为什么很多日本的大名官阶不同,似乎都是同样的衣冠服饰,这种服饰仅为礼服不区分官阶吗?所学有限,请勿喷

在很多大河剧场景里,出现正经八百的朝服的时候,似乎就是一种黑袍,外加头上那种冠
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泻药

不是很懂这块,写的比较粗糙。

养老律令是古代日本自公元757年颁布的基本法典,一直到明治维新才废止,古代日本很多制度都可以从这里一窥究竟。养老律遗失较多,但是养老令基本保存了下来。

根据《養老令·衣服令》规定:

諸臣禮服條
一位禮服冠。深紫衣。牙笏。白袴。條帶。深縹紗褶。錦襪。烏皮霍。三位以上。淺紫衣。四位。深緋衣。五位。淺緋衣。以外並同一位服大祀大嘗元日。則服之。

朝服條
一品以下。五位以上。並皂羅頭巾。衣色同禮服牙笏。白袴。金銀裝腰帶。白襪。烏皮履。
六位。深綠衣。七位。淺綠衣。八位。深縹衣。初位。淺縹衣。並皂縵頭巾。木笏。烏油腰帶。白袴。白襪。烏皮履。袋從服色。親王綠緋緒。一品四結。二品三結。三品二結。四品一結。諸王三位以上。同諸臣正四位深緋。從四位深綠。正五位淺緋。從五位深縹。結同諸臣諸臣正位紫緒。從位綠緒。上階二結。下階一結。唯一位三結。二位二結。三位一結。以緒別正從以結明上下朝庭公事。即服之。

武官朝服條:
衛府督佐。並皂羅頭巾。位襖。金銀裝腰帶。金銀裝橫刀。白襪。烏皮履。
其志以上。並皂縵頭巾。皂。位襖。烏油腰帶。烏裝橫刀。白襪。烏皮履。
兵衛。皂縵頭巾。皂。位襖。烏油腰帶。烏裝橫刀。帶弓箭白脛巾。白襪。烏皮履。
主帥。皂縵頭巾。皂。位襖。烏油腰帶。烏裝橫刀。白脛巾。白襪。烏皮履。並朝庭公事即服之。
衛士。皂縵頭巾。桃染衫。白布帶。白脛巾。草鞋。帶橫刀。弓箭。若槍朔節日。即服之。尋常。去桃染衫及槍其督以下。
主帥以上袋。准文官。

养老令定制之初,日本深受隋唐文化影响,养老令的诸多律令都是参照隋唐律令,朝服自然也不例外。不同位阶的官员服饰还是主要通过颜色区分,辅以鱼袋、佩刀等细节来区分。

然而随着日本停止派遣遣唐使、断绝官方文化交流,所谓的国风文化开始盛行,原本是官人(宫廷侍从)服装的“束带”逐渐取代了“朝服”成为上朝觐见所穿的正式服装。

另一方面由于染色技术等诸多原因,平安朝廷从宽弘年间(1004-1011年)开始,官员服饰的颜色也逐渐缩小到3种颜色:

四位以上は黒、五位は蘇芳(深红)、六位及び六位以下は縹(青)

由此平安朝廷上文武官员的服饰就开始变得相当的统一齐整了。

文官及三位以上武官装束如下:

文官の装束。天皇、文官、三位以上の武官が着用。構成は内側から、小袖(こそで)、大口袴(おおぐちばかま)、単(ひとえ)、表袴(うえのはかま)、下襲(したがさね)、裾(きょ)、縫腋袍(ほうえきのほう)、石帯(せきたい)。下襲の上に半臂(はんぴ)を着用することになっていたが、冬期は着なくても良い(バレない)こととなり、後に廃された。下襲の下に衵(あこめ)を着用していたが、明治以降皇族以外は着用しないこととなった。身分が高いほど裾が長い。中務省の官人、参議以上の官職にある者は勅許を得て大刀を佩用する。

四位及以下武官束带如下:

四位以下の武官が着用。なお、三位以上の武官は文官と同じ装束であり、従って黒色の武官束帯を着用していると自動的に四位の武官であると判別できる。構成は内側から、小袖(こそで)、大口袴(おおぐちばかま)、表袴(うえのはかま)、単(ひとえ)、半臂(はんぴ)、下襲(したがさね)、闕腋袍(けってきのほう)、石帯(せきたい)。文官の縫腋の袍と違い闕腋の袍は脇が開いているため、半臂を略することができない。裾は下襲や袍と一体になっている。大刀を平緒で腰に結びつけて佩用する。
武官束帯 (従四位下近衛中将)

五位武官束带

六位武官束带

如上:

就武官而言,大致分为如下等级:

三位及以上:黑色 文官束带

四位: 黑色 武官束带

五位: 红色 武官束带

六位及以下“:青色 武官束带

当然实际上很多大名在朝廷中所获得官职也是文官。

那么就是——

四位及以上:黑色 文官束带

五位: 红色 文官束带

六位及以下:青色 文官束带

考虑到大河剧的主角地位经常是大大名之类的上层人士,官职一般在四位以上,所以基本都是黑色束带。

至于束带是否还有其他细节来区分位阶,力有不逮,只能请教更为专业的达人了。

参考:

装束・貴族の生活・風俗博物館〜よみがえる源氏物語の世界〜平安初期文官朝服・平安時代・和様の創製 日本服飾史 資料・風俗博物館〜よみがえる源氏物語の世界〜
各令の概説_現代語訳「養老律令」|官制大観
束帯