Quincy Jonesの譜面でCount Basieオーケストラがバリバリとスウィングしまくる中、全盛期のサミー・デイヴィスJrがノリノリで絶唱するという聴きごたえのあるアルバム。リード・アルトがリード・トランペットの1オクターブ下を吹くサウンド、など、Quincyのsignature soundがたっぷり楽しめて、アレンジャーとしてのQuincy Jonesを堪能かつ分析するには最適。ボーカルとバックグラウンドの関係がものすごく挑戦的で意欲的でしかもかっこいいという、ジャズ歌伴のアレンジの上級教科書のようなフレーズとサウンドの続出です。Quincyの音楽的才能のすごさに驚きます。
で、驚いたことに、すべて聞いたことあるにもかかわらず、今回、MP3でダウンロードして聞いて、何かが記憶と違う。調べてみると、このアルバムはもともとVerveが1965年に出したものだが(録音は1964年)、1973年に、MGMレコードから、1964年録音の伴奏のトラックをそのまま使ってサミー・デーヴィスの唄だけ録音し直した(数曲はオリジナルのままのような気がする)「Sammy Davis, Jr. and Count Basie」という似て非なるアルバムがリリースされている。収録曲もまったく同じ。どういう事情? こちらのMGM版は一度もCD化されていない。私が聞き知っていたのはこのMGM版だったのだ。もしMGM版のアナログ・レコードをお持ちの方がいたらぜひ聴き比べてみてください。New York City Bluesのスキャットのスリリングさなど、73年版の方が一日の長、いや9年の長があるように感じる。
たしかに10年の差が感じられて、このVerve版のサミーの声は若いし芸風がストレート。Basieのオーケストラやソロはどちらもすべてまったく同じ。同じ録音なので当たりまえ。それにしても、カラオケにヴォーカルだけ差し換えて新譜として出す、なんてことをこの時代にもうやってたなんて! いや、この時代だからこそか。ザ・ビートルズの音楽監督ジョージ・マーティンの手記には、1958年のアメリカでは3トラックのテープ・レコーダーがスタジオに入っていた、という記述があるので、1964年の録音ならば、まずオーケストラをステレオ録音してテープのカラオケに後からサミーの歌をかぶせていたのかもしれない。そして1973年にそのオーケストラ・トラックだけ再生してそれをバックにサミーが録音しなおした、というわけかもしれない。どういう事情でそんな安易な企画が出されたのかは知らないが。そういえばよく聞くとサミーとBasieの言葉の掛け合いもずれてるし、New York City Bluesの掛け声もずれている。そもそも、サミーとQuincyは、いや、もしかして、SammyとBasieですら、まったく顔を合わせずにこのアルバムを作ったのか? いろんなことを想像させてくれる楽しいアルバムです。