福宿光雄

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福宿 光雄(ふすき みつお、1901年12月28日[1] - 1970年)は、鹿児島県出身の日本画家浦和画家のひとり。

人物[編集]

日本画川合玉堂に学び、自らの雅号を一穂と号した。26年間埼玉県立浦和高等学校(浦和中学時代から)に勤務し、以後浦和高校教頭、春日部女子高校校長、久喜高校校長も務め、教育功労者として表彰された。

のちに浦和画家と呼ばれることとなる多くの画家を指導したことで知られており、日展理事長や日本芸術院会員である高田誠人間国宝増田三男をはじめ、渡辺武夫金子徳衛川村親光小松崎邦雄尾上一男金子仁三郎小川游三尾彰藍などを指導した。松岡映丘にも師事し大和画の研究を行い、新興大和画展に発表した。また、戊辰会、白合会の会員として作品の発表を続けた。福宿の指導を受けた高田らを中心に「連穂会」(雅号の一穂に由来)が作られ、恩師を囲む会が開かれていた[2]

沿革[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『埼玉年鑑 昭和32年版』(埼玉新聞社、1956年)p.430
  2. ^ 埼玉の画家たち さきたま出版会 2000年

関連項目[編集]