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Full text of "Shimazaki Toson no bungaku"

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箸 吉信籐 伊 



海 崎 藤 村の、 K 學 



舅 

一 I 

ま 



PL 
816 

H55Z75 



Ito, Shinkichi 

Shimazaki To son no bungaku 



Asiatic 



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http://www.archive.org/details/shimazakitosonnoOOitos 




7 

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1 



序 

いまから 恰度 八 年 前の 晩春の 溫 かい 夕暮、 私の 家に ひとりの 脊 丈の 矮ぃ、 

眼の ぎよろ りと した 一 癖 ありげ な 若い 人物が 訪ねて 来た。 この 人物 はト: 州の 

前 橋 在に 住み 获原朔 太 郎君の 紹介 狀を携 へて ゐ たが、 私 は 書齋に あんないせ 

すに 散歩に 出掛ける 時 剥な ので、 外に つれ 出して 一緒に 歩いて 行った。 歩き 

ながら 話 を するとい ふこと は 奇想天外の 考へ に 打つ かる こと も あり、 この 人 

物を觀 察する うへ にも、 何 か 書 齋で話 をす るよりも、 もっと 直接に 彼の 眼 付 

や 話 振り や 洞察力 を 見 徹せる 氣持 があった からであった。 

一 見ぎ よろ りと した 眼 付 は それ を 通り越した ところに、 柔和な 正直 さうな 

瞬きと 謙遞の 情が あら はれて ゐて、 警戒し なくと も 好い ところの 私 は 私の 見 

當遠ひ の 好個の 人物 を 感じた のであった 。後の 日 に 萩原 朔太郞 君に 會っ て か 

うい ふ 人が たづね て來 たとい ふと、 あれ は 鳥渡 見る と 一癖 ありさう だが、 そ 

れとは 反對に 好い人 間なん だよ と 云って ゐた。 



3 



それ 以後、 この 問題の 人物で あると ころの 詩人 藤 信 吉君は 皮肉と か漸怠 

とか 傲慢と か 背德 とか、 さう いふ ものと は 凡そ 背中 合せの 資質の 人間で あり- 

そして 洒も 飲まない 寧ろ! 一 ^擎 すぎる 人で ある こと を 知った。 私の 〔永に 前 橋 か 

ら 出て 來て 滞在して ゐる 問で も、 殆、 終日 何 か 知ら 原稿紙 を ひろげて、 書き 

ほじく つて ゐた。 凝 性と 几帳面な ところと、 人に 愛される 溫 良さに 加へ て 何 

か賴 もしい 信據す ベ きと ころがあった。 

マルク ス 主義- 乂舉 華やかな りし ころ、 趁 はれて 故鄉に まる 三年く らゐ 滞在 

して t^h 愼 して ゐ たが、 その 間に こ の 書物が 彼に よって 書かれて ゐ たもので あ 

り、 Iri^ 巾で も、 何 か 研究せ ねば 居られない 手 固い 氣 質が この 鬼大な 書物 を 

爲 さしめ たもので あらう。 原稿紙で 六百餘 枚、 そして 日本に 於け る 作 研究 

の 上で は 量の 上から も、 何人も 爲 さざる 丁寧 懇切な 批評で あり、 又 再び 求め 

られ ない 根氣 の. 深い 書物で ある こと を 知った ので ある。 ■ 

昭和 十一 年 正月 末 室生渾 星 



4 



目 次 



小 題 一 言 島 崎 藤 村 . 

序 室 生 庠 星 

築かれた 世界 

老年の 風格」:::::。。:。。。。。。。 ーセ 

老年の 境地から 。。。"。。。。。。。。。。。。。。。 一七 

民話の 風格。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 二 六 

文章論 。。し。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ニル 





挿 


浪 


藤 

村 


つ M 




漫 


の と 




的 




風 一 


し 


精 


俗 茶 


て 


神 



^ ' ' CD 
I ' " 

» …文 



内^と 外. ォ 。。。。ご。。。。。。。。。。。 

家系の 性格。。。。。。。。;。。。。。。。。 

土地の 愛。。。。。。。。。,。",。。,。。 

リアリズム 論 。。.。 C 。。。。。.。。, 。 

作 =1 の 振幅 度 •。。。。。。。,。。。。。。 

文^^3,ゅ: に就 て •。"。。。。。。。,。,。 

フランス 紀行 ,-。。。。。。。。。。。。。。 

文 率營爲 の^ 築 。。。。。-.。:。。。。。。 



6 



九 八 八 一し- >*c ブ ぐ 
二 2£ 二 四 ンゝ- 二 



IK 五 四 ニニ 
^ メレ 31: 



浪相靑 

m 似 J?^ 
的 性 の 

と £fi 
K 先 歌 
と晃と 
人 性 g 



ic^*- 性の 人生 的 定着。。。。。。。。。。。。。。 "。。一六 二 

リアリズムの 完成。 • 。。。。。。。。。。。。。。。。一六 八 

作品 論 

『破戒』 をめ ぐる 囘 顧と 感想 。• : 。。。。。。 ニセセ 

悲劇の 時代 性 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。二 七 七 

作品の 心理.。。。。 • 。 • 。。。。。。。。。。。。。。一八 四 

社 食 性と 主 情 性 。.。。。。。。。。。。。。。。。。。 一九 1 

『_^』 並びに 『櫻の の 熟する 時』 , 。 。 : 。 。 。 r し儿 

?…… : : ……二 九九 

……: …:… 。 C 二 10 六 

生 的眞實 。•。。。。。。。。。。。 丄 ニニ 

歸性 .。。•。。.。,.。•。。。 。ニー 二 



『家』 の 性格と m 



8 



人生 的 決意の 必 然 。 

自然主義との 關係。 

人生の 囚 はれ 。 " 。 

暗 さと 溫 かさ U 。 。 

『新 生』 斷 想"。。。" 

懺悔 をめ ぐって 。 。 

愛と 誠實と 機悔と 。 

新生と 哀^ 離苦の 相 

『嵐』 「分 配」— 一 聯 の 

轉囘の 一時期 。 。 。 

『嵐』 並びに 「分配」 。 

1 聯の 作品。。。。。 



詩人 論 

千:^ 川 旅情の 歌 。 。 

; 入と しての 膝 付 

「^:^枕」 の あけぼの。 

『若菜 $^』 時代 。 。 。 

抒情 性と 浪没性 , 。 

靑 春の 挽歌。 • 。 。 。 

作家 意欲の 社き 性 

北 村 1^3 谷との 交 友 



春 

の 

透 
谷 
と 

藤 

村 



遣 

產 

の 

m 
承 



透 
谷 

そ 
の 

悲 
劇 



文 
擧 
的 
交 
友 
の 
焦 
點 



U3 四"^ 



意欲の 社會性 :。。。:。。。。。。。。。。。。 。一一 一 五八 

思想 性と 社會性 。。。。。。。。。。。。。。。。つ.。。 一 S 八 

先 的 作家への 志向。。。。。。。。。。。。。。。。。 一一 一六 四 

民衆への 愛。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 一一 一七 

人道的 精神。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。し。 。一一 一七 

人生 的 欲求と 社會的 意欲 ^ 。。。。。。。。。 。 i 八 Q 

作品の 社會 性。。。。。。。::。。。。。。。。 。一一 15 

作品 機能の 永鑌 性。。。。。。』。。。。。。。。。。。 一一 一八 五 

1 、 『千 曲 川の スケッチ』 の觀 點。。 。。。。。。。 。 。一一 一八 八 



II 



交 社交 明 
涉啻涉 治 

の 的の 文 
'深 作 經 舉 



スケッチの 背面 。。.,,。•。• ニー 一八 八 

自然と 人的 關 係。。。 •。• 。。。。。。。。,。。。ニー 一九 1 

風物の Si る 思想 •。••••。,。。"•。。•, a 。• 一 一-一九 八 

二、 『破戒』 の 史的 位 S ..。。。。.。。 30 一一 I 

時代 的文學 の 創造」。。。。。。。。。。.。"。。。 。四 一一 I 

作家 神の 民主 性。。。。。。。。。。。。。。"。。。 30 八 

二つの 先 SS 的 意義。。。。。。。。。。。。 •。。,-。。 3 1 一一 一 

!M 洲文學 との 交涉: •。。。。。。。 : 。。 :。 ヒ九 

の 一 過程。。。。 •。:。。。。。。。 :。31 九 

過と 形式。。。。。。。。。。。。。。。。。 。ヨ 一セ 

:: 叫の 消化。。。。。。。。。。。。。。。。。 。3S 

化。。。,。。。。。。。。。。 。。。。。。四 一一 一九 

口 シァ文 g やとの 關聯 : 。 • : : 。 。四 3 セ 2 

I 



歷 
史 

の 



思 



ツル ゲネ. -フ との 親近 。。。。。。 。。。。。。。。。 33 凡 I 

トルストイ 的な ものに 就て。。。。。。。。。。。。。 3 五 九 

ドスト エフ スキ T を囘 つて 。。。。。。。。。。。。。四 六 五 

『夜明け 前』 論 

巨大なる 記念碑 。。。:::。。。。。。.:。。 s£ 



作家 營爲 とその 意 園。。。。。。。。。。。。。。。。 

醇化され た 境地 。。。。。。。。。 。。。。。。。。。 

歷史と 作家 的 創造。。。。。。。。。。。"。。。。。 

維新 史の 集約 。。。。。。。つ。。。。"。。。。。。 

思想の 時代 的 性格。。。。。。。。。。。。。。。。。 



« 年 

m m 




14 




馬 痛お の 位 s 。 。 • 。。。。。。。。"。。。。。。。。五 01 

靑山 半藏の 肖 。 。 。 。 。 。 。。: : 。 : 。 。 。 .Is 六 

si- 史の 思。。。。。。 • 。。。。。。。。"。。。。。。五 二 一 

宿驛の 推移。。。。。。。。。 い-,。。。。。。。。。。 W 1 八 

I; 想の 悲劇。。。。。。。。。::。。。。。。: 。5 六 



新時代の 相貌 。。,。,。。。。。 

「おの 中」 から。。。。:。" r , 

悲劇の 人。。。。。。。。"。。。。 

核 • 悲劇の 人。。。。。。。。。。。 



老年の 風格 , 

老年の 境地から 

すでに 老 大成した かに 見える この 作家 は、 およそ、 忍從の 人で ある。 

すると、 この こと は、 かねがね 島 崎 氏が 畏服して ゐるレ フ • トルストイの 

晩年の 肖 を 思 ひ 浮べさせる やう だ。 しかし、 かう した 聯想 は、 主として 老年 

の 境地に ある 人の 風貌から うける、 一 つの 共通した 感じに 過ぎぬ。 晩年に な 

ほ 人生の 眞貪を 求めて 家を脫 け、 一 寒驛に 逝った トル ス トイの 渴 きつく やう 

な 思 ひが、 果して この 作家の 胸に ある だら うか。 

一九 三 四 年 (昭和 九 年) の 夏 あたりの こと、 島 崎 氏 は 「もはや 自分の 肉體 

は 自然に 同化して 行く やうな 氣 がする。」 と 老年の 心境 を 語って ゐた。 この 



IK 葉 は、 島 崎 氏 もまた 東洋人に 氣^ する、 あの 閑寂と 枯淡の 境地と も 言 ふべ 

きと ころに 近づきつ つ あるの かと 思 はせ、 焦慮して やまたかった トル ス トイ 

の 心境に 比して、 とほく 距 たった 落着か 諦觀が 窺 はれる やうであった。 

ところが、 その 1W 葉の 背後に ある 作 {| 的營 みは、 面に ただよ ふ穩 かさに は 

たんら の關係 もな く、 森 然と 昔た てて 大きな 振幅 度 を 示して ゐた。 歷 史的 現 

資に 肉^した 『夜明け 前』 の E 犬た 營爲 は、 あの 東洋人 氣 質から はまこと に 

逮 いので ある。 年齢に よる 生理的 條 件が、 人間 行爲の 內容を 規制す るな どと 

いふ 偏兑 をし りへ に、 そこに は營々 たる 作.: k ぶ 的實踐 があった。 

しばらく、 その 老年の 境地に なにが あるか を 見よう。 

「三人の 訪問者」 とい ふ 文^ は、 一, 冬、 貧、 老」 についての 感想 を 述べた も 

ので あるが、 その 「老」 をめ ぐって、 「私に は老の 微笑と いふ ことが 分って 

來 た。」 と 言 ふので あった。 老年の 境地と はこの やうな もので あらう か、 1 

1 もっとな にか しらの あわただしい 感じ を豫 想して ゐた私 は、 幾らか 意外に 

も 感じ、 もした。 忍 ふに、 島 崎 氏と て 四十 餘 年に 互る 文舉 道程と、 それ ^ 



以上の 人間的 經驗の 集積な しに は、 さうた やすく、 この やうな 境地 を 感想す 

るまでに 到り はしなかった であらう。 老年の 背後に ひろがる 四十 年の 年月 は、 

この 言葉に 凝結して 研がれた 銳さを ひそめて ゐる。 結晶 度の 緻密な この 斷片 

を截斷 したなら、 一 つ 一 つの 細胞 は、 その 斷 面に、 辛苦と 偸 の 相 を 二った 

がらに 語る だら う。 

一 今まで 私が 胸に 描いて ゐ たもの は眞 實の老 ではなくて、 赛 縮であった こ 

とが 分って 來た C 自分の 測へ 來 たもの は、 もっと 光った もの だ。 もっと 有難 

味の ある もの だ 二 一. 「三人の 訪問者, と、 文學 道程と 人間的 經驗が 融合した 

豐 かた 世界 を 見せる の も、 辛苦の i に購 つた 老年が、 いかに 貴重で あるか を 

思 はせ る。 

おそらく、 老年に ついての これ だけの 信賴と 自信なしに、 記念碑 的 作 口 ぼた 

る 『夜明け 前』 が 完成した とは考 へられぬ。 私 は その やうに 思 ひ、 老成した 

作家に して、 はじめて この 作品 は 完成され る ほど、 困難な 營 みであった らう 

こと を 思 ふの だ。 



19 



晚年に 到っての トル ス トイの 焦燥 は、 その 假 借ない 道德; ii^ によって さへ、 

いっかな 人生 的 iK; 究と 確信す るに 足る もの を、 捉 へる ことので きなかった 寂 

isl* にある。 .13 崎 氏が それ を捉 へた か 否か は 言 ひきれ ぬまで も、 老の 微笑に 端 

然として ゐ るの は、 ただの 一度 も、 おのれ を 失 ふことの なかった 自意識の 深 

さに ある。 それ ゆ ゑ 外 都 的な 論理に は 毫末 も 依 # せ ぬし、 たんら かの 假說に 

身 を 托す こと もしない ので ある。 どの やうな 痛苦に 際會 しょうと、 おのれの 

呻き 以外の なにもの にも 信 を 措かぬ し、 その 食楚な 人生 的 欲求から すべ て を 

實踐 的に たしかめ、 どれほど 些少な 事柄 も おろそかに はせ ぬ。 ときに 迂遠と 

さへ 思 はれる ほど 頑 に 身 を 返し、 その どこに も 拔け道 を 知らぬ とい ふ、 苦 

雜の を 築いて ゐる。 

最初の 長篇 『破戒』 から 『夜明け 前』 に 到る まで • 一 筋に 人生 的 實は追 

求され、 一作から 一作と、 人生 的 決意の 指 I- たらざる 作品 はない 有樣 である。 

この 永い 作 〔來 道程の 側に は、 幾多の 文 早 運動が 次々 に 消長して ゐ るが、 島 崎 

氏 は 一 度と して その 位 © する 途 から 逸れぬ の だ。 あらゆる 流派. 運動が、 一 ^ 



應、 假說 として 映って ゐる。 現實 的に 起伏す る 事柄 は、 實踐 的に 當 つてみ ね 

ばなら ぬ、 これが 島 崎 氏の 信念で あり、 その 文事の 支へ である。 

信念の 輦固 さは、 人間 生活の ふかみへ 精進しつつ、 人生に 於け る 眞實性 を 

捉 へようと する 決意に 由来し、 困難 はもと より 豫 期した。 より 多く を經驗 し、 

それによ つて、 文學的 世界 を ひろげよ うとした 信念の 形式 は— ——. 宿命に 似て 

ゐる。 

トルストイの 生涯と 藝術 について、 幾度び か 島 崎 氏 は 讃辭を 贈り、 眞摯な 

作家 的 態度に 共感した。 一 寒驛に 苦難の 生涯 を 終る やうな 精神の 寂彦 にも、 

尊敬と ともに 親近の 情 を 寄せて ゐる。 この やうに、 トルストイへの 愛 は 深い 

ので あつたが * その 道 德說に は 依然として 共感す る ことがない。 

r 晩年の トル ス トイの 過酷な くら ゐ嚴 格な 道 德說に は、 時に 私 は 辟易した 

ことがあって、 殊に 道德 的な 色彩の はた はだしい 彼の 藝術 論に は、 感服し が 

たいと 思 ふこと が隨分 多かった。」 「トルストイの 『モウ パッサ ン論』 を讀 む」) と 

道德說 はか か はりない 世界で あり、 そこにた にごと か を 期待す る ことの 危險 



21 



性 を 暗々 に 仄めかして ゐる。 なんらかの 說に身 を 托すよりも、 現實 にあって、 

ともに 淸燭 明暗の 赏相を 味 はう とする のが、 島 崎 氏の 作. ぼ 的 態度で ある G 

1, 老齢 は、 それが 全然 無 S 且つ 無 似 値に 過ごされ たる 生活の 結尾で ない 以 

上 は、 決して 不幸た もので はない。」 11 ケ H ベ ル 博士の これらの 言 紫 を 摘 

記して、 .Es 崎 氏 は 「老年と いふ ことに 就いて、 これほどな つかしい 言葉 も少 

いと E 心 ふ」 と 言った。 人の 生涯が、 一年 ごとに 人生の ふかみに 達する やう 

な 美しい 年輪 を; i んでゐ ると き、 これらの 言葉 は 適切な —!- とい ふより は、 

快適な ひびき をった へる に 遠 ひない。 島 崎 氏の 背後に、 茫漠 とひろ がって ゐ 

る 近 程 を、 一 點に 5^ 約して みると、 まさしく ケ H ベル 博士の 言葉に 應 へる 老 

年の 境地が ある。 

先に この 作.:^ を 忍從の 人と 呼んだ が、 その m 一 程を囘 想す るたら ば、 この種 

の 形容 は いさざ かも 誇張で たい。 

『生 ひ 立ちの 記』 とか、 部分的に は 『芽 生』 に 描かれて ゐる 少年の 姿 は、 

代の 波に 洗 はれ. 衰滅した 木^ 地方の 宿驛に 育った 人民の 子 を 思 はせ る。 一 



ト, 入ス トイの 『幼年時代』 や 『少年 時代』 と は、 全く 生活 感情 を 異にした ?っ 

ところの、 庶民の 子 il 島 崎 氏の 「幼年時代」 がそ こに ある C また ゴリキ ー 

の 『幼年時代』 ほどに 粗野で なく,' 山村 童兒の 小さな 生活 は、 庶民の 子への 

溫 かい 感情 を もって 描かれて ゐる。 そして 幼年. 時代 を 終らう とした 日に、 は 

やく も 人々 の 中に あって 生きる ために、 やがて 人民の 子の 忍從の 生活が はじ 

まった。 この 流れに、 あるとき は 死 を 思 ひ、 或 ひ は 生 を 肯定し、 生活 を 意識 

した 瞬間から、 人間的 眞實に 向って あがいた ので ある。 作品 系列に 見る 人生 

的 決意の 堆積から、 人 はこの 作家の 精神力と 忍 從の娄 を 知る だら う。 

これほど、 人生 的 決意 を きびしく してきた 作家 も 稀で ある。 奢 美的 覺 悟で 

はなく、 飽くまで 人生 的 決意で ある。 作家 的 態度と して、 一見 倒錯して ゐる 

やう だが、 それら は 人生 的 決意に 包含され る 部分で あり、 それに まつ はる 意 

匠に 過ぎぬ とい ふ 見解が、 いつも 作品の 底に 撗 たはって ゐる。 

この 人生 的 決意の 紐帶 によって、 島 崎 氏の 風格 はし だいに 重厚な 感じ を帶 

びた。 これが 人生 的 決意で はなく、 代って 審美的 覺 悟に 生きて きたので ある 



たらば、 いかに 老年に 達した とて、 重厚な 風格な どつ ひに 具 はり はしな かつ 

ただら う。 人 問的眞 寅に 向っての あがき を 苦難し、 苦難 を糧 として 作 {豕 的 仕 

事 を實踐 した 人の、 今にして 見る 老成した 風格 は、 だから、 一面む しろ 傷ま 

しいので ある。 その 肌 は 滑らかで あるよりも、 乎 ざ はり 粗く、 苦難に さらさ 

れ た^を 到る ところに 刻んで ゐる。 ただ、 島 崎 氏 は、 トルストイ がその 「ふ 

かくた たへ てんた 焦燥と 寂寥と を、 みづ からの 重厚 さ を 築く ための 糧 にした 

だけの #• である。 

^美的 覺 ではた く、 人生 的 決意 をい よいよ きびしく して、 一筋の 途を迪 

つてき たとい ふ 事情から、 人 は、 或 ひ は それらの 作品に 潤 ひの 乏し さ を 思 ふ 

か 知れぬ が、 さう した 見方 は當ら ぬ。 島 崎 氏 もまた すぐれた 作 {豕 の 一人と し 

て、 ^!!:然すべての作品に作家的配意を行ってきた。 最初の 作品 『破戒』 から、 

いづれ の 作品に も 情感 は あふれ、 詩的 特性と しての 主 情 性 は、 ひさしく 作品 

の 特徴 をた して ゐた ほどで ある。 ことさら 意匠 を 施さねば ならぬ ほど、 情感 

の 洞お した 作 〔,5^ はこ こに ゐ ない: 「 …… は 激しく 泣いた」 とい ふ 文章が 『春』 M 



や 『新生』 に は 幾度び か 見う けられる が、 これ は 人生 的 決意の 困憊し きった 

際に、 詩人 的 凛 質た る 主 情 性が、 生地の まま k 、いた ことの 徵し である。 島 崎 

氏の 藝術的 方法 は、 主 情 性と 寫實 性の 結合に よって 形成され る ほど、 リア リ 

ストに して、 なほ その 情感 を 豊かに したので ある。 

忍從の 人が、 老成して、 再び 人生 的 決意 を 新たに する の を 見る のは樂 しい 

こと だ。 

一. まことの 老年の 豊富 さは 太陽 を 措いて 他に はない。」 と 言 ひ、 「わたし は 

こ の 年に なって、 また 自分の 內 部に 鶴って 來る 太陽の ある こと を 感づく とこ 

ろから 見る と、 どうやら 夜明け も 遠くない やうな 氣 がする。」 (大正 十三 年の 

秋 T 太 腸の 言葉」 と 言 ふの は、 一つの 感懷 であると ともに、 より 高段の たた 

かひ を 志した 人の 態度であった。 

して、 この 言葉の のちに は 『夜明け 前』 の龙大 な營爲 がつ づき、 人生 的 

欲求 は、 いっそうの はげし さを牧 める のか、 測りが たいほ どで ある。 そして- 

この 忍 從の人 は、 つ ひに {番 美的 覺悟を もって 人生 的 決意に 代へ る 日 を 持たぬ 



-5 



だら う。 

K 話の 風格 

い 犬 も S を 知る。 

に のお はやう も 三度。 

ほ 足 まで 高く 飛べ,^ 

わ わからずや につける 薬 はない か. - 

そ { や 飛ぶ 鳥 も 土 を 忘れず。 

む 胸 を ひ..: け。 

の めんき に、 根氣。 

ま 誠 爽は殘 る。 

け 心 一 マ 

ふ 不思該 な 御緣。 . 



25 



こ 獨樂の 澄む 時、 心棒の 廻る 時。 

え 枝葉より 根元。 

あ 鸚鵡の 口に 戶は たてられずに 

み 耳を貸して 手 を 借りられ。 

も 持ちつ持たれつ。 

これ は 島 崎 氏の 乎に 成る 「いろはが るた」 で、 例へば、 その 鄕 里の 信 州 あ 

たりで 作られる 乎 織りの やうに 素樸な 感じで ある。 「いろはが るた」 のこと 

とて、 四十 七 句 あるが • ここに は 島 崎 氏の 民話の 風格と、 島 崎 氏 その 人の 民 

話 的 風格 をう かが ふに 適した やうた もの だけ を 選んだ。 

「犬 も 道 を 知る。」 から 順序 を 追うて 味 はって みると、 おの づ から 一 人の 民 

話 作家が 勢髴 する。 けれども、 それほど 數 多くの 民話 風な 作品 を 書いて ゐる 

わけで はたく、 『ふるさと』 とか 『を さな ものがたり』 とか、 その他、 若干 

を 書いた ばかりで ある。 民話 作家め いた 印象 は、 風格の 底に ひそむ 地方 人的 



27 



氣 質で でも あらう か。 たいし は、 これ も 人間的 精進に ともた ふ 一 つの 成 5^ か 

知れぬ。 この やうに して、 苦難に さらされた 人の 人格が いささか も 歪曲され 

す、 反って 溫 かく !>• かで あるの は 見事な 眺めで あるし、 それだけに また 洗練 

された びし さ を そそる。 そのこと を 知って、 私 は 「いろはが るた」 の やう 

に 荒 無稽の す さび を、 それと 呼びなら す 術 を 知らぬ し 

「人^の 大きい ところば かりで なく、 その 愚かしい ところ や 卑しい ところ 

にも 關 心の 深い こと。」 C 「民話」) と は、 島 崎 氏が 好い 民話の. 要素と して 舉げ 

た 三つの 條 件の 第二に 當る もの だ。 トルストイ は 『イワンの 馬鹿』 その他 を 

書き、 スト リンドべ ルヒ もまた 多くの 童話 を 書いた ので あるが、 その 底 を 流 

れる もの は いづれ も 人 問 的な 愛の 感情で ある。 そして、 愛の 感情 は、 ひっき 

やう 一 つの 精神の 寂雾 である。 愛 を 語る ほどに 枯淡と たった 寂 藩が、 これら 

の 作.:^ にあった ので はない か。 

Hi: じ やうに、 「いろはが るた」 四十 七 句に は あたたかい 感情が あり、 その 

1 つ 一 つの 句から 寓話され るせ 界は、 人間 生活の あらゆる 面 を 肯定し ようと 



28 



して、 肯定し きれぬ 人の 寂雾 である。 

肯定的で あらう とし、 創造的で あらう とした 人生 的 態度から、 Ei- して 人生 

の 否定的 事實は 肯定にまで 轉 化した であらう か。 この 點に、 島 崎 氏の 人生 的 

態度が かもしだす 矛盾の 悲哀が あり、 たに ごと も實踐 的に 肯定しょう とする 

態度の 積極性と 消極性が ある。 民話 的 風格の 味 ひ は、 仄かに 精神の 寂雾 をつ 

たへ てゐ る。 

文章論 

人間的 誠實を そのまま 文章にまで 骨格 化す こと は、 どの やうな 作家に しろ 

およそ 困難な 業と される。 作品の 主題と 人間的 特性との 結びつき は、 た ゆみ 

ない 作家 的實踐 をと ほして、 徐ろに 行 はれる もの だからで ある。 それ ゆ ゑ、 

人間的 個性と 文章の 一 つに 練り 合される 過程に は、 つねに その 文章に ついて 

の 不滿が ある。 



29 



おのれの 思想 • 感情に 對 する 文章の 抵抗 を、 島 崎 氏 は ひさしく 感じて ゐた。 

S ふところ を、 もっとも 率直に 言 ひ あら はすの はなに か。 この 素撲 なね が ひ 

は、 作- :!^ 世界の 複雜 さからき て をり、 それが 島 崎 氏の 文章論の すべてで ある。 

「,紫と いふ ものに 重き を S けば 置く ほど、 私 は 言葉の 力な さ、 不自由 さ を 

感 する。 自分 等の m4 ふこと がいくら も 一 W 葉で 書き あら はせ る もので ない と感 

する。 そこで 私に は、 物が 言 ひ 切れない。」 (「言葉の 術」) 

この 感想に は、 幾らかの 謙讓 さが 含まれて ゐる かも 知れぬ が、 言葉の 抵抗 

に 苦しんだ こと は 事實で あ つ た。 

この 作.:^ の文窣 に、 たに かしら 抑壓 された 感じのと もな ふの は、 さう して 

みると 作者が 識 的に 抑壓 して ゐ るので はたく、 言葉の 抵抗が さう させた の 

であらう か。 『.:l^o にしろ 『新生』 にしろ、 その 文章が どこかし ら抑壓 され、 

ラ C 紫の カ點 が、 鈍 审-に 粘りつ くやうな 感じ はたやす く 知られる。 これ を こと 

ごとく 文^の 抵抗に 歸 すると すれば、 島 崎 氏 は 言葉の 抵抗に 負けつ づける こ 

とに よって、 反って 獨自の 文章 を 形づくつ てきた ことと なる。 これ は 1 つの roo 



與 味に 遠 ひない。 文章の 抵抗 を 意識し、 負けた とい ふ自覺 から その 文章 を 一え に 

い. たと すれば、 すでに 負けた 文章 は どこに もない。 

忍從 のこの 作家が 文章に ついて も 忍耐 づ よ さ を 示し、 文章 の 抵抗 を 自覺し 

つつ、 それによ つて 作風の 獨自性 を 築いた こと は、 逆手に 眞赏を 創造す る も 

のであった。 この 逆手から 「私の 書いた もの なぞ は、 何 か 斯う 思 はせ 振りの 

やうに も 感じられ たらう。 その 點で、 私 はよ く 攻撃され たもの だ。 自分と し 

て は 別に 思 はせ 振りに 物 を 書く つもり もない。 开. 合の もの を 一 升に も 見せる 

つもり は 毛頭ない。 ただ 私に は 物が 言 ひ 切れないの だ。」 「言葉の 術」) と 文章 

の 性質に ついて 述べた が、 抑壓 はすべ て忍從 する 性格に 由来し、 そして この 

感想 は、 その 文章の 逆 說を吿 白して ゐる。 島 崎 氏み、、 つから は、 あへ て 逆手の 

眞: 莨 を 語らす、 ただ 文章の 抵抗 だけ を 言った ので あるが。 

抑壓 された 感じの もっとも つよ いのは、 『家』 と 『新生』 の 文章で ある。 

『春』 から 『家』 に 移った とき、 島 崎 氏 は リアリスト としての 藝術的 方法 を 

確立すべく、 主情的な いっさ いのもの を 否定した。 そして、 主 情 性 は ひそか 



ジ 



Cv づ 

に たる 人々 の 生活の 背面に 疼いた のであって、 これが 抑壓 された ものの 

實體 である。 この 逆の 事情 は 『新生』 にも 持 越されて をり、 ここで は、 |^び 

燃えさから うとす る 浪^ 性が、 完成した 人閒的 成長 を意圖 する ために やはり 

抑^され た。 これらの 作品の 趣 は、 島 崎 氏 その 人の 忍耐 づ よさ を さながらに 

し、 逆手の 5^ に 獨自の 風貌 をな すまでの 險 しい 文章 道に 思 ひ を 到らせる。 

みづ から 1W ふ • やうに、 物々 しい 印象と 齒 切れ わるさ は、 決斷 あるひ は 急進 

を 避けつつ、 ひとへ に 克明で あらう とする ことの 結果で あらう。 ところが、 

その文^!払に幅と深さを與 へ たもの が 他なら ぬ 克明な 氣質 にある こと を 知るな 

らば、 文^|::^の物々しさもそれとしては否定されぬのでぁる。 だから 事 ここに 

到って は、 ただ 逆手の 文章の 實に 辟易しつつ 喝釆 する ばかりで ある。 そし 

て、 逆手の l_gs*s! はいかに 發:: ^し 深化した か。 例へば 『夜明け 前』 の 文章に 接 

するとき、 私&も はすで に 抑!! に關 して 言 ふべき ことの 多く を 知らぬ。 

『夜明け 前』 ilH^f の 書き出し は、 一, 木 曾路 はすべ て 山の 屮 である。 あると こ 

ろは^-つた ひに 行く 崖 の 道で あり、 あると ころ は數ト 間の 深さに 臨む 木曾川 3 



の 岸で あり、 あると ころ は 山の 尾 をめ ぐる 谷の 入口で ある。 一筋の 街道 はこ 

の 深い 森林 地帶を 貫いて ゐ た。」 と、 まことに 簡素であった G 

これ は、 木 曾路 をめ ぐる 地勢の あらまし を 示した に 過ぎぬ。 そのため、 自 

然 この やうに 充實 した 素樸 さ を 成した のか も 知れぬ が、 私 はかう したと ころ 

にも、 老成した 作家の 極度に 修練され た 文章の 片鱗 を 見たい と 思 ふ。 これ だ 

けの 短 さの 文章から、 しかし 木曾路 をめ ぐる 地勢 は 髴し、 抑壓 した ものと 

か、 しない ものと かいふ 感じ は 全くない G 

その他、 この 作品で は 激動 的た 場面に しばしば 際會 する が、 その 際に も 筆 

勢 は いささか も變 化せす、 河の やうに 一筋で ある。 一般に は、 激動 的な 事件 

を 他と 同じに 描くならば 感銘の 度 は 稀薄 化する が、 『夜明け 前』 の 文章に さ 

うした 浮動 性 はない。 すべての 事柄 を變 りない 筆勢で 描きつつ、 なほ 激動 的 

な 事件 は、 それだけの 感銘 を あたへ るまでに 鮮 かにされ てゐ る。 

正宗 白鳥 氏に よると、 「XX はかう 言 つ て」 とか 「かう X X は 言 つ て」 と 

かいふ 會 話に はさむ 地の文 章 は、 島畸 氏が はじめて 用 ひたとの ことで ある。 



33 



後^^に生れた私には、 さう した 元祖の いはれ は 分らぬ が、 明治 文事の 初期 

から、 a 崎 氏が いかに 言葉の 創造に 苦しんで き たかは 理解され る。 「詩 を 新 

しくす る こと は、 私に とって は 首 葉お 新しくす ると 同じ 意味であった OJ 

(「苜 紫の 術」) とい ふやう に、 言葉に 時代 的な 感情 を 盛り、 創造的に 生かす こ 

と は、 明治 文畢に 課せられた 大きな 題目であった。 詩集 『若菜 築』 の 驚き は、 

その 一一 H 葉の 一 つづつ が、 時代の 新しい 感情に あふれて ゐる ところに あった。 

『破戒』 の首;^|1配^と言葉の驅使の仕方も、 新文舉 用語の 誕生と して 驚異 さ 

れ、 ^史的に 注目され る ものであった。 

私は^3崎氏の作風、 あるひ は 文脈の 地道 さ を そのまま I? 歎しょう と は 思 は 

ぬ。 それにしても、 文 i!:!}- の 綾と か 特異な 語句の 組合せと かに 文舉を 托する 作 

家の 浮動 性に 北し、 歷史 の音惠 する 方向に 雁行しょう とする 作.; M 的意圔 は、 

いかにも 笑し いこと と考 へられる。 作 {,!^ の 若さ は 末梢的な 技巧な どに 求めら 

れる もので なく、 それら 作品が 時代 的 感情 をい かに 反映した かに ある。 そし 

て、 こ,:: 途に 列なる 作.: として、 島 崎 氏の 業^ はお ほかた 見事であった。 



34 



藤 村 全集の 序文 

『島 崎 藤 村 全集』 の 序文 は、 五十 歳の 年の jet 近く 書かれた ものである。 五 

十 年に 亙る 年月と 言へば、 それだけで すでに 一 つの 歷史 である? このと き、 

たんら かの 感慨と 誇りが この 作家の 胸に あふれた とて、 これ は 尤もな ことと 

一一 一一 口 へよう。 

藤 村 全集の 序文に あら はれた 作家の 感慨 は、 しかし 謙虚な ものであった。 

- 私 は 持って 生れた ままの 幼い 心 をた よりに、 一 筋の 細道 をと ぼと ぼと 歩み 

つづけて 来たに 過ぎない。. 一 と、 いま は、 その 艱難と 精進の 道程 を 語らう と 

はせ ぬ。 ともあれ、 さう した 謙虚 さは 先づ いづれ でもよ い。 そこに 一人の 咋 

家の 風格 を讀 みとる こと は 可能で あるし、 藤 村 的 態度の 一端 を、 おの づ から 

この 序文に 汲みと る こと も 許 されて ゐる。 

全集 を 組成した 作品の 集積 は、 作. —人間の 營々 たる 營 みが、 生活の 內部 



と 外部へ 向って いかに 4_ "動した とて、 所!^^、 その 隅々 にまで 及ぶ もので たい 

こと を 悲しく も 思 はせ る。 この 龙大た 作 〔, ^的 振幅 は、 ただ 一 つ、 その 作家の 

人生 的 態度と 夙 格の! 自性を 語る に 過ぎぬ。 も. つと も、 かう いふ 言葉 は 天 邪 

鬼の ひねくれ かも 知れぬ が、 しかし、 たんと しても この こと は 作家の 悲劇で 

あり、 同時に それ ゆ ゑに 誇りと も 言へ る だら う。 人間 生活の 隅々 にまで 及ば 

すと も、 ^柄の 本質 を 描き だすと ともに おのれ を 語り、 ここに なにものか を 

创 造した 作. :}!^ は、 すでに 察 足りて ゐる。 

塍史の 一 In; に 位置す る ほどの 作家 は、 すべて 作" i の 夥し さ を 築き、 そこに 

1 時代の 意思と 感情 を 典型した。 お ほかた の 作家が、 その やうに 累々 たる 作 

品の 堆 l^w に、 ただ 一 つの 眞寳を 語るべく 宿命 づけら れ たので ある。 島 崎 氏の 

作品 系列 は、 その 幼年時代から 老年まで を 描きつ ぐし、 ^に は 幕末 あたり か 

ら 八,::! に 到る .1^ で Q 歷史を 描いて ゐる。 歷史 のう ごきと ともに ある 人間 生活 

の 種々 相に 手 をのべ て、 ここに もまた、 一 時代の 意思と 感情が 典型され たの 

であった。 



36 



人 は、 これ を 作家 的 仕事の 高みと 呼ぶ。 

まさに、 その やうに 呼ぶ に價 ひする が、 その 過程の 業苦 は、 はるかに 小さ 

な營 みに よって ささ へられて ゐる。 「この 十一 ー卷 のった ない 著作の どの 部分 

を 開いて 見て 貰っても、 私が ゐる。 半生 を 旅の 間に 途っ たやうな 私が 居る。 

幾度 か 挫折したり、 落瞻 したりした 私が 居る。 熱い 汗と 冷い 汗と を 同時に 流 

しつづけて 來 たやうな 私が 居る。」 この やうに、 先. つお のれ を 語る ところに 

出發 し、 自己の 意識 をめ ぐると ころから、 やがて はみ づ からの 營 みに 龙大な 

世界 を 築き、 作品の 世界が 他を壓 して 歷史 のう ごきに 添うて 行く とすれば、 

これ は 作家の 光榮 である。 

作家 的營 みに 於ての 悔いと 自省 は、 いつも 自明であった。 しかし、 極く 少 

數の 作家 だけが その 自明の 恥 を 美し さにまで 昂め たのであって、 ことごとく 

の 作家が、 自明の 輪から 脫 けで たと は考 へられぬ。 槎跌 とか 自己 厭惡 とかの 

小さな 意識で はなく、 歷史の 流れに、 幾 ばくかの もの を 注ぐ か 否かと いふ 事 

柄で ある。 謙虚で あるに しろ 傲岸で あるに しろ、 そのこと 自體 は評價 にあ づ 



37 



力らぬ- しかも、 謙虚に してた ほ 自明の 恥 を 美し さにまで 高めた とすれば、 

これ は いづれ 敬服され てよ いので あらう。 

幾度び か 吿,: : し、 im 黄した やうに、 島 崎 氏 も 蹉跌と 惡を 作品に しるして 

きた。 さう では あるが、 夥しい 作品の 組成され た 日に; 冉び 決意 を 新たに し、 

の 五十と いふ 年 も 二十日ば かりのう ちに 暮れよう として 居る。 どうして 私よ 

年を取らう。 あの ファストの やうな 杠效綠 髮の願 ひ は 私に はない。 今更 若い 昔に 

力へ., T うとす る やうな こと は、 私の 願 ひとす ると ころで はない。 どうかして;, 

まことの 老年に 行きたい。 おそらく 宵 春に 傲す ろ こと を 日 の 願 ひとして 日常 刻 

^の 刺^に も ngf もよ く 生きよう とする やうな 年若な 人達に は、 この 私の 心 を 理解 

して 莨へ る だら うと 思 ふ。 

と:;.:: ふとき、 私 は E ぉ然 たる 作 .:1^ の 意思に 心 打 たれる。 そして、 ここに 新し 

い 成^と 使 枝が 豫 想され るので あった。 S 



浪漫的 精神 

『若菜 集』 を はじめと する 四 冊の 詩集が、 島 崎 氏の 青春と、 その 浪漫的 精 

神の 高い 調べ をった へた こと は 言 ふまで もない。 仙熹 市から 雜誌 『文 舉界』 

に 詩 を 寄せて ゐ たころ、 島 崎 氏 は、 それまで 胸底に 欝 して ゐた靑 春の 鼓動 を 

そのままに 奔流 させ、 浪: r 的 文擧の 歌聲を ひろく 人々 の 胸に 贈った。 

『文 學界』 が、 明治 文學に 於け る 浪漫主義の 昂揚に つくした 業廣 は、 島 崎 

氏の 詩に かぎって みても まことに 見事であった。 そして、 『若菜 集』 の 流れ 

を ひく 浪漫的な ひびき は、 いまに 到る まで、 人々 の 胸の どこか しらに 呼吸 づ 

いて ゐ るので はたい か。 

それにつ いて、 人々 はすで に 多くの こと を 語った。 また、 その やうに 語ら 

るべき であった の だ。 

しかし、 それだけで 浪漫的 精神 はと ほく 失 はれた ので あらう か。 青春の 歌 



がさう であった やうに、 老年に 到って の 島 崎 氏 はさら に 新しい 浪漫性 を かも 

し、 老年の 營爲 に、 みづ から それの 察々 たる ひびき を 期して ゐる やう だ。 こ 

のこと こそ、 あらためて、 成熟した 浪漫 性が いかに かがやかしい ものである 

か を 知らし める。 

いよい よ 解散と いふ 時に スト リンド ベルク は 改まって、 精子 を 執 つ て 、 

「若者 萬歳ご 

と 叫んだ とい ふこと なぞが ffiv ゐる。 精-十 を 振り 廻した 時に、 スト リンド ベル 

ク の^の 上に 懸っ て 居た^ 燈の 笠に ぶっかつ たので、 彼 は顏を 擧げ、 !^燈の方を 

見つめながら、 上から 照され たま ま、 うっとりと したやう にぢ つと 立って ゐ たと 

いふ こと も 出て ite る。 そこに 集った 人達 は みんな その 姿 を 長い間 見つめて ゐ たと 

い -.- と も 出て Gi^ る。 もう 間もなく 六十に 手が 屆 かう とする スト リンドべ ルク に、 

なほ それほど 靑春を 愛する 心が あって、 それが また ある 深い 印象 を與 へたと ある 

あたり は、 ぃかにもぁの詩人.^^^|/を私:!!1-の股前に彷彿せしめる。 (「蜴 」) 



老いた る スト リンドべ ルヒ につい て 島 崎 氏 は 永い 感想文 を 書き、 豊熟した 

境地から、 「老年の 靑春」 を 共感した。 この 感想 は 「靑 年に 老人の 書 を閉ぢ 

て、 先づ靑 年の 書を讀 むべき である。」 fj 靑 年の 書」) とい ふ斷 章に 對應 し、 

老年の 境地に かもされる 浪漫 性と は。 なんで あるか を 語って ゐる。 

この やうな 意味での 浪漫性 は、 一 つの 完成され た 風格に ついての み 求めら 

れる。 『若菜 集』 の浪漫 性から 距 たる こと 三十 年、 その 間の 夥しい 苦難 をと 

ほして 後に、 豊熟した ところの 潤澤な 情感で ある。 『夜明け 前』 の 製作に あ 

たり、 つとめて 「平 談 俗語」 を 心がけた とい ふの も、 老年の 境地に あるお ほ 

ら かな 感情に 他なら ぬ。 深さに 徹する ことの かぎりたい 新し さ を、 老成した 

この 作家 はおの づ から 實踐 した。 そして、 さう した 鞏固な 精神力から 『夜 明 

け 前』 の 巨大な 營 みが つづけられ、 歷史の 意思す る ものが 描き だされた ので 

ある。 おそらく、 歷史の 意思 を捉 へようと する 困難な 仕事への 沒頭 は、 その 

作家が、 變革 期の あわただし さの 中に、 波濤の ごとく 昂揚した 「時代の 青春」 

を 感知した からで はたから うか。 自己の 內部的 世界に ある 作家 的 情熱と、 時 



41 



代の 靑^ の 感情 を 一 つに して 昂揚す る こと、 これ は 比類ない までに 壯 大な浪 

漫的 精神の 资撝 である。 

すでに、 このお ほら かな 精神 はいつ さい を 包括して 逆 ふこと を 知らぬ。 自 

然の 運行に おの づ から 順 應し、 築かれた 作家 的 世界に 坐して 焦燥 を 知らぬ。 

re^ はす、 逆ら はす、 弱 く^かい 水の やうな ものから、 こんな 力が 生れて 來 

てゐ る。 水 ほど 弱く 柔らかい もの はない が、 しかし また 堅く 强 いもの を 攻め 

る 力に かけて、 水に まさる もの もない とい ふ 古の 人の 言葉 も ある。」 >,「 夜咄 :) 

とい ふやうた 言葉 は、 さうた やすく は 述べられぬ。 

この 軟 にして 彈 性に 充 ちた 境地 は、 ここに 到る 過程の 苦難 をと ほく 囘想 

させる やう だ。 『若菜 染』 の リリシズムから、 それぞれの 作品の 過程に 人生 

の 深みへの 精進 を不斷 にし、 その 痛切た 人 問的營 みに よって、 この やうな 成 

がし だいに jfis 積され たので あり、 それ ゆ ゑ、 情感の 浪漫性 はいつ も その 作 

-; 的 世界 を 潤し てゐ たのであった。 

「人の 创 造の 生長 期と はなんで あらう。 そこに は 時代 を 導く 情熱が ある。 が 



橈ます 屈せざる 心の 革新が ある。 因習に 對 する 不斷の 反抗が ある。 素樸な も お 

のの 愛が ある、 眞に 純粹な もの を 求めて やまない 心が ある。」 (「生長と 成熟」) 

と 言 ふとき、 かう した ものの 內容 は、 島 崎 氏の 青春の 浪漫 性に 典型され てゐ 

る。 北 村 透 谷が 時代に 先驅し 苦!! して この 方、 その 理想的 精神の 浪漫性 は 島 

崎 氏の 內 部に 血液 化し、 時代の 文學の 歌聲を ひびかせた。 そして、 それ は 因 

習への 叛逆と して 『破戒』 の 人道 性 を 見事に し、 「自分の 書いて ゐる ものが 

本當に 新しく なれば 古い もの は ひとりで に壞れ る。」 (「ある 日の 對話」 :- とい ふ 

創造と 革命 を 成しと げたので ある。 新聲の 美し さは、 それだけで、 島 崎 氏の 

浪漫的 文學を 高い 位置に おいて ゐる。 

つづいて、 生長 期に つぐ 成熟期の 言葉 は、 「人の 創造の 成熟期と はまた 何 

であらう。 そこに は 絶えざる 心の 練磨が ある。 美の 享樂が ある。 深い 恍惚が 

ある。 香氣の 高い 生の 充實が ある。」 へ, 「生長と 成熟」) と 言 はれて ゐる。 

そもそも、 島 崎 氏の 文學 道程が これではなかった か。 寂寥 一す る 精神の 苦痛 

に充 ちた 『新生』 のの ち、 「子に 途る 手紙」 「仲び 支度」 など は いづれ も 生 



の充 la! を 感じさせ、 rl^J 「分配」 に 到って は、 充實 した ものから 高い 香氣 

が 放 たれて ゐる。 すでに、 島 崎 氏 その 人の 道程が、 苦難と 創造と 生長と 成熟 

の 11 かぎりない 複雜さ を II り 成す 作.::^ 的 情熱の 龙大た 縮 Si である。 そこに 

浪 的 精神が 無限の 新し さとしての 創造性 を付與 し、 さらに、 老成した 境地 

に はいつ そうの 澗渾 さが ある C 

「蘇 東 坡は陶 淵 明 を 推して 支那に 於け る 最大の 詩人と したが、 その 蘇 ia- 坡 

に 言 はせ ると、 枯淡に 尊い ところ は 外 は 枯れても 中に 潤 ひの あるの をい ふ。 

淡い やうで 實は 美しい。 陶淵 明の 詩境が それ だ。 もし 中味まで 皆 枯れて しま 

つたので は 話に ならない。 と 言って ある。 この 一 H 葉 は 面 {: い。 まことの 枯淡 

は 枯淡 を 笑 ふ もの かと 思 ふ。」 (「枕の もと」) 老年の 境地が 內 包す る豐 かさと 

潤 it さは、 この 感想に つくされ、 成熟した 浪漫性 を 匂 はして ゐる。 まことの 

老ハ やと はこの や, うに 香り.; 5 く、 しかも 人 問 性に 充 ちた 一 つの 高みに 內容 され 

る もので あらう。 



揷話 として 

「父さん、 私 を 信じて 下さい …… 不 …… 私 を 信じて 下さる でせ う。」 (『家』) 

これ は 『家』 のお 雪が、 結婚 後 十二 年 を經て 夫の 三吉 にった へた 心の 眞實 

である。 十二 年と いふ 久しい 年月の 間、 たが ひに この 言葉 一 つ を 待ちつ づけ 

てきた 人 を 思 ふに、 ぜんたい、 これ は 悲痛な のか それとも 意思の つよさな の 

であらう か。 私 なぞ 暗然と する ばかりで、 はっきりした 心情 は どこに あるの 

かも 知らす、 年月 そのものに 晦 まされて しま ふやう だ。 

『春』 の 勝 子から 『家』 のお 雪、 『家』 のお 俊から 『新生』 の 節 子 (お 俊 

と 節 子 は 同じ) と 見て くると、 作品に あら はれる 女性た ち を そのままに、 島 

崎 氏 は 女性との 交涉に 於て はなはだ 暗い。 「幸 か、 不幸 か、 スト リンド ベル 

クには それほど 女 運の なかった ばかりに、 女の 價 値と いふ ものが 低くなら な 

いで、 晩年に 到る まで それ を 重く 視 つづけて 行った 人の やうに も 思 はれる。」 



. ゾ これと は異 つた^ 味で、 島 崎 氏 も 女性に ついては 重荷 を 背負った 人で 

ある。 

後年、 ^i^崎氏は仙l^^51の客舍に在ったニ十五歲の年を囘顧し、 樂 しいと きで 

あつたと lis つて ゐる。 「そして その 樂 しかった 理由 は、 全く 女性から 離れて 

心 の 靜か さ を 保 つ こ とが 出来た からで 。 」 (『新生』) とい ふので あった。 『新生』 

に は、 女性との 交涉 についての 囘想ゃ 女性に 對 すろ 態度が • 斷片 的に では あ 

るが 幾度び か 書かれて ある。 それ を 綴り あはせ ると、 首尾一貫した 態度が 形 

づ くられる のであって、 先づ仙ー,^!|へ赴ぃた後、 「彼が 男女の 煩 ひから 離れよ 

う 離れよう としたの も、 自分の 方 へ 近づいて 來る 女性 を 避けよう としたの も 

——- すべて は 皆 一生の 中の 最も 感じ 易く 最も 心の 柔 かな 年頃に 受けた 苦い 愛 

の經 験に 根ざした のであった。」 a 新生』) この 苦い 愛の 經 験と は、 『櫻の 實の 

熟する 時』 及び, 『春』 に 描かれた 勝 子への 愛 を 指して ゐる。 勝 子との 離^ か 

ら やがて 彼女の 死に どれほどの 打擎 をう け たかは、 「自分の 沮喪した 怠 思 を 

:!" 仪 する 迄に 何程の 長い 月日 を 要し たかを 今 だに よく 想 ひ 起す ことが 出来る。」 4 



(『新生 ヒ とい ふ囘 想から も 知られる。 

これが 最初の 致命的な 傷みで ある。 次いで は 結婚 生活で あるが、 『家』 の 

三吉と 結婚した お雪 は、 『新生』 では 園 子と なって ゐる。 この 結婚 生活 は 十 

三年 目に 妻が 死亡す るまで 續 いたが、 結婚 後 十二 年に して、 はじめて 「妻と 

ほんた うに 心の 額 を 合せる ことが 出来た やうに 思った。」 (『新生』〕 ものの、 

そのと き 妻 は 死んだ。 島 崎 氏 i とい ふより 『家』 の三吉 が、 世の常の 夫ら 

しく 振舞 ふの はお そらく ただ 一 度 だけで、 他の 生活 的な 事柄の 描寫は 別して 

たんの こと もない。 ただ 一度、 結婚 前の 妻に ついて 嫉妬 を感 する あたり、 き 

はめて 知的に 扱 はれて ゐ るが、 やはり 人間的で ある。 それに 似通 ふ ものと し 

て は、 家庭 を 解散し ようと 天 邪鬼に なって ゐる 場面が 擧 げられ る。 そして 妻 

の 死に 當 つて は、 「ああ ああ、 重荷 を 卸した。 重荷 を 卸した。」 と 溜息し、 

「岸 本 はもう 一 一度と 同じ やうな 結婚 生活 を 繰 返すまい と考 へた。 雨 性の 相剋 

する やうな 家庭 は 彼 を 懲りさせた。」 (『新生』) と 思った ので ある。 家庭生活 

についても、 ひっき やう 島 崎 氏 は 暗かった ものの やう だ。 次に 第三の 暗 さは、 



47 



『新生』 の 節 子で ある。 

ここに、 私 は あらためて、 島 崎 氏の 女性 觀 ないし 女性に 對 する 態度 を 見よ 

うと は 思 はぬ。 作品に あら はれる 女性に ついて だけで も、 相當 多くの ことが 

言へ るので あらう が、 今に 到って は、 挿話と して 斷片 する 程の ことが 適切で 

ある やうに 考 へられる。 老年の 境地に、 時 はと ほく 過ぎ去って ゐ るの だ。 

「::! 人の^ ざめ」 とか 「信?!^ の 婦人」 とか、 あるひ は 「人形の 家 を 見て」、 

「四つの 問題 II、 「愛」 その他に も 女性に 關 して 感想した 文章 は 幾つか ある。 

しかし、 女性に ついての 考へ 方と、 その 理想す る 肖 を 的確に あら はして ゐる 

の は 『新生』 である。 

『新生』 の 節 子 は 悲劇的であった。 

さう では あるが、 節 子の やうな 性格の 女性 は、 岸 本との 戀愛 による 苦惱に 

試練され すと.^、 みづ から 課した 忍 從を糙 に、 ある 一" 1 みにまで 育った であら 

う。 それが 叔父と 妊の 關 係と いふ^ 族 上の 形式に 縛され、 道義 的觀 念の^む 

ところから、 いっそう 人間的.:^ 長の 度 を 著しくした。 かう した 形式に 囚 はれ 



た戀 愛に 避ける ことので きぬ 苦痛が、 一人の 女性 をい かに 虐げ、 虐げられた 9 

悲哀から いかに 忍從 し、 成長す るか を 作者 は剩 すと ころな く 見つめて ゐ る- 

『新生』 をめ ぐるす ベての 事柄が 節 子 を 中心に し、 この 女性の 呼吸が、 全篇 

に 微妙な 動き を もたらして ゐ るの は 道理で ある。 

節 子 を 忘れよう とする 岸 本の 努力 は、 實は 愛の 否定で はなく、 道義 的觀念 

の 一時的な 自己欺瞞 とも 見られる。 どれほど 遠く 離れ 住んだ 際に も、 二人の 

心情 は不卽 不離の 微妙 さ を ひそかに 保って ゐた。 この 女性の ために は、 獻身 

的な 努力 を 致さねば ならぬ とする 岸 本の 決意 は、 虐げられた 女性 もまた 完成 

する だら うとい ふ 期待に 裏打ち されて ゐる。 そして これ は、 島 崎 氏の 內 部に 

理想され る 女性の 肖 を 完成す る ものの やうであった。 それにしても、 『新生』 

の 岸 本の 苦闘と 犠牲 は 破滅の 淵 をの ぞく ほど^しく、 僅か 一 一人の 人間が 相 

に 理解す るに さへ、 これ だけの 苦 惱を負 はねば ならぬ のかと、 人 は 寒々 した 

感慨 を覺 える だら う。 

苦慯は 過ぎた。 そして、 島 崎 氏が 期待す る 高みにまで 成長した 節 子の 過程 



が、 e;^ のこと であった か、 或 ひ は 理想の 象徵 であつ たかは 問 ふところでた 

い。 美しい 女性の 肖が 完成した こと だけ は 事: 莨で あり、 このと き、 もはや 女 

性に ついての 不幸 は考 へられぬ。 

tEJffi と 一茶 

感想 第 『春 を 待ちつつ』 に は、 r 1 茶の 生涯」 と 「芭蕉の こと」 とい ふ 二 

つの 詩人 論が ある。 

「芭 燕の こと」 のなかで、 島 崎 氏 は 「私 は藝術 上の 感銘 を 言 ひ あら はす 場 

合に、 人格と いふ iw 葉 を 避けたい。 人格と いふ 言葉 は 批^の 行き どまり の や 

うな; r かしてなら ない。」 と 述べた ので あつたが、 これ は與味 ある 言葉の や 

うに 思 はれる。. 一 つに は、 批!^ 精神の 昂揚 を 望んだ ので も あらう か。 もちろ 

ん それに 違 ひない が、 しかし 島 崎 氏 は、 この 二人の 詩人に ついて、 所詮 は、 

その 作品 をと ほして 老成した 風格と それへの 過程 を 語った ので ある。 殊に、 



5。 



一, 芭蕉の こと」 に はさう した 趣が はっきりして ゐる。 なんとしても、 句 Q 魅 

力 は 老成した ところに あり、 豐 熟した 境地に 於て 味 ひの 美し さ、 細やか さ を 

特質す る ものであるから、 この種の 詩人 論の 中心が、 おの づと 風格 を 語る こ 

と は 道理な ので ある。 このと き、 風格 は單に その 人柄 を 示す ばかりでなく、 

句 品と 風格 は 密着した 一 つの ものと して 不可分であった。 「やがて 死ぬ 景色 

は 見えす 蟬 の聲」 (色 蕉) について 「この 句 は 漂泊者の 精神の 光景 を 指摘し 

て 見せた やうで、 何となく 胸に 迫る。」 と 言 ひ、 「五十に して 冬籠り さへ な 

ら ぬな り」 - 1 茶」 について、 「一 茶 は 正直に、 冷い 淚を 見せて ゐ る。」 と 島 

崎 氏が 感想した の も、 ひっき やう 一 一人の 詩人の 風格 を 概括した ことに 他なら 

ぬ。 句 品と 風格の 關 係の 緊密 さは、 おそらく、 この 二 句に も 端的に あら はれ 

てゐる ものの やう だ。 

「芭蕉の こと」 で、 島 畸氏は 漂泊す る 人の 精神に ついて 思 ひ を そそいで ゐ 

る。 「漂泊に 徹した この 詩人 は、 一歩 は 一歩より 動搖の 上に 靜坐 する 精神的 

の 生活 を 創造して 行った やうに 見える ノ」 ひるが へって 言へば、 この 境地 は 



51 



同時に^^崎氏のそれでぁった。 島 崎 氏が かってい かに 動搖 し、 いかに 漂泊し 

たかは、 『樓の の 熟する 時』 及び 『春』 に 描かれた ところ だ。 その 動搖と 

« ^愁を 漂泊の 糧 として、 次第に 搖 ぎたい 精神 を 養って 行った こと、 島 崎 氏の 

精神 史 そのものが、 芭 燕の- g:- 泊への 囘 顧に 兌いだ される ので ある。 また 『藤 

村 全 1^』 の 序文に しても、 動搖 してやまぬ 人生の 途を fl つた 人の 感慨に 他な 

ら なかった。 

それにしても、 孤獨に 徹して 行く 人の 姿 はや はり 悲哀で ある。 孤 獨の實 相 

を 人生 的に 喷 みしめ て 漂泊した^ 蕉が、 r 衰 へや 齒に食 ひ あてし 海苔の 砂」 

と;^ ん だとき、 ここに 詩 する もの は 寒々 とした. 咏嘆 である。 島 崎 氏 は 「い 

ざ 子^ 走り ありかん 玉簌」 をめ ぐって、 「笆 焦が 子供の 友達で あつたと いふ 

こと は、 一 面に 孤獨な 生涯 を 送った 人で あると いふ こと を 語って ゐ る。」 と 

して ゐる」 この やうな 孤獨 は、 漂泊に 徹し 人生に 徹した 人に してな ほ 逃れが 

たいので あらう。 トルストイの 民話が 精神の 寂寥 をった へ、 同じ やうに、 島 

崎 氏の 話 や 「いろはが るた」 がそれ を 感じさせ るの も、 なに かしらの 人生 



52 



的 決意に 生きた 人々 に 共通す る 寂 赛 に 他なら ぬ。 それ ゆ ゑに、 一 面 「よく 見 

な-つな 

れば薺 花 さく 垣ね かな。 我がき ぬに 伏 見の 桃の举 せよ」 たどの 句が あり、 

「芭蕉の 感情の 優し さが 私達の 心を捉 へ る。 その 感情の やさし さは 處 女の 持 

つもの の それに 比べたい とさ へ 思 はるる ほどで ある c」 (「芭蕉の こと」) の だ。 

おそらく、 一茶に 比して 芭蕉 は諦觀 のつ よい 人であった らう。 その 諦觀の 

つよさ は、 しばしば 作品にまで 悲痛の リリ シズ ム として 銳 くにじみ でて ゐる。 

寂寥 一す る 心情の 澄み わたった 表出に、 生活 的な もの はこと ごとく 昇華され た 

ので ある。 この やうた 點 から 比較 すれば、 一茶の 作品 は 生活 的な もの を 直接 

的に 表現し、 生活の 悲痛が 概して 作品の 持 味にまで 粘着して ゐる。 從 つて、 

一 人の 生活 人 を その 句に 見る こと は 困難で ない。 「雪の 日 ゃ古鄕 人の ぶ あし 

らひ。 心から 信 濃の 雪に 降られけ り, 一た ど、 「これらの F を讀 むと、 一茶 そ 

の 人の 慟哭 を 聽く思 ひ をす る。: i (二 茶の 生涯」) ので あり、 そこに 生活 人と し 

て の 姿 も ある。 

一 茶に ついて、 島 崎 氏 は 生活 人と しての 生々 しい 姿 を 中心に 論じて ゐる。 



53 



「彼が 剖 造した 苦笑 は、 飽くまで も 自己 を 中心とし たもので、 その 底に は 一 

種 の 社會 苦と も 言 ふべき もの を すら 潜ま せて ゐる。 この 旅日記の 隨^5^*に散見 

する 盗難、 殺人、 屮 Z 火、 男女の f 身投げな どの 記 isi!M.i、 所謂 花 cL? 風月 を 友と す 

る 俳 #i 師の 手:^ には不 似合な もので。」 (二 茶の 生涯」) と、 生活に ついての 執 

著の つよさ を 見て ゐる。 もともと、 一茶 は 不幸な 人民の 子と して 幼年時代 か 

ら苦 雑した。 〈氷 庭の 不和、 生活の^ 迫、 世情の け はし さ。 さう した 苦難に さ 

ら された 詩人が、 生活 M な もの を;^ み、 社會苦 を記錄 したの は當然 であらう。 

一茶に 於け る諫觀 は、 その 「苦笑」 に こめられて ゐ るの かも 知れぬ が, 諦觀 

は 一 茶の文舉的特^^ではなぃ。 どうに もなら ぬと する 意味の 苦笑に、 より 人 

^的た 生活への 執著 をつつ み、 それが 作品の 骨格 をな して ゐ る。 一. 五十に し 

て 冬 りさへ ならぬな り」 とか 「これが まあ 終の 栖か雪 五 尺」 とか、 あるひ 

は 「故鄉 はよ る もさ はる も 茨の 花」 とかに 窺 はれる 人間性 を 見よ。 

^蒸の 精祌に 共感しつつ、 同時に 一茶の 執著す る 人間性に 心 を 寄せる やう 

た 作. 3- ; 1 それが 島 崎 氏で ある。 「嵐」 や 「分配」 等の 作品に 香氣 する 人^ ^ 



性と 生活 意欲と は、 一茶に 特質した 詩情 を 思 はせ るので はない か。 一茶の 人 5 

間 性 を、 「 一茶 は 詩歌の 上で 極度にまで 自己 を 打ち 建てて 行った 詩人 だ。 

ほど 自己 を 中心として 我と か 己と かの 言 紫 を 憚らす 使用した 人 は 俳諧の 世界 

にもめ づ らしい。」 (「 一 茶の 生涯」.) と 言 ふ 島 崎 も、 また その やうに ij?- の 人で 

ある。 しかし、 ここに 言 ふ 我の 內容 は、 獨斷性 や 排他 性 を 意味す る もので は 

なく、 生活の 苦難に 處 して 行く ものの 身の 構へ に 他なら ぬ。 「我の 人 問 性」 

は 矛盾で はない。 それ は、 生活 人と して 立ち、 作品に 社會的 振幅 性を內 包す 

る 作 ぶ . 詩人の、 意 S 心的な つよみに ささ へられた 風格と 言へ る だら う。 

一つの 風俗 

作品の 振幅 度の 豊 さは、 作家の 內的 世界が、 不斷に 外部と 交渉して ゐるこ 

とに よるが、 ここで 私 は、 さう した 折衝の 仕方に ついて ではなく、 はるかに 

輕ぃ 意味で の內 部と 周 圍の關 係 を 見ようと 田し ふ。 「スタイル の模 すべから ざ 



る は 肉體の 校すべからざる が 如くで ある。」 (「モウ パ ッ サン」) とい ふ 『淺草 だ 

より』 の 感想 は、 文 率 作" i の獨自 性に ついて、 島 崎 氏が 一 つの 高さ を 築いて 

ゐる こと を も 同時に はせ る。 スタイル は 文 十の 問題 だけにつ くされぬ し、 

作 {.s^ 的 態度 そ の もの か ら獨自 性 の 問題 は はじまって をり、 それ を 除外して は 

なんらの 味 もな さぬ。 

^^の 風格に ついて、 島 崎 氏 はかう 言った ことがある。 「老人 だ、 老人 だ、 

と 少年 時代から 思 ひこんで ゐた^ 蕉に對 する 自分の 考へ 方を變 へなければ 成 

ら なくなって 来た。 E 心 ひの 外、 I ^蒸と いふ 人 は 若くて 死んだ の だと 考 へる や 

うに 成って 來 た。」 〈「芭 菊 ヒ 作 (太 的 態度ない し 作家の 風格と いふ もの は、 と 

きに、 これ だけの 腦 ii された rs: 容を 持つ ので あらう。 他の 感想文で も、 島 崎 

氏 はこの ことに 觸 れてゐ る。 そして、 老成 をめ ざした 芭蕉の 風格 は 三十 一 歲 

にして 風 羅坊, 稱し、 すでに 幾らか 者め いた おもかげ をった へた。 

11 r 冬の 日』 の 出来た の は 芭蕉が TO: 十 歳に なった ばかりの 頃 だと あるし、 

『噴 野』 の 出來 たのが 四十 五歲, 3 - ぬ だと ある。 『猿 蓑』 の 選ばれた 顷で すら、 



芭蕉 は 四十 八 九 歳の 人 だ。 芭蕉の 藝術は それほど 年老いた 人の 手に 成った も 

ので はたくて、 實は 中年の 人から 生れて 来た 抑へ に 抑へ た藝 術で あると 言 は 

ねばならない。」 (「笆 蕉. これ は 若さの 發見 か、 それとも 人工の 老成の 指摘で 

あらう か。 しかし 島 崎 氏に とって、 そのこと は先づ いづれ でもよ かった。 一 

つの 風格に ついての 共通 性が ここに あり、 島 崎 氏が 青春の 日に、 若さに 叛逆 

して 老成への よそ ほひ を 心がけた ことの 囘 想が あるの だ。 『千 曲 川 旅情の 歌』 

にしても、 すでに 老成の. H 擧 である。 そして、 今日で は 眞實の 老成に 到った 

この 作家 は、 ,3- ひた かい 作品 を 自然の 業の やうに 描く。 芭 蒸の 老成に ついて 

の 感想 も、 たぶん この 境地に 含まれて ゐる。 

笆蕉の 翁の おもかげ は、 その 老成した 風格の 共通す る 部分から、 島 崎 氏の 

相貌に 思 ひ を さそ ふ。 數 枚の 寫眞に 見る この 作家の 風貌 は、 ひきしまった "噪 

の あたり、 よほどの 强靱さ を 思 はせ る。 それ を 作風の 象徵 とする の はいかに 

も非禮 であらう が、 意力の はげし さ、 あるひ は 包括 力の 豊か さとい ふやうな 

もの は、 ひとしく 窺 ふこと がで きる。 



57 



もう 一 つ、 な a; にあら は. れた 特徴 は カル サン を 着けた 風^で ある。 傅へ 聞 

くと ころに よると 『夜明け 前』 執筆の 七 年間 は、 毎 n 數 時間 づっを 机 前に 坐 

して ゐ たとの ことで、 さう した 不斷の 精進から、 この やうた 風 浴が 成った も 

ので あらう。 『新生』 に は、 はじめて カル サン を 着ける ところが 描かれて あ 

るが、 あの 部分 は g: 然に 微笑 を さそ ふやう だ。 カル サン は 長 野、 福 島 あたり 

の^い 地方に 多く m ひられ、 そこで 農民た ちは惠 まれぬ 自然と たたかって ゐ 

る。 その 土地の 農民 的氣質 を、 これ は 象徴した 風俗な ので あらう か。 

過ぎた n の 辛酸 は、 島 崎 氏の 風格 を 形づくつ たものと して、 苦難の 途に敢 

て ii^ は楚 まれて ゐる。 『新生』 の 吿白は 破滅 を も 危惧 させた が、 それ ゆ ゑ 

に 途は柘 けた。 私 はこの 邊 にも 輕衿を 着けた 人の 克明な 氣質を 思 ふし、 辛酸 

を^た 人の、 何が ゆ ゑに 豊かな 風貌と なった かも 推し測られる C 

「トルストイ. の 寄いた ものの 中に、 木の 話が ある。 それ は ある 親木の 根に 

する 芽 生 を 見つけて、 その 芽 生 を 取ったら、 もっと 親木 を 助ける ことに 

ならう との 考 へから、 芽 生 を 摘み取り 摘み取り する うちに、 親木 も 一緒に 枯 "3. 



れて來 たとい ふ 話で ある。」 (「相 生, n この 寓話め いた 話に はよ ほど 感銘した 

ものの やうで、 作品 『芽 生』 にも 書かれて ゐ る。. 事實、 『破戒』 執筆 當 時の 

三人の 幼女の 死. は トル ス トイの 木の 話 そのままで、 親木と して の島畸 氏の 困 

憊が思 ひ やられる のであった。 この 苦難 を 母胎と して 『破戒』 は 完成した の 

であるが、 部へ 向って 放射した 『破戒』 の 積極性に 比し、 『芽 生』 に 於て、 

作者の i;- は 外部から 內 部へ 牧 ii して ゐる。 

それならば、 I 一芽 生』 は なんら 積極的 作品で はたかった か。 

およそ、 その やうな 見方 は 盲 言に 近い。 島 崎 氏に とって、 幼女た ちの 死が 

身にしみる 打撃と 困憊であった とすれば、 それ を 描いた 作品 は 必然的に 主題 

の 積極 姓 を 意味した。 私 は、 その やうに 肯定す るが、 これ を文舉 作品の 內部 

と 周 圍の關 係から 言へば、 また 幾らか 異 つた 事情 も 生じて くる。 なんとして 

も, これらの 作品 は社會 的な 意味に 於て は、 主題の 積極性 を缺 いて ゐる。 し 

かし 島 崎 氏の 生活に とって,. - これ こそ 否定で きぬ 積極的 主題であった こと を 

承知しての 後に、 あらためて、 その やうに も 言 ふべき なの だ。 理解の モれだ 



59 



けの 順序 は、 作. :!^ に對 する 一 つの 禮 ii^ である。 

地方 人的:;^^ は 輕检を ける ばかりでなく、 しきりに 土地の 愛 を 語る。 そ 

して、 寒い 地方に 生れた 人ら しく 茶を嗜 む。 「トル ス トイが アンナ • カレ-一 

ナを 害き 終った 時な ど、 あれほどの 强壯な 肉體を 持った 人で も、 すゐ ぶん 劇 

しく 疲れたと いふ ことで、 n シャの クぉ 庭の ことです から、 細君が 酷; S ^とい ふ 

もの をつ くって、 それ を トル ス トイに 飮 ましたと いふではありません か C, 一 

のま はりの こと」) 

1 つに は、 かう いふ 風に も 嗜好して ゐ るの だら う。 



I 

6 

內 部と 外部 



四十 年に 亙る 作家 的營 みの 上に、 島 崎 氏が 築いた 世界の 內容 は、 老成した 

風格と も 言 ふべき ものである。 その 境地に たにが あるか は、 すでに 「老年の 

風格 J に概 it したが、 その 世界に まつ はる 事抦 はっくされ たわけで なく、 さ 

らに 多くの 要素が 絡み合って ゐる。 島 崎 氏が 到達した 境地 を さぐる に は、 そ 

の 作家 道程に 於て 不斷 に交涉 した、 內部 的な ものと 外部 的な ものとの 關係 1 

1 配置 を 見ねば ならぬ-〕 さう した ものと して、 ここに 七つの 項目 を 探った。 

島 崎 氏の せ界を 輪廓 づける に は, これらの 項目 は 一 つと して 缺け ぬし、 む 

しろ、 いっそう 大きく 取极 はれて よいので ある。 



家系の 性格 

『^ク ぽ, U 熟する 時』 や 『春』 に は、 ^愁の 情緒が 水の やうに 流れ、 青春 

を 描いて た ほ 冷え 冷 えした 感じ が 作品の 肌 を 包んで ゐる。 內部 の 溫 熱と 周圍 

の <e 却 を 一 つに 意匠す る やうな、 かう した 性格の 青春 は、 悲しく 疑 はしい も 

ので ある。 

に ゆ ゑ、 島 崎 は その 若さに 逆ら はねば ならなかった のか。 『春』 たど- 

比例す る- s: 容は歡 立:: よりも 悲哀で ある。 この こと は、 島 崎 氏が おかれた 境遇 

とか、 ^代の 空; S とか 言った とて 判然す ると ころがたい。 むしろ、 家系 こそ 

なに かしら を 語る ので はたい か。 家系 を舰き 見る やうた 手段 は 私の 無 禮に終 

るが、 それ を^て て は、 この場合な にごと も 解き あかされぬ。 宿命論 的た 意 

味からで はたく、 全く 可 見 的に.; の 支!^ が考 へられる のであって、 系譜^ 

は主理 jit のト さな 適用と して、 しばしば 用 ひられる ところであった。 



62 



家系の 性格に ついて、 島 崎 氏 はかう 言った ことがある。 

「半生 を 通 じ て 繞り に繞 つ た 憂欝 —— 言 ふこと も爲す こと も考 へる こと も 

昝 そこから 起って 來てゐ るかの やうた、 あの 名のつ け やうの たい、 原因の 無 

い 憂欝が 早く も 青年時代の 始まる 頃から 自分の 身に やって 來 たこと を 話して * 

それ を 聞いて 貰へ ると 思 ふ 人 も、 父であった 。何故と いふに、 岸 本の 半生の 

惱 ましかった やうに、 父 もまた 憎 ましい 生涯 を 送った 人であった から。」 (『新 

生』) この 歎き は、 逃げ場の ない 暗い 袋路 である。 

この やうに 家系の 桎梏 は囚 はれ を 思 はせ、 極端に 言へば、 作品の 性格 は 家 

系の 性格の 具象 化に 他なら ぬ やうで もあった。 どこか しら 重苦しく、 どこか 

しら 直情 的で、 そして どこかし ら道德 的な もの .11 かう した 性格 は 『夜明け 

前』 の 半藏に 見う けられる し、 『生 ひ 立ちの 記』 に 描かれた 父が また さう で 

ある。 しかし 父の 正樹 (並びに 半 蔵) は 幾分の 行動 性を氣 質し、 そこから 囚は 

れを 外部へ 向けて 突き破って ゐる。 島 崎 氏に は それがない。 『楔の 實の 熟す 

る 時』 や 『春』 の 放浪 を、 行爲の はげし さと 言へば 言へ ぬ こと もない が、 放 



63 



浪の 傷心 は、 內 部の: 恭 として ひとし ほ 焦燥す るので あった。 

『夜明け 前』 に 見る 半藏 の行爲 はかなら すし も 焦燥で はなく、 一 つの 形で 

の沒 我と して 激情した,^ その 政治的 活動 も、 時代の 波に 身 を 托しつつ、 沒我 

する 行爲に 他なら なかった ので ある。 人の 情熱 は 時代の 情熱と 融合し、 行爲 

するとき、 { 水系の 性格 は 知性と 情熱まで 桎锆 する ものではなかった。 半藏の 

焦燥と 悶は、 平 £ 鐵 3^ 一派が 政治の 領 野から 退き、 それによ つて 木 馬 龍 

さ ざ 

の (, ^へ戾 つて 後、 行爲 のっきた ところから 晩年に 暗く 萠 して ゐる。 これに 比 

して、 &崎 氏に は、 情熱 を 托すべき 暴の やうな 對 象と それへの 沒 我がない。 

すでに 時代 は變轉 し、 自我の 自覺に まつ はる S8S は、 早く も少、 青年時代の 

心情 を掩亂 した。 「彼の 內 部に 萌した 若い 生命の 芽 は 早简の やうに 頭 を 持 上 

げ C 來た。 自分 を货 めて、 ^^めて、 資め拔 いた 残酷たら しさ 11 沈默を 守ら 

うと 思 ひ 立つ やうに 成った 心の 悶え —— 狂 じみた 似」 (『樓 の 赏の热 する 時』)。 

あるひ は、 この やうな 亂は 情熱す る 青春の 暴であった のか も 知れぬ。 さ 

うで あるに しても、 それならば いっそう 暴 を 情し、 接亂 にまで 苦悩 させた 5 



の はなんだ らう。 擾#ぷ3 る ほどの 情熱 そのものから、 すでに {衮 系の 性格の 支 

配が 感じられ るし、 『春: 一 の 岸 本が 青春の 歡 喜より は 悲哀 を 味った の は、 そ 

あらし 

の 情熱 の 暴か ら歡喜 さへ 反って 混亂に 陷れ、 2^ て は擾亂 にまで 突きつ めねば 

止まぬ 性格に 因る のであった C 

『春』 に 登場す る 人々 のうち、 岸 本 は 一度び 死 を 決し、 青木 1 透 谷 はつひ 

に 自殺して ゐる。 その 透 谷に ついて、 「見て くると、 透 谷の やうな passion- 

ate な 性質の 人が 奈何い ふ 方向 を 執って 動いて 行った かとい ふこと が 今更の 

やうに 感ぜら るる。 彼 をして さう いふ 方向 を 執らせた の も、 彼の 若い 生命に 

起って 來た 嵐の 力 だとい ふこと が 感ぜら るる。」 (「北 村 透 谷 二十 七囘 忌に」) と 

言った の も、 二人の 青春の 性格に、 共通す る 悲劇 性が あった からだ。 

父 正 樹の平 田 篤 胤へ の 傾倒が、 思想の 時代 的 性格と して 社會 的に 實踐 化さ 

れ たのに 比し、 子は據 るべき 一 つの 思想 も 求めす、 沒 我すべき なんの 對象も 

知らなかった。 そして 浚 我し、 忘却す る こと を 許されなかった この 作家 は、 

いっさい を實踐 的に 消化 するとい ふ、 き はめて 忍耐 づ よい 人間的 態度 をと り 



65 



これ を 作 { 糸 的 態度にまで 延長して、 永劫の 業苦 を 思 はせ る 重厚な 资み を蓄穣 

した。 なに人にもまして.:^3崎氏が.|;^踐的でぁり、 さう したと ころに 作風 を 組 

立てた^ 情 は、 この 〔氷 系の 性格の 作.; 的 性格 化 を 意味した。 忍從の 性格 は、 

その^ 後に、 系の 苦 II を^ 打ちして 美しく お 命した ので ある。 

丄 地の 愛 

土地に ついて、 崎 氏 ほど ふかい 愛 著 を 寄せた 作家 は 稀で ある。 そこに は、 

赏の 地方 性と いった ぞうな もの さへ 感じられる。 

みに 都^ 地 をめ ぐっての 地 岡の 移動 を t3 兑 すると、 一九 C 五 年 (明治 三 

十 Ai^) に::-州小??町から^^::小郊外大久保へ:^を移し、 その?^: 年 は 淺^ 新片 

町に 移り、 次いで の のち 歸國 して は 芝 二 本校に、 一九 一七 年 へ: 大正 

六 年」 芝樱川 町へ、 ハ中芝 版食片 町に 住して 今日に 到った。 これに 一八 八 一 

年 (w^ 十 h: やから 一八 九 八 年 (三十 一年) まで、 ^京 その他に 過ごした 年月 S 



を 加へ ると、 純粹に 都き 人と しての 生活 を營 み、 質の 地方 性な ど考 へられ vs- 

ぬ やうで ある,^ ところが 都 生活の 永 さ 短 かさに かか はりた く、 故鄉の 風物 

にっぃての愛^!^は到るところにぁらはれ、 さらに 生活す る 土地 を 描いて いつ 

そう 愛の ふかさ を; fii つた。 r 私 は 信 州の fc 姓の 中へ 行って 種々 な こと を © -ん 

だ。」 a 千 S 川の スケッチ) とも 言って ゐる。 

終驗的世界に取村する作{氽としての^1§崎氏が、 生活した 地方の 風物 や 人物 

を 作品に とり 入れる の は < ぉ然 であらう が、 さう した 點 から 首へば、 都ポ 生活 

にと そ 愛 は 注がれて よい 化 C である。 けれども、 地方に 愛^す る 土地の 愛 は、 

都市にまで、 闭舍の 生活 を 運び 人れ るかの やうであった- 

小^から 上京す る 折な ど、 「この 旅に は、 私 は 山から 穢々 な ものお 運ばう 

とする 人であった。 信 州で 生れた 三人の 子供 は 一一 口 ふまで もな く、 世^の^ 

衣類、 それから 锊 日の 慕し 方まで、 私 は 地方の 生活 を そっくり 都 曾の 方へ 移 

して 持って行かう とした。」 r 芽 生』) と 雷 ふので あった。 島^ 氏の 鄕 m は:: :- 州 

木 件の 魔驟 で、 それらに ついては, 『夜明け 前』 と 『生 ひ 立ちの 記』 が 仔細 



をつ くして ゐる。 年譜の 冒頭に は 「明治 五 年 二月 十七 日、 長 野 縣西筑 摩 郡 神 

坂 村に 生れた。」 と あり、 次いで、 九 歳の 年に は遊學 のた め 上京した と ある。 

この 年譜から しても、 九 歳に して 離れた 信 州 地方の 風物 は、 さして ふかい 印 

象を殘 したと も S はれぬ の に、 「幼稚な 記惊は 故鄕の 樹木と 結び ついて ゐる。 

少年の 自分 は、 母から 朴の木の 紫に 結 銀 を 包んで 貰って、 その 香 を^ぎ なが 

ら ふを樂 しみに した ものであった。」 (「樹木の 記憶」) と、 幼童の 故 鄕を追 

想して ゐる。 

幼年時代の 上京に よって 中斷 された 信 州 地方での 生活 は、 一八 九九 年 (明 

治 三十 二 年) から 再び 小 諸で 操 返され、 一九 〇 五 年 (二十 八 年) に 到る 七 年間 

つづいて ゐる。 淺 の 喷煙を { 仝 近く 見る この 町 は、 島 崎 氏に とって、 第二の 

故鄉と 呼ばれる ほど 印象ぶ かい 土地で ある。 そこでの 七 年間の 生活 は 『家』 

にも 描かれて. ゐ るが、 文學 的に は その他な にが 收 種され たで あらう か。 先づ、 

絶 i? 「干 曲 川 旅情の 歌」 が ある。 『千 曲 川の スケッチ』 が, ある。 『破戒』 の 

着手 も 小 諸で ある。 他に この 土地に 關聯 した 主なる 作品と して は 「雲」 「貧 



68 



しい 理學 士」 「芽 生」 等が ある。 そして、 東京 大久 保へ 移って 『破戒』 の 稿 

を繼 いで ゐた 頃の 島 崎 氏 は、 家庭の 災厄に 暗澹と し、 その 不幸 を堪 へねば な 

らぬ 生活の 支へ- - 都市 生活への 適應と 安住の 落着き を、 小 諸から 移って き 

たばかりの 一家 はま だ 充分に 持って ゐ なかった。 それゆえ、 なに かしら 浮動 

する かの やうな 日々 の營 みに、 この 一家 はと ほく 信 州の 山々 を戀ひ 哀傷した。 

それが 作品 「芽 生」 に 流れる 悲しみの 色で あり、 愛する 土地 を 失った 人々 の 

ひそかな 思 ひで ある。 三人の 幼女 を、 つづいて 失った 悲痛 をい つそう 切なく 

する ほど、 山の 町への 愛 は肉體 化して ゐ るので あった。 

土地の 愛 は、 別に は瑗 境に ついての 理解の 細やか さと 言へ る。 「私 は 木 曾 

の 蕪の 好い こと を 思 ひ 出して、 姉の 許から その 種 を 取りよ せ、 小 諸の 在の 小 

原と いふと ころに 居る 墜川 老人に 賴んで それ を試植 して 貰った ことがある。 

…… ところが、 變 つた 土地に 移し 植 ゑる 野菜 は 多く 一 年ぎ りの ものと 見えて、 

翌年 その 蕪から 取れた 種 を 蒔いても 同じ もの は出來 なかった との 老人の 話で 

あった。」 (「小 諸のお も ひで」) この やうに、 土 そのものの 微妙な はたらき さへ 



感じと つて ゐ るの だ。 

作" 芽 生」 に は、 お 房と いふ 少女が 帝大 病院に 入院し、 やがて 死ぬ 經過 

が 描かれて ゐる。 その^ 院 生活の 條 りに、 次の やうな ところが ある。 

燕 も 窓の 外 を? i つた。 田舍 者ら しい 附 添の 女 は、 その 方へ 行って、 眺めて、 

「あ 11 燕が 來 た。」 

と 何 か 思 ひ 出した やうに 言った。 丁度 看護婦が 来て、 お 房の 枕頭で 溫度表 を 見 

て His たが、 それ を^ 咎めて、 

「燕が 來; J つて、 そんなに めづ らし がらなくても 可から う。」 >- 戯れる やうに。 

「房 ちゃんのお 迎 へに 來 たんた よ:」 と附 添の 女 は 窓に 倚 i^:- つた。 

「また そんな-一と sV 」 君 護^が 叱る やうに 言 つた: 

「しかし、. 院へ 燕が 來ろ なんて、 めづ らし いんです よ。」 

この 部分 は、 崎 氏が いかに 土地 を 愛し、 農民 的た 物の 見方に 心 ひかれて ?/ 



ゐ るか を 示す。 燕を樂 しむ 附 添の 女 は 農民 的 心理 を 典型し、 すべて 農民 は、 

物 を 自然の 角度から 見る やうに 生活,、 つけられて ゐる。 その 心理的 表出が、 一 

羽の 燕 をめ ぐって いかにも 鮮か である。 

「芽 生」 と は 幾らか 異 るが、 『生 ひ 立ちの 記』 も囘想 風に 信 州 地方へ の 愛 

着 を 語る。 この 作品に 語られて ゐる 細やかな 數々 の 物語り は、 幼年の 島 崎 氏 

を 育てた なつかしい 思 ひ 出で ある。 これらの 土地 は、 宿驛 制度の 暖滅 によつ 

ていつ か 昔の 係 を 失って しまったが、 ひとり 島 崎 氏の 內部 にだけ そのまま 印 

象 をと どめ、 温い 感情 を殘 して ゐる。 

都 塵に 育つ 幼少 年た ちと、 山村に 生 ひ 立った 幼少 年た ちの 小さ い 生活 を 

^^ひ立ちの記』 は巧みに對比してゐる。 そして、 島 崎 氏の 子供ら が 都市の 

1 偶に 育つ ありさまよりも、 島 崎 氏 自身が 育くまれた 山村の 生活が、 中心に 

描かれて ゐるか の やう だ。 ここに は、 息苦しく する やうな 山村の 野蠻 性と か- 

さ うした 强烈な 印象と かいふ もの はない。 囘想は おだやかに、 幾らか 牧歌的 

である。 山村の 文化 程度の 低 さとしての 奮い 習慣 ゃ樣々 な 物語な ど、 こと ご 



71 



とく 地方 的な 生活 感情に 充ち、 幼時の なつかし さ 稚拙 さとして 書かれて ゐる。 

けれども、 どの 部分に しろ贵 族 的で はたく、 山村の 生活が 地味で ある やうに 

この 作品 も、 1:1- 話 風な 溫ぃ 感情に 富んで ゐる。 

第二の 故 鄉を思 はせ る 小 地方の 事 ども を、 巨細に 描いた 作品 は 『千 曲 川 

の スケッチ』 である。 この 一 卷に牧 めら れた數 々の 印象的な スケッチ は、 散 

文 詩 風に 柔軟な 感情に 充 ちて、 土地 G 人情 風俗 及び 自然 を 描いて ゐる。 さう 

lis へば、 これ は 「明治 三十 三 ころ、 著者が 信 州 小 諸に 於け る 時代に ものせ 

られ たもの」 であり、 「渐 くこの 頃から、 詩より 散文への 形式に 移らう とす 

る轉 機に」 (「解 說ヒ あった ものであるから、 散文詩 風た スケッチの 形式 をと 

つたの は常然 であらう。 

スケッチの あざやか さは、 農民の 生活 並びに その 土地 を、 いかに 愛して ゐ 

るか を更 めて はせ る。 長男に 常る 人が、 信 州 木せ の 神 坂 村で 農耕に 從 し 

たこと は、 『3!- 「分配」 その他 『を. さな ものがたり』 にも 書かれて あり、 

これらの 點 から 推しても 農民 生活への 愛 は 知られる が、 それ を 知りつつ、 な -パ 



ほ 農民へ の 愛の つよさ を 新しく 感じさせ るので ある。 農民た ちが 自然と たた 

かひ、 自然と ともに 生活し、 そこに 勞働 する さま を 克明に 寫し たこの 手記 は、 

それだけで、 なにごと かを訴 へる 人道的 感情 を はらんで ゐる。 おそらく この 

ー卷 は、 作家 的な 對象 として 自然の 風物 を スケッチ したので はたく、 曲 JTi- 的 

氣質 そのものから、 な, ん らの成 心 な く 自然 とともに ある 生活 狀態 を觀 察し、 

そのこと から、 人道的 感情 をお のづ から 特徵 したので あらう C 

さらに、 この スケッチ は、 自然と 生活の 記錄 である ことから して、 ひろく 

農民 生活 を 普遍し、 農民の 友が 贈る 親しい 精神 を 美しく 現 はして ゐる。 後年、 

島 崎 氏 はかう 言った」 「私の 故鄕の 方の 言葉で は、 大きい とい ふこと を 三 段 

に-形容 する こ と が 出 來 ます" それから 助動詞た どに も 古い 言葉 の殘 つたの が 

あって、 面白く、 細く、 しかも 簡潔な 働き をして ゐ るのに 氣 がっく ことがあ 

ります。 田舍 言葉と 言っても、 粗野た ばかりで は 有りません。」 (『生 ひ 立ちの 

記 j 一) この やうに、 い 感情が、 『千 曲 川の スケッチ』 との 間に 交流して ゐる 

ので ある。 



73 



ここで、 土地の 愛に よる 農民 的 風格の、 作品へ の 影 113 とい ふこと が考 へら 

れて くる。 

一般に、 cri- に 特徴す る; 質 は、 重厚 さで あり 鈍 さで ある。 そして、 島 

^氏の 作品に あら はれた: mllx も、 都會 風な 快適さで はなく いづれ 重厚で あつ 

た。 だから 作品の 表情の 變化は 重々 しく、 すべて を 自己の^ 部に 於て 徐ろに 

っ汨 化しよう とする 忍從の 態^に 近い。 容易に は 崩れぬ 作 〔氷 的 風格の 重厚 さも、 

それ を 築く に 到った 一 つの 要素 はこの 邊 にあった ので はない か。 土地の 愛の 

ふかさ を、 私 は そこにまで 兑る。 

リアリズムお 

島 崎 氏 は、 ^ る ことなく リアリズムの 途に すすんで きた 作家で ある。 從っ 

て、 モ れに關 する 様々 な 見や、 感想 も ある ことの やうに 思 はれ 易い の だ。 

ところが、 まとまった リアリズム 論 はもと より、 さう した 感想 すら 稀で、 



僅に、 他に 關聯 して 述べられた 幾 ばくかの 斷片が あるに 過ぎぬ。 この こと は ハ 

意外であった。 しかし 『淺草 だより』 から 『市井に ありて』 に 到る 感想 集 を 

見るならば、 この 意外 さも、 むしろ 當然 のこと として 肯け るの だ。 これらの 

感想 集が なに を 語った かと 言へば、 それ は 主としてみ づ からの 風格に ついて 

であり、 なに かしらの 文擧的 意見 を 述べた 際に も、 やはり その 風格 を 語る と 

いふ 結果に 近いので あった〕 

殊に 島 崎 氏に は、 あへ て、 その リアリズム 論 を 云々 せす ともよい 具 體的作 

品の 系列が ある。 それらの 作品から、 人 は, 自由に 作者の リアリズム 論を聽 

きとる ことができ るし、 島 崎 氏 もまた、 み、、 つからの 意見 は剩 すと ころな く 作 

品に 注ぎ こんだ ことで あらう C 從 つて、 島 崎 氏の リアリズム 論 はこの に 見 

出さるべき ものの やう だ。 さう では あるが、 他の 事柄に 從屬 して 述べられた 

意見 を つづり 合せて みると、 自然に 一 つ の リアリズム 論が 組成され る。 一 先 

づ、 從屬 して 述べられた 意見に、 私 も從屬 して 行く ことと する。 

「私 は 一 寫實 家と して 進んで 行く こと を 恥と しない。」 a 昨日、 一 昨日」) と 



は、 リアリスト としての &崎 氏が、 その 決意の ほど を 端的に 言 ひ あら はした 

1W 紫て ある。 人 は、 ここに、 リアリスト として 渝る ことのたい 途に 立ち つづ 

けた 作 {, ^の 面目 を 知る。 この 決意から、 最初に 着手した 作品が 『破戒』 であ 

り、 その リアリズム を 確立した のが 『i\^』 であった。 そして、 殊に 『家』 の 

リアリズム は 自然 主 IS 的で ある。 この 意味から、 先づ 自然主義との 關係、 な 

いし それにつ いて の 意見 を 見るべき だら う。 

W 山 花 袋の 『隣室』 や 『一 兵卒』 は、 その 主題に 傾向す る社會 性に 於て 

『破戒』 たどに やや 近似す る 作品で ある。 また 花 袋の 『生』 と! i 村の 『春』 

と は 同時 期に あら はれ、 印象的 描; 1| の點で 共通す ると 言 はれた。 島 崎 氏 は、 

「出 山 花 袋 に 就て」 とい ふ 文お で、 「君の 藝術は 人間の 煩 惱を囘 避し ないで、 

^^深く突き 進 んで 行った ところから 生れた。 そこに 近代 人と しての 君の 特色 

を 見る。」 一^心 坦饭ヒ と 言って ゐる。 花 袋の 文學が これ だけの 讚辭 をう くべ 

きか 否か は 別と しても、 しかし、 さう した 暗黑 面への 深化が、 自然主義文學 

の性格をしたぃに狭!^ にしたことを囘想するとき、 『蒲 國』 たどの 作品に 對 



する 疑問 は 必然的に 起って くる。 

『 一 兵卒』 や 『蒲 圑』 を も 含めて、 花 袋の 文舉 はなる ほど 人生の あろ 深み 

に 達して わる やう だ。 けれども、 さう した 點 から 言へば、 『蒲 圑』 の發 表と 

同じ年に 藤 村に は 「並木」 の 作が あり、 この 短篇に すら 變遷 する 世相 はう か 

が はれる。 「並木」 に 先んじて は、 「奮 主人」 「藁 草履」 が 同じく 時代相 を 

暗示した。 「田 山 花 袋 集に 就て」 とい ふ 文章から、 自然主義に 對 する 島 崎 氏 

の 意見 を ひきだす こと は、 從 つて 困難で ある。 

自然主義 的 性格に ついての 比較的 はっきりした 意見 は、 「何故、 日本の 自 

然 主義 はもつ とカ强 いもの を 生まなかった かとい ふ 人 も あるが、 層々 相 重な 

る 石造の 建物 を 見る やうな バ ルザ ックの 作品 を 生み出し たの は、 獨り 文學の 

力ば かりで はな.^ C その 背景に は、 パス ッ ウルの 細菌 研究と なり ボアン カレ 

の 數學ゃ 天文 學と たった 怫蘭 西の 科擧の 力の 潜む こと を 思って 見ねば ならな 

い。」 (「昨日、 一昨日」〕 とい ふ 言葉で あ t< ?。 十九 世紀 後半に 於け る西歐 の科學 

的發展 が、 寫實 主義 文 學の發 達 を 促す ための 溫床 となって ゐる こと は 見落せ 



77 



ぬし、 さらに は 社會的 發!: ^の 事情 もあった。 この 感想 は、 さう した 土地と 環 

境と 時代と をい ば 件と する 見方 を 綜合して ゐる。 

,:^3崎氏のリァリズムは、 人生 的 眞赏を 追求す ると ころに 胚胎した,^ 從 つて、 

リアリズムに ついての 兑辦 もす ベて この 點に屮 心 をお いて ゐる C 單に、 西歐 

の BIK 主義で あると か、 明治 文學に 於け る 自然主義 であると かに 151: 刖 づける 

ので はなく、 人生 的 を 求めて 熱意す る 作品に ついては、 いつも ふかい 親 

和 を 感じて ゐる。 「一 體、 モウ パッ サン は 唯 如^に この 人生の 姿 を 描いた 人 

だら うか。」 (「トルストイの 『モウ. ハッサン 論』 を讃 む」) とい ふとき、 おの づか 

ら, 2i9 崎 氏の リアリズム 論が 窺 はれる ので ある。 

人生 的 決意 を はげしく し、 その 險 しさに 立ちつ くして、 一歩 も たじろがぬ 

作 〔糸の 業は容 ns したい。 しかも 私 は、 かう した 態度が どこか しら 漠然として 

拙捉 しがたい とに ついて、 かって 物 足らぬ 不滿を 感じた。 これ は なんらの 

1^ 心に よる もので なく、 また 不遞 の氣 持からで もない。 ただ 爲實 追求の 人生 

的 態度 は 業苦と なって この 作.; M の 肩 を 重く する だら うと、 業苦して やまぬ 人 が 



に 憩 ひか、 逆に 飛躍 か を 贈りたかった ので ある。 一 歩一歩、 踏みし めて 行く 

やうな 態度に 私 は 焦慮した。 

しかし 私の 焦慮な ど 物の 數 ではなく、 永い 作家 道程に いささか も 息切れせ 

ぬば かり か、 一 r 夜明け 前』 を 築いて は 他を壓 した- 業苦と. いふ 感じな ど、 島 

崎 氏 ほどに 豐 かな 世界に は關 はりない ので あらう か。 

それにしても、 ここに 到る 過程に は、 やはり 業苦と 言へ る ほどの 經驗 がた 

たみこ まれて ゐる。 從 つて、 作家 的 態度 あるひ は 創作 方法に 關 しての 理解 も 

業苦 の 營み に と も な つて 深化し、 リアリズム の 機能と も 言 ふべき 點 について 

など、 探求と 經驗の ふかさ を 示して ゐる。 その 一 つと して、 次の やうな 意見 

を 述べ てゐ る。 (作家と して の モウ パッ サン が 現實に 肉薄す る 力の 奈 如に 破 

壌 的で あるか は、 バルザック あたりに 比べて 見る とよく 分る。 モウ パッ サン 

の 態度 は、 無關心 かも 知れない が、 その 無關 心な 深刻た 諷刺 か 皮肉で たけれ 

ば 表現の 目的 を 達し 得られな いやうな 悲痛な 性質の もの だ。 ,1 〈「トルストイ. 

の 『モウ バッサ ン論 J1 を讀 む」) これ は、 モウ パッ サンの リアリズムに ついての 



79 



^:^3-でぁるが、 延いては 島 崎 氏の リアリズム 論 を 意味す る。 現實に 肉薄す る 

作 0^ は、 現赏 について 肯定的に か、 否定的に か 二つの 態度の いづれ か を 採る 

が、 それ を モウ パッ サン は 否定的な ところに 求めた。 これに 反して、 島 崎 氏 

は 肯定的で あらう とする。 

モウ パ ッ サン の 作品が、 人生の 一 斷面を 描きと つて ゐる にしろ、 そこに 人 

間 的 成長 を 促す たにが あるの か。 現贲の 肯定的 面から さらに 創造すべき も 

の を^ 造したい とねが ふ i:^ 崎 氏に とって、 モウ パッサ ン の 否定的 リ ァ リズム 

は 悲痛に 過ぎた。 

「モウ パッ サンが バ ルザ ックの やうな 素直な 寫實. ; でたい こと を考へ る も 

のにと つて は、 どうしても 彼の 濃い 厭 生觀を 見の. がす わけに はいかない。」 

「ト ルス トイの 『モウ. ハツ サ ン論』 を 讚む」) と、 島 崎 氏の リア リズ ム は 現赏に 

對 して 肯定的で あらう とし、 なにものか 人生に 付與 して 創造的で あらう とす 

る。 否定的 面 を も、 やがて 肯定 化さう とする 欲求で ある。 

「モウ パッ サンの 小說 論」 とい ふ 感想 は、 島 崎 氏の 作 { 灰 的 配 意 をった へて 



So 



興味 ある 文章であった。 この 小說 論から、 「人生 は 無 容赦に して、 秩序 もし 

く は 聯絡 ある ことなく、 雜 事件と して 類別せ ざる を 得ざる 如き、 解析し 難き、 

不合理なる、 瞠若せ る 幾多の 結末 を 以て 充 たさる。」 とい ふ 部分 をと りあげ、 

この 點に リアリストの 困難 を昆 いだして ゐる。 つまり、 rai^ して リアリスト は、 

箏 象の 眞實 を捉 へる ことが 可能で あらう か、 との 疑問で ある。 

作家の 錯覺 についての 警戒 は、 島崎氐 ほどの 實踐的 リアリスト にして、 な 

ほ 不斷に 配 意され てゐ るので あらう か。 「知らざる ところな き斯の Rra 一 ist は、 

遂に 自ら 知る ことの 甚だ 少 きを 發 見した。 彼 は、 眞を 求めて、 幻 象 を 得た。」 

(「モウ パッ サンの 小說 論, この やうた 警告から、 その リアリズム がいかに 乎 固 

いかが 窺 はれる のであって、 それと ともに 「驚異の 念に 乏しい ときの 寫生 は、 

死んだ 記錄の やうた ものが 出来 上る。 正しい かも 知れない が 無意味 だ。」 (「寫 

生」) と、 作家の 感情の 昂揚に よる、 對 象の 昂揚に ついても 觸れ てゐ. る。 二つ 

ながらに、 リアリストの 營 みがい かに 困難で あり、 藝術的 方法 は ここにつ き 

る ことに 言 ひ 及んだ 新 章で ある。 



,5 氏 どに、 赏踐 力の たくましい 作家 は、 さう 幾人 も 求められる もので 

はたい。 現 .i:- の あらゆる 事柄に、 みづ から 體當 りせ すに は 納まらぬ 意力 11 

その 作 (x. 的營 みの 「リアリズム 論」 から、 はじめて 人生 的 眞實は 作品にまで 

吸牧 された のであった。 

作品の 扳幅度 

その 作品 内容から いって、 島 崎 氏 は 私 小說の 世界に 近く 位 する 作家で あ 

る。 『破戒』 や 『夜明け 前 J なとの 社會的 作品 は 別と して、 他 はお ほむね 經 

験 的 世 H ^もしくは、 その 周 園の 圈內に 取 林した。 この ことから、 作品の 私 小 

說的 性格 は 生れて きて ゐる e 

しかし、 私 は、 これ を その やうに 規定 づける ことに 不 if を 感じる。 作 {仄 的 

资 はの 最初から、 人生 的 決意に よって 寳踐 してきた 亭赏 は、 およそ 私 小說的 

性格と は距 たる もの だら う。 蒈通 * 私 小說に 概念され る もの は なんら 人生 的 :2 



決意 を內容 しないし、 さう した 作品に 見る 意匠の 巧徽 さは、 缺乏 する 人生 的 

決意の 代 辯と して あら はれて ゐた。 例へば、 田 山 花 袋の 『蒲 幽』 たど 作者と 

作 中 人 f が 同格 化して ゐ る點、 身 邊雜記 風な 私 小說の 先例 をな し、 一 口に 言 

へば 私小說 の 概念 は、 先づ この 狭小な 傳統の 流れに ある やう だ。 

島 崎 氏の 作品の 多くが、 この やうぶ 概念され る 私 小說的 性格にまで 容!: に 

一 致す るで あらう か。 

言 ふまで もな く、 經験的 世界 かそれ に まつ はる 周 圍 に 取材した 作品 は、 そ 

のど こかに 私 小說的 性格 を味帶 して ゐる。 けれども、 私小說 が內容 する もの 

の、 社會的 性質 あるひ は 主題の 社 會性を 考慮 すれば、 ときに 性格 は變 化して 

ゐる。 その 第一 次 的 性格 は 私小說 的で あるに しろ、 より 高次の 性格 は 社會的 

な もの か、 黨派 的な ものと なる 作品 もあった。 プ 口 レタ リア 文學に 於け る 私 

小說的 タイプの 作品が、 いは ゆる 私 小說と 本質 を 異にするな ども、 その 主題 

が 純粹に 個ん 的で はなく、 個人的で はあって も、 社會 的な 普遍 妥當 性に 約束 

づ けられて ゐ るからの ことで ある。 



^3 



氏の 作品の 私 小說的 性格 も、 それ は 主として、 第一 次 的 性格で あるに 

^きぬ。 より 高次の 性格 は、 その 人生 的 意欲に よって 代表され、 一定の 社會 

性 を^び てゐ る。 これ は、 作品の 社會的 振幅 度の 問題で ある。 

「ゴ ゴル、 ガン チャロフ、 ツル ゲネ H フ等の 作家 を先驅 者に 持った 人達 は 

羡 むべき だ。 バ ルザ ック、 フ ロォべ ル、 ゴ ンク ウル 等 を 出した 國民も 羨まし 

い。 しかし 透 谷と か、 ニ紫亭 とか、 獨歩 とかの 人達 は、 その 精神に 於て、 決 

して 彼サ 1^ に 劣れる もので はない。」 (「文 藝の 生命」) これらの 作家た ち へ の關心 

は、 岛崎 氏の 精神的 倾向 並びに、 その 作品の 社會的 性格が どう あるか を 暗示 

して ゐるレ 殊に、 北 村 透 谷との 交友から 多くの もの を糧 承した 島 崎 氏 は、 透 

谷の 精神に 流れた 高邁な 意欲 を 成熟 させ、 その 文 學的發 足の 最初に、 『千 曲 

川の スケッチ』 や 『破戒』 を 書いた のであった。 

經験的 世 から 離れた 主題の 作品 は、 『破戒』 と 『夜明け 前』 の 二 作で あ 

る。 そして、 この 二 作 は、 その? i にある 三十 年 ほどの 年月 を距 てて 呼び 答へ 

てゐ る。 もちろん この 年月の 間に 社會的 事情 は變轉 し、 この 作. おにしても、 



84 



多くの 經驗を 蓄積しつつ 肉體 的な 變化 もあった。 藝術的 方法の 推移 も ある。 お 

『破戒』 を 肉付けし たもの は、 人道 性で あり 主 情 性で ある。 『夜明け 前』 の 

主題 は、 歷史 性で あり 社會 性で ある。 しかし、 これが、 ともに 社會 性に よつ 

て 條件づ けられて ゐる ために 二 作 は 親近し、 その 間に は 一 筋の 紐帶が 引かれ 

てゐ る。 この 點に、 私 小說的 性格と は距 たる 社會的 振幅 性が あり、 時代と 並 

行して た ほ 息切れせ ぬ 作家の 强靱な 質が ある。 

文 學 遺 產に就 て 

西歐の 作家た ちに ついての 感想 や、 この 國の 古典への 囘顧 など —ー 文舉的 

遣產 をめ ぐって、 島 崎 氏 は 幾つかの 小論 文 を 書いて ゐる。 この 國の 古典 を屮 

心と して、 一一 飯 倉 だより』 に は 「文 學 にあら はれた 國民 性の 一面」 r 藝 術と 

先縱」 「芭蕉」 など あり、 『春 を 待ちつつ』 に は 「一茶の 生涯」 「芭 のこ 

と」 「生長と 成熟」 「前世紀 を 探求す る 心」 その他が ある。 



それら 一 聯の 意見 や 感想 を ひっくるめて、 島 崎 氏 は 深さに 徹する ことの 新 

しさ を nn ざして ゐる。 從 つて、 これ は 一 つの 创 造の ための 糧を n 顧す る もの 

であった。 「よく 兑れ ば、 おなじ 一 つの 時代に も ひき 潮の 時期が あり、 さし 

潮の 時期が ある」 四季が 循? as する やうに、 冷 熟 は 一代の 人の 心 を 往来して や 

まない c」 (「生長と 成热 J) ここに、 消長した 文舉の 時代 的 性格と それの 歷史性 

が 考^され てゐ る。 文畢 作品の 歷史 性の 探求 は、 今日の 作. X の 創造の 問題と 

して 提出され. 歷史に流れたものが後代にまでぃかに投^^し、 反復され たか、 

1 ^代へ の探求は歷史の^!::ー思するものの探求を意味する。 

後代の 作 〈糸 は、 感史を 亡^の やうに 重荷と する こと もた い で あ ら う が、 

「しかし 私逮の 感知す る 近代の 精神 は 元祿の 昔に すでに そ の曙光を^!なして居 

る こと を 心に とどめて S きたい C 芭 燕の 詩と 散文、 西 鶴の 小說、 近 松の 戯曲 

等 はやが て その 精神の あら はれで ある。」 (「文 學 にあら はれた 國民 性の 一 面」) と 

ふところから 古典に 接し、 時代 的 感情 並びに、 そこに ある 人々 の 生活 感情 

を. 印る こと はな ほ必耍 とされる ので あらう。 この 點に作 〈汆 的營 爲の歷 的 背 S 



景が あきらかにされ、 同時に、 1 つの 糧の 求められる ことが 考 へられる。 文 

學遺產 についての 手がかりと して、 作家 は、 先づ. それぞれの 嗜好の 仕方で 接 

する より 他ない が、 一般的に は、 前世紀への 囘想 とそれ への 反省が 考 へられ 

る。 島 崎 氏の 態度 もこれ であった。 「好かれ 惡 しかれ 私達 は 父 をよ く 知らね 

ばなら ない。 その 時代 をよ く 知らねば ならない。 もし 私の 讀 みたい と 思 ふや 

うな 硏究を 書いて 吳れる 人が あるなら 何程の. 題目 を そこに 見出し 得る か 知れ 

ないやうな 氣 がする。」 (「前世紀 を 深 求す る 心」) と 述べ、 歷史 への 反省に 新た 

な もの を 希 ふので あった。 

この やうな 意見 は、 すでに 嗜好の 範圍 から 拔け でる もので あり、 その 關心 

の 仕方 は、 とほく 當 代の 文學が 發展 する ために 方向 づけら れてゐ る。 このと 

き、 歷史は 外部に あるので はなく、 作家の 內部的 存在と して 呼びかける。 

ある 人々 は、 創造と 發展 のために ではなく、 ほとんど その 逆の 目的の ため 

に 古典に ついて 言って ゐる。 さう したと ころに、 なにが あるかと いへば、 歷 

史 の發展 する 意思 を晦 まさう とする 企み だけで ある。 この やうな 悲しむべき 



87 



現象に 比して、 島 崎 氏 は、 少く とも 歷 史的 作品に あら はれた 時代 的 感情 を聽 

きとり、 作":^ の 意思が、 時代の 意思と いかに 關聯し たかを 見ようと して ゐる。 

文^的 遣 産と は、 今日の 時代の 作家にまで、 過ぎた 時代の 文學的 成果が、 い 

かに 發展 してきて ゐ るか を 採る ための、 I つの 手がかりに 他たら ぬ。 

從 つて、 <=5 然、 次の やうな 順序で 問題 は ひらけて くる。 「ある 他の すぐれ 

た 藝術を 深く? 3 求 すれば する ほど、 その 藝術家 は 自己の 創造に 向 はすに は 居 

られ まい。 そして ライフ を 感知す る ことの 深ければ 深いだ け、 先蹤を 離れよ 

うとせ すに は 居られ まいご (「藝 術と 先 縱」) かう して、 歷 a< への、 歷 史的 作 

口 i への 囘^ と 反お は 創造的 意欲 を昂 くす る。 歷 の 流れに 沿 ひっつ、 歷史へ 

の 反お による 作家 的發展 が、 歷 a- を壓 倒して 獨自 的に 行 はれよう とする 美し 

い 欲求で ある。 

作 〈¥ 的 創造ば、 古典に 對 する 叛逆 を 意味す る。 しかし、 それの 否定で はな 

い。 作. :!^ 的 創造が どれ だけ 見事で あるに しろ、 古典 は 古典と しての 位置 を 占 

め、 同 じ やうに そ の^代に 於て 古典に 叛逆し 创 造した。 作1¥の创造的^-欲は、 S 



この 古典への 叛逆の 意思に 共感す る もので あり、 島 崎 氏の 理解 も そこへ 向 ふ ^ 

ものであった。 

明治 文學の 創造 期に、 當 時の 作家た ちが、 あらゆる 部分に 亙って 創造の 苦 

惱 を經驗 した こと は、 その 文學的 理解 を 自然 ゆたかに した。 ここから 文舉遣 

產 についての 關心も 比較的に 多面 化し、 殊に 島 崎 氏 は 十九 世紀 文學 について、 

その 初期と 後期の 關係 を、 歷 史的に 考察す る ほど ふかい 關心を 示した。 

『佛蘭 西 だより』 下 卷に牧 めて ある 「春 を 待ちつつ」 は、 戰亂 の歐洲 にあ 

つた 島 崎 氏が、 故國の 文學. 藝術 について はるかに 考察して ゐ る點、 よほど 

輿 味 ある 文章と 言 へ る。 その 「春 を 待ちつつ」 第 四 il4 の 冒頭で、 「もし 吾國 

に 於け る 十九 世紀 研究と も 言 ふべき もの を W いて くれる 人が あったら、 奈如 

に 自分 は それ を讀 むの を樂 しむ だら う。」 と 述べた やうに、 この 國の 文擧古 

典への 關心 は、 十九 世紀に つきて ゐる ほどで ある。 十九 世紀の 文化 はいかに 

1 一十 世紀にまで はたらきかけ、 1 一十 世紀 は 十九 世紀 をい かに 繼 承した かの— 

—發展 の 因 關係を あきらかにした いとする 意圖 である。 島 崎 氏が、 a 本文 



畢に 於け る 古典で あると ともに 現在で あると いふ 蔡情 は、 十九 世紀から 一 一十 

世紀への. 效; 、を、 直接的に 赏践 してきた とい ふこと に 他なら ぬ。 それ ゆ ゑ 二 

十 世紀 ! 現代 文 舉の创 造 者と して、 世紀から 世紀へ の 移り行きに 思 ひ を そ 

そぎ、 Ei- して、 二十世紀 は 前世紀 を 正 當に籀 承した であらう かと、 轉囘の 時 

期 を考. おする ので ある。 

「私 は 少年 時代 を 板 返って 見て、 自分の 物心 づく 頃から 明治 1 一十 年頃まで 

の 間 はかなり 暗かった 時代の やうに 思 ふ。 …; 私達 は 明治維新ん 共に けて 

來た 新時代の 輝いた 方面の み を 見る に惯ら されて、 その 慘憎 たる 光景に は 鬼 

を 塞ぎが ちであった。」 と: W ひ、 「封建時代の 遺物と いふ 名の 下に、 あ 

ら ゆる 文化が 鞣 みに じられ はした かったら うか。」 (「前世紀 を 探求す る 心」) と 

いふ 感想 も、 世紀から 世紀への 轉囘 に、 思 ひ を ひそめた 作 としての 言葉で 

ある。 そして、 • 文化的 领 域に 於け る この やうな 混亂 は、 事實 として 囘 顧され 

るので ある。 

明治 年 二^.^ る 文畢 運動 は 古典への 反撥 を 不可避と し、 獨自の 文畢的 



90 



性格の 創造 は、 むしろ 前世紀の 文化 を 否定す ると ころに 求められた。 德川封 

建 制 下から 資本主義 時代への 發展 が、 一 つの 革命と して 行 はれた ことから し 

て も、 文學 革命の 遂行 は、 自然の 勢 ひとして 前世紀 を 否定した。 明治 文學に 

於け る この 過程が 混亂 し、 混亂 から 發展が 促された こと は 周知され てゐ る。 

しかし 外 國文學 へ の 傾倒 を經 過し、 やがて 獨自 _ の 文擧的 性格が 生成す る 機運 

にと もな ひ、 この 國の 古典に ついての、 新し. ぃ關 心が 喚起され る 順序と なつ 

た。 古典の 否定で はなく、 それの 現在 的な 意味に 於け る 批判と 發 M として、 

再び 歷史に 意思した 作品への 囘想を 喚んだ ので ある。 

島 崎 氏に とって、 この こと は、 土地と 時代との 關聯を 測定しつつ なされて 

ゐる。 もともと、 外 國文擧 への 傾倒と 古典の 否定 は、 時代 的な 距 たり を 急速 

に 埋め合せる ための 焦燥に 他なら ぬのであった から、 土地 的な 事情と 自己の 

文舉 の發展 程度 を 考慮 するとき、 歐 風化への 反撥 は當然 であった。 これに、 

自己 發展 にと もな ふ內省 的な 轉化 であり、 自立 性 確ー乂 の意圖 である。 



91 



. の 中心が 小設を ,H.: として i: き 始め たの は、 すでに 文化 文政 度の 昔に 萠 した 

と iiiu, つても よから う。 我々 の小說 がま だ歐羅 巴の 文^の 刺戟 を も 受けない 以:: i に- 

早く.,、 急激な 勢 ひで 發 達し 始めた とい ふ は 注意すべき こと だ。 文化 文政 度と 一: iia へ 

ば、 およそ 十九 世紀の はじめに 相當 する。 近代の 小說が 十九 世紀に 入って めぼし 

い 文 C ハ 上の 產 物と なつ て來 たこと は、 東西 殆んど IS 一 轍に 出で てゐる やうで ある ( 

(「折に ふれて」) 



この 感想 は、 土地 的な 條件を 除いて は、 文 學的發 展の途 のた だしく 認識 さ 

れぬ こと を 言 ひ、 ここから、 いま は傳統 する 文學的 精神 をも囘 顧しつつ、 横 

への ひろがり を 2: 部 的に 築 約 づけた ので ある。 『夜明け. 前』 が、 幕末から 明 

:^^中薬へかけての時期を作品の背景としたのも、 一 つに は 前世紀 を 探求す る 

心からに 他なら たかった ので あらう。 



「旅人よ。 足 をと どめよ。 お前 は 何 を そんなに ぐの だ。 どこへ 行く の だ。 

なぜお 前の 眼 はそんな に 光る の だ。 なぜお 前 はそんな に 物を搜 してば かり 居 

るの だ。 なぜお 前 はそんな に 齷齪と して 歩いて ゐ るの だ。」 (『佛 蘭 西紀 行』) 

この あわただしげ に、 悲しい 旅人の 獨. s を 見よ。 島 崎 氏の 旅途 は、 この やう 

に 忙しな く 過ごされ たので あらう か。 

三年に 亙る 滯歐 は、 日數 からい つて それほど 短い 時間と は 思へ ぬ。 そして 

渡怫の 海路に ついた の は 一 九 一 三年 (大正 二 年)、 すでに 四十 二 歳で ある。 そ 

れ にも かか はらす 旅途は どこまでも 忙しない 思 ひに 充ち、 「旅人よ。 足 をと 

どめよ。」 と 言 ふ ほどに、 背 立つ 感情 を 抑へ ねばならなかった。 渡佛 した 翌 

年に は歐 洲大戰 が勃發 し、 フランス、 ドイツ を はじめ 歐洲 一 帶 は戰亂 の 渦に 

卷 きこまれ 旅 はいつ そう 困難であった。 フランス 紀行 は、 さう した 戰爭に 湧 



き 立ち、 また 沈 li: 一す る 人々 の 問に ある エトランゼの 辛酸 も 映して ゐ るが、 し 

かし それ は 外部の あわただし さで あつたに 過ぎぬ。 「足 をと どめよ。」 とい ふ 

呼びかけ は、 心の安らひを求めた人の切なぃ獨^:でぁった。 

三年の 旅 は 『怫蘭 西 だより』 ニ卷を はじめ、 航海 記 『海へ』 となり、 さら 

に 『佛 蘭- g 紀行』 (別名、 『H トラ ンゼ, |』) と 成り、 それだけで 一 つの 世界 を 形 

づ くって ゐる。 これら 旅情の 記錄 は、 それぞれに 海外での 複雜た 印象と 感慨 

の ふかさ を 語る が、 しかし^^崎氏の旅情 II とい ふより は、 寂 llli し 悲痛す る 

心^ を 仔細に しるした もの は、 作品 『新生』 である。 『新生』 のかな り 大き 

な 部分 を 占める 滞歐 のい きさつから、 「足 をと どめよ。」 とい ふ 切ない 呼び 

かけが はじめて みとれる だら う。 渡歐 記の いっさい は、 『新生』 から 延長 

された 禅話の 世界と も 言 ふこと がで きる。 

「あの 囚人の す こそ 自分で 自分の 鞭 を 受けようと す る 岸 本の 心に は 適 はし 

いものであった。 眼に 晃 えない 編 笠。 ^に 見えない 手錠。 そして 眼に 見えた 

い^ 繩。」 "新生 〕 さ うした M 持で 渡歐 した?, i 本の 姿に、 滞歐 三年 ^ の.^"^ 氏 



94 



の 姿が うかが はれる。 しかし、 それ は それと して、 『新生』 から 延長して 揷 

話された 旅行記 も、 また、 ,別に 獨 立した 世界と しての 豊富 さ を 具へ てゐ る。 

この 世界での 島 崎 氏 は、 おそるべき 劇し さで 吸牧 作用 を 行 ひ、 それ は孤獨 

な 海綿 體を思 はせ る。 神戶 港で 怫國 汽船 H ル ネスト: ン モン 號 に乘り こ んだ刹 

那 から、 三年 を經 て歸國 する まで、 小 止み もな く吸牧 作用 をつ づけて ゐる。 

先づ、 航海 記 『海へ』 に 描かれた 海洋の 動きと 寄港した 土地の 印象。 船屮 

人物の とりどりな 描 募。 『怫蘭 西 だより』 では パリの 生活と 藝 と戰亂 を。 

『佛蘭 西紀 行』 では、 それら いっさい を 包含して H トラ ンゼの 姿と その 接觸 

面の ことごとく を。 —— とい ふ 風に、 到る ところから なに かしら を吸牧 して 

ゐる。 かう した 忙しない 營み によって、 島 崎 氏 は、 その 內 部に 苦痛す る もの 

を まぎらさう としたので はない か。 それ ゆ ゑ、 尨大な 渡歐 記が 描いた 印象の 

底に は、 止む ことのない 劇し さで、 吸牧 作用 をつ づける 人の 喘ぎが 聞き とれ 

る。 おそらく、 島 崎 氏が、 最初から これ だけの 渡 歐記を 集積すべく 身 構へ て 

ねたと は考 へられぬ。 內 部の 苦痛に 克 たうと する 刻々 の 努力が、 それに 比例 



9S 



して、 吸牧 作用 を 劇しく して 克明な 印象 記 を 成した の だ。 

しかし、 變 化する 印象と 刻々 の 營みを どれほど 詳細に 書きつ けたと て、 そ 

れ だけで 完全に 自己 忘却し、 一個の 海綿 體 にまで 轉身 する こと は 不可能で あ 

る。 壞^ した 渡欧 記 は 厚い 壁の やうに 周圍を かこんだ ので あるが、 園 まれた 

內部世 は、 そのため いっそうの 孤獨に 苦痛した。 

しかし、 この 旅の さびし さは もともと 私が 覺悟 すると ころの もので あらねば な 

ら たかった。 ひょっとすると 种 戶の港 も 見納め だ。 その 心から 私 は 遠く を 離れ 

て來 たもの だ。 ぁる時は何かき分に適した職^^^ズこの異鄉に:^-っけょぅとしたり、 

ある 時 はいつ そ^ sr:^ の 群に でも 加 はって 戰 地の 方へ 出掛けようと 思 ひ 立ったり 

した こと もあった。 さう いふ 度に 私 を 引き めようと する の は、 國の 方に 殘 して 

® いて 來だ 母親の ない 子^ 等だった。 (『佛 ^:€1 紀行』) 

吸收 作業の 記 錄の壁 をと ほして、 なほ 苦痛の 翁 はこの やうに 射し 入って ね 



る。 所訟、 完全な 诲綿體 に 化身しての 自己 忘却 は 不可能の ことであった。 

歐洲大 V 戦の あわただし さに、 パリに 在った 邦人た ちが 各地へ 向って 避難し 

たと き、 島 崎 氏 は フランス を 去り-かねて、 パリから 七 時間 ほど 距 てた ォ ー ト 

. ヰ H ン ヌ州リ 乇 ォジ ュ 町へ 移住した。 そして、 この 田舍 町に 二 ヶ月 半 ほど 

を 過ごし 再び パリへ 歸 つたので あつたが、 その 折、 ロンドンへ 逃避した 人に 

宛てて 「早く 英吉利 を 引 揚げた まへ。 この 痛切な 巴 里 を 味 ひた まへ。」 (『佛 蘭 

西紀 行, I) と 手紙に 書 添へ た。 この やうな 手紙 は、 島 崎 氏の 旅途 にと つてたん で 

あらう。 ドイツ 軍に 包圍 され、 傷まし く戰 死傷者 を迎 へる パリの 町々。 1 . 

危機の 去った 後の 荒 魔した 空氣。 施與 をう ける 貧民の 姿。 その 中に 立って、 

ひとし ほ 傷心 を搔 きたてる 人の 肖が この 斷片 的た 手紙から 想像され るので あ 

る G これ は、 戰禍の 町の 悲し さと、 旅途 にある 身の 位び しさ を 一 つに 味 はつ 

てゐた 人の 感慨で も あらう。 

渡歐 記のう ち、 その 中心 を 成す 『怫蘭 西紀 行』 は、 H トラ ンゼの 生活 記錄 

として もっとも 舆 味が ある。 「この 稿 を 起さう とした 日から、 私 は 旅で 逢つ 



た 同胞の 旅行者の ことに 成るべく 筆 を 限らう とした。 あの 遠い 空 を 渡る 鳥の 

群の やうに、 互に 手 を 引き合って 異鄉を 旅する 海外旅行 者の 消息 を いくらか 

でも ここに 傅へ る ことが 3^ 來れ ば、 それで 私は滿 足す る。」 (『佛 《 西紀 行』) と 

その 序文に 述べて ゐる やうに、 なるほど エトランゼの 姿を寫 して、 これ は 一 

篇の作 品 を 成して ゐる" それにしても、 集って は 散る エトランゼの 印象より 

も、 輿 味 は、 ^13崎氏をめぐる怫人たちの生活にぁるもののゃぅだ。 

船中で 知り合った 怫人 カステル。 下宿の 主婦 シ モネ H とその 娃 マァガ レツ 

卜。 珈排店 「シ モ ン ヌの {|」 の 人々。 紅涨 2 薇 を 着け 「力 リ イン 夫人」 と 呼 

ばれる.!: 痴 めいた 女。 リ モォジ ュ 町の 人々 と 子供た ち。 青年 ァリ エス。 マテ 

ラン {糸 の 人々。 モ.. テル 女ィ, ヲン ヌ。 —— これらの 人々 との 接觸は 土地の 風俗 

や 人情 をし のばせ、 戰と 同時に、 白痴の 「カロリィ ン 夫人」 が獨 採と 一 マロ は 

れ たりす る あたり 却々 面. JI いものが ある。 また、 マテラン 家の人々 が、 リモ 

ォジ ュ の 方言で 作った ところの、 「女の 百姓に とか、 野の 一 日と か、 それ か 

らまた 冬と かの 唄 はどう かする と 百姓の 子供の 口に も 上る もので、 H ドヮァ 



98 



ル は わ ざ わ ざ 私の ため に そ の 方言 の 唄の 文.? を 普通の 怫蘭西 語 に 書き直し て 

置いて 吳れ てあつた。」 a 佛蘭 西紀 行』」 ことな ども、 同じ やうに、 その 土地 

の 人々 の氣質 をった へ てゐ る" 

モデル 女ィ, ヲンヌ が 幾つかの 詩 を朗讀 し、 やがて ラ マルチンの 詩を讀 みた 

がら 泣き伏す あたり も、 フランス 女の 一面の 氣質を 窺 はせ る。 總 じて、 イブ 

ン ヌに關 しての 話 は 悲しい ものであった。 しかし、 誰に もまして 舆味 あるの 

は 下宿の 主婦 シ モネ H であらう。 次に 見る 部分た ど、 國を 異にした とて、 か 

うした 女の 氣質 など さ . 變っ たもので は あるまい と 思 はせ、 逼迫す る戰 (命の 

氣 配に、 戶惑 ひする 市民の 姿 を 髴 させる。 

「御覽 なさい、 あれ は 何 かの 前 Cf. です。」 

とシ モネ H は 食 堂の 窓の 側に 立 つて、 黃 せ. 時の 氣 のために 紫色に 染 つた 矮 科 

病院の 建 物 を 私に 指し て 見せた。 シ モネ H が is- の マァガ レツ ト も薹: 所の 方から 

来て 一 諸に その 窓から 血の 色の やうな 夕 映 を 眺めた。 



99 



「戰, は .1 けられない かも 知れません よ e」 (i. 佛蘭 西紀 行、 

性 フランスお 行 は 1 新生』 と 不卽不 難 2 關係 にある が、 一お、 獨. N した 世界 

として ここに 揷 入した。 

文舉^爲の 5^!築 

作 "1 『破戒』 から 『夜明け 前』 に 到る 島 崎 氏の 文畢 道程 は、 すでに 三十 餘 

を閱 してね る。 さらに 溯って、 第一 詩 il^ 『若菜 集』 の 上梓から は 四十 年。 

—— それだけの 永 さの 年月に 亙る 歷史を 背景して ゐ るし 

この こと は、: 水 さその ものと して 見ても 驚きで ある。 そして、 尨大な 營み 

の堆 と^む こと を 知らぬ 作 〈ゑの たくましい 骨格が、 この 年月の 流れ を、 楝 

木の やうに 支へ て ゐる樣 は 一 つの 壯大な 建築 を 思 はせ る。 時代の 一時期に 瞬 

問の 美し さ を 見せ、 時 ?:5 の經 過に 跡 方 もた く 擦り減らされて 行った 作品と 作 



I0O 



家 を 側に 見て、 島 崎 氏の 營 みは、 これ だけの 年月に たたみこまれ たので ある。 3 

これ は 人間的 努力の 結晶 度の 高さから いっても、, ふかい 感慨に 人 を さそ ふ。 1 

殊に、 その 年月 をた だに 時間 的經 過と して 囘想 する ばかりで たしに、 作. お 

程の 苦難 並びに 人間的 經驗の ゆたか さとして、 作家の 內部的 世界 をの ぞくた 

らば 感慨 は ひとし ほで ある。 

誠實な 欲求と 態度 にみ づ からの 營み をつ づけ る 作家 は、 つねに たんら かの 

新しい 欲求と、 新しい 對象を その 內 部に 胚胎 させて ゐる。 それが 作家の 肩に 

課せられた 業苦で あると ともに、 人間 生活の 種々 相 をと ほして、 作品 世界に 

生活す る 作家の 避けが たい 營爲 の途 筋で ある。 一 つの 欲求から 次の 欲求へ I 

1 欲求の 發展 によって その 仕事 を 築き、 ^に は 追求す る ものの 具體 化が 作品 

であった とも 言 へよう e 

發展 のた めの かう した 脫皮 は、 作家に とって 痛苦と して 經驗 されて ゐ る。 

しかし、 さう した 痛苦 を囘 避した ところに、 作家 的 世界の ひろがり は考 へら 

れ ぬし、 これ は 形象の 高度 化に ついても 同じ こと を 意味して ゐる。 西欧の 作 



{.i- たちが、 あの やうに IH; 大な 作品 を 築いた の も、 內部 的に 醸成され る 欲求の 

な i5 展 によって ゐる。 

この^ 踐 的な 作" お 的 過程と それの 《 ^體 化の 關係 を、 經 験の 赏 際から 島 崎 氏 

は 次の やうに 言って わる。 「これ は 自分 一 個の蔡 であるか も 知れない が、 私 

の^ 作 上の 經験 によれば、 一 つの 長篇は 他の 長篇を 喚び 起す ものの やうで あ 

る。 私が 『破戒』 を 書いて ゐる うちに 『春』 は旣に 私の 內 部に 育くんで きた- 

それから 『春』 を 書いて ゐる うちに 私 は 『家』 を 書く こと を 思 ひ 立って ゐ た。, 一 

(「 三 つ の 長篇 を锈 いた ころの こと」; 

これ は 著しい 例 かも 知れぬ が, 一 つの 作品が 次の 作品 を 喚ぶ とい ふ 作家 的 

欲求の^ 展に、 ,:^ 崎 氏の 文畢的 態度が 窺 はれる ので ある。 これ は、 自傳 的た 

あるひ は經験 的な 作 ni 系列で あつたが ために、 次 作 を 喚起した とい ふので は 

なく、 すべて 作 〈灰 的 精進の 成 架と してであった。 

この^ 想に つづいて、 「ところが 『{ 糸』 を 害; き 終る にたっても、 第 四の 

長 £1 が 胸 に^んで 来な くた つてし まった。 あのと き は 私 も 淋しい 思 ひ をした- 



I02 



私 は 自分の 三十 代 を 終り かける 頃に 『家』 を脫 稿した ので、 丁度 それが 明治 

年代の 終りに 當 つて ゐた。 あの 後篇 を脫 稿した 翌.々 年 は、 代 も旣に 大正と 改 

まった。 自分の 生活から 言っても、 年齢な. どから 言っても、 私の 上に にある 

1 轉 機が 來てゐ た 頃 かと 思 ふ。」 (「三つの 長 篇を誉 いた ころの こと」) と 言 ふの 

であった。 直接的に 次 作 を 喚ぶ ことが 不可能で あつたと いふ 事 實は、 島 崎 氏 

の 作家 道程に 於け る 一 つの 危機であった。 しかし、 その 危機が やがて 『新生』 

『櫻の 實の 熟する 時』 の 二 作に よって 開かれ、 『家』 の 暗 さに 反撥して 人生 

的な 浪漫 性に 充 ちたこと は、 作家 意欲 の 見事な 貪婪 性 を 思 はせ るの で あ る 。 

およそ、 島 崎 氏の 文舉的 欲求 は 貪婪き はまる ものであった。 加速度 されて 

ゐ るかの やうた こ 〇 欲求から、 『破戒』 『春』 『家』 そして、 『新生』 S 

の實の 熟する 時』 と絕ぇ 間ない 作家 的 實踐が 促され、 築かれた 作品 系列 は 人 

間 的 經驗を さながらに 反映しつつ、 移り 来たった 時代の 感情 をった へたので 

ある。 ここに、 一つの 欲求から 次の 欲求への 貪婪 さが、 いかに 貴重で あるか 

が 示されて ゐる。 そして、 その 作品 系列 を 分類す ると, 灭の やうで ある。 



• 生活の 苦雜 と忍從 …… .:1^ 新生。 芽 生。 

二お 欲の 社會性 …… 農夫 (詩)。 雲。 干 曲 川の スケッチ。 破戒。 嵐。 分配- 

• 浪漫 性と その 愛愁 …… 春。 樓の實 の 熟する 時。 新生,^ 

• 史的 現 に 就て …… 夜明け 前。 

• 幼時へ の囘想 …… 生 ひ 立ちの 記。 

•K 話 的な もの …… を さな ものがたり。 ふるさと。 いろはが るた。 

• 渡欧:.: …: 海 へ 。 怫蘭西 だより。 怫蘭 西紀 行。 

^に §: 冊の 詩集 及び 數 W の 感想 狼 を 併せて、 人間 生活の 明暗 ことごとくが 

包括され た贫婪 さに は 驚くべき ものが ある。 

いづれ にしろ * 作-: 的營 みの 背後に 茫漠 として ひろがって ゐる ra: 十 年の 年 

月 は、 そこに 諸 A, の 社會的 起伏 をた たみこみ、 島 崎 氏の 文舉も 多種多様の 色 

彩 を 窓-ほした。, 從 つて 島 崎 氏の 文舉 道程 は 近代 n 本文 學の 歷史 であり、 それ 

への 3: 想 は、 かぎりない 文^史 的 消長 を ひそめて ねる。 四 冊の 詩集が 新文舉 

を 創造して は 代の 人. < の靑春 をった へ、 t 破戒』 が 散文 精 祌を導 人しつつ 人 



I04 



【0:: 



道 的な 理想 性に 燃えた こと。 『春』 が浪漫 性と 現實 性の 交替 を 過程し、 『家』 

が 寫實的 精神 を 確立した こと。 すべて 多 かれ 少か. れ 時代 的 感情 を 背景し、 そ 

の 作品 系列から、 逆に 四十 年の 社會的 發展の 順序 も 窺 はれる ので ある"" 

四十 年に 亙る、 この 道程 を 支へ たもの はなんで あつたか。 その 人生 的 決意 

の輦 固さ を、 感想 集 『市井に ありて』 が 優美に 語って ゐる。 

蕙。 …… 私に 一 K はせ ると、 幾つかの 力の 中心が 私 なぞの 內 部に は ある。 私の 生 

命 は それ,^ 鐃 りに 鏡って、 かなり 複雜な 生活 を營 むこと も 出来る。 ところが お前 

に は その 中心が 一 つし かない。 お前の 卷 葉が 出る の を 御. IT すべての 力 は 一 つの 

點に 向って 集中され て 行く。 唯一つ、 .11 それが お前の^ 活の樣 式な の だ。 私 は 

一生に 一度の 花 をつ けて 枯れて 行った お前の 親木の 死 を まのあたりに 見て、 つく 

づく ある ことに 思ひ當 つた。 (「草の 言葉」) 



ときに 幾らかの 濁り を 含んだ こと もあった らうが、 それだけに いっそうの 

豐 かさで、 島 崎 氏の 作家 道程 は 河の やうに つづいて ゐる。 河 幅 は 下流へ 赴く 

にしたがって ひろく、 流れの 緩急 はもと より 自然であった。 そして、 その 流 

域 や 堆積 地に 殘 された 小品から、 本流に 激した 作品に 到る まで、 河底 を ひと 

すぢ につらぬ いた もの は、 渝る ことのない 人生 的 決意で ある。 

ここで、 水源地 帶 から 流 下して 河口に 到る までの 精神 史を、 私 は 一つ一つ 

の^ 品に さぐらう と は 思 はぬ。 河た どと いふ 風景に たと へたの も、 島 崎 F 力 

「河」 とい ふ 感想で、 「ある 人に とって は、 河 は 一定の 形と 色と を 有する 水 

の 流れで ある。 ある 人に とって は、 一定した 形 もな く、 一 おした 色 もな く、 



流^して^ .5^ の 無い やうな ものである。」 と、 人生 的 態度 を比喻 したの を眞 

似た に 過ぎぬ。 

『淺草 だより』 に rrite をして 接く ままに 趨 かしめ よに とい ふ斷 章が ある。 

これの 味す ると ころが ai- して 奔放な もの か、 もしくは、 人生の 赏 相に 適應 

しょうと する 諦觀 なのか、 詳しく 私 は 知らぬ。 それにしても、 奔放 性と 諦觀 

のつ よさ は 島 崎 氏 の 作家 道程 を 形成した 主要た も の で あり、 この 斷窣も ま 

た 「河」 に似て 人生 艱難の 相 を 思 はせ る。 さう してみ ると、 流れの 綏.; !.) を 自 

然に ゆだねる 河の すがた は、 島 崎 氏 その 人の 道程 を 象徴す る もので でも あら 

うか。 

a 徳 の 系譜 岡 

島^ 氏の 父正樹 は、 平 m 篤 胤の 舉說に 傾倒し、 その 門下に つらた る 一人と 

して、 明治維新に 際して は 幾 ばくか Q 赏踐的 活動に 參 加した 人で ある。 平 田 u 



派の 人々 が 古代 復歸の 恩 想から 屮世を 否定し、 外来 思想と しての 怫敎、 基督 

敎 たど 峻烈に 排斥した こと は當然 であった が、 父の 思想に 內容 される その 道 

義的觀 念と 直情 性 は、 島 崎 氏の 精神 史を 生成し 支配した 一 つの 要因と して、 - 

脊 骨の 位置に 相當 する ほどの 影響を及ぼした。 そして、 つ ひに、 その 思想の 

圈內 から、 完全に 脫 ける こと は 許されなかった ので ある。 - 

航海 記 『海へ』 に は、 父の 希望と はおよ そ 逆の 途を fl り渡歐 する に 到った 

子の 感慨が、 海上からの 通信の 形式で 一章 を 成して ゐる。 幼時 を 追想しつつ、 

島 崎 氏 は 亡き 父へ 向って 呼びかける。 「私 は あなたから 『三 字 文』 『勸 學篇』 

『孝 經』 『論語』 なぞの 素讀 をう け、 東京へ 遊舉 する 身と たりまして から も 

數寄屋 橋 側の 小學 校に 通 ふかた はら、 あるひ は 姉の 夫から、 あるひ は 其 他の 

人々 から、 『孟 母』 や 『詩 經』 なぞの 素讀 をう けました ご 幼年時代から 少 

年 時代へ かけて 受けた この 素養 は、 おの づ から 島 崎 氏の 精神 史に 一定の 明暗 

を 投げ かけた。 その 端的な あら はれ は 女性に ついて であり、 さらに 歷史 につ 

いて、 文學 古典に ついて, ひろく は 人生 的 態度に ついて, —I とい ふ 風に、 す 



1 1 1 



ベて 幼年時代に 浸透した 素養の 支配 を うけてね る。 後に 到っての 精神的 傾向 

は、 全く 異っ て兑 える やうで あるが、 しかし それ を 吟味しつつ 掘り下げ てみ 

ると、 地 E^- の 下部に 横た はる 石 暦の やうに、 かたらす 幼年時代の 素養に 衝き 

常る。 そして、 それに 人道的 思想が 融合した とき 島 崎 氏の 人生 的 態度 は 定か 

な 形態 を そな へ、 著しく 視野 は瘸 大して、 人間的 營 みの 表 裘 にまで 道義 性の 

あみ 

網 を ひろげた。 虚偽に 對 する 憎 惡と 叛逆の 精神が これで あり、 人生 的 欲求の 

きびしさ も 遠く ここに 胚胎して ゐる G 

『生 ひ 立ちの 記』 は 言 ふまで もな く、 『新生』 上卷に 書かれた 父へ の囘想 は、 

それだけで 島 崎 氏に 於け る 「道 德の 系譜 岡」 を 思 はせ る。 「私 は 父の 書いた 

n 二字 經』 を 習 ひ、 村の 舉 校へ 通 ふやう にたって から は、 『大 學』 や 『論語』 

の 素讀を 父から 受けました。」 とか、 「何ぞ とい ふと 父が 私達に 話して 聞か 

せる こと は、 人倫 五常の 道でした。」 とか、 あるひ は 東京へ 遊畢 する 九 歳の 

子に、 「行 ひ は 必す篤 敬」 云々。」 とした 短^ を 餞別と して 與 へた (一一-生 ひ 立 

ちの SS」D こと は、 すべて、 その 道德の 系譜 阖を思 はせ る ものである C 



I 12 



幼年 少年 時代に 於け る この 素養! そして 道德の 系譜 園が その後 どの や 

うに 反映し たかは、 例へば 『新生』 の戀愛 事件に. 徴 しても 明らかに 知られる C 

し 力し それに 關聯 して もっとも 輿 味 を そそる の は、 一定の 道德 說に對 して, 

島 崎 氏が どの やうな 態度 をと つた かとい ふこと であらう。 この ことに 閼 して、 

. ^の やうに 言って ゐる。 

私 は、 S い 道德に 反抗す る ことば かい, を 知って、 新しい 逍德の 曙光 さへ も 認め 

る ことの 出夾 なかった やうな、 不幸な 時代に- 1^ 長した。 私:: 周 ffl は、 眞に 隣人 を 

愛して! 0^ たこん-もなくて、 ただ 抽:; § 的に 說 くやうな 恐ろしい B で滿 たされ 

て 居た。 斯うした 聲 ほど 私に 反感 を 起させる ものはなかった。 私 は 他の 寧. 友と:^ 

じ やうに、 反抗に 繼 ぐに 反抗 を 以てした。 心 も?^ く 感じ: かった i 分の 靑年 時代 

を斯の 反抗のう ちに 過した こと は、 長く 私の 生涯に 影響せ ずに は 置かなかった と 

思 ふ。 (「トルストイの 『モウ パッ サン 論 J を讀 む」) 



113 



これ は靑 年期 :! 『樓 の赏の 熟する 時』 時代への 囘想 であるが、 はやく も 

人生に 於け る 虚偽と 眞實 について 思 ひ を ひそめ、 虚偽への 挑戰 として、 反抗 

しなければ ならたかった 人の 最初の 苦 惱が囘 想され る。 この 言葉の 底 部に は 一 

幼年時代 にうけた 敎 養の、 直ぐた る 精神が 座 を 占めて ゐる。 

この 囘 想から も 知られる やうに、 島 崎 氏に 於け る 道德の 系譜 圖は 虚偽に 對 

する 挑戰 として 形づくられて ゐた。 從 つて、 それ は賁踐 的で あり、 地上 的 

であらう とする。 四十 年に 亙る 作 .:}^ 道程 を 一貫して、 人生 的 實を ひとす ぢ 

に 追求し つづけた 精神力 も、 すべて その 寅 踐 性から 培 はれて ゐる" それ ゆ ゑ 

「ただ 抽象的に 唱 へられる 道德 ほどこの 世に 恐ろしい もの はたい。 さう いふ 

徳に 何の 生命 もたい。」 (「トルストイ の/モウ パッ サン 論』 を讀 む」) とし、 みづ 

から は、 けっして、 人ル r- 的 ifi^ を 追求す るの 態度 を 道德說 として 他に 示す こ 

と をせ ぬ。 一一;; n はば、 £1 義的觀 念の 自律 性が、 島 崎 氏の 人生 的 態度の 中心 をな 

してね るの だ。 おそらく、 人生の 虚偽に 挑戰 しつつ する 人生 的 眞實の 追求 は 

一つの^ 想 的 精神に 他たら ぬが、 この 過程に 於け る 最大の 支柱 は、 いつも 道 



14 



義的觀 念の 自律 性であった。 島 崎 氏の 理想的 精神が 一 貫して 人生に 定着し、 广.^ 

いささか も 飛躍、 遊離す る ことなく 現實 世界に 粘着し 得た の は、 ひとへ に そ 

の 自律 性に よって ゐる。 いかなると きも 地上に 住み、 地上 的な もの を 期待す 

ると いふ 態度 は、 たしかに 求道者の おもかげ を 思 はせ るので あって、 道德の 

系譜 圖は 飛躍の 技術 を 許さぬ。 危險 は、 飛躍の 刹那に ある。 そのこと を、 島 

崎 氏 は 自戒して ゐた。 

ここに 忍從の 精神が ある。 求道者に 似た はるかなる 足取りが ある。 

「それほど 私達 は 無抵抗 だ。 けれども 私達 は 人間の やうに 焦らない。 人間 

の 生涯 は 何とい ふ 驚くべき 爭鬪 の連鑌 だら う。 彼等が 焦る の は、 さう して 斯 

の 世 を 急がう とする の だら う。 それに 比べる と • 私達 はもつ と 長い 生命の た 

めに 支度 をせ ねばならない。」 (「樹木の 言葉」) これ は、 理想 を 追求す るに なん 

ら現實 を 離れす、 あへ て 苦 惱を囘 避す る ことなく、 苦 惱の經 驗を內 的 世界に 

蓄積し、 現實の 動きに 適應 しつつ、 やがて は 自己の 內 部に 新しい 現赏を 蓄積 

しょうと する 決意で ある- 



求 近 的な 忍從 以外に、 島 崎 氏 は なんらの 新しい 世界 を 期待せ ぬ。 かう した 

未来と 外部への 依^ を 否した 自意識が、 その 刻々 の現赏 的な 營 みに 地上 的 

な 成 を 約束した。 希求と 理想 を、 觀念 としてで はなく、 現赏 的た 營 みの 成 

mi- として 追求す ると ころに、 リアリスト にして、 同時に 求道 的な 浪漫 性を內 

部に 點 する 特徴 的た 作家 的 態度が あつたの だ。 現實 性と 理想 性と、 背反す る 

二つの ものの 合一 は、 だから 矛盾な く 行 はれた。 島 崎 氏の 作品が 觀念性 を 否 

おし、 同時に その 人生 的 態度が 一貫して きたと いふの は、 ことごとく 求道 的 

な 忍 從の營 みに. E 来して ゐる。 「人の 行爲 は 纏て 內部 生命 の 光景 で あ る 。,一 

(「外-ぬと 內 面」〕 とい ふ斷 は、 贲踐 的た、 地上 的な 「道 德の 系譜 園」 の自覺 

された 31- 約 的 表現に 他なら ぬ。 

現 t:- 性と 理想 性の 八: : 一 は、 作 〔氷 的 態度と して もっとも 望ましい 境地で あら 

うが、 ここに到る過程はゃはり現赏の苦難に身を^^ねし、 その 內 部に 荒鐵を IS 

るの 覺 t" が必. #_ス とされる だら う。 理想が 人間 を捉へ るの か、 人間が 理想 を捉 

へる のか、 その 相^ 關係を 『夜明け 前』 あたりに 見る 人 は、 島 崎 氏の 決意の 



背後に ひろがる、 道德の 系譜 圖を 同じ やうに 見る だら う。 

基督 敎 時代 

十六 歳の 島 崎 氏が、 基督 敎 主義の 明治 舉院 に入學 したの は、 一八 八 七 年 

(明治 二十 年〕 のこと であった" 『櫻の 實の 熟する 時』 は、 この 時代から、 や 

がて 人 を 愛する ことの 苦し さに 敎會 の籍 をし りぞくまでの 經緯 I 「基督 敎 

時代」 をつ まびら かにして ゐる C 

青年期に 入った 島 崎 氏に とって、 そのと き、 背敎と 愛と いづれ が 身を資 め 

たので あらう か。 :.i これ は、 すでに 自意識 をめ ぐっての 事柄に 他なら ぬが、 

それがし だいに 意識され ると ともに、 愛 を もって キリ ストに 反抗す る こと を 

避けよう と はした かった ので ある。 

しかし、 その 當 時には まだ 神 は 認識され てゐ た。 「お前 は祌を 信じたい か、 

とまた ある 人に 聞かれたら 自分 は 幼稚ながら も 神 を 求めて 居る ものの 一 人 だ 



と 答へ たかった。」 :- 熱する 時』) と。 そして、 信仰が この やうに 素樣 

な 形式 をと つたの は、 その. 2 容が 神への 愛と いふより は、 明治 年代の 文化 を 

流れた 想 的 精祌を 主として、 キリ ストに 接觸 した もの だからで ある。 

常時に 於け る 基 5^ 敎の位 iid は その 信仰の 形式に はなく、 そこに 含まれる 理 

想 主 iSJ 的倾 向に よって 支 へられ、 それだけに 文化的 發展に 多く をつ くした の 

であった。 封 $ ^的 遣 產に對 する 反抗と、 その 人道的 精神 は靑 年た ちの 感情に 

ひろく 親和し、 新 文化の^ 造に 於け る In! 大な 一 潮流が ここにあった。 愛、 

フ ェ ミ 一一 ズム、 人 的 愛、 全人 類 的 理想 は、 時代 的な ひびき をった へて、 靑 

年たちの浪?!!^的感情に親和したのでぁる。 『櫻の 實の 熟する 時』 に 描かれた 

明治 舉院で の 生活と 共し 督教 へ の 信仰 過程 は、 少年 期から 靑 年期 へ 移って 行つ 

た 時期 r い、 心の 動き そのままに 變 化して ゐる。 かって は洗禮 をう ける ほふ 沒 

我 的であった:!;^ 仰 も、 やがて 自^- 識の ふかまりから、 沒我 的な ものへの 懷疑 

を 呼んだ。 それ ゆ ゑ、 捨吉は その 信仰に 安んじられぬ ほど、 內 部から あふれ 

るリ忖^^のちからに惱んでゐる。 一. 半分 は 人で、 そして 半分 は 神で ある やうな 



lis 



斯の 心像に、 捨吉 は舊約 的な 人物に 想像 せられる や. うた 風. 祝 を陚與 して ゐたピ 9 

a- 櫻の 實の 熟する 時 ヒと、 その 素樸な 信仰 形式 は 捨吉が 描く 神の^た に 象徵さ I 

れ、 同時に、 それが 少年 期の 憧懷 であり、 沒 我に 他なら ぬ こと を自覺 したの 

であった。 

この やうな 自覺 は、 すでに、 神への 信賴 と服從 を結對 にして ゐる ものの そ 

れ ではない。 基督 敎 への 接近 は、 ひっき やう 明治 學院 へ入學 したため 外部 か 

ら 持ちき たされた ほどの ものであった らう。 從 つて、 背敎の 形式 も宗敎 的で 

あるよりも 意識的で あり、 そこに 若さが 賭けられて ゐる。 「隠れた ところ を 

も 見る とい ふ斯の 神の 前に 捨吉は 跪いた C お ご そかた H ホ バの祌 のか はりに, 

つむ 

自分の 生徒の 姿が 瞑った 眼前に あら はれて 来た。 若々 しい 血潮の さして 來て 

ゐる その 頰。 かがやいた その 眸。 白い、 處 女らしい その 手。」 a. 樓の實 の 熟す 

の 時』) 

その他 『揚 の實の 熟する 時』 に は、 宗敎と 信仰に 關 しての 事柄が 幾 場面 か 

書かれて ゐ るが、 それ は いづれ も 信仰と 靑 春の 葛藤に つきて をり、 島 崎 氏の 



的 傾向 は 神の 周 園を囘 るに 過ぎたかった。 所詮、 「基督 敎 時代」 は 時代 

ふの 浪漫的 色彩に 他なら ぬのであった。 

また、 この 作品に 描かれた 宗敎と 信仰の 時代 的 性格 は、 轉換 期に 於け る 思 

潮の 變貌 と^ 亂を 反映した も ので もあった。 平田鐵 胤ら の 古代つ 仅歸の 運動が 

やがて 一 收 地に ii れ たこと を はじめ、 幕末から 明治 年代へ かけての 思想 史が 

いかに あわたた しい 變遷 il を 描い たかは、 國學 者の 排斥した 基赞敎 が、 後に 

は 文化 運動の 屮 心に 立つ に 到った ことから も 窺 はれる。 その 一時期 は、 キリ 

スト 敎文 化史 とさへ 呼ぶ に 似 ひする。 從 つて、 時代の 子と しての 島 崎 氏 も 方 

向を變 へ、 先づ 父の 希? 5}Ji に叛 いて 英語 を 修め、 基督教 主義の 明治 學院 へ入舉 

したの だ r これ は、 父の 時代に 對 する、 子の時 代の 最初の 叛逆で ある。 

時代思潮の 影響 は 基督 敎 への 接觸 ばかりで たしに、 一度 は 政治的 方面へ も 

心 ひかれた の, である。 「私 は 野心 深い 少年であって、 殊に 其 頃は單 純な 政治 

思想が 靑 年の 間に も^んであった とい ふ 時代であった から、 自然 と 政治 {| に 

らうと いふきへ を 抱いて ゐ た。」 C 「明治, ゅ院 の^ 窓」) ので あり、 「あの 爵位 



I20 



の 高い、 美しい 未亡人に 知られて、 一躍 政治の 舞臺に 上った 貧しい ヂス レイ 

リの 生涯 なぞ は 捨吉の {4! 想 を 刺戟した ご 「癭 の-貴の 熟する 時 J0 ので ある。 宗 

敎 についての 關心 ゃ文學 についての 情熱 は、 おそらく、 この 後に 萌ぇ たもの 

であらう" そして、 この 基督 敎 時代に 於ての み、 島 崎 氏 は 地上 的で ない もの 

を 許容し、 觀 念の 描く 美し さに 醉 ふこと がで きた。 しかし、 これと て 永い 吐せ 

間で はない。 自我の 自覺に 到る までの、 ii- く 短い 時期に 過ぎなかった。 

「私共の 攀 校に は、 外國の 宣教師が 大勢 居た ので、 自然と 宗敎の を聽く 

やうな 機會が 多かった。 その 爲に 私な ども、 耶蘇 敎の世 .4 觀、 宇宙観な どに 

大分 苦しめられた。 それから 嚴肅な 淸敎徒 的の 宗敎 思想と、 奔放 不覊 な藝術 

思想と が、 幼稚な 頭の 中に 鬪 つて 居た 時代 もあった。」 一. 明治 學院 の學 窓」) す 

でに、 これ は背敎 への 萠芽で ある。 それと ともに、 島 崎 氏の 精 祌史に 於け る 

特異な 一-良が、 ここに ある こと も 見落せぬ だら う。 

『櫻の 實の 熟する 時』 に 描かれた 時期 を もって、 島 崎 氏の 「基督 敎 時代」 

は 終った と 見られる が、 その 精神の 殘映 はさら に 永く つづいて ゐる。 基督 敎 



121 



122 



的 文化 運動 は、 愛と 理想と 人道 性の 精神から しだいに 創造の 度を昂 めて ゐた 

のであって、 「明治の 靑 年で、 新 島、 內村、 植村 諸氏の 言說に 動かされたい 

ものの なかった やうな 一 時代の あった こと を 思へば、 又 透 谷、 得 牛、 梁 川 諸 

氏の 書き 殘し たもので 何等かの 形で 宗敎 に觸れ ない ものの ない こと を 思へば、 

宗敎の 問题と 理想と は 早く も 時代の 意識に 上って 来たと 一 一 目へ よう。, 一 q 四つの 

問題」」 赞敎 文化史の 一 側面が ここに ある。 

そして、 この やうに、 島 崎 氏 は宗敎 と文畢 との 交流、 並びに 理想の 時代 的 

型 態に あら はれた 浪漫性 を 追想して ゐる。 おの づ から、 基督 敎が 明治 文化 及 

び、 その 精祌^ につく した 役割と 成 3^ が囘 想され る だら う。 

1=^ 哲敎的 文化 イデ ォ 1 グ たちの 理想と 人道の ための 活動 は、 一 八 九 四、 

五年戰 e- の 際に 典型され た。 『萬 朝 報』 に據る 黑岩淚 _^、 內村鑑 三ら のクリ 

ス チャンと 幸 散 秋水、 堺 利彥ら の社會 主義者が 協力して、 人道的 立場から 時 

流に 抗し たこと など、 その 愛と 现 想の 性質 を 知る に 足る 事柄で ある。 このと 

き、 島 ゆ 氏 は 小 諸に 在って 人道的 愛 を そそいだ 『破戒』 の 制作に 從 つて ゐた。 



I2S 



この 作品が、 人道的 精神 を 盛る にと どまった とい ふこと は、 時代の 相貌の け 

はし さに 比して 消極的で あつたと 言へ るか も 知れぬ が、 その 精神的 傾向と し 

て は、 黑岩、 內村ニ 氏ら に 符節す る。 そして、 この 國の 社會 主義 運動が 基督 

敎 的社會 主義に よって 發展の 端緖を ひらき、 無產 階? 故 的文學 が、 『破戒』 の 

人道 性と 社會 性に 親近す ると ころから 出發 した こと を 見る とき、 島 崎 氏の 精 

神史に 於け る 「基督 敎 時代」 も、 歷史の 流れに 美しく 測定され るので ある。 

生の 否定と 肯定 

背敎 による 地上 的な ものへの 愛 は、 『春』 に 到って 現實 的な 生の 肯定と な 

つた。 愛と 放浪の 傷心に 死 を 決意した 岸 本が、 その 瞬間、 「今 ここで 死んで 

も ツマらない。」 とい ふ、 生の 肯定へ の轉 化が それで ある。 

= 櫻の 實の 熟する 時』 から 『春』 へ 向って、 島 崎 氏の 青春と その 浪漫性 は 

刻々 に 昂揚され てきて ゐる。 『春』 に 描かれた 島 崎 氏 は、 どちら かと 言へば 



靑^ の歡 びよりも 悲哀 を ふかく 味 はった のか も 知れぬ が、 しかし 全卷に 流れ 

る 浪没的 感情 を 否定す る こと はでき ぬ。 そして 愛と 放浪の 傷心に 死 を 決した 

刹那 は、 おそらく 浪漫的 感情が 最高 度に 奔騰し、 靑 春の 頂點に 達した ときで 

あらう。 

盛り あがった 波 は 崩れねば たらぬ。 とほく 『櫻の 實の 熟する 時』 からさ ざ 

なみ 立って ゐた 浪漫性 は、 『春』 に 入って^ 速に In 叩 まり、 死の 編 意- i. 生の 

から いちどきに 崩れた。 それ ゆ ゑ、 ここに 到る 內部的 世界の 春の 暴 を 描 

いた 部分 は、 はなはだ 音樂 的で ある。 島 崎 氏の 作品のう ち、 これらの 部分 ほ 

ど茜樂 的な 節奏 を 印象す る 作品 は 他に なく、 浪漫的 感情の 織る 梭樣 そのもの 

が、 fiH 樂 的た i^Jg を 隈なく 配置して ゐ るので あった。 . 

そもそも、 崎 氏 は 人生 を 否定的に 兑 ようとした 人で はなく、 生の 欲求 を 

はげしく し、 もの ことによって 苦!? した 人で ある。 從 つて 『春』 の 死の 決意 

も、 逆轉 しての 飜 まも、 これ を 生の 否定から 肯定への 悲壯な 瞬間であった と 

ばかり は 言へ ぬ。 死と 生の 交替 も、 若さが まと ふ 浪漫的 感情の 意匠 を 思 はせ 



124 



るので はない か。 生の 肯定に、 さらに 新しい 肯定 を 積み かさねた ものと 言つ ^ 

て もよ い。 そして、 愛の 傷心 はもつ とも 人間的な. 感情で あり、 『春』 の愛愁 

と 苦 惱と歡 喜 は、 それの 交錯す る混亂 から 反って 生きよう とする 欲求の 過剩 

を 語って ゐる。 さう であって みれば、 死の 決意から 生の 肯定への 逆轉 は浪漫 

的な 生命 感に 代って、 現實 的な 生の 肯定が、 島 崎 氏の 胸を充 たした ことに 他 

ならぬ。 それ は 人間的 成長の、 一 つの はげしい 脫 皮から 生す る 苦 憎 であった。 

北 村 透 谷 は • 的確に この 脫皮 過程 を 理解し、 現實 的な 生の 肯定と いふ、 一 

つの 轉機 を經 たものに ついての 人生 的 態度 を 語って ゐる。 「なんでも、 一度 

t 双って 出た ところ を復た 破って 出 るんだ ね。 畢竟、 破り 破り. して 進んで 行く 

ん だね。 J (『春 JP とい ふ、 靑 木の 言葉が それで ある。 この 言葉 は 人間的 成長の 

現實 的な 過程 を とらへ て をり、 島 崎 氏の 青春の 浪漫 性が、 しだいに 香 氣を乏 

しくして 行く さま を 示して ゐる。 『春』 の 後半が 寂 藝 感に つつまれて ゐ るの 

は、 浪漫的 感情の 香氣 が、 現實 世界に 吸牧 される 過程の 悲哀に よるの だ。 そ 

れは 人間的 成長の 現赏 性と 青春の 浪漫 性の 關係を まざ まざ 描き、 ここに 寂 



感 はしみ 入る やう だ。 

生の 否定から 背お への 轉化 は、 1 つに は 危機の 突破で あり、 一つに は 人間 

;: 念の 更生- —— 新しい 借 念の 誕生で ある。 後年、 島 崎 氏 は 「すべての もの は 

過ぎ去りつつ ある。 その 中に あって 多少な りと もま こと を殘す もの こそ 眞に 

過ぎ去る もの と 言 ふべき である。」 a 誠 實」) と いふ 斷章を 書いて ゐ るが、 この 

靑 赤の 轉 機に も 一 つの 誠 赏が殘 り、 新しい 一 つの 誠實が 生誕した。 思 ふに、 

人^: i;^ 念の 更生と いふ やうた こと は 容易な もので は あるまい。 島 崎 氏の 場合 

にしても、 これ は 生と 死の 危險を 賭け、 青春 を壓 殺して はじめて 行 はれた の 

である。 靑_ ^を 權牲 にす るの 棄は、 二十 二 歳の 青年に とって 並々 ならぬ 苦痛 

であった の だ。 このと き 以後、 仙臺へ 赴いて 歌った 『若菜 集』 に 到る まで、 

島 崎 氏. の靑恭 はと ほく 失 はれて ゐた。 そして、 信念の 更生 を 可能に した もの 

は、 その 誠實 さに 他なら なかった。 

更生した;;^ 念に よる 生の 肯定 は、 從 つてたん とも 言 へ ぬ寂雾 にさら された- 

ここに、 新しい 信念の 歡 12!:: は 期待され る ことたく、 むしろ 悲劇的な もの を IP 



126 



みあて たの. である。 私 は、 この 驟 間の 內部 風景 を、 後年 『新生』 に 描かれた 

悲痛に 對 比して 考 へる。 

「自分 は 李 白が 好きで、 あの 狂人 じみた 醉漢 の聲は 他の 東洋の 詩人と は 遠 

ふやう に 自分に 思へ る。 李 白の 悲辛は 托する ところの ない ものである。 今夜 

も 三 冊の 古本 を 開けて、 その 中に ある 男性的な-溜息と、 焚く が 如き 愤怒 とに 

接した。」 (「淺 草に て」〕 とい ふ 感想 も あるが、 信念 更生の 生の 肯定のと き、 島 

崎 氏 は その 寂 li と 悲哀 をなん に 托す 術 も 知らなかった。 生の 肯定 は、 苦惱の 

現 實に耐 へる 以外に 許されぬ こと を自覺 した 人が、 後年、 『春』 『櫻の 實の 

熟する 時』 に、 その 時期 を囘 想して 描いた こと は當然 であらう。 その 意味 か 

ら でも あらう か、 私 は これらの 作品に、 ひそかな 寂寥の 氣配を 感じる。 

苦 檔 の現實 には耐 へねば ならぬ とする 自覺 と信條 は、 島 崎 氏の 人生 的 態度 

に忍從 のつ よさ を もたらした。 死の 決意の 瞬間に、 島 崎 氏が そこまで 追 ひつ 

めた 人生に 復 響しょう としたならば、 おそらく 事情 はよ ほど 異 つた 結果と な 

つたで あらう。 ないし は、 靑春を 奪って 寂雾 にさら した 人生に 復 響したなら 



に 7 



ば、 これ も 全く 異る 方向へ み 一つび いた こと だら う。 しかし、 ここに は,: 仅 f<T 

する 人 もされる 人 も をらぬ。 人生 ゥぶ S 定は 苦惜と 寂寥 を。 苦惱と 寂. S は忍從 

と誠^^を。 さらに 忍從 と誠赏 は 一 つの 人間 信念と 人生 的 決意 を』 ;-: この や 

うた 順" 1: で、 生の 否定と 肯定 を經驗 しつつ、 信念 更生 は 一先 づ 完了した ので 

ある。 

すると、 -种び 島 崎 氏に まつ はる 「道德 の 系譜 阖」 が 思 ひだされ るの だ。 そ 

れは、 すでに:; 殁 質の 宿命な ので あらう か。 「父の 愛霹は 矢 張 岸 本と 同じ やう 

に 靑ハ牛 時代に 發 したと いふ ことで ある。 岸 本が 同年 配の 他の 靑 年の 知らない 

やうな 心の 戰ひを ねたの も その 欝の結 であった が、 しかし 彼 は 狂 じ 

みたと いふ 程度に 踏み こたへ た。」 (『新生』) その やうに、 島 崎 氏の 氣質は 苦 

惱 すべく \ぉ 命づ けられて ゐ たので も あらう か。 そして、 父の 思想と 信念に 哺 

育され た 自律 的な;;:^ 念 は、 つまり 非常に 地上 的な、 實踐 的な 自我の 歌で あつ 

た。 もしくは、 生の 悲劇の^で あった。 



自意識の 追究 - 

精神の 破滅 を 招来す るかと 思 はれる ほど、 執拗に、 自意識 を 追究した 點、 

『新生』 は、 島 崎 氏の 作品と して 異色 ある ものと いふ ことができる。 他の 作品 

が、 お ほむね 生活 的な ところに 主題して ゐ るのに 比し、 この 作品 だけ は、 內 

部へ 內部 へと 沈潜して、 他 を 顧る 餘裕を 持たぬ。 『新生』 及び 渡歐記 『海へ』 

は、 その 內部 的擾亂 の記錄 として、 そこに しるされた 自意識の 追究に よる 痛 

苦 は、 塞々 とした 感慨へ 人 を さそ ふ。 

「いかなる 苦痛 も、 それが 自己の もので あれば 尊い やうな 氣 がする。 すく 

なく も 人 は 他人の 歡樂 にも 勝って 自己の 苦痛 を 誇り. としたい ものである。 し 

かし 私 は 深夜 獨り 床上に 坐して 苦痛 を 苦痛と 感 する 時、 それが 痲痺して 自ら 

知らざる 狀 態に あるより は 一 曆 多く 生く る 時なる を感 する 度に、 斯 くも 果て 

しなく 人間の 苦痛が 續く かとい ふこと を 思 はすに 居られない。」 (『海へ』) いか 



129 



に 島 t 氏が おのれへ の 鞭 を きびしく し、 み, つから 4- みがた く 追究す る 精神的 

苦痛に、 一種の 畏怖 さへ 感じて ゐ たこと か 知られる だら う。 畏怖 は、 破滅 を 

豫 想しての 感情で ある。 それほど 執 抱に、 自意識 は 追究され た。 

11, 新生』 はこの やうに して 部 的 世界 を 描いて ゐる ために、 種々 な 角度 か 

ら、 秘々 た CI- 方ので きる 作品と 言へ よう。 芥川龍之介 氏 はこれ を 虚偽に 充ち 

た 作品で あるときめ つけたが、 それ は r 識悔」 とい ふこと に重點 をお いて 見 

たための 一 つの 錯覺 である。 その やうた 錯覺を あたへ る 部分 も 結 無と は 言へ 

ぬが、 『新生』 が 人 を 打つ の は、 自意識 を 追究す る ことの 執坳 さと、 その 精 

神の 寂 I おに 耐 へる 人の 姿に あるの だ。 ないし は、 人間 信念の はかな さ を 思 は 

せる 點 にある。 それ 以外に、 この 作品から 重要な もの はおよ そ讀 みとれぬ。 

もちろん 副次的な 事柄 は數 多い ので あるが、 魅力す る ものの 中心 は、 寂藝と 

苦痛に 耐 へる 神の 肖に ある。 

^^3崎氏の人格の溫厚さは、 けっして 常軌 を 逸する こと をし なかった し、 ま 

た、 その やうな こと をお のれに 許さたかった。 それが 『新生』 の 岸 本と 節 子 い- 



との 關 係に 於て 常識 性 を 突破した。 しかし、 この やうな 事件 は 島 崎 氏の 常識 

線 を 破った だけの ことで、 事件 そのものの 性質 は、 き はめて 常識的で あると 

首って よい。 ただ、 その 常識 線 をみ づ から 破る やうな 力が、 不可避と して 叛 

逆した こと は 注目され る。 そして、 『新生』 の苦馏 ! 自意識 追究の 端緒が 

そこに あり、 そのこと によって、 島 崎 氏の 精祌史 が、 類 ひない 動搖の 一 時期 

を 刻んだ ものである こと も 見落せ ぬので ある。 

常識 性の 破綻 は、 島 崎 氏に とって、 同時に その 信念の 破綻 を 意味す る もの 

であった。 そこから、 自虐して やまぬ 苦痛に おのれ を沒 する ほどの きびしさ 

で 一 苦痛の 懺悔」 が內部 へ 內部 へ とそ そがれた。 破綻した 常識 性が 苒び縫 ひ 

合せられ るか 否か は、 もとより 問 ふところでない e おのれへの 不可避の 叛逆 

は、 それゆえ 不可避の 苦痛と してお そって ゐる。 

一 假 りに 人生の 審判が あって、 自分 も 亦 一 被告と して 立た せられる とい ふ 

場合に 當り、 如何なる 心理 を 盾と して 自己の 內 部に 起って 來 たこと を 言 ひ盡 

す ことが 出来ようかと。 何物 を犧牲 にしても 生きなければ ならなかった やう 



131 



た 一生の 危機に 際會 した も ひが、 どうして 明白な、 條理の 立った、 矛盾の 無 

い、 ^^に 叶った ことが 言. へよう。」 Of 新生』) これほど 激情 的な 言葉 は、 か 

つて CJ- られ なかった ところ だ。 

この 賈 紫の 斷片 からさへ、 內 部の 暴 は 人の 思 ひに ひびいて くる。 これ こそ、 

1 つの^ 味に 於ての 『新生』 ではない か。 もとより、 作者の 意圖 する 新生 は 

全然^の もので、 危機の 突破と 信念 更生 を 指して 「新生」 と 呼んだ ので あら 

うが、 かって 經驗 した ことのない 苦難の 世界に あがいた こと も、 それ 以前の 

生活に 比 絞す るなら ば、 新しい 經 験と いふ 意味から して 新生と 言へ るの だ。 

自己の 內 部へ 底 ふかく 沈潜し 激情の あらし を搔き 立て、 鰻の やうに 自意識に 

嚼 みついた 精神の 動搖 は、 作品 『新生』 以外に は 見當ら ぬ。 その 意味から、 

ひら 

この 瞬 の 苦痛 は、 新しい 世界に 於け る 意思の 生活 を展 いた ものと 言へ るの 

であって、 これ やうな 生き方 はま さに 一 つの 「新生, 一で ある。 

島 崎 氏の 精神 はつねに 生の 肯定 を 欲求し、 また その 精神力 は 幾度び かの 危 

機 を ささへ てきた」 『泰』 の 岸 本が 死 を 決意した とき、 それ を ひき 房して 生 いつ 



の 肯定に 到ら しめたの も その 精神力であった。 それが 『新生』 に 於て は、 生 

活の支 へ として のちから を危 ふく 喪失しょう としたの であって、 「思 ひもよ 

ら ない 思想が あたかも 閃光の やうに 岸 本の 頭 腦の內 部 を 通り過ぎた。 彼 は 我 

と 我 身 を 殺す ことによって、 犯した 罪 を 謝し、 後事 を 節 子の 兩 親に でも 托さ 

うかと 考 へる やうに たった。」 (『新生」 D とい ふやう に、 衝動的な 『春』 の 死の 

決意と は 遠って、 精神力の 混亂 とい ふ、 必然的な 危險性 を もって 迫って きた 

ので ある。 『春』 の 危機 を 情緒 的であった とすれば、 『新生』 の それ は 意 E わ 

的で ある」 それ ゆ ゑ、 ここに はも はや 昔樂 的な ものの 節奏 は 感じられぬ。 

破綻の 淵にまで 追 ひ つめられた 精神と、 生の 肯定に 生きよう とする 精神力 

との 相剋、 あるひ は 生きる 意力の 分裂の 苦痛が、 『新生』 の 隅々 まで を充た 

して ゐる。 『新生』 を 虚偽に 充 ちた 作品と 見る ことの 錯覺 なの は 言 ふまで も 

なまぬる 

ないし、 島 崎 氏と て、 一種の 形式的な 懺悔 を 作品 化す やうな 生溫さ を、 おの 

れに 許す こと はでき なかつ-た であらう。 『新生』 に 懺悔 を 見る とするならば、 

それ はなに より、 岸 本の 苦痛のう ちに 見いだ されねば ならぬ。 絶望的な 苦痛 



133 



と、 e:^ する はげし さの is 意識の 追究と いふ 暗擔 たる 生き方の うちに、 懺悔 

の 精神 は 冷たく 燃えて ゐる。 そして、 その ゆ ゑに 苦痛 は 苦痛と しての 感銘 を 

あたへ る。 

作者 は ひとへ に 新生の 彼岸 をめ ざして ゐ るが、 それだけに 『新生』 は 人間 

信念の はかな さ を 思 はせ る 作品で ある。 フランスへ の 逃避行に 「つくづく 彼 

は 自分の 精祌の 零落 を 感じた。」 ので あり、 一知らない 人の 中へ 行かう、 と 岸 

本 は 眩いた。」 (『新生 .「-) ので ある。 これら は、 いづれ も 信念の 動搖の はげし さ 

と、 生きる ことの 確信が いかに^い もので あるか tWE 心 はせ る。 

四十 歲 はすで に 不惑と 呼ばれる。 島 崎 氏 は そのと き 四十 1 ー歲 であった. レ 

『i^』 の 生の 肯定 この 方、 ただしく は 「や』 德の 系譜 圇」 に 列なる 一 人と して、 

島 崎 氏 は 一 筋に、 自^^する道教的觀念の誠赏さにその信念をきたへてきた。 

そして 四十 年れ 人 問 的經驗 は、 けっして m 純で はたい。 それが 晚 くも 破 琮 し 

たと は、 島 崎 氏 その 人 こそ、 人 問 信念の はかた さ を 意外とし ただら う。 『春』 

に 於ての: ii." 念 更生に 對 比して、 『新生』 の沮亂 ははる かに 複雜 である。 およ 1: 



そ、 新しい 信念に 到る こと は、 難から うと 恩 はれる ほどの 混亂と 苦痛で ある。 

『春』 にあって は、 生の 否定 を 肯定に 代 へれば 足りた。 『新生』 の 信念の 破綻 

は、 たに を もって、 それに 代へ ねばなら なかった ので あらう か。 

『新生』 の 彼岸 

「愛憎の 念 を壯ん にしたい。 愛する こと も 足りなかった。 憎む こと も 足り 

なかった" 頑 執し 盲排 する こと は 湧き上って 來る やうた 壯んな 愛憎の 念から 

ではない。 あまり 物事に 淡泊で は、 生活の 豊富に 成り 得よう が 無い。」 (「愛 僧 

の 念」) この やうな 感想 を 島 崎 氏 は 述べ てゐ るが、 これ はもつ とも 人間的な 生 

き 方 を 欲望した 言葉で あり、 生活 意力の 貪婪 さ を 示した ものである。 

おそらく、 この 言葉に 眞實性 を 裏打ちす る もの は、 艱難と 哀樂に つづられ 

た 道程 そのもの であらう" 殊に 『新生』 に 到っての 岸 本と 節 子の 戀愛 は、 い 

つそう この 感を ふかくす る。 作家 的 實踐が 生活の 振幅 を縱 横に ひろげる こと 



135 



によって ょり璺 饒 化すと すれば、 生活力の 貪婪 さは 敬服され ねばなら ぬし、 

この 味に 於て、 『新生』 の 戀愛も 苦惱も 一 つの 糧に數 へられる。 さらに、 

また 島 崎 氏 はかう も 一 百って ゐる。 r ルゥ ヂンの 好い ところ は、 近代 人の 性格 

の 缺陷を 指摘して 見せて くれる よりも、 人生の 問題 を 絶えす 提供しつつ ある 

ところに あると B5 ふ。」 (「ル ゥヂン とバザ 口 フ」) 

この ル ゥヂ ン 的 性格に ついて の 意見 も、 同じ やうに 人生 的 態度の 貪婪 性 を 

一; 小した ものである。 そして、 島 崎 氏 も 「人生の 問題 を 絶えす 提供され た」 と 

ころから 苦難の 道程 を迪 つた C 殊に 『- いお』 たど さう であって、 苦難す る 人々 

を 描きながら、 作者 もまた 暗然と してし まった 作品で ある。 苦難の 途 を迪ら 

ねばたら ぬ 精神の 寂 I: あは、 すでに 味 ひつく したと ころ だ。 それ ゆ ゑ、 きびし 

い 人生 的 決意と 生の 货お は、 た ほ たんら かの 懷 を 含んで をり、 ときに 『家』 

に见る やうな 容命感 ないし 絶び }ii 感を 描いた ので ある。 しかし、 さう した 人生 

的 苦難の なかから、 一 つの 搖 ぎない 身 構へ がし だいに 形づくられて 行き、 生 

の 欲求 を 貪婪に し つ つ、 苦難す る ことによ つ て のみ その 信念 は購ひ 得られた 



ので ある。 これ は、 自己 完成への 途と いふ 風に 言っても よい。 

ここで、 一先 づ、 完成され た 境地と はなんで あるか を 瞥見して おかう。 艱 

難の 生活 を 幾變遷 し、 そこに 人間的 眞實を 求めて 社會的 發展に 從 つて 行った 

この 作家 は、 次の 言葉が 語る やうに、 漸く 定かな 構へ を 身に つけたの である * 

「わたし は、 三十 年の 餘も 待った。 おそらく、 わたし はこん な 風に して、 

一生 夜明け を 待ち 暮 すの かも 知れない。 しかし、 誰でも 太陽で あり 得る。 わ 

たした ちの 急務 は、 ただただ 眼の 前の 太陽 を 追 ひかけ る ことではなくて、 自 

分 等の 內 部に 高く 太陽 を 揭げる こと だ。 この 考へは 年と 共に 深く、 わたしの 

小さな 胸の 中に 根 を 張って 來 た。」 (「太陽の 言葉」) この 言葉 は、 完成に 近い 精 

神の 高みで ある。 一作 ごとに、 人生 的 決意に 勢 ひ 立つ とい ふやうな 焦燥 や 寂 

寥ーを ことごとく 內的 世界に 消化し、 より 大きな 生の 肯定に 端然と して ゐる。 

この 態度の 上に やはり 人生 的 欲求に 充 ちた 作品 は 築かれ、 『鼠』 や 「分配」 

は その 搖 ぎない 態度から、 動搖 して 止まぬ 生活 相 を 描いた のであった。 - 

この 境地 は、 言 はば 「新生」 の 彼岸で ある。 『新生』 であれ ほどの 苦惱を 



37 



しめた 人が、 いかにし てこの やうた 境地に 迪 りついた か -1- それ は 人間 

..i 念の 更生す る 過程の". i 密を ひそめて、 まさしく 舆味 的で ある。 

:1 密の 內容は 唯一 つで ある。 破滅に 近かった 『新生』 の 危機 を 支へ たもの 

は、 島 崎 氏に 於け る 「道 德の 系譜 圖」 が內容 した 誠實さ 以外に ない。 四十 年 

に 亙る 人 問 的經験 を、 たちまち 危殆に 陷し 入れた ものが なんで あつたかと 言 

へば、 それ は 「人 問 的 信念」 そのものであった。 これ は逆說 ではなく、^ に 

は、 人間 信念に 對 する 人 問 信念の 復, と 言 ふこと がで きる。 その 信念 を 逆轉 

させる やうな ものが、 外部から ではなく 內 部から 容赦な しに 叛逆した ので あ 

つて、 これ は 信念に 生きる ものの、 一度 は經驗 しなければ ならぬ 悲劇 11 信 

念す る ものの 不可避の 悲釗 である。 その 人の 足場が ただ 一 つ 信念に かかって 

ねる とき、 それの 崩壞 はたち まち 信念の 復 にまで 逆轉 する。 それが 『新生』 

の促亂 であり、 悲劇であった。 しかも 島 崎 氏 は、 いかに 苦痛に 刺されようと、 

それ を 忘却す る こと や 逃避す る ことので きぬ 氣 質の 人であった。 舉 たる 轉身 

ではなく、 信念の 更生な しに は晏 如た る を 得ぬ 人た ので ある C 



I3S 



「新生」 の 彼岸に 於け る、 更生した 信念と はなんで あらう か。 あきらかた 

やうに、 「自分の 內 部に 高く 太陽 を 揭げる こと」 とい ふ 言葉 は 一 つの 新しい 

信念 を 意味し、 信念 更生の 過程が どこに あつたか を 暗示して ゐる。 そして、 

その 過程の 記 錄を私 は 『新生』 下卷に 求める。 「懺悔へ。 岸 本 はどうして 斯 

様な 心 に 成れたら うと 時 々 自分な がらび つ くりす る こと も 有った。 彼の 心が 

その 方に 向 はう とした 丈で も、 何となく 彼の 歩いて 行く 路には 新しい 未来が 

感じられて 來 た。」 (一 「新生』.) と、 すでに、 信念 更生の 過程が ここに 萌芽して ゐ 

る。 しかし、 一. 懺悔」 は 一 つの 形式に 過ぎぬ。 それの 實質 は誠實 さに かかつ 

て をり、 誠實を 支柱と して 廻った ところに は、 自然に 順應 して 逆 ふこと を 知 

ら ぬと いふ、 よ り 大きな 生 の 肯定が 新し い 信念と し て 期待 さ れた の で あ る C 

從 つて、 老年の r 太陽の 言葉」 は、 新しい 信念の 昂揚 を 代 辯して ゐる。 

自然 に 順應し て 逆 ふこと を せぬ とい ふ 信念 は、 壓 縮し て 言 へ ば 忍從 の 態度 

であらう。 忍從 とい ふ ものの、 その 內容が 豊熟 か 缺乏か はに はかに 斷定 でき 

ぬまで も、 しかし、 これ は 島 崎 氏に あって は 比類ない 豊熟 を 思 はせ る。 自然 



rS9 



へ の順應 はすで に 巨大な 包括 力 を 約束し、 四十 年に 1«1 る經 験と 觀 察の 集 校 は、 

外界の 審柄を 的確に その内 部へ 測定させる。 外部への 觀 察と 內 部への 省察 は、 

すでに、 なにもの にも 岡 執せ ぬ 境地に して はじめて 豊かな 成 si- を もたらす。 

老年に 到る まで、 痛烈に 飢ゑ渴 ゑて ゐた おほら かの 信念の 自覺 によって、 は 

じめ て 島 崎 氏 は 充足 を 感じた ので あらう。 極く 初期の ものと して、 一. ルゥソ 

ォの! H 悔屮に 見 したる 自己」 とい ふ 感想が 『淺草 だより』 に牧 めて あるが、 

しかし、 そこに 感想した ものけ、 r とほく 『新生』 の 彼岸にまで つづいて ゐる。 

r ル ゥソォ の 自然に 對 する 考 へ は、 今日から 見れば 論難す ベ き餘 地が ある。 

無論 私 も それ は E 心 ふ。 しかしながら、 眞に 束縛 を 離れて この 生を觀 ようとす 

る 精神 の 盛んな こ と は、 遂 に 私 の 忘れる ことの 屮: 來な いところ だノ 

お 年の 太^.^ 語る に 到って、 この 感想した ところへ、 やう やく 島 崎 氏 は 

おした。 信念 更生の 秘密 は、 ここにつ きる であらう- レ 



作家 營爲 の歷史 

11 藝術的 方法の 發展を 中心に 11 

藝術的 方法の 輪廓 

島 崎 氏に 於: t る 藝術的 方法 の # -展 11 つまり 變遷の 次第 を 見る こと は、 同 

時に その 作家 營爲の 歴史 を 見る ことに 他なら ぬ。 しかし、 作品の 龙大な 集積 

について それ を 一 つ 1 っ迪る こと は 困難で あり、 それと ともに ほとんど 益す 

ると ころがない。 むしろ 主要 作品 間に あら はれた 著しい 起伏と して、 幾度び 

かの 變 化を捉 へ. れば 事足りる ことと 思 はれる。 すると およそ 次の やうた メ 

モを とる ことができる。 

• 詩から 散文への 移行。 



I4r 



• 主 情 性と お 寅 性の 關係。 

• 人生 的 作 {| の リアリズム。 

• 印象的た 作風に 就て。 

• 社會的 リアリズムに 就て。 

これらの メモのう ち、 もっとも 主要な 位置 を 占める の は、 主 情 性と 寫 資性 

の關 係で あらう。 それ はこの 作家が 詩から 散文へ 移行し、 そこに、 藤 村的リ 

ァ リズムの 一 特性が 形成され たもの だからで ある。 本来、 詩から 散文への 移 

行 は、 !^、 广術的 方法の 轉化 ではなく 文畢 様式の 變化 であるが、 主 情 性と 寫實性 

の關 係から して、 島 崎 氏の 場合に 兩者 は 密接 に關 蹄して ゐる G 

また 人 A 的 作」;^ の リアリズム と 社 會的リ ァ リズムと は、 人生 的眞寳 を 追求 

し て きた 作 〔灰 に 於け る 藝術的 方法 の 發展 の 順序と して、 その 內部 に 緊密 な 脈 

絡を關 係して ゐる。 そして、 ここに 言 ふ 社.^ 的 リアリズムと は、 『破戒』 な 

いし 『夜明け 前』 たどの 社會的 主題の 作品 を 描いた リアリズム を 意味し、 こ 

れは 人生 的 作 の リアリズムが、 最高 度に 達した 際の 一 型 態で ある。 



142 



『舂』 から 『新生』 に 到る 過程 を迎 つて 見る と、 そこに は、 人間 生活の ふ 

かみへ、 驀地に 精進しつつ ある 人の 重苦しい 姿が 知られる とともに、 創作 方 

法に 於け る * 三つの 主要な 起伏が 知られる。 第一 に 『春』 の 轉囘と 自然主義 

的 リアリズムの 基礎 づけ。 これに つづいて 『家』 の 克明な 描寫と 人生 的 作家 

うづ 

の リアリズムの 確立。 ひるが へって、 人間苦 惱の經 驗を經 て 再び 浪漫 性の 疼 

いた 『新生』 と。 11 この 三つの 主要 起伏 を 描き だした 十 年 ほどの 過程に、 

總 じて 島 崎 氏 は 一 筋の 途を 追求し、 リア リ ストと しての 手堅 さ を 求めて 行つ 

た。 そして、 この 過程の 藝術的 方法 は、 『春』 の 轉囘に 基礎 づけら れ たもの 

であり、 それ はあくまで、 人生 的に 定着した リアリズムであった。 

『破戒』 と 『夜明け 前』 の 間に は、 すでに ひさしい 年月が 流れて ゐ るが、 

作品の 主題が 社會 的で あると いふ 點に 於て、 この 二 作 は 呼應し 親和す る。 こ 

の 二 作の 場合、 その リアリズム は 人生 的に 定着した ばかりでなく.、 豐 かな 社 

會性 を內容 する 作品 を 描き だし、 人生 的 作家の リア リズ ム を 高度に 發展 させ 

てゐる ことによって 注目され る。 —— およそ、 これらが 島 崎 氏の 藝術的 方法 



143 



を 輪 掷 づける ものであった。 

ここで、 印象的で あると いふ 作風に ついて 瞥見して おきたい。 なぜなら、 

1 般に岛 崎 氏の 作風 は、 印象的で あると 首 はれて きたから である。 

『明治 大正 名作選 5^』 の 一 つと して 屮 r 版され た 『春』 を 見る と、 その 扉に 

「^^^は明治四十 一 年 四 e: から 東京 朝日 新聞に 連載され、 同年 十月 『綠陰 叢書』 

の 一 卷 として 屮 I 版され た。 作者 自身の 追憶 を 絵と し、 『文 舉界』 一派の 運動 

を^と して、 その 精練 を 極めた 印象 描寫 に、 若き 日の 夢と と 情熱と を 托し 

たもので ある。 藤 村 氏の 作風 を 最もよ く 示した もので …… J と 編者 は識 して 

ゐる。 もとより これ は 解說に 過ぎぬ が、 描寫が 印象的で あると いふ こと は、 

多くの 人々 によって 定評 づ けられて ゐる ものの やう だ。 

この 印象的た 作風 は、 なにに よって 形成され たので あらう か。 おそらく、 

に對 する 認= ^の 仕方が 主情的で あり、 それ ゆ ゑに、 綺晝 的に 描寫 しょう 

としたと ころに 生じた 作風た ので あらう。 いかに 抑壓 したに しても、 主 情 性 

はつねに リアリスト としての^ 閬 の 背後に 疼き、 主 情 性と 寫賁 性の 必然的な 



結合に よる 藝術的 方法が 組成され てゐ た。 この ゆ ゑに、 作風 は 印象的で あり 

槍畫 的で ある e 『春』 『家』 『新生』 と 三つの 作品 を 順 を 追うて 見る たらば、 

『家』 の寫實 性の 人生 的 定着に 反撥す る ほど、 主 情 性 は 本然 的な 资質 として 

積極的に 作用し、 それに 從 つて 『春』 『新生』 のニ篇 が、 どこか しら 浪漫的 

感情 を氣 配した ことが 知られる ので ある。 この 二 作の 共通す る 情感から、 す 

で に その 詩人 的 資質が、 い かに 根強く 島 崎 氏 の 作家 的 實踐を 支配し てゐ たか 

が 明らかで あり、 リアリストと 呼ばれる 作家の 情感の 潤澤 さに 人 は 驚く。 島 

崎 氏の 藝術的 方法の 變遷 過程に は、 一貫して 主 情 性の 動きが 見られ、 それの 

位置 と 機能 は、 寫實的 精神 に 比肩す る ほど 重耍 であった。 

吉江喬 松 氏 は 「主情的た マン テイクが リアリストに 展開 すれば、 その 人 

の 藝術は 平面 的に 廣 がり、 綠畫 的に 仲展 する。 熱情 的な 口 マ ン テイクが リア 

リストに 轉 すれば、 その 人の 藝術は 必す鏤 彫せられ、 立體 的に なり、 それへ 

の體 面の 陰影に 人生 を 刻み出す。 島 崎 氏 は 必然的に 後者の 途を とられた。」 

(山 If 斌著 「藤 村の 步 める 道」 序) と 言 ふので あつたが、 島 崎 氏の 作品 を 順次 迆 



145 



つてみ るに、 ほぼ この 意見と は 逆の 現象 を 見る のであった。 

^^3崎氏の ロマンチシズムの リアリズムへ の展 11 は、 むしろ 簿書 的で あり 印 

象 的であった C この こと は、 『破戒』 の 文章な どから も 推察され ると ころで 

ある。 主情性と^:^ザ贫性との結合にょる藝術的方法の形成が、 作風の 印象 性 を 

5^ する こと は 必然的で あらう。 藤 村 的 リアリズムの 危險性 は、 それが 印象 

的で ある ことから して 「文章で 建築す る 心掛け」 とい ふ 意 園が、 反って、 平 

面 的な ひろがり をと つてし まふと ころに あった。 立體 的た 作風と い ふやうた 

もの は、 『i^』 「分配」 等の 作品 以後に 於け る特徵 である。 

散文 精神の 萠芽 

北 村 透 谷 を はじめと して、 次々 に 浪漫派 詩人の 接頭 を 見た とき、 たに 人に 

もまして、 その 新鮮な 感動 を 誇ら か に 歌った の は 藤 村で あ つ た。 

そ の やうに、 第 一 詩 『若菜 li^』 の 上梓から 最後の 第 四 詩 第 『落 梅 集』 に リ 



る數 年の 間 は、 浪漫 1^:^ 詩人が 支配的に 活動した 時期で あると ともに、 藤 村 5^ 

の文學 道程に 於ての 詩人 時代であった。 そして それらの 作品 は、 時代の 新 精 I 

神に あふれて 新聲 し、 明治 文學の 創造に 多くの もの を 培養した ので あ. る。 

しかし 『若菜 集』 から 『落 梅 集』 に 到る 間に、 浪漫的な 感動 はし だいに 稀薄 

化し、 この 過程に は、 散文 精神の 醸成が 徐ろに 行 はれて ゐた。 四 冊の 詩 $1-^ に、 

やがて 青春の 情緒 は 歌 ひつく された ので ある。 

すでに 島 崎 氏 は 『落 梅 集』 を 出版した 一 九 〇〇 年 (明治 三十 三年) に は、 『千 

曲 川の スケッチ』 の 稿 を 起し、 翌年に は 短篇 小說 r 舊 主人」 「藁 草履」 の 二 

篇を 試作した。 越えて、 一 九 〇 三年 (三十 六 年) に は 「水 彩畫 家」 を 書いて ゐ 

る。 藤 村 年譜 三十 六 年の 頁 を ひらく と、 「この 雨 三年の 間に は 六つ ほどの 短 

篇を 公に したに と あり、 詩から 散文への 移り行きの 過程が 歷 然として ゐる e 

それにしても 島 崎 氏の 作家 道程 は、 その 順序から いって 一九 〇 四 年 明治 三 

十七 年〕 に 着 乎し、 一 九 〇 六 年 (三十 九 年) に 出版され た 『破戒』 から 具體的 



に拓 かれた と 言 ふべき だら う。 この 作品が、 ^:^崎氏に於ける作.:一.^的努カの录 

初の: であった。 

「破戒』 は あらゆる 0! 然 現象から 及-ほして、 その 主題にまで、 き はめて 主 

情 的 な^の 配り ある 作品で ある。 かう した 傾向 は 初期に 於け る 一 特 性 をた し、 

衬的 リア リズ ム の特 la が どこに あるか を 求める に は、 およそ 他の 自然主義 

作 〔_ ^と は異 ると ころの、 この 特徴 は 見落せぬ ので ある。 そして 初期の 作品に 

あら はれた 主 情 性 は、 島 崎 氏の 文舉的 世界に 於け る 詩の 位置と 作品の 關 係と 

を 緊密に 示す もので あり、 特 な 藝術的 方法の 形成と、 散文 精神 萌芽の 過程 

の 經槔を 語って ゐる。 

岛崎 氏の 作品 お ほむね 地味な 溢 さに 落着いて ゐる。 ときに、 どこかし 

ら 苦しく さ へ ある ほど 維い。 詩の ほとんど すべ てが 二 様に 水々 しく:^ 美で 

あつたのに 比し、 これ は 風貌の なんと はけし ぃ變 化で あらう。 むしろ、 そこ 

に は、 全然6^ひ 二 つ の 文學的 タ ィ プ が ぁ る か の や う な印象 を ぁ た へ る ノ 詩 に 

比 校して 作品の 世界 は、 『破戒』 にしろ 『卷』 にしろ 『夜明け 前』 にしろ、 

なんとい.^ 跪 さにつつ まれた 重厚な 落着きぶ り だら う。 さながら 刖 人の 仕事 iJ 



を 思 はせ る對觥 的な 風貌 だ。 この ゆ ゑに、 一見して は、 詩と 作品との 間に は 

たんら の 共通 性 もない かの やうに 思 はれる が、 しかし 實際 に は 外貌 の 相違 を 

突き破り、 詩的 特性と しての 主 情 性 は、 著しい 度合 ひで、 作品 世界にまで は 

たらき かけて ゐ たので ある。 

詩と 小說 がいかに 對觥 的な 風貌 を そ たへ てゐ るに しても、 すでに g: 冊の 詩 

集 を 歌った とい ふ 文 舉的壤 積と 經驗 は、 どの 途、 なんらかの 形で 作 {农 的仕審 

に 反映せ すに は, y まぬ。 つまり 作家た る 藤 村の 仕事に、 詩人と しての 藤 村が、 

どれ だけ 反映した かが 考 へられる。 

すると、 順序と して、 おの づ から 作品 的 構成 もしくは 物語 的 構成 をと つた 

詩が 囘 想され るので ある。 數々 の 詩のう ち、 比較的 はっきり 物語 的な 結構 を 

そな へた 作品と して は、 六 人の むすめ 達の 哀歡 をうた つた 「六 人の 處女」 を 

はじめ、 「深 林の 逍遙」 「合唱」 「天馬」 r 勞働雜 詠」 「壯 年」 などが 數へ 

られ る。 殊に、 龙大な 規模の 長 詩 「農夫」 たど は 全く 物語 的に 構成され、 あ 

る 程度まで 複雜な 筋と 事件の 展開 を 伴って ゐる。 



149 



この^、 :豊 夫」 は 例へば ブ ー シ キン の 作品 『ォネ ー ギン』 を 思 はせ る。 

もとより :|:^夫一 と 『ォネ —ギン』 の 間に は、 內容 的に は いささか も 共通す 

ると ころ はない が、 作品 構成の 仕方と して は、 一 應樣 式の 類似 性 を 聯想す る 

ので ある。 ともに 一定の 筋 を 追 ひ 物語 を 展!: した こと- 詩人の 昂揚した 感情 

を 歌 ふば かりで たく、 それぞれ 人間 心理の 葛藤 を描寫 しょうと した 意圖。 ー 

I これら は 二 作に 共通す る點 であり、 そこに は、 詩形 式の 狭小に よる 內容の 

氾濫が ある。 さう した is^ 情に よる 不自然 さ、 ぎこちな さが ある" 

物語 的な 詩の 構成 を餘 俵な くされた こと は、 島 崎 氏の 文擧 道程に 於け る 詩 

から 散文への 移り行きの 萌しに 他なら ぬ。 現實 的な 一 定の 筋と 主題 を- s: 容す 

る 作品 は、 すでに 詩人の 仕事の 圈內 から はみ 屮 H さう とし、 過渡的た 內 容の發 

と 形式の 破貌は 避けられぬ。 散文 精神の 萌芽が、 「農夫」 などに 於て は、 

敍^ 詩の 形式の うちにす り 代 へられて ゐ るので あった。 

かう した 相互 的な 關係 をと ほして 見るならば、 詩 「農夫 一 と 作品 『破戒』 

との ii に は、 およそ 七 年の 年月の 距 りが あるに も かか はらす、 作者の 感情 表 



出の 仕方 は それほど 距 たって はゐ ない ので ある。 むしろ、 共通 性の 度合 ひが 

比 狡 的に は 重い ので はない か。 詩と 作品と いふ、 異質す る 形式の 間に は、 主 

情 性 を主體 とする 媒介 作用が 行 はれ、 「農夫 一 の 作家 的 方法 は 『破戒』 の 詩 

的 特性にまで 近似す る 結 菜と なった。 これ を 『破戒』 にカ點 をお いて 言へば、 

『破戒』 に殘 象した 主 情 性が、, 「農夫 一 に 萠芽した 作品 的 特性と 密通した こ 

ととなる。 そして、 いづれ にしても 結果 は 同じで ある。 かう した 異質す る 形 

式 間の 媒介 作用 は、 散文 精神 萠芽の 時期に はしばしば 見られる のであって、 

島 崎 氏に あって は 詩 の 出來榮 えが 見事であった だけに、 媒介の 必然性 はき は 

めて 內 的な 性質 を帶 びて ゐる。 

主 情 性の 位置 

『破戒』 を はじめ、 それ 以前の 『千 曲 川の スケッチ』 「水 彩 畫家」 時代に 於 

て、 島 崎 氏の リアリズム は、 未だ 確かな 形 を そな へる ものでなかった。 それ 



151 



ら 作品の 藝術的 方法 は、 「c- 夫 一 あたりに 萌芽した 散文 精神の 發展 的な 延長 

として、 島 崎 氏の リアリズム 並びに 作 { 氷 的 態度 を 生成す る、 端緒 的 過程に 他 

ならたかった。 

ここで、 當時の作品に殘映してゐた^^的特性としての主情性が、 どの やう 

な もので あつたか を 見れば、 例へば 『破.^』 に は 次の やうた 文章が ある。 

千 曲 川の 水 は 黄綠の 色に 濁って、 ^&レもなく流れて遠ぃ海の方へ 11 その 岸に う 

づ くまろ やうな 低い 楊柳の 枯々 となった さま 11 ああ、 依然として 舊の 通りな 山 

河の 眺?^ は、 1^ 丑 松の 目 を 傷まし めた。 時々 丑 松 は 立 留 つて、 人目の ない 路傍 

の 枯萆の 上に 倒れて、 聲を 揚げて 懾哭 したいと も 思った。 あるひ は、 それ をした 

ら、 堪 へがたい 胸の 苦痛が 少し は 減って 輕 くなる かと も考 へた。 如何せん、 哭き 

たく も哭く との 出來 ない 程、 心 は赏く 暗く 閉ぢ ふさがって しまったの である。 

ず』 泊す る 旅人 は 幾 群 か 丑 松の 傍 を 通り 拔 けた" .!^^-の淚に^£|らして、 餓ゑ 

た 犬の やうに 歩いて 行く もの もあった。 何 か 職業 を 尋ね 顔に、 垢染みた 着物 を 身 



に まと ひながら、 素足の ままで 土タ 踏んで 行く もの もあった。 あ はれげ な!^ を 歌 

ひ、 鈴 振り 鳴らし、 長途の 艱難 を 修業の 生命に して、 陽に 燒 けて 罪滅し 顔な 頓彊 

の 親子 もあった。 

『破戒』 に は 到る ところ かう した 文章が あり、 それら 隨處に る 自然 描 1;;;^ 

はいつ も ある 種の ふかい 感銘 を 印象して ゐる。 殊に、 引例した 部分から 直接 

的に 聯想され るの は 「千 曲 川 旅情の 歌」 である。 『破戒』 のこの 部分と、 「千 

曲 川 旅情の 歌」 に 流れる f#_ 愁の 情緒 は、 全く 同じ 性質の ものである。 

作家 ー: リアリスト は、 自然現象に ついては もとより、 生活 的な 事柄に し 

て も、 それが どれ だけ 暗欝で あるに しろ、 作者の 悲哀と して は 表現せ ぬ。 と 

ころが 『破 1^<』 の 作者 は、 對 象を對 象と して 描く とい ふ 客観性 を 離れ、 對象 

が 作者の 心情に 投影した のち、 それ を 主情的に 意匠して 描く のであった e そ 

れ は描寫 であるよりも 心象 風景に 近く、 『破戒』 の 悲劇 は 作者の 內部 でき は 

めて 主観的に 煽情され てゐ る。 これらの 點 からして、 『破戒』 の 藝術的 方法 



153 



は、 なほ 散文 精神 11 寫寘性 の 確立から は距 たる ものであった。 

第 一 詩染 から 第 w 詩 £i ^に 到る 間に、 美事 さ を ほこった 主 情 性 は、 かう して 

久しく 作 { 糸 的 仕^にまで 延長され た。 おそらく、 この こと は、 作家と しての 

岛崎 氏に とって は 桂 松であった らう。 詩人に とって、 對 象の 的確な 描 寫が第 

一義的な ものと はならなかった やうに、 詩的 特性の 延長され て ゐる間 は、 例 

へ 作 的 阖を もって 作品 を 描いた にしても、 同様の 事情から、 散文 精神 は 

その こと を桎 松と する ので ある。 

詩人 は、 外部 的な 對象 によって その 感情 を 昂揚され たと き、 先づ 感情 その 

ものの 放射に 急き立てられ、 對 象を對 象と して 描く とい ふ 餘裕も 客 觀性も 許 

されぬ。 ひたすら 燃燒 した 感情 を かきつけ、 その 感情の 放射 をと ほしての み 

對$ ^を; 疳 つて, Q る。 これに 比して、 作.; は、 觸發 された 感動 を もって、 感動 

を觸發 した 對象 そのもの を描寫 する。 二つの ものの この 相違が、 それぞれ 詩 

的世3^と作{^<的世界 へ151:^づけ、 その 中 問と もい ふべき ところに 位置す ると 

き、 それら 作品 は 作. ぼ 的 意圇を 示しつつ、 なほ 主 情 性 は 濃い 度き であら はれ 



154 



る。 そして、 これが 『破戒』 の 年代に 於け る 藝術的 方法の 特性で あり、 初期 

の 作品 を 支配した 基本的な 特質で あ つ た。 

「この 作 は 私が 長 篇小說 の 最初の 試みであった。 私 は 自分の 內 にも 外に も 

新しく 頭 を 持ち上げて 來た鬆 勃と した 精神で こ の 作 を 貫く ベ く 決心した。 し 

かし 私 はま だ 若かった。 今日から 見れば、 自分ながら 意に 滿 ちない ふし も 多 

い。」 (昭和 四 年 版 『破戒』 の 序文) と 言 はれて ゐる やうに、 『破戒』 は 一 つの 試 

みの 作品と して 過渡して ゐ るので あって、 殘映 する 主 情 性 もまた 止む を 得ぬ 

ことであった。 ただ、 この 作品に 於ての 浪漫性 否定の 意圖 は、 作家 的 態度の 

變化 として、 注目され ねばなら たいので ある。 

本来 的に は、 寫實的 精祌は なんら 浪漫的 精神に 反撥す る もので ない が、 し 

かし 自然主義 文擧の 擡頭に 際して、 浪漫派 詩人た ち は、 みづ から その 浪漫性 

を抑壓 した。 ここにい ふ 浪漫的 精神と は、 理想 性 を 意味す る もので はなく、 

自然. 戀愛 などに 對 する、 本然 的な あこがれ を 言 ふので ある。 『破戒』 の隨 

處に 見る 自然 描寫 たど、 なに かしら 感銘の ふかさ を 印象し、 これ は 自然につ 



155 



いての あこがれ を 示す ものの やう で も あ る が、 こ こ に 見る 自然 描寫と 浪漫派 

詩人の 自然への あこがれ, i に その 情感の 本質に 於て 遠く 距 たって ゐる。 先 

に 引例した 『破戒』 の 部分と、 一 千 曲 川 旅情の 歌. 一 とが 共通す る 憂愁 を 情感 

したと いふの も、 すでに 浪漫的 供界を 離れて、 現赏的 世界へ 赴く ことの 必然 

性 を 示した ものである。 「千 曲 川 旅情の^」 は、 歌 ひっかれ た 詩.^ の暴愁 と 

霄へ るので あった。 

『破戒』 は、 この やうた 過渡的 事情 を內容 した 作品で ある。 しかし 順序と 

して、 浪^的 世界から 現赏的 世界へ 赴く 過程に は、 先 づ浪漫 性 を 否定す る 現 

黄へ の 最後 的な 抵抗が 1 ひ はれる。 詩から 轉 じて、 第 一 に 『破戒』 に 着手した 

の はこれ がた めであって、 この 作品 は、 浪漫 性と 理想 性の 最後 的な 抵抗 を 意 

味して ゐる。 それが 最後 的な 抵抗で あつたが ために、 餘燼 して ゐた浪 漫性は 

主 的な 想 性を屮 心に して、 高度に 5^ 搏 きし、 現實の 卑俗 性に 對 する 抵抗 

としての 密成を 緊密 にした の で あ つ た。 6 

この:^ 後: た抵伉 をと ほして、 作」 > 精神の 浪漫 性は收 北の 暗 辯に 納 され i:^ 



た c 島 崎 氏が、 5.,- 實 の浪漫 性に 對 する 反撥 を、 はっきり 經驗 したの はお そら ; 

く - 破戒』 に 於て であり、 部分的に は 『春』 に 於て であった。 同時に、 現 寅 

に對 する 人 問 意欲の たたか ひに ひとしく、 人間 意欲に 對 する 現實の 反撥の は 

げし さ を自覺 したの もこのと き で あったらう。 

獨自 性の 組成 

『破戒』 を もって 詩から 散文に 轉じ、 同時に 自然主義 文舉へ 身 を 寄せて 行 

つた 島 崎 氏 は、 次いで 一九 〇 九 年 (明治 四十 二 年) に は 『春』 に 着手した C 

この 第二の 作品へ の 着 乎 は、 島 崎 氏の リア" ズ 4 にと つての 動きの 著しい 

時期で あり、 それへの 着手に 到る 三年 間に、 ひと 方なら ぬ 苦 惱を經 て 作家 的 

態度 は變 化し その 作風 もこれ に從 つた。 卽ち、 自然主義 的た 藝術的 方法と し 

ての 寫實 性が しだいに 高度 化し、 主 情 性に 對 する 自己 叛逆が、 昂 まった ので 

ある。 それと ともに、 人生 鑑賞の きびしい 態度 もこの 作品 あたりから 見えた。 



作風が 自然主義 的で あると か、 あるひ はこれ が 浪漫的 作品で あると かに 闢は 

りなく、 『春』 は 散文 精神 追求の 意圖 を碗赏 にし、 リアリスト としての 途を 

ひらきつつ 『.11^』 の リアリズム 確立の ため、 實踐 的な 準備 を 行った。 『春』 

の 着手に 際して、 島 崎 氏 は 箱 根、 三 島 あたりの 東海道の 一部 を 旅して ゐる。 

それ はすで に、 十一、 二 年も經 過した 往時の 記憶 を 喚び 戾す ためであった。 

かう した 作 {, ^的 態度 はい か に も 自然主義 風で あ る が、 作品 を確實 化す リ ァ リ 

ストと しての 意 11 は肯 ける ので ある。 この場合、 十一、 二 年 前の 記憶 を 戻す 

とい ふこと は、 靑 春の 日に 歸る ことで あり、 作 中 人物た ちの 若い 情感にまで 

立^る ことに 他なら ぬ ゆ ゑ、 作品の 主題が 浪漫的な ものであった こと も 知ら 

れる。 しかし その 浪漫的 作品が、 逆に、 あらためて 旅する とい ふ 作家 的 態度 

にさ さへ ら れてゐ たこと は 明らかな 變化 である。 

ところが、 この 旅から は 得る ところ 少なく、 僅に 街道に 群れる 蝇 ばかりが 

往時 を^ば せた とい ふ。 それに. ついて さへ、 リアリスト として 『春』 の浪漫 

性 を 描かう とした 作家 はかう 言って ゐる。 「十一、 二 年の 間 をお いて、 また ^ 



通って みて、 その 二度目の 旅の 路に 落ちて ゐ たもの は、 ただ その 蠅の 群に 過 

ぎなかった。 しかし あの 蠅 のこと だけで も、 作に 確實な 感じ を與 へた やうな 

氣 がした。」 (r 三 つ の 長 篇を書 い た當時 のこと」) 

作家 的 態度 の こ の やうな 變化 は、 當時 の 文壇 を 支配的 に 潮流し つつあった 

自然主義 文舉の 影響に も 因る だら うが、 さらに 別の 視角から は、 島 崎 氏の 內 

部 的 世界に 於け る變 化と して 見られる。 ここにい ふ變 化と は、 主 情 性からの 

脫 皮に 伴 ふ、 現實 世界への 凝視の 謂 ひで ある。 現實に 接しつつ、 現實と 人間 

意欲の 軋樣 する ひびき を聽 きとり、 ここに 生活す る ものの 姿 を 描かう とする 

意圖 は、 リアリストの 態度で ある。 そして、 いみ じく も 『破戒』 から 『春』 

へ の轉化 は、 浪漫的た • 情緒 的な 世界から 脫け でて、 生活 的 • 現實 的な 荒々 

しい 地 野へ 向 はう とする 作家 的 發展に 他なら なかった。 『春』 に 到っての 島 

崎 氏 は、 どの やうに 浪漫的な 事柄 も、 所詮 は、 生活 的 現實の 一 斷 面と しての 

み 在る とい ふ 新しい 理解 を 提出した。 これ は 態度と して、 散文 精神 を 追究し 

つつ、 自然主義 的な 寫實 性に 身 を 寄せる ものであった。 



159 



主^の 現 *i 性 をより 確 i_ わにし、 それと ともに 主 情 性 を 否定す る 態度 は、 リ 

アリス 卜と しての 藝術的 方法の 發展 である。 浪漫的 欲求の 美し さは 容赦な く 

? に 打ち 碎 かれる だら うとい ふ 見解、 それに 從 つての 主 情 性の 抑壓。 . 

『春』 が この やうた 形 をと つたこと は當然 である。 そして、 岸 本の 戀 愛と 放 

浪の 傷心に しろ、 靑 木の 苦 惱と溢 死にし ろ、 すべて 敗北の 徵 しとして 語られ 

てゐ る。 かう した 自然主義 的な 見解から、 島 崎 氏は靑 春の 人々 を リア リス テ 

イツ クに 描き、 靑 春の 歌 さへ 歌 ふので はなく 描かう とした。 

『春』 に 登. f する 人々 は、 主として 雜誌 『文 舉界』 同人で ある。 北 村 透 谷 

にしろ、 藤 村に しろ、 同人た ち はすべ て 若々 しい 時代で あつたが、 一八 九 四 

年 (明治 二十 七 年) 五::::、 透 谷が 自殺した 頃から 『文 舉界』 の 方向 も 次第に 變 

化した e i 北; sit を 失って からの 私達 は、 次第に 當 時の バイ ロン 熱から 醒め 

て、 E 心 ひ 思 ひに 新しい 進路 を 執る やうに たった。 頑 執と 育棑 との 弊 を 打破す 

る や-つな « で 充 たされて ゐ たやうた 私達の 雜 誌に は、 次第に ダンテの 紹介が 

あら はれ、 シェ レエ、 キ イツ、 ロセッ 千な どク 轺., 丁が あら はれる やうに なつ 



l6o 



て 行った。 激しい 動搖の 時が 過ぎて、 青春に 田 〈-ひ を 潜める ゃゥな 時が 漸く そ 

れに 代った。」 a 文學界 のこと, と、 言 はれて ゐる。 

『春』 の內容 がまた これに 符節し、 島 崎 氏の 作家 道程に 於け る發: ^過程 か 

らいっても、 人間的 成長の 一過 程と しての 青春に 思 ひ を ひそめ、 生活 的現實 

に 向 ふ 作家の 意 園が、 準備され てゐ るので ある。 

この 過程 11 主 情 性から 寫實 性への 脫皮 過程 は、 島 崎 氏の 內 部に 於て 傷々 

しく 行 はれた。 香 ひ 高い 希求 や、 情緖 的な ものの 臉 くも 打ち ひし がれる 空 し 

さの 自覺 から、 傷つきながら も、 現實に 身を橫 たへ て 生きねば ならぬ とい ふ 

人生 的 決意が、 生活の 日々 の 辛苦と、 時代 的現實 へ, の 眺望に よって 經驗 的に 

たしかめられて ゐ たので ある C 外部に 在る すべて を 主観的 熱情 を もって 恪き 

つくし、 その 誇り をうた ふとい ふやうな 浪漫性 は、 その 經驗的 思惟の 苦々 し 

さからし だいに 稀薄 化した。 

この 意味から 『春』 ー篇 は、 まさに 人生 探求への 出發點 としてお かれた 作 

品で ある。 しかし 『破戒』 に 色 濃く あら はれて ゐた主 情 性 は この:^ 口 g にも 



i6i 



来だ殘 映した。 島 崎 氏の 作家 的 意 園から すれば、 おそらく これ は 澄で あつ 

たらう。 さう では あるが、 ここに 到っての 殘映 は、 その 經験的 思惟 を 通して 

まことに 仄かで ある。 殘映 する 主 情 性の 如何に かか はらす、 はるかに 強い 人 

生 探求の 意阅が 際立ち、 青春に 苦歡 する 人々 を 生活す る ものと して 見た 點、 

すでに 『破戒』 に異 り、 態度の 客觀 性が 前面に 位置して ゐる。 

後年 『春』 を囘 想し、 「今から 見る と 『春』 以前の 作 は、 私に とっても、 

釗 作の 試みの 時代で、 『春』 あたりから、 どうやら 自分の ものと 言へ る文體 

も出來 てきた かと 思 ふ。」 (ニニつ の 長篇を 書いた 常時の こと」) と 島 崎 氏 は 言つ 

た。 これ は 『春』 の寫實 性が、 人生 的に 定着しつつ あった ことへの 囘想 であ 

り、 藝術的 方法の 發展 過程 を 指した 言葉で あらう。 

寫赏 性の 人生 的 定着 

幾つかの 異例す る 作品 も あらう が、 およそ 自然主義 文 奉が 暗霹た 環境に^ ^ 



巡し、 ある 形での 自己 虐使と、 現實 逃避 を 傾向しつつ あった こと は事實 であ 

る。 しかし、 希求 や 理想の 浪漫 性が、 現實に 直面して はいかに^ いか を經驗 1 

的に たしかめた にしても、 作家の 途は ここに だけ あるので はない。 その 敗北 

の 結論が、 たと へ 人間 生活の 一面の 眞實 を衝 いて ゐる にしろ、 ^北の 自覺に 

だけ 自己の 姿 を 見る の は、 人間 生活の 全部 的た • 眞實性 をけ つして 意味せ ぬ。 

まして、 敗北の 自覺 による 狭小な 自己の 世界への 沈潜が 泥土に 泥み、 社會的 

發展の 一 動力と して. 美しく 理想す る 精神まで 否定す るな ど、 個人の かぎら 

れた 生活 經驗を もって、 すべて を 律しょう とする 偏 質的な 暗 さに しか 過ぎぬ。 

自然主義 文學 は、 敗北した その 浪漫 性と 社會 的現實 との 關係 を、 あらためて 

測定す る だけの 客觀 性を缺 くもので あった。 . 

けれども、 敗北の 自覺 による 自己 虐使 は、 理想 を 失った ものに とって は 客 

觀 的な 測定 を考 へる いとまな しにお そふ、 不可避の 痛苦で ある。 自然主義 文 

擧の 暗懲な 性格 は、 歷 史的 發展の 順序から しても、 文學 史的た 事情から して 

も 避けが たかった であらう。 ロマンチシズムから リアリズム を經 て、 その 現 



ノ, 冉び 反撥した 人道主義 文 寧の 擦 頭 I 新しい 人間性の 發見 による 浪漫的 

神が^. 解す るに 到る まで、 自然主義 文畢の 暗い 支配 は 避けられなかった。 

文舉 史的に 兑 るなら ば、 それ は豫 おされた コ ー スを迪 る ものであった。 

この ing ^一な 世界への 沈潜 は、 その 消極性と ともに 生活 的現實 をより 的確に 

描寫 し、 浪?l;^派文舉が見ることをしなかったところを、 解明 するとい ふ 積極 

的な 機能 も 一 應は そた へて ゐた。 かう した 機能の 特質 は 『家』 たどに 典型 さ 

れ、 この 作品で、 崎 氏 は、 ある,! M 系 をめ ぐって 生起す るき はめて 世俗的た 

n 常^ 活を 描いた。 そして 世俗的 營 みの 槎跌 が、 生活の 希 &ナ广 《ど を 次々 に 阻 

する 悲哀 を 描きつつ、 世俗的な ものの 斑 末 さが、 ときに 決定的な 意味 を 含 

むこと を 語った ので ある。 

この やうに して 『家.? の 手法 は 著しく 自然主義 的で あるが、 なほ 多くの 自 

然主義作^}^が陷った惑溺と賴廢から免れてゐる。 これ を 『破戒』 の 主題と 比 

校して み ればそ の 社會的 性格 は 全然 異 るが、 暗 さに ついて だけ 言 へば いづれ 

とも ラ:: へ ぬ ほど 『".}J^』 も 暗い ので ある。 しかし、 ここに は、 睹 さある ひは悲 



164 



頌を めぐっての 煽情 性と いふ ものがない。 この こと は 『家』 がその リア リズ 

ム の 確立 を企圖 しつつ、 眞摯な 人生 探求の 意圖 によって 主 情 性を壓 殺した か 

ら であった。 「家 を 書いた 時に、 私 は 文章で 建築で もす る やうに あの 長い 小 

說を 作る こと を 心掛けた。」 (「折に ふれて」) とい ふ 意 園が、 他なら ぬ リア リス 

トの 努力で あり-、 延いては 主 情 性 を 否定した の. である C 

『家』 の 自然主義 的 傾向に 關 して、 しかし 島 崎 氏 は、 はるかなる 意 圖を持 

つて ゐた。 リアリズムの 確立と その 人生 的 定着に よって、 より 的確に 現實の 

諸相 を描寫 し、 人生 的 眞實を 探求しょう とする 作家 的 欲求が あつたの だ。 

國木 田獨歩 君の 一 「鶴 歩 集』、 ー「濤 聲』、 田 山 花 袋 君の 『生』、 それから 私の 『家』 

などが 公に された 當時何 か 斯う 私達の 時代が 來 たかの やうに 文壇の 人達から も 言 

ひ はやされた C 事實 私達 は 新しい 機運の もたらした 急激な 潮流の 渦の 中に 立って 

ゐた。 しかし 何事 を も ただただ 歷 史的に 槪括 的に 片 づけて しま ふやうな 人なら い 

ざ 知らず、 誰の 時代 なぞと いふ 事が 無雜 作に さう 言へ る箬 もない。 かなり 遠く を 



みながら 出發 した ものに 取って さう した 騷 がしい 聲は 反つ て 有難 迷惑 を 感じさ 

せる ばかりで あつたと 思 ふ。 (「三つの 長篇を 書いた 當時 のこと」) 

その 「遠く を かがみながら」 とい ふところに、 リアリスト としての 欲求が あ 

り、 ここに 『家』 に 於け る リアリズム 確立の 意義が あった。 自然主義 的 リア 

リズムの あら はれ は、 島 崎 氏の 『リアリズム 論.』 から 言へば 極く 些細な 派生 

的 色彩に しか 過ぎぬ。 自然主義 文舉 についての 見解と いふ 風な もの も、 おそ 

らくこの 立場に 沿う て 形成され てゐる と 1 目 つてよ い。 

それにしても、 『家』 に 於け る 主 情 性の 否定 は それの 喪失で はなく、 從っ 

て 自然 主教 的な 人生 觀 察の 下に は、 いつも 島 崎 氏の 詩的 資質が 潜んで ゐた。 

な 酷 さうな £1:^ 主義 的 外貌の 下に 疼く 本然 的な 主 情 性 は、 どれ だけ 抑蹊 しょ 

うと も 失 はれる ものでなかった。 『家』 の 抑 壓を經 て、 再び 『新生』 に 接頭 

した 主 情 性 を 兄よ。 

すぐれた 浪漫的 作 {, ^は、 むしろ 一 度 は 現實の 敗北に よって それ を壓 殺し、 



i66 



さう した 自己 否定と 壓 殺との 間に、 浪漫性 を衝擊 したと ころの、 現赏 の實相 vs^ 

を 追求す る e この 過程に、 再び 强輒な 質にまで きた へられた 浪漫性 を 育てる。 

かう した 意味での 浪漫的 精神 は なんら 繊弱で たく、 ときに、 もっとも 冷酷な 

たたか ひの 意思で さへ ある。 それ は、 現實の 否定的 面への 肉薄から その 現實 

に 裏打ち されて 再生し、 そして、 夢想 的な ものの ことごとく を剝 ぎと つて ゐ 

る。 そして 充分に 客觀 的で あり、 經驗 的で ある。 

『家』 について 一. 出來 上った もの を 見る と、 自分ながら 憂 な 作 だと 思 ふ。」 

(「折に ふわて」) と 言 ふ 島 崎 氏 は、 『家』 の 暗 さから 轉 じて、 現實 性に 裏打ち 

された 浪漫性 を 『新生』 に 生かさう とした。 これ は、 寫實 性の 人生 的 定着に 

對 する 一 つの 反撥で あり、 一 つの 轉機 である。 

この 一 轉機を 經た島 崎 氏に とって、 自然主義 文舉が 傾向した 現實の 否定的 

面への 額廢 は、 滿 足されぬ ところであった。 浪漫的 精神の 敗北に 對 する 反動 

から、 自然主義の 客觀 性に 暗戀さ だけ を 味 ふ 作家 は、 すでに 混亂 する 現實の 

陷穽に 落ちた と 見る 新しい 作家 的 精神 を もって、 U 新生』 は、 冷酷な 現實に 



^打ちされ た浪? f:^ 性 を特徵 したので あった • 

リアリズムの 完成 

『.:1^^』 は漸く^^9崎氏の科广術的方法を 一 應確立し、 その リアリズム は 人生 的 

に 定着した ので あるが、 しかし、 そこに はた ほ 大きな 缺陷 があった。 

それ は、 人生 的武資 を 追求す るに あたって、 唯一 つの 經驗的 世界に 沒 入し 

て 行った 點 にある。 「屋外で 起った 事 を 一切ぬ きにして、 すべて を 屋內の 光 

景に のみ 限らう とした。」 (「折に ふれて」) とい ふ 『家』 の意圖 はなん としても 

狹 きに 過ぎた。 もともと、 ある 家の 內 部に 起る 察 柄に したと ころで これが 外 

界 から 絶緣 した ものと は 言へ ぬし、 それの 社會的 關聯は 否定され ぬので ある 

が、 それにしても の 意 圖は餘 りに も狹 いので ある。 この 作品が、 余 錢 

に? ゑて 苦難す る 人々 を 描きながら. S- 代 的 色彩 を 乏しく したの は、 意圖 のこ 

の やうな 狭 さに 起因して ねる。 ある をめ ぐって 動く、 社會的 背景 はどう あ 



168 



つたの か。 『家』 の現實 的な 背景が 判然せ ぬの はこの ためで あり、 ここに そ ^ 

の 藝術的 方法の 缺陷 があった。 

島 崎 氏に 於け る リアリズムの 最高の 段階 は、 『夜明け 前』 に 示されて ゐる。 

四十 年の 作家 道程 |^>經、 この 作品に 於て、 その リアリズム は 完成にまで 高め 

られ たので ある。 『春』 『家』. 『新生』 から、 越えて 『嵐』 「分配」 などの 

作品 を 築き、 それら 作品の 基調 をな した リア リス ティ ッ クな藝 術 的 方法の 後 

に、 『夜明け 前』 が、 漸く それ を 完成 づけた のであった。 

藝術的 方法と して の リアリズム を 語る 際に は、 いつ も それの 哲舉的 基礎、 

ないし 階級 性の 問題が 語られて ゐた。 このと き、 とほく 自然主義 的 リア リズ 

ム から 流れて きて ゐる島 崎 氏の リア リズ ム に對 して、 その やうな 批評 尺度 を 

きびしく 適用したら どんな 結果に たらう か。 おそらく、 さう した 批評 は 『夜 

明け 前』 たどの 社會的 作品 を 否定す る だら うし、 この 作品の 主題が 社會 的で 

ある だけに、 いっそう 激しく 否定の 手段が めぐらされ るに 遠 ひない。 ある 部 

分の 批評家た ち は、 作品の 社會的 振幅 度の 如何 を ことごとく 除外して、 多く 



の 杜會 的竞義 ある 作品 さ へ 否定す るの で あ つ た。 

私と して は、 『夜明け 前』 について 島 崎 氏の 並々 ならぬ 積極的 意圖を 見、 

それによ つて、 史的 現赏に 肉薄した 作家の 巨大た 意思 を 感じる ので ある。 

その リア リズ ム が 階級 的で あるか 否か は刖 としても、 歷 史的 現 赏を 見事に 築 

きつく して 麼史の 意思す る 方向に 沿 ひ、 平 田鐵胤 一 派の 古代 復歸の 運動 を も 

思想の 時代 的 性格と して 理解した 點、 まことに 美しい 作ク水 的業拔 m である。 こ 

こに その リアリズム は社會 的に 性格 化され、 作品 は 文 舉史の 一 页 を 横に 擴大 

しつつ、 歷史の 意思に 結合して ゐる。 

作 (永 的赏踐 とい ふ營爲 の事赏 について は、 舉に、 どの やうに 完璧され た藝 

術 的 方法 を 提出した ところで、 所詮それだけでは^^りきれぬ他のなにかがぁ 

る。 その 創造す る 過程 は、 論理の 具體 化で はなく、 全 過程に 亙って 純 粹に實 

踐 的な もので ぎる だけに、 藝術的 方法の 完璧 さの みで は 割り きれぬ。 この こ 

と は、 すると 作 {c^ 的 修練の 堆稜を 思 はせ るので あって、 『夜明け 前』 の 作者 

は、 その 修練され た リアリズムに、 現 宵 を 吸収して 一つの 異實を 語った ので 



I70 



ある。 或 ひ は、 現實の 實體に 吸着した リアリズムと 言っても よい。 從 つて 島 バ 

崎 氏 は、 平 田鐵胤 門下の 人々 の 思想に ついても、. その 歷 史的 位置 を 作家 的な I 

仕方で 時代 的 波動の 中に 測り、 在った 思想の 社會的 性格 を あきらかにした。 

歷 史的 主題の 作品 を 見る にあたって は、 先づ その 主題が、 現實 的に 置かれた 

歷 史的 年代と、 これの 現在への 投影が 關聯 して 考 へられねば ならぬ。 

マキシム • ゴリキ ー の 『四十 年』 などに しても、 時代の 人々 を 描く に 作者 

は 島 崎 氏に 類似した 態度 をと り、 G 夜明け 前』 と 『四十 年 』 は 幾分の 共通し 

た 感じ を その 藝術的 方法の 上に あら はして ゐる。 ゴリキ ー は 作品の 人物た ち 

が 反動的で あるに しろ、 そのもの を 否定す るので はなく、 歷史の 現 實に實 在 

した ものと して 肯定的に 描いた。 そして、 在った ものの 時代 的 位置 を、 顧慮 

すると ころな く 測定して ゐる。 つまり、 現實 的に あった ものの 肯定的な 描寫 

による 的確な リア リズ ム によって、 逆に 否定 さるべき もの を 否定した ので あ 

る。 否定す る もの は 作者の 論理 • 主観で はなく、 歷史の 意思す ると ころに 沿 

うた 作家の リアリズムが、 描寫の 的確 さから 否定した ので ある C リアリズム 



の 機能 を, 『夜明け 前』 はこの 高さに 於て 示す ものであった。 

その 包括 力の ゆたか さから、 こ の 作品 は 社會的 リア リズ ム ともい ふべ き ほ 

どの 藝術的 方法 を 形成し、 その 態^に よって 歷史の 動き を 概括した。 由来、 

お ほむね 島 崎 氏 は 作品の 主題 を 經験的 世界に 求め、 これに かたり 廣ぃ 程度の 

板 幅 性 を あたへ てゐ る。 しかし 經驗的 世界への 囘想 は、 ときに 追懷の 情に 堕 

し 主 题の客 觀性を {仝 しくす る こと もあった。 この 結 ST ある 場合に は 空間の 

變 化と 時間の 經 過が 混 亂し、 作品 は 追想への ィメ ー チ、 あるひ は 表象に 化す 

かの やうな 傾向 すらあった。 それが 『夜明け 前』 に 到って 主題 は 完全に 客觀 

化され、 時 II の 經過も 空間の 變化も あざやか である。 この こと は、 藝術的 方 

法が 社會的 リアリズムと 呼ばれる ほど 高度に 發展 し、 現實に 吸着す る 作者の 

眼が、 よほど 的確た^ きをな して ゐ るからで あらう C 仔細に は、 詩的 特性た 

る 主 情 性が 兑 わけが たいほ ど 稀薄に たり、 作品の 振幅 性が 社會的 動向にまで 

及んだ ことによって、 藝術的 方法の 發展を 誇 つたの で ある。 

いつも、 作 まに 對 して 要求され る もの は 主 情 性で はなく、 時間 間の 現 



172 



實 的な 測定の 仕方であった。 さう する ことによって のみ、 暗-代の 動き は 生々 

と 反映す るし、 作 中 人物の 生活 感情 も、 時代 的 感情にまで 適應 しつつ 作品 は 

時代 的 概括の 巧 緣さを 高める。 島 崎 氏 は 『夜明け 前』 に 於て これらの 諸條件 

を 生かし、 『家』 の リアリズムの 缺陷を 埋めつ くして ゐる。 だから この 作品 

では、 あの やうに 激動す る 時代 を 描きながら、 主観的に 高揚され た 浪漫性 を 

抽象す る こと をせ ぬ。 ロマンチシズム を 語った にしても、 それ は、 時代の は 

らむ 浪漫的 精神 を捉 へ たからに 他なら ぬ ので あつ た。 

現實に 密着し 肉 づけされ た 浪漫的 精神 を、 現實 を描寫 する 過程に 於て 作品 

の內 部に 堆積した 作家 は、 理想の 現 實に對 する 抵抗と、 現實の 理想に 對 する 

抵抗 を 同時 的に 理解した 作家で ある。 

相 容れぬ 二つの ものの せめぎ あ ふところで、 搖ぎ なく 時代の 現實を 描くな 

らば、 ここに、 もっとも 逞しく 鋭い 一人の リアリストが 座 を 占める C 島 崎 氏 

の 藝術的 方法 を リア リズ ム と 呼ぶ こと は 常識され てゐ るが、 しかし その 永き 

に 亙る 文舉 道程に は、 これ だけの 複雜な 藝術的 方法の 變轉 推移が 含まれて ね 



173 



る。 このはる かたる 起伏 を 緩、 とほく 『夜明け 前』 に 到って、 その リア リズ 

ム は-: 兀き 形にまで 築き あげられた ので ある。 



『破戒 > を めぐる 囘 顧と 感 想 

悲劇の 時代 性 _ 

『破 1^』 についての 意見 や 感想 は、 すでに 幾人 かの 人々 によって 述べられ 

てゐ る。 しかし、 それが どの やうな もので あつたかに 關は なく、 『破戒』 

は 一個の 歷 史的 作品と してな ほ 多くの こと を 語り かけ、 一九二 一二 年 (昭和 七 

年〕 に は、 露譯 されて 新たに ソヴ HI ト 文壇に むか へられた。 

露譯 『破戒』 には譯 者の フ H リドマンと いふ, へが、 作品の 紹介 を 兼ねて 

「破戒の 史的 意義」 とい ふ 文章 を 書いて ゐる。 マ ー ッァ ゃフリ ー チ H らの、 

理論 藝術擧 た い し 藝術社 會學を 出發點 とし て 、 文舉 理論 を 令 日 の 成果にまで 

高めて きた ソヴ HI ト文堉 一 では、 『破戒』 の やうな 歷 史的 作品に ついては、 



177 



か う し た 批 J^!- が 先 づ な さ る ベ き た の で ぁ ら う 。 

el^ 譯 について は、 島 崎 氏 も その 序文と して 謙虚な 言紮を 寄せて ゐる。 これ 

を tg- し、 文舉 作品の 生命 並びに 文 學史と 社 會發展 の 度合 ひが、 かなら すし 

も IM1 の 速度で 絡み合 ふ もので たいこと を 知り、 近代 日本 文學の 史を囘 顧 

するとと もに、 今日の 作 ^の 姿 を 私 は 眺め 兑た。 『破戒』 の 後に、 文學 運動 

は 幾 變遷し 作 .:1^ は 次々 にあら はれた が、 そこに して どれ だけの 發展が 織り 

成されて ゐ るか。 その やうに、 a©*:^ 微々 たる、 しかも 豊富な 振幅 を もって、 

文舉史 は その 一 lor つつ を 記して 行く ものな ので あらう。 

かう して 歷史の 一 點 に-化 置す る 『破戒』 について、 島 崎 氏 は 一九二 九 年 

(昭和 四 年) 五!?:: 付の 「序に かへ て, 一 とい ふ 文章で、 

私の 『 ^戒』 も最早讓書社會から?^5^を消してぃぃ^-かも知れなぃ。 その^ 味 は、 

XXX とい ふやうな 名詞で すら 最早、 我國の 字書から 取り去られても いいやう に、 8 

その XXX のこと を 書いた 『1^ 戒』 の やうな 作品 も 姿を消し ていい 頃 かと も 思 ふ I 



ので ある。 

新しい とい ふこと は、 現代で は恥づ べき 何物 を も 意味し ない。 さう いふ 中に あ 

つて、 獨り 新しい 平民の みが 特別の 眼 を もって られ てきた の は 何故で あるか。 

私が 『破戒』 を 書いた 頃の XXX は、 その 實決. して 新しくはなかった ので ある。 

古い 部落の 民であった ので ある。 

と 言 ひ、 『破戒』 の歷 史的 位置に 關 する 意見と とも. に、 文學 作品の 古さ 新 

しさに 甘 ひ 及んで ゐる。 後代に 生れた 人々 は、 ある 期間の 歷史を 一瞬の 短 か 

さに 壓 縮したり、 反 對に何 倍 もの 長さに 延ばしたり-する ことによって、 それ 

ぞれの 作品が いか. 時代相 を 反映し、 いかに 時代 的 感情 を捉 へて ゐ るか を 見 

ようとす る。 そして 『破戒』 の 時代 的 概括の 巧み さは、 能動的な ー點 として 

歷史に 位置し、 近代 日 本文 學史 を壓 縮す るに 足る 機能 を內に ひそめて ゐる。 

この 作品に ついては、 フェリ ドマ ンと いふ 人が 試みた やうに それの 史的 意 



179 



透が 考 へられる が、 それに 等しい ほどに、 私 ひとりと して は その 年代への 囘 

顧に 心 ひかれる ので ある。 

その 常時、 尾 崎 紅 紫の 門に 連なりたがら ひとり 硯友 社の 雰圍氣 を 離れ、 自 

然 主義 文 舉の? ^頭に 接して ゐた德 田秋聲 氏の 『足 迹』 を 見る と、 「馬車の 通 

つて ゐる ところ は 馬車に 乘り、 人力車の あると ころ は 人力車に 乘 つた」 とか、 

「明るい ランプの 下で 酒 を 始めた」 とかい ふ 類 ひの 文章 を 散見す る C 『足 迹』 

は 一九 一 一年 (明治 ST 十四 年) ころの 作品で、 『破戒』 に 見る 風俗の 感じ もこ 

ひな 

れに 近い。 都市の 風物 を敍 した 條り でも まことに 鄙びて をり、 文體 など 『破 

戒』 は 『足跡』 に 比して いっそう 古風の やう だ。 

明治 中、 末葉から 大正 初頭へ かけての 風俗 は、 例へば ガス 燈、 手風琴、 鐵 

道お 車、 サ ー カス、 共進會 —-! などと いふ ものに よって 文明の ひびき をった 

へ、 燈火も ランプから ガス 燈、 ガス 燈 から. m 燈 と變遷 して ゐ る。 

かう した 囘 顧が、 あるひ は 追懐の 感傷へ 幾分 か 導いて ゐ るの かも 知れぬ が、 

しかし、 さう した 主觀 的た 條 作 を 除いても、 なほ 『破戒』 に a- る 信 州 地方の 



i8o 



風物に は 悲しい ものが ある。 そして 流れ わたる 悲しみの 色 は、 一 つに は、 常 

時の 文化 程度の 俄 さに 因る ので はたから うか。 ここに 文化の 低 さと は、 觀念 

の 古さ を も 同時に 意味す る。 古い 興 念との たたか ひ は、 一般によ ほど 永い 時 

間 を 必要と し、 『破戒』 の 悲哀が また これであった" 

維新の 變 革の 後、 やがて 自由 民權 運動 は 廣汎に 波動した ので あるが、 しか 

し 『破戒』 の 主人公ら の 社會的 位置 は、 依然として 久しく 悲劇的であった。 

進化論 的 文化 イデ ォ -グ としての 福澤 論 吉ゃ、 中 村 正直ら の 文化的 啓蒙 運 

動に しても、 傳統と 因習の 観念 を碎 きつく すに は、 なほ 次代に その 成果 を 待 

たねば ならなかった ので ある。 『破戒』 の 悲劇の 發生 は、 他なら ぬ この 文化 

程度の 低 さに 因る ので あり、 直接的に は 封建的 觀 念の 殘存 と、 これに 抵抗す 

ベ き 自由 民權 運動 の 流產に 基因す ると, い ふこと がで きる。 

このと き、 小 諸 町に 在った 島 崎 氏 は、 「小 諸の 町から 岩 村 田の 方面へ 向つ 

て舊ぃ 街道 を 行きます と、 蛇 堀川と いふ 川 を 隔てた 處に 部落の 一 つが ありま 

した。 其處へ もよ く步き 廻りに 行って、 そこで 行き 逢 ふ 男 や 女 や 年寄 りや子 



i8i 



供 なぞの に 時 を や" つてみ たばかりで たく、 通 稱彌衞 門と いふ 部落のお 頭の 

を 訪ねて みる 機會が ありました。 この 彌衞 門と いふ 人に 逢った ことが 自分 

の 『破戒』 を 寄 かう とい ふ II- 持 を ra: めさせ、 安心して ああい ふ もの を 書かせ 

る氣 持を與 へたので した。」 (「眼 醒めた ものの 悲しみ」) と、 その 人々 の 生活 並 

びに、 社會的 位置 を 仔細に 觀 察して ゐた。 

『破戒』 の 人々 の 生活の 1" さ を、 私は當 時に 於け る 文化の 低 さに 結びつく 

としたが、 M としても、 ランプ、 人力車、 草鞋の 旅た どと いふ ものから 聯想 

する 生活の 古風な 榇は、 それが 封建的 觀 念の 名 殘 りと 結合して 暗 さ を 思 はせ 

る。 未 n 入 種の 間に は 今 も 卜 ー テムと か タブ ゥ とかの 挂が あり、 それの 發生 

的 意義 は 失 はれても、 なほ 宗敎 的に 絕對 化され、 悲釗の 因 をな し. てゐ ると 言 

はれる。 『破戒』 に悲 刺した 觀念 も、 ひっき やう 未 問 人種の 野 蠻な投 に ひと 

しいので ある。, しかも 投 の野蠻 性が 現實的 力と してあった がた めに、 - 破戒. コ 

に 盛られた 抗議 は、 その 悲哀 を具體 的に 解決す る ことができたかった e 

1 九 ニニ 年 (大正 十 一 年」 あたりに 於け る 水平 社運 動の 捧 頭から、 今日の そ 



182 



れは、 無產 階級 運動の 途に 荊冠 旗 をな びかせ、 さらに 官民 協力の 融和 活動な 

ど 廣汎に 亙って ゐる。 この 事實 は、 その 社會的 位置に ついて 今昔の 感を深 か 

らしめ るので あるが、 しかし 悲劇 は、 殊に 荊冠 旗 を かかげる 以前に 於て 深刻 

であった。 それ ゆ ゑ、 この 人々 の 悲劇 性 は、 當 時の 封建的 觀 念と 切り離して 

は考 へられぬ ので ある。 

時と すると、 背後の 方から やって 來る ものが あった。 此方が 徐々 歩けば 先方 も 

徐々 歩き、 此方が 急けば 先方 も 急いで 隨 いて 来る。 振 返って 見よう 見ようと 思 ひ 

ながら も奈 如しても それ をす る ことが 出來 ない。 あ、 誰か.: rc 分 を 捕へ に來 た。 斯 

ぅ考 へる と、 何時の間にか 自分の 背後へ 忍び寄って、 突然に 襲 ひか かりで も爲る 

やうな 氣 がした。 と ある 町の 角のと ころで、 ばったり その 足音が 聞え なくなった 

時 は、 初めて 丑 松 も 我に 歸 つて、 ホッと 安心の 溜息 を 吐く のであった。 (『破戒』) 

なにものかに 追 ひ つめられて ゐる やうな 觀 念の 脅迫 は、 丑 松 を圍む 封建 性 



183 



に 他なら ぬし、 同時に、 さう した 時代 感情に 突き刺された ものの 結び マー 的な 悲 

哀 である。 ただ 一人、 それに 對 して、 極 的に 反抗す る 猪 子 蓮太郞 とい ふ 人 

物 だけが 悲哀の 本質 を 解き あかし、 この 點に島 崎 氏の 民主的 精神が 示された 

ので ある。 

水平 社運 動 あるひ は 融和 運動に よって、 EJ^ して 封建的 觀念 はこと ごとく 殄 

滅 したで あらう か。 それだけで 『破戒』 の 悲劇 性が 稀薄 化した だら うか。 

「卑屈の Sse 殼 を蟫脫 する こと」 を 叫んだ 中 江 兆民の 後に、 柳瀨勁 介、 前 田 良 

次 郞らの 人々 が 同 じ やうに たたか ひを籀 緩した が、 荊冠 旗の 悲劇 性 は 依然 一 

つの^と される。 そして、 私の 囘 顧に 於け る 『破戒』 は、 先づ かう した 暗 さ 

につつ まれて ゐ るので あった。 

作品の 心理 

この 作品 を 也む 暗 6- さが、 作 中 人物の 絶び 1- 的な 境遇から みちびかれて ゐる ^ 



こと は 見易い ので あるが、 暗 1^^ に まつ はる 憂愁の 色 は、 しかし それだけ では 

說 明され ぬ。 

丑 松の 生活と その 社會的 位置に ついて、 暗澹たる 色 を 浮かべ る 島 崎 氏の 胸 

に は、 これと 絡みあって、 その 悲劇の 展 げられ た 土地 —— 信 州の 風物が 實に 

なつかしく 生きて ゐた。 土地の 風俗 はもと より、 封建的な 投を强 ひる 因習と 

傳統 さへ、 その 感情と して は 否定し がたかった ので ある。 

先に 引例した 德 田秋聲 氏の 『足 迹』 も、 作 中 人物た ちの 一 家 は金澤 あたり 

から 東京へ 移り 住む ので あるが、 この 作品に は、 土地に ついての 愛着 ゃ追懷 

の 情 は ほとんど 見られぬ。 東京へ 移って、 いかに 生活し たかは なるほど 足迹 

らしく 克明に 書かれて ゐる にしろ、 この 克明 さは、 類型の 說 明に 終り 地方 人 

的氣 質の 描寫を 乏しく して ゐる。 作 中の 母親 は 比較的に は 地方 的 氣質を 濃く 

し、 「口 淋しくな ると、 自分で。 ホ リボリ 摘んで 食べて は、 ぉ庄に 田舍の 嫁の 

話な ど をして 聞かせた。 その 嫁の 荷の 澤山 ある ことが、 母親の 自慢で あつ 

た。」 (『足 迹』) りする が、 これと て きれぎれな 思 ひに 過ぎぬ。 この こと は、 



185 



德 w 秋聲氏 がその 土地に ついて、 格^の 愛着 を 感じて はゐ なか つたこと に 因 

る ので あらう。 

それに 比し、 『破戒』 の 松が、 

橋の 上から f おく 眺める と、 西の 空す こし 南寄りに 一 帶の冬 雲が 浮んで、 丁度 譲 

しぃ故鄉の丘を5^;むゃぅに思はせる。 それ は 深い 焦 茶色で、 雲 端ば かり 黄に 光り 

i!- くので あつたつ 帶の やうた 水 蒸 の 群 も、 幾條 かその 上に かかった つ 日沒 だ。 

蕭^とした兩!^-の風物は、 すべて この タ暮の 照 光と {> ^-氣 に 包まれて しまった。 … 

…次第に 千 曲 川の 水 も 暮れて、 に 浮かぶ 冬 i の 焦 茶色が 灰が かった 紫色に 變っ 

た は、 もう 隙 も く 沈んだ ので ある。 ばつと 薄 赤い 反射 を 見せて、 急に 捧 消す 

やうに 晴く なって しまった: _ 、『破^』) 

と 暮色に 立つ とき、 これ はふ かい 愛の 徵し である。 

自然 の 風物から 森 羅萬象 に 及ぼして、 地方 人の それ の 兄 方 や 感じ 方 は 特徴 



ひ 6 



的で ある。. 『破戒』 に 描かれた 自然 • 風物 は、 あきらかに その 地方色の 特異 か 

さ を 思 はせ る。 そして それ は 作者の 愛着す る 心理に 比例し、 島 崎 氏の 心情と I 

風物の 間に は ほとんど 距 たりがない。 それ ゆ ゑ、 『破戒』 に は、 地方の 生活 

にさながら 密着した 憂愁が 流れ わたって ゐる。 

この 作品 は、 一九 〇 四 年 (明治 三十 七 年〕 に 小 諸で 稿 を 起し 年脫 稿した 

ものであった。 「もっと 自分 を 新鮮に、 そして 簡素に する こと はない か OJ 

(一 「千 曲 川の スケッチ. 一一) とい ふ氣 持で、 島 崎 氏 は 一 八 九九 年 (明治 三十 二 年) に 小 

諸へ 移り そこに 七 年 を 過した のであった から、 おそらく かう いふ 點 にも、 土 

地の 愛 は 培 はれて ゐ たこと と 思 はれる。 

信 州 人 ほど 茶 を 嗜む手 合も少 からう。 斯うい ふ^ 物 を 好む の は 寒い 山國に 住む 

人々 の 生來の 特色で、 日に 四、 五 囘づっ は 集って 飮 むこと を樂 しみに する 家族が 

多い ので ある" a 松 も 矢 張 茶 好きの 仲間に は泄れ なかった。 茶器 を 引 寄せ、 無雜 

作に 入れて、 濃く 熱い やつ を 二人の 客に も勸 め、 自分 もホ 茶碗に 唇 を 押 宛てな が 



ら、 香ばしく 烙 らした 茶の 絮 のに ほひ を 嗅いで 見る と、 急に 氣 分が 清々 する。 ま 

あ 生 蘇った やうな 心地になる。 (『破戒』) 

これな ど、 一 見して は その 土地の 風俗 を 簡單に 紹介した に 過ぎぬ ものの や 

うで あるが、 『破戒』 の 制作に あたって、 作者の 感情に つよい 意味 をつな い 

でゐ た。 それ は 土 他の 風習の 的確た 表現で あるば かりで なしに、 かう した 風 

俗 を 愛する ものの 言葉で ある。 

さらに、 土地の 愛 は 到る ところに 見られる。 「變 遷、 變遷 11 見た まへ、 

千 曲 川に ある 城跡 を。 あの 名殘 りの 石垣が 君 等の 目に はどう 見える かね。 斯 

う 蔦ゃ每 などの 纏 絡いた ところ を 見る と、 我輩 はもう 言 ふに 言 はれたい やう 

な 心地になる。 何處の 城跡へ 行っても、 大抵 は 桑 畠。 士族 は 皆た 零落して し 

まった。」 (『被 戒』) 

作者の 心情に 充 ちて ゐる 地方 性と もい ふべき もの は、 この 愛着に 他なら ぬ。 

蔑視と 偏兑 に网繞 されて ゐる丑 松の 運命に ついて、 島 崎 氏 は 一 貫して 著しく 



188 



同情 を 寄せ、 また あるとき は、 はるかに 急進的な 見解 を 示した ので あるが、 ^ 

その 愛の 人道 性が より 急進的な 思想と なって あら はれる とき、 そこに はいつ 

そう 濃 い 憂愁が 流れた の で はな い か。 

少く とも、 丑 松に ついての 愛ば かりで たしに、 作者 は 猪 子 蓮太郞 をと ほし 

て、 生活に 喘ぐ 被壓迫 歷 一般に 手 を 差し伸べて ゐる。 かう した 積極的 部分 を 

內 包しながら、 一面、 この 特性と 並んで、 この 作品 は 父に 對 する 丑 松の 破戒 

として 淚に 終った。 もちろん、 その 積極的 面と この場合に いふ 淚の 抗議と は、 

その 本質に 於て は 同じ もので あり、 父の 戒律 を 破る 丑 松の 態度 は壓 迫す る も 

のへの 反抗 を 意味した C 一 つの 形に 於け る 反抗の 實踐 であると ともに、 あの 

人權 平等と いふ 呼號 への 具體的 行程で ある。 

ところが、 かう した 特性から 反って 氣 付かれる こと は、 XXX と 他の もの 

との 對 立の 傳 統制が、 同じ 土地の人と いふ 風に 概括され、 同一 の 色 合 ひ を も 

つて 描かれて ゐる とい ふこと である。 もしも 島 崎 氏の 抱懐した 民主的 精神が、 

土地に 愛着す る 心理 を 除外して、 より 積極 化したならば、 兩 者の 姿が 同 質の 



色 合 ひに 肯定され る やうた こと はたかった であらう。 創作 過程の き はめて 現 

實 的な 問題と して、 その 土地と 人に 對 する 愛 はかく も 支;^ 的に はたらいて ゐ 

るので あった。 しかし この こと は、 『破戒』 の 藝術的 方: Hi の缺陷 だけ を 意味 

する もので はない。 丑 松の 姿が 傷まし い 運命と して 刻みつ けられ、 あの 投の 

野蠻 性が 人の 胸 を ふるはせ るの も、 すべ て 愛着の ふかさが 効果的に 働き かけ 

てゐ るからで はなかった か。 殊に、 土地の 蕭條 たる 風物 は a 松の 傷まし ぃ感 

情と 一 つに 融け、 いっそうの 愁を たたへ て 描かれた のであった。 

『破戒』 から、 この 愛着の 心理 を 奪 ふたら ば、 作品の 悲劇 性 は 生彩 を 失つ 

て H 型 化して しま ふ ほど 島 崎 氏の 愛 はつよ い- そして、 その 愛の ままに、 丑 

松の 悲剌は 土地の 風習と 時代の 暗 さに 密着し、 個人の 悲劇的 性格 はおの づか 

ら 社^的 性格にまで 高められ たので あ る 。 



社會 性, と 主 情 性 

作家が、 誠 實な社 會的關 心 を 示しつつ、 作品の 主題 を 求める とき、 理想 性 

はき はめて 自然に、 なんらかの 形で 作品の 內 部に 座 を. n める だら う。 現實的 

な 意味に 於て は、 理想 性と 社會性 を、 二つの 異なる 位置に 眺める こと は 不可 

能で さへ ある。 從 つて、 島 崎 氏が 『破戒』 の 丑 松の 社會的 位置と あの 投の悲 

劇 性に 作品の 主題 を 求めた こ、 と は、 必然的に 作品の 性格 を社會 的な ものと し、 

ここに 理想す る 人道的 精神が かがやいた のであった e この 作品 は、 實踐 的な 

浪漫的 精神と 寫實 性の 結合 を具體 化した も の である。 

島 崎 氏の 作品のう ち、 『破戒』 に 到る までの 社會的 主題の 作品 は、 『千 曲 

川の スケッチ』 であった。 小 諸に 在った 七 年間に、 ダ ー ゥヰン や ツル、 ゲネ ー 

フに 親しんだ 島 崎 氏が、 生活 的現實 と社會 的現實 に、 思 ひ を 及ぼした だら う 

こと は 想像に 難くない。 他に 同様の 傾向 をと つた 作品 は、 全篇 八 八 三 行に 互 



191 



る規 校の 長 詩 「農夫」 である。 島 崎 氏の 文舉 道程 を迪 ると き、 「農夫」 の や 

うな 作品が、 早く 一八 九 八 年 (明治 三十 一年.〕 に 作られて ゐる こと は 舆味的 

である。 當時、 浪^派 文學が 全く 忌避して しまった 社會 性と 理想 性 を、 ひと 

り rss^ 夫」 が 典型し、 時代の 靑 春の 文 學 として あら はれた こと は、 すでに そ 

れ だけで も 驚きで あらう。 そして 自然主義 時代に 到っての 『破戒』 が、 同じ 

やうに ひとり その 逃避 性に 抗 して、 社會 性と 理想 性 を 追求した こと を 併せ 見 

るなら ば、 武赏の 意味に 於け る 浪漫主義の 作家. 詩人た る、 島 崎 氏の 精神的 

傾向が 美しく 囘 想され る C n マ ンチシ ズムと リアリズムが 極地と 極地に 背反 

する もので たく、 むしろ 二つの ものの 結合に、 强魏 た浪漫 性の 形成され る こ 

と を、 島 崎 氏の 文畢は 示した のであった。 

一, 夫」 や 『破戒』 など 11 この種の 作品に ついて、 それの 社會 性と 主 情 

性 をめ ぐって 特性と 缺陷を さぐる こと は、 おの づ から 社會的 主題の 作品に 關 

する^ 値 1^ 惯 となる ので あるが、 時間 的贩 序と して、 先づ 「農夫」 を 見れば 

そこに は 次の やうな i|= 十 句が ある C 



192 



あす はいく さの 門出な り 

遠き いくさの 門出な り 

せめて 別れの 涙 をば 

名殘 りに せむ と 願 ふかな 

君 を 思へば ゎづら ひも 

照る 日に とくる 朝の 露 

君 を 思へば かなしみ も 

綠に そそぐ 夏の 雨 

胸の 思 はつ もれ ども 

吹雪 はげしき こ ひなれば 

君が 光りに 照され て 

消えば やと こそ 恨む なれ 



193 



この 作品の 主題 は、 戰 地へ 向 ふ 人 を 見送る むすめの 歎きで ある。 この 歎き 

は、 しかし 個人的な 視角から 愛の 感情 を もって 歌 はれて ゐる。 

歎きの 性質 をめ ぐって 作者の 見方に ついて 言へば、 おそらく 多くの ことが 

あらし 

1H へる であらう。 先づ、 この 戀 愛に 暴 を 吹きつける^ 部 的な 事 實と內 部 的な 

悲しみ を ひっくるめて、 それ を 作者 は 主情的に 一色 づけて ゐる。 ここに 歎き 

の 社會的 性格 は 主 情 性に 壓 倒され、 結果 的に は、 むすめの 悲哀す る 感情が 中 

心 と た つ て 感傷的な 色彩 が^! いので ある。 そして 車 柄の 社會的 性格 を睡 倒し 

た 主 情 性 は、 その 自然の 成行きと して、 さらに 悲劇の 煽情 性へ みちびく。 

「農夫」 のむ すめが、 絶 的 な^れ を 「消えば やと こそ 恨む なれ」 と 歎き わ 

び、 『破戒』 の fi 松が 結え 間ない 脅迫 感に絕 "ば: 土して、 悲劇の 社會的 性格 を 忘 

却 するとき、 それが 悲劇の 情 性で あり、 主 情 性の 表出な ので ある。 

主情的 傾向の 劇しい 作品 は、 どの やうな ところに 取 村した 際に も 主題の 社 

會性を 自己の 感情の 裡に 忘却し 易く、 悲劇 性 は 恣意的に 煽情され る。 この 場 

八:: に は 剖 作 過程に 於け る 作者の 支 へ は 主題の 社會 性が 主と いふ 譯で たく、 む 



194 



しろ 主 情 性 そのものが 作品の 中心と なる からで ある。 「CA 夫」 に 類似した 主 W 

題の、 與謝野 晶子の 詩 「. 君 死にた まふ ことな かれ」 の 冒頭が 「ああお とうと 

よ、 君 を 泣く」 であり、 大塚楠 緒 子の 詩 「お 百度 詣で」 の 最初が 一. ひとあし 

踏みて、 夫 思 ひ」 であった ことな ど、 すべて 同様の 事情に よる ものであった。 

丑 松が 父の 戒律 を 破り、 生徒た ちに 4 口 白す る 場面 を 見よ。 

まだ 詫び 足りない と 思った か、 二 歩 三 歩 退却り して、 「許して 下さい」 と 言 ひ 

ながら 板 敷の 上へ 跪いた。 何事 かと、 後列の 方の 生徒 は 急に 立ち上った。 

見れば 丑投は 少し 逆上せた 人の やうに、 同僚の 前に 跪いて、 激した 額 を 板 敷の 

塵埃の 中に 埋めて 居た- 深い 哀憐の 心 は、 この 傷まし い 光景 を 見る と 同時に、 銀 

之 助の 胸を衝 いて 湧 上った。 歩 寄って、 助け 起しながら、 着物の 塵埃 を拂 つて や 

ると、 丑 松 はもう 半分 夢中で 「土屋 君 許して くれ 給へ」 とかへ すがへ す 言 ふ。 告 

白の 涙 は、 奈樣に afe の 頰を傳 つて 流れたら う。 (『破戒』〕 



この やうに; fh.^ びる あたり、 その 執拗な 悲剌性 は、 主題の 社會 性を沒 して、 

{ 仏 命 的な 一 種の 戰慄 を覺 えさせる の だ。 

かっての 時代に あつ た 車實 として 、 こ の 表現 は 執^で も 誇張で もな い か 知 

れ ぬし、 あるひ は 封建的 觀 念に ひそむ 悲劇の 集約的た 表現と も 言へ よう。 そ 

れ にしても、 主情的 作品 に 特徴す る 悲劇 の 煽情 性 はお ほ ふ ベ くもない。 

rs:^ 夫」 から 七、 八 年を距 てて ゐる 『破戒』 は、 全體 として はさす がに 主 

題の 社會性 を確實 にし、 おの づ から 赏踐 的な 理想的 精神に つらぬかれて ゐる • 

しかし、 一面、 それさへ 生活の 暗 さ 悲し さに まぎれ 入らう とし、 主題の 社會 

的 性格と 作者の 主 情 性の 均衡 は、 しばしば 破綻の 危險 にさら された。 人が、 

この種の 作品に ついて その 克明な 描寫を 高く 評價 しながら、 た ほ 何ら かの 亂 

醉に 似た 感じ をう ける の は、 すべて 主題の 社會 性が、 主 情 性のう ちに 陷沒し 

てゐ るから に 他なら ぬ。 醉 ひの 著し さは、 現實の 反映 度 を 稀薄に するとい ふ 

^:-味からして、 主 情 性 は 大きな 障害 を もたらす。 そして 「農夫」 の 主 情 性 は 

社^性との 均衡の. によって Si お;! となり、 『破戒』 の それ は全體 として 精 



り 6 



極 化されて ゐ るので あった。 

『破戒』 は 社會的 意欲の 流れと ともに、 その 社會 性に 主 情 性 を fl おくした 特 

徵 的た 先驅的 作品で ある。 同時に、 島 崎 氏の 文舉 道程に 於け る 口 マン チ、 ンズ 

ム から リアリズム への 轉化 を具體 化し、 文舉 史的に も 浪漫派 文舉 から 自然 主 

義文學 への みちびき として、 寫實性 を先驅 し、 この 二つの ものの 機能 を 統一 

した 作品であった。 そして、 その やうた ところから、 囘 顧に 於け る 『破戒』 

は 私にまで 親しい ので ある。 

後年 『破戒』 の 制作 時代 を囘 顧し、 島 崎 氏 はかう 言って ゐる。 「私が 七 年 

の 小 諸を辭 し、 半ば 書き かけた 『破戒』 の 稿 を 抱いて 東京へ 出た 頃 は、 まだ 

戰 爭は績 いて ゐた。 つくづく 私 は 戰爭の 悲慘を 思 ひ 知った。 私 はまた 當 時の 

著作家が 奈何に 戰爭 のために 困難し たかを 目撃した。」 「三つの 長篇を 書いた 赏 

時の こと」) 『破戒』 に關 する この 言葉と、 「農夫」 の 主題 を照應 してみ ると 

き、 そこに は、 人道 性の 流れが 美しい 因果 關係 として 知られる ので ある。 

P 與謝野 晶子の 「君 死にた まふ ことな かれ」 は 一九 〇 四 年 (明治 三十 七 年) 



197 



九月 『「謓 新聞』 に揭 載され、 大塚摘 緒 子の 「お 百度 詣で」 は 一 九 〇 五 年 1 

月の a. 太攝」 誌上に 褐载 された。 「農夫」 と 同じく 戰爭の 悲哀 を 主題に し、 

物 接 を かもした 作品で ある。 



『春』 並びに 『櫻の 實の 熟する 時』 

靑 春の 頌歌と 憂愁 . 

その 生涯 を ほとんど 旅に つくした かに 思 はれる 芭蕉 は、 もの 寂び た、 せ 淡 

の 境地に あった 人と されて ゐる。 

おそらく、 芭蕉の 境地と はさう いふ ものであった らう。 しかし 枯淡の 境地 

と 言 はれる ものの 內容を 測る とき、 かたらす しも さう とば かり 言 ひきれ ぬ P 

うに 思 はれる。 諸方に 旅し、 風流に 住む 閑雅な 營 みとて 人間 行爲の 一 つの 形 

式に 他なら ぬし、 現實 的な、 そして 世俗的な ものから 離れた といっても、 あ 

る ひ は 執着の 逆說 的な 苦悔 であるか 知れぬ。 

芭蕉の 境地に ついて、 私 は その やうに 思 ふ。 溢る るば かりの 情感と 感覺 



199 



鋭 さと は、 もっとも 人 的た 生き方 を內容 する もので はない か。 芭蒸の 句に 

はさう いふ ものの 結晶した 銳 さが あり、 意思 的た、 そして 浪漫的な 悲哀が あ 

る。 ある 心象の^ 徴 としての 句 は、 しかし その 內容 すると ころ はき はめて 複 

雜 である。 芭^の 作品が、 とほく 今日にまで 端的に 生きて ゐる ことの IS 密は、 

お そらく こ の點 にある ことの やうに S: 一は れ る。 

千 住と いふと ころに て 船 か あがれば 前途 三千 里の 思 ひ 胸に ふさがりて、 幻の 巷 

に 別の 泪を そそぐ。 

行 春 や 

鳥啼き 魚の 

目, H 0^ 一 



『奥の 細道』 の 一部分 を 成す これらの 紀行文 や 句 品 は、 それが 今日の 私 ど 

もに ま. 感 さる ことから して は、 たは だ 口 マン チックで ある。 旅する こと S 



が、 いづれ 內部 的な 動きに 因る こと を 『奥の 細道』 は 語って ゐる C なに かの 

憂愁が そこに は ある e しきりに 旅 を 思 ふやうな、. さう した 浪漫 性が ある。 

明治 文舉に 於け る 浪漫派の 詩人た ち も、 しばしば かう した 情感 を 自然の 風 

物に 托して ゐる。 それ は 悲哀で あるが 暗ま ノな 重苦し さで はない。 芭蕉の この 

句と、 たと へば 「千 曲 川 旅情の 歌」 と、 その 情感に 栗して どれ だけの 差が あ 

らう。 悲哀に して、 同時にた にか しら a マン チックで あるの は、 末期 浪漫派 

文學に 見る 特徴 的た 情感の 意匠で ある。 同じ 『奥の 細道』 にある r あかあか 

と 日 はつれな くも あきの iLl の 句な ども、 ほぼ 共通した 情感 を 傾向した 作品 

と 言へ やう C 情感の 調べ はと もに 似通 ひ、 ただこの: は、 前 句に 比して 幾分 

か 意思 的た 鋭 さ を ひそめて ゐる だけの 違 ひで ある C 

こ の 二 句 を 並べ、 さらに 二 句 を 縫 ひ あはせ る 情感から 「千 曲 川 旅情の 歌」 

を 見る とき、 いっそう 浪漫的な 悲哀の 相 は 親近して くる。 「草枕」 もさう で 

ある e 內 部に 溢れる ゆたかた 情緖か 熱情 かが、 外部から 否定され ようとす る 

とき、 ここに はいつ も 意思 的な 悲哀が あり、 現實 的で はたい ものへの あこが 



20I 



れ があった。 そして、 悲哀 はしばしば 自然の 風物に、 安ら ひと あこがれ を 求 

めた ので ある。 

色 布 一の 紀行文 や 句 品に 流れる 情緒 は、 言 はれて わる やうに、 枯淡な 味 ひば 

かりで はたかった。 枯淡な の は、 その 表現の 仕方が、 結晶 度 を 高く して ゐる 

ところから うける 印象で はない か。 感情の セ がき はめて 結晶 度 を 高め 自然 

に 素撲な 形式 をと つたこと は、 あきらかに 色 蒸の 藝 術の 高さで ある。 句と い 

ふ 緊密した 形式 そのものが、 すでに 枯淡な どい ふ評慣 をう け 易い ので あるが、 

寳こ,情^^の豊かさには驚くべ きものがぁる。 さう でなくて、 どこから あの や 

うに 見事な 句 ひが 流れて 來 よう。 

ここで 僅かながら 芭 蒸の 作品に 觸れ てみ た 事情 は、 『楔の 實の 熟する 時』 

に、 『奥の 細道』 の 前揭の 部分が 引用され てゐ るからで あった。 そして 主人 

公の 岸 本 は、 "「古人 も 多く 旅に 死せ る あり」 とい ふところに 一 方なら ぬ 感慨 

を 寄せて ゐる。 つまり この 感慨に 浪漫的 精神の 悲哀が こめられ、 動搖 する 靑 

年の、 ぃ理 は、 この 紀行文に 旅情の ささへ を 求めて ゐ るので あった。 これによ 



202 



つても 窺へ る やうに、 漠然とした 感傷が 『櫻の 實め 熟する 時 jl には充 ちて ゐ 

る。 そして、 それだけに いっそう 浪漫的で ある。. 

岸 本 拾吉の 感傷 は 成長す る 若々 しさの 苦惱 であり、 成長の 過程に 培 はれる 

うづ 

戀愛 感情の 疼きであった。 しかし 私 は、 必す しも それら 定かな 事柄に 作品の 

主題 を 求め やうと は 思 はぬ。 定かな もの はむしろ 副次的で あり、 浪漫的 精神 

の 若々 しさ は、 定かなら ぬ 點に捉 へがたい 魅力 をつ つんで ゐる。 その やうに 

『櫻の 實の 熟する 時』 は、 概して なんとも 知れぬ 感傷に 魅力し、 なんらかの 

眞實を 描いて 苦 憎す る 青年の 心理が やるせなく 流動して ゐる。 これ は、 ある 

ひ は 自我の 全部 的な 肯定 か、 自意識の 過剩 かとい ふ 風に も 言へ ようが、 實際 

に はもつ と 素樸に 成長す る ものの 內部 的な 疼き. と、 青春の 情熱に 對 する 外部 

的な 抵抗が 描かれて ゐ るの だ。 

延びよう 延びようと しても まだ 延びられない、 自分の 内部から 芽ぐんで くる も 

のの ために 胸 を 1; される やうな 心 持で、 捨吉 はよ く吉 本さん の 家の 方へ 飜譁の 仕 



20 5 



事 を 分けて 货 ひに 通って 行った。 その 闩 まで 彼が 心に 待 受け、 また 待 受けつつ あ 

る ものと、 現に 一 步蹯 出して 見た この 世の中と は、 何程の 隔 りの ものと も 測り 知 

る ことが 出来なかった。 何時 来ろ とも 知れない やうな 遠い 先の 方に あろ 春。 唯 そ 

れ 1^ 甎 Si する 心から、 せっせ と 古 へらず 仕度し つつあった 彼の やうた 靑 年に とって 

は、 ほんた うに 自分の 牛; 命の 延びて 行かれる 日が 待 遠し かった。 (『摆 の實の 熟す 

る 時』 

ここに 一 百 は, 丁て ゐる 遠い もの へ の 期待に しても、 さほど その 內容を あきら 

かにして ゐる わけで はない。 しかし、 赏 はこれ が 『櫻の 實の 熟する 時』 の浪 

漫性 であり、 その 主題で ある。 

「遠い 先の 方に ある 春」 ii < お 時、 未だ ほとんど 開拓され ぬ 荒 燕の 地 は 文 擧 

の 領域であった。 創造すべき 分野の いかに 多かった か は、 明治 文舉史 を囘想 

すれば 瞭然と して をり、 青年た ちの 胸に 政治的 情熱の 終った とき、 時代の 新 

文 》r へ の 熟" おが、 捨吉 .—— 島 崎 氏ら の 胸を充 たした ので ある。 



204 



捨吉に 言 はせ ると、 自分 等の 前に はお ほよ そ 二つの 道が ある。 その 一 つ は あら 5 

かじめ 定められた 手本が あり、 踏んで 行けば いい 先の 人の 足跡と いふ ものが ある。 2 

今一 つに は それがない。 なんでも 獨 力で 開拓し なければ ならない。 彼が 自分勝手 

に,: ずき 出さう として ゐ るの は、 その後の 方の 道 だ。 言 ひがたい 恐怖 を 感ずる の も、 

それ 故 だ。 (『樓 の實の 熟する 時. 一一) , 

島 崎 氏の 文擧的 情熱 は、 この やうに してし だいに 開かれて 行った。 次いで 

は、 戀 愛の 苦惱 である。 

捨吉の 勝 子に 對 する 思慕 は內部 的な 混亂 をと もた ひ、 愛 を お ろ そ か に は せ 

ぬ氣 持から 苦 懐 は內訌 し、 それ を 述べ 得ぬ 若 もの の 苦しみ はお のれ を 傷 づけ 

た。 苦悔 はやが て 自虐にまで はげしく され、 このと き 芭蕉の 『奥の 細道』 が、 

その 旅情 を もって 浪漫性 をった へ 島 崎 氏 は 旅 を 思 ひ 立った。 所詮、 旅 途に地 

圖を うごかした とて 苦惱は 解けぬ が、 しかし 旅 途に身 をお くこと は、 もっと 

も 望ましかった ので ある。 「古人 も 多く 旅に 死せ る あり」 とい ふ 言葉 は、 そ 



の やうた 感情の 混亂 に、 たにが なし 魅惑 的で あり 感傷 を そそる。 『奥の 細道』 

そのものが、 「前途 三千 里の 思 ひ 胸に ふさがりて」 など と^だ 口 マン チック 

である。 一 つの? S 境から、 他の 環境への 移動に なにものか 求める やうな こと 

は、 あら はれた ところ は蕭條 として ゐる にしろ、 多分に 浪漫的で ある。 q 櫻 

の 黄の 熟する 時』 の 浪漫性 は、 笆蕉の 紀行文の 情感にまで 親近して ゐる。 

ffl 似 性と 差異 性 

『樓 の赏の 熟する 時』 は、 浪漫的 感情に あふれる 作品で ある。 『春』 もさう 

である。 そして、 數 多くの 詩 並びに 後の 長篇 『新生』 と 併せて、 この 二 作 は 

崎 氏に 於け る 浪漫的 傾向 を 代表した。 

この 一 一作 を Si ぶ モチ, I フが、 その 浪漫 性に ある こと は 言 ふまで もない が、 

すると 私 どもの 關心 は、 この 二 作に 差異す る點が ありと すれば、 それ はなに 6 

かとい ふところに 向 ふ。 しかし 實 際に は、 二 作 は 切り離して は考 へられぬ ほ S 



ど 緊密に 關 係し、 その 內的 必然の 發展 から、 『櫻の 實の 熟する 時』 Q 人々 は 

そのまま 『春』 に苒び 登場して ゐる。 差異 は、 制作 年次に よる 時間 的經 過の 

距 たり だけで ある。 

それ ゆ ゑ 一 一作 を 差異す る內容 についても、 先づ その 時間 的經 過から 晃 るべ 

きで あらう。 『春』 の 着手 は 一九 〇 七 年 (明治 a 十 年) で その 翌年に 完成し、 

『楼 の實の 熟する 時』 は パリの 客舍で 一九 一四 年 (大正 三年) に 着手し、 完成 

は 一九 一 七 年 (大正 六 年) であった。 この間に 八、 九 年の 年月が 經 過して ゐる 

が、 ここに どれ だけの 成長が あつたか を 端的に 對 比する に は、 二 作の 結び を 

見る のが 輿 味 ふかい やう で あ る 。 

『春』 の 結び は、 

「ああ 自分の やうな もので も、 どうかして 生きたい OJ 

斯う 思って、 深い 深い 溜息 を 吐いた: 波璃 窓の 外に は、 灰色の { 仝く 濡れて 光る 

草木、 水 IT それから シ ヨン ボリと 農家の 軒下に 立つ 鶴の 群 なぞが 映ったり 消え 



207 



たりした。 人々 は 雨中の 旅に 倦んで、 多く 汽車の 中で $ ^た。 

た ザァと 降って 來た。 

と、 感慨 ふかい ラ S 紫に 終って ゐる。 この 旅 は 島 崎 氏の 生活に 一 轉锼を 剳し 

た 仙 is^a 仃を 指す もので、 「どうかして 生きたい」 と獨 白す るまでの 苦悩 は、 

flw む もの の 思 ひ を 暗く する ほどに、 靑 春の 哀傷 を幾赏 にも 織り こんで ゐる。 

そして この 獨. C は、 一面、 靑赛の n を 終らう とする 人の 哀切な 感情で も あつ 

たの だリ ^.?集 『若 狼』 はこの 旅の 後に 仙臺の 客舍で 作られた のであって、 

放浪と 傷心の 旅 を 終る とい ふ 意味から しても、 すでに 島 崎 氏の、 暴す る靑春 

の H は 過ぎつつ あった と 一一-;:: ふ ことができる。 この 感慨に 滲む 悲哀 と 人生への 

思 ひ は、 おの づか ら 人 生 的 な 暗 m さ を獨 白す る も の で あった。 

『樓 の實の 熟する 時』 の 末, i! も、 やはり 旅途 への 出立で ある。 しかし この 

旅 は仙荼 行と は 遠 ひ、 M じ 傷心す るに しても、 



208 



「まだ 自分 は 踏 出した ばかり だ。」 

と 彼 はき 分に 言って 見て、 白い 綿 2 うな 奴が しきりに 降って 来る 中 を、 あち こ 

ちと 宿 を 採し 廻った。 足袋 も、 草鞋 も 濡れた。 まだ 若い さかりの 彼の 足 は 踏んで 

行く春の 雪の ために 燃えた。 

と、 若さが 意匠す る 感傷と 彈カ ある 心情 を. はらみ、 人間的 成長の 樣は、 そ 

れぞれ 二 作の 結びから 順序 を 追って それと 知られる やう だ。 異 るの は 唯一 つ 

1.-1 浪漫的 感情の 捉へ 方に ついて である C 

『春』 に 於て、 作者の 主 情 性 は、 主題 そのものの モチ, -フ する 浪漫 性と 見 

分けが. たいまでに 混合して ゐる。 詩から 散文へ 移った 作家と して、 この やう 

な 傾向 はー應 避けが たい 途 筋であった。 それ ゆ ゑ 一つの 過渡的な 藝術的 方法 

から、 『破戒』 や 『春』 は 生れて ゐ ると 言へ るので あって、 寫實性 を 追求す 

る 意圖と 同じ 程度に、 作者の 主 情 性が はたらいて ゐる。 作者が その 主 情 性 を 

もって 作品 を 味つける とい ふやうな 仕方 は、 しばしば 島 崎 氏の 作品に 用 ひら 



209 



れた ところ だ。 ときに 主 情 性 は 對象を n 叩揚 し、 作品 機能 を充實 させる ので あ 

るが、 また、 ときには 對 象に 重苦しく 膠着して 作品 機能 を 停滞させる。 『破 

戒』 や 『春』 にせ、 そ Q- やうに 膠着した 停滞が 認められる。 

『春』 のかう した 藝術的 方法に 比較して、 『櫻の 實の 熟する 時』 の それ は^ 

やかな 乎 捌き を もって 組成され てゐ る。 二 作の 差異 は、 おそらく この 點 にの 

み 求められる。 そして、 後者で は 主題の 浪漫 性と 作者の 主 情 性が 各 A, の 位置 

を あきらかにし、 主 情 性 は、 機 を 狙って は 巧みに 主題の 浪漫 性に はたらき か 

けて ゐる。 從 つて 作品の 浪漫性 は 若さに 卽 しつつ、 捨吉の 感情と 行爲 の混亂 

も、 同じ やうに 靑 年の 純 粹 さとして あった。 『春』 の 岸 本が 寧 n たく 苦惱す 

る さま は、 作者の 主 情 性と その 混亂を 多分に 反映す る もので あつたが、 『櫻 

. の實の 熟する 時』 に 到って、 さう した 混亂は ほとんど 見う けられぬ。 あら ゆ 

る 行爲と 感情の 混亂 も、 生活 感情 そのもの として 生き、 いづれ 混亂の 必然す 

る途を 描いて ゐる。 この 差異 を もたらした ことから しても、 二 作の 間にある 

『.:i5y は、 多くの 意義 ゃ帶 びる 作品であった。 



2IO 



き はめて 自然主義 的な 作風 を l^w 氣 する 『家』 は、 さう した リアリズム か 

ら 割り だされた 暗い 生活 相 を ひろげて ゐる。 『春』 の 主 情 性に 叛逆しての 

『家』 の 自然主義 的經驗 が、 從 つて 『樫の 實の 熟する 時』 に たんら かの 形で 

反映せ ぬ 害はなかった: そして 『家』 の 作家 的 態度に 特徵 した 客觀 性と 観照 

性 は、 『櫻の 實の 熟する 時』 にも ひきつづき、 この ものが、 主題の 浪漫 性と 

作者の 主 情 性 を區別 づけた ので ある。 この 作品に あら はれた 主 情 性 は、 作 中 

人物 —i 捨吉 などの 生活 感情と して 肉體 化され、 作者 は それらの 人物 を 若さ 

と浪漫 性のう ちに 描く ために 努力した。 『家』 に 於ての リアリズムの 確立と 

主 情 性の 否定 は、 かう して 『怫蘭 西紀 行』 その他の 渡 歐記を 越へ、 『櫻の 實 

の 熟する 時』 にまで 及んだ ので ある G 

八、 九 年を距 てる 二 作の 差異が、 浪漫 性と 主 情 性 を區別 づける まで 發展し 

た 藝術的 方法に 示された こと は、 別に は、 島 崎 氏の 肉體に 年月の 流れた こと 

を も 語って ゐる。 フランスから 歸 朝して しばらくの 間 は、 一種の 囘想 期と も 

いふべき 時期 を、 島 崎 氏の 仕事に もたらした ので あつたが、 それらが 『櫻の 



21 I 



<^ の 熟する 時』 とか 『新生』 とかの、 いづれ もな にか しら 浪漫性 を 傾向した 

こと は、 一つの 興味と いふ ことができる。 

浪漫的 眞赏と 人生 的眞實 

なんとも ラ 2 へぬ 漠然とした 惱 みが、 實 はなに にもまして 眞實 である こと を- 

『櫻の 寅の 熟する 時』 は 語って ゐる。 それ ゆ ゑ この 作品に は、 これと いふ ほ 

どの 具體的 is?^ 件 もな く、 若々 しい 感情の 流れ は、 ひとへ に靑 春の 調べ をった 

へる のであった。 そして 捨吉 をし きりに 苦惱 へみち びくの は、 主として 愛の 

感情で ある。 自然につ いて、 人間 精神に ついて、 美に ついて。 -—— 愛の 感情 

は それら をめ ぐって 時に 鮮明に 燃える。 もしくは、 全然 現實 的で ない ものへ 

の 愛 か、 感動と して 浮び あがって くる。 しばしば :1 自然に 向けられる 愛 は • 

いっそう 浪澄 的であった。 

「天 は焰の 海の やうに 紅かった。 驚くべく 廣々 とした 其 日まで 知らす に 居 



212 



た 世界が そんた ところに 閃いて ゐた e そして、 その 存在 を 語って ゐた。 淋し 

い 夕方の 道 を 友達と 一緒に 寄宿 舍 へ 引返し て 行 つた 時 は、 言 ひ あら はし 難い 

歡 喜が 捨吉の 胸に 滿 ちて 来たに 一 Q 櫻の 實の 熟する 時』) この やうな 自然の 美 は、 

直接的 でない ことによって その 感情 を 摩擦せ ぬし、 閃光 的で は あるが 共感 の 

度が つよい。 

それがし だいに 地上 的な 對象を 求める に 到って、 不可 見 的な 浪漫性 は ある 

可 見 的な ものにまで 變 化しよう とする。 自然た どに つ い て の 愛から 地上 的な 

感情への 移り行き -i. 戀愛 感情の 生長が それであった。 この 過程 を、 『樱の 

實の 熟する 時』 は 巧みに 描いて ゐる。 この こと は、 島 崎 氏の 青春が 純 粹に浪 

漫性を 思 向し、 それだけに、 苦惜は 甘美に 似て ゐ たこと でも あるの だ。 

不可 見 的な 愛から 愛の 具象 化へ。 これ は 文學的 情熱の 昂 まりと ともに、 岸 

本の 勝 子に 對 する 愛 を 意味した。 ここから、 幾 ばくかの 事件ら しい 事柄が 展 

^ する ので あるが、 そこで 『櫻の 實の 熟する 時』 はすで に 終って ゐる。 そし 

て 可 見 的な、 具象的な 愛 をより 現實 的に しょうと する 變化 —— 浪漫的 感情の 



213 



成長が、 自然に 『春』 へ 向って ひらいて 行った。 

前途の 不安 は 年の 若い 捨士 2 の 胸に 迫つ て來 た。 「お前 は氣 でも 狂った のか」 と 

他に 〔;ほ はれても 彼け それ を: むことの 出来ない やうな 氣 がして ゐた: その 心から、 

岡 見に たづね て た。 

「僕の 足 は 浮つ いて ゐる やうに 見え ませう か。」 

「どうして、 そんな 風に は 少しも 見えない つ 奈何なる 場合で も 君 は靜か だ。 極 

く靜 かに 君 はこの 世の中 を 歩いて 行く やうな 人 だ ご 

この 岡 見の 言^に、 捨セ! 1 はいくら か 心 を 安んじた、 (『櫻の 實の 熟する 時』) 

こ れは 浪漫的 眞實 から 人生 的眞赏 へ 向っての、 苦難に 充 ちた 成長の モメン 

ト である。 

從 つて 『! y は 浪漫的で は あるが、 どこか 搔亂 にも 似た ひびき をった へる 

作品で ある。 そして 作屮 人物 は 『文 舉界』 同人 を 中心に して 脈絡 ある 星座の 



やうに 配置され、 このん々 及び 捨吉が 接^す る 人々 の 生活が、 捨吉の 成長、 

變 化に 附帶 して 描かれて ゐる。 その 點、 この 作 口 S は當 時の 青年た ちの 姿 をう 

かが ふに も 足る ものである。 「ォ フ H リャの 歌」 を 歌 ふ 幾つかの 場面な ど、 

『文 學界』 同人 を 中心とする 青年た ちの、 浪漫的 感情 を 5^ ばせ る。 

靑年 時代の 島 崎 氏 は、 時代の 青年た ちの 苦惱 を、 それぞれの 面から 集約し 

て背负 つて ゐ たかに 見える ほど、 種.々 の 意味で 艱難した。 『春』 の 冒頭 はす 

で に 漂泊者 の 嶮し さ 乏 し さ で あ り、 次い で 漂泊の 素因と たった 勝 子との 戀愛 

である。 放浪と 變遷 はつ、、 ついて ゐる。 — :: 關西 から 東海道 吉 原へ、 東京から 

靑森 縣八戶 へ、 八戶 から 鎌 倉へ。 それから 僧侶 風な 衣 を 着けての 放浪 三日間、 

最後に 仕事 を 得て 仙臺 へ。 地 園の 移動 を 見た だけで もこれ ほど あわただしく、 

この間 を 縫 ふ もの は 背敎、 戀 人との 離^と その 人の 死、 自殺の 決意、 文舉へ 

の 情熱、 生活の 危機、 北 村 透 谷の 死、 識 業の 變轉、 兄の 人獄。 . . -• これらが 

複合し 重疊 し、 青春 を壓 倒す るかの やうに 苦難 は つづく のであった。 

かう した 途を 迎ら ねばならなかった だけで も、 島 崎 氏の 靑春は 苦難に 充ち 



2【 5 



充 ちて ゐ たわけで ある。 そして 岸 本に 氣! X する 道義 的 親 念 は、 いっそう 戀愛 

の 苦!? を 痛切に し、 その 心情 を 哀傷 させた。 散髮 して 奇怪な 僧衣 を 身に まと 

うた 放浪の 一夜、 つ ひに 海の ほとりに 死 を 決した ことな ど、 苦難の ほど を 思 

はせ るので ある。 

かう して 『春』 は 青年の 若々 しい 情熱の 流動 を 主題と する 一方、 生活の 暗 

い 色 をた だよ はせ、 浪漫的 351; 實と 生活 的 現實の 相剋す る樣 を、 大きな 背景と 

して ゐる。 作者が 主情的 態度 をと り、 辛苦す る 部分 をい つそう 暗 な 色に 塗 

り こめた こと も、 かぎりたい 苦惱 をた たみこんだ その 青春の 途筋を 知る もの 

にと つて は、 むしろ 肯定され るかの やう だ。 さう した 點 からしても、 私 はこ 

の 作品が 青年の 情熱 を 描き、 それに 反撥す る ものと しての、 錯綜した 現實苦 

を衝 いて ゐる こ. とに 共感した。 あるひ は、 青春の 浪漫性 は 奔流す る 河の やう 

に 現 に. 撖き當 り、 苦惱を 必至の 勢 ひで 購 つたの かも 知れぬ が、 それにして 

も、 つまり 靑_ ^の 生活 的 ftga は あきらかに 示されて ゐる。 青年の 情熱 は 現 

6 

を 否お しょうと し、 現實 はしかし それに 抵抗す る。 二つの ものの 万; ひに 抵抗 2 



すると ころに、 島 崎 氏はぢ つと 身 を ささへ てきた。 

『春』 に 於ての 島 崎 氏 は、 抽象化 された 青春の 浪漫 性に 醉 ふこと を 許され 

あらあら 

なかった。 粗々 しく ひろがる 生活の 波々 を、 くぐり 拔 けて 生きねば ならぬ は 

げしい 身の 處し 方に、 島 崎 氏のお ほかた の 青春 はっく されて ゐる。 『櫻の 實 

の 熟する 時』 の ゆるやかな 感情の 流れ は、 その ^然とした 哀歡 のうちに 『春』 

の はげしい 波立ち を 遠く 節奏し、 やがて 來る だら う 『春』 の 暴 を 前觸れ する 

かの やうであった。 そして 急激に 奔流した 『春』 の 波々 と、 その 青春の 哀傷 

は讀む ものの 思 ひ を 傷まし める。 苦惱は 二つの 形 をと つた。 自己 を虐 ますに 

あらし 

はおかぬ 內部 的な 激情の 暴、 生活の ための 現實 的な 營み。 二つながらに、 若 

い 知識人 を壓 倒す る 宿命的な 苦しみで ある。 この 二つ に對 する 切迫した たた 

かひの 意思 を もって、 その 相剋に、 自己の 文學を 築かねば ならなかった^ 崎 

氏 は、 いっそう 痛苦の 度 をつ よめた のであった。 

當 時の 青年た ちが、 時代の 暗 さに 抗し 新しい 文學 を發展 させねば ならな か 

つた 營爲 は、 しかし 島 崎 氏に とってけ つして 苦惱の 全部で はなく、 創造的 仕 



217 



fl- も、 生活の 部 として 包含され ると いふ ほど 逼迫した 狀態 にあった c S 

的な 境地に 追 ひ つめられ たの も、 一再で はない。 海の 邊 りに 死 を 決意した こ 

と, 陶器商の 仕事場に 就職して 失敗した こと、 それら は、 いづれ も絕 5-1, 的た 

瞬 であった。 

到 s!i 本 は 階. 卜の 座敷へ お 床 を 敷いて 莨って、 其 上へ 倒れる やうに なった。 傲 

岸な 彼 は、 朱 だ それでも.; E 分の 敗北 を 認めようと はしなかった。 「我 は 敗者な り」 

おく s> 

などと は 小 欠に も 出したくなかった。 斯うい ふ 負 惜 みの 强ぃ、 £in 分 を 知る ことの 

少ぃ。 盲と と を 兼ねた 靑 年が、 人生と は何ぞ やとい ふ 疑問に 逢着しながら、 そ 

の 解決に 苦しんで お 床の 上に へて ゐる光 は 11 丁度;? ォ: 傷 を 負つ て戰 場の 草の 

中に 倒れながら、 まだ それでも 抵抗す る 氣でゐ る 兵士の やうで ある。 (『春』) 

こ,:: 部分から も 知られる やうに、 『春』 は 青春の 書で あると ともに 戰 ひの 

記錄 である。 「ああ 自分の やうた もので も、 どうかして 生きたい。」 とい ; i 



ふ 感慨 を もつ て こ の 作品が 終る と き、 その 獨 白 の 內容 する 苦惱 の ふか さ は、 

私の 思 ひ を 暗く した。 

靑年 らしい 內部 的な 暴と 過剩 する 意識、 そして、 今にも 破綜 する かの やう 

な危險 にさら されて ゐる 生活。 『春』 は その やうた 危機 を 描き、 しかも、 絶 

望 的な 苦 惱に充 ちた その 生活圏から、 逃亡す る こと は 不可能だった ので ある。 

死の 決意に 傷ついて、 なほ 肉體と 精神 を現實 のた だ 中に さらし、 さう する こ 

とに よって、 人生の なにものかに 挑戥 した。 

其 時 岸 本 は寢 の 上に 跳 起き た。 彼の 懷 中には 黑 塗の 鞘に 入った 嫠 劍が隱 して 

あった。 それ は菅 から 返して 貰って、 二階の 本箱の 抽出に 藏 つて 置いた もので あ 

る。 友達に 見られまい として、 彼 は それ を 蒲團の 下に 隱 した。 

斯うい ふ 精神の 状態に 在りながら、 岸. K は 自分の 苦 if を 友達に 訴 へようと はし 

なかった ので ある。 彼 は 唯、 階い 忿怒 ゾ影を 額の 慮に 見せて、 悄然と 寢 床の 上に 

坐って ゐる。 (『春』) 



219 



これ も、 人生の たに もの かに 挑-戦す ると い ふ 1 浪漫的 眞實か ら 人生 的眞 

资 /向って の、 轉 化の 一 過程で あらう。 從 つて 『春』 の特徵 はつ まり、 次の 

點 にある。 それ は、 靑年 たちの 姿 を さう した 浪漫的 特性のう ちに 捉へ つつ、 

:^: きねば ならぬ とする 意 を もって、 靑 春の 情熱と 生活 的現赏 が、 いかに 抵 

抗し 合った かとい ふところに。 

註 昭和 三年、 『明治 大正 名作選 集』 の 一 つと して 出 板され た 『春』 に は、 作 

中の 主要ん 物と その モデル の關 係が 解說 して ある" それ を 摘 一?" してお く」 

r 篇 中の 人物のう ち、 主人公の 岸 本 は 作者 自身、 靑木は 北村笾 谷、 菅は戶 

川秋^、 もう 一 尺の 贫は 戶川殘 花、 岡 見 は 星 野天 地、 足 立 は 馬場 孤碟、 鼷富 

は 上 救の 氏で、 各 t そのお-を 寫し たもの だと 傳 へ ら わて るる-に 



『家』 の 性格と 憂鬱 性 



人生 的 決意の 必 然 

島 崎 氏 の 雲 的 方法が、 自然 囊的リ ァ リズムの 流れ を ひいて ゐる こと は 

周知され てゐ る。 そして、 『家』 は、 自 I 義 豪の 支配 期に 作られた 作 口- 

であった。 フ 『こ 

i に 寄せた 序文で、 中 澤臨川 氏 は、 この 作品が ツル、 ゲ个フ の r 乂と 

S こ 共通す る こと 墓べ たが、 しかし 『家』 はむしろ 純粹 な藤 村 的 作品で 

あった ことが 考 へられる。 ここに、 I 「むしろ」 とい ふ 墓 使 ひ をした も 

のの、 こ cMH しっして 『や 乂-』 の 獨自性 を 疑問す る 意味に 於て ではた.^ その 

やうに、 この 作品に 於て、 はじめて 島 崎 氏の リアリズム は 自主的 I をと と 



222 



のへ、 その 獨自性 を 確立した のであった。 

欧洲 文舉 の 明治 文舉 へ の 影蓉 に は壓倒 的た ものが あり、 同じ やう に 島 崎 氏 

は、 一時期に 於て それに 親近した e さう では あるが、 前 作 『春』 に 準備した 

リアリズムの 人: J^; 的 定着が、 どの やうに して 『家』 にまで 發展 し、 どの やう 

に! 性 を 形成す るに 到つ たかを、 瞥 してお きたいと 思 ふ。 

-、 生活の 暗 さ を、 i "さとして 現實 的に 描いた 作品が 『{ 豕』 である。 『春』 

にも 生 的な^ 愁は 流れて ゐ るが、 それにしても、 靑舂 の苦惱 はなに かしら 

せ 笑であった。 それが 『{¥』 に 到って は、 甘美な 情感の 斷片 すらた く、 ある 

もの は どこまでも 核く^ 活の暗 さで ある。 「ああ、 自分の やうな もので も、 

どうかして 生きたい。」 とい ふ 感慨 を もって 『春』 は 終って ゐ るが、 『{糸』 は 

その 感慨の 終った ところから はじまって ゐる。 そして、 從來の 作品に 特徵し 

た 主 情 性 は ほとんど 氣配 せす、 生活 的 現. ぼ を描寫 しょうと する 欲求が さかん 

である。 っ^』 と 『i\^』 との 關係は B 寅 性の 人^的 定着の 發展 の點に 脈絡し、 

浪^的 主 超 を リア リス テイクに 描かう とした 『春』 の 意 岡が、 主 情 性の 否 ilH 



として 『家』 の リアリズム を 確立した のであった。 中 澤臨川 氏の 序文が どう 

あれ、 從 つて 『家』 は、 島 崎 氏の 獨自性 を 確立した 作品で ある。 

島 崎 氏の 作品に は いづれ も 自傳的 要素が 多く、 『家』 も その 一 時期と して 

の壯年 時代 を 克明に 描いた ものである。 他の 短篇 作品で 一 應觸れ た 率 柄な ど 

も、 幾つか 整理され てこの 作品の 部分 を 成し てれる。 人生 探求の 態度の きび 

しさ は、 さう までした ければ、 島 崎 氏の 氣持を 安ん ぜ しめぬ ので あらう。 か 

うした 事實 は、 どちら かと 言へば 讀者を 辟易させる ので あるが、 しかし 『家』 

にあって は、 讀 者よりも 作者 その 人が、 生活の 暗 さに 辟易して ゐ るので はた 

いか。 私 は、 他の 短篇に 描かれた 題 村が 再び 『家』 にあら はれ、 除く ことの 

できぬ 部分と して 打ち こまれて ゐる ことに 反って 心 ひかれ、 作者の 苦 惱のふ 

かみ を 知った。 それの みか、 人間 生活の 暗 さ を、 これまでに 追求して 行った 

作者の 眞摯 さに、 はげしく 共感した ので ある。 

ひきつづいて 起る 生活の 暗 さに ついて、 だからといって、 作者 は 絶望して 

ゐ るので はたい。 たんと しても 生きねば たらぬ とい ふ 人生 的 決意 は、 『春』 



223 



以後の 全 作品 を つらぬく 一筋の 强輒た 紐.? w である。 『春』 の 岸 本が 放浪の 一 

夜 死 を 決した とき、 r 此 世の中に は 自分の 知らたい ことが 澤山 ある。 :i 今 

ここで 死んでも ッ マラない。」 と、 思 ひ を ひるが へした 瞬間から、 島 崎 氏の 

文 爭は、 生きねば ならぬ とする 人生 的 決意に、 息苦しく 喘ぎつ づけて ゐる。 

けっして^ 芙的覺 悟 を る ことなく、 ひたすら 人生 的 決意 を 示して 生活の 實 

相に 定着した ところに、 島 崎 氏 獨自の 風格 は ある。 そして、 人間 生活の 苦難 

を さまざまな 角度から 描いた 『』i!l こそ、 いっそう その 意圖を 端的に し、 そ 

れ によって、 いっそう 强 同に 生の 意思 を 凝: _れ させた 作品で ある。 かぎりない 

暗 さに 辟易しながら、 このと き 作者の 敗北 を 支へ たもの は、 その 人生 的 決意 

の;!::: 條に 他なら なかった。 

囘 想して、 作者み づ から 「憂 1^ な 作 だと 思 ふ。」 と 一 百って ゐる やうに、 こ 

の 作品から うける 印象 はまこと に 暗い。 どの やうな 希ば 1- も、 所詮、 現 實の荒 

さに は 抵抗し がたいの であらう とい ふ、 絕 5 ェ 的な 氣持 か、 宿命的な 感じに 囚 

はれる ほど 暗い ので ある。 ところで、 鄉 i の 橋 本家へ 露^した 三吉 が、 その 



224 



の 主人に、 自分の 書き物 なぞ r 爲め になる やうた こと は、 先づ ありません c」 

と 答へ てゐ るの は 面.:: J い C この場合の 書き物の 內容 は、 作品『{^^』 を 指す の 

ではなかった が、 それら 橋 本』 の 人々 を 含めて 描いた 『.:i^』 も、 その 絶. 一 1 的 

な氣 配から して r 爲 めに はならぬ」 だら うし、 たんと しても、 人を樂 しませ 

る やうな 明かる さに は缺 けて ゐる。 

いづれ にしろ、 島 崎 氏の 作 ク从的 態度の 人生 的 定着 は 『春』 以後き はめて 必 

然 的な ものであった。 「私 はいよ いよ 多く、 事物に 於け る 必然性 を 美と して 

兑る こと を舉 ばう と 思 ふ。 :•:• これが 多くの 懍 疑と 苦悶と から 一 切の ものの 

肯中ん に 移った 時の 人の 心であった ,こか。 好い 言葉 だと 思った。」 (「必然性」) 

この 感想 も 一 つの 人生 的 決意で ある。 なんら {岙 美的 覺悟を 語らぬ この 作 { 水 は、 

その 人生 的 決意 を、 『{ 尿』 の 暗い 生活に 一 つ 一 つび しびした たみこん だので 

あった。 



自然主義との 關係 

明治 文學の 成果 を 約 づける もの は、 自然主義 文舉に 於け る 寫實的 精祌の 

^入で ある。 それ は 外 阈文舉 との 交渉た どに よって、 新しい 作 {| たちの 文舉 

に 藤 成された ので あるが、 それだけで、 寫實的 精神が 容易に 發展 して 行った 

わけの もので はない。 「何もかも 新規に 始めなければ ならなかった のが 自分 

らの靑 年 時代であった。 私 は 歩けば 歩く ほど 當 時の 調和 的な 思想と いふ もの 

を 疑 ふやう になった。」 (「昨日、 一昨日」) とい ふやう に、 島 崎 氏ら は 先 づ皮栢 

的な 寫 ly: 主 1_ ^とたた かひつつ、 「もっと 直接に 自分ら の 内部に 芽ぐんで 来る 

もの を 重んじ 宵て たければ 成らない。」 と考 へたので ある。 

この やうた 點 からすれば r 硯友 社」 一 派の 活動な ど、 新文舉 の發; ^のた め 

に、 なにほどの もの を寄與 した か 疑問され る やう だ。 むしろ 浪漫的であった 

『文 學 B -』 の 仕^に、 ぉ赏的 精神 は 胚芽して ゐ たので はたい か。 これ は 反語 



220 



ではなく、 例へば 『破戒』 『春』 たど は、 自然主義 的 作品と 言 はれて ゐ るに 

しろ、 §5- に現實 を描寫 したば かりで はなく、 そこに は 生々 した 情緒 も 流れて 

ゐる。 浪漫派 文舉に 特徴した 主 情 性と、 自然主義 文 寧が 內 包した 寫實 性の ゆ ^ 

合に よって、 島 崎 氏の 文 學が途 を ひらいて ゐる こと は、 新 文 學の创 造 的 性格 

が、 どの やうた もので あつたか を 知る 上に 輿 味が ある。 

長 場 節の 『土』 が 『ァ ララ ギ』 俳 派の 寫 生から 入って、 あれ だけ 細^た 描 

寫を 行った ことに は 驚くべき ものが あり、 そのこと からして、 自然 描 寫の美 

しさに 富んで ゐる。 藤 村の 『千 曲 川の スケッチ』 もさう した^ 生 を 特徴し、 

次 作に あたる 『破戒』 にも 自然 描寫は 目立って ゐる。 長 塚 節の 『土』 は训と 

しても、 島 崎 氏ら が 自然主義 文學の はるかなる 芽生え を、 自然 描寫 をと ほし 

て 育てて ゐ たこと は 塞實 であった。 そして、 島 崎 氏 は 他面、 バルザックの リ 

ァ リズム ゃダ ー ゥヰン の 自然 科學 を吸收 して ゐ たので ある。 

『釵倉 だより』 に牧 めて ある 「昨日、 一 昨日」 とい ふ 文^ は、 自然主義 運 

動當 時の 囘想を 求められて 書いた 感想で あるが、 この 感想 は、 リアリズム 並 



22/ 



びに,! m 然主 文畢 についての、 島 崎 氏の意見 を 知る に 適して ゐる。 

その 中で、 かう ずって ゐる。 一. あの 山の 上で 私 は バルザック を讀む 前に、 

ダル ヰンを ilS んだ。 ダル ヰンの 著述から は 大分 いろいろな 感化 をう けた C あ 

の-ぬ、 W 山 花 袋お は 束 京から 長い 手紙 を吳れ たり、 書籍 を 借して よこして 吳 

れ たりして EE 舍に獨 りで 籠って ゐる 私の 心を勵 まして 吳れ た。 私 は 蒲 原 有 明 

君 か らも 好 い 乎 紙 を^ つ た。 私 は 田 山 君 や iri- 君の 手紙 を讀む の を樂 しみに 

した。」 (あの 山 は 小 諸 町 を 指す) 

出 山 花 袋が、 自然主義 作 〔, ^として、 どの やうた ところに 位 S する か は 周知 

されて ゐる。 また 蒲 原 有 は 象徴派 詩人で あるが、 その 象徴詩が 自然主義 文 

舉と交 涉 したと き、 いかに 現實 的な 素描 を 行つ たかは、 この 人の 詩集 を 一瞥 

すわば 知られる。 それ は 象徴から 轉 じて、 印象的 自然主義 ともい ふべき もの 

であった。 これらの 人々 との 交友、 ダ ー ゥヰン への 傾倒な ど、 自然主義 的寫 

Is- 性への 必然性 は、 『破戒』 に 着手す る 以前から 培 はれて ゐ たと 見て よい。 

そして r 春』 を經 過し 『{Ag に 到って、 島 崎 氏が 追求しつつ あった 寫實 主義 



228 



の 藝術的 方法 は、 具體 化された ので ある。 

島 崎 氏に とって、 その リア リズ ム は、 けっして ある 一 つの jsTJ^ 術 的 方法で は 

なかった。 それの みが、 唯一 の 絕對的 方法な ので ある。 すべての 作 が、 人 

生 的 責を 探求す る の 意欲に よ つて、 リア リス テイク た 藝術的 方法 をと り 、 

それ ゆ ゑ 人間 生活に 於け る 否定的 面に 沒入 する ことなく、 末期 自然 主 i= ^文學 

が陷 つた やうな 汚濁した 世界に は、 手 を 仲べ る こと をし なかった。 

一 自然主義の 時代 も旣に 過ぎ去つ たと 言 はれつつ ある。 何とい ふ 冷 靜た霄 

葉 だら う。 吾國の 文壇 は 漸く レア リテ H に觸れ 始めた ばかりで はたい か。 吾 

儕 日本人の 缺點 はほんた うに 物に 熱したい ところに ある。 个の 時に あたって 

私 は 1 寫實 {农 として 進んで 行く こと を 恥と しない。」 (「昨日、 ー咋 日」. 一 ここ 

に、 島 崎 氏の リアリズムの 本質が ある。 

自然主義 文擧の 時代が 過ぎた か 過ぎぬ か は、 しかし 島 崎 氏に は いづれ でも 

よかった ので ある。 ただ、 それによ つて 導入され た 寫實的 精神 を、 確保して 

行かねば たらぬ とする 決意が、 言 はう とすると ころの 眼目 を 成して ゐる。 そ 



229 



2 SO 



して こ のこと は、 散文 精 祌に缺 除す る この 國の 作家た ち へ の 挑戰を 意味し、 

E 時に、 その 人生 的 欲求が、 いかに 熾んで あるかが 窺 はれる ので ある。 . 

それに しても、 『{ 么』 に 於ての 藝術的 機能 は、 一定の 限界 性に 規制され て 

ゐる。 なるほど この 作品 も、 部分的に は 時代の 動き を 背景して ゐ るに 違 ひな 

いが、 それ は 主として 風俗の 變遷 する 樣 にかぎ もれ、 着物の 流行、 se 子の 變 

遷、 結 髮の變 化な どに 過ぎぬ。 これらの 風俗から、 社會の 動き を 暗示す る こ 

と は 困 維で ある。 もっとも.!: 崎 氏の 意圖 は、 ある』 ぶ を 中心とする 人々 を 描く 

ところに あつたの だから、 社會の 動き なぞ 反映せ す ともよい と 言 へ ば それ ま 

でで ある。 と は 言へ、 それたら ば、 次々 に 起る 蹉跌 や 失敗 はたんで あらう。 

さう した; * 寳に 社會的 性格 はなく、 ただ 個々 人の 能力の 不足、 もしくは 運命 

的な なに かの 支配が ある だけた のか. - さう した 點 『t:}21 は どこか 茫漠 とし、 

從 つて、 代^ 概括 の 度の い 作品と 一 百 ふ こ ともで きる。 



人生の 囚 はれ 

これ は、 たんと いふ 暗 さに 充 ちた 作品 だら う。 そもそも 作品の 主题 からし 

て 暗く、 それ を 描く 島 崎 氏の ひも 暗い ので ある。 

自然主義 作家の 多くが、 人 問 生活に 於け る 否定的 面 を そのままに 描いた こ 

と は、 それら 作品に 解決し がたい 暗 さ を 溶 ませた と 同じ 程度に、 人生 を 否お 

した こと を 意味す る。 概して 自然主義 作 {冰 は 人生 を 否定的に 极ひ、 その 文畢 

的 世界に あって 人生 を 絶 tsi- した。 さう した 點 から 言へば、 『(氷』 も はなはだ 

絕 び- A 的で、 そこに は、 なんの ための 人生 かとい ふ 疑問が 無数に 提出され てゐ 

る。 ただ 作者 は、 暗 憎た る 生活 を、 一 つ 一 つ 生きる 意思の つよみに くぐり 拔 

けて 作品 を 築いた。 三吉と 妻との 家庭生活が 危く 破綻しょう とする あたり、 

この 人 もまた 人生に 疲れ果てた のかと 思 はせ るので あつたが、 生きる^ 思の 

きびしさ は、 辛くも その 危機 を ささへ た。 



231 



けれども それ は 一 つの 危機 をく ぐり 拔 けたに 過ぎぬ。 生活の 暗 さは、 家 

の 人々 をめ ぐって どこまでも 葛藤し、 それ を 作者 は 次々 に 描かねば ならた か 

つたので ある。 事業 も、 文事 も、 結婚 も、 一 つと して、 暗 さに 囚 はれぬ はた 

いとい ふやうな 暗示す ら與 へる。 人間 生活の 空し さ を 描いて、 盡 きる ところ 

たしと いふ 有様な の だ。 

なに を 目 ざして、 島 崎 氏 はこの やうな 暗 さ を 描いた のか。 

兄は獸って^^?の顏を-見た。 

「私 はよ く 左樣思 ひます が、」 と 三吉は 沈んだ 眼 付 をして、 「橋 本の 姊 さんが 彼樣 

して Hi? るのと、 贵 方が この 旅 に 居る のと、 私が 又、 あの 二階で 考へ 込んで 居る 

のと —1 それが、 iii 敷牢 9:2: に婉 いて 居た 小 q.- 忠宽 、 奈何 違 ひます かサ …… 吾 

^は 何處へ 行っても、 皆な 舊ぃ家 を 背負って 歩い 一、 ゐ るん ぢゃ有 りません かご 

(『家』 下ぎ 



これ は、 暗い 囚 はれの 感情で ある。 『〔米』 の 人々 の 生活 は どこまで もこの 

囚 はれに 苦しみ、 そして 島 崎 氏と して は、 人生 的 眞實を さぐる ために、 それ 

を 克明に 描かす に は をれ たかった ので ある。 自然主義 文 畢の暗 さ 明るさに 關 

はりな く、 自己の 經験的 世界から、 人生 的 欲求 を きびしく して ゐる作 {农 にと 

つて、 『家』 の 題材から 逃れる こと は 不可能であった。 

島 崎 氏み づ からにしても、 人生の 歩みと その 苦 溢 はすで に 長く、 しかも 解 

決した もの は 一 つと してたい。 解決され たかに 見える の は、 『樓 の實の 熟す 

る 時』 や 『春』 にあら はれた 青春の 情熱が、 ことごとく 打ち 碎 かれた とい ふ 

敗北の 意識 だけで ある。 ところが 『春』 の 岸 本に 次いで、 『{ 氷』 では 正 太が 

同じ やうに 情熱に 憑かれ、 お ほかた の 青春 を 空しく して 死んで わる。 正 太の 

死に際して 「正 太さん、 君の 一生 を 書いて 見よう かネ 11 何だか 害いて 置き 

たいやうな 氣も する ネ。」 (『家』、 下卷) と 言った あたりから、 『〈灰』 の 執筆 

は計晝 されて ゐ るの かも 知れぬ が、 青春の 情熱の 囚 はれ も、 所詮 尺 生の 囚は 

れに 他なら ぬと する 見解が、 『• ま』 に は ある。 島 崎 氏 は あまりに もしば しば- 



233 



人間の 希求が、 生活の 現 寅に 碎 かれる 悲劇 を 見過ぎ た。 人生 は 人を囚 へて 放 

ち はせ ぬと いふ 觀 念が、 この 作品の 背面に 寒々 と橫 たはって ゐる。 

かう した 暗 さは、 いつも 二つの 異っ たもの を 同して ゐる。 そして 島 崎 氏 

も、 『{¥』 の 暗 さと、 社 會的現 實の暗 さの 關係を あきらかにせぬ。 『( 〈乂』 の 

人々 の 生活 を、 かたらす しも 社 會的關 係の もとに 描くべき こと を 望む わけで 

はない が、 しかし 個々 人の 悲劇に も、 なんらかの 形で 社會的 性格が 求められ 

てよ い r:} である。 さう でた ければ、 かう した 生活の 悲劇 は, その 人間的 性格 

によって 測る ことし かで きぬ。 もしくは 宿命論が 登場す る。 『{¥』 の 場合に 

は、 それが 一 つの 血統 を屮 心に して ゐる。 

不^した の 蹉跌から、 彼 も 入獄の 苦痛 を眷 めて 來た 人で ある。 赤 煉瓦の 大き 

な 門の 前に は、 弟の 宗藏ゃ 三 吉が迎 へに 来て 居て、 久し振りで 娑婆の { や. 氣を 呼吸 

した 時の 心 持 は、 未だ iJC られ ずに ある。 nl 光の 渴 …… 樂しぃ朝:^^^ …… 思 はず 嬉し 4 

さの あまりに、 白い: Hr 袋跌 足で 草の 中 を 飛び 廻った。 三 吉が吳 れた卷 草 も 一 口 つへ 



に 吸ひ盡 した。 千 阒吳れ ると 言ったら、 誰か それでも 階い 慮へ 一 來ろ氣 は ある 

か、 この 評定が 闪 入の 問で 始 つた 時、 一 人と して 御免 を 蒙む ると 言 はない 者 はな 

かった: その 娑婆で、 彼 は 新しい 事業 を經營 しつつ あるので ある。 (『家 Jl 上卷) 

この 條りを 請んで、 私 ははげ しく 人生の 囚 はれ を 感じた。 

三吉 i! 島 崎 氏 を 語った と 思 はれる 三吉の 生活に しても、 容易に は 明かる 

い 方へ 向く ことがない。 妻のお 雪との 生活 は、 最初から 重苦しい 氣配 をた だ 

よはせ 11 お雪の 結婚 前の 愛人に 傷心す る 三吉、 家庭 を 解散し ようと 十 る考 

へ、 係累への 援助、 — ー たど、 生活 を 暗く する ことば かり つづいて ゐる。 そ 

の 中に あって、 三吉は 「終に、 今迄 起した こと も 無い 思想に 落ちて 行った。 

僧侶の やうな 禁愁の 生活 —— 寂しい 寂しい 生活 11- しかし、 それより 外に、 

養 ふべき 妻子 を 養 ひながら、 同時に この 苦痛 を 忘れる やうな 方法 は 先 づ見常 

ら なかった。 このまま 家 を 寺院 精 舍と觀 る。 来ない 相談と も 思 はれな かつ 

た。 三吉は その 道 を 行かう かと 考へ 迷った。」 (『家 J 卞卷) と 思ひ惧 つて ゐ る- 



235 



「父さん、 私 を 信じて 下さ い 不 …… 私を:!:^じて下さるでせぅ ::: 」 と 

いく 妻 を 見て、 「彼 は默 つて、 嬉しく、 悲しく 妻の 资泣 きを 受けた。」 とき 

は、 すでに 結婚 後 十二 年 も 經てゐ る。 そして その 妻 も、 『{,5!y に は 書かれた 

かった が、 Si もな く 死んで 行った ので ある。 

かう した 一一 一吉の 生活 をめ ぐって、 さらに 多くの 人々 が 金 錢に渴 ゑ、 愛慾に 

悶 へて 葛藤して ゐる。 二度 入牢す る 兄、 殘 された 家族、 愛慾に 家 を 顧みぬ 寶 

とお 種の 苦悶、 甥の 正 太の 死. それから それと、 希 も計畫 もこと ごとく 

裘 切られて ゐる。 ここで は、 すべての 人々 が 人生に ついて 受動的で、 辛くも 

活の歷 力に 喘いで ゐる、 現實に {!: つて 抵抗した 三 吉ゃ正 太に しろ、 やがて 

1 人 は 赛子を 失って 暗 潜と し、 一 尺 は 死んで 行く のであった。 

晴さ と 溫 か さ 

ある {糸 系 をめ V る 血統と いふ もの は、 この やうに 根づ よく 支:^ する もので 2 



あらう か。 〈灰と いふ 觀念に 比 絞 的 乏しい 私な ど は、 さう した 問 さへ 感じる 

ほどであった。 殊に 近代の 青年た ち は、 いっそう 家の 觀 念から 離れて ゐる。 

さう 言へば 『春』 時代の 岸 本 は、 むしろ 放浪 を 好む 靑年 として 描かれて ゐ た。 

それが Hsu に 到って は、 おそるべき の 桎梏に 苦惱 する の だ。 それ ゅゑ最 

後のと ころで、 一. お雪、 何時 だら う。 - -! そろそろ 夜が 明け やしない か」 と 

1 一一 一口 ひ、 一 屋外ば まだ 暗かった ノー と 結んだ あたり、 作者の 並々 ならぬ 感慨が こ 

めら れてゐ たこと と 思 はれる。 

この 作品 を 護んで、 私 は それが 血統 をめ ぐる 人々 を 描いて ゐる點 から、 ヱ 

ミ ,- ル . ゾラの 『ルゴ ン . マ 力 アル 叢書』 を 思 ひ 出した C 

ある 血族 を 中心に、 それらの 人々 が、 運命的な 因 si- 關 係に 結ばれて それ ぞ 

れに 動く さま は、 なに かしら 宿命の 相似 性 を 思 はせ るので ある C そして ゾラ 

は、 ある 時代に 於け る ある 血族 を 描いて、 時代の あらゆる 面 をつ かみ 出し、 

それによ つて 血統の 性格 を 社會的 性格と して 測定した ので ある。 これに 反し 

て、 島 崎 氏 は、 ほとんど 社 會的關 係から 切り離した 形で 『.:1^』 の 血族 を 描い 



237 



た。 个體 として、 一つ は 激動し^ 卷く 社會の ii^ であり、 一つ は^ is する 生 

^の iiK である。 

B*s; 性の 點に於 一 . r ク; Tr-v.,ixK:.c お:.;:,. チ r.- した &崎氏 は、 『干 曲 川の 

スケッチ』 や 『破戒』 では、 ひとり 社會的 觀點の 一-.! さ を 誇り さへ した。 『破 

戒』 の ソヴヱ ー ト譯 たど も、 その 社會的 観 點 の^さと 朽ちぬ 歷史 性に よる こ 

とと 考 へられる。 譯 者の フ H リ. トマ ンと いふ 人 は、 「G: 然 主義 的 作品と して 

この 作品 を 似 依. つけよう とする 批 が 現在 も 幾分 行 はれて ゐる こと は、 少し 

见 <=i はづれ ではた からう か ピ と、 『破戒』 の 位置 を isS く 評 1^ して ゐる。 『破 

戒』 時代の 氏 は、 十九 世紀 歐洲 文畢 の社會 性と 積 核 性 を、 そのまま 生か 

して ゐ たとい ふこと がで きる。 

ところが、 社會 的た 意味で m-ti?」 後した,, 、に その 主 题は下 し、 n^』 

は、 ひとし ほ 暗欝た 面ば かり を擴 大した C. ブラス されて ゐる ものと 言へば、 

A 崎 氏の リアリズムが、 この 作品 をと ほして 1 應 確立した こと だけで ある- 

『春』 以後の 下向 線 は 『〔承』 に 到って その! W 底 部に 速し、 『新生』 から 幾分 



の 上 3^ を 兄せ、 『3^』 「分配」 に 上向線 を 描いて、 『夜明け 1S』 は! 

的 振幅 性 を ゆたかに したので ある。 

正宗 鳥 氏 は その 「島 崎 藤 村 論」 で、 「讚み 終る とともに、 これ は、 に-に 

於ても 質に 於ても、 明治 以来の 大作の 一 つで あると、 斷 おせざる を 得た かつ 

た ごと、 『〔允』 について 言って ゐ るが、 この 作品が 大作で ある ことに 違 ひ 

はない。 崎 氏の 作品 糸 列に 於て 社會的 振幅 性の 點 では: 底 部に あり、 自然 

主義 的な 暗 さに 充 ちて ゐ るに しても、 人生 流 轉の樣 はさな がらに 浮んで くる。 

人 は、 この 作品に 人生 流 轉の苦 惱を讃 みとる こと も 可能な ので ある。 

私が 長篇小 設を霄 き 始めろ と、 何 かしら lii^ 上の 不幸が 起って 来て、 一度なら 

ず 二度なら ず さう いふ 目に 遭って 0^ ると 長 篇に筆 執る とい ふこと が 恐ろしく も あ 

る。 私 は 一作の 長篇に 大抵 二 年程づ っを费 した。 さう いふ 月日の 間に は 短 を?? I 

くと も 違って、 種々 な出來 率が 自分の iJF 邊に 起って 來 ると いふ もの か、 それとも 

^作に 沒^ して 家事な ど を 顧みない の,; E 分の 不注意から か、 いづれ とも 言 ふこ 



2 39 



とが 出来ない。 …… 『家』 を 書き はじめて 前篇 を 終る 頃に は 甥: 訃に 接した つ 甥 

とい ふよりも 弟の やうな 親しい 入の 死 は 私に とって^い sf- であった」 棄が 亡く 

なった の も それから 間もなくで、 私が あの 作の 後篇に 着手す る 頃に は 最早 二人と 

もこの 世に はゐ ない 人達であった。 (「三つの 長 篇を書 いた 常時の こと」) 

これ も、 『』,¥』 的な 感慨で ある。 

さう であって 兄れば、 『春』 に 流れた 浪漫的た:: 揪 配が、 跡 方 もた く 姿 を ひ 

そめた の は々 ?• 然 なの だ。 人間の 生涯に は、 どうかす ると、 さう した 慘儋 たる 

時期が 一 度 はめぐ つてく るの か 知れぬ。 ゾラとの 比較の 際、 その 主題の 社き 

性に ついて 幾らかの びし さ を 感じた 私 も、 別に はさう した 思 ひに もさ そ は 

れ たので ある。 そして 島 崎 氏 は、 現 實の暗 さ を 描き、 それに 辟易しながら、 

なほ 人生の 實 相に 徹しようと したので あらう。 その 意味から すれば、 この 作 

"1 は 他の いづれ の 作品に もまして、 人生 的 欲求 を きびしく し 生活の ふかみに 

肉 it した 譯 なので ある。 



240 



島^ 氏 は、 どの やうた ときに も、 たんら かの 人生 的 意 *a を 求めて 止ま ぬん ^ 

である。 暗游 たる 『家』 の 人々 の 生活す ると ころで、 これが 人生で ある、 人 

はこ こに 生きねば ならぬ、 ,1 と、 その 人は獨 白して ゐる やうで はたい か。 

一 l^ci 味 ある 心情が、 どこか しら 『〔水』 を 潤 ほして ゐる 所以が ここに ある。 



『新 生』 斷 恕 

懺悔 をめ ぐって 

人が、 おのれ を らうと するとき、 そこに は必す たんら かの 困難が あった。 

そして、 純粹 にお のれ を 語りつ くせた 人 は、 おそらく 稀で あらう C 

『新生』 をめ ぐって、 ,:^9 崎 氏 は 「芥川龍之介 君の こと」 とい ふ 文章 を 書き、 

作品の 精神が、 人に はいかに 理解され がたい もので あるか を 述べた。 それ は 

芥川 氏が 「ある 阿呆の 一 生」 で、 『新生』 の 精神 を ことごとく 否定した から 

である。 しかし、 芥川 氏の 1 百 葉が 妥當 して ゐ るか 的外れで あるか は、 • 『新生」: 

の 意 園と 「ある 阿朵の 一 生」 を 併せ みれば、 そこに 一 つ の 行き 違 ひの ある こ 

とが 知られる ので ある。 

先づ、 その 當時、 芥川 氏が なに かしら はげしく 焦燥し、 人生の 渴 きに 苦 I? ^ 



して ゐ たこと を 承知した 上で、 「ある 阿呆の 一 生」 の 文 ijsf を 見るべき だら う。 

「不 相變 いろいろな 本を讀 みつ づけた。 しかし ルゥ ソォの 樣悔錄 さへ 英雄的 

な に充 ちて ゐた。 殊に 新生に 至って は 11 彼 は 新生の 主人公 ほど 老猜 な^ 

善 者に 出逢った こと はたかった。」 これ は 『新生』 の 否お である。 架して、 

主人公の 岸 本 11 延 いて 島 崎 氏 は、 こ の やうに 老猜 な^ 貌を もつ ておのれ を 

欺いた ので あらう か。 『新生』 が僞 善した か 否か をめ ぐって、 芥川 氏と 島 崎 

氏の 距 たり は、 この 作品が 追 ひ つめられた 心情の 苦痛 --1- 觀念 的せ 界を主 頭 

として ゐ るみ-ころに 發 して ゐる C おそらく、 『新生』 の 岸 本 は 偽善者で はた 

い。 そして、 反面、 それに ひとしく 偽善者であった かも 知れぬ。 この 作品に 

描かれた 觀念的 世界 は、 さう した、 二つの 言葉 をう けねば ならぬ それぞれの 

面 を 見せて ゐ る。 

兑 方が 二つに 分岐す ると ころ は、 島 崎 氏が、 この 作品で 吿. ni する こと を 主 

にした か、 あるひ は 自意識の 追究に 主題した か、 l とい ふ點 にか かって ゐ 

る。 $1.1:: は 懺悔で あり、 懺悔の 形式で ある。 自意識の 追究 は、 作 { 尿の 內部的 



^43 



世界に 於け る 自己 格鬪 であり 自己 虐使で ある。 さう してみ ると、 『新生』 が 

偽善で あるか 眞寳 であるか も、 この 二つに IHTg づける 紙 一 重の なに かに かか 

つて ゐる。 私 は、 おそらく それ は 作家の 誠實 さで あらう と考 へる。 そして、 

これ は 赏 であり、 自意識 を 追求して 苦惱 した 作品で あると 思 はれる。 もと 

より 『新生』 とい ふ 題名が 示す やうに、 部分的に は 新生 を 祈念して ゐ るが、 

新生した かせぬ か は 問 ふところでない。 新生 を 希求す るまでに 追 ひ つめられ 

た 心情 は、 ^^§崎氏にとってなんでぁったか。 希求 は 吿,! II でも 像悔 でもた く、 

人間 念 の 脆 さに 足場 を 失った 人の Islr: で あ る。 

兌 方に よって は、 『新生』 上卷は 懺悔 を 意味し、 下卷は 傲悔に 生きる もの 

と 言へ るか 知れぬ。 しかし、 诹悔 に、 新生 を 期待す る ほどの 餘裕 はなかった 

ので ある。 - 

例へば、 「芥 川? は 懺悔と か吿. HI とかに 重き を 於いて あの 新生 を 讀んだ や 

うで あるが、 私と して は 懺悔と い ふこと に それほど 重き を 置いて あの 作品 を 

害いた ので は. ない。」 (「芥川龍之介 君の こと」) とい ふやう に、 もともと 作品の 



244 



焦點 は傻悔 ではなかった。 これ を、 言葉の綾と 言へば それまで であらう が、 お 

作者 は愤 悔や 吿. 2! を 主と する ほどの 餘裕を 許されて は をらぬ。 徴 悔や 

吿 {: は、 その 心理に 於て むしろ 傷痕 を樂 しむ 獨善 的な もので、 『新生』 當時、 

^^9崎氏は r 傺 痕を樂 しむ」 やうた 自己欺瞞 を 反芻 するど ころ か、 ひと へ に激 

情して ゐ たの だ。 人生 的 苦痛と ii:- 念 喪失の 絶望 を さらけ出し、 ここに 人 はい 

かに 生きる かとい ふ、 意地 惡 しき 疑問が 悲哀と ともに ある。 

それにしても、 岸 本の 身の 虚し 方に は、 「臭い ものに は フタ をせ よ。」 と 

いふ, 情 も かくされて ゐる。 姪の 節 子との 關係を ひたすらに 隱さ うとし、 フ 

ラン ス へ 逃避す る 旅途、 やう やく 兄へ 宛て 事情 を 認めた 手紙 を 送る ことな ど、 

事件の 發端當 時には、 人に 知られる ことへの はげしい 恐れが あった C それと 

ともに、 これ はお のれ を 破綻の 淵から 救 はう とする、 痛苦の 相貌で ある。 こ 

れ 以上の 苦痛 は、 なんとしても 耐 へられぬ とい ふ 絶望への 惧れの 感情が、 ひ 

さしい 間 その 行爲 をつ つんで ゐた。 そして、 件 を隱蔽 する ことの 危 慎と、 

自責す る 苦痛が ほとんど 意識され る ことなしに 結合し、 岸 本の 行爲を いっそ 



う 逃避す る 姿と して 見せる のであった。 かう した 點を 虛僞と 言へば 言 へ るが、 

この 逃避 そのものが、 すでに 自 帝;! i の 追求と、 人間 信念の はかな さに ついて 

の, in: おの 端^ 過程に 他たら ぬのであった: 

節 子 は a? いて ゐる。 「叔父さん は 知らん 額 をして 怫蘭 西から 歸 つて 被 入つ 

しゃいね。」 (『新生』) さう いふ 女の 愛情と 忍苦に、 そっと 身 を ひそめて ゐる 

ところな ど を、 芥川氏 は 『新生』 の 全部と 見た のか も 知れぬ し、 かう した 部 

分 だけ を 抽象して 斷 すれば、 自然に 老猞 とい ふやうな 一一:; n 葉 も あらう。 しかし、 

ここに^^かれてゐる節子の愛情を、 一人の 女性が 忍苦しつつ、 成長して 行く 

過程と して みれば、 事情 はまた 別の ものと もた る。 

『新生』 の 愛の 過失 を、 岸 本 は なぜ 最初から 愛の 必然と は考 へぬ のか。 そ 

れが、 叔父と 娃の關 係で ない とすれば、 岸 本 はこれ を 苦痛と したかった ので 

あらう か。 私に はさう と考 へられぬ。 叔父と 姪の 關係 は、 一 つの 變則 的な 戀 

愛 形式で あつたに 過ぎぬ。 變^ 性と 道德 性の 甎 ばかりが 痛な ので はなく、 

人間:;;;: 念の はかな さその もの、 あるひ は 常識 性の 破綻 そのものが、 すでに 苦 



246 



痛 を 必然した と考 へられる ので ある。 

岸 本に とって、 愛の 肯定 は考 へられたかった ノ從- て 「もとより、 彼 は QJ 

己の 鞭 をう ける つもりで 斯の 旅に 上って 來た。 苦難 は 最初より 期す ると ころ 

で、 それによ つて 償 ひ 得るなら 自分の 罪過 を 償 ひたいと は國を 出る 時からの 

願 ひであった ご C 『新生』.) と、 過失の 意識に 苦痛 は內, U する ばかりで ある。 

過失 を、 愛と して 肯定す る やうな 解決の 仕方 は 見當ら ぬ。 あたかも、 愛 その 

もの を憎惡 して ゐ るかの やうで ある。 岸 本 は、 どこに 過失 を 解決しょう とし 

たか。 すべて. した 痛苦の、 自虐す ると ころに 身 をお くば かりで ある。 

『新生』 上卷 は、 愛の 苦痛 を 描いて、 愛の 忘我と 美し さ を 知らぬ 作品で ある。 

フランスから 歸國 した 岸 本 は、 そのと き、 岸 木 も 節 子 も 新生して をらぬ こ 

と を 知って ゐた。 依然として、 岸 本 は 節 子との 關係を 愛と して 肯定せ す、 愛 

の 否定の つづく かぎり、 事柄の 解決 はない ので ある。 それに 比して、 節 子. は 

最初から 愛 を 肯定し、 それ ゆ ゑに 一 叔父さん は 知らん 額 をして 怫蘭 西から お 

つて 被 入つ しゃいね。」 と喷 いたの だ。 すべて を 愛と して 肯定す る 節 子と、 



247 



す ベ て を 過失と して 否定す る 岸 本と ! —- い づ れ 悲劇的た 出發で あ つ た。 

愛と 誠 赏と 懺悔と 

『新生』 の 作者 は、 き はめて 誠 寳た心 構へ で この 作品 を 書いて ゐる。 愛 を 

否お しつつ、 そこに どの やうた 誠實 があった かと 言へば、 それ は戀 愛と して 

ではなし に、 人間的な 愛 を 目 ざすと いふ ことであった。 この 作品が、 なに か 

しら 微悔に 似た 感じ を 印象 するとい ふの も、 その 人間的な 愛 i 誠實 さの 流 

露 に 素因して ゐる。 否定され た 愛 は、 その 誠實 さから 島 崎 氏の 內 部で、 人間 

的た 愛にまで 肯定され 轉 化した ので ある。 この 轉 化の 必然性から、 岸 本 も 節 

チも 作者の 分身と して、 島 崎 氏の 信念 更生への 過程に 從 ふので あった。 作者 

の诹悔 からで はたく、 自己 格闘と 自己 虐使から 信念 は徐々 に 更生し、 これに 

ともた つて、 岸 本と 節 子 は 新生した ので ある C 島 崎 氏が いかに 愛 を 否定し、 

い か に自 ビ 格闘し、 い かに 人間的な 愛 を 肯.: : えした か —— こ の 自意識 追究 の 過 



24^ 



程が、 作者の 分身と しての、 岸 本 並びに 節 子の 行 爲をま 配して ゐる。 それ を、 

島 崎 氏 は 次の やうに 言った。 

人間 生活の 眞责 がいくら も 私達の 言葉で 盡 せる もので もな く、 又 き あら はせ 

る もので もない こと を 心に 潜めた 上での 人で、 病 且つ 私の 雷いた ものが 墟 だと 言 

はれるな らば、 私 は 進んで どんな 非難に 當り もじよう が、 もともと 私 は 自分 やぬ 

る ほどの^ 裕 があって あの 『新生』 を 書いた ので もない。 當時私 は 心に 激 する こ 

とがあって ああい ふ 作 を 書いた ものの、 私達の 時代に 濃い デカダ ン スを めがけて 

鶴嘴 を 打ち こんで 見る つもりであった C 荒れ 荒んだ 自分 等の 心 を 掘り起して 見た 

ら生 きながら の 地獄から、 そのまま、 あんな 世界に 活き 返る 日も來 たと 言って 兌 

たいつ もりであった。」 C. 「芥川龍之介 君の こと」) 

叔父と 姪と いふ 關係 は、 島 崎 氏に とって 常識 性の 破綻で あり、 一 つの 「デ 

力 ダンス」 であった。 常識 性の 均衡の 破綻 は、 人間 信念の 破滅 を 意味した。 



249 



この 苦痛の 中から、 やがて 「人間の 愛」 は どの やうに 育ち、 苦憐 する 女性 は 

どれほどの 一 みにまで 成長す るか、 ここに 作品の 意圜は ある C 一. ある 阿呆の 

一生 を 讚んで 私の 胸に 残る こと は、 私が あの 新生で 書かう とした こと も、 そ 

の自分の^:-圖も、 おそらく 芥川 君に は讀ん でせ 尺へ たかった らうと いふ ことで 

ある。」 『芥川龍之介^}?の ことヒ 

傲悔 とい ふず 葉 は、 『新生』 にしば しば 用 ひられて ゐる。 また、 道德 的た 

罪の ケぉ識 も 霄 はれて ゐる。 自己 格闘 を. 5: 部 的な 苦痛と すれば、 道德の 意識 は 

外部 的た 卞:: 痛な のであって、 「お前の こと を考 へる と、 何と 言 ふか 斯う 道德 

的な 苦しみば かり 起って 來て 困った c」 (『新生』) ので ある。 ここに も、 未だ 

愛の 肯 おはない。 人間的な 愛の 肯定に 到る まで、 苦痛 は 内部と 外部から 間斷 

なく^んで ゐる。 

岛崎 氏の 作 口 i 系列に 於て、 自意識 を 追究した 作品 は、 『新生』 ただ 一つで 

ある。 渡歐 とか 親族 間の 反! in とか、 あるひ は 懺悔と かの 行爲 的な 事柄 も、 す 

ベて^ 部に ある もの I 自意識の 反映に 他なら ぬ。 ところが、 さう した 複雜 



250 



た 意識の-つ ごき も、 節 子と 岸 本の 愛に よっても たらされ たので ある。 し 

かも 作者 は、 それ を戀 愛と して 肯定す る こと を^ 否しつつ、 やがて は、 「人 

と 人との 眞實が ある 許りの やうに なって 來 た。」 Q 新生. IP とい ふところまで 

成長して 行った のであった C この 過程に 於け る 自意識 追究の 興味 は、 愛の 

否定 を、 人間的た 愛にまで 變 化させた ところに かかって ゐる。 これが 愛の 

肯定と して 書かれた ので あったら、 作品 ははる かに 單 純化され たで あらう。 

假り にこれ を 徵悔の 作品と すれば、 それ は 「過ぐ る 三年、 罪過の iw 痛に 機 

まされつ づけた 岸 本のた まし ひ はしき りに 不幸な 姪 を 呼んだ。 その 時に 成つ 

て 初めて 彼 は 節 子に 對 する 自分の 誠 寅 を 意識す る やうに たった。 S ぃ澳惱 も、 

sl^fl^^f、」、 忍耐 も、 寂しい 寂しい 異鄕 Q 獨り旅 も、 すべて $; この 一 つ を 感知す 

るが ために 有った かの やうに 思 はれて 來 た。」 (『新生』、 下卷) とい ふあたり 

の、 一 つの 愛の 自覺 によって 終った わけで ある。 道義 的な 罪惡の 意識 を 消化 

しての、 尺 間 的な 愛の 肯定 はも はや 吿. c とか 懺悔と か を 必要と せぬ。 ところ 

が 人 問 的な 愛の 肯 おに 立つ 形式と しての 像悔 は、 愛と 誠實 の自覺 として 行 は 



れ たので ある。 これ は 破 に 顔した 人間 信念の 更生の ため、 島 崎 氏に とって 

決定的た 味 を 持つ 形式で あり、 更生の 業で あつたの だ。 戀愛 以前の 信念に 

止 ど^ を 刺し、 その 苦痛 を經て 新しい 信念 を 獲得す るた めの 業が、 一般に は 

懺悔と 一 百 はれる 告白で あつたの だ。 吿. R を 通しての、 非難 や 批判に たじろが 

ぬ 宋^な:::^ 念を拖 得する ためにの み、 『新生』 の 餓悔は 必要と された。 

自己 格闘と 自己 虐使の 終った とき、 やう やく、 『新生』 執筆に 着手した の 

はこれ がた めで ある。 もはや、 欺瞞 や たじろぎ はない。 より 率直な 吿白 は、 

より 確固と した 信念の コ ンクリ 作用 をな した。 信念 更生の この 過程 を兑 過す 

とき、 人 は 『新生』 を僞 善で は あるまい かと 疑問す る。 人間 精神の かくれた 

作業 は、 この やうに して 人 を 思 はぬ 理解の 仕方 11. 實 は?^ 迷 へ みちびく もの 

である。 

また この 作品 を 愛の 作品と して みれば、 これ もまた 心理的 動きに 支配され 

て、 作:: i 構成の 順序 は 逆立ちして ゐる。 第一 に、 ひさしい 間、 岸 本に は 節 子 

との 關係を 愛と して 肯定す る ことができなかった から。 「何故、 不德は ある 



252 



人に とって 寧ろ 私 かなる 誇りであって、 自分に 取って 斯 樣な苫 I? の 種で ある 

の だら う、 と 歎いた こと さへ あった C, 一 (『新生』) そして 愛 を自覺 したと き - 

に は、 はやく も像悔 による 愛の 破壤 がな されて ゐ るの だ。 

それたら ば、 この 作品 はなに を 意 圖 して 書かれた のか。 見て きた やうに、 

部分的に は條悔 であり 愛の 作品であった。 別に は 自意識の 追究で あり、 成長 

する 女性 を 描いた 作品で も ある。 この やうに、 部分的な 主題の 葛藤 をと ほし 

てみ ると、 そこに、 人間的 眞實 追求の 精神が 包括的な 主題と して 考 へられる。 

この 作品に 稍./ 先んじた 『櫻の 實の 熟する 時』 を もって、 島 崎 氏の 自傳的 作 

品 は ー應體 系づ けられて ゐ るが、 從 つて その 次に 来るべき 作品が、 いっさい 

の 人間的 經驗を 包括 し て 形づくられる だら うこと は當然 であった。 そ し て 、 

それが 『新生』 である。 

殊に、 岸 本と 節 子の 關係 は、 島 崎 氏の 前に 新しい 人生の 面を展 いて ゐる。 

その ことから して、 從來の 作品が ほとんど 觸れる こと をした か. つた 自意識の 

喘ぎ を 『新生』 は 追求し、 それだけ でも、 一 つの 新しい 世界 を附 加しつつ 作 



〈汆的 世界の 擴 がりと 深化 を 示した。 お ほむね 外部へ 向って 觸 手して ゐた 作家 

的精祌 が、 內 部へ. s: 部へ と 痛切 さ を 加へ たとい ふこと は、 この 作品の 質 を 高 

くす る もので あり、 ここに 到って、 『新生』 の 熾悔の 意味が 生きて くる。 

cr しの 破 にも 等しい ic 悔 11 彼 は纖悔 とい ふ 言葉の 意味が 果して 斯うい ふ 場 

八 宛 嵌ま ろ か 奈 如ん と は 思った が、 i その 結果が 自分 に 及ぼす 影響の 恐し さ 

を 思 ふと、 史膀 培し ない 澤に はいかなかった。 それの 出来る 時が、 に 見えな 

ぃ牢 尾から 本 常に 出られる 時 だら う: 心から 靑{- の兒 られる やうな 氣の する 時 だ 

らう: 待ち受けた 夜明けの 来る 時 だら うつ さう は 思っても、 そこまで 行く だけの 

辩 神の 勇 氣を趙 さう とする だけで 容!^ ではなかった- (『新生』 下卷) 

蛾 梅 も、 愛と 實 の自覺 も、 すべてん 間 的露贲 を 追求した ことの 成果と し 

てあつた の だ。 人 的 iK*: の 追求 は、 この場合、 島 崎 氏に とって 信念 更生の 

c:^ を" お 味し、 それ ゆ ゑお のれ を 蝕ば む 危險を 顧る 餘裕 もた しに、 自意識の 



追究 ははげ しかった。 そして、 その 苦痛と 誠實 のなかから、 一人の 女性, 

節 子が いかに 育って 行く か を 見 まもった。 節 子が、 愛と 誠 の 精神 をし だい 

におく する 過程 は、 悲痛で は あるが、 『新生』 に 於て もっとも 明, 4 るい 部分 

を 形成して ゐる。 女性との 交渉に 於て 『櫻の 實の 熟する 時』 の 勝 子 以来、 つ 

ねに 重荷 を 負って きた 島 崎 氏に とって、 節 子が 成長して 行った 過呈 ほど、 樂 

しい 瞬間はなかった であらう C ここに、 節 子 をと ほして、 島 崎 氏の 理想す る 

女性の 肖が 典型的に 象徴され て ゐる" 

離別し、 蹇灣へ 赴く 節 子が そっと 送って よこした 手紙に 接して、 「どうや 

ら眞の 進路の いとぐちが 彼女の 上に 開け かかって 來 たこと を 想像し、 幽^ も 

IM 様な 今の 境涯から 動いて 出て 行かれる とい ふの も 確かに 彼女の 心からで あ 

ると 想像して 見た。」 (『新生』) とい ふの も、 苦難 を糧に 成長した 女性の 姿 を 

しのばせ るので ある e 一つの 試鍊 が、 この 作品で はみ づ から 課せられて をり、 

人間的 眞實を 女性との 交涉に 求める 艱難の 過程が、 諸.. の 要素 を 包括して 窨 

かれた ので ある。 r 節 子 はもう 岸 本の 内部に zi? るば かりで なく、 庭の 土の 中 



255 



にも i5 た。」 (『新生』 末尾) とい ふ 1^ 慨が、 やう やく 島 崎 氏の 內 部に 結實 した 

のであった。 

新生と 哀別 離苦の 相 

「Bi^ して 新生 はあった であらう か。」 とい ふ 芥川龍之介 氏の 言葉 は、 岸 本 や 

節 子の 新生した 後に も、 た ほ 一 つの 眞赏の 疑問と して 残って ゐる。 

節 子が 哀別して 裹灣へ 赴いて 行った こと は、 これ を 岸 本が 「新生」 と 思 ふ 

思 はぬ に關 はらす、 節 子に とって は、 離苦で あり 悲哀であった。 愛の 過失 を.' 

人間的な 愛、 あるひ は 相!.: 一 的 理解の 愛情にまで 昂め たといった ところで、 人 

と 人との 交涉 が、 それほど 盟. 純に 落着して なんら 殘 澄せ ぬと は考 へられぬ。 

1 一人の 過失 を 罪惡視 した 岸 本と、 過失で はなく 愛の 必然と して 忍從 した 節 

子と —— 同じに 苦惱 しながら、 一 一人の 間に は發 端から これ だけの 差異が あつ 

た。 この 差異 は、 新生した 後に も、 なな ほ なんらかの 形で 殘 つて ゐ ただら う 



と 思 はれる。 そして、 新生 を自覺 した つ^であった こと は、 いつ モぅ 

節 子の 愛情 を 悲しい ものにした。 

臺灣行 の 決定した 際、 岸 本と 節 子 が自 電話 で 最後 の $ を 交す あ た り.、 

それ ゆ ゑ、 哀^ 離苦と して 悲しい ので ある。 

「ここでお 別れと しょう ii 好い 旅 をして 来て 下さい 1 豪 灣 の 伯母さんの 側 

へ 行って、 しっかりお 手 傳ひを ~ て 来て 下さい I -鶴 みます ぜ 1 そんなら、 御 

機嫌よう .— 」 

「叔: 乂 さん —— 」 

最後に 岸 本 を 採す やうな 節 子の 藤が 聞え て 来た。 別賺を 惜んで 立ち 盡 して K る 

やうな 節 子 も:? 哀さ うに 思 ひ、 岸 1< は 一 ト思 ひに その 話 を 切った。 (『新生 J) 

これが 新生の 實相 であらう か。 ここに、 悲哀 以外の 他の 一, 新生」 は, 7.- へら 

れぬ。 作者の 言 ふ 新生が、 精神的な もので あれ 人間 信念の 更生で あれ、 節 子 



257 



にと つて、 新生と は哀刖 離苦 以外の たに かではなかった e 

『新生』 を 讚 了した 折、 私の 感動 はふ かかった e それ は 『破戒』 あたり か 

らうけ た 感動と はおの づ から 異 るが、 その 度合 ひ はけつ して 『破戒』 に 劣る 

ものでなかった。 いったい、 人間 信念の 破 錠した とき ほど. 作家が 痛切な 內 

部 的 作 衆 を 行 ふこと は 他にたい。 『新生』 の 愛の 過失 は、 島 崎 氏に とっても 

痛 列; な 自己 格闘と して 經驗 されて ゐる。 自意識 追究の 絶好の 機會 を、 この 作 

{ 糸 も 見逃がさたかった ので ある。 フランスへの 旅た ど、 苦痛からの 逃避行の 

やうに も 思 はれる が、 その 赏、 自意識 を 追究しつつ おのれの 實體を さぐらう 

とし、 その 苦痛に 沒 頭して、 無数の 心理的 截斷圖 を 描いた のであった。 

新生と いふ ものの 實相 について、 島 崎 氏 はかう 言った ことがある: 「眞の 

慰藉なる もの は 寧ろ 暗黑 にして 且つ 慘擔 たる 分子 を 多く 含 ま ね ば た らぬ。 新 

生の 相と 云 ふ 様な も。 は、 其の 光景の 多く は、 努力の 苦痛と、 浪費の 悲哀 

とに 滿 たされた もの かと 思 ふ。」 (「牧師の 言葉. この-言葉に ひとしく、 作品 

『新生』 の 悲劇 もこと ごとく 新生した のではなかった し、 むしろ 苦痛と 悲哀 



25- 



は、 この 作品の 終った ところから さらに US いて ゐる やう だ。 さう したと ころ 

に、 作品の 感動す る 魅力 はあった。 そして、 自意識 を 追究しての 自己 格 翻と 

心理的 截斷圇 の描寫 が、 • 作 的發: ^に 並々 たらぬ 成 ai- を付與 した。 

前 作 r:}^』 で いっさいの 主 情 性 を 否定した 島 崎 氏 は、 『新生』 に 到って 

びそれ を 復活し、 主 觀の燃 燒を敢 て 止 どめたかった。 島 崎 氏の 詩 入 的 特性と 

しての 主 情 性 は、 作者が たに かしら、 激 する やうた 心情に あるとき 自然に ほ 

とばしる ので あつたが、 この 作品 も 一 つの 激情 をめ ぐって、 主^性に 呼吸 づ 

いたので ある。 『新生』 の 執筆 着手 はすで に 四十七^に あたり、 ;^, 十八^ 

の 年に 完成した。 それ を 思へば、 作品の 主 情 性と 浪漫的な 氣 配に は 驚くべき 

ものが ある。 五十 歲 にも なれば、 すでに 骨々 として 枯木に 近い 相貌に 化す 作 

^も ある ほどで、 ここに も、 島 崎 氏の 若々 しい 人間性が 思 はれる。 

『新生』 が 『{\ が』 の やうに 客觀 化された 態度 を とらす、 人生の 平 俗た^ み 

にの み 膠着したかった こと。 從來、 經驗的 世界 を 描く にいと まなかった 作 {汆 

が、 波紋す る 意識に 定着して 内部的 光景 を 克明に 作品 化した こと。 11 これ 



2 59 



らは、 作 〔灰 的 態度の 變 化の 點 からい つても 舆味 的であった。 おそらく、 この 

作お に 於け る 主 情 性の 流れに、 島 崎 氏 は 一種の 感慨 を こめて、 最後の 靑春を 

味 はった ことで あらう。 この 意味から しても、 『新生』 は、 若々 しい 人間性 

を付與 して 作 {, ^的營 みの 全 行程に 溫 潤した、 その 主 情 性の 流れ をと ほく 囘想 

させる。 『新生』 以後、 『嵐』 「分配」 にしても、 『夜明け 前』 に 於ても、 

もはや この やうな 形での 主 情 性 は 絕對に 見られぬ。 『新生』 は、 主 情 性の 盡 

きょうと する 一 刻に 簿 明した 作品で ある C 

洲大戰 後の パリに あって、 類 魔した 空氣 のなかから 再生す る 春の 木の芽 

立ち を 眺め、 本 は 「お前 も 支度したら 可いで はない か。 殿み 果てた 生活の 

1^ から 身 を 起して 來 たとい ふお 前 自身 を そのまま 新しい ものに 更 へたら 可 い 

ではない か。」 a- 新生』) と 呼びかけて ゐる。 かう した- 冉 生の ねが ひ はこの 作品 

の 到る ところに あり、 1^ 卷の 冒頭で も、 「抑制と 忍耐との 三年 近い 苦 業 (?) 

を まがりたり にも 守りつ づけて 來 たこと は 多少たり とも 彼の 旅の 心を輕 くし 

た。」 と 言 つて ゐる。 同じ 下卷の 九十 二 節で は、 r 氣 兼ねに 氣 兼ね をして 人 



を渾 りつ づけて 來 たやうな 囚 はれの 身から 離れて、 もっと^い 自由な 世界へ .5 

2 

行かす に は i5 られた いやうた と こ ろまで 動い たに 一 とも 言 つ て ゐ る。 これら 

の 言葉 は 痛苦す る 心情から 脫け でて、 更生した 念に 生きよう とする 願 ill- に 

外ならぬが、 それと ともに、 盡 きんと する 一割に 薄明す る 主 情 性の 焦りで あ 

つたと いふ こと もで きる。 信念 更生の 苦惱 とともに、 主 情 性に 愛着す る 感慨 

もあった ので あらう。 この 作品 は、 作 { 豕營爲 の 歷史に 於け る、 著しい 轉機を 

意味して ゐる。 

この;^ 品に 於け る 再生の 欲求 は 『春』 たどに 見た 生の 肯定と 異り、 いかに 

も、 人生の 諸. -を經 てきた 人の それ を 思 はせ る。 突に、 W 生の 明かる さ を 

求める ので はなく、 苦痛と 悲哀に 徹した ところで、 それ を 背景に して 動かう 

とする ので ある。 人間的 營 みが、 そして 人間 精神の 作業が さう した 順序な し 

に は 成り立たぬ こと を、 五十 年の 年輪 を 刻んで、 いま は 作品にまで その 順序 

を!! りこんだ ので ある。 この ことから して、 どの やうに 主 情し 激情した にし 

ろ、 けっして; ふこと をせ ぬ。 主 情 性 は、 人生 流 轉の相 を 一筋に 潤 ほす 呼吸 



として あり、 その ゆ ゑに 『新生』 の 暗 さがつつ む 感動 はふ かいので あった。 

「新生 はラ 2 ひ 易い。 然したがら、 誰か 容易く 新生に 到り 得た と 思 ふで あら 

…… 新生 を 明るい ものとば かり 思 ふの は 間遠 ひだ 見よ。 多くの 光景 は 

^ろ 暗黑 にして、 且つ 暗;^ たる ものである。.」 (感想文、 「新生」) この 人生 的 

な^!:覺に、 思 的な 痛切 さ を 嚼 みしめ て 新生した ので ある。 



『嵐/分配」 —一 聯の 作品 



轉囘の 一時期 

樣牲と 忍苦の 營 みであった 反面、 ,::3 崎 氏の 詩人 的蕩 質と しての 主 情 性が^ 

び あふれた 『新生』 が 完成した の は、 一九 一九 年 (大正 八 年)、 四十八^の こ 

とで ある。 その後、 およそ 十 年を距 てて 『夜明け 前』 に 着手す るまで、 . お 崎 

氏 は長篇 作品に 一 度 も 手 を 着けなかった。 これ は 不思議な 一 時期で ある。 し 

かしそれは後に13^0こととして、 ここにい ふ 『嵐』 「分配」 及び 1 聯の 作品 

と は、 この 期間に つくられた 中 短篇 を 指す。 一九二 〇 年 (大正 九 年) の 一- _ 只し 

ぃ理舉 土 一 を はじめ、 制作 年次 頼に 配列す ると 次の やうであった。 



. 大正 九 年 贫 しい 现 舉士。 

. 大正 十 年 ある 女の 生涯。 

.大:4- 十二 年 子に 送る 手紙。 

. 大正 十三 年 三人。 熱 海 土產。 仲び 支度。 

. 大正 十四 年 明日。 

. 大正 十五 年 .:^。 <:5^堂。 

• 昭和 二 年 分配。 



この^、 一九二 三年 (大正 十二 年,〕 に 重い 病氣に 罹り、 そのの ち 一九二 五 年 

(十四 年) ころまで、 病 を 養 ひながら 少年 達の 讀物 など まとめた のであった。 

なほ 一 九 二三 年に は關東 地方の 大震災が あり、 世相 はまこと に 重苦しい もの 

であった が、 その 屮 にあって、 島 崎 氏の 作.:!^. 的 態度 はし だいに 重厚な 風 を 加 

へ、 これら 一 聯の 作品 はお ほむね 落着いた 味 ひに 充 ちて ゐる。 

Si じて、 これらの 作 は、 島 崎 氏の 內部: S 世界の 濶 然とした ひろがり を感 



じさせる。 『.M』 の はじめの 部分に、 「私 は 家の 內を aJJ 週した。 丁度 町で は 

米騒動 以来の 不思議な 沈默 がしば らく あたり を 支配した 後であった。 J とい 

ふ 言葉が あり.、 つづいて pi^ の內 も、 外 も、 5 ^だ。」 とい ふ あわただし さう 

た獨, n が ある。 けれども、 それらの 言葉と は 別に、 島 崎 氏の .2: 部 的 世界 はい 

よいよ 豊かに 濶然 とひら けて 行った ので ある。. 『新生』 に 見た 悲哀、 寂 isr 

自虐の 傷まし さから この 時期に 移る と、 一 轉 した だけと は 思へ ぬ 豊熟した 世 

界に 接し、 人 は 一 驚 を 喫する。 この 驚き は 『新生』 の 悲劇 を經た 人の、 信念 

更生の 秘密に 他なら ぬ。 

その 意味に 於て、 おそらく 次の 感想から、 信念 更生の 祕密 とその 內容は 窺 

知され る だら う。 「人が 五十 三 もの 年頃に なれば、 衰 へない もの は 極く 稀 だ。 

髮は 年毎に. C さを增 し、 齒も缺 け、 視力 も衰 へ、 背て 紅かった 頗 にも 古い 21? 

壁の 面の やうな 皺 を 刻みつ ける。 そこに は 附着す る K 口の やうな 皮 腐の 斑點さ 

へ 留める。 …… 思 ひがけない 病と、 晩年の 孤獨 とが、 人 を 待って ゐる。 この 

わたしたちの 力 弱さに 比べたら、 太陽の こと は 想像 も 及ばたい C 絶え 問の な 



265 



い あの 飛翔と、 あ 。お 躍。 夜毎の?. 落 はやが てまた 朝 紅の 輝きに, 一進んで 行 

く あの 生氣ご (「太 nji の 宵 葉ヒ 

L 新生』 の 悲劇 はこの やうに ひらけ、 いま は 自然の 運行に 順應 する かの や 

うな、 生の 成熟と 豊饒が 語られて ゐ るつ 言 はば、 自我の 解放で も あらう。 

『1^』 「分配」 の 一時期に 見る 濶 然とした ひろがり は、 この 大らかな:^ 念更 

生の 秘密に. E 来した。 

ー贫 しい 理畢 士」 とい ふ 作品 は、 暗い 生活 を 描いて 縮刷され た 『家』 を 思 

はせ る やうた 短篇で あるが、 この 暗 さはけ つして 絶望して をらぬ C そして、 

この 作品に 見る 人 近 性 は 作者の 主觀 としてで はたしに、 生活の 描寫か ら 自然 

に 割り だされた 感情と なって ゐる。 主觀 的に 煽情され た 人道 性 は、 例へば 

〔【破戒』 がさう であった やうに、 どこか しら 重苦し さと 執拗 さを帶 びる もの 

であるが、 「貧しい 理 a«- 士」 に 到っての 人道的 傾向 は、 さう いふ 主觀の 装飾 

を!: ぎと つて ゐる。 作者 は 生活 相 を 的確に 描き、 それの 必然と してん 道的感 

ii? を 成果した。 自然に 同化して、 逆ら ふこと を 知らぬ 作" JJ^ の 心境が ここに 兑 



26d 



s,: だされる とともに、 リアリスト としての 藝術的 方法の 發展も 看取され るの ^ 

である。 さらに は 『新生』 に 活 した 主 情 性が、. この 時期に 入って、 またも 

稀^t化したことが知られるのでぁった。 

「贫 しい 现畢 士」 ー篇 は、 『新生』 を經て 後の 一つの 榑 機に 於け る 指: はと 

して 位 S し、 この 作品から、 ほぼ 『嵐』 「分配」 時代の作{农的方法が§^想さ 

れる。 當時、 島 崎 氏の 內 部に 『夜明け 前』 の 構想が 萌芽して わた かどう か は 

知らぬ が、 一九二 九 年 (昭和 四 年) 四月に 發 表された 『夜明け 前』 序 ij:^ は、 そ 

の リアリズム 並びに 客觀 的な 作 { 氷 的 態度に 於て、 一脈の 連 關性を この 一時期 

につないで ゐる。 

この 連關 性が、 どの やうに 發展 して 行つ たかを 迪る ために、 「子に 送る \1 ^紙」 

の 書き出し を督 見しょう。 

それ は、 r 大 災 のあった 日から 最 OH 二十日 目になる。 當 地の 様子 はお 前 

の 居る 木せ の 山地 へ も 日に日に はっきりと 傳 はって 行った こと だら うと 思 ふ。 

私が ひどく 心配した の は、 お前が 私達の こと を 案じて 上京 を 思 ひ 立ち はしな 



いかと いふ ことであった 。一 と、 流れで る 感情 を そのまま 書きつ け たかとも 

思 はれる 簡素な 文脈で ある。 簡素で ありながら 勘所 を とらへ た 文章で ある。 

これに 『夜明け 前』 序章の 「木 曾路 はすべ て 山の 中で ある。 一 以下の 地勢 

を 概括した 部分 を對 比して みると、 文脈の 連關 性の 發展は 言 ふまで もな く、 

描くべき 對 象の ただ 中へ いきなり 身 を 沈め、 簡素に 的確に 表現す る、 手法の 

it 觀性も 共通して ゐる ことが 知られる だら う。 そして 「子に 送る 手紙, 一、 『嵐』 

のニ篇 は、 ともに 簡素に 冒頭して 複雜な 社 會相を 描いた ので ある。 

主觀の 直接的た 燃燒 から 主情的な 眼の 配り を するとき、 島 崎 氏 はいつ も 作 

品の 內 部で なに かしら 激して ゐた。 轉 じて 『嵐-一 「分配」 の 一時期に あって 

は、 老年の 心情が さう した 激情 を 抑制し、 豊かに も 端然と した 作風 ー 作家 

的 境地に 住ま はせ たので ある。 その やうに も 言へ るが、 しかし 「子に 送る 手 

紙」 とか 『.は』 にも、 同じ やうに 激情すべき 事柄 はあった ので、 それが なほ 

大らか さ を 印象す るの は 他の jsll- 情に よるの だ。 

ここに 到る.: S 崎 氏の 作家 道程 は、 內 部の 暴 をつ ねに 作品にまで 相貌し、 そ 



れ だけに、 人生 的た 靜思 を樂 しむと いふ 風な 趣に 乏しかった。 さう した 小 4- 

み もたい 作 {4- 的 踐は、 その 周 園に、 一つの {< 丄虚な 無風 帶を殘 して ゐ るので 

はなから うか。 それが 五十 年の 年月 を經、 人間的 精進の 成 £^ と 沈 への 心境 

がー つに 融合し、 G 新生』 から ー轉 したと ころに、 濶 然とした 世界 を ひらい 

たもの の やうに 思 はれる e 「太陽の 言葉」 「春 ヒ 待ちつつ」 あるひ は 「老; 

と 題す る s〉s 時の 感想が それ をった へ、 端然と 沈思す る 人の 肖の 美し さを兑 せ 

てゐ る。 一. 子に 送る 手紙」 も も、 この 境地に 激情 を 華して、 軍;^ た 

作風 をと とのへ たのであった。 

『夜明け 前』 の 作風の 見事 さは、 いっさいが この 昇華 作用 をう け、 簡素に 

して 的確な 表現が、 かぎりたい 一 候雜さ を內容 して ゐる ところに ある。 この こ 

と を 合せ 見れば、 『1:^』 「分! 虹」 の 一時期が、 しだいに 『夜明け ig』 の 作 {么 

的 態度 を 準備しつつ あった ことが 想像され る だら う。 例へば 「食堂」 など、 

i£ 井の 生活 相 を謝片 したに 過ぎぬ が、 やはり その 背後に 世相の 推移 を 反映し 

てゐ る。 つ 夜明け ュ g』 の リアリズム も かう した 巧 み^を 用 ひて をり、 この 一 



26) 



^期と の i 迎關性 は、 成熟 に 向 ふ 作 の 見事な 紐帶 を 田 か はせ る。 

『a』 並びに 「分 配」 

一九二 六 年 〈. 大正 十五 年) の 『猷』 に つづいて、 その 翌年に 作られた のが 

「分:^」 である。 この 二 作 は その 出來榮 えに 於て、 また 生活の 內 部と 外部の 

關聯 し交涉 すると ころに 取衬 して ゐる點 に 於て -均 質的な 作品で ある。 

1. 强ぃ 5^ が來 たもの だ。 」 (『息』〕 こ の 感慨と 生活 についての きびしい 心の 配 

りが、 作品 『嵐』 の 構成の 中心で あり、 それの 主題で ある。 しかし、 ii^ とい 

ふやうた 比^ない し 象徴が、 si- して 適當 して ゐる であらう か。 

生活の 內部 にも その 周阅 にも、 そのと き 嵐の やうた 激し さが 氣 配して ゐた 

こと は^ 莨な の-であらう。 「その 時に なって 見る と、 過ぐ る 七 年 を 私 は, 綴の 

屮 に^りつ づけて 來 たやうな 氣も する。 私のから だに ある もので、 何 一 つ そ 

の" 奴 跡 をと どめない もの はない。」 as とい ふ ラロ 紫 は、 . ^部 的な、 たいし 



2/0 



は 生活 的た ものの 軍み に耐 へて きた 作 I 系の、 rs^」 する 心情の 吿. c として 注 

目され る。 妻 を 失 ひ、 渡歐 し、 やがて 母親の ない 家庭 を その 乎 一つに 抱へ て 

きた 島 崎 氏に して みれば、 生活と はま さに.:^ する やうな もので あったらう C 

他.;^ へ あ づけて おいた 子、 ニー 郞を 自分の 住居の 方へ 迎 へたと きのこと を、 お 

崎 氏 は. 「私 は獨 りで 手 を 揉みながら、 三郞 をも迎 へた。」 G 「息. 一一) とれ:: いて 

ゐる。 この あたりから、 愛情に 充 ちて 困惑し きって ゐる 父親の 姿が、 いかに 

もよ く 想像され る。 それ ゆ ゑ、 嵐と は、 先づ 生活の 轭の 愛情に 充 ちた しみ 

を比喻 した も C である C 

この. s: 部 的 -11 家庭の 轭に 社會的 動^の 波紋が からみ 合 ひ、 いっそう-::^ の 

感じ は 募る のであった,^ 生活の 荷と 時代 的 焦燥と、 二つながらに 島 崎 氏の 心 

情 を 吹き さらして ゐる。 

無 邪; i おな 三 郞の顏 を 眺めて ゐ ると、 私 はさう 思った。 何程の 冷たい 風が 9n こ 

の 兒の通 ふ 研究所 あたりまで も 吹き 廻して ゐる事 かと。 私 は 又、 さう 思った。 あ 



2/1 



の 米騒動 以来、 誰し もの 心 を搖り 動かさずに は 置かない やうな 時代の 焦燥が、 右 

も 左 もま だほん たうに よく 分らない 三郞の やうな 少年のと ころまで もやって 來た 

かと。 私 は 屋外から いろいろな こと を 聞いて 来る 三郎を 見る度に、 ちゃう ど强ぃ 

雨に でも れ ながら 歸 つて 来る in: 分の 子供, > 見 ろ氣 がした。 (『嶷」ー) 

社.^"的なもの の 動き は、 この やうに して 母親の ない 家庭まで 容赦な く 吹き 

さらした。 たしかに、 常時の 社會的 事情 は 「嵐」 を 感じさせる あわただし さ 

に^ 亂し、 その 時代 的 焦燥に、 人生 的 決意 を きびしく して ゐる この 作家 は S 

ひ を ひそめた ので ある。 「 一 日と して _ssf なき 曰 はなし —— それ は ゾラが 座右 

の銘 であった とか。 大正 十三 年 を 送って また 新しい 正月 を迎 へて 見る と、 過 

ぐる 一年 も隨分 多^で あつたと いふ 氣 がする。 大きな 震災の 影響が 各自の 生 

活に 浸潤して 來 たこと を われひと 共に 深刻に 經驗 する やうに なった の も、 過 

ぐる 一 年の 間で あつたと 思 ふ。. 一 (「大正 十四 年を迎 へ し 時」) この やうに も 感想 

して ゐる ほどで ある。 



この 感想から-:^ を 聯想した の は當然 であらう が、 しかし、 作品に 見る 5^ は、 f:; 

主として 屋內 から 吹き 起って ゐた。 作者が、 社會的 動向と 生活苦と を 一 つに 

したと ころに 「3^」 とい ふ 言葉 を 比喩した とすれば、 それに は社會 的な もの 

の 反映が 稀薄で ある。 いづれ、 「嵐」 は、 島 崎 氏の 生活の 感慨と して 直接的 

に ひびいて くる。 一安い 恩 ひもな しに、 移り行く 世相 を 眺めながら、 獨 りで 

ぢ つと 子供 を 養って 来た 心地はなかった。」 (『息』) とい ふ 言 紫な ども、 ほと 

んど 生活圏 內の嵐 を 感じさせる 傾きが 多い。 この やうな 傾向の 作品 は、 その 

性格に 於て 社會 的で あると ともに、 全體 として はや はり 私 小 說的耍 素 を 多く 

して ゐる。 「1^ 一とい ふ比瑜 がふ さはし いか 否か は、 社會的 反映 度の 點 から 

測られねば ならぬ であらう が、 さう すると、 この 比喻は 幾分 か强 きに 過ぎて 

ゐる やうに 思 はれる。 

それにしても、 この 作品が 內包 する 社會的 振幅 性 は 豊かで ある。 『.M』 「分 

配」 をめ ぐる 一 聯の 作品のう ち、 例へば 貧しい 理 舉士」 は その 人道的 感情 

からして 幾 ばくかの 社會性 を內容 し、 「子に 送る 手紙」 も- 簋災當 時の 社. 的 



^亂を 映して ねる。 しかし この 二 作に 比して、 『嵐』 はいつ そう 社會 性を內 

し、 いっそう 生活 的 色彩が?; I い。 そして 作者 は、 社會的 動きと.; }^ 庭の を 

絢 ひ あはせ、 部と 外部の 交涉 すると ころに、 『嵐』 の內容 を比瑜 しょうと 

試みた ほどで ある e それが 作品にまで 具象 化された かどう かは^と して、 意 

圖 そのものが、 すでに 社會的 振幅 性 を そな へて ゐる。 

その やけ 來榮 えに 於て、 『3^』 は 完成 度の 高い 作品で ある。 島 崎 氏の 生活の 

並々 ならぬ 苦難 をと ほして、 背景す る 社會的 動きの 焦燥 をう かが はせ る點。 

時代 的 感情が 生活 感情と して 肉體 化された 時代 的 概括の 見事 さ。 激情 的な も 

の も 生活 感情の 高潮した 一 型 態として 捉 へた 點。 ー:1 これらの 特性から 一, 嵐』 

は さ を 築いて ゐ る。 

次 作 「分配, 一 は 〔あ 庭 的た 愛情 を金錢 問題に 托した 作品と して、 また 『嵐』 

とは異 つた 趣の 興味 を そそる。 『嵐』 が 外部と 內 部の 交渉す ると ころに 父親 

の 愛情 を そそいだ とすれば、 これ は,; 庭內 にかぎ つて、 動き、 成長す る 子供 

ら とその を 主題と した 作品で ある。 母親の ない 家庭で、 いかに 父親の 愛 V 



がふ かいもの であるか を、 聯關 する 『1:^』 と 一分 配」 はと もに 語って ゐる。 

山上 憶 良の 子供ら への 愛 は、 『萬 葉 菜』 に 於け る. もっとも 生活 的な 作品と し 

ての 位 si^ を 占めたが、 それに 相似した 感情が この 二 作に は 感じられる。 「よ 

りす ぐれた ものと なる ために は、 自分 等から 子供 を叛 かせたい。 ,——それく 

ら ひのこと は考 へない 私で もたい。」 (『虽」ー) とい ふ 徹した 愛情で ある。 それ 

だけに、 この 作品から は 仄かな 寂 li が 感じられる。 

金 錢に渴 ゑた 人々 の、 生活す る さま を 詳しくした 作品 は 『家』 であるが、 

「分配」 では 島 崎 氏み づ からが 金錢 をめ ぐって、 それの 性質に つき 一つの 感 

慨を 述べ てゐ る。 

私 は、 「財 は盜 みで ある。」 とい ふ あの 古い 言葉 を 思 ひ 出しながら、 庭に むいた 

自分の 部屋の 障子に 近く 行った。 四月 も 半ば を 過ぎた 頃で、 狭い 庭へ も 春が 来て 

ゐた。 

私 は 自分で 自分に 尋ねて 見た: 



「これ は盜 みだらう かご 

それに は 私 は、 否と 答へ たかった。 (「分配」) 

こ の やうな 自問自答 か ら、 幾 ばくかの まとまった 金 を どの やうに 處 置す ベ 

きか 11 そして、 子供ら に 配分すべき かを考 へて ゐる。 

ひさしい 問 苦難して きた 島 崎 氏と して、 同時に 一般の 文筆の 士 として、 こ 

の 自問自答 は 肯定され てよ いので ある。 「富と は、 生命より 他の 何物で もな 

い。」 とい ふ 言葉 も、 同じ 意味で 首肯され る。 作家が 金錢 について 淡 {n であ 

るか 否かと いふ ことで はなく、 ここに、 作家 生活に 於け る 金錢の 問題が ある 

の だ。 島 崎 氏の やうに 明治 年代から 作家 生活 をつ づけて きた 人 は、 作 〔豕の 仕 

審に對 する 報酬、 あるひ は 著作と 出版の 關係 も、 並々 ならぬ 苦 業と して 經驗 

してきた ところで ある。 

「透 谷、 眉 山 は 自殺し、 綠雨 も、 一葉 も、 獨步 も、 みな 酬いら るると ころ 

は少 くて この 世 を 去った。 過去に 於け る 名の ある 文舉 者が 二十代、 三十 代で 



多く死んでゐるとぃ ふ^^^-實は、 心 ある 人の^に は 如何に 映す る だら う C この 

考へ はしばしば 私の 心 を 暗く した。」 (「著作と 出 1^」) ここに、 明治 年代の 作 

〔水た ちがい かに.,. 0- 錢 について 勞 苦し、 窮迫した 生活に あつたか がー 百 はれて ゐ 

る。 島 崎 氏が 『破戒』 『春』 の 三部 を 『綠陰 叢書』 と名附 けて 自費 出 

版した の も. 作者と 出版者との 關 係に 安んじられぬ ものが あった からだと 

いふ。 そして、 島 崎 氏が 淺草 新片 町に あった 頃に 「私が 自分の 周圍に 見出す 

人達 はと 言へば、 その いづれ もが 新聞社に 關係 すると か、 學 校に 敎鞭を 執る 

とか、 あるひ は雜 誌の 編輯に たづ さはる とかして、 何 か: id 事 を 持って: iig ない 

もの はな いくら ゐ であった ピ(,「 著作と 出版」) とい ふ狀 態であった。 

作 〈\ ぶたち がかう した 苦 艱を經 てきた こと を 思 ふなら ば、 一! 分.. の 自問 自 

答が たに を 意味す るか も 明瞭で ある e 殊に 島 崎 氏ら は、 明治 文舉を 自己の 手 

に 育て その 自立 性 を まもって きて ゐる。 「曾 て 文藝 委員 會 なる ものが 文部お 

の 中に 設けられた ことがあった。 …… あの 時に 私達の 胸に 浮んで 來 たこと は、 

兎にも角にも 明治の 文學が 何等の 保護 もな しに 民間の 仕事と して 發 達して 來 



たとい ふ 誇りに 近い 氣 持であった。 瘦 我慢で はあった かも 知れない が、 私達 

はな まじつ か 保護 せられる ことよりも、 むしろ 眞に 理解され、 誠意 を もって 

取极はるることの方を^11-んだ。」 (「著作と 出版. P 痩我慢であって もよ い、 文 

奥-の 自立 性の 露 意義 は、 作 〈來 その 人に よって まもられねば ならぬ。 かう して 

「瘦我 3:1」 してきた 作 {| が、 すでに 老年に 入って、 幾 ばくかの まとまった 金 

錢を 手に したと て それが なんで あらう。 作品 「分配」 について、 ここに 引例 

した 感想 「著作と 出版」 たど は 餘談に 過ぎぬ が、 「財 は盜 みで あるか。 生命 

であるか。」 の 自問自答 は, しかし これ だけの 事柄 を內容 して ゐる。 

この 作品 も、 金錢 問題 をと ほして 社會 相との 交涉を 示して ゐる。 生活難に 

ともな ふ 迷 の 流布、 物 乞 ふ 貧困 者の 姿な どけ はしい 世相 を 思 はせ るが、 こ 

の 場合の 社會性 は、 『.:^』 に 於け る ほど 主題と 緊密に 結びついて ゐる わけで 

はない。 ただ、 さう した 世相の け はし さの 中に、 幾 ばくかの 金額 を 手に する 

ものの 感慨が、 對比 的に 述べられて ゐる だけの ことで ある。 ところで、 その 

金 は,: i§ 崎 になに を もたらした であらう か。 作者 は、 分配が たに を 結 する 



2/8 



_ らう かに 作品の 重點 をお いたか も 知れぬ が、 むしろ 四 人の子への 分配 は. 

なに かしらの 寂 -感 を、 島 崎 氏の 思 ひに 殘し ただら うこと を 私 は 思 ふ。 分:^ 

は、 愛の 表現 だからで ある。 

「世に は 七十い くつの 晩年に なって、 まだ 生活 を gsf 純に する こと を考 へ、 

家から も 妻子から も 一 切の 財產 から も 遁れ、 全くの 一 人と ならう とした 人 も 

あつたと 聞く が、 :: 十く 妻 を 先立てた 私 は それと 反對 に、 自分 は {义 にと どまり 

ながら 成長す る 子 俳 を 順に 送り出して、 だんだん 一 人に たる やうな 道 を 歩い 

て 来た。」 (「分配 ヒ これらの 言葉 は、 あきらかに 寂麥感 を 含んで ゐる。 さう 

では あるが、 分配して、 巣立つ 子供ら へ 愛情 を そそがねば たらぬ 入 生の!^ み 

は、 ひとり 島 崎 氏 だけの 宿命で はない。 この やうな 作品に 接して、 私 ども は 

一一: ョ ふべき 多く を 知らぬ。 一人の 作家の 誠實 さに ついて だけ、 そして 入 間の 

み の 宿命的 な 形式に ついて だけ ..:- —なに か を 一. W へ ば 言 へる ので あらう。 



279 



1 聯の 作品 

『- は』 並びに 「分配」 の ニ篇を 除いた ー聯の 作品 は、 一般に 市井 事 ものと 

いふ ことができる」 しかし ここにい ふ 市井 事 もの は、 けっして 些 末た 人間的 

に 終らぬ。 それぞれ、 人間 生活の 一 斷面を 示して、 人の 世の 難 さに 田 ふ ひ 

を 及ぼさせる。 

rz 成 堂」 とい ふ 短篇が ある。 これ は 關束大 養災に 古くから つづいた .:}^ 業 を 

失った 人々 が、 災禍の 中から 更生して、 食堂 を經營 する に 到った 事 を敍し 

たもので あるが- 作品の 主題 は、 そのこと よりも 推移 變遷 する 世相 を 食堂の 

背後に 窺 はせ る點 にあった。 大" 虔災 がいかに 古き もの を 亡ぼした か、 人 はい 

かにして、 古き ものの 滅亡の 上に 新しき 生活 を 築かう としたか。 災禍の 社 # 

的^ 響 を、 作者 は 一 食堂の 內 部から 測って ゐる。 

災に關 する 作品と して は、 もう 一 つ 「子に 送る 手紙」 が ある。 作品の 樣 



7i0 



式 は、 信 州 神 坂 村に 住む 長男に 宛てた 手紙と なって ゐ るが、 その 實、 これ は 

記錄 的な もしくは 報 先 風な 作品と して、 それだけ. に 慘禍の 年 をい まも 思 はせ 

るので ある。 形容し きれぬ ほど 無 慘に碎 かれた 街、 泥亂 から 擾亂 へ、 死 偽の 

悲劇 —1 さう いふ ものが 生々 しく 想起され るので ある。 そして 町の 暗がり を 

縫うて ひろがる 數々 の 流言。 逆上した かに 思 はれる ほど 度 を 失った 人々。 そ 

の屮に 一 つの 不士 口な 豫 想が 縫 ひこ まれ、 島 崎 氏 は r 實際、 私達 は^の ある 敵 

の來^ よりも、 自分 等のう ちから 飛 出す 幽靈を 恐れた。 そんな 流言に 刺戟 さ 

れて、 敵で もない ものが 眞實の 敵と なって 顯 れて來 るの を 恐れた。」 f 「子に 送 

る 手紙」) とそれを-{^せへ てゐ る。 

この 作品に も、 『嵐』 「分配」 に 見た 子ら への 愛が にじんで ゐる。 「私 は 

獨 りで 部屋の 中 を 歩いて ゐて、 養子 風塵 間と いふ 昔の 人の 詩の 句な ど を.; ni 分 

の 胸に 浮べ て 見る ことがある。」 (「子に 送る 手紙」) この やうに 言 ふので ある。 

しかし、 この 作品 は-袋 災禍の 世相 を 主題した だけに、 社會的 振幅 性 はまこと 

に豐 かで ある。 災禍 の勃發 から 漸く 人心の 落着く までの ありさま を 記錄 し、 



28 J 



報^し、 敍述 し、 そして 感慨した ところから、 人 は促亂 する 世相に たにが あ 

つ たかを 知る だら う。 「^ 災後、 この 燒 跡から はいろ いろた ものが 掘り出さ 

れた。 驚くべく 悲しむべき 幾多の 悲劇が 生れた。 そこから 發散 する 社會の {仝 

氣 はかなり 息苦しい ものであった。」 (「子に 送る 手紙」) この 11 一一 口 葉 は、 作品 その 

ものから 實感 される ので ある。 ———從 つて、 子ら への 愛と 社 會相を 絡み合せ 

て 描いて ゐ る點、 『^2^』 「分配」 「子に 送る 手紙」 の三篇 は、 この 時期に 於 

け!^ぃ^を糾成してゐるとぃふことができる。 

一 聯の作 ni 屮に は、 女性 を 主題に した ものが 三篇 ある。 「三人」 一. ある 女の 

生涯」 「仲び 支度」 がそれ である。 この 三篇 にあら はれる 女性 は 「伸び 支度」 

が 少女で あり、 「三人」 の 人々 が 結婚 前後の 二十代の 人々 であり、 「ある 女 

の 生 i^」 が 概して 中年 以後 を 描いて ゐる。 「仲び 支度」 は^として、 他の 二 

l!S は いづれ も 地味な 作風で 女性の 生の 铌を思 はせ る。 殊に 「ある 女の 生涯」 

など、 1" く 過ごされた 姿 を 描いて 暗然た る氣 持ちに ひき 入れ、 かっての 時代 

に、 女性が いかに 軍: 苦しい 生涯 を 生きねば ならな かつ たかを 想起させる。 お 



「仲び 支. 度」 の 末子が、 少女 期から 成長して 行く 過程の 小さい 愁に對 比 

して、 「ある 女の 生涯」 のお げん はいかに も 暗い。 老 ひる ものと 育つ ものの 

^^^齢の比較からばかりでなく、 ここに は 時代の 相違 も對 比される だら う。 

明治 年代の 女性た ちが、 しだい に 封建 性の 弃 から 脫け出 たとい つ たと こ ろ 

で、 それ は 極く 少 部分の 人た ちが さう であった に 過ぎぬ。 多くの 生活 的な 婦 

人た ち は、 依然として 暗 さに 囚 はれて をり、 お げんの 生涯から、 その 年代の 

婦人た ちの 苦惱は ひろく 普遍され る。 「仲び 支度」 の 末子が 少女 期から 成長 

する 際に 覺 える 淡い 感傷 は、 どこか しら 水々 しいので あるが、 この 感傷の 淡 

さから さらに 育って 行った とき、 彼女 もまた、 お げんの 暗 さ を 別の 形で 味 は 

ねばならなかった であらう。 そんな 感慨 を覺 えさせる ほどに お げんの 生涯 は 

暗く、 「三人」 の 人々 もた にかし らを勞 苦して ゐる。 

概して、 市井の人々 の 生活に、 移り行く 世相 を 反映させる のが、 島 崎 氏の 

中 短篇 作品に 於け る 特徴で ある。 

この こと は、 リアリスト としての 島 崎 氏が、 一 つの 生活 相から、 "てれ をめ 



283 



ぐる 社き 的現責 のさ ま を 感知す る銳 さに よるので あって、 それぞれの 作品が 

社 43 的 振幅 性 を そな へた 所以で ある。 それ ゆ ゑ 一 聯の 作品に は、 全然 私小說 

と 言 ひきる ことので きぬ 社會的 性格が 付與 されて ゐる e 作品の 私 小說的 性格 

と 作 の 社 食 的 傾向と がー つに 融合した 境地、 それが この 時期に 於ての 作 {スぶ 

的態度として^15?へ られる。 どの やうに 斷片 的な 作品で あるに しろ、 島 崎 氏 は 

なに かしらの 人生 的 意義 ii もしくは、 人生 的 意味 を そこに 盛らう とする 作 

{ 水 である。 これら 一 聯の 作? にも、 さう した 意圖は 看取され る。 

卜ル スト ィは、 その 晩年に は假 借ない 道 德說を もって あらゆる 事柄 を 律し 

よ うとし、 そ の 作品 も 道德的 色彩 を 多分に 帶び てゐた C 道德說 など に は 安住 

できぬ^^崎氏も、 たに かしらの 人生 的 意義 を 作品に 付與 した 點で、 一脈 トル 

ス トイの 心境に, ffl 通す る ものが ある。 島 崎 氏が 幾多の 作品 を 築き あげ、 やう 

やく 『5^』 「分配」 の 一時期に 入った 際に は、 トルストイ がさう であった や 

うに、 人生 的 e; 實を捉 へる ことの、 いかに 難い かがや はり 痛感され てゐ たこ 

とで あらう。 そして 痛感した が ゆ ゑに、 トルストイの 道德說 に照應 しての 人 



-^4 



生 的 意義が、 一 聯の中 短篇 作品に 付與 された ので ある。 尺 生 的 夷 を 求めて 

しだいに 老年に 入りつつ ある 作 {夂 の、 これ は 一 つの 人生 的 寂せ 1 である。 

このと き、 島 崎 氏の 胸中に は歷 史的 現實 にまで 遇り、 そこに、 どの やうな 

S 史の 意思と 人の 營 みが あつ たかを 見ようと する 意圖 が、 去來 しはじめ たの 

ではなかった か。 『夜明け 前』 は、 主人公た る 半 藏の悲 刺 的た 死 を もって 終 

つて ゐ るが、 この 龙大な 作品 もまた 人生 的 眞實を 追求して ゐ る點、 他の 作品 

系列と 異り はせ ぬ。 ただ 「夜明け 前』 は歷 史的 現實の 流れに 沿 ひ、 『嵐』 「分 

配」 並びに 一 聯の 作品 は、 生活 的 現實の 種々 相に 手 を 仲べ ただけ の 相 遠で あ 

る」 この 意味から しても、 『嵐』 「分配」 を はじめと する 一 聯の 作品が、 『夜 

明け 前 一一 の營 みの、 遠い 素地と なって ゐ ただら うこと を 私 は 思 ふので ある。 



2SS 



千 曲 川 旅情の 歌 



小 諸なる 古城の ほとり 

雲 白く 遊子 悲しむ 

綠 なす 幾 ® は萠 えず 

若草 も藉 くによし なし 

しろがねの|^^の岡邊 

日に 溶けて 淡 1^1; 流る 

あたたかき 光 は あれ ど 

かをリ 

野に 滿 つる 4^ も 知らず 

53^^のみ春は霞みて 



2 $9 



麥の色ゎづかに^!巧し 

旅人の SCT はいくつ か 

ca 中の を 急ぎぬ 

暮れ行けば 淺間も 見えず 

欲 哀し 佐久の fcaw 

千 =s 川い ざよ ふ 波の 

Hit 近き^ に のぼりつ 

1® り 酒! t れる飮 みて 

草枕し ばし 慰む 

お 諸 町 を 流れる 千 曲 川の ほとりに 歌った この 詩 は、 その あざやかな 

情の 1^ 露 力ら、 一つの 筢 i? とい ふこと がで きる" これほど 細微た 言葉 を鎢彫 

して 靑 春の 哀歡 をつ くし、 これほどに 澄みと ほった リリシズム がま たと あら 



200 



うか。 ここに れる 情感の 傷み は、 ひとり,:: 崎 氏の それで あるば かりで たく、 

あるひ は 靑_ ^の 史 性と 呼ばれる ほどの ー! 靑春 を內容 して ゐる。 

この 作品の 第二 s«f に、 

鳴 呼 古城な に を か 語り 

ili の 波な に を か 答 ふ 

過し 世を靜 かに 思へ . 

..f あとせ 

百年 もき の ふの ごとし (第二 章。 il 聯) 

とい ふ 章句が ある。 古城の ほとりに、 遊子 は 榮枯し 消長した もの を 遠く 囘 

顧し、 そして 歷史 の亡靈 のたん たる 思 ひで あらう。 さう した 島 崎 氏の 思 ひに 

ひとしく、 一. 千 曲 川 旅情の 歌」 も、 とほく 人々 の 胸に! Is- を 注いで ft らぐこ 

とがたい。 人の 世の 盛衰と、 その 營 みは 年月 を經 るに つれてい よいよ 錯雜す 

るが, 青年た ちが 通過す る 一瞬の 靑!^ の醉ひ は、 なんらの 成 心なく この 詩の 



2 が 



に哀歡 する" どの やうな 環境に 性格 化された 人々 にしろ、 おそらく は、 

この 詩に ひそむ 哀傷 を 一 度 は 味 はふに 遠 ひない の だ。 それ ゆ ゑ この 作品 は、 

多くの 人々 に 共通す る靑 养 の 歷 性 を、 容し て ゐ ると 言 ふこと がで きる。 

人々 を 魅力す る ものが、 一千 曲 川 旅情の 歌」 のなん であるに しろ, これ を 

それぞれに 解き あかして 答へ る こと はでき ぬ。 これ は-愛 愁の思 ひ を、 純粹に 

杼 情した 作::? だからで ある。 

打^ 詩の 魅力す る 秘密 は、 ひ つ き や う 情感 の 表 中: が 純 粹度を 高めれば 高め 

る だけ、 それに 比例して 登 かにされ てゐ る。 密度 を 細緻に した 詩的 情感の I 

I この 作品で は靑 に まつ はる 感情の 表出が、 その 純粹度 を極點 にまで 昂め 

たの だ。 抒情;^^としての魅カが他に絕したのはこのためで* 人 は その 情感の 

流れから、 思 ひ を 傷める やうな、 なに かしらの 愛 愁に囚 はれる ばかりで ある。 

これ は 作品の 解說 ではなく、 その リリシズムへの 美しい 沒頭 である。 ここに 

はなん の 成 心 も 許されぬ し、 抒情詩の 魅力 はいつ もさう いふ ものであった。 

島 崎 氏の 靑 は 艱難の 途 であった e それだけに 詩に あら はれた 浪漫性 は 調 



ぺ髙 いので あつたが、 「千 曲 川 旅情の 歌」 は、 それら 青春の 日の 艱難 をい つ 

さい 消化し、 生活 的な ものの 陰 21;? を ことごとく 抒情に 忘却して、 作品 主題の 

現實 的な 配 を 持たなかった。 ある もの は、 澄みと ほった 憂愁の ふかさ 11. 

かう した 抒情の 美し さはす ぐれた 詩人に してな ほ 稀で あり、 そして、 愁の 

ふかさの ほどに、 人 は 千 曲 川の 旅情 を 悲しむ。 . 

そのの ち、 この やうに 純粹 化された 愛愁 のせ 美 を、 誰が 歌った であらう か- 

一: 度と 「千 曲 川 旅情の 歌」 はうた はれぬ。 それ は靑 tl^ の 失 はれよう とする 曰 

に、 ひとりの 詩人の 胸に、 ひそかにうた はれた 情感の 純粹 さだから。 人 は そ 

の 情感の 歷史 性に、 一瞬の 思 ひ を 寄せれば それでよ い。 すでに 島 崎 氏み づか 

-ら、 W びその やうに 歌 ふこと をし なかった ので ある。 

昨 H また かくて ありけ り 

今 H もまた かくて ありな む 

この 命な に を解餒 



293 



明 H をのみ 思 ひわ づ らふ 

いくたび か 榮枯の 夢の 

消え 殘るハ 介に 下りて 

河 波の いざよ ふ 見れば 

砂 まじり 水 卷き歸 る (第一 一章つ 第一、 一 一 聯) 

第二 M の純粹 化された 憂愁に 比して、 第二 章 は 情感の 流れに 意思 的な もの 

のお 1^ を ひそめ、 そ. とともにた にごと か を 語らう として ゐる。 千 曲 川 をめ 

ぐる 自然にしても、 第 一 では、 憂愁 をうた ふための 媒介物と して 映って ゐ 

るに 過ぎぬ が、 第ニ韋 では はるかに 直接的と なって、 象徴 もしくは それ 以上 

に 接近して ゐる。 それだけに、 歌 はれた 內容 は現實 的で あり 複雜 化した。 こ 

のこと は 第二 章が 抒情した ばかりでなく、 ふかい 感慨 を もって 過ぎた 日の 道 

程に 思 ひ をめ ぐらした からであった。 



-94 



しかし、 二 t 十の 差異す る點 についての 穿鑿な ど いづれ でもよ い。 流れ わた 

る 作品の 情感に、 愁と 仄かな 悲哀の 色 を 知る ことに だけ 意味 は ある。 &崎 

氏が さう である やうに、 後代の 人々 はも はや 同じ 「千 曲 川 旅情の. 歌」 の ^£感 

は 歌 はれぬ し、 私に も、 もはや この やうに は 歌へ ぬ。 苦痛 か 自虐 か 自己 151^ 

か- 1 今日の 詩人た ち は 悲痛で ある。 それ ゆ ゑに、 囘顧 すれば この^ はたん 

とい ふ靑 春の なつかし さで あらう。 

そして、 鳥 崎 氏 は、 

千 曲 川柳 霞みて 

春淺く 水流れ たり 

ただ ひとり 岩 を めぐりて 

この 岸に 愁を ぐ (第二 章、 第 四聯) 

と 敬った のであって * 私 ども はこの 詩の 情感の 歷史 性に 愁ひ をった ぎ、 過 



ぎて ゆく 靑泰を かなしむ の だ。 

『お菜 iiU の 作品に 翁 手した 仙 住の 顷 から 數 へて- およそ 五 年間 を 歌 

ひっづけた^;^崎氏は、 『落 梅染』 に 到って やう やく 靑 春の! 1^ 氣を 失って ゐる。 

このと き 二十 九歲。 ::: 「千 曲 川 旅情の 歌」 は、 青春の つきる 一 隠の 愛愁で 

あり、 その 悲哀で ある。 第一章が 純粹に 變愁を 情感し、 第二 章が 微かに 意思 

的な 氣配を ひそめた こと は、 だから その ロマンチシズムが、 リアリズムに 移 

らうと する 內部的 變化を 自然に 反映した ものである。 

いま も 人々 の 思 ひに、 「愁を 紫ぐ」 ところの 一千 曲 川 旅情の 歌」 は、 近代 

詩の 夥しい 堆 le のなかに あって 稀に 見る 美し さ を 示して ゐる C この 一 篇 にし 

て、 すでに 島 崎 氏 は 他 を 願み る を 要したい。 青春の 歷史性 を、 はたして 幾人 

の 詩人が うたった であらう か。 

「千 曲 川 旅 の^」 第一章 をし るした 藤 村 詩碑 は、 一九二 六 年 (大正 十五-年:;、 6 

小 千^ 川に 臨む 斷 崖に 近い あたりに^ てられた。 高 村 登 周、 有.: 生 HIT ^ 



二 氏の 意匠に 成り、 靑 親に 刻んだ ものである 3 それに は 「i;sasss しお も ひて は 

舊畤の 一 つ をし るす」 と、 島^ 氏 Q 首 紫が お へ て ある。 



297 



詩人と しての 藤 村 



「草枕」 の あけぼの 

詩人と しての .313 崎 藤 村 を 想 するとき、 いちはやく 思ひ屮 I される の は 「千 

曲 川 旅情の 歌」 に對 比して、 それに もま さる ほど、 見 な 情感の 調べ をった 

へた 「i:;i 枕」 である。 :K 後の 詩染 『落 梅 集』 に牧 めた 「千 曲 川 旅情の 歌」 

が、 歌 ひっかれ た靑 春の 憂愁に 絶^した とすれば、 第一 詩壞 『若菜 築』 の 

「^枕」 は、 ま, さに 奔流しょう とする 靑 春に 新聲 した 作品であった。 思 ふに 

「^=^枕」 は^の 流れの 新鮮さで あり、 面に ただよ ふ 幾らかの 冷た さ をと ほし 

て、 その 內 部に、 激流して やまぬ 情熱 をた たへ た 作 口 i である。 



298 



夕 波く らく 啼く千 dl 

われ は 千鳥に あらね ども 

心の 羽 をう ち ふりて 

さみしき かたに 飛べる かな 

若き 心の 一 筋に 

な ぐ さ め もな くな げき わ び 

胸の 氷の むす ぼれ て 

とけて 淚 となりに けり 

紫 を 洗 ふ 白波の 

流れて 厳 を 出づる ごと 

思 ひ あまりて 草枕 

まくらの かずの 今い くつ (「草枕」。 第一 、二、 11: 聯) 



299 



すで に 久しく つ づ い た靑春 の 日の 放浪 を 終 へ 、 漸く 島 崎 氏が 仙臺 市の 客舍 

に 落ちつい たの は 二十 五 歳、 一八 九 六 年 (明治 二十 九 年) のこと であった。 

『樓の 黄の 熟する 時 E から 『春』 に 到る 間、 主人公の 岸 本 捨吉が 辛酸した 

姿に t 右い n の,: 崎 氏の 肖 を 見る 人 は、 その 焦心と 苦 惱を經 た 島 崎 氏が、 迪 り 

つく やうた 思 ひで 仙 臺巿に 赴き、 そこで 「草枕」 に新聲 した こと を 知る とき、 

^りない 感慨に さそ はれる であらう。 むしろ、 歌 はれる n は遲 きに 過ぎた。 

永い あ ひだ その 胸底に して ゐ たもの は、 このと き、 いちどきに 聲を 擧げ、 

奔流す る 情感 は、 ことごとく 美しい 青春の 意匠 を 競った ので ある。 

.is 崎 氏の 道程に 於て、 いっさいの 文 舉的業 i3 を 含め、 この 詩 はま さに 新聲 

する ものであった。 同時に、 別に は 新生で もあった」 辛酸と 苦 惱と灰 を 嚙 む 

やう た^の 靑卷, から はるかに 逃れ、 IIJ^ 屈した 情熱の 恣た 流れに 身 を 托す こと 

の 希 ひ は、 やう やく 生かされ たの だ。 ひさしく 島 崎 氏 はこの 日 を 待ちつ づけ、 

胸 に^した 悲哀と 溜息が、 ぉのづから歌の調べとたる日をほとんど1^5突に迎 

へたので あった。 > ^ 



仙臺 行の 途次、 島 崎 氏 は 未だ 靑 春の 思 ひに お】 し、 「汽車が.::: 河 を 通り越し 

た 頃に は、 岸 本 は 最早 遠く 都 を 離れた やうな 氣 がした。 "おしい 降雨め f?i:: を 聞 

きながら、 何時 来る とも 知れない やうな {4! 想の 世界 を 夢みつつ、 彼 は 頭 を 窓 

のと ころに 押附 けて 考 へた。, K 『春』) のであった。 それが、 はやく も 新生し、 

新聲 したので ある。 それ ゆ ゑ聲と はならなかった 苦悔 が、 「草枕」 の 最初の 

一句と なって ほとばしった とき、 その 刹那に、 『若菜 粲』 ー卷 はすで に その 

生誕 を 約束され たので ある。 最初の 一 句、 一 行 は、 內, U した 青春の 思 ひ を こ 

と ごとく 奔流させる ための 序頌 として、 その 靑 春の いっさいに 楚 がって ゐる。 

「草枕」 の 冒頭. 第一 句 は、 『若菜 築』 一 卷 から、 ひいて 島 崎 氏の 詩人 時代に 

つらなる 最初の 呼吸 づきであった。 

寳に 「草枕」 は 島 崎 氏の 『新生』 として は、 はじめて 青春の 队 をつ. たへ、 

胸底に jf おして ゐる途 を ひらいた ので ある。 

心の 宿の 宮城 野よ 



301 



a れて 熱き 吾 身に は 

日影も^ く 草枯れて 

荒れた る 野 こそうれ しけれ 

ひ とりさみ しき-吾 耳 は 

吹く 北風 を 琴と 聽き . 

み 深き 吾: n: に は 

色衫 なき 石 も 花と 見き (第 十 f 、 十一 一 聯) 

もはや 靑 春の 調べ を さへ ぎるな にもの もた く、 萬 象 その 一 つ 一 つが、 聲を 

放って 呼びかけて ゐる。 

それにしても、 この 部分に は ひそかた 悲哀 も 含まれて ゐる。 それ は 過ぎた 

n の 苦悩と 焦心 を、 宮城 野の 自然に 托して 囘 想して ゐ るからで あって、 この 

1^ に は 『機の 赏の 熟する 時』 から 『赤』 を 終る までの 生活が、 壓 縮され 凝 



302 



結して, Q る。 ,;i3 崎 氏の 靑 春の 暗 さは、 そのまま 「草枕」 一 Si に賊 けられ、 囘 

想 は ひそかに 悲愁した。 朔風に 思 ひ をった へ、 默 する 石に その S 吹 を こめる 

までの 熾ん た 情熱と て、 それ を購 ふための 苦悩に 銳く裘 打ちされ てゐ るので 

ある。 青春 をみ づ から 否定した 1 口 さを憷 ふための 歌の 調べ は、 それだけに 仄 

かに 悲愁し、 哀傷した。 

この 詩 は 三十 聯、 百 二十 行の 長さに 亙って ゐる。 これ だけの 長さに して、 

なほ 全篇の 情感が 一 様に 緊^し、 いづれ の 部分 も 口 巧い 感動の 鼓 博 をった へた 

こと は 驚きで ある。 詩が 「聲 調の つた ふる 情緒の 搖れ」 (伊藤 左 千 夭) として、 

はじめて 生彩 ある 形式 を そた へる とすれば、 三十 聯 ことごとく、 #:^^した情 

感の 美し さを充 たす の は 容易で たい。 しかし 「^!:十枕」 をうた つたと き、 一 篇 

に はっく されぬ ほど 昂揚した 感情が、 き はめて 自然に 全篇 を充 たした ので あ 

る。 一 篇の 詩の 美し さは、 その 情感の 密度の 如何に かかって ゐる。 充赏し マ. 2 

度 化した 情感 は、 それだけで すでに 詩的な もの を內容 し、 そして 島 崎 氏 は、 

『若菜 築』 の數々 の 詩に 先んじて 「草枕」 に靑 春の 哀歡を 凝結した。 



303 



「誰か 舊き 生涯に 安ん ぜむ とする も のぞ。 おのが じし 新しき を IS かんと 思 

へる ぞ、 若き 人々 のっとめ なる。 生命 は 力たり。 カは聲 なり C 聲は 言葉たり- 

新しき ラ :! 葉 はすな はち 新しき 生涯な り:. 一 (If 藤 村 詩集」 一の 序) と、 その 新生へ 向つ 

ての 新 整。 ;:ー 從 つて 「草枕」 は、 ここに 到る 島 崎 氏の 道程 を 一瞬に して 思 

はせ、 ^£9崎氏にしても、 この 作 ミど. 的な 生命の 力 を 感じた こと は 再び 

た.;, I つたで あらう。 

春き にけ らし 春よ 春 

まだ 白雪の 積れ ども 

若菜の 萠 えて 色靑き 

ここち こそ すれ 砂の 上に 

春き にけ らし 春よ 春 

うれし や 風に } ^られ て 



304 



きたる らしと や 思へば か 

梅が _T そす る 港 の^に 

礎邊に 高き. 大衆の 

うへ に のぼりて たが むれば 

春 やきぬ らし rMllf の 

潮の 音 ji おき^ ぼらけ (第二 十八、 九、 三十 聯) 

岡 想に ひそむ 悲哀の 情緒 は、 春の あけぼのに 思 ひ を ひそめる ことによって、 

樂し くひら けて 行った。 

『若 茱 集』 時 代 

『若菜 集』 は、 ,は§ 崎 氏に とって 生の あけぼの を 意味した。 それにつ いて、 



505 



「自分に とって 處女 作と もい ふべき もの を 公に したの は、 二十 五の 年に 仙臺 

へ 行って からで ある。 私の 一 生 は、 其處で 漸く 夜が 明け かかって 来た やうな 

; I- がする。 『若菜 $^』 は 仙裹へ 行って から 書いた もので、 あれ は 私の 生の 曙 

とい ふやうな 感じ を 歌 はう とした ものであった。」 ハ 「明治 學 院の學 窓」〕 とも 言 

つて ゐる。 

仙 基に 在った 『若菜 集』 時代 を囘 想して、 島 崎 氏 は關聯 する 幾つかの 感想 

を 寄いて ゐ るが、 これらの 文章 は いづれ も樂 しさう である。 『春』 の 岸 本が 

死 を 決し、 また 生 を 肯.; ii- した 刹那から、 島 崎 氏 は 靑春を 否定す る ことによ つ 

て 生を赏 おしてき た。 それが 仙臺へ 赴く とともに、 やう やく 青春 は 肯定され- 

ここに 一 つの 轉 期が あり 生の あけぼの があった。 「草枕」 の 一部分 を 引例し- 

それにつ いて かう 一 W つた ことがある。 「こ の舊ぃ 旅の 歌 を 書いた の は 今から 

二十 九 年の 前に あたる。 青年時代の 私に は 之 を 書く 前に、 旣に 長い 冬の 背景 

があった。 ある 人 は^の 舊ぃ詩 を 評して、 私の 詩の 心 は 否定の 惱 みでなくて _ 

肯定の 苦に 巢立 つもの だと 言 つて くれた。 あの 言葉 は 自分 でよ くうた づけ 



30(3 



る。」 >.「 卷を 待ちつつ. 島 isr 氏に 於け る 『若菜 集-】 の ssg は、 この 言 紫に つく 

されて ゐる = 

『若菜 集」 は 一 つの 驚異であった- 1 八 九 七ハ牛 つ 明" お 二十 年」 八 =^、 屮村不 

折 氏の 装! g に 成る この 詩集が 上梓され たと き、 人々 は 驚異して 迎へ、 新時^ 

の 詩-;: 文舉は あきらかに 發展を 約束した。 

一 八 〇〇 年代 末期 は、 漸く この 國に 新しい 抒情詩の 搽 頭した 時^で ある。 

そし てこの 機運 に 先驅し て 、 新鮮な 感動 の 鼓搏を つ た へ た 人 が 藤 II: で あり、 

その 詩 菜が 『若菜 集』 であった。 すでに 新 詩 創造の 機運 は 熟して ゐた。 (註 一) 

それの 萠芽 は 一八 八 九 年 i 治 二十 二 年) 二月、 雜誌 『國 民の 友』 に譯戟 され 

た 詩 築 『於 母 影』 であるが、 これに 約 十 年を距 てて 『若菜^^^』 は新聲 し、 

『文 學界 一 の 浪漫主義 は 誇ら かな 成 を 得た。 これ 以後の 約 十 年間 は、 浪没 

派文舉 としての 抒情詩の 隆^ 期と して 經 過して ゐる。 

この ことから して、 『若菜 集』 は 日本 近代詩の 礎石と して 位置す る もので 

あった。 しかし 創造す る 詩人の 苦惱 は、 その 背後に やはり かくされて ゐた。 



3。 7 



「n 本の 一 百 紫で 新しい 詩が 書け るか、 とい ふこと は當 時に あって はま だ 疑問 

でした。 S: けても それが 多くの 人に 讀 まれたり 味 はれたり する ほどの ものに 

成長して ゆく かとい ふこと は、 疑 はれて ゐ ました。 明治に 起った 新しい 小說 

の 世界と いふ もの は、 非常な 勢 ひで 擴 がって 行きました が、 それに 較べる と、 

詩 はま だ ごく 狹ぃ範 園に あ つて、 それ を 設む人 もす くな か つたの です。」 (「若 

菜^ 時代」) ^造す る 詩人の 苦惱 は、 かう したと ころから 未来 を 約束した ので 

ある。 

そして、 これ ま. 同時に 時代の 機運で ある。 向上 期に あった 當 時の 日本 資木 

主義の 小 止み もない 發展 は、 一八 九 〇 年 (明治 二十 三年) の國會 開設 を 期と し 

て、 的 感情 6- 大きな: 揚を もたらし、 ここに 新時代の 文舉 は、 昂揚 感を 

母胎と して 浪漫派 文畢を 創造すべく 方向 づ けられた。 戀愛. 自然につ いての 

愤愤 i 封建的 觀 念に 對 する 反抗。 國木田 獨歩は その 抒情詩の 信條 として、 

「戀 する もの をして 自由に 歌 はしめ よ。」 と 言った。 しかし これらの 抒情詩に、 S 

i んら かつ 意味での、 社 會的现 想 性 を 求める こと は 不可能で ある。 幾分 かの 3 



理性 は あるに しても、 それら は 依然として 自然 • 戀愛 についての であり、 ^ 

個人的 自我の 認 へ の 歩みに 他たら なかった 

^:^崎氏の生のぁけぼのは、 時代 的 感情の 昂揚の 時期に 一 i で」、 1^ 自 性の 樹 

立と、 時代 的 文舉の 性格 を 生成すべく 理想した ので ある。 「その 頃の 詩の 世 

界は 非常に 狭い 不自由な もので、 自分 等の 思 ふやうな 詩 は まだまだ 遠い 先の 

方に 待って ゐる やうな 氣 がした が、 鬼 も 角 も 先縱を 離れよう、 詩と いふ もの 

を もっと 自分 等の 心に 近づけようと 試みた。」 (「藤 村 詩抄の 序」) ので ある。 だ 

から 「若菜 築』 が 時代の もっとも 新しく 美しい文 學 として 新聲 した こと は、 

それだけで、 詩人の 理想 性 を 充分に 現實 化した わけで ある。 この 點に、 『お 

英壤』 の 意義 は 築 中され てゐ ると 言 つてよ い。 

社會 的た ill ん 味での 理想的 精神の 缺除 は、 明治 文樂に 於け/" 浪漫派 文 學の跛 . 

行 的 性格 を 示す ので あるが、 文舉 史的に 11 そして 社 會的發 の 順序 を 考察 

するとき、 これ もまた 止む を 得ぬ 途 筋であった ことが 知られよう。 『若菜 1^』 

に牧 めた 五十 一 篇の詩 も、 また さう した 意味で は社會 性の 反映 を 忘却して ゐ 



る。 さう では あるが、 時代 的 感情の 昂揚が ^ 若菜 集』 時代に 於ての 社 會的背 

であり、 ほ然. 戀 愛な どに ついての 本然 的な あこがれが、 その 生命で あつ 

たこと を考 へる たらば、 おの づ から 一」 若菜 集』 に 溢れた 浪漫性 そのものに、 

當 時の 文 el- の 時代 的 性格 は 感知され るので ある。 封建的 観念に 對躕 しての、 . 

自. E た. 躍動す る 精神 Q 恣意的た 表現、 浪漫的 感情の 歡喜。 -. それが、 浪 

没 派 文學の 性格であった。 

德川 封建 支;^ の投滅 によって たされた 維新 は、 なにより 國民的 感情の 統 一 

と 糾^ を <.=j ぎ、 やがて 資本主義 的發展 のめ ざまし さは、 國民的 感情の 廣. 汎な 

E 叩揚を もたらした。 この 過程の 反映が 時代 的 文學の 創造で あり、 この 國民的 

感^の C 叩揚 から、 浪漫派 文 學は搔 頭して 近代 日本 文擧の 基礎 を 築いた。 從っ 

て "若 茱染』 も 時代の 感情 をうた ひ、 そこに 新しい 感情 を 奔騰 させれば、 す 

でに その 歷 史的? 仅割は 充分に したの だ。 社會 的な 意味での、 理想 性 あるひ 

は 人 近 性への 關心 は、 末期 浪? I- 派文學 ないし、 それに つづいて 寫實性 を 織り ひ 

こんだ 自然主義 文舉に ひ:^ つべき ものであった。 島 崎 氏に しても、 『若茱 集』 ジ 



から 約 五 年を距 てて 一 九 〇〇 年 (三十 三年〕 に 出版した 『落 梅 に は、 す 

でに 若干の 社會 的. 2: 容を 盛った 詩を牧 めて ゐる。 r 勞働雜 詠」 r 燧 *|」 その他。 

また 『夏草』 に は 「農夫」 その他 を。 

みづか の 胸に 充 ちて ゐる 浪漫的 感情 を、 ひたすら 欲って 疑 はぬ こ と に 

『若菜 1^』 の 時代 的 意味と 生命 はあった の だ。 「あの 旅 (仙 塞 行) に 行って 漸 

く 私 を 青年ら しい 自分に 歸す ことが 出来た。 そして 私の 『若菜^』 の 中に 

ある やうた かすかす の 詩が その 自分の 胸から 自由に 流れ て來る やうに 成つ 

た。」 (「文 學に 志した 顷」) かう して、 生の あけぼのと 時代 的 文舉の あけぼの を 

招來 して 新生した ところに \ もっとも 島 崎 氏の 生命 感は 充赏 したので ある。 

註 一、 『若菜 teo に つづいて、 浪澄派 文學の 擡頭 を 一 磐す ると それ は. f:- の やう 

であった。 一 A 九 七 年、 島 崎 藤 村の 『若 茱银』 出づ。 一八 九 八! 一八 九九 年、 

藤 村の 『一葉 集』、 土 井 晚翠の 『天地 有情』、 藤 村の 『夏草』、 薄 田 泣蓳の 『基 

笛 集』、 蒲 原 有 明の 『草 わかば』 出づ。 一 九 〇〇 二 九 〇 一年、 藤 村の 『落 



3 は 



i-i^h^s^i ii 、河 蘇の 

i^lm i l?ISMA (s …ち に は、 i 

力.? れた。 i 外、 I 蔓、 井上通泰、 市村責郞 、小金 井 君子。 人々 



抒情 性と 浪漫 t 



ぎ. の 詩に あら .H.r^.^i.^5>K;o :,、、 二, -、 、t 

性で ある。 そして、, リも きる f の浪漫 性 と霸§ 

『若 管 r 」、 n,, r- る と# へる のであった。 

is に 「潮 昔」 とい ふ 置に 似通 ふ 調べの 作品が ある。 



わきて ながる る 

や ほじ まり 



そこにい ざよ ふ 

うみの 琴 

しらべ も ふかし 

もも か はの 

よろ づの なみ を 

よびあつめ 

ときみ ちくれば 

うらら かに . 

とほく きこ ゆる 

はるの しほの ね 

この 詩 は 幾分 か 古風た 味 ひ を もって、 均整 された 美し さ を そた へて ゐ るが、 

しかし、 なにより 先に 氣附 かれる こと は、 その リリシズムの 水々 しさで ある。 

『若 茱集』 に牧 めた 作品 はもと より、 つづいての 『一 葉 第』 『夏草』 に輯 めら 



51 



れた 作品の モチ ー フも、 ことごとく 後 美た リリシズムに 密着し、 かって どの 

やうな 詩人 も 歌 ふことの なかった 新鮮た 情緒 を 意匠した G 

「^昔」 は なんら 藤 村の 作品 を 代表す る もので はない が、 潮の 流れに 托し 

た 詩人の 思 ひ は、 とき 滿 ちて、 美しい 均整の 姿 をと とのへ た 喜び を 言って ゐ 

る^ それ ゆ ゑ、 浪漫派 文举の 潮流に 青春の 哀歡を 寄せた この 詩人 は、 「潮音」 

の 優 しく 自. E た 調べに、 それとなく 新 詩 の リリシズム を 宣言して ゐ るので 

あった。 藤 村 は 浪漫派 文舉の 創始者の 一 人で あり、 『若菜 築』 は 「新 抒情詩 

^代の 標條」 (北 原 白 秋の 言葉) である。 さう であれば、 すでに 當 時に 於け る 

浪漫派 文 寧の 時代 的 性格が、 その リリシズムに 基調し て ゐる こと も 肯定 さ れ 

ねばならぬ。 そして、 いみ じく も、 藤 村 は 「潮 昔」 の リリシズム を もって、 

^^^派文3^- の^;代的性格を典型した の で ぁ つ た。 

まだ あげ 初めし 前髮の 

:J^Jg の もとに 見えし とき 



314 



にさした る 花 櫛の 

花 ある 君と 思 ひけり 

やさしく 白き 手 をのべ て 

ぉ檢を われに あたへ しに 

薄紅の 秋の 赏に 

人 こ ひ 初めし はじめな り 

わがこころな きため いきの 

その 髮の V モに かかる a: き 

たのしき 戀の 1^1 を 

君が 情に 酌みし かな 

檎 畑の 樹の 下に 

おの づから なる 細道 は 



315 



誰が 路 みそめし かた みぞと 

問 ひた まふ こそ こ ひし けれ 

これ は 「初 § にと いふ 作品で ある。 この 詩 のみでた く 「あけぼの」 「狐の 

わざ」 r 髮を 洗へば」 等の 『若菜 築』 の 作品、 「白磁 花瓶 賦」 「きりぎりす」 

(『一葉 染 jpr 小 兎のう た」 「晩春の M 離」 「新潮」 その他の 『夏草』 の 作品な ど、 

いづれ も 接 笑な リリシズム として、 若い 詩人の 感情 を 巧みに 織り成して ゐる。 

浪^派 文畢の 生命が 鋭い 理想 性で はなく、 ひとへ に 抒情す る 精神に 充 たされ 

たこと は、 その 文 舉の緣 弱な を 思 はせ るが、 しかし 抒情す る 詩人 その 人の 

胸 は、 これによ つて 充赏 した 生命 感を味 ひつく したの だ。 

傅 親した 古き. 定律 詩へ の 叛逆、 戀 愛たら びに 自然 を 頌歌す る 自由た 情感の 

奔流 1, ここに, 新時代の 詩人が 生命 感 の 充實を 感じた こと は 〈=i 然 で あ つ た。 

少く とも、 人間 精神の 生々 した 形での 表現 は 生命 感の 自覺 であり、 文 辜 を 人 

生 的た 意味 を もって 現赏 化す 最初の 出發 -—— 自我の 自覺に 他たら ぬ。 「o 



リリカルな 詩 は、 その 本質に 於て 纖; 15: の やうであった, こ は 一一::: へ、 封^的 觀 ひ 

念からの 自我の 解放 は、 そ れ だけで 新 文畢の 創造 を 招來十 る ものであった。 

この 點に、 島 崎 氏ら の 詩に 溢れた リリシズムの 時代 的 性格が 求められる。 リ 

リシ ズムを 否定 レて は、 浪漫派 文舉 Q 時代 的 性格 も、 その感史的意1^^もぁき 

らか に されぬ し、 日本 近代詩の 出 發點が どこ にあ つ たか も 判然せ ぬ。 

藤 村 詩壤』 (註) に 「自序」 として 記された 文^ は、 その 浪漫 性と 抒情 性 

を 次の やうに 述べ、 新時代の 人間 精神 を 歌 ふべ く 一 つの 宣言 を 試みて ゐる。 

遂に、 新しき 詩 欲の 時 は來リ ぬ。 

そ はう つくしき の ごとくな りき。 ある もの は 古の 預言者の 如く 叫び、 ある 

もの は 西の 詩人の ごとくに 呼ば はり、 いづれ も 明 光と 新 5^ と 空想と に醉へ るが 

ご とくな り き, - 

うらわ かき 想像 は 長き 眠りよ リ にめ て、 民俗の 宵 葉 を 飾れ リ。 

傳說 はふた たびよ みが へ リぬ。 a 然 はふた たび 新しき 色帶 びぬ。 



明 光 はまの あたりなる 生と 死と を 照せ り、 過去の 社 大と衰 類と を 照せ り 3 

新しき うたび との 群の 多く は、 ただ 移 黄なる 靑年 なりき。 その 墓 術 は 幼稚な 

りき、 不完全な りき、 され どまた 僞りも 飾り もなかり き。 靑 春の いのち はかれ 

らのロ 群に あふれ、 感激の 浜 はかれら の 親 をった ひしたり つ こころみに 思へ、 

清新 横溢なる 思潮 は 幾多の 靑年 をして 殆ど 寐食を 忘れ しめたる を: また 思 へ 、 

近代の 悲哀と 煩悶と は 幾多の 靑年 をして 狂せ しめたる を.^ われ も 拙き 身 を 忘れ 

て、 この 新しき うたび との 聱に 和し ぬ。 

ここに 述 ベ られた 抒情 性と 浪漫 性の 發揚 は、 言 はれて ゐる やうに 時代の 新 

鮮. な 機運と して、 それが 島 崎 氏の 內 部から 歌 はれた こと を 語って ゐる。 つま 

り、 自我に 反映した 時代 的 感情が、 『若 茱壞』 から 『 一 葉染』 を經て . 『夏 

萆』 に 到る まで、 自 出た 感情の 流れ を 抒情 させた のであった。 これらの 詩 築 

の リリシズム は、 ^is崎氏ひとりの胸に情感したのではなく、 時代の 人々 の 思 

ひ を 一 樣に 水々 しく 潤 ほした のであった。 そして 抒情 は 封建的 觀 念へ の 叛逆 



として、 ことごとく、 Js^ の 歌 を 調べして ゐる。 り 

3 

くろ カスな 力く 

や はら かき 

をん なご ころ を 

たれ かしる 

をと このかたる 

ことのは を 

ま ことと おも ふ 

ことな かれ 

をと め ごころ y 

あさく のみ 



いひ もった ふる 

を かし さや 

みだれて ながき 

g の 毛 を 

黄楊の 小 櫛に 

かきあげよ 

ああ 月ぐ さの 

きえぬべき 

こ ひもす ろと は 

たが ことば (「おきく」 第 I —五 聯) 

,おえ ふ。 おきぬ。 おさよ。 おくめ。 おった。 おきく」 六 人の 處女を 歌つ 

た 一 聯の作 が、 ここに 引例した 「おきく」 の 一 部へ P から も 知られる やうに- 



ことごとく^ 歌の 美し さ を哀歡 して ゐる こと は、 島 崎 氏の 詩 並びに 當 時の 一 

5^ の 詩人が、 いかに 苦痛 を 知らす、 純粹に 抒情して ゐ たかを 囘 想させる。 & 

崎 氏が、 仙臺へ 赴く 以前に、 どれほど 生活に 辛苦し たかはす でに 兄た ところ 

だ C その 島 崎 氏に して、 なほこの やうに 純粹に 抒情した こと は、 新 接する 人 

人の 情感が、 いかに 水々 しく 呼吸 づ いて ゐ たかを はせ る。 令 日、 なに かし 

らの 痛苦な しに は 歌へ ぬわが 詩人た ちに とって、 浪漫派 詩人に 特徴した リリ 

シズム は、 碎かれ た 美 を 懐し ませる ので ある。 

浪漫派 文畢 が特徵 的に 內 包した 抒情 性に 對 比して、 しかし そこに は、 もう 

一 っ^の 感情 もなければ ならなかった。 それ は 戀愛ゃ 自然につ いての 思 Icr は 

かりで なしに、 はるかに 大らかな .11- 理想 性を氣 配す る、 口? 揚 された 浪 的 

感情で ある。 

浪漫派 文 舉の發 生した 現實の 地盤が、 一 八 九 〇 年代に 於け る 資本主義 的發 

展 に培釀 された、 國民的 感情の 昂揚に あつたと すれば、 さう した 浪漫性 を、 

詩人た ちが 歌 ふの は當然 である-" それにしても、 リリシズムの 歌 聲に壓 倒さ 



321 



れて、 理想 性 を;;^ 配す る やうた 浪漫的 作品 はき はめて 乏しかった。 島 崎 氏に 

しても、 『一葉 衆』 に牧 めた 「紫の 歌」 たどに さう した 大らかた 感情 を 托し 

雄大た 自由の 頌欲を 歌った に 過ぎぬ」 それ ゆ ゑ 「鷲の 歌」 は、 島 崎 氏の 詩 及 

び浪? I- 派 詩人の トレ-代 的 志向 を 逆に、 窺 ふために も贵 重た ー篇 である。 



:" を そば だてて すがた をつつ む 若 鷲 の 

ぶ: に 後 羽 やさ ごろ もぷ腋 羽め うちに かくせ ども 

2^ よ 老紧は そこ 白く 赤す ぢ たてる 大 爪に 

岩 やっかみ て 中高き 頭靜 かに ながめけ り 



げに 白髮め もののふの 剣の 霜を拂 ふごと 

、 , ク , ん 

.. ノ - の 花ます..: をの かの 靑- M を 慕 ふごと 

.>. -. リ の 彩に 啼く 鹿の 谷間の 水に 喘ぐ ごと 

股 鋭く 老_^? ほ is 行く へ を のぞむ かな , 



S32 



わが 若:. « はう.^ つ ひそみ わが 老« ^はたち あがり 

小 河に 映ろ 明 M の 澄めろ に 似た る 眼して 

黑^^11の行く大{-^の かなたにむか ひう めきし が 

いづれ こころのお くれたり 高し はげしと さ だむべき 

わ が 若お は 琴柱 尾 や 胸に 文な す鵄の 斑の 

うけげ や はら か 

承 毛 は 白 く 柔和に: 介の 落し 羽 飛ぶ とき も 

1^ きて 流る る眞淸 水の 水に 翼 をう ち ひたし 

このめる^ は 行く春の なごりに さける 花躑蹈 

わ が 老せ 一は 肩剛く 胸腹廣 く?: * れ い で 

烈しき 風 うち 凌ぐ 羽 は 著く も あら はれて 

藤の 花 かも 胸の 斑 や 髀に甲 をお くごと く 

鳥の 命の 毂ひ 」 翼に かかる 老の霜 (「潔の^」 第 四 —— 八聯) 



3^3 



この 雄大な 感情 を 孕んだ 浪漫的 作品 は、 鷲の s 大な 羽搏きに なぞらへ て國 

尺 的 感情の 昂揚 :ー 時代 的 感情の 流動す る 浪漫性 を 志向して ゐる。 資本主義 

的 f^?! 展が經 過した 一 八 九 〇 年代 初期 (明治 二十 年代) の產業 革命- 1 輕 工業 を 

中心とする 産業革命の 後に、 やがて 重工業 中心の 産業革命 を 準備しつつ あつ 

た 時期に、 「驚の 歌」 がうた はれた こと は、 島 崎 氏が 向上 期の 文化的 ィ,. テオ 

。 ー グ として 時代の 方向 を 感じと り、 資本主義 的發展 に從屬 しつつ、 一ての 接 

極 的 面 を 反映した こと を 意味す る。 當時、 すでに 無產 階級 運動 は 擦 頭しつつ 

あつたが、 この こと は 資本主義の 類廢的 現象と してで はたしに、 それの 發展 

に伟ふ 現象と して 兑られ るので あった。 島 崎 氏の 大らかな 感動 も、 この 發展 

性に^ 着して. q る。 

ァ メリカ^^本主義の發展期に於ける歌ひ手ヮルト • ホ ヰット マン は、 一八 

五 五 年に 第一 版 を 上梓した 詩 衆 『草の葉』 で、 島 崎 氏の 「鷲の 歌」 の 感動に 

4 

共通し、 さらに 稜極 化した 作品 を數 多く 歌って ねる C 「ブルックリン 渡船場 ジ 



を橫 ぎりて」 一. 名 もたい 淫資婦 に」 「大統領 リンカ ー ン追颈 欲/ あるひ は ^ 

「冬の 蒸 镄關 車に」 とか、 それら は發! ^期の 资本主 1^ が 培った 民主的 精祌 

を 誇ら かに 示して ゐる。 ホ ヰット マンの 死 は 一八 九 二 年、 「sll の 歌」 を牧め 

た 『 一 葉^』 の 發行は 一 八 九 八 年 (明治 三十 一 年) .11 この 二人の 詩人 は、 あ 

や ふく 歷 史的 年代の 上に タ ツチしょう として 外れて しまった。 そして^13崎氏 

が 生活 的な、 もしくは 民主的な 精神 を 示した 詩 菜 『落 梅 集』 の 出版 は、 一 九 

〇〇 年 (明治 三十 三年: 一 のこと であった。 

註 『藤 村 詩集』 は 『若菜 第』 『 1 1^ 一 集」 一 『夏草』 『落 梅染; を 合せて 一 九 〇 二 年 

(明治 三十 五 年〕 に 出版され た。 四つの 詩集のう ち 『 一 葉 集』 だけ は、 詩集 

としてで はなく 詩文 集と して 上梓され たもので ある。 



靑赛の 挽歌 

第 四 詩 にあた る I 一 落 梅^』 は、 その 情感の 趣から して、 島 崎 氏の 詩を特 

た 境地に 歌 はせ てゐ る。 それ は、 ひっき やう 靑赛の 挽歌と して。 

ふと rz は燹 めぬ 五と せの 

心の 醉に 驚きて 

若き 是身 をな が むれば 

はや 吾 春 は 老いに けり 

夢の 心地 もせ かりし 

昔 は 何 を 知れと V か 

淸しき2-も身を§^か 



320 



今 は 何 を か 思へ とや 「ふと 】 はさめぬ」 第一、 ニ聯」 

『落 梅壞』 の 作品 は 一八 九九 年 (明治 三十 二 年) から その 翌年へ かけて、 信 

州 小 諸 町で つくられ たもので、 「ふと 目 はさめぬ」 の 他に も、 かう した 愛愁 

と 悲哀 をうた つた 作品 は 幾つか ある。 「寂寥」 r 千 曲 川 旅情の 歌」 「こころ を 

つたぐ しろ かねの」 一. 椰子の 實, 一 一翼なければ」 一. 綠 ひかへ せ」 などの 詩 は、 

いづれ も靑 春の つきる 日 を 悲哀して ゐる。 この 凝愁を 代表して、 結 したの 

が 「千 曲 川 旅情の 歌」 である。 そして、 これらの 詩 は いづれ も 人生 的に お着 

しょうと し、 生活の 現 實に思 ひ を そそいで ゐる、 少く とも 人生 的な 態度が、 

徐々 に、 しかし 否定され ぬ 底力 を ひそめて、 抒情 性と 浪漫 性を墼 倒し はじめ 

たので ある。 「翼た: L れば」 の 第 一 聯は、 



つ f さ 

羽翼なければ 繁 がれて 



'27 



朽ち はつべし とかね てし る 

光なければ 塊 もれて 

老い ゆくべし とかれて しる 

と 人生 的な 囚 はれ を 感じさせ、 小さい 人生の 歌 をうた ふので あった。 も は 

や、 『若 茱桀』 時代の 奔放 性 や 躍動 性 は 失 はれ、 『落 梅 集』 に 詩情す る もの は 

1=1^0 な 生活の gj- である。 詩人の 內部的 世界の かう した 變 化に ともな ひ、 作品 

あ- ,あら 

の 形式 も 推移した。 それ は 一 つの 形に 於け る 形式の 破綻で あり、 粗々 しい 心 

情に 隨 つて、 均整され た 形式美への 自己 破 填の 作業で ある。 均衡の 見事な 形 

式 や 情感の 流れの 美しい 律 調 は、 もはや この 詩人に は、 ととのへ る ことが 不 

可能であった) 破調の あら はれに 沿う c、 散文 精神の 小さな 萌芽が そこに ひ 

そんで ゐる。 

人生 的た、 あるひ は 生活 的現實 への 關心 は、 『夏草』 の 「農夫」 などに も 

5^く兑られたのでぁったが、 しかし 「農夫」 は、 形式の 破綻にまで 及ぶ もの 



328 



でなかった。 それが 『落 梅 集』 の 「常 盤. 声 一 とか 一 とかで は あき 

ら かに 破調し、 「惡 夢」 では 獄死した 人 を 悲哀 して、 格 も 人生 的に 定着し、 

地味な 形式 をつ くり 出して ゐる。 青春の 挽歌から 生活 的現資 へ 11 その 傷ま 

しさ を、 さながらに 反映した のが 『落梅$^^』 であった。 

この やうに 激しい 變化 はなんで あつたの か。 . 「ふと 目 はさめぬ」 で 歌った 

やうに、 それ は 靑春を 終へ た 島 崎 氏の 人生 的な 凝視で あり、 外部 的に は 口? 5g 

す る 浪漫的 感情が 遠く 消失して 、 その 跡に 現赏の 苦々 しさが 殘 された ことに 

因って ゐる。 時代の 推移 は、 すでに 浪漫派 文學に たんら の 感動 を 贈る こと も 

たく、 それの 末流 は 類廢と 泥醉に 溺れ、 また 人生 的に 自覺 した 人々 は 現贲へ 

の 關心 と 絶^から、 自然主義 文學 の 暗 性 の 方へ 次第に 動搖 しつつ あった。 

^^8崎氏の道程に於ける.- マン チック 時代 も、 歷史の 流れの 浪漫性 も、 過ぎて 

行きつつ あった。 

生活 的 現 實…— I あるひ は 現象 的現實 への 調 心 は、 「勞 働雜 詠」 朝、 寮、 暮 

三篇 の、 素樸な 勞働 讚美と なって 美しい 情感 を 失 ひ、 「爐 邊雜 輿」 では 山に 



3^9 



住む 人の 生活 を スケッチした。 その他、 同じ 傾向の 作品と して は 「藪 入」 上 

下 1:1、 「惡 夢」 たど か ある。 このうち 「爐 雜輿」 は、 一. 散文に てつ くれる 

.§ 與詩」 と 副題して ある やうに 散文詩 風な 作品で、 散文 精神 を 萌芽した 過渡 

期の 特 微を 微かに 示して ゐる。 

あら 荒 くれたる 賤の山 住 ゃ顏も 黒し 手 も黑し すごすごと 林の 中 を歸る 藁^ 履の 土 

に まみれた るよ 

ここに は 五十路 六十路 を經 つ つ まだ 海 知らぬ 人 々 ぞ 多き 

炭燒 の烟 やなが めつつ 世の 移り 變るも 知 ら で 谷 陰に ぞ 住める 

蒲. ハム 英の 黄に ゾ^ 花の,: n きを 踏みつつ 慣れし 其 足何ぞ ij^s, の 如き 



岡のべに通ふ路にはs^苺の赏を垂るるぁり摘みて舌-っちして年を^にけり 

(「爐 邊雜 興」 第一-五節) 

これらの 詩に 藤 村の 詩人 時代 は 全く 終り、 『落 梅壞』 を 出版した その 年に 

は、 『千 曲 川の スケッチ』 に 着手した のであった。 そして 過ぎ去る 日 を 悲愁 

した 遊子 は、 詩 「寂 導」 に その 慯みを 述べ、 哀傷す る 心情から さらに 新しい 

文學を 11 拓 した。 「寂 霧」 の 冒頭 第一 聯は、 『千 曲 川の スケッチ』 に 形式 を 

a, 、にした まま、 微かに つながる ので ある。 . 

岸の 柳 は 低く して 

羊の 群の 續に まが ひ 

野蔷藪 の^は 埋もれて 

流る る 砂に 跡 もな し . 

教科 山の 山な みの 



33> 



. を めぐる 河水 や 

; 住む 淵に 沈みて は 

しの の? 决綠 

花 さく 岩に せかれて は 

:大の 鼓の 樂の昔 

さても 水涵 はくちな はの 

かう ペケ あげて 奔る ごと 

波 i€ くわ だつ みに 

流れて 下る 千 曲 川 

詩人 は、 ひそかに 斷 腸して ゐる。 



北 村 透 谷との 交友 

文學的 交 友の 焦點 

「私 はよ く 北 村 透 谷の こと を 人に 話したり 雜 誌に 書いたり する が、 時には 

何故 斯う 透 谷の こと なぞが 忘れられないで 彼の 病的た 人に 舆味を 持つ の だら 

う、 と 左様 思って 自分で 恐し く 成る ことがある。」 (「このごろ」) 『淺草 だより』 

で、 島 崎 氏 はかう した 感想 を 述べた ことがある。 たる ほど、 この やうな 囘想 

の 仕方 は、 どこか 不思議 を 思 はせ る體の 親和 だ e それにしても、 病的な 人と 

はなんで あらう。 一 言に してつく せば、 きはめて8:異た作{|的资質を^^すの 

であって、 薄明の 詩人 北 村 透 谷 は、 どこか しら 的な 感じ を 印象して ゐ たや, 

うだ。 その 評論 や 感想に も、 神經 質な 人 を 思 はせ る氣 配が あり、 孤高に 住ん 



で 俗 性 を 許さぬ 高邁な 性格 は 悲劇的であった。 そして、 この 作 {| 的 資質 は、 

時代 的 感情の 陰影 を 鋭く 味帶 した ものの 特徵 A- 云 へ るので ある。 島 崎 氏が 感 

じる 親和力 も、 作 ク乂の 時代 的 性格 をめ ぐっての 一 つの 共通 性で あり、 時代に 

先驅 して 悲劇的であった 人への 共感で ある。 「病的であった 人 透 谷」 へ 

の與味 は、 先づ かう した 事情 を內容 して ゐる。 

さらに 作 ^的 個性 は、 それが どれほど 特異の やうで あっても、 その 周圍 

たんら かの 親近す る圈を 形づくる ものである。 殊に、 先驅 的で あり 孤獨 であ 

る 作.:^ について は、 それへの 理解の 度合 ひに 比例して、 親近の 作用 は 著しく 

深化す る。 この 意味から すれば、 絕對 の孤獨 とか、 全く 人 を 容れぬ 文 舉的性 

格と いふ やうな もの は、 ほとんど 考 へられぬ わけで あらう。 

北 村 透 谷と 岛崎藤 村の 交友 も、 この 文擧 的な 親近から はじまり、 ここに 交 

友の 化 一 點がぁ < た。 

1 八 九 二 年 (明治 二十 五 年) のこと、 二十 五 歳の 透 谷と 二十 一歳の 藤 村 はは 

じ 力て 相 接し、 その後 三年 の 交友 は、 ^^崎氏にとって忘れがたぃものとな 



356 



つて 一 Q る。 文 ® ^的 世界での 親近 は 相互 的な 理解と 共感に 他なら ぬた め、 短^ 

間の 經 過に 並々 たらぬ 交涉を 含む ものである。 f」 谷と 藤 村の 三年 間 も、 時間 

の 短 さに 比し、 島 崎 氏に 反映した 故人の 印象 は 少なからぬ ものであった。 

故人の 文畢 について、 「人の 心の 革命 を 叫び、 ^の 眼 を 見開く こと をへ. -て 

た。」 『露 西亞 印象 記 P と 言 ひ、 透 谷の 特異性 を. 现 解した 島 崎 氏 は、 『文 率 3^』 

同人のう ち 誰に もまして 親しく 接近し、 その 仕事の 成 を 期待した。 そして、 

時代の 痛苦 を擔 つた 詩人の 姿 を、 『春』 並びに 『櫻の 實の 熟する 時』 に 克明 

に 描き、 その 傷々 しさ を 仔細に 见 つめて ゐる 透 谷が、 たたか ひの 意思の:?^ 

漫 性と 孤 獨の に苦惱 した さま を囘 想し、 『春』 はさう した ものの 時代 性 

11 時代が 漸く 醸さう とした 新しい 機運と、 青春の 憂愁 を 描いた ので ある。 

この 二人の 詩人の 親近と 交涉は 『春』 一 卷に 描きつ くされ、 『櫻の 實の 熟す 

る 時』 は 親近の 順序 を 語って ゐる。 

「元々 私 はさう 長く 北 村!!;^ を 知って ゐた譯 ではない。 つき 合って 兑 たの は 

晚 年の 三年 1^ 位に 過ぎない。 しかし その 私が 北 村^と 短い 知合に なった 間 は、 



337 



私に とって は 何 か 一 生 忘れられな いもので あり、 同 1?; の 死んだ 後で も、 書い 

た 反古 だの、 n 記 だの、 種々 書き 殘し たもの を 見る 機會 もあって、 長い 年月 

の 閒私は 北 村 君と いふ もの を スタディして ゐた 形で ある。」 (「北 村 透 谷の 短き 

一生」) この やうに 言 ふ 島 崎 氏 は、 透 谷の 人 及び 藝 術から、 なんらかの もの を 

具 的に 吸牧し 消化した ので あらう か。 透 谷が 年長であった こと ゃ文舉 的に 

も 先んじて 出發 して ゐた 事情 は、 この間に 一筋の 絲を 引く やうで ある。 『櫻 

の の 熟する 時』 に は、 はじめて 透 谷の 文章に 接し、 その 直截た 表現に 驚く 

ところが ある。 

けれども、 透 谷に ついての 親和 は、 批判 ゃ觀 察を缺 いた 盲信 的な もので は 

たい。 ぉょそ島崎氏は%^狂の情に身を托すこと稀た作.:}^-」、 この 點、 激情 的 

であった 透 谷 ュ-對 ^的な 性格と い へ る だら う。 浪漫的 精神 はしばしば 現實に 

挑.. 戦し、 ときに これ を 否お しょうと する ものであるが、 透 谷 もまた さう した 

激 を もってた たかった 人で ある。 これに 比し、 島 崎 氏 は 態度の おだやか さ 

をよ そ ほひつつ、 に 浪漫性 をた たへ て現實 に 接する のであった。 激情の た 



33S 



たか ひで はたく、 リアリスト としての 現寳 への 肉薄で ある。 さう する ことに 

よって、 より 的確に 時 の 現實を 究めよう とし、 透 谷の はげしい!!:: 爲を しづ 

かに nj- まもって ゐた。 

親近の 度 はふ かかった が、 この 二人の 詩人の 性格に はこれ だけ 距る もの . 

あった。 激情 的な ものと 重厚な ものと、 それぞれ 時代の 現 實に關 心し、 文 e;, 

的 交友 を ふかめたがら 獨自の 位 に 立った ので ある。 「. ::: 春の 中に、 多少 

北 村 君の 面影 を傳 へようと 思った が、 それ も たり 聞いたり した こと を その 

儘 漫然と 敍述 したと いふ やうた ものではなくて、 つまり 私が スタディした 北 

村 君を寫 した ものである。 北 村お の やうに 進んで 行った 人の 生涯 は、 に 妙 

な もので、 掘っても 掘っても 盡 きすに、 後から後から 色々 な ものが 出て 来る 

やうに 恩 はれる。」 (「北 村 透 谷の 短き 一生」) 

リアリスト としての、 島 崎 氏の 態度が ここに あきらか である。 そして 透 谷 

へ の 親近の ふかさと ともに、 一 一人の 世界の 相違 を あら はして ゐる C 

『春』 の 北 村 透 谷 は、 その 生活苦 や 悲痛す る 心情 を 中心に 描かれ、 いちめ 



ん 暗い色に お ほ はれて ゐる。 透 谷の 文章に 見る やうな 鋭 さや 浪漫 性は稳 薄で- 

-陌 さが 濛; M の やうに お ほひ かぶ さって ゐる。 「病的な 人」 とい ふ ほどに、 島 

崎 氏 はさう した もの を 透 谷の 生活に 感じた ので あらう。 それが 『櫻の 實の熟 

する 時』 の 年代に は、 一 面 はなはだ 浪漫的な 面影 を寫 し, てゐ る。 浪漫性 も 暗 

1^ 性 も、 それぞれ、 內部的 世界の 複雜さ 表出に 他なら ぬと いふ 見解から、 

『|£ と 『櫻の 實の 熟する 時』 と、 それぞれ 二つの 作品に 分けて 描いた ので 

も あらう か。 いづれ にしろ 「私が スタディした 北 村 君を寫 した」 ので あり、 

透 谷 その 人の 姿 は 『櫻の 實の 熟する 時』 から 『春』 へ 自然に 成長して ゐる。 

透 谷と その 悲劇 

1 庇 自殺 を 八,^ てて 失敗し、 1^度、 お ill- から 脫 けで て-おの 周 園の 樹に^ 死し 

た^^:1谷0生涯 (註 は、 それだけで 悲刺 的であった とい ふこと がで きる。 し 

かし、 透 谷の 理想と 希求が、 時代の あけぼの を 呼ぶ やうな ものであった とす 



340 



れば、 その 死 を眾に 1 人の 詩人の 悲劇と して 見過す こと は 許されぬ し、 いつ 

さいの 車 情 は、 時代との 關聯の もとに 讚み とられねば たらぬ。 透 谷の 内部に 

萌芽した 思想が、 時代の 現赏 によって 碎 かれた 悲劇 .—— おそらく、 それが 死 

であった と E わ ふ。 

透 谷が、 とほく 描いた 理想 は 純粹な ものであった。 

けれども、 時代が それ を容れ ぬに ひとしく, 透 谷 もまた 歷 史的 行程 を 必然 

として 见る こと はでき なかった。 時代との 關聯に 於て、 ここに 悲劇が 發 生し、 

その 焦燥から 『春 J の 青木 は あの やうに 憂愁し 激情した。 .^H 部 的 欲求から 生 

する 焦燥と 激情 は、 それが 現實に 立ち 向 ふとき、 理想と 現贲 のた たか ひ を 

哝す るが、 敗北の 自覺 による 現寳 への 結 堅 は內, の 痛苦へ みちびく。 ここに、 

いっそう 苦惱 しなければ ならぬ 心情が あり、 從 つて その 生涯に 殘 された 作品 

は、 終 :15 への 途に にじむ 痛苦の 指標 さながら である。 一. 雙 蝶の わかれ」 「眠 

れる 蝶」 などに うた はれた 變愁と tn&z は、 とほく 描いた 理想の {.4^ しさで あり、 

純粹な ものの 泥に まみれる 悲哀で ある。 山路 愛山の 實^ 主義 的文舉 論に 對し 



341 



て、 人 を 1: す ほどの 鋭 さで、 「人生に 相涉 ると は 何の 謂ぞ. 一と 駁 したの も、 

焦燥の はげし さ の 表現と 言 へ ぬ こ と も な い 。 

この やうに 見て くると、 すでに、 北 村 透 谷の 思想と 文舉 が、 明治 文 舉に於 

て特 Hi!: な 位 S にあった ことが 知られる。 「なにしろ 君、 僕 なぞ は 十四の 年に 

政治 愤說を やる やうな 靑 年だった からね。 と 靑木は 半分 自分 を 嘲る やうに 言 

出した。, 一 (『樓 の實の 熟する 時』) 明治 初年に 青年た ち を 魅力した 政治へ の 情熱 

は、 これほど 面倒 的で あつたが、 透 谷 は 時代の 機運に 情 熟した だけで はたく、 

理想の 地上 的な 赏現を 希求した。 

文舉的仕一?^- に 入った の は、 そ ? 政治的 情熱 の 終った と こ ろからで あり、 

『文 學 2^』 同人と して は マ- マン チ、 ンズム を I- 榜 したが、 その 本質に 於て 透 谷 

の 浪^的 文舉の 精神 は、 むしろ 時代に 反抗す る ものであった。 『文 舉界』 同 

人に しろ、 『國 民の 友』 同人 (あるひ は 詩集 『於 母 影』 を 上梓した 新聲 社の 

人々) にしろ、 その n マン チシ ズム は、 ^して 浪漫的 文事の 現赏的 地盤 を、 

^^する ものでなかった。 資本主義 時代に 入っての 新聲 をうた ふこと に浪漫 お 



性 を 感じ、 それ を 新文學 の^ 造と したので ある。 もとより、 これ は 新^で あ 

り 時代 的 文 舉の釗 造で はあった。 しかし この種の 浪漫主義 や 新 文 »r は、 その 

本質的な 志向に 於て、 けっして 文學 革命 を 意欲せ ぬ。 一兑、 文 奥. 革命の 様態 

に似て、 その 赏、 可能た 現實 に、 新しい 装 ひの 文學 思潮 を 安 協 的に 適應 させ 

たに 過ぎぬ。 ここにい ふ 新しい 文學 思潮と は 外 國文舉 との 交涉 による " マ ン 

チシ ズムを 指し、 つづいて リアリズムの 頭 を 指す が、 この 妥協 的 性格と 非 

创造性 を 端的に 示した のが 自然主義 文 寧であった。 自然主義 文舉に 移入され 

た 散文 精神と、 十九 世紀 西 歐文學 に 於け る 寫實的 精神の 相違 は、 明治 文學の 

安 協 的 性格 その ものに よる リアリズム 歪曲の 著し さに 他なら なかった C こ こ 

に 明治 文^に 於け る、 末期 浪漫派から 溯って 浪漫派 文舉に 到る まで、 安 協と 

適應 がいかに 易々 と 行 はれて ゐ たかが 知られる ので ある。 

文! f の 時代 性 を、 その 內容 について 觀 慮せ ぬかう した ま 味での n • マ ンチシ 

ズム は、 透 谷の 思 向から は 遠い のであった。 3511;實 たたか ひ を 意欲す る 創造の 

文畢 と、 それによ る文舉 革命 を 理想した 透 谷の 然燥 をめ ぐって、 しかし その 



343 



やうな 理想 を、 現贲 化する ための 地盤 は兒 當ら ぬ。 この ゆ ゑに、 その 文學は 

先驅 的で あり、 純粹 であり、 孤獨 であった。 そして これが 敗北の 文學の 美し 

さで あり、 時代との 關聯に 於け る 透 谷の 悲劇であった。 

何 か 苦々 しく 嚼み しめる かの やうに、 透 谷 は 理想と 現實 の軋櫟 をお のれの 

內部 にた たかはした。 「悲しき Limit は 人間の 四面に 鐵壁を 設けて、 人 問 

をして 或る, 野なる 生涯 を脫 する こと 能 は ざら しむ。 鵬の大 を 以てしても 蜩 

の 小 を 以てしても 同じく この 限 を 破る こと 能 はざる たり。 而 して!: の 小を以 

て 自ら その 小 を 知らす、 鹏の大 を 以て 自ら その 大を 知らす、 同じく その 限に 

縛 せらる る を 知らす、 欣然と して 自足す る は憫れ むべ き 自足な り。」 (「人生に 

相涉 ると は 何の 謂 ぞ」) 一 つの 理想的 精神と それ を壓 倒す る現實 が、 この 言葉 

の 背後に 嚼 みあって ゐる。 

一 度 自殺に 4 い 敗し、 再び 家人の 服 を 盗んで 死した 心情 は 妻に さへ 解きが 

たぐ、 不明の 死因 を ある 者 は狂氣 ではたい かと も 言った。 透 谷の 生酒が 悲劇 

であった とすれば、 死の 心 を 理解され ぬ ことこ そ、 もっとも 悲劇的で あつ お 



たと 一 一:; 11 ふこと がで きょう。 この 悲劇の 性質 を、 胸に 感じと つて 暗然と して 

たのが 藤 村で ある C 透 谷 とは異 つた 途を 歩んで ゐ. るが、 島 崎 氏 もまた 靑^ の 

日 を 苦 I? した 人であった。 死の 悲痛 を 比 校 的 はっきり 理解した とい ふの も、 

島 ひ 匈 氏が 人生 的 3與 寳を 求むべく 心 構へ、 透 谷の 理想に ひそむ 3S^ 性 を 知 S し、 

同時に、 時代の 暗 さ を 感じて ゐ たからの ことで あらう。 

「その 慘 潜と した";^ の 跡に は 拾 つても 拾っても 盡 きな い やう た 光つ た 形:: 

が殘 つた。 彼 は^ 達と 同時代に あって、 最も 高く 最も 遠く た 人の 一人 

だ。 そして 私逮 のために n 十く も 々た 仕度 をして おいて くれた やうな 氣 がす 

る。, フ 「北 村 透 谷 二十 七囘 忌に」) これ は、 透 (介の 先 驅的位 m はと その 理想の 笑し 

さに 觸れた 言葉で ある。 純粹 であり、 激情 的であった 透 谷 はたた かふ こと を 

欲し、 內 部から 溢れる 力 を 抑へ かね、 そのために 動搖 する ほどであった。 文 

舉的剖 造に ついての 欲求 は、 當 時の 文化的 發展の 度合に 比し、 はるかに ふ 速 

に、 はるかに 見事な 成 Bi- を 理想し、 それ ゆ ゑ 現 實に對 する 絕 151}- は、 いっそう 

美しい 理想 を 自己の 內 部に 描く ことと たった。 透 谷の 希求の 高 虎 化 に 比例し 



345 



て、 現 I:- との 11 にある 距離 は頫大 され、 理想 性と 現實 性の 分裂 は 著しくな り 

まさった ので ある。 その 苦惱に は、 內. 部から 溢れる もの を、 思想と して は充 

分に^ 化し 得ぬ とい ふ 悲哀 さへ 含まれ、 その 側に 透 谷の 悲釗を 見 まもる 藤 村 

がゐ た。 

性 北 村 透 谷 は 一 A 六 八 年 (明治 元年) 相 州 小 田 原 町に 生れた。 その 死 は 二十 

七錄で 一 八 九 四 年 (二十 七 年) 五月 十. 一 ハ 日夜の ことであった。 暴 所 は 東京 京 

楊の 母の 家。 

遺 產の繼 承 

透 谷と 藤 村の 交友の 特徴 は、 二人が ともに 若い 詩人であった 點 にある。 透 

谷の 精祌が 化んで あった こと も、 それ を 藤 村が 共感した こと も、 いづれ 若さ 6 

が i:-. せす る浪 r& 性 を 思 はせ、 文學 的交涉 をと ほして 二人の 靑 春の 性格 を囘想 3 



させる" 

新しい 散文の 世界 を 開け て 私に 兑せ て 吳れた 入 は 長 谷川 一 ;«亭 氏で あ つ たが、 

新しい 詩の 世界 を 私に 見せて 吳れた 入 は 北 村 透 谷 氏であった。 A ,になって 见 ると 

私 の 北 村 君 を 知 つたの は 自分の 靑年 時代 であった とい ふこと が 何度も 何度.,^ 0^ 

の N 分の 胸に 活 きかへ つて 来ろ おもな 原 £ であらう と 思 ふ。 北 村 君の?; 3 した もの 

を If む もの は、 未完成な かずかずの 斷 片を迎 して あの さかんな 詩の 精神 を?! まわ 

ばなる まい。 (「昨日、 I 昨日」) 

時代の 靑舂 をうた ふべ くして、 歌 ふことの できたかった 透 谷の 不幸 は、 後 

の 藤 村に よって あがな はれ、 さう 一一 日へば 『若菜^』 は 「さかんな 詩の 精神」 

に充 ちて 新聲 したので ある。 

若い 透 谷の 内部に は 激しく 動かう とする 意力が 內," し、 それだけに 激し い 

動搖 があった。 その 情熱の 方向に ついて、 島 崎 氏が 感じた 危憐は 理想 性と 現 

實 性の 軋櫟か らくる 自己 分裂で ある。 漠然として では あるが、 『春』 に さ 



3^7 



た危 險の豫 想が 暗示され てゐ る。 この 理想 性と 現賁 性の 問題に 關聯 し、 

先 的 作" としての 1 一葉 k バと透 谷 について、 その 對比 を 島 崎 氏 はかう 言 つ て 

ゐる。 「ニ^ー やの 生涯に は藝 術と 赏 行の 分裂と も 言 ふべき 悲しみが 味 はれる。 

そこに {4i 虛が ある。 …… 透 谷に は ニ紫亭 にたい 力が あった。 彼 は 二葉 亭が藝 

術と 赏 行との 問に 感じた やうな 签虚を 感じなかった。」 (「北 村 透 谷 二十 七囘忌 

に」) 

この 见方 は、 しかし かなら すし も當 つて をらぬ。 透 谷 も、 ^の 形で 自己 分 

裂に 苦惱 して ゐる。 

先づ、 ニ葉亭 は 「文 學は 男子 一生の 仕事と する に 足らぬ。, 一 とし、 內部的 

分裂の 危機 を やがて 飛躍的な 轉囘 としたが、 透 谷に はさう した 鮮やかた 轉囘 

を 試みる:;^ 持の 餘裕—— 決斷は 不可能であった。 どちら かと 言へば、 !?^^柄の 

解決を:s:部的に追ひっめるゃぅな自虐的s^:i:を氣質したのでぁる。 ひとたび、 

人間 意欲に 對 する 現!^ の 抵抗 を自覺 したと き、 絶望の 空虚 感に SI はれた C だ。 8 

养』 の^^円木が窮乏と苦痛の生活の日に、 ^愁の 色 を 浮べて 幾篇 かの 詩 を 岸 ;- 



本に 讚んで きかせる あたり、 また ti 谷が 「雙 蝶の わかれ」 「眠れる など 

暗^たる? it を 歌 ふに 到った こと は、 致命的な i 仝虚 感に囚 はれた 心^の^ に 

他たら ぬ。 そして、 なほ 文 學的世 にと どまった の は、 二葉 一 やの 轉 M にも ま 

さる 自己 分裂の 苦惱 を、 みづ から 意地 惡 しく 嚼 みしめ てゐ たからであって、 

透 谷の 轉囘は 11 死であった。 

透 谷に 分裂の 苦しみ はたかつ たと 言 ふ 反面、 島 崎 氏 は 『春』 の 青木 をと ほ 

して、 その 分裂 過程 を 描いて ゐる。 友人と して は、 作品に 描いた fT」 谷 とは^ 

の 透 谷 を: 3- てゐ たので あらう か。 『春』 の 透 谷 はいつ さいの- を それぞれ 鮮 

かに 印象し、 情熱と 苦 惱の姿 を 暗く しのばせる。 

理想の 追求が 外部へ 向って 挑戰 する の は 自然の ことで あるが、 それの 敗北 

の自覺 過程に、 情熱の 內, U は、 しだいに 主我 的 傾向 をと り睽想 的に さへ なつ 

た。 外部へ 放射した 意力が 內 部へ 力 點を おくに 到った とき、 これ は 一般に 主 

我 的 傾向 を 示す も の で、 透 谷 の 文學的仕^^^は こ こに 終った。 

「岸 本 は 大根 畠の 二階に 籠って、 自分 は 自分 だけの 道路 を 進みたい と m 心つ 



349 



てゐ た。 自分 等の 眼前に は、 朱 だ 未だ! 1 拓 されて ゐたぃ 領分が ある。 i! 廣 

い 領分が ある。 11 靑木は その 一部分 を 拓 しょうとして、 未完成な: ti 事 を 

して 死んだ。 斯の 思想に 勵 まされて、 岸 本 は 彼の 捲 種 者が 骨 を 埋めた 處に 

立って、 コッコ ツモの ii^f 業を籀 緩して 見たい と 思った。」 (『9^b ,— 透 谷の 

仕^の 糰 承と 新しい^ 拓が、 彼に. 親近した 詩人の 手に よって、 いま 行 はれよ 

うとして ゐる。 残された 仕事 は斷片 的で あり、 未完成で あつたが、 その 先驅 

的 s:^ 義は失 はれぬ。 論、 詩、 いづれ も 同じ やうに 一 つの 柘 くべき 途を島 崎 

氏に 示した ので あらう。 

時代の あけぼの を 呼ぶべく あら は れ た文學 作品 は、 そ の 初期に あって は 多 

く 未完成で あるが、 未完成 を つらぬく 精神的 傾向 は 美しく 評價 され、 困難の 

さなかに 時代の 卑俗 性と たたかった ことに 於て すぐれて ゐる。 從 つて 透 谷の 

未完成 は 次に 來 だるべき ものに なに かしらの 地盤 を 培 ひ、 明治 文 率に 1 おける 

现想性 を 代^した。 その 理想 性が 培った 地盤から、 島 崎 氏が 出發 したと いふ 

な)^ は、 介べ. J^: 一 ^ 文學の 理想 性 を 代表す る ものである ならば、 藤 村 は それ お 



を 成熟 させつつ 現赏性 を 示した とい ふ 意味に 於て である。 體 的に は、 どの 

やうな 作品に しろ、 理想 性と ともに 現 赏性を 含んで ゐ るので あって、 ここに 

對 比した 二人の 關係 は、 相對 的な 特徵を 言った までで ある。 ただ、 その 主 照 

的 特性と して、 二人 は それぞれ 明治 文學の 理想 性と 現 赏性を 代^し、 透 谷 は 

理想的で あつたが ために 觀念 的で あり、 藤 村 は 生活 を 主に 描いて 現 黄 的で あ 

つたの だ。 

この やうな 先驅 者と 次代 者の 關係を もって、 透 谷の 仕事の 終った ところ か 

ら島崎 氏 は 時代 的 文舉の 成長 を意圖 し、 透 谷が 拒否した 可能な 現赏 への 適應 

を 測定し 許容しつつ、 言葉の 創造に 新 is した。 新 IS の 後に は、 理想 性と 現實 

性の 結合の 上に 『破戒』 などの 作品 を 作った ので ある。 これ は現赏 を 描く こ 

とに よって 透 谷の 悲劇 を發展 させた 業蹟 であり、 文 寧遺產 の 直接の 權承 であ 

つた。 この ゆ ゑに 「に.^ 的な 人 —-— 透 谷」 への 囘想は ひさしくつ づき、 『泰』 

の靑木 をと ほして、 あの やうに 詳しく 透 谷の 姿 を 描いた の も、 すべて その 親 

和 力の ふかさに よって ゐる。 



351 



「明治 年代の 記憶すべき、 火き な 來 事の 一 つ は、 士拔の 階級の 滅亡で ある * 

その 階級が もてる すべての ものの 滅びて 行った ことで ある。 その 士族の 子孫 

の屮 から、 北 村 君の やうな 物を考 へる 人が 生れて 来たと いふ こと は、 私に は 

偶然で はない やうに 忍 はれる。」 <: 「北 村 透 谷の 短き 一 生」) 古き もの を碎 かんと 

する 叛逆の 子への 锐 近から、 新時代の 文 學は島 崎 氏の 手に 成熟して ほった。 

『«』 の 透 谷と 藤 村 

『^』 に 描かれた 幾つかの 亊 件に、 雜誌 「文 舉界, 一 同人た ちの 動きが 絡み 

あって ゐる こと は、 明治 文學の 一 斷 面を囘 顧させる やう だ。 『文 擧界』 の 出 

版 は 明治 二十 七 年。 一, 同人、 星 野 君 兄弟。 平 田 禿 木 君。 戶川秋 骨 君。 北 村 透 

谷^。 それに 私 を 合せて、 六 人の ものが 最初に 文 學界に 集った ご (「文 學界の 

こと」: > のであった。 そして 『文學 a^』 の 活動 は、 新 文畢の 一 つの あけぼの を 

ず: 味した。 時代の 新 精神 を かざし、 新鮮な 呼搏 をった へて 新 文化 を 創造し よ 



352 



うとす る 意^が そこにあった。 

かう して 『文 學界』 の第圑 はおの づ から 輝かな 星座 を 形づくり、 そ osrs: 

に はし だいに 多くの 人々 が 包括され た。 寄稿した 人々 に は 戶川殘 花、 樋;:: 一 

葉、 大野 洒 竹の 人々 が あり、 後に は S 山 花 袋、 柳田國 男、 太 田 玉^、 川上 E3 

山、 屮深臨 川の 諸氏 も 原稿 を 寄せた。 これらの 人々 に圍繞 された 『文 舉界』 

同人が、 新 文舉の 創造に すすんで 行った 樣は、 いかにも 壯麗な II であった に 

遠 ひない。 そして これ を 『春』 に 登場す る 人物 を 通じて 昆れ ば、 もっとも 鋭 

く 時代 的 感情に 生きて ゐ るの は 北 村 透 谷 (青木) であり、 亞ぃ では 島 崎 藤 村 

(岸 本.) であらう。 二人の 若い 詩人 はと もに 時代の 暗 さ を 感じ、 ともに Igl^ 

. ^意思の 悲哀 を 嚙 みしめ てゐ る。 

北 村 透 谷は殊 に こ の 傾向が 著しく、 時代に 反撥す る 意欲 ははげ し いもので 

あった e この 二人の 詩人の 關係 並びに その 仕事の 成 の關係 は、 一ん は 時代 

の 成長 を 促し、 一人 は その 成熟 を圖 ると いふと ころに あった。 

「明治, や^の ある 成熟期 を 文學の 上に 代表した といっても いいやうな 尾^ 



353 



紅^と、 また ある 成長期 を 代表した といっても いいやうた 長 谷川 二葉 亭ゃ北 

村 透 谷と、 それらの 人達 は 同じ 一 つの 時代に うまれて 來てゐ るので はない か 

と。 さ- rE 心って 見て 來 ると、 時代の 成長 を 促す ために ある やうな 人と、 その 

成熟 をた すくる ために ある やうな 人と、 その 氣質を 相 異にし 特色 を枏 異にす 

る 二人が 絶えす この 世に うまれつつ ある やうな 心地 もす る。」 (「生長と 成熟, 

この 感想 は、 轉 じて 透 谷と 藤 村の 關係 とい ふこと がで きる。 

北 村 透 谷 は、 自由 黨に關 係した ことがある やうな 經歷 にあった だけ、 文化 

並びに、 文學と 社會的 • 政治的た ものとの 接涉 についての 關心も 鋭かった。 

その 關 心の 仕方 は 時代に 先驅 する 人の 苦惱 を內容 し、 あるとき は 「今の 時代 

は 物質的の 革命で その 精神 を 奪 はれつつ ある。 外部の 刺戟に 動かされた 文明 

である。 革命でなくて 移動で ある。」 と 語り、 あるとき: li r 今の 祖國 は唯靑 

年の 墓で ある。 何等の 新しい 生命 を 認める ことが 出来たい。 何等の 創意 もな 

い。 唯淺 薄な 泰平の 欲 を聽 くの みで ある。 破 填! 破 壞,. 破 填して 見たら、 

あるひ は 新しい ものが 生れる かも 知れたい。 今 n までの 自分が 苦戰 は、 すべ 



334 



て その 精神から 出た 努力に 過ぎなかった。 n『£) と 言った ことた ど、 すべ 

て さ-つした 苦 悔が社 會的關 心に. E 来し、 一 つの 先驅と 成長 を E ざして 容れら 

れぬ ものの 絶望の 氣に充 ちて ゐる。 

透 谷の 苦難の 生涯 を 見る こと は、 先驅的 文化人 S 途を: nt- るに 他たら ぬ。 

t 春』 に 描かれた 透 谷の 姿 は、 當 時の 知識 的な 青年の 一 面 を 典型して ゐるゃ 

うで、 この 詩人に ついて. d9 崎 氏 はふ かい 關心を 寄せた。 『春』 に 於て、 他の 

『文 學界』 同 人た ち を、 ほとんど 具體 的に 描く こと をし なかった 島 崎 氏が、 

ひとり 透 谷 だけ を あれほど 克明に 描いた の もこれ がた めで ある。 

先驅的 文化人と しての 途を透 谷が 示した とすれば、 . は 5 崎 氏 は過剩 する 意識 

と 情熱に 苦惱 する 青年の タイプ を 典型した とい へ る。 そして もっとも 現 1^ 的 

な、 生活 的た 事柄と、 もっとも 理想的な、 浪漫的な 事柄に ついて、 二つな が 

ら に苦惱 する 靑 年の 險 しい 途が ここに ある。 透 谷が 溢 死す る 以前に、 -! S 崎 氏 

は 生活の 行 きづまりと 情熱の 過剩 によって、 死 を 決して ゐ るので あった。 



355 



斯う 思って 起ち 上った は、 径平海 も 暮れ かかって 來た: 蒼茫と して 彼の 眼前に 

K けた 光:^ は、 永 f お 大 な,: E 然 の撙赘 でもなければ、 祌祕な 力の 籠った 音 樂 でも 

ない。 泡 はた だ 彼の で * める。 ー— 冷い、 無意味な 墳墓で ある。 不幸な 旅人 は、 

今、 自 分で 自分の 希 ST iR 分の 戀、 自分の 若い 生命 を 葬らう として、 その 墳墓の 

方へ 歩いて 行く ので ある。 到頭、 彼 は その 墳墓の 前に 面と 向って 立った。 暗い 波 

は 可 怖し い 勢 ひで 彼の 方へ 押 寄せて 来た。 (『春』) 

海を坊 慕と 兑た岸 本と 人生 を囚れ とした 青木の 憂悶 は、 その 暗 さからす で 

に浪? 的 感情の 著しい 變貌を 思 はせ る。 青木 も 岸 本 も、. 青春に してす でに 人 

生 的な 睹さを 味 ふまでに、 浪漫性 は 悲哀して ゐ たので はない か。 變貌は 切迫 

する 生活から 來てゐ る。 この 作品 は 浪漫的 感情の 美し さとと もに、 從 つて か 

うした 感情 は^:;^ である こと を 衝 いて ゐる。 いっさいの 愛が、 理想が、 つね 6 

に^ 上 的な ものに よって 束縛され る だら うこと を、 人間 生活の 宿命と して 自 3 



覺 して ゐ るので ある。 

。 マ ンチ スト はいつ そう 現實に 吸着せ ねばなら^と いふ 考へ は、 何ら 獨断 

ではたい.^ 浪漫的 文 學の花 はもつ とも 地上 的な、 もっとも 現實 的た 色 に^か 

ねば、 その 浪漫性 を 正當に 語り 得ぬ こと を、 『春 jl は あきらかにして ゐる。 

そして 島 崎 氏が、 。マン チシズ ムの實 際 的な 意義と、 地上 的た 性^ を 前面に 

押し だした こと は、 一 つの プラス を 『春』 の 藝術的 方法に 附加 する もので あ 

つた。 

「私の 『春』 は、 瑕 だらけの 作品で は あるが、 今日 取り出して 請み 返して 

みても、 ところどころに、 斯う、 自分たがら 淚を誘 はれる やうた 心 持が 起ら 

ないでも たい、, 一 (ニニっ の長^|を嗇ぃた當時のこと」)、 この やうた 感慨 もまた 當 

然 であらう。 靑 木と 岸 本 は 時代 的た 二つの タイプと して 描かれ、 當 時の 青年 

たちの 精神的 傾向 を 代表し、 ここに 島椅 氏の 靑春は 槳約づ けられた ので あつ 

たから: 



357 



意欲の 社會性 

忍 想 性と 社會性 

これ は 何 かの 詩の 一部分 か、 それとも 島 崎 氏の 斷章 なのか 知れぬ が、 「胸 

を IE け」 とい ふ 感想の 中に 次の やうた 斷片が ある。 

私達の 周^に ある {々• 氣は m じ 

窓 や-あけ 放て 

自由な^^|1^ケそそぎ人れょ 

^か 三 行の 斷 片 では あるが、 叫び を ひそめた 詩の 精神 は 人 を ひきつける。 



そして, ここ匚^15崎氏を- ひろい 意味に 於ての 人道 主 1==^ 的 作 (li- と 呼ぶ こと は 

不 常, であらう か。 こ Q 詩の 精神 も、 社會的 動向の 嵴 さに 反撥しょう とする <^ 

造 性 を 思 はせ、 胸底に 美しい 埋火 をお く 作 {农 の 意思が、 叫び を ひそめて 光茫 

した こと を 思 はせ る の である。 

光茫 する この やうな 人道的 精神から、 島 崎 氏 はつねに 社會的 動向に ついて 

十が な 

の關 V を 怠らぬ が、 しかし 容易に は 思想の 肖 を 語る こと をしたい ので ある。 

三十 餘 年に 亙って 壞镜 された 作品に しても、 ほとんど 特定の 思想 を; 措る こと 

をせ ぬ。 一 13- この こと は 奇異に 思 はれる けれど、 この 作 ^がー 貫して!;:^ 念に 

生き て き た 人 で あ る こ とを考 へ る な らば、 思想 性の 缺除 する 現象 は 何ら:^ し 

むに 足らぬ であらう。 特定の 思想 性と 人間 信念と、 いづれ が この 作 〈农 にと つ 

て 痛切であった かとい へば、 それ は 信念の 鞏同さ を 築く 點に あつたと、 容 

に斷 おする ことができる。 

島 崎 氏が- 2: 包す る 社會的 振幅」 度 は、 ひっき やう 經驗的 主題に 含まれる 社き 

性に 他たら なかった。 從 つて、 その 文學 はいかに 社 會性を 特徴した 際に も そ 



359 



れ として は 何ら 思想 的で はたく、 言 はば 思想の 素 林に 近いので ある。 ただ、 

人 n:;:- 念の^!; さから、 人生 的眞寳 を さぐって 生活 的 • 社會的 現實の あら ゆ 

る 面に 肉薄し、 それによ つて 社.^ 的 發展の 度合 ひに 併行した ところから 豊か 

な 社會性 を內容 した。 具 體的 作品に ついての、 社會 性と 思祸 性の 關係 はあく 

まで も社會 性が 主で あり、 この社會性はまた人問;!:;^念の成架として形づくら 

れてゐ るので あった G 

『破戒』 と 『夜明け 前』 の 二 作 を 除いて 見る やうに、 思想 性 は 容易に 語ら 

ぬが、 明治 初年に 生れ、 その 年代の あわただしい 空 氣を經 てきた 人と して、 

,15 崎 氏の:: M 魄は 充分に たくましい。 變革 期の 粗々 しい 動き は 幼時から 浸潤し 

て 血液 的に 消化され、 それ は自 的な 人道的 意欲で あると ともに、 人生に 徹 

しょうと する 鋭 さで ある。 だから 數 多くの 感想文 はとき に 思想 を 語り、 とき 

に 社. S 皆 的 現象に ついて 思 ひ を ひそめた ので ある。 ここに 於て、 思想 性の 缺除 

も 致命的 缺陷 たる こと をまぬ がれ、 意欲の 社會性 は現實 批判の 一 方法と して 

作" i の を な1 めた のであった。 



36< 



r 寳行を 思 ふ藝術 〔糸の 心、 それ は獨り ツル ゲネ エフの やうな 術 〈*- のみの ,3 

苦しんだ 重荷で あると いふ こと は 出来ない。 おそらく それ は、 すべて C!?&1 術 

家の いっか 一度 は 負 はねば ならない 重荷で あらう。」 (r ルゥヂ ンとパ ザ。 フヒ 

ひとたび、 社會的 振幅 度 はこ こまで ひらけた ので あつたが、 それにしても 島 

崎 氏 は、 すでに 餘り にも 多く を經 験し 餘り にも 多く を 知識して ゐる。 それ ゆ 

ゑ 一 つの 理想に ついて それの 美しい 浪漫性 を 理解しても、 この ものの 位 S を 

あまりに も現赏 的に 測定して しま ふので ある。 これが 一 般に 作品の 熱情 性と 

躍動 性 を缺く 所以で あり、 ひるが へって は、 反面、 さう した 浪漫性 を 抑 す 

る ことから、 事物 をい やしく もせぬ とい ふ 重厚な 態度に 到った ので ある。 

態度の この やうた m 厚さ は、 謙抑で あると 同時に 貪婪で ある。 一 つに は、 

あらゆる 卑俗 性と 浮薄 性への 反撥で ある。 そして 現實 のた だ 中に 座し、 あら 

ゆる ものの 動きから、 人生 的 眞實と 思惟す るに 足る もの だけ を 汲み取ら うと 

する。 しかし これ は 現實に 思想しての 作業で はなく、 人生 的武贲 と思淮 する 

以外の もの は、 お ほむね 否定した。 新 思想の 摸 頭と 社會 的現實 との 關係 につ 



いて、 一 鹿の 疑 を 提出す るの もこれ がた めで ある。 

「斯く 面.! :! い 時代が 来て、 一 切の 社會 生活が 改善と 解放の 途上に あると し 

たら、 私達が この 時代から 感受す る もの は 實に何 を 見ても 眼の さめる やうな 

爽 かな 朝の 心地で あらねば ならない。 ところが 私達 は それと 反對 に、 不安の 

一年 を 送りつ づけた。 よりよ き 生活へ と 導く 時代に 面しながら、 安い 思 ひも 

與 へられた いやうな 矛 US に 苦しむ もの は 恐らく 私 一 人で は あるまい と 思 ふ。」 

(「胸 を Si け」〕 社會 現象への この やうに y; 摯な觸 手 も、 不安と 懐疑の 翳 を 否定 

しきれぬ。 

リア リス ト として の 島 崎 氏が、 人間 生活の ふかみへ 肉薄して 現實 世界に 生 

きてきた こと は、 從 つて、 作品の 現實 性と 社 會性を 豊かに 約束す る もので あ 

つた。 「二、 三 9 事實」 とい ふ 感想文 は、 この間の 心の 配り を 次の やうに 言 

つて ゐる。 

2 

文 藝 上の 研究に ミリ ユウ (環 坊) を 重んずる 悅ば しい 現象が 最近の 文壇に あら 



はれて 來た。 …… 作者の 時代 si にまで 侵入して 行った ミリ ユウの は、 八, 日 つ 

まで あま り 文堉- にあら は れ なか つ たこと だ。 この 現象に 何 を;; る もの だら う。 

r ボ パリィ 夫 入」 の譯 者な ろ 中 村 Iw^ 湖 氏が そこまで フ 口 オベルの 追求 を 進めた の 

は、 あの 長期に 亙ろ 靝 譯 の副裔 物と しての み !}- るぺき だら うか。 き 江 松 がフ 

口 オベル に關 しての 言說 は、 多年の 文^的 跋^の, 結 si- とのみ 見るべき だら、 「か。 

もっと 今 IT の 文藝に 注意す る もの は、 我^ 文^ 老 の 時代 意識が 痛切 や 加へ つつ あ 

る こと を 思 ひ 見ねば なるまい。 

藝術的 主題の 社會性 !— さう した 意味での、 環境 あるひ は 生活 をめ ぐって 

の意兑 が これで ある。 思想 性と 社會 性との 關係 について、 その 內的 脈絡 はこ 

の 逢に 着 取され る。 

島 崎 氏の 作品に 於け る 思想 性の:^ 除 は、 一方、 假說を 好まぬ 意思に も 因つ 

てゐ る。 地味で は あるが、 飽くまで 實踐 的な リアリズムに 立つ 作 {| にと つて、 

特定の 思想 や 論理 は 言 はば 假說に 過ぎぬ ので あらう。 トルストイに ついて、 



「あの 晩年の 道德說 などに si- して 心からの 滿足を 感じ 得られたら うか。 これ 

は 私に とって 長い間の 謎であった。」 a トルストイの 『モウ ぺッサ ン;? T 一 讚む」 } 

と! 一::ii つたの も、 I:!: じ やうに 假說 への 反撥から であった。 

この こと は、 に 道 德說に かぎらす、 他の すべてに 對 して さうな ので ある。 

「あるひ は、 一種の 社 會觀を 作って、 自己の 觀察を 統一せ すに は 居られない 

やうな 人 も 出来て 來 るので は あるまい か。」 ( 觀る ことと 書く こと」 - と、 特定 

の 階級 文舉 ないし さう した 思想に 據る文 寧へ の 疑問が ある。 一 定の 限界 性 を 

めぐらした 論理に、 島 崎 氏の 追求す る 人生 的 眞實は 遠くつ くされて をらぬ。 

それら 一 切 を 包括す る 社會的 • 生活 的現實 に、 立ち 向 はう とする 作家の 意思 

が ここに ある。 

先驅的 作家への 志向 

二 紫" や 四 迷、 北 村 透 谷ら について、 島 崎 氏 はしばしば 親しい 感情 を こめた 



感想 を 書いて ゐる。 悲剌 的に 終った この 二人 C 文舉の 社會的 • 時代 性格 を 知 ,i ク 

る ほどの 人 は、 それに 親和した ことから、 すでに 幾 ばくかの こと を 1^ する だ 

らう。 そして、 それ は 作 {c^ 的 意欲の 社 會性を 意味して ゐる。 

時代に 先驅 する 人々 の 避けが たい 苦惱 は、 この 二人の 文學 に v> ^凝結し 

てゐ た。 政治と 文舉 の交涉 すると ころに 生す る險 しさ を、 身にしみて 味ねば 

ならなかった 作家た ちの 悲劇 を、 島 崎 氏 はお のれの 胸に 感じと らうと した も 

のの やう だ。 それ ゆ ゑ、 殘 された 仕事の 芽 を 成長 させよう とする ひ は、 島 

崎 氏の 文擧的 發展を 促す ための 素地 を 成して をり、 ここに 先 驅的作 { ゑの 意欲 

を現實 的に 糟承 する 次代 者 か 意思が あった。 

二葉 亭の 政治的 關心 について、 「氏 は藝術 家で あると 同時に、 改革者の 精 

祌をも 兼ね 具へ た 人で ある。 斯の 二つ は、 氏に あって は 永く 調和す る ことの 

屮 N 来ない 矛盾と して 殘 つた。」 (「長 谷川 二葉 亭氏を 悼む」〕 と、 島 崎 氏 は その 苦 

惱を 見て ゐる。 これ は 共感す る 親しい 精神で ある。 

政治と 文舉 から 生す る 焦燥の 絶望 を、 二葉 亭が 「文舉 は 男子 一 生の 仕 車と 



する に 足らぬ。」 と 言った とき、 その 言葉の 內容 すると ころへ、 島 崎 氏 は ひき 

入れられようと したので はたい か。 それにしても、 かう した 苦痛の 渦が 二人 

の 先 驟的作 {| を 破滅の 淵に みちびい たこと を 知って * あや ふく 文舉の 世界に 

身 を ささへ たので あらう。 一時期に 於け る 先驅的 作. おへ の 共感の 度の ふかさ 

は、 その やうに 並々 ならぬ ものであった らうと 思 はれる。 「クロポトキンが 

露 西 "亞 文學の 理想 性と 現 實性を 書いた やうに、 吾國に 『日本 文畢 の現賁 性と 

理想 性』 とも 言 ふべき もの を 書いて くれる 人が あったら、 その 人 は日淸 日露 

戰ゅ へ かけて の 時代 を 背景と して、 すくた ぐと も 一 一人の 文摹 者の 生涯 を 見逃 

すまい,^ ふ。 一人 は 二葉 亭だ。 今一 人 は 北 村 透 谷 だ。 この 二人 は、 書いた 

もので も 歩いた 道で も、 第 一 その 生活の 基調から して 隨分 遠った ものと いふ 

^はする が、 意味の 深い 未完成の まま 斯の世 を 去った こと だけ は 似て ゐ る。」 

A 北 村 透 谷 二十 七囘 忌に」 J 

明治 文學に 於け る 理想 性と 現赏 性の 關係 は、 かなら すし も文舉 作品の 社會 

的 性 Jc: を 中心として は 論じられぬ。 しかし 二葉 亭、 透 谷の 二人が、 ともに 



365 



「政治と 文舉」 の 交涉に 苦悩しつつ、 明治 文學の 理想 性 を 代表して ゐ たこと .g- 

を 見るならば、 それにつ いて、 島 崎 氏の 囘 想が 何 を 志向して ゐる かもお よそ 

感知され るので ある。 ひっき やう、 良心的で あらう とした 作.:^ たちへの 誠 黄 

た 傾倒で ある。 • 

I つの 決意が、 このと き 島 崎 氏の 胸に 充 ちて ゐた。 先驅 した 人々 の 仕 is?- の 

終った ところから、 いま は 作 { 尿の 破滅で はなく、 新時代の 文舉を 創造しょう 

とする 文舉的 決意の 昂 まりで あり、 理想 性の 現資 化の 意圖 である。 政治的 欲 

求と いふ やうな もの も ひろく 消化し、 作品にまで 具象 化しよう とする 欲 ひ I- が 

あふれて きた。 「自ら 傷け 破る 程の 激情 を 有した 人に は 北 村 君が ゐる。 沈痛 

にして 自制し 難き 程の 煩悶 を 緩け た 人に は 國木田 君 (獨 歩) が ある。 北 村 君 

にせよ、 國木 田-君に せよ、 すくなくとも 自己 を 語る ことが 出来た。 二葉 一:: h 氏 

になる と、 殆んど 自己 を 語る こと すら 出来なかった と 思 はれる。」 (「長 谷川 二 

1^ 亭氏を 悼む」,〕 誠實 であつ たがために 苦惱 した 人々 の 姿 は、 かく も 親しい 感 

情 を もって 映って ゐる。 ここから 文舉的 世界に あって 殘 された 仕 jsm- の 芽 を 成 



長させ、 政治的 欲求ない し 社會的 欲求 を、 包括 づけて 文學 的實踐 のうちに 生 

かさう とする 決 が 形づくられて 行った。 

^^崎氏の 作{豕的決意は、 二葉 亭の 「文 學は 男子 一生の 仕事と する に 足ら 

ぬ。」 とい ふ 言葉の 逆說 すると ころに あった。 その 文畢的 決意が、 同時に 人生 

的 決意 を 意味した の は、 一つに は 先驅的 作家への 親近に 由来して ゐる。 『破 

戒』 から 『夜明け 前』 に 到る 道程に、 ニ紫亭 あるひ は 透 谷、 獨步ら と 共通す 

る 精神の ひらめき を 放った こと は、 作家の ゆたかな 社會 性と して 美しい ので - 

ある。 自然主義の 卑小 さ を 突破し、 『夜明け 前』 では ささやかな 環境に かく 

れ ようとす る 作家た ち を 睥睨した の も、 ひとへ にこの 精神の 流れの 美し さ を 

語って ゐる。 

1 紫 "やや 透 谷との 親和に ついて、 あるひ はすで に f 一口 ひ 過ぎた かも 知れぬ。 

だからといって、 このために 島 崎 氏の 獨自 性が 傷 けられた と は 思へ ぬ。 當時 

に 於け る、 島 崎 氏の 精神的 倾 向なら びに 社會的 意欲 を 測る ために、 それに 包 

括され る 部分と して、 先 驅的作 〔水への 關心を 見た までで ある。 それ ゆ ゑ 二葉 



亭の偽 ましい 吿 {: の、 逆- 說 する と こ ろ に 島 崎 氏 の 仕事が 組立 てられた とする 

こと は、 いっそう その 欲の 方向 を あきらかにする わけで ある。 そして 獨自 

性 は、 その 人生 的 欲求の はげし さのうち に 認められ るし、 文學的 仕事に いつ 

さいの 欲求 を 打ち こむ 態度にまで、 先 驅的作 .;}^ の 破滅 は 生かされて ゐる。 

次の 感想 は、 1 一葉 ヶ: h についての 內部 的た 親近と 消化 を 知らせる だら う。 

二葉 亭の物 を 觀るカ は 早く 發 達したら しい C 『浮 雲』 はこれ を證 して ゐる。 彼 

樣 いふ 客觀 性に 富んだ 作物が 叫 治 二十 年頃に 11 紅 紫 氏の 『色 慷悔』 や 伴 の 

『風流 佛』 より 二三 年 前に -I 早く 世に 一公に された とい ふこと は、 ^かれる。 私 

は 期の 物 を蠲ろ 力 11 吾國の 作家と して はお そらく 稀に 見ろ の 洞察力 11 は、 li^ 

が 露 S: &: 文 學の影 1: に歸 したくない。 私 はこれ を 氏の 天性と 言 ひたい。 斯の fKti 

を 具へ た 人が、 偶然に も、 ゴォ ゴリ、 ゴン チャロフ 等の 文 il- の 感化の 下に S かれ 

たと 考 へたい。 (「長 谷川 ニ獎亭 氏 を 悼む」) 



a 衆への 愛 

作 {X 的 タイプと して、 文學を 生長させる 人と 成熟させる 人と ある。 かう い 

ふ 意味の こと を 島 崎 氏 は 述べた ことがある。 この 二つの タイプに あてはめて 

みると、 いふまで もな く 島 崎 氏 は 成熟させる 人の 側に ある。 それ ゆ ゑ 築かれ 

た 作 はけつ して 飛躍的で たく、 漸次 的な 發展の 順序 を 追って ゐる。 ただ、 

その 詩 だけ は 「遂に 新しき 詩歌の 時代 は來 りぬ。 そ はう つくしき 曙の ごとく 

なりき。. 一 (「藤 村 詩集 I5t 文」. -と いふ やうな、 革新的な 息吹きに 充 ちた 新しい 文 

畢の创 造に つくした。 

それにつ いで、 もつ 一 つの 發展と 创造は 『破戒』 の 制作で ある。 この 作品 

の歷 史的. ぉ義 について、 島 村 抱 月の 批, t は 端的に その 創造性に 觸れ、 「明ら 

かに、 『破戒』 は 我が 文畢の 中に 出現した 新しい 基準で ある。 我々 の 文畢は 

初めて 發 展の模 期に 到達した。」 と讃 歎して ゐる。 この やうに、 抒情詩の 創 



370 



造と リアリズムの 柘と は、 島 崎 氏の 道程に あって、 飛躍的で あり «^ 史的た 

ものであった。 

これらの 創造性に ついて、 ここにまで 二 • 橥亭ゃ 透 谷の 精神が 光 を 送って ゐ 

るで あらう か。 作家 的 タイプに 於け る 生長と 成熟の 關 係が、 先驅 した 作 〔糸と 

藤 村との 關 係に 他なら ぬと すれば、 二葉 亭、 透 谷に ひらめいた 精神 を 發展的 

に 私 は 汲みと りたい と考 へる-」 思 ふに、 抒情詩の 創造に よって 浪漫的 精神 を 

うたった こと は 透 谷の 途 につら なる もので あり、 寫實的 精神 は 一 ー葉亭 四^ に 

萌芽して ゐ たもので ある。 そして、 このニ人の先驅的作{夂が破滅した^1ネ::を 

突き 拔 けたと ころに、 詩 築 t 若菜 集』 が あり、 作品 『破戒』 があった の だ。 

明治 文舉の 成長と 成熟に ついて、 これらの 人々 の關係 を、 この やうに 見る こ 

とも 可能で あらう。 

「破戒』 の特徵 は、 その 精神的 傾向と して は 民主 性への 接近で ある。 この 

事實 のうちに も 作家 的 意欲の 社會 性は考 へられる し、 透 谷の 內 部に ひそんで 

ゐた 光が ひとす ぢに 及んで ゐる こと も 思 はれる。 しかし 一 一葉 一 やや 透 谷との 關 



371 



係 を、 それ 以上に へる こと は 一種の 冒濱 であらう。 すべて 島 崎 氏の 作家 的 

欲の 社會 性が、 それら 先 驅的作 {| に 親近し 共通した こと をし るせば 足りる 

ので ある。 

ここに、 島 崎 氏の 作品の 色彩が、 お ほむね 生活 的で あり 灰色に 近い ことの 

1 因 は、 主題の 社會性 —— ひいては、 民衆の 生活への 關 心が 反映した ことに 

あるので はない か。 

短^ 作品な どに は、 市井の 生活 を斷片 して 貧苦と 艱難 を 描いた ものが 多く- 

人の m4 ひ を しっける やうな 『家』 の 暗 さた ど、 金錢に 喘ぎつ づける 生活の 

. 焚 相が さう させた ので ある。 鳥 崎 氏 は、 市井の 生活 を 暗 さとして 描かねば な 

らぬ ほど 人生 的 欲求 を きびしく し、 それだけの ふかさで 人間 を 愛した。 短篇 

『1^ しい 理舉 士〕, に は、 知識 的 勤 IC 力 者と もい ふべき 人々 の 生活に、 困憊と 額 

鼓 を さぐる 識が ある。 「私が 先生の 味方で あつたの は、 他で もありません 

先生が 年 をと つて 贫 しいから です。」 とか 「先生 は飮 むから 贫乏 する のか、 

©乏 する から 飲む のか、 その 差別 も 私に はつ けられな く 成りました。」 とか 



372 



いふ 言葉が 隨所 にあろ。 そして、 貧者の 生涯の 有 爲轉變 がふ かい 愛 を もって 

灰色に 描かれた。 • 

さう 一一:: "へば、 島 崎 氏 その 人の 生 ひ 立ち が^だ 人民 的で、 『生 ひ 立ちの 記』 

たどから は、 一 人の 少年が やがて 民衆の 中へ 丄巾 井の 生活へ 赴き、 いかに 生 

活 する であらう かとい ふこと が考 へられる のであった。 『破戒』 の 主題 は 封 

建的觀 念に 對 する 抗議ば かりで なしに、 被 壓迫暦 一 般 についての 愛 を 示し、 

虐げられた 人々 へ の 愛 は、 市井 事 を 扱った 作品の モチ ー フを たして ゐる。 

「^地の 向 ふに は 相 生 橋から 月 島へ 通 ふ廣ぃ 平祖な 道路の 一 部分 も 見える。 

よく 私 は 其 窓のと ころへ 行って、 ^地へ 遊びに 來る鹳 や、 子供 や、 それから 

向 ふの 往來を 通る 職工の 群な ど を 眺め 人りながら、 底の 知れない 畏懼の ため 

に ふるへ てゐ た」 (,「 苦しき 人々」 たどと いふ 文袁 は、 それだけで 市井の 生活 

を 思 はせ る。 これらに ひとしい 「奉公人」 「弟子」 その他 一 聯の 作品 も、 生 

活の實 相 を とらへ てゐ る。 そして 1^ しき 人々 を 描いた 作品 は、 いつも その 

痛 を や はらげ ようとす る溫 かい 心 持 を 匂 はせ てゐ る。 しかし: 衆へ の 關心ゃ 



虐げられた 人々 への 愛 も、 けっして 科 寧 的に 測定され て は をらぬ。 このため 

に、 ^^卞::をぃたはるゃぅな態度が自然に滲みでてくる。 『1 ぶ』 など、 殊に さ 

うであった。 

生活への 愛 は、 ひとり i£ 井の 生活ば かりで たしに、 農民の 生活と その 勞働 

にも 向って ゐる。 どれ だけ その 生活 を ふかく 見よう としたか は、 『千 曲 川の 

スケッチ』 一 卷に 描かれて ゐる ところ だ。 

11^ は 何 a- 私が is^ 夫の 生活に 興味 を 持つ かとい ふこと に氣 付いた であらう。 私の 

話の 中には、 錄度か 農家 や 訪ねたり、 農夫に 話しかけたり、 彼等の 働く 光 《H を眺 

めたり して、 多くの 時 を jjs つたこと が 出て 来ろ。 それほど 私 は 飽きない 心地で ゐ 

る。 そして、 もっとも つと 彼等 をよ く 知りたい と 思って ゐる。 見たところ open 

で、 質素で、 簡 a- で、 半ば^ 外に さらけ出され たやうな のが 彼等の: If 活だ。 しか 

し 彼せ に 近づけば 近づく ほど、 隱れ た、 複雜な 生活 を營ん でゐる こと 思 ふ。 同 ,^ 

じ やうな 服裝を 藩け、 同じ やうた 農具 を携 へ、 11 じ やうな 耕作に 從 つて ゐろ晨 夫 ^ 



ほに に、 彼. iij^ の 生活 は 極く 地味な 灰色た。 その 灰色」 幾通り あるか^れない。 

J 千 曲 川の スケッチ』 11 「晨 夫の 生活」) m 

かく も 農民の 生活に 立ち入り, その 特性 を 味 到 するとい ふの は、 民衆の 生 

活 への 愛の ふかさ を 語る もの だら う。 

人道的 精神 

一 茶 は 生活の 詩人と して それだけに 悲哀し、 悲哀 は 生活の 窮迫 を 映した。 

寢る 外に 分別 はなし 花槿 

タ燕 我に は翌の あて はなき 

これらの 句に 接して、 島 崎 氏 は 冒頭 「何とい ふ 窮迫 だら う。」 と 歎いて ゐ 

る。 つづいて 「鍋 買、 米貿、 暮の 二十 九日の、 雨、 味 などと して ある 僅か 

な斷片 的な 言葉 を 通しても 想像され る やうに、 本 所 五ッ目 あたりでの 一茶の 



生活 はいかに びし いものだった らう。」 .「ー 茶の 生涯」) と 言って ゐる。 

一 茶 の 生; i が 悲しく 迫して ゐ たこと は 知られて ゐ るが、 さう した 窮迫 へ 

の 哀憐 を、 何ら か のせさと して 片 づける やうな 人 はあって も、 窮迫の 社會的 

性^ を 言 ふ 人は少 い。 一茶が 「米 高値なる が ゆ ゑに、 薪 高値なる が ゆ ゑに」 

としたと ころから、 時の 民衆の 生活が どんな 狀態 にあった かも、 想像して 

できぬ こと はない。 迫した 一茶への 島 崎 氏の 歎き は、 實は 窮迫す る 民衆の 

生活へ の 歎きと も j: 一 n へる ので ある。 

.:^^崎氏の社會的意欲の中心に凝結してゐるのは、 人道的な 愛の 精神で ある。 

ここから、 その 欲が 一定の 表現形式 を 示されて ゐる。 けれども、 人道的 

ム 欲が、 一 おの 限界 性に 規制され るの は 避けが たいこと で、 この こと は 作品 

の 主题に 一 定の, 作用 を 及ぼた。 L 千 曲 川の スケッチ』 が 人的 關 係の 描 寫を乏 

しくした こと、 『破戒,』 が淚の 抗議に 終った こと i これら は 規制され た 社 

^性の 結 sia じある。 虐げられ たもの へ の 愛 は、 それ 自身と して 悲 細の 社會的 

性 巧 を 容易に 自覺 しない ものの やう だ C 



3/6 



島 崎 氏 は、 幼少の ころから 人の 世の 艱雜 を經 てきた 人で ある。 おそらく、 

この 過程に 愛の 感情 は啼 育され たので あらう が、 それだけに 愛の I さも 知つ 

てゐ る。 愛 は主觀 的た 形式 をと つて 表出され 易く、 しばしば 外部 的條 件に よ 

つて 碎 かれる。 

「朝:^. 一 とい ふ 短篇 は、 この 意味から して 舆味 ある 作品で あらう。 信 州の 

山上に ある 測候所へ、 ある 日 ひとりの 浮浪者が やってくる。 病み あがりの 若 

い 浮浪者 は、 まだ 朝飯 も攝 つて をらぬ とい ふ。 聞けば 尺八 を 吹く ことができ 

るとの ことで、 それで: ii 尺八 を 手に入れたら よから うと 若干の 金を與 へ る。 

ところが、 浮浪者 は 尺八 を I 貝 ふ どころ かすぐ 飯屋に 行って 朝飯 を攝 つた。 寓 

話の やうた 趣の この 作品 は、 愛の 性質 をめ ぐっての 小品で あるが、 赏は それ 

の 本質 を衝 いて ゐる。 愛の^ さはなん とも 致し方な く、 作者 も それと 知って 

苦笑して ゐる やう だ。 

一朝 飯」 を 書いた 折の 島 崎 氏 は、 おそらく 愛の 性質 を自覺 して ゐた。 それ 

にしても なほ 愛 を 語らねば たらなかった の は、 その 氣質 として 當然 である。 



377 



「自分 も 矢張り その 男と 同じ やうに、 饑 ゑと 疲勞 とで 顫へ たこと を m わ ひ 出し 

た。 目的 もな く 彷惶ひ 歩いた こと を 思 ひ 出した。 恥 を 忘れて 人の 家の 門に 立 

つた 時 は、 思はす淚が顿をったはって流れたことを思ひ5^した。」 (「朝飯」〕 

これ は、 『春』 に 描かれた 時代の 放浪の 思 ひ 出で ある。 この 思 ひ 出が なくと 

も、 たぶん 同じ やうに 「朝 1^」 は 書かれた だら う。 愛 は 思 ひ 出で はなく、 一 

つの; だからで ある。 この 作品に 似た 放浪者の 姿 は 『淺草 だより』 にある 

「放浪お」 と、 もう 一つの 「放浪者」 とい ふ 文章に 書かれて ある。 

人 問の 愛に ついて、 ひとひねり ひねった 作品 は 「家畜. 一 と 題す る 短篇で、 

近隣の 人々 から 佾 まれつ づけて ゐた 野良犬が、 ある 家の 椽 下に 仔犬 を 生んで 

はじめて 愛される とい ふ 筋で ある。 愛の 本質に ついての 自覺 は、 この 二つの 

作品に 對摭 的に 書かれる ほど はっきりして ゐ たの だ。 

しかし、 人道, 的^ 欲の 社會性 は、 罝. に 愛の 範圍 にだけ こもって ゐ たので は 

なく、 しだいに 社會的 性質 を 濃く し、 知識人と しての 社會的 考察 は 先 づ文學 

の 社 會的位 S について: S. 《げられ た。 「二、 三の 事實」 とか 「發資 禁止」 たど ジ 



の 感想が それで ある。 藝 術の 時代 性 や sl^ 民 文化に ついても 惟し、 1^ 人 問 

についても 意見 を 述べて ゐる。 

文學 の 社 會的位 gi^ あ る ひ は藝術 の 時代 性 について 語る とき、 す て に-: 崎 氏 

は ある 決意 を 示した。 「藝 術の 保護」 とい ふ 文章 を 見よ。 なまな かな 保護よ 

り は 理解と 協力 こそ^ ましい との 斷言 は、 作家 の 自立 性の 主張で あ る。 

さらに 激しい 態度で、 文學の 社會的 位置と その 自立 性の ためにた たかった 

の は、 r 發ー I" 禁 4J」 とぃふ文^^んでぁる。 これ は 「婶の 妹」 とい ふ 作品の^ 

禁 (註) に 抗議し、 「明治維新 を 以て 始 つた 改革の 精神 を 忘れない へ U 政お なら 

ば、 區々 たる 一時の 平和に 拘泥して、 社會の 表面に 藥を 塗擦す る 如き 手段 

をば 執るまい と 思 ふ。 善政 を 行 はう とする もの は 時代の 精神 を 知らねば なら 

ぬ。 それに は 青年の 心 を も 請まねば たらぬ。」 (「發 賓 禁止」; と 直言した。 文 

舉の 社會的 位置に ついて これ だけに 抱負し、 毅然として 示された 作 I ぶ 的氣慨 

の 鋭 さは、 その 社會的 意欲の 性質 を 語って ゐる。 



379 



註 「姉の 妹.! は未讃 のこと とて, V<S 內容は 知らぬ が、 當時 『中央 公論』 が 諸 

家 の 意見 を發 表し たとい ふから、 相當 問題 化した ことと 思 はれる。 

人生 的 欲求と 社會的 意欲 

1 時代の a シァの 作家た ち は、 「民衆の 中へ!」 とい ふ 合 言 紫 を もって、 

時代と 民衆の たかに その 文畢を さらさう とした。 

これ は 一 つの 機運で あると ともに、 それら 作家た ちの 誠實 さに よって ゐる。 

かう した 誠赏 さは、 ^の 形で 島 崎 氏の 胸に も釀 成されつ つあった。 「K 衆の 

巾へ 行け、 とい ふ」 故 を あれほど 高く 叫んだ 露 西; „c.i の 知識階級の 人達 も、 今 は 

どうしたら う:」 と ラ:: ひ、 つづいて 「農民 は 駄目 だ、 何と 言っても 自分 等の 

賴 りに たるの は- a のさめ た 知識階級 だ。 さう いふ 意味の こと をゴル キイの 書 

いた ものの 屮に 見つけて、 その 言 紫の 底に 籠る 冷たい を 感じた ことがある。」 



crcji おのた めに」) と. 述べた ことな ど、 いづれ も 社 會的關 心の 誠實 さとして 見 パリ J 



られ、 同時に^の 面から は 一種の. 人生 的悛 疑が 感じられる。 

ゴリキ ー の への 共感 は、 一 つに は 島 崎 氏の 社會的 ^欲の 限界 性 を 味 

する。 すると、 またしても 人生 的 眞實を 探求 するとい ふ 意思の 性 贫が考 へら 

れ るので あって、 島 崎 氏 は 四十 年の 文舉 道程と その 人 問 的 經驗を もってして 

も、 やはり 依然として 「ある 人生 的懷 疑ない し 不滿」 を 自己の 營み 並びに 現 

實 について 感じて ゐ るので あらう。 「人生 的 露實」 と は、 それが いか やうの 

美し さ を內容 する にしても、 所詮 は 人の 希求で あるに 過ぎぬ。 島 崎 氏の 場合 

にして 兑れ ば、 人道的 感情が 描く ィメ ー ヂの 美し さで ある。 從 つて 永久に 希 

求し なければ ならぬ 心情 は 一 つの 人生 的 懐疑 を 感じ、 この 懷 疑から 人生 的 決 

意 は 痛切に なり まさるば かりで ある。 篾 厚な 風格 をた た へ られる 島 崎 氏に し 

て も、 この やうな 營 みは 業苦で あるに 遠 ひない。 しかも、 これ は 愛の 感情に 

つらぬかれた 社 會的關 心と いふ 一 定の 必然性に 裘 づけされ た 業苦な ので ある。 

維新の 變 革から 明治 年代の 中葉 あたりへ かけて、 あるとき は 波立ち あると 

き は 伏流した 自由主義 思想 は、 『破戒』 に 於て その 人道的 精神と 結合し、 『春』 



は 主として、 向上 期に ある 資本主義が 醸した した 何ら かの 昂揚 感を 反映した 

作品で ある。 それが 『家』 に 到って 暗 IS 化した。 この 變 化の 瞬間から 外部 的 

な 社,^ 的 關心は •?: 部 的に 凝結し、 凝結の 形式 は 人生 的 欲求 をい よいよ きびし 

くす る ものであった。 この こと は、 ひっき やう 社 會的現 實に對 する 懐疑に 他 

ならす、 人生 的 決意 を ふかめる とい ふ、 作 {| 的 業苦 は 宿命 を 思 はせ る ほどの 

必然性に 裘 うちされ たので ある。 苦 業 四十 年の 營 みは、 だから その 終焉す る 

日 を 持たぬ。 

この ことから して、 急激に 昂揚し、 急激に 低下 するとい ふやうな 社會 思想- 

あるひ は述 動に ついての 懷疑か 疑問が 生じる。 「 一 顷 やかましかった デ モク 

ラシ ー の 接 なぞ も 私に はこの 根柢の 冷靜 を證據 立てる やうに 思 はれて たらた 

い。 もし デモ クラ シ ー の 深い 基礎が:^ 衆の イン スピ レエ シ ヨン であり、 良心 

の 至醇 な- 谏 であ, り、 素撲な ものの 直角 力であるなら ば、 こんなに 早く その 叫 

びが 沈靜に 1 するとい ふこと は あるまい と 思 ふ。」 (「胸 を 閉けヒ これ も、 ひ 

つき やう 一 つの^ 疑で ある。 この 懐 5^ から 島 崎 氏に 離れられ ぬが、 その ゆ ゑ 



3S2 



に 人生 的 決意 はいつ そう 深く たり まさり、 あらためて; t」 は 外部へ 向 Z 

つて ゐる」 

それと 自覺 して ゐ るか どうか は 知らぬ が、 島 崎 氏 も 歷史の 動きから i!^ 苦 を 

負 はされ た 作 {| の 一人で ある。 n 本资本 主義の 獨占型 態への 發展 が、 自. E 主 

義的 精神 を 否定した ことによって、 新鮮た 浪漫的 精神が 人生 的 欲求にまで 變 

化した こと ! I これ は あきらかに 歷史の 犠牲で ある。 このと きから、 ^13崎氏 

は 歷史の 必然的 行程に 直接的に 從 ふこと をし なかった。 いつも、 5^ 史の 動き 

とともに 雁行す るば かりで ある。 「極端から 極端へ と 動く 振子の 波の やうに、 

今日の 社會 思想の 傾向が 反動の 大勢 を 喚起す る ことがない と はどうして ラ" へ 

よう。」 cr 胸 を 開け」) と杞 愛し 懐疑す ると ころに、 歷史の 前方に のりきる 赏 

踐 カは考 へられぬ。 

けれども、 その 人生 的 欲求に 含まれる 社會 性に ついては、 なほ 私 どもの 大 

きな 期待と 希求が 見いだ される C 何ら かの 眞赏を 語り、 次代の 人々 にまで、 

ト: W 果の糙 を 遺さねば ならぬ とい ふ 作家 的 態度 は、 多くの 期待と > ^求 を 內^ し 



てゐ る。 

ただただ 私達 は、 分 等の 忍 も、 抑制 も、 これ を^る べき 春 へ の 準備の ための 

ものと 考 へたい。 I ^に 夜明けと 一; 一一 :! ひ 得る 時の ために、 今 H までの 暗 さが あると 考 

へたい。 到底 私達 は 菜し もな く續 いて 行く やうな 冬の 寂寞に に堪 へられない。 私 

達 の^^の 不安 は、 その H その 日の 小康.^. 求める やうた 心から 起って 來 るので は 

なぐ、 心から 動いて ゐる もの を 自分 等の 周 園に 出す ことの 少 いところ から 來る。 

(「大正 十四 年 li^ 迎 へし 時」) 

この 思惟と 社會的 欲求から、 あの やうに si- 史的 現赏に 肉薄した 『夜明け 前』 

はャ; ^乎され たので はない か。 この 作品に 描かれ 概括され た 時代 性 は、 おの づ 

から 歴史のう ごき 行く 方向 を 示さう とし、 そこに 歷史の 意思 を 語らう とする。 

ひとす ぢの 人生 的 窓 欲が、 si- 史の 意思す ると ころに かがやく の を 私 は 『夜 明 

け 前』 に 見た。 



4 

00 

3 



5 

s 

作品の 社會性 

作品 機能の 永 a 性 

腐蝕しょう とする 歷史の 作用 を 否定して、 なほ 後代にまで 働き かける 作品 

機能の 永-; 性 は、 主として、 それぞれの 作品が 內包 する、 時代 的 感情の 反映 

度 如何に かかって ゐる。 反映した ものの 背後に、 人々 の 生活が あり 時代 的感 

情の 流れが 實感 される とき、 はじめて 作品 機能の 永 緩 性が 生じる。 時代 的感 

情 は、 歷史 にな 一思した ものの 一時 代に 於け る 表現で あり、 この 意味に 於て さ 

うした 作品 は歷 史的 發展に 列なる もの だからで ある。 

それにつ いて、 島 崎 氏 はかう 言って ゐる。 「世紀より 世紀へ と 動く 人の 創 

造に も、 おの づ から 生長 期と 成熟期と が ある。 すべての ものに 近代の 光の 



かがや きがあり、 人の 精神が 發揚 し、 舉問も 藝術も 一 齊に步 調 を 揃へ て 進ん 

だかと 兑 える やうた; 兀祿の 顷を思 ひ、 更に 德川 時代の 文化が 爛熟の 絶頂に あ 

つたと 霄 はるる 文化 文政 度の ころに 思 ひくら ベる と、 それぞれの時代を文擧 

の上に代^^^^-る人達の上にもそれらの特色を見得るゃぅな氣がする。」 q 生畏 

と 成 热」) 

ところで、 機能の 永-; 12 性 を、 作品にまで 內容 する こと は 非常に 困難た こと 

であった。 それ は誠赏 た 作家 的 態度 をと りつつ、 不斷に 歷史の 意思す る もの 

へ の 關心を 要求す るからで ある。 從 つて、 一 時代の 後に なほ 人の 胸に あきら 

かな 感動 を 注ぐ ほどの 作品 は、 その 質に 於て まことに 强綠た 作品と 言 へ る。 

多くの 作品 は 年月の 流れと ともに 腐蝕し、 跡 方 もな く歷 史の營 みに 碎 かれて 

しま ふ。 

ここで 例へば 『^^戒』 を 見る に、 その 人道 性と 侗 人の 自由の 見地から する 

民主的^ 神 は、 とほく 三十 餘年 を距 てて、 いま も 人々 の 胸に ひそむ 一つの 欲 

求に 乎 を 5: ベる ほどの 機能と 親和性 を そな へ てゐ る。 明治 年代の 中葉に 早く 



3S6 



も 自由 民權^ 動が 屮絕 した. * 情に は、 次代にまで i^i3 する ほどの 悲剌 性が か お 

くされて ゐ るので あつたが、 中斷 された 社會的 欲求 を 作-: M の 仕事と して I 破 

戒』 が 追求した こと は、 歷 史的に 美しく; t 價 される。 そして、 年月の 流れに 

は腐餓 せぬ 『破戒 J の歷史 性が ここに 誕生し、 時代の 距 たりに もい つかた 碎 

かれぬ 作品 锼 能が ここにあった。 

作 {| が どれ だけ 時代の 尖端に 立つ と 自負した とて、 それ も 全 is- 史的 行程 か 

ら 見れば、 ほんの 少し 先き にある だけに 過ぎぬ。 また ー兑 して は、 時代の 主 

動的な ところから は 離れて ゐる やうで あっても、 なほ 後代に はたらきかける 

機能 を 特質す る 作品 も ある。 しかし さう した 偶然の 成果から 離れて、 「破戒』 

が あの やうに 血液 的な 親し さ を 感じさせ るの は、 鋭く 捉 へられた 時代 的 感情 

の訴 へる ちからに 他なら なかった。 

島 崎 氏の 作品に は、 この やうな 機能 を 特質した ものが 幾つか ある。 『春』 

の浪漫 性に しても、 これ は當 時の 靑年 たちに 共通した 時代 的 感情と して、 そ 

の 背面に ひろがる 社 會的雰 園氣を 感じさせる。 そして 『千 曲 川の スケッチ』 



と 『破戒』 の 主題が もっとも 社會 的で あり-、 作品 機能の 永 綾 性 を 特質す るの 

であった。 

1 『千 曲 川の スケッチ』 の觀點 

スケッチの 背面 

信 州 小?^ 町に 在って、 その 地方の 人々 の 生活と 勞働を 克明に 描いた 『千 曲 

川の スケッチ』 は、 社 會的關 心が 愛の 感情 をと ほして、 農民に 向けられた 作 

品 である。 

誠 1^ な 作家 は,、 外界の i^if 象に ついて つねに 敏感で あり 率直で あら う と す る 。 

それ ゆ ゑ&崎 氏が 自然に めぐまれぬ 土地の 農 K に 接して、 作.; 的 關心を そこ 

に 注いだ の は當然 であった。 しかし 當然 であると 言った だけで、 この やうに が 



誠 實たノ ー トを 看過す こと はでき ぬ e スケッチの 一つ 一 つ は、 fri- 生活の 特 り 

徴を さたがら に寫 しとって ゐ るの だ。 

めぐまれぬ 自然 は、 農夫に とって 抵抗し がたい 暴力 を 意味す る。 そ eDI^ 力 

に抗 して 辛苦す る 生活が、 土地 を 愛する 作家の 眼に 定着し 「どうかす ると、 

大人が 子供 をめ がけて、 石 を 振り上げて、 野郞 •—— 殺して 吳れ るぞ、 などと 

戯れる。」 (「小 Z 年の 群」) とい ふやうな 野 蠻な挨 移の 仕方 を、 自然の 荒々 しさ 

に適應 した 風俗と して 見つめて ゐ るの だ。 かう したと ころに も、 土地 を 愛す 

る 作 (ゑの 積極的 關心は ある だら うし、 土地 的な 特徴 も 見られる だら う。 

ー见 して は、 極く あり ふれた スケッチの 淡々 た る 連鎖 を 思 はせ る やうで あ 

るが、 その 實、 この 一 卷は 積極的な 社 會的關 心 を 内容し、 極く 微小な 自然の 

象から さへ、 作者 は それが 默 しつつ 語る 言 を聽 きとら うとして ゐる。 展 

げられ た 風景から、 その 背面に ある 生活の 赏 相を讀 みとる か 否か は、 ひとへ 

に 作 {| の誠實 さに かかって ゐ るが、 この 風 43^ の 内部へ 島 崎 氏 は 乎 を 仲べ た。 

『千 曲 川の スケッチ』 は その 土地の 風俗 や 自然 を 描いた ばかりでなく、 描 



おの 中心的な 對象 は、 I5ri- の 生活と 日常 勞 働の 狀 態に ついて であった。 お だ 

やかに 描かれた 信?^ 地方の 風物に、 生活す る ものの 辛苦 は 映り、 その 點 から 

11!: 口へば、 この スケッチが:^ 容 すると ころ は 風景の 背面に ある ものが 主で、 そ 

の 表面 を點 殺す る 季節の 運行 は、 背面 をう かが ふための 地味な 模様に 過ぎぬ。 

背^に ある 赏相 がいかに きびしい 生活で あるか、 おそらく 島 崎 氏 は 風物へ の 

愛^15と间時に、 それ をも默 示したかった ので あらう。 作意の 浮き 上った 農民 

小說の 構成に 比して、 ここに兑るスケッチの^^镇は、 はるかに 生々 して ゐる。 

作へ,^ はお のれの 昂 5^ した 感情 を もって 對象を 描くべき か、 あるひ は對 象の. S 

部に ロ巧揚 してね る もの を捉 ふべき か 11 そのこと のために も、 この 一 卷は何 

かしら を 示 咬して ゐる。 . 

いったいに.: 崎 氏 は 土地 を 愛し、 地方 的 1^ 質の 濃い 作家で ある。 だからと 

いって、 特に 地方 主 文學 などと いふ もの を 標榜して ゐ るので はない。 たと 

へば 「5:K< の 生活」 とい ふ^に は、 自然に 住み、 自然と たたか ふ 農民の 勞働 

が 記されて ゐ るが、 そこに は 次の やうに 雜革ゃ 自然が 數 へられて ゐる。 



390 



水, t 瀉。 え ご。 夜! 3r 山 牛蒡。 つろ fiT 蓬。 坨苺。 あけびの 基。 がくもん じ 

(天 干: 草)。 ひやう ひやう 草。 -1 これ は雜 草の 一部で、 農お が 友と しまた 敵と し 

なければ ならぬ もの は、 槪 括して 雨、 風、 日光、 烏、 虫、 雜草、 土、 氣候 などで 

ある。 これらが 數 へられて ゐる。 

これら は 端的に 地方 的 特色 を 示す ものであって、 これ を 地方 主義 文舉 とい 

ふ 風に 呼べぬ こと もない。 けれども、 島 崎 氏 は 地方 的な 一 部 だけ を 抽象して 

描かう としたの ではなく、 信 州 地方の 風物から 農民の 生活と 勞働 を、 ひろく 

語らう としたの ではたい か。 もともと 土地 を 愛する 作家の ことと て、 風:^ W の 

^5^面に、 過ぎ去り、 氣配 する もの を 歌って ゐる 部分 も あるが、 この 風物から" 

全 農 に 普遍す る 姿 を 見る こと もまた 可能な ので ある。 

一九 三 五 年の 春 あたり、 どこか 所 は 知らぬ が 田植を 記録した 映 道が、 ソヴ 

ェ ー ト 同盟に 紹介され た 折、 その 昔風な 田植の 仕方が ひどく 笑 はれた さう で 



ある。 ソヴェ ,• ト R 盟の やうに 協同 農場と か、 築 阁 農場と かに 集圑 化されつ 

つ ある 11^:^ から 見れば、 泥に まみれて 植えつ ける 古風 さはた ぶん 笑 ひ を さそ 

ふので あらう。 ヒル ムの 小さい 一 場面から さへ、 この やうに 廣く 農民 生活 は 

苷遍 される。 同じく、 「千 曲 川の スケッチ』 から も • 普遍され た 農民の 辛苦 

は 窺へ るので あった。 

この 作品に は 特定の 主題が たい。 ある もの は、 農民の 辛苦 を 生活と して 描 

かう とする 作 {| 的 意 圇 並びに 土地の 愛 だけで ある。 事實、 これ だけの 深さ 廣 

さで SJ^:^ 生活 を スケッチし たからに は、 き はめて 稜 極 的な 作品 も 困難な く 作 

られ たで あらう。 農民 小說 として 生かされ るに ふさ はしい 描寫は 到る ところ 

にあり、 「小作人の {|」 とい ふ 項た ど、 そのままで 旣に 作品と しての 趣 を 成 

して ゐる。 



自然と 人的 關係 

スケッチに 次いで 制作した 『破戒 ^ は、 自然主1^?4文學が誇る|^極的作品で 

あった。 

さう であって みれば、 『千 曲 川の スケッチ』 に牧 めら れた 「小作人の {K」 

など を屮 心に、 1g 栩 的た 農民 小說が 作られなかった こと は、 何 かしら 齟 酷し 

てゐる やうな 感じ を あたへ る。 そして、 『破戒』 は 『千 曲 川の スケッチ』 と 

同じ 小 諸 生活の 產物 である。 「山國 の X X X, 一 とか 「股 醒めた ものの 悲しみ」 

とかの 感想 をと ほして、 小 諸 時代の 人道的な 社 會的關 心から、 『破戒』 は 着 

手され て ゐる ことが 察知され る。 

それたら ば スケッチと 『破戒』 の 二 作 間に は、 窓 欲の 社僉 性に それほど 確 

然とした 差異が あつたの だら うか。 しかし 異は 認められぬ ばかり か、 K ん苦 

し、 あるひ は壓 迫され る 人々 へ の 愛 は 均質 的で ある。 異 るの は 社會的 意欲の 



393 



^合 ひで はなく、 それへの 關 心の 仕方で ある。 『破戒』 では、 壓迫 する もの 

と^ 迫され る ものとの 人 M 闢係が はっきりして ゐ るが、 『千 曲 川 の スケッチ』 

に 於て 辛苦す る 農夫の 對象 は、 人と 人との 關係 ではなく、 人と 自然 —! とい 

ふやう に、 お ほむね 自然 を對 象に して ゐる。 たたか ひの 對象を 自然に 求め、 

作者 は そこに 愛情して ゐる。 つまり 自然と 人的 關 係の 遠近が 判然し なかった 

の だ。 この 點に、 社 會性を 主として 詐惯 すれば スケッチの 消裉 性が ある。 

季節 を 通じて 自然の 運れ とともに 生活す る もの- — 農夫 を その やうに 兄る 

ならば、 生活の^ 相 はたち まち 昏 まされて しま ふが、 しかし、 ここに も 人的 

關 係は縱 横に 組合 はされ てゐ る。 先づ, 地主と 小作人の 關 係が ある。 この 端 

的な 人的 關 係 さへ、 自然 を 相手に 生活 するとい ふ 兄 方に 支配され て、 き はめ 

て 淡々 と 描かれて ゐ るに 過ぎぬ。 

「どうで 御 使ん すな ァ、 ^の #3 へ 具合 は。」 1 卜 

と: K さんに W はれて、 地卞, は 白 ぃ柔 かい 手で 籾 を 掬って 见て 一粒 口の 巾へ 入れ お 



た。 

「ネ. 德が 有ろ ねえ。」 と 地主が? 目った。 

「^に 食 はれ やして、 { や :穗 でもないで やす。 一俵 造へ て 掛けて 见 やせう。」 

地主 は vlil 中の 叙 を あけて、 復た 袖口 を搔き 合せた," 

辰さん は 弟に 命じ て^を 箕に 入れさせ、 . お は そわ を^い 一斗 树に 入れた。 地主 

は 腰 を 曲め ながら、 トボ とい ふ もので 其桝 のト: を 丁寧に 撫で a つ た 、 

「^^::樣入れろ、 難 掛けな くち や 御 年貢の やうで 無くて 不可 ご と 辰さん は 弟に 言 

つて。 「さあ、 どっしり 入れろ。」 

「一 わたりよ、 二 わたりよ。」 と 弟の 呼ぶ 聲が 起った。 

六つば かりの 俵が そこに 並んだ。 ; 俵に 六 斗 三 升の 籾が 量り 入れられた。 §0 

ん は 棧 ii^ を 取 つ て 蓋 を し た が、 やがて 俵の 上に 倚 凭って 地主 と 押 問答 を 始め た 。 

(「小作人の 家」、 



この 場面に ついで、 何 かの 劇的 事件 を 期待す る こと はでき ぬ。 いづれ、 同 



9 

3 



じゃぅに淡々たる描^::|でぁる。 

農民の:^ 活を、 自然なら びに 人的 關係 すべて 包括して 考へ、 ここに 農民 生 

活を全 的に 描く こと は リア リ ストの 仕事で ある。 島 崎 氏 も その やうに 描か 

うとして ゐ るが、 自然 は 自然、 人間 は 人?^ と 區別づ けられ 二つの ものの 脈絡 

は, ゆい。 s 然が 作 を どの やうに 支配す るか は 描かれても、 それが 地主と 小 

作 人の 關係 にどの やうに 反映す るか はっきり せぬ。 『千 曲 川の スケッチ』 が、 

スケッチ として 發 した: 1^ さが ここに ある。 

長 塚 節の 『土』 の 消 性が これに ひとしく、 巧みた 自然 描寫は 到る ところ 

に 見られる が、 そこに 生活す る 人物た ち は肉體 的で ない とさへ 言 はれて ゐる。 

そこで、 ;:^はこれがスケッチの^!^接としてではなく、 作品と して 構成され た 

場合 を 想像して みるの だが、 およそ、 その やうた 作品 は 必要と されぬ。 

あらゆる 意味に 於て、 これ は 島 崎 氏に とって 試みの 作品で ある。 詩から 散 

文へ、 n マン チシ ズム から リアリズム へ。 個人的 環境から 社會 的現實 へ。 1 

—すべての 試み を 含めて、 この 作品 は 生活と 自然 を スケッチ したの だ。 そし ? J 



て 長 塚 節の 『土 J や 『千 曲 川の スケッチ』 にあら はれた 消 性 は、 逆に、 明 

治 文學に 於て は 校 極性で さへ あった。 これらの 作品に 特徴した ほどの 社會性 

は、 他のどんた作^:豕にょっても示されはしなかったのでぁる。 

自然につ いて 岛崎 氏が いかに 愛着し たかは、 この 築に 牧 めら れてゐ る 「-s 

國の タリ ス マ ス」 とか、 「長 野 測候所」 などから 容易に 知られる。 雲の 研究 

を 思 ひ 立ち 「六月 十 一 日の 朝、 東の 签に 浮べる 細 雲 をび- A めば、 赤き はさな が 

ら 長き 帶を引 くが ごとく、 さし 登る 秋の 日の 光に 照され て 雲緣 は紅隈 かと 兌 

えたれ ど、 や はら かにして 美しき こと 言 はんこと なかり き。 この 朝、 雲 色の 

變 化する さま を 上の ごとく 認めた。」 (「雲」) と 記し、 雲の 變化を 詳細に 記錄 

したの も 小 諸 町に 於て であった。 これら は、 農耕 ふ;^ 象の 關係を 密接に 觀" ね 

した 人の 手記た ので あらう。 



397 



風物の 語る 想 

ツル ゲネ ー フの 【獵人 n 記』 ゃダ, -ゥ ヰンの 著作 は、 小 諸に 在った 島 崎 氏 

に ふかい 成: 銘を もたらした。 そして 『獵人 日記』 への 親近に、 スケッチ 着手 

の 動機 は 一 闪 すると 言 はれて ゐる。 

ツル ゲネ ー フ へ の 親近の 如何 は^として、 この 作品が 誠實な 作家の 人道 性 

と、 や S 欲の 社會 性に よって 組立 てられて ゐる こと は 確かで ある。 或は 詩人の 

浪^的 感情が 自然に 對 して 股 を 向け、 自然の 一部に 化した 姿で 勞働 する 農民 

に ひ を 及ぼした ので あっても、 結 架 は 等しく 作者の 誠實 さに 他なら ぬ。 

クロ ボト キン は、 『-獵 人 日記 3 について 次の やうに 言った。 

「ツル ゲネ ー フは これらの スケ ツチに ほんの 例外と はれて いい かも 知れ 

ないやうな SJt 収 制の 殘 忍な 事赏を 描き はしなかった し、 u シァの 農民 を 理想 

8 

化 もしなかった。 淺 薄で 卑屈な 農奴 所有者の 生活 -—— 敉らの 最も 善良た もの お 



で すら さう だが、 ! の{^^際とともに、 ただ & 制の 桎锆の 下に 屈しながら、 

物の 判った、 判斷の 正しい、 愛すべき 人々 さながらの 描寫 をな して、 その 制 

度に よってな された 不合理の 意識 を 喚起した のであった。 これらの スケッチ 

の 社 會的影 鑾は^ 大 なる ものであった。」 (『n シァ文 學* その 理想と 現 實』) 

ここに 言 はれて ゐる ほどの 特徵 は、 同じ やうに 『千 曲 川の スケッチ』 にも 

認められ はしない か。 もちろん 島 崎 氏 は、 この 作品に 特定の 社會的 意義 を 期 

待し はしなかった し、 i 石 波 版 『千 曲 川の スケッチ』 に は n 千 曲 川の スケッ 

チ』 は、 明治 三十 三年 頃 著者が 信 州 小 諸に 於け る 時代に ものせられ たので あ 

つて • 常時 は箧 底に; S めて 發 表されなかった。」 と解說 して ある ほど だ。 し 

かし 鳥 崎 氏の 意圖 がどう あれ、 スケッチ された 信 州 地方の 風物から、 農民 問 

題が 巨細に 互って 取され る點は 「獵人 日記』 に 劣らぬ。 

作品の 人道 性から 言へば、 次 作 『破戒』 はこの 一 卷の 發展と 言って よい。 

土地の 風物と 農民 生活 を 描く ベ く觀察 しつつ あつ た 作 が、 土地 に實 在す る 

ものと しての 「破戒」 の 主題 を捉 へたので ある。 『千 曲 川の スケッチ』 が、 



399 



自然と たたか ふ 農: に 愛 を 贈った ところから 發展 して、 『破戒』 は 虐げられ 

る 人々 とともに 抗議して ゐる。 愛の 精神の 社會的 組織化の ために、 スケッチ 

1 卷は 多くの もの を 準備した。 

この 作品に 流れる 人道的 感情 は、 作者の 愛と 同時に、 農民 生活 を 概念的に 

ではなく、 驚くべき ほど 率直に 其 象 化した ところに 胚胎した。 ク P ボ卜 キン 

が ツル ゲネ ー フを J^lw したやう に、 この 作品に あら はれる 農民 も 一 人と して 

理想化 されて は をらぬ。 農民 生活の 肯定的 面に ひとしく、 その 否定的 面 も 描 

かれて ゐる。 あるがままに 描かれた 生活の 赏 相から、 人 は 何ら かの BST 感 

情 を みとる に 遠 ひない。 

話 好きな fg 白い は、 上 州と 信 州の 農夫の 比較 なぞから、 種々 な 農具の こと や 

地、 王と 小作 入の 關係 なぞ を 私に 語り かせた。 斯の隱 の 話で、 私 は 新 町 邊の小 

作 人の 問に 小さな Ms 罷ェ ともい ふべき が 時々 持ち 卜; る こと を 知った- - 隱 i5 に 言 

はせ ると、 何故 小作 入が 地主に 對 して: 小 服が あるかと いふに、 一 體に 斯の邊 では 



4GO 



fo 坪 を 一升 薛と稱 へ、 一 ッカを 三 百 坪 に^し、 一升の 籾 は 二-. C 八十, : 取 " 

立てる。 一 ッ 力と 言っても、 ,際 三 w 坪に 無い- ーー:^:坪無くて;^立てノ"のは^::;〈^ ; 

で 取る。 地主と 半々 に 分ける ところ は 異數な 位 だ。 そこで 小作人の 苦情が 起る、 

無智な 小作人が また 地主に 35? する 態度 は、 種々 のと ころで 人の 知らない 復 « をす 

る。 例へば 俵の 中へ 石 を 入れて 目方 を 重く し、 俵へ &がを 吹いて 目 をつ け、 又は 稻 

の穗を 顧みないで、 を 大事に し、 其 他 稀々 な惡戲 をして 地主 を 苦しめる。 (「小 

作 人の 家」) 

消極的な 作品 主題が、 描寫の 仕方の 誠寶 さに よって、 逆に 新しい 積 械性を 

するとい ふ 「偶然」 の事實 は、 肯 おされて よい 逆說の 論理で ある。 千 

曲 川の スケッチ』 が 小 說的配 意に 缺け たこと は、 何としても 作品 機能の 消極 

性 を もちきた して ゐ るので あるが、 率直に 生活 的 現赏を 描いた こと は、 別の 

新ら しい 積極性 を はらんだ とも 言 へる ので ある。 

作品の 主題が なんらかの 意味で 社會性 をお びた とき、 そこに 含まれる 魅力 



は どこから 流れて くるの か。 作者の 思想の 高さ は、 ただ それだけ ではなに ほ 

どの こと もない。 魅力 は その 思想に あるので はたく、 描かれた 對 象なら びに 

それの 形象化の 仕方に ある。 從 つて 『千 曲 川の スケッチ』 も、 具象的に 農民 

生活 を 描いた ことによって 優れた。 ここに 作者の 語らざる 思想が、 描かれた 

風物 そのものから 語られて ゐる。 展 げられ た 風景に ついて、 作家に 要求され 

る こと は それ を 分析す る ことで はなく、 さながらの 描寫 から、 その 作品 をし 

て 現赏に 流れる 思想 • 感情 をお のづ から 語らし める ことで ある。 この やうた 

创作 方法 ! つまり 『千 曲 川の スケッチ』 の 描寫の 仕方から、 島 崎 氏の リア 

リズム は 社,^ 性 を ^ 藏 して 發展 して 行った のであった。 



二 「破戒』 の 史的 位 g 



時代 的 文 學の创 造 

ソヴ HI トに譯 された 『破戒』 の 出版 は 一 九 三 一年 (昭和 六 年) のこと で、 

これに は、 .譯 者の ェ ヌ • フ H リドマン (註 一〕 とい ふ 人が 「破戒の 史的 義」 

とい ふ 序文 を 書き、 作品の 史的 評價を 行って ゐる。 この 文章 は、 ソヴ 'ト 

同盟で はいかに 破戒』 を 理解し たかを 知る に與 味が ある。 (註 二) 

『破戒」 の 主題 は、 信 濃の 農民た ちに 愛 を そそ. S だ 『千 曲 川の スケッチ』 

から 延長して 捉 へられて をり、 描寫の 仕方に も 類似した 素 僕 さが ある。 しか 

し、 『破戒』 の眞價 は^のと ころに ある。 この 作品 を當 時の 文學的 潮流に 照 

應 してみ ると, まさしく 自然主義 文學 につら なる 一 篇と言 へる が、 半面 かな 



らす しも それに 符節せ ぬ。 むしろ 自然主義 文舉 の、 卑小な みに 叛逆す る 高 

l!S た 精神に 充 ちて ゐ る點、 この 作品 は、 異 つた 仕方で その 位置す ると ころ を 

测ら ねばならぬ。 

mi- して、 幾人の 自然主義 作.: が 【破戒』 に 比肩す る 社 會性を 示した か。 こ 

れは iKii: ではなく、 決定的な 事 であった。 それ ゆ ゑ 『破戒』 を 自然主義 文 

舉の iri とし、 他の 部分 を 顧みぬ やうな 評價の 仕方 は當ら ぬと ころ だ。 社會 

的 現 に 取 村し、 切赏な 人:^ 的 問題 を 描く とい ふやうな 態度の 積極性 は、 當 

時の 作 〈I たちから は、 およそ 遠い ことだった ので ある。 このと き 島 崎 氏 は 生 

命 感の充 1:^ した 作品 を もって、 時代の 新 文學 を、 新しい 現實の 上に 築かねば 

ならぬ こと を自覺 した。 そして、 時代が 作品に 要求す る もの は、 高い 人道 性 

であり W 主 的 神であった。 この 時代 的 欲求に 答へ、 『破戒-一は 新 文 學の最 

初の 旗と して 誕生し、 人 近 的 愛と tsc: 性 を 結合しつつ 現赏 的な、 社會 iS な 文 

华 世界 を 築いた ので ある。 この こと は、 あきらかに 一 つの 文學 革命 を 意味し 

てゐ る。 「彼 は、 現代::: 木 文 ゆの、 最も 偉大な 作 { 氷 であり、 最も 優れた 詩人、 



404 



古典で あり、 n 木 文,^ の 現在で あると 同時に また 一ての S 史 である。」 (フェリ 

ド マ ン .) と 呼ばれる 所以で ある。 

明治 文 學の總 Sg 的 成 は、 散文 精神 を缺 いて ゐ たこの!; の文學 に、 性 

を 織り こみ、 さう した 藝術的 方法に よって、 自然主義 を 形づくった 點に 求め 

られ る。 それにしても、 自然主義の 作品 系列 は 何とい ふ 貧し さ だら う。 社^ 

的 現賈を 描くべく 意 圖 したやうな 作品 は、 ほとんど 五指 を 数へ るに 足らぬ。 

この やうな 贫 しさに 比して、 ひとり 『破戒』 ははる かなる 觀點の 一 :2 さ を 誇つ 

た。 小 諸 地方の 農民 生活 を スケッチしつつ、 そこに 丑 松 をめ ぐる 悲劇 :-— 特 

殊な 階級 問 题を捉 へる に 到った こと は、 自然の 背後にまで 作家の 眼が 深化し 

て 行った こと を 思 はせ、 人間的 營 みの 社會 性にまで 肉簿 した 作家 的 業 紐の 见 

事 さ を 思 はせ る。 この 成 から、 自然主義 文舉に 於け る 『破戒』 の 位 11^ は、 

他の 卑小な 作品と 區 別して へられねば ならない ので ある。 

人生 的 實を 追求 するとい ふ 作 クぶ的 態度 は、 何 か 漠然として、 捕捉し がた 

い 感じ を 伴 ふので あるが、 漠然とした ものの 赏 質 は、 それが 主として 現^ 世 



40 5 



界を對 象と する 誠^ さに よって つぐな はれ、 それの 接觸 し交涉 する 範圍 は、 

^外に く^い。 また 人生 的 態度 そのものの 性質と して、 これらの 作家 は、 

被. m 迫せ 一 般に W 心 ひ を そそぐ 必然性 を 特質して ゐる。 そして 虐げられ たもの 

の 痛苦 は、 まぎれ もな ベ、 否お しがたい 社會 相の 一 斷 面で ある。 ここから、 

人^的 贫を 追求す る 作 〔1 の、 社會 性が 生れて くる。 

『破戒, 一 はこの 誠赏 さに 屮:: 發 した 作品で ある。 「これ は 最早 過去の 物語 だ。 

この 作 を 起 iil したの は 日露 戰^ の 起った 頃で ある。 明治 三十 七 年の 昔で ある。 

日 IS 戰 そのものが 過去の 物語で あると I:! じ やうに、 この 作の 中に 取り入れ 

て ある 背:^ ^ も 現 時の 社會 ではない。 骨て かう いふ 人 も 生き、 叉 # て かう いふ 

時 もあった。 If 广術は それ を 傅 へても いい 苦 だ。 さう 私 は 思 ひ 直して、 もう 一 

度 この X X X の 物 Ifli を 今日の 請 にも 兑て赏 はう と 思 ふ。」 (昭和 四 年 K の 序) 

これらの 言葉 は、 人生 的 立場に 立つ 作" 象が、 どの やうな 仕方で 社會 的問题 

に 接する か を 示して ゐる。 一 つの 積極性と 消極性が この 文 S- に は 同時に ある 6 

ので はない か。 「藝術 は それ を 侮 へても いい 苦 だ」 とする 考へ方 は、 島 崎 氏 ^ 



の 文畢が 含む 社會的 意欲に ついて、 それ, ぞ れ强? -の兩 面 を^^して ゐる。 I 

けれども、 これ を 『破戒』 が 書かれた 當 時の、 文举的 水準たい し 文化的 發 4 

展の 度合 ひに 比 絞 すれば、 すでに かう した 問題への 誠意 ある^ 想 は、 全部 的 

に按. Ig 性 をお びる ものであった。 殊に 自然主義 文舉の 逃避 性を考 へる とき、 

社 會的關 心の 高さ だけです でに 譜歎 される ので ある。 

註 1 譯者 G ェ ヌ • フエ リドマン 女史 は、 ソゲュ ー ト S 监に 於け るす ぐれた 日 

本文 學 研究者た るコン ラ-ド 博士 夫人で、 他に 細 井 和^ 蘇の 『女工 哀史』 な 

ども 譯 して ゐる。 『破戒』 は 一 九 二 七 年末に は完 謁されて ゐ たと、 秋 田 雨 雀 

氏 は 「玻戒 の 露 譯者フ H リドマン 女史に 就て」 とい ふ 文章に 害いて ゐる。 

註 二 ソゲェ ー ト譯 『破戒』 の 序文 「破戒の 史的 意義」 は、 、< ^耕 平氏に よって 

,譯 され、 雜誌 『明治 文學 研究』 の 一 九: 二 四 年 (昭和 九 年) 三月 號に 掲載され 



作家 精神の 民主 性 

L 破戒』 の 社會性 は、 人道 性に 結合した 民主的 精神に. m 來 する。 從 つて、 

作 (象 精神の 民主 性 は、 作品のお かれた 時代との 關 係に 於て 測らねば ならぬ。 

散文 精神 を傅統 する ことなく、 現赏へ の關 心に 缺 乏して ゐた 明治 文舉 は、 

何よりも、 ひろく 社會性 をた たへ た 作品 を 期待され る 位置に あった。 維新の 

後、 ひさしく 波動し 消長して ゐた 自由 民權 運動の 精神に 應 へる ための 時代 的 

文^ は、 新しい 作. たちの 手に 期待され たので ある。 そして 「新與 日本 文舉 

の發 展の步 みは、 この 國の 全社 會 機構 を % り 動かした 變 革に 對 して、 

に應 へようと する 文舉を 目指して ゐ たこと は 明白で ある。 この 要求 を 高度に 

滿 たした ものが 『破戒』 であった。」 (フ エリ ド マ ン) と、 島 崎 氏の 仕事 は それ 

だけの もの を .i: 容 した。 この ことから して、 『破戒』 は 民主的 精神の 遲れば 

せな { や: 映え を 意味す る。 執箪 着手 は 一 九 〇 四 年 (明治 三十 七 年) で、 この 年代 

に は、 すでに 自 .EK 棟 運動 ははる かに 後退し、 代って 無^階級 迤 動が 徐々 に ^ 



擰 頭しつつ あった。 さう してみ ると、 このと き 文 舉の領 野に あって は、 漸く 

民主的 精神が 具體的 作品と しての 【破戒』 に 反映した のであって、 文、 J : 

展は、 社 4" 的 發展に 比して 著しく 立遲 れてゐ たこと が 知られる。 

順序と して、 民主 性の 反映 は、 すでに 早く 浪漫派 文舉に 見られねば ならた 

かった ので ある。 『破戒』 は、 文舉 史的に は 自然主義 文學の 前哨 的 作品と し 

て 位置す る ものであって、 これへの 民主的 精神の 反映 は、 ひとへ に 島 崎 氏の 

誠赏 によって ゐる。 そもそも、 明治 文學に 於け る 浪漫派 文舉の 性格 は、 まこ 

とに^ 弱であった。 自. E 民權 運動の 興隆 期に、 自由 黨の 人々 並びに 民主的 文 

化 イデ ォロ ー グ達 は、 その 手で 「政治 文學」 ないし 政治的な 詩な ど を、 廣„^ 

に 形づくった ので あつたが、 浪漫派 文學 は、 その 據 頭の 初期から 社 會性を 喪 

失して ゐた。 もとより、 この 奇怪な 事情 は、 社 會的發 展の亊 情の 反映に 他な 

ら ぬので あらう が、 すべて を 後の 「破戒』 に 委ねた こと は、 當 時の 作 たち 

の 營爲が い か に 卑小で あ つ たかを 思 はせ る。 

自由 民樯 運動の 後 返 は, 一 八 九 〇 年 (明治 二十 三年」 の 帝 國議會 會を ^ 



して; f わ 速に 行 はれた。 これ を 境と して、 自由 (5^; 左派 は無產 階級 運動にまで 發 

展し、 他 は 立少" れ的自 .H 主義に 解. m したので ある。 浪漫派 文學 はこの 立憲 的自 

.5主^^の^汎な地野に、 新文畢 として 意: iM され、 それ ゆ ゑ 「政治 文舉」 の 社 

會 性ない し 民主 性から は 遠く 距る ところに、 自然 . 戀 愛に ついての 新しい 感 

情 をうた つた。 (註) このと き、 北 村 透 谷が 意欲した やうな 意味での、 浪漫的 

现想 をうた つた 詩人 は をらぬ。 歷史の 意思す る 感情 を 汲みと り、 理想の 高邁 

なうた を 歌った £1 マン チ スト は 見當ら ぬ。 そして、 これが 浪漫派 文舉の 跛行 

的 性格た のであった。 

かう して、 その 頭の 瞬 問から、 浪漫派 文舉の 行詰り は豫 想され ると ころ 

であった。 一 九 〇〇 年代 (明治 三十 三、 四 年) に 入る とともに 二 イチ H、 ゾラ 

についての 紹介、 批; t たどが 行 はれる に 到った こと は、 浪漫派 文舉沒 落の 弔 

綾に 他なら な,^ つた。 刖に は资本 主義 的 發展の 獨占型 態への 動きから、 廣汎 

な自. E 主 ^思潮 は 次第に 變貌 し、 文化的 知識人た ち は ブル ヂョァ 卑俗 性への 

反.^ 山 を こめ、 新 意: Ski としての r に 1. ほ 性に 暗 &1 た 心情 を 結びつけつつ、 自然主義 



4IO 



文 畢の 小さな 環境に 遁走した。 そして、 浪?^ 文舉 によって 歌 はれる ことの 

たかった 時代の 意思 —— 民主的 现 想の 追求 を、 自然主義 文舉に 到っても、 一 

般に 顧みる 作 {VA はなかった ので ある。 

自然主義の 萠芽 は 一九 〇 四 年 (明治 三十 七 年) あたり. とされ、 この ハゃ、 EE 山 

花 袋 は 「露骨なる 描寫」 を雜誌 【新生」 に發 表し 非 技巧 說を提 iP したので あ 

つたが、 それが 一九 〇 六 年 (三十 九 年) に は、 はやく も 自然主義 運動と 呼ばれ 

るまでに 發:^ し、 その 翌年 あたり はすで に 高潮 期と なった。 しかし 浪漫派 文 

舉に ひとしく、 s 然 主義 文學の 發展 も、 なんら 民主 性 を 反映す る ことが なか 

つた。 このと き、 『破戒』 は ひとり 特異な 性格 を もって、 先 驅的姿 を 現した 

ので ある。 

1 九 〇 六 年に 「破戒」 が 出た 當 時には、 水平 社運 動 は、 未だ その 片影 さへ も见 

えなかった。 その 頃 迄 は、 これに 似通った 問題の 建て 方 もで きなかった。 1«本^^3: 

本 主義の 開花 期に 當 つて、 この 小設を 3? 踏み出した 藤 村が 常時の 情; 述 動の 



411 



神に 於て、 何よりも 先づ 封建的 階級^ 別に 對 する 反抗と いふ、 理想主義 的 人道 主 

の^ 謂に 立って この 問&】 に 肉薄した こと は、 敢て 驚く に 常らない。 個人の 運命、 

1^ み躪 られた 人格の とい ふ 面に 於て 問題 をと りあげた の は、 また 當然な こと 

である。 斯樣 なわけ で、 ci? 尖銳 的な 社き 問題の 上に 築かれた この 長 篇小說 は、 

心 1_ 的に 明確な f 格 を 定めた。 (フ ェ リド マ ン) 

社會 的發! ^の 虎 合 ひと、 文举的 發展の 度合 ひの 間に 在る くひ 違 ひ 文舉 

の 立 遲れは • かう して 『破戒』 が 登場す るまで、 浪漫派 文舉が 時代の 感情 を 

うた はす、 自然 主教 文举 も社會 的現實 のうちに 何ら 理想 を 追求し なかった こ 

とに 因って ゐる。 ひとり 「破戒』 が、 その 缺陷を 塊め つくさう とする 作品と 

して、 : おれば せながら、 民主的 精神 を 空 映えした ので ある。 

註 新 文 學の閉 花 は、 次に 示す 諸 維 誌の 發刊 によっても 充分に 窺 はれる だら う。 

明抬 二十 年: の 友。 二十 一年 『都の 花』 及び 『女 學雜 isir 二十 五 年 ^ 



『新 小說』 及び 『早 稻田文 學』" 二十 八 年 r 文學界 Jl。 



二つの 先驅的 意義 

「露譯 『破戒』 へ の 序」 で、 島 崎 氏 は 作品の 社會的 性格 を 次の やうに 述べた。 

「破戒」 は 私の 初期の 作品で ある。 この 長 篇小設 は 一 九 〇 四 年から 三年の 問、 

あの 不幸な H 露, 戰 時代に 《 かれた。 其 頃 私 は 信 濃の 山岳 地方に 住んで ゐた。 そ 

こで この 長 篇を窨 初め たのであった。 私の この 作品 は X X 階級 を 描 いた もので あ 

る。 この 階級 は 封建、 •ii の 解 12 と共に 他の 階級と 均等な 地位に 置かれろ やうに な 

つた。 彼等 は 今や 「新しい」 國 民と 呼ばれる やうに なった: 併し^^^稱" 「新し V 

國民」 であっても、 依然として 私達の 間で は、 昔の XX の 地位に 殘 されて ゐる 

のが 資状 であった じ 



4 リ 



この S: 殊た 階級 問題に 生々 しく 主題した ことから、 明治 文舉に 於け る 『; a 

戒』 の 位 S は、 その 歷 史的 位 ii5 一の 高さと ともに 高い。 浪漫派 文學 がつ ひに 欲 

ふこ あ-をし なかった 時代の 歌 を、 民主的 精神 を もって 代表した だけで も、 優 

れてゐ る。 自然主義 文 學が社 會性を 逸して、 卑小な 世界に 沈潜した のに 比し、 

人造 的な 愛の 感 を もって、 虐げられた 人々 の 側に 立った だけで も 優れて ゐ 

る。 この 作品が 自然主義 文學 の先驅 として 散文 精神 を 追求し、 社 會的现 想 性 

に充 ちて 登場した にも かか はらす、 極く 少数の 作品し かこの 途に緩 かな かつ 

たこと は、 明治 文學の もっとも 大きな 不幸であった。 この 作品に つづいて、 

さらに その 精神的 傾向と 社會 性が 發展 させられたならば、 明治 文畢史 ははる 

かに 多く を 成 架した であらう。 

『破戒』 に は 民衆への 愛の 精神が ひそみ、 その 意味に 於て、 無産階級 的 文 

學に 親近す る 部分 も 認められる。 

無お^^ 的 あるひ は 社會主 1^ 的- 舉は、 『破戒』 に 先立って すでに 幾らか 



414 



は發 芽して ゐた。 內田 不知 庵 は雜誌 『勞働 世界』 (大 K から 發 行され る) その他 リ 

に、 「暮の 二十 八 n J r 波枕」 「落 紅」 たど を 一 九 〇〇 年 前後 (明治 三十 年代 4 

初期) に發 表し、 一九 〇四 年 (三十 七 年」 に 到って、 木 下尙江 は長篇 『火の 柱』 

を 『平民 新聞』 に 書き、 次いで 『良人の 吿白』 等を發 表した。 しかし これら 

の 作品 は、 文舉 的に はかなら すし も 消化され てば をら す、 その 點に 於ても 

『破戒』 は歷 史的に 注目され る。 もとより 『破戒』 を社會 主義 的 文藥の 系列に 

兑る 要はたい。 ただ 「自然主義 作品と して この 作品 を價値 づけよう とする 批 

評が、 現在 も 幾分 行 はれて ゐる こと は、 少しく 見當 はづれ ではなから うか。 

自然主義の 後 を 承け た 最近の 日本 文學、 特 にプ n レタ リア 文舉の 上に は、 こ 

の 作に 盛られた 抒情詩 的な 感傷主義の 要素が 大いに 感得され る。」 (フユ リド 

マン) とい ふこと は考 へられる ので ある。 

この 作品の 主題 は 特殊な 階級 問題で あり、 從 つて 社會 主教 的で はな い が、 

それ を つらぬく もの は 人道的な . 民主的な 社會的 意欲で ある。 かう した 傾向 

は、 いづれ 初期の 無蔬 階級 的文畢 に、 何ら かの 形で 繼 承され たので はな かつ 



たか。 殊に、 被歷 迫:^ についての 愛と 絶び If: 的な 淚の 抗議 は、 初期 無產 階級 文 

舉の 性格 的 特徴と なって ゐる。 【- 破戒』 はプ 口 レタ リア 文舉 的で はない まで 

も、 例へば、 H ミ ー ル • ゾラが 示した 寫實 主義 文畢に ひとしい 程度に 社會的 

ではあった。 それに ひとしい 意味で 『破戒』 の 社會性 は先驅 的で あるし、 そ 

の 3^" 史的 位 S から、 後代の 文 舉に糙 承され た 諸々 の 遗產を 思 ふこと もで きる。 

作" i の先驅 性と 言へば、 , 破戒』 は = アリス テックた 文舉 形式なら びに 文 

• ず^の 點 でも 充分に 創造的であった。 一 ー紫亭 四 迷の 文章の 創造性と 獨自 

性に^ 歎して ゐた島 崎 氏 は、 『千 曲 川の スケッチ』 を經、 『破戒』 に 於て 一 

つの i<I みに 文 ilM を 築いた。 「充分に 言葉 を驅 使し つくして ゐる 最初の ものと 

して、 この S 篇小說 の 言語 配 si^ は 注目され なければ ならない C 藤 村 は、 新 文 

の 勝利 を あらゆる ところに、 しかも 絕體 的に、 保證 した 藝術 (凍の 一 人 

である。」 (フ H リ-ド マン) と、 at 似され た ほどで ある。 

新時代に 确應 すべき、 文舉的 傅統を あた へられて ゐ なかった 詩人 • 作家た 

ちが、 ならびに 1H 葉 を^ 造す るた めに、 いかに 苦しんだ か を 知る ものに :5. 



とって、 この ゆ ゑに 『破戒』 の 文章と 形式 は 見落せぬ ので ある。 

私 はまた、 私達の 新しい 文 舉が旣 に 四十 年の 腠史 を^って ゐろ ことに: 汪总を 向 

けたいと 思 ふ。 この 新しい 文 ゆやが、 言文一致の 蓮 動から 始められ たこと を = ^逃し 

て はならない。 當 時まで 私達の 國の 文學は 常用 語で は 文^作品 を?? 3 くこと が 出来 

ぬと いふ 樣な、 特殊な 格 律と 法則と に 縛られて ゐ たの だが、 この運動は私^!!!-の國 

の 文學を 古い 枷から 解放した のであった。 私 はこれ を、 私達の 新 文 の發 生と 進 

展とを 理解す る 上に、 最 重要な 鍵の 一 っを與 へる もの だと 考 へる。 垂 『破戒』 

の 序) 

あきらか なやう に、 こ こに は 島 崎 氏ら が 遂行した 文 il^f 革命 —! ひ い て は 文 

舉 革命が 語られて ゐる。 そして この やうに、 『破戒』 の 史的 意義 は 多面的に 

測られる のであって、 なほ 數々 の 事柄 を ひきだす ことができる。 

t 破戒』 がその 作品の 社會 性と 歷史 性に よって、 一 九 三 一年に ソヴ HI ト 



417 



譯 された こと は、 この 作 品 についての 新たな 關心を そそる。 さらに- ソヴェ 

1 ト 同盟で は、 いかに 『破戒 一 を 評價し たかを 知る の も 興味 的で ある,^ その 

ために、 譯 者なる フ H リドマンと いふ 人の 露譯へ の 序文 「破戒の 史的 意義」 

を、 斷 £:: 的に で は あるが 可能な かぎり 挿入した。 この 斷片 によっても、 幾分 

か はソヴ ェ ー ト 同盟に 於け る 評惯の 仕方が 窺へ る ことと S ふ。 



歐 洲文學 との 交涉 

明治 文舉の 一 過程 

1^ 想に 於ての 明治 文舉 は、 その 初期に あって はまこと に混亂 した 樣相 を见 

せ、 文 舉史を 持たなかった 當 時の 作家た ちが、 いかに 深い 痛苦 を 味 ひっつ あ 

つた かに 思 ひ を 及ぼさせる。 

その やうに、 明治 文學 は、 ほとんど これと いふに 足る ほどの 文舉的 傅統を 

持たなかった。 しかも新文舉の基^^としての、 资本 主義の あはた だしい 發展 

によって、 獨自な 文學的 性格の 生成 發展を 促された のであった から、 ここに 

何ともい へ ぬ 泥亂と 時代 的 痛苦が つきまとった。 從 つて ひとしく 痛感され た 

こと は、 時代 的 意味での 新しい 藝術的 方法の 確立と、 獨自の 文舉史 をみ づか 



らの 乎で 築かねば たらぬ とい ふ 自党であった。 

お ほかた、 八, n の 作 {| の それと は異 つた 今ん 味での、 创造 性に 關 する 作家 的 

苦愤 がそ こに はあった。 すべて を创 造した ければ ならぬ とい ふ自覺 と、 焦 立 

たしい そのための 校 索 は、 必然的に あらゆる 文舉 形式に 手 を 染めさせた。 ど 

の やうな 形式が、 もっとも 適切に、 その 感情 を 表現す るか を 創造的に たづね 

る こと。 今日の 作 {| にと つて は、 囘 想の 上 だけで、 さう した 當 時の 事情 は 知 

られ るば かりで ある。 殊に、 そのと き 新しく 生れた 形式の 一 つであった 新體 

詩 II 新 照 詩と 呼ばれた 新 詩形の 作品な ど を 見れば、 新時代の 精神 を 自由に 

表現す るに ふさ はしい 形式の 創造が、 そこで は 第 一 の 問題と たって ゐ たこと 

が 知られる。 形式の 創造と ともに、 言葉の 釗造も 行 はねば ならたかった ので 

ある。 散ズの 領域での 一一:: n 文 一 致の 提唱と 運動な ど、 すべて 同じ 欲求に もとづ 

くもので あった。 

このと き、 歟 洲文學 は、 すでに 時代の 新しい 精神. 新しい 形式 をと とのへ 

てゐ た。 



420 



私 どもの 囘 想に は、 ^l^崎氏ニ歲の 一 八 七三 年 C 明治 六 年) に は、 トル ス トイ 

の 『ァ ンナ • カレ 一一 ー ナ』 が 成った ことが 映って くる。 1 八 七 六 年に は ツル 

、ケネ ー フの 『處女 地』 が 生れ、 一八 七 九 年に は イプセンの 『人形の { 糸』 が、 

同じく スト リンドべ ルヒの 『赤い 部屋』 が それぞれ 完成した。 この こと は、 

何らの 文舉的 傳統を 持た なか つ た 明治 文學 にと つて、 大きな 驚きで あ つ た。 

それにつ いて、 島 崎 氏 は 次の やうな 感懐 を 述べて ゐる。 

ツル ゲネ エフの 一 父と 子」 -を 書いた の は 千 八 百 六十 年 だとい ふ。 して 见 ると、 

實際は 今から 五十 年 前で はなく、 六十 年に も當 る。 これ ゃ我國 のこと にして 兌る 

と、 丁度 萬延 元年と いふ や, つな 昔に、 學者で 言へば 安積 良 is とか 浮世 寮師で fi 一:: へ 

ば歌川!^芳とかの人達が世を:^^らぅとした頃に、 露 STfsi の 方に は 『父と 子」 の や 

うな 小說が 公け にされ て 多くの 人が そ プ」 を感赏 したと いふ こと は 一 寸^^かれる。 

, -ゥ. チンと かバザ 口 フ とかい ふやうな 人物が 露 西 作. 豕の 頭に 有った の は、 私な ど 

の 未だ 生れ もしない 前 だとい ふこと にも 驚かれる。 (「ル ゥヂン とバザ 口 フ」) 



21 



この 感 は 一 つの! であると ともに、 島 崎 氏ら が 通過して きた 途の、 作 

{汆 的 卞:: 痛 を も 一 百 紫 の裘に 語って ゐる。 

明治 文^の あけぼの は、 すっと 遲れて 後に 見られた ので ある。 中 江 兆民の 

『政 现: 談』 が 出版され たの は 一八 八 一年 (明治 十四 年) 、 同人の 『民 約譯 解』 

及び 外 山".^ 1、 井上 竹 次郞、 矢 E 部良士 :! ら 三人の 乎になる 最初の 『新體 詩抄』 

が屮 r 版され たの は、 その 翌年であった。 次いで 一 八 八 三年へ. 明治 十六 年) に は、 

坏. 2:^ 遙の 【該撒 奇談』 及び 中 江 兆お の 『維 氏 美擧』 が 出た が、 これと て、 

明治- 乂舉 の獨自 た 地般仏 J を 築く に は、 朱 だはる かに 距 たる ものであった。 

すで に 5: はお 園が 經驗 した 1^ 業 革命と 文化的 發展 は、 そのの ち遲れ てこの 

國に 反映した。 その^ 業 革命 は 一八 九 〇 年代 初期 (明治 二十 年 こ の輕 工業 

の それと、 一 九 〇〇 年代 初期 (一 二十 年代 末) の 重工業の それによ つて、 漸く 成 

された とず はれて ゐる。 それ ゆ ゑ、 この 國の 文化が、 一般に は 新時代に 適應 2 

する ための 史的 地般 ラど與 へられて ゐ たかった とい ふ 事情 は、 明治 文 寧 初期 ^ 



に 作品の 貧しい 姿と なって あら はれた。 資本主義 發展 に適應 すべき、 新しい 

藝術的 方法 の 確立と 文 學史の 形成 は、 だから 明治 文 寧に 課せられた もっとも 

中心的な ブ ログ ラムであった。 

この ことから して、 歐 洲文學 . 就中、 ロシア 文學 がしき りに 迎 へられ ふ 

かい 影 轡 を もたらした。 自己の 文學的 水準より 拔ん でて ゐる ところの、 あら 

ゆる 作品の あらゆる 部分から、 吸牧 すべき もの を吸牧 する こと。 モれら 作品 

の 精神的 傾向に、 ただしく 沿って 消化す るかし ないか は^として、 吸 牧の欲 

望と その 影響の ふかさ は、 明治 文學の 方向 をし だいに 決定 づける ための 大き 

な 要因と なって ゐた。 西歐の 十九 世紀 文學 のうちから、 特につ よい 關心を そ 

そって 寫赏的 精神が 移し 入れられ、 それが き はめて 特殊な 形で 消化され て、 

自然主義 文舉を 形づくつ たこと たど、 何れも 時代 的 欲求に 因って ゐる。 そし 

て、 西欧の 寫實 主義 文舉 が特徵 した 社會性 や、 さう した t= ^味での 現^性が、 

この 國の 自然主^ 文學 にあって は、 ほとんど 閑却され てし まった ことな ども、 

あはた だしく 獨自の 姿 をと との へねば ならなかった 明治 文畢 として は、 むし 



423 



ろ 4- し 方なかった ので ある。 與 へられた 文 畢史の 必然 は、 寫實的 精神 を內包 

した QI 然主 文學に 於て すら、 散文 精神 を 稀薄に しなければ ならたかった。 

外l^ズ學の移入にっぃて、 用 治文學 は、 消化の 仕方 あるひ は 影響の 形式 如 

何とか は、 むしろ 第二義 的な ことと して ゐた。 つまり、 それ を 顧る いとまが 

なかった ので ある。 ただ、 より 多くの もの を ひろく 吸牧 する ことに 於て、 き 

はめて 枝: g 的であった。 ゾラ、 フロ ー ベルから モウ パッ サン、 スト リンドべ 

ルヒ、 イプセンと、 そこに はす ぐれた 作家た ちが 並んで ゐる。 さらに ドスト 

エフ スキ ー、 ツル ゲネ ー フ、 チ H ホフが、 ときに-一 イチ H の 思想まで が 明治 

文 舉の內 部に は 立って ゐる。 

ここで 外國文 學と 明治 文 寧との 交涉 を、 その 鑼譯 された 幾つかの 作品 を 通 

して 一 竹して おきたい。 

その":? に、 先, づ 明治 文 學に 特徵 的な 位置 を 占める、 現 友 社に ついて 兑れ ば、 

その 結社 は 一 八 八 五 年 (明治 十八 年、 お 峰 氏 十五 鼓) で、 尾 崎 紅葉、 山 B 美妙、 

石!^ ら による ものであった。 硯友社 同人の 文章 改革 運動が、 何 ほどの も 



424 



の を 寄與し たかは 人の 知る ところ。 さらに この 年に は、 『小說 神 

隨』 及び 『當世 書生 氣質』 も 出版され、 漸く 明治 文學は その^ 礎 を 定かに し 

つつあった。 この 點、 外 國文畢 を 消化す るた めの 素地 も、 しだいに 成りつつ 

あつたと いふ ことができる。 . 

^^8崎氏の第 一 詩集 『若 茱壤』 の 上梓 は 一 八 九 七 年 (明治 三十 年) のこと で、 

この 詩 築 は 「遂に 新しき 詩歌の 時は來 りぬ。 そ はう つくしき 曙の ごとくな り 

き。」 (藤 村 詩集の 序) とい ふやう に、 まさに 明治 文舉の あけぼの を招來 した。 

私 は これら を もって 獨自の 文學的 性格 はつひに 成った と考 へる が、 獨自 性の 

生成に、 多く を そそぎこんだ 外 國文舉 について、 この 年までに 飜譯 された 作 

品の 主なる もの は 次の やうであった。 

明治 十五 年 外 山 > 井上、 矢 出 部 三人に よって 上梓され た 『新 S 詩抄.〕 にテ -I 

スン、 キング スレ, -、 ロング フエ ロ1-、 グレ ー ら の 譯詩收 載 ,- 

明治 二十 年 ツル ゲネ, -フの 『ルゥ ヂン』 二葉 亭 四迷譯 にて 『浮-裏』 と 題す。 



明治 二十 一年 ツル ゲネ— フの 『あ ひびき』 及び t めぐりあ ひ 一一 を 二 装 亭四迷 

,。 

明治 二十 二 年 譯 詩集 『於 母 影』 新聲社 同人の 手に て 成る = 譯文 流麗、 新しい 

言^の その 緒に つく。 

明治 一 一十 六 年 ドス * ト エフ スキ, 'の 『罪と 罰』 內 ra@: 庵譯。 

明治 二十 七 年 北 村 透み 『ェ マルソン 傳』 譯。 小金 井 喜 美 子、 レ ー ル モン トフ 

の 『浴 泉、 記』 譯。 

叨治 二十 八 年 ビ ン デルマンの 『ivl 譽 夫人』 小 余 井真 美 子譯。 

治 一-十九: 小 ツル ゲネ, 'フの 『片 戀』 を ニ卖亭 HI 迷譯。 



これ は 摘?^ である。 . 

しかし これ だけ. を 兄ても、 外 國文學 がいかに 迎 へられて ゐ たかは 知られる 

だら う。 .Is 崎 氏の 文 學的 道程 も、 これに 符節す るコ ー スを迪 る ものだった の 

である。 



A20 



交 涉の經 過と 形式 

文 學に 精進しつつ ある 人々 にと つて、 當時、 外 國文畢 の 原書 ゃ譯 Itl を 乎に 

して、 この 國の 文化が 遠く 及ばぬ ところに 接する ことが、 いかに 大きな 歡び 

であった か。 島 崎 氏 は、 この こと を 幾度 かその 作品に 書いて をり、 ダンテの 

『神曲 一 の 英譯本 を 手に したと きの 歡び は、 の赏の 熟する 時』 にも 齊 かれ 

てゐ る。 その他、 この 作品に は、 ゥ オルズ ゥォ ー スの 詩集 ゃテ H ヌの 英文 畢 

史に 接する 際の 氣持 など もしる されて あり、 譯詩棠 『於 母 影』 に收 めら れた 

ォ フ エリヤの 歌な どもうた はれて ゐる。 一 一葉 亭四 迷が ツル ゲネ ー フの 『あ ひ 

びき』 を譯 した ことにつ いて、 どうして、 あの やうに 柔らかく 細かい 言葉が 

組み立てられ たかと いふ 驚き を 語る ところ も ある。 

これ は、 外!; 文舉 消化の 一 過程で ある。 そして 『破戒』 が ど, こかし らド 

スト H フス キ ー の 〔罪と 罰』 に 似通 ふて ゐる こと を、 私 は それ を 護んだ 節 ひ 



427 



そかに 感じた。 どこか しら 似通 ふとい ふの は 作品に ひそむ もの の 印象で あつ 

て、 どの 部分 どの 部分と いふので はたい。 後に、 正宗 白鳥 氏の. 『島 崎 藤 村 

論』 を諫ん でみ ると、 正宗 氏 もさう した 感じの ある こと を 述べて ゐた。 また 

L, 千 曲 川の スケッチ』 は、 ツル ゲネ ー フの t 獵人 日記』 に 共通す る もの を 含 

んでゐ る。 

去る 五月 末 ( I 九 三 五 年の こと ノ- 私 は 生地の 上 州 前 橋から 小 諸 町まで 行った 一 

その 途次、 雄 氷^ を 越えての 列車の 窓から 展 される 高原の 美し さ を 快く 見 

たが、 おそらく、 かう した:? 原 地帶の 生活 は 『獵人 日記 一 などの ロシア 的 虱 

lii を 頭の なかに させる。 まして 島 崎 氏が 小 諸 町に 住んで ゐ たの は 三十 年 

も 昔の ことであった から、 その 頃の 高原 地^ は、 いっそう シァ的 風景の 趣 

をと どめて ゐ ただら う。 私 は 島 崎 氏の ツル ゲネ ー フ へ の 近似す る 傾向 を、 自 

然 のこと と 思った」 これ は、 テェヌ のい ふ 土地と!^ 境の 問題で も ある。 

『〔水-一 に 寄せた 序文で、 屮澤臨 川 氏 は ツル ゲネ ー フと島 崎 氏の 相似 性 を 次 

の やうに 言って ゐる。 「生活の 狀 態から 感情の 發 露まで よく 似て ゐる。 作風 



42S 



に 就て 見ても、 兩者 とも リアリスト であり 乍ら、 心底 は 詩人で ある。 その 作 

風は努めて平明に赏人生の描^:^を狙ひ、 九分まで は M を 以て 1^3^ をうな づか 

せる が、 殘 りの 一分 は 感情で 袖って ゐる。 それが 缺點 でも あれば 特徴で も あ 

るピ しかし 『(糸』 は、 非常に 獨自 的な 作品と 考 へられる のであった。 それ 

よりも 『春』 こそ、 その 情感の 流露に 於て、 ツル ゲネ ー フに 近似す る 作品で 

はないだら うか。 (註) 

ここで、 中^ 臨 川 氏の 言 ふ 「九分 は眞。 一部 は 感情」 とい ふ點を 見て おき 

たい。 この こと は、 ツル ゲネ ー フの 『處女 地』 と 島 崎 氏の 『家 i との 間に 相 

似 性の あるな しに 關 りなく、 その 主情的 傾向に 於て なほ 一 面の M 赏を 含んで 

ゐる。 おそらく、 この 點に、 共通す る资 質の 二人の 作家が 見られる だら う。 

.si- 崎 氏の 初期の 作品が、 到る ところに 詩的 特性と しての 主 情 性 を あら はし 

てゐ たこと は、 一 つの 過渡的な 型 態に 他なら なかった が、 同時に、 ここから 

藤 村 的 リアリズムの 特徴 は發 して ゐる。 しばしば、 島 崎 氏 は 主情的な 服く ば 

り をした 作 {| である。 どれほど 些少な 事柄 も、 おろそかに はせ ぬと いふ リ了 



429 



リ ス ト としての きびしい 態度と ともに、 詩人 的氣 質から 流れる 主 情 性 は 作品 

に 靑感の ひびき をった へた- ツル ゲネ ー フ もさう である。 しかし この 傾向 は 

むしろ 『破戒』 や 『春』 に 著しい のであって、 『家』 は 主 情 性からの 脫出を 

^0^圃し つ つ 、 島 崎 氏 の 文學 道程に 於け る 轉換を 試み る もので あつ た。 

人生の y ;。 ::: これ を リアリストが 捉 へようと する の は、 その 對 象が 何で 

あるか は^として、 作家の 內 部に ひそむ 誠實 さで ある。 ツル ゲネ ー フが、 當 

時の 口 シァ での 中心的な 社會 問題 や、 農奴解放 について 多くの 言葉 を 費した 

の は、 その 木質に 於て 廣ぃ 社鲁的 見地に 立って ゐ たからで ある。 眾に リア リ 

ストと して 「父と 子』 や 『處女 地』 を 書いた ので はたく、 どこまでも それ は 

誠 *K な 作 {| 的 態度に よって ゐる。 かう した 誠實 さが 同じ やうに 島 崎 氏の 態度 

を つらぬき、 ツル ゲネ ー フ への 愛が、 自然に 醸し だされた のではなかった か- 

その やうに 考 へる とき、 二人の 作家の 相似 性 は 見事と される の だ。 

さらに ツル ゲネ. 》 フは、 リア リス テックな 描寫 によって 對象を 究めつ くさ 

うとした ばかりでなく、 ときに その 感情 を もって、 對象 そのもの を 昂揚 させ 



43。 



た。 これ はお そらく 著しい 特徴で ある。 そして^^崎氏も、 しばしば その 主 

性 を もって 對象を 昂揚 させた。 これ は、 作 { 豕的资 質の もっとも 共通す る 部分 

で あり、 その 背面に はい 、、つ れも 詩的 特性が 流れて ゐる Q であった。 

ともあれ、 ツル ゲネ ー フゃ ドスト H フス キ," の 作品へ の接觸 は、 獨自 的な 

消化の 仕方 をと ほして、 島 崎 氏の 世界に、 よりよ きもの を 多分に もたらした。 

それ ゆ ゑ 島 崎 氏に とって、 かって 親しんだ 作家 や 作品 は、 忘れが たい ものと 

たって ゐる。 外 國文舉 を 消化して 獨自の 世界 を展げ るに 到った 後 も、 なほ 血 

液 的た 親しみが そこに 感じられて ゐた。 

ツル ゲネ エフと 言へば、 私達が 英譯で 初めて あの 露 g! 亞の小 設家を 知った 頃の 

靑年 時代の 記憶と 引き はなし て は考へ られ ない くら ゐだ。 若かった 日の 友達 仲 問 

で ツル ゲネェ フの愛讀^!^;でなかったものはなぃくらゐに、 私達 は あの 色の^ 紙 

のつ いた ニ册の 『獵 入の 手記』 などに 讀み 耽った こと を, & えて ゐる。 私 は 友達と 

集って 『處女 地』 や 『父と 子』 に 就いて 語り合った 靑年 時代の 感激 を 今 も »K あり 



431 



ありと 5^ ひ 起す ことができる。 1 「ル ゥ. チンと バザロ フ」〕 

これ は 感想 集 L 飯 八お だより』 に牧 めら れた 「ル ゥヂン とバザ ロフ」 の 中の 

1 節で ある。 かやうた 2: 想 を ひさしく 與へ ると は、 いかに 外 國文舉 が 島 崎 氏 

らに ふかい 感化 を 及ぼし たかを 語る ものである。 いはば 明治 文舉 は、 外國文 

學 の周圃 をめ ぐる ことから 自己の 仕泰を はじめた のであった。 その 周圍 をめ 

ぐり、 これ を rm 化しつつ、 獨自の 文學的 性格 を 形づくって 行った ので ある。 

な 崎 氏 は その 基本的 態度と して、 つねに リアリズムの 途を迎 り、 社,^ 的自 

覺を 多分に はっきり させて ゐる作 (糸の 一人で ある。 この ことから して、 外國 

文舉 の^ 化に あたっても、 き はめて 包括的な ひろがりと 社 會的關 心の ふかさ 

を 示した。 ルッソ. ォの IT 傲 悔錄』 についての 兒解 がさう であり、 ツル ゲネ ー 

フの 『ルゥ ヂン』 に對 する 見方が さう であった。 ブランデスの 『露 西亞 印象 

記』 についての 見解 も、 これと同じ 態度に ある。 

ブランデスの 『露 西亞 印象 記』 について、 島 崎 氏 は文學 作品の 社會的 性格 



432 



を捉 へようと し、 「ブ シュ キン ゃゴォ ゴリゃ ドスト ニフス キ ー や、 一方に 於 5 

て はへ ルツ H ンゃ ツル ゲネ H フの 立脚した 位置 を 知り、 又、 平 尺の 中へ 行く ,マ 

人達の 行方 をし の ぶこと が 出来る。」 C 「露 西亞 印象 si」 と 一一: 一 n つて ゐる。 

この 言葉の 意味す る やうに、 外國文 學に對 して それの 內包 する 社. W 的 性 

格 を 求めつつ あった こ,:^ は あきらか である。 ここに、 自然主義 文畢 の、 他の 

作家た ちと は異 ると ころの 高さが ある。 『千 曲 川の スケッチ』 が 農 1- 生活と 

その 勞働を 克明に 描き、 『破戒』 が 封建的 観念に 抗議して 被 壓迫暦 一般の 痛 

苦 を 述べた ことな ど、 外 國文學 の 感化 ありと いはれ る これらの 作品 は、 何れ 

も 眞摯な 社 會的關 心に もとづ い て 書かれて ゐ る の で あ つ た。 

註、 中 川 臨 川 氏が 『家』 に 寄せた 序文に、 半面の 事實 として ツル ゲネ -フ との 共 

通性 を 見るべき こと を 忘れて ゐる。 『家』 に 於て、 島 崎 氏 は その リアリズム を 

定かに しつ つ 主情的な ものの 流れ を 全く 否定し ようと 試みた のであった C 「『家』 

を 寄いた ころ、 自分の 氣持 として はも はや 外 國文學 に ついては 考 へて ゐ なかつ 



た。 それから は、 すでに 離れて ゐた つもりで ある。」 とい ふ 意味の こと を、 島 

iS? 氏 は 一 九 三 五 年 秋 言 はれた が、 これに 尤もで あると 思 はれる。 

社, 5" 的 作品の 消化 

氏の 人 ii 的 態度 は、 重苦しい までに 眞摯 であり、 その 作品 は、 リア リ 

ス テックな 藝術的 方法 をと ほして、 生活 的 現實に 迫って ゐる。 

この ことから して、 ときに 作品 は 振幅 度 を 大きく ひろげ、 社 iSE 的 現 實にま 

で關聯 した。 

ある 個人の 生, 活 相 を 描いて、 それが、 やがて 社會 的現實 にまで 轉 化して 行 

つたと いふ 兒 るべき isll- 情 は、 誠實な リアリストが 享け とる ところの、 一 つの 

特楠 L4In へる。 主题が 社^的で あるか 個人的な もので あるか は、 ひとしく 實 

際の が 柄に ついて たければ s:^ 味 をな さぬ が、 個人の 生活 相 を 描いて た ほ 社 



434 



會 性を帶 びた とすれば、 それ は侗 人的な もの も、 全 1^ として 社會的 見解に よ 

つて 支 へられて ゐ たからで ある。 かう した 事ー贫 が、 島 崎 氏の 作品に は 幾度 か 

あら はれて ゐる。 

作 {¥ 的 世界 をより 璺 かにす るた めの 社 會的關 心 は、 外 國文學 に 接する とき 

いっそう 著しかった。 イプセン や モウ パッ サンに 關 する 島 崎 氏の 言 藥は. い 

つも、 個人の 生活 相に 普遍され る 社 會性を 求めて ゐ たし、 小? S 町に 在った こ 

ろダ ー ウィン の 進化論 を 請んで、 雲の 硏究 をした とい ふの も それで ある。 

ィプセ ンは 時代 を捉 へる のに 巧な 人であった とはいへ、 その 筆 は 人: の 虚偽と 

眞實と を 示さう とすろ 方に 多く 傾いて、 二つの 時代の 爭 ひに 對 しても その 點 にの 

み 作の 焦黏を 求めようと はしなかった ので あらう。 

七十た 小の 長い 孤獨 をつ づけた ィプ セ ンが 『ブラ ンド』 あたりから 出發 した 心 は 

先づ この 虚偽 を排 する ことであった。 その 股は單 なる 多數 とい ふことの ために K 



435 



まされなかった。 「成程 ク々 數 にに 力 は あらう。 しかし、 yi 理 はどう か。」 期う 疑 

つて: :3- る ほどの 詩人 が 唯少數 の ものの 友と してあった こ と 想像す る に 難くない。 

(「四つの 問 题」〕 

これらの 感想 は、 人生 的 欲求 を きびしく して ゐる 作家の、 さながらの 誠實 

さ を 一; 小し、 私 どもの 前に あらためて 時代と 人間的 3 與赏の 問題 を 提出す る。 時 

代の 動きに ともな ふ、 古き ものと 新しき ものの 內部 的な 葛藤 も、 所詮 は 人間 

的^み によって 支配され る だら うとの 考へ 方が ここに あり、 歷史を 一 貫して、 

人閒的 は 追求され ねばならぬ とする 作家 的 決意が 燃えさ かって ゐる。 島 V 

崎 氏の やうに、 明治 初年に 生れて 時代の 波立ち を 一 つ 一 っ經驗 してきた 作家 

にと つて、 この 被の 決意 はまこと に ふかい 眞實性 を內容 して ゐる。 古き もの 

と 新しき ものの 相剋が、 ときに どれほど {4! しい 悲劇 を 織りな すか は、 幕末 か 

ら 明治 年代へ かけての 歷史を 罔 想す る だけで も歷 然とす る。 人間的 眞實を 追 6 

求しょう とする,; S 晴 氏の 意思に は、 おそらく、 その 歷史の 動きが 反映して ゐ 4 



るので あらう。 

イプセン について、 その 社.^ 的 傾向の 內 部に、 「人生の 虚偽と 伐」 を 兌 

ようとした Q は、 ^19崎氏が誠贲た作{糸的態度をと つ てゐ たこと に 因る。 

誠 lis: た 作家が、 お ほむね 社 會的關 心 を 著しくしつつ、 人生 的 問題に ふかく 

觸れ たの は、 社 會發展 の 方向と 人 Si 的營 みの 軋 蝶が、 つねにい 5 代 的た 特徴 を 

帶 びつつ 繰り かへ される i^H 貧 を 知る からで ある。 11: じ やうに、 この こと を 知 

覺 した 島 崎 氏 は、 ィプセ ン の文學 について 實性を 求める 意思 を 披瀝した。 

北歐の 作家が 追求した 事柄 は、 遇れ て 生れた 島 崎 氏の 胸に、 土地の 距 たり を 

越えて 實感 された のであった。 

それにしても、 社會的 作 〈I について、 なほ 虚偽と 眞. K に焦點 をお いて 見る 

とい ふ 態度 は 特徴 的で あり、 そこに 一定の、 見解の 廣 さと 狹 さが ある。 

時代と 時代との 葛藤ない し 階級 的 軋 機 も、 誠 實な作 { 氷 にと つて —— この 場 

合に は、 虛僞 と眞赏 に關聯 しての み考 へられて ゐる こと は、 それだけで、 す 

でに 見解の 內部 にある 矛盾 を 感じさせる。 それ は 純 粹に歷 史的. 階級 的な 事 



437 



柄で あるよりも、 虚偽と 露 貧に 關聯 した、 人生 的な 問題の 一 つ, こして 考 へら 

れてゐ る。 この やうな 兄 方 は、 つまり 一 つの 狹さ ではない か。 ところで、 こ 

れを 逆に 言へば、 一 つの 廣 さとい ふこと になる のであって、 作.:!^, 的誠實 から 

虚偽と 實 について 考へ、 ここから、 歷 史的 葛藤ない し 階級 的? si に 觸れて 

一:;: つたこと は、 まことに 美しい 作ク A 的 業績な の だ。 

作品の 世界が、 主として 生活 相に 卽 して ゐる作 1¥ の 社會性 は、 ひっき やう 

間接的で ある こと をまぬ がれぬ。 島 崎 氏の 社 會的關 心と その 限界 性 も、 だか 

ら 幾つかの 作品 を 見れば あきらかに 知られる。 しかもな ほ、 虚偽と 眞實を 追 

求す る きびしい^ 思と 誠實 さから、 社 會的關 心 は 不斷に 作品の 內 部に 流れ、 

ときに 對 象の 核心 を衝 いて ゐる。 

不思 5^ な、 暗 mi な、 しかも新しぃ^^^^;を吾^の前に彷彿ぜしめるゃぅな、 あの 

モウ バッ サンの 小說 は. g 何な ろ兑 方に よって S かれた もので あるか。 是は讀 者の 8 

知りたい と 思 ふこと であらう。 モウ パッ サン はいかに 人生 を 表示すべき かを言 出 4 



して 來て、 思 はず 入 生 そのもの 1£i り、 いかに rpj を 表示し べき か、 それ を 9 

言 はう として、 思 はず 『眞』 其 物 を 語って ゐる。 (「モウ ペッサ ンの 小?^ 論」、 4 

人生の ISIS: を 求めよう として、 外 國文學 について 語る 島 崎 氏の 一一 一一 口 紫 は、 こ 

こに 要約され てゐ る。 これが 作" 2 の 社 # 性の 根柢で あり、 眞 f 孓な作 (K 的 態度 

と、 人生 鑑 (A のきび しい 意欲 を あら はした ものである。 

交 涉の 深化 

外國文 學に對 する 關心 は、 ぉのづから^^3崎氏の仕事に肉體化されたばかり 

でな しに、 その 感想文の 到る ところに、 數々 の 总 見や 作 〈农 論が 害 き とめられ 

て ある。 どれ だけの 作 { 夂に關 心し、 どの やうな 傾向の 作品に より 傾倒した か。 

五つの 感想 築から、 その 主なる もの を 摘記して みる。 



『新片 町より』 

吾^:;:^^性の缺點。 ルゥ ゾォの 『8g 侮』 中に 見出した ろ 自己。 モウ バッ サン。 ィ 

ブ センの が- A^。 モウ パッ サンの 小設 論。 

『後の 新片 町より 「 

ボ ゲ リイ 夫人。 モ パッ サンと トルストイ。 ォスカ ァ. ワイルドの 言葉。 露 西 

!0i 印^ 吒 ,:::.£劇 場に 就ての 感想。 文藝の 生命。 

『飯,^;5だょり』 

胸 を IS け。 回想の セザ ンヌ。 ルゥ- チンと バザ ロフ。 トルストイの モウ パッ サン 

論 を^む。 二、 三の 事赏。 昨日、 丁ば M^。 パスカルの 言葉。 

『:^^>ノ待ちっっ』 

n 外:。 愛。 トルストイ の晚 年。 ドスト イエ フス キイ ー のこと。 四つ の 問题。 フ 

ラ ゾ: ゾス. ジ ャゾム の 言 紫。 カァ ライルと ホ ヰット マン: 愚と 惡。 都會。 老年。 

チェ ホフ の 三 入の 姉妹。 スト リンド ベルクの 童話 集。 思.^-と入物。 ブゥシ キンこ 

そ 吾々 の?? バ師 である。 入 形の 家を讀 みて。 

『市并 にあり て』 



44< 



言 紫の 術。 繩。 

斷片 的に は、 その他に も數々 の 感想が ある だら う。 

外 國文學 について、 ここに 擧 げた ほどの 作 {| や 作品に 親しんだ、々 ま、 ナ 

つして 珍ら しとせ ぬ。 ただ 島 崎 氏が、 これらの もの を 消化し つくさう とし、 

その 關心を 仔細に 感想文にまで とめた 態度の 3m 擎さ は、 他の 作.:^ たちに 比し 

て 際立って ゐる。 殊に 明治 文學 は、 外國文 舉に對 してき はめて 受動的で あり、 

その 一 過程と して 歐 風化の 傾向 を呈 した ほどで あつたが、 このと き、 崎 氏 

はすで に それ を獨自 的に 消化しょう としたの であった。 外 國文學 から 械 取し 

た糧 は、 それが 感想文にまで 書き とめられた とき、 早く も 崎 氏の 文 舉の粒 

と 化して ゐる。 

「その 思想に 於て はク a ボト キン を 取り、 その 人物に 於て はバ クウ 二 ンを 

取る と 1W つた 人 も ある。 思想の 混^ は、 そもそも こんた ところに 始まる もの 

ではなから うか。 クロポトキン の 人物からで はなしに、 どうして ク ロボ トキ 



441 



ンの 思想が 生れて 來 よう。」 (「思想と 人物」) とい ふ 見解 は、 幾分 か 狭量で は あ 

らうが、 獨 d 的に 對象を 消化し、 みづ からの 世 を この 土地に 築かう とする 

ものの ii::- 思の 美し さで ある。 この 點に、 外國 文學に 接する に 際しての あきら 

かな 態度が あった。 それ ゆ ゑ 感想文の 數々 は、 文學の 新しい 糧 として、 私 ど 

もの 乎に される だけの. 2: 容を あた へられた ので ある。 

すでに ドスト H フス キ ー や ツル ゲネ ー フ の 作品な ど は、 多くの 人々 によつ 

て 消化し つくされ たかに 言 はれて ゐる。 Bi- して、 さう であらう か。 むしろ、 

それが どれ だけの 深さ 確か さ e 消化され たかと 言へば、 これ はおよ そ 疑問 一 じ 

ある。 して 、ドスト H フス キ ー 1 人で も 消化し つくした やうな 文舉が 生れ 

ただら うか C この 味から して、 明治 文舉の 欧洲 文 學に對 する 驚き は、 なほ 

本質的に は、 今日にまで 持ち 來 たされて ゐる ものの やうに 思 はれる。 

「早吞 込 をす る讀 者に 言 はせ たら、 あるひ は モウ パ ッ サン の 小說. i など も 

左程め づ らしい もので はない かも 知れない。 今 は露怫 最近の 作家の 消息 さへ 

雜誌に 新聞に 傅へ ら るる 程の 時世で ある。 しかし. J^i:: 倚の 残念に 思 ふこと は、 



442 



ゾラ の 努力つ」 さへ 未だ 充分に 知悉され て 居らぬ。 あまりに 早く 老いる: と 

思 はれて ならぬ。」 (「モウ. ハッサンの 小 說論ヒ この 意見 は、 この 作 {.J^ が 外國文 

との 交涉 から、 すぐれた 作品 を 賨に 消化し つくし、 それによ つて 獨自の 

文舉を 築かねば ならぬ とした 一 つの 態度 を 思 はせ る。 そして、 次の 作 {农 から 

次の 作家へ と、 消化し きらぬ まま 移り 氣 する 傾向, へ の !^吿 である。 

外 國文畢 との M の 意味に 於け る交涉 は、 實は相 •F.:.: 的な 交流 をい ふので あら 

う。 相互 的な 交流に 到って、 交涉の 形式 は それぞれの 獨自性 を 示しつつ、 完 

きものと たる わけ だが、 しかし この 國の 文學 が、 外 國文畢 と 交流す るに 到つ 

たの は 比較的 最近の ことで ある。 模倣、 感化、 影響な どと いふ、 受動的な 交 

涉の 仕方が、 ひさしい 間 つづいて ゐ たのつ」 あった。 

それにつ いて、 島 崎 氏 は r トルストイ にせよ、 イプセン にせよ、 一般の 眼 

に はま だ幽靈 だ。 吾 倚 はもつ と Si; 一 船の 正體を 見届けねば たらぬ。 l^: 倚 は •々 

物々 現代の 西洋に 接觸 しつつ あると はいへ、 まだ 間接た る こと を 免れたい。」 

(「黑 船」、 と 言って ゐる。 



443 



く, 外 國文舉 との 交流の 時期 は、 島 崎 氏の 仕事の 上に もめぐ つてき た。 

その 一 つ は 一千 曲 川 旅情の 歌」 の フラン ス譯 で、 これ は佛 人ァグ ノウ エルと 

いふ 人の 手に より、 雜誌 『明星』 に譯 載され た。 (註 一) おそらく、 それ は 

「千 曲 川 旅情の 歌」 が、 島 崎 氏に とって 純粹な 作品であった からだら う。 

次いで は 一」 新生』 の 支那 譯 及び、 一; 破戒』 のソヴ H 1 ト譯 である。 (註 二) 

『破戒』 の譯 *? は、 ソヴェ ー ト 同盟の フ H リドマンと いふ 女の人で、 今に 

到って 『破戒』 が 紹介され たの は、 その 主題が、 歷 史的に 見て 著しく 镜極的 

な ものだった からで ある。 それと ともに、 この こと はソヴ H 1 ト 同盟の 文學 

が、 ? s^:^ しつつ ある こと を 窺 ひ 知らせる もので はない か。 自然主義 文舉 擡頭 

の n に、 ひとり 社會的 觀點の 高さ を 誇った この 作品 は、 今にして、 そのよき 

^解^の 一 人 を 兄 出した ので ある。 , 

譯 者の H ヌ. フ H リドマンと いふ 人 は、 ソヴ HI ト譯 『破戒』 への 序 「破 

戒の 史的 意 i^ll とい ふ 文 -fiM の 末 に、 次の やうた 言葉 をし るして ゐる。 

rn 木 文 舉の屮 で、 極めて 切赏 な社會 問題 を 取り扱った 作品 は餘り 多くた 



444 



い。 , 娩近は 殊に、 その 大部分が 狹ぃ 心理主義の 道へ 歩み 去って しまった。 そ 

の 行 きづまりから、 脫 出しよう とする 種々 な 思潮 さへ も、 文率を社^的^5^要 

性の 方向へ は 導び かなかった。 最近 十 年間に 發 達した プ レタ リア 文 率が、 

初めて^の 道、 卽ち藤 村が 力強く 端緒 を 開 いた 道 を 取る やうに なった。 そし 

て 作品 を 深い 社會的 內容を 以て 充 たし 始めた。 併し、 XX 問 题は个 口までに 

全く 成長して、 プロレタリア 文畢 も、 あらためて 取り あげない までにな つた 

ので ある。」 

。シァ の 作家た ちに 血液 的た 鋭し さで 親近した 島 崎 氏に とって、 この こと 

は 感慨 ふかい ものが あらう。 

a 1 、 フラン ス譯 された 「千 曲 川 旅情の 欲」 は、 感想 集 『市井に ありて』 に收め 

て ある 

驻ニ、 『新生』 の 支那 譯 は 一 九 二 A 年 (昭和 三年) で、 譯者 は徐駔 正と いふ 人で 



ある。 これに は 島 崎 氏の 年譜 も 添へ て ある。 その他、 この 人 は 『春』 及び 「三人」 

-.-s^ して ゐる とい にれ る。 



7 

, 4 

4 

ロシア 文學 との 關聯 



明治維新 を 境と する 新時代に 入った とき、 時代の 人々 は、 多 かれ 少 かれ 政 

治への 情熱に 憑かれた。 文擧 もお よそ 二十 五 年 問 さう した 倾向 をと り、 それ 

は 政治 文學 とさへ 呼ばれて ゐる。 しかし、 その やうに 直接的な 政治への 關心 

は、 それだけで 文學の 高さ を 築く ものではなかった。 文學 するとい ふ 欲求よ 

り も、 もっと 直接的な 意圖 がそ こに は 包み こまれて ゐ たからで ある。 

明治 文舉 が、 その 初期に 創造の 苦惱 とともに 感じた 別の 苦惱の 一 つ は、 政 

治と 文舉と の關 係に ついて であつ たらう。 文舉は 何ら 政治的 テ ー ゼ ではたい。 

そして 作家 的 仕事 は、 何としても 一 つの 特異な 资質 である。 ロシアの 作 {| た 

ちが、 政治問題 ゃ社會 問題に ついて 多くの こと を 語った の も、 これ は、 けつ 



して 政治的 テ ー ゼ としてで はたかった。 その 作家 的誠赏 さが、 社會的 現赏の 

底 ふかく 立ち 向 はせ、 it- 想す る 精神 を 語らせた ので はたかつ たか。 この こと 

は、 ロシア 文 舉の 時代 的な • 俊 位 性であった。 

崎 氏の やうに、 人生 的 MiK を 追求しょう とした 作家に とって は、 だから 

口 シァ文 ^は 血液 的な 近 さで 親しかった。 クロ ボト キンの 『口 シ ァ文舉 . そ 

の 理想と 現 *^』 について、 しばしば 肯定的た 關心を { 否せ たの は、 その 社會學 

的批 のうちに、 美しい 精神 を 汲みと つたから なので あらう。 

ロシア 文舉 のうち、 ツル ゲネ ー フ、 トルストイ、 ドスト H フス キ ー の 三人 

の 作 〔来から チ H ホフの 藝 術まで、 島 崎 氏 はふ かい 關心を 寄せた。 從 つて、 n 

シァ文 s$i- との 關聯に 於け る 島 崎 藤 村、 とい ふ メモ を さらに 分類し、 それぞれ 

四 人の 作 との 關聯に 於け る 島 崎 藤 村、 とい ふ メモ をと る こと もで きる C 總 

じて、 これらの 作 たちから 攝 取した もの は、 社 會的現 赏に對 する 作家の 態 

度と もい ふべき Is- 柄で ある。 生活の 實 相と 社會的 現赏 との 關聯 を、 何ら かの 

形で あきらか にすべく、 その 方向 を 口 シ ァ文舉 のうちに 兑てゐ たので ある。 



448 



そして、 それら ロシアの 作.: たち は、 具體 的に は 何 を あたへ たか。 

トルストイ は 誠寳た 人生 探求の 態度 を。 ツル V ネ ー フ について は、 社.^ 的 

問题 並びに 農.^ 解放に 關聯 しての 被 壓迫歷 へ の關心 を。 ドスト H フス キ ー は 

愛と あはれ みの 精神 を。 , -—- およそ、 これらが 島^ 氏の 欲求のう ちに 融合し 

て 行った。 

ツル ゲネ I フ との 親近 

ツル ゲネ, -フ が、 島 崎 氏の 文舉 に賦與 した ものの 內容 は、 複雜 多岐に 互つ 

てゐ る。 社會的 觀點の 高度 化に ついて。 悲哀に ついて。 自然につ いて。 -11 

. 先づ、 この やうた メモ をと る ことができる。 

現赏の 動きに 身 を ささへ、 ここに 自己の 文舉を 育てよう とした 島 崎 氏の 生 

活 する 意思 は、 そのこと によって 多分に 悲哀 を 感じた。 「北極の 架なる 太陽 

の ごとく やがて 紅く してし かも 凍り 3^ つる 唯 一 の 石に 過ぎない であらう と は、 



449 



よく^が 心 胸の 歎き を 言 ひ 現 はした ものであった。」 (『海へ』) とい ふ 風 

に、 フラ ン ス へ の往 の 航海 をし るした 『海へ』 の 一 卷は、 實に、 意思 的な 

悲哀の 吿. e: もしくは 追 ひ つめられた 心情の 獨. H と 見て よい。 さう いふ 風に し 

て、 氷片の やうに 結晶した 「北極の 架なる …… 」 とい ふ 言葉 を 見る と、 そこ 

に 傷まし いひび きが 感じられる。 

もともと、 ^^3崎氏は意思的に悲哀する人ではたかった。 何より、 悲哀の 感 

情 は 歌 はねば ならぬ とい ふ、 詩的 凍 質から その 文舉は 育てられて をり、 それ 

が やがて は、 悲哀の 實相を 苦々 しく 嚙 みくだくべく、 外部 的に も內部 的に 强 

is- される に 到った。 そして、 このと き、 歌 を 叫びに 代へ る ことので きぬ 島 崎 

氏 は その 歜聲 を斷ち 切った。 「情人 を 愛する ごとく、 私 は 詩 を 愛し、 情人に 

^るる ごとく 私 は 詩 に^れた ピ (「三人。 處 女の 序」) と、 これ は 悲痛であった。 

^:^的情感を^殺し、 情緒 的な ものの すべ て を 否定し なければ ならぬ こと を、 

セ活の 現 赏は經 験 的に 示した ので ある 

この やうた.^ 部 的!^ 化から、 悲哀の 浪漫性 は、 しだいに 意思の 悲哀にまで お 



押し つめられた。 さう した 推移 を 暗示した 作品が 『春』 であって、 この 作品 

に は 浪漫的 精 祌 とともに 過剩 する 意識が あり、 それが 次々 に衝擎 される こと 

によって、 內部 的た 痛 ネ:: と 扳亂が ひき 起されて ゐる。 『春』 につ-いて、 だか 

ら、 n マン チ シズム から リア リズ ム へ の 移行 を 暗示す る 作品と いった だけで 

は 足らぬ。 いっさいの 變化 は、 浪漫的 自我の 陷 つた 痛苦が、 ^!总出心ハ%-ぉにま 

で 凝結して 行く 過程に 起った 現象と いはるべき であらう。 

この やうな 痛苦の 發生 は、 はやく 「千 曲 川 旅情の 歌 一 に る ことができる。 

遊子の 思 ひに ただよ ふ 憂愁の 色 は、 おそらく 一 つの 情緒 だけによ る もので は 

ない。 もっと 甘美な 歌 か、 もっと 浪漫的な 情緒 をうた ふこと も 詩人に は ゆる 

されて ゐる。 それ を 歌 ひきれ ぬ だけに、 島 崎 氏の 內 部に は、 暗 な ものが 堆 

精し はじめて ゐ たので ある。 

變轉 する 社 會的現 實に從 つて、 島 崎 氏 も、 その 生活 をめ ぐって 暗 8^ な もの 

の數々 を兑 た。 それ ゆ ゑ 浪漫的 悲哀の 意思 的な 悲哀への 結晶 過程に、 情感の 

切ない うごき を そのまま 反映して、 「千 曲 川 旅情の 歌」 はうた はれて ゐる。 



451 



ここから、 ^^9崎氏の文畢は、 リアリズム へ 移りつつ 意思 的な 悲哀 を 絢 ひこん 

だ。 七ギ ii の 小 諸 生活から 東京へ 移った ばかりの 時期に、 いかに 苦悩し、 い 

かに 痛^ を 味つ たかは、 三人の 子供の 死、 やがて 妻の 死と、 『芽 生』 その他 

の 作品が 息づ まる ほどの 事柄 を 描いて ゐ る。 

これらの 痛苦から 結晶した 意思の 悲哀が、 再び ほぐれて 『生 ひ 立ちの 記』 

などに 到る までの 問に は、 並々 ならぬ 苦しみが その 生活 を充 たして ゐた。 

この やうに して、 結晶し きった 意思の 悲哀 を、 仔細に しるさう としたの が 

〔海へ 』 だら う。 「長い こと 觀察は 私の 武器であった。 私 は それ を もって 世と 

載って 來た。 けれども、 一切の 身に ついた もの を 捨てて、 心から 深い 深い 溜 

息をつきに 来た 私 は、 その 最後 Q 武器まで も 投げ出さなければ 成らたい やう 

にたった 」 - 「海へ』) 

これ は、 疲れ はてた 心情の 吿白 である。 

ク a ボト キン は その 著 『II シァ 文畢. その 理想と 現 貧 1 で、 ツル ゲネ ー フ 

について 1 百って ゐる。 「彼の 作品 は、 全體 として 叙情詩の 印象 を與 へる。 そ ^ 



れ だけ ツル ゲネ ー フ 自身の 個性が、 その 作 中に 現 はされ てゐ る。 そして その 

個性 はつねに 悲哀で ある。 ツル ゲネ ー フは その 感情に 全く 一 身 を 委ねる こと 

は 決してなかった。 彼 は 抑制に よって 人 を 感動 させた。 しかし 西ョ ー B ツバ 

のい かなる 小說 {糸 も 彼 ほど 悲哀で はない。」 島 崎 氏の 悲哀に 觸れ てきた 私 は、 

赏は ツル ゲネ ー フの 思惟に 流れて ゐた 悲哀との 間に、 何ら かの 共通 性 を 見い 

ださう としたか つたので ある。 

『破戒』 そして 『春』 『家』 などに あら はれた 主 情 性 は、 多分に 悲哀 を 含 

んでゐ るが、 ここに 流れる 悲哀 はつねに 意 的であった やう だ C ツル ゲネ ー 

フが 感動 を抑壓 したやう に、 島 崎 氏 は 情感の 浪漫性 を 否定しょう とした。 殊 

に 『破戒』 『春』 を經 て、 多くの 苦々 しい 經驗 のの ちに 着手した 『家』 は、 

それまでの 主 情 性 を ほとんど 意思 的な 悲哀に 代へ てし まった。 生活の 現. ぼに 

は耐 へねば ならぬ とする 重苦しい 信條 は、 內部的 世界に 意思 的な 悲哀 を 凝 

させた ので ある。 「屋外 はま だ 暗かった。」 とい ふ 『{£ の 結びの 1W 葉 は、 こ 

の 後 も 痛苦 は つづ くだらう とい ふ、 1 口 たる 氣持を 暗示す る やう だ。 



453 



しかし、 追 ひ つめられた 心情の 悲哀が、 例へば 次の やうに 記されて ゐる Q 

を兑 ると き、 すでに それ は極點 からの 逃亡 を 希 ふ ものである こと を 知る G 

私 は ほの 關 節の 一 つ 一 つが 凍りつ く ほどの 思 ひ をした あの 時の 寒さ を 思 ひ 出 

す ことができる。 つくづく 私 は GT 分の 心の 景色 だと 思って、 あの 行く 入 も 稀な 雪 

の 道 を 眺めた こと を 思 ひ 出す ことができる。 時々 眠くなる やうな 眩暉、 何處 かそ 

こへ 倒れ かかり さ-つな 息苦し さ、 未だ かって 經 験した ことのない 毂懐、 もう 少し 

で 私 は 死ぬ かと 思った あの 際涯の ない 白い 海 を 思 出す ことができる。 私 は 身體が 

塞い ばかりでなかった。 心が 窓かった。 漸く 自分で a: 分の 身 $2を 抱き締める めう 

にして、 心 S え の^を つて 行った こと を 思 出す ことができる。 丁度 私が 遁れて 

きた 世界と は、 彼 51^ いふ^ 陣と との 出ろ やうな 寂漠の 世界 だ。 そこに ある も 

の は 降りつ もる 生の 白 cft」。 そこ はまる で 永の 世界 だ。 永の 海 だ。 そして 私 は そ 

の 氷の 海に 溺れた。 (『海へ』) 



454 



航海 記 『海へ』 は、 極點 にまで 達した 意思の 悲哀から、 しきりに 趙亡 をね 

がった ものの 心象の 記錄 である • 

, お 崎 氏に あら はれた 意思の 悲哀 は、 けれども 何ら ツル ゲネ ー フ へ q: 倾! S で 

はなく、 资 質の 共通す る 部分に 過ぎぬ。 これ は 二人の 作 {| の關聯 ではなく、 

私と して は、 一 一人の 作 〔尿に 共通す る 特徴 につい て 觸れた ま で である。 

交涉は 別のと ころに あった。 

その もっとも 美しい 部分 は、 先 づ社會 的 觀點の 高度 化で ある。 この 點に、 

私 は ツル ゲネ ー フ との 關聯に 於け る、 中心的な 交 涉のテ I マ を 求める」 岛崎 

氏が、 ツル ゲネ ー フ の文學 について も つ とも 詳しく 語った の は 「.- ゥ ヂン」 

であり、 この 作品の 中心 をな す 「ル ゥ.. チン」 と 「バザ ロフ」 の 二人に ついて 

である。 それだけで、 すでに 島 崎 氏が 何 を 見ようと して ゐた かも 窺 ひ 知られ 

る わけ だ。 

けれども、 ツル ゲネ ー フ との 交涉 による 社 會的觀 點の高 85! 化 は、 ,:ig 崎 氏の 

作品にまで 直接的に 表現され はしなかった。 それほど あわただしく 積辆 化さ 



455 



れた 作品 は 一 つと して 化ら れ ぬし、 むしろ、 より 包括的な ひろがり を 見た の 

である。 

この 包括的な ひろがりの 底 部に、 一::! めら れた 社會的 觀點は ひそんで ゐるゃ 

うに 思 はれる。 『千 曲 川の スケッチ』 は 『獵人 日記』 に似て 自然 描寫の 美し 

さ を 特徴して ゐ るが、 そこに は 自然の 風物ば かりで はなく、 自然と ともに あ 

る sl-nj- の 生活が ある。 『獵人 n 記』 がさう であった やうに、 『千 曲 川の スケ 

ツチ』 も 自然 描寫 から 人 Si 生活の ふかみへ と 赴き、 その 種々 相 を 描き だした 

ので ある。 ドスト H フス キ ー に 近似す る 『1^ 戒』 にしても、 自然 描寫は 到る 

ところに 兑 うけられる。 ドスト H フス キ ー は、 ほとんど 自然 描寫 をせ ぬ 作家 

である。 その 味から すれば、 『破戒』 は ドスト H フス キ ー 的で はたく、 豊 

かな 自然 描!!;:^ をと ほして ツル ゲネ ー フ 的な もの を 印象す る。 

「破戒』 に關聯 して は、 さらに、 人間的 性格の ツル ゲネ ー フ 的た ものが 思 

はれる。 

r ルゥヂ ンは赏 行の たい 理想家の やうで あり、 バザ a フは それに 引換へ、 



436 



自己の 信す ると ころ を 貫かう として 感傷主義 を排 した 現 Is^ の やうで …… 」 

(「ル ゥヂン と バザ。 フ」) とい ふ、 さう した 對 的な 二つの 性格 は、 『破戒』 の 

5 松と 猪 子 蓮 太郞の 二人 を 聯想 させ はしない か。 そして fi 松 も、 ルゥ ヂンの 

やうに 「人生の 問題 を 絶えす 提供」 (「ル ゥデ ンとバ ザ フ」) したので あった。 

この やうに 見るならば、 『千 曲 川の スケッチ』 と (破戒』 のニ篇 は、 n シ 

ァ文學 との 關聯に 於け る、 もっとも 美しい 成 mi^ を 意味す る。 懐疑 的で は ある 

がた たか ふ 意思に 乏しい 丑 松と、 行 {| たる 猪 子 莲太郞 との 二つの 性格 を 描 

いた 島 崎 氏の 胸に は、 藝術的 實踐と 政治的 赏踐 との 交涉、 あるひ は 限界の 問 

題が 去来して ゐ たのではなかった か。 社 會的觀 點の髙 度 化が、 視野の ひろが 

りと ともに、 さう した 苦惱を 突きつ けたので はない か。 思想と 赏行 について 

「その あら はれて 來る 形式の 相 遠 こそ あれ、 私 はすべ ての 藝術 {糸 がいつ か は 

生涯の 中に 逢着す る 謎で はない かと 思 ふ。」 と 一一 一一 口 ひ、 「ツル、 ゲネ ー フと言 へ 

ば 直ぐに 藝術 { 永 を £ 心 ひ m させる やうな あの 作 { 糸の 內 部に は、 絶えす 寳行を E わ 

ふ 心が 往來 して ゐ たので はない かと S あ ふ。」 (「ル ゥヂン とバザ フ」) と 言った 



457 



とき、 島 崎 氏の 胸に は、 より 穣 極 的な 社 會的關 心が 充 ちて ゐた。 

社.^ 的觀 Si の 一 :2 度 化 11 ツル ゲネ ー フ との 交 涉は、 自然主義 的 リア リス ト 

としての,; i3 崎 氏の 仕事に、 豊かな 社會的 包括 性と あきらかな 積極性 を そそい 

だ。 生活の 種々 相と 社會 的現實 との 間に 去來 し、 この 二つの ものの 交涉 し、 

接觸 すると ころに 座して、 ひとり 歷 史的 發展 のう ごきに 耳! g けて ゐた島 崎 氏 

は, すくなくとも 「ルゥ ヂン」 にあら はれた やうな、 懷 疑と 赏 行に 切ない 思 

ひ を 及ぼして ゐ たので ある。 この 問の、 作家 的な 心の 配り は、 次の やうに 記 

されて ゐる。 それ は 一 つの 社會的 理想 を も 含めて。 

實行を 思 ふ 心 在に 求め e おられな かったん ゥヂ ンの やうた 人 は 不幸 だ。 日常 

刻々 の 刺戟 も、 唯 それの みで は 彼に 何等の 意お 我 ある ものと は 成らない" 彼 は 遠い 

ところに ある ものの 愤憬に 生きなければ 成らない けれど、 そのために は淺 薄な 實 

行 家に 地步 を-製ら なければ 成らない とい ふ - 由が 何處 にあら う。 



ツル ゲネ ー フは 晚 年に トルストイへ 手紙 を: 送 つ て 「君 は 文 に歸っ て くれた ま 

へ」 と 言った とい ふ- もう 起て なくなった 死の 床の 上で ツル ゲネ -フ がさう した 

手紙 を 書いた かと 思 ふと、 その 短い 言葉の 中に も 彼.:: nsp が 語つ て あろ やうな:; 3r か 

する。 (r ルゥヂ ンとバ ザ 口 フ」) 



ト k ス トイ 的な ものに 就て 

「トルストイの 晩年」 とい ふ 文 ii^ の 231 頭で、 島 崎 氏 は 「M に 素朴な もの を 

求む る 心、 …—トル ス トイに 行く 度に 感す るの は その 心 だ。」 と 述べて ゐる。 

それ ゆ ゑ、 ^i^崎氏の仕事にトル ス トイ 的な もの を 求める こと は 比較的 容 《^ で 

あらう し、 二人の 作家の 間に、 共通す る もの を 求める こと もた やすい やうに 

思 はれる: 

しかし 別の 面から いへば、 あるひ はこの やうな 題目 は 成り立た ぬの かも 知 



459 



れぬ。 島 崎 氏の 具體的 作品に、 Ei- して トル スト ィ的 たもの があった だら うか- 

『夜明け 前』 は、 その 規 校の 雄大 さから 『戰 ゆと 平和 j を 聯想す るし、 「いろ 

はがる た」 や 『を さな ものがたり』 は トルストイの 民 :一!:i 作ク 水め いた 風格 をし 

のばせる が、 これと て 一 つの 聯想に 過ぎぬ。 ただ 島 崎 氏が トル ス トイに つい 

て 何 を nr ^:!-崎氏の文學が何を聯想させるか. 1 -と いふ 味に 於て は、 トル 

ス トイとの 關聯 も考 へられて くる-〕 そして、 誠實た 人生 探求の 態度 はもつ と 

も トルストイ 的な もので あり、 同時に 島 崎 氏の 作 {糸 的 特性で ある。 

「眞の 人 問 を 書く ことに 骨折りた いと トル ス トイが 言った とい ふ。 ある 時 

は 人^ を 天 使にまで 持 上げる。 ある 時 は 人間 を惡 魔と して 踏みつける やうた 

さう いふ 兑 地から 書かれた もの は、 たと ひその 人 問の 衝動が どんた に 生々 と 

8: かれて あっても * 長く は 私達の 心 を ひかない。」 (「眞 の 人間 を 書く ことに」) 

この 言葉に も、, 一 つの 態度が 共通して ゐる。 人生、 あるひ は 生活の ために 

:E ごと か をつ くし、 何もの か を 贈りたい とい ふ 意欲と 希求で ある C 

それにしても、 この やうな 意欲の. 容は、 まことに 茫漠 として ゐて 際涯が 



たい。 現」 から 生々 しく ひきだされながら、 しかし、 その 形式 は卞 『 

的で ある こと を 免 がれぬ し、 特定の 設計 もない ことと て、 ここで は ある 美し 

ぃィメ ー ヂが 描かれる ばかりで ある。 殊に、 さう した il:- 欲 li き はめて 純粹で 

あるから、 現實 との 摩擦 を 顧慮す る ことなく、 成果の 純粹 さばかり が 豫測さ 

れてゐ る。 純粹 性の 追求 は、 それ ゆ ゑに 希求す る ものの 象徴に 化し やすいつ 

である。 

トルストイ は、 何 を 眞の人 問と 見た ので あらう か。 おそらく、 欲する も 

のの ィメ ー ヂを その やうに 呼んだ ので はない か。 ある 階級 か、 ある 1^ か —— 

さう した 事實 をよ そに して は、 ィメ ー ヂ 以外の もの は考へ られ ないだら う。 

「眞の 人間」 を 追求す る 心情 は 何にもまして 美しい が、 それ はけつ して 地上 

的な もので はない。 希求す る ものの 象徴 か、 ィメ ー ヂの 美し さか :;- 答へ は、 

たぶん さう したと ころに ある だら う。 

トルストイに とって、 y; の 人間 を 追求す る こと は 全身 的な、 そして 全 史 

的な 意味 を 含んで ゐた。 八十 二 歳の 老齢で、 一 寒驛に 生涯 を 終らねば ならた 



40I 



かった とい ふこと は、 リアリストの 內 部に 燃えさ かる 浪漫的 精神の美 しさに 

つらぬかれて 壯大 であるが、 それと ともに、. この もの を 永久に 追求した けれ 

ばなら なかった 人の 寂 <1 がしみ 入る やう だ。 そして、 これ は 島 崎 氏の 精神に 

まで 黄感 された。 浪漫的 精神の ゆ ゑに 寂! i と 悲哀 を 味 ふとい ふ 事情 は 『春』 

などに も あり、 『新生』 『櫻の 貴の 熟する 時』 にも 見いだ される。 

「モウ パ ッ サンが 最後に 到達した 境地 は、 私達に とっても 輿 味の 深い もの 

である。 その 一面 はより 深く 寶 在に 滲透しょう とする 感覺 的な 幻想で あり、 

その 一 面 はさま ざまな 人生の 經驗と 日常生活の 平凡 無變 化から 起って くる 精 

神の 寂お 1 である。」 (「トルストイの IT モウ パッサ ン論』 を讀 む」) と、 この やうた 理 

解の ふかみに 到って ゐ るが、 ここから、 トルストイと 島 崎 氏と に 共通す る 一 

つの 態度が 分裂す る。 

トル ス トィは^^己の內部に湧きぁがる意欲を外部へ外部へ と向け、 ^酷た 

道德的 準 さへ^け た。 それに 反して、 島 崎 氏 ははる かに 實際 的な 方向 を迎 

らうと し、 その 浪没的 意欲から 胚胎す る 悲哀と 寂お i を、 しだいに 現實 世界に 



お 察し、 測定した。 寂寥の 實 相が 生活 そのものに 胚胎す る ことの 自覺 は、 や ,2. 

がて リア リス テックな 藝術的 方法 を もって、 現赏の描0へ$^^=ぃたのでぁる。 4 

しかし ただこれ だけの ことで、 すべての 欲が 解決す る もので はない。 希 

求 はとき に 宿命的な 廩 質と 言へ る。 この やうな 場合に は、 現赏の 相、 たらび 

に 悲哀の 赏相を 描いた とて 寂 5^ は 消えぬ。 トルストイが、 寂せ 一の ふかまる ま 

まに 道德的 ±* 準 をい よいよ 背 酷に したと き、 島崎氏も社會的道1^^律を己れに 

課して ゐる。 『新生』 はさう した 作品で あり、 後の 『5^』 や 「分配」 は、 ト 

ル ス トイ 的な 勞 苦の 美し さに 接近して ゐる。 

トル ス トイが 外部 的に 世界 を狹 くし、 島 崎 氏が 內部 的に 世界 を ひろげた こ 

と。 これ は 幾らか 比喩的な 言 ひ 方で は あるが、 二つの 世界の 對比 は、 この や 

うに 兑られ る だら う。 そして 結 2^ 的に は、 兩者は それぞれの 過程の 後に ふた 

たび 共通す る 世界に 親近した。 親近 を 媒介した の は、 愛の 意識で ある。 y; の 

人間への 欲求が、 ここに 愛にまで 結晶した のであった。 



ト ル スト ィは 最も モウ バッ サンの 心 を 苦しめた ものと して、 人間の 寂寥、 t!f 祌 

的 寂 の ましい 狀態 >vtM 摘した。 この 寂 察が 人と 人との 間に、 殊に 親しい もの 

の 問に、 兑 出されろ ほど 耐へ がたい ここ はない" この 寂寥 を驅逐 する もの は 何 か- 

人と 人. V の 問に 横た はる この 障. 權 を絕滅 する もの は 何 か。 愛 だ" 所謂 婦人の 愛で 

はなくて、 純な a- 的 な^だ。 期. 「iH ら ひ、 自ら 答へ てゐ る。 (「トルストイの 

『モウ. ハッサン 論』 を讀 む」:) 

愛の 精神が、 いま は 二人の 作家の 內部 にある。 トルストイが 『イワンの 馬 

鹿』 など 民話 的 作品 を齊 いたのに ひとしく、 島 崎 氏 は 「犬 も 道 を 知る。, 一 か 

ら はじまる 「いろはが るた」 を 作って ゐる。 そして、 これ は 島 崎 氏の 愛で あ 

る。 トルストイ 的な、 さう いふ 愛で ある。 

マキシム • ゴリキ ー は、 晩年の トル スト ィを囘 想した 文章の たかで 「彼 は 

不思議た 乎 を もって ゐる。 !. 美しく はたく、 脹れた 血管で、 ごつごつして 

はゐ るが、 然し 特異な 表現力と 創造力に 充 ちて ゐ る。」 と 言った。 この 言葉 



4^4 



から、 島 崎 氏 は トルストイの 晩年の 風格 をし のび、 これ を 素直に うけ 入れて 5 

ゐる。 

この 手 だ。 長い トルストイの 生涯 を 忍ぶ に は、 この 手 だけで も!! 山 だ vJ いふ 氣 

がして くる。 (「トル ス トイの 晚 年」) 

この 斷 章に、 二人の 作 を結緣 する もの はないで あらう か。 

ドスト エフ スキ I を囘 つて 

ブランデスの 『露 西: 亞 印象 記』 についての 感想の なかに、 島 崎 氏 は 「平: 

の屮に 行く 人達の 行方 をし のぶこと がで きる 」 とい ふ 言葉 を 挿んで ゐ るが、 

これ は默 示された 人道的 感情で ある。 ::^ 衆への 愛と、 あたたかい 共感で ある e 

この 點に、 ドスト H フ スキ ー との 共通 性 11 具體 的に は、 『罪と 罰』 と 『破 



戒』 との 交涉が ある ものの やう だ。 

r 破戒 一 は 封建的 觀 念に 一?c 別づ けられた 人々 への 愛と、 その 痛苦への 共感 

につらぬ かれ、 ひいては, 下 1= 者 一般への 愛 を 語った 作品で ある。 島 崎 氏の 

作品 や 感想に、 その 人 £1 的 精神 を さぐる の は 容易で あるし、 虐げられ たもの 

へ の 愛 はしばしば あら はれて くる。 もしも その 愛の 精神がなかった とすれば、 

いづれ 「破戒 一 は、 あの やうな 形で は 書かれなかった であらう。 

差刖 された 人々 の 痛苦 は、 愛 をつつ む 人々 にと つて、 やがてみ づ からの 苦 

痛を^!^味する。 それは社會的な • 人道的な傷心でぁる。 しかし、 島 崎 氏が、 

『破戒』 の當 時に、 その 人々 の 社會的 位置 を 的確に 理解して ゐ たか どうか は、 

幾らか 疑問と される。 そこに は、 愛の 感情が もっとも つよく 支配して ゐ るの 

であって、 さう でなければ、 『破戒』 は淚の 抗議に 終り はしなかった の だ。 

愛の 精祌 から、 たたか ふので はなく 哀傷した。 この 作品が、 かぎられた 闺內 

で の社會 性に とどまる 理由 はこ こ にある。 

ドスト H フス キ 1 についても、 これに ひとしい 見解 を 示し、 その 精神的 傾 



向 を、 

ドス トイ ェ フ スキ, 'が 晩年の 日;:; i の 中には、 詩人 ネ タラソフ を^んだ 一 節が トり 

る。 その 中に、 あの プゥシ キンが 常^の バイ ロン 熱ん ら脫 却して 行った の は:^ の 

ためで あつたか を w ひ、 それが 「民衆」 の發 見であった こと を 言 ひ、 ネ クラ ソフ 

の 詩の^ 値 も その ブゥ シキ ンの 歩いた を 更に 押し進めて 行った ところに あると 

論じて ゐる。 あれに は、 ドスト イエ フス キ ー,H 身が 多分に 語って ある。 思 ふに、 

ドス トイ エフ スキ- は 隣み に 始 した 人であった らう。 あれほど 入 問 や 憐んだ 人 

も 少なから う。 その 憐 みの 心が あの 宗教 湖と もな c、 忍苦の 牛: 涯と もな り、 a し 

く 虐げられた ものの 描お ともなり、 「:!1- 衆の 良心」 への n* 取 後の Ji3 ともなつ たの だ 

らう。 (「ドスト イエ フス キ, - のこと」) 



と、 一一 一口って ゐ る。 

ところで、 私 どもが、 ドスト ェ フス キ ー の 『罪と 罰』 たどに 不滿 するとす 



4^7 



れば、 それ は 愛の 精神に ついて ではない か。 愛に 出發 した 民衆へ の 良心と そ 

の社會 性が、 ふたたび 人道的な 愛にまで 還元した こと。 ここに、 私 ども は あ 

る もの 足らた さ を 感じて ゐる。 『罪と 罰』 をめ ぐる 不滿の いっさい は、 その 

愛の 精神に 素因して ゐる。 

痛 卞:: を、 悲哀 を、 罪惡を -11 愛と 宗敎に 祈念して 終末 づける の は 一) つの 逃 

避で ある。 ドスト H フス キ ー の 愛と 憐れみに 共感した 島 崎 氏 は、 『破戒』 に 

於て あの やうに 社會 的な 主題 をと りながら、 やはり 何 ごと か を 祈り 哀しむ や 

うな^ 情 を 見せた のであった。 けれども、 これ は 外 國文舉 の 消化の 仕方に も 

因る ので あり、 文學的 發展の ある^ 階に 於け る 事情に も 因って ゐる。 ドスト 

エフ スキ ー に、 愛と あはれ み を 見た の は 島 崎 氏 ひとりで はたい。 他の 人 々も- 

さ うした 粉祌を しばしば 抽象した。 

一九 一七 年 (大正 六 年) 末に 出版され た 室 生 厚 fif 氏の 『愛の 詩壤』 に は、 ド 

スト H フス キ ー をうた つた 數篇の 詩が ある。 q 愛の 詩 築.】 とい ふ 書名が 示す 

やうに、 これ は 人 近 的な 感情に 充ち、 「熱い 日光 を 浴びて ゐる 一匹の 蠅。 此 



すら 字 宙の实 に 參與る 1 人で、 自分の ゐ るべき ところ を、 ちゃんと 心得 

てゐ る。」 (ドスト エフ スキ I。 『愛の 詩集』 の 扉から〕 と、 同じ やうに ド スト エフ 

スキ ー に 愛の 精神 を 抽象して ゐる。 かう した 傾向から まぬがれ るに は、 なほ 

多くの 時間が 費やされねば ならたかった。 島 崎 \ ^は、 先に 引例した 部分に つ 

づ いて、 「靈と 肉、 聖と惡 とい ふやうた こと を 作品の 上で あまり 對比 的に 取 

极ひ 過ぎて あるの も^につ く c」 と ひ、 『罪と 罰 JI などに 濃い 宗敎的 g: 念 

を 指摘した ので あるが、 所訟、 指摘す るに とどまって ゐる。 

ドスト H フス キ ー が 愛の 祈念 を 巨 壁の やうに 置き、 そのこと から 停滞と 行 

きづまりに 到った こと は事實 である。 けれども 刖の 作品に は、 おのれに 對す 

る 意地 惡 しき 思想- (I 自己 虐使 も ひそんで ゐる。 アンドレ .ジ イド や レオ • 

シ H ス トフ 等が 指摘した 意地 惡 しきお のれへ の 叛逆 ;! かう した E 心 想 は 一: 破 

戒』 にまで、 どの やうに 反映した であらう か。 

『破戒』 の 丑 松 は、 一 つの 形に 於け る 自己 復践: を 行って ゐる、 とい ふこと 

もで きる のであって、 それが 作品の 主題た る 戒律への 叛逆で ある。 戒律に 囚 



469 



はれる ことの 苦痛 を、 吿 c と饿悔 におき 代へ ようとし たの は 一 種の 自虐で は 

たいか。 『破戒』 が 外部への たたか ひで はなく、 己れ を 背 む吿. s とたった 

の は、 言 はば 社會 的な 錯覺 であり、 自虐の 傷まし さと その 格闘 を 意味す る。 

外界へ の 反抗 を、 自己の 齿 白に 內_江 させる やうな 仕方 は ドスト H フス キ ー 

の 作品に も 見られる ところ だ。 ただ 『破戒』 の 自虐 は、 はじめ からさう した 

形であった ので はたく、 社會的 認識の 限界 性と、 それによ る 反抗 精神の 內_^ 

として 行 はれた 點が異 つて ゐる。 

戒徠の 悲哀 を、 全 的に 解決す る途 は、 封建的 觀 念に 對 する たたか ひに よつ 

ての み 求められる。 t 破戒』 にあら はれる 自由主義者 •—— 猪 子 蓮太郞 は、 ひ 

とりこの こと を自覺 して ゐ るので あつたが、 この 人物 をと ほして、 島 崎 氏 は 

社. &的 觀點の 高さ を あきらかにした。 そのこと はしば らく^と しても、 總じ 

て、 C.S 崎 氏 は、 ドスト H フス キ ー の 愛と 憐れみに 親しい 感情 を 寄せた。 a 松 

に そそいだ 作者の 淚は、 一 面 t 破戒』 を つらぬく ドスト ェ フス キ," 的 11 精 

神の 結晶と も考 へられる であらう。 



4/0 



巨大なる 記念碑 

作家 營爲と そ の,?: 園 

およそ 七 年の 年月が、 『夜明け 前』 の 營爲の 背後に 流れて 行った。 その 年 

月の 長さから いっても、 その 營々 たる 努力から しても、 これ は 稀に る 高さ 

を 築き. まさに 巨大な 記念碑 的 作品と 呼ぶ に 値する。 

兄 isi^ に、 『夜明け 前』 は 完成した。 私 は、 その やうに 言 ふ を はばからぬ。 

この 作品の 第一 部 序の 章が 發 表された の は 一 九 二 九 年 (昭和 四 年) 四月の こと 

で、 第二 部 終の 章の 完結 篇を迎 へたの は 一 九 三 五 年 (昭和 十 年〕 九月であった- 

こ の 間の 社き 的 現象 はまこと にあわた だしく 推移して ゐ るが、 そのと き、 

鳥 崎 氏 は孜々 として 倦まぬ 作家 的營 みに、 やはり 一時 代 力 混亂 する 現象 を 見 



473 



つめて ゐ たの だ。 『夜明け 前】 に极 はれた 一 八 五三 年 (嘉永 六 年) から 一八 八 

六 年 (明: 十九 年) に 到る 三十 餘 年の 一時期 は、 十九 世紀から 二十世紀へ 移行 

する ために、 それの 諸 の 準備 をな すべく、 上下 を 舉げて 測り 知れぬ ほどの 

泥亂 と錯雜 を苦惱 しつつ、 次代へ の 歷史の 意思 を 成長 させて ゐた 時期で ある。 

芝、 板な-::: 町の 一隅に 住んで、 靜 かに 坐す 老成した この 作家 は、 それ ゆ ゑ 過 

ぐる七年^を小ゃみもなぃ社^3^的動搖の中に身をぉき、 過ぎた 時代の 人々 と 

ともに 5-_>a- 期 を苦惱 して ゐ たわけで ある。 「夜明け 前』 第一 部 、第一 一部 を 通 

讀 するとき、 人 はおの づ から 嵐の 昔樂を 過ぎた 時代に 感じる。 ま然 たる 記念 

碑 的 作 ni を 前にして、 私 は 嵐の たかに 搖 るぎ なく 坐した 作家の、 これ はなん 

とい ふ nj-^ な 成 であらう と 思った。 

作" i の 發表は 約 七 年間で あつたが、 その 準備 期 を^せる と、 およそ 九 年間 

を 数へ ると いふ。 この 點か らも 推察され る やうに、 作者が 『夜明け 前』 につ 

いて 腹^して ゐる 期?? は、 案外 永かった ので あらう。 

ここで^^^崎氏の作{l近程を囘想してみれば、 いっそう 『夜明け 前』 制作の 



474 



意 5? が はやく 萌芽して ゐ たこと が 知られる。 それ は、 この 作 {4< が、 主として 

みづ からの 經驗的 世界に 主題して ゐ たからであって、 さう した 作品 を 一 應描 

きつく したと き、 作家の 股が、 過ぎた 時代に 向 ふで あらう こと は 想!^ にかた 

くない からだ。 そして 島 崎 氏 は、 すでに 早く、 歷史 への 囘 顧と 探求の 意志 を 

仄めかした 幾つかの 感想 を 書いて ゐる。 

「過ぐ る 半世紀 を 振 返って 見る と、. 封建時代の 過去の もの は まだまだ 私達 

の內 にも 外に も活 きて ゐた。 明治の 維新と は 言っても、 根深い 過去の もの を 

全く 新しくす る こと はでき なかった。 ある 意味から 言へば、 私達の 眼前に あ 

る 多くの もの は 封建時代の 遺物の 近代化に 過ぎなかった。」 (「胸 を SS け」) こ 

れは 感想 使 『飯 倉 だより』 に牧 めら れて ある 文章の 一つで、 一 九 二 〇 年 (大 

正 九年ン 初頭に 書かれた ものである.。 この 感想文が 『夜明け 前 1 の 執筆に つ 

いて la 接關聯 すると はもと より 思 はれぬ が、 時代と 時代との 關係 i- 封建 社 

會 から 资本 主義 社會 への 變革 的な 發展に < いて、 忍 ひ を ひそめつ つあった こ 

とが 窺へ るし、 その 意味から して、 この 邊 にも 『夜明け 前』 着手の 動機 は胚 



475 



胎 して ゐ たと 一一.: :l へ ぬで もない。 

さう 言へば、 作者 は 第 一部に 文久 年度に 於け る 幕府の 諸 制度 改革 を敍 した 

條 りで、 「參 親交 代の やうた 幕府に 取って 最も 重大な 政策が 惜し 氣 もた く投 

げ屮: : された ばかりで たく、 大赦 は 行 はれる、 山陵 は 修復され る、 京都の 方へ 

返して いいやうな 舊ぃ惯 例 は どしどし 廢 された。」 (「第一 部」。 第 六 章) こと を、 

あたかも 『飯 倉 だより』 の 感想に 照應 させる かの やうに、 「封建時代 にある 

ものの 近代化 は、 後世 を 待つ まで もな く、 旣に その 時に 始まって 来た。, k 「第 

一部」。 笫六 章) と 言って ゐる。 共通す る 意 園が、 この 二つの 言葉の 間に 流れ 

てゐる やう だ。 

さらに 遠く 溯って は、 パリに 在って、 この 國の 文化 並びに 文學 古典 を囘顧 

した 义窣が ある。 それ は 『怫蘭 西 だより』 に牧 めて ある 「春 を 待ちつつ 二 と 

いふ 項 口 で、 十九 世紀に 於ての 文化的 發展 について、 その 初期と 後期の 關係 

を JisT^ した ものである。 その 變化 • 發 展の樣 を 島 崎 氏 は 封建 文化の 爛熟、 類 

1® の w」:f: として 見、 從 つて その 一隅に^ 芽しつつ あった もの 11 封建 性 を 否 が 



おする 新 文化が、 いかにして 、資本主義 的 性格にまで 生成して 行つ たかを ひ 

たいと 51- んでゐ る。 4 

「明治 年代と か、 德川 時代と かの lEil 劃 はよ くされる が、 過去った 一世紀 を 

If めて 考 へて 見る と、 そこに ^様の 趣が 生じて 来る。 先づ 本;! 15 宜 長の 死の あ 

たりから 其 時代の 硏 究を讀 みたい。 萬 葉の 研究 、古代 詩歌の 精神の 復活、 n 

に對 する 愛情と 尊重 の 念、 それらの ものが 十九 世紀に 起って 来た クラシ シ 

ス ム の 効 3^ を牧 めた こと あたりから 請みたい。 それが いかばかり 當 時に 眼醒 

めて 來た國 お 的 意識の 基礎と 成つ たかを 讀 みたい。」 (「养 を 待ちつつ」) 過去の 

文化 を、 取に 追懐す る こと は 一 つの 懐古 趣味に 過ぎぬ。 それに 比して、 ここ 

に は 文化 の 發展 に、 歷 史的 發:^ の 様態 を さぐりた いと 希 ふ 今日の 作. \ぶ の ^^E4 

が ある。 『夜明け 前』 が 時代から 時代への 發展を 描いて、 いかに 今日にまで 

歷史の 姿 を 投影し たかを 知る もの は、 この 感想に 現れた 希求が、 いかに 『夜 

明け 前』 に具體 化され たかを も 同時に 知る だら う。 一脈の 聯關性 を、 この^ 

に 推察す る こと は、 それほど 不當 ではない ので ある。 



これ 二 s した 感想 は、 斷片 的に は 他に も兑 うけられる。 それ ゆ ゑ これらの 

感想 义に^ 芽しつつ あった: 夜明け 前』 への 作 〈糸 的意圔 は、 その後 ひさしく 

ゆ 氏の.?: 部に 酸酵 されつつ あつたと 言へ る。 そして、 この 欲求 をぢ つと 抑 

制して きた 忍從 のつ よさが、 七 年間に 亙る 尨大た 營みを も 同時に 忍從 させた 

のであった。 

化された ー拉地 

『夜明け 前』 の 執筆に あたって、 作お はっとめ て 「平談 俗語」 を m ひる こ 

とに 努めた とい ふ。 そのため か 作品の 印象 はき はめて 平明で、 生起す る あら 

ゆる ホ件 も、 登場す る 人物 もなん ら主觀 的に 昂揚され る ことがない。 部分的 

に は 激動 的な 場面 も 幾つか あるが、 これ は 作者が 激動 的な もの を現赏 から 柚 

象した ので はなく、 現赏 そのものが 激動し、 昂揚して ゐ るので あった。 作者 

の^と 作品 構成の 仕方 は 歷史の 現實に 密着し、 S 史の 流れと ともに 動いて ね 



47S 



る。 そし 二! は 小川に 沿うて 流 下し、 やがて 激流す る 大河 を迎 へる かの. 

うな 印象 をう け、 いつ 知らす 大河の ほとりに 立つ ひに 氣づ いて ニ.^1|する。 

「平談 俗: 措」 を 心がけた ことと 言 ひ、 平明と 激動の 現 宵 的た 脈絡と 一一: 一口 ひ、 

これ は 島 崎 氏に とってな に を 意味す るか。 

ひとへ に璺 熟し 醇化され た 作家 的 境地 ,! 私 は それ を 思 ふ。 すでに. &崎氏 

に 於け る 豊熟した 境地 は、 『5^1 「分配」 または 『子に 送る 手紙』 等の 屮 

短篇 作品に 現れた ところで、 それが 『夜明け 前』 に 到って、 いっそう-;^ 化し 

たので ある。 『夜明け 前』 が たんら 平 俗の 興味に Si; る ことたく、 歷史の 意志 

に沿ぅて高贵性にっらぬかれた^^實は、 「平談 俗語」 の 意 岡を裘 うちす る醇 

化された 作家 的 境地に も 由来して ゐる。 お ほかた の感 史的 作品 は、 いつも 波 

潤 筮疊の 趣 を もって 事件 を 仕組み、 そこに 與味を そそって、 作者 は^ 史の sy; 

赏 から はるかに 遠の いて ゐる。 これに 比し、 『夜明け 前 u にさう した. W 、味 は 

求められぬ。 そして、 この こと は 島 崎 氏の 境地の 高さ を S2) 味した。 波 瀾 重 

の 趣と 言へば、 この 作品に もさう した 要素 は 見う けられる のであって、 ただ、 



479 



, を 波 Pi する 現赏 そのものに 從屬 して 作品の 模樣を 織り、 もつ ば 

ら荒: す る 仕組み を 避けた ので ある。 

作 =1 の 中心 舞^ を 成す 木 曾 馬 籠 宿から 作者の 眼が 離れ、 通商 貿易 を 迫る 諸 

外國 船の 樣子 とか、 江戶 並びに 京都に 於け る 政情た ど を敍述 した 部分 は、 作 

おの 異常な 努力 を^ば せる にも かか はらす、 印象 は 平明に 過ぎて ゐる。 それ 

にしても、 叙述の 平明 さはな ほ 著しい 缺陷 とは考 へられぬ の だ。 『夜明け 前』 

に經 過した 年月 は、 變革 期の 三十 餘年 である。 歷史 はこの 時期の 三十 年が、 

平時の _rc 年、 二百 年の 永 さに 匹敵す るで あらう こと を 語って をり、 そこに 生 

起した^|5^忭は數 へ る に 困難な ほどで ある。 諸 勢力の 分布 • 交錯 • 消長 は亂 

麻の やうに 複雜 し、 上 から 下:^ に 到る 人々 の 意思 • 希求 • 生活 もまた 多岐 

に 亙って ゐる。 この 尨大な 百年、 二百 年に 匹敵す る 三十 餘 年の 時代 を 見事に 

概括し 形象化し たこと を 思 ふなら ば、 叙述した 部分の 平明に 過ぎる 感じな ど 

ておの 瑕琉に 過ぎぬ。 • 柄の 取捨 選擇と 配置の 順序 を 考慮 するとき、 これ だ 

けの 叙述 は、 なんとしても 用 ひられねば ならたかった ので ある。 



一八 六 八 年 (慶應 四 年) 二月、 怫、 英、 蘭の 公使ら が、 大阪 から 水路 淀川 を 

溯 行し、 京都 參府を 許されて 小 蒸 汽船で 伏 見へ 赴く あたり は、 その 流域の 風 

景 を;^ 鬆 させる やうな 場面 だ。 

公使の I 行が 進んで 行った ところ は、 い 淀川の 流域から 幾內 中部 地 の 地 

へと 向った ところに あるが、 憎と 暴った 日で、 遠い 山地の 方 を-望む こと は 叶 は 

なかった。 ニ艘の蒸汽船は封岸に神;^の杜ゃ村-:^^の見ぇる淀川の中央からもっと 

先まで 進んだ。 そこまで 行っても、 遠い 山々 は隱れ 潜んで { み を あら はさない。 天 

氣 が天氣 なら、 初めて 接する それらの 山嶽から、 一行の もの は 激しい 好奇心 を稳 

し たか も 知 几ない。 

::: H 本 好きな カションに して兑 れば、 この る やうな 雨に してから が、 この 

國に來 て 初めて 兌ら れろ やうな もの だ" 何でも 彼に □: にと めて 兑 た。 しばらく 彼 

は霄 記せと して E 分の 動め も 忘れ、 大阪道 頓^と 淀の 間 を 往復す る 川 船、 その ほ 

根 をお ほふ 寄: 趣の 深い 苦、 雨に 濡れながら を 押す 船 Is- の 蓑と 笠 なぞに 見とれて 



ゐた。 (「第二 部」、 第二 章) 

この やうた 場面に 接して は、 描寫が 平明に 過ぎる とい ふやうな 言葉 は 意味 

をた さぬ。 描』 であるか 敍述 であるか — - すべて、 渾 然とした 作家 的 境地 を 

はせ るば かりで ある。 

『夜明け 前」 の 時代 的 概括の 見事 さは、 すると、 了 八 〇 五 年から 一八 二 〇 

年に 到る 十五 年間の 口 シ ァ社會 を活寫 した トル ス トイの 『戰爭 と 平和 1 とか" 

作屮 人物の 生-卵に 近世 a シ ァ社會 運動 史を 反映した マキ、 X ム ニコ ー リキ ー の 

『四十 年』 とい ふやうた、 いづれ も 1^ 然 たる 大作 を 聯想させる ので ある。 『戰 

ゆと 平和』 で、 トル スト ィは ナボ レオン 軍の 口 シァ侵 入 をめ ぐって 幾多の 戰 

岡 を 描お した。 『夜明け 前』 にも、 戰亂 する 場面 は 幾つか ある。 しかし 戰鬪 

場面 を 接 的に^つ たの は、 たた 一 つ、 武田耕 雲齋を 中心とする 水 戶浪士 と 

; 州諷訪 藩との、 和 田峙に 於け る交戰 だけで ある。 

この 戰岡は 一 八 六 四 年 (元 治 元年) 十一 月 十九 日の ことで、 交戰 の描寫 は 次 



の やうに して はじまる c 3 

8 

4 

iK 氣は晴 だ。 朝の {.^: に は 一 點の 雲 もなかった。 やがて 浪士 ^3: 寸 は^に かかった。 

八 太の 紅白の 旗 を 押し立て、 三段に分れた人數が^^黑になって後から後からと;^^ 

を 登った。 兩餅屋 は旣に 燒き拂 はれて ゐて、 その. 邊には 一入の lilt 訪おを も なか 

つた。 先鋒 隊が 香爐 岩に 近づいた 頃、 騎馬で 進んだ ものに 先づ 山林の 問に 四發の 

銃薛を ira いた。 飛んで 來る玉 はー發 も^ 方に 當ら ずに、 木立の 方へ それたり、 大 

地に 打ち 入ったり したが、 その 音で 伏兵の ある ことが 知れた。 左手の 山の ト: にも 

1^ 訪 への 合 岡の 旗 を 振る ものが あら はれた。 (「第 一部」、 第 十 章) 

ここに 私 ども は、 どの やうに 激動 的な 場面に 際會 しても、 筢對に 浮動す る 

ことのない 練磨され た 描 寫カを 見る。 作者が 狙った 「平談 俗語」 の 平明 さは 

交 戰に當 つて 端的に 示され、 しかも その 平明 さは 和 田 峠から その 地 一 帶 にた 

だなら ぬ 氣配を 趣し、 木立 や 川の ほとりに 煙 砲 を 臭 はせ て 鉄火の ひびき を 1^ 



じさせる。 かう して 『夜明け 前』 にたた みこまれた 三十 餘 年の 歷史 は、 な だ 

ら かに 描かれた ところから、 いっそう 疑 ひなく 歴史の 露 實を思 はせ るの だ C 

一般の^ 史的 作品が、 作者の 主觀 によって 激動 性 を 抽象し、 反って 感銘 度 を 

稀 it 化した のに 對 比して、 「平 談 俗語」 の 意 圃 は、 亂れ なく 作品の 印象 を 整 

へて ゐ るので あった。 

この こと は 人 描お に 到っても 高さ を 築き、 青山 半藏を はじめ、 その他、 

,ギ 寄 役の 之 助、 問: Iffi の九郞 兵衞、 隣 宿 妻 籠 本陣の 壽. 干 次と いふ やうた 人々 

の 姿な ど、 作:: i の^ 展に ともなって 成長し、 それ てれの 位置 を鮮 かにして ゐ 

る C そして 數十 人の 人物 を 動 し、 水 戶浪士 の 進行に 當 つて は千餘 人の 集團 

とともに 軍旅 をつ づけ、 その 通過した ところ、 銜 道筋の 村民が どれほどの 影 

想 を 蒙った かを^き だした ことな ど、 いづれ も 登 熟し、 ^^^化した作家的境地 

に .£ 來す る 成 である。 



5 

s 

歷史 ,o 作家 的创 造 ^ 

どの やうな 作品に しろ、 それの 高み は、 費され た 年月と 勞 力の 夥し さから 

のみ 溯られる もので はない。 作品 を つらぬく 作者の 精神が、 いかに 現赏 の.?: 

部に 浸透し、 對象 はいかに 形象化 されて 歷史の 武 實を つた か、 . 私 ども 

の 關心は その 點 にある。 この 作品の^ 合に は、 三十 餘 年に 亙る 歷史の 流れが、 

どれ だけの 眞實性 を肉體 化し た か で あ る 。 

歷史に ついて の 分析 やそれ へ の 見解と い ふ 風な もの は、 作 まにしろ 史{ 象に 

しろ、 必然的に それぞれの 世界 觀を 基礎と して、 おのれの 立場 を 示す もので 

ある。 おそらく、 歷 史的 作品 を 描く ことの 困難 さは ここに あるの だ。 

『夜明け 前』 に 於て、 しかし 島 崎 氏 は、 特定の 世界 觀、 ないし 歷 史的 兄 解の 

獨自 性と いふべき もの を 示して をらぬ。 この こと は、 私 どもに とって ー應不 

滿 なので あるが、 作者の 意圖 が、 ひたすら 歷史の 流れに 沿うて 行く ところに 



あった こと を 知るならば、 ここにお のづ から 1 つの 態度が 看取され る だら う * 

「廣 ぃ藝 術の 世界に は、 思想から 作品が 生れて 來 るの ぢ やなくて、 作品から 

思想が 生れて くると いふ 場合 も あらう ではありません か。」 (註) この やうに 

首 ふ &崎氏 は、 作品 そのもの、 或 ひ は 作品に 描かれた 歷 史的 現實 そのもの か 

ら、 一つの 態度 を 示さう としたの だ。 

大政 奉? a を もってす でに 維新 は 完成され たと する こと、 これ は 一 つの 眞寳 

を. 容 した 歷史の 見方で ある。 或 ひ は!: 會 によって、 はじめて 成就した 

と兑 るの も 誤って は をらぬ だら う。 けれども、 『夜明け 前』 に 於ての 島 崎 氏 

の见解 は その いづれ にも 屬 さぬ。 「復古が 復古で あると いふの は、 それの 達 

成せられ たいと ころに あ ると 君 つた あの 暮田正 香の 言葉た ぞを思 ひ 出し て 彼 

は. 嵴 然とした。, 一 (「第二 部、 第 十三 車」,) とい ふ 半藏の 述懐 は、 歷史 —— 人 問 的 

^みの 永世 流 轉を思 ふ 島 崎 氏の 感概 ではなかった か。 尤も、 半 蔵の 死に あた 

つて、 作*^:は,^^のゃぅにもー百ってゐる。 



486 



その 時に なって 見る と、 葡庄屋 として、 また 與本 *t 問展 としての 中! g が 生涯 も ク 

ゥ しろ 

すべて 後方に なった。 すべて、 すべて 後方に なった.。 ひとり 彼の 生涯が 終り を: IfC 4 

げたば かりで なく、 維新 以 米の 明治の 舞臺: も その 十九 年 あたりまで を 一 つの 過. 

期と して 大きく 廻り かけて ゐた。 人々 は 進歩 を 孕んだ 昨日の 保守に れ、 保守 を 

孕んだ 昨日の 進歩に も 疲れた。 新しい 日本 を 求める 心 は 漸く 多くの 若者の 胸に 

して 来たが、 しかし 封建時代 を 葬る ことば かり を 知って、 まだ まことの 維新の 成 

就す る H を 望む こ. V も出來 ないやうな 不幸な 薄. ほさが あたり を 支 a してる た。 

(第二 部」、 終の 章」) 

言 はば、 これが^ 崎 氏に 於け る 獨自な 史的 見解の やうで もあった。 そして、 

政治的 • 社 會的變 革 だけ を 表面的に 見、 それにょって維新は成就したと^!!?へ 

る ことの 誤り を も、 しばしば 指摘して ゐる。 西南 戰爭 (一八 七 七 年) の 終说に 

よって 渐く國 ,2: 統一 の 緒が えたと き、 半 藏はー 一目って ゐる。 「つくづく 彼 は 

この 維新の 成就 さるる 日の 遠い こと を 感じた。」 (「第二 部」、 第 十二 章) これ は 



夢 多い 半藏 の茫漠 とした 理想で はなく、 眞實に 維新の 完成 を 期待す る ものの 

希求であった。 「長い 武. 冢の 奉公 を 忍び 腮で使 はれる 器械の やうな 生活に 屈 

伏して 来た ほどの もの は 一 人と して 新時代の 樂 しかれと 願 はぬ はなから う。」 

(「^二部、 第 十二 章」) とい ふの も- また 一 つの 史的 見解で あり、 作者が 民主的 

^£神を抱懊しっっ、 作品 を 構成した こと を 示して ゐる。 

從 つて、 &_史 の 流れに 沿うて 組成され た 作品の 趣に、 『夜明け 前』 の 作家 

的^^ は 胚胎す るので あって、 作者の 股 は、 歷史 の,:^ 亂に昏 まされる こと を 

極力^ 戒 して ゐる。 そして この 點、 作品の 屮心舞 臺を木 曾 街道 馬 籠 宿に とつ 

たこと は^ 明な 方法であった。 政治的 中心地た る 京都、 江戶を 離れ、 木 ijE 山 

中の 一 小驛に 舞臺を 求めた こと は、 時代の 變 轉を敍 する に適當 せぬ やうに も 

E 心 はれ 易い が、 しかし かう した 者へ 方 こそ、 『夜明け 前』 が 典型した 時代 性 

を现 解し ない ものである。 

江戶 から 京都に 到る 道程の 中央に 位する 馬 籠 宿 は、 いかに 邊 鄙な 山中に あ 

ると はいへ、 交通の 要衝に あたる 土地柄で ある。 封建時代から 明治 中葉へ か が 



けての 木. 轷路 が、 いかほど 重要な 政治的 • 經辨的 意義 をお びて ゐ たかを 考慮 ^ 

するならば、 遠く 政治的 屮 心地 を 離れた 土地と 斷 する こと はでき ぬので ある。 

變革 期の あわただし さは、 ひとり 政治的 中心地に のみ 典型され る もので なく、 

經^ 的 事情の 變轉 推移に 到って は、 むしろ 交通 經辨の 根幹 をた す驛路 がより 

敏感に これ を 示した。 

「福 島の 代官 所 もやが て總督 所と 改められる 頃に は、 御 一 新の 方針に もと 

づく各 宿驛の 問屋の 廢止、 及び 年寄 役の 廢止 を吿げ る總管 所からの 御 觸れが 

半藏の 許に も屆 いた。 それ は 人馬 籀 立ての 場所 を 今後 は傳瑪 所と 唱 へる 箸で 

ある。 …: 最:: 十、 革新に つぐに 革新、 破壞 につぐ に 破 壞だピ (「第二 部」、 第 六 

章) やがて また 宿場の 廢止、 本陣の 廢止、 問屋の 魔 止、 宿 人足の 廢止、 七 里 

飛脚の 踐止 である。 これら 生活 的な ものの 變革 は、 同時に 封建 制 下に 特徴し 

た 諸 制度の 變 革に 他なら ぬ。 ここに 政治的 • 經^ 的 事情の 變轉が 汲み とれぬ 

とすれば、 ぜんたい、 それ は どこに 求められ るので あらう。 

かう して 作者 は、 S 史的 事件の 葛藤 を 潤色す る こと を 避け、 史的 現 貧に 



密 して、 年月の 成長と 腐蝕に 思 ひ を 及ぼして ゐる。 『夜明け^』 の 作品 的 

魅力 は、 歷史の 動きと 人間 生活の 樣々 な變遷 からう ける 深い 感銘に ある。 私 

は その やうに 思 ふし、 歷史の 年月の なかで 或 ひ は 腐蝕し、 或 ひ は 成長す る 二 

つの ものの 軋 櫟にラ :: ひ 知れぬ 感懷を もよ ほした。 歷 史的 現 賨 そのものに 密着 

して、 作品 を 構成した 島 崎 氏の 作 {| 的 創造性 は、 およそ、 この 邊に 求められ 

るので はたから うか。 

註 この 言葉 は、 一 九 三 五 年. 二 《^ 初旬に 催された 『夜明け 前』 座談 會で i 巧へ 

たもので ある。 



維新 の 狼 約 

れ〕 崎 氏が 歷史の 動き そのもの を 作品 構成の 支柱と した こと は、 『夜明け 前』 め 



をして、 維新 史の 文學的 5s;- 約 を 成果す るの 結 とたった。 徙ら に-: -,^ . ^ 

する に 比し、 歷史 そのものに 從暴 する ことに 作品の a; 赏 はあり.、 現 の. £部 

へ 浸透す る 作.: 么的 精神 も、 ここに 的確 化される であらう こと を、 永き に X る 

文學的 修練の 登 かさから 島 崎 氏 は 自覺 して ゐ たので ある。 おそらく、 時代 的 

概括の 兑事 さから 言って、 この 作品 は 他の 多くの 歷 的 作品 を壓 倒して ゐる。 

そして、 三十 年に 亙る 時代のう ねり を 全篇に うねらせた ことから しても、 こ 

の 作品 の 豊かな 包括 力 に は 驚く ベ きものが あ る - 

尊王攘夷 をめ ぐっての 各 勢力の 抗ゅ對 立と か、 王政復古 或 ひ は IE 港條 約の 

締結、 五ケ^の 御 誓文の 宣布、 藩籍 奉還な ど、 その他、 大小 無數の 政治的 動 

き は 別と しても、 人民の 生活の 描寫 からさへ、 維新 史は 作品にまで 篥 約され 

てゐ る。 先づ 封建的 支配 型 態 並びに 搾取 型 態に 對 する 反抗 は、 木; 谷 ー帶の 

運輸に あたる 牛 方 仲間が、 問屋の 不正に 抗 して、 (母議 を 惹起した ことに あら 

はれて ゐる C 

「下民 百姓の 眼 を さませまい とする こと は、 長い こと 上に 立 つ 人達が 封建 



時代に 執って 来た 方針であった。 しかし 半藏 li この 街道 筋に 起って 来た 見の 

がしが たい 新しい 現象と して、 あの 牛 方 事件から 受け入れた 感銘 を 忘れた か 

つた。 不正た 問屋 を 相手に 血戰を II き 抗爭の 意氣で 起って 来たの も あの 牛 行 

司であった こと を 忘れたかった。」 (「第 一 部. 一、 第三 章- かう した 人民の 生活 か 

ら 封建 制への 反抗 はし だいに 熟し、 海外 貿易の 實際 的な 開始 も、 また 民間の 

商人た ちの 手で はやく 行 はれた。 

美 濃 中?^ 川 宿の 商人、 萬屋 安兵衛が 手代 嘉吉 及び 同町の 大和 屋李 助と とも 

に 生糸 輸屮ぃ K 易 を 謀り、 半藏の 師匠であった 醫師宫 川 宣齋を 加へ て、 IT 濱 

港 5? へ m 向いた の は 一 八 五 九 年 (安政 六 年) 十月の ことであった。 中 津川宿 か 

ら江戶 まで 百 里 近い 道 を 踏み、 It 道筋の 危險を 冒して まで 生糸 貿„ ^こど 行った 

こと は、 廣く は驛路 につら なる 地方が いかほど 敏感に 時代 を知覺 し、 社會的 

變動 がいかに 鋭く この 山間 地に 反映し たかを 示して ゐる。 美 濃の 端に 位置す 

る 一 小驛 から、 他に 先んじて、 资本 主義 的發展 に適應 する やうな 貿易 家 を 生 

んだ事 黄から、 すでに 资本 主義 經^ への 移行の 必然性が、 封建 制 下に 成熟し 



492 



つ つ あ つたこと を 私 ども は 知る ので ある。 

民衆の 生活に、 時代 はさら に 動きつつ あった。 r 時 は (一 八 六 八 年、 慶 應三 

年) あたかも 江戶 板の 新聞紙が 初めて 印行され ると いふ に 常る。 東征 先 

鋒兼鎭 撫總督 等の 進 m する 模樣 は、 先年 橫濱 に發 行され た タイ ムス、 又はへ 

ラ ルドの 英字新聞 を 通しても 外人の 間に は 報道され てゐ た。」 (「第二 ザ ご、 ^ 

二 章) とい ふ。 この 新聞紙 經營 はいつ そう 發^ し、 一八 七三 年 (明治 六 年、 

に は、 名 古屋本 町の 文明 社から、 地方 新聞の 魁け として 木版 彫刻 半紙 六 枚ハし 

週報 『名 古屋 新聞』 が發 行され、 木せ 福 島の 町へ 赴いた 半藏 はこれ を兑 てゐ 

る。 これ は 文明開化の 相で ある。 . 

また、 U 夜明け 前』 は 封建的^ 分 制度からの 解放 も 描いて ゐる。 一八 六 九 

年 (明治 二 年) に 於け る藩籍 奉還から * 一 八 七 一年の 廢藩^ 縣 並びに 秩祿處 分 

等 を 具體的 契機と して 身分 關 係の 解放 は はじまり、 やがて 四民 平等に よる 人 

權尊 の 呼び 聲は 招来され た。 この こと は、 すでに 早く 萌芽した もので、 攝 

津渡邊 村の XXX は 自由 民權 思想の 洗 をう け、 慶應 末年に 幕府 へ 解放の 上 



495 



: を s;.- 巾 I したと 言 はれる。 身分 制度の 變改 は、 一面、 士族 階. 級の 沒落を 招 

來し、 遍卒、 人力車 夫 等に 身 を 落した ものと か、 或 ひ は その子 女中に は、 娼 

婦 にまで 轉 落した もの も少 くたかった と 言 はれる。 これらの 事情に ついて 島 

崎 氏 は ほとんど 稱れ ぬし、 果して、 全面的に 解放 はなされ たかに ついても 筆 

は 動いて をらぬ。 僅かに X X X の 歡喜を 述べ、 ここに その 動き を in 示す るに 

止 どまって ゐる。 これらの 點は、 やはり 私 どもに は 物 足らぬ。 

ともぁれ維新^を^^-約づけ、 その 時代相 を 包括す る意圖 は、 作者の 胸中 を 

充 たして ゐた。 一. きの ふまで 手形な しに は 關所も 通られなかった 女達が、 男 

の 近親^と 連れ立ち、 長途の 旅 を 試みよう として、 深い 窓から 出て 来たの だ。 

…… と 同じ やうな 參拜 の 風俗で、 解き放 たれた 歡呼を あげて 行く かに も 

见 えて ゐ た。」 (「第二 部」、 第三 章) これ は 王政 r& 古 第一 年の、 木骨 地方に 於け 

る!: 近 風俗の 一 小 である」 女性の?^.〕 外 進出 を 通して、 ここに も、 維新に よ 

つても たらされた 風俗 習^の 變 移が 現れて ねる。 

!:^ 外國 との 交 涉の進 を 示す ものに は、 明治 改元 前後に 流行した 一 萬圃公 



494 



法」 とい ふ 言葉が ある。 つづいて 半藏 は、 明治 六 年 木贫王 瀧で イギリス 人に 

逢って ゐる。 この 外人 は、 同年 十月から 開かれる 愛知 縣英; ぉ學 校に 赴任す る 

もので、 木贫路 にも 外人 を迎 へる ほど、 文明開化の 風 は 没 潤して きた。 明治 

十二 年 (一八 七 九 年) に 到って は、 鐵道 建築 技師と して 雇 はれた 英人グ レゴリ 

ィ • ホル サムと いふ 人物 も 木 酋 街道 を 訪れて ゐる。 

ここに見てきたほどの15^^枘は、 すべて、 政治的 變 革に 直接 關聯 する もので 

はない。 しかし 三十 餘 年間に 激動した 政治的 • 社會的 動搖を 巨細に 瓦, つて 敍 

述 するとと もに、 これら 人民 大衆の に 動きつつ あった もの を それぞれに- 捉 

へた こと は、 『夜明け: sg』 をして、 璺 かな 包括 力と 時代 的 概括の 見事 さ を 成 

Ei- せしめた のであって、 それ ゆ ゑに、 作品 は活々 と 時代の 人々 の 生活 感^ を 

語る ので ある。 



495 



mo 想の 時代 的 性格 

『夜明け 前』 に 於て は、 全篇 を 通じて 平 田 篤 胤の 思想が つよく 支配して ゐ 

る。 それ は 主人公の 半 藏が篤 息に 傾倒して ゐ るからで あり、 從 つて 半 葳と往 

來 する 人々 も、 主として 同門に 結ばれて ゐる からであった。 

南 信 東 濃 地方 は、 n 十く から 平 田 派の 人々 が 活動した 土地で ある。 慶應 三年 

當時 はお そらく 平 田 派の 全 成 肌 期と 見られ、 全國の 門人 數は約 三千 人を數 へた 

とい ふ。 そして 伊那 地方に あって は、 前年から この 年の 春に かけて 一 擧に百 

入の 人 門 者を迎 へたと あり、 中 *!; 川 宿の 景藏、 香藏を はじめ 暮 田正暮 、 $ 

1^^^とぃふゃぅた人々は、 その 思想に 含まれる 理想 性に 憑かれて、 政治的 活 

動 を 行って ゐる。 

知識人の 怨^ を まねいた 異學の 禁止 は! 政 年度の ことで あり、 同時に 幕府 

は (一七 九 二 年、 宽玫四 年) 昌 平 坂學問 所學规 五则を 規定し、 その 第二 則の 中 



ゆ 



に 「勿 f*^^ 政. 一 とした ものであると いふ。 これ は智 識,^ の 抑^と ともに、 ん 

民の 覺醒 を囚 へる 施政方針- よるが、 しかし 時代の 發 1 八 を, 止す る こと は不 

可能であった。 1K; 淵、 宣長、 賴春 水、 山陽 等の 思想 的 知識人が すべて 平民の 

中から 誕生し、 秋 成、 一茶、 蕪 村、 曙覽 等の 文學人 もまた 平 K 階級に ® した 

人々 であった こと は、 思想 並びに 文畢藝 術が、 人民 大衆の 手に 渡りつつ あつ 

たこと を 思 はせ る。 それにしても、 例へば 平 田 篤 胤の 思想 は 未だ 論现的 性格 

を缺涂 し、 自己の 內 部に 幾多の 矛盾 を內藏 して、 理論^系 を 組成す るまでに 

は 到らなかった とされて ゐる e これらの 思想の 特徴 は、 一つの 反抗す る精祌 

に 求められ、 そして 「批判的の 如く 見えた 思想 も、 全くた だ 或は 文學上 或は 

藝術上 の 因 に對 する 反抗、 或は 信仰 上 或は 思想 上 の 因 製に 對 する 反抗に と 

どまり、 根本的に 批判的で はあり 得なかった ので ある。」 羽 仁 五耶 氏」 

平 田 篤 胤の 思想に 見る この やうな 特徴 は、 その 門人の 階級 的 分布に 反映し- 

入門 者の 中心 をな す もの は 床屋、 本陣、 問屋、 醫者、 もしくは 百姓、 町人で 

あり、 武士階級に 多くの 共. 者 を 求める こと は 困難であった。 從っ てこの 



497 



想 は 民意に 接近し、 半 藏が篤 胤と ともに 敬慕す る國學 の先驅 者、 本居宣 長に 

しても、 「大人が 古代の 探求から 見つけて 來 たもの は 直 毘の靈 の 精神で、 そ 

つづ お c づ から 

の!;::;: ふところ を 約め て 見る と、 自然に 歸 れと敎 へた ことになる。 より 明るい 

世界への 啓示 も, 古代 復歸の 夢想 も、 屮 世の 否定 も、 人間の 解放 も、 又は 大 

人の あの 戀愛觀 も、 物の あはれ の說 も、 すべて そこから 出發 して ゐ る。, K 「第 

1 都」、 SS ことによって、 反 幕府 的 傾向 を 思想して ゐ るので あった C 

この i^. に、 平 田 思想の 時代 的 性格の 特徵 とその 實踐 性が 生じた。 その 思想 

の 股 目 は 中世の 否定で あり、 中 f の 否定 は 封建 性への 反抗で ある。 そして、 

封建 性への 反撥 は 幕府との 對 立に 他 ら なかった。 それ は r 人欲 も天现 なり」 

とし 「情 をも撓 めす 慾 を も 厭 はない 生の 肯定 はこの 先達が 後ろから 

歩いて 来る ものに 遣して Sfil いて 行った 宿題で ある。」 (「第二 部、 第 十 章. P とす 

る 人 11 性の 大らかな 解放の 理想から、 轉 じて は 「次第に 贲行を 思 ふ 心 は先づ 

そこに 胚胎した。」 ので ある。 平 田 諸 門人が 維新の 事業に 參 加した の は、 そ 

れゅゑ 思想 の^代 的 性格から して 常然 であり、 『夜明け 前』 に 描かれた 活動 め 



狀 態 は、 その 主なる もの だけで も 次の 諸 項 を 見る。 

• 古史 傅』 三十 I 卷の 上木頌 布。 ,祭 政 一 致と 神怫雜 S3 の 宗教改革。 足 利 氏の 

太像を斬首して三條河^^に哂す" 武田 饼雲齋 一 黨 へ の參 加。 ^^i j ^^0m.0 

との 妥協 斡旋。 ^那 山吹 村への 篠山祌 社 創立。 江戸から 信 州への 篤 瓶の 板木 es^: 

平 S 鎮 ar 延^ を はじめ 諸 門人の 新 政府への 參與 とそれ 以前に 於け る 政治的 活動: 

景藏、 香藏外 十一 人に よん 束 山道 軍の 嚮導。 各 神社への 赴任。 半 蔵の 敎部省 勤務 

と、 飛驛 の^ 水 無 神社への 赴任。 

列舉 した 活動 狀 態から すでに 察知され る やうに、 平 田 派の 思想 は その 最初 

に 於て 實踐 的. 進歩的で あり、 その後 期に 於て 保守的. 逃避的であった。 

想の 根幹 を 成す 古代 復歸の 夢想 は、 なんとしても 一 定の實 踐性を 規制され、 

そこに 多分の 保守性 を 5: 包すべく 宿命して ゐる。 これに ついては、 島 崎 氏 も 

「 …; あの 國學者 仲間の 保守が 進步を 孕んで ゐ たこと に 想 ひ 到りました。 さ 



499 



もたくて、 あの 平^ 一門に 佐 藤 信 淵の やうな 人が ある こと は考 へられません 

からね。」 (一九 三 五 年末の 应談會 にて) と 言 ひ、 はるか 以前に は、 作品 『新生』 

で 「今にな つ て 彼 は 古典 の 精神 を も つ て 終始した 父 等が 當 時の 愛 國 運動 に參 

加した こと や、 畢 問から 赏 行に 移った こと を 可成 重く 考へ て 見る やうに なつ 

た。」 と! 百って ゐる。 

作 us 『夜明け 前』 が、 して 進歩的で あるか それとも 保守的で あるか、 二 

つ に 分岐す ベ きモメ ント はこの 點 11 平 田 思想の 時代 的 性格 をい かに 見る か 

にか かって ゐる。 このと き、 私 ども は 在った 思想の、 變革 期に 於け る 特徴 を 

ねばならぬ。 そして 島 崎 氏 は 思想の 寳踐 性と 歷 史的 性格 を玴 解し、 一, 平 田 

門人 は i 仅古を 約束しながら、 そんな 古 は どこに も歸 つて 来ないで はない か。」 

(「^二 都」 、第 十 一二 章) と、 それが 立憲 的由自 主義との 間に、 軋櫟を もよ ほし 

た 隨閒に 生じた 保守性 を 指摘し、 それの 沒落を 宣告して ゐる。 民主的 精神 を 

包 十る,; i3 崎 氏の 態度が、 ここに 歷史の 現實に 密着して をり、 思想の 時代 的 

推 を、 考 へ 得られな かつ た 半 蔵の 悲哀 をい とほ しんで ゐ るので あつ た。 



500 



o 

歷史の 意思 (第 一 部に 就て) 

馬 籠 {5 の 位置 

『夜明け 前」 の 舞臺の 中心 をた す 馬 is 佰は、 東 山道 11 木 曾 街道 六十 九 次 

の 一 驛 として、 その もっとも 西の 部分に 位置し、 常置の 人馬 僅かに 二十 五 人、 

二十 五 匹で 糟 立てす る小驛 であった。 東 は 八十 三 里を距 てて、 江戶 に 到り、 西 

は大^^を經て京都に通する。 その 地勢の 概略 を 言へば、 「H1 箭は木 肯 十 了 M 

の 一 つで、 この 長い^ 谷の 盡 きたと ころに ある。 西より する 木 曾路の 最初の 

入口に あたる。 そこ は 美 濃 境に も 近い。 美 濃 方面から 十 曲 峠に 添うて、 まが 

りくね つ た 山路 を 攀ぢ登 つ て來る もの は、 高い 峠の 上の 位 S に こ の 宿 を: nj- つ 

ける。 …… 山の 中と は 言 ひながら、 廣ぃ签 は惠那 山の 麓の 方に ひらけて、 ! K 



!^の平野を|5|^|むことの55來るゃぅな位:.^^にもぁる。 何となく 西の 筌氣も 通つ 

て 来る やうな ところ だ。」 (「序の 草」) 

この 山間の 小驛に 事件 は 次々 に 展開し、 作者の 眼 は 土地の 生活 を 通して、 

政治的. 社會 的な ものの 動搖 推移 を 仔細に、 的確に 捉 へて ゐる。 作品 構成の 

仕.^ と、 諸^$件の布,ほとの脈絡は、 全!; 的な 舞 臺と馬 籠 宿との 關係を 拔き差 

しならぬ までに 組合せて ゐ るが、 生活の 基 點が靑 山 一 家 をめ ぐって ゐる こと 

からして、 舞^の 屮心 はや はり 馬 籠 宿に ありと 見て よい。 そして 作者 は、 こ 

の 地方の 生活 型 態 を あらゆる 面から 描き だし、 他の 作品に 於ても さう であつ 

たやう に、 十: 地に ついての 並々 ならぬ 愛 を 注いで ゐる。 風俗 習惯 から その 日 

《お 生活 を 描いた ものと して は、 半藏の 結婚式、 食物の 山^ 的 特徴、 秋祭りの 

51 ポ踏 狂言、 または 嫂樂 設備に 乏しい 土地の人々 の 歌舞伎への 熱愛な どが ある。 

封建時代に 於ての 農 ni- 心理 を 巧みに 示した 部分 は、 凶年に 際しての ざ はめ 

きで ある。 『夜明け 前』 第一 部に る 自然の 脅威 は、 枚舉 にいと まない ほど 

で、 それに 社,^ 的 動. g がから み 合って ゐ るの だ。 準 魃の雨 乞 ひに^ 勢 木と 稱 



502 



する 神木 を 河へ 流して 伊勢大神宮へ 祈- 1 を こめる あたり、 お ほかた 石の 落 ^ 

下と 思 はれる { 仝の 光 を、 凶年に 結びつける あたり、. 11 封建時代の 1" さと 土 

地の 風習 を 思 はせ るので ある。 また 安政 元年 ( 一 八 五 四 年) 十 一 月に^つ た大 

地! に つづいて、 か: 年 三月 あたり 「惡 病が 流行す るか、 大風が 吹く か、 大雨 

が 降る か 乃 至大 饑饉が 來 るか、 いづれ 天地の 間に 恐し い^が 起る。 もし 年 を 

祭り 替 へるなら、 その 災難から 逃れる ことが 出来る。 こんた^が 何 處の國 か 

ら ともなく この 街道に 傳 はって 來 た。」 (「第二 章」) とき、 その 流言の 暗示に 

恐怖して 正月の 祭り 替へを 行 ふな ど、 一年の 中に 一 一度 も 正月 を迎 へる やうた 

こと は、 その 心现に 困難な 生活 を內容 して ゐ るので ある。 { 们驛 として 比 的 

金錢の 動き も 多い 土地柄ながら、 農 山村の 生活 は 一 般に 苦しい ものであった。 

動搖 し. 泥亂 する 社 會相を 反映して、 馬 籠 1 佰の 生活 も資に 暗い。 牟魃、 地. 卞; r 

暴風、 饑饉、 火災、 -C 亂 11 それらが?^ 斷 なく 災禍す る。 生活の 難 さは 盜木、 

^山 口論、 牛 方 爭議、 助鄉 制度の 動搖 となって 現れ、 殊に 盜木 ^件 は、 夥し 

い 樣牲者 を 村 中から 送り だした ことによって 印象的 だ。 馬 籠 宿 は ほ 張^ 領に 



p 、 その 直轄 者 は 木 曾 谷 中の 行政 權を 掌る 福 島の 代官 山村 氏で、 山林 盜伐 

に は嚴罰 主義 を もって 臨み、 地方 民の 頭に 生活の 暗 さ を 織り こんで ゐた。 自 

.E 林と して、 村民の 立ち入り を 許される の は 明 山と 呼ばれる 部分に 限り、 巢 

山、 山と 呼ばれる 區域は 絕對に 入る こと を 許されぬ。 明 山に しても、 檢木、 

根、 明 n^、 ^5 野 橋、 機の 五木 は 伐木 を 禁止され、 違反者 は 容赦た く 吟味し 

處 刑の t^Er に 逢 ふ。 しかし 高惯な 五太の 盗伐な しに、 牧人の 乏しい 山間 村民 

の 生活 は 支 へ られる もので なく、 一 舉に 六十 一 人と いふ 多数の ものが、 ^^^u 

人预けとなった^£^-件さへぁる。 その 折、 一人の 人民 は訴 へて ゐる。 

「畏れながら 巾し 上げます。 木せ は 御 承知の 通りな 山の 中で 御座います。 

こんな 田畑 もす くない やうな 土地で 御座います。 お 役人 様の 前です が、 山の 

林に でも 鎚 るより 外に、 わたくしどもの 立つ 激は 御座いません。」 (「序の 章. P 

この 年 半葳は 十ん 歳で あつたが、 この 光景 を^き 見て、 その? i からし だいに 

人民への 意思が ー许" はれた ので ある。 



504 



彼 は 庭の 隅の 梨の 木の かげに 隱れ て、 腰 繩.. を かけられる 不幸な 村 を 見て 

ゐた ことがあ るが、 ! s$ な M; 叙 や 小 前の もの を 思 ふ 彼の 心 は旣に その から t» は 

れた。 馬 籠 太陣の やうな 古い 歴史の ある 家柄に 生れながら、 彼の 股が 上に 立つ 役 

入 や^ 威の 高い 武士の 方に 向 はないで、 いつでも 名も無い 百姓の 方に 向 ひ、 ^顺 

で 忍耐 深い ものに 向 ひ 向 ひした とい ふの も、 一 つ は^ほに 仕へ て 身 を愤ん で來た 

少年 時代からの 心の 滿 されが たさが 彼の 內 部に 奥深く 潜んで ゐ たからで。 この 街 

に 荷物 を運拨 す る 牛 方 仲間の やう な 、 下 SS? にある ものの 動き を兑 つける やうに 

なった の も、 その 彼の 眼 だ。 (「第二 章」) 

木 曾 谷に 住む 人々 の 生活 はおよ そこの やうで あり、 產物 もす ベて、 木 に 

關聯 する 檢木 笠、 割 籠、 お 六 櫛、 諸種の 塗物な どで ある。 作者の 愛 を もって 

活々 と 描かれた 馬^ の 動きのう ち、 幾らかで も 明るい 部分と 言へば、 「送 

られつ 这 りつ 菜 は 木骨の 秋」 とい ふ 芭蕉の 句 塚 を 建てる ところと か、 ァ トリ 

と 呼ぶ 鳥 三十 羽に 茶漬 三 杯 を 喰べ 合 ふ競审 とか、 または 五日 I? にわた る半藏 



505 



の 婚式、 それに 祭禝狂 一一 u くら ゐの もので あらう。 そして r 到る ところに 森 

林を兑 る 山 ii の 地勢で、 草莉る 場所 も少ぃ 土地 を爭 ふところから 起って 來る 

境界の ごたごた…—」 (「第五 章」) 草 山 口論に しても、 時代の 暗 さ を 背景に し 

た 地方::^ の 迫に 他たら ぬのであった。 

ぶ m 半 藏の肖 

宿の 本陣、 庄屋、 問屋 を 兼ねる 靑 山家 は、 根 州 三 浦から 移住して この 

土地 一^ を拓 いた 靑山監 物の 子孫で、 非常に 古い 家系 を 背景し 往時に は 代官 

役 を 勤めた-お 柄で ある。 半藏は その 十七 代 目に 當る。 この 家系に ついて 作者 

は 相 常 細^に しるして ゐ るが、 『夜明け 前』 に 登場す るの は 吉左衞 門 及び そ 

の 子、 ^藏の 二 化で、 大部分 は 半藏を 中心に 作品 は 構成され てゐる G 

そして、 この 家系の 人々 の 性格 は、 見落す ことので きぬ 大きな 要素と して 6 

作品に 打ち こまれ、 半藏の 行爲と 心理 は、 家系の 性格 並びに 時代 的 感情の 結 ^ 



合に よって 裏う ちされ てゐる ほどで ある。 江戶 から 日光、 相 州 三 浦への. 刊 

に 際して、 半 藏は. 竣 てから 傾倒して ゐる平 田 篤 胤の 門に 人る ので あるが、 ム 

門の 許し を 父の 士 :! 左衛 門に 求めた とき、 「行く行く mTiM の 本陣 を樓 ぐべき 半 

藏が寢 食 を 忘れる ばかりに 平 田 派の 學 問に 心 を 傾けて 行く の を 案じない では 

なかった。 しかし 吉左衞 門 は 根が 好學の 人で、 自分で 畢 問の 足りたい の を 3;?- 

いて ゐ るく らゐ だから、 お前の 舉問 好き も そこまで 來 たか、 と 言 はない ばか 

りに 半 藏の顏 を 眺めて、 結局 子の 願 ひ を容れ た。」 (「第三 章」) ので ある。 心 

の 奥底で は、 どちら かと 言へば 現狀 維持 を 欲して ゐる宿 役人の 一んで あった 

吉左衞 門が、 反 幕府 的 傾向の つよい 平 田 派の 門に 人る こと を 許した こと は、 

ともかく 一 つの 決 斷に違 ひなかった。 當時、 平 田 派の 思想が、 その 反 幕府 的 

傾向から 實踐的 性格 を與 へられて ゐる こと を考 へるならば、 ここに、 半藏た 

ら びに 士" 左衞門 をつつ む 家系の 性格が、 あきらかにされて くる。 

この 作品に 半藏は 多感な 知識人と して 登場し、 それ を 描く 作者の 心情 は 温 

かい。 この こと は、 島 崎 氏が 半藏 をと ほして 同時にお のれ を 語って ゐ るから 



507 



で、 半藏 の^ 部に 横た はる 島 崎 氏の 風格 も、 また 靑 山家の 家系の 性格に 列な 

る溫^ 性と 直情 性 を そな へて ゐる。 本陣、 庄屋、 問屋の 三役 を 兼ねる 靑 山家 

の 人々 は、 本陣と して は上署 階級た る 武士に 接し、 庄屋と して は、 民意 を 5 

映 L て 下 £^ 階級の 意思 を 代表す るので あつたが、 半 藏の氣 持 或 ひ は 意思 は、 

主として 人民の 側へ 注がれて ゐる。 島 崎 氏が 幾つかの 作品 を もって、 た 首 一 的 

情-ゆ < 民への 愛 を 示した こと は、 遠く その 志向に 於て、 ここに 原 質 -て 

ゐ るので あった。 

人尺への^:^思は、 例へば 草 山 口論に あたって、 

「百姓に は 言擧げ とい ふこと も: 史 にない。 今 こそ^ 山の 爭 ひぐ らゐで こんな 内 

輪 in.f. をして ゐ るが、 もっと 百姓の 眼 を さます 時が 來る 」 

さう 半 藏は考 へて、 庄: としての 父の 名代 を 動める ために、 福 島の 役所 を さし 

て 出掛けて 行く ことにした。 

を 離 わてから、 彼 は そこに ゐ ない 人達に 呼びかける やうに、 镯 り 言つ て 見た。 ^ 



「同志 打ち は 止せ。 今 は、 そんな 時世 ぢ やない ぞ」。 r 「第五 章」) 

と 言 ふところ にも、 端的に 示されて ゐる。 これらの 點に、 半藏 たらび に.: iS 

崎 氏の 人道 性が 交流し、 作品の 背後に、 いつも 溫ぃ 人間性が 感じられ るので 

あった。 從 つて 半 藏の內 部に 橫 たはる 島 崎 氏の 分身 は、 示の 性格への 必然 

的な 歸結 からして、 半 藏を相 州 三 浦にまで 遠く 旅立た して ゐる。 作品 『^1^』 

に 於て、 明治 年代に 入っての 家 を 克明に 描寫 した 島 崎 氏 は、 夜明け 前』 に 

於ても 再び 紋車 を囘 想し、 それ をめ ぐって、 暗々 に 人民への 意思 を 宣言した 

と 見られる の だ。 

知識人と して 時代の 動きに 思 ひ を ひそめる 半藏 は、 一 面 大らかな 人 問 性 を 

希求し 理想す る 人で あり、 他面、 直情 性と 道 德性を 自律す る 道義の 人で ある。 

その 人間と しての 歩み も 忍從の 重々 しさ を そな へ、 內 おし 自責し、 艱難な 時 

代に、 より 直ぐなる 精神 を もって 身を處 さう として ゐる、 木 曾 谷の 人々 への 

愛、 村童の 敎育、 庄屋、 本陣と しての 勤め —— この やうに 直情し 道德 する 意 



509 



思と ともに、 父の 病 一 I- 平癒の 祈願に 王 瀧 神社へ 參詣 する やうた 人で も ある。 

吉左衞 門に しろ 半藏 にしろ、 惡 德に對 する 憎惡を 燃やして、 時代の 暗 さ を 

しばしば 悲歎す るので あった。 「日頃 上に 立つ 人々 から やかましく 督促 せら 

るる こと は、 銜 道の 好い 整理で ある。 言葉 を かへ て 言へば、 建 社會の 秩序 

である。 しかし この 秩序 を亂 さう とする の も、 さう いふ 上に 立つ 人達からで 

あ つ た。」 (「第 一 章. 憎惡 する 高邁な 精神 は 到る と こ ろに 見られ、 そ こ に半藏 

は、 やがて 崩壊す る で あ らう 封建 制 の 暗 さ を 感じと つて 焦慮して ゐる。 

この こと は、 しかし 半藏の 生涯 をめ ぐって、 不可避の 悲劇 を もたらし たの 

である。 それ は 時代 を 明かる い 方へ 促すべく、 實踐 する か 否か を 思 ふ 心で あ 

つて、 半藏の 周國の 人々 は、 すでに 變革 期の 潮流に 幾人 か 身 を 投げ入れて ゐ 

た.^ 「平 田^ 胤殁 後の 門人 等 は,, しきりに 赏行を 思 ふ 頃であった。 伊那の 谷 

の方の#:彼は.一::河{^^を足だまりにして、 京都の 公卿 達の 間に 遊 說を思 ひ 立 つ 

ものが ある。 すでに 出發 した もの も ある。 江戶 在住の 平 田鐵版 その 人 すら 動 

き はじめた との 消息 すら ある。」 (「第五 章」) そして、 半藏 とともに 醫師宫 川寬 



に 學んだ 中津川 宿の 景藏、 香藏の 二人 も 政治の 中心地、 京都へ 赴き それ ぞ H 

れ 活躍し、 平 £ 門人 中には 暮田正 香の やうに、 足 利 尊 氏の 木像 を 晒^に して 

木 背へ 逃亡し、 率藏 方に 一 夜の 宿 を 求めた 人 も ある。 或 ひ は 同門の^ 山, ¥治 

は、 筑波 山に 討幕の 錄 火を擧 げた 武田 耕雲齋 一 黨に與 して 死んで ゐる。 人々 

の 動きに 觸 れつつ、 ときには r 假令 京都まで は 行かた いまでも、 最も 乎 近な 

尾 州 藩に 地方 有志の 聲を 進める だけの 狹ぃ扉 は半藏 等の 前に 11 かれて ゐた。 

彼 は 景藏ゃ 11^ 藏とカ を 協せ、 南 信 東 渡 地方に ある 人達と も 連絡 をと つて、 そ 

ちらの 方に 手を盡 さう とした。」 (「第 十二 章ヒ ので あるが、 しかし、 なほ 半 

藏は、 Et 籠 宿の 本陣、 庄屋と しての 仕事に 沒頭 しなければ ならなかった。 

寳踐 への 意思と、 宿驛の 勤めに 囚 はれる ことによって、 半 藏の內 部に かも 

された 相剋 11 それ は 寂 塞し 焦燥す る 人の 姿で ある。 所訟、 夢 多くして、 貧 

踐を 許されぬ 知識人の 悲 刺が ここに 發 生して ゐる。 この 內, U する 寂雾と 焦燥 

は、 やがて 自 おと 自虐から 意識の 過剩を 呼び、 自己 格闘の しい 心情にまで 

追 ひつめ た。 福 島の 代官から、 神葬 祭の 可否に つき 村々 へ 諮問の あった 折た 



ど、 古代 I 仅 を 思想す る半藏 は、 同宿の 問屋 九 太夫と 激しい 論 爭を戰 はすの 

であった が、 これ も 半藏の 夢と して、 容易に は實 現されぬ ことであった。 1 

1. かう した 自己 格闘の 悲劇 は、 同時に 作者なる 島 崎 氏 も、 すでに 味 ひつく し 

たと ころ だ。 作者が 半藏の 肖と その 生活 を、 温い 感情 を もって 描いた の は、 

けだし 當然 であった らう。 



歷史 の^ 思 、 

「第 一 部」 序の 章に は、 旱魃に 惱む 村民が、 雨 乞 ひの 伊勢木 を 流す ところ 

が あり、 自然の 暴威に I? む 樣が鮮 かに 展 11 されて ゐ るが、 突然、 そこへ 黑船 

»{來 の 報せ が 滲 根の 早 飛脚から もたらされる。 アメリカの 水師 提督 ペルリが、 

四^の 軍艦 を 率ゐて 東海道 浦賀の 宿、 久 里が 濱の 沖合に 現れた の は 嘉永六 年 

(一八 五三 年〕 六月の こと。 それが 馬 籠 宿の 雨 乞 ひと 時 を 同じく した こと は、 



I 2 



なんの 偶然で もない が、 讀者 はこの 場面に 接して、 たに か 胸を衝 かれる やう 

な 暗示 をう ける。 それほど 効 Ej^ 的に この 邊は 構成され て をり、 老成した この 

作家 は、 き はめて 自然に それ を 配置して 見せる の だ。 

ベ ルリの 來航 は、 德川 封建 支配の 運命 を弔錡 する、 外部からの 第一 の 合^ 

として ひびいた。 これに つづいて、 弔 鎵は內 部と 外部から 問斷 たく 時代の { 分- 

氣に 波紋して ゐる。 それ を 作者 は 半藏の 心情 を 通して 次々 に 見、 また 木せ 谷 

1 帶の 人民の 生活の 變 移から 描き だして ゐる。 半藏の 眼に 映る 宿驛の 動きに、 

時代の あわただし さは、 それだけで 封建 制の 動 搖を思 はせ るが、 しかし 馬 

宿 は、 遠く 政治の 中心地 • から 離れた 山間の 小驛 である。 作者 は それらの 政治 

的 jC? 藤 を 作品に 背景す るた め、 隨 意に 江戸へ 京都へ、 或 ひ は 外國軍 腔 の 来航 

した それぞれの 港 へ 敍述 の 筆 を 移し、 巨細に 亙つ て 錯綜す る 事件 を捉 へ て ゐ 

る。 『夜明け 前』 の 作品 地圆を 描いたなら、 これ は 龙大な ものである。 

{#f- の 調^に 相 州 三 浦へ 旅立った 半藏 は、 隣 宿 妻蔬の 本陣 を 勤める 妻の 兄 

毒 平 次 及 び 供の 佐吉と ともに 東へ 進む 途次、 測り 知れぬ ほどの 衝^ を 人心に 



s'3 



與 へた §^:: 船の 正體を 次々 に 聞き 知り、 やがて 江 戶を經 て、 三 浦 半島の 公鄉村 

に 遠い 肌 先の 末裔なる 山上 七郞左 衞鬥を 訪れる。 公鄕村 は、 黑船 上陸の 地點 

に 近いと ころ だ。 水師 提督べ ルリの 座乘 した 三本 マ ストの 旗艦 ミシシッピ ィ 

號、 二 千 人の アメリカ 水兵に 對時 する 護衛の 武士 五 千 人。 武力 を ひらめかし 

ての 港 通商の 要求。 つづいて、 下田 港の 長 泉 寺に 領事館 を 設け 星 條旗を ひ 

るが へした 〔• 取 初の アメリカ 領 ^ハリス。 . 1 半 藏の旅 は、 黑船 をめ ぐる 數々 

の ひ を その 胸に 壞 核した G 

^本 期の 社會 的動摇 を努鬆 す、 る內 外の 擾亂 を、 島 崎 氏 は 木 曾 谷の 生活 を 描 

く 八:: ひ^ 合 ひ 間 に 無数に 叙述し、 それら 雜 然とした ところに、 一筋、 歷史の 

"お 思す る 方向 を 通 はせ てゐ る。 黑 船の 来航、 美 商人の 生糸 貿易、 和宮 降嫁、 

參^ 交^制 度の 崩壞、 長 州 藩の 外 船 砲 中山忠 光の 大和 義擧、 武田 耕雲齋 

ー(:;=- の 筑波山 綠大、 大政奉還—; ー その他、 變革 期の 歷史に 主動した 幾多の 事 

件 を 縫って、 歷史の 意思す る 方向 は その 底 部に 示されて ゐる。 封建 支配の 必 1.1 

然 的-: 朋. と、 資本主義 社會 への^ 展と. :- ふ歷 史の變 革す る 意思が、 第一 部 を ^ 



謓み 終った とき 私の 胸に は充 ちた。 【夜明け前』 第ー部の、 ;^^大の成£^はこ リ 

こに 化ポ屮 され、 最大の 感銘 はこ こに 結晶して ゐ るので はない か。 第一部の^;:- 

阅を私 はこの 點に 見、 歷史の 意思す ると ころに 沿うて 作品 を 構成し、 ^件 を 

布お した 作者の 態度 は、 作品の 興味 を歷史 そのものに 求めて ゐ ると 言 ふこと 

がで きる。 

すでに 多くの 作 { 氷 たち は、 歷 史的 作品 を 荒唐無稽な 筋の 上に 荒^させ、 歷 

史の 3M 貧 を あらぬ.;^ に昏 まして ゐる。 他の 作ク ぶたち の 仕事との 對 比に 於て、 

島 崎 氏の 業!^ を 高く 兑 ような どと は 毛頭 思 はぬ が、 眞實を K: 寅と して 作品に 

まで 肉體 化し、 ただ 一人の 理想的. 英雄的な 人物 を 作る ことなしに、 . ^代 か 

ら 時代へ の 動き を 概括した 作 〔¥ 的 營爲に は 頭 を 垂れて よい。 『夜明け 前』 が 

他の 歷 史的 作品 を壓 倒して、 その 高い 成 を 誇る に 到った は、 ! g:- を眞 

寳 として 語った とい ふ、 ただ 一 つの 作 {| 的 構へ に 因って ゐる。 

ここに 到って 氣づ かれる こと は、 歴史の 流れに 沿 ふ 『夜明け 前』 の 作" 

成の 仕方から して、 描かれた 事件の 一 つ 一 つが、 序の^j;:fの黑船渡來を發llに 



第 十二 S: 十の 王政復古に 到る まで、 一 つの 1* 件 は 一 つの 波と して 次の 波 を 呼び、 

波々 の なり 八:; ひ は、 波 清して 巨大な 交響 樂に 似た ひびき を 感じさせる こと 

である。 朝廷 を はじめ、 幕 "おや 雄 藩の 動向から 無数の 志士た ちの 意思、 先進 

资木主 やれの i* 巡な ど 無数の ものが それぞれの 立場から 對 立し 相剋し、 結合し 

分裂す る 授亂の ひびき は、 しかし 全體 として 一 つの 互大な 昔樂を 構成し、 封 

建 的社會 への 吊 敏と资 本 主義 的 展開へ の曉 鐘と がその 中に 主音し、 次第に 音 

波 を" めて ゐる。 it 府內 部の 勢力 消長と 京都 政情の 幾度び かの 轉變、 參覲交 

代 制度 の改變 とそれ による 諸 藩の 分裂、 或 ひ は 條約勒 許 奏請 と 尊攘 派の 活動 

など、 多 幾の 主要 テ ー マを經 過して、 大政奉還 !- 王政 1 仪 古を迎 へた 刹那、 

ャ.! 湖した 樂: W は 一 瞬に 終る。 

かう した 昔樂 的な 節奏 を 感じさせ つ つ、 第 十一 一^に 於て 王政復古 を迎 へ た 

半 蔵が、 

6 

彼の 耳に §1 きつける 新しい 薛は、 資 にこの^ 本の 筆者の 所謂 「草叢の 中」 から 



来た ことな 思った: 

半 M 《那 山へ は 幾度と なく si が來 た。 半藏が 家の: € 侧の 廊下から よく まれる 

峯の 傾斜まで が 白く 光ろ やうに なった。 一 ヶ月 以 上 も いた 「ええ ぢ やない か」 

の賑 かな 聲も 沈まって 行って 見る と、 この^ 未曾有の 一 大變革 を 思 はせ る やうな 

六 百年 來の 武家政治 も 漸く その 終局 を 告げる 時に 近 い 。街道に は 旅人の 往來 もす 

くない、 山. はすで に 冬籠り だ。 夜と なれば 殊に ひっそり として、 火の^の 拍子 

木 の 音の みが 宿場の { や: に ひびけ て 聞え た。 

と 感慨 するとき、 どの やうな 方向に、 奔騰して 行く であらう かと E ャ はれた 

時代の 波濤が、 的確に 歷史の 意思す ると ころへ 注ぎ、 一瞬の 靜寂 は、 時代の 

大きな うねりと なって 私の 胸に は 感じられる のであった。 第 一 部 を 請み 終つ 

て, 私の 胸に は、 動搖し ,汲 亂 した 一 時代の 光景が tfeil として 去来し、 感慨と 

どめ あ へ ぬ ものが あった。 



517 



驛の 推移 

木 竹 (介 地方に そそがれる, 結 崎 氏の 愛 は、 全!: 的た 規 校に 於て 叙述した 辜 作 

を、 いづれ も 巧み, に收 約して 馬 能 宿の 生活の 內 部に 描き 測 えして ゐる。 作者 

の^が 馬 にお^し、 山 の 一 小驛 から 諸方 を眺ひ ェ するとき、 土地に 對す 

る 愛と^ 化された 作 的 境地 は 見 察に 融け 合 ひ、 半藏を 中心に する 靑 山家の 

尺々 はもと より、 接觸 する 木酋 谷の 人々 の 姿も活 きて くる。 農民 的氣 質と 商 

人的:^-質と、 兩 つながらに 性格 化して ゐる 驛 地方の 人の、 身の 處し 方な ど 

も それと 知られる。 

福.: i§ 代官 所 か ら の 、 神^祭 ij^ 問 にあたっての 华藏と 問屋 九 太夫の 論戰 は、 

一 つの 形に 於ての 新 時代 人の 對立 である。 また 中津 川の 問屋 角 十に 對抗し 

て、 牛 方 仲^が 网 結し 荷- 1: の附 足し を 拒否した 牛方紛 は、 素樸な 形での 勞 



518 



资の衝 であった し、 ^んに 行 はれた 古錢の "1:33; は 財界の?:;^ 亂を うかが はせ £ 

た。 その他、 社ノ t 的 變 革の 兆 を 反映し、 それに 卷 きこまれる 小驛 の有樣 は、 

作お の 土地の 愛に 密着して 描かれ, 宿 驛の 變轉 推移す る 狀態 もな だ らか にす 

すんで 行く。 馬 情!. 钛の 中には、 「公儀から 越 前. 樣へ 御拜領 にたった 細 羊」 

を;.^ 搬 する 途次、 海外 渡 來の獸 を 珍しがって 人々 の 築る 微笑ましい 小;^ W とか、 

鈸 S の 商人が、 橫濱の 異人 屋敷から 貰った 美しい 杏と の石搪 を、 麥 ii 本 

陣の 一: t 平 次 方 へお いて 行 つたと き、 使 ひ 方が 分ら ぬ の で まつめ て しま つたと 

かいふ 揷話も あるが、 しかし これと て、 諸外國 との 交渉が、 攘夷 ふ 豪の 沸騰 を 

よそに して 口 毎に 緊密 化しつつ あった こと を 思 はせ ぬで もない C かう して 作 

者の 眼 は 馬 籠 宿に 定着しつつ、 その 生活に 時代 的 背; t が を 築き あげて ゐる。 

興味 を そそる の は 十五 代將 軍、 德川慶 喜が 大政奉還. を 決意した 頃、 不暴 

なお 札が 諸 地方に 降って きたと い ふ-^ とともに、 この 地方: i: までが なにやら 

浮かれた:;, 浙 分に さそ はれ, 



え えち やない か、 え え ぢ や ない 力 

挽いて おくれよ 一番 挽き を 

二番 挽きに はわし が 挽く 

ええ ぢ やない か、 ええ ぢ やない か 

ええ ぢ やない か、 ええ ぢ やない 力 

臼の 輕 さよ 相手の 好 さよ 

相手 か はるな あすの 夜 も 

ええち やない か、 ええ ぢ やない 力 



とい ふ 「ええ ぢ やたい か」 を、 歌 ひざ はめいた あたりで あらう。 これが 王 

政ー仪 古の、 人民. への 反映の 仕方で あつたか 否か は 別と しても、 大政奉還の^ 

の 巾から なに かしら 明るい^ 分が 流れで たこと は、 人民 ニ般の 希求が、 この 

.ZTg^ の 池 こ. も 溢れて ゐ たこと を 示した に 他なら ぬの だ。 



520 



宿驛 としての 馬 龍 村の 時代 的 推移 を、 たにより 如實に 語る もの は助鄉 制- 

の 動搖 であった。 和宮 降嫁に 際して、 そ C 御 道^に 當る木 杵谷各 宿の 役人た 

ちが 第一 に 困惑した こと は、 果して、 この 未 * "有の 大 通行の 輸送に 應 じられ 

るか 否かと いふ 疑問 -—— とい ふより、 多年の 經験 による 困難 さの 確定 的な 見 

通しであった。 「木 # 街道 六十 九 次の 宿場 は最 n 十嘉 永年 度の 宿場で はな かつ 

た。 年老いた 告左衞 門 や 金 兵衞が いつまでも 忘れ かねて ゐる やうな 天 保 年度 

の それで はもと よりたかった。 いつまでも 伊那 の 百姓が 道中 奉行 の 言 ふなり 

にたって、 これほど 大掛 りな 人馬の 徴 築に 應す るか どうか は 頗る;^ 問で あつ 

た。」 T 第 六 章」) im 役人た ちの 危惧す る 感情に は、 あきらかに 助鄕 制度の 推 

移動 描が 反映して ゐる。 

島 崎 氏 は、 靑山 半藏の 子と して 生れた 人で ある。 從 つて ii? 驛 制度に 關 して 

は、 比較的 資料 も 多かった ので あらう が、 第 一 部で は、 全篇に 亙って これに 

關 しての 記述が 詳細で ある e 



521 



宿 il のこと を 知る に は、 この 厳しい 制度の あった こと を 知らねば ならたい。 こ 

れは^^驟常5^の御傳ぉ.^以外に、 人馬 を 補充し、 繼 立て を應援 する ために 設けられ 

たもので あった。 この 制度が lali 助鄉 だ。 德川 政府の 方針と して は、 病驛 附近の 

. ^村に ある 百姓 は みなこれ に應 ずる 義務が あると して あつたつ 助鄉は 天下の-公 „!u 

で、 進んで その 御觸 當に應 ずべき 御 定めの ものと されて ゐた。 …… そして、 助鄉 

を 勤め る 村々 の 石高 を 合計 一 萬 一一: 百卞 一 石 六 斗 ほどに 見積り、 それ を 各 村に 割 

; {:2 てた。 (flij 六 章」) 

かう した 强制 的た 制度が 充分に 保持され るた めに は、 たんと しても、 街道 

筋に 接近す る €ri- の 生活に 一 應の餘 裕を與 へ、 同時に、 封建的 支配 關係 及び 

生産 關 係が 確立して ゐる ことが 必要であった。 ところが、 當 時の 農民た ちが 

いかに 困^して ゐ るか は、 各地に 騒擾した 農民 一 授が これ を立證 して ゐ るの 

であって、 信 州に 一 例 をみ つて 見ても、 安政 六 年 (一八 五 九 年) に は 伊那 南山 

鄕 三十 六ケ 村民が 投亂 して ゐる。 これ はすで に 安政 二 年 (一八 五 五 年) に 活動 ジ 



を はじめ、 總代を もって 歎願し、 江戶に 在る その 地 5^ 身の 齊師を 通じたり- 1 

て、 五、 六ケ年 1^ を 休みた く 歎願し 騒擾した ほどであった。 

この やうな 世相の 險惡 化に つき、 革 山 口論に^ 屋 として 立會 つた 半 藤 は ラ:1 

つて ゐる。 「百姓一揆の 處 罰と 言. へば、 輕 いもの は 答、 入墨、 追拂 ひ、 直い 

もの は 永牢、 打 首、 獄門、 あるひ は 〔冰挨 非人 入りの やうな 嚴 刑で はありな が 

ら、 進んで その 苦痛 を 受けよう とする ほどの 要求から 動く 百姓の 誠 .^:^ と、 そ 

の犧牲 的な 精神と は、 他の 社會に 見られたい ものである。 當 時の ;-務 は、 下 

民 百姓 を敎へ る ことではなくて、 あべ こべ に 下民 百姓から 敎 へられる ことで 

あった。, 一 (「笫 五 章」) 擧を愼 しみ、 美しい 道義 的 觀念を 自律して ゐ る半藏 

すら、 この やうに 思淮 する ほどで あつたの だ、 さらに、 當 時の 武士階級の 腐 

肷 は^だしく、 封 $ ^的 身分 關係 は、 渐次 その 內 部から 崩壞の 芽 を 萌しつつ あ 

つた。 助鄉 制度の 動搖 も、 これに 伴 ふ 必然的な 現象で ある。 

和宮 降嫁に 際して は 与 6 場 を 補 ふ 策と して^ 助 鄕が行 はれた が、 これ だけで 

1 度び 動搖 した ものが 牧 まらう ijn がない。 つづいて 元 治 元年 ( 一 八 六 四 年) に 



523 



は、 木 竹 十て M の總代 ー— 上 四 宿から は赞 川の 庄屋 遠山 平 助、 中 三 宿から は 

福.: :3 の^ 屋设幸 兵衞、 下 四 宿から は 青山 半藏が 江戶へ 赴き、 人馬 徵 がの 激增、 

ぉ驛の 疲弊、 常備 人馬 袖充の 困難、 助鄕 勤め 村 及び 手助け 村の 人馬の 不參等 

の 狀を 述べ、 恒久的 救 濟策を 歎願して ゐる。 これらの 事情 は、 宿驛に 現れ 

た 封建 制の 崩 填 過程 を 意味す る もので、 「百姓と して は、 御 通行の 多い 季節 

がち やう ど 業の いそがしい 頃に あたる。 彼等 は 柔順で、 よく 忍耐した。 屮 

に は それでも 困^の あまり、 助 鄕不參 の 手段 を 執り、 山拔 け、 谷 崩れ、 出水 

なぞ の n 黄に か こつけ てこ の 制度に 對抗 する やうな 村 , さ へ 生じて 来た。」 

(「笫 六 <!:^」〕 のであった。 

n 毎に け はしく たり まさる 世相に 接して、 本陣、 庄屋 を 兼ねる 半藏 は、 い 

かにして 時代の 嵐に 身 をね JI し、 困窮 疲弊す る 村民の 生活 を、 いかに 護るべき 

かに 思 ひ を こめて ゐる。 慶應 一 一年 ( 一 A1 パ六 年」 八月. 馬 籠 その他の 地方 をお 

そった 大 風雨と 飯米 機饉 につ づき、 同月の 二十 口に は 長 防親征 中の 將軍德 

川- X 茂の K れ 去が あり、 なほ Elig おで は 困^の あまり、 九月に は 二 干兩の 金子 



524 



拜借を ns^ 州 藩に 願 ひ てゐ る。 もはや、 ! S の 上に も 時代の 嵐 は 容^な く禍 fe- 5 

き、 一 口と して 安い E 心 ひで 過せ る 日と てたかった。 「暗い 、暗い。,— 半藏 5 

は獨り それ を 言って、 到底 大きな 變革 なしに 越えられた いやうな 封建 社.^ の 

{#湫 の 薄暗 さ を 思 ひ、 cs^ 早 諸國の {仝 に 遠く 近く 聞きつ ける 鶏の^ J^e やうた 

王政^古の 叫びにまで、 その 薄暗 さ を 持って行って 見た。」 (「第 十二 幸」) 

その 半藏の 胸に、 たつ かしい 一 つの 言葉が 浮かんで きた。 

「 一 切 は祌の 心で あらう で ござる。」 (平 田 篤 風) 

a 『夜明け 前』 笫 一部に 描かれた 歷 史的 年代 は、 ベ ルリ 來航の 嘉永六 年 (一 

八 五三 年) から、 王政復古の 度應 三年 (一八 六 七 年) に 到る 十五 年 問に 亙 

り、 年代 は嘉 永、 安政、 f ぉ延、 文久、 元抬、 度 應が數 へられる。 



现想 の 悲劇 (第二 部 を 巾 心に) 

新時代の 相貌 

『夜明け", s』 第二 部 は、 外部から 來 たって、 封建 制 下に 成長しつつ あった 

资木 主義 的 • 嬰 素 を <.!^ 速に 發:^ させた、 「黑 船」 渡来の S 史 から 展 11 される。 

圆山 應舉が 描いた 南 船- - 「試みに、 十八 片 からの 帆の 數を 持つ 貿易 船 

を 想像して 見る がいい。 その 船の 長さ 二十 七 八 間、 その 幅 八 九 間、 その 深さ 

六 七^、 それに 海賊 その他に 備 へる ための 錢砲 二十 挺 程と 想像して 見る がい 

い。 これが 弘化 年度 あたりに 渡來 した 南蠻船 だ。」 (「第一章. D この やうた とこ 

ろから、 作, ォは 海外 貿易の 史、 及び 日本 资本 主義の 黎明 を 漸次に 展閒 する。 

蘭 醫ケン ベルの Ln 木 旅行記』 に 封建 日本 はいかに 反映した か、 また 初期の ! 



オランダ 通商 使節 マウ テン ハイム 一行が 将軍 1^ 見の 樣、 城中贵 入の 前に 浪じ 

た 使節 一 行の 道化た iijcr-l それらの 通商 史 から 描き はじめ、 やがて 百 六十 

年 ほど 距 てて 渡来した、 アメリカ 使節べ ルリの 35 現から 外交 事情 はな 激 に變 

化し、 あわただしく 推移す る。 

一 六 二 四 年 平戶に 出現した 英國船 は、 當時、 , 支那よりも 低廉な 茶 及び 紹 

(生糸) の 供給者と してあった 日本 をめ ざして、 1$ び 文政 年度に 渡来した。 

これに 倫へ て 幕府 は 文政 十 年 (一 八 二 五 年) に 異國船 打 拂ひを 令した ので あつ 

たが、 それが 天 保 十三 年 (一八 四 二 年) に は、 異國 船に して 薪水 支給 を 乞 ふ 

もの あらば 應 じょとの r 薪水 令」 を 出して ゐる。 この 變 化の 事情 は、 支那に 

於け る 英國の 活動が 幕府に 作用した ものと 言 はれ、 『夜明け 前』 もこの の 

推移 を 描いて ゐる。 興味 を そそる の は、 この 時期に 到っての オランダの 態度 

で、 フゥ テン ハイム 時代に は 道化さへ 演じた ものが、 弘化 元年 (一 八 四 四 年) 

には將 軍に 開國 忠告の 書を呈 し, 支那 問國 事情と 英國の 砲火、 諸外國 の^ 業 

革命、 汽船に よる, 界市 の^ 拓等を 細々 と 述べ 鎖 國の否 を 言って ゐる。 こ 



527 



れに 似た 見 は、 最初の 米國 領事 ハリス も 述べて ゐる。 それ は 安政 四 年 (一 

八 五 七 年) に將 :4_il3- を 許された 際の ことで、 口上の 趣 は、 『夜明け 前』 第二 

部 第一 一お に 引例され てゐ ると ころ だ。 

私はジ ョ サイ • ゴンザ リスと いふ、 琉球 人に 會 つた ことがある。 この 人 は、 

「ベ リイが 日本の 本土に 到羞 する ii、 琉球島 を 訪ねて その 王と 幕 位と に會見 

し、 更に 小^ 原 群岛を 訪ねて、 牛、 羊、 種子、 その他の 日用品、 及び 亞米利 

加の 國旗を そこにお 往 する {:: 人の 移民の 許に 殘 して 置いた とい ふ …… 」 (第 一 

霄- その,::: 人 移:^ の 子孫で ある。 その やうに 英米 ニ國 は、 日本々 土に 於け る 

II 港と ともに 琉 球お 國をも 要求し、 弘化 三年 ( 一 八 四 六 年) 幕府 は その 開國を 

蔬? $ に對 して 許 して ゐる。 

それら 幾多の 迂餘, M 折した 末 を經、 安政 五 年 (一 八 五八 年) に 到り、 幕府 

は各國 との ii に, 「安政 條約」 と 呼ばれる 通商 條約を 締結した。 これ は 一 八 九 

^.^ (明: r 二十 七 年) の 改訂 條約 (焚 施 は 三十 七 年) まで^ 镜し、 後年 全力 を 

傾けて 行 はれた 條約 改正 運動 は、 居留地 規定、 治 外法 横、 關稅 自主 權の 否定 ジ 



その他に よって 招来され た。 『夜明け 前 3 は、 條約締 f£ を 含む 和親 修好の 過 つづ 

程 を 第二 部に 冒頭し、 その 間、 しきりに起った排外沙汰を巧みに^^り こんで 

ゐる。 生麥 事件、 三宫 事件、 旭 茶 M 事件、 英國 公使お 都 遭 雑な ど 相つ いで 惹 

起した 事件から、 人 は 「輪5-貿„:^のための物價騰贵が諸^^*輕士大衆を摟夾に 

向って 動; I:::; した, 一 (服 部 之. m 氏) 事實の 流れ を 知る。 

日本 資本主義の 黎明 を 示した 第一章、 第二 章の 敍述 は、 東征 軍の 進 發を知 

つた 暮 S 正 香が、 京都から 伊那へ 向って 歸 おする あたりから、 大網 をし ぼる 

やうな 手捌きの 巧み さで 作者の 手許に 乎ぐ り 寄せられ、 第三 S3f に 到って、 作 

品の 舞臺は 再び 馬 籠 宿 を 中心とする 木 曾 谷に 戻る。 『夜明け 前』 全篇 を 通じ 

て、 この 邊 りの 場面 轉換 ほど 鮮かな 作家 的 手腕 は 他に 見られぬ。 圓 山 應舉の 

南蠻 船闘输 から 筆 を 起した 國際的 折衝の 叙述が、 たちまち 作者の 手許に 引き 

寄せられて 場面 轉換 したと き、 私はその見|3^^^に驚歎した。 そして、 第三 章 

に ひらけた 馬 籠 宿 一 帶の、 新時代の 相貌 は どの やうな もので あつたか。 

先づ 半藏ら は、 岩 倉少將 を總督 とする 征 東軍に 先立ち、 その 先 驅とー H はれ 



た浪士 相良惣 三の 一 隊を it の 上に 迎 へた。 しかし この 一 味 を、 僞 官軍と して 

非難す る 3; 狀が めぐって きたと ころから、 浪士 一隊の 追分 宿に 於け る 自滅の 

悲 刺を兑 た。 まだまだ 時代 は 暗く、 半 蔵が 希求す る 維新の 成就 さるる 日 は 遠 

い。 せ: 求に 關 して すら この やうな 有樣 で、 半 藏は新 政府と 人民の 距離 さへ 見 

ねばならなかった。 

長い こと 姓^が 待ちに 待った の も、 今日と いふ 今日ではなかった か" 昨日、 

一 昨日の こと を 思 ひめ ぐらす と、 I:: に言楚 にも 盡 されない ほどの 辛苦と 艱難と を 

忍び、 共に 共に 武. の 奉公 を 耐へ續 けたと いふ こと も、 この 日の 來 るの を 待ちう 

ける ためではなかった かと。 さて、 總督 一行 (柬 征, m を 指す) が來 た。 諸 國の情 

實^ 問 ひ、 ieS 民 塗炭の 苦 を 救 はせられ たいとの^ 皆 を もたらして 来た。 地方に あ 

る もの は 安堵して 各. H の 世渡りせ よ、 年來 tl? 政に 苦しめられて 来た もの、 その他 

仔細 ある もの なぞ は、 f:!^^ なく その 旨 を 本陣に 屆 出で よと 言 はれても、 誰 一 人 百 

姓の 中から 继ん e 來て下 W に 働く 仲間の ために 强ぃ訴 へ をす る ものが あるで もな 



5 30 



い。 (「第三 章」) 

新政の n にも、 百姓 を はじめ 下&! お 一般 は、 ほとんど 無關 心たい し は傍觀 

者の 態度 をと つて ゐる。 この 事赏が 半藏の 前に ある。 これに は 半藏も へこ 

んで しまった。 

そのと き、 半 藏の足 許に は 「百姓 は 生かさす 殺さす」 とい ふ、 封建的 1^ 取 

關 係が 依然として つづいて ゐ たの だ。 封建的 生產樣 式と 封建的 型 態の 持 

綾され つつあった 日、 半藏の 農民への 期待が、 遠く 失 はれた ままで あるの は 

當然 であり、 それの みか、 その 年 —— 慶應四 年 五月 二十 九 口にに、 この, 地方 

に 於て 最初の 農民 一 投 とい はれる 騷擾 さへ 起った。 これに は 馬 {is の 百姓 も參 

加して ゐる。 

農民と 新 政府 との 距りは 生活の 1" さに 起因す る も の で 、 半藏 の ^ に そ の 困 

窮を 語る 百姓の 姿 を 見よ。 「粗野で 魯鈍 では あるが、 併し 朴直な; sin の 眼 か 

らは、 百姓ら しい 淚が ほろ りと その 膝の 上に 落ちた。 桑 作は聲 もな く、 ただ 



ただ 頭 を 垂れて、 朋 の 答へ る ことに 耳 を 傾けて ゐた。 やがて 御辭俵 をして、 

1^、 士:: と 北へ に その 圍據裘 ば た を 離れる 時、 桑 作 は 桑 作らし い 僅かの 言葉 を半藏 

のと ころへ 殘 した。 ,—— 誰もお^ さまに 本當 のこと を 言 ふ ものが あらす か。」 

(rtsT 五 章, n 馬 箱 宿の kn 姓た ちに 囘 つてき た 新時代の 相貌 はこの やうに 暗く、 

半 蔵の m4 ひも 1" い。 そして ここに 島 崎 氏の 人道 性が あり、 維新の 變革 は、 

して、 cr.^ を W 雑な 生活から 解放した であらう かとい ふ 切ない 疑問が ある。 

「叢の 中」 か ら 

『夜明け 前』 は感 史的 現寳に 肉薄しつつ、 社會 性と 歷史性 を 確實に 性格 化 

した 作" i である。 しかし これに 對 して、 なほ 半藏 をと ほして、 作者が 語られ 

て ゐる とい ふ 事 i から、 私小說 であ ると い ふ 意見 を述 ベ た 人 も 多 か つ た。 

かう した 類 ひの 见方 は、 すでに ひさしく この 國の 文植 に傳統 して ゐる。 私 

ども は、 作" i の 社會的 性格 を 除外し、 悪しき 傳統 から 作品 を 見る やうな 狭 さ 



DO" 



—— つまり 作品に 社 會性を 求める こと を、 梗カ嫌 ふやうな 意見と たたか はね 3 

ばたら ぬ。 そして 『夜明け^: を 私 小說と 呼ぶ 人々 の 眼に、 この 作品が 登 (?? ^. 

に內容 する 歷史 性と 社會性 を、 あきらかにして 示すべき であらう。 『夜明け 

前』 の 作品 構成の 意 Si に 於て、 作者 は 「叢の 中」 から、 時代の 動き を兑る こ 

とに 一 つの カ點 をお いた。 この 叢の 中と いふ 言 は、 かなら すし も半藏 ひと 

りの 感情 を 指す もので なく、 叢 は 人民 一般の 生活 を 包括し、 そこに 作者の S 

向 を 明示した。 この 事赏 からしても、 これ を 私小說 とする こと は 誤って ゐる。 

人 は 『夜明け 前』 の 社會的 性格 を 肯定しつつ、 しかし 「叢の 中」 からと いふ 

意 阅 が、 して 作品にまで 具體 化された か 否か を 見るべき であ る 。 

平 W 篤 胤の 門人が 武士階級に 少く、 その 多くが 庄屋、 本陣、 問屋、 ^者 も 

しく は^ 姓、 町人であった こと は、 それだけで 平 田 思想の 性格 をう かが はせ、 

同時に 半藏の 思想 的 方向 を も 部分的に は 知らし める。 自分 を 一, 憐 むべき 街道 

の權牲 者」 とし、 「庄屋と しての 彼 は、 いろいろな 意味から、 下 にある も 

の を 護らねば ならなかった。」 半藏 は、 從 つて 維新へ 向 ふ 時代の 機述 を、 目 



の あたりに 理解した 際に も、 下稜 みのと ころで それ を 支持す る氣 持に 安んじ 

ねばならなかった。 平 ms? 門人の 政治的 活動に しても、 その 身分 關 係に 禍ひ 

されて、 やはり 舞 察の 裘に ひそむ ものが 多かった。 かう した 點 から、 半藏の 

股 は 主として 下へ —1 叢の 中へ 注がれる 順序と なった ので ある。 

hid 屋 がより 多く 民意 を 代^して ゐ たこと とか、 或 ひ は 庄屋 役に ある 半藏 が、 

叢の 中の 一人と して 生きよう とする 決意と か は、 「日 -3; 百姓 は 末の 考へ もな 

いものと 见 做され、 その 人格た ぞ はてんで 話に たらない ものと 見做され、 生 

かさす 殺さす と 言 はれた やうな 方針で、 衣食住の 末まで 干涉 されて 來た 武士 

の 下に 立って、 すくた くも 彼 は その 百姓 等 を 相手に する 田舍 者で ある。」 (「第 

1 部」、 第ャ 一 ^) とい ふところ にも 語られて ゐる。 父、 吉左衞 門 を はじめ 半 

蔵 や 藜 節の 平タら は、 あまりに も 久しく 武士階級の 鹿橫を 見て きた。 百姓 

がどうな らうと、 人民が どう あらう と關 はると ころで ない、 とい ふやうな 態 

• 肱 は、 人::^ とともに 生活す る半藏 には考 へられぬ ところであった。 

討 it 運動の 發展を 凝視しつつ、 それに 心 を 寄せながら も半藏 はかう 言って S 



「現在の 德川 氏に 當る ものが あると しても、 モの 人が 自己の 力 を 過信し 

い 武{\ ^である 限り、 またまた 第二の 德 川の 代 を 繰り返す に過ぎないの では 

ないかと は、 下から 見上げる 彼の やうな ものが 考へ すに は ゐられ なかった こ 

とで ある。」 cr 第一 部」、 第 十一 章) 封建的 權 力に 對. する 胸" 政からの が、 こ 

の 言 紫に は 結晶して をり、 結晶した ものから は、 胸底に たぎる 愛が 人: の 生 

活に 注がれて ゐる。 それ ゆ ゑ、 これらの 點に、 半藏の 人民への 意思が はっき 

り 感じられる。 

人民への 意思 は 一 つの 形に 於ての 人逍的 精神で あり、 それの 具^的な 方向 

である。 さう では あるが、 人民への 意思と 人民の 生活との 間に は、 なんとし 

て も 容易に は 埋めつ くせぬ 距離が ある。 人民の 中へ、 叢の 中へ -—ー とい ふ 美 

しい 人! 的 精神の 方向 は、 その 叢の 中に、 おのれ を沒 したいと する 意 m わの 作 

業と して、 その どこか しらに 一 應の 限界 性 を 規制して ゐる。 王政復古 を^の 

中からの 力の 發揚と 見る 半藏 は、 「ー體、 草叢の 下賤な ところから 事が 起つ 

たは、 どうい ふ譯 かと 考 へて 見る がいい。 つまり 大義 明 分と いふ こと は 下 か 



535 



ら 上げる 方が はっきり する。」 (第一 部」、 第 十二 章) とい ふので あつたが、 

その^た る 半 蘇の 周圍の 人々 は、 ほ とん ど 政治的 に は無關 心た 態度 をと つ て 

ゐ たので ある。 人 K へ の 意 恩と 人! の 生活との 間 に は、 この やうな 距離が ど 

こまで. も つづいて ゐた。 

^の 中から とい ふ 半 藏の考 へ 方の 限界 性 は、 同時に 作者た る 島 崎 氏の 眼光 

の 限界 性で ある。 『夜明け 前』 第一、 二部に 极 はれた 人民の 生活のう ち、 自 

然の 暴威と か 火災、 饑饉と か は 別と して、 日常生活の 內 部から 刻々 に 深刻化 

して 行った ものが、 極 化し 昂揚した 事件 はおよ そ 三つで あらう。 第 一 は 牛 

方の 問 1^ に對 する 强 力な 對抗、 第二 は 村民 間の 草山爭 論、 この 二つ は 第一 部 

に极 はれて をり、 第三の 事件 は、 第二 部で 半藏が 伊勢 參 りの 留守中に 起る 千 

百 五十 餘 人の 百姓 P 、擾 である。 この 三つの 事件のう ち、 牛方紛 (ザと 農民 一 投 

と はよ ほど 注意. して 兄る 必要が ある。 前者 は、 素樸な 形に 於ての 商業.:.^ 本家 

と 街 近 バカ働 者, この 衝突で あり、 後者 は、 當時 全國に 波及した 農民 騒動に 關聯 

する からで ある。 



5 3^3 



半藏 はかう した 事件の 惹起す るた びに、 世の 暗 さ を 歎く ので あるが、 しか V 

し 作者 は それ 以上 筆 をす すめぬ。 この 農民 騒擾に は 同地 一 帶の 百姓 はもと よ 5 

り、 ii 方と して は i::i、 1. 三留 野、 野 夙、 在 として は IT 村、 柿 ¥ 

與川 その他、 木 曾 谷の 村民が 參 加して ゐる。 一揆の 原因、 當 日の 校 樣、 解決 

條件、 これらに ついて、 作者 は 詳細に 描寫 し記錄 して ゐ るが、 それが 起ら ね 

ばなら たかった 日常生活の 狀 態に ついては ほとんど 觸れ ぬ。 極 化した 闘 ゆ 

型 態に ついて ではた く、 それの 必然性 を 孕んだ 日常生活の 描寫 に、 なぜ 作者 

の 服 は そそがれなかった ので あらう か。 叢に 住む と は 言へ、 本陣、 庄屋、 問 

屋 三役 を 勤める 半藏 は、 なんとしても、 百姓 や 一般 下層 者に 比して 髙ぃ位 S 

に 生活して をり、 彼が 叢と すると ころの 一段 下に は、 ejf^ もなく^ えたもう 

1 つの 叢が あつたの だ。 

この 叢と 幾の 距り は、 人民への 意思と 人 R の 生活との 距離で ある。 この 距 

離から、 百姓 〈浙吉 は 半 藏の內 部へ 鋭く 切り こんで ゐる。 「自分で 作って る f;- 

なら、 まだいい。 どんな 時で も ゆとりが あるで。 水 呑 百姓なん つもの は、 お 



".s さま、 そんた ゆとりが あらす か。 ••:: ほんと に 百姓 は ツマらん ぞ なし、 食 

つて は、 拔け。 食って は、 拔け。 それ も 食って 抜けられる うち はま だいい。 

三月 四月の < 挽 ひ 仕舞と なって さっせれ。 今日 どんな 稼ぎで もして、 高い 米 

でも 3: でも 頁 はなけ り やならん。」 (「第二 部」、 第五 章) これ は 零細農、 貧農の 

寮 だ。 

『夜明け 前』 に兑る 半 藏の裴 は、 ひっき やう 人民へ の 思であった ことに 

^^.きる。 この Si に、 作品の 社會的 性格 は 測られね ばなら ぬので あるが、 しか 

し 依然として、 私 はこれ を 私 小說と 呼ぶ やうな 見方 を 拒否す る。 それ はすで 

に 兌た やうに、 作^ は牛藏 とともに 叢の 中へ 意思して ゐ るからで ある。 

悲劇の 人 

十八^の 少年の 姿で、 第一 部に 登場した 主人公の 青山 半藏 が、 五十六 歳で 

死んで 行った 生涯 は、 あらゆる 點 から 兑て 悲劇的であった。 2? 



身 を 動かしが たい 木陣、 庄屋の { 水 柄に 生れ、 しかも 行動 を^ 求す るお さの 

さかりに 平 W 派の 門に 入りながら、 思想の 贲踐的 性格 を 抑制し なければ なら 

なかった こと は、 必然的に 半 藏の內 部に. 思想と 理想の 內ー U を 来たした) .: 仅古 

の现 想に 憑かれた 半藏 が、 友人ら の 政治的 活動 を 身近に 見つつ 實踐 した かつ 

た ia?^ 情に は、 支配者: i 島 代官との 關係、 糠 母お まんへの 氣 兼ね、 父. f;" 左衞 門 

への 愛な どが 含まれ、 生活 的に は、 この 困難な 時代に 街道の 人民 を 護らねば 

ならなかった からで ある。 

半 藏が隣 {| の 5^ 之 助の やうに 「巾 麻」 の途を 歩み、 上からの^ 力 をす ベて 

受け入れつつ、 生活 を耐 へる やうな 氣 質であった ならば、 そこに はなん の悲 

劇 もなかった であらう。 しかし、 半藏は 知識人で あり、 理想す る 人で ある。 

彼 は 平 田 思想に 含まれる 理想 性 を もって、 封建的 支配に 對抗 した。 それにし 

て も、 理想の 追求 を赏踐 にまで 移し 得ぬ 半 藏の內 部に は、 すでに そのと き理 

想と 實 行の 分裂が 傷々 しく 行 はれ はじめた ので ある。 人が 何ら かの 理想に 憑 

かれながら、 赏踐を 許されぬ ことほ ど 傷々 しい 悲劇 はない。 このと き 彼に 於 



539 



ての 理想と 現赏 のた たか ひ は、 全く 觀 念の 作業で あるに 止 どまる。 そのこと 

からして、 現. 赏が おのれの 希求に 反した 方向へ 動く とき- 理想と 現實の 距離 

はいよ いよ 顿大 し、 撅大 された 空虚から 理想 は ひとし ほ 痛切に 內, U する C そ 

して 內, U した 现想 は、 觀念性 を 意匠して いっそう その 純 粹性を 高める の だ。 

維新の 進行 過程に 常つ て、 半藏は 次々 に 現實の 中で 碎 かれる 理想の 悲劇 を 

味ねば ならなかった。 新時代に 對 する 周 園の 人々 の無關 心、 新時代と 人民と 

の 距離、 宗敎 改革の 意 園 に對 する 新 政府の 信敎 自由の 布吿、 五木 あると ころ 

すべ て {=:: 有 林と するとした 縣 令の 頑迷、 この山林^?^^件に關しての戶長免職、 

平 S 派の. S 激な沒 落 1 - これら は、 半 藏の斑 想が 一 つ 一 っ碎 かれる 傷まし い 

過程であった。 

かう した 現. K の 進行に 接した が、 なほ 半藏は 理想の 純 粹性を 失 はぬ 人で あ 

る。 狂ハ坻 した 半 蔵が 膝-敷 牢に囚 はれた とき、 半藏の 親しい 友であった 中^ 川 

の 4i 藏と、 弟子の 勝 重と は 話し 八:: つて ゐる。 

「維新の 成就 をめ がけて 新國家 建^の 大業に 向 はう とした 人達が 互に 呼吸 



540 



を 合 せな が ら中 r 發 した 當 時の 人の 心 はすくな くも 純粹 であった。 彼 Ijw 蔵の や 

ぅな|^^.^の中にぁるものでも平田 一 門の 有志と 合力し、 いささか この 盛時に 

透 遇した ものであるが、 しかし 維新の 純粹性 はさう 長く i 扱かたかった。 ^し 

い 味から; 一" C へば、 それが 三年と は 縫かなかった。」 (「第二 部、 終の 草」〕 藏 

の 言 ふ純粹 性の 喪失 は、 同時に 半藏 が抱懷 する 純粹 性の 粉碎 であり、 半藏の 

狂氣は 時代 的 現實の 歪み を i!:- おした。 しかし 現 黄の 進行 を、 なんら 赏践 せぬ 

半藏の 理想 を もって 阻止す る こと は 不可能 だ。 この 焦燥す る觀 念の rS:,\;i に、 

半藏 をつつ む 悲劇の いっさい は 凝結して ゐる。 

假 りに、 半藏が a- 之 助の やうに 現赏 を現實 として 見る 人であった ならば、 

そこに 裘 切られた 玴想 を、 それほど 痛切に 感じ はしなかった であらう。 理想 

の 永遠 性と 純 粹性を 信じて 疑 はぬ 半藏 は、 平 田 一門の 沒落を 知って 悲歎し な 

がら も、 思想の 時代 的 性格にまで 思 ひ 及ぶ ことができなかった。 殊に 彼 は、 

人道的 精 祌をも つて 人民の 生活 に 接し つつあった 人 だ。 遠く 1 仪古 への 理想が 

^切られた にしろ、 その 人道 性が 人民の 生活に 生かされれば、 悲劇 は それ ほ 



541 



ど 深刻化す る もので たかった だら う。 ところが、 下 暦 者に 對 する 愛 も 彼らの 

胸に は^らぬ の だ。 

隣人と して 往き来し、 半 蘇の 內部を 知悉して ゐる^ 之 助 は 言って ゐる。 

「これまで 長く 附き 合って 見た 半 藏の爲 たこと、 言った こと、 考へ たこと は、 

すべて その 深い: 忍 ひで ない もの はない。 …… 半藏の 方で E ム ふこと はた だた 

だ 多くの 人に 誤解され た。 .—;i まあ、 こちらで いくら E わっても、 人から それ 

ほど W ん はれたい のが 半藏 さんだ ね。 御 な、 あれほどの 百姓 思 ひで も、 百姓 

から はさう H ^はれたい。」 (笫 十三 章」 これが、 「兄る こと を 知り 分に 安ん ぜ 

よとの 敎を 町人の::;: 條 とする」 伊之助の 半藏觀 である。 そして これ は 华藏の 

悲劇的 性格と、 そ の 生活 を 的, 確に 言 ひ あら はした 言葉な の だ。 

それたら ば半藏 は、 「分」 に 過ぎた 理想の 人で あらう か。 しかし 牛藏 とて 

おのれ を 「愚かな 男」 と 見、 「馬鹿な 人 1?」 とお へ て、 气犯 えす 內 せし 自虐し 

てゐ る。 一 マ!: はば、 その 理想 は 何ら 分に過ぎた もので ない。 束縛され た 人 性 

の 火ら かた 解放、 明るい政治への 期待、 封建 性への 抵抗、 人: i: への 愛、 これ 



'; 42 



ら 理想す る 精神の美し さは、 史の 一時期に 於け る 進歩 性 を 特徴して 一 つの 

役割 を Ei- し、 その 理念す る 1. 復古」 的 保守性 を 除くならば、 人^性の 解放に 

しろ 封建 制へ の 抵抗に しろ、 または 絶えす 彼の 胸に 去来した 人民へ の 思に 

しろ、 次代にまで 發;: ^的に 耱承 される 性質の ものである。 ただ 半 蘇 は、 思想 

並びに 理想の 時代 的 性格 を氣づ かぬ ことから、 自己 格闘 を 悲劇した e であつ 

て、 次代 者は觀 念の 焦燥と 自己 格闘で はなく、 觀 念の 現 I:- 的裘 うちと、 外部 

へ のた たか ひに 生きよう として ゐる。 

績 • 悲劇の 人 

半藏の 悲劇的 生涯 は、 この 作品の 主要 テ ー マと して 全篇に 聯關 し、 作者 も 

また それに 溫 かい 感情 を 送って ゐる。 時代の 動きと ともに 半藏も 成長し、 動 

き、 狂死した 悲劇に さへ 時代の 現赏を 反映す る ほど、 作者 は 大きた 力 點を牛 

藏の生 にかけ てゐ る。 



543 



作 のかう した 深い 愛から して、 半 蔵の 悲劇 は單に 思想 的 • 時代 的な 側か 

らば かりで たしに、 ts: 部 -—. その 性格 や { そ.^ 的な ところから-^ 描かれた。 そ 

も そ も, 华藏 はこの 困難な 時代に、 直ぐなる 精祌を もって 生きよう とする 人 

であり、 その 直情 性と 55^ 的な 道義 性 は、 一つの 「道」 を 示す ほどであった。 

赶情性 は 理想す る 精神と 結合して、 しきりに 赏行を 思った。 しかし、 1 リ代 

の 波 をな I める ベ く i:jm4 する のみで、 實踐を 許されな か つ た 苦惱は 自己 格 岡と 

化して 自虐し、 ときに 知識人の 宿命す る 自意識の 過 剩に陷 つて ゐる」 この 自 

己 格!^ の 悲劇 は、 父に 似た 性格の むすめ、 ぉ条の 身に も あら はれた の だ。 本 

ゆ、 出: i;、 問 M の 三役から 離れた 靑山 { 糸の 運命に 禍 ひされた ぉ条 は、 許嫁で 

あった 幼時からの 人 を 失 ひ 新しい 結婚に 直面した 折、 人に 理解され ぬ 苦惱を 

ひそめて Ql 殺 を はかって ゐる。 時代の 推移 變轉 がいかに お 条の胸 を 傷まし め、 

內^^した苦惱が、 どの やうに 外部へ 向って 抵抗しょう としたか。 父 半 藏にひ 

としい 性格の 彼女 は、 自殺と いふ 自己 格, g の 形式 をと つて 封建的 { 氷 族 制度— 

—强制 的な 婚に對 して、 全力 をつ くし 抵抗した ので ある。 



544 



これに 似た 半藏の 行爲に は、 欺 CI 車 件が ある。 

「蟹 の 穴 ふせぎと めすば 高 堤 やがてく ゆべ き 時 な. からめ や」 と い ふ 自作 の 

歌 一首 を 認めた 扇 を、 なんとも 知れぬ 激情に 驅ら れて默 げた こと、 これ は «^ 

屈し、 內, !;;! した 激情の 奔騰で ある。 抑制した ものの 奔流で ある。 彼の 內 部の 

自己 格闘が どれほど 激烈で あつたか は、 ただ 一 つの 激情 的な 行爲 から 充分に 

察知で きる。 

際、 ある もの をめ がけて、 蕃地に 馳 けり 出さう とする やうな 熱い 思 ひ はあり 

ながら、 家 を 捨て 妻子 を 顧みる い とま もな しに 曾て 東奔西走した 同門の 友人 等が 

爲る こと をもぢ つと 眺めた まま、 ,; 父 通 要路の 激しい • 努めに 一 切 を 我 f ほして 来た 彼 

である。 その 彼の 耐 へに 耐 へた 激情が 一 時に 堰を 切って、 日頃 ひ 奉る 帝が 行幸 

の 御 道筋に 溢れて しまった。 かう すれば かうな る なぞと 考 へて 爲た 事で はなく、 

又、 考 へて 出來る やうな 行 ひで はもと よりない。 迸り 出る 自分が そこに あろの み 

だ。 (「第 十二 章」) 



545 



お 条の自 辔は半 藏の思 ひを衝 Sif し、 その 心に 一 轉機を もたらした。 半藏は 

過ぎた 半生 を囘^ して 理想の ことごとくが 碎 かれ、 爲る こと 爲す ことのす ベ 

てが、 外部から 誤って 兑られ たこと を 悲愁して ゐる。 そのと き 四十 三歲。 

「追々 の 冷たい 風 は 半藏の 身に もしみ て 来た。 -TV こへ 彼の 娘まで 深 傷 を 負 

つた。 感じられ はしても、 說き 明せ たいこの 世の 深さ。 あの 稻 妻の ひらめき 

さへ もが、 時として は 人に 徹する。 生きる ことの Ei^ 敢 なさ、 苦し さ、 あるひ 

は 恐ろし さが 人に 徹する の は、 かう いふ 時 かと 疑 はれる ほど、 彼 も 取り 亂し 

た を 送って 來 た。」 (「第 十 章」.) これ は轉 機の 悲愁す る 心情で あるが、 しか 

し^ 蘇の やうな 性格の 人間が、 それほど 容易に 轉 機し 得る 害がない。 新生し 

たと する その 半藏が 、 献扇 件 を 惹起した の はこの 轉 機の 後の ことで、 否應 

なしに 錚 かな 生活に 入った の は、 飛 彈の水 無 神社から 馬 ijg へ歸 着した 後の こ 

とで ある。 

ところが、 その |£ かた 生活 さへ 半 藏の內 部に は STf. さ を 許さなかった。 波 



54 り 



絞 はしき りに 彼の 胸 を 騒がし、 その^^に狂;5-へ の芽をそだててゐた。 「あ I 

1 籠 か 俺 を 呼ぶ やうた 氣 がする。」 と、 他の ものに は 聞えぬ そ 聲にぢ つと 

耳 を ひそめる 半藏の 胸に は、 ことごとく 碎 かれた 理想の 斷片が { 仝し く 宿って 

ゐた。 そして また、 舞に 来たお 条に、 「熊」 の j 字 を if 格子の 中から 示し 

て 自身 を 嘲笑す る ほど、 狂: M してた ほ はげしく 自己 格闘して ゐ たの だ。 中^^: 

川の 景藏 は、 半 藏の亂 心 を、 「古代 復歸の 夢想 を 抱いて 明治維新の 成就 を 期 

した 國舉者 仲間の 動き —— 平 田 鐵胤翁 を はじめ、 篤胤沒 後の 門人と 言 はるる 

多くの 同門の 人達が 爲し たこと 考へ たこと も、 結局 大きな, J ^敗に 終った ので 

あった。 半藏の やうな 純情の 人が 狂 ひもす る 害で はたから うか。 一 終の 章. D 

と兑 てゐ る。 そして 作者と ともに、 私 も 時代に 悲劇した 人の 心情 を そ C やう 

に Etr 半藏 をめ ぐって、 『夜明け 前』 が 暗い色に お ほ はれて ゐ るの は、 こ 

の 理想の 敗北に よるので ある。 

大作 『夜明け 前』 はこ こで 終って ゐる。 讀 了した 私 は、 これ をお ー然 たる 記 

念 碑 的 作" 1 と 呼ぶ ことが、 なんら 不當 でない とする ほどの 感銘 こ囚 はれ、 更 



547 



めて 半 蔵の 生涯 を迎 つてみ た。 すると 三十 餘 年に 亙って 描かれた 半藏の 姿が、 

十/ から 五十六 歳に 到る までの 年月に 生々 と、 年齢 を 重ねつ つ:^ かれて ゐ 

る ことに 氣 づき、 ^£9崎氏の作家的手腕が、 いかに 豐 熟した もので あるかに © 

ひ 到った。 

十五 年間の 1^ 過 を 描いた トルストイの 『戰爭 と 平和』 は、 驚く ばかり 多數 

の 人物 を 包含して ゐ るが、 それらの 人物 は 巧みに 性格 化され、 中心的に 動く 

人物 は いづれ も 人 問 的 成長の 樣を鮮 かにして ゐる。 言葉 や 感情の 表現 をと ほ 

してば かりで なしに、 それの 母胎た る肉體 II 人間的 成長が あきらか だ。 登 

場す る 人物が 十 suf から 1 一十 fif と 年月の 流れ を經 過し、 一 章から 次窣と 移る 間 

に は あざやかな 年輪が 刻まれ、 その 肖を變 化して ゐる。 そして、 人間が; J*T々 

の? S 境の な 力で 年月 を經 ると き、 それにと もた つて、 それぞれの 性格 的特徵 

を 形づくる ものである こと を も 示した。 

『夜り け 前』 に 於て、 島 崎 氏 も 略 V この やうに 人物 を肉體 化して ゐ る。 人 

問 的 成長 を 描く ことの 基點 が、 單に 表面に 陰 SJS- る 1^』 情 や 心理 を捉 へる こと M 



にある もので なく、 それ を 裏 づける 肉體と 生活 を 併せる ことによって、 活ぐ 

とすべき こと を 示した ので ある。 半藏 はもと より、 靑山 の 人々 は、 すべて 

その やうに 具 體 的た 肉體を 感じ させる。 歷 史的 現實に 肉薄した 作者 の 眼光の 

銳 さとと もに、 私 は、 この 點 にも ふかい 驚き を 味った のであった。 

註 『夜明け 前』 笫 二部 は、 冒頭に 敛.述 した 諸外國 との 通商 史は 別と して、 一 

八 六 A 年 (慶應 四 年、 明治 元年) から、 一 八 八 六 年 (. 明治 十九 年〕 に 到る 間 を 描 

いた ものである。 



549 



明治 五 年 二月 十七: H ( 一 八 七 二 年) 

長 野縣西 s!g ぎ i 村 (木 曾路が 街?: ぬであった の ii 驛、 A, は 中央^の 落 介 川 

ステ ェショ ン から 一 Br はかり 奥に 當る) に 生れた。 

明治 十一 年 • 一 八 七 八. + (七 鼓) 

神 坂 村小學 校へ 通 ひ はじめた。 父 正 樹は熟 心な 子弟の 敎育 者であった から、 父 力ら 

も 自<. ^の l¥ 麼篇』 なぞ を敎 へられ、 幼年期の 終りの に は 『孝 經』、 『論語』 なぞ 

の 素 謂 を 受けた。 

明治 十四 年. 一 A 八 一年 (十 錄) - 

父兄に 勸 めら れて へ: ました。 京 橋^ 泰 W 小學 校に 入^した。 ilw 子 は 夫の 高 

瀨 と共に 京 1.^ ほ 町に 家 を 持って 居た から、 そこから 泰明 小^校へ 通 ひ はじめた- 

明治 十五 ハ牛 • 一 八 八 二 年 (十 一歳) 

高 濑., へ は 一家 を あげて 鄕 里の 木 曾 福 島 町へ 歸 つた。 高 獺 氏の 知人で 力 丸 元 長 • 氏 とい 

ふ 入の 許に しばらく 少年の 身 を 寄せた。 



明治 十六 年 • 一 AA 三年 (十二 鼓) 

銀座 四 丁: w の 吉村忠 近 氏 方に 移った。 吉村氏 は 高 酒 氏と 同 鄉 で、 髻生を 愛する 心の 

い 人であった。 

明治 十七 年 • 一 八 八 四 年 (十三 鼓) 

父 一 寸 上京。 

海軍^の 〔::cis{ 石 井其吉 氏と いふ 人に 就いて 英語 を學び はじめた。 父 は 故 平田鐵 

(篤 嫩 第二 世) の 門 入であった やうな 人 だから、 それ を 聞いて しきりに 心配した が、 

に は 外 sss を 修める こと を 許した。 

明治 十九 年 • 一 八 八 六 年 (十五 鼓) 

この i^、 父 死去。 

三 W 英煢校 入學。 

明治 二十^ . 1 A 八 七 年 (十六 鼓) 

吉村ほ は 銀座から R 本橋濱 町に 家 を 移した ので、 同じ 家族に 隨 つて 大 川端 附近に 移 

つた。 三 H4、 ゆ から 祌 田の 共 sfs に轉 じた。 

この ii -、 明治 gl-i^ 人^。 

明治 二十 二 年 • 一 AA 九年 (十八;^!) 

輪毫 町敎^ で 牧^ 木 村 熊 次 氏 か ら 某 督敎 の 洗禮を 受け た。 木 村 氏 は 共立 學校 時代 



552 



に 英語の 教師であった 入 だ。 

明治 二十 W 年 • 一 八 九 一年 (二十 鼓) 

明治^ K 卒^。 

吉村氏 は 橫濱に 店 を 開いた: その 手傳 ひとして、 しばらく 橫濱の 方へ 行った。 

明治 二十 五 年 • 一 八 九 二 年 (二十 一 歳) 

徵兵 檢杳。 乙稱國 民兵 編入。 

木 村 熊 次 氏の 紹介で 巖本善 治 氏 を 知り、 衆 本 氏が 主宰す る 『女 學雜 誌』 のために IB 

譯の 仕^ を 助けた。 

明治 二十 六 年 • 一 八 九 三年 (二十 二 歳) 

厳 本 氏が 雜誌 のために 英詩の 紹介 なぞ を 寄せた C 栗本锄 雲、 田邊蓮 舟の 二 光生 を 知 

つたの も、 この 年であった。 

明治 二十 七 年 • 一 八 九 四 年 (二十 三 歳) 

雑誌 『文 學界』 の 創刊に ぁづ かり、 初めて 文學牛 .涯 に 入って 行く やうに 成った。 『文 

學界』 は 友人 星 野 1;; 兄: fli- の 手に よって 作られた もので、 最初 は 『女 學雜 誌』 の 分身 

として 發 行され たが、 創刊 後 間もなく 獨立 した。 

感ずる ところあって 甚督敎 ^の籍 を 退き、 明治 女學 校を辭 し、 恩 入吉村 氏の 家 を も 

出て、 漂泊の 旅に 上った の もこの 年の はじめであった。 



553 



古野の 旅で 初めて les をのむ こと を 寧え た。 それからの ls:3f 好き はこの 旅の 間に g.^ 

え 初めた ^^Ma3 からであった- 

明治 二十 八た 小 • 一 八 九 五 年 (二十 四歲) 

; みび 恩 入の 家に 歸 つた。 鄉 里の 神 坂 村の 方から 家 を 擧げて 上京した 母 達を迎 へた。 

母上お 後 は、 兄の 家族と 共に 下ハ 介 の 三輪 町に 移った。 

明治 二十 九 年 • 一 A 九 六 年 (ヒ 十五 鼓) 

母と 共に 一一; 輪 町から 本鄉^ 島 新 花町に 移った。 北 村 透 谷の I 周年 忌 を迎 へ、 亡友の 

ために 『透 谷 集』 を^んだ。 

issw ケ にの 教師と して 仙臺へ 赴く やうに なった の もこの 年であった。 湯 島の 家を更 

に 木 郷森川 町に 移した。 そこに 母 達 ズビ 殘 して S いて、 單 iif 仙臺へ 向った- この 年、 

死去。 

明治 三十 年 • 一 八 九 七 年 (二十 六歲) 

『若菜 iiSy を 出した。 この::^ 初の 詩 築 は 仙 の 三 とい ふ 宿屋で 書いた。 雜誌 

『文 舉界』 廢 刊.。 仙, 4- に は? i 一 年 ほど S た。 東北^ 院を辭 して、 この 年のう ちに 

おへ tl つた。 

明治 三十 I 年 • 一 A 九 A 年 (二十 七 截) 

詩文 集 『 一 紫 舟』 を 出した。 



5 54 



IT 里に ある 姉の 家に 一 S を. St 一って 『le! 草』 を r;:: いた。 

明治: 一; 十二 年 • 一 八 九九 年 (二十 A 歲) 

小^!^義;!^の敎師として信州小諸に赴ぃた。 動搖 して 常の なかった 生活 も 過ぐ る仙毫 

の 一 年で いくらか i めち つく ことが 川來、 小 諸へ 行って から 更に 大いに 心 か 安/ずる 

ことが:, 山來 た。 この: 小、 函 館の 秦 冬- ナ. V 結婚した。 _ 

明治 三十 三年 • I 九 〇〇 (二十 九 鼓) 

詩集 『落 梅 集』 を;: 山した。 『千 曲 川の スケッチ』 の稿ヶ 作り はじめた。 これは常時 

發^i-しなかった。 この 年、 初ゾて 父と なった。 長女 綠が小 諸. 場 裏の 家で 生れた。 

明治 三十 四 年 • 一 九 〇 一 年 (三十 鼓) 

小; ゆ-としての ひ 【作 「湾 主 入」 を雜誌 『新 小說』 に 寄せた が、 費 を 禁止され た。 短 

篇 「藥 草拔」 もそれと前後して出來た^!^作の 一 つであった。 

明治 【1 一十 五 年. 一 九 〇 二 年 (三十 一 鼓) 

『藤 村 詩集』 の 合本が この 年に 出来た。 次女 孝子が 生れた。 

明治 三十 六 年 • 一 九 〇 三年 (三十 二 鼓) 

「水 彩畫 家」 を 書いた。 この 兩 三年の 間に 六つ ほどの 轿. 篇を 公に した。 

明治 三十 七ハ小 • 一九 〇 四 年 (三十 三 歳) 

一 「破戒, 一一 の 稿 を 起した。 日 faj 爭に 際. ぼした。 當時の出^界と著作者との阅5^^に{女 



555 



ん じられ ない ものが あって、 {y 费 出版 を 思 ひ 立った の もこの, ボ であった。 その? を 

るに 苦しんで、 函 の秦 Si{ 治 氏 を訪 うため に 不安な 戰 時の {r^ 氣の中 を 北海道 を 旅 

した。 

!ニ女 縫 子が 生れた。 この 縫 子 は 亡き母の 名に 因んだ。 

叨治 三十 八 年 • 一 九 五 年 (三十 四 鼓) 

七 年の 小 諸 を辭 し、 京の 郊外 w: 大久 保に 移った。 

『 ^戒』 ^稿。 

長女 綠 死去。 次女 孝子 死去。 三女 縫 子 死去。 三 兒は西 大久保 長 光寺の 墓地に 葬った, 

この; ホ、 長男 楠 雄が 生れた。 

明治 三十 九 年 • 一 九 〇 六 年 (三十 五 鼓) 

『綠蔭 翁 ®r 第一 篇を 出版した。 この 自費出版が どうにか::: 的 を 達し 得られた の は、 

1 っは信州北佐久の方にぁる友人砷津猛^-の勵ましにょり、 一 つ は 長 井 庄吉氏 (上 

WK!il3:i? 主 入〕 と 小 酒 井 五 一郎 氏 (今の 硏究 社主 人) の盡 力と による ものが 多 かつ 

た,^ お 初の i?: 篇鬼 『綠 集』 テバ 編んだ の もこの 年であった。 ^外 生活の 記と して は 

「家畜」 を殘 して 置いて、 西 大久保 か..: 草新片 町に 家 を 移した。 

叫 治 S 十ハ小 • 一 九 〇 七 年 (三十 六 鼓) 

『:^i を ia- 京 朝日 新 is に迎 載した。 これ は 新聞の ために 日々 創作の 筆 を 執って 見た 



556 



最初の 時であった。 

この 年、 次 a? 鶏 二が 生れた。 

明治 四十 I 年. 一 九 〇 八 年 (三十 七 鼓) 

『幾 叢,』 第二 篇を 出版した。 田 山 君、 蒲 原 君、 武林 君と 逑立 つて 修ま: 寺から 天 

城 山 を 越え、 伊豆 地方 を 旅行し、 「伊豆の 旅」 を いた。 この 年、 第二 cli^ 篇桀 

『藤 村 集』 と、 感想^!^- 『新片 町より』 と を is: 本に まとめた。 三男 蓊 助が 生れた。 

明治 1: 十二 年 • 一 九 〇 九 年 (三十 八 歳) 

『家』 h 卷に 着手した。 

明治 四十 三年 • 一 九 一 〇 年 (三十 九 歳) , 

四 女 柳-. h が 生れた。 妻冬チ 死去。 

『家』 下 卷>>- 脱稿した。 

明治 四十 四 年 • 一 九 一 1 年 (四十 鼓) 

っ緣蔭叢!^:』 第一 一; 篇を 出版した。 この 年、 『千 曲 川^ スケッチ』 を發 表し、 第三の 短 

篇集 『食後』 を も單行 本に まとめた。 

大正 元年 • ;九 一 二 年 (四十 一 歳) 

父正樹 の? お iJl 欲 集 『松が 枝』 を 編んだ。 

t 山 四の 短篇^ 『微風』 と、 感想 築 『後の 新片 町より』 とに 發 表した もの は 多く この 



557 



年に ii いた。 

大正 二 年, 一 九 一 三年 (四十 1ー@) • 

『樓 のおの! » する 時』 起稿。 

*: 戶 から 佛 srs の 旅に 上った。 

佛 S5 マルセ ェ ュ港 藩。 リオ ソを經 て、 巴 里に 入った = 巴里ボ オル • 口 ワイ アルの 旅 

S にあって、 isf 京 朝 H 新 宛に r 佛 蘭 西 だより」 を; 送り にじめた: 佛^ 西; を學び 

はじめた の も、 この 年から だ" 

大正 三年- 1 九 一 四 年 (四十 三 歳) 

里の 客舍で 『樓 の實の 熟する 時』 の 稿 を まぎ 15? 初より St-* ベ はめた。 俾 Si 西 だより 

『平和の 巴 里』 を 一 册に まとめた- 大 に »^<51 し、 しばらく 巴 里の 動 a を, f 國 

中 5,,^ ォ-ト •• ヰェ ンヌ 州、 リモ ォジュ の田舍 町に 避けた。 巴 里への 罱途、 佛國 S1 部 

4〉 旅した。 

大正 四ギ • I 九 一 五 年 (四十 

第二の 佛 as 西 だより 〔• 戰: ポこ巴 里』 を 一 册に まとめた e 

大正 五: 小 • 一 九 一 六 年 (四十 五 歳) 

1 二 年の 巴 里を辭 し、 英國 1«敦 より 驟柬 の途に 上った- 旅行に 不安で 闲 難な 時で あつ S 

た。 g りの 航海に に 喜 l^.stf か 迂^し、 再び^ 戶を兑 得る までに 五十 五日 を 海上に S " 



つ .: の 假^に 居て 「故 5S にい?. りて」 1 篇を京 京 朝 H 拔ヒに S 

^せた 

^1 『幼き ものに』 を S いた。 

大 丄ハ年 • 一九 一七 年 (四十 六该) 

芝檷川 町の 旅^に 移つ で、 航 お-記 『沲 へ』 を 完成した。 『K の實の 熟する 時』 の 稿 

を 接いで 漸く: 一 だ 成した の もこの 年であった。 

大: 止 七 ハ+. 1 九 一八 年 C 四十 七 该ソ 

『新生』 ト-卷 に 着. し,… 

この; 巾、 1^ 介片 町の 家に 移った。 - 

大 .ri- 八 年 • 一九 一九 年 (四十 八 淡) 

『新生』 下卷, バ脫 稿した。 

『ふろ さとつ を? $ いた。 

大: 止 九た 小 • 一 九 二 〇 年 (四十 几该. - 

..^^w 紀行』、 エトラ ンゼ 干つ 起稿。 二の 年、 姉 i=2 顔 3 千 死去。 短 Si 「贫し 

ゅ丄」 おした。 

大 :4^.H^. 1 九 二 一年(.九十^§〕 

『怫蘭 S: 紀行』 のお を縱. き、 お! :! 『あろ 女の 生涯』 をお した。 おいこと ひヶ つて 



居た 『透 ハ介个 :$?C 一 の み し を して、 それや 友の??^ 族に 贈った。 この 四 五 年の 間、 

2?なき-ナ供等の ^^^育の ために 多くの 時と 力と を 費した。 

大正 十 一年, 一 九 ニニ 年 (五十一 歳) 

『佛 M 西紀 行』 を 完成した。 感想 集 『飯 倉 だより』 を 編んだ。 

長 兒楠雄 は旣に 十八 歳の 中舉 生で あるが、 中 學を辭 して、 晨菜 見習 ひの ために 神 坂 

村へ 赴か-つ とした。 この 都 1: から に歸 つて 行く 子 を 送る ため、 相携 へて 木 曾へ 

旅した。 の 行 は 亡き 妻子 等の,?^ 骨 を 父母の 永眠の 地な 〈祌坂 村 永 HI 寺の 墓地に 改 

!? るた めで もあった。 この 年、 有 島 生 馬 君 等の 厚意に より、 『藤 村 全集』 十二 卷 

を 出版した。 雜サめ 『慮 女 地』 を 編んだ。 

大正 十二 年- 1 九 二三 年 (五十 Is) . 

正月の はじめ IK い にか かり それより 八 ヶ月の 間、 靜秦 した、 その 問に は 病後の 身 

を f» ふために 小 の 海濱に 赴いた こと もあった。 

§M 『を さな ものがたり』 はこの 靜秦 中に 害いた ものであった。 

九月の はじめ、 東京の 大地-袋。 1^ おの 小さき 住 313 は 幸に 大火の 災を 免れた が、 S 

の 13^ 版の 多く を そのために 燒 失した。 神 坂 1E にある 長兒に 宛てて S 災記 「子に 经る 

手紙」 を S いた。 病に、 篱災 に、 この 年に タ々 事な 月 曰 つた。 

大正 十三 年 • 一 九 二 四 年 (五十 三 歳) 



560 



- .^^^ 「子に, 途る 手紙」 の 稿を繼 ぎ、 Isf 「三人」 を も? 31 いた。 、為災 のために 失 は 

わ た 一封 次第 に 改版 さ るる 日 が 來 た、」 

末女 を 伴って 熱 海へ 旅し、 「熱 海 土 藍」 を 書いた e 短篇 「伸び 支度」 を S いたの も 

この 年の 冬であった。 

大正 十四 年. 一 九 二 五 年 (五十 四 鼓) 

^^5想集 『春 を 待ちつ つ』 を 一 卷に 纏めた。 短篇 「明日」 を 草した。 

靜 のために 國府津 の 海岸に 赴いた。 

他:^ がま だ 十分でなかった ので、 この 後半期 はお もに 『藤村^^^:』 六 卷の难 備に 暮 

した。 これ は 少年 期より 靑 年期に うつり か はろ 頃の 年若き 人々 のために 編んだ。 

大正 十五 年. 一 九 二,: ハ年 (五十 五 鼓) 

靜 養の ため 千 葉の 海岸に 赴いた。 

四月に は 末女 を 伴 ひ、 鄕 3^ 神 坂 村へ 旅し、 長男 楠 雄の 新しい # 家 を 訪ねた。 この 年 

「嵐」 r<d{〔„^」 や i:„l- した。 

昭和 二 年 • 一 九 二 七 年 (五十六 鼓) 

小說^ 『嵐」 を ー卷に まとめた。 

短篇 「分配」 を 草した。 この 年の. PT 次男 銘ニを 俘 ひ 出 陰地 力に 旅し、 S: は 石 見の 

益 田、 f^i 和 野まで 行って 見た。 日本海の m 象の^かった の もこの 旅であった。 歸來 



S6i 



大 i^^H 紙上に 「山陰 土產」 を 寄せた。 

この ijj -、 S より 『夜明け .:s』 の^ 備に 着手した。 

昭和 三年 • 一 九 二八 年 (五十 七歲) 

前年に 引接き 『夜明け 前』 の 準備 を 行 ふ。 『新生』 支那 譯 さる。 

十 一 H:、 川 越 市の 錢學士 加藤大 一 郞 氏の 姉、 靜 子と: 冉婚 した。 

昭和 四 年 • 一 九 二 九 年 (五十ん^) 

『夜明け" 1』 第一 部、 上卷を 起稿: 四月より 『中央 公論』 誌上に 年 四 囘宛接 載した) 

昭和 五 年. 一 九 三 〇 年 (五十 九 歳) 

『夜明け 前』 第 I 部、 上卷を 完了した。 . 

この ハ小、 感想 『市井に ありて』 を 一 卷に 編む。 

昭和-パ^ • 1 九 三 一年 (.一 ハ十歲 ) 

『夜 明 t 前』 第 一 部、 下 卷の稿 完成した。 

つ 破戒」 ^sl!si 譯 さる。 - 

昭和 七 年 • 一 九 I ユー」 年 (六十 一 歲) 

『夜明け 前』 二部、 ト: 卷を 起稿。 

昭和 八ハ小 • 一 九 一二三 年 (-;ハ十ニ^§) 

明け 前』 第二 部、 上卷を 成した。 



$62 



昭和 九 年 • 一 九 三 四 年 (六十 三 i?JO 

に 夜明け 前. つ; 第二 部、 下卷 起稿: 

昭和 十 年 • 一 九 二 五 年 (六十 四 鼓) 

『夜明け 前』 第二 部、 下卷ケ 完成した J 



563 



覺 書 

*«崎 顯村氏 は 現代 日本 文學の 創造者の 一 人で あると 同時に、 廣くは その 文化的 先達 

の 1 人で ある。 そして 四十 年に 互つ て 集積され た 作品に、 明治 年代の 中葉から、 今日 

に 到る まで の 會 的^:^ の 様相 を それぞれ- R 映し、 歷史 Q 波玟を その 文學 G 到る とこ 

ろに ただよ はして ゐる。 それと ともに、 ト ル ス トイ の姿にも似た忍從の人間的^^^度か 

ら、 人 生沾の あらゆる 面に 手 を 伸べ、 あるとき は 肚會的 現 11^ にまで 肉薄した- 

その 人間的 態度に 人生 的で あり、 その 精神的 傾向 は 人道的で ある 11 とい ふ、 この 

、逭 主義 作家に ついて、 その 業 镇を迎 る こと は 近代 日本 文學 史を囘 顧す る ことに 他な 

らぬ。 そして 、島 崎 氏 ほど E; 拳に 文學を tSa 爲し、 一筋、 歴史の 動きに 雁行して きた 作 

家 は 餘り見 常らぬ だら う。 この 意味から しても、 この 作家の 業鎮 とその 道程 を 迎るこ 

と は 種々 な 成果 を 示唆して ゐ る。 

人生の あらゆる 面に 践れ、 ; U 會的 現實 にまで 肉薄した 作家 的 仕事 を 究める こと は、 

非お に W 雜な ことで ある。 そして、 もも ろん 私が どれほど 島 崎 氏の 業镇を 愛する にし 

て も、 おに W 氏との 間にある なんらかの iBi 離に K"i 一 しきれぬ の だ: 私の 闕 心の 主 點は、 



504 



その 作家 的 仕事に 現 はれた 社會 性と それの 內容 にか かって ゐる。 それが、 私のお であ 5 

る. - 従って fs- は、 Tj^ 會的 傾向の はっきりした 作品に ついて、 CI 然 多くの 言 1^ を |« す や シ 

果 となった が、 fjj? 、は、 それ を 梅い ない。 

なんとしても、 十 年の 永き に 亙る この 作家の 仕事 を、 ことごとく 見ようと する こと 

は、 かなり 多くの 努力 を耍 求した。 私の この f£ 究に袂 ける ところ は、 .fl の 誰かが、 ^ 

ず、 他日 補って くれる であらう と、 ひそかに 期待して ゐる。 この 作家 は、 それだけの 

硏究を 要求して いい 仕事 を 築いて ゐ るの だ。 私 は 作品の 社 會性を 中心に しつつ、 この 

香 を まとめた が、 それにしても、 いかにして 作者の 持 味に 密着し、 そこに、 いかにし 

て 批評 的 精神 を 保 つかに ついて も 若 }f- は 考慮し た。 

島け お 藤 村 氏に は卷 頭の 「小 題 一言」 を、 室 生 犀 星 氏から は 「序文」 を、 それぞれに 

5« いた。 律 厚意 を 深く 感謝し なければ ならない" また 卷 末に 添へ 年譜に、 從來發 表 

された ものの If^ り を 正し、 新しい 部分 を 加 へ るた めに 鳥 崎 氏の 御校閱 をね がった: こ 

の 書の 上梓に 常り、 御 厚意 下さった 第 一 書房の 長 谷:^ 巳之吉 氏、 並びに 泰山 行 夫 氏に 

も 感謝し なければ ならない。 • 

一九 三 六 年 一 月 下旬 尹 ^ 露 ^« 



■ ..V ザ 



學 文の 村 藤 崎 島 

23 W 五 千 剧 初 




W 和 十 一 年 二月 十五 B 印 

S 和 十 一 年 二 二十 s"s 行 一 




定價 IB 五十 錢 

著 者倂 藤信吉 

東京 市 S 町 En 一! « 町 I 

刊行 者 長 谷川 巳之吉 

1HW 市, B 町 町 I 

刊行 所 第 一 * 1^ 

ビ ほお 九 段 三 三 SSI 

疾替 東京 六 B ニニ II 一 



&京市 S 田 K 三 崎 町 ニノ ニニ 

印 S*? « 内 文; 55!* 

■1 本 者 |« 本 久 



島 崎 藤 村 文 學讀本 春 g の卷 ^^00 

文部^ . 日本 阈 館 協. . 推薦 

藤 村は餘 りに も 有名 だ。 今更 說明 でも あるまい が、 氏の 文章 

と 詩藻 は、 老來 いよいよ 圓热の 境地 をす すんで ゐる。 

明治 文^史 上に 於け る 藤 村と 花 袋との 名 は "コせ 々 に 自然主義 文 

^の懷 しさ を 抱かせる。 本 香 は 「秋 冬の 卷」 に對 する 姉妹 書 

で、 三月より 八月 迄の 「赛 夏の 卷」 である。 

明治 三十 年 作者 二十 五 歳から 昭和 九 年 六十 三 歳に 到る 三 四十 

年間に 及ぶ 全 著作、 威-想、 紀行、 小品、 詩、 小說 等の 作物の 中 

から、 「春 s」 の 季節 を 描いた もの を抄錄 して ゐる。 

美しい文 字ば かりだ" 

僅かの 一 行 Q 言葉に も、 藤 村の 高雅な 見識と 人格が 現 はれて 

ゐ る 

月別に K 別され 編 S! されて ゐ るから、 その 月毎に 讚 む 事 は、 

吾々 の 手 を 執り、 指 を さし 示し、 自然の 見方、 络 ての 觀察カ を 

接 はせ て くれる もの だ」 (『信 澳 毎日 新聞』 評). 



島 崎 藤 村 文 學讀本 秋 冬の 卷 「." ぶお S 

文部省 • 日本 岡 書 館協會 • 若溪會 推薦 

木 書に は 多く 作者の 「秋 冬」 に 寄る 想 を槧 めた。 例へば 冬 

の 長い 信 州に 生 ひ 立った 一 茶が 「春 を まつ」 詩人と して その 寂 

光に ゐる ことが 書いて ある。 また、 スト リンド ベルクが、 その 

險 しい 人生の 冬と もい ふべ き 老年に 於て、 漸くに 人生の春に 笑 

ひかけ て ゐる姿 11 「若者 萬 歳」 を 言って ゐる 姿が 香いて あ 

る。 また、 この 雪 を 通り越す ことなしに、 私達 は 新ら しい 春に 

めぐり 逢 ふこと は出來 ない。 もし、 その 日が 來 たら、 私の 新ら 

しい 靑ぃ 葉に、 もう 一 度お 前の ために 樂 しい 影 をつ くる だら う 

とい ふ 消息 を傳 へた 「草の 笞葉」 も 書いて ある。 

季節 は 春夏秋冬の 全部 を もって、 全き 全體 とする もので あ 

る。 卽ち 「春」 とい ふその 官 葉に 爆發 して ゆく ものに 「秋」 ま 

た 「冬」 に 包蔵され た 魂の 更生で ある。 季節 ほどに 新鮮な もの 

は あるまい となす 謂で も ある。 (編者) 



化 原 白 秋 文 學讀本 春夏秋冬 ^^^^ 

北 原 白 秋 氏の 整 術 家と しての 功鎮 は、 日本 謌を 詩に 散文に、 

實に 自在に 解放 せられた 點 にある。 氏の 藝 術 家と して Q 完成 

は、 同時に、 明治 末期から 昭和の 今日にまで 進展し 來 つた 日本 

^の、 苦難な 完成へ Q 歷史 でも ある。 氏 こそ、 日本 詩壇の 最大 

の 恩人で ある。 

「空に S; 朱な 雲の いろ」 に はじまる 日本の 詩の 少年 期 を 代表 

する 『思 ひ 出』 『桐の 花』、 『水 暴 集 .!一 ^00. 『H^ と 胡桃』 の 至 

-;£なる^|^謠、 一 韓 して 『綠の 親 角」 一 の 高き 散文の 第 香より、 

『1:50 の 古典 調 を 1^ て 今日の 『多 磨』 にいた る 麗容。 一 つと し 

て 天才 白 秋 氏の 禀質の 絶え間た き 精進に 依らざる にない。 

「天才と は 長き 忍耐に 外ならぬ」 この 格言 を 身 を 以て 示され 

た 氏の 道程 こそ、 氏の 全蘸 術の 教訓と いはねば ならない。 

菊池寬 文 學讀本 isil 刊 

晋揪石 文 學讀本 issii 近 刊 



中河與 1 著 偶然と 文學 ss^" 一 お 

中 河 氏の 偶然 論に 「ss の 不思議、 不思議の K 賈」 を 追求す 

る ものと して、 むしろ 知性の 浪设 主義で ぁリ、 かかる ものと し 

て 現代に おける 新しい 文學 精神と なり 樽る ものである。 偶然 論 

は 無理 論、 無 思想と 同じ やうに 考 へられる ほど、 人々 は 一般に 

必然 論に 囚 はれて ゐ るので あるが、 中 河 氏の 偶然 論に 一 つ の理 

論 たるべく 提出され てゐる もので あ"、 文^の 新しい 思想 性の 

基礎と なること を 欲する ものであって、 何人も e; 面 H に 考へ直 

してみ なければ ならぬ ものである。 その 理論と 中 河 氏の 作品と 

の關係 を硏究 してみ ると、 更に いろいろ 興味が あり、 有益で あ 

るで あらう。 (三 木淸氏 評) 

巾河與 二者 隨牵 左手 神聖 ^r^vTS 

中河與 一 著 小說 臈 たき 花 

巾河與 1 著 S 海路 歷程 .5 れヹ 



a J ひ絕 望の 逃走 S 『一 i:. 

芥川龍之介の 文學 及び 人世に 關 する 善 句 的 感想 を鱷 めて 讀む 

と、 苜廼し は 面白い が、 才人の 思 ひ 付に 止まる ものが 小ノ くな 

い。 ところで、 私に、 咋今、 萩原 朔太^ 氏の 『培 望の 逃走』 と 

いふ 隨荦集 を讀ん で、 終始 を 通じて 興味 を 8^ えた。 才人の 思 ひ 

付に あらず、 机上の 空言に あらず、 事物の 心 核に 徹して ゐるも 

の少 からず と 思 はれた。 歷史を 論じ、 武士道 を 評し、 文明 を批 

判した ところな ど、 私に すべて 同感で ある。 私が 漠然 感じて ゐ 

たこと で 的^に 說 かれて ゐ ると ころも ある。 (正宗 白鳥 氏 評) 



f 朔太郞 著 n 虚妄の 正義 

获原朔 太郞著 純正 詩 ini 

获原朔 太郞著 詩の 原理 

荻 原 朔 太 I 戀 愛名 歌集 



E 六 判 

四 六 55; 二八 0H 

$ 1圆 二.;.. 錢 

四六判 三 二 0H 

六 判 1110 三 K 

(止 《s IE 



堀。 大學著 荦 季節と 詩心 g^^JJ 

まったく詩人堀ロ大學はこの隨荦^5|-を通じて些かも老ぃるを 

知らたい 瑞々 しさ を 11 その 感^と その 知性との たくまし さと 

畳 かさと を 示して ゐ る- この 『季節と 詩心』 ー卷 は、 僕の やう 

な 彼と 交友 關 係の ある 者に は 如何にも 「人間」 堀 口 を 一 眼で 觀 

望で きて 懾 快に 堪 へない が、 一 被の 讚 者に とっても そこに 盜 

り 上げられ てる 「詩」 と 「知 讒」 とに 最も 美味な 響 宴でなくて 

はなる まいと 思 はれる ので ある。 (柳 渾健氏 評) 

春 山 行 夫 著 IS 筆 花と パイプ g 『一 I お ^ 

詩人に して 批評家た る 春 山 行 夫 氏の ュ 一一 ックな 詩論と 隨牵と 

を 鬼め たもので、 現代詩の 飛行便 的 展望から はじまって、 詩的 

思考の 諸相、 散文詩の 本質、 英米 佛の 新しい 詩の 解說、 その 

他、 日本に 於け る 最初の 試みで ある 合作 詩な ど、 二十 章に 亙 

り 主知的なる、 あまりに 主知的なる ェ ス プリと スタイルと を以 

て 全卷を 莨い てゐ る。 



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新 格譯べ Js お WW l&A 十 《I 

私 は 最初 卷 頭に 載って ゐる肯 像 を 見て その 引きし まった 餌 だ 

ちゃ 澳乎 たる 臆の 光に 好 印象 を與 へ られ たが、 內 容を讀 むに 及 

んで、 正直な ところ、 近年に ない 感 境を覺 えた。 

(谷 峰 潤 一 耶氏 評) 

お 譯 小説 母 お 

^i^^ 小說 南方 飛行便 

僕 は 『夜間 飛行』 と共に 此の 小說が もたらす お ^ 鲜 さや 新ら し 

ぃ文學 としての 懷疑 精神と それの 超克に は 多くの 我々 にたい す 

る 批判が なされて ゐ ると 思 ふ- (十 返 一氏 評) 

m^^^^ 小說 夜間 飛行 g% 一八 リ S 

m^^^ 小説 - 粒の 麥 もし 死なす ば grT^n 



5. 藤 富 士雄著 小說都 會 ^^^^^ 

この 害 は、 IT 村の 人々』 の 第 二部作に あたり、 且又 私に とつ 

てに、 昭和 も 十分の 一 ^紀を I- た その 間の、 都會に 於け る 貧し 

ぃ記錄 でも ある。 (著者) 

伊藤 富 士雄著 小說 村の 人々 srIK" 

和 田 日出 吉著 小說人 絹 ,5 お 

江 原 小 彌太著 小說 若き 日の 一 艮寛 お 判 J: お S 

これほど 佛敎の 深慮に 食 ひ 入った 藝術 作品 は 他に 類が 無い。 

殊に 立山 こもりの 條の ごとき 莊鼓 神秘な 背 貴の 描寫と 相 まつ 

て、 牵 伢ぇ氣 澄み 謫者 をして おの づ から 法界 一 如の 妙 境に 溶激 

せしめずに は Ed かたいつ 神品と はこん な もの かと 思 ふ。 

(江^^ 村 氏 評) 

平野 止 夫 著 小說親 繁 s^li に 2| 

木 村 善 之 著 小說西 行 sgj ま "ね" 



上 上田 敏 詩集 

『上田 敏詩 ssiO こそに、 に 詩 狭 否な 廣く 菡 術の 道に 殉 ぜん 

とする もの の 聖典、 之を逮 くの 人 は 一 IS たちまち そこに 恣に發 

撣 された 國^ の あらゆる 姿態 表情の 美に 娃- せられて、 言 靈の幸 

は ふ國に 生れ 來し 身の 光榮と 幸と を 今更ながら、 しみじみと 肝 

に銘 ずるで あらう。 (矢 野 峰 人 氏 評) 

一 f 春 夫 著 佐 藤 春 夫 Ms 集 ^ i V- 一 g 

i 朔太 I 室 生 犀 星 詩集 賴ー is 

窒生犀 a 著 S 鳥 雀 集 ,一 凭 I 

a 巾夂三 著 詩 m 山 鵃 r 一 

竹 中 郁一き 詩 m 象牙海岸 一 一 ros 

菊 g 久利著 S 貧 時 交 S "、! 一 rss 



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