Lゴーア63年17歳のデビュー曲全米1位「涙のバースデイ・パーティー」 | 竜馬のオールディズ

涙のバースデイ・パーティー|【社長令嬢高校生】レスリー・ゴーア

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はじめに

 レスリー・ゴーア(Lesley Gore)が63年に17歳にしてデビューし、いきなり全米第1位を獲得したのがこの曲。

 1963年3月30日に録音し発売すると瞬く間に売れて同年5月には全米1位となった。

 62年ジョン・グルック(John Gluck Jr.)、ワリー・ゴールド(Walter Gold)とハーブ・ワイナー(Herb Weiner)の作品。

 原題「It’s My Party」、邦題「涙のバースデイ・パーティー」

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●レスリー・ゴーア(Lesley Gore)のデビュー

 1946年5月生まれのニュージャージー州出身。

 衣料品会社の社長令嬢として10代前半にヴォーカル・コーチのレッスンを受け、ジャズを歌っていた。

 いとこのバンドで病気のリードヴォーカルの代役で歌っているところをマーキュリー・レコードにスカウトされ、副社長だったクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)に預けられてのデビューであった。

 クインシー・ジョーンズのプロデュース最初の仕事であったが、白人ポップス全盛期の時代を読み切り敢えてジャズ歌手として扱わなかったのは結果的に大正解となった。

 クインシー・ジョーンズが用意した夥しいデモテープの中から、レスリー・ゴーアが真っ先に選んだというエピソードがあるのがこの「涙のバースディパーティー(It’s My Party)」であった。

 この曲を収録したデビューアルバム「I’ll Cry If I Want To」も全米24位の大ヒットとなりスターの仲間入りを果たす。

 続いてのシングル2作目全米5位ジョニーが私のもとに戻ってきて泥棒猫のジュディは泣き顔になってるわと歌われる「涙のジュディ(Judy’s Turn To Cry)」

 そして3作目全米5位「ラッキー・ガール(She’s A Fool)」と主人公のジュディとジョニーの物語でヒットが続くことになった。

 続く64年に4枚目のシングル「恋と涙の17才(You Don’t Own Me)」が全米2位の大ヒットとなるが別記事で紹介する。

 こうして現役の高校生でありながらアイドルとして活躍が始まる。アイドルとしては抜群の歌唱力を武器にヒットを連発して瞬く間にトップスターの仲間入りを果たす。

 しかしそのまま芸能界に染まることを拒否し、大学進学する。歌手活動は週末だけという大ヒット歌手としては異例の活動を続けた。

 1969年までのマーキュリー在籍中に出したシングル29枚のうち19枚が全米ベスト100にチャートインしている。

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●本当はオリジナル曲が別にあった

 あまりにもレスリー・ゴーアのバージョンが有名になり、かつ数多くのカバーが作られたため、これがオリジナルと思い込んでいる人が殆どであるが、実はオリジナルは別にあった。

 この作品はアーロン・シュローダーの出版社の管理楽曲であった。

 ヘレン・シャピロはナッシュビルでアルバムを録音した際に「涙のバースディパーティー」に出会い、63年1月に発表されたアルバム「ヘレン・イン・ナッシュビル」に収録された。

 シングル候補であったが結局カットされなかったため、本当はオリジナルであったものが大ヒットしたレスリー・ゴーアのカバーとみなされてしまうこととなった。

本当はオリジナルだった ヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)

 前述のようにこの曲は元々1962年ジョン・グルック(John Gluck Jr.)、ワリー・ゴールド(Walter Gold)とハーブ・ワイナー(Herb Weiner)により書かれたものであった。

●クインシー・ジョーンズとフィル・スペクターの先陣争いエピソード

 丁度その頃デビュー用の楽曲を探して200以上のデモを聞いていたクインシー・ジョーンズとレスリー・ゴーアは63年2月に「涙のバースディパーティー」と出会った。レスリー・ゴーアはすぐに気に入り3月30日にはスタジオで録音を済ませた。

 同じ頃超大物プロデューサーのフィル・スペクターもシュローダーのオフィスを訪れ「涙のバースディパーティー」と出会った。「これはクリスタルズにピッタリだ」というスペクターの言葉を聞いた作者の一人であるゴールドは興奮したという。

 シュローダーはクインシーがゴーアで録音することを聞いていたが、スペクターが作るクリスタルズのバージョンが当ると思いクインシーに対してシングルの発売を諦めさせようとした。

 ところがゴーアが録音したその夜カーネギーホールで行われたシャルル・アズナブールのコンサートでクインシーはスペクターと顔を合わせる。

 幕間での会話の中でスペクターは「これまで聴いたことが無いくらい良い曲をクリスタルズで録音しているんだ・・・」クインシーは「曲名はなんていうんだ?」と問いかける。

 もちろん「It’s My Party」がフィルの答え。クインシーは何も言葉を返さなかった。

 クインシーは慌てて会場を飛び出しスタジオに戻る。そしてテスト盤を100枚プレスして全国のラジオ局に送り、クリスタルズより先にレスリー・ゴーアの「涙のバースディパーティー」をオンエアしてもらい結果的に全米1位の大ヒットにつなけた。

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レスリー・ゴーア(Lesley Gore)の動画

Lesley Gore(レスリー・ゴーア)

65年のTV番組で歌うレスリー・ゴーア(Lesley Gore)

日本のTV番組

 日本のミュージックフェアの画像と思われる。

 デル・シャノン、ジョニーティロットソンと3人で来日して日本各地でライブをした際にTV出演した時のもの。

 もうすっかり貫禄たっぷりのおば様になってるが、味がある。

カバーセレクション

Richard Anthony(リシャール・アンソニー)

 フランスのロカビリー歌手リシャール・アンソニーが仏題「C’est ma Fete」1963としてカバー

Dave Stewart & Barbara Gaskin

 81年4週連続全英1位のカバー

Lill Babs – So sind alle Manner(It’s My Party)

 スエーデン・ポップス バージョン「So sind alle Manner」

Amy Winehouse

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The Chiffons

Bryan Ferry

子供用映画の中で使われている Problem Child

problem child (1990)- it's my party! Scene 1080P
problem child (1990)- MICHAEL OLIVER actor - JOHN RITTER, AMY YASBECK, COLBY KLINE)..A young boy is just short of a mons...

The Paris Sisters

日本のカバー

 当時日本でも大ヒットしたので日本語カバーでかなり多くの歌手が歌っていた記憶がある。

 しかし日本語のカバーでアップされていたのはこれだけ。

園まり

中尾ミエ

 中尾ミエのジャケット写真

●デビューシングルをヒットさせるためにクインシー・ジョーンズがとった周到な準備とは

 16歳の高校生の少女のためにクインシー・ジョーンズはエンジニアにフィル・ラモーンアレンジャーにクラウス・オガーマンを配する強力な制作体制を敷いた。

 フィル・ラモーンはビリー・ジョエルを手掛けてカリスマ・プロデューサーに、

 クラウス・オガーマンはクリード・テイラーの右腕としてCTIの屋台骨を背負うアレンジャーとなる。

 二人とも超がつく強力スタッフだった。

●ソングライターとして再び成功

 1968年頃からはチャートインするヒット曲は出なくなったが、1980年にソングライターとしてアイリーン・キャラに弟のマイケル・ゴーアと共作した「Fame」(全米4位)を提供して再び成功を収め、現在も現役で活動を続けているという。

 2009年2月に書かれたロサンゼルス在住邦人のブログによればライブ活動もしているらしい。

<歌詞>

「涙のバースディ・パーティ」(IT’S MY PARTY)
(Walter Gold, John Gluck Jr., Herb Weiner)

Nobody knows where my Johnny has gone
Judy left the same time
Why was he holding her hand
When he’s supposed to be mine

It’s my party, and I’ll cry if I want to
Cry if I want to, cry if I want to
You would cry too if it happened to you

Playin’ my records, keep dancin’ all night
Leave me alone for a while
‘Till Johnny’s dancin’ with me
I’ve got no reason to smile

It’s my party, and I’ll cry if I want to
Cry if I want to, cry if I want to
You would cry too if it happened to you

—— LEAD BREAK ——

Judy and Johnny just walked through the door
Like a queen with her king
Oh what a birthday surprise
Judy’s wearin’ his ring

It’s my party, and I’ll cry if I want to
Cry if I want to, cry if I want to
You would cry too if it happened to you

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コメント

  1. 名無し より:

    最近7吋を入手して、たまたまコースターを凝視したら、Quincy Jonesのクレジットが!
    で、調べましたらココに辿り着いた訳ですが、全く持ってスバラシイ!
    大変為になりました!
    これからも頑張って下さい。

    • 竜馬 竜馬 より:

      コメント有難うございます。

      お正月早々で、嬉しい限りです。
      他にもいろいろ書いておりますので今後ともよろしくお願いします。