Blue In Heaven

• 活動期間:82年~89年

•出身地:ダブリン

•メンバー:Shane O’Neill (g/v), Eamonn Tynan (g), Declan Jones (b) and Dave Clarke (dr)

•Discogs:http://www.discogs.com/artist/564894-Blue-In-Heaven

•youtube:https://www.youtube.com/channel/UCMSMw3Vogdl3LjekIPG_PPw

バンドの中心人物であるShane O’Neillはホットプレスの表紙でヌードを披露するほどのイギー・ポップのファン。83年頃からデモを作り始め、そのうちの1つ「On and On」はU2のエッジのプロデュース。またU2のボノは彼らの「The Lights Go Out’」という曲をローリングストーン誌の83年度ベスト10の1枚に選んでいます。


ゴールウェイでエッジが僕たちのデモテープを聴いて気に入ってくれて、サポートを申し出てきたんだ。82年のあたりだったと思う。それから彼はWindmill Laneでデモをプロデュースしたいと申し出てきた。セッションにはボノも何回か顔を出して、エッジとギター談義に興じていたよ。彼らはそれぞれのギターサウンドに自分の名前が付けられているような大物だから、僕たちはびびっていた。エッジは僕たちの音楽のことを『ハイウェイ・ミュージック』と呼んでいたね。もう一つ印象に残ったのは、いかに彼らが自分で自分をコントロールしているかということだ。彼らには常にドライブ感というものがあった。多忙の合間を縫って僕たちのために時間を割いてくれたことには、非常に感銘を受けたよ。僕たちはMother Recordsとは契約寸前にまで行ったんだけれど、残念ながら話は流れてしまった。けれどもあのデモテープのおかげでLondon Records(と原文にありましたが、アイランド・レコードの間違いのようです)と契約できたんだ(Shane O’Neill)

85年1st「All The Gods' Men

プロデューサーはマーティン・ハネット。が、エコバニの「Heaven Up Here」のプロデュースで知られるヒュー・ジョーンズがプロデュースしたシングルヴァージョンと聴き比べても分かるよるに、ハネットがあまりにも自分の色に染めてしまって、バンドの良さを消してしまい、商業的に失敗しました。

初期のシングルは、当時の2大プロデューサー、Hugh JonesとMartin Hannettに片面ずつまかせるという、 破格の扱いでデビュー。2枚目の"Across My Heart"にいたっては、タイトル曲をそれぞれがプロデュースした ヴァージョンで聴き比べられるという豪華盤。 が、問題発生。普通に売ろうとするならどう聴いても Hugh Jonesヴァージョンのほうがバンドの体質に合っていていいはずなのに、なぜかファーストアルバムはMartinがプロデュース。そこがすべてのケチのつきはじめでしょう。(初期

反省したバンドは、自分たちの持ち味を取り戻すべく、地元で熱いギグを繰り返し、86年にはセルフエイドにも出演しました。


86年2nd「Explicit Material

バンドの熱いパフォーマンスに目を付けたアイランド・レコード社長のクリス・ブラックウェルが、自らプロデューサーを買って出て、彼らをU2が「Fire」をレコーディングしたことで知られるバハマのスタジオに連れていってレコーディング。アルバムリリース後、バンドはThe ChameleonsやEcho & the BunnymenやThe Damnedの前座を務めました。が、またしても商業的成功を収められず、89年バンドは解散します。

90年、バンドは新メンバーを1人加えて、装いも新たにBlue Angelsを結成し、シングルとEPを数枚、93年にはアルバム「Coming Out Of Nowhere 」をリリースしますが、結局、ここも鳴かず飛ばず。

Shane O’Neillはその後Into ParadiseのDave LongとSupernautというバンドを結成し、97年に「Dirt Recording」というアルバムをリリースしますが、これも売れず、現在はスタジオを経営しているそうです。