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Full text of "Jinno shotoki"

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I 製複 許 不 I 



(岡 山 製本) 



大正 一一 一年 S 月 十七 日印 刷 有朋堂 文庫 

大正 三年 四月 二十日 發 行 正統 • 讀史 • 山陽 史論 

市 神 田1»錦 町】 丁 B 十九 番地 

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泶京市 本 所: Ms 場 町 四 S 地 

印刷者 卒 井 登 

来 京 市 本 所 H_»» 町 EIS 地 

印刷所 株式 *5| 分工場 

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發行所 有朋堂 書店 



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史論 索引 V ^ ョ リ 



七 力 o 



〇 山 名宗全 SS1 ノ 一一 

o 山名宗 全の 人物 六八ラ 西 

o 山 名 時 氏 SQS ノ 11 

ュ 

〇褚 城 朝 光 

o 雄 略 天皇 

〇 陽 成 天皇 . 

〇 隰成 天皇の 廢 立に 就, 

o 用 明 天皇 

〇吉 野の 行宮 

〇 莨 岑 安世 

〇 黄泉 〔ョ ミ〕 の 誓 

C 屨中 天皇 Q; 二 

o 立 后 建 儲に 就いて uns ノーニ 

〇 律令格式に 就いて M 七ノニ 

〇 劉備 蜀^-取る 事 . 山 ハ^ノ ^ 



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〇 兩院 の別當 氏の 長者 



〇 了 行 法師 



o 兩統迭 立に 就 

同 (白 石) 

、同 (同) 

同 (山陽) 

o 兩 六波羅 

同 



o 冷泉 天皇 

同 

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o 六條 天皇 

同 

o 論功行賞: 



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〇 脇 子 

〇 脇 屋義助 

o 和氣 淸麻呂 

〇 和 氣清麻 a 論 (山陽) 

o 和 田 一族の 滅亡 

〇 和 田 義盛論 (白 石) 

BS (山陽) 



史論 索引 終 



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史論 索引 ミム メモ ャ 七 A 九 



o 毛 利 元 就 SOP H 

o 目 代 . My 七 

同 S づ 八 

〇 文覺 11H1 ラー 二 

〇 文字 使用の 始 はフ s 

〇 文德 天皇 八ラ セ 

同 1六1 ノ は 

〇 文德 天皇 論 (山陽) 璧ラ 一 

〇 文武 天皇 さラ 七 

〇 守 邦 親王 查つ 一ー 一一 

〇 護 良 親王 lip ノ 九 

同 袞 P1S 

〇 護茛覲 王の 死に 就いて 0y 四 

〇 八 坂 瓊の玉 (祌 器^ 見 fo 

〇 八咫烏 二 ラー 

〇 耶麻土 〔ャ マト〕 ラ 1 

〇 日本 武尊 M 二 S 

〇 山 名^ 淸 お ーノ 八 

同 六七フ 五 



鎌 食 に スリし 事情 き 一 ラ 1 

死に 就いて 一 1ー1 六ノ 

叙位に 就いて ニニ ラ 八 

義仲^ 討ちし 事情 nil ラ セ 

〇M 賴朝論 (白 石) 1H ク 六 

同 (白 石) 一一 九 3ノ 九 

同 (同) ノ S 

同 (山 脇) 六 1PU1 

同 (同) 六 lur s 

同 (同) 六 一お. ' 10 

同 (同) さ H- ノ A 

裉賴信 • 一七 六ノ 八 

苘 天 ラ 九 

o 瀕賴政 

同 

o 源賴光 

裉賴義 

同 

〇 三 善 清 行の 封 事 

o 三 好 氏の 家系 

o 三好县 度 S- 九/ 11 



み 

〇 無才の 博士 

武者 所 

〇 宗尊 親王 

o 宗茛 親王 

o 村 上裉氏 

o 衬上 天皇 

同 

〇 村 上 天皇 論 (山陽) 

〇 叢雲の 釾 (神器^ 見よ) 

〇 室町 殿 お^ ノ m 

〇 室町 幕府に 就いて 0y ^ 

メ 

〇 名. K に 就いて 2- ノ 九 

モ 

o 蒙古の 襲來 (元寇 参照) 一 二 今 1ニ 

同 n 一 n 九ノ 一一 

宅 利 氏 論 (山陽) 七老. M0 



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〇 平安 笃都 せ 1 ノ 二 

〇 兵權 に 就いて nil ク 二 

〇 平氏 專權の 因 ち九ノ 1ー 

〇 平氏 論 (山陽) 究勺二 

〇 平 城 天皇 七ラ 一 

同 一 一七 八ノ 八 

〇 兵制に 就いて セ iw ノ W 

〇 平 殆の亂 ニラ 3 

〇 平 殆の亂 源 110 七ノ 九 

〇 平 治の 亂論 (山陽) 茺ラ S 

〇 邊 防に 就いて き ハラ m 

同 S 八ノ s 

〇 兵 論 

晚 a の大機 ち o ノ w 

武田上 杉 二 氏の 兵法 

兵 櫬論ハ 山陽) 究ーノ セ 

同 (同) 1, 一 

兵體 の變遷 セ^ ノ 1 

兵の 川捨 セ瑟ノニ 一 



史論 索引 < ホ 



道と 地 利 フ m 

用兵 上ぶ リ見 たる § 

の 地勢 究ラー 

用兵 論 (山陽) , 0y. 九 

ホ 

〇 封建 郡縣の 得失 六<11 ノ 一一 

〇 封建の 由來 ^九 ニニ 

〇 封建 論 (山陽) お 一 ノニ 

〇 保 元の 亂 一 ニノ 一 

同 二 00 ノ ^ 

〇 保 元の 亂裉 1九六 ノニ 

〇 保 元の 亂論 (白 石) 110 ラ ^ 

同 (同) 11ST10 

同 (山陽) 茺0 ノ M 

〇 法 親王の 始 ー九ーニニ 

〇 北 條氏綱 34>七ノ 二 

〇 北條貞 時論 (白 石) M ニノ n 

〇 北條 氏の 家法 ま 一一 ノ 一 

〇 北條 氏の 木 謀 さ 1320 

〇 北 條氏論 (白 石) 一 11m ラー i 



词 (山陽) 六 一 5 二 

同 (同) さ ーーほ ノ S 

同 (同) さ 冗ノ B? 

同 (同) さみ ノ 1 

同 (同) WI フ 1 

〇 北 條早雪 (後 北條 氏な 見ぶ) 

〇 北 條高時 產ラニ 

〇 北 條經時 二 

〇 北 條時輔 US ク S 

〇 北 條時連 g 八ノ 六 

〇 北 條時钕 論 (白 石) wi ラ m 

同 (同) . き 一つ 九 

同 (山陽) さ K ノ 二 

同 (同) 六 二 ニノ 11 

〇 北條 時宗 WS 八ノ 一 

〇 北條 時宗 論 (山陽) さ 一 ラ 11 一 

〇 北 條時行 一 一一 究ノ 八 

〇* 條時賴 一-一 S ノーニ 

〇 北 條時賴 論 (白 石) S- ノ 八 

〇 北 條政子 lis- ノ 八 

同 1§ マ 



七 八 七 



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史論 索引 フ 



〇 藤 原 兼 家 一 せ ラ 

〇 藤 原 兼實論 (山陽) さつ 

藤 原諕通 一お ーノ 

〇 藤 原 鎌足 (中 臣縑 足^ 見 fo 

〇 藤 原 惟 方 焭 ラ 

o 藤 原 伊周 一七 ラ 

藤 原 .K 資論 (山陽) |§ノ 

〇 藤 原實賴 一七 ラ 

同 ラ 

藤 原 純 友 . 九, 

苘 一一 八 一 ノ 

〇 藤 原忠通 二 ノ 

o 藤 原 や 5 通論 (山陽) sy 

藤 原爲業 兄弟 九.. 

〇 藤 原 時 平 九ラ 

〇 藤 原信賴 一一 0セノ 

〇 藤 原 憲淸龜 (山陽) IPX ゥ 

〇 藤 原秀癎 

〇 藤 原 秀衡 ger 

〇 藤 原廣繼 さつ 

〇 藤 原 藤 房 Ms ノ 



同 「 

〇 藤 原冬嗣 

同 

〇 藤 原 道家の 死 LL 就 

同 

藤 原 道 兼 

〇 藤 原道隆 

藤 原 道 長 

同 

藤 原通憲 ■ 

同 

o 藤 原 光賴論 (山陽) 

藤 原 元方の 人物 

〇 藤 原基經 

o 藤 原 基經論 (山陽) 



〇 藤 原 百 川 論 (山陽) 



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尋ニ 

1 三 II ノ 七 

舊ノ 一 

き K ノ 11 

考 二 



七 八 六 



〇 藤 原 保 則 至( ラ 一 1 一 

o 藤 原泰衡 .1: ラ 二 

〇 藤 原 真經 二! irin 

〇 藤 原 茛經 の, 死に 就 い < .ns ラ ?ー 

o 藤ぬ ー艮房 <ラ ご 一 

同 ., さ r. 一 

〇 藤 原 賴經將 軍と なりし^ : 

情 .lis 一 一 ーノ は 

〇 藤 原賴長 .ニ0 ノセ 

〇 藤原賴 長の 人物 きお ノ 15? 

〇 藤 原賴通 1§ノ HI 

同 .K0 ノ W 

〇 佛敎 

各宗の 教義 傳來 七ラ 二 

興隆 山 ハラ 10 

傳來 :A ノ I: 

弊害 き ラ 九 

〇 鸫津 主命 - ニラ 二 

〇 文學 衰微の 時代 1 九 S ノ m 

〇 文武の 道 七九ノ s 

〇 武烈 天皇 . ノ S 



ズニ プレ^ t» ^ ち 




史論 索引 < ホ 



七 八 七 



苘 (山陽) さ 2 11 

同 (同) さほ ノ S 

同 (同) さ 冗ノ m 

苘 (同) 七二ラ 1 

同 (同) フ 一 

O 北 條早雪 (後 北條 氏^ 見 fo 

〇 北 條高時 臺ラニ 

〇 北 條經時 U1S1 二 一一 

〇 北 條時铺 一 US ゥ W 

〇 北 條時連 g 八ノ 六 

o 北條時 政論 (白 石) H 一一 ラ m 

同 (同) . き ニノ 九 

同 (山陽) 1 パス/ 1ー 

同 (同) さ 一 ニノ 一一 

〇 北條 時宗 八.' 1 

〇 北條 時宗 論 (山陽) g ラ M 

〇 北 條時行 一一 一六 ク 八 

〇* 條時賴 101 ノコ 一 

〇 北 條時賴 論 (白 石) 一一 一 ノ 八 

〇 北 條政子 lis- ノ 八 

同 S ん 



〇 平安 奠都 

〇 兵權に 就いて 

〇 平氏 專權の 因 

〇 平氏 論 (山陽) 

〇 平 城 天皇 

同 



〇 兵制に 就いて sy S 

平 殆の亂 二 ニノ II 

〇 平 殆の亂 源 1101 九 

〇 平 殆の亂 論 (山陽) 究ラ IS 

oa 防 LL 就いて きハ IT ーノ nj 

同 Is 八ノ S 

〇 兵 論 

勝資 の大機 ち ノ 一一 一 

武田上 杉 二 氏の 兵法 芸3 ノー S 

兵 機論ハ 山陽) 交一 ノ 七 

同 (同) I, 1 

兵體 の齄遷 つ 一 

兵の 川捨 ^ヴ 一二 



道と 地 利 六 ml 

用兵 上より 見 たる § 



の 地勢 

用兵 論 (山陽) 

ホ 

〇 封建 郡縣の 得失 

o 封建の 由來 

〇 封建 論 (山陽) 

〇 保 元の 亂 

同 

〇 保 元の 亂裉 

〇 保 元の 亂論 (白 石) 

同 (同) 

同 (山陽) 

o 法 親王の 始 

〇 北 條氏綱 

〇 北條貞 時論 (白 石) 

〇 北條 氏の 家法 

〇 北條 氏の 本 謀 

o 北 條氏論 (白 石) 



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史論 索引 フ 



〇 藤 原 兼 家 一七 ラ 

藤 原 兼實論 (山陽) さつ 

藤 原^ 通 1 さ マ 

〇 藤 原 鎌足 (中 臣縑 足^ 見よ) 

〇 藤 原 惟 方 茺ラ 

o 藤 原 伊周 一七 ラ 

〇 藤 原 "K 資論 (山陽) 龙八0 ノ 

藤 原實頼 一 七ラ 

同 n=: 七ラ 

藤 原 純 友 . 

同 二八! ノ 

〇 藤 原忠通 一 10 ノ 

藤原忠 通論 (山陽) 究 つ 

O 藤 原爲業 兄弟 ぉ兌ノ 

O 藤 原 時 平 九ラ 

〇 藤 原信賴 二 0, 

〇 藤 原 憲淸ま (山陽) お八 ウ 

〇 藤 原秀瘤 旮ノ 

〇 藤 原秀衡 Ills ノ 

〇 藤 原廣繼 W つ 

〇 藤 原 藤 房 nig ノ 



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〇 藤 原冬嗣 

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〇 藤 原 道家の 死に 就いて 

同 

o 藤 原 道 兼 

o 藤 原道隆 

藤 原 道 長 

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藤 原通憲 + 

同 

o 藤 原 光賴論 (山陽) 

〇 藤 原 元方の 人物 

〇 藤 原基經 

同 

同 

〇 藤 原 基經論 (山陽) 

o 藤 原 基 房 

〇 藤 原 基 通 

〇 藤 原 百 川 論 (山陽) 

〇 藤 原保忠 



七 八 六 



O 藤 原 保 則 Rj さ. ノ 一一 一 

o 藤 原泰衡 .1 臺ノ 一一 

o 藤 原 真經 .nirn 一 

〇 藤 原 死に 就いて .ns ラ ?ー 

〇 藤 原 哀房 A ラー 二 

同 二 六 ニノ 1 

〇 藤 原 賴經^ 軍と なりし 寧 . 

情 ノ n 

〇 藤原賴 县 .110 ノ 七 

〇 藤原賴 良の 人物 き ラ m 

〇 藤 原賴逋 1§ノ H 一 

同 .1 八 ノ W 

〇 佛教 

各宗の 教義 傳來 七ラ 一一 

興隆 山 ハラ 10 

傳來 ^;ノ I: 

弊害 mill 一一 ノ 九 

〇 锊津 主命 - ニラ 二 

〇 文學 衰微の 時代 1 九 s ノ US 

〇 文武の 道 セ^ E 

〇 武烈 天皇 . S ノ 四 



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史 論 索お 一一 ネノハ 



七 < 五 



國 紀 の. 夢 

人種 

大. 勢の 九變 

地勢 

日本の 稱 

わが 國の 盛な リ比 

o 年 镞の始 

ノ 

〇 の, -6 リの宮 

〇 義茛紈 王 



C.OE 山 一^の 滅亡 

C,=E 山 重忠の 人物 

同 

〇 畠 山钕& . 

同 



OAS 山義就 

〇 八幡 緣起 

〇 八幡 公の 遺書 

同 

C 花園 天皇 

〇 反 正 天皇 

ヒ 

〇 比截山 

〇 東 山 時代の 流 弊 

〇 比 企 一族の 减亡 

〇 比 企 氏の 滅亡に 就いて 

〇 彥 4;: 々出 見 尊 

〇敏 逢 夭 皇 

〇 蛭 子 

プ 

〇頼 原 遷都 

同 

o 武家 儀式 



〇 武家 三 職 七 頭 

武家時代の 五變 

〇 武家の 官途に 就いて 

〇 武士の 稱 

〇 武門 起^ 諭 

同 

o 伏 見 天皇 

〇 扶桑 國 

〇 藤 原 氏 

系統 

. 皇室との 關係 

每權の 由 米 

. 同 

ぽ ぬの 姓 

〇 藤 原 氏 論 (白 石) 

同 (山陽) 

〇 藤 原敦光 

〇 藤 原 兼 家 



m 七ノ 九 

一璧ノ 10 



二 六 o ノ M 

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史論 索引 トナ 一一 七 八 四 



〇 楠 氏 論 (山陽) るヒ ノ 一 

同 お S ノ 丸 

同 さ 一六 ノ m 

同 お S ノ 八 

〇 南朝 正統 論 (山陽) 突 六 ノー 

〇 南钥の 失な-論す (山陽) さ究ノ 一 一 

〇 南北 兩 朝の 分立 】 一七〕. M0 

〇 南北 兩 朝の 合 一 ニ七一 ノ お 

〇 南北 兩 朝の 合一に 就いて 六^ ノ S 

〇 平 城 〔ナ ラ〕 奠都 六 12 一一 一 

o 奈茛 坂の 戦 1 ニノ 二 

O 名 和 長年 . 磨 ニー ュ 

〇 二位 尼 (北 條钕 子^ 見, o 

〇 二階 堂賴綱 一一 一^二 二 

〇 饒速日 尊 一九 ノ 二 

〇 二 代の 后 mrii 

〇 ニ條家 一一 MN0 

o ニ條 天皇 ニラ < 



〇 豐臣 氏の 滅亡に 就いて 

〇豐臣 秀吉論 (白 石) 

同 (白 石) 

同 (山陽) 

同 (同) 

同 (同) 

同 (同) 

ナ 

〇 內 親王 院 號の始 

〇 內 覽の臣 

同 

o 袅岡 天皇 

〇 長 崎高資 

Gi 髓彦 

〇 中臣 氏の 家系 

o 中 臣縑倉 

〇 中 大兄 皇子 (天 智參 照) 

〇 長屋 王の 獄 に 就いて 

O.S -原箄 房 



同 一一 0, 七 

〇 二 條師基 i つ 二 

〇 ニ條茛 基 ノ 力 

o 新田 足 利 二 氏の 比較 ま 一, 二 

〇 仁 田忠常 11ー! ラ 一一 一 



〇 新田 義威 

〇 新田 義貞 兄弟の 敗因 

〇 新 W 義貞論 (山陽) 

o 新田 義重 

〇 新田 義宗 

〇 瓊 々杵尊 

o 仁德 天, 皇 

〇 仁德 天皇 論ハ 山陽) 



〇 仁 明 天皇 二 3 

〇 仁 明天枭 論 (山陽) Is ラ 八 

同 1 

o 日本 

位 匿 ラ 二 

火 八洲の 成立 1 ラ nj 

君子 國の 由來 さフ 八 

^號 LL 就いて 一 ノ 一 



九-二 六 二八 六 八 さ; 二 3?- 六 六 さ 六ち O さ 

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史論 索引 ク テ 



七 < 三 



〇 土 御 I: 天皇 一き < 二 ほ 

O 壺切 一八 

o 鹅 ヶ岡 八幡の 神託 一 一一 W ノ 1 

チ 

O 帝 德の說 L ぉー ノ 六 

O 博教 入唐 ぉフ E 

O 天魔の 齓 My A 

同 1ー< ク 六 

同 Is ノ 七 

同 セー S ノ 一一 

O 天主教の 傳來 S< フ 1 

Q 田 制に 就いて 邑七 ノ 一一 

同 ち 11 ノ 1 

o 天孫 降臨 11 ラニ 

〇 天台 眞 言の 弘通 さ 一 ノ 一 一一 

〇 天地開闢 ラ セ 

〇 天智 天皇 六 一 ノ 八 

〇 天智 天皇 論 (山陽) sy m 

c 天皇 (皇室 參照) 

院» の始 1 さ. MS 



御號 及び 諡號^ 廢す so ノ m 

灌 項の 例 

諡號廢 絶に 就いて 

親 征の事 

出家の 始 

代と 世と か はれる 始 

太 上 天皇の 始 

重舴に 就いて 

女帝の 始 

磕 號っ例 

天皇 上皇 告文な 賜 はる 

事 

廢立 に 就いて 

同 

法號 

幼 帝の 例 

o 天武 天皇 

同 

〇 天 曆の治 

〇 天 暦の 殆^ 論す (山陽) ま ーノ 八 



ト 

〇 東夷の 叛 

o 道 鏡專橫 

o 柬 三條院 

〇 東 寺 

〇 朿照公 (德川 家 康^ 見 i) 

〇 東大寺 建立 

o 東大寺 苒興 

〇 道隆 

〇 莬裘賦 

〇 德川 家康論 (白 石) 

同 (山陽) 

〇 德政 

. 同 

〇 土 佐 房 a 曰 悛義經 ^討つ 

o 舍人 親王 

〇 烏 羽 天皇 

同 

o 伴 善 男 

〇 具 平 親王 





史論 索引 



タ チク 



七 < 二 



诫稅 に 就いて 

正稅 

税 &B 

秀 吉の徵 税法 

タ 

〇 大 化の 玫新 

〇 代官 

〇 太閣 (豐 臣秀 吉^ 見 fo 

o 醛醐 天皇 

同 

〇 大臣の 始 

o 大塔営 (護茛 親王^ 見 ふ) 

〇 代と 世と か はれる 始 

o 大寶 律. 令 

〇 平清盛 

〇 平 淸盛論 (山陽) 

〇 平桌盛 

〇 平 重 盛 論 (山陽) 

〇 平忠常 

〇 平將門 



S ゾ 一一 一 

零 m 

10 ノ 10 

考 九 



さノ m 

I 九 

九ーフ さ 

3K ノ W 

120 

さつ 二 

$ 六 

w ノーニ 

零 二 

1 一八 ラ 1 

九 IT KS 



同 貧ノ 八 

同 ? 一九 ノ 一一 一 

〇 平政 子 ハ北條 政 子^ 見 fo 

〇 大亂の 世 Ki^ ノ 八 

〇 內裡 炎上 九 ラー 二 

同 103 ノ 一一 一 

o 高 倉 天皇 ニラ は 

同 ms ノ 一 

〇 鷹 司 家 】一 若ノ 一 1 

〇 手 研 耳. SS, 二 

〇 武田 氏の 兵法 ^1ラ一 二 

〇 武田上 杉 北 條織田 四氏攻 

守の 形勢な 論す (山陽) 究ラ 八 

〇 武內宿 踊 

〇 武甕槌 神 

〇 健 御名 方 刀 美 神 

〇 太 上 天皇の 始 

〇 太 政 大臣に 就いて き 一 や J- 

〇 橘 諸兄 W 爱ノ 10 

〇 丹 後の 局 量七ノーー 一一 



チ 

O 地 神 五代 1ー六 ノ 5 

〇 知 太 政货亊 0y 二 

〇 持統 天皇 六ラ n】 

〇 鏺西 探題の 始 SM1 



〇 陳和鄉 

〇 仲哀 天皇 

同 

〇 仲恭 天皇 

〇暾ー 永 式目 

同 

〇 朝鮮 征伐 失敗の 原因 

〇 重舴に 就いて 

〇 張 良 

〇 女帝の 始 

〇 追 捕 使 論 (山陽) さラ 

〇 土 御 8: 天皇 一 ョソ ゴ1 

同 11 一つ 31ー 



六 pa 二 お • = 一 _ 一" 一一 二 

六 3?. 二 六 メ I 九 八 0龙 八 六 0セ 七;:^ 

八 二 CDOO は ヨ^ « ョニ ニー リバ 九 



史論 索引 スセソ 七 八, 



IS 



崇德 天皇 M 

同 

〇 崇道 天皇 さ, 

セ 

〇 征夷 將 軍に 就いて 二 や 

同 1三1 . 

〇 誓紙 l: 就いて 1, 

〇 政殆 

恩威 論 (山陽) As ノ 八 

紀綱 版籍に 就いて 一 

國 家の 患 msll ノ 九 

宰臣の 道 さ IS ノー 

宰輔の 任用に 就いて 瑩一ノ 1 

社會 政策 論 (親 房) 七 八 ニー. 一. 

人君と 學間 In 一 ノ 1ニ 

人君の 道 11 一七 ノ ^ 

政道の 耍 ^二 一一 

同 5 ラ 一, 

民 は國の 本た る^ 論す w-ulo ノ 六 



殆 民論 g 六 ニニ 

治 亂興廢 する 所以 六九八ノ1 一一 

兵食 論 (山陽) 六 ニノ n 

〇 淸寧 天皇 g ノ 一一 一 

〇 征伐 

上古 は 天子ぶ リ出づ 1 一七 I ノ 一 

天皇 親 征の事 1ーぉ つ 六 

叛臣 征討の 始 サ 一 

〇 成務 天皇 一一 一八 ノ 一 

〇淸 和 源氏 <, n 

〇 淸和 天皇 八ラ 10 

同 1 さ 一一 ノ nj 

同 尝」 つ 二 

〇 世界の 位置 M ノ 七 

〇 關 原の 役 論 ^つ S 

〇 攝關 

關 白の 始 m 

人臣 攝 政の 初 八 ラー 一一 

攝關 在職の, 年代 K0 ノ 九 

攝關^ 置かれざる 事 一六 ラ 一 

同 sy 六 



攝關の 系統 

攝家院 號の始 

攝 家の 專權 

攝政 出家の 始 

攝 政の 例 

攝 政の 説 

o 寘化 天皇 

〇 前 九 年の 役 

同 

o 善 光寺 緣起 

〇 戰國 時代の 形勢 

〇 緙宗 

ゾ 

僧徒の 跋扈 

同 

〇 奏者の 職 

〇 曾 我 兄弟の 復仇 

〇 蘇 我 氏 專權 

〇 則天武 后の 事 

〇 粗稅 



六 3;— ^2 一 s: も ^ 3i. 二 冗 き 八 ほ さ 
U j;. 1^1 六 二 九 imia ニニ 七 六 七 九— ■; ^一 



さ Sk^. K さ 昌き笑 ^ "^t ^ % 




史論 索引 シ ス ■ : . お八 〇 



〇 人臣の 道 11 一七 ノ 1^ 

同 IS ク 一 

同 一 ^ノー 一一 一 

〇 壬 申の 亂 六ラ 一一 一 

© 壬 申の 亂論 (白 石) 1 一 K ノーニ 

同 (山陽) さ 一七 ノ 一 

〇 神道 ラ 九 

同. £ー0 

同 ノ 1 

O 覲王稱 號の始 さ ウー 一 1 

〇 人物 登 川の 法 ノ 八 

同 11 旮ノ 一 

〇 人物 登用の 變籩 IS ラー 一一 

〇 舯武 天皇 1 一八 ノ 一 

〇 神武 天皇 論 (山陽) unl ノー 

〇 宗門 邑八ノ 九 

〇 儒敎 一一 ニノ 一一 一 

〇 守護 地頭 11ー0 ノ ほ 

同 ニ^ ノ 龙 

同 さ 六ノニ 



o 順德 天皇 

同 

〇 淳和 天皇 

同. 

o 莊 園の 弊 

同 

同 

〇 承 久の亂 論 (親 房) 

同 (白 石) 

同 (山陽-) 

o 將軍 LL 就いて 

同 

〇 上皇 出家の 例 

〇 稱光 天皇 

〇 上古の 治世 

〇 聖德 太子 

〇 稱德 天皇 

〇 稱德 天皇 論 (山陽) 登 I ノ 二 

〇 承 平 天 慶の亂 (天 度の 亂 

參照) S ノ m 

同 二 ^ノ 八 



六ラ 

〇 聖武 天皇 論 (山陽) きヨノ s 

同 (同) 普 一 i ノ i 

〇 舒明 天皇 

o 白 河 天皇 

〇 白 河 天皇 論 (山陽) 

c 推 古 天皇 . 

〇 綏靖 天皇 • 

垂仁 天皇 

〇 陶晴賢 

〇 菅 原道眞 

〇 同 左遷 

c 朱 雀 天皇 

〇 素盞. 8 

〇 崇神 天皇 

同 

〇崇 唆 天皇 



O 八 八- 3£ 
UH O 一七 




パーお; S3£ 六 一一 3tO 九 一 

j/ti ゥぉ九 。- fcsat 八 六 sa ぜ A 




史論 采引 づ サシ 



七 七れ 



〇 後ニ條 天皇 ま ラ 丑 

〇 近衞 天皇 10 ラ S 

同 U 八. Ml 

〇 後花園 天皇の 卽 位に 就い 

< 5 九 二 S 

〇 後深草 天皇 一 1 一八 二 

同 二 

〇 後伏見 天皇 g 一 ノー0 

同 一 H; ラ 一 

〇 後 北條氏 論 (山陽〕 セ1 ノ 一一 

o 後堀河 天皇 ノ 六 

同 一一^ ノ m 

後村上 天皇 一 

同 二 

同 11 一 

〇 後冷焱 天. 1 

同 . 一 

o 惟 旗 親玉 ml 今 一一 

サ 

寺 家 iy in 



〇 西 行 (藤 原 憲淸^ 見 fo 

o 齊明 天皇 

同 

〇 嵯峨 天皇 

〇 嵯峨 天皇 論 (山陽) 

〇 坂 上田 村麼 

同 

〇11 ー韓の 得失 

〇 三種 神器 ( 神器な 見 よ) 



〇 三條 天皇 10 ラニ 

同 ■ 1 七八ノ セ 

シ 

〇 士氣論 (山陽) 

〇 四條 天皇 11 一 五ノ I 一 

同 一一 Is ノニ 

〇 四 道將軍 一 一一 3メ 九 

同, m-3 ノ 六 

〇 柴田勝 家 さラ三 

〇 斯 波義雕 s ^ノ U1 

〇 斯 波義敏 IS 六ノ r 一一 



〇 紙幣の 始 爱 八ノ 七 

O 神器 

神器 及び 神勅 一一 ーノ 一 

神器^ 笠 縫に 遷す H 一 s ノ セ 

神器^ 五十鈴川 上に 遷 

す 蓋 ノ s 

神器の 沿革 11 八ノ 六 

神器の 德 ノ H 一 



神器な く/ > て 践祚 

神鏡 火^ 逃る 

神鏡 燒く 

: 草 薙の靱 の由來 

叢雲の 靱 の由來 

八 坂 瓊の玉 

o 敬盡 天皇 

〇 仁 賢 天皇 

〇 神 功 皇后 

同 

〇 神 功 皇后の 事蹟 

〇t 護 寺緣起 

o 信 西 (藤 通 通 憲^ 見- 



さ 六 二 — ニー — ユー -t: 

八 六 六八ョ 六み!^ 五:!!;^ 九 八 七 六 九 = 
五 O 九 セ九九 五 七 九九 一 一九 二 O 六 二 




史論 索引 コ 七 七 < 



同 天つ 1 

〇 孝靈 天皇 きーノ 六 

後 圓融院 壳八ノ II 

〇 御 願 寺の 建立 10 六ノ 《 

〇 後 龜山院 一一ち ノ^ 

國號 LL 就いて 1 ノ 1 

〇 國司論 (山陽) 盖 九ノ W 

o 後光 鷇院, 壳ラ 一一 

o 後嗟峨 天皇 i ノ セ 

同 1 一登 ノニ 

同 六 S- ノーニ 

〇 五山 蓋 七ノニ 

〇 後三條 天皇: 10 ラ 1 

同 1 . 1 八ラ 七 

O 後三條 天皇 論 (山陽) UK 一一 ーノ 力 

〇 後三年の 役の 賞罰に 就い 

て 二 ^ノー 

〇 後白河 天皇 二 ノ 二 

同 一九 ゥ n 一 

〇 後白河 上皇 論 (白 石) m ラ 八 

同 (白 石) 二き ーノ お 



同 (山陽) 旯ラ W 

同 (同) さ八ノ 1 

同 (同) 七 二 ノ 八 

〇 後朱雀 天皇 一 01ノ 1 

同 K0 ノ 1 

〇 五攝家 ^,二 

〇 後醍醐 天皇 一 裊. M 一一 一 

苘 . 二 六 山つ 1 

〇 後醞醐 天皇の 諸 皇子 六 S 九 ニニ 

〇 後醛醐 天皇 論 (白 石) 一一 i ヒー 一 

同 (山陽) ノ 5 

同 (同, > ノ II 

同 (同) まつ 

〇 後 烏 羽夭皇 プ 七ノ 七 

同- . ニ1 八/ セ 

〇 後鳥羽 天皇の 踐舴に 就い 

< S 一 1 ーノ S 

〇 後鳥羽 天皇 論 00 石) 二. に.:; ノ ヒ 

同 (山陽) . S/ さ 

〇 亊代 主神 Is ノ B 

〇 後 ニ條. 天皇 0y ^ 



系統 

皇子 孫 LL 姓^ 賜 ふ 

衰微の 原因 

同 

藤 原 氏との 關係 

法 親王の 始 

O 孝昭 天皇 

〇 後宇多 天皇 

同 

〇 功田 

同 

光仁 天皇 

c 光仁 天皇 論 (山陽) 

〇 皇統 論 (親 房) 

同 (山陽) 

〇 孝德 天皇 

〇 高師直 

〇 弘法 

入唐 ^ノ n 

法 流 さノ 九 

〇 光明 天皇 0y H 一 




やさ ち さ' 六 3^ 天 
>'< 六 O 2Eu 六 八 九 



史 Slii #R 引 クタ コ 七 七 七 



〇 裉空 一 II. ラ 一 一 

〇 元 弘の變 11 ノ 一一 

同 II 究ノ! 一一 一 

〇 元 弘の铤 ^論す (山陽) 01 ノー 

〇 元寇の 處置 お 一一 一 ウ 七 

〇 元寇 論 (山陽) さ 一 ニノ 11 一 

〇 源氏 

源氏の 姓 九ク 11 一 

興起の 原因 HI 八ラ お 

同 セーラ 一二 

淸和 源氏 八 1 ノ H 

東國 との 關係 1ー八ー1 一 ノー 

同 一 一八 九ノ 二 

衬上 源氏 九さ ノ 10 

〇 元 正 天皇 0y it 一 

o 顯宗 天皇 きノ 九 

〇 建 都に 就いて SH ハラ 10 

〇 建武 中興の 論功行賞 1#< ノー 

同 ||ーさ ノ 一 

〇 建武 中興 論 (親 房) ISO ノー S 

同 (白 石) 一一 一六 ラ ほ 



〇 勳 功と 官位 

O 勳 功と 颌地 

〇 君子 國の 由來 

〇 藏 人の 起^ 

〇 藏 人の 職 S 六 ラニ 

タ 

C ま 行 天皇 星. Ml 

同 11 七ラ HI 

o 景行 天皇 論 (山陽) ml セノ 一一 

〇 繼嗣論 (白 石) s 究ノ 六 

同 (山陽) M ラ 八 

O 京師の 形勢^ 論す (山陽 ) 0y 一 

同 (同) g ニノ 1 

〇 繼體 天な Hi ラ セ 

〇 刑罰に 就いて 1«| ラ セ 

同 §, 九 

同 七 ニノ 一 一一 

〇 外宮の 由 米 s 八ノ 九 

〇 决晰所 11 一き 二 11 



同 (山陽) 裔 一一 ノ 六 

同 (同) ク S 

O 憲法の 制定 KI 七ノ H 一 

〇 源平 二 氏の 闢係 I 一八 八ノ 八 

〇 源平 二 氏の 興廢 m 九九 ノー o 

〇 裉平ニ 氏の 處置 さ 八ノ 一 

〇 元 明 天皇 ^ノニ 



〇 後 一 條 天皇 

同 

〇 小 一 條院 

〇 孝 安 天皇 

〇 高 一 族の 滅亡 

o 皇極 天皇 

〇 孝 謙 天皇 

o 孝 元 天皇 

〇 光嚴 天皇 

C 皇后 院號 の始 

〇 光孝 天皇 

ai 室 




PSI O 3£ ョ 
八 3i. PH 六 



史論 索引 ォ、 チカ、 クヮ キク 七 七 六 



〇 捤原ー 族の 滅亡 1 ュ 一一 一二 一一 一 

o 捤原景 時の 處分 一 §1 ニニ 

〇 縑 倉の 騒動 111 九ノ 二 

O 官位 11 ラ 九 

〇i の 制定 五 七ノ 11 

o 菅公、 菅家 (菅原 道 眞^ 見 fo 

〇 漢 高の 大度 

O 官爵 と樯利 さ 一 五ノ 九 

o 蘭 朿管頜 LL 就いて n<. ラー 二 

〇 閼白 (攝關 な 見ぶ〕 

〇 寬 平の 治 (宇多 天皇 參照) 九 一 ノ 九 

〇 桓武 天皇 さノ 九 

〇 桓武 天皇 論 (山陽) ISO ノニ 

同 (同) SSS ニノ セ 

〇 鐘 山 天皇 111 今 1 

同 一一 究ノ s 

同 一一 六 Sh M 

O 鴨 長 明 一 |ー 二 ニノ IS 

キ 

C 氣 運の 變 八ラ 



〇織 田 信 袅 論 (白 石) 

同 (山陽) 

同 (同) 

同ハ. 同) 

O 磡馭盧 島 

o 小 野 春風 

o 小 野 好古 

力、 クヮ 

〇 開化 天皇 

〇 開闢 說 

天竺の 說 

震旦の 說 

本朝の 開闢 

11 一朝 開闢の 比較 

〇 花螫 三代 記 

〇 返 矢 • 

嘉吉 の變な 論す (山陽) 

o 花 山 天皇 

o 花 山 天皇 御 出家の 始末 

〇 花^ 天皇 論 (山陽) 



S ノ H 

S ノニ 

考ニ 

ニノ 一 

ま ハラ 10 

考 一 一一 一 



琴 一二 



六 

1 

五 



〇 北 野緣^ 

〇 北. 氏の 滅亡 

〇 北 总 親 房 論 (山陽) 

〇 吉備 眞備 

〇 欽明 天皇 

〇 記錄所 

同 



1 究ノ 一一 

S ノ 一 

f 二 



ク 

〇 空 海 (^法^ 見 fo 

O 公嘵 逢 ラー ill 

〇 公家 〔ク ゲ〕 の 人物 S11I20 

〇 草 薙の靱 (神器 ^見ぶ) 

〇 藥子仲 成の 反 七ラ HI 

O 楠 正 成の 勳功 (楠 氏參 照) 垂っ A 

〇 楠 正 行 天ラ 11 

〇 楠正镞 f S 

〇 楠 正镞論 (山陽) ^フ 一 

〇 桷正秀 so,lo 

〇 阈常立 尊 10 ニー 

C 動 位 5 ラ セ 



H W 七 P3« 

二 八 Jt\ 一 

/\ 二 ial 六 
S 九 ニー 



W A 六 八 n 
九 3i PH P<1 三 三 3i. 

さ 八 九 八 lea at 



m 論 索引 ィ ゥ H、H ォ、 チ 七 七 五 



〇 大內 氏の 亂に 就いて . mo ノ 一 

同 ^つ 九 

〇 奧 羽の 亂 ー臺ノ 1 

〇, 櫻 雲 記 兗八. M0 

、〇 大江廣 元 1 ラ 八 

〇 大江廣 元 論 (白 石) 一一 一 SONS 

同 (山陽) 

〇 大國 主の 神 K ノニ 

〇 應神 天皇 up 1 

〇 太 田道灌 S ラ 八 

〇 應 仁の 亂 15 九 二 

〇 應 仁の 亂蒎 0/ 五 

同 山ハ 八九ノ 二 

〇 應 仁の 亂論 (山陽) y 八 

同 (同) 六 八 S ノ 11 

〇 大 in 嫛貴 (天照大神お 見ぶ) 

〇 大 八洲の 成立 一 ラ m 

〇 忍 熊 王の 反 10 ノ 1 

〇 織 田 氏の 家系 s お ノーニ 

〇 織 田 信 長 S 九 ラー 



o 一 幡 .ー1ー0九ノ お 

O 一 向 門徒の 勢力 15- ノ 一 

Ol 向 門徒の 亂 II おつ 二 

01 沐 £ー 一〕 ノニ 

〇 齋世 親王 - 二 ハ九ノ ほ 

o 1 色 左 京大 夫義莨 nil 一 ノ 八 

〇 五部 〔イット モ〕 の 神 g ノコ 

〇 泉 三 郞忠衡 11 產ニ 

〇 出 雲 請 神の 歸伏 110 ノ ー11 

〇 懿德 天皇 一 ill ノニ 

O 允恭 天皇 S 七ノ 1 

O 院政の 始 1CH つ 八 

同 Is ノ l?j 

〇 院政 論 (親 房) 10 づ 10 

〇 院 中の 禮 10七ノ1 一一 一 



ク 

o 上 杉氏薏 

〇 上 杉 氏の 兵法 

〇 上 杉 氏の 滅亡 

o 上 杉獗實 



〇 鵾鷀草 塞 不合尊 

C 宇多 天皇 

O 宇多 天皇 論ハ 山陽) K 

〇 氏の 長者 

〇 氏の 社 

莬道 稚郎子 

〇 宇 麻 志 間 見 命 

O 廐戶 皇子 (聖德 太子^ 見 ro 



〇 卜 部^ 俱 .mlr 四 

c 瓜 生 兄弟 |_1 八ラ 九 

ヱ、 W 

o 永壽王 望ル ノ uj 

o 惠美押 勝 六, セ 

〇 延 喜の 治 旮ノ 八 

C 延 喜の 治^ 論す (山陽) 芟兄ノ 七 

o 圜太曆 0y 九 

圓融 天皇 100 ノー 

〇 衣紋の 雑色 一九 121 



+3 



六 A つ 八っつ つち づ, ラウ ララ メケ うち ラウう 

二 — ta^r^ — zEi ua^s 二 六 一九二 六 六 六 二 S 五一' 




〇 

條 
天 

r、 

山 

陽 



〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇 
同 同 伊 伊 伊 伊 同 壹伊伊 飯 



條條條 勢 勢 弗 弗 
天 家 兼 神威 册諾 
^ 茛宫親 尊 尊 

の 

神 

託 



岐賀賀 富 
判 判 式 源 
官官部 太 
知 光丞 宗 
康季 光長 
家 



〇 〇 〇 〇 
阿淡沲 天 
波路 木 御 
局 廢村中 
帝 重 主 
尊 



五 究—— 二 M pa S = 

七 七 七 OH^^ira 六 一 — ◦ 二 pa お— 

八 七 a^ — 七 ーョ oo cd >v o /v o 

m. 一二 六 raaa 二 — 一 一さ^: さ 七 七 



皮 ^M. 索 弓 ダ 



七 七 四 



〇 足 利義晴 

足 利義久 

〇 足 利 義尙の 治世, 

〇 足 利 義尙論 (白 石) 

〇 足 利 義榮. 

足 利義藤 (義 輝) 

〇 足 利義故 . 

同 

〇 足利義 政論 (山陽) 

〇 足 利義視 . . 

〇 足 利義銪 

同、 .. 

〇 足 利 蓊滿論 09, 石) 

同 (白 石) 

同 (山陽) 

同 (同) 

同 (同) 

—目 (同〕 

o 足 利義村 (義嵇 ) 

〇 足 利義持 • - 

c 足利義 持論 



〇 阿靜房 安念 H 一二 ラ 1! 一 

o 安達 一、 族の 滅亡 : 

o 熱 田 神宮. 

o 「あづま」 の由來 

o 安倍 賴時 

〇 天照大神 . . . : 

同 , 

〇 天の 石 窟の亊 

〇 天の 瓚矛 

〇 天 益 人 〔ァ マノ マ ス t ト〕 

o 天の 安河の 祌議 

〇 安閑 天皇 

o 安康 天皇 

〇 安 柬五郞 

〇 安藤 堯勢 

〇 安德 天皇 

同 



Q 安寧 天皇. t_l フ八 

〇 安和の 變 老ラニ 

同 七 二 S ノ S 

〇 天 忍穗耳 尊 K 二 3 



K ノ せ 

奪 11 

き 一 ノ 九 



山讀神 

瞎史皇 

正 

史餘铋 

61)9 5 冊 nL 

索 
引 



pa 六 二 六 さ s S 一七 六 六 
S 八 五 九 六 六 S pa 八 七 
九お 五 》 si 九 八 九 八 

at さ OS 兰丑ニ 3tt 五— 八 



史謐 索引 ァ .P 七三 



タ 

〇 赤松 圓心 11、 つ 一二 

〇 赤松 政则 一 ノーニ 

〇 赤松 滿祐 (嘉吉 の 變な見 i) 

〇 赤松 持貞 S1 や 1 

〇 秋津洲 ほノ 一 

o 明智 光秀の 弑逆 さ 一二 一一 

〇 阿衡の 紛議 Kuh « 

〇 朝 倉義景 S< 七ノ は 

〇 朝日 將^ (璩義 仲な 見ぶ) . 

〇 淺豚八 郞爲賴 M さ 一 ノ m 

〇 足 利 氏 

家系 11 

季 世の 形勢 ^一 ノ M 

尊 氏 兄弟 i 趙匡胤 g CM ノ In 

O 足 利 氏 論 (白 石) El 一一. Mil 



〇 足 利 政 知 Bell ノ 一一 

〇 足 利滿兼 £0 八ノ セ 

o 足 利 持 氏 S 一一 八 二 四 

〇 足 利 基 氏 11 一九 ノ 九 

〇 足 利義昭 s 八 ラニ 

o 足 利義明 

〇 足 利義澄 二! 1ー 

O 足 利義尹 (義搲 ) S ち. M 一 

〇 足 利義毺 S 七 ラー 

O 足 利義嗣 

〇 足 利義镩 SS ノ n 

o 足 利義詮 一一 一九 ラ 一-一一 

o 足 利 義詮論 (白 石) 竞 20 

o 足 利義敎 SS つ や 

〇 足 利 義敎論 (白 石) S1S ノー 

同 (山陽) 六 七七ノ 二 

同 (山陽) $ 1 



へ 史論 史資 の 主要なる むの^ 採 リン 

广發 音に 從 つて 五十音順に 排列す」 



同 (白 石) 

同 (同) 

同 (同) 

同 (山陽) 

同 (同) 

同 (同) 

同 (同) 

同 (同) 

同 (同) 

〇 足 利 尊 氏 

同 

o 足 利 尊 氏 論 (白 石) 

同 (白 石) 

同 (山陽) 

〇 足 利直義 

o 足 利 直義論 (山陽) 

〇 足 利 成 氏 



琴 八 

n 六 120 

S 九ラ » 

考 八 

六 さ 1 ノ 一一 一 

六 七六ノ n 



山陽 史論 七. 9 二 . 

して 織 田、 豐臣氏 は、 その 間 を 以て 近畿 を奄 有し、 暴に 强大を 致す。 蓋し 公 を 以て 遲鈍 

と爲 さざる なし。 而 して 天の 公 を 成す 所以 は 乃ち 是に 在る を 知らす。 二 氏の 天下に 於け 

る、 唯 速に 之 を 得たり、 放に 逑に之 を 失 ふ。 公 は 未だ 嘗て 天下 を 取る に 急なら ざるな り。 

而 して 天下の #、 毎に 以て 公 を 開く に 足る。 嗚呼、 是 その 長く 天下 を 有ち て、 以て 今日 

せい 4- ふ も S.0 ゆ ゑん 

の 盛業 を 基す る 所以なる か。 . 



會 同朝聘 I 

大名の 參覲 

交替 



驕婦 —淀^ 

験孺 I 秀賴 

寸攘尺 取— 

少しづつ 土 

地^ 取る 



夫れ 櫳は 我に 在り。 是を 以て 班爵 の崇、 封土の 隆、 之 を 天下 侯伯の 右に 置かざる を 得す。 

太閤の 末路、 兵 は 外に 連り、 士は €: に亂 る。 而 して 之 を 能く 定む る莫 し。 能く 之 を定む 

る 者 は、 公の み。 太閤 一 たび 暝し、 天下 を 制馭す る 者 は、 公に 非す して 誰ぞ、 是 その 勢、 

ち しゃ t まく きん これ ぐん s ,つみ ひ あつま 

智者 を 待ちて 後に 知る にあら す。 特に 未だ 漯 有らざる のみ。 關 原の 事 は, 是 群雄 相 聚り、 

お おく づか きん ゥら じょ 5 

天下 を 推して 德川 氏に 貽る 者な り。 何と なれば 則ち 彼 自ら 釁を 開きて、 我 をして 之に 乘 

われ じ た^ きん てラ てい じ や、 フ しゃ ラ 

ぜ しむ。 我 天下に 辭 有り。 天下 誰か 能く 之 を 禁ぜん。 是に 於て, 朝廷、 之に 上 將 の 任 

さづ こラ はく す くわい ぞ, つて,, 'へい た^ 

を 授けて、 天下の 候 伯 を 統べし む • 會 同朝聘 、束に 於いてせ ざる 莫し。 刖ち 大阪は 徒に 一 

こうこく ざ しょく こ しの いづく こ もの け 

侯 國の坐 食す るの み。 公 已に織 田 氏の 孤に 忍びす, 寧ん ぞ復 豐臣 氏の 孤に 忍びん や。 蓋 

よ しょ I* つ さいぎ さしはさ A づか 

し 以て 善く 之を處 する 有る を 思 ふ * 而 して 彼れ 察せす して, 專ら 猜疑 を 挾み 、再び 自ら 

きん ふくめつ す A やか 6 & S ラぶ ら うれん 

鴛を 開きて、 その 覆 威 を 速 にす。 公に 於いて 何ぞ累 せん。 公の 雄武 老鍊 なる、 太閤と 

おそ たう じ ぐん S ラ じ f レ 

いへ ども、 その 畏る, 1 所に 非す。 況ゃ當 時の 群雄に 於いて を や。 直に 之 を 兒童視 す。 而 

け,? < がで じ S- はか h- つ JJ£ たく は おもん はか. 9 つ t ふ 

して 驕婦 騰孺に 有らん や。 而るを 公 謀 を蓄へ 慮 を 積みて、 之を斃 すと 謂 ふ は、 皆 

じ じゃラ せラ { - りんこく てんち かんぐ きば tj& 

時怙を 知らざる 者な り。 公 は少々 より 隣國に 赙 質し、 已に艱 虞 を 極む」 その 國に 主たる 

S かひ きゃラ てき せつ ほラ すんじ うせき しゅ ゎづか 

に 及びて、 また 境 を 勁 敵に 接し、 百戰 して 鋒を爭 ひ、 寸攘 K 取、 纖に 五州 を定 む, 而 



日本 外史 論文 



七 七 1 



山 陽 史 論 七 七 〇 

も くこく .U いか ふ しゃ、 フ か *っ おこ 

氏の 屬國 なり。 而 して 太閤 は その 將校 なり。 太閤 は 織 田 氏の 將校を 以て 身 を 起し、 乃ち 

ゐ こ あざむ く は し- *SJ ラ れつ おそ 

その 君の 遣 孤 を 欺き, 之に 加 ふるに 兵 を 以てせん と 欲す。 諸 同列、、 その 力 を 畏れ、 その 

ナぃ わたくし し じ あへ あらそ しか ひ W りき ぜん じゃく たす ,や, T 

惠を 私して、 逡巡 して、 敢て 爭ふ莫 し。 而 るに 公、 獨 毅然として 弱を扶 けて、 强に 

杭す、 野次の 一戦に、 その 二 驍將を 獲た る は、 固より 以て 奸 雄の 膽を 破り、 而 して 天下 

^合 烏 集— の 心を& する に 足る。 この 時に 當 りて、 太閤の 據る所 は 近畿の 諸 州に 過ぎす。 瓦 合^^ 

x'i ir>r くわ,. -ま、 r- 5- だ さん ゑん かラ しつ た& く は かふ しん 々いんい 

f パ 人々、 觀 望を懷 く。 而 して 公 は參遠 膠漆の 民 を 以てし、 加 ふるに 甲 信の 精鋭 を 以てす。 ■ 

さ 6 t あ Z ? 7 ちラぎ くも あめ わしん な か ** 

め 舊、 忠義, 雪の 如く、 雨の 如し、 和親 をして 成らし めす、 兩姓 をして 兵 を 構へ しめば、 天 

00 1 分離 むかし. ? 7?7 h- ラ! Tew く い 九い ゆ. J fcr 

せざる 堅き 下の 事、 未だ 知るべからざる なり、 昔 者、 曹操、 劏玄德 に 謂 ふ, 「天下の 英雄 は、 唯 君と 

b つ AV^TTN *! ん ほんしょ はい ろ, C し た かつい へ くら なほ 

^ 我との み、 袁 本初の 輩 は 論す るに 足らす」 と。 今 太閤 を 以て 柴田勝 家 等に 視ぶ るに、 猶 

操の 本初に 於け るが 如し。 而 して その 公 を 憚る や、 啻に 立德 のみなら す • 宜 なり、 その 

辭を卑 くし、 鱧 を 厚く して、 百方、 和を講 する こと や。 是 太閤の 至 計、 以て 速に 天下 を 取 

る 所以な り。 而 して 天下の 權は、 已に德 川 氏に 在り。 何ぞ や。 我れ 戰ひ 勝ちて、 彼 和 を 

も! -J かれ ゆる われ わ : fc^v 

求む。 求む る 者 は 彼に あり。 許す 者 は 我に 在り。 我 和 せんと 欲せば 則ち 和し 戰 はん 

あん *- くわ ふく けつ われ けん ► 

と 欲せば、 刖ち戰 ふ。 安危 禍福、 一 に诀を 我に 取る, 我 巳に 天下の 權を 有せ ざらん や 唯 



發縱 指示 I 

先導して 向 

ふ 所な 示す 



〇 家 康が天 

下^^た る 

所以 

は^ 5— さ.^ 

馳驟 I はぜ 

ま はる 



綾 帶垂橐 I 

危害に 備ふ 

る 必要な き 

:{ 棄は 

ふくる 



»* つし よ.,' しし さ やす iz ん S- フ 

發縱 指示して、 收 めて 之 を 寧ん する 能 はす。 故に 太閤の 群雄に 於け る は、 苟に之 を 一時 

せ、 * ふく すみやか ゑん すみやか 

に 制服す るの み、 豈に 長久の 計な らん や。 その 速 に 天下 を 得る 所以 は、 乃ち 速 に 之 

り ぶ てい 1 . た、 つら 

を 失 ふ 所以な り。 梁の 武帝 言へ る 有り。 「吾より 之 を 得て、 吾より 之 を 失 ふ 復恨 むる 所 

たいか ふ うら な 

無し」 と。 則ち 太閤 それ 亦忸 むる 所 無き か。 

〇 德川氏 正 記 德川氏 

われ かつ あそ じ や、 つけつ さラ こラ はくて いてい おび. み 

外史 氏 曰く、 吾 嘗て 江戶に 遊び、 その 城闕 の壯、 侯伯^ 第の 夥 しき を觀 る。 旣 にして 

柬 海を歴 て、 尾 濃の 問に 彷徨し、 北 は 信越の 諸 山の 綿 亙重疊 して 來り、 迤に 京畿に 赴く 

の * よくや こ;' くわつ きん ゑん せつ しん く ろ ち ?? 

を 望む。 而 して その 南 は 沃野 洪躅、 參 遠と 接す。 眞に 天下の 衢路、 千 軍 萬 馬の 馳驟を 想 

見す。 今の 邸 を 布き 第 を 列 する #、 そ の 初 皆 嚮背を 是に诀 せる なり。 蓋し 源平お 遠、 

治少 くして 亂 多し。 群雄 碁峙 し、 分裂 梗塞して、 その 幾 百 歲を閲 する か を 知らす。 而し 

われ,、 わん. U い もた く h-ゃぅ もたら たれ ^ん しゃ うれ 

て 今 吾 緩帶 垂窠、 糧を齎 さすして 行く は、 则ち 誰の カぞ や。 世の 論者 或は 大阪 の亊を 病 

W く れづら は これ じ せい われ こ 5 

へて、. 束 照 公の 德を累 すを爲 す。 是 時勢 を 知らざる 論な り。 吾 曰く、 公の 天下 を 取ろ 

も せきがはら こ I き そ 

は、 大阪に 在らす して、 關 原に 在り。 關 原に 在らす して、 小牧に 在りと。 夫れ 公 は 織 田 



本 外史 論文 



七 六 九 



陽 史 論 



七 六 八 



搪媒— きす 

柩肉 云々— 

死して 間 も 

なきに 



鷥驚 悛狗— 

强き 驚す ば 

やき 犬 



以て 常 然と 爲す。 彼の 求む る 所 窮 なくして、 我の 有する 所盡 くる あり。 盡 くる あろ を 

以て 窮 なきに. 供す。 その 勢, 之 を 海外に 取りて 之 を 塞がざる を 得す。 是に 於て、 七道 

の 民、 その 未だ 愈えざる の瘡 瘐を裹 みて、 知る 可から ざるの 地に 趨き、 連年 成る 所な く 

/ . ちからつ f にく ひや-か ぐ, うおの /.- け だ 

して その カ竭 きたり。 而 して 柩肉 未だ 冷 ならざる に, 羣雄 各 自立の 心 あり。 蓋し 

怪しむ に 足る 教な し。 故に 太閤の 民力 を 愛しまざる は、 その 地 利 を^し まざる に. a. る。 而 

わざ,. は ひ みづか いたいり やく 

して その 禍 遂に 此に 至る。 皆 その 自ら 取れる のみ。 然り といへ ども、 太 問の 雄才 大略 

よ hi く たくま 

をお て 八 歳に 六十 餘國 を定 むれば、 刖 ちその 餘カを 以て 之 を: S 外に 逞しく する は、 固 

より 共れ 宜 なり。 豈に唯 太閤の み然 りと 爲 さんや。 當 時の 猛將、 謀 夫、 雄 傑の 士、 天下 

に布滿 す。 天下 巳に 集 りて、 K 傑驁巧 肌、 事 を 喜 び、 功 を 好む の 心、 猶 未だ 巳まざる 

なり。 之 を鶩騰 俊 狗に譬 へんに、 其 噬嚼 搏擊の 力、 用 ひて 餘冇れ ば、 则ち 必^ 人に: 沿る 

に 至る。 故に 朝鮮の 役に、 是 天下の 群雄 をして その 噬嗨 馎擊を 肆 にして、 その 力 を 殺 

い たづら そ それ かれ また 

ぐ 者な り。 然れ ども 徒に その 力 を 殺ぎ て, 其 をして 獲る 所 無から しめば、 ^ち 彼 將に復 

我に^ 服が すして、 反りて その 噬嗨! g 擊を 我に 施さん とす。 ^呼, 之 を 養 ひて、 その 術 

を 得す。 安に か往 きて 可な らん や。 能く 之 を 飽かしめ て、 之 を 節する 能 はす • 能く 之 を 



まざるな り。 夫れ その 民力 を 愛しまざる は、 固より 以て 危亡を 招く に 足る。 而 して 地 利 



閭巷 I 民間 

博 I, 博奕 

揮霍— 盛に 

使用し 



自ら 封埴し 

v^l 己^の 

み 利して 

たる 土地 



を 惜しまざる は, 又 以て 久安を 計る ベから す。 この 二者, その 勢 相 持し、 而 して その 禍 

相 因るな り。 然れ ども その 初の 速に 天下 を 得る 所以 は、 愛惜す る 所 無ければ なり。 譬へ 

.C よか、 r- はく 5 それ く じん いやしく 

ば閭 巷の 人、 博して 大勝 を 獲る が 如し。 其 をして 勝た ざら しめば、 ー窶 人の み。 苟も 勝 

たんか、 乃ち 大に之 を 禪霍 し、 その 朋頻を 招き、 醉飽喧 呼、 務めて 怏を 一時に 取る。 唯 

然り。 故に 暴に 富みて、 而 して 人怨ま す。 太閣、 人 奴より 起り て 大國に 主たる は、 固より 

巳に 其 望む 所に 踰ゅ。 乃ち 變 故に 遭遇し, 機に 投じ、 會に 赴き、 動もすれば 意の 如くな, 

5 しょねん しゃ 5 す, し こ せいはい 

る を 得。 皆 初 念の 至らざる 所。 而 して 當 時の 將帥を 四顧す るに、 皆 その 儕輩、 或は その 



おのれ ふく 

敢て 比肩せ ざる 所な り。 一 且 その上に 立ちて、 常に その 己に 服せ ざる を 恐る。 以爲 へら 

われび せん り けん みづか ほラ しょく まさ 

く、 吾 微賤より して 利權を 司る を 得たり。 苟も 自ら 封殖 して 人に 分た すば, 人將に 吾と: 

こ 5 ろ! 3 レ か; ゆ さ わか 

爭 はんとす。 而 して 吾が 志 速に 成る 可から すと。 故に 脅 腴を釗 き、 金 帛を頒 ち, 動 も 

す、.' しラ せんこ、?' た *t ふん さ かれ 

すれば、 數 州の 地 を舉 けて 戰功を 賞す。 之 を視る こと 啻に 糞土の 如きの みならす。 彼 そ 

がう し S ん -> ぶ ほん モラ じ はか ん 

の 一 世の 豪 俊 を 鼓舞 奔走せ しめて、 驟に志 を 天下に 獲し は、 この 術 を 用 ひたれば なり。 然 

われ ふ さづ かれ ふん 4_J 5 かつ. ミく 

れ ども 吾 糞土と して 之 を 授け、 彼 亦 糞土と し 之を受 く" 未だ 嘗て 我を德 とせす。 而 して 



日本 外史 論文 



七 六 七 



山陽 史論 



七 六 



〇德 川 氏 前記 豐臣氏 



〇 秀吉^ 評 

す 

髙蠆 I 高臺 

寺 



1 B メナ 

の 姓 

覺羅氏 1 淸 

主の 姓 



累葉— 累世 



外史 氏 曰く、 余 東 山に 遊び、 太閤の 像 を 高 臺の祠 に 謁す。 祠門は 蓋し 征韓の 艦材を 以て 

之 を 造る と 云 ふ。 嘗て 韓人の 紀 する 所を讀 む。 曰く、 「明、 使者 を 遣して、 太閤の 相貌 を 

窺 はしむ。 矮 にして 黑く、 他の 異る 無し。 た r その 目 光、 焖々 として 人 を 射, 仰ぎ見る 

可から ざる を 見る のみ」 と。 今 其 像を颧 るに、 信に 然る者の 如し。 嗚呼、 太閤 をして t 

しん まっかつ か いづく Is みん くつが 

眞、 銶韃の 間に 生れて、 之に 假 すに 年 を 以てせし めば、 則ち 烏ん ぞ朱 明の 國を 覆へ す 者 

かぐら し けだし な はな は かんぶ ゅラ さい 

は、 覺羅氏 を 待たざる を 知らん や。 蓋 其 人と 爲り、 酷 だ 秦皇. 漢武に 背て、 而 して 雄 才 

たいりゃく み ざ かんぶ く 、フ ぎよ しん 

大略、 遠く 其 右に 出づ。 夫れ 漢武 は璺 富に 乘 じて、 區 宇を馭 す。 論ぜす して 可な り。 秦 

くわ ラ せき- Q さしはさ す, ざん た ふ W レ^ ふんき ぐん ゆ...' 

皇は六 世の 積 威 を 挾 みて、 衰殘の 六 國を蹶 す。 太閤の 徒手 奮起して 群雄 を 制服す るに 

いづれ ザつ し かれ も, 九 ふ 

敦與ぞ や。 然れ ども その 民力 を 過 用して、 絕嗣 の耥を 取る は、 刖ち秦 と 等し。 彼 累粱の 

烈に藉 りて、 猶 且つ 兗れ す。 況ゃ 匹夫 を 以て 暴に 起る 者 を や。 然れ ども 匹夫 を 以て 天下 

を 得る は、 祖業を 承け て 之 を 失 ふ を 重ん する 者の 如きに 非す。 土地 は その 固有に 非す。 故 

に その 利 を 分つ を 惜しまざる なり。 人民 は その 固舊に 非す。 故に その 力 を 用 ふる を 愛し 



ざけ 過法繩 蕪 

る づざ制 墨 穢 
な ,リ た^ 斧 I 
增 及る 立 斤 戦 

すば^て I 亂 



か鈕 
へ鹦 

す I 



-す 



や。 然れ ども 數 百年 分裂 の^を 定 むる は、 盤根錯節 を 治む るが 如く、 必す 鋤蹙斬 斷を以 

て 功 を 見る。 その 間 必す大 に 人心 を矯拂 する 者 あり。 而 して 之 を 取る に 甚だ 難ければ、 之 

たも きふ しやう す. t ぎよ さいにん こくれ い やま ひ 

を 持つ に 必す太 だ 急な り。 將帥を 待ち、 臣民 を 御す るに、 猜忍 刻厲の 病な きこと 能 はす。 

ち 5 だラ わざ は ひ み ひっし ミが むか、 

中道に して 禍 に 遇 ひし 所以な り。 亦 勢の 必至に して、 深く 咎む るに 足らざる なり、 昔 

周の 世宗、 英明の 資を 以て, 混 一 の 志 を 抱き、 衆 言に 牽 かれす、 精を厲 して 進取し、 半 

途 にして 沒す といへ ども、 而も 能く 趙宋の 業 を 開けり。 右 府の迹 • 蓋し 之に 似たり。 而 

して 豐臣 氏、 右 府の將 校 を 以て、 その 成 緖を繼 ぎ、 能く その 志 を 就す • 而 して 王 を 尊ぶ 

の義、 四方 を經^ する の唣に 至りて は、 一 としてお 府を師 とせざる は 無し。 卽ち德 川 氏の 

興る も、 亦此に 因らざる 能 はや。 以て 王室 將家竝 に 今日の 盛 を 見る を 致す。 大業 を 佐け 

成し、 四方に 藩屛 たる 者、 槪ね 右府の く 所に 係る。 則ち 之 を 右府の 業と 謂 ふ も、 亦 何 

ふか しつ きづ セミ ぶ くわい か. 5 ひ けづ 

ぞ 不可な らん。 之 を 室 を 築く に &3 ふ。 その 蕪穢を 治め、 その 高 卑を鏟 り、 而 して 又 之が 

爲に その 材木 を 鳩め、 後人 をして 之に 繩 暴-斧斤 を 加へ、 成りて 之に 居らし む。 嗚呼、 そ 

の勞 寧ぞ沒 すべ けんや。 



n 本 外お 論文 七 六 五 



"C 隔 


み取擎 し 鉢 


ご!? 


か闳 


合り 攫 兩 


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さ • 1 


ふ合搏 1 




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ひ嚼 す 


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だ 


力、 | : 


ん 



山陽 史論 七 六 四 

輕 重す るに 足らざる こと、 此の 如きに 至る。 挾みて 以て 天下に 令す る も、 天下 未だ 必す 

しも 聳動 せざる なり。 而 して 4; 府、 之が 爲に抉 楠經紀 し、 恝々 として^ かす。 これ その 

高義、 齊桓を 凌ぎて、 晉 文を駕 すと 謂 ふといへ ども 可な り。 このと きに 當 りて, 群雄の 

s.7f くわつ きょ ぐわん し はう く いん な にちや つ W みん しょく 

方 隅に 割據 する 者、 環視 傍觀 して、 能く 此に出 づる莫 し。 その 日夜 務めて 眠 食に 代 ふる 

た. 》 かひ し s ひや 5 タ くわく はくけ つ 

所 は、 曰く、 戰 のみ。 而 して その 所謂 戰は、 徒に 勝負 を 銖兩の 問に 較し、 挈攫搏 曙、 以 

じんじ e> ラ あらそ お ほむ し^ てラ せい 

て 尋常 を爭 ふ。 武田、 上 杉、 北條, 毛 利の 如き、 槪 ね然ら ざるな し。 獨り 右府、 超 世の 

材を 以て、 籠 蓋して 之 を 取る。 その 武田、 上 杉を視 る、 猶 我が 藩籬の 如く、 其 をして 相 

持して 決せす、 日に その 財陚を 費し、 月に その 甲兵 を敝れ しめて、 適 以て 我が 束 面を隔 

'い もつ ほら き てん けいりゃく 九 9 てん 

閡す るに 足る。 而 して 我 は 以て 力 を 專 にして 畿 甸を經 略す る を 得たり。 畿甸已 に定る • 

まう り し のみ こ ひし f くじ きゃラ さます- (» だい 

西 面して 毛 利 氏に 臨む〕 枯を拉 ぎ、 朽を榷 くが 如きの み。 是に 於て、 我が 疆土益 大 兵 

ます {• き や、 フ ひ へい てき もミ さ t 

力 益强、 强大の 我 を 以て、 費敝の 敵に 加 ふ。 上 杉、 武田、 固より 我 を 支 ふる 能 はす。 而 

こ .9 つ は. y せいさん っミ S よ. r ち、 7 . 

して 北條. 氏、 孤立す。 刖ち柬 國皆圖 る 可き なり。 是れ その 成笄, 夙に 胸中に 定る ^ぞ 

必 すし も區々 の 勝敗 を較 せんや。 猶 夫の 突 碁の ごときな り。 天下の 群雄, 方に 角 を 守り、 

f よ う ふ ザん きよく せい てラ せい さい い 

傍に 侬る。 而 して 右苻、 獨り 全局 を 以て その 勝 を 制す。 之 を 超 世の 才と謂 はざる ベ けん 



る 國建覺 周勝陳 
本^ 置揚隋 、; fg 
i 立 本 堅 I 項 f 
末て 末 宇籍 I 



に. m りて 家 を 興す 者、. 慶長庚 子 以後、 封土 を定 賜し、 之と 更始す といへ ども、 而も 猶彼 

かん こうわう ちんこ、 フ レゃ ラレ ゃラ しう ず ゐ f ん だい たづ 

の 漢の侯 王の 陳 項に 於け る、 唐の. 將. 相 の 周隋に 於け るが 如し。 その 前代 を 源ね ざれば、 

けんち ほん まつ ん つまびら か まづ じょ よ 

その 建 置 本末、 得て 詳 にすべからざる なり。 余、 故に 先 二 氏を敍 して、 その 勢の 從り 

きた ろん 

て 來る所 を 論す る こと 此の 如し。 * 

_ 〇德 川 氏 前記 織 田 氏 (其 二) 

へいもん こ らラ ゆん き かん み ? ,7 ナウ 

外史 氏 E. く、 往時、 平安の 故老、 元嗨閒 のこと を覩 るに 及ぶ あり。 言 ふ, その 時、 宫, 闕 

だ-は., い, : ば じ .た いたん つち .7 fc は むれ -. きた み 

隳廢し 群兒頹 垣の 中に 人り、 土 を搏ち 戲を爲 す。 織 田公來 るに 及びて、 始めて 觀る 

おう にんいく わん れんこく もミ つね V や、 フ 5 

, 可き 有りと 云 ふと。. 夫れ 應仁以 還、 海內 分裂し、 輦穀の 下 、毎に 兵馬 馳逐の 樣 となる。 お 

ふ さラ さ い へき ぢょ さい! こラ ひく 

府に非 ざれば、 誰か 能く 荩 萊を闢 除し、 以て 王室 を 再 造 せんや。 朝廷、 其 功を醻 ゆるに 

ぎ せいい はい じ 5 しャラ か ミも す & た、, 

及び, 擬す るに 征夷の 拜を 以てす。 則ち 辭 して 受けす。 蓋し 將 家と 王室と、 俱に 衰頹を 

極め, 名 重く、 實輕 し、 猶 所謂 大將 軍の 告身、 僅に 一 醉に 直る 者の ごとから ざらん や。 右 

こ t ろざし か V 、ノ こん タぅ jj はか おか くわん ミ、 フ くわん りゃラ か 

府の 志 、 海 宇 を 混同す るに 在め、 遽に虛 名 I す を 欲せす。 之 を 彼の 關 東 管 領を假 

:F ほこ きり ゃラ あ ひだ * も {• めい *- がう けつ 

りて 隣國に 誇る 者に 視 るに、 その 器量 固より 間 あり、 抑 朝廷の 名器、 天下の 豪傑 を 

日本. 外史 論文 七 六 三 



陴 

文 



o 信县が 天 

下 一 掃に 莨 

獻乜る 所 



吿貞— 受官 

の符 



山 陽 史 論 . 七 六 二 

に 足る。 否ら すば、 卽ち 功臣 も 亦、 諸侯と 等し からん のみ。 我 を 戴く の 心無く して、 我 

あら モ い わざ は ひ かう む ゆさん そん 

に爭 ふの 意 有り。 是織田 氏の 禍 を 被る 所以な り。 能く 外 諸侯 を存 すと いへ ども、 而も 

ちゃ ラ 仁 たん おぎな せいりょく ほ *5 てき そ ラ^く 

長を斷 ち、 短 を 補 ひて、 勢力 をして、 略敞 せし むる を 知らす。 又大に 宗族 を 封 じて、 その 

やくさい X はんが あ ひせい じゃしん ちん もつ した ゆ ゑん 

扼塞 —おさ 扼 塞に 據り、 犬 牙 相 制して、 以て 其 邪心 を鎭壓 する を 知らす。 是 れ豐臣 氏の 嗣を絕 つ 所以 

ヘスせ ぐ •〈 かた. やす 

き 至要の 地 なり。 織 田 氏 は 唯 之 を 取る に 難ん す。 故に 之 を 分つ に 重ん す。 豐臣氏 は 唯 之 を 取る に 易 

んす。 故に 之 を 分つ に輕ん す。 之 を輕ん すると 之 を 重ん すると、 其 情 異なりと 雖も, 其 天 

か ^い ゆ,"' を さ ほラ けん へい, ひ ► , 

下 英雄の 心を收 むる 能 はざる は 一の み。 故に 曰く、 二 氏 は 封建 S 弊 を 承け て、 而 して 之 

を 裁す るの 術 を 知らす と。 我が 德川 氏に 至りて は、 二 氏の 失に 鑑みて、 其 衷を秉 り、 之 

fc ぜん ない ぐ わい け いぢ 3 3 い はか ゐ. ぢ . 

を矯 むる に漸を 以てし、 其 内外、 輕 重の 際を權 りて、 萬 世に 維持す。 封建の 勢 是に於 

* たラ, か モラ! f> ん ろん ひき ほひ よ 

て、 一定して 復撼 すべから す。 唐の 柳宗 元、 封建 を 論じて 曰く 、「勢な り」 と。 余 曰く, 封 

せい かれ ぐんけん り へい せんざい はか それ 

建 は 勢な り。 勢 を 制する は 人な り。 彼 郡縣の 世に 生れて、 而 して 利 弊 を 千載の 上に 揣る。 其 

をして 我が 邦の 今日 を 目せ しめば、 以て 如何と 爲 すか。 蓋し 德川 氏の 太平 を 致す は、 參 

參遠— 參河 遠 勳舊の 力に 由る といへ ども、 而も 新附將 帥の 功 あれり。 今の 外 藩 列國、 邦 を 足 利氏以 

しま づ さたけ だ て ラへ すぎ まラり なべし ♦* 

前に 成す 者 は、 島津、 佐 竹, 伊達、 上 杉、 毛 利、 鍋 島の 如き, 是 のみ, 其餘 は、 皆 二 氏 



崛起 I ぬき 

んで 起る 



蟠踞 I わ だ 

かま リぅ づ 



折衝 禦侮. 1 

つ きく じき 

わな ど リ^ 

ふせぐ 



しょ、..' せ しふ 5= ち へい は ゆん ぜん L よこ-.' ほうけん 

と稱 して、 之 を 世襲せ しむ、 土地, 兵馬、 儼然たる 諸侯な り。 而 して 封建の 勢 成る。 足 

利 氏、 初め 務めて、 大封を 以て 將士 に鸱は せて、 以て 朝廷の 權を撓 むる を 得たり。 旣に 

ん いき ほひ: t づ すで お ^ ろ けんしん なん か ♦* 

天下 を 得て、 勢 削る ベから す。 その 政、 旣に衰 ふるに 及びて、 その 權臣、 難 を 京師に 構 



へて、 所謂 諸侯 は、. 群 起して 之が 黨援 を爲 し、 又 互に 相呑滅 して、 盆 强大を 成す。 而し 

て 最後に、 織 田 氏、 その 陪臣 を 以て、 崛 起して、 之を幷 す。 部下 は 皆 一時の 英 1 ぼ、 攻繫 

して 四方に 出で、 城 を 取り 地 を 略す る 者 は、 因りて 之 を 賞す。 その 志 盡く 天下の 故 

國を 鋤き て、 その 功臣 を 以て 之に 代 ふるに 在り。 未だ 成らす して 踣る。 而 して 豐臣 氏, そ 

つ こ t ろざ か 仁 な 

の 將校を 以て 踵ぎ て 起り、 織 田 氏の 志す 所、 甚だ 難く して 成らざる を 見る。 是を 以て、 

?? z< か, 7 ふ そ A ぶ んきょ さいさく 

鹆國 の降附 する 秆は、 存 して 之 を撫 す。 大 なる 者、 或は 八 九州に 蟠踞して、 殺 削 を 加へ 

すみやか こんいつ 九 ぼつ いくはく ぶん ほ 5 

す。 是を 以て、 速に 混 一 を 致す を 得たり。 而 して 沒 して 未だ 幾なら すして、 海内 分 崩 

す。 之に. E りて 之 を觀れ ば、 封建の 勢 は、 源氏に 始 りて、 而 して 足 利 氏に 成る- 足 利 氏 

未だ! H; 利を享 けす して、 其 弊に 勝へ す。 織 田、 豐臣、 其 弊 を 承け て、 之 を 裁す るの 術 を 

知らす。 蓋し 皆 我が 德川 氏に 待つ 冇る なり。 夫れ 外に 諸侯 冇り、 內に 功臣 有り。 內功臣 

ほラ しんたい^ いご せっしょうぎ よぶ 

の 封、 外 諸侯に 抗 する 能 はす U 然して 後、 以て 其內を 親戴衞 護して、 其 外 を 折衝 禦侮 する 



日 木 外史 論文 



七 六 



.0 史 論 



セ六 〇 



口 分— 丁年 

の. ものが 作 

る ベ さ 田 . 

食 封 |高き 

位官の 人 LL 

■ 賜ふ頟 戶 

功田 I 劝勞 

もる 人に 賜 | 

ふ 田 



考課— 能 否 

^しらべて 

赏罸^ 加 ふ 



けん しゅかい くぶん そ て 、フ しちよ、 フ しよくる 

縣 にして、 治む るに 守 介 を 以てす。 田 は 口 分 を 以てし、 粗 調 を 四徵 す。 而 して 朝の 職仪、 

皆 田 有り、 食 封 有り、 功田 有り。 その 食 封 は、 多き 者 も 三千. 戶に 過ぎす。 功田 は 四 等に 

して、 之 を 世 壟す る 者 は、 大功に 止る。 この 時に 常り て は、 未だ 封建の 勢 有らざる なり。 

相 門、 權を 世に せし より、 所在、 封戶、 日に 多く、 不 輪の 地、 不 課の 民、 天下に 半す。 後 

さんで 5 てい へいた ミ い >• しゃ,, もん 

三條帝 その 弊 を 矯めん と 欲して、 而 して 遂 ぐる 能 はす。 是 より 以後, 各 國の莊 園、 K 十の 

を ゎづか こくし つ ひ じん 

九に 居り、 守 介の 治む る 所 は 僅に 一 のみ。 甚 しき は 則ち 國司、 終に 任に 赴かす。 而 して 

かり . がう^く ぶ じん ひ みづか もくだ^ い おこ 

權に その 地方の 豪族、 武人 を延 きて、 自ら 代らし めて、 之 を 目 代と 謂 ふ。 而 して 源氏 起る 

しゅ- * 一 しゃ、 フ ゑん ぢ ミラ り や、 f みく ぶんり 0.5 た, f みく そま 

に 至 力て、 國 司に 守護 を 置き。 赃 園に 地頭 を 置きて、 糧粱 を分領 して、 盗賊に 備ふ。 刖 

さき もく だい るゐ き じ ほうけ、 る せ、 

ち 嚮に謂 ふ 所の 目 代の 頻は、 六十 州に 碁峙 す。, 而 して 封建の 勢始 る。 北條^ その 遠 制 

かラ くわえき ち ゎラ 

に 因りて、 守護の 任、 猶 考課 易 置す る こと, 古の 國 司の 如くす る を 得たり。 然れ ども 往 

往 因襲して、 之 を 子孫に 傳へ、 漸く 封建の 勢 を 成す。 而 して 建武 中興の 時に 至りて. 朝 

ズゃ ミ くおん を 3 しょもく A 

廷、 特恩を 以て 武臣の 心を收 めんと 欲して、 新田、 足 利の 諸 族 を 以て、 諸國の 守護に 充 

つ。 槪ねー 姓 を 以て 二三 州に 連ぬ。 名 は 守護たり といへ ども、 その 實は之 を 封建に する 

なり。 足 利氏叛 くに 及びて * その 成績 を楚 ひて, 之 を その子^ 功 臣 に與 へ、 仍 りて ゆ 護 



铯人 I 人竝 

はづ る 

皓 I 權の子 



の 智略 を ーー呂 はすして、 その 果斷を 云 ひ、 その 栗 斷を言 はすして, その 事の 義に合 ふ を 云 

ふ。 之 を 天子に 請 ふに 至りて は、 又 義の大 なる 者な り。 且つ その 貢 陚を效 して, 朝議 を 

じょきょ A わ.. 'しつ むかし * ん けん し 

助舉 する を觀れ ば、 則ち 心 を 王室に 存 する、 一日に 非ざる なり。 昔 者、 孫 堅, 英雄の 姿 を 

かんしつ むか ふ & き や, つ * く かへ り さく けん 

以て、 志、 漢 室に 嚮ひ、 奮 ひて 强賊を 討ち、 身 を 出して 顧みす。 又 策、 權と いふ 子 あり。 遂 

に 能く 江 東を據 有し、 魏武の 勢 を 以てして、 取る 能 はす。 毛 利 氏の 闢西を 以て 織 田 氏に 

か 3 る 《0 ちか よた 》» か さく る6 は 力 

杭す る は、 之に 類す るに 鹿 幾し。 元 春の 善く 戰ふは 策に 類し, 而 して 隆景の 善く 謀る は 

權に 類す。 皆耜 人の 才 にして、 力 を 鋤せ、 心 を 協せ て、 輝 元に 臣事し、 之 をして 舊業を 

失 は ざら しむ。 是 その 義 最も 及ぶ ベから すと 爲す。 輝 元、 孫 皓の虐 なしと いへ ども * 而 

ちから は^ まく はか かラ あらそ ii さく じやく 

も 力 を 度り、 德を 度ら すして、 衡を 中原に 爭ふ。 宜な るかな、 その 削 弱 せらる f- や。 然 



れ ども その 封土、 屹 然として、 猶西陲 に 雄た る は、 豈に元 就 父子の 高義に 由る に 非 ざら 

んゃ • . . 



〇 封建の 由 

來 



〇 德川氏 前記 織 田 氏 (其 一) 



外史 氏 曰く、 封建の 勢 を 我が 邦に 成す や • その 來る こと 遠し。 在 昔、 王家、 七道 を 郡 



日本 外史 論文 



七お 九 



山 陽 史 論 七 五八 

ぶ いっき きょくちょく ま V し いは ゆ. ぎ せん た^ - つもく 

: 仆 一起、 誰か その 曲 直 を 知らん。 孟子の 所謂 義戦な しと は、 是 のみ。 唯 元 就の 陶賊に 

m ■ . - i ほ 5 でラ さ、 フラん ほ し は しほ ひで ょレ 一. C け *0 . しょ、 

f 戰 i M 於け る は、 北條早 雪の 堀 越に 於け る、 羽 柴秀吉 の 明智に 於け ると、 その 事皆稱 道すべし。 

き f Lit こラか 5 かく い 11 かた らん. 5 ん * くし 

戰 なし、 彼 故に その 功 効 皆 此の 如き を 致す。 而 して 元 就、 最も その 難き ものな り。 夫れ 亂臣 賊子 は, 

tS i-^SHII さ j .7 t たぐり y 9 た,.' * く 

^ 則ち^ わ 人、 之 を 討つ を 得。 然れ ども 戰國の 俗 は、 唯 利 を 見て、 義を S かす。 陶賊の 事の 如き、 四 

^ 隣の 牧伯、 熟視して、 敢て 齟齬す るな し。 甚 しき は 相率ゐ て、 之に 歸 して 倚 賴を爲 すに 

4f TN^V ひミり びりょく ちラ たラ はか こ な げんした が ぎ 

至ら。 獨元 就. 微力 を 以て 誅討 を圖 り、 而 して 又 之 を 天子に 請 ふ。 名 正しく、 言 順 ふ。 義 

き さ けん きょ あんしつ か t し 5 もく おさろ み 

旗の 指す 所、 堅と して 破れざる はなし。 炬を喑 室に 掲ぐ るが 如く、 衆目 駭き觀 る。 以て 

大義 ケ 天下に 伸べ、 天下 をして 響應 して、 之に 歸せ しむる に 足る。. 而 して 何ぞ 十三 州 を 

xy お ほよ そんい s 、フ な ちりゃく 

, 圖 るに 足らん や。 大凡 英雄の 事 を 成す、 皆 以て その 智略の 致す 所と 爲す。 而 して その 事 

ぎ t &づか つ. ろ A 

. の義に 合 ひて、 能く 人心 を 服す る もの あり。 而 して 自ら 知らざる なり。 後の 追 論す る^:、 

い たづら せいほい み zsfrl ち りよ おも ち りよ およ ミころ 

亦 徒に 其 成敗 を視 て、 盡 くその 智慮に 成る と 謂 ひ、 而 して 天下の 事、 智慮の 及ばざる 所 

い t いはん か き ぎ さい あた きく わい かん はつ, い いやしく 

に 出づる ある を 知らす。 況ゃ 夫の 危疑の 際に 當 りて、 機 會の來 る、 問、 髮 を容れ す。^ 

く { げぃ さん これ ほんぜん 九 5 われ を « 

も區々 の. 計算 を 以て、 之が 萬 全 を 要する は、 吾 其れ 身 を 終へ て 事に 及ぱ ざる を 見る の 

か ち * いろん らんせい はか われ , 《9 ん 

み。 故に 彼の 治世の 論 は、 以て 亂 世の 英雄 を、 揣る 可から ざるな り。 吾 元 就 を 論す るに そ 



比肩 接 踵 I 

1 時に 起る 



悖 逆一道に 

もとる 



て、 己の 法 を 施す。 大に その カを展 ベて、 確鬭 して 勝敗 を 決する 能 はざる なり。 今 二 公 

は、 孫、 吳の能 を 挾み、 趙、 魏の甲 を 擅に して、 一時に 比肩 接 踵す る は、 希世の 遇と 謂 

ふべ し。 後の 兵 を 言 ふ 者、 二 公相與 にす るの 迹を觀 て、 その 形 1 權の大 なる を識 りて、 

しょ さん しん ぎ べんべつ しャ 5 ろん 

然る 後に 之 を その 書に 參し、 眞 馄を辨 別せば、 その 法 得て 詳論すべし。 余、 是を 以て 二 家. 

が ふぢよ ひかし ち-かつ かひ す かひ いんしょく くわん くん ミな 

を合敍 す。 昔 者、 吾が 父 嘗て 行きて、 甲斐 を 過ぐ。 甲斐の 民、 飲食す るに 必す館 君 を稱 

はいぎゃく き ヤラ てき か 5 

ふ。 館 君と は, 信玄 なり • 信 立の 悖 逆 を 以てして、 能く 强 敵に 抗 する こと 十數 年に して、 

め ひく だ *1* し そ こミ つた は 

相 下らす。 豈に その 民を敎 ふるに 素 ある を 以てに 非す や。 謙 信の 事, 世に 傅らざる 所 多 

せつ あは かんが よね V.J はじんし か ラぃラ .5; く 

し。 余、 帛山 氏、 宇佐美 氏の 說を 幷せ考 ふ。 又米澤 人士と 交游 す。 余の 爲に言 ふこと 此の 

W し。 



〇 毛 利 氏の 

髙篛 

喧呶 毆擊— 

かまび す し 

くぶ リ 

うちわ ス 



〇 足 利 氏 後記 毛 利 氏 



外史 氏 曰く、 余 は 安藝の 人な り。 その 都邑 城池 を 俯仰 すれば、 輒ち毛 利 氏の 盛時 を懷 ふ。 

厳 島 を 觀る每 に、 亦 未だ 嘗て 元 就の 賊を 鏖 にせし を 想 見せす ば あらざる なり。 夫れ 室 

1*D ふん f ひへい 3 ラ ぐんじ あんち、 フ fct か けんさ お ラ^き いつ 

町の 時、 天下 紛々 として、 日に 兵爭を 事と して、 群^の 喑 中に 鬭 ふが 如し。 喧呶 毆攀、 一 



B 木 外史 論文 



七 五 七 



山陽 史論 



七 五六 



へて 我が 邦の 極 則と 爲す は、 此に 由る のみ。 然れ ども 源 巧 足 利 氏 は、 毎に 朿國 より 起 

き せん なら けいき はせい うれ 

りて、 その 兵、 騎戰に 習 ふ。 而 して 足 利 氏 は 京畿に 居て、 馬 政 を恤 へす。 . 織 田、 豐は、 德 

こ 5 でん きすくな ほ. 了 

川、 竝に侯 旬に 起り て、 騎少 く、 步 多し。 卽ちニ 家の 如き は、 較騎 多し といへ ども、 亦 

その 國の險 にして 騎に 便なら ざる を 以て、 騎は 率ね 徒に 遠き を 致す に 取る。 戰に 至りて 

お ほ;? す ほ w、3 き せんつ ひ はい くわき ちゃう さ ラ ぐん:? 7 

は、 槪ね 馬を舍 てて 歩鬭 す。 故に 騎戰 遂に 廢す。 又 火器と 長 撿とを 用 ひ、 以て 軍 鋒と 爲す。 

? I . よう お S ろ これ へいたい へんせん 

而 して 弓矢の 用稍衰 ふ。 是又 我が 邦 兵 體の變 ar 知らざる 可から ざるな り。 此時、 兵 農 

わ だ ぎよれ ふ さ きう じラし S た、 >も く を 3 かんて ふ たい 

別ろ といへ ども、 往々、 : ^獵の 者を收 めて 弓 銃 手と 爲し、 盜 贼を收 めて 間諜と 爲 して、 隊 

コ おぎな せきこ 5 あ みなこれ ぢん お ほよ そ きう じ, 3 し ゆ も ほそつ 

伍 を 補 ひ 斥候に 充っ。 二 家皆是 なり。. 二 家の 陴、 大約、 弓 銃 手、 前に 居り、 長 槍の 步卒、 之 

つ きし つ がき こら を さ いう はさ しちよ,!' ぃラ 

に 次ぎ 、騎士、 之に 次ぐ。 牙 旗、 鼓螺、 中に 居り、 右左 拒みて 之を夾 み, 輜重、 後に 居り, 游 

へい こも fc\ はつ レ く^ rt あ&ひ そつ 

兵、 外に 居る。 戰ふ 毎に、 交 弓 銃を發 し、 長 槍、 之に 從ふ。 士 は^を 下りて 進み、 或は 卒 

傍より 出で、 或は 中より 跳盪 して 出づ。 戰酣 なるとき、 或は 麾下 を 以て 之に 乘す。 變化、 

じゅん • お ほむ つね ならび はふ くわん 

準な しとい へど も、 槪ね此 を 以て 常と 爲す。 一時 竝 にこの 法 を S じくす。 而 して 鮮雄、 環 

し ひミり おそ せいはく ミ あへ ふ ^か 

視 して. 獨ニ 家を畏 る。 その 噬榑 して 解けざる を 幸と して、 敢 て觸れ 犯さす と 云 ふ。 夫 

そんぷ き fcw r 

れ孫武 お 起、 世 を 同じく して 生れす。 饒ひ世 を 同じく して 生れし むる も、 人の 兵 を 借り 



莫悍 趨捷— 

パ さ ま しく 

く. が る に 

してす て P 

し 

撫摩鍊 冶 I 

なでさす る 

やうに して 

なづけ、 n 

リきた 《 る 

閎國— 國中 



束 伍 結陣— 

隊伍な つく 

り 陣立^す 



悍趫捷 にして、 恥 を 重んじ 死 を輕ん する は、 我が 國 俗の 自ら 有する 所。 我が 先王、 又 之 を 

やしな fcA ひす ぶ t れんや ふ かふ 

養 ふに 恩 を 以てし、 之 を 結ぶ に 信 を 以てす。 之を撫 摩し、 練 冶し * 數百 千年 を經る も、 闔 

こく かみ した ちゃ, しゅそく もく ま も X し 

國の 民、 その上に 親しみ、 その 長に 死す る こと、 手足の 頭目 を 扦 るが 如く. 以て 能く 四- 

りん しんせ ふ ぎ f き や、 つ だい S ゑん みく たの fc ラ 

隣 を震懾 し、 魏 唐の 强大 といへ ども 、加 ふる 能 はざる 所以 は、 この 俗を恃 めばなり。 唐 

氏に 通す るに 至る に 及びて、 乃ち 此を舍 てて 彼を學 び、 樸を 劉り て、 文と 爲し、 强を痰 

みて 弱と 爲す。 平時 は奔 競し、 急 あれば 遁 逃す。 朝を舉 りて、 皆 婦人に 幾し。 而 して 先 

る みん ^ろ L や、 フ もん を さ わう け. < 5a 

王の 遺 民、 勇に して 死 を輕ん する 者、 皆將 門の 收 むる 所と 爲る。 此を 以て、 王 權を奪 ひ、 



しょ ラき ラ けんむ 



私利 を S! み、 ^す 所と して 成らざる はなし。 承久、 建, 武の 事, 輒 ち皆然 りと 爲す。 故」 



先王の 自ら 衞る 所以 は、 後 王の 自ら 累ふ 所以、 均しく 是兵 なり *£捨 何 如と 顧みる のみ。 

くだ おの {• ぐん ゆ 5 にら ミ 

降りて 戰國に 至りて、 この 兵 各 群雄の 分ち 領 する 所と 爲 りて、 日に 淬ぎ、 月に 厲 ぎて、 

つよ ぶ れんや t 

愈 用 ひて, 愈 勁し。 而 して その 撫摩鍊 冶して、 之に 敎 へて, 後戰ふ もの は、 武田、 上 杉よ 

り 過ぐ る はなし, 故に 我が 邦の 兵の 精 は、 この 時に 極る。 而 して 二 家 は、 又 精の 精なる 

いくねん > み づか レ T ゆ. 7 * つんい 

ものな り。 且つ 源平 以還、 其 兵 皆 散 じて 自ら 戰 ひて、 將 勇に- 卒銳 なる もの は 勝つ。 必 

そく ご けつ ぢん ざ さく しんたい へい はふ つ. J 

すし も 束 伍、 結陴、 坐 作、 進 返の 法 あるに 非す。 之 ある は、 二 家に 始る。 二 家の 兵法、 傳 



木 外史 論文 



七 五 五 



陽 史 論 



七五^ 



緖業— はじ 

めかけた 業 



不世出— 世 

に 稀なる も 

の 



o 謙 信 及び 

信玄の 兵法 



せ *4 *f からが つ ぞ ラし、 r- か、 フ わ 仁 き すく てき の *" 

地狹 くして 力 合す。 同舟、; 江 を濟 り、 期せす して 救 ふが 如し。 此を 以て 敵に 臨む 天下に 

す といへ ども、 難き ことなし。 而るを 況や兩 上 杉 氏に 於け る を や。 氏 綱、 氏康、 緒 業 

つ い t A ち よ すで 

を續 ぎて、 强大を 致せる 所以 も、 亦 この 道に 由るな り。 氏 政、 氏 直に 至りて、 已に兩 上 杉 

^n-T ほしい *.» 二.' ろみ こ t ろ 3 しお 2 また ? S ほ 

に 代りて、 八州の 富强を 擅 にす。 意 満ち 志 侈り て、 復心を 此に用 ひす。 上下 漸く 遠 

くん A んし. a く t はふれ い たの せいぎょ ' しも 

ざ かり、 君民 親します。 區.々 の 法令 を恃 みて、 その 下 を 制馭 せんと 欲す。 而 して その 下 

すで さし はたた の けいてき か、..' W よ w&t い S 'ふ 

の 心, 旣已に 之 を 去る を 知らす。 將 何を恃 みて 天下の 勁敵に 抗 せんや。 然して 豐臣太 間 

不世出の 略 を 以てし、 之に 加 ふるに 我が 東 照 公 を 以てして、 左 锃右挈 して、 天下の 猛將 

精兵 を率ゐ て、 往 きて その 罪 を 問 ふ。 その 勢力 は 以て 天地 を 震撼す るに 足る。 而 して 合 

& はんさい ゎづか よも ふそ じんしん し 5 らん 

圍 する こと 半 歳に して、 縐に 能く 之を舉 けたる は、 その 父祖の 人心 を收攪 して、 固く 結 

びて 解く 可から ざる 有る を 以てに あらす や。 

〇 足 利 氏 後記 武田氏 上 杉 氏 

外史 氏 曰く • 世に 二 家の 兵書 を傳 ふ。 後人の 假 託に 出 づる もの あり。 盡く 信す 可から す。 

特に 兵 を 我が 邦に 言 ふに、 二 公に 期す る は、 その. ffl を 知ら ざろ 可から ざるな り。 夫れ 勇 



して 天下の 形勢、 分 合の 際に 於いて、 又. 以て 覽 るに 足らん か- 



〇 後北^ 氏 

關 八州 得失 

の 因 

】u 略— 兵法 

の 書 



綱 維 —政治 

の 大綱 

雪 蒸 龍 變— 

雪た ちの ぼ 

リズ 龍 化す 



〇 足 利 氏 後記 後 北條氏 (其 ーじ 

外史 氏 曰く、 余聞く、 早 雪、 脊て 儒士を 召して, 黃石 公の 三 略を說 かしむ。 その 首に 言へ 

はふ っミ > い ミ き 1 や 

る あり。 曰く、 「主 將の法 は、 務めて 英雄の 心を欖 る」 と。 早 雪、 之 を 間き て 曰く 1 止め 

われす で え また ミ あ t » ゑ りう 5、 ラへ d はく 

よ。 吾 旣に之 を 得たり」 と。 復說 かしめ すと。 嗚呼、 以 あるかな、 その 流寓 漂泊の 人 をお 

きょい ラ もミる ひら かうる お ミ 、フち はめ 

て、 八州 を據 有して、 五世の 基 を 開ける は。 夫れ 足 利 氏、 其 綱 維を嫘 して 權臣 內に閱 

ゆ ゑん to さ 九い W 、フ こ-ろ な 

ぎ、 海内 戰ゅ す。 然る 所以の もの は、 他の 故な し。 天下の 英雄、 各 其 心 を 以て 心と 爲 して 

しう らん けだ こ- お え こ w 

卞 * 將、 之 を收攒 する 能 はざる のみ。 早 雲 は 蓋し 早く 此に 見る あり。 以爲 らく、 天下の 事 

知るべき のみと。 故に ー劍の 任に 仗り て、 天下 を 周流して、 武を用 ふるの 地 を 求む。 一 

たび その 地 を 得れば、 雪 蒸 龍 變す。 之 を 招ぐ もの 或るな し。 夫れ 兩上 杉. 氏 は 百年の 故 

家、 財陚の 富、 兵馬の 雄 を 以てして、 早 雲、 赤手 を 以て 之を圖 る。 奚ぞ錐 もて 山 を 鑿つ に 

異ならん や。 乃ち 能く 戦へば 勝ち、 攻 むれば 取り、 其 死命 を 制せし は、 梁して 何の 恃む 

し;' えい ゆ. -' けつな ふ くわん レん 5 すべな , こ:..!? ざル 、 

所 ありて 然る か。 亦 その 英雄 を 結納し、 その 驩心を 得る を 以てな り。 兵 寡く して 志 一 



n 木 外史 論文 



山陽 史論 七 五 二 I 画 ■ 

介 立 —はさ 能 はざる なり、 繳田氏 は、 四 氏の 中に 介 立して. その 西 を 先にして その 朿を 後に す。 强 

を 避けて、 弱を擊 ち、 險を舍 てて、 夷 を 取る。 是を 以て 力 を 用 ふること 少 くして、 功 を 

すみやか ミょミ みし & ぼラ ! 

成す こと 逑 なり。 豐臣氏 も 亦 その 遣 謀に 因りて、 遂に 以て 合一す る を 得たり。 織 田 豐臣 

の 形勢に 於け る、 察する 有る が 如し。 而 して その 居る 所に 至りて は, 足 利 氏み 未だ^て. K 

異同 あらざる なり。 その 旣に 合して、 又 裂れ、 久しく 天下 を馭 する 能 はざる 所以 も、 * 

こ. 《 か は ぃラ ミ ち さん 

此 に出づ るか。 夫れ 織 田、 豐臣 は、 足 利 氏に 代る 者な り。 而 して その 有する 所の 土地、 山 

河 は, 大に四 氏に 過ぐ る 能 はす、 或は 大に 之に 過ぎて、 その 久しき に 及ぶ 能 はざる なり。 

す ゐ らん じょ ラ h ゅラ ふる ゆうきょ 

之 を 要するに、 この 四 氏 は、 時の 衰 亂に乘 じて、 各 智^ を 奮 ひて、 一方に 雄 據し. 一方 

よ やす 5 よ 5 し S び Au< 

庸主 I つま の 民、 倚りて 一 曰の 安き を 享く。 他の 小 國の麝 主、 徒に その 民 を 糜爛して- 成す 所な き 

ら « 大名 ひかた -す S く 

者と 日 を 同じく して 語る 可から す。 則ち その 天下に 於け る、 功德 なきに 非す • 又 目す る 

^9 V r はんしん X いづ ゎラさ 

力 マ に 足 利 氏の 叛臣 を 以てする を 得ざる なり。 若し 四 氏の 據る 所、 敦れか 王土に 非ざる と 曰 

じ せい たが ひ ゆ ぷ / S が ゆ ゑん 

はぐ、 刖ち 時勢の 變、 遞に此 に 至る。 一 日の 故に あらす。 四 氏を咨 むる 所以に 非^るな 

けいえい ぼ 5 しん *4 うし ゃミ , われ 

り。 その 一 方 を 經營 する に 至りて は、 謀臣 猛將 の錢 紀す るに 足る 者 あり。 吾 故に 之 を 

れつ ぢょ せいする こラ くわい S ゑ つ ♦* びら か たも かんが 

列敍 して、 その 盛衰 興 壌の. B を詳 にし、 國家を 冇っ荞 をして、 鑑みる 所お らしむ。 而 



藩释— まが 

きお ほひ 

內訂 I うち 

わの わら そ 

ひ 

吞噬 I のみ 

あ ひかみ あ 



龍 驄虎視 I 

龍の 如くの 

ぼり 虎の 如 

く る 

横寨— ぶこ 

たは リ^ さ 

ぐ 



彼を舍 てて 此に 居る、 謬れ"。 然れ ども 亦已む を 得ざる 有るな り。 彼 南朝 も 慮りて、 遠 

ちん はんべい た 》* {• 

く縑 倉に 居る 能 はす。 故に 鎭す るに 子弟 を 以てして、 室町に 藩屛 たらしむ。 而 して 適. 

爭端を 啓き、 又そ^ 內訂に 因りて、 . 之 を 筏 して、 室町 遂に 是 より 亂る。 是 その 方 を 

制馭す る 能 はすして、 王室の 敢を壟 ゆる は、 形勢^-失 ふ 故に あらす や。 その 季 世に 及び 

たが ひ あひ^ん ぜぃ ゆん き f てん レャ 5 fc わ 1 ノ 』 „ , 。 \ 

て、 七道の 豪傑 更に 相呑噬 し、 元 鴨 天 正の 問に 至りて 海內 裂れ て 八 九と 爲る その 

ほラ で, ひし たけ だ し 、すへ すぎし も, つ h- し あき 

最も 大 なる 者 四 氏 あり。 曰く 北條巧 曰く 武田 氏、 曰く 上 杉 氏な り。 毛 利 氏 は、 安藝に 

あ t き ゃラさ ひろ な V 

起り て、 山陽、 山陰 十三 州 を 井せ、 疆土 尤も 廣し。 その 次 を北條 氏と 爲す。 北條氏 は、 伊 

& を 取りて、 之に て、 遂に 關東 八州 を幷 す。 武田氏 は、 甲斐に 起り て、 信 濃、 飛彈、 

0. 上^ を 丼せ、 上 杉 氏 は、 越後に 起り て, 越 中、 能 登、 加 賀を幷 せて、 莊內、 會津 

に 及ぶ。 皆爭 ひて 耕戰を 務め、 帶甲數 萬、 積 粟、 山の 如し, 龍 孃虎視 、朿 西に 角立して、 

招!: を包舉 する の 心 有らざる はなし- 夫の 北條 氏が、 天下の 胸 腹に 據 りて,. 一た びその 

.7P せ しょ 5 わ 5 そく ノ 

兵 を 出して、 中原 を 窺 ふ 能 はざる は、 武田、 上 杉、 その 脊に據 り、 以て 其 衝に橫 塞 すれ 

せひり よく ぁひぢ けつ はか ぃミ ** 

ばな り。 而 して 二 氏の 勢力 相 敵し、 相 持して 诀せ ざれば、 又 その 西 を 圖. るに 暇 あらす, 毛 

9 や ラタ ひろ こ けい ん5 でん もミ ^»^^U5 

利 氏 は、 疆土廣 しとい へど も、 その 股^ を 以て その 腰 臀に向 ふ。 固より 中原に 抗衝 する 



本 外史 論文 



七 E 1 



山陽. 史 論. 七 s〇 

すくな むかし もんむ. けいべん だ、 f わ, くわん 

るは鮮 し, 昔、 文武 あり 山海の 形 便に 因りて、. 以て 七道に 分つ。 而 して 王畿は 中に. 居る。 桓 

t r I ひ かなへ へいもん めぐ むか けだ さかん ゎラ せい f 

?! 地 武、 鼎 を 平安に 定めて、 四方 環り 嚮ふ。 蓋し 亦 盛なる かな。 然れ ども 王政の 衰 ふる、 方 

^ぬすみよ 隅 稍 I 據 して 制すべからざる 者 あり。 或は 速に 討 減に 就く といへ ども、 而も 天下の 勢、 

^ 1C ゃラゃ おもむ か まくら は じゅ, c ち いく わ 八 けいせい ゆう 

す 漸く 分裂に 趨 きて、 縑 倉の 覇を 馴致す。 是 より 以還、 閼 東の 形勢、 常に 天下に 雄たり。 而 

l^^f の して 京畿、 之に 能く 勝つ ことなし、 余 嘗て 東西に 歴遊し、 その 山河の 起伏す る 所 を考へ 

て、 以爲 へらく、 我が 邦の 地 脈 は、 東北より して 来りて、 漸く 西し、 漸く 小さし。 之 を 人 

身に 譬 ふれば、 陸奧, 出 羽 は、 その 首な り、 甲斐、 信 濃 は、 その 脊 なり。 關東 八州、 及 

*- よ-.' ふく *!- フ でん 

び 東海の 諸國 は、 その 胸 腹に して、 而 して 京 畿は、 その 腰臀 なり。 山陽、 商 海 以西に 至 

も t はぎ *<1 ラ でん こ けい 

りて は, 則ち 般 のみ。 脛の み。 故に その 腰臀に 居て、 その 股 脛 を 制す 可き も、 以て その 

腹脊を 制すべ からす。 且つ 平安 は 四 戦の 地、 天下、 事 あれば、 必す兵 を 被む る。 嫌 倉の 

ひミり ち、 ゆん し いっきょ 

獨 一面 を 以て、 西、 中原 を 制する に 如かざる なり。 元弘の 時に 至りて、 能く 一 皐 して, 北 

條氏を 取れる は、 海内 怨み 畔き、 禍、 その 腹心に 起る に 由る。 能く 西 を 以て 東に 勝つ に 

非ざる なり。 その 盛なる 時に 方り て、 鎌 倉 を 以て 根本と 爲 して、 府を 京師、 筑 紫に おき 

せい ひぢ • び 

て, その 天下 を 制する、 臂の指 を 使 ふが 如くす。 而 して 足 利 氏 は, その 爲す 所に 反して、 



介々 然— 節 

^執りて 動 

か ざる さま 



〇 後 北條、 

武田、 上 杉、 

毛 利、 四^: 

の 興亡 

糾駭— おさ 

へ殆む 



の 一 日 も 居る 能 はざる を 知るな り。 余 謂 ふに、 足 利 氏の 名實 を幷 有せん と 欲する や、 そ 

A づか ぎ な かみつか しも ぎよ さい 

の 自ら 處す るに 於て、 已に義 を 失 ふと 爲 して、 その上に 事へ、 下 を 御す るの 際に 於いて、 

はかり ご S なじ われす で じつ ぃラ のこ 

又 計 を 失 ふ もの 有り。 何 を 以て 之 を 謂 ふ。 夫れ 我已に その 實を 有して、 天子に 貽 すに 

きょき これきよき x.y かい t» ぞ. A たす おしお ミ 

器 を 以てす。 是虛器 を 擁する 者の み。 何ぞ必 すし も 介々 然として、 北 を 抉け て 南を擠 

fcr たす おしお ミ ゆ ゑ がラ ザん ね いいつ な 

さん、 唯 それ 北 を 抉け て 南を擠 す、 この 故に、 天下 囂 然として 寧 一 する ある 莫し。 而 



して その 舊臣、 門 族 を 分つ や、 所謂 三 管領 は、 皆大 封に 據る 者な り。 旣に 之に 與 ふるに, 

ミみ か くわん が 5 さづ けんぺい 

土地 人民の 富 を 以てし、 而 して 又 之に 假 すに、 官 號の崇 きを 以てし、 之に 授 くるに, 權 柄の 

f これなん ミら つ つ ほさ こミ おう にん らん これ よ 

要 を 以てす。 是奚ぞ 虎に 傅く るに 翼 を 以てする に 異ならん や。 應 仁の 亂、 是 その 由り て 

おこ つ ひ じ や, 5 しゃ-..' きょき ょラ わ 5 しつ いた きょく 

起る 所たり。 而 して 終に 上 將も亦 虛器を 擁する こと、 王室に 同じき を 致す。 その 極 や、 

ゐ がラ あは 5 しな これい は ゆろ めいじつ り ャ3し つ はかり ー*5> 、フ しな あら 

そ^ 位號を 井せ て 之 を 喪へ り。 是 所謂 名 實を兩 失するな り。 豈に 計 の 失へ る 者に 非 ざ 

らん や。 

〇 足 利 氏 後記 後 北條氏 (其 1) 

外史 氏 曰く、 天下 を 制馭す る は、 勢 形より 善き はなし, 苟 も 形勢 を 失へば、 分裂 を 致さ ざ 



日本 外史. 論文 



七 四 九 



山陽 史論 



七 四 八 



虛器 I 名お 

リ. て 實權な 

き 位 

踰越 I のリ 

、 、す 

驕侈 跋扈 I 

おごり わが 

乘舆— 天皇 

攝籙淸 華 I 

攝钕ゃ 大臣 

の 家 



舆惶 I、 一 し 

など^-かく 

賤 しき 身分 

の 者 



の 有に 非ざる なし。 而 して 朝廷、 徒に 虛器を 擁す、 徒 之 を 分 取す るの みならざる なり。 然 

めいぶん ゆ る! つ ほくて、 7 if たい おのれ 

れ ども 名分の 在る 所、 脇 越す ベから す。 故に 北朝の 天子 を擁 戴して、 己 上將を 以て 天下 

を宰 す。 猶 源氏の 故の ごとし。 義满に 至りて, 驕侈趺 IMT 乘 輿に 懵擬 し、 信 を 外 阈に通 



じて、 日本 國 王と 稱し, 舊臣、 門 族 を 分ち て, 攝篠、 潢 華に 倣 ふ。 豈 に名實 を: B 有せん 

と 欲する に 非 ざらん や。 朝廷、 その 贈 號を擬 する に、 太 上 天皇 を 以てす。 無稽の 甚だし 

せんこ のこ そ しんたく は & さ ラ せい 

き、 笑 を 千古に 貽す といへ ども、 而も 義満の 素心蓄 ふる 所、 亦 以て 見るべし。 その 早世 

を さい は ひ い あ も; 5 ら 

して 志 を 終へ ざる、 我が 邦の 幸と 謂 はざる ベ けんや。 而 るに 或 者、 之を憾 むる は, 何 



ぞゃ。 昔 者、 孔子、 告朔の 靝羊を 愛しむ。 王室 旣に その 實を喪 ふ。 頼む は その 名 あろの 

あ これ たす ザ やく しん こラ 

み。 而 して 今又舉 ゆて 之を褫 はんと 欲す。 是足利 氏 を 助けて 虐を爲 す 者な り。 晉は侯 を 

以て 周の 天下 を宰 し、 霍氏は 大將軍 を 以て 漢の 天下 を宰 す。 古より 之 あり、 是亦 可な り • 

必ずしも 別に 名號を 撰び、 以て 其 實に稱 へ ざるな り。 且つ 夫れ 公侯より 輿 僵 に 至る まで、 

次 を 以て 相 僕 役して、 王臣に 非ざる 者な し。 何ぞ 不順と 爲 さんや。 饒令、 新に 爵號 を^ 



つる も. 猶平漸 皇の爲 の 如きの み。 豈に 能く 千歳 因 壟の 名、 民の 耳 E に 在りて、 その 心 



を 服す るに 足ろ が 如くな らん や。 假ひ足 利 氏 をして、 或 者の 說の 如くなら しむる も、 吾 そ 



不稱— 名稱 

にかな は w 

參酌 I てら 

しも はせ て 

よさ.^ i る 



尺地 .一 民 I 

少しの 土地 

人民 



利 氏の 宗族、 君臣、 更. 相屠戮 し,、 十三 世の 久しき、 而も 殆ど 寧日な き は、 豈に 其盜楚 の 

むくい おそれ. あ. o ひ w れい 

報に 由る に 非 ざらん や。 後の 人臣た る もの、 亦 以て 懼を 知るべし。 或 人 曰く T 將 家の 禮 

制、 槪ね 義满の 時に 成りて、. 憾 むべき もの あり。 夫れ 天子の 事 を 行 ひて、 之を將 軍と 謂 

すで ふ レ1.7 な しも ほ、, s .? しゃく わ, 7 て, r- はん ふ 

ふ。 已に不 稱と爲 す。 而 して 之が 下た る 者、 封を將 軍に 受けて、 爵を主 朝に 班す。 又不 

じゅん がく じゅつ しんしゃく くわん しゃく さラ りつ おのれ 

順と 爲す。 義满 をして、 擧 あり、 術 あり、 古今 を參 酌して、 官 爵 を 創立せ しめば、 己 

こ、 <-^. の *- てんか はんせい 

天子に 下る 一等に して、 主 朝の 公卿 を 除く の 外、 天下の 萬 姓、 盡 くその 臣と爲 さば、 豈 

よ f これ たす ぎゃく 

に 善から す や」 と。 外史 氏 曰く、 噫、 是足利 氏 を 助けて、 虐を爲 す^: なり。 夫れ 天下、 名 

かいだい ミラぎ よ そ は ^い き しゃくちつ こ.? &、 7 

あり、 寳 あり。 昔、 我が 王家、 海內 を統馭 する、 租に 食み、 税に 衣て, 爵秩を 以て 功勞 

むく めいじつ けん ならび あ す 

に酚う • この 時に 當 りて、 名實 の權、 竝に 朝廷に 在り。 その後に 及びて、 その 名 を 盗み 



じつ JC す な みなも ミ のより ミら めい 

て 敗る i 者 あり。 平 將門是 なり。 その 實を竊 みて 成る 者 あり。 源 賴朝是 なり。 その 名 

實を幷 有せん と 欲して 之を兩 失する 者 あり。 刖ち足 利氏是 のみ。 失れ 將門 未だ 八州 を定 

ま づて いわ、 フ ぎ てんち V くびす めぐ こ /いしょく 

めすして、 先帝 皇に擬 し、 天誅、 踵 を旋ら さす。 頼 朝 乃ち 守護の 設を請 ひ、 天下の 兵食 

ぶんし ゆ しか f つ ひふし す ふく み teA 

を 分 取す。 而れ ども その 號は 則ち 追铺 使と 曰 ふに 過ぎす。. 旣に その 腹に 充てば、 何ぞ必 



すし も その 服 を 華に せんと 曰 ふが 若し。 尊 氏、 中興の 業. を 奪 ふに 及びて 、尺地 ,ー1^ も < そ 



木 外史 論文 



七 四 七 



裁 諸 し妄濫 
抑 侯 ゆ リ 賞 
I な • たに 侈 
制ます か 賞 封 
御で に 賜 I 



山: 陽 史 論 七 四 六 

せい やす しんたいえ きち けん われ あ.^ 

て 制し 易く、 而 して 進 返 易 置の 權、 常に 我に 在れば なり。 足 利 氏に 至りて は、 之に 與, ふ 

ゆたか さづ もつ らん な た 

るに 土地の 饒を 以てし、 之に 授 くるに 人民の 富 を 以てし、 その 勢 以て 亂を爲 すに 足る。 而 

し そん ら、 3 Q * ら かじ へん ふせ 

して 又 之 を 子孫に 襲が しめ、 牢 として. 拔 くべ からす。 豈に 以て 預め その 變を 防ぐ 莫か 

まんぜん かつよ や i いっせい さんし しラ きょ ん 

るべ けんや。 然り而 して 漫然 割與 し、 動もすれば 一 姓 をして 三 四 州に 踞 する を 得しむ。 甚 

しき は、 天下 六 分の 一 に 居りて、. 之 を 能く 制するな し。 その 縑倉を 封す るに 至りて は, 室 

まち に くん つ ひ さいぎ あ ひ はか い ^ 

W と 二君の 如し、 遂に その. 子孫 猜疑 相 圖るを 致す。 而 して 之 を 終 ふ. るに、 縑倉は 上 杉 氏 

くつが へ いは ゆる を だい ふる すゑ だ い 

の 覆 す 所と 爲り。 室町 は 細 川 氏の 弱む る 所と 爲る、 皆 所謂 尾大 なれば 掉 はす。 末大な 

れば必 す 折る i ものな り。 然れ ども その 之 を 爲すは 故 あり。 彼 その 王家 中興の 業 を 奪 は 

らんしゃ、 フし ほラ っミ よく あ * た ぁミ はか いやしく 

んと 計る。 故に 濫賞侈 封、 務めて その 慾に 充て、 復 その後 を 計らす、 以て 苟 も 天下 を 

あつ * さいよ く ♦* なじり さ あ A- 

取る。 天下 已に 集る。 而 して 裁 抑す ベから す。 一た び 問 ふ 所 あれば、 眦を 裂きて 起る。 怪 

よく み な かれ わ し 

しむに 足る ものな し。 彼の 慾に 充てて、 我の 私を濟 す。 彼我が 私 を 知りて、 その 功を以 

て 我に 邀 む。, 我 何 を 以て 之 を 制せん や。 蓋し 足 利 氏、 土地、 人民 を 以て、 天下の 豪 俊に 

g して、 之を掣 する 能 はす。 その 餌 を 併せて 之 を 失 ふ。 亦哀 むべき なり。 故に 彼の 天下 

. S きふ こ ラレよ くわく せつ はかり 2 ミ わざ は ひ のこ 

を 取る に 急に して、 苟且 攫竊の 計 を爲す 者、 未だ 禍 を 子孫に 贻 さざる 者 あらす • 足 



苟且 攫竊 I 

一 時の まに 

あ はぜ LLW 

すみつかむ 



唐に 劝勗遨 
主 推 あ^ 佶 
と さ リ滅烈 
なれ 叛す I 
る て 卒に存 



日本 外史 論文 ヒ gj £ 



きつれ つ てん いの しん レ 9 しゃ, フ てんか やす ねが £ しょ. ソ て 5, い * 

佶烈の 天に 祝り、 眞主を 生じて、 天下 を 安ん する を 願 ふが ごとし。 世に 稱す、 趙藝祖 は 

いの: c- f 5* ねん のち あしか X- し か は おこ じつ にった ゑんん い い 

祝に 應 じて 生る と。 我が 二百 年の 後、 足 利 氏に 代りて 興る 者、 實に 新田の 遠裔に 出づ。 亦 

いづく よし さ だ いの ゥ f あら し てん、 フん はた かへ W き しょうはい すラ い 東 

烏ん ぞ義貞 の 祈に 應す るに 非ざる を 知らん や * 刖ち! K 運 架して 復る時 あり。 勝敗の 數、 未 

だ 歳月 を. 以て 較 すべ からざる なり。 

〇 足 利 氏 正 記 足 利 氏 

わ-.. ij ねす わ,.',; -ん ひ 、つ a 

外^ 氏 曰く、 源氏 は、 王土 を攘 みて、 王臣 を^く 者な り。 足 利 氏 は、 王. H を 奪 ひて, 王 

えき っ& る ん けんじ す さいでん 

臣を 役す ろ荞 なり。 故に 足 利 氏の 罪 を 論 すれば: 源氏に 浮ぐ,。 而 して 源氏 は再傳 して 亡 

の モラみ く ぢょ 乙 りつみ づか 

び, 足 利 氏 は 乃ち 之 を 十三 世に 延 ぶる を 得た る は, 蓋し 源氏 は 宗族 を. 剪除して、 孤立 自ら 

斃れ、 而 して 足 利 氏 は 子弟 舊 臣を對 建して、 相 維持す るに 足る、 故に 遽に 滅びざる のみ。 

ほラ けん ほんまつけ いぢ、 フ せい ゎづか V* ぎ てい 

然れ ども その 封建 や、 本末 輕 重の 勢 を 制する を 知らす。 是を 以て、 纔に 能く 一 時 を徭定 

する も、 而も 反者蜎 毛の 如くに 起る。 その 中漢 以後に 至りて は、 天下 禽 奔獸遁 して、 復 1 

すべから ざるな り。 夫れ 源氏の 將士、 その 强驚 桀黠、 足 利 氏の 時に 減ぜざる なり。 而れ 

ほん モ V 'ち く ゅ& ひ ひか なんた び じゃく 

ども 奔走 馳驅、 一 人の 弓を蠻 きて、 東に 向 ふ 者な き は 何 ぞゃ。 他な し。 その 力 微弱に し 



趙藝跳 I 趙 

の 始龃、 瑣 

匡 胤 

〇 足 利 氏の 

尾大 不振 

摟く I ひき 

あつむる 



■ 桀黠 ー 

わる づ,. .6 く 

又 わるが し 



リ て W 御室 市 

がち 家 所 町 塵 
1: リ と も の 迷 
つ ほな 今 花 離 
こリ はの I 



山陽 史 論 七 四 四 

けゥ か これ つぎ えい ざん じ およ こ ミな ベ 

てて 闕を 犯さ じ。 是又 その 次な り。 その 叙 山を辭 する に 及びて は、 則ち 事爲す 可から す。 

しか たいし よ、 T- え しんた いじ じょ a ち ぜん おも ひ まね ひそか <V5 づ. & かへ いき ほひ 

然れ ども. K 子 を 擁する を 得、 進退 自 如たり。 趣 前に 赴く 爲 して, 潜に 上野に 歸る も、 勢 

き ラぶ し、, がふ さ、 フ く C ,ウ^ X こ. < ほん な くわい ふく 

或は 達すべし。 舊 部を收 合し, 賊の巢 窟を鸾 ひ、 據 りて 根本と 爲し、 進めば、 則ち 恢復 

よくたい はか さい の こ t ろざ レ ,7 はかりな ま 

を 成し、 退けば 則ち 翼 戴を圖 り、 又 以て その 才を展 ベて その 志 を 得べ し。 計 此に出 

むこんへ い , S ラ ざい はかり ごミた かひ おのれ よ むべ 

です、 無根の 兵 を 以て、 束 西に 奔走し、 而 して 謀 と 戰と皆 己に ぬらす。 宜 なり、 その 

こんくつな しか めい ほラ し 5 せん い す, タ ゎラ っミ べんり 

困 屈 成る 所 なきや。 然り といへ ども、 命 を 奉じて 周旋し、 意を銳 くして 王に 勤む • 便利 

を 占む るに 暇 あらざる は、 義貞 たる 所以な り。 その 死 時を觀 るに、 猶錦囊 の 詔書 を 佩ぶ • 

は、 r こく こ tfc!TJ レ はいく じ いた りん せいき しか らラ * く 

その 報國の 士气百 敗 挫けざる を 見る。 今に 至る まで 凛と して 生氣 あり。 而 して 老賊の 粉、 

??" すで ひさ ひ ろ まち い たづら し ぢん めい ゥ A んそ もミ l^t ベ 

朽腐已 に 久し。 十三 世の 室町、 徒に 市塵 迷 離 を 見る。 その 斷礎を 索む る も、 復識る 可 か 

、! 'ん てんま か モ ■ よかつ おも へい 3ラ なほ 

らす。 義貞の 運 を 天に 聽 する は, 其れ 此を 以て か, 余 嘗て 謂 ふ、 新田、 足 利の 兵爭 は、 猶 

しゅ り た, r- き 9, ちう j»5 こくよ ラ まさ よしお きら えい ** い そんきょく S づ 

朱 李の 唐季に 於け るが ごとしと。 義貞の 忠勇、 克 用に 勝りて, 義興 等の 英邁、 存 勗に讓 

べん. 9 や 5 ふくめつ む. c*4 ち は, 7 Afc けんせい ミころ 

らす。 存勗, ^梁 を 覆滅す。 而 して 義興 等,. 室町に 報す る克 はざる は, 亦 牽制す る 所 あ 

S ゑ あら **0( ミ 5 ほく けいしょ 3 か ほく たい ゆん おな JLl つた し *-ょ ぃラ 

りての 故に 非ざる か。 抑 我が 東北の 形勝、 河北、 太 原に 同じ。 而 して 新田 氏 は據冇 する 

Afc しか よ しさ だ さんれい いの L * んふ fc- おこ * く ほろぼ t 

能 はす。 然れ ども 義貞、 山靈に 祈る に、 その子 孫 再び 起り、 賊を 威す を 以てす。 又猶邈 



はさな 天主 
れが 御子 聰 
る れ 耳の 壅 
お も聰蔽 
ほふ 明 I 



しか t、< 'じ しゅそ、/' ょラ へい こくろん こ is i けだ ぜんぼう 

ふなり。 然れ ども 當時、 主 聰壅蔽 せられ、 國論苟 癒なる こと 此の 如し。 蓋し 善 謀 ありと 

いへ ども、 輒ち行 ふに 難ければ、 則ち 直に その 戰を 罪すべからざる なり。 是の 故に、 官 

の爲に すれば、 則ち 敗れ、 私の 爲に すれば、 則ち 成る。 寧ろ 敗れて 忠義た る も、 成りて 

かんもく -Jt ろざし かな ベ われへ いあん * w ラオん か,.' ふ » ふく & i . 

奸賊 たらす。 義貞の 志 も 亦 悲しむ 可し。 吾平 安に 居り、 東 山の 岡阜 起伏 を 覩る每 に、 義 

りきせん ゆびさ あ ふ ん いざん はいじ a く か 、フ w き おも ていな, < せん およ 

貞 力戦の 處を 指し、 仰ぎて^ 山 を 見て、 又 その 拜辭 北行の 時 を 念 ふ。 帝南遷 する に 及び、 

けだ ふか yx く あいつう みこ w のり くだ すで およ *ci くんしん さいく わい かね 

蓋し 深く この 舉を 悔い、 哀痛の 詔 を 下す も、 而も 巳に 及ぶな し。 喧、 君臣の 際 會ゃ難 

がいたん 6 よし さ だ は しん はじ かま くら か あた 

し、 慨歎せ ざるべ けんや。 假 し義貞 をして 覇心 あらしめば、 その 初め 鎌 倉に 克 つに 當り 

ほ, r で、 f し - X じんい ♦* めつ あしか ビし はんせき すで あら は な 

て、 北條 氏の 餘燼 未だ 減せ す、 而 して 足 利 氏の 反 迹已に 形る。 義貞、 此を 以て 請を爲 し、 

ざ きう ふ ち, C ちから たく は *0 やしな もりなが しんわ ミ S うざい はか.? ビミ みは くんそく 9X 

坐して 舊 府を鎭 し、 力 を 蓄へ威 を 養 ひ, 護 頁 親王と、 東西 謀 を 合せ、 君側 を溃 めんと 

IJ て、 フ てい あへ ゆる たか、 っぢ みる ひ てんし はさ われ の * 

請 はば、 朝廷 敢て聽 さすば あら じ。 尊 氏 をして 或は 天子 を 挾みて、 我に 臨まし むる も、 そ 

ぎゃくせつ ャ、, 'ャ てんし つ ひた あた かなら. $ われ ひ &づか たす な » 

の 逆 節 漸く 長 じ、! K 子 終に 堪 ふる 能 はす。 必す將 に 我 を 引き、 以て 自ら 援 ひんと す。 猶 

な しら か は ちか よしな か i まほ した これにった し じ や、 フ けい 

後白河の 近く 義仲を 疎んじて、 遠く 頼 朝に 欵 しむが ごときの み。 是 新田 氏の 上計な り *然 

らす ば、 其 始め 鉞を 授けら るよ に當 り、 進みて 信 濃、 上野に 據り、 之を奧 羽に 連ね、 俯 

はっし 5 .7 V f の 9j やく はい 5 # く けいかく に- せいきん ホキ •:, 

I て 八州 を瞰 ひ、 贼の 吮を扼 して、 その 背を拊 たば、 賊、 形 格し 勢 禁じ、 必す 我を棄 

日 木 外史 論文 七 四 三 



舊府— 鎌 倉 

逆 節 —反逆 

の 行 



山 .: 陽 & 論 



七 四 二 



總戎 —兵事 

の總裁 



物 



兩端— 二心 



苒 H— 再び 

起る 



必^しも その 實 あるに 非ず。 中興 總戎の 寄に 至りて は、 固より 義 負に 屬 すと 云 ふ。 余の 

兩家 を列敍 する は、 此を 以てな り。 r 然れ ども 新田 氏の 義を 起す は、 護 頁 親王に 由る。 而 

ぎゃく ォぃ これ はじめ- ふ けん 

して 足 利 氏の 逆 を 謀る も、 亦此を 以て 首と 爲す。 故に 附見 すと 云 ふ。 

〇 新田 氏 正 記 新田 氏 (其 5. 



外史 氏 曰く、 余、 義貞の 手記す る 者 を 見る に、 蓋し その 未だ 事 を舉 ゆざる 時, 家の 子弟 

ぶ もん はふ かい かた せんきん しか い • 1 し f- ラ . ,か & ほ ,づ、/_- レも 

に 武門の 法戒を 語る。 淺近 のみ。 然れ ども 言へ る あり。 曰く 「將 となる 者 上 を 奉じ 下 

ぶ こ t ろざし けつ おこな うん てん まか ひミ ミが なか よし さ だ んこ、 フ な んん i ん 

を 撫し志 を 決して 行 ひ、 運 を 天に 聽せ、 人を尤 むる 勿れ」 と。 義貞、 元弘に 成りて 延元 

や a- * たじ ラん か . ふ か はたか & ひ S そむ 41 いざん こミ いた 、 

に 敗る、 亦 時運に 可 不可 あるか。 將 上の 人、 之に 負く あるか。 歡 山の 事に 至りて は 之 

そ: j い ていけ だ これ さき い ま かつ こミ め A; ぎ こ 》* い fc d^T 

に 負く 甚だしと 謂 ふべ し。 帝 蓋し 此 より 前、 未だ 營て事 を面議 せす。 此に 至りて、 亦兩 

IjftA い V- な ゆ、 ひか、 r- しゃ、 r す 10 t いづく じ かん すく われ 力つ 

端を嘗 試み、 孰れ か 成る を 僥倖す。 是を 以て 將帥を 待つ。 惡んぞ 時 艱を濟 はんや。 吾 嘗 

ミが よし さ だ ミ 5» つ へいあん おも ぶ f< い うち ^ *; . の A 

て咎 む。 義貞の 東 K する や、 兵 を 按じ、 重き を 持し 奧 兵の その 2: を桟 すを俟 ちて 後に 

お、 7 けん, ぐんち ゃラく いつはい-^ くせい な * く せいほん お. * すな は かふ 

之に 應 ぜんと もせす、 懸軍 長 IB し、 一 敗 賊勢を 成す。 賊、. 西奔 する に 及びて、 則ち 甲 を 

» き..' つ, へい けんじゃ-? ミ f もく 3 いねん い U これく わん *- ふ ふた f 5 しな 

捲き て 窮追せ す。 兵 を 堅城に 頓め、 以て 賊^ 再燃す る を 致す。 是 緩急 兩 つながら 機 を 失 



く 倍る し 因ら 武介由 干掣衣 でふ數 
畔 み踣 人 青 に 渉 肘纓 戦 し奇 

I た I のの さ し牽 I にあ 敗 

そ ふ く や 族 ぜて累 公 敗 は!^ 
む れる か | ね自 1 嫺 るぜ 1 



以て 然ら すと 爲す。 朝廷、 新田 氏に 倚る、 新田 氏, 朝廷に 倚る に 非ざる なり。 新田 氏の 

將 帥お 武 にして, 部屬精 勁なる は、 足 利 氏の 企て 及ぶ 所に 非す。 而 して 數奇敗 衂、 終に 

消 亡に 至れる は、 他の 故 無き なり。 天下、 朝政 を 厭 苦して、 武治を 謳歌す。 故に 尊 氏の 

わたくしい! = な り お ほやけ ほ べん や したが 

私 を 營むを 利と して、 義貞の 公に 奉す る を 便と せす。 已むを 得すして 之に 從ひ、 勉强し 

た かひ おもむ まじ いえい へんぴ き でん せラぼ せいち ラ けんる & や t い 

て戰に 赴き、 雜 ふるに 衣 纓の褊 稗、 畿甸の 召募 を 以てし、 掣肘 牽累、 動もすれば 意の 如 

しゃう する 6 か; i さき な 

くなら す。 之が 將 帥た る 若、 豈に 難から ざらん や。 嚮 に義貞 をして 亦 足 利 氏の 爲す 所に 

か いち ラ みく まさ ラん がふむ しふき V* 

出で しめば、 刖ち 介胄の 族、 將に雪 合 霧 集して 之に 歸 せんとす。 而 して 足 利 氏 焉んぞ 能 

はか こん はい これ 

く 之に 加 へん。 天下の 事、 皆圖る 可き なり, 何 ぞ困踣 する こと 此の 如きに 至らん や。 是 

くわ ふくり がい さんせき さう じ X なん 

その 禍福 利害、 三 s< の 童子と いへ ども、 亦 能く 之 を 知る。 義貞 寧ぞ 知らざる あらん。 而 

つ ひ せつ あらた おのれ わ ラ か ,1 らい はん » いはん しの 

も 終に その 節 を 改めざる は、 豈に己 王家の 倚 頼に 任じ、 倍畔 する に 忍びざる を 以てに あ 

しか fr, き これなん せいはい ろん 

ら ざらん や。 否ら ざれば 則ち 源氏の 統、 その 新田 氏に 歸 する 久し。 是寧ぞ 成敗 を 以て 論 

すべ けんや。 且つ 夫れ 將 門の 統 ある、 必す しも 帝室の 如きに 非ざる なり。 況ゃ足 利 氏の 

所謂 將軍 は、 その 第三 世に 始る。 その 父 その 祖の 如き、 皆 命 を 正統の 朝に 受けた るに 非 

せい ミ 5 もりなが なりな が しんわ, f 

ざるな り。 命 を 正統の 朝に 受けて、 將 軍と 爲れる は • 乃ち 護 K、 成 K 二親 王な り。 而も 

日本 外史 論文 七 四 一 



陽. 史論 



七 四 〇 



軒輊, I 上下 



外 家 I 外戚 

にし^ 卽" 

母方 



親昵 —した 

しみち かづ 

き 

稔聞— 熱 聞 

褻 玩し丄 

がし 



ま い あ S けんち ^INr もうれつ W €14 ij 

* の迹を 以て、 之 を 軒輊す るの み。 然れ ども 二 家の 聲威、 優劣 ある は、 由來 有り。 蓋し 

そ よしく に よしくに はちまん こミ か 、つづ; b たく いは ゅ& 

二 家の 同じく 祖と する 所 は義國 なり。 義國、 八幡 公の 子 を 以て、 上野に 謫 せらる。 所謂 

- 一つ. U t ♦* よし レ^ よしやす よしやす ぐ わい か; i はらし よ あしか riz ん 

靳田郡 は、 その 复む 所な り。 二子 義重、 義康 あり。 義康は その外 家 田 原 氏に 依り、 足 利 郡 

つ ひ わ 5- Witt は つじつ; i ぃ.7 ** たよし くに 

に g る。 終に 分ち て その 半 を 食む を 得たり。 而 して 義 重は繼 ぎて 新田 を 有し、 又義國 の. 



官 爵 を 壟ぎ たれば、 則ち 義 重の 嫡宗 たる は 明な り。 然れ ども 源賴朝 起る に 及びて、 義 



^ しそ, C か、 T- づけ いちぶ もく す 

重、 之と 隙 あり。 大炊助 を 以て その 身 を 終 ふ。 子孫 は 上野の 一 武 族と 曰 ふに 過ぎす。 而 



して 義康は 事變に 遭遇し、 頓に官 爵 を 進めら る。 又 源 義 朝と 同じく 熱 田より 娶る。 玖 

しん ぢっ 、f X こん ほうで、 フ し ¥ t が ひ め ひい らい あら は S だい 

に 子孫、 頼 朝の 親 昵を受 く。 又世婚 を北條 氏に 結び、 互に 相倚賴 し、 縑 倉に 著る, 後醍 

醐 帝の 未だ 事 を 起さざる や、 蓋し 足 利 氏の 强宗 たる を稔閒 せし ならん。 是を 以て、 その 

ほこ さ. 5- さ * じ はか ちょ 5 しゃく ゆる * つぐわん,, ひ ほ...' き, ゆ ^ . 

戈 を 倒に する を閗 くに 及び、 遽に寵 爵 を 許す。 その 朝廷 を 褻玩し 非望 を覬銳 すろ は 

ひら こ 5 らう ほ かう しゃう 

帝 以て 之 を 啓く あり。 而 して 新田 氏の 功勞、 遠く その上に 出づる は、 刖ちニ 家 交 訟の日 

ま しか のち たか 5 ぢ はんぎゃく すな は そう * く ふせ 

を 待ちて、 然る 後 之 を 知る。 尊 氏 叛逆す るに 及びて、 乃ち 義貞の 宗族に 命じて 之 を 防が 

す^ な tfc^r たんた よい 

しむ。 而 して その: Is に 成り、 復遏 むべ からす。 歎す るに 勝 ふべ けんや * 世 或は 謂 ふ、 「義 

^く a、T さくれつ あた て 3 てい よ おも 

貞の族 望、 尊 氏に 及ばす。 故に 獨立 する 能 はすして、 朝廷に 倚りて 重き を爲 す」 と。 氽は 



I: と 消水澌 
诚 なえの 盡 
ぶ る 穴 如 沢 
如の く 滅 
く^に I 



及び、 一門の 肝 腦を舉 ゆて, 諸を國 家の 難に 竭す。 その 澌盡灰 減に 至りて、 而る 後足 利 氏 

始めて 大に その 志 を 天下に 成す を 得た, り。 蓋し 朝廷 大に楠 氏の 任す る 能 はすして、 以て 楠 

みづか じん ^ゑん く は な ち, つ こ、 フ しょしゃ、 フ ろん なほ し .? つ み 

氏 自ら 任す る 所以 は、 以て 加 ふる 莫し。 世の中 興の 諸將を 論す る. 尙其資 望の 大小 を視 

は 力 た けん ひ! さんき 

て、 而 して 深く 其實 を揆ら ざる も、 亦當 時の 見と 等しき のみ。 楠 氏 有らす ば、 三 器 有りと 

まさ いづ よ,.; / の * & な かさ y む T5 ます /.» けん 

雖も、 將に 安くに 託して 四 力の 望 を 繋がん とする か 3 笠 置の 夢 兆、 是に 於て、 盆驗 あり。 

なんぶ ラきそ ミも きずつ si も ほろ しラこ ら 5 あえれ な か i.4 そ も 》\ せ、 

而も 南風 競 はす。 俱に 傷き 共に 亡ぶ。 終 古 以て その 勞を 恤む莫 し。 ^しいかな。 抑 L 

じゅんこ ミ つ ひ き o、 フがぅ む ? 7 ひろ こラ 

閼殊 なりと いへ ども、 卒に 一に 歸し、 能く 鴻號を 無窮に 熙む。 公 をして 知る 有らし めば、 

めい たいせつぎ -ff A さんか なら * ん せ ^5 こ ゐ & 

以て 瞑すべし" 而 して その 大節 巍然、 山河と 竝び存 し、 以て 世 道 人心 を? a の 下に 維持 

, かんゆ *1 たが ひ おこ ゎづか すラ ねん つた !-, くしつ よた 

する に 足る。 之 を 姦雄迭 に 起り て、 僅に 數 百年に 傳 ふる 者に 比すれば、 その 得失 果して 

如何 ぞゃ。 

〇 新田 氏 正 記 新田 氏 (其 一 り 

にった あしか^ みな はちまん こラ もん a つも ミ あ ひく だ 

外史 氏 曰く、 新田、 足 利 二 氏 はノ皆 八幡 公に 出づ。 その 門閥 固より 相 下らす。 而 して 新 

田 氏 は 1 宗 たり。 舊史に 皆 足 利 氏 を 以て、 源氏の 統を 承サ、 號 して 將 軍と 曰へ る は. ぎ 

B 木 外史 論文 七三 九 



終 古 I いつ 

まで も 

鴻號— 大な 

る 天子の 號 



〇 新田 氏と 

足 利との 比 



山 . 陽 史 論. 



七三 八 



復辟— 天皇 一 

の 位 LL 復す 



掃 珍— 掃盡ー 



にして 未だ 死せ すば、 賊の 減び ざる を 患へ ざれ」 と。 夫れ 一兵 衞尉を 以てして、 居然と 

おも みづか じ A あち .f かんゆき ゆる 

して、 天下の 重き を 以て 自ら 任す。 豈に 値遇に 感激し、 身 を 以て 國に 許す に 非 ざらん や。 



故に 能く 赤手 を 以て 江河 を 障へ、 天日 を 旣に墜 つるに 回す。 何ぞ 其れ 壯 なるや。 公、 北條 



氏の 精銳を 一 城の 下に 聚 めて、 新田、 足 利の 屬 をして、 その 空虛 を撬 き、 以て その 渠魁 を 

た ふ ふくへき しゃく ひく しょぐ にん よろ し S 

噎 さしむ。 帝の 復辟 する や、 爵を醻 い、 職 を 任す る、 宜しく 公 を 以て 首と 爲 すべし。 而 

h づか ゆ ふき な わ はい かた なら きょそ しつ ち、 フこラ 

も 縫に 結 城、 名 和の 輩と 肩 を 比ぶ。 その 舉措を 失する、 以て 中興の 成る 無き を 知る に 足 

そむ て, ゥ てい 象 さ よ おも ミく へん ひ も 

る。 足 利 氏の 叛 くに 及びて, 朝廷、 方に 新田 氏に 倚りて 重き を爲 し、 公 は 特に 褊 稗に 充 

て、 その 騸 使に 供せ しも、 亦 その 門地の 若かざる ある を 以ての み。 然れ ども 京師の 大捷、 

ほさん さ, 7 てん いた さく ,m じん 

殆ど 掃殄を 致す 者、 公の 策に 因る に 非す や。 : 嚮に帝 をして その 新田 氏に 任す る 所の 者 を. 

にん なん けんや、 f こ * て.? てい じ、 >-* ん 

以て、 公に 任ぜし めんか、 蜀ぞ犬 羊 狐 鼠の 賊 をして、 吾が 朝廷 を蹂踐 せしめん や。 然れ 

い 44 し み こミ. t> 

ども その 死に 臨み, 子を戒 むる を觀 るに、 又 曰く、 「吾 れ 死せば、 天下 悉く 足 利 氏に 歸せ 

ん」 と。 夫れ 天下の 爲 すべから ざる を 知りて、 猶 その子 孫 を 留めて、 天子 を衞 る。 その 心 

を設 くる、 古の 大臣と いへ ども. 何 を 以て 遠く 過ぎん。 故に 子孫 能く その 遺訓 を 守りて, 

せい ミラ ;. I んぐ わん こくし まも こラ もく ふせ て *フ 

正統の 天子 を 彈丸黑 子の 地に 護り、 以て 四海の 寇賊を 防ぐ こと. 三 朝 五十 餘 年の 久しき に 



二 顔— 顔眞 

瘌顏杲 卿 



靖獻— 難^ 

平げ て 功^ 

致す 



璲立 —珐立 

扦餽 —防 守 



師を 招ぐ。 一 一 顔、 之が 先 を爲す 有り、 許 遠 之が 助 を爲す 有りて 7 ^淮を 遮蔽 し、 城 を 守 

りて、 死 を 致しよ に 過ぎす。 之 を 以て 之に 視 <? に、 勢の 難易、 功の 大小、 豈に日 を 同じ 

くして 語る ベ けんや。 之 を 要するに、 位、 その 器に 滿 たす、 能く その 才を展 ぶる 莫し。 而 

& くに じゅん せん ゎラ せいけん - X れつ ひミ 

も 終に 能く 躬を 以て 國に殉 し、 先王に 靖獻 す。 餘烈の 及ぶ 所、 獨り その子 孫の みならす。 

こうけい しゃ ラし おの き、 つ せん ミ ゎラじ お ほひ. a 

公卿に まれ、 將士に まれ、 各 弓箭 を 執りて、 以て 王事に 勤む る は、 槪 皆 楠 氏の 風を閒 

たても e はい われ 

きて 起る 者な り、 鳩 呼、 楠 氏の 如き は、 眞に 武臣の 名に 愧ぢ すと 謂 ふべ し, 余 故に 楠 氏 

の 事を敍 して、 以て 源平 氏に IT ぐと 云 ふ。 

〇 新田 氏 前記, 楠 氏 (其 二) 

• - ! . し は C きつ ほん ゎラ らい か は S- る さくら る の 丸き ま 

外史 氏 曰く 余、 屢攝^ の に往涞 し、 所謂 櫻井驛 とい ふ もの を訪 ひて, 之 を 山 崎の 路 

> す 九き し かへ り けだ あしか^ しょく ほラ す うし へ 

に 得たり 一 小 村の み。 過ぐ る 者 或は 其驛趾 たる を 省みす。 蓋し 足 利、 織、 豐の數 氏を經 

て、 世故 變 移し、 道里驛 程、 隨 ひて 輒 ち改れ るの み。 余、 是に 於て、 低回して 去る 能 は 

& へり ん さい ぎょくり つ £ き 

す。 顧みて 金剛 山の 雪 際に 嶷立 すろ を 望み、 公の 義を舉 ぐるの 秋、 及び 其 子孫の 據 りて、 

ぉラ しつ, かんな さラ けん あんざい いた こた ^ しん 

王室 を扦 護せ し を 想 見す るな り。 公の 行 在に 詣 りて、 天子に 對 ふる を 觀 るに、 曰く、 「臣 



n 水 外^ 論文 



七三 七 



山陽 史論 



七三 山ハ 



色 を 窺 ひて 憂 喜を爲 すに 至れり。 何ぞ 其れ 蕋 だしき や。 余閗 く、 後鳥羽 上皇の 隱 岐に徙 

せきく つ をく ほく ゎづか fr, お ほ すな は ほ、 3 け だ 

さるよ や、 石窟に 因りて 屋を 縛し、 纔に 風雨 を 庇 ふ • 十 有 九 年に して 乃ち 崩す と。 蓋し 

せんり かくぜつ おの. (-き ,"'かい し-,' てん あ ひふ かつ. 

終 天 ー 一生 一 父子 三 帝、 千里に 隔絶し、 各窮 海に 居り、 終 天 相 見る を 得す。 これ その 心に 何ぞ 嘗て 

の 間 



西 狩— 隱岐 

遷幸 

絮 #1 ほ、、 

リさ けぶ 



鼓舞 I ひき 

れつる 



锒巡 I 安祿 

山の 兵と 戦 



日 も 北 條氏を 忘れん や。 卽ち 元弘の 事、 萬已 むべ からざる なり。 而 して その 勤王の 功 は、 

わ.^ せいしゅ が われ しょ 5 き、 f いってつ き や 

余 槠氏を 以て 第 一 と爲 す。 楠 氏な かりせば、 卽ち西 狩の 駕、 吾 其 承久と 一 轍に 歸 して 止 



みし を 見ん のみ。 何ぞ や。. 彼 北 條氏は 政 を 失へ りと いへ ども、 その 權カは 更に 甚だしき 

有り。 累世の 烕を藉 りて、 積 弱の 餘に 加へ、 百 萬の 虎狼 その 指呼に 隨ひ、 中國に 無咻し 

せ あ な まさ しょ. フきラ いましめ くび ォ かさ へいそく きんわう 

て、 之に 櫻る 或る 莫し。 天下 方に 承久を 以て 戒 と爲 し、 踵 を 重ね 屏息して、 敢て 勤王 

な ひミ りべ、 f-f- & ミな しようろ 

の 事 を 首 ふ もの莫 し。 而 して 楠 公、 獨眇々 たる 軀を 以て、 義を その 間に 唱へ、 その 衝路 

に當 り、 其 爪牙 を锉 きて、 以て 四方 義士の 氣を 鼓舞し、 之 をして 一時に 踵 起せし め、 元^ 

ふ ゑ つ て, CT りく れっせい しんき ,フ むく る, てラ たいち す t はんせい 

を 斧鉞の 下に 殄戮 し、. 列 聖の深 仇 を 報い、 累 朝の 大恥を 雪ぎ、. 天下の 萬 姓、 再び 日月の 

光 を 仰ぐ を 得たり。 皇 運の 泰に屬 すと 曰 ふとい へ ども、 而も 公之が 唱を爲 すに 非す ば、 焉 

んぞ よく 此に 至らん。: 是れ焉 んぞ. 天 斯の人 を 生じて、 世 道 を匡濟 する に 非ざる を 知らん 

, f ちゃ 5 じゅん ひ じゅ A ザん せい た ラレつ いた r き T 二 へん 

や。 後の 論者、 或は 之 を 唐の 張 巡 に 比する 者 あり。. 巡 は 全盛の 唐 室 を 戴き、 狂 胡の 偏 



指 斥 想 怒ぶ 

露骨-, 1 非お 

食め 盛に 怒 

-る 

ij や-し 

な ひ. 



趨说— はし 

り ま 丄. る. 



黜陟 11 ば 位 

な 進退す る 



にして 測られざる 者 有り。 爲す所 同じから すと いへ ども、 而も その 王 慇を蔡 にし、 私 

利を營 むは 1 のみ 然れ ども 猶言ふ 可き あり • 曰く、. 王族な り。 將家 なり。 北條 氏に 至 

りて は、 將 門の 屬隸を 以てして、 坐ながら 朝廷 を 制す。 天下の 事、 復言 ふに 忍びざる な 

そ しょ ラきラ いづれ きょく いづれ ちょく せいじ 

り。 且つ 夫れ 承久の 事、 敦か 曲、 敦か 直、 攀 して 之を傳 ふる 者、 皆北條 氏の 盛時に 出で 

いづく かんが i は <: さい な A きょくちょく くら しせき ひよ ラ 

たり。 今、. 安に か 信 を考 へん。 況ゃ 君臣の 際、 寧ぞ曲 直 を 較ぶ可 けんや。 乃ち 指 斥 憑 

0〕 りょうじょく き は はんじょ ラ そん み た r こ ミん み t 

怒 その 凌辱 を 極め、 萬 乘の尊 を視る こと 啻に 孤 豚の 如きの みならす。 嗚呼、 八洲の 生 



UK ノ 誰か 先王の 遺澤を 被ら ざらん。 當 時の 所謂 武. H は、 その 祭 養に 狃れ、 そ^ 使嗾に 供 

めいる * く は、 フ S ほ ほんそ- フく ち あ *4 九 き 

す。 名 位、 族 望、 遠く その 右に 出づる 者と いへ ども、 奔走 驅馳、 甘んじて 之が 役 を爲し 

ぃミ ま き $ 4* ね なら い-た しょ、 r- こう 

て 暇 あらす。 氣 類の 召く 所、 習 ひて 常と 爲す。 量に 言 ふに 勝 ふ 可 けんや。 卽ち稱 して 公 

卿と 爲す者 は、 平時 は 朝廷の 上に 趨蹌 し、 天子の 爵秩を 取りて、 以て 天下に 鵡れり • 而も 此 

さい かつ さく くわく き なん すく し、 r 'しゅ はラ くわん 

の 際に 及びて は、 未だ 嘗て 一策 を畫 して、 以て 危難 を 救 はす。 袖 手傍觀 して、 其爲す 所に 

♦* か これなん ぶ じん ミが じ せい くん ミく もまね 

聽す。 是曷ぞ 武人の みを尤 めん や。 時勢 未だ 可なら ざる 所有り、 君德 未だ 洽 からざる 所 



有りて、 この 禍を 致す といへ ども、 而も 亦臣 子の 罪な り。 是 より 以来、 百餘 年間、 廢立 



その 處分> 仰ぐ。 而 して 朝廷 は、 蹙 々として 束縛 せらる i が 如く、 その. 顔 



本 外史 論文 



七三 五 



山陽 史論 



七三 四 



锒皇甚 しく 

—大袈裟に 

して 

w〇 PTn; 



砲瓛, ー お ほ 

づっ 石火矢 



至りて は、 張 皇太 甚だしく 內. 自困敝 す。 攻守、 勢 を 異にすと いへ ども、 北條氏 

ミほ さく ** も ちょ ラ はつ わ づらは ぐんす ラけ いひ 

に 及 はざる や 遠し。 北條 氏の 策、 守れば 則ち 土 著して、 徵發を 煩 さす。 軍 須經费 を 

みだ しゃ, r*- ゐ ゐ じん 3 ち せい りく よ あお いざな か 

损 さす。 將 柳に 委任して、 中より 之を掣 せす。 その 戰は、 則ち 陸に 憑り て、 寇を誘 ひ、 舸 

-. はし むか た-か たんべ い きふ . * つ- がつ ちん 

を 走らせて、 逆へ 戰ひ、 短 兵、 急に 接す。 皆 以て 後世の 法と 爲 すべきな り。 吾れ 嘗て 鎭 



づ くわん み りよ さかん は ラ はく の * 

西の 士.. <傳 ふる 所の 元寇の 圖 卷を觀 るに、 虜、 盛に 砲礮を 以て 我に 臨む。 而 るに 我が 兵、 

f ふる す- hk よ はつ いまき けだ われ くわき あ ひて? あ 

刀 を 揮 ひて、 奮 ひ 前む。 虜、 發す るに 暇 あらす。 蓋し 是の 時、 我 未だ 火器の 相敏 する 有 



らす" 吾是を 以て 知る、 兵の 勝敗 は, 人に 在りて、. 器に 在らす と。 我が 長 技 自ら 在る あ 

たの. 

り。 恃 むべ きなり. 



〇 楠 氏 勤王 

の 功 



艉維— 政事 



〇 新田 氏 前記 楠 氏 (其 ご 



外史 氏 曰く、 予將 門の 史を 修め、 平 治, 承久の 際に 至り, 未だ 嘗て 笨を舍 てて 嘆ぜ すん 

ば あらざる なり。 嗚呼、 世 道の 變、 名 實の相 鱸 II ら ざる こと. 一に 此に 至る か。 古の 所謂 

武. 臣は、 王に 勤む と 云 ふの み。 源氏、 平氏の 如き、 皆然ら ざる は莫 し。 平 治の 後に 至り 

て は、 綱 維の 弛める に乘 じて、 以て 鸱 梟の 欲 を 還し くす、 暴悍 にして 忌む 無き 者冇り • 雄 i 



は 同 武ゃ機 
る じ な リ 宜 
力 接 方 I 
法 ぐ ぶ 
ん I き 



貴む るに 足らん や。 或は 傳ふ、 義時、 深 見 某と いふ 者を誅 して、 その子 を 近づけ、 卒に 

t のの なら び !=.« じ や 3 くわ 5 

殺す 所と 爲 ると * 噫、 是れ それ 或は 然 らん。 昔、 平淸 盛、 源義 仲、 竝に 兵を稱 へて 上皇 

に抗 す。 皆讒人 を 除かん とする のみ。 敢て その 幽囚の 計を遂 ゆざる なり。 然れ ども、 猶 

ち つ まねか じん ひ ぜん y ャく * く はんめい • の が 

誅滅を 究れ す。 義 時の 如き は、 * に 無 前の 逆賊な り。 而 して 叛名を 世に 脫 るぶ を 得たり。 

天, 手を臣 僕に 假 りて、 之 を斃 すか。 その子 孫に およびて、 新田 氏の 斧鉞に 遇 ひ、 其巢 

けつ ゑぐ し-つろ ゐ つく てんま ラ くわい {- そ もら あ • 

穴 を 抉られ、 その 醜 頻を殲 さる。 天網 恢々 疎に して 漏 さすと は、 豈に 信なら す や。 外史 

^ん りよ ふせ たも ふそ つぐな 

氏 曰く, 時宗の 元 璲を禦 ぎて、 我が 天子の 國を 保ちた る は、 以て 父祖の 罪 を 償 ふに 足 

る。 腐、 蓋し その 趙宋を 恫喝す る 所以の 者 を 以て、 來 りて 我に 擬す * 我 その 使を卻 けて 

い いま きょくちょく かれ おびやか へんき や 3 せん ミ 

納れ す。 未だ 曲 直 あらざる なり ノ彼兵 を 以て 来り 脅 し、 我が 邊疆を 剪 屠す るに 及び 

きょく つか ひふた >• ^ら これ りく きようる 

て は、 則ち 曲、 彼に 在り。 彼の 使 再 び來 る、 執へ て 之を戮 せざる 可から す。 彼が 凶滅 

くじ みん レ さしはさ ,,は ♦* き 

を 折き, 我が 民 志 を 定め、 その 挾 む 所. を 奪 ひて、 而 して 死 を 決して 之 を 待つ、 深く 機 

ぎ あた い しか. われい か てう モ, f のち fcr きくち 

i 几に 中る と 謂 ふべ し。 否 らすば 刖ち我 幾何に して 趙宋 たら ざらん や。 その後、 唯、 菊 池 

し A ん *♦ • ぶつ ちか ひざく 0- ほかむ か 

氏の 明 を 待てる は、 武を 接ぐ に 庶幾し。 足 利 氏 は、 膝 を 屈して 外に 嚮ふ。 言 ふに 足ら ざ 

こくたい はづか ** さ ♦* ん? I みん た t か 

るの み。 豐臣氏 は、 能く 國體 を^し めす。 足 利 氏に 勝る 萬々 なり。 然れ ども 明と 戰 ふに 

n 本 外史 論文 七 三 三 



恹ク 一廣大 

桐喵 I おど 

力す 



ふ か^ 間そ瑞 
れと 然る々 
こりい 焉 
れ あす 貌 1 
いげき お 



山陽 史論 



七三 二 



れ北條 氏の 家法に して、 能く 長く 天下の 權衡を 持す る 所以な り。 而 して 心 を 民事に 盡す 

^ it れ & J けだ はい S- やぐ じんしん い S ころ 

に 至りて は、 前後の 武族、 罕に觀 る 所な り。 蓋し 自ら その 俘 逆、 人 神の 容れ ざる 所なる 

v-to{- えん あがな はか やす ミき 

を 知り、 惴々 焉 として、 此を 以て 之を賵 はんと 計る。 而 して 泰時は その 最 なる 者な り。 世 

•9 ん しゃ 1 , かんぜん よ おも しょ ラ,、 7 

の 論者 T 泰 時に 於て は、 間然す る 所な きのみ」 とす。 余 謂へ らく、 承久の 事、 泰時 は、 そ 

つ A くわい けん は fc つた 

の 罪の 魁な りと。 何ぞ や。 泰峙の 賢 をして、 朵 して 傳 ふる 所の 如くなら しめん か、 刖ち 

く, わなん れんか ょラ もろ f- .J よぶ 八 おのれ な て 3 

旣に禍 難 を 定め、 大兵 を輦 下に 擁して、 諸の 大 なる 處分、 己に. m ら ざる は 莫し。 その 朝 

てい はくふ わ、 フ ふく さい あ しょ ゆ ゑん すで り みちび 

廷と 幕府と に 於て、 往復の 際、 豈に 善く 之を處 する 所以な からん や。 已に理 を 以て 導く 

いき ほひ きん. おも ぉミ しい ザん せいみ 

ベく、 又 勢 を 以て 禁す べし。 是れ之 を 思 はすして、 その 父 を 大惡に 陷 る。 善政 有り 

といへ ども、 寧ん ぞ その 罪 を 贖 はんや。 是に 知る、 舊 史に稱 する 所、 泰時、 其 父に 勸め 

けつ い fc か、 フ い き はつ の しんせい み 

て 闕に詣 りて、 降 を納れ しめんと す。 聽 かす。 發す るに 臨みて、 「親 征に遇 は r、 則ち 

何に か 爲ん」 と 問 ふ。 曰く T 之に 降れ。 否ら すば 則ち 決して 前め」 と。 皆史乓 之が 爲に 

過 を 文る のみ。 信す るに 足らざる なり。 その 後嵯峨 を 立つ るに 至りても、 亦 恩 仇の 私 

てんめい せいひ い くわ は <7 

に 出づ。 論者、 之 を 天命の 正 理と謂 ふ も、 亦 過褒な り。 然れ ども 北 條氏七 世、 其 人理を 

以て 論すべき *? は、 獨泰時 あるの み。 其 他義時 輩の 如き は、 皆 蛇虺鬼 ® なり、 又 都ん ぞ 



過褒— ほめ 

ィざ 



〇 源氏 後記 北條氏 (其 二) 



〇 北條 氏の 

功過 

飪席 ー しと 

れし きもの 



懇殊 I はる 

かに こ とな 

る 



潛收默 竊- 

ひそかに^ 

さめ、 だま 

つて 2 すむ 



外史 氏 曰く、 北條 氏の 源氏に 於け る は、 则ち藤 原 氏の 王家に 於け るな り。 皆寸丘 鐵を 

もち くに じんせき 5a やす けだ じんじゃ ラ f した 

用 ひすして、 其 國を衽 席の 上に 募 ふ。 何ぞ 其れ 易き や。 蓋し 人情、 其宗に 親しむ を 知ら 

な しか かへ り さいた ラ X おも さく じゃく 

ざる は莫 し。 而も 顧みて 妻黨の 倚る 可き に 如かす と 謂 ふなり。 是に 於て か、 兄弟 を 削 弱 

しん^く " そ せき くわん がい のみ みづ^ せん はつ 

し、 親族 を疏 斥して、 以て 子孫の 爲に患 害. を 除かん と爲 す。 而 じて 其 自ら 剪 伐し で、 以て 

異姓 を資 くる を 悟らす。 哀しまざる 可 けんや。 源氏の 國を 成す や、 固より 王家に 懸殊 す。 

而 して 其、 謬 計 は、 王家の 末だ爲 さざる 所に 出づ。 故に その 禍 を 取る、 更に 烈しき # あ 

いんぼ, f も、 つち こっこく ^ <y 

り。 而 して 北條 氏の 陰謀 狡智 は, 乃ち 藤 原 氏の 及ぶ 所に 非ざる なり。 その 骨肉 を鬭 はせ、 

しゅそく き けん せんし ,ゥ もくず-つ お 乃れ いま かゥ お ナん 

その 手足 を 剪り、 その 權を潛 收默竊 して、 己 未だ 嘗て 手 を 措かざる が 如くす。 そ, の權を 

得る に 及びても、 亦 翼 戴す る 所 ありて、 敢て 自ら 居らす。 その 名を辭 して、 その 實を取 

す へい ミ おのれ 

り、 その 利を舍 てて, その 柄 を 操り、 天^. をして 己を議 する 能 は ざら しむ。 子孫、 その 

遺 謀 を 守りて、 加 ふるに 周密 を 以てす。 終に 帝王の 廢立、 攝籙の 進退 をして、 盡く诀 を 

おのれ おのれく わん や 九 これ モち 

己に 取らし む。 而 して 己 閼 する 所な く、 巳む を 得すして 之が 措置 を爲 すが 如くす。 是 



tn 木 外史 論文 



七: 二 一 



陽 史 論 



七三 〇 



世 を 過-ぐる 能 はす。 北條氏 乃ち 陪臣 を 以て 國命を * る こと、 ^^紫 S なり。 是豈に 偶 ^ 

けだ さい ミく あら やす ミき つ せ,、 * を さ ォ, 4 

, ならん や。 蓋し 義時 は、 才德 人に 過ぐ る 有る に 非す。 泰峙、 之を繼 ぎて、, 政 を 修め、 

もつ は せいちよ く ミ ひ ミり おのれ * ん こ しんみく かいちょく 

を 立て、 專ら 正直 を 操る。 獨 己が 分を驟 えざる のみなら す。. 親族 及び 諸 將士を 戒飭し 

あへ か, ,しゃく き a うな か しそん しつつ to 

て、 敢て高 爵を規 望す る莫 らしむ。 その子 孫に 至り、 能く その 法 を 守り、 敢て 失墜せ, ず。 

其 政 漸く 衰へ、 卒に 亡ぶ るに 至れり といへ ども、 而も 之 を 七 世の 久しき に傳 ふる を 得た 

ほ へいい 



り、 亦憾 なしと 謂 ふべ し • 大凡、. 保 平 以来の 亂を 以てして、 頼 朝の 若き 有り、 泰 時の 若 

* / , 、 , た& いづ ていし つまびら か 

き 有ら さらしめ は 則ち 六十 州の 民、 何く に 底止す る 所ぞ。 此を詳 にせす、 而 して 

ひミ りく ゎラ. す. ぶ しん せん しょ、.,' あやお £ れち かふ 3 

特皇 威の 衰、 武臣の 專を稱 する は 謬れ り」 と。 外史 氏 曰く、 吾 親 房の 論を讀 みて、 其 意 

かな や てい ろ かく 

を 悲しむ。 其れ 亦 已むを 得ざる に 出づ。 而 して 君に 告 ぐるの 體、 宜しく 此の 如くなる ベ 

きのみ。 後の 君子 其 貢に 因りて その 事を詳 に すれば 可な り。 蓋し 源氏の &、 旣に絕 

ふぢ はらより ね せいい たいしゃ、 7 ぐん よりつぐ しょく つ ひ ねた かしん ゎラ 

え、 藤 原 頼經, 征夷 大將 軍と なり、 その子 頼嗣、 職 を ®T ぐ。 旣 にして 宗尊 親王 往きて 之 



に 代り、 之 を その子 惟康に 傳ふ" 久明 親王、 又往 きて 之に 代り、. M を その子 守 邦に 傅 ふ- 

而 して 兵馬の 玫、 ぎに 北條 氏に 在り。 故に 凡そ 事、 皆、 之 を北條 氏に^ けざる を 得す。 



〇 源氏 後記 北條氏 (其 一) 



〇 北條 氏の 

意義 

晦艇 して- 1 

意味 わか リ 

* 、 くくして 

裉親 房の 論 

—正統 記 後 

嵯峨 院の條 

參照 

陪隸, —め 丄 

つか ひ 

似た るな リ 

I 至當 なる 

力 如し 

允 裁 I おゆ 

るし おさば 

さ 

外 家— 母方 

の 親類 



外史 氏 曰く、 北條 氏の 事、 吾れ 之 を 言 ふに 忍びざる なり。 而 して 諸 その 事^ 敍 する や • 



晦澀 にして ならす。 亦 文飾に 疑 はしき 者 あり。 獨源親 房の 論、 頗る 信 を 取るべし 

と 云 ふ。 その 論に 曰く 、「源氏、 武臣 を 以て 天下 を 掌握す。 朝廷、 蓋し 平なる 能 はす, 況 

そのこ、 フし すで た くわ さい 5? いれい あた じょ、 フ た ふ 

や 其 後嗣、 旣に絕 え、 寡 妻、 陪隸、 繼 ぎて 其 家に 當る。 此 時に 乘 じて、 而 して 之 を斃 して 以 

きうけん ふく I じ p.?r.7 ぉミろ ひさ ぴ ふる 

て舊 權を復 せんと 欲す。 似た るな り。 然 りと 雖も、 王 綱の 衰 ふる 久し。 頼 朝、 一 臂を奮 

らん た ひら て-' てい f ふく みん しょ かた やす ミ くせい 

ひて、 其 亂を 平ぐ。 朝廷 未だ その 舊に復 せす といへ ども、 而も 民 廡 、肩 を 息ん す、 德 政の 

以て 之に 勝る に 足る 有る に 非す ば、 則ち 安ん ぞ克く 之を斃 さん。 縱ひ克 く 之を斃 すと も、 

やす くみ いう ざい く は か 5 くわん のぼ 

民の 安ん ぜす ば、 天豈に 之に 與 せんや。 王者の 師は、 必す 有罪に 加 ふ。 頼 朝の 高官に 陞 

り、 重 職 を 管せ る は、 皆 法皇の 允 裁に 出で たり。! 之 を私竊 せる に 非ざる なり。 北條 氏、 そ 

ぐ わい け けん つか さぞ かつ じん £5 ラ 、フ しな けん ぜ八 つみ あら 

の 外 家 を 以て、 久しく その 權を 司 り、 未だ 嘗て 人望 を 失 はす。 顯然の 罪 あるに 非ざる 



じ はか ちラ く は ほつ て 5 ていい ま あやまち 

なり。 而 して 遽に 之に 誅を加 へんと 欲す。 是れ 朝廷 未だ 過 なしと 爲 さす。 而 して 北條 

はん 4 "く .9 、 フひ そ &ふ なほ 

氏、 又 之 を 反賊の 利 を 獲る 者に 比す 可から ざるな り。 夫れ 賴 朝の 業 を 以てしても、 猶ニ 



n 本 外史 論. K 



七 二 九 



山陽 史論 



七 二八 



劫 持— 制壓 

繙紳 I 公卿 



せい ろ、?,?、 



青— 血統 

艰建 — 建 

0^ I 下 I 

して 上の ま 

れ^す る 



莽操懿 #1 

王莽、 曹操、 

司 富懿、 董 

卓、 皆、 國^ 

奪 へ る もの 



劫 持し、 一世 を 籠絡す る 有りと いへ ども、 則ち 亦 時勢の 自ら 至れるな り。 而 して 其 源 

は、 實に 父祖の 餘慶 に出づ るの み。 吾 嘗て 之 を 縉紳の 家に 間け り。 縑 倉の 興る、 大江、 三 

よし € ひそか みん ぶ しゃ、 f ぼき いだ ひ" 

善の 徒、 竊に民 部 省の 簿記 を 抱きて 往く者 有りと。 亦 以て 人心の 向 ふ 所 を 見る 可し。 夫 

わ 5 か A づか けん は、 ひしつ -^3 な たみ いづく よ 

わ 王家 自ら 其 權を放 失して、 之 を 或は 收 むる 莫し。 民 安ん ぞ 倚る 所 あらん や。 是に 於て、 

王族の その 器に 任 ふる 者、 代りて 之 を 操りて, 以て 天下 を宰 す。 亦 已むを 得ざる 勢 な 

り。 源氏 は淸 和の 胄を 以て、 世々 王事に 勤勞 して、 頼 朝に 至り、 經營 艱苦して、 大業 を鄉 

けん せ. 7 かラ あへ せん ゆ ぁミ きょ ラ じゅん さいでん 

建して 天下の 小康 を 致せり。 而 して 敢 て僭踰 せす, その 跡を恭 順 にす。 又再傳 して 

す 力 は - さい は ひ つく あしか ぐし にった し みませい わ みなも ミ 

乃ち 亡 ひたり。 天 未だ 源氏の 福 を芟 さす。 是を 以て、 足 利 氏、 新田 氏、 皆淸 和の 源 

を 以て、 更起 りて 天下に 宰 たり。 而 して 皆 上將を 以て、 代りて 國權を 操りて、 以て 天子 

ふスじ こつ な てんか はんぜい ャ 

に 服 事す る こと、 賴 朝の 故 を 襲がざる もの 莫し。 則ち 是れ頼 朝、 天下 萬 世の 爲に、 巳む 

を 得ざる の 事 を 創めて、 踰ゅ 可から ざるの 限 を 立つ。 而 して 君臣の 際、 兩 ながら 其 宜 

r i いづく ま.7 さ 5 い たく びす せつ 

を 得たり。 然ら すば 焉んぞ 莽操懿 卓、 踵 を 我が 國に 接せざる を 知らん や • 頼 朝、 天下 

に功德 ある こと、 その 父祖に 獰 ると 曰 ふとい/ども 町な り。 



め 之 を啫 しか。 然れ ども 余 嘗て 謂 ふ、 天下の 權 源氏に 歸 する こと 久し。 而 して 源氏 自 

捍護 I 防衞 ら 知らざる なりと。 頼義、 義家、 柬 北を經 略し その 民 を^ 護す る こと、 前後 十 有 五 年, 

, て •* 'ていめ づか f しゃ、 フ し しゃ ラ かく * ん 九ん 

而 して 朝廷 闢り 知らざる が. 如し。 その 功 を 奏して 將士の 爲に賞 格 を 請 ふに 及べば、 遷延 

け ゥ もく t ミ •? くわん ぶ ば? それ し おん 

して 決せす。 甚だしき は 目す るに 私鬭を 以てし、 之が 官符を 停め、 其 をして 私 恩 を 以て 

いくき 5 てうて ぃ< ^か せいはつ けいし ャ, _.- へいす ふ 

唤啉— 痛嘆 之 を爽咻 せし む。 刖 ち是れ 朝廷 自ら その 征伐 刑 賞の 柄を舍 てて、 之 を 源氏に 付し、 遂に 

が、.' けつ ひし そ ひ モひ なか Afc 

づる ひし; 束 北の 豪傑 をして 、「寧ろ 天子に 背く も、 源氏に 負く 勿れ」 と 曰 はしむ。 この 時に 當 りて、 

つ はき た くわん れい う て 5 てい -i ラ 

義家 をして 一 たび 手に 唾して 起た しめば、 刖ち 函嶺 以東、 朝廷の 有に 非ざる こと、 必すし 

あへ しんせつ 5 しな 4- けい 

臣節— 臣た も 賴朝を 待たざる なり。 而 して 敢て 臣節 を 失 はすして、 其 身 を 終へ たり。 乃ら 慶を 子孫に 

VQ49"-J? のこ ゆ ゑん き ラレ しょ ラ い €i のが こ t ろ ひモか しゅく * P 

貽す 所以な り。 舊 志に 稱す。 頼 朝の 伊東 を 逃る-や、 必 私に 祝して 曰く、 願 はく は 關東八 

國に 主たる を 得ん、 否ら すば 刖ち猶 伊豆 を領し 以て、 伊東 氏に 報 ゆる を 得ん と。 是に由 

み しょねん いちぐ, つ くわつ きょ す が、? けつ もミ あらそ 

りて 之 を 観れば、 其 初 念 は、 一隅に 割據 する に 過ぎす。 而 して 豪傑の 素より 附く者 は、 爭 

ひて 之が 用を爲 し、 兵鋒の 嚮ふ 所、 克捷 せざる は莫 し。 又 廷臣、 才を 鄉 きて 而も 逞し か 

ら ざる 者 を 得て、 其 及ばざる 所を輔 く。 而 して 國 家の 綱紀、 極めて 墮 つるの 時に 會 ひて、 

所謂 素附 せる 者 を 七道に 碁 布して、 坐ながら その 命 を 制す。 是れ その 智 術、. 以て 上下 を 

日本 外史 論文 • 七 二 七 



山 

m 

論 




る i 長大 封 
もく きな 汆 



の 國蛇 る 長 
^卽豕 蛇 
取ち、 I 



ミほ はちまんこう を はり の も のこ 

くして 且つ 遠き を 知れり。. 世に 傅 ふ、 「八幡 公 終に 臨みて、 赛を その 家に 遺して 曰く T 吾 

が 後世、 必す 天下の 權を 操る 者 有らん」 と。 信 否 未だ 知る 可から すと いへ ども, その 謂 

な けだ わう くわ ザん きゃラ かん ふく がた ぜん 

無き に 非ざる なり。 蓋し 我が 王化、 西より 東に 漸す。 東の 强悍 にして 服し 難き、 以て 全 

こく ちラこ じょ ぢ ゎづか で、 フ しょ ゥ はんぶ くつね つね こく 

福に 敵す るに 足る。 中古 鋤 治して、 纔に 條緖に 就ぐ といへ ども、 叛服 常なら す。 每に國 

患 を爲 す。 而 して 廟堂 は 以て 憂と 爲 さす。 蓋し 綱紀の 弛みた る は、 一日に 非ざる なり。 

じ や *f もんちよ, f こつにく あ ひ 3 し せい たラ* くこ、?^ ラ こうけい 

相 門寵. を爭 ひて、 骨肉 相 軋れ ども, 而も 制する 能 はざる なり。 盗賊 公行して、 公卿な 

おびやか き、 フ けつ .. や. + べんき や..' Jn. い St 

劫し、 宮闕を 焚け ども、 而も 禁 する 能 はざる なり。 則ち 何ぞ邊 疆を恤 ふるの 暇 あらん や。 

か さ だた ふ いへ ひら けっかつ じょ 3 . たく * た . . < なか 

而 して 夫の 貞 任.、 家衡 等、 皆 桀黠の 才、, 以て 乘 じて 逞しく する に 足る。 源氏. の 父子 微り 

ほ、 ブレ ちゃ、!' だ じ to- うこく そんしょく ふせ たいこ ラ W く 

せば、 ^豕 長蛇 上 國を荐 食す る も、 誰か 能べ 之 を 拒がん。 その 天下に 大功 德冇る こと、 

此の 如し。 而 して 朝廷の 功に 酬 うる は、 その 什が 一 を 塞がす。., 頼 義、. 仟に遷 されて、 適 

に 困敝を 致す。. 義家、 官、 四 位の 衞 尉に. 過ぎす, 子孫 或は 罪 を 以て 誅 せられ、 或は 謫を 

以て 逐 はる、 保 元の 亂、 又 そ ST 肉 を鬭 はしめ て, 殘亡盡 くるに 垂ん とす。 何ぞ報 施の 

さかし さい は ひ ふ そ ち み ♦* 6€ 

倒 な. る や。 天の 人に 福 する、 父祖に 縮れば、 則ち 子孫に 贏る は、 固より その. 所な り.. 

故に 源氏の 福 は、 大に頼 朝に 發 して、 遂に 天下の 權を 司る を 得たり。: 義家、 儻 くは預 



條緖— す K 

みち 



奔 銃從諛 I 

吾 後れ じと 

競 ひへ つら 

ひ 



格 例 —格式 

典 例 



榮铮— 名 春 

恥辱 



み、 國 家の 休戚 を 以て 心に 經 せす。 而 して その 權を爭 ふに 當 りて は, 父子 兄弟 すら、 且つ 相 

ほ ほんき や、 f し k-ぅ ゆ きょて ラ it こ. * も w!0 ? 4 

保せ す。 奔競 從諛、 擧 朝風 を 成す。 宜な るかな、 大亂 の是に 基して, その 終に 王室と 倶 

お w ろ くづ い たづら. * ん かな し b.l 

に衰 へ, 共に 頹れ、 徒に 空名 を 存す。 哀しまざる ベ けんや。 外史 氏 曰く、 吾れ 史を閲 し、 王 

覇の 以て 廢興 する 所 を 知る 有り。 源賴 朝、 嘗て 大江麼 元 を 奏し, 廳使衞 尉と 爲 さんと す。 

ぎ じゅか し 人 I れい * ( もん » つ けん 

攝政兼 實、 議 して 不可と 爲す。 曰く T 儒家 進 仕の 例に 非す」 と。 嗚呼 • 門閥 を 以て 贊と爲 

し、 格 例 を 以て 政を爲 す。 その 才俊 を驢 りて * 梟雄に 資して, 而 して 猶覺悟 せす。 此區 

區を爭 ふ。 兼 實且然 り。 その他 は 知るべし。 向に 相 家 をして 國を憂 ふる^ 心、 變に 通す 

りゃく なん ケゎ いい ラれ おも さき ふぢ はらた r ひら 

るの 略冇 らしめば、 何 ぞ王權 の 外 移 を 患 へん や。 顧 ふに 糠の 天 慶の亂 や、 亦 藤原忠 平が, 

ちゃ 3 レ た ひらの まさか さ S& X しゃ ラけ が、 > けつ ちんたい そ も C 

廳使を 平 將 門に 許さ ざり しに 由るな り。 久しい かな 相 家の 豪傑 を 沈滞せ しむる や。 抑 

4* さか 2 A づか A た ミ くしつ *< いじよ く tt n -I も あた 

將門は 自ら 與 へんと 欲するな り。 而 して 得失 を 以て 榮埒 と爲 す。 賴朝は 之 を その 下に 與 

、んと 欲するな り。 而 して 從遠を 以て 損益と 爲 さす。 . 又 以て 世 變を觀 る 可き かな。 



O 源 家 勃興 

の 因 



〇 源氏 正 記 源氏 



外史 氏 曰く、 汆 嘗て 函嶺 を踰 えて, 八州の 野、 北、 奧 羽を控 ふる を 望み、 源氏の 基 業 深 



日本 外史 論文 



七 二 五 



陽 史論 



七 二 四 



儲^ —あ- 

つ ざ 



奕 葉鈞^ 秉 

る, I 累世 政 

な 執る 



せっく わ 八 がう こ S はじ ** もミ つね ! きひら た r ひら た^ひら すじ やく てラ せつ に 

攝闢 の號、 此に始 る。 基經の 二子 は 時 平、 忠平 なり。 忠平、 政 を 朱 雀の 朝に 攝す。 その 二 

し さねより もろす け ならび さんこう れつ こ e お てんぎ や, 7 ら A あ れい ザい に てい ため ひら もり 

子 實賴、 師輔 と、 竝に三 公に 列す。 是に 於いて か、 K 慶の亂 有り。 冷泉の 二 弟は爲 平、 守 

平/^ り。 ; S 上、 爲平を 立てて、 冷泉の .儲 貳と爲 さんと 欲す。 而 して 實賴等 、 その 藤 原 氏 

は *t まん あん わ へん 

の 出に 非ざる を 以て 之を沮 み、 守 平 を 立つ。 是を圓 融と爲 す。 是に 於いて か、 安和の 變 

もろす け さん レ これた^ かねみ ち かねい へ みちた か &ち かね A ちな が 

有り, 師輔の 三 子 を.、 伊 尹、 荣通、 兼 家と 曰 ふ。 兼 家の 三 子 を 道隆、 道 兼、 道 長と 云 ふ。 皆 

あらそ これた r A ち *- ね 

兄弟 攻を爭 ふ。 伊 JK の 女、 花 山 を 生む。 兼 家の 女、 一 條を 生む。 故に 兼 家 は 道 兼 をして 花 



山 を賺 し、 位 を 遜らし む。 而 して 一 條を 以て 之に 代 ふ。 是れ その 最も 甚 しき 者な り。 後 



條 より 下 三 帝 は、 皆 道, 長の 女の 生む 听 なり。 是れ その 最も 寵榮を 極めた る 者な り。 ^ 



長の 二子、 頼 通、 敎通、 相繼 いで 政 を 執る。 而 して 頼 通、 師實を 生む。 師實、 忠實を 生む。 忠 

ざ ね たビ みち ラミ せう し よりな が あい は 5£> ん わ Vv は ひ あ 

實、 その子 忠通を 疎んじて、 少子 頼 長 を 愛す。 是に 於て か、 保 元の 禍 有り。 忠 通の 三 子 

もミ ざね もミ ふさ かね V.J ね もミ V.J ね も ち も W ふさ もろい へ よしつ ね か はる. t 

は、 基實、 基 房、 兼實 なり • 基 實、 基 通 を 生み、 基 房、 師家 を 生み、 兼實、 良經を 生む。 更朝 

さい ミ ろんぎ A ひ W り み 

政 を 源平の 際に 執る。 その 論議 觀る 可き 者 は、 獨兼實 有り。 他 は 位を充 たす のみ。 その 



後、 一 姓 分れて 五 派と 爲り、 更攝 闢と爲 る。 而れ ども 其 進退、 皆復 天下の 事に 閼ら す、 錄 

す. 0も えきん ふきん W たいていつ W し もん い S な 

する に 足らざる なり。 之を總 ぶる に、 良 房より 下、 奕 葉 鈞を秉 る, 大抵 務めて 私 門を營 



は す ミく ふ し あ-ひつ- す ミく しも ^ んぺぃ 一 ご ♦? フ つ びら か す ミく かみ もん まく いた 

羽、 崇德、 父子 相繼 ぐ。 崇德 より 下、 源平 語 中に 詳 なり。 崇德 より 上、 文德に 至る まで 廿. 

せい ふぢ はら ミぢ しゅつ あら .7 だ な さん? TS, その せん おさ はか 

一世、 その 藤原氏の出に 非ざる 者はノ 宇多、 後三條 のみ。 故に 皆 其 權を抑 へん こと を 計 

ざいる なが よ こ t ろざし ミ な しか ラ だい y 4* ん てう せっくわん お 

る。 而も 在位 長から す、 能く 志 を遂 ぐる 莫し。 然れ ども 宇多 以後 三 朝、.. 攝 關を^ か 

まつり さ W てん レ あ しら かはい な すで くら. じ まつ. SM*;!M じ や, ゎラ あ 

政、 天子に 在り。 白 河 以後 は、 已に 位を辭 してな ほ 政 を聽 く。 攻、 上皇に 在り。 其 餘. 

せい *6- ふ ほしい ま t もん S く ! き はじ い しか V* 

は 皆 藤, 原^の 成 を 仰ぐ。 而 して 其 政 を 擅 にす る は, 文德の 時に 始 ると 云 ふ。 然れ ども 余, 

おも , け, フ せん ひ W り もん ミく S き はじ る みら .a またり てんち 

厩專— おご 謂へ らく。 藤 原 氏の 驕專、 其 来る こと 久し、 獨文德 の 時に 始に. 非ざる なりと。 嫌 足、 天智. 

リり がま AA たす わ ラしっ いた C ふ び ミ し て、 フ ^ん らラ もん ひ しゃ ラひ ならび- ぢょ 

ふ 助け、 力 を 王室に 效す。 その子 不比等 は、 四 朝の 元老たり. 文武, 聖武、 竝に その 女 を: 

I: , • め ミ かう けん ケ わい そん &な いんしょ 5 ゑ み おしか っ* か 5 けん 、い ほミん 

淫縱 I みた 娶る。 而 して 孝 謙 は その外 孫 女な り。 而 して 皆 淫縱、 惠美押 勝、 孝 謙に 襞せられ, 殆ど 

國 家を危 ぐす。 實に不 比 等の 孫 なれば、 則ち その 家法 知る 可き なり。 その後 光仁、 桓 武、. 

にんみ や, フ ひミ. 9 い へいじ ャラ い か .0 ん? U く いた レ; &っ もん ミく 

仁 明,. 獨藤原 氏に 出です。 而 して 平 城より 以下 文德. に 至る まで、 又 皆 その 出な り。 文德, 

ケ ねいき 5 さだいじん ふゆつ ケ ふび ミレ *> い こ よし ふ S もん ミ,、 い せい わ 5 

の 外 舅 左大臣 冬嗣、 不比等 四 世の 孫たり。 冬 嗣 の 子 良 房、 又 女 を 文德に 納れ、 淸和を 生 

ちゃうし これたか た ^つ よし ふさ は r か せいね ゐ 

む。 文德、 長子 惟喬 を 立てん と 欲して、 良 房 を 憚り、 遂に 淸和を 立つ。 卽ち藤 原 氏の 威、: 

じ し d おそ じつ あら 

人 主 を懾れ しむる こと 一日に 非ざる は, 又 知る 可き なり。 淸和 生れて 九 歳に して 位に 卽- 

よし ふさ ぐね いそ ♦* つり さミ せ ゥ も w つね や 5 ぜぃ はい くわ,?^、 f ほんき くわん はく 

く。 良 房、 外祖を 以て 政^ 攝す。 その子 基經、 陽 成を廢 し、 光孝 を 立て、 萬 機を關 おす。 

日. 本 外史. 論文 七 二. 一 二 



山陽 史論: 七 ニニ 

一 れ 其れ 或は 然 らん。 

〇 源氏 前記 平氏 £ ーラ 

o 王 權の推 外史 氏 曰く、 王權の 武門に 移る は、 平氏に 始り、 源氏に 成れり。 而 して 之 を 基す る 者 は 藤 原 

多 わう しっし や、 ブけ げリー ー7 りゃく ぢょ さんく わん そな けだ しんそ 

移 氏な り。 故に 王室 相 家の 系統 を喺敍 して、 以て 參觀 に備 ふと 云 ふ。 蓋し 神祖 より 後 三十 九 

せい てんち い ちう そ、 rs な てんち ぉほミ らも つ てん ひ しゅくふ もつ さんり ふ 

基な I 位^ - 世 を 天 智と曰 ふ。 是を中 宗と爲 す。 天智の 子大友 位に 卽 きて、 天武、 叔父 を 以て 篡 立し、 之 

pr\ T i 3 ぢ €.7 もんむ f> ん A や ミ !6 ん しゃ、 フ しや、 r- む か 5 けん ていお ほひ つ 仁 すべ せい てん ひ し た くわ 5 

奪 D て 立つ を 持統、 文武、 元 明、 元 正、 聖武、 孝 謙、 帝大 炊に 傳ふ。 凡て 七 世に して 天武 の嗣絕 ゆ。 光 

11 ん てんち 3 たい ミラ つ つた くわ, c むてい くわん ひ 

. 仁、 天 智の孫 を 以て 人り て 大統を 繼ぎ、 之 を その子に 傳ふ。 是を 桓武 帝と 爲す。 桓武の 

さみし へいじ やう さ が じゅん わ けいていめ ひお よ に ん みや 5 さが つ もん ミく じん A ャ, つ 

三 子、 平 城、 嵯峨、 淳和、 兄弟 相 及ぶ。 ^明、 嵯峨の 子 を 以て 之 を 繼ぐ。 文德、 仁 明の 子 を 

つ もん ミく ん5 レ くら ゐ つ ぜ いわ てい 

以て 又 之を繼 ぐ。 文德の 幼子、 藤 原 氏の 故 を 以て、 立ちて 位に 卽く。 是を淸 和 帝と 爲す。 

淸 和の 子 陽 成、 藤 原 氏の 廢 する 所と なり、 光孝、 文 德の, 弟 を 以て 之に 代る。 光孝より 下、 

5 だ だい 2 すじ やく むら か& ふ L あ ひつ むら か& こ れい ぜぃ るん ゆ 5 けいてい およ くわさん れい V い 

宇多、 醍醐、 朱 雀、 村 上、 父子 相繼 ぐ。 村 上の子、 冷泉、 圓融、 兄弟 相 及ぶ。 花 山、 冷泉の 子 を 

るん つ いちで •<.- Is ん: 9ラ れい *- い つ 

以て 圓融 を繼 ぎ、 一 條、 圓融の 子 を 以て 花 山に 代る。 三條、 又 冷泉の 子 を 以て 一 條を繼 

で 5 一 いちで 5 h すじ やく けいてい あ ひお よ ユ すじ やく しも h れい ザい な 3 んで, f しら か は ほり か は ま 

ぐ、 一 條の 子、 後 一 條、 後朱雀、 兄弟 相 及ぶ。 後朱雀より 下, 後冷泉、 後 三條、 白 河、 堀 河、 烏 



悍衞— 守護 

平宗 —平家 



戒飾 I 戒め 

れ^す 



閬門 11 族 

全體 



牙と なり、 攝政兼 家の 花 山 を 騙す る や、 源賴 信、 實に 道途 を悍衞 せり。 降りて 文治の 際 

くわん はく かね. -. ひ 5 たが よ t あ ひた ,つ ゑん • あら 

に 至りて、 朝廷、 關白兼 赏の源 頼 朝 を 助く る を 疑 ふ も、 亦 その 世相 黨援 する を 以てに 非 

み へいそ ラ ひ しゃ 、つもん かラ .0 ん せい ベラ ろん あ ひでんし ょラ 

す や。 是に m りて 之 を觀れ ば、 平 宗を延 いて 相 門に 杭す る は、 院政、 廟論、 相傳. 承す る 

な くわん ぴゃ、 フ くわ A し てきにん ぶんぶ こミ 

所、 ^れ猶 ほ 寛 平の 菅氏 を擢 任す るが 如き か。 文武 異なりと レ へ ども、 その 意 は 一 なり。 

くわん こ、 7 けん な けん こふ い な みな ふ がく 

^公の 賢 を 以てして すら、 猶ほ 權を戀 るの 意 無き 能 はす。 平氏 は 重 盛 を 除く の 外、 皆 不擧 



無 術、 その 功に 矜り、 寵を 擅 にし, 進みて 止る を 知らざる、 曷ぞ尤 むる に 足らん。 個 

し こミ はん かいちょく わ 5 しつ ほ よく な は 

設重盛 父に 後れて 死し、 盡 くその 爲す. 所に 反し、 子^ を戒飭 し、 王室 を輔鹩 せば、 刖ち 

藤 原 氏に 接 踵比隆 すと い へ ども 可な り • 而れば 源氏 何に 資 りて 以て 起る や。 源氏、 名 は 暴 

亂を 治む と爲 して、 而も その 實は 王權 を攘竊 す。 源平の 罪、 未だ 輕重し 易から ざるな り。 且 

つ 夫れ 源氏 猜忍、 骨肉 相 食む。 平氏 闔門 死に 至る まで 懿親を 失 はざる と^ 與ぞ や。 世に 平 



語 を 傅へ、 琵琶に 倚りて 之を演 す。 その 音 悲壯感 憤, 聽く 者悽愴 せざる 莫し。 余 嘗て 西, 

だんの うら す ふ くめつ み ひごいに しラ ご r 

長 門に 遊び、 壇 浦 を 過ぎ、 平氏 覆 減の 處を觀 たり。 又 肥 後に 抵る。 間く、 その 州に^ 家 

さん さん こくしん そ ざん ミく わいじん カラつ, 3 

山 あり。 山 谷 深 阻、 平氏 或は 竄 匿し、 子孫 今に 至る もな ほ存 する 者 有り、 外人と 交通せ す 

と 云 ふ。 夫れ 平氏、 王家に 於いて、 功罪 相 償 ふ。 天必 すし も その後 を 勦絕せ ざれば、 則ち" 疋 



n 木 外史 論文 



七 二 1 



山 陽史 論 七 二 〇 

なん に はか こ * し いは た r に しゃ 3 もん けんもつから 

ち 何ぞ遽 に此に 至らん。 詩に 云く、 唯 其れ 之 有り、 是を 以て 之に 似る と。 相 門の 權を專 

きさき 、ひ けいしゃ ラ t ていしん みく 

にせし より、 后 は 皆 その 女、 天下 は 皆 その 女の 生める 所、 而 して 卿相 は 皆 その子 弟 親屬、 

いやしく * くるる す くわう も N/ まねか はなはだ 

苟も その 族 類に 非 ざれば、 鋤き て 之 を 去る。 皇族と いへ ども 究 る-能 はす パ, 甚 しき は 則 

しゅ えきち み 九き き ひきし 

彼已氏 I あ ちその 主 を 易 置し、 視る ことな ほ 奕棋の ごとし。 淸 盛の 爲す 所、 一 も 彼 己 氏に 似ざる 者 無 

J Lv> S^CR く は しかん ひ こラ けんちょ ラ ほしい ま.' 

I ス 薛掠 し。 而 して 加 ふるに 鷲悍を 以てす。 その 意に 曰く、 無 功の 人 を 以て, なほ 權寵を 擅 に 

大造 —大切 する こと 此の 如し、 吾の 王室に. K 造 有る、 何を爲 して か 不可な らんと。 世 その 拔 興の 漸 

無き を 以て、 群 起して 之を咎 む。 而 して 之が 師 たる 者 有る を 言 はす。 且つ 淸 盛の 此に至 

る 所以 は, 後白河 帝の その 勢 を 養成す るに 由る のみ。 夫れ 名爵は 公器な り。 私用す 可 か 

めい L やく わたくし そ ひ 力い しゃく わたくし 

らす。 人臣に して 名爵を 私する は、 是れ その 君に 負くな り。 人君に して 名爵を 私する は、 

こ せんね ラ モむ せん わ!' らん じ S か わたくし な 

是れ その 先王に 負くな り。 帝、 先王の 名 爵を淸 盛に 濫授 し、 藉 りて 以て その 私を濟 せり。 

而 して その 力 を 負 ひ 上に 邀む るの 心 を 長 じ、 制す 可から ざるに 至る。 將 誰の 咎ぞ や。 然 

ひミり はじま た 1* も. C- ちょ 5 しら か は S は 

りと いへ ども、 平氏の 勢 を 成す は、 獨 帝より 始ら ざるな り。 初め 忠盛、 寵を白 河、^ 羽に 

しきり くわん しゃく ふ じ て, つてい よ おさ 

受け、 連に 官 爵 を 進めら る。 人 以て 不次と 爲す • 蓋し 朝廷 その 力に 倚りて、 源氏 を 抑 

: — ^ しゃ, r- け モ 6 んじ ,c つな か より. CO つね レ や-' もん S.-.V 

ふ。 源氏 を W ふる は、 相 冢の權 を 殺ぐ 所以な り。 源氏 は滿 仲、 賴 光より、 おに 相 門の 爪 



接 L ズぉ 僭の 〇 
る 越 亂因平 
え I 氏 
世 分 専 
^限 權 



見る。 後の世 を薆 ふる 者、 將に 以て 心を留 むる 有らん とす。 

. - . 〇 源氏 前記 平氏 (其 5 

外史 氏 曰く、 我が 先王の 國を 開きし より、 僭亂 の臣. 無き に 非ざる なり。 而れ ども 未だ 社稷 

あや ふ はか ひミり 4*3 かさ そ. ク たいち 

を危 くせんと 謀れる 者 は 有らす。 獨ー 將門 有り。 而 して 平氏に 出づ。 豈に その 宗の. K 恥に 

非す や。 然れ ども 能く 之 を 討 威せ る 者 も、 亦 平氏に 出づ。 刖ち相 償^に 足る。 且つ 將門 一 

たび 誅に 伏せし よりして、 後世 復 神器 を覬齦 する 者^ し。 彼 その 身 を 以て 天下の 大钺を 

7 い , そ. ? (- まさか 5j けび a し 九 すな は あ ♦* 

摞 すと 謂 ふ 可き なり。 抑將門 をして ー檢 非違 侬を 得しめば、 則ち 未だ 必す しも 4= ん じて 

はん 唇く てんぎ ャ、 フ らん しゃう らんけ、 r がラ ようそく 

反賊と 爲ら す。 故に 天 慶の亂 は、 皆 相 門 驕傲, 上下 を 壅 塞す るの 致す 所な り。 その 無事なる 

に 《おりて や、 朝廷の 名 爵を私 門に 籠め て、 而 して 人の 職 を 失 ふを恤 へ す。 その 急なる に 及 

じ はか しゅし か t こ が, r' 九い ゅラ てうて い 

ん では、 乃ち 遽に朱 紫を揭 けて、 天下に 呼號 し、 天下の 英雄 をして、 以て 朝廷 を 窺 ふ 有らし 

こうせい あらそ ひお こ もミ いづ くん こ t もミづ 

む。 後世、 源平 爭 起り、 功 を 以て その上に 邀 むる 者、 焉ぞ その 此に 基かざる を 知らん 

や。 世に 稱す、 淸 盛の 功 その 罪 を 償 はすと。 不 の 者を舉 ぐれば、 輒ち稱 首と 爲す。 而 

しゃ うけ ふ しん すで じふ ほい けに しか 

して 相 家の 不 、已 に溃 盛に 什 佶す る を 知らす。 淸盛 蓋し 視て 之を舉 ぶ。 否ら すん ば、 則 

日本 外史 論文 七 一^ 



朱 紫. ー 官爵 

不臣 I 不忠 



陽. 史 論 



七 1 八 



困蹶— 失敗 



積 威— 積み 

來リ たる 威 

力 

潰裟四 出し 

て— 法度が 

めち 0«/\ 

に 破壞 して 



弊 を 察する 者の. 如し。 而 して 弊の! H る. 所 を 窮めす。 之 を 救 ふの 術に 於いて、 蓋し 已, に 疎^ 

も ,是 の 時に^り て、 源氏 命^ 梗ぐ者 有れば: , 平氏に 敕しヶ 之も& u しめ、 平氏 制ん 難 や 

者 あれば、 源氏 をし. て 之を誅 せしめ、 更 相 箝 制して: 以て 控馭の 術 を 得お りと 爲す。 而し 

い じつはく ぜぃ P や、,' だつ わざ はび: * こ.' もミづ はいく わ. い f» み づか; 

て異日 榑噬攘 奪の 禍, 又此に 基く を 知ら や。 古制 を 敗 壊し、 一 時^ 苟蝓 す。 皆 以て 自ら 



困蹶を 取る に 足るな 力 • 抑 戎事は 民 命 ^繫る 所に して、 兵食の 權は、 一 口 も蠲を 去る 可 

A づか A づ から . • - * S だ. 

からす。 先王の 必 す躬ら 之 を 親す. る、.: その $1 曰 深し。 今 之 を. 一, 二の 宗族に 委ね、 又 その 

事 を賤 みて^み す。 その 品 類^. 別ち、 之 を 朝廷の 上に 齒 せざる に 至る。 ,甚 しき は 則ち 之 

を 奴僕視 して 曰く、 「是れ 武門^ み、. 是れ 武士の み」 と。 その 功 を 論じ、 賞 を 行 ふに 及ん 

4* し いくほく モ はふ さ fcr 

では、、 或は 恪 みて 奥へ す n 嗚呼.、 幾何 ぞ 其れ 相 率ゐて 自ら 法度^ 外に 棄て ざらん や。 特 

に 積 威の 約す る 所 を 以て、 抑へ て 敢て發 せざる のみ。 保 元 平 治の 際に? 9 て、 乃ち 釁に 

乘 じて 起り、 潰 裂 四 出して、 復收む 可から す、 橫 流の 極、 終に その 千歳 不 ^ の 權を失 ひ 

て、 之 を 嚮に奴 僕 親せ る 所の 者に 授 くる を 致す • 慨す るに 勝 ふ 可 けんや。 吾 外史 を 作り、 

はじめ ぢょ み. づか - 

首に 源平 1 一氏 を敍 する や、 未だ 嘗て 王家の 自ら その 權を失 ひたる を 歎ぜ すん ばあ^す • 

而も 國 勢の 推移 は、 人力の 能く 維持す る 所に 非ざる もの^り。 世變に 因りて 以て 得失 を 



i— 家柄 一 

の 別ち 

庶僚百 揆一 

もろ の 

役人 



弛廢 I 衰微 



默致— 漸次 

に 其 風^ 作 



恬熙 —安逸 



で、 卿相の 位, その 族 人に 非 ざれば 擬せす • 官品流 を 論じ, 因習 俗 を 成す。 鹿 僚 百 校、 

槪ね その 職 を 世に して、 將 帥の 任 は 、毎に 源平 二 家に 委ぬ。 是に 於て か、 始めて 武門の 稱 

有り" 光仁 桓武の 朝、 疆場事 多く、 寶龜 中、 廷議、 冗 兵を汰 し、 殷富の 百姓、 才弓 馬に 堪ふ 

る 者 は、 專ら武 藝を習 ひて、 以て 徵發 に應 す。 その 羸弱な ろ 者 は、 皆饞 業に 就きて、 而 して 



兵 農 全く 分る。 貞 觀 延 喜の 後に 至りて は, 百度 弛廢 し、 上下 隔絕 す。 奧羽關 東の 豪 民、 軍 

ゑ ミ ねり & きゃラ きよく っミ 

功 を 以て 六 衞の舍 人に 至る 者 は, 或は 坐ながら にして 鄉 曲 を 制し、 宿衞を 勤めす。 而 



も 守 令 之 を 能く 制する 莫し。 淸 行の 所謂 六 軍の I! 虎に 非す して、 而も 諸 國の豺 狼た る教, 

へ. いきょ かふ たく は 沴んぜ か • お 

所在 皆是れ なり。 平 居 甲を藏 し、 馬を蓄 へ、 儼然 自ら 武士と 稱す。 是に 於いて か、 始めて 武 



士の稱 有り" 天慶 より 寬 治に 馴致し、 源平の 二 氏、 數朿 邊を鎭 する に、 每 にこの 輩 を 用 ひ 

て、 以て 功 効 を 奏す。 而 して 各 習 用す る所冇 りて, 以て 相隸屬 す。 ^襲の 久しき、 君臣の 如 

く然 り。 是れ よりその 後、 苟も 事冇 ると き は, 輒ち この 二 氏に 命す。 二 氏 各 その 隸屬 を發 



ゎづ, 



して 之に 赴く。 物 を 囊に棵 るが 如し. 復將を 選び, 兵 を 徵すを 煩 はさす。 而 して 討伐 勦 

誅、 立 どころ に辨ぜ ざる 莫し。 廟堂の 上、 務めて 恬熙を 取り、 その 勢の 積 重 回らざる を 憂 

*4 さ しほら ひ さう が けいはい 

へす。 方に 且く延 きて 爪牙と 爲し、 以て 相傾排 する のみ。 鳥 羽の このへ P. を 下す や、 その 



日本 外史 論文 



七 1 七 



山 

陽 
史 



七 



出^ての 制 詔 尺 
づ寫 天簡一 勅 一 
し 子 牌 尺 、の 
しの^ ー漢符 
に 詔 以寸の I 



八 省の 一 に 居り、 左右の 馬 寮 を 建てて、 以て 貢 馬を蓄 ふ。 而 して邊 要の 國に は、 諸 郡 皆 

軍 園^り、 一 國の丁 を 三分して、 その 一 を 取り、 五 人 を 伍と 爲し、 伍 二 を M と爲 し、 M 

たい り よ .9 よ ビん しゅ .9&«>プ 

五 を 隊と爲 し、 隊ニを 旅と 爲し、 旅 十 を 圑と爲 す。 各 首領 有り。 一 火 六 馬, 騎射に 便す 

き tu レ 3- れい かんてん まも fc-- -0 y あ、 

る考は 特に 騎隊 と爲 す。 皆 守 令に 任じて 簡點 し、 京 を衞 り、 邊を 戌る は、 簿を^ じ 

さ, けん あ えん Ji ラ けいち よく 隹 いん い ふ 

て 差遣す 征伐 を舉 ぐる 毎に、 沿道 諸國 をして 契 勑を須 つて 勘合せ しむ。 凡そ 征行萬 人、 

乃ち 將軍 有り、 副 $ 有り、 軍監冇 り、 軍曹 有り, 錄事 有り。 三軍 を總 ぶる 毎に, 大將 

軍 一 人。 大將の 出征に は、 必す潇 刀 を 授け、 軍に 臨み、 敏に對 して、 曾 領の縱 おに 從は 

せんけつ ゆる ケ. い ぶん 

ざる 者 は、 皆專 诀を聽 し、 還る の 日、 狀を 具して 以閒 せんむ。 勳位 十二 等 を 建て、 功 を 

L く や き ぢ や ラ へ、 こ す た ふ 

論じ、 賞 を 酬い、 而 して その 兵 を罷 む。 凡そ その 器: K は、 兵 窜に藏 し、 出納 申 を 以てし、 皆 

ひやう ぶ :» 

之 を 兵 部に 管せ しむ。 中 朝 兵 を 制する こと、 大略 此の 如し。 上世の 旨に 及ばす と雖 も、 そ 

U • 、 H おもん はか しゃく、, つ ふ 

の i を 防き 禍を 慮 る こと、 密 なりと 謂 ふ 可し。 是の 故に、 事 有れば 則ち K 一 の 符を下 

して、 數十 萬の 兵馬 たちどころに 具る。 而 して 平時 は 散 じて 卒伍に 歸す。 之が 將 帥と 爲る 

者 は、 或は 文 吏より 出で て 兵陣に 臨み、 事畢 りて 歸る や、 介 胄を脫 して 衣冠 を 襲 ふ。 未 

だ^て 所謂 武門 武士と いふ もの 有らざる なり。 藤 原 氏 外戚 を 以て 世 政權を 執る に 及ん 



邊耍— 地境 

の 要害 



簡點— 簡閱 

點呼 



器 仗— 武器 



m 制 の 〇 
^符 起武 
I 源 門 
命 武 
令 士 



山陽 史論 日本 外史 論文. 

〇 源氏 前記 平氏 (其 G 

外史 氏 曰く、 吾舊 志を讀 み、 鳥 羽 帝の 時、 數制符 を 下し、 諸 州の 武士の、 源平 二 氏に 屬す 

きん たいけん しゃ ラ もん み よしきよ やす 

るを禁 する を 見て、 曰く、 大 權の將 門に 歸 する や、 それ この 時に あるかと。 三善淸 行の 

封 事に、 宿 衞豪橫 の 患を陴 ベた るを讀 むに 及び、 乃ち 知る、 制度の 弊, その 來る こと 

久しく,. M に 此に始 るに 非ざる なり。 蓋し 我が 朝の 初めて 國を 建つ る や、 玫體 簡易 * 文武 

. , ; か,、 たい *; これ iJA す ゐ お ほおみ お ほひら じ へんぴ 

1 途 海. s: を舉 けて 皆兵と し、 而 して 天子 之が 元帥と 爲り、 大臣、 大連、 之が 褊 稗 と爲 

かつ しゃう す ゐ あ ま たいは ゆるぶ もんぶ し 

る。 未だ 售て 別に 將帥を 置かざる なり。 豈に復 所謂 武門 武士と いふ もの 冇 らん や。 故に 

' : r ^ メ,、 . や , せいほつ ら、 フ みづ から しか 

天下^ 無 けれ は 則ち 巳む" 亊有れ ば 則ち 天子 必す 征伐の 努を 親す。 否ら ざれば 刖ち皇 

でな 后 之に 代り、 敢て 之な 臣下に 委ねざる なり。 是を 以て 大權 上に 在り、 能く 海内 を M 

服し、 施き て 三. 韓肅愼 に 及ぶ まで、 來王 せざる 無き なり 。中世に 至る に 及んで は、 唐 制 を 

幕 倣し、 官、 文武 を 分ち、 乃ち 特に 將帥を 置く。 六 衞の將 、天子の 親 兵 を 將ゐ、 而 して 兵 部 

= 本 外史 論文 七 一 五 



镉裨— 副將 



來王— 朝 貫 

する、、 と 



已に 逝け り。 而 して その 法 遂に 一た び 成りて 破る ベから す。 今に 至りて 梗を i す。 上ト 

てん あやし も, Q 

相 習 ひ、 恬 として 桩と爲 さす。 織 田 氏の 法、 累 といへ ども、 一時に 行 はる i のみ。 豐臣氏 

商 君 I 商鞅ー の 流 毒 は、 未だ その 底 まる 所 を 知らざる なり。 之 を 憂 ふるは^ち 如: I: ん。 曰く 比. 去 0.、 

せいでん せん はく 二 よい あらた II. 

商 君の 井田 を 破り、 阡陌を 開く が 如く、 邋に苹 むべ からす、 而 して 税の 重き、 又! i!i 減 

すべから ざれば なり。 三百 畝に して、 三百 六十 畝の 税を 取る は、 六十 畝の 税を 減じて 可 

なり。 六尺に して 八 尺の 税を 出す は、 二 尺の 税を 減じて 可な り。 減す る所少 くして、 默 

する 所 多し。 民に 於いて は、 新に 賜を受 くるが 如し。 而 して 我に 於いて は、 則ち 上 は 天 

ち- i, ヤノ, せん わう レげ し *i<. ちゃ 5 き 5 ふく iri. 

地に 謝し 中 は 先王に 謝し、 而 して 下 は 子孫の 爲 にし、 長久の 福 を 祈ろ なり。 誰に^ り 

て か爲さ *i らん や。 



日本 政 記 論文 



七 一 三 



山陽 史論 七 二 一 

たく 5 しな でん せい 

澤を喪 ひ、 天地の 性を絕 ちて、 生 民の 命 を 奪 ふ もの あり。 天 智の田 を 制して 民に 授 くる 

く ぶ A でん 

や、 三百 六十 歩 を 以て 一 段と 爲し、 二 段 を 以て 口 分の 田と 爲し、 女 は 三分の 二 を 減す。 

でん たん くわ そく f は * いたん 

田 一段、 禾 五十 朿を 得れば、 租ニ束 二 把、 一束に 米 五 升 を 得れば、 每段米 二 石 五斗、 而し 

て 二 束 二 把 を 輪 すれば、 則ち 米 一斗 一升 を 取る。 蓋し 二十に して 一 を 取る よりも 輕き 

なり。 是を正 税と謂 ふ。 千載に して 大差 無き もの、 流 澤の窮 り 無き 所以な り。 天下 武を 

りょくか、 r- しゃう 

用 ふるに 至り、 力 耕して 餉に 給せ す。 蓋し 租、 歳に 重く、 月に 加 はれば なり。 然れ ども、 源 

氏、 北條 氏の 間、 未だ 大に加 ふる 所 あらす。 大に加 ふる 者 は、 蓋し 足 利 氏に 始まり, 而し 

き は しゃし すで だい へい 9.7 

て豐臣 氏に 極まる。 豐臣 氏の 奢侈々 極む る や、 已に 前代に 比 無し。 末年に 及び、 兵を窮 し、 

ぶ けが ♦* す {> か ちょう 

武を黷 し、 用度 益 給せ す。 租税 を加徵 せんと 欲する も、 而も 復加 ふべ からざる なり。 是に於 

ぢゃ 3 でん はふ 

て か、 丈 田の 法 を 一 變し、 三百 步を 以て 一 段と 爲す。 一 段 六十 歩 を 加へ、 一 町 六 百 歩 を 

加 ふ。 積みて 之 を 上 すれば、 千 町に 六十 萬 歩 を 加へ、 萬 町に 六 kn 萬 歩 を 加 ふ。 又 一歩に 就 

ち^- べんたつ to さ ずい り そうさく A んすタ 

II D き 各 一 一尺 を 縮む。 限り あるの 土地 を 鞭撻して、 以て 故 無き の 財 利 を 捜索す。 民數 舊に侬 り, 

^ ぜ いかく さ じ く さ さら か、 フ けつ さら 

繭— 一 族悉 税額 百倍す。 開闢 以来の 遺 民、 未だ^かざる の 肉 を^き、 未だ 浚 はざる の 膏血 を 浚 ひ、 以て 

く ほ や こ- *- つし せき もく わ! 3 は ひ 

嗣 W きの 禍 豐臣 氏の 已 むに 得て 巳まざる の 欲に 供す。 豐臣 氏此を 以て 絕嗣赤 族の 禍を 取る。 その^ 



きのみなら す、 又 我が 旣定の 天下 を 失 ふ。 兵の 勝员 その 機此に 在り。 天下 を 得ろ と 天下 

を 失 ふと、 その 璣も 亦此に 在り。 



明 法の 士— 

律令格式^ 

掌る 士 

錙銖 —些少 



〇 一 擧 にし 

て 生 民の 命 

^奪ス 



〇 後陽成 天皇 (其 一 5 

ねす 

織 田 氏の 政 を爲す や、 ニ錢を 偸む^ といへ ども 亦 斬る。 路に遣 を 拾 は ざ.. るの 盛 を 致す 所 

むろ t ちち はい すく 

以 なり。 時に 室町 弛廢の 餘を受 く。 此 にあら ざれば. 以て 之 を 濟ふ英 きのみ。 然り といへ 

けいりつ せい ゐ めい はふ し ししゅ あやま 

ども、 我 先王 刑律 を制爲 し、 又 明 法め 士を 設け、 罪の 輕重を 論じ、 錙銖 を愆ら ざる を 期 

こ W じんめい しちよ ラ じんしゅ せいさつ . € A だり 

す。 誠に 人命 至 重なる を 以て、 人 主 生 殺の 權を 操る といへ ども、 妄に之 を 用 ひざるな り。 

ねす こミ さら じんざい 

今 罪の 輕重を 問 はす、 一 錢を 偸む 者と、 故に 人命 を 殺し、 人 則を棼 ふ 者と, 科 を 同 じ くす。 

是 何の 法 ぞゃ。 夫れ 人芏は 以て. 天下の 人 を 殺すべく、 而 して 之を禁 する 英き 者な り。 人 そ 

の 下 を 庇す る 者、 豈に 危懼す ベから ざらん や • 唯 その 殺す や、 必す罪 ある 者に 於いてし, 

これ しん A ん よ 

罪の 輕き 者、 . 又 死に 至ら ざ. る を 得る を 知る。 是 臣民の 賴 りて 以て 安ん する 所な り。 今 そ 

の 頼る 所絕 えたり。 是れ 一日 も 相 安き 能 はざる なり。 宜な るかな、 その 弑 逆の 禍に遭 ふ 

せん わ 5 

や。 然れ ども 未だ 言 ふに 足らざる なり。 豐臣 氏に いたりて や、 ^ち 一 舉 にして 先王の 



本 政 記 論 文 



七 



^3: 陽, M 論 • 



せ 1 ひ 



〇 勝負の 大 

機 



ベ T 彼 誠に 罪 あり、 之 を 伐つ は 伐たざる を 得ざる なめ」 と。 我が 將士皆 彼 を 怒る の 心 あり * 

而 して 彼の 國人皆 我 を 拒ぐ の 意 無む。 我 を 拒ぐ の 意 莫き者 は、 その 主の 爲す所 を 直とせ ざ 

これ たいき こ t き k まん り 

れば なり。 嗚呼、 是 勝負の 大機 なり。 今 兩人此 に鬬ふ あり。 そ. の 一 は、 倨慢禮 無く、. 篤詈雜 へ 

加 ふ。 其 一は、 辭を卑 くし、 躬を 屈し、 謝して 之 を 止めん と 欲す • 乃ち 益 咆 怒し、 肯て聽 か 

t 劍を撫 して 疾視す るに 至る。 然る 後 已むを 得すして 鬭ふ。 已むを 得すして 鬬ふ^ 必 

す 勝つ。 數十萬 人の 鬭も祸 人の 鬬と、 その 勝 員の 機た る、 異ならん や。 諸將 知らす して 太 

むべ * ひ! 0.O 

閤之を 知る。 宜な るかな、 その 全勝す る や。 而 し-て 何ぞ獨 朝鮮 を擊 つに 於いてして 此に 

さつ た:, かい かくぜつ も! i かれ あ ひかんせ ふ きん . ., ^.b » ' , 

察せ ざり しか。 朝鮮 は 我と 大海 を 隔絶す。 本 彼と 相 干渉せ す。 未だ 嘗て 鴛を 我に 啓かす 

而 して 我 故 無くして 之, を擊 つ。 是を 以て 我 將士彼 を 怒る の 心無く して、 太 闇の 爲す所 を 直 

さ 5 い つ 》* さいさ たい^い わ. W 

とせす。 曰く 、「何故に 之を擊 つ。 何故に 我 をして 瘡 痰を裹 み、 妻孥に 離れ、 遠く 大海 を涉 

りて、 骨 を 未だ 嘗て 識ら ざるの 地に 暴 さ I むる か」 と。 是 その 一た び 勝ちて、 而 して その 

さんたい たいだい び せいへい 

鋒 遂に 鈍 返し、 振 は ざり し 所以な り, 彼 怠惰 委 靡の 餘を 以て、: 我が 百 戰の 精兵 を 被む る 

こと、 北條、 島津の 勅の 如きに あらざる なり。 而 して 能く 北條, 島津の 如かざる 所以の 

者 は、 その 國人皆 我に 怒りて 我 を 招ぐ。 我 何 を 以て 之に 勝, にん や。 特に 以て 之に 勝つ 無 



彼 怠惰 委靡 

—國 王李昭 

酒に 溺れ 國 

政 振 はす 



〇 後陽成 天皇 (其 5 



文吿— 諭告 一 

書 



慢辭— 無禮 

の 言葉 



賴襄 曰く、 兵の 勝負す る 所以の もの は 機な り。 機に 大 なる もの あり、 小なる もの あり。 小 

ttA: べん ぢん の も A 

なる もの は、 一 日に して 萬變 す。 陴に 臨み、 敏を 相る にあら ざれば、 決すべからざる なり。 

tt んし、 7 

大 なる ものに 至りて は、 之 を 事 を舉 ぐるの 前に 決し、 而 して 萬 衆の 心 之に 乘 じて 奮 ひ、 以 

て 事 平ぐ 後に 至ろ まで、 其 鋒 未だ 嘗て 鈍 返せざる もの は此 機な り。 ^を 得れば 則ち 勝 

ち、 此機を 失すれば 刖ち負 く。 是 英雄の 獨り 見る 處 にして、 衆人 或は 之 を 能く 知る 者莫 し。 

じし し づ 

豐臣 太閤、 西、 島津を 伐ち、 束、 北 條氏を 伐ち、 兩 大役 を 舉:: b て 天下 定まる。 强を 以て 弱に 

ち 1 くわ ラ >ごミ ぶんこく 

加へ、 大を 以て 小に 臨む。 宜しく 直往して 不可 無き が 若くなる べきな り。 而も 必す 文告 

じゅんぎゃく あへ き 

を 以て 之 を 先にし、 論す に 駄 逆 を 以てす。 彼 肯て聽 かざる や、 又 之 を 諭す。 又 肯て聽 か 

すして、 而も 機-ぐに 慢辭を 以てす。 然る 後 乃ち 令 を 下して 之 を 伐つ。 その 北條氏 を譫す 

f?7 に ふきん 

や、 彼 要求す る 所 あり。 曰く T 之 を 得ば 則ち 入觐 せん」 と。 諸將皆 怒る。 曰く T 彼 亡狀, 

盍ぞ 速に 之を擊 ざる」 と。 太閣 曰く 、「未し きなり」 と。 その 求む る 所の 如く 之 を與 ふ。 之 

を與 へて 彼な ほ來ら ざるな り。 是に 於て か 之 を 絶ち、 その 罪 を 天下に 暴裼 す。 天 下 皆 曰 



本 政 記 論文 



七 〇 九 



る る 術 巧 
詐べ I 譎 
術 か 計 難 
らリ知 
ざ 知の 



山陽 史論 I 七 〇 八 

じつ レ こ 5 すで 

くにして、 而も その 實 天下の 至 巧な り。 夫れ 兵 を 用 ふる は、 その 勝 を 旣に用 ふるに 诀 する 

よりも、 之 を 未だ 用 ひざる に 決する に 如かざる なり。 旣に用 ふるに 決する 者 は、 亟用 ひ、 亟 

輟ま ざる 能 はす。 未だ 用 ひざる に 決する 者 は、 用 ひざれば 刖ち已 む、 用 ふれば 刖ち必 す 

t あへ や 5 じゃく せい ほい 

利を收 む。 その 利を收 めざれば、 肯て用 ひざるな り。 强 弱 の 度を稱 し、 成敗の 數を算 

し, その 可 を 相て 、而 して 後 動く。 焉ぞ之 を 僥 悻と謂 ふ を 得ん や。 その 關右 を經赂 する を 

觀 るに、 先 づ播磨 を 治し、 形勝の 地に 據り、 糧を蓄 へ、 兵 を 養 ひ、 我先づ その 强を 有し、 然 

る 後 彼の 弱に 加 ふ。 我 先づ. その 成 あり、 然る 後 彼の 敗に 乘す。 その 因幡 を 取る は、 その 

糧を奪 ふなり。 その 備中を 略す る は、 その 水を堰 き、 之に 灌ぐ なり。 夫れ その 糧を棼 へば、 

5 せ そ S お: i めいち こラ きつなん も 

則ち 饑ゑ、 その 水を堰 きて 之に 灌 けば、 則ち 墊 る、 人々 の 明 知す る 所, 巧譎難 知の 術 あ 

かふ か ちん ザい . 

るに あらざる なり。 可 不可の 如何 を 顧みる のみ。 十五 萬 人 を 用 ひて 以て 鎭西を 平く。 十 

五 萬 人 を 用 ふるに あら ざれば、 則ち 以て 之 を 平ぐべからざる を 知るな り。 二十 五 萬 人 を 

用 ひて 以て 闢柬 を定 む。 二十 五 萬 人 を 用 ふるに あら ざれば、 則ち 以て 定 むべ からざる を 

知るな り。 皆 之 を 未だ 用 ひざる に 決する ものな り。 以て 平ぐべく、 以て 定む べし。 然る 

後、 以て 天下 を 取るべし。 



〇 天下の 至 

巧 



行師の 術, I 

軍隊^ 用 ふ 

る 術- > 



鏺巧 —様- 

の 手 だて 



人民 を 服 せんと 欲する にあらざる か。 此に人 あり、 結 陴の法 を 諳んじ、 行 師の術 を 練り、 奇 

正の 變、 譎詐の 計に 巧みなる も、 而も 地を拓 くに 盆す る 無く、 斬首 幾千、 流血 幾 里、 曰 く 吾れ 

勝てり と。 之 を 善べ 兵 を 用 ふると 謂 ふべ けんや。 善く 兵 を 用 ふと は、 善く 兵 を 用 ふるの 利 

を收 むる の 謂な り- 故に 善く 兵 を 用 ふるの 利を收 むれば、 則ち 術 も亦大 なり, 故に その 兵 

を 用 ふるや、 擊 つべき は 則ち 擊ち、 擊 つべ からざる は 則ち 擊 たす。 進むべく ば 進む も 可な 

rj.h .7 むな かへ ん5 

り。 走る ベ くば 走る も 可な り。. 級 を 獲る も 可な り、 手 を 空しく して 還る も 可な り。 要は その 

利を收 むる に歸 す。 而 して 其 利を收 むる の 極 は、 天下 を 取る に 極まる。 _是 織 田、 豐臣の 術, 

武田、 上 杉に 過ぐ る 所以な り。 武田、 上 杉 は 兵 を 用 ふるに 巧に して、 利 を收 むる に 拙な り。 

熾 田, 豐臣は 兵 を 用 ふるに 拙に して、 利を收 むる に 巧な り。 右 府の兵 を 用 ふる は、. 猶 巧の 

見. るべき 有る がごと し。 而も亟 用 ひ、 亟輟 む。 收 むる 所、 用 ふる 所 を 償 はす。 太閤に 至.^ 

て は、 その 兵 を 用 ふるや、 他の 綴 巧 ある 無し。 而 して 天下 能く 支 吾す る莫き は何ぞ や。 曰く, 

彼僥悻 にして 之 を 得、 蓋し 命 あり. 故に 必 すし. も 能く 兵 を 用 ひすして、 善く 天下 を 取る と。 

お:!: く、 然ら す。 物の 小なる 者, なほ 僥 悻 して 得べ からす。 況 やその 至大なる 者 を や。 その 

術の 一 世. に 高き にあら ざれば, 烏ぞ 能く 之 を 得ん や。 太閤の 兵 を 用 ふる、 巧 無き ものの 如 



nr 本 政 記, 論文 



お 〇 七 



山陽 史論 



七 0. 六 



す。 誰か 肯て その 用を爲 して、 而 して 敢て叛 かざらん や。 肯て盡 くその 用を爲 して、 而し 

そむ じゅつ あた 

て 敢て叛 かざる 所以の もの は、 必らす 術 あり。 曰く、 その 意に 中るな り。 曰く、 其 意の 外 

に出づ るな り。 その 意に 中れば, 以て 之を感 喜す るに 足り、 その 意の 外に 出 づれぱ 、以て 

之 を 畏服す るに 足る。 天下の 群雄 我に 感喜 畏服せば、 我の 天下に 於け る、 何を爲 して か 



o 群雄の 感 

喜 畏服 



これ こ ぶ てんた ラ A づか 

成ら ざらん、 何 を 欲して か 致さ ざらん。 是 太閤の 一 世 を 鼓舞-顔 倒し、 而 して 其 をして 自 

すな は あた 

ら その 何故なる かも 知ら ざち しむる 所以な り。 故に 時に 及びて 輒ち予 ふる 者 あり、 未だ 

^に與 ふるべから すして 與 ふる 者 あり、 當に與 ふべ くして 與 へざる 者 あり、 K に 奪 ひて 

大に與 ふる 苕 あり、 分ち 與 へて 之を鬬 はしむ る 者 あり。 故に 太閤 善く 土地 金 C 爵位 を 用 

ひて、 以て その 術を濟 す。 專ら 土地 金 吊 爵位 を恃 むに あらざる なり。 



〇 後陽成 天皇 (其 ーリ 



ふ r てんか たいぶつ よ...' 

不可な り。 天下 は 大物な り、 川 



善く 兵 を 川 ふる 者、 以て 天下 を 取るべき か。 頼襄 曰- 

兵 は 小 術な り、 小 術 以て 大物 を 取る ベから す。 故に 能く 天下 を 取る 者 は、 未だ 必す しも 

善く 兵 を 用 ひざるな り。 然り といへ ども、 兵 は 何の 爲 にして 用 ふる か 。以て 土地 を柘 き、 



偃然 l おご 

リたカ i リ 



割 據の國 I 

毛 利、 上 杉、 

島津 の 如き 

^いふ 

同列の 人— 

前 W 、蒲 生、 

池 田の 如き 

^いふ 



は盡 くる あり、 而 して 群雄の 欲する 所 は 極まる 無し。 盡る ある を 以てして、 極り 無き に 供 

すれば、 刖ち 我の 術 窮る時 あるな り。 且つ 彼. 我の 土地 金. 吊 を 攫り て 去り、 肯て 我が 闲を 

^ 九ん し こ 

爲 さす。 我驅 りて 之 を 使 はんと 欲する も、 彼 偃 然應ぜ す。 我が 指呼 甚 しければ、 則ち 我與 

ふる 所に 資 りて、 以て 我に 抗す。 我 何も 以て か 之 を 制せん。 爵位に 至りて は; 本 虛 器な 

るの み。 而 して 人 之 を 得ん と 欲する 者, 我 之 を濫與 せざる を 以てな り。 之 を濫與 すれば 刖 

ゥ tt き これ. たの ► いた; o ら > • . 

ち輕 し。 人將に 唾して 顧み ざらん とす。 是亦恃 むべ からざる なり。 故に 徒に この 二者 を 

恃み, 以て 天下 を駕馭 せんと 欲すれば、 天下 將に 反りて 我 を駕馭 せんとす。 世豐臣 太閤 

の 能く 群雄 を駕馭 する を稱 して、 以て この 二者 を恃 むと 爲す。 嗚呼、 太閤 をして 枭 して 

徒 にこの 二者 を恃 ましめ ぱ、 刖ち 元弘、 建武の 政、 是 のみ。 足 利 尊 氏、 是 のみ。 元弘、 建武 

の 事 は I く 之 を 置く。 尊 氏の 使 ふ 所の ごとき、 皆 その 家臣、 用 ひて 以て その 敵 を 夷け、 隨 

これ くわつ きょ そん 

ひて その 土地 を與 ふるのみ。 是カ を爲し 易き なり。 太閤の 天下 を定 むる や、 據の國 存 

ぶ さラ IrN た^ こ しん いき ほひ なん 

して 之 を撫 し、 同列の 人、 服して 之 を 用 ふ。 止に その 故臣 のみに あらざる なり, 其 勢の 難此 

しゃ、 ゥす ゐ よ、 つ さい 

の 如し。 況ゃ足 利 氏の 將帥皆 庸才の みなる を や。 而 してな ほ 制すべ からす。 太閤の 時に 

りて、 その 天下に 布 列す る 者、 槪ね 希世の 雄な り。 而 して 尊 氏の 施す 所 を 用 ひんと 欲 



木 政 記 論 文 



七 〇 五 



つ 弟 信 I 右 
る 信 袅弘府 
行^ 治な 
^殺 元圖 
立し 年る 



山陽 史論 七 〇 四 

»6 ほくめん 

め林逋 勝と 同じく 右 府を圖 る 者な り。 右府赦 して 之 を 用 ひ、 北面の 大 將と爲 し、 之に 越 前 

すで こ t ろみ づ から あやぶ ま さ 

を與 ふ。 通 勝旣に 罪せら る。 勝 家 心自危 みて 曰く、 次 は將に 我に 及ばん とするな りと。 

故に 右. 府 早く 光秀の 手に 死して、 而 して 此輩 或は 復仇の 功 を 建て、 或は 扶 孤の 名 を, 得る 

くんし A レ ;レ いま 

のみ。 其 をして 早く 死せ ざら しめば, 吾 恐らく は、 その 君臣の 終始、 未だ 如何なる か を 知ら 

お^ わざ はい 

ざるな り。 吾 意 ふに. 光秀 無しと いへ ども、 而も 右府 或は 禍を究 る 能 はざる なり。 大凡 人 

の 恩を感 する は、 その 跡に 在らす して その 意に 在り。 意 誠に 之 を 施さん と 欲せば、 施す 能 

はすと いへ ども、 而も 人 之 を感戴 せん。 意 誠に 之 を 施さん と 欲する にあら ざれば、 能く 

施す といへ ども, 而も 人 之を德 とせす、 甚しき は 則ち 反りて 之 を怨 む。 況ゃ旣 に 施して 

又 之 を 奪 ふ を や。 其怨を 取る や、 未だ 施さざる 前より 甚し。 嗚呼、 思 はざる 可 けんや。 

〇 正 親 町 天皇 (其 五〕 

ぐん s ラ が f 

頼襄 曰く、 天下の 群雄 を駕馭 し、 其 をして 盡く 我が 用を爲 して、 我に 叛 かざらし むる も 

いた ミ ち きん はく をし か 5 しゃくけ. c ゐ さづ 

の は、 何 を 以て 之 を 致す か。 土地 金 帛を與 へて 嗇ま ざる か。 高 爵顯位 を 授けて 惜 まざる 

い たづら ミ ち き はく たの し 

か。 曰く 皆然ら ざるな り。 夫れ 徒に 土地 金 帛を恃 み、 以て 之に 與 へて 市す。 我の 土地 帛 



駕 奴し— 服 

從ぜ しめ 

市す— 交換 

的に 我 用^ 

爲 さしむ 



o 旣 に 施、 

ズ又奪 ふ 



右府の 子. 

御 次 丸 



右府の 孤- 

信 孝 



故に 姑く 之を與 へ、 彼 をして 我が 用^ 爲 さしむ。 然る 後事に 因りて 之 を 除き、 以て 前に 

た 、rtt きラ あく • はん 

予 ふる 所 を 奪 ひ、 或は その 舊惡 を舉 ぐ。 林 通 勝、 佐 久間信 盛の 如き、 是 なり, 或は その 反 

し,、, し A づか 

心 ある を誣 ふ。 荒木 村 重の 如き、 是 なり。 . 右府 初め 村 重に 許す に、 攝津を 取りて 自ら 封す 

る を 以てす。 而 して 讒を聽 きて 之を誅 す。 之を讒 する 者 は卽ち 光秀な り。 光秀 も 亦.、 右府 

IC5 め、 ざ*<" **,J モ しょく 

總明、 讒に惑 ふ 者に あらざる を 知れり。 而 して 敢て之 を 組織す る もの は、 右府 の心誅 して 

之 を 奪 ふに 在る を 知れば なり。 村 重を誅 して その 攝津を 奪 ふや、 吾 言の 畢るを 待た す。 則 

ち安ぞ 吾を誅 して 我が 丹 彼 を 奪 ふこと、 亦 村 重の 如くなら ざる を 知らん や" 而 して 吾 忍び 

て 之 を. 待つ 可 けんや。 是 光秀の 先づ 君に 忍ぶ 所以な り。 豈に獨 光秀の み然 りと 爲 さんや。 

諸 將皆然 り。 羽柴 秀吉の 如き、 右 府の子 を 養 ひ、 之に その 封 邑を讓 らんと 欲す。 その 征西 

あら かじ たいしゃ, 3 

の 命 を受 くる や、 又預め その 敢て 大赏を 受けざる を 言 ふ。 右府 之に 播磨 を與 ふ。 而 して 

入觐 する に: その 國を 傾けて 貢献に 充っ。 以爲 へらく, 此の 如から すば、 則ち 右 府の心 

& あや ふ き や; f 

喜ばす, 而 して 我の 身危 しと。 放に 秀吉の 此の 變を閗 くに 常り て や、 甚だ 驚 動せ す、 立 

どころ に師を 班して 仇を復 す。 吾必す この 事 ある を 知る と 言 ふが 如きな り。 柴田勝 家 右 

こ た す こう 

麻の 孤を叻 け、 以て 秀吉に 杭せ るが 如き、: 右 府の恩 を 忘れ、 さる 者に 瀕す。 然れ ども 彼 初 



日 さョ さ-. i ^ 



七 〇 三 



^ 史 11ー 



七 〇 二 



1 覉 孤客 I 

流 I 很の ひと 

リ者 



藩籬 I 上下 

尊卑の 別^ 

立つ る禮法 

箕踞 I あぐ 

ら^かく 



^^せられ、 鉱瘦 つ。 誠に 借むべし と爲 す。 而 して 明智 光秀 はー覉 孤客の み。 右 府の擢 

1 する 所と. 爲り、 食 を 推して 之 を 食 ましめ、 衣 を 推して 之に 衣しむ。 封土 豐&、 何 を 苦 

しみて、 刃 を 君 腹に I; すに 至れる か。 賴襄 曰く、 嗚呼、 光秀 無しと い へ ども, 右府 未だ 必す 

しも 禍を 免れざる なり。 何も 以て 之 を 言 ふ。 或 曰く、 「右府 臣下 を 遇する に禮 無く、 屢 

^?ょ C 3 ら& せんごく 九い § 、ひ く A し A: め ひ 

光秀^ 罵 辱す。 其怨を 取る 所以な り」 と。 襄 曰く、 然ら す。 夫れ 戰國の 英雄、 その 君臣 相 

がする は、 平生の 意 を 以て 律すべからざる なり。 彼の 足 利 氏、 動もすれば 禮 式を稱 し, 喜 

びて 敷歐を I する を視る や、 常に 之を嗤 笑す。 故に その 藩 藤 を 決 壌し、 手 を 握り 酒を强 ひ、 

箕 踞嘲詈 以て その 歡を 結び、 而 して その 死命 を 得。 諸將を 遇する 皆然 り。 何 ぞ獨之 を 光秀 

にの み 施さん。 光秀 も 亦: I: ぞ此を 以て 怨 となさん や。 且つ 恩を受 くる 此の 如きの 大、 そ 

/ くっ しの , 

の 鱧 無き を 見る も、 亦 宜しく 忍びて 之を受 くべき なり。 己 を 屈する に 忍ばす して 君 を 殺 

すに 忍ぶ。 忍ばざる 所の もの 小に して、 忍ぶ 所の もの 大 なる は何ぞ や。 蓋し 忍ぶ 所大 なる 

者、 忍ばざる 所 も亦大 なる もの あるな り。 無 禮を受 くるの 類の みに あらざる なり。 右 府^ 

戰、 四方 故 家 を鏟滅 し、 而 して 己の _ 功臣 を 以て 之に 代 ふ。 然れ ども その 取る に 難き を^る。 

故に 之 を與 ふるに 嗇 なり。 而も 與へ ざるべ からす、 與へ ざれば 則ち 彼, 我が 用を爲 さす。 



上下 相 親み、 家人 父子の 如し。 此の 如き もの 七 八 百年。 殷、 周の 積德 といへ ども、 未だ 是 

^-•1. くかい ラ び ♦* ん しづ 

彌滿— 充滿ー に 至らす。 況ゃ漢 以下に 於いて を や。 その 膏澤海 宇に 彌满 し、 萬 民の 骨を淪 めて 而し 

て焉を 知らす。 唯 天 之 を 知る。 是を 以て、 己む を 得すして その 實を收 むと いへ ども、 而も 

終 二 その 名を存 して 變ぜ ざるの み。 故に 變 する もの は 天な り。 變ぜ ざる もの も 亦 天な り • 

こミ せんき、 、„ふり か たい _*) ミ ねんさい は- 2*3 ん か だ,.' たいはい け ク 

契 券— 證書ー 響へば 千金の 家、 邑 里に 假 貸し、 薄 息 責めざる 者の 若し。 年歳邈 遠, その 家 道頹廢 し、 契 

一 け, I ま、 7:5 い あへ そむ 

券 明なら すと い へ ども、 而も 耄倪 相告 ゆ、 肯て その 家 を 仰ぎ、 以て 負く ベ からすと 爲す。 他 

て、 これ ましよ ラ ぶ 力 た 

無し、 天 之が 保 證を爲 せば なり。 故に 知 を 天に 受 くる 深き 者 は、 久しくして 絕 えす 知 を 

夭 に受 くる 淺き者 は、 未だ 久しから すして 斷っ。 彼我 皆然 り。 我が 王家の 如き、 深の 至 

れる 者な り。 而 して 織 田、 豐臣 氏の 如き、 則ち 淺の 至れる 者. 變ぜ ざる 能 はざる の 運に 乘 

じ、 以て 至る 能 はざる の 位 を 得、 乃ち 此を負 ひて 以て 天下に 驕 らんと 欲す。 天 忽ち 之を與 

へて、 而 して 忽ち 之 を 奪 ふ 所以な り。 



〇 正 親 町 夭 皇 (其 S 

蛾 田 右府、 不世出の 略 を 以て、. 二百 年 合し 難き の 天下 を定 む, 事の 成る 十に 六 七。 而 して 



日本 政 記 論文 



七 〇 1 



山陽 史論 



七 Q〇 



蘸罩| 殘リ 

なく 取り込 

斯波 氏の 臣 

—35 長 

臣の臣 —秀 

吉 

螻蟻視 す— 

輕 蔑す 



一 等— 天子 

の 位, 



杉 氏と 爲す。 斯波 氏先づ 亡び、. 帛山氏 も亦微 なり。 而 して 細 川 上 杉 氏と 東西に 張り、 

そ くお の { ぶん さ <r- あ ひ は ようさい あ ひす か 

その 宗族 各分爭 して 相 食む。 槪ね皆 庸才、 大に相 過ぐ る 無し。 是を 以て 數 世を更 へ、 或は 

勝負 莫し。 而 して 細 川の 臣三好 氏、 上 杉 氏の 臣長尾 氏, 乃ち 雄 傑なる 者 あり。 以て その 

主 を 制し、 その 權を 一 時に 專 にす るに 足る。 而 して 終に 一 切 を籠罩 して、 之 を 掃蕩す る 者, 

斯波 氏の 臣に 出づ。 その 墜緖 を繼 ぎて、 その 大業 を 成す 者、 又 その 臣の臣 に 出づ。 蓋し 天、 

らん い S おも 

天下の 亂を厭 ひ、 足 利 氏の 此を 撥す るに 足らざる を 顧 ふなり。 故に 此 等の 人 を 生じ、 以 

てんし たす ほい しんよ だい 

て 天子 を輔 けて、 天下 を 治む。 足 利 氏の 陪臣 舆擡と 曰 ふ を 得ざる なり。 然ら すば、 陪臣 

ラ だいじ. C くわん! S く さき ろうぎ し 

S ハ傻何 を 以て 能く 右大臣と 爲り 闢 白と 爲 らん や。 此に 至る に 及び、 嚮の之 を 蝤蟻視 す 

び f ひそか たん たビゎ いへ 

る 所の 者、 我 その 鼻息 を 仰ぐ に 暇 あらす。 蓋し 竊に 歎じて 曰く、 「この 位 は 唯 我が家 爲 

すべく して、 彼 之 を爲 すに 至る。 豈 に大變 にあら す や」 と。 其變 する もの は 乃ち 變ぜざ 

る 能 はざる の 天なる を 知らざる なり。 然. といへ ども、 變 この 極に 至りて、 而も 變ぜ 

ざる 者存 す。 何ぞ や。 曰く、 最下なる 者、 反りて 最上に 居る。 而 して その上 一等、 終に 

こ ひねが これ いん レ. 7 しん かん f みん こ 1 

.冀 ふべ からす。 是 我が 國の 彼の 殷、 周、 秦、 漢、 唐、 宋、 明と 異なる ものな り。 嗚呼、 是何 

モ そ、 フ しんりょ みづ から ほうれい こい 

によりて 然る や。 曰く、 祖宗 敢て その 位 を 有せす、 臣虜の 勞を躬 し、 氓隸の 心を體 し- 



輿僵 I 奴隸 



頼 襲 曰く、 國の治 亂興廢 する 所以、 知るべき のみ。 , 興り 且つ 治まる 所以の もの は、 上下の 

相 近づく に. 2 る, 廢れ 且つ 亂 るぶ 所以 は、 その 相 遠ざかる に 出づ。 和漢ぎ 今と 無く 一な 

り。 國の 創建に 當 りて や、 上意下達し 下情 上 通し 歡然間 無く、 而 して 天下 治まる。 そ 

の 久しき に 及ぶ や、 則ち 然ら す。 上の 人 その 位 を 有し、 その 權を資 ひ、 以て: その 下に 驕り 

あよれ じラ せん * ルれ" ご 

て恤 まざるな り。 甚 しき は 則ち 之 を蹂踐 して 曰く、 「吾 は 天子な り、 吾は闢 白な り 被武 

じ V せ くつが ハ これお. f 力 

人は賤 吏の み」 と。 而 して 武人の 賤吏、 終に 天下 を 覆 して その 權を奪 ふ。 是 王家の 變じ 

A んし あしか r し しゃ、.' ぐん くわん りゃラ かれはい しん 

て、 澱 氏と 爲り、 足 利 氏と 爲る 所以な り。 曰く、 「吾 は將 軍な り, 吾 は 管領な り、 彼 陪臣 

は 輿 優の み」 と。 而 して 陪臣の 輿 優、 終に その 天下 を 覆して、 その 權を奪 ふ。 是足 利の 變 

てんうん 

じて 織 田 氏と 爲り、 豐臣 氏と 爲る 所以な り。 その 變 する もの は 天運な り。 而も 必す 人事 

じ ゃ3 そんか ひ fc 、フミ 

に. a りて 變す。 その 未だ 變ぜ ざるに 常り て や、 上 尊 下卑、 天地の 如く 然り。 尊き 者 は 日 

に驕 逸に、 卑き 者は& に勤勞 し、 驕 逸なる 者 は 日に 愚に して、 勤勞 なる 者 は 日に 知な 

ち ぐた も 

り。 知の 極 は、 以て 天下 を 取る に 足り、 而 して 愚の 極 は、 以て その 身 を 保つ に 足らす。 

人事の 然るな り。 愚者 常に 上に 在り、 以て 智者 を 役す。 久しくして 變ぜ ざる 能 はす 則 

ち 天運の 然るな り。 細 川、 斯波、 畠 山 三 氏、 足 利 氏の 管領と 爲 り、, 而 して 關 東の 管領 を 上 



日本 政 記 論文 



六 九九 



山 陽 史論 



ーハ 九 < 



o 群雄の 知 

らざる 所^ 

知る 



らす。 故に 地の利 ありと いへ ども、 用 ふる を 知らざる なり。 織 田 氏の 如き は, 則ち 然ら 

^ん ぜん かへ り し せん ち 

t 斷 然義眧 を廢 して 顧みざる もの、 時勢 を 知れば なり。 ; 京師の 四 戰の地 たる を 知れば 

なり。 肯て その 巢穴を 離れて 此に棲 託し、 以て 義 興の 轍 を蹋 ます。 又 東 國の仰 攻し易 か 

ら ざる を 知る。 是を 以て、 之を舍 て-先 づ 攻め 易き の 毛 利 を 攻め、 務めて その 境 土 を大 

にし、 その 兵力 を强 くし、 然る 後、 東面して 之 を 治む る もの、 地勢 を 知れるな り。 當峙群 

雄の 知る 能 はざる 所 を 知る、 能く 足 利 氏 を繼ぎ 天下に 宰 たる 所以な り, 饒 ひその 居る 所 

をして 地勢の 便に 據 らしむ る も、 その 利 を 用 ひて その 不利 を 避く る を 知らす、 又 時勢の 可 

K 口 を 知ら ざれば、 刖ち 何 ぞ 能く 之 を 致さん や。 刖ち 果して その 才 然るな り。 曰く、 その 

レ みづ y 

用兵の 才の 如き, 武田、 上 杉に 如かざる にあら す や。 曰く、 然り といへ ども、 自ら 用兵 

の才 の、 武田、 上 杉に 如かざる を 知りて、 與に爭 はす、 彼 をして 相爭 ひて 我に 及ぶ に 暇 あ 

らざ らしめ, 而 して 我 先づ 彼の 爲 さんと 欲する 所を爲 す。 これ その 才の、 武田, 上 杉 氏 

す S ゑん 

に 過ぐ る 所以な り。 



〇 正 親 町 天皇 (其き 



木偶菌 ー 

木造の 人形 

藁 造の 狗 



み。 今 織 田 氏の 義 昭 を 擁して 京師に 入る や、 又な ほ大內 氏の 爲す がごと きなり。 て 留ま 

こん はふ き くわい 

ら すして 去り、 去りて 復來 る。 未だ 嘗て 困乏 せす。 又 未だ 嘗て 機 會を失 はす、 而 して 終に 代 

りて 其 政 を 執る もの, 地の利、 便 なれば なり。 義^ 旣に廢 せられ、 西、 毛 利 氏に 侬る。 而 

ミラ かラ おそ 

して 毛 利 氏 兵 を 出して 柬嚮 し、 織 田 氏と 抗 する、 亦大內 氏の 爲すを 襲 はんと 欲する にあ 

らす や。 毛 利 元 就 旣に沒 すと いへ ども、 その 二子の 才、 義 興に 過ぐ る あり、 及ばざる 無 

し。 而 して 遂に 織 田 氏 西 下の 鋒を曷 むる 能 はざる もの、 亦 其 地勢 卑 より 高に 向 ふを以 

て、 不可なる 所 あるの み。 唯 地勢 然るの みに あらす、 時勢に 不可なる もの あり。 何と なれ 

ば 則ち 天下の 心 目 は、 足 利 氏に 嚮ふ にあら すして、 京師に 嚮 ふなり。 義植の 時、 なほ 可な 

り。 義昭に 至りて、 旣に織 田 氏の 立つ る 所と なり、 又 その 廢逐 する 所と 爲る。 木 偶 芻 

く さしはさ き きょ なん 

狗の故 敗す る ものの 如し。 之 を 挾 みて 来り、 旣據の 京師 を爭 はんと 欲す。 烏ぞ 能くす 

可 けんや。 故に 曰く、 時勢に 不可 あるな りと。 武田 氏、 長 尾 氏、 又 毛 利 氏と 遙に應 援を爲 

し、 夾 みて 織 田 氏 を 攻めん と 欲す。 是亦 時勢 を 知らざる なり。 地勢 を 以て 論 すれば, こ 

の 一 一氏 京師に 隔絶し、 その 不便に 據る とい へ ども、 然も 高下の 勢 を 見れば、 正に 毛 利と 反 

みづか これ 

せり。 而 して 織 田 氏に 加 ふる 能 はざる もの、 二 氏內に 自ら 相爭 ひ、 而 して 焉に 及ぶ に 暇 あ 



日本 政 記 論文 



六九セ 



陽 史 論 



六 九 六 



强大を 成す 者 五 氏。 毛 利 氏 は 西に 在り、 武田、 上 杉と 北條 氏と は 東に 在り、 而 して 織 田 

さ き やうへ いりょく ひミり しょ、 つ 

氏 中に 居る。 その 土 境 兵力、 大に相 過ぐ る莫 し。 而 して 獨織田 氏を稱 して、 以て 足 利 氏 

を繼ぎ 、 天下に 宰 たりと 爲す もの は何ぞ や。 先づ 京師に 據 りて、 四方に 號令 する を 以てな 

り。 先づ 京師に 據 りて 四方に 號令 する は、 足 利 氏の 覇を爲 す 所以な り。 その 衰へ 且つ 亂 

, い^づら . あへ じもく 

る i に 及 ひて や 徒に その 名を存 し、 肯で復 その 令 を 奉す るな し。 而 して 天下の 耳目の 屠 

する 所、 心意の 嚮ふ 所、 なほ 此に 在り。 是を 以て 柬國の 群雄、 その 志 京師に 樹幟耀 兵 せん 

と 欲せざる 者 無し。 特 その 居る 所隔絕 せる を 以て、 多く 人 國を經 るに あら ざれば 達すべ 

からす。 地勢の 便なら ざる、 故に 之 を 能く 遂ぐ る莫 きなり。 獨織田 氏の 國, 京畿 と^ 氣相 

05 きんこ ラ T ふさ おのれ 

通じ、 東 國の襟 喉を扼 す。 故に 他人の 京に 入る 道 を 塞ぎ, 而 して 己先づ 京に 入る。 旣に 

て » き < てん ほこ せい * や 3 ふ * 

京に 入れ は 兵 を 以て 畿甸を 守り、 而 して 終に その 鋒 を西嚮 す。 西 道の 雄 も 亦 禦ぐ能 はす。 

た *»* さい ち .9 一 じ 

唯 其才、 人に 過ぐ る を 以ての みに あらす、 地の利、 便 なれば なり • なほ 異 時の 細 川、 三 好 氏 

の、 攝、 河に 居る が 故に 數志を 京師に 得た るが ごときな り。 大 3: 義興 嘗て 一 たび 防 長の 兵 

ょラ しゅんじ ゆん 

を 用 ひ、 將軍 義植を 擁して、 以て 京師に 入り、 留る こと 七 年、 逡 巡して 引き去る。 而 して 



榭幟耀 兵 I 

武威^ 振 ふ 



襟 喉 ー 要處 



細 川 氏 仍ほ京 政 を 執る も、 亦 その 國遐 遠なる を 以て、 京師に 寄 泊 すれば、 糧餉 袷せ ざるの 



武田 氏に 及ばす。 而 して ffl 兵の 才は 同じ。 是を以 ム^ハ を 八州に 下し、 濃 を II り ♦ 終 

に 之 を 取る 能 はざる 所以の も, の、 亦武田 氏の その後 を 窺 ふ を 以てな り。 故に 武田 氏、 上 

o その 間以 杉 氏と、 天下の 背 を 爭 ひて 決せす。 北條氏 その 間 を 以て 奧羽を 取る 能 はす。 而 して 戲田氏 

バ京 幾^ 取 その 間 を 以て 京畿を 取る。 高卑の 勢, 難易 異なれば なり。 是を 以て 織 田の お、 盆.. 

しゅす ゐ v< つし 

强大を 致し、 北條に 三倍す るに 至る。 三 氏の 主 帥相耱 ぎて^ 死す るに 及び、 乃ち 東南 先 

づ武田 氏 を 減し、 甲 信 を 取る を 得。 豐臣氏 之 を繼 ぎ、 因りて 以て 上 杉 氏 を § し、 而 して 

北 條氏を 平ぐ。 北條 氏、 上 杉 氏、 甲 信 を 得れば、 素より 國を 成す 能 はす。 而 して 武田氏 

ひミ りか ふしん よ ゆう あつ い ふしんい *- い 

獨甲 信に 據る のみ。 なほ 以て 之 を雄壓 する を 得。 況ゃ甲 信 以西の 全力 を 以てして、 甲: IT 

の 險を奪 ふ を や。 甲 信、 以東 越に 至り、 八州に 至り、 遂に 奥 羽に 至る。 齡 ^彰 ある 無き も 

の、 宜 なり。 是海內 の 勢、 混 一 を 成す 所以な り。 否ら ざれば 則ち 卑 より 高に 向 ひ、 殺よ 

り 豐に向 ふ、 安ぞ 能く 克っを 得ん や。 

分 崩 離开— O 正 親 町 天皇 (其 5 

群雄 孰?^ の いくわん ぶ. < ほ-, り ォき え、?, ざ 、よ 、しつ 

不統一 頼 襲 曰く、 應仁以 還、 七道の 分 崩離析 する もの 極れ り。 百 戰の餘 、あ 雄の 林 掣 出し、 最も 

日本 政 記 論文 六 九 五 



.S 陽 史論 



六 九 四 



00! 

すそ 



四瞰し —四 

方な 見下 

し 



の 東に 侬り、 越 は その 北に 倚る。 海道の 諸 H, その 南を帶 びて 西し, 尾 張と なり、 京 畿西國 え 

たいてい え 5 えい ふくなん ゑつ これ 

爲れ ば、 大底甲 信の 腰裔 のみ。 八州 は 幅員 尤も 豐 にして、 北 條氏 ,4 に據 る。 越焉に 次ぎ, 

上 杉 氏 之に 據る。 海道 又焉に 次ぎ、 織 田 氏 之に 據る。 而も 甲 信 を 得 ざれば、 則ち 國を成 

さざる もの は 一 なり。 北條、 上 杉、 織 田 * 共に 観 を 成さす。 而 して 武田 氏, 三 氏の 國. を 成 

みづか さんがく ちょうで ふた ふせき S よくへ いしう 

す 所以の もの を 奪 ひ、 以て 自ら 國 せり。 山岳の 重 疊沓蹙 する 所、 關 東海道の 土沃兵 衆に 

及ばす とい へ ども、 然も その 處る所 脊梁に 在り。 高き に 憑り て四瞰 し、 我出づ るに 利に し 

て、 敵 入る に 難し。 是武田 氏の、 能く 三 氏の 中に 介 立して 屈せざる 所以な り。 唯 その 用 

- C : ミも ひまり 

兵の 敵 無き を 以ての みに あらざる なり。 而 して 用兵の 與に 敵す る 者 は、 獨上杉 氏の み。 故 

に 之と 信 地を爭 ひ、 彼の 國を奪 ひ、 以て 我が 國を 成さん と 欲す。 兩 蛇の 穴 を爭 ひ、 螫齧 する 

ぁひぢ 

が 如し。 相 持す る もの 數十 年。 是を 以て 北條 氏、 織 田^ その 左右に 在りて、 以て その 國を 

保つ を. 得た るな り。 一 一氏の 國、 武田 氏と, 腹背 を相爲 す。 一 一氏 その 夷に 居^ 而 して 險に據 る 

の武田 氏, を 仰ぎ、 能く 支 ふる 所以の もの、 唯 その 土 沃に兵 衆き の 之に 勝つ を 以ての みに あ 

ら ざるな り。 上 杉 氏 は武田 氏の 後 を 窺 ふ ある を 以て、 故に 彼、 輕出深 入す る を 得ざる なり。 

上 杉 氏の 土 沃兵衆 一 一氏に 及ばざる は、 なほ 武田 氏の ごときな り。 而 して その 據る听 の險、 



8T おし 

あ ひへ しあ 



地に 匿 き、 以て 敵 路を梗 ぎ、 敏 をして 衆 を 合し カを此 に敝ら せし む, 則ち 吾 與に鬬 ふ 所の 

これ た JS せん ぐんぎ あつ 

者 は 約な り。 是 形に 因りて、 以て 勢 を 制するな り。 譬 へば 羶を 地に 投じ, 以て 群 蟻 を聚む 

さ W てきし、 7 さ At ん た ふせき 

るが 若し。 敵 衆 散漫、 地を蔽 ひて 来る 者、 その 勢此に 至りて 沓蹙 す。 刖ち吾 以て その 亂 

に乘 じ、 衝突して 之 を 破るべし。 是 勢に 因りて 機 を 決するな り。 然れ. ども、 擊っ 可き の 

機、 その 間髮を ぼれ す。 急 なれば 则ち 未だ その 機に 及ばす、 緩 なれば 刖ち已 に その 機 を 

みづか やぶ これ 

過ぐ。 過 ぐれば 機に 及ばす。 則ち 機の 以て 勝つべき もの、 或は 以て 自ら 敗る るに 足る。 是 

刖ち 所謂 時と 處 とに 隨 ひて 變 する ものな り。 是 故に 毛 利 氏, 北條 氏の 緩 を 用 ふる も 緩に あ 

らざ るな り、 熾 田 氏の 急 を 用 ふる も 急に 非ざる なり。 その 機 を 失せざる を 爲すは 一 なり。 



is 殺— 廣狹; 



〇 正 親 町 天皇 (其 一 



頼襄 曰く、 武田上 杉 二 氏、 用兵の 才相 敵し, 北條 氏、 織 田 氏 共に 及ばざる なり。 而 して 四 

かくりつ こラ しゅ けいせい こ** ろみ 

氏 元龅天 正の 際に 角立して 相 下らす。 その 攻守の 形勢 は、 請 ふ 嘗に之 を 論す る を 得ん か 

けだ ち せい ひく ふく ゐん ぼうさい 

蓋し 我國の 地勢 は 東北より 来る。 故に 東北 高く して 西南 卑し。 その 幅員 も亦隨 ひて 豐殺ぁ 

かふ しん ちょうで ふ ふせ *- **- り や、 7 

り。 奧 羽の 山脈、 甲 信に 至りて 重 疊沓蹙 し、 人に 脊梁 あるが 如し • 而 して 閼柬 八州 は そ 



H 木 政 記 論 文 



六 九 三. 



山陽 史論 



六 九 二 



〇 機 同じ 



客 攻主守 ー 

敵 は 攻め 味 

方 は 守る 



毛 利 氏に 嚴 島の 戰 あり、 北條 氏に 河 越の 戰 あり、 織 田 氏に 桶 峽の戰 あり。 この 三 戦なる も 

t おこ 

の は 皆、 烕を 天下に 著 はし、 以て その 業 を 興す 所以の ものな り。 毛 利 氏、 織 田 氏、 皆 三千 を 

, たづら くわ し, フ 

以て 敵の 三 四 萬 を 破り, 北 條氏八 千 を 以て 敏の八 萬 を 破る。 世 徒に その 寡 を 以て 衆に 敝 

し、 勝ち 難き に 勝つ を稱 して、 而 して 深く その 勝つ 所以の もの を 究めす。 蓋し 勝つ 所以の 

機 同じき なり。 機の 同じき 所以 は * 則ち 勢と 形との 同じき に 由る。 何 を 以て 之 を 言 ふ。 夫 

ノす *1 の *- く ほレ いま- * つ 

れ 陶賊、 防、 長、 筑を 擅に し、 以て 毛 利 氏の 安藝 を壓 す。 今川義 元、 駿、 遠、 參を 略し、 以て 蛾 

田 氏の 尾 張に 逼る。 兩上杉 氏 七 州 を 有し、 以て 北條 氏の 相 摸 を ぎむ。 强を 以て 弱に 臨み、 

客攻主 守、 其 形 同じき なり。 形 を 以て 之 を 言へば、 强者は 勝ち、 弱者 は 負く。 攻者餘 あり 

しゅしゃ おそ お-ご お, *| おこ. M おそ 

て 守 者 足らす。 然り而 して 足らざる 者 は 惧れ、 餘 ある 者 は驕 る. - 驕れば 則ち 忘り、 惧 るれ 

ば 則ち 奮 ふ。 則ち 勢な り。 則ち その 勝負の 機、 將 に相換 らんと す。 然り といへ ども, 弱 

を 以て 强に敏 し、 足らざる を 以て 餘 あるに 對す。 徒に 奮鬭 して 克っ ベから ざるな り。 是 

に 於いて、 その 勢 を 制し、 以て その 機を诀 す. 夫れ 餘 ある 者 は、 分る よに 利に して、 合 

する に 利なら す。 分 るれば 則ち 整 ひ、 合すれば 刖ち亂 る。 而 して 足らざる 者 は 之に 反す。 

彼 その 勢 を 分ち、 更迭して 我 を 攻めば, 我 何 を 以て 之に 堪 へん。 是を 以て 城寨を 要衝の 



の 之に 事 ふる 者、., 志、 細 川 氏に 在らす。, 一 は 彼、 一は 此、 雎 己の 得失 を!^ れ視 て、 而し 

. は C は あ ひ i! これ トラ ナ 

A 至ら さる 所 無き 者、 酷 だ 相似た るな り。 是豈に 細 川 氏の 罪な らん や。 足 利 氏の 王家に 

事 ふるや、 その 兩統 を爭 はしめ、 以て 己に 倔に す。 亦 その 志、 王家に 在らす して, 己の 

得失 を 患 ふるに. H る。 その 源 此の 如し。 宜, なり、 その 末流 轉た相 倣 傚す る こと や。 故に 

三 好 氏の 臣の三 好 氏 をます は、 なほ 三 好 氏の 細 川 氏を亂 すが ごとし。 三 好 氏の, 細 川 氏 を 

亂す は、 なほ 細 川 氏の 足 利 氏を亂 すが ごとし。 細 川 氏の 足 利 氏 を 亂すは * なほ 足 利 氏の 

王家 を亂 すが ごとし。 

. 〇 後奈良 天皇: 

頼翦 曰く、: 兵に 形 あり、 勢 あり、. 機 あり。 形 は 勢 を 生じ、 勢 は 機 を 生す。 機 は 見 1 くして 

やす したが 

變で 易き も: のな り。 時に 隨 ひて 變じ、 處に隨 ひて 變す。 勢と 形との 如き、 必. す大 にして 見 

るべ く、 確と して 變ぜ ざる もの. あか。. その 形に 因りて、 その 勢 を 制し、 もの 勢に 因りて、 そ 

の 機を诀 す、 ^將 の智 なり。 故に 智將 の爲す 所、 或は 謀らす して 合する あり。^ ちその 

形 同じき なり、 故に その 機 も 亦お なじき なり。 吾 永祿、 元龜の 際に 觀 るに、 三大戰 あり。 

nl 木 政 記 論文 力 九 一. . — 



陽 史 論 



バ九 〇 



宗 全を排 する に 在るな り。 而 して 勝 元 未だ その 志 を 逞しく せす して 死す。 而 して 政 元 之 

おのれ けん もつ!! 5 ら 

を 成す。 政 元、 義 植を廢 し、 政 長 を 殺し、 而 して 己 管領と 爲り、 權を 專 にす る 十 有 五 年な 

り。 乃ち その 臣の弑 する 所と 爲るは I!: ぞゃ。 初め 政 元 子 無し。 その 族 子 一 一 を 養 ふ、 澄 元と 

高國 となり。 澄 元 を 以て 三 好 長 輝に 付し、 之を輔 けしむ。 而 して 香 西 元 近、 長 輝を排 せん 

| と 欲す。 是を 以て 政 元を弑 し、 更に 他の 義子 を 立て、 反りて 長 輝の 誅 する 處と爲 る。 而し 

て 三 好 氏 細 川 氏を專 にす。 義植、 義 澄の 交爭ふ 者、 その子 孫に 至り、 以て 足 利 氏 を 終 ふ。 

高國、 澄 元の 交爭ふ 者、 其 子孫に 至り、 以て 細 川 氏 を 終 ふ。 澄 元と 高國 と、 或は 義澄を 

助け、 或は 義植を 助く。 而 して 長 輝の 子孫、 始め 澄 元 を 助け、 子晴 元に 及び、 高 國を敵 

とす。 後 又 高 國の子 を 助け、 以て 澄 元の 子を排 す。 三 好 氏 旣に細 川 氏を亂 せり。 而 して 

みだ さく さつ 3!r- し 

兰好 氏の 臣 に、 松 永久 秀と いふ 者 あり。 亦 その 家を亂 り、 その子 を 毒殺し、 以て 他の 義子 

を 立つ るに 至る。 然る 後 相與に 共に 將軍 を弑 し、 而 して 足 利 氏 減び ぬ。 賴襄 曰く, 孔子 

鄙 夫の 與に 君に 事 ふ 可から ざる を 論す る や、 曰く、 「未だ 得 ざれば 得ん こと を 患 ひ、 旣に 

得れば 失 はんこと を 患 ふ。 失 ふ を 患 ふれば、 則ち 至らざる 所 無し」 と。 今 細 川 氏の 足 利 

つか ミく しつ ,「れ 

氏に 事 ふるもの は、 志 足 利 氏に 在らす して、 己の 得失 を 患 ふるのみ 是を 以て、 その 臣 



む。 亂 極まら ざれば 以てた ふす に 足ら ざれば なり。 . 

〇 後柏原 天皇 

いくわん ふん ぶん ぞ、. また fc い. 90. く す せい 

應仁而 還、 足 利 氏の 事、 紛々 援々 復 論す るに 足らざる なり。 その 大略 を綜 ベて、 以て 世 

戒と爲 すと 云 ふ。 足 利 氏の 君臣、 その 事 酷 だ 相似たり。 初め 畠 山 氏 その 義子 を廢 して そ 

の 子 を 立てん と 欲す。 足 利 氏と 細 川 氏と 亦然 り。 是を 以て 應 仁の 亂を 成す。 足 利 氏義尙 

を 立て、 細 川 氏 政 元 を 立つ。 竝に その 欲する 所の 如し。 而 して 畠 山 政 長 義子 を 以て 立ち 

て 管領と 爲る" その 與に 立を爭 ふ 所の 者 死し、 その子な ほ存 す。 政 長 之 を 害と し、 將軍 

さしはさ *7 5i も 

を 挾 みて 往 きて 之を擊 つ。 挾む 所の 者 は 義尙、 與に 立つ を爭ふ 所の 者の 子な り。 蓋し 義 

尙の 夭す る や、 父義 政、 其 舊養ふ 所の 義視を 召し、 其 子 義植を 立つ。 義尙嗣 無き を 以て、 

已むを 得 ざり しなり。 是政 長の 挾む 所の 者な り。 而 して 細 川 政 元、 義 政の 遺 旨と 稱し、 義 

澄 を 立つ *義 澄と 義植と は、 義 政に 於いて は 均しく 之が 姪たり。 義政豈 に 愛憎す る 所 あら 

んゃ。 政 元 旨 を 矯めて 之 を 立つ る 所以 は、 政 長を排 して その 攝 する 所 を 奪 はんと 欲する 

のみ。 なほ その 父 勝 元の 山名宗 全と 戰ひ、 以て 義視、 義尙の 位 を 賭する がごと し。 その 意 

日 木玫記 論文 .1 ハ八九 



陽 史 論 



六 八 八 



懲毖 —懲リ 

て愼 しむ 

勘合 印 信— 

逋商贸 易な 



權 宰- 

に 支配す る 

首. 領 云々. I 

.首 ^斬られ 

す 

牖 下に 沒す 

1 病死す 



の兩 敵交綏 する を 得、 械 囚を脫 する が 如き も、 亦 以て 少しく 懲毖 すべきな り。 而 して 職 



を讓 るの 明年. 乃ち 書 を 朝鮮に 贈り、 尠 合印 信 を 求め、 以て 海外 窨畫 珍寶を 求む。 尊ぎ 

て 別業 を 東 山に 築き、 銀閣を その 中に 興す。 人心 ある 者に して 能くす ベ けんや." 正に * 

ミ くそ、 f だいえい 二 おこ はん ちん さくへ い ん 

の 德宗奉 天の 厄を脫 して、 瓊 林に 大盈庫 を 興す が 如し。 彼な ほ 藩鎭を 削 平す る 志 あるが ご 

とし。 その 計 を 得すして 困 乏に懲 る。 その 宜しく 懲 るべ からざる 所に 懲る。 なほ 說 あるな 

たビち つく A づか 

り。 義政は 則ち 直に 海 內を竭 し、 以て 自ら 奉じ、 以て 大亂を 致して 懲りす。 又 その 未だ 

竭さ r る もの を竭 さんと 欲す。 夫れ 天 一人に 託して、 萬 民 を 養 ふ。 萬 人 を 取りて 一 人 

きんけん みづか あは 

を 養 ふに あらざる なり。 故に 明 王 は 必す勳 儉を躬 らし、 以て 天下 を恤れ む。 苟も 美 を 



爲す のみに あらす、 天 託に 背きて その 譴を 取らん こと を懼る i なり。 天子 且つ 然り。 況 

けんさい なん これ しんぼく 

や 天子に 代りて 天下 を權宰 する 者 を や。 烏ぞ是 吾が 有な り、 吾が 臣僕 なりと 曰 ひ、 而し 

ゆ ゑん いつらく 

て その 生活す る 所以 を 奪 ひ、 以て 己の 逸樂に 資すべ けんや。 而 して 亂れ ざる あらん や。 未 

だ 亂れ ざるに 察せす、 旣に亂 るぶ に 懲りす。 故に 曰く、 その 心 を 喪 ふなり と。 而 して^ 領 

を 全くして、 牖 下に 沒 する を 得る もの は何ぞ や。 曰く、 天、 足 利 氏 を 疾むゃ 深く、 その 

家を蹩 さんと 欲す。 故に この 喪心の 人 を 生み、 又 速に 死せ すして、 以て その 亂を 極めし 



花亭— 室町 

御 ra5 



奪宣の 臣- 

取次 役 

牴牾 I 撞著ー 



ぁゥ れんこく へいせん たラ くわ ラゃ 

の 中に 集む。 輦穀 兵燹、 蕩 として 廣 野と 爲る。 七道の 內、 戰 無き 者 無し。 誰か 之 を 致した 

けラ いつ しやび きうき よく くわて い こラ ひ びん 

る。 史に稱 す、 義政驕 逸、 その 職に 在る や、 奢 靡 を 窮極し、 花 亭の煢 費 六十 萬^、 高 倉 第の 

障子 値 二 萬錢に 至り、 その他 之に 稱ふ • 上下 相 傚 ひ、 競 ひて 侈麗を 以て 相尙 ぶ。 是を 以て 

&んぶ a い ゎラ れん か せい こ f でんぶ- 

民陚 n に 谘 し、 橫歛 f 可征、 戶耗 し、 田 蕪す。 故に 事に 富 商の 金 を 借る もの、 義満の 時、 歳に 四 

次、 義敎は 歳に. h 二次、 義 政に 至りて、 月に 八 九 次、 又 稱貸不 償の 令を舉 ゆ、 號 して 德 政と 

たいぎ さ w くわ 九き 

曰 ふ。 故に 事に 大儀 ある 苺に、 諸侯に 課して 役 を 助けし むる、 槪ね 五六 年に ー舉、 なほ 

給し 難き を 病む。 義 政の 時 は S 年に して 九舉、 是を 以て 公私 共に 困し み、 怨讜 四に 起 

る。 義政 乃ち 日に 淫樂 を內に 恣 にし、 天下の 政 1 之を傳 宣の臣 及び 妾媵 僧尼の 屬に委 

し、 請謁 公行、 號 令牴牾 して、 外 朝 大臣, 黨を 結びて 相 軋る。 上 令の 己に 便なら ざる も 

の を 見れば、 その 曲 直 を 持し、 公然 駕詈 して 從は す。 紀 綱壞廢 し、 威權 地に 墜 つる 此 

モ そ, r 'こうたく ぜんせい , 

の 如し。 夫れ 此の 如き もの、 祖宗 厚澤 善 制の 後に 處 する も、 なほ 亂れ ざる 能 はす。 況ゃ足 

利 氏の 如き 者 を や。 而 して 義攻、 槪ね 察せざる なり。 又 その 私 を 以て、 外臣の 有力者に 

たく すく ら. < たん ひら へいく わに はか おのれ な ふせい 

託し、 以て 之を濟 はんと 欲す。 此を 以て 亂端を 啓き、 兵禍 騾に 起り、 己 遂に 劫 制せら るよ 

听と爲 り、 戰鬭 を傍觀 す。 心悸舌 楊、 一 語 を 出して 以て 之 を 禁止す る 能 はす。 幸に して そ 



日 木 政 記 論 文 



六 < 七 




山陽 史 .. 論 六 八 六 

知らざる なり。 幸に して 渠魁 兩っ ながら 斃れ、 勝負 無き が 如し。 而 して 細 川 氏 終に その 權 

はいち 九き き ケ A がう あひなら 

を專 にし、 將 軍を廢 置す る こと、 奕 碁の 如く 然るに 至り、 群 豪相幷 び、 海内 分裂し、 織 田、 豐 

ゎづか こんいつ す. o 

臣 氏に 至り、 纔に之 を 混 一 する を 得たり。 その 禍 たる や 遠し。 然り といへ ども, 室町 衰 

じゃく 九 すみやか かんしん 

弱 を 以てして 長く 存 する を 得、 縑倉の 逨に姦 臣に 亡ぶ るが 如きに あらざる もの は何ぞ や。 

封建, 郡 縣の勢 異なる のみ。 豐臣 氏の 如き、 亦 封建の 爲に、 その 季世 嬖寵 攻を亂 し、 亦 

ちょ か ひそかお の -/\ たう 5 ん ら んほ ラ 

私に 儲 を 易 ふる を 以てな り。 而 して 天下の 諸侯、 陰に 各 黨锾 する 所 あり、 以て^. U に 至 

, めいあん けんぜつ 

る。 その 勢 乃ち 應 仁と 同じ。 その 主の 明嗜、 大に 懸絶す といへ ども、 その 公なら す、 一 

ならざる を 以て、 以て その 權を喪 ふ もの は 一 なり。 而 して その 亡ぶ る、 室町より 逨 なる 

もの は、 新造の 國 なれば なり。 

〇 後土御門 天皇 (其 一 5 

賴襄 曰く、 足 利義政 は、 その 心 を 喪 ふ 者と 謂 ふべき なり" 八 歳の 童子 を 以て、 諸 將の奉 立 

する 所と 爲り、 職に 在る こと 二十 九 年、 乃ち 位 を 其 子に 讓り、 以て 安に 就く。 又 十九 年に 

して 終る。 前後 を 通 すれば 四十 八 年な り ,而 して 我が 邦 前後 比 無き の 大亂を この 四十 八 年 



如何と もす る 無し。 是 封建の 通 患に して、 應 仁の 亂 も亦然 りと 爲す。 何に 由り て 然る や 。曰 

〇 公なら く、 權を喪 ふの み。 何 を 以て 權を失 ふ。 曰く、 公なら ざるな り、 一 ならざる なり。 唯 公な 

す 一 らす、 是を 以て 一なら す。 史に稱 す、 足利義 政の 斯波 氏の 嗣を あする や、 十 年の 中、 二 

たび 之 を 奪 ひて、 二た び 之に 予へ、 畠 山 氏の 續 くや、 二十 年の 中、 三た び 之 を 奪 ひて, 三 

たび 之を予 ふ。 播を山 名 氏に 予 ふる は、 その 赤松 氏 を 討 減す る を 賞す るな り。 而 して 復 

赤松の 餘孽を 攒に祿 せり。 その 一 ならざる や 此の 如し。 此 皆請謁 賄賂に 因りて 然るな り。 

公なら ざるに あらす して 何ぞ や。 自ら その 弟 を 以て 儲 貳と爲 す。 細 川 勝 元 之に 傅たり。 而 

tfc たす t これ よい 

して 復山 名宗 全を援 けて 以て 勝. 元と 軋る。 その 一 ならざる や 此の 如し。 此 その 弟 を麼し 

て 以て その子 を 立てん と 欲する に. B るな り。 公なら ざるに あらす して 何ぞ や。 己 も 亦 そ 

の 公なら ざる を 知るな り。 是を 以て 宗金の 赤松 氏の 子を斃 し、 以て その 邑を奪 ふ も、 而 

ゑん ゆ 八 せ いぢ A じ もく 

も禁 する 能 はざる なり。 勝 元 怨言 を 出して、 盡 くその 左右の、 西陣の 耳目と 爲る者 を 除く。 

苞茈 —賄賂 而 して 止む る 能 はざる なり。 而 して 天下 肯て復 その 令 を 奉す る者莫 し。 夫れ^ 1 直 閨闈の 

いんか, フ き やうば、..' こ t ちんせき t ^ しんぜん へいく わ き ふさ 

問に 陰 行し、 襁褓の 呱々 と、 枕席の 私語と、 耳に 浸漸 して、 而 して 兵戈の 氣、 天地の 間に 塞 

^ がる を 致す もの、 十有餘 年に して 絕ぇ す? 蓋し 義攻 と雖 も、 始めは 自ら 其 患の 此に 至る, を 

日本 政 記 論文 六 八 五 



六 八 四 



を 處 置し、 以て その 心 を 服せば、 則ち 何ぞ その 制す 可から ざる を 患 へん や。 然り といへ 

せんむ 

ども、 國 家の 勢 をして 惡 人の 功 あるに 至らし めざる を 先務と 爲 すなり。 



〇 後土御門 天皇 (其 5 



吞噬拏 攫 I 一 

か み 合 ひ つ 



頼襄 曰く, 郡縣の 世、 患は姦 臣と叛 民と に 在り。 而 して 封建に 之れ 無し。 之 無き にあら 

ざるな り。 之 ありと いへ ども、 而も 猝に その 國を 亡す に 至らざる なり。 何と なれば 諸侯 

おの C ミ ち かふへ い かんじゃ おそ , , f t 

各 その 土地 甲兵 を 有し、 その 力 以て、 內は姦 邪 を懾れ しめ、 外 は 盗賊 を禁 する に 足れば 

おそ , 

なり。 然れ ども その 力 以て 盗賊 を 禁じ, 姦邪 を懾れ しむる に 足る が 故に 制し 難し。 之 を 

制する に權を 以てす。 權、 上に 在れば、 天下の 勢 分れ、 以て 上 令 を 奉す。 權、 上に 在ら 

ざれば、 則ち 天下の 勢 合し、 而 して 下 その 志を恣 にす。 <5 口す と は 何 を か 謂 ふ、 黨 ある を 

€ も さん ザい さく わく 

謂 ふ。 黨 あれば * 必す耦 ありて 爭ふ。 爭 ふに その 土地 甲兵 を 以てす。 故に^ 嗞 孥揋、 数 

そん ほ、 r* 

十 年に して 止ます。 郡縣の 存亡 たちどころに 決する 如きに あらざる なり。 而 して 之が 上 

たる 者、 旣に 以て 之 を 制する 莫し。 其 或は 勝ち 或は 負く るを聽 すの み。 而 して 勝者, 或 

は 我 を 挾みて 以て その 勝 を 取る。 而 して 旣に 勝つ に 及べば、 乃ち 終に 我 を 制す。 我 之 を 



われ いは si / 

を 失 ふに 足る。 況ゃ我 固より 之に 權を授 くる を や。 夫れ 所謂 權を授 くと は, 何ぞ必 すし 

くわん しょく い たく けいちょう な これ 

も その 官職 を 云 はんや。 我 之に 倚 託し、 彼 をして 輕重を 我に 爲 さしむ。 是之を 權を授 く 

と 謂 ふ" 細 川 勝 元、 ^山德 本の 資望 を嫉 み、 擠 して 之に 代らん と 欲す。 是を 以て 宗全を 

引きて 黨と爲 し、 之と 婚を 結び、 又 其 子 を 養 ふ。 德 本の 嫡を易 へんと 欲する に 及び、 乃 

ち 之と. R を 幷せ、 陰に その子 を 助け、 以て その 父に 蹙る。 是 管領 之に 權を授 くるな り。 將 

軍 義玫旣 に 義視を 養 ひて、 復 己の 子 を 立てん と 欲す。 則ち 亦宗 全を藉 りて 援と爲 す。 是 

將軍亦 之に 權を授 くるな り。 夫れ 德 本の 事 は 私な り。 而 して 宗全 公に 據 りて 以て 之 を 

排す。 義玫の 事 も 亦 私な り。 而 して 宗全 私して 以て 之み 煖 くる を 知る。 その 乘 じて 以て 

權を 執り、 志 を 逞しく する は、 刖ら 一な り。 勝 元 初め 宗 全と 結び, 以て その 志 を 得、 旣に 

ひモか これ たく き L, 

して 宗 全の 勢、 殆ど 己の 上に 出づる を視、 亦將 軍の 陰に 焉に 託する ありて, 以て 己と 軋 

C 權^ 授け る を 知る。 是に 於いて、 亦黨 を植 てて, 以て 之と 爭ふ。 而 して 己 先づ 之に 權を 授け、 以て 

てこ. A に 至 

る 此に 至る を 知らざる なり。 義政亦 之に 權を 授けて、 勝 元と 爭 はしめ、 而 して 己 乃ち 勝 元の 

| は sf, 劫 持す る 所と 爲り、 亦宗 全の 力 を 得る 能 はす。 應 仁の 亂、 滔天塗 地、 十餘 年に して 決せ 

ざる 所以な り。 後の 國家 を爲 むる 者, 不幸に して 惡 人に 功 ある 荞に逢 は r、 務めて 善く 之 

n 本 政 記 論文 六 八 三 



山陽 史論 



六 二 



遺孽— 遺子 



初-す 1 ちその 鬪 t 紛 転 する や 固より {ぶ なり。 古より 國 家の 亂. 1」 する や、 必 すその^ 

機の 陵替、 紀 綱の 廢壞に 由る。 而 して 英雄の 人、 大功 を その 問に 樹っ。 是を 以て 能く 

その 權を 操り、 遂に その 國を 移す に 至る 者、 皆然 り。 今 足 利 氏の 國勢 此の 如き を 以てし 

けつ メう かんあく 

て、 榮翳 悍惡、 山名宗 全の 如き 者、 その 功 一 國の 上に 出づ。 宗全 をして 大に 人に 過ぐ る考 

ならし めんか、 則ち その 足 利 氏の 國を篡 ふや、 難しと 爲 さす。 異 日の 豐臣秀 吉の饿 田 氏 

、 こ, ホ るん したいり 9- く わ ラ., j い 

に 於け るは是 のみ。 幸に して 遠 志. k 略 無し。 故に 橫恣 忌む 無き にえ まるのみ。 然り とい 

へど も、 當 時の 將 軍管頒 たる 莕、 宜しく 之が 慮 を 加 ふべき 所な り。 之に 答 ふるに 恩禮 を以 

てし、 以て その 心 を靖ん じ、 之に 酬 ゆるに 金帛 子女 を 以てし、 以て その 桫を充 し、 多く 

け、 さづ 

土地 を與 ふべ からざる なり。 多く 土地 を與 ふる は 可な り。 之に 權を授 くべ からざる なり.' 

また 5 ほ It 

旣に 土地 を與 へて、 復之な 奪 ひ、 旣に權 を 授けて、 復 之を爭 ふ。 乃ち 大に 不可な り。 夫 

*? プ も ひ あつ すで 

れ宗全 を 賞して、 盡く 赤松 氏の 地を領 し、 その 同族の 封 をして 相聚 めしむ。 已に 慮の^ 

きものに は あらざる なり。 然れ ども 猶曰 はん。 然ら ざる を 得ざる もの ありと。 又 赤松 

の 遣 孳を播 に 立て、 以て 之 を 怒らし、 而 して 之を鬭 はしむ る は何ぞ や。 彼 怒りて 我 を 直 

とせす、 鬭 ひて 之 を 奪 ふ も、 我 何の 辭か之 を 責めん。 正に 以て その 勢 を 成して, 我が 權 



嗣」 嫉勝 家特— 義主滿 家 
主 畠む 元 宰豐奴 教人祐 奴 
I 山 所 I I I I 
義特の 細 山 足 赤 
尙國者 川 名 利 松 



た *- また 》*£ 

す。 但山名 持豐復 その 家 を 興さん と 欲す。 故に 力めて 攻 むる のみ。 その 餘、 意皆賊 を縱 つに 

いづ くん かんぶん しん! &き くんき、 T ふく た r pt 

在り。 寧 ぞ肯て 感奮 進擊、 君 仇を復 する を必 すと せんや。 故に 足 利 氏の 臣、 唯 その 君 を畏 

るよ の 意 無し。 是を 以て 又 君 を 愛する の 心無し。 故に 曰く、 威權 立たざる なりと。 然ら 

ば 則ち 烕權の 立つ と 立たざる との 所以 は何ぞ や。 曰く、 行 ふ 所 公 なれば 則ち 立ち、 行 ふ 

所 私 なれば 則ち 立た す。 義持、 義敎の 如き は、 小 私 を 行 ふなり。 尊 氏の 如き は、 大私を 行 

ふなり。 足 利 氏の 大私、 赤松 氏に 成る。 故に 禍先づ 赤松 氏に 發す。 天な り。 足 利 氏 或は 

はんぎゃく ほしい ま t ♦* んぎ やく ゆ る 

その 臣の 叛逆 を 縱 にせし むれ ども、 而も 天 は 刖ち必 す 足 利 氏の 叛逆 を赦 さす。 

〇 後土御門 天皇 (其 o 

頼襄 曰く、 應 仁の 亂は、 嘉 吉の變 に水づ くな り。 夫れ 家^ 主人 を 衆 奴の 中に ^ゲ。 而し 

レう さしゅん じ^ん そ n ひミり ふんせん 少 きへ、 - 

て 衆奴逡 1 して、 能く 齟齬す る莫 し。 一 奴 あり、 獨 能く 奮 前 之 を擊斃 す。 則ち 之 を擊斃 

する #、 昂 首して 衆 奴 中に 橫 行し、 而 して 制すべからざる は 固より なり。 而 して sf た 

る 者、 之れ を 引きて 以て 己の 嫉む 所の 者を排 し、 嗣主は 又 之 を 引きて 以て 己の 私を濟 す。 

これ けん いき ほひ ちゃ ラ V5 さ V 

是 之に 權を 授け、 おて その 勢 を 長す るな り。 その 勢 長す るに 及び、 復 之と 抗爭 せんと 

日本 政 記 論文 六 < 1 



〇 私^ 行へ 

ば威襁 立た 

す 



山陽 史論 



六 <o 



り" 足 利 氏の 將帥は 皆 驕婦の 如し。 その 夫 を 畏れざる なり。 數叛 して 禁ぜざる は、 なほ 

しま i ま た ます C 

婦の數 その 夫に 背き、 旋 その 家に 歸る がごと し。 是を 以て 之 を輕ん する こと 益^し。 加 



庸懦 ー 凡庸 

怯懦 



逗携 ! c> 

まリた ゆむ 



ふるに 怨隙を 以てす。 側目咆 怒す るは侬 しむに 足らざる なり。 満祐の 如き は、 その 尤な 

る 者の み。 初め 義満の 世 威令 稍 振 ひ、 諸 將敢て 上 を 戴かざる 者莫 し。 而 して 義持 i 、幸に 

い *< 'いう 九ん みん ちょ、..' 

して 時に 事無く、 優游 宴晏、 赤松 持 貞を寵 す。 満祐 之と 訴 して 直 を 得す、 怒りて その 第 

れ八 しょ 

を 焚き、 邑に據 りて 叛 する や、 敎を 下して 之 を 討つ。 而 して 諸將肯 て往 かす、 連署して 

満 祐を赦 さん こと を 乞 ふ。 已むを 得すして 之を聽 す。 足 利 氏の 烕權、 是に 於て か S る- 

に 足らざる なり。 則ち 满祐の 目、 將軍 無き, J と 久し。 而 して 義敎 則ち 以て 己を畏 ると 爲し、 

之 を 遇する 無狀、 その 女 を 殺して 恤 ます、 復 その 怨叛を 致す に 至る。 幸に して 充く之 を 

必 る ちか ふん ゑんむ ね み 

降し、 復赦 して 之 を 近づく。 満 祐憤怨 胸に Sf つ。 而も 義敎 以て 意と 爲 さす、 曰く T 大榴我 

に 在り、 彼我 を 奈何と もす る 無き なり」 と。 是に 於いて、 亦 持 貞の從 子 を 庇 ひ、 满祐 に讒し 

て、 之が 邑を 割予 せんと 欲す。 满祐 たる 者、 何ぞ肯 て 坐して その 令 を 受けん や。 簡に叛 く 

や、 我 を 能く 誅 する 莫 きなり、 今 是を弑 する も、 誰か 能く 我 を 禁ぜん と。 是れ その 敢て刃 

を その 君の 腹に 割す 所以な り。 諸將 赴き 討つ といへ ども、 亦 前 役に 忸れ、 逗撓 して 進ま 



疾視す— 邪 

魔 者 扱 ひに 

す, る 



るな り。 義敎 のこの 禍を 速く や、 その 威 權を恃 むこと 太 だ 盛なる に 由る にあら す や。 近時 

織 田 信 長の 弑に 遭. ふが 如き、 これの み。 曰く 信 長 は 則ち 然り、 義敎は 則ち 然ら ざるな り。 

たの ゐ けん 

義敎 自ら 以て 威權 己に 立ちて、 恃む べしと 爲 すが 爲 めな り。 足 利 氏の 威權の 立たざる は 

】 世に あらざる を 知らざる なり。 而 して 之を恃 みて 恩 意 を その 臣に 加へ す。 この 禍を逑 

く 所以な り。 夫れ 恩 意と 威 機と、 一 を闕く 可から す。 而も 義敎は 則ち 兩 つながら これ 無し。 

はん ダ やく じんしん いた r & 

何 を 以て その 臣の 叛逆せ ざる を 保 せんや。 夫れ 人臣の その 君 を 戴く 所以 は、 その 威 ありて 

おそ おん あい おそ りよ 5 はん くわ 

畏る 可く、 恩 ありて 愛すべき を 以てな り。 愛して 之を畏 る、 是を 以て 凌 犯の 禍 無し。 然ら 

すば 道 を 行く の 人の み。 何の 至らざる 所ぞ。 然り とい へ ども、 唯だ畏 るべ きなり、 而 して 後 

愛すく し。 粱すべ くして 畏 るべ か ら すば、 則ち その 愛すべき 者、 終に 久しから す。 今 夫れ 妻 

の 夫に 於け る、 亦な ほ臣の 君に 於け るが 如きな り。 義を 以て 合する 者な り。 愛して 舍 てす, 

以て その 夫妻 を 全くす。 人々 之 を 知れ ども、 畏 る-所 あるに あら ざれば、 刖ち 以て 全くす 

ベから ざる を 知らざる なり。 畏れ ざれば 則ち 忸れ、 忸 るれば 則ち 之 を輕ん す。 之 を輕ん 

する の 至、 心外に 嚮ひ、 而 して その 夫 を 疾視す。 甚 しき は 則ち 陰 かに 之 を斃 し、 以て そ 

の 私する の 者に 從ふ。 皆 初め その 夫 を 愛せざる 者に は あらざる なり。 之 を 畏れざる 者な 



日本 政 記 論 文 



六 七 九 



山陽 史 ji 六 七 A 

* れ た W たす 

義持、 義敎 の爲す 所を觀 るに、 S 然らす や。 義敎 の爲に 計る 者 は 縱ひ持 氏 を 右け す、 攻 

めて 之 を ra せし むる も、 更に その子 を 立て、 或は その 封を析 き、 以て 數 子に 傳へ、 憲 實の不 

臣を誚 め、 代 ふるに 衆望の 馬す 所 を 以てせば, 刖ち 一 處置 にして、 關 東の 心 盡く悦 服 せん。 

是 より 以往、 縑 食の 君 相 を廢 置せば、 その 權を盡 く 京師に 歸 せん。 惜 いかな、 義敎の 以て 

すで た ひら みづか , - C , I 

此を 語る に 足らざる や。 義敎已 に 關東を 夷け、 自ら 以て また 患 ふるに 足る 者 無しと 爲し 

^よ- C ます -き んナ、 T ^ y. きつ ぉラ にん らん 

盆矜驕 して、 以て 將 帥の 服せ ざる を 致す。 嘉吉 の禍、 應 仁の 衝相 因りて 作り 子孫 

終に 細 川 氏の 弱む る 所と 爲る。 空名 を 上に 擁すと いへ ども、 而も 縑 倉と 奚ぞ異 らん や。 

〇 後花園 夭 皇 (其 二) 

叛逆 は 罪な り。 逆 は弑に 至りて 大罪な り。 故に 弑逆を 行 ふ * は 論ぜす して 可な り ,弑 逆に 

遭 ふ 者の 之 を I く 所以 を 論す ベ し。 足利義 敎の弑 逆に 遭 ふ 所以の もの、 安くに か 在る。 そ 

の 將帥を 待つ に 恩 意 無き に 在る か。 驕 にして 禮を 加へ す、 縐を 信じて 之 を 殺し、 人々 を 

か ち ぶ こ 

して 自ら 危 ましむ。 赤松 満祐 無しと いへ ども、 而も 恐らく は 究れ. さらん。 頼 襲 n: く 是 

听謂 その 一 を 知りて、 未だ その 二 を 知らざる なり • 二と は何ぞ や。 曰く、 威權の 立た ざ 




嗣 あり、 義 嗣は義 持の 弟、 その 深く 忌む 所な り。 故に 持 氏 を 右け、 氏愨を 除く。 その 心 は 私 

なり、 而 して その 跡 は 則ち 公な り。 以て 闢柬將 士の心 を 服す るに 足る。 義 敎の繼 ぎて 將軍 

し, じ ,き たす 

と爲 るに 及び、 持 氏 亦 執事 憲實と 隙 あり。 則ち 窻實を 右け て、 以て 持 氏を斃 す。 蓋し 義 

持嗣 無し、 持 氏 立たん こと を冀 ふ。 而 して 義敎佾 服を脫 して、 壇に 登る。 故に その 心服 

せす。 憲實 以て 口 實と爲 し、 之を義 敎に訴 ふ。 その 忌む 所に 屮 りて、 以て その 援を 得。 義 

敎の 意、. 必す曰 はん、 吾是 時に 乘じ、 斃 して 之 を 減す、 父祖の 爲 さんと 欲して、 未だ 能 は 

A づか 

ざる 所、 而 して 我 之 を 能くす るな りと。 その 實義敎 能く 持 氏を斃 すに あらす, 持 氏 自ら 

强 臣の 計に 斃 るよ なり。 而 して 義敎、 臣を 右け て 君を滅 す。 何 を 以て か 將士の 心 を 服せ 

んゃ。 是を 以て 結 城 氏 朝の 如き 者、 措 氏の 孤 を 奉じて 兵 を 起す や、 亦 憲實に 之 を 平 けんこ 

* へ したが &づか のみ » , 卜 

と を 命ぜる も、 憲實肯 て 義敎の 令に 循へ るに あらす 自ら その 患 を 除け るな り その後 將 

ゥ こ いた *t なほ ゆ 

士界び 遣 孤 を 求めて 主と 爲す。 而 して 上 杉 氏 更に 將 軍の 子 を 戴く。 將 士仍將 軍の 子に 之 か 

すして 管領の 子に 之く #、 以て 人心 を 見る 可き なり。 故に 天下 を 治む る 者、 常に 人心の 

てんか わ けん むか 

嚮ふ 所に 從ひ、 以て その 事 を 成す。 事 成りて 天下 吾が 權を 仰ぐ。 人心の 嚮ふ 所に 從はざ 

やぶ 

る稃、 一時に 克っ といへ ども、 而も 未だ 久しから すして 壞る。 壞 るれば 則ち 我が 權廢 す。 

= 本 政 記 論文 六 七 七 



內兩^ 迫 逼の宗 
、家 犯り 犯 藩 藩 

扇 T すての I 
主禍 同 
谷山權 I 宗 



山 陽 史論 I 六 七 六 I I — 

X いく わく 

强大に 憑り、 以て 相噬 攫して 制すべ からす。 以て その 天下 を 失 ふに 至る。 豈に術 を 知ら 

ざるの 過に あらす や。 賴襄 曰く、 獨足利 氏の みならざる なり、 豐臣 氏の 天下 を 得て、 旋 

之 を 失 ふ 所以、 此の 如し。 

〇 後花園 天皇 (其 C 

賴襄 曰く、 足 利 氏 軍府を 京師に 開きて、 宗藩を 嫌 倉に 匿く。 縑 倉の 上 杉 氏 を 有する、 なほお 

府の細 川 氏 有る がごと きなり。 皆 輔佐の 功 あり、 而 して 亦逼 犯の 禍 あり。 細 川 はな ほ,: s 山、 

斯 波の 僚 有りて、 以て 相 制する に 足る。 上 杉に 至りて は、 獨任世 壟 二君の 如し。 焉ぞ禍 

無き を 得ん や。 然れ ども その 分れて 兩 家と 爲り、 更 りて 執事に 任す るに 頼り、 是を 以て 之 

が 上た る 者、 以て 暫く 安き を 得た るの み • 而 して 京師 は刖 ちその 危を 利す るな り。 尊 氏の 

A づか みく 》\ ぅミ つね 

自ら その子 を 封す るが 如き、 論す る 無き のみ。 義詮、 義満 より、 族屬 漸く 疏く 、特に 鎌^と 相 

圖る。 故に 上 杉 氏 を 誘 ひ、 以て 之を觚 す。 而 して 上 杉 氏 も 亦 京 府を煖 き、 以て 重き を 爲す" - 

君臣の 際、 常に 嫌 隙 あり。 將軍 たる 者、 以て 是 彼の 不利に して 我の 利と 爲 すなり。 獨上杉 氏 

はん たす たす 

憲の持 氏に 叛 する や、 將軍義 持 氏 憲を援 けす して、 持 氏 を 右く る は何ぞ や。 氏^の (M に^ 



Ml 顔很 



宗府— 室町 

幕府 



還俗の 將軍 

1 義教 



し、 恩 を 推し、 その 鹿 莩を封 じ、 以て その 勢 を 分つ。 是賈 生, 主 父の 漢に 策す る 所以な 

り。 夫れ 人情、 その子 を 愛せざる 莫し。 而 して 子 一人に あら ざれば、 全 を 一子に 傳 へん 

は、 分ち て數 子に 傳 ふるの 樂し きに 若かざる なり。 彼の 樂 しむ 所に 因り、 以て 我が 術 を 

施す。 何の 爲し 難き かこれ あらん。 而 して 義満爲 さ r るな り。 ,に 之 を その 宗族に 爲さ 

ざるの みならす、 また 之 を その 家に 爲 さす。 何と なれば、 義満、 少子 義嗣を 愛し、 その 

位 望 を 崇高に す。 而も 之が 所を爲 さす。 是を 以て 義 持の 猜嫌を 招く。 失れ 海內に 封建す 

モ, r-*- くしんれ い い i, おの. (- »* に おのれ レ ていせき 9J てん 

る、 宗族 臣隸 の邑、 各數 州に 跨がる。 而 して 己の 子弟 尺 土の 安き 無し。 慎と 謂 はざる 

可 けんや。 義 満何ぞ その 縑 倉に 加 與 する 所の もの を 以て、 以て 義嗣 に與 へざる か。 則ち 

以て 縑倉を 制し、 而 して 宗府の 嫌を絕 つべ し。. 是ー舉 にして 兩 得する ものな り。 誰に 憚 

りて 之 を爲さ r るか。 或は 明德、 應永兩 役の 沒收 する 所 を 以て、 以て 盡く諸 將に與 へす、 

. けんが あ ひせい ぶつじ ゃラ さから 

而 して 以て 子弟 を 封 じ、. 犬. 牙 相 制せし めば、 亦必 すし も 物情に 忤 はす。 此に出 づるを 知 

ら すして、 乃ち 義嗣 をして 義 持の 手に 死せ しむ。 義 嗣亦此 に 懲り、 盡 くその 諸子 を 僭と 



爲す。 是を 以て 遠 俗の 將軍 あり、 閼東 服せ す、 兵を稱 へ、 相圖 るに 至る。 幸に して 克っ 

はん ゐ ♦* す f» こ りつ しんれいます {• き たん おの/— 

を 得ね る も、 その 藩 維 を 失 ひ、 足 利 氏 益 孤立す。 而 して 其臣隸 益 忌憚す る 無し。 各 



日本 政 記 論文 



六 七 五 



陽 史 論 



六 七 四 



之 を 小に す。 天下 を 治む る 者、 諸侯の 犬なる 者に 逢へば、 亦, 析 きて 之 を 小に す。 然る 後 

やくそく s じゅつ - it 

我が 約束 を聽 かしむ ベ し。 足 利 氏 この 術 を 知らす。 {U! なり その 天下 を 治む る 能 はさる や。 

その 將 帥に 於け る 鴕に然 り。 宗族に 於け る も亦然 り。 尊 氏の 少子 を 封す るに 八州 を 以て 

し、 その 力 を强大 にし、 以て 敲國を 制し、 而 して 諸將を 鎭壓 する、 亦然ら ざる を 得ざる の 

たの fr, は; - しャラ す. い いだ 

勢な り。 而 して その後、 その 强大 を恃み 、毎に 宗家 を圆 るの 意 あり。 將 帥の 異を 懐く^:、 亦 

よくたい しう し A あ ふ ゎづか さいしん よ 

之 を 翼 戴して 名と 爲す。 以て 衆 心 を 煽る に 足る。 義満究 む る 能 はす、 纔に そ の. 宰臣に 頼り 

て、 之 を 調停し、 輒ち恩 を 加 ふる 所 あり。 旣に足 利莊を 加へ、 又. 陸奧、 出 羽 を 加 ふ。 或は 彼 

こ tt てんか けいへ い 

の 請に 出で て^む 能 はざる か。 然ら すば、 八州 已に 天下 勁 兵の 處と爲 る。 而も 加 ふるに 奧 

た f そ ゆたか 

羽 を 以てす。 その 大ゃ 極れ り。 唯に 之 を 殺-ぐ 能 はざる のみなら す、 乃ち 之を豐 にす る こと、 

かく はた せい そラ * く ふ そ 

此の 如し。 將何を 以て か 之 を 制せん。 夫れ 宗族の 封 は、 父祖の 授 くる 所、 故 無くして 之 を 

殺ぐ を 得ざる や、 固より なり。 然れ ども 大內 の亂、 關 東の 之 を黨援 する、 已 に明設 あり。 之 

じ や *r- さく 

に 讓削を 加 ふるに、 我 豈に辭 無 からん。 怨みて 叛 すれば、 彼 は 曲に して、 我 は 直な り。 異日 

義敎 の舉、 固より 義満 の優爲 する 所、 旣に克 たば、 改めて その 胤 を 立つ る も、 誰か 不可と: n 

はん。 卽ち 然る 能 は ざらん か。 所謂 析 きて 之 を 小に する、 術 無しと 爲さ, i るな り。 3Z1 を^ 



趨搏— 飛び 

翔りて 捕 ふ 



胚胎 さ 

基^り 



長 は その 饑者 を縱 つのみ。 義満は 則ち 旣に 飽きた る 者を縱 つ。 彼 寧 ぞ肯て 我が 爲に 趨搏 

せんや。 將に 反りて 我を搏 たんと する のみ。 

〇 稱光 天皇 

頼襄 曰く、 足 利 氏の 能く 天下 を 得る 所以の もの は、 その 多く 土壤を 割き、 諸 將に與 へて 

をし 

恡ま ざり しにぬ る。 而 して 天下 を 治む る 能 はざる 所以の もの も、 亦此に 由る。 尊 氏、 義詮、 

A すゐ はじ ,'rzt これ 

業 を 南朝 未衰の 時に 創む。 勢然ら ざる 能 は. K 義满に 至りて、 天下 足 利 氏 を 戴く こと、 之 

久し。 而 して 南國 日に 蹙り、 又 能く 內亂 を钗 め、 威令 大に振 ふ。 この 時に 乘 じて、 以て 

之 を 裁 制せす。 而 して 仍ほ 父祖の 遣 習 を 襲 ふ。 動もすれば 輒ち數 州を舉 ゆて、 將 帥に 如 

じゅ へん こ そく 

授す。 賞して 之に 授く、 なほ 可な り。 又 貶して 之に 授 くる 者 あり。 豈に 姑息 以て 事 無き 

を 希 ふか。 抑驕 らして 之を斃 さんと 欲する か。 術 無き 者と 謂 ふべ し。 而 して 何 を 以て 

天下 を 治めん や。 異時 嘉吉、 應 仁の 禍、 已に此 に 胚胎せ り。 察せざる ベから ざるな り。 夫 

れ 天下 を 治む る は、 譬 へば 薪 を 縛す るが 若し。 薪大 にして 少きは 小に して、 多き の 縛 束し 

易き に 若かざる なり。 故に 薪 を 縛す る教、 その 大 にして 縛し 難き ものに 逢へば、 析きて 



本 政 記 論文 



六 七三 



山陽 史 論 



六 七 二 



和 泉、 紀伊を 加 ふ。 是義弘 の 能く 亂を 作す 所以な り。 夫れ 義弘西 道に 雄 跨す といへ ども、 

紀、 泉 を 得 ざれば. 何 を 以て か 能く 亂を畿 句に 作さん や。 然り といへ ども、 亂を畿 句に 作 

れんけつ tt つ こ 

す は、 義引に 在りて は 計 を 失すと 爲す。 義弘 嘗て 大友、 今 川 二 氏と 連結して、 以て 跋扈 を 

謀らん と 欲す。 今 川氏肯 かすして 止む。 栗して その 計の 如くなら しめば、 則ち 義満の 之 

を 夷ぐ る、 必す 歳月 を 費し、 堺 城を拔 くの 速なる が 如き 能 は ざり しならん。 朵 して 兵を畿 

甸に舉 けんか、 亦 之を義 满の薨 後に 舉 ゆば、 則ち 義 持の 不武 なる、 何 を 以て か 之 を 制せん。 

是亦義 弘の計 を 失せるな り。 義弘の 計 を 失する は、 義満の 幸な り。 然 らば 刖ち義 满の能 

ちラぃ モも {- ひつ ベ 

く 二 氏を誅 夷す る、 その 武に. S ると いへ ども、 抑亦荦 あり。 之を誅 夷す る、 必 とす 可 か 

ら ざるな り。 而 して その 叛 且つ 亂 する は、 刖ち必 とすべし。 之 を 養 ひて 能く 叛亂 せし むる 

なり。 故に 曰く、 威 を 用 ふるに 善な りと い へど も、 而も 恩 を 用 ふるに 善なら すと。 義满、 義 

弘を 罵りて 曰く、 「豎子, その 强大 を恃 み、 廼 公の 然 らしむ る を 知らす」 と。 則ち 義满も 亦 

みづか 1 ' ' / a しふ 6.0 ひミ 

自ら 之 を 知れり。 而 して 之 を爲す は何ぞ や。 豈に 未だ 父祖の 遣 習 を 篛ふを 免れざる か。 或 

曰く、 「泉、 紀を I 一人に 加授 する もの は、 .11 朝 を圖 るな り。 なほ 近時 織 田 信 長の 諸將 をして 

各 敵地 を 取り、 以て 自ら 封ぜ しむる がごと きなり」 と。 襄 曰く、 之 を に譬 ふれば、 信 



〇 後小松 天皇 



頼襄 曰く、 吾 旣に足 利 義満の 善く 威 を 川 ひ、 その 父祖の 恩 ありて、 威 無き が 如きに あら 

ざる を 論ぜり。 然り とい へ ども、 猶其威 を 用 ふるに 善くして、 恩に 善から ざる を惜 むの み。 

義満の 威 を 用 ふる、 その^ 大 なる もの 二。 曰く、 氏淸の 叛を誅 するな り。 曰く、 義 弘の亂 

も 夷ぐ るな り。 武と謂 ふ 可し。 而も 何ぞ其 をして 叛 且つ 亂 せしめ ざるに 如かん や。 其 を 

して 叛 且つ 亂せ しむる もの は、 義満の 致す 所 か。 曰く、 然り。 夫れ 山 名 氏數尊 氏義詮 の 

しん. a やく -T 

世に 叛す。 叛 する 毎に、 侵略す る 所 あり。 旣に服 すれば、 因りて 之 を 有す。 是を 以て 海内 

六 分の 一 する. に 至る。 義満削 讓を行 はすして、 而 して 又 河內、 紀伊を 加 ふ。 是氏淸 の 

よん ぶんり ゃラ ち 3 

能 X 叛 する 所以な り。 幸に して その子^ その 國を 分領 し、 その 勢 合せす。 義 潢 因りて 誅 

鋤の 計 を 施す を 得たり。 否 ざれば 刖ち 制し 難. きなり。 その 大內 氏に 於け る も亦然 り。 大 

內弘 世、 亂に乘 じて、 擅に 周 防、 長 門の 地 を 有し、 義詮の 左右に 賂ひ、 一 一州 守護 を 授かる を 

得、 又 加 ふ るに 石 州 を 以てす。 旣に已 に强大 なり。 義弘に 至り、 又 今川貞 世^ 譜 し、 その 任 

え けいりゃく せんこ ラ 

に 代る を 得、 鎭 西を經 略す。 故に 又 筑前を 加 ふ。 氏 淸を誅 する の 戰功を 賞す るに 及 ひ 又 



日本 政 記 論文 



六 七 



ぁ枯 故の 老の^ し權 I 定て 1 艴 
さ 骨事稱 門時廢 恣^ 唐篛 む然 
す I あ 生 定立に 專 末の つ と 
尊 リ天 策す 夭ら 宦國 とし 
氏 し 子國此 子に 官老 して 



山陽 史 論 ^七 〇 

てんめい みく レん れんこく はんきよ だくらん 

りと いへ ども、 而も 天命 大に定 り、 以て 今に 至る。 賊臣の § に蟠據 し、 朝廷 を 濁亂す 

る、 百餘 年なる もの、 畢く 誅竄に 伏す。 朝廷 その 明に 復し、 その 一統 を大 にす。 口 

月の 苒び 天に 中して、 山河 皆 明なる が 如きな り。 而 して 何 を 苦しみて なほ その 口吻 を 汚 

し、 北と 曰 ひ、 北と 曰 はんや。 それ 北と 曰 ふ は、 則ち その 足 利 氏の 門 生と 爲り、 而 して 小 

みづか を これ しんし い さう じゅ ミ b 

朝廷 を 以て 自ら 處るを 見るな り。 此臣 子の 當に諱 むべき 者に あらす や。 今 夫れ 童 孺を執 

きんぜん 

へ、 之に 問 ひて 曰く、 汝は 義貞、 正 成の 徒な りと。 則ち 欣然と して 喜ばん。 曰く、 汝は尊 

ふつ ぜん A づか てい 9< 

氏の 屬 なりと。 則ち 艴 然として 怒らん。 今 自ら 北朝と 稱す。 一 則ち 勢 必す足 利 を 以て^ 策 

こくら、 フ じんしん そ む 

の國 老と爲 し、 而 して 新田、 槠を 以て 賊と爲 し、 せんじて 天下の 人心に 背き、 萬 衆の 唾 

罵を萃 むる は何ぞ や。 夫れ 天と 祖宗と 驟に已 に M を援 けて 天に 升れ り。 而 して 就く を 欲 

ちょ, f 'ちラ こ こつ かい し こん ふんく わい しづこ あへ せんでき 

せす。 家 中 の 枯骨 を 以て 意に 介し、 而 してな ほ 厠 溷糞穢 の 中に 陷り、 終 古肯て 洗滌せ 

これ A づか そこな そこな 

す。 是 所謂 自ら 賊ひ、 その 君 を賊ふ 者な り。 余 は 則ち 敢て せす。 乃ち 臣 子の 心の み。 此 

の義 明なら ざれば、 則ち 萬 世の 後、 天地 稃變 して、 復姦雄 足 利 氏の 如き 莕 あり、 その 私 

べん よ 5 りつ 1A づか め ひひ 9 

便す る 所 を 擁立せば、 則ち 今の 自ら 北朝の 臣 子と 稱 する 者、 將に胥 率ゐて 之に 從 はんと 

す。 是亦ー 北朝 を 生す るな り。 吾焉 を惧 る。 以て 辨ぜ ざるべ からす。 



或 —猪 飼 敬 

所 

〇 神武 以還 

大 一統の 朝 

廷 



瑣尾 流離— 

勢 小に し^ 

定住の 所^ 

得ざる、/ と 

蕩滌— 冼ひ 

そ 〜ざ 



足 利氏滅 して 皇統 儸 在し、 天下の 心仰嚮 せざる 莫し。 而 して 神器 千載に 奠 安す。 この 輩 

も 亦 以て 瞑すべき なり。 襄 故に 曰く、 祖宗の 意、 天人の 心の 嚮ふ所 を 正統と 爲す。 正統, 

の 在る 所、 神器 之に 歸す。 神器 在る 所、 正統 之に 歸す るに あらす。 

あるひ! M ぜ ぃミ, 7 そ も- 

或 頼 襄に謂 ひて 曰く T 子の 正統 を 論す る は 似たり。 抑 子 も 亦 北朝の 臣 にあら す や。 何 

ぞ諱 まざる」 と。 曰く、 「何ぞ や。 子の 所謂 北朝 安くに か 在る。」 曰く、 「今の 朝廷 是 なり」 と。 

あ f いくねん だいいつ ミぅ 

襄 曰く、 於戲、 今の 朝廷 は、 神武 以還大 一統の 朝廷な り。 何 を 以て 北と 曰 ふ。 北と 曰 ふ 

なんせん 

者、 延元、 元 中の 間、 天子 南遷 して, 賊臣 私に 君 を 立つ。 このと きに 當り、 南 は 則ち 正 

しく、 北 は 則ち 僞 なり。 南に つか ふる は榮 なり、 北に 事 ふる は 辱な り。 故に その 稱を別 

たざる を 得ざる なり。 已 にして 天 そ G 禍を 悔い、 祖宗 その 衷を誘 ひ、 和議 を 講じ、 南北 

こんいつ さ び り .7 り きづ か、 r- しき 

の 混 一 を 成せり。 夫れ 後鵃 山の 瑙尾 流離 を 以て、 その 神器 を授 くる や、 肯て降 式に 從は 

す、 必す 父子の 禮を用 ひたり。 足 利 義満の 兇 威に して、 而も 奪 ふ 能 はざる なり。 是に 於い 

じ い れいぜん 

て、 後小松 始めて 器 を 傅へ 禪を受 く。 後: s 山 を 尊み て、 太 上 天皇と 爲す。 事懿禮 善、 以 

て此 より 前の 分派の 陋 を盪滌 し、 上 は、 列 聖の統 を 受け、 下 は 後世に 顯 示す るに 足れり。 

蓋し 天と 祖宗と 實に之 を 佑く。 足 利 氏の 能く 爲す 所に あらざる なり。 その後 S に sfe あ 



日本 政 記 論文 



六 六 九 



細 有 滅跡澌 
川 譏 亡方衋 
賴 のす も 灰 
之士 な减 
等 I ぐ I 



山陽 史 論 I 圍六六 八 

して その 南朝に 立つ も、 亦 その 劍 あり、 璽 ある を 以てに 非 ざ, るな り。 夫れ 南の 俸祿 は、 北 

の 利に 如かざる なり。 , その官 爵 は 北の 權 あるに 如かざる なり。 而も その 艱難 を 相與に 

み ぉミ かんな 5 ち t み つく しじん くわいめ つ 

共に し、 首 を 折り、 躬を 損し、 肝腦 地に 塗れ、 子孫 賊 手に 殲 され、 澌盡灰 威して 而し 

て肯て 南に 背きて 北に 嚮 はす。 有識の 士之を 患 ふるな り。 是を 以て 南北 合 一 の 議を舉 ゆ、 

くわ さい A ん おも 

以て その 心 を 慰め、 その 禍を弭 めんと 欲するな り。 抑々 後醍醐、 祖宗 濟 民の 心 を 念 ふこ 

と、 その 位を樂 み、 欲 を 伸 べんと する の 志に 勝た すして、 この 志 を 成さん こと を 求めたり。 

而 して 天下の 忠臣、 義士、 公卿、 武人、 愚 夫、 氓隸 をして、 この 禍を 五十 餘年 問に 被む らし 

む。 祖宗 終に 此を 右け ざるな り。 是を 以て 終に その 胤を絕 てり。 而 して 神器 北朝に 歸し、 

そ む ? 7 九い そん かへ. w- f 

舴を 無窮に 傳ふ。 亦 天、 祖宗の 德を 忘れす して、 その 裔孫 を眷 みるな り。 此に 至る に 及 ひ 

て、 何ぞ必 すし も 彼此 を 論ぜん や。 天と 祖宗と より 之 を 視れば 一な り。 而 して 足 利氏猶 

曰く、 「此 吾が 家の 立つ る 所な り。 彼 は 之 を 仇す る 者な り」 と。 世の 無 識^;、 又^ 朝 を 追 

斥し、 その 忠臣 義士 を 呼びて 阈 賊と爲 し、 是非 を顚 倒す る 此の 如し。 知らす、 向 朝に 忠 

なる 者、 特 南朝に 忠なるの みに あらす、 祖宗に 忠なるな り。 この 輩微 りせば、 足 利 氏肯て 

A ム饞を 顧み、 以て 皇族 を 戴かざる なり。 刖ち この 輩 之 を 北朝に 忠 なりと 謂 ふ も 亦 可な り。 



〇 何 ぞ必す 

しも 彼此^ 

論ぜん や 



氓隸— 下賤 一 

の 民 



れ 神器の 南に 在る は宜 なり。 儻 北に 在らし めば、 北 を 正と 爲 さんか。 南の 正た る 所以の 

» しか そ f あた ふく わ ラレつ 

者 は 神器の 在る と Ka ら ざると に 在らす。 夫れ 後醍醐 天皇 祖宗の 爲に 仇を復 し、 王室の 

大恥を 雪ぐ。 而 して 猾 賊^: び 起り、 その 己に 便なら ざる を 以て、 更に 擁立す る 所 あり • 兩 

ていき,,' おのれ 

帝 統を爭 ふの 狀を 成し、 而 して S 志 を その 間に 成す。 曰く 、「吾 天下な 天子に 爭ふ にあら 

す。 天子、 天子と 爭ふ. なり」 と。 天下の 利に 趨り、 恥 無き 者、 靡 として 服從 す。 亦 曰 

く、 「吾北 朝の 天子に 仕 ふ、 足 利 氏に 從ふ にあらざる なり」 と。 其 仕 ふる 所の 者 は、 乃ち 足 

利 氏 仍之を 門生視 する 所なる を 知らざる なり。 豐仁 親王の 立つ や、 當時 民間、 「王 一戦の 

功 無くして、 將軍 之に 帝位 を 賜 ふ」 と E ふに 至れり。 夫れ 此の 如し。 假に 神器 をして 北に 

在らし むる も、 之 を 正と 謂 ふ を 得ん や。 是を 以て 少しく 心 ある 莕は、 皆 相 率ゐて 以て 南に 

就け や。, 公卿 然り、 武人 然り、 愚 夫 氓 隸亦然 り。 而る を況ゃ 神器の 靈に 於いて を や。 その 北 

に 在らす して、 南に 在る は宜 なり。 祖宗の 誘爲 すると ころな り, 天道な り。 而 して 北人强 

詞、 之に 勝らん こと を 求む。 曰く 「尊 氏は劍 なり、 良 基 は 璽な り。 夫れ 劍 無く、 璽 無き 

も 可な り」 と。 必す贼 を 以て 劍と爲 し、 無恥 無義の 大臣 を 以て 璽と 爲し、 而 して 之 を 朝 

廷と謂 ふ。 是 忠臣 義士の 立つ る を 欲せ ざ 所以、 その 劍 無く 璽 無き を 以てに 非ざる なり。 而 



本 政 記 論 文 



六 六お 



, 陽 史 論 



A 、六 六 



震摺〜 震 ひ 



の 如きに 非ざる なり。 昔 者、 S 氏 藩鎭を 姑息し、」 叛將强 臣、 天下に 羅列し、 手 を 措く ベ 

からざる 荞の 如し。 憲宗淮 西 を 平 一す るに 至りて、 諸鎭精 し、 恩威 竝び行 はる。 韓愈 

そ, の唯斷 じて 以て 之 を 成す を稱 せり。 義満は 憲宗に 倫し からすと いへ ども、 その 斷 じて 

以て 之. を 成す は 一な り。 是 故に 人 主 は斷ぜ ざる を 患 ふるのみ • 苟も 以て 中に 斷 する あわ 

ば、 何 ぞ紛亂 を 之れ 治む 可から ざらん や。 然り といへ ども、 之を斷 ぜんと 欲せば、 必 

す 先 づ之を 謀る。 謀らす して 斷 すれば、 その 斷達 すべから す。 適 以て その 威 を 損する に 

足る のみ。 故に 謀 を 貴む。 謀 は 必す與 にす る 所の 荞 あり。 義満に 細 川 頼 之 ありて 與に謀 

る。 なほ 窻宗の 裴度を 有する がごと し。 能く その 斷を 達する 所以な り。 尊 氏の 高師直 を 

任す る は、 代 宗の元 載の 如し。 義詮の 佐々 木 道 譽を寵 する は、 德宗 の麋杞 の 如し。 與に 

謀る 所 此の 如し、 而 して 悪ん か斷 ぜん。 



〇 後龜山 天皇 £三) 

兩統の 分立す る 五十 餘年、 此に 至りて 合せり。 その 未だ 合せざる に 常り、 敦を 正を爲 し、 

勃 を 閨と爲 さんか。 或 曰く、 「神器 南に 在り、 ^ を 正と 爲す」 と。 賴襄 曰く、 然らす • 夫 



惴々 然 1^ 

る 5 貌 

觖望? r 不 

滿^ 抱き 



〇 義滿の 恩 

威 



氏 は、 知勇 人に 過-ぐる あるに あらざる なり。 特 天下の 王政 を 厭 ひて、 武治を 思 ふに 因り、. 

もん す もたい A づか わ J- 

1 將 種の 門 望の 最も 高き 者 を 得て、 之 を 推戴し、 各自ら 利 を 分たん と 欲する のみ。 尊 氏 

€ S さ きん ほく わか. つ W ずゐ 》\ ぜん .UJi* 

亦 之 を 知る。 是を 以て 土地 を 割き、 金 帛を頒 ち、 務めて その 欲を充 し、 惴々 然として 唯 

彼の 觖望 し、 我に 背きて 去らん こと を 恐る。 然れ ども 背きて 去る 者、 足 相 踵ぎ、 而 して 

モむ 44 た し ttn- し 

禁 する 能 はざる なり。 旣に 背きて 復來る も 問 はざる なり。 數 背き、 數 來り、 坐して 

强大を 成す も、 削る 能 はざる なり。 他 無し、 彼 その 初め 封 を 受け、 賜 を 得る もの、 忸れ 

f べん ひお ふる 

て 以て 當 然と 爲し、 而 して 以て 德を爲 さす。 一 たび 己に 便なら ざる あれば、 臂を掉 ひて 

ゆ たミ せ すで そ. U 

逝く。 饒ひ 貴め て 之 を讓 めしむ る も、 彼 や 必す曰 はん、 汝已に その 君に 叛 けり、 何を以 

そ ひ これ しょは, G しゃ 5 

て 吾が 汝に叛 く を 禁ぜん やと。 是尊 氏、 義詮 の、 諸 叛將を 貴む る 能ばざる 所以な り。 然れ 

ども 旣に 之に 施す に 恩 を 以てす。 是我^ 恩な り。 我の 恩 を 被りて、 而 して 我に 叛く。 我 之 

うれ たの 

を 罰する に辭 あり。 何の 恤 ふる 所 あらん や。 況ゃ 彼の 恃 みて 以て 我に 叛く 所の 者 は、 土 

かふへ い か はんぜい ちラ きょく ゆる 

地な り. 甲兵な り。 皆 吾が 與 ふる 所に 藉り、 用 ひて 以て 我 を 反噬す る を や。 是誅殛 釋す無 

かるべき 考 なり。 是義满 の 戈 を 氏淸義 弘に用 ひて 疑 はざる 所以な り。 足 利 氏の 威、 是に 

於て 始めて 天下に 加 はれり。 而 して 後 その 恩 能く 人 をして、 之 を 德とゼ しむ。 復前 二世 



日本 政 記 論文 



六 六 五 



山陽 史 論 六 六 四 

效 にあら す や。 賴之 再び 入る に 及び、 先づ 向南の 賊を斃 し、 後 還 北の 議を 成す。 南北 迭 

立, の 約 を 違 ふに 及び、 怒りて 兵 を 起す 者 は、 楠 氏の 遺荸 なり。 是を 以て 正 儀の 降 その 素 

しん い に しへ らラ せい す ゐ ぼラ ざんかん 

少年 推 鋒の 心に あらざる を 知るべし。 古より 老成の 謀、 少年 推 鋒の 論と 合 はす。 而 して 讒問 入り、 終 

1^311 に 以て 背 敷の 名 を 被む る 者 多し。 近世 片桐且 元の 大阪に 於け るが 如き、 以て 見るべし。 正 

論 儀亦且 元の 類に あらざる を 得ん や。 嗚呼 正 儀 をして、. 誠に 弱 を舍て 强に黨 し、 その 富貴 

を圖 らしめば、 何 を 以て 此を 前にして 南朝の 爲に百 戦し、. その 徒 勞を辭 せす して、 而し 

て此に 至りて 忽ち 降らん や。. 又 何 を 以て 正 平に 降りて、 而 して 弘 和に 歸顧 せんや。 

〇 後龜山 天皇 (其 5 

せいぎょ おん .0 なづ A ひ 

賴襄 曰く、 天下 を 制馭す る は、 恩と 威との み。 恩 之 を 翁け て、 而 して 威 は 之 を 服し、 相 

待ちて 行 はる。 恩 無ければ、 刖ち威 以て 加 ふべ からす。 之 を 加 ふれば、 則ち 我を怨 む。 威 

無ければ、 則ち 恩 以て 施す ベから す。 之 を 施せば、 則ち 我を德 とせす。 夫れ 之 をして 我 を 

怨ま しむ、 固より 不可な り。 之 をして 我を德 とせ ざら しむ、 亦 何 を 以て 之 を 制馭 せんや。 

足 利 氏の 天下 を 制馭す る 能 はざる 所以の もの、 威 無くして 恩 を 施せば なり。 夫れ 足 利 尊 



Kim- 回復 徐 に 匡 復を圖 るべ し」 と" 是を 以て 正 儀の 本意 を 知る 可き なり。 而 して 賴之も 亦 兵 を弭む 

おも、 しほ-^ d ゑん な, e< わん 

るの キ 5 あり。 以爲 らく、 南 人 能く 數 來る 所以の もの は、 楠 氏に 頼れり、 南 患 を 除かん と 

欲せば、 楠 氏と 和す るに 若く は莫 しと。 是を 以て 百方 就きて 和を議 す。 而 して 正 儀の 意、 

之と 克く合 ふ。 是時、 長慶 新に 位に 卽き。 銳 を ほひ、 東西の 諸 將に勑 して、 一 時に 

はか なほ ぜんぎ こ- 

竝び 起ら しむ。 蓋し 京師 を圖る こと、 正 平の 例の 如し。 而 して 正 儀 仍前議 を 執る。 是を 

く じ りつ しはら けんじ 

以て 帝 怒り、 その 宗族 をして 之 を 攻めし む。 故に 正 儀 自立す る 能 はす、 姑く この 權 時の 計 

これみ づか ♦* ね 

をな すの み。 その 意、 今にして 北と 戰ふ は、 是 自ら 亡 を 速く.?。 然れ ども 南に 我 無く 

んば、 刖ち 能く 戰ふ莫 し。 北に 我 あれば、 亦敢 へて 我を軼 てて 南せ すと 曰 ふが 如し。 故 

〇1*«5 以- に 正 俵の 南に 背き、 北に 嚮 ふの 狀を爲 す もの、 是 その 一身 を 以て、 南北の 間を橫 塞し、 以 

ン则 2 む て 闱を存 して、 北を遏 むるな り。 頼 之 も 亦 その 意 を 知る。 因りて 以て 前議を 成さん と 欲 

す。 然ら すば 何ぞ 遂に 南 向の 兵 を 究めす して、 十 年 を 過ぎん や。 その 讒 せらる よ や、 そ 

の 南 を 庇 ふ を 曰 ふに 非ら す や。 是を 以て 山 名 氏 之に 代り、 疾 その 鋒 を 南に し、 而 して 南 

また 

支 ふ^はす。 正 儀 已に賴 之 を 失へ り、 與に 謀るべからざる なり。 是を 以て 復 北に 背き 

^喘 I 餘命 てお に ひ、 怠 を诀 して 防戰 す。 ^朝の 殘喘 十^ をのば す 所以の もの、 豈に 正僙歸 順の 

n 木 政 記 論文 六 六. ー11 



陽 史 論 



六 六 二 



歸順 —元の 

正しき 方に 

立苠る 



儀 蓋し 深謀 ありた るの みと。 已 にして 反覆 之を考 るに、 未だ その 實を餒 にす る 能 はすと 

いへ ども, 差 その 情 を 得る もの あるが 如し。 何 を 以て かその 情 を 得る。 曰く、 亦 その 跡と 

年月と に 因りて 之 を 得るな り。 後村上の 正平卄 三年、 帝 崩 じ、 畏 慶帝卽 位す。 是 より 先 一 

歳、 北朝 足 利 義満を 以て 將 軍と 爲す。 細 川 賴之輔 たり。 後一 歳、 正月、 正 儀 降る。 先づ頼 

之に 見え、 遂に 義潇に 見 ゆ。 その 三月、 和 田 氏の 族 正 儀を攻 む。 是 より 連年 攻 討す。 賴之 

之 を 救 はんこと を 請 ふ。 諸將肯 かす。 賴之 その 言の 行 はれざる を 恥ぢ、 その 職な 辭 せん 

と 欲す。 乃ち 兵を發 して、 その子 弟 を 以て 將と爲 す。 後 戰鬪の 事、 見る 所 無き もの 十 一 一哉。 

後龜 山の 天授、 弘 和の 間に 及び、 頼 之 讒に遭 ひて 斥けら る。 而 して 山 名 氏 入寇し, 連り に 

河、 紀の諸 城を陷 る。 而 して 正儀歸 順し、 山 名 氏と 戰ひ, 敗績 す。 是に 於いて 南國の 行宮 

に屬 する 者、 獨吉 野を存 する のみ。 後 又 十 年 所、 正 俄 蓋し 旣に 歿し、 而 して 賴 之- #び 職に 

任じ、 乃ち 山 名 氏 を 誅滅 す。 間歲 にして^ 北の 和 成る。 初め 正 儀 數命を 受けて^ 師を 

攻む。 細川淸 氏の 行宮に 降り、 京師 を 攻めん こと を 請 ふや、 正 儀 以て 不可と 爲 して 曰く、 

「京師 を 取る は、 臣 一人の カ辨 すべし。 何 ぞ淸氏 を 借らん。 唯 恐る、 旣に 取りて 復失 ふこ 

一 &ウ よく 

と を。 之 を恥ぢ て、 强 ひて 戰は r、 我が 有する 所 を 併せて 是を失 はん。 {uj しく 威力 を 養 ひ 



〇 後龜山 天皇 、其 3 

わ ラレつ こくなん じゅん まさのり つ 

楠 正 成と、 子 正 行と、 竝に忠 を 王室に 盡し、 身國 難に 殉す。 而 して 正 行の 弟 正 儘、 櫳ぎ 

そ ひ か せい はづ かし 

て 大將に 任す。 終に 叛 きて 賊に 降り、 その 家聲を 辱め、 而 して 恥 ぢ ざる は、 人心 無き 者に 

幾し。 中興の 諸將、 忠義 楠 氏の 右に 出る 者 無し。 諸將の 子孫、 未だ 賊に 降る 者 あらす。 而 

かく さんしよ もし はんか ラ 

して 楠 氏 此の 如し。 且つ 諸將は 東西に 散處 して 聲 煖を爲 すの み。 藉叛 降せ しむる も、 未 

あ <t ぐ. 7 xt はんべい レ せき 

賜 尺の 間— だ必 すし も 行宮の 利害に 切なら す。 楠 氏 世 南朝の 藩 屛と爲 り、 南朝 以て 强大 の賊に 咫^ 

近き SE の 問に 抗 して、 亡びざる こと を 得た る こと、 五十 年なる もの、 楠 氏 在る を 以てな り。 一日 

も 楠 氏なければ、 是 南朝 無き なり。 正 儀 王室の 倚 頼と 爲る こと 此の 如し。 而 して 舍て 2 賊 

しんぼく たれ きんじ ラ 

に 降り、 其臣 僕と 肩 を 比べ て恥ぢ す。 孰 か 正 成の 子、 正 行の 弟に して、 此禽獸 ありと 謂 はん 

きょでん しじょ ラ 

志乘 —記錄 や。 楠 氏の 爲に 惜しむ 者、 之 を 旛傳と 謂 ふなり。 然れ ども 北朝の 志乘、 顯然 その^ 月 を 載 

せ、 減すべからざる なり。 且 その 族 之 を 不義と して、 而 して 之れ を攻 むる や、 北朝 爲に援 

軍 を 出 して 王師と 戰ふ。 その 跡 も亦撐 ふべ からざる なり。 賴襄 曰く、 吾 嘗て 楠 氏の 事 を 

さん は, f 

紀し、 之 を 南朝の 脔 志に 徵す。 而も 散亡詳 ならす。 故に 敢て その 虛實 を斷ぜ す。 曰く、. 正 

口木 政 記 論文 六 六 一 



山陽 史論 



六山ハ o 



〇 叛臣 來れ 

ば輒ち これ 

^受く 

逋 逃の 淵 藪 

I 騸け 落ち 

者の 集る 處 

伯仲 云々— 

兄た リ 難く 

弟たり 難し 



て 誰の 罪なる か。 寧ぞ 唯に 此のみ ならん や。 焉を 前にして は 直 義の降 を 納れ、 之 を 佐け 

て 以て その 兄 を 攻め、 焉を 後に して は 直 冬の 請 を 許し、 之を驅 りて 以て その 父を攻 む。 

はんしん そ のか ほく か 5 

時 氏、 氏淸 の屬、 皆 彼の 叛臣、 来れば 輒ち之 を 受け、 之 を 嗷 して 北 向す。 蓋し 天下^ 

ほ た ラ ゑん そづ き きつ ふ せい はくち, 3 

朝 を 望みて、 逋 逃の 淵 齩と爲 す。 その 詭譎 不正、 足 利 氏と 孰れ か 伯仲た る を 知らざる な 

り。 而 して 何 を 以て 天下の 心を激 せんや。 曰く、 然 りと 雖も、 蘇 軾の論 又 言へ る あり。 

さ、 7 , こつ: く ,気づ" あ.^ で :な 

曰く r 曹氏 父子 兄^ 間す 可き の 勢 あり。 その 大臣 骨肉 をして、 內に 自ら 相殘 はしめ、 

然る 後 兵を舉 ゆて 之 を 伐つ。 孔明旣 に その 信義 を 全くす る 能 はす、 又 其 智謀 を 奮 ふ 能 は 

す。 故に a 戰 ひて、 屢 却く。 機 を 失する が爲 なり」 と。 夫れ 南朝 も 亦 その 機に乗じ 

て、 その 謀 を 奮 ふに あらす や。 篛 曰く、 然ら す。 彼 間して 後 之 を 伐つ と 謂 ふの み。 足 利 氏 

だいじん こつ じく. みづか モ こな 

大臣 骨肉 旣に內 に 自ら 相殘 へり。 吾 之 を 間す る を 待ちて、 然るに あらら ざろ なり。 刖ち 

吾 我が 堂々 の 義旅を 整へ て、 之 を 伐ちて 可な り。 何ぞ必 すし も 其 子弟 を 助けて、 其 父兄 

を 攻めん や。 當時源 親 房は稱 して 賢 相と 爲し、 或は 之 を 諸 葛亮に 比する 者、 而も 又 その 

さん めいけ ラ やぶ ら、 

謀を贊 す。 親 房 嘗て 保 平の 亂、 父子 兄^の 相攻 むる を 論じて 曰く、 名 敎の敎 ろよ は、 亂 

ャ A づか やぶ らん &ん 

已 まざる 所以な りと。 今 自ら 名 敎を敎 り 以て 亂源を 開く は!: ぞゃ。 



所 そ對相 
I の抗形 
崇 立せ tf 
光つ ば ば 
る 



ふ。 操と 異なる もの 幾ん ど 希な り。 旣に 天下の 義士の 心 を 失 ひ、 而も 北 向 長 躍して、 四方 

の饗應 せんこと を 欲する も 難し」 と。 頼襄 曰く、 嗚呼、 是 以て 正 平の 事 を 論すべし。 足 利 

糞氏曹 操の 能に 及ばす といへ ども、 その 譎詐 を 以て、 一 時に 馳驟 し、 地廣く 兵 多き こと、 南 

朝に 什 倍す。 南朝 特に その 信義に 侬り、 之と 相 形せば、 庶幾く は匡復 すべきの み。 尊 氏 

おもん f! か かラ 

關柬に 事 あり、 我 を 慮り、 來 りて 和を講 する や。 その 立つ る 所を廢 し、 我が 年 號を用 

ひ、 乘舆 闕に復 らんこと を 請 ふ。 實惝 に出づ るに あらす といへ ども、. 而も その 跡 を 見れ 

ぱ、 亦 好 を 以て 逆 ふ るな り。 奈何 ぞ佯り 許して、 遂に 之を篛 ひ、 所謂 吭を扼 し、 化 を拊 する 

の 計を爲 し、 同姓 を囚 執し、 以て 功と 爲せ るか。 曰く、 尊 氏の 詐を 知れば なりと。 曰く、 

彼詐を 以てし、 我 も亦詐 を 以てす、 可な らん や。 苟も その 詐を 知らば、 許すな くして 可な 

きょく、 むべ 齊 

り。 許して 之を篛 ふ。 曲 我に 在り。 師は 直に 壯 にし-て、 曲に 老ゅ。 宜 なり その 一 たび 勝 

ちて、 而 して 終に 敗る よ や。 劉 備は唯 足 を 措く の 地 無し。 故に^ 州 を 取らざる 能 はす。 

論^ は猶之 を. 非な りと す。 ^朝 は旣に 和、 紀、 河、 泉の 地 をお し、 その 險沃 蜀漢に 彷彿た 

り。 而 して 藩 服の 忠義、 束 西應援 す。 何ぞ必 やし も 一 彈 丸の 平安 を 取りて;, 以て 信義 を 天 

A づ から たの くわい ふく 

下に 失 ひ、 自 その 恃 みて 以て 贼に 勝つ 所の もの を棄 てん や。 恢復の 成る 無き は、 MV 

n 本 政, 記 論文 六芄九 



師は直 LLIH 

云 —正義の 

軍 は 强く不 

義の軍 は 弱 

抝^| 巴 拗 

屮 



山陽 史! ii 



六 五 < 



曰く、 「二十 年 河を夾 みて 百戰 し、 軍法 を 以て 諸將を 約束す る 能 はす、 直に 兒戲 のみ。 吾 

將師を 愛 養す といへ ども、 苟も 我が 命 を 用 ひすん ぱ、 劍 あるの み」 と。 1 をして 足 利 

氏 を 目せ しめば、 亦 之 を 兒戲と 謂 はざる を 得ん や。 而 して 宋は、 匡義 よりして 後、 烕刑 

復振 はす。 足 利 氏 は 義满を 得て 能く 繩 すに 法 を 以てす。 _粱 して 兒戲に 非ざる なり。 



素 策— 豫謀; 



足^ 措く の 

地 —狭小の 

土地 



〇 後村上 天皇 (其 二〕 . 

かん り, T しゃ ラ りラぴ しょく ^ い; 2r おそ しょく 

漢の II 璋寇を 患 ひ、 劉備を 蜀に迎 ふ。 その 諸臣、 ^を 戴かん と 欲し、 來り翦 ひて 蜀を取 

び さう さ .T さう 

らんこと を說 く。 備 曰く T 今 世 吾と 水火と 爲る 荞は曹 操な り。 操 は 暴 を 以てし、 吾 は 仁 

を 以てす。 操 は譎を 以てし、 吾 は忠を 以てす。 事毎に 之と 反す。 乃ち 業 を 成す 可し。 今 

しんぎ いかん しょかつ ゥ や, f そさ く 九き し •> はラ ミラ 

小利 を 以て 信義 を 天下に 失 は r 奈伺」 と。 然れ ども 諸 葛亮素 策して 益 州 を 取る。 龐統等 

び び しょく そう そ しょく まが 3 う り う 

又 備を勸 め、 備 遂に 蜀を 取る。 宋の蘇 軾之を 論じて、 咎を 亮に歸 す。 曰く、 「碧、 劉 敵 

*e5 ?フ たの 

せざる は 天下の 知る 所。 兵 は曹の 多き に 若 かす、 地 は 曹の廣 きに 若 かす、: 恃 みて 以て 

之に 勝つ 所 は、 區々 の 忠義 を 以て、 天下の 心 を激 する にあり。 足 を 措く の 地 無しと い へ ど 

も, 天下 之が 用を爲 す。 今璋 好 を 以て 之 を 逆へ、 乃ち 呔を扼 し 背を捬 して 之が 國を S 



魚肉た る— 

活殺の 權^ 

握らる 

いふ、 史 記 

項 羽 本紀に 

如 今 人 爲こ 

刀驵, 我^,, 



驗蹇 I 髙ぶ 

リ 我儘 



へ 闕に 返す に 至る。 その 大に惧 る i や、 以て 見る ベ し。 而 して 直義の 狡黠を 以てして、 終 

に 志を關 東に 得す、 輒ち執 殺せら る は何ぞ や。 特に 弟 を 以て 兄を敏 とする のみなら す、 

y いぎ やく モ も (• 

衆 S 附せ ざる も、 亦 罪 逆の 由る 所、 先づ 天誅 を受 くるな り。 抑 基 氏の 在る を 以て、 而 

け ふ :6 s べん ねた 

して 尊 氏 之 を夾擊 す。 その 勢辨じ 易き なり。 夫れ 尊 氏の 君 を 犯し、 弟を猜 み、 その 臣に 

*| た しん はん 

制せら る よは、 復 論ぜす して 可な り。 親 藩 を 建つ るに 至りて は その 計の 得た る ものな 

り。 假に尊 氏 をして 早 死せ しむる も、 未だ 必す しも、 匡齓の 子、 悉く 弟の 手に 魚肉た る 

が 如きに 至らざる なり。 その後、 京師 外患 内變 多し とい へ ども、 關 東の 維持に 頼りて、 終に 

すく さくく わく おもん ほか 

以て 濟ふを 得。 尊 氏の 措畫 する 所、 善く 國家を 慮 ると 謂 ふべ し。 匡齓 務めて 將 帥の 兵 

けづ そ 5 しづせ き S ほ 5 みづか さく じゃく ^くわ こくひい 

權を 削り、 而 して 宗室 2< 土の 封 無し。 內 自ら 削 弱、 旣に家 禍を救 はす、 又 國計を 失 ふ。 是 



を 以て 燕 雪 を饼 する 能 はすして、 靖康の 禍を貽 し、 厪に江 南 を 保, つ。 足 利 氏の 能く 南朝 

ザん せい レ ま さ 

を 呑み、 海内 を 全 制する に 若かざる なり。 此に 由り て 之 を 首へば、 尊 氏 匿 胤に 勝る と 曰 

け 5 けん はんぶ く ひ wh> 

ふといへ ども 可な り。 然り といへ ども、 足 利 氏の 將帥 驕蹇、 叛服 《吊 無き は、 獨師 直の み 

にも あらざる なり。 宋豈此 あらん や。 此兵 を樹 つる MJ 樹 てざる とに 由るな り。 則ち 時勢 

の異、 然るの みなる か。 曰く 特に 然るの みなららざる なり。 M 胤 嘗て 唐の 莊宗を 論じて 



日本 政 記 論文 



六 五 七 



山陽 史論 



パ 五六 



友 —兄弟 仲 

睦し 



るの 勢な り。 尊 氏 をして 不幸 早 死せ しめば、^ ち 直 義匡義 の 爲す所 を 爲すゃ 疑 ひ 無し。 則 

なん . ちょ,,.' にん せんせん ゆる 

ち烏ぞ 忌まざる を 得ん や。 是を 以て 高師直 を寵 任し、 以て その 權を 分ら、 其專擅 を聽し 

て、 之 を禁 する 莫し、 是 直義、 師 直と 相惡む 所以な り。 ME、 匡義に 友な り。 故に 敢 

て 之 を離閗 する^ 無し。 其 をして 不 友なら しめば、 刖ち趙 普の 如き 者、 必ら やや M 胤に 

せんせん いづ くん 

勸 めて 之 を 除かん。 師直專 擅と い へ ども、 尊 氏の 之 を 忌む を 知る にあら ざれば、 安ぞ敢 て 

おびやか しゅつ ほん 

公然 兵 を 以て 劫 して 之を廢 せん。 而 して 尊 氏 も 亦 許して 罪せ ざらん や。 故に 直義 出奔 

ひっさつ おそ ひミり 

し、 降 を 南朝に 乞 ふ。 尊 氏の 意 必殺に 在る を惧 るよ なり。 獨師 直を惧 る-のみに あらざる 

おびやか 

なり。 夫れ 師直兵 を 以て 劫して、 直 義を廢 す。 直 義又兵 を 以て 劫して、 師直を 除く。 而し 

て 尊 氏、 彼 を 罪せす して、 此を咎 む。、 その 意此を 忌む が 故な り。 尊 氏 初 直 義を廢 する や。 



劫 制 I 'おび 

やかし 從は 

しむ 



乃ち 義詮を 召して、 之 を 代 ふ。 又 基 氏 を 闕柬に 封 じ、 然る 後 尊 氏の 志 成れり。 而 して 直義 

け ふせい おのれ たの 

尊 氏 を 劫 制し、 再び 政權を 執る。 亦大 謀の 己に 成れる を恃 むな り。 是を 以て 尊 氏 も亦勉 

ます { - i それ f^A 

めて 之に 從ふ。 而 して 其 忌む こと 盆 甚だしき 、固より M 梵 なり。 直義 の東奔 は、 尊 氏の 大 



に懼 るよ 所、 その 根本に 據り、 自ら その 嘗て 己 を 贊 する 所以の 者 を爲す を馏る f- なりに; 疋 

A づ か ゆ A づか 

を 以て 親ら 注く。 親ら 往 けば、 則ち 南朝と 和せ ざる を 得す。 その 立つ る 所を廢 し、 駕を迎 



も、 之 を 要するに、 南朝と、 足 利 氏と、 その 道 を 失して、 人心 を 服す る 能 はざる もの、 能 

く 大に相 異なる もの 莫し。 その 勝敗 相 持す る 五十 餘 年なる もの、 此を 以てな り。 

〇 後村上. 天皇 (其 ーメ 

MI 義 lg 乱 賴襄 日く、 足 利 尊 氏の 直義を 有する、 猶趙匡 胤の 匿義を 有する がごと きなり。 匡 齓は周 

しつ, さんい 5 かへ おびやか ミ うはつ 

グ穿 室を篡 有す。 出征して 兵 を 握る に. E り、 反りて その 君 を 劫す。 尊氏隶 伐の 命 を受く * 

因りて 兵 を 煽し 闕を 犯す を 得。 その 事 勢た る 一 なり。 而 して 1 の 謀 は 匡 義に诀 し、 尊 氏 

, の 逆 は 直義に 成る。 尊 氏の 才、 匡 胤の 什一 に 及ばす。 而 して その 犯す 所の 者 は、 後醍醐と 

恭 帝と、 隔たる 天地の 如し。 是を 以て、 速に 之 を 取る 能 はすして その 逆 節を累 ぬ。 槪ね 

直 義の贊 する 所たり。 其 己に 功 ある こと 此の 如し。 尊 氏の 始めて 反. を關 東に 決する や、 家 

國の事 一に 直 義に委 ぬの 語 あり。 是 より 政事 槩ね此 より 出づ。 蓋し その 事の 成否 知る ベ 

くわ ふく $ T 

. からざる を 以てな り。 故に 禍福 を 併せて 之に 任ぜるな り。 已 にして その 事 稍 成り. 禍を 

13 I 轉 じて 爾と爲 す。 則ち 之 を 忌む の 意 生す。 尊 氏大將 軍と なり、 直 義を稱 して 副と 爲す。 隱 

德昭 Iran 雇 ぜんちょ じ これ ミくず 

の 子 然儲蓖 の 如く 然り。 而 して 義詮 出で て 鎌 倉に 在り。 是匡義 代りて す: ち, 德&ロ 立つ を 得 ざ 

日本 政 記 論文 六 五 五 



固 計 深 ^て她 迫 

く I 根 い 狹の狹 

す 基 固 ふ 隘傾傾 

る礎饗 な斜仄 

計^の る し 1 



山, 陽 史論 六 五 四 

ぉミ かため , 

ぞ その 形勢の 劣れる、 萬 {寸 り 難き を 知らん や。 夫れ 太 湖、 淀 水の 固、 天. 設けて 大和の 爲に 

す。 山城の 爲 にす るに 非ざる なり、 山城 は當に 山陰に 屬 すべき ものな り。 歙山太 湖 を 支 

へ、 之 をして 曲 行せ しむ。 京 城 は その 大:: 雜餘 地の み。 故に 迫 狹傾厌 、之 を ゆりて 以て 外寇 

を 防ぐ は、 堤 下に 在りて 堤 上の 人と 鬬 ふが 如し。 墙 根に 立ち、 僅かに 一 满を恃 みて、 以て 敵 

を 庭に 受 くるが 如し。 故に 一 寇の來 り 犯す あれば、 舍 てぷ歙 山に 上る に, 非 ざら れば、 守る 

可から ざるな り。 或は 江に 逃れ、 或は 丹に 避け、 寇を聽 して 京に 入れ、 I 還りて 之 を攻 むれ 

つね かく し 

ば、 寇 ^守る 能 はす。 足 利 氏 十一 u 代 亦. 毎に 此の 如し。 彼 その 地の 不利に して、 閼 束に 如か 

ざる を 知らざる にあらざる なり。 谅朝を 慮が て、 此に 居らざる を 得す。 而 して 巢窟の 地 は、 

守る に 子弟 を 以てし、 深 根^ 藉 の 計を爲 す。 是を 以て 數搖 ぎて 繙に 保てる のみ。 男 山の 

さミ A づ から 

役、 尊 氏、 南朝の 京 を 襲 ふの 謀を覺 りて、. 之 を 義詮に 委ね、 自鎌 食に 赴く 者、 亦 根本 を 

おもん はか なほ 

盧 れる なり。 而 して 南朝 は 乃ち 專ら その 根本 を圖ら すして、 而 して 仍 京師 を 取る に 急 

なり。 數 取りて 數失 ふ。 是を 以て 終に 匡復を 成す 能 はす。 故に 曰く、 地の利 を 失へ るな 

し せき けん 

りと。 然れ ども 足 利 氏 亦 その 咫尺の 南朝 を 覆へ す 能 はざる もの は何ぞ や。 大和の 地形 險 

固、 勢 山城よりも 高く、 而 して 楠 氏 河 內に據 りて、 之が 藩 屛を爲 せば な.^。 然り といへ ど 



播 丹の 叛者 

1 赤松 則 

付、 久 f 時 

重、 仁木賴 

章 等 

海涯— 九州 

^いふ 

ュ — 9 

雍容— 泰然 

唱靓振 旅— 

凱歌^ 歌 ひ 

て 軍^ 還す 

近 

見卒— 現 

卒、 あり 合 

はぜの 兵 



貞 をして その 餘兵 を收 むる も、 なほ 能く 軍 を 成し、 ー險 固の 城塞 を 得て、 之に 據り、 諸 軍 

と 勢 を 合せし めば、 尊 氏必す 根本 を 慮 ばかり、 之 を舍て i 以て 人 犯す る 能 は ざらん。 播 

丹の 叛 者の 如き、 一 楠 正 成 を 以て M を 治しめ て餘 あり。 奈何 ぞ に義貞 を 召還し、 以て 賊 

つ. ゆき これ 

の 追 擊の勢 を 成さん や。 是亦 京師 を 失 ふ を 恐る よの 故に あらす や。 贼京師 を 取る に 及び、 

官軍 再戰、 之に 克っを 得。 賊旣に 遠く その 巢を 離れ、 穴の 人るべき 無くして、 而 して 海 II に 

棲 泊す。 是の 時に 於いて 急に 之 を勦殄 せす、 而 して 唱 i 振 旅し、 其 をして 雍容 船樓に 上ら 

さミ せんえん おもへ 

しむ。 西 兵の 復來 る、 誠に 曉 るべ からざる なり。 世 義貞の 遷延 機 を 失する を咎 む。 吾以 爲ら 

く、 是亦 朝廷の 意な りと。 旣に 京師 を 得れば、 必す復 敵を縱 っを恤 へざる を 以て、 故に 諸 

將を 召還す るな り。 賊 則ち 白旗の 險に據 り、 以て 官軍 を 梗ぐ。 而 して その 間 を 以て 再燃 

の 計 を 成す を 得。 朝廷 此に 至り、 正 成が 歙 山に 幸す るの 策を聽 さす、 促して 之 を ^句に 

そつ かくた 5 す 

禦ぎ、 見卒を 以て 平地に 格闘せ しめ、 正 成を棄 てよ 察せざる #、 亦 再び 京師 を舍 つる を 

憚るな り。 敗る-に 及び、 方に その 策 を 行 ふ は晚し U 然れ ども 亦 固守して 以て 後圖 を爲 

すべし。 乃ち 賊の僞 りて 和す るを聽 し、 又義貞 を棄て i 顧みざる 者、 亦 京師に 歸るを 喜 

おもん はか かく 

びて、 未だ その他 を 慮ろ に 暇 あらざる なり。 暸、 その 京師 を 重ん する や 此の 如し。. 何 



日本 政 記 論文 



六 五三 



山陽 史論 



六ぉ 二 



大钕 —大事 

件 



險— 箱 根 



を か 地の利 を 失すと 謂 ふ。 曰く、 京師の 形勢、 本關 東に 及ば や。 故に 北條 氏、 足 利 氏、 皆 

關 東に 據 りて 巣窟と 爲し、 以て 能く 朝廷 を 制す。 而 して 朝廷 は 故 常に 習 ひ、 常に 京師 を 得 

失する を 以て 大 故と 爲す。 故に 足 利 尊 氏の 功 を 論じて、 新田 義貞の 上に 居く 者、 以て 尊 氏 

能く 我が 爲に 京師 を 取り、 我 をして 闕に歸 り、 位に 復 せしめし と爲 せば なり。 義貞の 鎌 食 

を 覆 へ す は、 必す しも 我が 利害に 切ならざる なり。 夫れ 尊 氏 を 遣して 東 伐せ しむる は、 虎 

を その 穴に 放つ が 如し。 固より 大 に錯れ り。 義貞を 遣 はして 之 を 討た しむる に 及びて は、 

虎穴 を 探ぐ るが 如し。 固より 勝を必 とし 難し。 義貞 他に 奇道 無くして 東海 を 平行す。 千 

里に 轉戰 し、 賊に險 に 遇 ふ。 宜 なり、 その 敗す る こと や。 卽ち賊 の 計の 如き は 則ち 得た 

おもへ しんらい ほ、 ゥ九ぃ じゅんじゅん つく 

り。 以爲 へらく、 義貞が 新來の 鋒銳、 逡巡之 を 誘 ひ、 その 勢力 をして 無用の 地に 竭 さしめ 

ん、 東海 は 平 夷、 箱 根に 至りて は 則ち 高し、 彼 仰ぎ、 我 俯す、 我が 生 兵 を 以て 彼の 疲に 乘ぜ 

ば、 刖ち彼 潰えん と。 是 同じく 闢 東の 地に 鬭ひ、 賊利を 得て、 官軍 M を 失 ふなり。 抑 上野 

越 信、 亦 新田 氏の 舊鄕 なり。 向に 義貞 をして、 歸 りて その 部 曲 を 招き、 固く その 所 を 守り、 

之 を奧 羽に 連ならし めば、 吾 その 高き に 憑り て、 賊を卑 きに 瞰、 以て 尊 氏を控 制すべ し。 そ 

の 枚る 2 に 及ぶ とい へ ども、 山道の 軍と 奧 羽の 兵と、 未だ 缺け すして 將に會 せんとす • 義 



その 威令 旣に 伸びす。 戰 ふに 及びて その 先づ潰 敗す る考 は、 親王の 卒 なり。 而 して 義助 

た わ ま しん もく いた^ はいせきなん 

之が 燒す 所と 爲る。 此を 以て 關柬 丁む 賊を 戴く の 兵に 常る。 その 敗績 奚ぞ侬 しむに 足ら 

ひき たす 

んゃ。 而 して 義 良將ゐ る, 所の 奧兵、 期會に 及ばす といへ ども、 入りて 京師 を锾 く。 朝廷 

その 力 を 得る は、 刖ち 藩を逑 つるの 效 なり。 

〇 後醍醐 天皇 (其 5 > 

頼襄 曰く、 孫子の 兵 を 論す る、 道 を 以て 先と し、 天地 之に 次ぎ、 將法又 之に 次ぐ。 元弘の 

能く 北條 氏に 勝てる は、 彼の 道 を 失せる に, 由り、 而 して 延 元の 足 利 氏に 勝つ 能 はざる は、 

糜沸— 湧き 我の 道 を 失せる に 山る。 道 を 失すれば、 則ち 人心 背く。 人心 一 たび 背けば、 天下 糜 沸す。 將 

かへ る、 大 じふ ほい ,;.-、、 な 

い- ノ 乱る 帥の 智勇 足 利 氏に 什 佶す る 者 ありと いへ ども、 之 を 能く 敉 むる 莫し。 況ゃ 朝廷の 之 を 

> よろ そ ひ そむ s,l 

使用す る その {且 しきに 乖くを や。 而 して その 宜しき. に乖く #、 地の利 を 失 ふ を 揚と爲 

す。 夫れ 地の利の 兵に 於け るゃ大 なり。 楠 正 成の 初め 義を舉 ぐる や、 一城 を 以て Kn 禹の兵 

を 受け、 而 して 屈せ, さる 荞は、 險 固に 據れ ばな り。 ^らざ れば 則ち 元弘 の績、 得て 成る 

2| が 4 利 ベから ざるな り。 況ゃ延 元に 於け る、 旣に その 道 を 失し、 又 その 地の利 を 失する を や。 何 

日本 政 記 論文 六 五 一 



山 陽 史論 



六 五 o 



肘^ 掣^ -— 

自由^ 牽制 

す 



蹈 み、: 死 を 致す。 復 前朝紈 袴の 習に 非す。 然り といへ ども、 その 中に 就きて 之 を 論 すれ 

ば、 優劣 無き にあら す。 護 良 親王 は その 蕞も 任す 可き # 、之 をして 縑 倉を鎭 せしめば、: 帝 

以て 枕 を 高く し、 東 顧の 薆無 かるべき なり。 而 して 讒に遇 ひて 死す。 成 良、 義良、 ロ猶乳 

レう はんす ゐ * さしはさ ゎづか 

臭、 名 は藩锄 たる も、 實效 あるに あらす。 況ゃ成 良 は 旣に足 利 氏の 挾む 所と 爲り、 繙に 未だ 

. ねんし や t 

死せ ざる を 得る のみなる を や。 是を 以て 尊 良、 忠房、 I 一人 を 遣 はす。 年 齒差長 じ, 以て 爲す 

あるべし。 然 りと い へど も、 一 護 良の 比に あらざる なり。 帝も^ 之 を 知る。 故に 新田 義貞兄 

弟 を 以て 副と 爲す。 而 して 義良 をして その 副源顯 家と 奧^ を 以て 焉に會 せしめ、 贼 をして 

腹背 敵 を 受けし む 。その 計 周密え 謂 ふべき なり。 而も 大いに 不可なる 者 あり。 夫れ 義良は 

素 匿く 所の 藩鎭に 係る。 猶之 可なる がごと し * 尊 良、 忠 房に 至りて は、^ ち 適 以て 義貞兄 

弟の 肘 を 掣す るに 足る の み。 夫れ 藩 を 建 つる は、 將を遣 はすと 同じ か らす。 藩 を 建てよ 無 

ち <! ぶ せいさ ラ 

事に 鎭撫 し、 將を遣 はして 冇事 に征 勦す。 冇 事に は" 速に その 亂を 定めん のみ。 故に 一 猛 

將を遣 はし、 數 萬の 精兵 を 將ゐ、 その 委任 を專 にし、 牽制す る 所 無し。 以て その 謀と 戰と 

を盡 くす を 得。 猾 賊姦臣 その 巢窟 に據 ると いへ ども、 その 勢 未だ 成らざる に 及 ひ, 覆し 

て 之 を 取る に 難から ざるな り。 今 元帥 を 以て 親王に 屬し、 而 して 義貞 之が 爲に壓 せられ, 



三大 守— 常 

陸、 上總、 下 

野^ 親王の 

任國 とす 

美澳公 —藤 

原 良 房 

越 前 公— 藤 

原基經 



り。 而 して その 才を論 すれば、 則ち姦 にして 雄なら ざる 希、 带之を 養 ひて、 その 姦雄 たる 

を 成すな り。 然ら すして、 带 の英毅 不世出 を 以て、 苟も その 初心. を 執り、 惑 謬す る 所 無く 

ば、 則ち 百の 尊 氏 ありと い へ ども、 何 を か 能く 爲 さん。 而 して 何ぞ必 すし も 之 を 殺さん。 



〇 後醍醐 天皇 ハ其5 



^ん !0 



頼襄 曰く、 國朝郡 縣の制 を 用 ひ, 宗室 親王と いへ ども 藩 維に 任せす。 三大 守の 如き、 則ち 

國司 たる も、 又遙に 之を領 する のみ。 その 奉;! 巴槪ね 數處に 散在し、 全國を 擅に する 者 少し。 

全國を 擅に する 者 は、 乃ち 藤 原 氏な り。 美 濃 公、 越 前 公の 如き、 全く その 租 陚を收 め、 而し 

て 族 黨の邑 、殆ど: 大 下に 跨がる。 平 源の 代りて 起る に 及び、 蓋し 藤 原の 故を篛 ひ、 而 して 

加 ふるに 兵馬の 權を 以てす。 朝廷の 之を控 御す る 能 はざる 所以な り。 後醍醐 蓋し その 弊 

み すな は へ <; んラ 

を覩 る。 故に 中興の 初、 乃ち 諸 皇子 を 分ち、 出で て邊 要に 鎭せ しむ。 その後、 征束、 征 

はん た けいりゃく か., C まつ そ * ク 

西、 皆 皇子 を 以て 將 軍と 爲し、 藩 を 建て、 屬を 置き、 天下 を經 略す。 その 勢な ほ 漢末宗 

室 を 四 建す るが ごとし。 此に非 ざれば 能く 時艱を 濟ふ莫 し。 その 處置 する 所、 事宜に 合 

ふと 謂 ふべ し。 その 諸 皇子 皆 父皇に 背て、 英毅材 勇の 人少 からす。 躬ら 甲冑 を擐 し、 險を 



日本 政 記 論文 



六 四 九 



足 そ ^のん 父 
刺の ん間ゃ 子 
直 深 やな I ん 
義仇 中 父 構 
I 傷 子へ 



山陽 &論 lill I 六 四 A 

ます -f* afc すで また さつ 

帝 盆 之を猜 み。 而も 勉めて 之に 從ふ。 之 を 殺さん と 欲する の 機、 已に 成る。 護良復 察せす 

して、 尊 氏を誅 せんこと を 請 ふ。 姬 この 大隙 ある を 知りて、. M を 幸と し、 尊 氏 をして そ^ 叛 

を告 ゆしむ るな り。 而 して 帝 之 を 殺さん と 欲する 機 決せり • 尊 氏 朝廷 を 侮る とい へど も、 

!2 む 所 あるに あらす ば、 烏ぞ 敢て虛 言を駕 し、 大事 を誣 ひ、 以て 天子の 父子 を 構 へん や。 

是を 以て 護 良 獄中より 書 を 上る も、 而も 敢て奏 逢す る 者莫き は、 當時 中外 帝 意の 之 を 殺す 

に 在る を 知れば なり。 夫れ 護 良を監 する、 豈 他人 無 からん。. 而 して 之 を その 深 仇に 付す。 

その 意之 を 殺す に 非す して 何ぞ や。 初め 護 良已に 大將 軍と 爲る。 宜しく 遣 はして 閼東を 

鎭せ しむべ ぐして 而 して 遣 はさす。 成 良 を 遣 はし、 上野 大守を 以て 鎌 食を鎭 し, 義良を 

遣 はして、 陸 奧を鎭 め、 而 して 恒良 皇太子と 爲る。 護 良の 罪 を 得ろ に 及び、 成 良を陞 せて 大 

將 軍と 爲す。 兄は國 儲と 爲り、 二 弟 は 兵權を 典る。 帝の 最も この 三 子 を 愛せる を 見る ベ 

し。 此に 至りて その 志 を 成せり • 其 志 を 成す は、 乃ち 娘の 志 を 成すな り。 乃ち 尊 氏の 志 

を 成すな り。 尊 氏の 初志、 或は 未だ 此に 至らす。 帝の 爲す 所& 倒し、 事毎に 便なる を視 

£,,1 ぞん ひ »、フ き S fc5 ゃリ, J 

て、 翅然 自ら 喜び、 遂に 非望 を覬覦 する のみ。 猶ほ 唐の 玄宗 自ら 二子 を 殺し、 揚妃を 愛 

みん ろく ざん A づか はんせん くわ けいこ 

し、 而 して 安祿山 を寵 し、 自ら 墦遷 の禍を 取る がごと し。 尊 氏の 門地、 奚 胡の 比に 非ざる な 



〇 姬の 志、 

尊 氏の 志 

奚胡 —安騄 



浸潤の 譖 I 

次第に 深く 

しみ 込みた 

る 00 



計を爲 さん。 則ち 是又 一尊 氏 を 殺して、 数 尊 氏 を 生す るな り。 中興の 業、 他: n を 待ちて 墜 

ちす。 故に 護 良の 說は 非な り、 帝の 之を聽 さざる は是 なり。 曰く、 帝の 護 良に 聽 きて 尊 氏 

を 殺さざる は 刖ち然 り、 その 尊 氏に 聽 きて 護 良 を 殺す は 如何と。 曰く、 尊 氏に 聽 きて 殺す- 

にあらざる なり。 帝 固より 之 を 殺さん と 欲す、 尊 氏 を 待ざる なり。 何 を 以て か 之 を! 一 E ふ • 帝 

もよ じ すで 

初め 護 良 を 愛し、 儲 贰と爲 さんと 欲する に 至る。 已 にして 三位 姬寵を 得、 恒良、 義: 貝、 成 良 

を 生む。 恒良を 立てよ 太子と 爲 なんと 欲する こと 久し。 護 良髮を 削りて 佾と爲 ると いへ 

3< ぼうく わく うつ ひきは 

ども、 而も 帝を贊 して 謀畫 す。 帝隱 岐に徙 るに 及び、 髮を蓄 へ 兵 を將ゐ 功を榻 つる 最も 

大 なり。 是 姬 の 最も 忌む 所。 その 太子 を 害せん こと を 忌むな り。 姬の 帝に 艱難に 從ふ は、 

猶 唐の 韋 后の 中宗に 於け るが ごとし。 哀誓寵 を 固く し、 言 ふ 所皆聽 かる。 蓋し 浸 消の 譖、 

日夜 先づ 入る。 護 良の 令 を 新田 氏に 下す や、 權に詔 體を用 ひたり。 是承 制な り • 而も 譖 

して 曰 ふべ し、 是 自立の 志 ありと。 なほ 唐の 肅宗 靈武の • の ごときな り。 帝 始めて、 闕に 

歸る や、 護 良 未だ 入朝せ す。 而 して 兵の 歸 する こと 雪の 如し。 帝 使 を 遣して, その 何 を 

爲 さんと 欲する か を 詰らし め、 促して 僧服に 歸せ しむ。 帝 何 を 以て この 無情の 言を爲 す. 

か。 以て その 已に 之を猎 嫌せ る を 見るべし。 護 良 察せす して 元帥と 爲 らんこと を 望む。 



本 政 論 交 



山 ハ四七 



る i の綞 4* れ板 
句 り 詩 犬い 天蕩 
出 蕩雅ふ 下 | 
でのの 、ま L 政 
た 詩 板 詩る ^ 



山 陽 史論 六 四 六 

も その 欲を充 し、 その 意に 適 ひ、 以て 無事 を冀 ふ、 その 欲 少なる 者 は、 此に 於て 安ん ぜん。 

その 姦 豪なる 者の 溪^ の 欲に 至りて は、 愈 e 與 へて 愈,' 充 たす、 盡く 我が 業 を^ ふに あら 

ざれば、 則ち 已ます 。 彼の 心、 乃ち 我より 大 なり。 我 何 を 以て 能く 彼 を 制せん や。 

o 後醍醐 天皇 (其 四) 

彼に 稱す、 護 良 親王、 足 利 尊 氏の 姦雄を 察し、 先づ之 を誅 せんと 欲す。 而 して 後醍醐 聽 

さす、 反りて 尊 氏の 讒を聽 き、 護 良 を 囚 へ て 之 を 足 利 氏に 付し、 その 手に 斃すを 致す。 中興 

の 終らざる は此に 決せり。 而 して 乘 輿^び 板蕩を 致し、 天下 鼎 沸す る こと、 五十^なる も 

の、 皆 尊 氏の 爲 なりと。 賴襄 以て 然ら すと 爲す。 曰く、 是の 時に 常り、 天下の 桀黠、 尊 氏の 若 

き 者、 豈 少しと 爲 さんや。 一尊 氏 を 殺せば、 刖ち 一尊 氏 生す。 且つ 尊 氏肆に 親王の 僕隸を 

r 、-を さ はんせき い レ 

軋る は 不法 を戢 むと 云 ふの み。 その 反 跡 固より 未だ 著 はれざる なり。 その 異志 ある 未だ 

力ならず ミら 

必 とすべからざる なり。 帝 をして 護 良に 聽き、 執へ て 之を誅 せしめば、 何の 辭を 以て か、 

天下に 徇 へん" 天下 は 必す曰 はん、 朝廷 武臣の 望 冇る者 を 忌み、 事に 因りて 之を誅 鋤す 

るの みと。 新田 義貞 S 輩の 若き といへ ども、 人々 みづ から 危み、 その 忠志 を變 じて 自 固の 



姦 豪なる 者 

—尊 氏の 如 

き^ 指す 



晏然燕 息し 

l 氣 樂に樂 

み 息む 



困踣— 踣は 

"ふる f こ 

と 

o 小成!,: 安 

す 



れば、 その 欲する 所に 充 たざる なり。 高祖 を稱 して 大度と 曰 ふ は、 その 大 なる 此の 如き を 

ゎづか き や ラさラ た ふ *c -7 

謂 ふの み。 今 帝 縐にー 狂 童の 高 時を斃 し、 刖ち 宇内 復慮 るに 足る ものな しと 謂 ふ。 是を 

以て 足 利 尊 氏の 降に 遇 へ ば、 則ち 遽に之 を寵爵 し、 以て その 倚る 可き を 幸 ふ。 纔に 闕に歸 

もんぜん えんそく き ひん っミめ 

る を 得れば、 卽ち 晏然燕 息し、 宫室を 營むを 以て 急と 爲し、 妃 嬪を悅 ばす を 以て 務と爲 す。 

記錄所 ありと い へ ども、 蓋し 數. 親臨せ す、 而 して 日 内に 居る。 內 勅の 令す る 所と、 外廷の 

つね ミ. ていご ふん ゑん 

指: f: と、 毎に 與に 牴牾 し、 武人の 邑往々 にして 内 官の私 給と 爲る。 憤 怨亂を 思 ふ は、 固よ 

り 其 なり。 吾 嘗て 藤 原 藤 房の 龍馬に 因りて 諫を 進む る を觀て 怖し めり。 藤 房の 舊恩 ある 

ていさ ミ あやまち あら 

を 以て、 豈に諫 むべ きの 地 無 からん。 何ぞ必 す廷爭 して、 虫の 過を彰 はし、 而 して 己の 直 を 

.7 たやす めんそ, 3 

沽 らん や。 蓋し 出で て 馬 を 觀 るに 因る に 非ら ざれば、 則ち 輒く面 奏する を 得 ざれば なり。 

公卿 且然 り、 況ゃ將 帥 を や。 故に 天下の 政、 一 も 失する 所 無くして、 而 して 盡く 文具虛 言と 

爲る 者、 此 その 故に 由るな り。 帝の 心 をして、 常に 元亨 以前の 如くに して、 而 して 建 武 以後 

一-一 ミ た!0 こん ぼく 

の 如から ざら しめば、 刖ち縱 ひ 政事 をして 少しく 失する 所 あらしむ る も、 而も 再び 困踣を 

取る に 至らざる なり。 唯 夫れ その 心大 なら ざれば、 その 量 満ち 易し。 故に その 未だ 得 ざ 

るに 常り て は 則ち 勤厲 し、 その 已に 得る に 及べば、 則ち 懈怠す。 天下の 群雄 を 待つ に、 苟 



日本 政 記 論 文 



六 四 五 



山陽 史論 



六 四 四 



羸, ー 秦の國 

姓 



食出, 領 職、 一 に 皆 故 を 襲 はしめ、 須臾 來り請 はざる も、 亦必 すし も 奪 は ざり しなり。 曰く、 

たやす 

有功の 將士、 闕 f に群聚 し、 賞 を 望む 者、 輒く與 へす、 その 欲 を 塞ぐ 能 は ざり し は 失な 

りと。 曰く、 所謂 有功 は、 新田、 足 利、 楷、 名 和、 赤松 等と 孰若ぞ や。 士卒の 力 を 効せ る、 亦此 

れい きけつ くわつ よ をし おの {• 

數 氏に 隸 する 者 多き に 居る。 歸闕 の歲、 卽ち論 賞して、 土壤 を割與 して 怯ます。 一 家 各 

三 四 州を領 し、 少なき 者 一二 州。 その 部 曲に 於いて、 蓋し 以て、 恩 を 推し、 fi を 分ち て、 餘 

あるに 足る。 則ち その 欲 を 塞がす と 謂 ふべ からざる なり。 之を總 ぶる に、 當 時の 政、 槪ね 

皆 その 宜しき を 得、 時勢に 合し、 人情に 愜ふ。 何ぞ 失すと 謂 はんや。 然 らば 則ち 失する 

所な きか。 曰く、 政 は 失せす して、 而 して 政 を爲す 所以の もの 失せり。 政 を爲す 所以の も 

のと は何ぞ や。 曰く、 人 主の 心、 是 のみ。 その 意欲 太 だ 廣く、 侈 を 好み、 大を ** ぶ を 謂 ふ 

おもへ 力ん かラ 

か。 曰く、 否。 吾以爲 らく、 その 欲する 廣 からす、 喜ぶ 所大 ならざる のみと。 昔 者^. s な 

祖 3k を 威し、 項を斃 し、 百 戦して 天下 を 有つ。 なほ 躬ら堅 を 被り、 銳を 執り、 韓、 彭、 英、 

ろ さんかい きょ、 foj ぼく ミっ せ 5 か 1 • 1 , I 

廬の類 を S 刈し、 匈奴 冒 頓と戰 ふに 至り、 蕭何 宮室 を 營むを 見、 怒りて 曰く 「天下 恂々 

成敗 未だ 定まらす。 何ぞ此 等を爲 さん」 と。 世 は 天下 旣に 定まれり と 謂 ひ、 而 して 高祖 は 

則ち 未だしと 曰 ふなり。 その 心た る を 推せば、 盡く 天下の 慮る ベ き 者 を 掃蕩す るに あら ざ 



ざ穴圆 は圓枘 
る 、鑿 四 鑿 鑿 
の 相 は 角 、し 
譬容圓 な 方^ 
れき 柄枘衲 



日本 政 記 論文 六 四 三 



も、 承 久の事 は、 我 作して 彼應 じ、 元 弘の事 は、 我 未だ 作 さすして、 彼來 りて 犯す。 危 

に 因りて 發し、 死 を 出で て 生 を 得、 以て 天下の 義氣^ 激 する は、 その 勢の 然 らしむ るな 

り。 賊の 駕を徙 すに 當り、 路を 夾 みて 觀る 者、 北 條氏を 公 罵して 忌ます。 その 時の 然 

らしむ るな り。 崎 嶇憂辱 : 而 して 未だ 嘗て その 常 を 失 はす、 框怯究 を 求む る、 後鳥羽の 

如き ものな し。 その 主 德の然 らしむ るな り。 嗚呼、 是 その 承久に 異なる 所以 か。 

〇 後醍醐. 天皇 (¥5 

中興の 政、 失する か。 頼襄. II く、 然ら す。 論者 は 皆 之 を 失せり と 謂 ふ。 所謂 失する と は 何 ぞ 

や。 將 門の 政 を 尸 る や 久し。 而 して ー且之 を收 め、 代 ふるに 朝糾を 以てし、 枘鑿相 入れ 

さんちょく 

ざるが 如き は 失な りと。 曰く、 楠 正 成、 名 和 長年 等 をして、 記錄 所に 參 直せし め、 關東 廂番、 

奧州 評定 衆 を 置き、 その 方 事 を 掌り、 武者 所 を 置き、 新田 氏の 族 を 以て 頭 人と 爲し、 皇子 を 

これ しんしん 

范 はして 鎌 倉 を鎭 し、 足 利 尊 氏 を 以て 焉が輔 とせば、 則ち 專ら 縉紳に 付す るを必 すと せ ざ 

るな りと。 曰く、 武人の 采邑、 七道に 碁 布す る 者、 1 日 にあら. K 而 して 猝に之 を 奪 ひ、 その 

怨憤を 速く は 失な りと。 曰く、 歸闕の 翌月、 詔して、 賊黨を 除く の 外、 將士 有する 所の 



崎嶇薆 辱— 

世路の 難に 

處 する^い 

ふ 



陽 史 論 



一ハ四 二 



蒙 塵 I 天子 

變に遭 ひて 

て 都の 外に, 

通る 



訪求詻 謀,! 

たづれ 求め 

て 謀る 



て困敝 する に 足る のみ。 正中、 元德の 際、 其 然らす や。 同 謀の 八ム卿 武人、 旣に囚 執せられ、 

北條氏 をして 更に 本源 を究 詰せ しむ。 豈に 危殆なら す や。 帝の 誓 書 を 關柬に 下す は、 龜山 

の 例に 沿る といへ ども、 その 計た る、 窮且 醜な りと 謂 ふべ し。 柬 吏の a: 來す るに 及び、 

又 苟且 詭詐の 謀 を 用 ひ、 一時 を 僥倖す。 智勇 忠義の 士 ありて、 その 謀略 を 施す といへ ど 

も、 而も 機 會は皆 失し、 その 蒙 塵 を 救 ふ 能 はざる なり。 幸に して 賊の 衰運に 投じ、 義旗 四 

合する を 得て、 繙に歸 闕反正 を 致す のみ。 向に 帝 をして、 その 鋒を藏 め、 その 銳を養 ひ、 賊 

は 力 す ます > すで f* ん しゃし う き ひきょく 

を圖 るの 謀を舍 て、 而 して c 自治の 術に 務め、 賊已に 人心 を 失 ひ、 叛者驟 起、 その 能 極す 

るを俟 ち、 その 將に墜 ちんと する を擠 さしめば、 力 を 用 ふる 、 j と 寡く して、 而 して 後^が 

からん。 . 何ぞ必 すし も 兵と 曰 はんや。 且帝 をして 兵 を 已む能 は ざら しめん や。 槠正 成. S 

f 、 ■ , S: でん ほうき. 7.3 f 

如き 近く 畿甸に 在り。 その 平時に 及び、 訪求諮 謀せば、 必ず^: 全の 策 あらん, 行 在 を 

形勝の 地に 寄せ、 以て 四方の 一 象 傑 を招聚 し、 その 義を 知り、 順に 効す と、 憾を 北條 氏に 

釋 かんと 欲する 苕と、 將に雪 合 霧 集 せんとす 。天下の 事、 以て 指 顧して 定む べし。 必す 

しも 僞器を 光厳に 授け ざらん。 必す しも 寵 爵 を 足 利 尊 氏に 許さ ざらん。 帝の 爲す 所の 

如き、 その 濟る もの は 幸な り。 然ら すば * 承 久と異 る もの 幾 ど 希 からん。 然り といへ ど 




時沒 する に 臨み、 高 時の 幼弱 を 顧み、 圓 喜と 秋 田時顯 とに 遺囑 して、 之 を 輔佐せ しむ。 以 

爲 らく, 宗族 は 孤 を 託する に 足らす、 孤 を 託する に 足る 者 は、 外戚と 家宰 とに 若く 莫し と。 

而し てこの 二者 實に北 條氏を 亡す を 知らざる なり。 なほ 東 漢の外 戚宦 官、 消長 を 相爲し 

て、 終に 二者に. U さるち かごと し。 貞時 初め 外戚 を 患 ひ、 內 管領に 頼りて 以て 之を滅 し、 

懲りす して、 秋 田 氏に 倚る。 已 にして 內 管領 橫邪を 以て 敗れ、 又 懲りす して 長 崎 氏 を 用 

* れ ひミり 

ふ。 何ぞ其 不明なる や。 故に 北條 氏の. u ぶる は、 獨高 時の 罪の みならざる なり。 然り とい 

へど も、 北條 氏の 源氏に 於け る、, 實に 外戚と 家 宰とを 兼ね、 而 して その 親 倚す る 所と 爲 

. , つ つね くわ はい まね 

り 以て その 家 を 篡ふを 得。 嗚呼 流 俗の 見、 每に禍 敗を逑 く、 一 世に 非らざる なり。 而 

して 天道 還る み 好む こと、 此の 如し。 亦 獨負時 を 罪すべからざる なり。 

〇 後醍醐 天皇 (其 5 

! EC, , ; はじめ れいせい じゅつ みん てん ひ せ、.' 

頼 褻曰 く 後 醛醐卽 位の 初、 政治に 勵 精し、 恤 民-の 典を舉 行す。 而 して 關東秕 政 多く、 人 

」 2 ナ はん し てラ 

心朋 せす。 朝廷と 東 藩と、 勝負の 勢、 兵刃 を 交 ふる を 待た すして 決せり。 夫れ 鷲 鳥の W 

ノ * - 、 つ ほ 5 ^さ はく ゆき あら は 弋 

せんと 欲す や 必 すその 翅を 飲む。 その 翅を歛 めすして、 その 餺擊の 機 を 露 さば、 適, 以 

日本 政 記 論文 六 四 一 



閲 史論 



六 四 〇 



梃然 -I 眞直 

L1 立つ 形 

頑 率 奢 傲— 

頑冥 驕奢 



之 を 木 心の 菡に譬 ふ。 その 未だ 蘋せ ざるに 當 りて や、 加 ふるに 大風 暴 雨 を 以てして、 挺然 

折れす。 一た び ® を 得。 雍は その 心の み。 その 斡の 壯、 枝葉の 茂 依然た る も、 童稚 之に 攀搖 

ぐわん そつしゃが ラ 

する も 而も 動くな り。 故に 北條 氏の 兵力 依然た る も、 高 時 一 たび 頑 率 奢 傲を爲 し、 以て 人 

すゐ ちゆつ そ も {» ぐ わい せき か さい 

心 を 失 ふや、 則ち 衰絀を 招く こと 此の 如し。 抑 唯 此のみ ならざる なり。 其 外戚と 家宰 と、 

その 政を專 にし、 政 は賂を 以て 成る。 是北條 氏の 大^な り。 堯勢 その 族と 共に: 巴を爭 ひ、 

たかす け ふ fc , 

而 して 內 管領に 訟ふ。 長 崎 高資兩 つながら その 賂を 受けて 決せす。 怨みて 叛 する 所以な 

せんせい ぐ わい せき か さい 

り、 討ちて 克 たざる 所以な り: 豈 後世の 戒と爲 すべ からす や。 北條 氏の 先 世、 外戚と 家宰と 

なきに 非らざる なり。 而も 未だ 政を專 にせす。 義時、 泰 時の 際、 三 浦 氏 外戚 を 以て 謀議 を輔 

け、 而 して 時 頼の 世、 安達 氏乂 外戚 を 以て 之と 相 軋る。 時 頼、 安達 氏 を 右け、 以て 三 浦 氏 を 

滅し 貞時又 安達 氏を滅 す。 其 親 漸く 遠く、 愛憎 遞に變 す。 その 勢 固より 然り、 榷 しむに 足 

る もの 莫し。 時賴、 貞 時の 心 を 推せば、 猶 ほその 畠 山 氏、 和 田 氏 を 威す がごと し。 適 以て そ 

の逼を 除く に 足る のみ。 而 して 貞時旣 に 安達 氏 を 除きて、 而 して 復秋田 氏に 親 倚す。 それ 

妻 父な り、 而 して 安達 氏 を 除く 所以の もの は、 平賴 綱の 力に 由る。 それ 内 管領な り、 頼 綱 敗 

ると い へ ども、 その 甥 長 崎 圓喜乂 宰と爲 りて 玫を爲 し, 而し て高資 其 子 を 以て 襲け り。 ^ 



やた o 兵 兵 
决す王 威 威 

せ 亡 I? のの 

リ ぶな 衰絀 
る 待 退 I 



亦 王室の 懿親を 思 はざる なり。 兩 統合. 1 に 及び、. 足 利 氏 も亦迭 立の 議を舉 ぐ。 故に 海- 2: 

嗽 然も 致す。 夫れ 足 利 氏の 勢 は、 北- 條の 比に あらす。 復權を 持し、 恩を樹 つる を 事と す 

なほ こ < わらん こつにく も ひつく け、 

べき 無し。 而 して 仍 その 故 を 襲ぐ。 その 禍亂 止ます、 骨肉 相殄 せる、 豈に亦 祖宗の 譴を 

&る 者に 非す や。 

〇 後醍醐 天皇 S コ 

頼襄 曰く、 承久 以後、 天下の 武人、 一 人の 北條 氏に 叛す る^な し。 此に 至り, 陸 奥の 人 安藤 

堯勢叛 す。 縑倉兵 を 遣して 之を擊 つや、 克 たす。 .H の北條 氏に 叛 する 者 こよに 始まれり。 而 

して 北條氏 兵威の 絀も、 亦此に 始まれり。. 王師な しとい へど も、 そ^ 亡ぶ る ゃ诀^ り。 況ゃ 

天 討 之に 乘 する を や。. fK れ その 兵卒、 必 すし も缺 あるに あらざる なり。 糧餉必 すし も 乏し 

き あるに あらざる なり。、 將師必 すし も才 無ぎ にあらざる なり。 昔 は 新造の 家、 嚮背 未だ 定 

か タき よ くじ こ くだ ? 7 

まらざる の 時み 以てして、 而も 能く 天子の 討に 抗拒し、 六 軍の 勢を锉 くこと、 枯を摧 き、 朽 

ひし るゐ せい じんぶ く か これ 

. を拉 ぐが 如し。 今 累世の 權、 四海 盡 服の 烕を藉 り、 乃ち 一 安藤 堯 勢に 克っ能 はす。 是そ 

の 故 何 ぞゃ。 兵の 强弱 は、 その 鋒に 在らす して、 その 本に 在り。 本 弱 なれば、 則ち 末絀 す。. 

n= 木 政. 記. 論文 六 三 九 



陽 史 論 



六 三 < 



宿猾— 老賊 



肝腦地 L1 塗 

る— 悲慘醆 

鼻^ 極む 



す。. 龅 山の 英氣材 力 ある を 見、 以て 鹿 幾す 可し と。 史に稱 す、 朝廷に 阪 上田 村の 鎭 國の劍 

あり、 後嵯峨 崩す るに 臨み、 后に 場し、 竊に之 を龜 山に 付す と 云 ふ。 夫れ 田 村 は 能く 束 

夷 を誅 せる 荞には あらす や。 伏 見 帝の 貞 時に 告 ぐる を 觀 るに、 曰く T 嗨山每 に 承 久の事 

を切齒 す。. その後 を 立つ る は 卿の 家の 利に 非す」 と。 然れば 則ち 、常時 中外、 頗る その 

これ ま 5 たす / 

旨 を 察す。 是 北條. 氏の^! 深 草の 統を あくる 所以な り。 龜 山の 皇孫 を 愛し、 その 位 を 得ん 

おのれ ちょ , *3 . 

こと を 祈る は。 なほ 後嵯峨の 己に 於け るが ごときな り。 花^の 儲を議 する に 及び 1=5 に 後 

おも 

二 條の子 を 立つべし" 而し H 後宇多 曰く、 「吾 慮 ふ 所 あり、 故に 先づ 後醍醐 を 立つ」 とに 疋 

に. H りて 之^ @ るに、 兩皇も 亦 其 時 を 得すして、 之 を 子孫に 望めるな り。 而 して 後醍^ 能 

くその 望に 負かす、 宿猾を 斧鉞の 下に 誅し、 復 雪ぎ 難き の 大辱を 除く。 後嵯峨の 志、^ に 

於いて か 成れり。 而 らば 列聖 在天の 靈、 以て 少しく 慰むべき なり。 而 して 伏 見の 統、 毎に 

之 を 仇疾 し、 每に闢 東の 間諜と 爲る • 光厳、 北條高 時の 立つ る 所と 爲り、 光明 又 足 利 尊 氏 

よう に い きんぎん 、 

の擁 戴す る 所と 篇る や、 皆 欣然 之 を 受けて 辭 せす。 夫れ 兩統 均しく 後嵯峨に 出で、 源 を 同 

くし、 本 を 同く す。 宜しく K その 恥 を 恥と し、 その 仇 を 仇と すべきな り。 而 して 此の 如し。 

その後 南北 分爭 する こと、 五十 餘年。 八洲の 生靈、 肝腦 地に 塗る 。敷 HHS 罪と いへ ども、 



巧詐の US 

罪譴— 罪科 

の 譴責 



紛々 たる II 

こた ごた i 

しれる 事 

陵替 I 袞弱 



し。 その 勢 をして. 相爭 ひて 相 合せ ざら しめ、 而 して 我 その 間に 於いて、 權を 持し、 恩 を樹っ 

.7 かラさ めづ これ もミづ かく f てん ミ, f 

る を 得、 巧詐の 極と 謂 ふべ し。 而 して その 减 亡 を 取る は、 實に此 に 基く、 夫れ 赫々 の 天統を 

ぶんせき y S いづ くん ざいけん 

以てして、 敢て之 を 分析し、 以て 己に 便に し、 十 年毎に 相更 ふるに 至りて は、 惡 ぞ罪譴 を 

祖宗の 靈に 獲ざる 者 あらん や。 蓋し 後嵯峨の、 後深草、 龜山 一 一 帝 を 生む は、 その 母 同じき な 

り。 而 して 後嵯峨、 專ら 意を嗨 山に 驢 し、 母后に 遺誡して、 鼈 山の 後 を 以て、 永く 皇統 

•7 ほラ いふ たい ミ i すで 

を 承け しめ、 後深草に 付す るに 封;: 巴 を 以てす。 則ち 大統已 に定れ り。 故に 後宇多 は龅山 

の 子 を 以て 嗣 立す 宜 きなり。 而 して 後深草 勢 を 失 ふ を 以て 愤懑 し、 北條 時宗に 倚りて、 

以て その子 を 立つ。 伏 見 帝 又 北條貞 時に 倚りて、 以て その子 を 立つ。 而 して 後宇多 は、 先 

皇の遺 旨 を 持して 之 を 詰る。 是に 於て か、 迭 立の 議 出づ。 宜しく 已むを 得ざる に出づ 

るが 若くなる べきな り。 然れ ども、 後深草、 伏 見の 託に 當 りて、 時宗、 貞時 をして、 正義に 

よ ふん ぶん これ わ けん 

仗り て 之 を辭. せしめば、 何ぞ この 紛々 たる あらん や。 辭 せざる 所以の もの、 是 以て 我が 權 

を 持し 而 して 我が 恩を樹 つべき を 謂 ふに 非ざ^ が。 抑 亦 故 あるな り。 後嵯峨、 北條 氏の 

ひそか くわ ラだ 3 h- ょラ たい いきさ ほ こ ひねが 

立つ る 所と 爲る といへ ども、 然も 常に 陰に 皇道の 陵替を 愤 りて、 而 して 匡 復を冀 ひ 

おのれ おもへ せ, じゃく , 

己 その 時 を 得すと いへ ども、 之 を 子孫に 望む。 以爲 らく、 後深草の 孱弱爲 す あるに 足. ら 



日本 故 記 論文 



六 111 七 




山^ 論 ?ー 一六 

よ i やしな みづか けん みづ^ 

なり。 故に その 世々 務 むる 所、 民 を 養 ふに 在り。 民 を 養 ふ は、 自ら 儉し、 自ら 勤む るに あ 

ら ざれば 不可な り。 吾 務めて 心 を その 實に盡 すと 云 ふの み、 名 は 吾が 敢て贫 る 所に あら 

すと 曰 ふが 如きな り。 是を 以て 北 條義時 官を遷 さると いへ ども、 猶原 銜を稱 し、 子孫 皆 

その 遺志に, 循ひ、 相 摸 守、 武藏 守に 終る。 而 して 相 摸 守、 武藏 守、 能く 大將車 を 易^し、 能 

しんたい はいり ふ じつ こ- , 

く攝 政、 關白を 進 返し、 能く 天子 を廢 立す る は何ぞ や。 天下の 實 此に 在れば なり。 天 

A づか けんきん これ てん. てんしょく 

下の 實此に 在り、 而 して 自ら 儉 勤して 以て 民 を 養 ふ。 是 天位に あらす して、 天. 職 を爲す 

なり。 前聖 王、 良 相の 爲す ところに 及ばす といへ ども、 其 怠 を 得る ものに 庶幾 からん。 

而 レて當 時、 天子と、 宰輔將 軍と、 : 徒に その 名を捥 し、 以て その 實を敏 とし、 その 權を收 

奪 せんと 欲する も、 而も 天の 右く る 所 彼に 在りて 此に 在らざる を 知らす。 然ら すば、 烏 

ぞ この 悖 逆 無比の 賊を 以てして、 九 世に 傳 ふる を 得ん や。 高 時に 至りて、 一 たび^? 淫 

ぃゥ てんち ラ くびす かへ てん:.! 

佚を爲 せば、 刖ち 天誅 踵を旋 さす。 嗚呼、 豈 天道な からん や。 

〇 後ニ條 天皇 • 

賴襄 曰く、 兩統迭 立の 議の、 北條 氏に 出づる は, なほ その 攝家を 分ち て 五 派と 爲す がごと 



實な O i た' お 奢 

な リ官 ら ご泰 

リ 權爵 な リ 淫 

利 II るて 佚 

は 名 こみ I 



す。 曰く、 一 吾は閼 白な り、 吾は攝 政な り」 と。 以て 天下に 驕る。 而 して 攝政、 閼 C の 職 何 

の 職た るか を 知らざる なり。 唯 相の み然 りと 爲 さす、 人 主 も亦然 り。 曰く 、「吾 は 天皇な 

り」 と、 以て 天下に 驕る。 而 して 天皇の 職、 何の 職た るか を 知らざる なり。 未-た 之 を 得 

っミめ ほんき や 5 そ、 フ くわく れんち ? 7f すで し P たい 

ざれば、 之 を 得る を 以て 務と爲 し、 奔競爭 攫、 簾 恥 を 喪 亡す。 巳に 之 を 得れば、 卽 ち奢泰 

淫佚を 務め、 位 を 以て 樂と爲 し, 以て 天下の 民力 を踢 し、 而 して 以て 鴛 然と 爲す。 是を 以て 

た》、 つこう い りよない は Ar これぶ 6A わが ぢ 

盜娀 公行す るな り、 夷虡內 犯す るな り。 则ち B く、 「是 武臣-の 任の み。 我 親 治す る 所に 非 

ち.' かく てんしょく や、 フ 

ざるな り」 と。 噫 此の 如くに して、 以て 長く 天職 を 持し、 以て 民 上に 託せん と 欲する も、 天 

ゆる いは ゆん ぶ しん しう しん みん がい 

豈 之を聽 さんや。 所謂 武臣と いふ 荞は、 刖ち 終身 百 戰し、 以て 民 害 を 除き、 而 して 朝廷の 官 

爵を 得る 能 はす。 官爵は 名な り、 權 利は寶 なり。 名 は 朝廷に 出で、 而 して 寶は 天に 出づ。 

これ つく じつ *J* さ 

天 その 實を 以て 源氏に 與ふ。 曰く、 是嘗て 力 を 民に 竭す 者な りと。 故に 源氏 天下の 實を收 

め、 而 して 朝廷 は その 名 を 擁する のみ。 然れ ども その 右 大將, 征夷 大將 軍と 曰 ふ 者、 その 

じつ きょめい 

實を おせり。 故に 朝廷 も亦從 ひて その 名を與 ふるな り。 その子 孫に 至り、 乃ち 虛名を 貪り、 

以て寶 禍を貿 ふ。 又 その 職 を」」 やれて、 I 奢淫 佚を樂 む。 その 權利 北條 氏に 歸 する 所以な 

おのれ た^ 

り。 北條氏 別に 主 を 立て 以て、 源氏の 名を嗣 ぎ、 而 して 己 その 實を {寸 る。 唯 その 實を {寸 る 

n: 本 政 記 論文 六 三 五 



陽 史論 



六 三 四 



面より 來れ るの み、 四面より 來 らば、 則ち 何 を 以て か 之 を 防がん と。 襄 曰く、 四面 皆兵 食 

の 在る あり。 我 之 を 令す る 所、 襄備 さに 之 を 論ぜり。 後世 をして、 萬 1 忽必烈 の 如き 者に 

逢 こと あらしめば、 必す 趙宋を 以て 戒と爲 し、 而 して 時宗 を 以て 法と 爲さ しめん。 



〇 天道 わる 

が 故な リ 



の 宰相 



〇 伏 見 天皇 

はいぎゃく しの はい .《 つ さい ほ 

北條 氏の 悖 逆 や 極れ り。 承久の 事、 既に 言 ふに 忍びざる 所。 敢て 天子 を廢 立し、 宰柳を 

ん. U い 九き ち I きき てん^ T 

進退し、 大將軍 を 易 置す る こ. と、 栾棊の 如く 然り。 而 して その 家 九 世に 傳 ふる を 得。 天^ 

なき か。 賴襄 曰く、 天道 あるが 故な り。 天 の 君 を 立つ る は 民の 爲 なり、 君の 爲に 非ら ざ 

あんくん 

るな り。 而も 喑君は 以て 己の 爲と爲 す。 なほ 君の 相 を 置く は、 民の 爲め なり、 相の 爲に 

よ 3 しゃ ,f われ ぞん せい わ、 r- ゥ5 ーノミ 

非す、 而も 麝相は 以て 己の 爲と爲 す, かごと きなり。 吾前聖 王、 仁德の 若き、 天 智の若 

き、 光仁、 桓武、 字 多、 後 三條の 若き は、 則ち 然ら す。 天の 己を玄 つる は 民の 爲 なる を 



A づ. * けんきん 

知れり。 是を 以て 自ら 儉 勤して 以て 民 を 養 ふ。 その 相臣も 亦、 君の 己 を ,Ba く は 民の 爲な 

たい ゃレ te 

る を 知れり。 是を 以て 君の 心を體 し、 以て 民 を 養 ふ。 民 を 養 ふ は、 君に 報す る 所以に 

た ビ くわん しゃくむ さ ぼ 

して、 唯 官爵を 貪る のみに あらす。 ^ 爵を 貪る のみなる 者 は、 中古 以下の 相を然 りと 爲 



一江 —楊子 意の 如くなら ざれば、 將に又 丘 ハを加 へんと す。 彼旣に 我が 要領 を 得。 我が 罷敝 に乘 じ、 大 

y 9X べん へ 5.! めぐ • 

お 舉 して 來る。 その 勢 宋を攻 むる よりも 便な り。 宋は 一 江 を 阻て、 我 は 大海 を 環ら す。 宜し 

く 守り^きが 若くなる ベく して、 その 實は焉 よりも 難き もの あり。 彼の 宋を攻 むる は 一 

面より 來り、 我を攻 むる は 四面より 來る。 吾が 要 喉を扼 し、 吾が 糧道 を斷 ち、 吾が 兵の 策應 

を 杜絶す。 その 禍豈言 ふに 勝 ふべ けんや。 而 して 當 時の 廷議、 必す宋 の 君臣の 如く、 苟 

削 I も禍に 近づく を究れ 、而 して その後 を恤 へす。 兵 民の 心、 亦、 宋の 將士の 如く、 敢 て防鎮 を 

f §t おもん はかり こ- 

なし 決せす。 時宗の 如き は、 則ち 未だ 宋の事 を 知らす とい へ ども、 而も 能く 慮 此に 及べ るな り。 

ふせ やす : , 

宼 辱| 來攻 以て 早く 之を絕 ちて 以て その 來るを 速に する の. 防ぎ 易き に 若 かすと 爲 すなり。 是を以 

9 お を こラ じょく 

て その 使 を 斬り、 以て 惧れ ざる を 示し、 以て 彼が 前日の 寇 辱に 報い、 而 して 我が 後日の 

守 心 を 決す。 誰か 之 を該慮 無しと 謂 はんや。 吾 以て、 宗廟の 靈、 時宗の 衷を誘 ひ、 以て 

この 計 を 決せし めたり、 颶風に 在らす と爲 すなり。 是 故に、 時宗の 元に 處し、 元 を 防ぐ 所 

ゑん たで すく こ、 r- はふ しょ 

以 は唯當 時を濟 ふの みならす、 皆 後 法と 爲す 可し。 曰く、 元に 處 する 所以 は 則ち 然り、 元 

を 防ぐ 所以 は 如何と。 襄 曰く、 用 を 節し 力 を蓄 へ、 內は 自ら 搔敝 せす、 逸 を 以て 勞を待 

ち、 その 方面の 兵食に 因りて、 一 將を遣 はし、. 之に 令す るの みと。 曰く, 彼 幸に して 二 

日本 政 記 論文 六 三 三 



山 

史 



斬 前 


らば D 


殺 屠 


すい 颶 


s« 梭 


ふ WL 


忍 酷 


にの 




足說 



が ぎょかん せい せいはく ほしい ひそ/ 

を 用 ふるに 足れり。 則ち 之 を 駕馭靳 制し, その 噬馎を 肆 にす る 能 は ざら しめ、 以て 陰 

に 王家に 報す る 所以の もの、 豈計 無しと 爲 さんや。 嗚呼、 豈計 無しと 爲 さんや。 

〇 後宇多 天皇 

國朝、 太宰府 を 置きて より 以還、 外寇 無き にあら す。 然れ ども 三韓の 小 醜に 止まり、 未だ 

元寇の 患 ふ 可き が 如き は あら ざり しなり。 而 して 防ぎて 之を卻 け、 彼 をして 懲りて 復窺は 

く えき そ ラベ 

ざら しめし もの は、 北條 時宗の 力なり。 世俗の この 役を稱 する 者 は、 曰く 、「宗廟の 靈に賴 り 

て 颶風 大に 作り、 刃に 血ら すして 克 てり」 と。 是言 ふに 足らざる なり。 稍..^ 識 ある 者 は、 

乃ち 時宗 武人に して 謀 慮 無く、 元の 使荞を 殺して 此寇を 来す 所以 を咎 む。 頼褒 曰く、 使^ 

す& 9- か 

を 殺す も來 り, 殺さ さる も亦來 る。 之 を 殺す は その 来る を 速に する のみ。 何と なれば 刖 

さんめ つ て, < 'モラ めつ 

ち 忽必烈 の 志 は、 我が 邦 を 呑减 する に 在り。 その 趙宋 を滅 する 所以の もの を 以て、 来りて 

我に 擬す。 先 づ使を 遣 はして 書を來 し、 我が 受けざる に 因りて、 乃ち 兵 を 用 ひ、 剪 屠懷酷 

以て その 威 を 示す。 我の 懼れて 服 せんこと を 期せるな り。 又 使 を 遣 はす や、 猶 和議 を 以て 

言と 爲す。 我 をして 之を聽 かし むれば、 則ち 我趙宋 たり。 藩と 稱し、 幣を 納れ、 一に その 



泛然— 水に 

泛,, ? 力.^ く 

偏^す 黨^ 

ざるない ふ 



小 白— 齊の 

桓公 



得す。 苟も その 力 を 借り て、 以て 天下 ふ濟 へ ば、 我が 事 は 成れるな り。 彼、 源氏、 北條 氏の 一 

起 一 仆 する、 我に 於いて 何 か あらん。 是を 以て、 頼 家 行 を 失する も肯て 諫めす、 實朝 禍に陷 

さんせ つ そ な へんぜん みづか 

いる も 肯て救 はす, 時 政、 義 時の 纂竊を 謀る や、 肯 て舰齬 せす、 泛然 中立して、 自ら 其禍 

たづ ミが ひまり 

を 免 かる。 世 その 志の 在る 所 を 原ね すして、 その 源氏に 負く を咎 むる は 過れ り。 吾獨そ 

の 用 ひて 以て その 才を展 ぶる 所の 者、 その 人に あら ざり し を惜 むな り。 廣元獨 王朝の 世臣 

に 非す や。 己 を 知る 莫 くんば、 則ち 斯已 まんの み。 人の 力 を 借る に 急に して、 その 盜賊を 助 

くる を 知らざる なり。 廣元微 りせば、 賴朝も 亦 一 桀 黠の將 帥に して 止まん のみ。 何ぞ 坐し 

ねす かく りう ざん はいぎゃく 

て 王 權を擴 むこと • 此の 如きに 至らん や。 承久の 役、 帝王 を流竄 し、 敢て悖 逆 を 行 ふ も、 

べん こ れい ふく わい しょぶん さいけつ 

亦泰時 輩の 能く 辨 する 所に あらす。 廣 元の 故 例に 附會 して 虡分 裁決す る を 待ち、 然る 後 

- / すです で この ひ 5= この ひミ はい 》* さ 

奉じて 之 を 行 ふの み。 夫れ 業に 已に是 人 を 用 ひて 以て 吾が 事 を 成す。 是人敗 るれば、 敗將 

つく たす ひっし ぁャ 

に 己に 及ばん とす。 故に カを竭 して 之 を 抉け ざる 能 はす。 勢の 必至. 怪しむ に 足る 者 無 

し。 而 して その 罪 は、 遠く 源氏、 北條 氏の 上に 出づ。 廣元 蓋し 悔 ゆる も 及ばざる なり。 惜 

くわん ちラせ 5 はく たす 

まざる 可 けんや。 抑. - 吾又廣 元の 爲に惜 む もの あり。 管 仲、 小 白 を 用 ひ、 之 をして 周 を扶け 

しめ、 王猛、 符堅を 用 ひ、 之 をして 晉を 侵す こと 無から しむ。 廣 元の 才は、 以て 頼 朝、 泰時 



本 ^ nus 論 文 



六 三 1 



山陽 史論 六 M 一 〇 

ち必す 天下 冇 力の 人 を 求め、 その 力 を 借りて、 以て 天下 を濟 ふ。 是之を 人 を 用 ひて 以て 

我が 事 を 成す と 謂 ふ。 以て 我が 事 を 成し、 而 して その 人の 善 惡を擇 ぶに 暇 あらす。 善人 

を 得れば 可な り。 或は 惡 人に 遇 ひ、 勢 中止す ベから ざれば、 則ち その 成す 所、 注く とし 

滔 天の 惡 I て惡 ならざる は 無し。 惡の 大小 は、 才の 高下に 隨ふ。 才下 なれば、 刖 ちその 惡小、 才 高け 

4<ffis , がいせい 3 い た- 'てん な 

け リ 1 れば、 刖 ちその 惡大 なり。 蓋 世の 才を 以て 滔 天の 惡を濟 さば、 天下の 戮 と爲ら ざる もの 

保平以 還— すくな いくわん 言 

保 元 平袷以 鮮し。 吾大 江廣 元に 於て 之 を 見る。 保 平 以遠 天下 大に亂 る。 廣元、 源 頼 朝の 收 むる 所と 

| 元の 锒— 爲り、 その 計畫を 進めて、 以て 平定 を 致す。 ^以て 賴 朝の 廣元を 用 ふると 爲す。 吾 以て 

西 上の 策 廣 元の 賴朝を 用 ふると 爲 すなり。 承久の 役、 北條 泰時廣 元の 策に 由り て、 以て その 難 を 

すん す。 亦廣 元の 泰時を 用 ふるな り。 夫れ 頼 朝の 事を舉 ぐる は、, 父祖の^ を撫 して、 一 方に 

き よい i モ *4-1 する ぼく いた 

據冇 せんと 欲する に 過ぎす。 而 して その 下 皆 粗 猛椎朴 、力 を 戰鬪に 効す を 知る のみ。 廣元 

の 大計 を 持し、 注き て 之を敎 ふるに 及び、 始めて 說 びて 之に 從ふ。 北 條氏は 京師の 檄を 得, 

退きて 八州 を {寸 らんと 欲す。 廣元策 を 決する にあら ざれば、 天下の 亂 何の 所に か 底止す 

る 所 あらん" 廣元 この 輩 を 用 ふるに あらす して 何ぞ や。 蓋し 廣 元の 才, 以て 天下 を濟 ふに 

足る。 而 して 朝廷の 知る 所と 爲ら ざるな り。 则ち關 柬のカ を 借りて、 以て 之 を展べ ざる を 



諸 練 —熟知 



京師の 虞るべき に 若かざる なり」 と。 その 之 を 重ん する こと 知るべし。 蓋し 北條氏 は、 

^利 氏の 以て 縑食 に處 する 所以の もの を 以て、 以て 京師に 處 するな り。 而 して 足 利 氏 は 

ひミり つ ほう あら 仁 

獨之を 任じ、 北 條氏は 分ち て 之 を 任す。 足 利 氏 は 壟ぎ て 之 を 封 じ、 北 條氏は 之 を 更め代 

ふ。 故に 足 利 氏は縑 倉の 力 を 得すして、 而 して 常に その 跳し 難き を 患 ひ、 北 條氏は 能く 

兩府を 制し、 兩府の 力み. 得、 以て 天下 を 制せり。 以て 後世の 法と 爲 すべし。 凡そ 兩府を 

じん ひさ せラ くわ, C あん れん 

鎭 する 者 は、 任 久しければ、 乃ち 召還して 政 を 執らし む。 その 京 畿西國 の 事に 諳練 せる 

を 取る。 而 して その 鎖に 在る に當 りて は、 必す しも 汲々 として 遷るを 求めす。 隸 する 所 

の 兵士、 又 徒に 文 具を備 へざる なり。 元弘の 際にお ける を觀 ば、 亦驗 とする に 足らん, 又 

以て 後世の 法と 爲 すべ し。 



〇 後堀河 天皇 (其 5 

頼襄 曰く、 天下 を濟 ふの 才を 抱き、 而 して 之 ふ ffl ひざる は、 士の 不幸と 爲す 所以な り。 然 

りと いへ ども、 之 を 用 ひて、 その 當を得 ざれば、 不幸 更に 焉 より 甚 しきもの あり。 之 を 

ま さ ,< づか 

ffl ひざる の 愈れ りと 爲 すに 若かざる なり。 夫れ 吾が 才の、 自ら 用 ふるべからざる や、 -刖 



本. 政 記 論文 



4 ハニ九 



山陽 史論 



六 二八 



めて 京師 を鎭 する や、 六 波 羅兩府 を 建て、 四十 八 所の 篝卒を 置きて 隸 せしめ、 名 づけて、 宫 

城 を 護衛す と爲 し。 その 實は之 を鎭壓 す。 なほ 大水の 後、 旣に その 決 溢の 口 を 塞ぎ、 又 石 

f フ ぼく ラ こうくわん ゑん きんへ いそく 

柱、 木 樁を樜 ゑて、 以て 後患 を 防ぐ がごと きなり。 是に 於いて 遠近 屏息し、 敢て心 を 生す 

い めん かう む ほんぶ 

る莫 く、 四方 望みて 以て 倚 安せ り。 而 して その 威の 被る 所、 遠き は關西 諸道に 及び、 奔赴 

して 命を閗 かざる 莫し。 之 を 人に 譬 ふれば、 嫌 食 は 胸 腹な り、 西 府は臂 なり, 而 してお^ 

し, フ し くわん せつ A やくり 、7 んた うじ じょ 

は 指な り。 胸 股 は 以て 兩臂を 使 ひ、 兩臂は 以て 衆 指 を 使 ふ。 關節 脈理、 運掉自 如、 能く 

それ こ はくふ 5 つ 

天下 を 制する 所以な り。 彼 其 承久の 亂に懲 る。 豈 直に 幕府 を 移して、 尕 師を鎭 せんと 欲 

せ ざらん や。 而 して 不可なる 考 あり。 何と なれば 刖ち關 東 は その 根本な り、 搖 すべから 

ざるな り。 その 巢穴 なり。 離るべからざる なり。 その 巢穴を 離れ、 その 根本 を摇 して、 fwl 

い^ほ ひせい はくき たく なん 

く 京師に 居らば、 勢、 捿泊 寄託の 如し、 烏ぞ 能く 天下 を 制せん。 刖ち異 日の 足 利 氏 はこれ 

ちん お 

のみ。 故に 北條 氏は爲 さざる なり。 泰 時の 始め 鎭を 置く や、 他の 將帥を 以て 之に 充てす し 

< づか 

て、 自ら これに 當り、 叔父 時 房と 南北に 對守 す。 その 任 を 重ん する 此の 如し。 泰 時おり 

しっけん つ ない へん す y は じ 5 てい ちん 

て、 執權を 壟ぐ に 及び、 內變 あるに 遇 ふ。 輒 ちその 子と 從 弟と を 遺 はし、 以て 兩府 を鎭せ 

しむ。 人 その 留 りて 以て 自衞 せんこと を勸 めて 曰く、 「嫌 倉處る 可き なり I。 泰時 曰く, 



盪定 —平定 



戈^ 倒に ぜ 

しむ ー. 却て 

北條 氏^ 討 

たしむ 



豪傑 を 竦 動して、 北條 氏の 膽を 破る に 足らん。 夫れ 藤 原 氏 は 王 氏の 子、 將士に 恩 あるに 

あらざる なり。 猶 且つ 挾 みて 以て 北條を 圆る考 あり。 況んゃ 源氏 を 以て 之に 令す る を 

や。 而 して 甲、 信、 兩 野の 諸 源 之れ を彻 かば、 必すゃ 人々 自負し、 皆鈹 舞して 以て 朝廷の 用 

を爲 すべし。 縱ひ輒 ち篮定 する 能 は ざら しむる も、 何ぞ 一敗 地に 塗る よに 至らん や。 唯 

其 關柬を 減す る を 以て 號 とす。 關東減 すれば、 則ち 將士 生活の 地 無し。 故に 義時、 泰時、 以 

おびやか じふ はん われ, 7 がふ そつ ふせ 

て 之 を 脅して 入 犯す る を 得たり。 而 して 我 烏 合の 卒を 以て 之を禦 ぐ。 故に. 曰く、 未だ そ 

の 謀 を 得ざる なりと。 夫れ 二位 尼の 將士 を勵 ます や、 大江、 三 善の 徒、 之が 鬻 策を躉 す。 

皆 源氏の 舊 業を稱 し、 その 顚墜 を扶 くる を 以て 言と 爲す。 朝廷 一た びその 指向 を 同じく 

さかしま 

せば、 則ち この 輩、 勢變 じて 我が 徒と 爲ら ざる を 得す。 十九 萬 人、 その 戈 を 倒 にせし む 

べきな り。 曰く、 此の 如くば、 北倏 減すべく、 源氏 復 せざる ベから す。 而 して 王 權收む 

可き か。 曰く、 我 之を滅 し、. 我 之 を復 す。 德 我に 在り。 刖ち權 も 亦 我に 在らん。 



〇 北 條氏天 

下^ 制する 

の 術^ 知る 



〇 後堀河 天皇 (其 1) 

せい じ 妙つ «f 

頼. s 曰く、 北 條氏は 天下 を 制する の 術 を 知る と 謂 ふ 可し。 旣に承 久の難 を 定め、 將を留 



日本 政 記 論文 



六 二 七 



山陽 史論 



六 二 六 



危疑 相仗リ 

1羝 み^ 互 

にれ ょリ 合 

ひ 



酵賞. I 賞 

旅 拒す る!^ 

拒む 



のみ。. 何ぞ や、 夫れ 此 大業 を 建つ る 者 は, 源氏に あらす や。 天下の 畏 る-所 は、 源氏の 威 

なり。 服す る 所 は、 源氏の 恩な り。 北條 氏の 權を專 にす る 所以の もの は、 源氏に 外戚た る 

ひそか X ち 5 

を 以てな り。 而 して 陰に その 主. を 殺す 者 は 再な り。 その 主に 心 ある 者、 事に 因りて 之を誅 

じょ しほ; C くわん ミラ しんせき 

鋤 せんとせ る 者、 數 なり。 闢 東の 將士、 皆 その 心 跡 を 知りて、 而 して 敢て 言ふ莫 し。 その 間 

あ かラ がい ふ A; &き ,7 fcr し. * くい " おも 

豈 に慷慠 憤激、 起ちて 之を擊 たんと 欲する 者 無 からん や。 特 その 食邑 を懷 ひ、 その 妻子 を 

かへ. c m ザ あ ひよ ま 

顧み、 危疑 相 仗り、 能く 先づ發 する 莫 きのみ。 この 時に 當 りて、 朝廷 をして 智謀の 士冇 らし 

めば、 その 誥旨を 改め、 闢東を 減す と 曰 はすして、 源氏 を復 すと 曰 ひ、 明に 之 を 諭 して 曰 

く、 「故 源 頼 朝 王家に 勳勞 あり、 特に 元帥に 命じて、 汝將士 を 統べ 、 之 を 子孫に 襲が しむ。 間 

みパ しん ラは くちさい あ y む ひそ^ Z た ふ い せい L いがい 

く 賊臣 あり その 業を篡 はんと 謀り、 その 寡 妻 を 欺き、 陰に その 孤を斃 し、 異姓 嬰 孩を立 

てて、 その 血 食を斷 つと。 汝 將士、 世々 源氏の 恩 を 受け、 之と 與に肩 を 比ぶ。 乃ち 忍びて 北 

/ , っ> い t かん も tt ちょ 5 &ん *•? 

面して 之に 事 ふる。 今朝 廷盡 くその.^ を發 き、 天下の 兵を徵 して 之を誅 し、 將に 更に 源宗 

えらよ 9 それ あん さ もま 

を擇 ひて 以て 汝が 主と 爲 さんと す。 其 守護、 地頭、 頼 朝 父子の 署 する 所 は、 盡く 安堵 故の 

I J 1 わ.? し し た ふ さら 》? つし や 5 fun ぐら 

如くな らん。 能く 王師に 先 じ、 彼の 醜類 を噎す 者 は, 更に!! 賞 を 加 へん。 敢て 向背 を昧ま 

りく る .fftas 

し、 詔 命 を旅报 する 者 は、 同じく 戮 して 赦 すな かれ」 と。 此を 以て 七道に 宣布せば、 以て 諸 



延攛 I 引き 一 

寄せ 

遵 養時晦 I 

兵^ 養 ひて 

潛に 時^ 待 

つ 

泄沓 —うか 

う 力 と暮す 

〇 志 ぁリ 

て 謀な し 



んす」 と。 0. 假 にこの 事 をして 克 たし めんか、 則ち 必す曰 はん、 「王師 東 伐、 强藩誅 に 

伏し, 盛德 大業、 前に 光き 後に 垂る」 と。 故に 彼の 成敗に 因りて 事 を 論す る考 は、 必す 天下 

* ひ てん fc3 

の 是非 を 顛倒す • 以て 辨ぜ ざな ベから す。 賴襄 曰く、 上皇 は 有志の 君と 謂 ふべき なり。 然 

い ラレ きんれい ん, c らん じ $ん や 、つじ;^ わい きん み 

り. といへ ども、 苟も 此志 あらば、 憂 思 勤勵、 英雄 を延欖 し、 # 養 時晦釁 を 觀て而 して 動 

• P しょき い f- 'えんん いた ふ h- よりょく 、やや A づか たラ 

くに 非 ざれば 萬 一 を 鹿 幾す ベ から ざな り。 乃ち 遊 宴 泄沓, 區々 の膂 カを耀 かし、 自ら 刀 

劍を钃 るに 至る。 その 共に 謀る 所 は、 嬖寵の 公 i に 非 ざれば, 則ち 逋 逃の 將 校な り。 其從 

諛を 信じ、 輕舉 妄動して * 以て 天下の 老姦 E 猾を圖 らんと 欲す: .難ぃ か: な。 故に 吾 上皇 を 

以て、 志 ありて 謀 無しと 爲 すなり。 その 舉の 如き は, 則ち 非なら ざるな り。 此 にして 擧ゅ 

わう けん ざし そ そ 3 か 

ざれば、 王權の 日に 去る を 坐視 せんの み。 祖宗の 舊物を 放ちて, 而も 恤 へざる • 可な らん 

ミ^はん らん ねす 

か。 曰く、 未だ その 時 を 得ざる なり。 束 藩 襯に乘 じて 權を攘 むと い へ ども- f 旣に此 大業 

けんり ふ おそ ふく な くうけん ひきめ ゥ 

を 建立す。 天下 その 威 を 畏れ、 その 恩に 服せ ざる は莫 し。 而 して 空拳 を 以て、 之 を擊滅 

せんと 欲す。 當時已 に此を 以て 之を諫 むる 者 あり、 「是未 その 時, を 撙ざ: ななり」 と。 襄又 

ゎラし S うはん めつ きん A 

以て 然ら すと 爲す。 曰く、 王師の 東 藩を滅 する は, 唯 この 時を然 りと, 爲す。 所謂豫 を觀て 

これ なん た r 

動く とは是 のみ。 烏ぞ之 を 未だ 其 時 を 得ざる と 謂 はんや。 吾特 未だ 其 謀 を 得ざる を惜む 



日本 政 記 論文 



.J ハ二五 



陽 史 論 



六 二 四, 



二 鼓の 嬰兒 

—賴 經 



將 士を會 し、 義 時を窮 詰し、 座に つきて 之 を 囚 へ、 而 して 特に その 族を釋 さば、 則ち 朝 

を 終 へ すして 事 定まらん。 實朝 優柔と い へ ども、 而も 政 子 あり、 之を辨 する に 難から す。 且 

か は いづれ さミ なほ 

つ その子 を 愛する と. その 弟 を 庇 ふと. その 情 孰 か 重き。 故に 曰ぐ、 悟らざる なりと。 猶そ 

の 父の, 其 夫 を危 くす る を 悟らざる がごと きなり。 然 らば 則ち 北條 氏の この 謀を蓄 ふる 數 

あた 、 A づか 

十 年、 今にして 之 を發 して 中れ るな り。 而 して 自ら 代りて 立たざる は何ぞ や。 曰く、 人 をし 

た ふ いやしく おのれ 

て 之を仆 さしむ。 故に 亦 人 をして 代りて 立た しむ。 苟 も 己代り て 立た ば、 世 將に己 を 立て 

んと 欲して 之を仆 すと 曰 はんとす るな り。 故に 敢て 立た す、 而 して 二 歳の 嬰兒を 引きて 

之 を 立つ。 曰く、 1 是も 亦, 故^と 連姻 する 者、 以て この 位に 立つべき なり」 と。 その 赏は 

もく ぐ、 フ V t *^ かく, つん さ 5 

猶ほ木 偶 を 立つ るが ごときな り。 故に 稍知覺 運動 すれば、 則ち 之 を 去り, 更に 知 免 運動 

せざる 者 を 立てよ 之に 代 ふ。 是北條 氏の 本 謀に して、 九 世に 貽す 所以の ものな り, 



〇 九 條廢帝 



てんち はんぷく ひ 

承久の 事、 佶臣を 以て、 天子 を 放流す。 天地 反覆せ り。 論者 皆 曰く、 「後 烏 羽 上皇の 非 

きょ A づか くわ はい や けつ 

舉、 自ら 禍敗を 取る。 北 條義時 已むを 得すして 闕を 犯し、 無道の 君を廢 して 以て 天下 を 安 



衷 甲— 裝朿ー 

の 下に 腹卷 

^奢す X?、、 



蹤跡 謹." 

跡な か くす 

端倪— 事 端 

歌— 出で て 

いなば 主な 

さ 宿と なリ, 

S とも 軒端 

の 梅よ 春な 

忘るな 



曰く、 「苟も 能く 今の 將 帘 を |g さば、 則ち 子 は故將 軍の 子な り。 以て 之に 代るべし」, fj 。公 

瞻の事 を 成す を 観て、 三沭義 村に 報じて、 己を迎 へしむ。 而 して 義村 之を告 ぐ。 義時 

めつ 

命じて 之 を 殺さし む。 その ロを滅 するな り。 故に 曰く、^: び 之 を爲 して 屮れる なりと。 而 

して 義村は その 謀に 與 する 者な り。 大江廣 元 も 亦 その 謀 を 知りて、 而 して 知らざる 9t する 

者な り。 史に稱 す、 廣 元は 義 時と 議し、 實朝驟 に 官位 を 進む、 必 す.^ 殃に 嬰らん こと を i む 

と。 又寳 朝に、 未だ 昏れ ざるに 及, びて 禮を行 ひ、 衷 甲して 往 かんこと を勸 むめし も、 聽 かす 

しょくひん お^れ お i あこお i 4* す, , 

と。 皆 事後に 於て 衆に 飾 言し、 以て 己 その 謀 を 知る を掩 ふの み。 豈撿 はんと 欲して、 盆 

顯 はるよ ものに は 非す や。 夫れ 義 時の 狡黠、 此の 如き^ 以てして、 亦 多智の f 之が §w 

と 爲る者 あり。 一 時の 老臣 猎將、 蓋し 颇る その 故 を 察知す。 而 して 蹤跡 詭祕、 . 能く 端き 

を 見 はす 莫し。 故に 政 子の 智を 以てして、 終身 悟ら ざり しなり。 況ゃ實 朝の 紈袴 乳臭 を や。 

き 力い いづ くん あや , 

n に その 機械 ありて 省みざる, 曷 ぞ拖. 4 むに 足らん や。 或は 稱す、 「實 朝、 禍 迫りて 解兗す 

ベ からざる を 知り * 宋に 赴き 之を邇 れんと 欲し、 ェに 命じて 船 を 造りし が、 用 ふべ からす 

して 止む。 拜賀の 夕に 及びて、 將に出 でんと する や 歌 を 作りて 訣を爲 す」. と 吾 以て 皆戲と 

まこ * こ 

爲 すなり。 審に然 らば、 何ぞ政 子に 告けざ る こと あらん。 政 子 之 を 閒 かば、 必らす ゃ大に 諸 



本 政 記 論文 



S 



山陽 史! S 



六 1 



奔 らしめ 1 

私通せ しめ 



楽戟 ー 上 包 

ある- こ 



ぶ 所 あるな り。 誰に か舉 ぶ、 曰く その 父に 擧ぶ なり。 その 父 之 を爲 して、 而 して. E. らす。 そ 

の 子 w び 之 を爲 して、 而 して 中る。 術 至る と、 未だ 至らざる とに あるな り。 初め 時 政 そ 

** な お き C わ 

の.^ を縱 ちて、 頼 朝に 奔 らしめ、 而 して 知らざる 爲 する 莕は、 頼 朝 を 居き て、 奇貨と 爲 

さんと 欲するな り。 終に 之 を 擁して 事を舉 け、 事 成る に 及び、 その 死 を 速に し、 外孫 を 

. . » おのれ ► • . , _ .• ふじの かり そが 

立てよ 己 その 家を專 にせん ij 欲せし なり。 何 を 以て か 之 を 知る。 富士 野の 獵、 i 我の 二 

孤 その 父 仇を復 す。 以て 已む 可し。 又大將 軍の 幕 を 犯す は何ぞ や。 曰く、 遂に 祖父の 仇 

を復 せんとす るな りと。 それ 十 萬 貔貅の 衞榮戟 の 環 列 を 以てして, 敢て 突入して 刃 を そ 

さ たいえん 

の 腹に 刺さん と 欲す。 豈 に大锾 の、 内に. NT か^となる 者 無くして 然 らん や。 時 政^て 一 一 孤 

&づ Si へん 

を^: し、 親ら その 少者に 冠し、 その 名の 僞を與 へ て、 之に 名づ くるに 至る。^ しその 父 仇 を 

復す るの 便 を指敎 せるな り。 而 して 龃 父の 仇に 至りて は、 刖ち 陰に 人 をして 之 を嗾 せし 

む。 常時、 事縑 食に 閒 ゆるに 至り、 政 子 をして 驚 泣せ しめし は、 則ち その 危 知るべきな 

まねか あ 仁 

り。 幸に して 究る i. のみ。 故に 曰く、 之 を爲 して 中らざる なりと。 義時曾 我の 子と 、結び 

て 兄^と 爲る。 蓋 も その 故 を 知れば なり。 故に 焉を學 ぶ。 蓋し 亦 人 をして 公 鸱に嗾 せしめ 

て 曰く 二 今將軍 は、 子の 父 仇な り。 子 その 拜賀を 伺 ひ、 刺して 之 を斃 せ」 と。 又 之 を赚 して 



强宗 I つぶ 

き 一 族の 首 

頜 



陰 狡 巧 酷- 

陰 險狡搰 



家の 子に して、 是實 朝の 大に 忌惡 する 所な り。 而 るに 義 盛の 子 姪 焉に黨 す。 故に 義時 その 

おそ ざ „.- こ 5 あ;. J ふく 

畏る i に乘 じて、 之を讒 構して 曰く、 「頼 家の 爲に 仇を復 せんと 欲す」 と。 然ら ざれば、 和 田 

さや; f はく まのあたり はづか つ はき . 

氏の 强宗 たる を 知り、 公然 その 姪 を 縛し、 以て 面 之 を 辱し めん や。 夫れ 人に 唾し, 人 

を 篤り て、 而 して 顧みざる 者 は、 必す恃 む 所 あるな り。 義 時の 之 を爲す は、 實 朝の 之 を畏忌 

たの 

する を恃 むに あらす や。 將士屬 する 所 を 疑 ふ は、 則ち 實朝 幕府に 在らざる を 以てな り。 故 

に 其、 の 手書 を 以て 之 を 令して、 而 して 定まる。 嗟 夫、 義盛、 實 朝に 忠なる 能 はすと いへ ど 

も、 而も 能く 義時 を疾 める 者な り。 義盛 亡ぶ る や、 則ち 義時復 憚 かる 所 無し。 而 して實 

朝 勢 孤な り。 是を 以て 遂に 義 時に 斃 さる。 而 して その 之お 斃す や、 則ち 頼 家の 子 を 使 ふ 

yA- こ... - A づか 

は、 乃ち 義盛 を讒 衛 する 所以に して、 自ら \ー を 用 ふるな り。 

〇 順德 天皇 • (其 二) 

賴襄 曰く、 北條義 時の その 君を弑 する や、 己 手 を 下さざる なり 。手な その 君の 從 子に 假り、 

而 して 後從子 を誅 し、 賊名 を 脫れて 討 賊の名 を 取り、 以て 君の 國を奪 ふ。 人 敢て議 する 莫 

し。 古より 君を弑 する の 陰 狡巧黠 なる、 未だ 義 時の 如き 者 あらざる なり。 然れ ども 亦、. 舉 



日 木 政 記 論文 



六 二 一 



山陽 史論 



六 二 〇 



或 曰— 讀史 

餘 論の 說 



更^る. I 老 

熟せる 

嗷訴— さわ 

ざ訴ふ 



を 治めん と 謀り、 而 して £ た ざり しなり。 或 曰く T 義盛、 實 朝の 密使 を 受け、 以て 義時 

を圆 り、 反りて その 激 する 所と 爲 りて 怒り、 輕舉 以て 敗る。 故に 實朝 管て 之を卷 顧し、 又 

その 孫 朝 盛を寵 す。 事 作る に 及び、 將士屬 する 所 を 疑 ふ、 以て 見るべし」 と。 吾 謂へ らく、 

激して 怒る は 刖ち然 り、 密 旨を受 くると 曰 ふは刖 ち然ら す。 夫れ 義盛 は、 利 を 見て 義を 

知らざる^: なり。 初め 賴朝を 困窮に 要し、 預め侍 所 別 當 とならん こと を 求む。 その 人 

此の 如し。 故に 一幡の 禍、 頼 家 之に 命じて、 北 條氏を 討た しむる. や、 乃ち 先 づ之を 時 政に 

告ゅ、 以て 頼 家 を 誤る。 何ぞ 敢て實 朝の 旨 を 受けて、 以て 義峙 を圆 らん や。 實朝 も亦義 時の 

A づか けん 

姦を 察し、 義盛を 引き 自ら 援 くるに 至らざる なり。 その 颇る之 を^! する もの は その 事に 更 

せる を 以て、 談 說を聽 かんと 欲せし のみ。 朝 盛を寵 する もの は、 善く 歌 ふ を 愛せし のみ。 其 

朝 盛を戒 しむる を觀 るに、 宗族と 同じく 亡ぶ る ことな からしむ 。誠に 密謀 あらしめば 何 を 

以て 之 を 言 迹に顯 はす 事 此の 如くな らん や。 且 つ 義盛も 亦 何 を 以て、 族を舉 ゆて 嗷訴 せん 

や。 凡そ 是人 を圖る もの は是 人我に 唾し、 我 を 罵る も、 我肯て 怒らざる なり。 怒る 者 は 之 を 

圆る にあら す、 之 をして 怒らしむ る もの、 乃ち 之を圆 るな り。 吾 故に 曰く、 義時實 朝と 義盛 

と を圖 ると。 夫れ この 事 何に 由り て 起れ るか。 泉 親 衡千壽 を 擁して 兵 を 起す。 千 壽は故 頼 



レ めんか、 刖ち往 H の 頼 朝と 侬然. たり。: I: ぞ實朝 を # して 己 外 組の 重に 據 るに 若. かんや。 

-豈 それ 老悖 にして 智慮 齲 倒せる か。 抑 t 姦の 極, ぽ.. ^て. 愚に 歸す るか。 蓋し. 踏 政 初め 頼 朝. 

を 擁して 事を舉 ぐる や、 頼 朝の 爲に 計れる にあに す、 之 を 借りて.. 以て その 私^ 樹 てんと 

〇 唯 私な リ 欲せるな り。 唯 私な り、 故に 愛憎 變. K 頼 朝の 烕己 を壓 し、 旣に沒 すと い へ ども, その子 己 

しんし : 、 • し A おん 5 - t 

. を臣視 する が 故に, 朝 雅を援 けて、 以て 新 恩 を 市らん と 欲せる か。. 彼^に 長す とい へ ども、 

頼 朝 父子し 勢 常に 懸絕 すべきな り。 重忠は 之に 從はざ る荐、 故に 先 づ之を 除け るか。 或 

as? 1 ^T4I* これ しわざ なん (- す すで 

おき r"*-s en く、 「此義 時の 爲 に出づ るな り。 峙政 七十に 垂 として,. なほ 權を舍 てす。 而 して 義時已 

^お 2 に 强、: 故に 逨 にせん と 欲せるな り。 その 父、 後 母に 惑 ふとい ふ^は、 同 母 女 兄 を 誑く の 

| 子,.. 3 說 なり。 その 朝雅を 立てん. と 欲すと いふ は、 甥 を怵れ しめしな り 一 と。 

:〇 順德 天皇 (wn 

頼^ 曰く、 和 田^ 盛の 事を舉 ぐる は、 實 朝に 反する にも あらす、 亦寳 朝に 忠なるに も あ 

. ら ざるな り。 特に 北條義 時を疾 みて, その 權を楚 はんと 欲す、 故に寶 朝 を 取め て 以て 之 

日 木 政 記 論 文 六 一九 



て 深く 天下の 機 を 見る 者に あら ざれば、 安ぞ與 に此を 論す るに, 足らん。 



〇 土 御門 天皇 (其 三リ 



姦粉 1 わる 

がし こし 



迂鏐 I 回リ 

遠くして あ 

やまろ 



頼襄 曰く、 時 政の 姦^ は 論す る 無くして 可な り。 而も その 情 を視 るに 曉 るべ からざる^ あ 

モ や ** ひ あつ み ひ 

り 夫れ その 頼 家の 病 驚き を視 て、 その 業 を 分ち て、 , 其 子と 弟と に傳 へ んと 欲す 乙^: は、 比 

9 ,んち おのれ た 

企 氏の 己が 權を撓 めんこと を 慮 るれ に 似たり。 能 M その 議を是 とせす、 之 を 頼 家に 告 ぐる 

すで 

に 及びて、 事. 已に 迫れり。 故に 能 員 を 殺し、 賴家を 幽す。 亦然ら ざる を 得ざる なり。 之 

ノ な i 々の ち. I 一 

を 殺. すに 至りて は、 則ち 甚し。 然り とい へ ども、 猶ー 幡の故 を 以て、 その 己 を 雄 【とせん こと 

ふに 

を 馏 ると 曰 ふが ごとし。 實 朝を廢 し、, 朝稚を 立てん こと を 謀る に 至れる は何ぞ や。 兩 つな 

がら 外孫な り、 已に その 一 を 殺し、 又 その 一 を廢 して、 之 を 婚に與 へ んと 欲す。 豈に彼 を 

. 生む 者 は 前 妻の 女な り、 故に 愛せす して、 之 を 殺し、 之を廢 し、 此に 配す る^ は, 後妻の 女 

なり、. 故に 愛して 之 を 立つ と 曰 ふか。 重 忠も亦 その 娇に あらす や。 而 して \ー を 殺す は 何 

つた これ ころ これた, はい ^んご 

ぞゃ。 兩 つながら 女の 夫な り。 一 は 之 を 殺し、 一 は 之 を 立てん と 欲す。 亦 配す る 所、 ^後 

妻の 出の 異なる あると 曰 ふか。 何ぞ其 情 を用ラ る. の 廷 繆 なるや • 且つ 終に 能く 朝雅を 立て 



A^fem I. 箱き 



何ぞ や。 他 無し * 亦 戚黨を 助く るの み。 已 にして 重忠 終に 北 倏に斃 さる。 源氏と 以て 異 

なる 無し。 甚し きかな、 私見の 究れ 難き や。 頼 朝: n ぞ近く 之々 王家に 鑑みざる や。 王家 

の衰 ふる 所以の もの は、 專ら外 家に 信 倚す るに. ra るに あらす や。 王家の 古制、 親王 を 以て 

政を視 しむ。 王族の 姓 を 賜 ふ 者、 ^に 藤 原 氏と^ に、 に^^す。 ^先王の I^i ま 雛 

なり。 守りて 變ぜ ざれば、 則ち 何ぞ 彼が 如きに 至らん や。 今 頼 朝 をして、 亦 能く、 範賴, 義 

そん おの/ \ * 

經等 を存 せしめ、 各 以て 數國の 地頭と 爲し、 幕府の 評定に 列せ すと い へ ども、 大議 ある _jg 

に、 必す 焉に參 せしめば 、則ち 北條氏 忌憚す る 所 ありて、 敢て專 にせ ざり しならん。^ その 

へんしん また S ん せい *、— おこ く ゥ- んノ 

外戚 を 偏 信し、 復 之を鈐 制する 者 無し。 是を 以て 一た び 瞑して 禍 作り、 中外 環視す る も、 

敢て 齟齬す る莫 し。 故に 曰く、 信す る 所と 忌む 所と を • 竝び存 する に 若く 母き なりと。 夫 

わ 人 は 忌む 所 無 かるべ からす。 吾獨 吾が 信す る 所の 者に 任ぜば、 吾が ©す る听の 者. 獨胸 



おく 



を 行 ふ も、 何 を 以て か 之 を 禁ぜん。 故に 其 をして 亦 忌む 所 あらしむ。 夫れ 吾が 信す る 所 



^莕 は實は 吾が 當に 信す ベ き 所に あらざる なり。 吾. か 忌む 所の 考は、 寶は 吾が 當に 忌む ベ 

き 所に あらざる なり。 吾 忌む 所の 者 は、 吾 信す る 所の 者の 忌む 所な り。 之 を 竝び存 すれば、 

天下 相 忌み、 相 憚り、 而 して 子孫 以て 業 を その 間に 守る を 得ん。 習俗の 見 を悅 し、 而し 



日本 政 記 論文 



六 一 七 



忠 事 〇 從部 

敏 賴類曲 

I 朝 I 

忠 の 一 

直 心 族 



るな り。 忌む ベ き 者、 未だ 必す しも 除く ベ きものに あらざる なり。 ^に 信す ぺ く、 當に 忌む 

あ ひせい これ おもん ほか 

べき 者 を 竝び存 し、 以て 相 制せし む。 是之を 善く 子孫 を 慮る と 謂 ふべき のみ。 源 頼 朝、 父祖 

の餘 威を藉 り、 その 舊部 曲の 擁戴 する 所と 爲り、 終に 海 內の兵 權を總 ぶる を 得たり。 故に 

その 同姓 を 忌む は、 それ も 亦 吾爲す 所を爲 さん こと を 恐る よな り。 弟 義經の 威名 ^巾に 

著る V か 如き、 最も その 忌む 所な り。 故に 意 を 決して 之 を 除く。 必 すし も梶 原:^^ の讒 

を 待ちて、 而 して 然るに あらざる なり。 而 して 後、 その子 を 妻 父に 託す" 以爲 らく、 彼に 在 

りて は 亦 外孫たり、 吾 死す:^ い へ ども、 當に 吾に 代りて 以て 之 を 抉殖 すべ し、 是眞 に^に 

信す ベ く, 當に 倚る ベ き 者な りと。 嗚呼、 亦何ぞ 子孫の その 信 倚す る 所の^: の 手に 死す る 

レふ * く しけん へい 

を圖 らん や。 大凡 外戚 を 信じて、 骨肉 を 忌む は、 習俗の 私見な り • 夫れ 頼 家小臣 を髮 し、 

潢恣 忌む 無き に 至り、 以て 士心を 失 ふ は 固より なり。 然れ ども、 吾其嬖 する 所の 者 を觀る 

に、 槪ね皆 比 企 氏の 支族な り。 亦 父の 爲す所 を 親, て、 專ら戚 黨を親 信す るに あらざる を w 

んゃ。 是に 於いて か、 子の 戚、 父の 戚と 交鬪 ひて、 而 して 源氏の 業 は 堕ちぬ。 是の ゆに 常り 

A づか あや : あや , 

て、 大江廣 元の 如き、 中立 自ら 全くせ る 抱し むに 足る こと莫 し。 怖し む 所の^: は、 ft 出 市: 

忠、 忠駛不 倚の 者と 稱 する も、 亦 北搽を 助け、 比 企 を 伐ち、 その 君の 子 を 殺して 恤 へ ざる は 



趙匡胤 —i 水 

の太蹶 



〇 人^ 川 

ひ、 また 人 

に 用 ひらる 



に S3 く。 趙 胤の. K 原 を 後に する が 如し。 その 大に 力な 用 ひざる 可から ざる を 知れば な 

*れ. A づか 

り。 其 旣に 定まる。 是に 於て か、 W び 自ら 大兵に 將 として 以て 之 を 治む。 然. も 亦 人 を 用 ひざ 

すで 

るに あらざる なり。 初め § をして 義經を 殺さし む。 已に 義經を 殺せば、 則ち その Z ナく 

殺さざる を 以て、 泰衡の 罪と 爲し、 以て 兵端 を 起す。 是泰銜 と 義經と を 互用して、 以て 奧 

羽 を 取れるな り。 豈に翅 に 此のみ ならん や。. 藤 原. 兼實と 十議奏 と を 用 ひて、 以て 朝廷 を 制 

し、 六十 六 人の 追 铺侦を 用 ひ、 以て 七道 を 制す。 その 終始 人 を 用 ひて、 以て 天下 を經營 

せる、 巧と いはざる 可 けんや。 然り而 して 北條 氏の 袖 手して: その 成功 を 篡ふを 察せす。 

かラ かっさい にん みづか き さん たす これお のれ 

その 巧猾猜 忍、 自ら 手足 を 剪りた る は、 以て その 篡を資 ぐるに. 足れる のみ。 刖ち是 己 も 亦 

<づ か かなし 

北條 氏の 用 ふる- 听と爲 めて, 而も 自ら 知らざる なり。 哀 まざる 可 けんや。 



.〇 土 御門 天皇 (其 二) 

頼 遜: n く、 天下 を經營 し、 大業 を 建立す る 者 は、 誰か 其 子孫^して 長く 之 を ゆらし めんこ 

とも 欲せ ざらん や。 是に 於いて か、 爲に その 忌む 所の 莕を 除き、 以て 之 を 信す る 所の^ に 

託す。 人々 皆然 力。 然り とい へ ども、 當に 信すべき 者、 未だ 必 す しも 託すべ きものに あら ざ 



木 政 記 論文 



六 1 五 



山 

陽 
史 



四 



朮朮^ 硝 

茯苓 大黄 
苓 I 黄 I 
白 芝 



^綺 

择甲 

强 



すで やす あへ 

り。 頼靱 蓋し^ を 知る。 已に信 濃 を 得れば、 兵 を 中原に 出 だす こと^し。 而も 肯て 出で 

す。 義仲 をして、 先 づ之を 試みし む。 義 仲百戰 して 平氏の 鋒 を 挫く。 而 して その 鋒 亦 少しく 

一 ヒ ぶ おも:: ろ や. y , . 

- 鈍れり。 是に 於て、 頼 朝徐に 起ちて、 以て^ 後 を 制す。 故に 力 を 用 ふること 約に して 功 を 

收 むる は 佶せ り。 是義 仲^ 頼 朝の 用 ふる 所と 爲る こと, 猶其範 S 、穀經 を 用 ふるが ごとき 

; なり \ 世. 傳ふ、 範頼は 義經の 精悍に ^かす。 而 して 頼 朝 は 之な 问 視 せり。 乂 彼を惡 み、 此を 

愛す。 獨此を 造 はして 先づ往 かしめ 、その 久しく 功 無き に 及び、 乃ち 彼に 命す。 醫の 善く 

- - ,、 , -, f わう じゅつ.^ やう . ひミり 

一 疾を 治む る考 旣に 黄 を 用 ひて、 s, を 用 ふる を 知らす。 義經は m、 黃 なり。 獨川 

一 ふべ からす。 必す範 頼の ^苓を 配し, 然して 後 以て 効を獒 すべし。 一 谷 は^なり。 鹿 を^ 

一 ふ莕 は、 掎 して 之 を 角す。 掎 する もの 緩なら ざれば, 鹿 將に覺 りて 先づ遞 れんと するな り。 

\ 故に 先 づ範頼 を 遣. はして 之を掎 し, 而 して 後 義經を 以て 之 を 角す。 以て 平氏 を 獲たり。 八 

一 島、 壇浦是 なり。 人に 左右の 手 あるが 如し。 右手 尤も 用 ふべ きなり。 而も 左手 無くん ば、 右 

一 おの .i 

手の 功 を 成す 能 はす。 故に 頼 朝 は 善く 人 を 用 ひて、 己 その 功 を收 むる^な り。 その iSS 、義 

-:• ,-- .H はさき 、-- --. y€ -- - • •• , 

經を用 ふるや、 猶 向の 義仲を 用 ふるが 如きな り。 是を 以て 旣に その 功を收 むれば, 則ち 用 

ふる 所の 者 を 殺す U 拖むに 足る もの 無し。 束 南の 未だ 定まらざる に 常り て は、 奧^ を 度 外 



條伊 銳堅 す璲 

早 勢 II. ふ 

雪 氏 利 甲 I 

I 劍胄 强 

北 奪 



の 日に 常り、 能く 逋租 を蠲 き、 民力 を 養 ひて、 足らざる を 患 ひざる 所以な り。 賴家 • 實 

5 *> いす. 0* ひ 5a 

朝、 坐して その 業を享 く。 蓋し 然る 能 はす。 能く 然る者 は、 乃ち 北條 氏の 盛衰 相, 链ふ所 

なり。 

〇 土 御門 天皇 (其コ 

賴襄 曰く、 源 頼 朝 は 深く 天下の 形勢 を 知る. その 天下 を經營 する や、 備に 次 1 あり • ん 

f みづか A づか けん かふ ひ えい ミ 

要は 自ら 用 ひすして 人 を 用 ひるな り。 その 東國に 起る や、 躬ら堅 を 被り、 銳を 執り、 敵と 血 

4! き &づか ^ . すで, 

戰 する もの、 石橋の 一 役の み。 1 ら 平氏と 對軍 する もの, 富士川の 一次の み。 已 にして 入 

が、 ff: つ じ 九6 さラ か, f くわん しんや、 フ 

りて 縑 倉に 據り、 八州の 豪傑 を 用 ひ、 以て 自衞 す。 曹橾の 突 州に 據り、 高 歡の晉 陽に 據 

れ るが. g し。 力 を蓄 へ、 威 を 養 ひ、 以て 天下の 釁 を觀、 未だ 嘗て 輕し くその 兵 を 用 ひざる 

A づか の も *z 

なり。 源義 仲の 起る に 及び、 則ち 一 たび 自ら 大兵に 將 として 之に 臨み、 その 跡 を 北陸に 徙 

せる は何ぞ や。 八州 は 形勢の 地たり. とい へ ども、 甲 信 を 得 ざれば、 刖ち 國を爲 さす。 後世 伊 

勢 氏 八州 を 擅 にし、 而も 一た びな その 鋒 を 西し 得ざる^ は、 甲 信 人の 塞ぐ 所 たれば な 

B 水 改^ 論夂 . 六 一, 三 



山陽 史 論 



二 



民牧 I 人民 

^支配す る 

官吏 

i— 强武 

o 賴朝爲 政 

の 木^ 知る 



魔 都 I 美麗 

にして ケゃ 

びな リ 



る を 知りて、 而 して 能く 此業を 成す 所以 は自 ら其本 ある を 知らざる なり。 其、 桊 するな 觀 

るに、. 領 する 所の 九 國に纖 租を蠲 き,. 因りて 諸國 之に 准 ぜんこと を 請 ふ。 又 奏すら く、 兵 

こ 5 い らいた み ひへい よか ふ ザ、 - 

興 以來、 民 農に 暇 あらす。 闢 東の 疲弊 殊に 甚し。 今より 民力 を 量りて、 陚 税を收 めむ と, 

けいせい せい 一 みん ぼく 

平 賀義信 を 以て 武藏 地頭と 爲す。 速 政 ある や。 因りて 之を旌 し, 以て 凡そ 民牧に 任す る 者 

を 風す。 その 陸 奧を定 むる や、 凡そ 攻は皆 秀銜の 舊規に 因り、 變更 する 所 あるな からしむ。 

みだ おもん はか 

亦 民 を 援るを 慮れるな り。 嗚呼、 是 時に 當 りて、 天下 方に 驍虓 の將 を^: び、 進取の 功 を 喜ぶ 

のみ。 而 して 賴 朝獨享 々と レて民 を 養 ふ を 以て 務と爲 す。 爲 政の 本 を 知る と 謂 ふべき な 

り。 唯然 り、 是を 以て 能く 歳々 師を 出し、 一 舉 して 義 仲を噎 し、 W 舉 して 宗 盛を噎 し, 三 

華して 泰衡を 夷ぐ。 四海の 內、 一草 一木、 その 風に 靡從 せざる 無し。 以て 遂に 無 前の 大 

業を裉 建す。 その 本 は此に 在り。 曰く、 此に 在る のみ か。 曰く、 未だし。 船 朝 呰 て 侍臣 

h ぃミ みづぃ 

の 衣朋麗 都なる を 見て 曰く T 汝、 千 葉 常 胤、 土肥實 平等の 自ら 奉す る 所 を 見ざる か。 彼 そ 

の 志、 多く 兵卒 を 養 ひ、 國の爲 に 功 を 建つ るに 在り。 汝小 臣乃ぞ 敢て爾 る」 と。 命じて 

み づか 丸い き 

刀 を 取り、 親 ら その 裔を截 る。 夫れ 賴 朝の 小 臣を戒 むる に、 常 胤、 實平を 引く。 己の 領 する 

所、 常齓、 實 平に 什 百倍す と い へ ども、 而も 敢て 奢眵 ならざる、 知る? きなり。 是 その 多事 



事^ 克文禮 

fi? 剝物文 
求 I I 
マ租 典 
る稅 鱧 



て その^ ひ を 制する あるべし。 然らざ れば是 兵 を樹 つるな り。 是法皇 と^^の 公卿との 

^ A くわら V じ ナん 

能く 辨 する 所に 非す。 而 して 頼 朝の 智略 絕世 にして、 能く 禍亂を 定め.., 事 權^ 倂 する, 

亦 時運の 此に 致す もの、 人力の 能くす る 所に あらざる か • 

〇 後 鳥. 羽 天皇 (其 四) 

觐襄 曰く, 國の 大政 は 二の み.。 曰く 兵。 白 く 食。 二者 は國の 盛衰す る 所以な め。 兵 あり 

て 食な くば、 以て 之 を 養 ふ 無 からん。. 而 して 食の 生す る 所以 は 民に 在り。 故に 民 を 本と 

つ みづ^ ナ、 

爲し、 食 之に 次ぎ, 兵 又 之に 次-ぐ。 我が 邦の 先王 常に 自ら 儉 にして、 以て その 民 を撫 す。 そ 

の 民を撫 する は、 その 食を豐 にす る 所以。 その 食 豐な. るが 故に その 兵强 く、, 以て 海外 諸 

國を烕 制す。 是 王政の 輿隆 する 所以.. 禮 文の 備 具す る 所以な り。 その後 徒に 禮文 を^と し 

わす しゃび こく ♦* く ゆだ みづか 

て その 本 を 遣れ、 流れて 奢 靡と 爲り、 その 民 を 克剝 し、 而 して 兵を將 吏に 委ぬ。 將吏 自ら 

その 計 策 を 以て 糧餉 を蓄へ 、士卒 を 養 ふ。 而も 朝廷 省みす。 是 王政の 衰頹 して、 武門 之に 

代りて 興る 所以な り。 是に 於て 、守護、 地頭 を 諸國に 置き、 以て 兵 を 掌 らしめ、 段 毎に 五 

升 を 課し、 以て 食 を 調 ふ。 而 して 天下 は 一 變 せり。 世、 Is 朝の 雄 略 蓋^ 能く 此業を 創め. た 

日 本 政 記 論文 .一 ハー 一 



山陽 史 ,M 



六 一 〇 



この 宣 g を^く に 及び、: 蓋. し 心竊に 春び て 曰く、 これ 以て 朝廷の 一^ J^:^ 持すべし と。 も 

に 於て、 訴 へんと 欲する 所を訴 へ、 Jlil んと敛 する 所 を 請 ひ、 、おて 天下の 利 を罔收 す。 

たが t た たん た 

朝廷 違 ふ 能 はす、 大勢 1 變 して、 大權 復收む 可から す。. « す るに 勝 ふ 可 けんや- 闩 く、 

• 、 、 、 * ん さ V 

諸 源に 處 する は 刖ち然 り。. 何 を 以て か 平氏に 處 せん。 曰く、 亦 之 を存 する のみ。 讒 すに、 駕 

及び 神器 を 奉還せば 刖 ちその 死々 宥し、 一 州 を給予 する を 以てせ ん。 . 曰- 



罔收— 悉. 

妝む 



けんぺい しんしう 

源^ 深 顧、 

皆聽く を肯ぜ ざるな り。 曰く、 賴朝^ 初、 志 は, 柬 隅に 竊槺す るに 在り。 故に 一兵 をして 

西 行せ しめす、 又 源平 竝 仕^^ ふの 奏 あり。 義仲已 に 京師 を 取り、 平氏の^ を 賜 はるを 



&hi れ 

て垧 さわぐ 



得る や、 復西伐 を 欲せす して、 之と 連 和 せんと 狨す。 皆 その 竝立を 以てする は, 勢;, しに 

然ら ざる を 得ざる なり。 何ぞ聽 かざる ことこれ あらん。 源氏 且つ 然り。 平氏 排頹 の铋を 

き や, き. わ U はい おん き 

以て、 框悸日 を 渉る。 苟も 沛 恩の 命 を 閒 かば、 聽 かざる の理 無き なり。. 特に 朝廷 源氏 を 

おのれ あた ^づか す 

助け、 己を赚 とし、 又 別に 主 を 立つ る を 以てす。 故に 望 を絕 ちて、 自ら 弃 つるの み。 夫 

れ安德 平氏の 出と いへ ども、 法皇に 在りて は 親 孫たり、 何ぞ必 すし も 別に 虫 を 立てん。 

別に 主 を 立つ る もの、 源氏に 利 ありて、 朝廷に 利なら す。 是亦處 ^當を 失する の大 なる 

ぜん を さ 

ものな り。 然り といへ ども、 竝び存 する 者 は、 必す贫 しく 漸を 以て その 權を收 め、 而し 



リ仲 何む と^ 之 せし しむ 相 
しに ぞる 相し な 丄 めて I 箝 
か 用 最の抗 て I む 互 竝源制 

とひ 初筮 ぜ賴義 に 立 平せ 

也 ざ 義^し 朝經 制 ぜ^し 



せんし、 ます < こ 1 

專^ 極り、 諸 源 之に 乘す るに 及び、 則ち その 勢益變 す。 而 して 焉に處 す 可き もの あり。 

柯 ぞゃ。 彼 皆 平氏 を讎 として 朝廷 を怨 むに 非ら す。 朝廷の 利 は、 竝に 之を存 する に 在り。 

かんせい おもむろ 

以て 相 箝^せ しめば、 ^ちその 勢 我に 及ぶ に 暇 あら じ。 我 以て 餘 に 之を處 すべし。 壽 

永の 初に 當り、 頼 朝、 義仲 未だ 公然 相 隙す る あらす。 その 功 賞 を第づ るに、. 彼 敏て言 ふ 

こわ まさ ひそか 

莫き 以て 焉を旯 るべ し。 この 時に 當り、 法皇 當に義 仲 を禮貌 し、 以て 陰に 頼 朝に 備ふ 

もへ せんせん 

べし。 頼 朝 敢て專 擅なら ざるな り。 一 の義仲 無くば、 则ち賴 朝復た 天下に 忌む 所な から 

ん。 乃ち 無地 無 兵の 義經に 倚りて、 以て 之に 抗 せんと 欲す。 何ぞ初 之を義 仲に 用 ひざり 

しか。 曰く、 義仲强 暴、 之 を 制する も猶 不可な り、 曷んぞ 倚る 可 けんやと。 曰く 義仲强 

暴と いへ ども、 賴 朝の 姦猾に 若 かす。 之を撫 する に 恩 を 以てし、 之 を 結ぶ に 信 を 以てし、 

而 して 之 を 約束す るに 法度 を 以てせば、 以て 馴 服して 我が 爪牙と 爲す 可き なり。 法皇 乃 

ち賴 朝の 美 言 を 甘受し * 遠く その 力 を 借りて, 以て 目前の 逼を 除かん と 欲す。. 是を 以て 

けん: £> き りよ ラ tt、f まね りよ ラ きん 

嫌 隙 を 生じ、 凌 暴 を 速け るの み。 その 凌を受 くるに 及び, 乃ち 宣 して 賴朝を 討つ を 許す 

おそ 

も 晩し。 義仲 平氏と 共に 亡ぶ るに 及びて、 義經に 賴朝を 討つ を 許す。 則ち 尤も 晚 しと 爲す。 

頼 朝旣に 天下に 忌む 所 無く、 而 して その 自利の 請を發 せんと 欲し、 未だ 敢て せざる なり。 

n 木 政, 記 論文 六 〇 九 



自^の 請— 

守護 地頭^ 

S く^ いふ 



陽 史 論 



六 〇 八 



〇 後鳥羽 天皇 (其 一 5 



頼襄 曰く、 保 元、 建久の 際、 阈 勢の ー變 せる は、 朝廷の 處置常 を 失する に 基づく。 論荠 



姦豪駢 起 I 

悪き 豪族 竝 

び 起る 



自用 I 自意 

^用 ひて I 

の 言な 容れ 

ざる^ い 7i 



咎を 後白河 法皇に 歸し、 以て 庸喑比 無く, 晉の惠 帝の 頻 なりと 爲す。 然れ ども、 不幸に 

して 綱紀 極墮 し、 姦豪駢 起す るの 時に 處 して は、 英傑の 君と いへ ども、 或は 濟ふ能 はす。 

法皇 手を束ねて 爲す 無き が 如き、 なほ 恐らく は 免れざる なり。 然り而 し, て輕舉 妄動、 人 

,r ュ 仁 はか や t すな は たす し は f 

言を恤 へす、 驟に强 臣を犯 わ, 動もすれば 輒 ちその 强を贊 けて 我が 威な 損じ、 數信を 天 

じ よう かん れいけん たう だい ミく せ 5 せん 

下に 失 ふ。 惠 帝は此 自用 無き なり。 蓋し 漢の靈 獣、 唐の 代德、 眧宣の 類の み。 然れ ども、 

國朝 祖宗 德澤紀 綱、 天下に 在る もの 未だ 亡びざる は、 與 唐の 季に異 る 者 あり。 假に後 

三條の 虫の 如き をして、 この 時に 出で しめ、 而 して « くるに 通變明 機の 士を 以てせし め 

ば、 未だ 必す しも 濟危の 策 無き にあらざる なり。 保 元の 時に 處す るに、 その 罰を濫 にせ 

す、 その 賞 を 僭ら す、 武人 を 賞す るに 勳爵を 以てし、 權 柄を假 さす、 而 して 自克 自治、 其 

4* さ ゃラ せい 

根本 を淸 め、 以て 之に 臨まば、 以て 義朝 を靖む 可く、 以て 淸盛を 養成せ ざるべし。 平 

治に 至りて、 而 して 後 淸盛權 を 得。 刖ち勢 復奈: I: ともすべからざる なり。 然れ ども その 



朝 差 I 朝廷 

の 差遣す る 

所 



飞復 すべ か 

らす 



二三 十盈— 

糜仁、 文明 

頃 

七八聂 —永 

祿、 元 翁 頃 



追 柿 使と 曰 ふ 者、 亦 この 定名 あるに あらす、 而し てこの 定 SS るな り。 これより 以遠、 

かへ ^んぜ い し A C し. <か い 

盜を柿 ふる 者、 反りて 監税を 兼ぬ。 之 を總 ぶる 者、 數. N? 申戒 して 曰く、 「敢て 吏 治 を 侵 

すな かれ」 と。 亦 姑ら く 爾か云 ふの み。 國司仍 朝 差に 出づ といへ ども、 而も 必す しも そ 

の實 あるに あらす、 徒に その 名 あるの み。 獨國 司の 徒に その 名 あるの みに あらす、 總國 

い たづら これ 

司 も 亦 徒に その 名 ありて、 その 實は 則ち 總追 铺に歸 する もの、 是 時勢の 然 らしむ るな り 

し fc-f た かんせ ふ 

といへ ども、 その 初に 六十 六 人の 私 黨を植 て、 以て 天下 を篡 ふ。 その 術 簡捷と 謂 ふべき 

なり。 朝廷 以爲 らく、 是六 十六 長に 過ぎす、 何 を か 能く 爲 さんと。 而 して その 天下の 實を 

失 ひ、 天下の 勢 終に 大變 して, 復 すべから ざる を 知らす。 慨す 可き かな。 夫れ 所謂 追铺な 

ちか ら せい たく もち 

る 者 は、 力 能く 追 柿に 勝 ふる を視 るの み。 必 t しも 耥擇 を須 ひざるな り。 故に 皆 その 地 

方の 豪族 之 を爲 す。 時に 廢 置 ありと い へ ども、 久しくして 因襲す る 者、 往々 にし て然 り。 

以て 足 利 氏の 時に 及び、 强 弱相幷 せ、 合して 二三 十 員と なり、 再び 合して 七 八 員と 爲る 

にして、 天下 愈 治らす。 古の 簡. は 民 を 安ん する 所以、 而 して 後世の 簡は民 を 困 

しむる 所以、 慨 せざる 可 けんや。 



本 政. 記 論文 



六 〇 七 



山陽 史論 



六 〇 六 



納貲を 以て 進む。 紈袴 乳臭の 子に あら ざれば、 則ち 慧黠 貪汚の 人、 多く 租税 を 取りて、 

たす しかの みならず し さい ほ 5 いふ 

以て その 私を資 くる を 知る のみ。 加 之、 相 家の 權を專 にし、 その 私采 封邑、 所在に 犬 牙 



せんや。 追鋪 使の 置かざる を 得ざる もの は、 吏の 職に 稱 はざる に. £ る。 吏の 職に 稱はざ 

る は、 之を擇 ぶの 精なら ざるに 由る。 夫れ 是六 十六 人の み。 擇 ぶに 難から ざるな り" 而 

して 焉 精なら ざる もの は、 心 を 用 ひざれば なり。 上の 人、 心 を 民に 用 ひす、 而 して 吏 は 

I 金帛 

の 上納 

所在に 犬 牙 

乙 1^ る ほ し、 以て 吏 治 を妨礙 す。 假ひ 公. 簾 勤 幹なる 者 あらしむ る も、 その 職分 を 盡す能 はざる な 

り。 是を 以て 國 司に 拜 する 者、 多く は 往くを 欲せす、 徒 その 下僚 を 遣して 代往 せしめ、 

或は その 地方の 豪族に. m りて、 代仟 せし む。 所謂 目 代な り。 目 代 は 以て 税を監 し、 兼ね 

これ ひろ も! = 

て 盜を柿 ふ。 故に 或は 之 を 追 柿 使と 謂 ふ。 是追铈 使の 名の 由り て 起る 所な り。 故に 廣元、 

もくし ふこうく わん 

當時目 習ロ慣 する 所の ものに 因り, 名と 爲 して 之 を 請 ふ。 而 して 朝廷 之 を 許す に 易し。 

し ャ 51a ん 

所謂 追 柿 使 は、 國 司に 於いて は 則ち 守護と 曰 ひ、 莊 園に 於て は 則ち 地頭と 曰 ふ。 亦 皆 これ 

より 前に 有る 所に 由るな り。 その 名 これより 前に 有る 所に. s り、 而 して その 赏遂 にこれ 

より 前に 無き 所 を 成す は何ぞ や。 六十 六 員 を 以て 天下の 兵を督 す。 その 名 軽く して その 

實 重きな り。 その 廢 置の 權、 之 を 朝廷に 櫞べ す、 而 して 之を覇 府に總 ぶるな り。 故に 總 



〇 追 捕 使、 

守護、 地頭 



流 啜 I 大不 

敬に 喩ふ、 



小 不敬の 喩 

寳弄— なぶ 

のにす 



霸 業—^ 侯 

の 首領た る 



に 及び、 カ爭 する 能 はざる なり。 是 にして カ爭 せす、 その 餘區々 陴 ぶろ 所、 亦 放钣流 啜、 

而 して 齒の诀 する 無き を 問 ふの 類の み。 その 寵を 法皇に 失 ふ を 患 ふるに 及びて は、 刖ち 

又媚を その 嬖姬に 容れ、 以て 自說 せんと 欲す。 その 特操 無き こと 此の 如し。 宜な るかな、 

その 賴朝 の賫弄 する 所と 爲る や。 

〇 後鳥羽 天皇 (其 二) 

頼襄 曰く、 六十 六 人の 吏 を擇 び、 以て 海内の 民を宰 する 者 は、 王政な り。 その 政衰 ふるに 

^さ これ は &ふ 

及び、 乃ち 六十 六 人の 將 領を擇 び、 以て 海 內の盜 贼を理 む。 是縑 食の 覇業 を 成す 所以な 

.0 ん かん . * い,.'、 

り。 その 員の 簡はー なり。 員簡 なれば、 則ち 之を擇 ぶこと 精な り。 吏 を擇ぷ こと 精 なれば 

則ち 民 その 生 を 安ん す。 將 領を擇 ぶこと 精 なれば、 刖 ち盜賊 その 足を容 る i 所 無し。 盜 

贼 その 足を容 る-に 所 無くして、 然して 後 民 を 安ん する の 政、 得て 施す 可し。 故に 大江 

廣 元の 議、 源賴 朝の |畈 皆 ゆ を濟 ふの 急務、 而 して 朝廷 之 を 許す も、 亦 時勢の 然 らしむ る 

なり。 然り といへ ども、 時勢 をして 此に至 らしめ し 者 は、 必すゃ 由る あり。 今の所 謂盜 

ゎラ A ん ラれ っゐふ 

贼は、 古の 听謂王 民な り。 民 をして その 生 を 安ん せしめば、 何 ぞ盜賊 を 患 ひて 之 を 追, 柿 



n: 本改記 論 夂 



六 〇 五 



山 陽 史論 六 〇 四 

おん いやしく これ さミ き 3 くん 

恩 ありと 謂 ふ 可し。 苟も 此を 以て 源氏 を喩 し、 之 を 一州に 安置し、 以て 舊勳を 存じ、 以て 

鎌 倉の 忌む 所 を 設けん は、 計の 得た る 者に あらす や。 平氏、. 安德の 闕に復 する を 得ば、 將 

か、 しん ぜんく わつ めい ケ わん かへ ち さしはさ 

に 死 も 亦 甘心 せんとす。 況ゃ全 活の所 を 得る を や。 或は その 冥 頑 回らす、 質 を 挾み 勢に 

乘じ、 要求して 已 ますん ば、 乃ち 赫怒 之を絕 ち、 然して 後 別に 主 を 立て、 源氏に 命じて、 軍 

を 整 へ て 之に 臨み、 而 して 神器 を 責め 還 さしめば、 刖ち 天下 その 已むを 得ざる を 知らん。 

而 して 誅伐の 權、 朝廷に 歸す。 今縑 倉の 兵、 その 仇 を殄殲 し、 威 =#内 に 被む る。 而 して 

朝廷 傍觀、 又 その 勢 を 成し、 而 して その 戰を資 け、 終に 大權を 失 ふ を 致す。 索實 その 貴 を 

辭 する を 得ざる なり。 その 賴朝、 義 經を處 置す るの 議に 至りて は、 聽 くべ しと 爲す。 然れど 

も、 賴朝 その 忌む 所 を 除かん と 欲す。 何ぞ 勅命 あらん や。 兼實頼 朝の 薦 むる 所と 爲り、 而し 

〇 法皇、 諕 て 法皇 その 阿黨を 疑へ る は、 謂れ 無き に 非らざる なり。 是 法皇と 兼 富と、 倶に S 朝の 計 巾 

ほほ^^" に墮 ちて、 自ら 知らざる なり。 賴 朝の 薦 むる は、 衆望に 從 ふと 曰 ふとい へ ども、 その 資 その 

。二 Imlt It&I せい ミ くたい せつ りん ぜん 

つ 君臣 をして 相 疑 ひ、 計議行 はれ ざら しむるな り。 兼實 をして、 淸德大 節* 凜 然として 以て 

かんゆ、 フ ? I ぶん そ 

その 君 を 信じ、 而 して 姦 雄の 心 を 服す るに 足らし めば、 刖ち 何ぞ必 すし も吻々 分疏 する 

こと 彼が 如くな らん や。 一た びその 計に 墮 ちて、 出脫 する 能 はす。 故に 守護 地頭の 請 ある 

一 . - 



姦軌— 內外 

の惡人 



噍類 I 人類 



と。 源氏 旣に憤 を 平氏に 泄す あり、 而 して 平氏 も 亦 その 罪 を 知る。 兵 を 休め, 安に 就か 

ば、 兩 ながら 敢て聽 かざる にあら す。 奈何 ぞ遽に 別に 主 を 立て、 以て 彼の 望を絕 ち、 而し 

たす ふさ さ^め 

て此 戰を資 けんや。 兼實 以て 亂源を 塞ぎ、 姦 軌を遏 んと爲 す。 吾 は 以て、 開きて 之 を 導く 

と爲 すなり。 且つ 誠に 祌器を 還さん と 欲する か、 尤も 主 を 立 つ ベ からす。 主 を 立てて 器 を 

求む。 器 還らば 則ち 彼 空 主と 爲 らん。 寧ろ 死す とも 遠さざる は、 その 情 固より 然り, 兼實立 

つ 3 ろん せん 

主の 議を贊 す。 而も 器 無くして 位に 卽 くべ からすと。 通論に あらざる なり。 且つ 卽 位と 踐 

そ いくほ,、 か せんせ つ た 

祚と、 相 去る 幾何 ぞ。 其 所謂 神器 を輕ん する を 天下に 示し, 後世 ロを藉 りて、 僭 竊の絕 え 

それみ づか い なんか 1 

ざる 者、 其 自らす と 道 ふべき なり。 承 久建武 の 事、 烏ぞロ を兼實 に藉 るに 非らざる を 知 

らん や。 曰く、 主 を 立て ざれば、 則ち 平氏の 勢 を 成す と。 曰く、 平氏の 勢 を 成す と、 源氏の 勢 

を 成す と 孰れ ぞと。 曰く、 平氏の 罪、. 之 を 討 減せ すして 可な らん やと。 曰く、 彼 功罪 相华す 

しゃくい ふ ゎづか y ん ぜん たも «b 

る 者な り。 その 爵邑を 奪 ひ、 將を 殺し、 軍^ 覆 へ し、 纖に殘 喘 を 保つ。 罰 も 亦 足れり。 必す之 

が 如く 所 を 究めば、 噍類 無き に 至らん。 是 源氏の 爲に 仇を復 するな り。 且つ 夫れ 源義 朝、 

刃 を 露 はし、 闕を 犯し、 兩皇を 幽囚す。 罪 平氏に 浮ぎ たり。 平氏 王の 愾る所 を 敵と す。 源 

なん き..' レ た * {■ し、 フ せん な « 

氏の 子弟、 烏ぞ之 を仇視 する を 得ん。 適 その 周旋に 因りて, 以て 死 を 宥めら るよ を, 得。 



日本 政 記 論文 



六 Q 三 



陽 史論 



六 〇 二 



李 氏の 父 I 

主宗 

子 Hi 宗 

弟 I 成 王 



す。 徒に 當時立 君の 易き を 習 見し、 法皇の 旨 を附會 して、 源氏 を 利した るの み。 その 所 

謂 天下 主 無く、 兆民 心 を 繫ぐ所 無き 苕は、 似た るな り。 然り といへ ども、 政 院屮に 在 

きょ ゐ . か 》- さしはさ 

り、 天子 虚位と 爲るゃ 久し。 民心 S 斃る所 は、 法皇に 在る のみ。 平氏 帝 及び 祌器を 挾 

みて、 以て 奇貨と 爲すは 固より なり。 然れ ども 當 時の 勢、 李 氏の 父虡 逐と爲 り、 而 して 子 

みん ほ、..' て 5 し てき 

立ちて 以て 民望 を繫 ける 者と 同じから す。 又 趙氏朱 氏の 兄 慮 W と爲 りて、^ 立ちて 以て 敵 

資を 空しく せる 者と 同じから す。 孫 は 外 家の 將ゐ 去る 所と 爲 りたれ ども、 而も 組 父 は 在る 

き - おもむろ まさ たミ 

なり。 祖父 再び 天下の 攻を聽 き、 而 して 徐に之 を處 置せば、 將に 不可 無 からん とす。 譬へ 

f せき おびやか ち 

ば 猶ほ盜 賊窮蹙 せられて、 人 子 を 劫して、 質と 爲 すが ごとし。 死 を^ れんと 欲する に 過ぎ 

す。 之 を 急に すれば 則ち 持し、 之 を 緩に すれば 則ち 舍っ。 當 時の 計 を爲す #、 諸 源に 明 詔し 

» 1 ► しゅつ しんそん さし は 3 

て 曰へ 「今上 平氏の 出と いへ ども、 朕に 於いて は 親 孫たり。 不荦外 家の 挾む 所と 爲り、 神 

器を倂 せて 彼に 在り。 朝廷 自ら 處分 あり、 私に 之 を攻搫 する を 得る ことな かれ」 と。 平 

わたくし い to 'しく 

氏に 詔して 曰へ T 今上 は汝が 家の 私し 得る 所に あらす。 況ゃ 神器に 於いて を や。 苟も 之 

. , ゆる くわ ゥ めい いふ みだり しゅん e う 

を 奉還せば 當に前 罪を宥 し、 給す るに 活 命の CBJ を 以てすべし。 妄に 蠢動して 以て 罪 を 

重ぬ る ことな かれ。 詔 を 奉ぜす ば、 當に 祖廟に 告 ゆて 天 討 を 致し、 玉石 俱に 焚くべし」 



散 地— 山河 

の 固めな さ 一 

地 



瓶 建— 釗建 

王 綱の 弛 .1 

朝 權の袞 微 



會議 すべく。 而も 以て 座臥す 可から す。 以て 座臥すべき 者 は奧室 あり。 夫れ 越、 信は義 

仲の 奧室 なり。 而 して 鎌 倉 は 頼 朝の 奧室 なり。 頼 朝 その 奧 室に 據 りて、 義仲を 外 廳 に 



治め、 義 仲と 平氏と を鬪 はしめ て、 徐 に その後 を 制す。 頼 朝の 如き は、 則ち 獨り 習俗 

の 見に 拘 はらす、 而 して 天. 下の 形勢 を 知る 荞と謂 ふべき なり。 なる かな、 その 無 前の 

ff,K これ しょねん 

業 を 卿 建せ る や。 焉 より 筏の 新田、 足 利、 皆 及ばざる なり。 然り といへ ども. 頼 朝 初 念 亦 

此 にあら す、 或は 奥の 藤 原 氏、 越の 城 氏が、 王 綱の 弛に 乘じ、 一 隅に 竊據 する を觀る や、 

ぶら しん ひミ 》1 んか、 , きんかう 

之に 倣 はんと 欲し けん。 平氏 この 二 氏 をして 源氏 を圖 らしむ る こと、 秦 人の 遠交近攻の 

如からん も 亦 善 計な り。 然り といへ ども、 二 氏の 國 富み 兵强 きこと 新造の 源氏に 勝り。 

而 して その 智 と^と, 頼 朝、 義 仲の 對 にあら す。 前後して 竝び斃 るよ 所以な り。 しかる 

を況ゃ 平氏 を や。 



〇 後鳥羽 天皇 (其 



巨擘— かし 一 頼襄 曰く、 藤 原兼實 は世稱 して 賢 相と 爲す 所の 荐、 然れ ども 諸滕に 在りて は la 擘と爲 す 

さんり ふ けんじ りゃく 

べし、 腎は 則ち 吾 知らざる なり。 その 後鳥羽 を贊 立せ るが 如き、 權 時の^ あるに あら 



日本 政 記 論 K 



六〇 一 



山陽 史論 



六 〇G 



無根の 兵 I 

烏 合の 兵 



變穀. HITS 子 

の 御 車、 帝 

都^い ふ 

殄滅 1 ?.. み 

なごろ ILL 

す 

鼎 足 I 頼 

朝 、平氏、 義 

廳事— 表 座 



官は 大納言 大將に 止り、 而 して 朝政に 與り閲 かば、 庶幾く は 以て その 功名 を 保ち、 子孫 

fc こ, - しふ もく お ぼ ひ 

の 業を樹 つべ し。 此に 出です して 習俗に 溺れ、 必す籐 原 氏の 比の 如き を 求め, 身、 京府 

ほしい **t $ や,., ぜ, •* -T 

に 擅 にし、 敢て 天下の 的と 爲ろ、 天下の 嗷然競 起す る 所以な り。 ^に 至り、 乃ち 返き 

おそ fc* »-» け ふ ff 

て 福 原に 據る。 晚し。 適 以て 怯 を 示し、 人心 を 動搖 せし むる に 足る のみ。 乃ち 無根の 

A づか ます- \ .7 もミ 

兵 を 募り、 四 出 防禦、 自ら その 力 を踢 し、 而し て赦益 志 を 得。 その 勢 固より 然るな り。 

然れ ども、 源義仲 自ら 平氏の 軍 を 覆へ し、 而 して 復 その 轍を蹋 むは 何ぞ や。 義 仲の 國、」 : 小 

師に 近し、 速に 効 を 奏する t 所以な り。 其 をして 旣に已 に 平氏 を逐 ひ、 一 親 信の 將 領 を 

まち 

留め、 輦轂を 護ら しめ、 而 して 身 信 濃に 歸り、 異 日の 蛾 田 氏、 美 濃に 據 りて 京畿を 經營 

せし が 如く、 厚く K 勢 を 集め、 縑 倉と 對峙 せば、 源 頼 朝、 わ. か 隙 を 伺 ふといへ ども、 而 

も乘 すべき 無く、 則ち 未だ 敢て 動か ざらん。 或は W び. 親ら 將 として 平氏 を 窮^し、 之 を 

てんめつ #- 八 

殄减 せん。 勢, 然る 能 はすば、 刖ち 或は 之と 和し、 以て 鼎 足 を 謀り、 而 して その 赘を觀 

おもへ この 

る も、 不可 無き なり。 乃ち 以爲 らく、 吾 京師に 據り * 以て 四方に 號 令す 可し と。 是 天下 



の 散 地 根 據と爲 すべから ざる を 知らす。 雞の木 上に 棲む が 如し。 必 すゃ來 りて 之 を逐下 

する 者 あらん。 前日の 平氏、 以て 见る べし。 之 を 人家に 譬 ふれば、 京師 は廳亊 なり, 以て 



膝に 造る の 

際 I 膝^ ま 

じへ ズ 語る 

ふ 



將 たり。 進みて お まる を 知らす, 以て 上下の 憤怒 を逨 く。 難 作る に 及びて、 乃ち 父 を諛爭 

もミ すで ぉモ おもへ な 

す。 固より 已に晚 し。 故に 吾以爲 らく、 治 承の 難 を 作す 者、 重 盛 を 首と 爲し、 而 して 成 親 

等 之に 次ぐ と。 夫れ 重 盛の 淸 盛に 於け る、 光 賴仍き 頼に 於け ると、 事 固より 大に 異なり、 

當に之 を 膝に 造る の 際に 諫む べし。 常に 之 を 稠人廣 座の 中に 諫む ベから す。 之 を 事の 未 

だ發 せざる 時に 爭ふ 可く、 之 を 事 已に發 する の 日に 爭ふ ベから す。 然 ども、 已に 平時に 

みづか いかん し a ら 

在りて 自ら 退く こと を 知らす。 之 を 如何 ぞ、 能く その 父 をして 返 かし めん や。 能く 姑く 

之を遏 むと いへ ども、 終に 大禍の 及ぶ を覩ん こと を 恐れ、 先づ 未だ 及ばざる に 死 せんと 

欲す。 是 その 氣尙 ぶに 足らざる なり。 烏ぞ 能く 終に 桀驁の 父に 勝たん。 噫、 曷ぞ光 頼の 

笏を 端し、 聲を勵 まし、 身を潢 へ て贼 鋒に 當り、 その 氣を 以て 賊の氣 を 奪 ふに 若かん や。 



c 、安德 天 皇 

頼襄 曰く、 平 源の 事、 その 名分 逆 ぎ は 姑く a きて 可な り。 その 興廢 の數、 攻守 勝負の 

勢に 至りて は、 請 ふ 得て 之 を 論ぜん。 夫れ 平氏、 時變に 遭遇し、 天子 を 擁して、 以て 襯逆 

を定 む。 是 時に 及び、 退きて 攝播の 間に 居り、 府を 開きて 兵 を 養 ひ、 據 りて 根本と 爲し、 



»3 本 政 記 論文 



H=- ヅゴ 



山 陽史 論 五 九 八 

進みて その 節に 死す る 能 はざる なり。 故に 凡そ 士の氣 を 養 ふや、 その 平時に 在り。 國の士 

の 氣を養 ふ も、 亦 其 無事に 在り。 無事の 退、 以て 有事の 進 を 望むべし。 事 ありて 能く 進む 

に 果なる 者、 事 平ぐ に 及べば、 則ち 亦 返く に 勇な り。 その 氣 たる 一な り。 賊 信頼の 兩宮 

«0 んん くわく ぜん りょう あ つ 

を 幽する に當 りて や、 平時 死生 を诀 して、 以て 官爵を 競 ひ、 威 焰赫然 、人 を 凌 跛す る 者、 

首;^ t 化て 首 を 奉じて 凰竄 し、 敢て身 を 出 だして その 難に 當る莫 し。 藤 原 光 頼、 會議に 因りて 信頼 

II IS1^-.»、V めんせつ べんし A さ 5 き っケ 

へ て を 面 折し、 其 をして 俛首 喪氣、 當時 賊黨の 朝廷に 布 在す る 者、 噤 みて 一 語 を 出す 能 は ざら 

しむ。 以て 狂 賊の勢 を 挫き、, 而 して 天下の 向背 を定 むる に 足る。 平氏の 來討を 侍た すし 

て その 勢 決せり。 吾 嘗て 曰く、 平 治の 亂を 平ぐ る 者、 光 頼 を 首と 爲し、 而 して 平 重 盛 之れ 

に 次ぐ と。 事 平ぐ に 及び、 天子 大に光 頼 を 用 ひ、 政府に 參 せしめん と 欲する や、 則ち 疾と 

おの み 

稱 して 之を辭 す。 蓋し 朝攻の 非に して、 己が 志の 立たざる を視、 衆人 功 を 計り、 爭 ひて 進む 

o 光 賴と重 の 際に 當り、 獨意を 決して 退ける のみ。 勇と 謂 ふ 可き なり。 夫の 重 盛の 如き、 天下の 所 

謂 賢者に あらす や。 而 るに 大 將の闕 くるに 當り、 自ら 請 ひて 之に 拜 する は何ぞ や, ^ゆ 

に當 り、 藤 原 成 親等、 銳意補 せられん こと を 望む。 而も 重 盛 兄弟、 後進 を 以て 超えて そ 

なん し, r タ おのれ 

の 地に 據る。 烏ぞ衆 怒を激 せざる を 得ん や。 父 は太玫 大臣たり、 妹 は 后たり、 己 左右 大 



外叔 —母方 

のな^ 



喁^ 負 ふ 云 

云 ー 孟子 

に、 有:, 衆遂 

に 虎、 P 

喁莫 _> 之敢 

1 猛惡 者— 

足 利 尊 氏 



英し。 淸 盛の 意、 則ち 以爲 らく、 旣に 我に 與 ふるに 藤 原 氏の 地 を 以てす • 藤 原 氏の 爲す 

所、 爲す 可から ざる 無しと。 是に 於いて 女 を 納れて 后と 爲し、 その 所 生 を 立てて 天子と 

おのれ おのれ ぐ わい しゅく , . I 

爲 し、. 己 外 祖と爲 りて 玫を專 にす。 己の 子 は 外 叔 と爲 りて 左右 大將に 任じ 族 頻艄相 

に 列し、 莊^ 天下に 跨がる。 而 して 天下の 兵、 その 大半 を役屬 する は、 則ち 藤 原 氏の 及 

ばざる 所に 出づ。 その 及ばざる 所冇 り、 故に その 未だ 爲 さざる 所 を爲す も、 亦侬 むに 足 

なか: S なか tt おもへ 

る莫 きなり。 天下の 兵、 半 は 平氏に 馬し、 半 は 源氏に 屬す。 源氏の 意、 刖 ち以爲 らく、 彼 

の爲す 所、 我 何ぞ爲 す 能 はざる あらんと。 是を 以て 奮起 取りて 之 を 代る。 雙 虎の 相 鬪ふ 

こ また えい 

が 如し。 一 は 斃れ、 一 は 在り。 在る 者 は 蜗を負 ふ。 後白河 上皇 懲りて 復之を 櫻せ す。 建 

久の 事是れ なり。 後鳥羽 天皇 之に 據 して 大に 傷く、 承久の 事是れ なり。 後醍醐^ その 自 

敝に乘 じて 之を噎 し、 而 して 更に ー猛惡 ^を 養 ふ。 延 元の 事是 なり。 



〇 高 倉 天 皇 



頼襄 曰く、 國の 盛衰す る 所以の もの は、 士氣の 振と 不振と を 以てな り。 國 朝の 衰 ふるや • 

その 公卿、 平時 は奔 競し、 事 あれば 逃避し、 唯 退きて その 廉を 守る を 知らす。 是を以 で、 



本 政 記 論文 



五 九 七 



山. 陽^ 論 



五 九 六 



もミ ぢゃ, ゅづ おのれ 

意 素より 之 を輕ん す。 上皇 先帝の 定議を 以て、 位 をニ條 帝に 禪 るに 及び、 己 その 攻を聽 

くこと、 白 河、 鳥 羽の 如くな らんと 欲す。 而も 帝 その 親 信と 謀り、 上皇 をして 志 を 逞し 

うせし めす。 上皇 已に通 憲を喪 ふや、 尤も 淸 盛に 倚り、 その 力 を 借りて 以て 帝の 謀 主の 

すで むく 

除き 難き 者 を 除く。 已に その 力 を 借る、 その 勞に醻 いざる を 得す。 今年 中納言 に 任じ、 

すで しん 》..» 

明年 大納言に 任す。 勢 已に駸 々たり。 帝 崩す もに 及び、 太子 立つ。 上皇 又 別に その 愛す 

る 所 を 立て、 衆 情の 是 とせざる 所 を 犯して、 必す之 を 行 はんと 欲す。 刖 ち又淸 盛の 力 を 

借る。 以爲 らく、 高 倉の 所 出 は 平氏な り、 而も その 舅 は 望 無し、 淸盛亦 平氏に して、 威 

これ たい ゑん じ はか 

名 世に 著 はる、 是眞に 倚りて 以て 大锾 と爲 すべきな りと。 是に 於て, 驟に その 官爵を 進 

め、 內 大臣より 直に 太 政 大臣に 超拜 す。 是 顯然、 異 時の 外戚 攝攻の 地 を 以て 之に 與 ふろ 

なり。 淸盛 をして 謹、 愼有擧 の 君子たら しむる も、 猶 自ら 恣 ならざる 能 はす。 況ゃ 武人 

たの け うし もミ 

の 功 を 負 ひ、 力 を 恃む者 を や。 その 驕肆に して 忌憚せ ざる、 固より その 所な り。 亦^ ほ 

延 元の 尊 氏に 大將 軍の 地を假 すが ごとし。 故に 曰く、 上皇 之 をして 然 らしむ るな りと。 

夫れ 淸盛は 虎な り。 上皇 之に 翼 を 傅し、 而 して 之に 騎る。 中 ごろ 下らん と 欲する も 得べ 

からす。 況 んゃ榑 ちて 之 を斃 さんと 欲する を や。 その 噬攫を 速け る や、 侬 むに 足る もの 



親 信 I 親賴 

任す ろ も 

の、 信賴 



そ の 愛する 

所— 高 倉 

そ の 募〜 時 

異 時の 云々 

—藤^ 氏の 

地位^ 淸盛 

に與 へたる 

^いぶ 



慊從— 若黨 

靑侍 



〇 淸盛藤 原 

氏に 傚 ふ 



i の 力 ある 荐、 赴き 救け て 力 を 効し、^ 頭爛 額、 或は 其に 鲑 誤せられ、 胥て 以て 罪に 陷 

るに 至る もの。 一 は 勝ち、 一 は 負け、 就る 所逾 かに 別 るれ ども、 その 初 念 は 皆此に 及ば 

ざるな り。 

〇 六條 天皇 

頼襄 曰く、 吾 嘗て 平淸 盛の 不臣 を 論す らく、 皆 藤 原 氏の 爲す 所に 傚 ふ 者, 獨淸盛 を 罪す 

ベから す、 而 して その 勢 をして 驟に此 に 至らし めし 者 は 後白河 上皇な りと。 請 ふ 詳に之 

すで もん ほう 

を 論ぜん。 夫れ 平氏 は、 白 河、 鳥 羽の 世より、 已に寵 任 を 受け、 門 望 源氏の 上に 出づ。 

帝 無 望の 親王 を 以て、 忽ち 大位を 得、 而 して 之 を 失 はんこと を 恐る。 故に 有望の 武臣に 

倚りて 以て 重き を爲 せり。 保 元の 變、 淸 盛の 功 勞源義 朝に 及ばす、 而 して 賞 は刖ち 之に 

過ぐ。 猶ほ延 元 帝の 足 利 高 氏を寵 する こと 新田 義貞に 過ぐ ろが ごとし。 その 門 望の 高下 

を視 るの み。 故に 藤 原通憲 婚を義 朝に 許さす、 而 して 姻を淸 盛に 連ぬ。 君臣 同 見、 彼 を 

抑へ、 此を揚 ゆ、 遂に 平 治の 亂を激 成す。 義朝は 義貞の 臣節 無く、 而 して 淸盛 坐して 尊 

氏の 圖る所 を 得。 皆^ 之 を 致すな り。 淸盛 心に、 帝の 無 望に して 己の 望に 倚る を 知り、 



n 本 政, 記 論文 



5 九 五 



史 論 



五 九 四 



人— 信賴義 

朝 

〇 淸 盛の 威 

權倍々 起る 



事^ 更 ざろ 

—: 良 は 老功 

の 意、 世 事 

に锊驗 乏し 

きか い ふ 



視て、 信賴 をして 之に 結ばし め、 淸盛 は通憲 の親姻 たる を 以て、 その 不在 を瞷 ひて、 草 

そつ おのれ 

率 事 を 摩ぐ 。蓋し 皆 二人の 計に 出づ。 その 本意 は、 1 を 除き、 上皇 を廢 し、 然る 後 己 

帝 を 擁して、 以て 政 を 擅に する に 在り。 然ら すば、 何 を 以て 平氏の 京に 歸 るに 及び、 

ひ さり たす まか 

獨帝を 抉け て 逃れ出で、 上皇 を賊に 委せん や。 信頼 は 言 ふに 足らす、 義朝は 武人に して 

朝 典に 噌く、 二人 をた のみて、 以て 志 を 得べ しと 爲す。 而 して 利 は 去り、 害 は 止る。 蓋 

し噬 臍す る も 及ばざる なり。 二人 は 賊名 を 人に 委し、 而 して 己 その 功 を盜 む。 その 志 を 

得る に 及びて は、 帝に 勸め T 政-を 爲し、 上皇 をして 預からし めす。 以て その 情 を 見る ベ 

し。 是を 以て 上皇 憤怒し、 平淸 盛の 手 を 借りて、 以て 二人 を逐 ふ。 而 して 淸 盛の 威權 ^ 

かう かった ち しょ 5 せき あら 

起る。 又 以て その 勢 を 見るべし。 然り といへ ども、 二人 皆巧黠 多智、 蹤跡を Is. はさす。 

故に 幾 も 無くして 召? S され、 經宗又 外戚 を 以ての 故に、 富貴 身 を 終 ふ。 時に その 姦を 

燭 する 者 無き のみ。 故に 襄以爲 らく、 保 元の 亂は、 忠通、 賴 長より 出で、 平 治の 亂は經 

宗、 惟 方より 出づ と。 彼 皆 顏 逸亊を 1 ざる もの、 故に 兵 を 以て 易 事と 爲し, 軽忽之 な舉 

け、 禍 遂に 此 に 至る。 藤 原 成 親の 如き も亦然 り。 譬 へば 悍婢 黠豎の 主家の 財物 を 利と し、 

火 を その 屋に 注ぎ、 搔に乘 じ 之 を 攫 取 せんと 桫す るが 若し U 夫の 義朝、 淸 盛の 若き は, 



不 觖昵寵 
滿 望近昵 

觖 寵 

IX 愛 



を び やか 5 つ 

希望す るに 過ぎす。 何ぞ必 すし も 兵み」 舉 ゆて 官を 劫さん。 帝を徙 し、 上皇み 幽して、 何 を 

か爲 さんと 欲せし。 彼狂騃 といへ ども、 何ぞ遽 に身带 王と 爲 らんと 欲せん や。 且つ 上 

皇は 乃ち^ 寵 呢を受 くる 所の 者な り。 帝 を 徙すは 可な り、 何ぞ 上皇 を 幽せん。 然 らば 刖 

ち源義 朝に 出づ るか。 曰く 然ら す。 義 朝の 爵 賞を觖 望す る は 信な^。 然れ ども 宫闕 を蹂 

躪し、 以て 之 を 求む るに は 至ら じ。 信頼の 與に爲 す 有る に 足らざる は、 寧ぞ 知らざる あ 

あんぜん たの た W それ 

らん や。 その 敍爵を 受け、 晏 然として 之に 居る。 何を恃 みて 然る か。 饒ひ其 をして 通憲 

を怨 ましむ る も、 之 を 路に斃 さば、 犬 を 殺す が 如 けんの み。 何 ぞ兩宫 を 犯す に 至らん。 

且つ その 心に 仇と する 所のお は平淸 盛な り, 彼强宗 といへ ども、 兵 我より 精なら す。 義 

朝 をして 意 ありて 事を擧 けしめば、 何ぞ 直に 之 を 攻めす して、 而 して 三 條殿を 攻めた る 

や。 然 らば 則ち 平 治の 事、 誰に か出づ る。 曰く 藤原經 宗、 惟 方に 出づ るな り。 昔より、 

婚 天子と 爲り、 外 舅 政 を 執る は 常な り。 經宗は 帝の 舅たり,. 惟 方 は 帝の 乳母の 子たり。 二 

おもへ おのれ 

人^: 以爲 らく、 帝 立た ば 則ち 己 政 を 執らん こと 必 せりと。 而 して 政 は 上皇に あり、 通葸 

事 を 用 ふ、 是 二人の 不平なる 所な り。 是を 以て 信賴 の通窻 よりも 逞 からす、 且つ 輕躁動 

かし^き を視 る。 故に 從臾 して 亂を^ さしむ。 其 兵な きを 患 ふるや、 義 朝の 怏々 たる を 

日本 政 記 論文 五 九 二】 



〇 平殆の 

事、 讓、 

惟 方に 出づ 



怏々. I 不平 



山 陽 史 論 五 九 二 

ひけん 

ill し、 その 庇眷 する 所と 爲る。 忠通亦 美 福に 結媚 して、 共に 相 結託して、 以て 頼 長 を 傾く。 

賴長寵 を 法皇に 失 ひ、 而 して 走りて 崇 德に黨 する 所以の もの は、 此を 以てな り。 昔者弘 

仁の 變、 藤 原 仲 成 無らん に は、 則ち 平 城、 頼りて 事を舉 ぐる 無き なり。 承 和の 恆 IT 安 

ぉミ つね 

和の 爲平、 之 を拔く 者と 之 を擠す 者と、 皆 下より 出づ。 勢每に 然るな り。 故に 保 元の 禍、 

白 河、 鳥 羽の 私 愛 を 以て、 天子 を廢 立す るに 由る と雖 も、 然も 之 を發 する 考は忠 通、 賴 

長な り。 二人の 相 軋す る は、 本 其 父 忠實に 由る。 忠實の 忠通を 憎む は、 其 己に 代りて 權 

を 執る を 以てな り。 父子 且つ 然 り、. 況ゃ 兄弟^ や、 況ゃ 叔娃を や。 當時君 相 皆 然るな 

すで し fc が しゃ、 7 れんち 5 しな 

廉恥 I はぎり。 君已に 私に 徇ひ、 相 も 亦 私を營 む。 私 ^極 倫理 を 敗り、 廉恥も 亡 ひて 而 して 顧みす。 

»^L«o やぶ おそ 

其紀 綱を壞 る、 一 世に 非ざる なり。 故に 曰くせ、 發 する ゃ晚 しと。 而 して 此に發 する のみ。 

夫れ 其 私を濟 さんと 欲すれば、 兵 を 用 ひざる を 得す。 而 して 天下の 兵 皆 武^の 手 に 在 り、 

一 其 力 を 借らざる を 得す、 一 朱 器 臺盤を 奪 ふ も、 亦 源 爲義の 兵 を 借る、 況ゃ國 を &ふを や。 

故に 彼此 竝に 人の 兵 を 借り 以て 勝员を 決す。 人の 錢を 借りて 以て 博奕 を爲 すが 如し。 勝 

狂 童 I 世 翻-は 我の 勝に. 非す して、 佗人の 勝な り。 天下の 遂に 武人に 歸 する、 奚ぞ 怪しむ に 足らん や。 

ル ゆやん ち 平 治の 亂は、 盡く藤 原 信頼に 出づ るか。 賴襄 曰く、 然ら す。 信頼 は,: n 面の 狂 i のみ。 大將を 



從臾 IT 

むる 



をして 兄 を 助け、 道 長 を 攻めし めば、 その 立てん と 欲する 所 を 立て、 亦 爲すを 憚らざる 

所、 怛親 信の 兵士 源平の 如き 者 無し、 故に 爲す能 は ざり しのみ。 故に 曰く、 保 元の 禍、 そ 

おそ こ ひねが じ 

の發 する ゃ晚 しと • 夫れ 崇德 位に 復 せんこと を 希 ふといへ ども、 賴 長從臾 して 之 を黨煖 

する に 非す ば、 烏ぞ 能く 深 宫の弱 質 を 以て、 驟 かに 意を诀 し、 兵 を 動かさん や。 而も 鳥 

きょうけん 

- 羽の 後白河 を 立つ る, 實に忠 通に 由る。 世 忠通を 以て 溫 厚の 長者に して、 賴 長の 凶臉の 

おもへ たぐ 

比に あらす と爲 す。 吾以爲 らく、 忠通は 特に その 言語 聽く べきの み、 その 姦は 則ち 賴長 

まさ 

に 勝るな り。 夫れ 四 宫は崇 德の同 母 弟たり、 而 して 美 福 門院、 上皇に 勸 めて 之 を 立つ る 

もの は何ぞ や。 四 宮の子 {寸 仁 早く その 母 を 喪 ひ、 美 福に 養 はる。 美 福 佗 子の 立つべき 無 

く、 而 して その 鞠 育す る 所 を 愛す。 故に 四宮を 立て、 而 して 此に及 ばんと 欲するな り。. 

近衞 帝の 目 を 患 ふるや、 位, を 守 仁に 傳 べんと 欲す。 忠通數 爲に之 を 法皇に 請 ひ、 再三に 

至りて、 已 ます、 是保 元に 先 だつ 三年な り。 夫れ 帝の 目 を 患 ふる も、 微疾 なり。 未だ 必 

すで 

すし も 俄に 位 を 去る を 欲せす。 而 して 忠通忽 ちその 位 を 易 へんと 欲する、 已に疑 ふべき 

なり。 近衞の 崩す るに 及び、 繼 嗣を議 す。 美 福 直に 四宫を 立てん と 欲し、 則ち 忠通亦 之 

を贊 成す。 ^し 四宮は 疎遠に して 寵 無き 者、 然れ ども 守に を 以ての 故、 美 福の. 宫に 出入 



本钕記 論文 



五 九 I 



山陽 史 論 



五 九 〇 



〇 保 元の 亂 

その 發する 

や 晩し 



桀悍 I たけ 

だけし 

立てん と 云 

云 i 康親 

王 



時の 非なる を 知るな り。 前 事 を紬釋 し、 空文に 託して、 以て 自ら 見す。 此 則ち 窻淸の 徒 

なめ。 - : に:, - ノ : . 

〇 後白河 天皇 

賴襄 曰. く、 保 元の 亂、 その 發 する や 晚し。 當に 圓融、 華 山の 間に 發 すべく して, 而 して 未 

だ發せ ざり しなり。 當に 三條、 後 一條の 際に 發 すべく して、 而 して 未だ 發せ ざり しなり。 

そ も >\ さ うけん 

何 を 以て か 之 を 言 ふ。 夫れ^ 元の 事、 帝王の 爭 位に 出 づ といへ ども、 抑々 亦相臣 の爭權 

に 出づ。 相 臣 の爭權 や、 昔より して 然り。 兼 通、 兼 家兄 弟 を 以て 之を爭 ふ。 道 兼、 道隆も 

し S くて つ おの {• 

亦然 り。 伊 ST 道 長 は 則ち 叔姪を 以て 之を爭 ふ。 而 して その 帝王に 於け る、 各黨 する 所 あ 

り、 煖 けて 之 を 擁し、^ て 己の 志 を 逞しう せんと 欲す。 钽彼 未だ 干戈 を 用 ふるに 及ばす し 

て、 勝負 已に 定まる。 故に 曰く、 未だ 發 せざる なりと。 然り といへ ども、 兼 通、 兼 家 朝廷に 

相驅逐 す。 その 刃 を 用 ふろと、 相距る 幾 も莫 し。 源 頼 信 は 道 兼に 事へ、 爲に 刺して 道 

隆を 殺さん と 欲せし が。 兄賴 光の 言に 因りて 止めぬ。 其 をして 止め ざら しめば、 刖ち 今 

日の 爲義、 義朝 なり。 伊周の 弟隆 家桀悍 にして 氣 あり。 射て 上皇の 衣に 中つ るに 至る。 其 



史 の 突進に 威螫 し世弒 

猫玩官 た權 求て 外 居 
大 I ^ ぶ ぁ攀 に 川 

鏡 鈸求 リる搽 高觀 

造む て 人 1 踏 I 



に 託して 遁れ、 或は 焉に觸 れて發 する のみ。 世 蓋し 駭愕 して、 以て 人情に 近から すと 爲す。 

知らす" 憲淸 より 之 を視れ ば、 舉 朝の 士は皆 心 を 喪 ふ 者な り。 憲淸官 を 弁つ るの 歲、 

藤 原 頼 長 内大臣と 爲り、 後 二十 年に して 保 元の 禍 作る。 是 より 喪亂蔑 資、 海 宇 反覆。 而 

がんき よせんく わん 

して 憲淸 3 品 居 川觀、 事 外に 超然たり。 嗚呼 士と謂 ふ 可き のみ。 史に稱 す、 憲淸 博く 兵書 

く は そな ん いき、 フは. C 九ん 

に 通じ、 射に 精し く、 耿を 善くす * 蓋し、 文武の 才略 を備 ふる 者、 少く營 求攀援 して 進 

いさ ザよ し かん 

ましめば、 藤 原 信 西の 如き 或は 難から ざる 所。 而も 屑と せざる なり。 世の 亂に乘 じ、 姦 

雄に 侬附し * 功名 を 樹立せば、 大江廣 元の 如き、 又優爲 する 所、 而 して 又 之 を 恥づ。 そ 

の異 日源賴 朝に 見 ゆ、 る や、 賴朝 之に 寶玩を 贈れる に。 而も 門 を 出で て、 兒 童に 拋與 せる 

を觀れ ば、 以て その 志 を 見るべき なり。 世 は その 無欲 を稱 する のみ。 吾 は 則ち その 恥 あ 

り、 識 ある を欽 するな り。 +0 曰く、 「利 は智 をして 昏 ましむ」 と。 窻淸唯 恥 あり、 是を 

以て 能く 一 W の 見る 能 はざる 所を識 るな り。 籐原敦 光の 如き、 文擧の 士と稱 す。 敕に應 

じて 得失 を陳 する や、 神 佛を敬 ひ、 舉 校を與 すに 言及す。 蓋し 三善淸 行の 延 喜に 言せ し 

所以に して、 敦 光之 を 拾 ふの み。 これ を 何等の 時と 爲 して、 而し てこの 迂拘の 說を爲 し 

て恥ぢ ざる か。 藤 原爲業 兄弟の 如き、 官を辭 して 隱 居し、 史を 著して 自ら 遣る。 蓋し 亦 

n 木 政 記. 論文 .五< 九 



.a 陽史 論 



3- 一/ 



頼襄 曰く、 士を赏 ぶ 所の もの は、 その 時 を 知る を 以てな り 時に 勢 あり、 機 あり。 勢の 

推移す る 所、 機の 起伏す る 所、 必す しも 知り 難き にあらざる なり。 而 して 之 を 知る 莫き 

お ほ あや ふき やすき にごれ- 

者 は、 漱ふ所 あるの み。 唯 有識の 士は 能く 先 づ之を 見て、 危を 去りて 安に 就き、 濁 を 去りて 

いさ ザよ き おのれ ひミ り 

潔 に 就く。 世を舉 ゆて 知らす、 而 して 己 獨之を 知る。 之 を 知る、 J と 明な り、 故に 之 を 決す 

かれ われ それ 

る こと 某な り。 彼の 驚く 所 は、 我 以て 當 然と 爲す。 藤 原 憲溃の 如き、 其 然らす や。 是 時に^ 

い かん したが れんち ? yf 

りて 天下の 勢 は 何如ぞ や。 君臣 私に 殉ひ、 簾 恥 喪 亡し、 國 家の 紀綱、 天下 を 維持す る 所以の 

者- 一 も存 する 無し。 而 して 天下の 武健榮 驚なる 荐、 隱然黨 を 下に 成し、 竊に 朝廷 を唉 ひ、 以 

けいか ふ えきち さい レっ しん 

て 畏るぷ に 足らす と爲 す。 朝廷 方に 閨閤 の寵 を計敉 し、 童 蒙の 君 を 易^し、 宰 執の 臣は 

骨肉 權を爭 ひ、 宮城の 外、 何亊 ありと も 省みす、 大亂の 機 は 將に發 せんとして、 而も 上下 屬 

を くわん くわ りんりよ 

然 之に 處る は何ぞ や。 譬 へば 火 を 失する の 家、 舉家 宴集讅 樺し、 鄰閭の 来り 救 ふに 及びて、 

始て之 を 知る が 若し。 彼爭 競の 間に 汨沒 し、 中 熟し 外譟 し、 是非 を 顚 倒す。 是を 以て、 その 

機 前に 露 るれ ども 1 る 能 はす。 憲 淸は資 北面に 過ぎす、 官 左兵衞 尉に 過ぎす、 一世 奔 波の 

■fc ん! 6 い おもへ な 

後に 處し、 以て その 端倪 を 窺 ふ あり。 以爲 らく、 事 勢 此の 如し、 官爲 すべ からすと。 故に 轵 

る寵 使を受 くと い へ ども、 決然と して 之 を 去る。 その 佛に歸 し、 世を辭 すと: n ふ は、 特に 焉 



桀駑 1 わる 

づ よい 



謳嘩 I よろ 

こびさ わぐ 



端倪— 事 端 



に 一 國に宰 たるに 至る。 卽 ちその 民 何の 罪 あるか。 翅 此のみ ならす、 宇多 は 位 をぎ りて、 

二 弟 I 實仁 而も 己 之 を 看護 せんと 欲す。 後 三 條の志 も 亦 此の 如し。 皆 天下の 爲に 慮る のみ。 白 河 は 

£.U おのれ ほしい *t そ ひ す 

卽ち 己の 欲を縱 にせん と 欲し、 父の 遺 詔に 背き、 その 二 弟 を舍て i 堀 河 を 立つ。 堀 河 

ゎづか 

崩 じて 又 五 歳の 鳥 羽 を 立つ る、 猶可 なり。 鳥 羽纔に 弱冠に して 又 之に 奪 ひ、 以て 五 歳の 

崇 德に與 ふ。 故に 鳥 羽又尤 めて 之に 倣 ひ、 奪 ひて 以て 三 歳の 近衛に 予へ、 以て 天下の m 

を 速き、 遂に その後 八 歳の 天子と 五歲の 上皇と ある を 致す。 亂曷 ぞ已む あらん や。 相 家 

幼弱の 外孫 を 立つ る は、 その 專 權を資 くと 云 ふの み。 天子に して 何 を 苦み て 此を爲 さん 

さ 5 か けん &づか ほしい 

襁褓の I む や。 相 家の 權 盛なる に當 り、 その 廢立 する 所に 聽 きて、 而 して 自ら 恣に する を 得す。 

の內こ ** す. {» 

かる ク I 自ら 恣 にして、 而 して 後天 下 盆 服せ す 大亂 地に 塗る。 夫れ 宗廟の 託する 所、 生 民の 仰ぐ 

所、 而も 襁權の 嬰兒を 以て 之を爲 す。 是之を 天位 を 以て 戲と爲 すと 謂 ふ。 これ 戲 なり、 

あへ もく ぐ, i_J f 

則ち 天下 誰か 肯て之 を 敬 戴 せん。 故に 天下の 武夫 健將 をして、 天子 を視る こと 木 偶土粳 

&づか 

の 如く、 朝政 を視る , j と 塵 傲 土羹の 如から しむる に 至りし もの、 皆 それ 自ら 取れるな り。 

〇 崇德 天皇 



日本 政 記 論文 五八 七 



陽 史論 



五八 六 



魑魅 罔兩 I 

いろ^^の 

怪物 

孑 遺な き— 

45\しも ほら 

ざ る 

文 具 I 形式 



〇 天下の 怨 

^收む 

積 病— 舊來 

の病氣 



の 漏 射 を覩、 魑魅 罔兩 避竄 匿す るが 如し。. 已 にして 醍醐 を 得た る は、 晴日 にして 薄 翳 



;? つや、 fij ん かく や や 

を帶 ぶる が 如し。 白 何 を 得た る は 刖ち驕 陽炎 赫、 K くが 如く、 焚く 如し、 而 して 黎民ぞ 遣 

靡きな り。 夫れ 相 家の 專擅、 朝廷 を濁亂 する や 極まれり。 然れ ども その 政令、 猶ほ 先古の 格 

じゅつ みん てん き 3! &ん せ、 r- 

に 依 倣す。 恤 民の 典、 求 言の 詔、 或は 文 具に 屬す といへ ども、 而も 猶 その 名 を存 す, その 

懿美 たる を 知れば なり。 白 河に 至りて は、 その 名を倂 せて 雜 ゆざる なり。 而 して 輿 造の^、 

府藏を 空竭 す。 その 功 德と爲 す 所以 は、 三千の 佛像、 四十 萬の 塔婆、 皆 民の な:! 血 を 塗る 

のみ。 往時 相 家の 侈 靡 は、 公私 を 凋 弊し、 毒 天下に 被る。 然るに 民猶曰 ふ、 某 相の 爲す 所, 

おの れ 

天子の 知る 所に あちざる なりと。 白 河 その 權を 收復 し、 政 己より て出づ るに 至りて は、 ^ 

ち 天下に 被る もの, 皆 その 奔 なり。 怨の歸 する 所、 彼に 在らす して 此に 在り。 故に 白 河の 權 

を收 むる は、 適 天下の 怨を收 むる 所以な り。 是猶ほ 人 積痫を 抱く 者の ごとし。 その 疾 ある 

) , ひた ひ ひ * むね か- ほしい ま t いんかん 

に當 りて や 額 を 蹙め心 を 抱へ、 以て 日 を 渉る、 恣 に飲瞰 せんと 欲すと いへ ども 得 可 

からす。 幸に して 疾稍 退く を 得れば、 乃ち 暴食 縱酒、 宿疾 之に 乘じ、 變 じて 別 症 を 成し、 

ま しゃら、 ひぜき 

吐瀉 狼藉して 救 ふべ からす 。保 元の 亂 はこれ のみ。 相 家の 權 を專ら にす るに 常り て は、 

賄賂 公行す と 曰 ふの み。 帝の 政を聽 くに 至り、 財を納 るよ 者 は 國司を 得、 父子 三 四 人 共 



する 所、 亦 藤 原 氏の 心 を 服す るに 足れり。 然ら すん ば、 其 崩 殂を閗 きて、 何 ぞ相慶 幸せす 

それ 

して 欵嗟 する 事 此の 如くな らん や。 蓋し 藤 原 氏の 幸 は 乃ち 我が 邦の 不幸な り。 せ: ハ實に 我が 

休戚 I 幸 S 邦の 不幸 は、 卽ち藤 原 氏の 不幸な り。 彼は宗 社と 休戚 を 同じく する 者、 而 して 其 父祖より 肯 

幸 て國 家を恤 へす して 己の 私 を營 む。 此に 至りて 乃ち 其 非 を 知る のみ。 然り といへ ども、 藤 

みづか したが 

原 氏の 私 を營む や、 亦歷世 帝王の 自ら その 私に 徇 ふに. H る。 唯 帝 や 私な し。 故に 以て その 

私を禁 する に 足るな り。 白 河の 如き、 剛健なら ざるに 非ら す。 唯 その 剛健 を 以て、 以て そ 

の 私を濟 す。 故に 玫を聽 く , ,- と愈久 くし て, 而し て 紀綱愈 亂れ、 遂に 保 元の 禍を 醸成す。 

白 河の 久しき, 後 三條と 反せる、 亦 我が 邦の 不幸な り。 降りて 弘 元に 及び、 後醍醐 帝の 出づ 

る あり。 その 剛と 明と、 以て 遠く 延^. の 遣 緒を纘 ぐべ し。 而も 亦 其 私 梨に 急なる、 天下 

の 正に 反り、 以て 天下の 亂を 撥く 能 はす。 是れ 我が 邦の 不幸な り。 嬉、 何 ぞ後三 條の心 

を 以て 心と 爲さ ざり し。 

陰霾— 天 曇 

リ土 ふる . 〇 白 河 天皇 

頼^ 曰く、 齊衡 而後に して 宇多 を 得、 正曆 而後に して 後 三條を 得。 陰 翁の 中、 乍ち 天!::: 

B 本玫記 論文 五ス五 



山陽 史謫 



五八 四 



逸豫 I お、、 

たり 安ん す 



方鑌 —節度 

使 



あり。 带の儲 せ1 に 在す や、 或は 卽 位して、 云々 せんこと を 欲する を 念 ふとき は, 輒^ 化 

斗を拜 して、 その 過を悔 ゆと。 夫れ 帝の 明達 を 以てして、 朝政 を傍觀 する こと 二十 餘年, 

せっし やくわん みづ から 、, 'まし こ、 

その 切齒扼 腕す る もの 何ぞ 限らん。 而 して 自 その 是 ならざる を警 む。 .31 呼、 是 その、 い 

以て 天地に 質し、 f 宗廟に 信ぜら る-に 足らん。 蓋し 天位 を 以て 樂と爲 さやして、 億兆 を以 

て 憂と 爲す。 是の 故に 一旦 位に 卽 けば、 % く 自ら 節儉 し、 機 務に勤 勞し敢 て逸璨 せす 而 



して 之 を 行 ふに その 劂と 明と を 以てし、 以て 天下に 令す。 藤 原 氏の 磐踞 倔强、 歴世 制し 難 

き莕 といへ ども、 畏憚 自戢; 俯して 我が 馭に 就く 者 は、 是の 道に. £ るが 故な り。 唯然 り、 是 

おのれ 

を 以て その 使 ふ 所 は 唯 その 才、 愛憎 を 以て 取捨 を爲 さす、 敢て 己に 私 便せ す、 天下に 利す 

るの み。 帝の 民事 を 察する 事, 歴世 帝王の 及ぶ 所に あらす。 其 親しく 斗 量の 制を定 むる が 

如き、 亦 その 一端な り。 吾 嘗て 試みに 是に 因りて 帝の 政 を 論す。 皆 天下の 正に 出で、 而 

おのれ これ ぁづ い 

して 己 焉に與 からす。 猶ほ斗 量の 私 を容れ ざるが ごときな り。 夫れ 大臣の 權を^ ひ、 新 

*V づ 力ら で 

罟」 の莊^ を收 め、 記 錄所を Si き、 親 その 是非 を餒 す。 皆 彼に 便なら ざる 者、 而も 彼 敢て齟 

齬 する^き は; r そや。 是 天下の 正にして、 帝の 私に 非 ざれば なり。 街の 斐度 その 君に 力 

鎭を^ むる の 道 を 語りて 曰く T 處置當 を 得て、 以て その 心 を 服す るの み」 と。 今 帝の 處 



痞痛 I つか 

へ ふさがる 



世傳ふ I 古 

事 談の載 マ 

る听 



して 長く その上に 託せん と 欲す。 是 天道の 與 せざる 所な り。 大凡 そ 治安の 久しき や、 上 

たかぶ しも ひ 力く 

なる 者は亢 りて 下らす、 下なる 者 滞りて 上らす、., 上下の 間、 痞癟 して 通せす, 而 して 天 

下 覆り、 下なる 者 反て その上 を 制し、 上なる 者 反て 下に 制せら るよ は、 必然の 勢な り。 是 

ん い. レ ゆん けつ わい S ぐわん iJA ひち これ 

の 時に 當り、 英偉悛 傑の 士 多く 下に 生れ、 而 して 上なる 者 は 皆 猥 瑣頑鈍 無恥の 人、 是之を 

はんぷく ぉモ 

氣 運の 變と謂 ふ。 故に その 勢 反覆せ ざる を 得ざる なり。 噴、 惧れ ざる 可 けんや。 

〇 後三條 天皇 

賴襄 曰く、 世傳 ふ、 御 府應神 帝の 玉 冠 を藏す 。歴世の 天子、. K 嘗每 に焉を 冠した まふに、 沬 

ひ whs うが なん 

だ 嘗て 適せす、 獨 後三條 帝: M. を 穿つ に 適せり と。 その 魁偉 知る ベ きなり。 烏ぞ 宗廟の 靈、 特 

に 之 を 生 降、 し、 以て 國 家の 衰運 を 匡 復す るに あらざる を 知らん や。 而 して 帝 十 歳に して 

皇太 弟と 爲り、 三十 丑に して 位に 卽き, 在位 五 年に して 崩す。 籐康賴 通、 歎じて 以て 我が 邦 

むべ ! C くろん 

の 不幸と 爲すは 信な り。 大江匿 房、 之 を 承和延 喜に 比する は、 M ち 篤 論に あらざる なり。 史 

tf,7 はん ひんめい これ 

に稱 す、 帝 剛健 嚴 明と。 是 固より 然り。 然れ. ども その 剛 明の 本、 誠 正に 在る を 知らざる な 

いは ゆる や お ほ 

り。 夫れ 苟も 不誠 不正な らん か、 卽ち 謂所剛 なる 者 息む あり。 而 して 明なる 者蔽 はるよ 



日本 政 記 論文 



五八 11】 



山陽 史論 



- 五八 二 



征巢. I 征討 



て 謂 へ らく、 天下の 事 知る ベ しと。 歸 りて 財 を 散 じ士に 結びぬ。 我が 長曆天 喜の 際、 此に類 

する もの あり。 延曆 寺の 佾徒 抗訴 して、 關白賴 通の 第に 迫り、 その 門 を 打破し、 已 にして 火 

を 高 陽院に 放つ。 夫れ 賴 通の 名 位 は、 翅に, 張彝 のみなら ざるな り。 而 して 僧徒 はが 林の 比に 

あらす。 天下の 事 何 如と か爲 す。 後 興 福 寺の 徒乂 大和 守 源 頼 親の 館を攻 む。 而 して 朝議 頼 

親 を 土 佐に 流せり。 亦 不問よりも 甚 しからす や。 而 して 陸 奧の晉 、六 郡 を 侵蝕して、 貢陚を 

fc て * つ せ. いさ 3 ゎづか 

奉らす。 源 頼 義國守 を 以て 之 を征剿 せんこと と 計り、 出 羽の きの 力 を 借りて、 耩に 能く 之 

を 平らぐ。 朝廷 代人 を 遣 はしし が、 兵 民 は 賴義に 服して、 その 號令を 奉ぜす。 頼 義獨カ を以 

て、 ニ國 を經紀 する こと 十餘 年、 捷を 奏する に 及び、 將 士の爲 めに 賞 格 を 請 ふ。 朝議 久 くし 

て诀 せす。 その後 頼義 の子義 家、 再び 陸 奧の亂 を 平ぐ。 而 るに 朝議 以て 私闘と なし、 又 賞 典 

を與 へ す。 源氏の 父子 私 恩 を 以て 之 を撫輯 する にあら すば、 則ち 東國の 豪傑、 寧ぞ 能く 帖 

ぜん A づか か 

然 たらん や。 高歡は 自ら その 意 を 以て 之 を 結納せ るの み。 我が 朝 は 則ち 醸り て 之 を その 手 

に歸 す。 我朝紀 綱の 廢、 元魏 よりも 甚し。 而 して 源氏 父子の 智勇 は、 固より 高歡に 過ぐ。 異 

日 源氏の 坐して 朝 權を奪 ふ もの、 此に诀 せるな り。 朝廷の 公卿、 方に 聲色歌 詠 を 以て $ と 

, » けっく わかん! H * あへ えん ザん 

爲し 而 して 血 戈. 汗馬の 勞は之 を 邊鄱の 吏に 委し、 又肯て その 勞を償 はすして,, 隁 然と 



撫辑 —なで 

安ん す 

帖然 —定從 

順なる 貌 



偃然 —驕傲 



矍鑠— 老い 

て 益. - 壯な 



撫仕 —殊遇 

^蒙リ て、 

詩經 に、 琅 

^姻婭 則 

無 i 仕- 



以て か 前に 辭 して、 而 して 後に 辭 せざる。 後 又 i . 一 十四 华 にして 歿す。 蓋し 九十な りしなら, 

ん。. その 矍鑠. たる 知るべき なり、 卽ち 前の 辭 する もの は遁辭 にあら す や。 實資の 平素 を, 

おそ れんち 5 しな 

觀 るに 禍福 を 怵れて 簾 恥 を 喪 ひ、 唯 官爵を これ 戀 ぶる、, 當 時の 公卿の 比の 如きに あら ざ 

るな り。 豈に峙 勢の 爲 すべ からざる を 度り て爾 るか。 苟も 然 らば、 何ぞ倂 せて その 官を^ 

し、 事 外に 高視 せす して、 而. して 臃仕 死に 至らん や。 抑.. 己國 恩を受 くる こと 特に 厚き 

を 以て、 敢て 退きて 安き に 就かす、 姑く 權臣と 事 を 共に し、 以て その 太甚 しき を K 齊 せる 

か。 或は. 吾が 實資を 論す る を 以て 苛と なさん。. 夫れ 雎實資 なり 故に 吾 之,^ 可 論す。 赏時舉 

朝の士 は、 皆 婦人な り。 婦人 は裒 むる に 足らす。 焉にー 丈夫 あり。 吾れ 焉ぞ責 むる に 其 

道 を 以てせざる を 得ん や。 源顯 基の 後 一 條に 事へ、 崩 後 官を辭 して 隱 居し、 醫藥を 都け て 

;:! くらん にく 、, さぎよ 

おて 死せ るが 如き は、 則ち 世の 濁 亂を疾 み、 身 を 潔くして、 而 して 逝け るか。 審に 能く 

然 らば、 是之を a 具 大丈夫と 謂 はん。 



羽林騎 —近 

衞婉兵 



〇 後冷泉 天皇 (其 二) 

頼 篛:: く、 背 者元魏 衰 ふるや、 羽 林騎、 張彝 S 第 を 焚け ども、 而も 魏主問 はす。 高歡之 を觀 



日本 政 記. 論文 



,五八. 一- 



山陽 虫 論 



五 <〇 



攀附 I 櫬勢 

に すがりつ 



つが 如し。 藤 原 實資の 如き は、 乃ち 帝の 參、 蓍 なり.' 此を舍 てて 用 ひす、 后 兄の 伊周 を 用 ひ 

て、 以て 之 を 制せん と 欲す。 是癰疽 を 養 ひて、 以て 痰 飲を驅 らんと 欲するな り。 

〇 後冷泉 天皇 (其 n 

賴襄 曰く、 藤 原 實資は 大丈夫と 謂 ふ 可し。 權臣政 を 擅に し、 舉朝 攀附の 時に 當り、 天子 

ひミり おもね V 

とい へ ども、 猶 その 喜 怒 を 伺 ふ。 獨實資 その 同族 を 以てして、 特立 阿らす。 天子 之に 倚 頼 

し、 以て 安き を爲 すに 至る。、 大丈夫と 謂 はざる 可 けんや。 上 東 門院の 屏風に 寄す る を: JET 

ぜざ りしが 如き、 」 世 不振の 士氣 を激す • 吾 史を讀 みて、 此に 至れば、 未だ 嘗て その 人 を 想 

見せ すん ば あらす。 此の 如き 世 を 以てして 猶 此の 如き 人 あるな り。 又讀 みて、 その 皇太 

子の 傅た るを辭 する に 至り、 則ち 異む あり。 敦明は 權臣の 立つ る を 欲せざる 所, 而 して 天 

子の. 焉を 立つ る は、 實資に 倚りて、 以て 之 を 扶植 せんとす るな り。 實資 たる 齐、 何ぞ 慨然 身 

を 以て 之に 許さ ざらん。 而 るに 衰老堪 へざる を 以て 辭と爲 す を や。 この 時實資 大納言 を以 

て 右大將 たり。 蓋し 年 七十な りしな らん。 後. 五 年、 乃ち お 大臣に 遷り、 皇太^の 傅 を 兼ぬ • 

所謂 皇太弟 は、 乃ち 權臣の 立てん と 欲する 所な り。 誠に 衰老に して 堪 へ ざら しめば、 何 を 



洸痼廢 疾— 

不殆の 難病 



聾 服す る| 

屈服せ しむ 

る 



參、 蓍— 人 

參、 黄 養 



ちんこ はいしつ 々5 やく 

に 在り。 譬 へば 沈 痼 廢疾の 若し。 その 来る 事 一 日に 非す。 その 要害 を扼 すれ ども、 而も 除く 

、つゆき 力 しほら お 

可ら す。 攻擊を 以て これに 克 たんと 欲す。 共に 斃る よに 非 ざれば 不可な り。 姑く 是を舍 い 

、 たす あが しっせい 

て その 元氣を 抉け て、 以て これに 勝つ。 元 氣昂れ ば、 則ち 疾勢 伏す、 その 機然 らしむ るな 

り。 人ギ: 試みに その 始を 原ね て是を 思へ。 彼 それ 能く その 權を專 にして、 我 を 制する 所以の 

者 は何ぞ や。 我始 之に 權を 借し たれば なり。 我が家 毎に その 女を娶 りたれば なり。 彼我の 

舅 氏た る を 以て、 以て 我が 政 を 擅に するな り。 是 我に 籙 りて、 以て 重き を爲す 者な り。 我に 

籍 りて 以て 重き を 爲す者 は、 亦 我に 籍 りて 以て 輕 きを 爲す。 故に 曰く その 機 我に 在りと。 

苟も 吾が 度 を 正く して、 我が 爲 すべ き 所の もの を爲 さば、 則ち 彼將に 畏服して、 敢て我 を 

蔑視せ ざらん とす。 曰く、 是亦 君の 如きな りと。 君 君の 如くならば、 則ち 臣將 に臣の 如く 

ならん とする に 鹿 幾 からん。 その 初の 敢て臣 の 如くなら ざる 所以の もの は、 君が 君の 如 

くなら ざるに 由るな り。 帝の 一 言 君の 如く なれば、 則ち 以て 道 長 を 聾 服す るに 足る。 そ 

の 機 此の 如し。 惜しい かな、 この 機 を 養 ひて、 以て 遂に 之に 克っ こと を 知らす。 苟も この 

機 を 養 ひ、 以て 遂に 之に 克 たば、 則ち 朝權 を收復 する こと、 必す しも 後 三條を 待たざる 

なり。 夫れ この 機 を 養 はんと 欲せば、 必す當 に 之 を輔 くる もの 有る ベ し。 元氣 の參、 蓍を須 



本 政 記, 論 文 



五 七 九 



'ばな け ふが や : 

L ナ: 望 世世の 
とる 月と^ 世 
思 事 のぞば | 
へ も 缺悤我 こ 



山陽 史 I 論 五 七 八 

して 舉朝 能く 察する 莫し * 徒に^て これ を 寳 談に 資す。 枭 して 人な きが 故な り。 則ち そ 

*-s**57 ん きお ... 1 

の 所謂 卞と いふ 者 知るべき のみ。. 兼 家の 子 道 長 更に 專檁を 極め、 家に 三 后 を 出し、 身 は 

兩 朝の 外 祖と爲 り、 嘗て その 意を咏 歌して 曰く、 「この 世 吾が 世な り 一。 と 嗚呼 何ぞ 一 一 百年 

の 後 代りて この 世 を 有つ 者、 更に その 人 有る^ 知らん や。 

〇一 條 天皇 (其 5 

史に稱 す、 一條 帝 心に 藤 原 謹の 爲す 所を惡 みて、 而も 制する 能 はざる なり、 蓋し 藤 原 氏 

の累 葉權戚 たる を 以てして は、 英明の 君と い へ ども、 奈何と もす る 能 はざる もの あり、 況 

や 帝 を や, 而も 以て 道 長 を 制せん と 欲する は 難しと。 曰く、 然 らば 則ち 是 終に 奈何と もす 

可らざる か。 頼. 襄 曰く、 可な り。 帝 嘗て 從容 として 侍臣に 謂 ひて 曰く 、「凡そ 事須 らく 淳素 

に 反るべし」 と。 藤 原 齊信汲 ^ する 所 あらんと 欲せし が、 帝の 言を閗 き、 謂 ふ 能 はすして 

止み、 道 長 は珍羞 を獻ぜ しが、 是を 聞 きて、 敢 てまた 進めす と。 嗚呼、 是爲 すべき 機な り • 

さし は r> けんもん かんせい い ^ん 

人? 爲す べきの 位に 據り、 爲す 可き の資を * む。 權 門の 鉗 制する 所と 爲り、 奈何と もす 

る 無き の 時に 處す とい へ ども、 而も 回復す 可き の璣 無き に 非す。 その 機 彼に 在らす して 我 



〇 二れ なす 

べき 機な リ 



臣の 〇 话 


既 

舉成路 の 於 


地 


に 富地熙 


げ のす 聲邑 




歸漸方 1 


る j% る | 


地 


す く 兵 安 


典 1 嘆 


位- 


武馬樂 


か m 息 





賴襄 曰く、 一 條帝も 亦 治に 志 ある 者な り。 曰く 「吾 人才 を 得る の. 1 事 は、 延喜天 暦に 讓ら 

す」 と。 然れ ども 吾 その 所謂 人才、 四納 言の 如き、 世の 盛稱 する 所を觀 るに、 朝 章に 練達す 

とい へ ども、 大抵 は 媚を權 門に 容る i 考 のみ。 大江時 棟、 慶滋保 胤 等 文擧を 以て 稱 せられ、. 

藤 原 佐理、 行成 等、 筆 札 を 以て 著 はる。 而も 毫も 國 家に 補な し。 然るに 猶ほ才 と 地と 稱 

おん. 9 つ 

ふと 謂へ り。 源雅信 音律 を 善くす る を 以て、 能く 喉を轉 じて、 新調 を爲 し、 閒く 者倾聽 

す。 藤 原 朝 光 創意. 透 額 冠を爲 り、 後人 遒 用す。 大臣 大將の 爲す所 は 此の 如きの み。 朝廷 

の 政は權 家の 擅に する 所と 爲り、 天子 をして 於邑繫 結せ しめ、 而 して 袖手傍観、 敢て 一 言 

の 之 を 匡救す る 無し。 之 を 朝廷に 人 有りと 謂 ふべ けんや。 攝政兼 家の 一 一條 京 極 第 を 落す る 

わか 九ん しふ 

や、 大に 朝臣 を 宴す。 源賴 光馬 三十 匹 を 贈り、 以て 賓客に 頒っ。 世傳 へて 以て 宴 集の 盛 

事、 此 より 前に 無き 所な りと 爲 せり。 夫れ 頼 光 時に 東宮 大 進たり。 その 職 や 小、 その 祿 

おもん はか 

や 薄、 而も ^三十 匹 ある は何ぞ や。 當 時の 公卿 をして 天下 國家を 虞る 者 あらしめば、 之 

ミ ういかん しょく ぎょしょく ミ ラ.^ 

に 意 を 加へ ざるべ けんや。 蓋し 公卿 大夫 恬熙を 以て 務と爲 し、 鍮衣 甘食、 漁色 闘 歌して,. 

盜を 柿へ 賊を 討つ の 事 は、 之 を 武臣の 世 官に委 ぬ。 曰く 「是賤 事の み」 と。 而 して 地方 

すで こ *• はいたい 

丘 ハ^の 富, 漸く その 手に 歸 する を 省みす。 他日 平 治 建久の 勢、 隱然已 に此に 胚胎せ り。 而. 

n; 本 政 記 論文 五 七 七, 



賜 史 譎 



五 七 六 



面^ 革め 1 

易 の 革卦 

に、、 君子 豹 

變 小人 革:. 

面、 うはべ 

だけにても 



る^い ふ 



自强不 息 I 

已の 力な 盡 

7J 善な なし 

^やます 



具に 在り。 以て 一 たび 之 を 振 ふ あらば、 潰 敗の 極と 雖も, 自立すべからざる を^へ す 。おに 

はじめ せい れい へいそく 

稱す、 花 山 初 位に 卽き、 精を厲 して 治を圖 り、 盜賊屛 息し ぬ、 太宰府 は 京師、 を 去る 事 二百 餘 

ひそか あへ さく 

里、 私に 兵仗 を帶 び、 肯て從 はざる 者、 上の 卽位 を閉 きて、 皆 解散せ りと。 其 求 言の 詔 は、 鑿 

ぜん おもて あらた 

然衰を 起し 敝を救 ふの 急務、 以て 天下 をして 面 を 革め 心 を 洗 はしむ るに 足る。 或は 惟 成、 

義 懷の敎 ふる 所に 由る と雖 も、 而も 未だ 必す しも 其衷に 出で すん ば あらざる なり。 苟も こ 

たは かくじ ラ たいか きみく 

の 心 を 執りて 撓 ます、 その 言を實 にして 之 を攄充 せば、 大姦 劇賊 ありと いへ ども、 將に 

t f わで さ せう かつ いかん 

その 手を歛 めんと す。 而 して 何 ぞ この 猥瑣 小黠の 輩に あらん や。 奈何 ぞ それ 一 婦人の 故 

す あまん へんろ ラ 

を 以てして、 天下の 悅の將 に 己に 歸 せんとす るを舍 てて 顧みす、 甘 じて 人の 騙 弄する 所 

はじめ ち3 じ 

と爲 らん や。 その 始に視 るに、 兩 人の 如き 者 は何ぞ や。 仲 尼 乾を贊 して 曰く、 「天 行 健、 

や- ■ . たレっ なん 

君子 以て 自强 して 息ます」 と。 日剛を 論じて 曰く T 慾 あり、 焉ぞ剛 を 得ん」 と。 故に 人 

. ま &づか 

君に して 權臣を 制せん と 欲せば 當 に先づ 自ら その 慾 を 制すべし。 その 慾 を 制する 能 は 

すば、 則ち その 剛を 失し。 その 自强 なる もの 息み。 彼將に 反て 我 を 制せん とす。 

〇 一條 天皇 (其 一 :> 



ども、 承 和に 主たる 若 は、 未だ その 志^ 逞 くせざる 者な り。 安和に 主たる 者 は、 刖ち 旣に逞 

くせり。 而も 何 を 苦んで か 之 を 組織 構成せ る。 曰く、 彼 その 據る 所の 地 を 以て 私有と 爲し 

て、 私に 相 偉 へんと 欲し、 他人の 之 を # はん を 恐る よな り。 故に その 組織す る 所の 獄詞 

は、 皆 自ら 己の 肺肝 を 言 ふが 如かり しなり。 

〇 花 山 天皇 , 

われ まヒ 

賴襄 曰く- - 王家の 事、 冷泉、 圓融、 花 山の 際に 至りて、 吾 復之を 論す る を 欲せざる なり • 夫 

iap FeAC 一 , さい ほ モラべ、 f しゃしょく はいしち つちよ く けいか ふ 

一 れ 帝王の 貴 宰輔の 重、 宗廟 社稷 生 民の 寄る 所 を 以てして、 その 廢止黜 p、 一 に 閨閤の 私に 

侬る。 寧ぞ復 その 得失 を 論す 可 けんや。 兼 通、 兼 家の 事に 至りて は、 甚 しと 謂 ふべ し。 兄弟 

£S くえき 

一 權を爭 ひ. 天位 を 以て 博奕と する に 至る。 是を 大亂の 世と 謂 ふ。 保 元 • 平 治 を 待たざる な 

り。 その 躁 競して 恥 無き、 狡 悍 にして 忌まざる、 千載の 下 、讀者 をして 卷を掩 はしむ。 何等 

たづ まじめ 

の 朝廷と か爲 さん。 然.^ といへ ども-彼の 能く 然る 所以の もの を 原ぬ るに、 人君 初 之 をし 

て然 らしめ しのみ。 巳に その 德を愼 ます、 欲 は 度 を 敗り、 縱は禮 を 敗り、 私 を 以て 公を滅 し、 

か い こ t かなし 

權 をして 下 移せし め、 その 勢 終に 此に 至る。 哀 まざる. 可 けんや 。頼む 所の 者 は、 祖宗の 紀綱 



本 政 記 論文 



五 七 五 



介 典介國 
滿廐千 介 



山陽 史論 五 七 四 

といへ ども、 村 上 爲平を 立てて 冷泉の 儲貳 と爲 さんと 欲し、 而 して その 源氏と 婚 すろ を 

は^ る f た 

以て、 之 を 沮む者 有りし は實 なり。 村 上 崩す るに 及び、 遂に 遣 詔 を 矯めて、 守 平 鋭 王 を 立 

つ。 蓋し 中外の 心に 厭かす。 故に 高 明 失望して、 怨言 を 出す と 曰 ふ は、 或る 輿 誦の傳 ふ 

る 所な り。 而も 亦 未だ その 寳 否を必 とすべからざる なり。 舊史 乃ち 高明怨 望して、 亂者 

ふ こくれん きふ か f 

の 誣告 連 及す る 所と 爲 ると 稱す。 然り而 して 所謂 作 亂者は 何人 ぞゃ。 省府の 下僚に あら 

てんき 3 はし な な 

ざれば、 刖ち國 介の み、 典 厩の み。 忽ち 親王 を 奉じて 闕 東に 奔り、 平 親 皇の爲 す 所を爲 

さんと 謀る。 是 最も 疑 ふべ^ ものな り。 然ら すば、 その 意中 ごろに 變 じて 走 告 せし^ は、 

就中 稍.' 威望 ありし 者な り、 饒ひ 自首せ しむる も、 宜しく 少しく 斥 黜を加 ふべ し。 而し 

て 問 ふ 所な し。 卽ち稱 して 逆 首 者と なすと いへ ども、 間 歳輒ち 召還して、 封 三 Kn 戶を給 

し,. 防護す る 所な き は何ぞ や。 嗚呼、 此承 和の 變と、 延葚の 事と は、 その^ 1 なり。 三教 

のうち 獨延 喜の 世の み 全く その 冤なる を 知りて、 而 して 承 和と 安和と は、 半 を 以て齊 と 

ゑん われ まん- M く か t しゅ 

なし、 半 を 以て 寃と爲 す。 吾斷 じて 以て 全 寃と爲 すなり。 , 〕 の 寃獄を 構 ふる 荞に、 主 あり、. 

從 あり。 延喜の 源 光、 安和の 藤原師 尹 は、 皆 所謂 從 なり。 延 喜の 主たる 荞を 知らば、 S 

ち 安和の 主たる 者 を 知り、 而 して 承 和の 主たる 者 も 亦 知る ベ からん。 曰く、 然り といへ 



き j& —S? ポ 



—相 摸 

—右 馬 



間 歳 II 年 

な 隔て $ 



〇 安和の 事 

も全寃 なリ 



硯るに I 比 

較す るに 



疎屢— 遠緣 

の 者 

二 后の 兄 I 

時 平、 忠平 

帷璁 I 閨門 _ 



大亂— 安跺ー 

山の 亂 



るに、 或は 及ばざる なし。 政 を 勤む るの 効に 非す ば、 何 を 以て か此に 至らん。 此を 以て 之 

を 言 へ ば、 天 曆は延 喜に 勝れり と: n ふとい ふと も 可な り。 その 政權を 外戚に 授 くる は、 卽 

ち延 喜の 遺 毒に して、 解 免すべからざる のみ。 然り とい へど も、 蒹 明、 高 明 は、 帝に 於いて 

親兄弟たり。 藤 原 在衡は 戚黨に 於て 疎屬 たり。 も 皆 引きて 要路に 當て、 諸 權戚と 相 鈴 

せい かん !0 ひミり 

制せし む。 之を延 喜の 弟 を 忌み、 父の 簡遺 する 所の 大臣 を逐 ひて、 而 して 獨 1 一 后の 兄に 任 

する 者に 視 るに 勒與ぞ や。 或は 曰く、 高 明 も 亦 中宮の 妹 夫なる を 以ての みと。 然 らば 則 

ち 兼 明、 在衡を 何とか 謂 はんや。 夫の 內寵を 好み、 帷 薄修ら ざるが 若き に 至りて は、 所謂 

; ゎづら めいく わ V 

德を累 はすの 大 なる もの。 然り といへ ども、 未だ 唐の 明皇、 子の 妻 を 奪 ひて、 勤攻 終へ 

まね かく 

す" 終に 大亂 を逑 くが 如きに 至らす。 之 を 要するに 當 時の 風習、 此の 如き もの 多し。 專ら 

帝を咎 むべ からざる なり。 



脇^ II 推測 



.〇 冷泉 天皇. 

頼襄 曰く、 安和の 變は疑 ふべ しと 謂 ふべ し, 夫れ 源 高 明の 、女 を爲平 親王に 進めし は、 村 

上の 命に 出づ。 之 を 擁立して、 以て 政 を 擅に せんと 謀る と 曰 ふ 者 は、 臆 逆の 言の み。 然り 



本 政 記 論文 



五 七三 



足 羸 匱 分の 料す 藏率 
縮 く け 一中る 省 分 
I 藏てな 十官に 堂 
過 納別 ニ物妝 I 
不 め |-- 分 年納大 



山陽 史論 

卽ち この. 一 事 以て その 勝れる を 知るな り。 夫れ 萬 乘の尊 を 以て、 政事の 得失 を 一 賤史に 問 

ひた まふ。 その 心 を 政に 留め、 孜々 として 倦ざる にあら すば、 何ぞ 能く 此の 如くな らん。 

ます {» つ ミ 

その 言 を聽 きて、 以て 自ら 足らざる を 知り、 湓政に 勤む るに 至りて は、 刖ち人 主として 絕 

ゎづ これ 

えて 無くして 厪 かに 有る 所、 以て 百世の 法と 爲 すに 足れり。 延葚は 恐らく は 未だ 此に 及ぶ 

能 はじ。 何と なれば 則ち その 先皇の 遣誡 だに、 聽くを 肯んぜ ざるな り。 則ち その他 は 知 

わ がんし も い さいい 

るべ し" 和顏 下に 接し、 之 を 導きて 言 はしむ る も 可な り。 災 異に 因りて 直 首 を 求む る も 可 

しょ, つく ちゃうな ふ おのれ かへ りみ かく 

なり。 而 して 未だ その 聳懼 して その 11 一 曰 を聽納 し、 而 して 己に 省る こと 此の 如き を 閗 かす。 

ミのも れラ • たいまつ ゆき ひ r 

蓋し 老 吏の 言に、 所謂 主 殿 寮 多く 明 松 を 進む と は、 劇務 夜に 至りて 未だ 己まざる を 言 ふ 

その は, cr:t き I 

なり。 それ 其 本源 を淸 め、 煩 劇に 至ら ざら しむる は 上な り。 その 次 は、 至て 煩躕 なりと い 

へど も 勤めて 倦まざる なり。 倦みて 勤めざる、 斯を 下と 爲す。 所謂 率 分 堂に 草 を 生す と 

は、 歲 貢の 餘な きを 言 ふなり。 夫れ 入る を 量り 以て 出づ るを爲 し、 國計 常に 餘 ある もの 

は 上な り。 その 次 は、 出づろ もの 入る ものと 相當 るな り。 出 づるを 量りて、 以て 入る を爲 

し、 而 して 猶 足らざる 者、 斯を 下と 爲す。 醍醐、 列 朝 太平の^ を繼 ぎ、 而 して 村 上 は 天 慶大 

亂の後 を 承く。 國 用の 羸 縮 しく 相懸絕 すべきな り .而 して その 賑恤の 政、 之を延 喜に 視 



o 政事の 得 

失な 賤 吏に 

間 ふ 



に 及ぶ。 所謂 善 者 ありと いへ ども、 之 を 如何と もす る 無き もの。 何 ぞ況ゃ 朱 雀の 公卿 を 

みぞ レ 

神明に 呼號 や。 徒に 神明に 呼號 して、 以て 救濟を 求む る, 怪 むに 足らざる なり。 朱 雀の 時、 右 大將保 

— fflb な ごミ あぶ ふ ミころ 

げ 忠、 冬 月 入朝 毎に、 餅 を 炙りて 之 を懷 にし、 以て 自ら 煖め、 稍々 冷 ゆれば 之を從 者に 賜 ふ" 

世 その 慈惠 を稱 し、 呼びて 賢人と 爲す。 大將 右大臣 寳賴、 群兒 を聚 めて、 菓を啖 はしめ, 墻 

を 隔てて その 語を閗 き、 以て 世情 を 如る。 世 その 心 を攻に 用 ふる を稱 す。 當時 大臣の 爲 

. す 所、 徒に 此の 如きの 類の み? 祖宗の 德澤 微かり せば、 此 焉 ぞ 能く 禍 亂を濟 はん。 而し 

て 何 ぞ責 むる に 足らん や。 

〇 村 上 天皇 

らん ぜんぐ び 

頼襄 曰く、 世の 王政 を 言 ふ、 必す延 喜 天 曆を稱 す。 その 典 章 文物 爛然 具^す る を 以ての 

MlfMi, み。 其實を 察すれば、 稱 はざる 者 多し。 譬 へば 人の 風 韦§麗 にして、 心腹に 疾を蓄 ふる 

にて 一 が 若し。 是良 醫の畏 るぶ 所な り。 故に 識者 は 二 代に 於いて 取る ところ 無し。 而 して 天曆の 

延骞に 及ばす と 謂 ふ^は 非な り。 然るに 當畤 已に然 りと 謂へ り。 村 上と^ 吏との 問答 を觀 

てこれ を 見るべし。 襄獨 天曆を 以て 延 喜に 勝れり と爲 す。 何 を 以て かその 勝れる を 知る。 

日本^ 記. 論文 五 七 一、 



陽.^ 論 



五 七 ◦ 



鬱起 I 盛に 

興る 



之な 云々— 

藤 原 氏 LI 遠 

慮し 給 ふ 

八 哉の 天子 

—朱 雀 帝 

壅 ^〜ふさ 

がリ 滞りて 

進ます 



す や。 時 太平と 稱 して、 數 宴 樂を皋 け、 文士 を 召集して、 歌頌鬱 起す。 而 して 水早疾 

やすん りより い たづら 

疫、 民. 生 を聊ぜ す。 盜賊閭 里に 充斥 し、 經现の 政 ありと いへ ども、 徒に 近き に 行 はれ 

て、 遠き に 周から ざるな り。 世 徒に その 寒夜 御衣 を脫 する の 一 事 を稱 す。 是 所謂 仁心 仁 

間 ありて、 而 して 澤 民に 及ばざる ものな り。, 且つ 菅原相 公 を 貶して より、 藤 原 氏の 勢佔 

盛んにして、 K 國儲を 立つ る や、 長子 克明 を舍 てて 保 明 を 立つ。 その 基經の 外孫に して、 

時 平の 外 姪た る を 以ての み。 猶 これ 可なる がごと し。 保 明の 夭す るに 及び、 更に その子 

を 立つ。 その子 亦蕩 して、 その 同 母 弟 を 立つ。 帝 皇子 多し。 この^に 常り て、 その-お を 

言へば、 刖ち 代明冇 り、 その 賢 を 言へば 刖ち重 明 有り、 兼 明 有り、 皆舍 てて 立てす。 而し 

て 必す相 家の 出す 所 を 立つ る は何ぞ や。 之 を 憚る にあら ざらん や。 是 所謂 仁に して 武 なら 

す、 能く 達する 無き なり。 時 平旣に 歿する や、 又 その^ 忠平を 以て 政 を 執らし め、 託する 

それ 

に 八 歳の 天子 を 以てし、 以て 制に 臨まし む。 彼が 如きの 天下、 之 を 如何 ぞ其 亂れ ざらん や。 

余 嘗て 外史に 於て、 詳 にこの 箾を 叙し、 而 して 之 を 論じて 曰く、 是相家 Si ほに して、 上下 を 

壅隔 する の 致す 所に 由る と。 蓋し 君 相の 務 むる 所、 目前の 私に 過ぎす して、 天下の 紀綱 

廢壞 せるな り、 人才 壅滯 せるな り, 态雄窺 伺せ るな り。 皆 澄に 省恤 せす して、 その 溃诀 



儒 門の 常 格 

—儒者 普通 

の 資格 

寬平 —宇多 

天皇 



に 日に 深 からん とする のみ。 烏ぞ其 止む を 見ん や。 淸^ この^ 已に 七十。 而 して 位 は 四 位 

に 過ぎす。 官は儒 門の 常 格に 過ぎす。 旣 にして 纔に 參議を 得、 未だ 幾くなら ずして 歿し 

ぬ。 嗚呼、 此人 にして 而も 用 ふる を 知らす。 則ち 所謂 延 喜の 政 も、 亦 空名 無實の ものに 

非す や。 向に 寬平 をして 早く 位 を 去らす、 菅 公と 拉び用 ひて、 以て その 才を盡 さしめ たま 

はば、 則ち 以て 興 復の實 効を收 むべ かりき。 吾獨此 人の 爲に惜 むの みならす。 王家の 爲 

ひ W り 

に惜 むな り。 古より 人才の 用舍、 國 家の 運に 闢 する もの あり。 豈 に獨淸 行の みならん や。 



〇 內叛延 喜 

に 醸さる 



庋匮し I 戶 

棚 I: しまつ 



• 〇 朱 雀 天皇 

國朝制 を 定めて より 以来、 稍 兵 革 を 動かす もの 邊寇に 止る。 未だ 臣 子の 內叛 する 者 あら 

これた^ 

す。 これ 有る は天慶 に^まる。 論者 罪 を 朱 雀の 君 相に 歸す。 賴襄 曰く、 是 徒に その 末 を 見て 

未だ その 本 を 探らざる なり。 天 慶の亂 は、 延 喜の 朝に 釀 さると、 何 を 以て か 之 を 言 ふ。 曰 

fcr はらわた りんれ ふ 

く、 天下^ 亂は猶 魚の 爛 るよ がごと し。 魚の 爛る i や、 その 腸先づ 敗る。 その 鱗 鬣を視 

れば、 猶仍鮮 美な り。 以て 鮮美 なりと 爲 して 之を庋 30 し、 翌日に して 之 を 出 だせば、 潰 

餒臭 腐して、 ^ ふ 可から す。 延 喜の 朝廷 を觀 るに、 其禮文 制度、 豈に備 りて 且つ 美なら 



木 政 記 論文 



五六 九 



山陽 史論 



五山 ハ< 



國朝^ 云々 

I 我 朝 は 其 

事赏 殊に 顯 

著 也 



委靡 壊墮— 

自然 LL おと 

ろ へ くづ れ 

丁 口— 壯丁 

の 人口 



り。. 故に 祖宗の 制を定 むる や、 必す此 に 意 を 致し、 後世 子孫 をして、 賴 りて 以て その 國を 

守らし む。 此 無くば 一 日 も. {寸 るべ からざる なり。 然れ ども 之 を 守る こと 久しければ、 ! 一 者 

歳に 弛み、 月に 廢 れ、. 名存 して 實 亡び、 その 終 は 筌器を 守る に 至り、 而 して 天下の 實 移る。 

是 和漢の 同じき 所に して、 國朝を 著しと 爲す。 淸行 その 漸く 弛^す る 時に 生れ、 以て 之 を 

救濟 する あらんと 欲す。 當 時の 君 相 之 を 嘉納せ ざるに あらす。 しかも 盡く用 ふること 能 

ます- (» す fc t す {• ひミり -W5 

はす。 その後に 至る に 及び、 弛める もの 倍 弛み、 廢れ たる もの 滋 廢る。 獨後 三條、 之 を 興 

£ す るに 志 あり。 而 して 短祚 にして 成す ある 能 はす。 委 i 墮、 、: 5 て 保 元にいた りて 窮 

を さ 

まれり。 二者の 修めす 張らざる に. s りて なり。 豈に 百世の 永鑑に 非す や。 本朝の 富庶外 

う ゆん かく 

國 に過絕 する は、 誠に 溃 行の 言 ふ 所の 如し。 而 して 當時丁 口の 耗減 此の 如し。 その後 未 

だ 乂 如何なる か を 知らす。 而 して 輓 近に 至りて 刖ち 息す。 然れ ども 當時は 班つべき の 田 

あり、 而 して 近世 は刖ち 否ら す。 是 古今の 異なる 所の み。 彼の 之を修 して 張らざる ベ か 

ら ざるに 至りて は 則ち 一 なり。 故に 淸 行の 言 は、 特に 當 時に 用 ふべき のみに あらざる な 



り。 天下の 事、. 罔より 衆人 薆へ すして、 , 有識 の 士獨之 を 憂 ふる 者 あり ビ上 その 憂 を 共に 

せば、 刖 ちその 憂 t むべ し。 上 その 憂 を 共に せす して、 之々 して 獨薆 へし めんか。 爱將 



扶植— 助け 

立^る 

輔翊 I 天子 

な輔 くる 

之 ^取ろ— 

之な 招く 



版籍— 土地, 一 

人民 

〇 紀綱 弛^ 



に傍觀 して、 之 を 扶植す ベ しと。 知らす、 權已に 我に 在らす、 我が 言 寧 ぞ行ふ 可 けんや。 宇 

多 は 承 和 元年に 崩す。 禪位を 去る こと 三十 四。 專ら佛 法を修 す。 g、 この 三十 四 年 問、 讀經 

研 法の 勤 を 以て、 之 を 政に 移さば、 政 常に 更に 如 H: なるべき か。 而 して 公 も 亦 その 輔翊の 

功 を 終ん。 何 ぞ貶謫 憂 死 これ^らん や。 篛 故に 曰く、 菅八ム の 貶 は 宇多の 之 を 致せし なり、 

而 して 公 亦 以て 自ら 之 を 取る あるな りと。 

〇 醍醐 天皇 (其 5 

頼襄 曰く、 三 善淸行 赏 用の ネを 以て 實 用 の學 を爲 す。 菅原相 公と いへ ども、 恐らく は 及 

ばざる 所 あり。 その 封 事と いふ^の 言 ふ 所、 敢て盡 さざる もの ありと いへ ども、 而も 時 

弊に 切 巾し、 常世に 用 ふべ し。 彼の 無用の 文 詞を爲 る 者と 大に 異なり。 然るに その 書 

むりょ われ ひそか か 

たる 千餘 首、 吾讀 者の 徒 誦して その 要領 を 得ざる を 恐れ、 私に 繁を芟 り、 複を 

除き、 約して 千餘 I と爲 し、 而 して 又 その 意の 歸宿 する 所 を 究め、 之 を 論じて 曰く、 淸 

行の 意 は、 紀綱を 張り、 版藉を 修め、 以て 物 力 を復 せんとす るに 過ぎざる のみ、 夫れ 物 

せいす ゐ そく まラ 

力 は 國の存 する 所以な り。 而 して その 盛衰 息耗 する 所^の もの は、 紀綱 版籍の 二者に 在 



日本 政 記 論文 



3PH ハ七 



t£ の I:: 云; & が I 志 
る事齋 I V ぷ 互 趣 

と ^世 讒所 く に 相 
ぃ以 親す に 合氣投 
ふて 王る 云 ふ 心す 



山陽 &論 五六 六 

1 たび 位 を 去れば、 則ち 文章 博士. にして 妄に 政府に 據る なり。. 時 平 無しと い へど も、 久し 

く 安ん す 可ら ,さ る は 勢な り。 且 夫れ 家 宰 にして 父に 諧 ある 考は、 その子 必す M を 憎む。 そ 

じく おもへ A づ から 

の 父の 寵に 倚りて 以て 我 を 制する を 憎むな り。 以爲 らく. 我 自 用 ふる 所 あり、 何ぞ必 すし 

これ , おのれ おのれ ししし ゆ . 

も是 ならん と。 且つ 己 用 ふる 所 は、 己の 年齢と 相 若き、 志 趣相投 す。 而 して 父の 用 ふる 所 

は 皆 否ら す。 民 庶の家 a っ然 り、 況ゃ人 主の 天下 を 有つ 者 を や。 人 主の 樂む 所の もの はこ 

おのれ せ ** あた ♦ 

の 位な り。 故に そ-の 忌む 所 は、 兄弟の 己に 逼 るより 甚 しき は 莫し。 その 忌む 所に 中り 以て 

.< 'ベなる おのれ 

その 樂 しむ 所 を恣 にせし む U 宜か な、 その 言の 入り 易き や。 況ゃ 己の 用 ふる 所に して 常に 

愛 信す る 所の 者の 口に 出る を や。 故に 延 喜の 菅公を 貶す る、 必す しも 時: 牛の 數: 一. £ を 待た す • 

その 情 素より 然るな り。 情と 勢と は 天下の 達 ふ 能 はざる 所。 而 して 宇多 一 紙の 遣誡を 以て 

之 を 禁ぜん と 欲す。 其 不可なる ゃ必 せり" 故に 菅 公の 貶 を 致せし^ は、 宇多に 非す して 誰 

ぞゃ。 而 して 公 も 亦 自ら 慮ら. ざる 者と 謂 ふべ し。 吾 嘗て 遣 誡の言 ふ 所を審 にす るに、 立 儲 

ぜん. £v 泰 t 

禪 位の 議、 菅公實 に 之 を贊诀 す。 曰く、 「事 留 れば變 生す」 と。 ^しこの 時 基經の 女、 未 

だ 生む 所冇ら す。 生めば 則ち 立てざる ベ からざる なり。 公 あに 此に 慮る か。 然れ ども 已に 

a づ おもへ a づ 

儲を定 む、 ぼ を らす といへ ども 可な り。 その 意 蓋し 詣 らく、 位 を^る といへ ども, SS:H 



〇 醍醐 天皇 



ム n 司 I 宰司 

太 政 大臣 左 

右大臣 



相 門— 宰相 

の 家、 藤 涼 

氏 

1 日に 非す 

I 因襲の 久 

しきない ふ 



菅原相 公の 貶、 世 專ら藤 原 時 平 を 咎めて、 讒 ほと 稱し、 必す 以て 稱 首と 爲す。 賴襄は 以て 

然ら すと 爲す。 曰く、 外戚 政 を專ら にして より、 此に頻 する もの 多し。 獨時 平の みに あ 

らす。 ^を 前にして は、 良 房の 安倍 安に を 斥け、 基 經の藤 原 保刖を W ひざり しが 如き、 焉 

£れ 

を 後に して は、 師 尹の 源 高 明 を 除き、 兼 通の 中 窨王を 忌める が 如き、 皆是 なり。 その 意 曰 ふ、 

台 司は獨 我が家の み爲 す、 彼 何 爲ろも のぞと。 源と 常、 信と 光との 如き は、 その 制し 易 

こ; =さ ら お © れ きし すな は ひ^. 

きを 以て、 故 に 伴食 を 得る のみ。 その 己と 相 軋る 者 は、 輒 ち馎擊 して 之 を 去る。 あに 獨 

時 平の みならん や。 菅公を 貶す る は、 必す しも 時 平^ 致す 所に あらざる なり。 然 らば 則^ 

11 れ ねき 

誰か 致す 所ぞ。 曰く、 宇多 之 を 致せし なり。 宇多 は 相 門の 彼が 如き を 患 ふ。 故に 公 を擢ん 

でて 之と 衡 せしめ、 亦 醍醐 を 丁寧し、 專ら 公に 聽 かしむ る莕 にあら す や。 曰く.、 是 公に 

禍 する 所以な り。 夫れ 彼が 如き 者、 一 日に 非す。 中外 惯習 以て 當 然と 爲す。 之 を 寒 族よ 

り擢ん でて、 之と 衡 せしめ、 而 して 能く 衡せ. 9。 敢て 異議な き は何ぞ や。 之 を鑒識 する 

くら ゐ ゆん ぜん 

者 在れば なり。 故に 字 多 位に 在れば、 則ち 儼然たる 右大臣な り。 人望み て 之を畏 る。 帝 



n 本钕記 論文 



五六 五 



五六 四 



以て 我が 防 をつ くし。 而 して 窳 なり。 その 費 給す ベから す。. 是の 如き もの 數次 にして、 國、 の 

內壌 ザざる ものお らん や。 嗚呼 亦盍ぞ その 本に 反りて 之. を 思 はざる。 沿海の 鎭、 何の 爲に 

して 置け る や。 その 將吏 何の 職 を か 守り、 兵卒 何の 業に か 服す る。 M 豫め 平日に 於いて、 命 

じて 之が 處置 を爲 さば、 寇に備 ふるに あらざる なし。 寇 至らば、 戰ふ 有る のみ。 何ぞ必 す 

^*7( われ ゆ 

しも 接々 として 來 りて 我に 告 けんや。 我 亦 何ぞ必 すし も搔々 として 往 いて 之を援 けんや 4 

かく た r 

帝の 意 蓋し 亦 此の 如きの み。 但 將卒備 はると いへ ども * 未だ 食せ すして 能く 戰ふ者 は あ 

ら ざるな り。 故に 曰く、 「農 時み- 廢 するな かれ。 且 つ 耕し 且つ 戰 へ 」 と。 夫れ 戰 ひて 耕すな か 

らしめば、 何の 資か 以て 戰 はん。 耕して 戰 ふなく とも, 亦 何 ぞ國に 損 あらん や。 故に 寇に盛 

あり、 實 あり。 而レ て國に 損なく、 盆 あり。 故に 曰く、 帝の 言 以て 百世の 法と 爲す 可き 也と。 

帝 は 徒に 之 を 首 ひ 給 はす。 當 時の 寇は實 に 出で、 而 して 筑前守 防戦して 大捷 せり。 その 

効驗 此の 如し。 然り といへ ども、 當時 能く この 言を爲 し, この 効 を 成す 所以の もの は、 又 

けんぺい き f きんけん づ から けんの, f 

その 本 有り。 本と は: n ぞゃ。 曰く 權柄 を收 め、 紀綱を 振 ひ、 勤 儉を躬 し、 賢 能を舉 け、 

宗覿生 民 を 以て 心と なした ま へ る をい ふ。 




用專 擅、 權勢を 貪る は 則ち 同じ。 豈に皆 不學無 術の 故 か。 その 門望滋 盛、 子孫 上 を 僭し、 君 

ベ つ . じゅんし のこ 

を 蔑す るに 至る 如き は、 勢の 馴至 にして、 その 得て 知る 所に 非す といへ ども、 之な 貽す 

所以の もの 有るな から ざらん や。 

〇 宇多 天皇 

頼襄 曰く、 宇多の 英主た る や、 その 權柄 を攒 り、 紀綱を 振 ひノ勤 儉を躬 らし、 腎 能を舉 

は 宗廟 生 民 を 以て 心と 爲し給 ふ。 天智、 桓武の 業 を 接ぐ 所以の もの、 必す しも 論ぜざる な 

り。 獨 その 邊 防を處 分す るを觀 て、 以て その他 を 知る に 足れり。 宰府數 寇警を 奏す。 詔 

へい こ お ま、 * ひん 

して 曰く、 「共 故 を 以て 農 時 を 失するな かれ。 且つ 防ぎ 且つ 耕せ」 と。 大な るかな 言 や 。以 

, な .fs よそ ぶんてんぶ き 

て 百世の 法と 爲 すべきな り。. 大凡 太平の 世、 四海 鷉 無し。 文 恬武熙 、一 たび 風 魚の 警 あれ 

ば、 上下 相 驚き ノ 奔走 警告、 將吏を 差し、 糧仗 を^び、 國內 之が ために 騷援 す。 而も 寇 

何者、 來る 柯 の 由た るか は、 或は 未だ 之 を 知らざる なり。 東より 来れば 則ち 東に 奔せ、 西 

より 來れば 則ち 西に 奔し、 來 者の 贐實 未だ 確たら すして、 奔者は 已に罷 極す。 彼 を 以て 

旒.. o 爲 して, 我が 防を廢 し。 而 して 實 なり、 その 力 支 ふべ から す 。彼 を 以て 實と爲 して、 

H 本 政 記 論文 五六 三 ■ 



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貴 


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山 陽史 五六 二 

おの X 

光より 易き が 如くなる べきな り。 而も 其實は 難しと 爲す。 光の 昌邑に 於け る、 己の 意 を 

たやす 

以て、 當に 立つべからざる 者 を 立つ。 故に 輒く 立て、 輒く廢 して、 一歳 を 出です。 何ぞそ 

ちゃくし おのれ 

の 易き や。 基 經の陽 成に 於け る、 則ち 先皇の 嫡嗣な. る を 以て、 立てざる を 得す. 己 其 外 

舅 たれば、 之を廢 する は 其 利に 非す。 而 して 之 を廢 する は * 廢 せざる を 得 ざれば なり。 八 

歳に して 立ち、 之を輔 すろ こと 七 年、 其 之を爲 すの 難き や 知るべし。 光孝 は 親王 を 以て 

そ ゑ A ほ r 

省 卿たり。 宣 帝の 民間に 在りし と 異なれり。 然れ ども その 疎遠に して. 著 は れ ざる は輅 

1E じ? 光 は 丙 吉の奏 記 を 以て 始めて 之 を 知り、 而 して 基 經は 則ち 豫め その 當に 立つべき 

さっし % ち ラ あんせ、、 か ミ 

を察識 したりき。 光 は 太后 ありて 之が 主と 爲り、 張 安世 ありて 之と 謀る。 基經は 己に 仰 

稟 する 所な く。 共に 議 する 所の 公卿 は、 源融、 源 多の 如き、 槪ね 皆紈袴 子な り。 是 その 

まさ - 

器 謬 光に 朥る あるに あらす ば、 何ぞ 能く 此を辨 ぜん。 光 は 一 宣帝を 立る のみ。 基 經は又 

宇多 を定 策す。 亦 所 諝當に 立つべき の 者な り。 光 は 外孫 女 を眧 帝に 薦め、 又 女 を 宣に納 

* じ やぼ 3 ゎづら 

るよ を 計り.. 妻の 邪 謀を掩 ひ、 死して 血盒 せす、 宣の 德を累 はせ り。 而 して 基經 はこの 

事無く、 能く 功名 を 保ちて、 君臣 兩 ながら 美な り その 純ら 社稷の ためにして 私の ため 

にせざる、 亦 光に 勝れろ もの あり。. 基經の 光に 糁るゃ 某せ り。 然り といへ ども、 その 自 



終止 1 -— 一 

生涯 5 につ 

さ-ま 4 ス 



門 望 (. 家柄 



〇 廢 立當^ 

專 たリ 

霍ヅ I 後漢 

の 各臣、 昌 

邑王^ 廢し 

て宣 帝^ 掩 

立す 

瓧稷 I 國家 



し 易く、 治し 難し、 以て 天 **、 寬 治に 至り、 猶 尙ほ梗 きを 爲す。 而 して 東國の 武人、 數功を 彼 

に 立 つ る 者、 終に 朝廷の 大患 を 爲す、 〕 と、 疝 癖の 人と 終始す るが 如し。 而 して 對症 の 藥、 

用 ふる 毎に 効 を 得る もの、 亦 終に 害 を 貽し毒 を 遺すな り。 

〇 陽 成 天皇, (其 二) 

賴襄 曰く、 國朝 太子 を廢 する あれ ども。 未だ 天子 を廢 する あらす。 天子 を廢 する は 藤 原 基 

經 より 始る。 而 して 當時 異議なく、 後世 之を稱 する は何ぞ や。^ 門 望の 比な きに. a るか、 

其 父の 勢に 絡る か、 抑 も その 器 略 神識、 巾 外を壓 服す るか。 三者 皆然 り。 然も 焉 より 犬な 

る もの あり。 曰く、 廢 する 所、 當に廢 すべ き 者たり、 立 つ る 所、 當に立 つ ベ き莕 たるな り。 當 

に 立つべき 者 を 立て、 而 して 當に廢 すべき 者を廢 す。 三者 無しと いふと も、 天下 將に 之に 服 

きょせん たいはん じゅんぶ ラさラ て V 

せんとす。 況ゃ 三者 あり、 籍 りて 之 を 行 ふ を や。 E 船 大帆を 以て、 順風 壯 潮に 乘 する が 如 

いに レへ くわく くわう 

し。 誰か 能く 之を禦 がん や。 基經必 すし も 古 霍 光と い ふ 者 ありし を 知ら じ。 而も 能く 光の 

しゃしょく おもん ほか われ 

爲す 所を爲 しぬ。 豈に 大臣の 社稷 を 慮 る者喑 合する 所 あるに あら ざらん や。 而 して 吾 基 

經を 以て 光に 勝れり と爲 す。 夫れ 光 は 基 經の資 望に 及ばざる 者、 則ち 基經 の此舉 や、 {且 しく 



B 本 政 記 論文 



お 六 1 



山陽 史論 



五六 〇 



〇 治 邊の茛 





すと いへ ども、. 而も その 患狀を 聞きて、 病の 因る 所 を 察知す。 曰く r 是此に 因る のみ。 某 

い ぜん 

方 を 以て 之 を 治せば 愈えん」 と。 故に 症に 虚變 ありと いへ ども 夷 然として 驚かす。 耐 

醫の色 を 動かし 措 を 失する が 如きに あらざる なり。 籐原保 則の 如き は、 豈に 治邊の 良醫に 

非す や。 その 威 を 先にし、. 恩 を 後に すと 曰 ふ は、 攻め ざれば 則ち 補 未だ 施す ベ から ざれば 

なり。 未 叛の邑 里を撫 慰す る は、 元氣を 抉け て、 以て 疾勢 を壓 するな り。 請 ひて 腐 調 を 

やす 

復し、 夷 俘を賑 給す る 者 は、 則ち 將に 病後 を 息 めんと する ものにして、 病の 因、 實に此 に 

おの- (- 

在れば なり。 故に 病 各 因 あれ、 病 者 又强弱 あり。 一方 を 守る 可ら す。 是を 以て 兩備を 治す 

くわん - ;&ん いや/ 

るに は 緩 を 以てし、 奧羽を 治す るに は嚴を 以てせり。 治 は 人 を 愈す を 期す。 必す しも 功 

を 己に 專 にせす、 他醫 この 症に 慣 るよ 者 あれば、 引きて 以て 我が 治 を 助くべし。 是を以 

て 小 野 春風 を 薦めて、 以て その 事 を 同く す。 而 して 二人の 効 を 奏する 所以の もの は、 * 

に 藤 原基經 に. s る。 基經は 其な ほ 病 家の 醫を懌 みて 之に 委任す る ごとき か。 然り といへ ど 

も、 その 保 則 を 賞せ す、 前 守 を 罰せざる は、 病 愈え て而 して 醫に 謝せざる なり。 良 庸を同 

親せば、 後に 疾 ある も、 誰か 力 を 効す 者ぞ や。 蓋し 奧 羽の 亂は、 寶龜 より 此に 至りて、 凡そ 

みんい こん.? う 

三次。 皆 守 宰撫御 を 失し、. 民 夷 困窮す るに 因る。 病の 因 は 同じ 而 して 束 北 隅、 每に叛 



する に 中國の 甲胄 を 以てすべ し」 と。 是邊 民の 困 を濟ふ も、 その 實亦. s: 地の 弊を濟 ふなり。 

土 毛— 土. ffi 蓋し その 土 毛に 因りて、 その 土 兵 を 用 ふれば、 土 兵の 百 は、 徵發の 萬に 當り、 土 毛の 升 は 

の產 3 漕轉の 斛に當 る。 唯に 以て 內地を 接さ r るの みならざる なり。 宰 帥の 松 浦 ニ鄉、 殷阜 にし 

て奇產 多き を 以て、 徒に 郡 司に 委して、 外國の 利と 爲 さんより は • 若 かす 之を縣 官に收 め、 

吏 を 置き 貢を賦 し、 兼ねて 肥 前 縣官に 任ぜし めんと 請 ふに 至りて は、 是乂邊 利を內 地に 收 

めんと 欲するな り。 然り而 して 廷議 許して 之 を 試る こと 一 一年、 先 づ息耗 を 明に す。 則ち 利 

を 與 して 害 を 招く を虡る よな り。 獲る 所 失 ふ 所 を 償 はざる を 恐る 2 なり。 亦識 ありと 謂つ 

ベ し。 之 を 要するに、 古の 朝廷 は 逡事を 重ん す。 故に 大小の 吏、 心を盡 し、 智を 効す こと 此 

簪急 —事變 の 如し。 後世 災異 ありと いへ ども、 略 意 を 加へ す。 警急 あるに 及び、 乃ち 繹騷 を爲 し、 內 

外 皆 援れ、 その 費賀 られ す。 卽ち收 利の 策、 驗せ すして 許し、 獲るな きに 終る。 嗚呼、 何 

ぞ古を 以て 師と爲 さ r る や。 

〇 陽 成 天皇 (其 一) 

頼襄 曰く、 國の亂 ある、 譬 へば 人の 疾 あるが 若し。 之 を 良醫に 謀ろ に、 未だ その 脈 を 診せ 

日 木 政 記 論文 五 五 九 



山陽 史論 



五 五 < 



あらざる なり。 而 して その 各ロ傳 以て 格と 爲し、 式と 爲す もの は、 大抵 彼 を 抑へ、 此を 

おの みづか け i が 5 し だい な人 

揚ゅ、 各自ら 驕傲す。 又 自ら 侈. K にして、 無 盆の 費 を 爲す者 あり。 烏ぞ諛 者の 言に 因り 

遂に 以て 典 要と 成す に 非らざる を 知らん や。 

〇 淸和 天皇 (其 5 

頼襄 曰く、 國朝 古より 邊防を 重んじ、 太宰鎭 守の 1 1 府、 最も 要地と 爲し、 才勇を 選み て焉に 

そラり 

任す。 任に 當る 者、 皆 備禦の 略を盡 し、 その 綜理 の微密 なる、 後世の 及ぶ 所に あらざる なり。 

然れ ども その 要は 避, 事 を 以て 內地を 接さ r るに 在る のみ。 是 より 先、 按察使 柬逡の 兵糧 毎 

に 東國に 課し、 杼 軸空竭 せる を 以て、 阪 東の 官稻を 以て、 陸 奧の廨 に 充て、 ^奧 の廨を 以て 

官 庫に 留收 し、 公私 兩 つながら 便 せん、 J と を 請 ふ。 是に 至りて、 宰帥 又舊、 西 海 六 國の米 を 

漕して、 對 馬の 年 糧と爲 し、 覆沒 する 者 多き を 以て、 請 ひて 漕 を 停め、 その 民を發 して、 ^ 

岐の 田を營 せしめ、 之 を對 馬に 輪し 、壹岐 の税を 止め、 之 を 六國に 課す。 彼此 兩 つなから 便 

なり。 他な し、 皆 内地 を授さ r る を 計るな り。 故に この 後、 出 羽 守 も 亦 奏請す る 所 あり。 曰 

く、 「無用の 卒、 部 S を 騒動し、 勑を 待つ の處、 還 巨 害 を 致す。 ^しく 奥^の 逃 民を檢 出し, 給 



綜理 I すべ 

^さむる 

〇 古の 钥廷 

は邊 事^ 重 

んす 



意^ 可獻 社宗 た| こ ^〇 

也廢^ 替 稷社 リー 開廣 

す 進 I I 言いく 

るめ 進 宗 なて 言 

の 否 言 廟 得僅跻 



しも ゎづか 

官 及び 諸 生 を表薦 し、 下 憎 綱に 及ぶ。 縻く 言路を 開けり と 謂 ふ 可し。 而 して 纔に^ 豫守 

の 一 言 を 得たり。 言 ふ 所 は 諸 王の 支給 を 裁 減す るの み。 噫、. 當時 天下の 弊 事、 此を舍 てて 

b うしつ $ ん f ぐ わい け いき ほひ ちゃ, r- くわ ラ:; J し そく 

言 ふ 可き 無き か。 王室の 運 日に 消し、 外 家の 勢 日に 長す る、 漢の五 侯を爵 し、 黃霧四 塞せ 

るの 時の 如きな り。 一 言此に 及ばし めば、 饒へ救 ふ 能 はざる も、 猶ほ戚 黨の心 を 察して、 

天下の 憤 を 洩らす に 足れり。 i 乃ち 之 を 助けて 虐を爲 す は何ぞ や。 前 王 亦 宗籙に 係る 者に 

非す や。 その 心と 爲す所 を 推せば、 此を 以て 藤 原 氏に 媚び、 以て 界 進を冀 ふに 過ぎざる 

か A や、 フミ ひ ふ 

のみ。 豈に 夫の 匡 社の 類に 非す や。 蓋し 朝野に 満 つる、 皆 この 輩の 鄙 夫な り。 則ち 人 主 

誰と 與 にか 其 宗社を 保たん。 ^いかな。 然り といへ ども、 當時皆 求 言の 虔文 たる を 知り 

て、 爭 ひて 切要に 非ざる の 事 を 言 ふ。 故に 史載 する 所な し。 獨 この 言 を 載す る 者 は、 蓋し 

せんさく し われ これ 

外 家此を 得て、 喜びて 以て 宗室を 剪 削す るの 資と爲 せる のみ。 吾是に 因りて 之 を S ふ、 國 

朝の 律令、 天 長 以前に 定まる もの は、 百世 易 ふ 可らざる なり。 格と 式と に 至りて は、 世 

けん ヒぃ 

に隨 ひて 損 盆し、 或は 一 時の 獻替に 因りて 歴世の 沿革 を 成す もの あり。 貞觀延 喜 以下の 

おさ ま つ ゴ ♦, 

式 は、 往々 にして 宗親を 抑へ、 輔 相を揚 ぐ。 所謂 禮の末 造に して、 未だ 盡く 信す 可ら ざ 

る 者に 非らざる を 得ん や。 武門 封建の 玫に 至りて は、 復 一定 王朝の 制の 如き もの ある. に 

日本 政 記 論文 五 五 七 



ざて 上 供 
な 不意 承 
ふ 足^ 铺 
^受塞 
おけ I 



山 陽 史 論 五 五六 

が 宮中の 細娛 のみ、 何ぞ害 天下に 及ぶ あらん」 と。 殊に 知らす、 人 主 好む 所 あれば、 刖ち 

しも きょ ラ しょうほ そく よ 

; その 下 必す之 を 供 承 補 塞 せんと 計る 有り。 求めす して 至り、 その 從 りて 出 づる所 を 知 

らざ らしむ。 終に 吏 困し 民窮 り、 起ちて 贼と爲 らしむ る を 致す、 亦 その 勢の み。 文 德の禁 

網を密 にす る、 蓋し 亦 之を濟 ふに 意 あり。 能吏 を識拔 し、 民政 を規畫 する、 頗る 稱 述 

す 可し。 而も 好んで 小惠を 目前に 行うて、 耳目の 及ばざる 所 は 如何 爲る. なを 知らざる な 

みづか あ ひ 

り。 自ら その 本 を 治めて 紀綱を 振 ふ 能 はす。 刖ち胥 以て 溺る i のみ。 本と は何ぞ や。 曰く、 

剛健 玫を 勤む るな り。 仁明壽 四十 一、 文德は 三十 二、 その 年 を 永く せざる は、 亦 勤め ざ 

るの 效 せるな り。 

, 〇 淸和 天皇 (其 一) 

き や、 f かラ € 9A こく 41 い 

賴襄 曰く、 漢の 匡衡、 杜欽、 谷 永の 徒、 王 氏 擅玫の 時に 常り、 務めて 人 主の 過失 を 言 ひ、 

以て 直 名を售 り、 而 して その 實外 家に 黨附 す。 後世 之 を 鄙と す。 淸和 立ちて 外祖 攻を攝 

して 以来、 每歳 霖兩 地震、 九 年の 間、 日 十二 食す。 之 を 致す 所以 は、 識者 を 待ちて 而し 

て 知らざる なり。 此に 至りて * 朝臣に 詔して、 政事 を 論ぜし め、 而 して 藤 原 良 相、 又 外 



直 名. I 廉直 

の 名 



た受先 守に 〇 
る け 龃 文委權 

君ての の T ^» 
立 業 君 外 
ち^ I 戚 



われ き »5 ぎゃく てうへ い し » { 

賴襄 曰く、 吾 仁 明、 文 德のニ 紀を讀 むに、 暴虐の 行 あるに あらす、 而 して 吏 民凋龄 し、 數 

赦令を 行 ふ も、 而も 盗賊 漸く 溢き は何ぞ や。 紀に稱 す、 仁 明 嘗て 巡視して 獄を 過ぎ、 「誰 

こ 仁へ びんぜん 

が 家なる か」 と 問 ふ。 右大臣 良房從 ふ。 對て 曰く、 「獄 なり」 と。 帝 憫然 盡 くその 囚を 放つ 

と。 我が 古聖 王 は往々 にして 親ら 囚徒 を錄 したりき。 今人 君に して 囚獄の 何物た る を 知 

^6 あに これ じんめい きみ む 

らす、 且つ 勅して 惡 人を釋 す。 豈 法と 爲す可 けんや。 世此を 以て 仁 明の 君た るを譽 む。 無 

しきし けん きん まラ 

識者の. 見の み。 紀又稱 す、 文德 心を攻 事に 垂れ、 禁網 漸く 密 にして、 善く 人の 姦を 知り、 頗 

やぶ しきり し て 3 けん ぐ わい せき 

る 察に 慯 ると。 然るに 頻に視 朝を廢 し、 權を 外戚に 委す。 則ち その 心 を垂る i 所の もの は 

何の 政ぞ。 而 して 察する 所 は 何の 姦か。 人君に 貴ぶ 所の もの は、 剛 なり、 健な り。 剛 なら 

だ かい やぶ かろ, 5\ ゅ&ん 

ざれば、 則ち 懦、 健なら ざれば、 則ち 懈。 紀綱 日に 壞れ、 民 軽し く 法 を 犯す 所以、 怪 むに 

しゅぶん & 5 

足らざる なり。 古より 守 文の 君 は、 深宫に 生れ、 婦人の 手に 長 じ、 坐ながら 成業 を享 け、 そ 

おも あへ れいせい だ たい 

の當然 なる を 謂 ふ。 肯て勵 精して 政 を 勤めす、 外 は烕嚴 ありて- 2: は懦 忘、 外廷の 公卿 を 

は はか かへ り これ 

見る を 憚りて、 好みて 內に 居り、 祖宗の 天下 を 他人に 委して 省みざる 者 * 比々 皆是 なり。 

それ み よしきよ つら しゃび こ、 C はラ しょくて, f る 

二君の 世の 如き、 其 亦 然るの み。 他日 三 善 淸行謂 ふ、 「仁 明 奢 靡 を 好み、 後 房の 飾、 雕 

きそ ふさ むな ふ れんます^ ^ これ 

綺組朝 製夕改 して 府帑爲 めに 虔 しく, 陚歛滋 起る」 と。 帝の 意 を 推す に 必す曰 はん、 「是我 

= 木 政, 記 論文 K 五 E 



察に 傷る, I 

明察に 過ぐ 

る 



陽 史 論 



五 五 四 



超拜— 順序 

^經 すして 

ヒ官に 任す 

髻齔 ー 幼少 



〇 仁 明 私^ 

繼嗣の 際に 

用 ひた リ 



立て 太子と 爲す。 七 年に して、 良 房 を超拜 して 太攻 大臣と 爲 し、^ 劍 して 殿に 上らし む • 

その 明年 文德 夭す。 而 して 嚳齓の 天子 立つ。 外祖の 政を攝 する、 亦何ぞ 速なる や。 而後 

ミ こ たく ま さ 

王室の 事、 復說く 可ら す。 夫れ 大臣に 孤 を 托する、 何の 世に かこれ 無 からん。 當に 天下の 

*: いけん よ これ おもへ 

英賢を 用 ふべ し。 何ぞ必 すし も 外戚に 賴 らん や。 是亦 私心なる のみ。 論 荞以爲 らく、 王室の 

す われ けいし 

衰は 文 德幼主 を 以て 嗣と爲 るに 由る と。 余 は 則ち 曰く、 仁 明の 私 を 轔嗣の 際に 川 ふる 

すで 

に. s るの みと。 文德の 時に 至りて は 、則ち 藤 原 氏の 勢 己に 成れり。 然ら ざれば、 文德何 を 

以て 敢て 愛する 所の 長子 を 立てす して、 生甫 九月の 嬰兒を 立てん や。 源 常、 源 信の 如きに 

至りて は、 竝に 蜣峨の 子な ろ を 以て、 位、 良 房と 抗す。 一 たび 異議 を發 せしめば, 天子 

將に 倚りて 以て 重き を爲 さんと す。 乃ち 甘んじて 之に 附 和し、 以て その 勢 を 成す。 何ぞ 

*t おのれ のち の 

宗室 大臣に 取らん や。 豈亦己 良 房の 舅た る を 以てして 之 を 私する か。 その後 平淸 盛の 宫 

爵を暴 進す る も、 後白河の 愛子 を 立てん と 欲せし に. S る。 而 して 常時の 朝 HH、 平氏に 迚 

姻 する 者 焉に黨 す。 その 淸 同じき なり。 



〇 文德 天皇 



推 奪— 或は 

讓リ 或は 奪 



伴 橘 —伴 健 

岑橘 逸勢 



登遐— 崩御 

廢る —發は 

ると もる ベ 

さ 力 



立てて 儲 貳と爲 し、 庚 寅の 黎 あるに 及びて、 乃ち 之を廢 し、 敢て易 ふるに その子 を 以て 

せす して, その 弟 を 以てし、 然る 後 その子に 及ぶ は是 なり。 その子に 至れば、 則ち 以て 

已む べし。 亦敢て その子 を 立てす して、 その 姪 を 立つ る は何ぞ や。 この 際に 當り、 その 

文懿 美な りと いべ ども、 而も その 情 矯飾な からす。 夫れ 父子 相承く る は、 常道 なり * 

公義な り。 叔 i 姪 立、 1 に 相 推 奪す。 豈に 常と 爲す可 けんや。 仁 明 誠に その子 を 立てん 

と 欲せん か。 淳 和の 再三 辭す るに 當り、 何ぞ 明白に 禀受 せざる。 而 して 必すニ 上皇の 死 

を 待つ。 私心と 謂 ふべき なり。 仁 明の 文德を 生む は、 藤 原 氏に 出づ。 生れて 十四に して 

淳和 崩す。 また 二 年、 嵯峨 不豫、 橘 氏 公の 右大 將を罷 め、 籐原良 房 を 以て 之に 代へ、 四 

日に して 嵯峨 崩す。 翌日 之 を 葬り、 その 明、 伴 橘の 獄 起る。 噫、 何ぞ その 逨 なるや。 獄 

詞傳 ふる 所に 據れ ば、 則ち 伴 橘 不軌 を爲 せりと。 而も 悉く 信す 可ら ざな なり。 その 二 上 

fr すた はじ そん 

皇登遐 して、 太子 安き を 得すと 曰 ふに 至りて は、 則ち 當 時の 情 已に廢 る。 太子 初め 遜 を 

請 ひて 得す * 流涕 大息す。 その 園 を受 くるに 及び、 曰く、 一 吾 この 事 ある を 知る 久し」 と。 

則ち 仁 明の 心掩 ふべ からざる なり。 良 房 は 新 太子の 母の 兄な り。 故に 仁 明 引きて 以て 之 

が 羽翼と 爲し、 又 良 房の 女 を 東宮に 納る。 帝 崩 じ、 文德 立つ の 月、 淸和 生る。 生れて 九月、 



日本 政 記 論文 



山陽. a 論 五 五 二 

の は、 此が ための 故な り。 後漢の 粱竇に 及び、 外戚 を 以て 大將軍 錄尙誊 事と なる ぐ 亦 その 

遣 意な り。 而 して 弊 言 ふに 勝 ふ 可ら す。 國朝 とい へ ども、 文德 以後に 至りて は、 則ち 宰勃 

皆 外戚 之を爲 す。 左右 大臣 大將 を備 へ、 皆 その子 弟 を 以て 之に 充っ。 而 して 列 朝の 紀綱、 

】 廢 して 復 せす、 その 才 あると 否と を 問 はざる なり。 況 やその 武功 ある を 望まん や。 武 

品 流— 家柄 事 は 以て 源平 二 氏に 委し、 又 その 品 流 を 別ち、 昇殿 を 許さ r るに 至る。 ®、 何ぞ それ 古 

ナ 、ザつ 

と懸絕 せる や。. 夫れ 文屋 及び 良岑、 淸 原の 如き は、 皆 王孫に して 姓 を 賜 ふ 者な り。 外戚と 

竝ぶ は、 固より 其 {且 しきな り,、 而 して 何 ぞ獨り 源平 氏に 怪 まん や。 

〇 仁 明 天皇 

頼襄 曰く、 國家 盛衰の 機 は、 毎に 繼績の 際に. S る。 深く 察せざる ベから ざるな り。 糂續の 事 

あい^、 T た、 つさん 

たる 大 にして、 而も 言 ひ 難き なり。 愛憎 その 中に 主と し、 而 して 黨援 その外に 乘す。 大和の 

在る 所 は 大禍の 伏す る 所な り。 斷す るに 公道 を 以てせす して、 而 して 私 を 挾 み、 術 を 用 

&づか ま た ♦*{• 

地^ 爲す— ひ、 自ら その 志を濟 したりと 謂 ふ。 而 して 適大 S の 地 を爲す 者、 往々 にして 然り。 桓武、 嵯 

^^位 峨を 器と し、 平 城 t て 位を禪 らしめ たる は、 蓋し その 遺志に 出 づ。. 是の 故に 平 城の 子 を 



〇淳 和 天皇 (其 5 



〇 ォ望^ 賴 

て 人^登用 

す 



頼襄 曰く、 光仁、 桓武 大業 を 中興し、 平 城、 蜣^ 淳 和相繼 ぎて 成 を 守る。 王政の 盛, R の 

天に 中す るが 如し。 蓋し 天 智の統 、始めて この 時に 復す。 而 して その 遺 範亦大 に此に 成る • 

故に 紀綱^ 令、 皆 以て 前に 光き て, 後に 垂る よに 足る。 宰輔を 置く が 如き、 最も その 大 なる 

ものな り" 是の 時に 當り、 大臣 必す しも 左右 を備 へす。 右大臣 を 以て 左 大將を 兼ぬ る 者 

すで 

あり。 刖ち中 大納言 を 以て 右 大將を 兼ぬ る 者、 之と 竝 ベり。 藤 原 氏 巳に 外戚と 爲り, 而 

も 他姓の 人 を 以て 之に 間 ふ。 唯 その 才と 望と を是視 る。 戚 屬を必 すと せざる なり。 唯 其 

實と績 と を是賈 む。 官位 名 號を必 すと せざる なり。 而 して その 官又必 すし も 文と 武とを 

へんす ゐ fc , 

分たざる なり。 坂 上田 村、 文屋綿 麻呂、 皆 將帥を 以て、 功を邊 陲に樹 て、 還れば 训ち鎧 

t ミ いくわん おそ きむ よぶん 

胄を釋 き、 衣冠 を瀵 ふ。 未だ 數 年なら すして、 皆 政府に 人り、 機 務に與 聞す。 豈、 國 

の 大事 必す 親歴 者を須 ちて、 以て 廟議を 決する にあら す や。 昔 西漢の 法、 軍功 を 以て I 

わ 



侯た る 者に 非 ざれば、 以て 宰相と 爲 さす。 周 勃、 亞夫、 巾 屠 嘉の 類是れ なり。 武 帝の 潢を 

えいく わくり くわ.? C 

以て、 衞霍、 李潢利 を^と せんと 欲する も、 ま づ之を 出して 邊帥 と爲 さざる を 得 ざり しも 



日本 政 記 論文 



五 五 



i. 民 民 な 〇 

リょ^ 習宰 

立り 漁 知輔 

て 酷し す 民 



山 陽史 論 五 五 



ぉミ さい ほ 乙ぶ ち 

の 業を墜 さ r る や。 當 時の 宰輔、 多く は國 守に 出で、 皆 民事 を 習 知す。 亦 その 効に あら 

す や。 中世 以後 は 則ち 然ら す。 公卿 もの iC 地に 矜り 、國守 を下視 して、 之 を 疎外す。 貪廉 

ゆきく わん おのれ 

を 一 視 して、 激勸 する 所な し。 己 或は その 面 を 見す。 況ゃ 人生 をして 之 を 引見せ しむる を 

ねき おのれ ひ けん くら. いやし くわん ひく ろく ,つす 

や。 況 ゃ擢ん でて 以て 己と 比肩せ しむる を や。 國 守なる 者 は、 位 賤く, 官卑 く、 祿谫く 

こんお も V" よ 

して 任 重き 者な り。 任 重く して 綠 薄ければ、 則ち 民 を 漁し 易し。 宫卑 く、 位賤 しければ、 

則ち 君に 望み 難し。 君 以て 法律の 外に 勤勉 優. 裕 する 有り、 然る 後 以て その 簾を責 むべ く、 

い さい し しか これ ^ん か 

而 して 異才の 士 出づ。 否ら ざれば、 則ち 是之を 食に 驅る なり。 中世 以後 貪 守の 常に 多き 

ひ せん ろく はく もの A づか か 

所以な り。 その後に 至る に 及び、 吏の 卑嚷祿 薄なる 者 を 用 ひて、 以て 自ら 代 ふ。 刖ち其 、 

貪 益甚 し。 而 して その 殷阜の 地、 所謂 莊 なる もの は、 多く 公卿の 占む る 所と 爲り、 自らお 

吏 を 遣し、 或は その 地方の 豪族に 付して、 之 を代宰 せし む .而 して 王政 漸く 復す 可ら す。 

輓 近に 至り、 武門の 民を宰 する 者 を 目して 代官と 曰 ふ。 この 名を存 する のみ。 而 して そ 

の 卑賤 且つ 祿薄、 君に 望み 難く して、 民 を 漁し 易き 者、 國 司に 什 佶せ り • 而 して 封建 勢 

を 成し、 郡國犬 牙す る、 」 とな ほ漢の 制の ごとし。 刖ち 民の 善 治 を 被らん と 欲する も 難し。 

安 ぞ 冬嗣、 安世の 意 を 用 ひて、 少しく 之 を 救 ふ を 得ん。 



tc. しほら A る t おもむろ 

つ。 之を絕 てば、 則ち 復還 るの 道な し。 何ぞ 姑く 之 を 緩く し、 その 還るべき を俟 ちて、 徐 

い たづら われ 

に 取る に 若かん や。 後世の 民 を 治む る 者 は、 徒に 之 を 呵責 篤詈 する を 知る のみ。 吾 未だ 

その 果して 國に利 ある を 知らざる なり。 



二 千 右— 郡 

司 



妙簡 I- 耩擇 

^する —敘 

任す る 



〇淳 和 天皇 (其 1) 

賴襄 曰く、 我が 朝の 國司 ある は、 猶漢の 二 千 石 あるが ごときな り。 漢 宣言へ る あり、 「吾 

た^り や、 フ くんし to -、 r- 5 

と共に 民 を 治む る は、 それ 唯 良 一 一千 石 か」 と。 漢に郡 あり、 國 あり, 國は之 を 君 相に 委す。 I 1 

千 石の 能く 制する 所に あらざる なり • 我が 朝の 如き は、 一 王 六十 六 人と 共に 四海 を 治む。 

その 任の 重き、 如何と 爲 すか。 故に 藤 原冬嗣 曰く T 簾 能 を妙簡 して、. 守 介に 任じ、 その 新 

に 除す る 者に は、 特に 引見 を 賜 ひ、 治 方を勸 諭し、 抅 るに 法律 を 以てせす、 著 績者を 攉んで 

よしみね やすよ 

て、 以て 公卿の 闕を補 はん」 と。 良 寄 安世 は 則ち 曰く、 「國司 任に 堪 ふる 者 は、 多く 得難 

し。 一良 守 を 得ば、 數國 を兼帶 し、 殷阜の 地を擇 み、 二 守の 祿を竝 給せ しめ、 ま づ之を 

いうし き かんせん こ 

ニ國に 試み 治 否 を明驗 せん」 と 皆 有識の 言な り。 必ら すし も 漢宣の 故を按 する に 非ら 

むべ それ 

す。 而も 之と 喑 合する ものな り。 而 して 淳和 悉く 之 を 嘉納す。 宜な るかな、 其 桓武屮 興 



日 木 政 記 論文 



五 四 九 



山 陽 史論 ^ 五 四 < 

fcr f たす かみ これ かれ , 力ん ぶ . 

伹强を 抑 へ 弱 を 抉け、 その 稱 貸の 權を 上に 奪 ふ。 此に奪 ひ 彼に 予 ふる は その 貧富 相濟ふ 

あよれ あはれ た^ 

を 要し、 民を恤 むに 歸 する を 要するな り。 その 意 をして 民 を、 恤 むに 在らす して、 特に 權を 

奪 ふに 在らし めば、 則ち 亦 安 石の 富戶を 破る もの、 民 據る處 を 失す。 唯 その 意 民を恤 むに 

在り。 是を 以て その 實を檢 K する、 周密 此の 如し。 その 下 を 肥し、 その 中 を 肥す を 欲せ ざ 

るな り。 況 やその 上 を 肥す を や。 上虛名 を售ら す、 而 して 下 實惠を 被る。 是之 を實を 貴ぶ 

と 謂 ふ。 古 曰く 「富 を爲 せば 仁なら す、 仁を爲 せば 富ます」 と。 民 をして 息 を 被らし めば、 

刖ち國 利す る 所な し。 利す る 所 あれば 則ち 民惠を 被らす。 一 一^; 終に 竝行 すべ からざる か。 

3 ん そ さい ほ り りつ さ, f し 、つ 

曰く、 然ら す。 國の民 ある は、 猶ほ 園の 蔬菜 を 種え、 圃の 梨、 栗、 M 柹を 栽うる がごと きな 

いく. £ く 

り。 その 幾 百 株、 幾 百 根に して、 幾許の 利 を 得べ き や を 計りて、 之 を 種う。 幸に して 遂に 長 

S つ び やう ミ & ん らく 

す。 采 るべ く、 撷 むべ し。 その 計る 所と 相 常れば 可な り。 或は 病 蘋に逢 ひて 隕 落し、 勞 して 

,7 くつけ つ 3 ん! » つ モも x-» つちか こ !0 すく 

獲る 無き や、 則ち 怒りて 之 を 掘 蹩斬伐 せんか。 抑 更に その 根 を 培 ひ、 その 枯萎を 救 ひ、 

以て 後年の 收を 望まん か。 故に 曰く、 國と 民と は相須 ちて 存 する ものな りと。 故に 貸し 

て その 還る を 責めざる は、 還る の 道 を 生す る 所以な り。 今 夫れ 金 を 人に 貸す あり。 その 

か せきさい ミく tt 一 

人 還す 能 はざる や、 則ち 之 を 呵責 催督 す。 呵責 催督 して^ ざれば、 則ち 罵詈して 1\ー を絕 



1. 相 13" て て、 名 を 貴ばす。 名 を 貴ぶ は、 則ち 民に 盆な く。 實を 貴ぶ は 刖ち國 に 利 あり。 國と 民と 

存す は相須 ちて 存 する ものな り。 天 智陚役 を 定め、 その 朝に 當り、 大水に 因りて 租を 免す。 天 

1 . A んさ, < しんたい じょ.^ A 

武諸國 の 民產を 定めて 三等と 爲し、 中戶 以下、 貸税を 許せり。 是 よりその 後、 賑貸除 免の 

«J=5 1 oufr^ IJ さく そく 4- さ な 

^ き 。も 政 列 朝の 册に絕 えす。 天武の 朝、 諸國 をして 負 债に 息を收 むる 莫 からしめ、 元 明の 朝、 諸 

國 に大税 三年 を 貸し、 その 利を收 むるな からしめ、 又 「前の 賑貸 は、 小 民を濟 ふが ためな 

り。 國郡司 長因緣 して 姦利を 爲す教 は、 重罪 を 以て 論ぜよ」 と 詔し、 平 城に 至る に 及び、 豪 

合 戶 民に 貸し、 倍 息を收 むる を 以て、 乃ち 正税を 貸して、 • 乏 &を濟 ひ、 窮民 を實錄 して、 結 

f . は" . ゆ ふ /, . は" ない てん じ や 3 あい もラ わた 

保 之 を 給し 亡者 は 保內に 之を塡 し、 情、 愛憎に 渉り、 弱 を 退け、 强を 進め、 及び 未納 

を塡 補し、 兼て 私 偾を收 むる 者 は 罪に 處せ しむ。 嵯峨の 朝に 至り、 則ち 使 を 諸國に 遣し、 

ちょちく ろく しラせ や t つぐな 

富豪の 貯蓄 を錄 して、 窮民に 借貸せ しめ、 秋 成を俟 ちて、 數に 依り 之 を 償 はしむ。 その 

. 明年、 詔して 畿内 七道の 民 粗の 未納者 を蠲 く。 夫れ 賑と曰 ひ、 貸と 曰 ふ は、 名の 美なる 

はか みはれ 夕 た 

ものな り。 その 實官 利を規 り、 民窮を W むに あら ざら しむる や、 民 その 德を 被らす。 適 

わう あんせき こ 

以て 之が 怨を 招く に 足る。 宋の王 安 石爲す 所の 如き 是れ のみ。 國 朝の 政の 如き は、 此を以 

て 民を恤 むの み。 且つ 夫れ、 民產の 均しから ざろ は、 當時 とい へ ども 免る 能 はざる 所な り。 

日本 政 記 論文 五 四 七 



山陽 史論 



五 四 六 



適 上皇の 變 あるに 會 する のみ。 故に s 村の 重き は 大將に 在りて、 大納言に 在らす。 上皇 

の 平 城に 遷 らんと する や、 田 村と 藤 原 冬 嗣とを 以て 造營 使と 爲す は、 是 臨時に 命す る 所に 

して、 上皇 之 を收用 せんと 欲せし に は あらざる なり。 假令收 用 せんと 欲する も、 田 村の 事 

を更る を 以て、 必 すその 成らざる を 見る。 何 ぞ遽に その 狂 謀 を 助けん や。 然ら ざる は、 文屋 

綿 麻呂、 仲 成黨を 以て 收 ^ せられ、 田 村 その 用 ふべき を 薦めて 嫌 はす, 蜣峨卽 ち 之に 聽 

き、 之と 亊を 共に せしめて 疑 はざる、 是 その 情 を 知る 可き なり。 前史 傅 ふる 所の 如き は、 

殆ど 中世 以後、 君臣 相 市すな の 意 を 以て 之を揣 るの み。 唯 嵯峨の 君た る を 知らざる のみ 

ならす、 又 田 村の 臣 たる を 知らざる なり。 この 君 や、 臣ゃ、 皆 後世の 法と 爲る 者な り。 襄 

<v でんせん 

以て 辨ぜ ざる 可ら す。 世 亦 藏人を 以て 嵯峨の 置く 所と 爲し、 後世 人 主の、 亊を傳 宣の臣 

ヽ いたん これ ざい るん こ .C 

に委 する は、 嵯峨 之が 弊 端を爲 すなり とす。 襄 曰く、 此亦平 城 在院の 時に 始まる ^蛾 

に 始まる にあらざる なり。 



事^ 更る— 

鸫驗 ありて 

事に 習熟す 



相 市す る I 

利害^ 以て 

相 接する 



〇 嗟 蛾 天皇 (其 5 

賴襄 曰く、 政に 名 美に して 實稱 はざる もの あり、 察せざる 可らざる なり。 玫は實 を 貴び 



れ、 迪に その 爵を 進めて 大納言と 爲す、 故に 田 村 力 を效し 難を濟 ふと。 襄 曰く 然ら す。 審 

し是の 如くば、 則ち 帝の 爲す 所、 崇 德の遽 に源爲 朝に 蔵人 を授 くると 何ぞ異 らん。 爲 朝な 

ます f» きふ 

りと いへ ども、 命 を 聞きて 盆 怒る。 況ゃ田 村た る 者 を や。 帝の 事 急なる に當 り、 此を 以て 

じ いづ くん あへ きんぜん 

我 を 餌す るな りと 知り、 寧 ぞ肯て 欣然と して 之 を 受けん や。 夫れ 明主の 才賢を 用 ふる 平 昔 

に 在り。 加 ふるに 恩禮を 以てし、 付す るに 職 位 を 以てす。 その 相感竽 する や 素 有り。 是 

を 以て 難に 臨み、 苟も 免れす、 以て 大事 を濟す あり。 緩 なれば 則ち 之を舍 て、 急 なれば 

則ち 之 を 用 ふる は、 是庸 主の 爲す 所の み。 臣の庸 なる # も、 猶ほ此 を 以て 驅る ベから す、 

烏ぞ 天下の 豪傑 を 使 ふ 可 けんや。 粜 して 以て 使 ふべ くば、 則ち その 人 は 豪傑に 非ざる な 

り。 何 を 以て か 事を濟 さん。 桓武の 時に 當り、 田 村 東夷 を 平 ゆし 功 を 以て、. 擢 でられて 

こん の たす & たく 

近衞中 將と爲 る。 桓武 崩す るに 及び、 平 城 を 抉け て 殿 を 下り、 東 廂に遷 る。 蓋し 遺 託 を 

し わ f し うしん すで 

以て、 嗣王を 抉け、 以て 衆 心を定 む。 旣に 大臣の 任に 當れ り。 已 にして 中. 納 言に 進み、 中 

衞大 將と爲 る。. 中 衞の任 は、 昔より 重任と 爲 せり。 左右 近衞を 定立す るに 及び、 田 村と 內 

も S すで な 

麻呂 と、 竝 びて 大將と 爲る" 蜣峨立 つ に 及び、 故の 如し。 內麻呂 巳に. 右大臣と 爲り、 而 して 

田村狨 ほ屮納 言たり。 資望 敵せ す。 故に 進めて 大納言と 爲す。 固より その 所な り。 而 し. て 

B 本 政 記 論文 五 四 五 



山陽. 5i 論 



五 四 四 



駢拇 I 指の 

二 本 相 連な 

ろ 病 

贅 疣—、、 

ぶ 、-, ほ 



なり。 その 營宫 開邊の 如き は 已むを 得ざる ものな り。 夫れ 已むを 得る もの 何の 代に かこ 

れ無 からん。 故 i 吊に 拘 りて、 以て 去る 可ら すと 爲す は、 人の 駢拇贅 疣 有る が 如し。 割て 

之 を 去る も、 未だ 必す しも 性 命 を 傷け ざるな り。 而も 怯 夫 之 を 護り て 以て 身 を 終 ふ。 故 

に駢拊 は、 勇莕 にあら ざれば、 能く 之を诀 する 英し。 無益の 費、 無用の 官は、 英主 !i 

あら ざれば、 能く 之 を 省く 莫し。 一 の 無 盆 者 を 省けば、 則ち 天下 物 力の 一 分 を 息む。 日 

しゃくぎん f 

積 月累、 乃ち 綽 然として 裕 あり。 裕 あるの 本 を 以て、 以て 天下に 臨む" 天下 何事 か 成す 

ラベ ► われ 

ベから ざらん。 宜な るかな、 帝の 能く 前代 皋 ぐる 能 はざる 所を舉 ぐる や。 故に 吾 桓武の 

業を贊 する、 その 舉に 於て せす して、 その 廢に 於て す。 廢 する は 舉 ぐる 所以 なれば なり。 



懿親— 父子 

兄弟の 美し 

き 親み 

惡左府 I 左 

大臣 賴長 

前史— 水鏡 一 



〇 嵯峨 天皇 (其 二 

頼襄 曰く、 平 城 は猶ほ 崇德の ごときな り。 而 して 蜣峨の 之を處 置す る や、 その 懿親を 全く 

す。 後白河と 年 を 同く して 語るべからざる なり。 然り といへ ども、 藤 原 仲 成 名位惡 左府に 

及ばす。 坂 h 田 村 三 朝の 名臣を 以て、 源義 朝、 平淸 盛の 才を 兼ね、 而 して 帝 これ を 用 ひた 

り。 朝 を 終 へ すして 事 平らぐ 所以な り • 前史に 稱す、 帝、 田 村の 平 城の 用 を爲 さん, 」 と を 恐 



庸主 ヌ庸 

の 主君 



〇 擧 ぐる 所 

よ リも廢 す 

る 所 多し 

暴殄 I もら 

して 艳ち诫 



鰓々 然 I 恐 

るる il ハ 



ぞゃ。 王者の 恩 は 小惠に 在らす、 天下の 利害 は 民の 便 安と 否と を 顧る のみ。 是庸 主の 畏 

憚す る 所に して、 英主の 斷 じて 顧みざる 所な り。 明年 改元して、 造宫、 勅旨の 1 1 省、 法 花、 續 

錢の兩 司 を 省き、 之を內 藏に隸 し、 その 二 年に は、 百官の 贺 正を罷 め、 私に 寺 を 建る を禁 

じ、 その 九 年に は、 三 關を廢 して、 その 糧仗 を國 府に倂 せ、 その 十 一 一年に は、 攝津職 を 改め 

て國 司と 爲し、 その 十六 年に は、 筑前國 司を罷 めて、 太宰府に 隸 すノ而 して 最後に 藤 原 

緖繼の 言に 因りて、 造宫 職を廢 し、 陸奧の 兵役 を f。 夫れ 帝 は 如何なる 君た るぞ や。 無 

前の 宮城 を營 み、 未 收の版 圖を闢 けり。 その 精神 氣 力の 前代 人 主に 百倍す る や 知る ベ し。 

而 して その他の 爲す 所を觀 るに、 凡そ 天下の 事に 於いて、 舉 ぐる 所 少 くして 锾 する 所多 

し。 嗚呼、 治體に 明な りと 謂 ふべき なり。 蓋し 國 家の 患 は、 毎に 物 力の 不給を 病む。 人 主た 

おのれ 

る 者 は、 天下の 物を收 めて、 而 して 之 を 天下に 支配す る 者な り。 以て 己の 有と 爲 して、 而 

して 之 を暴殄 する 者、 之を昏 主と 謂 ふ。 言 ふ に 足らざる なり。 そ, の 次 は その 不給を 知りて、 

い かん さい C ぜん せきすん 

之 を 奈何と もす る 無き なり。 鰓々 然として 之を議 し、 或は 0<寸 の 利を增 さん こと を 計り、 

而 して 終に 事 を 成す 無し。 左 支 右 吾、 敢て爲 す 所 あらざる 者、 今古 一 なり。 天下の 費 は、 

已むを 得ざる もの あり。 已むを 得て 已 まざる もの あり。 帝の 發 する 所 は 已むを 得る もの 



本 政 記 論 文 



山: 陽 史 論 



五 四 



廟算 I 廟堂 

の はか リご 



趙充國 の 屯田の 議、 漢宣に 用 ひられし がごと きなり。 當 時の 廟算爽 はす、 諸將 を督責 し、 

めい けん せんてい 

萬 里 を 明 見す る、 已に宣 帝の 及ぶ 所に あらす。 而 して 良將を 得て 之に 委任す るに 至りて 

は、 又 未だ 嘗て その 肘を掣 せす。 必 すし も魏 相の 如き 者、 辨 じて 之 を 獲る を 待たざる な 

た *t 5 たが あざむ 

り。 夫れ 唯 明な り、 是を 以て 能く 任す。 後世の 人主喑 にして 善く 疑 ひ、 旣に 小人の 欺く 所 

となり、 敗を蔽 ひて 勝と なし、 損 を 飾りて 盆と 爲し、 而 して 又 有識の 計 を 用 ふる 能 はす。 

烏ぞ 天下の 得失 を 語る に I ^らん や。 



奸濫— 職務 

^惡 用す 



〇 椬武. 天皇" (其5 

賴襄 曰く、 桓武 位に 卽 きて 未だ 百日なら すして、 卽ち詔 を 下して 員外 官を罷 む。 國 司の 奸 

^ -'. へんか 5 モれ かん 9j く か 5 ひ しり * 

濫 なる 者 は 任 未だ 満たす といへ ども 貶 降す。 夫國 司の 奸は 毒國 内に 被る。 一人 を黜 けて、 

や &ん じ 

而 して ー國悅 ぶ。 猶ほ說 有る がごと きなり。 員外の 官を罷 むれば、 必す 失職の 怨を 招く。 常 

じ-や. <- の も し 

情 を 以て 之 を觀 るに、 始めて 宇內に 臨む、 宜しく 恩德を 布き、 人心 を收; J べし。 故に 古今 

人 主の 位に 卽 くや、 往々 にして 大赦と 改元との 竝出 する は 例な り.' 今 此の 如きの 令 を 下 

す は、 人情の 樂 まざる 所、 而 して 桓武 首と して 之 を 行 ひ、 汲々 として 及ば ざろ が 如き は 何 



耍扼— 要所 



往く者 は I 

往く^ 樂む 

者 はの 意 



〇 無 食の 民 

^納めて 耕 

懇せ しむ 



正 額の 士民 

I 公民 



US を 取り、 受降 にもく が 如し。 蓋し その 廣莫理 め 難き を 以て、 必す iSS 扼の地 を 得て、 城 

霞 を 置き、 糧 仗を貯 へ、 然る 後 兵 民依據 有り、 而 して 夷 虜控 制すべし。 計の 得た る ものと 

謂 ふべき なり。 贍澤に 城き、 東國の 浮浪 四千 を 配して 之 を 戌る に 及 ひて は 則ち 最も 計 を 

得た るな り。 何と なれば、 この 城 未だ 始 より 之れ 有らざる もの なれば、 則ち 之 を 守る の 兵 

も 亦 未だ 始 より 之れ 有らざる なり。 然るに 旣に已 に 城 を 築く。 兵の 以て 之 を 守る 無 かるべ 

からす。 之 を 守る に 民 丁 を 以てすれば, 民 丁 未だ 必す しも 注く を樂 ます。 往く者 は 浮浪の 

み。 浮浪の 民に 於け る、 未だ 始 より 有らざる 如き 者な り。 未だ 始 より 之れ 有らざる の 人 を 

以て、 未だ 始 より 之れ 有らざる の 城 を 守る。 國必 すし も騷授 せす して、 民 以て 業に 就く 

を 得べ し。 今 その 處置 を詳 にせす といへ ども、 蓋し 無 食の 民 を招聚 して、 以て 荒 地に 

# し、 之に 耕 墾を勸 めて、 各 糧食 を 具へ しむ。 苟も 然れ ば、 則ち 是 四千 人 土 著の 兵 を 得た 

しんせ ふ 

るな り。 土 著の 四千 は、 以て 徵發の 四 萬に 當 るに 足る。 夷 酉 を震懾 せしめ、 その 來降を 致 

しょ 所以な り。 後世の 邊, を 開く 者、 已に 地の利 を 得て 之に 據ら す、 守る に 正 額の 士民 を以 

てし、 給す るに 正 額の 財 粟 を 以てし、 徒に その内 を搔儆 して、 而 して その外に 獲る 所 償 

ふ 能 はざる なり。 豈 計の 失せる ものに あらす や。 桓武 のこの 計、 坂 上田 村に 出づ。 猶ほ 



日本 政 記 論 文 



五 四 



山陽 史論 



五 四 〇 



徒に 身庸を 免れ、 天府に 歸 せす。 自今 三 關邊耍 を 除く 外 は、 國の 大小に 隨 ひて 額と 爲し、 

ゐんぶ るる 

殷富なる 百姓 を點 じ、 才弓捣 に堪 ふる 者 は、 專ら武 藝を習 はして、 徵發 に應ぜ しめ、 その 羸 

じゃく これ さく., \ ぜん しょうは ふ 

弱なる は 皆 農業に 就かし めん」 と。 是冗 兵を汰 する の議 なり。 皆 鑿々 然として 誦法 すべ し。 

しんじゅつ ひ ミぉほ こ ほい 

能く 賑恤を 不足の 時に 行 ふ 所以な り。 或は 以て、 後世 人稠 く、 戶 倍し、 地闢 け、 田 多く、 當 

こ W な も t これ かう でん ひ ャ 

時と 異 りと 爲 せり。 噫、 是 徒に 都邑 郊甸 を觀て 然るの み。 古の 所謂 田地 戸口 は、. 皆!! 野 を 

謂 ふなり。 是 古今 同じき ものな り。 若し 夫れ 古今 同じから ざる もの は 兵な り。 兵 民の 判 

る V 是 時に 漸す。 然して 武門の 强梗を 致せし は 勢な り。 その 勢 極る に 及び、 終に 封建 を 

成し、 兵 冗と いへ ども 汰 すべから す。 而る を況ん ゃ官を や。 然り といへ ども、^ も 兵と 官 

との 皆 農に 本 づくを 知りて、 而 して その 冗の 弊た る を 見ん か、 時に 以て 之 を 疏理振 刷す る 

有り、 その 本末 甚だ 相稱 はざる に 至らし めざれば、 則ち 善く 國を 慮る 者と 謂 ふべき のみ, 



〇 桓武 天皇 (其: 

賴襄 曰く、 國 朝の 王化、 西より 束に 漸す。 陸 奥の 州、 壤地 廣英、 民夷雜 居す。 中古 出 羽 

を 割 置し、 別に 官 司を署 す。 而 して その 力 を 得る は、 多賀、 膽澤の 一 一城 を 築く に 在り。 漢 * 



洗濯 磨淬— 

奮起 勉勵 



常 平 —常 平 

倉 



o 冗官^-省 

き, 冗 兵な 

汰す 



頼襄 曰く、 光仁 中興の 政、 曰の 昇る が 如し。 天地 淸 W 、以て 百官 萬 姓 をして、 洗濯 磨猝、 

以て 上意に 副 はんこと を 求めし むる に 足る。 帝の 厲精 にして、 自强 息まざる にあら すば、 

いづ くん あらた しりあ 

曷ぞ 能く 此の 如くな らん。 而 して 何^ 弊 か 革む ベから ざらん や。 中立 自汆の 大臣 を黜け 

て、 その 兵權 を收 め、 代 ふるに 忠鲠を 以てす。 驕縱 制し 難き の 中宮 を 廢し、 倂 せて そ 

の 所 生 を廢 し、 更に 賢明 を 立てて、 國 本立てり。 常 平 を 置き、 穀 貴を濟 ひ、 官を 省き、 兵 

を汰 し、 將を 選び、 甲を鍊 り、 糧を儲 へ 、 邊を 防ぎ、 功勞を 賞して、 返襦を 罰す。 その 舉動處 

置、 較 次第 有り。 以て 後世の 法と 爲 すべし。 夫れ 前 朝 彫 弊の 餘を 承け、 上下 共に 困む。 當 

ぁ& 

に^ を 罔し、 國を 富ます を 以て、 務と爲 すべきな り。 而 してお 見る 所な し。 見る 所の もの 

し は {• でんそ これ われ 

は、 數 田租 を 究し、 邊民 を給復 するな り。 是何を 以て 然る か。 吾 嘗て その 朝議 を讀 むに、 

くわん しう じ いん さ. <し よくし やお ほ こくはく 

曰ぐ、 「制令の 日、 官員を 限 置して、 職務 滯ら す。 今や 官衆 事殷、 蠶食者 衆く して、 穀帛生 

みの すな は さいしょく お ほ 

じ 難く、 而 して 之 を 用 ひて 節せす、 一 歳 登ら ざれば、 便ち 菜 色 あり。 昔 は人稠 く田少 くして、 

ちょちく ひら び ひ 

而も 儲蓄 あり。 今 は地闢 け、 戶 減じて、 而 して 足らざる を 患 ふ。 節用と 糜費 とに. e るの み。 

當 今の 急 は、 事 を 省き、 役 を 息め、 竝に官 員 を 省き、 上下 同心、 唯 農 を是 務めば、 則ち 國用 

れんち これ る. じゃく 

足りて、 廉恥行 はれん」 と。 是 冗官 を 省く 議 なり。 又 曰く、 「諸 國の 兵士、 頗る 臝弱 多し。 



日本 政 記 論文 



五三九 



山- : 陽 . 史 論 



五三. 八 



れば 成す 能 はす。 況 やその _& の 艱難 危疑なる に當 りて、 不 公 不誠を 以て 之に 處 せば、 才 

略 智勇 有りと いへ ども 安ぞ 能く 濟す あらん や, 百 川の 事を處 する に觀 て、 以て 見る 可 

し。 孝謙疾 右り。 人 あり 曰く、 能く 之 を 治. せんと。 而も 郤 けて 進めし めす。 嗣績 を議す 

るに 及び、 大臣の 意、 他に 屬 する 所 あり。 而も 顧みす、 直ちに 遺 旨 を 矯め、 百官 を會し 

せ, c かく きく わい しつ めいけ つ さい な 

て 詔 を宣 す。. 此の 如くなら ざれば、 則ち 機會を 失するな り。 明 決の 才能く 大事 を濟 すと 

謂 ふ. 可し。 然り といへ ども、 その 爲す 所、 抗悍 自用に 幾から す や。 而も 立談の 頃、 能く 

ぜん めいしゅ 

危を轉 じて 安と 爲し、 一 中外 括然 たる もの は何ぞ や。 人心 孝 謙 を, 去りて、 明主 を 得ん こと 

しょく tt,r> これ こう 

を 思 ひ、 光仁に 屬 望す。 而 して 百 川 因りて 之を定 むる のみ。 桓武の 事亦然 り。 是之を 公 



なり 紘 なりと 謂 ふ。 公 且つ 誡 なれば 则 ち- <心 服し、 人心 服 すれば 則ち 天意 從ふ。 故に 曰 

く、 藤 I ^氏の 隆を 王室に 比する は 天道な りと。 天道 覩る ベから ざる も, 人心 を 以て 之 を 

しラ くわい われ 

視る。 或, は傳 ふ、 百川桓 武を定 むる の 際、 醜 怪 言 ふべ からざる もの.^ りと。 吾斷 どて 

や じん 2 しょ ミ みら 

; 以て 野.. < ^語と 爲す のみ。 何 を 以て 之を證 す。 曰く、 その 人心に 非ざる を 以てな り。. 

o 光仁 天皇 



〇 藤 原氏隆 

か 王室に 比 

する は 天道 

なり 



天衢 I 日月 

星辰の 軌道 

奕葉專 擅— 

代々 わが ま 



〇 稱德孝 謙 天皇 (其 一 5 

4S ベ りラ わう しつ あや ふ 、 

賴襄 曰く、 宜な るかな、 藤 原 氏の 隆を 王室に 比する や。 我が 王家 一た ひ皇 極に 危く 再 

き^- ラ せ、., なか 

び 孝 謙に 傾く。 而 して 之 を 匡正す る 者 は 皆 藤 原 氏な り。 縑足微 りせば、 天智 有りと いへ 

ども、 誰か 之 を 翼 戴 せん。 百川微 りせば、 光仁、 桓武 有りと い へ ども、 誰か その 策 を 定めん 

や。 その後 又基經 ありて、 光孝、 宇多 立つ を 得たり。 この 五 君 は 皆 大業 を光復 し、 澤 後世に 

浹ひ。 之 を中宗 高宗と 謂 ひて、 上 神武に 接する も 愧づる 無き 者たり。 而も 藤 原氏援 けて 之 

を 立つ。 赤 日を捧 ゆて、 之 を 天衢に 上せ、 雪 霧を排 して、 山川 草木に 衣 被す るが 如し。 そ 

の 功、 豈 偉なら す や。 功 有れば、 斯に報 有り。 宜な るかな、 その H{ 室と 隆を 比する や。 乃 

*J きん ふせん だん / ^.5^-^ . $^ 

ち 天道な り。 世 徒らに その 中世 以後の 奕葉專 擅なる を 見て 而 して 之 を 憎疾 する は 過 

ひ W り 

てり。 夫れ 藤 原 氏 をして、 その 前の 功 無くして、 獨 その後の 罪 有らし むる 仍 みならば 則 

ち 天道 無しと 謂 ふ も 可な らん。 夫れ その 權を專 にす る や、 外戚の 親に 倚る にあら す や。 

この 五 君の 如き は、 刖ち槪 ね その 出に あらす。 而も その 殷々 此に運 謀 効力す る は、 豈 その 

、ぃ宗 社 を 以て 薆と爲 し、 <ム 且つ 誠なる ものに あら ざらん や。 天下の 事、 公 且つ 誠に あら ざ 



日本 政 記 論文 



五三 七 



山陽 史論 



五三 六 



僭窈— J 分 

^超えた る 

不都合の 行 

爲 



矜 式し I い 

ましめ ただ 

し 



後乘 たり。 合掌 膜拜、 以て 萬 衆の 觀に當 りて 恥ぢ ざるな り。 吉備眞 備儒學 を 以て 寵を兩 朝 

くら ゐ しょ ラ ゆんほ、 r- きう ゐ だくらん じ 9 くし 

に 受け、 位 大臣に 至り、 稱 して 帝 師と爲 せり。 立昉の 宮闈を 濁亂 する も、 而も 之 を 熟視す る 

き T ゎラ 



のみ。 仲満の 鵰橫、 道 鏡の 僭窃、 而も 閒 知せ ざるが 如く、 相率ゐ て拜賀 し、 仰ぎて 法王と な 

して 恥ぢ. さるな り。 この 二人 者の 爲す 所を觀 て、 以て その他 を 推すべし。 景 雪の 元、 大舉 

せき てん せい ヘラ せきて, c れい 

に釋奠 し、 その 二 年 孝子 貞婦 を旌 表し、 その 三年 百官 道 鏡に 西宮に 朝す • 噫、 釋獎の fj は 

. せいへ、 -.' A ちお こな か, f れい か,!' 

何の 禮か。 旌 表の 典 は 何の 典 か。 而 して 眞備 は刖ち 道行 はるよ と爲 すか。 故に 講禮、 講 

がく ぜんし た いふ V きせつ かく 

攀、 儼 然士大 夫と 稱し、 而 して 氣 節なければ、 則ち その 國に盆 なきや 此の 如し • 夫れ 赫々 

たる 天朝、 祖宗 百世の 天下 を 以てして、 之 を 一 比丘に 傳 へ んと 欲す。 誰か その 不可 を 知ら 

くわ おそ 

ざらん。 而も 敢て言 ふ 者莫き は何ぞ や、 曰く 禍を惧 る i なり。 是の 時に 當 りて、 一人 あ 

り 之 を 言 ふ。 是 その 一身 を捐 てて、 以て 祖宗の 天下 を存 するな り。 淸麻呂 これの み。 故 

し きせつ くわ, C けい 仁 も これ い らい 

に 曰く、 士の氣 節 は 天下 國 家に 關 係す と。 天下 國家を 有つ 者 は、 此を養 ひて 以て 倚 頼 を 

爲さ r る 可から ざるな り。 光仁 天皇の 位に 卽 くに 及び、 首と して 淸麻呂 を 召還し、 その 本 

官に復 す。 是士. K 夫 を 矜 式し、 天下の 向 ふ 所を定 むるな り。 務 むる 所 を 知る と 謂 ふべ 

し。 天下 百年、 諸兄、 眞備の 如き 者 無 かるべく、 一日 も 淸麻呂 の 如き 者 無 かるべ からす。 



德澤紀 綱- 

仁德 政治 



〇 士の氣 節 

能く 國家^ 

維持す 



惑溺— お ぼ 

れ まど ふ 



皋 ゆて、 輒ち克 つ 能 はす。 幸に して 仲满" .1 に 斃れ、 道 鏡 後に 敗れ、 而 して 孝 謙^ 病を以 

て 崩す。 豈 宗廟の 靈 有りて 爾る にあら す や。 百 川、 永 手、 廢 興の 際に 運謀定 策し、 頗る 狄 

じんけつ ちャ * つかん し ま 仁ぶ さんし のこ めいく ゎラ は 

仁 傑、 張柬 之の 風 あり, 而 して 復武 三思の 患を貽 さす。 光仁、 桓武の 中興、 明皇の 業に 愧 

ぢす。 而 して その 天 寶の衰 なし。 豈に それ 君臣の 才、 竝に唐 氏に 過ぐ る冇 るか、 抑亦祖 

ミ くた くき か、 7 はる た?'; £> ふ 

宗の 德澤紀 綱、 逾 かに 唐 業に 別なる なり。 

〇 稱德孝 謙 天皇 (其 5 . 

賴襄 曰く、 士に 貴ぶ 所 は、 その 氣節 有る を 以てな り。 氣節 無き は士に 非ざる なり。 士の 

氣節 有る や、 獨 以て その 一 身 を 立る のみなら す、 以て 國家を 維持し、 天下の 安危 を定 むる 

に 足る。 國 の士氣 有る や、 猶 家の 柱 あり、 舟の 檝 あるが ごときな り。 舟、 檝 無ければ 則ち 

くつが へ はしら かたむ し き われ 

覆り、 家、 柱 無ければ 刖ち 傾き、 國、 士氣 無ければ 刖ち 亡ぶ。 吾 和氣淸 麻呂の 事に 觀て、 

し きせつ くわち, f 

以て 之 を 知る 有り。 神龜寶 字の 際 、朝廷め 士、 氣節 無しと 謂 ふべ し。 橘 諸兄 華胄を 以て、 

位 正 一位 を 極めき。 聖 武の婦 言に 惑溺し、 無益の 興 造 を 事と する も、 その 一言 之 を 匡救 

する を^かざる なり。 帝の 盧舍 那佛 を慶 する や、 皇后、 皇太子と、 儀 衞を備 へて 往く。 諸兄 



B 本 政 記 論文 



五三 五 



w I 陽 史 論 五三 四 

び ゆびさ て ふみく f しんく わい ぎ ひ 

備を 指して 諜賊 と爲す は、 宋の秦 檜の 類の 如し。 未だ その 是 否 を 知るべからざる なり a 

〇 稱德孝 謙 天皇 (其 3 

宮闈— 女 儀 頼襄 曰く、 聖武 宮闈の 勸を聽 き、 府庫の 藏を糜 し、 生 民の 膏血 を 寺塔佛 像に 塗りて ±= 

の 在す とこ しん じ,.. O ?, ふ 

ろ、 光明 后 心す。 繼 ぐに 孝 謙の 縱恣を 以てし、 位に 居る 皆 久し。 六帝豐 富の 業、 是に 於いてして 衰 

^富の 業 ふ。 譬 へば 民家の 儉を行 ひて、 富 を 致し、 而 して 驕 逸の 子孫に 逢 ひ、 頓に その 產を 落す が 

若し。 之 を 積む こと 山 を 築く が 如く、 而 して 之 を 喪 ふこと 毛を燎 くが 如し。 是 古今の 通 患 

, たん われ ひそか おもへ それ たう ^1*5 

なり。 嘆す るに 勝 ふべ けんや。 吾 嘗て 窃に 謂ら く、 聖武の 君た る、 其猶ほ 唐の 高宗の ごと 

^ IF^ きか。 その 婦を 制する 能 はざる なり。 その 婦橫 といへ ども、 未だ 刖天 たるに 至らす。 而 

して 執れ かその 女の 代りて 之 を 爲すを 知らん や。 異姓に あらす といへ ども、 而も 其 宗室 

、 せん ぢょ し くわ.,' かへ つ はい は、 フ 

を 忌み 之 を;^ 除す る は、 則ち 同じ。 嗣皇を 立てて、 旋て之 を廢 放す る は刖ち 同じ。 官 

名 を變更 する は、 财ち 同じ。 酷刑 を 以て 威 を 立て、 海 內を彫 弊す る は、. 則ち 同じ。 悍 且つ^ 

なる は、 則ち 同じ。 道 鏡は薜 懷義の 如く、 仲 满は張 昌宗の 如し。 而 して 勢力 は 皆 之に 過ぐ。 

權を怙 み、 亂を 作し、 言 ふに 勝 ふべ からざる に 至る。 橘奈良 麻呂、 藤 原 良繼、 李 敬 業の 事 を 



袞 邁耄靈 I 一 

老衰し ズ 



戚畹 I 天子 

の 外戚、 藤 

原 戊^い ふ 



を 待た すして 知るな り。 橘 諸兄 身 大臣と 爲 りて、 而 して IM 救す る 能 はざる は 深く 責 るに 

ひミり ほ ちょ 

足らす。 獨怪 む、 二親 王 久しく 槭 儲の 任に 居る、 その 未だ 立たざる に 及び、 必 すその 不君 

の 質を啫 たりし ならん。 何ぞ元 正に 白して、 昏を廢 し、 明 を 立てざる。 二親 王の 資望を 

以てして, 焉ぞ爲 すべから ざる あらん や。 其不 君なる を 啫る能 はざる か、 不明な り。 その 

ふ だん あに それす ゐ まい まう てつ そ も/ \ 

不君 を啫 て、 廢立を 決する 能 はざる か、 不斷 なり。 豈其 衰邁耄 耋爲す ある 能 はざる か。 抑 

勢の 不可なる もの あり。 何ぞ や。 帝 は 藤原氏の出 なり。 鎌足の 勳は 社稷に 在り。 不比等 

れ きじ そうちよ. f たい ん ん 

四 朝に 糜 事し、 身 二 后 を 生み、 朝廷 之 を崇寵 し, 太 政 大臣に 拜 して、 帝の 大援 と爲 さん 

^ろが なん けん えきち よ 3? 

と 欲する に 至る。 これ 搖 すべから ざる 所以な り。 烏ぞ 長屋 王の 賢なる、 嘗て 易 儲を擬 し、 

せきえん い ぎんかん い ひきてい、 

戚畹 に諱 まれて、 讒閒 之に 入る にあらざる を 知らん や。 故に 兵 を 將ゐて その 笫を 園み 

就きて 窮治 する 者 は、 皆不比 等の 子な り。 而 して 二親 王 敢て爲 に 別 白せ す、 その 事情 見 

^if かん せっし か ラ へ-つ ち、 ひ g よ 

るべ きなり。 玄昉の 姦-は 天下の 切齒 する 所、 故に 抗 表して 兵を舉 け、 之を誅 除 せんこと を 

しやう じ 5 あん 、つち ゑん 

請 ふ 者 有る に 至る。 而 して 帝 省せ す。 帝の 柔喑 とい へ ども、 而も 亦 中より 之が 援を爲 す あ 

これ くん けんや 5 や *♦ ち 

るに 由る のみ。 是君權 漸く 下 移す る 所以に して、 文德、 淸和を 待て 然るに あらす。 藤原廣 



嗣の 兵を舉 ぐるが 如きに 至りて は、 妻の 事に 激 する、 明の 吳三 桂の 事に 類す。 而 して 玄昉 E 



日本 政 記 論 文 



五三 三 



.S 陽 史論 



五三 二 



太白 I 明星 



〇 不君^ 睹 

て 匡救す る 

ものな し 



を 以て、 五位 以上 及び 鹿 民の、 カ營 辨に堪 ふる 者 は、 N を 以て 葺 かしむ。 嗚呼、 その 風俗 

の 奢らざる や 此の 如し。 後世の 金銀 を 貴び、 穀粟 を賤 み、 上下 常に 給せ ざる を 苦み て、 而 

やす 

して 農民 肩 を 息む るの 日 無き もの、 その 故知る 可き なり。 

〇 聖武 天皇 

賴襄 曰く、 天武、 文武 を 生み" 文武 聖武も 生む。 當 に相繼 ぎて 位に 卽 くべ し。 而 して 持統、 元 

び ぼ...' ,< づ から y よ 

明、 元 正、 女主 を 以て、 更に 其 間を彌 縫す る もの は、 蓋し 幼 主 政事 を 親して、 臣民 を馼す 

ベから す、 威權 或は 下 移す る を 恐 るれば なり。 文武 旣に大 寶に膺 り、 政闕失 無し。 聖武 

の 太子た る、 舍人、 新田 部! 一 親王、 竝に祖 叔父 を 以て 之 を 輔佐し、 稍 政を聽 くに 習 ひ、 然る 

ゆ づ すで ふ か 

後 元 正 之に 位 を^る。 豈 その 已に 負荷に 堪 ふと 謂 ふに あらす や。 然るに 位に 卽 きて 未だ 冈 

ォなは じゅんい 5 た いはくし は {- ひる あら 

月なら す、 輒ち 巡遊 を 事と す。 是 時に 當り、 太白 數々 晝見 はれ、 蝦夷 敷き、 九國の 兵み 發し 

て 之 を 伐ち、 將帥 未だ 復命せ す、 而 して 車駕復 南す。 災異を 消す 所以の もの は、 讀經度 

ながや わ 5 さ- < 'そつ けん つ *4 びら か 

憎の み。 長屋 王の 獄、 蒼 卒に發 し、 1 せす して 決し、 能く その 由を審 にす る莫 し。 佾支 

1-っ せい す. か ふ くんじ, r あん ち 

昉兩 后宮に 出入し、 醜聲 外に 間 ゆ。 而も 或は 誰何す るな し。 則ち 帝の 不君 柔喑 なる、 智者 



〇 民 ゎリて 

ミ》に 君 あ 

應副— 上 命 

に 應 じて 其 

の 意に 副 は 

ん とす 



の は、 時に 令 を 出して、 之 を 除 免す。 齄懇 此の 如き もの、 徒に 恩 を 垂れて 以て その 心 を 結 

ぶの みに あらす。 この 如くなら ざれば、 則ち 民力 薄し。 民力 薄ければ、 則ち 國本 弱し, その 

本を强 くせんと 欲する 者 は、 必す培 ひて 之に 沃ぎ、 猶 ほその 或は 蹩 まん こと を 恐る。 根 有 

りて 斯に枝 有り, 民有り て、 斯に君 有り。 列 聖の爲 す 所、 亦此に 察する のみ。 後世 は 則ち 然 

らす、 以て 君 は 本な り, 民 は 末な りと 爲し、 務めて 之 を培克 し、 その 膏血 を 浚 ひて、 以て 自 

ら殖 し、 その 欲を輔 くる 者、 之 を 能吏と 謂 ひ、 呵責 鞭韃、 以て 應副を 求む。 流亡 歳に 多く、 

でん さ ミし V おぎな ひんじゃく A づか 

田 土 歳に 蕪し、 目前の 升 合 を 補 ひて、 後日の 億 萬 を 損す。 國 以て 貧弱、 自ら 保つ 能 はざる 

みづか そ も /\ 

に 至る。 則ち 誰の 咎ぞ や。 故に 曰く、 君の 民 を 保つ は 自ら 保つ 所以な りと。 抑 後世の 君と 

い^ん 

いへ ども、 民 を 保つ を 欲せざる にあら す、 國用 足らざる を奈 ともす る 無き なり。 故に 民 

みづか た r ひき 

を 保たん と 欲する 者 は、 必す 自ら 儉す。 特に 自ら 儉す るの みならす. 此を 以て 人 を 率 ふ。 

ミも くわし ゆ そ さい 

上下 俱に 給す る 所以な り。 列聖の 時に 當り、 民 を 勧めて 諸 穀を課 種し, 蔬菜の 類に 至る 

まで、 曲盡 せざる 莫し。 而 して 交易の 用 は、 刖ち錢 に 止る。 後世の 汲々 として 金銀 幣を造 

る 如きに あらざる なり。 而 して 未だ 嘗て その 之 を 用 ひて、 或は 滞り 且つ 乏しき を 聞かす。 

はん をく さう しゃ えい やす 

跪く 然る 所以の もの は何ぞ や。 聖武の 初年、 京師 士 民の 板屋 草舍、 營し 難く、 破れ 易き 



n 本 政 韶 論 文 



量 一 



山 陽, 史. 論 五三 〇 

るが ごときな り。 孝 謙の 佾道 鏡に 於け るが 如き は、 論ぜす して 可な り。 文德に 至り、 以 

て 藤 原 良 房に 授く。 その後 帝戚 たる 者、 注々 其 任 を 猥りにし、 之に 居て 疑 はす、 然して 

ぁづか 

lif. 後 宗祖の 制、 ー變 せり。 再變 して 武門 政に 千る に 至り、 主將 にして この 官に 係る 者 あり。 

っ^ st ^漸! i 1 H 

移す 世 以て 罕 事と ^ 爲し、 以て 是藤原 氏に あら ざれば 拜 せざる ものと 爲し * 藤 原 氏の 拜 する * 

すで あ t せいへん こ t こ 5 たん fc 

已に 古に あらざる を 知らざる なり。 噫、 世 變此に 至る。 浩 嘆に 勝. ふべ けんや。 

〇 元 正 天皇 

頼襄 曰く、 天智 一の 政、 天武以 還、 持統、 文武, 元 明、 元 正を經 て、 之 を 或は 更る 無し。 そ 

1 fllu 胄 そつ s 象す (• し うぢ ぽく さい かん. 9 

if ぺ き の 舊に率 由して、 倍 之を修 治し、 牧宰を 課し、 姦利を 禁じ、 言語 を 通じ、 軍政 を 明に し、 度量 

^ りつり やう はん- (- ぜん たいし 

I 々然— t を 正し、 律令 を餒 す。 その 策に 記す る もの、 班々 然として 按す 可き なり。 而 して その 大 s は 

第 判然たる 民 を 保つ に 在る のみ。 民の 君に 於け る、 なほ 水の 魚に 於け る、 土の 木に 於け る ごときな り。 

ZI これ い これ &づ か 

此 有れば 則ち 活き、 此 無ければ 則ち 死す。 故に 民 を 保つ は、 自ら 保つ 所以な り。 國 朝の 租 

すで 

税を定 むる、 巳に 一 一十に 一 を 取る より 輕し。 而も 列 朝の 政、 水 有れば、 必す缺 減じ、 旱 有れば、 

必す蠲 き、 疾疫輿 作 軍旅 有れば、 必す之 を 袷復 す。 その 逋租積 缺、. 十數 年の 前に 在る も 



耆德宗 室 I 

年老いて 德 

望 ある 皇族 



? ^ぎ I 食. 

物の 意 



舊銜一 舊き 

$o 吏の 位階 



友と 高 市と、 竝 びに 皇子 を 以て 太 政 大臣と 爲り、 日た る淺し • 權を 人臣に 委せざる、 そ 

の 意 一な り。 文武に 至る に 及び、 乃ち 知太攻 官事の 目 を 定め、 親王 を 以て、 之を爲 さし 

くら ゐ き W くそう fjcv あ. U 

め、 位、 左右 大臣の 上に 在り。 是 よりその 後、 耆德宗 室 更に その 任に 膺り、 以て 聖武の 

初に 至る。. 朝廷 淸明、 綱紀 畢く 張り、 權姦國 を 壊る の 事 ある 無し ノ此 時に 當 り、. 朝議 祖 

宗の 意を酙 酌し、 立てて 至當の 制と 爲す。 後世の 法と 爲 すべき ものな り。 夫れ 太政大 HH 

こくちよ ぜん 

の 名 は、 大友、 高 市に 見え、 前後 無き 所、 蓋し 以て 國儲 を定 むる 漸と爲 すの み。 常に 置く 可 

きの 官 にあらざる なり。 何と なれば 則ち 人臣 天子 を夾輔 して、 專ら太 政 を 管す ベから す。 

人臣に して 太 政 を 管す る は、 是 天子 を弁髦 にす るな り。 故に 特に 之 を 親王に 屬 して、 敢て 

官名 を 立てす、 知 太 政 官事と 稱 する は, 是儲 王と 曰 ふが 如きな り。 而 して 官廳の 事 を與知 

する のみ、 實に その 官に 任す るに あらざる なり。 實に 其官に 任す る 者 は、 則ち 左右 大臣 有 

な べんく わん な 52 ん . £> 产, はんじ. I- 

り、 仍ほ之 を 分て り。 而 して 其 下に 辨官 あり、 納言 あり、 外 記 判事 あり 體統 相屬 し、 管 

轄 して 上り。 而 して 天子 これ を臨诀 す。 人 主の 勢 を 尊み て、 權 柄の 下 移 を 防ぐ 所以な り。 

人 主 深く こよに 察せす、 籐原不 比 等の 外 舅た る を 以て、 寵す るに 太 政 大臣 を 以てせん と 欲 

す。 幸に して 敢て拜 せす。 是猶ほ 唐 朝臣の 敢て尙 書 令に 拜 せす、 以て 太宗の 舊銜を 避く 



本 政 記. 論文 



五 二 九 



山 

陽 

さ 人 



五 
八 



事の 疑 崩む 右に 晉 
あはすな^ 詣王 
リし 、く 徹リ其 
しさ 其 太 して 病 
故 も 間 11 間 左 床 



迫る に 足る。 而 して 決 機 赴會、 毎に 先制す る 所と 爲 りし は、 眞に建 文の 類の み。 太 弟の 南す 

る、 已に放 虎の 目 あり。 迫る も 亦 起り、 迫らざる も 亦 起る。 然も その 迫る に 因りて, 以て 衆 

心を激 す、 巳む を 得ざる ものの 如し。 その 咣を扼 し、 その 背を捬 す。 その 兵 機に 敏 なる、 营 

九,, * てい なん さ だ ひ W り 

に 燕棣に 過ぐ るの みならす、 しかも 難 定まる に 及び、 獨 大臣 數人を 斬り、 その^ を^ は 

いらくく わ ま, C*I,T 、5 ベ ちょ ^-. のぞみ , 

す。 則ち 永樂瓜 蔓抄の 比に 非す。 宜な るかな、 能く 天 智の緒 を纘き 天下の 望 を 失 はさ 

し、 fS めい くわん ぶんぶ つま 

る こと や。 その 前 制 を修 明し、 心 を 武備に 用 ひ、 親王 諸臣 をして、 官、 文武と. なく 務 

めて 軍事 を 習 はしむ るに 至りて は、 後世 文武 途を 分ち、 國勢偏 枯の弊 を 逆 賭する ものの 

如し。 嗚呼、 是天 武の武 たる 所 か。 

〇 文武 天皇 

頼襄 曰く、 國朝 初め 大臣 あり。 尊ぎ て 大連を 置き、 竝に 軍國の 政を閒 く。 蓋し その 權を分 

ち、 偏重 無から しむるな り。 蘇 我 氏 外戚 を 以て 大臣と 爲り、 玫を 擅 にす。 而 して 物 部氏大 

く £v か 3 さ 5 やぶ しいぎ やく けん か 

連に 官 たり。 之と 抗爭 して、 物 部 氏 敗れ、 而し て 蘇 我 氏 弑逆を 行 ふるに 至る は 刖ち權 分た 

なかのお ほ *; くわん はんしよ - 

ざれば のみ。 その後 旣戶と 中 大兄と、 竝 びに 太子 を 以て 朝政 を 管し、 多く 年 所を經 たり 大 



偏重 I かた 



不豫 ー 御惱ー 



燭影斧 聲- 

栄の 大祖大 

漸の際 其 弟 



賴襄 曰く、 天武の 天智に 於け る は、 なほ 宋の 大宗の 太祖に 於け るが 如し。 而 して その 大友 

A ん せいそ けんぶん 

に 於け る や、 なほ 明の 成 祖の建 文に 於け るが 如きな り。 凡そ 書記の 錄 する 所 子 を 以て 父 

きょく ちょく ォれ 

を 書す。 必す隱 して 證 せす、 曲 を 以て 直と 爲す もの あり。 盡く 信す 司らざる のみ。 吾 特に 天 

ちょ じ じんしん まね 

智の 早く 儲貳を 定めす、 太 弟と 太子と を 分 位 疑似せ しむる を 怪しむ。 壬 申の 禍を 速く 所以 

おもん はか , 、 r , 

か • 然り といへ ども、 天 智の智 を 以てして、 豈に此 を 慮らざる あらん や。. 之ガ 事情 を 

しょしゅつ なん t たいこ i 

察する に、 言 ひ 難き もの あり。 蓋し 天武 と天智 と、 同じく 皇 極の 所 出たり、 烏ぞ杜 太后の 兄 

弟 相 及ばし むる 如き 者 ある 無き を 知らん や。 天智の 時に 在りて、 幸 あれば、 必す從 ひ、 大 

號令 あれば、 必す頒 たしむ。 異日 皇子 を^て 大政 を 知らし め、 その 久しく 中外の 望 を屬す 

る や 知るべし。 唯然 り、 是を 以て 年少の 大友を 立つ る を かたしと し、 大 友の^ 廿 四に 及 

び、 乃ち 以て 太 政 大臣と 爲 せり。 蓋し その 名望、 太 弟に 敵す るに 足る を 待ちて、 然る 後 

立てて 太子と 爲 さんと 欲し、 しかも その 俄に 不豫 となる を圖ら ざり き。 則ち 太 弟 を 召し 

ひそか 

て、 後事 を屬 せざる 能 はす。 而 して 諸 臣已に その 旨 を 知る。 蘇 我 安が 私に 太 弟を戒 むる 所 

ひ てい せい しょく ん いふせい わざ は ひ > ,すで 

以 にして、 太 弟披 剃の 請 ある や、 その 燭影斧 聲の禍 無 かりし は 幸な り。 大友已 に^ちて 太 

子と 爲り、 數 大臣と 詛盟 して、 その 太 弟 を 防備す る こと 周な り。 然るに 適 以て その 起 を 



B 本 政, 記 論文 



五二七 



山陽 史論 五 二 六 

も f フ ぶんじよ く はなはだ こくはく 

刻剝— きび にあり。 これ 我が 邦 固有の 美 を 失 はざる なり。 後 王の 模倣に 過ぐ る、 文 縟太甚 しく 刻^に 

LCSK>^ そそ ラ たつい ちかへ, -,. >、 :J、 . V 

取 立 1 務む。 則ち 組 宗法 を 立る の 意に 達せす して、 武門の 治 民^り て 之 を 便と する もの 未た 必 

ら すし も此こ 巾ら すん ば あらす。 然り とい へ ども、 武治は その 簡 ありて、 その 廉 なし。 王欧 

し ,くわん み^ , つ こ ふひミ 

に 如かざる 所以な り。 蓋し 神武 以還、 國に造 あり、 縣に首 あり、 盡く 朝廷 選み て 之 を 命す と 

い へ ども、 或は その 舊 望に 因り、 その 職 を 世 壟に する 者、 往々 にして 然り。 天智に 至る に 及 

f くわく か 5 くわ 九き ち を さ 

考課 易 置— び、 蕩 して^ を 廓し、 盡く之 を 邵縣 にし、 國 司み」 匿き、 考課 易 匿, 權を 朝廷に 收む。 蓋 

^績^ 調べ 

て 置き かへ し 天子 六十 六 人の 吏 を 精選して、 以て 萬 民 を 治め、 民の 爲に吏 を 置く。 吏の 爲 めに 民 を 

屬す るに 非ざる なり。 然り といへ ども、 その後、 國司 更代 あり,、 而 して 郡の 大小 領、 仍 

或は 望 族 を 以て 之 を爲 す。 關東兵 を 用 ふるに 及び、 大名 小名の 目 あり。 亦 その 地方の 豪 

族、 人 丁 を 出す 莕 多し。 而 して 縑食守 護 地頭 を 創め、 その 類 を 用 ひて これに 充て, 終に 

封建の 形 を 成し、 天 智の制 焉に泯 ぶ、 是 古今の 大勢な り, 而 して 氏族 を 貴ぶ もの は、 國 

俗に 由る • 明 王の 制と いへ どもい 終に 之に 能く 勝つ 莫 かりし か。 

〇 夭 武夭皇 



曠世の 度 ー 

大なる 度量 

o 中央 集權 

の實^ 擧ぐ 

溢— 溢 美 ほ 

めすお、 たる 

言 



たす くじ き さくらん 

の 際に 佑く るに あらざる を 知らん や。 舊 事の 記 厩戶の 手に 出づ、 蓋し 亦 事實 を錯亂 し、 以 

じ べん 

て自 便に 資する 者 あり。 察せざる 可らざる なり, 

C 孝德 天皇 

賴襄 曰く、 國 朝の 建, 神武に 創り、 崇神、 景 行に 開け、 而 して 應神、 仁德に 成る U その後 德衰 

へ 、 加 ふるに 雄 略、 武烈の 酷 虐を 以てす。 敏達、 用 明に 至り、 大權 下に 移り、 姦臣國 を專ら 

にす。 天智微 りせば、 王 業 或は 燧 むに 幾 かりき。 天智宗 室の 中に 奮 ひ、 謀 を 運ら し、 機 

A づから t 、"- < ふつ ざ た ふ 仁 いじ ゃラ せんん ん 

を 決し、 親 大 姦を黼 坐の 下に 斃し、 卽ち 天位に 登る。 天下の 望む 所に して、 退讓 遷延、 

兩朝 を歴。 曠世の 度 あるに あらざる より は、 何ぞ 能く 此の 如くな らん や。 而 して 制度 を 裁 

定し、 天地 を經緯 し、 以て 萬 世の 太平 を 開く。 蓋し 武王 仍烈を 以てして、 周 公の ネを 兼ぬ。 

稱 して 中 宗と曰 ふ、 溢に あらざる なり。 大凡 國朝簡 質 を 以て 民 を 治む。 上下 心 を 同じう し、 

しつ おん 

國 一 人の 如し。 これ 國勢四 外 を 威す る 所以な り。 隋 氏に 通す るに 及び, 質を變 じて 文と な 

さ だ *4 な たいていり た 5 

し、 殆ど そ の 故 を 失す。 天智に 至る に 及び、 百度 大に定 り, 後世 改 むる 莫し。 大抵 李 唐の 制 

に^る。 而 して 唐 氏に 勝る 所以の もの は、 曰く、 吏 を 立つ る簡 にして、 民に 取る こと 簾なる 



日本 政 記 論 文 



五 二 五 



ふ媲 目^ 九九 人 三 
I の 殆疇法 綱 
竝大マ 也 1 
ベ 法る 天洪 天 
行 九下範 地 



山 ^ 史 論 ^ £ 二 四 

の 君の 佛說に 惑 ひて、 以て 亂亡を 致す 者、 皆是 なり。 吾邦 未だ 彼が 如きに 至らざる も、 酷 

に しいぎ ャく かいび 0. くいく わん . 

だ尙 たる もの あり。 夫れ 人臣の 弑逆を 行 ふ は、 開闢 以還 無き 所、 天地の 大變と 謂 ふべ し。 而 

t づ やぶ ちか ,ft やさち ゑ くわ ぞっ しはら 

して 之 を 過去の 報に 諉す。 三綱淪 みて、 九 法 敎るぷ に 幾し。 厩 戶智養 人に 過絕 し、 姑 

く 太子と 爲り、 以て 人望 を屬 す。 その 志異日 位に 卽き、 天下 を 擅 にす るに 在り。 而し 

うま こ よ お ほひら じ あ ひきし &づか たく ♦* 

て 馬子の 勢に 倚る。 馬子. K 連と 相 軋り、 之 を 除きて 自 ら 逞しく せんと 欲し、 亦 太子に 

よな か じゅ そ てんれい へい 

倚り、 以て その 姦を濟 す。 而 して 皆 佛說 に藉 り、 遂に 誦咒典 鱧に 媲し、 堂塔 膏血 を 塗る 

ぉミろ だいたん み よしきよ つら けん 

を 致す。 王 業の 衰 ふる、 大端此 に 在り。 三善淸 行の 言 ふ 所、 以て 驗 すべし。 然り といへ 

fcr てんた. フ こんか ラ こ う ず ゐ*4 うじ, r- 

ども、 淸行 特に その 費 を 言 ふの み。 その 是非 を 顛倒し、 善 惡を混 精す る、 洪水 猛獣の 害よ 

り 烈しき を 知らす。 姦 雄の 人、 毎に 之 を 藉^て 以て その 心 を 解く。 下りて 北條、 足 利の 

わ くにくん しん .U く ゑつ 

禪 敎を崇 ぶに 及ぶ も、 この 旨を宗 とする にあらざる はなし。 我が 邦 君臣の 義、 萬 國に度 越 

す。 而 して 西 竺の說 之 を 壌り、 之 を 土 灰 砂塵に 歸 して 止まん とす。 而 して^ 端 を 開きし 教 

がい た せんざい ひミり *SJ そ f 

は 厩戶と 馬子と なり。 する に 勝 ふ 可 けんや。 千載の 下、 獨 II 田 氏、 斷然惑 はす、 紐 宗の國 

を 匡正す る 者に 鹿 幾 かりき。 是を 以て 今の 佛說 は、 愚 夫 愚 婦に行 はれ、 而 して 人の 上た る 

者の 之 を 信す る は、 +n 昔の 太甚 しきが 如きに 至らす。 是我 邦の 幸な り。 焉 ぞ齟宗 之 を 其々 



氣 旣に闢 け、 凡百の 民 用 彼に 須 つなし。 而 して 仍ほ 前代の 故を篛 ふ。 則ち 得る 所少 くして 

たす 

失 ふ 所 多し。 任 那を愎 し、 百 濟を扶 くる は、 旣 富の 家に して 猶ほ 舊屬 の小戶 を經紀 する が 

r こミ : こ ~ ろ; 3 レ おの づか ひ へい 

如し。 その 事義 ありと い へど も、 その 志 殷 なりと いへ ども、 內 自ら 罷敝 して 彼に 盆な し • 

故に 曰く 櫓 論すべからざる なりと。 然り といへ ども、 その 初に 當 りて や、 府を任 那に置 

えきち えきき 

き、 三韓 を臂 使し、 百 濟の主 を 易 置す る 奕 碁の 如く 然り。 何ぞ其 盛なる や。 而 して 何 を 脩め 

て か. 以て 之 を 致せし。 曰く、 上下 同心、 國 一 人の 如くして 外 國を處 置 すれば、 その 心 を 

服す るに 足る、 是 のみ。 嗚呼 後の 國を 有つ 者、 必ら すし も その 盛を冀 はざる ベく、 當に 

之 を 致す 所以 を舉 ぶべ きなり。 



崇峻 天皇 

一頼 襄 曰く、 儒舉 と佛說 と、 皆外國 より 來る もの、 擇ぶ 無き なり。 而 して 佛說 一た び吾國 

に 入る や、 之 を 好み、 之 を崇 び、 以て 君 父に 易 ふる 者 あり。 何ぞ や。 儒擧は 人倫 を 叙し、 平 

も. ュ 

易 喜ぶ 可き ものな し。 その 文、 外來 といへ ども、 而も その實 、 固より 我に 在り。 佛說の 

しんい くわ、 7 くわつ こだい じんち やう われ 

新 異にして 宏濶誇 K 人 聽を聳 すに 足る に 如か ざれば なり。 吾 嘗て 一 ニ韓の 4? 讀む。 そ 



日本 政 記 論文 



五 二三 



んゃ。 

〇 繼 體 天 皇 

o 三韓の 得 頼襄 曰く、 國 朝の 三韓 を 服す る、 洵に不 世の 功な り。 然るに 爾後 我が 務と爲 す 所以の も 

キ 、 

不 世の 功— の 三韓に 在り。 貢を闕 けば、 刖ち 貴め ざる を 得す。 責めて 服せ ざれば、. 則ち 伐たざる を 得 

frr - き こ な か ごろ なか 

M「w 手 | す。 騎 虎の 勢の 如し 中に して 下る ベから す。 是を 以て 上お の史 は、 三韓の 事 半に 居る。 其 時 

.C や、 f かラ くるし へい 

に當 り、 蓋し 將卒 奔命に 疲れ、 農民 糧餉に 困み、 國 內を敝 して、 以て 外 夷 を 事と せる、 知る 

べきな り。 是豈 計の 得た る ものと 爲 さんや。 この 故に 日 羅の敏 達 帝に 答 ふるや、 內 外の 

本末 を 論じ、 戰守の 得失 を 言 ふ、 此に 見る あるの み。 然り とい へ ども、 之 を 時勢に 揆 るに、 

槩 論すべからざる もの あり。 神 功、 應 神の 際に 當り、 吾が 國風氣 未だ 全く 開けす、 士女 

きん はく は 3 び ゆ 5 かん 

金帛の 豐備、 或は 三韓に 及ば. K 而 して 兵卒の 勇悍は 則ち 啻に これに 過ぐ るの みならす。 

われ すくな すで 

故に 吾 我が 兵卒 を 用 ひて 彼の 金 帛を收 むれば、 收 むる 所 多くして 用 ふる 所 寡し。 已にそ 

r u r I こうけん じんてい ラち 3 やけ ひわい ふ 

外^— U の 貢獻を 納れ、 又 その 人 丁 を 役す。 故に 百 濟を稱 して 内官 家と 爲す もの、 猶ほ 我が 外府と 

Li ある 倉庫 

曰 ふが ごときな り。 是の 時に 常り、 失 ふ听少 くして 得る 多し。 その後に 至る に 及び、 我が 風 



希 旨の 臣— 

君の 意^ 迎 

へ 機嫌な と 

る臣 

羽 父, I 名 は 

翬、 その 事 

蹟 左傅卷 一 

隱 公の 條 に 

^也 



し。 下りて 武門に 至りて は、 一 興 ー廢、 此に 由らざる 者な し。 大な るかな 言 や。 德 ある 者 言 

あり、 その 言に 因りて 以て その 德を 知る ベ し。 稚^ 子の 位 を讓る や、 亦 其 德 天下の 望を屬 

する を 知る。 然して 之 を k る は 可な り, 而 かも 讓を 以て 身 を 殺す に 至りて は、 斷髮 文身の 

たいはく す すで いひ 、_ 'たが ひ かん い 

泰 伯に 過ぐ。 已に甚 しき を爲 す^と 謂つ ベ し。 遂に 後世 をして 疑 を その 間に 容れ しむる を 

おもへ きし f ほろ いん いだ ^.5 

致す。 以爲 らく、 或は 希 旨の 臣、 羽 父の 魯隱に 請 ふ 如き 荞 ありと。 而 して 抱きて 慟 する、 又 

モラたい t ラ W くせ, フ こく あに 

宋太宗 の德^ を哭す るに 類す と。 豈仁德 の 兄弟に 處 する、 又 未だ その 善を盡 さざる もの あ 

るか" 惜 むに 勝 ふべ けんや。 世 仁 德の仁 を 知る のみ。 帝の 時に 當り、 戶 田の 高麗 使者に 

接し、 弓 力 を 以て その 心 を 折 服せ る 若き あり、 田 道の 新羅 を 討 じて、 堅 を 避け, 瑕 を攻む 

る 若き あり。 仁者の 勇、 以て 將帥 をして 夷狄 を馭 せし むる に 足る、 J と、 又 以て 見るべき の 



く た う せいしょく ちかづ ぶんお ラ む いつ 

み。 帝の 德禹の 卑宮惡 服に 過ぎて、 而 して 湯の 聲 色を邇 けざる に 及ばす。 文 王の 無 逸 あり 

くわ さい のつ ミ けい もん を さま み なら けい をく 

て、 其 寡 妻に 儀るな し。 閨 門の 脩らざる、 子孫 視て傚 ふ。 故に 繼續の 際 仲 皇子の 亂 あり。 允 

こ ~ はんぜい ゎづか やす , 

恭、 安康の 際、 亦 云に 危 ふかり き。 反 正の 智、 雄 略の 武,』 厪に 以て、 その 難 を 靖ん する に 足 

れり。 而 して 雄 略の 任 那を失 ふ、 亦 好色に 由れ り。 夫れ 仁 德の德 を 以てして、 而も 一 愼 まざ 



れば、 刖ち 禍 を 後嗣に 貽す こと 此の 如し。 況ゃ 仁德に 及ばざる 者 を や。 戒めざる ベけ 



日本 政 記 論文 



五 二 一 



陽 史論 



五 二 〇 



なり」 と。 國擧 者と 稱 する 者 あり、 斥けて 之 を 外にし、 曰く 「是 我の 道に あらざる なり」 と。 

o みち ひ レ かれ や- A れ 

皆 非な り。 道豈 彼此 あらん や。 之 を 載す るに 文 を 以てする こと、 彼較 我より 舊し。 彼來り 

. われ じ や、 7 やしょく ほ、 r- こう なん さいせき しょく ほ、 ひじ ゃラ to" 

て 之 を 貢し 我 取りて 之 を 用 ふ。 釀冶織 縫の ェと 何ぞ異 らん。 載籍は 織縫釀 冶な り。 而し 

じんぎ かひ こ く は きく ベい さ ラ てつ さん ?ク 

て 仁義 は蠶 なり、 桑な り、 麴、 米、 銅、 鐵 なり。 麴、 米、 鲖、 鐵、 S 、桑 を 以て、 彼より 來 ると 

なす 者 は 儒者の 見なり。 織縫釀 冶を廢 せんと 欲する 者 は國學 者の 說 なり。 故に 曰く、 皆 

非な り。 夫れ 道 は 一な り。 刖ち攀 も 亦 一 なり。 寧ろ 所謂 國と云 ふ もの あらん や。 陋 なる 

t . J ,> : . せん わ ラ すで あら は れいてん ひ 97 

力な 且つ 夫れ 先王 已に 取りて 之 を 用 ひ、 著して 令 典と なしたり。 而 して 敢て M を 非議 

これ ちミ まねい 

す。 是 先王の 典を議 する 者、 幸に して 誅を究 るぶ のみ。 



〇 仁德 天皇 



〇 民 富めば 

君 富む 



頼襄 曰く、 仁德の 仁た る 所以 知る 可き のみ。 仁德の 言に 曰く 、「天 は 民の 爲 めに 君 を 立つ。 

みづ から ひん これ れク せい 

君自佾 にして、 以て 民 を 養 ふ。 民 富めば、 刖ち君 富む」 と 。犬なる かな 言 や。 是 我が 

) t » T ' . はん tt ん そん のこ り,、 けい * レ ひゃくし 

の傳 ふる 所に して 而 して 之 を 帝に 發し、 範を萬 孫に 貽す 所以な り。 六經訓 ふる 所、 百史 

こ >• く は したが to- す たが ぁャ 

傅 ふる 所、 豈此 に.^ ふる あらん や。 是 よりその 後、 之に 循ふ者 は 安く、 之に 違 ふ 者 は危ふ 



屮 天皇の 稱は、 已に 民望の 屬 する 所 を 見る。 鹿 兄の 變に乘 じ、 自立 を圖る ありと いへ ど 

暴 白 —事態 も、 未だ 幾くなら すして 誅 夷に 就く。, 攝政數 十 年、 中外 異議な し。, その 事の i は、 當時 

いふ 人心 を 厭かしめ たる を 知る 可し。 而 して 何ぞ必 すし も 疑 を 千載の 下に 容 れんや。 

〇 應神 天皇 

"道に 阈疆 頼襄 曰く、 道 は 一の み。 道の 天下に 在る や、 猶ほ 日月の ごとし。 日月 は 天下の 日月な り、 一 

f ふ t くんしん ふ, f ふ 

國の 私用す る 所に あらす。 道 も亦然 り。 父子、 君臣、 夫婦、 國 として これ 無き はなし。 而し 

じ 力う、 ちラ ざ まじ そん じん さく ま 

て 慈 孝 1 忠 義、 別 ありて 雜ら す、 皆 自然に 存 して、 人 作に 待つ ある こと あらざる なり。 我 

n が 邦 列聖、 民 を 保つ こと 子の 如く、 堯舜禹 湯に 讓ら す。 その 風俗 君 を 尊み、 上 を 親み、 

. あ ひ * い あ ひやしな ぐ けいせき も w 

相愛し 相 養 ふ、 又 唐 虞 三代の 民に 過ぐ る あり。 則ち 經籍 なしと いへ ども、 その 道 は 固よ 

り 具に 在り、 特に 未だ 名け て 之を敎 へ、 仁と 曰 ひ、 義と曰 ふ もの あらざる のみ。 譬 へば 

一里 I 同じ 人家の 若し。 同じく 是 一 里な り、 而 して 之に 居る 舊 あり、 莉 あり、 某 巷陌、 某 井 溝、 皆 名 

寸 もく これ 、 , 

目 あり 記す るに 帳籙を 以てす。 新 者 必す舊 者に 問 ひて 之 を 知る。 舊者 曰く r 是 吾が 巷 

^、せ,."!」 r 、か /か じゅしゃ ゆび ざ わたくし. これ 

陌 なり」 と 可な らん 乎。 今 天下の 仁義な り 、儒者 指して 之 を 私 して 曰く 「是漢 の 道 

日 木 政 記 論文 五 一 . 九 



な沮 新 捨近舍 
失 喪 羅 てき 近 
ふ i ^> i 熊擊 
異 擊遠襲 遠 
氣 つき^ * 1 



ぜんし あい まい 

前 志に 記す、 仲哀 崩す るの 際、 曖昧なる 者 多し。 後世の 讀者、 疑 を 神 功 皇后に 溶る-を 免 

これ . われ じせき 

れ すと 云 ふ, 頼襄 曰く、 是疑 を容れ ざる もの、 吾 深く 其 前後の 事跡 を會 して、 斷 じて 其 

疑 を容れ ざる を 知るな り。 夫^ 龔は 久しく 西 偏に 雄 長たり、 景行と 日本 武 との 前後 討伐 

ほんこんよ ゆつ よ 

を 以てして、 而も その 蟠根 餘孽 終に 拔く 可らざる もの は、 蓋し 新羅の 後援 を爲 すに 倚れ 

な しゃきん: ^きもん さく た 

ばな り。 當時諸 大臣に して 事に 更 るよ、 武內の 如き 者 は、 必す 舍近擊 遠の 策 を 建てた る 者 

ちう りゃく ぁづか たす 

あらん。 皇后 鬻略 ある を 以て 軍に 從ひ、 議に與 り、 亦 その 策 を 右く。 而 して 仲 哀銳^ 

ちうじよ しんせん は いぢく きず や A> は ゆ そ ?? 

誅鋤、 聽 かすして 親戰 し、 敗 衂創を 病み、 創 劇しう して 終に 崩す。 皇后、 諸 軍 沮喪し、 賊來り 

て 之に 乘じ、 大 事の 至らん こと を 恐る。 是を 以て 腹心と 密に 謀り、 喪を祕 して 發 せす、 .K 逑 

あんぐ ラ ふみ る ゐ 

を 留めて 行宮 を 守る こと、 天子の 在狀の 如くし、 溝 を 深う し、 EI.; を 高う し、 相 持して 戰 はす、 

ひそ き. よはつ ぜん さく さう くつ つ 、,- きょ 

而 して 兵を潛 めて 急發 し、 以て 遂に 前 策 を 行 ひ、 直ちに 巢 窟を禱 き、 その 倚據 を^ ふ。 然し 

て 後 熊 壟 果して 攻めす して 下りぬ。 特に 海 波を蹋 み、 未知の 地に 赴く は、 荥 情の 疑懼す 

る 所な り。 故に 多 方 之 を 神明に 託して 曰く T 神 我に 告 ぐるに 寶 玉の 國を 以てす" ^從は 

す。 故に 暴かに 瑣 せり。 當に相 與に勉 注して 之 を 取る ベ し」 と。 皆 從兵を 鼓舞す る 語の み。 

史氏從 ひて その 事を實 にして, 皇 ^ 誇 九し、 而 して 後人 察せす。 紛紜を 致す 所以な り。 眙 



之^ …… 終 

ふ— 其 結果 

…… if 



ナリ 



虛任 遙頟— 一 

n ハ其 任^ 帶 

び 地^ 領マ 

るの みに 

て、 自ら 往 

きて 治ら 

す、 介 (すけ) 一 

操 (じょう) 

等^して 之 

な 治めし む 

るない ふ 



に赏を 論せ す。 之 を大權 下に 移り、 國勢 ー變、 長く 古に 復 せざる に 終 ふ。 歎す るに 勝 ふ 

ベ けんや。 景 行の 皇子 を 美 濃に 封す るに 至りて は、 又 皇族 を 以て 東海 を 管領す。 亦 深意 

ふ ふく よく つよ ^さ し 

の存 する あるな り。 夫れ 未 服の 國、 その 土沃 にして 丘ハ强 きを 以て、 收 めて 我が 資と爲 さ ざ 

るべ からす。 而 して 之 を 牧宰に 任す 可ら す。 亦 その 能く 任 ふる 所に あらざる 也。 是に 於い 

そ 5 しつ ほうけん 3 づか けいき ちから ちんぶ は A ぺぃ 

て 宗室を 封建して、 自ら 之 を經紀 せしめ、 その 力 以て 當時 を鎭撫 して、 異 日に 藩屛 たるに 

足らし め、 以て 內 外輕 重の 勢 を 制す。 大計 を 知る と 謂つ ベ し。 中古、 郡 縣制を 成し、 親王 を, 

こくしゅ す & しじやく しつ あしち ふ きょじん 

以て 國 守に 任す とい へ ども、 その 人 皆 婦人の 手に 生長し、 粹姿弱 質、 足 地 を 履ます。 皆旛任 

遙領介 掾を遣 はし, 代り 往 かしむ るの み。 是を 以て 本 支 益 弱く、 天子 孤立し、 朝廷 大臣 を 

して 忌憚す る 所な からしむ る は、 未だ 必す此 に 由ら すん ば あらす。 獨 後醍醐、 諸 皇子 を以 

しゃ、, -すゐ * ゆうにん た 

て將 II に 充てた る は、 景 行の 遣 志 を 得たり。 而 して 諸 皇子 亦 雄 勇 任に 勝へ たる 者 ありき 

然れ ども 終に 古に 復 する 能 は ざり し 者 は、 豈 その 時 已に爲 す 可ら ざり しか, 抑 天子 躬 

充く 終始 ぁる景 行の 如くなる 能 は ざり しなり。 



きんら, r- A づ から 

艱勞を 親 し、 



〇 仲哀 天皇 



日本 政 記 論文 



五 一 七 



陽 史 論 



五 一 六 



ヒ 5? 圍 J 

锊難羝倭— 

覦 亂^ 平定 

す 

〇 兵權 上に 

ぉリ 



貴む— 貴 任 

^貢 はしむ 



〇 景行 天皇 



いくわん 



頼襄 曰く、 我が 朝武を 以て 國を 立つ。 神武 以還、 數十世 を經、 時に 變故 ありと いへ ども 

^ いなん ゆ^ら,^ けいこく べん ゆる か& か,.'. 《 ひつ さ 

靖 難躭亂 頃刻に して 辨じ、 天下 搖 がざる もの、 兵權 上に 在り、 綱維挈 ぐべき を 以ての 

故に あらす や。 然れ ども 皆 內變に 係る。 その外 叛 ある、 始めて 景 行に 見 はると 云 ふ。 蓋し 

- - I J て 、つ s.f あまね 

神武 能く 中 土を肇 造す といへ ども、 東西 諸道 號令 未だ 周から す、 崇 神より 巳に 漸く 將に 

こ t く *4 そ み づ から なん 

命じて 四 出せし む。 此に 至り 熊 襲 を 治す る や、 則ち 親將 として 之 を 伐つ。 何と なれば そ 

の 事大 なれば なり。 その 事. K なれば、 則ち その 用兵 も亦大 なり。 大兵の 權は之 を 臣下に 委 

す 可から ざるな り。 賊の 再燃す るに 及び、 再び 兵 を 動かす を 難しと する や、 則ち 皇子 を 遣 

はして 代り 往 かしむ。 その 愼むゃ 此の 如し。 故に 東國を 巡察す るに 至りても、 初め 大臣 を 

遣 はすと い へ ども、 經 略の 任に 至りて は、 亦 之 を 皇子に 任す。 その 意 以て^る ベ きのみ。 後 

世に 至る に 及び、 兵戎の 事、 之 を 有司に 委ね、 公卿と いへ ども 亦 甚だ 之を恤 へす。 況ゃ 

天子に 於いて を や。 深 宮に高 拱して 曰く、 「賊 何ぞ 能く 爲 さんや」 と。 甚 しき は 刖ち將 帥の 

面 を も識ら ざるな り。 而 して その 軀を殯 し、 賊を 夷ぐ る を 貴む。 捷を 奏する に 及び、 又 時 



資 位-! 資格 

位置 



戚畹 I 外戚 

たるの 綠故 



配し-犯と 

なリ 



武の 慮、 斑の 高祖に 勝れり。 是を 以て 綏靖は 太 宗の慙 なし。 綏靖運 謀 決 機能く 大難 を濟 

ふとい へ ども、 抑々 亦 神武の 早く 之が 處 を爲 した るの 致す 所な り。 狹 穗彥、 身 帝 戚と爲 

り、 敢て 反逆 を圖 る。 蓋し 亦 以て 之 を 致した る あり。 崇紳の 將を四 道に 遣る や、 大彥命 

はじめ せきしん よ ゐ 

首に 居る。 乃ち 皇后の 父^り。 豈 その 戚 親に 頼りて、 委す るに 兵權を 以てせる か。 狹穗 

彥の資 位考 ふべ からすと いへ ども、 しかも 權カ ある 者に あらざる より は、 何ぞ遽 にこの 

非望 を萌 さんや。 その後 蘇 我 馬子の 若き は、 乃ち 狹褪彥 の 志 ある 者な り。 藤 原 氏に 至る 

せき ゑん か せんし はんぎゃく 

に 及び、 世々 戚 畹を藉 り、 專恣 極まれり。 而 して 未だ 逸" て 反逆 を 謀る に 至らざる もの は、 

名分 大に定 り、 往昔に 異る ありと いへ ども、 而も 亦 躬兵權 を 握らざる が 故の み。 1^ 

ざるべ けんや。 皇后の 皇子 を 抱きて 質と 爲 すに 至りて は、 兄の 死 を 免れし めんと 計りし 

に 過ぎざる のみ。 而 して 質 を 還して 俱に斃 る。 その 心悲 むべ しとい へど も、 之 を 要する 

に、 至尊に 配し、 天下に 母た. る 者の 當に爲 すべき 所に あらす。 幸に して 垂仁惑 はす、 玉石 

共に 焚かし めて 恤 まざりき。 それ をして 惑 ひて 斷 する 能 は ざら しめば、 叛臣 將に その 計 を 

得ん とす。 亦危 からす や。 



n 木 政 記 論文 



五 一 五 



山陽 史論 



五 】 四 



に 敬す る は、 民に 務む るに 如くな きなり、 世の 神道と 稱 する 者、 悠繆 荒誕、 しかも 民に 

ザ、 j じ,^ われ なん これ 

盆す るな し。 皆崇 神の 罪.. < なり。 吾 嘗て 稱す。 王業衰 へて 神道 興る と。 何ぞ や、 則ち 是 

祖宗の 事な り。 王政の 盛時に 當り、 誰か 敢て之 を 口舌に 騰 せて、 以て 私 說を樹 てん や。 之 



卜 部 兼俱— 

所謂 唯一 神 

道の 創始者 



〇 立 后 建 儲 

な 重ん す 

觊覦 1 うか 

が, しの そく 



を 口舌に 騰 せて 以て 私 說を樹 つる 者 は、 ト部 兼俱の 足利義 尙に敎 ふるに 始まる。 瞭、 彼 

なにら むべ き たん い 

何等の 時と 爲 すか。 宜な るかな、 この 忌憚な き 者 を 出た せる や。 

〇 垂 仁 天皇 , 

でん た ぎしみ 》• でん さ ほ ひこ はん 

頼. 襄 曰く、 神武より 一 傳 して、 手硏 耳の 事 あり。 十傳 して 狹糚彥 の 反 あり • 皆 變の大 な 

ミ くしつ こ、 ゥ わ、 r* まさ かんが お ほよ そ けいみ く 

る もの、 その 得失の 際、 後 王の 當に鑒 むべき 所な り。 大凡 人事 繼續 より 重き は莫 し。 而 

こんいん みなも ミ しゃく わ あく ひつぶ いぶん 

して 繼續は 婚姻に 原す、 二者 禍福の .5 りて 分る i 所な り。 匹夫の 冢 っ然 り。 況ゃ國 及 

び 天下 を 有つ 者 を や。 此に愼 ますん ば、 以て 先 業 を 持して、 億兆 を 保つ 莫 きなり。 所以 

に 前史 を修 する 者、 立 后 建 儲の 事に 於いて、 必す 謹みて 之 を 書す。 夫れ 綏靖 の儲貳 たる、 

旣に 先皇 在世の 時に 定れ り。 則ち 手 研 耳 廐 兄 を 以て 功 伐^り といへ ども、 固より 覬^ を 

溶れ す。 否 ら ざれば、 則ち 兄弟 相殺し、 立 武門 蹀 血の 禍と何 を 以て 異 らん や。 唯 夫れ 神 



吴軒 軒の 鴻 
伏轅羲 世^ 
羲氏 I I 
氏、 黄 未 
太 帝 開 



〇 崇神 天皇. 

こ 3 く. f,- ラ モ f &んし 

頼襄 曰く、 鴻 荒の 事、 和漢 同然、 置きて 論ぜす して 可な り。 然 りと 雖も、 龃宗 の源始 する 

し、 し けん ざ 

所、 亦臣 子の 知らざる ベから ざる ものにして、 漢人の 軒羲を 語る 如きに あらざる なり。 

蓋し 大日 攀 貴の 德窺 測す ベから すと 雖も、 之 を 神器に 徵 すれば、 得て 言 ふべき もの ある 

が 如し。 夫れ 鏡 は 明な り、 劍は武 なり、 而 して 玉璽 は 仁な り、 信な り。 仁、 信、 明、 武、 天に 繼 

ぎ、 民に 君た る道盡 く。 故に 以て 子 孤に 遺して 曰く、 「これ を視る ことな ほ 我を視 るが ごと 

り 5 、まさ てんじゃう き は t りな 

くせよ 國祚 の隆、 當に天 壤と窮 無 かるべし」 と。 その 言の 後に 驗 あるに 因りて 以て その 

もミづ われ たいべ, しんこ みつ かう しょく ぐ しゅ 

德の 前に 基け る を 知るべき のみ。 吾閗 く、 大廟の 神 庫に 充る 者、 耕 織の 具 を 首と なすと。 

こ、 フ しょく ゆん そん せ t 

此に 因りて 之を觀 るに、 それな ほ 后稷の ごとき か。 * 孫に 至る に 及び、 跡 を 西土に 發し 整 

りよ す. osf せんん ふ いっせい か は か 」 I ベ 5 し— 

旅 東征す。 文武の 業と 異なるな し。 而 して 垂統千 葉、 一 姓替ら す、 以て 彼の 八 百 載 を眇視 

する に 足る。 其德 果して 測るべからざる なり。 夫れ 前 王の 神器に 親む と、 崇 神の 褻瀆を 

1 ぐと、 その 意 一 なり • 而 して 崇神勵 精 民 を 治め、 肇 國 の 號を虛 くせす。 風に 善く 祖德を 

繼ぐ 者と 謂 ふ 可き か。 孔子 曰く 「民の 義を 務め、 鬼神 を 敬して 之 を 遠 ざく」 と。 故に 神 

B 本 政 記 論文 五一 三 



肇國 の^— 

崇神帝 「は 

つ くにしら 

すすめら み 

こと」 

し 奉る 



陽 史 論. 



五 一 二 



禍根— 原本 

綱 根 Li 作 

る、 pti 锢 

の 誤なる ベ 

し、 而 して 

锢は禍 と 同 

字な ろ^ 以 

て、 他所の 

顧- 4 る も 

の 亦皆禍 に 

改めた リ 

詮— 選任 



黜陟の 法- 

ぎ 山 

法 



し、 宮 外の 兵 を 典 る 者 は、 乃ち 勳舊を 用 ひ、 內衞と 相 制す。 なほ 彼の 漢の 郡國^ を 以て 

まも き や、 つ ほへい :&ん じ、.' きん ぐん ゐ なん 

宮を衞 り、 京 輔兵を 以て 城を衞 るが ごとく、 唐の 元 從禁軍 をして 出で て渭 南に 屯せ しむ. る 

がごと し。 業 を 創め 統を垂 るよ 者の 爲す所 符節 を 合すが 如し。 亦 以て 明達の 一端 を 見る 

べし。 後世の 龐主、 苺に 親疎に 因り、 私に 形 迹を存 し、 天下の 心 を 服して、 禍忠の 萠を制 

する 能 はす、 皆此に 達せざる 者な り。 或 曰 ふ、 「神武 封建 を以 T 制と なし、 天^に 至りて 之 

を 革む」 と、 襄 曰く、 然ら すと。 吾 神武 東征の 議を 見る に、 言 ふ あり。 曰く T 四方 未だ 我が 

治に 歸 せす、 遂に ^ に^あり、 縣に君 あり、 以て 相凌櫟 せし む」 と。 此の 如き もの 神武の 忠 

た. r- いつ しゅち ャ 5 せ A 

ふる 所に して、 而 して 征 して 之 を蕩ー したる 所以な り。 然る 後 之が 首長 を 命じ、 新に 銓し 

たる 者 あり、 その 故に 因りて 之 を 用 ひたる 者 あり。 大和 を 以て 之 を 推す に、 その他^ 然ら 

ん。 然 りと 雖も、 政 天 造に 任じ、 甚だ 明 制 なきや 知る 可き なり。 而 して その後 漸く 旣に 弛廢 

いんし ふ あらた し ぽ く I ちつち ゆよ く かラ くわ 

因襲せ り。 故に 天智 脩め て 之を漦 め、 大に司 牧の制 を 定め、 黜陟の 法 を 考課す。 蓋し 神 

武の志 を 成し、 以て 範を百 王に 貼す ものな り • 然ら ざれば、 天^の 英武 を 以てすと いへ 

ども、 龃宗の 制 を 革め、 開國 以還旣 成の 勢を變 じ、 人國を 威し、 人世 を絕 つ、 その 幾千 

萬なる を 知らざる。 是 一 朝に して 能くす 可 けんや. * 曰く 坨 はざる なり。 



山陽 史論 



o 反 刃 者^ 

用 ひて 天下 

な 治む 



瓚衞の 任— 

御所^ 繞リ 

て警衞 マる 

役目 



日本 政 記 論文 

〇 神武 天皇 

もミ|0 、- t z。 

頼襄 曰く、 我 王 國の基 を 成す や、 深く 且遠 しと 謂 ふべ きか。 神武より 以前 は 得て 知るな し 

るるえ ふせき ミく かじ 

蓋し 神明の 齓を 以て、 累葉 積德、 西 偏に 在りと い へ ども、 遐邇 望を屬 して 而 して 之 を此に 

ゆ, r ちゃ f ごじ かいだ i- て ふぜん 

發 する のみ。 抑々 草昧の 世、 雄 長 碁峙の 時に 常り、 能く ー舉 して 海内 を定 む、 海 S 帖然、 以 



て 千 萬 年の 業 を 開く。 ^錄の 勇智、 羣 倫に 首 出す るに あらざる より は、 烏ぞ 能く かくの 



如くな らん や。 諡 して 神武と 曰 ふ、 允な り。 舊志稱 す、 帝の 德 明達 豁如、 帝 新に 諸縣を 得て、 

しょ ち. r-4J き 

之が 首長 を署 する や、 皆 疇 昔の 兵 を 抗し刃 を 反する 者, 仍て之 を S ひ、 變更 する 所な し。 

いた ベ, < あん 

その 恩に 感じて、 力 を 民に 效し、 民 亦 之 を 便 安と する、 知るべき なり。 且つ 夫れ 敏 帥の 家 

嗣を 以てして、 旣に その 降 を^ るれば、 則ち 之に 千 戈 を 授け、 委す るに 環 衞の任 を 以て 

して 疑 はす。 所謂 赤心 を 人の 腹中に 推す ものに あらす や。 然り といへ ども、 郊畿 を總領 



本 政 記 論 文 



五 1 1 



讀史 餘論跋 五 一 〇 . 

篤 綿々。 癸 卯 夏 五月。 不, 起而 死。 { 且卿之 舅 朝景衡 氏慜- 其志不 "就。 乃 使 S 門 生 續= 成 全書; 嗟 我 今 

年 近 七十; 亦旣 老矣。 豈圖徒 # 先主 之 奇遇; 更慯 „ 亡子 之 S 逝; 百 憂 所, 集。 成,, 此 一 書; 人生 處, 世; 

卒 至,, 于此; 亦 何 忍, 言。 享保甲 辰 春 二月 壬 巾。 源 君 美。 



讀史餘 論 終 



右三 册は 正德 1 一年 春 夏の 間 座 を 賜 はりて 古今 を 論じ 申せし 時の 講 章の 草本な り。 

源 君 美 

ふ ミころ こ あら か は もミ なり 

此 本書 は 懷 にせし ものなる が 故に、 字 細に して 見え わかちが たかりし を、 新 川の 平 元 成、 f 

たより 3 つ は, ひそく こう 

字 大きく 見る に、 便 ある やうに 寫 せる を、 亡 息. fpj 卿 それにより てうつ せし 程に、 功 終らす して 身 

終りぬ。 よりて 家 僮して 補寫 せしめ、 そのと し 享保八 年 十 一 月 十 一 日に うつし 終りぬ。 

文 廟篤恭 仁 厚。 雅 尙,, 懦術; 初自 n 潛邸; 曰 命 n 文士; 分,, 講 經史; 郝寒 大暑。 未 = 省 有" 廢。 1 一 十 餘年之 

間。 事 如. 出,, 乎 一 日 一 及, 嗣, 位。 春秋 已高。 深 知 = 時 政 得失。 民心 向背; 若,, 臣美; 空疏叨 辱,, 延對; 

于治亂 安危 之 要; 周悉 討論。 繼, 燭^ 跋。 語猶 未, 盡。 臣 竊懦。 庸淺 寡閗。 未, 習,, 阈體; 進對之 間。 

言乖 n 典籍; 辭 理失レ 所。 不. 副- 好 問 之 盛 意; 無, 稗- 風化 之 萬 一 ; P 暇 曰: P 閱 經 お; 開,, 列 古 病 仍 

參, 之 時事 及 近代 本朝 典故 可, 資 n 論 思, 者; 雖,, 裨官 小史; 皆卽疏 記。 積 累日 久。 遂 成,, 三 小册; 新 川 平 

元 成 前世 侍講 也。 壬 寅 之 春。 共 談,, 一時 盛事; 偶 及,, 是書; 書 1 係 n 國請. 字 勢 極細。. 若, 不, 可, 讀。 元 

成因 請 繕寫。 霄字 稍大。 便 n 于 省覽; 季子 宜卿亦 欲, f 一 本; 以爲 ^ 之 副; 及,, 其 功 半; 忽 遭,, 寒 疾; 委 

讀史餘 論^ 五 〇 九 



讀 史 餘 論 



五 〇 八 



少く 云.々— 

一 本 「少く 

抑へ らるる 

事 LL なりし 

は 誠に 謂わ; 

る 事なる ベ 

し」 

此 一 事に よ 

リ丄本 一 

「此事 に ぶ 

りて」 



すゐ せい これ たの てんか せいじ くち を 

にも 衰世 ありし 事な り。 是を賴 みて 天下の 政事 を 行 はれし 事、 口惜しき ことに あら 

X . ぶけ くわん ミ t..- だい 

す や。 四つに は、 この 人の 代より、 武家の 官途 以の 外に 高くな りたり。 當 代に 至り 

おさ いはれ き 3 しつ 

少く抑 へられし 事な りしに、 謂 ある 事なる べし。 五つに は、 この 人の 代より、 宮室 

かざ もって ほか さ 5 れい じ ぽんび やく ケ わんき こ W しゃひ. - 

を 飾る 事以の 外壯麗 になり たり。 此 1 事に より 凡百の 翫器 などまで、 殊の外 奢 is に 

. 至れり • 是も當 代に 至りて や - 儉に從 ひ 給 ひしと 見え たれ ど、 その 鱧 節 あら ざれば 國 

の 財 を 窳く耗 す 事 多き か。 六つに は、 當 家の 風 は 忠信 を 心と し儉素 を尙ぷ 事なる に、 

• 太閤 家の人々 镨第^ 人々 の 中に 雜 はり、 注々 に 三 河の 風う せて、 彼 家の 風の 如くに 

こ-ろ 九 いつはり ほこり 

成れる 歟。 心得 有るべき 事に や。 是 僞 と矜 との 二つ を. & すなり。 

た. ひだい まつだい や そ こ w おこ し, f もん 

二の 外當 代に 出来し 法の 末代に 議 すべき 事 は、 耶蘇の 事に 起り て 宗門と いふ 事を以 

^政事の 要と せらる よ 事、 その 時に 當 りて は 夷狄 を 以て 夷狄 を 治む ると もい ふべ し。 

今に 於て は 如何 あるべき。 : 



大辟— 死刑 



世 だに 傳 へられ ざり しかば、 何ぞ又 論す るに 足るべき。 ロハ 今の 世 迄 その 遣 風の 世の 

この ひ W てん 5i ぢ やうり ゃラ 

害 をな す 事の みある、 最も 議 すべき 事に や。 一つに は此. <天 下の 田 を 丈 量す るに 

こ X *n へん jjp ちゃ、 7 、! しへ せつ こ W 

古^ を變 じて 三百 步を 一 町と す。 古 の說に 三百 六十 歩 を 以て 一 町と する 事. 一 歩 を 

ぶ じつ しょく ちゃ ラ しょくぶん し 力 ノ/ 

以て 一夫 一 日の 食と して、 一 町 一 年の 食 分に あっとい ふ。 然る を かくつ r めら れし 

又當代 六尺の 繩を用 ひられし かば、 古 の 三百 步の中 

にして 六十 步を 失へ り。 民い かで 篛せ ざらん。 され どこの 法 再び 古に 復 せん 事、 井 



田の 一度 變 じて 復し難 きが 如くなる べし。 思 ふに この 人の.^ 1 せられし は、 昔の 

如く 或は ー國 一郡 一 I を あた へんに は、 六十 六 州の 地猶 たらす 思 ひて、 かくは 計ら 

ぐん はふ いっせ Ay り » . 

れし にやと 思 ふなり。 二つに は、 この 人 軍法に 因て ー錢 切と いふ 事 を 始めら る た 

せ a す しけ、.' けいざい おも ぢ うざい はい ^ 

とへ ー錢を 盗める にも 死刑に あつ。 刑 罪旣に 重くな りし かば、 重罪の 輩 を は 或は 切 

f ざん! 3 いごく もん はりつけ ひ , レ. - , , ヽ o SUMy 

腹 或は 斬罪 獄門に かく。 磔火. あぶりな どい ふ 刑で きたり。 死 は 共に 一 つなり 凶惡 

、, ?? くに た I へ 5* 

をな さん 者い かで か 死す る樣の 異同 を 問 ふべき。 かよりし かば 國に大 辟の 者 常にた 

えす。 百年の 今殘に 勝ち 殺を捨 つべ きの 時に 及びても 猶 刑の 重き、 議 せらる ベ き 事に 

1\ むす せい レ こさ t T5 

や。 三つに は、 この 人の 世より や、 信 を 結ぶ に 誓紙と いふ 事 を 用 ひらる。 是 異朝 



巷 



五〇 七 



す: 從か一 自 

2 4、 さ 本き 
き 事 下 -,^ 

し ^風自 々 

得 に ら I 



讀 史 餘論 五 六 

わ きふ L ふる まひ まこ W えい ゆ、 フ き お ほ 

毛 利と 和して 急に 師を かへ されし 振舞な ど、 誠に 英雄の 舉 にして、 氣 一世 を 蓋 ふと 

あけち のぶた か しか こう しょ ラ 

云 ふべ し。 され ど 明智を 討ちし は 信 孝の 功少 からす。 然る を 自らの 功と 稱 せられし 

いはれ しゅくら、 つら V- のぶな が » へいせい . 

事 謂な し。 宿老 等相議 して 信 長の 國を 分ち その 孫 を 立てし など 平 世に は 然るべき 

に のぶた か こ ~ ろよ し はた • ふわ / 

事に 似 たれ ど、 この 時 信 孝の 心に 快から す。 柴 田が 如き 不和な りし 事 故な しと は 

云 ひがたし。 凡て 緻田冢 の 風俗 自らの 武勇に 誇りて その 權を爭 ふ 所 ありし かば、 ^ 

y けつ こ ミっひ やぶ ひで よし ひでのぶ 九ラ のぶを, ぐあん j 、ル^ 

議 更に 一 決せす して 事 終に 敗れたり。 秀吉 の黨秀 信の 幼と 信 雄の 愚閬 なる を^. し 柴 

田 は 信 孝の 英氣 あるに 心 あり。 然れ ども 信 孝の 黨は 北陸に ありて 助 を 千里に 求め、 秀 

吉の黨 は 皆々 境 を 連ねて 相竝 ぶ。 しかも 要害の 地を扼 して 北 敵 を 待ちて 岐阜 を攻 む。 

し. S た 、い へい めぐら これ やぶ % のぶた か たに ホ 

柴 田が 兵 を 出せし に 及んで は、 速に 兵 を 廻して ま づ是を 敗りし かば 信 孝を斃 すの 

こ ミん のぶを ほろぼ し A そ たす 

事 孤 豚よりも やす かりき。 その後 又 信 雄 を 威さん とせし に、 神祖の 助け 給 ふが 故に 

わ / C のち のぶを し. o* み €9 その ほん 

その 志なら すして 和平に はなり たれ ど、 後に 信 雄 を 退けし 心 を 以て 見る 時 は ^本 

ぼ 5 お し は; i のぶた か ゎポ 

謀 推して 知るべし。 柴田旣 に 亡び 信孝弑 せられし に 及んで、 やがて その 國々 を 我に 

組せ し 人々 に 割き 與へ しかば、 自ら その 下風に 從ひ 得たり き。 丹 羽 長秀が 自殺せ し 

かれ t め は お ぼ てん よつ . 

など、 彼が 爲に うられし 事 を g ぢし とぞ覺 ゆる。 され ど その 天 報に 因て その 家 二 



に は、 信 長 旣に奧 の 地まで 平け しに やと 思 ひ、 又 家人 等が 悉く 九 國の故 家の 名を稱 

し 受領せ し官 を、 柬國 のも^ 馬 I! など 商 ふが 歸る さの 物語に 閗き 及び たら んに は、 

信長旣 に九國 の-地 を倂 せられし にやと 思 ふべ し。 されば 西國の 人々 へ は 柬國の 馬 ii 

おく ミ 3 は, 3 い こく さんぶつ おく せんせい ゐ 

を 贈り、 東方の 人々 へ は 異國の 產物を 贈るな どせられ し。 是まづ 先聲を 以て 人を畏 

ふく き け ふ ふん せう に をび やか こミ ひで ょレ 

服 せんとの 謀に て 有りし なり。 是も亦 鬼 頰を扮 して 小兒を 劫す に 異ならす や。 秀吉 

て-' せん これ に はべ 

の 朝鮮 を 討た. れし 事、 , 是に 似た る 事 侍るな り。 

ひで よし てん か 

〇 秀士ロ 天下の 事 

ひっぷ おこ たなごころ •* これ しょ 5 わが 

この 人 匹夫より 起り 天下 を 掌 にし 給 ひし かば、 世の 人 是を稱 するな り。 かよる 事 我 

てラ 象れ い てラ すくな S き ラん じょ ラ 

朝に て は 希な りし かど、 異朝に は そのためし 少 からす。 但し 時の 運に 乘 せられし に 

よれる か。 その 故 は、 この 時亂臣 賊子 天下に 首 をなら ベて、 た r 勇 材詐謀 ある 人の 

fc っミ じ Ay ち、 フ か、 3 こミ かつ し ミき 

み 尙ぶ事 を 知りて、 仁義 忠孝な どい ふ 事 は 曾て 知らざる 時に あ ひ 給 ひし かば、 時の 

ラん じょ ラ えた ま のぶな が たいおん も ミ おこ へい. o か 

運に 乘 する 事 を. 得 給 ひしな り。 されば 信 長大 恩の 下に 身 を 起して、 その 兵威 を假り 

ちう ごく ちん ゑい すで つよ くじ ミ あけち のぶな が しい 

て 自ら 中國 の鎭衞 となり、 兵 旣に强 く 國旣に 富めり。 明 智が信 長を弑 せし を閗 きて、 



卷 



十 二 



五 〇 五 



讀史餘 論 五 〇 四 

ま さ しき 伯 心 ありて 伯 功 を 立てし 人 は秀吉 にやお はすべき。 この 人 は每, 事 信 長の 故 

智を用 ひられし かど- 速に 功の 成らん 事 を 思 はれし にや、 信 長の 如くに 故. 家の 大小 

み 1-3 ,7 ほろぼ へい ゐ ふく こくぐん 

名 悉くに 討ち 減さん と はせられ す。 兵威に 服せ しをぱ その 儘に 國郡 を與 へられき。 

さがみ ほうで う つ ひ ほろぼ しるし しま づ ほうで ラ 

ひ I り 相 摸の 北條 をのみ 終に 亡され き。 されば その 功 も 速に 驗 ありぬ。 島津、 北條に 

ちょくし しょ、 3 てんし さしはさ 

贈られし 書, 皆 々勅旨の 由を稱 せらる。 全く 是 天子 を 挾む の 事な り。 され どこの 時 

たれれ い し * づ ほ 3 で. f f 

誰か は 天子の 令 をつ- - しむ 事 を 知る ベ き。 その 故に 島津、 北條 更に その 旨に は 應ぜざ 

おも き めん よそ ほ せラに おさ 

りき。 思 ふに 鬼面 を. 粧 ふて 小兒を 怖す が 如くに て、 かたはらいたき 事 どもな り。 い 

しんそ しんぶ てんか ふく のぶな が だいな 2 ん 

かで 我が 祌祖の 神武 を もって 天下 を 服し 給 ひしに は 及ぶべき。 信 長 自ら 大納言の 大 

のぶた ビ あいだ の の ひで よし ちく ザん のか ふ か はじり 

將 になり て、 子息 信 忠を秋 田 城 介 に 任じ、 そ の 家人 秀吉 を筑 前 守、 河 尻 與兵衞 を 

ひ ぜんの か, はな は はら だ ぴ つち, のか & やな だ さ こんの しゃ J 'けん 

肥 前 守、 ド问九 郞左衞 門 を 原 田備中 守、 梁 田 左 衞門太 郞を別 喜 左近將 監に仟 す。 世 

の 人 信 長 西 を 一統 せらる べきとの 志 を 示さる i など 3. すか 某 思 ふ 所 は然ら す。 こ 

れらを 以て その 詐術 を 見る ベ き 事に や。 その 代に は 戰國の 最中 なれば、 東西 路 塞り 

わ, つらい た、 ひじ でんぶん よ 仁 いり やく し そく 

て 往来た やすから す。 當 時の 事 傳閒に 因りて た r 其 大略 を 知る のみな りき。 先子总 

秋 田 城 介に 任ぜし 事 を、 四 國九國 中 國の者 北ハ京 堺 の商賈 等が 便に 傳 へ 閒 きたらん 



自皡 し 民 也 之 子に 驩 
得々 む皡 、民に 同 虞 
の 1 。如 王驩 つじ I 

m 廣 也 者虞覇 、歎 
大 し 之 如 者孟娘 



たる 故にて、 賢 を 賢と し 親 を 親と する は魯の 君子 多き いはれ なり。 伯 者の 民の 驩虞、 

王者の 民の 皡々 などい へる も、 かよる いはれ なるべし。 この 事の いはれ は、 小牧の 

戰に池 田が 首 獲し 時、 信 雄 永 井が 功 を 賞 せんと 有りし を、 神祖 のこた へ 給 ひし 所に 

しんそ おもん はかり ご かん くわう お たま 

てよ くく わき まへ 知るべき 事 か。 神 祖の慮 を 思 ふに、 後漢の 光武に 似させ 給 ふ 

所有り て、 宋の 太祖に は 超えさせ 給 ひし 所 侍る か。 伯 は 長な りと 見え たれば、 諸侯 

の 長と なりて 天子 を 抉んで あ を發 する 人 をい ひしなる べし。 是は國 富み 兵强 きに 

くわん ちう せいくわん たす 

あら ざれば あた はす。 されば 管 仲 か齊梪 を輔 けし も、 ^術 を 用 ひしと みえたり。 た 

こ、 7 JBa! お ほ さりよ く もち じんぎ か より ミ.. P てんか 

だし^ 功 をな す 故 は、 多く は 詐カを 用 ひ 仁義 を假れ ると ぞ 見えた る。 賴 朝の 天下 を 

ろん はじ ゆつ 仁 うじ さ w ちゃ ラ 

しられし は、 その 心 を 論 すれば 伯 術に 出で たれ ど、 當 時の 事の 如き は、 長た るべき 

しょこ 3 たか うぢ もつ は てんか てんか は しゃ 

の 諸侯な し。 尊 氏の 如き も專ら 天下 を 挾んで 天下に 令せられ しかば、 伯 者の 事に も 

似 たれ ど、 その 代の. K 名 皆々 自らに 功 ある 者に 國郡を 割き 與 へられし 所 なれば、 古 

のれ^の 如きに も あらす。 信 長 はもと 幕府に も 陪臣に てお はせ しが、 一 時に 公ガを 

よく;. 1 い *• で い て. ん. ^ てんか れい 

翼 戴して、 其 功旣に 成れる に 及びて 是 をば 忌みて、 直に 天子 を 挾んで 天下に 令 せん 

はん w を は は はか こう 

とせられ しに、 その 功华途 にして 終りぬ。 所謂 伯 を圖 らんと して 功なら ざるな り- 

卷 十二 五 〇ln 



讀史餘 論 



五 〇 二 



兵^ 起せし 

I 「兵」 字 一 

木に 據リて 

補ス 



斗 宵の 人 I 

器量の 小さ 

文 



JSI 霸の意 



も^くは 大名に て、 國郡を も 傳へ領 せる 人々 なれば、 世の 人彼識 鑒を稱 する 事 一往 

の 謂 あるに 似たり。 され どこの 中柴田 佐々 二人の み、 信 長う せ 給 ひし 後に、 その子 

f ためい へ ほろぼ ひで よし たす し そん 

息 等の 爲に家 を も 身 を も 亡し き。 それより 外の 人々、 皆秀吉 を 助けて その子 孫 減せ 

し はた ちラ せつ おも へい おこ お ぼ 

し 人に あらす や。 柴田 佐々 といへ ども、 その 志 誠に 忠節 を 思 ひて 兵 を 起せし にや 覺 



朿 なし。 その 故 は、 柴田 はもと 信 長の 弟武藏 守の 家人な りしが、 信 長に 志 を 通じて 



ひで よし あ 



さ f のち ひで よし くだ つ ひ ち, rs 

その 主う しな はせ し 人に て、 佐々 は 後に 秀吉に 降りて 終に 誅 せられき。 秀吉 の舉ゅ 



用 ひられし 人々 は淺 野、 福 島、 兩加 藤、 さて その 餘は五 奉行の 帑 なり。 饯野 等の^ は 

ぶぎ や 5 I € f 

暫く 置きぬ。 五 奉行の 如き はい は ゆる 斗膂の 人、 かぞ ふるに たらざる 所な り。 た r 

よく 英雄 を駕馭 する の才 おはせ しな どはい ふべ しゃ。 それ も その 世に^え し 人々 翼 

せい えい i& う き & しん らんせい かんゆう しん モ 

正の 英雄に は あらす。 君 も臣も 所謂 亂 世の 姦雄 にて ありし なり。 いかで 我が 紳祖の 



將士の 皆是れ 忠臣 義. H なる が 如くに は 有るべき。 然るによ く 世に いひ もてはやす 事 

のぶな が ひで よし さ わ しんそ 

は、 信 長秀吉 は國郡 多く 功 ある 者に 割き あた へられし を 聞き 傅へ て、 我が 神祖 のし 

かお はせ ざり し を、 彼の 人々 に 及び 給 はぬ と 思 ふ^: どもの いひお きし を, 世に 傳ふ 

し 八 ぼ .<..*! 人り よ こ ミ し こ, 7 せい a 

るな り。 我が 神祖 深謀遠慮 おはし ませし 事 をば いかで 知るべき。 功 を 責ぶは 齊の伯 



れ 二つ。 其國四 通の 地に して 京師に 近く、 かつ 足 利殿數 十代の 餘光を かりて 起ら れ 

しかば、 威^ 天下に 及ぶ。 是 三つ。 秀吉其 孤 子 を 欺きて 國 をば 奪 ばれし かば、 その 



組みせ し 人々 皆是信 長の 舊臣 たれば、 さすがに その子 孫 を 絕ん事 も不, 叶。 況てゃ 我 

しんる ひで 上し き 5 かう わす し そん こくぐん 

が 神 祖秀吉 に 代り 給 ひ、 舊好を 忘れ 給 は ざり しかば、 今に その子 孫國郡 をも領 せら 

お、.' じ ん てんか しラ か 

る。 是れ 四つ。 すべて 應 仁より この 方の 亂に、 この 人の あらぎり し 天下の 衆 を驅り 

て、 我が 神祖の 掌握に 歸せ しむる にあら すば、 いかで 今日の 泰平 をば 致さるべき。 

こんにち こくぐん だい, C ャラ ほ 9』 の ふなが 

それの みならす、 今日 國郡を 多く 領 せし 大名と いはる よ 程の 人、 皆 是れ信 長の 下-に 

おこ じ こ-ろざし J そん 

身 を 起さざる はなし。 是れ 五つ。 かよる 事に よりて 一時に 志 を 得て、 今に 子孫の 

, たえざる にや。 

世に は 信長秀 吉識, 人の 鑒 おはせ しと 中す 歟。 某が 思 ふ 所 は然ら す。 秀 吉識, スの鑒 

のぶな が のぶな が し たま ミころ しんさい ひで よし 

大きに 信 長に は 及ばれす。 信 長の 識り給 ひし 所 も 皆 是れ莨 才に, は あら ざり き。 秀吉 

&っ ひで てんか みつひで ころ ひで よし 

光秀 共に 天下 を 知れる 人な りと 申す か。 自ら 光秀が 爲に 殺され、 その 孫は秀 吉の爲 

ほろぼ し に は しほた たき か は さっさ ♦* へだ いけ だ 

に滅 さる。 豈に人 を 知り 給 ふと はいふべき。 かつ 丹 羽、 柴田、 瀧 川、 佐々、 前 田、 池 田、 

ほり feh. くろに や *4 のうち のぶな が そつ 2 し そ, < 

堀、 森、 黑田、 山 €: の 類、 皆々 信 長の 卒伍の 中より 皋ゅ用 ひられし 所な り。 其 子孫 今 



卷 



二 



so 一 



讀 史餘. 論 



五. 〇〇 



こくし み く ほろぼ しゃていの ぶかね 

伊勢の 國 司の 子と なして その 一 族を滅 し、 舍弟信 包 三男 信 孝 等 を 長 野 神戶の 養+と 

して その 所領 を 奪 ひ、 我 妹 を 嫁して 淺井を 亡し、 我が 娘 を 嫁して 岡 崎 殿を讒 殺し、 武 



田が 兵 を ゆるく せんとて、 その子 源 三郞勝 長を與 へらる。 父子 兄弟の 倫理 旣に絕 え 

あ ふ よしあき はやし さくま, フ ゑ もんの じゃラ 

し 人な り。 その 主と 仰ぎし 義 眧を遂 ひ、 林 佐 渡 守、 伊賀 伊賀.^、 佐久閒 右衞門 尉 

し- *i ろ ほくだい きラ ゑん なが るつ ひ, C ぎ や ベ ぼ ,7 

が 如き 年頃 功勞 莫大な りし 者 共、 皆々 舊怨を 修めて 是を 流しす つ。 是 光秀が 逆 謀の 

くんしん ざ よしてる ころ 

よりて 起り し 所な り。 是れ又 君臣の 義を しられざる 所な り。 まして や 義輝を 殺せし 

や 



賊を 討た れんと 揚言して、 初に 義繼 久秀が 降る をう け、 且 へ 國郡を 釗き與 へ らる。 

み さ t き ゑち ビん あさ くら へいりょく よしあき たす * くしん 

江の 佐々 木、 越 前の 朝食 等の 兵力たら すして 義眧を 助け ざり しかば、 さして 贼臣 と稱 

して 是を 討ち ほろ ほす。 刑 賞 一 一つながら あたら ざるに 似たり。 

きょ、 f ぎ やく ひミ しほら t はれ 

かく 凶 逆 の 人の 暫く その 志 を 得て、 しかも その後 絕 えざる 事、 その 謂 おるべし 世 

に傳 ふる 所 は、 此人小 松 内府重 盛の 後な りな どい ふか。 その 事實 ならん に は、 彼. s 

ふよけ い ぉラ仁 ん らん- *; せん ミラ この みんりょく ひ r つか 

府 の餘慶 ともい ふべ し。 是 一つ。 應 仁の 亂 後世の 人 戰鬪を 好みて、 民力 日々 に 疲れ 

こく ざい ミぼ びん ごの か A のぶひで. * く ザ 5 ふ. 1 き や, . ^5*^ 

國財 日々 に 乏し かりし に、 備後守 信 秀沃饒 の 地に 據 りて 富 强の術 を 行 ひ 耕 戰を事 

とし、 兵 財 共に 饒 なりし に、 信 長 其 業 をつ ぎ、 英雄の 士を 得て ki: 戦の 功 をた つ。 こ 



あ は ♦* つなが み の さい ミ、 ク ほん レ, r- べっしよ 

其餘 阿波の 三 好、 松 永、 美 濃の 齋藤、 播州の 別 所、 近 江の 淺井、 和 田、 荒木が 如き 猶多か 

てんせい ざんにん さ りょく ^はり よく 

り。 すべて この 人 天性 殘忍 にして 齚カを 以て 志 を 得られき。 されば 其 終 を 善せられ 

みづか ミ ふ か、 r- 

ざり しこと、 自ら 取れる 所な り。 不幸に は あらす。 

のぶな が .0 めい こミ よしあき よしあき 

信 長 天下に 威名 ありし 事 は 義眧を 奉ぜられし によれり。 但し その 志 を 得し 後、 義昭 

を廢 せんと 思 はれし 事 は 明かなる が、 義眧を 京都に 入られし 後、 やがて 禁裏 を 修造 

して 、公家の 人々 の絕 たる 家 を 起さる。 且は 義眧を 諫められし 十七 條の 第一に、 御 

參內之 儀、 が源院 殿御 無沙汰に 付、 累 ねて 無,, 御 冥加, 次第 候。 侬, 之當 御代 年々 無,, 

たい じゅらく れ、 れ y たいてん く もったい じ 

懈怠, 檨 にと、. 御 入洛の 刻より 中 上之處 に、 早 被 ,, 思 召 忘; 近年 御 返轉、 一 無,, 物體, 存候 

事と 載せられたり。 すべて はこの 諫書、 義 §: 口の 爲に 忠盡 されし と は 見えす。 義 IF の 

惡を 世に あら はさんとの 謀 とみえし。 されば 義眧も 其 怒に 堪へ すして 兵を孿 ゆら 

る。 是則 天子 を 挾んで 天下に 令すべき の機旣 に顯れ しに あらす や。 秀吉 その 故智 を 

用 ひて 朝 威 を 借り 私家 を營 まれき。 されば 信 長の 義 §: 口 を 扶持し、 秀吉 の信忠 の男岐 

ふ さの よくたい ざんじ さ ぼ、 3 か 

阜殿を 翼 戴せられ し、 皆是 暫時の 詐謀 にして その 名を假 らん 爲な るべ し。 

凡 は 信 長 初に 我 母 を 欺きて その 弟 を 殺し、 父の 跡 を 悉く 倂 せとり、 その後 我 子して 

卷 十二 四 九九 



J 二 守 
$ 本此 



讀-史 餘論 墨 四 犬 八 

ぷ ぎ や,,.' いなほの かみ ミラ 13 ゑ もん ** さた だんじ や 3© 

三 奉行と いふ あり。 因幡 守、 藤左衞 門、 彈正忠 とい ふ。 皆 織 田と ぞ名乘 りけ る。 弾. t 

ち 5 びんな のか & これの ぶな が :£> つがん 

忠は 後に 備後守 とい ふ。 是信 長の 父な り。 信 長が 駔は 月巖と 巾せ しが、 その子 五 人、 

びん 2 のかみ まご らう ラ ゑ もんの じよう のぶな が けいてい 

備後守 與ニ郞 、孫 三郞、 四 郞ニ郞 、右衞 門尉是 なり。 信 長 二 男に て、 兄弟 凡て 十 一 人 

のぶな が のぶひで わかちり ゃラ いなほの かみ ひこ ら あざむ 

まで ありき。 信 長 十六の 時 父 信秀は 死す。 其 跡 を 分 領 し、 因幡 守 彥^ 郞を紿 き 殺 

きょす 、,ほ さ tli^f 郴 .ffar をき, ゥ きこ 一一 き; UK を S . しゃてい.^. ん ら 5 のぶ » き 

して 淸洲の 城 を 奪 ひ 取て 住す。 は tlg おきお^^ その 明年 舍 §fe 十郞信 行 を 欺 

ころ .0 り や、 つ ム. 3 いへ ほろぼ いはくら - しろ 

き 殺して、 父の 遣領 悉く 幷せ 取り、 まぜ 伊赘 {.K か 家 を 亡して 巖 倉の 城 をと る。 二十 

六 歳の 時、 今川義 元と 戰 ひて 彼 を 討 たれし かば、 武威 旣に さかりに 成りて、 Iffi^s 

くに た ひら ほさ -S3 のの くに よしあき たの 

國を 悉く 平け て、 程なく 美濃國 をも倂 せらる。 その後 義^ 將 軍に 頼まれ 參ら せて、 

つ ひ てんか りゃう ミころ き ない しう ミぅ かい いが い 

終に 天下の 事 を しられたり。 され ど その 領 せられし 所 は、 畿内 五州、 柬海 は^ |?C 伐 

せ しま を はり かひ ミぅ さん みの ひ だ しなの か 3 づけ ほくりく ^ち ザん の ミ 

勢、 志 摩、 尾 張、 甲斐。 東 山 は 美 濃、 飛 興 信 濃、 上野。 北陸 は 若狹、 越 前、 加賀、 能 登、 越 

さんいん たん- * 一 たじ ** さんやう は, り なんかい の 

中、 山陰 は 丹 波、 丹 後、 00. 因幡、 山陽 は播 磨、 備前、 備中。 南海 は 紀伊國 に 至り て 一 一 

十八 州ば かり もや^るべき。 かよりし かば、 古より 閒 えし 人々 の 家族、 この 人の 爲 

ほろぼ ^を あしか ビさ の ほ じ いせの こくし !5J く 

に 減され し 事 あけて 數 ふべ からす。 先 づ足利 殿の 御 事 は不, 及,. &、 伊勢 國 司の 一 族、 

さ { ? かく わかさ か ひ たけ だ ひ だの こくし あさ くら ろる だい きこ だいみ や ,つ 

佐々 木 六角、 若狹 甲斐の 武田兩 流、 飛 驊國司 朝 倉、 是等は 皆 累代 世に^え し 大名 也。 



六 家, 11 本 

「六 家老」 



家 武ぷ下 其 〇 
—信 

! 字 つ: & 
斯もー I 論 
波 リ本此 



按す るに、 始め 元! S 元年、 .K 阪の事 起り しょり、 この 年に 至りて 十一 年に て事定 り、 

信 長の 兵威 を 以て 是を 亡す 事 かな はす。 終に 勅諭 を 得て 事 平ぐ。 是ょ りさき 尾 州 長 

I* * く か のおな が つ だ お ほす A のか A のぶひろ 

島の 一 族 起り て、 四 年に して 勝つ こと を 得たり。 されば 信 長の 舍兄津 田 大隅守 信 廣、 

しゃてい はん ざ ゑ もんの じょ ラ ひで なり じうて いつ だ いちすけ のぶな り うぢい へ の ぼく ぜん はやし 

舍弟 半左衞 門 尉秀 成、 從弟津 田 市 助 信 成、 氏 家常 陸 介入 道ト 全、 林 新 三 郞を始 とし 

て、 討た るよ 者數を しらす。 柴田勝 家、 伊. 賀 伊賀 守 等疵を 蒙れり。 是ょ りさき 加賀 

ま がしの すけ いへ いっかう し、 ク ほろ ゑち ぜん あさ くら か し, r- かラ やから たび t 

の 富 樫 介が 家 も 一 向 宗の爲 に 亡びぬ。 越 前の 朝 倉 も 加州 一 向の 族に 苦む 事 度々 に 及 

ちか わがしん そ みや ふ み よ はじめ ミラ ぱい た 

び、 近く は 我 神 祖も此 事に よりて 國 殆ど 危 かりき。 されば 御代の 始に 東西に 分ち 給 

せきすん こく くん てき 

ひて、 少しく 其 勢 を 抑 へ 給 ひし かど、 尺寸の 地を領 せす して 一 一流 猶國 君の 富に 敵す。 

最も 心得 あるべ き 事に や。 

か ひの くに たけに かつより ゴ! 41 のぶかつ .r ついたち みけち 

十 年 三月、 甲斐 國を 平沙 て、 武田勝 頼 ザ 寸信勝 t 父子 をラ つ。 六月 朔日、 明 智日 向 守 I 

みつひで レぃ 34- のぶた r で、 フ ^ しょ じ さつ 二 -r 

光秀が 爲に弑 せらる。 ぞ 信 忠ニ條 の 御所に て 自殺。 ゃナ 

あしか ぐさの くわん り や、 r- ぶ *j い を はり S ち ぜん しゅな 

按す るに、 足 利 殿の 管 領 の 其 一 つ 武衞は 尾 張、 越 前、 遠 江 等の 守護に て 有りけ り, 其 

を はり ぐん しも ぐん お だ や ♦* ミ のかみ つかさ しゅ ぶ る! い きょす しろ 

內尾張 八 郡 を 分ち て、 下 四 郡 は 織 ffl 大和 守 司 どり て、 主の 武衞 と共に 淸洲の 城に あ 

お < だ r のぶやす つかさ いはくら 统 CDiff;.5.1 ゝ や ミ のかみ 

り。 上 四 郡 は 織 田 伊勢 守 信 安司 どり て、 巖 倉の 城に あり。 ,ナ 大和 守の 下に 

卷: 十二 四 九 七 



讀 ^餘論 四ん 六 



ぞくさつ ふ ゆ やす ざんさつ つ ひ よしつぐ く a ラょ 

はし、 長 慶が耄 せる に 及びて、 義長を 毒殺し、 冬 康を讒 殺し、 遂に 義繼 と共に 公方 義 



輝 を弑し 奉 る。 然るに 信長義 昭を泰 じて 賊臣 を誅 すと 聲 言し、 遂に 義繼久 秀が降 

こくぐん さ あた よしあき かれら つ As ミ よしつぐ 

を 受けて 國郡を 釗き與 へ、 義昭 をば 逐ひ 出して、 彼等 をば 罪 を 問 はす、 義繼 はつひ 

ため ころ まつな が そむ これ ほろ 

に その 臣の爲 に 殺され、 松 永 かさねて 叛 きしに よりて 是を誅 す。 彼等 二人が 亡びし 

事、 その 罪に は 非す。 信 長 逆臣 を ひ きゐて 義眧 に忠 ありと いひ、 義 SF 又 彼等が 罪 を 

は さも いた^ あた , け じん しょ ミ めいけ う みだ 4*- 一 ミ らん 

不レ 問、 共に 天 を 戴かざる 仇 を 以て 御家人と 稱 せらる。 かく 名敎の 亂れし 事、 誠に 亂 

世に て は 有りけ り。 かよる 世の 習 はしな りし かば、 君 を弑し 父を弑 しても, 戰に臨 

ゆ, 7 たつ ミ のぶな が >e つ ひで しい し そくのお 

みて 勇の ある をのみ 貴ぶ 事に て 有りし 程に、 信 長 もやが て 光秀に 弑 せられ、 子息 信 

たか ひで ょレ しひ のぶ を ひで よし 

孝も秀 吉に弑 せられ、 信 雄 も秀吉 にかたむ けられ 給 ひき。 あさまし かりし 事 どもな 

り。 

-5fc ひで よし はり * ひで よしち 32 く たま の * 

松 永 討れ し 月、 秀 吉に播 摩を與 ふ。 秀吉中 國を皆 賜 はるべし と 望みし かど 許されす。 や 



がて 但馬國 を 平 ゆし かば、 中 國の事 を 許されき。 六 年、 荒木 攝津守 村重攝 州に て叛き 

たん tt fj んし 5 おほさ か もん ザき くわ 3 さちょくし 

し を 討ち 平け、 七 年、 丹 波 平ぐ。 八 年、 播州 平ぐ。 ことし 大阪の 門 ま 光佐 勅旨に よりて 

和平して、 紀 州雜賀 にう つる。 



のために ほろ ほさる。 

み XL ^ がさ はら 4*2 らラ なが ふさ あ はの しゅ |*) 

按す るに、 三 好 もと 小 笠 原 長淸が 二 男 孫 ニ郞長 房が 後な り。 阿波 守護と なりて、 始 

めて 信 州より 移り、 三 好と いふ 所に 住せし かば 三 好と 名乘 たり。 是長房 八 代の 孫 信 

のの かみよし なが あし か^さの ほそ か は こく 

濃守義 長が 代の 事な りと ぞ。 足 利 殿の 代と なりて、 細 川 四 國を領 しければ、 その 下 

みく み よし らラさ まもん のじよう ゆき ながもち もミ さラ せい た らう! 3 ゑ もん ゆきよ し 薛 

に屬 し、 三 好 二 郞左衞 門 尉 之 長 持 元に 從て 早世し、 その子 太 郞左衞 門 之 慶^ 

ちく ぜんの かみな がて る き 、フん しも ふさの かみな が ひで さつ *4 のかみ もミ ながに ふだ 、つかい、 7 ん 

その子 筑前守 長 輝 入道 希 雲、 その子 下總夺 長秀、 その子 薩摩守 元 長 入道 海 雲、 其 長 

し S りの たいふ ぶ. <VJ のか ふゆき ミら tpa- に ふだ. < 'じっき ラ あたか ぎ ふゆ やす そ 

子 修理 大夫 長慶、 二 男 豐後守 之 虎 ほ 5。 入道 實休、 三男 安宅 木 攝津守 冬康、 四 男 十 

が, 5 の か ザな が ふゆな が あたか ぎ の. 5/ ち. あは いちの &ゃ a ざ は ゆん しラ 

河 民 部少輔 一存、 五男 野 口 冬 長と いふ。 淡 州の 安宅 木、 野 口、 阿波の 一宮、 井澤 讚 州 

の 十 河、 皆是三 好の 一 族な り。 長慶が 子義長 死せ しかば、 十 河 一 存が子 を世嗣 とす。 

よしつぐ にふだ 5 ながて る しん 2 らう まさな が 

是左 京大 夫義繼 なり。 宗三 入道と いひし は、 長 輝が 五男に て、 初 は 神 五郞政 長と い 

の さ だきよ て, 7 かんさい が V いなほの かみ かずた ふ !0 さん 

ふ。 その 嫡男 下野 守定淸 釣竿 齋と號 し、 二 男 因幡 守 一任 人道して 爲 三と いふ。 又 

かいうん まさ ふ 3 やすなが せ ふがん ち h く. ITS ラ き 、ひん なが ひで y お 

海 雪が 弟 日向 守 政 房、 山城 守康長 入道 笑 巖と云 ふ あり。 凡 三 好 嫡流 は 希 雪 長秀 洵 

雪、 長慶、 義繼 五代 世に 顯 はる。 その 餘は宗 三, 笑 31、 實休等 世の しれる ところな り。 

** つなが か じん たラじ かん §ラ ながよ し てんか ^h. 

松 永 は |=。 長慶が 家人に て當 時の 奸 雄な りしが、 初め 長慶を 助けて 名 を 天下に 顯 

卷 十二 四 九 E 



饋史餘 論 四 ■ 九 四 

じんた ら を たん 2 のかみ ひたちの すけ ぬ t よしつぐ ミ ものり 

人 多羅 尾 丹 後 守、 同 常 陸 介、 沼 左 京、 義 繼を弑 して 信 長に 降る。 四 年 十一月、 北 畠具敎 

のぶ もミ ミら のぶな がきたい せ ぐ< 九い ろく かん y しも ふさの か& 

父子 三人 を 殺し 信 意を幽 ふ。 初め 信 長 北 伊勢 八 郡 を 攻めと り、 永祿 十一 年、 神 戶下總 守 

わ へい のぶた か や ラレ しゃて ひ &ラ ながの い 

と 和平し、 三男 信 孝 十 一 歳な りし を 彼 家の 養子と なし、 その 年 又舍弟 三十 郞を長 野の 家 

f か, C ベ くら ラタ いも ミ むこ ながの か 5 づけの すけの ぶかね こくち,,.' し 

督 とし、 神戶藏 人が 妹顰 となして、 長 野 上野 介 信 包と 名のらす。 かくて 國 中の 士を かた 

こくし ; i ものりお ほか-つち しろせ わぎ か f のぶを のぶ 

らひ、 國司 具敎. K 河 內の城 を 攻め、 やがて 和議 を 講じ、 同 十二 年に、 二 男 信 雄 f! を 信 

まさ はい か ミく ミ ものり なん 

雅 ?ザ の 女に 配して 家督と なし、 天 正 四 年 十 一. 月 I 一 十五 日に、 たばかりて 具 敎竝に 一 一男 

長 野 御所、 三男 式部 少輔 及び 三 歳と 一歳と に 成りし 男子と、 坂 內兵庫 頭 f| 。又^ 河. s: 一 

^く、 %3fsHi?o きたば たけ ^く じん ころ のぶ i3 たす 

かし、, に て 族、 坂內 一族 jigs。 その外 北 cB の 一 族 十三 人 こ i かしこに て 殺し、 信雅 をば 命 助けて 铈 

— .js- きた ほた け ちか ふさ あ^よし あきやす &っ trl のり ミ. b まさ ミ も むらち か はる? o も ミも のり 力お まさ 

に 豳リて 稀 へお く。 北 畠の 家、 親 房の 三男 顯 能より 顯泰、 满雅、 敎具、 政 具、 村 親、 睛具、 具敎、 信雅凡 

ふ て 九 世 二百 四十 四 年に して 一時に « びぬ。 針 九 §111。 £ 年の 春、 紀州 平ぐ。 十 

やま ミ しき ぉミ ひさ ひで ひさみつ た Q ぶ 

月、 大和 信 貴の 城 をせ め 落す。 久秀久 通 自殺。 初め 三 好義繼 と共に 帛 山 高攻を 威し、 信 

なが はたけ やま きた ひさ ひで し き ひさ A ち た もん こも てんし 

長 畠 山 を 助け 來り しかば、 久秀志 貴に いり、 久通は 多 門に 入りて 籠りし が、 天 正 元年の 

はる もん しろ fc てまつ ふ し ミも くに おほさ か しろ てん XI うじ ^1 

春, 多 門の 城を獻 りて 父子 俱に 降れり。 此年、 大阪の 城 を 攻めん とて 天 王 寺に 陴せ しが、 

し * き しろ ほんぐ わん じ さいが のぶな が のぶ tr 

志 貴の 城に 引き返し、 本願 寺 竝に雜 賀の者 ども を かたら ひて 信 長に そむきし かば、 信忠 



氏 綱に 屬し、 氏 綱 管領と なりし かど、 天下の. K 權 悉く 長 慶が 掌握に おつ。 かくて 

晴元 をば 攝州普 門 寺に とらへ、 氏 綱 を も 淀 城に 移し、 陪臣 國命を 執りし かど、 又 そ 

♦* つな 力 力ん ぼ、 7 し てい 5 しな よしつぐよ してる やま 

の 家人 松 永が 姦謀 によりて その子 弟 を 失 ひき。 其 子 義繼義 輝を弑 し參ら せし に、 山 

しろの かみ る さんに ふだ 5 ぎゃくせつ よし ひで のぶな がよ しあき 

城 守 日向 守爲三 入道 等 その 逆 節 を 憤り 義榮 を迎 へしに、 信長義 眧 を 奉じて 主と せ 

しこで の 力 よしあき のぶな^ ちしか^ 

しか は 義榮 四國に 遁れて 卒せら る。 又 程なく 義&ロ も 信 長の 爲に 逐れ て、 足 利の 家 

ほろ, のち よしつ _ ぶ け にん まつな がの ぶな が to 'ぶ じ さつ あしか ビ^の 

亡 ひぬ。 後 又 義繼も 其 家人に 殺され、 松 永 信 長に 敗られて 自殺す。 されば 足 利 殿の 

> わんり や 5 よわ つ ひ ほい, J 八 ほろ ほそ か は せ 》4 

家 は 管 領 の爲に 弱められて、 終に 陪臣の 爲に 滅びぬ。 細 川が 家 も その 家臣に 逼ら 

め いしん & ふく ぎゃく !0 ふ る み よし まつよが まろ 

れて 又 陪臣に 威 福を恣 にせら る。 偖 その 逆 威 を 振 ひし 三 好 も 松 永 も 又從て 5j びし 

* こ W これなん ぢ いで な A: ぢ 

事、 誠に 是爾 より 出て 爾 にかへ るの 理とぞ 見えた る。 

てんしゃう のぶな が あさ くらよ しか ゆ が 、つし、 フ あさる な?' ま さ ひさ まさ 

天 正 元年 八月、 信 長 越 前に 向 ひ、 朝 倉 義景を 減し、 遂に 江 州に 至りて 淺井長 政 其 父久政 

V«B7 ラ ちた ひら さ i き よ t すけ &辭 な ** づん よしす け さ. 《 さ 

^や を 討 平け、 佐々 木義弼 £i 。が 鯰 江の 城 を 攻め 落しければ、 義弼 落ち行き、 佐々 木が 

*Z3 ち む 力 たかま さ ぎゃくしん & ょレ さき や、 I 'のた、, 1 ふ よしつ ひ、 ナ 

家 も 亡 ひぬ。 十一 月 河内に 向 ひ 畠 山 高 政が 逆臣 等 を 討ちし に、 三 好 左 京 大 夫 義繼が 【豕 

卷 十二 四 九 11 一 



讀史餘 論 四 力 二 

& いし、 フ よし ひで よし くわ., く よし あ、 い、 7 レ 

み ゆ。 藝州 にて うせられし 由 を 申すな り。 又秀吉 の關 白と なられし 事、 義眧の 猶子 

として 將軍 とならん と 謀られし に、 その 族 姓を賤 みて 許され ざり しかば、 菊 亭の晴 

すゑ は^ くわん はく よしあき ま, フ 

季と 謀りて 關 白に は なられし とい ふ。 この 事を義 眧 のおろ かにお はせ りと 申せ ど、 わ 

れ はしか は 思 はす。 

初め 尊氏將 軍と なり 給 ひしょり この 人 迄、 凡て 十五 世、 歴年 二百 三十 九 年に して 滅 

たか うぢた^ よし ふく わい つ ひ たぐよ しさく さつ よしの. 9 なほ ふゆ 

びぬ。 尊 氏直義 不快に して、 終に 直義啬 殺せられ、 義詮は 其 鹿 兄 直 冬、 その 同 母 

もミ うぢ ふく わい た^ふ S ち かっせん よし もちよし つぐ よしのり よしあき ころ 

基 氏と 不快に して、 直 冬 又 父と 弟と に 向 ひ合戰 す。 義持 義嗣を 殺し、 義敎義 昭 を 殺 

もち うぢ ふ レ ころ わがみ ぎゃくしん むい よし t さよし み よし 

し、 又 持 氏 父子 を も 殺して、 我 身 又 逆臣の 爲に弑 せらる。 義政 義視は 兄弟に て、 義 

たねよし ずる あらそ よしはるよ じひで じラ けいてい あ ひ じんりん り 

殖 義澄從 兄弟に て 世を爭 ひ、 義晴義 榮再從 兄弟に て 又相爭 ふ。 是れ又 人倫の 理 なき 

なかんづくぶ 6 ぉミろ お 5 にん ャ ti! ほそ か は お 二 よし 

に 似たり。 就, 中 武威 殊の外に 衰 へし 事 は、 應 仁の 亂に山 名 細 川が 爭 より 起り て、 義 

さよし みきや 5 だい ふく わい よしみ レ まさ もミ はい 

政義視 兄弟の 間 不快な りしより、 その後 義視の 子を嗣 とせられ しに、 政 元是 を廢し 

よしず & ほ S 443 もミ t み も? たかくた す& もミ fc かく し はる 

義澄 をた つ。 程なく 政 元 被 レ弑て 後 澄 元高 國相爭 ひ、 澄 元 死せ し 後、 高 國義晴 を 立て 

よしたね あ しラ はる もミ 上し ひで たかく じ 

て 主と し、 義植阿 州に 奔 りて 卒しぬ。 晴 元三 好と 共に 義榮を 奉じ 高 國と戰 止ます。 

たかく に 、7ぢ つな はる もミ はる もミ ふく わい 

高國 終に 三 好に 討 たれ、 その子 氏 綱又晴 元と 戰ふ。 後も晴 元長慶 不快に して、 長慶 



〇 足 利 氏 論 

(二) 



相續 のこと 等 を 沙汰す。 

按す るに、 是又 豪傑の 舉と いふべ し。 

三年 六月、 畠 山 高 政、 家人 宮城 兵 庫が 爲に 高屋の 城に 1, 弑。 ト^ p^pllgtss 

攻 しかば 城お つ。 義繼河 州 若 江の 城に 入、 久秀は 和 州 志 貴の 城に、 久通は ミ, 二 :i :r, ? 5- c 1 ; 3 1 , rM \ 

多 門の 城 は b る。 〇 安土 記 K は、. SS 山と G 戰 はて、 信 長 葛 山 を 助く と 一 や 天 正 元年 正月 ,信 長 十七 個條を 記し 



よしあき たけに 



て義 SF を諫 む。 二月、 義眧、 武田は 遠 州に 向 ひ、 S 食 漭井 Sd 州に 向 ひ、 ffig 事 ある^ を 



窺 ひ、 信 長 を 討つ こと を 謀らる。 かくて 石山 堅 田に 要害 を 構 へらる。 信 長 兵して 悉く 敗 

じ や く よしあき き こく よしあき ひ の だいな 3 A たかくら さいし P-5 

る。 三月 上洛。 義^ 和 を 請 ひ 給 ひし かば、 四月 歸國。 七月、 義昭、 日 野 大納言、 高 倉 宰相 

、卞レ し」 L- ふち や ♦* ミ のかみ でラ しろ ラぢ まき しも 

^伊勢 伊勢 守 三 淵 大和 守 をして 二 條の城 を 守らせ、 自ら 宇治の 眞 木の 島に こもれり。 

のぶな が,!? j じゅらく b3 で、 フ せめ るす か、 フ さん みやこ 

信 長頓て 入洛して、 二 一條 を攻ん としければ、 留 主の 人々 降參 す。 十七 日、 都 を 立ち、 

** き よしあき ひで よし いはち わかん しろ 

十八 日、 眞 木の 島 を 攻め 破り、 義^ をば 秀吉 して 河內若 江の 城に 送り 遣す。 

よしあき ま、 ひり てる もミ びんな ミ *c W しっき よし 

按す るに、 義^ 此後毛 利 輝 元 を 頼りて 備後辆 に 住す。 その 年月 竝に その 由い まだ 詳 



y く ぎ や 5 ふにん てんしゃ、 リ よしあき 3 いこく 

ならす。 1^:1 れ Sf 。公卿 補任 を 見る に、 天 正 三年、 義 §x 口 三十 九 歳、 在 國の由 見 ゆ。 



さらば 三年に 備 後に 下向せられ しに や。 又 十六 年 在 一, 大阪; 正月 十三 日 落髮。 同日 准 

さ 八ごラ せん ひ だ3 けい す しゃ 5 ざん ミ ず す れい やう もん W 

三 后 宣下。 法名 道慶、 號-昌 山; 慶長ニ 年 八月 二十 一 曰 薨* 六十 一歳 • 號=靈 陽院, と 



卷 



二 



四 九 一 



讀史餘 論 四 九 〇 

そラミ みなごろし め づ ちき の だ ふくし まらく じ や、 フ あさ くら あさ る き ois 

て 佾徒を 鏖 にす。 安土 記に。 去年 野 ffl 福 島 落城に 及びし に、 朝倉淺 井坂 本 口へ 向 ふ。 京 

s> みぶ, い r おも はか あさ くら あさ る こん タ さんもん 

都に 亂れ 入らん 事 を 思 ひ 計りて かしこ をす てて 引き返し 朝食 淺 井と 戰ふ 時、 今度 山門 

しゅ ミ さ わが ぶんこく さんもんり や、 フ もミ くわん ぶ しゅっけ み かれ 

の 衆徒 一味せば, 我分國 にある 山門 領 元の 如く 還跗 すべし。 され ど 出家の 身と して 彼 を 

• ゎホ く,, がた * いづ, も でラ たが こん ほん 

すてて 我に 組みし 難く ば .ur 何れ を も 助く ベから す。 若し この 兩條に 違 ひなば、 根本 

ち 3 だ、 フ さん わ 、ひ しやそう はう き ャラ くわん やき これ 

中堂 を始て 山王廿 一社 佾房 經卷 悉く 燒は らふべ しと ありし かど、 是に從 はす。 この 年 

はな そう ミ はし おひ くび び ぢ よせ ラ 

その 言の 如くに 火 を 放ちし かば、 佾徒 等に ゆ 走る を 追つ めく 首 をき る。 この 外 美女 少 

f r k いけ 2 たす たま S る す-,' i"tt ね 

童數を 知らす 生 柿り て、 彼等 は 助け 給 ふべ しとい ひし かど 赦 さす。 數 千の 屍 山上 山 下に 

さか もミ かま あけち たま 

みつ。 やがて 坂 本に 城 を 構へ 明 智に賜 ふ。 

• . えい s>, く f え K ち T て •< 'か おびやか よ < 

按す るに 中世より 翳 岳の 佾徒 兵仗 を帶 し、 や-も すれば 朝家 を 劫し 奉る。 代々 の 

てい ゎラ おそ かれ まか ざんがい ぶっし しょ !0 

帝王 將相 畏れて 彼が. e. す 旨に 任せられ しかば、 その 殘害 すこぶる 佛 氏の 所 爲 にあら 

のぶな が U かいむ りつ いか つ ひ や ほろぼ じん 

す。 然るに 信 長 その 破戒 無 律 を 怒りて、 終に その 山 を燒き 亡し ぬ。 その 事は殘 忍な 

りと 雖も、 永く ^憎の 兇惡を 除け り。 是又 天下に 功 ある ことの 一つなる べし。 

この 年、 信 長^ 裏 を 造り、 三年に して 功 成れり。 その上 御調 物 末代に 闕乏 なからん ため 

らくちう しゃ 3 こ きんぎん そく. 9 こうけん く すで く ゆ レ ゥ 

に、 洛中の 商賈に 金鈕を 預けて、 毎月 その 息 利 を貢獻 すべし と 約し、 旣に 滅びし 公家 衆 



しゅ ゑな りと ぞ閒 えし。 九月、 國 司の 諸 城お ちて 和 を 講じ、 信 長の 一 一男 信 雄を壻 として 

の。 女 Bae!2 3。 ?^sa,CE.、 ^£lsea,a: お.、。 世に は 義昭を 救 ひ申气 さりし を 罪して なりと ョ ども、 潮 

亿 嫁す。 國を 讓らる 元 @ 元年 信 長 越^に 向ぶ 倉 記 をみ るに 七 年義昭 上谘の 時、 83 にも 上 格す ペレ 



ひ^^^ 2 お IvssgK^ 。な 是ょ りさき 三月、 瞎長 京に 來る W 此 時神祖 もき たり 給 へ り。 



三 好 義繼、 和 田 惟政、 松 永久 秀等も 皆 来れり とい ふ。 かくて 朝 倉 を 討た れん 事 を 申されし 

のぶな が て づっ やま かな さ S しろ あさる び ぜんの か A なが * さ *- こ 

となり。 信 長の 兵 手 筒 山、 金ケ崎 等の 城 をお とせし に、 淺井備 前 守 長 政が 兵 起る と閒ぇ 

のぶな が しんそ f ぐん 1* さ た ** のぶな が 

て 信 長 は 引き返す。 この 時神祖 跡より 軍 を收め 給へ り。 六月、. 再び 信 長 兵 を 出して 戰 

しんそ あさ くら へい やぶ た *♦ あさ ゐ やぶ の せっし, フ 

ふ。 神 祖は朝 倉の 兵 を 敗り 給 ひし かば 淺井も 敗る。 七月、 三 好 山城 守 等が 兵攝 州に 起る。 

よしあき か せい こ のぶな が せっし 5 はたけ やま & よしよ しつぐ まつな が 

義 SF 加勢 を 乞 ひし かば、 八月、 信 長 上洛して 攝 州に 向 ふ。 畠 山 高 政、 三 好 義繼、 和 田、 松 永 

• f よしあき せっし、 f のぶな がてん わ、 < 'じ なか レ ♦* の だ 

等-力 兵 來り會 す。 九月、 義 眧も攝 州に 向 ふ • 信 長 天 王 寺の 陣を さりて 中島に 陣し、 野 田 

ふく t** もん ザき くわ 、つ さみ よし あはへ い はつ あさく らも さ. Q えい ざん ぢん 

福 島 兩城を 攻めん とす。 大阪 門跡 光佐 三 好と 謀 を 合せ 兵を發 し、 朝食 淺 井が 兵 叙 山に 陴 

のぶな が もり y ゑ もんよ しなり JWJLWfJ のぶな が よしあき が、 フしラ 

して、 信 長の 將森三 左衞門 可成 をう つ。 tf§。 信 長 かくと 閗 きて、 義 眧を俱 して 江 州に 

はたけ やまみ よし わ; i ** つなが せっし、 r- てき よしあき み 6 でら ぢん のぶな が 5 

向 ひ、 畠 山、 三 好、 和 田、 松 永 をと *i めて 攝 州の 敵に あつ。 義眧は 三 井寺に 陴し、 信 長 は 宇 

9 や ♦* さんもん てき ふせ よしあき のぶな がよ しか! £> 

杵 山に 人り て、 兵して 山門の 敵 を 防ぐ。 かくて 義眧の 仰せに よりて、 信 長義景 和議 成り 

ぢん ひら のぶな がんい ゴん モラみ さくら f い いきさ ほ や 

て 兩方陴 を 開く。 二 年、 信長恝 山の 憎 朝食 淺 井に 同意せ る 事 を 憤りて、 九月 山 を燒き 



卷 



二 



四 八 九 



き ^ さ J 



四 八 八 



安土 日記 I 

1 に 信 長 記 

i いふ、 fes 

長の 右筆た 

リし太 田 和 

泉 守 牛 一 が 

信 長 一生の 

事^ 1 記せる 





あ ひぎ fc か か はち はん 2 く はたけ ャ *t か. * さ わか 九 か はち はん く よしつぐ 

藤 孝 等と 相議 して、 高屋の 城に 河 內半國 を 畠 山 高 政に、 若 江の 城と 河內^ 國を三 好義繼 

あくた が は わ だ の これまさ い. の いけ だ いけ だ ちく 2 のかみ かつ 

に、 芥 川の 城 を 和 田 伊賀 守帷 政に、 伊丹の 城 を 伊丹 兵 庫 頭に、 池 田の 城 を 池 田筑後 { 寸勝 



政に、 大和 一 國を松 永久 秀に、 山城 勝 立 寺の 城 を 細 川 藤 高に あたへ て 歸洛。 



きゃくる く 



按す るに、, 信 長の この 舉 更に 心得られす。 義輝 をう ちし 逆賊の 降 を 容れ て、 且赏す 



るに 國郡を 以てす。 さらば 此 度の 軍 は 何の 爲の 事な りしに や- 



よしあき しゃう ぐん ^ん ipp 夺. E このる くわん はくさき ひ 3 ぶめい たが ていしょ 

義 SF 十 1 年 十月 十八 日、 將 軍に 任す。 tlf^。 十 一 月、 近 衞關臼 前久武 命に 違 ひ 停 蛾 



十二月、 三 好 山城 守 泉 州に て 兵 を 起し、 義繼が 家 原の 城 をお とす。 いて 一一 ー|^!?^^ 

安土 曰 記に ir 一好 三人 衆と 記して、 出 ほ 守 03 向 守爲 三と あり • 又 詣に長 房^ 康と W ふ あり • 思 ふに 康長は 山城 守な り * 守 を钗康 

としる せり" 钗腠 は爲ー 一一なる ペレ • ^圈 Si は 因幡 守 一任 入道 爲; 一一と 見えたり" 5、 下野 守 入道 釣 閑 紫 あり" 此兄弟 は宗 三の 子と みえ 



^SJS^I。 十二 年 正月、 山城 守 日向 守 泉 州 を 出て 京に いり、 東 福 寺に 陴す。 義 眧本 國十; 寸 



うつる。 三 好 和 田 は 池 田 伊丹に 牒し 合せて 義 §1 口 を 殺さん とす。 三 好 兵 を 分て 本 國寺を 



よしつ ひ、 た^まさ 



六日の 



攻む。 桂 川の 邊 にて 義繼 惟政と 戰ふ。 義糯池 田が 兵 敗れし かど 伊丹が 戰利を 得し 

かば、 山城 守兵 を收め 引き返す。 信 長變を きて 上洛し、 ニ條の 御所 を 造りて 義昭を 移 

し 置き、 五月 歸國 す。 木 下 藤 吉、 村 井舂長 を 留めて 京 を警亂 せり。 八月、 信 長 伊勢に 向 

きた はたけ! ものり ふし お ほか、 _ 'ち かこ しょうてい のぶな が しゃう らく 

ひ、 北 畠具敎 父子 を. K 沔內の 城に 圍む。 承 賴と心 を 合せ 信 長の 上洛 を さへ ぎらん とせ 



つ is- じょ ラ あんやう じ .* レか 4? ほんそ, -.' 

しまし、 一 一 十 一 曰に 敦賀を 御 立ち ありて、 一 乘の 安養寺に いり 給 ふ。 義景 奔走い ふば かり 

よしつぐ よし ひで めい や *4 しろ つ だ 

なし。 十 一 年 正月、 義繼は 義榮の 命に よりて、 山城の 津 田の 城に うつる。 

よ しひで せい 、- ヒ いしゃ 5 ぐん ちょくし ふ もんじ ひ かラ よしあき しつそう 

義榮、 十一 年 二月、 征夷 大將 軍に なさる。 勅使 普 門 寺に 下向。 ? ^Iss ニニ 月 義 眧執奏 

よしか 少 ぢょ でラ くわん はく はるな がこうよ しあき ミ ぶら ^ か 5 よしか f> き や 5 お V 

して 義景が 母 を 二位に 叙す。 四月、 二 條闢白 晴良公 義昭を 弔 はんとて 下向。 義景 饗應 

き らく よしかけ く .》 わか **4 よしか- f> じ や d 

の 儀 ありて、 五月 歸洛。 六月の 末、 義景 嫡子 阿 若 丸 俄に 死す。 かくて は義 景を賴 みて 上 

洛も叶 ひ 難しと て、 信 長を賴 まるべき よしなり。 義景 再三 止め 巾 せし かど、 七月の すゑ 

一 乘ケ谷 を 立ち 給 ふ。 義景御 送りに 參る べしと ありし かど、 この 程の 愁 へに 心地よ から ざ 

おん ミも ま, ぁふ& さか ひ のぶな が む 力 ひ * ^ V ^5 

りければ、 多くの 兵 を 御供に 參ら せて、 近 江の 境に 至る。 信 長よりの 迎 の者餘 湖の 莊ま 

きた おん ミも よしか か よし も 4R- y ふ* _ 、 9 ぶ^ • *| 

で來 りて 御供せ しかば、 義景の 兵 は歸れ り。 義眧 やがて 岐阜に 入らる パ月 信 長江:^ 

しょ 、つ C い み よしつ ゐ た 5 ぎ しょうてい さ し. * ラ て., さ つくり わ だ 

に 向 ひ 承覦に 使して、 三 好 追討の 事を議 す。 承 禎不, 許。 九月、 ^ 禎が箕 作 和 田 等の 

しろ ふ し くわん おんじ じ ゃラ はレ が ラレ •<> よしあきが、 いし、 リ も, り や * • 

城 をお とす。 承賴 父子 觀音寺 城 をす てて 奔る, 江 州の 諸 城 皆お つ。 義昭 江艸守 山に 至る 

よしあき のぶな が じゅらく f V* uro せ ゥしラ ほそ か は と ぶ *lvt 

やがて 義昭信 長と 共に 入洛。 I, |1 サ 九月、 攝 州に 向 ふ。 細 川 六 郎^;" 三 好の 考 ども 

^と if 供して ai にお % く。 き;^ 臂黐。 まずく ,しかば、 十月 初、 き 信 

あくた が a の よしつぐ t つなが の き; i - くだ のぶな が、 ひさ P で、 

長 軍 を 班して 芥川 城に いる。 三 好 左 京大 夫 義繼、 松 永 彈正忠 等來り 降る。 信 長 久秀 

卷 十二 四 八 七 



讀史餘 論 



四 八 六 



給 ひ しが 云 I 

云 I 1 本 

「給 ひし か 

ど 分 內狹く 

して」 



を 助け 來る。 久秀高 政 戰ふ事 度々 に 及び 和 を 乞 ふ。 義櫃が 高屋の 城に あるが 故 也。 かく 

ひ f よし ひで あは ぢ しの はら の なが ふさ 

てこの 月、 長慶が 死せ し 事 を 披露す。 義榮阿 州 を 出で 淡路に 渡る。 篠原豐 前 守 長 房先陴 

ひさ ひで i よし ひで 

し 久秀が 城 ども 攻め 落して、 使 を 參ら せし かば、 九月、 義榮懾 州に 渡りて 越 水の 城に 

タ、 フ こくふ もんじ しろ じゅ ゐの のかみ よし 

入る。 十二月 同 國普門 寺の 城に うつる。 やがて 從五 位下 左 馬頭に 任す。 十 年 三月、 義 



繼 ひそかに 高 屋の城 を 出で 久秀が 陴に奔 る。 四月、 久秀義 繼を俱 して 多 門の 城に 移る。 義 



^> ; ない - , もよ ほ- やましろの かみやす なが やすなが ミ 3 だいじ 

繼ゃガ て 畿内の 兵 を 催して 山城 守 康長等 を 討たん とす。 五月、 康長和 州に 向 ひ 東大寺に 



陴す。 十月 十日、 久秀 東大寺 を やく。 康長 敗れて 奔る。 この 年、 義§:ロ 越 前へ うつらる。 義 



の かふが のこ ほり わ だ いづみ の 

輝の 御 事の のち 義 §1 口 は 近 江 國甲賀 郡. 和 田 和 泉^ 秀 盛が 家に のがれ、 それより 同國矢 

島鄉に 移り、 九 年 ゆ の 秋までお はしける に、 佐々 木 承 顧 三 好 返 治 叶 ひ 難き よしを 中し、 

£if つ さ, こ.; - ろ.^,, は . / わかさ たけ だ たの おも ひ ラち 

へえ 變 ると 閗 へし かば、 若 狭の 武田大 膳の 大夫義 統を賴 みて 彼 國に趨 き 給 ひしが、 円 

, P ほんい.. f あ 5 くら 4J んじャ お ay て R- はる 

^くして 御 本意 をな させ 巾す 事 叶 ふべ からす。 朝 倉 は綠者 なれば とて、 大館治 部 大夫晴 

た r おんたの み よしか 4> あさ くら かげ あき やが しきぶ ©せ 5 

忠 をお て御賴 あり。 義景 畏れて 朝 倉 孫 八郞景 鏡を迎 に參ら す。 頓て 式部 少輔 になされ て、 

J 、 れ, カ^ i . が ゆき ふか はる いちじょ 5 だに ar 

九月 晦日 若狹を 立て 敦賀の 城に 移らる t 此年は 雪 深くな りぬ。 春 を 待ちて 一 乘 谷へ 迎 

へ 入れ 申さん」 とい ひしに、 明る 十 年 三月、 加賀の 一揆 起り しかば、 十月 迄 は教賀 にお は 



さく さつ ちゃ, 7 けい よしつぐ せいし レ 1 そか はう き やうの たいふ う 3- 

爲に蕃 殺せら ると いふ。 長慶ニ sf 繼 を世嗣 とす。 11^1 や 十二月、 細 川 右 京大 夫 氏 

^ SS よしひろ ほ、, 'で 5f ぢャす うぢ *♦ さ. 4 し こ ふの だい s-x} 

綱 淀 城に て 卒す。 此年、 里 見 義弘 父子、 北 條氏康 氏 政 父子と 武 州國府 臺に戰 ひて 里 見 敗 

4*5 り も w なり W みた お W あま こ はる ひさ こ うぢ ねん ほさ 

安藝〜 原. K: る。 毛 利 元 就 雪 州 富 田の 城 を 落し 尼 子晴久 降る。 弘治ニ 年より ことしまで 七 年が 程戰ひ 

「JA ほ て、 # 終 !/ 勝ちぬ。 f り i まあ 鼷 1 齲、 驟:髓: あせき: y 0^0 

^/ びん- *) うきだ や ♦* ♦* つなが ひさ ひで いひ もり ふゆ や ** ぎゃくい 

に據" 弋補 備 後の 浮 田と 戰ふ事 止す。 七 年 五月 四日、 松 永久 秀阿 州钣 盛の 城に きたり、 冬 康逆意 あ 

J / ふ s やす いひ もり きた ころ 

る よしを 長慶 につぐ。 九日、 長 慶冬康 をよ ぶ。 十二 日、 钣 盛に 来れる を 殺す。 七月、 長 

ご 41 ひ も のぶな が さい 2 ラた つお き ちく めつ 

慶 死す。 祕 して 喪を發 せす。 此年、 信 長 美 濃 を 攻めと り、 齋藤龍 興が 一族 を滅 して、 

l^»v*t ぎ ふ うつす & よし さき や、, のたい ふ よしつ ケ 

尾 州溃^ より 岐皁の 城 W に 移り 住む。 八 年 五月 十九 日、 三 好 左 京大 夫 義繼竝 に 松 永 

^ux 1 . - K , ひさ A ち く &- y しょ かこ よしてる 

^ - ^ 彈正忠 が 子 右衞門 佐久通 等、 公家の 御所 を 園む。 義輝 自ら 防ぎ 戰 ひて、 遂に 火 を 放ち 

し じ 々つ, 1= いちじょ ラ. んの もんし S かくけ い ろく をん じ レ、, 'か ミ ころ し, 5 か-..' 

て 自殺す。 將 軍の 弟 一 乘院門 主 覺慶、 鹿苑寺 周翯を はかりよ びて 殺さん とす。 周翯 

討た る。 覺慶は 春 日 山 を 越えて 近 江に 奔り、 佐々 木義賢 入道 承禎 によりて 歸 俗し 義眧と 

號す。 かくて 三 好 山城 守 康長等 は、 松 永が 異心 有る こと を 知りて 隙 ありし を、 義繼 ひそ 

、 - ^ / * ' : よし^^ ユ つなが おな さつ よしつぐ たかや t ろ ? b 

力に 諫めし か は 義繼松 長と 心 を 同じく する こと を 察して、 義繼を 高屋の 城に 柿へ ぬ。 

松 永 かくと き-、 畠 山 高 政と 心 を 合せ 康長等 を 討たん とす。 九 年 正月、 阿 州の 兵 康長等 

卷 十二 四 八 五 



讀 史 餘 Ji 四 八 四 

もん ,たま のち ひ つの かみ い ** が は の よし もミ ^け はざま お だ の 

紋を賜 はる。 後に 陸奧 守に なさる。 五月、 今 川 治 部 大夫義 元 尾 州桶狹 間にて、 織 田上總 

乃ぶな が ちゃ ラけ い. u か ♦* さ たかま さ くだ 

介 信 長に うたる。 六月、 長 慶高政 不快の 事 出 來て戰 ひしが、 高 政 利な くして 降る。 四 年、 

ちゃ, < 'けい しゃう たん よしな が さんが EOT* ちゃうけい お なり 

長慶. ^洛、 正 且を賀 し、 。義長 も相繼 ぎて 參賀 す。 is 二月 長慶が 家に て 御成の 事 

を 申す。 義輝 許し 給 ひし かば、 義長 父に 代りて 假屋形 を 作り、 三月 晦日に 將軍 入御。 細 

,f ぢっ m ,た が はる もミ つ ちゃ, ひけい せ r- し、? 4 もんじ 、ウっ 

川 氏 綱 も 來り賀 す。 四月、 晴 元カ盡 きて 和 を I 乙 ふ。 長慶 許して 攝州普 門 寺に 移しお く。 

i 、說 S 元 一 II 捕 お。 ^ftoli 政 は^"々 が義 堅に 謀 を 通じ 長慶を 伐たん とす。 大 

€ き い これ ながよ し いづみの くに これ た t か ミし はる 3 へす ぎて. o 

和紀 伊の 兵 是に隨 ふ。 長 慶兵を 和泉國 にさし むけ 是と戰 はしむ。 この 年の 舂、 上 杉 輝 

ミらを だ よら きょねん この ゑく わん はくさき つぐこう ちご. む^ を だ はら ケ ま ゐ 

虎 小 田 原に 攻め入る。 去年より 近 衞闢白 前 嗣<ム を 越後に 迎 へ て 小 田 原 へ も 俱し參 ら す。 

くわん ミラ そむ やが き こく たけ だ か はな かじ *4 た-か 2w&i 节 £«IR 各、 

關 東の 侍 背く 者 多 かりし かば 頓て 歸國 す。 九月、 武 田と 川 中島に 戰ふ。 |gs 名 五 

み よ, j じっき *r- ^ Jn 2 r たかま さ せんしう く め だ た*か やぶ じさつ & よ しへい の ひ 

年 三月、 三 好 實休, ins 唧 高 政と 泉 州久米 田に 戰ひ 敗れて 自殺 三 好が 兵 悉く^ 

さ へい IA よ. > しょじ や,..' あ たか せつつ の &ふ ゆやす *-,.> わ だ 

ゆ。 高 政が 兵 盛に なりし かば 三 好が 諸 城 皆 降る。 安宅 攝津守 冬 康も岸 和 田の 城 を 去りて 

あは ぢ しりぞ し こく せい もよ ほ ひやう 2 わ- U よしな がよ しひで あは 6 しラ す t 

淡路に 返き、 五月、 四 國の勢 を 催して 兵 庫に 渡り、 義 長久 秀 等と 兵 を 合せ、 阿 州に 進み 

高 政と 戰 ひて 是をゃ ぶる。 高 政が 兵 討る i 者 多し。 佐々 木 筒井 戰 はす し て 引き 退く。 

ほそ か はは & もミ A よしよ しなが * つし、 7 もく たが はの しろ f 14- まつな が ひさ ひで 

六 年 三月、 細 川 晴元攝 州に て 卒す。 八月、 三 好 義長攝 州芥川 城に 死す。 松 永久 秀. か 



よりて なわ。 七月. 將軍晴 元 を 京に 召す。 晴 元が 軍勢 皆 入洛す。 八月、 長 慶大 兵 を 引き 

じ ゆらく しゃ 3 ぐんばり か は i.i しょ せ よし ふぢ はし 一 twco、 ヒ ち TJaJ 皮、 

て 入洛し、 將軍 堀川の 御所 を 攻めん とす。 義籐 山門に 奔る。 餘 1 ー歡 い 二十 三年 

a をよ してろ ミ たん は はたの しょじ やう たんし、 フ へい もよ ほ はんしう 

二月、 義藤 改,, 名義 輝; 長慶丹 波に 向て 波 多 野が 諸 城 を 落す。 又 淡 州に 渡り 兵 を 催し 播州 

こ うぢ はり くにび ミ まう り もミ なりす ろ 1じ ふだう ぜんき ゃラ もミ なり 

に 向 ふ。 弘治 元年 正月、 播 磨の 國人等 降る。 この 年、 毛 利 元就陶 入道 全姜 をう つ。 元 就 

よしたか すゑ ミし へ つ ひ ほろぼ なが ミ す はラ 

義隆が 爲に陶 と 戦 ふ 事 年を經 て, ことし 十一月 遂に 是を うち 亡し、, < 長 門 周 防 を 平ぐ。 三 

ななら K^r § ぎ まちの ゐん I いろく よして ろ はる もミ 

年 九月, 後奈良 崩す。 在位 三十 一年。 一 1 。す 正 親町院 踐祚。 ^ 永祿 元年 五月、 義輝 晴元朽 

さか も w しん まつ しょ /\ 九う がい あく が は かへ 1 os、 , 一 

木より 坂 本に 進發。 長慶越 水の 城より 京に いり、 所々 に 要害 を 構へ て芥 川に 歸る。 朽ぉ 

i rf 一, 、 L1J ' - -X C : k II ちゃ ミ けい つなが しら か は よしてる よしてる 

^ジ。 錯 ,この 月 九日、 長 慶の將 松 永 等 白 川に て義 輝の 兵と 戰ふ。 義 輝の 將 

It* そか はもち かた しゃ, r- ぐん X! よい だけ ぢん さ き よしかた たす ちゃ、 フ けい 

細 川 持 堅に 討る よ 者百餘 人。 十日、 將軍 如意 ケ嶽 に陴 す。 佐々 木 義堅來 り 助く。 長 聚か 兵 

進み 攻めん とす。 義堅和 を 請 ふ。 三 好が 將等越 水に 其 由 をつ ぐ。 長 慶が諸 弟の 兵 悉く 會 

わ ぎ よしてる やま ぢん しや- フ こくじ ん ゥ 

す、 和議 成る。 十一月、 義輝將 軍 山の 陴を さり 相國 寺に 入る。 長 慶來り 謁す。 十二月、 義 

てる ほん ービ くじ うつ なが を かゆ ミら じゅらく 6<! ざん ちゃうけい はたけ やま たか ♦* さ たす 

輝 二 條本國 寺に 移る。 二 年、 長 尾景虎 入洛して 將 軍に 見 參。 この 年、 ^慶畠 山 高 政 を 助 

XI n % -p ^Jyf e フ。 高 跌は皇 山 右 4衞の 督基 圆がヨ ,5k ン r. ^は Iss! 

けて 彼に 背きし 家人 等 を う つ 男 修理の 大夫滿 則が 曾 探たり。 又 高 政と 議しマ 鉀リ氏 綱 を^ 城 

3 つ ねん そく iQ ま、 ひり もミ なり- M れラ けん だい^んの たいふ きくき り 3 

に 移し 住まし む。 三年 正月、 卽位。 毛 利 元 就 御料 を獻 す。 大膳大 夫に なされ、 菊 桐 Q 御 

卷 , 十二 四 八 三 



讀 史餘論 四 八 二 

かぜ だいね いじ こぎ もさ したが ゎづか よしたか あすか & 

るに、 風 逆にして 大寧 寺へ 漕戾 り、 死に 隨ふ者 纔に十 人と 云 ふ。 義隆 耿の師 飛鳥 井 

だい S 、} ん * さミし 65 けい いう そく ひ の だいな 2 ん すけの ぶ ひろ はし だいな さんかね ひで えいきよ く; n みャ; ,..9 ん I 6^ 

大納言 雅俊、 堯刑 和尙、 有職 日 野 大納言 資宣、 廣橋 大納言 兼秀、 郢曲 持明院 中 納言基 



らか ^ も V れいせ、 -に ふだ ラ f ざ むらさきの ぎょく だ ,7 A> き これ る 

親、 衣紋 冷泉 入道、 1 管 絃東儀 因播、 岡 兵 部、 禪學紫 野 玉 堂、 儒窨 外記淸 三位 官務 伊治 等 

* ひさろ が. リ いねお ふ もの ほかり- fa , いへ 八、 7 にやく > .._ ほ > 、 Isfe 

なり。 舞猿樂 犬追物 計に て、 弓馬の 道う とくして、 家の 老若 この 事 を 歎きつ よ 「無 

盆の 百 家出 頭な り。 當 家の 武士 はすたり なん」 とつぶ やく ことかぎ りな かりし。 



ち? -5 けい よし ふぢき らく はも も! に ふ XI ラ 6 &1巧ょ り , 

二十】 年 正月、 長慶が 申す によりて 義 藤歸洛 あり。 晴元 入道して 不, 來。 S 奔 V 二月 

ま そか J 、つ xn つな あ しラ じ や, r- らく 、ウ きャ 5 のたい ふ じん これ a よ. しほ^^ は da て,^ 力 

細^ 二 郞氏綱 阿 州より 上洛。 三月、 右 京大 夫に 任す。 是 より 三 好 細 川に 代りて 天下の 

け、 ちゃ 3 けい らくち ラき ない n かさ 9j せつ レ、 フ ぢん 

B を とれり。 長慶は 洛中 畿内 南海の 事 を 掌り て攝 州に 陴 して、 その 家人 松 永^: 正 。忠久 



秀を 京に 居らし む。 この 年、 上 杉 管領 憲政 北 條氏康 がた めに 上 針 平 井城 を 落され、 越後 

くに fc つ わか *る いけさら ころ これ てんもん • : ) 5^,^ Lf> 

國に のがる。 その子 龍 若 丸 は 生 柿れ て 殺さる。 是ょ りさき 天文 七 年 扇ケ 谷の 上 杉 K 甸 

ミ もさ Si HD CU^V -.. -ぢ つま t や *の,.' ち ,つ ぢ?. す ほろぼ ひや 5 ぶ ゆせ P ふさ &,、 

朝 定鹋難 U リ は 氏 綱 | に 打ち 敗られ、 ことし 山 內も氏 康に滅 さる。 -兵 剖少 S 房顯カ 

Mlrff こ が さの た-かひ あき 3 だ の. 5:;- ,^5 ひろ * r つ • • , 、: ゾ It" 

代享德 三年より 古河 殿と 戰始 りて, 顯定、 憲房、 憲寛 窻政 五世に 傳<! て この 年 天文 

1 一十 一 年 f+A 年に して ほ 亡ろ びたり。 1 一士 一年 I 一月、 ^1 1 そ 

3* か はもち たか しい これ もち たか せいし か fs* き はる もミ 0^ , ゆき ミら , • / . 

の 主 細 川 持 隆を弑 す。 是は持 隆が世 嗣員之 暗 元と 謀 を 通じて 之 虎 を はかる と閗 えしに 



ふ I こ^ 行 I 義 
據 し 、以降 
リ 一涼 下記 
て 本本 十 云 
補 補 I こ 八々 



てんしゅけ〜 つた は 

の 天主 敎傳 りしと いふ。 

よしたかき すゑ. 11. は. e のかみ たか ふさ みま さかの かみつう りんじ ふだ ラ や, 7 し さがら たけた ふ 

義隆 記に は, 陶尾 張守隆 房、 美 作 守 通麟 入道が 養子な り。 相 良 遠 江 守 武^ 善書の 

ぃラ ひつ しゅつ ミ、 フ けん たか ふさ おの やうし 

人に て、 右筆の 事より 出頭して 權を とれり。 隆房が 子な かりし かば, 己が 子 を 養子 

fc かふ s U れ V- ん たか. ふき しょり や 5 ぐわん ち なん;;^ 

にたてし めんと す。 隆房用 ひす。 是 より 讒をか まへ て, 隆 房が 所領 三千 貫の 地 南都 

ミラ だいじ A うりや ラ & んふ た ♦* しミそ 

東大寺の 舊領 ありし を 遠 補し 給 へと すよ む。 その 時 かれが 愁訴 を 申し 始めし かば 三 

人 謀 を 合せて、 天文 十九 年 九月 十九 日 武任を 討たん とす。 義塍是 を 聞きて、 兵 を 集 

こ W ょレ ! W そのこ W ちん たけ; i ふ しゅっけ ちく ぜん 

めて 陶に 事の 由 を 問 ふに、 其 事な き 由 を陳じ けれども、 武任は 其 夜 出家して 筑 前に 

よしたか ざり や ♦* すゑ ? た ! 3 いが、 7 よしたかお ほ W も 

はしる。 義隆 のい かり 不レ 止ければ、 陶も富 田へ 十一月の 始 に在鄉 せり。 義隆大 友と 

すゑ ? 7f あつ 

謀りて 陶誅 せらるべし ときこえ て、 二十 三 四日より 山ロ騷 動し. 二十 八日 兵 ども 集 

すぎない .£ぅ はん よしたか へい しゅ ゥ 

り、 杉 内 藤 も 同じく 反すと きょて、 義隆 驚きけ り。 兵 を も 持し 者 一人 も 出頭せ しこ 

たいしゃ 3 ひやう ぢゃラ ひつじの? -J き 

となければ, .K 將と爲 りて 出づ べき 人 もな く、 評定 一 決せす して、 其 日 未 時ば か 

ほふ せんじ がい し; 2 が へい す 4 

りに 法 泉 寺に 引き籠る。 要害に 據 らんと せし に、 隨 へる 三千の 兵 夜に 入りて 悉く 陶 

みく すゑす y ない! O ラ ほふせ んヒ でう ぞ のて うわ よしたか 

に Sf す。 二十 九日、 陶杉内 藤が 兵 五 千 法 泉 寺 を かこむ。 ニ條殿 調和 ありて、 義隆世 

おんみ 5 し ゅづ かに で i,x- の. * した かふ し ち?. ラレ 5 いはな が はしら 

を 御曹司に 讓ら るべ しと あれ ども 不, 聽。 晦日、 I 一條 殿義隆 父子 長 州 岩 永 へ 奔ん とす 



讀. &餘論 



四 八 〇 



年 春、 長慶 入洛す べしと 聞え て、 前將軍 如意 ケ嶽に 城 を 構 ふ。 三月、 義晴新 城に 移らん と 

きか もミ やま ひ あな ふ ミ r ま つ ひ が、 フ しミ こ ラ 3 よし ふち ひ A< 

て 坂 本 を 出で、 病 急に して 穴 太 山中に 留り、 五月、 遂に 江 州 穴 太に て薨 す。 相 義藤比 叙の 

つじ はラ せんじ ラっ はる も ミ さ だより けい ゑい 

辻寶泉 寺に 移り、 晴元定 賴警衞 す。 

ほして る よし ふぢ ちせい いへ つ u^tyM- ちゃ 5 けいじ ゆらく 

義輝初 名は義 藤、 治世 十六 年。 十九のと し 家を嗣 ぐ。 その 年 ほ 1^ 十一月、 長慶 入洛し 



て、 東 山 阿彌陀 峰に 陴す。 兵 を 分ち 三 井寺に 陴し * 大 津を燒 きて 京 境 をふさぐ。. 義藤 

せん ぶ* くち P つ しゃ 5 がつ ちゃ..,. けい わか が. ひし-.' し が 

は 寶泉寺 を さりて 朽 木に 移る。 二十 年 正月、 長慶 京に いる。 二月、 兵 を 分ち 江 州 志賀の 

ほ, ろもミ り お ほ..' ち け じん t ゑ を はりの. & A はるかた す は. < 'ャ ち 

晴 元が 陣を うつ。 大に利 あり。 此年 八月、 大內が 家人 陶尾張 守 暗 賢 反して 周 防 山 口に 向 

よしたか いはみ よし & まさより たの なが ミ ふ^ 

ひし かば、 義隆 やぶれて 石 見の 吉見 正賴 を, 憑む とて 落ち行く を 追 ひて, 九月、 長 門の 深 

が はだい ねい じ じさつ に でラ ザん くわん はくた r ふさ さんで ラ の きんよ. 9 3 ち 5 じ to-J- 

川大寧 寺に て 自殺。 四十 五 歳な"。 この 時 二 條前闢 白 尹 房、 三條前 左大臣 公 頼、 左中將 



藤 原 良 豐等も 殺され 給 ひ、 屮納言 藤 原 基賴、 右兵衞 督藤原 親 W は 髪 をお ろして にけ 去 

る。 義隆 在世の 日、 中國 八州より 御料の 白銀 千 貫目 づっ 毎年 獻ぜら る。 然るに その 家人 

'しな すゑつ, たラ みこさの り し a. うぐん み よし 3 かな 

の 爲に失 はれし かば. 陶 追討の 勅頻 りなり しか ど、 將軍も 三 好 もた やすく 討つ こと 叶 

ふべ しと も 見えす。 され ど陶も 勅勘 をお それ、 義隆の 甥 大友新 太 郞義統 が 弟 右京 大夫義 

なが お ほうち し fc いみんかん がふ し も し じ ほんたい みん わ 5 らい ザい tt 人 

長 を 立て 大 内の 嗣 とす。 この 時. K 明 勘合の 印う せて、 日本 大 明の 往來ゃ みしより、 西蕃 



尹 時—】 木 

「尹 村」 



此年— 原 

「廿 年」 に 作 

る 今 一 本に 

摅リ て改む 

1 籠城— 一 

木 「1 飜城」 

以下 皆 同じ 



LPL 1 1J、 0^.^^ 氏 網 は 岛闥 の 子な り。 S せ.^;^: さか ひ かこ はる. 5= ふせ じ や、?,?., た 

九 年 十月 剝リ氏 縦 は 糊 馬 S- 頭 尹 S が 長男"." 泉 州堺を 園む。 晴元 城に 據 りて 防ぐ。 城 中 討る よ 

者 六百餘 人。 阿 州に 使して 長慶か 加勢 を こふ。 Jsif 時 卜 九 鼓、 ^^がお をつ^ りて 陽 

國に 名を顯 せし が 故な り。 長慶は その 父 海 雲 を 殺されし 似 がれば、 US 助くべし とも 

は ざり しに、 舍弟 越後 守, 休 諫めし によりて、 自らお を 引きて ^艇に 渡り、 ぎお の 船 

カ/ らう 44 さなが そ 3 さん 3V¥ %£^T ひい *J、r 'さん *r,A0<4 * 、 

に 人る。 神 五郎 政 長 入道 宗三 是を迎 ふ • 宗コ 一 と共に 氏ぎ がず^ と 戰ふ事 度々 に 

及ぶ。 十五 年 十二月、 義晴其 子義耐 を^して g おに^^、 ひ 日^^^ iP か 家に して 11 

お el,8f 璿 ri. おと 小て か 六角 彈 正の sii 四 品に g し、 力 加 

冠の 役たり。 二十日、 義き將 軍に 任じ、 新 « はがお^ i 任す。 十六 年 七月、 ^ 

lyh 各。 n?-s+? 啁 W ジ£、め,^こ1[>目^:ぃ。 、一^、, 此年 三月、 晴元竝 に 三 好 一 族 京に よせんと す は、 將軍 

^J^n tlKt^ 雜" カ^ is. にて 袢壩ふ 父子 北 白 S の 城に _0 もる。 四月、 @ 兀四ほ 勢 を 率 もて 東 山 は^、 

放 化し は攝 £ 卜 歸も。 七月 入洛、 相园寺 は陣 V 佐々 未定 賴は ®i 兀が舅 なれば、 晴元 ち ゃ.., けい 

は 組して 北 白 河 を 攻む. 將軍 父子 城 を 燒て坂 本 は 兀 S 故^ 坂 f 2|^^;;と¥5。 十七 年 十月、 長慶宗 

三 ひ F とこ お: い ro わ。 踪ー 一一 攝州 一^の 城 は 在り。 膀 玟複: E の 城 はあり。 0*111 は 昔 元 長を饞 , 、:: ,もや,: おい- 

三ヌョ と お 力ら す 殺せし と ョ、 ズ 此度長 慶 逆 謀 ありと 晴 元は 申せし に り!: 3ー5 岢! 十八 年 三月, 長慶 

遊 佐 河內守 長 敎と兵 を 合せて 宗三 をう つ。 晴元京 を 出て 攝州 にきたり、 ^^1^ 狐に 人 

る。 佐々 木 定賴も 晴元を 助く。 六月、 長慶宗 三と 戰ふ。 宗三 うち まけて^ はに て |& す、 

晴元丹 州に 奔る。 佐々 木が 兵戰 はすして 退く。 將軍 父子 亂を 避けて 東 g おに 奔る。 十九 



卷 



十 二 



四 七 九 



讀史餘 論 



四 七 八 



古河 殿 は ー 

1 本 「古河 

殿の」 



義 明^ば ー 

I 木 「義明 

の 若君^ 

ば」 



Si JLi ふだ、, じょかん AfhEJ、A5 タラ こく はら じ らラ 

田豐三 入道 恕閑 鹋^ II 一 同 國の原 次 郞と爭 論の 事 あり。 原 は 千 葉が 一 族に て 家人 な り。 

ち » かれ かせい たけ だ よし あ *- ひか レ. 7 

千 葉 彼に 加勢し ければ、 武田 勝つ こと を 得す。 謀 をめ ぐらし 義 明を奧 より 迎へ とりて 主 



かづ. 1 



としければ、. 上 總下總 安房の 國人 等馳せ 集り、 その 勢 國に振 ひし 程に、 三年の 內に原 

よしあき かれ お ゆみ しろ 、フっ お ゅ& - レょ よしあき 

遂にう ちまけ ぬ。 義明 やがて 彼が 御 弓の 城に 移りし かば、 御 弓の 御所と いふ。 義明 いか 

くわん ミラ か まくら ぁミ ほうで i.r-ぢ つな 35.SJ 

にもして 閼東 をう ちした がへ、 縑 倉の 跡 を 起さば やと 思 ふ。 この をり ふし、 北 條氏綱 ?, 

,11 づ さが A 3 へす V むさし くじ こ が タの むす 5 へォザ ほろぼ すラ だい 

伊豆 相 摸 をう ち從 へ、 上 杉と 武 蔵の 國を爭 ひしに、 古河 殿 かれに 結び 上 杉を滅 して、 數代 

3 ら& おも むすめ し そく はも ミ; i- しつ su^ ま SB よしあき へい 

の 恨 を 散 ぜんと や 思 はれ けん、 彼が 娘 を 子息 晴 氏の 室と せられき。^^ « かべて 義 明の 兵 

& .5 だ いつよ こが タの おんため きこ . ttt« 3« 'つな か ♦ い こ よレ 

威 次第に 强く なりて、 古河 殿 は御爲 もよ から じと SS えて、 晴氏は 氏 綱が 加勢 を 乞うて 義 

明を减 さんと せられし かど、 氏 綱 上 杉と 戰ふ 最中 なれば、 彼 も 御 弓に 使者 を參ら せ、 其 

下風に 從 ひけり。 かくて ことし! K 文 六 年 十月、 氏 綱 御 弓に 迎ふ べしと 聞きて、 義明舍 弟 

もミほ h -』 ,- おん *5 し あ は さ S 4/ ん * い もよ ほ 广/ こうの だい 4* だはら 

基賴竝 御曹司 を 始めと して、 安房の 里 見 お が 軍勢 を 催して 鴻臺に 打 ち 出 で 小 田 原の 

& かた 5 & じ や 3 だいよ こ 九 かみす け い 

勢 を かけやぶ り、 味方 を 待ちて 居たり し を、 三 浦の 城代 橫江 神助 ねら ひよりて 射け る 矢 

ftfc -li まつだ や &、 7 くび よしひろ ぢん *■ ぶ へん A や 

に 中り 馬より 落ちし を、 松 田 彌三郞 首 を 取りたり。 義弘 が陴も 敗れて 引き返す。 逸見 山 

し^ <1 深手お ひながら ^おに^りて、 n をば おとしけ り。 ^^かま 識^^の 



よしはる くちき 



その後 晴元 京に 赴き、 義 暗を朽 木より 迎 へて 管領と なり、 右 京大 夫と 名のる。 |1<鄉| 年 

ii^s お 5:: お 其 八月、 大阪 の 門徒 兵 を &す。 五 年 二月、 卽位 のぎ 行 はる。 

六月、 中 納言藤 原 兼秀敕 



にて 践舴 有りし かば、 この 年 ま 

で 十一 年 大稱行 はれず と h ふ" 



こん 9j Hi wfia、< 'ちの よしたか て,.' しん 

今度の 料は大 €: 介義隆 ?ザ 調進せ- 

す f tt かう さ/. 1 や、 f のたい ふよし おき だざいの せう じ ふ 

使に て 周 防に 下向、 左 京大 夫 義興を 太 宰少貳 に 補 せらる。 七月、 ^山の 衆徒 大に 起り、 

き や *r ち 5 はう くわ じち れんしう ら C- ちうたい はんや これ にちれんし ラ もん ミ やぶ 

京 中に 亂れ 入り、 放火して 日蓮 宗を うつ。 洛中 1< ;半燒 けたり。 是は 日蓮 宗門 徒 を 破りし 

のち こ W おご えいさん そ ラ にく せい みやけの くじ むら たかくに 

後、 事の 外に 驕 りし かぱ、 ^山の 傦惡 みて 征せ しなり。 八月、 三 宅 出 羽 守 國村其 主高國 



が 子 晴國を 殺す。 是は 近年 大阪の 門徒 兵 勢 張りて 屡々 利 を 得し かば、 暗國 彼等に 謀 を 通 



じて 兵 を 起さん とす。 晴 元が 將 かくと 間き て、 先 大阪を 攻めし に戰利 ありて、 * こ-かし 

こうち 破り、 又國村 かくて は 謀 成りが たしと 思 ひて、 晴元を 殺し 罪を遛 れんと せし とも 

おの こ f ろざし た はるく に ころ おほさ か 

いひ、 又. 己が 志 を 立てん とせし を、 晴國 許さ r りし かば 殺せし ともい ふ。 この 年大阪 

もん ミ おこ きない fct か おゆみ の ご しょ の よしあき うぢつな ため 

の 門徒 大に 起り て畿內 所々 に戰 ふ。 六 年 十月、 御 弓 御所 右兵衞 佐義明 北條氏 綱が 爲 にう 

こ がの なり ラぢ の まさ ラぢ c^4 なん たか もミ よしあき 

たる。 初め 古河 成 氏の 子 左 馬頭 政 氏 古 三男 あり。 長 T は 高 基、 二子 は義 明、 三 

もミ より ふ. し き や 5 だいふく わい よしあき おく くだ a 4.1 かも w いへ ゅづ 

子 は 基 頼と いふ。 かの 父子 兄弟 不 快の 事 ありて、 義明は 奥に 下る。 玫氏は 高 基に 家讓り 

て闢 宿の 城に ありて 享祿 ぎ 年 七月 卒す。 ,氏 MIIS^S^I^S? 其 頃 上 總國の 守護 武 



十 - 



四 七. C 



讀史餘 論 



四 七 六 



十" 15 丄 

本 「十 1 0, 



の 戰 ありて 伊丹 死す。 伊丹 は 三 好が 綠者 たれば、 三 好の 者 ども 是を救 はんと 京より 兵 

はつ や ざ もミ ひらが fc はし はる もミ ゑんべ い つか は も! ながこれ 3 ら あ し. フ かへ 

を發 すと 間き て、 柳 本 は 枚 方に 奔る。 晴元 彼に 援兵 を 遣す。 元 長是を 恨みて 阿 州に 歸る。 



晴元柳 本して 兵 を 掌 どらし む。 伊丹の 城 をお とせり。 三年の 冬、 晴元 前非 を 悔いて 元 長 

はる も ミ もちた か もミ なが へい あつ 11s?aK 可 に 8 りし 乇ク,ク.^^ た かくに せっし, つ 

をよ ぶ。 晴 元の 弟 持 隆も元 長と 共に 兵を聚 む。 一^^ 故 f 。十一月、 高國攝 州に 

渡り 晴 元が 兵 をう つ。 晴 元が 將 I! 師寺 やぶれて 降れり。 四 年の 春, 元長攝 州に 渡りて 晴 

も w もミ ながた かくに てん わ 5 じ たかく じ やぶ あま さき はし も さなが 

元 を 助く。 六月、 元 長 高 國と天 王 寺の 邊 にて 大に戰 ひ、 高國 敗れて 尼ケ 崎に 奔る。 元 長 を 

して 追 ひて 戰ふ。 高國脫 せざる ぎ を 知りて 廣德 寺に 入りて 自殺す。 ^。る? 我 5、 國 浮 



む ss^l^ ぼ^?。 天文 元年 正月 三 好が 一族 京に て 柳本彈 正が 子 甚四郞 を 殺す。 是は 伊丹の 



饕を報 ゆるな り。 晴元大 に 怒りし かば、 元 長 入道して 罪 を 謝す。 II リ海義 榮竝に 持隆等 



t はる もミ か つ か:, こ * J ゝ, :! にふだう たづ 

異見せ しか ど、 晴 元不, 聽。 六月 二十 二日、 終に 海 雲 を 殺す。 ^ 人道が 妻 三人の 子を携 



のが HI ゥ寺 tnvs_Ii.il いっか 5 もん ミ せんしう さか ;:> 

へ 阿 州に 遁る。 二 年 二月、 一向 門徒 泉州堺 をう つ。 晴 元の 戰 利な くして 淡路 



に奔 る。 門徒 堺に 入りて 住す。 三月, 門徒 伊丹 を攻 む。 木 津長玫 京の 日蓮 宗を 催して 是 

すく も んミ やぶ し もの はも もミ そつ ひやう ご かへ いけ;: 

を 救 ふ。 門徒 等 敗れて 死す る 者 多し。 四月、 晴元阿 州の 兵 を 卒して 兵 庫に 歸り、 池 田の 

しろ しょしゃ 3 むか もん ミ おほさ か きづ おほさ か もん ミ くだ 

城に 入り, 諸將 して 堺に向 はしむ。 門徒 大阪に 築いて 守る。 五月、 大 阪を攻 む。 門徒 降ろ- 



晴元 —原本 

「晴 之」 に 作 

る 今一 本 LL 

弋改む 



若し 又義 維の 子た らんに は、 義 維と いひし は、 義植の 弟 か、 義 澄の 弟 かにて ありし 

なるべし。 

たい? 一 や たかくに け にんか さい A つし ゆ 二ろ &く そ ひ 

大永六 年、 高 國讒を 信じて、 家人 香 西 四 郞左衞 門 光重 を 殺しければ、 ^一族 皆叛 く。 こ 

じょ、 7 もミ なが あ し 5 せっし、 フ わた せん. 05 いた たかく こ 

の 時に 乘 じて 元 長 兵 を 阿 州に 起して、 攝 州に 渡り 泉 州に 至る。 高國將 軍の 仰せ を 承りて- 

ぶめ ぞん あさ くら わかさ たけ だ がう し. フ ろく かくき や、 つ 2 く み もし き つ 

越 前の 朝 倉、 若 狹の武 田、 江 州の 六角 京 極 等の 兵 を 召す。 七 年 二月. 三 好が 兵と 京に て 

か * っぽ I . , もミ なが よし ひで はる も W . さ かひ へいせい. は たいく じ しょ 

合戰^ あらす。 三月. 元 長 自ら 義榮晴 元に 從て堺 に 至りし かば、 兵 勢大に 張り、 高 國が諸 

じゅ ラ いぎ たみ のこ たかくに い たみ すく みづか ミ うじ ぢん もミ ながたん ば 

城 皆お ち、 存丹 一 城 残れり。 高國兵 をして 伊丹 を援 ひ、 自ら は 東 寺に 陴 す。 元 長 丹 波の 

は、 たの も ん か はち S さ か はちの かみ つ 5 こく へい たかくに 

波 多 野 孫右衞 門、 河内の 遊 佐河內 守と 謀 を 通じ、 四 歐 の 兵 を 召して 高國を 攻めん とす。 

この 诗波多 野は但 波の 兵 一 w ニチ。 胜 ja は 卞 かぐに も ミなふ ^5 きャ 5 ろく わ 

きが ぉ簾 き 翻 is ^兄 ザ 高國元 長と 和を講 す。 享祿 元年 正月、 和旣に 成りし か 

、 さ * き き や、 ゥ 2 く あさ くら へい き こく fc かくに も W なか いつは わ こミ いせ ** し 

は 佐々 木、 京 極、 朝 倉 等の 兵 皆々 歸國 す。 高國元 長が 僞り 和せ し 事 を 間き て 伊勢に 奔 

きた ほた けね ちか £g さ がラし 5 さ * き たかより さ ゑち ぎん 

る。 北 畠 植親を 頼みし かど 不, 許。 江 州に 行て 佐々 木 高賴を 頼む にも 不, 許。 越 前に 行き 

, ベら > g , f. る * ほく.^ わた いづも あ *4 こ たの さび 

て 朝 倉 を 頼む も 許さねば、 北海 を 渡りて 出 雪に. 行き、 尼 子 を 頼みし に是 も不, 許。 終に 備 

つら A ぶ 力 もんの かみ よしはる が T- し、 フ くちき ^、ぶの きう 

前に ゆきて 浦 上 掃 部 頭 をた のむ。 是 により 義晴も 京 を 落ちて 江 州に 奔る。 朽木民 部少輔 

. I , き /- ひ やま! 3 き やぎ もミ f 9 い たみ 

植 綱が もとに あり。 晴 元は 堺 にあり。 二 年、 山 崎に 於て 柳 本彈正 |& 伊丹 彌三郞 * 私 



卷 



四 七 五 



I 讀 史 餘 論 四 七 四 

讀史 餘論卷 十二 

む ろ ♦* ちけ よ i 

Q 室町 家 代々 將 軍の 事. 下 

よしはる よしず A 1&JZ、*K 直ち せい ほ * か は、.' き や 、< 'のたい ふた かくに » んレラ ひか fc いんい 

義 晴は義 澄の 子。 』ifkw 治世 三十 年。 細 川 右 荩大 夫高國 播州より 迎へ、 大永 元年 六 

じゅらく よしたね くわん しょく よしはる ず に. Jl 一 fc かくに くわん り や 3 I! ふだ 5 

月 入洛。 十二月、 義 植の官 職 を 停めて、 義晴 任,, 將軍; &ー 高國管 領 たり。 入道して 

だ, フ えい がラ じ や 3 しょく よし たね む や it し もん ひら 

道 永と 號し、 又 常 植 とい ふ。 三年 四月、 義植 阿州撫 養に て薨 す。 ^"子孫 今に あり。 平 

じ ま が, f しょしゃ、 r- よし ひで し 

島と 號す。 諸 將相議 して 義榮 を嗣 とす。 

A ,よしか ふ しょしゃ、 フ よし もち よしくに たて み よし もミ ながよ しひで 

三 好 家譜に、 この 時 諸 將は義 持の 弟義國 を 立ん とする に、 三 好 元 長 義榮を 立つ と 見 

お ほけ いづ よし ひで よしはる よしつな いづ よし もち 

ゆ。 大系 圆に は、 義榮 とい ふ は、 義晴 の弟義 維の 子と しるせり。 何れも 不審。 義持 

よしくに たまへ S き もんじ 

の 弟に 義國 とい ふ 人な し。 縱令, J れ ありと も、 この 時まで 存生た るべ きに も あらす。 

よし ひで よしつな ょレ はる よしはる 

又義榮 の父義 維と いふ 人 義晴の 弟た らんに は、 この 時義暗 さへ 十一 歳 なれば、 その 

を さな • 二 き ょレ ひで えいろ く 

弟 は猶幼 かるべき に、 子の あらん やう もな し。 その上 三 好 記 を 見る に、 義榮 永祿十 

.C い 4! い たれび S 

1 年に K 十八 歳と 見えたり。 されば 大永 三年に は 十三 歲 なり。 誰 人の子な りしに や。 



九-一二 
歳 本 十 

し 

ニ歲 
十 I 



卷 



四 七三 



はじ t まさ も ミ もミ の よりも ミ の S つくに みん 

戰ひ 始 る。 初め 政 元 子な かりし かば、 故の 管領 右京 大夫賴 元が 一 一男 右 馬頭 満國が # 孫 民 

ぶの せ ラ まさはる だんた かくに で f タの ま うし す A ゆき f (- さも ミ 

部 少輔攻 春が 男 高 國を養 ひ、 叉九條 殿の 末子 澄 之 を 養 ひし かど、 會々 政 元が 心に 不. 叶。 

す ふ もミ たかくに はじめ す A もミ すみ も w よしおき 

さて こそ 澄 元 を も 養 ひて けれ。 されば 高國と 初より 澄 元と は 間 快から す。 澄元義 舆が歸 

國 をき i て、 阿^より 兵 を 發し高 國と戰 ふ。 高國 やぶれて 江 州に 奔る。 再び 兵 を 引きて 

上洛す。 是は 義植澄 元と 心 を 合せ 高國を うたんと し 給 ふよし 閒 えしが 故な り。 ! 151、 か i§ 

^iy/\^z0tp す^も ミ tt んしラ み よし S きなが PJ ん 6 るん ミ. 2J す& もミ 

S はより^^ 澄 元 播州に 奔り、 三 好 之 長 京師 曇花院 にて 擒 となる。 この 年 六月, 澄 元 阿 

州に て 卒す。^ 舍弟晴 元を嗣 とす。 大永 元年 三月 二十 三日、 當今卽 位。 是 公家? t 家 共 

お w ろ せんそ よ ねん ふ たいれい せ 、つえ ラ. んに ふだ、 f 

に衰 へし 故、 踐祚 よりこの 方 二十 餘年 を經 るまで 大禮 延引。 三條 逍遙 院 入道の 計 ひに て 

ほんぐ わん じ な モくゐ れ、 つ てう しん れい しゃ ラ ほんぐ わん じ もんぜき じゅん 

本願 寺より 御 卽位料 を 調進せ しかば 禮行 はる。 此 賞に 本願 寺 代々 門跡に 淮ぜら る。 同月 

よしたね あは ぢ これ し く ;?フ 复陵 3 さ.;" 

二十 五 n, 義植京 を 落ちて 淡 路の國 へ おもむく。 是を島 公方と いふ。 li§S や 此年 七月 

もミ なが め しう かへ 

元 長 囚 を 免れて 阿 州に 歸る。 



讀史餘 論 



四 七 二 



五月、 11 一好 長 輝 入道 喜 雲 阿 州より 攝 州へ 渡り、 細 川 佐々 木が 兵と 共に 義 興と 戰ひ. 打ち 

ふ し iff ひ ん べん じ さつ よ..: た r ォじ こ 3 

まけて 父子 三人 京の 百 萬遍の 寺に て 自殺す。 六月、 義尹 入洛。 七月 再任,, 將軍 「 大内介 

くわん り や、 ソ はくふ よした^ ふせ さラ 

管領と なる。 六 年 十月 二十 六日の 夜半、 盜 幕府に いる。 義尹 自ら 防ぎ 戰ひ 九瘡を 蒙る。 

同月、 兵 を 江- 竹- へさし むく。 七 年 二月、 京 勢 敗る。 同月、 上 杉顯定 家人 長 尾爲景 が爲に 

, . I J 14- ゑち ュ かま くら くわん ミラ 

越後に て 死す。 や- この 人 十四 歳に て 越後より 嫌 倉へ 赴き、 闢 東を領 する 事 四十 餘年。 

こ が なり うぢ あきさだ のり ざね のり ふさ やうし ザん し 卜、 フ ぐんよ しずみ :ナ 

子な くして 古河 成 氏の 子 顯定と 憲實が 孫 憲房を 養子と す。 八 年 八月、 前 將軍義 澄 江 州^ 

や 山ビて f 。一 3si あす。 この 月, ま 助 K If IRi の i 

もよ ほ- - . よした r はし * さかた よした V. き らく ふ M 

を 催し 京 を 攻めん とす。 義 尹 義興丹 波に 奔る。 政 賢 京に 入る。 義尹兵 を 集めて 歸洛、 舟 

4* かや ♦* かっせん まさかた よしおき す こ ぐんい ラ ょレ 

岡 山に て 合戦、 政 賢 敗 死す。 九 年、 義與 叙,, 從 三位; 軍功に よりて なり。 十 年 三月、 義 

I むか いくさ やぶ J^J- や 5 よしたね もらた ほうで、 ゥさ うう, c の II 

尹 江 外に 向 ひ 軍 败れ、 五月 歸京。 名 を義植 と改む • 十三 年、 北 條早雲 三 浦 介 導 p_* その 

A ら& • あくじ ら、, 'よし ** さ p?y ゥ ほろぼ へい. Q つよ h- やう 3 へす y ぉミろ 

子 新 井 惡.^ 郞義意 li。 を 亡し、 兵威 強くな りて、 兩上杉 やう やく 衰ふ。 十五 年 八月、 

大內左 京大 夫義興 職を辭 して 歸國。 公家 武家の 事 を 執行 ひし かば g 盡 きて まると 

くげぶ け す. び けいし く 沙 よしおき 

いふ。 この頃. 公家 武家 同じく 衰街、 京師 あれはてぬ。 公家の 人々 義興 を賴 みて つれぐ 

くに t ひ yi ほそ か はす &もミ たかくに 

彼國へ 赴く あり。 又國々 の 大名 を 頼みて 下向の 人々 も あり。 十七 年、 細 川 澄 元と 高國と 



數十年 II 

本 「十餘 年」 



せ 上皇 終に 陣中に 崩 じ 給 ひき。 かくて 數十 年の 間 は 細 川 ひとへ に 公 力の 御 方の 

?» - か, つも ミ やまな のち X t くわん りゃう ** さも ミ 

如く なれば、 勝 元 死し 山 名 も 死せ し 後、 代々 管領の 家た る 故、 その子 政 元 父に つぎ 

ま さも ミ くわん り や, よ レミよ ま さなが レ ラ く ば, f 'よし ひら 

し 也。 政 元 管 領 となら ざり し 時、 義豐と 心 を 合せて 政 長 をう ち、 主の 公方 義村を 

ミら よしまさ T よしみち いづ じか くわん り や 3 

柿へ, 義 政の 約せ し 旨 有りと て 義通を 伊豆より 迎へ、 さて こそ 管領に はなり けれ。 



その 時 義村不 君 たれば 是を廢 し、 義玫の 約せ し 如く 義通を 立つ と 世に は 申せし かど、 



實は義 村 政 長 を 失 ひ、 援 立の 功 を 以て 管 領 たらん との 詐謀 なり。 本意の 如く 管領 

も ふく ほしい ま { ぎ やくしん ころ 

たる 事 十五 年、 威 福 を 擅に せし かど、 おのれ も 又 逆臣の 爲に 殺され、 こ i におい 

かつ もミ けつ 》<ん まさ もミ 雲 みだ すみ もミ すみ § き あ ひ あらそ ** さも ミ よしまさ 

て 勝 元が 血緣絕 えて、 政 元が 跡 大きに 亂れ、 澄 元 澄之兩 人相 爭 ひし 事、 政 元が 義政 

ぁミ A だ す こ たが つ ひ いへ てん はラ お、 フ 

の 跡を亂 りしに 少しも 違 はす。 遂に は その 家を滅 しき。 天の 報應 尤も あきらかなら 

す や。 

.1 、;? f レ. * く 别 ぶんき くわん しょく これよしず & ♦? もミ す ォ,..' 

義尹 重職。 柳 邸文龜 元年、 官職 を 停めら る。 是義澄 政 元が 請に よりし なるべし。 周 防に 

藤 二 お ほうちの すけ よし irl えいしゃ 5 よしおき らん き 

ある 事 十六 年、 15 リ 大內介 を 頼み 名を義 尹 と改 む。 永 正 五 年 正月、 義興 京の 亂を閒 き 



て 義尹を 取りた て-、 九州 中 國の兵 を 催して 上洛す と 聞え しかば、 管領 細 川 右 京大 夫 

す &もミ あ は はし しゃ ラ ぐんよ しずみ さ き たの よした r よしおき いづみ さか ひ 

澄 元 阿波へ 奔る。 將軍義 澄 江 洲へ奔 りて 佐々 木 を 頼む。 四月、 義 尹 義興和 泉の 境に 至る。 



卷 



四 七 



讀史餘 論 



四 七 o 



義視 I 一本 

「義 就」 



心お か ^1 

1 本 「心^ 

ぶ^」 

上皇— 此上 

一本 「主上」 

の 二字 あ: 



按す るに、 勝 元始め 子な くして、 舅 山 名 入道が 子 を 養 ひ、 實子政 元 生れし かば、 養 

し そう やま ぱ よしまさ み だい タ ころ よし ひさ ほ 一 *J 

子を佾 となせ しょり、 山 名と 心よ からす。 山 名義 政の 御臺 所に 賴 まれ 義尙を 保護し、 

谧川、 畠 山が 家督 を爭 はしめ て 世を亂 る。 是義視 は 勝 元が 輔佐す る 所 なれば、 まづ 

かつ もミ f かつ もミ ほろぼ よし & はか *4 さぶ が 

勝 元が 黨を さりて 後、 勝 元 を も 亡し 義視を 謀らん との 事と 見えし。 さて 玫 長が 義視 

かつ もミ すく X し ** さ む かれ たす 

にたし なめられし 時、 勝 元 忍びて 是を救 はす。 世に は義 政の 旨 を 重 じて 彼 を 助けす 

といへ どもし か は あら じ。 その 時は義 政義視 共に 山 名 入道が 陣に おはしければ、 忍 

ミき t ♦* さなが ょレ なりい へ 2 た、 

びて 時 を 待ちし なり。 政 長が 兵 敗れて、 禁就家 をし りたり しかば、 山 名が 黨の志 を 

え ひ よしまさよ しみ おのれ ぢん よし & はじめ 

得て おこたりし 隙 を 窺 ひ、 やがて 義政 義視を 己が 陴に とりたり。 され ども 義視は 初 

おの ほ さ よしまさ こ SC さつ よし 5 い 

より 己が 輔佐す る 所 なれば、 義 政の 疑 あらん 事 を 察しければ、 はかりて 義視 をば 伊 



勢へ 奔 らしむ。 猶義政 山 名に 心お かせ 給 ひし かば、 やがて 上皇 をと りて 陴屮 におき 

よしまさ も 《 < てんし さしはさ た》 'か は よし & い せ 

參ら せ、 もし 義政 違變 あらば、 天子 を 挾んで 戰ん とせし なり。 その後 義視 を^ 勢よ 



り迎 へ しに. 又雜說 有りし かば、 義視を 再び 山 名が 陴 へ 奔 らしめ、 義 政義視 兄弟の 爭 

や *tt か ?み おのれ やまな 

の 如くに なした て i 山 名と 相戰 ふ。 是れ皆 君の 爲 にせし 所に あらす。 己と 山 名と 私 

I しラ ぉタ 35 ん お り や 3 てい 

の戰 に、 主 を 劫して その 陴に とらへ 置きし なり。 それの みならす、 兩帝 をと り參ら 



ご つち & か e &んザ ltt.r S い. らんせい 5 いち i おん はふ;:. c H5 

たり。 九 年 九月、 後土御門 院崩。 在位 三十 六 年。 亂 世の 最中に て 御 葬 の 料な く 

よ だい り くろ タ お tlo ご かし はらの. ん せんそ tu&Mk?o 九い しゃ ラ 

四十 日 餘內裡 の 黑戶に 置き 參ら せ, 十一月 葬る。 後柏原 院 踐祚。 ^?¥$射: 水 正 元年 十月, 

や *4 の、 7 ち 5 へ すぎめ きさ:. i あ ふぎ やつ 3 へ. Tyw もな が か は ご i; た か わ ぼく ほ 5 でう さ ララん 

山 内の 上 杉 • 顯定 と扇ケ 谷の 上 杉 朝 良と 河 越に て戰 ふ。 二 年 和睦す。 この 時 北 條早雪 その 

子 氏 綱 父子 武 州へ 出で、 その 威關 東に 振 ひし かば、 兩上杉 相 共に 北條を 防ぎ 戰ふ。 四 年 

ほそ^ は の ま さも W so* これ ♦* さも S け にんか さい 

六月 二十 三日の 夜、 細 川 右 京大 夫 政 元 其 下の ために 被, 殺。 ^ャ是 は 政 元の 家人 香 西 又 六 

** んぼ -r- t さも ミ い ラひク ま ぐら もの まひな まさ もミ しゃ ラ じん 

とい ふ 者 反 謀 ありて、 政 元が 右筆 戶 食と いふ 者に 賂 ひて うか r はしむ • 政 元 愛宕 精進の 

爲め とて、 今夕 浴室に 人り し を戶食 殺せり。 近習に 波々 伯 部と いふ 者 出て 合 ひし を, 是 

を も 一 刀 さしてに け 去る。 波々 伯 部 は 死なす。 政 元 外法 を 脩し て 子な し。 下屋 形讚岐 

守 1 が 子 六郞霞 あ r す。 s^l^ilv^liii^ 

H* ^-皮 ゥ *?4ls.\li owi 可 もミ よし ザみ がラ し, 3 はし か さい あ ひき **さ も ミ 

澄 元 義澄を 奉じて 江 州に 奔る。 香 西 等相議 して、 政 元 初め 九條關 

なほつ ねまつ し ら 3 すみ ゆき な のら あらし やま か ♦* す A 

白尙經 末子 を 養 ひ、 九郞澄 之と 名乘 せし を 取り立て、 嵐 山に 城 を 構へ こもる。 七月、 澄 

ゆき じ や ,7 らく み よしち く ザん のか A ながて る せつ t-r- のぼ き や 5 か さい 

之 兵 を 引きて 上洛。 三 好筑前 {寸 長 輝 等 兵を發 して、 攝 州より 上り 京に いる • 八月、 香 西 

た. 'か は. 'かべ つ ひ ミ ぐら か さい あた ,やぶ ^ 

と戰 ふ。 波 波 伯 部 先が けして 遂に 戸倉 をう つ。 香 西 矢に 中り 死し, その 黨 破れ、 九郞澄 



之 殺され、 洛中 靜譃。 澄 元 管 領. となる。 針つ 是 より 三 好 あら はる „ 



卷 



四 六 九 



讀史餘 論 



四 六 八 



も理 なり。 實に 天の なせる 禍には あらす。 自 なせる 享の のがる ベから すと いふべ し。 

しか ミが な も いましめ ふうみく 

然る を 今の 人 尤に傚 ふの 戒を 知らす して、 た r その 風俗 を 思 ひした ふ 事、 いかなる 

こ *• ろん 

いはれ や、 心得が たし。 

n い 象で が はじ ふだ 3 だいな のよ し& ザん しょく さいにん し さ めい 

義村は 今 出 川 入道 大納言 源 義視が 子な り。 前 職 四 年、 再任 十四 年。 義 政に つぎて 後、 明 



應 元年 八月、 兵 を 帥て 江 州の 六角 高賴 をう ちて 三 井寺に 陴す • 高 賴甲賀 山に のがる。 義 

村歸 京。 二 年 三月、 河內 にむ かひ, 畠 山上 總介 義豐を 討つ。 管領 畠 山 左 衞門督 政 長 

ソ こ、、、:、。 i ずる &!、 義豐は 接お が 子な り。 K 長 濃 は 兄弟の れ OTTJ、. お?^ 5. おお,, s^)。 SJ^IIS よお 

した, 》 ふ ば、 義豐が 爲には 伯 Pss なり。 義就は 今 S. せレと ョ" 四月 義村 正爱鸹 に陴す 羲豐 IS 譽 

田に 陴し、 ひそかに 細 川が 家人 三 好 一 一 郞左衞 門 之 長に 通じて 細 川が 加勢 を 乞 ふ, 之慶 

fjnitf し はじん のたい ふ まさ も よ レミよ H レミよ. o ゃラ かくじ 4* さも ミ 

主人 右京 大夫玫 元を勸 めて 義豐を 同ぜし む。 義豐 正覺 寺を攻 むる に 及びて、 攻元是 

たす おな せ はたけ や ま を はりの き し 3 はし よしむ も 

を 助けて 同じく 攻む。 畠 山 政 長う たれ、 其 子 尾 張{ 寸尙 順は紀 州に 走り、 義村 とら はれた 

まさ も w の まさ ミも *i し&ち よ しむら 

り。 かくて 政 元 伊豆 國 より 政 知の 男義 道を迎 へて 主と す。 其 年 六月、 義村潛 にの がれて 

越 中に 赴き, それより 又 周 防に ゆき, 大內が もとによ る。 

よしずみ よし IA ち む よしたか ミほ りこし さの まさ もミ ざいし よく e I めいお ラ 

義澄 初の 名義 通、 改,, 義高; 堀 越 殿の 男。 政 元が 爲に被 "立。 在職 十四 年。 if:^ 明應 三年、 

伊勢 新九郞 入-相 州, 取,, 小 田 原 城; 六 年 九月、 古河 成 氏 卒す。 |.ナ 其 子 政 氏 立。 左 馬頭 



敗る とい ふべ し。 四つに は, 茶 事を好み 給 ひて, 古畫 古器 を 多く 聚め給 ひて、 今の 



世に も 東 山 殿の 御物な りと いふ 者 は その 價 殊に 貴し。 か よ る 事 は 閑人 散士の 聊か 平 

hi い 



生を娛 むに は 左 もこ そ あらめ ど、 其 流 弊 は P 得の 物 を 求めん とし、 有用の 財 を盡し 

し たいふ がく わい こミ なら れんけつ ふラ やぶ けラ しゃ 

て、 士. K 夫の 如き も 牙儈の 事に 習 ひて 廉潔の 風 を 敗る。 五つに は、 この 時 驕奢の 餘、 

てんか 13 い • つ た、 7 けん あ. U ひ か 54 ほうこ 5 

天下の 財 旣に盡 き はてし かば、 刀 劍の價 を 定めら る。 その 價の 高下 を 以て、 奉公の 

せんしん しゃ 5 あ おこな なら い ♦* のこ くんじ や 5 もの まづ 

淺 深に 從 ひその 賞に 充て 行 はれし。 その 習 はし 今に 殘 りて、 君 上に 奉る 物に も 先 其 

ろ 》c いた あさ こ w お ぼ これら はじめ こうだい しゃ 

價を 論す るに 至れり。 いと 淺 ましき 事と ぞ覺 ゆる。 是 等の 五つ を 初て、 後代の 人 奢 

侈 を 好む 心 生じ、 國 家の 財 を 費し、 士君子の 風俗 を 敗る 事に 彼の 治世 四十 九 年が う 

いでき よさい およ しょ ごしの ラた 3 ち し を レ をし を 

ちに 出来て 二百 餘 載の 今に 及べり。 書の 五子 之 歌に、 內 作.. 色 荒; 外 作., 禽荒; 甘, 酒 

み, J.- し を.::" にれ a も じ び いくん ズ : . 

嗜, 音、 峻, 宇雕 V 墻、 有 V r 于此; 未, 或. 不, 亡と 見え、 伊訓に は、 敢有, 恒., 舞 于宮" 

酣, 歌于 室; 時 謂,, 巫 風; 敢有, 殉,, 于貨 色, IP 于遊 K 時 謂-, 淫風; 敢有, 梅- 聖 言- 逆- 忠 

にけ する にれ を ミれの れ はも に f.^» rl - ^tt 

直; 遠, - 耆德- 比, 頑 童; 時 謂,, 亂風; 帷玆三 風 十愆、 爾士 有" 一 n 于身, 家必喪 邦 君 有, 一 » 

ぶ まこ 5= かな これら こミ いへ くぶ ほろぼ/ 

于身, 國必 亡と 見えし。 誠なる 哉、 是 等の 事 身に 一つ ありて だに、 家 を も 國をも 亡し 

つべ し。 まして や この 公方に は 一つと して 殘る听 もな くお はしければ、 世の 亂れし 



卷 



r 



四 六 七 



讀史餘 論 



四 4 ハ六 



il 害毒 



不訾— 無量 



祖東國 に 移らせ 給 ひし 初、 世の 人 は 鎌 倉 を、 」 そ 御座所と なさる ベ けれと 思 ひしに、 左 

さじ や 5 さ だ たま 九い せい &ふ ひら しん ぼラ これ ぜんこ て、,.' 

はなくて この 所に 都 城 を 定め 給 ひ、 永世の 業 を 開かれし 神 謀の ほど、 是又 前古に 超 

ぜ つ たま t こ W ぶ, C じ ぶび だい 5 ご 

鋸し 給 ひし 御 事な り。 誠に この 所 は 文事 武備 兼ね 全 からん に は、 百 代と いふと も 動 

きな かるべ き 地 I にて は 有るな り。 

€ がい ひがし や *4 さの はじま 一 5 のちい. n 

今の 世、 國の翳 害 をな す 事の 東 山 殿の 時より 始れる 事 どもい くら も あり。 此後 何れ 



の 世に かこの 流 弊 を改ら るよ 善政 はお はすべき。 一つに は, この 公方 は 宮室 を 治め 

&んち ひろ た彖 こミ この たま い *♦ ひがし やま ぎ, C かく ゐ せき 

園 池 を 廣め給 ふ 事を好み 給 ひき。 今 も 東 山に 鈸閣 などの i 有る にて 知りぬ。 され 

こ 5 らい こ ミこの かの よ こ W おも これ なら みんりょく ゥく 

ば後來 これらの 事 好める 人、 皆 彼 世の 事 を 思 ひした ひて 是に傚 ひし かば、 民力 を琿 



し 國財を 費す 事 多 かり。 二つに は、 この 人 萬の 物に 過 奢 を 好み 奇物を 翫び給 ひし か 



たくみ しんりょく つ-く つく いだ 

ば、 その 世の ェ皆心 力 を盡 して 造り 出せる 翫器 多く • 今 も 東 山 殿の 時の なりと いひ 



ぬれば、 世の 寶 とする もの 少 からす。 是れ 富貴の 人の 侈 奢の 心 を 開く 媒 となる 事 多 

てんせいし A レゃラ よろ づ こミ いで 

し。 三つに は、 この 人 天性 心 匠お はせ しが 故に, 萬の 事に 物す きとい ふ 事 出来し か 

ば、 今にぎ るまで 好事の 人物 ことに 古式 をい とひ、 我 巧 智を用 ひて 新奇 を 競 ひぬ。 凡 

, ゆ くと 不 t3 の 財 を 費す と は皆此 物す きとい ふ 事より 起れ り。 尤も 風俗 を 



し た ま んぺぃ り や. 1 け おん 

J の 心得 を 知り 給 ひしと 見えし。 昔 源平の 兩 家相なら びて 朝の 御 かために おはせ し 

くん I 



時、 弓馬の 術 いづれ まさりお とり は あらず。 保 元 平 治の 亂に 平氏の 勳功 有りし 事、 源 

じ なほ た ♦* しか よ ねん ->ミ ほか ぉミろ 

氏の 人と は猶 まさり 給 へ り。 然るに ゎづか I 一十 餘 年が. 程に、 その 武事 殊の外に 衰 へ 、 

源氏の 起る に 及びて、 たつ あし もな く かけ 敗られ 給 ひし 事、 その 家運の 盡 ぬべき 時 

至れり とはいへ ども, 平家の 人々 この 年月 都の 內に 住み 給 ひ、 公家の 人々 と 朝夕に 

したし ぶ ゆう わす よ より ミも W ほ 

親み なら ひ、 武勇の 事い つと なくう ち 忘られし に 因れば なり。 賴朝 この 事 を 遠から 

ぬ鑑 とお も ひ 給 ひしに こそ、 六十 餘 州が 中に 殊にす ぐれて 用, 武の國 と 申すな る武 

さし さ がみ きょ た ま はるか たか ミきに ふ sif 

藏相 摸の 間に 居 をし め 給 ひき。 されば 遙に世 をへ だて 高 時人 道が 亡びし 日まで 

も、 武事に おいて は 見る 所 ある 事 ども 侍りき。 その後 基 氏の 代に 又 嫌 倉 をた もち 給 

ひし かば、 この 所 は 後人の 議 する 所に あらね ど、 今の 代の 天下の 如く、 人 畏れて 物 

さか なほ ミころ お ぼ お だ さの あ ふ a あづち -V ざ 

盛りな らんに は, 猶 よからぬ 所 も ありぬ と覺 ゆ。 そ^後 は 織 田 殿 近 江の 安土 を 御座 

しょ いくほ さ . 5 じな たま ろん およ たいか ふ ひで よし じゅらく 

所と せられし が、 幾程なくて 失 はれ 給 ひし かば 論す るに 及ばす。 太閤 秀吉初 は聚樂 

f .td ,7 つ た t おほさ か かま しそん - ざ しょ おも た ** 

に 住して 伏 見に 移り 給 ひ、 又 大阪の 城 を 構へ て、 子孫 萬 世の 御座所と 思 ひ 給 ひしと 

ち ぶけ す たま ! 5J ろ おも こミ お ほ わがし 八 

見えし かど、 彼の地 も 武家の 住み 給 ふべき 所と も 思 はれぬ 事 ども 多し。 然るに 我 神 



卷 



四 六 五 



讀史餘 論 



四 六 四 



程に、 その後 は 常々 京縑 倉の 閒快 からす。 義敎 遂に 鎌 倉を滅 されし かど、 東 國の者 

す、 フ せい きラ しゅ した お, C ゆ ち う もち うぢ こ が タの しゅ 

ども 數 世の 舊主を 慕 ひ、 京の 御 下知 を も 受けす。 又 持 氏の 子 古河 殿 をと り 立て 主と 

まる ミラー ごく あしか^ さの を は しづ 力 

なし 參ら せし より、 東國先 づ亂れ て, 足 利 殿の 代 を 終る まで 遂に 靜 ならす。 され ど 

よしのり ふ き fc かラ ぢ; ir よし はんべい ぎ 

義詮 不器に おはせ しかば、 尊 氏 直 義相議 して、 其 藩屛を W てお かれし 事、 一義な し 

ともい ひがたし。 事 勢い かにと もす ベから すと は是 なり。 二つに は, 幕ぎ を 京に ii 

よしのり よ { しゃう ぐん & や こ * いちやう か 9i 

かれし 事な り。 義詮 よりこの かた、 代々 の將 軍、 都の 中に 生長し 給 ひし かば、 耿鞠 

くわん かん あそび おく た ** くわび この ぶび ゆろ 

管: !i の 遊に のみ 日 を 送 わ 給 ひ、 物 ごとに 華美 を 好み 給 ひ、 武備 ことの 外に 弛みし か 

T き しん おびやか た ** したがつ あしか r はじめ 

ば、 稍 も すれば 强臣 の爲に 劫され 給 ひ、 世 も 又隨て 亡びぬ。 され ど 足 利の 世の 初に 

. なんてい よしの た ♦* ほくて う おんかお みやこ ほく ふ ひら 

は、 南帝吉 野に 渡らせ 給 ひし 程に、 自ら 北朝の 御 固めの 爲に、 都の 內に 幕府 を 開か 

れ しなるべし。 是又 如何にと もすべからざる ものな り。 抑々 建 都の 事は甚 仔細 ある 

はべ わがて ラ へいあん じ やう まこ ミ ゎラ しゃ 5 ミく 

よしを 申し 傳へ 侍り • 我 朝に は 平安 城 は 誠に 王者の 都に て は 有りけ り。 有德の 君に 

に ち たも た t ち せい はべ いづ よ き や 3 

あらす して は 一日 も 保ち 給 ふま じき 地勢に て 侍り。 されば 伺れ の 代の 戰 にても、 一: 小 

が Xi f きか くわん むてい I* だ たま 

方 一 日 も 支へ しとい ふ 事 をば 不 v 聞、 され ど 桓武帝 此京を 定め 袷 ひしょり このかた 千 

ioj う-ごき てい ミ い て、 7 らく じ や ラ P ミころ よ b ミも 象 づ 

五 百年が 程、 動な き 帝都 也。 異朝の 洛城 によく 似た る 所に や。 其後賴 朝の 大將は 先 



•Jf だい いへ お ほ あや ♦* り cs-£s-©534^c ぉラ 

は 譜代の 家 を 立てられし、 かへ すぐ も. K きなる 誤と いふべ し。 ぉほ^ ^お。 應 

にん らん おこ かんぶ. A てい かぎ ちか. みん けんぶ A 

仁の 亂 のよりて 起る ところな り。 漢文 帝の 時賈 誼, か 諫め 申せし も、 近く は 明の 建 文 

てい よら, c あ h かん くわう ぶてう そ、 フ たいそ よ 

帝の 世の 亂も、 この ことにて 有りし なり。 後漢の 光武 趙宋の 太祖 は 能く この こと を 

こ t ろ 九 こうしん はん ちん けん を さ たミ ミら つ ほさ / 

心得 給 ひて、 功臣 藩鎭の 權を收 めた まひき。 譬 へば 虎に 翼 を 付く る ことの ごとし。 

翼な からんだ に、 その 爪牙の 利畏 るべ し。 まして やそれ に 翼 をつ けたらん に、 いか 

€ ひ S く きんだいお だ ミょ ミ& 

でか 飛びて 人 を 食 は ざらん や。 このい はれ をば 近代 織 田、 豐臣の ごとき も ゆめ/、 

U わがしん そ よ こ t ろ 九 おんこ ミ まこ W せ A こ たく 10! つ 仁 ま 

知りた ま は ざり しに、 我神祖 のみ 能く 心得させた まひし 御 事、 誠に 千古に 卓越し 給 

まんだい のち したが おんこ W ほ 5 で、 C たも 

ひぬ。 萬 代の 後まで も從 ひよ るべき 御 事に や。 昔 北 條が家 九 代まで 保ちし も、 この 

こ ろ *5 み ありさ さりよ く ろん 

心得の 有りし と は 見 ゆれ ど、 そのな せし 有樣は 皆々!^ 力に 出 たれば 論す るに たらす。 

ひろ ♦* ちけ はじめ + あやま すゑ らん これ で 3 

この 外に 室町 家 開國の 初に 大きに 誤りて、 その 代の 末の 亂 も又是 によりし こと 一 一條 

あり。 され ども その 事 勢 を はかる に、 如何にと もすべからざる 所な り。 その 一つに 

くわん?, し, rs も W ラぢ よし &づ うぢみ つ 

は闢東 八州の 事 を 基 氏に 分ち 與 へられし ことなり。 その後 義 蒲の 世、 氏满に 奧兩國 

あた かま くらさの すで こく すくな € ち 

を與 へられし かば、 鎌 倉 殿 管領の 國旣に 十 一 ケ國、 その 數は少 かりし かど, 土地の 

ひろ へい tt つよ おそ に ほん はんこく よしのり よ か ♦* くら ラたが 

闘く 兵馬の 強き、 恐らく は 日本 半國に 敵すべし。 されば 義詮の 代より 嫌 食 を 疑 ひし 



卷 



四 六 =1 



逸驕 受る及 策の 老も そ皇專 時唐定 
樂逸 驗也落 11 稱門リ の 帝 橫以の 策 
I 生 門な 試 ぁ生定 掌の^ 後文國 
接 也 生 史驗リ 天 策 握廢極 官宗老 
^ はすの 定子國 に 匱め 宦 の; 



讀史餘 論 四 六 二 

てう ず こ 5 にんい ね、 フ せラな なん びじ じ, 7 す きんじゅ せんでん W このぎ よ、 f て く た3 しょ 

朝 不-, 必然; 弘仁以 注、 少納 言及 侍從爲 = 近習 宣傳之 職; 而此 御宇 初 置" 當所; と 見えし。 

これら き W ころ むろまち e の い せ つかさ タ ほんて ラ くら、 フタ い 

是 等の 記せる 所 を 以て 見る に、 室町 殿の 代 伊勢が 家 司る 所 は、 則ち 本朝の 藏人、 異 

て 5 な!.. 'し S だち か よいた . .0 ふく けんかれ たな いき ほい けラ わ、.' 

朝の 內 侍の 職な り。 貞 親が 代に 至りて、 威 福の 權 彼が 掌 におち て、. 勢 益々 驕 横に 

めいく わう かラ りきし し を を ^€ 

て、 彼の 明皇の 世に 高 力士が 省, 一 決 章 奏- 進-, 退將 相-せし が 如くな りき。 甚 しくして 

よしまさ おん ふ ぼ じしょう いた た、 < 'まク ていさく こくら, 7 もんせ いてん レ くわ 

は義 政の 御 父母な りな ど自稱 する に 至る 事、 かの 唐 末の 定策 國老、 門 生 天子の 禍に 

こミ? * 、, てラ くわ、 じ けいよ さ 5 ぢ ひミ し これ いやし 一? 

異ら す。 異朝の 宦 侍と いふ 者 は、 もとこれ 刑餘 掃除の 人に て、 士 流な ほ 是を鄱 む 事 

さ だち か くわん むへ いし ながれ きう » ; いへ よ 

を しれり。 この 貞 親が 如き はしから す。 桓武 平氏の 流に て、 弓馬の 業 を 家に し、 代 

X く *- んじ もの くねい て-..' く t じ なほ しょべ, d や 5 

代の 公方に 近侍せ し 者 なれば、 その 禍 異朝の 宦 侍より は猶甚 しかりき。 かよる 職掌 

いでき ぼ、 フぎ もづか & ふく ほしい *, はべ , 

の 者 出来て、 謀議に 與り威 福を恣 にす る 事、 治世に て はなき 事に て 侍り。 これ 驕 

いつ し S け. A し たいふ & は r か きんじゅ せんでん d く 

逸の 主 賢士. K 夫 を 見る こと を 憚りた まふ 時に 近習の 人して その 宣傳の 職 を 司 どら 

こミ おこ り 3 へい てんか 1 

しめらる i より 事 起り しなり。 この 流 弊 遂に 天下 を 覆す わざ は ひに 至る こと を 知ら 

ミラかん -U 、つ お S ろ よ わがしん そ 

れんに は、 東漢の 末、 唐の 衰 へし 代の ことな ど 併せ 按 すべき 事な り。 我 神駔か よる 

かんが こくしょ しょく お よしみ ゥ 

こと をよ く 鑑みた まひし にや、 國 初に はか i る 職 をば 匿 かれ ざり き。 凡 はまた 義满 

J= きくわん り ゃラ ししょく て, だい & やう .,, じん * -ii* 

の 時 管領 四 職 等 を 定められ しに、 天 下の 大名 を 引きす ぐり て, その 職に 仟じ 殊に 



竝! II 一木 

「辨」 



供御 I 御 食 

事 



うれへ 文の 箱と いふ もの を 置れ たりければ、 あやしの 民 百姓まで 申 文 を もて 參 りて 

この 箱に 納る。 史 外記竝 に少納 言な ど 次第に 取り 上 ゆて 是を よみ 申し、 群臣 も各是 

ひやう ぢャラ しゅじ や 5 ちょく ぢゃ 5 くだ 9 ぃミ す tt は W 

を 評 定 し、 主上 まのあたり 勅 定 を 下さる。 うれへ もし 左右に あれば 卽ち問 はる。 

*5 しぶみ こ W はか く - しょ う P ぜん 

申 文 多くして 事の 外に 日た け ぬれば、 やがて その 座に て 供御 を參ら す。 諸 購も御 膳 

これ くら ぶ がく y よい 3 

をお ろして 各 是を食 ふ。 その 政 もしし はて ぬれば、 その後 ぞ舞樂 御遊な ども ありけ 

きさ *,<J こ-ろ fca ,- 'れへ おんこ^ わり ^やじ, , - ^i:^c^^ 

る, 君の 御 心に は、 民の 愁を聞 召して 御 斷 あるより 外の 大事な かりけ り 嵯峨天 

わ, f こ w ほか はう いつ おんこ tlo fc** 

皇 より 此 かたす たれに けり。 この m 事の 外に 放逸に て、 玫を御 心に いれ 給 はす。 さ 

ザ しき ほ も くらう ミ おんい す 、フ れ? 

れ ども その 儀式 は猶 ありけ り。 五位の 藏人 一 一人 を さして 御 椅子の 傍に すゑて 愁をき 

かしめ、 群議 を閒 しめての ちに、 閒 召して 成敗せ させ 給 ひけり。 是 今の 職 事の 始な 

3 が べつ ゆ ふ つね おんい wt も は *4 つ.^ つ >ミ 

り。 蓬 哦 の^: 業な どへ 常にお はし ましけ る 故に、 御 暇な くして、 みづ から 朝政に 



あはせ 給 は ざり けるな りと みえたり。 又 職 原 抄藏人 所の 下を考 るに、 嵯峨 天皇の 

こラ こん てく. す. いて、 フ の を « ち 3 は ¥7,UA. ないし . くわん じ や , 

御宇 弘^ 年中 初置レ 之。 模,, 異朝 侍 中 內侍等 職, 歟。 彼 侍中尤 爲-, 重任; 內 侍者 宦者之 

にん りする .9 する を こらいく わん じ や る は を せんけん :r » , -, ^5^.^ ば ない.^ 

任 也。 或 有,, 卑, 之 代; 或 有 一, 貴, 之 時; 古 來宦者 知, 事 先賢 之 所-謗 也 唐立宗 ぬ-. 内侍 

か,? 9 きし, * す !》ん しゃ、, ぐん ミ しかりし より ないし て ぶんぶ も す ぶ、<^々 て に しつ,. ,くわん^ :5 く f んぶ や、 

髙 力士, 爲= 1 品將 軍; 爾降 内侍 執- 文武 之 柄; 遂 亡-唐 醇; 依:' 之 執政 之官太 P 宦 者- * 



卷 



四 六 1 



親元 日記— 

寬正六 年の 

日記 



讀 虫餘 論 四 六 〇 

い せの かみ さ だち か き べっき 

し は 皆 伊勢 守貞 親な り。 貞 親が 事、 記に 見えし 所詳 かなり。 且 別記に も、 貞親は 御 

しょき t しん ざラ おん は. * これ ほぞ ゑん. 9 よ てんか だいじ 

所 檨の御 父な り。 新造 を 御 母と ぞ 申し 奉る。 是 程の 遠慮な しなれば、 天下の 御大 事 

F 出来- 事 を 顧す と は 記せり。 伊勢の 系 圖竝に 小 田 原に て しるされし 舊記を 見る に、 

むろ t ち さの おんち 》• ぶん ししょう お、 フんぃ よしみつ 

室町 殿御 父 分た るよ し 見えたり。 その 餘の ものに 支證 なき か。 但し 應永五 年、 義游 



ぶ け しょく f ラ き だ 

武家の 三 職 七 頭 を 定められし 時、 伊勢 守 貞行を 以て 奏者と せられき。 貞 行が 子 伊 

to さ だくに の のかみ さ だち か ちゃくし の さ だむ ね びつ ち.,' 

勢 守貞 國、 貞國が 子從四 位下 伊勢 守貞 親な り。 その 嫡子 兵 庫 助 貞宗、 のちに 備中 

のか さ い せの かみ じん これ きんせん じ よ おも おも ち t 

守、 また 伊勢 守に 任じき。 是は金 仙 寺と. いひて, 世に 重く 思 ひし 人に て、 その 父に 

は 似ぬ 人に て 有りし。 貞親は 文明 五 年 正月、 五十 七 歳に て 卒せし よし なれば, 應仁 

*_*ん- ご さい ほかり ちか もミ t つき かれ fcf じ けんせいく わんり やう 

の 前後 は 五十 歳 許に もや 有るべき。 親元 日記な ど を 見る にも、 彼が 當 時の 權勢 管領 

しきじ よしみつ そ、 スじゃ すで あやまれ おも 

職 事 も 及ぶ 所に あらす。 初め 義滿 奏者の 職 を 置かれし 事、 旣に 誤る にや。 思 ふに こ 

てう か くらう さ しよくし や 5 じ こミ お K くら,!' タ しょく 

の 職 は 朝家の 蔵人の 職 掌 によく 似た る 事と ぞ覺 ゆ。 蔵人と いふ 職む かし はな かり 

さ が おん ミき お もく こ じ だん へいじ やう おん ミき 

し を、 嵯峨の 御 時より 證 かれしな り。 績 古事 談を 見る に、 昔 平 城の 御 時まで は, この 

まつり ユミ ぎしき いま ほさ しゅじ ャ 5 なんめん 

國 にも あさ 玫 し 給 ひけり。 その 儀式、 未だ ほの ぐの 程に、 主上 出て 南面に おは 

ケん しん れラ かくざ せつ a ラそ じん だいり たか つくも 

します。 群臣 百 僚 各 座に 接す。 四方の 訴人 さラ なく 内裏へ 參り 集て、 高き 机の 上に 



へん かつ もミ ぃラし モラ ぜん ひこ なか はたけ や ♦* や 5 し 

變じ, 勝 元 も 猶子 を 佾 とせし かば、 宗 全と 壻 しう との 中ら ひあしく、 畠 山 も 養子の 

じっし * のい へ く くわん h- ゃラ い ラレ へん ■ ミ も 

後に 實子 生れし より 其 家亂れ き。 公方 も 管 領も 猶子して 後志の 變ぜし 事、 共に 同じ 

や * な, い せ いへ たす かたむ こ w w も X いたつ 

く、 山 名 伊勢が 人の 家 を 或は 助け 或は 傾けん とせし 事 又 共に 同じ。 されば 世の 至て 

おも ニミ X つぎ こ S たいせつ ほ ラでラ か ま くら タの そのの ち 

重き 事、 人の 世 繼の事 ほど 大切なる はなし。 北 條が鎌 食 殿の 嗣を絕 えし こと, 其 後 

てんし くわ、 r- ミ, T さ だ わ ラレつ よわ せっけ レ りう せい 

天子の 皇統 を亂 りて 王室 を 弱め、 攝 家の 支流 を 分ち て その 勢 を そぎし も、 皆 是れ世 

嗣の 事に あらざる はなし。 孔子 春秋 を 筆 削し 給 ひし 初に、 魯の隱 公元 年に 始められ 

けいし くにみ だ らいき ろん た い てラ 

しも、 繼嗣の 事より 國亂れ しが 故な り。 禮記 にも この^ を 論じ 給へ り。 されば 異朝 

せいし ニミ こ W おも わがて ラ h- やう うち けいしり ゃラ ちか 

にも, 世 嗣の事 を 殊に 重く し はべり。 我 朝の 古 も, 令の 中に 繼嗣令 を 撰み おかれ、 近 

わがしん そ はふし き たま この こ! S かへ す,^ じんしん 

く は 我神祖 天下の 法式 を 定め 給 ひしに も、 此事を 返々 仰せお かれし。 是れ 全く 人臣 

いへ じんくん お. <こ ミ ひがし ャ ま さの おん ぁミ 

の 家の みに は あらす、 人君の 御 事に か i れる なり。 東 山 殿の 御 跡の 事、 則, 】 れ により 

かさ Asi あんしゅ はラか くつが た かんしん みだ かなら 

て 重ねて 亂れ しなり。 闇 主 自ら 邦家 を 覆へ し 給 ふ も、 奸臣 世を亂 らんす る も、 必す 

ii 銃の 事に 起る なれば, よくく 心得 あるべき 事な り。 

よしまさ てんか いで ぉラ にんき な だい^ ちう こ 3 

義 政の 時、 天下の 政 二つに 出し 由、 應仁 記に しるせし 所、 後醍醐 中興の 政 破れし 事 

これ A だい タこ * か * フ じゅ るん かすが の っぽね ない そ 5 ミ 

. の 如し。 是皆御 臺所香 樹院、 春 日 局な ど內奏 によるとい へど も, その 事 を 執り行 ひ 

卷 十 一 四 五 九 



し 全 1 宗 字に 御 
後方 一 全 も 一方 
にス本 方り 本 I 
li t: つ 云 マ 此 
L リ宗々 ひ 下 



讀史餘 論 Mm ヌ 

レ^ , ひや うら i.* せ ?ち &»、フ わづカ 

し 袷 ふ 事 も 有りぬべし。 然るに 兵亂の 中に 成長し 給 ひ- 世 をし ろしめ されし 事繙に 

< ひ しゃ ま ,ど の ひさ ほさ てんか つ, ひ &ぶ ^ , 

てう さ 袷 ひぬ。 よからぬ^^ 山 殿 は 世 をし り 給 ふ 事 久し かりし 程に, 天 下 終に i わむ 

fy ほろぼ たま ぜんしゃ J , 

なり。 天の その 邦家 を 亡さん とし 給 ふ 時には、 善 者 有りと いへ どもい 力に とも 1 へ 

たき いん じん ちう わうよ ほろぼ なミ 

き やうな き 者と こそ 見え たれ。 譬 へば 殷に三 仁 あれ ど 紂王世 を 亡し 給 ふが 如し。 ヌ 

ii の^に ぉド1 れ しこと、 その^ I は i 熟に 起れ りと 雖, ことの 端と なりし は義 

りり &っ すけ y やくざい 1 しかず き -.' つて むけ , 

^試せら る i によれり。 その 故 は 满祐が 逆 罪に よりて * 義 量の 御 時に 討 手 を 向ら れ 

pt£ .rjsf きく iJ ラ しゃ 3 お ほ しか C ふ^. つてん せ; 

しに- §ぉ;<% がー k 功 ありし かば、 其 賞 殊に 多 かりき。 然るに 此 人道 天性 はら あ 

しく、 おごりぬ る氣 有りて、 畠 山が 家を颢 り、 赤松が 家の 絕 えん 事 を 謀りて、 遂に 

、つも W 、【く 0、 、 が tts© & だい タ ころ 3 , 

その 壻 ii 元と R. 快に して、 か 出 川 殿 を 世に立て 參 らせん 丄, 鉀臺 所の 御 力 中せ しな 

り。 この 人嘉. ^の 功な くば、 いかで かくまで 世 を亂る 程の 勢 は 有るべき。 さて 又 畠 

§斯 波 各^^ を爭 ひし 事、 ,亂の 端と なりし 第 一 なり。 畠 山が 事 は 初め 攻長を 勝 元が 

>> s e-yfi^^ . -丄 のち ft よしな. 9 か たん これ たて し さき 

衝貭 にて 宗封 S の 人たり。 後に は宗 全又義 就に 荷擔 して 是を 立ん とす。 斯 波が 事 先 

,J ら 5 い > な、 えん のき さ だち かこれ • よ レミし しりぞ つ ひ し. <>J ラ 

に は 【豕老 i.^ ^緣 によりて 望みし かば、 貞親是 を 用 ひて i を 退け 終に は 新造の 

さ だち か よしか S し. 9* よ,: >* さい 5 し のち じっし f / ^ ' : :、- 

申す にっきて ¥ 親 又 義廉を 退く。 又 この 時義政 猶子して 後實子 出来し 力 は 初の 志 



11 一記 政 樵 
兼 條せ道 譏 
茛の る の殆 
太 書耍耍 
閤盍^ I 



をん じ S ん じつ くらる ミく たく 

かに も溫 順の 人に てまし/^ き。 され ど 一日 も 位に おはし まさ, i れば、 その 德澤の 

よ お. * こ W よし ひさし や ラケ ん 

世に 及ぶ とい ふ 事 もな し。 義尙將 軍 は、 凡て 室町, 代々 の內に はす ぐれ 給へ る 人 主に 

せいしつ び しゃ 5 ぐん ふ ミく よ さ だ たま 

てお はしき. - 思 ふに その 性質の 美の みに も あらす、 父將 軍の 不德 にて 世 を 亂り給 ひ 

こ たま A づか ! M く なさ おん ミき ぶん 

しに、 大きに 徵 りさせ 給 ひしが 故な り。 自らの 德をも 修め 給 ひ、 十一 歳の 御 時より 文 

攀を 好み 給 ひて、 和 耿をも 嗜み給 ひ、 弓馬の 藝を習 ひて、 書法 を も 攀び給 ひき。 さ 

こ つきの すくね まさ ひさ ろんご かう • フらべ ャねミ も じ ほんぎ, か. つ はなの なしよ 

れ ば小槻 宿禰雅 久して 論語 を 講ぜし め、 ト部 兼俱に 日本 紀を 講ぜ しめられ、 花 御所 

,>** や ** へ いねお ふ もの -*> もん たび?^ ち * か は てんか せいむ 

の 厩の 前にて 犬追物 を御覽 する 事 度々 なりき。 十五 歳に て 父に 代り、 天下の 政務 を 

さい で、 フ たいか ふ やつ だんち んラ えら 9 い 

しり 給 ふ。 十六 歳の 七月、 一 條の 太閤に 望みて、 樵 談治要 を 撰 ませ 申され, 十九 歳 

しいか くわい もよ a さい はいが さんだい そのれ い 

の 二月、 詩歌の 會を 催され、 二十 二 歳の 時, 大 將拜賀 の參內 おはせ しに、 其禮 にな 

た i X つた はべ さい f * かくたいより &づか かふ 

らひ給 ひし 由、 世に も 申し 傳へ 侍り。 二十 三 歳の 時、 六角 高賴を 親ら 討ち 給 ひ、 甲 

が のが なほ さ? ぢん た ま ぐんち、 ゥ かう き や, r- かラ 

賀 に遁れ 去りし を猶 うた れんと て、 鈞の 里に 陴し給 ひし、 其 軍 中に も 孝經を 講じさ 

しゅんじ. レ でん かう きこしめ ぢん ちう fcl 

せ、 春秋 左 氏傳を 講じさせて 聞 召されし が、 つ ひに その 陣中に うせ 給 ひぬ。 されば 

おんじ この た t ぶじ;; た ミこ ろ 

文 事を好み 給 ひしの みに あらす、 武事に も 堪へ給 ひし 所お はせ しと 見えき。 この 人 

よ こ ミミし よ ひミ ほ さ ゐ もし むろまち さの ち、 r- こう 

世に まします 事 年久しく、 又 善き 人して 政 を 輔佐し 參ら せば、 若く は 室町 殿の 代 中興 

卷 十 一 四 五お 



史餘論 四 五六 

, 1 まに ミ ふか しんりょ お ぼ てんか, Cii れ け 3 しゃ 

るべ し」 と 仰せられし。 誠に 深き 神慮 ありと 覺 ゆるな り。 又 天下 亂ん とて は、 驕奢の 

てんか のみ たま ひさ よしみつ ち せい 

主 出て, しかも 天下に 臨み 給 ふ 事 年 久しき 者と 見えたり。 義満の 治世 四十 一年。 こ 

てんか さだま ぶ け れいしき 

の 時 天下 やよ 定 りて、 武家の 禮式も 備れる やうに、 世に は. &し傳 ふれ ども、 この 代 

うれ くるし しょ:;.! いみ ゃラ うら いきさ ほ お ほ 二 i ナ 5»J や 

. に 世の 憂へ 苦み、 諸 大名の 恨み 憤れる 事 最も 多. かりき。 これた r 上 一人の 驍奢 によ 

むろまち さの S き 5 ご た.. P た** 

れる 所な り。 され ど 室 W 殿の 代の さかりなる 時 なれば、 動きな く 世 を も 保ち 給へ り。 

その後 義敎 治世 は 十四 年な りし かど、 天下 以の 外に 苦み、 この 人 今 暫く 世に まし ま 

てんか A だれ あか * つ た t むろまちでの なほよ かさ 

さば, この 代に 天下 は亂 ぬべ し。 赤松が ためにう せ 給 ひし は、 室町 殿の 猶世 を累ね 

-4** ほさ ,0 だれ * のよ たいか 3 

給 ふべき ことの 幸に て、 しばし が 程 も 世の 亂 おそ かりし は、 又 其 代の 民の. K 幸に て 

よしまさ • ち せい てんか らん 

有りし なり。 さて 義 政の 治世 四十 九 年。 この 時に 至りて 天下の 亂は 出来し かど、 そ 

こミ お 二 よしみつ さ ざ よしのり いはん けうし A- 

の 事の 起り は 皆々 義 滿に萠 して 義敎に 長 じけ るな り。, 況ゃ 四十 九 年が 程 驕奢 を恣 に, 

た * てんか だいみ や 5 くるし き はま むろ t ちぞの なほ 

し 給 ひ、 天下の 大名 も 下民 も 苦み 窮り しかば、 室町 殿 終に 亡びし なり。 猶も その 代 

リち ほろ たま えい ゆ,.,' ひミ てんか ひさ しャタ ぐん 

の內に 亡びう せ 給 は ざり し 事 は、 世に 英雄の 人 もな く、 一 つに は 天下 久しく 將 軍の 

ゐ ;-く 七 <: i CN Ai だいかく ミ ザん.. J や ; もす る を 

威に 服せ しい はれ ある 故な り。 駁^ & 大舉 に雖, 有,, 善 者, 亦 無. 如,, 之 何, 矣と 

こミ い まで が はタの おんこ ミ & 

みえし 事, さも ある 事な り。 今 出 川 殿の 御 事 は、 その 代の もの どもに 見えし 听、 い 



九 ヶ月— 九 

夕 度の 誤に 

や 

W の 世 云々 



に. 曰く、 時 

日 害 喪、 予 

及 レ女偕 亡、 

、、れ 莨の 民 

が桀 王な 憎 

みれ る 言な 

リ 

c 足 利 氏 論 

(一) 



の 御代と なりて 一 年に. f 一 一ヶ月な さ れ ける。 然る を當 御代と なりて、 食 役の 臨時 繁く、 か 

だいじゃ 3 ゑ しもつき .?A じ らふ ゆつ 

かりし かば、 大嘗會 の ありし 霜月に は 臨時 九 ヶ月、 腿 月に て八ケ 度な り。 また 彼の 借錢を 

やぶ ぜんだい. もん W くせい こ W & よ . - 

蔽 らんと て、 前代 未 閒の德 政と いふ 事 をい ひ 出して、 この 御代に 十三 度まで 行 はれ けれ 

くら かた S * か. u た か. * た& この ひ ほ -0 われなん ぢ さも ほろ 

ば、 食 方 も 地下 方 も 皆絕ぇ はてよ、 夏の 世の 民の、 此日 いづく んぞ 亡びん、 我 爾と俱 に 亡 

つ きんしん きみ おも ち、 3 しん いさ 

びんと いひし が 如し。 もし この間 近臣の 中に 君 を 思 ふ 忠臣 あらば、 など か 諫め 奉ら ざら 

しか てんか せ け 八 なほ かけ w た 

んゃ。 然るに 天下 破れば やぶれよ、 世間 亡びば 亡びよ、 猶 いやましに 懸 取りて、 他より 

だんび .it.o*< は * A ん けん ザん ペラ 

一 段 美 をみ がくやう に 振 廻ん とする 無道 は、 是猿 犬の 前表なる べし。 

さだま けうし レ T i 

按す るに、 天下 や i 定り ぬるに 及びて は、 驕侈必 す 生す る 事に や。 記の しるす 所 を 



むろ 象ち け まゥ りさ ミ すで よしみつ よ きざ よ しのり よ よし 拿 さ ミき 

見る に, 室町 家の 政 亂れし 事、 旣に 義满の 代に 萠し、 義敎の 代に 長 じ、 義 政の 時 ^ 



至りて 極れ ろな り。 食 役と いへ る は, 富 商 富 民に かけて 錢 かり 給へ るなる べし。 か 

こくよう ふ * そく か& いち |2 ん けう レ りラ へいか &ん き 

く國 用の 不足 するとい ふ 事 は、 皆 是れ上 一人の 曦侈 によれり。 その 流 弊 下民に 歸し 



&んく わざ は ひ かみ P らん もの 

て、 怨苦 せし 所の 禍、 終に 又 上 一人に 歸 する ものな り。 天下の 亂と いふ 物 は、 その 



よる 所 端 多し といへ ども、 その 根本 は 天下の 財つ きて、 民窮り 大名 貧しく なれる よ 

こミ わがしん そ ふ こ きん ザん ユ らん きんぎん てんか &だ 

り 事 起るな り。 我 神祖. 府庫の 金 鈸を御 て、 「この 金銀 半に ならん 時に 天下 や ょ亂 



卷 



四 五 E 



義普義 鹿て 嚴 
教廣滿 苑華麋 
院 院美 I 
殿殿搔 

め 



讀史餘 論 四 五 四 

- せいだ.,' ふ せい &っ f- かん &ん レ じャ 5 31 ょレ *s 

者、 御 政道の 不 政の 事 を かなしみ、 密々 に 諫言 をつ r りて 一 紙の 狀を捧 けしに、 義政 大き 

に 怒り 袷 ひ、 「諫 むる 所に 一 つと して 道に 當ら すと いふ 事 はな けれども, その 司に あらす 

はふ かんゆ.. C い で 7 らラ ザき すぐ し X りャラ 

して、 法 を 行 ひ諌言 を納 るよ 條、 狼藉 是に 過る 事 あるべ からす」 とて、 所領 を沒收 して 追 

らん ザん く i> ぶけ ミひ るん き や、 フ ぃラ ひ、 く な 3 いんん ん よし ま J* 

ひ 出さる。 〇 亂 前の 公家 武家 都鄙 遠 境の 人民、 薆 悲苦惱 せし 因緣 は、 義政 首て 人の 費に 

じょ ラ こミ た4* こ-ろ fit じんせい くだ たま 

乘 する 事 をし り 給 はす、 心恣 にもた せ 給 ひて、 仁政 を 下し 給 はざる 故に、 もし 五六 年に 

ITS おん はれ しょか たいぎ しか s w 

一度 あらん 御晴 さへ、 諸家 ゆ-しき 大儀 ぞ かし、 然るに 五 年の 中に 九ケ 度まで 執り行 は 

ほん レ f7 え た いしゃ、 フ はいが くわん しゃ 5 》 か はらの さるが, r 

れし こそ 悲し けれ。 一番に 將 軍の 大將 拜贺、 二番に 寬正五 年 三月、 河原 猿樂、 三番に 

5 つち & か S の るん そく 10 や; afc のじ ゃラ けい かすが y しゃ.? A ttA 

同年 七月、 後土御門 院御卽 位、 五番に 同 八月 八幡 上 卿 ノ六番 に 同 九月 春 日 御社 參、 七番 

だいじゃ、 r>*? ぶんしゃ 5 い * さん i>5 ほん はな & ゆき しょけ 

に 同年 二月 大嘗 會、 八 番に文 5 元年 三月、 伊勢 御 參宫、 九番に 花の 幸。 是 によりて 諸家 

たい 九い ん みん つ ひ 丸 さんご はなの-ごしょ いら か しゅぎょく きんぎん 

の 大營、 萬 民の 費、 言語の 不, 及と ころ 也。 〇 又 花 御所の 聲 珠玉 をみ がき 金銀 をち りば 

まんさし 々一 しょ おん は みだい タ 二ろ こしし や 5 じ け. A 

む。 その 費 六十 萬綣。 竝に高 倉 御所 義 政の 御 母御 臺所 のちに 入り 給 ふ 腰 障子 一間の 憤 二 

t ん せん これ ごんれ い はか しょこく くわ A. く 

萬錢 なり • 是を 以て その 嚴鼴を も 計るべし。 〇 是を 以て 諸國の 土民 百姓 等に 課役 を かけ 

だんせんむ^ 2> さま けんせき く iit な ねし かラ さく 1- SC す 

段 錢楝別 を 色々 の樣を かへ て 譴責 すれば、 國々 の 名主 百姓 は 耕作 をし 得す、 田 畠 を桧て 

こつじき し t か ろく 4* ん る ん さの ^<ミ き くら やくし き ふく わう .0ん¥ の 

乞食して、 足に 任せても だへ ゆく。 鹿苑院 殿の 御 時 は 倉 役 四季に か i りけん、 普廣院 殿 



五番 I 此上 

に 原書 四番 

な闕く 



せ しん きゃラ す もが t> V5 い 4i が は もく I んミく aj^s.tt?w*t り. P 

伊勢 新 九^ 勢 新九郞 京より 駿 河へ 下向し、 今 川に 屬 すと いふ。 延德 元年 ITI^i つ „ 三月 二十 六日. 

— 4f^lnffllf しゃ 5 ぐん のない だいじん よしひろ ぢ んちラ こ、 プ 二 JI ざいしょく よし ♦* さ よし 

將軍從 一位 內 大臣 源 義胰鈞 の 里の 陣中に 薨す。 在職 十七 年な り。 義政嗣 なければ 義 

み よしみ の き らくらく しょく よしむら f ん しゃ ラ 

視と 和す。 四月, 義親美 濃より 歸洛 落飾。 その子 義村を 義政養 ふ。 二 年 正月 七日、 前將 

ぐん の じゅ つ マ r- よし ま s sh ぢ せい よしむらし ゃラ ぐんせん ひ f さんぎ 

軍從 一位 左大臣 淮三后 義政薨 す。 タナ 治世 四十 九 年な り。 七月、 義村將 軍 宣下 お 參議 

じゅ ゐの に ふ だ5 だいな -ん よし A £.r じゅ み ひや. TiJ 

從四 位下 中將 たり。 三年 正月 七日, 入道 大納首 源 義視薨 す。 字_ 四月、 從 三位 左 兵衞の 

- も £41 ヒ。 ぶ、 う 4" *Ar* レ華、 に お.、 じん、 よし ** さ せいはい くわん りゃラ 

督源政 知 伊豆 國に 卒す。 Its 御難^ S ま;^ し 14?、 應仁 記に 義攻 天下の 成敗 を 管領に 任せ 

さ だ いさころ か. "'じゅ. 人 かすが のつ ぼね h- ひ -ゎ きま. く じ あなに よ う 

す、 た r 御 臺所香 樹院春 日 局な どい うて、 理非 を も辨 へす、 公事 を もしり 給 はぬ 靑女 

•1、 - C . f そうび く に たち しゅんん いんら く さ た たぐい t ひいき 

1 の 房、 憎 比丘尼 達の 計 ひに て、 酒宴 嬸樂の まぎれに 申し 沙汰せられ しかば, 13、 今迄の^ 貭 

字^し ろんじん しょり や 5 わいろ そじん り ぶ: V や. 7 

につの りて、 論 人に 申し 與 ふべき 所領 を も, 又 賄賂に ふけり、 訴人に 理を つけ、 父 奉行 

WB, j Irf しょ ほんし ゆ あん さ & だぃタ ころ おんしゃう さくらん はたけ や ま 

論 人 —起訴 所より 本 主 安堵 を 賜 はれば、 御臺 所より 恩賞 を 彼, 行。 如, 此錯亂 せし 間、 .as 山 両家 も 去 

4 ぶんあん かふし こんねん ていがい たが ひ かんだ う 

る 文 安元 年 甲子より 今年 應仁 元年 丁亥 ま で に纔か 一 一 十四 年 の 中に、 兩家 互に 勘 當を蒙 

さ . レャ めん - * なん. ふぎ ち 5 

る 事三ケ 度、 赦免 せらる よ 事 も三ケ 度な り。 これ を 見る に 何の 不義 もな く、 又 何の 忠 もな 

ぶ もい いへ よし!, J しょし かさ ゎづか かい タ * フ これ い せの か A さ だち かす. きょ 

し。 又 武衞の 家に 義敏 義廉、 纔に十 年の 中改動 せらる よ 二度な り。 是皆 伊勢 守貞 親吹舉 

いで いろ この いんち やく が ラレ * つし ほづ ぢ 3 にん ほ、 フこ.> 

の 下より 出て、 色 を 好み 嬸 著せし 故な り。 〇 その 頃 江 州 鹽津の 住人 熊 谷と いへ る 奉公の 

卷 十 一 四 五三 



讀史餘 論 



四 五 二 



山 名 二色 被き、. 左衞 門の 佐 下向。 大內新 介 降り、 武衛 ipL111_J」 L3、 ^xnjnii^ a^Kmssi ^、旨 一お SS 

土 岐下圜 して 、洛中 靜謖。 御所 樣御 悅にぞ なり ゆると ま々。 五 年 三月 十九 曰 山 名右衞 SI 眢 $fl 豊入這 t ーォ圣 



四十 二 11 

本 「四十 四. 



卒す。 $ 五月 十 一 日、 紙 ^右^ 大夫膨 元 卒す。 i『 藤 元年より 是 まで 七 年の 戰、 勝負 



四十 



ねん 



り や、.' は.,.' たいしゃ、 T- よ た 5 らくち V せん ぢん .* レひ さけんぶ く せいい 

未, 決して 兩 方の. K 將 病死す。 され ど その 餘黨猶 洛中に 戰陴 す。 十二月、 義尙 元服、 征夷 

の ^ Z はたけ や ** レレ. * く よしつな 

將軍正 五位 下 左中將 たり。 |數* 畠 山 政 長 管領たり。 七ケ 日に て 止 職。 同義 統 管領す。 九 

や *i な がた き ゃラ » こく よし & & の tslffi もとよ OS ら V? ,けい^ £ 

年 十 一 月、 山 名 方の 大名 皆々 京 を 去りて 歸國。 義視は 美 濃へ 赴く。 删别 方たり き. 洛中 靜謐 



し、 邕山政 長 又 管領と なる。 應 仁より この 年まで 十一 年に 及ぶ。 是 より 諸 大名 在國 して 

きん、 I く め ふりや. 7 ぶけ a な. nf も ^ さ だ わぼく こが His さ だ やまの i ち い 〈 

近國を 押領 し、 武家の 威衰 ふ。 十 年 成 氏 顯定と 和睦し、 古河へ 歸る。 顯定は 山 內の家 を 



つぎ、 上野 平 井城に 在り て 八州 を 管領す。 扇 ケ^の 修理 大夫定 正が 臣. K 田 道 * が 子道灌 

ふ し ざいこく や t の 5*c そむ め ふ y やつ り や 5 

武 州に 在り。 この 父子が 謀に て, 在 國の兵 山. s: を 背きて 扇ケ 谷に 隨ふ者 多し。 是 より 両 

、r 'へす ぎ よし ひさ はん はじめ ひや,, 'ぢゃ *r-Ji じめ よし 氧 3 ff 

上 杉 戦に 及ぶ。 同 十 一年 十 一 月義尙 十五 歳、 判始 評定 始。 是 より 義攻は 東 山の 東 求 

だ 5 Z き こ ぐ わ もて. c そ S たや * きん は y^^s ペペ 。 比 寺 我 K . 

堂に ありて、 古器 古 畫を翫 び、 年月 を 送り、 北山の 金閣に 准へ て 銀閣を 作らる 十 

七 芋- ^ぎ辦ぉ 和を義 政^ 子に 乞うて 赦 さる。 十八 年、 勝 元が 子細 川 右 京大 夫 政 元 管 領 



たり。 此年、 顯定が 謀に て、 太 田 道灌定 正に 殺さる, 是 より 扇 ケ谷衰 ふ。 長莩 元年 九月、 

さ t 5 た いより よしな ほ たかよりか- * が さ A; はし よし ひさ まがり さま UJ 

佐々 木 六角 高賴 上洛せ す。 義尙 親征。 高 賴甲賀 山に 奔る。 義尙鈞 の 里に 陴す • この 年 



は AJ に- かつ もミ ミ か よしる えいさん 

よし 謀る と閗 えし かば、 裂 政 も 疑 ひ 給 ふと 聞 ゆ。 勝 元 その 疑 を 解ん ため、 義視 を^ 山に 

上らし む。 sfm、、 ^ss^5fu: やがて が陴 に^へ 护がん とす。 一 おれよりし^ 

もら そ ぶんめい .1 ふみ ろく かく かめ じ s まも や *4 な が. u お ほ うち 

兄弟 國を爭 はれし 如くに なりぬ。 文明 元年、 近 江に 六角 龜壽丸 山 名 方に て 起り ぬ。 大內 

か がの か A そむ ほそ か は ひま よしより のりより つ しま ちく 

の留主 1 一尾 加 賀守は 主 に 叛き細 川に 屬す。 この 隙に 少貳嘉 頼が 子 敎賴對 馬より 出て、 筑 

ザん ほんり ゃラ さり かへ しう で 5 くわん はく かねら じ たい さラ でん こ w.*— 

前の 本領 を 取 返し 九州 亂る。 1 一^ 七月、 一 條關白 兼良辭 退。 時に 六十 九歲。 相傳 の書悉 

く 兵火に やく。 その 後奈良へ 蟄居。 その子 前 關白敎 房 は 兵 庫へ 下り、 その 孫 房 家 土 佐に 

下る。 その後 赤松 勢播 磨より 上りし に、 兼 良の 孫 殺さる。 その 時 兼 良、 

もののふ 

とても 死ぬ る 命 をい かで 武士の 家に 生れぬ 事 ぞく やしき 

^ はな * の むろまち さの ほ, フ ひ でんじ よし ♦* さ ゑち ザ 八 あさ 

十二月、 後花園 上皇 室町 殿に て 崩す。 11., 三年 正月、 悲田 寺に 葬る。 五月 義政越 前 を 朝 

くらた かか ゆ ゑち ザん し はり ゃラ か ら, f へいらん レミ ころ くに ^tt 

倉 孝 景に烚 ふ。 越 前 は 斯波領 しける を、 家老 甲斐 兵亂 のま ぎれ に 主 を 殺し 國を奪 ひし を、 

あさ くら ぶ ゑい し そんら ラにん くわん ミラ を はり ぶ ゑい か ら, r- 

朝食 是を うつ。 その後 武衞の 子孫 浪人して 關 東へ 赴く。 尾 張も武 衞の國 なりし を、 家老 

swsui 、フ 。大系 圆に、 義 廉は應 仁の 時 鞠 欲に 同じ。 これ は教良 を 家督と す .8 '?^ ^ t f?^.^ .y,00 

織 田 奪へ り 良 は弒淳 の 子 、後に 義寛 と改 むと 見えたり。 この 人 殺されし はや。 この 年 古河の 成 氏 上杉顯 

さ だ こ rtl ち tt らくち、 フ よし 象 さ e € 

定に 古河 をお とされて 千 葉へ おつ。 四 年 洛中の 戰猶 やます。 義 政の 仰せに よりて 能 登の 

K ほそ か は ほく こく ぢ ひ T ら *7 みつま やまな がた はい Rnl=- 

畠 山 g 細 川に 降り、 北國路 開けて 兵粮 多く 5; に聚 る。 山 名 方の 輩 降る 者 多し。 g や S 

卷 十一 四 五 一 



讀史餘 論 



四 五 〇 



二十 三日 I 

一 本 「二十 

二日」 

應仁 別記— 

應仁亂 の 事 

^記せる 書 



御 引 I 一 本 一 

「御 焱眞」 

其方 樣 もの 

I 一木 「其 

外の 者」 



構へ ぬ。 五月 二十四日、 山 名 方, 一色 左 京大 夫が 構、, 御倉の 正 鬣が iii 形 を、 膨元方 成眞院 

V- きり 

うち 入りて 陣取たり。 



くれば 二十 六日、 兩陣相 分れて 矢 軍 を 始めたり。 此日勝 元 出仕 

よつあし もん ほそ か はがた 18 拳、 3.5、 ** ねき のか さ 

して、 御 旗竿 を 申し 下して、 四 足 門に 御 旗 をた っノ 〇 細 川 方、 勝 元 嵫 讚 岐守政 

ゆき T-by、 の 4-, あは ぢの At いづみの o し は よし ミし まさな が !G»L、tB7 き ャラ ごく の 

之 II. 備中守 I 淡路守 歸 和 泉 守護 S 斯波 f 、 畠 山 政 長 I、 伊お I。 京 極大 膳大夫 

一 i I. S IKri^ni 驛、 凡 i 一十 i 一州の 兵 十六 

♦4 んょ じん や ♦* な が fc モラ ザん Iawp、§ さ がみの かさに ふ II、 つ QMS* いな tt のし ゆで 3 の , is^E.、 し は • よし 

萬餘 人。 〇 山 名 方、 宗全 ^備 I- 相 摸 守 入道 il* 因幡 守護 難 修理 大夫 gl。 斯波義 

かさ st% I よしなり U^B* ? の よし *3 のたい ふ よしな ほ チ爱 、尹 > の いふ 一 

廉 f^§。 畠 山義就 £、和紀|。 修理 大夫義 純 S 一色 左 京 太夫 義直 土岐左 京. K 夫 



, ま^ ^ 六が 四郞 ii、lm 新 介政弘 S 、、& 、!& 河 野 1 凡 一 一十 七 州 十 一 萬 六千餘 人。 

らくち、 f へいせん かつ も!,』 はなの ごしょ 

かくて 六月より 日々 に 戰ふ事 止ます。 洛中^: 悉く 兵 焚。 八月、 勝 元 主上 上皇 を 花 御所 

へ迎 へ參ら す。 是は義 政 山 名に 心 を 通じ 袷 ふと 聞え しかば、 主上 上皇 を 翼 戴 せんとの 謀 

IJt よし A い せ W こくし ちうな 2 ん のり ミも やかた はし 11 1=*ccndlu' る 1、 *KPO?inTi 1 

なり。 。この 月、 義視 伊勢 國司北 畠 中 納言敎 具が 館に 奔る。 W^SJi お t 所 

月 廿日、 細 F が屋 形へ 招ず。 ^Ktt 事 を尋 られ しに、 御所 樣子 K は 山 名 を 御 引 あれば、 乙め 御所 i 賴入 fe ると 計^ ふ。 廿ニ 口に 教 

IK ょジ 使して、 一 所 はも はさん 事 は 膀 元 申 支 ふる 故^、 5» 引の 由な リレ 等閉 なき 事 肝要な fet 其徇所 はと 教ほ より 仰せち 



伊^^ I お ,二 年 正月より 三月 迄、 東西の 陴洛 巾に て戰 へば, 其方 樣 もの 

くこ た 》* か .?> つも ミ よし .A き らく よし A かつ も S 

ども 國々 にて 相戰 ふ。 四月、 勝 元義親 を迎 ふ。 十月 歸洛。 然るに 義視を 勝元か 君と せん 



主上 御幸 I 

一 本 「行幸 

御幸」 

參リ しか ど 

—一木 「參 

リ しが」 



左 馬頭 持 堅 

I 一木 「右 



. 政 長と 戰 はんとす。 政 長 御靈の 森に 退く。 是れ細 川が 要害に 近ければ、 その 合力, を 思 



ふ:^ なり。 宗全 やがて 室町 殿へ 主上 御幸 をな す。 この 日 又 勝 元へ 御 使 有りし かど 承伏せ 



よし & ほそ か は&ん ぶの * • 

す。 義視 より 細 川 民 部 少輔敎 春 を 使と なさる。 敎春 身の 暇 申して 參 りし かど, 勝 元 も 政 

長に 合力すべからざる よしを 領 掌す。 落 書に、 

春 くれば 又う ち 返す 畠 山な ほい さか ひの 種 を 蒔く らん 

かくて 十八 日の 卯 時より 終日 戰ひ くらし、 政 長 元が 助け ざり しかば、 その 夜 落ち行 

„ t の 時 K 長: JS 死の 

く ょレ 申せし な CV- 



古 具足 御靈 までき て 尾 張 殿 細 川 ぎれ をた のむ はかな さ 

細 川 は 墨 俣 川と 名のれ かし 尾 張 そこな ふ 川と こそき け 

かよりし かば、 洛中 暫く 靜謐 し.. て、 山 名 畠 山. か 驕奢 最も 甚し。 かくて 膨ール が 叔义左 頭 

もち かた ない {. か p も! = *3 ぜん いくさ いまで が はさの a そか は 

持 堅 入道 內々 勝 元を勸 めければ、 宗 全と 軍 起らん と 聞え しかば、 今 出 川 殿 細 川 山 名が 方 

わぼく ぎ お ほ かつ もミ あか *4 つじ ら 3 き、 つ しん は. ci び ザん 

に 行き 給 ひて、 和睦の 儀 を 仰せら る。 勝 元が 謀に て、 赤松 ニ郞が 舊臣等 播磨備 前にう ち 



よし ミし きう しんら 3 ちい わか 1 

入り、 勢 州へ は 土 岐世保 五 $康 うちいり、 尾 張 遠 江へ は 義敏が 舊臣等 打 入、 若 狹今富 

たけ だ ゆ かラ しき け 仁ん そ、 フ ぜん か; i ラさ やかた? - えう がい 

の莊へ は武田 下向して、 一色が 家人 を 追 ひ 出す。 宗 全が 方 人 憤りて、 屋 形々々 に 要害 を 



卷 



四 四 九 



讀史餘 論 



四 四 八 



此後— 一 本 

「も 仰 - 

義就は 云々 

II 本 「義 

就 は钕長 追 

出して 屋形 

^取らむ と 



よかり ぬと 思 ひて、 姊の尼 安淸院 して 御臺 所へ 每日 申しければ、 やがて 出仕の 事 御 ゆ 



るし あり。 文 正 二 年 十二月 二十 五日に、 上洛して 出仕す。 其 あした 彼が 旅 宿の 千 本の 地 

ざ ラゐん もんぴ らくがき , - 

藏院の 門扉に 落 書す。 , , 



右衞門 佐いた r くもの が 1 1 つ あり 山 名が 足と!: 所の 盃 



あく おうじん くわん りゃう の- わう: a ん こ、 7 れい くわん り や、 フ おん 

明れば 應仁 元年 正月 朔日、 管領 畠 山 左 衞門锊 垸飯を 勤む。 二日 は 恒例に て、 管領へ 御 



成始 たるべ し。 しかるに 明日の 御成 思 召 仔細 あれば 後日 を 期せら るべ しと あり。 政 長 「四 



五 年の 間、 八ケ 度の. K 儀の 御晴 して 奉公 他に 異なり。 別の 街慜 こそな からめ、 此後は 如 



なる 事ぞ」 と周舉 す。 義就は 政 長屋 形 を 追放して 取らん とす。 政 長が 方に も 矢 食 搔循か 



きて 是を まつ。 例の 如く 十五 日 山 名が % 铋事訖 りて、 夜半ば かりに 今 出 川 殿へ 參り、 室 



町 殿へ 入れ 參ら せ、 義就 上洛の 上 は 萬 里 小路の 館へ 移らん とする に、 勝元玫 長に 力 を 合 



す。 Hi は 上意に 背き、 且は 叛逆 を 企つ るか、 上使 を 以て 玫長に 合力の 事 を 止めら るべき よ 



し 室町 殿へ 申しければ, やがて 上使 あり けれども 勝 元 承伏せ す。 遂に 「諸家の 粲政 長義就 

あ ひて しょ ラぶ やまな ちラゃ 

に 合力す ベ からす、 た r 相手む かひに 勝負 を诀 すべ し」 と あり。 山 名 r 此程晝 夜 四日 迄 歎き 

おん & ぢ よしなり « 

申せし に、 此御 下知 はいかに や 一とい ひしに, 義就 「御 下知 尤も 願 ふ 所な り」 とて、 十八 日 



わかめ— 若 

妻、 若布 

今 出 川 殿— 

義莨 ない ふ 



して II 本 



の悤 劇甚し。 その 時の 落 書に 

義敏は 一 一見の 浦の 蟹 なれ や 伊勢の わかめ をた のむ ばかり ぞ 

うつせ, * よ レミし 

空蟬 のうつ i なき 世に出で すと もつ くし 義敏 人り て 居よ かし 



今 出 川 殿 は、 ま康!: 淤 s のよ しい ひ 沙汰せ し 程 に, 御兄^ 不快の やうに ありし かぱ, 義 



視勝 元が 家に 竊 にわたり 給 ふ。 又貞 親が もとへ は、 天下 を 亂る張 行に よって 細 川 山 名 上 

ラ つて さ だ ちか ふ し しん ざう せいだ、 f あ ふ 

意 を 得て、 討 手 を さしむ くと しらせければ、 四月 六日の^、 貞 親父 子竝に 新造、 西 堂、 近 

み ぢ よ レミし ほく こく しょだい みやう れん はん さ だち か せきあく 

江路 にかより てお つ。 Is も 同日 北國に 落ち行く。 九日に 諸 大名 連判に て貞 親が 積惡を 

もう しゅっし さ だち かつ &はラ 

訴へ、 誅 せられ ざらん に は 皆々 出仕 を 止むべし と 望みし かば, 貞親 追放の 仰せ あり。 

さ だち か あ ふ A ふな 

貞親は 近 江の うらの 鮒 なれ やめに まかれて ぞ 口にい りけ る 

くみおきし 竹の 力の 强 ければ 破れ かねた るし ぶか は ごかな 

• ち、 フ のみ こ ミころ まか い 念で が はタの ひ の だいふ 

蔭 涼 をも誅 すべし と 望みし かば、 是も請 ふ 所に 任せられ、 十一 日に 今 出 川 殿へ 日 野内府 

かラ ぶん S. つ しん け しき いっしきい よの かみ. . / , ゆ, I 卞 • 

を 使と して 告文 を 送らる。 同心の 氣色 なかり しに、 一 色 伊豫 守諫 めし か ば歸座 ありき。 

はたけ や ♦* よしな. 9 ひ の ない ふ きたの こ、 フぢタ の & だい ぞ ころ ノ 

さても 畠 山 義就は 日 野 內府北 小路 殿 を 頼み、 御臺 所へ 歎き 申せし かど 御赦 され もなか 

モラ *. ん た け やま * f かれ た 5 け 

りしに、 宗全 入道 去る 嶽 山の 戰 にて 彼が 武勇 を 見て ければ、 彼 をみ かたと せば 當 家の 爲 



卷 



四 四 七 



is 史餘論 



四 四 六 



給 ひて II 

本 「給 はや. 



三 職 I 三人 

の 管 頭、 斯 

波、 細 川、 畠 

山 



六 年— 一 本 

「五六 年」 



明巖— 一 本 

「明 意」 



分國 I 己が 

支配 LL 屬せ 

る國 



ければ、 義視世 を 知り 給 ひて 勝 元 その 權を 執りぬべし, いかにもして 義視を はから 

んと てこの 事に 應ぜ しとな り。 

f ぶんせい し » の よしか さう ひや 3 ゑの よし ミ しそ、 r- ろん し tt 

明る 文 正 四 年 四月、 .斯 波 右兵衞 督義廉 右兵衞 佐 義敏爭 論の 事 あり。 是ょ りさき、 斯波 

そ 、ひり や、 f ちょ ミく abs^llltp お ほの しゅり のたい ふ よし ミし しょく 

の總領 千代 德 早世 fi^" して 子な し。 大野 修理 大 夫が 長子 義敏 をよ つぎと して, 三 職 

y ほぞ かひ あさ くら おに けにん ふく わい い * のか &さ だち か 1 

の 座に おく。 程なく 甲斐、 朝食、 織 田 等の 家人と 不快に て 有りけ り。 伊勢 守 貞 親が 妻 は 

か ひ さビ ちか, しぶか はぢ ぶの せ,.' よしか さ 5 

甲斐が 妹な りし かば • 貞親 によりて 訴 へしに、 やがて 漉 川 治 部少輔 義廉を 立て 袷うて 右 

ひや 5 ゑの か& よし ミレ つくし お ほ 3 ち の の のり ひろ たの 

兵 衞督に 任ぜられ、 義敏を 返 けらる。 筑 紫に 下りて 大内左 京 權大夫 敎弘を 頼みて 有り 

のち よ. し さ だち か めかけ しん 3、r- ちょ、 ゥ あい 

しが、 六 年の 後に、 義敏が 妻の 妹貞 親が 妾と なりて、 新造と 名 づけて 寵愛 不. 淺、 その 



妾貞親 をして 取りな さしめ、 義 政が 息 松 王 丸 を 鹿 苑の蔭 涼 軒 貞蕋西 堂の 弟子と なし、 西 

だ、 3 よし ミし しゃめん さ だち か ひや ラ ごのすけ さ だむ ね さ だち か 

堂して 義敏 赦免の 事を欵 けり。 貞 親が 子 兵 庫 助貞宗 諫め 止めし かば、 貞親 かれ をへ だて 

おも よし ミし くわん .J ャ、 フ じゃラ らく ち t しゅり のたい 

思 ひしに、 程なく 義敏赦 されて, 寬正六 年 冬 上洛して、 十二月 二十 九日に、 父 修理 大 



夫 入道 明巖 と共に 御所へ 參る。 この 年の 夏の 頃、 1 を斯 波の 家督に なされし かば、 義 

かさ そうぜん 12 ふだ ラ ぶんこく め よしか タ を はり ゑち ぜん せい 

廉し うとの 宗 全と 議 せし に、 入道 やがて 分 國の兵 を 召し 集む。 義廉も 尾 張、 越 前、 遠 江の 勢 

め や かた やぐら かいだて ま しょだい & やう のぼ らト、 ちラ 

を 召して 屋 形に 櫓 を 上 ゆ、 搔搪を かきて 待つ。 諸 大名 も 皆國々 より 兵 を 召し 上す • 洛屮 



讀史餘 論 卷 十一 

むろ ♦* ちけ よ t 

o 室町 家 代々 將 軍の 事 中 

くわん しやう はたけ やま の よしなり よしまさ そ ひ かほち しり * わか 九 X を 

寬正 元年 九月、 畠 山右衞 門佐義 就又義 政の 命に 背き、 河内べ 退. き 若 江の 城に 據る。 尾 

はりの かみ i ゴ なが せ よしなり たけ や 象 こんたい じ よし まさ 

張 守 政 長して 攻めら る。 義就、 嶽 山金胎 寺に 城 守して 戰ふ事 やます。 三年 四月、 義政、 

ほそ V はやまな r_ t き よ し 5 まさな が こんたい じ 

細 川、 山 名. 武田、 佐々 木 等す ベ て 二十 餘 州の 兵 をして 政 長 を 励 けらる。 舍胎 寺陷 る。 四 年 四 

月、 嶽山陷 る • 義就 高野山に 奔る。 政長是 をせ む。 義就 ひそかに 吉野 山に 通る。 十二月、 

まさな が ^ つち &かタ の. 0んく わんし ゃミ 氲 さなが くわん り や、 フ よしまさ 

政 長 上洛。 後土御門 院寬正 五 年 八月、 政 長^ 領 たり。 この 年 十一月、 義政 弟淨土 寺の 

ぎ じん き らく の の よし & ゅづ やく ほそい ** 

門 主義 |ま を歸洛 せしめ、 從五 位下 fcs 頭義 親と 名のらせ、 天下 を讓 らんと 約し、 紲川 

勝 元 を その 執事と す。 linn 寧 六 年 十 一 月、 義政 男子 を 生む。 離 。ち 御臺所 贐 鼓 H 

frc ひそか やまな そうぜん そうぜん 

竊に 山名宗 全を賴 みて、 その 男 を 世に たてん こと を はかる。 宗全 是に應 す。 

かつ もミ そ うせん むこ かつ もミ はじめ こ そうぜん to- しな 5H 

按す るに、 勝 元は 宗 全が 聱 なり。 勝 元 初子な くして 宗 全が 子 を 養 ふ。 その後 實子生 

や ラレ f そ 3 ザん あかまつ じ らラ いへ うら 

れ しかば 養子 をば 憎と せり。, 宗 全心よ からす。 又 赤松 二 郞が家 を 立てん 事 を 恨みて 

卷 十 ! 四 四 五 



is 史餘論 四 四 四 

fl だいご なんざん *-< か 5 なんぼく 2 がつ たい 

按す るに • 後醍醐 南山へ 遷幸 ありし より、 五十 五 年に て 南北 御 合 體* その後 五十 年 

に は 南 帝 ふたよ び吉 野に 起り 給 ひ, 其 後 十五 年に て 討 たれ 給 ひぬ。 すべて 南朝 百 二 

十 年に して ほろび 給 ひき。 



、え-て,. ^さ ノ、、 1 じ 5ぉ。 南お; K はは、 この度 政長教 おの 命に 背きし かば、 義就 4 を 催して 坷 向 ひ.: 、大ほ 一一 ナ 

命し 一し 和睦せ しめ HE 入洛 六日、 眷星明 寺 河原 はて 戰 ひける と 。王 代 一 _s はは- 義就河 £ょ り 3で 、大和 片 

^SWIIf し §51, 4 ぎ 元年 九月 二十 六 曰、 義攻弟 香嚴院 を歸俗 させ、 一 1 マ 左 馬頭 政 知と 

くわん ミう ミラ 3 く なり うぢ ♦* さミも の ほり こし 

名のらせ、 關 東の 主と す。 され ども 束 國の兵 多く 成 氏に 志 ありし かば. 政 知 は 伊豆 國堀越 

に 住す。 山 內扇ケ あ 皆是を 仰ぐ。 ほ 115 は gugulj? 二 年 六月 二十 七日の 夜、 南 帝 高 福 

ゐん さの ほ 5 ぎよ き らく なんて ラき でん みつすけ か にんい は& ^ でうな いだい じん さねかず つか あか 

院殿 崩御。 砷璽 歸洛。 南朝 記傳 に、 满祐が 家人お 見太郎 三條內 大臣 寶 量に 仕へ しが 赤 

まつ いへ- U な 4> fc かラぢ まんしん ち t たの よし もんじょ み 

松が 家絕 えし 事 を 歎きて、 尊 氏 圓心を 父と 頼まる i 由の 文書 等 を も 見せし かば 、「いかに 

か *- つ ぎゃく ざい なんてい しんじ , て- b 

. もして 嘉吉の 逆 罪 を 免る i 事 や 有るべき」 と ありし に、 「南 帝 をう ちて 神璽 を 再 ひ 朝に 默 

。 じて 罪 を 贖 ふべ し」 とい ふ。 內府 かくと 奏し、 武家に も 仰せられし によりて 赦 さる。 赤松 一 

*v, きね がさ なか むら よ liA せんてい つか こ! -* こ » 1 

族眞 島、 衣笠 竝に中 村彈正 等と 相議 し、 十 餘人南 帝に 仕 へん 事 を 請 ひし かば ゆるさる。 此 

なか むら なんてい てお ミっ が は せんかう ほラ 

夜中 村 忍び入りて 南 帝 をう ち 奉る。 手 負 ひ 給 ひながら 十津 河に 遷幸。 終に 崩御な り。 中 

ま しま きね がさ 5tt みやこ かへ お ほうち よしまさ 

村 討 たれし かど、 眞島、 衣笠 等 神璽 をば 奪 ひ 得て、 都に 歸 りて 大內に 奉る。 義政 やがて 

みつすけ よしまさ しゃう そん ほふし いち つまる あか 

满祐が 弟 義雅が 子に 性存 法師と いひし、 それが 子 一 松 丸と て五歲 なりし を 召し出し、 赤 

まつ まさのり が, 7 € がし やす; i か か が はんごく *;f ザん いはみ や A3 ち 

松 一 一郎 政 則と 號 して、 富 樫 入道 安高が 跡 加 賀半國 を 賜 ふ。 宗全 憤りて 石 見 をば 闇 打に し 

C お 4i,。 通に 別記 はは lm は 仕べ し は 石 見; h 郎左衡 門の 尉、 南 帝 を£ も 奉り レは中 村 太郎四 郞とョ 者な り、 

て 彩ゼり 石 兄が うたれ レは、 ョ條 殿^て 象 若^; ぁリて 人々 群集して 歸も さ 5£、 の やうに: Efe れ しとみ ゆ • 

卷 十 四 四 S 



讀史餘 論 



四 四 二 



記に^ II 

本 「しるに 

は」 

旣に. I 此下 

一 本 「伊勢 

にて 討 たれ 

たらん に は 

教祐 また 伊 

勢へ 行く 可 

•P ら" J 、ひ ^ 

力た き 事な 

れば」 の 三 

十四 字ぁリ 



の 家人 i 尾と 成 氏戰始 りて、 閼 東大に 亂る。 康正 元年 正月、 武州立 河原 合戰。 府中 合戰。 

なり うぢ ミく ほん あかまつ は AJJ ラ &か ♦* つ 

この 時 成 氏 敗る。 三月 二十 六日、 德本 卒す。 四月、 山 名 赤松 播州に て戰 ひ、 五月, 赤松 

び ?ん じさつ や まな じ や 3 らく !0 

備 前にて 自殺す。 山名菲 ゆるされ、 上洛して 威を恣 にす。 



おうじんべ つき ひこ じ らラ きた はたけ かな 

按す るに、 應仁 別記に は、 この 時 彥ニ郞 は 伊勢へ ゆき 北 畠を賴 みし かど、 叶 はすし 



て 自殺す とみ ゆ。 南朝 記に は、 満祐誅 せられし 時、 敎祐は 伊勢に て誅 せらる と 記し、 

ぶんあん のりす けい せ ちう のち 

其 後 文 安の 記に、 敎祐 伊勢に て誅 せらる としる せり。 是 一人の 事 をまづ しるし、 後 

ひこ ら、 7 ひこ じ ら 3 

に 記せし と 見えたり。 さて この 所の 記に て彥 五郎が 事ば かりにて、 彥ニ郞 が 事 は 見 

えす。 王 代 一覧に は、 父と 同じ年に 伊勢へ 下りて 自害した る は 敎康と 見えて、 や 



左 馬 介が 殺されし 所 は、 いづく にて 殺されし とも 不, 記, 又 其 名 を も不, 記。 この度の 事 

ひこ らうの りな ほ しる のり P すすで わ, だい らん さ ,のす け レ しょ 

をば 彥五 郞則尙 ばかり 記せり。 敎康旣 に、 王 代ー覽 に、 左 馬 助が 死所 を詳 にせざる 

歟。 

き や, r- 、フ へす ぎふ さもき さ だ *4 さ かま くら なり うぢ 4* かべ はら 

六月、 京より 上 杉 房顯、 定政 等に 仰せて 嫌 倉 をせ む。 成 氏 敗れて 落ち行く。 十月 岡 部ケ原 

か ク せん 5 へす ぎ は つぎは 4 かつ * ん ぶん: a いがつ せん 3 へす ぎ 5 へ 

にて 合 戰* 上 杉 打ち勝つ。 十一月、 羽 櫬原合 戰* 上 杉 敗る。 分 陪合戰 。上 杉う ち 勝つ。 上 

すぎ いさら 3 g ん かラ しゃ、 7 は. U け や t よしなり かやぶ り かっせん よしまさ 

杉武州 五十子に 陴す。 康正ニ 年の 夏、 畠 山 政 長、 i 河州萱 振に 於て 合 戰* 義政 二人に 



悤劇— 甚た 

騷 がし 

二十 三 nl 

一木 「二十 



任ぜられ— 

此下 : 本 

「許され」 の 

三 字 あり 

成久 li 木 

「成 之」 

應仁記 I 應 

仁の 亂の顚 

末^ 記せる 

も。 



やく よ. J なり いへ s づ きゃラ だいふく わい つ ひ モラ ろん 

べきよ し 約せ り。 後義就 出生せ しかば、 是 に家讓 らんと せし 間、 兄弟 不快に て 終に 爭論 

となり、 政 長は德 本が 家 を 出て, 棚 川 勝 元が 宅に ゆく。 その 家人 は 山名宗 全が 家に 遣す。 

八月、 德 本が k 人 皆 山 名が 宅に 赴き 政 長に 屬 せり。 洛. S 劇。 二十 一 日の 夜、 德本は 伯 



父滿 則? が 家に ゆく。 義就は 山 名 相 摸 守^ が 宅に 来れ ども 入れざる によりて、 游 

さ の くにすけ はう くわ よしなり か はち 1晃 乙 尹 Sac7> 

佐 河 內守國 助が 家に 入る。 二十 三日の 夜、 國 助が 宅 放火。 義就國 助河內 におつ。 i^M^r 



よしなり やまな 



教 



二十 八日、 德本建 仁 寺の 西 來院に 蟄居し、 政 長に 家繼 がしむ。 勝 元最負 に 依りて なり。 德 



本が 一 族 諫めし かど、 德本用 ひざれば、 父子 一 族 七 人 腹切て 死す。 S や Mf^ お 。し, 辭 

^い 

世に、 

かばね をば 東の 山に のこせ ども 名 は 西方に ありあけの 月 

よしまさ め やまな くわん hs ゃラ いさめ モラ . 

十一月 二日、 義政 兵を徵 す。 山 名 を 討た れんとの 爲 なり。 管領 勝 元 頻りに 諫 しかば、 宗 



全が 訴 ふに 任せられ、 宗 全は但 馬に 退き、 息 男 伊豫 守 は 在京す。 ほお』^ 



び 十二月、 宗全 勦氣を 蒙りし を 以て、 細 川讃岐 守成 久 赤松 彥五郞 則尙 

,、、 o^yi つ!^ ノ、 ぼ、 ぽ s 11 -^^M - i 。 則 尚 は SUIT か 甥 也と", r さちば か 弟 義雅ポ 息なる 

ガ舊領 の 事 を 歎きし 力 は 赦 されて^:^ に 赴く べし" 南靱記 K は彥 2 郞則 ® と 記し、 下 はは 赤松 i 同 



る 五 



S^^^PMS.^ この 月 鎌 倉に て、 上 杉 右京亮 憲忠 殺さる。 一一. ナ これより 上 杉 



卷 



四 四 



讀史餘 論 



四 四 〇 



部類— 一 本 

「部」 字な- 

南方 部類- 

一 本 言 一一. PME 

方宮 部頹ー 



御子 I 一 本 

「御 弟子」 



持憲 1 1 本 

「持 富」 



て yr. いのに なん ほ 、- 

冬 於,, 紀 伊國; 南方 部 類 其 頸 京 進。 自- 畠 山 殿, 被, 執 = 進 之; 相- 當 年始; 御 敵 之 頭 至來。 為後 

の 



珍重;. 仍 爲,, 其 今日; 上下の 人々 被, 進,, 御太刀, 者 也。 二十 三 曰 之 下に、 件宫、 去年 十二月 こ 

てきいの じ いんぼうろ けん るち を くび ゑんまん, んの もんし ゆむ 

十二 日、 於,, 紀 伊國, 隱謀露 顯の間 奉, 討, 之 云々。 二十 七 曰の 下に、. この 首 圓满院 門 主 令,, 

ゆん * くせ て き いのく jii ミ ふ じ いんぼ ラの て はたけ やま ささ もんの ii ふだうて くにび ミ に 

0. 俗; 於-, 紀伊國 北山 云 所- 有- 隱謀企 1 之 間、 畠 山 左衞門 入道 仰- 國人 等; 去年 士 一月 一 一十 

二日、 於,, 紀伊 國,? 討, 之、 南朝 護性院 部類 云々。 

しょ もん ザ-きけ いづ ぎ や 3、, なんて 5 ご かめ やまの るん わう じ な ゑん *♦ ん もんの A やそう じ やう ゑ, C ご なんて、 r- 

按に諸 門跡 系圖 に、 行 悟 南朝 後 龜山院 の 皇子 後圓満 院宮佾 正、 圓悟は 南朝 五常 院宮 

こ す ゑんまん る んミ やす ミみき もん ザき け いづ じ to.: 

の 御子、 號,, 圓 満院, と 云々。 康富 記に いは ゆる 護性院 は、 卽ち 門跡 系圆に 所, 謂 五常 

もん ぶ もる ぜん も AL ゆ しる 

院 なるべし。 その 部類と もしる し、 又 前門 主と も 記し たれば、 この度 討 たれ 給 ひし 

y や- rYj そうじゃ、 フ しか なんて ラき なんてい たいし 

は 行 悟 憎 正なる べし。 然 らば 南朝 記に、 南 帝の 太子 三人お はします と 記せし は、 この 

か 5 ふく ゐ ん さの ざ T ご 

時 高福院 殿と 行 悟と おはせ しなる ベ し。 . 

も か つ さ まの すけの. 9 すけ 4p"*-o てラ せん かへ いへ ちラ はラ! o く 

八月、 赤松 左 馬 助敎祐 ! 1" 朝鮮より 歸 りて、 家 起さん として 誅 せらる。 寶德 ニ^ 四月、 

かま くら なり ラぢ、 C へす ぎの りた f なり う ぢ の はま かっせん わ ぎ な hs うぢ > 

縑 食の 成 氏 上 杉憲忠 不快に て、 成 氏 江 島に うつり、 濱 にて 合戰。 八月 和議 成りて 成氏歸 

9 き や 、フミく はたけ や の ♦* さなが い よの かみよ レ なり くわん hN ゃラさ ゑ もんの かみ もちく にじ ふだ 3 か 

座。 享德 三年 四月、 畠 山 尾 張 守 政 長と、 伊豫 守義 就と 管 領 左 衞門督 持^ 入道 德 本が 家 

ミく * の もちのり 44 さなが Y レ そ.? 9 ャ 3 

督を爭 ふ。 初め 德 本が 子な かりし かば、 弟 尾 張 守 持 憲が子 玫長を 猶子と して、 總領 とす 



I こ リ 應記原 康^ 地 
及康 永に 康富? I 
ベ 正 八し 富 記 1 
リ 元年ての I ― 
年ぶ、 日中 本 



なん ぐん ほそ か は の しろ き しう が •< 'しう さ 

く、 南 軍 勝に のる。 細 川 出 羽 守戦 ひて 城 落ちし かば、 南兵紀 州に 赴く。 1 1 年 正月、 江 州の 佐 

き き だい ぜんの 仁い ふ モラたい ふ し じさつ さ-きな らラ いひた かや ♦* こも いひた か 

佐 木 大膳大 夫 入道 崇體 父子 故 ありて 自殺。 佐々 木 五郞钣 高山に 籠る。 三年 八月、 餓高を 

t お! i じ さつ はたけ やまのから ラ S さ の き しラ なんべい やぶ 

攻め 落す。 五郞 自殺。 九月、 畠 山 家老 游佐兵 庫 助等紀 州に 向 ひ, 南 兵と 戰ひ うち 破る。 

€ がし を ぢミ がしに ふだ ラ SH か し、 フ しゅ ごしょく はんごく か ♦* 

四 年 富 樫ニ郞 ^山 伯父 富 樫 入道 安高 ^-' と 加州の 守護 職 を 論じ、 半國を 分つ。 八月、 鎌 

くらもち 3 ぢ il いじ s わ 5 しなの ;? r- じんお ほ a *3 ち ぜんの か&も *»Ar ゆん おく さ ゑ もんの すけな り 

食 持 氏の 子 永壽王 をば 信 濃の 住人 大 井越 前 守 持 光 かくし 置け り。 元服して 左衞門 佐 成 

alKOS^T 5 へす ぎ も はの か A のり ざね もち 5«\ レゅ つけ づ し. 7 

氏と いふ。 。上 杉 安房 守 憲實は 持 氏 を 亡し、 その後 出家して 豆 州に 有りし を、 

かさねて 京の 催促と て 結 城 を も 攻めし 事 を恥ぢ て、 德 丹淸藏 とて 一 一人の 子 出家せ させて、 

引き連れ: て 西の方に 遁れ て、 應仁 元年、 周防國 にて 死したり。 伊豆に 一子 を 捨て置き 

せいちゃ 3 fc つ わか ま. うへ すぎ け にん あ ひ はか なが 4- さ ゑ もんに ふだ ラレ ゃラ けん 

しが、 成長して 龍 若 丸と いひけ り。 かくて 上 杉の 家人 等相議 り、 長 尾 左衞門 入道 昌賢等 

1! いじゅ わ、".' まくら S の たつ わか うき や.. '©t けの b た r しつ. じ 

京都に 請 ひて、 永欝王 を縑食 殿と 仰ぎ、 龍 若 を 右京亮 憲忠と 名のらせて 執事と なす。 十 

へい あつ. ゆ あ なんてい &ゃ くすのき だい 

二月、 游佐等 又 兵を聚 めて 湯 淺の地 をお とす。 南 帝の 宮竝に 楠ニ郞 をう つ。 五 年 正月, 大 

じん しょ さんが よしなり の .U いぢ く 

臣 以下 御所に 參賀 す。 義成左 馬頭に なさる。 南方 退治の 賞な り。 同 二十 七日、 懸., 南 帝の 

にの を やす! き ぶんあん しも な, んほう A やが. U て や よしのの にる &はを 

太子 竝楠 首; 康富 記、 文 安元 年 八月 六日の 下に、 南方 宫方 於, - 大和 吉 野奧, 被レ皋 n 御 旗, 

くまの の ほんぐ ラ す の のおん ぶ る, o fir 5^*. JJ«T の? Iti 

之 由、 自,, 熊 野 本宮, 注進" 上野 宮御 部類 歟。 IKS gSJS 措お。 は 五 年 正月の 下、 十日、. 舊 

卷 十 四 三 九 



持 氏の 子 I 

此下 一 本に 

「、水 壽 王な 

立つ、 初 持 

氏 自殺、 春 

王 安 王い け 

どられ て 殺 

さる、 末子」 

二十 六 字 あ 



讀 史餘 論 四 三 八 

よし 力つ :&ん ぶく の さ ち 5 じ や、 フ しゃ ラぐん せん j& ^ きつ 養。 4Q 

義勝九 歳に て 元服、. 正 五位 下 左 中將、 將軍 宣下 あり。 嘉吉 三年 七月 二十 ニ曰薨 t SI 年? 

落馬に よりて なり。 ^sif や 辭 世に、 

唉 きて こそ 人 もさ かり はみ るべき にあな うらやまし 朝顔の 花 

メ しぶ.^ * り。 爱 tJJR 次と^ ほんし ラ ら 5 にん みつすけ あか ♦* つ のり レ& 

義成 つぐ。 ij£ 四^, ひ改 同 二十 八日、 播州の 浪人 等 満祐が 甥 赤松 三 郞則重 を 立て 兵 

を 起す。 山 名宗全 討ち 平ぐ。 f^s い §1。 九月 二十 三日の 夜、 南 兵き 野十津 河, 河内 

き-^' くにび W. > なんてい g V* *- いふ Oi て くすのき じら、,' 

紀 伊の 國人等 南 帝 § を 助け まゐら せ、 三百 餘の勢 二手に なり、 一人 は 楠 二 郞大將 にて、 

お ほうち せいり ゃラ でん やま ミ を ち っぽ はまち は 3 くわ てい 

大內に 入りて 淸凉 殿に 人り、 一手 は 大和の 越 智大將 にて、 局 町より 攻め入り 放火す。. 帝 

この ゑ さきの でんか てい せんか、 r- なん ぺぃ しんき ないし さ ころ から ひつ ミラ もん けい 2 さ t 

は 近衞前 殿下の 第に 潛幸。 南 兵 三種の神器 を 取りて、 內侍 所の 唐 榧 は、 東門の 警固 佐々 

き くろ だの はんぐ わん ミ しんじ よしの はラ けん ふだ ,よみ づ でら み だラ 

木黑田 判官に 取り返へ さる。 神璽 は吉 野に 送る。 寶劍は 札 を 付けて 淸水 寺の 御堂に すつ • 

なんべい ひ えいす < ち 5 だラ き や 3 ぜぃ さん ミ も,?' だラ くすのき を ち 

さて 南 兵 は 比^山の 中堂に こもる。 二十 五日、 京 勢 拉に山 徒 中堂 を攻 む。 楠、 越 智戰死 

- なんてい ご じ がい aKliK . ひ の ひがしの ミラ るん ほん もりち? - き ャラだ 5 9 こ ち. 7 

し 南 帝 御 自害 あり。 ; ss, これ は 日 野 東 洞院ー 品 有 親の 鄉 導の 由 聞え て誅 せらる。 そ 

さんぎ ; だいべん すけち か し る ざい しょ ラ f? ぶんみん なん 

の 子 參議右 大辨資 親 は その 事 を 知ら ざれ ども、 流罪と 稱 して 誅 せらる。 文 安元 年 八月、 南 

てい たいし ょレの しんじ たも こくじんなん は, f 

帝の 太子 二人のう ち、 一人 は吉 野の 奥に 神璽 を 保ち 給 ひ, 國人 南方の 新皇と 仰ぐ。 一人 は 

いづ & か はち や ら. つ にん こも は fc け や つか 

和 泉、 河^, 大和の 浪人 を從 がへ て 八幡に 籠り 袷 ふ。 皇 山 軍勢 を 遣 はし 攻めし かど、 利な 



卷 



十 



5 



敢 人ぶ 阿 人 
怒 不^ 房な 
L 敢 力 宮 し 
言下 賦て 
而之 I: I 



て, いかで 長子の 外 を 悉く 僧と はせられ し、 心得難き 事なら す や。 思 ふに 羹 に懲 

なます いひ よしのり ろん * はじめ なんてい 

りて 膾を ふくの 謂なる べし。 義敎の 事 論す るに 及ばす といへ ども、 代の 始に南 帝と 

めいやく たが しょこく くわん ぐん おこ さら かま くら めつ もち うぢ ふ 

盟約に 違 ひて、 諸國の 官軍 こよ かしこに 起り、 更に 安から す。 縑倉を 減して 持 氏 父 

子 二人 を ころし, 兵 連り て 後 又 其 子 二人 を 殺し, 舍弟義 眧俏正 を もころ し、 讒を信 

しき なん は、 フ たいし ャラ ころ そ ひ つねた てんか 

じ、 たやすく 一 色 世 保 等 南方 討 手の 大將を も 殺して、 叛く者 常に 絕§ る 事な く、 天下 

はく ひよ ラ ふ * のよ 、 かつ &っ すけ しい 

の 人 薄 氷を蹈 むが 如くな りし 由、 其 代の ものに 見え. u り。 且は潇 祐に弑 せられし な 

そのし ま ね A つす け よし もち- もちさ だ しょ. C やう 

K 自ら 其 死 を 招かれし なり。 この 満祐 とい ふ 者、 義 持の 時に も、 持^: に 所領 多く さ 

あた ;ら よしのり ^ん な 

き與 へんと せられし を.^ みて 敷きし こと あり。 義敎の 代と なりても、 その 女 を 殺し 

f くに はし た t かひ の くだ いくほ ぞ かれ しょり や、 7 

給 ひし を 憤りて * 國に奔 り 兵 を 起し、 戰の 後カ盡 きて 降りき。 幾程な く 又 彼が 所領 

うは は いへ い さもが くし ゆえん あそ *- も- (-- 

を 分ち 奪ん とせられし かど、 その 家に 入りて 猿樂 酒宴して 遊ばれし 事、 抑々 いかな 

け 3 し あまり ひ S おも た 《.> じ わが むね たが 

る 心に や。 これひと へに 驕 侈の 餘に、 人 を 人と も 思 はれす、 當時 何もの か 我 旨に 遠 

おも あな さ いでき そのこ ミぃさ sro 

ふべき など 思 ひ 侮られし より、 か- -る事 出来しな り。 その 代に 一人 も 其 事 諫め 止る 

人な かりし を、 よく 覇甚 しく、 謂 ゆる 人 をして 物い ひて 敢て 怒ら ざら しめられし も 

のと ぞ^え たる。 



其 代の もの 

I 當 時の 書 

籍 



なかり し^ 

—一木 「な 

力り しも」 



饋 史餘論 ani 力 

ノ ./ いた お^ ^ おこ ょレ の. 9 た ** むろまち タの 

られし を かたはら 痛く^ はれし より 起り しなり。 さらば 義敎 うせ 給 ひ、 室町 殿の 家 は 

/ f<f らん これ おこ みついへ っ& かる た r 

事な かりし かど 東 國の亂 は 遂に 是 より 起れ るな り。 満家 が罪輕 かるべ からす。 伹 

いはし みづ か& をし へ みついへ さ ぼ、 T もちう U* なぐさ 

し石淸 水の 神の 敎に從 ふとい ひなせ しも、 满 家が 詐 謀に て、 持 氏の 憤り を 慰めん と 

の爲 なりし も 知る ベ からす。 

たか 5 ぢた ビょ し ま つねん こ-ろよ た-か およ こミ たび た r よし たか e く 

初め 尊 氏 直 義兄弟 末年 快 からす、 戰 ひに 及ぶ 事 度々 にして、 直義 遂に 尊 氏の 爲に燕 

殺せられ き。 其 後 義詮鹿 兄 直 冬と 戰ひ、 基 氏が 忠厚 なりし を も 深く 疑 ひきら へり。 義 

^ よしみつ みつのり みつのり こ? 

詮の 子た *i 二人、 義满、 满詮 のみな り。 满詮 事故な く 終りし かど、 その 四 子 をば 悉 

そ、 つ よしみつ よしつぐ こミ みい ょレ もち 

く 僧と せらる。 義満の 子 七 人、 義嗣を 殊に 愛せられ しかば、 義 持の 憤り 深く して 

終に 殺さる。 その 餘の弟 悉く 憎と せられき。 是れ皆 尊 氏の 兄弟、 義詮の 兄^の 事に 慾 

りて、 みづ からの 兄弟 從兄. 弟 九 人ながら 皆々 佾 となせ しなり。 されば その 身 死 せんと 

, いへ つ. E ひミ たびさ 5 もん ひま いへ ほんて ミ しふ * く そうほ. か 

して 家繼 がすべき 人な く、 一度 桑門に 入りし 人して 家つ がしむ。 本朝の 習俗、 佾^ 

レ ながそで る も よは ひ .Jt が 

師 をば 長袖な どい ひ 名 づけて、 士 類に は齒せ す。 しかれば 上に は從 ふやう に は あれ 

しも しんぶく よしのり よしまさ そ、 フ X つ y 

ど、 下に は心朋 する 者な かりし なり。 義敎 の子義 政の 弟 も、 又 皆 憎と なしたり。 世繼 

) r つ, ひ き や 5 だい * . r V..*.* てい あ tb かつ てんか 7 & 

の 事に よりて 終に 兄弟 心よ からす。 その 家法 不友不 弟い と淺 まし • 且は 天下の 富 を も 



そのき あた し ャラざ A せいいろ く よし もち そ/、 

あり。 此 等の 內其 器に 當れる 人 有りぬべき にや。 又 湘山星 移錄を 見る に、 義持 息な 

くわん ミミ ぢラ しょ わた よし もち 

かりし かば、 關 東の 重 書 御 重代まで 渡し 申されし と 見えたり。 さらば 義持 かねてよ 

もち、 r- ぢ よ つぎ おも みついへ えら f7 

り 持 氏 を世嗣 とせんと 思 はれし にや。 满 家た らん 者、 よろしく 人々 の才を 撰む 事、 忠 

じんこ 3 くわ ラ かうて い しょわ ミじ えら ys しか かみ き 

仁 公の 光孝 帝 を 諸 皇子の 中より 撰み 出されし が 如くに あるべ き 事歟。 然るに 神に 聽 

きて 定めし 事、 譬 へば 庸醫の 藥袋を 手に して 藥師號 をと なへ、 手 を はなち 其 盤 上に 

お やくたい こさわ ざ よしのり あく w くてん か みだ 

落ちし 藥 袋の 藥を あつめて 一 方 を 立てし とい ふ 諺に 似たり。 義敎 の惡德 天下 旣に亂 

いはし みづ か& じち てんか きみ A ん 

れんと せし を 見る に、 石淸 水の 神い かで かよる 人 をして、 一日 も 天下に 君と して、 萬 

ん くる かみ し しか 

民 を 苦しまし めむ と はし 給 ふべき。 神と して 知る 事 あらば 必す然 あら じ。 もし その 

神な からん に は、 人事 を盡す 事な くして 神に 聽 きしこと、 尤も 愚なる 事と やい ふべ 

よしのり しい あしか ぐさの おうじ てんか じん A ん 

き。 されば 義 敎の弑 せられし 事 は、 足 利 殿の 家の 爲、 竝に當 時 天下の 人民の 爲に は、 

お ほい この ひミ しほ あしか r タの 

犬なる 幸に て あるな り。 此 人今暫 しが ほど 世に おはせ たりせば、 必す足 利 殿の 世 は 

ほろ おも みついへ っ& ぐ ♦* い 

亡びう せぬべし。 これ を 以て 思 ふに, 满 家が 罪 ひとり 愚昧と いふの みに は あらす。 

*?? ゥぢ か彔 つ ひ そのみ くわん ミラ ぎゃくらん や 

持 氏の 兵 を 構へ て 遂に 其 身 も. u び、 闢 東の 逆亂 これより 止む 事な かりし も、 一つに 

よし もち ちぎ よしのり さラ もん ぶ け ミラり や、 フ 

は義持 かねて 契られし 所に たが ひ、 二つに は 義敎の 桑門の 身と して 武家の 楝粱 にな 

卷 ナ 四 三 五 



讀史餘 論 



四 SB 



國 中に I 一 

木 「圍中 は」 

九月 I 一本 

「九 =»」 

大山 口— 一 

本 「山 口」 . 



C Ills 



あかまつい づ のか &さだ むら たけ だ 一 I 

赤松 伊豆守 貞村、 武田大 膳. K 夫 信 貫 は 追手より、 山 名 左 衞門督 持豐、 同 修理 大夫 敎淸、 

さう さがみ のかみ のりゆき か. b めて みつすけ て ぢん さかよ せ かにざ か た t か 

同相 摸 守敎之 搦手より 向 ふ。 九月、 満祐 追手の 陴に逆 寄して 蟹 坂に 戰ひ、 京 勢 やぶ 



る。 重ねて 白旗 城 を 攻めん とす。 細 川 は 满祐に 親し かりし かば、 先陣に 向 ひ, 國 中に 他 



せい やまな お ほや まぐち fj んし 5 

の 勢 を まじえす 攻め 人る。 九月、 山 名大 山 口 を 過ぎて 播州に 入り、 满 祐が蠣 山の 城を攻 

A つす け じ さつ のりす け みく のりやす せいし ラ じ さつ BBSTt 

めおとす。 同 十日、 满祐 自殺。 敎祐竝 に 一 族お ち 去る。 敎康は 後に 勢 州に て 自殺。 難^^ 

y > さ ♦* のす け て、 フ せん はり や ♦* な もち ミょ み まさか のりきよ び ザん のりゆき 

れ ひさ 左 馬 助 は 朝鮮へ ゆく。 十七 日、 播磨を 山 名持豐 に、 美 作 を敎淸 に、 備前 を敎之 

爹 里の J> , せつに よしより さいそく おう お ほ、, ちのり ゆ き よしより 

に 賜 ふ。 lliili^ 。この 時に 少貳嘉 頼 催促に 應ぜ す。 大內敎 之に 仰せて 攻めし む。 嘉頼 

つし お ほ、 つち せう に hs や 3 ち めいさく や t な .7 ぢ きょ さか ひ お ほ 

戰 破れ 對 馬に おつ。 大內 遂に 少貳が 領地 を とれり。 明 德に山 名氏淸 うたれ, 堺の 戰に大 

*r ちょし ひろ ぉミろ り や * ひけ 

內義弘 討 たれし より、 兩家 少し 衰 へたり しが、 これより 両家 又 起れ り。 

よし もちこ、 r- よつぎ y はたけ や 象み ついへ いはしみ づ ふ くじ 

按す るに、 はじめ 義持薨 せられし 時、 嗣を議 せられし に、 ^山满 家石渰 水に て御鬮 



ちゃ ラ よし もち だい" 

に 任せし 事前に 記しぬ。 義滿の 子 七 人 ありき。 長は義 持、 二 男 は 大納言 義嗣、 已に 

よし もち ぎ ゑん よしのり ぼんく わ、?. ん じゅ 2,っ はふ そん だいかく 

義 持に 殺さる • 三男 は 義圓佾 正、 卽義敎 なり。 四 男 は 梵光院 准 后 法 尊、 五男 は大覺 

じ じゅ-?: ひぎ f よしのり さ 5 こくじ ん や.? フ かぢ .0 ぎしょ 3 

寺 准 后 義眧、 後に 義敎に 殺さる。 六 男 は 相國寺 永隆、 七 男 は梶井 義承佾 正な り。 そ 

の 年長 ぜるを 以てせ ぱ、 義敎四 弟の 前に あり。 もし その 人 を 撰 まば 義满 の子猶 四 人 



二十日— 一 

木 「此 日」 

生 L1 一木 

「多く 生し 一 



殺^ -I 一木 

「弑 す」 

鵜 羽 11 本 

「鵜 詞」 

教庸— 一 本 

ま」 



力 JV る I 

一木 「かふ 

むれる」 



二十四日、 義敎 赤松 满祐が 爲に& せらる f §t 義敎 赤松 伊豆守 貞 村が 童の 時 寵愛し 給 

せいじん あいな ほ みつすけ しょり や、 つび ぜん はり &t ,か あた 

ひしょり、 成人の 後 も愛猶 深く して、 满祐が 所領 備前、 播磨、 美 作 を 分ち 與 へんと す。 二 

& つす け やかた A つす け. に は ち t かも 

十日に 满祐が 館へ 入り 袷 ふべ しと かねてより 仰せ あり。 是は 満祐が 庭の 池 中に 鴨の 子 生 

みつすけ け ふ おんい じ は 了 らん さ だ 

しを^ 給 ふべ しとな り。 此日满 祐がニ 男、 「今日の 御 入り は 庭 御覧の 事に は あらす。 貞 

むら しょり やう きこ A つす け あつ & なか むら ラらか A かく 

村に 所領^ はらん 爲 なりと 聞 ゆ」 とつぐ。 满祐 憤りて、 渥美、 中 村、 浦 上等 三百 人 所々 に隱 



しおく。 卯 時に 入りた まひ、 猿樂 酒宴の 半に、 まづ 厩の 馬 を 放ち、 是を 柿ん とて 門を閉 

ぢて^ 起る。 霞 鬆の, 後より 出て き ズ& す。 0ukBM^S0 

一一 郞教庸 と 一族 左 馬 介 進みて 義 欲の 手 SE^f;^ りに,, I.JS^.y、 もも 寸こ r -、 ti^-^^^ f ン 

と S 。渥美 後へ より 首 i 給 はると. 5 ふ。 座. s« 伺候の. S 々驚き 驟き 或は lurn た わ 或は IM-.iH^。# をし 

きゃラ ごく の だう 2. 7 や まな. ひろた か ぉミし は の よしか-ど お ほ、.' ち の 

らす。 京 極加賀 入道 道統, 山 名.^ 務大輔 熙貴命 を 損す。 斯波左 兵衞督 義廉、 大內 刑部少 

もちよ みつすけ - . い- じ がい しょじん 

輔持世 垣 を 越えて にけ たり。 满祐討 手 を 待ちて 一矢 射て 自害 せんと 待ちし に、 諸人 あわ 



て騷 ぎて 時 を 移す。 满祐 父子 三百 餘騎 攝津 中島の 所領に 赴き、 こよに て將 軍の 首 を i§ 禪 



お ほうち もち きす A ゑ 

寺に 葬る。 その後 播州に 赴く。 七月 二十 一 日 ノ大內 持 世 卒す。 疵か うむる 故な り。 八月 



の もちく によし かつ の ぢょ 寺^ 15 い t 

畠 山 左 衞門尉 持 國義勝 を 立て. 家 をつ ぎ、 ^五位 下に 叙す。 ^ 幼に して 未だ 將 軍の 宣 

!& ま sat 寺! fflfilai f &っ すけつ &. u 、-' りんし な 3 ほ * か は ゆ きのか みもちつ ね 

下な し。 Is^liss 。この 月 奏して 满祐 追討の 綸旨を 成れ、 二十 六日、 細 川 讚岐守 持 常: 



卷 



r 



四 S 



讀史餘 論 



四 三 二 



れ しを怪 み、 都より 尋ねられし 落人 必す この 人なる べしと おも ふ。 其 時 憎 正 菊 池へ つか 

はせ し K 農 人 奪 ひ 取りて 見る に 歌 あり。 

花い かに われ を あたしと 思 ふらん 常に か はらぬ ことしな りけ り 

みやこ 

やまかけの 花 こそい まは唉 きそめ し 都 はす ゑと おも ひやる ベ し 

あやし ほっけ ,フ 

いよく 怪 みて、 十三 日に これ をせ む。 佾正も 法 橋もう たれぬ。 佾正辭 世に、 

あたな りと おも ひし 花の 齢 さ へ うらやまし くも あす をし るかな 

よしのりい せ さみぐ •, たい ラ こし つるぎ g 

この 月 二十 三日、 義敎 伊勢 參宮。 大雨 ふり、 もの i け 多し。 輿に 入れられし 劍、 败 あやま 

くさつ いひ を ひ ザん の 力み まこ W 

りて こと ものな り。 草津 にて 是を みつけて * 钣尾肥 前 守 を かへ して 誡の劍 を 召す に, 水 

い せ きんけい , こくし ぎゃくしん が 

口にて 是を 奉る。 此度 伊勢 參詣の 事 は、 國司 もし 義 iF を かくし 逆心 あるに やと 疑 ひ、 も. 

しか こくし くび おもて き H* ラ たが 

し然 らばみ づ から 國司を 討たん との 爲 なり。 五月 義 i? の 首 上洛す。 面に 疵 多くして 疑 

きんじゅ わら は 1 そ- r じ や 3 * ん ねんお く tt 

はし。 佾 正の 近習の 童に 見せし に、 r 佾 正の 铒 首な らんに は、 先年 奧齒 二つ 落ちし その あ 

と 有る-. へ し」 と 泣々 いひし に、 果して 齒 なかり しかば 疑 をな さす" 又 結 城 も 去る 四月 十六 



日に おちて、 氏 朝 持 朝 父子 自害、 竝に^ 數千人 皆 討死す。 舂王、 安 王 柿 はれ、 十七 日に 古 



> や f らく 



河 もお ち、 五月 四日に 首 ども 上洛。 十六 日に 濃州垂 井に て 春 王^ 安 王 へ1 きらる。 六月 



敎負— 一 本 

「教具」 



申せし は. I 

一 本 「申さ 

れし は」 

年 比に II 

本 「年 比の」 

仰せて.! 一 

本 「仰せら 



わう^ i 和 

臼 



に 武藏、 上野、 越後、 信 濃 等の 大兵 結 城 を 園み せむ。 此時 故の 伊勢の 國司 满雅の 嫡子 中將顯 

まさお ほか- ゥ ち の. C- さ だた け rt ゃラ ぐん わ ぼく 

雅大 河内の 城に あり。 二 男 少將敎 貞多氣 の 城に あり。 將軍 頻りに 和睦 をと i のへて した 

い せの しゅ 2 しょく こくし くわん! 0, W きみやが fc 

しみ、 世 保が 伊勢 守護 職 を 止めて 國司 にあた ふ。 是は 關東靜 ならす、 この 時宫方 起り な 

ば 大事な り、 一統の 後は國 司の 一族 皆誅 すべし と 思 ひて、 かく 謀られし とい ふ。 九月 義 

のりい ふく だいかく じ もんし & よしあきし ゆつ ほ ん じ ひ す 5 けい 

敎 異腹の 弟大覺 寺の 門 主大傦 正義 眧 出奔。 此人は 慈悲 深く して 人の 崇敬お ほかたなら や、 

南 帝 II。 とも 親み 深し。 南 帝に 勸め 申せし は、 「將軍 かく 威 を ふる ひ驕 をき はめ、 天下 

こんき 5 ねが は ほん A ん すく き ない &ゃ がた ,フら る 

盡く 困窮す。 願く は 君 を 世に立て 參らせ 萬 民の 苦 を 救 ふべ し。 五畿內 の宮方 年頃に 恨 あ 

くわん W5 しラ きくち かれこれ てんか 

り, 闕 東又大 にみ だれぬ。 九州の 菊 池大村 を 催さん に、 彼是 御 勢の 不足 あら じ。 天下の 

はん なく なんてい ちょくし きくち きくち 

反覆 この 時な り」 とて、 南 帝に 申して 竊に 勅使して、 菊 池に 仰せて 旨 あり。 菊 池 答へ 申し 

ゆ ふき らいねん けん^ らいねん はんぷく 

ける は T 結 城來年 堅固なら ば、 來 年の 末に は必す 天下 反覆すべし」 となり。 これによ りて 

き ラレん やま ひ ちゃ ラ はつ ひさ しゅっし や たま 

脔帝舊 臣等を 催さる。 義眧佾 正 は 病と 稱 して 長髪す。 久しく 出仕 を 止め 給 ふ 事 心得す と 

よしのり ラ つて :: け * ラじ やう ほっけ ラ ぐ かたち づ くに t 

て、 義敎討 手 を 向ん とす。 佾 正坊官 大和 法 橋 一人 を俱 してお ちらる。 其 形を圖 して 國々 

を 尋ね、 彼 をう ちな ば 敞御方 をい はす、 賞 は 望に よるべし となり。 嘉吉 元年 三月、 傦正 

&んか の,.. - にん 

薩攣に 至り、 民家に 入り 休み 給 ふ。 からうす わう す 等の 農具 を 見て、 其 名 を 農 人に 問 は 



四 三 一 



I 讒圍史 餘 ,論 四 三 

よし ひさ の. ざね き や 5 ミ よしのり ミ へす y 

: : 出家。 義久 に家讓 らん 事 を 請 ふ。 憲實 このよし を 京都へ 訴ふ。 義敎 きかす。 七日、 上 杉 

ゆ 0ざ ね ふ し いっしきな ほかね ら ラじラ ち •> もち ラぢ& つ さ だ ii 

憲實 父子、 一色 直 兼 自殺。 其郞從 憲實が 爲に誅 せらる よ 者 多し。 十 年 二月、 持 氏满貞 i 

040 じ さつ 寺 c^si "二 よし ひさ じ さつ 卜 のり ざね ふ し i な 

ま I, 自殺。 isst ヒ 二十 八日、 義久 自殺。 s 憲實 かの 父子の 命 を こふ 事數十 度。 事 叶 

, „ : じ^^ これ しゅっけ づ 》>5 こくせい じ かんきょ ちゃ, つ あん 

はす 是 によりて 自殺す。 人是を 止めし かば 出家し、 豆 州國淸 寺に 閑居す。 長楝 庵と い 

もち 5 ぢ よ た、 フ いっしきい よの かみ. J- まくら さ, r 'し,, い t い- OA くわ I りャラ 

ふ。 十二 年 正月、 持 氏の 餘黨 一色 伊豫 守 縑倉を さりて、 相 州 今 泉の 城に こもる。 管領 

: . / も-,? 7 ぢ しゅん わ, 7 あん わ ,<-■■ s ふき の 

溃方兵 をして 攻む。 持 氏の 子 春 王、 安 王 日光 山に しのび, この 月 山 を 出て 結 城 中 務大輔 

,fs ぢ ミ も の だ, 7 ま のす けこ が こも れ よし くらが た 

氏 朝が 城に 入る。 野 田 右 馬 介 古河に 籠る。 吉見 希慶上 州に 起る。 嫌 食 方是 をせ む, 四 

の きょ ゆた S ふき もち ふさ の. 93 ね ひっしき の 

月 兵 庫 頭 淸方等 結 城に 向 ふ。 五月 朔日, 京より 持 房 を 下し 憲實を も 催す。 一色 左 京 

よし つら ««圔 に は、 多 里 C- た をち わ し- ゥ, わ しゃ ラぐ, c わし 

大夫義 貫 あ 11§ 錢リ當 時 越智を 攻めて 和 州 三輪に あり。 將 軍の 近く 召つ か はれ 

こ ^-^ いっしき なんてい V9A じっぴ , たけに のぶひで 

し小辨 とい ふ 女, 一色 南 帝に 志 ある よしを 讒 しける に、 實 否 をも轧 さす、 武田信 榮に仰 

せて 陣中に て誅 す。 一 族 三百 人自ぎ ? 子 又麟 i 讃 J 守に 仰せ て, f ^ 世 保 

もち は.^ わ し 3 た ふの A ね も ちょり じ さつ f feit OK IP- ,\ S いっしきい よの. s*,* a し, 7 

持 賴を和 州 多武峯 にて うつ。 持賴戰 破れて 自殺。, 七月 * 一色 伊豫 守武州 

にて 須賀土 佐 守が 城 をお とし、 その後 上 杉と 戦うて &れ奔 る。 信 濃の 大 井越 前 守 源 

もち A つ *: いじ ゅまる f^o 5 す ひた、. '4> 5 へす ぎ い 

持 光永 赛丸 IS 。の を 取 立て 笛吹 峠に 起る。 上 杉 兵して うつ。 此月 二十 九日より、 京勢竝 



十四 cnl 以 

下 三十 四 字 

一 本に 無し 

爲房 —一木 

「特 房」 

白 井 喊— 

此上 一本 

「上 州」 の 二 

字 あり 



たか? 9 もち む ゥ のかみ のりな ほ かせい ぶ し、 つ き 

月、 高 鳥 合戦。 四月、 持 氏 上 杉 陸 奧守窻 直に 仰せて、 村 上が 加勢と 稱 して 武州本 一揆の 

のり y U だん レ 

兵 を 催す。 これ は憲 實を誅 せん 爲と聞 ゆ。 憲實 驚きて、 七 歳の 男子 を 七月 二十 五日 上野 



へつ か はす。 八月 十三 日、 持 氏 憲實が 家へ ゆき 和睦す。 十 年 五月、 大和 一揆 起り、 吉野 

くわん ぐん を ち しき の よ. J つら の もちより たいしゃ、 ジ 

の 官軍 所々 に 起る。 越智 なほ 高 鳥に あり。 一色 左 京大 夫義 貰、 世 保 刑部大 輔持賴 を大將 

もも 5§ けん わ 3** る ; £>ん ぶく よし ひさ のり ざね 2 ミ い &tt 

として これ をう つ。 六月, 持 氏の 子 賢 王 丸 若宮 元服、 義久 と名づ く。 憲實 例の 如く 京の 諱 

の も し! am さんが ち 5 - . や,:^ ひ tr 

を 望まる べしと 數諫 むれ どもき かす。 かれが 參賀 の時誅 せらる べしと 聞きて 病と 稱 

じ や. TS しう おもむ もち ラぢ の S きなが か 5 づけ 

して 參ら す。 八月 十四日、 上 州に 赴く。 十五 日, 持 氏 一 宫時永 を 上野へ さしむけ、 十六 



日み づ から 武州 府中に 進發。 二十 八日、 京都の 勢 和 州に 向 ひ、 多 武峰を やき, 高 鳥の 城 



をお とす。 越智 やぶる。 九月、 義敎綸 旨 を 請 ひ 御 敎書を そへ て、 上 杉中務 少輔爲 房を大 

將 として 關柬 にさし むく。 九月 十日、 営 根 合戰。 京方う ちまけ, 寺 尾、 熊 谷 等 討死。 さる 

うへ すぎの り ざね ぶん はい ぢ. < もち うぢ 

四日より 上 杉 憲實も 白 井の 城 をた ち、 十九 日、 武州分 陪に陴 す。 持 氏の 軍兵 心を變 じて 

是に從 ふ 者 多し。 二十 七日、 京 勢 足 柄 を 越えて 早 川尻に 至る。 嫌 倉 f 戰 やぶる。 十月 三 

るす の ! £ きた か お ほくら やつ 

日, 縑 倉の 留主三 浦 介 時 高 三 浦への がる。 十七 日、 三 浦 兵 大藏ケ 谷に 放火。 十一月 一日、 

り戰 ひて 死す。 二日 持 氏 降る 。五日 



の か *4 くら よし ひさ やな だ い しづか か は 

三 浦 介 嫌 倉に いる。 義久 おつ, 梁 田、 石 塚、 , 



卷 



十 



四 二 九 



讀史餘 論 



四 二八 



てお はせ しな どと 敬 ひ 思 ふ 事、 よく 義と いふ 事の 明かなら ぬ 俗に はなり たるな り。 

#srf 一一 年 二月、 膝 軍^ぎ 參宮。 四月、 高 野 參詣。 供奉の 大名 二十 三人。 このつ いでに 南 

ぁ 、フ じ^ん ナ, I あか. ♦* つみつ す ゴ よしのりき-/ * じ W 

が 巡 見、 八月、 赤松 満祐 をめ しこむ。 その 故 は、 義敎 近習の 女房 三人 罪 ありて 殺す、 ま、 

みつすけ ,7 ら はん ぼ、 ^ みつすけ ひそか はり 象 ふ 

中に 满祐が 女 あり、 是を 恨みて 反 謀 ある 由 聞え し 故 也。 潇祐 竊に播 磨に 奔る。 九月、 富 



反 謀 —一木 

「謀反」 



山徙— 比歡 

山の 僧徙 



憲直 —一 木 

「憲 赏」 



ゼぉ^ として に f!s。£ 今 川^^ 館に て耿會 あり。 その後 歸路 。^- 十月, 京 勢 



十 一 



和 州に むかひ、 越智 伊豫 守 維 通 をう つ。 十二月, 赤松 をう ちて 降す。 五 年 正月、 豐 後の 

お まミも の そ: :- お ほうち もち もり みちひ さ ぎゃラ 23 だいふみ A ひさ —• ー » こ i は、 

丸 友中務 少輔叛 く。 大內持 盛, 河 野 通久向 ひて 合戦。 刑部大 輔通久 討死す 三月 dH..- 

いは のの もち もり お ほミも さん も, C しゅ s B さず 

川 又太郞 して 修理 權大夫 持 盛 をた すけ、 大友を 討た しむ。 十月、 山門の 彔徒 そむく 坂 

も Ml が や ♦* な もち ミょ. - \ 

本 志 賀に城 守、 山 名持豐 してせ む。 十一月 十三 日より、 十二月 中戰 やます 六 年 正パ 

山 徒 降る。 七 年、 山 徒竝に 五山の 憎 數十人 殺さる。 九月、 京 勢越智 をう つ。 八 年、 ^山 

ャ*1 ちの し, 3 .--、• ゆ さ ひやう- ごのすけ をち もち た もミり しろ 

方^ 內守 護^ 遊 佐 兵 庫 助 を大將 として 越智 をせ む。 越 智闱軍 を 催し 高 鳥に 城 守。 城嶮 



にして おちす。 十一月、 信 濃 小 笠 原 大膳大 夫、 村 上 中務大 輔と戰 ふ。 村 上 加勢 を 鎌 

くら もち- rvs ;' へす ぎの. 9 ざね を がさ はら ミ- け にん 

食に こふ。 持 氏 これに 應す。 上 杉 憲寶 諫めて、 小 笠 原 は 京都 御家人な り。 私に うちが た 



しとい ふ。 持氏悦 ばす といへ ども 加:^ をば やらす。 これより 持 氏 憲實 快から す。 九 年 三 



にもお とり 給 ふ ベ か らす。 此 世に は 朝廷の 人々 多く は 義を思 ひ 節 を 守り 給 ひ しに や、 

く ぎ や 5 なんざん せん ぢゃ 3 

公卿 以上 南山へ 參られ し 人々 二十 餘 人に 及べり。 その 下 は猶多 かり。 ことに 戰 場に 

ぉミ ぎ せつ 

して 命 を 損せし 人々 も少 からす。 されば ある 人い ひし は、 その 代に 義をも 節 を も 知 

はし ほくて ラ は ほくて, f のこ 

りし 人々 は 皆 南に 奔 りて, 北朝の 臣 たらん こと を 深く 恥ぢ にき。 其餘 北朝に 殘 りと 

はぢ おも 

どまり し 人々 は 皆 恥な きの 人な りと いひき。 さも ありけ めと こそ 思 はる i なり。 そ 



-ゎ. 7 A ゃラ すうく わう - るん ゆ-.' てう ていし 

れが 中、 一 一條の 良 基 は 光明、 祟 光, 後光厳、 後 圓融、 後小松 五 朝の 帝師 たり。 その 家 こ 

えい は! S 

れを 以て 榮と せりと 申し 侍る 歟。 某が 思 ふ 所 は、 かほ どの 辱 は あるべからざる にや。 

ュ にいな ほくて、 つ くわん tt く よしのり すうく わう .0 ん 

その 身旣に 後醍醐の 朝に 仕へ し 人の、 北朝の 臣 となりて 關 白に 任じ、 義詮の 崇光院 

なんてい ひゃくれ...' よしの の. くれ. 7 ごん よしの 

を 廢し南 帝 をむ かへ 奉りし 時、 百 僚 を ひ きゐて 吉野 殿に 參り、 光嚴 以下 三帝吉 野に 

とら はれ 給 ひし かば、 又 北に 奔 りて 後光 嚴御卽 位の 日又關 白し、 剩へ此 時に 三種の 

しんき ffAf わた ご そく ,0 かた:: V はラ けん 

神器 を 皆 南方へ 渡し ぬれば、 御卽 位の 事い かにと 傾け 申す 人々 も ありし に、 「寶劍 に 

た^, フぢ しんじ よし も W せんそ ぎ 

は 尊 氏 を 用 ひられ、 神璽に は 良 基 を 用 ひらる ベ し」 と 申されし かば、 踐祚の 俵 行 はれ 

ぶけ こじつ かんじん 

しな ども 申す にや。 且 武家の 故實 など も此 家より 勦 進せられ しと かや。 其 事よ く 五 

化の 馮道 がふる まひに 似た るな り。 か i る 人 をも馎 學宏才 にお はして 代々 の 帝師に 



卷 



十 



四 二 七 



讀史餘 論 



四 U 六 



ある や I 

一 本 「ある 

哉」 

捧 首鼠竄 I 一 

ぐる 姿 



近衞殿 —經 

忠 



ありし 人の、 その 君 をば 陪臣 義 時が 爲に 流しす て 奉らせ、 又 それが 計 ひの ま i に、 

後の 朝に 仕へ て攝政 せらる。 凡そ 此 等の 人々 の ふるま ひ、 いかで 大臣の 義 ありと は 

申さる ベ き。 思 ふに よく 恥 しらざる 人々 にて ありけ り。 是を譬 ふに、 只 五に の 時の 大 

じん 』 *?r, らん * つの *- おも ちから 

臣 によく 似た る 事に て ある や。 中世より このかた、 喪 亂の際 、節に 臨み 義を思 ひ、 力 

ゥ く,, j ぶ^ん ► . おだやか そん. こ.,' ろく 

を 竭し死 を 致す はた *i 武人の みなり。 世 すこしも 穩 になり ぬれば、 尊 位 厚 綠に居 

て 武人 をば 奴隸雜 人の 如くに 思 ひなし、 世 亂れし 時には 捧 首凰竄 して 一 人 も 身 を 梃 

ん でて 忠を 致す 者な き は、 公家と 佾 徒の みなり。 誠に 國の蠹 害と は 此輩を ぞい ふべ 

てんだ う か はや こ 3 こミ わり ぶ け 

き。 されば 天道 は 天に 代て 功 を 立つ る 人に むくい 袷ふ理 なれば、 其 後 武家^ を 知り 

たま その ゆ ゑ お ぼ け A; ぶ らん この ゑ タ の a くて 5 

袷 ふ 事、 其 故 ある 事 ぞと覺 え 侍る。 然るに 建 武の亂 出來し 初に、 近 衞殿は 北朝に し 

くわん はく す さいしょ なんて 3 よしだ D 

ても關 白に なされし かど、 それ を 捨て 最初に 南朝に 參られ き。 其餘 大臣に て は 吉田 

じゅ & ミ うさだ ふ S せっけ の もろ も W く. C1 ん. 》 く 

內 大臣 從 一位 藤定 房な り。 攝 家の人々 にて は、 ニ條師 基も參 りた まひ、 後に は關^ 

/ 』 へだ 九ん ぶん .7 ちつぐ こ D 

し 給 ひき。 一 一十 一 年が 程 隔たりて 後 * 延文 一 一年に 一 條の內 嗣も參 り 給 ひき。 就, 屮近 

& ぞの ちゆく し 44 こミ その か そ a 

衞殿 一條 殿 は 共に 嫡子に てお はせ し 人々 のかく 有りし 事、 誠に 其家駔 に愧ぢ 給 は 

♦* う • , 家 Ba とはヒ きた はたけ ちか ふさ ちう こラ だいじん 

ぬと こそ 申す ベ けれ。 g§ 等 S^5S ,殊に は 北 畠 源 大納言 親 房 父子の 忠功、 古の 大臣 



むす ほふら 

れた る— 緣 

おる 



慰め II 本 

「義 仲^な 

ブ Z 」 



急難 を 救ひ參 らせんと せし 人 もな し。 幸に 淸 盛が はから ひに て、 院をも 帝 を も 奪 ひ 

ぎ くみく .^っ》» が . 

參ら せ、 兵 を 起して 逆賊 をう ち 平け たれば こそ、 二 帝 御恙も わたらせ 給 はね 其 後 

又淸 盛が 驕 惡を恣 にせし 時、 關白基 房 を始て 皆々 それが 威に おそれ、 一人の 大臣 朝 

か ちんてい き そ へいけ 

家 を鎭定 せし ものな し。 程なく 木 曾 都に うち 入りせ しかば、 平家 西 海へ おちゆき 帝 

もミ A ちへいけ Z 、 ► 

も 同じく 都 を 出で 給 ひしに、 攝攻基 通 平家に もむ す ほふられ たる 人な りし かど 帝 

ご € ほの. ん せっしゃ ミ いくほ. ど . ほ ふわ ラ 

を 捨て ま ゐらせ 都に おちと r まり、 後鳥羽院の 攝 政に は なられき。 幾程な く 法皇 義 

そうほ ふし よしな か ミら ほふ わ, フ 

仲 を 討た れんと て佾 法師 かり 聚め、 遂に 義 仲が 爲に幽 はれ 給 ひしに、 法皇 を 諫め.^ 

よしな か ぜんくわん はく もさ ふさ 

め まゐら せし にも あらす、 又義 仲を鎭 めら れし にも あらす。 前 闢白基 房の やう/ \» 

て.;. しょ、 つき ラ でう はいてい • A ちいへ 

に 慰められ しに, ,ー そ、 帝位 も 御 恙な かりき。 さて 承 久の亂 は、 九 條の廢 帝の 攝攻 道家、 

y € ほ の- ん いさ A かタ- まゐ 

後鳥羽院 を 諫め 中 されし 事 もな く、 又 帝 をす くひ 參ら せし… もな し。 .ur しこの 人 

5.** くら よ. 9 つね よし ミき / / .x^ 

は縑 倉の 賴經の 父 なれば、 義時 がふる まひ を惡 しと は 思 はれ ざり しに や。 その後 義 

ミき はい コ ほ C- か は この ゑの いへ V- ね 

時 三 帝 を 或は 流し、 或は 廢し 奉り、 後堀河 を 立て まゐら せし に、 近衞 家實義 時が は 

せっしゃ, フ もミ みち つちみ かぞの !0 ん お き 

から ひに て攝政 せらる。 此人 はかの 基 通が 子に て、 土 御 門院の 御 時の 攝政 にて、 そ 

くわん はく じゅん ミく !0 ん ^^くわん 

の後闢 白と なり、 順 德院の 御 時に もとの まよに 關 白たり き。 されば 二 代の 攝闢 に. て 



卷 



四 二 五 



讀史餘 論 



四 二 四 



堀內殿 ー 

原本 「堀 田 

殿」 と ぁリ 



あ リしは I 

1 木 「ぁリ 

しか ば _ 



閗の事 見え ざれば、 いかにと も 定め 難し。 然れ ども かく 思 ふ 事 は、 經家 のこと 補任 

か 5 お、 7 



に 見えし 所、 貞治 三年より 康應 元年の 薨 年まで、 散 位の 中に 戴せ て從 三位とば かり 

右り て、 其餘 昇進の 事 もな し。 この 人 朝に 仕 へられ ぱ* 四十 四 年の 間 一 官 一階 を も 

す- なんて、 T ししょ、 f 

進み 給 はぬ 事 や 有るべき、. 是 南朝に も 又 仕 へられ ざり し 事の 支證 とやすべき。 さら 

つぶた *、• いづ ころ てい わ かラの もろな ほ 

ば 經忠の 南朝 もも 去り 給 ひし 事、. 何れの 頃 にゃあらん。 貞和五 年の 正月、 高 師直吉 

かな ふ のが くわん 

野に 攻め 人り て、 南 帝賀名 生に 遁れ铪 ひし 頃に や 有るべき。 もし 然ら すば 觀應ニ 年 



脔 帝義詮 と 御 和睦 ありて、 都に 還らせ 給 ふべ しとて、 八幡まで 出で させ 給 ひし 頃の 

いづ 



事に や。 又 こ 2 に堀內 殿と 見えし を, 大系 圖には 堀川 殿と, 伺れ かよし とすべき。 

是又 他の 所見な し。 

わ 5 け へいかく ほ £>ん へ いぢ じゅんい レょ ラきラ 

抑 も 王家 衰へ. 給 ひし 後、 兵 革 起り し始、 保 元より このかた、 平 治の 亂壽 永、 承久 さて 



其 後 は 元 弘建武 のみ だれ を大 なりと す。 保 元の 時關 白^ 通^ 裡に 参られき。 これ は 

しゃていより なが ぼ ラレ W fcf みち 

舍弟賴 長 新 院の御 方の 謀 主にて、 忠 通と 不快な りし かば、 事 勢 かく あらす して かな 



ふべ からす。 平 治に 信頼 院内 を 脅し 參ら せし に、 閼白基 實ゎづ かに 十六 歳に て あ 

た r みち t さく くんじ ャ, I.N 

りし はいふに 及ばす、 その 父の 忠通を 初め 其 餘の大 1£H、 一人の 奇策 を 出して 君ヒの 



公卿 補任 I 

叙任の 時日 

^記せる 書 



二 年の 春、 和 泉、 河內、 紀 伊の 南 軍 も 皆 降る。 近衞 左大臣 初めて 南 帝 を 離れ、 みづ から を 

き t5 ほりう ち さの なん ぐん よ るゐ 

立て 紀 州に 赴き、 堀 内殿と 稱し、 南 軍の 餘類を かたら ひ 給 ひしに、 從ふ者 多し。 

く y や、? 4 にん なんて、 つき でん ご 一たい - ご くわう みやう るん けんぷ 

公卿 補任 竝に 南朝 記 傳を按 する に、 後醍醐 南山へ 入らせ 給 ひ、 光明 院卽位 • 建武 

この ゑく わん はく ふぢ はらの つねた^ よしの はし 有 i>K 

四 年 四月 五日に、 近 衞關白 左大臣 從 一 位藤 原 經忠吉 野の 宮に奔 り 給 ひ、 明年 11^1。 

七. なんてい 5】 むら かみの ,0 ん そくる なんて 5 

蒯ュ, 南 帝 崩 じ 給 ひ、 後村上 院卽 位の 日、 南朝の 關 白に 任じ 給 ふ。 その後 十四 年、 南 

よしのり せいしん おんわ ぼく あく SPUJWr じ W.C こラ 

帝 義詮の 請 申に よりて 御 和睦 ありし 明る 年 1^111。 八月 十三 日に、 五十 一 歳に て薨 

じ 給へ め。 その子ぎ 家と 申せし も、 五十 九 歳に て、 康應 元年に うせ 給 ひしょし、 公 

ぎ や 5 ふにん つねいへ .7 た ま f> かめ や ** の. ん ぶけ おんわ ぼく 

卿 補任に 見えたり。 經 家の 失せ 給 ひし 事 も、 後 龜山院 武家と 御 和睦 ありし 年より は 

三年 前の 事な り。 大系 圖 にも 補任に も、 經 家の 子の 事 はしる さす。 今 こよに 見えし 

»| い S やう つねた r こ つねいへ 

所、 永享 一 一年と いふ は、 經忠薨 後より は 七十 八 年に 當り、 經 家のう せ 給 ひしょり は 四 

この a 

十一 年な り。 然るに 近衞 左大臣 殿と 見えし はいぶ かし。 思 ふに 初と いふ 字の 下の て 

あやま うつ つねた ぐこう なんて ラ き し- T- 

の 字、 にの 字 を 訛り 寫 せし にや。 もしくは 是經忠 公 初めに 南朝 を さりて 紀 州に 赴、 き、 

みづ から 門戸 を 起し 給 ひ、 その子 孫の 今 又 南 帝の 舊臣を 聚め給 ふとい ふ 事に や。 南 

朝 記の 第二 卷闕 けたれば、 南朝 興國 元年より 正 平 二 ±】 年 迄. 二十 七 年が 



卷 



十 



四 二三 



讀史餘 論 



四 二 二 



南 帝 II 木 



てい よくたい h こ ま つ よし もち ザん めい そむ しょ ラ くわ ラ 

帝の 太子 を 翼 戴し 奉らす。 又 四 年に して 後小松 讓 位の 日、 義持 前盟に 背きて 稱 光 

るん なんてい ふく よし もち 

院を 立て 參ら せし かば、 南 帝 憤 を 含み 諸 國に兵 を あぐ。 この 時 義持南 軍と 相 和す る 

お <: くら & なんてい . やく 

に、 この 次の 御 位に は 南 帝の 太子 を 立て まゐら すべし と 約せ しかば 兵 解けぬ。 その 



後 十六 年に て稱 光 院崩じ 給 ひ、 御 位 をつ がるべき 御子 もな 

お A こ 

又 御子な し 



後小松の 上皇に も 



J の 時に おいて は義敎 よろしく 南 帝の 太子 を 立て 申すべき 事に あらす 

—つよし もち めいやく なんてう き、 つ しん • けん * 

や。 さらば 義满義 持の 盟約 も 違 はす、 南朝の 舊臣の 憤 も 散 じ、 且は建 武以來 八十 餘 



年が 程に 戰死 せし 南朝 義士の 忠魂 寃魄を も 慰し つべ し。 豈忠 厚の 至りに あら ざらん 

なんてい W 、フ fc ミ 

や それに 腹 あしく 南 帝の 統を絕 え、 棄 てま ゐら せし 事, J そうた て けれ。 是を譬 ふる 

ち. や、 フぎ. レゃラ お くわい わ ,7 ぶく わん 

に、 秦の張 儀が 商 於 六 百 里の 地を獻 ぜんと 楚の懷 王 を 欺き、 遂に 武關 の會 によりて 

楚王を 執 へ て歸れ るが 如し。 但し それ は 欺きて 地 を 少しく 與 へ、 < もし は 王 を 執 L し 

よしみつ よ t もち よしのり しんき 

のみな り。 義满、 義持、 義敎 等の 南 帝 を 欺き 參ら せし 事 は、 三種の神器 を 奪 ふが 爲な 

* ん S 

れば、 穿 騫の盜 の 如しと もい ふべ きに や。 いかで 天下の 主たる 者の しわざな るべ き" 

y だい _* 一 .0 ん f 

され どかく 彼等が 爲に 欺れ 給 ひしと いふ 事 も、 皆 後 醐醍院 の 御餘殃 たれば、 みだり 

*ゥ ら * 

が はしく 彼の 人々 を も^む まじき 事に や。 



給 ひ— 一 木 

「給 ふ」 



常 盤 木 や 木 寺の 梢つ み 捨てよ 世 をつ ぐ 竹の 阖は伏 見に 

ふし A タの ^こ たから 

さらばと て伏旯 殿の 御子に 定まれり とい ふ。 この 耿か よれし 物 は、 今 も 世の 寶 など 

して 傳 ふるもの あれば、 さも 有りし にや。 心得られす。 

,き: な みてい みや おんの み かな な; s, よ しだ 

南朝 記に、 この 時 南 帝の 宮御位 御望み あれ ど, 叶 ひがたき 事 を 歎き 思 召して, 吉 田の 從 

もり ふさ ご ざ ラっ たま な Aif ラ いよ { -ラ らふ 

一位 守 房 以下 御供に て 御座 を 他所に 移させ 給 ひ、 南方の 輩 彌恨を 含む。 十二 日、 宮は 

^ --の yf- うけい こくし よしの くねん ケん えいき ゃラ 

^ 伊勢 國に 行啓 ありて 國司北 畠 兵 を 催し、 又吉 野に も 官軍 旗を舉 ぐ。 永享 元年、 將 

ゆん ぶく かくわん *?c ぎ しゃ ラケん せん ゆ よ t のり ービん だいな コん 

軍 元服。 ^山 加冠。 參議に 任じ、 將軍 宣下、 諱を 義敎と 改め、 權 大納言 從 三位に なさる。 



If^f ず 七月、 南 軍 越智、 十 市 、久 世、 萬 年等吉 野より うちいで、 所々 にて 合戰。 i!r 叫お 

くに の みつ ♦* さ に き いっしき ミ き の も, a 

國是 をう つ。 伊勢 國司满 稚の討 手に は、 仁 木 一 色 等 を さしむ く。 土 歧世保 刑 部 少輔持 

. こく 仏 if , なんてい .* やき やう おんわ K く さが ごし ゅっ 

賴大將 たり 國司戰 敗れて 討た る。 南 帝の 宮 京と 御 和睦 ありて、 嵯峨に 送らせ 給 ひ 御 出 

け *ri じゅぶ かくり ちゃ、 フ けい !0 ん みつまさ あき t さ 

家の 後 萬壽 寺に 人り 給 ひ, 御 法名 覺理。 後長 慶院と 申し 奉る。 满雅の 子 顯雅も 降れり。 

よしみつ めいやく ぢみ, ラ &んぞ の 

按す るに、 義满 初め 南北 を 和せ し 日に、 盟約 せられし 所 は、 持 明院殿 大覺寺 殿兩流 

おん くら !0 しんき ほくて 5 なんてい 

昔の 如く 互に 御 位 を 知らせら るべ しとに て、 三種の神器 を 北朝に 渡され、 南 帝の 太 



卷 



子寬成 親王 を 東宮に 立てら る。 この 後 十七 年 を經て 義满薨 じ、 つ ひに 盟約の 如く 南 



四 二 一 



讀史餘 論 



四 二 〇 



ありし が— 

一 本 「あり 

しかば」 

つけて— 一 

本 「て」 字 無 

し 

給 ひて 1 一 

1 本 「袷 ひ 

さ」 



tl 1 本 

「永々」 



廢 しま ゐら す。 此時南 帝 光嚴、 光明、 崇 光三 院 をと り參ら せて 吉 野へ 還 幸 ありし が, 

そ 5 くわ、 ? おんお W- ほくて 5 ま. 2 くわ-.. '2 ん&ん 

義詮又 崇光同 母の 御 弟 を 北朝の 君に なし 參ら す。 是 後光 嚴院の 御 事な り。 その後 六 

*0 ん ^へ ま& よしみつ n ゑん ゆ, ゥ の ゐ ん せんそ f 

年を經 て、 三院 をば 都に 返し 參ら せられき。 義満の 世に 至りて 後 圓融院 踐祚の 日、 崇 

くわう るん ひで ひ W ほそ か はより ゆき ごく ゎラ 

光院の 第一 の 宫榮仁 親王 を 位に つけて まゐら すべし と議 せられし に、 細 川賴之 後光 

ごん ,0 ん *4 も おんこ モラく ゎラ もん *» やくり 5 

嚴院を ひき 參ら せければ、 其 御子 御 位に 定り給 ひて、 崇光院 は 持明院 殿の 觚流 なり 

しに かぶりし かば、 後光 嚴と 御兄弟の 間 も 快から す。 i^§l^gls£?J。 伏 見 殿 旣に崩 

一 M りゃラ めつ おう *: い ひで ひミ さ だな り 

じ 給 ひ、 榮 仁の 御 時には 御領 も. 激し、 應永 二十 三年に 榮 仁もう せ 給 ひ、 ^成 其、 跡 を 

; しんわ- 



繼 ぎていよ く 衰へ給 ふ。 後小松の 上皇の 仰せに て 無 品 鋭 王の 宣下 ありし を も、 稱 

くわう るん いき ぞほり しゅ ゥけ だラ きん ご そく 

光 院の御 憤 深 かりし かば、 やがて 出家し 給 ひて 道欽と 巾せ しが、 その 御子 此度 御卽 

も なが ぢ A やう ゐんタ の モラく ゎラ るん 

位 をし り 給へば, この 後 は 永く 持明院 殿の 御 嫡流に て、 崇光院 の 御 末 正統と はなら 

なんてう き だい ミ くじ いっき, ひ ご -w to いや 

せ 給へ り。 € 朝 記に、 大德 寺の 一 休と 閗 えし は、 寳は 後小松の 皇子な り。 され ど賤 

はら ^1 じんしん モラ しょ ラ くわ, ん 

しき 腹に やどり 給 ひし かば, 人臣の 子と なされて 佾とは 成り 給へ る 也。 稱光院 の 

御世 耱の 事を議 せられし 時に、 一 休に 問 はしめ て 定め 申さるべし とて 院宣 有りし に、 

^しゃ 5 

和尙 言葉 はなく 一 首の 和歌 をば 默す • 



r : ゆ あかまつ の A つす け 》| ちごの か& もち 

の伊雜 浦に 兵 起る。 兵 をして 討ち 平ぐ。 三十 四 年 五月、 赤松 左 京大 夫 满祐同 越後 守 持 

さ ださ, フ ろん せつつ はり *4 び ぜん 3 まさか い な は ゃラ みつすけ のりす け 

貞爭 論の、 」 と あり。 赤松が 一 族 攝津、 播磨, 備前、 美 作、 因幡 五 ケ 國を領 す。 满祐は 則祐が 

ちゃく り う もちさ だ のりす け さだのり そん しょり, f もちさ だ よし もち ちょ ラし V 

嫡流に て、 持 貞は 則祐が 兄の 貞範の 孫 なれ ども 鹿 流な り。 され ど 持 貞は 義 持の 寵臣 なれ 

たま みつすけ やかた はり ♦* しらはた しろ ょレ 

ば, 三 州 を 賜 はる。 满祐 憤りて 己が 館に 火 を かけて 播 磨に 歸り、 白幡の 城に こもる。 義 

もち ほそ か はも ち もミ みつひろ しょ だ r, "みや ラ もちさ だ けラし P ぶ れい 

持 怒りて 細 川 持 元 山 名 满熙に 仰せて 討たん とす。 十月、 諸 大名 一味して 持貞が 驕奢 無禮 

もちさ だい ぎ じ がい みつすけ き らく せ、,. ちゃ ラ 

の 事を訴 ふ。 持貞 異議に 不, 及 自害し、 满祐赦 されて 十 一 一月 十七 日歸洛 す。 正 長 元年 正月、 

.* しもち ゥぎ ひや うぢ や 5 れんし そ,, s ち、 フ ゆん みく -1、 もち ラ * ち 

義持 不例。 嗣の事 評 定 あり。 或は 連枝の 佾中を 還俗せ しめん か。 一 i げ。 或は 持 氏 然るべ 

くわん り や, r- の A ついへ にふだ うだ. <•> たんい は し A づ くじ 

きか。 いづれ を わきがた きに より、 管 領 畠 山 左衞門 督满家 入道 道端 石淸 水に て鬮 をと 

よし. b ち さ、.' ぼ せいれ Ato ん VJ ゑんだ いそ,? じ や 5 しゃ viz ん の ないだいじんよ レ 

るに、 義持同 母の 弟靑 莲院義 圓大佾 正に 定まる。 旣 にして 十八 日に 將軍從 一 位內 大臣 義 

もち S4- ぎ ゑん き らく の の 

持薨 す, 1 ザ 十九 日に、 義圓靑 蓮院を さり、 三月 十二 日 歸洛。 左 馬頭 從五 位下に なさ 

れ、 義宣と 名のる。 七月 二十日、 稱ラ光 帝 崩す。 ゃナ 皇子 まし まさす。 ^膨麵 

s ゎラじ ほラ UTTnJI よしのぶ 

や 院 にも 1。, 皇子お はし まさす。 是 によりて 帝い まだ 崩ぜ ざり し 時に、 義宣伏 見 

に 使して、 道欽の 御子 を迎 へ、 院に 申して 御 養子と せらる。 二十 九日に 踐酢。 

よしのりく わんお ラ h ひ ら かみの るん むか くだ ほくて う モラく わ、 ひゐん 

按す るに、 義詮 觀應ニ 年に 南 帝 後村上 院を迎 へ 降られし 日に、 北朝の 君 崇光院 を 



能 
論 



の fl ほ 5 みつたか もちな か ぞ んしラ のり かた のり はるく わい そん もち, 7 ぢ 

日 雪下の 御坊に て 満隆、 持 仲、 禪秀、 憲方、 憲春、 快 尊 等 皆 自害す。 十七 日、 持 氏 嫌 食に 歸 

いはまつ ざん た、 プ ま ひき のじよ- f いはまつ し そく 

る。 岩 松 殘黨を 催して、 舞 木 宫內 丞と戰 ふ。 五月、 岩 松 をい けどり、 閨 五月 誅す。 子息 

廳は 落ちぬ。 sip 河醫 再び i ん i., たり。 Bss^ 二十 五 年 正月 二 

よしつぐ 二 4» る を ごん だ いな なんみ つのり J!-=rl8*- る 

十四日、 義嗣を 殺す 1 y 「後に 贈,, 從 一位; 五月 十日、 權 大納言 满詮 卒す。 ^p, 贈 „ 左大 

の 4* これ も W た,, 'しゃ 5 ケん だいじん て 

臣從 一 位 一 是 故の 將 軍の 弟當將 軍の 叔父 贈 大臣の 例歟。 一 一十 九 年 十月 一 日、 日 ありて 雙 

す にちや、 フミく じさの あくた, f さ たけ かう づけの すけ もち、 フぢ かま くら ひ き やつ かっせん 

出,, 南方, 長 德寺殿 惡黨を 催さる。 ^竹 上 總介持 氏に 叛く。 閨 十月、 嫌 倉 比企ケ 谷に て 合戰, 

S た け じがい の-をぐ り みつ レ ゆ もち ぅぢラ へす ぎ つ & た.,' 

佐 竹う ち 負けて 自害す。 又 常 陸國小 栗五郞 满重叛 く。 持 氏 上 杉 小山して 追討せ しむ。 三 

のよ しかず ちゃ, f ミ くじ タの も ち 3ぢを ぐりたい ぢ しも 

三月 I 一本 十 年 三月、 源 義量將 軍に 任す。 ザす 四月、 長德寺 殿うた る, 五月、 持 氏 小 栗 退治の 瑪下 

^•ML つけ ゆ ふき ^ ぐり ラ つの &ゃ .7 ** のか A もちつな ,lc-<slfl*- 

う;^ 1 一本 野の 結 城に 至る。 八月 城 落つ。 小 栗 宇都 宫、 右 馬頭 持 綱と 共に 落ち行く をう ち、 

つ、、 rv -tt ら き やう ミ を ケ h- つ & たラ た ぞいす もが きた もち うぢ ふ 

フグ」 や 京都より 小 栗 追討の 多勢 駿 河まで 來り、 城 落つ ると 聞きて 歸る。 持 氏武藏 府中 ま 

で歸 る。 こよに 留 りて 驕恣の 事 あり。 是 によりて 京都と 快から す。 三十 一^三 月、 ー:小 よ 

ふく * いだ 5 ふ ち、 7 なんてい な かめ や ** の. OAJ ほ..' ぎよ ふ,、 * い: 

り 服 西 堂 を 使と して 府中に 至らし む。 四月 十 一 一 日、 南 帝後龜 山 院 崩御。 五月、 服 西 堂 小。 

ふ ちう もち うぢ きャ 3 まくら もち うぢ る に 

義持 —一本 九月、 又 府中に 来り、 持 氏 を さまぐ 諫めて 京 嫌 倉 和睦 • 十一月、 持 氏 歸,, 嫌 食; 三十 二 

「義 25- 冉 - しゃ ラ ぐん の ミんし J1 よし もち し 1 

年 二月 二十四日、 將軍參 議正四 位下 義量 頓死 • S 義持 政務 を つかさどる • 九月, 志 摩 



やぶる I 

本 「やぶ. 

一揆 丄 

「一族」 



木 



^ 卽日 出家。 法名 道繩。 是は 道義 在世の 日、 將 軍を廢 して 義嗣を 立て 

こ、 7 よしつぐ くわん ミ, r- A つ 

ん とせし に、 その 事なら すして 薨 せらる。 義嗣 ほいな き 事に 思 ひ、 今闢 東の 亂を 悦び、 満 

た かぜ 八し う き や ラミ かた じ もち うぢ を ぢ 

隆禪秀 に 通じて 京都 を 傾けん とせし 事 あら はれし が 故な り。 十二月 二日の 夜、 持 氏の 叔父 

みつたか 新 ^ も.?, ぢ もち かな <_5«-c-IB?。l8 いりかけ ザん し、..' f^y はい もち 

満隆、 持 氏の 弟 持 仲、 鵷 |Sf ザ 殿 犬懸 入道ぎ 秀の 一 家竝に 同意の 輩 旗 を あぐ ニニ 日、 持 

3 ぢび かう のり も ミ やかた あ ふ yv つ の ,つ ぢさだ たいしゃ ラ 

氏 微行して 蔥 基が 佐 介の 館に 至る。 同 六日、 持 氏扇ケ 谷の 上 杉 彈正少 弼氏定 を大將 として 

ザん し. r- しょこく さ もち 

戰 ふといへ ども、 g 秀が 方に 諸 國の勢 馳せ加 はり、 旣に 十一 萬餘。 散々 に 攻めし かば、 持 

氏戰ひ 敗れて, 夜に いり 駿河國 に 落ち ゆき、 追 ひくる 敬の 爲に 討た るよ 者 多し。 日 を經て 

せ な おもむ い *i が はの り fcr 3 ぢさだ ふぢ さは だ うぢ やう こくせい じ き 

瀨 名に 赴き、 今 川 範忠を 頼み、 氏定は 藤澤の 道場に て 自害す。 持 氏 豆 州國淸 寺に 有りと 聞 

はいぐん めつ お か のの すけ ぞ んしラ こくせい じ にふだ ラ 

きて、 敗軍の 士 かしこに 集る。 狩 野 介禪秀 にくみせ しかば、. 國淸寺 を 攻め やぶる。 入道 

. く レ. い づの かみ g ゆか fc もちな か む さしの くに むか もちう V- & かた » んさ £ し * に かいだ、..' 

が 嫡子 伢豆守 憲方持 仲に 從 ひて 武藏國 に 向 ひ、 持 氏 御 方 南 一 揆, 江戸 豐島竝 に】 一階 堂 

ザん し. 7 む IJ いはまつ の もちく にか、 7 づけ おこ 

等と 戰ひ、 う も 負けて 縑 食に 歸る。 禪秀が 堉岩松 治部大 輔持國 上野に 起り て 力 を 合す。 



義持此 由 を 間き 今 川 竝に葛 山に 御 敎書を 被, 成。 こ 十四 年 正月 朔日、 满隆、 持 仲、 竝 に禪秀 

やぶ 



等 武藏國 に 向 ひ、 五日に 世谷ケ 原に 戰 ひて かち、 九日に 戰 ひて 破れ 歸る。 是は岩 松が、 驕 

もち 5 ぢ いまが は せ ぎんし...' 

甚 しくて 皆 人心 はからぬ 故な り。 持 氏、 今 川、 大森、 葛 山, 縑 倉を攻 む。 ^秀 うち まけ ノ十 



卷 



四 一 七 



讀史餘 論 



四】 六 



たしむ。 向井 小島の 兩城 落ちて 尹 綱ラ たる。 二十 年 八月、 稱 光 院卽 位。 fs お, こ 

ふし, e さの たいし おん くら .0 . のせ, ■ ぶ け.:. 

の 時 伏 見 殿 も 南 帝の 太子 も 御 位の 事 を 望み 給 ひし かど、 武家 實仁を 立て 申せし によりて、 

い せの こくし や 4? き い か は, ちへ む つ みや か- U ? 7 むね な そく. 

伊勢 國司竝 に 大和、 紀伊、 河內、 陸 奥の 宫方 一同に 訴 ふる 旨 あり。 御 卽位事 成りし かば 悉 



謀叛す とい ふ。 十二月、 奧の宫 方 伊達 松 犬 丸 懸田播 磨 守 等 大佛の 城に こもる。 持 氏 畠 



山 修理 大夫 匦詮に uts 。命じて 攻め 落す。 二十 

せき た-..' かんべ みね こくふ かぶ W や t£ し 1 は »fi 

て 兵 を あぐ。 關 ー黨、 m 戶、 峯、 國府、 鹿 伏 兎 等 也。 大和、 伊賀、 志 摩の 兵 悉く 馳せ 集る。 北 



年 九月、 伊勢 國司满 雅御卽 位の 寧に 



ttfc けミ しゃす みつまさ ミ しゃす の しろ »xftt ほ^: 

畠俊泰 のみ 京に くみす。 二十 二 年の 春、 满稚俊 泰が坂 內の城 を 攻めと る。 す 兵 をし 

き づく h- あ さか たけ お ほが ラち の た ままる icfc* & の もちます 

て 木造、 阿 射賀、 多氣、 大河 内、 坂內、 玉 丸 等の 城 を 守らし む。 義持 土岐左 京大 夫 持 益 を大 

きた はたけ W しゃす * フ よせて ,: こくし あ 3 

將 とし T 、北 畠 中納莒 俊泰等 をして 討た しむ。 寄 手 城々 をお として、 國司 のこ もる 阿 射 

か かた なんてい -, 一 そく <~ 

賀を 園む。 城 堅く してぬ けす。 九月、 南 帝の 太子 重ねて 御卽位 有るべき 由に て 事 平ぐ" こ 

か ら3 ラぢ のり ひ t ろラ きょ 、つへ す y あ はの か, c のり もま 

の 年 四月、 鎌 倉の 家老 上 杉 氏憲持 氏と 隙 出来て、 二十 六日より 籠居す。 上 杉 安房^^ 基 

ラぢ の. 9 ぜんしう タ, < 'い はい なん * ラ らん 

管領たり。 氏憲 入道 禪秀竊 に 同意の 輩 を 催し 南方の 亂を 待て 兵 を 起さん とす。 七月に: や-り 

くわん ミラ か ♦* くら き こく もち ラぢ ゆ x» 

て、 闢 東の 兵縑 倉に 馳せ 集る。 一 一十 m に歸國 すべ きょし を 持 氏より 下知す。 一 一十三 ^七:::: 



だいな、 >ん よ-つぐ え くわ, 20 ん aK#? J 

中旬より 八州の 兵 嫌 食に 集る。 十月 晦日、 大納言 義嗣を 林光院 におし こむ。 、齔 i 



其 愛子な 云 

一 H 1 一本 

「其 愛子^ 

して 死にい 

たらしら め 

る」 



けい おも タ なら ひ ろく いへ ミま おも 

それに 同じ。 小人 は 惠を懐 ひ 土 を懷ふ 習な れぱ、 いかにもして 祿 厚く 家 富ん と 思 ひ 

P ゎづか X レ. 7 こく 

願 ふ は 世の つねな り。 され ど耩に 六十 餘 州の 地 を, 或は 十ケ國 或は 五ケ 國七ケ 國づっ 

り ゃラ こ 、ひめ ^1 し 44 さ 

合せ 領せ しかば、 その 餘功 有る 者に あた ふべき 地と てもなく、 義政將 軍の 代に 至り 

fc ちかた tt し. *4/ わ S ぶつ しゃ, 7 いかで おもむ 

て、 太刀 刀 又は 書畫 器物に 價を 定めて それ を 以て 賞せられ し。 天下の 人爭か 利に 赴か 

し. d ぼ、 ん りよ ミょミ みたい か ふ 

ざらん。 か-る 深謀遠慮 なき 事い かで か稱 する にたらん。 豐臣 太閤 も 六十 六 州 悉く 

に 割き あたへ、 今 はせん かたなくて、 朝鮮 を も 奪 ひ 取らん と 思 ひ 寄せて、 遂に 世の 

ら A いへ かつ よし A つ 九う じ あい 仁く ほ S 

亂を引 起し、 その 家 をも滅 されき。 且 は義满 幼子 を 愛し 長子 を 悪み、 身 死して 程な 

くその 愛子 を 死 を 得 ざら しめらる。 あさまし かりし 事 どもな り。 凡そ 此人 驕恣の 性 

しん y い t が はさ だよ にふだ •<.- その 

にて 信義な き 人に おはしき。 その 代に ありし 今 川貞世 入道が 論ぜし 所、 尤も 其 病に 

當れ りと こそお ほ ゆれ。 

よし. * ち お, f*: い !&ん ぶく の さ ち, 7 じ や、,' せいい ii いしゃ,.' ぐん 

義持 は應永 元年 十二月、 九 歳に て 元服して、 正 五位 下 左中將 になされ、 征夷 大將 軍を讓 

だラぎ A づか ぢ せい お ->ぇ い か ** くら A つ 

られ、 二十 三 歳の 時、 道義 薨じ政 を 親ら し 治世 二十 1 年な り • 應永 十七 年、 嫌 倉の 满 

かね 1110-30 1 もち ラぢ XI つた さだかた ミら さむら ひタ ころ の 

* 卒す。 Ipt^hl^- その子 持 氏つ ぐ。 この 月 新田 貞方 を铺 へ、 侍 所 千 葉 介 をし 

き ひ だの こくし あねの こ うぢ さんぎ た rote m や .Z づ、 の たかかず 

て 七 里ケ濱 にて 斬る。 十八 年 七月、 飛 驛國司 姉 小路 參議 尹 綱 を 京 極 加賀守 高數 して 討 



卷 



四 1 五 



讀史餘 論 



四 1 四 



僭竊— 分に 

過 ざた る 行 

^マる、、 と 



原本 無- 通 

字? 今レ 補 

之。 



受 くる 時 は, その 實は 君臣たり といへ ども、 その 名 は 共に 王臣 たり. その 臣豈我 を 

よ レ みつ はんしん .ふ W く いた 

尊ぶ の實 あらん や。 義满の 世 叛臣 常に 綞へ ざり し は、 その 不德の 致す 所と 雖も、 且 

は 又 其 君 を 敬 ふの 實 なきに. よれり。 その上 身旣に 人臣たり。 然るに 王朝の 臣を 召し 

これ じ S つきん な か れい せんせ つ っ& まんだい そしり 

仕へ て、 是を 名付けて 昵近 とし、 御家禮 とすと いへ ども、 僭竊の 罪豈萬 代の 讖 をの 

がれん や。 世籐旣 に變じ ぬれば、 その 變 によりて 一代の 醴を 制すべし。 是れ卽 ち t 

つ、 T ふ がくむ じ A つ かんか ほん 

通す るの 義 なるべし。 もし この 人 をして 不學無 術なら ざら まし かば, この 時 漢家本 

朝 古今の 事觚を 講究して、 その 名號 をた て, 天子に 下る 事 一等に して、 王朝の 公卿 

た;; ふ し じんみん せい #- んだぃ 

大夫士 の 外 は 六十 餘 州の 人民 悉く その 臣下た るべき の 制 あらば、 今 代に 至る とも 

じゅんよ、 フ ぶ け れいしき かんけ だい れい しゅく そんつ ミ 

遒 用に 便 有る ベ し。 又 武家の 禮式を 定められし などい ふ 事 は、 漢家 一 代の Sg も 叔孫通 

が議 せし まよ なれば、 今更 議 する に不, 及。 三 職 七 頭 を 定められし 類 は 尤も 是 弊政 也。 

^ん * つ いざな し そん よわ 

是っ ひに 僭 竊の臣 を唱ふ 所に して、 この 人の子 孫 それが 爲に 弱められし 事 世に 知る 

あ. a せ .«> く しょ 5 

所の 如し。 功 ある 者に 國多 くさき 與 へられし 事是れ 一 つ、 世俗の 者の 稱 する 所に て、 

はか きんだい ミょ たいか ふ いま まで 

國を 計る 者の 尤も 畏 るよ 所 也。 近代に も豐臣 太閤 を 今に 至る 迄 人の 稱し いふ は 唯 こ 

いにしへ しゃ ろん せ, 7 じん くん レ 

の】 事な り。 古 の 人、 赦を 論じて、 小人の 幸 君子の 不幸と いひし 事 あり。 この 事 又 



ま こ w S ビま 

尤も 信 を 失 ひし 人と いふべ し。 天下の 屯た らん 者、 信に 止る 事な くんば、 何 を 以て 

M じ や 5 だいじん X! ほんこくね ラ びミ その くんら ラ 

稱 すべき。 又 太 政 大臣に 上り 日本 國 王に 封せられ し 類 も、 た r 人な どの 其勳勞 によ 

かかい くわ.?.. S い た..' じ けん い の も 

りて 官加 階した らんこ そ 誠に 光榮 ともい ふべ けれ。 當時此 人の 權勢を 以て 何 を 望み 

て かその 心の 如くなら ざるべき。 されば 世に 傳 ふる 如き も、 この 人 三十 七 歳の 時 こ 

た ひらの きょ もり ぶ け 

の官を 望み 申されし に、 平淸 盛が 外、 武家 この 官に 任ぜられし 例な し、 いかに や 有 

るべき と ありし を、 大に 怒りて、 さらば 公家の 御領 を 押へ 自ら 國 王と 成りて 細 川 畠 

せっけ せいく わ じゅん はか * ^く > よ 

山 等 を 攝家淸 華に 准 せんと, 謀られし かば、 やがて 勅許 有りし など も 申すな り。 , 孔子 

れ は から ははら るこミ を くす ふこ S を くす 

曰、 名不, 正則 言不, 順、 言 不, 順 則 事不, 成と。 又 名, 之必 可, 言 也。 言", 之必 可, 行 也。 

君子 於 n 其 言 苟而 已矣、 と 見 ゆ。 夫 所 y 謂 大臣と は 人臣に して 君に 仕 ふの 官 なり。 

しょくし やう .* ふ を ふ わうて、 フ 

その 官 ある 時は必 その 職掌 あり。 是を 名, 之 可, 言 首, 之 可. 行と は 申すな り。 主 朝 

ぉミろ きょ ラし W 

旣に衰 へ、 武家 天下 をし ろしめ して、 天子 を 立て 世の 共 主と なされし より、 その 名 

じんしん はん われ わ-.' くわん わ 5 じ 

人臣な りと いへ ども、 その 實 ある 所 は その 名に 反せり。 我旣に 王官を 受けて 王事に 

從 はすして、 我に 事 ふる 者 は 我事に 從ふ べしと 令 せんに、 下た る者豈 その 心に 服せ 

fc ミ わう くわ. A わがしん わ、 7 くわん くんしん わう くわん 

んゃ。 且 へ我受 くる 所 は王官 なり。 我 臣の受 くる 所 も王官 なり。 君臣 i もに 王官を 



ちん ザい しづ て 5 か ぶけ れい むろ t ちけ 

て鎭西 をも靖 めたり。 朝家 を 重んじて 武家の 禮を定 む。 室町 家の 盛なる この 時を最 

その ゐ *J 一く しょ ラ した みく か 象 くら うぢみ つ 

とす。 然れ ども 天下 唯 其 威に 服して その 德を稱 せす。 是 故に 親しき 一族 縑 倉の 氏满 

みっかね はか. やまな お ほうち ぁャふ ほろぼ 

満兼 常に 世 を 謀な の 志 あり。 山 名大 內が亂 天下 危 きに 至れり。 終に 彼ら をう ち 減せ 

W 9 やすゆき やまな ミ きょし まか 

し は 天 の 幸と い ふ ベ し。 土岐康 行、 山 名 時義が 子息 等、 讒 人の 申す に 任せて 猥りに 反 

ぎ .7 や ♦* な お ほ 3 ち 

人に 擬 して 彼 を 討つ。 されば 天下の 人 安き 心な かりし かば、 山 名 大^が 亂も 出来し 

レ やう ぐんけ めで fc き , 

也。 然れ共 今に 將軍 家の 目出度 例に 此人 を稱 する に は、 いはれ ある 事な り。 一 つに 

はこの 人の 世より 南北 暫く 一統す。 後代 其 武威 を 稱す, 二つに は 此人太 政 大臣に 歴 

のぼ のち おくぶ け くわう 九い しょ 3 

上り、 死して 後 太 上皇の 尊 號迄を 贈らる、 武家の 光榮を 生ぜし 事 こよに 始る 事を稱 

ほんて、 7 たいふん こく わう ほ 、つす 5 » い 

す? 三つに は 本朝の 事の みに あらす、 大 明の 帝より 日本 國 王に 封 祟せられ、 ^の 名 

譽外國 に 及ぶ。 四つに は 武家の^ 式 を 定めて 永く 幕府の 例と なる。 五つに は 或は 三 

職 七 頭 を 定め 或は 功 ある 者に 國々 多く さき あた へ られ ければ、 その 恩 惠の廣 きこと 

なんぼく ミラ めいやく 

を稱 す。 然 ども 所, 謂 南北 一 銃と いふ 事 誠に 一 銃せ しに は あらす。 もし その 盟約の 如 

ぢ A や,.', ん さの だいかく じ さの * ^すゑ てい. ,A だ- 

く 持 明院殿 大覺寺 殿の 裨末を か はる <\. に 帝位に つけ 申されな ぱ、 この 後の 亂れも 

あるべ からす。 然るに 唯 一 旦の詐 謀に 出で し 所に して、 終に その 約の 如くなら ざる、 



來 らしむ となり。 義満 驚き、 其 九月 兩佾 を歸 さる。 八 年 1 義满明 帝に 使 を 奉り、 黄金 千 

けん けんぶん てい こく わう だラぎ 

兩 及び 器物 等を默 す。 九 年 二月、 建 文 帝 書 を 賜 ひ、 日本 國王 道義と 稱し給 ひ、 十 年 十 一 



月、 成 祖書を 賜 ふて 卽位 を告 ぐ。 十一 年に も 使 来れり。 偖 又 この 年壹 岐っ對 馬の 海賊 彼國 

をい だう ぎ ミら ちょくしょ れい しゃ ラ ぐんけ 

の邊を 侵せし を、 道義 钸 へて 平 ゆられし が 故に 勑書を 賜 ふなり * この 後 は 例して 將軍家 

if く. pr- f きた to-** だう ぎ じゅず i しつぐ 

を 日本 國 王に 封せられ き, • 十五 年 三月、 北山へ 行幸。 道義 法服 を 著し 數珠を もち、 義嗣 

いで むか ^ fc い.? フ くわん! &ん わか , ぎ よせい 

を携 へて、 門下に 出て 迎へ 奉る • 十 餘日御 滯留、 管 緩和 耿の會 あり。 其 座 次 御製の 次 



に s^f 遨ま、 其 次に 源 義嗣其 次 關白藤 原經嗣 i 以下な り。 義嗣左 馬頭に 任じ、 正 五位 

の よし もち き や るす f 

下に 叙し、 又從四 位下に 昇られ, 左中將 にな さ る。 此度義 持 は 京都の 留守たり。 ^§ 



o 義滿論 



B.fe^v^^^^ 四月, ル衞 左府良 i 關 白に 任じ、 忠 嗣と改 む。 是れ 義嗣を 避け 

よしつぐ だいり ん ぶく ぜ しんわ 5 じゅん さんぎ, 

しなるべし。 同月、 義嗣 内裏に て 元服、 その 儀 親王に 准 じ、 參議從 三位たり。 中將 如, 元。 

U き J- のせい い た し ぐん よし &っ だラぎ £4« そん 

ss^。 十五 月、 前 征夷 大將軍 太 政 大臣 從 一位 准 三 宫義满 入道 道義 薨す。 ^ 太 上 天皇の 尊 

おく $fcbt3 辛 \: たい A ん せいそ i しもち ゐ せ ラ だ、 つぎ 

號を 贈らる * sflsf^^ 十二月、 大 明の 成 祖 より 義 持に 慰 詔 を 賜 ひ、 道義 を 弔 ひ 祭文 を 

きょうけ いわ ラ おくりな 

作り、 恭獻 王と 諡 す。 

按す るに、 義满 幼く して 父祖に 繼ぎ、 南 征西征 して 終に 南北 を 一統し、 自ら 西 討し 



卷 



十 



四 1 1 



讀史餘 論 



四 1 〇 



入道 —一本 

「入洛」 



しょか せつ なんたい へいき お ほ 

按す るに、 大 內と满 兼との 事、 諸家の 說詳 ならざる 歟。 難 太平 記に 據る とき は、 大, 



內が 兵を擧 ゆし は满 兼の 仰せと 稱し、 諸家 へ も滿 兼の 御 敎書を 下して 勢 を 催せし な 

お ほミも よしひろ さ だよ ずいき ゃラ しょ 

るべ し。 大友 歸國の 時、 義弘貞 世に いひし 言葉に、 「今 在京 仕りて 見 及ぶ ごとき は、 諸 

だいみ や、 こんさくわん りゃラ しきじ 

大名 御 一 族 達の 事 更に 心に く- 不, 「存 也」 と 見 ゆ。 されば 今度 管 領職 事な ど 定めら 

/ , よしみつ か *t くら 2 の 

れしを かたはらいた くも 思 ひ、 天下 義满の 政 をう とみし 時 なれば、 鎌 倉 殿 を 主に 

お ほ ,7 ち 5 へす ぎ わ a く 

なし 參 らせんと 出て 兵 を 起せし なるべし。 かくて. K 內减 びし かぱ、 上 杉 東西 和睦 

を 申し 行 ひ 無事に はなり しなり。 



くわん り や、 



九 年 二月, 嫌倉满 兼の 弟 潢貞陸 奥の 管領と して. 襟 川の 城に 下向す • 此時 伊達 大膳大 夫 

まさむね かま くら ラへ すぎ の うぢの. 9 やぶ その^ち 

政宗 入道 叛く。 縑 食より 上 杉 右 衞門佐 氏憲向 ひて、 五月 一 一十 一 日、 戰 ひて &れ、 其 後軍 



勢 馳せ加 はり、 政宗 うち まけて 九月 五日に 象。 十 年 四月 二十 五日、 新田 義隧 f " ^ 



ね あん 9J,f 'はや ミ そこくら 、!' 

根 山中に 隱れ 居りし を、 安藤 隼 人して 底 倉の 湯に て 討つ。 十三 年の 夏大 明の 使 来り, 義滿 



«.? くわん ぶく た ** *{ いわ ザつ か I . 

を 日本 國 王に 封 じて 冠 服 等 を 賜 はる。 是 より 永 和の 始、 絕海, 汝霖を 明朝へ 遣す • 太祖! 

1^ かへ お 5 あん fc ぃ&ん ちう いう む いつ ちん ザ 5- さ が 

見えて 歸れ り。 應安六 年 六月. 大 明の 使佾 仲献、 無 逸、 鎭 西より 人道、 峨 i に 置く。 二れ 



りャ 



は大 明より 三度まで 使 賜 はりし に, 筑紫 にて 菊 地に 留められて 京に 至らす。 故に 兩佾を 



思 ひたつ I 

1 本 「思 召 

立」 



沐 めん I 一 

本 「休めら 

れる」 

申 すげ なる 

丄 本 「申 



天下た ャ I 

1 木 「天 ド 

の 天 下れる 

道^」 



て、 子供が 事 は 上意に 依て 追て 相 計るべし、 もし 猶 京都の 御 助な くば、 今 天下の 爲 とて 

らぞの ゝ * * ^ た 5 け 2 ラん ちゃ, 7 きう f$ ん じんめん 0』 . き T 

鎌 倉 殿^ 召 立つ 事 御 當家御 運 長久と いひ、 禹人 安堵な すべき やと 思 ひなり しなり。 京 

^ . .. - いって ひつ ぢゃ、 f ころ くわん! =5 おんわ ぼく きこ 

都より 遠 州に 討 手下る 事 必定と 聞え し 頃、 閼東 にも 御 和睦の 事 上 杉 かたく ゆし 行 ふと 聞 

さて か i くらさの おも こん タ かま 

えし かば、 偖 は縑倉 殿の 天下の 爲に思 ひた つ 事 はな かりけ ると 存ぜ しなり。 又 曰、 今度 鎌 

食 殿 思 召 立ちけ る 事 は、 當 御所の 御 政道 餘 りに 人 ごとに 傾き 申す 間、 終に 天ず 無益の 人出 

in , た ラけ なか ^ i つき 

来て 天下 を 奪 は r、 御當家 滅びん 事 を 歎き 思 召して、 他人に 取られん より はと C 御發起 

t 15 ん みん h む ほん きこ たラな しょ ぎょい ひ -0^ 

ありて 只 天下 萬 民の 爲の御 謀叛と 普く 聞え しかば、 あはれ 誠に 當 御所 も 悉く 御意 を齜 

へし 給 ひて、 一向 善政とば かり 思 召さす とも、 この間の 殊に 過つ る 御 惡行御 無道 を 少し 

1 • み 妙き かま くらさの これ!!! タ 

やめた まひて 人の 歎 を も 休めん に は、 なにし か は 今 嫌 倉 殿 も 思 召すべき。 是程人 ごと 

に 恨み. S. すぞと 見え 申す ゆなる だに も、 御 運 もつ よく 御 威勢い かめし くわたら せ 給 ふに、 

メ, p -、, たれ ひミ かまく らタの かたら 

まして 御 政道の 少しも わたらせ 給 はく 誰 人 か は縑倉 殿に も 心 寄せ 申し 語 はれ 申すべき。 

おん ゆ .0 y き たラ くわ. A ミラ- *j てラ ぶく 

今 も 御怖畏 によりて 樣々 の 御祈禱 もしゅく、 闢東 御調 伏な どと かや 間き 申す 事 も 多 かる 

て 5 ぶく おんいの り す こ こミ さら 

を 何の 調伏 も 御 祈もう ち 捨てさせ 給うて、 天下た r 少しな りと も 思 召されん に、 殊更 



天道 も佛 神の 御 心に も 叶 はせ 給 ふべ きに と、 愚なる 心に は存 する ぞ かし。 



卷 



十 



四 ひ 九 



I 讃史餘 論 raoA 

€ がし せんしう うの ミ き や 

富 樫、 河 野、 伊勢の 國 司の 兵 都合 三 萬騎泉 州に 向 ふ。 二十 九日の 卯 時より 戰 はじまり、 夜 

*, ん & つやす うちじに ミ き のりな ほ いけに あき ♦* さ 

半に 至り カ盡 きて 互に 退く。 この 時 北 畠左少 將潇泰 討死す、 土岐詮 直、 池 田 秋 政 等 尾 州よ 

& R ミき 3 のの か A よ り** す やぶ なが もり こも みつ. フぢ はった 

り 起り て 美 濃に 至り、 土岐美 濃守賴 盆に 破られて 長 森の 城に 籠り、 山 名 満氏丹 波の 八 田 

レ 11f3*J さか ひ しろ 

の莊 より 起り て 戰ふ。 十二月 二十 八日、 堺の 城の 四 邊を燒 き はら ひて せめいり、 

よしひろ の みついへ う きくち やぶ よし 

義弘畠 山 尾 張守満 家に 討た る。 菊 池 も 攻め やぶられ 九國に 落ち行き 楠 も 破られぬ。 義 

ひろ もち もり はたけ やま もミ くに せつつ いづ ふ ( 

弘が子 新 介 持 盛 降る。 この 時より 畠 山基國 河內紀 伊を領 し、 細 川に 攝津和 泉 を 賜 ふ こ 

みつ 5-ね かう もんじ 

の 年 七月、 縑倉满 兼 謀叛の 閒 あり。 十 一月 二十 一 日、 武州 府中に 打ち出で、 高 安寺に 陣 

して 又 足 利の 莊に 進發 す。 明 くれば 七 年 三月 五日、 足 利の 莊 より 嫌 # に歸 る、 義满と 和睦 

、r 'へす ザ の ミも むね ぜんじよ ^towBS^-l^-i なんたい へいき 

あるべし と、 上 杉 中務少 輔朝宗 入道 禪助頻 りに^せ しが 故な り。 5魏?§:^ 難 太平 記 

お i、7 ちい づみ われら や しん かけ くわん ミラ 

に 曰く、 大內和 泉に 攻め上りし 時、 我等 野心の 事懸て も不, 存。 まして 闢 東より 一言 も 一 

紙 も 仰せ 蒙りし 事な かりき。 只大內 申し 行 はれけ るに や、 諸方の 人竝 の御敎 書と て 持ち 參 

そくじ じ や 5 らん さら べっしん の け にん 

りし かば、 卽 時に 上覽に 及びし かば、 更に 別 心な かりし を、 遠江國 にて 子供 家人 等關東 

X さん 、 メ r 、 J しい 

に 心 寄せ 申す 欤 に遲參 のよ し 人の 申しけ るに や、 疑 ひ 思 召す と 内々 承り 及 ひし 力ば 九; !;: 

ャ、 もく 4- ん つかよ じ や 3 いふ しん くだ わがみ いんきょ 

に 身 一 人 海賊船 を 以て 遣 さるべ しと 有りし ヒ意 不審に 存じて、 國に 下りて 我 身は隱 居し 



業 ^創め 家 

系な 永く 傳 

ス る、、 と 



正秀 I 原本 

「方 秀」 とも 

リー 本に よ 

リて玫 む 



ssi? TUN なら かまく らくわん りゃう しゃう ぐん か らうう へす ぎ くわん 

むは。 闢東 にても 是に傚 ひ、 縑食管 領 をば 將軍 とも 御所と もい ひ、 家老 上 杉 を 管 

ち f$ こや ながね ま ゆ ふき さたけ 4- だ 一 7 つのみ ャ なす や かた 

領と いひ、 千 紫、 小山、 長 沼、 結 城、 佐 竹、 小 田、 宇都 宮、 那須 をば 屋 形と いふ。 

よし &っ て 3 か せっけ せいく わ せっけ 

按す るに、 義满 この 舉、 朝家の 五攝 家七淸 華な どい ふに 傚 ふとい ふ。 攝 家出 來しは 

ぉミ ろ せっけ ぉミろ 》 よ. I みつ 

朝家の 衰 へし 始めにて、 其 家 五つに 別れし は、 攝 家又衰 へし はじめな り。 義满 かの 

す&* い ふ がくひ じゅつ ぉミろ 

衰世の 政に 傚 ふ 事、 眞に 不擧無 術の 行なり。 武家の 衰 へ し 事も是 より 始まれり。 凡て 

この 人驕 侈に して、 や i もす れぱ 王朝の 禮 を潜竊 して 無知 妄作、 事の 當否を 計らす • 

ふそ よれつ おこ さう!^ ふす .5=3 しんぽ ラ *! ん h- よ をし 

父祖の 餘烈を 振 ひ 家 を 起し ぬれ ど, 創業 垂統の 深謀遠慮な かりし 事惜 むべ し。 



六 年の 冬、 大內亂 あり。 十月 十三 日に、 大內左 京大 夫義弘 泉州堺 にっき、 平 井新 左衞門 



をして 案內を 申す。 この 人 野心の 聞え ありて、 靑蓮院 坊官 伊豫 法眼して 召せ ども、 故 あ 

い づ 3 つくし さ 力 ひ ♦* さ ひで 三 RsiGtetniE 

りと 申して 參ら す。 和 泉、 紀伊、 筑紫: 中國の 兵堺の 城に みつ。 南方の 楠 正 秀^ i§ 翻^;?" 百 

きくち の さか ひ うら を はり S き くない の せう のりな ほ の 

餘騎 にて 馳せ加 はる。 菊 池 肥 前 守 も堺の 浦に 來る。 尾 張の 土 岐宫內 少輔詮 直、 池 田 周 防 



守 秋 政、 山 名 故陸奧 守が 子 满氏も 同意たり と閗 ゆ。 是 義満繼 海和尙 をして 義弘 をな だむ 

し t が ミラ じ や はた くわん りゃラ もさくに し は 

れ共從 はす。 十一月 八日、 義满東 寺に 至り、 十四日 八幡に すよみ、 管領 畠 山 基國、 斯波、 

ほモか は き ら いしだ ラ よし さ しぶか は いまが は 

細 川、 山 名 兄弟、 京 極、 赤松、 吉良、 石 堂、 吉見、 溢 川、 一 色、 今 川、 土岐、 佐々 木、 武田、 小 笠. 原、 



卷 



十 



四 〇 七 



讀 史 餘論 四 o 六 I 

讀史餘 論卷十 

む ろ 41 ち け 

〇 室町 家 代々 將 軍の 事 

f^,t じつ fc こ ャ ** わかいね 》4 る l. ぢ A つ i y 

應永 一 一年、 新田 方 小山 若 犬 丸 征討の 爲、 鎌 倉の 氏满 一 一月 一 一十 八日 古河に 至り、 小山 出で 戰 

ひて 敗す。 三月 满幸誅 せらる。 出家し ぬれ ど 明 德の亂 の 張 本た る故赦 されす。 三年 春、 大 

ミも の よしひろ の ろ 3 きょ なが ひで の.? ur 

友 修理 大夫 吉弘、 右 馬頭 を 殺す。 大友を 都に 召して 籠居せ しむ。 小 笠 原 長秀、 今 川 範忠、 

* き tsiK- -?、 , 二. M? 。按ず g は、 王 代の 記に、 ことし 今 川 止 職の 事 4記 レ ぬれ ど、 樊平記は、 大友砍 免 

伊勢貞 行に 仰セて 定,, 虱 家 儀式, の 後 K 大內が 方便 はて、 J 世 止 職と 見えたり. - S ちば 5S 年 e 冬 か 五 年の 事な 

2。 ぺ 四 年の 秋、 少ま 入道 宗間菊 池 肥 前 守が 兵 起り、 千 葉 大村是 にくみす。 大內義 弘竝に 

の ひろ かつ もり A の お ほミも f IK 

弟 伊豫 守弘 勝、 六郞盛 見是 をう つ。 伊豫 守 討死す。 冬 十一月、 大友赦 されて 歸國 す。 

大內 功を恃 みて BIO- ければ、 小甙菊 池密苣 i うけて. K 內,」 £_,L„J、3、 ulklBafcwni 二,'。 § s」d お 

を 計りし なり-犬 內の 逆碟, oiKM すと" ふ は 非な り。 五 年 五月 尸 日 畠 .=! 基國管 領 たり 1兀* 武家 三 職 

ミ、 フ し tt ほそ か は はたけ やま や ♦* な いっしき ミ き あか 象つ き や 32 くう へす ぎ い 

七 頭を定 む。 三 職は斯 波、 細 川、 畠 山、 の 七 頭 は 山 名、 一色、 土岐、 赤松、 京 極、 上 杉、 伊 

せ ぶ ぎ や 5 モ3 じャ の 

勢。 その 中に 山 名、 一色、 赤松、 京 極 は 京の 奉行、 Is* 是を四 職と いふ • 奏者 は 伊勢 守 

たけ だ を がさ はら き 3tt れいしきぶ V や 5 りャ * つきら い ♦* が は しぶか は む しゃの か A 

貞 行なり、 又 武田小 笠 原 二人 は 弓馬の 禮式 奉行たり。 又兩吉 良、 今 川、^ 川、 武者 頭たり。 



みつゆき めをやの レゃラ ミん せい 

理を せめ、 浆州雨 山、 土 丸 等の, 城 をお とす。 十八 日ノ 满幸因 州 靑屋莊 にて 遁世。 二十 五 

日、 義理 藤 代の 城 を 落つ。 二十 六日、. 中 務大輔 氏 冬 降る。 二十 八日、 義理 父子 三人 出家、 

はし ほそ か は の 」 ヽ JI らラじ 5 にふだ, f じ や .ゥ ミん 

勢 州に 奔る。 三月 二日、 細 川 武藏守 入道 常久 卒す。 ■ |„ ナ郞 從兰島 入道 常頓 殉死す。 六月、 

氏 淸に屬 せし 車千劍 破に こもり、 畠 山 入道と 戰 ひて 敗れぬ。 十月、 大內 介義弘 南朝に 通 

おんわ ぼく ぢ A や、 r-a ん y の だいかく じ S の ;-> ぢ せい , 

, じて、 兩朝御 和睦の 事 を 奏す。 持 明 院殿大 覺寺殿 兩流か はる,^. 御 治世 有るべし まづ 

の w うぐう こ ミミ, の ほ 

一 御 和睦. 有て 三種 神器 を 北朝へ 御 渡し あり、 南朝の 太子 を 春宫に 立て 奉らん となり。 事 調 

一 ごがつたい くわん かう だいかく じ さの i3 段と t 

: りて 十五 日に 御 合體。 十二月 一 一日、 ® 帝 太子 還 幸 ありて 大覺寺 殿に 入り 給 ふ。 i¥i とも ノ 

一 こ 3 け ぶけ ぐぶ * んが、 > ひろな り 

: 公家 武家の 臣 供奉 。ニニ 日、 神器 入 內、. 南 帝. に 太 上 天皇の 尊號 を參ら せ、 太子 寬成春 宫に立 

ご らくしょく 

; ち 給 ふ。 古^ 御領 もとの 如し。. 律 南 帝の 新院御 落飾。 延元ー 一年より この 年 迄 五十六 年 

一 , 匕 1 bt; lo 8S 司 顯泰も 所領 本の 如し • 按ずる は、 此 頃皇 山河 內を領 して ^剣^も 攻落 しゅおば. - ^征, W 十 

; にて 南北. 一統な り 律 川の 迻. は琉浪 レ., その 弟 正 元は A そか, は^は 入て 將軍 をね らふ,^ あちはれ て 殺さる。 南方 h よ 

一 h ょ袞へ て 和 泉 河内の 和 田 楠が 一 族 畠 出 大內か 家人と 

一なる もの 多 かりし かば 、南北 和談 と- i の ヘリと ね. r 

さ 二" r.: -. -^0 



卷 ^ 四 五 



書る 亂滿義 f 明 

な^ 幸 滿元德 
記 平等が 年 記 
せけ' の 氏 足 I 
る た 反 淸利明 



讀 史餘論 四 〇 四 

;民 n お 輔満氏 等 落ち 去-る。. Islns 化 4®RK&i^lTfewss? 按す るに、 難 太平 記に、 

山 名 修理 大夫時 氏 常に 中せ し は、 「我が 子孫 は 疑な く 朝敵に 成ぬ ベ し。 その 故 は、 我 は 建 

む おんか ゆ ゆん こラ 

武 より 以降 は、 當 擲 代の 御蔭に て 人と 成 ぬれ ど、 元弘 より 以前 は、 た r 民 百姓の 如くに 

かう づけ やまいち - -ミ せい いくさ なん 

て、 上野の 山 市と いふ 所に 侍りし かば、 渡世の 悲し さも 身の程 も 知りに き。 又は 軍の 難 

儀 を も 思 ひ 知りに き。 されば 御代の 锎 恩の かたじけなき 事 を も 知り、 世の ただす まひ もた 

とへ 辨 へたる だに、 今 は 動 すれば おろそかに 思 ひたり。 人 を もい やしく 思 ふに て 知りぬ。 

こ ぞも おのれ くわん ぶん 

子供が 世と なりて は、 君の 御 恩 を も 親の 恩 を も不, 知、 己 をのみ 先 じて 過分に のみ 成り 行 

くべき 程に、 我意に 任せた る 故に、 御 不審 を 蒙るべき なり」 と、 子息 どもの 閗く 所に て 申 

あん おんてき むかしび W か や. 7 お ほす がた いち 

しき。 案の 如く 御敏 になり しかば、 昔 人 は 個 樣の大 姿 をば 心得け るに や。 されば 此人ー 

ぶん ふ っミ f -^to. り や ミこく しゃ., 

文 不通な りし か 共、 よく 中 しける にこ そ。 三年. S| 正月 四日、 山 名が 領國 を此 度の^; に 

わか やましろ はたけ やま も ミ くに ほそ か はより ゆき & つの. C みま さか 

分た る。 山城 を 畠 山 基國、 丹 波 を 細川賴 之。 丹 後 を 一色 满範、 美 作 を 赤松 義則、 和泉紀 

お ほ、 フ ちょし ひろ やまな ミき ひろ うぢ ゆき 

伊 を大內 義弘、 出 雪隱岐 を^々 木 高範、 但馬を 山 名 時熙、 伯 耆を山 名 氏 幸、 若狹今 富の 

あきのり きこ ラぢ るつ かさで た ひら きこ 

莊を 一色 銓範に 賜 ふ。 山 名の 亂開 えて 嫌 倉の 氏满、 正月 四 R 首 途 あり。 事 平ぐ と閒 えし 

、7 ぢ みつ お ほうちよ しひろ や な 

かば、 嫌 食に 歸ら る。 奧兩國 の 國司を 氏滿 に^ ふ。 二月、 大. 2: 義弘紀 州へ 赴き、 山 名義 



おゆるし & か 5 

やと 存す。 いかに 申す とも 長く # 許 ある まじき にて 候 は r、 一 日 も 早く 下向 仕るべし」 と 

そむ すで 5 つて くだ な沙 きょよう 

申せし に T かれら 上意 を 背く より 旣に討 手を^ さるよ 上 は、 いかに 欺き 申す とも 許容 有 

るべ からす。 不日に 發向 すべ し」 と ありし かば、 r 此上 は」 とて 馳せ向 ふ。 時 長う たれ 時熙氏 

S き 5 ぢきょ の A つゆき はラき お きのく 仁 ほ- ^ 

幸 落ち 去る。 氏 淸但馬 國を賜 ひ、 满幸 伯耆を 討ちした が へ 、 隱岐國 を 合せて 賜 はりたり。 細 

川常久 は四國 よりおし 渡りて 備中國 を 討ち 平ぐ。 二 年 六月、 常久 上洛して 再び 管領と 

なる。 ^s^^u^.p 十月、 山 名 氏淸が 宇治の 別業に して 紅葉 御覽 有るべき よしを 申し 

! 0* ひろ うぢ A き ラ ぢ 

けれ ぱ、 十一 日に 人り 給 ふべ しとな り。 この 程 時 熙氏幸 歎き 申す によりて、 宇治に て かれ 

が 罪 許し, 氏淸に 和睦な させんと 謀り 袷 ふ 由、 氏淸が 姪に て壻 なる 满幸 知らせければ、 氏 

きょ よさ よしみつ ラ ぢ むなし かへ みつゆき いづ. P しゅ 

淸 俄に 病す と 申して 淀に ありて 參ら す。 義!? 治より 空く 遠る。 十 一 月、 满 幸が 出 雪の 守 

しょく せん ミラ っ& ! S きひろ っ& ゆる 3 ぢ 

護 職 を 止めら る。 是は仙 洞の 御領 を押領 せし 罪に よりて なり、 時熙氏 幸が 罪を赦 さる。 氏 

PX よしみつ, f 'ぢ きょ か、 3 

淸南 帝に 申し、 都 を 攻む事 を こふ。 錦の 御 旗 を 賜 はる。 義满 氏淸を 召す。 罪な きょし 告 

や * な < ない のせ .7 5 ぢふ S よし さ W 

文參ら す。 十二月 二十 三日、 山 名 宮內少 輔氏冬 都 を さる。 二十四日 義理 を 召に したが 

ラぢ きょ ** しみつ ラぢ きょよ さ み OS き 

はす。 氏淸 八幡 山に 陴す。 義满 諸將を 召す。 二十 九日、 氏淸 淀に 至り、 潇幸谷 f 陴す。 

うぢき よみつ ゆき やぶ 3-r うぢき よ の w きき- * 

晦日、 氏 淸满幸 京都に 攻め入り、 戰 破れ 氏淸討 たる。 ^す 满幸竝 に 氏 淸が子 左 馬 介 時溃 

卷 九 四 0111 



讀史餘 論 



四 二 



衰へ^ -I 

本 「衰へ 5!」 



ゾ 0>i *、 ん ク、 フく てうへ すぎき や、 ,110+.;- 1 ぶ^ f; しソ 

ば、 あ 軍 を 討ちて 天下の 憂苦 を 救 はんとて 上洛の 志 あり。 義満上 杉 刑 部 大輔憲 春 書 を 賜 

o り ♦< る 、さ ラぢ みつ のり はる じ がい 、フぢ みつ 

ひし かば、 頻 に^めし かど、 氏満用 ひられす、 憲春 諫め かねて 自害し ぬ。 氏満 その 志 

を 感じて:^ 鋭ゲ 止む。 五月、 上 杉中務 入道 禪助 下野に むかひ 男 體の城 を 攻め 落せり。 東 

西旣 にか • 



一 和 田、^,. 橋 本、 福 塚、 宇佐: T 



• の 如く なれば、 南 軍勢 衰へ、 近國の 中には 河內 

ゆ あさ お-, * ち こへ. き し の がみ &ゎ まき さ. ベ 

神宮 寺、 八 尾 等、 紀 州に 湯 浅、 山 本、 恩 地、 贄川、 貴 志、 野 上等, 大和に 三輪 * 木、 宇 野 酒邊 

さ. r い せの こくし ぉミ ろへ いせ ャ 4*ま ^ が 

^ず、 秋 山 等ゎづ かにの こりぬ。 伊勢 國司 はい まだ 勢衰 す。 伊勢、 大和 I ^伊贺 i- 

: や 》* な わ だ くすのき r し- リ おちあ ひ レサぽ 

志攣に など を領 せり。 明德 元年の.? i 春、 山 名 畠 山と 和 田 楠と 河^の 落 ふ 口にて カロ 戰 楠 

r. *. i ズ irtjo- ヒ、, £&-4»©*" や U ゥの かさ 7 ぢ きょはり のかみ みつゆき みや まな の wfc* 

敗す。 だま^ 鱖大 ^^〔仏が 罪 を^さる。 守 氏淸播 磨守满 幸して、 山 名 伊豫 守 時 



宮 內少輔 右 馬。 頭 氏 f をう つ。 是は 去年 九州 下向の 時、 故 伊豫 守 時 義但馬 國堀崎 

そ ** ちラ き、 7 しラ はっか、 フ さ た 

に 在りて 下知 を 背く により、 誅 せんと 思 ひ 給 ひし かど、 九州 發 向に つきて その 沙汰な ガり 

S きょし し * く くわ ぶん , ! ,^L)^ 

しに、 五月 五日 時義 卒す。 その子 息 等な ほ 過分の ふるま ひ あるの みに あらす 父祖の 罪 は 

し t ん ひく うぢき よ ラウて ラぢ きょ たい ぢ 仁う け する t5f 

子孫に 報う ベ しとて、 氏 淸に討 手 を 承る。 氏淸 r 1 家の もの 退治の 事, 偏に 當家 衰微の 基な 

り。 さりながら^^ なれば 辭す るに 所な きか。 急ぎ 馳せ 下りて 誅伐 仕る ベ し。 但し 彼等 若 

ttf, お »i 3 ぢ きょ ♦* かり ひか け. りくん / めしの せ . r 、 

し 歎き 申す 事 も 候べ し。 その 時钾免 あらんに は、 氏 淸罷向 はざる 先に 敎鄴 して 召 上せば 



て、 is? が從弟 土 岐左ぉ 大夫賴 益して 康行を 討た しめ、 明る 康應 元年 I や 二月、 車 勢 



も あまた 遣す。 康行 落ちて: 頼 盆に. 美 濃の 夺護 を、 斯波義 重に 尾 州 を、 一. 色 銓範に 勢 州 を 

よしみつ ちん ** い みや やすな り きくち ひぜんの かみ 

賜 ふ。 三月 四 曰、 義满 九州に おもむく。 これ は鎭 西の 宫泰成 親王 竝に菊 池 肥 前 守 をうた 

5 へ r ぎだん じ やう^せ,,' ひつ ミも ふさ やまな よし さミ もミ くに 

. るべ しとな り。 上 杉彈正 少弼. 朝 房 を 京の 留守と し、 山 名 義理 兄弟に 畠 山基國 をば 南方 を 



鎭 めしめ、. 二色 銓範、 仁术满 長に は 伊勢 國司、 北 畠 右 大將顯 泰を鎭 めしむ。 Mss^ls 

fjM / ほそ か は たけ だ を がさ はら う つのみ や いよ タ ゐ ミ くの ラ かな る たけち むら かみ 

.ぽ 。へ 細 川、 武田、 小 笠 原、 宇都 宫等 伊豫に 赴き、 土 居、 得^ 金. 居、 高 市、 村 上と 戰ひ打 勝 

かラの ぎ や 5 ぶの たいふみ ちな ほ びつ ちラ み づし象 おも ひ きくち ひぜんの かみ の 

ち、 ,. 河 野 刑 部 大輔通 直う たれし かば、 諸 軍備 中の 水 島に 赴 く。 四月、 菊 池 肥 前 守 長 門 

國に 出て 戰ひ、 利 を 失 ふ。 七月より 八月 大雨、 九月、 菊 池 降る。 細 川 頼 之 入道 常 久備州 

にあり て 九 園の n を つかさどり、 1 十月 歸洛。 ^SS5S 

佐 々太 等の 大名 ョ 十九 人、 铕 勢 十 萬 凝 はて、 山 VP 節 氏、 赤松 一族 先陴 たり。 四 B: 義满ぉ 州 亿 至り。 先 陴長門 は 至る。 菊 池と 戰て先 

陴 敗れ けれど * 細 川 讚 が 四 つぐき て 攻めし かば、 島 律 伊東 降り、 菊 池 破れ、 W 軍の 宮を倶 レて宰 府は陴 す。 原 田、 秋 月 

^^これより 叛く。 菊池筑 後の 高 良 山に a す。 籙満 宰府に 至る。 細 川、 山 名、 赤松 等 菊 池と しば, \戰 ひ、 菊 池 降て 肥 後に 歸る 義 

為 東 は、 筑前肥 前 を少贰 豐後を大友に、 長門豐 前を大 内翁弘 K 賜. r 筑後、 肥 後、 肥 前の 內 ^ は 菊 池が ぉ處々 は 城 を 

一 c*-so .ran じょ、.' し. f らんき こ うへ すぎ W り. mfc だ,.' がふ 

ま^^ この 年の 春、 縑 倉に 濃 州の 亂 聞え しかば、 * 上 杉憲方 入道 道 合 三月 十日に 

しゅつ ぢん やすゆき ! 0,っ りう つし や, フ 

豆 州 一)1 島まで 出陴 せり。 康 行お ちぬと 聞きて 三 島に 逗留せ り。 此 をり ふし 故 ありて 氏満將 

ぐん ラぢ みつ よし A つ せいむ 

軍と 心よ からす。 氏潇 は東國 にて 十 一. ケ國 をした がへ 勢 あり。 義满の 政務 を 天下 苦み しか 

卷 •: . 九 四 o: 一 



謅史 銓^ 四 〇〇 

こラ さん ち V くすのき せんしう こも to 1 ま M よし t さ 

降參 す、 遂に 誅 せらる。 ニ年閨 正月、 南 軍 起り、 楠 泉 州 土 丸 城に 籠る。 山 名 義理せ む。 

ラ ま のす け うぢより つち 象 る くすのき ,ミ f じ、 * 

同 右馬助 氏賴戰 死し けれど、 土 丸 竝に紀 丹 藤 代の 兩城 おちて, 楠 一 族 六 人 郞從百 四十 人 

ラぢ きょつ ちまる よしまさ ふぢし ろ まも 3 こ まつ.?、, Q , ゝ& 5 il 

討た る。 氏 淸土丸 を 守る。 義理 藤 代 を 守る。 このと し 十二月、 後小松 卽 位。^ 太預 I。 三年 

、つ 力の せち ゑ よし &っ 寺 NJ^M.21P しゃ, つがく じゅんな ぺゥ た,? 

正月 蹈歌節 會に義 满内辨 たり。 IsS お翻^ 十六. 日に、 奘舉淳 和兩院 の别當 氏の 長者たり。 

兩 院別當 氏の 長者 は、 鳥 羽の 勅に て久 マ ^^,: 南朝の 元,、 , は f". い "やゆた わかいね 

我 代 ir 輔住 たる を、 是 より 1K 家 連綿。 六月 淮三 后たり。 至德 二年^ 兀年テ 六月 闢 束の 宮方 小山^ 犬 

*^-.w ^ , -i . : かけい 示中 よしみつ か、 7 や **v で き しラ 

丸 古河に て合戰 して 敗る。 嘉慶ニ 年の!^: 春、 義满高 野 詣。. この 峙紀 州に 南 軍 多し。 もし 

おこ せいはつ くすのき *4 さ ひで か はちの くに やまな うぢき よ 

起ら ば 征伐 せんとな り。 槠正 秀少々 河内 國 まで 出し かど、 山 名 氏淸に 打ち 敗らる。 七 ET、 

くわん! =5 -0 のなん たいの しろに よし A つす. o が ゆ か. 7 ,<t^u の やすのり やか こ 

關 東の宮 方 小 田 原 據,, 下野 男體 城; 此秋 義满駿 河に 下向。 <r 川上 總介 泰範. か 館 に てお 士 

) C » < -, 』 i にら, く » • £ 9 や 5 ぶの たいふ やす ゆ き し まに い よの かみ ふつ atl 

の鷇を 詠す 八月 歸洛。 此月 土 岐刑部 大夫康 行、 其^ 島 田 伊豫. {寸满 貞と 合戰 す。 ^ 

の ミ き たいぜんの たいふ じ ふだうよ り やす やすゆき 

故 は 去年 十二月、 美 濃國の 土岐大 膳大夫 入道 賴康 死して、 ^息 康 行に 美 濃 尾 張. ^勢 

の.! 寸護を 命ぜら る。 满 貞は 兄が 代官に て あ 京せ しが、 總領 にた よん 事 を 謀り 義满に ^ が。 

じうて い くないの せラ の り m ほ はん ぼ..' やすゆき し, f ミ xly 

從 弟の 宮內少 輔詮直 反 謀 あり。 康行 それが 舅 たれば 一 味す。 「某 その 緣 座に あ はんこと 

を存 すれば 告ゅ 申す」 と 云々。 義满 やがて 銓直 を拟 常し、 满貞に 尾 張 を 賜 ふ U 滿^ M 張に 

おもむきし を、 銓直黑 ffl 口にむ かへ て戰 ふ。 康行兵 をして 銓直を 助く。 義滿 かくと きょ 



義滿 II 本 

其丄 「十二 

月」 



^ せ^ マ, り , す 3 くわ リ | ^二 な そく. ひやう ぎ よりゆき 2 くわ、 2 ヾん 

院の 正統 たれば 崇光 第一 の宫 1払 御卽位 有るべし と 評議 ありし かど 、頼 之 後光 翳 第 一 の 



宮を たて 中 せし によりて、 崇光 後光 嚴 不和と いふ。. 同 五 年 三月、 九州の 探題 今 川 伊豫 入 

だ うさだよ ぉほラ ち の の よしひろ ちくし うせぶ り や ぢん きくち ひ ぎんの 5- み *4 つら; i ラ 

道貞 世、 大内左 京 權大夫 義弘、 筑州世 振 山に 陴す。 菊 池 肥 前 守 松浦黨 以下、 

いまが はがたお くやま 3 い かさ でら よせて 

む。 今 川 方 奥山、 井伊、 笠 寺 等 討 たれし かど、 寄 手う ちまけ て 引き返 * 

んか わ だ よしみつ くわて い むろまちでの 

、水 和 四 年 If I. ぅ義 满花亭 にう つる、 室町 殿と 稱す" 冬 十 



れ をせ 

王 代 一 燹 はは、 應 安四 

年に 了饺 下向と あり。 



南 靱紀簿 に は、 接 安五 年 は 下向、 それより 

四 年め 永 和 元年 菊 池と 戰 ありと しさせり。 



月、 南 帝 唐 橋 肥 後 守 經泰に 勅して 兵 を 催し、 大和 紀 伊の 國に 起る。 義满柬 寺に 陴し、 頼 

ゆきよりも ミ やまな あかまつ や は 仁 や ま ち はや はいぐん あつ わ 5- いづみの いみ 

之 頼 元 山 名 赤松して 八幡 山 を 攻め 落す。 楠千劍 破に 據 りて 敗軍の 士を 集め、 和 田 和 泉 守 

まさたけ つち まる しろ た t か ちから しろお ち る より ゆ いづみ や *4な し ラウの よし t さ 

正 武は土 丸の 城に 據 りて 戰ひ、 カ盡 きて 城陷 る。 頼 之に 和 泉、 山 名 修理 大夫 義理に 紀伊 



J-S こ も, 力き i « の よしまさ ほそ か はよ h- ゆき の しり も 

の 守護 を 賜 ふ。 康曆 元年 ISi 六月、 斯波 右兵衞 督義將 管領たり。 細 川賴之 阿波 國に 返く。 

一一 一代記 はは、 應 安四 年 五月 丹 波の m. 國へ 退く と あり。 乙と レ より 九 年 前の 事 也。 又此時 洛中 騒動。 細 W 賴 n を四國 :: , 

へ 退 0、 賴元等 は 勘氣と sllr i のとし 九月 賴^ 譏 せらる ペレと 碑敎 貧 ありし が、 飲され て 四 园を飴 ふと 見えた R 一 一年 五月 

そ ,!' し, 1 も はら ^ やま の よし ま さ の もミ つな た. >か もミ つな せんし か i 

十 六 日, 總州裳 原の 小山 下野 守義政 宇都 宵 右 馬 頭 基 綱と 戰 ひて 基綱鞔 死す。 明年、 鎌 

くら 3 ぢ A つ しんし、 > やが た * む たかむ ね むねな が 

倉の 氏潇 小山 をせ む。 この 事に て 信 州の 宮カ 皆叛 き、 高 坂高宗 ばかりの こる。 宗良 親王 

• はし か はちの くに や ♦* だ しん *: ふし ふ えら 九い != く Bsl5f> 5V- みつ 

南方に 奔り、 河 內國山 田に 住み 給うて 新 葉 集 を 撰ばる。 永德 元年、 |f|i ^氏满 十二 州 

、フ へす ぎめ はの か& fc いしゃ 5 を や 象 ラぢ みつ ふ ち 5 > よし 

の 兵 を 催し、 上 杉 安房 守 を大將 として 小山 を攻 む。 氏 満武州 府中に 陣す。 九月、 義政 



卷 



三 九九 



讀史餘 論 



三 九 八 



氏淸に 下知して 戰 はしむ。 又 宇都 宮氏 綱を紀 州に 遣して 戰 はしむ。 夏 五月 紀 州の 軍强 

う つのみ や はたけ や ** ,7 つのみ や なん ぐん やぶ 5 

くして 宇都 宮 敗す。 その後 畠 山む かひて 宇都 宮 と共に 戰ひ南 軍 を 敗る。 七月 紀州 にて 宇 



花謦 三代 記 一 

1. 足 利義滿 

義持義 量 一 

ぞ 。 き a 事 



左 近 11 本 

「右近」 

櫻 雲 記 ー 南 

朝の 記錄 



三代 記— 花 

瞥 三代 記 



の 、フぢ つな wss7-、 ザ ap^K® くわ *< いさん; 2 いき お、 r- あん 

都宫 下野 守 氏 綱 卒す。 1 ,號 311。 花營 三代 記に、 應 安二 年 正月 二日 U 楠 左兵衛 



督正 儀可レ 參,, 御 方, 之 由 申、 被, 成 1 御敎 書; 三月 十六 日, 爲" 楠 合力, 赤松 光範 入道 南方 

の よりみ つ くに 

に 向 ふ。 十八 日、 細 川お 馬 助 頼 光 以下む かふ。 二十日、 楠 引,, 返 天 王 寺; 二十 三日、 引., 

退援 並; 赤松 入道 も 自„ 天 王 寺, 同 引退。 四月 二日、 楠 正 儀 上洛。 m ,三日の 夜、 楠 御 



す に おうめん わ ii りのに かっせん か A く たび 

所に 對面。 二十 二日、 楠 下,, 向 河内; 應安 三年 十一 月、 和 田 以下 寄,, 楠 要害, 合戰、 頭 九 上 



洛。 四 年 五月、 細 川 右馬助 南征。 八月、 山 名、 石 堂、 一色、 佐々 木、 赤松^ 南征。 十三 日、 

の が. u の じ の しゃ,.' 4> んタの ひ i! のこく t 

南方 宮方 打,, 出 於 楠 要害; 越 中 左 近 大夫將 監殿飛 驊國 司舍弟 一 一 人以 下 百 餘人、 或 降參、 

はいけ さり す を あ、 r うんき けんさく 1 さ なんて- r- 

或 生 柿 之. TO 注,, 進 之; 櫻 雪 記に、 建德 元年 ^1 十二月、 南朝の 和 田 以下 勑に應 じて 檇か 

え, r- がい 薪 ujiJasyyM 1 そか はより W き くすのき たす なんべい やぶ よ き や ♦* な うぢ 

要害 を攻 む。 細 川賴之 大勢 を ひ きゐて 楠を援 く。 南 兵 敗れて 退く • 頼 之 山 名 氏 



淸を 河内に と r めて 歸洛。 正 儀 は 南朝に 叛き 武家に 降りし かど、 その 一族 は 正 成 正 行が 

れ )- ,、 ^お, ,ヒ、, ナ -,。 按ずる に-. 賴 之 河内に 向 ひし ¥、 南 sa^i 諮 同 t く! 5,1 兀年 としる ナ- た 

遺 lua を IT りて 南^に 士ぁ をつ くせり だ 月の sa むしな り-南朝 記に 捅叛さ レ, みえず" ミ 代 /Kill* 記 同 t く 其 * 

nns^ si A yiii 卽位、 。時に 十 s なり。 lis 



よしのり もろ ふ d か ひの くに たか うぢ. U ビょ しわ ぼく 

經て 後義詮 上洛。 師冬 も又亂 起り て 甲斐 國 におち てうせ ぬ。 尊 氏直義 和睦の 時相 議 

もミ うぢ かま くら ミ、 フ くわん りゃラ く, U きょ だ うせい 

して、 基 氏を縑 倉に 置きて、 東 八 ケ國の 管領と す。 畠 山國淸 人道 道 誓 執事たり。 

道 誓 謀叛の 後、 上 杉 憲顯な 執事と す。 これ 上 杉が 東國に 執事た る始 なり。 され ど 東 

なく しづか もミ うぢ 

國 未だ 靜 ならす して 基 氏 は 卒せられき。 すべ て闢 東の 事く はしく 記せる ものな けれ 

ば詳 ならぬ 歟。 

義満 十一 歳に て 家を繼 ぎ. 治世 四十 一年。 §"^§t?s 滅 13 もこの 人 ぎし 明年 獻^ 

^^"£^1 ご むら かみ ほう ざよ 3JI じゅぎ., T" 

二 年 F^st 三月 十 一 日、 南朝の 後村上 崩御。 ^在位 三十 一 年 也。 太子 !e 成 親王 受禪、 

な かめ やまの るん よしみつ さ t のか A みつのりし ぶ し V 'ほんだ > ^5 - L tit) L 

後鼴 山院是 也。 此年 二月、 義满の 弟 左 馬頭 满詮 t 武州本 田の 陴に T 向。 ^幼 金 5^ 

S 、め 譆?^ 十月 三日に 歸京。 Kge 州に Is: して、 ^gis 城を攻 む。 豔 IK。 この頃 

ほ ゆき そ 3 ぢみャ うるん さの だいかく じ さの 2 ぢ せい しんき t* くて, フ 

賴之 南朝に 奏して, 古の 如く 持 明 院殿大 覺寺殿 か はるぐ 御 治世に て、 三種の神器 北朝 

おんわ ぼく- * 二し や、 < 'らく く; & ぶけ ほんり やう くわん !0 さラ. o 

へ 御 渡し あり、 南北 御 和睡御 上洛 あらば、 公家 武家 本領 もとの 如く、 竝に 官位 相逯 あら 

じと 再三 中せ しか ど、 南^の 公き &に桃 井等是 をき か す驴 齡破 る。 滅 «| ぼ lf£&? 志お 

流 彌、1 、上野、 站 後、: &豫. 備前、 石 見、 長 er 越. S. 、肥 後、 曰 向、 大隅、 薩摩 二十 個园也 • -、 :i ) 北朝 應 

北國は 征東將 SS 親王、 西 园に征 西 將軍懷 SS 王、 I に牝 畠の 园 12 り。 ^ 朝 記 傳に 建德 元年の 

. p そか は;;^ ゆき . , か はち さ * のかみ * さの り よりゆき ャま" -- 

春 細 川 頼 之 軍勢 を 催し 沔內に 向 ひて 楠 をせ む。 左 馬頭 正 儀 城に 籠りて 防ぐ。 賴之 山, 名 

卷 九 三 九 七 



讀 史 餘 論 三 九 六 

さ 名 まさか ?> ゆ ご ゆる is-OJ^Gltuw-TJIK.?* J3T4n はラぉ ほうちの すけ J け か ま くら 

後、 美 作 五ケ 國の 守護 を 許さる。 驟 年な Mr 周 防. K 內介も 武家に 從ふ。 又縑食 

うへ すぎ の, のりあき t つじ ラ つのみ や は が ぜんか じ ふ;!. 1ラ5 へす J_u ふく わい む ほん 

にて 上 杉 民 部大輔 憲顯を 執事と せられし に、 宇都 宮の芳 賀禪可 入道 上 杉と 不快に て 謀叛 

も ミラ ぢみづ から だ、 フょ しつじ あしかが よし さ 突 二 J 

す。 基 氏 自 是れ をう ち 破らる。 その 頃 道 譽竝に 諸 大名 等、 今の 執事 足 利義將 が父麵 #ひ も 

たかつ ねに ふだう だ 5 てラ ざん だ ラてラ S ち ぜん おもむ 5 つて だ 、ひて ラ I し *4 さ 

高經 入道 道 朝を讒 しければ、 道 朝 は 越 前へ 赴く。 討 手 向 ひしに 道 朝 病死し ければ、 義將 

降りぬ。 其 後 貞治六 年 四月、 左 馬頭 基 氏 二十 八 歳に て 卒す。 « 子息 氏滿 父に つぐ。 北ハ九 

よしのり せいむ よし A つ ほそ か はより ゆき こく しつじ む さ 》.> のかみ じん 

月義詮 不例に て 政務 を義满 にゅづ り、 細 川賴之 を四國 より 召して 執事と し、 武藏 守に 任 

くわん り?....' f ifl だラて <7 ぼつらく だうよ しつじ も wixn す.' 

じ 管領と 號す。 111 一説に、 道朝沒 落の 後 道 譽執亊 たるべき と閒 えしに、 基 氏の 勸め 

られし 故に、 賴之 執事と なれり ともい ふ。 十二月 七日, 義詮 卒す。 左大臣 從 一位 を 

aa ジ 3。 正 二位 前の 大納 

贈らる _IIInK て 卒せら る。 

よしのり しゃ、 つらく ほんそ-.' ミし なんべい 

按す るに、 義誇 はじめ 上谘の 日より、 奔走 常に やすき 年な く、 南 兵 はいふに 及ばす、 

やまな ほそ か は に m あしか r みく つ そ む これら かみ 

山 名、 細 川、 仁 木、 足 利 等の 一 族相繼 ぎて 叛 けり。 是等皆 其 上た る 人の しわ ざ にお ひ 

しゅ そ む こミ X つね おも これら そむ 

て、 その 主に 叛く などい ふ 事、 世の常の 事と 思へ るが 故な り。 され ど是 等が 叛 きし 

事、 一 つに は義 詮不智 にして 佐々 木 佐 渡 入道 道 譽を寵 任せし が 故な り。 又闢 束の 事, 

よしのり かま くら か、 r 'の ほり ♦* のかみ もろ ふ ゆ !, *ラ2 く みやが た 

はじめ 義詮鎌 倉に おはせ し 日、 高播磨 守師冬 執事して、 柬 國の宫 方と 戰ふ事 年 を 

一 



しかば II 

本 「しが」 



力 弱くして みづ から 立ち 難し。 其 外に は 皆々 武家と 不快の 者 共、 一 sn! に ^ し, お 

いきさ ほり つ ひ こ 3 

のれお のれが 憤 を 散 ぜんとの み 思 ひし 輩な りし かば、 竟に其 功 成ら ざり し 也。 

よしのり 4 口せ つが きくち いくさつ よ なん^ん ふる やまな C5. 一 

義詮十 f 父に 繼れし 初、 九州に て 菊 地が 軍强 くな りて 南 軍 も乂振 ひき。 山 名 もい まだ^ 

, くらさの か らう はたけ やまく じきょ だう せい くわん ミラ にった よしおき ごラ 

らす 其 中繍倉 殿の 家老 畠 山國溃 入道 道 誓が 謀に て、 闢柬 にて 新田 義興を 討ち、 其 後 道 

はい へ, い じ や. はく, なんべい た〃 か あかさ か しろ お ミ ぶ & さえ も w 

誓 東 兵 を 催し 上洛して 南 兵と 戰ひ、 赤 坂な どの 城 を 落し、 武威 又 盛に なりし に、 故の 

し P じじき:; あき に き よ/ >な が ほろぼ だ ラ せい しつじ ほそ か はさ のい みきよ うぢ おこ 

執事 仁木賴 章が 弟 仁 木 義長を 威さん とて、 道 誓竝に 今の 執事 細 川 相 摸 守 淸氏等 兵 を 起せ 

よしな がよ しのり おびやか つるた う み ^うしよ たま こ W よし i.-w 、 

しか は 義長 義詮を 劫して 二人 を 追討の 御 敎書を 賜 はりし かど、 事 成らす して 義長は 伊 

勢へ おつ。 この 便 を 得て 南 軍 又 起り しかば、 道 誓も關 東へ 歸る。 又淸 氏と^ 譽と I 々互 

けん きょ ラぢむ ほん つ ひ まさのり き pi せ 

に 權を爭 ひし かぱ、 淸氏 謀叛の よしに いひな されて 遂に 南に 屬し、 楠 正 儀と 京に 攻め入 

よしのり きょ、 フぢ おもむ こく したが 

りし かば、 義詮都 を 落ち 給 ひ、 淸氏 阿波へ 赴きて、 四國 をう ち從 へんと したり けれども、 

の よりゆき さんし、 フ くわん ミラ しょだい A や, つ ビラせ、, ざ いちく 

細 川 右 馬頭 賴 之と 讚 州に て戰 ひて 討 たれき。 關柬 にても 諸 大名 山道 誓が 罪 惡を訴 へ し 

によりて、 畠山叛 きて 豆 州修禪 寺に 籠りし が、 年 經 て河內 へ おちき て、 ^に屬 せんと 望み 

しか ど、. 勑許 なかり しかば、 是も 行方 知らすな りき。 山 名 は伯耆 よりう ち 出で, 美 作國に 

. ちラ I ザ、 いな ft t ラき た Ytt たん 

て 赤松と 戰ひ、 又中國 にて 戰ふ事 度々 にて、 程 過ぎ. て 降りし かば、 因幡、 伯耆. 丹 波、. 丹 



卷 



九 



三 九 五 



讀. 史餘論 



三 九 四 



みづ から 云 

云 I 1 本 

「みづ か ら 

正しから ざ 

リし 故に 人 

^正す 事 云 

云」 



り、 尊 氏と 不快に なりて、 終に 師直 兄弟う たれ、 政務の 事に つき 尊 氏と も義設 

不快に て、 ふた i びまで 直 義都を さりて、 ^に 父子 兄弟の 戰 となりて、 直 義薩埵 山 

の戰 にう ち 負けて 降參 し、 幾 ほどなくて 死して 跡絕 えぬ。 是 積悪の 餘殃 たるべし。 そ 

ミき ラぢふ し たかつ ね たか、 フ* ち ふ し そむ た ザ ふ 5 たいし ,ラ ふ レ ** じ彖 

の 後 又 時 氏 父子 高 經等尊 氏 父子に 叛き、 直 冬 を大將 とし、 又 父子 兄弟の 軍^れ り。 此 



人 初め 兵を舉 ゆしより このかた 二十 六 年の 間、 一 日 も 干戈 動かぬ 日と いふ 事 もな. 

。ひ くんしん ふ し けいてい こ |>ん 

天下 終に 定る事 を 得すして、 君臣 父子 兄弟 互に 相爭 ひし 事 古今た めしな き 事な り。 す 

ベて はみ づ から 正しから ざる 故な り。 且人を 正す 事 かな は ざり しに よれるな り。 さ 

れ どこの 人 遂に 武家の 棟梁と なられし 事 は、 公家の 政務の ことの 外に 武家の 世に お 

しみん たれ ぶけよ おこ た t き A 

とれる 事 を士民 能く 知り ぬれば、 誰に もお はせ、 武家の 代 を 興し 給 はん 人 を 君と し 

tt てんか てうて き こく 

參 せんと 天下の 思 ひした ひしに、 幸に この 人 朝敏と なられし 故に, その 名 をば 惡 

— ぢ みや- r- &んタ の ミ 

むと いへ ども その 實 はした へ り。 それに やがて 持 明 院殿を 取り立て 參ら せし かば、 そ 

の 嫌 もな きが 如くに なりぬ" かくまで 亂れし 武家の 世 を、 南 帝の 一統し 袷 ふ^かな 

は ざり し は、 新田の 氏族 こそ 身に かぶりし 敏 なれば、 いかにもして 足 利 殿 をう ちほ 

ち、 フ そん へ t 

ろ ほし てんとお も はれし。 其 餘は忠 を 存し義 を 知れる 者な きにし も あらね ど、 其 兵 



の 詮なし との 故な り。 三年 四月 二十 九日, 征夷 大將軍 正 二位 大納言 源 尊 氏 卒す。 

£h らる の を 

贈,, 從 一位 左大臣; 

按す るに、 尊 氏 初に 累代の 親昵を 捨て、 公家に 屬し其 家 を 起し, 程なく 公家に 背き 

て 天下 を亂れ り。 公家の 微 功に 報ぜられし 處 尤も 厚 きに 過ぎ たれ 共、 もとより わが 家 

はか こ、 7 け おこ いくさ つ ひ こ 5 け そむ 

の爲を 謀りて 公家の 爲に 起せる 軍なら ねば、 終に は 公家に 背き 參 らせん 事 は, かね 

こラけ そむ だいた ふの みや つねな が なりな が 

て 思 ひ 設けられし 所なる べし。 されば 公家に 背き 大塔宮 を 殺し、 その後 恒良、 成 良 

等の 親王 をぎ しま ゐら せし など、 皆 是れ直 義の姦 謀に 出て 尊 氏の 本意に は あらす 

たかう; 5 なかせん だい 6 か、 f ちょくし おう じ や-つらく た *i よし 

されば 尊 氏 は 中前 代の 時下 向せ し 後、 勅使に 應 じて 上洛 せんとせ ちれし を、 直義に 

たうけ てんか た v よし く 

諫め 止められし 日より、 當 家の 事 を も 天下の 事 を も 皆直義 にゅづ りて、 その 身 は 口 

人な かりし. W 申すな り。 さも ありなん 歟。 大か たこの 人 は その 器度寬 やかに おはせ 

さ ぼう た r よし いくさ じゅつ 

し 事 は每, 事に 見えたり。 詐謀は 直 義には 及び 給 は ざり しに や、 軍の 術 はるかに まさ 

た ま もろな ほ たか ラぢ た r よし 

り 袷へ りと 見えし。 初め 師直兄 第が みだれ は、 尊 氏 天下の 事 をい ろ ひ 給 はす、 直義 



の 政務な りし を 師直等 傾け. &し, それに 直義實 子出來 て、 義詮は 愚に おはせ しかば. 

ざんにん たより た r よし もろな ほ 

. おの づ から 讒人も 便 を 得しと 見えし。 かくて 直 義師直 兄弟 を誅 せんと はかられ しょ 



卷 



九 



三 九 三 



す V 



本 



ぁー師 
リ木氏 



其 



字 下 



I 讀 史 餘 論 三 九 二 

よしの くわん か 5 よしのりす くわう .0 ん タ 3 ふく 

南帝吉 野へ 還 幸、 義詮歸 京、 北朝の 天子 は 南方へ 柿 はれ 給へば、 義詮崇 光 院の御 同腹の 

いや ひミ てんし /、7、 わう ごん & ん i» せんそ ぶん わ かい! &ん 1U 重 c.&ts<M く 

弟 彌仁を 天子と す。 是れ 後光 嚴院 なり。, お 八月 踐祚。 九月、 文 和と 改元。 ^00. 文 

やまな ミ き うぢ もろ、 f ぢ そ ひ だラょ ぶ れい いき タほ もろ 

和 二 年, 山 名 時 氏 其 子 師氏義 詮に叛 きて 南方へ 參る。 是佐々 木 道譽が 無禮を 憤 りて、 師 

氏勸 めて、 父子 伯 省へ M りて 兵を擧 ゆしな り。 五月、 伯 省 をた ちて、. 六月、 南 軍と 京に 人 

よしのり さフ f おも ひ み の たる ,0 ペ くわ 3 きょ しょこく へい 

る。 義詮 敗れて 帝 をと もな ひ 坂 本へ 落ち, 柬國へ 赴き、 美 濃垂井 を 皇居と し 諸 國の共 を 

もよ ほ やまな は, つき よしの ゥ f きき や 3 よしおき よし は, か は ひら しろ 

催す。 山 名勢盡 きて 伯 耆へ歸 る。 義詮帝 を 奉じて 歸京。 三年 春 義興義 治 河 村の 城 を 去り 

*R<.Jai*a- ミ、 2*J く しづ ♦* たか ラぢ はたけ やまく にきよ もミ うぢ か ら、 T- きらく じ きさき ゃラ のたい ふ よりあき 

て ,1715。 東國靜 りし かば、 尊 氏 島山 國淸を 基 氏の 家老と し 歸洛。 仁 木 左 京大 夫 頼窣を 

ぶ け しつじ よしのり はり ま もよ ほ やまな やまな なほ ふゆ 

武家 執事と す。 義 詮を播 磨へ やりて 勢 を 催し 山 名 を 討たん とす。 山 名 直冬迎 へて 大將と 

1 >5*ss,\± L=5= c-ffsk-.? し なほ ふゆ みく たか うぢ ふ た ひ えち ザん みし たかつ ね 

す。 ^il^K^^" 直 冬 南朝へ 屬し、 尊 氏と 父子の 戰始 る。 越 前の 足 利 高 經越ャ 

?^. -fe^ JS^JZ ゆ, - gj に。 按デ るに、 山 名 は 八幡の 戦 は 功 ありし かば. 先^^ はりて だ s 行せ i* りし 若 W の a 

の:^ 井 直^ t も 直 冬に 屬 j 今 35 を もとの ま 賜 ふべき よしを、 ^^SG 判官 道せ^ つきて e* みしに. に對而 

もせ, さりし を 憤れるな り • 高 經は鬼 切 九 を 零 氏より 望まれし を 惜 みて、 璲 失せし 由 を 申せし によりて、 翁^う ち 13 正 平 

しか ど さまでの 賞 もな く、 面目 を 失 ふ 事 度々 に 及ぶ を 恨みて、 去 比 高 倉 殿に も 履し、 今 ヌ直冬 はっき レ なり、 は 年 十 年 

正月、 尊 氏 帝と 共に 江 州に 奔る, 直 冬 • 時 氏、 高經、 直 常 入洛。 二 年 三月、 兩軍相 戰ふ事 度 

たび かて き こく よしのり まねき たかつ ね ぶ け 九ん ぶん 

度に て、 南 軍粮盡 きし かば 各 歸國。 その後 義詮の 招に よりて 高經は 武家へ 賜し, 延文ニ 

CJ 平 4> くわ 52 ん くわ や かへ い らの A やそく も 

年, sf. 光厳、 光明、 崇 光三 院を 都に 還 さる。 是は 茨宮卽 位の 上 は 留め まゐら せて、 そ 



ら. ^ると 

も」 

光明—: 本 

此 下に 「崇 

光」 の 二字 

なし 

尊 氏、 疑當レ 

作-基 氏? 下 

司 o 



r 1 .1 日 I 】 

本 「十 一 日」 



券ち つ けば 

—一 本 「往 

つす *t 



幸" 二十日 官軍 京都へ おしよ す。 細 川 讚岐守 七 條大宫 にて 戰死、 義詮江 州に 走る。 二十 

くわ ラ- ごんく わ, r-A やう.^、 ク くわ、 T ミラぐ うさだ ひミ よしの かな ふ 

一日、 光嚴、 光明、 崇光竝 に 東宮 貞仁を 取參ら せ, 吉 野の 奧賀名 生へ うつさる" この 月 

むさし のかみ よしむ ね. こくち 5 ぶ しラ こ 

十五 日に 武藏 守 義宗上 州に て 兵を揚 ゆ、 十六 日、 國中を 平: b, 同日 武^に 越え、 十八 日 

i*i くら t か, フぢ かの が は た いへいき よし ひねぶ しう こて さしが はら 

縑 倉に 攻め 人る。 尊 氏 武州狩 野 川に 引き こもる * 太平 記に はい 羲宗武 州 小手 差 原に て戰 

t ^うぢ ぶ し、 7、- し は ま よしおき よしはる いま くら ^ よしむ ね ラすひ たう & 

ひて 尊 氏 敗られ、 武州 石濱に 引き返く。 義興義 治は縑 倉に 打ち 入り、 義宗は 笛吹 峠に 陣 

しゃう ぐん うす ひ た、 っ沙 

せし を、 二十 五 3 に將 軍お しょせ 戰 ひて 破りし かば、 笛吹 峠へ 引き 上る。 その 夜 越後に 

落つ。 義興義 治 も 義宗 打ち 負けて 尊氏縑 倉に 向 ふと 閒 きて、 三月 四日に 國府津 山の 奥に 

引き籠る。 三月 十二 日、 義詮近 江 四十 九院を 立て、 十五 日、 京に 向ひ戰 ふ。 八幡の 皇居 

ミ i ぜ. C ャ はた かて やな ミ ぢ *^ 

を^ 攻に する 事 五十 餘日、 八幡の 糧盡 きし かば、 五月 十一 日の 夜 、大和 路へ 行幸なる。 路 

V ぉナ がに f t& こ ミゅ ま よしの くわん か 3 

次に て 武家 方の 者 共 こよ かしこに て 留め 參 らせんと しけれ ども、 事故な く吉 野へ 還 幸。 此 

よしむ ね ゑち ご ゑつち, フ も のゐ 

時義宗 は 四月 二十 七日に 越後 をた ちて、 七 千に て 越 中に 著き、 桃 井 三千 馳せ 加り 一 萬に 

なりて 能 登 へ 向 ひ、 吉良石 堂 も 四月 一 一十 七日、 駿河 をた ちて 路 次の 勢 を 催し、 五月 十 一 日, 

. 美 濃の 垂 井に 著く, 信 濃の 宮も 同日 信 濃 を 御 たちあり。 土 居、 得 能 も 兵船 七百艇 にて 

、;ゃ 、「 ま p s^r fflc 平 

^上より 攻め上り しに、 <fr^l 五日 を 待ちつ けば 八幡 陷り しなり。 北朝の 觀應 三年お ゆなり 



1"1 九 1 



讀史餘 論 



三 九 o 



なかせんだ 5- 



中 先代— 北 

大御所— 尊 

大沐寺 殿 I 

寳筐院 殿— 

義詮 

兩 御所— 尊 

氏直義 

坊門殿 —義 

詮 

おき 1 1 本 

「なし」 

此談 I 一木 

「此 說」 

此時. II 本 

「此 歳」 

毒殺せ しな 

ども— 一 本 

「毒殺せ 



降參 し、 正月 六日の 夜縑 食に 歸る。 難 太平 記に、 中 先代の 時 天下 を も 御 當家を も 譏り 中 

お ほな しょ わす だ いき、 フじ さの ょラき やう tov さの 

し 給 ひし 事 を 大御所 は 忘れ 給 はす、 唯 いかにも 大休寺 殿より 寶筵院 殿へ うつくしく 天下 

y は ,,べん せっし、 フ6 で もろな ほ もろ やす まが 

を讓り 申させ 給へ かしとの 御 方便 故に、 攝州 井出の 戰の時 も、 師 直師泰 討れ しも 咎め 給 



ラへ すぎ みん ぶの たいふ のりあき お i、J 

はす。 又 由 比 山の 合戦の 後、 上 杉 民 部. K 輔憲顯 伊豆山に 引き 分れて 落ち行き しも、 丸 御 



y ゃラ ごしょ 



所 は 咎め 給 はす。 又 御合體 いと r 定まりき。 それにつ き兩 御所 竊に御 談合お ける にや、 「京 

ミ は、 フも 八タの しか ゥひ てんか J- も 

都の #8: 殿 はいかに 申させ 給 ふと も御改 させ 給 ひがたし。 然れば 終に 天下 を 保た せ 給 ひ 

かた たミ ^ せいだ ラ ちが くわん ミラ だいみ し av> しか 

難 かるべ し。 譬 へ 御 政道 少し 違 ふ 事 あり 共、 闢東 大名 等 一 同せば 日本の 守護た るべ し。 然 

れば 又、 此 御兄弟の 中に 縑倉殿 を 置き. & されて、 京都の 御 守 目に おき 申されて めでた かる 

. / P ないだ.^ はん ミ、 r- こく ュ れラも ミラ x» おんし し そん 》\ 

ベ し」 と 御內談 ありて、 坂 東 八 ケ 國 をば 光 王 御料 基 氏に 讓り 申されて、 「御子 々孫々 坊門 殿 

の 御代々 の 守 たれ」 とくれ ぐ 申し 置かせ 給 ひしと なり。 ま f^flss 鎮。 此時 iff 一 

年 二月 二十 六日、 禪門 卒す、 四十 七 歳 也。 或は 毒殺せ. しな どもい ふ。 此 時義詮 謀りて 吉 

の ► 5iS くに なんて: .3 ち,, よく きょ ほくて 5 くわん お. 7 よしれ. 9 すくわ,. 0ん 

野 殿に 降る。 南朝の 帝 勅許 ありし かば、 北朝 觀應ニ 年 十一月 七日に、 義詮崇 光 院を廢 し 

なんて、 フ しゃ、 つへ い ゑんた いれき しゃ、 つぐん ひつ ぢゃ 3 しんてい ふ しん 

奉り、 南朝の 正 平. I ハ 年と 稱す。 圓太曆 十 一 He 五日の 記に、 將軍 必定 心底 不審に 有, 之。 

然而賢 息 道 譽妙善 等張 行 如, 此 云々。 正 平 七年阖 1 一月、 南 帝住吉 へ 行幸つ 其より 5<噃 へ 行 



時— 一 木 

「察 

越 中 II 本 

良 1 ほ」 

相 山— 一木 

「相 八 山」 , 

陣 どら ^ し 

なり I 一木 

「p- どら I 

む」 

二十日 (分 

註) 丄本 

「四 3」 

後攻 I 一 木 

「後 詰」 



殘らす 討れ てけ り。 かくて 二十 八日に 尊 氏 都に 歸り給 ひ、 義詮も 丹 波より 上洛し、 直義 

もだ幡 より 歸り給 ひけり。 s^s^ii^gi^l" 三人 やがて 會合 ありて 一 獻の禮 あれ ども 



こミは ぶ きょ、 フ6 かへ せいむ さ、 r 'ご もんだ ふ たビ よ. j ぜんもん せい 

たが ひの 言少く 無興氣 にて 歸られ たり。 この 後 政務の 時相 互 問答 ありて、 直義禪 門, 政 



務に落 著歟。 將軍は 佐々 木 道譽を 討るべし とて 進發" 義詮は 播州に 進發。 東 寺に て 相 逢 

ぞん もん き ね おんつ う つも 2 り X た r よし ゑつち ラ 

ふ。 禪 門に 可. 尋之山 音 通の 事 有りし かば、 七月 晦日の 夜、 直 義京を 落ちて 越 中に 赴く。 

たか うぢ か r みのし ゆく ぢん ぞんちん ぜんもん も t の. o 

八月 十八 日、 尊 氏 近 江の 鏡 宿 に陴 して 禪門を 征伐 あらんと す。 禪門は 石 堂 白 3 山 桃 井 を 

あ ひや ♦* レ. -nl あ ひやま かっせん ぜんもん S ち-せん はたけ や * 

大將 として 相 山に 陴 どられ しなり。 。九月 八日 は 相 山 合戰、 禪門方 越 前へ. 返く。 畠 山 

阿波 將監は 兄弟 和^, 義詮 政務の 事 を 執りし かど 禪門 許さす。 國淸將 軍へ 參る。 是 より 

しゃ チ ぐん ろ! ち ぜん ほくろく だ ラ 

將 軍へ 參る者 多 かりし かば、 越 前に はた まるべ からすと て、 十月 十八 日、 禪門 北陸 道 を 



1 T Tn t,5 ぐ *r け 力う よ? - び-り 

經て鎌 食に 下る。 一一 一^ ぉ^ 十月 二十 三日、 將軍縑 倉に 下向、 義詮は 在京。 十一月 晦日、 



將 軍薩堙 山に 陴す、 禪門 宇都 宮. か 薩埵の 後攻 せんとす ると 剛きて 軍勢 をむ け、 自 は薩埵 

.7 つの A や さった やま ぞん もん くづれ 

山に 向 ふ。 十二月 二十 七日、 字都宮 所々 の戰 にう ち 勝ちて 薩埵 山の 後攻す。 禪 門の ^潰 

は し に き よしな が ぞん もん ほ 3 で 5 い づ 

て 伊豆の 國 府に奔 る。 仁 木義長 攻めければ 禪門 北條に 落つ。 こよに もた まりかね て 伊豆 

の 御山へ 返き、 いづち へ も 落ち行く か 自害 有るべき やと ありし に、 又た 和睦の 事 ありて 



九 



三 八 九 



讀&餘 論 



11 一八 八 



十六 



十三 日— 一 

木 「十二 日」 



饗場命 三 字 

恐 有 二 訛? 

執事-— 師直 

^いふ 



0^ -I 一本 

「供奉す」 



國柬國 の 勢 を 催して 軍 あるべし とて、 明る 日の 朝 £ 丹 波路 を 西へ 落ち、 義詮に は 仁 木 

よ, リぁき よしな が つ たん ほ ゐ はら しゃ ラ ぐん しょしゃ さか もミ もろ やす 

頼 章、 義長 等を附 けて 丹 波の 井原 石 龕に と r め、 將軍 は鲁寫 坂 本に 陣を 取らる。 師泰 もこ 

いしだ ラ の ごんの かみより ふさ たいしゃ 3 しょしゃ さか もま む もろ や ** 

こに 來りぁ ふ。 八幡より は 石 堂 右 馬 權頭賴 房 を大將 にて 書寫坂 本へ 向けら る。 師泰が 

た St- い いしだ、 3 はり ま くわう A ャ うじ ぢん ャ は 仁 か せい こ し やう 

多勢 加 はると 閗 えて、 石 堂は播 磨の 光明寺に 陴を 取りて 八幡の 加勢 を 乞 ふ。 一 一月 三日、 將 



いしだ 3 ひか . しろ かた しゃ、 7 ぐん ひき を もろな ほ なき * 

軍書 寫坂本 を 立ちて 石 堂に 向 はれし が、 城 堅く 見え たれば、 將軍は 引尾に, 師直は 泣 尾 

V- ん やい くさ V ^ r き てき こ St はい 

に陴 して 矢 軍す。 かくて 八幡の 加勢 來る よしを 閒 きて、 まづ其 勢 を やぶらば 敏 悉 く 敗 

くわ ラ みや、 ひじ ひや、? ゴ みな ミがは こ 

しぬべし とて、 光明寺 を棄 てて、 二月 十三 日、 兵 庫の 湊 川へ 馳せ向 はる。 同 十七 日、 小 

し A づた S かひり まつ^か しろ こミ t しゃ ラぐん 

淸 水の 戰 に 利 を 失 ひ, 松 岡の 城に 籠り、 味方 悉 く 落 行く と 閗き給 ひて, 將軍 を始て 

か、 ひけ もく むね ミ 3 ぶら ひ じ がい たま あへ は がったい こ ミミ. * の 

高 家の 一 族 七 人、 宗徒の 侍 一 一十三 人、 旣に 自害 せんとし 給 ひしに、 饗榻命 鶴 丸 合體の , 調 

つゆ ひャ .5 ぢ ijir- t つじ か, f さんしゅつけ y らくちゃく 

ひし 由 を告來 りし かば、 とかく 評定 有りし に、 執事 兄弟 降參 出家の 議に落 著しけ り。 

い, r- し はり まの かみ もろ ふゆ か** くらさの しつじ ミ, r ごく こミ てい こミ なんぎ ひや ラー * 一 

され ど 猶子 播磨 守師冬 は縑食 殿の 執事に て 東 國に勢 あり、 事の 體 誠に 難儀なら ば、 兵 庫 

ふね の いま くら くだ けいてい やくだく ミ, 7 ごく らんお こ もろ ふゆ かひの くに 

より 船に 乘 りて 嫌 食に 下らん と 兄弟 約諾せ しが、 東國 にも 襯起 りて、 師冬 甲斐 國へ 落ち 

つ ひじが い や はん きこ けいてい じふ だ 5 かう さん 

しが、 遂に 自害し けりと、 二十 a 日の 夜半に 閗 えてけ り。 此上 はとて 兄^ 入道して 降參 

しゃう ぐんじ や 1 らく もろな ま U こ が は すぐ ま》 

になり て 出づ。 二十 七日に 將軍 上洛し 袷、 ば師直 兄^ 供す, 武庫 川 を 過る 程に て 一族 



せう に より ひさ おも むこぎ d いは a ぢ うにん み すみに ふだ, 1 た r ふゆ お 5 したが 

國人 —一本 少 貳賴尙 はいか r 思 ひけん 顰君 となす。 石 見の 住人 三角 入道 直 冬に 應 じて 國人を うち 隨 

ふると 聞え て. 師泰 六月 二十日に 發向。 かよる 所に 九 國ニ島 直 冬に 屬 すと 聞え しかば, 

師直將 軍 を勸め 征伐せ しむ。 十月 二十 八日、 發向 あるべし と 聞え し 前の 夜、 直義 逐電、 是 

もろな! H ひそか さいこく むか はから きこ もろな ほ 

は師 直が こよ ひ竊に 討ち 參ら せて、 西 國に向 ふべ しと 計 ふと 閒 えしが 故な り。 師直は 「さ 

まも のち 2 はっか ラ / しゃ ラケん はっか ラ B0^0^^ 

がし 參ら せて 後に 御發向 有る ベ し」 とい ひしに 將軍は 用 ひ 給 はす 發向 なしき。 

直義は 大和へ 赴き 越智 伊賀 守 を 頼みて おはせ しが、 吉野 殿へ 降參 せられた 

h, ^ -1 た r よし *. く ザい 9 ゃラ よしのり はや ラ 》* しゃ..' t ん 

十二月— り。 ti「 かくて 直 義に屬 する 勢數を 知らす。 京に おはせ し義詮 早馬 を 立て、 將軍 のまし 

14^- び ぜん ふくな か たか 5 ぢ もろ やす かへ ゆ ぢ, もろな ほ 

「一 ます 備 前の 福 岡へ 告 ゆらる。 尊 氏 r 師泰 にも 早く 引き返すべし」 と 下知 せらる。 師直 彼が 

ひ か- T ふく を か しゃ,? らく た^ょし つか 5 ち 

勢 —一本 来る を 待ち 給 ふ 事 も 日數經 しとて、 やがて 福 岡 を 立ちて 上洛 あり。 直義は 勢の 著ぬ 內に 

「年メ 一 き f7 くわん ぉラ や はた ぢん -01 つち ミ も * の ゐ、 フ のかみ なほ ゥね 

京 を 攻め 落すべし とて、 觀應ニ 年 正月 七日、 八幡に 陴を 取る。 越 中の 桃 井 右 馬頭 直 常 

も柬坂 本に 著く。 義詮の 勢 日々 に 落ちう せし かば, 尊 氏と 一所に なりて 戰 あらんと て、 

• さいこく おち かつらが は むか、.' みやう じん すぐ しゃ,.. - ぐん もろな ほ 

正月 十五 日、 西國の 方へ 落ら る。 桂 河 を 渡り 向 明 神 を 南へ うち 過る ほどに て、 將 軍師 直 

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に 行き 逢 ひ、 桃 井が 勢と 戰 ひて 利 あり。 桃井大 岳に 陣取れば 將軍 父子 は 都に 入る。 この 

き やう ザいたい はんや はた ザい く は A や こ かな さいこく ち、 フ 

夜 京 勢. K 华 八幡の 勢に 加 はり ぬれば、 かくて は 都に 叶 ふべ からす、 西國の 方へ 返き、 中 

卷 九 三< 七 



讀史餘 論 



三 八 六 



註〕— 一 本 

「五 百餘」 

抖擻— 行脚 

桑門— 僧 



申^お す- 

木 「沙汰 

I 申す」 



しょ うの f 

所に 入る。 十三 日の 卯 時、 師直其 子武蔵 五郞師 夏等將 軍の 第を圍 む。 「上 杉 畠 山 二人 を 給 



らん」 とい ひたり。 直義 の. & されし 旨に 任せ T 今より は 左 兵衞督 殿に 政道い ろ はせ 給 ふ 

* つへ すぎ はたけ やま なが め 5 きつじ しゃ ミ すラ さ、 , もん いけさ る 

事 あら じ。 上 杉 畠 山 をば 流さるべし。 妙吉 侍者 はもと より 抖機 桑門の 徒たり。 生 柿に 所 

たづ さた おじ たビふ d ミも 

なし。 よろしく 尋ね 沙汰すべし」 と.^ りし かば、 無事にな りたり。 直 冬も辆 にお はせ し 

を、 師直 近國の 地頭 御家人 等 討ち 奉れと いひし かば 押 寄す。 からう じて 九州 へ 落ち行く。 

しゃ 5 ぐん はこね の てんか た *? よし ゆづ trt し く t ふ 

將 軍 は 箱 根 竹 下の 時より 天下の 亊は 直義に 譲られし に, 今 は 直 義のロ 入に 及ぶ ベから 

くわん ミ 5 さ まの かみよし のり じ や、 ひらく せいだ ラ もろな ほしよ じ さ た 

す、 關 東より 左 馬頭 義詮を 急ぎ 上 洛せ しめ て 政道 あり、 師直 諸事 を 申し 沙汰すべき に 



定り、 十月 四日に 鎌 倉 を 立つ。 二十 二日に 入洛 あり。 二十 六日、 三 條坊門 高 倉 直 義の家 

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へ 移り、 政務 執行の 沙汰 始 あり。 直 義は細 川 兵 部 大夫顯 氏の 錦 小路 堀川の 家に 移らる。 



師 直師泰 かくて は 始終 憤 を 止められ じと て、 竊に失 ふべ しと 聞え ければ、 その 疑 を 散せ 

の^み すて こ * ろ しゅっけ 

ん爲、 世に 望な く 身 を 拾ら れし心 を 知らせん とに や、 十二月 八日 出家す。 于, 時 四十 二。 

HUI - 5 へす ぎい づ のか &, J! & よし はたけ Ji お ほくら の なほ 、, g ぜん なが . . 

0^ 上 杉 伊豆守 重 能、 畠 山 大蔵 少輔 直宗は 同じく 越 前に 流されし が, 二人共に 十二 

か 11 はいしょ くわん ぉラ IMfJg £ 

月末つ 方に、 師 直が 爲に 配所に て 殺されたり。 明る 年 二月 改元 あり、 觀應 とい ふ。 & 狗 



直 冬 を 討つべき よし 御敎書 ありし かど、 是は師 直が 所爲と 知りて ければ、 うつ 人 もな. 



袞 I 一 本此 

上に 「勢」 字 

ゎリ 

四條— 一木 

此 上に 「正 

月」 の 二字 

ぉリ 

進めて— 此 

下に 一 本 

「河 內に向 

ひ」 ; 

園 太歷— 太 

政 大臣 藤 原 

公賢の 記 錄 

かれ^ 返し 

て —一本 

「かれ 等^ 

國 に 返し 

て」 

(分 



^^^pp^ £ 貞和 三年 m 六月, 直義 男子 を まう く。 その後 東 國の官 兵 も 次第 

ぉミろ t さつら か はち おこ き や、 f ぜいり 

に衰 へぬ。 貞和四 年 s> 八月に、 楠 正 行 兵 を 河. 2: に 起す。 京 勢 利 を 失 ふ 事 度々 に 及 



も 3ty 力^も ろな tv- もろ やす ミう い ^^7^A XJ L5 《い 

ぶ。 十二月、 武藏 守師 直、 越後 守 師泰、 四國、 中國、 束 海、 東 山 二十 餘 州の 兵 を 率して 向 ふ 



同 五 年、 15 四條繩 手の 戰に正 行 討れ しかば, それより、 師直兵 を 進めて、 吉 野に 攻入 



りければ、 南 帝 は賀名 生に のがれ 給 ひぬ。 師泰河 內に向 ひ 楠 正 儀と 戦へば、,. 師直 はおに 

歸る。 四月、 宫 s 大輔直 冬 西國の 探題に なさる。 これ は 尊 氏の 忍びて、 一夜 かよ ひし 越 

ごのつぼね さがみ ミう しょ、 r じ かっしき きゃラ のぼ ゆん ゑ 

後 局 が 腹に 出來 しなり。 相 摸の 柬勝 寺の 喝 食なる を 男に なして 京へ 上す。 ^養. 5. しけれ 



ば 直義對 面し、 去年 五月、 紀 州の 宮カ 起り し 時, 右兵衞^に なされて 大將を 賜 はりし が 

せいひつ fer ょレ び ぜん ゑんた いれき なが ミ 

靜謐 しけり。 此度 直義の はから ひに て 備前迄 下せし とい ふ。 園. H 曆に は、 長 門に 發向、 

彼國 にて 八 ケ國の 成敗 を 掌る と あり。 八月、 直 義師直 を 殺さん と 謀りし に、 事 あら はれ、 

もろな ほ か はちの くに ぢん たぜい の ほか かへ 

師直 弟の 河内 國石川 河原に 陴 せし を 迎ふ。 多勢に て 九日 酉 時 許りに 京に 歸る。 十一 日の 



夕に、 圓心刖 祐等師 直が 宅に 行きし に、 師直 かれ を 返して、 「直 冬の 備 前より 上らん を 防 

よ ひ らくち ラさ うさ ラ た^ょし もろな ほ ケんぜ い 复 突/ 

ぐ ベ し」 とい ふ。 十一 一日の 宵より 洛中 騒動、 直義、 師 直の 家に 軍勢 馳せ 集る。 t 義師 

14 たか、 っぢ • たビ よしし やう ん このまの ひがしの ミぅ ゐ んご 

尊 氏三條 殿へ 使して、 「一 所に おはすべし」 と 有りし かば、 直義將 軍の 近 衞柬洞 院の剁 



卷 



九 



三 < 五 



讀.史 餘 論 



三 八. S 



五十 三 11 

木 「五十二」 

興國 元年— 

原本 「三年」 

とわ リ 一 本 

によ リ改む 



^承りて. I 

一本 「とな 

リズ」 



を 集めて 勢 州に 赴く。 八月 一 一十 八日、 北朝 改元。 尊 氏 上 首 十 一 人 を 超えて、 正 一 一位 大納言 

せいい たいしゃ ラ ぐんた し の 3 ひや 5 ゑの かみ さがみ のかみ せい ミ3 しゃ ラ 4, ん く け f 

征夷 大將 軍、 直 義は從 四 位 上 左 兵 衞督兼 相 摸 守 征東將 軍と なる。 九月 十一 日、 束國 下, 1: 

ふね づ しう A さき かぜ ふくぼつ しんわ, T-* さの ぶ せいし...' さ., じ 》t も! jj ちか ふさ ふね 

の 船 豆 州 御崎に て 風に あ ひ 悉く 覆沒 す。 親王 顯 信の 船 は 勢 州 襟 島 へ 吹き 戾し、 親 房の 船 は 

ひ たち 、r 'つみ かす & たかなが おんこ ほん ふね ゑんし、 つ しらは みな ミ cat ク t- はな 

常 陸の 內海 にっき、 尊 澄 親王、 尊 良 親王の 御子 一 品の 宫の船 は 遠 州 白羽の 湊に、 き 城 T。 花 



囿宮懷 良 親王の 御船 は四國 につく。 是 より 鎭西 へ 御 下向 あるべ しとな り。 八月 九 日 帝不豫 

のりな が 41 せんそ £41 ご むら か A ちか ふさ ひ たち じん わう しやう ミ, フ 

同 十五 日、 義良 親王 一-一 踐酢。 十六 日 帝 崩す。 十月、 後村上 卽位。 親 房 常 陸より 神皇 正統 

, ミ,, 。按デ るに、 此時宮 方に 志 ある 入々 は、 大和 * 河内、 紀伊、 伊 貨、5,荬、 美 澳 、尾 張、 遠 江、 狨前、 越 中、 域 後、 fun 

記 を默す 信躔 、上野、 E 藏出 ir 伯耆、 備後、 備中 、安藝、 石 見、 搐磨、 伊豫-淡 路. ^陸、 陸奧 二十 五 個 si に充谜 す。 ^應三 



年 圜 元年 春 一 一月、 親 房 党 陸 小 田の 城より 職 原 抄を獻 る • 五日 顯信奧 州の 國司 となり,::: 川の 

よしす け しんてい ちょく くろ る しろ せめお ミ たかつら しゃ ラぐ わつ み のの くに あ をの がっせ <: よし さ だ る 4* たかつ ね る あす はの に 

倉 所々 合戰。 此年 正月、 美 濃國靑 野合 戰。 二月、 義貞 陷,, 府中; 高 終 奔,, 於 足 羽 城; 十四 

い せ くも づ か Jdt た か はぐち くわん ぐん tt ら がっせん き や 5 ザい 

日、 伊勢の 雪津、 河 俣、 川口 所々 の戰に 官軍 利 を 得て、 一 一十 八日、 奈良合 戰に京