俳優・大野拓朗が、自分のこれまでを「奇跡的な人生だ」と話すワケ(大野 拓朗) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
2022.07.04

俳優・大野拓朗が、自分のこれまでを「奇跡的な人生だ」と話すワケ

日本と米国、2つの舞台を見て感じた想い
朝ドラ俳優として知られ、現在は日本と米国の2拠点で活躍する大野拓朗。来年の春からは本格的にアメリカでの活動に軸足を置く予定だという。自らの心の内を綴った前回記事から約2年が経過した今、あらためて一人の俳優が見据える“未来”について訊いた。

「自分の行動は間違っていなかった」

役者・大野拓朗が所属事務所を辞め、アメリカに留学したのは2019年のこと。連続テレビ小説『わろてんか』や大河ドラマ『西郷どん』での好演が話題となり、テレビドラマの主役を演じるなどさらなる活躍が期待される矢先での決断だった。

「以前、お話させてもらったように、僕は役者の仕事にやりがいを感じながらも、ずっと生きづらさを抱えていました。そんな時に身近な友人が相次いで亡くなり、人生は突然終わることもあると痛感した。いつ死んでも後悔しない生き方をしたい。そう思って自分の意志で新しい道に踏み出すことにしたんです」

大野拓朗/写真:三浦一喜

アメリカに向かったのは、国際的に活躍できる役者になりたいという大きな目標があったから。大野はまず英語を習得するためにニューヨークに単身渡米する。そこで目の当たりにしたのは新型コロナウイルスによるパンデミックや、黒人に対する人種差別への抗議運動BLACK LIVES MATTER。

大野は、どのような状況下でも自分の意志で行動し、間違っていると思ったら声をあげるアメリカの人びとの姿を見て「自分の行動は間違っていなかった」と確信したという。

「もともと保守的で人見知りでしたが、留学を経験してからは積極的に人と関わるようになりました。自ら動くことで視野が開け、世界が広がると知ったからです。特に大きいのがレストラン『NOBU』のオーナーシェフ・松久信幸さんとの出会い。NOBUさんは僕の人生の師匠ともいうべき存在です」

 

松久氏は東京の寿司屋で修業後、ペルー、アルゼンチン等を経て87年にロサンゼルスに「MATSUHISA」を開店。その味に惚れ込んだ名優ロバート・デ・ニーロからの再三の誘いを受けて、94年にデ・ニーロと共同経営のレストラン「NOBU New York」をオープンした。大野は留学後も日本とアメリカを行き来するなかで、世界各地の店舗を飛び回る松久氏に同行する機会を得て、ロス、マイアミ、バハマを巡りながら松久氏からさまざまな話を聞いたという。

「世界的に成功しているNOBUさんですが、初めて持った店を火事で失ったりと何度も挫折を味わっているんです。それでも自分の仕事、そして人生に情熱を持ち、誠心誠意を尽くせば道は拓けると努力を重ねてこられて今がある。僕もNOBUさんのような精神性を持って人生を歩いていきたいと強く感じました」

単身渡米時の写真(本人提供)

誠心誠意を尽くすこと。それは少なからず大野自身も実践してきたことだ。2010年に新人俳優オーディションでグランプリを受賞、すぐに映画デビューを果たした大野の人生は順風満帆に見える。

しかし、当然ながらすぐに演技や歌ができるわけもなく、撮影中に関係者全員の前で怒鳴られたり、舞台後の出待ちのお客から「下手くそ!」と心無いヤジを飛ばされたことも一度や二度ではなかった。

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