南条隼人

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南条 隼人
プロフィール
リングネーム 南条 隼人
ミラクルマン
兜王ビートル
マッハ隼人(2代目)
ダークレンジャー
牛若丸
赤城
本名 植栗 正和
身長 170cm
体重 90kg
誕生日 (1967-12-08) 1967年12月8日(56歳)
出身地 群馬県前橋市
所属 フェニックスプロレスリング
スポーツ歴 キックボクシング
デビュー 1993年2月13日
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南条 隼人(なんじょう はやと、1967年12月8日 - )は、日本覆面レスラー。本名:植栗 正和(うえぐり まさかず)。

経歴[編集]

1993年2月13日PWCにて牛若丸のリングネームで、対弁慶(保坂秀樹)戦にてデビュー。その後、FMWにて「超電戦士バトレンジャー」のライバル「ダークレンジャー」として10月15日に再デビュー。

1994年7月17日マッハ隼人(2代目)のリングネームでデビュー。

1995年7月に覆面を脱ぎ素顔になる。その後、フリーとなって新日本プロレスなどで活躍。

その後、大阪プロレスでヒーロー系覆面レスラー「ミラクルマン」として活動。

2011年1月9日TAKAみちのくによって正体を暴かれ、1月26日大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナでの「ミラクルマン興行」で対戦。

6月3日、プロレス興行会社「FFFプロレスリング」を設立して8月27日に大阪府立体育会館第二競技場で旗揚げすることを発表[1]

9月、地域密着型のプロレス団体「京都プロレス」を旗揚げすることを発表[2]

12月28日、大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナで開催された『三都物語』において、土井成樹とFFFタッグ選手権に挑戦し、ヤス久保田ヒデ久保田組(クボタブラザーズ)に勝利。2代目王者に輝く。

2012年1月、方向性の違いから京都プロレスを退団。

4月22日、大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナで開催された『南条隼人20周年記念興業~FOREVER ROAD』において、藤波辰爾とシングル戦を行う。

6月29日、大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナで開催された『FRONTIER ROAD』において、アップルみゆきとノーロープ有刺鉄線ストリートトルネードタッグデスマッチFFFタッグ王座に挑戦し、空牙、ブギーマン組に勝利して3代目王者に輝く。

8月26日、京都FAN-Jで開催された『FREEDOM ROAD』において、メインゲストのジャガー横田の欠場にもかかわらず、満員の中でFFFタッグ選手権に挑戦して来たツバサRay相手に初防衛に成功する。

2013年4月14日KAIENTAI DOJO後楽園ホール大会において、長年の夢だったインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座に挑戦し、王者のリッキー・フジに見事勝利してチャンピオンの座に輝く。

9月1日、FFFプロレスリングが解散したことにより、予定されていた試合は全て中止となった。

12月23日アパッチプロレス軍の大会に出場しレスラー活動再開。

2015年12月、北阪神プロレスリングを設立することを発表。

2016年2月13日、リングネームを赤城に改名。

4月10日、川西市アステホールで北阪神プロレスリングの旗揚げ戦を開催。

2019年7月7日、OSWに入団。

2020年2月、活動拠点を関東に移した。

得意技[編集]

赤城プレス(旧:ハリケーンプレス)
スカイツイスタープレスと同型。
赤城ドライバー(旧:ハリケーンドライバー

タイトル歴[編集]

映画出演[編集]

関連項目[編集]

  • マッハ隼人 - 1994年7月17日から1995年7月までマッハ隼人(2代目)として活動していた。1995年7月から2016年2月13日までマッハ隼人をもじってリングネームを南条隼人として活動していた。

脚注[編集]

  1. ^ FFF(トリプルF)プロレスリング - 南条(マッハ)隼人のRe☆start 2011年6月3日
  2. ^ 明日京都プロレスプレ旗揚げ!! - 南条(マッハ)隼人のRe☆start 2011年9月22日
  3. ^ おっさんのケーフェイ”. 映画-Movie Walker. 2019年2月24日閲覧。

外部リンク[編集]