味噌汤中文正确的读法?

味噌汤的中文到底怎么读…
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先探讨“味噌”的来源。

以下来自日文维基。


味噌の起源には二つの説がある。

  • 中国伝来説

古代中国の醤を根源とし、遣唐使により中国や朝鮮半島を経て伝来したとされる。

  • 日本独自説

日本の味噌の原型は歴史が古く、弥生時代だとする説がある
。日本においては縄文時代から製塩が行われ、醤などの塩蔵食品が作られていたと見られる。縄文時代後期から弥生時代かけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。古墳時代からは麹発酵の技術を加えたものとなった。

現在の味噌の起源に連なる最初は、奈良時代である。当時の文献に「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。また「末醤」とも書かれ、「大宝令」(大宝元年(701年))の「大膳職」条では「末醤」と記される。他に味醤、美蘇の字もすでに見える。藤原京(700年前後)の遺跡からは、馬寮(官馬の飼養などを担当する役所)から食品担当官司に醤と末醤を請求したものとして、表は「謹啓今忽有用処故醤」、裏には「及末醤欲給恐々謹請 馬寮」と書かれた木簡が発掘されている。この「豆の粒が残っている醤」がその後の日本に定着した。この未醤、あるいは末醤が、やがて味醤、味曽、味噌と変化したものであることは、「倭名類聚抄」(934年頃)や「塵袋」(1264~1287年頃)という辞書に書かれている。

この当時の味噌は、調味料というよりは豆やその他の穀物を塩漬保存した保存食であり、つまんで食べられた。徒然草において、北条時頼北条宣時が、台所に残っていた味噌だけを肴として酒を酌み交わしたという逸話があるが、そういう時代背景がある。大豆を原料とした調味料としては、当時は塩辛納豆が主に使われた。

中世の日本では、「手前みそ」という表現が生まれた。室町時代になると、各地で味噌が発達した。戦国時代には兵糧陣中食)として重宝され、兵士の貴重な栄養源になっていた。その名残は、朴葉味噌などに残っている。各地の戦国武将にも味噌作りは大事な経済政策の1つとして見られるようになった。

現在のように調味料として認識されるようになったのは、江戸時代になってからであり、味噌は各地の風土・気候を反映されていて、熟成方法などが異なり全国に多様な味噌をもたらした。当初はすりこぎで粒を潰して用いられたが、やがて最初からペースト状の味噌が作られるようになった。つまり語源となった「未醤」、豆の粒が残っている醤から、本来の醤に逆戻りした事になる。

味噌は、かつては各家庭で作られるのが当たり前であったが、近年は、味噌を家庭で仕立てることは珍しくなった。今日では北海道音威子府村から沖縄県与那国町まで、日本の全ての地域に製造業者が存在するが、言い換えればそれほど高度な技術や多額な資本投下無しに製造できる証であり、特定地域に集中している醤油製造との違いでもある。

明治時代の一般的な味噌の醸造期間は1-3年程度であった。明治時代末期に日本陸軍糧秣廠に勤めていた河村五郎(日出味噌創業者)が、麹の働きを温度管理で調節する味噌速醸法を考案。醸造時間は数ヶ月に短縮することが可能となった。当時、東京で主流となっていた仙台味噌の醸造法とともに全国に普及した。第二次世界大戦中には、配給味噌の基準製法となったことも後押しとなっている。また、温度に着目した醸造法が各地で試された結果、大戦中の1944年(昭和19年)に中田栄造(マルマン (味噌製造)創業者)が醸造中の温度管理の適正化を進めた中田式速醸法を開発。醸造時間は20日とすることも可能となった。中田の信州味噌の醸造法とともに戦後、全国に普及した。

他の食品と同じように商品の多機能化と差別化が行われ、単に素材の違いだけでなく、出汁入りのものやカルシウムなどを添加したものが販売されている。1970年代(昭和40年代)までは食料品店(酒屋三河屋)などで醤油や味噌が樽から量り売りされていたが、流通の変化などで量り売りは姿を消し、袋やプラスチック容器などのパッケージに入ったものに変わっている。従来は袋詰めの際、添加物としてソルビン酸カリウムが使用されたが、現在は酒精(アルコール)を2~3%添加する。これにより、耐塩性酵母を殺菌し、発酵による二酸化炭素の膨張を防ぐことができる。なお、調整処理されていないものは生味噌と呼ばれ、耐塩性酵母が引き続き活動している。

現在、「味噌」はMiso味噌汁Miso Soupとして、日本国外の人に日本のものとして親しまれている。


概括来讲,味噌的来源是“未酱”(misau/misyou),即“豆粒残留、还未完全发酵的酱”,经过历史发展变化,由“末酱”,到“味酱”、“味曽”逐渐变成现在的味噌的。仔细观察这些汉字的变化,就能发现,这种大豆发酵物的名字一开始来自汉语,在日语环境下产生发音的变化,并因日语和汉字的不完全对应关系,汉字内容也产生了变化。早期的“未”、“末”还有通假字的成分,从“未”到“味”就可能是食物做法的变化和语言使用者对食物的理解产生偏差造成的。值得注意的是“味曽”,很明显“噌”这个字是日本人自己在“曽”的基础上加上口字旁表示饮食相关的自造字。也就是说,“噌”的本意是“曽"。


根据我查的某一在线字典:

可见这个汉字在日语中的意思就是与汉语类似的意思,与发酵食物相去甚远,曽这个字要么表示“过去”,要么表示“世代相叠”。由此可以猜测,“misyou”到“misou”的发音变化同时伴随着“酱”字本义的丢失。“曽”字只是语言使用者将假名用汉字表示的选择。


现在回到正题,日文汉字一般来说我们就按中文对应的汉语发音来念。但有些时候日文的汉字并不能与中文的同形汉字对应。一方面,日文中存在着自造汉字,有“国训”这种假借汉字的用法,另一方面,日文汉字也经历过改革和简化,很多字的字形与汉语字形相比发生了变化。


举个例子:"横浜(よこはま)"在中文中我们就念“横滨(hengbin)”,而我们都知道“浜”念“bang”,为什么不叫“hengbang”呢?


同样用某在线词典的解释

其意思是“海或湖水边的平地”、“岸边”,即与汉字中“滨”类似的意思,而实际上“浜”就是“滨”在日文中的变体。而中文的浜是什么意思?



这是康熙字典的解释:


【巳集上】【水字部】 浜 【廣韻】布耕切【集韻】晡橫切, 音㙃。安船溝也。一曰溝納舟者曰浜。【李翊·俗呼小錄】絕潢斷港謂之浜。 又【廣韻】布梗切【集韻】百猛切, 音邴。浦名也。


中文的“浜”的意思实际上是“停船的河沟”而不是“岸边”,二者的差异很明显。

这样就是说,虽然大部分日文汉字和中文汉字对应,但也有一部分是同形异义,应采取代表源文本意义的对应汉字发音。如果按照这种读音方法,味噌应该根据“曽”的原字读“zeng”。因为“噌”在汉语中只是拟声词。


但是另一方面,日文“曽”字也没有食物相关的意思,拿一个随便按发音安上的汉字作为依据也很没有道理。那么照这种说法,我们就应该把这味噌汤叫做最原本的“味酱汤”,不如干脆叫“日式大酱汤”。


另外,“味噌”在中文使用者中明显被错误理解成了“味增”,即“增加美味”的意思,这也说明一开始使用这个词的人读成了“zeng”而不是“ceng”。


综上所述,本人偏向于念“zeng”。


P.S.其实语言更多是约定俗成的东西,“味噌”在日语内就产生了很多没有正确理解意义但约定俗成的变化,更不必说到中文了。题主可以不必太在意这种外来词具体怎么念。时间长了,大家怎么念就会成为标准了。

味(wèi)噌(cēng)

为什么?