マルクス・ペレイラ (レーベル)

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Discos Marcus Pereira
設立1973年 (1973)
設立者マルクス・ペレイラ
ジャンルMPB民俗音楽
ブラジルの旗 ブラジル
本社所在地サンパウロ市

ジスコス・マルクス・ペレイラ(ポルトガル語: Discos Marcus Pereira)は、かつてブラジルに存在したインディーズレーベル弁護士のほか広告代理店の経営者としても活躍したマルクス・ペレイラによって1973年に設立されて以来、MPB民俗音楽を中心に録音した。[1]

歴史[編集]

前史[編集]

1966年頃、音楽家のルイス・カルロス・パラナ(Luis Carlos Parana)とマルクス・ペレイラが、サンパウロ市にバー「オ・ジョグラウ(O Jogral)」を設立[2]

当時のブラジルは、海外のロックンロールに触発を受けた音楽ムーブメント「イェ・イェ・イェ」が流行していた(ジャンル名の由来は、ビートルズシー・ラヴズ・ユー」で使われた「Yeah yeah yeah」というフレーズ[3])。 一方、このバーには、真のブラジルのポピュラー音楽を求めるジャーナリスト知識人および芸術家が集っていた。常連には、当時のサンパウロ大学動物学博物館の館長で、作曲家としても活動していたパウロ・ヴァンゾリーニもいた[4]

1967年10月、マルクス・ペレイラは、自身の広告代理店の顧客へのホリデーギフトとしてアルバムを制作することを決める。そうして、パウロ・ヴァンゾリーニが手掛けた曲をシコ・ブアルキら6名の歌手がレコーディングしたアルバム「Onze sambas e uma capoeira」を録音。当時無名だったトッキーニョが編曲者として参加した。[4]

翌年、同じく年末の贈り物として配布することを意図して、アルバム「Brasil: Flauta, Cavaquinho E Violão」を製作。レーベル名は自身のバーにちなんで「O jogral」とした[5]

レーベル「マルクス・ペレイラ」設立[編集]

多国籍企業によってブラジル音楽シーンが支配されるさまを見て、マルクス・ペレイラは広告代理店を閉鎖し、音楽の道に専念することを決めた。さらに、ルイス・カルロス・パラナが死去したこともあり、1973年、マルクス・ペレイラはレーベル「O Jogral」を買収し、文化ジャーナリストのアルイジオ・ファルカォン(Aluízio Falcão)とともにレーベル「マルクス・ペレイラ(Discos Marcus Pereira)」を設立した。

しかし、財政的な困難が最初の1年で現れ始めた。ペレイラはレコードの制作に多額の投資をしたが、少なくとも短期的に見れば、その収益でコストを賄うことは不可能だった。 やがて危機は持続不可能なレベル近くまで拡大し、賃金延滞に対する抗議運動の末に退職して行く従業員もいた。その中にはファルカォンや、かつてアイアート・モレイラエルメート・パスコアールらとともに音楽グループ「クアルテート・ノーヴォ」に参加していた音楽家兼編曲家のテオ・ジ・バホスなどがいた[6]

レーベルが存続した約10年の間に、マルクス・ペレイラ・レーベルは少なくとも144のアルバムをリリースした。この中で注目に値するのは1976年に制作したカルトーラのアルバムで、これはローリング・ストーン・ブラジルが選んだ「ブラジル音楽の偉大なアルバム100」で8位に選出[7]された。 そのほかにもブラジル各地の民族音楽を収集し、体系的にまとめた作品群は、評価を得ており、ブラジル北東部の音楽を集めた4枚組(当初は10枚組の予定だったが財政的な理由で4枚になった[6])アルバム「Musica Popular do Nordeste」によって、マルクスはMIS (Museu da Imagem e do Som do Rio de Janeiro)からEstacio de Sa賞を授与された。

しかし、オイルショックなどにより引き起こされた不景気のなか、マルクス・ペレイラ・レーベルは独立系レーベルとしての活動を終了。マルクスは破産し、個人的な理由によって1981年に自殺した[6]。レーベルのコレクションは、1976年以来レコードの生産を委託していた[4]コパカバーナ・レーベルが管理することとなった。1980年代にコパカバーナが閉鎖されると、コレクションは多国籍企業のEMIブラジル(のちにユニバーサル・ミュージック・グループ系列へ)の傘下に置かれた。[8]

録音物[編集]

大手レコード会社の「商業的」な振る舞いが、自国の音楽の存続を危険にさらしていると考えていた[6]マルクスは、文化的・歴史的な価値のある音楽の記録に力を注いだ。特に、ブラジルの各地域に伝わる音楽を収集し、体系的にまとめた作品群の制作は、レーベルのライフワークともいえる活動だった。

録音には、企画に賛同したアーティストらがレコード会社の垣根を越えて参加しており、エリス・レジーナ[9]ナラ・レオン[10]クレメンチーナ・ジ・ジェズース[11]らが参加している。 これらの録音群はのちに2枚組の総集編「マパ・ムジカウ・ド・ブラジル(Mapa Musical Do Brasil、"ブラジルの音楽地図"の意)」としてまとめられた[12]

脚注[編集]