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DS Yano, Taro ― 

803 Kokushi sosho 

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Asiatic 



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UNIVERSITY OF TORONTO LIBRARY 



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:1 

軼 



北 肥戰誌 は, 神 功 皇后の 三韓 征伐 (紀元 八 六 〇 年) より、 天 正 十八 年豊 太閤 小 田 原 北 

條氏 を. D ぼし 天下 一 統 (紀元 ニニ 五 〇 年) に 至る 迄、 凡そ 千 四百 年間、 九州 • lift の 

諸 豪 鍋 島. 少貳俞 池. 大友 • 龍 造 寺、 其 他 の 諸家 の 由來. 活動の 顚末. 諸氏 相互 の 關係幷 

に 之 等の 諸氏と 皇室. 足 利 氏. 太閤. 中 國の陶 • 大內、 四 國の長 曾 我 部 及び 諸外圃 との 

關係等 を、 肥 前國を 中心として 詳述し、 尙ほ 古跡. 寺社の 緣起等 を 附記せ る ものにし 

て、 冊數 三十 卷 あ. 9。 書名 は 北 肥 戦 誌と 名附 くれ ど • 其の 內容 より 察すれば、 九州. 

1 一島の 治亂 記と して 見る を 適切な.^ とす。 之 を 西 國治亂 記. 西國 太平 記 等の 諸 書に 

比する に、 記事の 詳細 確實 なること, 之 等の 詣 書の 及ぶ 所に あらす。 

本書、 原 名覺書 • 一 名治亂 記と いふ • 原著者 は 誰なる か 知る を 得すと 雖も、 馬 渡俊繼 

といへ る 者 之が 取捨 選擇を 加へ て 年經る こと 久しき に 及び • 鍋 島 侯の 執事 この 書 

の 散逸 を 恐れ、 君 侯宗茂 一 覽の 後、 新に 長淼 氏に 命じて 訂正 淨書 せしめ、 而 して 治 

亂 記と 名づ く。 時に 享保五 年な- 9。 これ 本書の 序に 依.. > 明 なれ ども、 北 肥 戦 誌と 

名附 けたる は、 その 何時なる か 知る を 得す • 盖し享 保 以降なる は 明な,.^。 



解 = 

畏森氏 は 通稱傳 次郞、 以 休と 號す • 寶曆 三年 一 月 七十 歳に して 卒す。 林 大學頭 信 篤 

の 門人と して 4: 名 あれ ど、 著作 詩文 一 も傳 はらす • 僅に 九州 治亂記 序文 あるの み。 

休の 末孫 あり、 傳次 郞と稱 し、 後 有 斐と改 む。 宫 司法 及 法制 屬奏任 三等に 至る, 

詩文 を 善くし 久米 搏士と 友た,^、 今 を距る こと 十 年 前に 死す。 養子 藤吉郞 法學士 

にして 官 勅任 二等に 至る (撿事 正 大藏 大臣 官房長) 今 野に 在, 9 て 商業に 從 事し、 中 

4 ^谷- 2 住す。 

本書 W 行に 當り、 侯爵 鍋 島 家 は 特に 印行の 許諾 を與 へ られ、 東京 帝 國大舉 史料編纂 

褂は 原書の 謄寫を 許可 せられた, 9。 記して 玆に 厚意 を 深謝す。 

大正 七 年 二月 國史 研究 會鶴 



一、 本 編 は 北 肥戰誌 三十 卷の內 、第一 卷ょ..^卷之十六迄を採收す" 

1 、 反 讀を讀 下しに 改め、 語尾 を铺 ひ、 句讀を 施す 等、 旣刊の 諸 書に 同じ * 

一、 原本の 特長と 思 はる、 文字 及び 地名 • 人名 は 多く 1^ 本の ま- -に從 へ り • 



KKiiiritEtirilEilr itIllfEEI. 



目 . ^ 

匕 巴驟志 

TT 月 W ま 

頁 

1 

卷之 一 

異賊來 襲の 事 一 一 一 

九州の 探題 北 條英時 誅戮の 事 一 1 

尊氏將 九州 御 下向の 事 5 

多々 良濱 合戦の 事:: 二 六 

卷之ニ 

菊 池 攻幷將 軍 御 歸洛の 事 二八 

世 良 親王 八 代 へ 御 下向 所々 軍の 事 •::• 三 二 

足 利 右兵衞 佐 直 冬西國 下り 所々 軍の 

目 次 



¥ 

直 冬 朝臣 沒 落の 事 S 九 

卷 之 三 

九州 所々 軍の 事 五一 

探題一 色^^は氏歸洛の事 五 3 

太 宰少貳 S び 武家 方と なる 事 五? 

大保原 合 戰の事 五 九 

菊 池 肥 前 守 武安肥 前 國に來 る 事 六 九 

新 征西將 軍の 宫 太宰府 御發 向の $?「 …:. さ 

探題 氏經 下向 附畏者 原 軍の 寧 

探題 氏經沒 落の iij^.: セ八 

征西 將軍宮 海上 軍の. ¥ ?九 

探題 今 川 道 入 了 俊 下向の 箏 八 



卷之四 

探題 了 俊 入道 所々 軍の 事 八 二 

太 宰小貳 冬資宮 方と な る 事 八? 

少貳家 由 來の事 八 八 

冬資 討死 今 川 兄弟 所々 軍 の 事 き 

菊 池 家 S 來の事 九九 

新 採 題. 溢 河滿賴 下向の 事 一 01 

菊 池武朝 出張 敗北の 事 S 

卷之五 

探題 河 滿賴小 城發向 の 事 一 S 

齙河義 俊 新 探題 に 任す 附沒落 の 事… • 1 1 

大友親 著 子息 孝 親の 爲に 討た る \ 

二 1 



大友家 由 來の事 二 s 

雛 河滿直 探題 職 附莒崎 社 炎上の 事 …: 二 六 

大內入 道徳 雄 討た る、 事 ニセ 

大內介 持 世 九州 渡海 井少貳 父子 自殺 

の 事 二 九 

宗家. W 来の 事 二 一 一 

探題 滿直 討死 附 子息 萬壽丸 任職の 事丄 ニニ 

千 葉 介胤鎭 浪人の 事 一ニ|1ー 

卷之六 

浦 肥 守義赤 烏帽子の 事 M 

松 浦 家 由 來の事 一 二八 

新 少貳敎 賴御勘 氣の事 一 二ん 

卷之七 



少 貳敎赖 御勘氣 御免 附又御 勘當の 

» M 

« 造 寺 家 由 來の事 M 

少 貳敎賴 討死の 事 11 一一 八 

鍋 島 家 由 * の 事 Is 

千 葉 家. S 來の事 : 11 一一ん 

千 葉 家 威勢の 事 ISO 

河 上 合 戰附今 河 伊豫 守 討死の 事 :…… 一 SI 

千 葉介敎 SSI 、ま 出張 附沒 落の 舉 :…… 5ー《 

土 一揆 合 戰の事 S 

少 1^ 政尙 探題 澀河 萬壽丸 の 事 1 

千 葉 家 繼目少 貳の事 h パ 

少« 政資 出張 附箱崎 八幡 社家 炎上の 

• i 

少 貳政資 父子 对 死の 事 12 



卷之 A 

千 葉脱繁 小! g 郡に 歸 入る 事 一 さ 

澀河刀 禰王丸 採 題 職に 任 やる 事 ……: 一 七! 一 

龍 造 寺 家 和 將軍家 へ 出仕 附剛忠 萬 部 

の * m 

千 葉 胤 繁歸國 幷少威 資元家 を 興す 

事 一 ま 

大 友義 娃嫡家 を繼ぐ 1* 1 七 八 

篛尹將 軍 御 歸洛の 事 K1 

宗讃岐 守義盛 朝鮮 圃を攻 むる 事 :…… 一 八 二 

锐紫滿 門 馬場 頼 周の に 討た る 5 

1 八 3 

少 貳冬尙 元服の 事 一 八ル 



卷之九 

肥前國 野路 宿 合戦の 事 1 九 四 

陶尾張 守 入 道麒 九州 渡海 所 々合戦 

の 事 一 究 

陶 入道 道麒肥 前へ 打 入る 事 1101 

卷之十 

寵造寺 家 兼 道 麒の陣 夜 討 m 観世音の 

微像を 得る 事 一 Is 

大内 介義隆 來陣少 «資 元 切腹の 事:: 一 10? 

木 原 軍 幷新少 貳冬尙 の 事 一 11 11 

鍋島彥 法師 丸 千 葉 介 胤連 養子の 事:: 二 I 六 

馬場 i? 周 寵造寺 を 謀る 事 二 111 

龍 造 寺 一 家 所々 討死の 事 -H,^ 



卷之 十一 

龍 造 寺剛忠 入道 歸國附 馬場 賴周 父子 

討お る \ 事 lis 

龍 造 寺 入道 剛忠 後の 萬 部 成就の 事…. li 

寵造 寺剛忠 入道 卒去 附隆信 家相 續の 

事 i 

寵造 寺胤榮 本領に 歸る 附少貳 冬- S 沒 

落の 事 ilIK 

寵造寺 隆信兩 家相 續附 小河筑 後守武 

純忠 心の 事 B 

少贰 冬尙歸 城の 事 1¥1 

ra 尻 伯 耆守親 種 筑後圃 K 尾に 城 を 築 

く 事 S 

豊後國 黑嶽に 鬼 馬出づ る 事 一 一五? 



卷之 十二 

大 友義 鑑橫 死の 事 ::: so 

菊 池義武 蜂起 附下筑 後 所々 軍の 事:: 二 § 

大內介 義隆滅 t 附 « 造寺隆 信沒落 

の 事 二 七 一 

鴨 打 陸 奥 守 胤 忠隆信 へ 忠 心の 事 :…… 一 七 

隆信歸 國の事 二八 一 

卷之 十三 

八 宗暘 落城の 事 二八 K 

小 田 政 光軍附 和平の 事 $ 

寵 造 寺鑑兼 以下 浪人の 事 :.:: - 二 九 一 

肥 後 國南關 軍の 事 二 九 一一 

高木 鑑房 沒落附 生害の 事 



大友少 貳の事 si? 

隆信 重ねて 神代と 餘循の 事 二 九 八 

城 原 攻井筑 後 守 神代 勝利 を揀む 事…. 一 H 九 

神代 家 由 來の事 1 一一 二 

秋 月 文 種 生害 筑紫 惟門 沒 落の 事 :::: g セ 

卷之 十四 

神代 勝利 谷田沒 落の 事 I ニニ 

勝利 歸城井 八 BS 宗暘 再び 出城の 事 ;.1 さ 一 

鐵布 合戦 小 河筑後 守: fr 死の 事 S 

城 原攻少 貳冬尙 自害の 事 S 

千 葉 介胤賴 討死 附妙見 太刀 由來の 事. 憂 一一 

卷之 十五 

筑前國 侍 島 軍の 事 



目 



次 



秋 月筑紫 « 造 寺大友 へ 和 を 乞 ふ 事…. 量 セ 

河 上 合戦 神代 勝利 沒落 の 事 一 S1 

勝利 歸 城の 事 1 一一 2 セ 

少贰元 盛 出家 附今 泉播 磨守忠 心の 

* 靈 

有 馬 勢 出張 丹 坂 軍の 事 登 四 

卷之 十六 

隆信有 馬 の 殘黨と 軍の 事 一き 一 一 

隆信 敗軍の 事 

三 根 郡 中 野 城 攻の事 

甕 見 城 落 去の 事 

ffi 江 家 由 來の事 

有 • 梅 家 由 來の事 



ま 五 

き 

生さ 

全 七 ill 



六 

く 事 , § 

寵造寺 隆信重 ね て 須 古攻附 和; 牛 の 

* S 

隆信重ねて三根郡西^2!5城攻の事 :…… 一 1 一八 一 

神代 長 良 千 布 落城の 事 一 S1 一 



大 友義鎭 入道と なる 附 g 蘇宗 i: に 傾 



目次 終, 



匕 c 

JT 月 



序 



謹!!: 若稽, 古、 其 治 也、 其 a 也. 猶,, 四時 之錯 行; 而 成敗 離合 紛,, 于數 百年 之 間; 盖政 

令 休 明 則 邦家 永久、 敎化陵 夷 則民庶 離散" 三代 之 盛 .五, 季 之衰、 豈其可 k 不, 鑑, 于玆, 

乎。 惟夫 九州 天府 之國" 而都會 之 地、 山川 神秀 拔,, 其粹, 也" 人物 雄偉 出,, 其 額, 也。 是 

以、 名 趾勝蹟 儼,, 存于 彼; 豪傑 將士 發,, 掘 于此; 我 肥 之 勳績、 亦 卓,, 爾於此 中; 然其實 者,、 

非- 史策, 则 其不, 可-得 而 也。. 無= 其 人, 則 其不, 可,, 得 而述, 也- 粤有ぉ M 氏 俊 繼-ぉ 

乃 肥 州 之 産、 而 覃,, 思 事跡; 故閱, 市 求つ 5^ 取, 實闕っ 疑、 更互演 釋删, 其 1.1 亂; 而 其編以 

足&, 之矣" 不,, 乂幸, 哉。 自, 爾以 來蠹食 年久、 而 知者 鮮矣。 不,, 又惜, 戗。 執 5* 小川 俊 

方 知乏不 、感而 有, 餘, 以達 ¥ 君 所; 賢 嗣君乙 K 之 後、 新 降, 高 命, 淨書 訂證、 1 

序 J 



曰,, 治亂 記; 總 三十 卷。 是其休 明 陵 夷、 熙々 然昭々 乎不 y 在- 于此 書-哉。 

于 y 時 享保庚 子年 長 森 氏 記, 之 



1^ M 志 1 

異賊 襲来の 事 • 、/ 

竊に 開く。 昔 神 功 皇后 三韓 を 御 征伐の ため. 鍵 西 へ 遷幸 ましく、 先づ 肥 前 國背振 山 

の S 頂に 御陣を 召され、 異國御 渡海の, 秤議を 決せられ、 夫よ.^ 松 浦 潟 へ 遷ら せらる • 

折節 酷暑の 頃 なれば、 玉 島 川に 御 逍遙 あ. o。 則も彼の淺ょ,^^御船を出されけるに、海 

みち ひさ 

路の御 道 引 は、 住 吉大明 神 白髮の 翁に 現じ 給 ひ、 御 召 船の 梶取は 志賀の 明祌、 先陣 

は^ 豫の三 並、 軍 奉行 は武 內宿禰 にて、 高麗 國の奧 女 具へ 御 討 入 あ. o。 海陸の 御 合 

戦に、 高麗 八箇 道、 新羅. 百濟. 契 丹の 三韓 を 悉く 御 返 治まし )(^* 異國の 王 は 我が 日 

本の 犬な. 9 と、 御 弓の 箬 にて 御 書 を 付けられ、 頓て 御歸朝 あり。 筑前國 へ 上らせら 

れ しに、 此時、 后 御懷胎 にて、 皇子 應神 天皇 を 御 誕生 まします。 其 御 產所を 今に 香 

異賊整來の^6^. 一 : HE . : 



異國 征伐 

の 初 



■ 北 肥喊^ 卷之 1 S 

椎と 申す。 御 55 生の 時、 靈香 四方に 薰じ、 近邊の椎の木の葉、皆香しくな.^し故に、 

かくは 申すな b。 是れ 日本よ 異 國を征 する の 初な り。 其 後. 人 王 三十 四 代 推 古 

天皇の 御宇に、 三韓 反復して 奇異の 曲者、 曰 本へ 攻め 來る。 其 身、 鐡 なる 故、 是を 

和 人は鐵 人と いひけ り。 時に 伊豫の 國の 住人 樹 下の 押頜使 越智 益躬、 勅命 を 蒙.^ 

是を追 す。 その後、 人 王 三十 九 代天智 天皇の 御 時に も、 新羅 國和朝 を 背く 故、 先 

例に 任せられ、 越智守 興に 勅定 あって 征伐 せられぬ。 同じく 四十 五世 聖武 天皇の 

御宇に も. 亦 三韓 日本に 背く に 依 て、 藤 原 宇合の 息 男 淘若を 以て、 是 を誅戮 あり * 

それより は 異函ょ a 本 を 侵す 事 もなか h- し處 に、 星霜 久く 去..^ て、 人 王 六十 八 代 

〔未〕 

後 一 條院の 御宇、 寬仁 三年 己^の 春、 新羅の 賊起り て、 三月に 高麗 を 出船し、 四月 一 

n: 對州 へ 著き、 同 三日 壹岐 へ 來. 同じき 八日、 筑 前の 國志 摩の 郡 へ 上,, > し を、 筑. 肥 

の 軍士 馳集 b て、 悉く 是を 退治す。 又 人 王 七十 三代 堀 河の 院の 御宇、 寬治 年中に も、 

蒙古の 大勢、 兵船 を そろへ て 攻め 來 るの 間、 九州の 諸士、 壹岐. 對 馬. 筑 前の 海上へ 漕 

ぎ 向って 相戰 ふ。 中に も 肥 後の、 H の 住人 菊 池の 太郞 經隆、 綸旨を 給 はって 戰功を 



柚んで 是を 追討す,。 其後、龜山の院の御宇、文永ニ年乙?^、«古又數千艘,^^勢三な 

七十 六 萬 人、 八月 十三 31 ラ 1 國博 多の 律に 襲來 す。 鋭 西 大きに 騷 動し、 九國の 士卒 

皆馳 集り、 蒙古と 相戰 ふに、 異敵、 蟻の 如くに 見えて、 防戰 中々 叶 ひ 難、 睐方 悉く 中 

國へ 引返く。 蒙古、 勝に 乘 り惯 多. 箱 崎の 陸上へ 上 h^、 旣に千 手. 秋月邊 まで し 來 

しに、 原 田 次 郞と秋 月 九郞が 軍兵 共、 山中に 隱れ 居て、 或は 鬼面、 tS は 獅子頭 g サ, 

靑. 黃. 赤-白. 黑に 異形 を眞 似、 あそこの 木蔭. こ、 の 叢よ b 現れ 出で、 烈しく 討戰ひ 

し 程に、 異賊 共、 是は 正しく 神. 軍よ と膽を 消し、 皆 逃 去. ^て數 wis の 者 共、 自然と 船 

を 返し、 殘らゃ 高麗へ 歸. ぬ。 然る 處に、 又 程 もな く间 十一 年 甲 戌 十月 六 =、« 古數 

千 艘對州 へ 著 船し、 同 十九 日、 筑前國 今津の 沖に 來 り.、 明くる 廿 :11、 博 多へ 入る。 九 

州 は 申す に 及ば や、 五 幾 七道 周章し • 關東丄 ハ波羅 よ,.^、 鎮 西の 武士に 御敎書 をな さ 

れ、 諸國の 軍兵 博 多へ 馳 集る。. 折節 雪 消の 洪水に て、: 筑後圍 千年 川に 到.^、 薩. 隅 .リ 

豊. 肥 後國の 軍兵 共、 渡る 事 を 得 ざり しに、 神代 民部大 輔良忠 、【假 橋 を 渡して 悉く 之 

を 渡す。 後に 鎌 倉へ 聞え て、 時の 執 權北條 相模守 時宗: 良 中 i を 賞せられ、 傲 の 御 

i 錢來の 事 . I 



ふ 築の 異 
地爲圃 
5^ に 防 

構石禦 



北 肥戦篛 卷之 1 ^ 

敎書を 以て 領知を 加 恩 あ b けり。 時に 肥 後 國菊池 左 京大 夫 隆泰、 大將の 號を給 は- 

って、 錦の 御 旗 を 下され、 W 多へ 發 向し、 箱 崎の 极 原に て 蒙古と 合戦す。 菊 池大, 

に 利 を 得、 隆泰が 三男 三郞 有隆、 鎌形と いふ 所に て、 異賊の 大將鬼 盤 藏を討 取 わ. 

ぬ。 時に 菊 池が 指す 所の 錦の 御 旗に * 血 多く 付きけ り。 其體 赤き 星に 異ならす。 

軍 散 じて 後、 彼の 御 旗 を叙覽 あ,.^。 菊 池に 赤 星.^ 總名を 下し 給 はる。 是ょ. 9 して 

三郎 有隆、 赤 星と 名字 を替 へ け.^。 此戰に 极浦山 代 彌三郞 階 討死し、 千 葉 介 賴胤疵 

を 蒙り、 明くる 建 治 元年 八月 十三 日、 領地 肥 前の 小 城に 於て 歲三 十七に て 失せぬ。 

斯くて 蒙古 程なく 退散し けり。 斯樣に 折々 蒙古 襲來 して 合戦に 及び、 如何にも 難儀 

な b しかば、 異國警 の 爲め關 東 御 下知 を 加 へられ、 九州の 武士に 課役 を 以て、 建 

治 二 年 三月よ.^ 博 多の 律に、 石 築地 を 構 へら r^。 其 所、 博 多 冷泉 律よ, 5 北の方 三 四 

里が 間 を、 高さ 四 五 丈に 大石 を疊み 、屏風 を 立てた る 如くに 事々 しく 之 を 築く。 太 

宰少 «資 能、 兼ねて 太宰府に あ, 9 て 此事を 奉行す" 玆に因..^て鎭西の輩、各,.人夫を 

具して 博 多の 津に向 ひ、 請 取の 役所 を 定め、 彼の 石 築地 を 普請す。 其 輩に は筑 前に. 



原 田 孫 次 郞種遠 • 秋 月 左 衞門尉 種 頼 • 田 淵 次 郞.宗 像 大宮司. 千 手. 黑河. 山 鹿. 麻 生. 少貳 

の 一 族 はいふに 及ばす、 醬: 前に 城 井 常 陸 守 時 綱. 長 野. 田 河、 筑 後に 田 尻 三郎種 重. 神 

代 民 部 大輔良 忠.黑 木 新 藏人大 夫. 星 野 • 河 崎. 西牟 W 彌次郞 永 家 • 草 野 筑後權 守 永 綱. 

酒見菅 太郞敎 員. 末 安 右馬允 兼 光、 肥 後に 菊 池 左 京大 夫 隆泰. 阿蘇 大宮司 推 季* 相 良. 

廣北 三郎、 肥 前國に 高木 伯 耆六郎 家宗. 龍 造 寺左衞 門尉季 益. 國分彌 次 郞季高 • 三 浦 • 

深 堀 彌五郞 時 仲. 大村 太郞家 直. @ 中次 郞左衞 門 尉 長 員. 安富. 深 江 K 部 三 郞顆淸 • 有 

馬 左 衞門尉 朝 澄. 後藤 三郞氏 明. 同 塚 崎 十 郞定明 • 橘薩摩 十郎公 ft* 白 石次郎 入道 • 多 

久太郞 宗國. 於 保四郎 種宗. 馬 渡 美 濃 八郎. 今 村 三 郞. 尻 田 六 郎能家 • 綾部 又 三 郞幸重 • 

上 松 浦に 波 多 太郎. 鴨 打 次郞. 鶴 田 五郞馴 • 下 浦に 松 浦 丹後權 守定. 蕃 五郎 省 • 平 

源 五郎 答 萬 里 源次郞 入道 如 性. 山 代 又 三郞榮 以下 兩黨の ST S 後に 大 # の 一 族、 

薩 州に 島津 兄弟、 日向に^ 東-土 持, 大 隅に 牛 籠. 河 侯 を 初と してて、 悉く W 多 へ馳せ 

集 b 之を勸 む。 九國の 大儀. 是に 過ぎた る はなし。 斯 かる 處に、 弘 安四 年 辛 巳 五月 廿 

日に、 又 蒙古が 船 四千 餘艘, 壹 鼓へ 著 船し、 筑前內 志賀. 野 子の 浦よ.^ 柬の 海上 を、 尺 

奚 被 S 來の事 * 



し異 
ズ敵 
戦 上 
ふ 陸 



北 肥戰誌 卷之 一 八 

寸の隙 もな く 船 筏 を 組んで、 陸地の 如く 行路 を自, H に 横 -SJ;: し * 卽 時に 多. 箱 崎へ 

攻め入らん とす。 此事、 大友 因幡 守 親 時が 許より 早速 京都へ 注進 中す。 又 少贰經 

資ょ. も、 鎌 倉. 六 波羅へ 早- it を 以て 急を吿 ぐ。 此時將 軍 家 は 惟康 親王、 執 權は北 

條相模 守 時宗に て、 早速 四國. 九州の 武士、 彼 所へ 馳向 ひ、 異賊を 防ぐ ベ きの 旨 、御数 

書 を 下されし かば、 大友. 島 律. 伊柬. 菊 池. 相 良 .少貳 ,秋 月. 原 田. 松 浦 • 三 原 ふ K 像. 草 野. 

星 野 を 初め、 谷. ie 多へ 馳 集.^ 蒙古と 合戦す。 藁古豫 ねて 日本の 用心 を や 量.^ けん" 

件の 石 築地に 猶 二三 丈が 程 高く、 己が 船に 勢 樓を切 組み 置き 是を 俄に 組立て 、 

日 水勢の 陣所 を遙か 目下に 見なし、 其 頃 曾てな か, りけ る 佛郎機 を 放し 掛けし かば、 

其 音 天地に 響き、 中る 所微廛 とな,. y 、眛方 是が爲 に 討た る. -事數 を 知らす。 大に懼 

ぢ 恐れて、 皆 愛 かしこに 逃 直し、 大將の 下知 を も 相 用 ひや、 更に 戰 はむ ともせ ざ.^ 

けり。 異敵、 勝に 乘 b 悉く 陸 へ ffi 上.^、 和 兵と 討 戦 ふ。 時に 少甙が 弟 武籐豊 前守景 

資、 一 族 郞徒を 相 催し、 是 等と 防戦し ける が、 百路 原に 於て 賊軍の 大將劉 相 公, 長 七 

尺に 餘.. ^、其 形" 佼 叉の 如く、 黑き 馬に 乘 りて 餘を携 へ、 和 兵 を 追つ 立て 相戰 ひし を、 



景資自ら射て^^す。 彼の 景資は 元祖 小 次 郎資赖 以來、 弓箭の 古實を 相. $ して、 無 雙 

の 弓の 上手^り • 斯くて 九州の 武士、 蒙古の 後へ 廻り、 中に も 松 浦 黨の者 共、 壹 岐. 

松 浦の 海上に して 討戰 ひ、 山 代 又 三 郞榮. 志 佐 次郞繼 以下 手疵を 蒙り、 討死す る 

數 輩な り。 肥 前 國龍造 寺左衞 門尉季 益が 1 族 も、 三 W 餘騎 にて 漕ぎ 向 ひ、 大瀨 門. 

小瀨 門. 三年 浦. 幾 島 • 松 島に 於て 蒙古と 合戰 し、 季益が 嫡男 龍 造寺乂 次郞季 時、 特に 

策忠を 抽んで ,賊 兵 を 切る 二百 十三 人な 。然れ ども 異賊 事と もせす、 其 外 後藤 三 

郞氏 明. 同 伯父 塚 崎 十 郞定明 • 子息 中 野 五郎 顆明. 大村 又次郞 家信 • 安富 左 近 將監賴 

泰. 深 堀 左 衞門尉 時 光. 子息 彌五郞 時 仲. 櫛 ffl の宮の 執行 次 郞* 伴 朝 Hli 兼 信 等、 11 じく 

軍功 あり。 筑 後の 國 人に は 田 尻 三郞稀 ま. 间弟次 部 光 討死し、 西 牟田彌 次郞永 家、 

ほめ こ 

閏 七月せ 二日、 松 浦 鷹 島に 於て 戰功 を播 し、 壹岐の 石 田 五 郞爲治 ST 死す。 肥 後 M 菊 

池 四 郎武房 も、 博 多に 於て 挑戰 し、 蒙古 を 多く 討収 b、 其忠 賞と して 頓て肥 後 守に 

任す。 太宰 前少貳 入道 覺惠 は、 愤 多の 軍に 疵を 被,, ソ しが、 其 手に て 今年 八十 四 歳, 

閏 七月 十三 日竟に 死す。 爱に 又^ 豫國の 住人 河 野 藏人大 夫 通有 も、 伯父 伯 耆守通 

異賊襲 來の事 九 



. ^肥 戦 誌 卷之 1 .10 

時と 同じく、 筑前國 野 子 浦 .志賀 島に 於て、 蒙古が 船に 切掛 ニ艘 切り取,^、 大 

將 一 人生 虜. 9、 大に功 を 現し, 通有 疵を被 h> 、通 時 W 死し けり。 稾古 ir ひて 後、 通有 

彼の 討 取る 首 共 を、 己が 鎮地肥 前 神崎庄 崎と いふ 所に して、 大 なる 楠の 枝に 掛け、 

1 々是 を實撿 す。 其所今に慶古屋敷實檢場とぃふな,.^。 拆 通有、 家人 久ー S 彌太郞 成 

俊 を 以て、 件の 藁 古の 首 を 京都へ 運送せ しかば、 其 忠 莫大な b とて、 通有 對馬守 

に 任せられ、 ^豫國 山 崎庄. 肥 前 國神崎 庄內. 肥 後 國下久 々村、 以上 三百 町 を 御 加 恩 

あ, o。 斯くて 五月 廿 一 口よ. ^始, o、 六 七月の Si に、 總て 海陸 七十 四 度の 合戰ぁ hv。 

異賊は 討た るれ ども 數百 萬に て 弱ら や、 咏方は 勝つ とも 無勢に て勞れ た、 り。 此 事、. 

日々 に關 東. 六波羅 へ、 注進 櫛の 齒を曳 きし かば、 宇都 宮三 河守貞 綱が 折節 在京せ し 

を、 鎭 西の 加勢と して 差 下さる。 其 勢 六 一: 上;: 餘騎、 旣に長 府へ著 陣し、 中國の 大內. 厚 

東 雨 人 も 博 多へ * りぬ。 ^伊勢. 岩清水. 加 茂 • 藩:" 等の 諸 寺 諸 山へ、 奉 1- を 立てら 

れ しかば、 誠に 其 利益に や。 閏七 2: 晦 :y、 俄に 大風 稍を碎 き、 S 古 數千艘 ども 一艘 

も殘ら す、 大波の 爲 に打碎 かれ、 數百 萬の 異賊、 海底に 沈みし こそ 不思議 なれ。 斯 



して此度^,::4功ぁ,-し輩には、 六 波 羅の御 下知 を 蒙り、 太 宰少或 經資之 を. て、 皆 

恩赏を給は.^^ぬ。 此 後はル 州の 諸士、 彌! ig 多の、 ず ザ」,^ して. 娃の iS に 番所 を 構 

へ、 代る ~- 庇 所 を 守りぬ。 蒙古も恐れて來らざ,.^け 



九州の 探題 北 條英時 誅戮の 事 



.J ばら 



文 永 .弘 安に 蒙古 來 りし 後 は、 鎌西タ 時く 靜 かなりし に、 元弘. 建武の 頃より、 九州 又 

騒亂 す。 其 濫觴 を尋閒 くに、 人 王 九十 五代の 帝 後醍醐 天皇、 鎌 倉の 執 權北條 相模守 

卒高時 入道 崇鑑 を御惡 みの 仔細 あ つて、 彼の 一 家 を 御;^ 治 ある ベ しと、 足 利 治部大 

輔高氏 • 新田 小 太 郞義貞 r:; 下の 諸將 に、 綸旨を 下されし かば、 柬西 蜂の 群る 如く • 南 

北 蟻の 集る に似て、 皆從ひ 奉り、 竟に高 時 入道、 元弘 三年 癸 酉 五月 廿 二日、 鎌 倉に 滅 

C し、 兩六波 羅の左 近 將監時 益. 越後 守 仲^も、 同月 九日、 江州番 場に て 討 たれぬ。 

然るに 近年、 北條 家より 一 族の 中 を 選ん て、 諸國の 守護に 差 S きたりし を、 悉く 近 

H の 武士に 仰せて 誅伐 あり。 其 中に 長 門の 探題 陸. 取、 上野 介 時 ffi 計り は、 別儀 を以 

九州の 探 _m 北條 英^ 誅戮の iss- 11 



旨 武皇後 

下へ 州醐 
す 輪の 天 



, ^0m0 卷之 一 一二 

て 死罪 を 着めら れ遠 流せられ、 越 前國牛 原の 地頭 淡 川 右京亮 時 治 は、 间月 十二 日 牛 

原に 於て 誅 せられ、 名 越 遠 江 守 時 有. 同 修理 亮有 公. 同名 兵 庫 助 A 時 は、 越 中 國小塚 

にて 討 取られぬ。 然るに 此時、 九州の 探題 をば 武籐 修理 亮英時 と 申す。 初め 當今 * 

御叛 反ん,' 思 召し 立ちけ る 時、 九州の 武士 へ も 綸旨を 下されし に、 菊 池 入道 寂 阿, 大友 

人道 具簡. 少貳 入道 妙惠 三人と もに、 皆 勅命に 應じ 彼の 英時を 討たん としけ るに、 大 

友. 少貳は 未だ 事の 安否 を 窺 ひて、 軍を控 へて 打 出です。 翁 池 は 肥 後を發 して 博 多 

へ 攻め來,.^し處に、 少貳: K 友、 却って 探題の 方に なり 相戰 ひし 程に、 菊 池 入道 忽ち 

討死し けり。 然るに 程なく 兩 六波羅 C び、 北條 家の 極 運 次第に 相 見えし かば、 少貳 

も 大友も 己が 科を遁 れむ爲 め、 今 は 又 英時を 詠 伐すべし と、 廻文 を 以て 肥. 筑. 豐の軍 

兵 を 相 催す。 斯か, し 程に、 少貳 方に は 龍 造 寺 又 六郞家 親. 於 保 五郞宗 喜. 高木 伯耆 

守 家 朝. 深 堀 孫 太郎時 通. 间高濱 又 五郞時 綱. 安富 • 深 江恩房 丸. 今 村 孫太郞 入道. 子息 

孫三郎 高弘. 神代. 末 安 3 下、 肥 =1. 筑 後の 御家人 等 馳せ加 はる。 大 友に は 諸方 • 臼杵. 

く; S 開 等 豐後國 の 輩 一 . ^同心して、 五月 廿 五日 探 题英 時が 居た b し 博 多 姪.; g 城 



へ 押 寄せむ とす • 英時は 少« が 心變, ^を 聞いて、 事實 なる かと 疑 ひし かば、 家の 子 

長 岡 六 郞を少 貳が館 へ 差遣し け..^。 長 岡、 太宰府 へ 到り て妙惠 に案內 し、 差 入り て 

見る に、 其 事. 決定と 見え、 新しき 旗 棹なん ど 取 揃へ、 瑪ょ物 具よ と 相犇く 半ばな b。 

事の 體疑ふ べきに あら ざ,. > しかば、 妙惠 入道に 對 面し、 刺 違へ て 死なむ と 思 ひし 處 

に、 妙惠が 長男 武藤左 衞門尉 顯經、 計らす 出合 ひたり。 長 岡 取. あ へ t 正な き 和 君 

の 心變, よと、 拔 きざまに 突きけ る を、 顯經心 早き 者に て、 碁盤の ありし を 取合せ 

請けし かど も、 餘る 刀に て 深手 を 負 ひ 終に 死にけ, cs。 長 阅も當 座に 討 たれぬ。 斯か 

,9し程に、少«.大^^、 幅て 博 多へ 押 寄す。 探題の 方に は宗 像の 大宮司. 原 田 孫四郞 

種貞士 一原 • 秋 月の 一 族相集.^て、城を出で川ょ,9西に相備ふ* 折節 五月雨に 水增し 

て、 寄 手渡 b を 見繕 ひ 少し 猶豫 して あ. > け る處 に、 少貳が 家人 宗十 郞、 一群に 打 入 

れ駆 渡す。 時に 殘ら す相續 いて 向へ 馳上, 5、 採 題 方宗像 大宮司が 先陣に あ. 9 し を 

追 崩す。 採 題の 軍兵、 一戦の 中に 打 負け 引返く。 採 題 英時は 城へ 引 籠り 、防戦 叶 ひ 

難く 終に 自害して 失せに けり。 斯 かりし 程に、 城 中の 兵 或は 腹 を 切り、 或は 落 失せ、 

九州の 探 鱲北條 英^, 戮の事 11 一一 



尊 氏 九州. 

に 下向 



北 肥戰誌 卷之ー 一 3 

忽ち 城 は 灰燼と なる。 寄手にも^^死.手負多く、 少« が 手に は 於 保 四 郎宗喜 疵を蒙 

b け. o。 其 外、 筑. 肥の 武士 54 功多 か,.^ き • 

尊 氏將軍 九州 御 下向の 事 

博 多の 採 題 英時討 たれて 後、 九國. 二 島の 輩、 或は 上洛して 王化に 隨ふも あり • 或は 

在國 して 將 軍の 下知 を 守る も あ..^。 今 は 天下 一統す べきに、 北條 C びて よ. 9 程な 

く、 足 利 尊氏將 軍と 新田 義貞 朝臣 中惡 しくな,. = ^給 ひ、 尊 氏 卿 終に 勅勘せられ、 建武 

三年 丙 寅 正月 晦日、 洛陽 a 河原の 合戦に、 新田 左 中 將に討 負けられ、 洛を 落ちて 二 

月 十二 日 酉の 刻、 攝州兵 庫よ. 9 豊 後の 大 友が 船に 召され、 鎮 西の方へ 下らる。 御供 

に は 御 舍弟左 » 頭直義 を 初め、 足 利 尾 張 守 高經. 同 子息 新 右 衞門尉 氏經. 畠 山上 總介 

Q こ 

國淸. 細 川 阿波 守 和 氏 .ss 弟 源 藏人賴 春 • 同 掃 部助師 氏. 同名 兵 部 大輔顯 氏. 同 卿 公定 

禪. 同 三位 皇海. 同 弟 帯刀 先生 義敢. 今 河三郞 賴貞. 同 四郞賴 兼. 祧并 • 市 川 修理 亮義 盛. 

し: 杉 伊豆守 重 能. 一 色 右 馬 入道々 獻. 仁 木 四 郎次郞 義長. 大島兵 庫頭義 政. 高 三 河守師 



直 .同 尾 張 守師泰 • 同名 璺前 守師久 • 大 高次 郞重 成. 南 遠 江 守宗繼 • 佐 竹 源藏人 氏義. 小 

侯少 輔太郞 入道々 剩. 同 少輔七 郞氏迚 • 糞 我 左 衞門尉 帥祐. 熱 田 大宮司 • 白 石 太郞. 八 

木 岡 五郎、 其 外 九國の 大名に は、 宇都 宮彈 正少弼 氏貞. 島津上 總四郞 氏久. 大友 千世 

极 丸. 千 葉 大隅守 胤 *.武« 孫 三郞殺 賢. 朝日 但. 偽 將監資 直 以下、 同船より 相從 ひ兵寐 

を 出船 ありし 時 は、 其 勢 凡そ 四 五 千餘騎 とも 見えた. ft' しが、 室へ 著 船あって 一 兩 H 

逗留の 中 * 必す 官軍 慕 ふべ しと 詮議せられ、 用心と して 細 川の 一 族 七 人、 W-^M 

張 守 父子. 大島兵 庫 頭. 今 川 兄弟に、 軍兵 を 副へ て 殘し僮 かれし 故、 今 は雜兵 僅か 百 

餘 人に 過ぎす。 斯くて 同》^ハ3、 長 州 赤 間 ケ關に 著 船 あ, .-。 此事隱 なければ, 太宰筑 

後 入道 妙惠、 急ぎ 子息 新 少貳賴 を 名代と して、 將 軍の 御 迎に差 す。 先立て^み 

思 召す の 旨、 御自筆の御敎書を給はりし故な,.^。 賴尙五 百 餘騎を 召 具し、 同廿七 B 

赤 間 ケ關へ 出向 ふ • 時に 妙惠、 錦の 御 直垂ニ 額を兩 御所へ 調進し け 將軍御 兄 

弟 を兩街 所と 申す 

尊 氏將軍 九州 御 下向の 事 IK 



菊!^ の 勤 

王 



北肥戰^?§ 卷之ー でハ 

多 々良 濱合戰 の 事 

肥 後 圃菊池 左 京大 夫 武重は 、元より 宫方 にて、 此頃 在京した りけ るが、 尊 氏 卿、 此度 

九州 へ 落下ら る 由閬 4: けし かば、 急ぎ 本國 へ 人 を 下し、 舍弟婦 部 助 武敏が 方 へ 申 

遣し ける は、 今度^ 氏 兄弟, 筑 紫へ 逃げ 下らる、 由、 其 聞え あ h>。 早速 出向 ひ 一 々 

酋を 刎ね、 歙感 に預る ベ しとい ひ 送 b け, cs。 武敏、 兄が 下知 を 得て 取る 物 も取敢 へ 

t 其 勢 七 千 餘騎、 八 代 を 立ちて 筑後 へ 討って 出で、 高 良 山に 陣を 取り、 將: 來の御 下 

著 を 待 懸けけ..^。 少貳 入道 是を閒 き、 さらば 翁 池 を 討ち 散すべし と、 同廿 八日、 原 田 

次郎と 畦倉豐 前 守 を 先陣と し、 筑 後へ 馳向 ひ、 三 原 三郞と 一 つに な.^、 翁 池が 高 良 

山の 陣へ 寄せむ と議 す。. 菊 池 は 元 艰勇氣 無雙の 者な りし かば、 少貳 入道が 寄來る 

みプき 

由 を 聞いて、 さらば こなたより 逆 寄に 寄せて 戰ふ べしと、 水木の 渡りへ 討ち 出 づ* 

少貳が 先陣 畦 倉 前 守、 寄. 1 の 旗 を 進めて 一 番に 水木の 渡.^ を駔 渡し, 菊 池 勢と 亂 

ふ。 是を 見て 原 田. 三 原も續 いて 川 を 渡し、 吨 倉と 一 つに な, 9 暫く 戰 ひしに、 哇 



水木 合戦 倉. 三 原 田が 兵、 元よ.^ 小勢に て 菊 池に 取 籠め られ、 一 人 も 殘らす 討 たれに け, 9* 

少貳が 者 共 是を救 はむ とし けれども、 川 水深く 船 も あらや、 味方の 眼前に 討た る、 

を 見ながら、 阿容々 々と 引返き、 海士隈 に陣を 取る。 同廿九 =1、 秋:::; 四郞 入道 寂 心 • 

菊 池に 馳加は b 、少贰 が 海 十- 隈の陣 へ 押 寄せ 討ち 破る。 少貳 入道 利 を 失 ひ, 太宰府 

へ 引返き 、己が 館に て戰 はんとし ける 處に、 昧 方に 逆心の 者あって、 城に 火 を 懸けし 

かば、 少1^;カなく有智山の 要害 へ 取 籠る。 菊 池. 秋月續 い て 有智山 へ 押 詰め 攻 め 戰 

ふ。 少貳 入道 一 族、 家人 を 下知し, 城 一 尸 を 固めて 防戦し ける に、 郞從の 三卷新 三郎. 

宗助 五郎. 籐 右馬允 俄に 心 變 りして 敵 を 引 入れし かば、 少貳が 陣中 騒動し、 入道の 

子 越後 守. 尾 張 守、 其 外 宗徒の 一族に、 加 茂 左 近 將監資 道 • 城 又 次 郞經 元. 士 口田 小次郞 

景 村. 武藤 次郞 §_尙. 同 孫 次郞直 元. 同小 次 郞資淸 • 同 筑後次 郞盛秋 • 同 愛 鶴 九 以上 十 

餘人、 同じ 枕に 討死し、 雑兵 五 百 餘人討 たれし かば、 妙 恵 入道 も 今年 六十 五歲 にして、 

腹搔 切って 失せぬ。 入道の 末子に 驟應 とて 僧 あ b しが、 父の 死骸 を 火葬に し、 間に 

Ftofes-str ぷ レ、 ic^ on^ 二 Ks^:^ に hN€: ナ.. =s 。太平^-」 は 禪躐. ^宗應 とわり。 又 有 iw; 

h::5:- ひ 佛搴 をな し 己れ も 同し. 5^ に飛ノ -5 死にけ- 5 智山 討死. ^二-. £ハ 十三 人と 記 マ。 S 

;^々 ー1!3!{濱 合戦の 事 1.?- 



4? 肥 戦 SI 卷之 1 X 

くて 將軍 は、 同月 廿 九日に 赤 間ケ關 よ..^、 又 御船に 召され、 內 海の 行程 一 日に して 明 

くる 晦日、 筑前國 盧屋に 著 船 あり。 出燭の 時分な-.^。 此曉有 智山沒 落して、 妙惠入 

道 を 初め 一 門 悉く 滅. □ しける 由、 早隱 あら ざ.^ しか ども、 新少 贰賴尙 深く是 を 隱§ - 

にす。 今 敗軍の 士卒に 弱氣を :!^ け じとの 思慮なる べし。 翌 くれば 三月 朔 01、 將軍 

御兄弟 蘆 屋を打 立 たれ、 賴尙を 先陣に て宗 像に 到 b 給 ひ、 南 遠 江 守. 曾 我左衞 3: 尉 を 

以て、 當 社の 大宮司 を御賴 みあ. 9 ける に、 氏 重 仔細に 及ば や、 同 3 酉の 刻、. 急ぎ 我が 

館 へ 請 じ 申し 駄餉を 奉り、 御供の 輩 へ も勞を 休め さ せ、 雨 御所 へ 御馬. 鎧 を 調進す • 

新少貳 賴尙は 五十 町 御先 ゑよ のを濱 とい ふ 所に 陣を とる。 然る を 將軍召 寄せられ 

合戰の御評定ぁ,.^。 賴尙 畏まって 申しけ る は、 去る 宰府 軍の 事 は、 某 以下 御 迎に罷 

出で し 故、 父 入道 無勢に 依 b て 打 負け 候歟。 さ b ながら 妙 惠は國 の案內 者に 候へば、 

定めて 其 身に 於て は 仔細 候 まじ。 又 明日の 御 合戦の 事、: 國人等 は必ゃ * 方に 馳參 

る ベ し。 菊 池が 一 勢 計.^ は、 某が 手の者 を 以て 悉く 誅伐 仕る ベ き 事、 案の 中た る 由 

申し 上ぐ。 將軍御 氣色斜 なら や。 斯くて 菊 池 掃 都 助 武敏. 阿蘇 大宮司 惟直. 秋 月 入 



香椎宮 の 

緣起 



道 寂 心 等、 有 智^ を 攻め 落し、 其 勢に 募り 博 多. 箱 崎へ 打 入らむ とす。 此時, 少 1^ の 

一 族 共、 板 付. 諾岡 原に 相 支へ 防ぎ 戰ひ しか ども、 菊 池 勢に 打 負け、 窪 能登彥 四-郎^ 

廣. 同 四郞經 家. 出 雲 又 四 郞能村 以下 討死して 引退く。 菊 池彌! 勝に 乘り, 村々 を 放 

火して 陣を箱 崎 に 進む。 旣に 其吿ぁ b しか ば、 將軍 御兄弟、 三月 二::: 辰の 刻宗像 を 

御 立 あ. o。 行程五六里を過ぎて、未の刻計.oに香椎に到,r^、大明神の鳥}gの前を打 

通られし に、 神官 等、 杉の 枝 を 折 持ちて 來る 中に も、 淨衣 著た る 老翁の 中し ける は、 

當社は 昔 神 功 皇后 新羅 御 征伐あって、 御歸 朝の 砌、 應 * 天皇 を此 所に て 御 誕生 

ましくけるに、忽ち異香驚じ、其邊の椎木まで皆香しかりしょ,.^、則ち椎木を以て 

御 神體に 比し 香 椎宮と 號し舉 りぬ。 又 杉 木 を 以て 神寶と 貴み 申すな.. -。 然 れば此 

度 御 敵 は 條の葉 を 印と 仕る の 間、 味方 は此 杉の 葉 を 御 印と なされ 然るべ しとて 、雨 

御所よ b 初め 軍兵 共の 鐘の 袖に、 皆 杉の 葉 を 差しけ b。 將 軍御悅 ありて、 其 報 答に 

白銀 作の 太刀 を與 へらる • されば 軍 散 じて 後、 彼の 老翁 を 尋問 はれし かど も, 是を 

知る 人な か、 りけ,.^。 神勅 かと 覺 えて 不思議な,.^。 夫よ.^ 赤 坂と いふ 所に 到. -て御 

. 多々 合戦の 事 K 



多々; 良濱 

合戰 



北 肥 戦 ff 一 10 

覽 あるに、 前 は 多々 良濱 とて、 五十町の干瀉ぁ,.^。 南に 小川 流れ、 其 南 は 箱 崎と て 

西方 一 里の 松原な り。 赤 坂と 松原との 間、 砂の 白 さ ST 玉 を 敷け るに 異なら や。 斯く 

て 菊 池 は 其 勢 六 萬 餘騎と 聞え、 秋 月 備前守 械貞. 草 野次 郞大夫 永久. 星 野 黑木問 注 所 

を 先陣に 進ませ、 小川 を 越えて、 化 向に 原 を 後に 當て、 陣を 張る。 敲醉難 

, 麟聽^ ^、わ 一 f 將 軍の 御陣に は、 高 尾 張 守師泰 • 宇都 宫 S 正 少弼氏 ま. 島 津上 總四郞 

氏久 大隅守 胤 卓大友 千世 松 丸、 大手の 先陣 を 蒙..^ て 三百 餘騎、 多々 良濱を 前に 

當て、 南 向に 陣 を 取れば、 新少貳 賴尙は 手勢 五 百 餘騎、 皆 馬より 下, 9 立ち 東 手 を 支 

へたり。 將 軍の 御 勢 都合 千 騎には 過ぎ ざり け 

日の 御 装 東に は、 妙惠入 が 進ら せた b し 赤地の 錦の 直垂 に、 唐 緩緩の 御錯、 御 

太刀 は 御 重代の 大 は.^、 重籐の 弓に 上 矢 を さ 5 る。 御馬 は 黑糟毛 • 昨日宗 像の 大宮 

司が進上申せし駿馬なh^。 源 家相 傳の 小袖と 申せし 御 鎧 は、 熱 田 大宮司 之 を 著る。 

御 舍弟左 馬督の 装束に は、 是も 妙惠が 進ら せた る 赤地の 錦の 直垂 に、 紫 革 紙の 物 具、 

俊 作と いひけ る 重代の 太刀、 重 藤の 弓に 上 矢 を さ.^ れ、 同じく 宗 像が 進ら せた る 栗 



4^ 平, 吒。 大全 11 は、 二 萬 千 八 百 六 AO¥EBL.y、 

同 評 書 に は、 二 萬ス千 人と あり。 將軍 M メ 



毛なる 馬に ぞ 召した, ける • されば 當家戰 場の 御 出立に 樣々 の 秘說ぁ hN。 御先 旭 

賴義將 軍. 義家 朝臣、 奥州 十二 年の 合戰 に、 暗夜 雪中 自ら 手 を 碎き戰 ひ 給 ひし に、 亂 

合 ひの 時 必す過 ある べしと、 淸 原の 武 則が 計ら ひに て、 大將に 七 印と て 七つの 印 を 

付 奉る。 是れ源 家の 武具の 祕說 なれば 容易く 知る 人な し • 今は七っまではなか.^ 

しか ども、 其 例に 任せられ、 荒々 武具に 懸けられけ.. >。 將軍宣 ひける は、 遠 國へ下 

向して 珍しき 敵に 駆 合 はせ、 今 は 最期の 合戰 なる ぞ。 必ゃ 面々 未練の 軍して、 西國 

の 輩に 笑 はれ 候な。 先 づ督殿 一 陣に 進み 給へ。 尊 氏 は 後陣に 控 へて、 合戦の 雌雄 

を 見合せ、 入れ 替 つて 鬪ふ ベ しと 下知 あ,.^ しかば、 直義 朝臣 承,.^ 候と て、 則ち 一 ー引兩 

の 御 旗 を 進め 給 ふ。 太宰少 貳殺尙 は、 黃 綴の 腹卷に 同じ 毛の 妻 取 b たる 袖付けて 

之.^, 著る。 此 袖と 申す は 先祖 武藤小 次郞資 頼、 文治五年奧攻に賴朝<ムょ..^給は.^ 

たる 少 1^ 重代の! S の釉 なり。 甲の 緒 を P め、 小畏刀 を拔き 持ちて 黑 絞なる .i^? に乘 

り, 唯.^ 一 騎兩 御所の 御所 へ 参り て 申しけ る は、 敵 は 大勢と 見えて 候へ ども、 皆國 々 

の假 武者に て 候へば、 竟には * 方に 馳せ 付き 中すべし。 菊 池 計.^ はよ も 三 fS 餘騎 

多々 真 仓 戦の 事 111 



4?« 戦 誌 卷之! さ! 

に は 過ぎ 候 まじ。 賴尙 唯今 御前に て 一命 を 投げな ば、 凶徒 は 忽ち 風前の 麈な るべ 

し。 早 御 旗 をと 進め 申す。 甘: 〈體天 晴とぞ 見えし。 曾 我 左衞門 尉師祐 は、 器量人に 

勝れ。 今度の 下向に も、. 步 にて 一 步も 後れす 御供し ける が、 其 日の出 立に は、 練 貫の 

小袖. の 上に 赤 綴 胴 丸の 菱の 板よ b 切 落されし を 著、 四 尺 餘.^ の大 太刀 二 振 佩いて、 

みだれ ズし 

白木の 弓の 大きなる に 征矢 二三 十亂 差に 取 差し、 甲の 緖を しめ. 直義の 馬の 前に 立 

った..^。 其骨柄、人に變はh^てぞ見ぇし• 御 旗の 下に は 仁 木四郞 次郞義 長、 宗像大 

宫 司が 直義 朝臣へ 進ら せた る 黃滅の 鎧 を 下し 給 は. 9 て是を 著、 栗毛なる 馬に 乗 b 

眞 前に ぞ 進みた る。 雨陣 間近くな りし かば、 菊 池が 先陣の 兵 三 萬 餘騎、 少貳が 支へ 

たる 東の 手 さきよ b 鬨を 作りて 喚きて 懸る。 少 五 百 餘騎、 太鼓 を 早め 射手 を 進め 

て、 一 矢 射 違 ふると 均しく 曈と亂 合 ふ。 折節 北風 烈しく 砂 を 吹 立てし かば、 菊 池が 

勢は黑 煙の 中に ぞ 見えた.^ ける。 時に 直 義の兵 共、 橫 合に 懸, 9 て打戰 ふ。 其 中に 曾 

我 左 衞門尉 は、 敵の 馬に 乘移. 9 押へ て 首を搔 き、 輻 毛なる 馬の 達き を乘 取. o- て. 直 

義朝臣の前へ參..^て分捕見參に入れ、 師祐 こそ 能き 馬 を 得て 候へ。 今 は千骑 にも 



向 ひ 候べ しとて、 又 敵中へ 駆けて 入る • 誠に 其體 一騎 當 千な,..^ • 仁 木 四郞は 元よ 

馬に 乘.. ^たれば • 一 番に 割って入 ちて 多くの 敵 を 切 落し、 血 か はに なりて 打戰 ふ。 

斯くて 直義の 軍、 勝に乘..^大勢の敵を追立て、 松原 を 追 過ぎ、 IS 多の 津 沖の 濱 まで 

攻め付けた-<^。 斯 かる 處に菊 池武敏 、味方の 引く に は 目 を 懸け や、 己が 手勢 三百 餘 

はプれ 

騎取 返し、 火 を 散らし 相戰 ふに、 直義の 軍兵 忽ち 打 負けて、 菘涼內 外^の 迦を 二手 

にな b て 引退く。 直 義も此 時 旣に討 たれ 給 ふかと 見えた る處 に、 少^^;が家人杉原 

平 四 郞と窪 能 登 守 經廣、 直義の 命に 代 b て 討死す。 直 義是を 見 給 ひて、 旗 差 旗 を 能 

くさせと 下知せられ、 後陣の 將軍 へ 御 使 を て 申 遣され ける は、 唯今 某 は 御 命に 代 

b て 討死 仕る ぞ。 將軍は 此陣を 以て 長 門. 周 防の 方へ 押 渡らせ 給 ひ、 御 心 長く せ さ 

かたみ 1 

せ 給 ひて、 御 本意 を 遂げら るべ し • 是を直 義が筐 に御覽 あれと、 錦の 垂の 右の 袖 

を 切って、 將 軍に ぞ 遣され ける。 是を 見て 兵 共、 皆 我先にと 御-か T の 前に 駔墓 る。 菊 

をめ 

池 武敏、 此體を 見、 軍 は 早 打 勝ちぬ るぞ。 懸れ 殿原と 錦の 御 旗を異 前に 飜し、 哆ぃ 

ひた 

て 松原の 北の 迦に 討って 出で、 小川 を 駆け 渡さむ と 打 混す 處に、 E 義の 先陣 肥 前 

多 々真 霜 合戦の 事 



北 肥戦赭 卷之 1 

國千 葉大隅 守. が 旗 差 唯 二人、 月に 星の 旗 を 一 番に 進め、 川へ 颯と 打 入る。 時に 翁 

池が 軍兵、 少し 猶豫 して 見えけ る處 に、 後陣より 將軍、 白旗 を 靡かし、 退く.^ 方 を 引 

立て 鬨を 作って 馳向 はる。 是にカ を 得. 少«賴 尙直義 朝臣に 向って、 時分 は 能く 候 

ぞ。 駆けさせ 給へ と 相 進む。 督殿、元ょh^拔き持たれし太刀を打振b、馬の足を出 

さむと し 給 ふ。 是を 見て 皆 其 命に 代らむ と、 前後に あ b。 中に も義長 • 師祐、 猶具前 

にぞ 進ん: uh^。 少 或 家人 饗場彈 正 左衞門 は, 赤 革の 片 白の 錯を 著、 鴒 毛なる 馬に 乘 

.^、愛こそ殿の討死の所にて候へと、主の賴尙を»し川へ颯と打入れたり。 饗場 • か 

子息、 黑 革の! i を 著、 黑き馬に乘,<^た..^しが、 父に 續 いて 打 渡. y、 敵中 へ 駆け 入 b 散 

散に.? 戰ひ、 父子ともに手を負ひたh^a 是を 見て 少贰を 初め、 山 鹿 次 郞雜 行. 仁 木 

四郞 次郎義 曾 我 左 衞門尉 師祐. 千 葉 大隅守 胤 貞.大 友 • 立 花 次〕 ゆ 負 載. 松 浦 鴨打彥 

六增 以下、 饗場 討た すな。 續け やと 悉く 川 を駔け 渡し、 菊 池と 合戦す。 菊 池" 秋 月, 

阿蘇. 草 野. 星 野. 黑木問 注 所 入 b 亂れ て戰 ひしが、 終に 討 負けて、 城 越 前 守. 赤 星六郞 

兵衞. 八 代 刑 部 丞. 左 森六彌 太. 山形 新 五郎. 岩 野 日向 守. 下田 *1 七 以下 宗徒の 輩、 三十 



菊 他 敗れ 

て筑 後に 

却 



阿蘇 大宮 

司戰死 



七 人 討死し、 大將の 武敏, 痛手 を 蒙 b しかば、 相戰ふ に 事 叶 はす、 筑後國 へ 引退き xii 

木の 城に 取. 籠る。 秋 H« 前 守 は 太宰府まで 落ちた. しが、 ^£-義朝臣の54兵共の , 

頻に慕 ふに 返 八 口 はせ、 一 族廿餘 人、 皆 一 所に て 討死す。 阿蘇の 大 S 司 は、 兄弟 三人 

郞從 二百 人 本國へ 志し、 肥 前 國小城 山 を 越えし 虞に、 千 葉大隅 守が 所領の 鄉民 共、 

雲霞の如く 集りて、 落ん 遁 さじと 取 籠む る。 阿蘇が 兵、 是を 防いで 山上よ. 9 大 石を餘 

多 落し 掛け 、打破り て 通らむ とす。 地下 人、 事と もせ や 、千鳥が けに 石 を 除け 大宮司 

と相戰 ふ。 大宮司が 者 共、 皆鬪 ひ勞れ てければ 百 六十 餘人 矢場に 討 たれ、 大 將大宮 

司八郞 惟直. 同 弟次郞 太夫 惟 成 1^ 巧し 一所に 對死 t 其 弟 惟 澄 も 二 ケ所疵 を 蒙りし 

が、 當の敵 十四 人 切 伏せ, 慕 ふ 者 を 追ひ拂 ひ、 兄の 死骸 を兒 せて 辛々 肥 後へ 歸.^ ぬ • 

斯く て 義 朝臣 は、 少 貳を召 具 せられ ぶんぐ る a を 追々 太宰府 へ; ち 人れ らる。 將 

〔祠 力〕 かしつ 

6^ 尊 氏 卿 は 勝鬨を 執行 ひ、 箱 崎へ 御陣を 召しけ, 9。 愛に 於て 八幡宮の 司 官等 傅き 

申す 事大 方なら や。 尊 氏 卿 仰せられ ける は、 幸に 常 社 は 我が家の 氏神 なれば 社參す 

べし。 但し 奉幣の 義は 合戦の 觸穢 其惯 あ. と、 御行 水あって 箱 崎 八^へ 社參 せら 

多々 真 濱合戰 の 事 : に 



氏 妙惠 

の亡靈 

m ふ 



北 肥 I? 誌 卷之 1 nit 

れ、 廻廊の 前よ b 伏し 拜み給 ひ、 則ち 吉良 殿の 進ら せられし 四 目 結 作の 白太 刀 を + 

奉納 あ. ^御 寄附の 地 あるべし とて" 文章の 爲め 古き 文齊共 を 召されし 中に、 昔鎮 

西 八 郞源爲 朝、 三 事の 爲に、 九州 在國の 時、 當社を信仰し 一 所の地を寄せられける 

其狀ぁ,,^. 尊 氏 卿、 是を 披見せられ、 昔よ. 9 眞に當 家の 守護神た b。 されば 爲朝程 

なく 洛に歸 り、 其 佳 名 を 天下に 顯し、 弓箭の 道に 於て は 又 上越す 者 もな/、、 名譽を 

當 代に 貽 し畢ん ぬ。 尊 氏、 爲 朝が 先例 を模 して、 凶徒 悉く 返 治せし め、 不 H 上洛す 

ベ き 事 疑な しと、 神前に 向 ひ 良 暫く 伏し 拜み給 ふ。 翌 くれば 三月 三日、 太宰府より 

直義 朝臣、 少貳が 一 族 武籐豐 前 次 郞を御 使に て、 昨 曰の 合戰 勝利の, 義を賀 し. & さる。 

拆尊氏 卿 も、 同 曰 午の 刻 太宰府へ 御 陣 を 移され、 原 山の 一 坊に 入らせ 給 ふ。 此時、 妙 

惠 入道が 最期の 振舞 子供 一 族 共が 死樣、 御 心 閑に 尋ね 開 召され 、雨 御前と もに 御愁 

歡淺ら す • 期くて 妙惠が 魂 を 御 HP ひ あり。 彼の 菩提の 爲に、 當國小 田の 郷を以 

て、 安養 院へ 寄附せられ。 又 御 諷誦 を 上げられし- 其 文に いふ。 



敬白 請,, 諷誦, 事 



一康 僧 御布滅 



右 志 者、 妙 惠禪定 門 幽霊、 建武 第三 仲呂晦 =:、 依 兵, 相-代 赏氏, 令,, 夭 因 

,玆 弟子 毎 億,, 彼 恩, 思,, 其 志; 所, 拭- 哀淚, 催 &。 就 ー幽靈 平生 之 時、 有-契約ず • 

然 間、 迎,, 初七日 之 忌 辰, 所, 鳴-三 箇之逸 韻, 也。 加乏、爲..每曰佛料所,寄,,永代^5食 一 

村, 畢。 然 者驢靈 酬-此 追修, 證,, 九 品之果 位; 可, 救,, 六 趣 之 類; 仍 諷誦 所 fe! 如 

建武 三年 三月 六日 弟子 源 朝臣 尊 氏 

i ぞ 書かれけ る • 



北 肥 戰誌卷 之 一 終 

多々 茛濱 合戦の 事 二ぬ 



北 肥戰誌 卷之ー 一一 八 . 

匕 巴 志 き .Kjl . 

菊 池 攻弁將 軍 御 歸洛の 事 

斯く て 尊 氏 公、 太宰府 へ 御 陣を居 ゑら れ、 御 敵 御 返 治の 評定^々 な, 9。 中に も少貳 

賴尙を 御前へ 召され、 九 國の侍 共 を 招かれけ るに、 我れ 先にと 馳せ參 る。 將軍、 さ 

らば 先 づ菊池 掃 部 助武敏 が、 筑 後國黑 木の 城に あ b ける を 攻めら る べしと、 同 三月 

十三 日、 上野 左- ii? 助賴 * を大將 にて、 軍兵 を 差 向けら る。 同 十七 日、 筑後國 人 末 

安 又 三 郞兼親 以下、 上野に 馳加 は, 9 黑 木に 押 寄す, 菊 池 防 戰叶ひ 難く、 當城を 去 

て 豊後國 へ 引返き、 玖珠の 城に 入る。 然る 間、 同廿 三日、 一 色右馬入道々獻•6^次豊 

前 太郞賴 時. 同名 四郎 入道 を豐後 へ 差 向けら る。 . 此 勢坎珠 へ 發 向して、 三日三夜 攻 

め戰 ふ。 時に肥前國三浦深堀孫太入道が 一 族,^^獻に屬して戰功ぁ,.^。 菊 池, 愛 を 



菊 池 敗軍 一 も沒 落し、 一色 以下、 太宰府へ 歸 りぬ* 將軍 重ねて 仁木義 を大將 にて 、神代. 高木. 

极浦黨 を 肥後國 へ 差 向けられ、 菊 池が 居城 を 攻めさ せらる。 此勢 一 萬 五 千 餘騎, 旣 

に 筑後を 歷て肥 後へ 討って 入る。 時に 菊 池 左 京大 夫武重 は、 未だ 在京して 國に居 

らゃ。 弟武敏 は他國 にあ hs。 其 一 方 を も 防ぐべき 阿蘇 大宮司 惟 澄 は、 小國の 城に 

あ しか ども、 先日 多々 良 濱の引 足に 深手 を 負 ひ、 甲斐々々 しき 下知 叶 はす、 一 ほ 

一 日戰 ひて 腹搔 切り 死す。 菊 池が 留守の 輩、 力 を 落し、 武 重が 幼息武 光が 今年 九 歳に 

な, し を 具して、 男女 悉く 山林に 逃 隱れ、 家人 內河彥 五郎、 總五 W 騎を 以て、 八 代の 

城に 楣籠 b ぬ 。 仁 木. 神代. 高木 .fe 浦 押 寄せて 攻め 戰 ふに、 內河も 身命 を 捨て- -之を 

防ぐ。 斯かる處に、*方にてぁ,oける薩州の島津•俅佐左京進宗久心變.^して、寄手 

に 加 は, 5 しかば、 內河 防ぐ に 力 や;^ き、 一 方 を 討ち 破 b て 行方 を 知らす、 十日 計. >に 

落城し、 四十 日の 中に 肥 後 國靜諡 す。 斯くて 將軍 所々 の 軍に 討ち 勝ち 給 ひ、 九州の 

兵馳 付き 申す 事、 引 も 切らす。 御 勢 雲霞の如く、 太宰府に 充満し けり。 » 御 上洛に 於 

て は、 兵糧の 爲め秋 を 待 たれて 然るべき か。 又 諸國の * 方の 力 を 落さぬ 前に、 上洛 

菊 池 攻井將 軍 I 歸洛の 事 II ル 



4 



* 肥 戦 誌 卷之ニ き 

を 急がるべき かと、 詮議 區々 な.^ ける 處に、 備前國 三 石 城に 殘し 撒かれし^ 張 新 右 

衞門 尉と、 播 磨の 赤松 入道が 許よ,^、 急ぎ 御 上洛 あるべき 由、 得卒 因幡 守 を 以て 言 

上せし かば、 さらば 頓て 上洛 せらる べしと 御 議定 あ.^ • 豫 ねて 又 諸 寺 • 諸 社へ 御 運 

を 開かれむ がた め 其 御祈禱 あ,^ • 肥 前 國甲手 東 妙 寺の 長老へ 給 は,^ し 尊 氏 朝臣の 

御 書に いふ、 

祈禱 事、 今度 之 義兵 早速 ま, 本意; 將亦 天下 太平、 子孫 繁榮 武運 長久、 之 所 JHVac 精 

鉞, 之狀 如, 件 • 

建武 三年 三月 十三 01 在 判 

東 妙 寺 長老 

旣に將 軍 御 上洛の 事 決定し あ b しかば、 一 色右瑪 入道 道 獻を鎭 西の 總 管領と し、 佐 

竹 源 藏人氏 義を侍 所と 定められ、 小俣少 輔太郞 入道 道剩を 以て 監代 とし、 仁 木四郞 

次 郞義長 二 色 上野 左 馬 助 賴兼雨 人 を、 大將 軍と 定められ、 核 浦 黨其外 國人等 を 差 

副 へ られ、 筑前國 娃濱の 爐に殘 置かれ、 肥前國 にも 錢部. 千 栗に 兩城を 構へ て、 軍兵 



を 入 置き、 所々 &宫方 を 押 へられ、 四月 三日に 尊 氏 卿 .K 義 朝臣、 太宰府 を進發 あれ 

ば、 九 國の大 友 • 少貳. 千 葉. 宇都 宮は、 ffi 多の 津ょ, 9 纜を 解き、 雨 御所 は 長 門の 府中 

に 少時 逗留 まし/ \當 所よ,.^ 御乘船 あ. 9。 御船の 船頭 は 赤 間 ケ關の 孫 七 • 是は元 

暦の 昔、. S 判官 義經の 壇 浦の 合戦に 乘られ し、 當國櫛 崎の 船 十二 艘の 船頭の 子孫 

な. 9。 吉例なh^とて、當座に右京允に召成され、將ssl.御兄弟甚だ御悅ぁ,.^けh^。 守 

護人 厚東 入道が 計ら ひ 申せし 處 なり。 五月 五日の 夕に、 備 後の 辆に著 船 あ,..^。 爱に 

て 評定 を 加 へられ、 將軍は 御船、 ^5^朝臣は陸地ょり海陸と御分れぁ..-て、同月十 

日、 一同に 鞘 を 御 立ち 攻め 登, 9 給 ふ。 少貳 殺尙は 一 族 家人 を 引率し、 其 勢 二 千 餘騎、 

^&*朝臣の先陣を申し給は..>陸を打っ。 . 斯くて 海陸の 大勢、 同月 廿五 =1 の晨、 攝州 

兵 庫 和 田の 御 に著陣 し、 官軍の 大將 新田 左 中 將義貞 • 楠河內 判官 正 成と 相戰 ふ。 

此時 少貳は 溶の 手へ 向って 進みし に、 一 族の 中 武藤對 iiil 小 次郞. 同 ® 前 次郞、 ともに 

若武者な b- ける が、 ニ騎眞 前に 乗 出し、 敵 味方の 目 を 驚かし 勝负を 決す。 對; jij 小 次 

郞は、 川原 毛の 馬に 黄 糸の 鐘 を 著た.^。 豊 前次郞 は、 黑き « に幌 掛けた..^。 丘と 船と 

菊、 € 攻井將 軍御歸 格の 事 S 



官軍 敗北 



死 



北 肥 戦? I 卷之ニ き 一 

の 間、 僅に 一町 計. 9 にて、 棧敷 前の 見物な,.^ • 又 宗刑部 大輔賴 茂 も、 和 田 御崎, に 敵 

陣を 駆け 破り、 千 葉大隅 守亂貞 軍忠を 油んで、 各; 將 軍の 御 感に預 りぬ。 然るに 官軍 

終に 利 を 失 ひ、 楠 判官 討死し、 新田 殿 は 敗北 あ,..^。 將軍頓 て 入洛 ましく ぬ。 斯く 

て少貳 は、 都鄙の 戰功 莫大な しかば、 同 九月 下旬、 歸國の 御 暇 申せし に、 將軍御 兄 

弟御 氣色斜 なら や、 上 御所 § ^よ b は、 頼尙を 御前に 召され、 錦の 直 垂に御 盃を添 

へて下し給は,..^、下御所§lg。ょh^は、御祕藏の黃河原毛の御馬を給は,9、兄弟筑前 

へ歸國 す。 是ょ, 9 九州 大に 亂れ、 1 日 も 未だ 靜 ならす。 



世 良 親王 八 代 へ 御 下向 所 々軍の 事 



尊 氏 卿、 ^^紫の軍に討ち勝ち給ひ, 宫方カ を 失 ふの 由、 帝都 へ 聞え、 * 池 左 京大 夫武 

重, 我が 國の事 心 元な, -思 ひて、 其 旨 新田 殿 を 以て 奏聞 を 遂げし かば、 則ち 御 暇 を 

^は ぬ。 武 重さら ば; ぎ 下るべし と、 禁裏の 守護に は 伯父 肥 前 守武幸 • 猶子 次 

郞武季 に、 一族 十二 人. 家人 五 百 餘騎を 差 副へ て、 新田 殿に 預 置き、 其 身 は 五 千餘人 



を 具し、 尼 ケ崎. よ 船に 乗...^、 夜 を 日に 繼 ぎて 本國肥 後へ 下着し、 先 づ少贰 六 郞が當 

國の 守護 職 を、 將 軍より 給 はって 府 にあ ける を、 不日に 追 落し、 菊 池の 本 城へ 大 

友の 一族 吉弘 日向 守 を 入 置かれし も、 一 日の 中に 攻め 落して • 日向 守が 首を切..^ 褂 

け、 失よ.. > 島 津左京 進久淸 § ,が 八 代の 城に ありけ る を も、 亦 一 戦の 中に 追 落し、 

國中を 押す に 手に 立つ 者 あらや。 斯か. しかば、 肥 後 國十餘 日の 中に 武 重に 歸伏 

して 大勢と 成, 筑後國 へ 討ち 出で ける に、 將軍は 早 御 上洛 あ h- しかば、 千年 川 を 

隔て、 陣を 取. 9、 少貳. 大 友が 者 共 仁 木 右馬助 |g 。次 郞義長 以下の 武家 方と 相 戦 ふ。 

是を 聞きて * 池 掃 部 助武敏 も、 同じき 建武 三年 丙 子 七月に、 筑後國 に 蜂起して、 兄 

武 重に 力 を 合す。 斯 か, 9 し 程に、 仁木義 長、 筑 後に 在 陣し、 太 宰筑後 守 賴泰と 勢 を 

1 つに して、 菊池武敏が陣取.^たる豊福原へ押寄せ相戰ふ。 時に 肥へ 则國の 御家人 

龍 造 寺 又 六 入道 條 善が 一 族 等、 仁 木に 馳せ加 は,.^ て 軍功 あり。 菊 池 勝に 乘 h 、義 長. 

賴泰 引退く。 同 八月 、一色 入道々 獻. 仁 木 右 1? 助. 筑後國 の 者 共 相 集りて 勢 を 合せ、 同 

國生葉 郡 阿 彌陀ケ 峯の宫 方と 合戦す。 此時、 仁 木が 從 軍に 安富 深 江 民 部丞泰 重、 大 

世 K 現 王 ハ 代へ 御ド向 W 々 軍の 寧 登 



北 肥戰誌 卷之ニ 

手の 城 に 押 寄せ 戦功 を抽 んづ。 同 晦日、 一 色 入道. 仁 木 右馬助 • 又豊福 原へ 押 寄せ 

i お 池と 挑戦す るに 、離 雄兩陣 にあ b て 勝負な し。 時に 大村平 太 入道 妙 意 後藤 辻 五 

郞次 郞貞明 • 有 馬 五郎 成 澄. 深 江 民 部 丞泰重 二 女 德小太 郞成重 • 深 江 三 郞五郞 時廣. 奈 

良田 次郞 入道 辨 西. 尻 田 孫太郞 入道々 意 以下、 一色. 仁 木が 手に 馬して 相 戦 ふ。 口口 

□ □ 口 頃 0:、 平 の 松 肥 前 守桌、 京都 を 去.. > て 在所へ 下る。 此者 は嵯蛾 天皇の 苗 

裔 にて、 渡 邊丹波 守 綱に は 十一 代の 孫な り。 當時 勅命に 應 じて 在京せ しと ぞ え 

し。 此時、 一色 入道よ.^ 小 侯 入道へ 下知せ し 書に いふ、 

松 浦 肥 前守貞 、落,, 下 鎖 B:, 之 由 有-其 聞; 早 相- 觸國々 軍勢 等; 可 Jt- 伐 之, 之狀如 J:。 、 

七月 廿 九日 沙彌在 判 

少 輔太郞 入道 殿 

翌くる建武四年丁?^-の三月、南帝第六宮世良親王、 征西將 軍の 號を賜 はりて, 肥 後 

國八代 へ 御 下向 あ..^。 是は菊 池 左 京大 夫武 重が 九州の 宮方共 へ 力 を 付けむ 爲め、 豫 

ねて 芳 野の 皇居へ 奏して、 深く 願 ひ 奉る に 依ってな h^。 御供の 公卿に は、 洞 院の大 



納言•^^^a の中納言.北畠源中納言.花山院少將. 竹林 院中將 ,坊城 三位. 高 辻 三位 野 

左 大辨. 土 御門 左少辨 .北蔓 二位 中將. 葉 室左衞 門督. 中院 侍從. 九 條大外 記 .同 主 水 正。 

新田の 一 族に は、 山 名播磨 守, 岩 松 相模守 • 桃 井 右京亮 • 世 良田 大膳大 夫 • 田 巾彈: 止少 

弼. 江 田 丹 後 守. 堀 口 孫 三郎. 里 見新藏 人. 一 井 又 三 郞* 鳥 山 左 衞門佐 •大<TS 兵 * ゆ 堤 5^ 

內 少輔. 岩 松 左 助. 名 和伯耆 判官 .同 次 郎* 同 修理 亮. 宇都 宮三河 守. 加 藤大夫 判官 • 結 

城 右馬助, 熊 谷 民 部大夫 以下 八 代へ 下 S あ.^。 欺か.^ しかば、 鄉 池の 一 門 はいふに 

及ばす、 宮 方の 輩 限な く悅び • 急ぎ新造に御所を飾ひ入れ舉..^、是を守護す。 今月 六 

日、 新田 義負 以下 宮 方の 籠,. > し #1 國金ケ 崎の 城沒 落の m 、管領の 方へ 御 敎書來 る" 

此 事に 依 b て、 一 色 入道よ b 肥- 筑. 豐の 武家 方 共へ 觸 廻し ぬる 書に いふ。 

越前國 金ケ崎 M 凶徒, 今月 六 R 卯 時- 義貞 以下 悉加 伐, 燒,, 拂 城郭, 由 i$ 、:! ^七:" 御 

敎書 今日 到來、 案文 遺つ V 可, 被お =甚11:; 仍執達 如, 件。 

建 武四年 三月 廿 W 沙彌 

深 堀 孫太郞 入道 殿 の 

设哀親 rH ス 代へ, 5 下. E 所 々軍の • 



北 肥戰篛 卷之ニ さ 

、 末 安土 之 丸 殿 I 规 15? の 

同 五 年^ |1 一一 年 戊 寅 正月、 菊 池 左 京大 夫武 重、 一 萬 餘崎を 引率し、 八 代 を 立ちて 筑 後に 

來 り、 同名 掃 部 助武敏 が在陣 せし に參會 し、 其 勢 を 合せて 石垣 山 鷹 取 城 へ 循 籠る。 

一 色 入道 是を 聞いて, さらば 彼等 を 退治す ベ しと、 姪の 濱の城 を 出で 筑後國 へ 發向 

し、 先 づ瀨高 庄に陣 を 取 b 、筑 前. 肥 前 兩國の 勢 を 以て、 三月 三日 石垣 山の 城を攻 む" 

され ども 菊 池 落城せ や。 時に 管領の 勢の 中に、 松 浦 等 多く 討死す。 同 十四日、 道獻 

下知 を 加へ、 今 河 藏人大 夫賴貞 .1^ 雌 ■ 。源 小 侯太郞 入道々 剩を 以て、 高 尾 山の 敵を攻 

めさす る。 此時も 亦 掛浦黨 の 中に、 壹岐の 石 丸 彌五郞 近 • 同 野 田 五郎 安 以下 百 五十 

尉 人 たれて、 寄 手 叶 はす 引返く。 時に 討死. 手 負の 交 名 を 記し、 管領へ 披露す。 其狀 

にい ふ、 

1 、注進 

建 武五年 三月、 於,, 筑後國 石垣 山, 菊 池武重 以下 凶徒 合戦 之 時, 松 浦 一 黨等 討死 手 

負 分捕 幷 1^ 合 戰交名 之 事、 



、飯 田彥次 郞定、 I。 

飯 田 良-;^ ^0 

、宇久 it 場七郞 勇、 |„ 

、同 中間 左 近 太郞、 I。 

、赤 木 堤 逢 六昵、 I。 



1 、得 富彥七 家政、 I。 

1 、西 浦 源次郞 持、 

1、河崎五郞ロ;|。 

一 、巖本 A 郞守 f 。 

1 、菖蒲 隈本 五郎、 I 



、隈 辻十郞 入道 覺乘代 子息 八郞 長、 I。 

、長 田 又 次郞、 I ま。 股に 一 、赤 木 又次郞 入道 源榮、 



「侯 力〕 



、鴨 打 二 殿 彌五郞 階、 §。 一 、鴨 打 彥六增 、麵 

以下 略, 之 



總合貳 百 五十 四 人 

百五ャ 人之內 



一、 中: S.S ョ郞. 麵; i で 

1、 寒 水井彥 次郞、 1。 

一 、同 旗 指 五郎四郎、 g;;^ 则. 

1 、得 未 又 太郞、 I。 

1、 常 葉 左衞門 次郞重 高、 I。 

一、 波 多 渡 五郎 長、 I。 

一、 大 塚三郞 fiiQ 口 

1 、 鴨 打 石 田 彥三郎 |§ 。先に 



百 五十人 之內 



ー^^>^^^—&£6=^.1..^、此人はーーー3ん"戰の後 拳ー今 一、 feild 支 6 も €u;3$£、,。 .M 

今年の 春、 宫方 一 方の 大將 北お £ 源 中 納言顯 家、 美 濃國に 於て 高. 佐々 木. 細 川 3 下と 

合戰 あり。 討死 せらる、, 5 、二月. 三日の 御 敎書幷 に 太宰府の 施行 到來に 依りて、 1 

世 W 親王 八 代へ 御 下向 所々 軍の 亭 おせ 



一 色 入道 

高 ー艮山 U 

陣. r- 



北 肥戰? I 卷之ニ ち 八 

色 入道より 武家 方の 輩 へ 觸れ 送.^ し 書に い ふ、 

陸 奧前國 司 以下 凶徒、 於,, 下津赤 坂, 被 伐-由 之 事、 今月 三 ョ御敎 書 御 瑪仃如 

fer 可 kj?,- 其 意, 候" 執 〔f 脫〕 如祥。 

建 武五年 二月せ 五日 沙彌在 判 

今 村 孫 三 郞殿舰 fl 规鳩 I:。 

同 九月、 豊 後の 大友刑 部 大輔氏 時、 筑 後へ *.H 咼良 山に 陣を 取り、 翁 池武重 以下 宮 

方 共の 籠.. > たる 生 葉 郡 妙 見 城 居 を 攻めむ とす。 菊 池是を 聞き、 其 不意 を 討つ 

べしと、 高 良 山へ 取 懸けて 大 友と 相戰 ふ- 大友利 を 失 ひ、 竹 井木 庄へ 引退く。 此 

時旣に 討た るべ か. > し を、 一 族の 1 戸次 兵 部少輔 氏季と 新開 宫內 少輔 蹈み留 h ノ、 氏 時 

に 代 b て 討死す。 斯くて 菊 池 は, 筑後國 所々 の 軍に 打 勝ちて 肥 後へ 歸國 す。 斯か 

b し 程に、 管領 一色 入道、 頓て筑 後 へ 打 越え 高 良 山 に 陣を 取 る。 

同 十 :!!: 初旬、 一 色 入道 其 身 は 高 良 山に 在陣 し、 佐 竹 源 藏人氏 義を肥 後へ 差 向く。 佐 

竹 今月 二日、 筑後を 立ちて、 同 七日 八 代へ 討ち入り、 宮の 御所 を 圍み攻 む。 され ど 



も 軍 利 あらやして 引返す。 此時石 動 彥三郞 資^が 申狀 にい ふ、 

爲,, 菊 池武重 以下 凶徒 誅伐; 大將軍 依-御 發-- 向筑後 譏; 肥前國 御家人 石 動 彥三郞 、最 

前馳, -參 M 高 御 在お^,〕 之 間、 致,, 宿!^ -瞢- 固 之; 剩爲 治 菊 池 城; 去 二 H 就, 被き, 遣 

佐 竹源藏 人- 屬 彼 手; 迄,, 同 十五 日 差 11^ 之 期 一致- 警 固-候 訖" 次 高 良 山 御座 同 御歸陣 

之 間、 御供 仕 候 了。 以,, 此 旨-可お-御 披露-候。 恐惶 謹言。 

建 武五年 十 一月 一日 菅原 » 成 

進上 御 奉行所 

翌 くる 暦 應ニ年 己 卯 正月 十九 日、 翁 池 八郎. 宇 土 三 郞-惠 良 小 次郞、 筑後國 へ 出張し 

て、 武家の 管領と!^ はむ とす。 頃 H 一 色 入道 は、 高 良 山の 陣を拂 つて 筑 前へ 歸 おし 

監に小 侯 人道 筑後 にあり。 彼の 敵と戦 ふ ベ きた め、 當國の 守護 代幷に 士卒 等、 其 外 

肥 前 1: 基肆ま 父. 三 根. 神 崎 四 郡の 兵 を 相 催し • 所々 に 於て 合戦す。 此時、 石 勸彥三 

郞. 山 浦の 定患坊 • 原 口 十 郎三郞 等、 武家お 背きて 宮方 となる。 所領に 就いて 恨 ある 

欲な.^。 則ち 山 浦 * 原 口が 跡 を 以て ノ深 堀が 一 族 高木 三郞 五郎 時 廣に^ ふ。 此時九 

圍 gftiHi!^ 代へ 御 下向 所々 軍の 事 .0 



r. 宮 わの 武士 九 

家 M か ニ家宮 'W 

方 る 派 方 力の 

I ことと St 



北肥戰 卷之ニ S 

相 力〕 

州の 武士、 宫 方. 武家 方と 分れて^ 戰ふ。 其雙 方の 輩 を 凡 記す るに, 宫 方に は 光べ 肥 

後の 菊 池 はいふに 及ばす、 城. 赤 星. 加屋. 鹿 子 木. 隈 部. 宇 土. 阿蘇 大宮司. 八 代. 合 志. 河 

E 三郞. 小 代 太郞。 薩摩 H に は島津 一族に、 和ま 丽^ 千 樺 山 兵 部 少輔. 町 田 又 三 

郞. 北鄕 伊豆守、 其 外 漉 谷. 谷 山。 大 隅に 牛 日向 阈に土 持. 齋 所. 庄. 高山。 筑 後に 

松 田. 溝 口. 草 野次 郞大夫 永久. 星 野 孫 六. 黑木 大膳大 夫. 西 牟田彌 次郞. 諸 富 平 三. 南 條* 

蒲 池. 深澤。 肥 前 國に松 浦: 牛 肥 前 守貞. 藤津 太郎. 後藤 又次郞 光明. 多 比 良. 神代 ん予 

木. 西鄕、 其 外汜々 の 輩 は 記す に 限な し。 又 武家 方へ 從ふ 者に は、 筑 前に 少貳の 一 族 は 

申す に 及ば や、 宗像 大宮司 氏 重 原 田 孫 四 郞種貞 • 三 原 三郞. 山 鹿次郞 .漉 谷下總 守。 對 

馬に 宗刑部 ー賴 茂。 壹岐に 日 高。 肥 前 國に千 葉 刑 部大輔 胤泰. 上 松 浦の 波 多. 鴨 打. 

佐 志. 神 田. 草野豊 前守秀 永、 下 51 浦の 极浦丹 後 守 今富彥 三郞. 伊佐 早次郞 入道. 開 

田 佐 渡 次郞. 签閑民 部 入道. 彼 杵大村 太郞家 K. 後藤 六 郎朝明 • 同 掃 部允經 明. 同 辻 五 

郞次郎 貞明. 橘 薩摩守 彌次郞 公經. 有 馬查五 郞久道 連惠. 安富 深 江 民 部丞泰 重. 同 岩 崎 

孫 三郞泰 治. 深 堀 高木 三 郞五郞 時 廣* 同 高 濱又五 郞淸綱 • 松 浦 伊 萬 里彌次 郎充. 同志 



佐 左 近將監 有. 同庄山 又次郞 • A 石.? 郞 入道 丄 木 伯 耆太郞 家 直 • 緩 部 四 郞次郞 幸鄕. 

今衬孫三郞高弘*龍造寺孫六郞家種.多久小太郞宗國._梅渡諸王丸*^8里源次§家有. 

於 保 五 郞宗喜 • 成 极兵庫 助 章景. 青木 源 四 郞義勝 • 阿 自岐孫 四 郞能康 • 山 田 孫 四郞重 

村. 後藤. 中 野 五郎 明. 橘 薩摩彌 五郞玆 雄。 筑 後に 武藤. 引地 新 左衞門 高經. 酒 見 虎 熊 丸. 

末 安 十々 丸。 粤; 前に 城 井. 長 野。 豐 後に 大 友の 一 族、 其 外 臼 杵美作 守. 佐 伯 山城 三 郞. 

加來彌 四郞. 朽網 六郞. 新開. 齋 藤. 丹 下. 宇留島 • 宇佐の 一 族。 薩摩國 に 島 津總領 上,!! 

入道々 監が. f 供 上 緞三郎 師久. 同 四 郞氏久 .從 弟島津 下野 守忠親 • 日向に 伊東 大和 守 

祐 、此の 外 末々 の 輩 は 記す に 及ばす。 

暦應四 年辛已 に、 宫 方又筑 後の 生 葉に 討ち 出づ。 時に 肥 前 國西尻 田 孫 太 郎軍忠 あ 

5 武家 方に 屬す。 

翌く る康永 元年 壬 午 四月 中旬, 宫方 菊池對 馬守武 茂. 同 肥 後 五郎 武敎. 大城七 郞貞資 

以下 蜂起して、 中院侍從を大將として筑後へ來..^、 竹 井の 城に 循 籠る" 玆に 因.^ 

て 管領 一色 入道, 五月 一 S 、竹 井に 押 寄せ 之 を攻む • 七月 二日 落城す。 中院殿 .i- 池 

世 一良 親王 八 代へ 御 下向 所々 軍の 事 S 一 



北 肥戰誌 卷之ニ ! 111 . 

以下 風雨に 紛れ 出奔 せらる。 

康永 三年 甲 申 三月、 大友刑 部 大輔氏 時の 弟 近 江 次郎負 順、 一 族に 離れ 宫方 とな hs、 

筑 後生 葉の 城に 旗を揚 ぐ。 一色 人道 馳せ向 ひて 之を攻 む。 六月 半 落城。 同年の 秋、 

宫方又 生 葉に 蜂起す。 一 色 重ねて 發 向し、 九月 初旬. 同月 廿日 .廿 一 日、 牛 鳴 山. 阿彌 

陀 ケ峯. 芋 河 城、 其 外 所々 に 於て 合戦、 宮方返 散す。 同 十月 又 蜂起す。 

翌 くる 貞和 元年 乙 酉 一 一 月、 菊 池 掃 部 助武敏 • 同名 對馬 守武茂 • 名 和 伯耆守 長生. 堀 口 

〔相 力〕 

孫 三 郞桌直 • 宇都 宮三河 守貞泰 以下の 宮方、 筑後國 へ 又 現 形し、 一 色 入道と ぉ戰 ふ。 

今年 薩 州に 於て、 島津の 一 族に 牝鄕. 町 田. 和 泉. 樺 山、 宮方 にあって 旗 を 揚げ、 平 佐の 

河 內に城 を 構 へ 、 總領の 島 津陸奧 守氏久 と合戰 す。 菊 池 武重是 を 聞きて、 北鄕. 町 田 

を援 はむ 爲め、 肥 後 國を發 す。 北鄕 伊豆守、 菊 池 を 迎へ其 勢 を 合せ、 猶 籠城して 島 

津 と相戰 ふ。 

貞和四 年 戊 子、 一 色宮內 少輔直 氏、 將 軍の 命 を 蒙りて 博 多へ 下向す • 同名 入道々 獻 

に 合力の 爲に差 下さる 所な り。 直 氏 下 著して、 四月 十六 日 軍兵 を 率し、 筑 後へ 發 



向して 三 池に 於て、 宫 方の 輩と 相戰 ひしが、 利 を 得 や 博 多へ 歸る。 斯か b し 程に、 

敵續 いて 博 多へ 攻め 來る由 風聞 あ b。 玆に因..^て同十九日、直氏廻文を以て、武家 

方の 諸 士を相 催し、 彼の 敵 を 防がむ とす。 

同年 十月 十九 日、 直 氏 勢 を 率し、 肥後國 南の 郡の 宮方返 治と して 發 向す。 時に 肥 前 

國の 御家人 深 堀三郞 五郎 以下 早速 參陣 す。 

足 利 右兵衞 佐 道 冬西國 下り 所々 軍の 事 

處和五 年 己! 4f 足 利 右兵衞 佐 直冬鎭 西へ 下向 せらる。 此 人は將 軍の 御 長男な り。 然 

れども當腹の御子息にぁらすして、繼母の讒にょ,.^父子義絕ぁって、 洛の 住居 もな 

b 難く、 頃日 は 中國に 徘徊 せられし を、 高武 藏守師 直、 母上と 談合し 殺し 申すべき 

由 間え しに 付き、 中 國をも 出奔 あ,. y。 九月 十三 日、 肥 後國へ 入られし 處 に、; _ は 問別當 

太郞守 直. 河 尻 肥 後 守 幸 俊、 是を 馳走 申し、 近隣の 者 共 多く 從ひ 奉,.^ しかば、 右兵衞 

佐 殿" 頓て詫 間. 河 a を 以て 宇都 宮 大和 守; &將 軍の 監代 にて 居た し を、 不日に 追 落 

足 利 右兵衞 佐 直 冬 西 國下リ 所々 軍め 事 S1 ュ , 



三佐 方の 九 

に IB 武武州 
分 > &家士 二 
るの 方宮島 



北 肥戰誌 卷之ニ S 

され。 夫よ b 其 威 次第に 輝き、 太 宰の少 贰賴尙 が壻に なられ、 同月 下旬 太宰府へ 入 

,r^來らる。 さても 彼の 賴尙 は、 將軍 へ 對 して 小犬の 忠臣な..^ しに、 何す れぞ今 不孝 

か しづ いばれ 

の 名 を 立て、 父子 義絕 ありし 此直冬 を、 壻には 取.^ て 傅き 申しけ るかと、 其 謂を尋 

ね 聞く に、 將軍 先年、 九州 へ 沈 落 あ.. -し 時、 少貳 一 家の 者共大 忠を盡 し、 目 出た く 御 

歸洛 ましく ぬ。 然るに 其 御 跡へ、 一色 入道 を 管領と して 殘 置かれし 處に、 此 入道 

軍忠に 募. 、少貳 の 一 門 を 一向な きが 如く 振舞 ひける を、 賴尙 兼ねて 遺恨に 思 ひし 

かど も、 腹 を 押へ て堪 へし 折節、 佐 殿の 下向 あ. し 程に、 彼のん を 壻に取 なば、 父 

子義絕 せし 人と はい ひながら、 正しく 將 軍の 御子 なれば、 近國の 武士 從屬 申すべし。 

さらば 其 威 を, 借りて、 一色 入道に 思 ひ 知らせば やと 思案せ しと ぞ聞 えし。 然るに 

右 衞門佐 殿の 威勢 彌,^ 强く、 旣に 大勢と なら る。 是ょ..^九州一 一島の 武士、 宫方. 武家 

方. 佐 殿方と 三つに 分れて 相 戦 ふ。 翌 くる 觀應 元年 庚 寅の 春、 直 冬 朝臣 西 肥 前を征 

せむ と杵島 郡へ 討ち入らる。 稼 崎の 地頭 後藤 兵 庫 允 光明、 一族 を 率して 相從 ひ、 三 

月廿 三日、 橘 薩擊彌 次 郞公經 が 盥見城 を 攻めら る。 此時ー 色 入道 も、 當 郡の 敵 返 



直 冬小メ 5^ 

賴尙の 培 

となる 



所々 の 合 

戦 



治と して 發向 しける に、 塚 崎の 後藤 掃 部允經 明. 須 古の 白石彌 次 郞. 精 岳の 藤 津藤太 

郞, 最前に 城 を 去って 道獻に 降参す。 然るに 三月 下旬、 道 獻と直 冬 朝臣、 宮裙 原に 

〔相 力〕 

於て^ 戦 はれ、 四月 七日 同所に て 又 合戦し、 道 獻軍利 あらす して、 松 浦に 到りて 陣 

を 取る • 同 五月 直 冬 朝臣、 筑後國 の宮方 退治と して、 少!!^賴尙を大將にて軍兵を差 

向けら る。 時に 肥 前國の 御家人 等、 直 冬に 隨ふ 輩に は、 松 浦に 伊 萬 里 武末九 郞兵衞 

授、 杵 島に 後藤 兵 庫 允 光明、 彼 杵に深 掘 高濱彌 五郎 政綱、 高來に 安富 深 江 民 部丞泰 

重、 佐 賀に龍 造 寺 民 部 大輔家 平、 於 保. 高木の 一 族、 三 根に 惠利近 江 守 氏 利. 矢 俣 酉 心 

超 成. 板 部 越 守成 基, 養父に 立 石 源 三郞. 茂 野 長經を 初め、 筑 後に 諸 富 平三郞 入道、 

早速 參陣 す。 賴尙、 其 勢 を 率して 筑 後へ 赴き、 敵 城 を 攻めて 相戰 ふ。 宮 方の 輩に 五 

條 修理 權大 夫. 菅原良 氏. 同 良 遠、 其 外 翁 池 婦部助 武敏. 同名 對馬守 武茂. 提. 岩 松. 宇都 

宫 以下の 者 共、 生 葉. 三 池. 山門に 群り て 賴尙と 合戦す。 此時、 直 冬の 從 兵に 龍 造 寺 民 

部 大輔家 16.、 河北の 軍に 戦功 あ, 9。 斯くて 少貳 賴尙、 筑 後の 軍に 勝利 を 得、 肥後國 

£ 力〕 

へ 打 通. 9、 鹿 子 木大炊 助が 城 を 攻めけ るに、 龍 造 寺の 一 族 家 年 を 初め、 子息 九郞次 



利 右兵衞 佐 直 冬西國 下.^ 所々 軍の 事 



北 肥 戰誌 卷之ニ n 六 

郞 家貞. 同名 孫 六 郞家種 • 同 孫 九 郞家顯 • 同左衞 門次郞 入道 善 智* 子息 孫次郞 家政. 同 

名 孫 三郞季 利。 同彥次 郞家忠 以下、 進んで 大城 を 打破...、 家 平滅を 蒙る。 され ど 

も 鹿 子 木本 城 を 持ちて 破られす。 寄手若干討たる--に依.^て、賴尙軍を引揚げ、太 

宰 肘へ 歸陣 す。 此時直 冬、 軍兵 共の 戦功 を 賞せられ、 龍 造 寺 民 部 大輔家 平に、 本領 

の 上 肥後國 野原 • 西鄕. 增 永の 地頭 職 を 給 は,^、 安富 深 江 民 部丞泰 重へ、 同國 天草 鄉 

の 內木砥 河內浦 天草 大夫十 郞が跡 一 所. 周 防 國仁保 庄卒子 彥三郞 が 跡 一 所、 七月 十 

七日に 加 恩 せらる。 同 八月 初、 筑後國 酒 見 虎 熊 丸 一 族 を 催し、 直 冬 退治と して、 採 

題 一色に 屬し 軍忠ぁ hs。 同月 廿 八日、 直 冬 朝臣, 今 川 五郎 直 虞 を 軍 奉行に て、 筑前 

國月隈 城 を 攻めら る。 九月に 及び 落城せ や。 此時、 深 堀高濱 彌五郞 政綱 分捕す。 大 

衬中尾 次郞. 吉田彥 次 郞等證 人なら。 仍 b て 政綱に、 肥前國 養父 郡の 內十 五町 を 給 

はる。 其 外、 波 佐 見 六郞俊 平. 同 次 郞吉平 も 直 冬に 屬 して 軍 忠を盡 す 故、 俊 平に は 

伊 開 彥四郞 が 跡 一 所、 吉 平に は 山ロ彥 五郎が 跡、 神 崎 庄馬郡 十五 町 を 給 は ぬ。 g れ 

频が。 脚, 明 ZT、5P 一一 同 九月、 K 冬 朝臣、 武家 方 誅伐の 爲め、 吉 見四郞 以下の 軍兵 を筑 



攻陣薩 菊 

落; 银州池 
す 城に 武 
^ャ, 重 



後 國へ差 向けられ、 同月 六日 已刻, 吉見、 筑後 國府へ 討ち 出づ。 武家の 新管鎮 一色 

宮內 少輔直 氏、 筑 後の 御家人に 下知し、 此敵 を追拂 はむ と、 今 川 掃 部 助賴成 を差逍 

し、 吉 見と 相 戰ふ。 時に 末 安 右 馬三郞 兼有、 今 川に 屬 して 軍功 を抽 んづ。 

觀應ニ 年 卯 四月、 池 左 京大 失武 重、 薩 州に 於て 和 泉の 城 を 攻め 落す。 島 津陸奥 守 

氏 久. 河 上 孫三郞 賴久、 人質 を 出し 翁 池に 降參。 武重、 薩 州に 在 陣 する 事ズス 牛まで 

六箇年、城を落す$^^六箇城なり。 武重, 島 津が人 S を携 へて 吧 後へ 歸る。 其頃乂 

武 重が 嫡 肥 後 守武光 も、 城 越 前 守. 赤 星 掃 部 助 を 先陣と して、 河 尻 肥 後 守 幸 俊が 城 

を攻 む。 幸 俊、 此時 一 色 入道に 属し、 肥 前の 高來 に在陣 して、 無勢なる 故 防ぐ 事 を 

得す、 早速 落城す。 

同年 九月、 菊 池 肥 後守武 光. 城. 赤 星. 三 池. 星 野. 宇都 宮筑 後へ 討ち 出で • 直 冬 朝 ^.少 

K 赖尙と 合戦す。 直 冬 以下 太宰府へ 陣を 引いて * 池と 挑戰 し、 又打负 けられ 寶滿 

〔:m 力 J 

が 岳へ 取 登らる。 菊池續 いてお 戰 ひしに、 直 冬- S 尙愛を も 攻め 落され、 討死. 手 負 

數を 知らす。 時に 直 冬の 從 兵に、 肥 前 鯛の 住人 成 松 兵 庫 助章景 討死す。 同 十月、 少 

足 利 右兵衞 佐 直 冬 西, 下り 所々 軍の 事 - S- 



直 冬 等 敗 

ぼ 



北 肥 戦 fl 卷之ニ ほ 八 

贰菊 池と 相戰 ひ彌. -利を 失 ひ、 一 族 太 宰彈正 少弼經 藤 を 人質に 出しぬ。 菊 池 は少威 

が 降參 を 免し, 彼の 人質 を 連れて 肥 後へ 歸陣 す。 

同 十二月 中旬、 下 松 浦 黨の者 共、 直 冬に 與 力し、 肥 前の 小 城へ 攻め 來る。 千 葉次郞 

胤泰が 家人 等, 岩 部. 金 原 • 中 村 を 先と し、 其 外 今 村 孫 三 郞高弘 以下 出で 向 ひて、 松 浦 

黨と 合戦し、 是を追 退く。 一 色 入道、 其 軍忠を 賞して、 同 廿日 各.. 證判を 得さす。 

同 三年 壬 辰 二月, 探題 一 色 入道々 獻、 肥 前 國高來 • 彼 杵の宫 方 退治と して、 小 俣少輔 

七 郎氏連 を 差遣す。 氏 連先づ 彼杵 へ 打 越え、 矢 上の 城に 入 b て、 高 來の眛 方 を 相 催 

すに、 有 馬. 安富 以下の 武家 方 4f 閏 1 一月 十六 曰 千々 岩の 津 へ 馳せ參 る。 氏 連、 同 十 

七日 千々 岩へ 陣を 移し、 野 井の 城 を 攻め、 又 西 鄕次郞 が 杉 峯城を も 攻めて 合戦し • 

三月 二日、 神代へ 打 通る の 時、 西鄕 出合 ひて 相戰 ふの 間、 安富 深 江 孫 三 郞泰治 等, 散 

散 合戦し、 西鄕 を追拂 ひ、 氏 連 暫く 國府 へ婦陣 す。 P ぉ識 同年の 四月 *當 

探題 道獻 入道の 一 族 一 色 右 馬 權頭賴 行、 九州の 守護 代と して 下向す。 是れは 頃日 

鎭 西の 逆徒 靜 ならざる 由、 京都に 聞え て 差 下さる,.. 所な, 9。 賴行 直に 太宰府に 下 



著して、 先 づ道獻 入道へ 面談し、 右兵衞 佐 直 冬 幷に宮 方の 輩 退治の 事を議 して、 同 

六月、 小 俣 七 郞氏連 を 重ねて 彼杵. 高 * へ 差遣す。 氏 連、 彼杵へ 赴き、 大村丹 後 守 家 

德. 深 堀 五 郞左衞 門 時 勝. 伊佐 早次郞 入道. 矢 上の 何某 を 相 語ら ひ、 高來 郡へ 押 渡り、 

多 比 良 * 神代. 島 原と 合戦し、 同 八月に 多 比 良 七郞重 通が 城を攻 落し、 重 通 を 誅伐す。 

外 M, を 打破る の 時、 安富 新 三 郞疵を 蒙.^ けり。 夫よ. 9 氏 連、 西 鄕次郞 が杉义 4 城 を も 

攻 破,.^ て、 井牟田 を燒拂 ひ、 宇 木の 城に 押 寄せ、 愛 を も 不日に 攻 落しぬ。 斯くて 高 

彼 杵の雨 郡、 大半 静謐せ しかば、 氏 連 先 づ國府 へ歸陣 せし む。 此頃 探題 守護 職の 兵 

軍 以下、 肥 前國府 に在陣 して、 神社 佛閣を 破 却し 燒き失 ふ。 仍. 9 て 征西將 軍宫ょ 

當國の宫方共 へ令旨を下され、滅却の神社皆御再ぁ與„^。 宮、 肥 後の 八 代に 御 坐す。 

直 冬 朝臣 沒 落の 事 

同年 十 一 月、 守護 代 一 色 右 馬頭 賴行、 肥 前の 國府を 立ち 太宰府へ 歸府 する 故、 小 俣 

七郞 よ, o、 同月 十八 日、 廻文 を 以て 武家 方の 輩 を 相 催し、 筑 前へ 討って 入る。 時に 直 

度 冬 朝臣 落の 事 S 九 



お 戦 誌 卷之ニ 

冬, 賴尙、 同廿 四日 観世音 寺に 支へ て 相 戦 ふに、 直 冬 以下 打 負けて 浦の 城へ 引 籠ら 

る。 守護 代續 いて 是を 攻めし に、 城 中 防 戰叶ひ 難く、 直 冬. 賴尙旣 に 自殺す ベ か し 

處に、 菊 池 肥 後守武 光、 其 頃 高 良 山に 在陣 し、 此 事を閒 付け、 急ぎ 浦の 城へ 後 詰して、 

守護 代の 勢 を追拂 ひ、 直 冬. 賴尙 等の 命 を 助けぬ。 是れは 去年 十月、 寶滿の 軍に 賴 

尙、 菊 池に 降參 して、 向後に 於て は 一 味 申す ベ きの 由、 契約せ しに 依 h そな 。然る 

に 賴尙、 菊 池に 危急 を援 はれ 悅の餘 り、 熊 野の 牛 王に 血 をす、 ぎて、 子孫 七 代まで 

異心 ある まじと 起請文 を 出しぬ。 されば 延文四 年の 秋、 賴尙、 菊 池 を 背きて 大保原 

に 於て 合戦の 時 池が 旗の 蟬 本に 一 紙の 起請 を 結 付け、 彼の 賴尙に 見せけ る は、 此 

時の 神 文な, 0-。 然るに 直 冬 朝臣 は、 股肱と 赖 まれた る賴 尙は宫 方と な b 、骨肉 を 分 

けられし 父將 軍に は、 旣に 怨敵と なち-て、 身の 置 所 もな く、 微服 潜行して 石 見國へ 

落 行かれ、 三 隅 入道 を賴み 蟄居 あ,..^ け. =.。 今年 觀應 三年に 文 和と 改元す。 

北 肥戰誌 卷之 1 1 終 



合 



北 肥戰誌 卷之三 



九州 所 々軍の 事 

文 和 二 年 癸 巳 正月 上旬、 探題 一色 入道々 獻に、 同名 宮內 少輔 K 氏、 其 、職お 代りて 新 

探題と な,^、 九州の 事 を 司る。 同名 右 馬 權頭賴 行、 彌! 守護 代たり。 此時、 畠 山 治 部 

大輔義8|.同子息民部少輔滿§|も、鎭西靜謐の仰を蒙.^て下向せしめ、 薩摩. 大隅 •:《 

向の 間に 在國 し、 宫 方の 輩と 合戰 止む 時な し。 其 頃 守護 代賴行 は, 肥 前國千 栗艄隈 

城に ありけ る を * 同月 廿ニ 日、 菊 池. 赤 星、 不意に 押 寄せ 相 戰ふ。 賴行城を守,.^て落 

されす。 菊 池、 千 粟の 陣を 引返き 筑 前へ 打 越え, 少 ffi 賴尙と 一 っにな..^、 探 题を攻 

めむ と議 す。 採 題. 守護 代と もに是 を閬 いて、 さらば 此方よ b 發 して 戰 ふべ しと、 肥 

前の 千 栗 を 打 立ち 筑 前へ 赴き、 針摺 原に 於て、 少貳殲 池が 兩勢 對陣 し、 二月 二::: 合 

州 所々 軍の 事 S 



合 日 
戰奈 
田 
山 



北 肥 戦 誌 卷之三 t 

戰す。 少貳: 家人に は、 武 藤. 朝 曰. 窪. 饗場 以下、 前後に 相備 へ、 翁 池が 郞從に は 城 • 

赤 星 • 城 野. 鹿 子 木 等 左右に 討ち 探題と 戰 ふに、 菊 池が 從 兵の 中、 安富 民 部丞、 軍忠を 

抽んで 首 二つ 分捕し、 採 題の 方に も 小 家 彥三郞 家 高、 高名して 右の 足に 疵を 蒙る。 

斯くて 採 題の 軍、 利 を 失 ひ 針 摺原を 引返き、 肥 前に 歸 b 緩 部の 城に 入らる。 同年 一ニ 

月 三日、 探題 一色 入道. 同宮內 少輔、 軍兵 を 率して 筑前國 へ發向 あ,.. -て、 博 多に 陣を 

取,. > 、飯 盛の 城 を 取 構 へらる。 其 半ばに 肥 前の 宫方 共、 探題の 留守 を 計.^ て頜 內を亂 

妨 する 故、 探題、 早速 肥 前へ 歸 h^、 綾部の 城に 入 て、 東 肥 前の 頷內を 治め、 神崎橫 

大路の 城 を 築かせて、 同年 七月 二日、 * 池. 赤 星 以下の 宫方 共" 綾部 城へ 押 寄せ、 探 

題 直 氏と 相戰 ふ。 綾部新次郞幸^^^ 探題に屬して軍忠ぁり。 菊 池 利 あらや。 筑 前へ 

打 越え、 採 題の 新 城 飯 盛に 取 懸け、 是を攻 む。 此事 注進 あるに 依 b て、 探題 急ぎ 筑 

前へ 赴き、 先 づ日奈 田 山に 陣を 取らる。 同 十 一 月、 宫 方の 輩、 日奈 E 山へ 押 寄せ 探 

題と 相 戦 ふ。 探題の 軍 敗れて 筑前を 退き、 肥 前の 小 城の 城に 入らる。 文 和 三年 甲 

午 、探題 一 色宮內 少輔直 氏、 小 城 を 立ちて 神 崎 仁 比 山の 城に 入らる。 千 葉 介. 龍 造 寺、 



探題に 相隨ふ • 九月 十九 日、 菊 池. 赤 星 仁 比 山へ 取 懸け 相 戦 ふに、 菊 池 討 負け 引返 

く • 探題の 兵、 勝に 乘 b 田 手 波 古川に 追 詰め 敵 を 討つ。 夫より 探題、 千 栗に 陣を移 

さる。 此時 敵、 姪の 濱. 飯 盛の 兩城 を攻 むる の 由 注進 あ,..^ しかば、 直 氏 是を拂 はむ た 

め、 則ち 千 栗を發 して 筑 前へ 討 入らん と、 背 振 山 を 越えら る。 敵、 彼の 兩城を 攻め 

し 事 は、 元よ.^ 菊 池が 謀に て、 當 山の 絶頂に 伏兵 を 置きた. y。 採 題、 是 お知らす の 

さの さと 通, し 時、 件の 伏兵 一 一 萬餘騎 * 左右よ. 鬨の 聲を揚 ぐ。 探題の 軍兵 僅 五 千 

餘騎、 鬨を 合せて 入 b 亂れ 散々 に相戰 ふ。 此肥前 國背振 山と 申す は、 昔 性 空 上人 

の、 眞 如の 月の 前に 心 を 澄し、 天竺 無 熟 池の 水を此 頂に 汲んで、 人間業 障の の 衣 

を灌 がれし H 本六辨 財、 其 一 數の靈 地に て、 高嶺 雲に 養え、 半 腰に 雷 飛び、 深 谷に 霧 

満卷 きて、 渺々 たる 荒野なる に、 敵 味方 凡そ 三 萬 人、 鬨の聲 • 矢 叫の 音 夥し。 愛に 菊 

池が陣中ょ.^赤星と名乘b、其勢ニ千計b、探題の旗下を目懸けて切憑る。 是を見 

て 探題の 手の者、 其外宗 像. 江上. 龍 造 寺. 千 葉. 緣部. 村 田. 立 石 以下、 赤 星 を 支へ て 相 

戰ふ。 又 菊 池が 陣 より 草 野 右近 將監秀 永と、 上 松 浦の 者 共 一 同に 懸 b て、 赤 星に 力 

. 九州 所々 軍の 事. M 



歸の 敗.; 5g 
る 濱れ疆 

城て 直 

に 姪 氏 , 



北 肥 戦 fl 卷之三 

を 合す。 時に 採 題の 家人 遠江國 奥山 太郞、 生年 * 三と 名 乘り、 白 綾の 母 衣 懸けて、 

筑 前の 宗像七 騎と打 れ戰 ひしが、 痛手 餘多 蒙り、 今は是 までな りと、 松 浦 草 野 右 

近 察 監が陣 へ 離 入り、 松 浦 源 八と 引 組み、 合 期 叶 はす 生 捕と な.^、 深手に て あ. し 

かば 、幅て ぼ:、 陣中に して 死にけ.^。 斯くて 探題 終に 打 勝たれ、 翁 池 勢 返 散し、 直 氏. 

恙なく 筑 前に 赴き、 娃 の濱. 飯 盛の 敵 をも拂 つて、 先づ 愛に 在 城 せらる。 

探題 一 色 直 氏 歸洛の 事 , 

文 和 四 年 乙 未、 延 文と 改元す。 今 年少 貳筑後 守 賴尙、 筑前國 早 良 郡 岩 門の 城に 楣籠 

る。 依りて 探題 直 氏. 原 田 孫 四 郞種貪 5> 下、 彼の 城 を 園み 攻む。 少貳 堅固に 守りて 

相戰 ふ。 探題、 利 を 得すして 姪の 濱 城へ 引返さる。 

延文ニ 丁酉 十月、 少貳 賴尙、 岩 門 城 を 持つ 事な b 難き に 依って、 筑 後へ 打 越え、 宇都 

宫壹岐 守 貞久. 草 野 長 門 守 守 永. 星 野 孫 六 入道 を 相 語ら ひ、 星 野が 生 葉の 城に 入 b て 

旗を揚 ぐ。 探題 直 氏. 大友刑 部 大輔氏 時 等、 生 葉へ 押 寄せ 相戰 ふ。 少貳 以下の 城兵、 



防ぐ 事 を 得 や 城 を 落 去. 9、 草 野が 發心嶽 の 城に 入 b ぬ。 

延文 三年 戊戌 正月、 菊 池 肥 後守武 光、 宮 方の 輩 共に 力 を 付くべし と、 肥 後 國を發 し 

て筑後 へ 討 入 h.、 高 良 山に 陣を 取り、 近國の * 方 を 相 催し、 探題 直 氏. 大友氏 時と 所 

所に 於て 合戦す。 少貳も 亦 發心嶽 の 城 を 出で、 三 原に 於て 探題と 防戦し け. o。 然 

るに今年の春ょ.=^秋に至ちて、探題度々の軍に、 菊 池が S め 大に利 を 失 ひ、 其威輕 

くな しかば、 敗軍の 將は 再び 謀ら やと 身 を 謙 返して、. 程なく 歸 京せられ け,.^" 斯 

かりし か は、 大友氏 時も宮 方に 降參 す。 然る 處に、 四月 晦日、 將軍尊 氏 卿 薨去 あ b 

しに依って、彌!九州の武家方共カを落しけるとな,.^。 

间年十 一 月, 池 肥 後守武 光、 筑 後の 陣を 返し、 皇山治 部 大輔義 §1 の、 日向 國六 笠の 

城に あ b ける を 返 治すべし と、 曰 州へ 發 向す。 宫の御 勢に 世 良田 大 腊 大夫 • 桃 井 右 

京亮. 山 名播磨 守、 其 外 山 鹿. 小 代 S 下肥. 後國の 輩、 菊 池に 馳加 はる。 H 向國は 九州 

の 東南に して、 高山 蛾々 と峙ち 平地 少く道 狭し。 翁 池. 彼の 嶮難を 四: n 四 夜に 打つ 

て 日 州に 著陣 す。 大友刑 部 大輔氏 時 も、 頃曰宮 方に 降參 する 故、 鄉 池が 催促に 應じ 

探 厘 一 色 iatl- 歸洛の 事 



攻の六 菊 
落兩 笠^ 
す 城三武 
な 俣 光 



北肥戦^|| 卷之 三 

て、 此度 出陣せ し が、 降參は 1 旦の 和義な る 故、 忽ち 飜 b て 中途よ 引返し、 高 崎の 

城に 循 籠る。 宇都 宫 大和 守 元 綱 も、 大 友に 同心し, 大河 を 前に 當て、 菊 池が 通路 を 

相 遮る。 翁池、是を事ともせす、 畠山父子の籠.=^たる六笠.三侯の兩城を、 十 一 月 十 

一 日よ b 攻め 憑け て、 日夜 十餘 曰に 攻め 落し、 首を切る 事 三百 餘 なり。 畠 山 父子、 

遁れて 落ち 去り ぬ。 菊 池, 兩城を 攻め 落し、 同名 肥 前守武 安. 宗 右馬助 尙茂を 六 

笠に 居 置き-名 和 伯 誉七郎 長 重. 河 尻 九 郞を三 俣の 城に 籠め て、 曰 州 を 治め、 己れ は 

肥 後に 歸陣 す。 大友も 宇都 宫も、 菊 池が 勇 氣に吞 まれ 出で 戰ふ事 もな し- 

延文四 年 己 亥 二月、 菊 池 肥 後守武 光、 去年 十一月 日 州 合戦の 時, 大友氏 時が 中途よ 

ち 飜. c- て、 高 崎の 城に 引 籠. し を惽 しと 思 ひし 故、 是を攻 め 干して 誅伐すべし と、 肥 

後圃を 立って、 先づ筑 後まで 張し • 宫 方の * 方 を 相 催し、 上 筑後を 打 通 b て豐後 

へ 赴きし を、 大 友の 一 族 til, 次 丹 後守賴 時、 妙 見 城に あ b て 菊 池が 通る を 支 へ むと す。 

武光是 を 聞いて、 筑後國 の * 方 一 萬 餘騎を 以て、 妙 見 城 を 一 日の 中に 攻め 落し、 拆 

筑 前の 少貳 へ 使 を 立て.."、 高峙表 へ 出 勢の 事 をい ひ 遣す。 然る に少^^!賴尙 、菊 池に 



菊 池 光 

妙 見 城な 

陷る 



心 を 返し, 其 返答に も 能 はす、 剩へ武 光が 使 を 切る, 菊 池 腹 を 立てし かど も是 に拘 

らす、 筑後國 の 宫方草 野 • 星 野 • 宇都 宫. 黑 木. 河 崎. 南條. 溝 口 を 催し 加 へ 、 大友 退治の 

爲め、 豊後國 へ 討 入 b て、 先 づ玖珠 の 城に 入,...、 大 友が 高 崎の 城 を 攻めむ とす。 其 跡 

に 阿蘇 大宮司. 詫 間別當 等、 菊 池に 對 して 逆心 を 企て、 大 友と 引合せ、 肥 後 國小國 の 

城に 楣籠. 9、 九つの 要害 を 構へ た. o。 然る 間、 宮の御 勢 江 田 丹 後 守 • 鳥 山 左 衞門佐 • 

; H 名播磨 守. 祧井 右京亮 以下の 輩、 島津. 山 鹿. 小 代 を 相 語ら ひ、 阿蘇. 詫 間 を 攻めて、 

九つの 要害の 內、 五箇 所 は 攻め 落しぬ。 此時菊池武光は、豐後の^^珠の城にぁ...* 

太 宰少贰 再び 武家 方 と^る 事 

太 宰筑後 守賴尙 は、 去る 建武の 合戦 後、 將軍 家へ 對 して 隨 分の 忠臣な..^ しか ども、 

探題 一 色 入道が 權 勢に 募り、 世に 人 もな く 振舞 ひし を猜 み、 旣に 怨敵と な て、 去 

る貞和 年中、 直 冬 朝臣 を壻に 取り、 其 後見と して 將軍 へ 向 ひ、 却って 弓 を 引き、 近年 

は 又 直 冬 を も 捨てて 宮家と な, o、 彼是の 不義 重 過せ しに 依. て、 諸人の 嘲. 大方な 

太 宰少^ 再び 武家 方と なる 事 



少甙賴 光 

ま た 武家 

方と なる 



賴尙菊 池 

に 被らる 



北 肥 戦? I 卷之三 X 

らゃ。 賴尙も 流石 面目なく 思 ひて、 今 又 先非 を 改め、 將軍 家へ 對し 忠節 を勵 まし、 

御 赦免 を 蒙 て 世の 人口 を も 止め むと 思 立ち、 去る 二月、 翁 池が 使 を 斬..^ 義絕 せ し 

め、 同 三月 上旬に、 筑前. 肥 前 兩國の 輩 を 相 催す に、 其 勢 一 萬 餘騎に 及びぬ。 頼尙是 

を從 へて、 筑後國 の 糸 田へ 討って 出で、 菊 池が 豊 後に 赴きし せ;; 後 を 相 遮 b 、子息 早 

良 次 郞直資 .從 弟太宰 中務少 輔赖泰 は、 高 良 山に 陣を 張る。 菊池は^^珠の城にぁり 

て、 此由を 聞き、 其奴 原 一 々追拂 へと 勢 を 分けて、 高 崎の 城 をば 押へ 置き、 其 身は筑 

後へ 押來 り、 少貳が 糸 田の 陣へ押 寄せ 相戰 ふに、 少貳打 負けて 太宰府へ HF 退き、 高 

良 山に 陣 したる 直資. 賴泰も 一 戰に 及ばす、 粥 田の 庄 I。 へ陣を 引く。 斯くて 菊 池. 老 

臣 共へ 談合し ける は、 容易く 少貳は 追 散らしぬ。 此儘豊 後へ 打 越え 大友を や 攻め 

む。 又 太宰府へ 赴き 少贰を や 誅伐せ む U さなくば先づ八代へ歸.=^て、 阿蘇. 詫 間 を 

や 追討す べきと 意見 を 問 ふ- 城. 赤 星 以下. S. して 曰く、 敵國の 長陣は 士卒の 勞れな 

b。 先 づく御 歸陣ぁ 上し、 阿蘇. 詫 等の 凶徒 を 御; fEe あれと 申す。 武光、 此議に 

同じ、 筑後國 を 立って A 代へ 歸.^ 、宫の 御 勢と 一つに な. 9、 小國表 へ 出張して、 阿蘇 • 



詫 間と 相戰 ひ、 四 箇所の 要害 一 々攻め 落す に、 詫 間 は、 五月 廿八 = 軍門に 降.^、 阿蘇 

大宮司 は、 同廿 九日 城 を 去. = ^て 落ち 失せぬ。 武光、 小國の 凶徒 を 返 治し、 諸 を 引 

、,. て S なく 八 代へ 歸 hs 人り け h -。 

■ 大 保 原 合 戰の事 

同年の 夏、 太 宰少貳 «尙* 新將軍 義詮公 へ 先非 を悔 い、 御 敎書を 申し 給 は つ て、 九州 

二 島 を觸れ 廻す に、 武家 方の 士卒 馳せ 集り、 其 勢 旣に六 萬餘騎 になり て、 大 友と 勢 

を 合せ 肥 後へ 發 向し、 征西將 軍の 宮を 初め 舉り、 菊 池 一 家 を 返 治すべし と議 す" 此 

事、 八 代へ 聞え、 菊 池 入道 宗愚 家の 子 共 を 集めて、 此度 子息 武光 以下の 者、 軍旅 拙き 

に 依,.^ て 、南 北 の 敵を閣 き、 軍 を 半 ばに 三 國に歸 .9 入. し 故、 今少贰 大 友 大敵 と な り 

て 蜂起す と、 大 に怒,.^ 悔み し程 に、 武光 を 初 め、 城 • 赤 星. 城 野 入 代 • 是を 無念 に 思 ひ、 

急ぎ 彼の 敵 を 退治して、 宗 愚に 面を灌 がんと 評定し、 同年 七 下句、 征西將 5^ の宫 

一品 式部 卿 世 良 親王. ゲ- 上將 軍と して、 御-か J を 太宰府へ 進め 琴る。 御供の 月 卿 雲 客 

大保原 合戦の 事 



北 肥戰誌 卷之三 さ 

に は、 洞院 大納言. 春 日中 納 言. 北 畠 源中納 言. 花山院 少將. 竹林 院 中將. 土 御 a: 少將. 坊 

城 三位 • 高 辻 三位. 北 畠 三位 .曰 野 左 少辨主 御門 右 少辨. 葉 室 左 衞門督 • 中 院侍從 • 九條 

大外 記. 同 生水 正、 谷.^ 甲胄 を帶 し、 御馬の 前後に 相從 はる。 武家に は、 山 名 播磨守 • 

岩 松相模 守. 祧井 右京亮. 世 良田 大膳大 夫. 田中彈 正大 弼. 江 田 丹 後 守 • 同 太郞. 堀 口 孫 

三郞. 里 見 新藏人 • 一 井 又 三郞. 鳥 山 左 衞門佐 *大 島 兵 庫 助 • 堤宮內 少輔. 岩 松 左 馬 助. 

名 和伯耆 判官 長生 • 同 次 郎長顯 • 同 修理 亮長高 • 兒島備 後 入 道義 淸* 宇都 宮三 河守貞 

久 刑 部丞. 同 左 近大失 將監. 結 城 右馬助. 加 藤大夫 判宫. 熊 谷 民 部 大輔直 氏. 同 子息 

豊後 次郞。 其 外 肥 後國に は、 軍 將菊池 肥 後守武 光. 同名 右 金 吾武盛 • 同 次郞武 信. 同 

孫 三郎武 明. 同對 馬守武 茂. 城 越 前 守武顯 • 赤 星 掃 部 助武貫 • 八代大 隅 守 • 太宰 彈正少 

弼. 權 少貳經 藤. 子息 彥次^ 親資. 河 尻 新 次郞. 加 屋兵部 大輔. 國 府伯耆 次郞. 甲斐 民 部 

少輔林 ^ 纖。 子. 小 代太郎 入道 .隈 部 • 宇 同. 城 野人 口 志. 大津 山. 大野 式部 大輔. 派 讚 S 寸。 筑 

後 國には 菘田丹 波 守. 同 出 雲 守. 溝 口 丹 後 守 • 草 野 長 門守. 星 野 孫 六 入道. 黑木 大膳大 

.1K. 西牟 田讃岐 守, 諸 富 平 三 入道. 南 條河內 守: 御厨 孫 四郞. 蒲 池 山城 入道 .深 澤刑部 允. 



武家の 武 



土 肥 九郞. 本 間 次郞。 肥 前 國には 千 葉 刑^ 大輔 胤泰. 後藤 又次郞 光明 .大 村 丹 後 入道 • 

安富 深 江 K 部允泰 重. 同 岩 崎 孫 三 郞泰治 • 白 河參河 入道 • 鹿 島 刑 部大輔 • 稻佐 治部大 

輔。 薩摩國 に は 島 津河上 又 三 郎親久 .澀 谷 三 河 守. 同 修理 亮* 谷 山 右馬助。 大 隅に は 

牛 糞 越 前 守。 日向に は 伊東 大和 守 • 土 持 十郞. 宮崎掃 部 助: W 所 兵 庫 允, 高山 民 部大輔 • 

編 脇 播磨守 • 河野邊 四郞, 波 多 野次 郞見 參. 岡 三 河 守. 庄美作 守。 豐 後に は 堤 安藝 權守 

家資. 太 田筑前 入道、 是等を 宗徒の 者と して、 肥 後. 肥 前. 筑後蠱 後. 薩摩夫 隅 .a 向の 

軍兵 都合 五 萬 餘騎、 筑後國 へ 著陣 し、 高 良 山 を 本陣に 構 へ 、 柳 坂 耳納山 へ 充満し、 太 

宰府へ 討ち入らむ とす。 先陣 は 菊 池 肥 後守武 光な り。 此事 太宰府へ 開え しかば、 

太 宰少貳 筑後守 賴尙、 さらば 中途 へ 出で 向って 戰 ふべ しと、 急ぎ 太宰府 を 打 出づ。 

相從ふ輩には、嫡子新少貳.早良^^^郎直資.從弟太宰中務大輔賴泰.武藤出雲.左近將 

監 賴充. 同名 新 左 衞門經 高. 子息 平 井豊前 守 尙經. 同名 藏人大 夫 資貞. 肥 後 刑 部 左衞門 

泰親山 井 孫 三郞經 親. 朝 曰佴馬 將監資 眞* 馬場 肥 前 守 經專堀 三 郎經勢 • 西 上 總介資 

氏. 武 藏對. 撝次 郎賴資 • 同與次 郞資俊 .饗 場 左 近 將監、 其 外 他家に は、 原 田彈正 少弼種 

大保原 合戦の 事 n , . 



北 肥 is 卷 i1 六ュ 

貞. 秋 月 修理 亮穩 高. 同名 式部 大輔. 山 鹿 麻 生 筑前守 • 本 間 左 近 次 郞* 相 馬 小 太郞. 土 S 

孫 三郞. 木 幡左近 將監. 西 河 兵 庫 助. 澀谷播 磨 守. 极田彈 正 少弼. 草 壁 六郞. 宗像 大宮司。 

肥 前 國には 高木 肥 前 守 家 直. 國分彥 次郞季 朝. 龍 造 寺 左 近將監 家經. 於 保 彌五郞 弼宗. 

今衬 孫三郞 利廣. 江上 太 郞大夫 • 綾部 修理 亮.籐 木 三郞、 极浦黨 に は 松 浦 丹 後 守 勝. 平 

BS 肥 前 守 直. 志 佐 左 近將監 有. 同 修理 亮. 有 田 出 雲 守 持 • 山 代 彌三郞 弘* 伊 萬 里 源三郞 

負-波 多 太 郞武. 鴨打彥 六增. 吉井三 郞.留 主左衞 門. 草 野 駿河守 永 • 安田 a. 左 衞門藏 人. 

後藤 次郞俊 明. 同名 掃 部允經 明. 有 馬 藤 三 郎房澄 • 深 堀 左 衞門尉 勝。 筑後國 に は 

三 原 大和 守. 酒 見豐後 守武敎 • 末 安 右 馬三郞 兼秀。 薩 州に は 島津上 總大失 判官 師久 • 

舍弟 陸奧守 氏久。 大 隅に は 牛 糞 刑部大 夫。 豊 後に は 詫 間別當 太郞. 高田筑 前々 司 • 

高 橋兵衞 次郞. 幡田 又三郞 以下 都合 六 萬 餘騎、 上 筑後大 保 原へ 著陣 す。 大友 刑部大 

夫 氏 時 も、 少貳へ 力 を 合せん と 軍兵 を 催し 打 出づ。 此手 には子 息 孫 太 郎氏繼 • 一 族 

次 丹 後 守 賴時. 同大 神式 部 大輔直 時. 畠 山 治 部 大輔滿 sr 其 外 新開 右馬允 .a 杵美作 

守. 佐 伯 山城 守. 古庄 左 近大夫 將監. 吉弘左 衞門尉 • 一 萬 田 右京 一学 志賀又 六郞. 吉岡左 



近 兵 衞由原 孫 八郞. 齊藤 式部 大輔. 利根. 松 岡. 久 保. 徳永 .朽 網 • 橋 爪 夫津留 以下、 蟹: 前 

に は 城 井豊前 守. 長 野隱岐 入道 等 相 集りて 貳萬 餘騎、 筑 後の 生 葉に ャ いで • 星 野 孫六入 

道が 城代 を 追 出し、 少貳 g 尙に 參會 して、 是も大 保 原に 陣を 取る。 頃 は 延文四 年 七 

月下 旬、 九州の 軍兵 敵 * 方、 都合 拾 三 萬 六 千 餘騎、 高 良 山. 耳 納山. 鰺 坂 • 生 葉へ 打 群 

,.^、山野民屋に充滿して、宮の御陣には日月の御旗を靡し、其下に引兩•廳羽•月星•帆 

掛船. 藤 丸. 三つ巴. 菴に 木瓜 十文字、 其餘 家々 の 旗 共 を 立てた..^。 少貳. 大 友が 陣に 

も、 一 勢々々 備を 立て, 馬の 駔場を 見 縫 ふ。 

斯くて A 月朔 曰、 $肝慨隊^2?^:4。細^曰^は宫方の軍將菊池肥後守武光、 光づ 己が 手 

勢 を 率し 馬 を乘り 出し、 密に 千年 川の 深淺 を^ 見して、 足場 を 見 計,.^ 川 を 渡し • 少 

貳が先 勢 武籐出 雲 左 近將監 • 山 鹿 麻 生 筑前守 • 原 田彈正 • 秋 月 修理 亮が鰺 奴へ、 蹄 を 

進め切.^褂る。 武藤 以下、 如何 思 ひけむ" ー戰 にも 及ば ゃ大保 原へ 引返く。 斯く 

て將 軍の 宫、 御馬 を 大保原 へ 進めら る。 先陣 は 菊 池 孫 三郞武 明. 島 津河上 乂三郞 親 

久. 牛 糞 越 前 守 以下、 肥 後. 薩摩. 大 隅の 兵八千 餘騎。 二 陣は肥 後 守武光 手勢 五 千餘騎 • 

大保原 合戦の 事 さ 一 



北 肥 戦 Sll 卷さー 一 S 

三 陣は肥 前の 兵 千 葉 刑 部 大輔: K 村 丹 後 入道 • 後藤 又 次郞. 安富 民 部 1^ 同 孫 三郎. 白 

石 三 河 守 以下。 四 陣は豊 後. 筑 後の 兵草野 長 門 守 守 永. 星 野 孫 六 入道. 黑木大 膳大夫 • 

南 條河內 守 以下。 五 陣は宫 の 御 旗本 月 卿 雲 客 源 家の 貴族、 其 外 名 和. 結 城. 熊 谷. 加 藤. 

宇都 宮 な,..^。 彼此 都合 五 萬 餘騎、 大保 原へ 押 寄せ、 同 六日の 夜半 計..^、 菊 池 武光逞 

兵 を 勝つ て 三百 餘騎、 城 越 前 守 を前甌 として、 少貳が 陣を夜 討に しけ.^。 陣中 大に 

騷 動し、 同士 討す る 事" 算を亂 して 八 百 餘人切 死す。 此時、 少貳 勢の 中に、 肥 前國の 

住人 深 堀 五郎 左 衞門時 勝 自身 太刀 打し、 親類 志 波 原 次 郞兵衞 明 成. 若 黨岡本 孫三郞 

疵を 被る。 同 一 族 深 掘 高木 左 近 將監貞 房 も, 早 良 次 郞直資 の 手に 屬 して 戰 功を勵 

す。 ね Ms 、おと 平/ ilv 八月。 然るに 菊 池 は、 手 合の 軍に 討ち 勝って 是に機 を 得。 翌 くれ 

ば 七 :11 の 黎明、 宮 方の 先陣 翁 池 孫 三郞. 河 上. 牛 糞. 伊東. 土 持 .宮 崎 掃 部 允一 戰を 始め 

たり。 少貳が 前駆.:^ 秋 月 .三 原-神代 相 憑に 懸. 9 て戰 ひしが、 打 負けて 二 陣に備 へ 

たる 新 少貳早 良次郞 は." 資が陣 へ 崩れ 懸る。 資齒を かみて 大音聲 を 揚げ、 蓬し 方 

方、 直資爱 にあ. と眞 前に 進んで 戰 ひしが、 込み 重なる 敵の 爲め、 資 忽ち 討死し、 



末 安馬 次^ 兼秀 以下 宗徒の 兵 三十 人、 立 所に 討 たれた.^。 W 池, 彌.. 勝に 乘.^ 、 總軍 

五 萬 餘騎、 太鼓 を 早め 射手 を 進め、 日月の 御 旗の 蟬 本に、 一 紙の 書 文 を 結 付けて 眞前 

に 靡す。 是は 一 年、 少貳、 浦の 城に て 菊 池に 援 はれ、 子孫 七 代に 至る も、 異心 ある ま 

じき^ 書きた る 起請文な り。 扱武 光、 手勢 五 千 を 以て 极浦黨 於保彌 五郎. 龍 造 寺 左 

近 將監. 高木 肥 前 守 以下の 肥 前 勢と 入 亂れ、 少時 戰 ひて 追 崩す。 少贰 の陣ょ b も、 朝 

日但馬 將監資 直. 平 井 豊前守 尙經七 千 餘騎、 菊 池 孫 三郞武 明が 陣 へ 割って入る。 武 

明、 態と 敵に 中 を 割らせ、 是を 陰に 閉ぢ て圍め ば、 資直. 尙經、 又. 陽に 開いて 討戰 ふ。 

斯 かる 處に、 豊後 勢の 中よ b 卢次 式部 大輔直 時、 橫 合に 來 りて、 武 明が 後 を 撃つ。 武 

明-前後に 敵 を 請け 散々 に戰 ひしが、 討 負けて 終に 討死し け b。, 是を 見て 一 族 十一 

人、 手の者 百 餘人引 組みく 皆 討死す • され ども 河 上. 牛 糞. 伊東. 肝酣. 土 持. 宮崎、 其 

外薩摩 • 日向 夫 隅の 者 共 は、 猶少貳 が陣に 切って 懸り、 束 西 《 北に 馳け立 つる。 少 

« 方よ, > 宗徒の 一 族 等、 是を 支へ て相戰 ひしが、 利 を 失 ひて 敗走し、 武藤藏 人大夫 

資貞 • 朝日 但馬將 監資直 *武 藤 新 左 衞門經 高 • 窪 能 登 太 郞* 次大 神式 部 大輔直 時 を 

大保原 合 戰の事 



^池武 信 

ま i タ v 



北 肥戰讅 卷之 一 二 六 六 

始め、 百餘人 討死し け 愛に 又、 菊 池 肥 前 次郞武 信. 赤 星 掃 部助武 貫、 其 勢 合せて 

二 千 五 百 餘騎、 今日 少« が 軍 奉行 太 宰中務 大輔賴 泰が陣 へ切懸 る。 賴泰是 を 見で 

己が 一 萬餘騎 と、 同名 賴充が 勢 を 一 つに 合せ、 菊 池. 赤 星を眞 中に 取 籠む。 武 信. 武 

貫 過ぎし 頃、 菊 池 入道に 恥 しんら れ、 此 合戦に 一 定 討死と 思 儲けし かば、 少しも 騷 

. が す、 頼泰. 賴充が 大勢と 駆 合 はせ、 火 を 散らして 相戰ひ • 赤 星 は 平 井豊前 守と 引 組 

み 刺 違へ て 死し、 武信も 返 かや 切 死に 死す。 其 外、 宫の御 勢に は、 結 城 右馬助. 宇都 

宮刑 部お 一. 加 尾 兵 部 大輔. 庄美作 守. 加 藤大夫 判官. 太 田 入道 • 熊 谷 民 部 大輔. 同豊後 守. 

太宰彥 次郞. 松 田 丹 後守, 同 出? 5 守 • 御厨 十 郞. 國分 次郞. 安富 岩 崎 孫三郞 以下 討死し、 

少貳 方に も武藤 左近將 監賴充 池 孫 三郞が 老臣 岡 上 左 馬 助 生 捕れぬ • 敵.^. 方 拾 三 

萬 餘騎、 さし もに 廣き大 保 原野々 l!^MIO と に、 今朝 卯 刻よ. 入.^ 亂れ、 終 n= の 軍 止ま 

t 宮の軍 將菊池 肥 後守武 光、 今日 の 出立に は、 緋 綴の 鎧に 白 緣の幌 愚け て、 薩摩出 

の黑き 馬に 紅の 厚總 掛けて 乘 b た, y。 一 族 共が 討死す る を 見て、 武 光が 死すべき 時 

刻、 早 愛な る ベ しと、 少^^が陣 へ 閑に 馬 を 進む。 將 軍の 宫、 是 を御覽 じ、 汝 死な は 我 



{S>1! 方の 公 

卿 討死の 

面々 



武家 方 敗 

北 



も 死し、 汝 生きな ば 我 も 亦 生きむ と、 御馬 を 陣頭に 進めら る • 宮の 御風 情 を 見舉. cs、 

月 卿 源 家の K 、名 和 .兒岛 の 者 共、 我れ 先にと 御馬の 前に 進みて、 沼の あ.^ し を 

駅 渡し 敵陣 へ 相 近づ く。 少贰. 大 友. 松 浦. 高木. 島津 .ffi 谷. 神代 以下、 是 を上將 よと 

見知って, 大勢 一 所に馭集..^、千變萬化して相戰ふ。 其 一軍 烈しく して、 將 車の 宮 わた 

i ザれ 

がみの 御 W 先に、 太 刀疵 を 負 はせられ、 旣に討 たれ 給 ふかと 見えければ、 宮の御 

命に 代らむ と. 春 曰 大納言. 洞院權 大納言. 北 畠中納 言 .H 野 左少辨 • 土 御門 右 少辨. 坊 

城 三位 • 北 畠 三位. 花山院 g 位 少將. 高 辻 三位. 葉 室左衞 s: 督、 其 外 武家に は、 世 良田 大 

膳大 夫. 祧井 右京亮 • 江 田 丹 後 守;: 石 松相模 守. 山名播 磨 守 .堀 口 孫 三 郎. 里 兑新藏 人、 敵 

〔:; 私 力〕 

中 へ 駆 入. ^-(- 皆 討死 あ.^。 是迄も 菊 池武光 は、 肌燒 ます ま勞れ や、 少贰 が總: 束と 入 

亂れ、 死 狂と 見えて 相戰 ふ。 此時少1^^ハ勢に*槐と賴みたる原田.山鹿んゃ松浦悉く討 

死し、 殘黨 八方へ 散亂 しければ、 頼 尙竟に M 負けて、 北 を 指して 敗北す。 大友. 島 £: 

の 者 共 は、 沼の 間の 細道 を 追 越し 追 返され、 數 簡度戰 ひし か、 少贰が 引く を て、 是 

も 同じく 引退く。 此體を 見、 菊 池 勢の 中より 城. 伊東. 星 野. 黑 木. 鹿 島. 白 石 W 下 進み 

大保原 合戦の # 



& 現 王 



営 方 討死 



武家 方 討 

死 



北 肥戰? >w 卷之三 ^ 

て 敵の 北ぐ る を 追 ふ。 大友氏 時 は、 僅に 百騎 計,.^ にて、 其夜豊 前路に €〕. ^本 國に歸 

,9 ぬ。 少 貳は筑 前へ 退き 寶滿嶽 に 取 登る。 然るに 菊 池 は、 軍に は 討 勝ちし かど も、 

宮 深手 を 負 はせられ、 宗徒の 人々 を も 多く 討た せ、 己が 一族 も 討死し、 其 身 も 首に 

二箇所 深手 を 蒙.^、 進 返 叶 は ざ しかば、 續 いて 敵 を も 攻め や、 大保 原よ. N 二 里 南 

にあた つ て 草 野に 陣を 移し、 宮の 御手 疵を 療養し、 手 負を扶 けて 息 を 休む。 

宫方 討死 

雲 客 十二 人 新田 一 族 七 人 

同家 人 三十 九 人 國々 武士 六十 八 人 

步卒ニ 千 九 百 三十 餘人 手 負數を 知らす 

都合 三千 百 三十 餘人 

武家 方 討死 

少貳 一 族 廿八人 

手 負 一 萬 八 千 人 大友 一 族 十二 人 



菊 池 一 族 八 人 

. 其 下 甲兵 四百 七 

十餘人 



國 * 武士 甲兵 三 

千餘人 



步卒ニ 萬 六 千 人 

同家 人 七十 人 



其 下 甲兵 四百 五十人 步卒五 千 七十 人 手 負數を 知らす 

都合 三 萬 四千 六 百 四十 餘人 , • 

雙方 討死 合 三 莴八千 七十 餘人 

延文四 年 己 亥 八月 六 n> 七日 

40 高 良 山の 社; ki 正 行坊善 信、 九州 を 廻, り、 出陣の 武士の 假名 • 實名を 尋ね 記し、 

つ 討死の 人數を 過去帳に 载せ、 菩提 を ふ 所な.^。 

同月 十八 日、 征西將 5^ 宮ニ品 式部 卿 太 宰帥世 良 親王、 御手 a 御 療養 相 叶 はす、 終に 

筑後國 柳 坂に 於て 薨去 せらる。 御歲 三十 七な り U. 造龍院 殿と 認す。 草 野の 千 光寺 

に 葬り 奉る。 菊 池 は 悲歎の 淚を 押へ て 八 代へ 歸陣 しけり。 

菊 池 肥 前 守 武安肥 前 國に來 る 事 , 

去ぬ る 延文四 年、 大保原 合戦の 後、 少貳は 太宰府 へ 引 入.^、 菊 池 は 八 代 へ歸 りて、 雙 

方 少時 出合 はや。 然るに 同 五 年度 子 正月、 菊 地 肥 前守武 安と いふ 者、 筑後國 を經て 

菊 池 配 前 守 武安肥 前 歸に來 る 事 究 



* 肥戰謅 卷之三 さ 

肥 前 へ 攻め入. 9、 神 崎 仁 比 山城に 城郭 を 構へ、 是を 居城と し、 其 外 本 吿. 姉 川. 牟田 

田 江 .橫 大路 • 松 崎. 菩提寺 等の 城々 へ 人 數を入 置き、 己 は 軍兵 を 引 具して、 佐 嘉. 小 城. 

松 浦 へ 討ち入,.^て、 江上. 高木. 龍 造 寺 • 千 葉 介. 松浦黨 以下の 武家 方 共と 相 戦 ひ、 同一 一 

月に、 高木 肥 前 守 家 直が 春 日 甘南備 城を攻 め 落す。 玆に 因って 武安 退治の 爲め、 六月 

陣 合.^ 十九 日、 少 或の 代官 宗刑部 丞經茂 肥 前に 來.^ 、先 づ將 池が 一 族 同名 次 郞良武 が あ b 

つ る橫 大路 极 崎の 城に 向 ふの 處に、 菊 池 肥 前 又 次, 郞武 興、 仁 比 山の 城より 討って 出 

. で、 經 茂と 其 間 十四 五町 を 隔て 陣を 取る。 斯くて 經茂、 七月 七日、 佐 嘉. 小 城. 彼杵 

等の 味方へ 廻文 を 以て 人數を 催す に、 寵造寺 左 近將監 家經. 深 堀 高木 左 近 將監貞 房 

等の 武家 方 馳せ加 は. ^て、 菊 池と 合戦す。 經茂利 あらす して 太宰府へ 引歸 る。 又 六 

月廿 九日、 彼杵 一 揆中相 集ま. て、 菊 池 勢の 籠 hs たる 本 吿.牟 田. 松 崎の 兩城を 攻め 

菊 池武安 て 合戦し、 其 後 姉 川. 牟 田の 城 を 攻め、 日々 野 伏と 打戰 ふ。 斯くて 肥 前 守武安 は、 

^後に 歸 

陣 國の軍 を 先づ差 置き、 所々 の 要害に 良 武,武 興 以下の 一族 を殘 して、 肥後國 へ打歸 

b ぬ。 



新 征西將 軍の 宫 太宰府 御發 向の 事, 



島诗 Jlt ク 

氏 久菊池 



懷 S 親王 

太宰府へ 

御發向 



延文六 年 辛せ、 改元 ありて 康 安と 號す。 今年 八 代 の 新將 軍の 宮懷良 親王、 旣に御 年 

十六 歲。 故宮の 第三 年に 當. ぬ。 然るに 翁 池 一 族 集りて. U 君の 御 孝養に, 今年の 秋 

は 是非に 付きて 太宰府へ 押 寄せ、 少 の 者 共と 十 死 一 生の 合戰 すべ しと 談合す。 名 

和 .兒 島. 宇都 宮 ともに 尤と同 や。 武光 申しけ る は * さらば 先 づ薩州 島津の 一 族 半ば 

宫方 にて、 半ば は 武家に 從 ひし を 返 治し、 後 を 心 易く し 國を打 出つべし と、 四月 下旬 

薩 摩へ 討ち入り、 島 津上總 介 師久. 同 陸 奥 守氏久 と相戰 ふに、 島 律 兄^ 打 負けて 

池へ 降參 す。 武光、 案の 中に 薩州を 半 治し、 n: 州に 赴き $ ;柬 大和 守. 土 持 十郞. 宫崎 

掃 部 允に 參 曾し、 同名 肥 前 守 武安を 日 州へ 殘 置き、 薩摩 .^n 向 隅 を 押 へ て、 其 身 は 

急ぎ 肥 後へ 歸る。 » 同 七月 * 旬、 武光を 初め 兒島翁 後 入道 義淸. 名 和 伯耆守 判官 長 

生 兄弟 • 宇都 宮壹岐 守 • 河 上 • 伊東. 城 野 • 八 代. 城. 赤 下、 新 將軍宫 の 御供し、 少貳賴 

尙が 一 類 追討の 爲め 太宰府に 向 ふ。 肥 後. 薩 摩-日向. 大隅四 懷國の 兵 都合 三 萬餘騎 

新 征西將 軍の 宮太宰 府御资 向め 筝 ま 



少 貳賴尙 



北 肥戰誌 、卷さ 二 さ 

なり。 又 翁 池 右 衞門大 夬武滕 は、 軍兵 を 分け て 八 千 餘騎、 大友を 返 治 の 爲め豊 後へ 

發 向す。 斯くて 宫の御 勢. g 後 を 打 通り 太宰府に 攻め 近づく。 少贰 を是を がむ と、 

其 身 は宰府 にあ..^ て、 寶滿嶽 を 要害に 構へ、 天 拜嶽に 出城. を 構へ、 一 の 岩 門. 飯 盛 • 

細 學荒平 五箇 所の 城に 軍兵 を 籠め 置き、 太宰府の 援と 定めて 宫の御 勢 を待懸 くる。 

大友 刑部大 氏 時 も 太宰府に 來,.^、 少貳と 一 つになる。 斯くて 宫の 先陣 菊 池 武光. 名 

和 長生 進んで、 筑前國 長 鳥 山に 陣を 取る。 時に 少貳 次郞 賴國. 松浦黨 の 者 共、 飯 盛 • 細 

峯の 城よ,.^ 出で、 名 和 • 菊 池 を 防戦し ける が、 一 戰に打 負け、 本陣へ 引返き 油 山に 取 

登る。 八月 六日、 菊池續 いて 是を 追拂 ひ、 同 七日、 將 軍宫靑 柳に 御陣を 移さる。 菊 池. 

名 和. 宇都 宮. 城. 赤 星. 城 野. 八 代 を 以て" 大友刑 部 大失氏 時. 太 宰源孫 次 郞冬資 • 宗像 

大宮司 氏^ • 城 井 常 陸 介 • 山 鹿 筑前守 等と 合戦し、 不日に 追 落され、 同 八日、 氏 時 • 氏 

直. 冬資 以下が 牝 しる を 追うて、 同 國西鄕 へ御發 向。 特に 宗像 大宮司 は、 己が 萬 岳 城 

\ ilKv.fc^^ml / 帚 a し ナ,. :v。 或はい ふ、 此時菊 他、 宗 像が 城. ^攻め 落し 大 f 5? で. F ぶへ 年 

へ :^v^sh- チまは ,檨 へ 歸鼹 し; :::,^ 朝敵な リと 罪.^ 鳴し ズ首 細れけ ると も、 未た 詳 ならす。 

夫よ,^ 宫の御 勢、 蘆屋鬼 律に 到 小 野 御在陣 あ-り • 同 十六 日、 凶徒の 殘黨城 井 • 山 鹿 



敗少 
走贰 
賴 

尙 



御 退治の 爲め、 S 前 國親炬 郡へ 守護 代 を 差 向けら る • 此時肥 前 國彼杵 一 揆深堀 五郎 

左 衞門時 勝 等、 守護 代の 手に 相 風す。 同 十七 Ht 、將 軍宮、 畏鳥山 へ 御 陣を居 ゑら る。 時 

に 菊池武 光、 勢 を 分けて 城 越 前 守武顯 を大將 とし、 少貳の 本 城 太宰府 へ 差 向け、 赖尙 

たばか 

を 攻めさす。 彼の 越 前 守 は 智謀 深き 者に て、 博 多, の津に 出家し 居け る を、 方 使 6 賺 

し、 財 寶を與 へて 謀の 旨 をい ふ 合め、 太宰府の 城 中へ 入れ、 樣々 の惡說 をい はする 

程に、 少貳の 家人 等、 互に 心 を 置き あ ひ 一 和せ や。 越 前 守、 忍 を 以て 其 様子 を 窺 ひ 

知ち、 宰府の 民家 へ 火 を 掛けた り。 少貳が 城 中 犬に 騒ぎ、 我れ 先にと 落ち 失せ ぬ。 

前 守 押 奇せ是 を 攻めけ るに、 不日に 落 去して、 太 宰少貳 輔賴尙 、城 を 去って 寶滿嶽 へ 

取 登り、 後に は豊 後へ 落 行き、 大 友と 一 所に 居け. C ノ。 此時賴 尙が舍 弟 武藤孫 三郞赖 

賢 は、 肥 後國の 住人 诚野九 郞に討 たれ, 同名 越 前 守賴充 は、 城が 家人に 首 を 授けけ, 9。 

是等を 初めて 少貳が 侍 六十 餘人. 雑兵 六 百餘人 討死す。 新くて 菊 池 は 城 越 前 守が 計 

略に て、 容易く 少« が 太宰府の 城 を 攻め 落し。 天 拜嶽. 飯 盛 等の 殘黨を も 返 治して、 

博 多. 馬 飼 を 過ぎて 姪の 鑌に陣 を 取 、武家 方の 殘黨を 誅伐す るに、 少貳 一 家 山 鹿. 麻 

新 征西將 軍の 宮太宰 府御發 向の 事 さ 一 



九州 大半 

靜 fill*- 



斯 波氏經 

九州 探祖 

Li 任. ゼら 

る 



北 肥 戦 SI 卷之三 七 3 

生. 原 田. 秋 月. 松 浦黨、 或は 深山へ 逃 隱れ、 或は 海岸に 身 を 寄せて、 面 を 出す 者 もな 

く、 筑前 一 國旣に 平均す。 豊 前へ 差 向けられし 御 勢 も、 城 井. 長 野 等 を 打從へ • 親炬. 

田 河兩郡 静謐す。 又豊後 へ 向 ひし 菊 池 右 衞門大 夫武勝 も、 府內 へ 討ち入 りしに、 大 

友 は 其 頃 太宰府 へ 出陣し ければ、 其 留主を 征伐して、 豊前國 へ ffi 通..^ 所々 を切從 へ、 

太宰府に 來 b て宮 の御陣 へ 參る。 此時武勝が軍功莫大な.=^とて、 豐前 守に なさる。 

斯くて 九州 大半 静謐す。 征西 將軍宮 は、 其 儘 太宰府に 御座 を 居 ゑら れぬ。 今年 も已 

に 暮れて、 翌 くれば 貞 治と 改元す。 

探題 氏經 下向 附 長者 原 軍の 事 

少貳 夫 友、 度々 菊 池に 打 負けて、 宫方鎭 西に 蔓る 由、 京都へ 開え. 將 軍義詮 公より 

足利修 IS 大夫 高經の 次男 期 波 左 京大 夫氏經 を、 九州の 採 題に なして 差 下さる。 良 

治 元年 壬 寅 九月、 豊後國 鶴 崎の 津に著 船 あり。 折節 翁 池 は、 此頃 少貳賴 尙が豐 後へ 

落 去 つ て、 大 友と 一 所に 居た る を 退治す ベ しと、 豊 州に 討ち 人.^、 萬 毒 寺に 陣 して あ 



.1|§ ける が、 探題の 下向 を閡 き、 太宰府の 宮の 御座所 心許なし とて、 探題 未だ 著^な 

き 前、 九月 十四日、 ず;: 壽 寺の 陣を拂 うて 筑 前へ 赴きぬ U 斯くて 氏經、 鶴 崎に 著 船の 

由、 少貳. 大友閡 付けて 大に悅 び、 急ぎ 出向 ひて 面 謁しけ b -。 兩人 ともに 其 頃 入道し 

て、 少貳は 梅 溪と號 し, 大友は 天祐と 稱す。 氏經 下向の 勢に 乘じ、 宮 方の 城 を 攻め 

落す 事 六 箇所な, o。 &氏經 、軍兵 を 率し 宮の 御所 太宰 所へ 押 寄せら る。 少或 入道 梅 

溪. 同 子息 源 孫次郞 冬資. 大友孫 太 郞氏經 以下 探題に 相 属し. 山 鹿. 麻 生. 松 J^ir^K 像 

大宮司、 愛 かしこよ b 馳 集まりて、 其 勢 都合 一 萬八千餘騎、筑前國へ討ち入.,^て、大 

日嶽人 r 出 丄原. 三 井野 等の 所々 に陣を 取る。 大友 入道 天祐 も、 探題の 子息 松 王 丸 を 

介錯し、 次男 式部 大輔親 世 .戸 次 右京 進賴達 等、 其 勢 三千 餘騎 にて 筑後國 まで 出張 

し、 敵の 通路 を 相 遮る。 斯くて 菊 池 は、 探題 以下 大勢 攻め 來る由 を 開き、 さらば 中途 

に 出向 ひて 戰ふ べしと、 宫の 御供 申して 太宰府 を 打 出づ。 供奉の 雲 客に は 竹林 院 

中納 言. 中院 中將、 武家に は 田 中彈正 少弼. 岩 极相模 守. 宇都 宮三河 守 • 名 和伯耆 判官 • 

兒島備 後 入 通. 原 田. 秋 月. 千 葉. 大村 • 高木 • 後藤. 有; ッ 安富、 其 外 近 國の宮 方 相 猪 ま. 

探 蹑氏經 下向 付 長者 原 軍の 事 七 li 



.良者 原 合 



氏經 敗軍 



北 肥戰誌 卷之三 ま 

て 都合 六萬餘 驗 な.^。 菊 池 は 先陣に て、 同名 豊前 守. 城 越 前 守 以下 松 浦の 波 多. 福 井 

合せて 二 千 餘騎、 九月 廿ー 日、5似^^2^5。日、長者原に陣を取る。 探題 左 京大 夫 

氏經 も、 太宰源 孫次郞 冬資. 宗 像大官 司. 松 浦 黨の者 共 を 先陣と して、 長者 原へ 討ち 

出で たり。 中に も 冬資. 氏 直. 极浦黨 等 進んで 一 戰 を相始 む.。 菊 池が 前 齪豊前 守武勝 • 

秋 月 • 原 田 • 波 多. 福 井. 鹿 子 木 討 負けて 引返く。 二 陣の肥 後守武 光大に 腹 を 立て、 い 

ひ 甲斐な き 先陣 かな。 いで さらば 某 代らむ と、 城 越 前 守. 八 代 左 衞門佐 を 左右と し、 

其 勢 二 千 五 百 餘騎、 一度に 切懸 b- 入亂れ て相戰 ふ。 肥 前 國高來 一揆、 武 光に 屬 して 

戦功 を抽ん で, 安富 民 部 大輔泰 重 分捕す。 採 題の 方に は、 舍弟尾 張 六 郞氏重 を め、 

籐田 六郞. 長 野 掃 部 允. 新開 荒 五郎. 山 鹿. 麻 生. 松 浦黨. 少貳の 一 族、 命 を 際に 戰 ひしが、 

武藤 對馬與 次郞資 俊. 同對馬 孫 次郞. 同筑 後次郞 以下 二百 餘人討 たれて 、合戦 終に 利 

を 失 ひ、 探題 氏經. 大友. 少貳立 足 もな く 敗軍して、 豊後國 へ 引返く。 筑 後に 陣 した 

る秘王 丸. 大 友人 道 も 同陣を 引きけ り。 斯くて 菊 池 は、 軍に 討ち 勝ちて 大日 嶽に陣 

、 

を 取 b 、宫の 仰 を 承りて、 九 國-ニ 島の 兵 を 召し、 豊 後へ 發 向して、 探題 幷に大 友. 少 



探題 氏經 

^敗走 



貳を 誅伐せ むと 議す。 期 かる 處に、 上 松 浦の 敵 蜂起す る 由、 在 國司筑 前 守が 方よ. C 

觸廻 すに 依りて, 肥 前 國宮方 共、 同月 廿五 a、 國 司の あ つる 上 松 浦 福 井へ 駆 向 ひ 

合力す るの 處、 彼の 逆徒 返 散の 由 風聞し ければ、 皆 菊 池が 陣 へ 相 集まる。 然るに 又 

极 浦の 者 共 蜂起して、 鏡濱 崎へ 打 寄す る 由 相 聞 ゆるに 依.. > て、 十月 五日、 諸 勢 重ね 

て 福 井へ 發 向し, 在國 IFi 同心せ しめ、 一 貴 寺 高 嶽に相 戰ひ敵 を追拂 ふ。 其 後、 太宰 

孫次郞 冬資. 宗像 大宮司 rrT の殘黨 討ち 出づ るに 依, て、 十 一 月 三 m 、翁 池 自ら 香椎. 

大隈 へ馳向 ひ、 同廿ー nn 筵 • ;;^ へ發 向して、 逆徒 を 悉く 追拂 ひぬ。 斯くて 菊 池 は筑前 

の 敵 を 討ち 治めて、 探題 返 治と して 同月 サ 四日、 五 萬 五 千 餘騎を 率し、 筑前^ を 立つ 

て、 上筑 後生 葉 を 過ぎ 豐後 へ 討ち入,..^、 先づ %珠 城に 入 b て、 同名 豐前 守. 城 越 前 守. 

赤 星 遠 江 守。 八 代 左 衞門佐 を 麻 內へ差 向く。 叉 肥 後に あ b つる 一族 菊 池對. 梅 入 道義 

順 も、 武 光に 力 を 合せむ と、 島津. 伊 f 左 森. 大嶽. 山形 • 牛 囊土持 以下 一 萬 三千 人 を 相 

催し • 日 州 梓 越 を 犀て、 是も豐 後へ 亂 入す。 斯か. 9 し 程に、 探題 氏 經.大 友. 少戒、 一 

戰 にも 及ば. や 府內を 落ちて、 探題と 大友 父子 は 高 崎の 城に 取 籠 、少貳 入道 は 松 岡 

探 通^^ 下 S せ&. i?^ 軍の 事 



北 肥 戦 誌 卷之三 七へ 

の 城 へ 入, り、 其 餘の者 共 は 悉く Q 许の 城. へ 北げ 籠.^ け,. 菊 池、 此の 三つ の 城を攻 

めて、 今年 は 发に歲 を 越えぬ。 

探題 氏經沒 落の 事 

翌くる貞治ニ年癸卯春に至..^、菊池が軍兵4_っ高崎.松岡.曰称三っの城を攻めて、日 

夜. W 戰ふ。 然れ ども 皆堅诚 にて 容易く 攻め 落すべき 樣も なし。 斯 かる 處に菊 池が 

嫡男 左 京亮武 政、 計略 を 以て 少貳 入道が 籠 b. し 极 岡の 城 を 一 番に 攻め 潰し、 首 を 斬 

る 事 若干な. り。 少武 入道 梅溪 は、 城 を 去って 土 佐 國へ押 渡る。 斯か.^し程に、同五 

月に 菊 池豊前 守. 赤 星. 城. 八 代 以下、 高 崎の 城 を 攻め 落す。 時に 探題 氏經 は、 城 を 去 

つて 四國へ 落ちられ、 大友入道は生捕とな..^、 其 子 氏經は 探題と 同じく 四 國 へ 渡.:^ 

ぬ。 然るに 菊 池 は大友 入道 天祐 を 捕へ て、 年來の 朝敵な.^。 不便ながら 首 を 刎ぬ ベ 

しとて、 則ち 誅伐し け, 9。 斯くて 同 六月、 島 律. 伊東 以下の 輩、 臼 杵の城 を も 攻め 落 

して、 城兵 廿四 人が 首 を 斬る" 斯くて 三つの 城、 皆 落城に 及び、 大友. 少貳 或は 珠せ 



義滿將 軍 

に 任す 



征西將 軍 

宮 海上 御 



られ、 或は 落 失す。 題 斯波左 京大 夫 氏經、 ^ む 方な くな. = ^^て、 • 其 儘に て歸洛 

せむ も、 流石 面目なし と四國 にて 遁世し、 剃髮黑 衣の 身と なりて、 行方 知れ やなり 

にけ, o。 菊 池 は頓て 太宰府に 馬を歸 しぬ。 是ょ 鎮西十 一 州、 悉く 宮方 に屬 し、 武 

家 方の 輩 は 息をつく 者 もな し。 

征西 將軍宫 海上 軍の 事 . 

貞治六 年 丁 未 十二月 七日、 京都の 將軍義 詮公薨 逝せられ、 御子 息 春 王 丸 殿、 今年 十 

歲 にて 征夷 將 軍の 宣旨を 蒙らせ 給 ひ、 義 滿と號 せらる。 斯様の a に應 じ、 翌 くる 應 

安元 年 戊. S. 正月、 太宰府の 征西將 軍宫、 上方の 朝敵 御 退治の 爲め、 九州の 取 兵 七 一 € 餘 

騎を召 具せられ、 太宰府 を進發 せられ 御 上洛 まします。 菊 池. 島津. 伊東. 原 田. 秋 月 • 

星 野 • 草 野 • 松浦黨 千 葉. 大村 以下 御供す。 中に も 菊 池 肥 後 守 は、 豊後を 打 通り 一 族 を 

殘 S き、 大 友の 一 家 を 押 へて、 鶴 崎 の^よ. 9 纜を 解き、 宫の 御船 を 押出す。 大 友が 長 

男 利根 孫 太 郞氏經 是を聞 付け、 姬島 • 荒 島に 兵船 を 浮べ、 菊 池が 船 を 待 請けて 散々 



るに 九 今 
任 州 川 
ビ探了 

ら題後 



^§0 卷之三 八〕 

に 射る。 武光是 を 物と もせす 長府 へ 押 通. 9、 厚東 駿河 守に 會し 談合して、 海上 を 心 

易く 乘ら むと志し ける に, 大內介 義弘が 家の 子 陶越前 守、 兵船 五 百 餘艘を 以て 逢 島 

に 待 懸け、 菊 池が 船に 取 憑る。 菊 池. 島 津. 伊東. 松 浦、 是を 防いで 戰ひ しか ども、 越 前 

守が 軍兵 共、 船 軍に 得た る 者 共 なれば、 宫方 終に 打 負けて、 兵船 數十艘 目の前に 乘 

沈め、 軍兵 多く 滑 中 ii 沒 しぬ。 斯か, し 程に、 宮の 御上 洛桌叶 はす、 豐前國 へ 引返さ 

る。 然. i 處に 大內介 義弘、 大軍 にて 攻來る 由 聞え しかば、 负軍を 仕つ る * 方の 勝負、 

よも 墓々 しから じと • 翁 池 下知 を 加 へ、 宫、 太宰府 へ 引返さる。 其 後 は大友 兄弟、 豊 

後に 旗 を 揚げ、 少貳 入道、 四國 よ.^ 肥 後 國へ歸 り 入, 9 て、 武家 方 又蔓. 9 け, " 

探題 今 川 入道 了 俊 下向の 事 

應 安四 年 辛亥の 冬、 新將 軍義滿 公よ,.. Z 今 川 伊豫 守^ 世 入道 了 俊 を 九州の 採 題に な 

して 差 下さる。 十 一 月 初旬、 京 を 出で 赤 間 ケ關へ 著 船 あ,. -。 然るに 頃日、 宫 方の 武士、 

豊. 筑の靠 々浦々 を 知: S して、 武家 方の 者 を 陸に 揚げ や、 一 向 往來を 差 塞ぎし に 依 



探題 今 川 

了 後 下向 



少^ 賴尙 

死 ま 



て、 了 俊 は 船 を 廻し 、十一月 十九 《:、 极浦の津に著船ぁ,.^. 下 松 浦 丹 t 、樓. ザ 勝. 卒 

肥 前 守 1^ 急ぎ 了 俊を迎 へ 請す。 同廿 二日、 伊一 里 中務大 輔貞. 山 代 遠 江 守榮. 高 太: 肥 

前 守 家 多久 上野 守 宗國. 馬 渡 美 濃 守經俊 • 後藤 治 部 少輔資 明 • 龍 造 寺 若 狹守家 治 • 

深 堀 掃 部 助時廣 女 富 下 總權守 直 安. 綾部 新 次郞. 江上 四郞. 於 保 彌五郞 を 始め、 近^ 

遠 境 をい はす、 肥 前國の 御家人 等、 或は 呼子の 漆 へ 集り、 或は 金屋. 相 知 • 小 侍女 山 

へ 打 群 b 、了 俊の 下知 を 承る。 時に 太 宰孫次 郎冬資 來..^ て、 了 俊 入道に 參會 す。 了 

俊、 則ち 冬資 と共に 西 肥 前の 輩 を 相 催し、 十二月 十五 日、 松 浦よ b 杵 島へ 打 入. 白 

米 嶽に陣 し、 同廿 一 日 椿 村 へ 移られ 、同せ 七日 後藤 兵 庫 允 光明が 5^ 崎の 庄武 雄. 牟 

井の 兩城を 攻めて 合戰 し、 失よ.. > 柏 嶽へ陣 を 移し、 了 俊 猶杵島 郡に 在陣 して、 冬資 

と議 し、 宫 方の 輩 を 追 罰せむ とせられし 處に、 冬資の 父賴尙 入道 梅禹 今月 廿 四日 

行年 七十 八に て 死去せ しに 依りて、 冬資、 其經 營に滯 、年 內は軍 を 止めけ り • 



北 肥 戰誌卷 之 三 終 

探 题今川 入道 了 後 下向の 事 



<1 



北^ 戦 誌 卷之四 I . 

探題 了 俊 入道 所々 軍の 事 

已に應 安四 年の 冬、 新 採 題 今 川 了 俊 下向 あ h^。 翌 くれば 同 五 年 壬 子 二月 十三 日、 了 

俊 入道、 先 づ肥前 國の宮 方 返 治の 爲 め、: 6: 島 郡 烏帽子 嶽に陣 を 取らる" 時に 近隣の 

敵、 了 俊の 陣へ押 寄せ 相戰 ふ。 了 俊、 是を追 拂ひ長 島の 庄へ發 向 あ. 9。 夫よ b 柏嶽高 

宮佐 野に 到りて 合戰 し、 蜷 打に 於て 防戰 あり。 此時、 彼杵 一揆の 中に、 深 堀 掃 部 助 

時廣舉 功を抽 んづ。 同 四月、 了 俊、 府中に 來陣 あ. 9。 少貳の 一族 太 宰右衞 門 佐賴泰 

に參會 し、 同月 廿 六日、 了 俊 舍弟中 金右衞 門 佐 仲秋と 同じく 府中 を 立って、 神 崎 郡 

橫 大路. 本吿. 松 崎へ 發 向し、 菊 池 肥 前守武 安と 合戰 ある も、 勝負 兩陣 にあり て 決し 

難く、 了 &f は 緩 部に 陣を 取, 賴泰は 西 島に 屯す。 斯くて 了 俊、 同 五月、 筑後國 へ 出 



探 疆了後 

陷る 



張し、 先 づ右衞 s: 佐 仲秋 を豐 後へ 差遣し、 大 友と 5; 合せ、 ^ 一 族 山 名 兵部少 輔を以 

て、 筑 後の 御家人 を 相 催し、 栴林 本鄕に 於て 宫 方と 相戰 ふ。 山 名、 軍に 利 を 得、 七月 

十日に、 同國酒 見に 城 を 構へ て 人 數を差 籠む。 斯 かる 處に 八月 四::!、 i ,池 肥 前 守 押 

寄せて、 日々 夜々 山 名と 合戰 す。 時に 了 俊 軍兵 を 以て、 菊 池が 後 を 離ち しかば、 武 

安、 利 を 失ひ筑 前の 方へ 引返く。 この 時、 深 堀の 一族 若黨、 多く 山 名が 手に 属して 

疵を 蒙る。 斯くて 了 俊、 所々 の 軍に 打 勝ち、 其 利に 乘.^ て 筑前國 へ 討 入,^, t ね 方の 

籠bし有智山の城を攻め落し、太宰府へ攻め入.r^相戰ふに、宰府不:::に落去す。 ふズ 

よ り 了 俊 は、 大 友に 對 面の 爲 め、 少時 豐 後に 赴き、 太 宰右衞 門 佐 倾泰は • 肥 前の 府中 

にぁ,.^て、彼の國の.g方を相«し、彼称•高來の宮方を攻めむとす。 

應安六 年 癸 a 三日、 初、 探題 今 川 入道 了 俊. 太 宰右衞 門 佐 赖泰、 彼杵 郡へ 發 向し、 伊 

佐 早 • 宇 木の 雨 城 を 攻めけ. るに、 城主 伊佐 n: 十 右近 五郎 .西 鄕 藤三郞 やがて 降 逢す。 了 

俊.賴泰、其後高來へ打越ぇ、七:::;七リ、神代:}<隈を攻め、九月六:::、千々1:}-に到.^溶 

手に 於て, 宫 方の 輩と 打戰 ひ、 一戦に 利 を 得 柏 崎に 陣す • . 

探 超 了 俊 入? 11^ 々が, の 寧 、 & 



北肥戰 卷之四 a 

應 安七 年 甲 寅の 春、 新將軍 源義滿 公, 九州の 御 敵 御 退治 あるべし と、 旣に 三月せ 二 

日、 洛 室町の 御所 を進發 せらる。 國々 の 大名 八十 餘人、 東 は 伊豆、 北 は 越後 を 限 

て、五畿七道の軍兵都合拾萬餘騎な,.^。 此事、 先達て 聞え しかば、 菊 池 肥 後 守武政 

Ms™ 城 狩^ 以下の 宮方 共、 其路々 へ 出向 ひて 是を 防がむ とす。 先づ 將軍宮 は、 自ら 

肥. 筑の 武士 を 召 具せられ、 豊前國まで御出陣ぁ,c^。 菊 池 肥 後 守 は、 四 萬餘騎 にて 

宫の 御先に 進み、 長 6: 國へ打 越え、 京 勢 を 待 懸け 陣を 取る。 同名 豐前 守武勝 は、 薩 

摩 .日 向. 豊 後. 大 隅の 兵 を 引いて 高 崎に 陣を 張り、 四 國の細 川が 船よ, 9 上る を 待つ。 

同名 肥 前 守 武安. 城 • 赤 星. 八 代 は、 筑 後の 國下蒲 池に 在陣 して • 探題 以下 武家 方の 地 

W 脫〕 兵 を 押 へて 居た, o。 斯くて 京 勢の 先陣 山 名 • 赤极其 勢 四 萬 餘騎、 山陽 道 を歷て 

攻め 來る。 仍.. M し 菊 池 肥 後 守. 厚東 騣河 守. 宇都 宮. 山 鹿. 麻 生. 原 田. 秋 月、 四月 廿 六日 

關ヌに 相 支へ、 山 名. 赤松が 四 萬餘騎 と相戰 ふに、 京 勢 打 負けて 防 州へ 引退く。 宫 方の 

軍、 手 合の 一 戰に利 を 得て 悅 びけ るに、 豊後國 高 崎へ 向 ひし 者 共, 島津. 伊東 俄に 敵と 

な,^ し 程に、 菊 池豊前 守、 府內の 合 戰に細 川 左 近 將監詮 春が 爲め 忽ち 討 たれ、 此 口よ 



宮方 敗軍 

古 5 良 山 LL 

、退却 



滿宰府 

に 入る 



b 破れて、 敵、 宫 の御留 主に 入り 亂れ、 所々 に 火 を 懸け 亂妨 しければ, 筑 後に 在陣せ 

rtH 力〕 

し 菊 池 肥 前 守 以下、 太宰府へ 馳せ來 b て, W 戰 ふと 雖も、 細 川 • 島津. 伊東が 軍兵 、雲霞 

如くに て、 萌池肥 前な. 城. 赤 星 打 負けて 引返き、 宮の豐 前の 御陣へ 急を吿 ぐ。 翁 池 

武政、 此事を 聞き、 さらば 先づ 太宰府 へ 歸り て、 細 川が 勢 を追拂 はむ と 評定し、 宮の 

御供 申して * 五月 二日に 筑 前へ 引返し、 宗 像の 要害に 循籠, 9 け.^。 斯 かる 處に、 當 

國の * 方 山 鹿. 原 田. 秋 月 も、 武家. R に 心を變 じ、 却って 宫の 御座所 を 相 謀.^、 少^^ 一 

家も國 中に 充ち くて、 初 終の 御合戰 難儀に 相 見えし かば、 菊 池 を-初め、 城. 赤星以 

下、 宫の 御供 申し, 宗 像の 城 を 出で 筑後國 へ 返き、 高良山に取登..^、耍害を構 へ て 御 

座所と す。 斯 か.^ し 程に、 京 勢 段々 競來 b 、將軍 * 太宰府へ 入 替らる • 斯くて 細 川 

左 近 將監. 大友. 島津. 伊東の 輩、 筑後 へ 陣を 進め、 山 名. 赤松. 大內介 も、 同 國大保 原に 

陣し て、 六月 初よ. 十月 に 至り 宮 方と 相戰 ふ。 其 頃 探題 今 川 了 俊 は、 肥 前國. の 敵 を 

押へ て高來 郡に 在陣 し、 舍弟 仲秋 は 綾部の 城に あり。 然るに 了 俊、 彼杵 郡の 一 揆返 

治の 爲め、 今年 三月 廿 九日、 彼 所へ 打 越え、 先づ宇 木の 城 を 攻め、 野 伏と 螯夜 防戦し, 

探 SS 了 俊 入道 所々 軍の 事 fe 



に 平 卞宫 

歸し勢 方 
る 肥と 敗 

後 れ 



北 肥 S ^之 四 

四月 廿八: n、 宮 浦に 陣を 移し、 七月 廿 三日、 又 伊佐 早へ 赴き、 同廿五 H、 永 野の 城 を 

〔在 力〕 

攻め落して^家を放火し、船越城に入,.^、同廿八日、 重ねて 宇 木の 城 を 攻め、::;々 相 

戰ひ、 八月 二日に は 高 來の陣 を 返さる。 然る 處に 有. ill. 深 堀 • 多 比 良, 深 一^、 其 外の 宮 

〔相 力〕 

方 共、 同月 廿 五日、 有 家に 出向 ひて 了 俊 戰 ふに、 了 俊の 軍、 利 を 得て 一 揆等皆 降 

參し、 高來 郡靜謐 す。 斯か b し 間、 了 俊、 又 伊佐 早へ 赴かれ、 彼 称 郡 を 大半 討ち 治め、 

柬肥 前へ 赴き、 千年 川 を 境 ひて 宮 方と 對陣 し、 同 十一月 十二 日、 川 を 厥 渡し 筑後^ 

へ 討ち入ち、 石垣. 麥生 .黑 木. 藤 山 等 所々 に 於て、 宮の御 勢と 合戦す。 斯くて 菊 池 は、 

今年の 冬に 至 b 宮を 守護して、 高 良 山の 上 宮に陣 を 構へ、 京勞 と相戰 ひしに, 早 兵 

糧も諧 き 援兵 もなか. 9 しかば、 宮 へ も 御 自害 を勸 め、 其 身 も 腹 を 切らむ とせし 處に、 

將 軍よ,.^ 和 翁の 御 使 あ,..^" 高 良 山の Si を 解かれし 故、 何れも 自害 を 止め、 武 政が 子 

秘王 九が 十三に な.^ し を、 將 軍の 御陣へ 進ら せ、 和 早の 御禮を 遂げ、 菊 池 以下^ 輩、 

宮の 御供 申して 肥後國 へ 歸.^ 、 星霜 11 十餘 年に して 九州 一 統す。 新くて 將軍 御歸洛 

に 及び、 鎮 西の 武士に 恩賞の 地 を 給 はる。 先 づ大友 孫 太 郞氏繼 に、 本領 豊後 一 國の 



ゥ. a 方將軍 

方祁平 

九州 一統 



義 1 勳^ 上に筑後の內を加へ給は,..^、 少贰冬 資に筑 後 *肥^ 兩國 の內を 下され、 島 律 陸奧守 

の士! J-a^ 

賞.^ 授く 氏 久に薩 摩. 大隅を 宛 行 はれ、 伊東 大和 守祐 に m 向 國を給 はり、 大內 介義弘 に、 本 

領の上 豐前國 の 守護 職 を 下され、 探題 伊豫 入道 了 俊 舍弟中 金 右 衞門佐 仲秋に、 肥 前 

國 佐嘉. 杵 島. 高來三 郡の 內を給 は b、 千 葉 介 亂 泰に小 诚郡を 宛 行 はれ、 其 外の 御 家 

義 滿歸洛 人 共、 皆 恩賞 を 給 は., > て 、將軍 は 程なく 御歸洛 まし くけ b。 

, 太 宰少贰 冬 資宫方 とる る 事 

太宰 孫次郞 冬資、 大に 立腹して 申しけ る は、 我等が 先祖 資頼、 九州 下向の 後、 代々, 鎮 

西の大職にぁ.^。 去る 建 武の亂 に は、 等持院 殿の 御爲、 祖父 妙惠 入道 を 初め 親族 被 

官等、 悉く 有智 山の 城に 於て ! 命を蹙 め、 其 後 四十 年に 及び、 將泵 家に 對し、 忠功 

他に 抽ん で畢ん ぬ。 義滿 公、 其 忠虞を 思 召さ るれば、 新 恩の 地 を こそ 給 はら ざら 

め。 本領の 內肥 前國を 削..^ 取られ、 豐前國 の 守護 職 を も 召 放さる。. 十目の 視る所 

口惜しき 次第な. o。 所詮 宮 方に 飜 つて 將 軍に 思 知らせ 中すべし と、 肥 後 國へ使 を 

大 宰少甙 冬資宮 方と なる 事 八卞 



由來 



北 肥戰誌 卷之 四 へ 八 

立て、 菊 池が 許へ 所存の 程 をい ひ 送 b しかば、 武政領 掌し、 頓て宫 の 令 3 曰 を 冬資に 

ぞ申賜 はりけ る。 斯くて 冬資、 筑後國 に 旗 を 揚げ、 宫 方の 者 共と 一 * 同心して、 探 

題 今 川 幷に大 內介を 追 罰せむ と 相 謀. 5 し 程に、 九州 復騷 動す。 翌 くれば 應 安八 年 

に、永和と改元ぁ..^。 

少贰家 由来の 事 

抑! 彼の 武藤 少貳と 申す は、 天 a 屋根 命の 御 苗裔 大織 冠の 御子 孫 御堂 關白道 長 公の 

御 末な, 9。 道 長の 三男 を 御子 大納言 長家と 申す。 此 人の 次男に、 左 中將兼 見張 守 長 

賴と いふ 入 あり。 後朱雀 院に 仕へ、 武州戶 嫁鄕は 相傳の 知行に て、 彼 所へ 下り 居 

住 あ, けり。 時に 武 州の 藤 原 氏と て、 始めて 武 藤と 稱し、 武 籐中將 とぞ名 乘られ 

ける。 其息賴 氏、 往昔 厳 }^ 年中に、 八幡 太郞義 家、 陸奧 凶徒 誅伐の 爲め發 向 あ りし 

時、 像 伏に て屬從 ひ"、 寄 懸の紋 の 旗 を 給 は, C/ 數 度の 軍功 あ ,9。 夫よ, 後、 源氏の 家 

人と成^^ぬ。 然るに 保 元 * 治兩 度の 亂に、 源氏 c び 16. 家の 世と な.^ て、 平 中納言 



知 盛 卿武藏 の國の 補任た りし 時、 彼の 武籐 慊仗賴 氏に 三代の 孫 藤 原 s 兼. 知 盛 を 

に 取 其 女の 腹に 武藏守 知 章 を 儲く。 此 等の 所緣 にて 賴 兼が 子供 監物 太郞賴 方、 

在京して 知 盛に 仕へ、 其 弟 大藏大 輔頼卒 は 武藏國 にあ b て 代官たり。 斯 かる 處に. 

壽 永の 逆 亂出來 り、 1^ 家 悉く 洛を 去って 西 海に 漂 ひし 時、 盛 物 太 郞は元 暦 元年 二月、 

播州 明 石 浦に て 武藏守 知 章と 一 所に 討死す。 賴 平の 子 武藤小 次資賴 は、 一 の 谷に 

籠. ^ し處 に、 捤原 16- 三景 時が 申す に 依りて、 源 家の 御陣へ 1 初めて 來, 9 降參 す。 然る 

間九郞 判官 義經、 是を 赦免せられ、 則ち 景 時に 召 預けられけ 梶原、 縑 倉へ 歸陣 

後、 彼の 資赖が 器量 を 見、 囚人ながら 壻に 取.:.^、 時々 顆朝公 へ 歡き訴 へし かば、 彼等 

が 先祖の 忠功を 以て、 竟に卒 家 從屬の 科 を 御免 あり。 然るに 程なく 文治 三年 丁 未、 

奥州の 合 戰出來 しに、 資賴 先祖 頼武が 先例 を 以て、 陸 奥の 御供 を 御免 許 あ.^。 御 

馬 鎧 を 給 は b て- キ 泉へ 御供し、 累代 相 傅の 寄 懸の旗 を 靡し 戰功 を抽ん で、 賊徒の 大 

將錦戶 太 郎國衡 を 討ち、 其 首 を 取って 見参に 入る。 時に 歳廿 八な b。 此賞 として 陸 

奧大 泉庄を 下し 給 は, ^ぬ。 其 後 建 久ニ年 辛亥、 岩 門の 少鄕 原田大 夫. 大藏 直が 闘 

少\^^家由來の事 八 九 



の 1 族 



北 肥 戦 誌 卷之四 さ 

所 三千 七 百 町 を 給 は,. -、 鎭 西の S 代と して 太宰府へ 下向し、 祿兀年 乙 酉、 宇佐 八 

幡の 遷宮に 大宰 少貳に 任じけ り。 是ょ. 以來、 武藤少 貳の家 始まりて、 九州に は 肩 

を雙 ぶる 者 もな く、 子孫 次第に 繁榮 し、 朝日 • 寧 雲. 平 井. 馬場 • 山 井. 志賀. 大 塚. 加 茂. 

吉 田と 名字 を 分る。 一 門 各! 肥. 筑の 間に はびこって 大勢の 者な b しかば、 今冬 資が 

宫方 にな b し を、 大內介 も 今 川 も、 興醒めて ぞ思 ひしと なり。 今年 永 和 元年 乙 卯。 

冬資 討死 今 川 兄弟 所 々軍の 事 

太宰少 貳冬資 は、 將軍 家へ 恨 を 合み、 懷良 親王の 令旨 を申给 は, て、 旣に宮 方と な 

り, 筑後國 へ W つて 出で、 昧 方の 輩 を 相 催し、 舍弟 越後 守賴澄 を、 星 野 六郞實 善が 居 

城 生 葉の 妙 見 城に 差 籠め 置き、 其 身 は 肥 後 國へ打 越え 水 島の 城に 循 籠る。 兹に 因,:, 

て、 探題 今 川 入道、 六月 下旬 肥 前 を 出で、 肥 後 國へ發 向し、 目 野 曰 岡に 陣を 取. o、 七 

月 二日 水 島へ 討ち入りて 冬 資が城 を 攻め、 又豐 後の 大 友に 下知し、 妙 見の 城 を 攻め 

さす。 冬資 、合戦に 利 を 失 ひ 籠城 叶 ひ 難 か b しかば、 八月 廿六 、生年 三十 九に て 



少貳 冬實 

ITS 歹 



有 智山会 



党に 腹切って 死す。 斯くて 今 川 入道 は、 水 島 を 攻め 落し、 十一 一月 初、 筑後 へ 立歸. cs、 

大犮孫 太郞士 一原. 原 田. 秋 月 • 麻 生 以下と 勢 を 合せ、 貳ぬ 餘騎を 以て 妙 見 城 を;!: 夜攻 

めけ るに、 城中堪 へ すして、 太宰 越後 守 は 城 を 落ち、 ,H 宰府の 方 へ 越し、 城主虽 野 は 

逐電し死生知れすにな^^^にけ..^。 斯 か.^ しかば 了 俊 は、 頓て肥 前へ 歸陣 す。 

今年、 肥後國 阿蘇 上宫 より 俄に 洪水 涌 出で、 本堂 忽ち 押 流され、 山上 山 下 壊 崩れて 

大河と なる。 稀代の 珍事な 

永 和 一 一 年 丙 辰、 太宰 越後 守賴 澄、 有智山 の 城に 循 籠る 間、 是を攻 む べき 爲め、 大內介 

義弘、 中國 よ, 9 渡海し、 大友 式部 大輔親 世、 豐後ょ.^來り大勢を以て、 有智 山の 城 を 

取圍 む。 中に も 麻 生筑前 守. 宗像 左衞門 尉. 原 田 • 秋 月の 一 族、 進んで 有智 山の 大城 

UI を 打破る。 少貳の 家人 等 防ぎ 戰 ふと 雖も、 大勢の 寄 手に 叶 はすして、 七 百 餘人討 

し v< らく 

死しけh^。 斯か, 9 しかば 頼 澄 籠城な, 難く、 密に城 中 を 落 去. ぬ。 少時 前 肥に E 

れぁ bi ぞ閒 えし。 

同年の 春、 今 川 了 俊 入道、 ^!:島郡 へ 討ち入.^、 二月 廿 五日 塚 崎に 在陣 し、 後藤と 相戰 

冬資 討死 井 今 川 兄弟 所々 軍の 事 九 一 



探 €j 俊 

所々 の 敵 

城 攻落 

す 



北 肥 戦 卷之四 S 

ひ、 夫よ b 長 島へ 陣を 移して、 漉 江 公治が 潮 見の 城 を 攻め 落し、 稻 佐に 到. 9 て 白 石 

彌次 郞が須 古の 妻 山の 城 を 攻め 破.^、 先づ 府中へ 歸陣 す。 

永 和 三年 丁 巳 二月 俊 了 入道、 媳打千 布に 陣を取 b、 同 六月 下旬、 筑後 國へ發 向して、 

河崎氏が籠..^たる生駒野城を攻めて、八月に同國山門郡蒲池へ陣を移し 宇都 宮壹 

岐守 A 久が城 を 攻め 落さる。 • 

同年 十二月, 宮 方の 輩 肥 後國に 蜂起して、 征西將 軍宮、 染土 城に 籠らせ 給 ひ、 菊 池 左 

京大 夫武朝 は、 山 鹿の 城に 循 籠る。 時に 太 宰が子 新少贰 貞賴、 菊 池と 引合 ひ筑 後へ 

出張す。 斯 か.. -し 間、 九州 猶靜 まら ャ して 合戰 止む 時な し。 

永 和 五 年 己 未、 康曆と 改元す。 今年 了 俊 入道、 肥 後 國の敵 返 治の 爲め、 舍弟右 衞門佐 

仲秋と 共に、 七月廿三日に肥前を立ち肥後へ發向ぁ,.=^。 先づ山 鹿に 到.^ 筒 嶽に陣 

を取^^、八月四:1:、高滿鬼齒山の宮方を攻め落し、 同 十四日、 千 田 原に 陣 して、 同 十六 

日、 卒 尾の 城 を 攻め 破 b 、其 敵 を 追 落し、 同 十八 日、 板 井原へ 陣を 移し、 S くれば 十 

九日、 菊 池と 相戰 ひ、 同 比 七日 赤 星と 合戦し、 九月 五日に 城 野と 相 挑み、 所々 の 合戦 



隙な くして、 旣に 十二月に 至, o 肥 前に 在陣 あ. 

康曆 1 一年 庚申、 了 俊. 仲秋、 肥 後に 在陣 し、 八月 十日、 板 井原に 陣を取 、同廿 £H 、宗 1 

g の 城 を 打 立ちて、 一 駄原. 丸 山. 前 原 等の 所々 に陣を 移し、 十月 八: n、 水 島の 要害 へ 

押 寄せて 合戦す。 城の 大將菊 池 肥 前守武 純. 堤 右京亮 等、 防戦 叶 ひ 難く して 落城に 

及び、 兩將 出奔し け bs、 

同 三年 辛 酉、 永德と 改元す。 了 俊 兄弟、 今年 猶肥 後に 在國 し、 四月 廿六 曰、 城 野の 城 

を 攻め 落さる。 時に 菊 池 勢 討ち 出づ るに 依りて 、防戦に 及び W 池 を 追 返け、 五月 十 

二日、 薪 池が 陣城寺 尾 を 攻めて、 六月 十八 曰 板 井に 陣し、 失より 熊 野 松 尾へ 陣を移 

して、 同廿 二日 の 刻、 菊 池 次 郎武興 誠 •。 が 籠 b たる 熊 部 lig。 の 城へ 取 懸け 攻め 

戰 ふに、 武興堪 へやして 落城す。 翌 くれば 廿 三日、 了 俊の 子息 五郎 御曹司 義範、 軍 

兵 を 率して 征 gi 將軍宮 の 籠らせ 給ふ染 土の 城 を 攻めけ るに、 是も堪 へす 落城して、 

宫は 風雨に 紛れ 落 失せ 給 ふ。 斯くて 了 俊、 同せ 六日、 南 郡 立 田に 陣を 移し、 同 * 九日、 

木 山, 津 守の 雨 城 を 攻めけ るに、 宫 方の 輩 又 打 負け、 大將龜 山 三 郞降參 しけ h.。 時に 

冬資 討死 井 今 川 兄 鬼 所 々軍の 事 九ーュ 



被 ズど有 了 
ら攻家 俊 
るめ の大 

ズ城浦 



北 肥戰誌 卷之四 九 S 

彼 件の 一揆 頭 三 浦 深 堀 遠 江權守 時淸. 高 來の深 江下總 入道 了 心、 採 題に 屬し 所々 に 

於て 軍忠ぁ b。 同年 九!;、 菊 池、 鳥 栖六郞 武資. 有 馬 孫 五郎 泰隆宮 方の 輩 を 催して、 

肥 前國高 * に 蜂起し、 大浦 lg。 の:gに楣籠.:^、 a 泉 嶽を耍 害と す。 此事肥 後に 於 

て 探題の 陣へ 注進 あ, 9 しかば、 了 俊. 仲秋、 さ ら ば 先づ 當國の 敵を閤 き、 高 來へ向 ふ 

べしと、 肥 後 國へは 五 郞義範 を殘し 置いて、 船ょ.H咼來へ押渡h^、 十二月 廿ニ :11 よ 

b 大 浦. 有 家の 兩城 を攻む る に、 武資. 泰隆 が軍烈 くして、 了 俊 一 戰に打 負け、 黑坊山 

へ 取 登る。 宮方勝に乘..^績ぃて是を攻め落す。 了 俊、 軍に 打 負けし かば、 先 づ合戰 

を 止め 敗軍の 士卒 を 集めて、 今年 は 高來に 年を越 えらる。 

翌 くれば 永 德ニ年 壬 戌 正月、 探題の 陣へ 新田 左京亮 とい ふ 者 馳せ加 はる。 了俊是 

に 力 を 得、 同月 廿 三日、 重ねて 大 浦の 城 へ 押 寄せ 攻め 戰ふ。 愛に 於て 城の 大將翁 池 

武資、 城 を 落ち 小 松 崎へ 引退き、 有 馬 泰隆は 降 人に な b て 出で ぬ。 了 俊 幅て 小 松 崎 

へ 押 寄せけ る に、 閎 正月 十日、 武資復 落 失せけ. 

永德 三年 癸 亥 九月、 了 俊 飯 田 山に 在陣 あり。 此 時高來 郡の 一 揆 安富 以下、 了 俊の 陣 



了 後 兄弟 



に來 b 加 はる • 

同 四 年 甲子、 改元お. 9 て 至 德と號 す。 時に 了 俊の 子 今 川 五^ 義範、 肥 後 « 龜 崎の 城 

にあ. 9 し を、 W 池が 伴 類大に 起. 9 て 攻め 戰ひ 、不日に 攻め 落す。 義範は 城 を 去. て 

腰 尾 城に 入,.^、 肥 前へ 羽 書 を 送って 探題の 方へ 事の 仔細 を吿 げらる。 玆に因..^て 

仲秋 急ぎ 軍兵 を 引いて 肥 後 國へ發 向し、 九月 十五 ul、 翁 池と 合戦し ける に、 仲秋 打 

ち 負けて、 是も腰 尾へ 返き、 義範と 一所に 循 籠る。 斯 かる 處に、 了 俊 も 發向ぁ b。 

吉野 山に 陣し、 翁 池と 相對 す。 斯くて 翁 池 勢、 其 後 腰 尾 を 攻めむ 事 度々 な b しか ど 

も、 探題の 一族 固く 守,. y て 城 落ちす。 然るに 今年 も旣に 暮れ、 翁 池が 軍兵 皆 返 散し 

ければ、 了 俊. 仲秋、 肥. 筑の間 心許なし とて、 五郞 御曹司 を 肥 後に 殘し、 宮方を 1: へ 

て 兩將は 肥 前に 歸陣 あ,.^。 

至 德ニ年 乙^、 肥 前國の 住人 御領 三 河 守、 採 題の 下知 を 背いて 赤 山の 城に 循 籠る。 

仲秋、 是を返 治と. して 高 野 嶽に陣 し、 攻め 戰 ふに 城 落 もや、 翌年に 及びて 沒 落す。 

同 三年 丙 寅 六月、 仲秋、 肥 前 府中 難 に 在 居して、 先祖 今 川 五 郞國氏 If ,との 菩提の 

冬 資时死 幷今川 兄弟 所々 軍の 事 < お . 



北 肥 戦 卷之四 なハ 

爲 に.、 S 地 十五 町 を 以て 春 21 山 玉 林 寺へ 寄附 せらる。 

同年 八月、 仲秋、 肥 後の 天草に 發 向し 志 岐城を 攻め 落す。 時に 了 俊の 子息 陸 奧守貞 

Kill も、 肥 後より 高來 へ 來,^ 、 九月 十七 日、 大浦城 を 攻め 破り、 夫よ, 上 律 浦に 

到る。 仲秋、 直臣と 一つに なり、 薪 泡 武資. 有 馬泰隆 が 殘黨と 所々 にて 相戰 ふ。 折 

節、 菊 池 左 京大 夫武 朝、 宇 土. 河 尻 以下 を 相 語ら ひ、 宫の 御供 * して 肥 後の 南部へ 出 

張して あ b ける が、 上津 浦に 来り 武資. 泰 隆を援 うて 合戰 す。 時に 探題の 軍、 利 を 

失 ひ 上 津浦を 引退く。 

至 德四年 丁 卯、 嘉慶と 改元す。 六月 四日、 今 川 仲秋、 肥 後國隈 本へ 討ち入.^、 翁 池 

攝津守 が 城 を 園み 攻む。 菊 池 兵 を 出し、 夜晝 四日 四 夜相戰 ふ に、 仲秋 打 負け て 返 散 

嘉慶ニ 年 戊辰、 肥前國 尼寺 甲斐 守 • 安德大 隅 守、 了 俊に 羼し、 同 國称島 郡に 到って、 宫 

方の 輩と 相戰 ふ。 

词四年 庚 午、 明德と 改元す。 今 川 了 俊 、頃日 肥 前に 在國 しける が、 肥 後國の 賊徒 良 も 



すれば 蜂 S3 する 故、 是を返 治の 爲め、 肥 前. 筑前. 璺 後. 筑〔^ 脫, 一 の昧方 凡そ 二 K 餘騎を 

相 催し、 今年 七月に 肥 前 を 立って 肥 後へ 打 入.^、 南關に 於て 舍弟 仲秋が ありし に 

參會 して、 兩勢を 合せ 征西將 軍 宮の御 坐す 宇 土の 城 を 圓み攻 む • 城 中には 翁 池 左 

〔土〕 

京大 夫武朝 • 名 和 .堤. 宇 闹* 河 尻、 籠...^ 居て 防ぎ 戰ひ しか ども, 寄 手 大勢に て 終に 落城 

し、 宮は翁 池 以下 御供 申し、 隈 部の 城へ 落ちさ せらる。 同 九月、 探題 « いて 隈部 を攻 

むる に、 亦 落城す。 翁 池. 赤 星 • 城野少 代官 を 守護して 逐電し けり.。 期くて 肥 後の 兇 

徒、 先 づ靜謐 しければ、. 了 俊 肥 前に 歸 it す。 

明徳 西 年 癸 酉、 了 俊 入道, 其 身 は 佐 嘉. 小 城の 間に あ b て、 養父 郡 綾部の 白 虎山 へ 城 

郭を 築き、 同氏 仲秋 を 居 ゑ 置き 其 境 を 守らせら る。 當所 地頭 綾部 兵 靡 助滿幸 則ち 

輔弼た,. >。 其 頃 又 小 城 郡 司 千 葉 介 半 胤基 も、 武家 方に て 威 を 搌ひ松 尾 城に 居住し 

けち。 執權は鑰尼信濃守季高な,c^。 

明 爆 五 年 甲 戌、 應 永と 改元す。 頃日 肥 後の * 池 左 京大 夫武 朝、 又 W つて 出で 國中を 

切.^ 從へ、 剩へ豐 .筑 の S3 に 一 同心の 者 多くして、 隈府 城に 循 籠る。 然るに、 應永元 

冬^ 討死 弁 今 川 兄弟 所々 軍の 事 力:? 



北^ 戦 卷之四 ^ 

年の 春、 大友 式部 大輔親 世、 菊 池 返 治の 事 を 思 立ち、 隣 國を觸 廻す に、 筑 後に は 蒲 池 

問 注 所. 田 尻. 草 野. 西牟田 以下、 肥 前 に は 大村. 西鄕. 千 葉 介 催促 に應 じ、 旣 に 相 圖を定 

め 一 度に 肥 後へ 攻 入らん と, 先陣 は 肥 後 .筑 後の 境 竹 井原に 陣を 取る。 菊 池 此単を il 

いて、 さらば 途 にて 戰ふ べしと, 合 志の 六 郞宗隆 に 軍兵 を 副へ て 差 向く。 宗隆 則ち 竹 

井城へ 進んで、 敵の 先陣 を 一 戰の 中に 打 散らす。 武朝も 城. 赤 星. 城 野. 鹿 子 木 を 初め、 

數千餘 騎を引 具し、 合 志に 續 いて 隈府を 立ち 筑後國 へ 討ち 出づ。 然る 間、 當國の 住人 

田 尻彌三 郞種顯 、要 河に 於て 相 挑む と. 雖も、 菊 池が 大勢に a け 立ら れ、 種顯降 人と 

な b て 出づ。 大 友も筑 後に *.=^、 昧 方を援 うて 菊 池と 合戦 度々 に 及ぶ。 然れ ども 大 

友、 竟に利 を 失ひ豐 後へ引 入.. > しかば、 筑後, 肥 前の 大友方 も 皆 退散し、 菊 池 は筑後 

を 初 額て 隈府 へ 歸陣 す。 斯くて 武 朝彌! 威お 振 ふ 由、 洛 へ 閡 えて、 大內 介義弘 に、 

池 誅伐の 事 を 仰 付けられけ. >。 斯か. 5 し 程に、 大內 介, 筑 前へ 渡海し、 大 友と 一 つ 

になち 肥 後 國へ發 向す。 翁 池是を iS き、 薩. 隅. 日 州の 軍兵 二 萬 を 以て 詫 磨 原へ 出向 

ひ 大に戰 ひしに、 此度も 菊 池 利 を 得、 大內介 は 班 を 蒙 て 引退き、 大 友も豊 府へ歸 



菊 瓶 武^ 

大 友に 降 

参す 



hy 



る • 斯か. > に 後 は、 菊 池彌" 武威に 寡.^ ぬ。 愛に 於て 大 友が 謀に、 親 世 は 過ぎし i ぬ 

磨 原の 合戦に、 深手 を 負 ひ 死にた リと 世間に 披露し け.^。 されば 菊 池は武 S は 勝 

れ しか ども、 謀の 道に は 疎き 者に て、 親 世 死にたり と 間き しょり、 世の中 心 くな 

、日】 化 酒宴 遊興の みに て 送, し 程に、 其 門 葉 若黨に 至る まで、 フ W: 軍事 を 忘れた 

。 大友親 世 は、 父祖に 替. c- て 思案 深き 者な りし かば、 內々 隈府へ を 入 殺き、 ^ 

池が 油斷を 聞きす まして、 應永 元年 四月 廿六 U 、大勢 を 以て i?^ ぎ 隈府へ 攻め入りし 

に、 翁 池武朝 立つ 足 もな く沒 落し、 八 代へ 引 籠. CV 、大 友へ 和 を 乞 ひ 軍門に 降 ぬ。 

菊 池是ょ .^家袞 へ 、 數 度の 大功 徒 に 威勢 幽 にな.^:^ るぞ 墓な き。 

征西 將軍宮 愛に 於て 御歸洛 か。 未だ 詳 かなら す。 - 

菊 池 家 由来の 事 

抑! 彼の 菊 池の 元祖 を尋 ぬるに、 大織 冠の 御 末巾關 白遨隆 公の 後 服な. -。 道 ii の a 

男 正三位 權巾 敏言隆 家の 時、 花 山院御 事に 付いて 長 徳の頃 かとよ。 配流せられ 太 

池 家 由來の » 



菊 、他家の 

由來 



北 卷之四 100 

宰 帥に 遷 されて、 長久 五 年 正月 一 2: に薨 せられぬ • 其 息 を 大納言 經輔と 申す。 是 

もさる 仔細 あ. て、 遠 州 波津久 良の 庄へ 左遷せられ、 後に は太宰 帥に 移されて、 永 

保 元年 八月 七 HL 卒去 せられぬ" 配流の 時 解官ぁ b て 後 は、 文 家と ぞ 申しけ.^。 其 

〔11 一條〕 

孫子に 大夫將 S 則隆 とい ふ 人 あ.^。 此則隆 • 後冷泉 院の 御宇 延久壬 子年に、 始めて 

肥後國菊池郡河邊に下向ぁh^て後、 其 子孫 長く 翁 池に 居住す。 阿蘇 宮の御 神託に 

曰く . , 

淺く とも 深く たのめよ 菊 池 川 阿蘇の 煙の 立た む 限 ひ は 

と、 又 夢中に 神; の 鷹の 羽 を 慕の紋に賜はh^て之を用ふ。 彼の 則 隆の子 太 郞經隆 

が 時に 始めて 翁 池と 號し * 堀 河院の 御宇 宽治 年中、 蒙古 軍の 忠 賞に 肥 後 守に 任す。 

則ち 隈府 三の 宮の內 若宮 社な り。 經隆四 代の 孫 を、 翁 池 武者 經 直とい ふ。 此經直 

は、 肥 前國長 島の 庄謹 見大明 神の 祭 禮に來 b て、 笠 散 を 射 落馬して 死す。 舊跡 今に 

あち。 其 子 翁 池 次郞隨 直、 元 曆の昔 源氏に 屬 して 軍功 を 柚んで 肥 後 守に 任す。 其 

孫子 彌四郞 能 隨、 承久の 合戦に 在 鎌 倉し、 宇治川の 軍に 功を播 し、 其 子 左 京大 夫 逢 



新 採 m 維 

河 滿賴下 

向 



泰 As 子 肥 後守武 房相續 いて、 蒙古 襲来の 時、 一別して 大忠を 霊し ぬ" 夫よ, 9 以來代 

代 肥 後 守に 任じて、 九州に 威 を 振 ひけ,. 

新 探題 & 河滿賴 下向の 事 

應永ニ 年 乙 亥の 冬, 今 川 伊豫 守 入道 了 俊、 九州の 司 職を改 補せられ 上洛 あ.^ • » 其 

代と して、 澀 河 右兵衞 佐 滿賴を 下され、 同 三年 四月 十九 H 、筑前 國へ參 著 あ. て、 博 

多の 城に 入らる。 此滿赖 は、 淸和 天皇 十八 代の 後胤 溢河武 藏守義 の 子に て、 前將 

軍義詮公の御臺所には甥•なh^。 さても 了 俊 入道 は、 此 年月 九州の 採题 として、 所々 

の 軍功 莫大 なれば、 必す忠 賞 重 かるべし と、 思 設けて 上洛 あ. ける に、 案に 相違し 聊 

か 恩賞の 沙汰 もなかり けり。 是は 同名 左 馬 助泰範 と^ねて 不和の 事 あ, 9。 執事 斯 

波 左兵衞 佐義將 へ 談合し、 將軍 義滿公 へ 、泰範 さまぐ 讒を構 へ しと 相 聞え、 又大友 

あしざま 

式部 大輔親 世、 了 俊が 威勢 を 妬み、 先立ちて 上洛し、 舉 行頭 人へ 惡 様に ゅ觸 らし S 

故と も 開え けり。 斯か 5 しかば 了 俊、 忠赏の 沙汰に も 及ば や、 結句 遠 江 守護 職 を も 程 

新探^^ま,^^頼下^^* 0. 



北 ii 戦 誌 卷之四 



M 



大 內義弘 

小ノ 甙貞賴 

と 戦 ふ 



なく 召 放されけ. o。 斯くて、 溢 河 滿賴は 下 J? の 後、 博 多の 城に あ. て、 大內介 義弘と 

心 を 合せ 鎭 西の 事 を 司り、 莉 池. 少貳が 餘類を 尋ね 採 是 を誅戮 あり。 其 威 親に 被 

下知に 隨 はすい ふ 事な し。 され ども 宮 方の 殘黨、 良もすれば起..^て合戦所々 に止 

まや。 頃日 大內 介が 筑前國 へ 差 置きし 代官 を、 少貳が 一 族 共 取 集りて 周 防國へ 

追歸 す。 玆に因 b て大內 介、 早速 防 州 山 口 を 立ちて 筑 前へ 渡海し 少 と 相戰ふ * 

少貳の 門 葉 は い ふ に及ばゃ、宮方の殘黨馳せ集,.^、蘆屋•西鄕にして、大內が陣を打破 

b 、義弘 の 末子 藏人大 夫 敎弘を 始め 雜兵 一 千餘 人、 少貳 貞賴が 手に 討 取 b た, 斯 

かちし 程に、 中 國勢堪 へ やして 豊前國 立 石 原 へ 引返く。 少貳勝に乘,.^^、應永一 一年 九 

月 二日、 星 野. 秋 月. 大村 以下の 宫方 共と 勢 を 合せ、 立 石 原 へ 追 詰め て、 大內 修理 大夫 

盛 見と 相戰 ふに、 大內又 利 を 失 ひ、 大將の 盛 見旣に 討た るべ か, しに、 陶越 前守弘 

房と 伊豫 河 野の 一 族 共 追々 渡海し、 大內 方に 加 は. y て 散 々合戦す。 愛に 於て 少 ilg 

以下 大に 破れ 筑前國 へ 引退き、 岩屋. 笠 木. 天萍岳 所々 の 要害に 取 籠る • 大內 介が 軍 

兵共續 いて 是を 園み, 陣を 張る 事 五十 餘 曰な, o。 此事、 將軍 家の 台聽に 達し、 雙 方へ 



將軍 扱の 

御敎害 下 

さる 



御敎書 をな され、 急ぎ 鎭 西の 励 亂を靜 め 、合戦 を 止むべき 旨 仰 下されし かば、 大內介 

も 太宰少 K も 畏まり 頜掌 申し、 義弘は 則ち 防 州 へ 軍お 返し、 As は 太宰府 へ 安 % し、 

其 上 新 少貳を 大內介 » に 約束して、 九州 暫く 靜 .M す。 然れ ども 大內 介、 少貳が B と 

な てよ, C/ 彌,. 是を 蔑に あしら ひ、 殊更 筑前國 の 少貳が 領知を も押領 しけ. >。 少 

貳貞 賴是を 憤.^、 再び 大內 介と 矛盾して 太宰府 を 立 退き、 肥前國 へ 打 越えけ. =N。 

菊 池武朝 出張 敗北の 事 

豊 後の 大友 式部 大輔親 世 は、 去る 應永 元年の 夏、 剛 敵の 翁 池 を 挫き、 大功 他に 異なり 

と 思 ひし かば、 將 軍義滿 公へ 謁せむ 爲め、 同年 七月せ 五 :n 上洛し、 公方の 御前 斜な 

らす、 恩賞 厚く 給 は b て、 翌年の 正月 十日、 豊府 へ歸 b ぬ。 斯くて i;^ 池 は、 大友 へ 降參 

せし を 無念に 思 ひ、 應永 三年、 譜代の 家人 一 族 等 を 相 催し、 筑後國 へ 討って 出で 淸ロ 

に 於て 相戳 ひ、 同 四 年の 秋、 肥 後 高瀨の 城に 槻 籠る。 大友此 事 を いて、 探 题澀河 

滿賴 ira じく 高 獺へ 馳せ向 ひ、 翁 池 を 攻めて 相戰 ふ。 時に 肥 前國の 御家人 安富 深 江 

地武朝 《 驛弁败 北 Q 事 S 



菊 池武朗 

出張 幷敗 

北の 事 



4? 肥 戦 誌 卷之四 511. 

修理 亮泰行 以下、 高夾, 郡の 一 揆共、 探題の 手に 馳& や。 斯くて 翁池武 朝、 九月 廿九 

日、 終に 落城して 筑後國 へ 落 行きけ, c^。 其後、武朝彌,^:f微にな.^て筑後にぁ.^しが、 

又 少贰貪 頼と 力 を 合せ、 同 五 年の 冬、 筑後圃 へ 打 越え 江 辻と 云 ふ 所に 旗を揚 ぐ。 武 

家 方の 者 共、 探題の 手に 屬 して 翁 池. 少貳 と相戰 ふに、 十一 月 十九 日. 同 廿日の 合戦 

くらま 

に、 * 池 散々 利 を 失 ひ、 少貳は 跡 を 闇し、 翁 池 は薩州 へ 落 行きて、 島津の 一 族 を 頼み 

ぁ,.^けるが、同七年の頃、島津が合カにて、本國 へ歸.0入.0しとぞ聞ぇし。 



北肥戰 誌 卷之 g 



. 探題 & 河滿賴 小城發 向の 事 

應永五 年 戊 〔< 採 題 溢 河 右兵衞 佐 滿賴、 肥 前國の 凶黨返 治の 爲め、 1 1 月 初旬 • 博 多 を 

立ちて 旗 を 進めら る。 同 八月 十日. 上 松 浦 • 下 松 浦. 千 葉. 後藤 以下の 輩、 多久. 小 城の 

間に it を 取, り, 桐 野に 於て 合戦し、 松 川 長 門 守 達 討死す。 此時、 探題 は 牛 原に 陣を収 

る。 時に 江 利 近 江 守 氏 利軍忠 あ,.^。 斯くて 同 八月、 松 浦 雨 黨の者 共、 紊島 河原に 於 

て栩戰 ひ、 千 葉 介が 手の者に は、 仁 tl;ra 胤 盛. 金 原三郞 父子 七 人- 塚 崎 勢に は 後藤 

^庭 隼 人。 松 湳黨に は 波 多 下野 守 武. 同 三 郞直. 同 太 郎». 黑岩長 門 守 直 • to 知: Z 向 

守. 猪 山 入道 覺宗 •;! 駿河守 照 八: |g に 民 部 少轔. 瀨 u; 入道 祐存. 下 松 沛丹後 守 赖^* 船 

原入道宗^^*同備中守.同左衞門太郞を初め貳百餘人討死しけり。 其 後. 大 原の 合戦 

探 姐:^ 河滿賴 小城發 向の 事 一〕" 



4? 肥 戰;! 卷之四 111 一六 

に、 千 葉が (A; 黨キ田 伊賀 守 討 たれ、 採 題の 方に 吉見 • 小 木 討死す。 同 六 年 己 卯 三月 

廿日、 小 城の 千 葉、 神 崎. 倉 戸の 城に 押 寄せ、 探題と 相戰 ふ。 採 題の 軍、 利 を 得て 寄 手 

の 中に、 宗徒の 輩 原 出 羽 守* 仁 11^ 田 三郞. 大揚 2ft 入道 見存. 赤 月 出 雲 守. 原 七郞. 安部 

孫 四郞、 夂子 • 一 河 孫 三 郞* 佐 留志庄 山 次郞. 加 須何其 六 路赛道 討死す。 其 後、 採 題 は 

綾部の 城へ 移らる。 同 九 年 壬 午、 薪 池の 一 族 赤 星 遠 江 守と いふ 者、 肥 前國に 討ち入 

-.^ 所々 の 軍に 打 勝ち、 三极 郡に 在陣 し、 六月 廿 四日、 探題の 綾部の 城を攻 む。 同 十 

1 月廿 四日に は、 探題 城 を 出で 坊 所に 陣 して、 赤 星と 合戰 あ.^。 赤 星 急に 鬪 ひて、 探 

題の 軍兵に 綾部 愛 鶴 丸. 豆 谷 掃 部 助. 末 安 兵 部 丞兼久 討 たれぬ。 斯 かりし 程に、 探題 

は 綾部に 陣を 引かれ、 赤 星 は三极 郡の 本陣へ 歸, 9 ぬ。 此赤星 * 應永 十二 年の 頃まで 

三 根 郡 を 知行して、 威 を 振 ひしと ぞ聞 えし。 此時、 探題 4. 葉. 赤 星 鼎の 如く 分れて 

挑戰 止む 時な し。 今年 八月 三: n 唐 船 著す。 大 唐の 永樂 元年な り。 同 十一 年 甲 申 正 

月 初旬、 千 葉 介 恩 基の 家人 鑰尼刑 部 大輔泰 高、 忽緖 胤基と 合戦 を 致す の 間、 探題よ 

度々 成敗 を 加 へられし かど も 承引せ す、 結句 少 威貞顋 入道 本惠與 力せ しめ、 彌 I 



ffi 探 

is 

の 



騷 動に 及ぶ • 此時 探題、 少 1^ 返 治の 爲め、 武家 方の 蠻共 催促 ありし 狀に いはく、 

(W- 本 闕ク) 

改 年の 吉兆 □□ ロロ 幸甚々々 

抑! 千 葉 H 基 之 家人 鑰尼刑 部 大輔泰 高、 忽緒 胤基 致,, 合戦, 之 間、 雖., 度々 加 /成敗; 不, 

承引, 及,, 難儀, 候。 依 而馳塞 之處、 結句 少貳 入道 本 a 介與 力; 泰 高所々 居 開 押,, 隔當 

手 之 仁 等, 對,, 滿賴, 致,, 合戰, 候。 凡 本惠之 陰謀 連 々 雖, 其 聞 不,, 許容, 候處; 旣 に 現, 之 

上 はま 是非, 候。 仍而 可お,, 退治, 候。 早々 有,, 御 出, 御 合力 候 者 可, 爲,, 大忠, 候。 且 

おん も £ 

京都へ 者 可,, 注進, 候。 尙々 御 本 忠事之 間、 彌,. 被, 致,, 忠節, 候 者 可, 然候。 頼 入 候 * 

委細 之 旨兼經 可&. 候。 恐々 謹言 タ 

正月 五日 滿 賴 

深 江 修理 亮殿 

斯くて 採 題 溢 河 右兵衞 佐 滿賴、 少贰 入道 本 惠幷に 千 葉 一 家 返 治の 爲め策 兵 を 催し、 

國府 へ 發向 あり。 此時、 千 葉の 一 族 等 河 上に 出合 ひ、 四月 十 一 一 日 £>兩^- 入亂 れ相戰 

ふ に、 國府勢 § 利 を 失 ひ、 千 遺 介の 從 兵に 原東武 興. 今 川 九郎、 „ "其 外 中衬遠 江 守 .词圆 

探題^ 河 15- 賴 小城發 向の 霉 § 



北 肥戰^ 卷之五 一。 人 

書 助 • 岩 部 伊豆守. 同 千代 鶴 丸. 垂井 因幡 守. 飯篠 父子. 飯 盛 小 太郞. 同 又 三郞. 築瀨行 益. 

石 田 五郎. 原 小 三郎. 柬鄕 將監. 晴氣の 光武 山城 守. 同 德武勘 解 由. 一大 村 • 益 田 • 納所 • 中 

島. 卒 方.^ 弟 彌兀郞 以下 若干 討死す。 愛に 於て 一揆の 楝梁鎰 尼 刑 部 大輔泰 高. 同小 

太郞基 高. 同 備州. 同 六郞. 法 成 寺 入道. 千 布 父子 討死して、 殘黨 泳へ や 敗軍す。 斯く 

て 採 題 は、 しばらく 小 城に 在陣 あり。 同 五月 十九 日に、 高來 郡の 輩 深 江 修理 亮 以下、 

採 邀の陣 へ馳參 t 其 後、 長 島の 庄に 移られ、 吉見兵 部 少輔を 以て、 ffi 江 氏が 薩兒 

城 を 攻めさ せらる 。 此時 S 江 降參、 採 題先づ 綾部へ 歸城 あ... • 

同 十二 年 乙 酉 三月、 赤 星 遠 江 入道. 綾部へ 押 寄せ 探題の 白 虎 城 を 攻めて 相戰 ふ。 採 

題 打 負け 防ぐ 事 を 得す、 城 を 落ちて 筑前 へ 赴き 博 多の 城 へ 入らる • 此時、 赤 星 威勢 

に 募り、 東 肥 前の 內三 根. 神 崎 を 知行して、 當國の 守護と 稱す。 其 頃 赤 星、 寺社 へ 附 

する 所の 免狀に 曰く、 

肥 前 國三根 郡 矢 侯 保 内 蓮 町 二 丁 六 反、 爲,, 光淨 寺領, 間、 御 知行 不 有-相違-之 狀 

如, 件。 



滿 賴剃髮 

して 道鎭 

と號す 



滿賴 卒去 



崖 永 十一 一年 五月 十日 赤 星 遠 江 入道 判 

. 光 淨寺侍 衣禪師 

此時、 探題 滿頼は 筑前國 傅 多 城に ありて、 翌 くる 崖 永 十三 年: 內戌 八月 三 =" 、剡髮 あ 

h^. 法名 道鎭 と. S. す。 

同 十七 年 庚 寅、 翁 池が 肥 後國板 井城 落 去す。 同 十八 年 辛 卯 正月 廿九 H 、千 葉 右 京大 

夫 胤基, 杵島郡 白 石に 於て、 大村中 務大輔 家 有と 合戦 あ.^。 打^^け藤^: へ 引返く。 

千 葉 勢、 是を追 懸け 攻め 戰 ふに、 家 有 叶 はすして 討死す。 

同年 九月 十九 曰、 翁 池 兼 朝、 II。 肥 後の 日 野に 於て 合戦し ける が、 大に利 を 失 ひ、 

在 國叶ひ 難 く J -て、 115 十二月 二 n 、翁 朝竟 に出津 しけ 6。 同 十九 年 壬- M 十一月、 ま 

河 入道々 鎭 上京 せらる。 三男 敎安、 其 留主を 守.^、 肥. 筑の 武士 博 多 S 城 を警衞 す。 

道 鎭其後 下向、 探題 職兩 度な,^。 應永, 付 三年に 再び 上洛、 文 安三 年 卒去。 歳 七十 

五" 同廿 一 年 甲 午 六月 九日 大雪 降る。 



探题^ 河 滿賴小 城: 佝の事 



5 ル 



4? 肥 戦 誌 卷之五 



二 



探 通と な 



る 



明 使呂谰 

來る 



1*: 蠻地妖 

の 出現 



^河 義俊新 探題 に 任 ザ 附沒落 の 事 

應永廿 五 年 戊戌、 澀河 入道々 鎭の 嫡男 左 近大夫 將監義 俊、 當將 軍義持 公よ. 9 御敎書 

を給は,0、父に代,0て探題たるべき旨仰下されけ.0^* 其 翌年 六月 廿日- 大明國 の 使 

呂淵、 傅 多 冷泉 津釉の 湊に來 著し、 新 探題 義 俊に 謁し、 明 帝の 勅意 を述 ぶ。 ま存細 

は、 近年 日本の 賊船、 度々 大 S へ 渡海せ しめ 諸 所に 亂妨 し、 或は 財寶を 奪取 b 、或は 

, 民 家 を 放火す。 仍^'て明國の煩とな,.^、貴賤魂を消す所な.=^。 早く 下知 を 加 へら 

れ、 其 違亂を 止めら るべ き 旨と 云 ふ。 義俊、 呂淵を 奔走 あ. 9、 旅驛を 結構して、 少時 

〔勅 力〕 

.H 宰府に 逗留 させられ、 相應の©^11ぁりて呂淵を歸さる。 されば 此頃 天下 樣々 の 

天變 あり。 應永廿 九 年 壬 寅 七月 十一 一 日 に、 東西 へ 日輪 現れ、 B 光 同じく 耀く。 同卅年 

癸 卯 五月、 太 宰新少 貳滿貞 と 千 葉 介脱鎭 軍兵 を 合せて、 探題 澀河義 俊の 博 多 城 

を攻 む。 探題の 家人 板 倉 上 總介滿 藤. 碧 海 長 門 入道 正 俊、 其 外 足 助. 森 1^. 加賀. 齋籐 

以下の 者 共 防ぎ 戰 ひし かど も、 打 負け て義俊 を. 始め 城兵 悉く 落 去,.^ て、 或は 鳥 飼 



後 破少探 

I' ら f^S 

落い、 勢義 
去筑 に-俊 



の 方 へ 赴き、 或は 山 浦 • 綾部 へ 落 行きけ-^ • 此時義 俊 は、 東 肥 前 へ 赴かれ、 山 浦 勝 尾 

城 を 取 構へ て 居城と せられけ, 然るに 義俊、 翌 くる 應永卅 一年 甲 辰、 少 或の 一 族 

筑紫敎 門が 爲め、 當, 城 を も 攻め 落され、 筑後國 へ 落ちられけ, 9。 翌 くる 同 册ニ年 乙 巳. 

少貳猶 探題 を 攻めむ と筑後 へ 向 ふ 由 聞え しかば、 義俊微 勢に 依,.^ て中國 へ 使を馳 

せ、 大內介 持 世に 援兵 を 乞 はる。 持 世、 早速 同名 修理 入 道徳 雄に 軍兵 を 相 •:! へ、 筑 

後 國へ差 遺し 義 俊に 加勢す。 斯くて 少武 が箪兵 共、 筑 後に k ち 入. > て 、探題の 手の 

者 大內の 加勢 等しく 防戰し • 少貳勢 を 肥 前へ 追、 返け、 績 いて 府中 g§ へ 攻め 來る • 

少貳の 一 族. it 場 .35 雲 .寧 筑紫. 朝 曰 W 下!: 愛 かしこに 於て 相 戦 ふに、 勝 <3 :兩陣 にあ.^ 

て 日 を 送りし かば、 大內 入道 も 探題の 兵 も、 長 陣堪へ 難く して 筑 後へ引 返し, 左 近 

將監義 俊 は是ょ 職を辭 し、 三 潴郡酒 見と いふ 所に »居 せられけ,. >。 大內 入道 m 

雄 は、 其の後 筑 前へ 赴き 在國 す。 

大友親 著 子息 孝 親の 爲に 討た る./ r 事 

雜河義 俊 新 探 超に 任す 附^ 落の 事 一 二 



悛蟄: 



$s 卷に i ニニ 

應永卅 三年 丙午 十 一 月 * 九 曰、 脑 f 一 4『J 九 豊後國 の 守護 大友刑 部 大輔親 著、 養子 大 

膳大失 孝 親と 不和に して 合戦に 及び、 親 箸 旣に討 たれぬ。 其 根元 を尋 ぬるに、 前 守 

謹 式部 大輔親 世 は、 具簡 入道に は 孫、 刑 部 大輔氏 時には 二 男な り。 され ども 器量 兄 

氏繼に 超えた る 故、 父 氏 時、 此親 世に 總頜 を讓 る。 親 世 其 家を續 いで 國の 成敗 穩に、 

子供 餘多 あ,..^ しか ども、 筋目 を 思 ひし 故、 我が 子に 家 を讓ら す、 兄 氏 繼の子 左京亮 

親 著 を 取 立て、 家督 を繼 がせ、 式部 大輔 と改 む。 然るに 親 著、 又 我が 子 二人 を 差 置 

き、 伯父 親 世の 長男 大膳大 夫 孝 親 を 養 ひて、 家を繼 がせむ としけ る處 に、 彼の 孝 親 

生得 不仁の 者に て 其 器量に あらや。 玆に因 b て 親 著、 是非な く 實子花 市 丸 を 以て 

,一- 

家督に すべし とぞ思 ひける。 孝親、其色を了h^て大に恨を含み、 彌ノ のぶれ 者と な 

-.. '、ある 時 は 路頭に 喧嚷を 好み、 或は土民の耕地を損じ、中々言語道斷の行粧な.„^• 

剰へ 孝 親、 父に 對し逆 意 を 合み、 應永卅 三年 六月 廿日、 兵 を 引率して 打ち出で ける 

を、 譜代の 家人 等、 鬼 角 宥めて 穩 便に 相 計ら ひけり。 され I ども 孝 親、 惡逆 日々 に疊 

過し ければ、 大友耳 :11 の郎 徒に 月次 采 女と いふ 者、 是を 諫言せば やと 思 ひて、 九月 



十三 日、 孝 親の 屋形 へ 伺候し. 禮儀 正しく 泪を 流し、 樣々 敎訓 をぞ加 へ け る • 至極の 

道瑰な,.=^しかば、孝親 一 言の 答に 及ばす、 赤面の 體 にて 奥へ 入. ぬ。 采女は 重ねて 

去る ベ き 便 もな く 則ち 返 出し、 門前より: 引 寄せ 打乘. て、 我が 館 へ歸. し を、 金 

言 s に 逆 ふ は 世の 習、 孝 親 腹 をす ゑ かね. 遠 侍に 躍 出で 有 合 ふ 者 共 數十人 を 召 具し、 

采女を 追 駅け、 遁す まじと 呼懸 く。 采女 元より 思 儲けし 事 なれば、 心得たり とい ふ 

程 こそ あれ。 三隅^©とぃふ所にて返し合せ、火を散らして切合ひ、主從十四五人同 

大友親 著 じ 枕に 切 死し けり。 太守 親 著 是を聞 付け、 此上は 力なし。 孝親遁 すな 討 取れ. .0 て、 當 

養子 孝 薪 

にき 番の侍 をお 率し、 三 隅 畠に 駆 著け た, -。 孝 親 〔g れ〕 兒て 望む 所な り。 父 を も 討 取つ 

て 日頃の 鬱憤 を晴 すべし と、 近習の 者 を 下知し、 終に 親 著 を も 討 取りけ ,c,。 斯くて 

孝 親、 父 を 殺せし 科遁る まじと 思 ひける にや。 其 場に て 自害し 果てた b しかば * 近 

習の 輩 光吉 四郞. 法眼 季忠を 初め、 皆 腹切, て 臥しけ ,0。 斯か b し S£ に、 國中 はい 

ふに 及ば や 近國に 至, o、 大友 家の 諸士、 こ は 何とした る 天魔の 所爲ぞ と、 家の 浮沈 

を 危む處 に、 親 世の 末子 中 務大輔 持直と いひけ る 人、 家 を相續 し、 頓て國 中靜: 離し 

大友親 著 子息 孝 親の 爲 に 討た る 、事 二 ill 



大友 家の 

由来 



北肥戰 til 卷之玉 二 S 

(マ こ 

けり。 此時ノ 親 著の 子 花 市 丸 は 十五 歲 にな b しが、 彼の 一 亂の後 は 豐肥國 月 侯と い 

ふ 所に 立 忍び 居た b し を、 持直より 呼 返し、 永享五 年の 春 元服 させ、 左 京亮親 綱と 

號し 家督 を讓 b ぬ。 親 綱 頓て佐 伯 左 衞門大 夫惟實 • 5, 次 伹馬守 高 載 を 召 連れ 上洛 

し、 參-內 を 遂げて 從五 位下 侍從に 任じ、 義敎將 軍 へ 繼 目の 御禮 申し 府內 へ 歸.^ 、 拾餘 

箇 年の 間國を 治め、 寶德 三年の 春, 持直の 弟 出 羽 守 親隆に 家を讓 る。 親 隆讓を 受け 

て 拾 貳箇年 を 過ぎ、 寬正六 年に、 親 網の 舍弟豊 後 守 親繁に 家を繼 がせし と ぞ聞ゅ 

る • 九州 記に、 孝 親の 悪逆 應永 十三 年 

る 十一月 廿 九日と ある は 非な リ。 

大友家 由来の 事 

抑,. 彼の 大 友の 先祖 を尋 ぬるに、 曩祖左 近 將監能 直と 申す は、 右 大將賴 朝 公の 御子 

なり。 母 は 上野 國 利根 郡 主 大友波 多 野四郞 大夫經 家の 女に て、 利根 局と 號す。 能 

直 童 名 は 一 法師 丸と て、 九 歳の 時よ.^ 賴朝 公の 御 側に 仕へ、 後に は齋院 次官 親 能の 

猶子となり、母方の名字を名乘,9て、大友左近將監藤原能直と改めけ.^* 然るに 文 



治の 頃、 璺後國 の 揮 領使緒 方 三郞. 大神惟 榮、 伊豫守義經に屬せし科に依.^て遠流 

せられ、 其跡豊 州闕國 とな, 5 し を、 此能 直に 給 はり、 建 久六年 六月 i^islr 一月 始め 

て豊 後へ 下向し けり。 時に 緒 方が 一族 大野 九 郞泰, 基 • 能 直の 下知に 從 はす。 能 直 

等と 合戦し、 同月 終に 泰基 を誅 しぬ。 是 よりして 國 中の 輩 一 圓 に附從 ひ、 九州に 威 

ありて、 彼の 大野が 弟朽網 六郞親 墓. 大牟田 六 郞基定 • 同 秀基を 先と して、 芦 次次 郎 

惟 澄. 臼杵次 郞大夫 惟隆. 佐 伯三郞 惟康. 同 子息 惟 朝. 植田次 郞三郞 有 綱 *麥 生 七郞成 

綱、 其外大 津留. 橋 爪. 加來. 堅 田 以下 緖 方の 一 門、 悉く 大 友に 相隨ふ U 斯くて 能 直 • 

威 應ニ年 十 一 月せ 七日、 行年 五十二に して 豐府に 卒去す • 然るに 四 代の 後胤 因幡 

守 親 時が 代に、 異賊數 千 1«1 岐島. 博 多の 津へ 襲来して、 甚だ 鎭 西の 騒な,^ し 時、 一 

番に 京. 鎌 倉へ 注進し ける によ. 9、 將軍 家の 御感 あ.^ て 親 時に 忠賞を 給 は.^、 彌 I 九 

州に 威 を 振 ひ、 其 子孫 多く 繁昌す。 

大友 家中に 三つの 分 あ. 9。 一は 御紋の 衆と いひ、 吉弘ニ 萬 田 • 田 原. 淸田 • 田 牝. 

立 花 • 志 贺二闩 次.: ザ大 友の 一 門 藤 原 氏に て、 皆 紋所 は « 荷 丸 を 用 ふ。 二 は 下衆と 

.大 友 家 由 來の專 . . - ; S 



4? 肥 戦 卷之五 二 六 

いひ、 能 直下 向の 時、 羼 して 鎌 倉よ,.^ 下, 9 し 輩な, o。 三は國 衆と いひ、 彼の 日向 

姨 岳の 大蛇の 子孫 大神氏 に て、 SV 次 • 佐 伯 • 加 來.朽 網: K 津留. 堅 田 • 橋 爪 • 光吉 等な 

<瞧 れ^ 5^ 阪^い 中 其外國 衆と いふ は、 丹 下. 宇 留島等 を い ふ。 

^河滿 直 探題 職 附営崎 社 炎上の 事 

應永卅 五 年 戊 申に 改元し、 正 長と 號す。 此時、 前 探題^ 河 入道々 鎭は 上洛せられ、 

子息 左 近 將監義 俊 は、 數 度の 軍に 利 を 失 ひ、 職を辭 して 筑後國 に 蟄居 あ. o。 鐄 西の 

司 職 旣に闕 く- 大內介 持 世、 是を 歎き 道鎮 入道の 兄 ffi 河彌 三郞滿 行の 嫡子 御調 九 

三郞 公, 其 頃 は 元服 あ,..' て、 中務 大輔滿 直と 號す。 筑前國 鳥 飼 城 I。 に 居られけ る 

を, 將軍 義敎公 へ訴 へ、 御 敎書を 申 給 は.^ 探題 職に ぞ補 せられけ る。 滿直御 敎書を 

帶 して 後、 武藏 守に 受領し、 頓て鳥 飼 城に 旗 を 揚げら る。 時に、 大內 介の 家の 子陶 

六 郞弘仲 も • 當國 にあ b て滿 直に 力 を 合せ 博 多 へ 出張す。 

正 長 二 年 己 酉、 後花園 院御卽 位 ましく 永享と 改元 あ. 9。 今年 肥 後 國菊池 彈正少 



笞峰社 炎 

上 



弼武 興. 城 越 前 守 蜂起して、 筑後國 へ 出張し、 少贰滿 貞に牒 合 はせ、 筑前 國へ亂 入し 

て 新 探題 溢河滿 直と 栩戰 ふ。 され ども 維 雄 は 未だな し。 翌 くる 永 享ニ年 六月 十八 

S 、菊 池. 少貳 再び 探題と 合戰 す。 此時笪 崎の 社、 兵火の 爲 に回祿 しけり。 當社は 昔、 

神 功 皇后 三韓 征伐 終りて、 御歸朝 まし > ^ける 時、 先づ此 所へ 上らせ 給 ひ、 應神天 

皇を御誕生ぁ,.^しに、天ょり八っの幡下りし故、其御跡を祭りて八幡宮と?5-^められ、 

戒. 定. 慧の^ を 納めし に 依. て 、莒 崎と は 名付けけ.^。 斯 かる 尊き 古跡の 忽ち 灰燼 

i な, しぞ淺 ましき。 

大內 入道 德雄 討た る、 事 

周 防 國大內 修理 入道 德雄 は、 去る 崖 永の 末 頃、 I® 河 左 近 將監義 俊 加勢の 爲め、 九國へ 

渡海し ける が、 其 後又筑 前へ 打 越え、 永享 三年 辛亥、 當國の 內に大 友の 一 族 立 花 氏が 

所領の あ b ける を押鎮 せむ 爲め、 上意と 僞 て、 頃日 軍兵 を 催し 立 花 城を攻 む。 城 

主 立 花 何某 、未だ 幼稚な りし かば 、防戦 叶 ひ 難く、 頓て城 を 去り 渡しぬ。 當 家の 總領 

…- , „ i 輕匿 iiti 丄の, .^l^xip,^.^:^,^; i, .1 ; IF 



大內德 雄 



,„ ^肥 戰讅 卷ズ 一玉 】K 

大友中 務大輔 持直 大に 憤.^、 彼の 立 花が 筑 前の 所領と いふ は, 先 通 重代の 知行に も 

あらす。 元弘•建武の軍忠に依..^て、尊氏將軍ょ,.^曩組愚簡入道のニ男左近將監貞 

载に 下し 給 ひし 所な-.^。 然る を 何の 爲め 彼の 德雄奪 はむ や。 さ, 9 ながら 私の 宿意 

を 以て、 彼等と 合戦に 及ばむ は穩 便なら す • 所詮 此事 上聞に 達し、 將 軍の 御 下知に 

任せむ と、 纏て 公儀へ 訴 へけ, 9。 將軍を初め奉,.^斯波•細川•畠山•赤极以下有職の人 

人、 皆德雄 入道が 仕樣 を惡 まれし かば、 入道 御 勘氣の 身と な hv て、 同年 六月, 終 に筑 

前 國を追 出され、 防 州へ も 歸,. ^得 や、 爲 方なくて 肥 前 國へぞ 赴きけ る • 其 頃 少貳滿 

貞の 嫡子 <; 法師 丸、 肥 前の 佐嘉 にあ.^ ける が、 此事を 聞きて 大に悅 び、 大内 介が 一 

族に 於いて は 代々 の 怨敵なる ぞ。 悉く 討 殺さむ と 佐 嘉に陣 を 居 ゑ, 德雄を 待 懸け 

相戰 ふ。 德雄 入道 打 負けて、 上 松 浦へ 落ちて、 夫より 筑 前の 國志摩 郡 萩原に, 居ね h> 

し を 少貳追 駆け、 上 松 浦の 波 多. 草 野. 留 主. 福 井 W 下と 勢 を 合せ、 六月 廿 八日 萩原 へ 

取 懸けて 散々 に合戰 し、 德雄 入道 を 初め 妻子 眷屬 まで、 一 人も殘 さす 討 取 け. rs。 

此度 佐嘉の 軍に 德雄打 負 は、 家に 傳 はる 唐 菱の旗 を 捨てた る听、 今に 大內の 旗と 



大內持 世 

九州に 渡 

海 



大內大 友 

合戰 



いふき 

永 享四年 壬 子、 佐嘉 小太郎 丸に て 合戦 あ, 9。 

大內介 持 世 九州 渡海 并少贰 父子 自殺の 事 

大 內盛昆 入道 德雄討 たれし 由、 中 國へ閜 え、 大內介 持 世 讚 憤 を 含み、 いで さらば 自 

さよ 

ら九國 へ 押 渡...、 大友. 少 1^ を 一 々誅伐し、 家の 恥 を 雪め、 徳 雄が 追善に も備 へむ と、 

永 享五年 癸 a 、大勢 を 率して 豊前國 へ 押 渡る。 大友中 務大輔 持直、 豊府 にあ.^ て是 

を 聞き、 急ぎ 軍兵 を 相 催し、 府內を 打 立ち 豐前國 へ 出向 ひ、 ニッ 岳へ 取 登り 大內介 

と對陣 し、 四月 八日、 兩陣兵 を 進めて 相戰 ふに、 後 勢の 中よ b 光吉 圖書助 直忠討 

死す。 大友 家人 朽網. 吉弘. 木 付. 害 藤 以下 身命 を拋 つて 相戰 ふ。 大內介 討 負けて 一 

先陣 を 引退き i 其 後 は 軍 を 止め、 九州の 諸 將城井 • 長 野. 星 野* 草 野 • 原 田 • 松 浦- 千 葉 

介 以下 探題 澀河は い ふ に 及ば t 悉く 觸 廻して、 大友. 少貳を 退治す ベ き 旨、 將軍家 

i の 御 下知 を 蒙る 由、 僞 b 謀りし 程に、 九州 ニー 島の 武士 * 皆大內 介の 陣へ馳 集る • 斯 

. 大内 入道 德雄 討^る、 事 大内介 持 世 九州 渡海 井少 1^ 父子 自殺の 事 



少^ 父子 

討死 



北肥戰 卷之五 i 

か,.^し間、大友持直は 一 旦 公儀 を 憚り、 妻子 を 具して 豊府を 立 返く。 同名 豊後守 親 

繁は 中に も 事の 張本人な...' しかば、 同じく 國を 退き 曰 向 へ 赴き、 文 安元 年まで 山中 

しけ.c^。 少贰滿 貪 父子 も、 所々 に 於て 大內 勢と 相戰 ひしが、 叶はャ して 肥 前 國へ引 

返く。 大內續 いて 肥 前へ 發 向す。 少貳 父子、 佐 慕に 相 支へ 中國 勢と 相戰 ひ、 蔣 崎に 

於て 大內新 介 を 討 取.^ ぬ" され ども 大 ft の 軍兵、 雲霞の如く にて 少贰 終に 打 負け、 

滿貞は筑前へ落行き、太宰府の要害に循籠.=^、 子息 小 法師 資嗣 は、 鹿 子 館へ 引 籠. 》 - 

け わ。 探題 大內 の兩 勢、 同 八月 十六 日、 鹿 子へ 押 寄せ 相戰 ふに、 資嗣 泳へ ゃ沒 落し 

て 討死す。 行年 廿 一な. 9。 探題 大內 よ, 滿貞の あ, OS ける 太宰府 を圍 まむ とす。 滿 

直 無勢に て 叶 ふま じと や 思 ひけむ。 秋 月へ 落ちて、 秋 月 長 門 守 種 忠を賴 み 岡の 城に 

循 籠る。 探題 大內、 同月 十八 日 秋 月へ 發 向し-秋 月頜の 城々 一 々、 卽 H に 攻め 落し 

て、 種忠が 一 類 を 悉く 誅戮 せし む。 斯か b し 程に、 少«滿 威遁れ 難く、 同 十九 日 岡 

の 城に 於て 終に 自殺した, けり。 歳 四十 歲。 法名 千里 本 勝と 號す。 斯くて 少貳父 

子 秋 月の 一 族討たれて後、猶其門葉集ま..^て、 同 九月 十六 曰 秋 月に 於て 合戦し、 豊 



宗家の 由 

來 



前の 栽矩 にても te 戰ふ • され ども 皆 打 負け 散々 に 成果て、 鱗 西 静謐に 及びし かば, 

探題 は 鳥 飼の 城 ベ 馬 を 入れられ、 大內介 は 山 口に 歸陣 す。 此時、 少^!^滿貞の舍弟橫 

岳 孫 次 郎賴房 は、 東 肥 前に 立 忍び、 又滿 A の 幼 息 二人 あ,.^ しは對 馬に 渡,...、 彼の 島 

の 主宗讚岐守*1^盛を賴 み て 蟄居せ り • 

宗家 由来の 事 

抑. ノ 彼の 宗貞 盛が 先祖 を 尋ね 聞く に、 桓武 天皇の 御 苗裔 平 相 國淸盛 公の 二 男、 右大 

臣宗 盛の 子孫な,. -。 昔壽 永の 逆亂 に、 16. 家 悉く 滅 1:1 しける 時、 宗 盛の 末子 あ,. =.。 未 

だ襁褓の內な,.^しを、 乳母の 夫是を 懷に藏 し、 壇の 浦. 赤 間 ケ關の 憂き 浪風を 凌ぎ、 

渺々 と對 州へ 遁れ 忍びて、 此子を 養育し 年月 を 送, 9 し 程に、 次第に 成人し. 太 郎右馬 

助 惟 宗とぞ 申しけ る。 此惟宗 に 子 あ, 9。 右 馬 彌次郞 右衞門 尉と 號し、 宗を 以て 始 

めて 名字と す。 然るに 其頃對 州の 主 を 阿比留と 名づ く。 寬元四 年の 頃、 右 馬 彌次郞 

謀を囘 して、 彼の 阿比留 を 討 殺し、 對州を ぞ奪ひ 取 ける。 今の 負 盛 は、 此 右馬彌 

宗家 由 來の事 コ ェ.. 



北肥戰^1| 卷之五 i 

次郞に は、 七 代の 孫と ぞ聞 えし • > 

探題 滿直 討死 附 子息 萬 壽丸 任職の 事 

愛に 少贰滿 真の 弟 橫岳孫 次 郞賴房 は、 頃 肥 .筑 の 際に 徘徊し、 一 門 所々 に 討 たれて 

後 * 我が家 衰 C に 及びし 事 口 惜く思 ひし かば、 當時は 澀河. 大內 が威强 くして、 世の 

大事 を 思 立ち 難き 時節 なれば、 鬼 角に 曰 を 墓し、 永享五 年の 冬 は、 東 肥 前に 忍びて あ 

. ^しが、 翌 くる 六 年 甲 寅 正月 犇々 と 思 立ち、 少貳舊 好の 輩 を 相 語ら ふに、 高木 兵部少 

輔胤 秋. 千 葉 介 凰鎭. 龍 造 寺 又六郞 家季. 於 保 因幡 守宗 親. 小 田 常 陸 守貞光 • 馬場 肥 前 

守資幸 • 江上 四 郞常種 、姉 河 大藏大 夫 友 安、 其 外宗. 出 雲. 筑紫. 朝日 以下 一 * 同心す • 

頼 房 大にカ を 得、 探題 溢 河 滿直を 攻めむ と 用意し ければ、 滿直 急ぎ 神 崎 へ 出向 ひ、 

橫岳 以下と 對陣ぁ 斯 かる 處に 同月 廿日、 滿直 不慮の 戰に 討死 せらる • 然る 間、 

橫 岳が 從兵、 勝に 乘 b 探題 方の 輩 を 悉く 退治し、 賴房頓 て 東 肥 前を頜 知し, 文 安の 

末に 至り、 少貳の 代官と 稱 して 三 根 郡に 居住し け, 9* 



If 直の 子 

敎 直探蹬 

職に 輔ゼ 

らる 



去年よ,. >國 中 牛 stT 犬 狂 ひて 人 を 喰 ふ 事、 言語 道 斷なリ • 

前 採 題 漉河武 藏守滿 直" 神 崎の 軍に 討死の 後、 九き の 探題 闕職 なりし 處に、 同永享 

六 年 十月 十六 日、 義敎將 軍より 御 敎書を 以て、 滿 直の 一 子萬壽 丸と て、 今年 十三に 

なられし童形に、先例に任せ探題職に辅すべき旨仰下されけ..^• 然る 間、 离壽丸 則 

ち 元服 あ h.。 御 諱の宇 を 給 はりて 右衞 門佐敎 直と 改めら る。 斯くて 新 探題 敎直緣 

部の 城に 居住し、 家人 碧 海 • 森 足 助*齋 藤 を 教權と 定め、 鎮 西の 司 職 懈怠な か 

けり。 其頃從 弟お 近 將監義 俊 は、 筑後國 酒 見に あ b ける が、 今年 十 1 H: 十四日に 卒 

,v リナ 。或はい ふ、 十 1 月廿 一 日 酒 0^- 卜 

去 ま,""' --- 於ズ菊 池の 爲 Li 討死と おり。 

今年 九月 十三 日、 佐 嘉. 香 田 合戦 * 

千 葉 介 胤 鎭浪- 



永 享九年 丁 巳、 小 城 天 山 御池の 魚 死す • 頗る 當 郡の 化 異なり。 今年の 冬、 千 葉 介 凰 

鎭の 老臣に、 中 村左衞 門 五郎 胤宣 とい ふ 者 あ.^。 聊か 主 を 恨む る 事 あ て 逆心 を 

探 組^ 直 討死 付 子息 萬 壽.? - 任職の 事 千 葉 介胤鎮 浪人の 事 



北 肥 戦 卷之五 § 

揷み、 胤 鎭の弟 彌次郞 胤 紹を大 將に取 立て、 主の i 鎭と 合戦に 及び、 度々 の 軍に 打 

勝って、 竟に胤 鎭を追 出しけ b。 其 後、 中衬、 大內介 を賴み 公儀 へ 諫ひ しかば、 胤紹 

則ち 當 家の 嫡流に 立 つ て、 先祖 相傳の 知行 小 城 郡 を 下し 給 はり、 右 京大 夫に 任 中 • 

又 彼の 中 村 も 御家人に 召 成され、 小 城の 郡 代と 稱 しけ,. >。 斯くて 中 村が 方へ 御敎 

書 を 下され、 千 葉 介胤鎭 事、 多年 少貳に 一 * し、 公儀に 對し 不忠の 者な り • 速に 誅 

伐 致す ベ きの 由 仰 出されし かば、 中 村、 軍兵 を 催し 胤鎮の 在所 を 尋ね 求む。 此 時の 

御敎 書に いふ。 

千 葉 介胤鎭 事、 尋,, 究落 所, 嚴密可 其 沙汰; 若 有,, 許容 族, 考 可, 爲,, 同罪, 之旨觸 • 

催國 中; 於 谷,, 物騷, 者、 共以 不曰ヌ 被お-ま 治, 之 由 被-仰 下, 也。 仍執達 如&: • 

永亭 十年閏 正月 廿 一 日 大和 守 在 判 

肥 前 守 在 S . 

中 村左衞 門 五郎 殿 

? くら 3 * 

斯 かりし 程に、 胤鎮は 居所 を閻 まし, 山 賤の柴 の 菴に身 を 寄せけ, 然る 處に、 文 



安元 年の 冬、 譜代の 家人 岩 部. 仁 5, 由 原. 平 田. 鑰尼 以下の 者 共 相 集, 5、 斯くて は 然る 

ベから すと、 胤鎭を 大將に 仰ぎ 恩顧 輩 駆 催して、 圃府の 牛 頭 城 III。 へ 押 寄せむ と 

議す。 胤紹. 中 村是を 聞きて、 勢 を 率し 合戦 度々 に 及びし が、 翌 くる 文 安二 年 乙 八 

月 十七 日、 上 佐 嘉. 春 日の 軍に、 胤紹、 大に利 を 失 ひ、 國府を さして 返き しに * 天罰 塞 

に遁れ難く、胤紹年三十八、嫡子政sstに中村左衞門五郞立所に討たれにけ.^。 其 

、外、 故 今 川 仲秋の 子孫 今 川國治 • 同 子息 秋弘、 當 國に殘 居た b しが、 胤 紹の方 人に て、 

此 1 亂に討 たれし とぞ 聞え し。 期くて 千 葉 介 胤鎭、 頓て國府へ移り牛頭城に入,.^ 

小 城 郡 を案堵 する 上、 前の 探題 今 川の 舊領 佐嘉. 称 島 を も押頜 して、 國 中に 威 を 振 

ひ、 享德の 頃 は 巳に 肥 前の 國 主と 仰がれけ,..^ • 



北 肥 戰誌卷 之 五 終 

千 葉 介 胤鏞 浪人の 事 • ニー:^1 



* 肥戰諸 卷之六 i 

一 北 肥戰誌 卷之六 . 

松 浦 肥 前 守義赤 烏帽子の 事 

永享 十三 年 辛 酉 1 一月 十七 日、 改元 あ b て嘉吉 と號す • 同 六月 二十四日、 公方 義敎公 

を、 赤松 左 京大 夫 滿祐、 己が 洛三條 の 館に て 討ち 奉.^、 御 舍弟大 覺寺殿 を も、 日向 國 

にて 殺し 申す。 然るに 滿祐、 身の 重科 遁れ 難く 思 ひし かば、 急ぎ 分! i 播州 へ 馳下, 9、 

白旗 城に 楣籠 け, 9* 斯くて 日本 國の 大小 名、 赤松 返 治の 爲め 播州 へ 馳 せ.: i: は る。 

中にも鎭西ょh^發向の諸將には、 採 題 溫河右 衞門佐 敎直. 大內新 介敎弘 • 太宰 新少貳 

敎賴. 島津 修理 亮忠國 • 伊東 rc 向 守 氏 祐. 菊 池 肥 前 守武房 • 大友左 京 亮親綱 • 戶 次次 郞 

氏 世. 宇都 宮豊前 守 淸綱. 同 城 井 式部 大輔 安綱. 麻 生 次 郞元親 • 宗 像 三 河 守 重 宗. 原 田 

五郎 弘種、 其 外 蒲 池. 田 K. 三 池 拿 野. 星 野. 河 崎. 千 葉. 高木. 龍 造 寺. 宇 久- B 高. 有 馬 .大 



松 父子 

誅伐 せら 



る 



松 浦 家 赤 

til 蝸 子の 

由来 



村. 上 松 浦 を 初と し、 八月 半に 打 立ゥて 播州へ 押 渡り、 九月 十三 B 、白旗 城 を 攻め 落 

し、 滿祐 父子 を 誅伐し,. U 君の 靈 前に 備へ 奉りけ 其 中に 平 島の 地主 松 浦 肥" 1 

守義 は、 近年 在京し ける に、 義敎 公の 御 愛憐 深く、 雨の 夜. 雪の 朝 御前へ 召 出され、 

御 恩 深き 者な. > しに、 今度 將軍 不慮の 御 生害 あ.. - しかば、 悲歎の 涙 更に 乾か や、 

ぎ播磨 へ 馳せ向 ひ、 忠戰 他に 柚んで * 逆臣 赤松の 一 類 を 悉く 討 C し、 軍 散 じて 後、 播 

州よ. 9 直に 上京し、 則ち 剃髮 して 天叟 入道. V 號し、 洛中の 佛 閣へ殘 なく で、 彼の 

御 菩提 を 懇に吊 ひ 申しけ,. >。 さても 此肥前 守、 平生に 出仕し ける 時、 赤 烏帽子 をぞ 

著しけ る。 其 仔細 を尋 ぬるに、 義敎 公、 猿 を 御 自愛 ましく、 御前 祗 候の 諸 大名へ 

御戲 あ, CV て 放し 憑け 給 ふ。 されば 皆 人 周章て、 興 ある 事 ども 多 か ,0 け. cs。 然るに 

肥 前 守、 件の 猿 を 避けむ 爲め、 兼ねて 工夫 を 回し、 朱塗の 烏帽子 を 著しければ、 案の 

如く 彼の 猿 懼れて 近づか ざ, 9 け, o。 是ょ. 9 して 平 の 松 浦、 代々 赤 烏 幅 子 を 著し 

ける i ぞ 承る。 



松 浦 肥 前守義 赤烏轔 子の 事 



北 肥 戦 誌 卷之六 



松 浦 家 由来の 事 一 



松 浦 家の 

由來 



抑.. 极 浦と いふ は、 人 王 五十 一 代嵯蛾 天皇 第 十二の 皇子 從 一 位 河原 大臣 融の 後胤、 

渡邊源 ニ別當 綱が 嫡流なら。 融の子 を 右大臣 光と 號す。 此光は 子息 宫內卿 燈の罪 

科に 引かれて、 攝州 渡邊に 流され、 配所に 於て 卒去 せらる。 綱 は 光に 四 代 融には 

五代の 孫な り。 然るに綱、堂上に仕へて丹後守に受頜し、又故ぁ..^て攝津守源賴光 

の 家臣と な b 、武勇 萬 人に 勝れて、 ある 時 は 鬼 を 伐 變化を 討つ。 一 年賴 光、 肥 前 

守に 任じて 上 松 浦の 名古屋 へ 下向ぁ^^^-し時、 綱 も 供して 下 hz 暫く 在國 せし に 依 

て、 一 人の 男子お 儲く。 名 古尾に て 出生す る 故、 則ち 名古屋 次郞授 と名づ く。 其 子 

は 後 三 條院に 仕へ、 北面に あ,. > て 瀧 口 を懲け 大夫泰 とい ふ。 其 子 五 人 あ, cs。 1 は 

大失 判官 久、 二 は 渡邊總 官大夫 判官 傳 と號 し、 白 河院の 北面に て 弓馬の 達人な り。 

此傳が 子孫 は、 皆 源 三位 賴 政の 家人と なる。 三 は 左 il 允至と 號す。 此 至が 子孫 は 

甲斐 國へ 下向し、 狻に武 田の 家臣と なる。 四 は 勝 五 源十郞 引- 



と i す 



松 浦の 四 

十ス黨 



の 源大夫 判官 久は、 久安 元年 戊展、 初めて 肥 前の 領知下 松 浦へ 下向し、 今 福の 梶谷城 

に 入 b 、松 浦大夫 判官と ぞ稱 しける。 其 後、 彼の 子孫 次第に はびこり、 上 松 浦. 下 松 

浦と 分れて、 都合 四十 八黨 とな b ぬ。, 所謂 波 多. 佐 志 * 有沛. 値賀 •= 高 入 並 -牟 田 邊- 

馬場. 畑 島. 相 知. 柬中 山. 黑 岩. 大河 野. 木 島 .隈 崎. 佐 里 右 志. 大野. 鴨 打 • 小 濱夫板 •ffi". 

波 多津. 赤 木. 長 崎 .庄 崎-寺 田. 神 田. 飯 田. 荒 久田. 梶 山. 西 山 .呼 子. 塞 水 井. 嚴木 • 隈辻 • 西 

浦. 船 原牟卢 山 代. 志 佐. 峯由千 御厨. 公文. 鷹 島. 瀧 口. 平野. 吉野 .i^ 田. 鶴 田. 伊 萬旱庄 

山. 志自支 • 松 川と 谷! 名 を 分 つ て、 上 松 浦 黨の輩 は、 鬼子 嶽の城 波 多 を 以て 棟梁と し、 

下 松 浦 黨の輩 は、 梶 谷の 城主 正 嫋の极 浦 を 以て 旗頭と す。 此 一 族 兼ねて 血判 を 速 

ね 一 * 同心し け b。 武藏の 七 黨. 肥 前の 松浦黨 とて 世に 隱 なし。 

新 少贰敎 賴御勘 氣の事 

今度 赤松 追討 使の 中に、 太 宰新少 貳敎賴 は、 兼ねて 御 勘當の 身に て ありし かど も • 

頃日 漸く 御免な, し 慮に、 幾程 もな く、 此度 赤松 詠戮の 事に 付いて、 後 御 彻氣を It ぶ 

新 少貳敎 賴御勘 氣の事 一 一 一 九 



*g 戰誌 卷之六 



s 



新 少戒敎 

賴勘氣 の 

由來 



いはれ 



.9 け. 9。 其 謂を尋 ぬるに、 彼の 敎賴は 去る 永享の 頃、 秋 月に て 自害せ し 前の 少貳滿 

貞の 三男な h^。 父沒 落の 時 は 九 歳に なり、 兄 第 同じく 對 馬に 隱れ て、 宗讃岐 守貞盛 

を賴 みて ぞぁ b ける。 然るに 兄 初 法師 丸 元服して 嘉賴と 名乘, 9 しが、 過ぎし 三月 

五: n 、年廿 一 にて 早世し、 此敎賴 は 松 法師 丸と て、 今年 十八 歲 にな、 りし を、 宗貞 盛、 

少贰舊 好の 者に て、 當 家の 斷絕を 歎き、 頃 H 京都の 奉行 頭 人へ 樣々 Si 諌ひ、 竟に御 

赦免 を 蒙 b 元服せ させ、 御諱字 を.^ 給 はりて 敎賴と 改名し、 先例に 任せて 太 宰少貳 

に 補任し けり。 然るに 敎賴 * 今度 京都の 騷劇を 聞き、 取る 物 も 取. 敢 へす 貞盛を 軍 

奉行と し、 兵船 數十艘 に 取 乗. て 對州を 出船し、 赤:; II が循 籠.^ たる 播磨國 白旗 城へ 

錄 向す。 斯 かる 處に、 海上に て 俄に. 逆 a 吹き出し、 白浪 船 を 覆 ひ 洪波原 を 混して- 

水 主. 構 取と もに 進 返 度に 迷 ひ、 忽ち 沒 して 海底に 沈む かと 肝 を 冷す 計. な. y。 さ 

れ ども 鬼 角して 數曰 を歷、 漸く 山陽 道 へ 上, o、 九月 下句、 白旗 城に 著き しか ども、 早 

過ぎし 十二 日に 落城して、 赤松 一 類悉く誅伐ぁ.^し後なりしかば、少贰は矢 一 筋 を 

も 射す、 空しく 歸陣 しけり。 大內介持世は、兼ねて少威を惡む者な,.^しかば、願ふ所 



の 幸と 悅び、 新 少贰敎 賴は& 儀 を輕ん じ, 今度 播州への 出 勢遲滯 せしめ、 合戦 を も 

腸まざる の 由、 京都に 惡樣に 注進 申す j 新 將軍義 勝 公 は、 未だ 御 幼稚に て 何の 御 差 

將^^ 勘 別 もまし まさす。 舉 行頭 人 も大內 介の 申す 呀眞實 と はれし いぶ. 敎^ 科 なくし 

氣.^ 蒙る 

て 再び 御 掘氣を 蒙. けり。 斯くて 少貳 は、 太宰府の 本 所へ も 住^ 叶 はす、 又 今. 史に 

は S 馬へ も隱れ 難く 思 ひし 故、 肥 前國へ 返いて、 京都の 舉行斯 波 治 部 大輔義 細 

川 右 京大 夫 持久 • 畠 山 左 兵衞佐 梓國, まで、 此度 播州 遲參の 事、 全く不忠の所^:^に候 

はや、 海上の 風波 凌ぎ 難き に 依,. = 'て、 力 及ばざる 所な b と: 冉三 愁訴 あ b しか ども- 

是を 執す る 人 もな ぐ、 彌.^ 不忠の 罪に 沈みけ .0。 斯くて 同年の 冬、 大內介 持 世. 少貳 

Sifl 返 治の 御 敎書を 給 はり、 大勢 を 率し 防 州 山 口 を 打 立ち- 關 口へ 渡海して 筑前國 に 著 

陣す。 然るに 大內の 先 勢 * 早 肥 前へ 討 入. しかば、 千 葉 介 胤 儘、 少 或に 一 * し、 同 十 

二月 廿 七:::、 小 城の 下隈に 於て 大內 方と 相戰 ふに、 中 村. 逸 江 守 討死す • され ども 千 

葉 介の 手の *T 合 戰に打 勝って 大內 介の 軍兵 共、 柬肥 前へ 引返く。 此時、 少貳の 一 

族に 馬場 .iMLP リ筑 紫. 朝 日-宗. 出 雲. 江上 以下 一 所に 相 集り、 三 根 郡に 於て 大內 勢と 相 

• , 新少甙 敎賴御 勘: 擞の^ lull . 



戰ふ。 中にも出雲•宗進んで挑み戰ふに、大內介持世疵を蒙.^引返く。 時に 如何な 

る 者 かした けむ。 一 首の 狂歌 を 高札に 書きて 立てけ, o。 

牝 ぐる i て 背中に 痴を負 ふち 殿 重ねて 恥 を嘉吉 元年 

對 州の 宗貞 盛、 少貳と 一 っにな.=^、中にも自ら手を碎き、北ぐる敵を追立っ。 其 外 松 

浦黨留 主. 草 野 • 日 高 以下、 貞 盛に 續 いて 戰ひ しかば、 大內介 持 世、 豊前國 へ 返き け 

,.^。 斯くて 持 世 は、 九州の 軍に 打 負く る 由 京都 へ 聞え し か ば、 明く る嘉吉 1 一 年 壬 戌 

の 夏、 大內新 介 敎弘が 其 頃 在京して あ b ける を * 重ねて 少貳 退治と て、 九州へ 差 下 

さる。 敎弘 上意 を 蒙. = ^、則ち 七 千 餘騎を 引率し、 洛を 立って 馳せ 下る。 先陣 は杉豊 

後 守 重 正. 陶越 前守弘 房な.^。 旣に 敎弘の 軍兵、 豊 前へ 著 船し ければ、 城 井 長野馳 

せ 加 はり、 筑前 へ 打 入,.^ ける に、 麻 生. 宗像 • 千 手 • 秋 月 以下 參陣 し, 敎弘旣 に 二 萬餘騎 

にな b て、 勢 堂々 と 営 崎に 著陣 し、 先 づ少貳 方の 城々 二三 箇所、 不日に 攻め 落しけ 

然るに 少 貳敎賴 は、 去 冬の 合戦に 打 勝ちし 後、 近 國の輩 從ひ附 きし かば、 大內新 

介が 重ねて 攻め 來る由 を 聞き、 寶滿岳 を 本 城に 構へ、 肥 前. 筑後. 筑 S の 軍 を 催し 集 



賴 以下 對 



めて、 太宰府に 陣を 取り、 大內勢 を 待 憑け けり。 斯くて 大內の 先陣 杉 ま, 正. 陶弘 房、 同 

十月 初、 大軍を 以て 三 笠に 著陣 し、 少« が 太宰府の 陣へ押 懸け 相戰 ふ。 少贰方 朝日 

越 前 守. 窪 能 登 守 井. 草 壁. 上 松 浦. 下 松 浦- 對 州の 宗. 壹 州の 日高" 皆 身命 を拋 つて 

戰ひ しか ども、 大內勢 雲霞の如く にて、 終に 太宰府の 陣を討 破られ、 寶滿の 要害 を 

も 攻め 落されて、 敎賴を 初め 宗貞盛 以下、 悉く 同 十月 五: :!、 船よ b 對 へ 押 渡 b け 

り。 此時、 大內の 家人より 肥 前 國神崎 七 山の 輩 共へ 差 送 b し狀に 曰く、 

面々 御 同心に て 自然 之 時 可:, 被 Z 立-, 御用 > 之 由、 委細 承 候。 可 V 然御連 狀之趣 可 K 致: -披 

露, 候。 次 少貳幷 對馬者 共、 一 昨日 §则 。船 乘沒落 候。 無,, 是非, 候 ^ 仍松浦 衆 中に 今 

度少々 敵 奔走 候 方々 者、 一途 可, 有,, 御成 敗, 由、 採題樣 被.,, 仰談, 候 間、 近 =1陣 可 

, 被, 召 候。 於,, 其方, 自然 御用 候 者、 御 奔走 肝要 候" S 過 前" 而町、 候。 恐々 謹言 • 

十月 七日 宗 親 ^ 

神 崎 七 山 衆 中 

斯くて 大內新 介敎弘 は、 太 宰少貳 を 追 落し、 猶 其殘黨 退治の 爲め、 肥. 筑兩隨 の^に 

新 少^ 敎賴御 勘 氣の事 1 ほ 



® 之 六 

在陣 して 悉く 討ち 卒げ、 探題 S 河 右 衞門佐 敎直を 博 多 娃の濱 の 城に 居 ゑ ^ 陶越前 守 

房を笞 崎に 差 蘆き、 仁 保 加 賀守弘 直 を 太宰府へ 移し、 原 田彈正 少弼弘 種. 秋 月 中 

務大輔 種繁を 高祖 • 秋 月 雨 城に 籠 置きて、 少武の 餘類を 押へ、 大內介 敎弘は 頓て防 

州へ 歸陣 しけ..^。 



北 肥 戰誌卷 之 六 終 



匕 





誌 



卷之七 



少 1^ ハ敎賴 御勘氣 御免 ^ 又 御 勘 當の事 



少 贰教賴 

勘 氣钕免 



敎賴 まれ 

勘 當乜ら 

る 



文 安三 年 丙 寅の 頃、 太宰少 貳敎賴 は、 大內 介の 讒言に 依.^ て、 對州 へ 浪人 あ b し を、 

宗刑 部大輔 平貞國 上洛し、 義政將 軍へ 謁し 奉.^、 管領 細 川 右 京大 夫 勝 元に 屬 して、 

少貳家 返 轉の事 を樣々 歎き 訴へ しかば、 敎賴御 勘氣御 赦免の 旨 仰 出されけ り • 貞 

國悅び急ぎ對馬に歸,.^ぬ。 斯くて 敎賴 多年の 蟄懷を 11 き、 再び 家 を 興して 對州を 

出で、 太宰府の 館へ 歸, 入らる。 然るに 文 安 六 年に 改元あって、 寶 徳と號 す。 今年 

內裏 炎上す。 此時 敎賴、 紫宸 正面の 柱の 用水に、 口 三尺 六 寸の沉 香の 木 を 進奏ぁ 

,.y。 希代の 名木な りけ,^。 然る 處敎賴 、翌 くる 資徳ニ 年 庚 午に、 又大內 介が 爲め、 

太宰府 を沒 落し、 肥前國 へ ぞ 赴かれけ る。 其 頃當國 佐嘉郡 小^ 鄕に、 龍 造 寺 隱岐守 

少^ 敎賴 御勘氣 御免 附叉御 勘 當の事 SSI 



北 ii 戦 誌 卷之七 

家 氏と いふ 士 あり。 先 累代 少貳 恩顧の 者な.. > しかば、 敎賴、 彼等が 許へ 入來 り、 

1 向に 賴 まれけ る 間 • 家 氏 仔細な く頜 掌して 、額て 我が 館の 西 與賀の 庄に耍 害の 地 

を 撰び、 新 城 を 築き 敎賴を 移し 居け り。 - 

龍 造 寺 家 由来の 事 , 

抑.. 彼の 寵造 寺の 先祖 を 尋ね 聞く に, 大織冠 鎌足 公の 後胤 後藤 太 下野 守 秀鄕の 末葉 

代々 朝家に 仕へ、 ある 時 は 北面に あ.^ て 左右の 衞府に 任じ * ある 時 は 受領し 

て、 伊豆. 相 摸の 守 となる。 然るに 秀鄕八 代の 孫 左 衞門尉 藤 原 季善, 仁 平 元年 辛 未 

の 春、 八郞 御曹司 源爲朝 九州 下向の 時. 尾 張 守 家 遠と :!^ じく 附從 ひ、 初めは 豊後國 

速 水に 下 著, せ爲朝 時に 十三。 比類な き猛將 にて、 肥後國 阿蘇 平 四郎を 先駆と 定め、 

三年の 中に 九州 を切從 へ、 所々 に 監代を 置かる、 の 時、 季善, 肥 前に 來 hv 小 津鄕龍 

造 寺 村に 居住す • 然るに 爲朝、 久壽 元年の 九月、 筑前國 香 椎宮の 神主が 訴に 依.^ 

て、 父爲義 より 召 返され 歸京 あ...' しに、 季善 は猶肥 前に 殘り 居て、 後に は 龍 造 寺の 



執行 職と な. o、 則ち 名字 を 龍 造 寺と 號し、 小 津鄕を 知行した >^。 其 子 龍 造 寺 南 次^ 

季家、 治 承 四 年 八月、 源 賴朝卿 義兵の-初、 家人 岩 松 七郞を 山伏に 作り立て、 天台の 

僧覺圓 と倶に 關柬へ 上せ、 右兵衞 佐 殿に 通じて 御昧 方に 屬し、 元 暦 元年、 卒氏西 海 

に沒 する の 時、 三百 餘騎を 以て 豊 後の 曰 田へ 出向 ひ、 蒲 殿の 手に 馳 付きて 軍忠 を^ 

す。 依 b て 文治 二 年 九 0: 廿 七日、 頼 朝 公よ b 下 文 を 給 は.^、 當國 第一 の 御家人た る 

ベ き 旨 仰 下され、 且 つ 肥 前の 本領の 上、 筑前國 長 淵 村の 地頭 職 を 給 は る。 又 其 孫子 

龍 造 寺 六郞家 益、 弘 安に 蒙古 來.^ し 時、 壹岐 の大瀨 門. 小瀨 門. 松 島 等の 浦々 に 於て、 

賊 兵と 相戰ひ 軍忠 を抽ム でし 故、 筑前國 比 伊 鄕* 筑後國 荒木 村 を 給 は b ぬ。 家 益の 

子 左 衞門尉 家 親、 少貳 入道に 屬 して、 元 弘の亂 に 探題 卒の英 時を誅 す。 其 子 民部大 

輔家 16.、 貞和. 觀應の 軍に 戦功 あ...^。 又 今 川 了 俊.、 滥河滿 賴に屬 し、 數 度の 軍 忠之ぁ 

る故、次第に恩賞を給は..^て 一 族繁榮 し、 今の 隱岐守 家 氏に 至り、 武名 世上に 隱れ 

もな し • 

龍 造 寺 家 由 來の事 I? 一^ 



小メ甙 討死 



北 肥戰誌 卷之七 M 

少, 貳敎賴 討死の 事 

太宰少 K 敎賴 は、 大內 介が 爲に御 勘氣の 身と な,^、 太宰府 を 立 返き、 近年 肥 前に 在 

國し、 寵造寺 を 賴み與 賀庄に 居住 ありし に、 頃 y は 譜代の 家人 も、 ゅ^:散々にな..^果 

て 幽閉 閑 疎の 有樣な h^。 其 頃本庄 村に 鍋 島 三 郞兵衞 入道 道壽 とい ふ 人 あ,.^。 敎賴 

さる ベ き緣ぁ つ て、 彼の 道 壽の許 へ も 徒然の 折に は 立 寄り 交りけ. =.。 然るに、 應仁 

二 年の 冬、 大內介 敎弘、 筑 前へ 渡海し 少« を 誅伐す べしと、 巳に 先陣 仁 保 加 賀守弘 

直馳 廻って、 深山幽谷まで 隈なく 尋ね 搜す 由、 風聞し ければ、 敎賴 斯くて は 叶 ひ 難 

しとて、 筑前怡 土 郡へ 打 出で. 舊 好の 家人 を 語ら はれし に、 所々 よ 馳せ集 b 要害 

の 地 に 陣を取 る。 斯 かる 處に、 中國 勢の 內 よ,.^ 陶越前 守が 兵、 怡土 へ 押 寄せ 相戰ひ 

し に、 敎賴 無勢に 依 て 利 を 失 ひ、 志 摩 郡 へ 落 行き、 同 十一 一月 六日、 終に 討死 を 遂げ 

け,.^。 行年 四十 四歲。 法名 國藩淨 鎭とぞ 申しけ る。 . 



鍋 島 家 由来の 事 

鍋 島 道壽と 申しけ る は、 父 は 長 岡 $i 勢 入道 宗元 とて、 元 來洛陽 北 野の 人 • 本姓 は 佐 

々木氏なh^。 永 徳の初 頃、 さる 仔細 あ て、 父子 同道 あ. o。 野 田 周 防 守 を 召 具し 肥 

前國へ 下向し、 先 づ千葉 家に 使り、 暫く佐賀郡鍋島村に住居ぁ,.^。 時に 本名 を隱 

し、 鍋 島と 在 名を稱 せられけ ,0,。 下向の 時、 北 野 社 を 勸請ぁ .0,。 今の 鍋 島 村の 天神 

是れな b。 其 後 千 葉 家 を 避けて、 龍 造 寺と 親しくな 、本庄 村に 移住 ありし に、 少 

贰敎顆 、長 祿. 寬 正の 頃、 時の 變を 待って、 與賀の 館に 居し、 卒 生に 參會 せられし と 

ぞ開 えし。 、 

千 葉 家 由来の 事 • 

文 安の 末の 頃、 義政將 軍の 御 治世に 當 し、 肥 前 國小城 郡の 地頭 を 千 葉 介 平版 鎭と 

稱す。 其 先祖 を 尋ね 問 ふに、 桓武 天皇の 御 苗 $ -下總 權介忠 常が 子孫、 顯東千 葉の 分 

少 11^ 敎賴 討死の 事 鍋 島 家 由 來の事 千 葉 家 由 來の事 IHK 



千 葉 家の 

來由 



北 ii 戰誌 卷之七 ISO 

家な り。 右大將 家の 御 時、 中 祖千葉 介 常 風、 鎭 西の 監 職に て、 關 東の 所領の 上 肥 前 

國小城 郡 晴氣庄 を 給 はりし よ,.^、 子孫 代々、 當 郡の 地頭と な.^ ぬ。 常 胤 六 代の 孫 千 

葉介賴 胤. 去ぬ る 文 永年 中、 蒙古の 武備と して 當國に 下 b て あ.^ ける が、 同 十 一 年 

の 冬、 蒙古と 相 戰ひ疵 を 被り、 其 手 癒えす して 翌 八月 十三 日、 小 城に 於て 歲三 十七 

にて 失せぬ。 其 子 二人、 關東 にあ.^。 中 新 介胤宗 は、 總 領を嗣 ぎて 下總 國を頜 し、 

太 郞宗亂 は 肥 前 國小城 を 知行し け..^。 此宗 胤, 永 仁 三年 正月 十六 日 卒去し、 其子大 

隅 守 風貞が 時、 建武 元年 甲 戌, 始めて 下總國 よ, 9 肥 前の 小 城へ 下向し ける とぞ 聞え 



し。 



千 葉 家 威勢の 事 



大隅守 胤貞, 小 城の 所頜 へ 下,^ し 後、 程なく 建武の 大亂ぁ つて、 尊氏將 軍、 鎭西 へ 沈 

a さ こ 

落 ましく ける 時、 胤 貞附從 ひ 奉 b 、多々 良濱. 和 田 御崎の 軍に 戟功 を播 し、 恩賞 を 

厚く 給 は. て、 太 宰少貳 と R に 九州に 威 を 振 ひ、 國府の 城に 居住し けり。 然るに 胤 



貞、 建武 三年 十一 月 死去して、 其 子 を 刑 部大輔 胤泰と いふ。 父の 家督 を 續ぎ高 田の 

城に あり。 延文四 年の 秋、 筑後 國大保 原の 合戦に 軍功 を抽 んづ。 彼の 亂泰の 子 を 

右 京大 夫 胤基と 號す。 其 子 今の 胤鎭な h^。 然るに 胤鎭、 永享十 年の 春 、舍 弟 胤紹幷 

に 家人 中 村 五郎 胤 宣が爲 め、 浪々 の 身と なりし かど も、 頓て 胤紹、 胤 宣を誅 し 本領 國 

府 へ 歸入 b ぬ。 斯くて 亂鎮、 前の 探題 今 川 家の 舊領を も 知行して、 國 中に 威 を 振 ひ、 

旣に肥 前の 國 主と 仰がれし が、 康正 元年 六月 廿 三日 病死して、 K 子 を 新 介 元 胤と ぞ 

いひけ る。 此 時の 執 權は、 岩 部播磨 守常樂 な, 9。 然るに 元 胤 •! ^生に 犬追物 を 好み、 

國府牛 IS 城 I 謂 I。 のの 北に 當 りて、^ 場 を 構へ 是を 興行す。 仁 u; 田. 鑰尼を 初め 究竟 

の 射手 廿餘 人。 呼次は•^^次郞太郞、 檣兒 は垂并 因幡 守な, 5。 又 猿樂を 好みて、 寬 

正 三年の 頃、 洛ょ b 觀世 太夫 を 呼 下し、 六十 三 間の 舞臺を 用意し、 日夜 舞 築を翫 ぶ。 

此時岩 藏寺淨 土院の 僧と、 三 間山圓 通の 住 侶と 棧 敷の 上下 を 爭ひ爭 論に 及ぶ。 斯 

くて 國 中の 贵賤 老若、 國府 へ 群集し、 千 葉 家の 全盛 此 時と ぞ 見えし。 斯か る處 に、 

寛 正 五 年 十: n; 廿 九日、 元 胤歲廿 八に て 早世 あ, 9。 一 子敎胤 十三 歲の 冬、 父の 遺跡 を 

千 葉; 水 威勢の 事 § , 



北 戰誌 卷之七 Is-) 

續 ぎけ..^。 時に 執 權は中 村 越 前 守胤賴 な. 

河 上 合 戰附今 河 伊豫 守 討死の 事 

〔新 力〕 

寶德 元年 己巳、 內裏 炎上せ しに 依りて、 同 三年 顒造 御成 就の 上、 年號を 改められ、 享 

徳に 移され、 一天 下 徳政 あ, o。 國々 半 均す。 然れ ども 夥しく 大地震し、 三月よ. -六 

月に 至.^、 如何なる 事に や、 小兒 多く 死す。 同 四 年 乙 亥 七月 廿 六日、 康 正と 改元 あ 

.9。 今年猶凶事のみぁ..^て、雷所々に落らて人多く死し、又大地震す。 帝都に は 昔 

の 蘇 我 入 鹿の 屍、 和 州よ b 入洛す と 聞 ゆ。 二 年 丙 子惡星 出で、 五月 洪水 田 畠 を 洗 

ふ。 斯 かる 凶惡多 きに 依,..' て、 程なく 改元あって 長 祿と號 す。 今年 丁 a 和 州猿澤 

の 池 血になる。 同 二 年 戊 寅 正月 卄 九日、 日輪 二つ 現す。 同閏 正月 二日の 夜滿 月、 八 

月廿 四日 大風 梢を碎 く。 同 三年 己 卯 六月 二日、 日輪 二つ 出づ。 同 四 年 庚 辰 改元 あつ 

て寬 正に 移る。 今年 百日 間 大雨 降 b 、三月に 洪水。 八月 廿 四日、 諸國 夥しく 大風 吹 

き 又 大水 出で、 郡 驟£ 畠 を 損じ、 九州 は い ふに 及ば や 五 幾. 七道の 飢饉 古今 未聞、 十 



き 



月よ,^ 饑人 道路に 屍 を ベ、 翌年の 七月まで 猶大 飢饉。 其 上天 下疾疫 流行、 人 死す 

る 事數を 知ら や、 骸骨 彌,^ 街に 充 ちぬ。 Si 三年 壬 午に は、 四月 入 n: に 日輪 三つ 竝 びて 

出現し * 翌 未の 正月 朔日 に も、 朝日 三つ 現れ、 同月 六日に も 亦 :!: 輸 1 一 つ 東西に 出で、 

〔化 力〕 さわぎ 

同 三月に 疾病. 時晚人 多く 死す。 近年 斯 くの 如きの 天變、 如何なる 世の 騷か ある ベ 

きと、 歸國の 貴賤 足 を { 仝に しけ,. >。 其 頃 肥前國 佐嘉庄 に、 今 河 伊豫 守 源 胤 秋と いふ 

者 あり。 前 探題 今 河 右 衞門佐 仲秋の 子に て、 千 葉と は 母方に 付いて 親し か し&、 

常阈に 留.. -、 前 千 葉 介の 憐を 以て、 探題 頜の內 與賀. 河 副 兩鄕を 知行し け. o。 然るに 

此胤 秋、 如何なる 仔細 や ありけ む。 千 葉 家の 恩 を 忘れて、 採 題 溢 河右衞 敎 直の 

綾部に 居られし に牒し 合せ、 當千葉 介 敎胤を 討た むと する 由、 小 城へ 聞 ゆ。 千 葉の 

教權中 村 越 前 守 胤頼、 其 實否を も 聞 分け や、 彼の 今 河 を 返 治すべし と、 S 正 六 年 乙 

酉 五月 廿日、 急に 小 城. 佐嘉兩 郡の 間を觸 廻す に、 小 城に は 岩 部 播磨守 常 樂. 同名 備 

中 守. 中衬彈 正少弼 胤明. 仁 田 阿波 守 胤 箱. 同 左 馬 助. 中 衬伯耆 守. 田將監 • 山 鹿 主 

税 助. 堀江 和 泉 守. 同 助 三 郎* 同 伊豆守 • 同 常 陸 介 を 初と して、 南 里. 古川 • 江 ロ* 柬鄕 • 

河 上 合 戰附今 河 伊豫 守 討死の 事 IS 一 11 



北 肥 戦 誌 卷之七 一口 

粟飯原 以下、 佐 嘉には 高キ澀 谷 • 神代 等 馳せ加 はって、 都合 貳千 餘騎、 今 河が 館へ 

押 寄せ、 城を圍 みて 攻 むる 事、 三日三夜な ひ。 され ども 今 河 烈しく 防ぎ、 結句 寄 手の 

中よ b 宗徒と 賴 みたる 中 村彈正 少弼、 城 中に 一 味し、 却って * 方 を 討ちし かば • 千 

葉 家の 軍兵、 利 を 失 ひ 河 上へ 陣を 引く。 今 河 一 戰に打 勝ち 力 を 得て、 同月 廿 四日 

河 上 合戦 の 酉 刻、 河 上に 到り て 中 衬が陣 へ 押 寄せた,^。 中 村 越 前 守、 兵 を 下知し 命 を 輕んじ 

相戰 ひしに、 如何した b けむ。 大將の 越 前 守、 矢に 討 たれに け.^。 是を 見て 子息 

彌六郞 妙 胤 を 初 め、 同名 伯耆 守. 武雄加 賀守. 同大 藏允 • 堀江 守 • 同名 常 陸 介. 同 

彥 太郞. 同 三 郞同森 太 郞* 馬 郡對馬 守 • 同大 膳 亮 以下の 千 葉 勢 五十 餘人、 馳入. -く 

討死す。 斯 か,^ し 程に、 今 河 方に も、 今 河 攝津守 • 同相 模守 • 同 近 江 守、 其 外 究竟の 

輩 十四 八. 討 たれて、 六十 餘 人手 を 負 ひ、 曰旣に 西に 沒 する 故、 兩陣 颯と 引返く。 斯か 

越 前の亂 る 半ば、 越 前 守が 弟 仁 u; 田 中 務少輔 と、 圓诚 寺淡路 守. 山 口 肥 前 守. 石 井越 後 守等談 

合して、 雙方 和平の 諭 を 入れし かば、 兩陣軍 を 止め 頓て 歸陣 しけ.^。 此合戰 を 其 頃 

兒々 の唱 に、 越前亂 とい ふなり。 されば 今年 は 大きに 旱魃し • 六月十八日ょ..^雨 一 



滴 も 降らす、 七 月 廿 九: z に 大風 夥しく 吹 出して、 大潮 漲り 上 b、 肥 前の 南海よ. H 二 

里 上 は、 船 を 以て 往還す。 九州 是に 同じく 田 畠 悉く 溺れ 减じ、 菓穀 共に 搜 るに 希 

な,. >。 斯か b しかば、 量賤 の困寤 いふ 計. 9 なし。 然るに 九月 十三夜 は、 明月と て老 

若 月 を 眺めし に、 西 天に 大星 流れ、 東天に 漫. 9 て 其 音 偏に 迅雷の 如く、 見聞く 者 皆 

地に 臥し 氣を取 失 ふ。 近年 打續 き、 斯 かる 天災 古今 宋だ之 を 聞かす とぞ人 申しけ 

る。 明 くれば 寬正七 年 丙 戌、 改元あって 文 正と 號す。 今年 今 河 伊豫 守 胤 秋と、 千 葉 

介敎胤 重ねて 河 上に て相戰 ひ、 其翌 くる 應仁 元年 丁亥 六月に、 猶雙 方の 遺恨 暗れ 

す、 今 河よ b 探題 澀 河の 方へ 加勢 を 乞 ひ、 其 上 佐嘉郡 中の 土民 を 相 語ら ひ、 同月 廿 

日、 新 庄の居 館 を 打 立ち、 小! g 境 へ 出張して、 先づ 民屋 を燒拂 ふ。 千 葉 介が 家人 等 • 

是を見て爱かしこょ,.^馳せ集,^、 同廿 一 日、 今 河と 挑戦し ける に、 今 河 方 打 負けて、 

S3 

大將 伊豫 守 亂 秋 を 初め、 舍弟右 衞門大 夫 • 同 次郞大 夫. 江 頭攝律 守. 同 又 太郞. 猶富筑 

前 守. 高 柳 周 防 守 以下 佐嘉の 輩、 歷々 皆 討死す。 斯か.=^しかばp河の加勢も、悉く散 

散に な, -ぬ。 此後千 葉 介、 今 河が 領知を も 殘らす 知行して、 彌,. 國 中に 威 を 振 ふ • 

河 上 合 戰附今 河 伊豫 守 討死の 事 isli 



北 见戦誌 卷之セ 

賴 朝臣 今 河 胤 秋、 法名 今と I ^す。 新庄衬日音寺に葬る。^! 

寺 は 胤 秋の 母 法名 日 音 女 建立。 日 音 は 千 葉 介 平 胤基の 1 女 

千 葉介敎 胤藤津 出張 附沒 死の 事 

應仁三年己?^-の夏、 千 葉介敎 小 城. 佐嘉の 軍兵 を 相 催し、 大村 日向 守 家 親 を攻む 

ベ しと、 藤津 へ 發 向し、 六月 十五 tn: 溶 松に 著陣 しけり。 然るに 當 H は此 所の 祇圓會 

なりし に、 千 葉 介の 軍兵 共、 押して 社內 へ 亂 入し、 神事の 儀式 を 妨げ、 剩 へ 魚肉 を収 

喷ふ など、 其體 殆ど 法に 過ぎた, £>。 神官 等、 大に腹 を 立て 是を 制すと 雖も、 大$- な 

れば 力なし。 斯 かる 處に、 不思議 や 晴天 俄に 搔 曇,.^、 雷 天地 を 響かし、 塞 雨 肌 を 打 

つ 事德を 突く が 如く、 東西 忽ち 陪閽 となりて、 人心 更に 迷茫た b。 千 業 介が 軍兵 共 

勸轉 し、 こ は 神 雷の 爲め摑 み 殺さる、 ぞ。 急ぎ 歸陣 せよ やとて、 湊 にあ..^ ける 船 共 

に取乘 り、 國府を 措し て 北げ 歸 る。 然 るに 海上 大波 天 を 混し、 暴 a 逆に 吹い て、 千 葉 

が 船、 旣に大 町庄篠 島の 沖よ. り 八丈島の 入江に 漕ぎ 入.. > ける 時、 牛 頭 天 王の 怒猶止 

まざる にや。 大將敎 胤の 乘船を 忽ち 打飜 し, 敎胤を 初め 宗徒の 家人 百餘、 水 手. 楫取 



ともに 一入 も殘 らゃ沒 死し け..^。 敎 S 生年 十八 歲な 斯くて 當 家の 嫡流 斷絕し 

ければ、 I 族 家人 力 を 落し、 或は 臂を 切, て 遁世し, 或は 領知を 捨て , 行脚と な b、 

千 葉 家の 浮沈 此時 なりし を、 斯くて は 叶 ふべ からすと 谷,^ 詮議して、 同氏 右,;:: 小大夬 

胤 紹の次 胤 朝と て あ. し を、 同月 下句、 敎 胤の f 返 跡に 定め 國府 へ 迎 へ 入れけ 

然るに此時の執權は、岩部播磨守常樂•中衬^正小ノ弼胤明な..^。 兩人 ともに 先君 敎 

胤に 仕へ、 父母の 如くに 思 はれし かば、 取 分 主從の 愛好 深く • 先君 不慮の 落命 を W 

夕教 き、 施佛 供養の 外 又 他事な し。 され ども 家の 連 續を思 ひ、 止 を 得すして 相變ら 

や 今の 胤 朝に ぞ 仕へ ける。 然るに 同年の 七月、 岩 部 は 佐 嘉郡靜 謐の爲 め 府中へ 赴 

き 尼寺の 館に 居住し けり。 されば 兩雄は 必す其 威を爭 ふと かや。 中 衬彈正 部 を 

妬み、 時々 朝に 讒言し ければ、 胤 朝是を 信用 あ, o、 早 岩 部を誅 せむ と 其 用意 あり。 

土 一 揆合戰 の 事 

斯くて 岩 部 gs-M 吊樂 は、 中 村が 讒言に 依. 9 て、 無 實の罪 を 蒙る 由 ii 付けし かば、 

千 葉 介 敎撒餘 ^出^ 跗 死の 寧 土 一 疾 合戦の 事 5?. 



土 一揆 合 



» ^肥 戦 誌 卷之七 IB 八 

之 を 謝すべ きため 一 紙の 神 文 を 捧げ、 科な き 旨 申 開きし かど も、 胤 朝 更に 心 解け や、 

彌! 誅 罰すべき に 極ま,..^ ければ、 岩部爲 方な く、 太宰府へ 訢へ、 今 少府賴 忠§ まま f 

111 をぞ赖 みける。 賴忠、 岩 部が 申す 所、 實 にもと 思 ひ、 千 葉 介の 訴へ 使者 を以 

て 樣々 宥め 申されし かば、 其 儘に て 先づ七 八月の 兩月は 静謐し けり。 斯くて 今年, 

■ 改元あって 文明と 號す。 然るに 岩 部 は、 彌.. 府中に 居住し、 當秋佐 嘉北鄕 の 年貢 を 

免許し、 土民 を 撫育す る 大方なら や。 斯 かる 處に、 千 葉 介 胤 朝、 猶々 岩 部 を 誅戮す 

ベ しと 思 立ち、 軍兵 を 率して 九月 九日、 仁 ir; 田 近 江 守 を大將 として 府中 へ 差 向く。 

仁tIl田卽日尼寺に到..^、 先づ鬨の聲を揚げた..^。 然るに 岩 部が 兼ねて 撫育せ し 百 

. はた よろこび 

姓 共、 今年の 年貢 を 免され、 磘 と福祐 にな b て悅 の餘. cs、 今日 重陽の 酒 を 呑み 醉居 

た りしが、 此鬨 の聲を 聞きて、 愛 こそ 岩 部 殿の 厚恩 を 報 やる 所よ と、 鄕 民の 司 三人、 

. ^伏. 惡 $5. 百姓 共 一 萬 餘人取 集め、 鯨波 を 合する 事 二三 囘, 山川 震動して 夥し。 仁戶 

田 近 江 守、 思 ひしに 相違し 大に 驚いて、 敵 は 大勢なる ぞ。 返くべし と 一 戰 にも 及ば 

す、 河 上 山 田 水上 山へ 引返き、 夜中に 國府へ 北げ 歸 b ぬ。 岩 部 播磨守 は、 主な が も 



千 葉 介の. 罪な き 我が身 を誅 せむ とせられし 事、 ロ惜き 次第よ と言訇 、頓て 太宰府 

へ 注進し、 千 葉 介 退治す ベ しと ぞ 申し 請け 、る • され ど も 少貳是 を 免され す。 

か. 9 し 程に、 岩 部 は 主 を 討た むと せし 八 逆の 罪人よ と、 世の 人 惡む事 限な し。 然る 

に 中 村、 樣々 計 策 を 以て、 岩 部に 與 したる 土 一 揆共 を賺し 語ら ひし かば、 土 姓 

の淺 まし さは, 頓て又 中 村が 申す に 同心し 岩 部 を 追 出す。 播磨守 力 及ばす、 府中 

を 立 退き 高木 村に 到 b て、 居所 を 構へ 暫く あ b ける が、 何と ぞ 我が身の 不忠 を S 

し、 再び 會稽の 恥 を 雪めば やと 思 ひ • 翌 くる 文明 二 年 庚 寅 十月 十九 B の 夜、 胤 朝の 

介 第 妙法 院 出家して あ.^ し を、 俄に 還俗. せ させ 千 葉 次 郞胤將 と 名乘ら せ、 是を大 

將 として、 » 太宰 へいひ 送り、 少 甙政尙 I 仏 11: へ 加勢 を 乞 ふ。 政尙 是を倾 掌して、 

家人 朝 m 丹 後 守. 塞 甲斐 守 .武 藤 左 近將監 • 江上 肥 前 守?; ホ械 以下、 (-. 小 徒の に: 卓 兵 を 

副 へ て 肥 前 へ 差 向け、 岩 部へ 加勢せ られ けり。 中村彈 正 1 此由を 開 い て 主君 胤 朝 に 

向って 申しけ る は、 公、 某が 申す 處を御 信用 まし. (-、 S 部 を 捨てられ しに 依.^ て、 

今 此亂に 及びて 候。 然るに 近日 太宰府の 兵來 b て、 岩 部に 加勢す る 由、 定めて 大 

.HI 疾 合戦の 事 はれ 



北肥戦^1§ 卷之七 

勢に てぞ候 はむ。 然る 上 は、 某 十 死 一生の 合 戰を勵 み、 叶 はすば 討死して、 君恩 

を 死期に 報す る 外 候 はすと • 十 一 月 十四日 1。 の 刻、 軍兵 を 引率し 岩 部が 陣へ 押奇せ 

たり。 時に 岩 部が 手の者. 地下の 土民 等、 正 法 寺の 鐘 を 鳴らし 雲霞の如く 馳集 り、 中 

衬を眞 中に 押 取り > i め、 火 を 出して 相戰ふ に、 中 村、 一 戰に利 を 失 ひ、 水上 山 へ 引返 

く。 岩 部、 勝に 乗 b 水上へ 追 懸け、 山 田 大願 寺の 邊 にて 散々 合戰 す。 中村彈 正少弼 

は、 いひけ る 口 を や 恥お にけ む。 卒 核と いふ 所に て、 群り たる 敵中 へ 切って 入, CN、 

切 死に こそ 死に けれ。 大將の 討死 を 見て、 相 從ふ輩 も 大半 討死し、 殘る兵 僅に 五十 

餘人、 國府に 退き 牛 頭 城 へ 引 籠る。 岩 部 は 軍に 打 勝ち、 兼ねて 惡 しと 思 ひし 中 村が 

首 を 見て、 悅ぶ 事大 方なら す。 頓て大 將胤將 を 具し 國府へ 押 寄せ、 城下の 町 小路、 其 

外 村里 民屋 悉く 燒拂 ふ。 此時、 彥 島の 蓬萊 寺. 吉 田の 圓明寺 を 初め、 神社. 佛閣 一 宇 も 

殘らす 灰燼と なる。 斯くて 岩 部が 手の者、 宰府の 加勢 .土 一 揆の者 共 彼此 合せて、 皆 

彥島 岳へ 取 登り、 峯々 に陣を 取.. > 牛 頭 城 を 攻めむ とす • 彼の 牛 頭 城と 彥はは 僅に 

谷 一 つ を 隔て、 敵 味方 の 間 見渡す 計. e. に 近 か b ければ、 城 中には 岩 部 今朝 や 寄す る 



と、 持 口 を油斷 せす- 彥 島の 陣中に は 城兵、 今 1^ や 夜 財す と, W を!! うし、 數 H をぞ 

送 b ける。 然る 處に、 太宰府より 重ねて 岩 部へ 加勢と してぶ 部大輔 威國ー 千餘 

騎 にて 來ち 、十一月 廿 八日 府中に 著陣 し、 尼寺に 陣を 取る。 此 A 國 は- 武^ 

に 勝れし のみに あ、.^ す、 數代對 州を領 して、 無雙の 大福 長者な り。 斯くて 彥 島の 岩 

部が 陣に は、 貞國 加勢に 來り、 府中の 尼寺に 著す ると ii えし かば、 inf 牛 頗 へ 押 せ 

て、 卽 時に 攻め 落さむ よと 悅び 居た るに、 中々 案に 相違し、 臭國 させる 债勢 もな く、 

徒に尼寺に在陣し、ロゥ日數をぞ送.^ける。 如何なる 者 や 仕た けむ。 一首の 狂歌 

を 書付け て、 負 國が陣 所に 立てた.^。 

尼寺に餘多の宗の集..^て墜ちむ巧をするとこそ閒け , 

貞國、 是を 無念に は 思 ひし かど も、 或は 草 野. 原 田夫 村. 敵に 與 して 寄せ 來 るよ。. 或 

は 溢 河 • 大內. 秋 月 大勢に て 跡 を 遮るな ど、 樣々 の說ぁ b ければ、 前後に 猶豫 して 進 

み 得す • と此/ J き れ。 相 斯くて 二十 H 餘 送 b し虑 に、 將軍義 政 公よ 

^其 頃 諸國へ 一 人の 僧 を 差 下され、 國々 の 忿劇を 相 止め、 天下 一 統 すべき 旨 御 下知 

ま 1 探 合戦の 事 一 £ 



!^?肥戦諸 卷之七 :? 一 

t 其 上审、 近日 肥 前 へ も 下向 あ つ て、 當國の 騷亂を 急ぎ 靜 ti すべ き 由 * 國 分の 城 

中へ も、 彥 島の 寄 手 共 へ も 下知せられ しかば、 上意 背き 難しと て、 雙方卽 ち 和平 あ. 9。 

十二月 廿 三日、 寄 手 陣屋に 火 を 憑け、 府中 を 指して 引拂 ふ。 然る 處に、 城 方の 鄕民 

共、 其:: h 細 を 知らす して、 彼の 陣拂の 火 を 見付け、 す はや 亲 島の 寄 手 退散す るぞ。 一 

人 も 漏すな 討 殺せ やと、 東 今 山 口 を 差 塞ぎ、 鬨の聲 を 揚げて 押取卷 く。 寄 手の者 共 

漏る \ 方な く 取圜 まれ、 途に迷 ひ 右往左往に 敗走す る を、 鄕民 共、 勝に 乘 b 追 臥せ 

追 臥せ 首 を 取る。 斯か. c し 程に、 寄 手の 大將岩 部 播磨守 .3^ 備中守 を 初め、 同名の 一 

族 三十 人、 他家の 兵 貳百餘 人. 其 外宰府 勢に 朝日 丹 後 守. 窪 甲斐 守. 武藤左 近 將監. 江 

上 肥 前 守 以下 百餘 人、 貪國が 兵百餘 人、 都合 討た る S 者 四百 餘 人な り。 城 中の 輩、 

すぐ 

不意の 事に て 多くの 敵 を 討ち、 其 中の 宗徒 を 勝. 9 五十 餘級、 « 島 岳の 麓の 路 脇に 一 

〔れ 脫〕 掛竝 ベた, 9。 彼の 岩 部、 重代の 家人と して 主 を 討た むと 企てけ る 八 逆の 罪、 

立 所に 報いけ るよ と、 是を惡 まぬ 者 はなし。 府中の 尼寺に 陣 したる 宗 S 國、 此由を 

開き 叶 はじと や 思 ひけむ。 明くる 廿 四日の 夜、 密に陣 を 拂ひ北 を SS して 返 敷す • 



折節 小雨 交 に 雪 降 b て 肌 を 破り、 寒風 肉 を 劇ぎ て堪へ 難し • 一 揆の大 將千葉 次 



圃分 寺以 

下 兵.^ の 

爲に 炎上 



郎胤將 は、 聞 ゆる 精兵な,.^ しか ども、 敗軍の 習び 弓 を 引くべき 力 もな く、 主從 僅に 

な b 果て ヽ金 立の 方へ ぞ落 行きけ る • 貞國が 軍兵 は 來迎寺 白水 を 過ぎ、 河 窪に 到 

hv、 夫よ. 杠山 へ 入り て 山野に 身を隱 し、 其 後に 太宰府 へ こそ 遁れ けれ。 此 等の 者 

共 餘.. ^に 周章て、 馬. 物 具. 太刀 刀 陣中 へ 扮 置く 事、 足 を 踏む ベ き 所 もな し • 陣屋 

陣屋の 火 次第に 飛散 ト人 府中 殘ら ゃ燒 失し、 さしもの 大伽籃 と 聞え し 國分寺 *大は 

寺. 善 光寺. 寶積 寺. 北 臟寺、 兵火の 爲に 炎上し け.^。 中に も大昌 寺の 本^ 藥師如 * 

は、 往昔 ® 武 天皇の 御 願 行 某 菩薩の 建立、 九州 一 の大佛 なり。 其 外 善 光寺の 如 來.國 

分 寺の 無上 尊. 北. 禪 寺の 観世音 .寶 積 寺の 多 開 天、 一夜の 中に 悉く 灰燔 となる。 是れ 

皆 代々 の聖 主の 御 願、 權 者の 作な b しに、 淺猿 しかりし 事共な り。 此 一 亂を其 頃 土 

一揆 合戦と ぞ 申しけ る。 

〔文明 二 年〕 

同年 高 來の有 馬 肥 前 守 * 純 も、 串 山 を 返 治す。 此時大 村家德 有^に 打 負け、 上 松 浦 

の 草 野へ 落ちた b しが、 彼の 所に 於て 程なく 死去せ しと ぞ開 えし。 

土 1 探 合戦の 事 i 



It 今 
死 河 

義 

秋 



北 肥戰篛 卷之七 S 

同 三年 辛 卯 七月 十九 日、 今河義 秋と いふ 者 • 一 揆を 企て 佐嘉の 植木に 於て 相戰 ひ、 

利 を 得すして 討死し け, 9。 今年 一 天下 赤瘡 流行 人 多く 死す。 又 十 月 二: 》 朝 、大 S 

星出づ る。 其 長さ 一 町 程な り。 

同 九 年 丁酉 二月、 千 葉 介 胤 朝、 籐津 郡へ 出張し、 內田 何某 を 以て 大村 日向 守 家 親が 

有 尾 城を攻 む。 家 親 防ぐ 事 を 得 やして 沒 落す。 內田、 有 尾より 陣を歸 しぬ。 

同 十 年 戊戌 五月、 洪水。 肥後國 阿蘇山 スカルの 橋 流る。 今年 九月 十八 日、 菊 池 左 京 

大失重 朝、 筑後 へ 討ち入り て、 國人等 を切從 へ 當國を 知行す。 

同 十 1 一年 庚 子 正月 十五 日 酉 刻、 流星 出で 西方 へ 亘る。 其 長き 事 敷 丈、 色 赤く して 火 

の 如く、 其 音 水の 漲る に似て 虛空に 暫く 鳴動し、 滅 して 忽ち 白雲と な, 9 ぬ。 稀代の 

珍事な.^。 今年 三月、 千 葉介舊 は中衬 伊豫 守 現 形す。 七月 二日 大潮。 

- 少 贰政尙 探題 & 河萬壽 丸の 事 

今の 少 1^ 政尙と 申す は、 去ぬ る應 仁の 頃、 筑前志 摩 郡に て 討死 ありし 前 太宰少 1^? 敎 



頼の 嫡男な...^。 1 初 名 次 郎賴忠 と 中し け 力" 大內 介の 事に 依りて、 多年 對 州に 1^ 居 

し、 宗 刑部大 輔^ 國を賴 みて 居られし を、 過ぎし 文明 元年 正月、 直 國樣々 京 鄱へ諂 

ひ、 將軍義 政 公へ 祈へ て、 漸く 御前 を 申 直し、 本 府へ歸 り 入る べき旨、安^?の御敎書 

を 下し 給 は, ぬ。 彼の 虞國 が頜對 馬と いふ は、 高麗 國に隣 b し 故、 常に 船 を 渡し 

て、 異國の 珍 器. 織物 其 外 寶物等 を 種々 求め 得、 限な き 福 貴の 者な,.^。 然るに 贞國、 

今度 少貳家 再興の 事 を 大に悅 び、 且は 我が身の 面目と 思 ひし かば、 如何にも 其 ffi を 

刷 ひ、 靓 船百餘 艘を艤 し、 五十 餘 里の 灘を 順風に 帆 を 揚げ、 博 多 津に著 船して、 則ち 

賴忠を 太宰府 へ 安堵 させけ,. >。 少貳、 本 府に歸 城の 由 聞え て、 重代の 家人 等 所々 よ 

馳せ 集り、 其 勢 龍の 水 を 得た るが 如くに て、 攻めざる に 敵 城 攀筑の 間 * 1 日の 巾 

に廿 一 城沒 落す。 斯くて 賴忠、 同年の 五月 上洛 あ b て、 義政將 軍に 謁し 御禮を 遂げ、 

諱の字 を 給 は b て 政尙と 改め 國へ 下, ぬ。 然るに 政 w、 S び 家 を 興し 太宰府に 居 

住し、 政資と 改名して、 宗佐渡 守 盛 見. 同 遠 江 守 貞房兩 人 を 教權と め、 筑 前-肥 前 • 

豊前 • 壹岐 .對 馬 五州の 太守と ぞ 仰がれけ る。 然るに 政資、 次第に權威に^1-り、«々 

少威政 尙探疆 漉 河萬壽 丸の 事 S 



* 肥 戦^ 卷之七 M 

の 奢 ども 多 かちけ, o。 中に も宗像 • の大宫 司が 許に, 代々 相 偉の 寶物 あ.^。 其內に 

金の 猫の ありし を、 政資 わ. なく 所望す。 大宮司 辭し 難ぐ 是を 遣し ぬ。 少貳 重ね 

て 今 一 匹 あるべし • 夫 を も 得させよ とい ひや- け..^。 • 大宫司 大きに 腹 を 立て、 あ 

b しに 任せて 一匹 はさ もこ そ あらめ。 なき 物 を 乞 ふ 事の 奇怪 さよ。 己 七 代 末孫 滅 

13 さすべし と齒嚙 をな し、 神前へ 參 b 小指 を 喰 切. o、 流る、 血に て a 壇の 扉に、 一 

首の 歌 を 書く • 

根を斷 たば 末 は 絶えけ.^ 籐原を 何少貳 とて 切捨て ぞ する 

と 少貳を g 几 し、 腹搔 破りて 臥した.^。 餘...^に賫め乞はれてぞ恨みける。 是 のみな 

らす、政資威勢の餘h^、 上 松 浦 青山 城主 留主左 衞門大 夫 を、 少しの 科に 事よ せて 所 

領を沒 收し追 出す。 留主大 に 憤. 9、 急ぎ 中 國へ立 越え、 大內介 政弘へ 事の 仔細 一 々 

訴 へけ. cs。 大內介 纏て 義政 公へ 言上す。 斯 かりし 程に 少貳、 又 御 勘 氣を蒙 b て 太 

宰府を 出で、 肥前國 へ 赴き、. U 父 敎賴の 居られし 與賀の 庄の舊 地を點 じ、 己が 居城と 

せらる。 文明 十四 年の 春の 頃な り。 此時、 同國緩 部の 城に ffi 河萬壽 丸と いふ 人 あ 




り a 前 探題 右衞 門佐敎 直の 子な り。 父 死去の 後 十二 歲 にて 家 を相續 し、 郞從の 森 

11^齋藤.足助.碧海を後見とし、今年は十五歲な^^。 先祖 累代 鎭 西の 司 職に て、 大內 

介と 同心し、 少貳と 合戦 度々 に 及べ. y。 然るに 政資、 文明 十四 年の 秋、 軍兵 を 率し 

て 綾部 城へ 押 寄せ、 澀 河と 相戰 ふ。 城兵 利 を 失 ひ 防ぐ 事 を 得す、 萬壽 冠者 は 筑前國 

にぞ 落ちられ ける。 此事、 大內 介よ.. > 公儀へ 言上 あ b しかば、 早速 s 河へ 合力す ベ 

. き 旨、 近國の 御家人へ 御內書 下り、 少貳叶 ふべき « あら ざ..^ ければ, 何方 ともなく 

落失せけ,《^。 此時、 澀 河に 給 はりし 御敎 書に 曰く、 

太宰少 il^t 資事、 發, 向綫部 城, 間、 爲 -合 力, 先度 被 奉書, 所詮 於,, 政資, 者 可 

vg- 退治 一之 旨、 被, 仰,, 付 大內左 京大 夫, 之 上 者, 不 H 尋,, 搜落 所, 誅,, 伐 之; 可 致,, 忠 

節, 之 由、 所, 被,, 仰 下, 候, 也、 依 執 達 如&: • 

文明 十五 年 十月 廿 五日 . 前 大和 守 判 

上野 介 判 

漉 河 萬 壽殿代 

少甙 政尙 探鍾谧 河萬嗇 丸の 事 



北 肥 戦 誌 卷之七 一 八 

t ぞ仰 下されけ る。 されば 當世樣 々の 謳說、 自他の 耳に あって、 大内 介政弘 も、 莴 

壽 丸に 對し 異心 ありと 聞え、 此事 に付きて 大內 家の 老臣 共よ.^ 連署 を 以て 、漉 河の 

方へ 申 送 b し 書に 曰く、 

就. 雜說, 之 儀 御 使 之 趣驚存 候。 鎭與 寺殿樣 任-仰 置 候, 聊不, 存,, 緩急, 候。 八幡 大菩 

薩可, 有,, 照覧, 候。 更 非,, 虚言, 候 上 者、 彼 仔細 一 5 當方 不,, 存知 仕, 候。 以 _,此3 ほ, 可, 然 

之 樣可. 有,, 御 披露, 候。 恐 々謹言。 

十 一 廿 八日 三 川 前 司 重隆判 

左 衞門尉 武道 同 

散 位 經房 E 

• 左 衞門尉 弘相同 

彈正忠 弘矩 ® 



謹 上 



森戶 修理 進 殿 

碧 海 民 部 少輔殿 



斯くて 萬壽 丸、 筑前國 岩 門の 内龜尾 城に 移住し ける が、 長享 元年 十二月 十 :n、 如何 

なる 仔細 や あ, けむ。 家人 足 助 森 UV か爲 め、 生年 廿歲 にて 生害 あ.^ け. cs。 其頃少 1^ 

政資 は、 太宰府に 歸入. M し 居た りしに、 此事を gg き 能き 變 なりと 思 ひ、 宗播磨 守 を 

大將 とし 龜尾 城へ 押 寄せ、 不日に 攻め 落し、 森 10, 修理 亮を 初め 城兵 十餘 人の 首 を 斬 

b, 夫よ.^ 筑紫 下野 守滿 門. 馬場 肥 前 守 經周: K 窪 5: 豫守 經康を 以て、 採 題の 末子 ffi 

河 刀 編 凡の 居た.^ し 綾部の 城に 取 憑る。 刀禰王 未だ 幼稚の 大將 にて、 城中堪 へや 

沒 落し、 筑後國 へぞ落 行きけ る。 此時、 少 貳政資 より 神 崎 山の 住人 teH 向 守へ 送,. > 

し狀に 曰く、 

〔主力〕 

去 十七: n 龜尾城 切 捕 候。 敵 城 胜森戶 修理 亮爲, 始十餘 人 討 捕 候。 宗播 ia 寸 爲,, 人 

體, 馳-, 越 高名, 候。 ijil^ 場 肥 前 守. 筑紫 下野 守 以下 總勢 あやべの しろへ、 十八 H 未明 

差 寄 候。 彼 敵 城 內申談 族 候 間、 當 a 可,, 落 著, 候。 至,, 早 良 *橫 山. 大窗 伊豫 守, 爲,, 先 勢, 

申 付 候。 此時 馳走 憑 入 候" 委細 經康 可。 申談, 候。 恐惶 謹言。 

七月 廿 六日 -政 K 判 

少^ 政尙 探題 漉 河萬壽 丸の 事 , , lii 



把 戦 誌 卷之セ § 

feH 向 守 殿 

文明 十四 年 壬 寅 五月 廿七 :11、 周 防國山 ロ大內 介の 城內 にて、 吉見三 河 守 勝 頼と • 陶 

尾 張 守弘護 喧嘩 を 仕出し、 當 座に 兩 人刺 違へ て 死にけ, o。 時に 吉 見が 家人 等 十八 

人、 營 中に 切入 b 卽 時に 切 死す。 依h^て山ロの城下大に騒動しけ.=^。 彼の 吉兒は 

淸和 天皇の 正統 蒲 冠者 三 河 守 範賴の 嫡孫 石 州 律 和 野の 城主な. o。 陶は 大內の 庶流 

にて、 百濟 國の齋 王に 廿四 代の 苗裔, 兩家 ともに 和漢の 貴族に て あ, しが、 計らす 

先祖の 高 をい ひ 出し、 座席の 上下 を爭 論して、 喧嘩に 及び 刺 違へ ける とぞ 聞え 

し。 

同 十七 年 乙 巳、 千 布の 住 吉大明 神の 社、 頃日の 兵亂 に破壤 に 及びし を、 神代 大和 守 

再與 す。 同 五月 二 口、 肥 後 Sii: 蘇 大宮司 惟忠 卒去し、 同國久 麻の 相 良 討 つて 出 づ* 

千 葉 家 繼目少 貳の事 

文明 十八 年 丙午 五月 十七 日. 十八 日 洪水。 豐後. 筑 後. 肥 前國の 人民 牛: iilis れ死 する 



千, 故 

舍^ 甄 將 

に; ITr たる 



成 松 草^ 

あ 死 



事、 其數を 知ら t 然るに 今年 十月 三日の 夜、 小 城 千 葉 介 胤 朝、 舍弟胤 將に討 たれ 

ぬ。 彼の Si 將は、 去ぬ る 文明 二 年の 軍に 敗走して、 其 後 は 深山幽谷に 隱 居け るが、 

ま; 無念 を晴 さむと 時節 を 待ち、 此度 ひし-/.^ と 思 立ち、 一 味 同心の 者 を 相 語ら ひ、 

急に 國府へ 取 S け 夜 討に ぞ しける。 胤 朝 討 たれて 家人 等 途方に くれ、 心々 に 成果 

て-..、 千 葉の 本家、 旣に絕 えなむ とす。 其頃少 K 政資 は、 肥. 筑の際 を切從 へ、 宰府の 

本 所へ 安堵せ しが、 胤 朝の 討 たれし 事 を 開き、 本意な き 仕 合に 思 ひし かば、 彼の 惡 

黨次 郞胤將 以下の 輩 誅伐すべし とせられし 處に、 胤將は 逐電に 及び、 同類 皆 落 失せ 

けり • 其中に成松宮內少輔章數とぃふ者ぁ.=^. 神 崎庄に 居たり し を、 少贰 方より 

討 手 を 差遣し 討 取らむ とす。 成 松 も 剛の者に て 散々 に相戰 ひしが、 多勢に 取 籠め 

られ、 痛手 餘多蒙 しかば、 是 までと や 思 ひけむ。 櫛田宮 へ 走.^ 込み 腹搔切 つ て 臥 

した,. y。 斯 かりし 後 は、 胤將が 與黨も 散々 にな, 9 て靜謐 しけり。 斯くて 少貳 は、 千 

葉 家の 斷絕 を歡 き、 间 十二月 三日、 己が 弟 を 肥 前へ 差 越し、 胤 朝の 女の 一 人 あ. =-5- 

嫁して、 彼の 名跡と し、 千 葉 肥 前 守胤資 とぞ號 しける。 愛に 又 其 頃 千 葉 介 興々 m と 

千^ 家繼目 少^の 事 S 



千 家 

の 不和 



北 肥戰誌 卷之七 § . 

いふ 者 あり。 其 父 は 脱 盛.. 號 して、^ 朝の 弟 胤 將には 兄な 胤 盛 は 兄よ らいと 

早く 死去し ぬ。 興 常、 は 若年な,. > し を、 家人 共 撫育し 胤 楝と號 し て、 大 內介義 興を賴 

みて 居け り。 然るに 義輿、 頃 H 是を 加冠し、 興 常と 改名せ しめ、 小 城 郡 赤目の 城に 

あり。 此興 常、 嫡 家の 恩 朝. 今の 亂資 とも 中よ から や。 其 故 を 聞く に、 千 葉 は 元來少 

と睦 しく、 偏に 了 族の 如し。 又 大內、 少 或は 怨敵な, 9。 然るに 興 常 は大內 介に 從 

ふ 故、 本家の 千 葉と は中惡 しく、 是ょ b 千 薬 家 二つに 分れ、 一 敵 味方と 爭 ひて 互に 刃 

を磋 ぎけ ると な、 9。 • 

少 贰政資 出張 附箱畸 八幡 社家 炎上の 事 



長享 三年 改元して 延德に 移る。 今年 己 酉 十 一 月廿 三日、 太宰少 liiS 政 資筑前 を 打 出 

で 肥前國 養父の 诚 山に 於て、 溢 河 刀禰王 丸と 相戰 ふ。 澀河 方に は 千 葉 介 興 常馳せ 

加 は b 散々 戰 ひしが、 濉河利 を 失 ひて 兩 家の 軍兵 多く 討 たれ、 刀 禰王丸 は 筑後國 へ 

引退き、 犬 塚の 诚に 籠られけ り。 夫よ.^ 政資、 -M 後の 大友政 親と 牒し 合せ、 翌れば 



箱 崎合戰 

針 家 炎上 



1^ 徳ニ年 庚 戌 两肥前 を打從 へ ひと、 先 づ下松 浦の 伊 萬 m へ 討つ て 入る。 時に 松 ffi 紫 

の 輩 伊ず!: m 右 京大 夫. 山 代 豊前守 以下 皆降參 す。 政資 取って返し、 ま 肥 前を征 して 

筑後 國へ發 向す。 « に 於て 大友政 親、 豊府 ょリ來 つて 少貳と 一 つになる。 是を 見て 

當國の 城 持 草 野 • 星 野. 蒲 池. 3 尻. 黑木 • 河 t. 西牟田 • 酒 見. 諸 富 .鐘 ケ江 .城 ゆ 大木. 三 池 

我れ 先にと 馳せ加 は b 、其 勢 雲霞の如く なって、 先 づ澀河 刀爾王 丸の 籠られた る 犬 

塚の 城 を $3 落す。 其 外は少 貳. 大犮を 背く 輩 あら ざり しかば、 大友 は頓て 豊府 へ;^ 

を返し、少貳は宰府へ歸..^入.^けり。 ral 年 壬 子 七月 十七::: 改元、 明 應と號 す。 今年 

の 夏、 大內 介の 家人 周 防^ 陶 六郞、 筑 前へ 渡海し、 五月 二日 少贰政 K と 箱 崎に 於て 

合戰 す。 此時當 所の 社家 七 町、 兵火の 爲に燒 失し、 打殺され 燒死 する^ お 三十 七 

人な.^。 去ぬ る 永 享年 中よ,. > 、此所 燒失兩 度に 及びぬ • . 

少 贰政資 父子 討死の 事 

太宰 少貳攻 は、 去ぬ る 延徳ニ 年に、 下 松 浦の 聚は 討ち 從 へ ぬ。 是ょ..^は上松浦を 

少 政, 出^ 附 lit 八幡 iMI, 炎上の 事 少 15^ 政 資ハ久 孑 討死の 事 



少貳 政資 

松 浦に 出 





* 肥戰? -I 卷之七 、 

攻む ベ しと、 明應 三年 甲 寅 正月, 饞通を 過ぎて 上 松 浦 へ 發 向す。 舍弟千 葉 肥 前 守 胤 

資. 龍 造寺隱 岐守康 家. 高木 兵 部 少輔家 重. 於 保,^ 谷 • 內田, 江上 以下 肥 前の 輩 馳せ付 

きて、 其 勢 夥しく 浦へ 著陣 す。 斯 かりし かば 波 多 • 鶴 田 • 相 知. 有 浦 其 外の 秘浦黨 

攻めざる 前に 附從 ふ。 政 資力 を 得て、 留守 左衞 ra 大夫永 恒が靑 山の 城に 押 寄 

せ、 不日に 攻め 落し、 夫より 引返し 筑 前の 內に 入, o、 怡土 郡に 到りて 高祖 城に 押 寄 

せ、 原 田 彈正少 弼與種 を 攻めて 相戰 ふ。 此 半ば 高 來の有 馬 佐 渡 守 貴 純 も、 少貳 へ 同心 

し て、 安德. 多 比 a. 安富 以下 を 相 語ら ひ、 下 松 浦 へ 討ち入り 在陣 し、 佐々 城 を 攻め 破 

b 、卒 In, の 城 を 取 園む。 城主 平 源 三 郞弘定 、四月 四日 竟に 降參 す。 新 か b しかば、 

貴 純 則ち J^-s, 島 を 知行し け, cv。 此時 政資、 有 馬が 軍功 を 賞して、 白 石 • 長 島兩庄 を 

充行 ふ。 大 內介義 輿、 政資の 振舞 を 委しく 傅へ 聞いて、. 奚少貳 御 氣の 身と して、 

公儀 を輕 しめ • 私に 弓箭 をな す 事 心得す。 急ぎ 吉木 御所へ 言上 申し、 少貳 がー 族悉 

く誅伐すべしと、將軍義尹公、其頃淡路島へ御下向ぁ,c^しに、 一 々披露せ しかば、 則 

ち少貳 一 家の 者 共 5g 治 ft るべき 由 仰 出されけ, o。 » く て大內 介、 旣 に少貳 追討の 



上意 を 蒙りて、 明 應六年 正月 初旬, 四國. 中 國を觸 廻す。 石 州に 吉見大 藏大輔 正 «• 

三 隅. 成 合の 一 族、 藝 州に 熊 谷 小 次郞膳 直、 備 後に 小 早 川 俯 後守詮 、周 防に 陶の 一 類 

仁 保 加 賀守. 杉紀伊 守. 同 豊後守 • 相 良 左 衞門尉 を 初めと し軍將 十一 一人, 雜兵 都合 1 us 

餘騎、 早速 馳せ 付きぬ。 扨 赤間ケ 關を將 軍の 御陣と 定め、 大內 介義興 自ら 渡海して 筑 

前 國へ討 入,^、 中に も 杉 豐後守 興 正、 先陣に 進み 穏並 郡へ 押來. ^、要害 を 求め 陣を取 

らんと す。 期 かる 處 に- 少貳の 嫡男 新 少贰次 郞高經 、興 正が 未だ 帷幕 も 打た や、 備を 

も設 まぬ 所 を 不意に 懸.^ て 藥ち戰 ふ。 奧正、 散々 利 を 失 ひ 忽ち 討死し ければ、 其 一 

列 旣に败 〔竜 マ,;〕 せんとす。 是を 見て 二 陣に續 きたる 陶尾張 守-熊 谷 小 次 郎入特 りて 

相戰 ふ。 愛に 於て 新 少貳" 打 負けて 太宰府へ 引返く。 大內勢 勝に 乘. > 、其势 五お 餘 

騎、 街菱 の 旗 を 進めて 箱 崎へ 攻め 來る。 時に 少 1^ 父子 相議 して、 軍 を 二つに 分け 宰 

府を 退き, 政資は岩門の城に楣籠..^、 二 €經 は 勝 野 尾 城に 入 b て 大內勢 を 待 憑く。. 

斯くて 大內の 5sf 兵、 勢 龍の 水 を 得て 則ち 太宰" 肘へ 入替 り、 愛 を 本陣と 〔死め、 陶趙張 

守 興 f 同 安房 守 を大將 とし、 其 勢 1 餘騎、 滕野尾 城 へ 向 ひ、 又陶彈 正忠を W て是 

少 K 政資 父子; Is 死の 事 i 



與岩門 

将 野の 兩 



4? 肥 戦^ 卷之七 m 

も 二 萬 餘騎、 岩 門の 城へ 差 向けて 政資を 攻めし む。 城兵、 大城 t 尸 を 持って 破られ 

t され ども 寄 手、 目に 餘る 大勢に て、 少貳の 一 族 十餘人 同じ 枕に 討死し、 雜兵大 

半 3^ たれし かば、 終に 城 を 攻め 落され、 政 資は密 に 城 を 出で て、 舍弟千 葉 肥 前守愿 

資の小 城 請氣の 城へ ぞ入 b にけ る。 »陶 尾 張 守. 间安房 守 は、 本山に 陣を 取り、 瓜 

生 野 n より 勝 野 尾へ 押 寄す。 頃 は 正月 十一 日なら。 城 中の 兵、 命 を 際に 防ぎ 戰ひ 

しか ども、 寛に 討ち 負けて、 筑紫 下野 守滿 門. 東 彈正少 弼尙賴 が兩勢 多く 討 たれ、 滿 

門. 尙賴 大內に 降参す。 高經、 今 は 叶 ひ 難/、 勝 野 尾の 城 を 落ちて、 舯 崎 极崎庄 勢 福 寺 

城 卢 とへ ぞ入 にけ る。 斯くて 大內 勢、 岩 門. 勝 野 兩城を 攻め 落し、 三月 下旬、 肥 前 

國 へ 討ち入. て、 高經の居た..^し勢福寺の城を攻む。 高經 防ぎ 難 く., -て、 四月 八!!: 

城 を 出で 小 城へ 落 行き、 晴氣の 城に 入. 9、 又 政 資とー つになる。 W 中國の 軍兵に 千 

葉介與常馳せ加は,.^て、同月十三日、晴氣の城に押寄せた..^。 先陣 は與 常が 手の者 

中 村 三 河 守に て、 鬨の聲 を 揚げ 夜晝 五六 日 息 をも續 かや 攻め 戰ふ。 然るに 城 中、 次 

第に 賴 なく 見えけ る 間、 同 十八 日 城主^ 資- 兄 政資に 向って 申されし は、 城兵::!々 



i 



高經 自害 



に 討 たれ 減じて、 持 ロ危く 見えて 候。 同名 與常、 敵に 加 は,.^ て 候へば、 某が 家人 

て も 敵の 方へ 心 を 摸し、 逆心の 者 もや 候 はむ。 油斷 すべきに 候 はす。 一先 當城を 御 

出あって、 山 傅に 多久へ 赴き 給 ひ、 藤 兵 衞を御 頼み あれ。 少 好の 者 なれば、 彼 

の宗 時、 よも 別 心 は 候 ふま じ。 早 御 急ぎ 候 へ と 申されし か ば、 政 資力 及ばす、 & 

の諫に 任せ 忍んで 多久へ 志し、 十八 日の 夜、 晴氣の 城 を 出で 山 傳 に 落ちて * 多久藤 

兵 衞尉宗 時 をば 頼まれけ,..^。 斯か. 9 し 程に、 新少貳 高經. 同 舍弟賴 高 も 晴氣を 出で、 

翌 くる 十九 日, 賴高は 松 尾に て 千 葉 介 興 常が 者 共に 討 取られ、 高經は 家人 tt 平右衞 

門. 三郞次 郎淳悅 主從四 人に て、 北の方 石臺 越に 懸 h.、 市の 川まで 落延びた りし を、 

敵猶追 懸けし かば、 是を 防がん 爲め、 枉平右 衡門も 討死す。 高經、 今 は 通れぬ 所よ 

と、 同廿 一 :::市の川の山中にて,とぁる木隱に立寄,.^、懷中ょり矢立収出し、辭世と 

覺 しくて • 

風 吹けば 落椎 ひろ ふ 核の 下 あらぬ 方に て 身 をば 拾て け, 9 

と 首の 歌 を 書付け、 鎧脫 捨て 腹搔 破って 臥しけ.^。 生年三十六歲な..^。 附從 ひし 

<Mlg 政資 父子 討死の 事 IK 七 



討 千 

死 葉 

資 



北 肥 戦 iL 卷之七 二 六 八 

者 共 も、 あそこ 愛に て 敵に 遮られ、 主の 自害 を 知ら ざ, 9 け, 9。 高經 法名 大憧本 高と 

號す。 されば 文祿の 頃と かや。 其靈 魂、 神 崎廣灕 山に 現れ、 樣々 の 不思議 多 か.^ し 

かば、 當 國の大 守よ.^ 奏聞 を 遂げられ、 則ち 正 一位 を 贈られて 大明祌 と 崇められ 

給 ふ" 肥 前 國境原 社是な h^。 舍弟賴 高 も 亦 神と 現す。 小 城 松 尾 明 神 〔曰 ^胶〕 なり。 

或はい ふ、 高經、 此時勢福寺の城ょ..^出で、 廣瀧山へ入,.^自殺せられしと、 非な 

神 崎 山中 廣瀧邊 は、 少 1^ の領 知なる 故、 其靈; S じ 神に 崇 むべき 由 告げられ ける 

力 

同 十九 H 、千 葉 肥 前 守胤資 は、 少貳 父子 を 落して 心 易く 成り、 城 戶 を 開き 切って 出 

で、 大內 勢に 駆 合 はせ 切苑に こそ 死に けれ" 胤資 討死し ける 上 は、 晴氣 忽ち 落城 

す。 新くて 大內の 軍兵 共、 政資の 多久へ 落し を 如何にして 聞 出しけ む。 十九 日晚、 

勢 を 分って 押 寄せたり。 彼の 梶峯 城主 多 久藤兵 衞が娘 は、 政資の 妾に て 日頃 はさ 

しも 敏 もしく 見えた ちしに、 賴み 難き は 世の g 白に て、 宗時 いつしか 心變 じ、 政資に 



55 



少 5« 資 

息 S 



大內義 興 

山 口へ 歸 





近づき 早 自害 あるべき 由勸め 申す, 政 資其意 を 悟られし かば、 打 額きながら * 1 首 

の辭 世に 斯く 計..^、 

花ぞ 散る 思へ ば 風の 科なら ャ時至 ぬる 春の 夕暮 

と 打ち 吟 みて、 靜に 腹をぞ 切られけ る。 維時 明 應六年 四月 十九 日、 行年 五十 七" 法 

やさし 

名 明哲 本 光と ぞ 申しけ る。 されば 此政資 は 優艷き 人に て、 卒 生に 敷 鳥の 道に 心 を 

寄せ、 一 年の 冬の 曰の 連歌の 會に、 「朝 鳥の 霜夜に 睡る 日影 かな」 とい ふ 句 を 出されし 

よ 、此人 を 朝 鳥の 少贰 とぞ 申しけ る。 昨日まで 五州の 大 守と 仰がれし かど も、 今 

日黃 泉の 旅に 赴きし に は、 屬從 ふ奴+ 一 人もなし。〔|バ〕宗時を惡まぬ^^?はなし。 然 

るに 大內 介義奥 は、 少貳 一 家 を 悉く, 誅 罰し、 肥. 筑兩 國靜謐 しければ、 今度 軍忠 あ,^ 

し 輩 を 各. t 員 せらる。 先 づ千葉 介 興 常 を 肥 前の 守護 代と し、 柬彈 正少弼 盛に、 千 

葉 胤 資の舊 頜肥 前佐嘉 郡の 內を充 行 ひ、 筑紫 下野 守滿 門に 同 國三根 神 崎兩^ を 守 

らしめ、 杉 越 前 守 興 連 を 太宰府に 置き、 陶彈正 忠を博 多 へ 移して、 各,. 九州 を 警衞せ 

させ、 其 身 は 防 州 山 口へ 歸陣 あ- 9 けり。 義興 纏て 從 三位 太 宰大貳 に 任せら る。 少 

. 少 11^ 政資 父子 討死の 事 1 六 九 



匕 raj 驟 志 き. M 乂 



千 葉 胤 繁小城 郡に 歸 入る 事 

明 應七年 戊 午 二月、 肥 前 國千葉 胤 繁小城 郡に 歸.^ 入る。 此亂繁 は、 去年 四月 晴氣の 

城に て、 大內 勢に 攻められ 討死し ける 千 葉 肥 前 守 胤資が 養子な. o。 父 討 たれし 後 

は、 愛 かしこに 立 忍び 居た. しが、 頃日 大內 勢、 豊 後へ 攻め入り、 大友豊 前 守 政 親と 

相戰 ひ、 立つ 足 もな く 敗れて 引退く。 其 弊に 乘 じて、 繁 * 此度本 鎮に歸 b 入, CS け 

り。 此事、 肥. 筑 にあり し大內 方の 輩傳 聞き、 其麼 にて 差 置く ベ きに あらす と 評議し 

て、 筑紫 下野 守 滿門. 東彈正 少弼尙 盛、 軍兵 を 率し 小 城 へ 發 向す。 胤繁、 無勢に 依り 

て 防ぐ 舉を 得す * 小 城 を 返き 下 佐 嘉の河 副に 到りて • 窗 好の 武士 を 相 語ら ひしに、 

龍 造 寺 豊前守 胤 家. 光 益 出 雲 守 光廣 .大 田 和 泉 守 * a 谷 河內守 • 壬 生新 左衞 門. 錕 山-牛 

千 葉 胤 繁小城 郡! J. 歸 入る 事 一七 一 



千葉^ 繁 

大內 勢-卜 

^ら る 



北 肥戰誌 卷之八 i 

右衞 門、 其 外 諸 富. 南 里. 鹿 江. 石 井 以下の 者 共馳せ 集. ぬ。 斯くて 筑紫. 東に、 千 葉 介 

興 常 一 つに な-. = ^其 勢 を 合せ、 二月 廿四曰 河 副に 取 憑け 胤繁 と相戰 ふ。 大內勢 は 雲 

霞の 如くに て、 胤繁、 竟に利 を 失 ひ 昧 方 散々 に 敗走し、 其 身 は 漸く 遊れ、 舍弟规 治. 龍 

造 寺 胤 家と 共 に、 筑 前の 方へ 落 行きて 山中に 隱れ 住みけ, 9。 此後は 千 葉 嫡流、 暫く 

小 城 を 知行せ す。 少貳の 子孫 とても 有る か 無き かに 成果て、、 肥 前國先 づ靜譴 す。 

&河刀 禰王丸 探題 職に 任 ザる 事 

明 應八年 己 未の 頃、 前 探題^ 河右衞 門佐敎 直の 末子 刀 禰王九 は、 東 肥 前 園 部の 城に 

ぁh^。 此人、 近年 は 少貳: K 友が 爲に 側められ、 幽な る體 な, 9 し を、 先祖 代々 の 任職 

な, とて、 大 內介義 興、 是を吹 擧し將 軍 家 へ 訴 へ しかば、 頓て 元服の 上、 探題に 補せ 

ら るべき 旨 上意 は あ. ながら、 未;u御內書は下らざh^けh^。 然るに 翌 くる 明應九 

年 庚申の 春、 將軍義 尹 公、 大內 介の 城下 周 防國山 口へ 移らせ 給 ふ 由 聞え しかば、 刀 

福 王 丸、 其 御 祝儀の 爲め、 矢 侯 越 前 守 を 防 州へ 差 上せ ら る。 此時、 義尹 公よ 少 m 河 へ 



せ 探王逾 

ら SI 丸 河 

るに 鎮刀 

辅四禰 



給 はる 御 書に 曰く, 

至-防 州, 下向 候 了。 被, 致,, 忠節-者 尤可, 爲,, 神妙, 候。 猜大内 左 京大 夫 可, 述候也 • 

四月 十日 御 判 

雛 河 刀 禰王丸 どのへ 

又大內 介よ, o- の 副書に 曰く、 . 

將軍家 至-於 當國, 就 K 被, P 御座, 候 &御申 候 趣 致, 披露, 候。 仍而 以,, 御内 書, 被,, 仰 出, 

候。 尤御祝 著 之 至 候。 此等之 次第。 定而矢 俣 越 前 守 可, 被, 申 候。 恐惶 謹言。 

卯月 サ 四日 義興 1: 

、 探題 人々 御中 

斯くて 刀禰王 丸、 元服あって 義尹 公の 御 字 を 給 はり、 右兵衞 佐 尹繁と 改め、 先例 

に 任せられ、 鎭 西の 探題 職に 補 せらる、 の 3H 御 敎書を 成 下されけ る。 其 御 書に 曰く、 

鎭西 探題 職 事 所,, 補任, 也" 彌; 任,, 先例, ヌ 致,, 沙汰, 之 狀如& :。 

明 應九年 八月 十二 日 御 判 

逾河刀 禰王丸 探題 職:. i 任す る 事 S 



北 肥 戦 誌 卷之八 lis 

/ 澀河 右兵衞 佐 殿 

尹繁, 旣に新 探題に 任じ、 其 威 漸く 耀 きて 父. 敎 直の 遺跡 を續 ぎ、 彌.' 圜 部の 城に あ 

,り。, 碧 海 遠 江 入道 道賀. 齋藤中 務大輔 基久. 國木原 右京亮 運淸. 香 月 雅樂助 基歲. 加賀 

次郞大 失 氏 伴 等 を 以て 肱 股と し、 九州の 政務 を 司られけ. o。 

龍 造 寺 家 和 將軍家 へ 出仕 W 剛忠萬 部 〔1^〕 の 事 

去年より 九州 大に 飢饉し、 人民 多く 餓死す。 又 今年 も、 三月ょh^五月の下旬に至 

、雨 一 滴 も 降らす。 八月 二日 大風 夥しく、 大水 山林 を 洗 ひ、 十二月 除夜 明 くれば、 

黑髮 山の 上宮 何な く燒 失す。 翌明應 十 年 辛 酉- 改-兀 あって 文龜 と號 す。 四月 廿日、 

〔富〕 

大雹 降る。 大さ 栗の 如し。 今年 諸國大 に. 福 貴す。 人皇:. G 五代 後柏原 院御卽 位 まし 

ます。 同文 龜 1 1 年 壬 戌、 肥 前 國龍造 寺 隱岐守 家 和と いふ 者、 千 葉 介與常 の 吹 擧を以 

て、 將軍義 尹 公へ 御 禮を遂 ぐ。 此家和 は、 前隱 岐守康 家の 子に て、 累代 佐嘉の 城に 

居住し、 本 揮 は佐嘉 郡の 内 小 鄕龍 造寺紂 八十 町. 本庄 八十 町 千 町 i 。先祖 



龍 造 寺 家 相 » の 地な b。 然 る に 家 和、 軍忠ぉ るに 依 b て, 今年 正月 小 城 郡の 內 光武 分 八十 町. 

和. g 恩の 

1.^ 給 は 佐嘉 郡の 內下 a 瀨百 町. 有 重 十贰町 • 法 成 寺 十六 町 を 加 恩せられ、 同月 十六 日に 御 膿 

を 遂げ 申しけ り。 家 和に 兄弟 七 人 あり。 一は 豊前守 凰 家。 是は: 細あって 千 葉に 

隨 屬し嫡 家を繼 がす。 二 は 女子に て、 內田左 京 亮に相 嫁す。 三 は 今の 隱岐守 家 和、 

四 は 寳琳坊 の 住持 澄覺法 印、 五 は大炊 助、 六 は 孫 九郞家 兼、 七 は 水上 山の 住持 天 

享長老なh^。 其 中に、 家 兼 は 專ら佛 神 を 尊 し、 永: 止 二 年 乙 の 三月に、 己が 水ケ 

江の 城內に 於て 百 人の 僧 を 請 じ, 天享 長老 を 以て 導師と 定め、 法 華經ー 萬 部 を譜誦 

レ けり。 ft 孫の 繁榮を 祈る なるべし。 此家 中頃 は 兵 庫 頭と 號し、 後に 山城 守と 

改め、 老年に 及びて は 人道し、 剛 忠とぞ 申しけ る。 母 は 太宰府の 小お 井 法 橋 菅信元 

の 女な. c。 隱岐守 家 和、 父の 家督 を 繼ぎ新 恩の 地 を 給 は て 大身と なり、 公方 へ 御 

禮を 遂げて 後 "當 家 次第に 秀で、 一門 國 中に 脣を張 け. y。 

剛忠 入道 萬 部 修行 は兩 度な, 9。 右 永 正 二 年の 萬 部 は、 初 度の 莴 部な,. 

, 一 龍 や」 寺 家 和將軍 家へ 出 ti 附剛忠 萬 部の 事 1£ 



千 葉 繁 

歸國 



*肥戰^1^ ^之 八 一七" 

千 葉 胤 繁歸國 幷少武 資元家 を 輿す 事 

小 城 郡キ; 葉 介胤繁 は、 兄弟 俱に 去る 明應七 年に、 大內義 與の爲 め 河 副の 軍に 利 を 失 

ひ、 筑 前の 國へ 山中し ける が、 時 を 窺 ひ 頃日 肥 前に 歸 入.^、 小 城の 高 田の 古城 を 取 

立て 在 城し け, o。 時に 龍 造寺馨 : 前 守 も、 同じく 屬 して 歸國 す。 然るに 千 葉 介、 東に は 

大 内., 漩河を 敵に 受け、 南に は 溢 江 を 敵と して、 何とも 難儀な b しかば、 其 頃、 上 松 

浦の鴨打美濃守秀が勇武の聞ぁ.=^しを傳聞き、 是を蘆刈に招きて頜知を與 へ 、 其子 

筑前守 を壻に 契約して、 西の方の 敵 を 防ぎ 給 は る ベ き 由 深く 賴み、 其 外 德島は 一 族 

なれば いふに 及ばす、 空 閑 • 前 田 以下 歷々 の 鄕士を * 方に 語ら ひ、 或は 所 額 を 得させ、 

或は 千 葉 家の 卒氏を 免して、 留志. 蘆 刈の 間に 差 置き、 一 鮎川. 櫻 井 等の 家人 を 紙 川 

〔置 力〕 - 

に 席て 各, 下知 を 加へ、 西の方の 敵^ 江 公直 を 押へ、 热龍造 寺 豊前守 を 初め、 堀江. 

鹿江•南里•ffi谷等の味方を以て、柬の敵大內•澀河を守らせけ,c^。 愛に 又 其 頃, 故少 

未子ぁ,.^。 去る 明應 年中、 父 討死の 時 は 僅に 九歲 なりし を、 一 族 橫岳兵 庫 



少貳資 元 

斷 絶の 家 

. ^興す 



頭資貞 • 是を隱 して 三 根 郡 西 島の 城に 成長し け.^。 然るに 永 正の 一羽 頃、 宗. 橫岳. 出 

雲 • 朝 =1、 此 冠者 を 大將に 取 立て、 大友親 治を賴 みし かば、 大友 も內々 小 « 家斷絕 

の 事 を 歎き 思 ひし 折節に て、 仔細な く肯 ひ、 頓て 公儀へ 訴へ御 赦免 を 蒙 h.、 彼の 冠 

者 を 元服 させ、 廢れ たる を 興して、 太宰 少貳資 元と 名乘ら せけ.^。 斯くて 資元, 重 

代の 家人 幷に大 友の 加勢 を 以て、 東 肥 前に 旗 を 揚げ、 先 づ神崎 勢 福 寺 城に、 江上 與 

種が近年大內方にな.=^て居た,9しを、 一戦の 中に 追 落し、 其 儘入替 りて 在 城と し, 

^探題 右兵衞 佐尹繁 の、 頃日 は綫 部の 城に あ. 9 ける を 追 落さん と、 小 城へ ぃひ送.^、 

千 葉 介 胤 繁と勢 を 合せ、 大手. 搦手 一 一つに 分れ、 少 K は 手勢 1 一 千 餘騎、 練 部 山 白 虎 城 

へ 押寄せた,.^。 探題の 兵是を 防ぎ 兼ね、 攻ロ旣 に 破れし かば, 城兵 散々 になり て、 右 

兵衞 佐尹繁 は、 筑後 國へぞ 落ちられ ける。 斯くて 資元. 採 题 を も 攻め 落し 大にカ を 

得、 馬場 肥 前 守 經周を 以て 當城を 守らせ、 其 身 は 勢 福 寺へ 歸城 あ. けり。 其 後少貳 

は、 此勢福 寺 を 居城と 定め、 千 葉 は 高 田に 在 城す。 斯 かる 處に永 正 三年 十月、 筑紫 

下野 守滿 ST 急に 小 城へ 攻め 來 り、 十七 B の 夜よ b 高 田の 城 を 攻めて、 同 十八 日の 

千葉.躐繁歸圃井少^5^資元家.^興す事 m 



北 肥 戦 誌 卷之八 一 だ 

夜攻め 落す • 城主 胤 繁は密 に 遁れて 出奔せ. , 

大 友義 長 嫡家を 繼ぐ事 

頃日、 豊前國 の大守 を大友 五郞義 長と いふ。 是は嫡 家に あらや。 前大守 S 窗守政 . 

親の 弟、 備前守 親 治の 子な b。 然るに 總領. の 政 親、 父親 繁の 家を繼 ぎて 後、 城 井 右 

衞門佐 • 長 野 壹岐守 等、 又 敵 を 討ち 從へ、 i>: 前 國をも 手に入れ、 九州に 威 を 振 ひしに、 

如何なる 仔細 にゃあ, 9 けむ。 嫡子 修理 大夫義 右と 不和に して、 過ぎし 明應 元年 六月 

十 H 、筑前 國立花 城 巡 見の 時、 赤 間 ケ闢の 船中に 於て 不慮の 橫 死に 及びけ..^。 玆に 

因.^ て豊府騒勸しけ る半ば、大內介義與、?^弊に乘じて豐府を攻め むと押渡 る。 義右 

是を 防がむ 爲め、 豊前國 へ 出向 ひ 合戰に 及びけ るが、 父 を 殺し、 天罰、 なじ か は 通る 

べき。 幾程 もな く 同 七月 廿 七日 大內 勢に 討 たれけ..^。 斯か..^し間、當家の總領旣 

に 〔lj 絕 しける を、 譜代の 家人 11^ 次. 臼许. 田 原. 齋藤 以下 談合し、 今の 五郎 は 庶流に 

て あ b しか ども、 嫡 家に 立て、 是を大 守と 仰ぎ、 大膳 大夫義 長と ぞ名乘 せけ る。 隣 



卜、 友 妙 

城な 攻む 



國大友 旗下の 侍、 是に 背か ャ 悉く 相 從ひ、 S 府 S なち し處 に、 筑後臟 生 葉^ 妙^ 城 

* 星 野 常 陸 介. 調 重泰、 大 友が 下知に 從 はす。 剩へ 居城に 榴 籠りて 避 府の 道を斷 ちけ 

り。 期 か, 9 し 程に、 永 正 四 年 三月 *大 友 一 萬 餘騎を 率して 筑 後へ 發 向す。 此時、 少貳 

資元 もお 場. 橫 岳. 宗. 出 雲. 江上 • 姉 河 以下 を 召 具し, 大友 加勢の 爲め、 神 崎 勢 福 寺の 城 

を發 して、 筑 後生 葉に 著陣 あ, o。 大友、 肥 前 勢 を 合せ 妙 見 城へ 押 寄せ、 城下 を 悉く 

たやすく 



,•.• く 



放火して』 伩害; 相戰 ひし かど も、 當城は 聞 ゆる 嶮 難の 要害して、 容易 攻め 登る ベ き W 

もな く、 其 上 星 野の 一 族黑 木. 井上. 井手. 增田 下 究竟の 者 共、 城 中に あ, 9 て 坂 下へ 

討って 出で 防ぎ 戰ひ しかば、 寄 手 あぐみて 日 を 送,.^ ぬ。 然る 處に. :S 中に 異心の^ 

あって、 大將重 I を 殺し、 其 首 を 寄 手へ 送り、 降 參の旨 を 申し 造し ける Si に、 大友是 

を 幸に 則ち 是を 免し ぬ。 され ども 彼の 星 野 氏 は、 先祖 物 加 波 蔵人 助 能 ご::! 含 院に仕 

へて、 德大 寺の 左府の 吹擧を 以て、 名 譽の笛 を 吹き、 世に 知られた る 者の 子孫 なれ 

ば、 其 家を絕 さむ は 本意に あらやと、 星 野の 一族の 中 同名 筑後守 親實 を: S て、 重^ 

が 一 跡に ぞ 定めけ る。 拆大友 も 少^も 谷.. 國 に歸陣 せし に、 頓て將 JSH!^ よ b 御內 IS 

大 義長她 家 な^ぐ 事 S 



和 州ぶ の將 
と一 リ內軍 
な 時て 窨義 
る 平 九に 尹 



北 肥戰ゃ i 卷之八 K0 

を 以て, 九州の 諸侯 大友, 少貳. 菊 池. 伊東. 島津. 維 河、 別して は 大內介 義與の 許へ、 急 

ぎ 私の 宿意 を 忘れ、 鎭 雨の 弓箭 を靜; li すべし と 仰 下されけ る 程に、 台 命 背く ベ から 

すと 各 * 頜 掌 申し、 大 內は少 K と 合戦 を 止め、 岛律は 伊東と 情 を 押へ、 溢 河 は 少貳. 千 

葉介に對して中和しければ、九州少時卒均の體にて靜なh^。 此時大 友義 長、 從四位 

〔敘〕 

下に^し、少貳資元肥前守にな,.^、 翁 地 義國を 肥 後 守に 改め * 千 葉 興 常に 屋形號 を 

給 は b け.. y。 同年 二月 1 1 日、 肥 前 國には 高 來の有 馬 左 衞門佐 尙鑒が 軍兵、 橫邊田 へ 

攻め *h^、 千 葉 衆と 栩戰 ひ、 宗徒の 者 共 多く 討た る • 又大村 日向 純 治 も、 頃日 千 葉 

介. 後 籐伯耆 守が 爲め 本領に 放れ • 他 郡に 徘徊し ける が、 是も 今年の 泰秋、 長 島の ffi 江 

右 馬頭 公 勢に 加勢 を 請 ひ • 有 馬と 引合 出張して、 隈 口の 合戦に 千 葉 勢 を 切 崩し、 其 

勢に 乗じて 本 頜に歸 入 b けり。 されば 又 今年 は樣々 の 凶の みあ りて、 夏 秋の 間 

萬 民 懦み煩 ふ 事、 貴賤 老若 をい はす。 是を名 づけて ね ぢ煩を も 又す びき 煩と もい 

ひけ り.* 二月 八日よ, 9 三月 十日まで 大地震 止ます。 



島の 御所 



義尹將 軍 御 歸洛の 事 、 

其 頃 島の 御所 義尹將 軍と 申す は、 淸和 天皇 廿 一世の 後胤、 足 利 尊 氏 卿に は 六 代の 御 

孫、 前將軍 大納言 義視の 御子。 御 母 公 は 裏松內 大臣 藤 重 政の 御 息女 • 當 公方 義没 

公と は御從 弟な.^。 然るに 近年、 義澄 公の 爲め 洛を沒 落あって、 大內義 興 を 御 頼み あ 

初 は 防 州へ 御 下 著 ましく、, 其 後 四國. 中國の 間に 御座 あ.. -し 故、 島の 公方と も 

申し、 又吉 木の 御所と も. S. しけり。 斯くて 今年 永 正 五 年 戊辰 正月、 義尹 公、 大內介 

の 馳走 を 以て 御歸洛 あるべし と 聞え しかば、 大內介 はいふに 及ばす、 九州の 大名 皆 

御供 巾す。 II 肚 仏。 は^ Ifu 其 人數に は、 先づ筑前に秋月土佐守^^卓^田强^^少 

弼興 種. 麻 生 右衞門 尉元 重. 高 橋 參河守 親 械* 立 花 但"塒 守親鉞 • 宗像 婦 部 助 氏 重、 筑バ仅 

國に星 野 筑後守 親 實* 草 野 長 門 守 親 永 • 蒲 池 十 郞治久 • 田 尻 中務大 輔^ 久 肥 前に ^ ぬ 

河 右兵衞 佐尹繁 .ifl 元 .11 餓 i せ 千 葉介興常 • 龍 II 守 家知. 醫 

門 佐 家 兼. 唐 津の波 多 下野 守 治 • 同所の 草 野中 務大輔 永 信 キ戶の 松 浦 肥 前 守 典 信 • 

義尹將 軍御歸 格の 事 f 



北 肥戦篛 卷之八 ズー】 

高*の有馬左衞〔^脫一佐尙塵.彼^^の大村日向守純治, 肥 後 國には 翁 池 肥 後 守義阔 • 

良宮 內少輔 義滋、 薩 州の 島 津陸奧 守忠昌 ^l£M。. 日向 國に 伊東 修理 大夫 祐秀、 豊 

後に 大 友の 一 族、 豊 前に 城 井 長 門、 對 州に 宗讃岐 守義盛 以下、 悉く 順風 を 待って 相 集 

る。 然れ ども 彼此の 用意に 滞,. ^、漸く 五月 下旬 義尹 公、 防 州の 湊を御 出船 あり。 諸 

將 同じく 御供に て、 兵船 數千 艘鑑を 解き、 兵 庫 和 田の 御崎に 到.^ て 著 船し、 是ょ b 陸 

を 御供して、 六月 初 句尼ケ 崎に 著き、 同 八 H 御 入洛な り。 宗讚岐 守 は、 先祖 代々 福 

祐, の 者に て、 將軍 今度 御 上洛の 用意 海陸の 事まで 樣々 取 繕 ひ、 特に 忠節 あ しか 

ば、 義尹公 深く 御感 まし (-、 翌 くる 氷 正 六 年、 讃岐守 へ 屋形 號をぞ 下さ れけ る * 

今年 筑前國 三 笠 郡の 年貢、 大內と 少« 半 納分。 . 

宗讃岐 守義盛 朝鮮 國を攻 むる 事 

永 正 七 年 庚 午 四月、 對 州の 守護 宗讃岐 守 義盛. 同 能 登 守 盛 弘相議 して、 朝鮮 國を攻 

む ベ しと ,兵船 を 揃 へ て 押 渡り、 同 四日、 签山 浦の 猪に 著 船す。 抑, 索 家、 朝鮮に 船 を 



渡す 事、 去ぬ る嘉吉 年中よ、 り以來 數十箇 度な.^ - 之に^^..^て彼のMの者、怯弱なる 

を 能く 知り 透し ければ、 大に思 ひ 侮りて、 義盛 • 盛弘 陸へ 上る と 均く • 北 (武備 を も 

なさ や 急に 貝 を 鳴らし、 開 の聲を 揚げ、 民 屋に火 を 懸けて 所々 へ 討ち入,.^ 亂妨 す。 

斯か る ® に、 朝鮮人 w 十 萬と も 知らす、 十 方よ.^ 馳せ 集る s&if の 如く、 翁 S. 盛^ を 

宗義盛 朝 (マ、) 

I, 謂 。l^ 取圍 み、 半弓. 不盡弓 を 雨の 如くに 射懸 く。 兩人 案に 相違し, 手のお を 左お に從 へ、 

前後 を 下知して 打破り— 馳せ 通らむ と 働きし かど も、 異賊 sffi の 如くに 込 重り、 

十重 -廿 赏に圍 みければ、 千變萬 化すれ ども 力なく、 大將義 盛 千 死に 入. 5 て 一 生 を 

» 得難く ぞ 見えし。 同名 能 登 守盛弘 は、 軍の 體を 見て 是 までと 思 ひける にや。 打 物 

を 扮て火 滅の鎧 を 一 淘 ゆって 設 突し 數十萬 集 b たる 敵中へ 割って入る。 無 雙の大 

力な. 9 しかば、 あそこに 押 付け 一 手に 三人 、愛に 攻め 臥せ 一 手に 五 入、 ひつ 爬 み-./^ 

四角 八方へ 打 散らしけ り。 其 勢に 異贼 恐れて 少し 引返く と 見えし 間に. 義盛 を述し 

盛弘 討死 て 船に 乘せ、 盛弘は 防ぎ 終に 討死し け.^。 生年 三十 一 な. ^0 斯 か.^ しかば 對 馬の 軍 

兵、 生きて 歸るは 千に 一 つもな し。 然るに 同 六月よ,.^ 盛弘、 己が 居所に ある 事 存生 

^ 祭 讚岐守 義^ 朝鮮 まか 攻 むる 事 一八 13 t . 



* 肥 戦 誌 卷之八 .x« 

の 時に 異なら や。 對 州の 老若男女 是を怪 み、 正しく. D 靈 ならむ と 窺 ひ 見る に、 疑 も 

なき生きたる人な..=^。 扨 は 又 實に其 人 かと 見る に、 平生に 食物 をせ ざ..^ け h^。 野 

人 村老斯 かる 稀 有の 事 は 前代未聞な, 5 と, 怖惶く 事大 方なら や。 斯か. し 程に、 義 

盛是を憐み其靈魂を祭..^^. 一 社の 神に ぞ 崇めけ る。 . 今の 對州 高崎大 明神是 なり。 

然る 處に 朝鮮の 兵船 數十 艘、 對" おの 豊 崎へ 著く。 義 盛大に 悅 びて 一人 も 生けて 歸 

C 唐 力〕 

すな。 盛弘が 孝養に 悉く 海底に 切! i よと, 自ら 眞 前に 進み、 數百 人の 朝鮮人 共、 一 メ 

も 殘らす 討 殺しけ り。 其 後 は 互に 商船 を も 渡さす して、 暫く 海上 和 異の通 略も絕 

えた, CS け, 

筑紫滿 門 馬場 賴 周の 爲に 討た る.. -事 

〔世 力〕 

永 正 十八 年 辛 巳、 改元 あ つて 大 永と 號す。 後柏原 院の 御宇 義澄將 軍の 御 治!^ な,.^。 

此時筑 前 國勝尾 城主 筑紫 下野 守滿 門と いふ は、 元來少 K の 一 族に て、 少武 恩顧の 者 

なり。 尤も 本家に 對し、 何樣 二心な く 仕 へ し處、 去ぬ る 朋應六 年、 防 州の 大內、 少 K 



vw: り 大筑 

氏 主內紫 
^家に 箱 

攻少降 H 



政 資返治 の爲め 筑前 へ 渡海し. 所 々に 於て 合戦す。 時 に 新少甙 高經、 勝 野 に 支 へ て 

相 挑みし に.、 此 5: と東尙 盛、 大內へ 降参し 却って 少贰を 攻めけ る 間、 高. 終 軍に 打 負 

けて 肥 前へ 來 b 、終に 父子 一 門 悉く 滅 C しけ, 9* 某 後 大內介 • 彼の 滿 門が 軍 忠を賞 

し、 筑前 國の內 那珂士 一 笠. 早 良、 肥 前 國の內 基 肆* 養父. 神 崎 等の 所々 を與 へし かば • 

滿門旣 に 大身と な.^、 偏に 少贰 《家 全盛の 時に 異ならす。 ある 時 は 小 城へ 發 向して、 

千 葉 胤 資の餘 類 を 征伐し、 ある 時 は 佐嘉. 神 崎へ 出張して、 少 贰の殘 黨を誅 罰す。 然 

るに 滿 E 、今年 大永 元年、 筑前 a 寶滿の 上宫を 建立す。 去ぬ る 永 正 十五 年に 炎上せ 

しに 依りて な.^。 抑! 彼の 寶滿 岳と 申す は、 九州 第 二番の 高山、 半 腹よ.. - 頂上 は 山 K 

石劍の 如くに て すさまじく、 見 上ぐ るに » 服 上に 打稷 ひ、 數千 丈の 屏風に 似たり。 

斯 かる 險 ft を 厭 はす 彼の 大宮を S 奥-しけ h.。 ly 、同 三年 癸未 閏 三月、 神崎櫛田^.2を 

修補して: 御 神體を 新造し、 寶 殿の 上 緣造替 へ 御 階 を 新造す。 遷宮 は 同月 廿七 

日な, 時に t お 社の 別 當は東 妙 寺 五 室 全 契、 宫柱は 戟行治 部 大輔伴 兼 贞. 本吿 新,^. 

郞. 藤 原賴景 にて、 御 遷宮 事故な く 成就し けり。 此 御社 は 往古より 稻田姬 を S め 奉 

筑紫箱 門 馬揚賴 周の 爲に 討^る ゝ審 , 一八 あ- 



滿門諸 社 

建立 修 

復マ 



It 遂ズ お賴箱 
たに 用 周 門 
るし ひの お 
てす 諫^ 



北肥戦^1| 卷之八 *, 一八 六 

^、思; M 返 治の 御 祈願 所に てお はします。 昔 は 一 箇 年に 七 度の 御祭あって、 度 毎に 

勅使 を 立てら る。 執行. 本吿 とい ふ も, 其 勅使 下向 あ, 9、 洛へ は歸^ やして 在國せ 

られし 子孫な, c^。 當社 修造の 事、 去る 長享 三年 己 酉 六月 三 H 、少贰 政資の 代に 造替 

へられし かど も、 世の 亂に 隙な くして、 遂に 遷宮 はまし まさす 朽 果てし を、 此度滿 

門、 修補 を 加へ 三十 五 筒 年に して 御 遷宮 あ b け. 9。 然るに 滿 門が 培に、 str 場 肥 前 守 

頼 周と いふ 者 あ h..。 是も 少貳の 一族に て、 m 肥 前 綾部の 城に 居住し け. =^。 彼. の賴 周、 

元よ. 少貳 股肱の K にて、 忠貞 他に 異なち しかば、 內々 滿 門が 大 内方に 飜りし 故、 

少贰 < 家滅 c し、 サ) 一伴 類まで も浪々 しける を、 骨髓に 徹して 憤 b しか ども、 S の 事な 

れば胸 を 押 へ て 年月 を 送,.^、 時々 滿 門を賺 し、 何と ぞ 元の 如く 少貳 方に なさむ と 計 

ら ひけれ ども、 滿門 更に 承引せ す。 頃日 は 嫡子 刑 部 大輔石 州に 至 b 參陣 せしめ、 大 

內に 忠節 を勵 しければ、 頼 周 今 は堪へ 兼ね、 滿門を 我が 館へ 押 寄せ 誅せ むと ぞェみ 

ちら 

ける。 され ども 滿!: もさる 古兵に て 早 推量し、 散けて 賴 周が 許へ 入 --y* らす。 然 

る 折節、 ^周の 子供 庖瘡 をぞ煩 ひけ る。 頃 は 大永四 年 正月 半ばの 事なる に、 頼 周 妻 



滿門 x.^ さ 

る 



女に 向って いひけ る は、 おこと が父滿 門、 我等を3^$ぁるょと疑ひ給ひ、 に 見え 

來、 り 給 はす。 我等 は 夢 計り も 別 心なし。 當時 子供の^ 瘡を痛 はる i^、 おこと が 方 

よ. 吿 知らせ ゆして、 祖父 子 を 招き 孫 共 を 見 給 ふ 樣に誘 ひ 候へ とぞ 中し ける。 女 

〔眞 力〕 

房は賴 周が 目 打た.. -き、 直 顔に 云 ひ 聞かせけ る を、 偽と は 露 知らす 尤もと 思 ひて、 

急ぎ 文 を 認め 父滿 門へ ぞ遣 しける。 滿門披 きて 見る に、 疑 もな き 我が 娘の 手跡な 

れば、 さの みはい かで 堪 ふべき。 さらば 緩 部へ 打 越し、 孫 共の 氣色を も 伺 ふべ し 

と、 正月 十八 日 父子 三人 、あり. 合 ふ 家人 等 召 具して、 綾部に ぞ 赴きけ る。 塞に 屠所 

あゆみ 

の 羊の 步と は是 ならむ。 程なく 賴 周が 城に 著く。 滿門 父子 則ち 寢 所に 入..^ て 孫 共 

の體を 見る。 其 時に 臨んで、 賴 周が 風情 • 何と やらん 怪しく 心中に 邪 謀 あるよ と、 

さど 

女房 漸く 了. e 知. しかば、 頻, に 泪をぞ 流しけ る。 さしもの 滿門、 是を 推量せ ざる 

こそ 運の 極 なれ。 » 滿門、 外の 廣 間に 出で て 坐す。 此滿門 は、 隱 形の 法 を 行 ひて、 

木の葉 隱れの 妙 を 得た b しかば、 賴周 寸時 も油斷 せす 合圖を 定め、 易々 と滿門 父子 

三人、 當痤を遁さゃ討取-^^け,.^。 少 1^ 《の 家に 對 しても 忠 心の 致す 所と はい ひなが 

筑紫竭 門 ^場!: 周の 爲 LL 討た るゝ事 K 七 



北 B8 戰誌 卷之八 一 八 八 

ら、 情 あらざる 振舞な,^。 さても賴周が妻女の歡きぃふ計,.^なし。 頓て 夫に 暇 を 乞 

ひ、 綠の髮 を 剃り こぼし、 出 離 菩提の 道に 入 b ける こそ 理 なれ。 滿門 討た れ若黨 

共に 切 死し * 殘, し 者 北 〈勝 尾に 走り 歸 b て、 事の 由 を 告げた, しかば、 筑 紫の 一 族 

家人 等數百 人、 物 具犇々 と 差 固め 綾部へ 馳せ向 ふ。 され ども 賴周 用心 稠 しく、 半途 

に 大勢 を 伏 置き 是を追 崩しけ う。 賴周は 多年の 鬱胸を 一 時に 晴らし、 悅ぶ事 限な し。 

然るに 此 折節、 千 葉 介 胤勝と いふ は、 少貳の 親族 橫岳兵 庫 頭 資貞の 子、 童 名 は滿童 

丸。 前 千 葉 介 胤資の 後家 日光 明 胤 尼の 養子な り。 此 胤勝、 もと 少貳 骨肉の 一家な 

りしに、 如何なる 謂 や あ h 'けむ。 是も 少貳を 背いて 頃 B 大內へ 隨ふ由 相 聞 ゆ。 斯 

かりし 程に、 賴周是 を も 諫めむ と、 彼の 長臣 三人の 方へ 送, し狀に 曰く、 

□ □□□ 今日 廿 五日 到 來<52_, 披見, 候。 如, 承 當家之 事、 今度 ロ滿 門惡: t 奉 口 一家 

無,, 餘義, 在 々所々 牢籠 之體ロ 口 前代未聞 之儀不 fecB 語, 候。 雖ぉロ □ 勿, 憚& 任- 

先 言; 此節 立,, 還 f 國家再 與肝耍 之 由、 度々 對,, 滿 門, 雖, 述,, 愚意, 候 b 無-許容-候。 

* 筑紫刑 部大輔 至, 右 州, 介 參陣; P 忠節, 心底 無,, 別 條之儀 k 之 Si 、對等 者 不^お 



候條、 彼 父子 三人 討 取 候 • 爱許輙 任-所存, 候 次第、 併 當家御 曾^父 様 之 御 計ら ひ 

にて 歟。 天道 顯然 殊勝 之 至 候。 於,, 此上, は國中 平均 令,, 調 熟; ^^西靜譴之儀肝心 

之ぬ、 此前 對,, 老中, 以,, 兩使, 申述 候。 就 * 千 葉 家 之 V 、如-前々, 當家 於-和合, ボ、 尤《 

1 相存 候處、 尙以大 內御隨 ^難 捨,, 思 召, 候而, 少 11^ 家 可 退治, 御 才覺, 方々 

江 之 廻文 無- > 其 隱, 候。 乍 勝 之 事、 輕重義 興 可 荷擔, 事 筋目 相違 候、 誠に 無: _ 

是非, 候。 然處へ 對_, 老中, 5 相 渡-之 由 承 候。 更 不^-, 信用-候。 先度 滿門 生害の 刻 

茂、 賴周 一身 可, 及,, 安穏, 無 ,_覺 悟, 候。 偏對酗 家, 可-身命 振舞, 存候。 各, 分別 之 前に 

候。 生得 依-正直 之 思慮; 神明 之 御 擁護に て 不慮 存命 候。 〔今以 無 忘却, 候" 於,, 當 

域, 少貳家 之望不 J5\ 有,, 餘義, 言上、 老中 へ 可-申 合, 事、 久家通 法 非 分 に 候。 所詮 3g 

勝 被 ま, 御意, 候 者、 以ぉ 可-申 ま-候。 若又大 内御隨 N 首尾; 此等之 sr 能々 心得 

才覺 可, 然。 兩郡中 之 事 茂、 對 __當 家, 代々 忠切之 辻 無 V 紛候條 、眞 實國中 安全 之 儀 被 

,存 候 者、 無, 偏頗, 樣可 ,預,, 異見, 事 無,, 餘義, 御 納得 可 谷, 祝 著, 候。 旁々 難、,, 紙 

上, に付閣 っ挲 候。 恐々 謹言。 

筑紫滿 馬場 賴 周の 爲に 討た る 事 1 八 九 



竊 £ の怨 



* 肥 戦 誌 卷之八 § 

二月 廿 五日 賴周判 

副 島中 務少輔 殿 

参 

神代 兵 部 少輔殿 

龍 造 寺左衞 門 佐 殿 

私に いふ、 右 此狀を 以て 見る に、 此 時まで は少 1^ 資元、 未だ 家 を 興さ るか。 又 

舊證 文に も、 資元永 正 十四 年の 頃、 藤津の 山中に 蟄居。 時に 長臣宗 伊賀 守 氏茂隨 

身と、 I。 是を 以て 之を考 ふるに、 此 書に 載す る 所 永 正の 初、 資元 世に出 づ ると は 

非な,. >。 然れ ども 九州の 諸 記尤斯 くの 如し。 

^も 筑紫滿 門 討 たれし 後、 其怨靈荒びて怖しき事ども多かbけ,.^。 されば 今の 世 

まで も 綾部の 城の 奮 跡に、 月 曇, 5 雨 暗き 夜 は、 叫喚の 雙啾々 と 人の 心 を^せ.. >。 あ 

る時此 所の 土民、 草 を 刈,.^ で 馬に 付けて 其 上に 乗,...、 滿 門が 墓の 邊 b を 通 りしが、 

忽ち 逆に 落ちて 悶絕 しけ..^。 在所の 者 驚き、 山伏 を 請 じて 祈..^ し處 に、 自ら 口走 

り、 我 は 筑紫滿 門と いふ 者な. 9。 昔此 所に 命 を蹙め ,多くの 年月 を歷 ると 雖も、 魂 



千 I* 介 胤 

勝 I 很 人す 



は猶 留ま b て、 一,^ しも 今朝 卯の 刻よ.^ * 樂を 興行し • 自も舞 ひ 遊びし 所 LT 下々 と 

いひながら 馬に 乘, 9 て、 舞 臺の前 を 通る 條 奇怪の 至な,. >。 然れ ども 之 を 免し 命 は 

助く るぞ とて、 物 付 は 汗水に な 寢入 るか LJ 見て 又 息 を 出す。 二 KW 餘 年の 星霄ユ 

送る と 離 も、 其 魂 は猶靑 苔に 殘る 事、 不思議な りし 次第な, 9( 

同大 永 四 年の 夏、 小 城の 千 葉 介 胤勝、 竭 場が 諌を用 ひすして、 彌.^ 大內家 へ 志 を 通す 

る 由 聞え しかば、 加 世 中佐 嘉の龍 造 寺 .逮 池の 小 田い ひ 合せ、 四月 六 H よ h- 小 城へ 取 

懸け、 九日よ h- 詰陣、 Si 勝 軍に 打 負けて、 五月 十二 曰 落城に 及び、 己 は 密に落 失せけ 

,.^。 時に 同名 興 常. 同 子息 嘉 小 城へ 歸 入る。 彼の 父子、 頃 H は 凰 勝が 爲め出 し 

て 他所に あ しと ぞ開 えし。 其 後 i 勝、 勢 を 率し、 同 七 年 正月 七! n、 加 世 へ 出張し 

て、 同名 興 常と 相戰 ふ。 此時千 葉 勢に、 岩 部 を 初め 加 世 四 人の 嗜野 田. 蒲 原. 中 Ie.:ln- 

島 以下 三百 餘人 討死し け, り。 勝 近年 筑 前へ 浪人す。 

少 贰冬尙 元服の 事 

少 冬尙 ー兀 服の 筝 K1 



北 肥 戦^ 卷之八 ズーー , 

同 八 年 戊 子、. 亭祿と 改元す。 此時 ,少1^ 松 法師 丸と 申す は、 肥 前守資 元の 子な,.^。 父 

資 元は 大內 介が 爲め、 過ぎし 永疋の 頃籐津 山中に 蟄す。 附從ふ 家人に は、 宗 伊賀 守 

氏 茂の みな bp 然るに 資元、 時の 管領 細 川 右 京大 夫 高國を 頼み、 將軍家 へ 訴へ、 今年 

の 夏、 彼の 法師 冠者 を 元服 させ、 興經と 名乘ら せ、 太 宰少貳 になして 屋形號 を 申 

し 給 は b 、舯崎 勢 福 寺の 城に 据. ゑ, 馬場 • 江上 を 以て 後見と す。 此興經 、中頃 は時尙 

とも 號し、 後に は 冬 尙とぞ 改めけ る。 斯くて 資元、 其 威 漸く 耀 きて 上 松 浦へ 旗 を 進 

め、 獅子 • 日 割の 兩城を 一 初め、 所々 の 松 浦黨を 皆切隨 へ、 夫よ b 累代の 地 太宰府へ 打 

入らむ と • 先 づ西筑 前まで 出張す。 此事、 中國 へ隱れ なし。 大 內介義 興、 急ぎ 將軍義 

晴 公へ 訴 へて、 少貳 父子 を 退治せ むと す。 され ども 御 許容な か.. -け h,。 此時、 大友 

修理 大夫 義鑑 へ 對し、 引付 衆の 内大館 左衞門 佐よ. 5 來. 9 し狀に 曰く、 

〔共力〕 , 

就- 少貳殿 之 儀, 從„ 大內左 京 兆, 御 下知 之 事 被 申 上 -候, 然啫無 承引, 候" 可-御 心 

安, 候。 爲„ 御意 得, 申入 候。 旁々 具 ij- 演 可, 有-御 申, 候。 恐々 謹言。 

七月 十日, , .K 館 右 衞門佐 晴光判 



大友 修理 大夫殿 



北 肥戰誌 卷之入 

小 ノ^ 3^ 尙 元服の 事 



お 



北 肥戰誌 卷之九 】 ル B 

北 肥戰誌 卷之九 

肥前國 野路 宿 合 戰の事 

同年の 冬、 周 防國山 口の 城 主 大內左 1¥大 失 多 々良 朝臣 義興、 病惱に 迫る。 然るに 十 

二月 廿日 卒去 せらる。 此人は隨分朝家の輔弼にして、從三位太宰大貳に#進ぁ.^。 

且つ 將軍 家の 後見 鈸 西の 貫主た. 5 しに、 閽 夜に 火 を 消した るが 如し。 斯くて 明く 

る 享祿ニ 己? H の 春 • 子息 周 防 介 義隆、 百 六 代 後奈良 院の 御宇、 公方 は 足 利 十三 代權 

大納言義晴公の御治世なh^。 然るに 此度 義隆、 繼 目の 祝儀と して 探題 漉 河 右兵衞 

佐 尹繁の 許より、 防 州へ 使者 を 送られ、 義隆幷 に 長 臣陶尾 張 守 興 房が 方へ 一 書 を 用 

ひらる。 篛隆 よりの 返礼に 曰く、 

御札 之 趣恐悅 候。 殊 爲,, 祝儀, 御太刀 一 腰 介 拜受, 候。 畏入 候。 仍同 一 振 進 „覽 之, 候。 



大 內義隆 

少貳資 元 

攻む 



周 防 介 綦隆判 



猶杉三 河 守 可 御意, 候 • 恐惶 謹言 • ,/ 

三月 廿 八日 

謹 上 採 題 人々 御中 

斯くて 義隆、 父の 家 を 艦ぎ、 大內 介に な,. M し鎭 西に 威 を 振 ひ、 同享祿 三年 庚 ー€; の 春- 

少贰資 元 父子 返 治 仕るべき の 由、 頻りに 將 家に 訴へ、 旣に 御免 を s^hv しかば. 其 

趣、 早速 筑 前の 守護 代 杉 越 前 守 興 iS! が 万へ 下知 を 加 ふ。 斯か, 9 し に、 興迚 額て 迥 

文 を 以て、 筑 前の 軍士 を 相 催す。 其頃少貳资元は、西筑前にぁ.^けるが、 此事を is 

き、 さらば 肥 前へ 引返し、 * 方 を 翁め て合戰 すべ しと. 急ぎ 神 崎 勢 福 寺 城に 赴き、 子 

息 冬尙 il つに ならる。 斯くて 大內勢 杉 奥 is- を. 初め、 少貳 父子の 居られた る 勢 福 寺 

城 を 攻めむ.;/ 四月 下旬、 先づ 東の n 基肆. 養父. 三 根 三 郡へ 討ち入. しかば 少或 力 

にて あ, つる 筑紫能 登守尙 門. 朝 H 左 近將監 赖霣. 橫! gfg 岐守 資處を 初め、 宽肥 前の 

城 持 共、 悉く 城 を 開いて 降 參, す。 是 等 は皆少 K 家 股肱の 輩な.^。 千 葉 介 H 勝、 其 筑 

前に 浪人して あ ける が、 是も 實父橫 と ig: じく 大內 方に 馳せ加 はる。 杉與 、大 

艷前滅 野路 宿 合 戰の事 r i 



野路 宿 合 



5- 



„^肥戦^!| 卷之九 1^ 

に 力 を 得、 此勢を 先陣に 討た せて 三极 郡に 陣を 取る。 少貳 父子 は 勢 福 寺 城に あ 

て是を 聞き、 さらば 勢 を 半途に 出して 戰ふ べしと、 軍兵を集めらる/^に、 先づ 中佐 

嘉龍造 寺 山城 守 家 兼. 子息 右 衞門大 夫 家 重 .Is 三 郞兵衞 家門. 同名 伯 耆守盛 家. 蓮 池 小 

田 九郞政 光. 直 鳥 犬 塚 安房 守 家淸. 子息 山城 守尙 家、 其 外少貳 譜代の 輩に は、 馬場 肥 

前 守 K 周. 江上 石 見守 元 種. 宗筑後 守 秀恒. 出 雲 民 部 大輔賴 通. 姉 河 彈正少 輔弼 惟安 幷 

に 本 吿左馬 允 賴景. 執行 治郞大 輔兼貞 以下、 佐嘉. 神 崎の 軍士 參陣 す。 少貳 ,此 等の 

輩 を 下知して、 田手繩 手. 野路 宿の 邊へ差 向けら る。 斯くて 大內 方の 軍兵、 三 根 郡 を 

立って 享祿 三年 八月 十五 日、 勢 福 寺の 城 を 攻めむ と 野路 宿に 打 臨む。 少貳 勢、 敵と 

見る よ, 9 太鼓 を 早め、 鬨の聲 を 揚げて 亂れ合 ひ、 暫し戰 ふと 見えた. しが、 大內 勢の 

先陣 忽ち 打 負けて、 朝 S 左 近 將監賴 賞 矢庭に 討 たれ、 其 一 列の 軍兵、 旣に 敗せ むと 

す。 ニ陣の大內勢、荒手にて入替.=^、頻,.^に進んで相戰ひ、合戰半ばなりける時ぶノ貳 

勢の 內、 龍 造 寺の 陣 より 鍋 島 卒右衞 門 淸久 • 子息 左 近 將 S 義 房. 次男 孫 四郎淸 房、 手 

勢 を 引分け、 田手繩 手の 南の 方へ 囘 つて、 大內 勢に 切 憑ら むと 時分 を 見繕 ふ。 時に 



大 內勢畋 

北 



大 內方筑 紫. 橫 岳. 千 葉の 手の者、 一 戰に利 を 得、 少 K 勢 を 追 立て、 野路 宿の 西の a 

手に 到る" 是を 見て 鍋 島の 一列 中に も、 野 田 河内 守淸 孝が 赤 熊 武者 彼此 二三 人、 

一 同に a と 南の 方よ.. >橫 合に、 大內 勢に 切って 入る。 愛に 於て 大內 方の 輩、 散々 打 

むね 

負けて 宗と賴 みたる 橫岳讚 岐守資 卓 筑紫能 登 守 尙門討 たれ、 千 葉 介が 手の者に も, 

仁戶田 %. 東鄕. 秋 光長 門 守 父子 討死し、 大內勢 悉く 敗北して、 千 葉 介 は 引退き、 杉 越 

前 守 は 漸く 遁れて 太宰府へ 引返しけ.^。 斯くて 少貳は 合戦に 打 勝ち, 龍造^1-ー家 

の 軍功 を 賞 せらる。 此時又 龍 造 寺 山城 守 家 兼、 今度 鍋 島 父子の 忠戰 を感赏 し、 淸久 

の 子供の 內を、 孫壻 にと る ベ き 由 所望 ありけ.^。 淸久是 を應諾 し、 嫡男 左近將 S は 

早 妻室 あ, 9 しかば、 次男 孫 四郞を 以て、 家兼の長男右衞門大夫家^^;の嫡女に契約ぁ 

り。 家 兼悅び 中佐 嘉の 內本庄 八十 町の 所 を、 孫 四郞淸 房へ?; * 引出物に ぞ せられけ 



る 



龍 造 寺 山城 守 家 兼、 天文 七 年 戊 亥 法體。 法名 剛忠。 

同 子息 右衞 E 大夫家 重 同 右 衞門大 夫尙純 狱。 文 四 S 後 守 家 純に 改む • 

配前國 野路 宿 合 戰の事 K^f 



* 腮 戦!! 卷之九 1 突 

或 記に いふ、 龍 造 寺、 鍋 島 を SS にと りし 事 は、 天文 五 年 木 原 軍の 時な b とも。 

陶尾張 守 入道 道麒 九州 渡海 所々 合 戰の事 

翌 くる 享祿四 年 辛 卯の 春、 豐 後の 屋形 大友修 大夫 義鑒、 筑後國 星 野 筑後守 親忠が 

生 葉 妙 見 城 を 園 みて 攻め 戰ふ。 親忠 籠城す る 事、 旣 に三懂 年に 及ぶ と 維 も、 堅固の 

要害 なれば 落城せ す。 結句 翁 池 左 京大 失 義國、 星 野に 同心し、 其 上 中國に 到って、 

大內介 義隆に 加勢 を 乞 ひし かば、 義隆頓 て 太宰府へ いひ 送り、 杉 越 前 守が 方へ、 急 

ぎ 星 野へ 加勢すべき 由 下知 せらる。 斯か b し 程に 興 連、 早速 軍兵 を 用意し 筑 後へ 

差 遺す-。 A 頃 少貳資 元は、 多久の 城に あ b ける が、 此由を 聞きて、 其義 ならば 自身 

筑 後へ 發,: E し、 大 友に 力 を 付けむ と 三月 十四日、 多 久を打 立って" 先 づ上松 浦 通..^ 

に筑 前の 內を 過ぎ、 上筑 後へ 入らむ と 山路に 懸られ しに、 佐 嘉の龍 造 寺 山城 守丄咼 

木 右 京大 夫. 松 浦の 相 知. 廣瀨 以下 馳せ加 はり、 .其勢三千餘騎にな,.^て、 筑 前の 岩 門 

に 著陣ぁ b しかば、 小 田 部. 重 极. 曲 淵 追々 來.^ 加 はちて- 旣に 大勢と な.^、 閎 四月 岩 



II 



門 を 立ち 三 笠 郡 を 打 通,^、 上筑 後の 生 葉に 著陣 あお. • ^くて 資元、 大 友義 慶の陣 所 

に入bて對面し、星野1sめ敵征伐の事を評定ぁ,.^。 則ち 帝都へ 注進し、 管 g 細 川 右 

京大 失 高 國* 引付 大館 左衞 門佐晴 光に 屬 きて、 星 野 以下の 逆徒 追 罰の 事、 上意. ど 蒙 

たきの. B 、將軍 家に 訴へ 申されし 處に、 頓て 上面に 達し、 大友. 少貳が 申す 處に任 

せられ、 御 敎膂を 成 下されけ,. >。 兩將悅 び 逆徒 返 治の 上意 を 藥る由 • 隣 國に觸 廻し 

て、 彌< 星 野 を圍攻 む。 拆大內 介が 守護 代 杉 與述を 追 落さむ と、 明 くれば 天文 元年 

壬 辰、 大友*少貳.千葉介三家^^兵を合せ、 杉 越 前 守 興 連が 太宰府 岩 M 城 を 攻めた.^ 

けり。 是れ大 內と大 友が 義絶の 初と なり. 興 連-大勢の 敵 を 引受けて 防ぎ 難く 思 

ひし かば、 急ぎ 防 州 へ 注進し、 義隆の 方 へ 加勢の 兵をぞ 申請 ひける。 大內介 驚き、 

延引すべき にあら やとて、 同 五日 陶尾張 守 奥 房 入道 麒を 大將 にて、 周 防 *畏門 の 軍 

士を 率し、 杉が 後 詰と して 筑前國 へ 差遣す。 陶 入道、 旣に 兵船 を 揃へ、 大勢 筑前 へ 

著く i 聞え しかば、 岩屋 城 を 攻めた. し 三軍の 寄 手、 叶 はじと や 思 ひけむ。 一 人 も 

殘らす 返 散す。 然るに 道麒、 一 戰にも及ばゃ宰府に入.=^、杉に對面して軍の評議を 

» 尾 張 守 入道 道麒 九州 渡海 所々 合戦の 事 i 



軍陶 

m 

敗 



お IS 戦 誌 卷之九 § 

極め • 其 勢 を 合せ 少貳 方の 者 、多々 良濱に 於て 散々 相戰 ふ。 少貳 勢、 利 を 失 ひ 

立 花 城に 引 籠る。 中國 勢の 內、 杉が 子息 十郎隆 連、 中に も 進んで 少貳 方の 追 ひく 

博 多 崎に 陣を 張る。 愛に 於て 高祖の 原 田 五郞隆 種. 青山の 留守. 鏡の 草 野 * 其 他 

近隣の 武士 悉く 隆連 が陣 に馳來 る。 斯か b し 程に 、杉. 陶が 軍兵、 雲霞の如く 博 多. 鳥 

飼. 太宰府の 邊に 群. ^ 充満す • 然るに 道麒、 興 連と 談 じて 軍 を 一 一 つ に 分け、 其 身 は 星 

野が 後 詰の 爲め、 筑 後へ 打 越えむ と 博 多 を 立ち、 那須 郡に 入.^ て 粥田庄 。を 討つ 

て 通る。 時に 少貳の 一族に、 宗. 橫岳 .馬 場 * 出 雲. 筑紫 以下の 輩、 道麒が 通る を 待 懸け 

て 不意に 切って 憑る。 道麒思寄らざる事にてぁh^しかば、忽ち 一 戰に利 を 失 ひ、 仁 

保將監 下の 者 共 六 百餘人 討死し. 殘兵 悉く 敗軍して 豊後國 へ 押 通り、 砍珠 郡に 到 

5 息をつぐ。 斯くて 道麒 入道、 其 後 星 野の 城を援 はむ とし けれども、 或は 軍兵 を 集 

め 或は 兵粮 を 用意し け る に、 滯 つて 急に 事 成らす。 又筑前 へ 打歸..^、 今年 は 徒に 年 

を 越しけ, o。 此時大 友義 « は、 自身 は 豊府に 先 づ歸, しか ども、 少貳へ 合力の 爲め、 

家人 臼 称 三 郞右衞 門 と眞 光寺 兩將 を、 筑 前に 殘し 置き 



^敵前 陶 
陷 のに 道 
る 諸入麒 
城り 肥 



陶入 道道 麒肥前 へ 打 入る 事 

天文 二 年癸已 正月、 陶尾張 守 入道 道麒、 去 冬よ bis 前 國に年 を 送.^、 昧 方の 輩 を 催 

促して 軍兵 調 ひし かば、 先づ星 野が 後 詰 を 差 置いて、 大友 *少« と戰 ふべ しと^^ 

を 立ち、 筑後國 へ 討 入 b、 三 原 を 過ぎて 所々 を亂妨 し、 當國 にあ b し大 友の 城々 を 

攻めけ るに、 一番に 久留 米. 安武の 兩城 落ちて、 城主 豊饒 美 作 入道 永 源 は 肥 前圃柬 

津 村へ 返き、 安武 安房 守鑒敎 は、 何方と もな く 逐電す。 道麒、 夫よ,^ 千. H. 、!: を a 渡 

し、 西の方 筑 前の 內へ打 越えて、 筑紫掃 部 助 正 が少 1^ に ー* し, 循 籠..^ たる 武藏 

の 城を不 H: に 攻め 落し、 肥 前國へ 討って 入り、 少甙が 棟と S みたる 宗筑後 守 秀恒が 

鏡 山の 城 を も 攻め 落す。 是を兑 て、 筑 紫四郞 惟門. 勝 尾 城 を 開いて 軍門に 降る。 斯 

か b し 程に, 佐 嘉の龍 造 寺 新. 郞 a 久. 小 城の 千 葉 介 喜^ 以下、 道 麒へ馳 付きて.^ 

大勢と なる。 中に も 原 田 五郎 は、 中 國の仁 保加賀 守と 勢 を 合せ、 怡 土. 志摩兩 郡の m 

を相語らひ、 上松1の者4^ハを打も從へて、 道 麒にカ を 合せ、 總勢 一 同 に^に 佐嘉萨 

陶入^ 道麒肥 前へ 打 入る 事 一一 01 



北 肥 戦 3il 卷之九 §1 . 

崎へ 討ち入.^、 少 R 一 家 を 返 治せむ と議 す。 此時 少貳資 元は、 去年 筑 前の 軍の 後、 

父子 共に 多久. 梶峯城 に 居られし を、 東筑 前に あ.^ ける 少貳 恩顧の 輩^ 場 肥 前守賴 

周 父子. 同 名大 藏允周 盛. 同 右 衞門大 夫 周 詮* 橫岳右 馬頭 資誠 • 舍弟中 務大輔 政 負 • 綾 

部備 前守鑒 幸. 朝日 近 江守資 世. 重 松中務 S 賴 幸. 同名 次郞 三郞滿 幸. 藤 崎 左 is- 助 盛 

義. 犬 塚 山城 守尙 家. 內田兵 部 少輔資 兼. 姉 河 彈正弼 « 安、 其 外 龍 造 寺 山城 守 家 兼. 同 

三 郞兵衞 家門 を 初め、 皆 一 昧 同心して、 資元 父子 を 早速 城 原 へ 迎 へ 、勢 福 寺 城 へ 入れ 

て、 江上 石 見守 元 種 を 以て 是を 守護し、 中 野. 西 島 • 千 葉. 運 池. 崎 村. 直 鳥 等の 城々 < 銘 

々循 籠.^、 中 國勢を 防がむ とぞ待 懸けけ る。 斯くて 陶入 道道 麒所々 の 軍に 打 勝つ 

て、 同月 神 崎 郡 三 津村棘 岳に 陣を据 ゑ、 愛 彼に 於て 少貳 方の 輩と 相戰 ふ。 馬場. 橫 

岳 .宗. 出 雲-小 田. 犬 塚 所 々に 支へ て 防ぐ と雖 も, 中國の 軍兵 目に 餘る 大勢に て、 中々 

叶 ふ ベ しと も 見え ざ b け, cs。 十 一 1 月に 入, て 道麒、 綾部, 朝日 山の 兩城を 攻め 落 

す • この 時、 探. 題 右兵衞 佐 尹繁の 長男 澀河彌 五郞義 長、 大內 勢に 加 はって 討死 あ 



今年 十月 八 日の 曉. 萬 星 半天に 流動し、 悉く 海陸 に 落 つ • 



北肥戰 誌 卷之九 終 

陶入 道道 麒 肥 前へ 打 入る 事 



北 肥戰誌 卷之卞 




龍 造 寺 家 兼 道 麒の陣 夜 討 附觀世 音の 佛像を 得る 事 

天文 十三 年 甲 午、 中 國の軍 將陶尾 張 入道 道麒, 去 冬 は 肥 前に 年を越え て 神 崎 郡三津 

籾 岳に 陣を 取り、 所々 へ 手 遣し、 同 四月 六日、 原 田 五郎 隆種を 以て、 石 動 村に 於て 少 

貳 方の 者 兵と 相戰 ふ。 此 ST 大內 義隆ょ b 原 田 五郎 へ の 此狀に 曰く、 

去 六 曰 於 肥 前 國神崎 郡 石 動 村, 合戰之 時、 被, P 戦功, 之 次第、 以,, 軍 忠狀, 陶尾張 入 

道 注進 披見 之處、 尤感悅 之 至 候" 此等之 趣猶陶 可, 申 候。 恐々 謹 首。 

四月 十二 曰 義隆刿 

• 原 田 五郞殿 , 

此時 道麒、 石 動 但馬守 を案內 者と し、 千 菜 山の 衆徒 を 攻めて、 所々 に夹を 懸け 神社 



らめケ の造陶 
すて 江 居 寺え き 

利^ 城 家 も 
ぁ攻 水; 1ft 能 



悉く 燒 失す • 社僧. 神官 等、 是を 防ぐ と 雖も叶 はすして、 皆兵 火の 爲に燒 死にけ り。 

き? KI? 飾 仏, ⑩ レて >z くて 道麒、 彌! i 山に? f , 五月 士ハ :《、 

W 造 寺 山城 守 家 兼の 居城 佐嘉 の水ケ 江をぞ 攻めさせ ける。 城 中には 福 地 右 衞門尉 

家盈•末次兵部少輔家通•野B安謹守家俊以下、持ロを守h^て防戰す。 大內 勢、 利 あ 

ら やして 三津 山の 本陣へ 引返す。 愛に 又、 同 七月 十三 曰に、 有馬晴 純の 5^ 兵 共 • 少 

貳資 元の 留主を 量 b て多久 城へ 取懸 る。 され ども 城 番龍造 寺 伯耆. ザ 盛 家、 身命 を捨 

て 防ぎし 故、 有 馬 勢 引返く。 然るに 其 明くる 十四日の 夕より 風 吹 出し、 十五 日の 

5 ブま きさ かの £S 

朝よ,.^ 大雨 降り、 大風 梢を摧 き、 南海よ b 大潮 醍 hs て、 風に 隨ひ淌 诉る事 高さ 一 丈、 

須古. 白 石 • 佐嘉 • 神 崎の 村里、 悉く 混溺 して 死す る 者 一 萬餘 人な, o.。 此夜龍 造 寺 山 

城 守 家 兼、 水ケ 江の 居城に あ h^、 彼の 有樣を 見て、 子息 三 郞兵衞 家門に 向って 懾き 

申されけ る は、 此 大風. 大水に、 敵 は三津 山の 陣 にあ- 9 て、 合 戰の事 はよ も 思 寄ら 

じ。 倡 や 今夜、 風雨に 紛れて 陶が陣 を 夜 討に し、 其 不意 を擊 ちて ー戰の 中に 討ち 散 

ちむ と 談合 あ 家門 尤もと 3? じ、 福 地. 片田 江. 野 田 • 下 村 • 石 井. 金 持 以下の 健 兵 を 

?他造 寺 案 道 麟の陣 夜; ISW 觀世 音の 怫像. ^得る 事 Ig 



ふ 夜麒家 }; き, 
塵 襲の 
に し 陣陶寺 
す 敵に 道家 



北 肥 戦 誌 卷之十 一一 CHt 

す ぐ 

引勝..^、七月十五I:^の朧ー陀に, 水ケ 江の 城 を 打 立って、 深き 所 は 游ぎ淺 き 所 は 渡つ 

て、 三 律. 5 籾 岳へ 押 寄す。 されば家兼の積..^の如く、陶がs§岳の陣中には、 佐 嘉. 神 

ひた 

畸の 民家 汐に 混り、 森林 皆 梢を隱 したる 體を遙 に 遠見し、 さても 龍 造 寺の 者せ r か、 攻 

めざるに 自滅す るよ と、 笑 ひ鞫き 酒宴して 遊びし 折節、 龍 造 寺の 軍兵 三百 餘人、 犇々 

と柙寄せ鬨の聲を揚げた,.^。 陶が 陣中、 夢にも 思 寄ら ざれば、 こ は 如何にと 上 を 下 

へ 返して、 防ぎ 戰ふ者 は 一 人 もな く、 馬. 物 具 .弓. 矢. 太刀 力 を 陣屋々々 に 取捨て、 唯 

我れ 先にと 逃 迷 ひ、 悉く 東西南北 へ 敗走す。 龍 造 寺の 者 共、 勝に 乘 b 爱か しこ に 切 

捨 にし、 大勢の 敵 一 人 も 殘らゃ 追 崩しけ う。 斯くて 山城 守 家 兼 は、 させる 軍に も 及 

ばす して、 暫時の 夜 討に 大利を 得、 大きに 悅んで 勝鬨を 揚げ、 十六 曰の 曙、 水ケ 江の 

城に 歸陣 あ.. しに、 潮に 連れて 流 來る物 あ.^。 何 成らん と 取上げ 見る に、 觀世 音の 

木像な,.^• 家 兼 不思議に 思ひ是 を禮拜 し、 我れ 今夜 謀ら やして 大敵 を 追 崩し、 歸陣 

の 期に 及んで 此佛像 を 得る 事、 偏-に 子孫 繁榮 すべき 瑞 相な.. > と、 則ち 自ら 懷 中し 水 

ケ 江に こそ 歸陣 あ,. > けれ。 其 後家 兼、 居城の 南に 當 つて 新造の 堂 を 建て、 彼の 佛像 



大 內義隆 

太宰府に 

—轉 



を 安置 あ ケ* 今の 水 ケ江慈 敎院の 観世音 是な, 9* 

七月 十五 日の 夜 ,家 兼の 夜 討に 陶 入道 敗 散せ し 時、 取捨て たる 金銀 其 外陣具 

今に 三津 山の 邊の 土中よ.^ 出づ る. とな. =^。 

舊 書に いはく、 天文 三年 五月 十六 日、 道麒、 三 律 山に 陣 すと あ.^。 然れば^^前道 

麒、 水 ケ江を 攻めし は、 五月 十六 日の 事 か。 月 H 追って 考ふ べし。 

大內 介義隆 來陣少 甙資元 切腹の 事 



かくれ 



今年 七月、 陶 入道 道麒、 龍 造 寺 山城 守が 夜 討に 散々 敗北し ける *、 中 國へ隱 なか 

しかば、 義隆 大きに 立腹 あ...^。 同年 十月 初旬、 自ら 大將 軍と して 三 萬 餘騎を 引率し、 

筑前國 へ 押 渡, 9、 太宰府 を 本陣と 定め、 少戒 へ 討 手 を 差 向け. らる。 陶入 道道 麒は、 去 

ぬ る 七月 籾 岳 を 敗軍し て 筑前國 へ 引返き し が、 先度の 恥 を 雪め ん爲 め、 先陣 を ゆし 

給 は b 、嫡子 尾 張 守 隆 房と 一 つに な. -肥前 國へ亂 入る。 新くて 少貳 父子 は, 勢 福 寺 

城に あ て、 宗徒 の 輩 を 所々 の 要害 へ 差 籠 置き、 軍兵 を 口 々 に 差 向け て 大內勢 を 防 

大 內介義 ii 來陣少 甙資元 切腹の 事 二 



# ?肥戰 fl 卷之ャ き 八 

がせら る。 然る 處に、 千 葉 介 興 常- 同 丹 波 守 喜 凰- 波 多 下野 守 三人の 方よ. 龍 造 寺 

家兼まで申されけるは、今度少貳殿返治として、義隆自ら太宰府へ來陣ぁ,,^,。 旣に 

討 手の 先陣、 當 國へ亂 入す。 尤も 中國の 軍兵 雲霞の 如し。 然るに 此 度の 合戦に 於 

て は、 千に 一 も少 武家 利 を 得らる べきに 候 はす。 所詮 私の 憤. 9 を 押 へられ、 和平 あ 

つ て居城を去,.^渡さ る に 於て は、 則ち 此亂 靜謐 し、 一 に は 公儀へ 至 つて 忠心、 一 1 に 

は 敵 * 方 諸人の 安堵、 三に は 累代の 名家 を相續 あ,. >。 彼此の 大 幸なる べし。 然る 

に御邊 は、 當時少1^家の近臣な.=^。 此旨を 合 まれ 宜しく 評議 ある \- しと ぞ申 送り 

ける。 是は義 隆の命 を 受けて、 三人の 方よ. 申す 處とぞ 聞え し。 頓て此 事、 資元父 

子に 披露 あ. o。 江上. 馬場 • 小 田 .gsw 以下の 老臣、 龍 造 寺 は 申す に 及ばす、 皆 打 寄り 

て 談合し ける に、 資元 申されけ る は. さらば 彼の 大內、 當 家に 對し怨 を 結ぶ 事 一朝 

1 旦の 事に あらす、 御 事 等が 知る 如く 先祖 累代の 讎敵、 殊に は 父の 敵な,.^。 我れ 聞 

く 父の 仇 は 俱に天 を, 戴かす と、 然るに 義隆、 幸に 此度 來陣 す。 此 上は資 元、 屍 を 野, 

徑に S すと も 一 戰を勵 し、 有無の 勝負 を 決する 外 他事な し。 然れ共 又 案す るに、 一 



平大も5^少 

內去子 

と り居資 
和て 城 元 



人の 憤 を 以て 萬 人 を C さむ も、 流石に 不便の 事な,. 》.。 如かす 平均の 求に 應す るに 

はと、 竟に同 十月 和睦 調 ひ、 資元 • 冬 1:^ 勢 福 寺 城 を 下, て、 大內方 へ ぞ 去り 渡さ れけ 

るノ i 是に是 ぞ資ー 兀の極 運の 至る所 なれ。 斯くて 少 家, 大內へ 和 を 乞 ひ 城 を 去り 

しと開ぇしかば、豊後の大^!^$も大内介と和.牛して、,九州大半靜謐し、 義隆は 防 州に 

歸陣 せられ、 陶入 道道 麒.; S 尾 張守隆 房、 ^前の 陣を拂 つて 太宰府に 打歸. け, o。 

斯くて 少貳家 • 大內 和平 あ b。 佐 嘉. 小 城 • 三 根. 神 崎の 萬 民 等 安堵の 思 をな しける 處 

に、 翌 くる 天文 四 年に 義隆、 陶 入道が 太宰府に あ.^ しに 下知して、 少^?^家の所額柬 

肥 前の 內、 三极. 神 崎. 佐 嘉の采 地 尺寸 も殘 さす 沒収 しけ 斯か b し 程に、 少« 父子 

爲 方な く,. -て、 同 十一 一月 晦: :!• 資 元は 密 に多久 へ 赴き、 子息 冬 尙は蓮 池に 到り て、 小 

田覺派 入道 をぞ 頼まれけ る。 斯くて 大內介 は、 少 1^ を 思ふ圖 に陷れ て、 今 は 心 易く 誅 

伐すべし と、 翌 くる 天文 五 年 丙 申の 秋、 資元 梟首の 爲め陶 入道 を 多 久へ差 向けら る。 

道麒、 筑前を 立 つ て 肥 前の 小 城に 著陣 し、 千 葉 與常を 相 語ら ひ多久 へ 發 向す • 是を 

聞いて 塚 崎の 後藤. 上 松 浦の 波 多. 草 野 馳せ加 はり、 大勢と なって 同 九月 初、 多久へ 

大內介 隆來陣 少甙資 元 切腹の 事 1ー0 ル 



4? 肥戰誌 卷之十 so 

押 寄せけ り。 少 liss^ 元は、 僅手廻.》^計ひ幽なる體にて居られしかば、防ぎ戟ふ ベ き 

樣も なく、 今 は 早 自害すべし と 思 ひて、 同月 四 曰專稱 寺と い へ る 道場に 忍び. 譜代の 

家人 今 泉 播磨守 朝 覺* 窪-平原、 此 三人の 者 を 呼出し. S. 聞 けられけ る は * 我等 智慮な 

くして 去々 年 敵に 怖れ、 城 原の 居城 を 去 b て 後 附從 ひし 輩に も 捨てられ、 勢微々 

に 成果て 此 所に ,今斯 かる 是非な き 害に 逢 ふ 事、 世の 宿業と はい ひながら、 口 

惜き 次第な b。 然れ共 悔いても 益な し。 唯.. 自害 を 急ぐべし。 さても 汝等 三人の 者 

は、 多くの 家人の 中に 今まで 心を變 せす 附索 ひて、 資 元が 先途 を 見る 事の 嬉し. さ 

よ。 必ゃ 黄泉の 下まで 忘るべき にあら や。 されば 此 期に 及びて は、 定めて 死 を倶に 

せむ と 思 ふべ し。 然れ ども 子息 冬尙. 連 池に 忍んで あり。 其 外 幼稚の 子供、 佐嘉の 

傍に隱し置きたh^。 汝等 三人の 事 は、 とてもの 忠節に 此場を 遁れ、 彼 所に 赴きて 

子供 を 撫育して 得さよ と、 搔ロ說 き 申されけ る 中に も、 今滎、 泪の 中に 答へ け. る は、 

御 錠の 如く 御 運旣に 傾き、 此 期に 及びて は 悔いても 甲斐な し。 其 中に 我々 に 落ち 

候 へ との 仰 こそ 心得ね。 御 父 政 資公御 生害の 時 は、 公九歲 になら せられ、 西 鳩の 橫 



15 少 

害 



1$ が Sis に 忍んで 御成 長 あ 其 後藤 律へ 御 蟄居の 時 は、 某が 父宗 * 入道と. 宗伊^ 

守 計..^ こそ 附添 ひま ゐら せて 候へ • 某 身 不肖に 候へ ども, 其 子と して 唯今 御 最期 

を 見捨て、 いづく に 逃げ 行きて、 誰 を か賴み 申すべき • 一 向死出山の御供とこそ::^: 

じ 候へ と、 左右 を 見ければ、 窪. 平原 も 共に 涙に 咽び て、 我々 も 同意に 候と- 頭を垂 

れて^^けた..^。 資元 重ねて * されけ る は、 竦 ゃ汝、 死 は 近 く., :> て 易く 生 は 遠くして 難 

し。 幼稚の 者 共が 事 こそ 心許な けれ • 枉げて 命 を 全うし • 彼等 を 養育して 得させ 

よ * さなく ば 力なし" 七生 迄の 勘當 也と 大に 立腹 あ. 9 しかば、 三人の 者 共、 主命 今 

もビし 

は默止 難く、 兎も角と 巾して 淚と 共に 返 出しけ 唯今 死に 赴く キ: の彻當 とい ひ 

し を、 痛み 思け る 三人が 心底 こそ 賴母 しけれ。 斯くて 資元、 今 は 心 易く 思 はれし か 

ば、 3: 稱 寺の 佛 前に I® 切 拾て 押肌脫 ぎ、 生年 四十 八に して 腹 十文字に 援破. -、 00 

落つ る 夕風 や, 九月 四 Hf 1 生 は 夢 i ぞ なられけ る。 法名 心 月 本 了と. a. す は、 此の 

資 元の 事な,.^。 然るに 今, 卒原 は、 泣く く 佐 慕へ 赴き、 河 副の 2 に 」し 君の 稚 

き 人人のお はせ し を 或 寺へ 立 忍ばせ、 住持 を賴 みて 年月 をぞ 送ち ける- 三人の 中 

大 內介義 隆來陣 やお 食 一 R 切 嫁の^ , 



, 陶道錤 防 



卷之十 , 1J1 一 J 

にも、 今 泉 は 頓て發 心 を 4.8 し髻を 切って、 六十 六 徵國 を巡禮 し、 後に は洛に 上..^、 竹 

苑椒房 *攝 家. 淸 華の 方へ 使り ける とぞ閜 えし" 是れ 再び 少甙 家を與 すべき 緣を求 

むる 爲 めな,. y け,^。 

木 原 軍 # 新少贰 冬 尙の事 

斯く て陶 入道 道麒 は、 少貳資 元に 腹切ら せ、 思 ふ 事な. く 肥. 筑兩國 を打從 へ 、 九州 

支配 等 相 整へ て、 同年 十月 廿 九日、 防 州に こそ 歸國 しけれ。 然るに 豊 後の 大 友義 塵 

は、 兼ねて 少貳と 親し か しかば、 今度 資元 生害の 事 を 聞いて 大に 悔み、 何と ぞし 

て 其 子 松 法師 丸 冬尙を 世に 出さむ と 計 b て、 內々 龍 造 寺 民 部大輔 Si 久 へ 談合 あり 

けり。 此凰久 と 申す は、 « 造 寺の 嫡流に て、 加 世. 新庄. 與賀 本庄. 其 外 小津鄕 八十 町 は 

先祖 相 傅の 知行 幷に佐 嘉の內 尻 田 分 六十 町. 千 住 十貳町 • 諸 富 十 « 町 、小 城の 內大寺 

三十 六 町 • 同別府 kn 一 一十 町 は 新 恩の 知行、 凡そ 合せて « 千 五 百 町の 地頭な,. y。 愛に 又 

其 頃 達 池の 城主 小 田驗河 入道 覺派 I」 いひけ る も、 元ょ..^少^1!5家荷擔の者にて、是も 



水 原 合戦 



豊 後へ 通じ * 大 友と 談合して 冬尙を 世に出さ むと 思 ひし 故、 忍んで 冬尙を 我が 城に 

ぞ隱し 置きけ る • 此小 田が 先祖 は、 元來關 東の 者に て、 常 陸 守 直 光が 時、 應永 年中 

に 初めて 肥 前 國へ來 .9、 蓮 池に 城 を 取 構 へ て 居城と し、 代々 愛に 住す • されば 顷 H 

は旣に 大身と 成り、 佐嘉. 神 崎の 內幷 に筑 後の 三潴 郡の 內 凡そ 六 千 餘町を 知行し け 

然るに 覺派 つくぐ 打 案じて、 斷 金の 朋友 共へ 語.. > し は, 此度資 元 公生 害の 根 

元 は 、,龍 造 寺 山 城 守 が密に 大內介 の 語ら ひ を 得、 心中に 隱 謀あって 勢 福 寺 下城の 事 

を 申し 勸め、 少貳家 を 衰微 させし 故な 一 つ は 其 心底 も惡し * 又は 先君 孝養の « 

め にても あ 必ず 水ケ 江に 取 懸け 一 軍すべし とい ひける が、 栗して 简 年!^^ の 冬. 

江 口. 深 町 .朽 井. 內田 • 吉嶋 以下の 家人 を 引率し、 龍 造 寺 山城 守 家 兼が 水ケ 江の 城へ 

押 寄す。 家 兼 早 此事を 開 付けて、 さらば 中途に 出向 ひて 戰ふ ベ しと、 嫡子 右 衞門大 

夫 尙純丄 一男 三 郞兵衞 家門 • 嫡孫 六 郞次郞 周 家 • 同名 $ 豆 守 常家. 鍋岛の 一 族、 其 外野 

田 兄弟. 福 地, 石 井. 片田 江. 金 持 • 末 次 • 百 武* 下 村の 輩 を 急に 相 催し、 追々 に 水 ケ江を 

打 出で 木 K 村 を 過ぎけ る 時, 単遨池 勢競來 り、 村 蔭より 突いて 出で、 小 田 隠岐 入 迸 

^原 軍 井新 少成 冬^の 事 



北 旭戰讅 港 之 十 

覺ー .;15 名大 膳 入道 醬: 「ほど 以下 * 1 同に a と懸 る。 水ケ江 勢、 敵 愛まで 來る べしと は 

知ら ざ. しかば, 忽ち 一 戰に打 負けて 旣に 敗れむ とす- 時に 水ケ 江の 老臣 福 地右衞 

きたな 

門齒嚙 をな し、 蓬し 味方 引くな と 呼んで、 眞 前に 進み 相戰 ふ。 是を 見て 旗本より 六 

郞次郎 周 家兄 弟、 福 地を援 けて 相 進む。 され ども 小 W 方 勝に 乘. 9、 龍 造 寺の 者 共 を 

追 立て 、散々 に 駆けな やます。 其 時鍋岛 右 衞〔^ 脫〕 尉 淸久. 同 子息 左 近 將監. 同 孫 

四 郞幷に 野 田が 赤 熊 武者 或 餘人、 勝に 乘っ たる 小 田が 陣へ、 前後 を 見す 切って 入 

K 先手の 一 將を討取,.^^.^。 時に 小 田 勢 色めき立ち、 我れ 先にと 崩れて 逮 池へ 

引退く。 水ケ 江の Jef 士、 利 を 得て 鬨を 作って 北ぐ る を 追 ふ" 其 中に も 龍 造 寺六郞 

次郞周 家と、 鍋 島 孫 四 郞淸房 二 骑、 眞 先に 驅 けて 逃ぐ る 敵 を 追 懸け、 蓮 池の 城へ 押 

ひた < 

寄せ、 を 混々 と 城 堀へ 乘 入る。 鍋島a•右衞門績ぃて來.=^、兩人が體を見て、 物に 

狂 ふか 方々 と、 頻に是 を 制して 皆水ケ 江に ぞ歸陣 しける • 

一 、 天文 七 年 戊戌 二月 中旬、 寵造寺 山城 守 家 兼、 重ねて 法 華 〔f 脫〕 一 萬 部 を 執行す? 

しと 思 立ち、 山 高 城 寺の 住持 登 岳 和 尙を請 じて 導 帥と 定め、 先づ I 千 部を讀 



きぼ 



^面 冬 造 
輔少尙 寺 
佐烕 に-家 



誦して、 其 身 は此時 法體し 法名 を 剛忠. 號す • 

、同 八 年 己 亥年 中に、 大風 三十 七 度 吹き、 米穀の 類 一 粒 も あらや. 天下 大 に釩饉 し、 

秋 八月よ. 萬 民 餓死して、 其骸 道路 に橫 は. ぬ。 

、問 九 年 庚 子 六月 四 G! 、千 葉屋 形; 牛 朝臣 興 常 卒す。 小 城-牛 井の 本 光寺に 葬る。 法 

名 日 慶と號 す。 此興 常、 始中 終中國 の大內 家に 屬 して、 中頃 は 肥前國 の.: i: 護 代た 

b。 時に 牛 頭 城に 居住す。 子息 丹 波 守 喜 ST 父の 家を績 いで 平 井の 館に あ..!^ • 

親に不孝の人にて、典常と度々軍に及ぶとな.=^。 

、 同 十 年 辛? r 太宰 新少貳 冬尙、 自ら M 造 寺 山城 守 入道剛忠 の 水 ケ 江 の 城 へ 來.^、 

對 面すべ. き 由 申されし かば、 剛忠 出合 ひ 少時 會釋 あ. ける に、 冬尙の 申されし は、 

C 父資 元の 時に 相變ら や、 龍 造 寺 一 家の 輩 何と ぞカを 添 へられ、 常時 廢れ たる 少 

1^ の 家 を 取 立て 給 は 5 たき 由、 深く 賴み ゆされ け. o。 剛忠 承, o、 去 b し ST 小田覺 

派 入道が 水 ケ江を 攻めし 事 は、 偏に 冬尙の 下知と 1=i (心底 を 練み 思 はれし かば、 K 

I 頜掌 なか. りけ..^。 され ども 冬 尙樣々 に 搔ロ說 き 申されし 程に、 剛忠 心服 あつ 

.?^慮軍并新少1^;冬倚め事 § 



千 葉與常 

卒去 „ 



有お 義良 

等の 希望 



北 B 戦 誌 卷之十 

て、 冬尙は 歸られ け. 9。 斯くて 剛忠、 夫よ. 少貳^ の 輩と 心 を 合せ、 以前の 如く 

少 貳冬尙 を、 神 崎 勢 福 寺 城に 据ゑ、 龍 造 寺 三 郞兵衞 家門 を執權 とし、 江上 岩 見守 

暴 

元 種. 馬場 肥 前 守 賴周を 輔佐, と 定め、 S び 傅き 申されけ,. 

鍋島彥 法師 丸 千 葉 介 胤連 養子の 事 

其 頃 高 來の有 馬 修理 大夫晴 純、. 名 を 改めて 越 前守義 貞と號 し、 入道して 隨意齋 仙 岩 

と稱す • 其 子 左衞門 佐義純 * ともに 武威 を 振 ひ、 西 肥 前の 內彼 fr. 藤 律の 兩郡幷 に 

许島 郡の 內 凡そ 三 郡 を 切 取 hs. 先祖 代々 の領 知高來 郡に 併せ、 旣に 半國を 知行して、 

猶肥前 一 國を 掌握せ むと志し け b。 然るに 此時、 小 城の 千 葉 丹 波 守 喜 胤、 父に 變ら 

や 中 國の大 內義隆 に 馬して、 少贰 家に 隨 はや。 又 同名 胤勝. 其 子 凰 Si とも 不和に し 

て、 動もすれば 佐嘉. 神 崎. 小 城の 際騷 動に 及びぬ。 有お 父子、 此事を 聞いて 大に悅 

び、 さらば 其 弊に 乘 じて、 先づ小 城を攻 潰し、 夫より 佐嘉. 神 崎へ 討ち入,^.、 龍 造 寺 

の 者 共. 少甙冬 尙をも 攻め 干すべし と 評定し け, 9。 斯くて 有 馬 父子 天文 十 年の 春、 



子 瓶師錄 
* 連 丸 島 

なの 千彥 
る 養 葉 法 



須 古の 平 井 賴庶. 佐留 志の 前 田 志 摩 守. 山 口の 井元 &近大 夫 等に 下知 をな し、 先づ千 

葉の 領內称 島の 東 郡橫邊 m へ 討って 入 、民屋 に 放火し 所々 を亂妨 して、 旣に小 城 

に 攻め入らむ とす。 斯くて 千 葉 喜 胤、 東に は 少貳の 門 葉あって 弓斷 なく、 ^s: よ h- は 

有 馬 勢 攻め 來 つて 是を 防がむ とし、 東西の 敵に 對 して 軍 を 持た む 1^、 中々 難儀に ぞ 

見えた. c- ける a 此 時、 少贰 の長臣 tt 造 寺 三 郞兵衞 智慮 ある 者に て、 AT 思 ひける は、 

今度 有 馬 勢、 須古. 许 島の 軍兵 を 引率し、 ふ 城に 攻め入り なば、 千 葉 一 手 を 以て 防ぎ 

戰 はむ 事 叶 ひ 難 かるべし。 さあら ば 有 馬、 頓て千 葉 を 攻め 潰し、 佐嘉へ 攻め 來ら 

む • 然 らば 則ち 合戦の 勝負 何とも; it9 難し * 所詮 千 葉 ふ, fe ま 造 寺 一 和せ しめ、 三 

家の人 數を 一 つに 合せ * 心 易く 有 Si? 勢 を 防がむ に 如か や i 思案して、 家門 自身 小 城 

に 赴き、 心底 を 殘さ中 談合し ければ、 兩千 葉と もに 尤もと 同意し、 則ち 少貳冬 尙の舍 

弟の 今年 九つに 成. -し を、 千 葉 丹 波 守 喜 凰の 養子 壻と 定め、 小 城の 1^ 井の 館に 送り 

て、 千 葉 胤 賴と號 し、 又 M 造 寺の 培 鍋 島駿河 守淸房 i§ 。ハ 孫の 次男の 彥 法師 九と て、 

今年 四 歲と閡 えし を、 千 葉 介 M 勝の 息 胤連の 養子と して、 晴氣の 館に 遣し け.^ • 斯 

^i島*^i法i;丸 千葉介胜連養子 の 事 一一 一七 



千 葉 少^ 

龍 造 寺 の 

三 家 和平 



千 葉 喜 

死す 



彦 法師 丸 

本性に 復 

す 



北 肥 戦 ^11 卷之十 , 1ー1八 

か- 5 し稃 に、 兩千 葉が 私 軍 も.: M み, 冬 も 中和して、 佐嘉. 小 城. 神 崎の 間 忽ち 靜 

謐し、 少^^牛葉.龍造寺三家の勢を以て、 有 ST か 軍兵 を 討ち 散らさむ とぞ 談合し け 

る。 橫邊 田に 陣取 つ た る 有 馬 勢、 此事を 聞 い て-今度の 合戰 勝利 あ る ベ からすと て、 

頓て 軍兵 をぞ打 入れけ る。 裳に 三 郞兵衞 家門の 智慮の 如し, とぞ 聞え し" 然るに 平 

井の 千 葉 喜 胤、 兼ねて 惡瘡を 煩 ひしが、 其 病惱に 迫.^、 翌 くる 天文 十 一 年 壬 寅 三月 

廿 九日、 歲 H 十四に して 自殺し 失せぬ。 彼の 養子 凰賴、 幼少ながら に 家督 を繼 ぎ、 

本城牛頭城に直h^て、喜凰の息女に嫁しけ,o。 又 晴氣の 千 葉 胤連 は、 後に 實 子の: 山 

來 しにより、 其 身 は 養子の 彥 法師 丸 を 具して 牛 尾に 隱 居し、 隱居 分の 地 小 城 郡の 內 

美奈岐 八十 町 を 、逢 法師 冠者に 讓. >、 其 h¥ 葉 譜代の 侍 十貳人 を、 右 知行に 副へ て 

附羼 しけ. 5。 其 人數に は、 平 田. 鑰 尼. 野 邊田. 金 原 • 仁 5, 田 • 堀江 ♦ 小 出. 陣內. 巨 勢. 田 中. 

濱野. 井手 等な 然るに 彼の 冠者、 其 後 千 葉 家を辭 して 佐 嘉に歸 り、 本名 を稱し 

て 鍋 島 左 衞門大 夫と 改む。 然るに 太閤 豐臣 秀吉 公、 文 祿.慶 長の 頃 朝鮮 國を 征伐 あ 

b し 時、 加 藤 主計 頭淸 正と ともに 七箇 年の 在陣 に, 其 武名 和 異に 隠れな か b し 鍋 島 



龜 



加 賀守直 茂 は、 此左 衞門大 夫な り • 

1 、 有 馬 勢 退散の 後、 佐 小 城 崎 暫く 靜. 瞳す。 此頃 肥前國 養父 郡 千;^ 八幡 13« 

の 鐘の 銘に 曰く • 



i 主 太 宰少贰 藤 原冬尙 朝臣 



檀那 東 彈^_ 少弼盛 親 



錢島彦 法師 丸 千 葉 介 傲 連 養子の 事 



St 場六郎 政 員 

同 前 肥 前 守轔周 

筑 紫四郞 惟門 

宗 筑後 入道 本 盛 

Si? 場 右 衞門大 夫周詮 

馬場 大藏丞 周 盛 

龍 造, 山城 入 迫剛忠 

二 一 九 



ii 卷之 4- i 

同 新 次 郞愿榮 

龍 造 寺伯耆 入道 日 勇 

龍 造 寺 三 郞兵衞 家門 

小 田 九郞 政 光 

天文 十 一 寅年 二月 四日 

、 天 文士 一年 癸 卯の 春、 高來の 有^と 筑 後の 星 野伯耆 守、 西 肥 前 へ 來陣 し、 上 松 浦 

獅子 城 を 攻め 取らむ と、 多 久へ旗 を 進めて 堂の 原に 陣を 取る。 時に 徳島鑑 家. 今 

泉 兵 庫 允 等!: 寄せて 合戦し、 卽 に 是を切 崩す。 此時今 泉 新三郞 討死し、 有 馬 勢 

にも 有 江 左 衞門を 討 取りぬ。 仍.. > て 今 泉 兵 庫へ 千 葉 凰 勝よ,. -の 感狀に 曰く、 

去廿 九日 有 馬 肥 前 守 貴 純、 當國 爲,, 押領, 星 野 伯耆守 以., 合力, 長 島 村に 數日 令-滞 

留; 於-上 松 浦 獅子 城, 可,, 押 寄 入 止 之 ST 以,, 方便, 當城押 頜之計 策 被 閒; 徳島鑑 家 

以,, 同意, 多久於 ,,堂 之 原, 則 時 切 崩、 賁純 敗北、 番頭 之 者數人 被-? ^捕/飯, 其 時刻 同 

姓 新三郞 討死 之砌、 時 を不ト 通有 江 左衞門 其方 鍵 下に 而 被-, 討 捕 • 候 働、 末孫に 至 



初めて 肥 

前に 截砲 

波來す 



. るも不 忘却, W 依 K 之 藤 瀬: S. 三 拾 七 町 永代 41,, 加扶, 狀如, 件 • 

天文 十二 年 卯 三 H 二:!: 平 胤勝 列 

今康兵 庫 殿 

頃日獅子城は、千葉の支配と見ぇた.^。 番人 堀江 興 三 兵衞. 大江 S 房 1^,,^:、^, 千 

葉 凰 勝 家人な. 

右 有 馬が 來陣幷 に 感狀の 趣、. 舊 書た. =-と 雖も 信用し 難し。 有 馬 肥 前 守 食 純、 去 

る 明 應四年 十二月 三日に 卒去す。 天文 以前の 人な 追って 考ふ べし。 

1 1 今年 肥前國 へ 鐵炮 初めて 來る • 其 以前、 南 蠻國ょ 薩州極 子 島 へ 鐵炮 渡.^ し 事 

は、 大永 年中と 云々。 時に 彼 島の 地主、; 種子 島 兵 部 大輔時 堯と號 す。 

馬場 賴周龍 造 寺 を 謀る 事 

愛に 東 肥前緣 部の 城主^ 場 肥 前 守賴周 は、 少 1^ 股肱の 者な b しが、 倩-思 ひける は、 

前少 K 資元、 多久に 於て 討 たれ 給 ひ、 當家 中頃 衰微し ける 事 は、 偏に 彼の 龍 造 寺 

15^場賴周龍^寺,ケ謀る亭 S 



势賴周 

親 造 寺 vi- 

はかる 



北 把 戦 誌 卷之 4- - i 

賺忠 入道が 大內 家の 內通を 得て • 資元 をた ばか 勢 福 寺 城 を 出し 申し.' 故な.^ • 

然るに夫にも懲.=^ゃして今又、剛忠が子ゃ孫ゃニ當屋形冬尙公に呢近させなば* 必 

ゃ惡 事の 根元なる べし。 所詮 龍 造 寺の 一家に 於て は、 計略 を 以て 悉く 滅 C さする 

に 如かす とぞ思 立ちけ る。 斯くて 賴周、 時々 冬尙 へ 近づ き、 龍 造 寺 誅伐の 事 を! i き 

し程に、冬^^も是に同意し、密々に其用意ぁり。 旣に 天文 十三 甲 辰の 冬、 事 決定し 

て、先づ冬尙ょ,.^竊に高來の有馬仙岩父子 へ 、謀の 旨 を 含めて いひ 送られけ..^。 有 

馬 頓て其 意 を 得、 少貳 家へ 對し 弓箭の 色 を 立て、 自身 は 則ち 称 島 郡長 島に 出張し、 

^上 松 浦の 波 多 下野 守. 鶴 田 兵 部 大輔. 同名 越 前 守. 馬 渡 甲斐 守 • 田 代 因幡 守、 其 外 多 

久 の多久 上野 守 等が 方へ、 事の 仔細 を觸 廻し ければ、 皆 1* 同心して、 上野 守 は 則 

ち 居城 梶峯に 引 籠り、 上 浦の 波 多. 鶴 田. 馬 渡. 田 代 は 曰 鼓 岳へ 出張し、 少貳 家へ の 

異心と 稱し大 に 騒動す。 是は 馬渡賴 周が 冬尙へ 密談し、 彼の 輩 共へ 偽. 9 て 敵 をな, 

させ、 龍 造 寺 1 門 を 、其 討 手と して 所々 へ 分遣し、 勢 を 透して 後, 易々 と誅戮 せむ と 

の H な..^ • ^くて 冬 5r 元より ェ みし 如く、 龍 造 寺剛忠 入道 を 勢 福 寺 城へ 招き、 此度 



、馬. 松ず 多 久の者 共、 當 家へ 至って 逆 意 を顯し 所々 に 出張す • av^ 一族 を 相 催し 

罷向 はれ、 彼の 惡黨等 を 退治 ある べしと ぞ 申されけ る。 剛忠、 是を 謀計と は 夢にも 

知らす、 則ち 領掌 あ. o。 水ケ 江に 歸 b て. 龍 造 寺の 一 家 を 集めて、 諸方への 手 分 を 

ド- 

評定し、 其 身 は 今年 九十 一 歲 なれば 乘陣に 及ばす、 子 や 孫 や 其 外 親類、 數を盡 して 

人數を 三に 分け、 方々 へ 差 向けけ り。 1 先づ 一手 は 龍 造 寺 伯 耆守盛 家 入道::: 勇 .:15 子 

息 日向 守 家 重 •:! 次男 三 郞四郎 • 同名 伊賀 守 家 直 以下、 上 松 浦 へ 發 向す。 一 手 は 龍 造 

寺豊後守家純.同子息六郞次郞周家.同名左^|助胤門.同子息新左衞門胤^^以下多久 

へ 向 ひ、 捤峯诚 の 大^ 長 尾 口より 押 寄す。 又 龍 造 寺 新 五郎 胤明 • 於 保備前 守 胤宗入 

道律剛 以下 は、 同じく 搦手へ 廻.^、 撗邊田 を 西へ 打 通. > て 南の 方よ. > 差 寄る。 一 手 

は寵造寺和^^守家門|^.同名孫八郞賴純.同右京亮胤直. 同 伊豆守 常 家 • W 播磨 守 

家宗 以下、 有 馬 勢 を追拂 はむ と 長 崎 家に 馳せ向 ふ。 頃 は 天文 十三 年 十一月 廿ー H、 

谷-同時に 佐 嘉を打 立ちけ. >。 中に も 龍 造 寺豐後 守の 一 列 は, 多久の 城へ 押 寄せけ 

る に、 城主 上野 守宗 利、 兵 を 中途に 出し て相戰 ふ。 さ れど も 寄 手の 先陣 六 郞次郞 周 

馬場 賴周龍 造 寺 謀る 事 さ lil! 



s^0 



北腮戰 1§ 卷之十 i , 

家、 是を 物と もせす、 悉く 一 戰の 中に 厥け 散らして、 本 城梶峯 へ 取 詰め、 身命 を 捨て 

て 攻め 戰ふ。 扨寵造 寺伯番 入道の 一勢 は、 上 松 浦へ 討ち入.^ ける に、 此 所の 住人 相 

知 入道 寶秀 • 廣瀨 • 中島 馳せ加 は- 9 ぬ" 則ち 是 を案內 者と して、 先 づ鶴田 越 前 守が 

居城 獅子 城に 押 寄せた, 9。 然れ ども、 此城萬 仞の靑 岩峯を 遮. 9 ぶ 耳々 たる 荆籙谷 を 

閉ぢ、 攻ロ 唯.^ 1 筋あって 無雙の 要害な. y しし かば、 急に 攻め 落すべき 樣も なし。 

伯耆 入道 曰 勇、 是を畺 り 軍兵 を 分けて 當城を 押へ 置き、 波 多 下野 守が 鬼子 嶽の城 • 

鶴 田 兵 部 大輔が R: 割の 城、 此 等を攻 むべ し と、 翌廿 二日の 早朝に、 0: 勇 入道、 士卒 を 

率ゐて奧の方に討ち入,ft^て龍川に著陣す。 時に 鶴 田が 一 族 馬場 ノ德 末. 山 口 以下の 

松浦黨 共、 大勢に て 出合せ 鬨の 聲を發 し、 日 勇 を 押 取 籠め 遁 さ, じと 相戰ふ * 龍 造 寺 

は元ょh^案內を知らゃ、松浦黨は住人にて案內を能く知bしかば、或は松柏の蔭ょ 

..^散々に射、或は岩窟の狹間ょb切って出で、 竪橫 十文字に 駆 立てし 間、 寵造寺 勢 

打 負けて 四角 八方 へ 敗走す。 日 勇、 齒嚙 をな し 士卒 を 下知し、 父子 眞 前に 進み 打戰 

ひし 處に、 鶴 田が 家人 峯刑 部、 三百 計 b の 兵 を 一同に 進ませ * H 勇 父子 を 取 籠め た 



ち。 日 勇 入道 是を 見て、 今は遁れぬ所な^^i、子息三郞四郞とともにニ騎、敵中に 

駆 入り 忽ち 討死した け, 9。 成 富 刑 部 大輔も 日 勇に 續 いて 討死す。 其 外相 知 入道, 

廣 ザ? • 中島 以下 悉く 討 たれ、 佐嘉 勢力 を 失 ひて 嚴 木の 方へ 引退く。 斯くて 龍 造 寺の 

輩、 龍 川の 合戦に は 打 負けし かど も、. 獅子. 梶峯 の兩城 は彌- 園み て 攻め 戰ひ、 今年の 

冬 は歲を 越しけ り。 

龍 造 寺 伯 耆守盛 家 入道 H 勇 討死の 舊跡、 上 松 浦 大河 野の 内 立 川に 大松ぁ .0。 是を 

則ち 盛 家 核と いふ。 百 五十 年 を 過ぎて 元祿の 頃、 土 井 防 州、 唐津領 知の 時、 用 木 

に 之 を 伐ら れ 今に 於て は 無し。 日 勇實は 高木 右京 大夫滿 兼の 子、 龍 造寺鳖 前 守 

凰 家の 養子な..^。 

, 龍 造 寺 一家 所々 討死の 事 

翌 くれば 天文 十四 年 乙 巳 正月 初旬、 龍 造 寺の 一 族、 鶴 田 越 前 守が 獅子 城 を 攻めて. 同 

七日に 攻め 落し、 則ち 城 警衞の 爲め馬 渡 主 殿 助 俊 信 を 入 置きけ り • 然る 處に、 鶴 田 

Si 造 寺 一家 所々 討死の 事 11 



直-, 
き 造 
討 寺 

死 



北 肥 戦? 1" 卷之十 0^ 

が 兵、 同 十二 日 急に 取 懸け 主 殿 助と 相戰 ふ。 俊 信、 手の者 を 下知して 防戦し、 鶴 田 

勢 を 悉く 坂 下へ 追 下す。 越 前 守が 軍兵、 一 戰に打 負け 退きけ るが, 其 夜、 城の 後の 

方 へ 廻.^、案內は知.^た.=^。 嶮蛆ケ 攀發. て、 密に城 中に 近づ き 鯨波 を 揚げて、 S 

にぞ した. 5 ける。 時に 馬 渡が 軍士 利 を 失 ひ、 主 殿 助主從 六十 餘人 討死 t 、鶴 田 は 居 

城 を 取 返して、 本の 如く 入替 りけ, o。 斯くて龍造寺豊後守家純:?下は、去冬ょ,.^多 

久の城 を 攻めて、 終に 今月 十八 日 當城を 攻め 落しぬ。 され ども 其 搦手に 向 ひたる 

龍 造 寺 新 五 郞. 於 保備前 入道 徤則 • 副 島 五 郞左衞 門 尉. 同名 右 sir 助猶房 以下、 今月 十 

四:: n 志久 峠に 於て、 I ^井. 前 田. 井元に 討 負け 悉く 討 たれ、 又 長 島 表へ 向 ひたる 龍 造 

寺の 軍兵 も、 同 十五 日 籐律冬 野原の 軍に、 有 馬 勢に 戰 負け、 龍 造 寺 右京亮 胤 直 討死 

す。 斯か, し 程に、 此度 所々 へ發 向せ し 龍 造 寺の 輩 泳へ すして、 皆々 佐嘉に 引返 

く 

一、 同 正月 廿 一 日、 度 刈の 德島左 所へ、 龍造寺ょ^^取懸け防戰の上破却す。 此時德 

-:® 同名の 輩 七 人、 其 外 多く 鬪ひ 死にけ.^。 彼の 德島 は、 龍 造 寺に は內綠 あ.. > し 者 



に- 周忠龍 
陷の. ti) 造 
る 術場夺 
策賴刚 



"t 然れ ども 當時千 葉 勝に 屬 して、 佐 嘉の 支配に 從 はす。 仍, て佐嘉 よ. 

攻めけ るか。 . 

、斯くて 有 馬 • 核 浦の 者 共、 M 造 寺 衆の 引く に 付いて、 早速 佐嘉へ 攻め 來り、 國中 

十九 人の 少贰 方と 同じく 龍 造 寺剛忠 入道の 水ケ 江の 城 を 取 園む。 其 勢 凡そ 二三 

一 SI とぞ 見えけ る。 龍 造 寺の 一 族、 案に 相違の 事な, 9 しかば、 皆々 一 所に 集まりて、 

*€さ 

唯"" おれて 居たり。 然るに: 場 肥 前 守賴周 は、 剛忠の 一 門 を 思 ふ圖に 堕して * 大 

半 所々 にて討取,.^、其上、;^を取園み、 心中に は 大きに 悅び、 外面 は 眉 を 顰め 水ケ 

江に 來, て、 剛忠 入道に 對 面し、 小鐸 にて 申しけ る は、 愚老が 子の す 員 は、 眼前 貴 

公の 孫壻 にて、 聊か 竦に 存せぬ 故 心底の 通 を 巾すな. o。 されば 唯今せ il- を 初め 

十九 人の 面々、 當城を 園む 事 は: 史 に冬尙 公に 對 しての 逆 意に 候 はす。 實は 貴公 

の 一 門 * 內々 大內 家へ 通じ 尾 形へ 到って、 二心 ある 由、 時々 讒言す る 者あって、 冬 

尙 立腹せられ、 龍 造 寺 一 家 を 返 治 あるべ き爲 にて 候ぞ や。 然るに 寄 手 は 其 勢 三 や:. J 

に 餘.^ 、 城 中 は 僅の 小勢に て、 當城 唯今の 體は、 偏に 驽 弓に 係る 糸に 異なら や。 

糠造寺1家所々;:5.タの^| :r II. 一お 



4? 肥 戦! 1 f 之 十 M 

此賴 周が 案す るに は、 當家 無實の 罪に 沈みて、 忽ち 累代の 家名 を 失 ひ 給 はむ 

i 一先 づ此城 を 開かれ、 有 馬 衆と 十九- -の 1§ 々を 歸陣 させ、 其 上に て 冬尙公 

へ參 り、 科な き. a を 一 々申 開かれな ば、 則ち 御 赦免あって、 永く 子孫の 後 榮を期 

あな かしこ あしざま 

せらるべし 。 穴 賢。 此賴 周、 御 邊に對 して 惡樣の 事 は 申す まじと、 まことし 顔に 

ぞ 申しけ る" 剛忠 入道 は天姊 正直なる 人な りし かば、 賴 周が 方便と は 夢にも 2," 

寄ら や、 仰 尤も の 事な .0,。 我等が 一 家、 少武殿 へ 對 して 聊か 逆心 はな けれども、 

讒人 傍に ある は 力なし。 所詮 御邊の 申さる、 通、 一旦 城 を 去. 渡して、 時節 を 窺 

ひ 科な き 由 を 申し 開く 外、 餘儀候 ふま じと 會釋 あって * 賴同 をば 歸 されけ り。 

時に 鍋 島 驗河守 、未だ 刑 部 少輔と 申しけ るが、 龍 造 寺 孫 三郞と 同音に、 剛 3,5 に 向 

つて 申されけ る は、 彼の 賴周 兼ねて 當 家に 對し、 さした る 志の 者に も 候 はぬ に、 

唯今 當 城に 入 來. o、 睦 しゃかに 申す 條 、何と やらん お!^ ぐ 候な .c/ 然るに 彼等が 

申す に 任せ、 此城を 去り 渡し. 一門 所々 に牢 籠して、 若し 不慮の 仕 合 も 候 ひなば 

悔いても 益な ぐ、 殆んど ロ惜き 事なる べし。 能くく 御 思慮 あるべし とぞ 諫め 



む 姬純 龍馬 

に^ 寺賴 
圍淀家 周 



申されけ る • され ども 剛忠 承引な く、 終に 正月 廿 二日 1 居城 水 ケ江を 去って 寄 手 

の 面々 へぞ明 渡され, ける。 i 是に はかなき 次第な hs。 斯くて 明 くれば 正月 廿 三日、 

龍 造 ill- の 一 門、 悉く 所々 へ 分散 ありけ, 9。 先 づ剛忠 入道 は、 孫子の 孫 九 郞鑒觥 を 

具して • 筑後國 へ 赴かれ、 豊後守 家 純. 和 泉 守 家門. 孫 三郞澄 家は筑 前に 志し、 六郞 

次郞周 家. 三郞 家泰. 孫 八 郞賴純 は、 馬場が. S. すに 任せて. 神 崎 勢 福 寺 城に 攀り、 冬 

尙へ 科な き 由 を も 申 開き、 又は 下城 赦免の 一 鱧 をも遂 ぐべ しと、 城 原へ ぞ 赴かれ 

ける。 其 中に も 家 純 .冢 門. 澄 家 は、 筑 前の 方 を 志し 北山 を 越えむ と、 河 上と いふ 

所に 著き ける に、 廿三 H の 日、 早 西 山に 沒 しければ、 明 m こそ 山路 をば 越す ベけ 

れと て、^ 夜は此 所の 淀 姬社を 假寢の 宿と 定め、 主從三 四十 人 一 夜の 程 を ぞ明さ 

れけ る。 欺かる 處に、 馬場 賴周、 神代 大和 守 勝利と 示し合せ。 賴 周が 嫡子 六 郎政員 

を大將 にて、 少威衆 三百 餘人、 龍 造 寺の 輩 を 追 懸け、 淀姬社 を取卷 いて 鬨の聲 を 

ぞ 揚げけ る。 家 純 を 1 初め 思 寄らざる 事に て はあり。 喑 さは 暗 し。 上下 皆 fus^; とし 

て 居た.^。 され ども 和 泉 守 家門 主從 三十 餘人、 南門に 紐 出で 呼ば はれけ る樣 は、 

龍 造 寺 一家 所 々酎 死の 事 jln^ 



f 江 城 

賺 



龍 造 寺 家 

門 以下 討 

死 



, 北 g 戦懿 卷之 T i 

唯今 愛に 押 寄せし は、 定めて 馬場 賴 周に てぞ有 るら む。 己れ 惡行不 道の 振舞し 

て、 我々 を斯樣 に忻り 討果 すと も、 因果 は i 是に 車輪の 如し。 よし), (-. 此 一 門の 頸 

取って、 主の 冬尙に 見せよ。 いで さらば 龍 造 寺 和 泉 守が 手 並の 程 を 見す ベ しと、 

當るを 幸に 切って 廻らる。 其 勢に 辟易して、 馬場 六郞政 員、 一陣に 進んで あ.. ^ け 

るが、 門外 へ 引退く。 斯か る處 に、 東よ b 神代 勢 雲霞の如く 都 渡岐を 渡して 押 寄 

せたり。 家門 猶も返 かす、 前 彼の 敵に 渡 h> 合 ひ、 愛に 攻め 伏せ、 かしこに 追 付 

き戰 ひしが、 終に 家門 を 初め 家人 堀江 大膳 亮. 片田江 七 郎兵衞 • 同 五郎太 郞. 同 新 

次 郞. 新鄕 伊豫 守. 蒲 原. 西 村 を 先と して、 悉く 枕 を: S ベ て 討死し けり。 暗夜の 軍な 

しかば、 家門 W たれし を 人知ら す、 豐後守 家 純. 孫 三 郞澄家 は、 淀 姫の 社 壇に 楣 

籠 b 、駔 出で く相戰 ふ。 彼の 孫 三郞は 幼少より、 勸學の 窓の 前に 瑩を拾 ひ 雪 を 

集めて、 或は 李 白 .樂 天が 跡 を 追 ひ、 或は 人 丸. 赤 人が 家風 を 慕 ひ、 手跡 は 小 野道 風 

にも 恥お や、 力量 .早 業と もに 勝れし 男な b しが、 敵已に 南門 を 打破. 、社 內に入 込 

みし を 見て、 軍 は早是 までな b とい ひ 捨て ゝ、 無き 跡の 形見と や 思 ひけむ。 小指 



造 寺 澄 



を 喰 切り 流る、 血 を 以て、 古き 昔 を 思 出 で、 「山 遠 S 埋,, 行 客 跡; 松 寒風 破-旅人 夢,」 

と. 祉埴の 扉に 書付 置き、 大 庭に 躍..^ 出で、 と ある 石 を 小循に 取って、 近づく 者 を 

ば 磺と切 h 、 駆け出で て は 丁と 討ち、 敵に 相 當る事 千變萬 化す。 馬場. 神代の 軍兵 

共、 是に 恐れて 更に あたりに 近づ かす。 され ども 馬場が 家人、 走懸. ^てむ す と 組 

む。 家 澄 物の 數 ともせす、 取引 寄せ 押 伏せ て^を 搔か むとしけ る處 に、 敵 大勢 折 

重..^、竟に澄家をぞ討留めける。 豊後守 家 純 も、 社 壇よ.. - 軍の 體を 見聞し、 今 は 

かうよ と 思 はれし かば、 腹 十文字に 搔 破,^ 腸 を 繰 出し、 社 壇の 腰板に 投付け、 眼 

あさまし 

をく わつ i 開き 惡相を 現し 落命 ぁリ。 淺猿 か, し有樣 なり, 

澄家此 時、 小楣に 取られし 石、 今, に 河 上の 社 內に之 あ.^。 屛風 石と い ふ。 

又い ふ、 澄家此 時、 神代の 家人と 刺 逢 へ て 死す とも • 

舊書 いふ、 當 所の 寺社、 此 時先づ 破 壤 すと。 

斯くて 龍 造 寺 六 郞次郞 周 家. 同名 三 郞家泰 孫 八 郞賴純 は *少^ ^屋形 冬尙へ 一 職 

の爲 め、 是 も同廿 三日の 晚景、 佐嘉を 出で 城 原 勢覷寺 城へ と S がれし かど も、: "黄 

18 逢 寺 一 家 所々: SS 死の 事 



龍 造 寺 周 

家 等戰死 



4^ 肥 戦 誌 卷之十 . i 

昏に 及びし 故、 其 夜 は 半途に 滯り、 和 泉 村の 玉 泉 坊に立 寄..^ 1 夜 を 明し、 明 くれ 

ば廿 四日の 曙, 彼の 山伏 を案內 にて 城 原に 赴かれし に、 尾 崎 村祇圚 原に、 馬場 賴 

周の 家人 藥王 寺阜 人力. 神代 豊前守 兩大將 にて 軍兵 を 伏せ a き、 龍 造 寺の 輩に 憑 

^^て^後ょ.0押取包み、鬨の聲を揚げて切懸る。 時に 六 郞次郞 周 家 は 生年 景六" 

勇 氣無雙 の 男に て 少しも 勸轉 せす、 味方の 者 共よ。 とても 遁れぬ 所なる ぞ。 淸く 

皆 討死せ よと、 自身 眞 前に 立って 戰 ひしが、 敵 數人切 臥せ、 其 身 も 終に; JiT 場四郞 

左衞 門. P 。土 肥 新五郞 P 。に 討 たれに け,^。 是を 見て 龍 造 寺の 家人 福 地 右衞門 

尉 家盈. 同名 新右衞 門. 同 善 八郞. 百 武藤次 左衞門 • 野 田 河內守 • 同 謙 書記 • 江 副 又 八 

郞. 西 山 小 三郞. 下 村 源八郎 .大« 左兵衞 .同 市 之 一 • 石 井左衞 門 • 多 比 良 大炊助 以下 

敵中に 駆 入ち- -^、 一 人 も 殘らゃ 討死す。 斯 か,^ し 程に、 三郞 家泰. 孫 八 郞賴純 

は、 人手に 懸ら むより-は,..、 と ある 所に 立 退き、 腹搔 切って 臥しけ-. = -。 愛に 多 比 

良大炊 助が 子に、 犬 房 丸と て 童の あ..^ ける が、 敵中 を 紛れ 出で 南の 方へ 落 行きし 

に、 龍 造 寺の 大將 三人と もに 討 たれ 給 ふと、 敵の 匐る s〔m バ〕 引く まじと や 思 ひ 



春 



けむ。 尾 崎村大 S 神の 北の 邊に て、 自害して 失せに け,..^。 然るに 鍋 島 平 左衞門 

尉淸久 は、 龍 造 寺の 面々 の 行方、 覺束 なく 思 はれし かば、 野 田 越 前 守 を 招き、 急ぎ 

〔マ , 〕 

見て 參れ とて 遣し ける に、 祇園 原の 軍 早 過ぎ ^ に 駆 付けたり。 越 前 守是を 兒 

て、 下人 小 三郞を 近づけ、 此樣子 を淸久 に委く 申すべし, とて、 小 三 郞を佐 嘉へ歸 

し、 其 身 は 敵中に K 入.^ て、 向 ふ 者 四 人 切 臥せ 矢庭に 討死し け 此軍、 正月 廿 

四 n の 朝 卯の 刻に 始まり 辰の;! に 終, 9 ぬ。 . 

犬 房 丸が 舊跡, 尾 崎 村の 北、 田の 畔に 印の 松 あ. >。 是を 則ち 犬 房 松と いふ 近 

年 大風に 摧 かれ 今 は 無し。 . 



北肥戰 誌 卷之十 終 

龍 造 寺 一 家 所々 討死の 事 §! 



北 肥戰篛 卷之 十一 



1§ 



匕 





卷之十 一 



龍 造 寺剛忠 入道 歸國 m 馬場 賴周 父子 討た る S 事 



少 贰冬尙 

龍 造 寺の 

所領ん、 浅 



馬場 肥 前 守 頼 周 は、 兼ねて 惡か. = 'し 龍 造 寺の 一 門 六 人、 己が 計略 を 以て 容易く 討 取 

. ^悅ぶ 事 限な く、 酋共を » に 入れて、 城 原 勢 福 寺 城へ 取 持たせ • 少貳屋 形の 實檢 

に 入れけ り。 冬尙、 S て剛忠 一家の 所領る 沒収 し、 水ケ! d の 城に は、: iiir 場. 神,:. 小 田 

等の 家人 を 入 置 き、 替る. 番をさせけ. 9。 然るに 其 頃 千 葉 介 勝 も-同名 が 

爲に、 小 城 を 返き 居た りしが、 鬼 角して 今年 正月 廿三 B 當 郡に 歸, o.。 同廿 五日 晴氣 

の 城に 入 b け. o。 斯くて 冬 尙是を 返 治すべし とて、 二月 廿七 H 、城 原よ. 軍兵 を 差 

遣し、 先 づ小城 町 を燒拂 ふ。 時に 千 葉 賴牛頭 城に あり。 少貳 への 加勢と して 人 

數を差 出す。 侬 b て 千 葉 介 勝が 手の者、 同廿 八日 小 城の 三津宮 の邊に 於て、 凰賴 



まし 杵葉 
マ 島 介 
"胤 



の 軍士と 戰 ひしに、 利 を 失 ひて 引返く。 斯か. し 稗に、 少贰方 勝に 乘り、 明くる 廿 

九日、 冬 尙.^ 機の 兩 家人 等、 小 城 郡 所々 へ 打 入. て 、^勝が 頜知 を亂妨 狼藉す。 然 

る 間、 脱 膝 晴氣に 泳へ 兼ね、 杵 島の 白 石へ ぞ 返き ける。 斯くて 三月 十六 日、 馬場 肥 

前 守 頼 周 .3? 嫡子 六 郎政員 .江卜 石 見守 元 種、 城 原よ b 小 城に * り、 胤頼の 居城 祇蘭 

岳 牛 頭 城に 登.^ て、 凰賴に 謁し 談合 を 堅め、 千 葉 胤勝の 晴氣の 城へ は • 少^^冬-3:を 

居 ゑむ と、 頓て 普譜を * 付けけ. 9。 » も 龍 造 寺剛忠 入道 は、 去ぬ る 正月、 水ケ 江の 

城 を 開いて 筑後國 へ 落 行き、 一 木と いふ 所に あ b ける が、 長男の 家 純 を 初め 孫.,^ 

皆、 馬場 船 周が 爲に討 たれけ る 由 を 傅へ 聞き、 賴 周が 心底 を 恨み、 臍を嚼 めど も 益 

なし。 然るに 鍋 島 牛右衞 父子 は、 剛^ 一 家旣 に斷絕 あるべ き 事 を 歎きて、 竊に與 

本 庄の輩 を 相 催し、 彼是 三百 計. 9 の 人數を 以て、 三月 下旬 筑 後の 一木に 赴き、 剛忠 

入道に對面ぁ..^^ 早々 御歸國 候べ し。 . 何と ぞ 計略 を 廻し、 賴 周が 首を切.^ 御 惡心を 

も 休め、 再び 水ケ 江の 家 を 立て 申すべし。 疾くく と勸め 巾され け .0。 時に 剛忠、 打 

案じ返答ぁりけるは、御邊の志、誠に海ょ..^も深く山ょ..^も萵し。 さ, ながら 唯今 

鐮造 寺刚忠 入?^: 歸^ 附 iiil ま賴周 父子 討;.: る 、事 11 量 



入 夕忠龍 

る 江歸造 

城國寺 
に 水 ほ! I 



北 肥 戦 誌 卷之 十一 i、 

催し * る處の 軍兵、 何程 ある ベ き やと、 鍋 島 父子 答 へ て雜兵 凡そ 三百 計..^ と 申す。 

よしみ 

剛忠 申されけ る は、 夫 は 餘,. . 'に 無勢な り。 先 づ此度 は立歸 り、 當 家に 好 ある 輩を猶 

猶催 集め、 重ねて 迎を給 は る ベ しと あ. しかば、 鍋 島 父子 心得て、 急ぎ 肥 前 へ 歸り、 

重ねて 與賀 • 河 副の 鄕士を 語ら ひしに、 鹿 江 遠 江 守 兼 明 .久 布 白 越 前 守 兼 基 • 南 里 左 

衞門 大夫國 有. 立 河 兵 部 少輔家 親. 內田美 作 守 兼智. 石 井 兄弟. 古賀. 橫 尾. 金 持. 禾次. 久 

米. 村 岡 夬 田. 水 町. 增 田. 飯 盛. 副 島. 石 丸、 其外鄕 民の 頭々 皆 同心して、 都合 贰千餘 人、 

兵船 數十艘 に 取乘. 9、 寺 井江 を 押 渡 b て筑 後の 一木に 著き け, 9。 剛忠悅 限な く、 さ 

らば 歸國を 急ぐべし と、 一 木の 旅 宿 を 立ち 海上 異儀 なく 先づ河 副に 上り、 愛に て 評 

定を 極め、 各 t 備を 分けて 舊 地水ケ 江に 亂 入る。 當 城に は 少貳崖 形の 下知と して、 

蓮 池よ.^ 小 田 駿河守 政 光の 家人 共、 此 頃城番 しける が、 敢 へて 一 戰 にも 及ばす、 お 

め/ \ と 城 を 明 渡しけ- 9。 斯くて 剛忠、 則ち 水ケ 江の 城に 入り 替ら れ、 扨 本丸に 

移りて 其體を 見ら る- -に、 籬の 草蓁々 として、 昵 みあり ける 孫子 もな くな り。 生 

に 仕へ し 家人 も 失せ 果て、 城 內{是 に 寂莫た hs。 老 入道の 歎、 いふ 計りな し。 剛 




岳 周 勝忠龍 

にん! g 千 造 
攻祇場 葉 寺 
む 園 娘 ill ほ!! 



忠 今年 九十 二 歲とぞ 開え し。 然るに 其 頃 馬場 肥 前 守賴周 は、 主の 少 1^ 冬 尙を牛 頭 

城に 移さむ と、 みづ から 子息 政 員と 同じく 祇園 岳に 登 b 居て、 維人 を 集め 普請 さ 

せて あ h- ける。 斯かる處に千葉介胤勝、白石ょり起りて、佐嘉へ 其旨ぃひ送,c^しか 

ば、 剛忠 大に悅 び、 俄に 軍兵 を 駆 催し、 千 葉 衆と いひ 合せ て、 四月 一 一 曰 急に 祇園 岳 へ 

押 寄す。 胤勝に 從ふ 輩に は、 鴨 打 陸 奥 守 胤忠. 德島土 佐 守 胤 舰. 同 孫八郞 盛秀. 堀江 

與三 兵衞医 房. 窪 田 民 部少輔 胤秀. 古河 豊前守 親 貞. 同 修理 亮 盛貞. 持 永 治 部 一盛 秀を 

初と し、 穴 ュ閑. 陣內 .彌 頭 司. 大 塚. 粟飯原. 江 口 • 江 頭 • 福 田. 東 江 以下 小 城 郡の 鄕士、 山伏 

には圓 實坊. 西 持 院其外 土民 等 相 加 は.^ て 都合 五六 千 人、 紙圚 岳に 押 寄せ、 旣に大 

構お 打破って 本 城 へ 攻め 近づ く。 馬場が 家人 等、 思 寄らざる 事な h> しかば、 大に動 

轉し、 東西に 逃げ 迷 ひ 南北に 馳せ 散. て、 周章 騒ぐ 事 限な し。 され ども 賴周. 同 嫡子 

政 員、 手の者 を 下知して 防戦す。 然る 處に千 葉 凰 勝の 家人 矢 作 左 近將監 • 江 原石 見 

守 兼ねて 案內を 知りし かば、 水の 手よ. 9 忍び入り、 域に 火 を 懸け 燒 立つ。 堀江 與三兵 

衞尉 進み 戰ひ、 攻 口に 於て I ^捕す。 然るに 此時、 城內 にあ, て 普請し ける 土民 等 は、 

m 造 * 剜忠 入道 歸園附 馬場 賴周 父子 討た るゝ事 S 



賴周 父子 

綱 兵に 殺 



さ 



る 



北肥戰 II 卷之 十一 さ 一八 . 

皆 小 域 郡の 一 共 なれば, 勝に 心 を 通じ、 悉く 一 所に 収集, 9、 鍬. 鎌 等の 農具 を 持ち 

て 打って 廻, o、 城 方へ 敵對 しける 程に、 賴周 父子 内外 を 防ぎ 兼ね、 叶 はじと や 思 ひ 

けむ。 裏道より 忍んで 乘 出し、 居城 緣 部へ 志しけ るに や。 東 を さして 山 傅に 鞭, ゲ) 揚 

げて落 行きし が、 運命 #1 きて や ありけ む。 黑岩 峠と いふ 所に て 道 を 迷 ひ、 大願 寺 野 

へ 出で けり。 寄 手の 中よ, 9 是を 見付け、 遁 さじと 追懸 る。 賴周、 夂子、 頻 に- iiJ を め 

山 田, 村 を 過ぎて 河 上に 到, 9 川 を 越えむ と、 二人ともに-馬 を 河水に 駅 入る。 然る 處 

に、 寵造 寺の 軍兵 追 駔け來 b 、雨の 如くに 矢 を射懸 く。 中に も 野 W 安藝 守 家 俊が 放 

つ 矢、 六郞政 員が 馬に 中 、打て どもく 進み 得 や。 安藝 守 得た.^ と 走 b 懸 つて、 

政 員 を. 梅よ b 曳 下し、 纏て 首 をぞ撮 落しけ る。 賴周是 を 見て、 遁れ 難く や 思 ひけ 

む 川 中より あ を 引返し • 淀 姬大明 神の 社家の あ.^ しに 走, 5 込み、 無 體に賴 みし 間、 

土民の 用意した る 芋 釜と て、 穴の あ,.^ ける にぞ竄 しける。 斯 かる 處に、 龍 造 寺 勢の 

内より 加茂彈 正と いふ 者、 遁 さじと 追 駔け來 ,0、 彼の 穴の 中より 引出し * 搔首 にこ 

そしたり けれ。 又賴 周を藏 したる 社 人 も 切 害せられし ぞ 不便なる。 是は 神代 家人 



に由緣 あ.^ し 社 人な,^ • 倩,- 思 ふに 彼の 馬場 賴周 父子、 過ぎし 正: 《 ;廿四 H 、人.^ 祇 

園 原に 殺して、 今の 四月 二日、 己れ 祇圓 岳の 城 を 破られ、 又 人 を 河 上の 社に 财 つて、 

我 も 忽ち 河 上の 社中に 亡ぶ* 因果 歷然の 道 if 塞に 車輪の 如しと、 龍 造 寺 家 門 の 死 

期に いひし は 愛なる? し。 斯くて 剛忠の 軍兵、 先手 は 早 淼川を 過ぎて 紙 園-ぬに 

詰め、 後陣 は 北 佐 嘉に差 廻す。 是は賴 周 父子 戰 負けな ば、 定めて 錢 部へ 落: 仃 くべ 

し。 其 落 足 を 討仅る べしとの艱な,.^。 &剛忠 自身 は、 旗本 を 以て 高木 村の 北迦ま 

で: iij を 出されし 處に、 早 祇園 岳 落城して、 一 本 松と いふ 所に て、 政 員が 首を特 * る • 

是を 實檢ぁ ける に、 又賴 周が *2 を, 持 来れ,.^。 剛忠 入道、 二つの 首に 向 ひ、 生きた る 

者に いふ 如く、 淚を 流し 申されけ る は、 如何に 賴^ 黃 泉の 下にても 能く 是を け。 

恐 老が娘 子 家 純 は、 御 事の 子 政 員が 舅に て 服 前 親しき 緣 なら やや。 然るに 家 純 を 初 

め、 一門 悉く 御 事の 所業に て 討ち 殺せし は 如何に、 i 是に暴 惡の甚 しき 事、 御 邊に過 

ぎた る は あるべ からす。 されば^^因果忽ちに囘..^來って、 將に 百日 を も 過ぎ やし 

て、 父子ながら 骸を 弓箭の に 腸せ b と、 恨み 怒られけ る こそ 理 なれ。 時に 野 田 石 

龍造寺刪5^入道^|圃附ぉ揚賴周父孑討れる . ^事 S 九 



北 ffi 戦 誌 卷之十 1 g3 

見守、 l,.^」o ふ 剛忠に 向って 申しけ る は、 此頼 周め、 去る 正月 御 一 門の 首を蹈 みける 

と 承る。 然れ ばき やつらが 首 を、 水ケ 江の 城門の 下に a め、 出入の 者に 踏ませ 申す 

べしと いふ。 剛忠頭 を 振って 、いやく 其 は 狂人 を眞 似る 不 狂人な..^。 左 樣の情 

$ め. (- 

なき 事、 努々 あるべ からすと て、 賴周 子の 頸に 鵝眼を 副へ、 萬 壽寺. 高 城寺兩 所に 送 

b 、葬禮 形の 如く 取營 まれけ, 9。 賴周、 此時 一 用 齋と稱 す。 

或は い ふ、 此時賴 周、 河 上の 寺 家 光明 院に 走り込み、 湯殿に 隱 れし處 を、 加 茂彈正 

追 駆け 來, 9、 搜 出して 殺害し ける とも。 

おびさ 

或はい ふ、 此時政 員、 龍 造 寺の 兵に 誘 出され 、森 川に 於て 相 戰ひ打 負けて、 大 ケ 

里と いふ 所へ 落 行き、 土民の 家に 走 入り、 簀の子の 下に 隱れし を、 野 田 三 河 守 槍 

を 以て 突 殺しけ ると も。 

政 員 時に 廿九歲 な, 9。 其 一 子馬 場 六郎政 家、 III。 は 太此時 幼稚な b し を、 家人 牟 

田 平右衞 E 、是を 抱いて 筑 前の 方へ 立 退き、 年 を 經て東 肥 前へ 歸入, 9、 故 馬場 肥 

前守鑑 周が 舊頜 の內、 七 百 町 を 安堵して 三 根 郡 中 野の 城に 住し、 後 « 造 寺 家に 屬 



し 子孫 あ, es- 

又い ふ、 賴周此 書に 載す る 所 甚だ 佞奸の 者な hs, 然れ ども さに あらや、 博學 にし 

て 才智 あ,. >。 忠心深く又下賤を憐れみし者な.c^。 龍 造 寺の 一 家 を 討 取りし 事 は、 

主君に對して謂ぁる事な,c^。 

、爱に 其 頃、 馬場が 家人に 薬 王 寺 隼 人 允と い ふ者ぁ,.^。 今度 祇園 岳 牛 頭 城 合戦 の 

前廉 より、 遠 所へ 使節に 行きて、 主の 先途に 逢 はす、 歸, て 後大に 悔み、 急ぎ 龍 造 

寺に 赴き、 某 は 馬場 頼 周 家人 何某と 申す 者に て 候。 主にて 候 賴周, 兼ねて 懇に 

召 仕 ひし 者な り。 然るに 此度賴 E 討 たれし 砌、 其 場に 居 やして 死を俱 にせ や、 千 

萬 是非な き 事な. o。 唯今 切腹 申すべき の 由 申 乞 ひけ. 9。 其 旨、 剛忠へ 披露 あ.. > 

しかば、 主に 忠 ある 者な り。 助命 然る ベ き 由 申されし かど も、 集 人 承引せ や途て 

* 乞 ひ、 竟に高 〔1 脱〕 寺に 於て 切腹し け.^。 其子ぁh^。 藥王寺 市 之 允と 號し * 後に 

馬場 肥 前守鑑 周に 奉公す。 

、同 天文 十四 年 四月 十六 日の 夜、 龍 造 寺 宫內大 輔慰榮 、急に 兵 を 催して、 頃 B 少 

龍 寺剛 *| 入道 歸國附 馬場 賴周 父子 討た る、 事 iisr 



P5 千榮 m 
る 布 造 
城代 寺 
の 胤 



北 肥 戦 sif 卷之 十一 i 

^13方にて神代の 一 族が 籠.^ たる 上 佐嘉千 布の 城 を 攻めたり けり。 彼の 胤榮 は、 龍 

造 寺の 正嫡に して 剛忠の 甥な.^ しが、 此度. 場が 企に 依りて、 少貳 家に 鬱憤 を 合 

み、 剛忠 と! H 《に 軍 を 起し. て 打 出で け.^。 然るに 今夜、 千 布の 城に は 福 島 周 防 守 利 

高. 千 布 次郞家 利. V 先と して、 城 原の 江上 衆楣籠 て 中佐 嘉 衆と 相 戰ふ。 され ど 

も不意の事な.„^しかば、當城忽ち落城して、皆山內へ引返く。 此時龍 造 寺の 軍士 

にも、 中島 主 水 允 其 外 江 副. 河 副 以下 討死 數十 人な, o。 城 は 則ち 燒 失す。 

, 龍 造 寺 入道 剛忠 後の 萬 部 成就 の 事 

同年 龍 造 寺 剛忠法 華 妙 典 一 萬 部 を、 水ケ 江の 城內に 於て 修行 せらる • 其 奉行 は 堀 

江筑前 守な り。 九 千 部 は 去る 天文 七 年よ. 9 轉讀 あ. 9* 今年 一 千 部 を 修行あって、 總 

ベて 一 萬 部 成就の 處とぞ 聞え し。 導師 は 春 曰 山 高 城 寺の 長老 登 岳和尙 にて、 高 〔f 脱, 一 

寺 • 慶雲院 • 泰長院 等の 智識 を 請 じ、 剛忠 自身 も 精進 潔齋 し、 每曰硏 水を灑 いで 燒香 

鱧拜 し、 則ち 城內に 假屋を 打ち 道場と し、 大衆の 休息所 百 間. 饗應所 三十 間 を 儲け、 



剐ャ 5 人^ 

修行 



又 休息所と 道場の 間の 路の 左右に、 俊 米 を 積む 事 高さ 六尺、 北: 體 壁の 如くに す • 布 

施 は 長老 中に 鵝目 五十 賞 宛, K1- 僧に は 十 貫 宛な り。 » 野 田 石 見守に 下知 あ つて、 兼 

ねて 貯 置きた る 財寶を 悉く 藏ょ b 取 出し、 辻々 に 高札 を 立て、 非人 乞食 共へ 是を施 

行し、 其 上水 ケ江領 の 土民 等の 拜 偕した る 銀. 米の 類、 皆 免許 あ b" 今度 is? 部 成就に 

付いて 入 b たる 所の 余 鈒米錢 鶴 定の究 なし。 又 僧 衆の 夜の 宿 {^ 物、 新しく 此度用 

〔政 力〕 

k あって、 成就の 後皆以 之を與 へらる。 凡そ 其體、 德 世に 同じく して 人の 耳目 を悅 

ば f。 斯くて 萬 部 事故な く 成就の 上 供養 を 遂げられ、 又 百 部 を 書き、 诚の 北に 當 

.9 其 經卷を 奉納 あり。 今の 一 g 部島是 な.^。 されば 剛忠、 萬 部を修 せらる.^ 事兩 度. 

去ぬ る 永 正 二 辛 巳年に も 百 人 の 僧 を 請 じ、 導師 は 水上 山 の 天 亭畏老 に て、 口 別に 百 

【白〕 下同ク 

部 宛轉讀 あり。 其 年中に 就 せらる。 夫ょb又過ぎし天文七戊戌年ょ..^開Kぁ.^。 

今年 天文 十四 乙 巳年に 八箇 年に して 成就せ, らる。 是 れ併當 家の 繁榮國 土の 安全 を 

祈られた る 爲とぞ 聞え し。 

或はい ふ • 剛忠萬 部 修行の 事 、兩 度に あらす 一 箇度 なり • 永 正 二 辛 巳年に 始,. 

.1 嚨 入- 鎗剛 成 弒の事 §1 



龍 造寺刚 

忠 卒去 



北肥戰 ?| 卷之卞 1 0^ 

天文 七 戊戌 年に 成就、 開 辟の 導師 は 水上 山の 天亭 長老、 結願の 導師 は 春 日 山の 登 

岳和尙 にて、 百人の^を以てロ別に百部宛?i^誦すとぁ.^^。 其 年間 三十 三 筒 年に 

及ぶ。 此段 追って 考ふ べし。 

1 、 天文 十五 年 丙午 正月 十八 日、 少« 冬尙、 城 原 勢 福 寺よ.^ 有 馬と 軍兵 を 合せ、 龍 造 

寺 胤榮. 千 葉 sg 勝の 居城 小 城 • 佐嘉兩 城を攻 む。 胤 榮. 胤勝 防ぐ 事 を 得すして、 千 

葉 は 降 參し龍 造 寺 は 落 失せけ, 9。 時に 有 馬の 者 共、 同月 廿ニ曰 小 城に 晴氣. 松 尾 • 

岩藏.三間寺等の所々に打入..^亂妨する事、法に過ぎた,.>。 愛に 於て 千 葉 胤勝の 

家人 共、 堪 へやして 愛 かしこへ 出合せ 打戰 ひ、 有 馬の 軍兵 多く 討た る。 是ょ, 9 有 

馬 暫く 亂 入せ ざ b け, o。 

龍 造 寺剛忠 入道 卒去 附隆信 家相 續の 事 

同年 三月 十: w 、龍 造 寺 山城 入道 剛忠、 水ケ 江の 居城に 於て 卒去 せらる • 行年 九十 三 

歳な..^。 家を續 ぐべき 子孫な か しかば、 一 族の 龍 造 寺 播磨守 家宗、 是を 歎き 一 s: 



隆信刚 5| 

の 跡.^ 繼 

ぐ 



他家の 家僕 を 集めて 談合し ける は、 今當 家を繼 ぐべ き 人 を 案す るに、 故 六 郞次郞 一 

の 嫡子 、頃日 寶琳坊 に 坐す 中納言 律師 Mg。 圓 月に 優る は あるべ から や。 元よ. 9 老 

公の嫡孫とぃひ、其上器量の人な,.^。 此 人に 遷 俗を勸 め、 急ぎ 水ケ 江の 城へ 入れ. E. 

すべし。 谷" 如何と いふ。 又 或 者 申しけ る は、 最も 然るべ し。 さ.c^ながら新次郞家就 

は、 當家 正統の 分に て、 水ケ 江の 相續 似合 はしき 人な. 9。 一 是をゃ 招く ベ しとい ひ、 

衆議區なにして決せざりけ,.^。 時に 一 座の 中より、 鬼 角 斯樣の 事 は 神慮に 任せて 

梵 しき 物な, 9。 所詮 園 を 取って 其 善惡を 知れと 申す。 何れも 尤もと 同じて、 則ち 

龍 造 寺 八幡宮に 向って 御圆を 下しけ るに、 中 納言圓 月に ぞ極 は,.: > ける。 &寵造 寺 

播 IH 寸. 野 田 安藝 守 以下の 宿老 共 集. て、 律師 圓月を 先づ石 井尾 張 守ま淸 |S 。が 宅 

に 請 じ、 子息 大隅 守が 寢間を 休 に 取 構へ、 先 づ鰹を 進ら せ、 加瀨 町よ.^ 紊壽と 申 

す 女 を 宿直に 召 置き、 還俗 させ 申して、 夫よ b 水ケ 江の 城へ 移しけ. o。 M 月 生年 十 

八 歳、 伯父 寶琳坊 豪覺法 印の 弟子、 小字 長 法師 丸" 此時忍 辱の 法衣 を脫 ぎて、 龍 造 

寺民部大輔i信と改名ぁ.^け,o。 斯くて 恩 信 則ち 水 ケ江龍 造 寺の 家 を 相續し *.剛 

造 寺剛忠 入道 卒去 附隆信 家相 續の事 1 一 S お 



北 把 戦 誌 卷之十 1 1舆 

忠 一 世に 少貳 家よりの 新 恩の 地 河副鄕 一 千 町 • 幷に 重代の 所頜 小津鄕 八十 町 を 知 

行ぁ.^。 後に 中 國の大 內介義 隆に屬 し、 天文 十七 年に 諱字を 受けて 胤隆 と號 し、 同 

十九 曰 年 重ねて 隆 信と 改めら る。 隆 信と は 義隆最 物の 名に てぞ あ,. y ける。 - 

龍 造 寺胤榮 本領 に 歸る附 少贰冬 尙沒落 の 事 

愛に 寵造 寺の 總頜 宮內大 輔胤榮 は、 今年 正月 十八 R: 少貳冬 尙の爲 に、 佐 嘉の城 を 返 

き 浪人の 體 にて、 頃日 は 筑前國 へ あ. 9 ける が、 如何にもして 本領へ 歸. 9 入らむ と 思 

立ち、 大內 介よ. = '太宰府 へ 据ゑ 置きし 守護 代 杉 十郞隆 滿に據 て、 中國に 於て 大內 

介義隆 をぞ賴 まれけ る。 義隆頜掌ぁ..^。 寵造寺 凰榮へ 送られし 狀に いはく、 

至, -筑 前, 上 國之由 可, 然候。 本意 不, 可, 囘 y 踵 候。 猶隆滿 宗長可 V 申 候 也。 

三月 二 曰 義 隆麴 

, M 造 寺宫內 大輔殿 

斯くて 宮 內大輔 胤榮、 大內介の加勢に依..^て少貳方の輩と相戦ひ、合戰に打勝って、 



雜造寺 胤 

榮少甙 と 

戰 つて 勝 





覩造^ 胤 

榮本 ¥ し 

歸る 



事の 次第 を 中 國義隆 へ 註 進す • 時に 大內 介よ, 5 の狀に 曰く、 

合戦 勝利 之 由 神妙 也。 依, 所望 之 地; 肥 前 國佐嘉 郡 之 內五千 町、 神 崎 郡 之 內西鄕 

五 百 二 根 郡 之內下 衬貳百 町、 防 所 三百 町 之 事 所-宛 行, 也。 猶以 可, 被, 抽,, 忠節, 

之 狀如& :。 

卯月 廿ニ曰 , 義 隆列 

« 造 寺宫內 大輔殿 

斯くて W 造寺宫 內大輔 榮、 翌 くる 天文 十六 年 丁 未、 自ら 中國へ 赴き、 義隆の 方へ 

少貳冬 尙の擧 動 を樣々 訴へ 申されし かば、 其 旨 帝都に 於て 將軍 義晴 公へ、 義隆ょ 

委しく 言 上 あ, しに 依りて、 其 儀なら ば;. 冬尙事 早速 誅伐す べきの 由 仰 出されけ 

玆に 因, て 同年 六月、 義隆、 铳 前の 守護 代 杉 十 郎隆滿 が 方へ、 右上 意の 旨 下知 せら 



r^、 t. 



上 寵造寺 宫內大 輔凰榮 を豐前 守に なし、 肥 前の 守護 代と して、 少貳返 治の 



事 を 下知 せらる。 新 かりし 程に、 籠 造 寺 榮、 則ち 安堵 を 蒙み、 豊前 守に 任じて、 

同 七月 下旬、 肥 前の 本 頷に 歸 入り、 頓て 同名 民 部大輔 胤信 g 颜 al^。 と 談合し、 軍 

龍 造 寺 榮 本領に 箱る 树少^ 冬 の 事 i 



龍 造寺少 

k 合戰 



北 肥 戦 誌 卷之 十一 =s 八 

兵 を 合せて 少贰 冬尙追 罰の 爲め、 柬肥前 へ 出張 ぁトん 時に 胤信、 大內 家に 馬して 出馬 

初な b。 斯くて 少 K 方の 輩、 爱 かしこに 打 出で 是を 防がむ とレ 1 又 冬 尙の舍 弟 千 葉 

介^ 賴、 小 城の 牛 尾の 麓 普賢 寺と 松 尾に 雨 城 を 取 構へ、 人數を 籠 置き、 兄 冬 尙にカ 

を 合せて 大内勢 を 待 懸けけ. o。 然るに 龍 造 寺豊前 守、 閏 七月 杉十郞 へ いひ 送 b 、筑 

前の 軍士 を麾 き、 同名 民 部 大輔と 一 つに な 、冬尙 の 居城 祌崎郡 勢 福 寺 城へ!: 寄す。 

—時に 少 或の 老臣 江上 石 見守 元 種 • 宗筑後 入道 木 盛 • Hit 場 右 衞門大 夫周詮 以下、 三 根 • 

祌 崎の 間 所々 にて 防戦し けれども、 度々 軍に 利 を 失 ひ、 其 上 八月 五日, 米 田 原の 合 

戰に、 冬尙の 股肱と 賴 まれた る 宗筑後 入道 本 盛、 苔 野 口に 於て 討死し ければ、 少貳 

方の 軍士 彌.^ 力 を 落しぬ。 彼の 筑後 守秀恒 入道 は、 冬尙 若年の 時よ b 附添 ひし 者な 

b し 故、 甚だ 歎き 申されけ り。 此 時冬尙 よ,^ 土 肥但馬 守への 狀に 云く、 

先 剋 苔 野 口 防 戰之砌 、本 g〔f 脫〕 死 之由不 kfe 非, 次第に 候。 悲歎 <K 察 候。 左 馬 

助お 輩 之條、 晴 -愁. 一 g 之 思, 彼 所 取 育之 伊、 別而賴 入存候 • 旁 I 爲 JHVra. 染 候。 恐々 

謹言。 



垂龜 



冬尙 敗北 

居城^ 去 

る 



八月 五日 冬 尙 S 

土 肥但馬 守 殿 

斯くて 少贰衆 始終の 合戦に 打 負けし かば、 冬尙 党に 十月 十六 日、 勢 福 寺 城 を 下城 あ 

.9。 . 筑後 國へぞ 赴かれけ る。 然るに 大內介 は、 容易く 冬 尙を追 落し、 肥 前の 內三 极. 

祌崎 等の 少 1^ 頷 一 圓に.&取.^、龍造寺 一 家 を 以て、 其 境 を 守らせけ,. 

一、 今年 初めて, 肥 前 國檢地 之 あ..: 



龍 造 寺 隆信兩 家相 續附小 河 筑後守 武純忠 心の 事 

天文 十七 年 戊 申 三月 廿 二日、 肥 前 國佐嘉 の 城主 寵造寺 豊前守 &榮、 兼ねて 病 惱に迫 

胤榮 逝去 b 卒去 あり。 此 人は當 家の 正嫡に て、 前 大和 守從 五位 下 a 久の 子な h つ 未だ 壯年 

に 早世 あ. しかば, 息女 一 人 あ. て 男子 あらす a 兹に 因,.^ て 龍 造 寺の 嫡家、 旣に斷 

絕に及ばむとしけ..^。 斯か. し 程に、 老臣 小河筑 後守武 純. 納富石 見入 道 近 周. 江 副 

安藝 守 久吉、 其 外 龍 造 寺 伊賀 守 家 直 等^ 義を 遂げ、 鍋 島 駿河守 房と 談合して、 水 

>覩 造 守 隆信兩 家相 續附小 河 筑後守 武純忠 心の 事 二: 九 



と 踵の 骯 
改- き'.》 ま 信 
名隆家 a 
す 信^ 榮 



, 北 肥 戦:! 卷之. H 二 S 

ケ 江の 城主 民 部大輔 胤信 を 以て、 胤榮の 後室に 娶せ、 當 家と 水 ケ江兩 家 を 一 つに 合 

せて 相. 1 然るべきの 由, 衆議 決定 あ. y。 頓て民 部 大輔を 佐嘉村 中の 城へ 請 じて、 彼 

の 後室に 婚禮を 調へ、 則ち 胤榮の 遺跡 を も相續 あり。 龍 造 寺の 總 頜とぞ 傅きけ る。 

然るに 凰 信、 當家 庶子. 總領 の兩家 ともに 連續 あって、 先祖 相 傅の 所領 八 千 餘町を 知, 

行し、 程なく 大 內介義 隆に卽 いて 諱字を 受け 隆 と 改め、 後に 又 改名して 隆 信と ぞ 

申しけ る。 

龍造寺に兩流ぁ..^。 總領を 村 中 龍 造 寺と 稱す。 胤榮のー家な.=^。 庶子 を 水ケ江 

M 造 寺と いふ。 剛忠の 一 家な..^。 , 

さても 此時村 中の 老臣に、 土橋 加 賀守榮 益 I がと て、 故 凰榮に 仕へ て 隨分忠 を盡し 

し 者な り.。 故. 榮、 早世 ありし を 明 慕に 歎きて、 一向 世事 を 諦めす 居た りしが、 

更々 隆 信を肯 せす、 如何にもして 前 和 泉 守 家門の 子 « 造 寺 左 衞門佐 鑒兼を 以て、 家 

を 立てむ と 思 立ち、 竊に豐 後 へ 通じて、 大友屋 形 修理 大夫 義鑒 へ 內談しけ,.^。 彼の鑒 

兼 は 元 來義鑒 の 烏帽子 子に て、 去ぬ る 天文 二 年に 加冠して、 一 字 を 受け 孫 九 郞鑒兼 



苦の 武老 
諫 後純臣 
す 室 胤 小 
な榮河 



と號 せし 人な,^, 然る 問、 兼ねて 義塵、 是を 懇意に 思 はれけ, o。 其 上、 頃 〔^脱〕 大內 

介と 大友 武威 を爭ふ 宇ば なりし かば、 義鑒彌 I 幸なる かな。 彼の 慶兼を 我 手に入れ、 

大內 一 眛の隆 信 を 退くべし と 思案して、 頓て 土橋と 同意 あり。 其 計略 專 なり。 ^又 

隆 信の 妻室 は、 鑒 兼の 妹な b しかば、 是も 土橋と 同意に て、 隆信 i 交 b 睦し からす。 

斯か, し 程に、 寵造 寺の 一 族 家人 等、 悉く 當 家の 浮沈 を危 んで雙 方に 別れ、 何とな 

く佐嘉 騒動し、 旣に龍 造 寺の 家、 廢 C とぞ 見えた. ^ ける。 然るに ある 日、 老臣 小 河 

筑後守 登城して 直に 簾 中 へ 推参す。 少時 あ つ て 內室立 出で 武純 11。 に對面 ありけ 

るに、 筑後守 畏まって 申しけ る は 、塞に 先君 榮公、 計らす 御 逝去に 付いて、 御家人 

悉く 力 を 落し 、悲歎の 淚に釉 を 干し 得す 候: さうながら 御 形見の 姬君 渡らせ 給 ふこ 

そ 、歎の 中の 悅 にて 候へ。 定めて 御成 人 あるべし。 恐ながら 一目 見 奉..^ たく 候と 

申す。 內室、 武 純が 望に 任せ、 则ち姬 君を當 座に 召す。 筑後 守、 姬を搔 抱き 目 も 離 

さす, 良.^ 打ち 守 b 泪を 浮べて 申しけ る は、 さても 凝 報な き姬君 や。 御 幼稚に て 父 

上に 後れ 給 ひ、 未だ 十 歳に も 成り 給 はで、 唯今 某が 手に 懸.^ 、 刃の 上に て 御 命 を 失 

龍 造寺隆 liL" 兩 家相 續附小 河 筑後守 武純忠 心の 事 ニ:^11 



北 肥 戦 誌 卷之十 一 i 

ひ &ふ痛 はし さよと * いひ も 果てす 脇差 を やばと 拔き、 姬君を 刺殺 さむと す。 母上 

を 初め 女房 達. 周章ふためき走,.„^寄,^、 筑後 守が 手に 鍵り、 是は 如何なる 事ぞ や。 

物に 狂 ふか 小 河 殿と、 上 を 下へ と 返す。 武純 申しけ る は、 何ぞゃ 物に 狂 ふべき。 此 

の 姬の御 命 は、 偏に 母上の 御 心よ b 失 ひ 給 ふなり。 夫 を 如何にと 申す に、 先君 御 

死去の 後、 御 家を續 ぐべき 人 もな く、 當家 忽ち 絕ぇ むと す。 然る 間、 御 一 門の 歷々、 

其外納 富.. 江 副 を 初め、 物の 數 ならぬ 此筑後 守 打 寄 b て Ij^ 議 決定の 上、 胤信 公 を 還 

俗 させ、 御前に 娶せ 奉..^、 龍 造 寺の 名跡 を 立て、 心安く 罷 在り 候處 に、 如何なる 天魔 

の勸め 進ら せけ るに や。 御 夫婦の 御中 睦 しから や、 御 家の 浮沈 此 時に 極.^, 御家人 

二つに 分れ、 龍 造 寺の 家滅 C 忽ち 遠き に 候 はや。 されば 其危 きを 見て、 近國 の諸將 

佐嘉を 攻めむ とする 由 風聞 あり。 今此體 ならば、 此斯に 及んで、 よも 防ぐ 味方 は 候 

まじ。 然らむ 時 は、 此姬 君の 敵廣 とな 給 ひ、 是 こそ 龍 造 寺 胤榮の 娘よ とて、 凡 下 

野人の手にil,.^、名字の恥をかき給はむ•かロ惜さに、 唯今 某 刺殺し 申すな, 9,0* 更 

に 刀 を 納めす。 時に 母上 宣 ひける は、 尤 な,^、 筑後 守。 御 事が 申す 處、 一 々承引す。 



隨歡 



今よ b は 自らが 心 を 改め、 胤信 公と 睦 しかる ベ し。 其 子 を 免して 給 はれ. ,0、 まく 泣 

く 手 を 合せられし かば、 武純 も泪に 暮れ、 則ち 姬を 渡し 申し, 左 樣に候 は J« 偏: e. 

家 長久の 基、 我々 の 悅び是 に 過ぎす。 彌 < 唯今の 御言 葉、 少しも 違 はせ 給 ふなと * 返 

す<\ -敎訓 し, 奧を返 出しけ り。 是 よりして 隆信 夫婦 親くな, 給 ひ、 男女の 公達 多 

く 儲けられ、 龍 造 寺の 家長 久しけ. y。 

右姬 君、 此時 七歲。 小字 於 安。 成 仁の 後 連 池の 城主 小 田彈正 少弼鎭 光に 嫁す。 

鎭光切 害の 後、 唐津の 城主 波 多 三 河 守 親に 嫁す。 親 遠 流の 後、 佐 嘉に歸 りて g に 

なられ、 靜室妙 安と いふ。 

少贰 冬尙歸 城の 事 

太宰少 1^ 冬尙 は、 頃:!: 筑後國 に 居られし が、 去る 頃 龍 造 寺凰榮 卒去し、 佐嘉の 城下 

騷動 する 由 傅へ 開き、 さらば 其 變に乘 じて、 此 度 歸國 すべし と 思 立 たれ,. 伯 a- せ ?, 

州の 宗讚岐 守義調 入道 一 躍の 方 へ 加勢 を 乞 はれし 間、 一 鷗 頓て健 兵 三 ^Kr: 餘騎を 差 

小ノ貳 ゃ尙歸 城の 事 , il 



少 _K 冬尙 

歸城 



お 肥戰諸 卷之十 1 =ni は 

越しけ ,c。 冬尙、 是にカ を 得、 則ち 筑後を 立ちて 川 を 越え、 東 肥 前に 打 入,^ 舊城脾 

崎 郡 勢 福 寺 城 へ 入らむ とす。 當 城に は 此時、 大內 家よ, 9 城番 として、 江上 隆種 とい 

ふ 者 を 入れ 置きけ...。 彼の 隆種 は、 元 來少貳 の 家人に て、 江上 元 種が 1 族な, 9 しか 

ども、 去年の 合戦に 冬 尙沒落 あ.^ し 時、 止む 事 を 得 ゃ大內 勢に 向って 降参し、 當時は 

此 城の 番人と な. 9- 代る.^ 番衆を 置きけ.^。 斯 かる 處に 一 鷗の 加勢 三百 餘人、 あ 

る 夜 勢 福 寺の 城に 忍び入る。 然るに 今 1^ の 番人 は、 光安 忠三郞 にて 主從 僅に 十 人 

當番の侍爱にぁ,.^ と、 名乘髓 け- ()K に 勵み戰 ひ、 忠三郞 自身 手柄 を 現し、 竟 

に 城門 を 破られす。 結句 三百 餘 人の 夜 討 共、 光安に 防がれ 辟易して 引返き け. =^。 

此時忠 三郞、 江上 隆 種より 感狀を 得て、 當 座に 刑部丞 にな さる。 斯くて 當城暫 し は 

差 泳へ て 見えし かど も、 番頭の 隆種、 素よ b 少貳 譜代の 者な b し 故、 頓て城 を 去.; N 

冬 尙へぞ 明 渡しけ る。 斯か.^し間、冬尙則ち勢福寺城に入b、江上左馬^尙種を以 

て執權と定め、再び三根•神崎の兩郡を知行して威を振はれけ.^• 

或は い ふ、 宗 一 鷗 入道 を、 豊 後侍宗 一 勝と も。 



s 尻 伯 耆守親 種 筑後國 鷹 尾に 城 を 築く 事 



田 尻 家の 

來 



B 尻親锺 

^尾に 成 

^築く 



愛に 其 頃 筑後國 に 田 尻 伯耆守 大藏親 種と いふ 者 あり。 漢 高祖の 子孫に して、 原 田. 

秋 月. 江上. 高 橋と は、 同姓の 一 族な,^。 先祖 原 田 大夫極 成が 三男 三郞實 s- が 時、 筑 

前國ょ b 始めて 筑 後の 三 池 田 尻 村に 移住せ しょ. 田 尻と 號し、 彼の 親械 が^ 祖父 

田 尻 左 衞門大 41? 恒種以 *、 豐後府 內の大 友 家に 從屬 す。 然るに 親 稀が 父 遠 江 守 治 

稀、 去ぬ る 永 正 年中、 筑後國 の 住人 黑木筑 後 守. 蒲 池 民 部 少輔. 朽網兵 庫 頭. 石 泉^ 反 

逆 を 企て 、針 策の 廻文 を 差 廻し ける 時、 大友 家に 對 して 忠節 ぁケ しょ, o、 今の 親 種 

に 至って 彌.. 府內 に^ を K ぎ、 筑後國 の內三 池. 三 潴* 山門 三 郡に て 數千町 を 知行し 

けり。 されば 親穩、 先祖 代々 田 尻 村に 在 城す と雖 も、 近年 府內 へ訴 へ、 櫟 崎へ 居城 

を變 へぬ。 然れ ども 又 彼の 在所 洪水 度々 に 及び、 水の 手相 損 やる に 依 b. て- ® ねて 

府 內へ訴 へ、 領內鷹 尾に 新 城 を 構 へたき の 旨、 大友屋 形 義鑑に 相 願 ふ。 當國 は大友 

支配の 國に依 b てな b, 此時義鑑幷に家臣入田丹後守親廉ょ.^、 田 尻 伯 耆守親 種 

田 尻 伯 耆守親 積 筑後國 魔 尾に 城,^ 築く 事 0^ 



北 肥 戦:^ I 卷之 十一 ラバ 

へ新诚 免許の 狀に 云く、 

〔衍 力〕 

就,, 近年 覺悟之 要害 水 手相 損 候; 至,, 領內高 尾, 可, 被,, 取 移, 之 由,^。 肝要に 候。 S 

城, 倍々 堅固 之才覺 專耍之 段、 猶入田 丹 後 守 可, 申 候" 恐々 謹言。 , 

九月 三日 義 鑑判 

田 尻 伯 耆守殿 

就,, 先年 要害 之 儀, 言上 之 旨 候條、 令,, 披露, 候 之處、 雖, 被お, 御 分別, 被,, 取 誘, 候; 彼 在 

所 依;, 洪水, 損,, 水 手, 候て ,於- m: 內高尾 之衬, 有,, 一 壘覺 悟, 度 之 由、 內々 示 給 候 之 趣、 

達,, 上聞, 候 之條、 爲 k 城, 可 ,被=取 構, 之 由" 被 k,, 御 書, 候。 御 面目 至,, 珍重, 候" 彌 <於„ 

栩應之 儀, 者、 何時 茂不 J?\ 有,, 無沙汰, 候。 猶 期,, 來喜, 先, 省略, 候。 恐々 謹言。 

■ 九月 六日 入 田 親廉判 

田 尻 伯 耆守殿 

御 報 

親 種、 鷹 尾に 彌ノ新 城 を 築き 取 移りぬ。 其 後 享祿ニ 年 己! 4j の 春、 江 浦. 津留. 濱田. 堀 

切に 四 箇所の 端 城 を 構へ、 本 城, と共に 五箇 城と す。 



豐後國 黑嶽に 鬼 馬 出ク る 事 

其 頃 豊後國 に 奇異の 事 あり。 直 入 郡の 内に、 昔よ 嗟 蛾 天皇の 御廟 を 祭 hs て、 一社 

を 建立し、 每年 此國の 太守より 神事 を 執行 はれけ. r>。 然るに 大友豊 前 守 政 親の 時、 

鬼 馬 出現 先例に itt せられ 當 社へ 神馬 を 置かれし 處に、 過ぎし 明應の 頃、 彼の 神馬 搔 消す 如く 

失せに け b。 是は 何樣、 太守の 身の上の 凶事 にゃあ.^ けむ。 豊前守 政 親 * 幾程 もな 

く 赤 間 ケ關の 海上に て、 不慮の 生害に 遭 ひ 給へ ,0,。 斯くて 件の 神 M 、今年 天义 十八 

年に、 凡そ 星霜 六十 年 を歷て 現れぬ。 され ども 以前 見た. し の 形に あらや。 先づ 

葦毛が 黑鹿 毛に なり、 尾髮は 森の 如く、 白き 角 を 戴き、 口 は 耳の 根に 裂けて 兩服火 g 

に 異ならす。 偏に 鬼と や 云 ふべ き なれば、 見る 者 忽ちに 逃隱れ ぬ。 是は 以前の 神 

馬に は あら じと いふに、 則ち 太守 政 親の 銀の 札 を 下げた. 老若男女 惶る、 限 

なし。 此馬早晚黑嶽の上ょ..^駆下るに、 其 足音 雷の 如く、 人馬 六畜 ともに 取 喰 ふ 

事、 其數を 知らす、 新 か h.- し ST 旣に國 中の 騷 とな. y 、府內 の 城 許へ も 注進あって、 

豐後圃 黑嶽に 鬼 馬 出 づる事 1£セ . 



-Jfl^ 戰; 一! お 卷之卞 1 一 g 

當國守 義鑑へ 披露 あ b けり。 是に依,.^て彼の馬退治すべき由、 樣々 詮議 せられし 

處に、 大 友の 家中に 隱も なき 荒 者 城 後 因幡 守. 大窪藏 人助兩 人、 頻に * 乞 ひけり。 大 

事の 手 合 物な b しかば、 小人 數 にての 退治 如何 あ る ベ き と、 義鑑思 案 あ しか ども、 

達って 望み 申す に 付て 免され け,.^。 兩人大 に 慶び ノ める 夜 人 を も 具せ す、 唯: 二人 

黑嶽 山の 麓 令 水 越 火 草 馬場と いふ 所に 出向 ふ。 後難 を 思 ひし かば、 仕損じて は 叶 ふ 

まじと 兩人 談合し、 城 後 は 三尺 六 寸の大 長刀 を 陽に 構へ、 大窪は 八 寸餘の 大臈股 を 

白木の 弓の 架 延べた るに 打番 ひ、 長 八 尺 計, 9 に 見えけ る 立 石の あ b し を 循に取 b 

て、 件の 鬼馬遲 しと ぞ待 懸けた る。 案の 如く 彼の 馬 黑嶽の 頂上よ,.^ 鳴り はためき 

て ffi 下 b 、城 後 .大 窪が あちし を疾く 知, て 一 文字に 飛來 る。 時に 大窪、 えい やっと 

切って 放つ。 如何した b けむ。 一の矢 を 射 損じ、 二の矢 を番ふ 時、 鬼 馬 雄って 件の 

立 石 を 飛越え ける を、 城 後 因幡 守、 得た, 9 と聲を 掛け 長刀 を 以て 突き 貫き、 石の 際に 

ぞ押 臥せけ る。 W 其 夜 も 明けて、 火 草 馬場に は 鬼 を-半げ た b と 云 ひ 周章て し を、 朽 

網 右京亮 親 光、 搔揚 山の 成よ 閬 付けて、 急ぎ 馳せ 行き 是を 見け るに、 其體 曾て 常 



の St? にあら や、 長 七 尺に 餘,. > 、毛 は 鐵の 針に 異なら や。 此事、 早速 府內へ 注進し けれ 

ば、 太守 義藤 急ぎ 城 後 • 大窪兩 人 を 召 出し、 比類な き 手柄 仕た りと 大に 褒美 あ b け 

,^。 今度 彼の 馬 現れし も、 又 太守の 上の 凶事 にゃあり けむ。 明くる 天 十九 年 K 

戌 二月 十二 日、 大 友義 鑑 不慮の 切 害に 遭 はれし なり。 



北肥戰 誌^ 之- 



北 肥戰藹 卷之 十一 J 一 さ 

Jnr He? SH^ liijSL 楚 INI* 



• . 大 友義 鑑橫 死の 事 

愛に 豊 後の 屋形 大友修 Si 大夫從 四 位下 義鑑、 天文 十九 年 庚 成 二月 十二 日、 家臣の 爲 

め不 窳に橫 死せられ け ,c,。 其 濫籐を 尋ね 聞く に, 義鑑に 子息 餘多 あ, o。 中に も 嫡男 

の 當屋形 を 五 郞義鎭 と 申す。 其 次 を 八 郞と號 す。 是は 今の 簾 中の 腹に あらす、 先 

腹の 子息な hN" 又當 腹の 子 を 細 御曹司 籐妙公 i いひけ, 9。 されば 世の中の 習、 繼 

母の 讒口 時々 にて、 義鑑と 義鎭の 中 快から や、 夫婦 密談の 上、 寵臣 入 田 丹 後 守 親 誠 

へ 內談ぁ ,9 大友廿 代の 家督 を, 彼の 當 腹の 細 御曹司に 讓ら むと 思 立 たれ、 ある 時、 

老臣 齋藤播 磨 守 • 小 佐 井 大和 守. 津久見 美 作 守. 田 口 玄蕃允 I ば。 を 召して、 の 事 

を 申 聞 けられけ るに 四 人 一 同に 申しけ る は、 唯今の 上意 我々 更に 感心せ す。 卸 成 仁 



義 鑑の橫 

死 



の當屋 形を閣 かれて、 未だ 幼稚の § 殿に 御 家 を讓ら る、 事、 全く 御 本意に あら 

きこ 之 

す。 自他の 聞、 是に 過ぎた る 惡事候 まじ。 此儀、 一 向に 思 召 止められ 然るべ しと 申 

切って居た..^。 義鑑、 案に 相違し 重ぬ ての 言葉 もな く、 艴 然として 奥に 入らる。 其 

後 義鑑、 猶も入 田 親 誠 を竊に 語ら はれ、 當屋形 義鱗を 殺さる ベ き企ぁ.^け.=^。 其 

事、 如何にして 世間に 洩れ 聞え けむ。 義鎭 早速、 齋藤 • 小 佐 井が 子 共、 を 供と して、 立 

石 村 に 居所 を替 へ られ け,. >。 斯 か,^ し 程に、 父 義鑑、 是は 偏に 彼の 四 人の 所爲 よと 

思 はれし かば、 先づ齋 藤播磨 守. 小 佐 井 大和 守 を 召 寄せ、 城の 門外に て 切 害せられ、 

»義 鑑 夫婦. 藤 妙 殿御 料 人" 其 外 1 一階の 上に 居られし に、 津久見 美 作 守. 田 口 玄蕃允 

は、 義鑑の 前に あ.^ ける が、 我が身の 上と 思 ひし かば * 田 口 は 先 づ義鑑 を 切 殺し、^ 

久見は 簾 中. 御料 人 藤 妙 公 を 切 害し、 其 外局 女房 達 悉く 切捨て、 津久 見は當 座に 腹 十 

文字に 搔 破って 臥し、 田 口 は 近習の 侍 城 後 左 近に 討 たれに け, c^。 i 是に 前代未聞の 

振 省 *國 中 騒動 大方なら や。 大友 家中の 士 上下 をい はや、 皆 足 を 空に して 馳違 ふ。 

斯くて 曰 称 安房 守 を 初め 南 郡 衆 は、 入 田 親 誠に 一 味し、 皆々 入 田へ 引 籠,^、 一 行の 

大 友義^ 接 死の 事 



入 田 父子 

自竅 



北^ 戦 卷之 十二 : : M 

企 あ b しか ども、 當屋形 義鎮、 頓て立 石 村よ. 9 府內 に歸館 あ, り。 城下 彌.. 静謐な, 

しに 依りて、 入 田に 一 * の 輩、 何れも 義鎭へ 降参し. 入 田 親 誠. 同 父親 廉. 同 子 十郞、 

其 外 一 類 中は豐 後に 溜.. = ^兼ね, 肥後國 へ 退き 舅 阿蘇 大宮司 惟豊 をぞ賴 みける。 さ 

れ ども 大宮司-彼の 親 誠が^ 惡の 程を壻 ながら 惡み しかば、 是を 介抱せ す。 斯か,,^ 

し 間、 入 ffl 一 門すべき 樣 なく、 四月 四日、 親 廉. 親 誠. 同 子息 十郞 以下、 其 門 葉 悉く 阿蘇 

に. 於て 切腹し け,^。 是 よりして 府內 彌.^ 早 均し、 五郎 義鎭、 父 義鑑の 遺跡 を 安堵 あ 

,.^けり。 後に 宗麟 入道と 申し、 は、 此 五郎 義 鱸の 事な り。 . 

或は い ふ、 義鑑 生害 • 一 一 月 九日の 事な b とも。 

又い ふ、 九月 二日と も。 

或 書に い ふ、 義鑑. 先 づ齋藤 • 小 佐 井 を 呼 寄せ 是を誅 し、 扨 津久見 美 作 由 口 玄蕃を 

呼ばれし に參ら や。 使 再三に 及びし かば、 雨 人 今 は 遊れ ぬ 所よ と 思 ひ、 是を 最期 

と 出立ち、 城の 裏門よ ち 入りて、 律久見 は、 直に 簾 中へ 走り込み、 奥方. 藤 妙 を 切 

害し、 田 口 は 義鑑の 居間へ 切って 入り、 則ち 義鑑を 刃傷し け とも。 



或 書に いふ、 入 田 親 誠、 阿蘇に 落 行き、 舅 大宮司 を赖 みし かど も、 大宮司 是を惡 

み、 搦捕 hN て 首 を 削ね ける とも 

、今度 府內の 騷勸靜 ts しければ、 大友 旗下の 諸將、 皆義 鎮へ參 鱧す。 « 中に も筑 

後國田:^伯*守親種ょ.<^俊節を以て、 府內 靜謐の 祝詞 を 述べ、 其上彌 t 別 心なき 

の 旨、 神 文 を 差 送,.^ しに、 義鎭ょ の狀 にい は/、、 

爲,, 爱 元靜謐 祝儀, 太刀 一興 に 送 給 候。 祝 著 候。 潜 豊饒 美 濃 守 可 &候。 恐々 

謹言。 

二月 廿 六日 義 鎭判 

田 尻 伯耆守 殿 

對,, 载鎭, 倍 可 K 被 鼬, 忠貞, 之 段、 以-寳 印 奥, 始中終 承 候 • 滅御憑 敷 祝 著 候。 i 

堅固 才覺、 可, 爲,, 其方 代々 勞 功之 首尾, 候。 猶 豊饒 美 濃 守 可, 中 候。 恐々 謹言。 

二月 廿 八日 義 鎮判 

田 尻 伯 耆守殿 

大 友義 繁椟! ^の 事 ~ 0^. . 



菊 池義武 

蜂起 喂本 

城 に 籠る 



北 肥 戦 11 卷之 十二 

菊 池義武 蜂趕附 下筑後 所々 軍の 事 

愛に 菊 池 左 京大 失義武 は、 其 頃 筑後國 へ 蟄居し、 三 池. 溝 口. 西牟 田の 一 族を賴 みて 

あ. 9 ける が, 今度 府內の 騒勸を 聞いて 大に悅 び、 急ぎ 舊領肥 後へ 打 越え、 菊 池 譜代 

の 载を栩 催し、 府內を 攻め 落して 年來の 宿意 を晴 さむと 思 ひ 立ち、 三月 中句に 旗 を 

揚げ、 頓て 肥後國 へ 渡海し、 田 島 伊勢 入道. 鹿 子 木 三 河 守 を 差 語ら ひ、 隈 本の 城に 楣 

籠, け, o。 斯か し 程に、 筑後國 にも 西 牟田彌 次郞親 氏、 其 一 族に 田 河 兄弟. 小山 山 

城 守、 其 外 三 池 上 總介親 員. 溝 口 丹 後 守 鑑資. 安武 安房 守鑑敎 以下、 菊 池に 同心して 

各 t 相 圖を定 め、 下筑後 へ 討って 出で、 今 福の 要害 に 取 籠..^、 大 友へ 向つ て相戰 はむ 

Q 、) 

とす。 此事 早速、 府內 へ 閬ぇ しかば、 新 屋形大 友 左 衞門督 義鎭、 急ぎ^ 筑後高 良 山 

の 座主、 其 外 蒲 池 近 江 守鑑廣 .田1 院伯耆 守 親 種. 安武 安房 守が 方へ、 彼の 徒黨返 治の 

事 を 下知 せらる。 右人 數の內 、安武 は 最前 逆 意を揷 み、 西牟 W 以下と 一 . ^しける が、 

如何 思 ひ 反しけ む。 懇望 を 以て 疾く 降参 しれ.^。 



1、 田 尻 伯 耆守は ♦ 至って 大友 無二の 志 あ しかば、 四月 二日よ b 居城 K 尾に 循籠 

Ijl^i;^ て、 彼の 徒黨 等と 戰 はむ とす • 斯くて 明くる 三: r:、 三 池 上 總介. 溝: 1 丹 後 守 • 西 

介 等朦尾 

城. -攻む 牟田 以下 現 形して、 ra 尻が 在所へ 取懸 る。 中に も 肥 後の 大 山 *b 加 はりて、 三 

池 衆と 一 つに な. 9、 鷹 尾の 城邊相 絡む。 時に 田 尻 は 俄の 籠城な ちし 故、 城 中 無勢 

に 依.^ て防戰 難儀に 見えし かど も、 山 下の 蒲 池 近 江 守に 申談 じ、 城内 堅固に 怵 へ 

け, 9。 其 半、 田 尻が 弟 山城 守鑑 乘、. 軍兵 を 率して 溝 ロ薩摩 守が 居所 へ 取 懸け 打 崩 

し、 則ち 引返しけ る處 に、 肥 後の 和 仁. 邊春 • 本吿 以下 潢 合に て、 鑑乘が 勢を擊 

つ。 鑑乘數 度 防戦 を 遂げし かど も、 旣に 難儀に 及びけ る を、 蒲 池 因幡 入道. 同 子 

息 石 見守 駅 付けて 敵 を 追 崩し、 田 尻 勢 恙なく 鷹 尾の 城に 引 入. ぬ。 

1 、 同 四月 十九 曰、 彼 の 徒黨の 內、 西牟田 彌次郞 が 名代 田 河 中 務少輔 兄弟、 聊か 軍用 

ありて 溝 ロ鑑資 が 城へ 赴き、 失よ. 9 三 池へ 打 通, し を、 田 尻 伯 害 守、 伏 草 を 以て 

田 河 中務. 同 民 部 以下 敵 數人討 取り ぬ。 田 尻 勢に も 同名 但馬守 鑑忠. 同大 和守鑑 

房 以下、 高名 手 負數十 人な.. >。 

范池 i^vg 錄起附 下 筑後所 々軍の 事 jH ハぉ 



北 肥戰誌 卷之 十二 鍵 一 

r 此時 同國酒 見下 野 守 も、 豊饒 美 濃 守 一 所 を 以て、 三 池. 溝 口 • 西牟 田と 所々 虎口に 一 

て相戰 ふ。 時に義鎭ょ,.^酒見下野守へ の狀にぃはく、 た 

今度 二:. 池上總 介. 溝 口 丹 後 守 以下、 以,, 西 牟田彌 一 ー郞 同心, 相 絡 候 之 刻、 以,, 豊饒 美 一 

濃 守. 一 所; 於-所々 虎口, 粉骨忠 貞感悅 無, 極 候。 然者 其方 當 知行 酒 見 北 分 六 町 分 一 

之 事 乍-勿論; 聊不 一 相違, 候。 加 恩 之 率 於,, 筑後之 間, 可 茄,, 扶助, 候。 益 I 忠儀ー 

肝耍 候。 恐々 謹言。 乂 

卯月 廿 三日 義 鎭判 一 

酒 見下 野 守 殿 . 

1、 同月 廿八 nn 、田 尻 勢 三 池に 到 b 取 懸け 合戦す • 終日の 軍に て 城兵 引 入. o、 一 兩ー 

人 討死し け, o。 一 

一 、五月十五:!:、^^池武藏守鑑^|、 自身 軍兵 を 率 ゐて田 尻と 勢 を 合せ、 西 牟田殘 黨隱: 

住む の 在所へ 取 懸け 防戦せ しめ、 敵 數輩討 取る。 時に 田 尻 山城 守. 同名 又 四郎、 E 一 

じ 口に 於て 分捕す • . .j 



、同月 廿八 u, 肥 後國小 代實忠 が大友 方に て あ,. > け るに、 隈本 * 大津山 • 大野. お 

仁 .邊 春に、 三 池 親 員 相 加 は. 9、 小 代が 在所 梅 尾へ 取 懸け、 中に も 三 池の 軍士 等、 

小 代 勢と 相戰 ふ。 時に 小 代 大和 守 高名 を 現 はし、 三 池の 家人に 小山^ 下 數十人 

討死し け, 9。 隈本衆 引返く。 

、閏 五月 五日、 府內 よ.^ 筑 後の 逆徒 撿使 として、 輿 導 寺. 佐 藤 刑 部 少輔を 差遣し、 

田 尻伯耆 守が 鷹 尾の 城に 差 籠る。 又 肥 後へ も 離 池 義武. 田 島. 鹿 子 木 以下、 其 外の 

徒黨誅伐として、府內ょ.=^吉岡越前守長增•志賀安房守親泰•小原遠江守親元を差 

遣す に、 此 三老、 今月 三 曰 府內を 打 立ち、 諸 勢 皆 肥 後 へ 打 入り、 小國に 到って 著陣 

し、 近々 小嶽 二重 口に 差 寄らむ とす。 時に 國 侍に は、 城 .赤星*內空 閑. 長 野 • 小 ま 

田. 阿蘇 • 高 知 尾. 小 代 以下、 筑 後に は 雨津江 • 五條 無二の 大ぁ 方に て、 菊 池 義武其 外 

の 徒黨返 治の 事 を 評定す。 

、同月 下旬、 府內 よ,. > の 雨撿使 奥 導 寺. 佐 藤 刑 部 少輔、 田 尻 伯 香 守上筑 後の 輩と 相 

談を 以て、 口 鑑資が 要害へ 押 寄せ 攻め 戰 ふに、 鑑» 泳へ すして 則ち 落城し け 

菊 池義武 蜂起 附下筑 後 所 々軍り 事 ニ六七 



北 肥 戦 誌 卷之 十二 f 

,.^此時、 大友屋 形より ffl 尻への 狀に いはく、 

溝 口 要害 之 事, 、M- 軍勞之 辻, 輙去候 外 閬實儀 祝 著 無 候。 然者三 池 亊者相 支 

候。 自他 之覺 無, 曲 候。 乍,, 辛勞, 急 度 取 詰 可 V 被,, 打 崩, 事賴存 候" 委細 興 導 寺 • 佐 

藤 刑 部 一可, 申 之 旨、 年寄 共 可, 申 候。 恐 な 謹言。 

閏 五月 廿 六日 . 義 鎭判 

田 尻 伯 耆守殿 

一、 七月 十三 日、 田 尻 伯 耆守竹 井原に 於て 相戰 ふ。 弟 山城 守 を 初め 家人 腿 上 新兵 衞. 

眞弓助 八 郎. 東 林寺瀨 11; 仁 三郞. 三 峯小四 郎. 古 賀九郞 三郎、 其 外 中間 三人 庇 を 蒙 

ぶ • 

1 、同月 廿 三日、 蒲 泡武藏 守鑑盛 • 田 尻 伯 耆守親 種 軍兵 を 一 つ に 合せ、 三 池の 家人 小 

今属 合戦 山淨榮 入道が 籠 b たる 三 池 外 郡 今 福の 要害 新開 陣 所に 押 寄せ、 蒲 池 勢、 安危 思惟 

なく 切懸 り、 終: n 合戦し 敵 數百人 討 捕 b ぬ。 時に 淨榮, 防ぐ こと を 得 やして 三 池 

の 域へ 逃 返く。 され ども 其 殘黨、 小山 山城 守 を大將 として 數輩 切って 出づ。 寄 



手 各.^ 最前よ b 構に 著き、 刀 打 を 以て 相戰 ふ。 寄 手 其 日の 頭 人 は 田 尻 山城 守 鑑.辦 

にて 粉 骨 を抽ん で、 同名 兵 庫 入道. 野 田 土 佐 守. 塚 本太郞 兵衞. 金 栗 八 郞次郞 以下、 

手を碎 き合戰 す。 中に も 田 尻 M 張 守 種 任、 比類な く 相 働き、 敵の 大將 小山 山城 守 

を槍下にて討取bた.=^。 斯 か.^ 間、 城兵 小山 對馬守 を 初め 宗徒の 者數十 人、 防ぎ 

戦うて 討死す。 田尻勢にも討死手負若干なh^。 旣に今 福の 要害 破れし かば、 夫 

よ b 蒲 池武藏 守。 田 尻伯耆 守、 則ち 三 池の 城へ 取 懸け 攻め 戰ふ。 時に 蒲 池 三郞兵 

三 池 合戦 衞尉 進んで 城 を 攻め、 城中に宗と賴みたる三池右衞門大夫を討取h^。 其 外分 捕 

高名 樣々 なり。 斯かh^し程に、 城主 三 池 上 總介親 員、 泳 へ ャ城 を遁れ 出で 肥後國 

へ 落 行きし かば、 當城不 En に 落 去し け. o。 斯くて 寄 手の 輩、 城の 麓に て 凱歌 を揚 

げ、 則ち 三 池の 一 族同名親隆入郡して當城に移,.^、 諸 勢 皆開陣 し、 筑後國 の 一 校 

は 愛に 於て 靜 雛す。 

1 。右 一 亂に Kb て、 肥 前國西 島の 橫岳讃 岐守資 誠 • 蓮 池の 小田彈 fi: 少弼鎭 光 .幷 に 

服 部 常 陸 介 方 へ も, 大友義鎭ょり賴み思ふの由、三原和泉守を以て申し來h^し故、 

菊池^^^武蜂起附下筑後所 々軍の 事 11ム 九 



北 肥 戦 fl 卷之 十二 ーーさ 

谷 J 境目へ 出張して、 西牟 田の 殘黨と 相 戦 ふ • 

1 、 近年 大 友よ b 筑後國 へ 守護 代を餘 く。 其 人 數には 豊饒 美 作 入道 永 源. 河內 太夫 • 

齋藤 伊賀 守まサ I 、。水へ 豊饒 美 作 入道. 三 原 和 泉 守 .Is ^。文 玉 豊饒 美 濃 守 鑑述. 小 田 若 

狹守鑑 言. 淼越前 人道 宗智。 s^^ 

1 、今年 天文 十九 年 庚 戌 七月 朔日、 肥 前 國佐嘉 の 城主 寵造寺 民 部 大輔隆 信、 中國大 

內介 義隆の 吹擧を 以て 山城 守に 受頜 す。 

1 、天文 二十 年 辛亥 三月、 筑後國 草 野 鎭眞、 大 友義 鎮の 下知 を 以て、 發心嶽 の 城 を 去 

b 、同名 左衞 門尉鑑 島つ 去年より 出城して 築 河に 在宅し ける が、 則ち 草 野へ 歸,. ^ 

當城 へ 還 住す。 

1 、去年 筑後國 の 逆徒 は卒 均し けれど、 同時に 翁 池 左 京大 夫 義武が 籠 b たる 肥後國 

隈 本の 城 は 落 去せ す • 依,^ て 今年 天文 二十 年の 秋- 大友館 義鎭、 大軍を 以て 自ら 

隈本 を攻む ベ しと、 肥 後 へ 來陣ぁ..^ける に、御船城主甲斐民部入道宗運、急ぎ出向 

ひ是 を案內 し、 翁 池 一 * の 輩 一 々に 攻め 落して、 同 九月 五日、 終に 隈 本の 城 を も 



攻め 干しければ、 菊 池 義武遁 る 方な く 切腹、 0^^^ 肥後國 巳に, 認 す- 



.v^ 切る と- 

大內 介義隆 滅亡お 龍 造 寺 隆信沒 落の 事 、 ■ 

同 天文 二十 年 九月 朔日、 周 防 國大內 介 多々 良 朝臣 義隆、 其 老臣 陶尾 張守隆 房が 爲に 

生害せられ、 百濟國 の琳聖 太子よ. ^5, 來、 當家廿 八 代に して 正に 絶えけ る こそ 淺猿 

けれ。 彼の 事の 起 を 尋ね 聞く に、 義隆 過ぎし 享祿 元年 十二月 廿:! I、 父義輿 逝去の 遺跡 

を續 がれし よ. o、 頻に 朝廷に 昵 近し、 次第に 昇進あって、 大納言 二 品 兵 部 卿 太宰大 

貳に歷 昇..^、 西 三十 三 筒 國の賞 主として、 偏に 上 見ぬ 鷲に 異なら や。 然るに 義隆. 去 

し頃御臺所に後れ給ひ、悲»の涙の中にハ又持明院前左中將^:^親入道 一 忍 軒の 息女 

を 京-より 迎へ 、甚だ 最愛し 給 ふ。 され ど も此 御臺、 素よ.^ 九 S の I 水 帳 紅 蘭に 仁と な 

,0 給 ひ、 目 馴れぬ 田舍へ 初めて 下向 あ,, ^しかば、 霞 立つ 春の 空に は、 寂奠 として 故 

鄕の 花を戀 ひ、 紅葉す る 秋の 庭に は、 罔寥 として 昔の 月 を 忍び、 其 片端 も 思 ひ 慰み 

給 ふ 色な し。 義隆に を 痛ましく 思 はれし かば、 花 洛へ申 送, 9、 月 卿 雲 客の 中に 黻 

大內 介^! M 滅亡 附龍造 寺 接 lliil^^ の iss- § 



4^ 肥戰 fl 卷之 十二 1; せ 一 

島, 絲 竹の 道に 叶 ひし 人々 を、 居城 山 口へ 招 居 ゑ, 雪搔 きこ ぼす 朝 • 雨 添 ふる 夕、 詩歌 

管:^ の 外 又 他事 もな く、 御臺 所の 心 を 慰めら る。 されば 大內 家の 風俗、 是 よ.^ して 

きお-しゃ 

何となく 京 家を眞 似ね 、烏帽子の ため 攀直 衣の 著樣 まで、 皆 花 車 を 好み、 二 向 武士 

の 本意 を 失 へ b.。 玆に 因-りて 老臣 陶尾張 守、 此事を 深く 歎き、 樣 々諫言 を 加 へ しか 

ども、 義隆敢 て 許容な く、 結句 尾 張 守 を 避け 給 ふ。 愛に 於て 隆房 • 恨 を 合んで 忽ち 

逆心 を 挾み、 中國は 申す に 及ば や、 九州 を觸 廻し 一 味の 輩 を 語ら ひける に、 豊 後の 

大友金 前の 城 井. 長 野、 筑 前の 痲生 • 原 田、 肥 前の 少 1^、 筑 後の 蒲 池 • 肥 後の 阿蘇、 其 外 

悉く 尾 張 守に 同心す。 斯くて 隆房 一 味の 輩 を 差 招き、 急に 軍 を 起して 八月 下旬、 山 

口の 館へ 押 寄せし かば、 不意の 4 にて 城 中 周章 ふためき、 冷泉 判官 一人 敵 を 防い 

で、 義隆は 長 I: 國へ沒 落 あ h。 九月 朔日、 御 臺八ム 達. 舅 一 忍 軒と もに 皆 生害せられ 

けり。 i 是に唐 天寶の 古、 玄宗位 を 失 ひ 給 ひし 事 は、 楊 貴 華 淸宮に 入..^ てより、 其 

政 を 怠る 所に あらや や。 義隆是 を 思 當られ ざる こそ % けれ。 斯 かりし 程に、 中國ょ 

b 太宰府へ 居 ゑ 置かれし 守護 代 杉 越 前 守 奥 連 も、 敵の 爲め 自害して 失せた b しか 



睡龜 



ば、 鈸西 にある 大內 旗下の 諸將ゅ 2: 力 を 落し、 少 或. 大友 方の 輩. 大にカ を 得て 九州 動 

搖に 及びぬ。 

1、 愛に 肥 後 國龍造 寺の 家臣 土橋 加賀 守榮 益、 麵ぉ; -水 今度 義隆滅 C の 事 を 聞いて 大 

に 低び、 己 天の 時 を 得た,. 兼ねて 货 はす 隆 信の 大內に 風して あわし こそ 幸な 

れ。 此動搖 に 追 出して、 廳 兼に 家を績 がせ ゆし、 我が身 も榮 華に 誇らむ と. 密に 

同類 共へ 內談 し、 其 旨少武 -大 友の 許へ いひ 送り、 W 頃 nn 隆信を 惡む國 中 十九 人 

の 城 持、 神代 大和 守 勝利. 高木 能 登 守 驚 房. 同名 肥 前 守 胤秀 • 小 田驗河 守 政 光. 八 tlx 

下野 守宗陽 • 江上 左^ 大夫武 種. 橫岳 讃岐守 »誠. "ii? 場 肥 前 守鑑周 • 筑紫 右竭: § 惟 

門. 姉河甄 正忠 惟安. 本吿 左お 助 頼景. 宗兵部 少輔尙 a* 藤 崎 筑前守 盛義. 出 雲 民 部 

大輔 氏忠. 三人の 犬 嫁. 綾部 備前守 鎮幸. 朝日 近 江 入道 宗 «、 其外有111|^後藤.多久の 

輩まで 皆 相 語ら ひしに、 大卒 土橋が 申す に 同意し け .0/ 斯くて 此輩、 頓て龍 造 寺 

の! Id 城 佐嘉を 攻めむ とす。 

1 、 此時小 城 郡 蘆 刈に 德島 左衞 門 大夫信 安と いふ 者 あ, cs。 徳 島に は 養子に て、 赏は 

大,, r 介義 M 滅亡 附龍造 寺隆信 落の 事 1 一お 一 



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仁 打 

俠) 

II &、 



*肥 戦 f§ 卷之 十二 

小 田 政 光の 子な.^。 小 田 は 元よ..^ 少贰 方の 者な b しかば、 此も騷 動に 佐 嘉を攻 

めむ と 思 立ち、 少贰冬 尙の舍 弟 晴氣の 千 葉 介 愿殺を 大將に 取 立て、 軍兵 を 用意し 

け,. >。 然るに 彼の 徳 島が 近邊 に、 鴨 打陸奧 守胤忠 とて 大勢の 者 あ,.^。 無 雙の勇 

士な..^し故、 德 島左衞 門先づ 彼等 を 語ら ひなんと 思案して、 陸 奥 守が 館 へ 赴き 心 

底の 程 を i 忠談 す。 され ども 鴨 打 は、 兼ねて 寵造 寺に 志 を 通せし 者に て、 敢て德 島 

に 一 * せ や。 鬼 角 答べ て 左 衞門大 夫を歸 し、 拆此事 を * 隆 信へ 告げむ と 思 ひ、 急 

ぎ 佐嘉へ 赴きし が、 道に て 屹と思 ひ 出し、 窪 田 民 部大輔 胤豊に 知らせて, 是をも 

同道す ベ しと、 先づ 窪 田が 館 へ 立 寄.^ けり * 然る に德島 • 彼の 鴨 打が 風情 早 推量 

しければ、 遁 さじと 思 ひ 其 勢 六百餘 人、 犇々 と 出立ち、 鴨 打が 先へ 廻って 半途お 

遮り、 鬨を咄 と 作る • 陸 奥 守動轉 せす、 家人せ 〈を 下知して、 徳 島が 軍, 兵と 入 亂れ、 

火 を 散らし 相戰 ふに、 左 衞門大 夫 討 負けて、 手の者 多く 討た せ 己が 館 へ 引退く • 

陸 奥 守が 家人 江 口 若狹守 • 南 里 佐 渡 守. 古賀 因幡 守、 其 外の 者 共、 牛津 江まで 追討 

にし、 鴨 打 も 先づ歸 宅して、 事の 次第 一々 佐嘉 に 於て 隆 信へ 注進す • 



一,^ くて 土橋が 徒黨, 大勢 を 催して « 造 寺の 城 を 取 園み、 口々 を 差 塞ぎて 所々 の 

通路 を 止めけ. 9。 城 中には 龍 造 寺 同名の 一 族. 鍋 島 を 初め、 納富. 小川. 福 地. 江 副* 

安住 以下、 譜代の 輩 相 集 ひて. 取 籠りし かど も、 中々 無勢な,.^ しかば * 防ぎ 戦 ふべ 

き 行 もな く, 討ち 破りて 通る こと も 叶 難く, 唯,網に懣^^し魚の如くな..^。 斯か 

りし 程に、 今 は 早 隆信を 初め、 城 巾の 老若男女、 皆 自害 ある ベ きに ぞ 極まりけ る • 

然る 處に 十月 廿 五日の 夕方.、 邋池小 田 政 光の 老臣 深 町理忠 入道、 城の 大手の 城^ 

へ來 b 案 內を乞 ひて、 納富左 馬 助. 福 地畏門 守 を 呼出し、 對 面して 申しけ る は、 隆信 

公 今度の 御 籠城、 至極 御難 儀の 體愚老 見 及び し、 今 は 敵と 雖も 明日 は 味方と 

なる も 侍の 慣、 痛 はしく 存す るに 依りて ♦ 主の 政 光へ 談合し、 寄 手の 面々 へ隆信 

公 御 安 穩の事 を * 色々 相談 を 致し、 如何にも 無事に 申 調へ て 候 間、 御上 下と もに 御 

心安く、 今夜 當城を 御開きあって、 急ぎ 何方へ も 先づ立 忍ばれ 候へ。 疾 I とぞ 

勸め ける。 納富 .福 地、 則ち 隆 信へ 斯 くと 披露し ける に、 隆信是 を 信用 あらす、 兩 

人へ 申されけ る は、 夫 は 彼の 深 町が 計略 を 以て 我等 を 下城 させ、 城外に て 易々 と 

大內介 義隆滅 亡 附^ 造 寺隆信 ^の^ S 



» ^肥 戦 篛 卷之 十二 二 七お 

計 取るべし との ェ なるべし。 先年 剛忠、 水 ケ江を 下城あって、 一門 悉く 所々 にて 

てだて 

討 たれぬ。 夫に も懲. すして、 此度隆 信、 其 行に 墮 され 尸 を 野 徑に騰 さむよ. o、 

當 城に 於て 淸く腹 を切& むと 申されけ る を、 理忠 聞いて、 重ねて 申し入れ ける は、 

弓矢の 神 も照覽 あれ。 全く 僞に候 はや。 猶御疑 あるべく ば 則ち 愚 老人 質と な. 

て、 城 中 へ 入り 申す ベ しと、太刀.刀を渡して自ら城中に こそ入,.^にけれ" 新 か. 

し 間、 隆 信心 服あって、 然 あらば 狸忠が 申す に 任せて、 先 づ當城 を 去らむ と、 隆信 

を 一 初め 城 中の 上下 老若男女 二百 餘人、 佐 嘉の城 を 出 でられけ り。 時に 天文 二十 年 

十月 廿 五日の 夜な, c,。 斯くて 女 童まで 皆 槍の柄 を 短く 切って 手々 に 提げ、 數萬 

の 敵の 図の 中 を 押 通る。 偏に 虎の 尾を蹈 むに 異ならす。 南の 方 井尾 村に 到 b. 、夫 

よ b 先づ寺 井の 堤津 とい ふ 所に 落 著き ぬ。 され ども いづく に 身 を 寄せて、 誰 を 

S まる 便 もな く、 暫は 上下 呆れて 居たり。 此度、 筑後築 河の 城主 蒲池武 藏守鑑 

盛 聞 付けて、 侍 は 互の 事な. と、 急ぎ 堤 津へ使 を 遣し、 隆 信の 上下 男女 百 餘人を 

筵 河 M 二 蹄 郡へ 迎取 b け.^。 此時佐嘉の侍、國に殘れもぁ..=^• 他國へ 浪人す る 



も あり。 隆 信に 從 ひて 筑 後へ 赴く も あり。 心々 にぞ 成り行きけ, o。 斯くて 隆信 

は、 鑑 盛の 情に て 先年 剛忠 入道の 住ま はれた る 一 木 村に 移り、 原 十. I 惠 俊が 家に 

ぞ 住居 ありけ る。 » 佐嘉の 城に は、 彼の 土橋 加 賀守威 を 振 ひ、 巳が 所存の ffi に * 

寵造寺 左 衞門佐 鑒兼を 城主と して、 其 身 則ち 後見に あ b て 佐 嘉額を 支配し、 小 田 

政 光. 八 II; 宗暘. 高木 鑑房 • 神代 勝利の 家人 を 以て、 代る く當城 を警衞 し、 稠 しく 

e-> ひしけ, cv。 , 

、今年 鍋島駿 河守淸 房の 次男 S 法師 九、 千 葉 介: の 養子 を辭 し、 本庄の 館に 歸 

ら る。 去ぬ る 天文 十 年 一 一、 歲四 歳に て 胤連の 養子と な. ^小 城 へ 赴き、 今年 は旣に 

十四 歲 なり。 近年 養父 胤連 に倶 して 牛 尾の 館に あ. 9 ける が、 聊か 思慮あって、 此 

度舊 姓に 復られ けり。 斯くて 彼の 冠者、 梅林 にて 手 習 あ h.、 鍋 島 家人の 內太 

田 伊豫 守 常に 扈從 す。 

鴨 打 奧睦守 胤 忠隆信 へ忠 心の 事 

鴨 打 降 奧守胤 や 5 降 信 (忠 心の 事 . 



J- 



It 地 信 重 

の 奔走 



> ^肥 戦 諸 卷之 十二 . . M 

翌 天文 廿 一 年 壬 子、 春ょ.=^夏に至.o草木蝗炎、九州大に飢饉して、 萬 民 貧苦に^ り、 

ばぐく 

老いた る 親 を 育み 得 や、 稚き兒 を 道路に 捨て、 上勞 し下窮 し、 餓死す る 者 十に 八、 旣 

に 人種 盖 くる 程な. o。 然るに 今年の 秋 七月 九日の 夜、 有 馬方の 者 共、 小 城へ 亂 入し、 

千 葉 頷 を 侵し 痕藉 す。 依.^ て 千 葉の 家人 等、 出合 ひて 有 馬 衆 を 追 返す に、 仁 戸田 刑 

部 大輔波 佐間衬 にて 討死し け. 9* 

1 、今年 佐 嘉不庄 の 地主 鍋 島 平右衞 8: 尉 淸久. 當所大 明 神より 夢想 を 蒙り、 子息 駿 

河 守と 談合 あり、 高 陽菴の 地を點 じ、 一 寺 を 建立して 菩提 所と す。 惠日山 高傳寺 

是な -。 . 

1、M 造寺隆 信、 去年よ. 筑後國 潴郡 一 木衬に 蟄居 あ. o。 蒲池武 藏守鑑 盛の 哀憐 

を 以て、 一木 村 .小坊 村よ,.^ 諸 色 を 調し、 上下 百餘人 月日 を 送らる * 然れ ども 早 

朝三暮四の 營も 次第に 乏 くな, ぬ。 斯 かりし 間、 福 地 長 門 守 信 重、 斯くて は 叶 ふ 

ベ から やと、 己が 與カ 同名 太 郞左衞 門と 小 林 播磨守 を 召 具し. 小船に て 竊に肥 前 

へ 渡海し、 龍 造 寺の 舊領 與賀. 船 津人上 b て、 鄕長材 岡 « 七 兵衞が 宅に 來 h,、 對面 



すべき 由 を 申す • 衬岡推量して急ぎ外へ 出合ひ面諫しけ.》^* 畏 門 守^き ける は、 

公私の難儀此時な,.^。 兵粳を 加勢 あれと 申す。 藤 七 兵衞打 聞きて、 尤もの 事な- 9- 

さぞ 候 はむ。 急ぎ 鹿 江. 南旱掘 江 以下 舊 好の 輩に 內談 して、 能き に 計ら ひ 申す ベ 

し • されば 此邊は 公の 御 住所 近く 候に 付いて、 頃日 は 高木 鑑房夜 廻に て. 中々 用 

心稠 しく 候。 御邊 と斯樣 に. &す 事、 夢 程 も 露 船 申さば 能き 事 は 候 まじ。 構へ て 

聲し給 ふな。 さ,<^ながら今筲は大雨なれば,敵ょも窺ひ申すまじと、福地•小林三 

人の 者 を 連れて 女房の 閨 へ 入れ、 や をら 少時 隱し 置きけ,..'" » 藤七兵 衞、 與贺鄕 

中 を馳廻 b 、實久 の內上 町の 副 島 新 右衞門 .:1^ 所 本 村の 村 岡 次右衞 門. 鹿 子 村の 御 

厨 安藝 守. 同所の 副 島 式部 少、 下 飯 盛の 吉富主 水 允 等の 村長 共 へ 談合し ければ、 

五 人ながら 皆 同心す。 其 外 鹿 江 遠 江 守. 南 里左衞 門 大夫. 堀江 右 衞門大 夫. 古贺民 部 

德久 主馬 允. 村 岡與三 左衞門 • 久米長 門 守. 飯 盛 備前守 以下の 鄕士共 も 心 を 合 

せ、 隆信 上下 百餘 人の 料 米 諸 色 を 用意して、 福 地に 引渡し、 則ち 藤 七 兵 衞が船 を 

商賣 船に 作, 立て、 世間に は 天草へ 行く と 言觸れ て、 筑 後の 一木へ ぞ差 送りけ 

1^ 打 陸 典 守 瓶 1$ 隆信 へ 事 



北 ffi 戦 誌 ^之 十二 二八 

る • 此扶を 以て、 隆信 少時 筑後國 に 逗留 あ. 然る 處 鴨 打 陸 奥 守^ 忠ノ 如何 

にもして 隆信 を、 先づ 我が 頜內蘆 刈まで 迎 へ たく 思 ひて、 家人 古賀 因幡 守に 人數 

少々 差 副へ、 一 木に 到りて 迎 船をぞ 遣し ける。 隆信 大に悅 め.:.^、 福 池 を 先 づ盧刈 

へ 差遣し、 時分 を m 計..^ 相圆の 火を揚 ぐべ しとい ひ 合め、 其^ は 夫よ 5 1 家の 面 

面. 家中の 男女 皆 相 共に 數艘の 船に 乗り、 蘆 刈の 方へ 漕ぎ 向 はれし 處、 天運 未だ 

至らざる にや。 俄に 暴風 强 くして、 供 船 共 を 悉く 行方 も 知らす 吹 散らし、 隆 信の 

乘船 計.^、 辛々 柳 津留の 入江に 漕ぎ 入らむ とす。 愛に 鴨 打が 別 腹の 兄に、 新左衞 

門 風 賢と い ふ者ぁ.=^。 兄弟 中惡 しく、 是は有 馬 へ 從 ひけ b.。 然 るに 此凰 賢、 隆 信の 

船、 追 付 蘆 刈 へ 著く 由 聞 付けし かば、 急ぎ 佐嘉蓮 池の 輩 へ 注進す。 か.^ し 程に、 

小 田 政 光の 家人 山 田 河内 守 一 騎 駆に 馳せ來 b 、新 左衞 門と 一 つに な, 、极有 iaj よ 

h- 佐留志 へ 居 ゑ 置きし 代官 高 庭 左 馬 助 • 本 田 源 次 郞* 矢 河 何某 三人の 者 共 へ も い 

ひ 合せ、 彼是 數百騎 集 ひて、 柳 津留に 待 懸け、 隆信 唯今 著 船 あらば、 討 取らむ と 我 

れ先 をぞ諍 ひける。 陸 奧守是 を 見て、 事 成ら やと 思 ひし かば、 早速 隆 信の 船に 打 



向 ひて、 事の 仔細 を吿 遺し、 古 賀因幟 守 を船揖 吏に て 本の 如く 筑 後へ 漕 返す • 鴨 

打 新 左衞門 • 山 田 河 內守是 を 聞き、 手の 裏の 敵 を討洩 しけ,.^ と大に 齒を嚼 み、 纏 

て 陸 奥 守 を 討た むと す。 奥州 疾 くに 推量し ければ、 此者共と合戰して詮なき事 

な.^とっぶゃき、塚崎の方へ ぞ退きける。 又 福 地 も 鹿 子 衬に到 b 、御厨 安藝 守 を 

頼み、 下船 津の村 岡 藤 次 左衞 門が 船 を 借,..^、 隆信を 慕 ひて 筑 後の方へ 渡海し け 

隆信 歸國の 事, 

旣に 今年の 冬 も 暮れ、 明くる 天文 * 二 年 癸 a 七月 下旬、 龍 造寺隆 信、 筑 後の 蟹 所に 

於て 老臣 共 を 集め 申されけ る は、 斯く 何となく 月: n を累 ね、 旣に 三年に 及び、 他國 

にあ. 9 て 恥 を S さむ もい ひ 甲斐な し。 何と ぞ當家 恩顧の 者 共 を 相 語ら ひ、 肥 前に 

歸入, 運 を 天に 枉せ、 敵と 勝負 を 決し、 叶 はすば 腹 を 切らむ と 思 ふな.^。 面々 は 如 

何に 思 ふと 申されし かば、 石 井籐 兵 衛兼淸 申しけ る は, 御靛の 如く 斯« に 流浪の 身 

隆信歸 一の 事 . 11 へ 一 , 



北 肥戦讅 卷之 十二 i 

と罷 成.. > 、年月 を 送らん 事、 自他の 視る 目、 誠に 口惜しき 次第にて 御座 候。 されば 與 

賀. 河 副 の 鄕司共 は、 兼ねて 當家 に對し 二心な き 者に て 候。 其 中に も 古 賀民部 一は、 

、夂 越後が 時よ,.^ 剛忠 公の 御 計ら ひに て、 鹿 子 村の 庄官 にて 御座 候。 其 御 懇意 を 忘 

れ ざる 故、 去年 も 忠心を 現し 候 • 然れば 今度 御 歸國の 事、 彼の 民 部が 方へ 仰 下さる 

へ き やと 申す. 隆信を 初め 皆 同意に て、 さらば 使 を 越すべし と、 蜜 信よ, o ま吉 河, 

人、 舍弟長 信よ b は 皁田次 郎右衞 門 を、 古賀民 部丞が 許へ 差遣し、 賴み思 はる S の 旨 

談合ぁ.^。 折節 古賀が 宅に は、 衬岡與 三 左衞門 • 德久 主馬 允 .久 米 長 門 守. 副 島右衞 

門 允 來,. ^集り、 近邊の 天神の 社に 於て 連歌の 會 あ.^" 民 部 も 同じく 一 座し け, o。 

兩使此 所へ 入.^ て、 民 部 を 初め 五 人の 者へ 密に 申しけ る は、 隆官、 It 百 當國に 

り、 敵 を 打 散らして 舊 城に 安堵すべし と、 事 急に 思 立 たれて 候。 各-以前の 好 を 忘 

れ 申され やば、 心 を 一 つに して 與賀. 河 副の 土民 共 を 相 催され、 ー頜. 一 本 域^、 

をお て 合戰粉 骨を堯 されよ。 隆信 本意 を 遂げられ なば、 各.^ への as 貫よ, 申す に 及 

ばす、 土民 等に 對 して は 永代 斗 前半 公事 たるべし とい ひ 間す。 古賀は元ょ,c^別條 



蒲 池武藏 

守 加勢.^ 

遣す 



なく、 K 人の 鄉長共 も 仔細に 及ば ゃ頜 掌して、 彼の 兩使 をば 返しけ. ^くて 司 七 

月 廿日 過ぎ、 五 人の 者 密談して、 近隣の 百姓 共 を 忍び, C に 相 語ら ひ、 筑 後への 迎 

船 武具 • 兵粮 等 不足な く 用意し、^ 與賀 • 河 副の 際、 隆 信へ 志 ある 武士 を觸 廻す。 此 

時 水 町 左 京 助信秀 も與賀 鄕へ來 b て、 鄕 中の 者 を 差 催す。 斯 か.. > し 程に 鹿 江 遠 江 

守. 南 里 左 衞門大 夫 父子 .1 せ 千 石 井 和 泉 守. 弟 三 河 守 • 同 石 見守 • 內 田 美 作 守. 久布白 

又右衞 門. 橫尾刑 部少輔 • 立 河讚岐 守. 堀江 筑前守 • 同右衞 門 大夬. 副 島民 部 少輔. 飯 盛 

備前 守. 石 丸 備後守 以下 馳せ 集.^、 彼此 都合 三千 餘騎、 兵船 を 揃 へ 筑 後に 押 渡.^、 隆 

信を迎 へ て 肥 前 へ 歸ら むと す。 蒲 池武藏 守、 此 事を閡 付け 大に悅 び、 さらば 加勢す 

べしと て、 家人 渡 邊上總 守. 橫田大 膳亮. 萩原 志 摩 守に 二百 餘騎を 差 副へ、 隆 信に ぞ 

屬 けられけ る。 宿の 主 原 十 郞惠俊 も、 三年の 名殘に 三人の 子供の 內、 二人 は 進ら す 

ベ しとて、 一 一男 左 馬 助 .三 男 權兵衞 を隆信 へ 附屬 しけり。 此時、 隆信 申されけ る は, 

1 定 東の 口より 少貳 家の 者 共 打 出で • 海陸の 53 にて 支へ む IJS ふな hN* 計 

らふべき と あ.^ • 福 地 承,. -、 是等を 押へ む 事 は、 菜 計ら ひ 申すべし と、 主從 二三 人 

隆信歸 國の事 



隆信 歸國 



北 肥戰誌 卷之 十二 ま g 

小船 を 下し. 柬肥前 三 根 郡へ 上 b 、當 郡の 一 揆 頭重 松 中^ 丞賴 幸が 續命院 村の 館に 

到 b 、賴 幸に 對 面して 一 向に ぞ打賴 みける。 重 松 仔細な く賴 まれ、 某 御眛方 中し、. 

此 境を鎭 めて 罷 あらんす る 上 は、 東 一 方の 事、 御 心 易く 思 召し 候へ と 安々 と肯 ひ、 

則ち 家人 共 を 召集め て、 東の 口 を 差 固めけ b。 斯くて 隆信 は、 鹿 江 遠 江 守 兼 明が 船 

に召して、七月廿五日、事故なく鹿江崎に著船ぁ.c^。 乾 堂 を 過ぎ 同廿 七日 威德 寺に 

入 b て 旗 を 揚げら る。 兼ねての 相圖 な.. > しかば、 福 地 長 門 守 先達て 與賀船 津へ上 

.9 、村!; 藤 七 兵衞が 宅に あ, て、 火 を 立てし か ば、 副島.||:1^!^村岡.御厨等 の 衬 長 共、 

則ち 火 を 合せ 早速 馳せ集 り、 其 外 增田圖 書 助. 村岡與 三左衞 門. 同名 卯 右衞門 • 古賀. 

徳久。 久米. 金 持 以下 與贅. 河 副の 者 共 悉く 相 集る。 隆信其 勢旣に 四 五 千餘騎 にな b 

て、 江 を 打 渡られ、 實久村 潮音 寺に 陣 して 軍 評定 あ りしに、 衆議 區々 にして 一 決せ 

t f て當 所の 若宮 八幡 に 神樂を 上げられ、 其 神託に 任せられ しに、 軍 を 急に 用 

ひよ と 託宣 あ.^ しに 依 , て、 則ち實久村を立って西小路へ打入,.^、飯盛の城に高木 

能 登 守鑑 房と 神 代の 家人 等が ありし を 追 落し、 夫よ. 隆信, 小 井樋に 陣を 移さる。 



斯くて 高木 鑑房人 下野 守 宗暘、 若 村に 支へ て大 に相戰 ふ。 され ども 八 戶. 高木 一 

戰の 中に 闘 负け精 町へ 引返く。 此時龍 造 寺の 軍士に、 石 井 三 河 守. 同 子息 次 郞兵衞 

進み 戰 つて、. 敵の 首 七つ 取. >、 次 郞兵衞 は 討死し けリ。 斯か b し 程に、 鑑房は 己が 

柬 高木 の 城へ 引退き、 宗曙は 八 の 居城に 楣 籠ち ぬ。 斯くて 隆信 • 所 .", の 軍 に 討 勝 

たれ、 本庄の 梅林 に 入られぬ。 



匕 E ゆ 志 夢 \1 卜 一 1 

隆信歸 阔の事 二八お 



八 戶城落 

城 



4i 肥戰誌 卷 之十ョ 1ー八 六 

北 肥戰誌 卷之 十三 . 



入 戶宗暘 落城の 事 

隆信 は、 梅林 菴へ陣 を 移され、 愛に て 軍の 評定あって、 先 づ八戸 下野 守 宗陽を 攻め 

らる べしと、 本 庄を打 立 たれ 八戶の 城へ 取 懸けら る。 頃 は 天文 廿ニ年 八月 八日な 

b。 斯くて 龍 造 寺の 老臣 小河筑 後守武 純. 納富左 a? 助 信 悬. 福 地 長 門 守 信 重 以下、 隆 

信の 下知 を 蒙, 9 て 谷.^ 進み 戰ふ。 城 中に も 兼ねて 用意した る 事 なれば、; S 代 勝利、 山 

內ょ. 9 加勢に 來 b て 本丸 を 守 b、 城主 宗暘は 二の丸 を 持って、 伊東. 諸 熊 • 光岡 以下 

の 數百騎 を 差 出し 防ぎ 戰ふ。 愛に 宗暘が 棟と 憑み たる 浦 ケ部常 陸 介 をば、 福 地が 手 

に 生 捕りた, c,。 其 外 城兵 多く 討死して、 旣に城 In' 口 破れむ と 見えけ る處 に、 神 代 勝 

利の 方より 和平 ありた きの 由、 福 地が 陣へ 申されし かば * 信 重是を 披露し、 隆信 




隆 
信 
歸 

城 



諾 せられて、 其 使に 福 地、 卽ち 城內へ 入.^ ける 處に • 小 raa にて 矢の 手 を ft ひげ 

b。 斯くて 八 芦. 神代 兩將 ともに、 小 城 を 出で 隆 信に 面 謁し、 城 を 明 渡し 總構を 崩し 

て、 城主 宗陽は 勝利 を 連れて 山內 へ 引 入 b け. =>。 其日隆 信、 敵の 端 城 七 筒 所 攻め 落 

さる。 斯か b し 程に、 佐 嘉の城 を警衞 せし 小 田 駿河守 政 光、 連 池の 城へ 引退く • 斯 

くて 隆信、 其 威 龍の 水 を 得た るが 如く、 頓て 佐嘉の 城に 歸 b 入られけ り。 然るに 此 

二三 筒 年、 愛 かしこに 隱れ 居たり し « 造 寺の 一 族 家 < 早速 馳せ集 悅ぶ事 限 りな 

し。 

小 田 政 光軍附 和平の 事 

隆信 旣に歸 城せられ て 後、 城 原の 江上 ゃ攻 むべき、 逢 池の 小 田 や 返 治せむ と 譲せ 

られ ける に、 九月 廿 六日、 江上 は 降 參の由 * しければ、 さらば 小 田を攻 むべ しとて、 

七月 八日 小 田 職 河 守 政 光の 達 池の 城へ 奴 懸けら る。 其 夜 明、 先 づ隆信 は 井尾 を 本 

陣 とせられ、 愛に て 評定 あちけ るに、 定めて 政 光、 城よ.^ 切って 出づ べし。 然らむ 

八 戶宗暘 落城の 事 小 田 政 光軍附 和平の 



蓮 池 城 合 

戰 . 



北 肥 3 卷之 十一 11 二八 八 

時 は、 龍 造 寺 左 馬頭 信 周、 一 備北の方ょ..^週って政光が跡を取切h^、又兵庫頭長信、 

南の 方よ b 域の 大手 駕輿丁 口 へ廻.^、 短兵急に 攻め入る べしと 評議 を 極め、 八日の 



ま 



ビ JmiiH 



し、 南北 二手に 分れ、 隆信は 旗本に て 井尾の 陣を發 し、 靜に兵 を 進めら る。 



旗本の 先手 161- 渡 越後 守榮 信、 先度 若 村の 合戦に、 手に 合 はざる を 無念に 思 ひ、 頻に 

旗 を 進む。 城 中に も 手 分 をし、 一 陣は江 口 源 世 入道. 1 一陣 は 深 町理忠 入道と 定め、 城 

中 を 押出す。 然るに 夜 も旣に 明けむ とする 頃、 北の方よ.^ 神 崎の 本吿 與次郞 義景、 

其 勢 三百 計.^ 矢 車の 旗 を 靡し、 小 田に 加勢し、 隆 信の 本陣 を 目に 懸け 切懸 る。 是を 

見て 北の方に 控 へし 龍 造 寺 左- 頭、 筋 違に 來 b て 本 吿と亂 合 ひ 犬に 相戰 ふ。 本吿 

が軍勝に乘..^、佐嘉勢早負色に見ぇた..^し處に、^渡越後守と本吿與次郞と組んで 

落ち、 上 を 下へ と 返し、 與次 g:,-:^ に 下にな.^、 越後 守、 其 首を搔 かむ としけ る 時、 本 

吿、 あら 口惜し やと: JtT 渡が 右の 小指 を 喰 ひ 切, 9 ぬ。 され ども 越後 守、 押へ て 首 を 取 

,.>け,0^。 木吿 がー 勢、 大 將を對 たれ 叶 はじと や 思 ひけむ。 悉く 崩れて 引返く。 然 

れ ども 小 田が ゆ W 江 口 源 世と、 二 陣の深 町 理忠は 退^す、 兵 を 進めて 左 馬頭と 相截 



ふ。 斯くて 兵 庫 頭 長 信 は、 昧 方の 戰 ふに 目 を 懸けす、 南に 廻って 驚 輿 丁 口へ 攻め入 

K 火 を 散らして 相戰 ふ。 時に 城 方よ, 9 崎 村の 犬 塚 左 近 大夫鑑 直. 蒲 田 江の 犬 塚 

民 部 大輔尙 赏:. 度 鳥の 犬 塚 左 衞門大 夫鎭尙 等馳せ 來.. ^、小 田 勢に 加 は b て 散 々防戦 

to 然るに城キ;政光は、未だ城を守h'て出でざ..^しが、合戰難儀と見けるにゃ。 士 

卒を 下知し 眞黑に 切って 出づ。 小 田 右^ 大輔利 光. 同名 掃 部 助 を 初め、 山 田河內 守. 

原 河內守 • 菌田三 河 守 • 內田治 部 大輔. 吉島新 七 郞. 末次與 七郞. 橫山 • 大隈 以下 の ^ 

共、 政 光の 左右に 相從 ひ、 佐嘉 勢と 相戰 ふ。 此時、 軍烈 くして 寄 手 若干 討死 t 戰ひ 

半ばな し 時、 政 光 己 は 愛 を 打 捨て、 手勢計..^を引勝h^、 健 兵 t^w 餘人を 以て、 其 行 

伍を亂 さす 隆 信の 旗本へ 切 S る。 是を 見て 寵造寺 一 家の 輩、 共 外 小 河. 納 富. 福 地. 江 

副. 安住. 馬 渡. 秀 島. 立 河. 石 井 • 鹿 江. 南 里. 副 島 以下 旗本の 者 共、 我れ 先にと 戀合 はせ 

政 光と 相戰 ふ。 時に 政 光の 士卒 大きに 勵み 撃って、 寵造寺 方、 四度路 にな h^、 南 里 

左衞門 大失國 有. 同 治 部大輔 有 • 同 左 馬 大輔信 有 • 同宫 內少輔 父子 兄弟 四 人、 手勢 を 

引分け 戰 ひしが、 小 田 掃 部 助を對 取.^ て、 父子 三人. 郞從 三十 餘人皆 一 所に て た 

小 田 政光附 和平の 事 



隆信 TiJ 光 

^平 



* 肥 戦 誌 卷之 十一 二 § 

れ、 左馬大輔は深手を負ひて半死半生な,.^。 福 地 長 門 守 信 重 も、 一 族 若黨引 具し 

て、 命 を 際に 相戰 ひ、 膝 口 を 槍に て 突かれ、 肱 肩 を 三 所 射させて 働き 得 や。 秀 島主 

計 允 も 鐵炮に 中る。 水 町 左京亮 進み 戰ひ, 北 島 河 內守分 取し • 犬 塚 八 郞次郞 は 討死 

して、 敵 も 味方 も 入 亂れ、 火 を 散らした る合戰 な. y。 然るに 寄 手、 や X も すれば 追 

立てられ、 隆信も 其體^ 屈して 見られし に、 倉 町 1& 刀 信 家、 ぃづくょ.^求めけむ。 

獨酒 を持來 b 隆 信に 進む。 隆信、 忽ち 倉 町が 一 K ^に 機を增 し、 頻に 采配 を 揚げられ 

しかば、 佐嘉 勢. 足 を 立て し 十 死 一生に なって.? 戰ふ • 時に 小 田が 軍兵、 少時 泳 

へ てお えた. ^しが、 終に 合 戰利を 失 ひ、 討た る 者數を 知ら や。 中に も 江 口 入道 は、 

石 井 三 河守忠 本が 爲 めに W たれ、 菌 W 三 河 守 は 安住 石 見守 秀能。 秀 島河內 守に 相 討 

せられ、 柬島彌 九 郞は衬 岡 卯右衞 i: に 討 取られけ..^。 期 かる 處に、 駕輿丁 口に 向 は 

れたる寵造寺-ぉ庫始1に、鍋島駿河守馳せ加,..^、此ロの軍、寄手大に利をぎし" 城方宗 

徒に 賴 みたる 犬 坂 左近大 夫。 同名 左 衞門大 失 W 下 三百 餘人討 たれし かば、 駕輿丁 口 

旣に 破れて、 寄 手 悉く 攻め入.^ ぬ。 斯か し 程に、 政 光 令 は是 までと 士卒 を 引 揚げ 



城 中に 入る。 斯くて 雙方 衆議あって 和 調 ひ、 合戰を 止めて 信 佐 嘉に歸 » せら 

る。 

龍 造 寺鑑兼 以下 浪人の 事 

降 信、 再び 佐 慕の 城に 居住せられ、 同 十月 巾. r 龍 造 寺 左衞門 佐鑑八 i の水ケ 江を沒 

收 あ"。 鑑兼 すべ き樣 なく、 水ケ 江の 城 を 立って 筑 後の方へ 浪人し け.. され ど 

も此 人、 元よ. e 一 族と いひ、 其 ヒ隆 信 妻室の 兄な りし かば、 同月 廿六 n、 石 井藤お 

衞. 村 山內藏 助。 鷲 崎 主 水 允。 西 岡慶. ^入道 を賴 み、 兵 庫 娘 長 信の 許まで 一 封の 書 を 送 

,0、 今度 土橋が 逆 意の 琳、 鑑 兼に 於て は 聊かお 知 仕らざる. H、 先非 を 悔い «々懇望 

あ. しに 依って、 此度 の 不義お 免せられ、 頓て 歸國 あ b け, 。 » 逆 意 の 張 本人 土 

加 賀守榮 益 を搦 捕, 9、 罪 を 鳴して 首 を 刎ねら, つ。 又 土橋が 相談 人 西 村 美 USI 守 は、 加 

瀬の 借壻 閻を賴 みて 詫 言し ける 故、 其 科 を 免され、 龍造セ 越 前 守 家 就 つ は S 木 

村に 蟄居し け, CN。 是ょ b して 隆信 は、 鈉富石 見入 gs- 道 周. 小 河筑後 守武 純. 江 副 安 S 

. 儸造 寺鑑 V ま 以下 1^ 人の . _ 



^00 卷之 十一 11 

守 久苦を 以て 執權と 定め ^兄 兵 庫 頭 長 信 を、 鑑 兼の 跡水ケ 江の 城へ 据ゑ、 

庶子 流剛忠 入道の 遣 跡と し、 其 長 臣には 石 井 g$ もへ 衞兼淸 を 尾 張 守に なして、 福地藏 

人 坊.吉 岡藏人 とともに 附屬 せられけ,.^。 

肥 後 國南關 軍の 事 

今年 天文 廿ニ 年の 夏、 大友 家の 老臣 小 原 遠 江 守 親元 入道 宗惟、 逆心 を 挾み 肥 後國南 

關に楣 籠る 由 風聞し、 府內へ も 其 聞え あ b けり。 抑.^ 此遠江 守、 名 は 四 郞左衞 門 

とて、 前 大友屋 形 義鑑の 近臣な. しが、 當屋形 義鎭の 代に な b て、 去る 天文 十九 年 

の 夏、 翁 池 義武ー 亂の 時、 其 討 手と して 志賀 安房 守 *吉 岡 越 前 守と 同じく 肥 後へ 發 

向せ し 後、 如何なる 恨 や あ. けむ。 之 を 知ら ャ。 斯くて 大 友義 鎭、 是を 誅伐 あるべし 

とて、 先づ 彼の 宗 惟に 一 * せし 本 庄. 中 村 を討果 し、 扨 肥 後 .筑 後の 輩へ 下知 あ. し 

かば、 肥 後 衆に は 城 越 前 守 親 冬. 赤 星 筑前守 重隆. 西 鄕鑑孝 以下、 W 又筑後 衆に は、 蒲 

池武藏 守鑑盛 .ffl 尻 又 三 郎鑑種 を 初め、 同 五月 六 H、 頓に宗 惟 入道が 居所 南 闢へ取 



4- 原宗惟 

す-七 

瞿歹 



懸け、 筑後勢 は 鷹 野原 口 、肥 後 勢 は 小路 口へ 押 結め て、 翌 くる 七 H 終日 合戦す- 同 

八 B 、宗 惟是 までと や 思 ひけむ。 妻子 を 害 レ其身 は 大手 口へ 切って 出で、 筑後 勢に 

相 向 ふ。 其 風情、 あ.^ たり を拂 つて 中々 近づく 樣も なし。 され ども 蒲池彈 正忠、 一 

群に 宗 惟と 渡り合 ひ、 火 を 出しで 戰 ひしが、 立 所に 討 たれぬ。 其 次に 田 尻左衞 sr 

宗 惟に ffi 合せ 命 を 捨て 相戰 ひ、 是も 矢庭に 討 たれた.^。 旣に 合戦 烈しく して、 敵 味 

方の 討死 數を 知らす。 夫よ.. >宗 惟 町 口 を さして a 出で, 肥 後 勢へ 切って 懸る。 時に 

し M し 

城 越 前 守、 少時 戰 うて 自身 疵を 蒙る。 其 次 赤 星 筑前守 請 留め 栩戰 ふに、 宗徒の 輩 多 

く疵を 蒙. て、 合戦 難儀に 見えた, けり。 然る 處にノ 西鄕鑑 孝、 宗 惟と 渡. C 合ひ宗 

惟 を 討 留めけ り。 此時、 雙 方の 武勇、 見る 者 皆 舌 を 振 はぬ はなし" 斯くて 肥. 筑の寄 

» かち; 5-..:, 

手兩: :! の 中に 强敵を le- げ、 朥鬨を 揚げて 則ち 歸陣 しけ hN。 

高木 鑑房 沒落附 生害の 事 

天 か 廿: 二 年 甲 寅 三月、 龍 造寺隆 信、 高木 能 登守鑑 を 征伐 あるべし と、 軍兵 を 率し 

配 後 S: 南關: 阜の事 髙 木鑑! 附 生害の 寧 



北 肥 戦 fl 卷之 十三 

て佐嘉 の, 居城 を 打 出 でら る。 されば 彼の 鑑房 は、 天兒 3lg 根 命の 御 末 巾關白 道隆に 

は、 廿 一 世の 苗裔に て、 昔 は當國 一 の 大名な り。 され ども 巾 頃、 北 條時賴 入道 最明 

寺 殿、 諸 國抖戴 の 、當 家の 先祖 聊か 竦 略 あ b しょ. 家衰 へ 、 其 上 今 の 鑑房. 去 る 天 

文 十七 年に、 仔細あって 他國へ 浪人し, 近年 歸國 したる 後 は、 僅に 先祖の 地 肥前國 

東 高木 を 知行して、 卽ち 高木 村に 在 城し け...。 然るに 此鑑房 ノ房カ 萬 人に 勝れ、 早 

業 は 江 都が 勁捷に も 超え、 打 物 は 樊噌。 張 良に も 恥ち す、 其 上 魔法 を修し 天の 妙 を 

得て、 ある 時は閽 夜に 口 月 を 現じ、 ある 時 は 酷暑に 雪 を 降らせ、 大空に 立ち 大海 を 

飛び、 其 IS 爲 更に 凡夫に あらす。 元服の 時 S 後へ 申 送り、 大 友義 蜜の 講字を 受け 

て、 太郎鑒 兼と 號す。 其後寵 造寺鑑 兼と 一 名な. し 故、 鑑 房と 改名し けり。 赏は龍 

造 寺伯耆 入道 日 勇の 嫡子 高木 右京 大夫滿 兼が 家督な.^。 g^glllpl 子 然るに 鑑房、 

期く ig ゆれ ども、 軍 は 時の 運に 依る にや。 去年 八月、 精 町の 軍に 打 負け、 高木の 城 

に 引 入. ぬ。 斯くて 鑑房、 此度寵 造 寺の 軍势寄 * るよ と 聞え しかば、 急ぎ 手の者 を 

引率し、 三 溝 口へ 出合 ひて 散々 に相戰 ふ。 時に 龍 造. 一 寸の陣 よ. H まの 十六 七と 2 ル 



高木 鑑房 

龍 造 寺に 

和平 vH 乙 



鑑房前 5 

家 定に殺 

さる 



ぇたる淸げなる若武者*鍋島左衞門大4Kと名乘.^て唯 一 騎眞 前に 進み, 敵に 當る事 

千變萬 化せ b。 鑑房も 士卒 を 下知し 勵み戰 ひし かど も 、隆 信の 軍士、 雲霞の如く 競 

ひ赏 b 、竟に 鑑房打 負けて 柬高 木へ 引返き、 子供 を 質 人に 差 出し 和: 牛 を 乞 ひけ, 

是を 見て 西 高木の 城 キ; 高木 肥 前 守^ 季も、 同じく 降參 しけり。. 其 後 鑑_ 房 は-件 島 は 

佐留志 へ 赴き、前田$-豫守家定を賴みて居た,.>しを、尋ぉの者ならばま〈^||差置かる 

べき 事 なれ ども、 彼の 鑑 房が 行脏、 隆信も 末々 如: 1: と 思 はれし かば、 樣々 前 田を賺 

され 終に 討 取られけ ると ぞ えし。 樣を » へ閒 くに、 彼の 鑑 生に 因果 左 

衞 門. 不動 左衞 門 とて *ナ 剛の 力ぶ 二人 身 を 離さす 召 仕 ひけ. o。 然るに 鑑: S 、頃: n 前 

田が 館に あ-. > ける 時、 ra* 左衞門 をば 祕藏の 笛 を 取りに とて、 葡: g 高 水へ し • 不 

動左衞 唯 < 一 人召具して、新開邊へ鷹野に出でけ,0^。 W 朝飯 過ぐ る-: 前 田が 家 

に 歸.. ^緣に 腰 を 懸け、 不 働左衞 門に 足を冼 はせ 居た 6 し處を * 前 田 豫守、 兼ねて 

隆信 の 內意を 得て、 時分よ しと や 思 ひけむ。 密に 後へ 立 廻. t:^ 刀 を W て鑑 が 背 

を 討 落す * 時に 其骸立 上.^ * 小鳥と いふ 名劎 やばと 拔き、 足 を 洗 ひし 不勸左 衞門を 

*_«木鏗房沒落鲋 虫害 事 



北 戦 lis 卷之十 一 一 一 § 

懸らゃ 切って 落し, 夫よ. 廣 間へ 駆け登り 奥へ 切って 入る • 稀代の珍事な.=^しか 

ば、 左右な く 近づ く 者 もな し。 され ど も 前 田が 家人 數十 人、 檢. 長刀 を 以て 四方より 

あら ひど 

刺 貫きて 押 臥せけ h^。 W 彼の 骸を 佐留志 山の頂に 葬りぬ。 今の 代まで も、 荒 人 神 

に 崇めて、 野人. 村老、 所願 を 祈る に必す 成就す るな..^。 斯 かる 鑑 房が 子供 二人 あ 

り。 隆信、 懇志を 加 へられ 、父が 所 煩の 內數百 町 を 給 はりけ,...。 兄 は 左 馬大輔 1g 房 

とて、 天 正 十 年の 冬、 筑後國 la 原に て 討死し • 弟の 大榮 入道 は 同 十二 年の 春、 島 原に 

於て 隆信 とともに 戰死 しけ, x>。 

一 、 隆信 • 筑 後よ 歸城 以後, 天文 廿四 年に 至,. >、 小 田. 高木. 八 1 户. 神代、 或は 和平し 或 

は沒 落しければ、 佐嘉の 城下 靜謐 す。 斯 か,^ し 間、 蒲 田 江の 城主 犬 塚 民 部 大輔尙 

赏も、 龍造寺に隨ひ隆信の妹壻とな..^、 巨勢,田尻.千住以下、 皆龍造寺に相從ふ。 

1、 去年よ. - 今年に 至って、 異國へ 日本より 亂 妨の爲 め、 船の 渡す 事數 千般な..^ • 

大友少 贰の事 , 



天文 廿四年 乙 卯 改元して 弘 治と 號す。 然るに 中 國の陶 尾 張せ 隆房, 主君 義隆を 殺 

して::.: 來、 大內 の領內 悉く 押頜 し、 豊 後へ. S. し 送り、 大 友義 鎮の舍 JfS 三郞を 申請け、 

大內左 京大 夫義 長と 名乘ら せ、 隆房も 直参して 公方の 御詠 字 を 給 は.^ 晴 賢と 改む。 

愛に 毛利備 中守隆 元は、 故義隆 の娃壻 とい ひ、 其 上 遺言 あ,^ しに 依.^ て、 父の 元 就 

に!^ 合し、 彼の 惡黨を 返 治すべし と、 義 fi 幷に晴 賢と 義絶 あ.^ • 合戰數 度に 及び、 

今年 間 十月、 竟に兩 人 を 誅伐 あ.^。 右合戰の宇ば肥前城原に於て、少^^冬尙のカへ 

毛利隆 元の 狀に いはく, 

〔中〕 

諜而 言上 候。 抑. 《大 內幷陶 尾 張 守 晴賢與 我等 之 鎖、 去 夏以來 分- 義絕; 當國 所々 

大內方 諸 要害 西 條神頜 無, 殘切取 候。 此 時豊. 筑之事 被, 成-御 亂入; 御 累代 之 可 y 被 

, 達-御 本意, 事 可-目出度, 候。 此旨可 ^ 然様 可 y 預,, 御 披露, 候 • 恐々 謹言 • 

九月 十日 備中守 隆元判 

謹 上 少貳殿 之 人々 御中 

「化 時 大友左 衞門督 義鎭、 西に 威 を 振 ひ 九州 大半 知行して、 先 組 代々 の 居所 豊後府 

大友 少^の 事 B 



大 友の 三 

大老 六泰 



少 1^ 龍 造 

寺 不-^ 



北肥戰51^| 卷之 十三 ユル八 

內に住 城し、 旣に 勅宣 を 蒙,. > て從四 位に^ し、 分國七 州の 兵: 凡そ 三十 一, 呙騎、 其 

醴を受 くる は 二八 月の 朔 H な. o。 府內の 三 大老と いふ は、 in 次 伯 耆守鎰 寧: n 杵 

越 中 守鑑速 • 吉弘左 近 大夫鑑 理。 叉六舉 行と いふ は志賀 安房 守 親 泰. 佐伯紀 守 

惟敎. ^岡 越 前 守 長增。 栲網三 河 守 親 度。 m 原 近 江 守 親 賢 .田 北大 和守鑑 生な り。 時 

に 肥 前の 少貳屋 形 冬尙。 11^4: 弟 政 與も大 友と 親しくして、 父 資-兀 の 家 を 興し、 三 

极. 養父. 神 崎 を 知行 あ.^。 冬 树は城 原、 政與は 綾部に 兄^ 雨 城に 分れて 居住 あ,. -。 

少贰 li 代の 輩に は、 馬場 。橫 岳 。筑 紫。 江上 吿。 島. 朝日 出 寧 姉 河. 犬 寧 光 益 を 

初め 葡 好の 北 ハ、 二心な く少 威〕 チぜ 守護し、 其 外 高來の 有: 越 前 守 入道 仙 岩 • 小 

城の 千 葉 介 胤賴、 少貳に 一 して 诚 原に 事 を 通 や。 少貳 と寵造 寺、 此 時に 至って 

彌< 不和な.^。 . 



隆 © 重ねて 神代と 鉢 循の事 



W 造寺隆 信、 去々 年の 八::;、 八 li^ の 城 を 攻められし 時 • 山內の 地主 神代 勝利と 和 



ありし 故、 佐嘉と 山內無 5^ な. o し處 に、 今年 弘治 元年に、 又 手 切して 兩家 w び銶概 

しけ. 9。 其 仔細 を尋 ぬる に、 過ぎし 二月 1 初 句、 隆信使 を 山內へ 造し、 勝利の 許へ 巾 さ 

れ ける は、 國中 計略の 爲め對 面 を 以て; g 合 申した き 事 候 間、 佐嘉 の 多 布施に 出き ひ 

給へ。 付いて は饗應 申すべし と 申 送られけ b 。勝利 も 物騒がしき 時分に て、 如何と 

は 思 ひながら、 懼 るべき にあら やと、 江 原石 見守 • 福 島 伊賀 守 阿合坊 とい ふ 大剛の 

すぐ 

者 を-溯め、 其 外 家人 を 勝って 召 連れ、 多 布施へ 赴き、 隆 信に 對面 あ. 0。 斯くて 談合 

事 終.^ 饗應 過ぎて、 勝利 は^ 內へ歸 城 あ.^ け, o。 然るに 此時 • 如 :!: なる 者の いひ 出 

しけむ、 今度の 饗 膳に 龍 造 寺 家人 等、 勝利 を 毒 飼すべし と 巧け る 由 ゆし, 觸し け. o。 

是ょ. 佐 嘉と山 內又手 切して、 互に 刃 を W ぎ 牙 を ® みけ,^ P 



城 原 攻せ小 河 筑後守 神代 勝利 を 楝む事 

弘治 元年 乙 卯 三月、 龍 造寺隆 信. 少貳 冬尙の 居られた る 神 一 酙勢福 寺 城を攻 むべ しと 

して 、佐嘉 を 打 出 でら る。 此 折節、 冬い ち」 三 根 邵:: の 城に ありて、 ,一 i 土寸 城へ は 

. ^^,£重れズ神代と鉢循の^ 城 原 攻井小 H 筑" f 神代 勝利. ん」 楝む it . 



隆信城 原 

, ^攻む 



寺 *v 陷る 



北肥戰 卷之 十三 S} 

江上 左^ 大輔武 種 花 城し け 然 る に隆信 は、 先づ 姉 河 彈正忠 惟安 を相從 へ 、 彼等 

を案內 者と して、 城 原 勢; S 寺へ 取 懸けら る。 先手 は 小 河 筑後守 信 安誠 毅呼. 納富 

左- il-—. 信 景.; g 地 長 門 守 信 重な, os。 時に 祌代 勝利、 江上に 合力の 爲め山 內を發 し、 勢 

福 寺の 西 猿 岳に 來,.^ て陣を 取る。 隆信、 敵 城の 體を 量って、 先づ小 河筑後 守. 鍋 島 左 

近 將監。 寵造寺 石 見守 を 以て、 勝利の 猿 岳の 陣を 押へ、 さて 勢 福 寺 城 を 攻めら る。 騮 

地 長 門 守 は、 大手 南の 口へ 押 寄せて 少時 戰 ひしが、 城の 地 利 を 見て、 此攻ロ をば 與 

す ぐ 

力 手の者 七 百 餘人を 以て 差搦 め、 己 は 小勢 を 引 勝. 9、 竊に 東に 廻 b 水路よ, 攻め入 

て、 城 內に火 を 懸けたり。 斯か し 程に、 城主 武種 防ぐ 事 を 得すして、 城 を 出で 

仁 比 山に 返き け.^ • &小 河筑. i 上す 鍋 島 左 近 將監. 龍 造 寺 石 見守 は 、神代 勝利の 陣所 

猿 岳 を 攻めむ とす。 勝利 一戦に 及ば やして 山 內へ引 入,.^ け b, 斯くて 隆信、 不日 

に 勢 福 寺 城 を 攻め 落し、 勝鬨を 揚げて 佐嘉 へ 歸陣 あり。 

1 、 同 三月 下旬 • 神代 勝利、 山 內を打 出で 龍 造 の近邊 まで 相 働き、 所々 に 放火し、 

己が 出城 千 布の 土 生 島の 要害に 入 b け.^。 然るに 其 頃寵造 寺の 诚 中には、 隆信、 



近臣 等 を 集め 樣々 物語 あ b ける 中に、 隆信 申されけ る は、 我等弓箭を執..^ て 常時 

懼 るべき 敵な し * され ども 愛に 神代 勝利と いふ 者、 堞墻の 中に ありて、 隆信が 

障となるな..^- 如何にもして 彼等 を 討 取るべき 計略 こそ あちた き 事 なれと 申さ 

れしを、小河筑後守承,.^、御靛の如く彼の勝利と申すは、機篇飽くまで尖に、前に 

あるかと 見れば 後に あり。 左に 現 はる、 かと 見れば 右に 隱る。 然れ ども 又此筑 

後 守 も 劣るべき. に 候 はや。 頓て 彼奴 を 易々 と 討 取り、 公の 御 目に 懸く べしと 申 

して、 其 席 をぞ; ^きけ る。 斯くて 其 頃 勝利 は、 千 布の 城に ありて 雨 強く 降 風烈 

はしため 

き 夜、 家人せ X を 集め 酒宴して 居た.^ し處 に、 ある 下 湯殿へ 行きし が、 走.. >歸 

て 大息つ き、 如何なる 人 やらむ、 大の 男の 湯殿に あ. とい ふ。 勝利 打 聞いて、 い 

と騷 しき ぞ。 其 男 は 龍 造 寺の 一 の^^小河筑後守にてぁるべし。 誰か ある。 殿へ 

行き 勝利 唯今 酒 KM 宇ば なり。 筑後 殿に. - 愛へ * り、 酒呑み 給 へ と 申す ベ しと、 だ 

ぶ だぶ と 一 盃- 受け、 筑 t さ寸 へさ、 むと ぞ待 たれけ る。 家人 共是を 聞き、 如何と は 

思 ひし かど も、 湯殿 を 見る に實 にも 敵の 小 河な, ov。 筑後守 は 宵よ hs 忍び入 b 、勝 

城 原.^ 井 小 河 筑後守 祌代將 利.^ 揀む事 §1 



神代 家の 



北 肥戰誌 卷之十 3 ー§ 

利を擇 びし 處に、 顯 はして 本せ; を 遂げ や、 其 上 彼の 使 を 得 口惜しと は 思 ひなが 

ら、 些とも 騷がャ 則ち 鹿 敷へ, m で * 勝利の 盃を 引受け 吞み、 思 ひざしと 申す ぞ大 

和 殿と、 勝利 へ 返盃し、 拳 を 握. - 齒を嚼 みて、 龍 造 寺 へ ぞ歸. ける。 勝利の 大器、 

筑後 守の 勇剛、 聞く 者 舌 を 振 はぬ はなし。 

神代 家 由来の 事 . , 

肥 前 國出內 の 領主 神代 大和 守武邊 朝臣 勝利の 由來 を、 如何にと 尋ね 開く に * 先祖 は 

人 王 八 代の 帝 孝 元 天皇 第三の 皇子 逢 太 忍 信 命の 御子、 屋 主忍武 雄心 命の 男 玉垂命 

の 苗裔に て、 元は 筑後國 の 大名な, o。 玉鋈命 を 武內宿 漏と 申す。 *人* 其 齢 二百 九 

十五 歲の 景行 .成 ,仲 ー找. 神 功。 應神 • 仁徳 六 世の 帝に 仕へ、 三韓 を 征伐して 天下 

に 大功 を 立て、 仁徳 天 S 五十 五 年 丁 卯に 襄逝 まし I 筑後國 御井 郡 吉晃嶽 の內靑 

山に、跡を垂れ給ふ高良大明祌是な,.^。 父武雄命は、又肥前國杵^^;^郡塚崎庄へ現は 

れ まします。 卽ち武 雄大 明 神な り.。 然るに 武內 宿禰に 三人の 子孫 あり。 一は 大明 



神に 仕へ、 神職の 器 を 受け 大祝 部と な hz 代 々凡俗ながら 録山 大^: t と 巾す * 家紋 

(マ こ 

木瓜な. o。 二 は 一山の 座主に て、 朝家の 御所と なる。 家紋 一二 巴な. o。 三 は 武器 を 

得て、 子孫 弓箭 を 執 神代と 號す。 旗の 紋立 龍の 形な り。 されば 神 功 皇后 三 御 

征伐の 時、 武內是 に 仕 へ、 筑 紫へ 下向 あ, しょ .9、 當家筑 後に 住する 事、 星 旣に 一 

千餘 年に 及びぬ。 然るに 文治 元年 乙 巳、 祌代a光が時、吉見に£^Fm:??ょ..^始めて、 

、リ 17 V 

同 國祌代 村に 移.^ 住す。 夬ょ b 四 if を 過ぎて、 同名 民 部少輔 良忠が 代に、 文 永 十一 

年 a. 戌、 異 M の 蒙古 攻め 夾 ちし 時-折節 一 使 川お 一お トぽ f;;』。 い is れ吓 のの 渡 水 2? 

して、諸國の人竭渡る事を得ゃ難碳成.^しに、 彼の 良忠が 計ら ひに て、 俄 に 假橋を 

架け、 諸 勢 悉く 是を 渡しぬ。 是れ 京。 鎌 倉への 大忠 なり。 又 其 孫 神代, M ^が 代に、 足 

利 尊 氏 卿 九州 御 下向 あ, 0. し 時、 良 基、 早速 御手に 屬し, 高木. 松 浦の 者 共と 一 つに 成 

.9 軍功 を 施しぬ。 其 後、 今の 勝利に は 曾祖父 祌 代入 逍 道元の 子大. ^守 勝 元が 時、 文 

明の末に當りて少1^展形政資に屬して、食祿を受く。 ^子 を對: 利久 とい ふ。 

入道して 宗 元-^ 號し、 中頃 は 兵部少 輔と稱 す。 某 子 今の 大和 寺 勝利な り。 父 一 S 以 

钟 代家凼 來の亊 一 



4^ 肥 戦 誌 卷 之卞; 11 , 爵 

來肥 前に 居住し、 前 大和 守の 時、 去ぬ る 文明 十七 年に、 上 佐 嘉庄千 布の 住 吉社を 再 

奥す。 中に も 對馬守 利久、 弓の 名人に て 千 布の 陳內 大和 守、 其 藝に目 出、 頻に 望み 

て 是を壻 とした..^。 然るに S 馬 守、 陳內が 女に 相 嫁して、 程なく 二人の 子 を 儲く • 

1 は 女子に て 伊東 出 雲 守が 妻と 成る。 二 は 男子に て 新次郞 と名づ く。 又對竭 守最 

初に、筑後國ーi島兵衞大夫が女を娶.》^て男子ぁ.y。 片目な りけ り • 利久、 此 二人 

の 男子の 中 を、 何れ か 家督に すべし と 思 ひし かば、 兼ねて 信仰の 住 吉大明 神に 參詣 

し 御鬮を 上げけ る に、 次男 新次郎 にぞ下 b け る。 新く て 對馬 守、 件の 御颺に 任せ 家 

督を新 次 郞に讓 h- し 後、 長男 は 母方の 苗字 を 名 雞り、 福 島 周 防 守 豊島利 高と 號し 

ぬ。 然るに 新次郎 若年の 頃、 小 城 郡 司 千 葉 屋形興 常に 奉公し けり。 されば 其 頃 興 

常の 家臣に、 江 原石 見守と いふ 者 あ b。 生國は 武藏の 者に て 援原黨 な..^。 此石見 

守、 ある 夜 新 次郎と 一 所に 臥した しが、 夙に 起き 語りて いひけ る は、 我等 過ぎし 

夜、 不思議なる 夢を見た. = -。 險 へば 我が身 唯. -太 に 太 て、 後に は 北山 を 枕に し、 

南海に 足 を 混す と覺 えて 夢 さめぬ。 吉夢か 凶夢 か覺柬 なし。 新 次 如何と 問 ひ is-..?^* 



夢 石の 勝 
^見頃 利 
賈守江 若 
ふの/ほ 年 



新 次 打 聞きて 是は大 なる 悅ょ。 僞,. ^て 此夢を 我が 夢に せば やと 思 ひ、 横手 を ® と 

打ち 舌を傈 つて * しける は、 いふに や 及ぶ 石::: ん, 殿、 此夢は 大分の 惡 夢なる べし。 能 

く 案じても 見 給へ。 御邊 北山 を 枕に して 南海へ 足 を 混 さむ 時 は、 其 身中より 斬れ 

て 命は爭 であるべ き や- されば 內々 承る に、 惡 しき 夢 をば 人に 賣 渡す 時には、 却つ 

て吉 夢に 變 やとな.^。 然れば 御 邊は當 家の 重臣、 我等 は 次々 の 奉公人な. o。 此夢 

を 某に 賣 給へ。 則ち 買 取. 9 て、 御身の 災難 を 某 引 請け. S. すべし。 當 座に 夢の 價 

を 出すな b とて、 金の 笄を取 出して、 石 見守に ぞ與 へけ る。 江 原 は 武剪は 勝れし か 

ども、 生得 愚なる 男に て善惡 分ら ざり しかば、 己が 災を 除く 上に、 笄を 得る よと 悅 

びて、 則ち 夢をぞ W 渡しけ る。 其 後 新 次 郞、. 劎術. 早 戴 鍛練す るに、 一 々妙 を 得すと 

いふ 事な く、 後に は 千 葉 家 を 立 退き、 小 城. 佐 嘉.祌 崎の 山々 へ 入 て 上下 をい はす 

弟子と する に、 隨ひ 靡く 事、 風に 草木の 偃す が 如し。 三瀨 山の 城主 三 瀨土佐 入道 宗 

利、 新 次郎が 器量 を 見て、 尋常の 者なら す大將 にもなる べき 者よ と 思 ひし かば、 三 

瀬の 城へ, ぞ 留め S きけ る • 彼の 入道の 見し 如く、 新 次郎智 .仁. 勇の 三つ 健. て、 小 城. 

神代 家. S 來の事 * S 



北 把戰誌 卷之十 11 一 • 

佐嘉. 神 崎三箇 山の 輩に、 极瀨 又三郞 宗樂. 畑 瀨兵部 少輔盛 政. 合瀨 因幡 守. 藤 瀨籐左 

衞門 • 梅 野 源 太左衞 門。 枉紀伊 守 種滿. 菖蒲 遠 江 守. 藤原但 馬 守. 粱並 伊賀 守. 廣瀧新 三 

郞. 小 副 川 因幡 守. 名 尾 左 馬 允 以下の 頭々、 悉く 家人と なる。 斯くて 新 次 郎旣に 大勢 

とな..^、 大和 守 勝利と 號し。 初 は 副 島 氏の 女に 嫁し、 子供 餘多 出來、 後に 又 千 布 兵 庫 

入道 淨貞 が壻 とな,. > て 、是 にも 男女の 子 多 か. 9 け, 9。 其 後 勝利、 太 宰少貳 冬- 3: に屬 

し、 山內の 輩に 下知して 所々 を切從 へ、 筑前 S 甲 良。 那可 .怡 土 三 郡の 內、 幷に肥 前と 

筑 前の 境 廿六箇 山 を 知行し け. o。 其 間 皆 深山幽谷 にして、 石 壁 屛風を 立てた るに 

異なら t 東西 は 七 里、 南北- rf; 里, 其 山々 へ 城郭 を 取 構 ふ。 中に も 三 酒。 畑 瀬. 谷 田. 熊 

川. 千 布の 土 生 島に 五 筒 城 を 築き、 筑 前の 原 田 • 曲 淵 • 佐嘉の 龍 造 寺と 武威 を 諍 ひ 合 

戰す。 されば 今 こそ 江 原が 夢 を 買 取 b たる 昔の事 を 思 合 はせ ぬ。 實に 北山 を愁く 

知行して、 南海 を眞 下に 見た る は、 僞に足 を 混せ し 如くな b。 又 夢を賣 b たる 彼の 

た A ま 

江 原石 見守 は、 頓て 神代の 家人と な, ける こそ 抵 しけれ • 



秋 or 文 種 生害 筑^ 惟門 沒 落の 事 

弘治 三年 丁 巳、 筑前國 秋 月 中 務大輔 文 種. 筑紫右 2t 允 惟門 申 合 はせ、 豊 後の 大 友義 

鎮を 背きて、 中 國の毛 利 元 就に 相屬す • 其 事、 府 内へ 聞え て義鎭 立腹 あ 5。 ぎ 彼の 

兩人を 征伐すべし とて、 同年 五月、 P 次 伯 耆守鑑 • 連 .曰 桴越中 守 鑑.谈4:2 岡 越 前 守 ^5 

增* 田 北大 和 守 鑑生を 初め、 各:府內を^^立ち、先づ S 田 へ著陣 す。 時に r ォ议國 の 輩 

も. 元よ b 大友 旗下に て, 豐後 勢に 力 を 合せん と、 蒲 池武藏 守鑑盛 尻 伯 老:: 守 親! S: 

以下 同じく 出張し けり。 斯くて 豐 後の 輩、 先 づ秋月 文 極が 居所 を攻 むべ しとて、 日 田 

の 陣を發 し、 筑前國 へ 討ち入 h- 右 良 山に 著陣 し、 夫よ ひ 烏 留に陣 ;e.f。 仍 りて 筑後 

の 軍士 も、 豐後 勢と 同じく 陣を 進む。 然るに 此時、 筑後築 河の 蒲池鑑 S の 軍士に、 末 

吉道ニ 入道が 一 族 大木の 一 類 共、 豊後 陣 と 一 所にならむと打登.^し處に、桑原に於 

て 秋 月 家人 芥田右 * ゆ? §、 其 外餘懷 なき 者 共 出合 ひ、 末 吉* 大木と 防戰 し、 逍ニ 父子 討 

死して、 右馬助 も 討 たれに け,. >。 斯くて 七月 初旬、 璺 後の 軍兵に 後 勢 差 加 は" 休 

秋 月 文^^ 賓筑紫 4^£: ^落の. 睁 i 



北 肥戰誌 ^^之十づ1 



〔鳥〕 



へ 陣を 寄せ、 秋 月 館 へ 取 S く、 宮尾ロ は 11; 次鑑 連. 南 郡 衆 防戦し, 野 取 口 は 田北鑑 

生 其 外筑後 衆打戰 ひ、 何れも 粉 骨 を 抽んで 城兵 ビ追 込め、 館 小路 殘 なく 燒拂 ふ。 斯 

が, 9 し 程に、 秋 月 文 種 防ぐ 事 を 得 やして、 古所 山の 本 城に 取 登 りしが、 爱 にも 溜り 

兼ね、 寶滿へ 落 行きけ b。 然る 處に 家人 古野 九 郞右衞 5: 心變 りし、 同 七月 十三 ni 、文 

種 終に 生害 あ.^、 則ち^»^死證|。なを九郞右衞門、豐後衆の陣所へ持參しけ.^。 然る 

間、 寄 手 則ち 凱歌 を揚 ぐ。 彼の 九 郞右衞 門、 秋 月 譜代の 家人と して、 主の 先途 を 見 

捨て 却って 心を變 じ、 其 頸 を 切る 事、 前代未聞の 惡 逆な.^ しかば、 豊 後の 諸 將是を 

賞せ す、 結句 大に惽 み、 其後大友ょ.^も許容なかりし故、 九 郞右衞 門 終に 乞食 流浪 

の 身と な,. > 、程なく 命 を 失 ひけ hN。 主君に 背きし 天罰 遁れ ざる こそ 理 なれ。 

一、 秋 月 文 極 今度 生害の 時、 三人の 男子 あ.^. 兄 は 九 歳に なりぬ。 文 種、 此 子供が 

事 を 悲み樣 々教 きし を、 家臣 大橋豐 後 守 甲斐々々 しく、 彼の 三人の 子供 を、 世間 

に は 我が 子と 稱し て 暫く 養育し、 後に 中國 へ 遣し、 毛 利 家 を賴み 成長す。 扱 五箇 

年 を 送 h^、 三人と もに 歸國 し、 兄 は 秋 月 左 兵 衞尉種 實と號 す。 後に 長 門 守と 改め 



秋 月 を 知行し、 太閤 殿下の 御 時 • H 向の 內 湯 郡 を 給 は.^ て 財 部 城 に 住す。 . ^は 

高 橋 九郞元 種と いふ。 高 橋 三 河 守が 家督に て, 初は豊 前の 內親矩 郡 を 知行し、 太 

閻 殿下の 御 時、 是も 日向の 內土 持彈正 一 跡 を 給 は. 9、 宫 崎の 城に 住す。 其 次長 

野 三 郞左衞 門 種 展と號 す。 豐 前の 長 野 氏 養子に て 岩 借 城に 住す • 太閤 殿下 九州 

御 下向の 時、 當城を 守 b て 勇 を 現 はし、 甚だ 御 感に預 り 御免 許 を 蒙りて、 後は浪 

人となり、 朝鮮 御 征伐の 砌、 加藤淸 正の 手に 屬 して、 所々 の戰功 莫大な. = -。 總べ 

て此 三の 兄弟、 皆 奥 將とぞ 聞え し。 

、 斯くて 豐後 勢, 七月 十三:!!、 秋 月 文 種に ® 切らせ、 失よ..'^ 紫 惟門 を 誅伐す ベ し 

と、 諸 勢 一 同に 山 K 原に 著陣 す。 斯 か,.^ し 間、 岩屋. 若 杉 同日に 落 去して、 惟門 は 五 

箇 山へ 引 入.^ ぬ。 然る 處に 同月 廿 四日、 寵 造寺隆 信より 詫 言 を 以て、 鹿 江 5^- 江 守 父 

子 を 討 取. 9、 其死證 g 。なを 豊後 衆の 陣所 山隈 原へ 差 送る。 玆に 因って 龍 造 寺 事、 

窗" S あ つ て 無事なら。 斯くて 豐 後の 諸 將、 諸 口 悉く 勝利 を 得て、 則ち 宮尾城 へ は 

筑後衆 を 差 籠め »番 あり。 3 石屋 城へ は 三 原 和, M 守 丄咼橋 三 河 守 • 麥生此 三人 を 入 

秋 月 文 生害 筑繁 i§ 門 r ほ 落の 寧 i 



お 逝 戦 nil 卷之十 111 、 き? , 

れ 置き、 肥 前 勢 福 寺 城へ は 豊饒 鑑榮を 差遣し、 在番 として 豊後 衆、 其 外山隈 原よ 

-.^ 皆開陣 したり。 城々 の 番人、 暫し勸 むる も あ h.* 又 一雨 年 ありし も あり。 

其 後、 府內 よ, 9 の 下知に て、 宫:: の 诚は草 野 長 S: 守 具 淸へ明 渡し、 岩屋 は 高 橋 一 

人に て在番 し, 三 笠 郡 三千 八 百 町 知行 を 以て、 竪^に 相 守りけ, 



I 肥戰 Si 卷之 十三 終 



北 肥戰誌 卷之 十四 

神代 勝利 谷田沒 落の 事 

弘治 三年 丁 巳の 春 • 龍 造寺隆 信、 敵 征伐の 爲め大 軍 を 率ゐて 出張 せらる • 時に 三 月 

十一 日、 小 田が 陣 敗北す。 同 七月 サ 四:! I、 隆信、 鹿 江 遠 江 守 兼 が 鹿 江の 館 を 攻め 

らる • 遠 江 守 防ぎ 戦 ふと 雖も、 無勢に 依 b て 叶 ひ 難く、 父子 三人 忽ち 討死し け hs. 

隆信 則ち 鹿 江が 死證を 持たせ、 頃日 豊後 衆の 陣 したる 筑 後の 出 隈 原の 陣 へ 差^ 

て、 大 友へ 一 旦和を 乞 はれぬ。 彼の 鹿 江は大 友の 惡を 蒙. し: § ^な、 り。 同 八月 十 

二 :》、 隆信、 上 佐 嘉へ取 懸けられ 神代 衆と 合戰 あるに、 山 内 勢 多く 討 たれて 不 H に 

沒 落す。 同 九月 三日、 江上 武械 も沒 落。 同 五 W 、隆 信、 山內へ 攻め入り、 頃 H 神代 勝 

利の 居た b し 谷 田の 城に 取 懸けら る。 不意の 単な b しかば、 勝利 * 取敢ゃ 僅の 軍兵 

W 代 搏剩^ 田沒 港め 事 • S 



* ^肥 戦 誌 卷之 十四 § 

を 以て 打 敷 野へ 出向 ひ、 佐嘉 勢と 相戰 ふ。 軍 半ばと 見えた, 9 しに、 隆信 下知 を 加へ、 

兵 を 引分けて }m の 方へ 差 廻し、 松 瀬よ b 佛坂を 越え 環 尾に 到って、 峯傳に 谷 田の 上 

の 高山に 登り、 前後より 一 同に ぞ 攻められ ける。 抑,. 彼の 谷 田の 城 は、 其 地 利無雙 

の 要害に して、 南 は大川 漲りて 白浪 岸 を 混し、 北 は 長. 山 蛾々 と峙ち 、東西 は 一 騎 打の 

細道に て、 左右 岩石 劎の 如し。 斯 かる 無雙の 要害と 雖も、 城 中餘. ^に 無勢な りしに 

依って、 勝利 竟に 防ぎ 難ぐ、 城を遁 れて筑 前へ 落れ き、 怡土 郡に 到り 高祖 城主 原 田 入 

道了榮を賴み、長野とぃふ所に蟄,iTぁ..^たh^。 斯くて 隆信 は、 勝利 を 攻め 落し 彼の 

頜? を 押へ 取り、 山々 へ 代官 を ゑ 置き • 其 身は頓 て歸陣 せらる。 隆信 今年 卄八 

歲- 向ふ所皆靡き、 血氣盛の良將とぞ見ぇた,.^ける。 

勝利 歸城井 八 戶宗鳴 再び 出城の 事 



同年の 冬、 神代 勝利 は 長 野に 浪人に て あ b ける が • 旣に月 迫に 及び、 家人 等 を 集め 



いざ 



て 申されけ る は、 いつまで 欺くて は あるべ きぞ * 倡ゃ此 年明け 元朝に、 龍 造 寺より 



神代 勝利 

歸城 



居 ゑ 置きた る 代官 共の 始の 儀式に 取 紛れ t 油斷 して あらむ やる 所に 取 懸け、 一 々討 

ち 散らす ベ し。 其 用意す ベ しと 談合し、 十 一 一 月晦の 夜、 人數を ffi へ 竊に畏 野 を 打 立 

つて、 目指す とも 知ら や 暗 かりし に、 態と 燒松を も 持たせ や、 九重 折なる 山路 を 終 

s-越ぇて熊川.に出で、時分を踉ひ東雲なる頃、隆信ょ.^居ゑ置かれたる熊川の代官 

へ 取 憑け たり。 勝利の 量, しに 違 はす、 明れば 弘治四 年 正月 元日 未明の 事 なれば、 

代官 斯 かるべし と は 夢にも 知らす、 唯! 上 を 下へ と動轉 し、 一人 も 殘らャ 討 たれけ 

^ 勝利、 事 初よ しと 大に悅 び、 則ち 熊 川に i を 取らる。 折節 大雪 谷 を 埋め、 大將も 

士卒 も 皆 手癉り 足撓み 進退 自由なら やして、 其 ni は 愛に 在陣ぁ しに、 此事隱 なく、 

河 上の ft 人 小 野 式部、 粥 を 煮て 持.^ 一し け. o。 勝利 悅び、 上下 是を 食して 大にカ を 得、 

身溫 b て 手足 叶 ひし かば、 其 勢に て 龍 造 寺の 代官 共 を 悉く 追 出す。 斯か. し 間、 山 

內の者 共、 勝利の 歸 參を悅 び、 彼所此 所よ b 馳せ 集り、 隨晨く 事 以前の 如く、 山內の 

キ: 君と ぞ 仰ぎけ る。 此 時よ,^ 神代 家に は、 元三の 吉例に 粥 を 用 ひける とぞ 間え し。 

.1、 佐 嘉郡八 の 城 生 八 0: 下野 守宗陽 は、 去ぬ る 天文 廿ニ 年、 隆 信と 和-牛し 一旦 城 

勝利 歸城幷 八 戶宗暘 再び 出城の 事 £ 



る 勝ら 隆八 

利れ 信戶 

I: 神 I: 宗 

賴 代破暘 



北 肥戰誌 卷之ャ 四 さ5 

を 開きし かど も、 其後歸 城して あ. ける が、 是, X 神代と 心 を 合せ, 龍 造 寺に 對 して 

又々 異心 あ る 由、 風聞 あるに 依 b て、 同 正月 元:::、 隆信 下知 を 加 へ られ、 軍兵 を 八 

P に 差 向けられ、 宗暘の 城 を 攻めら る。 城 中には 思 寄らざる 事 なれば、 男女 東西 

に 逃 迷 ひ、 足 を i 仝に し 周章 騷ぐ。 され ども 宗暘 は、 心 早く 物 馴れたる 大將 にて、 

早 裏門よ b 忍び 出で、 山內の 方へ ぞ落 行きけ る。 然るに 彼の 宗暘の 妻女 は、 隆信 

の 姉に て 三人の 子 あ, 9。 今度 宗暘落 去の 時、 母子と も虜 とな b て 佐嘉へ 赴きけ 

b。 隆信是 を 許され や、 怨敵の 子 なれば 男子に 於て は 殺さる べきに 極まりし を、 

隆 信の 母 公慶 閡尼, 孫子の 事 なれば 是を哀 み、 樣々 看め られ しに 依りて 安穩 しけ 

彼の 三人の 子供、 男子 は 後に 八戶助 兵衞宗 春と 號し、 女子 二人 は 鴨 打 左馬大 

輔凰泰 • 犬 塚 勘 解由眞 盛が 妻と な, 9 け hN。 斯くて 隆 信、. 宗暘が 頜知八 新 庄.津 

留. 諸隈. 益 田. 木 角. 成 道 寺 等 を 悉く 押へ 取 b て、 八戶の城をば破却ぁ.^。 宗陽は 

妻子 を 捕 へらる のみなら す、 居城 を 破 却せられ, 領知を も 押 へられし かば、 恨 

骨髓に 徹し 忍ばれ や、 山 內に到 ,9 て 勝利 を 深く 頼み、 隆 信に 對し何 樣仇を 報いむ 



初 



とぞ; issb ける • 

1 、 斯くて 神代 勝利 は、 宗 場に 賴 まれし 故、 早速 其 色 を 立 つ ベ しと,.^ ち宗嚼 と相備 

にて、 駄市 川原 へ 出張す。 此事、 佐嘉 へ 注進 ありし かば • 隆信急ぎ5^^^J出され、 £ 

瀨に陣 を 張らる • 斯くて«造寺の陣ょh^小河筑後守•同名但-is:寸•納富左^助•同 

名 越 中 守. 同 治 部大輔 .內 田 美 作 守. 鹿 江宫內 大輔. 福^ 民 部大輔 • 倉 町 上野 介 • 同名 

大隅守 以下の 者 共、 駄市 川原の 敵陣 へ 押 寄せ 鬨の 聲を揚 ぐ。 山 內勢是 を 見て、 足 

輕を 出し 矢 を 射 懸け、 雨 將は春 曰 山 へ 引 登る。 W 造 寺の 者 共、 績 いて 春 山 へ 陣 

てだて あぶら 

を 寄せ 高 城 寺 を燒拂 ひ、 成 富 甲斐 守 信 種の 行 を 以て、 敵 を 焦す に、 神代 人 戶、 夜 

中に山內へ引入,.^ぬ。 斯 かりし 程に 隆信 も、 頓 て佐嘉 へ歸陣 ある。 

. 鐵布合 戰小河 筑後守 討死の 事 

弘治四 年 戊 午、 改元して 永 祿と號 す。 龍 造寺隆 信、 今年 春 日 山の 古 戰城を 修理して、 

つなぎ 

人 |_ん を 籠 置き、 山 內を攻 むる 爾に すべ しと、 秋 九月に 彼の 城の 普請 を 調 

is: 布 合 戰小河 筑後守 討死の 事 《lu 



く 族 信山隆 

2^ 安に 信 
籠の 'ト春 

E— 河 日 



* 肥戰 卷之十 M . 

(マ 二 

町 左 京 助 信 秀が與 ほ を 入 £g かれし かど も、 無勢に 依. て、 其 居 は 小 河 筑後守 信 安が 

一 族小河但^|守.同石見守.同次郎少輔.同左近大夫を籠置かれけ.^。 然るに 神代 勝 

利 は、 龍 造 寺と 十 死 一 生の 軍 を 志しければ. 城 原の 江上 左 大輔武 種と 談合し、 兩 

旗 を 以て、 同 九月より 北山の 嶺に陣 を 取, O て 居た. 9 しが、 先づ « 造 寺が 春 日 山の 城 

を 打 崩す ベ しと 評定し、 同月 中旬、 勝利の 家人 梅野帶 刀. 极瀨又 三郞に 軍兵 を 副 へ 、 

奢 日 山 へ 差 向く- 城 中の 者 共是を 開き、 さらば 城 を 出で 北なる 峯に登 b て、 嵩よ 

敵 を 見下し 岩石 を投 憑け、 矢 を 放せ, いふ 程 こそ あれ。 小 河 左 近 大失を 初め、 皆 我 

れ 先にと 討って 出づ。 斯 かる 處 に淸げ なる 若武者 一騎、 唯 i 1 息に と 登る 敵., Qb。 

是は 梅野帶 刀が 先陣に 進む に て ぞぁ, ける。 城兵 是を 見て、 天晴敵 や、 何樣組 討に 

すべ しと 犇めきし 處に、 帶刀餘 に 進み 嶮 しき 所を蹐 崩し、 眞 逆に 落ちた, け, cs。 

然る 處を小 河が 家人 二 騎駔寄 ,0、 起し も 立て や 討 取. 9 けり。 斯 かる 處に松 瀨も續 

いて 來り、 敵.^ 方 入 亂れ鬨 の聲を 揚げて 相戰 ふ。 元より 寄 手 大勢に て、 城 方の 者 利 

を 失 ひ、 大將の 小 河 左近大 夫、 痛手 を 負 ひて 引いて 人る。 山內 勢、 お だ, 城 中に 入 



神代 勝利 

春 日 山, „^ 

攻む 



奉 en 山 落 

城 



f 河 信 安 

春 日 山に 



ら むと 追 詰め、 散々 打 戦 ふに、 左 近 大夫を 初め 同名 治 部少輔 W 下、 悉く 討死して、 城 

は 暫時に 落ちた. 9 け .0。 此事佐 嘉へ隱 なく、 小 河筑後 il: 信 安 龍 造 寺の 城 中に あ.. > 

て是を 問き、 大に牙 を 嘴み、 え- - 無念の 仕 合 かな。 いでく 信 安 馳せ向 ひ、 勝利が 

首を切, o、 同名 共の 孝養に 手 向けむ と息卷 して、 頃 は 十月 十五: ;-、 與カ 手の者 殘らす 

引率し、 fe:: 嘉を出 で 北 を 指し て 鞭を揚 ぐ。 隆信は 小 河 が 風情、 何様 卒忽 ある ベ きと 

見られし かば、 筑後守 討た せて は 叶 ふま じ。 さらば 自身 も 出馬す ベ しと、 舍ぁ兵 a- 

頭 長 信 を 初め 追々 に 打 出 でら る。 斯くて 小 河 筑後守 は、 先 づ春日 山へ 馳せ 著き、 城へ 

押 寄せ 見 けれども、 神代 勢 は 疾ズ引 上りて 一 人 も あらす。 弟 共が 死骸 を 一 初め 討た 

れ たる 味方の 者 共、 算を亂 して 橫 たはれ. =s。 信 安 彌.^ 齒嚼 をな し、 其 儘 山內へ 討ち 

入らむ と 進みし を、 從ふ者 共、 筑後守 を 制し、 今 :" は 巳に 日晚に 及びぬ。 案內知 

らゃ 敵地へ 無體 にて 討ち入らむ も危き 事な, 9。 明 旦^ を 御 越 あれと 申しけ るに 依 

らて、 信 iK 力 及ばす、 十五 H の 晚景は 春 日 山に 陣を収 りけ, 9。 此事、 早 先 i 山內 

(寺 力) 

轟々 と 集, て髙野 兵の 



へ閜 えけ るに や。 又 推量し ける にや。 今 十五 日山內 の" 

驟布 八:: 戦 小河筑 後 守 討死の 事 



5 



膝 利 小 河 

取らむ と 

朗す 



» 利 信 安 

鍵 戦 



北 肥戰誌 卷之 十四 m 八 

大鐘を 鳴らしければ、 小 城の 千 葉 介 m 賴、 神代に 加勢の 爲め, 急ぎ 晴氣の 城 を 打 出で、 

屋形 出に 陣を張 hz 近隣の 者 共 は 小 副 川の 寄 合 原に 馳 集る。 爱 にて 勢 を 揃へ、 勝利 

自身 手 分 をし、 其 身 は 山內勢 三千の 內. 一千 七 否 を 引分けて、 三 反 田 筋に 懸. 大野 

原 を 通 b て、 熊 野 嶺に陣 を 取, o、 嫡子 刑 部 大輔長 良 は、 一千 三百 を 以て 名 尾 口に 向 

ふ。 斯くて 勝利の 斥候 走ち 來て 吿げ ける は、 旣に 佐嘉勢 押來る • 其 中に 荤 毛の 馬 

に 乗, たる 老 武者の 眞 前に 進み 、頻りに 鞭を揚 ぐる 者 あ. 9 とい ふ。 勝利 打 額き、 夫 

は 小 河筑後 守なる べき ぞ。 何れ 龍 造 寺の 奴 原、 切 所に 待 請け W 取るべし と 下知 を 

加へ て、 其 1^ の 明くる を 待ちけ,. 5* 

1 、 翌 くれば 十六 日 曙、 勝利 唯.^ 1 人、 河 浪駿河 守に 槍 持たせ、 自ら 斥候に 出で け 

時に 小 河 筑後守 も、 敵 間 を 見む 爲め、 是も 唯,^ 1 人、 下人に 槍 を 持たせ 春 日 山の 陣 

所 を 出で、 脇路ょ b 攀ぢ 登, しが、 特に 嶮 しき 峯の 細道に て、 勝利に 磁 と; 逢 ひた. 

.5。 互に 夫よ と 見ければ、 勝利、 驗 河に 持たせた る 槍お つと hs 、力足 を 動と 踏み、 

やれ 筑後守 か。 勝利な,..^。 倡 や 勝負 を 決せむ とい ふ • 小 河 打 笑みて、 心得た 



-"J 



勝利 物々 しゃ • 本 よ..^ 顋ふ處 、此 合戦の 雌雄 は、 汝と 我等 只 t 二人が 勝負に ある 

ぞ, いざ 參り 候と いふよ b 早く、 槍収 直し 突 合 ひけ b 。大力 共の 踏む 足に、 小 砂 交の 

岩石 徼廑 に碎 け、 左右の 谷へ 落つ る 事、 降る 雨の 如し • 雙 方の 家人、 援は むと すれ 

ども、 其路 一 騎打 にして、 脇 は 石 壁 數十丈 崎ち、 中々 ffi け 寄る? き樣 もな し • 勝利の 

從者河 浪駿河 守 は、 餘. 9 に 泳へ 兼ね. 砂を摑 みて 勝利の 草 措の 下よ. ぞ 打ちけ る r 

筑後守 は、 大の 男の 蓋に 戀 b 、勝利 を::^ ノトし 突 合 ひしに. 勝利 如何した.^ けむ. I の 

腕を突かれて»も無念と曳^^を揚げ、突返すを筑後守受迦し*己の類尤ょ.>の右 

小鬢の 際に、 甲の鉢を槍先白く突賞かれけ.^,、^5^^^> 鬼 を歟く lg 後 守 も、 うつ 

ぶしに 倒れて、 え ロ惜し.くとニ聲三聲ぃひけるを、河浪駿河^..^寄りて#を 

取h^け^^• 無念の 至い ふ 計 ,0- なし。 斯くて 佐嘉勢 も、 小 河が 兌えざる に 驚いて、 

段々 馳せ來 る • 其 中に 元は 神代の 家 尺 梅野彈 正い とふ 者 あ,^。 今度 小 河に 賺さ 

れ、佐嘉勢に加は,.^て案內者とな.^眞前に馳せ來る。 時に 山 內の先 勢 も 次第に 相 

近づく。 其 中に 神代 源內 とて、 無雙の 智者の あ, ft,- ける が、 彼の 强 正が 來るを 見 

驟布合 戰小河 筑後守 討死の 事 



北 肥 戦;? ま 卷之卞 四, li 

て、 傍漦共 にい ひける は、 あれ 見よ かた <\ -、 昨日まで 味方に ありし 奴め が, 今 H 

は 敵の 案內 者と な,..^ て來る - J そ面惜 けれ。 よし. (- 彼等 を 唯今 手 取に して 見す 

べしと、 簑笠を 打 著、 土民の 草 刈を眞 似て、 蛆 しき 山路の 一 筋 ある 傍に 僂み て 居 

た hs。 彈正、 是を源 內とは 知らす、 眞の草 刈よ と 思 ひし かば、 目 も S けす して 馳 

せ 通る を、 源內、得た,.=^と彈正が-i^lの足を取h^て、下なる谷へ引落し、押へ て首を 

ぞ搔 きに ける。 斯くて 小 河が 軍兵 共 追々 來 b て、 筑後守 討死と 聞きし かば、 今 は 何 

を か 期すべき と、 一 子豐前 守 を 先と し、 堀江 右 衞門大 夫 父子 四 人. 梅 崎 主 水 以下、 

其 一 列の 輩 は山內 勢に 駔入 りく, S 死す。 期 か. -し 程に、 後陣の 佐嘉勢 も續ぃ 

て 來^、 鐵布 崎に 皆馳せ 登る。 此時 勝利の 旗本 は、 杣木 川よ b 大鹿戴 を 過ぎて 

甑嶽 に著陣 す。 時に 勝利 、士卒 を 下知し * 敵 は早鐵 布に 登りけ るぞ。 唯 <1 打に 

打擲てと戲れ訇..^しかば、山內勢男み進みて、古川新四郎 一 番に槍 を 入る。 佐嘉 

勢 も 関 を 作 h..、 敵 味方 入 亂れ火 を 散らして 相戰 ふ。 愛に 勝利の 近習に、 阿 含 坊と 

て山伏ぁ,.^。 元 * 薩 摩の 伊集院が 弟 じて、 其 長 七 尺に 餘 b 、鬼 髭 左右に 分れ、 



嘉 

勢 
敗 



秀に生 ひたちし を、 一 揉 もんで ゆ かけ、 態と 甲 を 著す 大木の 蔭よ, 立 現れ、 其 

頃 曾て 希な, 9 し 鐵炮を 以て、 寵造 寺の 者 共 を擇び 打に 討 倒す • 爱に 於て 佐嘉 勢、 

にな b 旣に 敗走せ むと 見えて、 討死す る 輩に は、 石 井尾 張 守 兼 淸* 中元 寺 

新 左衞門 • 副 島 左 馬 允. 水 町 右 • 梅 助. 江 副 新 八郞. 土橋 孫 七 郞* 大塚 七左衞 門. 久保九 

郞 兵衞: Kh? 四 郎兵衞 以下、 雜兵 は數を 知ら や • 其外秀 島主 計 允 • 同阖書 助. 北 島 

河內守 f;^ 。進み 戰ふ。 神代 勢に も 進 藤 新左衞 門 を 初め、 雜兵 若干 討死し け. 9。 

勝利 は、 今朝 曙よ.^ 槍 を め, 餘 b に戰 ひ勞れ て、 喉 乾き 息絕 えたる を、 溝 田 新 介、 

谷 へ 下 b 水 を 合み て來 是を與 へし かば、 勝利 漸く 息 を 出す。 斯くて 龍 造 寺の 

軍兵、 終に 打 負け 散々 になり て 敗走し け, 5。 勝利 は 勝鬨を 揚げ、 則ち 山 內 へ 引 

歸.^ ぬ。 されば 今度の 軍に、 敵 味方 P 死骸に て 谷 一 つ を 埋め、 血 は 草木 を 染め、 

さながら 紅葉に 異ならす。 錢爾、 根 t 麵 1^。 ふ。 此 時、 何者の した.^ けむ。 一 首の 狂歌 

を 書きて、 河 上の 鳥居の 前に 立てた b。 

か * しき 

春 日. E 若武者 先に 落されて 又 淸恥を かく ぞ鐵布 

, 織布 戦 合 小 河 筑後守 討死の 事 鎖 . 、 : 1 . . ' ^ 



隆信納 富 

の 諫め.? - 

さ ゝ て歸 

城 



*肥 戰誌 卷之 十四 さ 111 

此歌 は、 小 河 左 近 以下 先達て 攻め 落され、 又 今度の 軍に も 打 負けし 事 を、 山內ょ 

b 嘲 群し ける にや。 拆隆信 は * 河 上 口より 旗 を 進められ、 旣に廣 坂. 龍瀨邊 まで 

打 入られし 處に、 今朝 春 山の 軍に、 小 河 父子 討死して * 方 敗軍し ける 由、 注進 

あ b しかば、 隆信大 に 立腹し、 彌,. 急に 山內へ 攻め入.^ て、 勝利 を 射 取ち、 筑後守 

《: 

が u 心 を 休め むと、 いらって * されけ る を、 納富左 馬助諫 めて 申しけ る は、 此度は 

まぎれ 

筑後 守が 不覺 にて こそ 討 たれて 候へ。 然るに 御 立腹の 紛に、 唯今 山 内へ 攻 入ら 

る-" 事、 能々 御 思慮 候べ し。 彼の 勝利 は 武功の 大將 なり。 今朝 合戦に 打 勝って、 

早速 山 內へ引 入りし 事 を、 倩,^ 案す るに、 必ゃ隆 信 怒.^ の紛に 押して 山內へ 攻め 

入るべし。 然らむ 時 は、 切 所に 引 請け 前後 を 取 切って、 遁 さす 討 取るべし と 思 ふ 

なるべし。 爾も 彼等 は案內 者に て、 其 上 岩窟に 馴れ 働き 自由な り。 昧方は 案內を 

知らす して, 且つ 嶮蛆に 馴れ や 働き 不自由な, o。 然るに 彼等が 思 ふ圖に 入. て、 

うかくと 山內へ 進まむ 事、 武略の 拙き にて 候 はむか。 先 づ此度 は 柱げ て 軍 を 

おひき 

返され、 重ねて 謀 を 廻らされ、 平 場 へ 力 便 出し、 心安く 御 一 戰 然る ベ しと、 樣々 諌 



言 申しければ、 隆信も 至極の 道理に 歸 伏せられ、 則ち .i?? を 返され、 河 上 倌座を 打 

渡b、西の海道眞下,.^に、寵造十;^の城へ ぞ歸り入れける。 時に 神. 代の 家人 梅 野 兵 

部 少輔と 古川 新四郞 は、 鐵布 敗軍の 敵 を 追 憑け て、 駄市河原を下.^し^/ 佐嘉勢 

返し 合せ 散々 打戰 ひ、 新 四郞は 深手 を 負 ひ、 牢死 半生に な h 二し 引返し、 兵 部少輔 

は 討 たれに けり。 斯くて 勝利 は、 三瀨の 城に 歸陣 し、 小 河筑後 守が せ を 近 邊の繩 

寺に贈bて葬禮し、佛事懇に取營みけ,.^。 又隆信 は、 歸 城の 後、 筑後 守が 妻女 其 

外從 者に 至る まで、 深く 哀憐 を 加へ、 彼の 菩提 を Hf ら はれけ. 9。 拆信 安が 一 

前 守 も、 今度の 軍に 討死し、 家を續 ぐべ き 男子な か,.^ しかば、 隆信 是を歉 かれ、 鍋 

島驗 河守淸 房の 三男 を、 彼の 遺跡に 定め、 筑後 守が 娘に 娶ら れ、 小 河 大炊助 信 友 

とぞ. S. しける。 廿: (後 信 友、 武藏守 信 貫乂信 俊と 改め、 天 正 十二 年 三月、 島 原に 於 

て隆 信と 共に 戰死を 遂げ、 1 1 代の 忠心 怠ら ざ.^ けり。 

筑後守 信 安の 妻女- 則ち 剃 髮し妙 と號 し、 C 夫 菩提の 爲め 高野山に 末代の 寺 

頜 として 田貳 段、 肥 前 加瀨庄 中原の 內、 本願 院に 寄す • 

IS 怖 仓戰小 ig, 筑ぉ, な ils^Ql?^ urn t 



寺 城.^ 攻 

む 



a 北 m 戦 誌 卷之十 s i 

, 筑後守 信 安、 初武 純と 號す。 肥後國 菊池爲 安が 孫、 小河筑 後守爲 純の 嫡男な 

-..^。 中頃 筑後國 山門 郡の 內、 上 小 河. 下 小 河 を 知行す。 仍.. -て小 河と 號す。 

滅 原攻少 贰冬尙 自害の 事 

同年 十一 月 上旬、 龍 造寺隆 信、 宿老 共 を 集めて 申されけ る は、 當時城 原の 江上が、 少 

1^ 屋形を 守護し、 三 根. 神 崎 を 知行して 、動もすれば 神代と 引合せ、 我等が 怨 となる 

なり。 所詮 少貳を 攻め 潰さば、 江上 も 神代 も 威 を 失 ふべ し。 急ぎ 勢 福 寺 城 を攻む 

べき f。 其 用意すべし i 申されし かば、 早速 陣觸 あって 龍 造 寺の 家人 等 馳せ集 

る。 斯くて 隆信、 佐 嘉を打 出 でられ、 姉 河 彈正忠 が 姉 河の 城に 入.^ て 本陣と せら 

る。 其 前廉、 蓮 池の 小 田 駿河守 政 光と、 蒲 田. 崎 村 三人の 犬 塚 へ も 出陣 ある ベ き 由、 

申 送られし 程に、 何れも 已むを 得す 鎮 掌して、 政 光 は 手勢 三千 人餘騎 を率ゐ て、 西 

の 方 莞牟田 口よ b 押 寄す つ 時に 神 崎の 本 吿左馬 允 賴景、 小 田と 一 手に なりて 先陣 

す。 二 陣は犬 嫁の 一 族 蒲 田. 崎 村雨 所の 軍兵 合せて 一 千 五 百 餘騎を 以て、 東の 方 神 



介 陣が 4» 江 神 

《 戦 爲接 上代 

ク にけ 武 '傳 

出む 種 利 



崎ロょ..^相進む。 隆信は 未だ 姉 河の 城に あ .Q- て、 軍 を 出されす 遊軍の 如し。 頃 は 

十 一 月 十日な.. =N。 江上 は 兼ねて 思 ひ 設けし 事 なれば、 急 を 山內へ 告げて、 神代 勝利 

の 方 へ 援を乞 ひし かば、 勝利、 取る 物 も 取 b あ へ す、 早速 三 瀨の城 を 出で • 道々 軍士 

を 催し、 廣瀧. 一 番瀨 • 腹卷を 先手と して、 三瀨. 松瀨 .杠. 藤 原. 名 尾. 梅 野 を 旗本に て、 同 

九日の 晚景、 城 原 勢 福 寺 城 に 入る。 其 夜- 城主 江上 武種、 勝利と 評定し け る は、 以前 

隆信當 城 を 攻めし 時 も、 分內狹 きに 依りて、 大勢 を 防ぎ 難く * 方 利 を 失 ひしな b。 

所詮 今度に 於て は、 半途に 出向 ひ廣み に て戰ふ ベ しと、 軍 を 一 一 つ に 分けた,.^。 先づ 

一 手 は、 勝利の 山 内 勢に 城-腺の 軍兵 相 加 は.^ て 其 勢 三千 餘騎, 西の方 牟 田の 前に 出 

向 ふ。 又 一 手 は 城 原 衆 江上 石 S 守貞 種. 執行 攝 g: 入道 宗圓. 同 越 前 守 稀 兼. 同 中務少 

輔兼家 • 枝 吉長門 守 種 量. 同 間 防 守 種 次. 直 塚 右京 助 極 直 • 同 部 少輔純 英* 波 根 右京 

助 景乘. 同名 佐 渡守景 次. 服 部 常 陸 介. 同名 伊豆守. 同 伊賀 守. 其 外 島. 靑柳. 西久良 木. 石 

橋. 光安 を 初め 都合 貳千 餘騎、 東の 方 神 崎 口 を 差 固む。 斯くて 同 十日の 朝、 小 W 政 

光. 本 吿賴景 兩勢を 合せて、 牟 田の 前の 繩 手に 押 詰む • 時に W 內の 神代 勢 栩懲に 憑 

城 原 玫少 \i 冬尙 自害の 事 M 



隆信の 1 

陣小田 政 

光 戦死 



* 肥 戦 誌 卷之 十四 M 

,.^、唯.^ 1 筋の 細道の 左右 は澤 田な りしに、 鬨の聲 を 揚げて 弓. 鐵炮を 射 違へ たり 

其 時、 勝利の 兼ねて 用意 あ し 三 間柄の 大槍 を、 數 百本眞 前に 立て.. -、 無二 無 一一 

叩いて 打ち 散らす。 暫く 戰 うと 見えた,. > しが、 小 田 方の 先手 本 吿左馬 允賴景 、 ー戰 

に 打 負けて 政 光の 旗本へ 崩れ 憑る。 政 光、 * 方の 難儀 を 見て、 急ぎ 隆 信の 本陣 姉 河 

へ 軍使 を馳 せ、 此 口の 軍 烈しく 候。 さりながら 政 光に 於て は 1 足 も 引き 候 まじ" 佴 

し 自餘の 味方の 敗れざる 前に、 急ぎ 御 旗 を 進められ よと いひ 遣す。 其 使、 旣 に數箇 

度に 及びし かど も、 隆信 心底に 深き 思慮あって、 更に 軍 を 出され や、 政 光大に 立腹 

»t/ たな 

し、 蓬き 隆 信の 所存 かな。 よし 政 光 討死すべし と、 向 ふ 敵に 馳 合せ、 東へ 追; IS 

め 西へ 攻め 付け、 死 狂に 切って 廻る。 此政光 は 無 雙の打 物の 達者に て、 其 合戦の 行 

装 、偏に 縛 多 王が 鬼 を 狩.^ しも 斯く あらむ。 斯 かちし 程に、 懼れて 近づく 者 もな く、 

, まばら 

江上 • 神代の 兩勢、 政 光一 人に 切 立てられ、 陣中 疎に な, 5 にけ. 9。 され ども 敵 押 取 

籠め、 打 物に て は 叶 ふま じき ぞ。 唯 I 遠矢 に 射て 落せと、 四方よ.^ 矢 を 放す 事、 降 る 

雨の 如くな, 9。 中に も 波 根が 射る 矢、 政 光に 中 b て. 踏よ, 逆に 落つ。 是を 見て 服 



寺,^ 園む 



部常陸介、走,.^懣.^て首を取る* 攻 光の 家人 原河內 守、 主の 敵 あまさ じ, と、 服 部 を 

突 臥せ 其 頸をぞ 取.^ ける。 蓮 池の 輩, 政 光の 討死 を 見て、 小 田 右 大夫利 光 を 初 

め、 犬 塚 彌七郞 械久. 山 田河內 守. 同 善九郞 .同 福 童 丸 • 江 口 兵 庫 助. 间善左 S 門. 栗 林 近 

江 守 .s^ 。內田 右 馬大夫 .ぉ 龍 i ぃ间三 左衞門 • 末 次 與七郞 • 同 W 可舜 f 齋 以下 宗徒の 

者 六十 餘人、 敵中 へ 紐 入.^ -,^ 討死し、 殘兵は 皆 敗軍す。 城 方 江上 にも 執行 ssi 

入道 宗圓、 子息 越 前 守が 見えざる を 尋ねて、 馬 を 敵陣 へ 乘 込め 討死す。 其 外 西 和 泉 

守. 间忠 三郎. 同 新太郞 父子 三人 も 討死し け,. >。 斯くて 神 崎: a へ 向うた る 犬 塚の 一 

族 も 討 負けて、 伯耆守 鑑桌は 討死し、 彈正 少弼 iT へ は 深手 を 負 ひて 己が 館へ 引返 

(. » 此事、 隆 信の 本陣 へ 開 えし かば、 其時隆 信、 さらば Jaf 士を 進めよ と, 姉 河 を 打 

立つ。 則ち 姉 河が 家人 裸 石 見守. 堀江 藏人 以下 を 先手と し、 福 池 長 門 守 信 前: • 三 浦 下 

野 守 純 就 *納 富 左 馬 助信景 以下 大軍 を率ゐ て、 其 勢 山 を 裂き、 堂々 と 太鼓 を 早め 押 

寄せけ.^。 此時、 江上 も 神代 も 早速 軍士 を 引 揚げ、 武極は 田 手の 曰吉 城へ 引 籠り、 

勝利 は橫 大路 を 西 へ 河 窪 へ 廻,.^山內に引歸る。 時し も 今宵、 小雨 交 b に 雪降りて、 

城原攻 少^ 冬 倚 自害の 事 



* 肥戦篛 卷之 十四 さ 一八 

u 条い と閽 か. ければ、 勝利 河 窪に 著き し £ 、當所 白 鬢大明 神の 神主 白水 讚岐 守に 

申 付け、 續松を 出させ、 其 光に て 三瀨の 城へ ぞ歸 b 入りけ る。 斯くて 隆信 は、 勢鯧 

寺 成 へ 押 寄せられ、 寵造寺 右 衞門大 夫 家 就 • :iE 名備 後守鎭 :1^* 同 伊賀 守 家 直. 納富左 

馬 助 信景. 福 地 長 門 守 信 重 • 三 浦 下野 守 純 就 • 小河玄蕃允信.《^以下、 彼此 四千 餘騎を 

以て、 大手. 搦手 二手に 分れ 遠攻 にこ そせられ けれ。 されば 今度の 合戦に、 隆信、 小 

田. 犬;^ を援 はれざる 事、 仔細 ある 事な,... • 彼の 輩 は 元 來少貳 家 骨肉の 者 なれば、 

當時寵 造 寺に 從 ふと 雖も、 行末の 事覺 束な く、 必ゃ怨 にもなる べしと 思 はれし 故、 

此度 先手 を させられ、 態と I 殺に せられし とぞ閡 えし。 不義の 至と 人々 さみし 巾 

しけり。 斯くて 勢 福 寺の 城 中には、 少«屋 形 を 守護して、 河 津紀伊 守. 牧左 京亮. 光 

益 新 三, 宗左馬 助. 寧 今 泉幷に 江上の 一 族. 同家 人 等、 身命 を拋 つて 持 口 を 防ぎし 

かば、 佐 嘉勢敢 て 近づき 得 や、 二三 H は 徒に 城を圍 みて 居た ち。 

一 、 同月 十五 日、 隆信、 勢 福 寺 城を圍 みながら、 軍兵 を 差分け て 小 田 政 光の 居城 蓬 池 

を 攻めさ せらる。 是は此 度、 牟 田の 前の 合戰 に、 政 光を援 はれす 捨殺 にせられし 



g 信 政 光 

の 居城 蓮 

池 fi* 攻む 



政 光の 老 

臣 深町理 

忠 戦死 



事、 彼の 子供. 家人 等、 iM きて 大に 恨み 思 ふ べし。 さあら ば 竟に隆 信が 仇と もな な 

べき 間、 所詮彼の城を攻め干し、政光が從者悉く鏖にせむと思案ぁbての事な.=^。 

斯くて 蓮 池の 城 中には、 政 光 討死して 未だ 七日 過ぎ や、 其經營 に取亂 し、 其 上 龍 

造寺ょ,.^當城を攻むべしとは、思ひ寄るべ き 事なら ねば、 鯨波 を 開いて 上下 "入に 

周章て 東西に 立 迷 ふ。 其 中に 老臣 深 町 入道 理忠、 城 SS を 持って 栩戰ふ • 時に 佐嘉 

勢の 中よ.^、 水 町 左 京亮. 宮崎 伊勢 守. 北 島 河內守 以下、 進んで 相戰ひ 谷! 分捕す。 其 

隙に 寶琳坊 の 住持 眞如坊 澄 能の 才覺を 以て、 政 光の 子 彈正少 弼鎭光 • 中 格 大輔朝 

光. 左 近 大夫增 光. 其 外 老若男女、 城屮を 出し 筑後國 三潴^ へ ぞ 落し 遣し ける。 斯く 

て 深 町 入道 は、 城 內の輩 を 落さむ 爲め、 散々 に戰ひ 終に 討死し け. 9。 此 入道 討た 

れ しかば 诚は 則ち 落 去す。 W 今度 討 たれし 城兵 共の 死證 を、 隆 信の 實儉に 入れけ 

る 中に、 深 町 入道が 首 あ,.^。 隆信、 是を 見られ. さて/ \此 入道 は 討つ まじき 者な 

る を、 我れ 先年、 敵の 爲め城 を 園 まれ 旣に腹 を 切る ベ きに極ま..^しを、此の理忠入 

道が 情に て 其 園 を 免れ、 今に は 運 を 開き 甚だ 武威 を 振 ひぬ。 然るに 此度、 我等! il 

城 • 脎攻 少^ 冬尙 自害の 事 0^ 



北 肥 戦^ 卷之 十四 暨 {> 

を 添へ ざる 故 討 たれぬ るこそ本意なけれと、大に悔まれけ,.^。斯かる處に、年の頃 

八 九 歳の 童 を 生 捕 来れ..^。 侍の 子と 見たり しかば、 皆 打 寄.^ て、 親の 名 を 問 ひ 

しに、 深 町 理忠と 答へ ぬ。 其 旨、 隆 信へ 披露し ければ, 大悅 あって 彼の 年少 を 助 

けられ、 後に 百 町の 食 祿を給 はり、 御家人と なして 深 町 ssi 號し、 天 正 十二 年 三 

月、 隆信、 島 原に て 落命 ありし 時、 ともに 忠死を 遂げけ hN。 其 子孫 今に あ, 9。 

、今度 蓬 池 落 去の 時、 政 光の 父 M (ザ駿 河 入道 覺派 は、 聊の 事あって 蓮 池の 居城に. 

な ゆき 

あらす、 東 散 じて 後、 歸城, して 政 光 父子の 成 (わ、 一 々委しく 尋ね 聞き、 大に 悔み 腹 を 

立てしかどもカ及ばす、家人は§!E落ち失せて主從ニ人にな..^ぬ。 覺派、 今に はす 

ベ き樣 なく、 口惜しき 事 かな • よし 今 は 腹 を 切る ベ しとて、 城よ, 西に 當 b 

て、藏:Hii敷のぁh^しに入,oて、 心靜に 自害し け.^。 一人 附添 ひし 家人、 甲斐々々 

しく 主の 死骸 を取隱 し、 其 家に 火 を 懸け、 煌の 中に て腹搔 切り、 ともに 冥 火と な 

ける とぞ 聞え し。 

、期くて M 造 寺隆信 は、 彌,^ 城 原 勢 福 寺 城を圍 みて、 日 を 累ね早 十二月 朔日 にな 



龍 造 * 神 

代 江上 和 

平 



隆 信勢扃 

寺 城.^ 陷 



る 



小 ノ^ 冬尙 

自害 



ぬ。 斯 かる 處に 同月 三日、 河 上 實相院 の 座主 增純法 印の 愀 t- て、 千 葉. 少戒. 龍 化 3 

寺.江上.神代和1^^調ひ、 此移 異心 ある まじ. n 由、 一 紙の^ 請 文に、 戠造寺 山城 守 

籐原隆 信. 神代 大和 守武邊 勝利. 江上 左 馬大輔 大蒇武 ffl と 三人の 名 を 載せ、 神 名に 

血を灑 いで、 河 上 社の 寶 殿に ぞ籠 めら れ ける • 斯か, 9 し 程に、 小 城. が 神 崎. 

事の 化に 歸 して、 旣に賣 炭の 冬 も 暮れし かば、 隆信、 勢 福 寺 城の 圍を 解き、 急ぎ 佐 

嘉の 城へ ぞ歸陣 ありけ る。 

1、 旣に佐 嘉. 小 城 • 神 崎和與 あって、 隆信、 佐嘉 へ歸陣 ありし かば、 少貳 方の 輩、 一 旦 

堵の思 ひ をな し、 屋形 冬尙も 心安く 思 はれけ るに、 翌 くれば 永 祿ニ年 己 未 正月 

上旬 • 隆信, 俄に 軍 を 起し 又々 城 原に 押 寄せ、 勢; i 寺 城 を 去 冬の 如く 取圍 み、 柬 

西南北ょ,.^攻めらる。 舊冬 十二月 三日の 和談 は、 其 不意 を搫 たむ 爲の 偽な りけ 

り。 元よ b 城 中 思 憑な く油斷 して ありし かば、 防 戰叶ひ 難く、 江上 武種、 則ち 降 

人となりて 城 を 出で、 筑移國 へ 赴きし かば、 冬尙は 羽拔の 鳥の 如く 成果 てられ、 す 

へき$^なくして、同月十 一 n 終に 生害 せられけ b。 生年 三十 三な,.: >。• 法名 安心 本 

城 Si 攻少^ 冬尙 自害の 事 S 



北 肥 戦 誌 卷之 十四 S 

海と 號す。 昔右大 將朝賴 公の 時、 彼の 冬尙の 先祖 武藤小 次 郞資賴 、鎭 西へ 下向し 

太宰少 に 任じて 以來、 今の 少貳 冬尙に 至って 旣に 十三 代、 星霜 三百 七十 餘 年に 

して、 當家 衰滅し ける こそ 歎 はしけれ。 斯くて 隆信 は、 年來の 家の 敵少 1^ 屋形を 

-Dし江上をも追落して、大に悅び佐嘉へ歸陣ぁ.^け,.^。 

或はい ふ、 今度 江丄、 早く 城 を 去りし 事 は、 隆信、 計略を以て內通ぁ.^し故、冬 

尙を 捨てむ 爲 めな りと。 

或はい ふ、 冬尙 も、 今度 江上と 同じく 城 を 忍び 出で、 有 馬 仙 岩 父子 を賴 み、 籐津 

の 方に 赴かれし 處、 七 浦に て ふと 煩 出し、 死去 あ. しと も。 

千 葉 介胤賴 討死 附妙見 太刀 由来の 事 > 

今度 城 原に て 生害 ありし 太宰少 冬尙 は、 前 少贰資 元の 摘 男に て、 男女の 兄弟 多 か 

(政 力〕 

•5 け, 9。 一 .< は, ^ 興 御曹司と 申して、 頃 曰 は 譜代の 家人 馬場. 橫岳. 宗. 出 雲. 朝日. 筑 

紫に 守護せられ、 東 肥 前に 居住 あ. y。 一 人 は 小 城. 郎司千 葉 丹 波 守 喜 胤の 家督 を續 ぎ、 



扦 ほれ al 一 其 息女に 相 嫁して 千 葉 介 凰 賴と號 し、 此時、 晴氣の 城に あり • 又 一人 は 河 副の a に 

賴0 連と 

^和の 原 忍んで あ-. = ^け. 5。 末1人は女子な.^* 然るに 晴氣の 千 葉 介 31 賴、 同名の 蹴 連と 不 

和にして、近年合戰する事度々に及べ,.^。 其 故 は 胤 賴は元 來少貳 の 子な. >。 恩 連 

は寵造 寺の 壻な. 9。 少贰と 龍 造 寺 は 怨敵な,^。 依,^ て 胤賴は 兼ねて 少 15^ に 力 を 合 

せ、 胤連 は 龍 造 寺に 一味し け,^。 斯くて 今年 正月 十一 曰、 隆信、 大勢 を 以て 城 原の 

城 を 取 詰められ、 少貳屋 形 冬 尙必ゃ 落 去た るべき 由、 小 城へ 聞 ゆ。 千 葉 介 胤連、 時 

を 得たり と悅 び、 同 十 一 日 急ぎ 人數を 催し、 牛 尾の 城 を 出で 问 名 胤賴の 晴氣の 城へ 

胤賴 胤連 取 爆る。 時に 胤賴、 城 を 出で 東の 方の 山路に 於て 胤連と 相戰 ふ。 され ども 胤賴、 折 

合戰 またもの 

節 無勢な りし かば 合戦 終に 打 負けて、 家人 十二 人 • 又 者 四 人 討死し、 其 身 も そこにて 

胤 賴戰死 討 たれに け..^。 軍 返 散の 後、 三 間 寺の 竹隱 和尙、 是を憐 み 其 首 を 牛 尾より 乞 請け、 

死骸と 同じく 則ち 三 間 寺に 葬 七日の中陰六曰ょh^は寺家の取成し、4D戰場に卒 

都 婆 を 立て 施, 鬼 をな し、 同じく 書寫經 一 部、十六日に之を修し懇に弔はれけ.^。 

年廿八な,^。 法名, 禪の三 間 寺に 於て は、 天 受本龍 大禪定 門。 法 華の 极尾 山に て は 

千 葉 介 胤賴; 微妙 《^VK 刀^^の 尊 0m ; ' . 



同 

由 
來 



北 肥 戦 誌 卷之 十四 i 

a 賴と號 す。 然るに 彼の 胤賴に 男子 一人 あ.^。 父胤賴 討死の 後上 佐嘉河 窪へ 赴 

き、 以前の 好 を 以て 神代 家 を 頼み、 後に 千 葉 屋形规 誠と ぞい ひける。 此胤 誠に、 先 

祖 累代 相傳の 重寶 三つ あり。 一 に は 妙 見 菩薩の 尊像。 二に は 妙 見の 太刀。 三に は 

家の 系圖 な,.^。 此重寶 北 〈を、 後に は 皆代郝 家へ 讓.^ 與 へられ、 其 上 平氏 幷に 二月 星 

の 慕紋. 先祖の 諱字 常と いふ 一字 を 授けられ けり。 

1 、彼の 三つの 寶に. e 緒 あ b 。千 葉 家の 曩祖、 昔 關東下 總國に 住せし 時、 或る 所の 小 

整の 上に 稚 童子、 忽然と 現 はれ 居たり。 一 其 傍に 妙 見 菩薩の 佛 像と 太刀 一 振 之 あ 

り。 此兒の 装、 更に 尋常なら ャ 不思議の 事な b しかば、, 一頓て 帝都へ 奏聞 あ し 

に、 則ち 國の 守護 職、 是を 養育して 子に すべ き 由勅定 あ,. 其 時の 國守 下總權 介 

卒忠 常、 此兒を 養 ひ 成人に して、 千 葉 介常將 と ぞ 巾し ける * 父 もな く 母 もな く、 

月 星 を 以て 兩親 とし、 家屋の 外に 生れた る 故、 月に 星 を 慕の 紋 とし、 小笹の 上に 

現 はれし 故 • 千の 葉と いふ 心に て 千 葉と 號し、 替紋に は 根 $ ^を 用 ふ。 W 妙 見 菩薩 

を下總の國へ勸請し、其社に彼の太刀を籠め置きけ.=^。 然るに 太刀の 德、 天に 通 



- じけ るに や。 ある 時、 雷此 太刀に 望 を 憑け 鳴 下. ^ て 、是を 摑み虛 空に 昇らむ と 光 

.0 渡 リしを • 忽ち 妙 見の 神體現 はれ 給 ひ、 卽ち奪 返し 給 ふとな り。 其 時 ,雷の 抓 

きたる 形 あ, 9。 是ょ. 此 太刀 を 雷 太刀と も、 又 妙 見 太刀と もい ひ傳 へた.,^。 然 

るに 文^の 頃、 千 葉介敎 ST 此 太刀 を 帶し大 村 を 攻めて 歸陣 せし に、 藤津 濱の祇 

圚の御 鶴に て、 新介敎 胤、 件 島の 大 町の 入江 篠 島の 沖 M はばに て 船を欖 し、 海底に 

沈みし を、 三年 を歷て 同氏 凰 朝の 時、 妙: nkj 菩薩の 靈夢を 蒙. o、 彼の 海中 を搜 させ 

て 見る に、 則ュ b 探り 當て 取上げた. o。 斯 かる 稀代の 名 な. し 故、 年經て 後、 

此 太刀、 肥 前 太守に 召されし とぞ 聞え し • 



北 肥 戰誌卷 之 十四 終 

千 葉 介胤賴 討死 附妙見 太刀 曲 來の來 さュ五 



侍 
島 

合 
戦 




^0m0 卷之ヤ 5 M 

誌 卷之 十五 : . I 





筑前國 侍 島 軍の 事 . 

永 祿ニ年 己 未、 筑前國 五箇山の 頜生筑 紫 右 馬頭 惟門、 此 二三 箇年、 大 友に 攻められ 

山中 へ 引 籠.^ しが、 今年の 春、 居城 武藏 へ 立歸,.^、 大 友に 對し 又々 逆 意 をな しけ. cs。 

此事、 豐 後へ 聞 ゆ。 是を 誅伐の 爲め、 眞 光寺 佐 藤 刑 部 ーを檢 使と して 差遣し。 筑後 • 

肥 前の 輩へ 早速 惟門 を 退治すべき 由、 大 友義 鎭 下知せられ けり。 然る 間、 筑後 上下の 

諸將. 肥: i の 橫岳右 馬頭 資誠 .犬« 山城 守尙家 •;£ 名 爲部大 輔尙重 等、 彼の 兩 人の 撿 

使と ともに、 四月 二日 惟門が 武藏の 城へ 取懸 る。 され ども 合戦に 及ばす 矢 軍 計. 

にて、 寄 手の 諸 軍 引返き しに、 惟門の 家人 附 送.^、 侍 島に 於て 散々 相戰 ふ。 時に 大 

友の 軍士 打 負けて、 府內 よりの 檢使佐 藤 刑 部丞立 所に 討 たれぬ。 是を 見て、 肥 前の 



大友勢 敗 

北 



犬 1^ 尙家、 筑 後の 星 野 鑑泰. 問 注 所 鑑晴. 麥生 兄弟 返 合せく 皆 W 死し けり • 其 外 蒲 

池武 藏守鑑 盛. 田 尻伯耆 守 親種蹈 留ま,^ て、 大に 挑戦し、: 中に も 田 尻が 手に は 敵の 

首 五十 三級 討 取..^ しか ども、 敗軍の 習、 其 場を蹈 ます • * 方に も; jSS たる. -者、 田 尻 

尾 張 守 種 任. 同名 美 作 入道. 同 次 郞三郞 種 益幷に 家人 七 人 • 又 者 十三 人、 彼此 戰死廿 

三人。 疵を 蒙る 者 田 尻玄榮 入道 以下 五 人な, 斯か b し 間、 諸家の 親類 被 官も對 

死す る 事數を 知らす、 竟に筑 後 衆 敗軍し けり • 時に 草 野眞淸 が、 大友 方に て 去々 年 

ょ.^宫尾の城に在番しけ るも、 » へ すして 落 去 け, 9、 總て豊後勢敗軍な,.^。 

草 野 眞淸、 其 後又宮 尾の 城に 差 籠.^ し を、 筑紫 惟門、 夜 討 を 以て 打 崩し。 惟門の 子 

廣 門の 二 九 一丸と て 、未だ 年少の 時、 眞淸 一 所に あ. し を も 抱 取り、 又 五箇山へ 

引 入, 9 ぬ。 

秋 月 筑紫龍 造 寺大友 へ 和 を 乞 ふ 事 

同年 秋 月 左 兵衞尉 種實、 ^^^!: 守是も 去々 年大 友に 攻められ、 父 文 種 生害の 後 は、 

筑前阔 侍 島 軍の 事 秋 月 筑紫龍 造寺大 友へ 和.^ 乞 ふ 事 量 七 



攻 山月大 

むの ゃ犮 

城 古 勢 
な 所 秋 



北 肥 戦 卷之十 玉 達< 

中 國へ落 行き 成長して, 今年 は 十二 歲 にな りしが、 今度 筑 紫と 申合せ、 中國ょ.^舊 

地 秋 月へ 歸. 入 b 、古所 山の 本 城に 楣 籠り、 大 友に 向って 父の 仇 を 報いむ と、 深く 

逆 意 を 挾みけ. 9。 是に依 h- て豊 州よ, 9 彼の 討 手と して 1 田 北大 和守鑑 生、 其 外の 宿 

Q 、) 

老幷に 南 郡 衆 • 肥 後 衆 皆々 出陣し、 早 晚先づ 日- S 表へ 著陣 せしめ、 夫よ.^ 左右 良 

山へ 陣替 あり。 筑後衆 も 出 勢し、 其 後 鳥 留に陣 を 移し、 則ち 休 极へ差 寄せ 陣を取 

^、秋 月が 古所 山の 城 を 攻めむ とす。 されども此城無雙の要害な.^しかば、《<^易攻 

め 登る 事 叶 はやして、 諸手の 大友 勢、 數 H 徒に 城 を 見上げ 在陣 しけ.. >。 斯くて 谷: 

ft 定し、 南 郡 衆と 肥 後 勢 は、 其 儘 休 松に 控へ陣 を 取り、 府內の 宿老と 筑後勢 は庄山 

てだて 

へ陣を 移し、 樣々 行 を 廻し けれども、 彌.^ 古所 山の 城 堅固な. =^。 斯 かりし 程に 次第 

に秋にもな,.^、諸勢皆山中の長陣に勞れ、 其 上 庄山は 高山に て 秋 霧 深く、 馬. 物具悉 

く 損失し、 士卒 大に 困窮し ければ、 田 尻伯耆 守、 一 書 を 以て 右の 次第 を 申し 碎き、 先 

づ先 づ山隈 原へ 陣を 直され 然るべ くも や 候 はむかと、 豊 後の ー將田 北大 和 守へ. 申 

送りぬ • 鑑生 も是に 同意し、 休 松に 於て 南 郡 衆の 陣へも 談合 あ. y。 何れもー致^^ 



5 しかば 、頓 て? 勢、 山隈 へ陣替 K 時に 筑 紫が 家人 4ir 田 代まで 討って 出で *豊 後 

大.? IB 勢に 向って 少々 取合 あ しか ども、 さした る 行に 及ばす、 皆 五箇山 へ 引 人..^ け,. >。 

展に 退却 

斯くて 大友 勢, 先づ 古所 山を閣 き、 肥 前の 龍 造 寺 か 或は 少贰を 攻め 崩し、 或は 小 m. 

江上 を 追 出して、 一 雅意を 動く 間、 是を 攻め 干すべし と 談合して 、八月 廿八 :11、 旣に 

畠 山まで 陣を 寄す。 此時蓮 池の 小 田 SS 光. 城 原の 江上 武種 は、 浪人に て筑 後に あり 

しが、 大友 勢の 佐 嘉を攻 むる と 聞いて 大に悅 び、 寵 鱗に 付き 鳳 翼 を 攀ぢ. て、 此度 

望を達せむと思ひ、各.^筑後を打立って肥前の舊領に入りけ,.^。 彼の 小田鎩 光の 兄 

弟 は、 去冬隆 信に 攻められ、 蓮 池の 城 を 落ちて、 先づ 私頜筑 後の 三潲に 到.. > 、夫より 

^0^ 頃::: は 坂 東 寺に あ. けり。 ^^從者六百餘人とな,..^。 斯くて 龍 造 寺の 城 中には、 大 

友 勢 を 防がむ と樣々 評議 あ...' しか ども、 所詮 一 旦和を 乞 ふべき に 衆議 決, C えし、 九月 

十五 日、 隆 信の 名代と して 龍 造 寺 左衞門 佐鑑兼 を、 今度 豊後 衆の 陣 したる 山へ 差 

出し、 和議 を 求められ しかば、 隆 信の 訴に 任せ 無事に 調 ひ、 大友勢 は 夫よ bis^J 返 

し、 筑前 若宫庄 河底と いふ 所に 陣を 移す。 斯か b し 間、、 小田鐄 光は舊 ffi 五 千 餘町セ 

, li^ 月筑! -fsH?.K.i^ へ 和ん 乞 ふ iss- 逢 A 



秒 月 種 Pi 

に 乞 ふ 



筑紫 惟門 

和^ 大灰 

に 乞 ふ 



$s 卷之 十五 S3 

安堵して、 連 池の 城に 歸,^ 、 入江 上 武種も 本領 二 千 五 百 町 を 返し 與 へられ、 城 原 勢 

福寺の城へ立歸りけ.^。 

1、 斯くて 大 友の 軍士の 內、 豐 後の 輩 は 筑前國 河底に 在陣 して, 彌- 古所の 城 を 差 詰 

め、 筑 後の 輩 は河邊 下野 荒瀨 村に 到 b て, 夫よ. H 二 桑 木 へ 陣を 寄す。 然 る に 古所 

の 城、 長々 敵に 圍 まれ 籠城 叶 ひ 難 か b しかば、 城主 秋 月 左 兵衞尉 種實、 詫 言 深 重 

を て 和 を 乞 ひけり。 此事、 田 尻 伯耆守 取次に て、 豊 後の 一 將田 北大 和 守 鑑生承 

•引ぁ,.^。 則ち 其 一 禮の爲 め、 種實ょ b 同名 越 前 守 を、 豊後 衆の 陣 河底へ 差 出し、 

>JS- あはせ 

田 尻が 取合 を 以て、 今度 種實、 籠城 宥 免の 禮を 述べけ り • 扨 田 尻 は、 古所の 城へ 

登.^、種實をra道にて江河の山中へ下b、種實下城すj 然る 間、 秋 月 表先づ 平均 

して、 豊後. 筑 後の 大友勢 、皆々 開陣 しけ, o。 其 中に も 田 北鑑生 は、 三 桑 木の 田 尻 

陣 所へ 一 宿ぁって歸陣な,.^。 

1 、 筑紫右 馬頭 惟門 も、 秋 月が 大友 へ 降参の 由 を 聞 い て、 力 を 落しけ るに や。 五箇 

山隱 住の 所よ b 大 友に 到て, 深 重 懇望 を 以て 降参す ベ き 由 申しけ る 間、 是も田 尻 



な 勝り f/f 龍 
挑 利て 使 造 
む、 に 神ん 寺 
戰 代送隆 



親種調達にて宥免ぁbけh^。 爱に 於て 九州 一 旦靜籯 す 

河 上合戰 神代 勝利 沒 落の 事 

永 祿四年 辛 酉 九月 上旬、 龍 造寺隆 信、 使 を山內 へ 遣し、 神代 勝利 へ 申されけ る は、 隆 

信、 御 邊に對 し戀情 片時 も 止む 事な し。 所詮 有無の 一 戰を 遂げて、 兩 家の 安否 を 極 

むべ し。 然れば 今月 十三 日、 山と 里との 境 なれば、 河 上へ 出合 はれよ。 勝負 を 決し 

申すべし とい ひ 送られけ,. >。 勝利、 仔細に 及ば やと 返答 あ b。 其 後-又 勝利よ.^ も • 

河 浪職河 守 を 龍 造 寺へ 差遣し、 彌<當 月 十三 日. 河 上に 出合 ひ 勝 劣の 程 を 試み 候べ 

しとい ひ 遣され け. 9。 斯くて其日にな,.^しかば、勝利、熊川の城にて勢を揃へ、 都 

合 七 千 餘騎河 上に 出張し、 手 合 を 定めて 口々 を 差 固む。 先づ 勝利 は 三瀨內 藏助武 

家. 同名 長 門 守 安家. 古河 佐 渡 守. 同 新 四郞. 嘉衬 讚岐守 父子 • 畑 瀨越前 守 父子、 其外恆 

や 島 E: 菖蒲. 栗 並 以下 二 千 餘騎を 引分けて、 淀 姬大明 神の 西の 總門を 本陣と す。 

» 大手 宮原ロ をば、 嫡子 刑 部 大輔長 良 を大將 にて, 神代 備後 守蕃元 *同 豊前守 兵 

河 上合戰 神代 勝利 - 落の 事 jisa 



神代 應諾 

L て 河 上 

に 出陣 



に隆 
出 信 
陣河 
上 



北 肥戦篛 卷之十 2 、 

衛尉. 福 島 周 防 守 勝 高 .:^^ 伊賀 守 利 高. 中島 上 總介鑑 連. 千 布 因幡 守 家 利、 其 外 江 原. 梅 

野, 國分. 小 副 川 • 一番 瀨を 初めと し、 三千 餘騎を 以て 差 回む。 又大明 神の 前 南 大門 

へ は、 次男 兵 部 大輔種 良 を大將 にて、 松瀨又 三郞宗 It. 同 能 登 守 利 tK. 枉紀伊 守稱滿 

其 外 合瀨. 名 尾. 芹 W 以下 一 千 三百 を 以て 相備 ふ。 W 河よ, 9 東都 渡岐ロ をば、 三男 淸 

次郞周 利に、 八 II; 宗暘を 副へ、 酋河 伊豫 守. 古場. 杉 山 • 鹿路, 大野の 者 共、 其 外 千 葉 介 

凰 誠の 家人 彼此 合せて 一 千 五 百餘騎 にて 固めたり。 頃 は 永 祿四年 九月 十三 日、 隆 

〔昆 力〕 

信 も KM ん 其 勢 八 千 餘騎を 以て、 また 鷄 鳴に 龍 造 寺の 城 を 打 出 でられ、 軍 を 三つ に 

引分けて 河 上へ 押 寄せら る • 先づ 東都 渡岐 口へ は、 舍弟左 馬頭 信 周. 從弟左 衞門佐 

鑑兼. 小 河 大炊助 信 友 以下 二 千餘騎 にて 向 ひ、 又 河よ, 西南 大門 口へ は、 納富但 馬 

守信景 |§。はォ を大將 にて 二 千 五 百 餘騎、 河に 副 ひ 松原に 據 つて 押 寄せ、 隆信は 三千 

五 百餘騎 にて、 西 山 田よ.^ 大手 宫原ロ へ 押 詰めら る。 旗本の 先陣 は廣橋 一 祐軒信 

了。 二 陣は福 地 長 門 守 信 重。 三 〔1 脫〕 は 旗本に て、 後陣に 龍 造 寺 兵 庫 頭 長 信な.: V。 

又 馬 廻の 侍に 馬 渡 刑 部 少輔. 倉 町 太 郞五郞 • 石 井 刑 部 大輔. 同源 次郞 とて、 無 雙の荒 



河 上 合 者 四 人 あ.^。 隆 信の 馬の 前後に 相 供す。 斯くて 十三 日の 辰の ー點、 先づ 大手 宮原 

口よ ち 軍 始まって、 敵 味方 弓. 鐵炮を 打 違へ、 神代の 陣ょ b は 神代 兵衞 尉. 江 原石 見 

守 一 番に检 を 合す。 龍 造 の 先陣 廣橋 一 祐軒 • 士卒 を勵 し、 I 足 も 返くな。 懇れく 

と 下知 をな す。 され ども S: 代が 山 内 勢、 無二無三に^ ひ 戦うて、 龍 造 寺の 者 共 利 を 

なだれ 

失 ひ、 南の 方へ 雪崩 立ち、: 先陣の 廣橋 入道 旣に討 たれむ とぞ 見えたり ける- 隆信辟 (; 

ねての 軍制に、 先陣の 敗 は ニ陣の 不覺、 先陣の 勝 1^ ニ陣の 手柄と 定め 置かる。 然る 

に 先陣の 一 祐軒打 負けた,.^ と遙に 見られ、 二 陣の者 共 を大に 怒. て、 自ら 采配 を揚 

げ 馬を禝 木口へ 乘 廻され、 馬 廻の 者 共 を 急ぎ 先陣に 入替. へ、 ニ陣を 頼むな • 進め 進 

め, 頻に 下知 ありし かば、 四 人の 荒 者 を 先と して、 旗本の 輩 我れ 劣ら じと 相 進み、 

二 陣の福 地 長 門 守 も、 五 百餘騎 にて 入替 る。 時に 神代の 陣 より 武藤左 近 將監と 名 

乘.=^て、福地に突ぃてsる。 長 門 守是を 見て、 能き 敵な りと 思 ひし かば、 人 交 もせ 

す 突 合 ひしに、 武藤、 如何したり けむ。 福 地が 檢を 請け 迦し, 胸板 を 突かれて 仰に 

倒る。 福 地が 與カ小 林 播磨守 走ち sh,- て 其 首 をぞ取 b ける。 此外大 庭石 見守 は、 

河 上合戰 神代 勝利^ 荡の事 ulslll 



北 把戦篛 卷 N1 十五 一 鐘 

神代 中務 1^ 一 を 射 伏せ、 納富越 中 守 • 北 島 河內守 以下 進んで 分捕し、 签閑三 河 守 光家 

相戰ぅて軍功ぁ..^。 斯くて 南 大門 ロ极 原に も、 同じく 軍 始ま て、 神代 兵 部 大輔と 

納富但 馬 守 火 を 散らし 相鬪 ふ。 然 る 半ば に、 勝利の 東の 手 都渡岐 の陣 に、 野心の 者 出 

來て 大將淸 次郞を 刺殺し ける 程に、 此 口の 軍、 神代 勢亂れ 立って 悉く 敗軍し、 八戶 

宗暘疵 を 蒙.^ 山內 へ 引退く。 斯 か.^ しかば、 龍 造 寺 左 馬頭. 同名 左衞門 佐. 小 河大炊 

助 以下の 輩、 愛 をば 打 捨て 河 を 駆 渉し、 納 富が 攻ロ南 大門へ 押 寄せ、 神代 兵 部大輔 

の 陣へ撗 合に 切懸 る、. 時に 神代 勢、 柬 南の 敵 を 防ぎ 兼ね、 四度路 にな. 9 て 見えけ る 

を、 兵 部 大輔、 目 を 怒ら かし 士卒 を 下知し、 一 足 も 引くな 、厭 入. = ^て 皆 討死せ よ。 爱 

を も 破られな ば、 大手の 軍 難儀なる べし。 進め. (-t 頻に 采配を振って、 自身 敵に 

相當 る事數 回な. 9。 是を 見て 其 家人 松 瀨能登 守. 馬場 四 郞左衞 門 を 初め、 佐嘉 勢に 駆 

入.^ て 悉く 討死す。 大將兵 部大輔 も、 餘 b に 進んで 打戰 ひ、 御手洗 橋の 邊 にて、 敵に 

組まれて 討 たれに け,. >。 欺か.^ し 程に、 南 大門の 軍 も、 山 內衆打 負けて 皆 散々 にな 

.h^しかば、 龍 造 寺の 軍兵、 愛 を も 打 捨て、 勝利の 本陣 大明 神の 總門 へ 攻め 近づ き、 後 



神代 勢 敗 

軍 



を 取 切らん とす。 勝利、 今 は 泳へ 兼ね 八 反 原の 方へ 引返く。 斯様に 口 々敗れし 5- 

あちら こちら 

ども、 大手 宫原 口の 軍 は、 未だ 果て やして 隆 信の 旗本と、 長 良の 軍兵 東風 西風 相 戦 

ふ。 愛に 竹 藪 を 隔て、 戰ふ所 あ.^。 佐嘉 勢の 中より, 馬 渡 刑 部 少輔信 喜、 是を 見て 

堀の 岸 を傳ひ 寄,^、 藪 越に 敵の 突出す 槍 を 六 七 本 奪取り け.^。 斯くて 龍 造 寺の 士 

卒、 水 町 左 京 亮信秀 以下、 大に 進み 戰 つ て、 長 良 終に 打 負け 山內 へ 引返く。 佐嘉 勢、 

是 を大將 よと 見て、 遁 さじと 追 駆けた h.。 長 良. 屹と 見て 長身の 檢に、 血の ォき たる 

を 振 廻し、 墓 ふ 敵 を 突 退く。 され ども 佐嘉勢 彌.^ 附慕ひ 、遊れ 難く 見えた, しかば、 

長 良、 旣 に 高 畠複木 の 下にて 腹 を 切ら むと せら, れけ り。 是を見 て 長 良 を 落 さむ 爲め、 

福 島 周 防 守. 同 伊賀 守 • 同彈 正忠. 同 新 三郞。 祌 代兵衞 尉. 梅 野 源 太左衞 門 • 中島 上 總介 

以下、 近づ く 敵に 馳せ向 ひく、 我れ 先に と 討死し、 江原石見守は生捕とな.^けh^。 

其 隙に 神代 備後守 走 b 寄って、 長 良の 自害 を 押 止め、 能く 御 忍び 候へ と、 藪の 茂み 

べ藏し 置き、 己 は 敵に 渡 b 合 ひ、 福 地 長 門 守が 手の者 三人 切 伏せ、 猶長 s: 守へ 切懸 

りし を、 福 地が 家人 懸. 隔. o、 備後守 をば 討 取 b け, or 愛に 神代 勢に、 西 原 左衞門 

. 河 上介戰 神代 勝利 ?^仅 落の 事 8 



神代 父子 

熊 川 城 LL 

退却 



塍信 凱旋 



< ^肥戰 誌 卷之 十五 . 一一 1SJ 

とて 隱 なき 精兵 あ b。 長 良 を 落さむ と 防 矢 散々 に 射 • 矢種 射靈 しければ、 避 を か 

なぐ. 捨て、 太刀 を拔 いて 渡, 合 ひ、 痛手 多く 蒙. cO かば、 進退 叶 はすして、 と ある 

所に 打 臥したり。 斯くて 勝利 は、 S ふ 敵 を追拂 ひ、 八 反 原まで 落ちられ しに、 佐嘉 

勢 追 駆け 來, 9 て、 落人 ある ぞ。 對留 よと 聲々 に觸れ 呼ば は, しかば、 近邊の 野伏盜 

賊、 蜂の 如くに 起り 集 b ける を、 勝利、 是 を追拂 ひて、 仔細な く 熊 川の 城に 入 b け, c,。 

長 良 も 又 其 夜、 忍びて 熊 川へ 來られ けり。 斯くて 隆信 は、 今度 河 上の 合戦に 打 勝た 

れ、 鐵 布の 無念 を晴 しける よと 大に悅 び、 則ち 勝鬨を 揚げられ、 下 於 保 村に て 生 捕 

共 を誅戮 あ,.:^。 佐嘉へ歸陣せられけh^。 . 

或はい ふ *此 軍に、 勝利 も 討 たれし とて、 そでな き 首 三つ あ b しとな hN。 

或はい ふ、 勝利の 次男 兵 部 大輔種 良、 此度生捕とな,.^、 下 於 保 村に て 斬られけ る 



10 も 



或は い ふ、 令 度 生 捕の 中、 江 原石 見守、 下 於 保 村に て 斬られし 時、 敷 革よ b つ と 立 

つて、 太刀 取 を 蹴倒し、 喉笛 を ia 切 b ひると。 . 



神代 大衬 

純忠 に賴 

る 



扨隆 信、 佐嘉 へ歸陣 あってより、 祌代領 悉く 沒收 せられ、 山內 所々 に 以前の 如く,, 

官を居 ゑら れ、 穴 ュ閑參 河 守 光家 を 以て、 山 内の 押の 爲め朽 井村へ 移されけ り。 然る 

に 神代 勝利 は 長 良と 談合 あ, o、 先づ 山內を 返き、 重ね て 本意 を 達す ベ しと 妻室 を 具 

し、 上 松 浦の 草 野へ 落 行き、 夫よ, 所緣 あ.^ しかば、 父子 打 連れ 大 村の 內波佐 美へ 

赴き、 彼 所の 地頭 大村 式部 大輔純 忠を賴 まれけ り。 純忠 仔細な く肯 ひ、 勝 、乂 子の 

妻子 を も 波 佐 美へ 迎へ、 家人 朝 長 伊勢 守を附 けて、 是を 守,., 深く 敷 1 申されけ h.。 

又 嫁 崎の 後藤 伯 耆守貴 明の 許よ り も、 時々 事 問 ひ 申されし とど W えし。 

勝利 歸城 • の 事 

斯くて 神代 勝利 は、 妻子と 共に 暫く 波 佐 美に 浪人に て 月日 を 送られけ るに、 家人. P 

村壹岐 守. 其 頃 山 內に殘 りて 居たり しが、 如何にもして 勝利 を歸城 させた く 思 ひ 

て、 其 計略の 爲め 嫡子 外 記が 今年 十六に な b ける を、 唯. - I 人 召 具し、 U 內を徘 « す。 

然るに ある 夜 枠外 記、 佐嘉ょ blis ゑ S かれた る 摩那子 山の 官 田.^ 兵 摩 助が 宅, - 

. 资利歸 城の 事 i 



く 其 官造守 中 

家な 寺父衬 
^殺の 子壹 
燒し 代龍岐 



. 北 肥 戦 誌 卷之 十五 f 

忍び入り、 無念に 兵 庫 を 切 殺し、 拆 家に 火 を 憑け 燒 立てし かば、 近邊の 土民 共 驚き 

て、 是は 如何にと 馳せ 集る。 中 村 父子 は、 闇き 所に 立 隱れ、 風と出でては丁と切.<^、 

かしこ 

立 現 はれて は磺と 切..^、 愛に て聲を 立て 彼 所に て は 手を叩き、 樣々 働きけ る 間、 其 

邊の者 共 * 彌,. 立騷 ぎて、 佐嘉 よ..^ の 代官 共、 聞傳 へく 騷動 する 事大 方な. らす • 此 

騷の 紛れに、 中 村 父子、 山內 所々 を 駆け 廻, o、 朋友 共 を 相 語ら ひ、 佐嘉 よ,^ の 代官 悉 

く 追 出しけ り。 热此 事を大 村に 於て、 勝利 父子へ 注進し ければ、 勝利. 長 良 大に悅 

び、 さらば 歸 入る ベ しと て、 同年 十 一 一 月 中旬、 波 佐 美 を 立ち、 先づ 小 城 山 へ 歷 b て 夫 

ょ^^三瀨 へ歸城ぁ,.^け,.^。 斯くて 勝利 父子、 百日の 中に 歸參 ありし かば、 山 內の者 

共 男女 僧俗、 悅ぶ事 限な し。 されば 隆信、 佐嘉 にて 是を 聞かれ、 樣々 心を碎 かれし 

かど も 力なし • 其 翌年、 隆信 工夫 を 廻らし、 何と ぞ叛忠 の 者 を 求め、 勝利 を 討た す 

べしと、 其 頃 山 內へ西 河 伊豫 守と v.^、 辯 舌 明かに 力量 人に 勝れた る 者の ありけ る 

を、 色々 賺し 語ら はれけ る 程に、 ゆ 豫守肯 ひて、 山內へ 歸,, ^勝利 を 討つ べき 行、 密に 

三瀨 乂兵衞 に內談 す。 又兵衞 は、 兼ねて 彼の 西 河と は斷 金の 因な, け.^。 され ど 



神代 勝利 

歸城 . 



も三-瀨、此事に於ては同心せす、父長門守へ斯くと吿げけ..^* 長 門 守膽を 清し、 早 

速 勝利へ 吿げ しかば、 勝利 打諾 き、 伊豫 守が 重陽の 鱧に 出で ける 所 を、 三瀨又 兵衞. 

め f ばせ 

中 野 新 十 郞に朐 して 討果 されけ.^。 其 後 は 隆信も 勝利 を 討つ ベ き 計略、 中々 思 止 

まられ けり。 

1 、 今年 犬 塚 民 部 大輔尙 重 も、 本領 蒲 田 へ 歸,.^ 入りけ り。 近年 尙重、 隆 信の 爲め居 

城 を 去-. > て他國 にあ- 9* 

一、 隆信 頃日、 小田鎭 光. 江上 武種 • 犬嫁尙 重と 和平 あ b。 鎭光 は壻に 取られ、 武 種へ 

は 次男 を 養子に 約束 あ.^。 尙重は 元よ, 9 妹壻 な, cs。 

1 、 今年 小 城の 祇圚の 神 矢 1 北 向に 立ち、 其 矢 向に 蛇 多く 死し ける こそ 不思議 なれ。 

, 少贰元 盛 出家 附今 泉播 磨守忠 心の 事 

愛に 永祿四 年の 頃、 前 太 宰少貳 冬 尙の舍 弟に、 御曹司 元 盛と いふ 人 あり。 、夂資 元、 去 

ぬる 天文の 一羽、 肥 前の 多久 にて 生害 あ b し 時 は、 此人 未だ 稚 くて、 妹 君と 共に 少 

少甙元 盛 出家 附今 .3^ 播磨守 il 心の 事 1, 一 3 九 



北 肥戰誌 卷之十 玉 i 

貳の舊 頟佐嘉 郡 河 副の 江上 村福滿 寺に、 聊か 所緣 あ,. > て 忍び 居られし を. 代の 家 

臣今泉 播磨守 朝 覺、. □ 君資 元の 遺言に 依 トンて 鬼 角 撫育し、 今年 元 盛、 旣に廿 七 歳と 

ぞ聞 えし。 抑. -此 朝覺、 未だ 若 か.^ し 時、 少贰 r5SJ の 事を歡 き、 如何にもして 朝廷 

に 達し、 當家 を再與 すべし と 思 立ち、 出家に 樣を變 へて、 則ち 播磨坊 朝覺と 名を窄 

し、 先づ 六十 六 箇國を 廻 つ て、 諸家 へ も 心 を 合せ、 其 上に て 上洛 を 遂げ、 竹 苑柳房 を 

一羽め、 公家 方へ 緣を 求め、 中に も 柳 原 大納言 資定 卿の 許へ、 常に 近づ き 奉.. > け.. >。 

然るに 播磨坊 在京の 時、 頃 は大永 元年に、 東 山祇圜 社に 參詣 し、. 南無 歸命頂 禮牛頭 

天 王、 仰 願 はく は 和 光の 憐を 垂れ、 朝覺が 心中の 所願 を 成就な さしめ 給へ と伏拜 

み、 頓て 新に ェ E の 功 をな して ノ, 宮殿 を 修造し、 其 社の 邊に 杉と 松と を 多く 植 置き 

け,. >。 然る 間 神官 等、 朝覺坊 が體を 不審 思 ひし かば、 一 々奏し 申しけ, o。 當 今後 奈 

良院、 是を歙 聞 ましく、 先 づ朝覺 坊を法 橋 上人に 補任せられ、 其上にて勅問ぁ,.^ 

ける は、 抑.、 上人、 邊 鄙の 身と して 兼ねて 在京し、 祇阖 造營の 事、 如何 樣 仔細 あるべ 

しと 勅定 あ,.^ しかば、 朝覺 上人、 傳奏 に屬て 申しけ る は、 愚僧 は 元來太 宰少貳 譜代 



の 家人、 今 泉 播磨守 朝覺と 申す 者に て 候 • 我が身に 取 て は 何の 所願 も 候 はや 

去ながら 主にて 候少貳 は、 數代九 代の 貫主に 候 ひつれ ども、 近年 は鎮 西の 輩に 威 を 

奪 はれ、 前少 武政資 父子 兄弟、 過ぎし 明應 年中、 所々 にて 討 たれ、 其 後家 衰微し、 て 政 

資の 末子 資元、 一 人 僅に 殘,. ^居候へ ども、 當時 は浪々 の體 にて、 肥 前 阈藤津 と 申す 

田舍の 山中に 罷在 るげ に 候。 さばか,.^ の 名家の 民間に 下る 事、 其 家人と して 某、 是 

を 深く 患 ふるが 故、 今度と 洛の 次に、 牛 頭 天 王の 擁護 を 頼み 申す 處 な,. >。 希 はく は 

此趣叙 聞に 達せられ、 廢れ たる 少 武家 を 御 立て 給 は,.^ 候へ と、 泣く く 勅答 申しけ 

.9。 其 旨, 悉く 奏聞 あち。 重ねての 赖定に は、 朝覺 上人が 奏し 舉る處 、公卿 詮議の 

上、 追って 綸言 あるべき .3、 仰 下されし かば、 朝覺カ 及ば やして、 其 節 は 先 づ罷下 

け .9。 然るに 朝覺、 傳 法の 爲め、 重ねて 天文 七 年に 上洛し ける 時、 此事 又々 訴へ. 5. 

せし、 に勅誰ぁ.=^けるは、i是に朝覺が度々奏し奉る處、 哀に思 召すな b。 玆に因 hs 

て 今度 少貳家 再興の 事 を、 鎭 西の 武士 共へ、 綸旨を 以て 仰 下さる な, 9 と。 則ち 彼 

の綸旨 を、 »奏 の 方よ b 朝覺 へ ぞ 渡されけ る。 上人 大きに 悅び, 件の 勉書 を帶 し、 

少^ 元 < ^出家 附 今泉播 磨守忠 心の 事 量 一 



龍 造寺隆 

信 元 盛に 

對 面す 



北 朋冁識 卷之十 玉 Mil 

天文 九 年に 筑 紫へ 下向し、 大內 介義隆 • 雛 河 右兵衞 佐 尹繁を 初め、 鎭 西の 諸 將へ是 

を 披露し けれども、 谷.. - 更に 勅命に 隨ひ 奉ら や。 朝覺、 力 及ばす して 年月 を 送 け 

るが、 又 今年 永祿四 年に 上洛し、 傳奏 に據, 5 て少 K 家 再興の 事 を, 以前の 如く 猶々 訴 

へ 申しけ, 9* 時に綸言ぁ.^けるは、朝覺上人重々訴 へ 申すに依.^て、 太 宰少貳 } ^再 

立の 事 を、 九州の 武家 共へ 兼ねて 勅 ,定 あ 雖も、 彼の 少貳と 申す は、 將軍 家に 對 

し 代々 弓 を 引き、 世を亂 したる 者な b とて、 皆々 勅命に 隨ひ 奉らす。 强ひ て又是 を 

御 立 あらば、 旁. - 勅裁 を 恨む る 者出來 て、 國 家の 亂 となるべし • 故に 天氣 及ばれ ざ 

る處 な. 9。 所詮 此上 はせ めて 少貳が 末葉 を 其 儘に て、 安 穩に差 置く ベ きの 旨、 肥 前 

の 龍 造 寺が 許へ 綸旨を 以て 仰 下さるな.^。 當時は少^!^の餘類、 肥 前に ある 由歙聞 

に 達すと、 惇奏を 以て 勅 誌 ありけ, 9。 斯か. し 程に 朝覺 上人、 數 度の 奏訴 徒にて 元 

盛 曹司の 居られた る 肥 前 河 副 庄へ下 著しけ b。 斯くて 龍 造 寺へ も、 右の 勅命. あ hs 

しかば、 隆信 則ち 領 掌せられ、 普 天の下に あ. て、 天氣に 背く は勿體 なし。 彼の 元 

盛に 於て は、 私領 に隱れ 住む とも、 其 儘に 宥兔 すべし と、 自身 頓て河 副の 福滿 寺へ 



赴かれ、 元 盛 御曹司 へ 對面 あ,.^。 懇に 言葉 を 添 へ られ、 彌< 彼の 寺に ぞ差 置かれけ る • 

斯くて 朝覺 上人、 其 後、 元 盛 曹司 へ f:^ しける は、 某 多年 心を碎 き、 公 を 世に立て 進せ 

むと 思 ひ、 京よ 田舍 よと 奔走 致し 候へ. 共、 時 至ら ざれば 力なし。 所詮 今の 如く 有る 

か 無き かの 御有樣 にて、 賤 家の 崖に 穢れ させ 給 はむ より、 今 は 中々 釋 門に 入らせ 給 

ひて、 無上 菩提 を 求 め られ候 へ と、 涙と 共に 申しければ、 元 盛 も 釉を濡 し, 觅も角 も 

よきに 計ら ふべ しと, 主 從頓て 高野山に 登 元 盛 は 眞福院 にて 髮を 刹り、 明くる 

永 祿五年 壬 戌に、. 密乘の 法 水 を 請けて 灌頂職 位 を. 得、 大納言 式部 卿 法 印に 任じ、 下 

國ぁ. て 後、 朝 譽と名 を 改め、 則ち 福滿 寺に 住せられけ, o。 然るに 朝譽法 印に、 幼少 

よ b 附纏 ひたる 家人 三人 あり。. 其 中 一 人 は 今 ま、 幷に 窪. 平原な り。 法 印、 彼の 三 

人の 從者を 召して 申されけ る は、 我 は 往日 は 一 度 少貳の 名跡 を續 ぎ、 汝等を 股肱と 

して、 生前の 恩 を 報すべし と 思 ひし かど も、 終に 其 素懷を 遂げ やして 今 桑門に 入,.^、 

旣に忍 辱の 法衣 を 纏 ふ" 誠に 前 業の 感 する 處、 悔 ゆべき にあら す。 されば 君臣 は 

三世の 宿緣 あって、 主と なり 從と 契る とこ そ 聞け。 然るに 汝等、 今まで 赖 なき 我等 

少 15^ 元 盛 出家 跗今 泉播 磨守 忠 心の 事 i 



す 者 三 元 
に 人 重^ 
分の 寶 ffl 
與 從な傳 



北 m 戦 諸 卷之 十五 

に附添 ひて 撫育せ し忠 心の 程、 思べ ば 海よりも 深く、 案 やれば 山よ hN も 高し • 然れ 

ども 今 は 早 附添ひ ありても! なき 事ぞ かし。 三人と もに 急ぎ 緣を 求め、 如何なる 

主 を も賴む ベ し。 名殘も 今は是 までな と、 家に 傳ふ る 腰刀と、 名筆の 八 代 集 を 今 

嶷に與 へられ、 又少貳 家の 文書と 錦の 旗 一 流. 太刀 一 振と を、 窪. 卒 原に 給は b け 

むせ 

三人の 者 共、 辭 する に詞 なく、 泪を e びて 泣く- 1^ 退出し けり。 斯くて 今 泉朝覺 は、 

天 正 八 年 庚 辰 正月 廿日、 年 八十 歲 にして 往生 を 遂げ、 元 盛 法 印 は 同 十四 年 丙 戌 四月 

廿四 U 、年 五十一 ー歲にて福滿寺に遷化ぁ,.^け,.^* 

、 有 馬 勢 出張 丹 坂 軍の 事 

► - , さ **** 

永 祿五年 壬 戌、 元 盛 法 印の 兄に 政 興 御曹司と 申して、 東 肥 前 三 根 • 養父の 邊に徊 ひ 

居られけ. -。 然るに 豊 後の 屋形大 友 左衞門 督義鎮 は、 元 來少貳 と 親し か b しかば、 

如何にもして 彼の 政 與を取 立て、 廢れ たる 家 をも與 さむと 思 はれし 故、 先づ 筑後國 

へ 招き 居 ゑ, 拆上松 浦の 波 多 下野 守饌 と、 高 來の有 馬 越 前 入道 仙 岩 父子の 方へ、 少 



k 再少有 

出せ 家 仙 
陣む^ 岩 



贰家再 與の事 を 相談 あ.^ しに、 兩將 ともに 仔細な く 同意して、 波 多 下野 守 は、 M ぢ 

松浦黨 を-羽め、 田 代 因幡 守. 馬 渡 甲斐 守に 觸 廻し 其 用意す。 有 K 仙 岩 は、 同名 修理 大 

夫義 直に 人數を 添へ て、 籐津へ 差 渡し、 大村丹 後 守 雜忠と 談合して、 大 村の 士卒 を 

催し、 多久へ 遣して 多久 上野 守 宗利を 味方に 引付け、 彼の 軍兵 を 一 つに 合せて、 一 

度に 佐 嘉へ取 懸け、 龍 造 寺を攻 潰し、 少貳家 を 立てむ とぞ 企てけ る。 斯か b し, おに 

西 肥 前の 輩、 悉く 有 馬に ぎして、 先づ彼 件に は 西鄕石 見守 純堯. 矢 上 乂三郎 幸治以 

下、 下极 浦に は 松 浦 丹 後 守 親。 山、 代 豊前六 郞淸. 伊 萬 里 兵 部 大輔直 以下、 杵^ に は 牛 

井 權大失 經治を 初め、 白 石. 永 S. 吉 田. 宇 禮志 野. 原. 上 瀧、 高 來には 安 ^。安富. 神代. 島 

原. 多 比 良. 千々 岩 以下 皆 打 出で て、 旣に 先陣 は 永! i 五 年 三月 十七:::、 杵 の 橫邊田 

まで 攻め 來る。 此事、 龍 造 寺に 開え. 隆信急ぎ老臣等を召奥め、軍の^^定ぁって同 

名の 一 族、 其 外 鍋 島 三 郞兵衞 尉 信 房. 间左衞 門 大夫信 HUE を 初め、 小 河. 納.! ".s.;i 地 以下 

の 輩 を 橫邊田 口へ 差 向けら る。 此勢、 早速 佐嘉を 立ち 小 城 郡に 到りて 高 田 紂に陣 

取る。 千 葉 介 胤? ^も、., 龍 造 寺に 加勢と して、 譜代の 家人 を 相 催し、 丹坂农 へ 出張す。 



ふ 馬方 隆馬 
勢し 信 渡 
とてに 俊 
戦有献 



北 mil 卷之十 玉 Is 

此外蘆 刈の 鴨 打 陸 奧守胤 忠.德 島 土 佐 入道 道 可 • 同名 治 部 大輔長 房. 同 左 馬 助 信 盛 を 

初め、 今 河の 持 永 治 部 丞盛秀 以下. 签閑. 粟飯^。: S 崎 ..s 本 も、 皆寵造 寺に 加勢の 爲め、 

丹 坂 口へ 打 出で たり。 斯くて 有 馬の 者 共、 急に も 攻め 來ら や、 橫邊 田に 陣を 取り、 六 

月 も旣に 半ばに なりけ b 。愛に 其 頃 馬 渡 兵 部 少輔俊 光と いふ 者 あ. o。 有 馬方へ 所緣 

ある 者な b しが、 今度 隆 信に 對 し何樣 忠を盡 さむと 思 ひ、 一 族の 野 田 右近 允と 密談 

して、 有 馬へ 使 を 差遣す。 有 isl の 輩、 馬 渡が 方便と は 夢にも 知らす して、 彼等が 使 

に 任せ、 さらば 先 づ大將 分 一 人 胝河邊 まで 差遣し、 龍 造 寺が 領內 を亂妨 すべし と、 

則ち 島 原 彌七郞 に 人 數を添 へ 、 船ょ..^砥河 へ 差 向けけ.^。 此 兵船、 旣に柳 津留の 入 

江に 漕ぎ 入る。 時に 馬 渡 兵 部 少輔, 兼ねて 近隣の 輩 共へ 言談 し、 牛 尾 山に 相 圖の火 

の 火 を 揚げし かば、 東よ b は 鴨 打。 德島數 百 人に て馳せ 集. て、 西よ. 9 は 野 田 • 乙 成 

出合せ て、 有竭舾 を 中に 取 籠め、 雨の 降る 如く 散々. に 射る。 島 原 を 初め 有 馬 衆、 す は 

たばから 

W れつる よと 勸轉 し、 漕炅 さむと すれ ども 相 叶 はす、 或は 船底に 隱れ、 或は 干潟に 

飛込み、 手 向 ふ 者 一 人 もな し。 佐嘉 方の 地下 人 共、 是を 見て 手を叩き 聲を 揚げて、 



龍 造 寺の 

^勢 丹 坂 

LL 出陣 



猪鳴叫び竹槍等にて突ぃて廻るに、有馬勢百餘人、目の前に討たれた,.^• され ども 

大將島 原 彌七郎 は、 鬼 角して 敵を拂 ひ、 牛津 江. 大 5- ケ 里まで 兵船 を 進め、 鴨 打が 

家人と 相戰 ひしが、 愛に て 又 有 馬 勢 四十 餘人討 たれ、 島原は遁れて退きけ.^。 此 

時、 鴨 打が 手の者 も 五十 餘人 討死し けり。 斯くて 此由、 佐嘉へ 注進す。 隆信 成悅せ 

られ、 馬 渡へ は 新 恩の 地 百 町 給 は,.^、 能 登 守 信 光と 改名せられ、 鴨 打へ は 小 城の 右 

原 八十 町 加 恩 あ b\ 德島 以下の 者 共 へ も、 各.^ 恩賞 給 は.. > け. y。 

一 、 愛に 佐留 志の 前 田 志 摩 守. 同 子息 伊豫 守 も、 頃 〔^ 脫〕 有 馬と 手 切し、 有 馬よ,^ 佐留 

志 へ 居 ゑ 置きた る 代官 高 場 新 右 衞門を 切って、 其 死證を 其頃隆 信、 加 瀨の麥 新開 

の 館に 來,. . '居られし 間、 則ち 其 所 へ 持參 し、 隆 信の 實檢に 入れけ hN。 隆信 大悅ぁ 

-^、 佐留 志へ 新田 六十 町 幷に砥 川の 內 五町 分 を 前 田に 給 は.^ ぬ。 

1、 此時 上. 松 浦の 鶴 田 因幡 守 .阅 名 越 前 守 • 田 代 因幡 守 も 、龍 造 寺に 一 * し、 旗頭の 波 • 

多 下野 守が 大友 方な b しと 手 切して、 佐嘉 へ相從 ふ。 中に も 田 代 は 上 松 浦 Hi- 

の 居 館 を 立 退き、 佐 嘉領小 城 郡の 內 納所 村に 來. 9 住す。 此田 代、 波 多と 手 切して、 

有 馬 勢 出跟丹 叛軍の 事 0¥ 



^000 卷之十 玉 Is 

田 代の 奮 地 を引拂 ひし 時、 波 多 家 來の者 共附慕 ひて、 手痛き 合戦 あり。 娘 子 左 京 

亮. 同名 主 殿 助. 同 彌三郞 。同源 五 左衞門 新左衞 門。 同 藤 次兵衞 以下 討死し、 二 男 

越後 守 a を 蒙る。 

一 、此 時、 称 島 郡 橫邊 田の 鄕士土 井 • 井元 中等. i.、 前 田 豫守 家定が 調達 を 以て、 

皆 寵造寺 へ相隨 ふ。 斯くて 有 馬の 者 *r 馬 渡に 方 便られ 大に腹 を 立て、、 同 七月 

二日、 島 原彌介 を大將 にて、 安富 但馬 守貞 直が 家人 二 女德 上野 介 直 治が 家人、 其 外 

高來。 称 島の 軍士 相 集. て、 須 古の 平井經 治の 手の者と 一 ク にな 大勢 を 催し 

て 橫邊田 を 東へ 打 通. 砥河 村へ 攻め 來 b 、巳に 大橋を 越えむ とす。 時に 龍 造 

寺 方に て あり つ る 前 田 志 摩 守 は、 佐留志ょb押來,.^、 相浦河內守は^府ょ,<^駆付 

け、 砥 河の 地 士泉市 之 介. 森 田 越 前 守. 江 ロ慶林 以下 は、 各 < 居 宅 を 打 出で、 急ぎ 大 

橋 口に 支へ て 敵 を 防ぐ。 俄の 事な りし かば、 筵. ねぐ ぶくな ど を 張り 竝べ、 要害の 

體に取 構へ、 矢 を 射 S けて 防戰 しけり。 此時、 前 田 志 摩; 寸は 餘,. > に 進み 戰ひ、 鳴 

津に 於て 生從 十八 人 討死す。 斯か, し 問、 有 馬 勢、 此ロ をば 破. 得す、 北 を 指し 



隆 信. 咏方 

の 敗報. „^ 

.r、>\ ^出 



て 攻め 躋.^ 、 兩子 岳の 北なる 由 利 岳に 陣を 取る • くて 多 久に陣 したる 大 村の 

軍兵 も、 頓て由 利 岳に 來.. >、 有 馬の 者 共と 一 つに なり、 近 S 小 城に 攻め入ら むと 

す。 玆に 因って 先づ千 葉介亂 is- の 家 A 等、 石 ^ の 六田繩 手へ 出で て,? 戰 ふと 雖 

も、 元よ.^ 小勢な.^ しかば 打 負けて 引、 返ぐ。 此事、 急ぎ 寵造 HI- へ 注進 ありし に 依 

て、 隆信 自身 出馬すべし とて、 先づ舍弟左馬頭信周.從弟左衞?:佐鑑*^鍋島三 

郞兵衞 信 房. 納富但 馬 守 信景. 同名 治 部 大輔信 純に 人數を 添へ、 先立て 丹 坂 口へ 差 

遣し、 其 身も續 いて 打 出 でら る。 鍋 島 左 衞門大 夫 信! n 曰-小 河 大炊助 信 友,^ 武志摩 

守 兼 通 以下、 隆 信に 栩具 しけり。 斯くて 有 馬の 軍兵、 七月 廿 五:.、 旣に, S 利 岳 を 

立って、 小 城へ?^ ち 入らむ と 丹 坂へ 攻め 來る。 斯 か.^ し 間、 近: 逸の 鄕司 等、 先づ 

K 付けて 其 口々 を 差 同む。 此時馳 せ 集る 人數に は、 今 河の 持 永 治 部 一盛 秀. 同名 

長 門 守. 同淸 兵衞. 粟原 甚介. 大曲彥 三郎. 岡の 大塚左 京亮盛 家. 板, iH? 九 郞太郞 • &井 

の 粟飯原 宮內少 輔. 同 新 七 郞. 鳥 巢大藏 允 • 西 鄕の穴 閑 刑 部左衞 江 頭 主計 允 • 、ま 

野の 橋 本 兵 部 少輔. 同名左 近 允. 同 右近 允、 其外當 郡の 者 共 相 集まりて、 加須 村の 

1^ 爲势 出張 丹 叛軍の 事 m_ 力 



丹 坂 合戦 



有 馬 勢 敗 

军 



4? 肥 戦 誌 卷之 十五 き {y 

稻 荷の 北に て 勢 を 揃へ、 江 頭 筑後守 を 先 勢と し、 丹 坂 口 を 守 6 て、 山よ. 東西 鄕 

に陣を 取る。 又 丹 坂の 北なる 姬 御前 嫁 をば、 峯 村の 峯內 藏允吉 家. 同 弟 民 部 少輔. 

同名 甚左衞 門. 同 次郞兵 衞主從 八十 三人に て 差 固め、 西の 谷 を 越えて 右原 境に 陣 

を 取る,' 此者共 は 皆 千 葉 家の 舊臣 な.. >。 斯くて 有 馬の 軍兵、 此兩 口へ 攻め 來.^ 、 

一 手 は 先づ姬 御前 嫁 を 越えむ とす。 時に 峯が 一 族、 是を 通さ じと 散々 防ぎ 戰ひ 

しが、頭人の5}^內1允、七箇所疵を蒙.^て引返く。 殘る者 共、 是を 見て 此ロ を攻 

め 破られて は 叶 はじと、 中に も 峯甚左 衞門は 無. 變の 精兵に て、 石の 狭間より 差 

〔詰 力〕 

陬引詰 射け る 矢に、 有 馬勢廿 三人 射 伏せられ、 是に 疲れて 進み 得す、 口木の 方へ 

引返す。 扨 丹 坂 口 にも合戰始ま.^、 敵味方入り亂れて追ひ つ 返し つ 相戰 ひ、 初の 

程は有馬衆切勝って、旣にlまで攻め入h^しに、龍造寺の軍士小城衆と 一 つに 

な 5、 烈しく 戰ひ しかば、 有 馬 勢 忽ち 打 負けて、 悉く 崩れて 引返く。 小 城 .佐嘉 の 

輩、 勝に 乘.^ 丹 坂 峠を越え て、 右原べ 追 詰めたり。 愛に 於て 有 馬 勢、 案內を 知ら 

すして 柳瀨 川に 行 憑り、 我れ 先 を 諍 ひて 川 水に 飛込みく 溺れ 死す。 時に 小 城 



gils 多久 

城 1^ 陷る 



の 郡士の 中に 持 永 治 部丞、 軍忠を 抽んで 分捕し け...^ • 此時、 有 馬の 者 共に 討死の 

輩, 先 づ安德 與太郞 直徳. 同名 彌左衞 門. 同日 向 守. 同 兵 部 左衞 門. 同八郎 次郞. 同 太 

郞左衞 門. 大窪 金右衞 門. 長 野 土 佐 守. 同 四 郞左衞 門. 同 三 郞左衞 門 • 大 塚次郎 兵衞. 

菅太郞 兵衞. 河口 忠兵衞 • 小 瀨八郞 左 衞門. 池 副 孫 三郞。 又 者に 忠七. 三 郞右衞 門. 孫 

四郞。 § 社巧與 合せて 十八 人 は、 安徳 上野 介 直 治 出 勢の 內なに 幷に 安富 

守 出 勢の 內、 數十人 其 let 名 を 知ら ャ。 此外、 有 馬の 士卒 凡そ 殘らす 討 たれに け 

b。 味方に さ-牛 尾 別當琳 信の 手の者に、 叶 源次郞 討死し、 千 葉の 家人 等 討死. 手 負 

多か,.^けh^。 斯くて 隆信 は、 則ち 別 府へ打 通り、 多久 上野 守宗 利が 下 多 久の城 を 

攻めら る。 時に 城主 上野 守 は、 今度 丹 坂 へ 出陣した る留 主な b し 故、 诚中 頗る 無 

勢にて、防戰叶ひ難か.=-しかば、城卽時に落去しけ..^。 此時、 寄 手佐嘉 勢に 成 富 



式部 少輔 討死し け.^。 极隆信 は 當城を 容易く 攻め 取,..^ て、 急ぎ 長足 口 を 差 塞が 

る。 是は大 村. 多 久の者 其の、 此度丹 坂に 敗軍して、 逃 歸るを 通す まじとの 事な 

ひきあし 

,^。 斯 か,^ し稃 に、 彼の 兩 所の 士卒 等、 引 足 を 塞がれ、 すべき 樣 なく、 散々 にな 

有 馬 51?^ 出張 丹 坂 軍の 事. S 



北肥戰 卷之 十五 i 

は jt まよ 

ちて、 愛 かしこの 山林に 北 迷 ふ。 其 中に 案內 者に 出で た. し 長 尾 村の 倉 富 米 滿. 

波 佐 間 村の 田 中 掃 部 助 は、 蹈 留まりて 討 たれに けり。 斯くて 隆信 は、 多久の 城に 

入.=^て人馬の息を休めらる。 又 有 馬の 殘兵共 は、 橫邊 田へ 引返き、 夫よ.^ 久津句 

島に 取 籠 hz 須 古の }e. 井經 治と 嫁 崎の 後藤 貴 明の 方へ、 加勢の 兵 を 乞 ひけ bN* 



北 肥戰誌 卷之 十六 



, 隆信有 馬の 殘黨と 軍の 事 

寵造 寺隆信 は、 永 祿五年 七月 廿 五日、 小 城 郡 丹 坂の 軍に 打 勝たれ、 多 久の城 を も 追 落 

して、 則ち 彼の 城へ 入 hN て 陣を居 ゑら れけ、 り。 此時、 有 馬に あせし 輩、 懇望 を 以て 

降參 する 者 0^ 脫〕 數を 知ら t 其 中に 多久上 ST 介宗利 計り は、 丹 坂 を 敗軍し、 直に 須 

古へ 赴き、 平 井經治 をぞ賴 みける。 されば 此宗 利が 先祖 を尋 ぬるに、 多久太 郞宗直 

とて、 右 大將賴 朝 公の 御 時、 縑 倉に 仕へ て あ, o。 ある 時、 右 大將家 御遊のお でに 御戲 

あ, て、 此宗 直と 朝 比奈三 郞義秀 との. W 撲を御 好 あるけ るに、 宗^ 二番 勝ちたり。 

時に右大將家ぃ殆んど御入興ぁ.=^。 其 褒美と して 六十 六 箇國の 中に、 多 久と稱 する 

所は下さる?き由、御3::1を蒙,.^肥前の多久をも知行し、 始めて 下向して、 子孫 代々 

隆信 ii? 馬の 殘熏と V.: の 事 i 



北 肥戰誌 卷之 4 "六 § 

梶峯 城に 居住し け. -。 元は 攝津國 の內、 多久に 住しけ る 故、 多 久と號 し、 ^氏な 

^ 六十 餘 州に 多久 とい ふ 所、 三 箇所 あ. - しと 云々。 •。 の %:s?lff.r さ。? 相 1^ サ斯 

くて 隆信は 多久の 城に 在陣 あ, o。 鍋 島 左 衞門大 夫信昌 は、 堤尾岳に取登.c^て備を 

固う し、 有 馬の 殘黨 を鎭め て陣を 取らる。 

. 一 、明 くれば 七月 廿六 U 、隆 信、 多 久の陣 よ b 嫁 崎の 後藤 伯 耆守贵 明の 許へ 使 を 立 

て 申 遣され ける は、 隆信 、昨日 丹 坂に 於て 有 馬の 軍兵 を、 一 戰の 中に 切 崩し、 唯今 

多久 に在陣 申すな,. >。 然れば 追 付 當陣を 橫邊田 へ 移して、 有 馬の 殘黨 殘らゃ 討ち 

果 すべし。 此 時御邊 我等と 無事 をな し 給 はむ や。 若し 又 有 馬へ 加勢 あらば、 先づ 

隆信、 其 表 へ 發 向し、 御邊と 一 戰を 遂げて 勝負 を 運に 任す ベ しと 言 送られ、 其 返答 

ちんが f 

を も 相 待 たれす, 卽 時に 多 久を打 立 たれ、 称 島 へ 陣更 あり。 百 堂 原に 到,.^ て備を 

立て、 朝日の 旗 を 押 立てら る • 時に 貴 明、 鬼 角の 返答せ ざり けり.。 然る 處に隆 信の 

5 しろ 

後口の 方よ b 有 馬. 大 村の 殘黨 共、 鬨の聲 を 揚げて 不意に 切 愚る。 然るに 隆信 は、 元 

來機變 萬 化の 大將 にて、 些とも 騷 がれす、 先備を 忽ち 後に 繰替 へて、 有 •it 勢と 相戰 



有 馬 敗 

北 



ふ。 化嘉 勢の 中よ.^ は、 木 下 伊豫 守. 副 島 右近 允 以下、 死を爭 ひて 打戰 ひ、 

に は 須古衆 白 石. 村 田 • 本 田 • 川 崎 幷に高 * 衆 安富 • 安徳の 家人 等、 十 死 一 生に なり 

て戰 ふ" 有 馬 勢 は 素よ b 昨日 敗軍の 殘黨 にて はかぐ しから t 亦 V; 負けて 敗走 

し、 或は 元の 如く 久津句 島 へ 引返き、 或は 醫王寺 山 へ 取 登.^ け,.^。 斯くて 隆信 は、 

不意の 敵 を 討ち 散らして、 北方と いふ 所 へ 陣を 移さる。 此時、 後藤 責 明よ b 猪 熊 

半助を使者とし、今£^1の軍魔利の祝儀を述べられけり。 斯くて 隆信、 北方の it を 

拂 つて 廣邊 田へ 退き、 福 母 山に 陣 せらる。 

隆信 敗軍の 事 

斯くて 隆信 は、 福 母 村の 北なる 小山に 本陣 を 居 ゑら れ、 諸 勢 は 南の 江に 副 ひて 陣を 

取,.^、»須古の高岳城主平井權大夫經治を攻めらるべしと、 同 七月 廿 八日の 晨、 彼 

の 城の 北の 大手、 福 母の 南大橋 口へ 押 jS めら る。 先陣 は 納富佴 ^守 信景 にて、 案內 

者 は 前 田 伊豫 守 家貞. 井元 上野 介、 彼此 合せ て 1 1 千餘騎 な.^。 彼の 卒井經 治と い ふ 

隆信 敗軍の 事 、 



隆信平 井 

^殆 と戰 

ひて 破ら 

る 



北 肥戰誌 卷之十 穴 t 

は、當代無雙の勇將にて、 ^!^嘉勢の寄すると聞ぃて、 さらば半途に出合ひ、 一 々討ち 

散らすべし と 評定し、 一族の 川津 左^ 助經忠 -罕 井 刑 部 大輔を 初め、 本田豊 前 守 純 

秀. 同 新 左 衞門純 親 • 白 石 左 近 大夫純 通. 揚河. 川 崎 • 志自岐 • 永 池. 村 田 以下の 者 共、 大 

橋 口へ 出向 ひ、 互に 弓 鐵炮を 放ち 憑け、 火 を 出して 防戦す。 斯くて 兩陣、 太刀 打に 

f 引 足 力〕 

なって;! S ちつ 討れ っ戰 ひしが、 龍 造 寺の 者 共、 散々 に 利 を 失 ひ になって 引退 

く。 平 井が 兵 勝に 乘り 大勢に 附慕 ふ。 時に 寵 造 寺の 一 將鍋島 左 衞門大 夫 信昌、 槍 

を 以て 敵 を 突き、 退く 味方 を 助けて 戰 はれし かば、 畔に 躓き 逆に 倒る。 敵是を 見て、 

能き 武者と や 思 ひけむ。 左右よ 寄, て信昌 を 討た むと す。 鍋 島旣に 危き處 を、 

小 河大炊 助. 百 武志摩 守 • 副 島 右近 允 駆け付けて、 彼の 敵 を 切 拂ひ信 昌を援 ひけ..^ • 

斯くて 龍 造 寺の 士卒、 尙利 あらす して 引返く に、 平 井が 軍兵、 急に 追 駆け 矢 を 射 憑 

く。 是に 於て M 造 寺の 者 共、 中々 難儀に 及びし に、 鴨 打 左馬大 失. 副 島 式部 少輔 • 野 

邊田左 衞門尉 以上 三人、 中の 手より 返して 慕 ふ 敵 を 追 散らす。 此時、 M 造 寺の 後拂 

は、 龍 造 寺左衞 門 佐 II 兼 •» 富但馬 i 寸 な.^。 一又 鍋 島 左 衞門大 夫 も、 手勢 を 以て 之に 加 



は..=^、大勢の敵を追拂はる* 斯 か,.^ し 間、 是ょ. 9 は 敵 もさの みは 慕 はやして • 心安 

くな.. > しかば、 前 田と 井元に 下知 あ-..' て、 俄に 小 通衬に 屋敷 を 取 構へ 人數を 入れ 置 

き、 則ち 前 田 • 井元に 是を 守らせら る。 ^總勢 は 引退き け.^ • 然るに 又 近 邊の野 伏 

共、 大勢 収集 b て、 落人 ある を 討 取 b て、 物 具 刹げ と 相 呼ば はり、 小 田に 陣を 取り、 佐 

嘉 勢の 歸るを 待 懸けけ b。 其 由、 tt 造 寺の 陣に 風聞し ければ、 士卒 »豫 して 此筋を 

通 hN 得 や、 或は 今日は 日暮れぬ。 明日 通らむ とい ふ も あち。 或は 別 道に 懸,. „ ^て 引か 

むと いふ も あ 時に 鍋 島 左 衞門大 夫 進んで 申されけ る は、 何 條其野 伏め 物數な 

らす、 信昌 一 人に て、 唯今 雕 散らし 通らむ もの をと 申されし かば、 隆信 尤もと 同意 

あり。 鍋 島、 眞 前に 打って 小 田の 村 中 を 一文字に. 駅け 通らる。 其 勢 ひに 機 を吞ま 

れ、 野 伏 共 悉く 上なる 山へ 引 登 b け. 9。 斯か b し 程に 、寵造 寺の 諸 勢、 恙なく 佐嘉 

へ歸陣 す。 . 

一、 隆信、 今度 須 古の 軍に 打 負けられし 事、 隣 國へ隱 なし • 大犮 よ.^ 筑 後に 差 置き 

兩 人の 守護 代 森 越 前 入道 • 宗智. 成大 寺豪榮 より、 早速 東 肥 前の 旗下 共へ 觸 送りし 

隆信 敗軍の 事 S 



豪 寺 宗道 
榮 智 

判 判 



北肥戰 卷之 十六 i 

狀に 曰く、 

急 度 4=, 啓 候。 隆信須 古 表 防 戰打負 敗北 之 由、 其閬 候。 筑 後上 下衆 其 外 諸 口 可" 

铍,, 差 寄, 之由稠 敷申觸 候。 兩 人事 先 以大 善寺邊 迄、 明日 晦日 出張 候" 御 三人 卽 

〔®〕 てだて 

時 被,, 掛出; 一 行不 %%„ 御油 斷, 候。 替義候 宇 者、 猶重而 可 象 候。 恐々 謹言。 

森き- 1 ほ- 

七月せ 九日 

成 大 

撗岳殿 

宗 殿 

紫 殿 

或はい ふ、 今 S, ぇ隆 信、 須古 敗軍の 時、 先陣 を 橫邊田 へ 退かれし かば、 鬱憤に 堪へ す 

して、 後藤 を 差 語ら ひ、 押 返し 平 井と 合戦 あるべし と 評定 ありし 處に、 佐嘉 より 

注進 追々 にて、 大友 旗下の 輩、 隆 信の 留守 を 謀る 由 申來, CS し 故、 さらば 先 づ歸城 



攻 中に 隆 
む 野 出 信 
城陣肥 

なし 前 



あ る ベ しと、 多 久の明 诚には 舍弟兵 庫 頭 長 信を殘 置き、 大村 • 松 浦 を 押 へ て、 隆信 

は佐嘉 へ 馬 を 入れられし とも。 

或はい ふ、 此軍、 永祿六 年の 事な-.^ とも" 非な り。 

, 三 根 郡 中 野 诚攻の 事 

永 祿六年 癸 亥 四月 一 曰、 電雷 夥しく 手箏 程の 三角の 雹 降. 9、 人馬 多く 打殺さる • 時 

に 一 天閽の 如し。 同 二日、 九重の 塔 炎上す。 同年 六月 廿 二日、 W 造 寺隆 信、 少« 政 興 

以下の 敵 返 治の 爲め、 東 肥 前へ 出馬 せらる。 舍弟左 馬頭 信 周 を 初め、 納富但 ter 守.; f 

地 畏門守 • 石 井 一 黨其 外相 從ひ、 先づ 馬場 肥 前守鑑 周が 在所 三 极邵中 野 城へ 取 憑け 

たり。 鑑 周の 家人 手 田. 川 波 王 寺、 城 を 持って 大 に相戰 ひ、 佐嘉 〔趙 脫〕 に 死 t す 

〔文字 力〕 

る 者數を 知らす。 寄 手の 中よ. 9 石 井 一 G に 進んで 合戦し、 同名 源 次郞 一 番に討 

死し、 福 地が 與カ中 溝 善 兵 衞も討 たれた. 9。 其 外 福 地 長 門 守. 石 井 安藝 守 • 同 苗壹岐 

守. 同 肥 後 守. 同但馬 守. 同 三 河 守 • 同 越 前 守. 同 刑 部 少輔. 同 左 京? 同 五 郞左衞 門. 同惣 

3 根 郎中野 城 攻め 事 0^ 



中 野 城主 

馬場 接 周 

隆 信に 降 

参 



卷之 十六 ュ? 

左衞門 以上 十一 人 進み 戰ひ、 谷.. 疵を 蒙り、 相 浦 河內守 • 北 島 河内 守. 水 町 左 京亮. 秀 

島主計允も箪功を抽んで分捕しけ.^" 斯くて 合戦 半な b ける に、 福 地 長 門 守、 城 中 

に 入り 鑑 周に 對 面し、 和 早の 談合 致しければ、 肥 前守是 に應諾 して、 則ち 福 地を賴 

み 軍門に 降 hv、 弟の 源 次 郞周鎮 を 人質に 差 出す。 斯 かちし 程に、 福 地、 早速 源次郞 

を 召 具し、 甲を脫 がせて、 隆信 へ 取合せ、 雙方矢 を 留め 合戦 を 止めけ, o。 旣に鑑 周、 

龍 造 寺 へ 降参し ければ、 當 郡の 少貳方 宗兵部 少輔尙 夏 .橫 岳 下野 守賴續 • ^所 尾 張 守 

も 忽ち 降 人と なる。 斯くて 隆信、 夫よ. 9 橫 岳中務 大輔鎭 i 貝が 西 島の 城に 押 寄せら 

る。 鎭貞の 家人 板 部. 古 館. 原 島 • 關屋 • 江 頭 以下 口々 を 守り、 佐嘉 勢の 先駔 と相戰 ふ。 

時に 隆信、 當 城の 體 容易く 落つ まじと や 思 はれけ む。 今度 降 人に 出で た. し 馬場 

肥前守•^岳下野守を以て、鎭直を押へ、六月下旬、先づ佐嘉へgi陣せられけ.^。 今 

度 中 野の 城に て 石 井 源.^、 郞 討死、 其 子な きに 依. て、 隆信、 彼の 一 門の 頭お 井藏 人 

忠淸 まで、 鈉富 治部大 鞴 信 純 を 以て、 哀愁の 1^ 狀を給 は ぬ • 



鹽見诚 落 去の. 事 

爱に其 頃、 肥前國 島 郡長 島 芘鹽見 山城 主 を、 » 江 S 後 守 橘公師 とい ふ。 頃 H 塚 崎 

の 後藤 伯 耆守貴 明と 一 *同心し、有:Jt?に從はゃして、居城鹽兒に引籠.=^け.^。 然る 

に此 時、 有 馬 仙 岩の 猶子 修理 大夫義 直、 高來ょ h- 渡海し 藤 律に あ b ける が、 さらば 

缠 15^ を攻 むべ しと、 永 祿六年 十月 サ:: :、 西 右京亮 を大將 にて、 藤 雞. 件 島 兩邵の 輩 を 

壟 見 山へ 差 向く • 此勢、 旣に廿 =1 の 未明、 彼の 城に 取 悪け、^ 渡 兵 w 助 以下の 者 兵、 

鬨の雙 を 揚げて 攻 口に 押 詰め 相戰 ふ。 され ども 城主 公師、 士卒 を 下知し 城卢を 持つ 

て 破られす • 然るに 常 城に は、 近年 薩 州の 稷子 へ 渡 し 鐵炮を 多く 籠 置きけ,..^ • 

. ^ぉ方の者共、兼ねて是を知,.^しかば、 如何にもして彼の鐵炮を除けむと談合し、 

其諜には、近き邊..^の提子川とぃふ所に、 鹽見大 明 祌の神 子 居け る を 相 語ら ひ、 金 

銀 を與 へ て 計略の 旨 を いひ 合して、 前廉 よ..^ 彼の 城內 に入撤 きけ り。 此神 子、 忽ち 

一 财 喪に 迷 ひし かば、 有 馬 * の < ^いめし 如く、 俄に 物 付の 眞似 をぞ 化た.^ ける。 W 手足 



有 is« 直 

攻も 



* 肥戰篛 卷之 r 六 Is 

を 空に 踊.. 5 靑稻の あ-.^ し を嚼食 ひて、 狂 ひ 申しけ る は、 我 は 是れ恭 くも 鹽見大 

明 神な, cs, 抑.. 當城、 唯今 敵に 攻められし 故、 武ほ. (を 以て 是を 防ぐ。 甚* た 愚なる 事 

f。 我れ 和 光の 麈に 交って、 此 山に 跡 を 垂れ 溢 江 氏 を 守護す る 事、 旣に數 百餘歲 

に 及びぬ。 然るに 刃 を 以て 人 を 斬り、 鐵炮を 飛ばせて 人 を 殺す 事、 當 山の 穢是に 過 

ぎた る はなし。 看よ/ \. 左な くと も、 神 力 を 以て 敵の 惡黨を 千里の 外に 蹴散らす 

ベ きぞ。 急ぎ 鐡炮 等の 兵 具 を 城外 へ 運び出す ベ しと、 汗水に な b て ロ走h^け,,^。 

した、 か 

公 師を初 め 城 中の 者 共、 是を更 に 信用せ す。 され ども 公師の 父 下野 守 公 親、 強に 正 

直なる 男に て、 祖 神の 託宣 疑 ふべき にあら すと て、 鐵炮. 槍. 長刀 悉く 城外へ 運び 遣 

しけり。 有 馬 衆是を 聞きす まし、 計, 9 得た. と悅 びて 先 を爭ひ 攻め 戰ふ。 城 中の 

者 共、 大將 公師を 初め 大明 神の 神託 大に 相違したり。 こ は 如何すべき とつぶ やき 

ながら、 诚 til を 固めて 防戦す。 斯くて 三日 三 1^ の 合戦に、 城兵 多く 討死す。 中に も 

三 岳 兎 源 左衞門 • 白 石 道 長. 彼杵 何某. 波 佐 美 何某 討 たれて、 城主 公 師は七 箇所の 手 を 

負 ひし かば、 城 中 像へ 難く して 皆 散.々 に 落 行く。 公 師は塚 崎の 方へ 通 去 b 、弟 三郞 



SK 見落 城 



谧江 家の 

亂先 



公 重 は 討死して、 十 月 廿 三日、 城 は 則ち 落 去し け, 9。 其 後 公 師は肥 後國山 鹿へ 赴 

き、 赤 星 重; S を 憑んで 暫し螫 居し ける とぞ 聞え し • 

ま 江 家 由来の 事 

抑.^ 彼の 鹽見 城主 澀江 家の 視先を 如何にと 尋 ぬるに、 人 王 三十 一 代敏達 天皇に は 五 

代の 孫、 井手 左大臣 橘 諸兄 公の * 葉なら。 此 諸兄、 才智の 譽 世に 高く 、聖武 天皇の 御 

宇、teに政道の輔佐た.^しょり後、 其 孫子 從四 位下 兵 部 大輔島 田 丸、 猶 朝廷に 仕へ 

奉る。 然るに 神護慶 雲の 頃、 春 日の 社、 常 陸^ 鹿 島より 今の 三 笠 山に 移らせ 給 ふの 

時、 此島田 丸、 匠ェの 奉行 を 勤めけ るに、 內匠頭 何某、 九十 九の 人形 を 作 ,=> て、 匠 道 

の 祕密を 以て 加持し ける 程に、 忽ち 彼の 人形に 火 便. り 風 寄 て、 童の 形に 化し、 あ 

る 時 は 水底に 入.. >、 ある 時 は 山上に 倒れて 神 力 を播し 精力 を勵 し、 召 化 はれけ る 

間、 思の 外 大營の 功、 早速 成就な b けり。 斯くて 御社の 造營、 成就の 後、 彼の 人形 を 

川 中に 皆 屠 b 捨てけ るに、 動く 事尙 前の 如く、 人馬 六畜を 侵して、; j„ ^,た 世の 禍 となけ 

漉 江 家 由 艰の事 



北 肥 戦 fl 錄之卞 六 S 

り。 今の河意是れな.^。 此 事稱徳 天皇、 遙に叙 聞 まし/^、 其 時の 奉行 なれば、 兵 部 

大輔島 田 九 に、 急ぎ 彼の 化 人の 禍を鎮 め ゆす ベ き 3E、 詔 を 下 されけ り。 斯く て 兵 部 

大輔、 勅命 を 蒙 b 則ち 其 趣 を 河 中 水 邊に觸 廻.^ しかば、 其 後 は 河 伯の 禍 なか.. - けり。 

是ょh^して彼の河伯を兵主部と名づ く。 主 は 兵 部と い ふ 心な る ベ し。 夫より 兵 主部 

を、 橘 氏の 眷屬 とに 申すな り。 然るに 島 田 丸に 六 代の 孫 大納言 好古が 時, 天. 3 四 年 

辛 FT 朱雀院 より 征西將 軍の 励 號を賜 は b て、 逆臣 藤 原 純 友 を 伐ちし 忠 賞に 6: 豫國 

を 賜 は b ノ+孫 九 代の 間 は 彼國に 住しぬ。 其 九 代の 嫡孫 を 橘 次 公 葉と いふ。 鎌 倉賴經 

將 軍の 近習に あちて、 薩摩 守に 受頜 す。 此公 葉が 時、 先祖 累代の 額 知 伊豫 國宇和 郡 

を? P 山 盤 井關 白 殿へ 禁裏よ..' 賜 は...' しかば、 其 代地と して、 公 葉へ は 豊前國 副 田庄. 肥 

後國久 米鄕. 大隅^ 種子 島. 肥 前 國長島 庄を給 は,^ て、 嘉賊 三年 丁酉、 始て豫 州よ. -肥 

前に來..=^、長島庄に移りて鹽見山に城郭を構へ て 居住し け, 9。 然るに 公 葉に は 六 代 

の 孫 橘薩摩 彌次郞 公繼. 其 子 公經. 同 彌五郞 以下、 建武. 曆應の 合戦に、 將軍 方に 屬し 

て 勳功を 抽んで 恩賞に 預 ぬ。 今の豊後守公師は、公葉には十六代の後凰な.^。 



有 馬 家 由来の 事 

抑. 《 肥 前 國高來 島 志 自岐原 ft 原 城主 有 馬 越 前 入道 隨意齊 仙 岩と 巾す は、 大織冠 鎌足 

有 馬 家の 公の 苗裔 伊豫 權守純 友の 嫡流に て、 有^ 肥へ i 守責 純に は 孫子 左 衞門尉 尙濫の 子な 

り。 童 名 は 軍 童 丸、 中頃 修理 大 夫に 任じ、 公方 義晴 公の 御諱 字を紛 はりて 晴 純と 號 

し、 其 後、 亦義の 一 字を申給は..^、s前守義腐と改めたh^。 されば 此:^ 岩、 當時其 威 

强 勢の 大將 に て、 先帝 後奈良 院 の 御 時、 去 る 天文 十三 年 甲 辰 十 一 月 に、 京 都 へ 吹舉 し、 

勅使 日 野中 納言晴 光 卿 を S な がら 申 下し、 私頜 溶の 极 丘 紙 HI 社 へ 出向 ひ、 宣 命を拜 

し 奉り、 修理 大 夫に 任じて、 則ち 勅使 晴光卿 を 岩 崎 へ 迎 へ 請け 、稀-々 の 饗應卞 お 虚し 美 

し、 樣々 の 引出物 其數を 知ら や。 上古の 事 は 未だ 間 かや、 近代に は ffl 舍の 武士の 

官途 を 進む る 時に、 居ながら 勅使 を 申 下し、 宣 命を拜 する;^、 希代の 珍ギ なりけ り。 

抑 14" 仙 岩の 曩祖 伊豫 欉守膝 原 純 友が 事 を 傳へ閒 くに、 昔 天 優の 初め、 武藏權 守. ネ將 

門と 心 を 合せ 仳の 亂れし 時、 兩人 契約し ける は、 此度 天下 を 奪 ひ 取りて、 將門は 王 

有 馬 家の 由来の 審 1 



藤 原 純 友 

亡ぶ 



*^ 肥 戦 誌 卷之 十六 ふ 一^ 

孫 なれば 帝王に なるべし。 純 友 は大織 冠の 末 なれば、 關 白になる べしと 談じ、 將門 

は闢 東に あ,.^ て 自ら 平 親王と 稱し、 東 百官と 名 づけて、 私に 官職 を 立て 百官 を 召 仕 

ひ、 下 總國猿 島 郡 石 井鄕に 於て 旗 を 揚げ、 純 友 は 任國豫 州に 下.^ て、 ともに 逆 意 を 

くらやみ 

企て 天下 を 暗闇に なさむ とす。 され ども 王事 監な く,. ^て、 將門は 儘 藤太秀 鄕が爲 

め、 承: 牛 二 年 壬 辰 一 一月 十三 曰、 關東に於て^!?首せられ、 純 友 は 六 孫 王源經 基. 大納言 

橘 好古、 民 部 少輔籐 原 伊俾. 大藏 朝臣 春實. 越智 朝臣 好 方 以下に 攻められて、 天 慶四年 

辛 a 五月 三日 誅伐 せらる。 然るに 純 友の 子 遠 江 守 直沒、 豫 州を沒 落し、 *4 子孫 肥" 1 

國高來 島に 漂 著して、 永く 有 に 居住し け,.^。 斯 かる 朝敵の 末な りし 故、 終に 上洛な 

b 難く、 年久しく 邊 鄙の 奴 子と な, 果て 居たり しに、 さいつ 頃よ. や、 有 馬 浦 を 知行 

して 其 在 名を稱 して 稍. -威を 振 ひ、 近年 は 高來. 彼 称. 称 島 .籐 津四箇 郡の 內を 押頜 し、 

高來の 原. 日 江. 藤 津の极 丘. 鷲巢 此 等の 諸 城 を 堅固に 持ち、 安富. 安 德. 島 原. 多 比 良 • 

千々 岩 • 神代 • 志自岐 其 外 多久. 松 浦 • 平 井. 馬 渡. 伊福 • 西鄕. 永 田. 宇禮志 野. 白 石. 上 瀧 原 

, 一 

以下の 城 持 共 を 手に 羼し、 旣に 兵馬 二 萬 餘騎の 大名と な b け 亦 往古、 將門、 純 



友と 父子の 契約 をな して 平氏 を援 けし 故、 有 馬 家中 頃 はや 姓な,? 今 仙 岩 入道 は、 

純 友 二十 八 代の 孫と ぞ聞 えし。 

大 友義 鎭 入道と るる 附 耶蘇 宗門に 傾く 事 . 

其頃豊 後の 屋形大 友 左 衞門督 義鎭、 其國政 甚だ 暴惡 にして、 諸人 疎み 嘲る 事大 方な 

らす。 其 上 頃日、 頓に 入道し、 亦南蠻 祥國の 耶蘇 宗門に 傾き、 佛神を 蔑に し 堂塔 

を 破 却す。 されば 其 根元 を 尋ね 開く に、 義鎭 近年、 專ら 女色に 溺れ、 國中 上下 をい 

はす、 若く 麗しき 女 をい くら ともなく、 府內の 城 中に 招き 築め、 ある 時 は 庭 上の 花 

の 下に 踊 を 興行し、 ある 時 は 深閨の 月の 前に 酒宴 を 事と し、 rn 夜の 不行義 法に 過ぎ 

たり。 簾 中 此事を 大に嫉 まれ、 ある 修驗 者を賺 し、 金銀 を 與へ密 に S み 、夫の 義鎭 

を咒咀 せられけ り。 是ょ.^義鎭、忽ち亂心とな^^、*^然としてぁる時、府内の诚中を 

迷 ひ 出で、 更に 行方 も 知れ ざり けり。 然る 間、 奉行 中 を 一羽め 璺府の 侍 太に 驚き、 こ は 

何とした る事ぞ と、 諸方 を 尋ね 採し ける に、 臼 称の 丹 生 島の 邊 にて 尋合 ひ、 こ は そ も 

大& 義鎮 入道と なる 附 耶蘇 宗門に 倾く: 亊 £ 



北 肥 戦;! 卷之 十六 



義鏺 入道 

して 宗麟 

と號す 



宗! i 耶蘇 

宗門に 歸 

依 マ 



何とした る 御 有樣ぞ と. 5. しければ、 されば とよ 紅葉の 影に 誇らして と 答 へられし 

程に、 尋ねし S 、是は 一 向亂 心なり と 思 ひし かば、 則ち 丹 生 島の 城に 入れ 申しけ. 9。 

其 後 義鎭、 本心に 復 、簾 中の i ル 咀を傳 聞かれぶ に 立腹 あ.^。 所詮 世の中に 佛 神の 

あれば こそ、 i 几咀 とい ふ 事 も あれと、 强に佛 神 を 疎み 思 はれけ.^ • 其 後 義鎭、 未: U 

年 三十 四に て、 大德 寺の 悅 長老 を 請 じ、 制髮 して 法名 三非齊 瑞峯宗 嶙と號 し、 則ち 家 

督を嫡子左兵衞義統に讓^^、其身は曰杵の別業に居られけり。 斯 かる 處に、 元は » 

僧な.. > し 如露:^ 師. 因果 居士と いふ 二人 者、 南蠻西 祥國の 邪宗に て、 臼 の 丹 生 島に 

來, o、 上下 老若 共に 邪法 を說き 聞かす るに、 府內六 奉行の 中、 田 原 近 江 守 親 K 入道 

紹忍、 一向 是に歸 依して、 主の 宗麟 をも勸 むる に、 宗嶙 素より 佛神を 疎む 折節と い 

ひ、 其 上、 賢に は 遠く 愚に は 近き 大將 なりし かば、 頓て 彼の 耶蘇 宗に 傾き、 偏に 泥 鳥 

を 貴み、 彌.^ 佛神を 敬 はや。 是 よ.. > して 國 中の 神社. 佛閣を 悉く 打破.^、 佛像. 神體 一 々 

に燒 捨てられし ぞ淺 猿し き。 斯 かりし 間、 府內の 大老 奉行 中、 大に是 を 悔み、 中に も 

次 伯 耆守鑑 連、 時々 諌詞を 加へ しか ども、 宗麟 更に 許容 あらす、 近習-外様の 輩、 



大友 家の 滅 c 近き にあ,.^ と、 眉を颦 めぬ はな かりけ h^* 

一、 永 祿六年 八月 十三 ほ、 肥前國 崎の 城主 後藤 伯 《 守 貴 明、 須 古の 平井權 大夫經 

治を征 せむ と 軍兵 を 率して 取 悪る。 旣に贵 明が 先手 中 野 一 門 樺 島 • 蘆 原に 討ち入 

る。 時に 平 井 一 味の 輩 白 石 左近大 夫. 馬 渡 兵 庫 助 • 林 田 左 助: S 下 出合 ひて 散々 

に相戰 ふ。 時に後藤が軍士利を失ひ、中野山城守重明.1=^ハ子大和守.嫡孫三郎.^新 

七郞. 同名 右衞 門 佐忠明 .舍 弟 僧 二位 蓮 成 • 同 弟 東 何某 以上 七 入 樺 島に 於て、 一 所 

に 討 たれ 敗軍して 引退く。 其 時 又 武雄兵 部大輔 討死し けり。 &井 方に も 野 s« 

部 允 は、 武雄右馬大夫が放っ矢に中.^て死し、 其 外 白 石 彌三郞 • 馬 渡 左い〕 允 も?^ 

たれに けり。 愛に 又 有 馬の 侍 南 肥 後 守 • 同 筑後介 兄^ は、 雙方 和與の 談合に、 頃 H 

須古に來,.^て此陣中にぁりけるが、 止む 事 を 得す 16- 井 方に て.? 戰ひ、 兄 は 班 を 蒙 

b 弟 は 討死し け, 9* 

一、 同年 十二月 廿 八日、 高 來の有 馬左衞 門佐義 純、 佐 早の 西 鄕石兒 守 純堯を 征伐 

の爲 め、 彼の表に來.^梅律に於て相戰ふ。 時に 有: ia- 勢に 安徳 上野 介 K 治が 手の 

大 友義 鎮 入道と なろ 附^ 蘇 宗門に 傾く 率 1": セル 



隆信平 井 

の須 古城 

かき 



北 肥 戦 誌卷之 十六 ぇ0 

者 安德九 郎右衞 門. 同 新 五郎. 同 與三右 衞門. 同 三 郞兵衞 • 同太郞 次郞. 石橋 助 次 郞* 

中間の 彌六. 討死す。 

龍 造 寺隆信 重ねて 須 古攻附 和平の 事 . . 

永祿七年甲子ニ月、龍造寺隆信、重ねて平井經治を攻めらるべしとて陣觸ぁh^。 六 

千 餘の兵 を 相 催し、 須古高 岳 城へ 取 憑 けらる。 抑. -此經 治と いふ は、 元 來少貳 の 一 

類に て、 父 山城 守 經是が 時より 當 城へ 移.^、 旣に 三十 餘筒 年、 有 馬の 壻 となりて « 造 

寺の 通路 を斷 ち、 後藤と も 不和に して、 敵 を 東西に 受けた hs。 され ども 經治 勇氣無 

雙 の大將 にて、 敢て 事と もせす。 然るに 今度 寵造 寺の 又々 寄す ると 聞いて、 經治 士卒 

に 下知し、 隆 信の 軍 立 恐る、 に 足らざる ぞ。 半途に 悉く W 散らすべし と. 川津. 新 川 

崎. 簑 具. 白 石. 今 村 以下 究竟の 者 共 を 勝って、 北の方 大手の 橋 を 越え、 福 母 村の 迦に 

草 伏 を 置きけ り。 龍 造 寺 の 軍兵、 是を 知らす のさく と 打 つて 通る に、 件の 伏兵、 

一 同に«と起,.^、隆信の先陣に切憑る。 佐嘉 勢、 是に勸 轉し旣 に 敗れむ と 見えけ る 



處に、 二 陣に續 きたる 鍋 島 三 郞兵衞 信 房. 同名 左衞 s: 大夫 信昌. 倉 町 新 太郎信 俊、 * . 

方を援 つて 先に 進み、 競 ひ 來る敵 を 切って は 臥せ 切って は 伏せ、. 敵 味方の 目 を 驚か 

す。 a- 井が 軍兵、 是に 恐れ 須古を さして 引返く。 佐嘉 勢、 勝に 乗.^ 逃ぐ る 敵 を S う 

て、 S 高 岳の 城 際まで 押 詰めたり" 寄 手の 案内 者 は、 徳島治 部 大輔- 同 左: 助. 前 田 $1 豫 

守. 井元 上野 介. にて、 先陣 は 龍 造 寺 右 衞門大 夫. 同名 備後 守. 納富但 ;!^寸. 小川 大炊 助. 

廣橋 一 祐 軒な b。 愛に 鍋 島 左 衞門大 夫 は、 己が 一 手 を 以て 先陣より 先に 進み、 城の 

大手 北の 繩手 にて 城兵 を 切 立て、 敵の JJiJ. 廻 かと 見えた る 一 勢 を 城 中に 追 籠む る。 是 

を 見て 先陣の 内よ. c、 成 富 甲斐 守. 同 式部 少輔. 木 下 伊豫 守. 石 井新 右衞 門、 鍋 島に 續 

いて 引く 敵 を 追 駔け大 城 li; まで 押 詰めた. o。 斯 かりし 程に、 龍 造 寺の 諸 勢 も 一 同に 

取 憑け、 高 岳へ 攻 登らむ とす。 時に 隆信、 遙に當 城の 體を巡 見 あ. o。 廣橋 一 祐 入道に 

下知せられ、難を知,.^て返くは軍の常な,0と、士卒を引上げ城を攻められす。 先づ 

福 母へ 引退き、 少時 陣を 取らる。 爰に 於て 雙方 和平の 衆議 あ..^ しに、 隆信も 經治も 互 

に 納得せられ、 佐 嘉と須 古和 與に 決定し、 則ち 經 治の 弟 平 井 左 衞門大 夫直秀 12 ほ i< 火 

龍 造 寺 I 信 麓れ て 須^ 攻附^ 平の 事 1K1 



龍 造 寺 平 

井 和平 



構 岳 

城.^ 攻む 



北 w 戦 誌 卷之 十六 i 

を、 隆 信の 壻に 契約 あ.. >。 高 岳 城の 大構 枳槲 土. を 崩されけ り" 此時、 隆 信に 息女 

なか b しかば、 同名 左 -il^r 大夫信 純の 女 を 養子に して、 直秀に 送られし とぞ 聞え し。 

隆信 重ねて 三 根 郡 西 島 城 攻の事 

同年 三月 下旬、 隆信 重ねて、 三 根 郡 西 島の 城主 橫岳 中務大 輔鎭桌 。だ を攻 め ら る 

べしと、, 肥 前へ 出馬 せらる。 時に 少 家の 舊臣共 所々 に 出合 ひ 防戦す。 隆信、 是 

等 を 打 散らし 三 根 郡に 討ち入, 9、 撗 岳が 城 近く 押 詰めら る。 鐄貞が 家人 等、 宗. 古 

館 .關 尾. 市武 .原. 板 部. 福 島 3 下の 者 共 悉く 打って出で、 龍 造 寺の 先手と 相戰 ふ。 時 

に佐嘉 勢の 中より 島內 以下 多く 討死す。 此西 島の 城下 は、 南よ.. > 東西に 廻 b て 江 

海漫々 と、 九州の 渡海に して、 筑後. 肥 後の 海 邊に續 きぬ • 然るに 城主 橫岳、 兼ねて 

豊 後に 通じ、 大友宗 鱗の 下知に 隨 つて、 亂 代. 逆茂木 透 間な く 打って、 城 邊には 兵船 

を 浮べた h^* 北の方よ ち 乾に 懸けて は、 米 田 村の 境まで 其 口々 の 江 筋に、 一 二の 大 

梳を 架け、 第 一 龍 造 寺の 手 を 堅固に 守り、 城 中には 大 友よ,^ 手 火矢 fllgf^?- を 



多く 加勢し、 其 外 兵糧 馬 :® 澤 .3 に 用意し け. 斯くて 隆信、 當 城の 體を遠 見せら 

れ、卒忽に懸..^ては惡かるべしと評定ぁ..^。 先 づ佐嘉 へ歸陣 せられけ, 此時、 

岳が 方 へ 大友宗 解よりの 狀に いはく、 

到」 一一 根 郡, 龍 造 寺 山城 守 殿、 出,, 當 要害 邊迄, 相 働 候 M、 被, 遂,, 防戰, 之段預 注進 候- 

無,, 心 許, 候條、 則對- 方角 衆, 無事 之 助言 肝要 之. 遣 候。 定呵少 5 有,, 別義- 候- 

彌 堅固 之覺悟 無,, 中 迄, 候。 自然 爲, -隆 信, 强而ー 雅 意之 仔細 候 半お • 篾而 承: E\ 得,, 其 

意, 候。 尙 年寄 ども 可 y 申 候。 恐々 謹言 • 

月 二日 宗 

橫岳彌 十郎殿 

神代 長 良 千 布 落城の 事 . 

永祿八年乙?^の*、肥前國佐嘉.小城.^1崎.三ケ山の地主神代大和守武邊勝利、 膈の 

症 を 受け 三月 十五 日: 打 年 五十 五歲 にして、 畑 瀬の 城に 卒去 あ. c 。 摘 子 刑 部 大輔 

K 信 重れて 三 根 郡 西 島 城 攻の事 神代 長 真 千 布^ 城の 事 S 



北肥戰 jii 卷之 十六 i 

良、 家督 を相續 す。 されば 此 勝利、 多年 弓箭 を 執って 武威 を 振 ひ、 龍 造 寺と 相 挑む 

事數 度な ち。 然れ ども 去る 永祿五 年の 夂、 ベ « 造 寺の 老 E 納富但 馬 守が 計ら ひに て、 

隆 信と 竟 に和談 し、 嫡男 長 良の 息女 四歲と M えし を、 隆 信の 三男 鶴 仁王 丸の 妻室に 

契約 あ,... • 其 後、 雨 家 聊か 害心 ある まじき 由、 神 文 を 互に 取 か はして、 山と 里との 

間心安くな.=^ぬ。 然る 間、 去年 永祿七 年に、 父 勝利 は、 畑 瀬の 山中に 城 を 築きて 隱 

居 あ,. >。 子 暴 長 良 は 上 佐 嘉の內 千 布の 高 橋 土 生 島の 城へ 移られけ, o。 然るに 長 良 

の 妻室 は、 鹿 江 遠 江 守 兼朋の 女に て、 此 腹に 男女の 子 二人に あ. 9。 一 は長壽 丸と て 

十 一 歲、次は龍造寺へ約柬の女、初菊とて今年は十歳な..^。 斯くて 彼の 兄弟 今年 永 

祿八年 四月、 三 瀨の古 弓の 館に て 泡瘡、 兩人 同時に 墓な く 成られけ. 9。 近日 勝利の 

死去に 打續 き、 長 良 夫婦の 悔い ふ 計.^ なし。 されば 力 及ばす 合 瀨の萬 福 寺 虎. Q 和 

尙を請 じて 葬 鱧し、 悲歎の 涙 更に 乾かす 愁鬱の 思に 泣暮 さる • 此事、 « 造 寺へ 隱な 

し。 隆信 大に悅 び、 納富但 馬 守. 龍 造 寺 美 作 守 を 招いて 密に 申されけ る は、 神代 長 

良、 頃日 二人の 子に 後れ 歎き 沈みて ある 由傳 聞く。 此時を 窺 ひ 計略 を 以て 討. U す 



たば 5i 

べし。 兩人 急ぎ 千 布へ 赴き 欺々 の 事 をい ひ閒 かせ、 長 良 を 方便るべし と 仔細 を 含 

め, 長 良の 居城 土 生 島 へ 差遣 さ る。 兩人 則ち 佐嘉を 立ち 千 布 へ 赴き、 案内 を 乞うて 

長 良に 對 面し、 詞を 巧みに 申しけ る は 、貴公、 頃日 二人の 御子に 後れ 給 ひ、 悲の泪 に 

暮れら る、 の 段、 隆信承 はられ 御 同意に 悔 まれ 候。 さりながら 縱ひ姬 君 御 早世 まし 

まし、 枠 鶴 仁王が 綠は 空う すと も、 此後も 彌.^ 盡未來 際 別 心有る ベ か ら すと、 今又改 

め 一 紙の 起請文 を 送られて 候と て、 神 文 一 通 差 出しけ り。 長 良 は是を 方便と は 露 

知ら や、 彼の 兩使を 奔走 あり。 斯くて 兩人、 我々 事 は 少し 所用 之 ある 故、 より 城 

原 へ 赴き 候な. y。 明後日參候仕h^、 御 返事 を 承る ベ しとて、 暇 を 乞 ひ 密に佐 嘉にぞ 

歸 b ける。 隆信 斯様に、 長 良を忻 5 澄し、 ^其 夜の 曉に、 納富但-^^守先手とし、 « 造 

寺 美 作 守 信 明. 高木 左^ 大輔盛 房. 副 島民 部大輔 光家 以下 六 ほ餘騎 にて、 淵 高木より 

攻め上 、千 布の 土 生 島へ 取 懸け、 鬨の鲽 を 噴と 揚ぐ。 兼ねて 又隆 信、 城 原の 江上 

武 種へ 加勢の 兵 を 乞 はれ、 其相圜 あ.^ しかば, 江上の 家人 等 城 より 馳せ來 り、 土 

生 島の 北の方 權現 原の 橫路を 一 面に 立 遮る。 土 生 島 城 中の 男女、 此 程の 泪の 中に 

神代 B« 良 千 布 落城の US- S 



城.^ つ 



北肥戰 ill 卷之 十六 S 

思 寄らざる 事 なれば、 正體 もな く 仰天して、 途方 を 失 ひ 周章 騷ぐ。 佐嘉 勢の 中に 

も、 納富但 馬 守信景 一 陣に 進んで、 早 城 ux^ 口 を 打破って 大 庭に 亂れ 入る。 長 良、 拳 

を 握. 遠 侍に 躍, 0, 出で、 口惜しき 次第 かな。 あの 隆信 とい ふ::: 本 一 の 無道 人に だ 

しぬ かれ、 今斯 かる 見苦しき 死 をす る 事よ。 よし-..^ 力なし。 速に 腹 を 切らむ と、 

押肌脫 がれし 處を、 妻室 頻に 止められ、 島 田 入道 鶴粞. 大嫁 隱岐守 以下の 家人 北 〈も、 

樣々 制して 早く 御 落 あれと 勸め しかば、 長 良 承引 あ. 9 て、 自害 を 思留り 主 從廿人 計 

..^、北小門ょh^出でらる。 寄 手: を 見て、 洩 さじと 抑 取. 9 込む。 神代の 家人 共、 主 

を 落さむ と、 神代 左 京亮. 同名 左 馬 介 .大 嫁隱岐 守, 中 野 新 十郞. 古河 新 四郞. 秀島 伊賀 



1 所大藏 • 福 島 式部 少輔 以下 駆け 塞り く、 前後左右 を切拂 つて、 終に 長 良 を 落 



しけ, o。 斯くて 寄 手の t4 兵に 、空 閑 三 河 守 光家 馳せ 加. 9、 火 を 散らして 相戰 ふ。 福 

所大藏 は、 猶も長 良を延 さ む爲 め、 客殿に 立ち 大昔 聲を 揚げて * しける は、 近から む 

人 は 目に も 見よ。 一 遠から む 者 は 音に も 開け。 是は 神代 長 良な, 9。 運命 唯今に 極ま 

5 て愎を 切る ぞ。 首 を 取って 恩賞に 預れ とい ひも あ へ す、 腹 十文字に 搔 破,.^、 うつ 



伏に 臥しぬ, 是を 見て 福 島 式部 少輔 も、 敵中に 駆け 入 b 討死す。 斯くて 畏,: ^は附 

添 ひし 者 も 散々 にな hz 今 は 僅に 島 田 入道 鶴 粞. 古川 新 四郞. 松 延勘內 計,. > を 召 具し 

て、 金立權 現の 下 宫の邊 まで 落ちられ しが、 妻室の 存 G 覺束 なくて、 勘內が 十五に 

な し を 土 生 島へ 歸し、 事の 謄を 見せられけ るに、 婦人 は 唯 t 呆れて 居られし を、 勘 

rt つと 參. 0,、1:_ム は 早遙に 落延び 給 ふ。 然れ ども 御前の 御 事 心許なし とて、 金 立よ 

某を歸 されて 候。 早々 御出で 候 へ。 何方へ も 急ぎ 御供 申すべし と勸め 申す に、 婦 

人 承引 あらす、 我が身の 上 は 兎も角も、 汝は 一 人な hN と も、 急ぎて 追 付き ゆすべし • 

殿の 御行 方 こそ 心許な けれと 申されし を、 勘內、 とく- と頻に 諫め. S. しければ、 

婦人 は 乳 人と 共に 域の 後の 堀に 橋 を 用意し 忍 出で、 生從 三人 河 窪 村 藤 付の 山伏の 

坊 まで 落ち 著 かれけ り。 斯くて 土 生 島 城に は、 猶敵 味方 入 亂れ命 を 際に 栩戰 ふ。 

愛に 城兵の 中に、 神代 左 馬 助 は、 長 良の 行方 を 尋ねて、 金立の松原まで!^^!を早め落 

ちた b しに、 * 方の 者 共 追々 に駔 付け、 廿四 人に な, 9 にけ. y。 左 .ijl 助此 等を從 へ、 

座キ: 町 を 過ぎけ るに、 頃 は 四月 下旬に て、 廿四=:の朝辰の刻に,な^^ぬ。 然るに 彼の 

神代 長 真 千 布^ 城の 事 1,】 八^ 



北^ 戦 誌 卷之 十六 M 八 八 

5 つろ 

左 馬 肋が 物 具、 折節 朝日に 映 ひて、 一 際 勝れ 爽 かなりし を寵造 寺の 者 共、 是 を大將 

長 良よ と 思 ひて、 透 間もなく 追 駅る。 左 馬 助 は 其 頃壯年 過ぎ、 淸げ なる 若武者な 

-^。 佐嘉 勢の 慕 ふ を 見て、 事々 しの 奴 原 やと、 道よ,. お取って返し、 近づく 敵に 切つ 

て入.=^、廿四人の者共、 一 人 も 殘らす 討死し けり。 龍 造 寺の 者 共、 左 馬 助が 首 を 取 

,0,、是を大將なリと悅びて、勝鬨を揚げ歸陣しけ.0^。 然るに 長 良 は、 先づ金 立の 下 

宮の 西なる 木蔭に 忍び 居、 夫よ,..' 廿 四日の 朝 金 立山に 登り、 座主 雲上 寺の 成長 法 

印に 對面 あり。 當 寺に 暫し休 息し、 扨主從 三人、 名 尾 山 へ 懸, 9 て 名 尾 式部 大輔が 許 

へ、 島 田 入道 を 以て 事の 次第 を 告げられ しかば、 式部 大輔肝 を 潰し、 急ぎ 鎧 引立て 

弓 押 張り 生 從六七 人、 島 ffl と 連れて 出迎 へけ,..^。 長 良、 此等を 召 具し、 恙なくて 畑 

瀬の 城へ ぞ落 かれけ る。 折し も 其 日 は、 勝利の 六 七日に 當る とて、 上下の 男女 翁, 9 

居、 長 良 を 見て 悅ぶ事 限な かふ, けり • 

北 肥戰誌 卷之 十六 終 





叢國 




窖史 




北 


定 


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編輯 统 

资 行 者 

右 代表者 

印刷者 



國史 硏究會 

今 村 勝 1 

椹 山定吉 

東京 佑紳 S 魁 三 M 町 111 丁 B 1 0^ 

友 文 社 



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電話 番町四 一 六六番 



大正 七 年 三月 八 H 印刷 

大正 七 年 三月 十 一 日發行