1992年4月25日、26歳の若さで旅立ったシンガーの尾崎豊さん。2024年4月25日は、尾崎豊さんの32回目の命日です。18歳で尾崎さんと出会い、20歳で結婚、21歳で息子・裕哉さんを出産し、24歳で最愛の夫と死別するという壮絶な別れを経験したのが、妻・繁美さん。

「出会いから別れまでの6年間、共に時間を過ごしてきました。この頃、夫には様々な出来事があり、とても濃密で激動な時間だったと思います。今あの頃を振り返っても、よく二人で乗り切ったと思うような……、韓流ドラマにも負けないドラマティクな毎日だったと感じています」と、繁美さん。そんな豊さんとの想い出の封印を解き、没後30周年を機に繁美さんは、連載『30年後に語ること』を発表。2023年7月からは、豊さんが旅立った後、息子の裕哉さんとともに歩んだボストン母子留学の日々を新連載『笑顔を守る力』として寄稿しています。

「先日、33回忌を済ませ、私自身だけでなく、息子や豊の親族も大きな節目を迎えたと実感し、今までの回忌とは違う思いが芽生えました」と繁美さん。今回は、33回忌への思いを繁美さんに前後編で綴っていただきます。

33回忌を迎えた尾崎豊さんの墓石。写真提供/尾崎繁美
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以下より、尾崎繁美さん自身の寄稿です。

 

前日の天気が嘘のように晴れ渡った33回忌

今年4月25日は、私が24歳で未亡人になり、裕哉が2歳9ヵ月の時に父親を亡くしてから、32年の月日が経ちます。これまでの32年間の命日や回忌を思い起こしてみると、時間とは本当に不思議なもので、短いように感じても振り返ると長く、長いように感じても終わってみると瞬く間だったようにも感じられました。

先日、豊の兄・康さん家族や親族、プロデューサーの須藤さんやアートディレクターの田島さんなどの関係者に参列いただき、お墓のある狭山湖半霊園の墓前で無事に33回忌法要を終えました。

これまでの回忌ではほとんどが晴れ模様でしたが、その週はずっと雨が降ったり止んだりの天候だったので心配していました。お墓の前での法要になるため、雨が降らないように強く願っていました。すると、当日は青空が晴れ渡りキラキラしていました。その輝く青空はまるで喜びに満ちている豊の祝福なのではないかと思わせるほどでした。長い年月を通して、親族みんなが健康でこうして笑顔で集まれていることがとても嬉しかったです。

豊さんの兄のご家族や親族、関係者が参列したという33回忌の法要のときの写真。中央にいるのが繁美さんと息子の裕哉さん。写真提供/尾崎繁美

13回忌までの毎年、命日になると紋白蝶がどこからかユラユラ飛んできていました。その後は現れる時とそうでない時がありましたが、まだ蝶が舞う季節ではないにも関わらず、今年は黄色い紋白蝶がやって来て、関係者もみんな驚きました。

ある時は、実家の部屋にもヒラヒラと入ってきたことがあって、豊の写真立ての上に30分くらいジッーっと止まって、またフッといなくなってどこかへ飛んでゆくという不思議なこともありました。