1Q84/村上春樹 書評と考察|onu

1Q84/村上春樹 書評と考察

著者:村上春樹

出版:新潮文庫

カバーデザイン:新潮社装幀室

カバー絵画:「快楽の園」ヒエロニムス・ボス

公式サイト:http://1q84.shinchosha.co.jp/

購入ページ(文庫版1巻):http://www.shinchosha.co.jp/book/100159/

1Q84年──私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう、青豆はそう決めた。Qはquestion markのQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身を置いている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。……ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』に導かれて、主人公・青豆と天吾の不思議な物語がはじまる。

○ストーリー

・楽しめ度 18/20 点

謎が多く、考えながら読めた。

・雰囲気度 6/10 点

殺人の描写、ロマンティックな場面が良かった。 

・斬新度 10/15 点

「リトルピープル」など、設定が独特。

○キャラクター 10/15 点

個々の役割がはっきりしていた。共感に欠けるところもある。

○文体 9/10 点

淡々とした、翻訳文のような固さが心地いい。

○文量 2/5 点

構成のためか、くどい部分や蛇足に感じる部分もあった

○知識 5/5 点

音楽・小説・実際の事件・宗教など、満遍なく豊富。

○デザイン性 4/5 点

カバーに描かれている「快楽の園」が内容とリンクしている。

○おすすめ度 7/15 点

読み応えのある長編小説好きや、長編にチャレンジしようと思っている人にお薦めしたい。「青年女性」「中年男性」など、特的の人に薦められない。

○計 71/100 点

○書評

壮大で深い愛の物語でした。不思議な謎が多くて、ノートにまとめながら読み進め、「空気さなぎ」や「リトルピープル」は何かの暗喩なのかな?と考えながら読みました。展開も予測不能で、ハラハラドキドキするところもあり、楽しかったです。後半は青豆、頑張れー!と応援したくなるような恋愛小説的要素もあり、バラエティに富んでいました。ラストで天吾自身も言及していたように、天吾がいまいち動かないのがちょっと気になりました。こういうところにも何か意味が…と考えてしまいます。謎が具体的に解決されるわけではなく、モヤモヤするところが残され、個人的に考察してみたものの、矛盾が多く考察と呼べる代物ではなくなってしまいました…。ですがこの本をどう捉えたか、読んだ友人と話し合うのも楽しみ方の一つになると思います。また、村上春樹氏が仕掛けた謎同士の共通点などを発見するのも醍醐味だと思います。以下にそういった考察的な何かをとりとめもなく綴っているので、お時間があれば、ご覧ください。

○考察

※以下、ネタバレ、独断と偏見、矛盾、宗教の見解を含みます。ご注意ください※

・作中の謎

作中には実際に存在する他の小説作品や、音楽が登場します。特に、ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」は序盤に登場し、青豆が「1Q84」の世界に移動するキーポイントとなっています。これがきっかけで、読者は青豆とともに、「1Q84」の世界に迷い込んでしまうのです。

そして、「めくらの山羊」や「リトルピープル」、「空気さなぎ」、「マザ」、「ドウタ」、「パシヴァ」、「レシヴァ」という独特な名詞も登場します。これらには何かアナロジーがあるのかと思うのですが、作中でふかえりはこれらは事実のままだということを説明します。そして結局、それらの存在理由や行動について具体的なことはいまいち明かされません。

・村上春樹のねらい

しかし、性行為なしでの受胎や天吾の父の曖昧な存在など、特定の宗教を匂わせる描写もあります。この本のカバーには一貫して、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」が描かれています。この快楽の園は、アダムとイヴ、エデンの園、地獄といった人や動物、風景が描かれた三面鏡のような造りになっていて、閉じると球体の世界を見ることができます。その別世界が隣り合わせになっているような構造は、この「1Q84」と共通していると思います。さらに、中央に描かれた裸の男女が入り乱れる様も、「1Q84」で天吾と青豆それぞれの享楽に耽る様子を思わせます。また、この絵画は様々な空想の生き物や物体が描かれていて、見る人にも様々な解釈や考えを浮かばせます。その効果も「1Q84」と同様と言えるのではないでしょうか。村上春樹氏は、特定の答えよりも読む人の解釈を無数に生み出すような世界を描いたのだと思います。

・宗教的役割

以下は私の解釈となりますが、曖昧に描かれてはいるものの、一貫して明確に存在するのが愛と輪廻だと思います。私がこの物語で強く惹かれた点でもあります。ふかえりが天吾に向けて、リトルピープルに対抗するには彼らが持たないものを持つ必要があると言います。それこそが「」なのではないかと考えます。なぜリトルピープルは「愛」を持たないのか、なぜリトルピープルは「愛」を持つものに勝てないのか。また、物語後半では登場人物たちの「渇き」が描写されています。渇きとは、ある宗教でトリシュナーという愛を求める欲望の意味を持ちます。リトルピープルたちは「愛」を持たない、煩悩を持たないものを指すと考えられます。最後に天吾と青豆は「1Q84」の世界から新たな世界=反転した世界へと出て行き、そこで交わります。そして繰り返されるタイガーをあなたの車に。この言葉は捨身飼虎=慈悲を思わせます。「1Q84」から抜け出した先ではその広告に描かれたキャラクターは反対側を向いていて、青豆はその微笑みを、どちらでもいいと受け入れます。また、天吾と青豆がタクシーに乗る際に運転手が言った、乗せていた男が女性と出会い、その車に乗っていってしまったという言葉。以前青豆の夢に出て来た女性を青豆自身が神であると知覚したことからも、女性=神、もしくは如来のことだと考えられます。しかしラストで青豆と天吾は「この世界に踏み止まろう」と何度も繰り返し確かめます。このことは解脱をしないという意思にも思えます。

タクシーの運転手、小松、牛河、老婦人、タマル、ふかえり、リーダーといった様々なキャラクターにも対応する役割があるかと思いますが、割愛します。

・輪廻

そして、この物語のもう一つの主題は「輪廻」だと考えます。リトルピープルはめくらの山羊が死んだ後にその体からこちらの世界にやってきたとふかえりの「空気さなぎ」に書かれています。そして空気さなぎを編んで、その中には実体である「マザ」の分身のような存在「ドウタ」がいます。この名前は青豆が宿した子に呼びかける際にも使われています。空気さなぎ=子宮のようなもの。つまり生まれる以前の場所のことだと考えられます。また作中で、安達クミという天吾が出会った看護婦が登場します。彼女は「誰かのためなら生まれ変われる」という言葉や、天吾の「青豆」との記憶を呼び戻す役割、天吾を「青豆」の元へ導く役割を果たします。また、「ちっと」という口調は、以前登場した「あゆみ」という青豆の友人の口調とも重なります。これらのことから、「あゆみ」は青豆のために生まれ変わったのではないかと推測されます。その際、天吾は「リインカーネーション」つまり輪廻という単語を使います。このことから、空気さなぎ=子宮=生まれる以前の場所もまた、同じ世界であるのではないかと考えられます。天吾は「ねこのくに」に行って、父に会い、生まれ変わりを果たします。そして青豆は子を宿すことで、前半では青豆の容姿として男も恐れるしかめつらが幾度か描写されていましたが、後半で身ごもったことが判明すると、その容姿は極めて強く美しく描写され、生まれ変わったように描写されています。そして二人は手を取り、この世界から出て行く=生まれ変わるのです。この物語はそういった生まれ変わり=輪廻を繰り返すことがもう一つの主題なのではないかと思います。

・二つの月と王国

二つの月というのは、「さきがけ」の源流でもある、ある特定の宗教の世界を示しているのではないかと思いました。月の光に輝いた山羊の目と、そこから現れるリトルピープルの描写、青豆が繰り返す「王国」への祈りなど、竹取物語でかぐや姫が月に惹かれ、連れ戻される様子を連想しました。しかし「1Q84」では青豆=かぐや姫はリトルピープルやさきがけ=月の使者に捕らえられることはなく、「月はただの灰色の切り抜き」に変わります。このことから青豆と天吾は月から切り離された=輪廻の輪の中にいると考えられます。竹取物語でかぐや姫が連れ戻されてしまったのは、様々な男と出会いながらも愛を得ることができなかったからで、つまり青豆は愛を得たことで、月の世界と切り離されることに成功したのだと言えるのではないでしょうか。

以上が私の解釈です。しかしにわか知識なので的外れだったり説が弱かったりする点があることをお詫びします。もし何か問題点などあれば(問題点だらけだと思いますが…)ご指摘ください。

では、ここまでご覧くださり、ありがとうございました。

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