 何遍 . 

となく 茂 兵衞を 呼び止める のが 一 體 ならく どくし つ こく 感ぜられる 害で あるが、 こ 、では 呼び 止 

める 一 度々 々 に 心理的の 展開が あって 情緒の 段階 的な 上界が あるから 繰返しが 却って 活 きて くる 

ので ある」 これ は 勿論 原作の い、 爲も あらう が、 こ G 映畫 のこの 點 のうま さは 殆ど 全く 監督の 頭 

の 良さ による も Q と判斷 される。 

喧嘩 や 立 廻り の 場面 も齊通 の映畫 では 實に 退屈に 堪 へない のが 多い が、 この 映畫 のさう した 場 

面 は 簡潔で 要領が よくて 却って 本當 らしい。 


135 


林お 一 一郎、 岡田嘉 子の 二人 も近顷 見た 他の 映畫に 於け る 同じ 一 一人と は 見ち が へ る やうに 魂が 入 

つて ゐる。 映畫に は、 俳優 は 第二義で 監督 次第で どうに でもなる とい ふ 言明の 眞實 さが 證 明され 

て ゐる。 端役 迄が みんな きて はたらいて ゐ るから 妙で ある。 

最後の 場面で おった が 取お し た錦输 の 相撲 取 を 見て 急に 昔 の 茂兵衛 の アイ デ ン テ ィ ティ ー を 想 

ひ 出す ところ は、 あれで 丁度 人 衆 向きで は あらう が、 どうも 少し わざとら しい、 もう 一 つ 突 込ん 

だ 心理的な 分析 をして 欲しい。 甦生した 新しい 茂 兵 衞が 出現して 對.. g してから、 この 想 ひ 出す 瞬 

間 迄の カツ ト G 數が 少しば かり 多過ぎる から 想 出しが わざとら しくなる ので はない か C あの 間隔 

を もっとつ める か、 それとも、 もっと r 慌 しさ」 を^ 象す る やうな 他の カット Q 插 入で 置換した 

ら あの 大切な クラ ィ マックス がぐ つ と:^;立っ て來 はしない かと 思 はれる。 

兩國 Q 花.^ Q モ ンク— ジ ュ が ある。 前に ャ 一一 ング ス主演 の 「激情の 嵐」 で 矢 張 花火 を あしらつ 

たのが あった。 あの 時 は 嫉妬に 燃える 奮闘の 場面に 交 鉛して 花火が 狂奔した ので 隨分 うまく 調和 

して ゐ たが、 今度ので はさう いふ 效 はなかった やうで ある。 併し 氣 持の 轉換に は相當 役に立つ 

てゐ た。  . 

衣笠 氏 S 映 畫ケ- 今迄 : まも 見た ことがなかった が、 八/度 初めて 兄て この 監螫が 1- にたが はす 桁 


136 


感雜畫 映 


違 ひ に 優れた 頭と 技倆 の 持キ: だとい ふこと が 分った やうな 氣 がする。 將來 C 進展に 期待し た い 。 

徂 し、 この ト— キ ー 器械の 科學的 機構 は 未完成で ある。 言語が 聞 取れない 爲に 簡潔な 筋の はこび 

が 不明瞭になる 場所の あるの は しい。 (昭和 九 年 九 "、 文 W ゃ界) 

九 カルネラ 對べ I ァ 

拳闘と いふ も Q は 未だ 一度 も實 見した ことがない。 唯、 時々 映 畫で豫 期 以外の 附錄 として 見せ 

られる こと は あるが、 今迄 この 競技に 對 して 特^ 0 興味 を 喚び 覺 まされる こと はつ ひぞ なかった 

やうで ある C  ^し、 近: S 兄た カルネラ 對べ I ァの 試合 だけ は實に 面. n: いと 思った。 自分 は 拳闘に 

就いては 全くの 素人で 試合の 規則 も テク 二 ッ クも 一 切 知らないの であるが、 自分が 最初から こ G 

映畫 で 面白 いと 思った Q はこの 二人の 選手 0 著しくち が つ た 個性と 個性 の 對 ii であった G 

カルネラ は 昔の 力士の 大砲 を 思 ひ 出さ せる やうな 偉人な 體驅と 何となく 鈍 1;5! な 表情 Q 持主 で あ 

り、 ベ, 'ァ はこれ に比べる と 小さい が、 鋼鐵 Q やうな 彈 性と 剛性 を 具へ た 肉 體全體 に 精!^ で 隼 0 

やうな 氣魄の 閃めき が 見える」 何處か 昔: Tc 力士 逆 鉢 を 想 ひ 出させる ものが ある。 

最初の 出合で 電光の 如きべ,' ァ Q 一撃に カルネラの 軀 がよ ろめいた C 併し 第三 囘 あたりから リ 


は、 自分の 豫想 に反して、 ベ I ァは 大體に 於て 常に 守勢 を 維持して ばかり 居る やうに 見えた。 力 

ルネラ はこれ に對 して 不斷に 攻勢 を 取って、 單 調な 攻撃 を ほ^ 一様な テム ボで 繰返して ゐる やう 

に 思 はれた。 何となく 少し あせり 氣 味で、 早く 片を 付けよう として 結末 を 急いで ゐる らしく 自分 

に は 思 はれた。 一寸見た ところでは、 ベ ー ァ C 方 は 敗け か.^ つて 逃げ 廻って ゐる やうに も られ 

た。 

絶えす 後し ざり をして ゐるも を 追 ひかけ て 突く ので は、 相對 速度の 減少 の爲に 衝撃が 弱めら 

れる、 これに 反して 向って 來る Q を 突く  Q では それだけの 得が ある、 とい ふ 事 は 力 學者を 待た す 

とも 見易い 道理で あるが、 ベ I ァは 明かに これ を 利用して 敵 Q 攻撃 を 緩和し、 叉 敵の 運動量 を 借 

りて 自分の 衝擊を 助長して 居る やうに 見えた。 カルネラ はそんな ことな ど は 問題に しないと 見え 

て 絶えす 攻勢 を持續 する の はよ いが、 止みな しに 中庸な 突き を 繰返して ゐる Q は、 仕事の 經濟か 

ら 見ても 非常に 能率の 惡ぃ 仕方で、 無ハ 倫の 動作に 勢力 をな し 崩しに 浪費して ゐる やうに 見える の 

であった" ベ ー ァは 出来るだけ ヱ ネル ギ ー を 節約し 貯蓄して おいて、 稀 有な 有利の 隨間を 狙 ひす 

まして 一遍に 有りったけ C 力 を 架 注 するとい ふ 作 戰計畫 と 見られた。 十 囘:: : あたり からべ ー ァ Q 

つけて ゐた 注文 Q 時機が 到來 したと 見えて 猛烈 を 極めた 連發的 打撃に 今迄 貯 へた 全勢力 を 集注す 


138 


感雜畫 映 


る やうに 見え、 漸く 疲れ か、 つた カルネラ Q 頹勢は 素人 眼に も はっきり 見られる やうに なった。 

第 十一 囘目 アラウンドで、 審判 者 は TKO  Q 判定 を 下して ベ ー ァ Q 勝利と なった が、 素人が こ 

Q 映畫を 見た だけで は、 どちらも 未だ 何度でも 戰 へさう に 見え、 最後に 氣 絶して 起きられ なくな 

る やうな ところ はこ Q 映畫 では 見られなかった。 

兎に角 體 力と 智力との 戰 ひとして 見る ときに、 自分 G やうな 素人に もこ Q 勝负 Q 特別な 與 味が 

感ぜられる のであった = 

カルネラ は 體重ー 一九 キロ 身お 二  •〇 五 米、 ベ ー ァは九 五 キロ. と 一 . 八 八 米 ださう で、 からだ 

で は 到底 相手 になれ ない ので ある。 

併し 鬪技 中に カルネラ は 前後 十二 囘 床に 投げられた。 そ 〇 うち Q ー囘 では 踝 をく じかれ、 义鼻 

を も 傷つ けられ、 そ Q 上に 顔 中 一 面 一 パルプの やうに」 膨れ 上がり、 腹 や 脇腹に は眞 赤な 衝撃 Q 

痕を 印して ゐ たさう である。 

マクス . ベ ー ァは桑 港 居住の 猶太 系の 肉屋 ださう である C こ Q 「猶太 種」 である こと、 「肉屋」 

である ことに 深い 意味が ある やうな 氣 がする。 

六 萬の 觀客 中には、 シネマ 俳優と しての ベ I ァ Q 才能と 彼 G 色々 なセ ンチ メンタル . アド ヴ ェ 


139 


ンチ ュ 了と を 讚美す る 一 萬の 婦人が 居て 華やかな 喝采 を 送った さう である。 

友人 逹 とこの 映 畫の暉 をして ゐた とき、 居 合せた K 君 は、 坊間 所 傳の宮 本 武藏對 佐々 木巖 流の 

仕 合 を 引合 ひに 出した。 武藏は 約束の 時間 を 何時間 も遲 刻して 散々 に 相手 を じらした とい ふので 

ある。 武藏も 亦 何 處か祸 太 人の やうな 頭の 持主であった のか もしれ ない。 

十 「只 野 凡 W -」 第二 篇 

凡兒の 勤めて ゐる會 社が 潢れて 社長が 失踪した とい ふ 記事の 載った 新 問 を、 電車の 乘 客が あち 

ら こちらで 讀 んでゐ る。 それが 凡兒の 鼻の 先に 廣 げられ てゐ るのに 氣が 付かす、 いつもの やうに 

吞氣に 出勤して 見る と、 事務- はがら 明きで、 唯; 人 やま子が 居る。 そこへ 人夫が 机 や 椅子 を搬 

び 出しに 來る。 

こ、 らの 呼吸 は 大層い、。 併し、 可笑しい ことに は、 これと 同 E 同所で 見せられた アメリカ 映 

畫 「流行の 王様」 に、 矢 張 同様に 破 ti した 事務所の 家具が 搬び屮 :; される 滑 精な 光景が ある。 人夫 

がヒ ー a  !■ の 帽子 を 失敬しょう とする 點 まで 全く 同ェ與 曲で ある。 これ は 偶然な のか、 それとも 

プログラム 編成 者の 皮肉な のか 不明で ある。 


140 


感雜畫 映 


凡兒が 父の 「のんきな ト ー さん」 と 「隣り の大將 J と を 上野 驛で迎 へる 場面 は、 どうも 少し 灰 

汁が 强 過ぎて 餘り 愉快で ない。 併し、 マダム もろ 子の 家の 應接 間で 堅くな つて ゐ ると 前面の 食堂 

の 扉が すうと 兩 方に 開いて 美しく 飾られた テ ー ブルが 見える、 あの 部分の 「呼吸.」 が 非常によ く 

出来て ゐる。 これ は、 映畫に 特有な 「呼吸の •  曲 白 味」 であって、 分析 的に は說 明の しにくい もの 

である。 

食卓での 四 人 それぐ の 表情 も 割に 自然で 氣持 がい、。 この 映畫で 一番 成效 して ゐる Q は 恐ら 

くこの 前後の 少しのと ころで ある。 併し、 凡兒 一行が 犬 島へ 行って から はどう も 失敗で ある。 全 

體が 冗長 過ぎ るば かりで なく、 畫而の 推移の 呼吸が ちつ とも 生き てゐ ない。 

もろ 子が 癎瘤を 起して 猿 を 引つ ばた くと ころ だけが 不思議に 活 きて 居る。 前篇で も 同じ 人が 弟 

の 横顔 を ぴしゃり とた \ く 所 も 同様に、 ちゃんと 活 きた 魂が 這 人って ゐる C 

隣り の 大將が 食卓で ォ— ル - ドウ ー ヴルを 取って から 上 眼で 給仕の 女 屮の顏 を じろ りと 見る、 

あの 擧動も 矢 張 ー活 きて はたらきかける」 もの を もって 居る。 

活 きて ゐ ると いふの はつ まり 自然の 眞の 一 相の 示揚 された 表現が あると いふ ことで あらう。 か 

-ぅ いふ 筒 所に 出く はすと. B: 分 は ほっとして 救 はれた 氣 がする ので あるが、 多くの 日本 映畫に は、 


141 


かう した 氣の する 場面が はじめから おしま ひ 迄 一 つもな いのは 決して 珍ら しくない ので ある。 

十一 荒 S=T スモ. -キ 1 

この 映畫も 監督 は 馬に 芝居 を させて ゐる つもりで ゐ るが、 おの 方で は、 當り 前の ことながら、 

ちっとも 芝居 氣 はなくて 始終 眞劍 だから、 さう 思って こ の 馬の ヒ ー 口 ー を 見て ゐ ると 實に 愉快で 

ある" 子馬が 生れて 三日 位 だとい ふ 場面で、 母 馬の 乳 をし やぶりながら 癎瘕を 起して 親の 脚 を ぼ 

ん ぼん 蹴る、 そ Q やんちゃ ぶり や、 乂、 麟られ て も平氣 です まして ゐる 母の 態度 や、 實に淚 が 出 

る ほど 可愛く 面白い 眞實 味が 溢れて ゐる C 

捍馬を 馴らす 顚末 は、 勿論 編輯の 細工が 多分に は ひって は 居る であらう が、 暴れる ときの 暴れ 

方 は 矢 張 本當の あばれ 方で 寸毫の 芝居 はない から 實に 面白い。 

此 Q 映畫を 見て、 GI 分 は はじめて 悍馬の 美し さとい ふ もの を發 見した やうな 氣 がする。 馬を糟 

十 :1 する 人が 上達す るに 從 つて 段々 荒い 馬 を 選ぶ やうになる 心理 も いくらか 判った やうな 氣 がする- 

何よりも 荒馬の いきり 立って 躍り上がる 姿に は譬 へる もの k ない 一意 氣」 の 美し さが 見られる の 

である。 


142 


感雑 畫映 


この 映畫の 一筋」 割に あっさりして ゐ るので 「馬」 を 見る のに^ 魔に ならなくて い \。 それ 

で、 この 映畫 は、 未だ 馬と いふ もの を 知らない 觀 客に、 この 不思議な 動物の 美し さと 可愛 さ をい 

くら かで も 知らせる 手引 草と して 見た ときには 立派に 成效 した ものと 言っても い ,^ かと 思 はれる 

ので ある。 

十二 忠犬と; _| 獸 

これ も 動物の 芝居 を 見せる 映畫 であるが、 シ H パ I ド 芝居 は 象 や 馬の 芝居に 比べて、 餘 りに 

うま 過ぎ、 餘 りに 人間の 芝居、 に 接近し 過ぎる ので、 感心す る 方が 先に 立って 純粹 な客觀 的の 興味 

は 幾分 その 爲に 減ぜられる やうな 氣も する。  . 

こ Q 映畫の 一満 輯 振り は 少しし まりがない やうで ある。 同じ やうな 場面の 繰返しが 多過ぎて 倦怠 

を 招く 箇所が 少なくない。  、 

この 映畫の スト I リ ー の 原作で は、 たしか、 最後に 忠犬が 猛獸を 倒して 自分 も その 場で 命 をお 

とす やうな ことにな つて ゐ るかと 思 ふ。 それが 映畫 では ハツ ビ I.  H ンド になって ゐ る。 多分 か 

うしなければ 一般 觀 客のう けが .55-】 いからで あらう。 併し この こと は映畫 と小說 との 展刖 に關 して 


143 


一 つの 根本的な 問題 を 暗示す る。 

小說 では 忠犬 を 「殺す」 方が 得策で あるのに 映畫 では 殺さない 方が 得策 だと すれば、 それ は 一 

體可處 からさう いふ 差別が 生じる かとい ふこと である。 そこに 小說 と映畫 との 本質的な 差別の 目 

標の 一 つ を 探り出す 絲 口が あり はしない か。 

一 つに は、 小說 と映畫 では 相手に する 大衆の 素質、 顧客の 層 序に 於て 若干の 異同 Q ある こと も 

事實 であらう。 併し それよりも 大切な こと は、 映 畫の寫 し 出す?! 覺的 影像の 喚起す る實感 の强度 

が、 文字の 描き出す 心像の それに 比較して 著しく 强 いとい ふ 事實が この 差^ を 決定す る 重要な 因 

子になる ので はない かと W 心 はれる。 

忠犬の 死 を 「讀 む」 だけなら ば、 美しい 感傷 を 味 はふ だけの ゆとりが ある C 併し それ を 「見せ 

られ る」 ので は、 刺 战が餘 りに 强 過ぎて、 最早 享樂の 領域 を 飛 出して しま ふ 恐れが ある Q ではな 

いかと 思 はれる。 

十三 烛 天明 陣 

この 决畫は 途中から 見た。 隨分 退屈な 映畫 であった。 人間が 人間 を 追驅け 廻す 場面、 人と 人と 


144 


感雜畫 映 


が 斬り 合 ふ 場面が 全映畫 Q 長さの 少 くも 五 割 以上 をお めて 居る やうな 氣 持が したし 

かう いふ 映畫 Q 劍 劇的 立 廻りで はいつ でも 實に 不思議な 一 種 特^ 0 劍舞 C 型 を 見せられる やう 

な氣 がする。 それ は、 出来るだけ 活潑 に縱横 Mi 盡に 刀刃 を 板 廻して、 しかも 誰に も 怪我 を させな 

いとい ふ 巧妙な 舞踊 を 見せて くれる。 それから 乂 大抵 0 入 間なら 疲れ果て、、 へたばつ てし まふ 

であらう と 思 はれる やうな 超人的 活動 を、 望み次第に いくらでも 續 けて 見せて くれる 0 である。 

映畫 で なければ 出来な いこと である。 

子供の 時分に 老人から 開いた 話に よると、 本當 Q 眞劍 勝負と いふ もの はこれ と は 丸でち がふ も 

の ださう である。 脫み合 ふ 時間ば かり 長くて、 刀の 先が 一寸 觸 つたと 思 ふと". g 方 一度にば つと 後 

へ 飛びし ざって 乂 睨み合 ふ。 睨み 八:: ふだけ で 段々 呼吸が せ はしくな つて 肩 息 になる Q だとい ふ。 

聞いた だけで も 凄くなる。 

この種の 映畫 でよ く ある 場面 は 一 群 C 人間と 他 Q 一  群 0 人間と が 草原 や 河原で 追 ひつ 追 はれつ 

する 光景 を 色々 の 角度 か ら 撮った ものである。 人間が 蟥か何 かの やうに 妙に ちょこ/ \ と 動く の 

が 滑稽で 面白い。 

千篇 一 律で 退屈 を 極める 斬 合 ひや 追驅 けの こんなに 多く 編 人され て ゐる譯 が 自分に は 了解 出來 


145 


ない" 或は、 これが 一番 費用が か、 ら ない 爲 かと も 思 ふ。 

かう いふ 時代物の 映畫で 俳優 達の 一番 スチュ ー ピッド に 見える の は、 彼等が 何 か 一 かどの 分^ 

ありげ な 思 ひ 入れ をす る 瞬間で ある。 深謀遠慮の ある 事 を顏に 出さう とすれば する 程 スチュ I ピ 

ッ ド になる Q は當然 のこと である。 

日本の 時代物 映畫 も、 もう そろ./ \ 何とか 頭腦の 入れ 換へ をしたら どうかと 思 ふ。 

十四 ふか 喰 はれる か 

龜と龜 とが 角力 をと つて 敗け た 方が 仰向に 引っくり返 される。 引っくり返され たが 最後もう 永 

久に起 上がる 事が 出来ない ので 乾干しになる さう である。 猛獸 Q 爭鬪の やうに 血 を 流し 肉 を 破ら 

ないから 一見 殘酷 でない やうで あり 寧ろ 滑稽の やうに も 見える が、 實は 最も 殘 忍な 決闘で ある。 

精神的に これと よく 似た 果し合 ひ は 人間の 世界に も 1^* あるが、 不思議な ことに はかう いふ 種類 

の 決闘 は 法律で 禁じられて ゐ ない。 

龜と王 蛇と が 行 逢っても お 互に 知らん顔 をして ゐる。 蛇に とって は龜は 石塊と 同樣 であり、 

龜に とって は 蛇 は 動く 棒切れと 擇ぶ 所がない らしい。 二つの 動物の 利害の 世界 は 互に 切り合 はな 


146 


感雜畫 映 


い 二つ の 層 を 形成して ゐる。 從 つて 敵對 もなければ 友愛 もない。 

王 蛇と 響 尾 蛇との 二つの 世界 は 重なり合って ゐる。 そこで 喻 ふか 喰 はれる かの 二つ のうちの 一 

つし か途 がない。  . 

この 二つの 蛇の 決闘 は 指相撲 を 想 ひ 出させる。 王 蛇の 方の 神經の 働く 速度が 響 尾 蛇の それより 

もほんの 若干 だけ 早いた めに、 前者の 口 嘴が 後者の それ を 確實に 押さへ 付ける ものと 見える。 人 

間の 擊劍 ゃ拳鬪 でも 勝負 を 決する 因子 は 同じで あらう が、 人間に は 修練と いふ もので こ Q 因子 を 

支配す る 能力が ある Q に 動物 は 唯 本能の 差が ある だけで あらう。 

王 蛇が 鼬の やう な 小獸と 袼鬪す ると きの 身 構 へが 實に 面白い 見 ものである。 前半 身 を 三重 四重 

に 折曲げ 強直 させて 立 上がつ た 姿 は、 肩を聳 かし 肱 を 張った ボ クサ ー の 身 構 へ そつ くりで ある。 

さう して 絶えす その-立 上がつ た 半身 を 左右に 撿ぢ 曲げ て 敵の 隙 を 狙 ふ 身 振 ま でが 人間 その 儘で あ 

る G これ は 勿論 人間の 眞似 をして ゐ るので はない、 人間 も 蛇の 眞似 をして ゐる Q ではない。 唯 普 

遍な 適用性 を もつ カ學が 無意識に 合目的に 應 用され てゐる だけで あらう と 思 はれる。 ,「自 然の設 

計」 に 機械的 原理の 應 用され てゐる 一 例と して 面白い 見 ものである。 

響 尾 蛇が 橫這 ひ をす るの も 奇妙で ある。 普通の 蛇で はこん な 藝當は 出来な いので はない かと 思 


147 


ふ。 これが 出來 ると 出来ない とで 決鬪 Q 際に 大きな ハ ンディ キヤ ッ プ ^:開きがぁりさぅでぁる。 

運動の 「自由度」 がー っ增 すからで ある。 

ペリカン Q 雛が よち /-\ 歩いて は顚 倒す る 光景 は 滑稽で も あり 可憐で も ある。 鳥で も獸 でも 人 

間で も 子供に は 矢 張子 供ら しい 共通の 動作 Q ある ことが、 いつも この種 類の 映 畫で觀 察される。 

頓 りない 幼ない ものに 對 する 愛憐の 情の 源泉が 矢 張 本能 的な も G だとい ふこと が、 よく 吞 込める 

やうな 氣 がする。 

かう いふ 映畫 はいくら あって も 決し て 有り 過ぎる 心配 のない も C であらう。 編輯 の 巧拙な ど は 

殆ど 問題に しなくて もよ いかと 思 はれる。 

十五 吼 え る ゲ ォ  <  、、力 

「燃え上がる ヴ オルガ」 (俗名、 吼 えろ ヴ オルガ) を 見た。 映畫は それ 程 面白い と は 思 はな かつ 

たが、 その 中で ト イカの 激 者の 歌 ふ民謠 と、 營舍の 中の 群集の 聲 合唱と を實に 美しい と 思つ 

た。 もっと 聽き 度い と 思 ふところで 容赦な く 歌 は 終って しま ふ。 

レ 「ハイデル ベル ヒの舉 生 歌」 (俗名、 若き ハイデル ベル ヒ〕 でも 窓 下の 畢生の セ レネ ー ド は^と 


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感雜畫 映 


して、 露臺の ビア . ガル テンで 大勢 G 大舉 生の 合唱が あって, おなじみ 0 ェ ルゴ .ヴィヴァーム 

スの 歌と ザラ マ ンダ • ライべ ン Q 騷 音が ライン Q 谷 を 越えて 向う Q 丘に 欲する.。 

n シ ァでも ドイツで も、 男 同士 か 大勢 寄り集まった ときに 心 ゆく ばかりに 合唱す る ことの 出來 

る やうな 歌ら しい 歌を澤 山に もって ゐる とい ふこと は實に 羨ましい ことで ある。 日本で も 東京 音 

頭 ゃデッ カン シ ョ が あると 言へば、 それ は ある-, - 併し 上記 G ト ー キ ー に 出て 來るー 一つの 合唱 だけ 

に比べても 實に 何とい ふ 貧し さで あらう。 . 

これ はト ー キ I 作者の 問題で あると 同時に、 國 K 全體の 音樂的 生活に 關 する 問題で も ある。 

十六 或 夜 の 出 來 事 

ゲ ー ブルと コルべ ー ルの 「或 夜の 出来事」 は、 如何にも アメリカ 映畫 らしい 一種 特^な 面白味 

を もって ゐる。 この 映畫の 中で、 自分 C 座席の 附近の 觀客、 殊に 婦人 Q 觀 客が さも 面白さう に 可 

笑し さう に 又 嬉し さう に 笑 ひ 出した 場面が 二つ ある。 一つせ 雨 夜の 假の 宿で、 毛布 一枚の 障壁 を 

隔て 男女 Q 主人公が 舌戰を 交へ る 場而、 もう 一 つ は 結婚式の 祭壇に 近づきながら 肝心 C 花嫁 Q 

父親が 花嫁に 眼前の 結婚 解消 をす、 める 場面で ある。 


149 


婦人 0 觀客 は實に 嬉し さう に 笑って ゐ たやう である」 かう いふ アメリカ 映畫が 日本の 婦人 0 思 

想に 及ぼす 蓄積 的な 影響 は 存外 馬鹿になら ないで あらう とい ふ氣 がした。 

「映畫 と 道德」 とい ふ 一 つの 大きな テ ー マが 暗示され る.) この 映畫 や、 それから 例へ. ば 先達て 

の 「人生 S 計」 など も、 大きな 問題 I 究 するとき S 料になる べき も。 であらう。 

映畫の 世界の 道德は 人間の 世界の 道德 とは必 しも 一 致しなくても よい.、 それ は 世界が ちが ふ 力 

ら である。 併し、 一般 Q 觀 客に はこ Q  二つ Q 世界の 相違が 明白に 意識され てゐ ない C それで、 映 

畫 Q 世界で 可能な 凡ての 事が 人間の 世界で も 同程度に 可能 だとい ふやうな 錯覺を 起す の は 自然 0 

頃 向で ある こ 

併し 又、 現在 映畫 の 世界に の み存 する 事象が 將來現 世界に 可能と ならな いとい ふ證據 もな い と 

すると、 現在の 映畫 Q 夢 は 將來の 現 實の實 相 を 導き出す 先驅 となり 前兆と ならない とも 限らない" 

兹に 重大な 問題 C 骨子が ある やうな 氣 がする Q である」 之れ は 是非とも 然るべき 人々 C- 愼 重な 考 

究 に: つべき ではない かと 思 ふ。 (昭和 九 年 十"、 映畫 評論,) 


150 


想 空 と 問 疑 


疑問と 空 想 


一 ほと、 ぎす の啼聲 

信 州 沓褂驛 近く  Q 星 i 泉に 七月 中旬から 下旬へ かけ 一」 滞在して ゐた間 SHI さい 程, まと 

とぎす Q 聲を 聞いた。 略 同じ 時 f 略 同じ 方面から 略 同じ 方向に 向けて 飛びながら 啼 くこと が 

屡-、 ある やうな 氣 がした。 

その 啼聲は 自分の 經驗 した 場合で は 所謂 「テツべ ン カケタ カー |度位繰返 すが 通例であった。 

多く 0 場合に、 飛 出してから 間もなく 繰返し 啼 いて それ 切り あと は啼 かないら しく 見える. 時に 

は 墨? ちの 終 Q 一  つ 又 二つ を 「テツ ペン カケタ」 で 止めて 「力, 一 を 略す る ことがあり、 

それから 又單に 「カケタ 力、 カケタ 力」 と 二度 だけ 繰 返す こと も ある。 


151 


夜啼く 場合と、 晝間 深い霧の 中に 飛びながら 啼く 場合と は、 、、經 驗 したが、 晝間 快晴の 場合 

は あまり 多く は經驗 しなかった やうで ある。 

飛びながら 啼く鳥 は 外に も いろ/ \ あるが、 併し ほと、 ぎすな ど は 最も 著しい もので あらう。 

この 啼聲が 一 體 何事 を 意味す るか 疑問で ある。 郭公の 場合に は 明に 雌 を 呼ぶ 爲 だと 解釋 されて 

ゐる やうで あるが、 ほと、 ぎす Q 場合で も Ei_ ^して 同樣 であるか、 どうか は 疑 はしい。 前者 は 靜 止 

して 鳴く らしい の に 後者 は 多くの場合に は 飛びながら 鳴く ので、 鳴き 終った 頃に はもう 別の 場所 

に 飛んで 行って ゐる 勘定で ある。 雌が 啼聲 をた よりにして、 近寄る に は 甚だ 不便で ある。 

こ 一の 鳴聲の 意味 を 色々 考 へて ゐた ときに ふと 思 ひ 浮んだ 一 つの 可能性 は、 この 鳥が この 特異な 

啼昔を 立て &、 さう して その 音波が 地面 や 山腹から 反射して 來る 反響 を 利用して、 所謂 「反響 測 

深 法」 (echo-souuding.) を 行って ゐる C ではない かとい ふこと である。 

自分の E 測した 處 では 時鳥の 飛ぶ の は 低くて 地上 約 百 米 か 高くて 一 一 百 米のと ころで あるら しく 

見えた。 假 りに 百 七十 米 程度と すると 自分 Q 聲が 地上で 反射され て 再び 自分の 處へ歸 つて 來 るの 

に 約 一 秒 か- A る。 ところが 面白い ことに は r テ ッ ぺ ン カケタ 力」 と  一 K 啼 くに 要する 時間が 略 一 一 

秒 程度で ある" それで 第 一 聲の 前半の 反響が 略 その 第 ! 聲の 後半と 重なり合って 鳥の 耳に 到着す 


152 


想 空 と 間 疑 


る 勘定で ある" 從 つて 鳥の 地上 高度に よって 第 一 聲前 中の 反響と そ Q 後半と が 色々 の 位相で 重な 

り 合って 來る。 それで、 もしも 鳥が 反響に 對 して 十分 銃敏な 聽覺を もって 居る としたら、 その 反 

響 の 聽覺と 自分の 聲 G 聽覺 との 干涉 によって 二つ G 位相 次第で いろ/ \ ちがつ た 感覺を 受取 る こ 

と は 可能で ある。 或は 又 反響 は 自分の 聲と 同じ 音程 音色 を もって ゐ るから、 それが 發聲 器官に 微 

弱ながら も 共鳴 を 起し、 それが 一 穩 特異な 感覺を 生す ると いふ こと も 可能で ある。 

これば 單 なる 想像で ある。 併し この 想像 は實驗 によって 檢査し 得らる k 見込が ある。 それに は 

こ Q 鳥の 飛行す る 地上の 高さ を 種々 の 場合に 實 測し、 乂 同時に 啼 音の テ ム ボを實 測す る Q が 近道 

であらう つ 鳥の 大 さが 假定 出来れば 單に 仰角と 鳥の 身長の 視角 を 測る だけで 高さが 分る し、 スト 

ップ. ウォッチ 一 つ あれば 大體の テム ボは わかる。 熱心な 野鳥 研究家の うちに もし この 實測を 試 

みる 人が あれば、 そ G 結果 は 自分の 假說 など はどうな らうと も、 それと は無關 係に 有 谷: な 研究 資 

料と なる であらう。 ,  . 

星 野 溫泉は 一寸した 谷間に なって ゐ るが、 それ を撗 切って 飛ぶ ことが 、あった。 さう いふ 場 

合に は 反響に よつ て 晝間は 勿論 眞 暗な 時で も 地面 の 起伏 を 知り 又 手近な 山腹 斜. .1 の 方向 を 知る 必 

要が ありさう に 思 はれる。 鳥 は 夜 盲で あり 羅針盤 を もって ゐ ない とすると、 暗い 谷間 を 飛行す る 


153 


の は 非常に 危險で ある。 それに 拘らす い つ も 十分な 自信 を もつ て 自由 に 飛行し て 目的地 に逹 する 

とすれば、 その 爲には 何 か 物理 擧 的な 測量 方法 を 持 合 はせ てゐ ると 考 へない 譯には ゆかない G で 

ある。 

これに 聯關 して 义、 五位 鷺ゃ 雁な どが 飛びながら 折々 啼く Q も、 單に友 を 呼び 交 はし 义!^ に警 

告し合 ふば かりで なく 或は その 反響に よって 地上の 高さ を瀨 踏みす る爲に 幾分 か 役立つ ので はな 

いかと 思 はれる し、 乂せ? が 滑 翔しながら 例の ピ ー ヒ ョ a  ./\ を 繰 返す の も 矢 張 同様な 意味が ある 

ので はない かとい ふ 疑 も 起し 得られる。 こ れ 等の 疑問 も 若し 精密な 實測 による 統計 村 料が 豐 富に 

あれば いっか は 是非 いづれ とも 解決し 得られる 問題で あらう と 思 はれる C 

二 九官鳥の ロ眞似 

先達て 三越の 展覽會 で 色々 の 人語 を 操る 九官鳥の 一例 を觀 察する 機會を 得た。 この 鳥が、 例へ 

ば 「モシ モシ カメ ョ カメ サン ョ」 とい ふの が、 一 應は 如何にも それらし く 聞え る。 倂 しょく 聞い 

ァク 4M ト リズム 

て 見る と、 大體の 音の 抑揚と 律動が 似て 居る だけで、 母音 も 不完全で あるし、 子音 はもと より 到 

底 ものに なって 居ない。 是は 鳥と 人間と で發聲 器の 構造 ゃ大 さの 違 ふこと から 考へ て 當然の 事と 


154 


想 空 と 間 疑 


思 はれる。 問題 は 唯、 それ 程 違った も のが、 どうして 同じ やうに 「聞え る」 かとい ふこと である。 

想 ふに、 これに 對 する 答 は ざっと 二つに 分析され るべき である。 そ Q 一  つ は 心理的な 側から する 

も Q であって、 それ は、 暗示 Q 力, により、 自分の 期待す る もの、 心像 を それに 類似した 外界 Q 對 

象に 投射 するとい ふ 作用に よって 說 明され る。 枯柳 を 見て 幽靈を 認識す る 類で ある。 もう 一つ G 

答 解 は 物理 的 或は 寧 ろ 生理 的 音響 學 の 領域に 屬 する。 さう して これに 關 して は 可也 多くの 與味ぁ 

る 問題が 示唆され る の で ある。 

吾々 の 言語 を 言語と して 識別させる に 必要な 要素と し て C 母音 や 子音の 差^ 目標と なる もの は、 

主として 振動数の 著しく 大きい 倍音、 或は 基音と は 殆ど 無關 係な 所謂 形成 音の やうな ものである。 

それで 考へ 方に よって は、 夫 等の 音 を それぐ Q 音と して 成立 せしめる 主體 となる も 0 は 基音で 

なくて 寧ろ 高次 倍音 ま た 形 成 音 だと も 云 はれ はしない かと 思 ふ- 

か うい  ふ考 が妥當 で あるかな いか を 決す る に は、 次の やうな 實驗を や つて 見れば よい と 思 はれ 

る。 人間 0 言葉 Q 音波 列 を 分析し て、 その 組成 分 の 中から その 基 昔 並 に 低い 方の 音 を 除去し て 、 

その代りに、 もとより はすつ と 振動数の 大きい 任意の 音 を & 々と 置換へ て 見る。 さう いふ 人工的 

な 音 を 響かせて さう して それ を 聞いて 見て、 それが もし 本来の 言葉と 略 同じ やうに 「聞え」 たと 


155 


したなら、 その 時に はじめて 上記の 考が 大體に 正しい とい ふこと になる であらう。 

此れ は餘 りに も 勝手な 穴 r: 想で あるが、 かう した 實驗も 現在の 進んだ 音響 學の テク 一一 ッ クを 以て 

すれば 決して 不可能で はないで あらう。 

それ は 鬼に 角、 以上の 穴1 想 は 又 次の { 仝 想 を 生み出す。 それ は、 九官鳥の 「モシ モシ カメ ョー が < 

事によると、 今 こ \ で 想像した やうな 人工 音 製^の 實驗 を、 鳥 自身 も 人間 も 知らない間に、 ちゃ 

んと實 行し てゐ るので はない かとい ふこと である。 

この 想像の テスト は 前記の 人工 音 合成の 實驗 より はすつ と簡單 である。 卽ち、 鳥の- 「モ、 ン モシ 

カメ ョ」 と 人間の それとの レコ— ドを 分析し、 比較す る だけ Q 手数で いづれ とも 決定され るから 

である。 

かう した 研究 Q 結 如何によ つて は、 杜鵑の 聲を 「テツ ペン カケタ 力」 と 聞いたり、 頰 白の 囀 

り を 「一筆 啓上 仕 候」 と §g いたりす る ことが、 うっかり は 非 科學的 だと 云って 笑 はれない ことに 

なる かも 知れない。 鬼 も も、 人間 0 音聲 に飜譯 した 鳥 Q 啼聲 と、 本物と G レコ ー ドを 丹念に 比 

較し て 見る と い ふ 研究 も それほどつ まらない 仕事で はない で あらう と 思 はれる G で ある。 . 

(昭和 九 年 十::::、 科學 知識」 


156 


破 . 片 


昭和 九 年 八月 三日 Q 朝、 駒 込 三の 三 四 九、 納豆 製造業 渡 邊忠吾 氏 0 一 セ) が巢鴨 警察署 衛生 係 

へ 出頭し 「十日 程 前から 晴天の 日 は 約 二 千、 暴 天で も 約 五 百 匹く らゐの 蜜蜂が 甘納豆 製造 工場に 

来襲して 困る」 と訴へ 出た とい ふ 記事が 四日の 夕刊に 出て ゐた。 

これが どの 程度に 稀 有な 現象 だか 自分に は刺斷 出来ない が、 聞く の は 初めて^ ある。 

今年の 天候 異常で 七月 中 晴天が 少なかった 爲に、 何 か 特殊な、 蜜蜂の 採 蜜 資料に なるべき 花 G 

出来が 悪かった か、 或は 開花が おくれた と 云った やうな 理由が あるので はない かと も 想像され る- 

近頃 見た 書物に、 蜜蜂が 花 野 Q 巾で、 着と、 ^いた 花と を識训 する 0 は、 彼等に もの、 形狀を 

,^ 辨 刈す る 能力 Q あるた めだと いふ ことが 書いて あった。 卽ち星 形 や 十字形の ものと、 圓 形の もの 


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と を 見分ける ことが 出來 ると いふ Q である。 

讲し ix: 納豆の 場合に はこ の 物の 形が 蜂 を 誘うた と は 3 め はれない。 何 か喚覺 類似の 感官に でもよ 

るの か、 それとも、 偶然 工場に 舞 込ん * た 一匹が ひも かけぬ 甘納豆の 鑛山を 嘗め 知って 大勢の 仲 

間に 知らせた のか、 ,:: 分に は 剁斷の 乎 掛かりがない。 

それ は 鬼に 角、 現代 R 本の 新聞の 社會面 記事と して、 かう いふの は 珍ら しい 科學 的な 特種で あ 

る。 假令 半分が 嘘 だとしても いつもの 型に 入った 人殺し や 自殺の 記事よりも 比較の 出来ない 程 有 

益な 知識の 片影と 貴重な 暗示の 衝動と を讀者 に與 へる。 

こ の 蜜蜂の 話 は 人間 社會 の經濟 問題に も實に 色々 な 痛切な 問题を 投げる やうで ある。 それより 

も 今 さし 當っ て 自分 は 何となく 北米 や 南米に 於け る: r 本 移民 排 lit 問題 を 想 出させられる。 

の 納^厘さ ん に は !!:本か ら飛ん で 來る蜜蜂が恐 ろし い の で ぁ る。 

座と 中庭との 隔ての w つ: IE 垣が 今年の: は 妙に 淋しい やう だと 思って 氣が 付いて 見る と、 例年 

眞 Mi く 茂つ て あの..::: い 煙の やうな 花を滿 開させる 烏瓜が、 どうした のか 今年 はちつ とも 見えない 


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これ は 今年の 例外的な 氣候 不順の 爲か とも 思って 見た が、 併し、 庭の 奥の 方の 烏瓜 はいつ もの や 

うに 健康に 生長して ゐ る。 

家人に 聞いて 見る と、 先達て 四つ, 目 垣の 朽ちた の を 取換へ たと き、 植木屋 だか、 その 助 乎 だか 

が 無造作に 根 こそぎ 引きむ しって しまった らしい。 

植物 を 扱 ふ 商.; 賈 でありながら 植物 を 可愛がらない 植木屋 も あると: In^ える。 これで はまる で 土方 

か 牛 殺し と 同等で あると 云って 少し ぱか り 愤慨し たのであった。 

尤も、 自然 を 愛する こと を 知らない, H 然科學 者、 人間 を 可愛がらない 敎育 も搜 せば 矢 張い く 

らも ある こ と は あるの で ある。 

内 田 百 間 君の 「搔痒 記」 を 讀んで 二三 日 後に 偶然 映靈 「夜 飛行」 を 見た。 これに 出て 來るラ 

ィォ ネル . バリモア ー の 役が 濕疹 に惱 まされて ゐる ことにな つて ゐて 無闇に 身體 中を搔 きむ しる- 

破 ジ ヨン. バリ モ ァ ー 役の 主人公が 「おれ も そんなに 忠實な コム パー 一 オン が 欲しい」 と 甚だ 深刻な 

J 皮肉 を 云 ふ 場面が ある。 


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この頃、 野良猫の 述れ てゐた 子猫のう ちの 一匹が どうした 譯か (f の 屮へ這 人り 込んで 來て、 い 

くら 追 出しても く义は ひって 來て、 人を戀 しがつ. て 離れよう としない。 眞黑な 烏 猫で あるが、 

頭から 頸に かけて 皮膚, iw〇 やうな ものが 一 面に 擴 がって ゐて 甚だき たなら しい。 それ Q みならす 

暇 さへ あれば 後脚 を 上げて は 何 か を 振り 飛ばす やうな 動作 をす る。 一寸 坐った かと 思 ふと、 又 歩 

き 出して はすぐ に 坐る、 义 歩き 出す。 しょっちゅう 身悶え をして 落着け ないやう に 見える。 一夜、 

この 猫が 天驚絨 張の 椅子の-上に 坐って ゐ たの を:;^ きおろ した 跡に、 何やら 小さい もの k 蠢 くの を 

居 合 はせ た 親類の 婦人が 見付けて、 なほよ く 見る と、 小さな 蛆 Q やうな ものが 無數に 天鵞絨の 毛 

の 中に 潜り込んだり 乂 浮び 出したり して ゐる。 どうも: ^^; 子から 出た ものではなくて、 猫が 落とし 

たもの らしい。 

、水 年 猫 を 飼って ゐ るが、 こんな 寄生 蟲を 見る の は はじめて のこと である。 

自分の 頭から 背中から 足の 爪先 迄が 急に 痒くなる やうに 感じた。 

この 猫が 書齋の 前の 緣 側に 坐って 痒が つて 身悶え をして ゐられ ると、 どうに も 仕事が 手に 付か 

ない。 文字通り Q 意味で C シ ムパ シ ー また ミツ トラ イドと はこん なの を 云 ふ Q かもしれ ない。 

三つの 「痒い 話」 のぶつ かった の は 全く 偶然の コイン、 ン デンス である。 併し、 それ を 三つ 結び 


160 


片破 


付けて 感じる のは必 しも 偶然で はないで あらう。 

八月 廿 四日の 晩の 七 時 過に 新 宿から 神 田兩國 行の 電車に 乘 つた。 折から 防空 演習の 豫行 日で あ 

つたので、 まだ 豫定 〇 消燈 時刻 前で あつたが 所に よって は 街路 Q 兩 側に 並んだ 照明 燈が 消して あ 

つた。 倂し 店に よって は 未だい つも Q やうに 點燈 して ゐ たに も拘ら す、 街 Q 暗 さが 人を壓 迫す る 

やうに 思 はれた。 いつも は 地上 百 尺の 上に 退却して ゐる 闇の 天 井が 今夜 は 地面 迄 垂れ下がって ゐ 

る やうに 感ぜられた。 これで は、 明治時代、 明治 以前の 街の 暗 さに 就いてはもう 到底 想 出す こと 

も 出来ない 譯 である。 

一 週間 も田舍 へ 行って ゐた 後で、 夜の 上野 驛 へ 着いて 廣 小路 へ 出た 驟 間に、 「東京 は 明るい」 と 

思 ふので あるが、 次の 瞬間に はもう その 明るさ を 忘れて しま ふ。 

札幌 から 出て 来た 友人 は、 上京した 第一 日中 は 東京が 異常に 立派に 美しく 見える とい ふ。 翌日 

はもう 「いつもの 東京」 になる らしい。 

喧嘩で なしに 別居して ゐる 夫婦の 仲の い \ わけが わかる やうな 氣 がする。 


161 


五 

る 地下 食堂で 晝食を 食って ゐ ると、 向 ふ 隣り の 食卓に 腰を下ろした 四十 男が ある。 麻 服の 上 

衣な しで、 五分 刈 頭に 缓 のない 丸顔に は 凡そ 屈託 ゃ氣 取りの 影と 云った ものがない。 II リット 

ルのビ ー ルをニ 杯 注文して 第一 杯 は 唯一と 息、 第二 杯 は 三 口 か 四 口に 呑んで しまって、 それから 

お 皿に 山盛りの チキンライス か 何 か をべ 口く と 食って しまった、 と 思 ふともう 楊枝 を銜へ て忙 

はしな く 出て 行った。 

何 だか 非常に 羨ましい 氣 がした。 何が 羨ましい か、 その ときにはよ くわから なかった。 多分 

吞ん でも 食っても 膨れない 「H」 が 羨ましかった ので はない かと 思 はれる。 

食 ふ ものば かりで はない、 兑る もの 聞く ものまで が 悉く 腹に たまって 不消化 を 起こす 自分 等の 

やうな の 弱い 人間に は、 この?; の やうな 屈託のない 顏は 一 生勉强 しても とても 出來 さう もない 

お出 額で 鼻が 小さくて 股 尻が 下がって、 とい ふの は 醜 婦の棚 下ろしの やうに 聞こえる。 併し、 


162 


片破 


これ は 現代 美人の 一 つの 型の 描 寫の少 くも 一部分 をな す ものである。 - 

おでこ は 心の 廣さを 現 はし、 小さく 恰好よ く 引きし まった 鼻 は インテリ ジ H ン スとデ リカシ I 

の 表象で あり、 下がった 眼 尻 は 慈愛と 溫 情の 示現で ある、 とい ふ 場合 も あるで あらう。 併し 乂こ 

れと 反對の 場合の ある こと も 勿論で あらう。 

額の 美醜 は 到底 文字で は 現 はせ ない ものら しい。 これ を 現 はす 解析 法 も 幾何 學も 未だ 發 見され 

てゐ ない。 まづ 現代で 一番 實用 的な 描寫 法と して は 世界的に 知れ渡った 映 畫スタ I など 2 色々 な 

タイプ を 借りて 記載す るの が 近道で あらう かと 思 はれる。 

國體 ゃ國民 性の 美醜に も In 葉 や 教科書の 文句で は 現 はし 難い ものが ある。 それ を學校 生徒に 敎 

へ る 唯 一 の 道 は 先生 自身が その モデルで あり タイプで ある ことで ある。 

小學 校の 先生になる の も 容易な ことで はない。 

最新の 巨大な 汽船の 客室に は その 設備に 裝 飾に あらゆる 善美 を盡 した ものが あるら しい。 外國 

の 繪入雜 誌な どに よく それの 三色 寫眞 などが ある。 さう いふ 寫眞 をよ くく 見て ゐ ると、 美しい 


163 


に は實に 美しい が、 何 かしら 一 つ 肝心な も Q が缺 けて なるやうな 氣 がする" それが 缺 けて ゐる爲 

にこの 美しい 部屋が 自分 を 一向に 引付けない ばかり か、 何となく 憂 管に 思 はれて 仕方がない C 何 

が缺 けて ゐ るかと 思って よく 考 へて 見る と、 一窓」 とい ふ ものが 一 つもない C 

窓の ない 部屋 は どんなに 美しくても それ は 死刑囚の 獨 房の やうな 氣 がする。 かう いふ 室に 一 日 

を 過す 〇 は 想像した だけで も 窒息し さうな 氣 がする。 此れに 比べたら、 假令 どんな あばら 家で も、 

大 {4- が 見え、 廣 野が 見える 室の 方が 少 くも 自由に 呼吸す る 事 だけ は 出来る やうな 氣 がする。 

汽船で も 汽車で も 飛行 撐 でも、 一 度乘 つたが 最後 途中で 下りた くな つても 自分の 自由に は 下り 

られ ない。 此 Q 意味で はこれ 等 は 皆 一 種の 囚獄 である。 併し 窓から 外界が 見える 限り 外の 世界と 

自分と Q 關係 だけ は 大體に 分る、 もしくは 分った 積もりで 居られる。 此れに 反して 窓の ない 部屋 

に 居る ときには 外界と 自分と Q つながり は 唯 記憶と いふ 賴 りない 連鎖 だけで ある。 し 外界 は不 

定 である。 一夜 寢て 起きた とき は、 もう そ Q 窒が 自分 を 封じ込ん だま、 世界の 何處 Q 果 まで 行つ 

てゐ るか、 それ を 自分の 能力で 判斷 する 手段 は 一 つもない ので ある。 

こんな こと を考 へて 見ても やつば り 「心の 窓」】 はいつ でも 出来るだけ 數を澤 山に、 さう して 出 

來る だけ 廣く 明けて おきたい もの だと 思 ふ。 


164 


八 

劇場な どで 座席 を 選ぶ 場合に、 一 列の 椅子の どちら か 一 方の 端の 席が い、 とい ふ 人が ある。 自 

分 も實は その 一 人で ある。 それ は、 出たい 時に いつでも 樂に 出られる とい ふ 便宜が ある 爲 である。 

併し その 便宜 を實 際に 利用す る こと は 寧ろ 稀で、 多くの場合に は、 唯 その 自由の 意識 を享樂 する 

だけで ある。 

誰であった か 忘れた が 昔の ギリシアの 哲學 者の 一 人 は集會 所の ベ ンチの 片端に 席 を 占める 癖が 

あった。 人が その 理由 を 尋ねたら 「せめて 片側 だけで も 自由が 欲しい」 と 答へ たさう である。 昔 

も 今 も かう した 我儘な H ゴ ィ ス トの 心理 は同樣 だと 見える。 

併し、 一方で は 又、 反 對に兩 側に 人が 居ない と 淋しく 物足りな いとい ふ 人 も 可な り ある やうで 

ある。 

群集 を 好む 動物が あり 一 方に は 又 孤 獨を樂 しむ 動物が あるかと 思 ふと、 又 一 方で は 或る時 期に 

破 は 群集 を 選ぶ が 他の 時期、 特に 營巢 生殖の 時期に は 群 を 離れて 自分 だけの 領ぁ 占有 割據 し、 そ 

れを 結婚の 豫 備行爲 とした 上で 歌 を 唄って 領域 占領の プ 口 パガン ダを 叫び、 さう して 花嫁 を 呼び 


165 


迎 へ る 鳥铜も ある。 

エゴイストが 自由 を 欲する の は、 矢 張 自分の 領域 を 確保した いからで ある。 さう して それ は、 

小ゾ くも 學者 ゃ藝術 家の 場合で は、 矢 張 精神的の 「巢」 を營 み、 精神的の 「子供」 を 生みたい とい 

ふ 本能 の 命令に よって 自然に さうな るので はない かと 思 ふ。 さう だと すれば 學者ゃ 藝術家 の 我儘 

は 矢 張 一種の 自然現象であって、 道德的 批判な ど を 超越した ものである かも 知れない。 もしも さ 

うだと したら、 この 我 傣も矢 張 進化論 的の 見地から 重要な 意義 を もって 來る。 さう して それ は 人 

類の 保存と 人 問 社 含の 圓 滑な 運轉に 必須な 機巧 Q 一  部 をな す もの かも 知れない。 

かう いふ 風に 考 へて 來 ると 世事の 交 涉を囘 避す る學者 や、 義理の 拘束から 逃走す る藝術 家を營 

奧 繁殖期に 人った 鳥の 類 だと 思って、 幾分の 寛恕 を もって これに 臨む とい ふこと も 出来る かも 知 

れ ない。 

九 

東京 市. m 氣 局の 爭議で 電車が 一 時 は 全部 止まる かと 思ったら、 臨時 從業 員の 手で どうにか 運轉 

を續 けて ゐた。 この 豫 期しなかった 出来事 は、 見方によっては、 東京 市民 一般に 關 する 色々 な 根 


166 


本 問題 を 研究す る爲 に必耍 或は 有益な 資料 を 提供す る 一 つ Q 犬が k りな エキスべ リメ ント であつ 

たと も 見られな く はない。 卽ち、 實證的 科學の 實驗と 同じ 意味に 於て 一 つの 實験 であった と考へ 

る ことが 出来る とすれば、 吾々 はこ. Q 大規模で 高價な 實驗を 無駄に 終らせない やうに 努力し なけ 

れ ばなら ない C それに は、 この 實驗 によって 生じた 色々 の效 ra^ を 正確に 觀 察し、 それ を 忠實に 記 

錄し、 さう して その 結果 を 分析し 歸納 し、 それから、 もし 出来るなら、 市民 交通 を ま 配す る 方 則 

の やうな もの を 抽出し、 それから 演繹され る 各種の 命題 を 將來の 市電 經營 法の 改善に 應 用したい 

やうに 思 ふ。 

市電 爭議の 原因 は 中々 複雜で 到底 科學 者な どに は 分らない やうな 事柄が 色々 裏面に 伏在して ゐ 

るに は 相違ない であらう が、 倂し澤 山な 原因の 一 つと して は、 市電が 經濟 的に 不利な 經營法 を 行 

ひ來 つたと いふ 事實も あるで あらう、 さう して その 义 理由の 一 つと して は 電車の 運轉 Q スケ デュ 

1 ルが 科學的 研究に その 基礎 を 置いて ない 間に合 はせ な もの だとい ふこと も擧 げられ はしない か 

と 想像され るので ある。 

破 それ は 鬼に 角、 爭議 中の 電車に 乘 つて 往来して ゐる 間に. E 分の 氣 付いた 現象の 一 つ は、 各 線路 

> に 於け る 各 時刻の 乘客數 の 異常で ある。 少 くも 爭議 開始 後一 一三 日 は 全線 一 體に乘 客が 少ないで は 


167 


ないかと 思 はれた。 これ は 市民の 出足が 何とない 不安の 爲に 幾分 止められた 爲 かと 想像され た。 

併し 乂、 乘換 切符 を 出さ なくなった 爲に乘 ^の 選ぶ コ ー スが 平常と 變り、 その 結果と していつ も 

は 混雜す る 或 る 時刻 の 或 る 線 路が 異常 に 閑散 になった とい ふやう な 現象 も あるら し く 思 はれた。 

此 Q 異常 時の 各 線路の 乘客數 の 調査 をしたら 市電 將來 の經營 について 非 ^ ^にい &參考 資料が 得ら 

れる であらう と 思った が、 併し 電氣 局で は その 當時 それ 處の騷 ではなかった であらう。 

背廣 服の 運 轉手ゃ 単 掌 は 何となく 電車 内の 穴 r; 氣を なごやかに する。 いつも は 生きた 機械 か、 刖 

世界から 出張した 人間の やうに 思 はれる これ 等の 從業 員が、 かう して 見る と 矢張乘 客の 自分 等と 

同じ 人種に 見える から 妙で ある。 昔 北歐を 旅行した とき、 たしか ヘルシングフォルスの 電車の 運 

轉 手が 背 廣で、 しかも 切符切りの 車掌な ど は 一人 も 居す、 乘客は 勝手に 上り口の 箱の 中へ 豫て買 

置きの. H 銅製の 切符 を 投入れ てゐ たやう に 記憶して ゐる。 こんな のんびりした 國も あるの かと 思 

つたこと であった。 

今度の 素人 從業員 は 素人 だけに 色々 の H ピソ ー ドを こしら へた。 { 苄: 町から 東京 驛 行の バ スに乘 

つたら、 いつもの やうに 吳服橋 を 渡らす に 堀端に 沿うて 東京 驛 東口の 方へ ぶら り/. \ と運轉 して 

行く。 臨時 運轉 だから コ I スが變 つたの かと 思って ゐ ると、 運轉 手が 突然 「ォ ー ィ、 オイ、 冗談 


168 


片破 


ぢゃ あないよ」 と 獨語を 云って ぐるりと 車 を 引き返して 吳服 橋の 方へ 後戾 りした。 男 車掌 は 知ら 

ん顏 をして 切符の 數を讀 んでゐ た。 乘 客の 一 人 は 吹 出して 笑った。 

或る バ スの女 車掌 は大擧 赤門 前で.、 「ダイ ガク セキモ ン マへ」 と 叫んで ゐ たさう である。 

或る 電車 運 轉手は 途中で 停車して 共同便所へ 一時 雲隠れし たさう である。 かうな ると 運轉 手に 

も 人間味が 出て 來 るから 妙で ある。 

矢来 下行 電車に 乘 つて、 理研 前で 止めて 貰 はう としたが、 後部 入口の 車掌が 切符切りに 忙しく 

て 中々 信號 鈴の 鈕を 引いて くれない。 やっと 一度 引く に は 引いた が、 運 轉手は 聞こえな いと 見え 

て 停車し ないで とうく 通り過ぎて 行った。 早く 止めて くれと 云っても 車掌 は 「信號 した けれど 

も 止めないです」 と 云って 至極 涼しい 顏 をして ゐた。 これ も 誠に のんびりした 話で ある。 

爭議が 解決した 後 も、 いっその 事 思 切って 從業 員の 制服 を全廢 して 思 ひ/ の 背廣服 乃至 和服 

着流しに する 事 を電氣 局に 建言したら どうかと 思って 見た のであった。 


此頃 、 執 ー帶魚 を賫る 店先 を 通る とき は 大抵 いつでも 五分 や 十分 は 立 止まって 種々 な 種類 の 魚 の 


169 


動作 を觀 察する 癖が ついた。 稀 類に よる 個性の 差別が 段々 に 分って 來る のが 中々 面. 1! い。 

ラ ス ボラ . ヘテロ モルフ ァ とい ふ 魚 は、 時には 活 澄に 運動して ゐ るが、 叉 時に よると 一 一三 十 尾 

の 群が 水榜の 一部に 集まった ま、 じっとして 動かないで ゐる ことがある。 それが、 どうも 大體同 

じ 方向 を { ^いて 靜 止して ゐる ことが 多い やうな 氣 がする。 もし さう だとす ると 何が こ の 魚 を かう 

させる か 問題になる。 

H ンゼル フ イツ シの 子が 數尾 同じ 槽に 居る の を 見て ゐ ると、 一 尾が 徐々 に 上昇し 始める と 殆ど 

同時に 他の 仲 ii も 上昇 を 始める。 しばらくして どれ か 下降し 始める と 他の もの も 亦 相 前後して 

下降す る。 お 互に 合圖 する のか 爲似 をす る Q か、 それとも 外界の 物理的 化 學的條 件に 塵 じて 機械 

的に 反應 して ゐる のか、 どちら だか 自分に は 分らない。 唯 じ 魚の 群が 共同 的の 動作 を するとい 

ふ 事 赏が而 .SI い。 . 

大 きな 水 W に 性情 を 異にす る 色々 な 種類 の 魚を雜 居さ せた のが ある。 そこで は 最早 か うした 行 

動の 一致 は 望まれな いと 見えて 右往左往の 混亂が 永久に 繰 返されて ゐる。 これで は 魚が 疲れて し 

まひ はせ ぬかと 思って 氣 になる やうで ある。 

交通が 餘 りに 發逹 して、 世界が 一 つの 水槽の やうに なって しま ふと、 その 屮に てゐ る國々 


170 


. も騷 がしくなる 害で ある。 

十一 

毎週 ー囘新 宿驛で 東北 澤 行の 往復切符 を 買 ふ。 すると、 改札 n で 切符切りの 驛员 が^ 度 特別 念 

人り に その 切符 を 撿査す る やうで ある。 併し; 1:: 道 切符 の とき は 碌に 注意し ないで さっさ と 欽を入 

れる やうに 見える。 どうい ふ譯か 自分に は 分らない。 それ は 兎に角、 改札 掛は人 S1 であるが その 

役目 は 殆ど 機械的な ものである。 一 定の 刺戟に 反應 して それに 相 常す る 一 定 Q 動作 を 繰 返す だけ 

である。 それで、 小 田 急 線の 往復切符 は 一種 特別な 比較的 稀 有な 刺戟と して それに 應 する 特別の 

動作 を誘發 する に過ぎない かも 知れない。 かう いふ 考へ方 は 併し 決して 改札の 驛ほを 侮辱す る も 

ので はない ので、 凡ての 人間 は 或る 度 迄 は 或る 場合の 或る 環境の 下に は 矢 張 一 種の l£i| 人形と し 

てし か 働いて ゐ ないから である。 凡ての 所謂 プ B フ H ッショ ン はさう した 環境 を 吾々 に^ 給す る。 

さう して それが 一 番 安全な 環境で も あるで あらう。 

破 もの を 研究したり、 創作したり しょうと する に は. E 動 人形で は 間に合 はない。 それだけ にかう 

; した 仕事に はいつ でも 危險が 伴 ふので あらう。 


171 


十二 

もう 十 ハ牛も 前から 毎週 一 囘新宿 驛で買 ふこと になって 居る 切符が、 或る 年の 或る日 突然い つも 

と はちが ふ手觸 りの する のに 氣が 付いた。 氣が 付いて 見る と、 それ は 切符の 臺 紙の ボ ー ル 紙の 厚 

みが 著しく 薄くな つて ゐ たので ある。 さう して、 それから 後 は 現.^ まです つと 薄くな つた ま.^ で 

繼續 して ゐる やうな 氣 がする ので あるが、 事實 はどう だかた しかで ない。 

兎に角、 共 突然の 變 化の 起こった の は濱ロ 內閣の 緊縮 政策の 高潮に 達した 頃であった ので、 此 

政策と 切符の 紙質の 變化 とに 何等かの 聯關が あり はしない かと 考 へて 見た ことがあった。 

事實は 鬼に 角、 この やうな 聯 關は鐵 道お とそれ を 統率す る內閣 とが 一 つの 有機 體 である 以上 可 

能な ことで ある。 

いっか 自分の 手指の 爪の 發 育が ほ 立って 惡く なり 不整に なって、 例へば 左の 無名指の 爪が 矢箬 

形に 延びたり する ので、 どうも を かしい と 3 心って ゐ たら、 其 頃から 胃 溃瘍に 罹って 絶えす 輕微な 

內 出血が あるの を 少しも 知らす に 居た のであった。 

有機 體 では 如何なる 末 栴と雖 も 中 柩機關 と 有機的に 聯關 して ゐ るので、 末梢の 變 化から 根 原の 


172 


變化を 推測す る ことの 出来る 場合 も少 くない 害で ある。 末梢的と 云っても うっかり! 3- 過せ ない。 

有機 體 の 中に その 有機 系と 全然 無關 係な 細胞 組織が 何 か の 間違で 出来る ことがある。 厄介な 癌 

踵 はさう いふ 反逆者の 群で 出来る- P のらし い。 有機 系と は 何の 交涉 もない ものが 繁殖し 始める と 

その 有機 系の 調和が 破壊され、 その 活力が 阻害され 結局 死滅す る、 それと 同時に その 死滅 を 促成 

した 反逆者の 一 群 も 死滅す る こと は當然 である。 

國 家と いふ 有機 體 にも 時々 癌腫が 發生 する。 ひどくな ると 國{ ゑ を 殺す が、 多くの場合に、 その 

癌細胞 自身 も 結局 共倒れに なって 死んで しま ふやう である。 

癌の 厄介な こと は 外科 手術で 切 取っても すぐお 代りが 芽 を 出す C  乂乎術 をす ると 生べ 叩が 亡くな 

る こ とも ある。 

癌 〇 發生 する 原因が まだよ く 分らない やうに 國 家の 癌の 發生 する 眞 因が まだよ く 突き とめられ 

てゐ ない。 それが 分らなくて は 根本的な 治療 や 豫防は 出来る 害がない。 癌 研究所と 同様に 國家癌 

の 科學的 研究所の 設立 も 今日の 國 家の 急務で あるか も 知れない ので ある。 


九 巾 旬に なって 東京の 街路 を 飾る ブラ タヌ ス の 並 樹が何 か 想 出しで もした やうに 新しい 芽 を 

出して 25 る。 老衰して 黑 つぼくな り その上に 煤煙に 汚れた 古 紫の かたまり 合った 樹 冠の 巾から、 

淺綠 色の 新生の 灯が 點々 として 點 つて 居る ので ある。 よく 兑 ると、 場所に よって この 新芽の よく 

出揃った ところ も あり、 又 別の 街で は あまり 目立たない ところ も ある。 更に 又、 :!^ じ 場所で も、 

一 本 一 本 見て 行く と樹 によって 多少 づ& の相逮 があって、 或る 樹は 一 面に 淺綠 で蔽 はれて ゐ るの 

に、 すぐ 近くの 他の 樹で はほんの 少しし か 新芽が 見えない と 云った やうな 風で ある。 

いつで あつたか、 街燈の 照明の 影響で この 樹 Q 黄葉 落葉に 遲 速が あると いふ ことが、 何處 かの 

通俗 科學雜 誌の 紙上で 問题 になった ことがある やうに 記憶す るが、 併し 現在の 新芽の 場合で は、 

街燈との 關係 はどう も餘 りはつき りしない やうで ある。 

本 鄕大學 正門 內の 並木の 銀杏の 黄葉し 落葉す るのに も 著しい 遲 速が ある。 先年.;^ 人 M 君が 詳し 

く 各 樹の遲 速 を 調べて 記錄 した ことがあって、 その 結果 を 見せて 貰った ことがある。 それが、 日 

照と か 夜間 放熱と か 氣溫 と か 風當り とかさう いふ 単なる 氣象 的條件 の 差異に よって これ 等の 遲速 

を說 明しょう と S 心っても、 屮々 簡 isf には說 明され さう もない やうな 結果であった。 乂 根の 周圍の 

土 壤の質 や 水分 供給の 差異に よると も 思 はれなかった。 それから 乂、 關東 震災のと きに けたの 


174 


と燒 けなかった のとの 區 別によ るので はない かとの 說 もあった が、 巾々 それだけ のこと では 決定 

され さう にない C さう いふ 外部の 物理的 化 學的條 件 だけではなくて、 もっと 大切な 各樹個 體に內 

在す る條 件が あるので はない かと 素人 考 にも 想像され るので あった, - 勿論 生物 學を よく 知らない 

自分に は本當 Q こと は 分らない。 

この 銀杏で も ブラ クススで も、 矢 張 一 種の 生物であって 见れ ば、 唯の 無機物の やうに さう く 

簡阜 でない Q は 寧ろ 當然 のこと であらう。  . 

それ は 鬼に 角、 こんな 一 寸 した 例 を 見た だけで も、 環境の 作 川 だけで 「人間」 を 一 色に しょう 

とする 努力が 無效な ものである、 とい ふ、 その 平凡な 事實の 奥底に は、 普通 政治 {豕 敎育 家.::; 小敎家 

達の 考へ てゐ ると は 可な り逮 つた、 自然 科學 的な 問題が 伏在して ゐる ことが 想像され る やうで あ 

る。 (昭和 九 年 十 一 =:、 中央 公論)  . 


天災と 國防 


「非常時」 とい ふ 何となく 不氣 味な 併し はっきりした 意味の 分りに くい 言葉が 流行り 出した の 

は 何時頃からで あつたか 思 出せない が、 唯 近來何 かしら 日本 全國 土の 安寧 を 脅かす 黑 雲の やうな 

ものが 遠い 水平線の 向 側から こっそり 覼 いて ゐ るら しいと いふ、 云 は^取 止めの ない 惡 夢の やう 

な 不安の 陰影が 國民 全體の 意識の 底 層に 搖臾 して ゐる こと は事實 である。 さう して、 その 不安の 

渦卷 の廻轉 する 中心 點 はと 云へば 矢 張 近き 將來に 期待され る 國際的 折衝の 難關 である こと は 勿論 

である。 

さう いふ 不安 を 更に 煽り 立て ^もす る やうに、 今年に なつてから 色々 の天變 地異が 踵 を 次いで 

我 國土を 襲 ひ、 さう して 夥しい 人命と 財產を 奪った やうに 見える。 あの 恐ろしい 函 館の 大火 や 近 

く は 北陸地方の 水害の 記憶が 未だ 生まく しいう ちに、 更に 九月 一 一十 一 日の 近畿 地方 大風 水害が 


176 


防國と 災^ 


突發 して、 其 損害 は 容易に 評價の 出来ない 程 甚大な ものである やうに 見える。 國際 的の 所謂 「非 

常時」 は、 少 くも 現在に 於て は、 無形な 實證 のない ものであるが、 此 等の: 大變 地異の 「非常時」 

は 最も 具象的な 眼前の 事實 として その 惨狀を 暴露して ゐ るので ある。 

一家のう ちで も、 どうかす ると、 直接の rara^ 關 係の 考 へられな いやうな 色々 な 不幸が 頻發 する 

ことがある。 すると 人 は 屹度 何 かしら 神祕 的な wra^ 應 報の 作用 を 想像して 祈禱ゃ 厄拂ひ G 他力に 

すがらう とする。 國 土に 災禍の 績起 する 場合に も 同様で ある。 併し 統計に 關 する 数理から 考 へて 

見る と、 一 家な り 一 國 なりに 或 年 は 災禍が 重 疊し义 他の 年に は 全く 無事な 廻り 合 はせ が來 ると い 

ナチュラル フラク ュ HI シ ヨン 

ふこと は、 純粹な 偶然の 結 菜と しても 當然 期待され 得る r 自 然 變 異」 Q 現象であって、 別に 

必 しも 怪力 亂神を 語る に は當ら ないで あらう と 思 はれる。 惡ぃ年 廻り は 寧ろ 何時か は 廻って 來る 

の が 自然 の 鐵則 である と 覺悟を 定め て、 良い 年 廻り Q 間に 十分の 用意 をし て 置かなければ ならな 

いとい ふこと は、 實に 明白 過ぎる 程 明白な ことで あるが、 又 此れ程 萬 人が 綺麗に 忘れ 勝な こと も 

稀で ある。 尤も これ を 忘れて ゐる おかげで 今日 を樂 しむ ことが 出來 るの だとい ふ 人が あるか も 知 

れな いので あるが、 それ は 個人 銘々 の 哲挙に 任せる として、 少 くも 一 國の爲 政の 樞 機に 參與 する 

人々 だけ は、 こ の 健忘症に 對 する 診療 を 常々 怠らない やうに して 貰 ひ 度い と 思 ふ 次第で ある。 


177 


n 本 は その 地理 的の 位置が 極めて 特殊で ある 爲に國 際 的に も 特殊な 關 係が 生じ 色々 な假 想敵國 

に對 する 特殊な 防備の 必要 を 生じる と: E 様. に、 氣象學 的 地球 物理 學的 にも 亦 極めて 特殊な 環境の 

支配 を 受けて 居る 爲に、 その 結 菜と し て 特殊な: 太 變 地異 に 絶 えす 脅か されなければ ならない 運命 

の 下に 置かれて 居る こと を  一 H も 忘れて はならない 害で ある。 

地震 浪 颱風の 如き 两歐 文明 「ぉ國 の 多くの 國々 にも 全然 無い と は 云 はれない 迄 も、 頻繁に 我 邦 

Q やうに 劇甚な 災幅を 及 ぼす こと は 甚だ 稀 であると 云っても よい。 我 邦 の やうに かう 云 ふ 災禍 の 

頻繁で あると いふ こと は 一 面から 見れば 我 邦の 國ぉ 性の 上に 良い 影響を及ぼして 居る こと も 否定 

し 難い ことであって、 數 千年 来の 災禍の 試 fi- によって 日本 涵ぉ 特有の 色々 な國民 性の 優れた 諸相 

が 作り上げられ たこと も事實 である。 

併し こ、 で ; っ考 へなければ ならない ことで、 しかもい つも 忘れられ 勝な 直 犬な 要項が ある。 

それ は、 文明が 進めば 進む 程 天然の 暴威に よる 災害が その 劇烈 の 度 を增す とい ふ事實 である。 

人類が 未だ 草 味の 時代 を. 脫 しなかった 頃、 岩 丈な 岩山の 洞 腐の 中に 住まって ゐた とすれば、 .大 

抵の 地震 や 暴風で も平氣 であった らうし、 これ 等の 天變 によって 破壤 さるべき 何等の 造 營物を も 

持ち 合 はせ なかった ので ある。 もう 少し 文化が 進んで 小屋 を 作る やうに なっても、 テント か 掘 立 


178 


國と災 


小屋の やうな ものであって 見れば、 地震に は 却て 絶對 安全で あり、 义假令 風に 飛ばされて しまつ 

て も 復舊は 甚だ 容 である。 鬼に 角 かう いふ 時代に は、 人 問 は 極端に ほ 然に從 順であって、 ,z: 然 

に 逆ら ふやうな 大 それた 企て は 何もし なかった からよ かった ので ある。 

文明が 進む に從 つて 人間 は 次第に 然を 征服しょう とする 野心 を 生じた。 さう して、 力に 逆 

らひ、 風壓 水力に 抗 する やうな 色々 の 造 營物を 作った。 さう して: 大 晴れ. s: 然の 暴威 を 封じ込めた 

つもりに なって 居る と、 どうかした 拍子に 濫を 破った 猛獸の 大群の やうに、 自然が 暴れ出して 高 

樓を 倒潰せ しめ 堤防 を 崩壞さ せ て 人命 を危 くし 財產を 亡ぼす。 その 災禍 を 起させ たもと Q 起り は 

天然に 反抗す る 人間の 細工で あると 云つ て も不當 ではない 害で ある、 災害の 運動 ェ ネル ギ ー とな 

る ベ き 位置 ヱ ネル ギ ー を 蓄積 さ せ、 いやが 上に も 災害 を 大きく する やうに 努力 して ゐる もの は 誰 

あらう 文明 人 そのもの なので ある。 

も ラー つ 文明の 進歩の 爲に 生じた 對 E 然關 係の 著しい 變 化が ある。 それ は 人間の 阐體、 就屮所 

謂國家 或は 國 民と 稱 する もの 有機的 結 ム:: が 進化し、 其の 內部 機構の 分化が 著しく 進展して 來た 

爲に、 その 有機 系の 或 一 部の 損害が 系 全 體に對 して 甚 しく 有害な 影響を及ぼす 可能性が 多くな り、 

時には ! 小 部分の 傷害が 全 系統に 致命的と なり 得る 恐れが ある やうに なった とい ふこと である。 


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單.! 胞 動物 の やうな もので は 個體を 截斷し て も、 各片が 平氣で 生命 を 持續す る こ とが 出來 るし、 

もう 少し 高等な もので も、 肢節 を切斷 すれば、 その 痕跡から 代りが 芽 を 吹く とい ふ 事 も ある。 併 

し 高等動物に なると、 さう いふ 融通が 利か なくなって、 針 一本で も 打ち 處次 第で は 生命 を 亡 ふや 

うになる。 

先住 ァ ィ ヌ が 口 本の 大部に 住んで ゐた 頃に 例 へ ば 大正 十一 一年の 關 東大 震 か、 今度の 九月 一 一十 ; 

日の やうな 颱風が 襲來 したと 想像して 見る。 彼等の 宗敎的 長 怖の 念 は 吾々 の 想像 以上に 强烈 であ 

つたで あらう が、 彼等の 受けた 物質的 担 害 は 些細な もので あつたに 相違ない。 前に も 述べた やう 

に 彼等の 小屋に とって は 弱震 も 烈震 も效 に 於て 大した 相違 はないで あらう し、 毎秒 廿 米の 風 も 

毎秒 六十 米の 風 も 矢 張 結 栗に 於て 略 同等であった らうと 想像され る。 さう して、 野生の 鳥 獸が地 

震 や 風雨に 堪 へる やうに これ 等 未開の 民 も 亦 年々 歳々 の 天變を 案外 樂に 凌いで 種族 を 維持して 來 

たに 相違ない。 さう して 食物 も 衣服 も 住居 も銘々 が 自身の 勞カ によって 獲得す るので あるから、 

天災に よる 損害 は 結局 各個 人銘々 の损 害であって、 その 囘復も 亦銘々 の 仕事で あり、 叉銘々 の 力 

で 囘復し 得られな いやうな 損害 は始 から あり やうがない 害で ある。 . 

文化が 進む に從 つて 個人が 社會を 作り、 職業の 分化が 起って 來 ると 事情 は 未開 時代と 全然 變っ 


180 


防國 と 災天 


て來 る。 天災に よる 個人の 損害 は 最早 その 個人 だけの 迷惑で は濟 まなくな つて 來る。 村の 潴水池 

や 共同 水車小屋が 破 壌され、 ば 多数の 村民 は 同時に その 損害の 餘響を 受ける であらう。 

廿 世紀の 現代で は 日本 全體 がー つの 高等な 有機 體 である。 各種の 動力 を 運ぶ 電線 や パイプ やが 

縦横に 交叉し、 色々 な 交通網が 隙 間もなく 張り 渡されて ゐる 有様 は 高等動物の 神經ゃ 血管と 同様 

である。 その 神經ゃ 血管の 一箇所に 故障が 起れば その 影響 は 忽ち 全體に 波及す るで あらう。 今度 

の 暴風で 畿內 地方の 電信が 不通に なった 爲に、 どれ だけの 不都合が 全國に 波及し たかを 考 へて 見 

ればこ の 事 は 諒解され るで あらう。 

これ 程 大事な 神經ゃ 血管で あるから 天然の 設計に 成る 動物 體内 では 此 等の 器官が 實に 巧妙な 仕 

掛けで 注意 深く 保護され て 居る ので あるが、 一 國 の祌經 であり 血管で ある 送電線 は 野天に 吹き 曝 

らしで 風 や 雪が 一 寸 ばかりつ よく 觸れ \ はすぐ に切斷 する ので ある。 市民の 榮養を 供給す る 水道 

は 一 寸 した 地震で 斷 絶す るので ある。 尤も、 送電線に しても ェ學 者の 計算に よって 相當な 風壓を 

考慮し 若干の 安全 係數を かけて 設計して ある 害で あるが、 變 化の 烈しい風 壓を 靜カ學 的に 考へ、 

しかも a ビン ソ ン 風速計で 測った 平均 風速 だけ を 目安に して 勘定した りする やうな 了 カデ ミ ッ ク 

な 方法に よって 作った もので は、 弛 張の 烈しい風 Q 息の 僞 週期 的 衝撃に 堪 へない の は 寧ろ 當然 の 


181 


こ とで あらう。 

それで、 文明が 進む 程 天災に よる 投 害の 程度 も絮, 進す る 傾向が あると い ふ 事實を 十分 に 自覺 し 

て、 そして 平生から それに 對 する 防禦 策 を 講じなければ ならない 箸で あるのに、 それが 一向に 出 

來てゐ な いのは どうい ふ譯 であるか。 その 主なる 原 は、 畢竞 さう いふ 天災が 極めて 稀に しか 起 

ら ないで、 丁度 人間が 前車の 顚覆を 忘れた 頃に そろ/ \ 後車 を 引出す やうになる からで あらう。 

併し 昔の 人間 は 過去の 經驗を 大切に 保^し 蓄 枝して その 敎に賴 る ことが 甚だ 忠實 であった。 過 

去の 地震 や 風害に 堪へ たやう. な 場所に のみ 集落 を 保^し、 時の 試 谏に堪 へた やうな 建築 様式の み 

を 墨守して 來た。 それ だから さう した 經驗 に從 つて 迭られ たもの は關東 震災で も 多く は 助かって 

ゐ るので ある。 大震 後横濱 から 鎌 倉へ かけて 被 IJif" の 狀況を 見皋に 行った とき、 彼の地 方の 丘陵の 

麓 を 縫 ふ 古い 村 家が 存外 平 氣で殘 つて ゐ るのに、 田圃の 中に 發展 した 新開地の 新式 家屋が ひどく 

めちゃく に 破壊され て ゐ るの を 見た 時に つ くぐ さう い ふ 事を考 へ さ せられた ので あつたが、 

今度の 關 西の 風お!: でも、 古い 神社 佛閣 など は^ 外餘 りいた まない のに、 時の 試 埭を經 ない 新 様式 

の學 校ゃェ 場が 無殘 に 倒? 3 してし まった とい ふ^を 聞いて 一層 その 感を 深く し てゐる 次第で ある。 

矢 張 文明 の 力 を 買 被 つ て 0 然を 侮り 過ぎた 結 から さう いふ ことにな つたので はな いかと 相』 象 さ 


182 


防 同 と 災天 


れる。 新聞 Q 報す る 所に よると 幸に 當局 でも 此點に 注意して 此際 各種 建築 被害の 比較的 研究^ 

底 的に 遂行す る ことにな つたら しいから、 今囘の 苦い 經驗が 無駄になる やうな 事 は 萬に 一 つも あ 

るまい と 思 ふが、 ; W し こ れは 決して 當局者 だけに 任す ベ き 問題で は なく 國民 全體が 日常 銘 々 に 深 

く 留意す ベ きこと で あらう と 思 はれる。 

小學 校の 倒潰の 夥し いのは 實に 不可思議 である。 或 友人 は國辱 巾の 大國 辱^と 云って 愤慨 して 

ゐる。 一 寸 勘定して 見る と 普通 家屋の 全潰 百 三十 五に 對し學 校の 全潰 一 の 割合で ある。 赏に 驚く 

べき 比例で ある。 これに は 色々 の 理由が あるで あらう が、 耍す るに 時の 試 埭を經 ない 造營 物が 今 

度の 試験で 見事に 落第した と 見る こと は出來 るで あらう.。 

小學校 建築 に は政黨 政治の 宿弊に 根 を 引いた 不正な 施工が 附 纏って ゐ ると いふ ゴシップ も あ つ 

て、 小 學生を 殺した もの は 〇〇 議員 だと 皮肉 をい ふ もの さへ ある。 或は 吹拔き 廊下 0 せゐ だとい 

ふ 甚だ 手取り 早で 少し 疑 はしい 擧說も ある。 或は 又 大槪の 學校は 周 圍が廣 い 明 地に 阗 まれて ゐる 

爲 に風當 りが 強く、 そ Q 上に 二階建で ある 爲に 一層い けない とい ふ 解釋も ある。 いづれ も 本當か 

も 知れない。 併し いづれ にしても、 今度の やうな 烈, 風の 可能性 を 知らなかった 或は 忘れて ゐ たこ 

とが 凡ての 災厄の 根本 原因で ある 事に は 疑ない。 さう して 义、 工事に 關係 する 技術者が 我 邦 特有 


183 


の氣 象に 關 する 深い 知識 を缺 き、 通り 一 遍の 西洋 直 傅の 風壓 計算の み を 頼りに した 爲も あるので 

はない かと 想像され る。 此れに 就いては 甚だ 潜 越ながら 此際 一 般ェ學 者の 謙虚な 反省 を 促が した 

いと 思 ふ 次第で ある。 : 大然を 相手に する 工事で は 西洋の ェ學 のみに 賴る こと は 出来ない ので はな 

いかと いふの が ,31 分の 年来の 疑で あるから である。 

今度の 大阪ゃ 高知縣 東部の 災害 は 颱風に よる 高潮の 爲に その 慘禍を 倍加した やうで ある。 未だ 

十分な 調 茶 資料 を 手に しないから 確實な こと は 云 はれない が、 最も ひどい 損害 を 受けた 主な isil 域 

は 恐らく 矢 張 明治 以後に なつてから 急激に 發展 した 新 市街地で はない かと 想像され る。 災害 史に 

よると、 難 波 や 土 佐の 沿岸 は古來 M  、、暴風 時の 高潮の 爲に雞 倒された 經驗を もって ゐる。 それで 

明治 以前に はさう いふ 危險の ある やうな 場所に は 自然に 人間の 集落が 稀薄に なって ゐ たので はな 

いかと 想像され る。 古い 民家の 集落の 分布 は 一 見 偶然の やうで あっても、 多くの場合 にさう した 

進化論 的の 意義が あるから である。 その 大事な 深い 意義が、 淺 薄な 「敎 科書學 問」 の 横行の 爲に 

蹂躪され 忘却され てし まった。 さう して 附燒刃 Q 文明に 陶醉 した 人間 はもう すっかり 天然の 支配 

に成效 したとの み 思 上がって 處嫌 はす 薄弱な 家 を 立て 連ね、 さう して 枕 を 高く して 来るべき 審判 

の 日 をう か/ \- と 待 つて ゐ たので はない かとい ふ 疑 も 起し 得られる。 尤も これ は單 なる 想 陵で あ 


184 


防 國と災 天 


るが、 し 自分が 最近に 中央線 Q 鐵道を 通過した 機 會に信 州 や 甲 州の 沿線に 於け る 暴風 被害 を瞥 

見した 結^ 氣の ついた 一 事 は、 停車場 附近の 新開 町の. 被害が 相當 多い 場所で も 奮い 昔から 土着と 

思 はる. - 村落の 被害が 意外に 少ない とい ふ 例の 多かった 事で ある。 これ は、 一 つに は 建築 様式の 

相違に もよ るで あらう が、 叉 一 つに は 所謂 地の利に よるで あらう。 舊 村落 は 「自然淘汰」 とい ふ 

時の 試 谏に堪 へた 場所に 「適者」 として 「生お」 して ゐ るのに 反して、 停車場と いふ もの、 位置 

は氣 象的條 件な ど X いふ こと は 全然 無視して. {R 僚 的 政治的 經濟 的な 立場から Q み 割出して 決定 さ 

れて ゐる爲 ではない かと 思 はれる からで ある。 

それ は 兎に角、 今度の 風害が 「所謂 非常時」 の 最後の 危機の 出現と 時 を 同じう しなかった の は 

何よりの 仕 合せで あつたと 思 ふ。 これが 戰禍と 重なり合つ て 起った としたら その 結 ra!^ はどうな つ 

たで あらう か、 想像す る だけで も 恐ろしい ことで ある。 弘 安の 昔と 昭和の 今日と では 世の中が 一 

變 して ゐる こと を 忘れて はならない Q である。 

戰爭は 是非共 避けようと 思へば 人間の 力で 避けられ なく はないで あらう が、 天災ば かり は科學 

の 力で も その 襲来 を 中止させる 譯には 行かない。 その上に、 何時 如何なる 程度の 地震 暴風 津浪洪 

水が 來 るか 今のところ 容易に 豫知 する ことが 出来ない。 最後通牒 も 何もな しに 突然 襲来す るので 


185 


ある。 それ だから 國家を 脅かす 敵と して 是程 恐ろしい 敵 はない 箬 である。 尤も かう した 天然の 敵 

の爲に 蒙る 損害 は敵國 の 侵略に よ つて 起る ベ き 被害 に比べて 小さい とい ふ 人が あるか も 知れな い 

が、 それ は必 しも さう は 云 はれない。 例へば 安政 元年の 大 震の やうな 大規模の ものが 襲来 すれば、 

東京から; i 岡に 到る 迄の あらゆる 大小 都市の 重要な 文化 設備が 一時に 脅かされ、 西 半 曰 本の 神經 

系統と 循環系統に 相當 ひどい 故障が 起って 有機 體 としての 一 國の 生活 機能に 著しい 麻痺 症 狀を惹 

起す る 恐れが ある。 萬 一 にも 大都市の 水道 潴水 池の 堤防で も:^ 壌 すれば 市民が 忽ち 日々 の 飲用水 

に 困る ばかりでなく、 氾濫す る 大量の 流水の 勢力 は少 くも 數村を 微塵に 薙 倒し、 多数の 穰牲者 を 

出す であらう。 水電の 堰堤が 破れても 同様な 犧牲を 生じる ばかり か、 都市 は 暗闇に なり 肝心な 動 

力 網の 源が 一 度に 涸れて しま ふこと になる。 

かう いふ 此の世の 地獄の 出現 は、 歴史の 敎 ふる 所から 判斷 して 決して 單 なる 杞憂で はない。 し 

かも 安政 年間に は 電信 も 鐵道も 電力 網 も 水 近 もなかった から 幸で あつたが、 次に 起る 「安政 地 

震」 に は 事情が 全然ち がふと いふ こと を 忘れて はならない。 

國家 の 安全 を 脅か す 敵國に 對す る 國防策 は 現 に 政府 當局 の 間で 熱心に 研究され てゐ るで あらう 

が、 殆ど 同じ やうに 一 國の 運命に 影響す る 可能性の 豐 富な 大 天災に 對 する 國防策 は 政府の 何處で 


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防 國と災 夭 


誰が 研究し 如何なる 施設 を 準備して ゐ るか 甚だ 心 元ない 有樣 である。 想 ふに H 本の やうな 特 列な 

天然の 敵 を 四面に 控 へた 國 では、 陸軍 海軍の 外にもう 一 つ 科 舉的國 防の 常備軍 を 設け、 日常の 硏 

究と 訓練に よって 非常時に 備 へる 0 が當然 ではない かと 思 はれる。 陸海 軍の 防備が 如何に 十分で 

あっても 肝心な 戰举の 最中に 安政 程度の 大地震 や 今 囘の動 風 或は それ以上の ものが 軍事に 關 する 

首腦の 設備に 大損 害を與 へたら 一 體 どうい ふこと になる であらう か。 さう いふ こと はさう めった 

にないと 云つ て 安心して 居ても よい もので あらう か C  . 

我 邦 Q 地震 學者ゃ 氣象學 者 は 從來か V る國 難を豫 想して 場 當 局と 國 民と に 警 吿を與 へ た 害で 

あるが、 當局は 目前の 政務に 追 はれ、 國民は 其 日の 生活に 忙 はしくて、 さう した 忠言に 耳 を假す 

暇がなかった やうに 見える。 誠に 遣憾な ことで ある。 

殿 風の 襲來を 未然に 豫 知し、 その 進路と その 勢力の 消長と を 今よりも より 確 實に豫 測す る爲に 

は、 どうしても 太平洋 上 並に 日本海 上に お干の 觀 測地 點を 必要と し、 その上に 义 大陸 方面から ォ 

ホック 海 方面 迄 も 觀測網 を 擴げる 必要が ある やうに 思 はれる。 然るに 現在で は 細長い 日本 島 弧の 

上に、 云 は 唯一 聯の 念珠の やうに 觀測 所の 列が 分布して ゐる だけで ある。 譬 へて 云 はに 奥州 街 

道から 來 るか 東海道から 來 るか 信越 線から 来る かも 知れない 敵の 襲来に 備へ る爲 に、 唯 中央線の 


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沿線 だけに 哨兵 を 置いて ある やうな ものである。 

新聞記事に 據る と、 アメリカで は 太平洋 上に 浮 飛行場 を 設け て 横斷 飛行 の 足が、 りに する 計畫 

が あると いふ ことで ある。 噓 かも 知れない が 併し アメリカ人に とって は 十分 可能な ことで ある。 

もし これが 可能と すれば、 洋上に 浮觀測 所の 設置と いふ こと も强ち 學究の 描き出した 空中 樓閣だ 

とば, A り は 云 はれない であらう。 五十 年 百^の 後に は 恐らく 常識的になる ベ き 種類の ことで はな 

いかと 想像され る。 

人類が 進歩す るに 從 つて 愛 國心も 大和魂 も 矢 張 進化すべき ではない かと 思 ふ。 砲煙 彈 雨の 中に 

身命 を 賭して 敵の 陣營に 突撃す るの もた しかに 貴い n 本 魂で あるが、 〇 國 ゃ厶國 よりも 强ぃ 天然 

の强 敵に 對 して 平生から 國民 一 致 協力して 適 當な科 學的對 策を講 する の も 亦. 現代に 相應 はしい 大 

和 魂の 進化の 一 相と して 期待して 然るべき ことで はない かと 思 はれる。 天災の 起った 時に 始めて 

大急ぎ で さ うした 愛國心 を發 採す る の も 結構で あ る が、 昆蟲ゃ 鳥獸で な い 廿 世紀 の 科學的 文明 阈 

民の 愛國 心の 發 露に はもう 少しち がった、 もう 少し 八:: 理 的な 様式が あって 然るべ きで はない かと 

思 ふ 次第で ある。 (昭和 九^ 十  一 =-、 1^ 済 往來) 


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猿と 鴨 家 


家鴨と 猿 


去年の 夏 信 州 沓掛驛 に 近い 湯 川の 上流に 沿うた 谷 問の 星 野 温泉に 前後 一 ー囘 合せて 二週間ば かり 

を 全く 日常生活の 煩 ひから 免れて 閑 靜に暮 したの が、 健康に も精祌 にも 眼に 見えて 好い 效果が あ 

つた やうに 思 はれる ので、 今年の 夏 も 奮發し て 出掛けて 行 つ た。 

去年と 同じ 家の ベランダに 出て、 軒に かぶ さる 厚朴の 廣葉を 見上げ、 屋 前に 廣 がる 池の 靜 かな 

水面 を 見下ろした ときに、 去年の 夏の 記憶が ほん Q 二三 日 前の ことであった やうに 聽 つて 來た。 

十 ヶ月 以上の 月日が その 間に 經過 したと はどうしても 思 はれなかった。 信 州に 於け る 自分と いふ 

ものが、 東京の 自分の 外にもう 一 つあって、 それが こ Q 一  年の 間 眠って 居て、 それが 今 ひよ つく 

り 眼を覺 ましたの だとい ふやうな 氣 がする のであった。 

この やうに、 凡て Q ものが 去年と そっくり 其の儘の やうで あるが、 しばらく 見て ゐ ると 乂 少し 


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づ 、色々 の 相逮が 眼に ついて 來 るので あった。 例へば 池の 汀から 水面に 被 ひかぶ さる やうに 茂つ 

た 見知らぬ 樹の ある こと は 知って ゐ たが、 それに 去年 は 見なかった 珍ら しい 十字形の 白い 花が 

いて ゐる。 それが 日 比 谷 公園の 一角に、 英國 より 寄贈され たもの だとい ふ說 明の 札 をつ けて 植ゑ 

て ある 「花水木」 とい ふのと 少くも 花 だけ はよ く 似て ゐる やうで ある。 併し 植物 圖鑑 で搜 して 見 

ると これ は 「やまばう し」 一 名 「やまぐ は」 (cornus  wousa,  wuer^?. ) とい ふ ものに 頃 {if す るら 

しい。 

鬼に 角、 僅かな 季節の 差 達で、 去年はなかった ものが、 今 突然 眼の 前に 出現した やうに H 心 はれ 

るので あった。 不注意な 吾 々 素人に は 花の ない 見知らぬ 樹木 は大體 針葉樹と 扁葉樹 と の 一 一色 位 か、 

せいぐ で 十 種 一 一十 種に しか 區刖が 出来ない のに、 花が^い て 見る とそ こに 何 か 新しい 训 物が 生 

れ たかの やうに 感じる ものら しい。 無理な 類推で は あるが 人間の 個性 も、 やっぱり 何 かしら 一 と 

花 ゆ、 かせて 見ない と 十分に その^ 在が はっきり しない、 あれと M じだと いふ やうな 氣 がする ので 

ある。 

去年の 七月に は あんな. に澤 山に 池の ま はりに 遊んで ゐた 鶄镇が 今年の 七月 は さっぱり 見えない。 

その代りに 去年 はたった 一 匹し か 居なかった 家鴨が 今年 は 十三 羽に 增殖 して ゐる。 鴨 Q やうな 羽 


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猿と 鴨 家 


色 をした 一 とつが ひの 外に、 純. HI の 雌が 一 羽、 それから その 「白」 の 卿 化した 雛が 十 羽で ある。 

雛 は 七月に 行った 時 は 未だ 黄色い 綿で 作った 玩具の やうな 恰好で、 羽根な ども ほんの 琴 C 爪 ぐら 

ゐの大 さの、 云 は e 形ば かりの ものであった。 それでも 時々 延び 上って 一人前ら しく 羽搏きの 眞 

似 事 をす るの が 妙であった。 麥笛を 吹く やうな 聲でピ と 鳴き 立て 、はべ ラ ンダの 前へ 寄つ 

て來 て、 飯の 餘りゃ 煎餅の 缺 けら をね だるので ある。 それから 乂 池に は ひった と 思 ふとせ はしな 

く 水中に 潜り込ん では 底の 泥 を 嘴で せ、 り 歩く。 その 水中 を 泳ぐ 恰好が 中々 滑稽で 愛嬌が あり 到 

底 水上で は 見られぬ 異形の 小 妖精の 姿で ある。 鳥の 先祖 は爬蟲 ださう であるが、 なる 程 どこか 鰐 

などの 水中 を 泳ぐ 姿に 似た ところが ある やうで ある。 尤も 親鳥が AJ んな 恰好 をして 水屮 を: 冰ぎ廻 

る こと は、 かって 見た ことがない。 この 點 では 却って 子供の 方が 親よりも 多藝 であり 有能で ある 

とも 云 はれる。 親鳥 だと、 單に 一寸 逆立ち をして 尻尾 を 天に 朝し さへ すれば 嘴が 自然に 池 底に 届 

くので あるが、 雛 .1:1 はかう して 全身 を沒 して 潜らない と 目的 を 達しない から、 その 自然の 耍求か 

らか うした 藝當 をす るので あらう が、 それにしても、 水中に 潜って ゐる 時間 を 測って 兑 ると 矢 張 

雛鳥の 方が 著しくお い、 大概 七 秒 か 八 秒 ほどの 間 潜って 水底 を: 欲ぎ 過って ゐ るのに、 親鳥の 方 は 

せいぐ 三 四 秒 位で もう 頭 を 上げる。 これ はたし かに 雛と 親鳥と では その 生理的 機能に それだけ 


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の 差が ある こと を 意味す るので はない かと 思 はれる。 

鸭^ の 雌雄 夫婦 は 鴛鴦 式に いつも 互に 一 米以內 位の 間隔 を 保って 游弋 して ゐる。 一 方で は 叉. In 

の 母鳥と 十 羽の 雛と が 別の 一 群 を 形づくって 移動して ゐる。 さう して この 二 群 Q 間に は 常に 若干 

Q 「尊敬の 間隔」 が嚴 守せられ てゐ るかの やうに 見えて ゐた。 ところが 或 日 その 神聖な 規律 を 根 

抵 から 破棄す る やうな 椿事の 起った の を 偶然な 機會 で目擊 する ことが 出来た。 いつもの やうに 夫 

;! 仲よ く 並んで 游 いで 居た 一 とつが ひの 雄鳥の 方が、 實に 甚だ 突然に けた、 ましい 羽 音を立て、 

水面 を 走り出し たと 思 ふと やがて 水中に 全身 を沒 して 潜り込んだ。 さラ して まっしぐらに 水中 を 

恐らく 三 米 以上 も 突進して 行って、 1^ に 浮んで ゐる 白の 親鳥の 傍に 浮上が つた かと 思 ふと、 いき 

なり その 首筋に 喻ひ 付いて、 この 弱々 しい 小柄の 母鳥の からだ を 水中に 押し 沈めた。 驚いて 見て 

ゐ ると、 この 君 は 間もなく この 哀れな 俘虜 を釋 放して、 さう して 恰も 何事 も 起らなかった やう 

に悠々 とその 固有の 雌鳥の 一 米 以內の 領域に 游ぎ ついて 行った。 善良なる その 妻 も 亦 恰も この 世 

の 中に 何事 も 起らなかった かの やうに 平靜な 態度で この 不倫の 夫を迎 へたので あった。 一 方で は 

义、 突然の 暴行の 後に 釋 放された 白い 母鳥 も、 ほんの 一寸ば かり 取亂 した 羽毛 を 嘴で かいつ くろ 

つて、 、レ ばかりの 身 じ まひ をした だけで、 もう 何事 もなかった やうに、 これ も 瞬間の 驚きから 恢 


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猿と 鴨 家 


復 したら しい 十 羽の 雛 を 引率して しづくと 池の 反對の 側へ 泳いで 行く 0 であった。 離婚 問題 も 

慰藉料 問題 も 鳥の 世界に は 起り 得ない ので ある。 

自分の 到着 前に は 雄が ニ羽ゐ たさう である。 その 屮の 一 羽が 無暗に 暴戾で 他の 一 羽 を 虐待す る。 

その 度に 今 も ゐる鴨 羽の 雌 は 人間で 云 は 仲 を 取りな し 顔と でもい つた やうな 樣 子で 傍 近く 寄つ 

て 行って、 いつもと は 少しち がった 特殊な 使い 鳴 聲を發 して ゐ たさう であった が、 その 內に或 日 

突然 その 暴君の 雄鳥の 姿が 池で は 見られ なくなつ たさう である。 多分 宿の 廚の 料理人が 引致して 

連れて行つ たもの らしく、 兎も角も 丁度 その 晚 宿の 本館 は 一 團の 軍人 客で 大層 賑か であった さう 

である。 さう して そのと きに 池に 殘 された 弱蟲の 方の 雄が、 今では こ 〇 池の 王者と なり 暴君と な 

り ドン ファ ン となって ゐ るので ある。 

七月 末に 一 度歸 京して 丁度 一 一週間た つて 再び 行って 見て 驚いた の は 家鴨の 雛の 生長の 早い こと 

であった。 あの 黄色い うぶ 毛 はいつ の 間に か 消え失せて、 もう そろく 一人前の 鴨 羽に 近い 色彩 

の發 現が 見える。 小さな ブ ー メラ ング 形の 翼の 胚芽の 代りにもう 日本語で 羽根と 名のつ けられる 

程度の ものが 發 生して ゐる。 併し 未だ 雌雄の iHil 別が 素人目に はどう も 判然とし ない。 よく 見る と 

M 尾.^ 近い 背面の 羽 色に 濃い 黑 みが、 つた 鎮の. 見 るの が 雄ら しく 思 はれる だけで ある。 家鴨の: 


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場合で も 矢 張 所謂 年頃に ならない と、 雌雄の 差に よる 內 分泌の 分化が 起らない 爲に、 そ Q 性的 差 

別 に 相當す る 外貌 上の 區 別が 判然と 分化し ない ものと 見える。 それ だのに 體量 だけ は 僅の 間に 莫 

大な增 加 を 見せて、 今では 白の 母鳥の 方が 却って 雛の 中の 大柄な のより はすつ と 小さく 見える 位 

であった。 一方で 例の ドンファンの 雄鳥 はと 見る と 何となく 羽 色が やつれた やうで、 首の ま はり 

の あの 美しい 黑ぃ環 も 所 まだらに 刹げ ちょろけ てゐ るので あった。 何だか 急に 年 +v〕 取った やうに 

見える。 かう した 變 化が たった 二週間ば かりの 間に 起った ので ある。 浦 島の 物語の 小さな 雛 形の 

やうな もの かも 知れない。  • 

植物の 世界に も 去年と 比べ て 著しく 相違が 見えた。 何よりも 今年 は 時候が 著しくお くれて ゐる 

らしく 3 心 はれた。 例へば 去年 は 八月 半ばに 澤山哈 、いて ゐた釣 舟 草が 今年の 同じ 頃に はいくら も 見 

付からなかった。 さう して 九月 上旬に もう 一度 行った ときに、 溫泉 前の 溪 流の 向 側の 林間 軌道 を 

步 いて ゐ たら そこの 道端に 此の 花が 澤山 唤き亂 れてゐ るの を發 見した。 

星 野 滞在中に 一 日 小 諸 城趾を 見物に 行った" 城の 大手 門 を 見込んで 一 寸 した 坂 を 下って 行く の 

であるが、 かう した 地形に 據 つた 城 は 存外 珍ら しいので はない かと 思 ふ。 


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猿と 鴨 家 


藤 村 庵と いふの があって、 そこに は 藤 村 氏の 筆跡が 壁に 懸け 並べて あったり、 藤 村 文 獻目錄 な 

ども 備へ て ある。 現に 生きて 活動して 居る 文人に ゆかりの ある 家 を かう いふ 風に して 恰も 古人の 

遣 跡の やうに 仕立て 、あるの も 矢 張 一 寸珍 らしい やうな 氣 がする。 

天守 臺 跡に 上って 居る と何處 かで 鴉の 鳴いて ゐる のが 「アベ バ、 アベ バ」 と 聞こえる。 かう い 

ふ 鴉の 聲 もめった に 聞いた ことがない やうな 氣 がした。 石 崖の 上の 端近く、 一高の 舉 生が 一人 あ 

ぐら を かいて 上衣 を 頭からす つぼり かぶって 暑い 曰 ざし をよ けながら 岩波 文庫ら し いもの を讀み 

耽って ゐる。 恐らく 「千 曲 川 スケッチ」 らしい。 もう 一 度 あ、 いふ 年頃に なって 見た, S と 云つ 

たやうな 氣 もす るので あった。 

園 內の溪 谷に 渡した 釣 橋 を 渡って 行く とき 向 ふから 來た 浴衣 姿の 靑 年の 片手に さげて ゐ たの も- 

どうも 矢 張 「千 曲 川の ス ケ ツチ」 らしい。 繪 日傘 を さした 田舍 臭い 獨 逸人 夫婦が 恐ろしく 大勢の 

子供 を つ れ て 豁を 見下 ろして ゐた。 

動物園が ある。 熊に 前 一 餅 を 買って 口の 中へ 投げ込んで やる。 口 を 一杯に 開いて 下へ 落ちた 前 i 餅 

のぁり得る可能性などは考へ なぃで悠然として.|^-のを待っ て ゐる姿 は 罪のない ものである。 自分 

等と 並んで 見物して ゐ. た 信 州 人らしいお ぢ さんが 連の 男に この 熊 は 「人格」 が 高い とか 何とかい 


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ふやうな 話 をして ゐた。 熊の 人格 も 珍ら しい。 

猿の 檻 は 何 處の國 でも 一番 人氣が ある。 中に 一匹 腰が 拔 けて 脚の 立たない のが 居て、 他の 仲間 

の やうな 活動 を斷 念して 大抵い つも 小屋の 屋根の 上で ごろ- (\ して ゐる。 それが どうかして 時折 

移動した く なると ひよ い と 逆立ち をして 麻痺し た 腰 と 後脚 を 空中 高く 差し上げ て さう して 前脚 で 

自由に 歩いて 行く。 流石に 猿. たけのこと は あるので あるが、 兎に角 これ も オリ ヂナル である。 

吸って 居た 卷 煙草の 吸殼を 檻の 前に 捨てたら、 そこに しゃがんで 見物して ゐた 土地の人 らしい 

爺さんが、 その 未だ 火の ついて 居る ま、 の吸殼 をい きなり 濫の屮 へ 投げ込んだ。 すると、 地べた 

に 坐って 居た 親 猿が 心得顔に 手 を 出して、 掌を廣 げた ま で 吸殼を 地面に こすり つけて 器用に そ 

の 火 を もみ 消して しまった。 さう して その 燃え If^ をつ まみ 上げ、 仔細ら しい 手 付で 卷紙を 引き や 

ぶって 屮 味の 煙草 を 引出した と 思 ふといき なり それ を 口中へ 運んだ。 眞 逆と 思った が 矢 張 その 煙 

草 を 味って ゐ るので ある。 別にう まさう でもない が、 しかし 义 慌て、 吐出す ので もな く、 平然と 

極めて 當り 前な やうな 樣子 をし てす まして ゐ るので あった。 此れ も實に 珍ら し い 見物 であった。 

此處の 猿 は 恐らくもう 餘程 前から かう した 「吸 殼敎 育」 を 受けて ゐ るので あらう と 想像され た。 

絶壁の 幕の 彼方に 八月の 日光に 照され た 千 曲 川 沿岸の 平野 を 見下ろした 景色に は 特有な 美し さ 


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猿と 鴨 家 


が ある。 r 蟬鳴 くや 松の梢に 千 曲 川。」 こんな 句が ひとりでに 出来た。 

歸 りに 沓 褂の驛 で 下りて 星 野 行の 乘合バ ス の 發車を 待って ゐる 間に 乘 組んだ 商人が 運 轉手を 相 

手に 先刻 トラ ッ クで 老婆が ひかれた の を目擊 したと 云って 脚の 肉と 骨と がきれ いに 離れて ゐ たと 

云った やうな こと を 面白さう に 話して ゐた。 バ スが發 車して 間もなく 横 合から 劇しく 何物 か 衝 

突した と 思 ふと 同時に 車體が 傾いて 危く 倒れさう になって 止まった。 西洋人の 大勢 乘 つた 自用 車 

らしい のが 十字路 を 横から 飛 出して 吾々 のバ ス の 後部に ぶっかった のであった。 この 西洋人の 率 

は 一 方の 泥除けが つぶれた だけです み、 吾々 の バ ス は 横腹が 少し へ こんで ぺ ィ ン トが剝 がれた だ 

けで 助かった。 肥った 赤ら 額の 快活 さうな 老 西洋人が 一人 下り立って、 曲った 泥除け を どうにか 

引き 曲げて 直した 後に、 片手 を 高く さしあげて 吾々 を さしまねきながら 大聲で 「ド モ ス ミ マ シ ェ 

ン」 と 云って 嫣然 一笑した。 さう して 再び ェンヂ ンの爆 音を立て 、威勢よ く輕 井澤の 方へ 走り去 

つたので あった。 

九月 初旬 三度 目に 行った ときには 宿の 池に やっと 一 一三 羽の 鶴; If が 見られた。 去年の やうな 大群 

はもう 來 ない らしい。 今年 は 家鴨の コ n 11 1 が 優勢に なって 鶴锡の 領域 を 侵略して しまった ので 


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はない かと 思 はれる。 同じ やうな 現象が 例へば 輕 井澤の やうな 土地に 週期 的に やって来る 渡り鳥 

の やうな 避暑客の 人間の 種類に ついても 見られる かどう か。 村 料が 手に 人るなら 調べて 見たい も 

ので ある。 (昭和 九 年 十二  H:、 文學) 


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き突噙 


嶋 突 き 


「峰 突き」 のこと は 前に 何 かの 機會に 少しば かり 書いた ことがあつ たやうな 氣 がする が、 今 は 

つきり 思 出せない し、 それに、 事柄 は 同じで も雜誌 「野鳥」 の讀 者に は 多分 又 別な 與 味が あるか 

も 知れない と 思 ふから さう いふ 意味で 簡單 にこの 珍ら しい 狩獵 法に 就いて 書いて 見る こと、 する。 

高知巿 附近で r 嶋 突き」 とい ふの は、 蜻蜓を 捕へ るのと 同じ 恰好の 叉 手形の 網で、 しかも それ 

より 極めて 大形の を 遠くから 勢よ く 投げ かけて、 冬 田に 下りて 居る 鴨 を 飛 立つ 瞬間に 捕獲す る 方 

法で ある。 「突く」 とい ふの は投 槍の やうに 網 を 突き飛ばす 操作 を さう 云った もので はない かと 

思 ふ。 何しろ、 もう 三十 餘年 前に 唯一度 實 見した きりな ので 記憶が 甚だ 储か でない が、 網 を 張つ 

た 叉 手の 二等 邊 三角形の 兩邊 Q 長さが 少 くも 九 尺 位 あり、 柄 竿の 長さ も 略 その 位 あるかと 思 はれ、 

鬼に 角隨分 大きな ものである 0 で、 それ を 自由に 操作す るに は 相當の 腕力 を 要する ものであった 


やうに 思 ふ。 網 R は どの位の 大きさであった か覺 えない が、 霞網な どより は餘程 がっしりし たも 

のであった らしい。 

明治 三十 四 年の 暮で あつたと 思 ふ。 病氣 で休學 して 鄕 里で 遊んで ゐた ときの ことで あるが、 病 

氣 も大體 快くな つて そろ 退屈し はじめ、 醫者も 適度 の 運動 を 許して くれる やうに なった 頃の 

ことであった。 時々 宅の 庭の 手 人な どに 雇って ゐた要 太と いふ 若者が あって、 それが r 嗨 突き」 

の 名人 だとい ふので、 或 R それ を 賴んで 連れて行つ て 貰った。 

それ は 薄曇りの 風の 弱い 冬日で あつたが、 高 知 市の 北から 東へ かけての 一面の 稻田は 短い 刈 株 

を 殘 した ま,^ に 干 上って、 しかも 未だ 御 形 も 芽 を 出さす、 落寞 として 霜枯れた 冬 m の 上に はう す 

ら 寒い 微風が 少しの 弛 張 もな く 流れて ゐた。 さう した 茫漠たる 冬 田の 中に 一 羽 位 鳴が 居る の を 見 

付け出す とい ふこと は 到底 素人に は 出来ない 藝當 であった が、 さすが 專門 家の 要 太の 眼に は、 不 

思議な フィルタ— . スクリ ー ン でも あるかの やうに、 實に 敏感に 迅速に それ を發 見す るので ある。 

片手 を擧げ て合圖 をして 「居た あそこに」 と 云 はれても、 何處 にどん な 鳥が ゐる のか 明 

盲の 自分に はちつ とも 見えない。 併し 「胸 黑ぢ や」 など、 彼は獨 り合點 をして ゐ るので ある。 水 

平に 持って 歩いて ゐた網 を 前 下りに 取り直し、 少し 中腰に なった ま、 小刻みの 驅け 足で 走り出し 


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き 突 鳴 


た。 直 徑百米 も あるかと 思ふ圓 周の 上 を 走つ て 行く そ Q 圓の 中心と ffj ふ 邊りを 注意して 見る と 成 

程 そこに 一. 羽の 鳥が 蓐 つて ゐる。 さう して じっと 蹉っ たま、 で 可愛い 首 を 動かして 自分の ま はり 

をぐ る/ \廼 つ て 行く 不思議な 人影 を 眺めて ゐる やうで ある。 その 人間の 遞轉 する 圓の半 徑が段 

段 小さくな るに 從 つて、 鳥から 見た それの 角速度 は 半徑と 逆比例して 急激に 增 大して 來 るので あ 

る から、 鳥の 注意 と 緊張 も それに 應じ て 急激に 併し 連續的 加速度 的に 增大を 要求され る で あらう ( 

さう いふ、 鳥に 取って は 恐らく 生れて 以來 曾て 經驗 した 事 のない 異常な 官能 行使 の 要求に 應 じる 

に 忙しくて、 身に 迫る 危險 を自覺 し、 さう して 逃走の 第一歩 を 踏 出す だけの 餘裕 もき つかけ もな 

いので あらう。 兎も角も 蓮 命の 瑗は急 加速度で 縮まって 行って、 いよ/ \ 矢 頃 はよ しとい ふ 瞬間 

に、 耍 太の 突き出した 叉手網 は 殆ど 水平に. t 仝 を 切って 飛んで 行く。 同時にば た./ \ と 飛 立った 胸 

黑は 丁度 眞 上に 覆 ひか、 つた 網の 眞唯 中に 衝突した、 と 思 ふともう 網と 一 緒にば さりと 刈 田の 上 

に 落ち か& つて、 哀れな 罪な き 囚人 は 最早 絶體絕 命の 無效な 努力で 羽搏 いて ゐ るので ある。 飛ぶ 

が 如く 紐け 寄った 要 太の 一 と 捻りに、 この 小さな 生命 はもう 超 四次元の 世界の 彼方に 消えて しま 

つた Q であった。 

「嶋 突き」 を實 見した の は 前後に 唯 この 一度 だけであった。 のみなら す、 その後に も 曾て 嗨突 


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きの 話 を 聞いた 事 さへ ない。 從 つて 現在高 知に さう いふ 狩獵 法が 殘存 して ゐ るか どうか、 又 高 知 

以外 Q 日本 Q どの 地方に 過去 現在 0 いづれ かに 同様な ものが 行 はれて 来た かどう か、 とい ふこと 

に 就いても 全然 何等の 知識 も 持 合 はせ てゐ ない。 併し、 それだけに 叉、 自分に とって は 三十 餘年 

前の 冬の 或る 曇り 日の この 珍ら しい 體 験が、 過去の 想 ひ 出の 中に 聳え 立った 一 里 塚の やうに 顯著 

な 印象 を 止めて ゐる ものと 思 はれる。 

「鴨 突き」 は鐵 砲で 打つ のと 比べれば 實に 原始的な 方法の やうで あるが、 又考へ 方に よると 一 

つの スポ ー ッ として は 可也 興味の 深い もので はない かとい ふ氣 もす る。 單 になるべく 澤 山の 鳥 を 

殺して 獵囊を 膨らませ ると いふ 目的なら 鬼に 角、 獲物と 相對 して それに 肉薄す る 緊張が 加速度 的 

に增大 しつ、 最後の 頂點に 到達す る 迄の 「三味」 の 時間に 相當の 長さの ある こと だけから 見て 

もこれ は 決して それ 程つ まらない も Q ではないだ らうと 思 はれる。 少 くも 鴨獵 場で 「鴨 をし やく 

ふ」 0 に比べる と獵 者の 祌經の 働かせ 方 だけで も 大變な 差^が ある やうな 氣 がする ので ある。 

古い ことが ぼつ/ \ 復活す る當 代で あるから、 もしかすると、 何處 かで 义 この 「鴨 突き」 の 古 

ぃスボ ー ッ が 新しい 時代 の 色彩 を帶び て 甦生す る やうな ことがない とも 云 はれないで あらう。 

此の方 法が 嶋 以外 Q 如何なる 鳥にまで 應用 出来る かとい ふこと も、 鳥類 研究家に は 一 つの 新し 


202 


き突嶋 


い 問題に なり はしない かと 思 ふ。 これが もし 他の 色々 の 鳥に も應 用され ると なれば、 鳥 を 少しも 

傷つけ ないで、 生きた 健全な 標本 を 得る 爲の 一 つのい \ 方法になる かも 知れない とい ふ 空想 も 起 

つて 來る。  . 

併し これ 等の 點に 就いては 寧ろ 本誌 の 讀者 の 側から 示敎を 仰ぐべき であらう。 以上. は 唯 全くの 

素人の 想 ひ 出 話の 序に 思 ひ 付く ま 、 の 本; 想 を 臆面もなく 書付け て 見た だけで ある。 

(昭和 九 年 十二  =«、 野鳥) 


203 


追憶の 冬 夜 


子供の 時分の 冬の 夜の 記憶 0 中に 浮上が つて 來る數 々の 物象の 中に 「行 燈」 が ある。 自分の 思 

ひ 出し 得られる 限り 其當 時の 夜の 主なる 照明 具 は 石油 ラ ムプ であった。 時た ま 特別の 来客 を饗應 

でも するとき に、 西洋 蠟燭 がば ね 仕掛で 管の 中から せり 上がって 來る當 時で は ハ ィ カラな 燭臺を 

使 ふこと もあった が、 併し 就寢 時の 有 明けに はすつ と 後 迄 も 行燈を 使って ゐた。 しかも 古風な 四 

角な 箱 形の もので、 下に 抽出しが あって、 その 中に 燈 心が 人って ゐ たと 思 ふ。 時には 紙 を 貼り 代 

へたで あらう が、 記憶に 殘 つて ゐ るの はいつ も 煤けて 居り、 それに 針 や 線香で つ、 いたい たづら 

の 痕跡 を 印した も ので ある。 夜中 に ふと 眼が さめる と臺所 0 土間の 井戸端 で蟲の 聲が 恐ろしく 高 

く 響いて ゐ るが、 傍に は 母 も 父 も 居ない。 戶の 外で 糉櫚の 葉が かさくと 鳴って ゐる。 そんなと 

きに この 行燈が 忠義な^ 母の やうに 自分の 枕元 を 護って ゐて くれた も ので ある。 


204 


夜 冬の 憶 追 


母が 頭から 銀の 簪を ぬいて 燈心 を搔き 立て &ゐる 姿の 幻の やうな もの を 想 ひ 出す と 同時に あの 

燈油 の 濃厚な 句 ひ を 聯想す るの が 常で ある。 もし 自分が 今 でも この 句 ひの 實感 を 持 合 は さなかつ 

たと したら、 江戶 時代 の 文學 美術せ ハ他 の あらゆる 江戸 文化 を 正常に 認識す る こと は 六 かしい ので 

はない かとい ふ氣 もす る。 

石油 ラ ムプは 叉 明治時代の 象徵の やうな 氣も する。 少 くも 明治 文化の 半分 はこの 照明の 下に 發 

達した もので あらう。 冬の 夕まぐれの 茶の間の 板緣で 古新聞 を 引 破っての ホヤ 掃除 をした 經験を 

もたない 現代 靑 年が、 明治 文 學に與 味の 薄 いのは 當然 かも 知れない。 ホヤの 中に ほうつ と呼氣 を 

吹き込んで おいて 棒切れの 先に 丸めた 新聞紙で きゅう/ \ と 音 を させて 拭く のであった。 

その 頃で は 神棚の 燈 明を點 すのに マ ッ チは 汚れが あると いふので わざ/ \燧 で 火 を 切り出し、 

先づ ホ クチに 點 火して おいて 更に 附け木 を 燃やし その 焰を燈 心に 移す ので あつ た。 燧の鐵 と 石の 

觸れ合 ふ 音、 迸る 火花、 ホ クチの 燃える かすかな 囁き、 附け 木の 燃えつ くと きの 蒼白な 焰の 色と 

亞 硫酸の 臭氣、 かう した 感覺の コ ムプ レ ッ キスに は 祖先 幾 百年の 夢と 詩が 結び付いて ゐ たやうな 

氣 がする。 

マッチの こと は r ス リツ ケ」 と 云った。 「摺 り附け 木」 の略稱 である。 高等 小學 校の 理科の 時 


205 


間に TK 先生と いふ 先生が 坩 場の 底に 人れ た盥酸 加里の 粉に 赤燐 を ちょっぴり 振り かけた の を 鞭 

の 先で 一寸つ \ くとば つと 發火 するとい ふ 實驗を やって 見せて くれた こと を 思 ひ 出す。 そのと き 

. 先生 自身が ひどく 吃驚した 顏を 今でも はっきり 想 ひ 出す ことが 出来る。  - 

マ ツチの 軸木 を 並べて する 色々 の 西洋の トリック を當 時の 少年 雜 誌で 讀ん では それ を實演 して 

友 建 や 甥な ど、 冬の 夜長 を 過ごした ものである。 

まだ 少年 雜誌 など 、いふ もの 、存在 を 知らなかった 頃の 夂 A 夜 Q 子供 遊びに はよ く 「火 渡し」 「し 

りつぎ」 を やった ものである。 日本紙 を 幅 五六 分に 引き裂い たのに 火鉢の 灰 を 少し 包み込んで 線 

香 犬の 棒 形に 拾る。 その 一端に 火 をつ けて 「火 渡し」 と 云って 次の 人に 渡す と、 次の 人 は 「しり 

つぎ」 と 答へ て 次へ 猶 す、 それから 段々 に 東京で 所謂 「尻取り」 をす るので あるが、 言葉に 翁し 

て考 へて ゐる 間に 火が 消える と 其 人 は 何 かしら 罰と して 道化た 隱し藝 を 提供 實演 しなければ なら 

ない ので ある。 

その外に 「力 ァチ く」 とい ふ 遊びが あった" 詳しい こと は 忘れた が、 何でも 庄屋になる 人と 

獵師 (加 八と いふ 名に なって ゐる) になる 人の 外に、 独 や 猪 や 熊 や 色々 の 動物になる 人 を 籤引き 

できめ る。 そこで £屋 になった 人が 「力 ァチ/ \ -. 鐵砲 打て」 と 命 すると、 「力 ァチ (加 八)」 な 


206 


夜 冬の 憶 追 


つた子が 「何 を 打ち ませう」 と 聞く。 そこで 庄屋 殿が 例へば 「俾 -」 と 仰せられ ると 加 八 は  一 ra: の 

顏色を 注意 深く 觀 察して 誰が 「強」 であるか を觀 破す る 爲に云 はぐ 讀心 術の 練習の やうな こと を 

する。 「狸」 でない 子が わざと なんだか 落着かな いやうな 様子 をして :大 井 を 仰いで 見たり 鼻 を こ 

すって 見たり して 牽制しょう とするな ど は 極めて 初歩で あるので、 その 裏 を かくつ もりで r 锂」 

自身が わざと その やうな 板 をす る こと も ある。 これ を假に 第二次の 作戰 とすると、 そのもう 一 つ 

上 Q 第三 次の 方策 は 第 一 次と 略 同じ やうな ことになるの である。 兎に角 幼少なる 「加 八」 君 はこ • 

こで その ありた けの 深謀 を ちゃんく この 裏にめ ぐらして 最後の 狙 を 定めて 「ズ ド, 'ン」 と 云つ 

て 火蓋 を 切る 眞似 をす る。 うまく 當 れば當 てられた のが 代って 「加 八」 になり 當 てた 「加 八」 が 

庄屋 になる。 當ら なか つ たら 當 るまで 同じ こ と を 繰 返す の で あ る。 

「神 鳴り」 とい ふの は、 一人が 雷神に なって 例へば 障子 0 外の 緣 側へ 出て 戶 をた \ いて 雷鳴の 

眞似 をす る。 大勢で 卓 座に 坐って 茶碗で も 石塊で も 順々 に 手渡しして;;;: く。 雷の 音が 次第に 急に 

なって 最後に ドシ ー ンと 落雷した ときに 運 拙く その 姬送 中の 品 を 手に 持って ゐた 人が 「剖」 を受 

けて 何 かさせられ るので ある。 

巴 里に 滞在中 下宿の 人達が 或 夜 集って 遊んで ゐた とき 「ノ I フラ ー ジュ」 を やらう と 云 ひ 出し H 


たもの があった。 この 「難破船」 の 遊びが 前述の 「祌 鳴り」 とそつ くり 同じ やうで ある。 

先づ はじめに 銘々 の 持ち もの を 何 か 一 つづ、 擔保 gage として 提供させる。 それから 一 人 「船 

K 一  が きめられる。 次に テ ー ブル を 圍んだ 人々 の 環を傳 はって 卓の 下で こそくと 品物が 廻され 

る。 口々 に ILa  ser  est  calme,  ki  mer  est  calme  (好い だ) と 云って 居る。 次に 何と 云った 

か 忘れた が、 兎に角 「海が 荒れ 出した」 とい ふ 意味の 一一 目 葉 を 繰返して ゐる。 その 間に も斷 えす 皆 

が 卓 の 下で 次々 に 品物 を 渡 して ゐる やう な 眞似を して ゐる、 その 人の 環の 何處か を實 際に 品物 が 

移動して ねる ので ある。 船長が いきなり 「ノ ー フラ ー ジュ (難船)」 と 怒鳴る と、 移動が ぴたりと 

とまるの である。 ま 分 も 一 度運惡 くこ の 難船に ぶっかって 何 かケル クシ ョ. I ズを しなければ な 

らな いこと になった ので、 その ケル クシ ョ ー ズ の 思案に 苦しんで ゐ たら 隣席の 若い 獨 逸人が 獨逸 

語で. こっそり 「一番 年と つた ダ ー メに花 を 捧げ 玉へ」 と敎 へて くれた。 幸に 獨逸 語は此 席の 誰に 

も 通じな か つたので ある。 そこで;?^ は 立って 窓枠に のせて あつ た 草花の 鉢 を もつ て 片隅に 始 から 

吠って 坐つ て 居た 半白の 老 寡婦の 前に 進み、 うやく しく それ を 捧げる 眞似 をしたら 皆が 喜んで 

ブラボ ー を 叫んだり 手を拍 いたりした。 その 時 主婦の ルコック 夫人が 甲高い 聲を張 上げて Eira 

rougie  !  elPa  rougie  ! と 叫んだ。 私 は そのと きの 主婦の 灰汁の 强 過ぎる パリジ ェ ン ヌ ぶりに 輕 


208 


夜 冬の 憶 追 


い 反感 を覺 えないで は ゐられ なかった 0 であった。 

あとで 撸 保に 入れて あった ガ I ジュ を銘々 に 返へ して 居た とき、 一本 Q. 鉛筆 を さし 上げて 「こ 

れは どなたの でした か」 と 主婦が 尋ねたら、 一座の 中の 二人の 伊太利 女の 若い 方が 輕く立 上って 

親指で 自身の 胸 を 指さし、 唯一 言 ゆっくり 靜に il mio と 云った。 そ Q とき ほど 私 は 伊太利 語と 

い ふ も の を 優美な も のに 思った こと はな いやうな 氣 がす る" 

獨 逸の 冬 夜の 追憶に ついてはもう 前に 少しば かり 書いた やうな 氣 がする が、 今 この 瞬間に 突然 

想 ひ 出した の はゲッ チン ゲン の 歳暮の 或 夜 0 ことで ある。 雪が 降り出して 夜中に は相當 積もつ ヒ。 

明り を 消して 寢 ようとして ゐ ると 窓外に 馬の 蹄の 音と シャン 《 と いふ 耳 馴れぬ 鈴の 音が す 

る。 力 ー テン を 上げて 視 いて 見る と、 人氣 のない 深夜の 裏通り をー臺 の雪橇 が, y つて 行く、 と Bis 

ふ 間もなく もう 町の 力 ー ヴを 曲つ て HJ^ えなく. H つ てし まった。 

子 ザの 時分に ナシ ョ ナ ルリ ー ダ I を敎 はった ときに 生れて はじめて 雪橇 とい ふ もの 、名 を 聞き 

覺ぇ、 その 鎗を 見て、 限りなき 好奇心と 異國の 冬への 憧憬 を 喚び 起こされた ので あつたが、 その 

實物を この 眼に 見、 その 鈴の 音 を 耳に したの は 實に此 夜が 始めて ありさう して 义 恐らく 最後で 

もあった。 L 力 も それが かすかな 雪明かりに 窓から ちらと 見えた 後 影 だけで 消えて しまった。 


209 


それだけに その 印象 は 却って 一 倍强烈 であった のか も 知れない C 兎も角も その 瞬^に 自分が 子供 

の 時分に 夢み て ゐ た生粹 の 西洋と いふ ものが 忽然と 眼前に 現 はれて 忽然と 消えて しまったの であ 

つた。 今の 日本人 殊に 都會 人が 西洋へ 行って 西洋の 都市に 暮 して ゐて も、 眞に: €1 洋を 感じる とい 

ふこと は 恐らく 比較的 稀で あらう。 唯 却って こんな 思 はぬ 不用意の 瞬間に 閃光の 如く それ を 感じ 

る だけで あらう かと m 心 はれる。 

こ の 雪 夜の 橇の 幻の 追憶 は 叉 妙な 聯想 を 呼 出す。 父が 日 淸戰爭 に豫備 役で 召集され て 名 古屋に 

ゐ たの を、 冬の 休みに 尋ねて 行って しばらく 同じ 宿屋に 泊って ゐた ときの ことで ある。 戰爭 中で 

夜 ま で も忙が しいので 父の 歸 りの 遲 いこと が 魁 、、あった。 自分 だけ 早く か ら寢 て も 中々 寢 付か れ 

ない ので、 もう 歸 るか./ \ と 心待ちにして ゐ ると 自然と 表通り を去來 する 人力車の 音が 氣 になる ( 

凍結した 霜夜の 街 を驅け 行く 人力車の 車輪の 音 —— 未だ ゴ ム輪 Q はまって ゐ なかった 車輪が 凍て 

た 夜 の 土と 砂利 を 嚼む音 は 昭和 の 今日で はもう め つ たに 聞く こ と Q 出来な いも Q になって しまつ 

た。 

段々 近付いて 來る荜 の 音が 宿の 前で 止まる かと 思って ゐる とた そ Q まい 行 過ぎて 消えて しま 

ふ。 今度 こそと 3 めったの も 又 行 過ぎる。 そんな こと を 繰返し/ \. 十二時 過ぎても 眠られないで 待 


210 


夜 冬の 憶 追 


つて ゐる。 やっと 車の 音が 玄關へ 飛び込んで 來 ると 思 ふと 番頭 や 女中の 出迎 へる 物音が して さう 

して 急に 世の中が 賑 かに 明るくな つた。 「ほう、 未だ 起きて ゐた のか」 と 云って びっくり したや 

うな 顏 をして 見せる ので あつたが、 その 顔に 何とな しに 寄る 年の 疲れが 見えて 鬚の 毛の 白くな つ 

たのが 眼に つくので あった。 

凍てた 霜夜の 土で 想 ひ 出す ことが もう 一 つ ある C 子供の 頃、 寒月の 冴えた夜 などに 友達の 家 か 

ら歸 つ て 來る 途中 で 川 沿 ひの 道の 眞中 をす か して 見る と 土の 表面に 丁度 飛石 を 並 ベた やうに かす 

かに 白つ ぼい 色 をした 斑 點が规 則 正しく 一  列に 並んで ゐる。 それ は 昔との 道路の 水準が すっと 低 

かった 頃に 砂利 をつ めた 土俵 を 並べ て 飛石 代りにし てあつた、 それ を その 儘 後に 土で 埋めて 道路 

面 を 上げた ので あるが、 砂利が 周圍の 濕氣を 吸收 する 爲に、 その上に 當る處 だけ 餘 計に 乾燥して 

白く 見える との 事であった。 併し、 どうして それが 月夜の 晚 によく 見える か は 誰も 說明 する 人 は 

なかった。 それ は 鬼に 角、 寒月に 照し 出された この 「飛石の 幽靈」 に は 何となく 祌祕 的な 凄味が 

感ぜられた。 埋められた 過去が 月 0 光に 浮かされて 浮び 上がって ゐ るの だとい ふやうな 氣 がした 

のか も 知れない。 

さう い ふ 晩に は 綿 入 羽織 をす つ ぼり 頭 か ら かぶって、 その 下から 口 笛と 共に 白 い 蒸 氣を吹 出し 


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ながら、 I ベく 脇目 をし ないやう にして 家路 I いだ ものである。 さう いふ 時に 乂 よく 程近い 

刑務所の 構內 で何處 となく 夜警の 拍子木 を 打つ 音が 響いて ゐた。 さう して 河 向 ひの 高い 塀の 曲り 

角の 處の內 側に 塔の やうな 絞 墓の 建物の 屋根が 少し 見えて、 その上に は i に蔽 はれた 城 山の 

S な シルエット が 银砂を 散 ら し た 星空 に 高く 聳え てゐ たので ある。 


212 


斷判夢 


夢  ^  & 


友人が 妙な 夢を見た と 云って 話して 聞かせた。 それ は 田舍の 農家で 泊った 晩の ことで ある。 全 

身が しびれ、 强 直して 動け なくなつ たが、 それが r 電氣 のせ ゐ」 だと 思 はれた。 白い 手術 着 を 着 

た 助手ら しい 男が しきりに あちこち 歩き 廻って それ を 助けて くれよう とする の だが 一 向 利 目が な 

いので 困り果てた ところで 眼が さめた の だとい ふ。 さめて 見たら 枕が 無闇に 间 くて 首筋が 痺れて 

ゐ たさう である。 

私 は その 一 兩日 前の 新聞記事に 巡査が 高壓 線の 切れて 垂下が つて ゐ るの を 取りの けようと じて 

感電した ことが 載せて あつたの を 思 出した ので、 友人に それ を讀ん だかと 聞いたら 讀ん だとい ふ。 

それなら それが この 夢 を 呼出した 一 つの 種 だら うとい ふこと になった。 寢た 部屋が 眞 暗で、 電燈 

3 

をつ けようと 思ったら 電球が 外づ してあった さう で、 そのと きに 友人 は 天井から 垂下が つた コ ー 2 


ドを: z 擊 したで あらう し、 又 ソケッ 卜に 露出した 電極の 電壓の 危險を 無意識に 意識した ので はな 

いかと 思 はれる。 それが この 夢の 第二の 素因ら しく 思 はれる。 次に 助手の 出て くるの も心當 りが 

ある。 こ の 友人に は 理工科 方面の 友逹は 少なくて 主に 自分から さう した 方面の 話 を 聞く ので ある 

が、 その 私が 此頃は 自身で は餘り 器械 いぢり はしないで 主に 助手の 手 を 借りて 色々 の; ti 事 を やつ 

てるる こと を こ の 友人が 時々 の 話の 折節に 聞かされて 知って ゐ るので ある。 

それで 堅い 枕、 頸の 痺れ、 新聞記事の 感電、 電氣を あっかって 居る 友人、 その 助 乎と 云った や 

うな 順序に この 夢の 發展の 徑路が 進行した ので はない かと 想像され る。 

序に 私自身の 近頃 見た 夢に こんなの が ある。 

西洋人の 曲馬師ら しいの が 居て それが 先づセ u を彈 く、 それから 妙な 懸稻の やうに かけ 渡した 

麻絲 を 操つ ると それが ライ ォ ン の やうに 見えて 來る。 そのうちに ライ ォ ン とも 虎と もっかぬ 動物 

が やって来て 自分に 近寄り、 さう して 自分 Q 額の すぐ 前に 鼻面 を 接近させる。 振 返って 見る と 西 

洋人 はもう ゐ ない。 どうい ふ譯か 自分 は r ォ ー ィ 早く 菓子 を 持って来い」 と 大聲で 云 はう とする 

が 舌が もつれて 云へ ない。 そこで 眼が さめた が、 何だかう なされて つて ゐ たさう である。 

これ も 前日 か 前々 日の 體驗 中に 夢の 胚芽ら しい ものが 見付かる。 食卓で 一寸 持 出された ダンテ 


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斷判夢 


魔術 團の 話と、 友人と 合奏のと きに 出た フォイ ャ ー マン Q セ 口演 奏會の 噂と で この 夢 Q 西洋人が 

說 明され る。 魔術が 曲馬に 變 形して それが 猛獣 を 呼出した と 思 はれる。 それから 矢 張 前夜の 食卓 

で 何 か Q 序から、 すっと 前に 動物園の 猛獣が 逃 出した 事の あった 話 をした。 それが 猛獸 肉薄の 場 

面 を 呼出した かも 知れない。 「御菓子 を 持って来い」 がどう も 分らない が、 併し そ Q 前々 夜で あ 

つた か 矢 張 食後の 雜談中 女中に 或 到来 もの 、珍ら しい 菓子 を 特に 指定して 持って来させ たこと は 

あつたの である。 

麻絲の 簾が ライオンになる 件 だけ は 解 釋の絲 口が 見付からない。 こんなの をう つかり フ 口 イド 

にで も 聞かせる と、 とんでもない ことになる かも 知れない とい ふ氣 もす るので ある。 

上記 Q 夢を見てから 一 と 月 も 後に 博物館で 伎 樂舞樂 能樂の 面の 展覽會 があって 見に 行った。 陳 

列 品の 中に 獅子舞の 獅子の 面が 一 ー點 あつたが、 その 面に 附 いて 居る 水色に 白く 水玉 を染 出した 布 

片に 多分 鬣 を 表 はす 爲 であらう、 麻絲の 束が 一列に 縫 ひつけて ある。 その 麻絲の 簾 形に 並んだ さ 

まが、 自分の 夢に 見た 麻 束の 簾と 餘程 よく 似て ゐ るので 一寸 吃驚 させられた。  . 

此の 符合 は 多分 偶然 かも 知れない が、 併し もしかしたら、 以前に 類似のお 獅子 を何處 かで 見た 

そ ひ 記憶が 意識の 底に 殘留 して 居た かも 知れない とい ふ 可能性 を 否定す る こと も 困難で ある。 


215 


それにしても 魔術師 乃至 セ リストと 麻 束との 關係は 矢 張 分らない。 事によると この 麻 束 力 女の 

金髪から 來てゐ るか も 知れない が、 併し 自分の 記憶に は 金髪と 魔術師 又音樂 者との 聯想 は 意識 さ 

れ ない。 (昭和 十 年 一 月、 文藝春秋) 


216 


新春 偶語 


新 玉の 春 は 来ても 忘れられな いのは 去年の 東北 地方 凶作の 悲慘 事で ある。 これに 對 して は 出来 

る だけ Q 應急救 濟法を 講じなければ ならない こと は 勿論で あるが、 同時に 叉將來 いっか は 必す何 

度と なく 再起す るに きまつ て 居る この 凶 變に備 へる やうな 根本的 研究と それに 對 する 施設 を 此の 

機會に 着手す る ことが 更に 一層 必要で あらう と 思 はれる。 可憐な 都 倉の 小學兒 童まで 動員して こ 

の 木枯の 街頭に ボ— ル箱を 頸に かけて Q 義捐金 募集 も 悪く はないで あらう が、 文化的 國 民の 同胞 

愛の 表現 はもう 少し 質實 にもう 少し こくの ある もので あつ て もよ いと 思 はれる。 肺炎に なつ てし 

まって からの 愛兒の 看護に 骨 を 折る よりも、 風邪 を 引かせぬ 豫防 法、 引いた ときに 昂 じさせぬ ェ 

夫に 一 倍の 頭 を 使 ふ 方が 合理的で ある。 

凶作の 原因 は 大體に 於て は 明白で ある。 稻の正 當な發 育に は 一 定量の 日照 並に 氣溫の 積分 的 


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用が-必要であって、 これが 不足 すれば 必す 凶作が 來る。 それで 年の 豐凶 を豫 察する に は 結局 その 

年の 七 八月に 於け る 氣溫ゃ 日 照 の 積分 額 を 年 の 初めに 豫 知す る こ とが 出来れば 少 くも 大體 の 見當 

はっくと いふ ことになる。 

氣溫ゃ 日照 を人爲 的に 支配す る こと は 現在の 科學の 力で は 望む ことが 出来ない。 併し 年の 初め、 

例へば 四 五月 頃に 七 八月の 氣 候を豫 察して 年の 豐凶 をト しさう して 豫め これに 備 へる ことに は 十 

分な 可能性が ある。 それに 就いては 旣 に從來 にも 我國の 氣象舉 者の 間に 色々 の 詳しい 研究が あり 

次第に その 問題の 解決に 向って 着實な 考察の 歩 を 進めて ゐ るので あるが、 併し、 それ は 中々 素人 

の考 へる やう な容; な 仕事で ない のであって、 先づ 何よりも 出来るだけ 多くの 精密な 系統 的 な觀 

測 材料 を宽 集し 整理す るの が 基礎的 0 仕事で、 これな しに は 如何なる 優れた 學 者で もどう する こ 

とも 出来ない。 

さう した 材料 を 得る 爲の觀 測 施設 は 個人 や 小 團體の 力で 出来る ことではなくて、 結局 國家 政府 

の相當 熱心な 努力に よって 始めて 完備し 得る ことで ある。 しかも 此 種の 觀測富 業 は 一年 や 二 年で 

完了す る もので なく、 永年に 亙って 極めて 持久 的に 系統的に 行って はじめて 效果を あげる ことが 

出来る もので あらう。 それ だのに、 日本の 政府が 從來 かう した 大事な 科學 的な. 政道に 如何に 冷淡 


218 


un 偶^^ 


であつ たかは 周知の 事實 である。 又、 國 民の 選良で あると ころの 代議士 達で かう いふ 問題に いく 

らか でも 理解 を もって ゐる 人の 如何に 少數 であった かとい ふこと も 知る 人 は 知つ てゐる 通りで あ 

る。  -. 

凶作の 原因と なる 氣溫 異常に は 他に も 色々 な 原因 は あると しても 一 つ QM 子と して これと 東北 

沿海 Q 海水の 溫度 異常 と 0 間に 若干の 相關が あるら しいと いふ こと は、 我 邦 Q 學者の 間で はもう 

少 くも 一 一十 年 も 前から 問題と なって ゐ たこと である。 唯 この 問題の 決定に 必耍な 十分な 海洋 觀測 

の 材料がない 爲に 問題 は そ Q ま、 に 問題と して 殘 され、 やがて いっとな く 忘れられて ゐた。 それ 

が 今年の 凶作で 急に 燒木 杭に 火が ついた 形で ある。 若しも 一 一十 年 前に 時の 政府が 奮發 して 若干の 

設偷を 施し さう して 今日 迄根氣 よく 觀測 を續 けて 來て ゐ たので あつ たら、 今頃 迄に はもう どうに 

か 曲り なりに で も 解決が ついて ゐ たので はない か と 想像され る。 

敢て 農作 關係 ばかりと は 限らす、 系統的な 海洋 觀 測が 我 邦の やうな 海國に 取って は 軍事上から 

も 水產 事業の 爲 にも 非常に 必要で あると いふ こと は、 實に 分りき つたこと であるが、 こ 0 分り切 

つたこと がどうい ふ譯か 昔の 日本の 政府 Q 大宫に は 永い 間 どうしても 分らなかった ので ある。 故 

人 北 原 多作 氏の 如き 少數な 篤 學の宫 吏の 終生の 努力と 熱心に よって 漸く 水產 に聯關 した 海洋 調査 


219 


が 稍 系統的に 行 はれる やうに なり はした が、 A 分の 知る 限りで は 時々 の 政府 Q 科學的 理解 0 ない 

{K 僚 Q 氣ま ぐれな 其 日 々々の 御 都合 に よ る 朝令暮改 の 嵐に この 調査の 系統が 吹き 亂 される 憂 ひが 

多分に あつ た。 折角 鑌 けて ゐる觀 測 も 上 長官が 交迭 して 運悪く 沿革 も 何も 考 へ ぬ やうな 後任 者が 

來 ると、 こんな 事 やっても 何にもな らん ぢ やない かの 二 lie で 中止に なるとい ふ 恐れが あった。 お 

まけに 萬 一 にも 眼界の 狭い 偏執 的な 學者 でも 出て 來て、 C 分に 興味 Q ないやうな 事項の 觀 測の 無 

川 論を唱 へたり する やうな 場合に は 事柄 は 益 " 心細くなる。 幸 ひに 近年 は 農林 省 方面で も 海洋 觀 

測の 必要 を 痛切に 認識して 系統的な 調査 も 漸く そ Q 緒に 就いた やうで、 誠に 喜ばしい 次第で ある- 

鬼 も 角 も、 かう いふ 大切な 觀測 事業 を その 日暮 しその 年暮 しにな り 易い 恐れの ある 官僚政治の 

管下から 完全に 救出して、 もう 少し 安定な 國 家の 恆久 的機關 を施定 する ことが 刻下の 急務で はな 

いかと 思 はれる。 さう すれば 凶作 問题 など も-: n ら 解決の 途 につ く箬 であらう。 

凶作の みならす 水害 風害 或は 地震 や 火事の 災害 を 根本的に 除く 爲に は、 矢 張 同様な 恆久的 施設 

が必耍 である 。健忘症の 政治家 ゃ氣 まぐれな 學界 元老な どの 手に 任せて おくに は餘 りに 大切な 仕 

事で ある。 

かう いふ 見地から 見て 現在 I 番 信頼の 出来る 施設 は屮央 氣象臺 とその 配下に ある 海洋 氣象臺 の 


220 


語 偶 春 新 


それで ある。 其 處には 兎も角も 一 般 政治から 獨 立した 恆久 的觀測 研究 Q 系統が, 水い 以前から 確定 

されて 居り、 その上に <al 代の 有名な 學者 Q 數々 を聚 めて 居る ので あるから、 此の際 思 ひ 切って 氣 

象 臺の觀 測 事業 0 範園を 徹底的に 擴 張して、 さう して 前述の 如き あらゆる; 大災の 根本的 研究と そ 

の 災害に 對 する 科學的 方策の 綜合 的 考究に 努力せ しめる Q が 最も 時宜に 適した もので はない かと 

思 はれる。 さう して、 無理な 注文 かも 知れない が もし 出來る ことなら、 かう した 機關は 寧ろ 文部 

省の 管轄から も獨立 させて、 全く 特殊な s 久的國 〈パ X 機關 とし、 非科舉 的な 或は 科學に 無理解な 御 

役人 達の 政治の 支配 下から 解放して 健全な 發達を 計る のが 國 {哝 百年の 大計の 爲に 甚だ 望ましい こ 

とで はない かとい ふ氣も する。 

以上 は 新春の 屠蘇 機嫌 か ら 聊か 脫 線した やう な氣味 では あるが、 昨ハ卟 屮頻發 した: 大災を 想 ふ に 

つけても、 改まる 年の 初め Q 今 HQ 日に {!: 後 百年 0 將來 の爲め 災害 防 禁に關 する 一 學究の 痴人の 

夢の やうな 無理な 望み を 腹 一 杯に 述べ て 見る Q も 無用で はないで あらう と 思った 次第で ある。 も 

し當 りさ はりが あったら 勝手ながら 屠蘇 Q せゐと 見通して 貰 ひ 度い。 (昭和 十: や!"、 都 新聞」 . 


221 


數ハ牛 前 迄 は 正月 元日 一 か 二 曰に、 近い 親類 だけ は 年賀に 猶る ことにして ゐた。 さう して 出た 序に 

近所合壁の 家 だけ は玄關 まで 侵入して 名刺 受に こっそり 名刺 を 人れ ておいてから 一 遍 奥の 方 を 向 

いて 御辭儀 をす る ことにして ゐ たので あるが、 いっか 元旦 か 二 曰かに 大變に 寒くて、 おしま ひに 

は 雪に なった ことがあって、 その 時に 風邪 を 引いて 持病の 胃に 障害 を 起した やうな 機き から、 と 

うとう 思 ひ 切って 年賀 遇り を廢 してし まった。 すると、 その 翌年 は 正月が 大層 暖かくて 廻 禮廢止 

理由の 成立が 少々 怪しくな つた やうであった。 

年賀に 行く と 大抵 應接問 か 客 座敷に 通される ので あるが、 さう した 部屋 は 先客がない 限り 全く 

火の 氣 がなくて 永い こ と 冷却 さ れ て ねた 歷史を も つ た 部屋 である。 這 入 つて 見廻した だけで 旣に 

洞ぶ る ひの 出さうな 冷た さ を もった 部屋で ある。 置 時計、 銅像、 懸物、 活花 悉くが 寒々 として 見 


俎 雜年新 


える から 妙で ある。 

瓦斯 スト ー ヴ でも あると 助かる が、 さもなくて、 大分し ばらく 待た されてから、 やっと 大きな 

火鉢の 眞 中に 小さな 火種 を 入れて S1 された ので は、 火のお こる 迄に 骨の 髓 まで 凍って しま ひさ 

うな 氣 がする。 义 スト ー ヴが あるに はあって も、 その 部屋の 容量 を 考慮に 人れ ないで 瓦斯 消費量 

のみ を 考慮に 人れ たやうな スト ー ヴ だと 效 5^ は 矢張り 同様で ある。 さう いふ 寒い 部屋で 相對 坐し 

てゐる 主人に 百パ ー セント の 好意 を 感じよう とする の は 並々 ならぬ 意志の 力 を必耍 とする やうで 

ある e 

多く  0 家で は 玄關は 家 の 日 裏に あり 北極に あたる。 晝頃 近くに なって も 霜柱の 消えない やうな 

玄關 0 前に 立 つ て 呼 鈴 を 鳴ら し て も 中 々すぐに は 反應 がな ぐ て 立往生 をして ゐ る と、 德 冽た る朔 

風 は 門. S: の 凍て た鋪 石の 面 を 吹 いて 安物の 外套 を 穿つ ので ある。 やつ と 通される と應接 間と い ふ 

のが 叉 大概き まって 家中で 一 番日當 りの 惡ぃ 一番 寒い 部屋に なって ゐる やうで ある。 

自分が 昔 現在の 家 を 建てた とき 一 番日當 りが よくて 庭. の 眺めの い 、室 を應接 間にしたら、 或る 

口の 惡ぃ 奥さんから 「大層 御客様 本位です ね」 と 云って、 底に 一 抹の輕 い 非難 を 含んだ やうな 讚 

辭を 頂戴した ことがあった。 この 奥さんの 寸言の 深い 意味に 思 ひ當る 次第で ある。 


223 


屠蘇と 吸物が 出る。 この 屠蘇の 1^ が往々 甚だしく 多量の 塵埃 を 被って. Q る ことがある。 尤も 屠 

蘇 そ Q ものが 旣に 塵埃の 集塊の やうな もの かも 知れない が、 正月の 引 1^ の 朱 漆の 面に 膠着した 塵 

はこれ と は 性質が ちが ひ、 又 附着した 菌の數 も 相 當に多 さう である。 R 當 りの 悪い 部屋 だと 塵 Q 

HE 立たぬ 代りに 菌數は 多いで あらう。 アル コ ー ルで 消毒 はされ るか も 知れない が 餘り氣 持の 好い 

もので はない。 

屠蘇と 一 緒に 出される 吸物 も 案外に 厄介な ものである。 齒の 悪い のに 給の 吸物な ど は 一 番當惑 

する。 吉例 だとあって 朝 f?Q 鶴と 稱 する も Q  吸物 を 出す 家が あつたが、 それが 妙に 天井の 煤の 

やうな 臭氣の ある 檻褸 切れ Q やうな、 どうに も 咽喉に 這 入り かねる ものであった。 

御 膳が 出て 御馳走が 色々 並んでも 綺麗な 色取り を 第 一 にした お 正月 料理 は 結局 見る だけの もの 

である。  . 

二三 軒 趣って 吸物 0 汁 だけ 吸 ふので も、 胸が 一杯に なって しま ふ。 さう して 新 玉の 春の 空の 光 

が ひどく 憂 襟に 見える 0 である。 

子供 Q 時分 Q 正月の 記憶で 身に 沁みた 寒さに 關 する もの は、 着 馴れぬ 絹物の 妙に つめたい 手 ざ 

はりと、 穿き なれぬ まちの 高い 袴に 釣 上げられた 裾 Q 冷え 心地であった。 その 高い 襠で 擦れた 內 


224 


俎 雜年新 


股に ひ が 切れて、 風呂に 人る とこれ に ひどく しみて 痛む の も つらかった。 

今 はどう か 知らないが 昔の 田舍の 風と して 来客に 食物 を 無理 强 ひに 强 ひるの が禮の 厚い ものと 

なつ てゐ たから、 雜煮 でももう 喰べ られ ない と い つても 中 々ゆるして くれな か つ たもので ある。 

尤も 雜 煮の 競 食な ど \ いふ ことが 普通に 行 はれて ゐた 頃で あるから 多くの 入に は 切 餅の 一 片ニ片 

は 問題に ならなかった かも 知れない が、 四 軒 五軒と 廻る 先々 での 一片 ニ片 はさう く樂な もので 

はない ので ある。 いよ/ \ は ひり 切ら なくなって 吐出し 始めたら 餅が 一 とつな がりの 紐に なって 

果 しもな く辏 いて 出て 來た など k いふ 話し を閜 かされた こと も ある。 眞 偽の 程 は 保證の 限りで な 

.so 

雜 煮の 味と いふ も Q が 家々 で みんな 違って ゐる。 それぐ の 家で は 先祖 代々 の 仕来りに 從 つて 

親から 子、 子から 孫と 段々 に 傅へ て來た リセ ブトに 據 つて 調味す る。 それが 次第々々 に ダイ ヴァ 

1 ジ して 色々 な變異 を 生じた ではない かとい ふ氣 がする。 兎に角 他家 Q 雜煮を 食 ふとき に 「我 

家」 と 「他家」 とい ふ も Q 、間に 存す るかつ きりした 距 たり を 瞬間の 味覺 に飜譯 して 味 はふので 

ある。 

土 佐の 貧乏 士族と しての 我家に 傳 つて 來た雜 煮の 處方 は、 栋の底 i4 芋 一 ニ片と 靑茱ー とつ ま 


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み を 入れた 上に 切 餅 一 ニ片を 戦せ て 鰹節の だし 汁 を かけ、 さう して 餅の 上に 花 松 魚 を 添へ たもの 

である。 ところが; M じ鄕里 Q 親類で も 家に よると 切 餅の 代りに 丸めた 餅 を 用ゐ汁 を味嗜 汁に した 

もあった。 或 〈豕 では 牡蠣 を 入れた の を 食 はされ て 胸が 悪くて W つた 記憶が ある。 高等 學校 時代 

に 熊 本の 下宿で 食った 雜 煮に は 牛肉が 這 人って ゐた。 土 佐の 貧乏 士族の 子の 雜 煮に 對 する 概念 を 

裏切る やうな 贅澤な ものであった。 比較に ならぬ 程 上等で あるた めに 却って 正月の 雜 煮の 氣 分が 

出なくて、 淡い 鄕愁を 誘 はれる のであった。  . 

東京へ 出て 來て汁 粉屋な どで 食 はされ た 雜煮は 馴れない 內は淸 汁が 水つ ほくて、 自分の 頭に へ 

ばりつ いて 居る 我家の 雜 煮と は 全く^ 種の 食物と しか 思 はれなかった ので ある。 

去年の 正月 或 人に 呼ばれて 東京 一 流の 料亭で 御馳走に なった ときに 味 はった 雜煮は 粟 餅に 松露 

や 鬈茱ゃ 靑茱ゃ 色々 の もの を 添へ た 白味嗜 仕立て の もので あつたが、 これ は 生れてから 以來 食つ 

た雜 煮のう ちで 恐らく 一番 上等で 美味な 雜 煮であった らうと 思 はれる。 それ だのに、 それと 比べ 

て 我家 の 原始的な 雜 煮が 少しも 負けす にうまく 食 は れ るから 全く 不思議な も ので ある。 

雜煮 Q 膳て は 榧 度、 勝 栗、 小 殿原 を 盛 合 はせ た 土器の 皿 をつ ける とい ふ舊 いお 慣を 近年まで 守 

つて 來た. - ト i ば 15^ はためし にしゃぶ つて 見た ことがあり、 勝 栗 も かじって 兑た ことがあ るが 相の 


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俎 雜年新 


實 ばかり は 五十 年間 唯 眺めて 來 ただけ である。 いっか 正月の 朝の 膳に 向った とき、 ー體こ 0 やう 

な 見る だけで 食 はない # が 何 を 意味す るかと いふ ことが (豕 族の il で問题 になった ことがあった。 

討論の 結 これ は 今で こそ 殆ど 食へ ないやうな 装飾 物で あるが、 すっと 昔 これ 等の ものが 非常 

に 珍しい うまい 御馳走であった 時代が あつたので、 その 時代に 此れ等 Q ものが 特^な とつと きの 

珍 看と して 持 出され、 さう して 賞味され 享樂 された も Q であらう とい ふ 臆說が 多數の 承認 を 得た 

やうであった。 その後 何年 か 後の 正月に も 前の こと を 忘れて ゐて 又; M じ 問題 を 持 出し、 M じ やう 

な こと を 云って みんなで 氣が 付いて 笑って しまった ことがある。 その後 正月の 吉例に 又 わざと 同 

じ 事 を 話して 笑ったり した こと もあった。 

母が 亡くなって から、 いっとな しに 榧、 勝 栗、 小 殿原が 正月の 食卓の 上に 現 はれ なくなった。 

さう して、 それが 現 はれ なくなつ たこと を 誰も 意識し なくなって 來た。 

自分の 子供 等が 今の 自分ぐ らゐの 年配になる 頃に は、 ことによるともう 正月に 雜煮を 瞳 ふとい 

ふ 習慣 も 大方 忘れられて、 さう して 其 頃の. 平 取った 隨筆 家が 「雜 煮の 追憶」 でも 一 九 六 五 年 あた 

り の £-號 に 書く ことにな るか も 知れない 。 さ う 思 ふと 少し 淋しい 心 持 もす るので ある。 

(昭和 十 年 一 =:、 一橋 新簡) 


227 


一 月 中旬の 或 日の 四時 過に 新 宿の 某 地下 食堂 待合室の 大きな 革張り Qlls^ 子の 片隅に 陷沒 して、 

あとから 來る 害の 友人 を 待合 はせ てゐ ると、 つ い 頭の 上 近くの 天井の 一 角から ラヂォ . ァ ナウ ン 

サ ー の 特有な 癖のある 雄 辯が 流れ出して ゐた。 兩國の 相撲の 放送ら しい。 野球の 場合と ちがって 

野天で はなく 大きな 圓頂 蓋狀の 屋根で 蔽 はれた 空間の 中で ある だけに、 觀客 群衆の どよ みがよ く 

きこえる。 行司の 古典的 莊重 さ を もった 聲のひ きがち やん と鐵 傘下 Q 大空 間 を如實 に 暗示す る 

やうな 昔 色 を もってき こ える のが 面. rn い。 觀客 のどよ み も 同じく 穴. j 間 を 描き出す 效果が あるの み 

ならす、 そ Q 音の 强弱 緩急の 波のう ち 方で 土 俊の 上の 活劇の 進行の 模様が 相撲に 不案內 な 吾々 に 

もよ く 分る やうな 氣 がする。 それで この 放送で は、 寧ろ 觀客 群集の 方が 精神的に 主要な 放送 者で 


あって、 アナ ゥンサ ー の 方 は 機械的な 伴奏者 だとい ふやうな 氣 もす るので ある。 そんな 氣の する 

の は 畢竟 自分が 平生 相撲に 無關 心で あり、 一 一三 十 年来 相撲 場の 木戸 をく つた 事 さ へ ないから で 

あらう。 それ 程 相撲に 緣 のない 自分が、 三十 年 程 前に 夏 目漱石 先生の 紹介で 東京 朝日 新聞に 「相 

樸の カ學」 とい ふ 記事 を 書いて、 揭 載され た ことがある。 切拔 きをな くした ので、 どんな 事 を 書 

いたか 覺 えて 居ない が、 併し 相撲 四十八手の 裏表が 力 の應 £ 問題と して 解 說の對 象と なり 得る 

ことに は 違 ひ はない ので、 其 後に 誰か 相撲 好きの 物理 舉 者が 現 はれ、 本格的な 「相撲の カ舉」 を 

研究し 開展 させて 後世に 對 する 古典 文獻を 著述す るで あらう と 思って 期待して ゐ たが、 自分の 知 

る 限り 未だ さう し た 著 ま 曰 は お ろか 論文 も 見當ら ない。 そんな もの を 書 い て も 今 の 日本で は 學位も 

取れす 金 も 儲からない 爲 かも 知れない。 併し 昨今の やうに 國粹 的な ものが 喜ばれ 注意され る 傾向 

の增 進して ゐる 時代で は、 或は かう した 研究 も それ 程に 異端視され なくても すむ かも 知れない と 

思 はれる。 「圍 基」 や 「能 樂」 の やうに 西洋人に 先鞭 をつ けられな いうちに 誰か 早く 相撲の 物理 

學ゃ 生理 學に手 をつ けたら どうかと 思 ふので ある。 

相 相撲の 歷史 について は相當 色々 な 文獻が あると 見えて 新聞 雜 誌で それに 關 する 記事 を 展、、 見 か 

撲 ける やうで あるが、 ^しそれ は 大抵い つもお 定まりの 511 喰 ひ 本 を 通して 見た 緣起 沿革ば かりで 何 


229 


處 迄が 本 當で 何處 からが 噓か 分らない もの 、やうな 氣 がする。 この 膝史 について もも 少し 遠った 

見地からの 新しい 研究が 欲しい。 例へば 世界 各地 方の 過去から 現在 迄に 行 はれた 類似の 角力 戲と 

の 比 蚊で もして 見たら 存外 面. II い 結 が 得られ はしない かと 思 はれる。 

少し 唐突な 話で は あるが、 舊約 聖書に たしか ヤコ ブが 天使と 相撲 を 取った 話が ある。 

その 相手の; 大使から ィ ス ラエル とい ふ 名前 を もらつ て、 さう してび つ こ を 引きながら 歩いて 行 

つたと いふ くだりが あった やうで ある。 その 「相撲」 がー 體 どんな 風の 相撲であった かさつ ばり 

分らない。 併し、 へ ブライ 語の 相撲と いふ 言葉の 根 # を 成す 「アバ ク」 とい ふ 語 は 本来 「塵埃」 

の 意咏が あるから 矢張り 地べたに 轉 がしつ こ をす るので あつたか も 知れない。 さう して 相撲の 結 

^として 足 をく じいて びっこ を W くこと もあった らしい。 それから、 これ は 全く 偶然で は あらう 

が、 この II: じへ ブライ 語が 「撲」 の 漢音 「ポク」 に 通す るの が 妙で ある。 一方で 和名 「すま ふ」 

はこれ は 相撲の fp;:: から 轉じ たもので あるに 相違ない。 b は m に、 k は h に變り 易い からで ある。 

序にもう 一歩 脫線 すると、 相找の 元祖と 云 はれる^ 見宿禰 の r ス クネ」 とよく 似た へ ブライ 語の 


230 


r ズ ケヌ」 は 「長老」 の 意味が あるので ある。 

, この ヤコ ブと 天使との 相撲の 話 は、 私に は 又 子供の 時分に 鄕 里の 高 知で よく 聞かされた 怪談 を 

想 ひ 出させる。  - 

昔の 土 佐に は 田野の 問に 「シ バテ ン」 と稱 する 怪物が 居た。 多分 「柴 天狗」 卽ち 木の葉 天 狗の 

意味 かと 想像され る。 夜中に m 圃道を 歩いて 居る と何處 から ともなく 小さな 子供が やって来て、 

「をぢ さん、 相撲 取らう」 と 挑む。 之に 應じ てうつ かり 相手に なると、 それが 子供に 似合 はす 非 

常な 怪力が あって 結局 ひどい 目に のされて しま ふ、 とい ふので ある。 これと 並行して 又ェ ンコゥ 

(河童の 類) と 相撲 を 取って Q された とい ふ 話 も ある。 上記の シバ テン は 叉 夜 釣の 人の 魚 籠の 屮 

味を盜 むこと も あるので、 鬼に 角 天使と は 大分 格式が 違 ふが、 併し 山野の に 人 問の 形 をした 非 

人 11 が 居て、 それが 人間に 相撲 を 挑む とい ふ考 だけ は 一致して ゐる。 

^分た ちの 少年 時代に はもう 文明の 光に けおされ てこの シバ テ ン ども は 人里から 姿を隱 してし 

まって ゐ たが、 併し 小舉校 生徒の 仲間に は何處 かこの シバテ ン の 風格 を 具へ た 0 然兒の 悪太郎 は 

B 澤 山に ゐて、 校庭 や 道 傍の 草原な どで よく 相撲 をと つて ゐた。 さう して 着物 を ほころ ばせ たり 向 

撲 徑 をす りむいて は 家へ 歸 つて オナン (おふくろの 方ず) に 叱られて ゐ たやう である。 自分な ども 


231 


一 度學 校の 玄關の 土間の た、 きに 投げ倒されて 後頭部 を 打つ て危く 腦震攝 を 起し かけた ことがあ 2 

つた。 

ミ 

高等 小學校 時代の 同窓に 「緋 緘」 とい ふ 渾名 を もった 偉大な 體 驅の怪 W がゐ た。 今なら 「甲狀 

腺」 など、 とい ふ 異名が つけられる 害の が、 常時の E 舍 力士の 大男の 名. つて ゐた譯 である。 

併し 相撲 は上チ でな く 成績 も あまりよ くなかった が 一 つ 誰に も 出来ぬ 不思議な 藝を もって ゐた。 

それ は 口 を 大きく 開いて 舌 を 上顎に くつ つけて おいて 舌の 下 面の 兩 側から 唾液 を 小さな 一 一條の 噴 

水 Q 如く  出す ると い ふ藝 常で あった。 口から 外へ 十 センチ メ ー トル 程 もこの 噴水 を 飛ば せる の 

は 見事な ものであった。 一 種 のグ n テ ス クな獸 性を帶 びた こ の藝當 だけ は 誰に も眞 似が 出來 なか 

つた 0 これ を 噴き かけられ るの を 恐れて i^I 逃 出 した ものである。 

中學 時代に 相撲が 好きで 得意であった やうな 友人の 大部分 は 卒業後 陸軍へ は ひった が、 それが 

殆ど 殘らす 日露 戰 役で 戰 死して しまって 生殘 つた 一 人 だけが 今では 中將 になって ゐる。 海軍へ は 

ひった 一 人は戰 死し なかった 代りに 酒 をのんで 喧嘩 をして 短 劍で人 を 突いて から 辭 職して 船乘に 


なり、 新 嘉坡へ 行って 行方が 分ら なくなり、 結局 t くな つたら しい。 若くて 死んだ これらの 仲よ 

しの 友達 は 永久に 記憶 Q 中に 若く 澄剌 として 昔ながら の 校庭の 土俵で 今 も 相撲 をと つて ゐる。 一 

番弱蟲 で 病身で 意氣 地な しであった 自分 は此 年まで 恥 を かき/,、 生殘 つて 恥の 上塗に こんな 隨筆 

を かいて ゐ るので ある。 

中 學の五 年 Q とき、 丁度 日 淸戰爭 時分に 名 古屋に 遊びに 行って、 そこで 東京 大相撲 を 見た 記憶 

が ある.〕 小 錦と いふ 大關 だか 横綱 だかの,:: 皙 Q 肉. 體 Q 立派で 美しかった こと、、 朝潮と いふ 力士 

の 緒ら 顏が 妙に 氣 になった ことな どが 夢の やうに 思 ひ 出される だけで ある。 

高等 學校 時代に は 熊 本の 白 川の 河原で 東京 大相撲 を 見た。 常 陸 山、 梅ケ 谷、 大砲な ども 居た や 

うな 氣 がする。 同 鄕の學 生た ち 一同と 共に 同鄕の 力士 國見 山の ために 密かに 力瘤を入れて 見物し 

たもので ある。 最厦 とい ふこと があって 始めて 相撲 見物の 興味が 高潮す る もの だとい ふこと を此 

時に 始めて 悟った のであった。 夜 熊 本の 町 を 散歩して 旅館 硏屋 支店の 前 を 通った とき、 ふと 玄關 

を 服き 込む と、 帳場の 前に 國見 山が 立って ゐて何 かしら 番頭と 話 をして ゐた。 そのと きのこの 若 

相 くて 眉: :! 秀麗な 力士の 姿態 に 何處か 女らしく 艷 かし いところ の あるの を發見 して 驚いた ことで あ 

つた。 


233 


四 

火學生 時代に 囘向院 の 相撲 を 一 一 一度 兑に 行った やうで あるが その 記憶 はもう 殆ど 消え か、 つて 

ゐる。 唯、 常 陸 山、 梅ケハ 介、 大砲、 朝潮、 逆鋅 とこ ひ 五 力士の それぐ の 濃厚な 獨自な 個性の 對 

立 が 如何に も當時 の 大相撲 を 多彩な も Q にして ゐ たこと だ け は 間違 ひない 事實で あった。 そ れぞ 

れの 特色 ある 昔 色 を も つ た樂器 の 交響 樂を思 はせ る ものが あった。 皮膚の 色まで が こ Q 五 人 それ 

ぞれ はつ きりした 特色 を もって ゐ たやうな 氣 がする ので ある。 これと は 直接 關係 Q ない ことで あ 

るが、 大學 などで も 明治時代の 敎授 迷に は、 それぐ に 著しくち がった しかも それぐ に 濃 な 

特色 を もった 人が 肩 を 比べて ゐ たやうな 氣 がする が、 近: S では どちら かと 云 へ ば 段々 同じ やうな 

色彩 の 人ば かりが 揃 へられる と 云った やうな 倾 向が あり はしない かとい ふ氣 がす る。 こ れは 自分 

だけの 僻 IE かも 知れない が、 併し さうな るべき 理. ra は あると 思 はれる。 昔 は 各藩の 流れ を くんで 

多様な 地方 的 色彩 を帶 びた 秀才が 選ばれて 互に 對 立し 競爭し 又援け 合って ゐた。 併し 後に はさう 

ではなくて 先任者が 順々 に 後任 者 を 推 萌し 選定す る やうに なった。 從っ て. n 然に 人員の 個性が 唯 

一 色に 近づいて 來 ると いふ 傾向が 生じた ので はない かとい ふ氣 がする。 どちらが い、 か惡 いか は 


234 


問題で あるが、 4j 曰の 人選 法も考 へやう によって は 却って 合理的で あるか も 知れない。 學 風の 新 

鮮を 保ち 沈滞 を 防ぐ 爲には 矢張り 成るべく 毛色の ちがった 人衬を 集める 方が 却ってい,, かも 知れ 

ない ので ある。 同じ こと は 他の あらゆる 集團 につ いても 云 はれる であらう。 

それ は 鬼に 角、 或 時 東海道の 汽車に 乘 つたら 偶然 梅ケ 谷と 向 合 ひの 座席 を 占めた。 からだの 割 

合に 可愛い 手が 腿に ついた。 蜜柑 をむ いて 一 袋づ、 口へ 運び 器用に 袋の il^ 筋 を 崎み 破って は 綺麗 

に 汁 を 吸うて 殘 りを抢 て、 ゐた。 すつ, かり 感心して、 それ 以 i 柑の食 ひ 方 だけ はこの 梅ケハ 介の 

眞似 をす る ことに きめてし まった。 

ラヂォ の 放送 を 聞きながら こんな 取 止め もない こと を考 へて ゐ たのであった。 

相撲と 自分との 交 涉は洗 ひざら ひ考 へて 見ても 先づ あらかた これ だけの ものに 過ぎない C 相撲 

好き0人から見たら實に呆れ返るでぁらぅと思はれる程に相撲の世界と自分の^界との接觸|^は 

狭小な ものである。 併し 寧ろ さう いふ 點で 自分 等の やうな もの 、かう した 相撲 隨筆も 廣大な 相撲 

の 界が 如何なる 面 或は 線 或は 點に 於て 他の 別世界と 接觸し 得る かとい ふこと を 示す 一 例と して、 

相 一 部の 讀 者に は 叉 多少の 與 味が あるか も 知れない と 思った 次第で ある。 

撲 

(昭和 十 年 一 月、 時事 新報) 


235 


追隐 の 醫師達 


子^の 時分に 世話になった is 者が 幾人 かあつた。 それが もう みんな 疾の 昔に 故人に なって しま 

つ て、 其 等の 記念す ベ き諸國 手の 面影 も 今 で はもう 朧氣な 追憶 の 霧の 屮に 消え か、 つて ゐる。 

小學 時代に かざりつけの {| 庭 翳 は 岡 村^ 生 と い ふ當 時で ももう 相當な 老人で あった。 頭 髮は昔 

のなぬ 川 時代の 醫 者の やうな 總髮 を、 緣, にある. S 井 正 雪の やうに ォ ー ル バックに 後方へ なで 下ろし 

て 居た。 いつも 黑 紋 付に、 歩く とき ゆう/ \昔 のす る仙臺 平の 袴 姿で あつたが、 この 人 は 人の 家 

の 玄關を 案 內を乞 はすに 默っ ていきな りっか./ \. 這 人って 來 ると いふ 一 寸變 つた 習慣の 持主で あ 

つ たし 

いっか 熱が 出て 床に 就いて、 誰も 居ない 部屋に 唯! 人で. M てゐ たと き、 何 かしら 獨り言 を 云つ 

て W た" ふと 氣が忖 いて =3- ると 何時の 間に 這 人って 來 たか 枕元に 端然と この 岡 村 先生が 坐って ゐ 


236 


逢 firti 醫の憶 迫 


たので、 吃驚して しまって、 さう して 今の 獨語を 聞かれた ので はない かと S 心って、 ひどく 恥 かし 

い 思 をした。 併し 何 を 言って ゐ たかは 今少し も覺 えて ゐ ない。 唯 恥 かしかった 事 だけ はっきり 想 

ひ 出す ので ある。 勿論 云って 居た 事柄が 恥 かしかった 譯 ではなくて 獨語を 云って ゐた 事が 恥 かし 

かった 0 である。 

五六 歳の 頃 好きな 赤飯 を 喰 ひ 過ぎて 腹 を こ はした 結 「腦股 掀衝」 とぃふ^^氣になって 一 時 は 

生命 を氣遣 はれた が、 この 岡 村 先生のお かげで 治った さう である。 多分 今, 云 ふ 疫痢で あったらう 

と 思 はれる。 死ぬ か、 馬鹿にな るか、 と 思 はれた さう であるが、 幸に 死なす に すんで その代り 少 

し 馬鹿にな つた 爲に、 力に 合 はぬ 物理 學 などに 志して 生涯 恥 を かく やうに なった のか も 知れない。 

兎に角 命 を 助かった の はこの 岡 村 先生のお かげで ある。 

岡 村 先生が 亡くなって 後 は 小 松と いふ 醫 者の 厄介に なった。 老 先生と 若 先生と 一 一人で 患 家 を 引 

受けて ゐ たが、 老 先生の 方 はでつ ぶりした 上品な 白髮 のお 茶人で、 父の 茶の湯 Q 友達であった。 

たしか 謠曲ゃ 仕舞 も 上手で あつたかと 思 ふ。 若 先生 も 典型的な 溫雅の 紳士で、 いつも 優長な 黑紋 

付 姿 を 抱 車の 上に 横た へて ゐた。 うちの 女 巾な どの 尊敬の 對 象であった やうで ある。 そのお 先生 

が 折々 自分の 我 ii な 願に 應 じて 「化學 的 手品」 の 藥品を 調合して くれたり した。 無色の 液 體をニ 


237 


八;: すると 忽ち 赤 や に變 り、 次に 第三の 液 を 加へ ると 乂無 色になる と 云った やうな 0 を 幾 種 

類 か 川 意して 貰って、 近所の 友 建 を 集めて は i£ 意に なって 化學的 デモ ン スト ラチ オン を やって 見 

せた のであった。 いっか この 若 先生の 處で顯 微鏡を 見せて 貰って 色々 の プレ。 ハラ ー トを のぞいて 

居る うちに 一 つの 不 2 心議な 求; 大なァ ボカ リブス を 見せられた" 後で 考 へて はたら それ は 人間の ス 

ペル マト ゾ ー ンの ー集圑 であった ので ある。 それから 义硅 藻の プレ パラ ー トを 見せられ、 これの 

視 像の Si 明 さで 顕微鏡の 良否が 分かる と敎 へられた。 その後 一 一十 年た つて 獨 逸の H ナで ツァイス 

の 工場 を見學 したと き、 紫外線 顕微鏡で この 同じ 硅 藻の 見事な 像 を ゆお 光 板の 上に 示された とき、 

こ の 幼ない 記憶が 突然 麵 つて 來 るの を 感じた ので あつ た。 

十二 三 歳の: S ひどく からだが 弱くて 雨 親に 心配 を かけた。 その 爲に その 頃鄕 里で 唯一 人の 朿京 

帝 國大學 卒業 醫學士 であった ところの 楠 先生 の 御 厄介に なること になった。 この 先生 は 大抵い つ 

も 少し 茶色が 、 つ た 背 廣の 洋服に 佥緣 眼鏡で、 さう して 未だ 若い の に 森 有 禮かリ ンカ ー ン Q やう 

な 11$ を 生やして ゐ たやうな 氣 がする。 兎に角 それ迄に か、 つた 他 Q 御 醫者樣 の 概念と は餘 程ち が 

つ た 近代的な^ 洋人 風な 感じの する 國 乎であった。 

父が 話し好きで あつたから 大抵の 醫 師は來 ると ゆっくり 腰を据 ゑて 話し込ん でし まふ Q であつ 


238 


達 師 醫の憶 追 


たが、 この 楠 先生 もよ くお 愛想に 出した 葡萄酒の 杯 を 街んだり して、 耳新しい 醫學 上の 新學: 説な 

ど を 聞かせて くれた やうな 記憶が ある C この 人の 話した 色々 の 話の 中で 今でも 覺 えて ゐる Q は、 

外科 手術に 對 して 臆病な 人 や 剛膽な 人の 實 例の 話で ある。 或 一 寸 した 腫物 を 切 した だけで 腦貧 

血 を 起して 卒倒し 半日 も 起きられなかった 大兵 肥滿の 豪傑が 一 方の 代表者で、 これに 對 する 反 對 

に 氣の强 い 方の 例と して 舉 げられ たの は 六十 餘歲の 老婆であった。 舌癌で 舌の 右 だか 左 だか Q 中 

分 を剪斷 するとい ふので、 麻醉を かけよう としたら、 そんな もの は 要らない と 云って どうしても 

聞かない。 それで 麻醉 なしで この 出血 Q 甚 しい 手術 を 遂行した が、 おしま ひまで 一向に 平 氣で苦 

痛の 顏色を 示さなかった。 そ Q 後數 ヶ月た つて 後に 又殘 りの 半分 Q 舌が いけなく なった。 今度 は 

麻醉を かけよう か と 云 つ たら、 矢 張 承知し ない の で 义 素面で 手術 を 受け て とう 完,. せな *f:i 切 婆 

さんに なった とい ふこと であった。 そ Q 後が どうな つ たかは 聞か なか つ たやうな 氣 がす る。 

その 頃、 自分の 家で は あまり か、 ら なかった が、 親類で 始終 頼んで ゐた横 山 先生と いふ 面 C: い 

醫者 があった = 畸人と いふ 通稱 があった が、 併し 難儀な 病氣 の;^ ひ斷が 上手 だと 云 ふ 評判であった。 

或 時 山奥 の 又 山奥 か ら 出て 來た 病人で ど 0 醫 者に も診斷 のっかない 不 2 心議な 難病 Q 携帶^ が あ つ 

た。 横 山 先生の 處へ 連れて行 くと、 先生 は  一! E 見た だけで、 これ はぢ きに 直る、 毎日 上. 2: 米 を 何 


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合づ \ 焚いて はせ ろと 云った。 その 處方 通りに したら 數日 にして この: 力な 奇病 もけ ろり と 全 

快した、 とい ふので ある。 この 患者 は 生れて その 日まで 未だ 米の 钣と いふ もの を喻 つたこと がな 

かった とい ふ 話であった。 

小 松の 若 先生で も 楠 先生で も、 もし 無事 だったら 未だ 生きて 居られて もい" 年輩で あつたが、 

二、 共壯 年で 亡くなら た。 さう して 大人になる まで 生きる かどう かと 氣遣 は^た 自ハ刀 力 此等 

の 先生方のお かげで どうにか 生き延びて、 さう して 此 等の. 人達よりも 永生き をして ゐる わけで あ 

る。 (昭和 十 年 一 月、 實驗 治療) 


240 


學 科と 鶴 四 


鶴と 科學 


西 鶴の 作品に 就いては つい 近年まで 僅な 知識 さへ も 持 合せなかった。 ところが、 二三 年 前に 或 

偶然な 機會 から はじめて 「日本 永代 藏」 を讀 まなければ ならない 廻り 合せに なった C 當時 R 研究 

所での 仕事に 聯關 して 金米糖 Q 製法に 就いて 色々 知りたい と 思って ゐる ところへ、 矢 島 理學士 か 

ら、 西 鶴 Q 「永代 藏ー に その 記事が あると いふ 注意 を 受けた ので、 早速 岩波 文庫で そ 0 條項 を讀 

んで 見た。 そのつ いでに 此 書の その他の 各條も 讀んで 見る と 中々 面. WI いこと が澤 山に ある。 のみ 

ならす、 自分が これまでに 讀んだ 馬 琴 や 近 松 や 三 馬な ど、 は 著しく 違った 特色 を もった 作者で あ 

る ことが 感ぜられた C さう して これ を 手始めに 「諸 國咄 J 「櫻 陰 比 事」 「胸算用 J r 織留」 と 段々 に. 

讀んで 行く うちに、 そ Q 獨自な 特色と 思 はれる ものが いよ/ \ 明かになる やうな 氣 がする 0 であ 

つた。 それから 引續 いて 「五 人 女」 「 一 代 女」 「 一 代 Si -」 次に 「武道 傳來 記」 「武家 義理 物語」 「置 2 


土產」 とい ふ 順序で、 極く ざっと 一 と 通り は讀ん でし まった。 讀んで 行く うちに 自分の 一 番强く 

感じた こと は、 西 鶴が 物事 を 見る 眼に は何處 か科學 者の 自然 を 見る 眼と 共通な 點が あるら し い と 

いふ ことであった。 そんな こと を考 へて ゐた 時に 丁 度 改造 社 の 日本 文學 講座 に 何 か 書け とい ふ 依 

賴を 受けた ので、 もし 上揭 Q 表題で も 宜しければ 何 か 書いて 見ようと 云 ふこと になった。 云 は t 

背水陣 的な 氣 持で 引受けた 次第で ある。 そんな 譯 であるから、 この 一 篇は 畢竟 思 ひ 付く ま、 の隨 

筆であって、 もとより 論文で もな く、 考證 もので もな く、 寧ろ 一種の 讀後感 の やうな ものに 過ぎ 

ない。 この 點豫 め讀者 の 諒解 を 得 てお かなければ ならない ので ある。 

西 鶴の 人に 就いても 餘 りに 何事 も 知らな 過ぎる から、 こ Q 際の 參考 の爲 にと 思って 手近に あつ 

た 德富氏 著 近世 日本 國民 史、 元祿 時代 を 見て ゐ ると、 その 中に 近 松と 西 鶴との 比較に 關 する 蘇 峰 

氏の 所說 があって、 その 一節に 「西 鶴の 其の 問題 を取极 ふや、 概して 科學 者の 態度 だ。 乃ち 實驗 

室に 於て、 南京 鬼 を 注射す るが 如く、 若しくは 解剖 室に 於て、 解剖 刀 を 揮 ふが 如くであった、 云 

云」 とい ふの が あり、 又 「:s 鶴は撿 事で なければ、 裁判官 だ。 然も 近 松 は往々 辯 護 料 を 要求せ ざ 

る、 名 譽辯護 者の 役目 を、 自 から 進んで 勤めて ゐる」 とい ふの が ある。 さう していろ く 具體的 

の 作品に 關 して 西 鶴 近 松- m 者の 詳細な 比較 論が して ある。 


242 


學 科と 鶴 西 


この 所說を 見ても 西 鶴の 態度 を 科學的 と 見る とい ふ 兑方は 恐らく 多くの 人に 共 冠な 見方で あつ 

て 自分が 今玆に 事新しく 述べ る 迄 もない ことか も 知れない であらう が、 唯 自分が 近頃 彼の 作 ni を 

亂讀 してなる うちに 特に 心 付いた 若干の 點を 後日の 參考又 備忘の 爲に 簡單に 誌して おきたい と 思 

つた 次第で ある。 

第一に 氣の 付く 點は、 西 鶴が、 知識の 世界の 廣さ、 可能性 Q 限界の 不可 測と いふ ことにつ いて- 

可也 はっきりし た自覺 を もって ゐ たと 思 はれる ことで ある。 此の 點も亦 或 意味 に 於 て 科學 的で あ 

ると 云 はれな く はない。 

科學者 は實證 なき 何物 を も 肯定し ない と 同時に、 不可能で あ る と 實證さ れ ない 何物 Q 可能性 を 

も 否定して はならない 箸で ある。 尤も 科擧 者の 中には 往々 さう いふ 大事な 根 本義 を 忘れて、 自分 

の 旣得 の 知識 だけで は 決し て 不可能 を證 明す る ことの 出来ない 事柄 を 自分の 淺 はかな 獨斷 から 否 

定 してし まって、 あとで とんだ 恥 を かくと いふ 例 も 敢て稀 有で はない。 かう した 獨斷的 否定 は 寧 

ろ往々 にして 所謂 斯學の 權威 と稱 せられ 乂 自任す る 翰林院 學 者に 多い ので ある。 例へば ダイナ 乇 

の發 明に 際して 或 大家が その 不可能 を 論じた に 拘らす 電流が 遠慮なく 流れ出した Q は 有名な 話で 


243 


ある。 乂 若い 舉 士が屮 出した 或 可能 現象の 貪 驗的撿 水 を その 先生の 火 家が 一 言の 下に 叱り飛ばし 

たのが、 それから 數¥ の 後に 國 外の 學 者に よつ て そのお ぃ學士 によって 豫 測され た 現象の 實 在が 

證 明され たと 云 ふやうな こ とも 適に は ある やうで ある。 

然るに、 西 鶴 は その 著書 中に !:^  .、 「*: 界の廣 さ」 とい ふ 曾 葉 を 繰返して ゐる。 狹ぃ阈 土 { ^巾に 

限られた 經験だ けから 歸衲 して 珍 稀と m 心 はれる もの k :;^^ を^^:定し てはいけ ない とい ふこと を 何 

遍 となく 唱 へて ゐる。 先づ 「諸 國咄」 の 序文に 「世間の 廣き 事國々 を 見 めぐりて はなし QiJ を も 

とめぬ」 とあって、 湯 泉に 棲む 魚 や、 大 il#、 大竹、 二百 歳の 比丘:^ 等、 色々 の 珍ら しい も のが 

擧げて ある。 屮には 閻魔の 巾着、 浦 島の 火 打 箱な ど、 いふ 如何 はしい もの も あるに は あるので あ 

る。 叉 「諸 國咄」 の 一項に も 「おのく 廣き 佌 界を 見ぬ ゆ へ 也」 とあって 大蕪、 大鮒、 大山 芋 等 を 

並べ 「遠國 を 見ねば 合點の ゆかぬ 物ぞ かし」 と駄 =: をお し 「むかし 睡哦 C- さくげん 和 ^i!c- 人 席 あ 

そばして 後、 信 長 公の 御前に ての 物語に、 りゃう じゅせんの 御池の 蓮 はおよ そ 一 枚が 二 間 i:〃 

ほど ひらきて、 此 かほる 風 心よ く、 此#?-0 上に 晝寢 して 涼む 人 あると 語りた まへば、 信 長 笑 はせ 

玉へば、 云々」 と あり、 和 尙は信 長の 頭腦の 褊狹を 嘆いた と ある。 こ Q 大きな 蓮の 葉 は 多分 ヴィ 

クト リア • レヂァ の 廣葉を 指す ものと 思 はれる。 乂 「武道 傳來 記」 に は、 或 武士が 人魚 を 射と め 


244 


學科と 鶴 w 


たとい ふの を 意地 惡の 男が それ を 偽り だとい ふ。 それ を 第三者が 批評して 「貴殿 廣き 世界 を 三百 

:.;:Q 屋敷 G うちに 見ら る、 故な り。 山海 萬 MQ うちに 異風なる 生類の 有 まじき 事に 非す」 と 云つ 

たと して ある。 其 他に も 「永代 藏」 に は 「一 生 秤の 皿の 中 を ま はり 廣き 世界 を しらぬ 人と そロ惜 

けれ」 とか 「世界の 廣き事 思 ひ しられぬ」 とか 「智惠 の海廣 く」 とか 云って ゐる。 天晴 K 下の 物 

知顏 をして ゐる やうで 今 H から 見れば 可笑しい かも 知れない が、 彼 Q こ Q 心 懸け は 決して 惡 いこ 

とで はない ので ある。 

可能性. を 許容す るまで は科學 的で あるが、 それだけ では 科學 者と は 云 はれない。 進んで その 實 

證を 求め る の が 本當の 科學者 の 道で あらう が、 そ れ迄 を元祿 0 西 鶴に 求める Q は 聊か 無理で あら 

う。 

兎も角も 西 鶴の 知識 慾 Q 旺盛で あつ た 事 は 上述 Q 諸 項から も 知られる が、 併し 西 鶴の 知識 慾の 

向け ら れた對 象 を、 例へば 馬 琴 の それと 比較して 見る とそ こに 興味 あ る 差 逮を兑 出す こ と が出來 

るで あらう。 

江 戶 時代 隨 一 の 物知り 曲亭馬 琴の 博覽强 記と そ Q 知識の ii^ り 廻 はし 方は讀 者の 周知の 通りで 

ある。 八犬傳 巾の 龍に 關 する レ クチ ユア ー、 胡蝶 物語の 屮の酒 茶 論 等と 例 を 擧げる 迄 もない こと 


245 


である。 然るに 馬 琴の 知識 は その 主要な もの は 全部 机の 上で 書物から 得た ものである。 事柄の ft 

容 のみなら すその 文章の 字句 迄 も、 古典 ゃ雜 書に その 典 據を求 むれば 一 行 一 行に 枚舉に 暇がない 

であらう と 思 はれる。 

勿論 iiiw 琴 自身の オリ ヂナル な觀察 も少く はないで あらう が、 < 土體 として 見る とき は 彼の 著 n 曰に 

は 强烈な 「書庫の 句 ひ」 が ある。 その 結 として、 あらゆる 描寫 記載に リアルな、 生ま/ \ しい 

實感を 求める ことが W 難で ある。 馬 琴 自身の 自嘲の 辭と思 はれる 文句が 胡蝶 物語に ある。 「そな 

たの やうな 生物し り。 …… 。 廢 山に はかう いふ 故事が ある。 …… 。 和漢の 書 を 引て瞽 家 を 威し。 

しったぶ りが 一生の 疵 になって …… 」 とい ふので ある。 

51 鶴の 知識の 種類 は餘 ほど 鍵って ゐる。 稀に 書物からの 知識 も あるが、 それ は 如何にも 附燒刃 

の やうで 直接の 讀 書に よる ものと 出 心 はれない のが 多い。 彼の 大多数の 知識 は 主として 耳から 這 入 

つた-斗 學 問と、 さう して、 彼 C 身の 眼から は ひった 觀 察の ノ ー トに據 る ものと 思 はれる。 

彼が 新 知識、 特に オラ ンダ 渡りの 新 知識に 對 して 強烈な 嗜慾を もって ゐ たこと は 到る 處に 明白 

に 指摘され るので あるが、 さう いふ 知識 を 何 鹿から 得た か 自分 は 分からない。 併し 「永代 藏」 屮 

の 一節に 或利發 商人が 商賫に 必要な あらゆる 經濟ニ ュ I スを 蒐集し 記錄 して 「洛中の 重寶」 と 


246 


學 科と 鶴 西 


なった こと を 誌した 屮に T 木 藥屋吳 服屋の 若い者に 4^ 崎の 様子 を 尋ね」 とい ふ 文句が ある。 「龍 

の 子」 を廿. m で 買った とか 「火 喧 鳥の 卵」 を 小判 一枚で 買った とかい ふ 話 や、 色々 の 輸入品の 棚 

ざら へ などに 關 する 資料 を 西 鶴が 宽 集した 方法が この 簡單な 文句の 中に 無意識に 自白され てゐる 

〇 ではない かとい ふ氣 がする。 

かう した 外 國仕人 の 知識 は 何と いって も 貧弱で あるが、 手近い 源泉から 採取した 色 々 の 知識の 

うちで 特に 目立つ て 多い もの は雜 多な テ クー 一 カル な傅授 もの 風の 知識で ある。 例へば、 「永代 藏」 

では 前記の 金米糖の 製法、 蘇 枋染で 本 紅 染を獏 する 法、 弱った 鯛 を 活かす 法な どが あり、 「織 留」 

に は懷爐 灰の 製法、 鯛の 燒 物の 速成 法、 雷 除の 方法な ど、 「胸算用」 に は 日 触で 曆を驗 す こと、 油 

の 凍結 を 防ぐ 法な ど、 「櫻 陰 比 事」 に は 地下水 脈驗出 法、 血液 撿^ に關 する 記事、 脈搏で 罪人 を撿 

出す る 法、 烏賊 墨の 證文、 橙 汁の あぶり 出しな どが ある。 

詐欺師 や 香具師の 品 玉 や テク 一一 ッ クには 「永代 藏」 に 狼の 黑燒ゃ 閻魔 鳥 や 便 覽坊が あり、 對馬 

行の 煙草 0 話で は 不正な 輸出 商の 奸策を 喝破して ゐる など 現代と 比べても 屮々 面白い。 「胸算用, 一 

に は 「仕 かけ 山伏」 が 「祈り 最中に 御幣 ゆるき 出、 ともし 火 かすかに なりて 消」 ゆる 手品の 種 明 

かし、 樹皮 下に-^ 桂 を 注射して 立 木 を 枯らす 法な ども ある。 


247 


かう いふ 種類の 資料 は 勿論 馬 琴に も あり 近 松で さへ 無く はないで あらう が、 唯 これが 西 鶴の 巾 

では 如何にも リアルな (扛感 を もって 生きて 働ら いてお る。 これ は 著者が 特に さう した 知識に 深い 

g ハ味を もつ てお た爲 ではない かと 思 はれる。 

"€1 鶴が かう い ふテ ク 一一 カルな 方面に 於け る 「獨 創」 を 尊 ilsi したの みならす、 それ を 以て 致 富 Q 

•  ,ス訣 と考 へて:; 5 たこと も 彼の 著書の 到 慮に 窺 はれる。 例へば 「永代 藏」 の 中で は 前記の 紅染 法の 

發 明が あり、 「工夫の ふかき^」 が稷々 の 改良 € ^具 「こまざら へ」 「後 {啾 倒し」 「打 綿の 唐 品」 など 

を 製 出した^、 蓮の 葉で 味^ を.: む 新案、 「行水 舟」 「刻 布」 「ちゃんぬ りの 油 土器」 「しぼみ 形 

の, 入、 外の 人 Q せぬ 事」 で 三^- 吶を ijf けた 話に は 「いかに はんじゃ うの 所 なれば とて 常の はた 

らき にて 長者に は 成が たし」 など、.. ム つてん る。 どんな 行きつ まった 世 0 中で も オリ ヂナ ルなァ 

ィ, ティ 了 さ へ あれば いくらでも 金 けの 道 は あると いふの が 現代の ヤン キ ー 商人の モ ッ ト ー であ 

るが、 この 事 を 元祿の 昔に 西 鶴が 道破して ゐ るので ある。 木綿 をき り資の 手拭 を 下 谷の 天神で 寶 

川した 5^ の 話 は 神お 外苑の パン、 サ イダ l_s=; を 想 はせ、 「諸 國咄」 の 終に ある、 江 尸 巾の 町 を 歩い 

て i?^ ちた 金 や 金物 を 拾 ひ^めた s?: の I^is は、 近: 屮隅 E 川 n の 泥 ざら へで 儲けた 人の 話 を 想 出させて 

い I n い。 これの 高 じた もの が 沈沒船 引上げ の 魂膽 ともな るので ある。 


248 


學 科と 鶴 ffi 


火して 金儲けに は關係 はない が、 「織^」 の 巾に ある 猫の 蚤 取 法 や、 咽喉に さ、 つた 釣針 を外づ 

す 法な ども 獨創的 巧智の 例と して 擧げ たものと 見られる。 

それ は 兎に角 西 鶴の オリ ヂナリ ティ,' G 尊 市 :0 中に も、 两 鶴の 屮 の科學 的な耍 素の 一 つ を 認め 

る ことが 出来る かと 思 はれる。 

次に は、 「樱陰 比 事」 に 最も 明 ねに 現 はれて ゐる两 鶴の 「探侦 趣味」 とも 稱 すべき ものが、 此れ 

も 亦 或 意味で は 西 鶴の 巾 C 科擧^ Q. 向貌 を. 出した ものと 云 はれる であらう" 尤も この 短篇 探侦 

小說に 於け る 判^の 方法 は 甚だしく 直觀的 _§!<素0 勝った もので 解析 的 論理的な 要素に は 乏しい と 

云 はねば ならない が、 はし 現代 科舉の 研究 法の 巾に も 食 はこ Q 直觀的 素が 極めて 重要な も ので 

あって、 これな しに は 科學の 本質的な 進歩 は^ど 不可能で あると 云 ふこと はよ く 知られた ことで 

ある。 兎に角 さう いふ 見方から 两 鶴の 探愤 趣味と その 方法 を觀 察する の も 一 興で あらう。 

例へば 殺人罪 を 犯した 浪人の 一 圑 の隱れ 家の 見當 をつ ける のに、 HI 隱 しされて 其處へ 連れて行 

かれた 醫者が 其 で 聞いた とい ふ!! 一 比 苞の昔 や、 或 特定の 日に 早朝の 街道に 聞こえた 人通りの 聲な 

ど を 手掛り として、 先づ 作業 假說を 立 て、 次にそのヴ^!リフィケ!-ション を途 行して 、 結局 眞相 

をつ き 止める とい ふ 行方 は、 科舉の 方法と 一脈の 相 通す る 所が あると 云 はれる。 义 例へば 山伏の 


249 


拉 汁の 炙 出しと 見當 をつ けてから、 それ を撿證 する 爲に撿 查實驗 を 行つ て 詐術 を 實證觀 破す るの 

も 同様で ある。 「十 夜の 半弓」 「善 惡 ふたつの 取 物」 「人の 刃物 を 出しお くれ」 などに も 同じ 様な 

筆法が 見られる。 

义 一方で、 彼の 探偵 物に は 人 問の 心理の 鋭い 洞察に よって 事件の 眞相を 見 拔く例 も澤山 ある。 

例へば 毒殺の 嫌疑 を 受けた 十六 人の 女中が 一室に 監禁され、 明日 殘らす 拷問す ると 威され る、 さ 

うして 一 同 新調の 賴 (すに し) のかた びら を 着せられて 幽囚の 一 夜 を 過す ことになる。 さう して 

翌朝に なって 銘々 の銷 帷子 を 調べ 「少しも 皺の よらざる 女! 人 有」 それ を 下手人と 睨む とい ふの 

が ある〕 「,:^ に覺 なき はおの づ から 樂寢 仕り 衣裳 自ら 自墮 落に なりぬ。 义 おのれが 身に 氣遣ひ あ 

るが ゆへ 夜もすがら 心 やすから や。 すこしも 寢 ざれば 勝れて 一 人 帷子に 皺の よらざる を 吟味の 稀 

に 仕 候」 と ある。 小ノし 無理な 處も あるが、 狙 ひ處は 人間の かくれた 心理の 描寫 にある。 此の ー篇 

で、 幽閉され た 女中 等が 泣いたり 讀經 したりす る 中に 小哏を 歌 ふの や 化物の まねして 人 をお どす 

Q があった りする の も 面白い。 其 外に も、 例へば 「人の 刃物 を 出しお くれ」 「仕 もせぬ 事を隱 しそ 

こな ひ」 の やうな 諸篇 にも 人間の 機微な 心理の 描寫が 出て 居る。 「白浪のう つ 脈 取坊」 に は 犯罪 

被疑者が 其 性情に よって 色々 とその 感情 表示に 差逮の ある こと を 述べ 「拷問」 の 不合理 を諷諫 し、 


250 


學 科と 鶴 西 


實 ^心理的な 脈搏の 檢査を 推賞して ゐ るな ども その 精神に 於て は科學 的と いはれ なく はないで あ 

らう。 「小指 は 高く \ り の覺」 で 貸借の 举議を 示談させる 爲に借 方の 男の 兩 手の 小指 をく., り 合 

せて 封印し、 貸方の iR に は 常住 坐 臥 不斷に 片手に 十露盤 を 持つべし と 命じて 迷惑させる の も 心理 

的で ある。 H チォ ピアで 同様の 場合に 貸方と 借 方 一 一人の 片脚を 足枷で 縛り 合せて 不自由させる と 

いふ 話と 似て 居て 可笑しい。 又 有名な 「三人 一 兩損」 の 裁判で もこれ を 西 鶴に 扱 はせ ると その 不 

自然な 作り事の 化の 皮が 剝 がれる から 愉快で ある。 勿論 此 等の 記事 は 何處 迄が 事實 で 何處か ら が 

西鹤 Q 創作で あるか は 不明で あるが、 いづれ にしても 此 等の 素 村の 取扱 方に 著者 Q 心理 分析 的な 

傾向 を 認めても 不都合 はない 害で あらう と 思 はれる。 

これ 等 Q 心理的 寫實を 馬 琴 や 近 松の それと 比べ て 見る と 後者の 不自然 さが 目立って 來る やうで 

ある。 後者 等 は 大體に 於て 人間 心理 を 傳統的 理想の 鑄 型に嵌めて 活動 させて ゐる としか 思 はれな 

いのに 反して、 西 鶴 だけ は 自分自身の 肉眼で 正視し 洞察し 獲得した 實證的 素 村 を 赤裸々 に 記錄し 

てゐる 傾向が ある。 

西 鶴の 人間に 關 する 觀察 歸納演 II の 手法 を 例示す る ものと して は 又 「織 留」 中の 「諸 國 Q 人 を 

見し るは仆 勢」 に、 取 付 蟲の壽 林、 ふる^の 淸 春と いふ 二人の 歌 比丘尼が、 通りが、 りの 旅客 を 


251 


: した だけで その 鄕國ゃ 職業 を兑拔 く、 シャ ー ロック , ホ— ル ムス 的の 「穿ち」 を も舉げ てお 

きたい" 

科舉 者と しても 理論的 科 M 〈^でなくて 何處ぉ I も赏 0、 的科擧 おであった 两 鶴が、 乂 人間の 經驗の 

5 ゥ 熟練 の效 を 尊^した の は常然 G- ことで ある。 さう した 例と して は 「?^闲 咄」 屮の 水: 冰 Q 逹 

人,ゾ41、^?§^ぃ曲藝の,\^ 义 「力なし の 火佛」 の 色々 の 條项を 舉げる ことが 出来る。 「櫻 陰 比 事」 

の 「叫 つ 五 器 かさねての 御意」 など もさう した 例で あると :!: 時に 西 鶴の 實證 主義 を 暗示す る もの 

と 兑られ る。 

彼の赏|^干;^寫赏主義の现はれとしてその,にょって記錄された雜多の時代*:相風俗資料は近 

-!5 或人途 の稱 へる r 考現舉 的」 の- >: 場から 兑て 中: 只^ な 材料 を 供給す る ものである こと は 周知な こ 

とで ある。 例へば當時の窗人の!:^^-^の食況から市井-级店の風景、 質屋の 出入、 .{ 牛屋の 生活と 云つ 

たやうな ものが 窥 はれ、 美食 ^や Bi バ食 { 氷が どんな もの を t "ん だか 分かり、 琪末 なやうな ことで 

は、 例へば、 离 ¥0、  ;.; (鉛 か) などの;!^ 在が 知られ、 江 戶で蠅 取 蜘姝を 愛玩した 事 實が窺 

はれ、 北闹 の^ 深さが 一 丈 三尺、 稀 有の 降 111 の 一粒の 口 方が 八 匁 五分 六 分と 數 字が 出て 居る。 

好色 物に 於け る當 時の 性的 生沾の 記錄に 就いては 云 ふ も 管で あらう。 


252 


學 科と 截西 


實證 的な!: 鶴の マテ リア リズ ムは彼 Q 「5- 人 も Q」 Q 到る 處に現 はれて ゐ るので あるが、 「、水 t 

藏」 にある 「其 種なくて お 者に なれる は獨り もなかり き」 とい ふ (re 葉 だけから も その 一端 を 想像 

される C 彼 は 艇ハ味 本位 Q 立場から 色々 な!^ 奇をも 說 いて は W るが、 腹 Q 屮 では 常時:;:;: はれて ゐた 

各種の 迷信 を 笑って ゐ たので はない かと 思 はれる 節 も 々に 見える。 「櫻 陰 比 事」 で 偽 山伏 を: f ホ 

露し 埋佛詐 偽の 口 S 玉 を 明かし 、「一代?^ 屮 0 「命; ての 光物」 では 火の玉の 正 體を現 はし、 r 武迅 

傳來 記」 の 一 の 三で は鹿嶋 Q 神託の^ 八 百 を 笑って ゐる。 

この 迷信 を 笑 ふ 西 鶴 の 態度 は讕 つて 色々 Q  ^§  $ となる の は當然 Q 成 行で あらう. - 例へ ば 

「諸 國咄」 では 義經 やその 從^  cyfDi^n 棚卸しに 人 Q 臍を撚 り、 「一 代女」 には自哜-落女のさま/^ 

の 暴露が あり、 「一代 男」 に は 美女の あら 捜しが ある。 

此の やうな 批判の 態度 を もって 西 鶴が 當 時の 武士道の 世界 を 眺めた ときに、 この 特^な 界が 

如何に 不合理に 見えた かとい ふこと は 想像す るに 難くない Q であ る。 巾 來 ffi 鶴 の 武{. ^物 は觀 {^ ム が 

淺薄 であり、 要するに 彼 は 武士と いふ ものに 對 する 認識 を缺 いて ゐ たとい ふ 0 が從來 Q 定評の や 

うで、 これ もー應 尤な考 方で あると 思 ふが、 併し これに 就いて 多少の 疑がないでも ない。 「武逬 

傳來 記」 に列擧 された 仇 討 物語の どれ を 見ても、 マテリアリスト Q 眼から 見た 武士 第 質 Q 不合 1 


253 


と矛盾の忌博なき描^:;!と見られなぃものはなぃ。 

「武 { さ峩理 物語」 の 三の 一 に 「すこし Q 鞘 とがめな どい ひつの り、 無用の 喧嘩 を 取む すび、 或 

は 相 手を切 ふせ、 宵 足よ く- >: のく を、 侍の 本意の やうに 沙汰せ しが、 是 ひとつ Q 道なら す。 子細 

は、 其 主人、 自然の 役に立ぬべし ために、 其 身 相應の 知行 を あたへ 置れ しに、 此恩は 外にな し、 

.E 分の 事に、 身 を 拾る は、 天理に そむく 大惡 人、 いか 程の 手柄 すれば とて、 是を 高名と はい ひ 難 

し」 と はっきりした 言 紫で 本末の 取りち がへ を 非難して むる。 して 見る と、 これ 等の 武家物 は 決 

して 此の 如き 末世 的 武士道 を禮 讚し 獎勵 する つもりで はなく、 1^ 對に その Hit 鹿ら しさ を强 調し 諷 

諫 する やうな 心 持が 多分に あつたの ではない かと も 想像され る。 併し 又、 西 鶴 Q やうな 頭 0 い-^ 

觀察 者が、 眞の 武士道 Q 中の 美 點をも 認める ことが 出来なかった と は 想像され ない。 さう した 例 

も 實際搜 せば 處々 に は 散在す るので ある。 

それ は いづれ にしても、 武士道とぃふものに對しても西鶴が獨自の見解をもって!5^^て、 そ 0 不 

合理と 矛盾から 起 る 弊害 を 指摘す る 心 持が あつたで あらう とい ふ 想像 は、 マテリアリスト として 

の 彼の 全體 から 制斷 し推测 して それほど 無^な も 0 ではない と 思 はれる ので ある。 

:i 愛に 關 する 鶴の 考 にも 可也 獨 S な ものが あり、 傳統 的な 性の 道德に 批判的 Q 眼 を 向けて 居 


254 


TO と 鶴 西 


たやう に 思 はれる C その 一例と も 見られる Q は、 「諧 國咄」 の屮の 一 忍び 扇の 歌」 に、 或 高 食な 

姬 君と 身分の 低い との 戀愛 事件が :: 群 藤して sf^ は卽 座に 成敗され、 姬には 自害 を勸 める と、 姬は 

斷然 その 勸吿を はねつけて 一流の r 不義 論」 を 陳述した とい ふ 話が ある C その 姬の言 紫 は 「我 命 

おしむ に は あらね ども、 身の上に 不義 はなし. - 人間と 生 を 請て、 女の 男 只 一人 持 事、 是 作法 也。 

あの 者 下. をお も ふ は是緣 Q 道 也。 おのく 世の 不義と いふ 事 を しらす や。 夫 ある 女の、 外に 

HR を 思 ひ、 または 死^れて、 後 夫 を 求る とて、 不義と は 申べ し. - sf^ なき 女の 一 生に ; 人の 男 を、 

不義と は 申され まじ。 义下. <,.\ を 取 あげ、 緣を くみし 事 は、 むかしより ためし 有。 我 すこしも 不 

義には あらす、 云々」 とい ふので ある.〕 現代なら 可也 保守的な 女學 者で も 云 ひさうな ことで ある 

が、 鬼 も 角 もこれ は 西 鶴 自身の 一種の GI 由 戀愛論 を姬君 Q  口 を 借りて 曾 明した ものである ことに 

は 疑 は 無いで あらう C それ は 常 代に あつ て は 隨分ラ ヂ カル な 意見で あらう と 思 はれる。 

彼の好色物に現はれた性生活の諸相の精細な描^^^記錄は、 こ 0 人間界の 最も 深刻な 事 實を事 食 

として 客觀 的に 集輯 した も ので あるに は 相違ない が、 彼が さう いふ もの を 著述す る 際に 於け る 彼 

の 態度が、 果して 動物の 觀察 者が 動物の 生活 を 記載す る 場合と 问じ ものであった かどう か は 疑問 

である。 勿論 大衆 讀 者と いふ もの を 意識して ゐる こと は 云 ふ 迄 もない ことで あるが、 併し、 もし 


255 


も 彼の 中に 傅統 的な 戀愛道 德觀が 強烈に 活 きて はたらいて ゐ たら、 かう いふ、 常 寺と して i 破广、 

荒な もの を *E く氣に はなれなかった であらう と 想像され る。 さう いふ 方向から 昆 ると、 巧 ii^ 

代と して は 非常に 飛び離れた 性 道德觀 の!:;; £ 奉 者で あつたと 思 はれない こと もない。 少く も、 戀愛 

の 世界 を 勸摔懲 51 ぢ繩 張から 解放すべき ものと 考 へて ゐた Q ではない かと m め はれる ふしが 少 くな 

いので ある。 

これ 等の 武士道 觀、 戀愛觀 は、 或 意味から 兎も角も 唯物論 的な .g 鶴 Q 立場 を 窺 はせ る 窓 n とな 

る もので ないかと 3 わ はれる。 

「永代 藏」 巾に 紹介され た 致 富の 妙藥 「長者 丸」 の爐方 、「織 切」 Q 中に 披露され た 「長壽 法」 

の 講習に も、 その 到る 處に彼 一 流の 唯物論 的 虑世觀 といった やうな ものが 織り込まれて 居る。 

これ 等 は、 W 鶴 一流と は 云 ふ もの \ 常 時の R 本人、 殊に 町人の 問に 彌漫 して. ゐて、 しかも ま 

識 されて は!! ig なかった^ 在: E ゐ想 を、 鶴の 冷靜な 科舉者 的な 股 光で 觀 破し 摘出し 大膽に 日 if," に嗎 

した も Q と见る こと は 出来よう。 もしも さう でなかった らいかに 彼の 名文 を もってしても、 賽雖 

の 十露盤に 大きな 註 ひ を 生じた であらう と はれる。 


256 


學 科と 鶴 西 


要するに 西 鶴が 冷 靜不! i な 自分自身の 眼で 事物の 眞相を 洞察し、 證 のない^ 在 を 蹴飛ばして 

眼前 現;:^ の 事實の 上に 立って 世界の 縮 圖 を 書き上げよ うとして ゐる點 が、 或 意味で 科學 的と 云つ 

て も 大した 不都合 はない と 思 はれる。 

科舉 者に も 色々 の 型が ある。 馬 琴 型の 立派な 科 舉者も 決して 稀で ない。 所謂 アカデミックな 

學 界の權 威に はこの 型が 多い。 併し 乂 一  方で^ 鶴 型の 優れた 科 學者も 時に 出現し、 さう して さう 

いふ 學 者の 中に 往々 劃期的な 大發 見、 破: 人 荒の 火 理論 を 什 遂げる 人が 生まれる やうで ある。 科學 

全體 としての 飛躍的な 進歩 は 唯 後者 によって 成さる、 と 云って も 過:  一一 一 C ではない。 

西 鶴 を 生んだ 日本に、 w 鶴 刑. - の科舉 者の 出現 を 望む の は必す しもお 顿 めでない 害で あるが、 唯 

さう いふ 型の 作者 は 時に ァカデ ミ ー の 咎め を 受けて 成敗され る危險 がない. とも 限らない。 これ も、 

何時の 世に も變ら ない 浮世の 事實 であらう。 

餘談 では あるが、 西 鶴の 文章に は、 例へば 馬 琴な ど、 比べて、 簡單な 曾 葉で 實に 生ま/ \ しい 

實感を 盛った ものが 多い。 例へば、 琪 末な 例で あるが 「武 逬傳來 記」 一 の に、 女に 變裝 させて 

送り出す 際に 「風俗 を 使 やくの 女に 作り、 眞 紅の 網袋に 葉 付の 蜜柑 を 入」 て 持たせる 記事が ある。 


257 


この 網袋 入の 蜜柑の 印象が 强烈 である。 又 例へば 「櫻 陰 比 事」 二の 三に ある 埋佛詐 偽の 項 中に、 

2 

床下の 土 を 掘っても 佛 らしい もの は 見えす 「口 欠の 茶壺 又は 消 炭 蝶からより 外 は 何もな かりき」 

と ある。 かう いふ 風に、 聯想の 火薬に 點火 する ための 口火の やうな も 〇 を 巧に 選び出す 伎倆 は、 

恐らく 俳諧に 於け る 彼 Q 習練から 來 たもので はない かと 思 はれる。 もう 一 つ 0 例 は 「一 代 女」 の 

終て 近く、 ヒ 2 イン 0 一  代の 薄暮、 多分 雨の そぼ 降る 折 柄で もあった らう 「おも ひ 出して 觀 念の 

窓より 覼 けば、 蓮の 葉 笠 を 着た る やうなる 子供の 面影、 膝より 下 は 血に 染みて、 丸十 五六 程 も 立 

ならび、 聲の あやぎれ もな くお はりよ/,^ と 泣きぬ、 云々」 と ある、 これが 昔お ろした 子 # の 亡 

魂の 幻像であった とい ふので ある。 實に 簡潔で 深刻に 生まく しい 記載で ある。 蓮の 葉 は 恐らく 

胎盤 を 指す もので あらう か C かう いふ 例 は 到底 枚擧 する 暇の ない ことで あらう。 

錯綜した 事象の 渾沌の 中から. 王耍な もの 本質的な もの を 一 目で 見出す 力の ない ものに は、 かう 

した 描寫は 出来ない であらう。 これ は 併し、 俳諧に も科學 にも、 その他の 凡ての 人間の 仕事と い 

ふ 仕事に 必要な ことか も 知れない ので ある。 

西 鶴に 就 いて はな ほ 色々 述べたい こと も あるが、 此處で は 唯 表題 に關係 の あ る と 思 はれる 事項 


の 略述に 止めた。 甚だ 杜撰な ディレッタントの 囈 語の やうな ものであるが、 一 科舉 者の 立場から 一 

、 見た 元 綠 の 文豪の 一 つの 側面 觀 として、 多少の 參考 乃至 はお 笑 草と もなら ば大 幸で ある。 

.  (昭和 十 年 一 お、 n 本文 學 講座) , 


昭和 九. ¥ 九月 十三 日頃 _ お 洋パ ラオの 南東 海上に 跪 風の 卵子ら しい ものが 現 はれた。 それが 大體 

北西の 針路 を 取って ざっと 一 査 夜に 百 M 程度の 速度で 進んで 店た。 十九 日の 晚 丁度 臺灣の 東方に 

達した- S から 針路 を 東北に 轉 じて 二十日の 朝 から は 琉球列 に 略 平行して 進み出した。 それと 

I:? 時に 進行 速度が 投々 に 大きくな り 巾 心の 深度が 增 して 來た。 二十 一 日の „ 十 朝に 中心が 室 戶師附 

近に 上陸す る 3^ に は 颱風と して 可能な 發逵の 極度に 近いと m 心 はる  > 深度に 達して. M 戶岬 測候所の 

觀測 滞に 六 八 四 .〇 耗と いふ 今迄 知られた 最低の;; i 面 氣壓の 記 錄を殘 した。 それから こ Q 動 風 Q 

屮心は土^の束端沿£;^の山づたひに德島の方へ越ぇた後に六吸^^^」その抬圓のぉ軸に沿ぅて縱斷 

して 大阪 附近に 上陸し そこに 用意され て た數々 の 脆 な 人 H 物 を # 倒した 上で" 炎に 京都の 附近 

を 見舞って 暴れ 廻りながら 琵-粒 湖上に 出た。 その から そろ/ \屮 心が 分裂し はじめ 正午 に は 


俎雜風 


新 潟 附近で 三つ 位の 中心に 分れて しまって 次第に 勢力が 衰 へて 行った のであった 

此動風 は 曰 本で 氣象觀 測 始まって 以來、 器械で 數 量的に 觀 測され たもの 、屮 では 最も 顯 著な も 

Q であった 0 みならす、 それが 適 f 日本の 文化的 施設の 集中 地域 を 通過して、 云 は^ 跪 風と して 

の 最も 能率の 好い 破壤 作業 を 遂行した。 それからもう 一 つに は、 此の 年に 相 踵いで 起った 色々 の 

災害 レビ ュ 1Q 終幕に 於け る 花形と して 出現した 爲に、 その r 災 {4" 愤愤」 が 一 層 高められ たやう 

である。 そのお かげで、 それ迄 は此 世に 於け る 殿 風の 存在な ど は 忘れて ゐ たらしく 兑 える 政ュ m 界 

經濟界 の 有力な 方々 が 急に 跪 風 並に それに 聯關 した 現象に よる 災害の 防止法 を科學 的に 研究し な 

ければ ならない とい ふこと を, 王唱 する やうに なり、 結お 赏際 にさう いふ 研 究機 關が設 -乂 される こ 

とに なった と い ふ 噂で ある。 誠に 喜ぶ ベ きこ とで ある。 

この やうな^ 風が 昭和 九 年に 至って 突然に 日本に 出現した かとい ふと さう ではない やうで ある _ 

昔 は 氣象觀 測と い ふ ものが なか つ たから 遗憾 ながら 數 量的の 比較 は 出来ない が、 併し 古来の 記錄 

に殘 つた 暴風で 今度のに 匹敵す る もの を 求めれば、 恐らくい くつで も 見付かり さうな 氣 がする 

ので ある。 古い 一 例 を擧げ れぱ淸 和" 大皇の 御代 貞觀 十六: 牛 八月 廿 W 日に 京師 を 襲った 大風 •€ では 

「樹木 有名せ 吹 倒、 rM: ルせ 舍、 人民 居廬、 罕有全 者、 京 :3 衆 水、 :§長 七 八 尺、 水流 迅激、 直衝城 


261 


下、 火 小;^!;^、 無 有 孑 遣、 云々」 とあって 水害 も ひどかった が 風 も 相 强 かったら しい C こ 〇災 

害の あとで 「班將哉^^^祌、 祈 止 風. 啪」 或は 「向 柏 山陵、 巾 謝 風水 之灾」 と 云った やうな その 

時代と して は 適 常な^ 止 策が 行 はれ、 义! も甚 しく 風水 寄 を 被った 三千 百 五十 九 家 Q 爲に 「開 倉 

廩賑給 之」 とぃふ應^^^ぉ後策も施されてゐる。 比較的 新しい 方の 例で 自分の 體驗の 記憶に 殘 つて 

ゐ るの は 明治 三十 一 一年 八:^ 廿八 R,.:2 知 市 を 襲った もので、 舉校^ 院 劇場が 多 數倒壞 し 市の 東端 吸 

江に 架した お 橋お 柳 橋が 風の 力で 横倒しに なり、 资城 天守閣の 頂上の 片方の 號が 吹き飛んで しま 

つた。 此の 新 二つ の 例 は いづれ も 動 風と して 今 庇の 所 ii< ザ 尸 殿 風に 比べて それ 程 ひどく ひけ を 

とる ものと は m 心 はれない やうで ある" 明:!^から^::舰迄約千ハ牛の問にこ の程度の 殿風が凡そ何:^位 

日本の. 屮央部 近く を 襲った かと m わって 考 へて 兒 ると、 ^りに 五十^に ー囘 として 二十; s、  二十 年 

に  一 として; A 十囘 となる 勘定で ある。 

風の 强 さの 程度 は 不明で あるが^ま を ゆった 暴風と して 記 錄に殘 つて ゐる もので は、 貞觀 より 

も 卜; I い :大武 火皇 時代 か ら效將 叫.. 卟迄 に十餘 例が 舉 げられ てゐ る。 

千た やの 間に 二十 3: とか 三十 囘 とい へば 矢 張. 稀 有と いふ 形容詞 を 使っても 不! g 常と は 云へ ないし- 

::: 前にの み氣を 使って ゐる 政治.; J ^や-伐 業 {¥违 が 忘れて ゐ ても不 3^ 議 はない かも 知れない。 


262 


俎雜 Slit 


かう した 極端な 程度から 少し 下った 屮等 程度の 齢 風と なると、 その 頻度 は E 立って 增 して 来る „ 

やっと 跪 風と 名のつ く 程度の もの 迄 も 入れ、 ば 中部 n 本 を 通る もの だけで もハ やに 一 つや 二つ 位 は 

いつでも 數 へられる であらう。 遗憾 ながら 未だ 颱風 Q 深度 對 頻度の 統計が 十分に 出来て ゐ ないや 

うで あるが、 さう した 統計 は 矢 張災. い 対策の 基礎 资料 として 是非共 必" 耍な もので あらう と 思 はれ 

る 0 

齢風災 1}^:; 防止 研究 機關 Q 設立 は 喜ぶべき 事で あるが、 もしも 設立者 Q 要求に 科學 的な 理解が 伴 

つて ゐ ない とす る と 硏究を 引受け る 方 の 學者违 は 筏 n 火變な 迷惑 をす る ことにな り はしない かと 

いふ 取 越 苦勞を 感じない わけに は 行かない やうで ある。 設立者と しての 政治. IJT 出资 者と しての 

肘 围ゃ责 業 家 達が、 一 一三 年 か 四 五 3f も硏究 すれば 颱風の 豫 知が 完全に 的確に 出來る やうになる も 

Q と 思 込んで ゐる やうな こ とがない と は 云 はれない やうな 氣 がする からで ある。 

殿 風に 關 する 氣象 ゆお 研究 は 或 意味で は 今日で も 可也 進歩して 居る。 就中 本邦 舉者 Q 多年 〇 

熱心な 研究 Q おかげで 颱風の 構造に 關 する 知識、 例へば 動 風 倒 內 に 於け る氣 壓氣溫 風速 降雨 等の 

穴.^ 問 的 時間 的 分布 等に ついては 中々 詳しく 調べ 上げられて ゐ るので あるが、 肝心の 跪 風 Q 成^に 

ついては 未だ 何等の 定說 がない 位で あるから、 出來 上った 齢 風が 一 一十 四時^ 後に 强 くなる か弱く 


263 


なる か、 進路 を どの 方向に どれ だけ 轉す るかと いふ やうな I 番 大事な 事項 を 決定す る 決定 w 子が 

どれ だけあって それが 何と 何で あるかと いふ やうな 問題に なると 未だ 殆ど:::: 鼻も附 かない やうな 

欣況 にある。 

南 作に 發 現してから 徐々 に 北西に 進み^ 灣の 東から 次第に 北東に 轉 向して 土 佐 沖に 向って 進ん 

で來 さう に 見える とい ふ點 まで は 今度の 齢 風と 殆ど 同じ やうな 屈- M 書 を 持って 來 るの がいく らも 

ある。 併し それが ふいと 見當 をち がへ て轉 して 兌たり、 乂 不明な 原 W で 勢力が 衰 へて しまって 

輕 い- 滅 位で すんで しま ふこと が 暦、、 あるので ある。 

轉 向の lgw、 勢力 消長の 決定 W 子が 徹-; ^的に 分らな い^り、 一時 後の 豫報は 出来ても! 晝夜 

後の 情勢 を 的確に 豫報 する こと は赏は 甚だ W 難な 狀況 にある ので ある。 

此 等の 极本的 決定 w 子 を 知る に は 一 體何 處を搜 せば よい かとい ふと、 それ は 恐らく 跪 風の 全 勢 

カを俱 給す る大 源泉と 思 はれる 北太平洋 並に 亜細亜 大陸の 大氣 活動 中心に 於け る 氣流大 循環系統 

の 可也 明確な 知識と、 その-:—: 要 循環系の 周 HE に隨 作す る多數 の- n 低氣 顧が 相互に 及ぼす 勢力 交換 

作用の 知識との 中に 求むべき もの k やうに 思 はれる。 それ 等の 知識 を 確實に 把握す る 爲には 支那 

滿洲两 比 利 亜 は 勿論の こ と、 北太平洋 全面から ォホ ッ ク 海に 互る 海面に かけて 廣く 多數に 分布 さ 


264 


俎雜風 81 


れた觀 測點に 於け る 海面から 高層 迄の 氣象觀 測 を 系統的 定時 的に 少くも 數十ハ 牛繼賴 する ことが 望 

ましい ので あるが、 こ. れは現 時に 於て は 到 is. 期待し 難い 大事 業で ある。 唯 さし 當 つての 方法と し 

ては南洋ま那滿洲に於ける觀測並に通!:;^機關の充赏を計って、 それによ つて 5:! られる 村 料 を 基礎 

として 應急 的の 研究 を 進める 外 はないで あらう。 

自分の 少しば かり 調べて 見た 結 では、 昨年 Q 動 風の 場合に は、 M 時に 滿洲の 方から 現 はれた 

二つの 副使 氣壓と 南方から 進んで 来た 主要 殿 風との 相互作用が この 跪 風の 勢力 ^犬に 參與 したや 

うに 見える Q であるが、 不幸に して 滿洲 方面の 觀測點 が 僅少で ある 爲に それ 等の 關係を 明に する 

こ とが 出来な い の は 遣. 憾で あ る。 

兎も角も この やうな 事情で あるから 殿 風の 災ホ; I 防止の 基礎と なる ベ き 殿 風の 本性に 關 する 硏究 

は. 屮々 生やさし いこと ではない ので ある。 n 前 Q 災禍に 驚いて ないで 研究 機 關を設 S した だけで 

は 遂げられ ると 保證の 出来ない 化 事で ある。 唯 冷 讎 で氣. 水く 粘り強い 舉 者の 爲 に將來 役に立つ や 

うな 資料 を 永 精 的 系統的に 供給す る ことの 出來る やうな、 しかも 政治 界ゃ經 濟界の 動亂と は無關 

係に 觀測 研究 を永績 させ 54- る やうな 機關を 設置す る ことが 大切で あらう。 


265 


颱風が := 本の!: 土に 及ぼす 影轡は § 準に 物-ほ 的な も Q ばかりで はないで あらう。 日本の 國の 歷史 

に、 义:::木國ぉの國::^性にこの特说ハな^::然現象が及ぼした效^は普通に考へられてゐるょりも深 

刻な ものが あり はしない かと m 心 はれる。 

弘 安叫ハ 4- に n 本に 襲 米した 蒙古の 軍船が 折 柄の 跪 風の 爲に 覆沒 して その 爲に國 難 を 免れた の は 

餘 りに 有名な 話で ある。 日本 武尊 東征の 途中の 遭難と か、 ^經の 大物 油の 物語と か は 2^ して 颱風 

であった かどう か 分らない から^として、 本 害紀 時代に 於け る 遣唐使が 展、、 颱風の 爲に 苦しめ 

られ たの は事赏 であるら しい。 齊明: 大皇の 御代に ニ艘の 船に 分乘 して 出掛けた 一 行が 暴風に 遭つ 

て 一艘 はい m 海の 島に 漂羞 して 鳥人に ひどい =: に 遭 はされ たと あり、 もう 一艘 も义 大風の 爲 に見當 

ちが ひの 地點に 吹きよ せられた りして ゐる。 これ は 立派な 颱風であった らしい。 叉 仁 明 天皇の 御 

代に 濟が廢 に 渡る 航海 屮に 船が 難破し やっと 筏に 駕 して 漂流せ 三日、 乘者 三十 餘人 悉く 餓 

死し 眞: 外と?^ 子の 眞 然とた つた 二人 だけ 助かった とい ふ 記事が ある。 これ も 颱風ら しい。 かう し 

た 實例か ら 見ても 分る やうに 遣唐使 の 往復 は 全く 命が けの 仕事で あつ た。 

この やうに、 颱風 は 大陸と 口 本との 隔を 引き はなし、 この 帝 國をゎ だつ みの 彼方の 安全 地帶 

に 保^す る やうな 役 n をつ とめて ゐ たやう に 見える。 併し、 逆說 的に 聞え るか も 知れない が、 そ 


266 


俎 雜風颱 


0 同じ 颱風 は义思 ひも かけない 遠い 國 土と H 本と を 結び付ける 役::: をつ とめた かも 知れない、 と 

いふの は、 この 颱風のお かげで 南 作 方面 や B 本 海の 對岸 あたりから 意外な 珍客が 珍奇な 文化 を裔 

して 漂着した こ とが:!^ であったら レ いとい ふこ とが 應史 の記錄 から 想像され るからで ある。 こ と 

によると 日本の- お 以前の 諸 先住民族の 中には さう した 漂流者の 群がお 外 多かった かも 知れない 

ので ある。  . 

故意に、 乂 漂流の 結 5^0 由 意志に 反して この 國 土に 入 込んで 住みつ いた 我々 の 祖先 は、 年々 に 

見舞って 來る 颱風の 體驗 知識 を 大切な 遗々 として 子々 孫々 に 傅へ、 子孫 は: 史 にこの 遣產を $P 殖 し 

蓄積した。 さう して それ 等の 襲 知識 を. 政  1^, 理し歸 納し演 終して この 國 土に 最も 適した 防災 方法 を 

案出し- m に乂 それに 改良 を 加へ て 最も 完全なる 耐風 建築、 耐風 村落、 耐風 市街 を 建設して ゐ たの 

である。 そ Q やうに 少 くも! 一千た やか-つて 研究し つくされた 結 に準據 して 作られた 造 營物は 昨 

年の やうな: t 有の 颱風の 試煉に も堪 へる ことが 出来た やうで ある。 

大阪 の! K 王 寺の 五^塔が 倒れた ので あるが あれ は 文化 文政 顷の暖 額 期に f3 られ たもので 正當な 

建築 法に 據ら ない、 ^心 な简所 に 誤魔化し の ある もので あつたと 云 はれて ゐる。 

十月 初め に 信 州へ 旅行して 颱風の 餘波を 受け た 各地 の 根 害 程度 を汽率 の 窓 か ら 眺めて 通った と 


267 


き、 いろ/ \氣 のつ いた ことがある、 それが いづれ も 祖先から 傳 はった 耐風 策の 有 效さを 物語る 

ものであった" 

畑 中に あ る 民家 で ぼろ /\ に .M 朽し てゐ るら しく 見えて ゐ なが ら 存外 無事な Q が ある。 さう い 

ふ 家 は 大抵 周圍に 植木が 植 込んで あって、 それが 有力な 障壁の 役 をした ものら しい。 これに 尽し 

て 新道 沿 ひ に 新しく 出来た 常世 風 の 一 一階 家な どで 大损害 を 受けて ゐ るら しいの がいくつ も 見られ 

た。 松 本 附近で 或 神社の 周圍を 取り かこんで 居る 害の 樹木の.: ほ 側 だけが 缺 けて ゐる C さう して 多 

分 その 爲 であらう、 神殿の 屋根が 大分 風に いたんで ゐる やうに 見受けられた。 南側の 樹木が 今度 

の 風で 倒れた ので は なくて 以前に 何 か の 理. S で 取拂 はれた も の らしく 見受けられた。 

課訪 湖畔で も 山麓に 並んだ 昔からの 村落ら しい 部分 は 全く 無難の やうに 見える のに、 水 邊に近 

い 近代的 造營 物に は隨分 ひどく 損じて ゐる のがあった。  • 

可笑しい ことに は、 古来の 屋根の 一 型式に 從っ てこけ ら葺の 上に 石ころ を 並べた の は 案外 平氣 

でゐる そのす ぐ 隣に、 當世 風の トタン 葺ゃ、 油 布 張の 屋根が ベろ, (- に剝 がれて 醜骸を 爆して ゐ 

るので あ つ た。 

屮州路 へ かけても 到處の 古い 村落 は 殆ど 無難で あるのに、 停車場の 出来た 爲に發 達した 新 集落 


268 


俎 雑 風 St 


に は 相 富な 被害が 見られた。 古い 村落 は、 水い 間 Q 自然淘汰 によって、 動 風の 害の 最小な やうな 地 

の 利の ある 地 鍵に 定着して ゐ るのに、 新 集落 は、 さう した 非常時に 對 する 考慮 を拔 きにして 發達 

した もの だと すれば、 これ は 寧ろ 然 すぎる 程 當然な ことで あると 云 はなければ ならない。 

昔 は 「地 を 相す る」 とい ふ 術が あつたが 明治 大正の 間に この 術が 見失 はれて しまった やうで あ 

る。 跪 風 もなければ 烈震 もない 西歐の 文明 を繼 承す る ことによって、 :M: 時に 颱風 も 地震 も 消失す 

るか Q やうな 錯覺に 捕 はれた ので はない かと 思 はれる 位に 綺麗に 颱風と 地震に 對 する 「相 地 術」 

を 忘れて しまった 0 である。 

獨 逸の 町 を 歩いて ゐた とき、 空洞 煉瓦 一 枚 張の 情で 圍 まれた 大きな,:!^ が 建てられて ゐる Q を 見 

て、 こんな 家が 日本に あったら ど うだらう と 云って 友人 等と 話した ことがあった。 ナウ H ンの無 

線 電信 塔の 鐵骨 構造の 下端が 础 子の ボ ー ル • ソケット • ジョイント になって なる の を 見た ときに 

も膽を 冷やした ことであった。 併し 日本で は 濃 尾 震災の 刺戟に よって 設立され た 震災 豫防 調茶會 

に 於け る諸擧 者の 熱心な 研究に よって、 日本に 相當 した 耐震 建築 法が 設定され、 それが 關東 震災 

の體驗 によって 更に 一層の 進歩 を 遂げた。 その 結 として 得られた 規準に 從 つて 作られた (豕 は耐 

震 的で あると 同時に 又耐風 的で あると いふ こと は、 今度の 大阪に 於け る 木造 小學校 建築物 被害の 


269 


調査から も實證 された。. 卽ち、 昭和 四 年 三月 以後に 建てられた 小 學校は 皆 こ の 規準に 從っ て 建て 

られ たもので あるが、 それ 等のう ちで 倒 滑 はおろ か 傾斜した もの さへ 一校 もなかった。 これに 反 

して、 この 規準に 據ら なかった 大正 十 年 乃至 昭和 一 一年の 建築に か、 る もの は 約. V フ 。セントの 倒 

溃率を 示して 居り、 もっと 古い 大正 九 年 以前の もの は 一 一十 四プ 口 セント の 倒 濱率を 示して ゐる。 

尤も こ の 最後 の もの は 古くな つ た爲も いくらか あるので ある。 鐵筋 構造 の も の は 勿論 無事で あ つ 

た。 

こ の 様に 建築 法 は 進んでも、 それでも 未だ 地 を 相す る ことの 必要 は 決して 消滅し ないで あらう。 

去年の 秋の 所見に よると 鹽 尻から 辰 野へ 越える 溪 谷の W 側の 處々 に 樹木が 算を亂 して 倒れ 或は 折 

れ摧 けて ゐた" これ は 伊那 盆地から 松 本 平へ 吹拔 ける 風の 流 線が この 谷に 集約され 從 つて 異常な 

高速度 を 生じた 爲と思 はれた。 こんな 谷の 斜面の 突端に でも 建てた ので は 規準 様式の 建築で も 全 

く 無難で あるか どうか 疑 はしい と 3 心 はれた。 

地震に よる 山崩れ は 勿論、 颱風の 豪" g で誘發 される 山津浪 について も愼赏 に 地 を 相す る 必要が 

ある。 海 嘯に 就いては 猶更 である。 大阪 では 安政の 地震 津浪で 洗 はれた 區 域に 構 はす 新 市街 を 建 

て \、 昭和 九 年の 暴風に よる 海 嘯の 洗禮を 受けた。 東京で は 先頃 深 川の 埋立區 鍵に 府廳を 建設す 


270 


俎 雜風晚 


ると いふ 案 を 立てた やうで あるが、 あの 地帶は 著しい 跪 風の 際に は 海 嘯に 襲 はれ 易い 處で、 その 

上に 年々 に 著しい 土地の 沈降 を 示して ゐる 展 域で ある。 それに 拘らす さう いふ 計畫 をた てると い 

ふの は 現代の 爲 政の 要路に ある 人達が 地 を 相す る こと を 完全に 忘れて ゐ る證據 であ る。 

地 を 相す ると いふの は 畢竟 自然 の 威力 を畏 れ、 そ の 命令 に 逆 はない やうに する 爲の 用意で ある „ 

安倍 能 成 君が 西洋人 と s 本人と で 自然に 對 する 態度に 根本的 の 差違が あ ると い ふ 事 を 論じて ゐ た 

中に、 西洋人 は 自然 を 人間の 自由にし ようとす るが 日本人 は 自然に 歸し 自然に 從は うと するとい 

ふ 意味の こと を 話して ゐ たと 記憶す るが、 この 様な 區別を 生じた 原因の 中には 齢 風 や 地震の やう 

な もの > ^存否が 可也 重大な 因子 をな して ゐる かもしれ ない ので ある。 

齢 風の 災害 を輕 減す るに はこれ に關 する 國民 一 般の 知識の 程度 を 高める 亡と が必耍 であると 思 

はれる が、 現在のところで はこの 知識の 平均 水準 は 極めて 使い やうで ある。 例へば 俄氣壓 とい ふ 

言葉の 意味 すらよ く 呑 込めて ゐ ない 人が 立派な 敎養を 受けた 害の 所謂 知識階級 にも^ 外に 多い の 

に 驚かされる ことがある。 殿 風 中心の 進行 速度と、 風の 速度と を 間違へ て 平 氣でゐ る 人 も 中々 多 

いやう である。 これ は 人々 0 心がけに よる ことで あるが、 併し 大體に 於て 學 校の 普通教育 乃至 中 


271 


等敎 育の 方法に 重大な 缺陷が ある 爲 であらう と 想像され る c これに 限った ことで はない が 所謂 理 

科敎 育が 妙な 型 に は ひって 分り =^ いこと を わざ /\ 分り にく、、 面.!! いこと を わざ 鹿爪らし 

く敎 へて ゐ るので はない かとい ふ氣 がする。 子供に 同 有な 鋭い 直 觀のカ を 利 W しないで 頭の 惡ぃ 

大人に 適合す る やうな 敎案 ばかり を 練り 過ぎる ので はない かと 思 はれる 節 も ある。 これにつ いて 

は 教育者 の 深 い  一 M 省 を 促し たいと 思って ゐる次 IS である。 

序ながら、 昨年の 窒戶 颱風が 上陸す る 前に 戶岬 沖の 空に 不思議な 光り ものが 見えた とい ふこ 

とが 報ぜられて ゐる。 色々 間 合 はせ て 見ても その 現象の 記載が どうも 要領 を 得ない ので あるが、 

鬼 も 角 も 電光な どの やうな 瞬間 的の 光ではなくて 可也 長く 持 接する 光が {41 中の 廣ぃ區 域に 現 はれ 

たこ とだけ は事赏 であるら しい。 かう いふ 現象 は #: 通の 氣象舉 の 書物な どに は 書いて ない ことで- 

して 颱風と 直接 關 係が あるかない かも 不明で あるが、 併し 土 佐の 漁夫の 間に は 昔から さう いふ 

現象が 知られて 居て 「とうじ」 とい ふ 名前まで ついて ゐる さう である。 これが 現 はれる と 大變な 

ことになると 傅 へられて ゐる さう である。 咋 年の 颱風の 上陸した の は 早朝で あつたので その 前に 

も络 はいくら かもう 明るかった であらう から、 こ とに よると 所 颱風 服の 上層に 雲の ない 151! 域が 


272 


俎 雜風跪 


出来て 、そこから 〈4- の^ 光が:^ れて 下層の 雨の 柱で も したので はない かとい ふ 想像 もされな く 

はない が、 何分に も 確 實な觀 察の 資料が ないから 何等の 尤もらしい 推定 さへ 下す こと も 出来ない。 

これに 聯關 して、 矢 張 土 佐で 古老から 聞いた ことで あるが、 ell 風の 風力が 最も 劇烈な 場合に は 

<41 中 を 光り物が 飛行す る、 それ を 「ひだつ (火 龍?)」 と 名 づける とい ふ 話であった。 此れ も 何 か 

の錯覺 であるか どうか 信用の 出来る 資料が ないから 不明で ある。 併し 自分の 經驗 によると、 暴風 

の 夜に かすかな 明りに 照され た 木立 を 見て ゐ ると 烈風の かたまりが 吹きつける 瞬間に 樹の 葉が 

悉く 裏返って 白つ ぼく 見える ので、 その 邊 がー 體に 明るくなる やうな 氣の する ことがある。 そん 

な 現象が 或は 光り物と, 誤認され る ことがない とも 限らない。 尤も 「土 佐 古今の 地震」 とい ふ 書物 

に、 著者 寺 石 正路 氏が 明治 三十 二 年の 颱風の 際に 見た 光り物の 記載に は 「火事場の 火 粉の 如き も 

の 無數空 氣中を 飛行す る を 見受けた りき」 と あるから これ は 又 別の 現象 かも 知れない。 

非常な 暴風の 爲に 空氣 中に 物理的な 發光 現象が 起る とい ふこと は 全然 あり 得ない と斷定 する こ 

とも 今のところ 困難で ある。 さう いふ 可能性 も 全く 考 へられな く はない からで ある。 併し 何より 

も 先 づ事實 の 方から 確かめて か.^ る 事が 肝心で あるから、 萬 一 讀 者の 中で さう いふ 現象 を 目撃し 

た 方が あったら その 觀 察に 就いての 示 敎を願 ひ 度い と 思 ふ 次第で ある。 


273 


事實を 確かめないで 攀 者が 机上の 議論 を戰 はして 大笑になる^ はヂッ ケンス のピク ウィック - 

ぺ,' パ,' にも あつたと H 心 ふが、 現 貪の 科舉 者の 世界に も 诞-- ある。 例へば こんな 笑話が あった。 

或 擧會で 懸賞問題 を 出して 答案 を 募った が、 その 問题は r コ ップに 水 を 一 杯 人れ ておいて; 史に徐 

徐に 砂糖 を 入れても 水が 溢れな いのは 何故か」 とい ふので あった。 鹿 募 答案の 中には 實に 深遠 を 

極めた 學說 のさ まぐ が 展開され てゐ た。 併し 當 選した 正解者の 答案 は 極めて 簡單 明瞭で 「水 は 

こぼれ ますよ」 とい ふので あった。 

颱風の やうな 複雜な 現象の 研究に はな ほさら 事 赏の觀 測が 基礎に ならなければ ならない。 それ 

に は 颱風の 事實を 捕へ る 觀測網 を 出来るだけ 腐く 密に 張り 渡す のが 第 一 着の 仕事で ある。 

軍艦 飛行機 を 造る のが 國防 であると M じ やうに この やうな 觀測 網の 設置 も 日本に とって は 矢 張 

隨 防の 第一義で あるかと 2 心 はれる ので ある。 r 昭仞卜 3f 二  =:、 


274 


能 官と詩 


詩と 官能 


I 

清楚な 感じ の す る 食堂で 窓から 降り そ ぐ 正午の の 光 を 浴びながら 獨り靜 に 食事 をして 最後 

にサ ー ヴ された 珈琲に 砂糖 を そっと 人れ、 匙で ゆるやかに かき交ぜて おいて  一 口 だけす、 る。 そ 

れ から 上衣の 右の かくしから 一 本 煙草 を 出して 輕 くく は へ る。 それから チ ョ ッ キ のかく しから ラ 

イタ ー を 抽出して 顏の 正面の 「明視の 距離」 に 持って 來 ておいて パ チリと 火蓋 を 切る。 すると 小 

さな 焰が 明るい 部屋の 陽光に けおされて 鈍く 透明に 點る。 その 薄明の 屮に、 極めて 細かい 星 厨の 

やうな 點々 が燦爛 として 蒼白く 輝く、  i: いたかと 思った 瞬間に はもう 消えて しまって ゐる。 

此の 星の やうな 光 を 見る 瞬間に 突然 不思議な 幻 覺に襲 はれる ことが 屢、、 ある。 それ は 一 寸言 葉 

で 表 はすことの むつ かしい 夢の やうな ものであるが、 例へば、 深く 降り 積った 雪の 中に 一本 大き 


275 


な クリス マス . トリ ー が 立って ゐて それに、 無數 の蠟燭 がと もり、 それが 樅の 枝々 に 吊したい ろ 

(ろの^^りものに映っ てきらめぃてゐる。 紫紺 色に 寒々 と 冴えた- S に は 星が 一 杯に 銀裕 子の やう 

に 散らばって ゐる。 町の 音樂 隊がセ レナ ー デを 奏して 通る の を 高い 窓から グレ ー チ へ ンが 見下ろ 

して ゐる、 と 云った やうな 極めて 甘い 他愛 のない 子 佻ら しい 夢の 屮 から あらゆる 具體 的な 表象 を 

全部 拔き 去つ たと きに. 殘る であらう と 思 はれる やうな、 全く 形態 のない 幻想 の やうな も Q であ る。 

"大 氣が惡 かったり、 食堂が 汚なかったり、 騒がしかったり、 义 食事が まづ いやうな 場合に は、 

同じ ライタ,' の 同じ 焰の 中に 同じ やうな 星が 輝いても:^ して かう した 幻覺が 起らない から 不思議 

である。 

3E の鹏の 適當な 充血と 消化液の 分泌、 それから 眼底 網膜に, 映す る 適 當な光 像の 刺戟の 系列、 そ 

んなも Q  、複合 作用から 生じた 一 種 特^な 刺戟が 大 腦に傳 はって、 そこで かう した 特殊の 幻覺を 

起す ので はない かと 想像され る。 「SE の 俯」 と 「詩」 との 間に は 未だ 誰も 知らない やうな 複雜微 

妙の 多様な 關係 がかく されて ゐ るので はない かと 思 はれる。 

二 


276 


能 官と詩 


い つ か 夏 :!.• 先生 生前 の 或 事柄に ついて 調べ る ことがあ つ て 小宮 君と 自分と で銘々 の 古い 日記 を 

引つ ばり 出して 比べた ことがあった。 そのと き氣 のつ いたの は 自分の 日記に は 鬼 角 食 ひもの 、記 

事が 多い とい ふこと であった" 先生 と 何處で 何 を 食った とい ふやうな ことが やたらに 特筆大書 さ 

れてゐ るので ある。 

GI 分 Q 子供達の うちに も、 古い 小さい 時分の 出来事 を その 時に 食った 食物と 聯想して 記憶して 

ゐる とい ふ 傾向 の 著しく 見 える の が 居 る、 どうも 親爺 の 造 傅ら しいと いふ ことにな つて ゐ るので 

ある。 

近頃、 夕飯の 食卓で 子供 等と 昔話 をして 居た とき、 かって 自分が N 先生と I 君と 三人で 大 S 三 

原 山の 調査の ために 火口原に 天幕 生活 をした ときの 話が 出た が、 それが 明治 何年 顷の 事だった か 

つい 忘れて しまって 一寸 思 出せなかった。 ところが、 その 三 原 山 行の 糧食と して N 先生が 靑木堂 

で 買って 持って行 つ た.. ヮ ン. フ ー テンの コ、 ァ、 それから プ チ- ボア の 罐詰ゃ コ, -ンド -ビ ー フ 

のこと を •£ 心 出した ので、 やつ とそれ が 明治 叫 十一 K 牛卽 ち. RI 分の 外 國留學 より は 以前の ことで あつ 

て歸朝 後ではなかった ことが わかった。 何故かと いふと、 洋行 前に はそんな ハイカラな 食物な ど 

は^ 在 さへ も 知らなかった の を 洋行 歸 りの N 先生から はじめて 敎 はり 御馳走に なり、 それと 同時 


277 


に 色々 と 西洋の 話な ど を も 聞かされた。 そのために 此 等の 食物と、 未だ 見ぬ 西洋へ の あこがれの 

夢と が 不思議な 緣 故で 結び付いて しまったの であった。 一 H 山上で 勞 働して 後に 味 はった それ 等 

の 食物のう まかった こと は 云 ふまで もない。 

そ の :大 幕 生活 中 に N 先生に 安全 剃刀 で ひげ を 剃 つて 貰った の を覺 えて ゐる。 それ は 剃刀が 切 れ 

味が 餘 りょくなくて 少し 痛かった せゐも あるが、 それまで 一度 も 安全 剃刀と いふ もの、 體驗を も 

たなかった 爲に それ が 大層 珍ら しく 新しく 感じら れ たせ ゐも あるら しい。 その 剃刀が 先生の ゲッ 

チ ンゲ ン大學 時代に 求めた 將來 もの だとい ふので 一 層 感心した ものら しい。 

兎に €;、 もし,::: 分の 留舉後 だったら,. ワン . フ ー テン や 安全 剃刀に も^に 驚かなかった 害で ある 

から、 それで この 三 原 山 生 1^ のハ卟 代の 決定が 確 實に出 來た譯 である。 

このと きの 三 原 山 生活 は學問 的に も 面白かった が乂 同時に 多分の 美しい 詩で 飾られて ゐ たやう 

である. - しかも、 自分の 場合に は それ 等の 詩が みんな 自分の 肉體の 生理的 機能と 何等かの 密接な 

關. 係 を もって ゐ たやうな 氣 がする。 

三 


278 


どうも 自分の 詩の 世界 は 自分の からだの 生理的 機能と 密接に からみ 合って ゐて 直接な 感官の 刺 

戟 によって のみ 活動して ゐ るので はない かとい ふ氣 がする ので ある。 これ は餘り 自慢に ならない 

話の やうで ある。 併し 詩人の 中に も 色々 の 種類が あって、 抽象的 精神的な 要素の 多い 詩 を 作る 人 

が ある 一 方で は义 具象的 官能的な 要素に 富んだ 詩に 長 じた 人 も ある やうで ある。 自分の 見る とこ 

ろで は、 俳人 芭蕉な ど は どちら かと 云へば 後者に 屬す るので はない かとい ふ氣 がする。 もし さう 

だとす ると、 官能的で あると いふ こと 自身が それほど いけない 事で もな ささう である。 

科學 的に も 矢 張 抽象 型と 具象 型、 解析 型と 直觀 型が あるが、 これが 矢 張 詩人の 二つの 型に 對應 

される ベ き 各自に 兵 通な 因子 を もって ゐる やうに 見える。 

詩人に も科學 者に も それぐ の 型に ついて 無限に 多様な 優劣の 段階が ある。 耍は 型の 問題で は 

なくて、 段^ 0 問題 だけで あるら しい。 (昭和 十 年 二  n、  ffi 柳) 


帝劇で 獨 逸映畫 「プロ ンドの 夢」 とい ふの を 見た。 途中から 見た だけで は あるし、 刖に 大して 

面白い 映畫 とも 思 はれなかった が、 その 中の 一場面と して この 映畫の 主役と なる 老若男女 四 人が 

彼等 の 共同 の 住家 として 鐵道 客車 の 古物 を 何處か から 買って 來 ると いふ 事件が ある。 さう して、 

若い 娘と 若い 男 一 一人が その 奇拔な 新宅の 設備に か V つて ゐる 間に、 年老った 方の 1 人 は 客車の 

屋根の 片端に 坐り込んで 手風琴 を 鳴らしながら 吞氣 さうな 歌 を 唄 ふ。 とこ ろが その のよ く 飼 ひ 

馴らした と 見える 鴉が 一 羽 この 男の 右の 片膝に 乘 つて 大人しく すまし 込んで ゐ る。 さう して 時々 

仔細ら しく 頭 を 動かし て あちら を 向 いたり こ ちら を 向 い たり、 仰向 い たり 俯向 いたりす るの が實 

に 可愛い 見物で ある。 然るに、 不思議な ことに は、 これが 老人の 歌の 拍子に うまく 合 ふやう に 律 

動的に 頭 を 動かして ゐる やうに 見える のであった。 もしゃ 錯覺 かと 思って 注意して は 見た が、 ど 


歌唱と 媳 


う も 老人の 唄の 小節の 最初の 強い ァクセ ン トと间 時に 頸 を 曲げる 場合が 著しく 多い 事 だけ は 確か 

である やうに 思 はれた。 して 見る と、 この 歌 Q リズムが 何等かの 關 係で、 直接 か 間接 か 鴉の 運動 

祌經に 作用して ゐ るら しく 思 はれた。 

併し、 此れ だけで は 鸦が音 Q 拍節 を聽き 分ける とい ふ 證據に は 勿論なら ない。 第一、 この 映畫 

を 撮影して 居る 人々 が畫面 Q 此方に 大勢 居る 害で ある。 その 人々 Q 中で 或は 指揮棒で も 振って 老 

人の 歌 Q 拍子 をと つて ゐるコ ンダ クタ ー が 居る かも 知れない とすると、 鴉 は その 視覺 に感 する 或 

る 蓮 動す る 光 像の リズムに 反應 して ゐ るの かも 知れない。 或は 义、 誰か わざ/ \ 鴉 にさう した 藝 

當 をさせる 爲に骨 を 折って 何 かしら 鴇の 注意に 働き かけて ゐ るの かも 知れない ので ある。 それよ 

り も、 もっと 直接に、 唄って ゐる 老人の 膝 自身が 歌の 拍子に 從 つて 動く 爲に 鳥の 祌經に それだけ 

の 刺戟 を與へ てゐ るの かも 知れない。 尤も 映畫で 見られる 程の 運動 は 老人の 膝に 認められな いが、 

微細な 波動が な いと は 云 はれない ので ある。 

併し、 又 一方から 考へ ると、 元來 多くの 鳥 は 天性の 音樂 家で あり、 鸦 でも 實際 可也に 色々 の 

「歌」 を 唄 ふこと が 出来る ばかりでなく、  口 ン ドンの 動物園に ゐた 或る 大鴉 など は 人が 寄って 來 

ると :\vhc  are  ycu?" と 六 かしい 聲で 咎める ので 觀 客の 人氣者 となった とい ふ 話で ある。 そん 


281 


な ことから 考へ ると、 鴉が すぐ 耳元で 歌って ゐる 歌に 合 はせ て 頸 を 曲げる ぐら ゐは 何でもな いこ 

とか も 知れない。 

鬼に 角、 これに 歸 して は 矢 張 「野鳥」 の讀 者の 中に 知識 を 求める のが 一番の 捷徑 であらう と 思 

はれる ので 厚顏 しく も 本誌の 餘白を 汚した 次第で ある。 (昭和 十 年 二月、 野鳥) 


282 


聲 のり 賣 fa 


物 賣 り の 聲 


毎朝 床の 中で うとくしながら 聞く 豆腐屋の 喇叭の 音が 此頃 少し 様子が 變っ たやう である。 も 

と は、 「ポ ー ピ ー ボ ー」 とい ふ 風に、 中に 一 つ 長 三度 位高い 音 を插ん で、 それが どうかす ると 「起 

きろ、 ォ ー キ ー。,-」 と 聞こえた ものであるが、 近頃 は單に 「ププ ー、 プ ー プ」 と 云 ふ 風に、 唯 

一 と 色の 音 Q 系列に なって しまった。 豆腐屋が 變 つたの か 笛が 變 つたの かどちら だか 分らない。 

昔 は 「ト ー フィ」 と 呼び 歩いた、 あの 呼聲が 一 體 何時頃から 聞かれ なくなつ たか どうも 思 出せ 

ない。 凡て 0 「亡び 行く もの」 と 同じ やうに、 何時 亡くなった とも 分らない やうに 何時の間にか 

亡くなり 忘れられ、 さう して、 亡くなり 忘れられ たこと を 思 出す 人 さへ も 少なくな り 亡くなって 

行く ので あらう。 

納豆 屋の 「ナット ナット,'、 ナット、 七色唐辛子」 とい ふ聲も 此の 界隈で は 近頃 さつば り 聞か 


283 


れ なくなった。 その代りに 察, 所へ の そく 默 つて 這 入って 來て 全く 散文的に りおけ る ことにな 

つた やうで ある。 

「豆 や ふき まめ ー」 も 振鈴の 昔ば かりにな つた。 此顷は その 鈴の 昔 もめった に 聞かれな いやう 

である。 一と 頃 流行った 玄米 パン 賣 りの、 メガ フォ ー ンを 通して 妙に ぼやけた、 間く だけで 咽喉 

の 詰まる やうな、 食慾 を 吹 飛ばす やうな あの バナ ー ル な呼聲 も、 此れ は 幸に さっぱり 問 かなくな 

つて.^ まった。 

つい ニー 一 一年 前 迄 は 毎年 初夏 になる と あの 感傷的な 苗寶り の 聲を間 いたやうな 氣 がする。 「ナス 

1 ピノ  I ナ へ ャ ー ァ、 キゥ リノ ー ナ へ ャ、 トォ ー ガン、 トォ I ナス、 トォ ー モロ ー コ シノ ー ナ へ」 

と 云 ふ、 長く ゆるやかに 引延ばした ァダヂ ォの節 廻し を 聞いて 居る と、 眠い やうな うら 悲しい や 

うな 造 瀬 のない やうな、 併し 乂曰 本の 初夏の 自然に 特有な あらゆる 美し さの 夢の 世界 を 眼前に 浮 

かばせる やうな 氣の する ものであった。 

此れと 對 i 一され てい, ふ もの は 冬の 霜夜の 辻占 寶 りの 藤であった。 明治^ 五 年頃 病氣 にな 

つた 妻 を 國へ歸 して ひとりで 本 鄕五丁  M の 下宿の 二階に. 幕して ゐた 頃、 殆ど ハ$ 夜の やうに 窓の 下 

の 路地 を 通る 「花の たよ"、 戀の つじ ー うら」 とい ふ 妙に 澄み切った 美しく 物淋しい 呼聲を 聞い 


284 


聲の リ 賣物 


た G その 聲が 寒い 星空に 突き 拔 ける やうな 氣 がした。 聲の主 は 年の 行かない 女の子ら しかった。 

それの 通る 時刻と 前後して 隣の 下宿の 門の 開く 鈴 音が して、 やがて 窓の 下から 自分 を 呼びかけ 

る 问鄕の 悪友 T と M の聲 がした もの, である。 惡 友と 云っても 藤 薷麥へ 誘 ふだけ の 悪友であった。 

「あいつ、 此頃 弱って ゐ るから 引っぱり 出して:; 儿氣 をつ けて やれ」 と 云って 引っぱり 出して くれ 

る 悪友で あつたので ある。 

「按摩 上下 二百 文」 とい ふ 呼聲も 古い 昔に なくなったら しいが、 あの キリ ギリスの 聲の やうに 

しゃがれ た 笛の 音 だけ は 今でも 折々 は 聞かれる。 洋服に 靴 を 履いた 姿で、 昔ながら の 笛 を 吹いて 

近所の 路地 を 流して 通る のに 出逢った の は、 つ ぃ數日 前の ことであった。 

盛夏の 朝早く 「え、 朝顏ゃ あさが ほ」 と 呼び 歩く の は 去年 も 聞いた。 買って. くれさうな 家の 附 

近で は 繰返し 往復して、 それでも 買 はない と あきらめて 行って しまったの は 昔の ことで、 今では 

矢 張 裏木戸から 臺 所へ 這 入って 來て、 主人 や 主婦 を 呼 出す のが 多い やうで ある。 

「え、 鲤ゃ 鯉」 とい ふの も數 年以來 聞かない やうで ある。 「え k 竿竹 や 竿竹」 とい ふの を 一と 

月 程 前に 聞いた の は 珍ら しかった。 

かう いふ 風に、 旋律 的な 物賣り Q 呼聲が 次第に 亡くなり、 その 呼聲の 呼び起こす 舊 日本の 夢幻 


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的 な 調 も 段 々に 消え失せて 行く の は 日本 全 國 共通 の 現象ら しい。 

鄕 里で 昔 聞き馴れた 物賫 りの 聲も 今ではもう 大概 なくなつ-たら しいが、 考へ て 見る と隨分 色々 

の ものが あった。 その 屮に は 子供の 時分 の 親し い S わ ひ 出に 密接に 結び付い て 忘られな いもの も 可 

也多數 にある。  - 

. 夏になる と德 島から やって 來た 千金 丹賫 りの 呼聲も その 一 つで ある。 渡り鳥の やうに 四 國の脊 

梁 山脈 を 越えて 南海の 町々 村々 を 音づれ て來る 一 隊の靑 年 行商人 は、 みんな 白が すりの 着物の: 

を 端折った 脚胖 草鞋ば きの 屮斐々 々しい 姿 をして 居た。 明治 初期 を 代表す る やうな. GI シャ ッを着 

込んで、 頭髮は 多く は 默阿彌 式に 綺麗に 分けて 帽子 は 冠ら す、 その代りに 白 張の 蝙蝠傘 を さして 

ゐた。 その 傘に 大きく、 たしか 赤字で 千金 丹と 書いて あった やうな 氣 がする。 小さな、 今で 云へ 

ばス ー ッケ ー ス の やうな 恰好 をした 黑 塗の 革 飽に、 これ も 赤く 大きく 千金 丹と 書いた の を 提げて 

居た と 思 ふ。 せんだんの 花の こぼれる 南 國の眞 夏の 炎天の 下 を、 かう した、 當 時の 人の 眼に はス 

マ I トな 姿で ゆっくり 練り歩きながら、 聲をテ ノ ル に 張 上げて 歌 ふ 文句 は 大凡 そ 次の やうな もの 

であった、 「ェ ー ェ、 ホン ケ, 1 ハ ー ァ、 サン シュ ー ノ ー ォ ー、 コトヒ ー ラ ー ァョ。 (休)。 マツ シ ー 

マ ー ァ、 カデン I ノ ー ォ ー 、 セン キ ー ン ー ン タン 一とい ふ 風に 全く 同じ 四拍子 ァ ン ダ ン テ の 旋律 


286 


萆の り賣物 


を 繰返しながら、 だん/ \ に 藥の效 能書 を 歌って 行く ので ある。 「その 又 藥の效 能 は、 ^氣疝 瘤 

胸痞 へ」 まで は覺 えて ゐる がその 先 は 忘れて しまった。  . 

子供 等 はこの 藥賣 りの 人間 を 「ホ, ンケ」 と 呼んで 居た。 「ホン ケが來 た と 云って 驅け出 

して 行って は、 この 「ホン ケ」 を 取り 卷 いて、 さう して 口 々に 「ホン ケ、 ォ T セ、 ォ ー セ」 と 云 

つてね だった。 「ォ !■ セ」 は 「頂戴」 とい ふ 意味で あるが、 此處の 「ホン ケ」 はこの 藥賫り 自身 

を 指す のではなくて、 藥賣 りの 配って 歩く 廣吿の ビラ 紙の ことで ある。 この 人間の 「本 {豕」 が 撒 

き 歩く ビラの 「ホン ケ」 は、 鼻紙 を 八つ 斷 にした のに 粗末な 木版で 赤く 印刷した もので あつたが、 

その 木版の 箱が 矢 張 蝙蝠傘 を さして 尻 端折った 藥賫 りの 「ホン ケ」 の 姿を寫 した ものであった。 

一緒に 印刷して あった 文字な ど は 思 出せない。 子供 等に 取って はこの ビラ 紙 も 「ホン ケ」 であり、 

それ を くれる 人間 も 「ホン ケ」 であった 譯 である。 鬼に 角、 この ビラ 紙 *v 貰 ふの が當 時の 吾々 子 

供に は 相當な 喜びであった。 今にな つて 考 へる と赏に 不思議で ある。 少年 雜誌 やお 伽噺の 本な ど 

とい ふ もの 、未だ 一 つもなかった 時代で は、 こんな 粗末な 刷り物で も 子 佻に は 珍ら しかった ので 

あらう。 隨分 俗悪な 木版 刷で はあった が、 併し 現代の 子供の 繪 本の あくどい 色 刷な どに 比較して 

考へ ると 寧ろ 一 種 稚拙に 鄙びた 風趣の ある ものであった やうに も 思 はれる。 


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じく 昔の 鄕 里の 夏の 趣と 結び付いて 居る 想 ひ 出の 寶聲 の屮 でも 枇杷 葉湯賣 りの それな ど は、 g 

今ではもう 忘れて ゐる 人よりも 知らぬ 人が 多いで あらう。 朱 漆で 塗った 地に 黑 漆で 鴉の 鎗を 描い 

た その 下に 烏 丸 枇杷 葉 湯と 書いた ー對の 細- 长ぃ箱 を 振り分けに 肩に かついで 「ホン ケ ー、 カラス 

マル、 ビハョ ー ォ ー ト ー」 と 終りの 「ョ ー ト I」 を 長く 淸ら かに 引いて、 呼び 歩いて ゐ たやう に 

も 思 ふし、 义木薩 などに 荷 を 下して 往来の 人に 呼びかけて ゐ たやう にも 思 ふ。 その 聲が 妙に 涼し 

いやう でも あり、 又 暑い やうで もあった。 併し その 枇杷 葉 湯が ー體 どんな もの だか、 味 はった こ 

と は 勿論 見た こと もなかった。 そ Q 顷 もう 旣に 大衆性 を 亡な つてし まって、 た V 僅に 過去の 惰性 

の 名殘を 止めて 居た ので はない かと 思 はれる。 東京で 震災 前 迄 は 深 川邊で 見かけた ことの ある あ 

の 定齋屋 と; 1: じ やうな ものであった らしい が、 併し 枇杷 葉 湯の あの 朱塗の 荷函と 清々 しい 呼聲と 

に は、 あの ガッチ ン くの 定齋屋 よりも 遙に 多くの 過去の 夢と 市井の 詩と を 包 有して ゐ たやうな 

氣 がする。  . 

生菓子 を 色々、 四角で 扁平な 漆 塗の 箱に 人れ た 0 を 肩に かけて、 「力 ヱ チャウ、 力 ヱ チャウ」 と 

呼び 歩く の は、 多く は 刃の 子で、 さう して,:. <概 きまって 尻の 切れた 冷 飯 草履 を はいて ゐ たやうな 

氣 がする。 それが 持って来る 某 子の 中に 「ィガ モチ」 とい ふの があった。 道 明 寺の 饀人 餅で あつ 


聲の り 賣物 


たが その外 側に 糯 米の ふかした 粒が ぼつ/ \ と 並べ て 植付けて あった C  T 度 栗の いがの やう だと 

云 ふので 「いが 餅」 と 名 づけた ものら しい。 「カェ チャウ」 の 意味 は 自分に は 分らない。 このお. 

敢 ない 行商の 一 人に 頭蓋骨の 異常に 大きな 福助の やうな 子が 居た。 誰かに 試に ー錢 銅貨と 天保錢 

を 出して、 どちらで もい、 方 を 取れと 云ったら!: 然と- 大保錢 を 選んだ とい ふ^があった。 义、 そ 

の 生きて ゐる 頭蓋骨 を と つ く に 何處か 0 病院 に百圆 とかで 賫 つて あるの だとい ふ 話 も あ つ た。 

七味 辛子 を賫り 歩く 男で、 頭に は 高く 尖った 問 錐 形の 帽子 を 冠り、 身に は眞 赤な 唐人 服 を 纏 ひ、 

さう して 殆ど 等身大の 辛子の 形 をした 張り 拔 きを 紐で 肩に 吊して 小脇に か、 へ、 さう して 「ト 

1 ン、 ト 1 オン、 トン ガ ラシ ノコ— (休)、 ヒリ ヒリ カラ イノ ガ、 サン ショ ノコ 1 (休)、 ゴ マ ノ 

- コケシ ノコ、 シ ャゥガ ノコ ー (休)、 ト— ント ー ン トン ガラ シ ノコ」 と 四拍子の 簡單な 旋律 を 小ノし 

ぼやけた 中空な バリトンで 唱ひ 歩く のが ゐた。 その 大きな 眞 赤な 張拔 きの 唐辛子の 横腹の 蓋 を あ 

ける と屮に 七味 辛子 の 倉庫が あ つたので ある。 この 風な 物賫り は 或は 明治 以後の 產 物で あった 

かも 知れない。 

「お 銀が 作った 大も、 は」 と 呼び 歩く 楊梅賫 りの こと は、 へ M に 書いた ことがあ るから 略す る。 

頓. 賈りは 「ス》 メガ ィホ I」 と 呼び 歩いた。 牡蛾賫 り は 昔 は 「力 キヤ ゴ ー」 と 云った ものら し 


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い、 とい ふの は 自分 等の 子供 時代に 大人から ST 聞かされた 狸の 怪談の さまぐ の 中に、 この 動 

物が 夜中に 牡蠣寶 りに 化けて 「力 キヤ ゴ ー,/.-」 と 呼び 歩く とい ふの があって、 吾々 はよ く 夜道 

を 歩きながら その 強の 眞似 をす るつ もりで 「力 キヤ ゴ —J 「力 キヤ ゴ I」 と 叫び 歩き、 さう して 自 

分 で 自分 の聲 におび える ことによって 不思議な 祌祕 の 感覺を 味 は ひ 享樂し たもので あ つ た. - 

北の 山奥から 時々 姿 を 現 はして 奇妙な 物を賨 り ありく 老人が ゐた C 少し びっこで 恐ろしく 脊の 

高い 瘦 せこけ た 老翁で あつたが、 破れ 手拭で 頰 冠り をした 下から うす 汚ない. HI 髮が はみ出して ゐ 

たやう である。 着物 は 完全な 權褸で それに 荒 繩の帶 を 締めて ゐ たやうな 氣 がする〕 大きい 炭 取 位 

まるば やなぎ 

の 大きさの 竹 籠 を 棒 ,9^ れの 先に 引っかけ たの を 肩に かついで、 跛 を 引き 歩きながら 「丸 葉 柳 は、 

やま  パ ス 

山 ォコゼ は」 と、 バノし 舌の もつれる やうな 低音で 尻下がりの アクセントで 呼び ありく のであった。 

舌が もつれる ので 「山 ォコゼ は」 が r ャ バオ ゴ ゼバ」 とも 聞こえる やうな 氣 がした。 鬼に 角、 こ 

の 山 sf- の 身 邊には 何となく  一 種 祌祕の 雰圍氣 が搖曳 して ゐる やうに 思 はれて、 當 時の 惡太郞 共 も 

容 2^ に は 接近し 得な か つた やうで ある。 自分 もこの 老いさら ぼ へ た 山人に 何と はなしに 畏怖の 念 

を懷 いてね たが、 併し その 「山ォ コゼ」 と 云 ふの が どんな もの だか 知り 度い とい ふ 強い 好奇心 を 

永い 間 もちつ けて ゐ た。 それでとう/ \ 母 にね だって 二つ 三つ 0 標本 を 買って 貰った。 それ は、 


290 


萆 のり 賣物 


煙管 貝の やうな 恰好で 全體 灰色 をした 一 種の 卷 貝であって、 長さ はせいぐ 五六 分 位て あつたか 

と 思 ふ。 勿論 貝殼 だけでなく 活 きた 貝で、 箱の 中へ 草と 一緒に 人れ て やる とその 草の葉 末 を蓑蟲 

か 何ぞの やうに のろく 這 ひ 歩いた。 海でなくて 奥山に こんな 貝が ゐ ると いふの が 如何にも 不思 

議に思 はれた が、 その 貝の 棲息 砍態 などに 就いては 誰も 話して くれる 人はなかった。 海の 「ォコ 

ゼ」 は 魚で あるのに 何故 山の r ォ コゼ」 が 貝で あるか も 不可解であった。 

「山ォ コゼ」 がどうして 賣り 物になる か、 叉 それ を 買った 人が どうい ふ 目的に それ を 使用す る 

か、 とい ふ 疑問に 對 して 聞き 得た こと を 今では ぼんやり しか 覺 えて 居ない C なんでも 今日の 所謂 

「マスコット」 の 役目 をつ とめる とい ふので あった やうで ある。 例へば これ を 懐中して ゐ ると ト 

ラ ムプ でも 其の 他の 賭博で も 必勝 を 期す る ことが 出來 ると いふので あったら しい C 勿論 こ の效驗 

は 偶然の 方 則に 支配され るので ある。 

「丸 葉 柳」 Q 方 は どんな 物 だか、 何に 使 ふの か、 それに ついては 自分の 記憶 も 知識 も 全然 空白 

であ-る。 

J 買り 聲の 亡びて 行く の は 何故で あるか、 その 理由 は 自分に は 未だよ く 分らない が、 併し、 亡び 2 


て 行く の は 確かな 事實 らしい。 

普通教育 を 受けた 人間に は、 最早 眞晝間 町中 を 大きな 聲を 立て \ 歩く のが 氣恥 かしくて 出来な 

くなる のか、 賫り聲 で 自分の 存在 を 知らせる だけで、 おとなしく 買手の 來 るの を 受動的に 待って 

ゐる だけで は商賫 に ならない 世の 巾に なった のか、 或は 又 行商と いふ こ と 自身が もう 今の 時代に 

相應 はしくない 經 濟機關 になって 來た のか、 或は それ 等の 理由が 共问 作用 をして ゐる のか、 これ 

はさう 簡 4- な 問題で はなさ さう である。 それ は いづれ にしても、 今の にこれ 等の 亡び 行く 物賫 

りの 聲を 音譜に とるな り 蓄音機の レ コ ー ドに とるな り 何等かの 方法で 記錄し 保存して おいて 百: 小 

後の 民俗 xfi. 者 や 好事家に 聞かせて やる の は、 天然 物 ゃ史蹐 などの 保存と 同様に 可な り 有意義な:; 

事で はない かとい ふ氣 がする。 國粹保 杯の 氣 運の 向いて 來 たらしい 今の 機會 に、 務省 だか 文部 

省 だか、 何處か 適當な 政府の 機關 でさう いふ アル キ ー ゲスを 作って はどうで あらう か。 ついそん 

な 空想 も 思 ひ 浮べら れ るので ある。 • (昭和 十 年 五月、 文學) 


292 


學太林 伯 


伯林 大學 (Isril ョ 0) 


一 九 〇 九 年 五月 十九 R に 伯林の 王立 フリ ー ドリ ヒ - ウィル ヘル ム大 學の哲 學部學 生と して 人學 

した 人々 の 中に 黄色い 顏 をした 自分 も 交って ゐた。 嚴 かな 入舉 宣誓式が 行 はれて、 自分 も 大勢の 

新-入 生の 中に まき 込まれて 大 講堂へ 這 人った が、 様子が 分らない ので まご して 居る と、 中に 

一 人物 馴れた 日本人が 居て いろく 注意して くれて 助かった。 それ は 先年 亡くなった 左右 田 喜 一 

郎 博士であった" c 分より はすつ と 前に 獨逸 へ 來てゐ て 他の 大學 から 伯林 へ 轉舉 して 来たさう で 

首 葉な ども 自巾 らしかった」 總 長の 演說 があった が 何 を 云って ゐ るか 自分に はちつ とも 分らない 

ので 少々 心細くな つた" それから 新入生 一人々々 に總 長が 握手 を するとい ふので、 一列に 並んで 

順々 に 繰 出して 行った" 世 話 を やいて ゐる 事務官ら しいの が 自分に 向って 何 か 言って ゐ るが、 何 

3 

を 云って るか 分らない: 左右 出 君に 聞く と .vvollen  Sie  dort  aiischliesscii と 云った だけな の だ 2 


さう である。 力 ー ル總 長の 握手の 力の 強いのに びっくりした。 總 長に でもなる 人に はや はり それ 

だけの 活力が あるの かと 思 は れた。 

人舉證 書と 云った やうな 幅 一 尺 五寸長 一 一尺 程の 紙に 大きな 活字で 皇帝の 名ゃ總 長の 名 を黑々 と 

印刷した もの を 貰った が 文句 はラテ ン l^s で 何の 事 か 分らない、 見て ゐ ると 氣の 遠くなる やうな も 

のであった。 日 附の所 こ Ixwerolini  (1. 19.  mens.  ノ  anni  MDCCCCIX とあって 下に 總長 Q 署 

名が ある。 「ベルリン」 迄が 羅典 化して ゐ るので 又 少し 驚いた。 それからもう 一枚 哲舉 部長の 署 

名の ある こ れも 羅典 語 の 人 學免狀 を. 貰 つ た。 

式の 前で あつたか 後で あつたか 忘れた が、 大學の 玄關を は ひって 右側の 事務室で いろ/ \ の 入 

學手鑌 をす ませた C 東京 帝 國大學 の 卒業 證書も 撿閱の 爲に差 出した が、 この 日本 文 は 事務の 役人 

にと つて 自分の 場合の ラテ ン語 以上に 六 かし さう であった。 色々 記入す る 書式の 中の 宗教と いふ 

項に 神道と 書いたら、 それ はどうい ふ宗敎 だと 聞かれて 困った。 獨逸 語が よく 分らなくて は 講義 

を聽 くのに 困り はしない かと 聞く から、 なに ぢ きに 上手になります と 答へ たら Na  !  Selieu  Sie 

mal zii. と 云って にや/ >\ した。 最後の 51 が 妙に いつ 迄 も 耳に 殘 つて 氣 になった。 

ぬ 林 着 早々、 中 村 氣象臺 長からの 紹介 狀を もって へ ル マ ン敎授 を 尋ね 聽講科 R などの 指導 を 仰 


294 


學大林 伯 


いだ。 結局 第 一 擧 期に は、 プ ランクの 「物理 學の全 系統」. ヘルマンの r 氣象 器械の 理論と 用法」 

並 に 「氣象 輪講, 一 ル ー ベ ン ス の 「物理 輪講」 ァ ドルフ: ンュ ミットの 「海洋 學」 「地球 Q  H ネル ギ 

1 ハウス ハルト」 「地球 物理 輪講」 キ ー ピッツの 「穴ェ 中 電氣」 ヮ I ル ブル ヒ 0 「理論 物理 學 特別講 

義」 ベ ンク Q 「地理 擧 輪講. 一 とい ふ 御 膳 立に きめた。 

ヘルマン Q 講義 はシ ンケル - プラッツ の氣象 臺へ聽 きに 行った。 王宮と 河 一 つ 隔てた 廣 場に 面 

した 四角な 谏瓦迭 の 建物で、 これ は 有名な シ ン ゲルの 建てた 特色の ある 様式の ま-築と して 聞こえ 

たもの ださう である。 昔 は 建築の ァ 力 デミ ー で シ ン ケ ル が 死ぬ まで こ 、に 住って ゐ たさう である。 

へ ル マ ン敎授 は 胡麻 鹽の 長髮を 後へ 撫でつ けて ゐて、 いつも 七つ 下りの フ 口 ッ クを 着て ゐ たが、 

講義の 言語 はこ Q 先生が 一 番 分り 易くて 樂 であった" 自由に 圖書窒 へ 出 人す る こと を 許された が 

圖書窒 の 中 は い つ 行 つ て 見て も 誰も ゐな いで ひっそりして ゐた。 

一 緒に 講義 を 聞いた Q はせいぐ 五六 人位で 中に たしか ル 1 マ 二 ァ 人で ォテ 、 レサ ヌと いふ 男 

がゐ た。 はじめ 會 つて 名刺 を 貰って その 名前 を よんだ ときに 思 はす 顏 中が 笑 出し さう になって 困 

つた。 その後 も 教授が 嚴肅 な顏を して 此 人の 名 を 呼びかける 度に 笑 ひたくな つて 困った ので あつ 

た"  , 


295 


これ はすつ と 後の ことで あるが、 此處へ 通 ひながら 纏めた 小さな 仕事 を氣 象の コ 口 キゥム で 話. 

す やうに 敎投 から 命ぜられた とき、 言葉が 下 乎 だからと 云って 斷 つたが、 自分が すけて やる から 

是非 やれと 云 はれ、 仕方なし に黑 板の 前に 立た された" その 時の 苦しみ は 忘れられな いが、 併し 

一 寸首 葉に つまる とへ ル マ ン 教授が 狙って ゐ たやう に必耍 な 言葉 を どなって くれる ので、 その 度 

に 地獄で 佛に會 つた やうな 氣 がする のであった- 

いっか ノ ー ルゥ H 1 のビ ェ ルク ネス 教授が 來 てこの 輪講 會の 席上で 同敎授 一 流の 氣象學 を 講じ 

たと き 大層 面白い と 思って 感心した が、 列席の 獨逸 氣象學 者た ち 誰 一 人 感心した やうに 見えな か 

つた.^ ビ敎控 は それから 後に アメリカへ 渡って 彼 地で 彼の 著名な 大著 を 刊行した ので ある C 小國 

の學 者になる もので はない とい ふ氣 がした の は あの 時であった。 

へ ル マン は 古典に 通じて ゐて、 氣 象の 講義に も 色々 古典の 引用が 出て 来た。 いっか 私邸に 呼ば 

れた ときに そ Q 自慢 Q 豐 富な 書庫 を 見せて 貰った ことがあ つたが、 その 藏 書の 一部が 教授の 死後、 

我 中央 氣象裹 に 買 取られて 保^されて ゐる。 

へ ル マン 敎授に は 三學期 通じてす つと 世話になって 特別の 優遇 を 受けた やうな 氣 がして ゐた。 

一 一十 餘 年の 今日で もこ の 先生の 額 を あり- わ 出す ことが 出来て なつかしい。 


296 


學大林 伯 


ヘルマン の敎 を 出て 右 を 見る と 河 向 ひに ウイ ル ヘルム 一 世 記念碑の うしろの 胸壁 Q 裏側が 見 

え る。 河岸 に 沿うて 二 町 位 歩く と 王宮 橋の 西 詰に 出 る: そ れを左 へ 曲る とゥン テル デン リン デ 

ンで すぐ 右-倒の 角が ッォ イク ハウス.、 次が 番兵 屯所、 その 次が 大學 である C 物々 しい 兵の 交代 

は 伯林 名物の 一 つで あつたが、 實際 如何にも 帝政 下 Q 獨逸 Q シム ボル Q やうに 花やかで しかもし 

やち こばった 感じ Q する 日々 行事であった C 此の 花やかに しゃち こばった 氣 分が 獨逸 大擧生 特に 

所謂 コ 了  I 學 生の 常 使 坐 臥 を ま 配して ゐる やうに 3 心 はれる のであった。 

大學の 玄關の 左側に は 一 寸 した寶 店が あって 文 具 や、 それから 牛^ パ ン 位を賫 つて ゐた やうな 

氣 がする- オペラ、 芝居、 それから 學生見 學團の ビラな どが 貼って あった。 十 時 頃に はよ く玄關 

で シ ン ケ ン • ブ 口 ー トの立 喰 ひ をしながら そんな ビラ を讀ん でゐる 連中が ゐた。 林檎の 皮 ごと ぼ 

り ぼり 齧り 歩 いて ゐ る 女 學生も 交 つて ゐ た C 

プランク ゃシュ ミットの 講義 は此 處で聽 いた: プランクの 講義 も 言葉が 明晰で 爽 かで 聞 取り 易 

い 方であった e 笫ー囘 の 講義の 始めに、 人間 本位の 立場から 物理 學を 解放すべき こと や 物理的 世 

界 像の 單 一 性な どに 關 する 先生の 哲學の 一 とくさり を 聞かせた。 綺麗に 秀げ 上がった 廣ぃ 額が 眼 

に つ い て 離れな か つ だ: 黑板 へ 書いて ゐ る數 式が 間逮っ たりす る と學 生が 靴底で しゃり,, ^と 床 


297 


を こする ので 敎場內 に 不思議な 雜 音が 湧き上がる。 すると 先生 は ーァ、 逮 ひました か」 と 云って 

小ノし まごつく。 學 生の 一 人が 何 か 云 ふ。 「御免なさい」 と 云って それ を 修正す る。 その 先生の 態 

度が 如何にも 無邪氣 で、 ちっとも 威張らす 氣 取らない のが 實に 愉快で 胸が すく やうであった。 

ブラ ンクの 明るい 感じと 一:sl 對に アド 几 フ. シュ ミツ ト敎授 は 何となく 憂 雷な 感じの する 人で あ 

つた。 いつも 背廣の 片腕に 黑ぃ 喪章 を卷 いて ゐ たやうな 氣 がする。 併し 實に 頭の い、 先生 だと 思 

つ て 敬服して なた。 一一 一一 口 葉 は 自分に は 少し 分りに くい 獨逸 語であった がその 講義 は 簡潔で しかも 耍 

を 得た 得難い 良い 講義 だと 思 はれた。 大事な しかも 可也 六 かしい 事柄の 核心 を 平明に はっきり 吞 

込ま せ る 術 を 心得て ゐる やうで あつ たし 結局 先生 自身が そ の 舉問 の 奥底 ま ではつ きり 突き とめて 

自分の ものにして しまって ゐ るせ ゐ だら うと 思 はれた。 H 本の 大學 でも かう した 講義が 一 番必耍 

であらう と 3 心 はれた が少 くも 自分 等の 學生 時代に は 高等 學 校と 大學の コ ー スの 中間に かう いふ コ 

1 スが拔 けて ゐ たやうな 氣 がする。 それ は 兎に角 シュ ミット 敎授 について 唯一 つ 可笑しかった 事 

は、 先生が 英國 の數理 物理 學の 大家 Love のこと を a 1 フ H と發 昔して ゐ たこと である。 

地球 物理 談話 舍 もほんの 五六 人の 仲間で あつたが、 その 中に まだ 若い コ I ルシュ ッタ ー 氏 も 交 

つて ゐた。 地理 敎 in- の圖 書の 管理 をして 居た、 オット ー . バ シンと.; -ふ人 も 同じ 仲 であった が 


298 


默林伯 


この 人 は 聽講に 身が 入って 來 ると 引 切りな しに 肩から 腕 を 妙に 大業に 痙攣させる ので、 隣席に 坐 

る とそ れが氣 に なって 困った。 あんまり 勉強し 過ぎ て 神經を 痛めて ゐ るので はない かとい ふ氣が 

した C 圖 書の 管理者な ど は何處 でも 學 生に は 煙たがられ ると 見えて、 いっか 同席した ク ナイべ の 

席上に 於け る學 生の 卓上 演說で 冗談 交りに ひどく こき 下されて ゐ たが、 當人は sehl.  gomeiuor 

Kel.l など i いふ 尊稱を 捧げられても 平氣で 一 緖に 騒いで ゐる 面. tn い 人であった G 

力 ,、クニ ー ンゥ H ル. トシ ェ ン 

大學 講堂の 裏の 橡 の 小 森 をぬ けて 一 町 位の ゲ オル ゲン 街の 一 區 劃に 地理 敎{ 一せ と 海洋 博物館 

とが 同居して ゐた。 地理の コ n キゥム は 此處で 行 はれ、 次の 二 學年を 通じて 聽 いた ペンクの 一般 

地學の 講義 も 此處の 講堂で 授けられた。 氣象ゃ 地球 物理に 比べて 地理の 方 は 輪講に も 講義に も 出 

席 者が 多く 氣 分が 丸で 變 つて ゐた。 氣象 輪講 會は 何となく 上品に のんびりして ゐ たし、 地球 物理 

輪講 會は 生眞 面目 でし かも 家族 的な 氣 分で あ つ たが、 地理の 輪講 會には 何となく 物 々しい 人間 臭 

ぃ氣 分が あった C 學 者で 同時に 政治家ら しいべ ンク 教授の 人柄が 矢 張 反映して ゐる やうな 氣 もし 

た。 いっか、 カナダの タ ー ル敎授 が來て 氷河に 關 する 話 をした ときな ど、 ペンク は 色々 とデ イス 

クシ ォ ンを しながら 自分な どに はよ く 分らぬ 皮肉らし いこと を 云って 相手 を 揶揄しながら 一 座 を 

見渡して にやり とすると いふ 風であった。 


299 


ぺ ンクの 講義 は 平明で しかも 興味 あり 示唆に 富んだ 立派な 講義で あると 思 はれた。 聽講 者に は 

外 國人も 多 か つたが 外國人 同士 は 矢 張 自然に 近付きに なり c^.^ か つ た。 英國人 のォ ー ジ ルヴィ 君 や、 

ル I マー 一 ァ 0 ギリ ツチ 君な ど、 よく 敎宝 入口の 廊下で-:"; 話し をした C 後者 は 今べ 凡グラ ー ドの觀 

測 所に 居る が 前者 の 消息 は 分ら な い 。 獨逸學 生 の 中に は隨 分不眞 面目ら し い 茶目 や 怠け者 も 居 て 

: 體に 何となく 浮 f 臭い 匂が こ の敎窒 全體に 漂って ゐ るの を 感じた。 自分 は 幸に 此處 でも 圖書窒 

を, nl-H に II 放して 貰って、 請 書したり ノ ー トを 取ったり.、 义 河の メ アン ダ I に關 する 小さな 「仕 

事」 を させて 貰ったり した: II 逸の 學 者の アル バ ィテ ンと いふ 首 葉の 意味が 此處に 一 年 半 通って 

舉 者の やり方 を 見聞して ゐる に 自ら 舍 得出來 たやうな 氣 がした。 一 に根氣 二に 根氣で 集輯し 

た 素 村 を 煉瓦の やうに 積んで 行く ので ある C 

探 險家シ ャッ クルトン が 伯林 へ 來 たと きべ ン クの 私邸に 招かれ、 そ Q 時 自分 も 御 相伴に 呼ばれ 

て 行った。 見知らぬ 令夫人 を 卓に 導く 役 を 云 付かって 常 惑した C その 席で ぺ ンク は、 本日 某 無名 

氏より シャツ クルトン 氏 Q 探險 費と して 何 萬 マルクと かの 寄附が あつたと 吹聽 した。 その 無名氏 

なる ものが カイ ザ I - ウィルヘルム 一 一世で ある ことが 誰に も 想像され る やうに ベ ン ク 一 流の 婉曲 

な る 修凝法 を用ゐ て 一座の M ハ味を 煽り 立 て た。 


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學大林 伯 


ぺ ン ク は名實 共に ゲ ハ ィ ムラ 1- ト であって、 時々 カイ ザ ー から 呼 立てられて 獨 逸の 領土 國 策の 

揠機 に 參與し てゐ たやう である C 今日は カイ ザ ー に 呼ばれて ゐ るから と 云った やう なず 葉 を 何遍 

も 聞いた やうな 記憶が ある。 . 

いっか 海洋 博物館での 通俗 講演 會でぺ ン クが靑 島の 話 をした とき、 彼 地が 如何に 地の利に む 

かとい ふこと を 力 說し、 此處を 占有して ゐる獨 逸 は 東洋の 咽喉 を扼 して ゐる やうな もの だとい ふ 

意味 を 婉曲に 句 はせ なが ら聽衆 の 中に 交って ゐる 日本 留學 生の 自分 の 顏を 見て にこく した」 後 

年 歐洲大 戰の結 2^ として 靑患 が獨 逸の 手 を 離れた ときに 何となく その 時の 講義が 思 出された。 

海洋 博物館の 前 を 西 へ 高架線に 沿うて 行く と 停車場の 前 をぬ けて ス プ レ ー の 河岸 へ 出る。 河岸 

に 沿うて 二三 町 先 0 マル シャ ル 橋の 南 詰の 角に 物理 敎窒が ある。 此 處で聽 いた キ ー ビッ ッと いふ 

若い プリ、、 ヮ,, ト . ドチ H ントの 空中 電氣の 講義 は 始め 十 人位の 聽講 者が 段 々減って とう,/. \  二三 

人に なって しまった、 そのせ ゐか數 時間で おしま ひに なった。 物理 學 輪講 會はル ー ベ ン スが 座長 

であった が ブラ ン クも 殆どい つも 缺 かさす 出席して この 集會の 光彩 を 添へ てゐた C 老人 株で は 力 

ナル 線の 發 見者 ゴ ー ル トシ ユタ イン や、 ヮ ー ル プル ヒ などが 居り、 若手で はゲ ー ルケ、 プリング 

ス ハイム、 ボ ー ルな ども ゐた. - 日本人で は 自分の 外に 九州 大學の 桑 木さん も 或 期間 出席され たや 


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うて Iws ふ。 

鼻 股 鏡で ぬう つと 澄して ゐて、 さう して 何でも 實 によく 知って ぬる ル ー ベン スの 傍に、 無邪氣 

で氣 輕 く 明るい ブラ ン クがゐ て、 よく 我々 でも 知って ゐる やうな 實驗 的の 事實を 知らないで 質問 

する、 若い 連中が 得意に なって それ を說 明す るの を 感心して 謹聽 して ゐた。 純眞な 性格に もよ る 

であらう が、 併し 一方で 誰に も 負けない だけの 長所 を もち、 さう して それ を自覺 して ゐる 入で な 

ければ これ 程 無 邪氣に はなれ まいと 思った ことであった。 後年 アイ ンシュ タインに 對 する 反 猶太 

人 運動で ひどく 器量 を 悪く した ゲ— ルケ は 矢 張 一座の 屮で  一^世 間 人らしいと ころがあった。 若 

くて 禿 頭の 大 坊主で、 いつも 大きな 葉 卷を銜 へて 吞氣 さう に 反り か へ つて 默 つて ゐ たの は プリン 

ダス ハイムであった。 イグナトフ スキ ー とか い ふ 波 蘭人ら しい 黑髮 黑髯の 若い 學 者が、 い つ か 何 

かの ディ ス ク シ ォ ンで ひどく 與窗 して 今にも 相手に つかみ か 、. るかと 思 はれて はら,/ \ し たこ と 

があった。 ヮ ー ル ブル ヒは賢 K でも わるい かと 思 はれる やうに 額 色が 惡く 肥大して ゐて 一向に 元 

氣 がなかった が、 ゴ ー ル トシ ュ タイン は 高年に 拘らす 顏色も 若々 しく 明るい 上品な 感じの する 人 

であった。 ブラ ン クは此 人に 對 していつ も わざとら しからぬ 敬意 を 表して ゐる やうに 見受けられ 

た。 


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學大林 伯 


物理の 輪講 會には 矢 張 义特刖 の 雰闻氣 が あるの を 面白い と 思った: 自分の 出席した 四つ Q コ U 

キゥム の それ, の雰阐 氣は學 科の 性質から 來る 特徵も あるに は あるで あらう が 結局 は その 集會 

を 統率す る 中心人物の 人柄 そのもの, によって 濃厚に 色づ けられて ゐ るので あ つ た。 

次の 冬學 期に は 上記の 先生方の 外に、 ヘル メルト Q 「地球の 形」 や オイゲン - マイヤ 1Q 「航 

{ 仝に 關 する 應用 カ學」 など を聽 いた。 へ ルメルト は 赭ら顏 で 股 をし よ ぼ/ \ させた 何となく 田舍 

爺の やうな 感じの する、 侨し何 か 中々^ へない やうな 氣の する 先生で あつたが、 併し 矢 張」 と 

かどの えらい 學 者の やうに 思 はれた。 マイヤ ー の 講義 は ザ クゼ ン 訛りが ひどく 「小さい, 一 を ダラ 

ィ ン 「I 跌举」 をグ リ ー クと いふ 調子で、 どうも 分り にく、 て 困つ た: 

ネルンストの 「物理 化學」 も ひやかしに  一 二度 聽ぃ たこと があった が、 西洋人に して は 脊の俄 

い, やん ぐり した 體 格で、 それが 高い _ 聽講席 を ふり 仰ぎながら 活潑に 手 を 振り 身體を 動かし 頸 を 曲 

げてゼ スチュ 了の 賑 かな 講義 をして 見せた。 ボアン カレの 所謂 ゲ オメ ー ク— 型の 學 者と 思 はれた „ 

聽講者 は いつも 教場に 溢れて ゐ た- 

講義 や 輪講の 外に 色々 の見學 があった。 へ ル マン 教授の 許に なた 連中と リンデンべ ルクの 高層 

氣象臺 へ 行った とき はべ ルゾ ン 博士が 案 內の勞 をと つた。 此 人はジ ュ ー リ ングと 一 緒に 氣 球で 成 


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層 圏の 根- 兀に 近づき 一 時 失神しながら も 無事に 着陸した とい ふ 經驗を もって ゐて、 搭乘氣 球と し 

て の 最高の レ コ —ドの 保持者であった。 鐵道 幹線から 分れた ffl 舍 廻りの 支線、 所謂 ク ラ ィ ン バ 1 

ンの 汽車の 呑氣な のに 驚いた のは此 時で ある。 泉 京の 市電より のろい 位の 速度で 蛇の やうに うね 

つた 線路 を 汽笛の 代りに チャン,/ \, くと 絶えす ベ ルを 鳴らして 進む ので ある。 ボ ンチ繪 の クラ 

イン バ ー ンには 吃 度 豚 や 家鷄が 鐵路の 上に 遊んで ゐる やうに 描いて ある、 その 通りで ある。 ゲハ 

ィ ムラ— ト 以下 i^I 往復 共に 四 等 客 窣に牧 まって 行った。 客車の. 屮は白 塗りの がらんどうで、 唯片 

側の 壁に 幅の 狹ぃ 棚の やうな 腰掛が ある だけで ある。 乘合 はせ た 農夫 農 婦 など は銘々 の 大きな 

物に 腰かけて ゐ るから い、 が、 手 ぶら の 敎授方 以下 いづれ も 立った ま \ で ゆられながら、 しきり 

に 大氣の 物理 を 論じ 合 つて ゐた。 

地理 學敎 {ャ; ではべ ンクゃ 助手の ベ I ァ マ ンが 引率して 近郊の 地赏 地理 見學に 出掛けた。 ぺ ンク 

の 足の 早い のとべ ー ァ マ ン の 口の 早い のとに 惱 まされた が、 隨分 色々 とため に はなった。 

學生 の 有志 の 見學圑 で 毎週の やうに いろ/ \ の 見 學參加 募集 をす る、 その 廣告 が大學 の 玄關 に 

貼り 出される。 當時は 世界 第 一 であった ナウエン の 無線電信 發信所 を 見物した の もこ の 見 學團の 

一 員と して あった。 テレ フンケ ン . シ ステ ムの 大きな 蛇の やうな スパ ー クがキ ュ ン /\ と 音 を 


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學大林 伯 


立て 、ひらめいて は 消える の を 見た。 同じ 團體に は ひって ヘッベルの 劇場の 樂屋 見學 をした とき 

は、 奈落へ 入 込んで モ ー タ ー で 15 はす 勉り 舞臺を 下から 仰いだり、 風の ま;:: を 出す 器械 を 操縦 させ 

て 貰ったり した。 音 を 出す Q は 器械 だが、 音 を 風 一昔ら しくす る の は 矢 張 人間の 藝術 らしい と 思 は 

れた。 

三學期 一 年 半の 伯林 火 學通ひ は 長い やうで も あり 又 短い やうで もあった。 大層 利口に なった や 

うで も あり 乂 馬鹿にな つた やうに も 思 はれた。 引上げて ゲ ッ チ ンゲ ン へ 移る とき は 流石に 名殘惜 

しい 氣 がする のであった C  . 

マル シャ ル橋 や: 土宫 橋から 毎日の やうに 眺め 見下ろした スプ レ ー の燭り 水に 浮ぶ 波紋 を 後年 映 

畫 「伯林」 の 一場面で 兑 せられた ときには、 往年の 記憶が 實に 生ま,/ ^1 i く輕 つて 來 るの を 感じ 

たのであった。 (昭和 卜 年 五:^、 輻射) 


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五月の 唯物觀 


西洋で は 五月に 林擒ゃ リラ Q 花が 唤き 亂れて 一年中で 一番 美しい 自然の 姿が 見られる 地方が 多 

いやう である。 しかし 日本 も 東京 邊 では 四月 末から 五月 初へ かけて 色々 な 花が 一 と 通り いてし 

まって 次の 季節の 花の シ ー ズ ンに 移る までの 間に 一 寸 した 中休みの 期 問が ある やうな 氣 がする。 

少くも^111分の家の植物界ではさぅぃ ふこ とになっ てゐるゃぅでぁる。 

四月 も 末 近く、 紫 木蓮の 花瓣の 居住 ひが 何とな くだらし がなくなる と 同時に はじめ 目立た なか 

つた 靑 葉の 方が 次第に 威勢が よくな つて 來る とその 隣の 赤樁の 朝々 の 落花の 數が 多くな り、 蘇枋 

の 花房の 枝 Q 先に 若紫が ちょぼ./ \ と散點 して 見え 出す。 すると 霧 島つ、 じが 二、 三日の 間に 爆 

發 的に 咬き 揃 ふ。 少しお くれて、 それまで は 藤棚から 干からびた 何 かの 小 動物の 尻尾の やうに 垂 

れ てね た 花房が^ に 仲び 開き 簇生した 苦が 破れて あでやかな 紫の 雲 を 棚引 かせる。 さう いふ 時に 


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觀物 唯の 月 五 


よく 武藏野 名物のから 風が 吹く こ とが あ つ て 折角 咬き かけた 藤の 花 を 吹きち ぎり、 序に 柔か い 銀 

杏の 若葉 を 吹きむ しる ことがあ るが、 不連縫 線の 狂風が 雨 を 呼んで 干からびた むせつ ぼい 風が 收 

まると 共に、 稳 かにし め やかな 雨が お とづれ て來る と 花 も 若葉 も 急 に 蘇生した やう に 光彩 を增し 

て、 人間の 頭の 中まで も 一時に 洗 はれた やうに 淸々 しくなる。 さう いふ 時に 軒の 雨垂れ を 聞きな 

がら 靜 かに 浴 櫓に 浸って ゐる心 持 は、 凡そ 他に 比較す る もの \ ない 閑寂で 爽快な ものである。 さ 

うい ふ 日が 年の 中に 一 日 ある こと も ありない こと も ある やうな 氣 がする。 さう だとす ると 生命 Q 

ぁる內にさぅぃ ふ稀有な日を出來るだけしみ^-と味はって ぉかなければならなぃ譯でぁる。 

若かった 時分に は 四月から 五月に かけての 若葉 時が 年中で 一番い やな 時候であった。 理由の な 

い 不安と 憂 1^ の 雰圍氣 の やうな ものが 菖蒲 や 牡丹の 花瓣 から 醸され、 鯉幟の 飜る靑 葉の. 空に 流れ 

たなびく やうな 氣 がした ものである。 その代り 秋風が 立ち 始めて 黍の 葉が かさ/ \ 音を立てる こ 

ろになる と 世の中が 急に 頼もしく 明るくなる: 從 つて 一概に 秋 を 悲しい ものと きめてし まった 昔 

の 歌人な どの 氣 持が. S 分に はさつ ばり 吞み こめなかった のであった。 それが 年を取る うちに 何時 

の 間に か a: 分の 季節的 情感が まるで 反對 になって、 このごろ では 初夏 Q 若葉 時が 年中で 一希 氣持 

のい \ 勉强 にも 遊樂 にも 快適な 季節に なって 來 たやう である。 


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こ Q 著しい 「轉 向」 0 原 H は 主に 生理的な ものら しい。 試に al 分 G あやしげな 素人 生理 學の知 

識を 基礎に して 脇說を 立て 、見る と 火 凡 次の やうな ことで はない かと 思 ふ C 

吾 々が 格別の 具體的 事由な しに 憂豫 になったり 快活に なったり する 心情の 變化は 或 る 特殊の 内 

分泌 ホル モ ン の 分泌 量に 支配され る もので はない かと 思 はれる。 それが 過剩 になる と 憂 I 慰に なつ 

たり 感傷的に なったり 怒りつ ぼくな つたり する し、 また、 過少に なると 意氣銷 沈した 不感 の狀態 

になる のでない かと 思 はれる。 そこで 分泌 が 過剩で もな く 過 少で もない 中間の 或る 適當な 段階 の 

或 る 範圍內 にある ときが 生理的に 最も 健全 な狀態 で、 さう い ふ 時に 最も 快適な 平衡 の と れた 心情 

の 動き を 享有す る ことが 出來 るの だと 假定 する。 

二方で また この 分泌に は 一年 を 週期と する 季節的 變化 があって、 そ 0 最高が 晩春、 最低が 初秋 

のころ にある と假定 する。 それから また そ Q 週期 的な 波 Q 「平均 水準」 が 人々 によって 色々 違 ふ 

のみなら す、 同一 個人で も 健废狀 態に より また 年齢に より 色々 ちが ふ ものと する。 に また その 

平均 水準 Q 上下に 昇降す る 週期 的變 化の 「振 幅」 が 矢 張 人に よって 色々 の 差が あり、 或 人 は 春 

秋の 差が それほど 大きくな いのに、 或 人 は それが 割合に 大きい とい ふ 風な 變 異 が ある ものと 

す る C  , 


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觀物 唯の 月 五 


數 式で 書き 現 はすと、 こ Q 問題の 分泌 量 H が ざっと HHH 一, 十 Asin  nt の やうな 形で 書き 現 は 

されそ0平均水準の^^と振幅<1とが各個人の各年齢で色々 になる量だとする" そこで 今 一 番適當 

な H の 量 を假り に K だとす ると、 上 式 を K に 等し いと 置いた ときに その 式を滿 足す る や うな 時間 

t に相當 する 時季が その 人 0 一  番氣持 Q い 、 ときになる 勘定で ある。 

もしも H。  —  A が K より 大きい やうな 人なら ば そ Q 人 は 年中 怒りつ ぼく また 憂 ■ になり 易い し、 

また ffi  。十 A が K より 小さい 人 は 年中 元氣 がな く怕氣 てゐる ことになる。 この 假設 を應 用して. E 

分の 場合に 當て はめて 見る と 若い 時分に は „3f も A と相當 大きくて しかも H_,  —  A が 略 K に 等し か 

つた、 併し 年を取って 或る時 期 以後 H 。が 著しく 減って H 一, +  A  =  K に 近くな つたと いふ 風に 解釋 

すると 一 應の說 明が つきさう である。 尤も!^が段々 に滅って來たとすると、 中年 ごろ に 一 度 w<- 

= K 、. 換言すれば 夏と 冬と が 丁度 快適 だとい ふ 時期が あつたと しなければ 勘定が 合 はぬ ことにな 

るが、 しかし 實際は 上の やうな 簡單な 式で 總 てが 現 はされ る はす はない, ので、 例へば 過剩ゃ 過少 

が 寒暖の 急な 變り n だけに 起り、 さう いふ 時期 だけに それが 有 效に心 精 を 支配す るの だと すれば、 

それでも 一 應 はこの 困難が 避けられる であらう と 3 心 はれる。 

この 素人 學說は 多分 全然 間違って ゐ るか、 或は ことによると、 もう 旣 にこれ と いくらか 似た 形 


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でよ く 知られて ゐる ことか も, れ ない。 併し 自分が こ 、で こんな こと を nm きなら ベ たの は 別に さ 

うした 學說 を唱へ るた めで も 何でもない ので、 たぐ こ 、でい つた やうな 季節的 氣候的 環境の 變 化 

に 伴 ふ 生理的 變 化の 效 茶が 人 問の 精神的 作用に かなり 重大な 影響を及ぼす ことがあ ると 思 はれる 

のに、 さう いふ 可能性 を. CL 覺 しないば かりに、 客觀 的に は 同じ 環境が 主觀 的に 或 時 は 限りなく 悲 

觀 されたり、 また 或 時 は 他愛 もな く樂觀 されたり する Q を、 うっかり 思ひ逮 へて、 本當に 世界が 

暗くな つたり 明るくな つたり する かの やうに 思 ひ 詰めて しまって、 つい 三 原 山へ 行きた くな り ま 

た 反對に 有頂天に なったり する、 さう いふ 場合に、 前述の 如き 馬鹿 氣た數 式で も ひねくって 見る 

ことが 少 くも 一 つの 有 效な鎮 靜劑の 役目 をつ とめる ことにな り はしない かと 思 ふので、 さう いふ 

鎭靜劑 を 一 部の 讀 者に 紹介し たいと 思った までの ことで ある。 

兼 好 法師の 時代に はもち ろん 生理 擧 など、 いふ も Q はなかった が、 彼 C 「徒然 草」 第 十九 段 を 

見る と 「青葉に なり ゆく まで、 よろ づ にたに 心 をのみ なやます」 とか、 また 「若葉の 梢 涼しげ に 

茂り ゆく 程 こそ、 *:G あはれ も、 人の 戀し さも まされと、 人のお ほせられ しこ そ、 げ にさる も C 

なれ」 など、 いって ゐる ところ を 見る と、 この 法師 も その 當時は _HO—A  =  E: の 仲間で はな かつ 

たかと 想像され て 可笑しい。 それに 引き か へ て 枕 草子に 現 はれて 來る 清少納 言の 方 は ひどく 健康 


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觀物 唯の 月 五 


がよくて A が 小さく H がいつ も K に 近いと いふ. 型の 婦人であった やうに 見える ので ある。 

「徒然 草」 Q 「あやめ ふく 頃」 で 思 ひ 出す 0 は ベルリンに 住んで はじめての 聖靈 降臨 祭の 日に 

近所の 家々 の 人口の 軒に 白樺の 折 技を插 すの を 見て、 不思議な AJ とだと 思って 一 ニニの 人に 開いて 

見た が、 どうした 由來 による もの か 分らなかった。 た 何となく 軒端に 菖蒲 を葺 いた 鄕國の 古俗 

を 想 ひ 浮べて、 何 かしら 東西 兩洋 をつな ぐ 緣の絲 の やうな もの を 想像した 0 であった が、 後に ま 

た ウイ ー ン の 歳の 暮に 寺の 廣 場で 門松に よく 似た 縱の枝 を賫る 歳の市の 光景 を 見て、 同じ やうな 

空想 を 達しう した こと もあった。 こんな 習俗 ももと は 何 かしら 人間 G 本能 的 生活に 密接な 關 係の 

あ る 年中行事から 起 つた もので あらう と 思 ふが、 形式 だけが 生殘 つ て 內容 の 原始的 人間 生活 Q 匂 

ひ は. 水久に 消えて しま ひ 忘れられて しまった Q であらう。 

「早苗と る 頃」 で 想 ひ 出す の は 子供の 頃に 見た 鄕 里の 氏神の 神 田の W 植 Q 光景で ある。 このと 

きの 晴れの 早乙女に は 村 中の 娘 達が 揃 ひ 0 紺の 着物に 赤帶、 赤 襖で 出る。 それ を 見物に 行く 町の 

若い 衆 達のう ちに は 不思議な 嗜被 虐性變 能:; 趣味 を もった 仲間が 交って ゐ たやう で. ある。 とい ふの 

は、 昔 がらの 國の 習俗で、 この 日の 神聖な 早乙女に 近よ つてから かったり する 者 は 彼女 達の 包圍 

を 受けて 頭から 着物から 泥 を 塗られ 浴びせられても 決して 苦情 はい はれない ことにな つて ゐ たの 


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である。 

さう いふ 恐ろしい 刑罰の 危險を 胃して 彼女ら を 「テ ガイ 二 イク」 (からか ひに 行く) とい ふ冒險 

に は 和當な 誘惑 を 感じる 若者 も 多 か つたで あらう が、 中には わざ \ 彼女逹 にっか まって 田の 泥 

を 塗られる ことの 快感 を 享樂す るた めに 出かける 人 も あると い ふ 話 を 聞 いた ことがあった やうで 

ある。 

i 度實 際に 泥 を 塗られて ゐる 場面 を 見た ことがある。 その 時の 犧牲は 三十 恰好の 商人 風の 男で、 

なんでも 茶が,^ つた 袷の 着 流 しに 兵兒帶 をし めて ゐ たやう に 思 ふ 。それが 下駄 を 片手に ぶらさげ 

て 跣 足で 田の 畦 を 逃げ 廻る の を、 村の ァ マゾン 達が 巧妙な 戰陣を 張って あらゆる 遁げ路 を 遮斷し 

ながら 段々 に 十六む さしの St 線 Q やうな K を 傅って 攻め寄せて 行った" その後から 年と つた 女達 

が 鍬の 上に 泥 を 引 つ かけた の を 提げ て 彈藥 補給の 役目 を つとめる ためにつ いて 行く ので ある。 と 

うとうつ かまつ て顏 とい はす 着物と いはす ベ と/ \ の 腐 泥 を 塗られて げら 笑って ゐる 三十 男 

の意氣 地な さ を まざ, C と 眼底に 刻みつ けられた の は、 誠に 得難い 敎訓 であった C 維新 前の 話で 

あるが、 通りが, - りの 武士が 早乙女に 泥 を 塗られた C を 怒って そ Q 場で 相手 を 斬殺した 事件が あ 

つて、 それ を 種に 仕組んだ 芝居が 町の 劇場で 上演され たこと もあった やうで ある。  . 


312 


觀物 唯の 月 五 


こ れ ら Q 泥 塗 事件 も 唯物論 的 に 見る とみんな 結局 は €: 分泌に 關係 Q ある 生 化學的 問題に 歸納さ 

れ るの かも 知れない" さう いへば、 春 過ぎて 若葉 Q 茂る Q も、 初 鰹の 味の 乘 つて 來 るの も 山 時鳥 

の啼き 渡る Q もみん な それ/ i\> 色々. な 生化學 Q 問題と どこかで つながって ゐる やうで ある。 しか 

し假令 これに 關 して 科 學 者が どんな 研究 をしょう とも、 如何なる 學說を 立てようと も、 靑 葉の 美 

しさ、 . 鰹のう まさに は變り はなく、 時鳥の 磬の 喚び 起す 詩趣に も 何等 別狀 はない はすで あるが、 

それに 拘 はらす もしゃ 現代が 一 世紀 昔 Q やうに 一, 學問」 とい ふ も Q  、意義の 全然 理解され ない 世 

の 中で あつたと したら、 こ G やうな 科學的 五月 觀 など はう つかり n にす る こ と を 悼らなければ な 

ら なかった かも 知れない Q である C さう いふ 氣兼 0 いらな いのは 誠に 一 一十 世紀の 有難 さで あらう 

と 思 はれる。 (昭和 十 年 五 H:、 大阪朝 E 新聞) 


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自由 畫稿 


はしがき 

これから しばらく 緣 けて 擎を執 らうと 寸 る隨筆 斷片ハ i 集 E に 前以て 總括 的な 題 をつ けようと 寸 る 

と 存外 六 かしい。 書いて ゆく 內に何 を 耆 くこと になる かも 分らな い の に、 もし 初めに 下手な 題 をつ け 

てお くと 後に なつ て その 題に 氣 兼ねして 書き 度い ことが 自在に 書け たくた ると いふ 恐れが ある。 それ 

だから、 いつも は、 題な ど はっけないで 書き 度い こと をお L まひ 迄 書いて しまって、 何遍も 讀 返して 

手 を 人れ た 上で、 いよく 最後に 題 をき めて 冒頭に 書き入れる こ とに して ゐ るので ある。 併し 今度 は 

同じ 題で 數 ヶ月 綾け ようとす るの だから^ 情が 少しち がって 來る。 尤も、 有リ ふれた 「無題」 とか, 斷 

片」 とかい ふ 種類の ものにすれば 一番 無難で は あるが、 それ もなん だか 餘リ 卑怯た やうな 氣 がする。 

色々 考 へ てゐ ると き 座右の 樂 譜の卷 頭に ちる サ ン. サ I ン 3  Rondo  Ckpriccioso と いふ 文字が 眼に 


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稿 畫由自 


ついた。 かう いふ 題 もい X かと 思 ふ。 併し、 ずっと 前に 同じ やうた 斷片 群に タ I ナ— の畫帖 から 借用 

した ; Liber  Stucliorum とい ふ 名前 をつ けた ことがあ つたが、 それ を 文 境の 某 大家が 日刊新聞の 文蔡 

時評 で 紹介して くれた 序に 「 こ んな ラテン語の 名前た どっける もの 、氣が 知れたい」 と 云つ て 非難 さ 

れた ことがあ るので、 今度 も かう した 名前 は愼 しむ 方が よいで あらう と 思 ふ。 色々 考 へた 末に 結局 平 

凡な、 表題の 通リの 名前 を 選む ことにな つてし まった 譯 である。 仝く 六 かしい ものである。 

此の 集の 內容 は 例に よ つ て 主 として 身? 璦事 の 記錄 や 追惊 や そ れ に關 する 璃 末の 感恕 であ る。 かう 

いふ もの を 書く 場合に 何 か 一 と 言ぐ らゐ 云 ひ譯の やうな こと を かく 人 も 多い やうで ある。 考へ 方に よ 

れば それ も必耍 かも 知れな い。 併し、 如何たる侗人でもそ3身^„^1には ぃゃでも時代カ货景が控 へ てゐ 

る。 それで 一 個人の 身邊 t 〈事の 記 錄には 筆者の 意識 如何に 拘らず 必ず 時代 世相の 反映がなければ なら 

ない。 又 筆者の 愚痴な 感想 の 中に も 不可避 的に そ み 時代 の 流行 思想 み 句 ひ がた よつ てゐ たければ た 

ら ない C さう いふ 譯 であるから 現代の 讀 者に は 餘リに 平凡た 尋常 茶钣 事で も、 半世紀 後の 好事家に は 

意外な 掘 出物の 種 を 蔵して ゐる かも 知れたい。 明治時代, -: 「風俗 畫 -喃」 が 1*1:1 々に 無限の 資料 を 與へ感 

興 を そ i るの も そのためで あらう。 恨し、 さう いふ 役に立つ 爲には 記錄 Q 忠赏 さと 感想の 誠赏 さがた 

ければ ならない であらう。 

これが 私の 平生 かう した 斷片的 隨筆を 書,.、 場合 の 主た る 動機 で あ り 申霈 で あ る- 人に もの を敎 へ た 

リ强 ひたりす る氣は はじめからな いつも リ である。 


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集中に は科學 知識 を 取扱った も 2 も 自然に! ».、 出て 來る かも 知れない。 併し それ も 決して 科學 知識 

の 普及な ど、 いふ こと を 目的と して 書く? ではな い。 唯 自分で 本 常に 而. R いと 感じた ことの 覺ぇ 書か、 

さもなければ 譬喻 か說 明の 爲に 便利た 道具と して 使 ふ爲の 借り ものに 過ぎない。 併し、 さう かと 云つ 

て その 結果が 幾分 か 科 學如識 f:" 及 に 役に立つ ことにな つても それ は 差し 岡へ はないで あらう と 思って 

き。 

序な が ら、 斷片 的な 通^ 科 學的讃 物 は 排 R- す ベ きも の だ と 一 "ム ふ や うた 事 を 新聞紙 上 で 論じた. S 力 近 

3; あった やうで あるが、 あれ は 少し 偏頗た 僻論で あると 私に は 思 はれた。 どんな 瑣末な 科學的 知識で 

も、 その 背後に は 必ず 色々 た旣 知の 方 則が 遍 的た 背景と して 控へ て 居り、 又 その上に 數 限り もた い 

未知の 問題の 胚芽が 必ず 含まれて ゐる 5 である。 それで 一 兑所 謂«: しく 末 稍 的な 知識 5 煩瓒、 な 解說で 

も、 その 書き方と X そ れ を譃 む 人の 讀み 方に よって は、 そ? 末 術 的 問题を 包舍寸 る 科學 の 大部 門 の 概 

觀が 讀者 の 眼界 ? 地平^ 上に 臓氣に でも 湧 上がる こと は 可能で あり 乂 屢、、 赏 現す る事赏 であ る, 讀者 

の頭腦 次第で は、 可な り つ まらぬ 科學 記事から でも 色々 な i 太 問題の 喑示を 感知し 發 兑し攝 取し 發展 

させる こと も 屢-、 あるので ある r- 一方で は父淺 薄な 槪括的 論述 を 羅列 した 通俗 科 學的讀 杓が 甚 しく 讀 

者 を あやまる とい ふ 場合 も あるで あらう。 それで、 唯 一概に 斷片 的た 通俗 科學は 如何なる 場合で 

も 排斥すべき もので あ る かの やうな 感を讀 者に 抱かせる やうな 所 說に對 して は、 少 くも 若干の 附加修 

を 必要と する であらう と 思 はれた。 此の 機會に 序ながら 附記して おく 次第で ある。 


316 


稿畫由 e 


一 , 板の 立. つ 元旦  . 

-4.1 月- -几 a とい ふと 吃 度 機嫌が 悪くな つて 苦い 顏 をして (ぉ挨 一  M にも 暗い 思 ひ をさせる 老人が あ 

つた。 そ は S 凰享 篤實を 以て 聞こえた 人で 世間で は 誰 一 人 非難す る もの 、ない 程眞 面目な 親切な 

老人であって、 さう して 朝晩に 一 度づ 、神棚 の^に 禮拜 し、 遙に皇 城の.: へ」 を 伏し をが まない と氣 

の濟 まない 人であった。 それが 年の 始めの 一番 大事な. -几 =.b 朝と なると、 きまって 機嫌が 悪くな 

つて、 どうかす ると 煙草盆の 灰 吹 を 煙管の 雁首で、 いつもより は 耳 だって 强 くた、 くこと も 屢、、 

あった。 

その 老人 Q 总子 に は その 理由が どうしても 分らなかった ので あつたが、 それ か ら 二三 十年經 つ 

て そ Q 老人 も 亡くなって 後に、 そ OHO 子が 自分の {sfel を もつ やうに なって、 さう して 生活 も 稍 安 

定 して 来た 頃の 或 年の 正月 元日 一の 朝淸ら かな 心 持で 起床した 瞬間から 何となく 腹の 立つ やうな 事 

が 色々 眼に ついた。 綺麗に 片付いて ゐ るべき 床の間が 取 散らされて ゐ たり、 玄關の 障子が 破けて 

ゐヒ り、 女中が 臺 所で 何 か 陶器 を 取 落とした やうな 音を立てたり、 平生なら 训に 何でもな いこと 

が、 その 元日 一に 限って ひどく 氣 になり、 f 愉快に なり、 やがて 腹」 にたし く 思 はれて 來 るので あつ 


317 


た。 その 一方で は义、 今 H は 元旦 だから 腹 を 立てたり して はいけ ない とい ふ 抑制 的 心理が 働いて 

來る、 さう すると 却って それ を 押し倒す やうな 勢で 腹立たし さが 腹の 底から 持ち上がって 來 るの 

であった。 その 瞬間に この 男 は 突然に、 實に 突然に 亡くなった 父の こと を 思 ひ 出して びっくりし 

た。 さう して、 その 瞬間に はじめて 今迄 どうしても 分らなかった、 昔の 父 Q 元旦の 心 持 を 理解す 

る ことが 出來 たので ある。 

それから 义 數年經 つて 後の ことで ある。 この 息子の 息子が 或 年の 正月に 何 か 一寸した ことが な 

るべ き やうに な つて 居なかった と 云って ひどく そ の 母 や 女中に 對し て 怒って ゐ るの を その, 父親が 

發 見し て ひどく 吃驚し、 さう して 又 非常に 怖ろ しくな つたの ださう である。 

かう い ふ 話 を 聞いて ひどく 感心した ことがある。 つまらない 笑話の やうで 實は 可な り 深刻な 人 

間 心理の 一 面 を 暴露して ゐ ると 思 ふ。 こんなの も 何 かの 小說の 種に はならない もの かと 思 ふ。 

それ は 兎に角、 正月 を 目出度い とい ふ 意味が 子供の 時分から 私に はよ く 分らなかった が、 を 

取っても 矢 張 未 V, 十分 に は 分らない。 少 くも 自分 の 場合で は 正月と 云 ふと 兎角 目出度 か らぬ こと 

が重疊 して 發生 する やうに 思 はれる ので ある。 のみなら す 平日なら それ 程に も 感じない やうな 些 

.1 な HE 出度から ぬ ことが、 正月で あるが 爲に 特に 不 目出度に 感ぜられる。 これ は 恐らく 誰でも; M 


318 


稿 畫由自 


樣に 感じる ことで あらう e 例へ ば 小さい 子供が 大勢 ある やうな 家で は 丁度 大晦日 や 元日な どに よ 

く 誰か 、乂 風邪 を 引 いて 熱 を 出したり する。 元旦 だからと 云 ふので つい 醫者を 呼ばな か つ たばかり 

に 病 氣が惡 化する と 云った やうな 場合 も あり 得る であらう。 

高等 學校 時代の 或 年の 元旦-に 二三の 同窓と 一 緖に諸 先生の 家へ 年始 廻り をして 居た とき、 或 先 

生の 門前 迄 来る と 連れの 一 人が 立 止って 妙な 顏を すると 思ったら 突然 仰向に 反り かへ つて 門松に 

倒れ か、 つた。 さう して それなりに 地面に 寢て しまって 口から 泡 を 吹き出した。 驚いて 先生 を 呼 

出して 病人 を舁ぎ 込んで から 顏 へ 水 をぶ つ かけたり 大騷ぎ をした。 幸に 間もなく; 止氣づ き はした 

が、 鬼に 角 こ れが 丁度 元旦で あ つ た爲に 特に 大きな 不祥事に な つ て しま つたので ある。 

正月 元旦 は 年に 一 度 だから 幸で ある。 もし これが 一 年に 三度 も 四 度 もあった ら大變 であらう と 

思 はれる が、 併し いっその ことこれ が 一 年に 十一 ー囘 とか 五十 囘 とか ある やうに なれば 又 却って 樂 

になる かも 知れない。 さう 思って 見る と、 一年に 一 囘づ、 特別な 日 を 設けて、 それ を 理由な ど 構 

はす 鬼に も 角に も 目出度い 日と きめてし まって 强 ひて 目出度が り、 さう して その 度に 發生 する 色 

色な 迷惑 を 一 層 痛切に 受難す る ことに も 中々 深い 意義が ある やうな 氣 がして くる。 

: 止 月 を 目出度い として 祝 ふこと を 始めて 發 明した 人が あつたと したら、 その 人 は 矢 張 中々 えら 


319 


い 人で あつ たらう と 思 はれる ので ある。 

二 乞食の 體驗 

. 子供の 時分、 多分 ヒ八歲 位 Q 頃 かと 思 ふが 兎に角 餘り 自慢に ならぬ 乞食 Q 體験 をした ことがあ 

る 0 

それ 3^ 鄕 M 高 知で は 正月 Q 十四日の 晩に 子供 等が 「粥 釣」 と稱 して 近所の { 鬼 を 廻って 米 や 小豆 

や 切 餅 を 貰って 歩いて、 それで 翌朝 十五 日の 福の 粥 を 作る とい ふ 古い 習慣が 行 はれて ゐた。 素面 

で は 流 石 に ェ 合 が 恶 い と ^5^ん て み ん な 道 化 た 假 を か ぶ つ て 行 く こ と に な つ て 居 た の で 、 その 時 

期が 來 ると 市中 Q 荒物屋 や 玩具 屋に はお かめ、 ひょっと こ、 桃ん 郞、 H 孤と いった やうな 色々 

の假 面を賫 つてな た。 泥 色 をした 淺 草紙 を 型に た、 きつけ 布海苔で 堅めた 表面 へ 胡 粉 を 塗り 繪具 

をつ けた: 全って 組ぶ な 假.. m で あ る 0 それ を SE! つ て 來て 燒火, 奢で- 吶方 の 股 玉の 眞中 に 穴 を 明け る。 

そ の 時に 妙 な 焦げ臭 い 句 ひがす る) それから 面の 兩側 の 穴に.. 儿 結の 切れ を 通して 面 紐に する の で 

ある。 面 を かぶる とこの 焦げ臭い.; 3 'ひが 一層 ひどい、 さう して 0 分の はき 出す 呼氣で 面の- 2: 側が 

湯って 來 ると 魚 膠の:? ひやら 淺 草紙の 3- ひやら と 一 緒に なって 貪に 胸の. 惡ぃ臭 氣を釀 し 出す ので 


320 


稿 畫由自 


あった。 五十 年後の 今日で も あり/ \ こ の 臭 氣を想 ひ 出す ことが 出來 るので ある。 

四 五 人、 五六 人と いふ 群に なって 北山お ろしの 木枯に 吹かれながら 軒並 を たづね て玄關 をお と 

づ れ、 口 々 にわ ざと 妙な 作り 聲 をして 「カイ ツット I セ」 とい ふ 言葉 を 繰 返す。 「粥 釣り を させ 

て 下さい」 とい ふ 意味の 方-一目 なので ある。 すると. M 々では かねて 玄關 かその 次の間に 用意して あ 

る糯木 やうる ちゃ 小豆 や 切 餅 や を 少量 づ 、銘々 の 持つ て 居る 袋に 入れて やる。 みんな 有難うと も 

何とも 云 はすに それ を 貰って 次の 家へ と 廻って 行く ので ある。 

平生は:, 仃 つたこと もない 敷 店の 高い 家の 玄關 をで も 構 はす 正面から お とづれ て、 それとなく 家 

居の さま を 見る とい ふ 一 種の 好奇心 Q やうな ものが これ 等 Q 小さい 乞 貧 達の 興味 Q 中心であった 

やうに 見える" 大概の 家で は 女中 等 は 勿論 奥さん や 娘さん 迄观 きに 出て 來て、 道化た 面 を 冠った 

異風な 小 乞 莨の 狂態に 笑 ひこけ る。 そこに は 一 種の 何となく 窈^ たる 雰圍氣 があった こと を當時 

は自覺 しなかった に 相違ない が、 可な りに 鮮明な その 記憶 を 今日 分析して 見て はじめて 發見 する 

0 である。 粥 釣が 子供ば かりで なく 寧ろ 大人に よって 行 はれた かと 思 はる 、昔で はかう した 雰圍 

氣が 或は 可な りに 重要な 意義 を もって ゐ たので はない かと も 想像され るので ある。 

自分の 宅へ 來る粥 釣を內 側から 見物した 場合の 方が 多かった やうに 思 ふ。 粥 釣に 來る 多勢の 中 3 


でも 勇敢な の は 堂々 と 先頭に 立って やって 來 るが、 氣の弱 いのは 先頭の 背後に 隠れる やうに して 

袋 を さし 出す の も ある。 倂し 何しろ 主に 近所の 人た ちで あるから、 假令 女の 着物 を 着たり、 羽織 

を 逆様に 着たり して 居ても 大凡の 見當 がっく 場合が 多い。 粥 釣を迎 へる 家に 勇猛な 女中で も; る 

と 少し 怪し いと 思 はれる やうな の をい きなりつ かまへ て 面 を 引き 刹が うとして 大騒ぎに なるやう 

な, こと もあった やうな 氣 がする。 

乞 貧 を 三 日す ると 忘れられな いとい ふが、 自分に もこ の 乞 貧 Q 體驗は 忘 れられ ない ものである" 

この 乞 (艮 根性が 拔け な い お 藤 で 今日 を どうやら かう やら 饑ゑ, f 凍えす 暮 して 行かれる Q かも 知れ 

ない ので ある。 

こんな 年中行事 は鄕 M でも、 もう 疾の 昔に 無くなって しまって、 若い 人達に はそんな 事が あつ 

たとい ふこと さへ 知られて ゐ ないか も 知れない。 

三冬 夜の 田園詩 

これ も 子供の 時分の 話で ある。 冬になる とよく 北の 山に 山火事が あって、 夜になる とそれ が 美 

しく 义物 怖ろ しい 童話 詩的な 雰 M 氣を^ 園の 闇に 漲らせる のであった。 


322 


稿 畫由自 


友達と 連一ュ つて 夜更けた 田圃 道で も 歩いて ゐる とき 誰の 口から ともなく 「キ ー ク ー ャ— マ ー、 

ャ ー ケ— ル、 シシ I ガデ ゥョ」 と 歌 ふと 他の ものが これに 和す る。 終り Q 「出うよ」 を 早口に 歌 

つてし まふと 何 かに 追 はれで もした やうに みんな 一 せいに 驅け 出す のであった。 さう いふと きの 

不思議な 氣持を 今 でも あり/ \ 思 ひ 出す ことが 出来る。 

自分が 物心 づく 頃から すでにもう 可な りのお 婆さんであって、 さう して 自分の 靑年 時代に 八十 

餘 歳で 亡くなる 迄 やはり 同じ やうな お婆さん のま、 で 矍雜 として ゐた B 家 0 伯母 は、 冬の 夜長に 

孫 達の 集って ゐる燈 下で 大きな 眼鏡 を かけて 夜なべ 仕事 をしながら 色々 の 話 をして 聞かせた C そ 

の 中で も實に 不思議な 詩趣 を 子供心に 印銘 させた 話 は 次の やうな ものであった。 

冬の 闇: 仅に 山中の 随 どもが 集って 舞踊 會の やうな こと を やる。 そのと きに 足踏みな らして 狸の 

歌 ふ 歌の 文句が、 「こいさ (今宵の 方言) お 月夜で、 御山 踏み (多分 山 見 分の 役人の ことら しい) 

も來 まい ぞ」 とい ふので、 その あとに、 何とか 何とかで 「ド ンド コ ショ」 とい ふ嚇 子が つくので 

ある? それ を 伯母が 節 面白く 「コ I ィ ー サ ー、 (休止)、 ォ ー ッ キヨ ー デ,' 、(休止)、 ォ ー ャマ、 フ 

1 ミモ、 コ ー マイ ゾ ー」 とい ふ 風に 歌って 聞かせた。 それ を 聞いて ゐ ると 子供 Q 自分の 眼前に は 

山 ふところに 落葉の 散り敷いた 冬木立の 空地に 踊りの 輪を畫 いて 踊って ゐる魏 どもの 姿が ありあ 


323 


り 見える やうな 氣 がして、 滑稽な やうで 物凄い やうな、 何とも 形容の 出来ない 夢幻 的な 氣 持で 一 

杯になる のであった。 

後年 夏 目先 生の 千駄木 時代に 自筆 総 葉書の やりとり をして ゐた 頃、 ふと、 この 伯母の 狸の 踊の 

話 を 想 ひ 出して、 それ をもぢ つた 搶紫書 を 先生に 送った。 丁度 先生が 「吾輩 は 猫で ある」 を 書い 

て 居た 時 だから、 早速 それ を 利用され て 作屮の 人物の い たづ ら *1 き と 結び付けた のであった。 

それ は 鬼に 角、 こ の 「山火事と 野猪」 の 詩 や、 「狸の 舞踊」 の 詩に は 現代の 若い 都 人士な どに は 

想像す る こと さへ 困難で あらう と m わ はれる やうな 古い 古い 「民族的 記憶」 と 云った やうな ものが 

含まれて ゐる やうな 氣 がする。 それ は 萬 葉 集な どより はもつ と 古い 昔の 詩人の 夢 をお とづれ た 東 

方 原始 民の 詩で あり 歌であった ので はない かと 思 はれる ので ある。 さう した 詩が 數 千年 そ Q ま-^ 

に傳 はって 來てゐ たのが 僅に こ の數十 年の il に 跡形 もな く 消えて しま ふので はない かと 疑 はれる „ 

グリム や アン デル ゼン は北歐 民族の 「民族的 記憶」 0 名殘を 惜しんで、 それ を 消えない 前に 喚 

び 返して それに 新しい 生命 を 吹 込んだ 人で はない かと 想像され る。 

近頃 我 邦で も 土俗 學 的の 研究 趣味が 勃與 したやう で 誠に 喜ばしい こと、 思 はれる が、 一 方で は 

乂 こ- -に 例示した やうな 不 3 わ 謹な W 園 詩 も 今の 內に 出來 る^け 蒐集し 保存 も 又 それ を 現在の 詩の 


324 


稿 畫由自 


育 葉に 飜譯 してお くこ とも 望ましい やうな 氣 がする 0 である。 

四 食 堂 骨 相 學 

或 大衆 的な 食堂で 見知らぬ 人達と 居並んで 食事 をして ゐた。 自分 は 耳が よくない せゐ か、 それ 

とも 頭が ぼんやりして ゐ るせ ゐか、 平生は かう した 場所で 隣席の 人達の 話して ゐる聲 はよ く 聞 こ 

えても、 話して ゐる 事柄の 內容 はちつ とも わからな いので あるが、 そ Q 日 隣席で 話して ゐる 中老 

人 一 一人の 話磬の 中で 唯 一 語 「ィゴ ッソ I」 とい ふ 言葉が 實に はっきり 聞き とれた のでび つくりし 

た。 もや/ \ した 霧 C 中から 突然 日輪で も 出現した やうに 餘 り. にくつ きりと それだけが 聞こえて" 

あと は父尤 通り ぼやけて しまった。 

「ィ ゴッソ 1」 とい ふ Q は鄕 里の 方霄で 「猜 介」 とか 「強 lw」 とか を 意味し、 义 さう いふ 性情 

を もつ 人 を 指して いふず 葉で ある。 此の 二 老人 は 多分 c: 分の 鄕 里の 人で 誰か 同鄕の 第三者の 噂 話 

をしながら、 さう いふ 適切な 方 f  一一  II を 使った こ と ^ 想像され る。 

それ は 何でもない ことで あるが、 私が こ 方肯を 聞いて 吃驚して 一 一人の 額 を 見た ときに 一 一人の 

顔が 急お 自分に 親しい もの 、やうに S あはれ て來 て、 何だか. f つと 昔鄕 M の何處 かで 見た ことがあ 


325 


るか、 或は 自分 Q よく 知って ゐる 誰かに よく 似て ゐる かどちら かで ある やうな 氣 がして 來 たので 

あった。 

^;れは單に久し振りに耳にした方言の喚び起した錯覺でぁったかも知れなぃ。 併し 又鄕 里の や 

うな 地理 的に 歷 史的に 孤立した 狀 態で 永い 年月 を閲 して 來た國 の 民族 0 骨 ffl に は、 矢 張 その 方霄 

と 一 緒に こびり 付いた 共通な 特徵が あるので はない かとい ふ 疑 も 起る のであった。 

义 別な とき 同じ 食堂で 此 界隈の 銀行員ら しい 中年 紳士が 一 一人 可な り 高聲に 私に でも 聞 取れる や 

うな 高調子 で ^^し て ゐ る の を閒く ともなく 聞いて ゐ ると、 當時 の 內閣諸 大臣 の 骨相 を 品評し て ゐ 

るら しい。 詳細 は 忘れた が 結局 大臣に は 人相が 最も 大切な 资 格の 一 つであって、 この 資格の 缺け 

てゐる 大臣 は 決して 永 精き しないと 云った やうな こと を 一 人が 實例を あげて 主張して ゐた。 相 乎 

は 「まあ 卜筮より は 骨相の 方が まし だら う」 と 云って ゐる やうであった。 この 二人の 話 を 聞いて 

から 成程 そんな 事 も あらう かと 思って 試に 當代 並に 其 以前の 廟堂 諸侯の 骨相 を 頭の 中で レビ ュ ー 

しながら 「大臣 顏」 なる もの.^ 耍素を 分析し ようと 試みた のであった。 

つい 先達ての あのべ ー ブ -ル ー スの 異常な 人氣 でも、 ことによると 彼の 特異な 人相に 負 ふ 所が 

大きい のか も 知れない。 


326 


かう した 大食 堂の 給仕 人 は 大抵 そろく 年頃に ならう とい ふ 女の子であって、 兎に角 餘り 醜く 

ないやうな 子 を 揃へ てゐ る。 それ 等の 大體 同じ 位の 年頃の 女の子が 同じ 制服 を 着て ゐ るから 一 

寸見 ると 身長の 差別と 肉 付の 相違ぐ らゐ しか 眼に つかない やうで ある。 

制服と いふ も Q は 或 意味で は 人間の 個性 を 掩蔽す る ものである。 少し 離れて 見れば 一隊の 兵士 

は 同じ 鑄 型で こしら へた 鈴の 兵隊 Q やうに 見える。 併し 食堂 女給 0 やうな 場合に も 又 逆に 服装が 

M  „ である 爲に 個人 0 個性が 却って 最も 顯 著に 示揚 される やうに も 見える。 淸長 型、 國貞 型、 ガ 

ルポ 型、 ディ ー トリ ヒ型、 入江 型、 夏 川 型 等 色々 樣々 な 曰 本 婦人に 可能な 容貌 Q 類型の 標本 を 見 

學す るに は、 かう した 一 樣なュ ニフォームを^;5けた、 さう して まだ 粉飾 や 媚態に よって 自然 を隱 

蔽 しない 生地の 相貌 0 宽 集され 展觀さ れ てなる 場所に しく も 〇 はない やうで ある。 

容貌 0 タイプと いふ こと \ 美醜と は必 しも 一致し ないやう である。 例へば キャサリン . ヘプ バ 

1 ン 型の 美人と 醜婦を 一 人づ 、捜し出す 〇 など は 甚だ 容易で あらう。 

食堂 Q 女給 Q 制服 は 腕 を 露出した のが 多い。 必然の 結 3^ として 食物 を 食卓に 並べ ると き 露出 さ 

れた 腕が 吾々 0 面前に さし 出される。 日本で 女の子 G 腕 を硏究 する G にこれ 程 適當な 機舍は 又と 

ないで あらう と 思 はれる。 


327 


美しい 腕 を もった 子 は 存外 少ない やうで ある。 應募 者の 試 驗委良 達の 拨點表 中に 容貌の 條項は 

あっても 腕の 條 項がない かも 知れない が、 少 くも 食堂の 場合に は、 これ も 一 つの 可也の 程度 迄考 

慮 さるべ き アイ テ ム となる ベ きも G かも 知れない。 

器量の よくない ので 美しい 腕の 持主 も ある 一 方で は 叉 美しい 顔と 寧ろ 醜い 腕との 結合 も ある や 

うで ある。 神の 制作した ものに は淺 墓な 人間の 概念的な 一 般化を 許さない ものが あるので ある。 

食堂 や 或は 電車の 中な どで、 隣席の 人の もって ゐ るステ ツキの 種類 特に その 頭部の 装飾 を 見る 

と、 それに 現 はれた その 持主の 趣味が 大抵 ネクタイ とか 腕時計と か 他の 持物に 反映して ゐる やう 

に 思 はれる。 併し 祌の 取合 はせ た 額と 腕に はさう した 簡單 な相關 はどう もない やうに 見える。 

食堂の 人口 を 眺めて 居る と樣々 の 人の 群が 人 込んで 來る 中に、 よくお 母さんと ぉ嬉 さんとの 一 

對が 見られる。 さう して 多くの場合お 母さんよりも お嬢さんの 方が 脊が 高く、 さう して 威張って 

ゐる やうな 氣 がする。 お母さんの 方が 下手に 出て 何 か 相談し かける とお 孃 さんの 方 はふん くと 

鼻で あしらって 高壓 的に 出る、 さう 云った のがよ く 服に つく。 もし 代々 娘の 方が 母親よりも 身長 

が 一 割高くな ると 假定 すると 七 八 代で 一 一倍になる 勘定で ある、 さうな つたら 大變 であるが 併し こ 

れは 現代の 過渡期に 特有な 現象で あらう かと 思 はれる。 


328 


徊— ぜ由自 


五 百貨店の 先祖 

百貨店の 前身 は勸 工場で ある。 新橋 や 上野 や 芝 G 勸ェ 場より 以前に は 龍 Q 口の 勸 工場と いふの 

があって ; 度位兩 親に つれられて 行った やうな 茫 とした 記憶が あるが、 夢であった かも 知れない C 

それ は 兎に角、 そ 0 勸 工場 0 もう 一 つ 前の 前身と して は淺 草の 仲 見 世 や 奥山の やうな ものが あり、 

兩國の 橋の 袂が あり、 さう して 所々 0 緣 日の 露店が あつたの だとい ふ氣 がする。 ffl 舍 では 鎭守ひ 

祭 や 市日の 賫店 があった。 西洋で も 恐らく 同様であった らうと 想 象 さ. L る。 蜀逸ゃ弗蘭^-〇^r舍 

の 町の 「市」 の 光景 は實 によく 自分の 子供の 頃の m 舍 Q 市 0 それと 似通った もの を もって ゐ たや 

うで ある。 

子供の 時分に さう した 市の 露店で 買って 貰った 品々 の 中には 少 くも 今の 吾々 の 子供 等の 全く 知 

ら ないやうな ものが 色々 あった。 

肉桂の 根 を 束ねて 赤い 紙の バ ン ドで卷 いた ものが あった。 それ を 買って 貰って しゃぶつ たもの 

である。 チュ I インガムより は 刺戟の ある 辛くて 甘い 特別な 香味 を もった ものである。 それから 

肉桂 酒と 稱 する が實は 酒で も 何でもない 肉桂 汁に 紅で 色 をつ けたの を 小さな 瓢簞,  おの 微子 曙に 入 


329 


れ たもの も當 時の 吾々 の 爲には 天成の 甘露であった。 

i! 蔗の 一 と 節 を 短刀の 如く 握り 持って その 切 尖から かじりついて 嚼 みしめ ると 少し 靑 臭い 甘い 

汁が 舌に 溢れた。 竹 羊 美と いふの は靑 竹の ! と 節に s (砂糖 入水 羊羹 をつ めて 凝 同 させた もので あ 

る。 底に 當る 節の 隔壁に 錐で 小さな 穴 を 明けて おいて 開いた 口 を 吸 ふと 羊 葉の 棒が 滑 か に 拔け出 

して 來る、 それ を 短 かく 齒で嚙 切って 曈 ふ、 殘 りの 圓 筒形の 羊奏は 一寸 吹く と 又 竹筒の 底に 落着 

くので ある。 义吸 出して は^ 切る。 汚ない と 云へば 汚ない が、 併し そこに は 一種の 俳諧が あった。 

つい 近頃 何處か G デパ ー トで是 と 同じ もの を 見付けた が曈 つて は 見なかった。 恐らく 四十 年 前 

味 は 求められな い で あらう。 

玩具で は ボベ ンと いふ ものが 一 時流 行した。 頸の 長い 硝子の フ ラス コ の 底 板 を 思 切り 薄く して 

小ノ しの 曲率 を もたせて 蠻曲 させた ものである。 その 頸 を 口に ふくんで 適 當な壓 力 で 吹く と 底 0 W 

子の 薄板が ボンと いふ 音を立て、 その 曲率 を反轉 する。 逆に 吸 込む とべ ンと 云っても との 向きに 

辩曲 する。 吹く Q と 吸 ふの を 交互に 繰 返す と、 ボベ ン く- (\ とい ふ 風な 音 を 出す。 吹き 方 吸 ひ 

方が 少し 强 過ぎる とすぐ に 底が 割れて しま ふ。 所謂 その 「呼吸」 が 一 寸六 かしい。 これ を寶 つて 

ゐる 露店 商 は 特製 特大の 赤ん坊の 頭 位の を 空に 向けて ジ ャ ン ボ ン ジ ャ ンボ ン と 盛に 不思議な 騷音 


1330 


稿 畫由自 


を 空中に 飛散 させて 顧客 を 呼んだ ものである。 實に 無意味な 玩具で あるが 併し ハ ー モ ユカ ゃピッ 

コ 口に はない 俳味と 云った やうな ものが あり、 それで ゐ て南蠻 的な 異國 趣味の 多分に ある もので 

あった。  - 

むきになって 理窟 を 云って る 鼻の 先へ もって 來て ボベ ン^ -と やられる と、 あらゆる 論理 ゃ哲 

舉 などが 一 遍に 吹き散らされる 處に 妙味が あった やうに も 思 はれる。 (昭和 十 年 一 月、 中央 公論) 

六 干支の 效用 

去年が 「甲 戌」 卽ち 「木の 兄の 犬の 年」 であった から 今年 は 「乙 亥」 で 「木の 弟の 猪 Q 年」 に 

なる 勘定で ある" かう いふ 昔風な 年の 數へ方 は 今では てんで 相手に しない 人が 多い。 乇ダ ー ンな 

日記帳に は その 年の 干支な ど 省略して あるの も ある 位で ある。 實際 丙午の 女に 關 する 迷信な ど は 

全く 謂れの ない こと、 思 はれる し、 辰年に は 火事 や 暴風が 多い とい ふやうな こと も 何等 科擧的 C 

极據 0 ない ことで あると 思 はれる が、 併し 此等は 干支の 算年 法に 附帶 して 生じた 迷信であって、 

さう いふ 第 一 一義的な 弊が 伴 ふから と 云って 干支の 使用が 第 一 義 的に 不合理 だとい ふ 證據に はなら 

ない。 昔から. 水い 間 これが 使 はれて 來 たのせ 矢 張 それ だ: の 便利が あつたから である。  お 


十と 十二の 最小 公倍数 は 六十で あるから 十干 十二支の 細 合せ は 六十 年で 一週 期と なる。 この 數 

は 二、 三、 四、 五、 六の どれでも 割り切れ るから、 一年お きの 行事で も、 三年に 一度の 萬 國會議 

でも、 四::^ に 一度の ォ リム ピア ー ド でも、 五 年 六 年に一度の 祭禮 でも 六十 年經 てば みんな 最初の 

歩調 をと り 返す ので ある。 その 六十 年 は 叉 略 人間の 一 週期になる 0 である。 

人間の 生涯で も 六十 年 前の 自分と 六十 年後の 自分と はま づ^ 人で あり、 世間の 狀態 でも 六十 年 

經 てば もう^の 世界で ある。 この 前の 乙 亥 は 明治 八 年で あるが、 若し 何處 かに、 乙|1^^の年に西鄕 

隆成 i が 何 かした とい ふ 史實の 記錄が あれば、 それ は 確實に 明治 八 年, の 出来事であって、 昭和 十 年 

でもな く义 文化 十一 一年で もない ことが 明白で ある。 

叫ム" 八ギ とだけ では 場合によって は隨分 心細い ことがある。 活字本 だと、 もし か 九 年の 誤植で 

あるか も 知れない。 隆盛 は 鬼に 角、 事柄に よって は 十八 年 Q 十が 脫 落した とい ふ 可能性 も ある。 

^し 明治 八 乙 一 亥と あれば 先づ八 年に 間違 はない ので ある。 年數と 干支が 全部 合理的に 辻 棲 を 合せ 

て 、 念 入 り に 誤植 さ れる とい ふ 偶然 の 確率 はま づ 事 實上零 に 近いから である。 

それ だから ハ牛號 と 年数と 干支と を 併記して 或 特定の 年 を確實 不動に 指定 するとい ふ 手堅い 方法 

に は 矢 張 それだけの 長所が あるので ある。 爲替ゃ 手形に デュ ー プリ ケ I トの寫 し を 添へ るよりも 


332 


稿 畫由自 


一 層 手堅い やり方な ので ある。 

年の 干支と 同様に 日の 干支で もこれ を 添 へる ことによって 日の ァ イデ ン ティ フィケ— ショ ンが 

殆ど 無限大 Q 確 實さを 加へ る。 これに 七曜 日 を 添 へれば 猶更 である。 例へば ポ子の 日曜日 は 一年 

に 一つ ある こと、 ない こと.. - ある Q である。 

干支 を廢 し、 おまけに 七曜 も廢 する か、 或は 或 人達の 主張す る やうに 毎年の 同月 曰 を 同じ 曜日 

にして しま ふとい ふ 仕方 は、 一 見 合理的な やうで 實は 存外 さう でない かも 知れない。 

机 や 椅子の 脚 は 何も 四 本で なくても 三本で ちゃんと 役に立つ、 のみなら す 四 本に すると どれ か 

一 本 は 遊んで 居て 安定 位置が 不確定になる 恐れが あると いふの は 物理 學 初歩で 敎 はる ことで ある。 

併し その 合理的な 三本 脚よりも 不合理な 四 本 脚が 最も 普通に 行 はれて ゐる Q は 何故で あらう か。 

此 問題 は餘り 簡單 ではない が、 兎も角も 四 本の 一本が 眞 逆のと きの 用心棒と して 平時に は 無用の 

長物と いふ 不名譽 の 役目 を 引受けて ゐる Q であらう。 

數の 勘定に は 十進法の 數字 だけ あれば それでよ いとい ふの は、 云 は 机の 三本 脚 を 使 ふ 流儀で 

あって、 これに 一 見 無用な 干支 を 添へ るの は 用心棒 を 一 本 足した 四 本 脚 を 採用す る 筆法で ある。 

無駄 は 無駄で も 有 W な 無駄で あると も 云 はれる。 


333 


十進法と いふの は 云 は 單 式の 數へ 方であって 十干 だけ を用ゐ ると 同等で ある。 甲 を 一、 乙 を 

二、 丙 を 三と 順々 に 置換へ てし まへば、 例へば 二十 三と 云 ふ 代りに 乙 丙と 云っても 文字が 面倒な 

だけで 理窟 は 同じで ある。 之れ に反して 干支 法 は 云 はぐ 複式の 數へ 方で、 十進法と 十 二進法と 0 

特殊な 結合で ある。 甲子 を 一 とし 乙 a を 一 一 とすれば 甲 戌 は 十 一 であり 丙 子 は 十三になる、 少し 面 

倒な だけに、 それだけの 長所 は あるので ある。 

面白い ことに は、 偶然で は あらう が、 太陽 黑點の 週期が 約 十一 年であって、 これが 十干の 十た 牛 

と 十二支の 十二 年との 中間に 當 つて ゐる。 それで、 太陽 黑點 と關 係の あるら しい 週期 的な 氣象學 

的 或は 氣 M 學的 現象の 異同が 自然に 干支と 同じ やうな 週期 性 を 示す ことが 起こり 得る 譯 であ 

る。 例へば 或 特定の 地方で 或 「水の 兄」 の 年に 偶然 水害が あった 場合に、 それから 十 I 年後の 「水 

の 弟」 の 年に 同じ やうな 水害の 起こる 確率が 相當 多い とい ふ 事 も あるか も 知れない。 或 辰年の 冬 

或 地方が ひどく 乾燥で その 爲に 大火が 多かった として、 次の 辰年に も 同様な 乾燥期が 來 ると いふ 

ことに は、 單 なる 偶然 以外に 若干の 氣候 週期 的な 蓋然 率が 期待され ない こと もない。 

氣 候の 變 化が 人間の 生理に も 若干の 影響が あるか も 知れない とすると、 それが 胎兒の 特異性に 

多少の 效果を 印銘す る ことが 全然ない とも 限らな いし、 さうな ると 生れ 年 Q 干支と その 人 Q 特^d 


334 


TTSJ 羞由 自 


とが、 少 くも 或 期間に ついては 多少の 相關を 示す 場合がない とも 云 はれない やうな 氣 がして 來る 

ので ある。 勿論 これ は 大風が 吹いて 桶屋が 喜ぶ とい ふのと 同じ 論法で は あるが、 さう かと 云って 

さう いふ ことが 全然ない とい ふことの 證明も 亦 甚だ 困難で ある こと だけ は 確で ある。 證 明の 出来 

ない 言明 を 妄信す るの も 實は矢 張 一 種の 迷信で あると すれば、 干支に 關 する 色々 な 古来の 口碑 も 

いっか は眞 面目に 吟味し して 見なければ ならない と 思 はれる ので ある。 

七 灸治 

子供の 時分 によく ぉ灸 をす ゑる と 云って 威され た ことがある。 今の 吾々 Q 子供に はもう ぉ灸が 

何だか 知らない のが 多い やうで ある。 もぐさ を 見た ことのない 子供 も 少なくない であらう。 ぉ灸 

が 如何なる も Q であるか を說 明して やる と 驚いて ゐる やうで ある。 

小さい 時分に は 威され る だけで 本當 にす ゑら れ たこと はなかった やうで ある。 水: 冰 などに 行つ 

て 友達 や 先輩の 背中に 妙な 斑紋が 規則: 止しく 並んで 居て、 どうかす ると そ Q 內の 一 つ 二つの 瘡蓋 

が剝 がれて 大きな 穴が 明き、 中から 血膿が 顏を 出して ゐ るの を 見て 氣 味の 惡ぃ想 をした 記憶が あ 

5 

る。 見る だけで 自分の 背中が むす/ \. する やうであった。 何の 爲に わざ/ \. こんな 戰な こと をす -乙 


るの か 了解 出来なかった。 十二 三 歳の 頃 病身であった 爲に、 とう/. \ 「ちりけ」 の 外に 五つ 六つ 

肩のう しろの 脊 骨の 兩 側に 火傷の 痕を つけられて しまった。 なんでも 色々 0 御 褒美 Q 交換 條 件で 

納得 させられた ものら しい。 

大學の 二 年の 終に 病氣 をして 一年 休學 して ゐた 間に r 片 はしご」 とい ふの をお ろして くれたの 

が 近所の 國 語の 先生 Q 奥さんであった。 家 傅の 名灸で その 祕密を こ の 年取った 奥さんが 傅へ てゐ 

たので ある。 何でも 紙 燃だった か 藁 切れだった か 忘れた が、 それで からだの 方々 の 寸法 を 計って、 

それから 割出して 灸穴 をき める ので あるが、 兎に角 脊柱の 多分 右側に 上から 下まで、 頸筋から 尾 

離 骨まで たしか 十五 六 程の 灸穴を 決定す る。 それに、 はじめは 一度に 三つ 宛 一週間 後から 五つ 宛 

とい ふ 風に 段々 すゑる 數を增 して 行って、 おしま ひに は 二十 位づ、 すゑる Q である。 屮々 こ、 い 

らは 合理的で ある。 

上から 下へ 段々 にす ゑて 行く と 痛 さの 種類が 段々 に少 しづ k 變 つて 行く のが 妙で ある。 上の 方 

の は 云 は^ 乾性、 或は 性的の 痛 さで 少し 肩に 力を入れて 力んで ゐれば 何でもな いが 腰 Q 方へ 下 

がって 行く と 痛 さが 濕性 或は 女性的に なって、 痒い やうな くすぐった いやうな 泣きたい やうな 痛 

さになる。 動かす まいと 3 心っても 腰 を ひねらない では 居られな いやうな 氣持 がする C  M じ 刺^に 


336 


■tl"J"^" 由 自 


對 する 感覺が 皮膚の 部分に よって 逮 ふの はこれ に^らない 事で は あるが、 このはし ご灸 など は 一 

つ 0 面白 い 實驗で ある。 唯 その 感覺 の 段階 的 變化を 表示す る 尺度が 未だ 發 見さ れ てなない Q は殘 

念で ある。  ■ - 

その 頃の 鄕 里に は 「切り もぐさ」 などはなかった らしく、 紙袋に 入れた もぐさの 塊から 一 ひね 

りづ 、ひねり 取って は 付ける から 下手 を やる と 大小 並に ひねり 方 Q 剛柔の 異同が 甚 しく、 すゑら 

れる方 は 見當 がっかなくて 迷惑で ある。 母 は 非常に これが 上手で 粒 G よく 揃った Q をす ゑて くれ 

た G 一  つ は 母 Q 慈愛が さう させた であらう。 女. 屮 などが 代る と、 どうかす ると 馬鹿に 大きい の や 

堅び ねり Q が 交ったり、 線香の 先で 火 0 ついた Q を 引落して 背中 を ころがり 落させたり して、 さ 

うして 此方が 驚いて おこる と餘 計に 面白がって さう する ので はない かとい ふ 嫌疑 さ へ 起こさせる 

0 であった C 

南 國の眞 夏の 暑い 眞 盛りに 庭に 面した 風通し 0 い 、座敷で 背中の 風 を 除け て 母に すゑて 貰った 

日の 記憶が ある。 庭で は 一面に 蟫が嗚 き 立て、 ゐ るつ その 蟬 0 聲と 背中の 熱い 痛 さとが 何 かしら 

相關關 係の ある 現象であった かの やうな 幻 覺が殘 つて ゐる。 同時に 义灸の 刺戟が 一 種 Q 涼風の 如 

きかす かな 快感 を 伴って ゐ たかの 如き 漠然たる 印象が 殘 つて ゐる Q である。 


337 


北:" 中の 灸の痕 を夜寢 床です りむいた りす. る」 そ 0 あとが 少し 化膿して 痛萍 かったり、 それが 帷 

子で こすれで もす ると 背中  一 が强ぃ 意識の 對象 になったり、 さう した 記憶が 可也 tei 明に 永い 年 

月 を生续 つて ゐる。 さう いふ 出来 損ねた 灸 穴へ 火を點 する 時の 感覺も 一 寸刖種 C ものであった。 

二日 分の 灸治 を 終って、 さて 平手でば たくと 背屮 をた、 いた あとで、 灸 穴へ 一 つ 墨 を 塗 

る。 ほてった 皮膚に 冷たい 筆の 先が 點々 と 一抹の 涼味 を 落して 行く やうな 氣 がする。 これ は 化膿 

しない 爲 だと 云 ふが、 墨汁 の 膠質 粒子 は 外から 這 入 る 黴菌 を喧 止め、 乂旣 に 附着した Q を 吸 取る 

效 能が あるか も 知れない。 

寒屮 に は 着物 を 後 前 に 着て 脊 筋に 狹ぃ窓 を あけ、 さう して 火爐 にか じりついて すゑて 貰つ た。 

神經. M. 弱 か 何 かの 療法に 脊柱に 沿うて 冷水 を灌 ぐの があった やうで あるが、 自分の 場合 は脊 筋の 

眞 中に 沿うて 四 五寸の 幅の 帶狀區 域 を 寒氣に 曝して、 その 中に 點々 と 週期 的な 暑さの 集注 點をこ 

しらへ ると いふ 複, f な 方法 を 取った 譯 である。 さう いふ、 西洋の えらい 醫學の 大家の 夢にも 知ら 

ない 療: t 法 須崎 港の 宿屋で-水い 間" 1 けた。 その 手術 を 引受けて ゐた のは幡 多生れ で 蝽 多 訛りの 

鮮明な お 竹と いふ 女中であった。 三十 年 前の 善: s{ にして 忠赏 なるお 竹の 顏を あり/ ぬひ 出す Q 

であるが、 その後の 消息 を 明に しない。 無事で ゐれ ばもう 隨分 お婆さん になって ゐる ことで あら 


338 


稿畫由 自 


Aye 

灸 など 利く もの かと 一概にけ なす 人 も ある。 もし 何の 效能 もない とすると、 祖先 Q 曰 本人 は佛 

法 傳來と 同時に 輸 人され たとい ふこ の 唐人 Q ぺ てんに 一 一千 年越し 欺され つ けて 無用な やけど を 

こしら へ て 喜んでお たわけで ある。 

一 一千 年來 信ぜられて 来たと いふ 事實は それが 眞 であると いふ 證據に は 少しも ならない。 併し 灸 

の 場合に は 事柄が 精神的ば かりで なく 鬼 も 角 も 生理的な 生き身の 一 部に 明白な 物理的 化學 的な 刺 

戟を 直接 密接に 與へ るので あるから、 利く 利かぬ が 生理的に 實 證の審 刹に かけられ 得る わけ だと 

思 はれる。 

生理 學の 初歩の 書物 を 讀んで 見る と、 皮膚の 一部 をつ ねったり ひねった りする だけで、 腹部の 

ft 臓 血管 殊に その 細動脈が 收 縮し、 同時に 筋 や 中 樞神經 系に 屬 する 血管 は 開 張す ると 書いて ある" 

灸を すゑる ので も 似通った 影響が ありさう である。 のみなら す、 燒 かれた 皮膚の 1;5 部で は蛋 in 質 

が 分解して 血液の 水素 イオン 濃度が 變 つたり、 周 圍に對 する 電位が 變 つたり、 兎も角も 其 附近の 

細胞に 取って は 重大な 事件が 起こる。 それが 一 つの 有機 體 であると ころの 身體の 全部に 假令 微少 

でも 何等かの 影響 Q ない 害 はなさ さう である。 


339 


それが 或病氣 にどれ だけ 利く かは乂 別問題で あるが それ は 立派に 一 つの 研究 問題になる 事で あ 

り、 さう して 正に 日本の 醫者 生理 學 者の 研究すべき 問題で ある。 それ だのに 不思議な ことに は從 

來 灸治の 科學的 研究 をして 學位 でも 取った とい ふ 人 は、 あるか も 知れない が餘 りょく 知られて 居 

ないやう である。 今に 獨 逸と か米國 とかで 誰か V 歌 磨 や 北 齋を發 見した やうに 灸治 法の 發見 をし 

て大 論文で も 書く やうに なれば 日本で も 灸治 研究が 流行 を來 すか も 知れない と 思 はれる。 

(,r 埜光 板」 への 追記) 前項 「灸治」 に 就いて 高 松 高等 商業 學 校の 大泉行 雄 氏から 書信で、 九州 福 岡の 

原 志 免太郎 氏が 灸の 研究に よ リ 學位を 得られた と 思 ふとい ふ 知ら せ を 受けた。 右の 原 氏 著 「ぉ灸 療治」 

と いふ 小冊子に 灸治の 學理が 通俗的に 說 明され てゐる さう である。 一 見した いと 思って ゐ るが 未だ そ 

の 機會を 得ない。 其 後に 父 麻布の 伊藤 泰丸 氏から 手紙 をよ こされて、 前記 原 氏 S 外に 後藤 道难、 靑地 

正 魄、 相 原 千里 等の 各醫學 博士の 鉞 灸に關 する 硏究の ある 事 を示敎 され、 なほ 中 川 淸三著 「お 灸の常 

識」 とい ふ 睿物を 寄贈され た、 玆に 追記して 大泉氏 並に $^ 藤氏に 感謝の 意 を 表し, たいと 思 ふ。 

八黑燒 

學生 時代に 東京へ 出て 来て 物珍しい 氣 持で 街 を 歩いて ゐる うちに 偶然 出く はして 特別な 興味 を 


340 


稿畫由 fa 


感じた も 一  つ は 眼鏡橋 卽ち 今の 萬 世 橋から 上野の 方へ 向って 行く 途中の 左側に 二 軒、 辻を距 

て 、相對 して ゐる 黑燒屋 であった。 此れ は 江戶 名所 圖會 にも f ^つてね る、 あ れ Q 直接 の 後裔で あ 

るか どうか は 知らないが 兎も角も 昔 の 江戸の 姿 を 低ば せる 恰好 0  HI 標 であった。 

なんでも 片方が 「本家」 で 片方が 「一; 儿祖」 だと か 云って、 水い 年月 を鬩ぎ 合った 歷史 もあった と 

いふ 話 を 聞いた ことがある。 關東 大震災に は 多分 あの 邊も燒 けたで あらう が、 つい 先日 電車で あ 

の 邊を通 ると きに 氣を つけて 見る と 昔と 同じ 場所と 思 はる \ 處 に 二 軒の 黑燒屋 が 依然 として 存在 

してなる。 一軒 は 昔風 Q 建築で あり 他の 一軒 は 近代的 洋風の 店 構へ になって ゐる Q であるが、 兎 

も 角 も 附近に 對し て 著しく 異彩 を 放 つ 黑燒屋 である ことに は 昔 も變り はない やうで ある。 

一 體黑燒 が本當 に 病 氣に利 くだらう かとい ふ 疑問が 科 學の學 徒, の 間で 話題に 上る ことがある。 

さう いふ 場合に、 科擧 者に 色々 Q 種類が ある ことが よく 分かる。 

^^種の科學者は頭から黑燒なんか利くものかと否定してか \る" 蛇で もゐ もりで も燒 いてし ま 

へ ば 結局 炭と 若干 の 灰分と になって しま ふの だから、 黑燒が 利く も の なら 消 炭 を 食 つ て も 利く 譯 

だ、 とざつ とかう いふ 風に 簡単に 結論 を 下して しま ふ。 

乙種の 科學者 は、 さう 簡單 にも ル 付けて しま はない。 併し、 問題が 未だ アカデミックな 研究に 


3^1 


•A ナ るに は 餘 りに 生ま/ \ しくて、 一寸 乎が つけられ さう もない から、 さう いふ 問題 は 先づ/ \ 

敬遠して おく 方が い とい ふ 用心深い 態度 を 守って、 格別の 興味 を 示さない。 

丙種の 科學 者になる と、 却って かう した 毛色の 變 つた 問題に 好奇 的 興味 を 感じ、 さう して、 人 

Q 未だ 手 を 着けない 題 村の 中に 何 かしら 新しい 大きな 發 見の 可能性 を豫 想して 色々 想像 をめ ぐら 

し、 何 かしら 獨创 的な 研究の 端緒 を その 中に 物色しょう とする。 

こ 0 甲乙丙 三種の 定型 は それぐ に 長所と 短所 を もって ゐる。 甲 はう つかり 喪 物に 引つ か、 る 

やうな 心配 は 殆どない 代りに、 どうかす ると 本 當に惯 値の ある 新しい い 、も Q を 見逃がす 恐れが 

ある。 旣 知の 眞實を E 守す るに のみ 忠實で 未知の 眞實の 可能性に 盲目で ある。 乙 は アカデミック 

な 科學の 殿堂の 細部 Q 建設に 貢獻 する に は 適して 居る が 新しい 科舉の 領土の 開拓に は 適しない。 

丙 は 時として 荊棘 Q 小徑の 彼方に 廣大な 沃野 を發 見す る 見込が あるが、 その代り 不幸に して 底な 

しの 沼に 足 を 踏 込んだり、 2 心 はぬ 陷萍に はまって 憂目 を 見る こと も ある。 三種の 型の どれが い 

けない と 云ふ譯 ではない。 それぐ の 型の 寧 者が、 それぐ Q 型に 應 じて その 正當の 使命 を す 

ことによって 科學は 進む ので あらう。 

それ は 鬼に 角、 この 三 型 を 識別す るた め Q 簡單で 手近な メンタルテストの 問題と して 「黑 燒」 


342 


自 


の 問題が 役立つ c は 面白い c 

炭 は 炭で も その コ a イド 的內部 構造の 相違に よって 物理的 化學的 作用に は 著しい 差が ある 場合 

も あるから、 蛇 0 黑燒と 狸の 黑燒 で. 人 體に對 する 效 菜が なにがし か 違 はない と は 限らない。 又 僅 

かな 含有 灰分の 相逮が 炭の 效 菜に 著しい 差 を 生 十る こと も 可能な 〇 は 他 膠 1^ 現象から 推して 想 

像され なく はない。 

臟 器から 製した 藥劑 0 效 Ei^ がそ 0 中に 含有す る 極めて 微量な 金: 屬の爲 であって、 その 效果は そ 

0 藥を燒 いて 食 は せても 變ら ない らしい とい ふ說が ある。 併し、 それ かと 云って そ Q 全 屬 0 粉 を 

嘗めた C- では 何もなら ない C 此虑に 未知の 大きな 世界の 暗示が ある。 

かう した 不思議 は 畢竞コ n イドと いふ も C  、研究が 未だ 幼稚な 爲に不 田 心 議と思 はれる ので あつ 

て、 今に こ 0 方面の 知識が 進めば、 これが 不思議で も 何でもなくなる かも 知れない ので ある。 さ 

うい ふ 日に なって はじめて 「黑 燒」 の 意義が そ 0 本 體を現 はすで はない かと 想像され る。 

こんな こと を 永年 考 へて 居た ので あるが、 近頃 大阪翳 科大學 病理 學敎 {HA C 淡 河 博士が 「黑 燒」 

の效 能に 關 する 本格的な 研究に 着手し、 或 黑燒を 家 鬼に 與べ る.と血液^^隨(基度が增し^1機能が活 

澄になる が、 西洋 流 の 所謂 藥用炭 に はさう した 效 粟がない とい ふ 結果 を 得た とい ふこと が 新聞 で 


343 


報ぜ ら れた。 自分 の 夢の 實 現される R が 近づ い たやうな 喜び を 感じ ない 譯には 行かない。 

それ. にしても 蠑螈 の黑燒 の效菜 だけ は當 分のと ころ、 物理 學化學 生理 學の 領域 を 超越した 幽遠 

Q 外野に 屬 する 研究題目 であらう と S 心 はれる。 尤も 蝶の 或 種類 例へば AiiKUiris  psyttalea の 雄 

など は その 尾部に 具へ た 小さな 袋から 一 種 特別な 細かい 粉 を 振り落しながら 雌の 頭上 を 飛び 廻つ 

て、 その 粉の 魅力に よって 雌の 與奮 を誘發 する さう である。 

百年 Q 後 を 恐れる 人に は 「ゐ もりの 黑燒」 でもう つかり は 笑へ ないか も 知れない。 

(昭和 十 年 二月、 中央 公論) 

九 齒 

父 は 四十 餘 歳で 旣に 總入齒 をした さう である。 總入齒 の 準備と して、 生き 殘 つた 若干の 齒をニ 

度に 拔 いてし まった その あとで 顏中 膨れ 上がつ て 幾日も 呻吟 をつ けた Q ださう である。 齒科醫 

術 の 未だ 幼稚な 明治 十 年代 Q ことで ある から 隨分亂 暴な 荒療治で あった こと. - 想像され る。 

. 自分 も、 親讓 りと いふの か、 子 佻の 時分から 齒 性が 悪くて 齲齒 0 痛みに 苦しめられつ けて 來 

た。 十 歳 位の 頃 初めて 齒翳 者の 手術 椅子 一名 拷問 椅子 (torture-ehair) にの せられた とき、 痛く 


344 


稿畫由 


ない とい ふ 約束の が 飛 上がる 程 痛くて、 おまけに その後の 痛みが 手術 前の 痛みに 數 倍して 持續し 

たので、 子供心に ひどく 腹が立って 母に くって か、 り、 さう して その 齒醫 者の 漆黑な 頰髯に 限り 

なき 憎惡を 投げ付け たこと を 記憶 レてゐ る" コ 力 イン 注射な ど は 知られない 時代で あつたの であ 

る。 可笑しい ことに は、 その 時の 手術 { 至の 壁 間に 揭げ てあつた 油鎗 Q 額が 實に はっきり 印象に 殘 

つて ゐる。 當 時には 珍ら しい ボ —ルドな タ ツチで 描いた 総で、 子供 をお ぶった 婦人が^ 圃道を 歩 

いて ゐる圖 であった。 激烈な 苦痛が その 苦痛と は 何の 關係 もない 同時 的 印象 を 記憶の 乾板に 燒付 

ける 放射線 Q やうに 作用す る、 とい ふ 奇妙な 現象の 一例 かも 知れない。 

徵 兵撿査 のとき に 係りの 軍 翳が 數 へて 帳面に 記, 入した 齲 齒の數 が. E 分の 豫め數 へ て 行った 數ょ 

りす つと 多かった ので 吃驚し た。 そ れが徵 兵撿査 であった だけに その 吃驚 は 可也 複雜な 感情 の ^ 

緣を つけた 吃驚であった ので ある。 

とう/ \ 前齒 までが 蝕ば まれ 始めた。 上の 眞 中の 二 枚の 齒の 接觸點 から 始まった 腐蝕が 段々 に 

兩 方に 擴 がって 行って 齒の 根元と 尖端との 間の 機械的 結合 を 弱めた。 さう して、 いっか 何處 かで 

御馳走に なった ときに 出された 吸物の 椎茸 を嚼み 切った 拍子に その 前齒 Q 一  本が 椎茸の 壁の 抵抗 

に 敗け て眞 中から ぼっきり 折れて しまった。 夏 ni 漱石 先生に その 話 をしたら ひどく 喜ばれて その 


•345 


事件 を 「吾輩 は 猫で ある」 の 屮の村 料に 使 はれた。 この 小說 では 前 齒の缺 けた 跡に 空 也 餅が 引つ 

か \ ってゐ たこと になって ゐ るが、 その 頃 先生の 御宅の 菓子鉢の 中に 厦" この 餅が 牧 まって ゐた 

ものら しい。 兎に角、 この 記事のお かげで 自分の 前齒: の 折れた のが 二十 八 歳 頃であった ことが 立 

派に 考證 される ので ある。 立派な ものが つまらぬ 事の 役に立つ 一例で ある。 

それ 程になる 以前に も、 又 その後に も、 殆ど 不斷 に齒 痛に 惱 まされて 居た こと は 勿論で ある。 

早く 齒醫 者に か、 つて 根本的 治療 を すれば よかった 譯 であるが、 子供の 時に 味 はった 齒醫 者への 

恐怖が 何時 迄 も 頭に 巢 喰って ゐた のと、 もう 一 つに は 自分が その後に 東京で 出逢った 齒醫 者が 餘 

り 工合の よくなかった のと 兩方 のせ ゐ であった か、 齒醫者 Q 手術 臺に乘 つかって いぢめ られ るよ 

り は ひとりで 痛み を 我慢して ゐる 方が まだ まし だとい ふ氣 がして 居た ものら しい。 上京 後に か 、 

つた Y 町 とい ふ 齒醫者 は 朝 九 時に 來 いとい ふので 正直に 九 時に 行って 待って ゐて も屮々 一 一階 

Q 乎術窒 へ 姿 を 見せないで 一 時間 は 大丈夫 待たせる。 胖し 階下で はちゃん と 先生 Q 聲 がして ゐて、 

そ れが 大抵い つ も 細君 だ か 女中 だかに 烈しい 小一 一一 一 n を 浴び せかけ る聲 であった。 やっとの 思 ひで 待 

ちお ほせて 手術 を 受ける 時間 は 五分 か 十分で ある。 さう して 短くても 一 週間 は 通って 毎日 この 通 

りの こと を 繰 返さなければ ならない のであった。 手術 料 は 毎囘拂 であった が、 いつも 先生 自身で 


346 


稿 畫由自 


小さな 手提 金庫の 文字 錠 を ひねって おつり を 出して くれたの が 印象に 殘 つて ゐる。 

西洋 へ 行く 前 にどう して も 徹底的 にわる ぃ齒の 淸算 をし てお く 必要 が あるので 大凡 半月 程 毎 R 

o〇 病院に 通った" 繼 ぎ齒、 金冠、 ブ リツ ヂ など 丄 W つた やうな 數々 の 工事に は隨分 面倒な 手數 

がか、 つた。 拔齒も 何 本 か 必要で あつたが、 昔と ちがって コカイン Q おかげで 大した 痛み はな か 

つた。 但し、 左の 下顎の 犬 齒の根 だけ 殘 つて 居た のが 容易に 拔 けない ので、 岩 丈な 器械 を 押當て 

てぐ い/ \ 捻 ぢられ たと き は 顎骨が ぎし/^. つ て 今にも 割れる かと si- ふやう で氣 持が 悪かった。 

手術が すんだら 看護婦が 葡萄酒 を 一 杯 もつ て 來て飮 まされ、 一 ニニ 十分 椅子に 凭れた ま 、休息す る 

こ と を 命ぜられた。 自分 は それ 程に 思 はな か つ たが 腦食血 Q 兆候が 顏に現 はれた も 0 と 見える。 

こ Q 時に 全部の 手術 を受 持って くれた F 學士 に拔齒 術に 關 する カ學的 解說を 求められ たので、 大 

判 洋紙 五六 枚に 自分の 想像 說を 書きつ けて 差し出した Q であった。 それ は 好い加減な もので あつ 

たらう が、 併し かう した 方面に も 力 學の應 用の 分野が ある こと を 知って 愉快に 思った。 . 

いよく 西洋へ 出發 となって 神戶迄 行ったら 明日 船に 乘 ると いふ 日に、 もう 前齒 0 前面に 取 付 

けた 陶器の 齒が後 面の 金 板から 脫 落した。 慌て &祌戶 0 町 を 歩いて 齒翳 者を搜 してやつ と應急 取 

付 法 を 講じて 貰った が、 伯林へ 着いて 間もなく 义 いけなく なった。 そ C 時 か、 つた 獨 逸の 醫者 は、 


347 


紬ェ は 何となく 不器用で あつたが、 併し その 修理 法が 如何にも 合理的で、 一時の 間に合せで 1^ く 

て、 水 持ち G する やうな 徹底的 Q ものであるのに 感心した。 そ C 齒醫 者が、 治療した 齒の 隣り Q 齒 

を輕 くつ、 いて それが ゆらく 動く の を 見付けて 驚いた やうな 顏 をした。 さう して 恭しく 直立 不 

動の 姿勢 を 取り、 それから 兩肩を すぼめて おいて 兩 方の 掌 を ぱっと 開いて 前方に 向け、 首 を 傾け 

て じっと 自分の 顏を 見つ める とい ふ 表情 法 の 實演を して 見せて くれた。 物 を 云 はないで 物 を 云 ふ 

よりも 多く を 相手に 傳. へ る この 西洋 流の 仕草 は、 何でも 克明に 言葉で 云 ひ 現 はしたがる 獨 逸人に 

は 珍ら しいと 思 はれた。 

两 洋 から 歸 つて Y 町に 伟 つてから も齒は 段々 惡 くなる ばかりであった。 或 年の 暮 から 正月 へ か 

けて ひどく 齒が 痛む の を 我慢して 火 達に あたりながら ベルグ ゾ ンを 讀んだ ことがある。 その 困緣 

でべ ルグソ ンと齒 痛と が 聯想で 結び付けられて しまった。 彼 〇 「笑」 までが 齒痛 C 聯想に 浸潤 さ 

れて しまったの である。 

そ Q 後 偶然 に 大變に 親切で 上手で 工合の い、 齒醫 者が 見 付 かって それから はすつ とその 人に 厄 

介に なって 來 たが、 先: 大 的の 惡ぃ 素質と 後天的 不養生との 總 決算で 次第に 嶙んで 食へ る もの 、範 

圍が狹 くな つて 來た。 柔ぃ 牛肉 も 魚の 刺身 もろく に嗨め なくなり、 おしま ひに は 米の 飯 さへ 滿足 


348 


^!^!&:由 自 


に 咀嚼す る こ とが 困難 になった ので、 とう ,(>34 切- つ て 根本的に 大淸算 を 決行し て 上下の 入 齒を 

こしら へた Q が 四十 餘歲 Q 頃であった。 上顎 Q 硬口蓋 前半 を ぴったり 蓋 をして しまった 心 持 は 何 

とも 云 へない 不愉快な ものである". 併し 入齒 の出來 上った 日に、 試に 某レ スト ラン Q 食卓に つい 

て 先づ 卓上 Q 銀 皿に 盛られた 南京豆 をつ まんでば り/ \ と 音を立て、 嚼み碎 いた 瞬間に 不思 議 な 

喜びが 自分の 顏 中に 浮び 上がって 来る の を 押へ る ことが 出来なかった。 義齒 も储に 若返り 法 Q 一 

つで ある。 

入齒と 云って も はじめは 下 C 前齒と 右の 犬齒 だけ は 未だ 殘 つて ゐ たのが 永い 間に は 段々 に それ 

もい けなくな り 最後に は犬齒 一 本を殘 した 總入齒 になって しまった。 そ Q 最後の 木 守りの 犬齒が 

とうく ひとりで ふらく と拔け 出した とき は 流石に 淋しかった。 そ 0 拔 けた 跡 だけ 穴 Q あいた 

人齒を はめた ま \ で 今日に 到って ゐ る。 

父 は 機嫌の よくない 時 總入齒 を 舌で はづ して 脣の 間に 突出したり 引 込ませた りする 癖が あった- 

自分 も總 入齒 をして 見て はじめて 父の この 癖の 意味が 分った やうな 氣 がする C 實際氣 持 Q 不愉快 

なと き は、 平生で も 鬼角氣 になる 人 齒が餘 計に 氣 になり 出す。 齒齦ゃ 硬口蓋へ Q 壓 迫から 來る不 

快の 感覺が 精神的 不快の 背景の 前に 異常に 強調され て來 るら しい。 覺 えす 舌で 人齒を 押し 外して 


349 


押出さう とする。 これ は 不愉快な ときに 唾 を 吐きた くなる のと 同じ やうな 生理的 心理的 現象 かも 

知れない。 併し 入齒は 吐出して 捨てる 譯に 行かない から 引 込ませて はめ込む。 どうも 不愉快 だか 

ら又 吐出す。 

人齒も 作って 貰って から 永くなる と齒 齦が 次第に 退化して 來る爲 か、 どうも 接 觸が密 でな くな 

る。 其 結 Mi^ は 上顎の 入 齒がゃ \ も すると 跪 落し 易くなる。 自分の 場合に は、 妙な ことに は 何か少 

し 改まって 物 を 云 はう とすると ま 然に それが 垂れ 落ちさう になる。 例へ ば 講演で もしょう として 

最初 の 首 葉 を 云 はう とすると きに 吃 度 上 の 入齒が 肖 然にぽ たりと 落下 して 口 を 塞がう とする ので 

ある。 緊張の 爲に 口の 中の 何處か どうにか 變形 する 爲 らしい- いやな 氣 持が 顎 を ゆがめる Q か 

も 知れない。 

入 齒と齒 齦との 接 觸の密 な こと は 紙一重の 隙間 も 許さない 位の も Q らしい。 何處か 少しき つ 

く當 つて 痛む やうな 場合に、 その 場處 を搜し 見付け出して 其處を 木賊で 一寸 こする とそれ だけで 

もう 痛み を 感じなくなる。 それにつ いて 思 ひ 出す の は 次の 實話 である。 ス クラインの 「支那 領中 

央亜 細亞」 とい ふ 本 Q 中に ある C 

東 トル キス タン Q ャ ルカン ドに ミ ッ シ ョ ン 付きの 齒醫 者が 居た。 此 人の 處へ 或 日 遠方の 富裕な 


350 


稿 畫由自 


地主 ィプ ラヒム. べグ. ハジからの 手紙 を もった 使が 來て、 「入 齒をー 揃 ひ 作って この 使の 者に 

渡して くれ」 とのこと であつ たし そこで 齒醫者 は 返事 を か い て 、 「口中 をよ く拜 見した 上で な い と 

人齒は 出来ない から 御足勞 乍ら 當地迄 御 出 を 願 ひ 度い」 と 云って やった。 すると 义 使に 手紙 を 持 

たせて、 「御 案!: 誠に 忝ない。 御ず 葉に 甘えて 老僕 イシ ャク. バイ を 遣 はす C こ Q 男の 口中の 恰 

好 は大體 自分のと 同様で ある。 尤も この 男に は齒が 一 本 もない が 自分に は 上の 左 Q 犬齒が 一 本殘 

つて ゐる。 それで こ Q 男 Q 口に 合 ふやう にして、 但し 犬 齒の處 だけ 明けて おいて くれ」 と 云って 

来た。 醫 者の 方で は 「それ はどう も 出来 兼ねる」 と 云 ふこと になって、 それで この 珍奇な 交涉は 

絶えて しまった。 そ Q 後 この 齒醫 者が カシ ュ ガルに 器械 持參で 出かける 序の 道す がら わざく こ 

Q イブラヒム 老人の 爲に その 居 村に 立 寄って、 かねての 話の 入齒を 作って やらう と W 心った。 老人 

を 手術 臺に Q せて 口中 を撿査 して 見る と、 殘 つた! 本の 齒と いふの がもうす つかり 齲ばん で ぶら 

ぶら になって 居た。 そこで それ を拔 かう としたが 老人 頑として どうしても 承知し ない。 結局 「ァ 

ル ラフの 神の 御 思 召し ぢゃ、 わし は 御免 を 蒙る。 さやうなら」 と 云って、 それつ きりで 事件が 終 

結した。 ほんた うのお はなしで ある。 

それ は 鬼に 角、 自分た ち 平生 科. 學 の 研究に 從 事し てゐる もの が 全然 專門 の 知識に 不案內 な 素人 


351 


から 色々 の 題に ついて 質問 を 受けて 答 辯 を 求められる 場合に、 どうかす ると 時々 丁度 こ のャル 

力 ン ド の齒醫 者の 體驗 したのと よく 似た W 難 を體驗 する ことがある。 

それから 义 〇〇 などで 全國 の科學 研究 機 關にサ ー キュ ラ! を發 して、 數々 0 可也 漠然たる 研究 

題目 と そ れ に::^ して 支給す ベ き 零細 の 金額と を 列擧し て それ 等の 問題 の 研究 引受人 を 寡る ことが 

ある やうで あるが、 あれな ども 矢 張 この イブラヒム 老人の 入齒の 注文と 何處か 一 脈 相 通す る處が 

あ る やう な氣 がす るので ある。 實 際具體 的な 目 的 の 詳細 にわからない 注文 に ぴったり はまる やう 

な 品物 を {! ける こと は 不可能で ある。 

尤も さう 云 へ ば 結婚で も 就職で も、 よく 考へ て 見れば みんな イシ ャ ク の 人 齒をィ ブラ ヒム Q 口 

に はめて、 さう して 齒齦 がそれ にうまく 合 ふやう に 變形 す る 迄 我慢 出来る か出来な いか を 試驗す 

る やうな もの かも それ は 分らない ので ある。 

話は變 るが、 齒は 「よは ひ」 と 讀んで 年齢 を 意味す る。 アラビア 語で も siun とい ふの は齒を 

意味し 义 年齢 を も 意味す る。 「シ」 と 「シン」 と 音の 似て ゐ るの も 妙で ある。 兎に角 齒は 各個 人 

に 取って は それ 年齢 を はかる 一 つの 尺度に はなる が、 この 尺度 は 同じく 齢 を 計る 他の 尺度と 

恐ろしく ちぐはぐ である。 自分 の 知って ゐる 老人で 七 十餘 歳に なって も 殆ど 完全に 自分 の 齒を保 


352 


稿 畫由自 


有し てゐる 人が あるかと 思 ふ と 四十 歳で 思 切りよ く 口腔の 中 を 丸裸に し てぬる 人 も あ る- 頭 を:. 

ふ 人 は 齒が惡 くなる と 云って 辯 解す るの は 後者で あり、 意志の 强 さが 齒に現 はれる とい ふの は 前 

者で ある。  . 

同じ 齒の 字が 動詞に なると 「天下 恥與 之齒」 に 於け るが 如く 「肩 をなら ベて 仲間になる」 とい 

ふ 意味. になる。 齒が. やらり と 並んで ゐる やうに ならぶ とい ふ 譬喩 かと 思 はれる。 並んだ 齒の 一本 

が 齲、 はみ 腐蝕し はじめる と 段々 に 隣り の齒へ 腐蝕が 傳播 して 行く Q を 恐れる ので あらう。 併し 天 

F- の齒 がみん な齲齒 になったら こんな 言葉 はもう いらなくなる 勘定で あらう C 

齒の 役目 は 食物 を 咀嚼し、 敵に 鳴み 付き、 パイプ をく はへ、 喇叭の 口金 を 脣に押 付ける とき Q 

下敷きになる 等の 外に もっと 重大な 仕事に 關 係して ゐる。 それ は 我々 の 言語 を 組立て \ゐ る 

因子の 中で も 最も 重要な 子音の 或 もの、 發 音に 必須な 器械の 一 つと して 役立つ からで ある。 これ 

がない と あらゆる 齒 音が 消滅し て 霄語 の 成分 は それだけ 貧弱 になって しま ふで あらう。 こ 〇 やう 

に 物 を 貪 ふ爲の 器械と しての 齒ゃ 舌が 同時に 言語の 器械と して 二重の 役目 をつ とめて ゐ るの は 造 

化の 妙^と 云 ふか 天然の 經濟 とい ふか 考 へて 見る と 不思議な ことで ある。 動物の 中で も 例へば 蟋 

蟀ゃ蜾 などで は 發聲】 益 は榮養 器官の 入口と は 全然 獨 立して 別の 體 部に 取 付けられて あるので ある" 


353 


だから 人間で も 脇腹 か 臍の 邊に 特^な 發聲 器が あつ て もい けない 理由 はない ので あるが、 實際は 

そんな 無駄 をし ないで 酸素 Q 取 入口、 炭酸の 吐出 口と して Q 氣 管の 戶 口へ 簧笛を 取 付け、 それ を 

食道と 並べて 口腔に 導き、 さう して 舌 ゃ齒に 二た 役 掛け 持 を させて ゐ るので ある。 さう して 口の 

上に 陣取って 食物 の 檢查役 を つとめる 鼻まで も 徵發し て -; m 語 係 を 兼務 させ 所謂 鼻音 の 役を受 持た 

せて ゐ るので ある。 造化の 設計の 巧妙 さは こんな 處 にも 歷 然と 窺 は れ て 面白い。 

こ ほろ ぎ やお けらの やうな 蟲の 食道 に は 横道 に 樣囊 の やうな もの が 附屬し てゐ るが、 食道 直下 

に は 「咀嚼 胃」 と 名付ける 囊 があって その 內 側に キ チン 質で 出来た 齒の やうな ものが 數列縱 に 並 

んでゐ る。 この r 齒」 で 食物 をつ ッ つきまぜ 返して 消化液 を 程よ く 混淆させる Q ださう である〕 

こ 、にも 造化の妙 機が ある。 又 或る 蟲 では これに 似た も 0 で 濾過器の 役: m をす る こと も あるら し 

もし か 我々 人間の 胃の 中に もこん な齒が あつ て くれたら、 消化不良になる 心配が 诚 るかと も 2 心 

はれる が、 透 化 はそんな 贅澤を 許して くれない" そんな 無稽な 夢を畫 かなくても、 科學 とその 應 

用が もっと 進歩 すれば、 生きた 齒を 保,;^ する こと も 今より. 易に なり、 义義齒 でも 今の やうな 不 

完全で 厄介な ものでなくて もっと 本物に 近い 役: n をつ とめる やうな ものが 出来る かも 知れない。 


354 


稿 畫由自 


併し 一 つ 一 寸 w つたこと に は 若くて 有 爲な科 擧者は 多分 入齒の 改良な どに は 痛せ な 興 W を 感じに 

くいで あらう し、 その やうな 興味 を 感じる やうな 年配に なると 肝心 Q 研究 能力が 衰退して ゐ ると 

いふ ことにな りさう である. - .  . 

年 をと つたら 齒が拔 けて 堅い ものが 食へ なくなる 0 で、 それで 丁度よ いやう に 消化器 Q 方 も (小 

を 取って ゐる 0 かも 知れない" さう 考 へる と餘り (元 全な 義齒を 造る G も 考へも 0 であるか も 知れ 

たいこ さう だとす ると、 がた/ \-Q 穴 0 あいた 人 齒で事 を 足して おく 0 も、 却って 造化の妙 £ に 

逆 はない 所以で あるか も 知れない 0 である- 下^^な片手落ちの若返り法などを試みて迭化に反抗 

• すると 何處 かに 思 はぬ 無理が 出來 て、 ほきり と 生命 Q 屋 * 骨が折れる やうな ことがあり はしない 

か。 どうも そんな 氣 がする 。である。 

十 蛆の效 用 

蟲 〇 中で も 人間に 評判 C よくない.^ Q  i 隨ー は蛆 である" 「蛆蟲 めら」 とい ふの は 最高 度 〇 輕 

侮 を 意味す るェ ピセッ ト である。 これ は 彼等が 腐肉 や 糞 堆をそ Q 定住の 樂土 として ゐ るからで あ 

らう。 移 態 的に は 蜂 Q 子 ゃ叉蠶 とも それ 程 ひどく ちがって 特^に 先験的に 憎むべく 賤 むべ き 素質 


355 


を 具備し てなる わけで はない ので ある e それ どころ か 彼等が 人間 か ら輕侮 さ れる 生活 そ Q も Q が 

實は 人間に とつ て 意外な 祝福 を 蕭らす 所以になる ので ある。 

鳥 や 鼠 や 猫 Q 死骸が 道 傍ゃ緣 Q 下に ころがって. ぬると 瞬く間に 姐が 繁殖して 腐肉の 最後の 一 片 

まで 綺麗に しゃぶり 盡 して 白骨と 羽毛の みを殘 す。 こ Q やうな 「市井 Q 淸潔 係」 としての 蛆 Q 功 

勞は 古くから 知られて ゐ た。 

戰 場で 負傷した 創に 手當 をす る餘裕 がな く て 打つ. P やら かしてお く と 化膿し て それに 蛆が 繁殖 

* する。 その 蛆が 綺麗に 膿 を め盡 して 創が 癒える」 さう いふ 場合の ある こと は 昔から も 知られて 

るた であら. うが、 それが 歐 洲大戰 以後 特に 外科 醫 Q 方で 注意され 問題に され 研究され て、 今 E で 

は 一 つの 新 療法と して 特殊な 外科 的 結核 症 ゃ眞珠 H 病な ど、 いふ もの 、治療に 使 ふ 人が 出て 来た。 

かうな る と 今度 は それに 使 ふ 爲の蛆 を 飼育 繁殖させる 必耍が 起こ つて 來 るので そ Q 方法が 研究 さ 

れる 事になる。 現に 昨 一 九 三 四 年 0 ナツ ー ァゥ イツ セン, ンャ フテ ン第 三十 一 號に、 そ ひ 飼育 法に 

關す る 記事が 揭載さ れてゐ た 位で ある。 

蛆 がきたない 0 ではなくて 人間 や 自然 の 作った きたない も の を淨 化す る 爲に蛆 がそ の 全力 を盡 

す Q である。 尊重 はしても 輕侮 すべ き 何等の 理由 もない 道理で ある。 


356 


稿畫は 1 u 


蛆 が成蟲 にたつ て蠅と 改名す ると JSj; 化に 性が !?ァ 、なるやう に 見える" 昔 は 五月 蠅と 書いて うるさ 

い と讀 み晝寢 の 顏を せ X る い たづ らもの 乃至 は 臭い ものへ Q 道し る ベ と考 へられて ゐた。 張った 

ばかり 0H< 井に 糞の 砂子 を 散らしたり、 馬 Q 眼険を 舐めた ぐらして 盲目に する 厄介 も Q とも 見ら 

れてゐ た" 近代 になって こ れ が 各種 Q 傳染 病菌 G 運搬 者播布 者と して その 悪名 を 宣傅さ れる やう 

になり、 その 結果が 所謂 「蠅 取りデ ー」 0 出現 を 見る に 到った 譯 である。 著名の 學 者の 筆になる 

「蠅を 憎む Q 辭」 が 現代的 科舉的 修辭に 飾られて 屢、 - ジャ ー ナ リズ ムを賑 はした。 

; W し蠅を 取り 盡す こと は 殆ど 不可能に 近いば かりで なく、 これ を絡滅 すると 同時に 蛆も此 世界 

か ら 姿を消す、 す る とそ こらの 物陰に いろ/. \ Q 蛋白質が 腐敗し ていろ/, \ の 徵菌を 繁殖 さ せ そ 

C- 黴菌 は 廻り 廻って 矢 張何處 かで 人間に 仇 をす る か も 知 れ な い C 

自然界の 平衡 狀態は 試 驗管內 C 化 # 的 平衡 Q やうな 簡 軍な も Q ではない。 唯一 種 Q 小 動物 だけ 

で i そ の 影響 Q 及ぶ 所 は 測り 知られぬ 無邊 Q 幅員 を もって ゐる であらう。 そ Q 害の 一端の み を 見 

て 直ちに その物 Q 無用 を 論, f る の は餘 りに 淺 果敢な 量 見て あるか も 知れな い。 

蠅が 徵菌を 撒き散らす、 さう して 吾々 は 知らす に 年中 少 しづ 、それ 等 Q 徵菌を 吸 込み 呑 込んで 

ねる 爲に、 自然に それ 等に 對 する 抵抗力 を 吾々 體 巾に 養成して ゐ るの かも 知れない C そのお か 


357 


げで、 何 かの 機 <!:: に蠅 以外 G 媒介に よつ て 多量 Q 徵菌 を-取 込んだ ときで も それに 堪へ られる だけ 

の 資格が 具 はって ゐる C かも 知れない。 換言すれば 蠅は 吾々 の 五體を ワクチン 製造所と して 奉職 

す る 技師 技 の H}^ 類で あるか も 知れない ので あ る。 

これ は 勿論. :5« 想 である。 しもし 蠅を 絶:^ すると 云 ふ Q なら、 その 前に, n 分の こ の 穴.^ 想の 誤讓 

を 實證的 に 確かめた 上に して 貰 ひ 度 い と m 心 ふ の で あ る。 

放 て 蠅に 限らす 動 械鑛物 に阪ら す、 人間 r い 社會 に;^ す る あら ゆ る S わ 想 風俗^ 惯 に. 就 いても 矢 張 

M じ やうな ことが 云 はれ はしない か。 

例 へ ば野獸 も盜賊 もない 國で. y 、心して 野天 や 明 放し の 家で 寢る と 風邪 を 引 い て 腹 を 毀す かも 知 

れ ない" 〇 を 押さへ ると 〈が 暴 ばれ 出す I  "大然 の 設計に よる 平衡 を亂す 前に は餘 程よ く考 へて か 

からない と 危險な も G である。 

十一で 嫌 ひ 

子^ C 時から 毛 蟲ゃ芋 蟲が嫌 ひであった。 畑で 零餘子 を 採って ゐると .^_.^然火 きな 字蟲 が 眼に つ 

いて 頭から 爪^まで 率, れ上 つ たと 云った や う な 幼時 の 經驗 の 印象が 前後 關係 と は 切 離されて はつ 


358 


稿畫 由自. 


きり 殘 つて ゐる 位で ある。  .  - 

芋蟲 など は 人間に 對 して 直接に は 何等の 危 を與へ る も 0 でもな し、 考 へやう では 屮々 可愛い 

乂 美しい 小 動物で あるのに、 どうし. てこれ が、 この 蟲に對 して は 比較に ならぬ 程 大きくて 强ぃ人 

間に かう した 畏怖 に 似た 感情 を 吹 込む か::^ どうしても 分らない。 

何 かしら 人間の 進化の 道程 を 遡った 遠い 祖先の 時代 G 「記憶」 の やうな ものが この 理由 不明の 

畏怖 嫌忌と 結び付いて ゐ るので はない かとい ふ 疑が 起こし 得られる。 猿 や 鳥な どが、 その 食料と 

する 色々 の昆蟲 の種賴 によって 著しい 好き 嫌 ひがあって、 その 見分け を 或 程度 迄 は視覺 によって 

つける らしい とい ふこと が 知られて ゐる. - それで 例へば 吾等の 祖先の 或 時代に 芋蟲ゃ 毛蟲を 喰つ 

てひどい 目に 遭った とい ふ 經驗が 蓄^し そ れが遣 傅した 結 では ないかと い ふ氣 もす る が、 さ う 

した 經 験の 記憶が 遣傳し 得る もの かどう か, H 分 は 知らない C 唯 そんな ことで も考へ なければ 一 寸 

他に 說明 Q 可能性が 考 へられない ではない か と 思 はれ る、 そ れ程 に こ の 嫌忌 の 起原 が 自分に は祌 

祕 的に 思 はれる ので ある" 

蛙 を 嫌 ひ 怖がる 人 は 可也 澤山 ある」 それから 蜘蛛 や 蟹 を 嫌 ふ 人 も 知人のう ちに ある C 昔からの 

云 ひ 傅へ では 胞衣 を 埋めた その上の 地面 を 一 番 最初に 通った 動物が 嫌 ひになる と 云 ふこと になつ 


35? 


てゐ る。 なる 程 上に 擧 げた 小 動物 は いづれ も 地面の 上を爬 行す る 機會を もって ゐる 力ら 力う い 

ふ 俗說も 起り 《^ いわけで あらう が、 此の 說明 は科學 的に は 今 Q ところ 全然 問題に ならない。 所 を 

異にした 胞衣と その もと 0 主との 間につな がる 感應 の絲と 云った やうな もの は 現在 0 科學の 領域 

.Z: に 求め 得られる 害 はない からで ある。 

ことによると、 この 「嫌忌の 遺傳」 は、 正當の 意味での 遣傳 として 生殖細胞の クロ モソ I ムを 

通して 子孫に 傳 はる Q でな くして、 寧ろ 「敎 育の 效茶」 として 傳 はるの かも 知れない。 吾々 Q 未 

だ 物心の つかない やうな 幼時に、 母親と か 子守と かと 一 緖にゐ た 時に、 偶然 それ 等の 動物 を 目撃 

して それ を 意識した、 その R じ 瞬間に その 保護者なる 母 なり子 守な りが、 ひどく 恐怖の 表情 を 示 

したと すると、 そ Q ときの 劇 動が 子^ を 驚かせ おびえさせ、 その 恐怖の 強烈な 印象 經驗 がその 動 

物の 視 像と 聯想 的に 固く 結びついて しまった、 と考 へる と 一 應は尤 らしく 聞こえる。 この 假說は 

非常な 面倒 さへ 厭 はなければ 多くの 實例 について 一 々調 茶した 上で 當否を 確かめ 得られる であら 

うと 思 はれる。 

それにしても まだ どう にも 說明 の 出来な いと 思 はれる の は、 自分 の 場合に 於け る 次の 實 例で あ 

る 0  .  . 


360 


稿 畫由自 


梨の 葉に 病氣 がつ いて 黄色い 斑紋が 出来て、 そ Q 黄色い 部分から 一 面に 毛 0 やうな ものが 簇生 

する ことがある C 子供の 時分 か ら あれ を 見る と ぞう つ と 總毛立 つ て 寒氣を 催す と 同時に 兩方 C 耳 

Q 下から 顎へ かけた 部分 0 皮膚が しびれる やうに 感、 する 0 であった。 

それから 少し 汚ない 話で は あるが、 昔 田舍の 家に は 普通に 見られた 三 和 土製 圓 筒形の 小 便壺の 

-2: 側の 壁に 尿 G 鹽 分が 晶 出し て 針狀に 密生して ゐる Q が 見られた が、 あれ を 見る とき も 矢 張 同様 

に輕ぃ 悪寒と 耳の 周圍の 皮膚の 痺れ を感 する ので あ つ た" 

梨の 葉 Q 病の 場合 は 或は 毛蟲 など 、 Q 類似から 來る 聯想に よる かも 知れない が、 後の 針^ 結晶 

と毛蟲 とで は 距離が 餘 りに 大き 過ぎる やうで ある。 寧ろ あり. まき ゃ蛆ゃ S などの やうな も Q が 群 

集し たと こ ろ を 聯想す る C か も 知 れ ない: さう した もの が. E 分 の 皮膚 にと りつい. て 居る と 想像す 

ればぞ つ とす る の は當然 かも 知れない C 

こんな 風に 蟲 やそれ に 類した も 0 に對 する 毛 嫌 ひ はどう やら 一 應の說 明が こじつけられ さうな 

氣 がする が、 人と 人と Q 間に 感じる 毛 嫌 ひや 义 所謂 何となく 蟲が 好く 好かない G 現象 は 中々 こん 

な 生易し いこじつ け は 許さ ないで あらう。 唯 もし 非常な {4! 想 を 逞しく す る こ と を 許さ れ る とすれ 

ば、 自分 はこ k にも 何 か 遣 傳學的 優生 學的 生理 擧 的な 說 明が 試み 得られ さうな 氣 がする C 唯氣が 3 


する だけで まだ 4、 體 的な 村 料 を 直 ffi- す る ザ 一 と が 出来な い , 

そ. 1 は 兎に角、 ギ を-取る に從っ て. EJ 々な 毛 嫌 ひが 段々 に その 强度を 減じて くる こと は事實 であ 

る。 さう して M 時に 好きな も C へ C 欲望 も 減少し、 結局. n: 分の 巾の 「詩の 世 犀」 の 色彩が 褪せて 

くる こと も储 かで ある。 

「t« ひ」 と 「詩」 と 「ホル 乇 ン」 と は 「三位 一 體」 の やうな もの かも 知れない G である。 

(昭和 十 年 一一 IH -、 中央 公論し 

十二 透明 尺 間 

映!^£: 「透明人間」 とい ふ C が 封 切され た ときには 題材が 變 つて ゐる だけに 相 常な 好奇 的 人氣を 

呼んだ やうで ある。 トリック 映畫 としても これ は 鬼 も 角 も 珍ら しく 新しい もので、 々の やうな 

素人 Q 觀 客に は 實 際どう して 撮った もの か 想像が 出来なかった。 それだけ にこ C- ト リツ ク は成效 

した ものと 思 はれた。 

この 映蔷 ーを兑 てゐ るう ちに ま 分に はいろ くの 镇 末な 疑問が おこ つた。 

一に は、 この 「透明人間」 とい ふ譯 語が 原 名の 「イン ヴ イジ プル . マン」 (不可視 人間) に 相 


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稿 畫由自 


常して ゐ ないで はない かとい ふ 疑であった。 

「透明」 と 「不可視」 と は 物理 舉 的に 大分 意味が ちが ふ。 例へば 極上 等の ダイ ァ モ ンドゃ 水晶 

は 殆ど 透明で ある" ^し:^ して 不可視で はない。 それ どころ か、 假令 小粒で も 適 常な 形に 加工 彫 

琢し たもの は 燦然と して 遠くから でも 「視 える」 G である。 これ は此 等の 物 I 只が その 周圍 の空氣 

と 光學的 密度 を 3„J: にして ゐる爲 に そ の 境界 面 で 光線 を :21 射し 屈折す るからで あって、 假令そ Q 物 

_R 中 を 通過す る 間に 光 Q  H ネル ギ ー が 少しも 吸収され す、 卽ち {尤 全に 「透明」 であっても 立派に 

明,::: に顯 著に 「兑 える」 ことに は 間 {ゅ 一な く、 兑 えない 譯に は. どうしても ゆかない Q である C 

對に 不透明な も Q でも それが 他の 不透明な も C  - 巾に 包まれて ゐれば 外から は 「不可視」 で 

ある (一 

かう 考 へて 兑 ると 「透明人間」 とい ふ譯 語が 不適お な こと だけ は 明. {! なやう である。 

そこで、 次に 起った 問題 は 本當に 不可視な 人間が 出來 るか どうかと いふ ことであった。 ゥェ 

ルズの 原作に はたし か 「不可視」 になる ため Q 物理的 條 件が 火 體 正しく 解說 されて ゐ たやう に 思 

ふ。 卽ち、 人間の肉 も 骨 も 血 も 一 切 Q 組成 物質の 屈折率 を 略 穴.^ 氣の 屈折率と 同 一 に すれば 不可視 

になる とい ふ { ^である。 囔入 0 動物 標本な どで 見受ける やうに、 小 動物の 肉體に 特殊な 液 體を豫 


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逸させて、 その 液 中に 置けば、 或 度まで は 透き通って 見える。 ゥェ ルズは 多分 あの 標本 を 見て 

そ こから ヒント を 得た も の に 相逮な い。 

^し、 よく 考へ て 見る と、 あらゆる 普通の 液 體岡體 で. i 仝 氣と略 同じ 屈折率 を もった も Q は實在 

しないし、 义 理論 上 か らも さ う し たも の は豫 期す る こ と が出來 さう もな い 。 

假り に 固體で { へ.; 氣 と;! I じ 屈折率 を 有する 物賈が あると して、 人間の 眼球が さう した 物質で 出來 

て," ると したら どうで あらう か。 その場合には 眼の レ ンズは 最早 光 を牧斂 する レ ンズ の 役目 をつ 

とめる ことが 出来なくなる C 網膜 も 透明に なれば 光 は吸牧 されない" 吸牧 されない 光 QH ネル ギ 

1 は 何等の 效果を も與 へる ことが 出來 ない。 換首 すれば 「不可視 人間」 は 自分自身が 必然に 完全 

な |_ 目 目で なければ ならない。 - 

それば かりで はない。 こ Q 「不可視 人間」 の 概念に は 可也に 根本的な 科學的 不可能 性が 包まれ 

てゐる やうで ある。 一 見 どんなに 荒唐無稽に 兄え る 〈5^ 想で も 現在の 可能性の 延長と して 見た とき 

に、 それが 不可能 だとい ふ證明 は出來 ない とい ふ 種類の もの も隨分 ある。 例へば 人間の 壽命を 百 

歳 以上に 延-: K すると か、 男女 Q 性 を 取換 へ ると かいふ 種類のお. 一 想 はさう 俄に 否定す る ことの 出來 

ない 種類に 馬す る。 併し 「不可視 人間」 C 穴.^ 想 はこれ とは餘 程. 趣 を 異にして ゐる。 


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ー體 「物 體」 が 存在 するとい ふこと は、 換首 すれば、 その物 體 と周圍 との 境界 面が 存在す ると 

いふ ことで ある C 物體が 認識され、 物と 物、 物と H ネル ギ ー との 間に 起る 現象が 知覺 される Q は 

矢 張 こ 0 境界 面が あるから である, こ 0 事 は、 物理 學で 「場」 Q 方程式 だけで は具體 的の 現象が 

* 規定され す、 その外に 「境界 條件」 を 必要と する、 とい ふ 事に 相當 する。 

それ 程 一 般 的な 議論 をす るまで もな く、 あらゆる 生物の 生活 現象 は、 生物 を 構成す る コ a イド 

の 粒子 や 薄膜の 境界に 於て 行 はれる 物理的 化學的 現象と 極めて や ^ 接な 關 係が あると いふ こと は 現 

在で は 周知の 事實 である。 云ひ換 へれば、 異質 異相の 境界 面の 存在し ない 處には 生命 は 存在し 得 

られ ない ので ある。 ところが、 さう いふ 境界 面が あると いふ こと は 一方に 於て 「可視」 とい ふこ 

と \ 密接に 結び つけられて ゐる e 小ノ しの チン ダ ル 效菜さ へ 示 さ な い 全?、 不.. 視 な固體 コ 。イド は 

.考 へられない とすれば、 「不可視 人間」 も 亦考 へられなくなる 道理で ある" 

以上 は^に ゥェ ルズ Q 揚足 をと るつ もりで も 何でもない、 た 現在の 科學の 可也 根本的な 事實 

と牴觸 する 様な 空想と、 さう でない 空想と : 匪^だ け ははつ きりつけ ておいた 方が 便利で あらう 

g と 思った から 誌して おくだけ である: 

稿 これ は 全く 餘 計な ことで あるが、 「人間」 0 人間で ある 所以 も 矢 張 その 人間と 外界との 「境界 


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..m」 によって 決定され るので はない か" 境界 面 を 示さない 入 間 は 不可視 人間で あり、 それ は. 結局、 

非人 間で あり 無人 間で あると も 云 はれる かも 知れない。 善人、 "惡 人な ど、 いふ も Q はなくて、 他 

に對 して it- をす る 人と 惡を する 人 だけが 存在す るの かも 知れない。 Zi: じ やうに 「何も しないが え 

らい 人」 とか 「作品 は あまりな いが ハ、 文奈」 とか 「研究 は發^ しないが えらい 科學 者」 とかい ふ 

もの も 矢 張 一 種の 透明 不! 5^ 視 人間 かも 知れない Q である。 

十三 政治と 科學 

H 本で は 政事 を 「まつりごと」 と 云 ふ。 政;! のと^. まとが-お 接に ^.1 八 M してんた からで ある。 これ 

は 恐らく 世界 共通の 現象で、 現在で も 未開 國 では その 片影 を 認める ことが 出來る やうで ある。 祭 

.此 丼 他-: •  小敎的 儀式と 聯關し て 色々 の 巫術 魔術と- ムっ たや う な も G も :!^ 族 の 統治者の 權 の 下に:;;: 

* はれて それが 政治の 重要な 項 ZZ の 一 つに なって ゐ たやう に 思 はれる。 

さう した 祭, 紀ゃ 魔術の! Z 的 は 色々 であったら うが、 その 一 つ c:::: 的 は 吾,々 人間の 力で どうに も 

ならない、 廣ぃ 意味での 「£: 然」 0 力 を 何 かしら 超,::: 然 の 力 を 借りて 制 卸し rtr 由に したいと いふ 

欲望の 實現 とい ふこと にあった やうで ある」 例へば、 五穀の 豐饒を 祈り、 風水害の 免除 を 禱 り、 


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稿 畫由自 


疫病 の 流行 の 速に 消媳す る こと を 乞 ひのみ まつった ので ある。 か く してお-族の 安寧 と 幸福 を 保全 

する こ とが 爲政 者の 最も 重要 な 仕事 の 少 くも 一 部分 であった ので あ る。 

この 重要な 仕事に 聯關 して. 人文 や 氣> ^に關 する 舉 問の 胚芽の やうな ものが 古い 昔に 旣に現 は れ 

はじめ、 乂巫呪 占 巫の 魔術から もい ろ /\ な ,11 然科學 の rH.g の やうな も Q が 生れた とい ふの は 周 

知の ことで ある C この やうに 「自然」 を 相 乎の 仕事から,::: 然の 研究が 始まり、 それが 遂に. n 然科 

學 にまで 發逹す ると い ふ こ と は 全く 常然な 過程 であると 云 はなければ ならない。 

さう だとす ると、 昔の. ド: 權者爲 政 者の 下に 祭せ、 巫術 師 等の 行った 仕事 Q 一部 は 今 H では 彼等 

の 後裔の 科學 者の 手に よって 行 はれて おるべき 答で ある: さう して、 或 見方で 兑れ ば赏際 それが 

さうな つて ゐ るので ある C 例へば 五穀の 牧穫ゃ 沿海 G 漁獲 ゃ採鑛 冶金の 紫に 關 して は 農林 省管ド 

に それぐ Q 試験場 や 調査 所な どが あって 「科學 的 政^」 の 一端 を 行って; り、 ^病 流行に 關し 

て は 傳染. お 研究所 や 衞生試 驗所ゃ 其 他い ろ の 施設が あり、 風水 "千 害に 關 しても 氣象臺 ゃ關係 

諸機關 がお 在して ゐる やうで ある。 此 等の 政府 0 せ i 機關 は、 少 くも そ G 究極の = 的に 於て は、 昔 

の 祭官ゃ 巫術 者の それと 共通な も Q を も つて ゐ る こと は事實 である。 

昔の 爲政 者の 仕事のう ちで 今日の 見地から 見て 科學 的と 考 へられる もの は 上記の 如き 宗敎的 色 


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彩 ある もの、 外に も 色々 あった. - 例へば、 ; 太智; 大皇の 御代 だけに 就いて 見ても 「是歳 造 水 維而冶 

>  >  ^  み-つ はかり 

1〕 とか 「始 ffl 漏尅」 とか 貯水池 を 築いて 「水 城」 と 名け たと か、 「指南車」 「水 臬」 の やうな 器 

械の獻 上 を 受けたり、 「燃 ゆる 土、 燃 ゆる 水」 の 標本の 進逹 があった りした やうな ことが、 この 御 

代の 政治と どんな 交涉 があった か 無かった か、 それ は 分らない が、 兎も角も、 當 時の 爲政 者の 注 

意 を 引いた 出来事で あつたに は 相 遠ない" 恐らく 古代で は國 J^;^ 並に 其の 輔佐の 任に 當る大 官達親 

ら これ 等の 科攀 的な 事柄に も 深い 思慮 を 費やした ので はない かと 想像され る。 

然る に 時代の 進展と 共 に 事情が 餘程變 つ て 来た" 政治 法律 經濟と 云 つた やうな ものが いつの 間 

にか 科學 やその 應 W としての ェ案產 業と 離れて 分化す る やうな 傾向 をと つて 来た。 科擧 的な 知識 

など は 一 つも 持 合 はせ なくても 大 政治家 大法 律 家に なれる し、 大臣 局長に も 代議士に もな り 得る 

と い ふ 時代が 到来した。 科舉 的な 仕事 は 技師 技手に 任せ ておけば よいと い ふやうな こ とに なった 

ので ある。 さう して それ 等の 技術官 は 一 國の 政治の 本筋に 對 して 主動的に 參與 する こと は 殆どな 

くて、 多くの場合に は 技術に 疎く 理解の ない 政治家 的 乃至 政治屋 的爲政 者の 命令の 下に 單に 受動 

的に はたらく 「機 關」 としての 存在 を享樂 して ゐる だけで ある、 と 云っても 餘り 甚だしい 過言と 

は & はれない 態で ある。 こ の やうな 狀態は 〇〇 などに 於て 特に 顯著 なやう である。 


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禾' 由 自 


科 學に關 する 理解 Q 甚だ 薄い 上 長官から 可也 無理な 注文が 出ても、 技師 技手 は、 それ は 出来な 

いなど \ いふ, こと は 出来ない 地位に おかれて ゐる。 それで 出来ない もの を 出来さう とすれば 何 か 

しら 無理 をす る とか 誤 魔 か すと かする よ り 外に 途 はない、 と 云 つた やうな 場合 も往 々 あ る やうで 

ある" 义 一 方 下級の 技術 官 達の 間で は實に 明白に 有效 重要と 思 はれる 積極的 或は 消極的 方策が あ 

つても、 その 見易い 事が、 取捨の 全權を 握って ゐる上 長官に 透徹す る 迄に は屢、 、容易なら ぬ 抵抗 

に 打 勝つ ことが 必耍 である。 殊に その 間に 庶務と か會 計と かいふ 「純 粹な 役人」 の 系列が 介在し 

て 居る 場合 は猶更 科學的 方策の 上下 疏 通が M 難になる 道理で ある。 

具 11^ 的に 云 ふこと が 出来ない 0 は遣憾 であるが、 ft: 分の 知って 居る 多 數の實 例に 於て、 科學者 

の眼から見れば實に話にもならぬ程5^111な事柄が最高級な爲政者にどぅしても通ぜす分らなぃ爲 

に 國 家が 非常な 損 を し 义危險 を 冒して ゐ ると 思 はれる ふ しが 決し て 少 くな いので ある。 巾に はよ 

くよ く考へ てみ ると 國{ 豕國: K の 將來の 爲に實 に 心配で 枕 を 高く して 眠られな いやうな こと さ へ あ 

るので ある。 

この 様な. 狀態を 誘致した 主な-原 21 は、 政治と いふ ものと 科學 とい ふ ものと が 何等 直接の 關係も 

ない も Q だ、 とい ふ 誤った 假定 にある ので はなから うかと 思 はれる。 昔の 政事に 祭り 事が 必要で 


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あつたと 同様に 文化 國の 政治に は 科學が 奥底 迄 滲透し 密接に 絢 ひ 交ぜに なって ゐ なければ 到底 國 

運の 正當な 進展 は 望まれす、 國 防の 安全 は 保 たれない であらう と 思 はれる。 

. これ は 日本と 關係 のない よその 話で は あるが、 自分の 知る 所では 一九 一 〇 年頃、 カイゼル .ゥ 

ィル ヘル ム第 二世 は 事 ある 毎に 各方 面の 專門學 術に 熟達した 所謂 ゲ ハイ ムラ ー ト. プ a フ H ッソ 

ルを 呼び付けて、 水 入らす のさし 向 ひで 色々 の科學 知識 を 提供 させて 何 かの 直 要計畫 の參考 とし 

て 居た やうで ある。 カイ ゼ ル の 《:£ 時の 雄圖の 遂行に 出來 得る だけ 多くの 科學を 利用しょう とした 

ので はない かと 想像され る。 その 結 架から 得た 自信が 力 ィザ ー を あの 歐洲 大戰に 導いた の かも 知 

れな いとい ふ氣 がする。 それ は 鬼に 角、 獨 逸で は旣に その 鎖から 政治と 科學 とが 浚交涉 ではな か 

つたと 云っても よい。 

よく は 知らないが 現在の ソビ エト-口 シァ の國是 にも 科 學的產 業 根 興 策が 可也 重要な 因子と し 

て 認められて ゐる らしい。 例へば 飛行機 だけ 見ても 中々 馬鹿に ならない 進歩 を 遂げ てゐる やうで 

ある。 恐らく。 シァ では 日本な ど、 ちがって 科學が 可也まで 直接 政治に 容喙 する 權利を 許されて 

ゐ るので はない かと 想像され る。 

日 本で は科學 は, や 頃 「獎 勵」 されて ゐる やうで ある。 驚くべき 時代錯誤 ではない かと 思 ふ。 世 


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稿 畫由自 


は獎勵 時代 は疾の 昔に 過去って しまって ゐ るので はない か。 他國 では 科 學が疾 の 昔に 政治の 

肉と なり 血と なって 活動 して ゐ るのに、 日本で は 科學 が 溫窒 の 蘭 か 何ぞの やうに 珍 ® さ れ 鑑賞 さ 

れ てゐる Q で は 全く 心細 い 次第 で あらう。 

其國の 最高の 科學が 「主動的に」 その 全能力 を擧げ て國政 Q 樞 機に 參 與し國 防の 計畫に 貢獻す 

るの が當然 ではない かと 思 はれる のに、 事 は 全く これに 反する やうに 思 はれる ので ある。 科學は 

全く 受動的 に 非科學 の 奴 僕と なって なる ために その 能力 を發 揮す る こ と が 出来す、 そ の爲に 無能 

視 されて 叱られて ばかり ゐ るので はない かとい ふ氣 もす る。 一 體 二十世紀の 文明 國と名 乘る國 柄 

からすれば、 閣に 一人 や 二人の 然るべき 科學 大臣が 居ても よさ さう であり、 國 防最髙 幹部に 優 

れた科 學者參 謀の 三 四 人が 居ても; 惡 いこと はなさ さう に 思へ るので あるが、 これ も 畢竟 は 世の 屮 

を 知らぬ 老學究 C- 机上の 空想に 過ぎない のか も 知れない。 

十四お はぐ k: . 

自分 達の 子供の 時分に は旣婚 の, 1 人 は みんな 鐵黎 で齒を 染めて ゐた。 祖母 も 母 も 姉 も 伯母 もみ , 

んなロ を 開いて 笑 ふと 赤い 脣の 奥に 黑 if 石 を 刻んだ やうに 漆 黑な齒 並が 現 はれた。 さう して 又み 


んな申 合 はせ たやう に 眉毛 を 綺麗に 剃り 落して そ Q 痕に 藍色の 影が た よって ゐた. - 未だ 二十歳 

にも 足らない やうな 女で 眉 を 落し 齒を 染めて ゐ るの も 決して 珍ら しくはなかった- さう して それ 

が 子供の 自分の 眼に も 不思議に 艷 かしく 映 じた やうで ある。 

今でも おはぐろめ 句 ひ を 如 實に想 出す こ と が 出来る。 いやな 句 ひで あつたが 併し 叉 食に なつか 

しい 追憶 を 伴った 句 ひで ある。 

矗 所の 土 問の 板緣の 下に 大きな 素燒の 土瓶の やうな ものが 置いて あった。 蓋 を あけて 見る と 腐 

つた やうな 水の 底に 鐵 釘の 曲った Q や 折れた の やその 外い ろ/ \ 'の鐵 屑が 一杯 這, 入って ゐて、 そ 

れが、 水酸化 鐵 であらう か、 ふ は/ \」 た 黄 赤色の 泥の やうな ものに 蔽 はれて ゐた。 水面 をす か 

して 見る と靑 ,3 い 眞珠色 Q 皮膜 を 張つ て そ の 膜に は 氷 裂狀に ひ が 這 入 つて ゐ るので あった、」 晚 

秋の 夜更 などに は、 いつも 丁度 この 土瓶の 邊で蝻 が 聲を張 上げて 鳴いて ゐ たやうな 氣 がする。 

この 汚ない 土瓶から 汚ない 水 を 湯 吞か何 かに 汲 出して、 それに どつ ぶりお はぐろ 筆 を 浸す。 さ 

うして その 筆の 穗を 五倍子 箱の 中の 五倍子の 粉の 中に 突 込んで 粉 を 十分に 含ませて おいて 口中に 

搬ぶ、 さう して 筆の 穗先を 右へ 左へ 毎秒 一往 復位の 週期で 動かしながら 萬遍 なく 歯列の 前面 を 摩 

擦す るので ある。 何分 間 位つ けて な たかはつ きりした 記憶 はない が 可也 根氣 よくやつ てゐヒ や 


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由 自 


うで ある こ 妙に ぐしゃ-. (\ とい ふ 音 をた て、 口の 中 を 泡 だらけに して、 さう して あの 板稱ゃ 下見 

などに 塗る 漉の やうな 臭氣を 部屋 中に 發 散しながら、 かう した? ^ 齒術を 行って ゐる 女の 姿 は 決し 

て 美しい ものではなかった が、 それに も拘ら す、 さう いふ、 今日で はもう 見られない 昔の 家庭の 

俗の 想 ひ 出に は 云 ひ 知れぬな つかし さが 附隨 して ゐる。 この 「おはぐろの 追憶」 に は 行 燈ゃ絲 

車の 幻影が いつでも 伴って 居り、 义 必. や 夜寒 のえん まこ ほろ ぎの 聲が 伴奏に なって ゐ るから 妙で 

ある.)  . 

おはぐろ 筆と いふ もの も 近頃 はめった に 見られ なくなった 過去の 夢の 國の 一景 物で ある。 白 い 

柔 かい 鷄の 羽毛 を 拇指の 頭 位の 大きさに 束ねて それに 細い 篠 竹の 軸 をつ けた も 〇 で、 軸 Q 兩端に 

一 寸 した 漆の 輪が かいてあった やうな 氣 がする。 七夕 祭 Q 祭壇に 麻 や 口紅の 小皿と 一 緖 にこのお 

はぐろ 筆 を 添へ て 織女に 捧げた とい ふ 記憶 も ある。 かう いふ もの を 佻へ て 星 を 祭った 昔の 女の 心 

极には 今の 若い 婦人 達の 胸の 中の 何 處を搜 しても ないやうな 情緒 0 動きが あつたの ではない かと 

い ふ氣 もす るので ある。 

今 Q 娘 達から 見る と、 眉 を 落し 齒を涅 めた 昔の 女の 顏は 化物 Q やうに 見える かも 知れない。 teE 

し、 逆に 又、 今の 近代 孃の 髪を靳 りつめ 眉毛 を 描き 立て、 コ テ ィ ー の 色お しろい を 額に 塗り、 キ ュ 


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1 テツ ク Q 染料で 爪 を 染め、 狐. 一 匹 を まるごと 頸に 卷 きつけ、 大蛇の 皮 C 靴 を 爪立って 履き 歩く 

姿 を 昔 0 女 Q 眼前に 出現 させたら どうで あつたか。 矢 張 相 常 立派な 化物と しか 思 はれなかった で 

あらう。 

去年 G; 夏 數寄屋 橋の 電車 停^場 安全 地帶に 一 人の 西洋 婦人が 派 乎な 大柄の 更紗の 服 を 裾 短 かに 

着て 日伞を さして ゐる 0 を 見た。 近づいて 見る と 素足に 草履 を はいて 居る。 さう して 足 Q 指の 爪 

を 毒.々 しい 眞 赤な 色に 染めて ゐる Q であった。 何とも 云 はれぬ 恐ろしい 氣持 がした。 何 かしら 獸 

か爬蟲 C う ち に よく 似た 感じ 0 ものが ある 0 を 想 出さう と し て 想 出せ なか つ た。 

近 或レ ス トラ ンで 友人と 食事 をして なたら 隣 Q 食卓に 印度 0 上流 婦人ら しい 客が 一 "一人 ゐて、 

一 一人 共 そ Q 額 0 中央に 紅の 斑點を 印して なた" 同じ 紅色で も 前記の 素足の 爪 紅に 比べる とこの 方 

は 美しく 典雅に 見られた。 近年 日本の 紅が 印度へ 輸出され る Q で どうした 譯 かと 3..5 つて 調べ て 見 

ると 婦人 Q 額に 塗る 爲 ださう だとい ふ 話 を 先達て 友人から 聞いて ゐ たが、 實例を 眼の あたりに 見 

る 0 は はじめて V ある。 

いっか 見た 「バン ジャ」 とい ふ映畫 で、 南洋 土人 0 結婚式に、 犧牲 の鷄を 殺して マて G 血 をち よ 

っぴり 鉢に 滴らし、 さう して、 その 血 を 新 夫婦が 額に 塗り 乂 胸に 塗る 場面が あった。 今度 印度 婦 


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li^ 里 由 自 


人 額 Q 紅 斑 を 見た ときに 何となく それ を 想 出して、 何 か: 刚 者の 間に 因緣が あるので はない かと 

いふ 氣 がした- それから また 、「血」 とい ふ 字 は 「皿」 G 上に 血液 「ノ」 を 盛った 形 を 示す とい ふ 

說を想 出し、 「ノ」 がどうして 血 Q 象徵 になり 得る かとい ふ 意味が 「バ ン ジャ」 〇 映 畫の皿 〇 中の 

一 抹の血 を 見て はじめて 分った やうな 氣も する Q であった。 

それ は 鬼に 角、 額に 紅 を 塗ったり、 齒を 染めたり 眉 を 落したり する 0 は、 入れ墨 をしたり、 わ 

ざ わざ 創痕 を 作ったり 或は 耳朶 を 引き延ばし、 又 脣を鳥 Q 嘴 Q やうに 突出させた りする 奇妙な 習 

俗と 程度 こそ 遠へ 本質的に は 共通な 原理に ま 配され た 現象 0 やうな 氣 がする。 一 寸考へ ると 「美 

しく 見せよう」 とい ふ 動機から 化粧が 起った かと 思 はれる が實 はさう でない らしい。 寧ろ 天然 自 

然の 肉體そ Q 偉の 姿 を 人に 見せて はいけ ない 〔 さう すると 何 かしら 不都合な ことが 起る とい ふ考 

がそ Q 根抵 にある 0 ではない かと 疑 はれる。 つまり 一 種 0 タブ ー から 段々 にかう した 珍奇な 習俗 

が發 達し た Q ではない かとい ふ氣 がす る C- である。 これに 就いて は 多分 そ Q 方面 。 擧者逹 の 學說 

が 色々 ある こと "思 はれる C 

いづれ にしても、 こんな 風に 「化ける」 爲の化 被 をす る 0 は 恐らく 人間 以外 0 動物に はめった 

にない 事で あらう と 思 はれる。 人間 は 火 を 使用す る 動物な りと いふ 定義と 略 同等に 化粧す る 動物 


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也と いふ 定義 も 出来る かも 知れない- さう だとす ると、 男 も 1; 擬黑々 とつけ てゐた 日本の 昔 は 今 6 

よりも もっと 人間 Q この 特權を 十分に 發 揮して ゐ たこと になる かも 知れない。 

十五 視角 

はじめて 飛行機に 乘 つ た 經驗を 話し てゐる 人が、 お」 中 か ら 見た 列享 の 長さが たった 此れ だけの 

扭の やうに しか 見えなかった と 云って 差 出した 兩 手の 間に 約 一尺 位の 長さ を 劃して 見せた。 これ 

は 機上から 見た 列.: 車の 全長の 「視角」 が 略 腕の 長さに 等しい 距離に 於て 一 尺 0 長さが 有する 視角 

に 等しい とい ふ 意味と 3 心 はれる。 それで 列車の 實 際の 長さが 分って 居れば、 その 時の 飛行機の 高 

度が 算出され る 勘定で ある。 併し、 多くの 人 はかう いふ 場合に. 單に 汽車が 一 尺 位に 見えた とか 橋 

が マッチ 位だった とか 云 ふ。 これ は科學 的に は 殆ど 無意味な 言葉で ある。 それに も 拘らす さう い 

ふ 無 意味な 云 ひ 現 はし 方 をす る 人 は 相 當な敎 養の ある 人に も 少なくな いやう であ る。 「盆 犬の 

月」 とか、 「盥 ほどな 御 てんた ぅ樣」 とかい ふの も學問 的に は ナンセンス である。 分 i や i 航の 距離 を 

指定し なければ 客觀 的に は 意味 を 成さない。 云 ふ 人の つもりで は 月 や 太陽 を 勝手な 或 距離に 引 寄 

せて 考 へて ゐ るの だが、 その 無意識な-王 觀 的な 假定は 他人に は 通じない。 


搞 畫由自 


人 玉 を 見た とい ふ 人に そ 5 光り物の 大きさ を 聞いて 見ても 視角で いくら 位と いふ 人 は 極めて 稀 

である。 風船 玉ぐ らゐ だった とか、 電球の 大きさだった とかい ふの が 普通で ある。 云 ふ 人の 心 持 

で は 矢 張 大體そ の 目的物の 距離 を 無意識に 假定し てゐ るので ある。 

月 や 太陽が 三十 米 さきの 隣家の 屋根に のっかって ゐる 品物で あったら それ は 健かに 盆大 である C 

is し 實際は 二 億 一 一千 八 百 萬籽の 距離に ある 直徑百 四十 萬籽の 火の玉で ある。 

へ ル ム ホルツ は 薄暮に 眼前 を 横ぎ つた 羽蟲を 見て 遠くの 空 を 翔る 大鵬と 思 ひ 誤った とい ふ經驗 

を 誌して 居り、 又 幼時 遠方の 寺院の 塔の 廻廊に 働いて ゐる 職人 を 見た ときに、 あの人 形 を 取って 

くれと 云って お母さんに せがんだ ことがあ ると 云って ゐる。 

いっか 上野の 松坂屋 の 七 階の 食堂 の 北側の 窓 の 傍に 席 を 占め て 山 下の 公園 前 停留 場 を 眺め て ゐ 

た,) 窓に 張った 投身 者 除け の 余 網の たった 一 つの 六角の 目の 中に この 安全 地帶が 完全に 牧 まって 

ゐた。 そこに 若い 婦人が 人 待つ 風情で 立って 居る と、 やがて 大學 生らし いのが 來 てー緖 になった。 

この ランデ ヴ ー の 微笑ましい 一場面 も、 この 金網の たった 一 つ Q 目の 中で 進行した。 

これと いくらか 似た こと は. He 分 自身 や 身近い もの 、些細な 不幸が 曰 本 全體の 不幸の やうに 思 は 

れ、. -HJ 分の 頭痛で 地球が 割れ はしまい かと 思 ふこと である。 例へば 又 自分の 專 攻のテ ー マに 關す 


377 


る 旗 末な 發 見が 學界を 震駭させる 大 業績に s 心 はれたり する。 併し、 人が 見れば これ 等の 「須彌 は」 

は 一粒の 芥子 粒で 隠蔽され る。 これ も 云 は 精祌的 視角の 問題で ある。 こ Q 見 4 い 道理 を 小舉校 

でも 中學 K でも 何處 でも 敎 はらない 人が 多 數ゐる やうな 氣 がする。 

自 分 は 高等 學 校の 時 先生から 大變 にい、 こと を敎 はった。 それ は、 太陽 や 月の 直徑の 視角が 約 

半 度で ある こと、 それから 腕 を 一杯に 前方へ 仲ば して 指 を 直角に 曲げ 視線に 垂直に すると、 指 一 

本の 幅が 視角に して 約 一 一度で あると いふ ことであった。 それで この 親讓 りの 簡易 测角 器械 さ へ あ 

れ だ,、 距離 Q 分った も Q  \ 大きさ、 大きさ Q わかった 物の 距離の 大凡の 見當 だけ は 目の子勘定で 

すぐに ォ けられる。 これ も 萬 人が 知って ゐて 損に ならない ことで あるが、 樹を 見る こと を敎 へて 

森 を 見る こと は敎 へない 今の 學校敎 有で は、 こんな 「概略な 見當」 を 正しくつ ける 様な こと は 何 

處 でも 敎 へない らしい。 高價な 精密な 器械がなければ 一 尺と 百 尺との 區训さ へ も 分らない かの や 

う に 思 ひ 込ませ るの が 今の 敎育 の 方針で は ないかと 思 はれる こ とも あ る。 こ れも考 へ ものである _ 

角の 概念と その 用途 は小學 校で も 樂に敎 へ こまれる。 これ を敎 へて おくと の 巾に 無用な 喰 

輝の 種が! つ 二つ は 城る であら うと 3 わ はれる ので ある。 (昭和 十 年 ra"、 中央 公論) 


378 


里 由 自 


十六 歌舞伎 座兑物 

二月 Q 歌舞伎 座 を 家族連れで 見物. した C 三日 前に 座席 をと つた Q であるが、 二階の 二等 席 はも 

う 大體寶 切れて ゐて、 右. の 方の 一番 はしつ こにやつ と 三人 分 だけ 空席が 殘 つて 居た。 當日 となつ 

て 行って 見る と、 そ Q 吾々 の 座席の 前に 補助 椅子の 觀 客が 一杯 並んで、 そ Q 中には 平 氣で幘 子 を 

冠って 見物して ゐる 四十 恰好の 無分別 が 居たり したので、 自分の 席から は 舞 臺の右 半が 大抵 見 

えす、 肝心 Q 水せ 八重 子の 月の 顏 ばせ も M 、、 そ の 前方 の 心なき 帽子の 雲に 掩蔽 さ れ るので あった。 

劇場 建築の 設計者が 補助 椅子と 云 ふ もの \ お 在 を 忘れて ゐ たらしい。 

一 番目 「嘆き Q 天使」 は 嘗て スタン バ ー ク 監督 ディ ー トリ ヒ 主演の 映畫を 見て ゐ たので、 それ 

とこれ と を 比較して 見る とい ふ與 味が あった。 さて 「高等 中擧」 の 敎窒に 現 はれた 教授 ゥンラ ー 

ト はと 見る と、 遠方から 見た ー體 0 風貌が H ミ ー ル . ヤー 一 ン ダスの 扮 した 映畫の ゥンラ ー トに隨 

分よ く 以て ゐる C} で、 よくも 眞似 たもの だと 多少 感心した C 併し、 同時に 登場した 獨逸學 生の 動 

作が 自分の 眼に はどうして かう も スチュ ー ピッド に出來 るかと 思 ふ ほど スチュ ー ピッド に 見えた- 

動物 學 Q 書物 に ナマケ モノと い ふ 動物 が あるが、 あれが 大勢の たうち 廻って ゐ るの だとい ふやう 


379 


な 不思議な 印象 を 受けた だけであった。 毎日 かう いふ 生徒 を 相手に して ゐ るので は、 ゥンラ ー ト 

で なく て も、 何處か 他に 轉 向の 新 天地が 求めた くな るで あらう とい ふ氣 がす る G であった C 

映畫 では、 はじめに ゥンラ ー トの 下宿に 於け る 慰めな き 荒涼 無味の 生活の 描寫が あり、 おまけ 

に 可愛がって 飼って ゐた 小鳥の 死によ つて、 この 人の 唯一 の 情緒 生活 0 きづな 〇 無 殘に斷 たれる 

とい ふ 場面が 一 種の 伏線と なって ゐ るので、 それでこそ 後に ボ ー ラの樂 屋の嚷 し 出す 雰同氣 の 魅 

ハが活 きて 動いて くる やうに 思 はれる が、 この 芝居に は、 さう 云った やうな デリ ケ ー トな 細工な 

ど は 一 切拔 きにして 全く 荒削りの 嘆きの 天使が 出来上がって ゐる やうで ある。 同じ やうな 譯で、 

後に 敎授が 道化 役に なって 雄鷄 の鳴聲 をす るので も、 映畫の 方で はちゃん とした それだけの 因緣 

が 明に されて ゐ る。 それ は、 ボ ー ラ との 結婚 を 祝す る 座員ば かりの 水 人ら すの 宴會の 席で、 ボ ー 

ゥ が 巫山戯て 雌 鶴の 眞似 をして 寄 添 ふので 上機嫌 Q 教授 も 釣り込まれて 柄に ない 隱し藝 の コ ケ コ 

1コー を 鳴いての ける。 その 有頂天の 場面が 前に あるので、 後に 故 鄕の舊 知の 觀客 前で 無理 や 

りに. a を 吐く 想 ひで 叫ばされる あの コケコ ー コ ー の 悲劇が 悲劇と して 活 きて くるので はない かと 

H 心 ふ。 ^しこの 芝居に はそんな 因緣は 全然 省略され てゐ るから、 鶴 0 眞 似が 全く 唐突で、 悪 どい 

不快な 滑稽^ の 方が 先き に 立つ。 


380 


71 "J  -H3, 由 自 


映畫と 芝居 は元來 別物で あるから、 映畫 Q 眞似は 芝居で は 出来ない C そ G 代り 又 芝居でなくて 

は 出來. ない こと も ある。 それ を すれば 面. H いで あらう が、 この 芝居で は映畫 のい &處を 大概 もぎ 

取って しまって、 それに 代る い \ もの を 人れ るの を 忘れて ゐる やうに 思 はれた" さう して 折角 新 

たに 人れ たも Q に はどう も 蛇足が 多い やうで ある。 例へば、 最後の 幕で、 教授が 昔懷 かしい 教壇 

〇 闇に 立っての あの ことさらな 獨白 など は 全くない 方が い 、c 义映畫 では こ \ で びっこ Q 小 使が 

現 はれ、 それが びっこ を ひくので 手に 提げた 燭 火の スボッ トラ イトが 壁面に 高く 低く 踊りながら 

進行して それが 何となく 一種 Q 鬼氣を 添へ る Q だが、 この 芝居で は、 その 跛 を 免職 させて それ を 

第一 一幕の 酒場の 亭主に 左遷して ゐる。 さう して 其處 では 跛が 何の 役に も 立たない 寧ろ ほ 障りな 五 

月蠅ぃ 木靴 Q 騷 音發聲 器に なって ゐる だけで ある。 . 

終末の 幕 切に 教授の 死 を 弔 ふ學生 0 「ァ ー メン」 に 到って は、 蛇足に サボ を 履かせた やうな も 

Q ではない かと 思 はれた。 

大 學敎授 聯盟と かいふ 自分に は 餘り耳 馴れない 名前 Q 團體 から、 こ Q やうな 芝居 は 教育界 Q 祌 

聖を 汚す も の だと 云 つ て 嚴重な 抗議が あ つたので、 それに 義理 を 立 て る爲 にこ のァ ー メ ン を附加 

したの だとい ふ 噂が ある。 これ も 後世の 參考と 興味の 爲に記 錄に値 ひする 出来事で あらう。 


381 


ゥ ン ラ ー トが氣 が 狂った の を 見て 八,^ 子 Q ボ I ラが 妙な 述懐の やうな こと を 述べ る 臺訶が ある 

が、 あれ は 如何にも、 あ、 した賫 女の 役 を ふられた 八重 子 自身が 最 眉の 觀 客へ 對 しての 辯 明 Q や 

うに 響いて、 あの 芝居に そぐ はない やうな 氣 がした。 ポ ー ラは矢 張 浮 草 C- やうな ボ— ラ である 處 

にこ の 劇の 女 主人公と しての 意義が あり、 マて こに 悲劇が あり、 本當の 哀れが あるので はない か。 

八 i 子は此 處で默 つて 百パ ー セントの 賫女 として C ボ ー ラに 成り切 る こ と によって この 悲劇 を, だ 

• 成 すべ きで はない かとい ふ氣 がした のであった。 

ォ平 ばかり 云った やうで 作者に はす まない が、 どうも こ んな 風に 感じた こ と は 事 實で致 方が な 

二番 E 「新 帶 案內」 では 見物が よく 笑った。 笑 はせ ておいて 一 寸 しんみりさせる 趣向で ある。 

これが 近! S のかう した 喜釗 Q 一  つの 定型と して 重寳 がられる らしい。 併し 偶に は 笑 ひつ 放し こか 

はせ てし まふ C もあって はどう かと W 心 はれた。 食事時 間 前の 前菜に は猶更 である。 . 

三番 B: 「仇 討 輪廻」 では、 多血質、 膽汁 質、 神經 只と でも 云 ふか、 鬼に 角 性格の ちが ふ 三人 兄 

弟の.:;. お; 仇, ぁ觀 らしい もの 力 見られる。 これな どももう 一 と 息 どうにか すると S3H 當 面白く 見ら- e さ 

うな 氣 がした が、 現在の ま、 では どうに もた 慌 しく 筋 逢 曰 を讀ん でゐる やうな 氣 がする だけで 餘 


382 


稿 畫由自 


りに あっけな いやうな 氣 がした Q は殘 念であった 。どうと 云って 話に は 出来ない が 見る とた まら 

なく 面白い とい ふ 芝居 も あるが、 こ の 芝居 は それと はちがつた 種類に 屬 する も Q  、 やうで ある C 

最後の 「女 一代」 では 八重 子が 娘に なり 三十 女に なり 四十 女に なって 見せる" さう して 實 によ 

く 見物 を 泣かせる ので ある" さう いふ 目的で 作られた こ 0 四 幕 物 は、 さう 云 ふ ものと しての 目的 

を 丸 分 通まで は 達して ゐ ると 思 はれた。 鬼に 角 「嘆きの 天使」 を 見て ゐる とき Q やうに 危なつ か 

しい 感じ はちつ ともなくて 樂に 見られる。 それだけに 何 か 物足りな K 

この 芝居 を 見てから 数日後に 友達と 一 緖に飯 を 食 ひながら この 歌舞伎 座 見物の 話 をして、 どう 

もどの 芝居 もみん な、 もう 一 と 息と いふ 處迄 行って 居ながら 肝心の 最後の 一 と 息が 足りない やう 

な氣 がする とい ふ 不平 を!^ らしたら、 T 君 は、 畢竟い、 脚本がない からだら うと 云った。 實際本 

當 にい、 脚本な ら藝術 批評家 を滿 足さ せ る と 同時 に 义 大衆に も 受けない 害 はな いで あ らう と 思 は 

れる。 さう 云へば 日本の 映畫 でも 矢 張 大抵もう 一 と 息と ぃふ處 で ぴったり 止まって ゐる やうに 思 

はれる。 みんな 佛 作って 魂が 入れて ないやう に 見える C  . 

さう 云へば 义、 日本 G 工業な どで も 矢 張 九十む ーパ ー セ ント迄 は外國 Q 最高 水準に 近づいて ゐて、 

あとの  一 % だけが 爪立って 見ても 少し 屆 かないと 云った やうな も Q が 多い やうな 氣 がする。 


383 


ェヴ H レスト 登攀で もさう であるが、 最後の : 歩と 云 ふの が實は それ迄の 千 萬 歩より-も 幾 層 倍 

六 かしい とい ふ 場合が 何事に よらす 爆、、 ある。 さう 考 へて 來 ると 聊か 心.! い 日本の 現代で ある。 

諦めの 良 過ぎる 國民 性に よるので あらう か。 さう 思 ふと ゥ ン ラ ー ト敎授 の やうな 物事 を 突 詰めて 

行く 處 まで 行 つ てし まふ 人間 も 頼もし い やう な氣 がす る。 少くも さう い ふ 人間 を 産み出し 得る 國 

民牲は 羨むべき であるか も 知れない。 

歌舞伎」 MQ 一夕の 觀覧 記が つい 不平の ノ ー トの やうに なって しまった やうで あるが、 それなら 

ち つ とも 面白くな かつ たの か と 聞か れ 、 ば 矢 張 面白 か つたと 答へ るの である。 實を い ふと 午後 四 

時から 十 時 迄 打っ通しに 一 粒選りの 立派な 藝術 ばかり を 見せられる 0 であったら、 自分な ど 到底 

見 に 行く だ けの 氣 力が 足りさう もない やうな 氣 がする • "毎日の 仕事に 疲 れた頭 を どうに か 揉み ほ 

ごして 氣 持の 轉換を 促が し 快い 欠 仲の 一 つも 誘 ひ 出す 爲の 一 夕の 保養と して は此上 もない プ ログ 

ラムの 構 欣 であると 3 心 はれる。 寧ろ 無意味に 笑ったり、 泣いたり する こと C- 「生理的 效 ra^J  0 方 

が實は 大衆 舰客 のみなら す 演劇 會社 幹部の 人達の 無意識の 主要 目的で あるの かも 知れない。 さう 

だとす ると、 かう し た 芝居 に 見皇 ひ の 藝術 批評 など を 試みる の は實 に 愚な ことで ある。 

それで、 よく 考 へて 見る と、 少 くも 肉 分の 近頃の 芝居 見物 は、 實 はさう した 生理的 效果を 主要 


384 


稿 畫由自 


な 目的と して ゐる やうで ある。 そ Q 點では 按摩 をと つたり ヅ ー シ ュ を 浴びたり する のと 全く 同等 

ではない かと 思 はれて 來 るので ある。 

ことによると、 かう した 芝居の 觀 客の 九十 % 位まで は、 肉 分で は 意識して ゐ なくと も 實は矢 張 

さう した 精; t 的 マ ッ サ ーヂ〇 生理的 效梨を 目 あてに して 出かける ので はない かとい ふ 疑 も 起こし 

得られる。 

十七 何故 泣く か 

芝居 を 見て ゐ ると 近所 Q 座席に 居る 婦人 達の 多 數が實 によく 泣く、 それから 男 も 泣く、 泣き さ 

う もない やうな 逞 ましい 大男で 却つ て 女よりも 見事に よく 泣く の も ある。 

これ 等の 觀客は 多分 かう して 泣きたい 爲に忙 がしい 中 を 繰 合 はせ、 乏しい 小 使錢を 都合して 入 

場して ゐる ものと 思 はれる。 かう して 芝居 を 見ながら 泣く とい ふこと は、 それ 程に 望ましい 本能 

的 生理的 欲求で あるら しい。 

人間 は 何故 泣く か、 泣く と は 何 を 意味す るか。 「悲しぃから泣く」 とぃふ普通の解釋は丸で^^ 

ではない 迄も决 して 本當 ではない やうで ある。 


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「泣く  I とい ふこと は淚を 流して 顏 面の 筋に 或 特定の 牧縮を 起こす ことで あると 假定 し. さう 

した 動作に 伴 ふ 感情 を 「悲しい」 と 名 づける とすると、 「泣く」 と 「悲しい」 との 間の 因果 關係は 

寧ろ 普通に 云 ふのと 逆になる かも 知れない。 、 

「悲しい から」 と 云 ふ を 「悲しむべき 事情が 身邊に 迫った から」 とい ふ 意味に 解釋 する、 例 

へ ば 自身に 最も 親しい 者が 非業の死 をと げたから とい ふ 風に 理解す ると、 それ は 健かに 泣く こと 

の 一つの 條 件に はなる が、 それだけ では 泣く 爲の 必要 條件は 決して 揃 はない ので ある。 例へば、 

或 書物に 引用され た實 例に 據 ると、 或醫者 は、 街 上で 輕 かれた 十 歳になる 我 子の 瀕死の 狀態を 見 

ても淚 一滴 こぼさす、 應 急の 手當に 全力 を 注いだ。 數 時間 後に 絕 命した 後に も 未だ 淚は 見せな か 

つた。 少時して 後に その子の 母から、 その 日の 朝 その子 供 0 した 或る 可愛い 行動に ついて 聞かさ 

れた ときに 始めて 流涕 した さう である。 これと 似た 經験は 恐らく 多數の 人が もち 合 はせ て ゐるこ 

と、 m 心 はれる。 

テ 一一 ス ン の 詩 「プリン セ ス」 に 「戰士 の 亡骸が 搬び 込まれた の を 見ても 彼女 は氣絕 もせす 泣き 

もしなかった ので、 侍女 逹は、 これで は 公 主の 命が 危 いと 云った、 その 時 九, 十 歳の 老^ 母が 戰士 

の 子 を 連れて 來て そっと 彼女の 膝に 抱き のせた、 すると、 夏の 夕立の やうに 淚が 降って 來た」 と 


386 


TlnJ^ 由 自 


いふ くだりが ある。 

以下 は 或 男の 吿白 である。 

「自分が 若くて 妻 を 亡った とき も.、 ちっとも 淚 なんか 出なかった。 唯 非常に 緊張した やうな 氣 

持であった。 親戚の 婦人 達が 自由自在に 泣ける のが 不思議な 氣 がした。 遣骸を 郊外 山腹に ある 先 

祖代々 の 墓地に 葬った 後、 生ま/ \ しい 土饅頭の 前に 假の 祭壇 をし つらへ 祌官が 簡単な のりと を 

あげた。 自分 は 二 歳になる 遣兒を 膝に のせた ま \ 腰 を かけて そのの りと を 聞いて ゐた ときに、 今 

迄 吹き荒れて ゐた 風が 突然 贝 いだかの やうに 世の中が 靜寂 になり さう して 異常に 美しくな つた や 

うな 氣 がした。 山の 樹立 も 墓地から 見下される 麓の 田 圜も折 柄 夕暮の .SQ 光に 照され て、 いつも 

見馴れた 景色が 曾て 見た ことのない 異様な 美し さに 輝く やうな 氣 がした。 さう して その やうな. 1!^ 

の 光の 下に 無心の 母な き 子 を 抱いて 俯向いて ゐる 自分自身の 姿 を はっきり 客觀 した、 その 膝 間に 

思 ひも かけす 熱い 淚が 湧く やうに 流れ出した c」 

フランス 映畫 「居酒屋」 でも 淪 落の 女が 親切な 男に 救 はれて 一 皿の 粥 をす. - つて 眠った 後に は 

じめ て 永い 間 涸れて ゐた淚 を 流す 場面が ある。 r 勸進 帳」 で 辨慶が 泣く ので も 絡 S 結 命の 危機 を 

跪した あとで ある。 


387 


こんな. 效 例から 見る と、 かう した 種類の 淚は 異常な 不快な 緊張が 持繽 した 後に それが 漸く 弛緩 

し 始める 際に 流れ出す ものら しい。 

嬉し 泣きで も同樣 である。 大抵 死んだ であらう と 思 はれて ゐた 息子が 無事に 歸 つたと か、 それ 

程で なくと も、 心配して ゐた 子供の 入學 試験が うまく 通った とい ふので も 矢 張 緊張 0 弛む 瞬間に 

淚が 出る ので ある。 

頑^ 親爺が 不孝 息子 を 折檻 するとき でも、 こらへ , —た 怒り を 動作に 移して なぐり 付ける 瞬間 

に 不覺 の淚を ぼろく とこ ぼす ので ある。 これに は 勿論 子 を憐み 叉 自分 を 憐む複 雜な心 理が 伴つ 

てはゐ るが、 讲し 兎も角も さう した 直接 行 によって 愤 怒の 緊張ば 綏 和され、 さう して. GL 己 を 客 

觀 する ことの 出來る だけに 餘裕の ある 狀 態に 移って 行く ので ある。 さう して 可愛い 我 子 を 折檻し 

なけれ はならない 我 身の 悲運 を客觀 するとき に はじめて 泣く ことが 出來 るら しい。 

芥川龍之介 G 小" i に 次の やうな 例が ある。 

山 逬のト a ッ コ にう つかり.;^ つた子 佻が 遠く 迄 はこばれた 後に 車から 降ろされ 唯 一 人取殘 され 

て 急に 心細くな り、 夢中に なって 家路 を さして 一 散に 驅け 出す。 泣 出し さう に はなる が 一 牛: 懸命 

だから 3 わ ふやう に は 泣けない、 た 鼻 をく う/ \ 鳴らす だけであった。 やっと 我家に 飛込む と 同 


388 


ね〕 里: 由 0 


時に わつ と 泣 出し て 止め 度 もな く 泣き つ ける Q である。 

小さな 子が 道で 顚んで 鼯ゃ掌 をす りむいても、 人が 見て ゐな いと 容易に は 泣かない、 誰か 見 

付けて いた はると はじめて 泣 出す、 それが 母親な ど だと 泣き 方が 一 層 烈しい。 

大人で も 色々 な 不仕合 を主觀 して 苦しんで 居る 間 は 中々 泣けない が、 不幸な 自分 を 容觀し 憐れ 

む 態度が とれる やうに なって 初め て 泣く こ とが 許さ れる やうで ある。 

かう いふ 風に 考 へて くると 流涕 して 泣く とい ふ 動作に は 常に 最も 不快 不安な 緊張の 絶頂から Q 

解放と いふ、 消極的で は あるが 鬼に 角 一種 0 快感が 伴って ゐて、 それが 了 道の 暗流の やうに 感情 

の 底 層 を 流れて ゐ る やう に 思 はれる。 

嬉しい 事 は、 嬉しくな いこと 0 鑌 いた 後に 來て はじめて 嬉し さ を 十分に 發撣 する。 この やうに、 

遂げられなかった 欲望が やっと 遂げられた とき Q 狂喜と、 底な しの 絶望の 闇に 一道の 希望の 微光 

がさし はじめた 膝 間の 慟哭と は 一 見 f ー關係 0 やうで あるが、 實は 一 つの 階段の 上層と 下層と に 配 

列され るべ きも Q ではない かと 思 はれ る。 

• こ Q 流涕の 快感 は 多くの場合に 純 粹に诛 ふこと が 困難で ある。 その 泣く ことの 原因 は 普通. H: 分 

の 利害と: a 接に 結び付いて ゐ るので あるから、 最大 緊張の 弛緩から 來る淚 の 中から、 もうす ぐに 


389 


现 在の 悲境に 處 する 對 策の 分別が 頭 を 擡げて 來 るから、 折角 出かけた 淚 とそれ に 伴 ふ 快感と はす 

ぐに 牽制され てし ま はなければ ならない。 

さう いふ 牽制 を 受ける 心配な しに、 泣く ことの 快感 だけ を 存分に 味 ふ爲の 最も 便利な 方法が 卽 

ち 芝居、 特に 所謂 大甘 物の 通俗 劇 を 見物す る ことで ある。 釗 中の 人物に 自己 を 投射し 或は 主人公 

を 自分に 投入す る ことによって、 その 劇中 人物が 實 際の 場合に 經驗 する であらう ところの 緊張と 

それに 次いで 米る やうに 設計され た 弛緩と を如實 に體驗 すると 同等の 效 rai^ を滿 喫して 淚を 流し は 

なをす、 る、 と 同時に 泣く ことの 快感に 浸る ので ある。 しかも この場合 劇中 人物の あらゆる 事件 

葛藤 は觀客 自身の 利害と 感情的 に は 鬼に 角 事實的 に 何の 交涉も ない ので あるから、 淚 Q 中から 顏 

を 出して 來る やうな 將來 への 不安 も 心配 も 何もない ので ある。 換言すれば、 泣く ことの 快 樂を最 

も 純粹な る 形に 於て 享樂す るので ある。 

この 享樂を 一 層純粹 ならしめ る 爲には 芝居の筋 など は 寧ろなる ベく 簡單な 方が い" らしい。 深 

刻な モラ ー ルゃフ イロ ゾ フィ ー などの:; 樂 味が 利き 過ぎて、 大に考 へさせられたり ひどく 感心 させ 

られ たりす る やう だと、 大腦 皮質の 餘 計な 部分の 活動に 牽制され て、 泣く こと Q 純粹 さが 害 はれ 

る ことになる。 さう した 藝術 的に 高等な 芝居が、 生理的 享樂 の爲に 泣きに 行く 觀容に 評判 Q わる 


390 


由 自 


い G は 極めて 當然な ことで あらう と 思 ふ。 

原 因 は 少しも 分らなくても さも 可笑し さう に 笑って居る 人 を 見れば 自分 も 笑 ひたくな ると 同樣 

に、 上手な 俳優が 身 も 世 も あられれ と 云った やうな 悲しみの 淚を しぼって 見せれば、 元來 泣く や 

うに 準備の 調って 居る 觀 客の 淚腺 は猶豫 なく 過剩 分泌 を 開始す るので あって、 云はビ 相撲 を 見て 

ゐ ると 不知 不識 握り拳 を 堅く する のとよ く 似た 現象で あらう と 想像され る。 その上に 少し ばかり 

泣く 爲に 有效な 心理的な 機構が 附 加され て ゐ れば效 ra^ は それだけで 十分で あって、 前後 を 通じて 

の 筋の 論理的の つながり など は 大した 問題に はならない 0 である。 かう いふ 見方から すれば、 藝 

術 的な 高級 演劇が さっぱり 商賣に ならないで 藝術 など は 相手に しない 演劇 會社 社長 Q 打つ 甘い 新 

派 劇な どが 滿員を つ 2.- ける C が 不思議で なくな る やうで ある。 

!^!は變るが、 日本で は 昔から 「もの 上 S れ」 とい ふこと が 色々 な藝 術の 指導原理 か 骨髓か 或は 

少 くも 藥味 乃至 ビタミンの 如き ものであると 考 へられて ゐた。 西洋で も ラスキン など は 「一抹の 

悲哀 を 含まない ものに 眞 0 美 はあり 得ない」 と 一 K つた さう である。 これから 考 へても 悲哀と いふ 

こ と 自身 は 決し て 厭 は しい 恐るべき こ と で はなくて 却 つ て 多く の 人間 の 自然に 本能 的 に 欲求す る 

ものである こ とが 推測 さ れ る。 唯 悲哀 に 隨 伴す る 現實的 利害 關 係が 迷惑な Q である。 


391 


悲しくない 泣き 方 も 色々 ある。 あんまり 可笑しくて 笑 ひこ けても 淚が 出る が、 笑 ふ Q と 泣く の 

は元來 紙一重 だから これ は當然 である。 併し 感情的で ない 泣き 方 も 色々 あるので あって、 その 一 

特列 として は、 疲れたと きに 欠 仲 をす ると 淚が 出る。 欠伸 を するとき の 吾々 の顏は 手ば なしで 泣 

きわめく 時の 顏と 可也まで よく 似て ゐる。 噓と ふ 人 は 鏡 を 見ながら 比較して みれば 分る。 この 

欠 仲と いふの が 矢 張 緊張から 弛緩 へ 移る ときに 起る 生理的 現象で あって、 兎に角 額面 を ゆがめ、 

聲は 出さなくても 呼氣を 長く つき出し、 さう して ほろ/ \淚 を こぼす ので ある。 さう してさん ざ 

ん欠仲 をした あと Q さつば りした 氣持 も大に 泣いた あとのす がくしい 心地と 何處か 似て ゐるゃ 

うで ある。 それ だから、 上手の 芝居 を 見て 泣く Q も、 下手の 芝居 を 見て 欠伸 をす るの も 生理的に 

は唯少 しのち が ひか もしれ ない と 思 はれ る。 

眼に 煙が は ひった とき や、 山獎の 利き 過ぎた すし を 食った ときに こぼす 淚 など は 上記の ものと 

は 少し 趣 を 異にする やうで ある。 それから 又、 胃の 洗 維 をす ると 云って 長い ゴム 管 を 咽喉から 無 

理に押 込まれた とき、 鼻汁と 一 緒に 他愛なく こぼれる 淚に 到って は眞に 沙汰の 限で ある。 

併し こんな 純 生理的な 淚 でも、 义 悲しくて 出る 淚 でも、 あれが 出ない と、 何 かしら ひどく いけ 

ない 惡效 ra^ が 吾々 の 身 體の全 機構の 何處 かに 現 はれる 恐れが ある、 それ を あの やうに 淚を とぼす 


392 


稿 畫由自 


ことによって 救助し 緩和す る やうな 仕掛に なって ゐ るので はない かとい ふ 疑が 起る。 云 は 2^ 高壓 

签の 安全瓣の やうに 適當な 瞬間に 淚 腺の 分泌物 を 噴出して 何 かの 危險を 防止す るので はない か、 

さう でない とどう も淚 Q 科學的 意義が 吞み 込めない。 

或 通俗な 書物に よ る と、 甲狀腺 の 活動が 旺盛な 時期に は 性的 刺戟に 對 する 感度が 高ま る と 同時 

にあら ゆる 情緒 的な 刺戟に も 敏感に なり、 つまり 泣き 易く もなる さう である。 靑 春の 男女の よく 

泣く の は その 爲 かと 思 はれる。 併し 非常に 年を取った 婆さんな どが 御馳走 を 食 ふとき に 鼻汁ば か 

りか 淚 まで 流す の は あれ はどうい ふの だか 聊か 祌祕 的で ある。 

人間 以外の 動物で 「泣く」 のが あるか どうか。 日 本で は 馬が 泣く, 話が ある。 ダ ー ゥヰン は 象 其 

他 若干 Q 獸が 泣く と 主張した がその 說は 確認され て は 居ない さう である。 兎も角も 明白に 正眞正 

銘に 「泣き」 叉 「笑 ふ」 の は 大體に 於て 人間の 特權 であるら しいから、 吾々 はこの 特權を 最も 有 

效に 使用す る やうに 注意したい ものである。 併し 叉 これが 人間の 仕事のう ちで 一番 六 かしい こと 

の やうに も 33 はれる。  . 

十八 「笑 ふ」 と 「泣く」 と 


393 


十餘年 前に 「笑」 と 題す る 隨筆を 書いた ことがあって、 その 中で、 緊張から 弛緩に 移る 際に 發 

生す る 笑の 現象に 就いて 若干の 素人 考へを 述べた のであった。 今度 前項で 「泣く」 現象 發生條 

件と して 矢 張 緊張から 弛緩への 過渡 を擧 げたので あるから、 これ だけ だと 笑 ふ も 泣く も 一 つの も 

の、 やうに 思 はれる。 實際 子供 や ヒステリックな 婦人な どの 場合で は、 泣いて ゐ るかと 思 ふと 笑 

つて ゐて、 どちら だか 分らない 場合が 多い し、 叉 正常な 大人で も歡樂 極まって 哀情 を 生じたり、 

愁歎の 場合に _J ^外つ まらぬ 事で 笑 ひ 出す やうな 一 見 不思議な 現象が 厦、、 見ら る \ の では あるが、 

併し 鬼に 角 泣く と 笑 ふので は 何 かしら はっきりした 區刖の ある こと は 明白で ある。 それなら こ Q 

二つが その 發生條 件に 關 して どれ だけち がふ かとい ふ, ことが 問題になる。 本當 のこと は 自分 な ど 

に は 分らない が、 たビ 現在での 自分の 素人 考 へに 據 ると、 最初の 緊張 狀 態の 質的の 差別に よって 

泣く と 笑 ふとの 分岐 點が 決定され る やうに 3^ はれる。 

極めて 大ざっぱに 考 へて 見る と、 當 初の 緊張が 主として 理知的で あり 或は 道德 的で ある 場合に 

は 笑 を 招致し 易く、 之に 反して 緊張が 情緒 的义は 本能 的で ある 場合に 泣く 方に 推移し 易い ので は 

ないかと 思 はれる。 

火山 鳴動して 一 鼠が 飛び出し たと 云った やうな ときの 笑 は 理知的で. あり、 校長 先生の 時なら ぬ 


394 


稿 畫由自 


くしゃめ が 生徒の 間に 呼 起す 笑な どに は道德 的の 色彩が ある. - 喜 怒 愛憎の 高潮に 伴 ふ淚は 理知 や 

道德 など 、 は關係 の 薄い 情緒 的 の ものであるが、 哀別 離苦 の 焦心 〇 淚に は餘程 本能 的な も が ぁ 

つて、 純粹な 肉體の 苦痛に よる も P と 可也まで 相 通す る ものが ありさう に 2 め はれる。 

いづれ にしても、 笑 ふ 前と 泣く 前と では 緊張の 爲に 特殊の 活動 を 生す る腦の 部分が 少しば かり 

位置 を 異にして ゐる C ではない かと 思 はれる が、 倂 しそ Q 活動の 化學的 物理的 性質 は 略 同種類の 

も Q らしく 想像され る C それで、 その 活動に 次いで 起る 生理的な 表情 も 本質的に は 可也に よく 似 

た 笑 ひと 泣きの 形式 をと つて 現 はれる ので はない か。 

AJ んな 穴.^ 想が 色々 起こし 5£ られ るが、 倂し、 笑って ゐる ときと 泣いて 居る ときと で大腦 皮質 其 

他 0 中樞に 於け る化學 成分 ゃィォ ン濃 度の 變化 など を實驗 する 事 は 困難で あらう し、 されば と 云 

つて 泣き も 笑 ひもし ない 猫 や 犬で 試驗 する 譯 にも 行かない。 

それ は 兎に角、 自分が 泣いて ゐる とき、 叉 笑 ひこけ てゐ ると き、 少しば かり 氣を かへ て 泣く こ 

と 笑 ふこと の 生理的 意義 を考 へ て 見る の も 全く 無駄な ことで はない かも 知れな いと 思 ふので、 物 

好きな 讀 者に 稀に はさう した 實驗を 試みる こと をす、 め 度い と 思 ふ。 (昭和 十 年 五月、 中央 公論) 


395 


箱 根 熱海バ ス 紀行 


朝食の 食卓で 偶然 箱极 行の 話が 持上がって、 火急ぎ で 支度 をして 東京 驛 にかけ つけ、 九 時 五十 

五分の 網 代行に 間に合った。 二月 顷 から、 一度 子供連れで 埶 (海へ でも 行って 見ようと 云って ゐた 

が、 日曜と いふと: 大 氣が惡 かったり、 :大氣 がい、 と 思 ふと 吃 度 何 かしら 差 障りが あって、 とうと 

う 四月 廿日の 今日 Q 日^まで この さ、 やかな 欲望 を 3^ たす 機.^ がなかった。 實に琪 末な 事柄で は 

あるが、 これ だけで もま、 にならぬ 人 *1 とい ふ 十; I い 標語の 眞實 性を證 する 爲 0 一例に はなる ので 

ある。 日曜に: 大氣 のい、 とい ふ 確率、 家族の 甲乙丙の 銘々 が 暇 だとい ふ 三つの 確率、 こ 0 四つが 

それ/^ニ分〇 一 づ 、だとしても、 十六 分の 一し か 都合の い 、日の 確率 はない 譯 であるから、 統 

計 的に 云 へ ば、 思 立って から 平均 十六 週 卽ち約 四 ヶ月 待たなければ ならなかった としても 大して 

不思議 はない 勘定で ある。 


396 


行 紀スバ 海 熱拫箱 


執 一海 はもう 櫻 も あるまい から いっそ 箱 根の 方が い 、だら うとい ふこと になった。 i 和 根 は 一 一十 年 

も 昔 水壶關 係の 用 向で 小 W 原へ 行った 序に 半日の 暇 を 盗んで 小 浦 谷 迄 行った と、 去年の 春 長 尾 

峠 迄 足 を 使 はない 遠足 會の 仲間 入力 をした 外に は 殆ど 馴染の ない 土地で ある。 それて 今度 は 未見 

の 箱 根 町まで 行 つて 湖畔で 晝飯 でも 食って 來 ようとい ふこと になった。 .H: 分 達 の 外出に は 兎角 食 

ふこと が重耍 な 目的の 一 つに なって ゐる やうで ある。 

東京 驛發の 電車 は 3 心 C 外餘り 込まなかった。 橫濱で 下りた 子供連れの 客 は大柢 博覽會 行きら し 

かった 。大船 近く Q 土 堤の 櫻 はもう すっかり 靑葉 になって をり、 將來の 曰本ハ リウ ー ド映畫 都市 

も 今では まだ 野良犬 Q 遊 場所の やうに 見受けられた。 茅 ケ崎驛 の 西 Q 線路 脇に チュ ー リップば か 

り唤 揃った 畑が 見えた。 つ い 先日 バ ラ の 苗 や 力 ン ナの 球根 を 注文す る爲に E 錄を 調べた ときに 所 

在 をた しかめて おいた 某 農園が 此處 だと 分かった。 つまらない 「發 見」 であるが、 文字 だけで 得 

た 知識に 相 常す る實 物に めぐり 合 ふことの 喜び は、 大小の 差 はあって も 質 は 同じ やうな ものら し 

い。 子供 等 もこの 發 見に ひどく 與味を 感じて、 歸路 にもう 一遍よ く 見定めようと いふ ことに 衆議 

一. 決した。 

國府津 と 小 原の 中間に 「雀の 宮」 とい ふ驛 があった やう だと 子供達に 話して ゐ たら、 . 國府津 


397 


驛の揭 示 板 を 見て 居た 子供の 一 人から それ は 「鴨の 宮」 だとい ふ 正誤 を 申込 まれた。 その子 供の 

話に よると 、「ワシントン」 とい ふ 靴屋 を間逮 へて 「ナボレ オン」 と 云った 友達が ゐる さう である。 

併し 雀と 鴨で は 少し 大きさが 遠 ひ 過ぎる と 云って 笑った。 雀の 宮は 日光の 近くに あつたの である。 

小 田 原で は バスが 待って 居た が、 箱 根 町 行 は滿员 なので 穴 S 席の あった 小 涌 谷 行に 乘 込んだ。 湯 

本 迄の 道路 は 立派な ドライ ヴゥニ I である。 小 W 原 征伐 當 時の 秀吉に 見せて やり 度かった とい ふ 

氣も した。 塔の 澤 あたりから は ぼつく 撄が 見え 出した。 山樱も あるが、 東京 邊 のと は 少し 違つ 

た 種類の 楔 も あるら しい。 關東 地震 や 北 伊豆 地震のと きに 崩れ 損じたら しい 創痕が 到處の 山腹に 

今でも まだ 生ま, \ しく 殘 ってゐ て 何となく 痛々 しい。 

宫の 下で 下りて 少時 待って ゐる うちに、 次の 箱极町 行が 來 たが、 これ も滿 he; で 座席がない らし 

いので 躊 躍して ゐ たら、 待合 所の 乘客 係が 氣を 利かして 居 合 はせ たハ ィャ ー を 別に 仕立て &バ ス 

代用に 提供して くれた。 のろい 人間 もた まに 得 をす る ことがあ るので ある。 小 涌谷遶 け 櫻が 滿開 

で 遊山の, H 動 車が 輻湊 して 交通 困難であった。 たった 一 臺 交通規則 を 無視した 車が 居た ため 數十 

臺が 迷惑 するとい ふの がかう いふ 場合の 通則で ある。 「クラブ 洗 粉」 の 族 を 立てた 車 も 幾 臺かゐ 

た。 享樂 しながら 商 一貢の 宜傳 になる 0 は 能率の ivk ことで ある。 


398 


行紀 ス バ海熱 根 箱 


この 邊の 山に は 他所の 多くの 山の 概念と は 少しば かりちが つた 色々 の特徵 があって 面白い。 極 

く 古い 消火 山と 新しい 活火山との 屮間 物と 云った やうな 氣の する 山で ある。 形態が 火山の やうで、 

しかも 大部分 植物で 蔽 はれて 居る。, 併し その 植物界の;, 「社 會狀 態」 が 火山で ない 山と は 大分 様子 

が 違って ゐる らしく 見える。 植物 社會舉 者に でも これに 關 する 詳しい 解說を 聞いて 見たい もので 

ある a 

元 箱 根 町で 又 自動車が つかへ て 動か なくなった。 向 ふから 妙な 行列が 來る。 箱根觀 光博 覽,^ : の 

大名行列 ださう である。 挾 箱 や 鳥 毛の 搶を押 立て 、舞踊しながら 練り歩く 百年 前の 姿 をした 「サ 

ムラ ヒ 日本」 の 行進の 爲に r モダ, 'ン nl 本」 の 自由主義 を 代表す る .B: 動 車の流れが 堰き 留められ 

てし まった ので ある。 靑年團 の 人達と 警官 の 扱 ひで 渐 くこ の 時なら ぬ 關所を 通拔け て 箱 根 町 に 人 

つた。  . 

流石に 山 は 山 だけに 風が 強く、 湖水に は 白波が 立って、 空に は 雲の 往来が 早い。 遊 覽船は 寒さ 

うだから 割愛す る ことにした。 

ホテルの 食堂へ は ひって 見る と、 すぐ 向 ふの 席に 有名な 某音樂 家の 家族連れが ゐる。 音 樂家は 

ボ I ィを 呼んで 勘定 を 命じながら 內 かくしから 衹 入を搜 つて その 中から 紙幣の たば を 引出した。 


399 


十 II 札が 二三 十 枚 も ありさう である。 それ を 眼の 高さに 三十 耱の處 迄 持って来て、 さて 器用な 手 

つき をして ばらく と數へ て 見せた。 自分 逢 は 半ば 羨ましく 半ば 感心して それ を 眺めた ことで あ 

つた。 食堂の ガラス 窓越しに 見える 水邊の 芝生に 大名行列 0 ー國 が辨當 をつ かって 居る のが 見え 

る" 揃 ひ 0 水色の 衣裳に 粗製の 扠 かつら を 冠った 伴 奴の 速屮が 車座に あぐらをかいて しきりに 折 

詰 を あさって ゐる。 卷煙草 を 吹かして ゐ るの も あれば、 かつら を氣 にして 何遍も 拔 いたり 冠った 

りして ゐ るの も ある。 

埶ー 行 の バスが 出る とい ふので 乘 つて 兑る ことにした。 岭へ 上って 行く 途中 の 新道からの 湖上 

の 眺め は 誠に 女 車掌の 說 明の 如く 又な く 美しい ものである。 昔の 東海道の 杉並木の 名殘 が、 蛇 

行す る. IL 動 車 近路 を 直線 的に 切って 居る のが 面. H い。 平野で はこれ と 反 對に舊 道の 曲線 を 新道の 

直線で 切って 居る 場合が 多い ので ある。 人間の 足と 自動車と では 器械が ちが ふだけ に 「道路の 科 

舉」 もまた- 1 迷った 解答 を與 へる ので あらう。 

航 ぉ:氣象 觀測 所と 無線, m 信 局と がま だ れの 山上に 相對 立して 航 時代の 關 守の 役 をつ とめ 

てゐ る。 この 邊の 山の 肌に は 伊豆 地震の 名殘 らしい 地割れの 痕が處 々にあり,, (\ と 見える。 これ 

を 見て ゐ ると 當 時の 地盤の 摇れ 方が 大凡 どんな ものであった かとい ふ 想像が つく やうな 氣 がした。 


400 


行 紀スバ 海 熱拫筘 


地震の あった 昭和 五 年 十 一 月廿- パロから 叫 ハゃ半 近くの 年月が たった のに、 この 大地の 生 創 はま だ 

なか-/ \ 癒 えきらない ので ある。 

十國^ 迄の 自動車 專用 道路からの 眺 51- は 美しく 珍ら しい。 大きな 樹木の ない お蔭で 展望の. E 由 

が 妨げられない Q が此 道路の 一 つの 特微 であらう。 右 を 兌る と^ 豆 Q 國と いふ もの、 大きさが ぼ 

ん やり 分かる やうで あり、 左 を 見下ろす と 箱 根 山の 高さの 大凡 0 概念が 確定す る やうな 氣 がする- 

女 車掌が 蟋蟀の やうな 聲で 左右の 勝景 を 紹介し、 盜人 廐の 昔話 を 暗誦す る。 一とく さり 述べ 終る 

と 安心して 向 ふ をむ いて 鼻 を ほじく つて ゐ るの が 憐れで あった。 十國^ の 無線 塔 へ ぞろ/ \ と 階 

段 を 登って 行く 人の 群 は 何となく 長閑に: えた。 

熱 海へ 下る 九十 九折 Q ピ ン へ ッ ド 曲路で は 車體の 傾く 度に 乘合 0 村壤 Q 一  團 からけ た、 ましい 

嬌聲 が爆發 した。 氣壓 の" 1! ^鍵で 鼓膜 を應 迫され るの を かま はないで 居たら、 埶 一海 海岸で 車 を 下り 

て 見る と 耳が ひどく 遠くな つて ゐ るのに 氣が ついた。 いくら 唾を吞 込んで 見ても 直らない。 人の 

物い ふ聲が 遠方に 聞 こ える 代りに 自分の |§:5| が 妙に 耳に ii つて 響く ので、 何となく 心細くな つてし 

まった。 

埶 海 は 自分に は 隨分思 出の 多い 土地で ある。 明治十九年に兩親と祖母に伴はれて東^^道を下っ 


401 


たと きに、 途中で 祖母が 不時の 腹痛 を 起こした ために 豫 定を變 へて 吉濱で 一  た. - ひどい 雨風 

の 晩で 磯 打つ 波の音が 枕忙 響いて 恐ろしかった のが 九歲 C 幼な 心に も 忘れ 難く 深い 印 >^ をと め 

た。 それから 埶.; 海へ 來て大 湯の 前の 宿屋で 四 五日 滞在した 後に、 山 駕籠 を 速ね て 三 島へ 越えた。 

埶 一海 滞在中 漁船に 乘 つ て 魚 見 崎 の 邊で魚 を 釣 つ て ゐ たら 大きな 海鰻が か、 つたこと、 こ れを船 上 

で 煮て 食 は さ れ たが 氣 味が, 惡く て 食 はれなかった やうな こ と など を 夢 Q やう に覺 えて ゐる。 東京 

から 遙々 見送って 来た 安兵衛と いふ 男が、 宿屋で 毎日 朝から 酒ば かり 飲んで 居て、 醉 つて 來 ると 

箸で 皿 を 叩きながら 「ノ ムダ イシ、 一升 五合」 (南無 大師 遍照 金剛) とい ふの を 繰返しく 唱 へた 

こと も 想 ひ 出す。 考へ て兑 ると それ はもう 五十 年の 昔で ある。 

三十 年 程 前に は H 博士の 助手と して、 火 湯 間 欲 泉の 物理的 調 茶に 來て 一週間 位 滞在した。 j 晝 

夜に 五六 囘の 噴.. H を、 色々 な 器械 を 使って 觀 測す るので あるが、 一 囘の喷 出^ 約 二 時間 も か、 る 

上に 噴. m 前の 準 倫が あり 噴出 後の 始末 も あるので、 夜 もお ち 安眠 は出來 なかった。 自然の 不 

可 思議な 機構 を 捜る 喜びと、 本能の 欲求す る 睡眠 を 抑制す る つら さとが 渾 然と 融和した 形に なつ 

て當 時の 記憶 を 彩 どって ゐる やうで ある。 

その 頃の 熱 海 行き は、 國」 5; 津迄 汽車で 行って 國府津 から 小 田 原迄電 単、 小 田 原から は 人車 鐡道 


402 


行紀 ス バ 海熱极 箱 


と い ふ 珍ら し い 交通 機關に よるので あった。 立ったら 頭の 閊 へる 箱の 中に 數 人の 客 を のせた の を 

二三 人の 人間が 後押しして 曲折の 多い 山 坂 を 登る、 登る とき は 牛の やうに のろい 代りに、 下り坂 

は 奔馬の 如く スキ ー の 如く 早い ので、 一 一度に 一 度 は 船 暈の やうな 腦 貧血症 狀を 起こした もので あ 

る。. やっと 執 一海の 宿に 着いて 暈の 治り かけた 頃に あの 廢 湯に 入る と义 もう 一 遍輕ぃ 嘔氣を 催した 

やうに 記憶して ゐる。 

無闇に 井戸 を 掘って 熱 泉 を 噴.; H させた 爲に 規則正しい 大 湯の 週期 的 噴泉に 著しい 異 狀を來 した 

とい ふので 縣廳 の 命令で 附近の 新し い 噴泉 井戶を 埋める ことにな つた。 自分 は 官命に よって その 

埋井 工事 を 見學に 行った が、 それ は實に 珍ら しい 見 ものであった C  二三 十 尺の 高さに 噴 上げて 居 

る 水と 蒸氣を 止める 爲に 大勢の 人夫が 骨 を 折って 長 三 間、 直徑ー 一 吋 程の 鐵 管に 砂利 を つめたの を 

や つ と 押し込ん だが 噴泉 の 力で すぐに 下から 噴き 房して しま ふので、 今度 は鐵管 の 中に 鐵棒を 詰 

めて 押し入れたら やっと 噴出が 止まった C その 止まり 方が 又實に 突然で 今迄の 活劇が 丸で 嘘で あ 

つた やうに 思 はれた。 そのと きの 不思議な 氣持 だけ は 今でも はっきり 思 ひ 出す ことが 出来る。 人 

間の 感情の 噴出で もこれ に 似た 現象が ある やうな 氣 がする ので ある。 

U 露戟爭 直後で 負傷者が 大勢 療養に 來てゐ たの は その 時であった かと S 心 ふ。 鄕 里の 中 學の 先輩 


403 


がその 負傷者の 中に 居た のに ひよ つくりめ ぐり 合って 戰爭の 話 を 聞かされ、 戰 ハサと いふ もの 、不 

3 わ 議さを つ くぐ 考 へさせら れた。 

共 後に 乂、 大揚 附近の {4^氣 中の イオン を 計測す る爲に 出張 を 命ぜられて 來た とき は 人車 鐵 道が 

汽車の 輕便鐵 道に 變 つて ゐ たが、 それでも まだ 矢 張 朝 東京 を 出て 夕方 熱 海へ 着く 勘定であった や 

うに 思 ふ。 去ハ牛 はじめてせ 線 電車で 埶 i^i へ 行った とき は 時間の 短縮した 代りに 「昔の 熱 海」 を搜 

すのに 骨が折れた。 大 湯の 近くまで 來て兑 て やっと 追憶の 溫泉 町を發 見した が、 餘 りに 甚 しい 變 

り 方に 呆れて 何となく 落着く 氣 になれ なかった ので、 その ま、 次の 汽車で 引返して 歸 つて 來た。 

今日は 朝の 九 時半 顷家を 出 て 箱 板で 晝飯を 食 つて 二 時に は埶 一海 へ 來た。 さう して 埶 (海 ホテルで 

お茶 を 飲んで 七 時にはもう 宅 へ歸っ て 夕食 を 食って 居た。 九 歳の 時に 人力車で 三日 か、 つ て吉濱 

まで 來 たこと を 考へ合 はせ て兑 ると、 現代の 吾々 は 昔の 人に 比べ て 五倍 も 十倍 も 永生き をす るの 

と 等 だとい ふ 勘定になる かも 知れない。 

熱 海 ホテルの 海に 面した 芝生 は 美しい。 去年 見た 新解釋 「金色 夜叉」 の 芝居で 柳 永 一一郎の 富 山 

がお おの 母と 貫 一 の 絕鎵條 件 を 做 踏みしながら 「二 萬圓 もやり あい、 でせ う」 と 云った あの 舞臺 

面 は 多分 此處を モデルに した ものら しいと 思 は れた。  . 


404 


行紀 ス バ海 熱拫箱 


箱 根 ホテルで は 勘定 を もって 來て くれと 四 五 度 も 賴んで 待ち 草臥れた 頃に やっと 持って来 たの 

であった が、 埶 (海 ホテルの 方で は 未だお 茶 を 飲んで ゐる 最中に 甲斐々 々しい 女給 仕が 横書きの 勘 

定書を もって 來て、 r サ 1- ビ ス卅錢 頂戴し ます」 と 云った。 箱极 Q 山 0 中と 十國 峠を越え た 太平洋 

岸の 執 一海と で、 この 位 文化の 程度と 性質が 違 ふ も Q かと 云って 內證で みんなと 笑った ことで あつ 

た。 

歸 りの 汽車で は 忘れす に 農園の チュ ー リップと、 チュ ー リップ Q 農園の 概觀を 網膜に 寫す こと 

によって 往路 Q 小發見 Q 滿足を 蒸し返し 完成す る こと を 忘れなかった。 

關 八州が 急に 狭くな つた やうな 氣 がして 歸 つて 来たが、 東京 驛 から 駒 込 迄の 馴れた 道筋 は その 

割に 存外 遠い やうな 氣 もした。 

氣 紛れに いつも は 出た ことのない 東京 驛東 n へ 出て そこから 車 を 拾って 歸 つたが、 それだけの 

ちが ひで 東京が いつも Q 東京と 少し 逮 つた 東京の やうに 見えた。 丑 2々0 「未だ 知らない 東京」 は 

無限に 多數 にある らしい。 广 昭和 十 ギ六 =:、 短默 研究) 


405 


隨筆は 3 めった こと を 書き さ へ すれば よいので あるから、 その S 心った ことが どれ 程 他愛の ない こ 

とであって も、 又 その 考が どんなに 間逮 つた 考 あっても、 た 本當 にさう 思った こと を その 通 

り 忠實に 書いて ありさ へ すれば その 隨 華の 隨筆 としての 眞" 1^ 性に は缺陷 はない 害で ある。 それで- 

間違った ことが 書いて あれば、 讀者は それによ つて その 筆者が さう いふ 間違った こと を考 へて ゐ 

ると いふ、 つまらない 事實 では あるが 鬼に 角、 一つの 事實を 認識 すれば それで 濟 むので ある。 國 

定敎科 書の 內容に 間^ ひの ある 場合と は餘程 わけが ちが ふ C ではない かと 思 はれる。 尤も、 所謂 

隨筆 にも 色々 あって、 中には 敎 壇から 見下して 讀者を 敎訓 する やうな 態度で 書かれた もの も あり- 

お 茶 をのみながら 友 途に話 をす る やうな 體 裁の もの も あり、  或は 又 獨り首 乃至 寢 f 目の やうな も Q 

も あるで あらう が、 ?K 令 どうい ふ 形式 をと つた もので あらう とも、 讀者 として は 例へば 自分が 醫 


mmm 


者に なって 一 人 Q 患者の 容態 を 聞きながら そ G 人の 診察 をして ゐる やうな 氣 持で 讀 めば 一番 間逮 

ひがない Q ではない かと 思 はれる。 隨筆 など 書 いて 人に 請んで 貰 はう とい ふ Q は どの 道 何 かしら 

r 訴 へたい」 ところの ある 場合が 冬いで あらう と 思 はれる。  ■ 

少 くも、 A: 分の 場合に は、 いつも た^その 時に 思った こと を その 通りに 書いて ゆく だけで ある 

から、 色々 間遠った, こと を 書いたり、 义 前に 書いた こと、 自家撞着 する やうに 見える こと を平氣 

で 書いたり して 居る 場合が 隨分 多い ことで あらう と 思 はれる。 讀者 C うちに はさう いふ ことに 氣 

がつ いて ゐる人 は 多いで あらう が、 わざ,^ 著者に 手紙 をよ こしたり 或は 人傳 てに 注意 をして く 

れる人 は 存外 極めて 稀で ある。 

つい 先達て r 齒」 Q こと を 書いた 中に 「硬口蓋」 のこと を 3 心 へて 「軟口蓋」 としてあった Q 

を 乎统で 注意して くれた 人が あつたが、 かう 云 ふの は 最も 有難 い 識者で あ る。 

すっと 前 C 話で あるが、 藪柑子 集屮の 「嵐」 とい ふ 小品 Q 中に、 港 內に碗 泊して ゐる船 0 帆柱 

に靑 い 火が 灯って ゐる とい ふ 意味 の こ と を 書 いて ある Q に對し て 、 船舶 の 燈 火に 關 する 取締 規則 

を 詳しく 調べた 結果、 本文の 如き 場合 は 有り得な いとい ふ 結論に^ したから 訂正した らい.^ だら 

うと 云って よこした 人が あった。 併し それ は 訂正し ないで その 儘に してお いた。 こ Q 小品 は氣分 


407 


本位の 夢幻 的な も Q であって、 必 しも 現行の 法令に 準據 しなければ ならない 種類の もので もない 

し、 少 くも 自分 Q 主 觀の寫 生 帳に はちゃん と 靑ぃ燈 火が 檣 頭に か、 つた やうに 描かれて ゐ るから 

仕方がな いと W 心った 0 である。 

去年 の暮に は、 東京の 某 病院 の 翳 員 だ と い ふ讀 者から 次 の やうな 抗議が 來た。 

「(前略) 然る 處續冬 彥集六 A 頁 第二 行に、 『速度の 速い 云々 (速度の 大きい に 非す)』 と 有 之り 

之 は 素人なら 知らぬ 事物 理學 者と して 云 ふべ からざる 過誤と 存じ 候、 次の 版に 於て は必 す御訂 

正 あり 度し 失禮を 顧みす 申 上ぐ る 次第に 御座 候 敬具」 

なる 程、 物理 學 では 速度の 大小と いふの が正當 で、 遲速 をい ふなら ば 蓮 動の 遲 速と でもい はな 

ければ 穩當で ないかと 思 はれる。 それでも しこ れが 物理 學 の 敎科 書か 學術 論文の 中 の 文句で ある 

とすれ ば 當然改 むべ き 害で あるが、 隨筆中 Q 用語と なると 必 しも 間逮 ひとは 云 はれない かも 知れ 

ない。 紺屋のお 挎、 醫者の 不養生と いふ こと も あるが、 物理 Q 學徒 等が 日常お 互に 自由に 話し合 

ふ 場合の W 語に は; „^ 外 合理的で ない ものが 多數 にあって、 問題の 「速度の はやい」 など も その 一 

例で ある。 この場合の 「速度」 は 俗語の 「はやさ」 と 同義であって 術語の ヴニ  口 シティ ー と 同じ 

ではない Q である。 例へば 叉 「のろい 週期」 など、 いふ 言葉 も 平 氣で使 ふが 「長い 週期」 とい ふ 


408 


難筆隨 


よりも 日常 會 話に はこ の 方が 實感が あるから. cr 然に そんな 用^が 出来る Q であらう と 2=- はれる。 

「のろい 振動の 長い 週期」 を 略して 「帝 展」 「震 硏」 流に 云った ものと 思へば 不思議 はない ので 

ある。 從 つて 、「速度の はやい」 など も實 感を强 める 爲の 俗語と して 「速度の 犬なる 卽ち蓮 動の 速 

い」 の 略語と して 通用 を 許しても それが 爲に 物理 學は 何の 損害 を も 受ける 心配 はない かと 思 はれ 

る。 それで、 負惜しみの やうで は あるが、 物理 學を 專攻 する 人間で も、 座談 ゃ隨 筆の 中で はいく 

らか 自由な 用語 の 選擇を 寛容し て 貰 ひたいと 思 ふので ある。 

こ の 抗議 の はがきの 差出人 は 某 病院 外科 醫員 花輪 盛 としてあった。 この 姓名 は 臨時に こしら へ 

たも 0 らし い。 

こ Q 三月に は 叉 次の やうな 端 書が 来た。 

「始めて 貴下の 隨筆 『柿の 種』 を 見初めまして 今 g:5 頁の 鳥 や 魚の 眼の 處へ來 ました、 何でもな 

い 事です。 試に 御 自分の 兩 服の 間に 新聞紙 を 擴げて 前に 突き出して 左右の 眼で 外界 を御覽 にな 

ると 御 疑問が 解決せられ るので す。 御 試み ありた し、 (下略)」 

魚 や 鳥の やうに 人間 Q 兩 眼の 視界が それぐ に 身體の 左右の 側の 前後に 擴 がって ゐた としたら 

吾人の {4- 間觀が どんな ものになる か 一 寸 想像す る ことが 六ケ しいと いふ 意味の こと を 書いた のに 


409 


對 して、 かう いふ 實験 をす \ め られ たので ある。 併し 人間の 兩 眼が 耳の 近所に ついて ゐ ない 限り、 

いくらかう いふ 實驗 をして たと ころで. GT 分の 疑問 は 解けさう もない。 

こ Q 端 書 をよ こした 人 も醫者 ださう である。 以上 Q 外に もこれ 迄 自分の 書いた ものに 就いて 色 

色の 面白い こと を 知らせて くれた 人に は 醫師が 一 番多 いやう である。 矢 張 職掌 柄で 隨筆 を讀 むに 

も 診察 的な 氣 持が あるせ ゐ であらう が、 兎に角 かう い ふ讀者 は 自分 などの 書く やうな 隨 筆に とつ 

て は 一 番 理想的な 讀者 であらう と 思 はれる。 それ だから .E 分 も 患者の 氣持 になって 一 寸だ 、^ を こ 

ねて 見た 次第で ある。  - 

上記の 如き 自由な 氣 持で 讀んで くれる 讀 者と ちがって 自分の 一 番 恐縮す る Q は 小 中學の 先生で、 

教科書に 採錄 された 拙文に 關 して 詳細な 說明を 求められる 方々 である。 

「常 山 花」 と 題す る 小品の 中に ある 「相撲 取 草」 と は 邦語の 學 名で 何に 當 るかと いふ 質問 を受 

けて 闲 つてし まって 一;^ 鄕 C 牧野 富太郞 博士の 敎を 乞うて はじめて それが 「メヒ シバ」 だとい ふこ 

と を 知った。 その後 Q 同様な 質問に 對 して は、 さも/. \ 昔から 知って ゐ たやうな 顏 をして 返答す 

る ことが 出来た。 ところが 或 地方の 小學 校の 先生で、 この 「相撲 取 草」 が 何で あるかと いふ こと 

を 本文の. 2: 容 から 分析 的に 歸納 演鐸 して、 それが どうしても 「メヒ シバ」 でなければ ならない と 


410 


難賴 


いふ 結論に 達した、 その 推理の 徑路を 一冊の 論文に 緩って、 それに この 梳物, 2 腊葉迄 添へ たもの 

を 送って よこされた 人が あって、 すっかり 恐縮して しまった ことがあった。 かうな ると 迂闊に 小 

品 文ゃ隨 筆な ど 書く Q はつ、 しまな け れ ばなら な いとい ふ氣が した のであった。 

或 時 は 义矢張 「花 物語」 の 一節に ある 幼兒 のこと を、 それが 著者の どの 子供で あるかと いふ 質 

問 をよ こした 先生が あった。 そ Q 時 は 餘り立 人った 質問 だと 思った Q でつ い 失禮な 返事 を 出して 

しまった。 理科の 敎科 書なら ば 鬼に 角 多少で も女舉 的な 作品 を兒 童に 讀 ませる 0 に、 それ 程 分析 

的に 煩. 雜な 註解 を 加へ るの は 却って 兒童 Q ために 不利 ハ献 ではない かと 思 ふとい ふやうな こと を 書 

き 送 つた やうな 氣 がする。 こ れは 後で 惡か つたと 思つ た。 

以 上擧 げたやうな 諸 例 は い づ れも 著者 にと つて は 有難 い 親切な 讀 者から Q 反響で あるが 稀に は 

有難くない 手紙 を くれる 人 も ある、 例へば、 昨年で あつたか、 或 未知の 人から 來た 手紙 を 讀んで 

见 ると、 先づ 最初に 自分の 經歴を 述べ、 永年 新聞社の 探訪 係 を 勤めて ゐ たとい ふこと を 書いた あ 

と で 、 小 說家ゃ 戲曲家 はみ ん な何處 かから 種 を 盗んで 来て それ を 元にして, H 分の 原稿 を こしら へ 

るの だが、 自分 は 知名の 文士の 誰々 の 種の 出 所 をち やん と 知って ゐる、 と 云った やうな こと を 逢日 

きなら ベ、 貴下の 隨筆も 必す何 か 種の 出 所が ある だら うとい ふやうな こと を 婉曲に 諷した 後に、 


411 


急に 方向 を 一 轉 して 自分の 生活の 刻下の 窮耿 を描寫 し、 つまり は 若干 Q 助力に 預り 度い とい ふ 結 

論に 到達して ゐ るので あった。 筆跡 も 中々 立派 だし 文章 も 達者で ある。 こんな 手紙よりも その 人 

Q 多年の 探訪 生活の 記 錄をか \ せたら 屹度 面白いで あらう と 思 はれた。 それ は 鬼に 角此人 Q 云 ふ 

通り、 自分な ども 五十 年來 書物から 人間から 自然から こそ/^ 盜み 集めた 種に 少しば かり 尾鰭 を 

つけて 全部 自分で 發 明した か、 母の 胎 I: から 持って 生れて 來 たやうな 顔 をして 書いて ゐ るの は 全 

く  Q 事實 なので ある。 

人から 咎められなくても 自分で も氣が 咎める の は、 一 度何處 かで 書いた やうな 事 をもう 一 度 別 

Q 隨 筆の 中で 書かなければ 工合の 悪い やうな はめに なった 時で ある。 尤も それ 自身で は 同じ 事柄 

で も 前後 の 關係 がちが つて 来れば その 容も 亦ち が つ た 意義 を も つて 來る こと は 可能で あ るが、 

さう いふ 場合で も!: 1: じ讀 者が 見れば 屹度 「叉 か」 と 思 ふに 相 達ない。 

現に 自分で も 他人 G 書いた もの を讀ん でゐて さう いふ 場合に 出逢 ふと 矢 張 一 寸 そんな 氣 がする 

やうで ある。 し考 へて 見る と、 例へば 子供の 時分に 同じお 伽噺を 何遍で も 聞かされた おかげで 

年取って 後まで も覺 えて 居られる が、 桃太郞 でも 猿 蟹合戰 でも、 たった 一度 聞いて 面白い と 思つ 

た 切り だ つ たら 巩„1 らく 疾 の 昔に 綺麗に 忘 れて しまった に 相違な い。 して 見る と本當 に讀ん で 貰 ひ 


412 


難筆隨 


度い と 3 わ ふこと は 矢 張 何遍 か 同じ こ と を 繰返して 色々 の 場所へ 適 當に織 込む のが 著者の 立場から 

は 寧ろ 當然 かも 知れない。 前に 讀んだ ことの ある 讀者 は义 かと 2 心 ふとしても 一 度 讀んだ だけで は 

多分 それ つ 切り 忘れて しまった であらう こと を、 叉 かと 思 ふこと によって 始めて 心に 止める やう 

になる かも 知れない。 0 みならす、 著者の 側で は 同じ こと を 書いた 第 何囘目 かの を 始めて 讀んで 

くれる 人 も 矢 張 あるの で あらう。 かう 考 へ て來 ると 自分な ど は 街頭に 露店 を はつ て 買手 のか、 る 

の を 待って ゐる 露店 商人と 何處 かしら 可也 似た ところが ある やうに も W 心 はれて くるので ある。 

同じ やうな こと を 繰 返す ので も、 中途半端の 繰返し は 鼻に ついて くるが、 そこ を 通り越して 徹 

底 的に 繰返して 居る と、 叉 一種^ Q 面白味が 出て 來る やうで ある。 ジグス とマギ ー の 漫畫の やう 

な もの もさう であり、 お 伽噺ゃ 忠臣 藏ゃ 水戶黄 門の 講談の やうな もの も その 類で ある。 云 は^ 米 

の 飯 や 煙草の やうな ものに なって しま ふの かも 知れない。 さうな つてし まへば、 もう ジャ ー ナリ 

ズ ム的 批評の 圏外に 出て しまって 土に 极を 下ろした ことになる であらう が、 今の ジ ャ-ナ リズ ム 

の 世界で はさう いふ こと は 一 寸 困難な やうに 見える。 

以上 は 自分が 今日までに 感じた 隨筆 難の ありの ま \ の記錄 で、 云 は^ 甚だ 他愛の ない 「筆禍 事 

件」 の 報告と 愚痴の い たづら 書に 過ぎない が、 こんな ことまで 書く やうになる の も 矢 張隨筆 難の 


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一 つで あるか も 知れない ので ある。 (昭和 十: 巾」,、 月、 經濟 往来:) 


414 


感雜畫 映 


映 畫 雜 感 (び > 


一 商船 テナ シティ 

こ のジ ユリアン. デュヴィヴィエ の映畫 は近顷 見た うちで は 最も 好い と 3 心った もの -I つで あ 

る。 何よりも、 フランス 映畫 らしい、 灰汁の 拔 けた 爽 かさが 自分の 嗜好に!^ へて 來る。 

汽 単で ァ ー ヴルに 着いて すつ かり 港町 の 氣分 に 包ま れ る、 あ の 場面 の 色々 な 昔 色 を も つ た 汽$ 山 

の 音、 起重機の 鏈の 音な どの 配列が 實 によく 出 來てゐ て、 本當に 波止場に 寄せる 潮の 句 ひ を 嗅ぐ 

やうな 氣持を 起こさせる。 發 聲映畫 の精髓 をつ かんだ もの だとい ふ氣 がする。 此れと 同じ やうな 

こと を獨 逸人 日本人が やれば 先づ 大抵 は 失敗す るから 妙で ある。 

一 一人の 若者の 出帆 を 見送った ィ ドウ 親爺と テ レ ー ズ. とが 話しながら ,5 千 頭を歸 つて 來ス .。 親爺が 


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「これが 運命と いふ もの ぢゃ」 とい ふ 途端に、 ばつと 二人の 乘 つて 行った 船の 機關窒 が映寫 され 

て、 今まで 廻って ゐたェ ンヂン の クランクが ぴたりと 止まる。 これ 等 は眞似 "勿い 小 技巧で は ある 

が 矢 張 ちょっと 面白い。 

バ ス チア ンとィ ドウと が 水 塊 を 小 汽艇へ 積 込んで ゐる 處へテ レ ー ズが 珈琲の 茶碗 を 持って くる。 

バ ス チア ン がいきな り 女 を 船に 引下ろ してお いて 乇 ー タ I をスタ ー ト する。 さう して 全速力で 走 

り 出す。 スクリ I ンの 面で 船 や 橋 や 起重機が 本: 中に 舞踊し 旋囘 する。 その 前に 二人の 有頂點 にな 

つて はしゃいで ゐる 姿が 映る。 さう した あとで、 テナ シティ Q デッキ Q 上から 「明日 は 出帆 だ」 

と呶 鳴る の をき つかけ に、 畫 面の 情調が 大きな 角度で ぐいと 轉囘 して 湧き上がる やうに 離別の 哀 

愁の 霧が 立ち籠める。 此處の 「やま」 の极 ひも IJf が拔 けて ゐる やうで ある。 灰汁 どく 极 はれて は 

到底 助からぬ やうな 處が、 丁度う まくやれば 最大の 效 2^ を 上げ 得る 處 になる ので ある。 同じ やう 

な 起重機の 空中 舞踊で もい つか 見た 口 シ ァ映畫 では 頭痛と 眩暈 を 催す やうな ものに なって ゐ たや 

うで ある。 

ルネ . クレ ー ル でも デュ ヴ イヴ ィ ヱで も 配役の 選擇が 上手で ある。 いくら 流行 兒のプ レジ ケ ン 

でも、 相手が いつも; :Z じ 相手役で は、 結局 问じ穴 Q ま はり をぐ る/ \ 廻る ことになる であらう。 


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感雜畫 映 


この間 見た 蒲 出映畫 「その 夜の 女」 などで も H 本映畫 として は相當 進歩した もので は あらう が、 

阱し 配役が 餘 りに 定石 的で、 餘 りに 板に つき 過ぎて ゐる爲 に 却つ て 何となく ス テ I ルな糠 味 喰の 

やうな 句 ひがして、 折角の ネオ ,リアリズムの 「ネオ」 が 利かなくなる やうに 感ぜられた。 これ 

は 日本 映畫の 將來の 改善の 爲に 根本的な 問題 を 提供 • する もの だと 思 はれる。  . 

二 實寫映 畫に關 する 希望 

先達て 「北進 日本」 とい ふ實寫 映畫を 見た。 色々 な 點で屮 々よく 出 來てゐ る 面 .01 ぃ映畫 である 

と 3 心 はれた。 唯一 っ甚 しく 不滿に 思 はれた の は、 折角の 實 寫に對 する 說 明の 言葉が 妙に 氣 取り 過 

ぎて 居て、 自分 等の やうな 觀 客に とって 一 番 肝腎の 現實 的な 解說が 省かれて ゐる ことであった。 

例へば 場面が ー轉 して、 g 上から 見た 島山の 美しい 景色が 映寫 された 瞬間に 吾々 の 頭に は 「何 處 

だら う」 とい ふ 疑問が 浮ぶ。 ところが これに 對 する 說 明の 錄音 は氣 取った 調子で 「千島に も 春 は 

來 ました」 とそれ つきり である。 千島の 何 島の ど Q 部分の 海岸 を どの 方向から 見た の だか、 义何 

月 何日 頃の 季節 だか、 さう いふ 點が 全然 わからな いので ある。 同じ やうに、 馴鹿の 群 を 養 ふ 土人 

の 家族が 映寫 されても、 それが 樺 太の 大凡 どの 邊に 住む 何とい ふ 種族の 土人 だか 丸 切り 分らない 


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から、 折角の 印象 を 頭の 中の どの 戸棚に しまって よい か 全く 戶迷ひ を させられる。 

材木の 切 出し 作業 や 製紙工場の 光景で も、 一 寸簡阜 な地圖 でも 途中に 插 人して 具體 的の 位置 所 

在 を 示し 並に 季節 を も 示して くれたら、 興味 も 效能も 幾 層 倍す るで あらう。 然るに、 その 肝腎な 

空間 的 時間 的な 座標軸 を拔 きにして、 徒に 鏢渺 たる 美辭 (?) を 連ねる だけで あるから 折角の 現 

實映畫 の 現實 性が 悉く 拔け てし まって、 たに 御伽話 の 夢の 國の 光景の やうな ものに なって しま ふ 

だけで ある。 

もう 少し 觀客を 子供 极ひ にしないで 大人 极ひ にして 貰 ひ 度い とい ふ氣 がした ことであった。 

こ れと 同じ やうな 不滿 は從來 の鐵道 省の 宣傅 映畫を 見て ゐる うちに も 紙 : 感じた こ とが ある。 

現に 眼前に 映寫 されて ゐる 光景が 觀 客の 知識の 戸棚 Q どの 抽出しに 人れ て い. -か 分らないで、 ラ 

ベ ル のっかな いばら/ \ の斷片 になって しまって なる ので ある。 

同じ やうな ことで あるが、 或る 一 場面と 次の j 場面との 空間 的 關係を 示す やうな 注意が 一 般に 

餘 りに 閑却され 過ぎて ゐる。 キヤ メラが 一町と は 動いて ゐ ない 場合に、 畫面は 何千 里の 遠方に あ 

るか 想像 も出來 ないやうな ひとり 合點の 編輯ぶ り は 不親切で ある。 

無駄な やうで も かう した 實 寫映畫 では 觀 客の 頭の 中へ 空間 的 時間 的な 橋 を かけながら 進行す る 


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感雑畫 映 


やうに 希望した いので ある。 

三 誤解され たト. 1 キ- 

ト ー  キ ー は 物 を 云  ふ映畫 だからと 云っても、  何も 無闇に 物 を 云 はせ る必耍 はない。 この こと は 

ト ー キ ー が發 明され てから 後に 間もなく 發 見され た 平凡な 眞理 である。 併し、 この ことが 未だ 今 

日 で も發 聲映畫 製作者に 十分 に は 理解 さ れて 居ない ので はない かと 思 はれる ことが 厘、、 ある。 

ァ メリ カ映畫 でも、 言葉の よく 分らぬ 吾々 に はどう も餘り 饒舌り 過ぎて うるさく 感ぜられる こ 

とが 多い が、 これ は 止む を 得ない かも 知れない。 兎に角 ジミ ー 二ァュ ラント を 聞いて 居る と 頭が 

痛くなる だけで ちっとも 可笑し くないが、 餘り燒 舌らない フィ ー ルヅゃ 口,' レル、 ハ ー ディの 方 

-は樂 しめる G 

「雁來 紅」 とい ふ 奇妙な 映畫 て、 臺灣の 物 產會社 Q 東京 ま 店の 支配人が、 上京した 肚長を これ 

から 迎へ ると いふので 事務室で 事務 成 鑌報吿 の豫行 演習 を やる 處が ある C 自分の 椅子に 社長 を 坐 

らせ たつ もりに して、 その 前に 帳簿 を 並べて 說 明と 御世 辭の豫 習 をす る C それが 大きな 聲 で滔々 

と 辯 じ 立てる のでち つと も 可笑しくなくて 不愉快で ある。 これが、 もし か默 つて あ、 した 仕草 だ 


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け を や つて 居る ので あつ たら 見て ゐ る觀 客に は 相當に 可笑し か つ たか も 知れな い G である。 音が 

欲し けれ は 窓外の チン ドン 屋の離 子で も 聞かせた 方が まだ ましで あらう。 それから 例へば 又 「直 

八 子供 旅」 では 比較的 無駄な 饒舌が 少 いやう であるが、 獨り 旅に 出た 子供の あと を 追驅 ける 男が、 

途中で 子供の 歩 幅と 大人の それと Q 比較 を して、 その::; の 子 勘定の 結 5^ から 自分の 行 過ぎに 氣が 

ついて 引-返す とい ふ 場面が ある。 「子供の 足で これ だけ、 大人のお てこれ だけ」 と、 何も 云 はな 

くて, もい 、獨り 言 を 火き な 聲で云 ふので 困って しま ふ。 あれ は 矢 張 無言で、 さう しても つと 暗示 

的で 誇張され ない 擧 動で 效 Ei^ を 出さなくて はならない と m 心 はれる C 引返す この 男と、 あとから 出 

發 した 直 八と、 中間 を 歩い ゐる 子供と が 途中で 會 合する こと を 暗示した だけで 幕 を 下ろす とい ふ 

暗示 的な 手法 をと つた 一 方で、 こんな 露骨な お 芝居 を 見せる の は 矛盾で ある。 

序ながら、 歩 幅と 同時に 歩調 を 勘定に 入れなければ 何時間で 追 付く かとい ふ 勘定 は 出来ない 害 

であるが、 あの 映畫に 出る あの 役者に 其 勘定が 出來 るか しらと W 心 ふと 一 寸 可笑しくなる。 

四 映畫 批評に 就いて 

この頃 は それ 程で もない が 一 と 頃 は ソビヱ ト映畫 だと 何でも かで も譽 めち ぎり、 さう でない 映 


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感雜畫 映 


畫 は 全部 滅茶苦茶 に け な しっける とい ふ 風の 批評家が あった。 ^しさう い ふ 批評 を い く ら讀 ん で 

見ても 一方の 映畫 のどう いふ 點 がどうい ふ 譯で、 どうい ふ 風に 好く、 他方 Q がどうして いけない 

か と い ふ 具體的 分析 的 Q 事 はち つ とも 分らない 0 であつ た。 かう い ふ 風に 純粹 に主觀 的な も Q は 

普通 の 意味で 批評 と は名づ けにく い やうな 氣が す る。 

批評 は 矢 張 或 程度 迄 は 客觀的 分析 的であって 欲しい = さう して 矢 張い 、處と 惡ぃ處 と 兩方を 具 

體 的に 指摘して ほしい。 かう いふ 點 では、 下町 Q 素人の 芝居 好 Q 劇評の 方が 却って 前述の 如き 著 

名な ィ ン テリ ゲ ン チ ァ Q 映畫 批評家の 主觀的 概念的 評論よりも 遙 に啓發 的な ことがあり 得る やう 

で あ る"】 

こ んな 不滿を 抱いて ゐ たので あつ たが、 近頃 は 立派な 有益な 批評 を 書い て 見せる 批評家が 輩出 

したやう である。 

以前 は 何 か 一 つ 好い 映畫が 出る と、 そ 〇 映畫の 批評に ついては. E 分 Q 見解 だけが 正しくて 他 Q 

人 Q 批評 は 皆 間違 つて ゐ るか 0 やうに 大層な 見 幕で 他 Q 批評 {豕 の 批評 をけ なしつ け、 こ き 下 ろす 

とい ふ 風 〇 人 もあった も Q である。 これ は、 譬 へて 云 は i -、 花見に 行って、 こ Q 花 G わかる Q は 

已 一 人 だと 云って 群衆 を 罵る やうな も Q で 可笑しい。 今 はそんな 人 もないで あらう が、 しょく  4 


考へ て 見る と、 かう した 氣分は 實を云 ふと あらゆる 藝術 批評家の 腹の 底の 何處 かに や、 もす ると 

奧を くひたがる 寄生 蟲の やうな ものである。 さう して、 どうい ふ譯 か、 これ は 特に 映畫 批評家と 

いふ 人達の 鬼 角す ると 罹り やすい 病氣の やうに 思 はれる。 これ は、 映畫が 未だ 藝術 として 若い 藝 

術で あると いふ 事が 一 つ、 それから 映畫の 成立に 色々 な テクニカルな 要項が 附帶 して ゐる爲 に、 

それに 關 する 知識の 程度に よって 批評家の 種類と 段階の 差刖が 多様に なると 云 ふ 事が もう 一 つの 

原因になる ので はない かとい ふ氣 がする ので ある。 

批評す る對 象の 時間 的 S 久 性と いふ 點 から 見ても 實に 色々 な 種類の 批評が ある。 例へば、 音樂 

の 演奏 會の 批評な ど は、 その 時に 聽 かなかった 聽 衆に は ナンセンス である。 活花 展覽會 の 批評な 

ども や、 此れに 類して ゐ る。 映畫の 批評と なると、 まさか それ 程で もない かも 知れない が、 大多 

數の 映畫の 大衆 觀 客に とっての 生命 は 一 と 月と はもたない。 セル a イドフ イルムの 保存 期間が 延 

長され ない 限りい くら 永くても 數十 年を越え る こと は 六 かしい。 かう い ふ 短命な も Q を 批評す る 

のと、 彫刻 ゃ油输 Q やうな 永 持の する もの を 批評す るのと では、 批評の 骨の 折れ 方 もちが ふ譯で 

ある。 一 週間 映寫 された 切りで 恐らく 先づー 一度と は 見られる 氣遣 ひの ないやうな 映畫を 批評す る 

のなら、 何 を 云って おいても 後に 證據 が殘ら ないから い、 が、 金 銅の 大佛 などに ついて うっかり 


422 


感雜畫 映 


出罎目 な 批評 でも 書いて おいて、 さう して 蓮 悪く こ 0 批評が 反古に ならす に 百年の 後に なって、 

もしゃ 物好きな 閑人 Q 爲に 何處か 0 圖書館 Q 棚 Q 塵 Q 奥から 掘 出されで もす る と 實に大 變な恥 を 

百年 の 後に 爆ら す ことになる Q で, ある。 

百年 後 に 讀む人 にも 面白く て 有益な やうな 映 畫評を かく とい ふこ と は 中 々 容易な 仕事で はない 

0 で ある。 

こんな こ と を考へ てゐ ると 映畫の 批評な ど を 書く とい ふこ とが 世 にも 果敢ない つまらない 仕事 

〇 やうに 思 はれて 來る。 併し 叉考へ 直して 見る と 自分な ど Q 毎日 Q 凡ての 仕事が 結局 みんな 同じ 

やうな 果敢ない も Q になって しま ふので ある。 

併し、 かう いふ こと を自覺 した 上で 批評す るのと、 自覺 しないで 批評す る 0 とで は 矢 張 事柄に 

少し Q 相違が あり はしない か。 此の 點 についても 世 Q 映畫 批評家の 敎を 受けたい と 思って ゐる次 

第 ある。 (昭和 十 年 二月、 セル パ ン) 

五 尺 間で 描いた 花模様 

近頃 見た 映畫 「泥醉 夢」 a)ams) とい ふの は、 話の 筋 も アメリカ 式の 巫山戯た もので 主題歌な 


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ども:合々 日本人には別に面^1ぃとも3心はれなぃが、 併し この 映畫の 劇中劇と して 插 入され たレヴ 

ュ ー の 場面に 色々 變 つた 趣向が あって 一 寸 面白く 見られる。 

例へば 劇場の シ ー ン G 中で、 舞臺の 幕が 開く と 街頭の 光景が 現れる、 その 街 Q 家並 を 舞 臺のセ 

ッ ト かと H 心って ゐ ると それが 本當の 街に なって ゐる。 かう いふ 趣向 は 別に 新しく もな くまた K-e 

もない こと C やうで あるが、 しかし 矢 張 映畫の スクリ ー ン 世界に のみ 可能な 一 種 不思議な 夢幻 

鄕 である。 觀客は その 夢幻 鄕の 蝴蝶に なって 觀 客席の さ 間 を 飛翔して 何處 とも 知らぬ 街路の 上に 

浮び 出る 0 である。 

洗濯屋の 場面で は 物干 場の 綱に 吊した 洗濯物の シ ャ ッ ゃパ ジ ャ マ が 女 を 相手に 踊る とい ふ 趣 

が ある。 少し 巫山戯 過ぎた やうで 餘り 愉快な もので はない が、 しかし、 とれな ども 映畫で 見れば 

こそ、 それ 程の 悪趣味に は 感ぜられないで、 一種の ファンタスティックな 氣分を 喚び 起される こ 

とも 出來 なく はない。 

しかし 何とい つても この 映畫で 一 番 面.! n いのは、 色々 な 幻影の レヴュ ー である。 觀客は カメラ 

となって 自由自在に 空中 を 飛行しながら 生きた 美しい 人間で 作られた さう して 千變萬 化する 萬 華 

鏡 模様 を 高 {4i から 兒 下ろしたり、 或は 黑 天鵞絨に. K 銀で 縫笵 したやうな 活 きた 希臘 人形 模様 を 壁 


424 


- 感雑畫 映 


面に 眺めたり する。 それが 實に 呼吸 をつ ぐ 間 もない 短時間に 交互 錯綜して スクリ ー ン の 上に 現滅 

する の である。 

昨年 見た 「流行の 王様」 とい ふ映畫 にも 黑 白の 駝鳥の 羽 團扇を 持った 踊 子が 花瓣 0 形に 並んだ 

Q を 高空から 撮影した 0 が あり、 同じ やうな 趣向 は 他に もい くら もあった やうで あるが、 今度の 

映畫 では 更に 色々 の 新 趣向 を 提供して 觀 客の 輿 味 を 新に しょうと 努力した 跡が 窺 はれる。 例へば 

大寫 しの ヒ B イン Q 服の 瞳孔 0 深い/ \奥 底から ヒ 口 ィ ン. {MI 身が 風船の やうに 浮び 上がって 出て 

來 たり、 踊 子の 集 團の眞 中から 一人 づ丄ゃ 中に 拔け 出して は、 それが 彈丸 C やうに 觀客 0 方へ け 

し 飛んで 來る やうな ト リツ ク でも、 藝術的 憒愤は 別問題と して 映畫 Q 世界に おける 未来の 可能性 

Q 多 樣さ廣 大さを 暗示す る ものと して 注意しても よい もので はない かと 思 はれる。 

ドイツ のフ イツ シン ガ 1Q 作った 「踊る 線條」 とい ふ 「問題の 映畫」 が ある。 この 映畫 では 光 

0 線條 が映寫 幕 上で 昔 樂に合 はせ て 踊 を を どる。 これと、 前述の やうな レヴュ —映畫 の 場合に 活 

きた 人間で 作った 行列の 線の 蓮 動し 集散す るのと を 比較して 見る と、 本質的に 全く 共通な ものが 

ある。 た 相違の 點は、 一方で は それ 自身に は 全く 無意味な 光った 線が 踊 子の 役 をつ とめて ゐる 

のに、 他方で は 一 人々 々に活 きた 個性 を もった 人間の 踊 子が 畫面 では 殆ど そ Q 個性 を沒 却して 單 


425 


に 無意味な 線條を 形成して ゐる、 とい ふだけ である。 

それ だのに、 純 粹な線 條の踊 は 一 般觀 客に は さっぱり 評價 されない やうで ある 一方で レヴュ ー 

Q 方 は 大衆の 喝采 を 博す るの が 通例で あるら しい。 こ. - に映畫 製作者の 前に 提出され た 一 つの 大 

きな 問題が あると 思 はれる。 

餘 りに 抽象的で 特殊な 少數 の觀客 だけにし か評價 されない やうな もの は 結局 映畫 館と 撮影所と 

を 閉鎖の 運命に 導く 役目し か 勤めない。 しかし、 また 一方、 大衆に 分り 易い 常套手段 を 何時まで 

も 繰返して ゐる Q では 飽き 易い 世間から やがて 見棄 てられる とい ふ 心配に 斷 えす 脅かされ なけれ 

ばなら ない。 その 困難 を 切拔け るた めに は 何 かしら 絕間 なく 新しい 可能性 を 捜 出し て は それ を ス 

クリ— ンの 上に 活かす 工夫 をし なければ ならない。 幸な ことに は、 映畫 とい ふ 新しい メヂ ゥムの 

世界に は 前人未到の 領域が 未だ いくらでも 取殘 されて ゐる 見込が ある。 さう した 處女地 を 探險す 

るの が 今の 映畫 製作者の 狙ひ處 であり、 いは^ 懸賞の 對象 でなければ ならない。 それで 例へば ァ 

メリ カ映畫 における 前述の レヴュ 1Q 線條的 或は 花模様 的な 取扱 方な ども、 さう した 懸賞問題へ 

の 一 つの 答案と して 見る こと も 出来る。 さう して、 それに 對 して 「踊る 線條」 Q やうな 抽象 映畫 

は 一 つの 暗示と して 有用な 意義 を もち 得る わけで ある。 少 くも かう いふ 見地から これ 等の 二種の 


426 


感雜畫 映 


映畫を 眺めて それ/ f-Q:;^ 在 理由 を 認める こと も 出来さう である。 

新しい 考へ Q 生れる ために は 何 かしら 暗示が 必要で ある。 暗示の 種 は 通例 日常 吾々 Q 面前に こ 

ろが つて 居る。 併し、 それ を 見付ける に は 矢 張 見付ける だけ Q 眼が 必要で ある こと はいふまで も 

ない。 

日本 に は 西洋と ちが つ た 環境が あり、 日本人に は 日本人の 特有な 眼が あ るので あるか ら 若し 日 

本 〇 映畫 製作者が 本當の 日本人と しての 自分自身の 眼 を 開いて 吾々 0 環境 を 物色したら、 西洋人 

に は 到底 考へ つかない やうな 新しい アイ ディ 了 が 幾ら も 浮び さうな もの だと 思 はれる がさう した 

實 例が: n 本 映畫の 夥しい 作品の 巾に 一 向に 見られな いのは 殘 念な 事で ある。. それで 例へば 昔、 廣 

重 や 歌 磨 が H 本の 風土と 人間 を描寫 したやうな 獨創 的な 見地から 日本人と その 生活に ふさ はしい 

映畫の 新! K 地 を 開拓し 創造す る やうな 映畫 製作者の 生れる 迄に は 一 體 まだ どの位の 歳月 を 待た な 

ければ ならない か、 今の 處 全く 未知 數 である やうに 見える。 そこへ 行く と、 どうも アメリカ Q 映 

畫 人の 方が 餘程 進んで ゐる とい はれても 辯 明 Q しゃう がない やうで ある。 これ は 自分が 平常 甚だ 

遺憾に 田 わって ゐる 次第で ある、 H 本が ァ メリ 力 に 負けて ゐ るの は 必 しも 飛行機 だけで はない ので 

ある。 この ひけ 目 を 取り返す に は 次の ジ エネ レ ー ショ ンの. HI 覺に 期待す るより 外に 全く 望み はな 


427 


いやう に 見える。 (昭和 十 二 《^、 高 知 新聞- > 

六 麥 秋  , 

大分 評判の 映畫 であったら しいが、 AI 分に は それ 程 面.::: くなかった。 それ は畢竞 、 この 映畫に 

は ほ 分 Q 求める やうな 「詩」 が 乏しい せゐ であって、 さう いふ も 0 を はじめから 意圖 しないら し 

い 作者の 罪で はない やうで ある。 自分の 眼に はい は 一  つの 共 產勞働 部落と いった やうな ものに 

關 する 「思考 實驗」 の 報告と でもい つた やうな ものが 全篇の 中に 織 込まれて ゐる やうに 思 はれる。 

それで さう いふ 事に 特に 興味の ある 人達に は その 點が 面白い のか も 知れない が-; 十: として 詩と 俳諧 

と を 求める やうな 觀客 にと つて は、 何 かしら あ る 問題 を押賣 り される やうな 氣 持が 附き 纏つ て 困 

る やうで ある。  . 

一 一 n も 離れた 川から 水路 を 掘り 通して 早魃 地に 液漑 するとい ふ大 奮闘の 光景が この 映畫の クラ 

ィ マックス になって ゐ るが、 こ Q 邊の 加速度 的な :1 輯 ぶり は 流石に うまい と 思 はれる。 

唯-五"々 科學の 畑の ものが 見る と、 ニ哩 もの 遠方から 水路 を 導く のに ー應の 測量 設計 もしないで 

よくも, R 急の 素人 仕事で 一 べんに うまく 成效 した もの だとい ふ氣 がした。 又 「麥 秋」 とい ふ譯名 


428 


.感 雜畫映 


であるか、 早 魃で水 を 欲しがって ゐる あの 畫 面の 植物 は 自分に はどう も 黍 か 唐黍 かとし か 33 はれ 

なかった" 

主人公の 「野性 的 好男子」 も 我等 Q やうな 舊 時代の ものに はどう も餘り 好感の 持てない タイプ 

である" 併し、 兎に角 かう した 映畫で 日常 教育され てゐる 日本 現代の 靑年 男女の 趣味 好尙は 次第 

に變遷 して 行って 結局 吾々 0 想像 出来ない やうな 方向に 推移す るに 相違ない- 考へ て 見る と映畫 

製作者と いふ もの は 恐ろしい 「魔法の 杖」 Q 持主で ある" 

七 ロスチャイルド 

此映畫 は 何しろ 取扱って ゐる 物語の 背景の 大きさと いふ ハ ン ディ キヤ ップを 持って ゐる。 その 

上に 主役と なる 老優の 漉くて こなれ た演 伎で 令^ 所々 々を 引きし めて 行く から、 恐らく あらゆる 階 

級の 人が 見て 相當樂 しめる 映畫 であらう と 思 はれる。 併し 猶太 人と いふ もの \ 概念の 甚だ 稀 ー専な 

日本人に は、 恐らく 此映畫 の 本来の 狙 ひ處は 感ぜられない であらう し、 或は 却って そのお かげで 

日本人に は 厭味 や 臭味 を感 する ことなしに 此映畫 のい、 處 だけ を 享樂す る ことが 出来る かも 知れ 

ない。 


429 


主人公の 老 富豪が 取引所の 柱の 陰に 立って 乾坤 一 擲の大 賭博 を 進行 させて ゐる 最中に、 從僕 相 

手に 五十 錢玉 一 つの かけ をす る くだりが ある。 その 賭に も老 主人が 勝って さう してす まして 相手 

Q 錢を さらって、 さて 悠々 と 強敵と 手 詰の 談判に 出かける 處には 一 寸 した 「俳諧」 が ある やうに 

思 はれた。 

最後に、 勳功 によって 授爵され る 場面で、 尊貴の 膝下に 跪いて 引下って 來 てから、 老妻に、 「ど 

う も 少し 跪き 方が 間違った やう だよ」 と 耳語しながら、 二人で ふいと 笑 ひ 出す 處が ある。 あすこ 

にも 矢 張 一 種の 俳味が あり、 さう して 如何にも 老夫婦ら しいさび た 情味が あって 吾々 の やうな 年 

寄りの 觀容に は 何となく 面白い。 

併し 映畫藝 術と い ふ 立場から 見る と 寧ろ 平凡な も Q かも 知れな い と 思 はれた。 

八 ベ ン • カル の 槍騎兵 

變 つた 埶ー帶 の 背景と 大勢の 騎兵 を 使った 大が、 りな 映畫 である。 物語の 筋 は 寧ろ 簡單 であるが、 

途中に 插 入され た 色々 C-  H ピソ ー ドで 「映畫 的 ft 容」 が 可也 豊富に されて ゐ るのに 氣が 付く  C 例 

へば 兵營の 浴室と 隣の 休憩室との 間にお ける カメラの 往復に よって 映 出される 三人の 士官の 罪の 


430 


感雑畫 映 


ない 中の 善い いさか ひな どで も、 話の 筋に は 大した 直接の 關 係がない やうで あるが. これが ある 

ので、 後に この 三人が 敵の 牢屋に 入れられ てからの クライ マ ッ タスが ちゃんと 活 きて 来る やうに 

思 はれる。 事件 的に は緣 がない 代り 心理的 Q 伏線になる ので ある。 拷問の 後に 投り 込まれた 牢 

獄の 中で 眼前に 迫る 生死の境に 臨んで ゐ ながら 馬鹿 氣た 油蟲の 競走 を やらせた りする 0 でも 決し 

て 無駄な 插 話でなくて、 この 活劇 を 活かす 上に おいて 極めて 重要な 「俳諧」 であると 思 はれる。 

最後の ト 一一 力 を 響かせる 準備の 導 音 Q やうな 意味 も あるら しい。 

配役 Q 選擇 がうまい。 鈍重な ス コ ツチと スマ ー トなロ ン ドン 子と 祌經 質な お 坊ちゃんとの 對照 

が 三人の 俳優で 適當に 代表され てゐ る。 對話 Q ュ ー モア や アイ" 一一 ー が 十分に 分らない Q は殘念 

であるが、 分る 處 だけで も 隨分 面白い。 新入の 二人 を 出迎へ に 行った 先輩の ス コ ツチが 一 人 をつ 

かまへ て 「お前が スト ー ンか」 と 聞く と 「おれ はフォ ー サイ スだ」 と 答へ る。 「それ ぢゃ あれが 

スト ー ンだ」 とい ふと、 「驚くべき 推理の 力 だな」 と 冷 かす。 

牢屋で フォ ー サ イスが 敵 將に摑 み 掛かって 從 者に 打ち Q めされる C 敵將が 「勇 氣には 智惠が 伴 

はなければ 駄目 だよ」 といって 得意になる。 敵將が 去って 後に 仲間が 「馬鹿野郎」 と 罵る のに は 

答、 ないで 默 つて 握り拳 を 開けて 見せる。 摑 みか 、 つたと きの 騷 ぎに まぎれて 彈藥 をす り 取って 


43] 


ゐた Q である" 敵將 のい つた 言葉が こ \ で 皮肉に 活 きて 來て觀 客 を 喜ばせる ので ある C 

九ァ ラン 

「ベ ン ガルの 槍騎兵」 など \ は 全く 格の ちがった 映畫 である。 娱樂 として 見る には餘 りに リア 

ルな 自然 そのもの \ 迫力が 强 過ぎる やうな 氣 がする。 神經の 弱い ものに は 輕ぃ腦 貧血 を 起させる 

程で ある。 こんな 土 Q 見えない 岩ば かりの 地面 を 一 と 月 もつ 1- けて 見て ゐ たら 誰でも 少し 氣が變 

になり はしない かとい ふ氣 がした。 

うば 鮫 を 捕獲す る 一 卷 でも 同じ やうな 場面が 隨分 繰返し 長く 映寫 される ので、 或 意味で は 少し 

返 屈で ある。 併し この 退屈 は 下手な 芝居 映畫の 退屈な ど、 は 全く 類 を 異にした 退屈であって、 そ 

れは畫 中の 人生と 自然 そのもの \ 退屈から 来る 壓迫感 である" 詳しくい へ ば、 大西洋の 海面の 恆 

处 Q 退屈 さで あり アラン島 民の 生活の 永遠の 退屈 さで ある: 返 屈と いふの が惡 ければ 深刻な 憂鬆 

である。 それ を觀 客に 體 験させる。 

始めから 終りまで 繰 返さる \ 怒濤の 實寫 も實に 印象の 强く 深い 見 ものである。 波の 昔 も 中々 よ 

く 撮れて ねて、 いつ 迄 も 耳に 殘る やうな 氣 がした。 場外へ 出た ときに 聞いた 電車の 音が ひどく 耳 


432 


感雜畫 映 


立って きこ えた C 

かう した 映畫を 見る Q は、 自分で 了 ラ ン の 島へ 行って 少 くも 一 ニニ 日位滯 在した と 略 同じ やうな 

效果が あるので はない かとい ふ氣 もした- 

ァ ランの 島民 達と、 現に この 映畫を 見て ゐる都 人士と で、 人生と いふ も Q  、概念が どれ 位ち が 

ふで あらう か、 と い ふやうな こ とも 考 へ させられた: 

兎に角 かう した 映畫 は^に どうと いつ て說 明す る ことの 難 かしい、 併し 吾々 の 生涯に とつ て存 

外 非常に 重大な 效果を もつ やうな 或 物 を 授けて くれる やうな 氣 がする。 

何處か n シ ァ 映畫を 思 はせ る やうな 編輯ぶ り と カメラ 0 角度が 見られる" ラ ス ト シ 1 ンの 人物 

の 構成な ど 特に さう 思 はれた。 「麥 秋」 など は 題 村が! 1 シァ 風で あるのに 映畫は 全然 ヤン キ ー 風 

であるが、 「ァ ラン」 に はさう した アメリカ 風が 何處 にも 見えない やうに .53 はれる。 

(昭和 卜 年 四 w、 帝 國 大 聞) 

十ナ ナ 

ゾラの 「ナナ」 から 「暗示 を 受けて. 一 作った 映畫 だと 斷 つて あるから、 その 積り で 見るべき で 


433 


あらう。 一番 初に 高所から 見た 巴 里の 市街が 現 はれ 前景から 一羽の 鴉が 飛び出す。 次に 墓場が 出 

る。 墓穴の 傍に 突き さした 鋤の 柄に 鴉が 止まる と 墓 掘りが 憎さげ に それ を逐 ふ。 そこへ 僧侶に 連 

れられ てた つた 三人の 淋しい 葬式の 一 行が 來る。 この 處に あまり 新しく はない が 一 寸 した 俳句 Q 

趣が ある。 

アンナ. ス テンの ナナが 酒場で うるさく 附き 纏ふ醉 つばら ひ Q 靑年 士官 を 泉水に 突き落す 場面 

にも 矢 張 一 種の 俳諧が ある。 劇場での 初演の 唄の 唄 ひ 方と 額の 表情と に 序破急が あって ちゃんと 

纏まって ゐる。 そ Q 外に は 大して 面白い と 思 ふところ もなかつ たが、 唯 何とな しに 十九 世紀 Q 中 

頃の 西洋 はこん なだった かと 思 はせ る やうな ものが あって、 その 時代の 雰圍氣 の やうな もの だけ 

が 漠然とした 印象と なって 頭に 殘 つて ゐる。 ナナの 二人の 友達の 服装 ゃァ ンド レ の 家の 食卓の 光 

景 などが さう した 感じ を 助けた やうで ある。 

こ の 映畫の 監督 は、 ド a シ ー • ァ ー ズ ナ ー と あるから 女で あらう と 思 はれる。 何處か やっぱり 女 

の 作った 映畫 らしい 柔か 味が 全體に 行き渡って ゐる やうな 氣 がする。 最後の 場面で 自殺した ナ ナ 

がー 一人の 男の 手 を 握って 二人の 顏を 見比べながら 淚 Q 中から 嬉し さう に 笑って 死んで 行く 處 など 

も 矢 張 どうしても 女らしい ィ ンク ー プレテ ー シ ョ ン だと 思 はれて 面. 0: かった。 


434 


感雜畫 映 


十 I 電 話 新 選 組 

一 種 Q 探偵 映畫 である。 かう した. アメリカ 映畫 では 何 かしら 新しい 趣向 をして 觀客 のどぎ も を 

拔か うとい ふ 意圖が 見られる。 この 映畫 では 電話局の 故障 修籍 工夫が 主人公に なって ゐ る。 それ 

が 友達と 一 一人で 悪漢の 銀行 破りの 現場に 虜 になって 後手に 縛られて ゐ ながら、 巧に ナイフ を 使つ 

て 火災報知器の 導線 を 短絡 させて 消防隊 を 呼 寄せる が、 4< の 手が 見えない ので 折角 來た 消防が 引 

上げて しま ふ。 それでもう 一遍 同じ やうに 警報 を發 してお いて、 隙 を 見て 燭火を 引つ くり かへ し 

て 火事 を 起した はい 、が 自分が その 爲に燒 死し さう になる と 云った やうな 場面 も ある。 又 大地震 

で 家が 潰れ、 道路が 裂けて 水道が 噴出したり、 切斷 した 電線が 盛に ショ ー ト して スパ ー ク すると 

いふ 見て ゐて 非常に 危險な 光景 を 映し出して、 その 中で 電話 H 夫 を活護 させて ゐる。 それから 叉 

犯人と 目星 をつ けた 女の 居所 を 探す の に 電話 番號簿 を 片端から 風 潰しに 呼出し を かける 場面な ど 

も 矢 張 一 つ Q 思 ひ 付きで ある。 

かう した 趣向の 新し さ を 競 ふ 結 5^ は 時に 色々 な 無理 を 生じる C 例へば 火 地震で 大混亂 を 生じて 

ゐる 同じ 町の 警察 の邊で は 何事 も なかった らしい やうな 可笑しい 現象 を 生じ てゐ る。 


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それでも 事件の 展開が 簡 m でなくて、 一 つの 山から 次の 山へ と 移って 行く 道筋が 容易に は觀客 

の 豫測を 許さない、 とい ふだけ の はたらきの あるの は、 近顷 のかう した アメリカ 映畫に 普通で あ 

る。 はじめから おしま ひの 見す かされて ゐる やうな 映畫 ばかり 作 る 日本 映畫 作者 の 參考 に な る で 

あらう と 3 心 はれる。 (昭 和 十 年 四 =;、 溢 柳,) 

十二 映 畫錯覺 の 二 例  - 

塌本閻 治 氏 撮影の 小型 映 畫を觀 た 時の 話で ある。 たしか 富.^ 吉田 町の 火 祭りの 光景 を寫 した も 

の ト屮に 祭禮の 太鼓 をた &く 場面が ある C  ■ そのと き、 勿論 無 聲映畫 であるのに 拘ら す、 不思議な 

ことに は、 畫 面に 映し出さ れた 太鼓 C ばち の 打 擊に應 じ て 太鼓の 昔が はっきり 耳に 聞 こ え る やう 

な氣 がした" よく 注意して 見る と、 窓の 外の 街 上 を 走る, 電車の 騷 音の 中に 含まれて ゐる どん/ \ 

と い ふやうな 音 を 自分 の 耳が 抽出し 拾 ひ 上げ て 、 それ を 服 前 の視 像の 中 に 都合よ く 投げ込 んで „5 

たもの らしい。 

同様に 笛 を 吹く 場而 でも かすかに; W の 昔ら しい ものが 聞かれた。 これ は 映.;: お 機 C 乇 ー タ. I の 唸 

音の-中から 恰好な 樂音 だけ を 吾々 0 耳に 特有な 抽出 作 ffl によって 選び出し、 さう して 視覺 から 來 


436 


感雜畫 映 


る 聯想 0 誘引に 應 じて スクリ —ン Q 上に 投射した ものら. L い。 

最近に は义 上記の ものと は 種類 C ちがった 珍ら しい 錯覺 を經 験した。 それ はかう である。 ベル 

クナ ー 主演の 「女の 心」 (原 名 アリア ー ネ) 0 一場面で 食卓の 上に 董の 花を滿 載した 容器が 置い 

て ある、 それ を アリア ー ネが鼻 をお つつけ て 香 を 嗅いだり いぢり 1- はしたり する Q であるが、 は 

じめ は. E 分に は それが 何だかよ く 分らなくて、 葡萄で も 盛った 果物 鉢 かと 思って ゐた。 そ のうち 

に 女が 义 これ を いぢりながら 獨り 言の やうに 云った そ Q 言葉で はじめて それが 董 だと 分った。 可 

笑し いこと に は 「ファイル シ H ン」 とい ふ 言葉が 耳に は ひって こ 0 花の 視像を それと 認識す ると 

问 時に、 一 抹 0 紫色が 、 つた 雰圍氣 が こ Q 盛り花の 灰色の 團 塊の 中に 搖曳 する やうな 氣 がした。 

驚いて 眼 をみ はって よく ia^ 近しても やつば りこ の 紫色 0 かげろ ひ は 消失し ない。 どうしても 客觀 

的な 色彩と しか 思 はれない のであった。 

こ Q  二つの 錯覺の 場合 は 映 畫の寫 像の、 客觀 的に は 不完全な 寫實 能力が、 如何に 多く 觀 客の 頭 

^^屮に誘發される聯想の補足作^=にょって助長されてゐるかを示す實例として注意さるべきもの 

かと 思 はれる ので ある。 


437 


十三 「世界の 終う」 と 「模倣の 人生」 

同時に 上映され たこの 二つの 映畫 の 對 照が 自分に は與 味が あった。 

キリ ス ト の 碟刑を 演出す る 受難劇の 場面で 始まる こ の フ ラ ン ス映畫 に は、 おしま ひまで 全篇 を 

通じて 一種 不思議な 陰惨で 重 くるしい 惡 夢の やうな 雰圍氣 が 立ち込めて ゐる。 これ は 勿論 この 映 

畫の 題材に 相應 はしい やうに 製作者の 意圖 によって 故意に 醸し出され たの かも 知れない が、 し 

か し 一 面から 見る とこの 陰慘な 雰圍氣 は フランス 人の 國民性 そ の もの、 中に 藏さ れてゐ るグル ー 

ミ ー でぺ ン シ イヴな 要素が 自然に 誘 ひ 出されて こ 、に 浮き出して ゐ るので はない かとい ふ氣 もす 

る 0 

自分 は、 實地を 踏んで 見る まで は、 パリと いふ 都 を 只 何とな しに 明るく 陽 氣な處 の やうに 想像 

し、 フランス 人 を Q どかに 朗らかな 民族とば かり 思って ゐ たのに、 獨 逸から フランスへ 移って 見 

聞す るう ちに、 こ Q 豫 想が 悉く 裏切られた。 パリの 街 は 煤けて 汚な く 土地の人 間に は ー體に 何と 

なく 陰氣で ほろ にがい 氣分 がた 1^ よって 居る やうに 感ぜられた のであった。 ところが、 今 この ガ 

ン スの 作品 を 見て 昔日の この 感じ を 新たに する やうな 氣 がした。 主役 をつ とめる,., ヮリ ー ク 兄弟 


438 


感雜畫 映 


とそ Q 敵役 ショ ー ン ブルクの 相貌 もこの 一種 特別な 感じ を强 める もの,^ やうに 思 はれた。 しかも 

それ 等の 顏 Q ク a 1 ズ了 ップの 寧ろ 頻繁な 繰返し は 愈、、 その 暗い 印象 を 強める のであった。 

彗星 Q 表現 は あまりに も眞實 性の 乏しい 子供 だまし Q ト リツ クの やうに 思 はれた が、 大 吹雪 や 

火山 Q 噴煙 やの 色々 な實 寫フィ ル ムを さまん \ に: €輯 して、 兎も角も 世界 滅亡の 力 タク リズ ムを 

表現し ようと 試みた 努力の 中には 流石に この 作者の 老巧 さの 片影 を 認める こと も 出来ない こと は 

ないやう である。 

この フラン ス映畫 が 何となく 陰 氣で何 處かぢ むさい 感じが する のに 引き か へて 一方の 了  メリ 

カ映畫 「模倣 Q 人生」 は 如何にも 明るく 新鮮で ある。 こ Q 目立った 差別に は、 寫眞 レンズ ゃフィ 

ル ム 0 光學 的化學 的な 技術の 差から 來る もの もない と は 云 はれない が、 しかし 何とい つても 國民 

性の 相違から 來る 根本的な ものが 凡て を 支配し 決定して ゐる としか 思 はれない。 こ Q アメリカ 映 

畫の 話の 筋 は 決して さう 明るい もので はなく 寧ろ その 奥底に は 可な りに 悲慘 な現實 の 問題 を 提供 

して ゐる 害の ものであるのに、 映畫 とし て觀客 に與 へ る 感覺は 主として 明るく 爽やかに 新鮮な 視 

像の 系列と しての それで ある。 薄汚ない 黴臭い 場面な ど は何處 にも 見られないで、 云 はに 白い H 

ナ メルと 一一 ッケル の 光澤と が 全篇の 基調 をな して ゐる やうで ある。 どうも かう いふの が 近頃の ァ 


439 


メリ カ映畫 c- 一  つの 定型で あるら しい。 例へば 「白衣の 騎士」 など も 矢 張 同じ 定型に 屬 する もの 

と 見る ことが 出來 はしない かと 思 ふ。 此の 型の 映畫は 見た 後で 物語の 筋な ど は 霧の やうに 消えて 

しま ふが、 た t 筋と は 大した 關係 もない やうな 若干の 場而の 視覺的 印象 だけが 可な り 鮮明に 殘留 

する やうで ある C ことによると、 かう した 種類の ものが 却って 「所謂 抽象 映畫」 などよりも もつ 

と 抽象的な、 さう して 純粹 に映畫 的な 映畫 であるの かも 知れない とい ふ 風に 思 はれて 來 るので あ 

る。 

十四 「m(  ^ 亭」 

エミ —ル. ヤー 一 ングス 主演の この 映畫 は、 はじめ からおし まひ 迄、 この 主役 者の 濃厚な 個性で 

蔽ひ盡 された 地色の 上に 適 當な色 合 を 見計らった 脇役の 模樣を 置いた 壁掛の やうな ものである。 

尤も 同じく ャ 一一- ン ダスの ものであって も 相手役に ディ— トリ ヒ とか ァ ンナ . ステ ン とか s> ゐる場 

合 は必. しも さう はならない やうで あるが、 この 現在の 場合に 於け る 助演者 はこの やうに 主演者と 

對 立して 一 Is 奏を演 する 爲に は餘 りに 影が 薄い やうで ある。 

その代りに 乂 この 映畫は 「ャ 一一 ン ダスの 芝居」 を 見ようと 思ふ觀 客に とって は、 最も 多くの 菡 


感雑畫 映 


足 を與へ る やうに 出 來てゐ るの かも 知れない" 例へ ば 家出して 船乘 になった 一 人 息子からの 最初 

Q 手紙が 屈いた ときに、 友達の 手前 わざと 膨れっ面 をして 見せたり、 居間へ 引 込んで から 慌て、 

その 手紙 を讀 まう として 眼鏡 を 落して 割ったり する 場面の 彼 一 流の 細かい 藝は、 臭味 も あるか も 

知れな い が 矢張此 人らしい 妙味 は あるで あらう。 かう い ふ點で 細か い 工夫 をす る の が 何 處か六 代 

:= 菊 五郎 0 凝り 方と 似た 處が あり はしない か。 尤も 日本人 菊 五郞は 工夫 を隱す ことに 骨 を 折り 獨 

逸人 ャ 一一 ング ス は 工夫 を 見せる 事 をつ とめて ゐ ると いふ 相違 は あるか もしれ ない。 

心理的に は 可な り を かしい と 思 はれる 處で も藝 0 細か さで 大した 矛盾 を 感じさせないで 筋 を 通 

して 行く と 云った やうな ところが 一 一 一箇所あった やうで ある。 

この 映畫と 比較して 見る と、 前條に 引合に 出した 「模倣 C 人生」 Q 方で は 所謂 主演者 はあって 

も 「黑 鯨亭」 の 如き 意味での 獨裁的 主役 は 無い、 寧ろ 色々 な 個性 G 配合 そのもの \ 方に 觀 客の 主 

なる 與 味が つながれて ゐる やうに 思 はれる。 それで 例へ ば輕ぃ 意味の 助演者と しての スパ ー タス 

など k いふ 役者で も 決してた にの 無駄な 點景 人物ではなくて、 云 は 個性 シム フォ ュ 1G 中 Q 重 

耍 なー樂 器と しての 役 e: を 十分に roi^ たし てんる やうで ある。 之れ に反して ヤー 一 ングス Q 場合 は 彼 

の 「獨 唱」 にた、. - 若干の 家庭 樂 器の 伴奏 を 付けた かの やうな 感じが しないで もない C さう いふ 伴 


441 


奏 として は 併し そ れん \ の 助演者 も そ れ相當 の 效菜を 見 せて はゐる やうで ある。  ^ 

(昭和 十 年 五月、 映畫 評論) 

十五 乙女心 三/、^ 妹 

川端 康 成の 原著 は 讀んだ ことがない が、 こ 映畫の 話の 筋 は 極めて 單 純な もので、 一寸した 刃 

傷 事件 も あるが、 さう いふ 部分 は 寧ろ 甚だ 不出来で あり 义 話の 結末 も 一 向收 まりが ついて 居ない。 

倂 しこ Q 映畫を 一 種の 純粹な 情調 映畫と 見做し 「俳諧 的 映畫」 の 方向へ の 第 一 歩 Q 試みと して 評 

價 すると すれば 相 常に 見所の ある 映畫 だと 思 はれる。 觀 音の 境 內ゃ第 六區の 路地 や 松屋の 屋上 や 

隅 田 河畔の プ 口 ムナ— ドゃ 一 錢蒸汽 の 甲板 やさう した 背景の 前に 数人の 淺草娘 を點 出して 淡く 果 

敢 ない 夢の やうな 情調 をた よはせ ようとい ふ企圖 だと すれば、 或 程度 迄 は成效 して ゐる やう 

である。 唯もう 一 息と いふ 肝心の 處を いつでも 巾途 半端で 通り 拔け てし まふの が 物足りなく 思 は 

れる。 例へば 最後の 場面で お 染が姉 夫婦 を 見送って から 急に 疵の 痛み を 感じて ベ ンチに 腰 を かけ 

ると き 三味線が ばたり と 倒れる その 音 だけ を 聞かせる が、 た それだけ である。 あ、 いふ 俳諧の 

「擧 句」 の やうな 處を もう 一 呼吸 引きし めて 貰 ひ 度い と m 心 ふ 0 である。 その 舉 句の シナリオ はい 


感雜畫 映 


ろい ろ 工夫が あるで あらう。 例へば 極く 甘口 0 行き方 を すれば、 被の 切れて 卷き 上った 三味線 を 

一寸 映した 次に、 上野 0 森 Q 梢 0 朧月で も 出し それに 夜 鸦の聲 でも 入れて おいて、 もう 一遍 妹と 

その 情人 Q 停車場 へ 急ぐ 自動車 を 出す とか 何とか 方法 はな いもの か と 思 ふ。 

主役 三人 姉妹 も 上出来の やうで ある。 苦勞 にや つれた 姉 娘と ほがらかで 我儘な 末の モダ ー ン娘 

との 中に 立つ 姉妹 思 ひ Q ぉ染の 役が オリ ヂナル な 表情の 持主で 引 立って ゐる。 さう して 端役に 出 

る 無表情で 馬鹿の やうな 三人の 門付け 娘が 非常に 重大な 「さびし ほり」 0 效果を あげて ゐる やう 

である。 

男役 方 はどう もみん な 芝居 臭 さが 過ぎて 「俳諧」 を 毀して ゐる やうな 氣 がする。 どうして、 

もう 少し 自然に 物事が 出来ない も C かと 思 ふ 0 はこの 映畫 ばかりで はない。 一 體に 日本の 近代 映 

畫の 俳優で は 平均して 女優の 方が かう いふ 點で 頭が よくて 男の 方が 劣って ゐる やうに 思 はれる。 

女 0 方 は 頭の い、 やうな 0 が 映畫を 志す、 男の 頭の い、 Q は 他の 方面に いくら も 道が あって みん 

な その 方へ 行って しま ふ、 といった やうな こと も いくらか あるので はない かと 云ふ氣 がする。 但 

し 男 0 方に も 自分の 知って ゐる だけで も 四 五 人位 は相當 頭の い、 のが ゐる やうで あるが、 平均の 

上で 多少 さう した 傾向が あり はしない か。  , 


443 


-: ^アバ 1 'トの 夜の 雨の 場面 にももう 少 し の 俳諧が 欲 し い やうな 氣が し た。 

へ g 途有 望な この 映畫の 監督に 是非 一 と 通りの 俳諧 修行 をす \ めたい やうな 氣 がして ゐ るので あ 

る C 

十六 外人部隊 

大 に 前 評判 の あった 映畫 であ るが S 分 に は それ 程で なかった。 霄 葉 の よく 分ら ない せ ゐもぁ 

らうが 一 體に 前の ス タ— ン バ — ク G 「モ ロッコ」 などに 比べ て齒 切れが 悪くて ァ ク セントの 弱い 

作 Mi の やうに m わ はれる。 見て ゐて 呼吸 G つまる やうた 瞬 問が 乏しく、 全體に 何となく 懶ぃ 霧の や 

うな も G  、か \ つた 感じが する。 

役者で は 主役の ピ ェ, I ル よりも 脇役 Q  二 コラ とい ふ 露 西- 亞 人が わざとら しくない 如何にも その 

人らしいと ころがよ かった。 ィル マと いふ 女の 智惠 のない 肉塊の やうな 暗い 感じ、 マダム • ブラ 

ン シ ュ の祌 巫の やうな 妖氣 など もこの 映畫の 色彩 を 多様に はして ゐる C 

一番 深刻 だと m 心 はれた 場面 は、 最大 速度で 廻る 電扇 と、 攝氏 四十 度 を 示した 寒暖計 を 映 出した 

あとで、 ブー ソン シュ C 酒場 C 屮 Q 死んだ やうな 暑苦しい {4! 氣が 可な り リアルに 映寫 される。 女主 


444 


感雜畫 映 


人 公が 穴藏へ W 込んだ あと ヘイル マが 蠅取紙 を 1^ 換 へに 来る, それ を 眺めて ゐた おや ぢの、 暑さ 

でう だった 頭の 中に 獸 性が 眼 ざめ て來 る-かすかな 體 臭の やうな もの が畫面 にたい-よ ふ C すると、 

おや ぢ はの そ/. \ 立 上がり、 「氷 を 待って 來ぃ」 とい ひすて \ 二階へ 上がる G 

その 前 Q 場面に もこ の 主人が マ ダ ム に 氷 を 持って来い といって 二階へ 引 込む 場面が ある。 その 

とき マダム は 「フ ン」 と 云った やうな 顏 をして、 丸で 齒牙 にかけ ないで、 マ ニキ ュ ァを續 けて ゐ 

るので ある。 こ Q 場面が、 後の 「氷 を もって 來ぃ」 で フラッシュ バッ ク されて 觀 客の 頭の 屮に浮 

ぶ。 

この 「水 を 持って来い」 が 結局 大事 件 Q 元にな つてお や ぢはピ H 1 'ルに 二階から 突き落されて 

死ぬ 事になる ので ある。 

この 攝氏 四十 度の 暑さと 蠅取紙 G 場面に は相當 深刻な 眞實の 暗示が あるが、 深刻な 爲に 却って 

撿閲 Q 剪刀 を 免 れた と 見える。 

兵隊が 歸っ て 來た晚 の 街頭の 人肉 市場 の 光景 も 可也 に 露骨で あるが、 どこか 少し こしら へ もの 

らしい 處も ある = 

フ a ラン スと いふ 女に 最初に 失望す る 場面と 後に も 一 度 失望す る 場面との 對照 がもう 少し どう 


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にかなら ないかと い ふ氣が す る。 併し 最後に 絶望して 女の 邸宅 を 出て 白日の 街頭へ 出る 邊の 感じ 

に は 一 寸 した 俳諧が 感ぜられ なく はない。 眞. WI な 土と 家屋に 照 付ける 熱帶の 太陽の 絶望的な す さ 

まじ さが 此 場合に 相應 はしい 雰圍 氣を隨 して ゐる やうで ある C 

十七 ?-の 世界 

生粹の アメリカ 映畫 である。 今迄に 見た 色々 の 同種の 映畫の 色々 の 部分が 寄せ集められて 出來 

上がって ゐ ると いふ 感じで ある。 倂 した i^、 ボウ H ルと いふ S?, とゲ —ブルと いふ との 接觸 から 

生じる 如何にもき びくした 齒 切れの い \ 意氣と 云った やうな ものが 全篇 を 引きし めて ゐて觀 客 

を 退屈 させない。 

拳闘 場の 鐵 梯子 道の 岐路で この 二人が 出逢っての 對 話の 場面と、 最後に 監獄の 鐵 檻の 中で 死刑 

直前に 同じ 一 一人が 話し をす る 場面との 照 應には 一 寸 した 面白味が ある。 

ゲ ー ブ ル の 役の 博徒の 親分が 一 一人 も 人 を 殺す のに それが 觀 客に は それ 程に 惡逆 無道の 行 爲とは 

思 はれない やうな 仕. 組になって ゐ る。 二度目の 殺人な ど、 洗面 場で 乎 を 洗って そ Q 手 を 拭く ハ ン 

ケチ Q 屮 から ピストル の彈 を亂發 させる とい ふ 卑怯 千. 萬な 行爲 であるに 拘ら す、 觀 客の 頭に は豫 


446 


感雜畫 映 


め 被 殺害者に 對 する 憎惡と いふ 魔藥が 注射され てゐ るから、 却って 一種の 痛快な 感じ を 抱 力せ 

こ の 殺人が^ も道德 的に 讚美-す ベ きもので あ る やうな 錯覺を 起さ せ ピストルの 音に よって 一種の 

快い スリル を 味 はせ る。 映畫 とい ふ, もの は實際 恐ろしい 魔術 だと 思 はれる" 

(昭和 十 年 六月、 溢 怖) 


447 


B 敎授の 死 


爽やかな 若葉 時 も 過ぎて、 :n 增に 黑んで 行く 靑 葉の 稱 に歡陶 しい 微溫 の. まが 降る やうな 時候に 

なると、 十餘 程 前に 東京の S ホテ ル で 客死した ス 力 ンヂ ナビ 了 の 物理 學者 B 敎授 のこと を a« 年 

一度ぐ らゐは 屹度 想 ひ 出す。 讲- し、 何分に ももう 大分 古い ことであって、 記憶が 薄くな つて 居る 

上 こ、 何度と なく 想 ひ 出し/^ して ゐる うちに は 知らす/ \ 色 々なみ: 想が 混 人して、 それが 何時 

の 間に か 事實と 完全 に 融け 介 つてし まって、 今で はもう 何處 までが 事實で 何處 からが お,^ 想 だかと 

いふ 竟 目が 分らない、 つまり 一種の 小說の やうな、 とい ふよりも 寧ろ 永い 年月の 間に 幾度と なく 

蒸し返された 悪夢の 記憶に 等しい もの になって しま つ た。 こ れ迄 にも 何遍 か こ れ に關す る 記錄を 

書い て 置きた い と 思 ひ 立 つたこと はあった が、 いざと なる と い つ で も 何 か しら C 分 の 筆 を I. ほらせ 

る 或 ものが ある やうな 氣 がして、 つい いつも それなり になって しま ふので あった。 併し、 义 


443 


死の 授敎 B 


一 方で は、 どうしても 何 かこれ に 就いて 簡單 にで も 書いて おかなければ 自分の 氣 がすまない とい 

ふやうな 心 持 もす る。 それで、 多少で もま だ 事實の 記憶の 消え 殘 つて ゐる 今のう ちに、 あらまし 

のこと だけ をなる ベく ザ ハ リツ ヒな覺 え 書きの やうな 形で 書留め てお くこと にしようと 思 ふ。 

歐洲 大戰の 終末に 近い 或 年の 多分 五月 初 頃であった かと 思 ふ。 或 朝當時 自分 Q 勤めて ゐた R 大 

學の 事務室に 一 寸 した 用が あって 這 人って 見る と、 そこに 見馴れぬ 年取った 禿 頭の わりに 脊の低 

い 西洋人が 立って ゐて、 書記の S 氏と 話し をして ゐた。 S 氏 は 自分に その 人の 名刺 を 見せて、 こ 

の 方が P 敎窒の 圖睿窒 を 見たい と 云って 居られる が、 どうし ませう かとい ふので ある。 その 名刺 

を 見る と、 それは!^^國0に大擧敎授で{4|中窒素の固定ゃ北光の硏究者として有名な物理學者の8 

教授であった。 同 敎授に は 嘗て その 本 權で會 つた ことがある ばかりでなく、 そ 0 實驗窒 で 北光に 

關 する 有名な 眞空 放電の 實驗を 見せて 貰ったり、 その上に 私邸に 呼ばれて お茶の 御馳走に なった 

りした ことがあ つたので、 すぐに 昔の 顔 を再認 する ことが 出來 たが、 教授の 方で はどう も 餘りは 

つきり した 記憶 はない らしかった。 

敎授が 今 こ, -の圖 書窒で 見たい と 云った 本 は、 同 教授の 關 係した 北光觀 測の H キスべ ヂショ ン 

の 報告書で あつたが、 生憎 それが 當 時の P 敎室 になかった ので、 あてに して 來 たらしい 敎授は ひ 


449 


どく 失望した やうであった. - 

それ は 兎に角、 自分等の敎{^^.;にとっては誠に思ひがけなぃ遠來の珍客なので、 自分 は 急いで 敎 

山! 主任 ON 教授 や T 老 教授に も その 來訪を 知らせ 引合 はせ をした ので あつたが、 ;刚 先生 共に いづ 

れも 全然 豫 期して ゐ なか つたこの 碩學の 来訪に 驚き もし 义 喜ばれ もされた Q は 勿論で ある。 ^し 

B 敎投 はどうい ふ もの か 何とな しに ー兀氣 がな く、 又 人 に 接す るの を ひ どく 大儀が る やうな 風に 見 

えた。 

それから 二三 n たって、 i 棚 根の ホテルからの B 教授の 手紙が 來て、 何處か 東京で 極く 閑 靜な宿 

を 話して くれない かと Q ことであった。 たしか、 不眠症で 困る からと いふ 理. e であった かと 思 

ふ。 當 時 じ 公園に S 軒附屬 0 ホテルが あつたので、 そこなら ば 市 巾より はいくら か閣靜 でい、 だ 

らうと 3 わって そ C こと を 知らせて やったら、 早速 引き 移って 來て、 幸に^ 外氣に 人ったら しい 樣 

子であった。 

その後、 時々 P 敎-: K の ft; 分の 部屋 を 訪ねて 來て、 當時. HE 分の 研究して ゐた 地磁氣 の^ 激な變 化 

と、 B 教授の 研究して ゐ た大氣 上層に 於け る 荷. 電 粒子の 運動との 關係 について 色々 話し合つ たの 

であった が、 何度も 食って ゐる うちに、 B 敎授 C 何處 となく ひどく 憂 な惟悴 した 様子が 一層 は 


450 


死の f 受教 B 


つきり ii にっき 出した" 身 體は相 (=5 肥って ゐ たが、 乂 や::: な 顔色に もっとも 生氣 がなくて、 灰色の 

隨 の に 何とも 云 へ な い 喑 い 影が あ る やうな 氣が した。 

或る ひどい 雨 Q 日 G 晝頃 に 訪ねて 來た と き は薄銷 に ゴ ム を 塗 つた 蝶の M 根の やう な". S 外套 を 着 

てゐ たが、 蒸 暑い と 見えて 廣く 禿げ上がった 額から 玉 G やうな 汗の 流れる Q をハ ンケチ で 押し 拭 

ひ 押し 拭 ひ 話し をした C 細かい 灰色 Q まばらな 髮 が逆义 つて ゐる Q が湯氣 でも-: 乂 つてなる やうに 

見 えた。 そ の 時 だけ は顏 色が 美しい 櫻 色 を して^の 光 も 何となく ふ ^ き/ \ して ゐる やうであった- 

どうい ふ もの かそ C とき Q 顔が いつまでも はっきり 自分 G 印象に?^ つて ゐる。 . 

一 度 S 軒に 呼ばれて 晝飯を 一 緒に 御馳走に なった ときな ども、 何で あつたか 忘れた が學? 1: に は 

關係 Q ない おどけた 冗談 を 云 つたり して 珍ら しい 笑顔 を 見せた こ とも あ つ た。 

或 日 少し ゆっくり 話したい ことがあ るから 來て くれと 云 つて 來 たので 早速;;;: つて 兑る と、 寢衣 

のま、 寢臺 の 上に 橫 になって ゐた。 少し 身 體のェ 合が, 惡 いから ベッドで 話す こ と を容 して くれ と 

いふ。 それから、 今 口 はどう も 獨逸語 や 英語で 話す の は 大儀で 苦しい から フランス語で 話したい 

が 聞いて くれる かとい ふ。 自分 はフラ ン ス語は  一 # 不得手 * たが 併し 極く ゆっくり 話して くれ \は 

大體の 事. だけ は 解る つもり だと 云ったら、 それで 結構 だと 一: ム つて ぼつ/ \ 話し 出した が、 その 話 


451 


の -M: 容は實 に豫想 の 外の ものであった。 

自分に 分った だけ Q 要點は 大凡 次の やうな も Q であった と 思 ふ。 併し、 聞き 逮へ、 覺ぇ違 ひが 

どれ だけ あるか、 今と なって はもう それ を 確め る途 はなくな つてし まった わけで ある。 

B 教授 は歐 洲大戰 Q 刺跌 から 得た ヒ ン トに據 つて 或る 軍事上に 重 耍な發 明 をして、 先づ F 國政 

府に その 使用 をす \ めた が 珠 ^ されない ので 次に 某國に 渡って 同様な 申出し をした。 某國 政府で 

は 詳しく その 發 明の 內容 を聽 取り、 若干の 實驗 まで もした 後に 結局 その 採用 は 担 絶して しまった。 

併し どうい ふ もの かそれ 以来 その 某國の スパ ィ らしい ものが B 教授の 身 邊に附 纏 はる やうに なつ 

た、 少 くも B 教授に はさう いふ 風に 感ぜられ たさう である C その後 敎授が 半ば は その 研究の 资料 

を 得る 爲に 半ば はこの 自分 を 追跡す る 暗影 を 振り落とす 爲にァ フ リカに 渡って ヘルワン の 觀測所 

の 屋上で 深夜に 唯一 人 黄道光の 觀測 をして ゐた 際な ど、 思 ひも かけぬ 沙漠の 暗闇から 自分 を 狙撃 

せんとす る もの 、ある こと を 感知した さう である。 この 夜の 顚 末の 物語 は 何となく ァ ラビア ン ナ 

イト を 思 ひ 出させる やうな 神祕 的な a マン チックな 詩に 充ち たもので あつたが、 惜しい ことに 細 

かいこと を 忘れて しまった。 

「それから, 船便 を 求めて あてのない 極東の 旅 を 思 立った が、 乘 組んだ 船の 中にはもう ちゃんと 


452 


死の 挖敎 B 


一人 スパイら しいの が乘 つて ゐて、 明け暮れに 自分 を 監視して ゐる やうに 思 はれた。 日本へ 來て 

も 箱 根まで この 影の やうな 男が 附 纏って 來 たが、 お前のお かげで 此 處へ來 てから、 やっと その 追 

跡から 逃れた やうで ある。 しかし 何時 迄 逃れられる かそれ は 分らない c」 

「此れ だけの 事 を 一 度 誰かに 話したい と 思って ゐ たが、 今日 君に それ を 話して これで やっと 氣 

が樂 になった。」 

ゆっくりく 一  句々 々句切って 話した ので、 これ だけ 話す のに 多分 一 時間 以上 もか& つた かと 

思 ふ。 話して しまつてから、 さもが つかりした やうに 枕に よりか \ つ たま、 眼 をね むって 默 つて 

しまった Q で、 長座 は惡 いだら うと 思って 遠慮して すぐに 歸 つて 来た。 

翌朝 P 敎窒へ 出勤す ると 間もなく S 軒から 電話で B 教授に 事變が 起った からすぐ 来て くれとの 

事で ある。 急病で も 起ったら しい やうな 口 振な ので、 先 づ取敢 へ, fN 敎授に 話 をして 醫 科の M 敎 

授を 同伴して 貰 ふ 事 を賴ん でお いて 急いで S 軒に 驅 けつけ た。 

ボ ー ィ が 今朝 部屋 を いくら 叩いて も 返事がない か^ 合鍵で ド ァ を 明け て 這 入 つて 見る と、 もう 

旣に 息が 絶えて ゐ るら しいので、 急いで 警察に 知らせる と 同時に 大學の 自分の 處へ 電話 を かけた 

とい ふこと である。 


453 


ベ ッド C 上に 懸け 猶 した な 寒冷紗の 蚊帳の 中に B 敎 授の靜 かな 寢顏が 見えた。 枕 上の 小 卓 

Q 上に 火 型の 扁平な ピストルが 斜に横 はり、 その 脇の 水吞 コップの、 底に も 器 壁に も、 .21 ぃ粉藥 

らしい も C がべ と/ \- に 着いて ゐる のが 眼に ついた。. 

問 もな く 刑事と 警察 翳ら しい 人 途が來 て、 はじめて 蚊帳 を取拂 ひ、 毛布 を 取りの け寢 衣の 胸 を 

開いて からだ 屮を 調べた。 調べながら 刑事 Q 一  人が 絶えす 自分の 顏を じろ く 見る のが 氣味感 く 

不愉快に 感ぜられた。 B 敎校 Q 禿 頭の 頂上の 皮膚に 横に 一 と 筋 紫色 をして 凹んだ 痕の あるの を發 

見した 刑事が 与 心に 緊張した 額 色 をした が、 それ は 寢臺の 頭部に ある 眞鍮の 横 枠が 頭に 觸れ てゐた 

痕だ とわかった。 

刑^が 小い:: い G コ ップ 0 傍に あった 紙袋 を 取り上げて 調べて ゐ るの. tV 現いて 兒 たら、 袋 紙に は 赤 

インキ C 下 乎な 字で 「ベ ロナ ー ル」 と 書いて あった。 呼 出された ボ ー ィの證 一 W によると、 昨夜 こ 

の 催眠 藥を 買って 來 いとい ふので、 一度 買って 歸 つたが、 もっと 澤山 買って 來 いとい ふ、 そんな 

に 呑んだら 惡 いだら うと 云って 兑 たが、 これがない と、 どうしても 股ら れ ない、 呑まない と氣が 

違 ひさう だから 是非に と 歎願す るので、 仕方なくもう 一 遍藥屋 に譯を 話して 買って 來 たの だとい 

ふこと であった。  • 


454 


死の 授敎 B 


そ C 內に N 教授と M 教授が やって来た。 績 いて N 國 領事 Q バ 口 ン 何某と 中年 ス カン- チ ナビア 

婦人が 一 一人と 馳 けつけ て 来た。 婦人 達が わりに 氣 丈で 仰山ら しく 騒がない のに 感心した。 

{ 至の 片禺 の.、 テ ス ク C 上に 論文の 草稿の やうな ものが 積み上げて ある。 こ 、で 毎日 かう して 次の 

論文の 原稿 を «1 いて ゐた のかと 思って、 そ Q 一枚 を 取上げて 何 Q 氣な しに 眺めて 居たら、 N 敎授 

がそれ に氣 付く と 急 いで やって 來 てま 分の 手から ひったくる やうに それ を 取上げ てし まった、 さ 

うして ボ ー ィを 呼んで その 原稿 一切 を 紙 包に して 紐で 縛らせ、 それ を 領事に 手渡しした。 さう し 

て、 それ を 封印 をして 本國大 學に这 つて 貰 ひ 度い とい ふやうな こと を 嚴肅な 口調で 話して ゐた。 

領事 〇 方 から は、 本國の 家族 か ら 事後 の 處置 に關す る 返電 の來 るまで 遗骸を 何處か に 保管して 

貰 ひたいと いふ 話が あって、 結局 M 教授の 計ら ひで M 大學の 解剖 學敎 室で それ を 預かる ことにな 

つた。 

同敎 室に 搬 ばれた 遺骸に 防腐の 藥液を 注射した Q は、 これ も 今 は 故人に なった 0 教授であった _ 

その 手術の 際に 0 教授が、 露出され た遣骸 Q 胸に 掌 を あて \ さ 11 Tvariii! と 云って 一同 を ふり 

向いた とき、 領享と 一 緖 に此處 までつ いて 來てゐ た 婦人の. 一 人の 口から かすかな 併し 非常に 驚い 

ヒ やうな 歎聲 が:^ れた。 0 敎授は 併し 「これ はよ く ある ボス トモ ル テムの 現象です よ」 と 云 ひお 


455 


て 、 平氣で そ ろ く 手術に 取り か \ つた。 

葬式 は 一番 町の 或る 敎會で 行 はれた。 梅. ま 晴れの 空風の 強い 日であって、 番町邊 ー體の 木立ち 

の靑 葉が 惱 ましく 搖れ騷 いで.; n い 葉 裏 を 反へ して ゐ たの を 覺 えて ゐる。 自分 は敎 食の 門前で 柩車 

を出迎 へた 後靈 柩に附 添って 故人の 勳章を 捧持 するとい ふ 役目 を 云 ひ 付かった。 黑 天鵞絨の クシ 

ョ ン Q 眞 中に 美しい 小さな 勳章を Q せた の を 紐で 肩から 吊 下げ それ を 胸の 前に 兩 手で 捧げながら 

白日の. 下 を 門から 會 堂まで 僅な 距離 を 歩いた。 冬向きに こしら へた 一帳羅 C フ C ッ クが ひどく 暑 

苦しく 思 はれた こと を 想 ひ 出す ことが 出来る。 

會堂內 で 葬式の プ a グラムの 進行 中に、 突然 堂の 一隅から 能い ソプラノの 獨唱 の聲が 飛び出し 

たので、 かう いふ 儀式に 立會 つた 經驗を もたない 自分 はかなり 吃驚した。 あとで 聞いたら、 その 

獨唱者 は- i^" 樂擧 校の 敎師の P 夫人で、 故人と 同 じスカ ンヂ ナビアの 人 だと 云ふ緣 故から 特に この 

日の 挽歌 を 唱ふ爲 に 列席した のであった さう である。 た その 聲が餘 りに 强く銳 く 狹ぃ會 堂に 響 

き 渡って、 吾々 日本人の 頭に ある 葬式と いふ もの 、概念に 附隨 したしめ やかな 情調と は餘 りに か 

け 離れた もの \ やうな 氣 がした のであった。 

遣骸は 町屋の 火葬場で 火葬に 附 して、 そ Q 翌朝 T 老 教授と N 教授と 自分と 三人で 納骨に 行った- 


456 


死の 授敎 B 


爐 から 引出された 灰の 中から raj- 敢 ない 遣 骨 を 手々 に 拾 ひ あつめて は 純白の 陶器の 壺に 移した。 並 

は づれに 大きな 頭蓋骨の 中には 未だ 燃え 切らない 腦髓が 漆 黑なァ スフ ァ ルトの やうな 色 をして 縮 

み 上がって ぬた。  - 

敎授は 長い 竹 箸で その 一 片を 摘み 上げ 「この 中には ii 分い ろくなえ らい ものが は ひって ゐ 

たんだな あ」 と 云 ひながら、 靜に それ を 骨壺の 中に 入れた。 そ Q とき 自分の 眼前に は 忽然と して 

過ぎし 日の K 大學 に 於け る B 敎授 の 實驗 室が 現 はれる やうな 氣 がした。 

大きな 長方形の 眞 空^ 子 函內の 一方に B 敎授が 「テ レラ」 と 命名した 球形の 電磁石が 吊 下がつ 

て 居り、 他の 一方に は 陰極が 插 入され てゐ て、 そこから 强 力な 陰極線が 發 射される と、 その 一道 

の 電子の 流れ は 球形 磁石の 磁場の 爲に その 經路 を蠻 曲され、 球の 磁極に 近い 數點に 集注して 其處 

に^ 光を發 する。 その 實驗 装置の 傍に 僧侶の やうな 里 一 頭巾 を 冠った B 教授が 立って 說 明して ゐる „ 

この 放電の 爲に 特別に 設計され た高壓 直流 發 電機の 低い 4 わり 聲が 隣室から 聞こえて 來る。 

そんな 幻の やうな 記憶が 瞬間に 頭 を かすめて 通った が、 現實の 此處の 場面 はス カン ヂ ナビアと 

は 地球の 反對 側に 近い 日本の 東京の 郊外で あると 思 ふと 妙な 氣 がした。 

それから 一 と 月 もた つて、 B 敎投の 形見 だと 云って N 國 領事から n 分- Q 處へ 送って 來 たの は 大 


457- 


きな 鑄 銅製 の 置物であった。 X 敎 校の 鹿へ は 同じ 鑄 物の 象が 来たさう である。 多分 土產 にで 

もす る^り で B 敎投 が箱极 あたり Q 喪 店で 買 ひ 込んで あった も C かと S 心 はれた。 折角の 形見で は 

あるが どうも n 分の 趣^に 介 はない ので、 押 人 C 屮に 仕舞 込んだ ま、 に 年を經 た。 大掃除 0 とき 

な ど に緣^ に 取 出されて ゐる 此の 銅の 虎 を 兌 る 度に 常時 の 記惊 が". r:;^ 一 される。 大掃除の 瞎 <^ が 丁 

度 この 想 出 C 時候 に^  〈:£ す る C である。 

S 軒 QB 敎投の 部 尾の 人口  Q 內側 Q 柱に 十::! ^特産の 尾お 鶏の 色 £ お! li¥ あしらった 柱 1^ の やう 

な ものが 掛けて あった、 それ もせ; 1 の 下 あたりで 買った ものら しかった が、 敎投 C 亡くなった n -、 

窒のボ ー ィ が,::: 分に この!:^ 長 鶴 を 指 L ながら 「このお 客さん は、 いつも、 巾に この 位 悲慘な 

もの はない と-. ム つて ゐ ましたよ」 と 意味 ありげ に 繰返し て^して ゐた。 3^ し 何故 尾長 鶴が そんな 

に 悲慘な ものと B 敎 校に m 心 はれた か、 これが 今 R まで もどう しても 解けない 不思議な 謎と して n 

分 Q 胸に 化 舞 込まれて ゐる。 

ボ ー ィに 就いて 想 ひ 出した ことが もう 一 つ ある。 矢 張 この 事變 CM: に 刑事 達が 引上げて 行った 

あとで、 ボ ー ィが 二三 人で 敎 校の ピストル を 持ち出して {苄:0 前の 庭に 下りた。 さう して 庭 G すぐ 

isv^051 一 面に 茂った 躑跟の 中へ その ピ ス トルの 彈を ぼん/ \打 ち 込んで、 何 か 面. M: さう に 話し 


458 


ながら げら/, \ 笑って なた。 つ、 じ はもう すっかり 散った あとで あつたが、 ほんの 少しば かり 處 

處 に茶祸 色に 枯れち れ た花瓣 C- 名殘 がくつつ いて ゐ たこと、、 初: 复の H ざしが ボ,' ィの 眞. II な 

給仕 服に ii り 輝き、 それが 何とも 云へ ない 菜敢 ない. I<r: 虚な絕 望 的な も C  、象徵 の やうに 感ぜられ 

たこと を m 心 ひ 出す ので ある。 (昭和 十 年 七月、 文學) 


大 垣の 女 擧 校の 生徒が 修學 旅行で 箱 根へ 来て 一 泊した 翌朝、 出發の 間際に 監督の 先生が 記念の 

呉 をと ると いふので、 大勢の 生徒が 溪 流に 架した 吊橋の 上に 並んだ。 すると、 吊橋が ぐらく 

搖れ 出した のに 驚いて 生徒が 騷ぎ 立てた ので、 振動が 益" 劇しくな り、 その 爲に 吊橋の 鋼索が 斷 

れて、 橋 は 生徒 を 載せた ま、 溪 流に 墜落し、 無殘 にも 大勢の 死傷者 を 出した とい ふ 記事が 新聞に 

出た。 これに 對 する 世評 も 々で、 監督の 先生の 不注意 を 責める 人 も あれば、 さう いふ 抵抗力の 

弱い 橋 を 架けて おいた 土地の人 を 非難す る 人 も ある やうで ある。 成る 程 かう いふ 事故が 起った 以 

上 は 監督の 先生に も 土地の人 にも 全然 責任がない と は 云 はれない であらう。 併し、 考 へて 見る と- 

この 先生と 同じ こと をして 無事に 寫眞 をと つて 歸 つて、  生徒 やその 父兄 達に 喜ばれた 先生 は 何人 

あるか 分らない し、 この 橋よりも つと 弱い 橋 を 架けて、 さう して その 橋の 堪へ 得る 最大 荷重に 就 


考麵災 


いて 何の 捐示 もせす に 通行人の 自由に 放任して 居る 町村 もよ く 調べ て 見たら 日本 全國に 凡そ ど Q 

位 あるの か見當 がっかない。 それで 今度の やうな 事件 は 寧ろ 或は 落雷の 災害な ど、 比較 されても 

い \ やうな 極めて 稀 有な 偶然の なす 業で、 たまく こ の氣 まぐれな 偶然の 悪戲の 犠牲に なった 生 

徒 達の 不幸 は 勿論で あるが、 その 責任 を 負 はされ る 先生 も 土地の人 も 誠に 珍ら しい 災難に 逢った 

の だと 云 ふ 風に 考 へられな いこと もない わけで ある。 

かう いふ 災難に 逢った 人 を、 第三者の 立場から 見て 事後に 咎め立て する ほど やさしい こと はな 

いが、 それならば 咎める 人が ra^ して 自分で さう いふ 種類の 災難に 逢 はないだ け Q 用意が 完全に 周 

到に 出来て ゐ るかと いふと、 必 すし もさう ではない Q である。 

早い話が、 平生 地震の 研究に 關 係して なる 人間の 眼から 見る と、 日本の 國 土全體 がー つの 吊橋 

の 上に か、 つて ゐる やうな も ので、 しかも、 その 吊橋の 鋼索が 明 曰に も 斷れ るか もしれ ない とい 

ふ 可な りな 可能性 を 前に 控 へて ゐる やうな 氣 がしない 譯には 行かない。 來年 にも 或は 明日に も、 

寳永四 年 又は 安政 元年の やうな 大規模な 廣 展 域 地震が 突發 すれば、 箱 板の 吊橋の 墜落と は 少しば 

か り 桁數 のちが つた 損害 を國民 國ク A 全 體が 背負 は されなければ ならない 譯 である。 

吊橋の 場合と 地震の 場合と は 勿論 話が ちが ふ。 吊橋 は 大勢での つからなければ 落ちない であら 


461 


うし、 乂斷 えす 補強 工事 を 怠らなければ 安全で あらう が、 地震 C 方 は 人^ G 注意 不注意に は無關 

係に、 起る ものなら 起る であらう。 

併し、 「地震の 現象」 と 「地震に よる 災害」 と は :1 別して 考 へなければ ならない。 現象の 方 は 人 

間の 力で どうに もなら なくても 「災^」 の 方 は 注意 次第で どんなに でも 輕 減され 得る 可能性が あ 

るので ある。 さう い ふ 見地 か ら見 ると 大地震が 來 たら 潰れる にき まって; lis る やうな 舉 校ゃェ 場 の 

屋根の 下に 大勢 Q 人の子 を集團 させて ゐ る當事 者, は 一: ム は II 述 Q 箱 根お 橋 墜落 事件 の 貴 任 者 と 親 

類:^ i 心に なって 來 るので ある。 一 寸考 へる と 或 地方で 大地震が 數年 以內に 起る であらう とい ふ 確 

率と、 或 吊橋に 例へば 五十人 乘 つた 爲に それが その 場で 落ちる とい ふ 確率と は 桁 違 ひの やうに 思 

はれる かも 知れない が、 必. すし もさう 簡單に は 云 はれない ので ある。 

最近の 例と して は 臺灣の 地震が ある。 臺灣は 昔から 相當 烈震の 多い 土地で 一 一十 *1 紀 になって か 

ら でも 旣に十 囘程は 死 偽者 を 出す 程度の が 起って ゐる。 平均で 云へば 三年 半に 一 囘の 割で ある。 

それが 五 年 も 休止 砍態 にあった C であるから、 そろく 乂ー  つ 位 は 可也な のが 臺灣屮 の何磁 かに 

襲って 米ても 大した 不 3 心議 はない のであって、 そ C 位の 豫言 ならば 何も 學者を 待た す と も 出来た 

譯 である 」 併し 今度 襲 はれる 地方が ど Q 地方で それが 何月 何 03 頃 に 常 る で あ らうと いふ こ と を 的 


462 


考 雑難災 


確に 豫 知す る こと は 今 C 地震 學 で は 到底 不可能 であるので、 そのお かげで 臺灣 島民 は 烈震が 來れ 

ば必卡 潰れて、 清れ \ ば壓 死す る 確率 の 極めて 大きい やうな 泥土 の に 安住し て ゐた譯 で ある。 

それで こ Q 際さう い ふ 家屋 0 存在 .tv_. 認容 し て ゐた總 叔ほ府 當事者 の 責任 を 問う て、 咎め立てる こと 

も 出来な い こ と はな い かも 知れな い が、 當事者 Q 側から 云 はせ る と 义色々 無理の ない 事情が あ つ 

て、 こ 0 危險な 土 角 造りの 民家 を全廢 する こと はさう 容:; ^ではない らしい。 何よりも W 難な こと 

に は、 內 地の やうな 木造家屋 は 地震に は 比較的 安全 だが 蕞灣 ではす ぐに 名物の 白蟻に 喰べ られて 

しま ふ ので、 その 心配がなくて、 しかも 埶 一風 防禦に 最適で その上に 金の か  >ら ぬと いふ 所謂 土 角 

造りが、 生活 程度の 極めて 做い 土民に 熏寳 がられる の は. S 然の 勢で ある。 尤も 阿 山の 紅 檜 を 使 

へ ば 比較的 餘 りひ どくは.;! I 蟥に喰 はれない ことが 近頃 判って 來 たが、 生憎 この 事實が 分った 頃に 

は 同時に この 肝心の 村 料が 大方 伐り 盡 されて なくなった 事が 分った さう である。 政".^ で 歳入 C 帳 

尻 を 合 はせ る爲に 無茶苦茶 にこ Q 村 木 Q 使 川を宣 傅 し 獎勸し て 棺桶な どにまで こ C 良 村 を 使 はせ 

たせね だとい ふ嗥も ある C これ はゴ シップで は あらう が 鬼 角 明日の 事 は 構 はぬ 勝ちの 现代爲 政 者 

のし さうな こと、 思 はれて を かし さに 淚が こぼれる C それ は 鬼に 角、 さし 常って さう いふ 土民に 

鐵筋コ ー クリ, 'ト の 家 を 建て、 やる 譯にも 行かない とすれば、 何とかして 現在の 土 角 造りの 長所 


463 


を 保存して、 その 短所 を 補 ふやうな しかも 费用 C 餘り か、 らぬ 簡便な 建築 法 を 研究して やる のが 

急務で はない かと 2 や はれる。 それ を硏究 する に は 先 づ土角 造りの 家が 如何なる 順序で 如何に 毀れ 

たかを 精し く 調べ なければ ならない であらう。 尤も 自分な どが 云 ふお! もな く 當局者 や 各方 面の 專 

門擧 者に よって さう した 研究が 旣に 着々 合理的に 行 はれて ゐる ことで あらう と £ 心 はれる が、 同じ 

やうな こと は 箱 根の 吊橋に ついても 云 はれる。 誰の 責任で あると か、 ない とかい ふ 後の祭りの 咎 

め 立 て を 開き直 つ て 仔細ら しくす るより もも つ と - (- 大事な こ と は、 今後 如何 にして さう い ふ災 

難 を 少なく する か を愼 まに 攻究す る ことで あらう と m 心 はれる。 それに は 問題の 吊橋の どの 鋼索の 

どの 邊が 第一に 斷れ て、 それから、 どうい ふ 順序で 他の 部分が 破 壌した かとい ふ 事故の 物的 經過 

を 災害の 現場に ついて 詳しく 調べ、 その 結 5^ を參考 して 次の 設計の 改善に 資する のが 何よりも 一 

番 大切な ことで はない かと 思 はれる ので ある。 ^し 多くの場合に、 責任者に 對 する 咎め立て、 そ 

れに對 する 責任者の 一 應の辯 解、 乃至 は 引責と いふ だけで その 問題が 完全に 落着した やうな 氣が 

して、 一番 大切な 物的 調査に よる 後難 Q 輕 減と いふ 眼目が 忘れられる のが 通例の やうで ある。 こ 

れ では 丸で 責任と いふ もの 、槪念 が何處 かへ 迷兒 になって しま ふやう である。 甚だしい 場合に な 

ると、 なるべく 所謂 「責任者」 を 出さない やうに、 つまり 誰に も 咎を負 はさせ ないやう に、 實際 


464 


考 雜難災 


の 事故の 原因 をお しかくしたり、 或は 見て 見ぬ ふり をして、 何 かしら 尤 らしい 不可抗力に 因った 

かの やうに 附會 してし まって、 さう して そ Q 問題 を 打 切りに してし まふ やうな ことが、 吊橋 事件 

などより もっと 重大な 事件に 關 して 行 はれた 實 例が 諸方 面に あり はしない かとい ふ氣 がする。 さ 

うすれば その さし 當 りの 問題 は それで 形式的に は牧 まりが つくが、 それで は、 全く 同じ やうな 災 

難があと からく 幾度で も 繰返して 起る のが 當り 前で あらう。 さう いふ 弊の 起る 原因 はつ まり 責 

任の 問 ひ 方が 見當 をち がへ て ゐる爲 ではない かと 思 ふ。 人間に 免れぬ 過失 自身 を 責める 代りに、 

その 過失 を 正 當に償 はない こ と を 咎め る やうで あれば、 こん な 弊の 起る 心配 はない 害で あらう と 

思 はれる ので ある。 

例へば 或ェ學 者が 或 構造 物 を 設計した のが その 設計に 若干の 缺陷 があって それが 倒潰し、 その 

爲に 人が 大勢 死傷した とする。 さう した 場合に、 その 設計者が 引責 辭 職して しま ふか 乃至 切腹し 

て 死んで しまへば、 それで 責を 塞いだ とい ふの はどう も 嘘で はない かと 思 はれる。 そ. の 設計の 詳 

細 を 一 番 よく 知って ゐる 害の 設計者 自身が 主任に なって 倒潰の 原因と 經 過と を 徹底的に 調べ 上げ 

て、 さう して その 失敗 を踏臺 にして 徹底的に 安全な もの を 造り上げる のが、 寧ろ 本 當に責 を 負 ふ 

所以で はない かとい ふ:!^ がする ので ある。  , 


465 


ッ H ッ ペリン 飛行船な どで も、 最初から 何度と なく 苦い 失敗 を 重ねた に拘ら す、 當の 責任者 Q 

ッ エツ ベリ ン伯は 決して 切腹 もしなければ 隱居 もしなかった。 そ 0 おかげで とう /(\ 所謂 ッ ヱ ッ 

ペリンが 物に なった ので ある。 もしも 彼が 假 りに 我が 日本 政府 Q 官吏で あつたと 假定 したら、 菜 

して どうで あつたか を考 へて 見る こと を、, 賢明なる 本誌 讀者 Q 銷 閑パズ ル の 題 村と して 玆に 提出 

したいと iE でか 次第で ある。  . 

これに 關聯 した ことで 自分が 近年で 實に胸 C すく 程 愉快に W 心った ことが 一 つ ある。 それ は、 日 

本航お § 送會 社の 旅客 飛行機. IZ 鳩號 とい ふの が 九州の 上 穴.^ で Hli 突 候の 爲に 針路 を 失して 山中に 迷 

ひ 込み、 どうした 譯か、 機體が 空中で 分解して ばら になって 林 中に 墜落した 事件に 就いて、 

その 事故 を 徹底的に 調査す る 委員 會が 出來 て、 大勢の學^!^?が架ってぁらゅる方面から詳細な硏究 

を 遂行し、 そ Q 給 として、 こ G 誰 一人::: 撃 者の 存 しない 穴. 一 中 事故 0 始終の 經 過が 實 によく 手に 

とる やうに あり, /\ と 推測され 乙 やうに なつ て來 て、 事故の 第 一 原因が^ ど 的確に 突 5£ められ る 

やうに なり、 從 つて 將來、 同様の 原因から 再び 问樣な 事故 を 起す こと 0 ないやうな 端的な 改良 を 

凡ての 機體に 加へ る ことが 出來る やうに なった ことで ある。 

こ Q 原因 を 突きと める 迄に 主として Y 敎投 によって 行 はれた 研究の 經路 は、 下手な 探偵 小說な 


466 


考纖災 


どの 話 Q 筋道より は 實に遙 に 面ね いものであった c 乘組員 は 全部 墜死して しま ひ、 しかも 事故の 

起った よりす つと 前から 機上よりの 無線電信 も 途絶えて 居た から、 麼落 前の 狀況 について は 全く 

誰 一人 知った 人 はない" ^し、 幸な ことに は 墜落 現場に 於け る 機 體〇 破片の 散亂 した 位置が 詳し 

く忠實 に記錄 されて 居て、 その上に 义 それ 等 破片の 現品が 丹念に 當時 のま 姿で 收 集され、 そ 

のま、 手 付かす に 保存され てゐた ので、 Y 敎授は それ を 全部 取 寄せて 先づ その ばら /-\0 骨片 か 

ら機 0 骸骨 をす つかり 組み立て ると いふ 仕事に か ^ つた、 さう して その 機 村の 折れ E 割れ目 を 一 

つ 一 っ番號 をつ けて は蝨潢 しに 調べて 行って、 それ 等の 損 所の 機體に 於け る 分布の 狀況ゃ 又 折れ 

方 Q 種類の 色々 な 型 を 調べ 上げた。 折れた 機材 同志が 空中で ぶっかった ときに 出来たら しい 疵痕 

も 一 々丹念に 檢 茶して、 ど Q 折片 がどうい ふ 向きに 衝突した であらう かとい ふこと を 確かめる 爲 

に、 さう した 引 搔き疵 Q 蠟形を 取った 0 とそれ らしい 相手の 折片 〇 表面に ある 鎖の 頭の 斷 面と 合 

はして 見たり、 义鎮 0 頭に かすかに ついて ゐる ペンキ を 蟲 眼鏡で 吟味したり、 こ、 いらはす つか 

りシャ ー ロック • ホ ー ル ムスの 行き方で あるが、 唯科學 者の Y 教授が 小說に 出て 来る 探偵と ちが 

ふの は、 こ 0 やうに して 現品 調査で 見當 をつ けた 考を あとから 一 々實 験で 確かめて 行った ことで 

ある。 それに は 機材と 略 同様な 形 をした 試片を 色々 に 押し 曲げて へし 折って 見て、 その 折れ口 〇 


467 


様子 を 見て は それ を 現品の それと 較べたり した。 その 結果と して、 i 分 中分 解の 第一歩が 何 處の折 

損から 始まり、 それから どうい ふ 順序で 破壞が 進行し、 同時に 機體が 空中で どんな 形に 變形 しつ 

つ、 どんな 風に 旋轉 しつ、 墜落して 行った かとい ふことの 大體の 推測が つく やうに なった。 併し 

それで は 肝心の 事故の 第 一 原因 は 分らない ので 色々 調べて ゐる 中に、 片方 Q 補助翼 を操縱 する 鋼 

索の, 力 を, S 戎 する 爲 につけて ある クンバ ッ クルと 稱 する ネヂが ある、 それが 戾 るの を 防ぐ 爲に 

通して ある 銅線が ー窗所 切れて ネ ヂが拔 けて 居る こと を發 見した。 それから 考へ ると 何等かの 原 

因で この 留めの 銅線が 切れて クンバ ッ クルが 拔 けた 爲に 補助翼が ぶら.^ になった ことが 事故の 

第 一 歩と 思 はれた。 そこで 今度 は 飛行機 翼の 模型 を 作って 風洞で 風 を 送って 試驗 して 見たところ 

が 或 風速 以上に なると、 補助翼 をぶ らくに した 機 翼 は ひどい 羽搏き 振動 を 起して、 その 爲に支 

柱が くの 字形に 曲げられる ことが わかった。 ところが、 前述 0 現品 調査の 結 raK でも 正しく この 支 

柱が 最初 に 折れた とする と 全て Q こ とが 符合す るので ある。 かうな つ て來 ると もう 大體 の 經過 Q 

見通しが ついた 譯 であるが、 唯 大切な タン バックル Q 留め針 金が どうして 切れた か、 叉 一 寸考へ 

ただけ では 拔 けさう もない ネヂ がどうして 拔け 出した か V 分らない。 そこで 今度 は 現品と 同じ 鋼 

索と クンバ ッ クルの 組合せ を 色々 た條 件の 下に 週期 的に 引っぱったり 緩めたり して 試験した 結 栗、 


468 


考 w 災 


實 際に 想像 通り に破壤 Q 過程が 進行す る こ と を 確かめる こ とが 出来た のであった。 要するに たつ 

た 一本 Q 銅線に 生命が つながって ゐた のに、 それ を 誰も 知らす に 安心して ゐた。 さう いふ 實に大 

事な ことが これ だけ Q 苦心の 研究で. やっと 分った ので ある。 さて、 これが 分った 以上、 この 命の 

綱 を 少しば かり 强く すれば、 今後 は少 くも こ の 同じ 原因から 起る 事故 だけ はもう 絶對 になくなる 

譯 である。 

こ Q 點で も科舉 者 Q 仕事と 探偵の 仕事と は 少しち がふ やうで ある。 探偵 は 罪人 を 見付け出して 

も 將來 Q 同じ 犯罪 をな くす る こと は 六 かし さう である。 

し、 飛行機 を 墜落させる 原因になる 「罪人」 は數々 あるので、 科. 學的 探偵の 目 こぼしに なつ 

てゐる 0 が 未だ どれ 程 あるか 見當 はつ かない。 それが 澤山 あるら しいと 思 はせ るの は 時に よると 

實に 頻繁に 新聞で 報ぜられる 飛行機 墜落事故の 繼起 である。 尤も 非常時の 陸海 軍で は 民間飛行 0 

場合な ど \ ちがって 軍機の 制約から 來る 色々 な 止み難い 事情 Q 爲に 事故の 確率が 多くなる のは當 

然 かも 知れない が、 いづれ. にしても 成らう ことなら 凡て Q 事故 C 徹底的 調査 をして 眞相を 明か に 

し、 さ う して 後難 を 無くす ると い ふ 事 は 新し い 飛行機 Q 數を增 す と 同様に 極め て 必要な こ とで あ 

らうと 思 はれる。 これ は 叉 飛行機に 限らす あらゆる 國 防の 機 關に つ い て も 同様に 云 はれる ことで 


469 


ある。 勿論 當 w でも その 邊に遣 漏の ある 苦 はない が、 ^し 一般 世 51 では どうかす ると 誤った 責任 

觀念 から 色々 の 災難 事故の 眞 が 抹殺され、 そのお かげで 上の 責任者 は 出ない 代りに、 同じ 

原因に よる 事故の 犠牲者が 跡を絶たないと いふ ことが 珍ら しくない やうで、 これ は W つたこと だ 

と 思 はれる。 これで は 犧牲^ は 全く 浮ばれない。 傅 染病忠 者 を內證 にして おけば 患者が 殖える、 

あれと 似た やうな も Q であらう。 

かう は 云 ふ も S  X 义 よく/,^, J へて 兑てゐ る と 災難 の 原因 を 徹底的 に 調べて その 眞相を 明か に 

して、 それ を 一般に 知らせさへ すれば、 それで そ 〇 災難 は此 世に 跡 を 絶つ とい ふやうな 考は、 本 

當 の 世 Q 巾 を 知 ら ない 人 問 C 机上 Q み-想に 過ぎ ないで はない かとい ふ 疑 も 起 つて 來 るので ある。 

早い話が 無閱に 人殺し を すれば 後に は n 分 も 大概 は問途 ひなく 處 刑され ると いふ こと は 隨分昔 

からよ く 誰に も 知られて ゐ るに 拘ら. や、 何時に なっても、 c 分で は 死にたくない 人で 人殺し をす 

る も の 、 種が 盡 きない。 おい 時分に 火洒を のんで 無茶な 不養生 を すれば 頭 やから だ を 痛めて 年取 

つてから 難儀す る こと は 明. ni でも、 さう して 自分に 1- いた 秫 の牧穫 時に 後悔し ない 人 は 稀で ある。 

大律 浪が來 ると 一 と 息に 洗 ひ 去られて 生命 財産 共に 泥水の 底に 植 めら れ るに きまって ゐる 場所 

でも 繁華な 市街が 發途 して 何十 萬 人の 集團が 利權の 1^ 鬪に 夢中になる。 何時 來る かも 分らない 津 


470 


養 難災 


良 Q 心 記よりも 明日の 米 榧の 心配の 方が より 現實 的で あるから であらう。 生きて ゐる內 に 一 度て 

も 金 を 儲けて 三日で も榮 華の 夢を見さへ すれば 律 浪に攫 はれても 遣憾 はない とい ふ、 さう いふ 人 

生 觀を抱 いた 人.; おがさう い ふ 市街 を 透 つ て 集落す る の かも 知れな い。 それ を 止め * たて するとい ふ 

0 がい、 かどう か、 い、 としても それが 實行 可能 かどう か、 それ は、 屮々 容易なら ぬ 六 かしい 問 

题 である。 事によると、 この やうな 入 l^c 動き を 人間 G 力で とめたり 外ら したりす るの は天體 C 

運 7 を 勝, にしよう とする よりも 一 層 難儀な ことで あるか も 知れない ので ある。 

•  叉 一方で はかう いふ 話が ある。 或 遠い 國の 炭礦で は礦山 主が 爆發 防止の 設備 を 怠って 充分に し 

てゐ ない。 監 が撿 杏: に來 ると 現に 掘って ゐる 坑道 は 塞いで 齊坑 だとい ふこと にして 見せない 

で、 亮に 及第す ろ坑 だけ 見せる。 それで 檢閱は パスす るが 時々 爆發が 起る とい ふ C である。 眞 

僞は 知らないが 可能な 事で は ある。 

. かう いふ 風に 考 へて 來 ると、 あらゆる 災難 は 一 見 不可 抗 的の やうで あるが 實 は人爲 的の もので I 

れ. - つて 科 §:5 の 力に よって 人爲 的に いくらでも 輕 減し 得る もの だとい ふ考 をもう 一 遍 ひっくり返し 

て 、 結 W 災難 は 生じ 易 いのに それが 人爲的 で あ るが 爲に却 つて 人 問と いふ もの を 支配す る 不可 抗 

な 方 則 Q 支配 を 受けて 不可 杭な ものであると いふ、 奇妙な 廻りく どい 結論に 到達し なければ なら 


471 


ない ことになる かも 知れない。 

理窟 はぬ き にして 古今東西 を 通す る 歷史と い ふ歷史 が 殆ど あらゆる 災難の 歷史 であると い ふ 事 

赏 から 見て、 今後 少 くも 一 一千 年 や 三千 年 は 昔から ある あらゆる 災難 を根氣 よく 繰 返す ものと 見て 

も. 大した 間違 ひ はない と 思 はれる。 少 くも それが 一 つの 科擧的 宿命 觀 であり 得る 譯 である。 

もしも こ Q やうに 災難の 普遍性 S 久 性が 事實 であり 天然の 方 則で あると すると、 吾々 は 「災難 

Q 進化論 的 意義」 と 云った やうな 問題に 行き 當ら ない 譯には 行かなくなる。 平たく 云へば、 吾々 

人間 はかう した 災難に 養 ひ はぐ \ まれて 育って 來 たもので あって、 丁度 野菜 ゃ鳥徵 魚肉 を 食って 

育って 來 たと 同じ やうに 災難 を 食って 生き 殘 つて 来た 種族であって、 野菜 や 肉類が 無くなれば 死 

減し なければ ならない やうに、 災難が 無くなったら 忽ち 「災難 饑餓」 Q 爲に 死滅すべき 運命に お 

かれて 居る Q ではない かとい ふ變 つた 心配 も 起し 得られる ので はない か。 

古い 支那 人の 言葉で 「艱難 汝を 玉に す」 と 云った やうな 言 草が あった やうで あるが、 これ は 進 

化 論 以前の ものである。 植物で も 少し いぢめ ない と花實 をつ けない ものが 多い し、 ざう り蟲 パラ 

メ キゥム などで も餘り 天 下 泰平 だと 分裂 生殖が 終熄して 死 減す るが、 汽車に でも Q せて 少 しゅさ 

ぶって やる と 復活す る。 この やうに、 虐待 は 繁昌の ホルモン、 災難 は 生命 Q 釀母 であると すれば * 


472 


考赚災 


地震 も 結構、 颱風 も 歡迎、 戰爭 も惡疫 も禮 讚に 値する C かも 知れない。 

日本 C 國土 など もこ Q 點 では 相 當惠 まれて ゐる方 かも 知れない。 うまい 工合に 世界的に 有名な 

タイフ ー ン 0 いつも 通る 道筋に 並 IW して 島 弧が 長く 延長して 居る ので、 大抵の 齢 風 は ひっか \ る 

やうな 仕掛けに 出来て ゐる。 叉 大陸 塊の 緣邊 Q ちぎれの 上に 乘っ かって 前に は 深い 海溝 を控 へて 

なるお かげで、 地震 や 火山 Q 多い こと は先づ 世界中 0 大概 Q 地方に ひけ は 取らない つもりで ある。 

その上に、 冬 Q モンス ー ンは 火事 を塌 り、 春の 不連鑌 線 は 山火事 を 焚きつ け、 夏 Q 山水 美 は 正し 

く 雷雨の 醸成に 適し、 秋の 野 分は稻 G 花時 刈 人時 を 狙って 来る やうで ある。 日本人 を 日本人に し 

たの は實 は擧 校で も 文部省で もなくて、 神代から 今日まで 根氣 よく 繽 けられて 來だこ の 災難 敎育 

であった かも 知れない。 もし さう だと すれ は、 科學 0 力 を かりて 災難の 防止 を 企て、 この 折角の 

敎 育の 效果を 幾分で も 減殺しょう とする Q は考へ ものである かも 知れない が、 幸か不幸か 今のと 

こ ろ先づ そ の 心配 はなさ さう で ある。 い くら 科學 者が 防止法 を發 見し て も、 政府 は その ま、 に そ 

れを 採用 實行 する ことが 決して 出来ない やうに、 又 一 般 民衆 は 一 向 そんな 事に は 頓着し ないやう 

に、 ちゃんと 世の中が 出 來てゐ るら しく 見える からで ある。 

植物 や 動物 は 大抵 人間よりも 年長者で 人間 時代 以前から 0 敎育を 忠實に 守って ゐ るから 却って 


473 


災難 を豫 想して これに 備 へる 事 を 心得て 居る か少 くも. HI ら 求めて 災難 を 招く やうな 事 はしない や 

うで あるが、 人 il は 先祖の アダムが 智慧の 樹の實 を 食った お蔭で 數 萬年來 受けて 來た敎 育 を 馬鹿 

にす る こと を覺 えた はに 新しい 幾分の 災難 を澤 山背 負 込み、 E 下 その 新しい 災難から 初歩 Q 敎育 

を 受け 始めた やうな 形で ある" 之からの 修行が 何十 世紀 か \ るか 是は誰 にも 見當 がっかない。 

災難 は n 本ば かりと は 限らな. S やうで ある。 お 隣の アメリカ でも、 適に は 相 《w な 大地震が あり、 

大山 火事が あるし、 時に 叉 R 本に は餘り 無い 「熱波」 「塞 波」 の 襲來を 受ける 外に、 可な り屢、 、猛 

烈な大 旋風 ト, -ナド ー に 引搔き 廻され る。 例へば 一 九 三 四 年 Q 統計に よると 總計百 十四 囘 Q トル 

ナド ー に 兌 舞 はれ、 その 根 害 額 三百 八十 三 萬 三千 弗、 死者 W 十 名であった さう である。 北米 大陸 

で はた 山 職が 南北に 走 つて. 5 る爲 にかう した 特異な 現象に 富ん でぬ る さう で、 この 歐洲 より は 

少 くも 一 つ だけ 多くの 災 寄の 種に 惠 まれて ゐる わけで ある。 北米 Q 南方で は 我が タイフ ー ン 0. 代 

りに そ C 親類の ハリケ ー ンを 享有して ゐ るから ハ.訨 : 心强 いわけで ある。 

.践 北 幾 Ql?.^ 西 亜 西 比 利 亜で は 生憎 地震 も 噴火 も 颱風 もない やうで あるが、 その代り に 海 を 鎖す 

^と、 人 ^5 を 窒息させる 吹雪と、 大地の 底 迄 氷らせる 塞 さが あり、 乂^ を 越えて きえる 野火が あ 

る。 炎して 负 けて はねない やうで ある。 


474 


考 雜難災 


小 華 民國に は 地方 に よ つ て は^^ に火 地震も あり 大 洪水 も ある やうで あるが、 ^しあの 應大な 支 

那の 主要な 國土 C 大部分 は、 ;滅象 的に も 地球 物理的に も 比較的に 極めて 平 穩な條 件の 下にお かれ 

て ゐ る や う である。 その 埋 合せと い, ふ譯 でもない かも 知れない が、 昔から 相當 に 戰亂が 頻繁で 主 

權の與 亡 盛衰の テ ムボ が慌た しく そ C 上に あくどい 暴政 Q 跳梁の 爲に、 庶民の 安堵す る 暇が 少 

ないやう に 3^ える。  , 

災難に かけて は 誠に 萬 里 風で ある。 濱 のぼ 〈砂が 磨滅して 泥に なり、 野 Q 雜 草の 種族が 絶える 

迄 は、 災難の 種も盡 きないと いふの が ,u 然界 人間界 の事贲 であるら しい。 

雜 十と いへば、 野 山に 自生す る 草で 何 かの 藥 にならぬ もの は 稀で ある。 いっか 朝日 グラフに 色 

色な 草の B 眞 とその 草 Q 藥效 とが 速 載され てゐる Q を 見て 實に 不思議な 氣 がした。 大概 {^ 草 は 何 

か G 藥で あり、 藥 でない 草 を搜す 方が 骨が折れさ うに 兑ぇ るので ある。 ^しょく 考 へて 見る とこ 

れは 何も 神様が 人間の 役に立つ 爲 にこん な 色々 0 藥 草ケ- こしら へて くれたので はなくて、 此 等の 

天然の 植物に はぐ X まれ、 丁度 さう いふ も G  、成分に なって ゐるァ ルカ 口 イドな どが 藥 になる や 

うな 風に 適應 し て 來た 動物 か ら段々 に 進化して 來た G が 人 問 だと 思へば 大した 不思議で はなくな 

る わけで ある。 


475 


问 じ やうな 譯で、 大概の 災難で も 何 かの 藥 にならない とい ふの は 稀な のか も 知れない が、 たぐ、 

藥も 分量 を 誤れば 毒になる やうに、 災難 も 度が過ぎ ると 個人 を 殺し 國を 亡ぼす ことがある かも 知 

れ ないから、 餘り 無制限に 災難 歡迎を 標榜す るの も 考へも 0 である。 

以上の やうな 進化論 的 災難 觀とは 少しば かり 見地 を かへ た 優生 學的 災難 論と 云った やうな もの 

も 出来る かも 知れない。 災難 を豫 知したり、 或はい つ 災難が 來て もい、 やうに 防備の 出来て ゐる 

やうな 種類 C 人 ii だけが 災難 を 生き 殘り、 さう いふ 「ノア」 の 子孫 だけが 繁殖 すれば 智慧の 動物 

として Q 人 問の 品質 はい やで も 段え 高まって 行く 一  方で あらう。 かう いふ 意味で 災難 は 優良 種 を 

選擇 する 試 驗のメ ン タル テ ストで あるか も 知れない。 さう だとす ると 逆に 災難 をな く すれば なく 

する 程 人間の 頭の 働き は 平均して 鈍い 方に 移って 行く 勘定で ある。 それで、 人間の 頭腦の 最高 水 

準 を 次第に:; K 下げて、 賢い 人 11 やえら い 人間 をな くして しまって、 四海 兄弟 みんな 凡庸な 人間ば 

かりにな つたと いふ ュ —ト ピア を 夢み る 人達に は 徹底的な 災難 防止が 何よりの 急務で あらう。 た 

だ それに 對 して 一 つの 心配す る こと は、 最高 水準 を 下げる と 同時に 最低 水準 も 下がる とい ふの は 

自然 di? 異の方 則で あるから、 この ュ ー ト ピア ンの 努力の 結 菜 はつ まり 人間 を 次第に 類人猿の 

方,; I: に 導く とい ふこと になる かも 知れない とい ふこと である。 


476 


考 雜難災 


色々 と 持って 週って 考 へて 見た が、 以上の やうな 考察から は 結局 何の 結論 も 出ない やうで ある- 

この 纏らない 考察の 一 つの 牧穫 は、 今迄 自分な ど 机上で 考 へて ゐ たやうな 樂觀 的な 科學的 災害 防 

止 可能 論に 對 する 一抹の 懷疑 である。 この 疑 を 解くべき 鍵 は 未だ 見付からない。 これにつ いて 讀 

者の 示敎を 仰ぐ ことが 出来れば 幸で ある。 (昭和 十 年 七月、 中央 公論) 


477 


映 畫 雜 感 (V} 


I 永遠の 綠 

この 英國製 映 畫を问 類の 米國製 レビ ュ ー 映畫と 比べる と 一 體の 感じが 隨分 ちがって ゐる。 後者 

の 尖鋭な ス マ ー トな 刺戟 C- 代りに 前者に は 何 虚か矢 張 古典的な 上品な 滋味が ある やうな 架が する。 

この 映 畫の頂 點はヒ 。インが 舞臺で 衣裳 をが なぐり 捨て ブ 口 ンド Q かつら を 叩きつ けて 惯 はし 

い 虚偽の 世界から. GZ 由な 11妈 實 の: 大地に 躍り 出す 場面であって、 そ Q 前 凡ての スト ー リ— はこの 

頂點へ 導く 爲の 設計で ある やうに 見える。 一 九 〇 九 年 型の 女優が 一 九 三 四 年式の ぴち/ \ した 近 

代 娘に 顿-脫 した 瞬間の スリルが 恐らく こ Q 作者の 一番の 狙 ひ 鹿で はない かと 思 はれる。 その後の 

餘波 となるべき 裁判所の 場面 も 一 寸 面白い。 證據 物件に 蠛管 蓄音機が 持 出された のに 對 して 撿事 


478 


: ま 雑畫映 


が 違法 だと 咎める と、 辯護士 がすぐ 「前例」 を 持 出す の や、 裁判- 4- の 口 ー ド Q バン々 複 0 惡 いとこ 

ろな どが 如何にも ィ ギリスら しくて、 いつも C- アメリカの 裁 刺 所 C 場面と 變 つた 穴.^ 氣を 出し て 居 

る やうで ある。  - 

何處 にも あくどい 處 やうる さい 處が なくて 上へ /^と 盛り上がって 行く やうな 全篇 Q 構成 を觀 

賞し つ 上孚樂 する ことが 出来る やうで ある。  , 

二 家な き兒 

これ も 中々 美しい 映畫 であるが、 前の 「永遠の 綠」 など、 は 又 種類の ちがった 見所 を 持って ゐ 

る やうで ある。 非常に 面お いお 伽噺の 話の 節が、 手際よ くきび くと 運ばれて 行く、 その テム ボ 

の 緩急が {D^ しき を 得て ゐる。 色々 の 美しい クチ ングな 場面が 丁度 そ 0 ぉ伽噺 の插畫 Q やうに 順々 

にめ くられて 行く、 さう した 美しい 插畫 が數へ 切れない 程澤山 あるので ある" 例へば (氷な き兒レ 

ミが ミリガン 夫人に 別れ を 告げて 船 を 下りてから、 ヴィ タリス 老人と 一寸 顏を 見合せ て、 さう し 

てあて Q ない 旅路 を ふみ 出す 處 などで も、 何でもない やうで, 1 い 情趣が にじんで ゐる。 永い 旅路 

と 季節の 推移 を 示す 短 かい シ ー ンの 系列な ど、 正に 插畫を 順々 にめ くって;;:: く氣 持で ある。 コロ 


479 


1 の 繪を想 出させる やうな フランスの 田舍の 幻像が スクリ ー ンの上 を 流れて 行く、 老人と 子が が M 

雪 夜の 石段 を 下りて 來る圖 や、 密航 船の 荷 倉で 人參を かじる 圖な ども 純粹 に插畫 的で ある。 

ー|ー  管鉉 樂映畫 

伯林 フィ ル ハル モー 一 ー に 於け る 「地獄の オルフ ォ イス」 と 「カルメン 」 の 演奏 を寫 した も. の で 

あつたが、 これ を 見ながら 聽 きながら 考へ たこと は、 自分が 伯林へ 行って 實 地に 臨む よりも かう - 

した 映畫で 鑑賞す る 方が 十倍 も 百倍 も 面. R いので はない かとい ふこと であった。 第一、 食 地で は 

こんなに 演奏者 を 八方から 色々 の 距離と 角度で 眺める こと は 不可能で あるが、 それば かりで なく 

映畫の カメラ は 吾ら の 眼の 案. 2: をして 複雜な 管 絲樂の 編 成 の 內容を 要領よ く 解明して くれる。 

曲の 各部 をリ ー ド して ゐる樂 器 を 時々 に 抽出して その 方に 吾々 の 注意 を 向けて くれる。 例へば フ 

ァゴ ット Q 管の 上端の 楕圓 形が 大きく 寫 ると 同時に この 木管 樂 器の メ  a ディ ー が 忽然と して 他 Q 

音の 波の 上に 拔け 出て 響いて 來 るので ある。 かう いふ こと は 作曲者 か 或は 指揮者 を 同伴して 演奏 

含へ 行っても 容易に 得られない 無言の 解說 である。 カルメンの 中の 獨唱 でも、 管 敍樂の 進行の 波 

頭が 指揮者の ふりかざした 兩 腕から 落 も か、 る やうに 獨 奏者の ク 口,' ズァ ッ プに 推移して 同時に 


感雜畫 映 


その 歌 を 呼 出す と 云った やうな 呼吸 0 面白さ は、 實地 では 却って 容易に 味 ははれ ない ものである- 

かう い ふ 意味で は音樂 自身よりも かう した 音樂映 畫は數 等複. 雑多 樣なデ ィ メンシ ヨン を もつ た藝 

術で あると 思 はれる。  . 

四 その 夜の 眞 心 

前說と 同様な 意味で、 この 映 畫は假 令 何十 囘 競馬 を 見物に 行っても 味 はふ こと Q 六 かしい と 思 

はれる 銃 -iil とい ふスボ ー ッの 最高 度 スリル を 味 ははせ る映畫 で、 凡ての 物語の 筋道な ど は、 た 

だ この クライマックス の 競馬の 場面 Q 鋭い スリル を 鋭く する ために 細かく 仕組まれた 足場と して 

見る こと も 出来る。 實 際の 競馬で は あ \ した 番狂は せに はめった に 出く はせ ないで あらう し、 叉 

觀客は カメラの やうに あんなに 勝手に 位置 を變へ て 自由に 見處を 得られる 害 はない Q である。 こ 

れ だけで も映畫 とい ふ もの \ 獨特な 使命が 明白に 指示され てゐる やうに 思 ふ。 

五す みれ 娘 

日本の 近代 映畫 でも、 PCL の 提供す る もの 中には 色々 な點で 有望な 進歩の 動向 を 示して ゐ 


481 


る ものが ある やうに 思 ふ。 この 「すみれ 娘」 など も その 一 例で ある。 あくどい 蒼繩 さが わりに 少 

なくて. i! 快な 俳諧と 云 つ たやうな も の が 傻梅さ れてゐ る やうで ある。 例. へば ドラ イヴの i;t=^ul に 出 

て來る 、ノ ィ カラな 杣ゃ杭 打ちの 夫 の スケッチ などが それで ある。 「野 羊の 居る 風景」 など も そ 

れ である。 唯 残念に 思 ふの は 外國の 多くの 實 例と 比較した ときに 感ぜられる 昔樂の 容量 の 乏し さ 

と、 商く カ强く 盛り上がって 來る やうな 加速 的 構成の 不足で ある。 もう 一層の 深い 研究が 望まし 

いと 思 はれる。 

主役の すみれ 娘 は オリ ヂナル な 愛嬌と 頭腦の 持主ら しく 所に 一 種の 俳諧 を發 揮して ゐる やう 

である。 ^^^?返りの博士はからだでする表情をもぅ少し腹の中へ しまひ込んだ方がこの映畫の俳諧 

的雰 W 氣に 相應 はしい のでない かと 3 心 はれた。 此れに 比べる と金 滿, ぼと 彫刻家と は簡 にして 要 を 

得て ゐる やうで ある。 カメラと 燒 付け も ー體に 中々 鮮明で 美しい と 思 はれた が、 殘 念ながら 錄音 

の 方に はま だ/ \望 むべき 多くの ものが 殘 されて ゐる やうで ある。 (昭和 十 年 七月、 映畫と 演藝) 


482 


浴 水 海 


明治 十四 年の 夏、 當時名 十" 屋鎭臺 につと めて ゐた 父に 連れられて 知 多 郡の 海岸 の 大野と 力い ふ 

處へ 「臨 „ なお 治」 に 行った。 そ Q とき 數へ 年の 叫 歳であった 害 だから、 殆ど 何事 も 記憶ら しい 記憶 

は殘 つて 居ない ので あるが、 併し 自分の 幼時 Q 體驗 のうちで 不思議に も 今日 迄 鮮明な 印象と して 

殘 つて ゐる 極く 少 數の畫 像の 斷片の やうな もの を 一 枚々々 めくって 行く と、 その 中に、 多分 この 

應 湯治の 時の もの だら うと 思 ふ 夢の やうな 一 場面の ス ティル に 出く はす。 

海岸に 石 H 一の やうな ものが 何處 まで も 一 直線に 連なって ゐて、 その 前に 黄色く 燭 つた 海が 擴が 

つて ゐる。 數へ 切れない 程 大勢の 男が みんな 丸裸で 海水の 中に 立ち並んで ゐる。 去来す る 浪に人 

の 胸 や 腹が 浸ったり 現 はれたり して ゐる。 自分 も 丸裸で 矢 張 丸裸の 父に 抱かれし がみつ いて 大勢 

の 人 Q 中に 交って ゐる。 


た r それだけ である。 一 體 そんな 石垣の 海岸に 連なって ゐる處 が 知 多 郡の 海岸に 實 在して ゐた 

Q かどう か 確め たこと もない。 或は 全部が 夢で あつたか 知れない、 併し そ Q 光景が 實に 解明に 

あり/^ と、 頭の 中に 燒付 いたか Q やうに 記 億に. 续 つて ゐ るの は事實 である C やっと 大きくな. つ 

てからよ く兩 親から 聞かされた ところに 據 ると、 その 兎角 虚弱であった 自分 を醫 師の勸 めに よ 

つて 「.M 湯治」 に 連れて行った Q だが、 いよ/ \ 海水浴 を させよう とすると ひどく 怖がって 泣き 

叫んで どうしても 手に 合 はない Q で、 仕方なく 宿屋で 海水 を 沸かした 風呂 を 立て 、貰って それで 

毎日 何度も 溫浴を させた。 鬼に 角 そ Q 1 と 夏の 湯治で 目立って 身體が 丈夫に なった Q で 兩親は ひ 

どく 喜んだ さう である。 

自分 に はそんな に 海 を 怖が つたと いふ やうな 記憶 は 少しも 殘 つて ゐ ない。 併し 實際 非常に 怖 い 

思 ひ をした ので、 そ G ときに 眼底に 宿つ た 海岸 と 海水浴場 の 光景が その 儘に 記憶の 乾板に 燒 付け 

られ たやう になって 今日 迄殘 つて ゐる もの と 思 はれる。 

それ は 鬼に c、 明治 十四 年頃に 假令 名前 は r 鹽 湯治」 でも 旣に 事實 上の 海水浴が 保健の 一 法と 

して 廣く 民間に 行 はれて なた こ とが これで 分る Q である。 

明治 二十 六 七 年頃 自分の 中學 時代に は そろ/^ 「海水浴」 とい ふ も Q が鄕里 QS 舍でも 流行り 


484 


浴 水 海 


出して 居た やうに 思 はれる C 一  番 最初 Q 所謂 「海水浴」 に は 矢 張 父に 連れられて 高 知 浦 戶灣の 人 

口に 臨む 種 崎の 濱に 間借り をして 出かけた" 以前に 宅に 奉公して ゐた 女中の 家だった か、 或は そ 

の 親類の 家だった やうな 戴が する。. 夕方 此 地方に は 名物の 夕贝の 時刻に 門- W の廣ぃ 空地の 眞 中へ 

緣臺の やうな も Q を据 ゑて そこで 夕飯 を 食った C そ Q 時 宅から 持って行った 葡萄酒 やべ ル モット 

を 試に 女中 Q 親父に 飮 ませたら、 こんな 珍ら しい 酒 は 生れて 始めて だと 云って 大層 喜んだ が、 併 

し 餘程變 な 味が する らしく 小首 を 傾けながら 怪 -is な顏 をして 飲んで 居た C さう して、 その あとで 

やつば り 日本酒の 方が い 、と 云って 本音 を はいたので 大笑に なった こと を覺 えて ゐる。 

自分 も その 海水浴の ときに 「玉 ラムネ」 とい ふ 生れて 始めての もの を 飮んで 新しい ま: 覺の 世界 

を經驗 したの はよ かった が、 井戸端の 水蹇に 冷やして ある ラ ムネを 取りに 行って 宵闇の 板 流しに 

足 を すべらし 泥 溝に 片脚を 踏 込んだ とい ふ 恥 曙し の 記憶が ある。 

その 翌年 は 友人 QK と 甥 QR と 三人で 同じ 種 崎 CT とい ふ 未亡人 Q 家の 離れの 二階 を 借りて 一 

と 夏 を 過ごした。 

この 主婦の 亡夫 は 南洋 通 ひの 帆船の 船員であった さう で、 アイボリ ー . ナツ ッと稱 する 珍ら し 

い 南洋 產の 木の 實が 天照皇大神 Q 褂物 のか. - つた 床の間 0 置物に 飾って あった C 此 土地の 船乘の 


485 


中 に. は 二三 百呢 位の 帆船に 雜貨を 積ん で 南洋 へ 貿易に 出掛ける の が澤山 ゐ ると いふ 話であった。 お 

濱邊へ 出て 遠い 沖の 彼方に 土 堤の やうに 連なる 積雲 を 眺めながら、 あの 雲の 下 を 何 處迄も 南へ 南 

へ乘 出して 行く と 何時か は 一一 ュ ー ギ 一一 ァか 濠洲へ 着く のか しらと 思って ぉ伽噺 的な {4: 想に 耽った 

りした ものである。 宿の 主婦の 育て \ 居た 貰 ひ 子で 十 歳 位の 男の子が あつたが、 この 子の 父親 は 

漁師で 或日魴 漁に 出た きり 歸 つて 来なかった とい ふ 話であった。 發 動機 船 もな く 天氣豫 報の 無線 

電信な どもなかった 時代に 百哩も 沖へ 出ての 節 漁 は 全くの 侖 懸けの 仕事で あつたに 相違ない。 そ 

れは 鬼に 角、 この 男の子が 鳥目で 夜になる と 視力が 無くなる とい ふので、 「黑チ ヌ」 とい ふ 魚の 生 

き膽を 主婦が 方々 から 貰って 來 ては飮 ませて ゐた。 一種の ビ クミン 療法で あらう と 思 はれる。 見 

たと ころ 元氣 のい、 子で、 顏も 背中 も 跪 紙の やうな 色 をして、 そして 當時 流行って ゐた卑 稷な流 

行 唄 を 歌 ひながら 丸裸の 跣 足で 濱を 走り 廻って ゐた。 

同じ 宿に 三十 歳 位で 赤ん坊 を 一 人 つれた 大阪 辯の 一 寸小 意氣な 容貌の 女が ゐた。 どうい ふ 人 だ. 

か 吾々 に は 分らなかった。 或 日 高 知から 郵便で 吾々 三人で 撮った 寫眞 がと ぐいて みんなで 見て ゐ 

ると ころへ その 女 もやって 來て それ を 手に とって 眺めながら 「キ レ ー な 人 は寫眞 でも やつば りキ 

レ— や」 とい ふやうな こと を 云った。 R は當時 有名な 美少年で あつたが K も 相 當な好 子で あつ 


浴 水 海 


た。 そ Q 時 K が R に 「オイ、 R、 ふるへ ちゃい かんよ」 と 云って からかった。 その IK 葉の 中に 複 

雜な K の 心理の 動きが 感ぜられて を かしかった。 尤も そんなつ まらない こと ぁ覺 えて ゐ るの は、 

當 時の 自分の 子供心に 輕ぃ 嫉妬の や. うな もの を 感じた 爲 かも 知れない と 思 はれる。 

もう 一人の 同宿 者が あった。 何處 かの 小, 學 校の 先生で あつたと 思 ふ。 自分で 魚市場から 買って 

來た魚 を その ま、 鳞も 落さす わた も拔 かすに f, 網で 燒ぃ てが むしゃら に 貪り食 つて ゐた。 その 豪 

傑 振り を 一一 ャ/ \ 笑って ゐ たの は 當時張 良 を もって. E ら 任じて ゐた K であった。 4IL 分の 眼に もこ 

の 人の 無頓着ぶ りが 何となく 本物で ないやう に 思 はれた。 

夕方 ft 海に 面した 濱邊に 出て、 靜 かな江の 水に 映 じた 夕陽の 名殘の 消える ともなく 消えて ゆく 

の を 眺めて ゐ ると に 家が 戀 しくな つて 困る ことがあった。 たった 三 単; 位の 彼方の 我家 も、 かう 

した 入江で 距 てられて ゐ ると、 ひどく 遠い 處の やうに 思 はれた のであった。 其 後;^ 鄕を 離れて 熊 

本に 住み、 東京に 移り、 又 二 年 半も歐 米の 地を遍 したと きで も、 この 中 寧 時代の 海水浴の 折に 

感じた やうな 鄕愁を 感じた ことはなかった やうで ある。 一 つに は 未だ 年が 行かない 一 人 子の 初 旅 

であった せゐも あらう が、 又 一つに は、 我.! M が餘 りに 近くて どうで も らうと 思へば 何時でも 歸 

7 

られ ると いふ 可能性が あるのに、 さう かと 云って 豫定の 期日 以前に 歸 るの はき まりが 惡 いとい ふ 4 


「煩悶」 があった 爲 らしい。 その 頃 高 知から 稀 崎 迄 行く のに は乘 合の 屋形船で 潮時で も惡 いと 三 

四時 間 も か. -っ たやうな 氣 がする。 現在の 東京の 子供なら 靜 岡か濱 松か輕 井澤へ でも 行って ゐた 

のと 相お する 譯 である。 交通 速度 Q 標準が 變 ると 距離の 尺度と 時間の 尺度と が 丸 切り 喰 ひち がつ 

てし まふ Q である。 

そ の 頃 にも よく 濱で 溺死者が あ つ た。 當時 Q 政 客で 〇〇〇 議長 もした ことの ある K 氏の 夫人と 

その 同伴者が 波打 際に 坐り込んで 砂 濱を這 上る 波頭に 浴して ゐる うちに 大きな 浪が來 て、 そ 0 引 

返す 强ぃ 流れに 引きす り 落され 急 斜面の 深みに 陷 つて 溺死した。 名士 Q 家族であった だけに その 

一一 ュ ー スは鄕 里の 狹ぃ 世界の 耳目 を錄 動した。 現代の 海水浴場の やうに 濱邊 0 人目が 多かったら、 

こんな 間違 はめった に 起らなかった であらう と 思 はれる。 

死者 の 屍體が 二三 日 もた つて 上る と、 からだ 中に 黄^が 附ぃ て 瞳 ひ 散らして ゐて眼 も あてら 

れな いとい ふ 話 を 聞いて 怖氣を ふるった ことであった。 

海水 11^ など & いふ もの は 勿論なかった。 男子 は アダム 以前の 丸裸、 婦人 は 浴衣の 統帶 であった 

と 思 ふ。 海岸に 寶店 一 つなく、 太平洋の 眞 中から 吹いて 來る 無垢の 潮風が いきなり 松林に 吹き込 

んでこ ぼれ 落ちる 針 葉の 雨 に 山 蟻 を 驚かせて ゐた。 


488 


浴 水 海 


明治 三十 五 年の 夏の 末 頃 逗子錄 倉へ 遊びに 行った ときの スケッ チプ ッ クが今 手許に 殘 つて ゐる C 

いろ ない たづら 書きの 中に 「明星」 ばりの 幼稚な 感傷的な 歌が いくつか 並んで ゐる。 かう い 

ふ 歌 はもう 一 一度と 作れ さう もない。 .當 時 一 一十 五 歲大擧 の 三年 生に なった ばかりの 自分で あつたの 

である。 

たしか 其 時 Q ことで ある。 江の 島の 金 趣樓で 一晩 泊った: 島中 を 歩き 廻って 宿へ 歸 つたら 番頭 

が やって来て 何 か 事々 しく 言譯 をす る。 よく 聞いて 見る と、 當時 高名であった 强盜 犯人 山邊音 極 

とかい ふ 男が 江の 島へ 來てゐ ると いふ 愔 報が あつたので 警官が やって来て 宿泊人 を 一 々見て 歩き 

留守中の 客の 荷物 を 調べ, たりした とい ふので ある。 强盜 犯人の 嫌疑 候補者 0 仲間 人り をした 0 は 

前後に こ Q 一  度 限りで, あった。 

. 「藤澤 江の 島 間 電車 九月 一 日 開通、 衝突 脫線等 あり、 負傷者 數名を 出す, 一 とい ふ 文句 Q 脇に 「藤 

澤 停車場 前 角 若松の 一 一階より」 とした 實に 下手な 鈴 筆の ス ケ?. チが ぁス -C 

逗子 養神亭 から 見た 向 ふ 岸の 使い 木 柵に 凭れて ゐる 若い 女の 後 姿の スケッ チが ある。 録廣の 藁 

帽を阿 彌陀に 冠って あちら 向いて 左の 手で 攔 C 横木 を 押さへ てゐ る。 矢拼 らしい 着物に 扱 帶を卷 

いた 端 を 後に 垂らして ゐる、 その 帶 だけ を赤紛 筆で 塗って ある C さう した、 , やから 見れば 古典的 


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な 姿が 當 時の 大學 生に は 世に もモダ ー ンな シックな ものに 見えた ので あらう、 小 杉 天 外の 「魔風 

戀風」 が 若い 人々 の 世界 を風縻 して ゐた 時代の ことで ある。 

大正の 初年 頃 外 房 州の 海岸へ 家族 づれで 海水浴に 出かけたら 七月 中 雨ば かり 降って 海に はいる 

やうな 日が 殆どな く、 子供の 一 人が 腸 を 悪く して 熱 を 出したり した。 宿の 主人. は 潜. K 麥者 であつ 

たが、 或 日 港 水から 上る と身體 中が 痺れて 動け なくなつ たので、 それ を 治す 爲に もう 一 1- 潜水服 

を 着せて 海へ 沈めたり したが、 とう,/ \ それつ 切りに なって しまった。 自 分 等は雠 屋にゐ たので 

その 騒ぎ を翌 H まで 知らなかった。 その 二三 日 前の 夜に その 主人が 話しに 來た とき 刀 も 一 一十 餘 

年 前の 父の 眞似 をして 有り合せ のべ ルモッ トか何 か を 飲ませた. ら、 との 男 も 矢 張 こんた 酒 は 始め 

て だと 云って 喜んで 飲んだ。 多分た つた 一杯 飲んだ だけで あつたが、 併し その 馴れない 酒 を-飲ん 

だとい ふ 事と、 もな く 潜水 者 病に 榧った こと の に 何 かしら 科攀 的に 説明 出来る やうた 關係 

があった ので はない かとい ふやうな 氣 がして、 妙に 不安な 暗い 影の やうな ものが 頭に つきまとつ 

て 困った。 何 かの W 緣が 二十 年 前と つながつ てゐる やうな 氣も した。 それが 丁度 中元の 頃で、 こ 

0 土地の人々 は 昔からの 風 |G に從 つて 家々 で 草 を 束ねた 馬の 形 を こしら へ、 それ を 水 邊に持 出し 

ておいてから、 そこいらの 草 を 刈って それ を その 馬に^ はせ る眞以 をしたり して ゐた。 こ 草で 


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浴 水 海 


作った の 印象が 妙に 生ま/. \ しく 自分のと の 悪夢の やうな 不安と 結びついて 記憶に 殘 つて ゐる 

ので ある。 それから 間もなく 東京に 殘 つて ゐた 母が 病氣 になった ので 5^ で 引上げて 歸 つて 來る、 

その 汽車の 途中から 天 氣が 珍ら しく 憎らしく 快晴に なって、 それから はもう すっと 美しい 海水浴 F 

日和が つ いたのであった。 この 一 と 夏の 海水浴の 不首尾 は實に 人生 そのもの K 不首尾 不如意の 

縮圖の 如き ものであった。 

それから 後に も 家族連れの 海水浴に は 兎角 色々 の 災難が 附 纏った やうな 氣 がする。 その 內に又 

自分が 病氣 をして うっかり 海水浴の 出来ない やうな からだに なった ので、 自然に 夏の 海と rt 緣が 

遠くな つてし まった。 

四 歳のと きに ひどく 海 を 嫌った のが その 讖を なした とで も 云 ふの かも 知れない。 

此頃 では 夏が 來 ると しきりに 信 州の 高原が 戀 しくなる。 郭公 や 時鳥が 自分 を 呼んで ゐる やうな 

氣 がする。 今年 も 植物 圖鑑 を携 へて 野の 草に 親しみ 度い と 思って ゐる。 

(昭和 十 年 八月、 文藝春秋) 


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絲 車 


.1 母 は 文化 十一 一年 (一八 I 五) 生れで 明治 廿年 ( 一 八 八 九) 自 分が 十一 一歳の 歳末に 病 した。 

こ 0 祖母の 「想 出の 畫像」 の數々 のうちで、 一番 ft! 分に 親しみと なつかしみ を 感じさせる Q は、 

昔の 我家の 煤けた 茶の間で、 絲車を 廻して ゐる袖 無 羽織 を 着た 老鑑 0 姿で ある。 紋付を 着て 撮つ 

た寫眞 や、 それ を モデルに して 描いた 油输 など を 見ても、 なんだか 本當 0 祖母ら しく 思 はれない 

が、 た V 記憶の 印象 だけに 殘 つて ゐる この r 絲 車の 祖母 像」 は. 巧 後 四十 六 年の 今日で も實に 驚く 

べき 鮮明 さ を もって 隨 時に 服 前に 呼 出される。 

この 絲 車と いふ ものが 今では 全く 厫 史的 Q ものに なって しまった やうで ある C ま 分 Q 子^な ど 

でも 誰れ も 實物を 見た こと はない らしい。 產 業 博物館と でもい ふ ものが あれば、 さう いふ 處に參 

考品 として 陳列され るべ きもの かも 知れない。 


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車絲 


祖母の 使って ゐた絲 車 は その 當時 でもす つかり 深く 煤 色に 染まった いかにも 古めかし いも 〇 で 

あった。 恐らく a 母の 嫁入 道具 Q 一  つであった かも 知れない。 或は 又 曾祖母の 使 ひ 馴れた Q を大 

切に 持ち 傳 へた ものであった かも 知れない ので ある。 鬼に 角、 祖母 は. E 分の 家に 嫁いで からの 何 

十 年の 間に この 絲車 0 把手 を 恐らく 何千 萬囘 或は 恐らく は 何 億囘か 廻した こ とで あらう。 

自分 も 子供 固有 Q 好奇心から 何度か 祖母に 敎 はった こ Q 絲 車で 絲を 紡ぐ 眞似 をした 記憶が ある。 

綿 を 「打った」 Q を 直徑約 一 犍 長さ 約 一 一十 辗 Q 圓筒 形に 丸めた もの を 左 Q 手の指 先で 撮んで 持つ 

てゐ る。 そ 0 尖端 Q 綿の 纖維を 少しば かり 引出して それ を絲車 Q 紡錘の 針の 尖端に 卷 付けて おい 

て、 右手で 車の 把手 を 適 富な 速度で 廻す と、 つむの 針が 急速 度で 廻轉 して 綿 Q 纖維 Q 束に 燃り を 

かける。 燃り を かけながら 左の 手 を 引き返け て 行く と、 見る/ \ 指頭に 撮んだ 綿 0 棒 Q 先から 細 

い 絲が發 生し 延びて 行く、 左の 手 を 仲ば される だけ 仲ば した 處で その 手 を 擧げて 今出来 上った だ 

け Q 絲を妨 錘に 通した 竹 管に 卷 取る、 さう してお いて 再び 左手 を 下げて 絲を钫 錘の 針の 尖端に か 

らませ て 燃り を かけながら 新たな 絲を 引出す ので ある。 大概 車の 把手 を三囘 廻す 間に 左の 手が 延 

び 切って 數十輕 の 絲が妨 がれ、 それ を卷収 つてから、 また 同じ 事 を 繰 返す" さう いふ 操作 Q 爲に 

絲 車の 音に 特有な リズムが 生す る: それ を 昔の 人 は 「ビ I ン、 .ビー ン、 ビ ー ン、 ャ」 とい ふ 言葉 


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で 形容した。 把 乎の 一 廻轉が 「ビ ー ン」 で、 それが 一二 囘繰 返された 後に 「ャ」 のと ころで 絲が卷 

取られる Q である。 「ビ ー ン」 の 部で 鐵針 とそれ につな がる 絲 とが 急速な 振動 をして ゐる爲 に 一 

種 0 樂 音が 發 生す るが、 卷 取る とき はさう した 板 動が 屮 止す るので 昔の パゥゼ が來る わけで ある" 

耍 する にこの 四拍子の、 凡そ 考へ 得らるべき 最も 簡單な メロ ディ ー が 此の 絲 車と いふ 「樂 器」 に 

よって 奏 られ るので ある。 そ Q  メ  。ディ ー は實に 昔の 日本の 婦人の 理想と された 限りなき 忍從 

の德を 讚美す る 歌 を 歌って ゐ たやうな もの かも 知れない。 

右手と 左手と Q 運動 を 巧に 針應 させ コ ー オル ディネ ー ト させる 呼吸が 中々 六 かしい もので、 そ 

れ が出來 ない と 紡がれた 絲は太 さが 揃はなくて、 不規則に 節 くれ 立った 妙な 滑稽な ものに出来 損 

ねて しま ふ Q である。 自分など 一 一 一度 試みて あきれて しまって それ 切り 斷 念した ことであった。 

一 と 年 か 二た 年ぐ らゐ 裏の 畑に 棉を 作った ことがあった。 當時 子供の 自分の 眼に 映 じた 棉の花 

は實に 美しい ものであった。 花冠の 美し さ だけでなくて 花 1* から 葉から 壁まで がー W 葉で は 云へ な 

いやうな 美しい 色彩 Q 配合 を 見せて ねた やうに 3 心 ふ。 觀賞 植物と して 現代の 都人に でも 愛玩され 

てよ ささうな 氣の する も Q であるが、 子供 Q とき 宅の 畑で 見た 切りで その後 何處 でも この 花に め 

ぐお 合った と. いふ 記憶がない。 考 へて 見る と 今時 棉を植 ゑて 見たところで 到底 商.; 一 買に も 何にもな 


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ら ない せゐ かも 知れない。 尤も、 統計で 見る と 內國産 51 實千噸 と あるから、 未だ 何處 かで 作つ 

てゐ ると ころも あると 見える が、 輸入 數十 萬噸に „: ^すれば まづ 無い も 同樣 であらう。 

花時が 終って 「も \」 が實 つて やがて その 蒴が開 裂した 純白な 綿の 團塊を 吐く、 うすら 寒い 秋 

の暮に 祖母 や 母と 一 緒に 手々 に 味噌 漉し を 提げて^ 畑へ 行って、 その 收穫 Q 樂 しさ を 樂 しんだ。 

少しもう 薄暗くな つた 夕方で も、 こ の眞 おな 綿の 阒塊 だけが くっきり 畑の 上に 浮き 上って 見えて 

ゐ たやう に. 3 心 ふ。 さう いふと き、 鄕 m; で 「あ を 北」 と 呼ぶ 秋風が すぐ 傍の 竹 藪を戰 かせて 称 畑に 

吹き下ろして ゐ たやうな ぐ湫 がする。 

採集した 綿の 屮に 包まれて ゐる 種子 を 取 除く 時に、 「みくり」 と稱 する 器械に かける。 此れ は 云 

は 簡單な a 1 ラ I であって、 二つの 反對に 廻る 柯材 の圓 筒の 問 隙に: 棉實 を喧ひ 込ませる と、 綿 

の纖 維の 部分が 喰 ひ 込まれ 噴 ひ 取られて 向 ふ 側へ T 落ち、 堅くて 0 丄フ 10{ 分 隙 を 通過し 得ない 種 

子 だけが 裸に されて 手前に 落ちる ので ある。 面白 いのは、 こ Q  I ラ ー が 全部 木製で、 その 要 部 

となる 二つの 圓 筒が 直 徑 一 糨半 位であった かと 思 ふが、 それが 片方の 端で 互に. 嘴み 合って 反對に 

絲 週る やうに そこに 螺旋 -t が 深く 掘り 込まれて ゐた。 昔の 木工が よくも かう した 螺旋 を 切った もの 

車 だと 一寸 不 3 心議 なやう にも 思 はれる。 尤も この 嚙み 合せが かなりぎ しくと 親る ので、 その 減摩 


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油と して は行燈 のと もし 油 を 綿 切れに 浸 ませて 時々 急所々 々 に 塗りつ けて なた。 それで 把手 を 廻 

すと 同じ リズムで キ ュ ル/ と 一 種 特別な 輕昔を 立てる 0 であった。 「みくり」 を 通過して 

平たく ひしゃげ た 綿の 斷片に は 種子 Q 皮の 色素が 薄 紫の 線條 となって ほのかに 附着して ゐ たと 思 

ふ。 

かう して 種子 を 除いた 綿 を 集めて 綿打ち を 業と する もの 家に 送り、 そこで 絲 車に かける やう 

に 仕上げして 貰 ふ。 この 綿打ち 作業 は 一度 も 見た こと はない が、 話に 聞いた ところでは、 鯨の 筋 

を 張った 弓の 絃で 綿の 小 團塊を 根:!^ よく 叩いて 叩き ほごして その 纖維を 一 度 穴. j 中に 飛散 させ、 そ 

れを 沈積 させて 薄膜 狀 とした Q を、 卷 紙を卷 くやう に卷 いて 圓筒狀 とする Q ださう である。 さう 

して 出來た 綿の 圓 筒が 絲享に かけて 紡がれる わけで ある。 

ffl 舍道を 歩 いてね る と 道 脇 Q 農家の 納屋 の 一 一階の やうな 處 から、 この 綿弓の 紘 Q 音が 聞え てく 

る ことがあった。 それが 矢 張 四拍子の 節奏で 「パン/ ヽ. (- ャ」 とい ふ 風に 響く のであった。 恐 

らく 今ではもう 何^へ 行っても めったに M かれない E 園の 音樂 の 一 つで あらう と 思 はれる。 

明治 廿ヒ八 年 日 淸戰爭 の 最中に、 豫備 役で 召集され て 名 古屋の 留守 師團に 勤めて ぬた 父 を 訪ね 

て 遊びに 行った と き、 始め て 紡 鑌會社 の 工場と いふ もの、 見學を して 非常に 驚いた ものである。 


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車絲 


祖母が 絲 単で 一 生涯 か X つて 紡ぎ 得た であらう と 思 ふ絲. の 量が 數へ 切れない 機械の 紡錘から 短 時 

問に 一度に 流れ出して ゐた。 そこに は あの ゆるやかな 抑揚 ある 四拍子の 「子守歌」 の 代りに、 機 

械 的に 調律され た恆: i: な雜 音と t お 昔-の 交響 樂が 奏せられて ゐた。 

祖母の 紡いだ 絲を 紡錘 竹から もう 一遍 四角な 絲繰 枠に 卷 取って 「かせ」 に 作り、 それ を 紺屋に 

渡して 染めさせ たの を 手機に 移して 織る のであった。 裏の 炊事場の 土  の 片隅に こしら へた 板 n 

に 手機が ー臺 置いて あった。 母が それに 腰 を かけて 「ちゃんく ちゃきち やん」 とい ふこれ も 亦 

四拍子の 拍. -首を 立てながら 織って ゐる 姿が ぼんやりした 夢の やうな 記憶に 殘 つて は ゐ るが、 自分 

が 少し 大きくな つてから は、 もうこの 機 は 餘り使 はれなかった らしい。 併し 自分の 姉の 家で は そ 

の 老母が すっと 後まで、 €: 分 等の 屮舉 時代まで も、 こ Q 機織り を 唯一の 樂 しみの やうに して t おけ 

てゐ た。 木の 皮 を 煮て かせ 絲を 染める ことまで. E 分で やる の を道樂 にして ゐ たやう である。 純粹 

な 昔風の 所 Is. 草木 染で、 化 1,1. 染料な どのお 在 は 此の 老人の 夢にも 知らぬ お 在であった。 この 老人 

の 織った 蒲^ 地が 今でも 未だ 姉の 家に 殘 つて ゐ るが、 その 色が ちっとも 褪せて ゐな いと 云って 甥 

の Z が感, ^して 話して ねた。 

いつであった か、 銀座 资 生堂樓 上で はじめて 山崎斌 氏の 草木 染の 織物 を 見た ときに 何故か 淚の 


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出さうな ほどな つかしい 氣 がした。 そのな つかし さの 中には 恐らく. R 分の 子 佻の 時分の かう した 

體驗の 追憶が 無意識に 活動して ねた ものと 3 わ はれる。 又 今年の 初夏に は 松 坂 屋の展 覽會で 昔の 手 

織 縞の コ レ クシ ョ ンを兑 て 同じ やうな なつかし さ を 感じた。 もし 出来れば 次に 屮- 版す る 害の 隨筆 

集の 表紙に この 木綿 を 使 ひ 度い と 3 あって 店員に 相談して 見た が、 古い 物 を あり だけ 諸方から 拾 ひ 

集めた の だから、 同じ品を何1£^^揃へ る事は到底不可能だとぃふので遣憾ながら斷念した、 新た 

に 織らせる となると 大分 高價 になる さう である。 こんなに 美しい と 思 はれる ものが 現代の 一般の 

人の 目に は 美しい と 思 はれ なくなって しまったと いふ 事實が 今更の やうに 不思議に 感ぜられた。 

話 は-睨 線 する が、 最近に 見た 新發 明の 方法に よると 稱 する 有色 發 聲映畫 「ク カラッチ ャ」 の あの 

「叫ぶ が 如き 色彩」 など ^ 比べる と、 昔 Q 手織 縞の 色彩 は 正しく. 「唄 ふ 色彩」 であり 「思考す る 

色彩」 であるかと 3 わ はれる ので ある。 

化 學的藥 ui より 外に 藥 はない やうに 思 はれた 時代の 次に は、 昔の 草根木皮が 再び その 新しい 科 

擧 的の 意^と IHte と を 認められる 時代が そろく めぐって 來 さうな 傾向が 見える。 いよ/ \ その 

時代が 來る 頃に は、 或は 草木 染の 手織 木綿が 最も ス マ ー トな都 人士の 新しい 流行 趣味の 對象 とな 

ると い ふ奇 現象が 起らない とも 限らない。 銀座で 草木 染が 展觀 され デ パ ー トで 手織 木綿が 陳列 さ 


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れ ると いふ 現象が その 前兆で あるか も 分らない ので ある。 さう して、 鋼鐵製 或は ヂュ ラル ミン 製 

の 絲車ゃ 手機が 家庭 婦人の 少 くも 一 つの 手慰みと して 使用され る やうな ことが 將 來絶對 にあり 得 

ない とい ふこと を證 明す る こと も 六, かし さう に 思 はれる。 現に 高官 や 富豪 の 誰れ 彼れ が 日 曜日に 

わざ/ \^舍 へ 百姓 Q 眞似 をし に 行く ことのは やり 始めた 昨今で は猶更 そんな 空想 も 起し 得られ 

るので ある。 

昔の 下級 士挨の 家庭 婦人 は 絲享を 廻し 手機 を 織る こと を 少しも 恥 かしい 賤 業と は 思 はないで、 

つ 、ましい 誇りと し 或は 寧ろ 最大の 樂 しみと して ゐ たもの らしい。 ピ クニ ッ ク よりも ダン ス より 

も、 婦人 何々 會で驅 け 廻る よりも この 方が 遙に 身に: ぬみ て 本當に 面白いで あらう とい ふこと は、 

「物 を 作り出す ことの 喜び」 を 解す る 人に は 現代で も いくらか 想像が 出来さう である。 

序ながら 西洋の 絲車は 「飛び 行く 和 蘭人」 の オペラの 一 と 幕で 實演 される 0 を 見た ことがある。 

やつば り 西洋の 踊の やうに 輕 快で 陽 氣で、 日本の 絲 車の やうな 俳諧 は, どこに もない。 又、 シュ ー 

ベ ルト Q 歌曲 r 絲 車の グレ ー チ へ ン」 は 六 拍子であって、 その 伴奏の あの 特徵 ある 六 連 昔の 波の 

絲 うねりが 絲 車の 廻 轉を 象徵 して ゐる やうで ある。 これ だけから 見ても 西洋の 絲 車と 日本の 絲 車と 

車 

が 全くち がった 詩の 世界に 屬 する もの だとい ふこと がわ かると 思 ふ。 


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こつ 絲 車の 追憶に つながって ゐる 子供の 頃の 田園 生活の 思 出 は 本 當に絲 車の 紡ぎ 出す 絲の 如く 

盡 くる 處を 知らない。 さう して、 こんな こと を考 へて ゐ ると、 自分が たま/ \ 貧乏 士族の 子と 生 

れて 田園の 自然の 間に 育った とい ふ 何の 誇りに もなら ない ことが 世に も 仕 合せな 蓮 命で あつたか 

の うな 氣 もして くるので ある。 (昭和 十 年 A 月、 文學) 


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理生 と 畫映 


映 畫 と 生理 


或る 科學 者で、 勇猛に 仕事 をす る 精力 家と して 叉學 界を壓 迫す る權威 者と して 有名な 人が 或る 

若い モダ ー ン なお 弟子に 「映畫 なんか 見る と 頭が 柔 かくなる からい かん」 と 云って 訓戒した さう 

である。 この 「頭が 柔 かくなる」 とい ふの は 勿論 譬喩 的の 言葉で あるに は 相違ない が、 併し そ Q 

云った 先生の 意味が 正確に どうい ふ 內容の も 〇 であった か、 當 人に 聞いて 見なければ 結局 本當の 

こと は 分らない。 唯 その 先生の 平生の 勉强 ぶりから 推して 考 へて 見る と、 映畫の 享樂の 影響から 

自然. 學問 以外の 人間的な ことに 興味 を 引かれる やうに なり、 肝心の 學 問の 研究に 沒 頭す るに 必要 

な 緊張 狀 態が 弛緩す ると 困る とい ふこと を、 かう い ふ 獨特な 言 紫で 云 ひ 現 はした Q ではない かと 

思 はれる。 

こ の 訓戒 はこ の擧 者の 平生 懷抱 する やうな 人生 哲學 からすれば 極めて 當然な 訓戒と して 受取ら 


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れる Q であるが、 これと は 少しち がつ た 種.: i の 哲學の 持主 であると ころ の 他の 擧 者に 云 はせ る と、 

それと 反對に 「映 畫 でも 見ない と 頭が 硬くな つてい けない から 時々 見る 方が い"」 とも 云 はれ 得 

るから 面 いので ある。 

それ は 鬼に 角、. E 分の 關 係して ゐる某 研究所で 時々 各員の 研究の 結 ra^ を發 表する 爲の 講演 會が 

開かれる。 その 會の 開催 前になる と 矢 張 どうしても 平生より は 仕事が 忙しくな つて 何かと 餘 計に 

頭 を 使 ふ。 さう していよ く當 日の 講演 會に 出て 講演したり 討議したり、 假令 半日で も 兎に角 平 

生と は 少しち がった 緊張 興奮の 狀態 を持續 した あとで は、 全く 「頭が 硬くな つた」 と 云った やう 

な 奇妙な 心的 狀 態に 陷 つて それが 容易に は 平常に 復 しないで 困る ことがある。 今迄 注意 を 集注し 

て 居た 研究 事項の 內容が 一 と 塊に なって 頭の 中に へ ばり 付いた やうな 工合に なって それが 中々 消 

散し ない。 用が すんだら 弛緩して もい k 害の 緊張が 强 直の 狀 態に なって それが 夜まで も持續 して 

安眠 を 妨げる やうな ことが 折々 ある。 この やうな 神經の 異常 を 治療す るのに 一番手 輕な 方法 は、 

講演 會場 か ら車を 飛ば し て 何處か の 常設 映畫 館に 入場す る ことで ある。 上映 中の 映畫が どんな 愚 

作であって も それ は 問題 でない、 のみな らす 或は 寧ろ 愚作で あれば ある 程 その 治療 的 效果が 大き 

い やうな 氣 もす るので ある。 


502 


理生 と 畫映 


一寸 考へ ると、 唯 さへ 頭 を 使 ひ 過ぎて 疲れて ゐる 上に、 更に 又 服 を 使 ひ 耳 を 使ひ餘 計な 精神的 

緊張 を 求める ので あるから、 結^ は 極めて 有害で ありさう にも 思 はれる であらう が、 事實は 全く 

その 反對 で、 一、 ニ卷の フィルム を 見て ゐる うちに、 今迄 頭の 中に 固定 觀 念の やうに へばりつい 

て ゐた不 3 ゐ議な 塊が 何時の間にか 朝日の 前の 霜柱 Q やうに 融けて 流れて 消えて しま ふ. - 休憩時間 

に 廊下へ 出て 腰かけて 煙草で も 吹かして ゐ ると、 自然に 長閑な 欠 仲 を 催して 來る、 すると 今迄 何 

となし にしゃち こばって ぎこちない ものに 見えた 全世界が 急に 和やかに 快い も^に 感ぜられて 來 

て、 眼前 を 歩いて 居る 見知らぬ 靑年 5?; 女に も 何とない 親しみ を 感じる やうになる のが 吾ながら 不 

思議な 位で ある。 

こ Q やうな 不: 忠議な 現象 は 自分の 想像に よると 半ば は 心理的で あるが、 叉 半ば は 全く 生理的の 

もので はない かと 3 ャ はれる。 と 云 ふ C は、 例へば こんな. l<r: 想 も 起し 得られる。 學 問の 研究に 精祌 

を 集注して ゐる とき は大腦 皮の 或る 特定の 部 <k に 或る 特定の 化 學的變 化が 起る、 その i; 化が 長 時 

間 持續す る と 或 る 化擧的 物質 の 濃度 に 持 iS: 的な 異常 を 生 じて、 それが 腦祌經 中 權 0 何處か に 特殊 

の 刺戟と なって 働く、 さう して 元の 精祌 集注 狀 態が 止んだ 後まで も殘存 して ゐる その 特殊な 刺戟 

物質の 爲 に、 それによ る 刺戟 作 川が 頑固に 殘留 して ゐる Q ではない か。 そこで 映畫を 見て 服と 耳 


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との 咸 (覺に 注意 を 集注し、 その 映像と 音響との 複合から 刺戟され た 情緒 的 活動が 開始され ると、 

今度は腦神經中樞の何處か前とはちがった部分のちがった}^^動がスタ1トを切って、 今迄と は 又 

少しち がった 場所に ちがった 化學作 川が 起り 始め、 さう して 又 前と はちがつた 化舉 i:w: が 生成 さ 

れ たり、 ちがった イオン 濃度の 分. 配が 設定され たりす る。 それが 今迄に 殘# して ゐた 前の 車-^ 的 

な 精神 集注に よる 生成 物に 作用して それ を 分解し、 或は 復元し、 それによ つて 殘存 して ゐた 固定 

觀 念の やうな もの を 消散させる ので はない か。 

これ は 全くの 素人 考の {<r; 想で あるが、 併し 現代の 生 化學の 進歩の 趨勢に は、 或は こんな 放恣な 

穴ェ 想に 對 する 誘惑 を 刺戟す る も のがない でもない やうに 思 はれる の で ある。 

これと は 話が 變 るが、 若い 人に は 鬼に 角と しても、 最早 人生の 下り坂 を 歩いて ゐる やうな 老人 

に 取って は、 映畫 の觀覽 による 情緒の 活動が 適當な 刺戟と なり、 それが 生理的に 反應 して 內 分泌 

ホル モ ンの 分泌の バランスに 若干の 影響を及ぼし、 場合によ つてけ 所謂 起死 囘 生の 藥と 類似した 

效 2^ を 生す る こと も 可能で はない かと 云 ふ、 甚だ 突飛な 穴 r: 想 も 起し 得られる。  - 

€: 分泌の 病的 異常が 情綺の 動きに 異常な 影響を及ぼす 一 方で、 外的な 精祌 的の 刺戟が- S: 分泌の 

均衡に 異常 を 生じ 得る こと も 知られて ゐる やうで ある。 映畫の 場合で も、 官能の 窓から 入り込む 


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理生 と 畫映 


生理的 刺戟が 一 度 心理的に 飜譯 された 後に 更に それが 生理的に 反應 する 例 も 少なくな いやう であ 

る。 最も 卑近な 例 を擧げ ると、 スクリ ー ンの 上に コ ー ヒ ー を飮む 場面が 映寫 される 0 を 見て 急に 

自分 も コ ー ヒ ー が飮 みたくなる やうな 場合 も あるで あらう。 

それと 略 同じ やうな 譯で、 最早 靑春 Q 活氣の 源泉の 枯渴 しかけた 老年 者が、 映畫の 銀幕の 上に 

活動す る 花やかに 若 やいだ キュ テ,' ラ 0 島の 歡樂の 夢 や、 フォ I ヌの 午後の 甘美な 幻 を 鑑賞す る 

ことによって、 若干 生理的に 若返る と 云 ふこと も. 決して 不可能で はない やうに 思 はれる。 殊に、 

年中 研究室の 奥に 壎 ぶって 人 問 離れの した 仕事ば かりして ゐる やうな 人間に はさう した 效 ra^ が存 

外に 著しい かも 知れない と 思 はれる。 昔の 人間で も 貝 原 54 軒 や 講談師の 話の 引合に 出る 松 沛老侯 

の 如き は これと同じ 種類に 屬 する 若返り 法 を 研究し 實行 したら しい やうで あるが、 それ 等の 方法 

は 今日 一般に はどう も實用 的で ない。 此れに 反して 此處で 云 ふところ 0 「映畫 による 若返り 法」 

は 極めて 實川 的に 安直で あり、 しかも 何等の 副作用 や 後 害 を 及ぼす 危險 がない やうで ある。 

兵隊の 尿 0 中から、 囘春 の靈藥 が 析出され る さう であるが、 映畫で 勇ましい 軍隊の 行 惟: や II 鬪 

の 光景 を 見たり、 又ォ リム ピック 選手 ゃボ クサ ー の 活躍 を、 見たり して ゐ ると いぢけ た 年寄 氣分 

が何處 かへ 吹 飛んで しまって 假令 一 時で も 若返った 氣 分になる こと は储 かで ある。 それが 單に主 


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觀 的な 氣分 だけではなくて、 生理的^ 觀的 にも 若返る 證據と 思 はれる の は、 さう いふ 映畫を 見た 

あとで 鏡に 映った 肉 分 の顏を 眺めて 見る とひ どく 若々 しく 見える ことが 多い。 少 くも 半日 研究室 

で 仕事に 沒 頭した 後で 鏡の 巾に 現 はれる 肉 分の 顏 に比べ ると まるで^ 人 かと 思. はれる やうに 顏の 

色 もつ や もよ く、 顏全體 Q 表 が 明るく 若 やいで 見える Q である。 此れ は 自分で さう 感じる だけ 

でな く、 人が 見ても さう 見える さう であるから 實際 容觀的 生理的に 若干の 差違が ある ことに は 間 

違ない と 思 はれる。  ■ 

併し、 自分の 場合に さう であると しても、 凡ての 老人に さう であるか どうか そ. れは 勿論 分らな 

い。 それで、 多くの 人の 實例 について 確め ない 以上、 以上の 所說は 何等 科舉 的の 惯爐を もたない 

穴丄 想に 過ぎない ので あるが、 併し 「映畫 の 生理的 效果」 とい ふ 一 つ Q テ— マ を 示唆す る 暗示 ぐら 

ゐに はなる かも 知れない ので ある。 

もしも. CE 分の 以上 0 穴 r: 想が 多少で も 本 常 に 近いと する と、 若 い 靑年 男女 に對 する 映畫 Q 生理的 

效某を 研究す るの は將來 r 務 省か 文部省 かの 何處 かの 局 乃至 は 課で 极 ふべき 大事な 仕事の 一 つ 

になる かも 知れない ので ある。 (昭和 十 年べ 月、 セル パン) 


506 


感雜畫 映 


映 畫 雜 感 


I パ I  C1 の 嫁取り 

北極 探險家 として 有名な ク ヌ ー ト. ラス ムッセ ンが 自ら 脚色 監督した も ので、 グリ ー ンラ ンド 

に 於け る H スキモ 1Q 生活の 實寫に 重き をお いた ものら しいので、 さう した 點で 興味の 深 映畫 

である。 グリ I ン ランドの どの 邊を 舞臺 とした もの か 不明な のが 遺憾で は あるが、 兎に角 先づ極 

地 Q 夏の フィ ョ ルド Q 景色の 荒涼な 美し さ だけで も、 普通の 動かない 寫眞 では 到底 見られぬ 眞實 

味 を もって 觀 客に 迫って くる やうで ある。 それから 又、 こ Q 映畫 Q 中に 描寫 された 土人 〇 骨相 や 

虱 俗な ども 實に 色々 Q こと を考 へさせる。 ヒ p イン の 美人 ナヴァ ラ ナ の 顏が鄕 里の 田 舍で子 仏の 

時分に 視 しかった 誰れ かと そっくりの やうな 氣 がする ことから 考へ ると、 日本人 Q 中に 流れて ゐ 


507 


る 血が いくらか はこの 土人の 間に も 流れて ゐ るので はない かとい ふ氣 がする。 或 場面に 出て 來る 

,^,さな男の子にもどぅ見ても日本人としか思はれなぃのがゐる。 それから 叉 女の 結髮が 昔の 娼婦 

などの 結うた 「立て 兵 庫」 に 何處か 似て ゐ るの も 面お い。 

唄 合戰の 光景 も 珍ら しい。 一 人の 若者が 團扇 太鼓の やうな もの を 叩いて 相手の 競举 者の 男の 惡 

口 を 唄に して 唄 ひながら 思 ひ 切り 顏を 歪めて 愚弄 0 表情 をす る、 さう して 唄の 拍子に 合 はせ て 首 

を 突出して は 自分の 額 を 相手の 顏 にぶつつ ける。 惡ロを 云 はれる 方で は 辛抱して 罵詈の 嵐 を 受け 

流して ゐ るの を、 後に 立って ゐる 年寄の 男が 指で 盆の窪 を 突つつ いてお 辭儀 をさせる、 取卷 いて 

見物して ゐる 群集 は 面白がって げらく 笑 ひ 離し 立てる、 その 觀客 Q 一人一人の ク" ー ズ アップ 

の 巾から も 吾々 はいくら も 故舊の 誰れ 彼れ の 似顔 を 拾 ひ 出す ことが 出來 るので ある。 

ラスムッセンの 「第五 囘 トウ ー レ 號探險 記」 にも これに 似た 唄 合戰の 記事が あると ころ を 見る 

と、 これに 類似の 習俗 は H スキモ ー 種族の 間に 可な り 廣く行 はれて ゐ るので はない かと 思 ふ。 我 

邦の 昔の 「歌 垣」 の i: 俗の 眞相は 傅 はって ゐな いが、 もしかすると、 これと 一縷の 緣を曳 いて ゐ 

るので はない かとい ふ 空想 も 起し 得られる。 

喷合戰 の 揚句に 激昂した 戀 敵の 相手に 刺された 靑年パ ー B  S 瀕死 Q 臥床で 「生命の 息 を 吹 込 


5C8 


感雜畫 映 


む」 巫女の 擧動 も實に 珍ら しい 見物で ある。 はじめに は 負傷者の 床の 上で 一枚の 獸皮を 頭から 被 

つて 俯伏しに なって ゐ るが、 やがてぶ る/ \ と 大きく ふるへ 出す、 やがてむ つくり 起 上がって、 

丸で 猛獣の 吼 える やうな 聲を 出したり 又 不思議な 嘯く やうな 呼氣 音を立てた りする。 此の 巫女の 

所作に も 何 處か我 邦の 巫女の 祌 おろし 0 それに 似た ところが あり はしない かとい ふ氣 がする ので 

ある。 

ナヴァ ラナが 磯邊で 甲斐々 々しく 海 i!l の 料理 をす る 場面 も 輿 味の 深い ものである。 そこいらの 

漁師の 祌 さんが 節 を 料理す るよりも 鮮 かな 手ぶ りで 一 匹 Q 海豹 を 解き ほごす ので あるが、 その 場 

面の 中で 此の 動物の 皮下に 蓄積され た眞 白な 脂肪の 厚い 層 を搔き 取り かき 落す ところ を 見て ゐた 

時、 こ 0 民族の 生活の いかに 乏しい ものである かとい ふこと、 又 そ Q 乏しい 生活 を 乏しい とも 思 

はす、 世界の 他の 部分に 行 はれて ゐる 享樂の 種類な ど は 夢にも 知らす に 生涯 を 送る とい ふ、 さう 

した 人生 も あり 得る とい ふこと、 そんない ろくな 考が 一 度に 胸に 沸き起った。 

カャ クと稱 する 一 人乘の 小舟 も 面白い ものである。 上衣の 嗣 着の 下端 0 環が 小舟の 眞 中に 腰 を 

入れる 穴の 圓枠 にび つた り 嵌ま つ て 海水が 舟 中 へ 這 入らない やうに して あるの は 巧妙で ある。 命 

懸けの 智 惠の產 物で ある。 


509 


これな ども 見れば 見た だけ 利口になる 映畫で あらう。 

二  C1 ス對マ クラ ー - ーンの 拳鬪 

この 試合 は 十五 囘の立 合の 後まで どちらも 一 度 もよ ろけ たり 倒れ か \ る やうな ことはなかった „ 

さう して 十五 囘の 終りに 利定 者が 口 ス の 方に 勝利 を 授けた が、 この 判定に 疑 が あると いふので 

場 £ が大混 亂に陷 つたと いふ ことで ある。 自分 は拳鬪 のこと は 何も 知らないが、 併し この 判定が 

矢 張 少し 變に思 はれた。 

n スの方 は 體驅も 動作 も 曲線 的彈 性的で あるの. に對 して マツ ク 0 方 は 直線 的 機械的な やうに 見 

え、 又 攻勢 防 勢の 跃引も 前者の 方が より 多く 複., 雜 なやう に 見えた ので、 自分 は 前に 見た ベ ー ァと 

カルネラとの 試合と 比較して、 ロスが 最後の 勝利 を 占める ので はない かと 想像して ゐた C ところ 

が 十三 囘 十四 囘 から 口 スの 身體の 構へ に 何となく 緩みが 見え、 さう して 二人が 腕と 腕 を 搦み合 

つて ゐる ときに どうも 口 スの 方が 相手に 凭れ か.^ つて ゐ たがる やうた 氣 配が 感ぜられ たので、 こ 

れは 少し どうも D ス の 方が 弱った ので はない かと 思って 見て ゐた。 

最後に デ ムプ シ ー の 審判で 勝负が 決まった 時 介 添に 助けられて 場の 中央に 出て 片手 を 高く 差 上 


510 


感纏映 


げ 見物の 喝采に 答へ た 時、 何だか 介 添 人 〇 力で やっと 體と腕 を 支へ てゐる やうな 氣 がした。 これ 

に反して マック の 方 は 判定 を 聞く と 同時に ぽんと 一 つ 蜻蛉返り をして e: 分の 隅へ 歸っ たやう であ 

つた。 つまり それだけの 體 力の 餘裕を 見せたかった Q ではない かと 思 はれる。 それで 自分に は ど 

う も 0 ス の 勝利と いふの が吞 込めなかった が、 テク 一一 ッ クを 知らないから だら うと 思って ゐた。 

後で 物言 ひがあった とい ふこと をプ 口 グラ ムで 讀んで やっぱり さう かと 思った。 

三 別れの 曲 

シ ョ パ ンが巴 3^0 サ a ン に 集まった 名流の 前で 初 演奏 をしょう とする 直前に、 祖國 革命 戰突發 

の 飛報 を 受取る。 さう して 激昂す る 心 を 抑 さへ て ピアノ Q 前に 坐り 所定 曲目 モザ ルトの 一曲 を彈 

いて ゐる うちにい つか 頭が 變 になって 來て、 急に 嵐の やうな 幻想曲 を彈 き. W す、 その 狂 執 一 的な 彈 

奏者 Q 顔 Q ク D I ズ アツ プに重 映されて 祖國の 同志 達 Q 血潮に 彩られた 戰 場の 光景が 夢幻の 如く 

スクリ ー ン 0 面 を往來 する。 

これ は刖 に映畫 では 珍ら しく もない 技巧で あるが、 併し こ Q 場合に は 此の 技巧が 同時に 聞かせ 

る 音 樂と相 待って 可也な 必然性 を もって 使用され て 居り、 これに 依って かう した 發聲 映畫 にの み 


511 


固有な 特殊の 效 ra^ を 出して ゐる。 眼前 を 過ぎる 幻像 を 悲痛の 爲に强 直した 額の 表情で 見詰めな が 

ら、 さながら 鍵盤に のし か \ る やうに して 彈 いて ゐる ショパンの 姿が、 何 か 塹壕から 這 出して 來 

る 決死隊の 一人で^も ある やうな ハ1^ がする ので ある。  . 

リストが 音樂 商の 家の 階段 を氣輕 にかけ 上がって、 ピ. ァ ノ の 譜面 臺の 上に 置き 捨てられた シ ョ 

パンの 作曲に 服 をつ けて、 やがて 次第に 引 人れ られ て彈き 初める、 そこへ 一 旦 失望して 歸 りかけ 

た ショパ ン がそつ と 這 入って 來て、 リストと 背中 合せに 同じ 曲 を彈き 出す 場面に は 一 種の 俳諧が 

感ぜられて 愉快で ある。 

此の 種類の 映畫で 吾々 に 特に 興味の あるの は、 從來は 唯 *1 物 や 少数の 維 畫版畫 など を 通じて 窺 

つて ゐた 「昔の 西洋」 が 吾々 0 服 前に 活 きて 進行す る ことで ある。 「驛遞 馬車」 による 永い 旅路 

の 門出の 場面な どで も、 かう した 映畫の 中で 見て ゐ ると、 いつの 間に か 見て ゐる 自分が 百年 前の 

ヮル シャゥ Q 人に なって しま ふ。 さう して 今までに 讀んだ 物語 や 傅 記の 中の 色々 の 類似の 場面な 

どが 甦って 眼前に 活動す る やうな 氣 がする。 さう いふ 意味で ジョル ジュ . サンド ゃデュ ー マゃバ 

ルザ ッ ク などの 出て 來る 社交 場の 光景な ども 面白い。 假令 その 描寫が どんなに 史赏 的に 逮 つて 

ゐて も、 それが 上記の やうな 幻想 を 起し さへ すれば それで この 映畫 は成效 して ゐる であらう。 


512 


感雜畫 映 


此の 映畫に はうる さい 處ゃ しつつ こい 處 がなくて よい。 矢 張 俳諧の わかる フラ ンス 人の 作品で 

ある。 

四 紅 雀 

年を取った 獨 身の 兄と 妹が 孤 兒院の 女の 兒を 引取って 育てる C その 娘が 大きくな つて 戀を する" 

と 云った やうな 甘い 通俗的な 人情 映畫 であるが、 併し 映畫 的の 取扱が 割に さらく として 見て ゐ 

て 案 持の い \ 何 かしら 美しい 健全な もの を觀 客の 胸に 吹き込む ところが ある。 ー體 かう した 種 

類の 映畫 はもつ と/ \ 多く 作られて よい もので あらう と 思 はれる。 

兎に角、 これで も か/. \ と 股 新しい 趣向 を 凝らして 人性の 自然 を 極度に 歪曲した も はかり 見 

せられて ゐる 際に、 たま/ \ か うい ふ 人間ら しい 平凡な 情味 を もった 童話 的な も Q に出會 ふと 淸 

淸 しい 救 はれた やうな 氣持 がする から 妙で ある。 

五 泉 

童話 的な 「紅雀」 に對 照す ると 「泉」 は 比較に ならぬ 程 複雜で 深刻な 事件と その 心理と を 題 村 


513 


として 取扱って 居る から、 もし 成效 すれば 藝術 的に 高級な も Q になり 得る 害で あるが、 同時に こ 

れを蜈 樂の爲 の映畫 として 觀 ると、 觀た あとの 氣持は あまり 健全な 愉快な も G ではない 答で ある。 

「泉」 は 多くの 此 種の 映 畫と: E じ やうに 廿 いと 辛い と C 屮^ を 行って ゐる C それだけに 肩 も 凝 

ら ない が乂 どっち もっかす で 物足りない 氣も する。 

汽車の 中で 搖られ てゐる 俘虜 Q 群の 紹介から、 その 汽車が 停車場へ 着く までの 昔 樂と畫 像との 

一 一 重奏が 中々 うまく 出来て ゐ る。 序幕と して こんなに 渾 然とした もの は 割合に 少ない やうで ある。 

不幸な 夫 ルバ I トが 「第三者」 アリス ン Q 部 尾から 二階の 妻ジュ リ ー の 部屋へ Q 隠れた 通ひ路 

を發 見して、 晤ぃ 階段 を びっこ 引きながら 上がって;;;: く。  二階から は ピアノが 聞こえて 来る。 階 

段 を 上りつ めて ドアの 前に 少時 佇む。 その 影法^が 大きく 映る、 とい ふ 場面が 全篇の 最頂點 にな 

るので あるが、 この 場面 だけ はせ めても う 一 級 だけ 上 は 手の 俳優に やらせ たらと 聊か 遺憾に W 心 は 

れた、 のであった。 

テ ニス 競技の 場面の 插入 は、 物語と して は-: 卜: 要な もので ない が、 映畫の 中の 插- ほと して: ると 

不思議な 心理的な 效 2;- を あげて ゐる。 「大 戰」 と、 ルバ ー トの 所謂 「戰 はこれ から 始まる C: だ」 

の その 「戰」 との 間に、 この 樂 しい 球技の 戰が插 入され て わる。 さう して 球技 場の 眩しい Rii の 


514 


感雜畫 映 


下に、 人知れ す 惱む思 ひを祕 めた 白衣の ヒロイン の 姿が 描出され るので ある。 

つまらない 事で は あるが、 拘留され た 俘虜 達が 脫走を 企て \ 地下に 隨道を 掘って ゐる 場面が あ 

る、 あの 掘り出した 多量な 土 を 人 は に ふれす に 一 體何處 へ 始末した か、 全く 奇蹟 的で 少 くも 物質 

不滅 を 信す る科學 者に は 諒解 出来ない C  (昭和 十 年 八月、 ffi 柿) 


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靜岡 地震 被害 見學記 


昭和 十 年 七月 十 一 日 午後 五 時 一 一十 五分 頃 本州 中部 地方 關東 地方から 近畿 地方 東半 部へ かけて 可 

也な 地震が 感ぜられた。 靜 岡の 南東 久能 山の 麓 をめ ぐる 二三の 村落 や 淸水巿 Q 一  部で は 相 當遣家 

も あり 人 死 もあった。 併し 破壞的 地震と して は 極めて 局部 的な ものであって、 先達て Q 臺灣 地震 

など \ は 比較に ならない 程 小規模な も Q であった。 

新聞で は 例によって 話が 大きく 傳 へられた やうで あ る。 新聞 編輯 者 は 事 實の客 觀的眞 相 を忠實 

に傳 へる とい ふよりも 15 者の 爲に 「感じ を 出す」 こと Q 方に より 多く  _| マむ である。 それで 自然 損 

害の 一 番 ひどい 局部 だけ を搜し 歩いて、 その 寫眞を 大きく 紙面 一 杯に 並べ立て るから、 讀 者の 受 

ける 印象で は 恰も 靜岡 全市 並に 附近 一 帶が 全部 丸潰れに なった やうな 風に 漠然と 感ぜられ るので 

ある。 此の やうに、 讀者を 欺す とい ふ 悪意 は 少しもなくて、 しかも 結 ral^ に 於て 讀者を 欺す のが 新 


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記 學見寄 被 震 地岡靜 


聞の テ ク 二 ッ ク なので ある。 

七月 十四日の 朝 東京 驛發 姬路行 に乘 つて 被害の 様子 を 見に 行つ た。 

コ 一島 邊 まで 来ても 一 向何處 にも 强震 などあった らしい 様子 は 見えない。 靜 岡が 丸 溃れ になる 程 

なら 一二 島 あたりで も 此れ程 無事な 害が なさ さう に 思 はれた。 

三 島から 靑年團 員が 大勢 乘 込んだ。 ショベル ゃ敏を 提げた 人 も 交って ゐる。 靜 岡の 復舊 工事 〇 

應援に 出かける らしい C 三等が 滿員 になった ので 圑 員の 一 部 は 二等 客車へ どや/ \ 雪崩れ込んだ „ 

この 直接行動 0 おかげで 非常時 氣 分が はじめて 少しば かり 感ぜられた。 かう した 場合の 群集心理 

の 色々 の 相が 觀察 されて 面白かった。 例へば 大勢の 中に 屹度 一 人位 は 「• 豪傑」 がゐ て、 わざと 傍 

若 無人に 振舞って 仲間 や 傍 觀者を 笑 はせ たり はらく させる も 0 である。 

富士驛 附近へ 來 ると 極めて 稀に 棟瓦の 一 二 枚 位 こぼれ 落ちて ゐる のが 見えた" 與津 まで 来ても 

大體 その 程度ら しい。 なんだか ひどく 欺され てゐる やうな 氣 がした。 

淸 水で 下車して 研究所の 仲間と 一 緒に なり、 新聞で 眞 先に 紹介され た 岸壁 破壞 0 跡 を 見に 行つ 

た。 途中 處 々家の 柱の ゆがんだ の や 壁の 落ちた のが 眼に ついた C 木造 二階家の 玄關 だけ を 石造に 

し.,こゃぅ/1!〇::^.、 木造 部 は平氣 であるのに、 それにた そっと もたせかけて 建てた 石造の 部分が 


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诚茶々 々に 毀れ _J ^ちて ゐた」 これ は はじめから 一寸した 地震で、 必す 毀れ 落ちる やうに 出 來てゐ 

るので ある C 

-: が 壁が 海の 方へ せり 出して、 そ Q€: 側が 陷沒 したので、 そこに 建て 連ねた 大 倉庫の 片側の 柱が 

脚. 兀を拂 はれて M いてし まって ゐる" この 岸壁 も、 よく  =3- ると、 ありふれた 程度の 强 震で こ Q 通 

りに 毀れ なければ ならない やうな 風の 設計に はじめから 出 來てゐ る やうに 見える C 設計者が 日本 

に 地震と い ふ 現象の ある こと をつ い 忘れて ねた か、 それとも 設計 を 註文した 資本家が 經濟 上の 都 

合で、 强ぃ 地震の 來る迄 は 安全と いふ 設計で 滿 足した G かも 知れない C 地震が 少し 早く 來 過ぎた 

C かも 知れない。 

此. C 岸壁 だけ を 兑てゐ ると、 際: 大柱 は摧け 地軸 も 折れた かとい ふ 感じが 出る が、 こ、 から 半 

町と は 離れない 在來 C 地盤に 建てた と 思 はれる 家 は 少しも 傾いて さ へ ゐな いので ある。 天然 は實 

に 正直な も G である。 

久能山 {: 上り口の 右手に ある 寺の 門が 少し 傾き 曲 り 境內の 石燈 籠が 倒れ てゐ た。 寺の 堂 內には 

年取った 婦人が 大勢 集って 4" 唱 をして ゐ た。 慌た しい 復舊 工事の 際 足 手. 纏 ひで 邪魔に なるお 婆 

さん 達が 時 を 殺す 爲に 此處に 寄って 居る のかと いふ 想像 をして 見た が 事實は 分らない。 


518 


記 學見齊 被 震 地 f»】 靜 


久能 山麓 を 海岸に 沿うて 南 へ 行く に從っ て 損害が^ に 眼 立 つ て 来た C 庇が 波形 に 曲 つたり 垂ぉ 

^も か、 つたり、 障子紙が 一 とこ ま. 申 合 はせ たやう に 同じ 形に 裂けたり、 石垣の 一番 はしつ 

こが 口 を 開いたり するとい ふ 程度 か. ら段々 ひどくな つて 半 潰 家が 見え 出して 来た。 屋根が 輕 

くて 骨 組の 丈夫な 家 は土臺 C 上を橫 に、 U り 出して ねた" さう した 損害の 最も ひどい 部分 力 細長い 

帶 状て なって しばらく 镇 くので ある。 ど Q 家 も みんな 同じ やうに 大體 東向きに 傾き 叉 すれて 

なる C を兒 ると 搖れ 方が 簡單 であった 事が 分る。 關東 地震な どで は、 とても こんな 簡單な 現象 は 

られ なかった- 

と ある 横町 を 一 寸山 G 方へ 曲り 込んで 見る と、 道に 向って 倒れ か、 りさう になった 或 家に 支柱 

をして、 その 支柱 Q 脚 元 を 固める ために 义別 0 つつか ひ 棒が して ある。 吾々 仲 問で その 支柱の 仕 

;^が^^しこどれだけ有效でぁらぅかと云ったゃぅなことを^^し合ってゐたら、 通り か \ つた 人足 

風 〇 ニ入述 IL が 「了  、, それです か、 僕達が やつたん です よ, 一 と 云 ひ 捨て、 通拔 けた。 責任 を 明 

かにした C である こ 

こ C 横町 C 奥に 一寸した 祌社 があって、 お 0 鳥居が 折れ 倒れ、 石燈 籠も 倒れ. てゐ る。 御手洗の 

リセ 根 も 横倒しに なつ て 潰れて ゐる。 


519 


こ Q 御手洗の 屋根の 四 本の 柱の 根元 を 見る と、 土 臺のコ ンクリ I ト から 鐵 金棒が 突出て ゐて、 

それが 木の 根の 柱の 中軸に 掘 込んだ 穴に はまる やうに なって 居り、 柱の 根元 を撗に 穿った 穴に ボ 

ルトを 差込む とそれ が 土臺の 金具 を 貫通して、 それで 柱の 浮上が るの を 止める とい ふ 仕掛に なつ 

てゐ たもの らしい。 併し 柱 Q 穴に はすつ かり 古い 泥が つまって ゐて、 ボルト なんか 插 してあった 

形跡が 見えない。 これ は、 設計で は插す ことにな つて ゐ たの を、 つい 插 すの を 忘れた のか、 手 を 

省いて 略した 0 か、 それとも 一旦 插 してあった 0 を 盜人か 悪戯な 子供が 拔 去った か、 いづれ かで 

あらう と 思 はれた。 この ボルトが 差して あったら 多分 この 屋根 は 倒れないで すんだ かも 知れない 

と 思 はれた。 少 くも 子供 だけに はこん ない たづら を させない やうに 家庭 ゃ小學 校で 敎 へる とい 、 

と 思 はれた。 

これで 思 出した の は、 關東 大震災の すぐ あとで 小 田 原の 被害 を 見て 歩いた とき、 と ある 海岸の 

小祠 で、 珍ら しく 倒れないで ちゃんとして 直立して ゐ るー對 の石燎 籠を發 見して、 どうも 不思議 

だと 思って よく 調べ て 見たら、 薹 石から 火 袋 を 貰 いて 笠 石まで 達する 鐵 0 大きな 心棒が はいって 

ゐた。 かう した 非常時 0 用心 を 何事 もない 平時に してお くの はー體 利口 か 馬鹿 か、 それ はどうと 

も 云 は 云 はれる であらう が、 州 心して おけば その 效果の 現 はれる B が 何時か は來 ると い ふ事實 


520 


記 學見害 被 震 地岡静 


だけ は 間 ないやう である 

神社の 大きな 樹の 下に 角 テントが 一 つ 張って ある。 その 屋根に は靜岡 何某 小學 校と 大きく 書い 

て ある C そむ 下に 小さな 子供が ニニ 一十 人 も 集って 大人しく 坐って ゐる。 そ Q 前に 据 ゑた 机 ひ 上に 

のせた ボ ー タブ ル の 蓄音機から 何 か は 知らないが 宣謠 らしい メロ ディ ー が 陽氣に 流れ出して ゐる。 

若い 婦人で 小舉 校の 先生ら しいの が兩 腕で もの を 抱へ る やうな 恰好 をして 拍子 をと つて ゐる。 未 

だ 幼稚園へ も 行かれな いやうな 幼兒が 多い が、 みんな 一生懸命に 傾聽 して ゐる。 勿論 鼻汁 を 垂ら 

して ゐ るの も あ, K2。 鬼に 角 震災地と は 思 はれない 長閑な 光景で あるが、 叉 併し 震災地で なければ 

見られない 臨時 應 急の 「託兒 所」 の 光景であった。 

この 幼い 子供達の 內には 我家が 滑れ、 叉燒 かれ、 親兄弟に 死傷の あった やうな の も 居る であら 

うが、 さう いふ 子等が すっと 大きくな つて 後に 當時を 想 出す とき、 こ 0 閑寂で 淸 涼な 神社の 境內 

0 テ ントの 下で 蓄昔 機の 童 謠に聽 惚れた あの 若干 時間の 印象が 相當 鮮明に 記憶に 浮上が つてく る 

事で あらう と 田^ はれた C 

平 松から 大 谷の 町へ かけて 被害の 最も ひどい 區域は 通行 止で 公務 以外の 見物人の 通行 を 止めて 

ゐた。 救護 隊の 屯所な ども 出来て: e 衣の 天使 や 警官が 往来し 何となく 物々 しい 氣 分が 漂って ゐた。 


521 


山: s:C 小川に 沿った 村落の 狭い 帶狀 の地帶 だけが ひどく 拔害を 受けて ゐ るの は、 特別な 地形 地 

! i:u の爲に 生じた 地震波の 干涉 にで もよ る 0 か、 兎も角も 何 か 物理的に はっきりした 意味の ある 現 

象で あらう と 思 はれた が、 それ は 別 ii. 題と して、 丁度 正に さう いふ 處に 村落と 街道が 出来て 居た 

とい ふ 事に も 何 か 人 間對. S 然 の 關係を 支配す る 未知の 方 則に 支配され た 必然 な 理由が あるで あら 

うと 3 心 はれた" 故 R ド部博 十: が 昔 或 擧,^ ;: で 文明と 地震と C 關係を 論じた あの 奇拔な 所 說を想 出さ 

せられた" な 问 松と いふ 處の村 はづれ にある 或 神社で、 社 前の, 居の 一本の 石柱 は 他所のと 同じく 

SfG 方へ 倒れて ゐ るのに 他の 一本 は 仝く 別の 向 きに 倒れて ゐる {: で、 どうも 可笑しい と 思って 話 

介って ゐ ると、 居 合 はせ た小舉 生が、 それ も 矢 張 東に 倒れて ゐ たの を、 通行の 邪魔になる から 取 

r— 付けた 0 だと 云って 敎へ て くれた。 

^東 地震 C あとで 鎌 倉 の 被害 を 見 て 歩いた とき、 光明寺 の 境, 2: に ある 或 碑石が 後向き に 立って 

ゐる C を變 だと m 心って 故 m 丸 先生と 「研究」 して ねたら、 ; !^べ门 はせ た丄地 Q 老人が、 それ は 一度 

倒れた の を 人夫が:?; 起して 樹 てると き 問 違へ て 後向きに たてた Q だと 敎へ て くれた C うっかり 

「地震に よる 碑石の 廻轉に 就いて」 と 云った やうな 論文の 村 料に でもして 故事 付けの 數式を こね 

廻し でもす ると、 あとで とんだ 恥 を かく 處 であった。 音: 験-: ifJ ばかりで 仕事 をして ゐる學 者 達 はめ 


522 


SG 學見害 被 S 地岡靜 


つたに 引つ か、 る危險 Q ないやう なかう した 種類 Q 係 蹄が 時々 「: 大然」 の 研究者の 行 手に 待 伏せ 

して ゐ るの である。 

II 岡への バス は 吾々 一行が 乘 つたので 滿貝 になった。 途中で 待って ゐ たお 客に 對 して 運轉 手が 

一 々了 寧に、 どうも 氣の毒 だが 御覽の 通り 一杯 だからと 云って、 本 當に氣 の 毒 さう に 詫 言 を 云つ 

てゐ る。 東京な どで は 見られない 圖 である C 多分 それ 等 Q 御 客と 蓮轉 乎と はお 互に 「人」 として 

知合って ゐ るせ ゐ であらう (- 京で は 運 轉乎は 器械の 一部で あり、 乘客は 荷重で あるに 過ぎない、 

從 つて 詫 言な ど は 凡そ 無用な 勢力 Q 浪費で ある。 

此邊の 植物 景觀 が關東 平野の それと 著しくち がふの が 眼に つく。 民家の 垣根に 横を植 ゑた のが 

多く、 東京 邊 なら 椎を植 ゑる 處に楠 かと 思 はれる 樹が 見られた りした。 茶畑と いふ もの も 獨特な 

「感 覺」 の ある ものである。 あの 蒲 鉢な りに 並んだ 茶の 樹の 丸く 膨らんだ 頭 を 手で 撫で、 通りた 

いやうな 誘惑 を 感じる。 

靜 岡へ 着いて 見る と、 仝滅 した はすの 市街 は 一見した ところ 何事 もなかった やうに 兑 える。 停 

車 場 前 G 百貨店の 食堂の 窓から 駿河灣 の 眺望と 涼風 を享樂 しながら 貪 事 をして ゐる 市民 達の 顔に 

も 非常時ら しい 緊張 は 見られなかった。 屋上から 見 渡す と、 なる 程 所々 に 棟瓦の 搖り 落された の 


523 


が 指摘され た。 

停車場 近くの 神社で 花 3 岡 石の 石の 鳥居が 兩 方の 柱と も 見事に 折れて、 その 折れ口が 同じ 傾斜角 

度 を 示して、 同じ 向きに 折れて ゐて、 おまけに 二つの 折れ目の 斷 面が 略 同 平面に 近かった。 これ 

が 一 行の 學者逹 の 問題に なった。 天然の 實驗窒 でなければ こんな 高價な 「實 驗」 はめった に出來 

ないから、 貧乏な 學 者に とって、 かう した デ I タは 絶好の 研究資料になる ので ある。 

同じ 社 にある 小さい 石の 鳥居が 無難で ある。 この 石 は 何 だら うと 云って ゐ たら、 居 合 はせ た 

土地のお ぢ さんが 「これ は 伊豆の 六方 石です よ」 と敎 へて くれた。 なる 程 玄武岩の 天然の 六方 柱 

をつ かった ものである。 天然の 作った もの -强ぃ 一 例 かも 知れない。 

御 濠の 石お 一が 少しく づれ、 その 對 岸の 道路の 崖 もく づれて 居る。 人工 物の 弱い 例で ある。 併し 

崖に 樹 つた 電柱の 處で崩 壤の傅 播が喻 ひ 止められて ねる やうに 見える。 理由 は 未だよ く 分らない 

が、 ことによると 此れ は 人工 物の 弱さ を 人工で 補强 する ことの 出来る 一 例で はない かと 思 はれた _ 

兩 岸の 崩壤衝 所が 向 ひ 合って 居る の も 矢 張 意味が あるら しい。 

縣廳の 人口に 立って ゐる 煉瓦と 石 を 積んだ 門柱 四 本のう ち 中央の 二 本の 頭が 折れて 落ち 碎 けて 

ゐる。 ij^ ちて ゐる 波片の 量から 見る とどう も AJ の 二 本 は. 吶 脇の 二 本より 大分 高かった らしい。 門 


524 


記 學見害 被 震 地岡靜 


番に 聞く と 果して さう であった 

新築の 市役所の 前に 靑年圑 と 見える 一 隊が 整列して、 誰か 訓示で もして 居る らしかった が、 

やがて 一 同 わ あと 歡聲を 揚げて トラックに 乘 込み 風の 如く 何處 かへ 行って しまった。 

三 島の 靑年圑 によって 喚び 起された 自分の 今日の 地震 氣分 は、 この 靜岡 市役所 前 0 靑年 團の歡 

聲 y よって..^ \ 末を吿 げた。 歸 りの 汽車で 陰唇 十四日の 月 を 眺めながら 一 行の 若い 元 氣な學 者 達と 

地球と 人間と に關 する 雜談に 汽車の 東京に 近づく の を 忘れて ゐた。 「靜 岡」 大震災 見學の 非科擧 

的隨 筆記 錄を 忘れぬ うちに 書きと めて 置く ことにした。 (昭和 十 年 九 H、 婦人 之 友) 


525 


七月 十七 日朝 上野 發の 「高原 列車」 で 沓掛に 行った。 今年で 三年::: である。 驛へ 子供達が 迎ひ 

に來て 居た。 プラット フォ 1- ム に 下り立った とき 何となく 去年と は あたりの 勝手が 違 ふやうな :;^- 

がした が何處 がどうち がった かとい ふこと がすぐ と は氣が 付かなかった。 子供に 注意され て氣が 

つ いて 見る と 成程 プ ラッ トフ ォ ー ム に 屋根が 新築され て 去年から 兑 ると 餘 程停享 場ら しくな つ て 

ね る。 全く 豫 期しな いも 0 は 股に 寫 つても 心に は. H らな いので ある。 

一昨年 初めて 來た とき、 輕 井澤 驛の あの 何となく 物々 しい 氣 分に 引き かへ てと C 水 H 掛驛の 野-太 

吹 曝しの プラッ トフ ォ I ムの 謙虚で 安 な氣 持が ひどく 嬉しかった. こと を W 心 出した。 

H 温泉 池畔の 例年の 家に 落着いた。 去年 此の 池に ゐた { 氷 鴨 十 数^が 今年 はたった 雄 一 羽と 雌 三 

羽と だけに 減って ゐる。 一 ニニ 日 前 迄 は 現在の 外にもう 一 一三 羽 居た Q だが 或 日お とづれ て來 た或團 


體 客の 接待に 連れ去られ たさう である。 生き 殘 つた 家鴨 ども は 吾々 には實 によく 劉つ いて、 ベラ 

ンダの 階段の 一番 上まで 上がって 来て パン屑 をね だる。 さう して 人 を 賴る氣 持 は 犬 や 猫と じで 

ある やうな 氣 がする が、 併し どうしても 體嫗に は觸ら せまいと して 手 を 出す と 逃げる。 それだけ 

は 「敎 育」 で拔け 切れない 「野性」 の名淺 であらう C 尤も、 よく 馴れた 吾々 の 手 を 遁げる 遁げ方 

と 時々 屋前を 通る 職人 や 旅客な ど を 逃避す る 逃げ 方と では 丸で にげ 方が 達 ふ。 前の 場合 だと 一 寸 

手の 届かぬ 處へ にげる だけ だ のに、 後の 場合 だと 狼识の 表情 を 明示して いきなり 池 C 屮へ ころが 

り 込む やうで ある C 鬼に 角 こんなにな つかれて は 可愛くて とても 喰 ふ氣に はなれない。 

今年 は 研究所で 買った ばかり Q 雙眼顯 微鏡を 提げて 來て 少しば かり 植物 や = 比蟲の 世界へ 這 入り 

込んで 見物す る ことにした。 !^^5くとすぐ手近なべ ラ ンダの检葉を摘んでニ十倍で艰ぃて^-た。 丸 

で 裴翠か 青玉で 彫刻した 連珠 形の 玉 鋒と でも 云った やうな 實に 美しい 天工 0 妙に 驚歎した = たつ 

た 一 一十 倍の 尺度 0 相違で 何十 年來 毎日 見馴れた 世界が こんなに も變 つた 別世界に 見える Q である" 

ワンダ ー ラ ン ド Q アリス 0 冒險 0 一  場面 を 想 出した" 顕微鏡 下 の 世界 の 驚異に はしかし 御伽 噺作 

者な どの 思 ひも 付かなかった ものが あるら しい。 

シ乇ッ ケの繳 钐花も 肉眼で 見たところ では、 あの 一つ 一 つの 花冠 はさつ ばりつ まらない もので 


527 


あるが、 二十 倍にして 見る とこれ も 驚くべき 立派な 花で ある。 桃色 珊瑚で も 彫刻した やうで ■ 

しかも それよりも もっと 潤澤と 生氣の ある 多肉 性の 花瓣、 その 中に 王冠の 形 をした 瑗 狀の臺 座の 

やうな ものが あり、 周 園に は 純白で 波形に 屈曲した 雄蕊が 亂 立して ゐる。 凡そ 最も 高貴な 蘭科植 

物の 花な どよりも に遙に 高貴な 相貌 風格 を 具備した 花で ある。 

ス 力 ンボの 花な ども さっぱり 見所の ない もの 、やうに 思って ゐ たが、 顯微 鏡で 見る とこれ も實 

に 堂々 たる 傑作 品で ある。 植物 圖鑑 によると 雄花と 雌花と^ になって ゐる さう であるが、 自分の 

見た 中には どうも 雄蕊 雌 i^. お を 兼備して ゐる らしい も C も 見えた。 

力 ハラ マ ツバ の 小さな 四 瓣花は 瓣と瓣 との 間から 出た 雄蕊が みんな 下 へ 垂れ下がって 花 心から 

逃げ出し さう にして ゐる。 ゥッボ ダサの 紫 花の 四 本の 雄蕊 は 尖端が 二た 叉に なって ゐて、 そ 0 一 

方の 叉に は莉が あるのに 他の 一方 は それがなくて 尖った ま \ で 反り 曲って ゐる。 かう した 造化の 

設計に は淺 墓な 吾々 に は 想像 もっかな いやうな 色々 Q 意圖が あるか も 知れない とい ふ氣 がする。 

以上の やうな 花に 比べる と 例へば ホ クルプ ク 口 の やうな 大きな 花 は 却って 二十 倍 位に 廓 大して 

見ても それ 程び つくりす る やうな 意外な 發見 はない やうであった。 併し もっと 色々 見て ゐ たら 乂 

4 ノ らしい 見物に 出つ く はさない とも 限らない であらう。 


528 


原卨 


或 花 はこん なに 細 小で 义或花 は 途方 もな く 大きい。 これ も 不思議で ある。 細かい 花 は 通例 澤山 

に 簇出して ゐる やうな 氣 がする。 これ も 不思議で ある。 さう して 多くの 草の 全體 重と 花 だけの 總 

體 重と Q 比率に は 大凡 最高 最使 限度が ありさうな 氣 がして これ も 何 か 吾々 の 未だ 知らない 科學的 

な 方 則で 規定され てゐる 〇 ではない かとい ふ氣 がする 0 である。 

七月 十 火 日に は 上田 Q 町 を 見物に 行った。 折 柄 この 地の 祇園祭で 樽 神 舆を异 いだ 子供 ゃ大 供の 

群が 目拔き Q 通り を 練って ゐた。 萬燈を 持った 子供の 列の 次に 七夕 竹 Q やうな もの を 押 立てた 女 

兒の 群がつ いて、 その後から 义肩衣 を 着た 大人が 續 くと いふ 行列 もあった。 東京で ヮッ ショィ 

ヮッシ ョィ. (- とい ふところ を、 此處 では ワイ ショ と 云 ふの も 珍ら しかった。 この 方が 0 

ん びりして 野趣が ある。 

市役所の 庭に 市民が 群集して ゐる C その 包 圍の眞 中から 何 かしら 合唱の 聲が 聞こえる。 かって 

聞いた 事の ない 唱歌の やうな 讀經の やうな、 ゆるやかな 旋律が 聞こえて ゐ るが 何 をして ゐ るか 外 

から は 見えない。 • 一段 高い 臺の 上で 映畫 撮影 を やって ゐる のが 見える。 其處を 通り 拔 けて 停車場 

の 方へ と 裏町 を 歩 いて ゐる と 家 々から ラヂォ が 聞こえ、 それが 今 聞 いた 市役所 の 夜の 合唱 そ のま S 


まで ある。 上 W から-. 野へ 電線で 送られた 唱歌が 長 野 ほから 電波で 放送され、. それが H 1 テ ルを 

傅 はっても との 上 W の發源 地へ 歸 つて 来て 力る ので ある。 何でもない 當り 前の 事で あるが、 一寸 

變な氣 のす る ものである。 

あとで 新聞 を兑 たら、 此 地で じ十ハ 牛ぶ りと いふ 珍ら しい 獅子舞が 演ぜられて ゐ たので ある。 そ 

れを ちっとも 知らないで、 唯 その 見物の 群集の 背中 だけ 見物して 歸 つた 譯 である。 生へ 拔 きの 上 

田 市民で 丁度 此日 他行 のために 此の 祇園祭 の 珍ら しい 行事に 逢 はな か つた 人 も あるで あらう から 

一 生に 恐らく 唯 一 度 此の 町へ 来 合 はせ て 丁度 偶然に この 七十 年: IZ の 行事に 出く はした,:! E 分 等は餘 

程な 幸運に 惠 まれた もの だと W 心っても 別に 不都合 はない 譯 である。 

上 W の 町 を 歩いて ゐる頃 は 高原の 太陽が 町の ァ スフ ァ ルトに 照付けて、 その 餘 炎で 町 小 は 丸で 

蒸される やうに 暑く、 如何にも: 复 祭りに 相應 はしい 天氣 であった。 歸 りの 汽車が 追分 邊 まで 来る 

と 急に 濃霧が 立籠め て 来て、 沓掛で 汽車 を 下りる とふる へる 程 寒かった。 信 州 人に は 辛抱 强 くて 

神 經の强 い 人が 多い やうな 氣 がする。 もしかすると、 この 强ぃ 日照と 濃い 雲霧との」 父錯 によって 

祌經が 鍛練され るせ ゐも いくらか は あるので はない かとい ふ; M が した。 :;;^ 州と 云 つても 國が廣 い 

から 一概に は 云 はれない であらう が 唯 一寸 そんな 氣 がした のであった。. . , 


530 


原 「ま; 


宿の 本館に 基督 敎 信者の 團體が 百 人 程: 汨 つて ゐた C 朝夕に 讚美歌の 合唱が 聞こえて、 それが か 

うした 山間の 靜 寂な 天地で 聞く と 一 層 美しく 淸ら かなものに 問 こえた。 みんな 若い 人達で 婦人 も 

若干 交って ゐた。 昔 自分 達が 若かった 頃の クリス チア ン Q やうに 妙に 聖者ら しい 氣 取りが 兑 えな 

くて 感じ Q い 乂 人達 Q やうで ある。 

この 團體が 此處を 引上げる とい ふ 前夜のお 训れの 集りで 色々 の 餘與の 催が あったら しい。 大廣 

間から は 時々 賑 かな 朗らかな 笑聲が 聞こえて ゐた. - 數分 間^に 爆笑と 拍手 0 嵐が 起こる。 そ Q 笑 

聲が 大抵 三 聲づ& 約 二三 秒の 週期で 繰 返されて、 それでば つたり 靜 まる Q である。 かう した 場合 

に 人間の 笑 ふのに は 唯一 と聲 笑った だけで はどうに も收 まらない ものら しく、 それ かと- K つて 十 

聲 とつ けて 笑 ふこと は出來 ない ものら しい。 

毎日 カツ コゥ ゃホト トギス がよく 啼く。 此 等の 鳥の 啼 くので も 大概 平均 三 聲位啼 いてから 少時 

休む とい ふ 場合が 多い やうで ある。 偶然と 云へば 偶然 かも 知れない が、 W し 何 か 生理的に 必然な 

理由が あるの かも 知れない。 


531 


七月 廿ー 日に 一 旦歸 京した。 显蟲の 世界 は覼く 間がなかった。 八月に 乂 行った とき、 もう 少し 

顯微鏡 下の 生命の 驚異に 親しみた いと 思って ゐる。 (昭和 十 年 九 =:、 家庭) 


532 


間淺小 


. ^淺間 


峯の 茶屋から 第一 0 鳥居 をく  つてし ばらく こん もりした 落葉樹 林の 隨道を 登って 行く と、 や 

がて^に 樹木が なくなって、 天地が 明るくなる。 さう して 右 を ふり 仰ぐ と突兀 たる 小淺 間の 熔 wl^ 

塊が 今にも 頭上に 崩れ落ちさうな 絕壁 をな して 聳え 立って ゐ る。. その 岩 塊の 頭 を 包む ヴ ェ ー ルの 

やうに 灰 砂の 斜面が 滑 かに 裾 を 引 いて そ 0 上 に 細かく 刺繍 をお いたやう に、 オン タデ や 虎杖 やみ 

ね 柳 やい ろ/ \0矮 草が 散點 して ゐる。 

1 合 目の 鳥居の 近くに 一 等 水準 點が ある。 深さ  一 メ ー トルの-四角な コ ンクリ ー トの 柱の 頂上の 

眞 中に 徑 一寸 位の 金屬 0 銀 を 埋め込んで、 その 大事な 頭が 摩滅したり つぶれた りしない やうに 保 

護す るた めに 金 屬の圓 筒で その 周圍 を圍ん である。 その 中に 雨水が たまって ゐた。 自分 は その 水 

中に 右の 人差指 を 浸して ちょっと その 銀の 頭に 觸 つて 見た。 


533 


この火山っ-*^巧の祕密を搜らぅと努カしてゐる多くの埶ー心な元氣な若ぃ舉者逹に極めて貴重な 

デ ー タを 供給す るた めに、 陸地 測量 部の 人達が 頻繁な 爆 發の危 險に舟 命 を 曝しながら 爆發 0 合間 

を 狙って は 水準測量 をして ゐる、 その 並々 ならぬ 勞苦は 世人の 夢にも 知らない 別世界の もので あ 

る。 そんな こと を 無意識に 考 へたた めで も あらう か、 この 水準 點 ベンチ マ ー クの錤 の 丸い あたま 

に 不思議な 愛^の 様な もの を 感じて 一 寸觸 つて 見ないで は ゐられ なかった C である。 

水举點 C すぐ 傍に 木の 角柱が 一 本 立って ゐる。 もう 大分 永く 雨風に 曝されて.;:: くされ 古び とげ 

とげし く 木理 を a はして ゐ るので あるが、 その 柱 Q 一面に 年月日と 名字と が 刻して ある。 これ は 

數年前 京都 大學の 地球 物理 學者逹 が こ 、に H ァ トヴ ァ ス の m- 力 偏差 計を据 付けて 觀 測した 地點 を 

「小す 標注 ださう である。 年々 に 何百 人と いふ 登山者の うちで、 こんな 柱の 立って ゐ るのに 氣 のつ 

く 人 はいくら もない かも 知れない。 まして、 その 柱の 意味 を 知る 人 は 恐らく 一人 もない かも 知れ 

ない。 

ト t 問/の^り は 思 ひの 外樂 では あつたが、 それでも 巾 腹まで 一 といきに 登ったら 呼吸が 苦し 

くな り、 妙に 下 股が 引き 釣って、 おまけに 前頭部が 時々 づき/ \ 痛む やうな 氣 がした ので、 しば 

らく 道 傍に 徑を 下ろして 休息した。 さう して かくしの キャラメル を 取 出して 三つ 四つ 一度に 頰 


534 


間 淺リ、 


りながら 南方の 裾野から 遠い 前面の 山々 へ かけての 眺望 を 貪る ことにした。 自分の 鄕 の 土 佐な 

ども 山國 であるから かう した 眺め も 珍ら しくない やうで は あるが、 W し 肉 分の 知る 鄕 里の 山々 は 

山の 形が わりに 單調 であり その 排列 Q 仕方に も變 化が 乏しい やうに 思 はれる が、 こ 、から 見た 出 

山の 形態と その 排置 とに は異? に 多樣複 雜な變 化が あって、 それが 此處の 景觀 の 節奏 と 色彩と を 

著しく 高め 深めて ゐる やうに 思 はれた。 

ま はり に 落ち 散らば つて ゐる 火山の 噴出 物に も赏 に 色々 な 種類 C ものが ある。 多稜形 をした 外 

面が 黑く 緻密な 岩肌 を 示して、 それに 深い 龜 裂の 人った 麵飽殼 型 Q 大山 彈も ある。 灼熱した 岩片 

が 落下して 表面 はな 激に 冷える が 內部は 与^に は 冷えない、 それが 徐々 に 冷える 間 は、 岩 質 中に 含 

まれた ガス 體が 外部の 壓カ Q 減った 結果と して 次第に 泡沫と なって 遊離して 來る、 從 つて 内部が 

次第に 海綿 狀に 粗鬆 になる と 同時に 膨脹して 外側 Q 固 結した 皮殼に 深い 龜裂を 生じた ので はない 

かとい ふ氣 がする。 表面の 殼が 冷却 牧縮 したためと いふ だけで はどう も說 明が 六 かしい やうに 思 

はれる。 實際こ Q 種の. 火山 彈の 破片で 內 部の 輕石狀 構造 を 示す も Q が 多い やうで ある。 

それから 义、 一寸見る と燧 石の やうに 見える 堅緻で 灰白色で 銳ぃ梭 角 を 示した 0 も あるが、 こ 

の 種の も Q で 餘り 大き い 破片 は少 くも この 邊で は 見當ら ない。 


535 


厚さ 一 セ ンチ 程度で 長さ 廿セ ンチも ある 扁平な 板片の やうな、 譬 へば 松樹の 皮の 鱗片の 大きい 

のとい つた やうな 相貌 をした 岩片も 散在して ゐる。 この 傣の 形で 降った もの か、 それとも 大きな 

お 塊の 表層が 剝脫 した もの か、 どうか、 これ だけで は刺斷 しにくい が、 恐ち く 後者で あらう。 こ 

んな雜 つ ベら な ものが 喷 出された としても、 {<r- 中で 衝突し 合って 碎け 易いで あらう し、 乂 落下の 

銜動 でも 破れない 譯には ゆかない であらう と 思 はれた。 

その他に も 色々 な 種類の 噴出 物が それぐ にち が つ た 經歷を 祕 めかくして 靜 かに 横 はって ゐ る。 

一つ/ \ が 貴重な ロゼ ッ タスト! ン である。 その 表面と 內 部に は 恐らく 數百 頁に も 印刷し 切れな 

いだけ Q 「記 錄」. が包藏 されて ゐ る。 悲しい ことに は 吾々 はま. だ、 その 聖 文字 を讀み ほごす 知能 

が惠 まれて ゐ ない。  . 

數 分の 休息と 三片の キャラメルで 自分の 體內の , ^液の 成分が 正常に 復 した と 見えて すつ か り 元 

氣 を取戾 して 一 と 息に 頂上まで たどりつく  AJ とが 出来た。 

頂上に は D 研究所の T 理學士 が 天文の 觀測 をす る ためにもう 十 數日來 天幕 を 張って 滞在して ゐ 

る。 バ ム ベル ヒの; 大 頂 儀を据 付けて: 大頂 近く 子午線 を 通過す る 星を觀 測して この 地點の 緯度 を 

出来るだけ 精密に 測定して おく、 さう して 他日 乂 同じ 觀測を 繰返して、 この 地點が 火山活動 Q 影 


536 


問淺小 


響の ために いくらか でも 移動す るか どうか を驗 出しようと いふ 0 である。  - 

觀測 器械 を 入れた 天幕の 傍に は 無線電信 受信 用の ァ ン テナが 張って ある。 毎日 午前 十 一 時と か 

に 東京 天文 臺 から 放送され る 時報 を 受取って ク P  ノ  メ ー タ IC- 時差 を驗 する ためで ある。 

こ Q 天幕から 少し 北に 離れて 住居 用の 長方形 天幕が 張って ある。 こ、 が T 君と 陸地 測量 部から 

派遣され た 一 一人の 測 夫と 三人の 假 0 宿で ある。 これから 义 少し 離れた 斜面に ヤシ ャブ シを 伐採し 

て 45! 造した 風流な 綠葉葺 の 炊事 小屋が 建て、 ある。 三本の 木の 株で 組立 てられた 竈の 飯 釜の 下 か 

らは樂 しげな 炊 煙が 靡いて ゐる。 小屋の 中 Q 片側に は數日 分の 薪材に 附近 Q 灌木 林から 伐り 集め 

た 小枝 大枝が 小 綺麗に 切り 揃 へ 積み 揃 へ られて 如何にも 落着いた 家庭的な 氣持を 感じさせる。 

測量 部の 測 夫 達 は 多年 かう した 仕事に 馴れ 切って ゐて、 一 方で は强カ 人夫 Q 荒仕事 もす ると 同 

時に 又 一 方で はまめ やかな 主婦の いとなみ もす るので ある。 さう して 叉 一 方で は觀測 仕事の 助手 

としても 役に立つ とい ふ 世に も 不思議な 職業で ある。 年中 人 0 行かない 山 Q 中で かう した 生活 を 

して、 陸地 測量、 地圖 作製と いふ 文化的な 基礎 仕事に 貢獻 して ゐ るので ある- 

測 夫 Q 一  人 はもう 四十 年 も 昔から この 仕事 をつ けて ゐる さう で、 北 は 樺 太から 南 は臺灣 まで 

足跡 を 印し ない 土地 は 少ない Q ださう である。 天幕の 中で 晝 食の 握り飯 をく ひながら、 この 測 失 


537 


の 體験談 を 聞いた。 一 番 恐ろしかった のは丧 美大 島の 中の 無人 Q 離れ島で 颱風に 襲 はれた ときで 

あった。 眞夜屮 に 暴 浪が岸 を 這 ひ 上がって: 大幕 C いは 前數メ ー トル 0 所まで 押 寄せた とき は、 もう 

一と 波で 攫 はれる かと 思った。 そのと きの 印象が 餘程强 く 深かった と 見えて、 それから 長年 月 C 

後まで も 時々 夢魔と なって 半夜の 眠り を 脅かした さう である。 乂 同じ 島に 滞在中の 或 夜琉球 人の 

漁船が 寄港した ので 3liG 上から 大聲を あげて 呼びかけたら、 何と W 心った か 慌て 、纜 をと いて 逃げ 

:;^ せ、 それつ きり 歸 つて 来なかった さう である。 樺 太で は 向 ふの 高みから 熊に 「どなられて」 蒼 

くな つて 逃げ だした こと も あると いふ。 えらい 大きな 聲 をして 一 ー聲 「どなった」 さう である。 

! K 幕- 2: の 夜の 燈火 は徑 一 寸も ある やうな. K きな 孅燭 である。 風の あるとき は 石油 ラ ムプは 却つ 

て 消え くて いけない さう である。 

何 G 氣な しに 貰って 香んだ お茶の水 は 天 氣の い 、時 は峯の 茶屋から こ 、まで かつぎ 上げな けれ 

ばなら ぬ贵 な ものである。 雨のと き は 灭 幕の 屋根から 集める とい ふ。 

晴夜が 三晚も あれば、 觀測は 終了す る 苦で あるが、 こ、 へ: 人 幕 を 張って から 連日の 雨 か 曇りで 

どうしても 星が 見えない。 ^しいつ 何時 晴れる かも 知れない から、 誰れ か 一 人 は 交代の 不寝番で 

穴ぶ を は 張って ゐ なければ ならない。 燈 火が 暗い から 讀書ゃ 書き もの も 工合が よくない。 ラヂォ を 


53S 


rni 淺小 


聞いたら い \ ではない かとい つたら、 電池 を 消耗す るから 時報と: 人::^ 豫報 以外 は聽 かない 〇 だと 

いふ。 これが アメリカ あたりの 觀測隊 であったら、 恐らく 電池ぐ らゐ 可な り豐 富に 搬び 上げて、 

そ Qln/,\-Q ラヂォ で 時 を 殺し、 さう して 乂 恐らく ボ ー タ プルの ジャズで ステップ を 踏み、 その 

上に うまい コ ー ヒ ー で 午後の 一時間 を 陽 氣に朗 かに 樂 しむで はない かと 思 ふ。 . 

併し 我が 食乏國 日本の 忠實な 少壯學 者 は 貧乏な 大學の 研究所 ために 電池 Q 僙 かな 費 川 を 節約 

しつ、、 澤庵を かじり、 ^茶に 咽喉 を 潤 ほして さう して::; 本學界 の名譽 のために、 乂 人間の 智惠 

Q ために 骨折り 倒いて ゐる 0 である。 

毈燭を 這 ひ 上がって 行く 一  匹の 足 長 蜘蛛が ある。 意外な 人 問の 訪客に 驚いて ゐろ であらう。 恐 

らく 經驗 Q ない 蠟の滑 かな 表面に は 八本 G 脚で も 行惱ん でね る やうであった。 

こんな 所で も蠅が 多い。 峯 0 茶屋で 生れた のが 人間に 付いて 登って 來 たも 0 であらう か。 焦 灰 

色 をした 蝶が 飛ん でゐ る。 砂の 上 を 這 つて ゐ る屮蟲 で. 頭が 黑く て 5^  Q 煉瓦 色 をして ゐ るの も 二三 

匹 見かけた。 コ メス、 キ や.::: 出 女郎花の 花 く 砂原の 上に 大きな 碗 豆 位の 粒が 十 位、、 つ 、かたまつ 

て轉 がって ゐる。 草の 類 かと W わって 二つに 割って 見たら 何 か 草食 獸の 糞ら しく 屮は 殆ど 植物 Q 纖 

維ば かりで つまって ゐる。 じ やうな ので 乂直徑 が 一 倍 半 位 大きい のが 揃って 刖 Q 集鬮 をな して 


539 


ゐる。 

此 二種 0 糞 を 拾って 行って 老測 夫に 鑑定して 貰ったら どちらも 鬼の 糞で、 小さい G は 子 鬼、 大 

きいの は 親 兎の だとい ふ。 さすがに 父 だか 母 だか は 糞で は 分らない らしい。 この 兎 を 捕獲 すれば 

天幕 內の晚 餐を賑 はすこと が出來 るが 中々 容易に は 捕れない さう である。 出歩く 道が 分れば わな 

を 掛ける とい、 さう であるが 其 道が 中々 分らない と 云 ふ。 それ は 鬼に 角、 こんな 兀 山の頂に 鬼が 

何 を 求めて 歩いて ねる Q か、 又 蜘珠ゃ 甲蟲ゃ 蝶な ど、 如何なる 「社 會」 を 作って ゐる のか 愚かな 

人間に は 想像が つかない ので ある。 

歸 りに は T 君が 麓まで 送って 來て くれた。 途中で 拾った 小さな 火山 彈 0 標本 を 御 土産に 貰った „ 

T 君の 住 ひ は玄關 から 座敷まで 百 何十 メ ー トル 登らなければ ならない ので ある。 觀 測の 成 效を祈 

りつ れを つげた。 

往路に 若い 男女の 二人連れが 自分 達の 一行 を 追 越して 淺 間の 方へ 登って 行った = 「あれ は大丈 

夫 だら うか」 とい ふ 疑問が 吾々 一行の 間に 持 出された。 併し、 男の 方 は 勿論 女の 方 もす つかり 板 

についた 登山 服 姿で あり、 靴な ども 可な り 時代の ついた 玄人の それで あり、 叉 それ を 踏みし め 踏 

みしめ 登って 行く 足- 収りも 悉く 本格的ら しいので、 あれ は 大丈夫 だら うとい ふこと になった Q で 


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間虔小 


あった。 吾々 が小淺 間の 頂上に 逹 した 頃 はこの 二人 はもう 可な り 小さく  えて ゐた。 吾々 C- マり 

た 頃に は 多分 頂上 近くまで 登って ゐ たこと であらう。 

そ Q 夜 星野溫 泉へ 歸 つて 戸外へ 出て { 仝 を 仰いだら 久し振りで 天頂に 星が きら,^ 輝いて ゐる 〇 

が 見えた C  T 君が 今夜 は 一 晚星を ねら ひながら 明かす ことで あらう と 思って 寢 床に はいった。 

寢 ながら、 T 君の 小淺間 頂上の 天幕 生活と、 近代 青年 男女の 間に 流行す る 所謂 キヤ ムプ 生活と 

の 對照を 思 ひ 浮べ て 見た。 後者 0ま\ ごと 式の 野營 生活 もた しかに 愉快で も あり 义. 色々 な 意味で 

有, 1 化で は あらう が、 併し、 前者の 體験 する 三昧 Q 境地 は 恐らく 王侯と 雖も味 はふ 機會の 少ない も 

0 であって、 唯 人類 の智惠 のために 重い 責任 を 負う て 無我な 眞劍な 努力 に 精進す る 人間に Q み惠 

まれた 最大 0 ラ キジ ュ リ ー ではない かとい ふ氣 がする 0 であった。 

そんな こと を考 へながら、 T 君 Q 山男の やうな 蓬髮と 皺くちゃ にょごれ やつれた 開襟 シャ ッ の 

勇ましい いで 立ち を、 スマ ー トな 近代的 ハイ 力 10 諷爽 たる 風姿と 思 ひ 比べて ゐる うちに、 いつ 

か 快い 眠りに 落ちて 行った ことであった。 (昭和 十 年 九月、 東京 朝日 新聞) 


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震災 日記より 


大正 十二 年 八月 廿 四日。 曇、 後 驟雨 

子供 等と 志 村の {kA へ 行った。 崖 下 Q 田圃 路で 南蠻 ぎせ ると いふ 寄生 械物 を澤山 採集した。 加 藤 

や H 相 痼疾 急變 して 薨去。 

八月 卄 五日。 晴 

日本 橋で 散彈ー 一斤 買 ふ。 ラム プ のぎ に 人れ る爲。 

八月 廿 六日 C  夕方 雷雨 

月蝕 雨で 見えす。 夕方 珍ら しい. 電光 Rocket  lightning が 西から: 太 頂へ かけて Q 穴」 に 見え. 5』。 


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リ よ fliH 災震 


丁度 紙テ ー プを 投げる やうに 西から 東へ 延 VM」 行く 〇 であった"  一 M で兑 物す る C 此歲 になる ま 

で こんなお 光り は 見た ことが な いと 母上が 云 ふ。 

八月 廿 七日。 晴 

志 村 Q 家で 泊る、 珍ら しい 日本晴: 舊曆 十六夜 0 月が 赤く 森から 出る C 

八月 廿 八日- 晴、 竊雨 

朝霧が 深く 地 を 這 ふ" 草 刈。 百舌が 来たが 鳴か. K 夕方 Q 汽車で 歸る頃 雷雨 Q 先端が 来た = 加 

藤 首相 葬儀。 

八月 卄 九日 = 曇、 午後 雷雨 

午前 氣象臺 で 藤 原 君 G 渦 や 雲 Q 寫眞を 見る。 

八月 卅日。 晴 


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妻と 志 村 Q 家へ 行き スケッ チ板 一 枚 描く。 

九月 一 日。 (土曜) 

朝 はしけ 模様で 時々 暴 雨が 襲って 來た。 非常な 强 度で 降って 居る と 思 ふと、 まるで 斷ち �