王懿栄

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王懿栄
人物情報
生誕 1845年????
山東省登州府福山県
死没 1900年8月14日(1900-08-14)(55歳)
学問
研究分野 金石学
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王懿栄の肖像画(『清代学者象伝』)

王 懿栄(おう いえい、拼音: Wáng Yìróng1845年 - 1900年8月14日)は、末の金石学者・古物収集家は正孺、号は廉生。甲骨文字の発見者として知られる。

経歴[編集]

1845年、山東省登州府福山県生まれ。1880年進士となり、1895年には国子監祭酒(教育行政の長官)に任命された。金石文を愛好し、骨董品をコレクションしていた。

1900年義和団の乱が発生すると京順団練大臣に任命されたが、八カ国連合軍北京に入城すると井戸に身を投じて自殺した。死後、文敏の諡号を贈られた。

業績[編集]

1898年、薬店で竜骨(獣の骨や甲羅)を買い求めたところ、文字が書かれているのを発見した。食客劉鶚と研究した結果、これは古代中国の文字、すなわち亀甲獣骨文字であり、時代はのものと確定させた。

煙台市福山区に王懿栄紀念館がある[1]

著作[編集]

これらは全て『王文敏公遺集』に収録されている。

  • 『福山金石志』
  • 『天壌閣雑記』
  • 『漢石存目』
  • 『求闕文斎文存』
  • CiNii著作(王懿栄)

出典[編集]

  1. ^ 【書2019】日本人篆刻家 中国での足跡読売新聞』朝刊2019年6月27日(文化面)同日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]