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地, 範 誠
JOURNAL OF GEOGRAPHY
VoL 85, No. 1 (8ii). 1976
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w 上 》 二 ■ と 地理学 丄の問 ほ 点 (
* 下お一: 永久! 《 土謂査 <
EH ヒ^ 夫: 利 K£4 における K^ffi の 形 r や について (
S 報 ■« 科
坂 本 iiSlS : 柬恥. 地!! 鉱 Si£)B*«fl 会 (
と 》 介
お 中 fii^iz^gl 刊行 SS: 田 中 ffi 秀 *SI と 迫 «- '欠 iR 大ニ) I
B 金 !£» '
口 K fi にお 出す る 地下 氷, iftte をう けた ビンコ ■ 1水 ド «— )
CONTENTS
Economic Zunc and Its Oeonraphically
Controversial Points Kenio KAWAKAM1 i
J("m Studies on Physical and Biological
Knvironmtnis in the Pt'Tina frost Seiili KlNOSHlTA t
I'. w ma i ion of Wind-shaped Trees in
Kishirito-island, Hokkaido Yoshio TAGAMI i:
Compilalion Committee for Ge(ilciB>- and
Mineral Resources of ihc Far Easi Takao SAKAMOTO I
TOKYO GEOGRAPHICAL SOCIETY
(TOKYO CHIGAKU KYOKAO
Founded in 1879
Nibancho, Chiyoda-ku, Tokyo
DO NOT CIRCULATE
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〒 200
置に 露出す る 地下 * (シ ベ' I ァ. 10 和 47^8 (J12HS 影)
東シ ペリ ァの ヤクーツク 巿 から レナ 河 を SE つて Wf:; ちに 行った と-ろ. ヤクーツク 山-から 北東 約 250km のと
ころに, ス ィルダ -,, 、湖 (CblJUIAX) とい う 湖が ある。 Hi£1km ほどの ほぱ 円形の 湖で あるが, ^は 高さ
20m ほどの 虔 になって いて. 所々 に 写真の ような 地下 * が ffi 出して いる。 この 地下 * は. が 地下 lm の
所に あり, 写真で は 数 m の^さで » 出して a える が, 更に 下 力-に 20m も 綾いて いる., この 地ド氷 は S の ffl
に» 解して lm 程 後退す る。 そのため 地上の ffl 木が 倒れ i¥f ちる。 地表から 地下 氷の 上 ifii* での lm が 活動
層と いう S に » け 冬に 凍る 屋で, その 下 は 永久 凍土. W である., その I!? さは: i<>0m も ある, ffi 動お 内の 水分が
木の 栄養 汲 になり, « はこの lm という S い W の 中に 拡がる。 木の S さは I0~15m, 太 さは 10~l5cm, 立 木
まま は lm' 当り 1 本で ある。 二れ;!:。 ィガヒ いう 大樹 海 を 形成す る. カラマ'' ノを主 する ものであるが.
こ のよう な 大樹 海の 地下に ほ大な 水 塊が 埋没され ている わけで ある..
スィル ダツ, 、湖 は アラスの 一つで, ;: の « 出 地下 * の H の 問の |« け 水が 水^と なって いるた' けで. 流人す
る 川 も 流出す る 川 もない, は 下 M -■-)
*tt をう けた ビンゴ (カナ ゲ!: Sir ^に fl(ifti4(t^7«i«n#K)
ビンゴ は 平らな 永' 人 «:h 裕の 屮 にボ" ノンと is リ 上る 小さな 円 is 形の a である。 この ft の 内部に は 氷び > 塊が
ある, この 氷 は. ft の 周 ffl の 水分が の 底 部へ は *) して 析出した ものと 云われる。 氷の 塊が 大きくなる につ
れ, 丘が 上って ft くわけで ある。 g の ビンゴ は, カナダ-マッケンジー デ, レ? (北 ffi 海お クグマ リツ ト
B» の タク トャク タ一? (Tuktoyak(uk) fflS から 南西 fi5.5km にある。 大小 二つ 潜んでいる力:, 两 方と も
»(* で 半分 欠けた 状 ffi になって いる。 奥の 方の S い ビンゴの ffl さが 約 20m である。 この 付近に は, 約 1500 ケ
の ビンゴが ぁリ, ビンゴ 公8( と吒 ばれる ほどで ある。 大きい ので 商 さ 60m である。
これ r, の ビン ゴの * どが. 約 1フパ|:)1«に« い 湖 ^ の 凍結 をき つかけ として ft 起が 始まった と g えられて い
5, しかし At 近. に » 生して fetl:50cm ほど を統 けて いる, いわば ビンゴの 赤ん坊が! £昆 され
た 。乂北 tti 海の 海底に も ビンゴの ある ことが 報ぜられ ている- (木 下 お
•"•"wsn3 s 。や
73 2 » • 二,
QUALITY CONTROL MARK
地学 雑誌 85, 1 (1976)
経済水域 と 地理学 上の 問題点
Economic Zone and its Geographically Controversial Points
Kenzo KAWAKAMI
Alwtract
With the convening of the Third United Nations Conference on the Law of the Sea,
it appears that the concept on an economic zone extending up to 200 nautical miles out
to sea is receiving wide support. In this essay a general observation will be made in
the fint place as to the arguments advanced so far in respect to the question of econo-
mic xone and it is then intended to make clear the geographically controversial points
that are involved in the question of establishing such an economic zone.
I. 経済水域の 沿革
1972 年 1 月に ナイ ジヱ リアの 首都 ラゴスで 開かれた アジア 'アフリカ 法律 諮問委員会で, ケニア は,
「排他的 経济 水域」 (Exclusive Economic Zone) という あたらしい 概念 を 提唱した。 これ は, 沿岸 国が その
経済的 利益 を 保護す るた め, 領海 外の 距岸 200 力 イリの 水域に 対して, 排他的 權利を 行使す る こと を 主張
した ものである。 この ケニアの 主張に 対して, 発展途上国, 特に アフリカ 諸国の 理解と 支持が 高まった こ
とに かんがみ, ケ ユア は, 同年 7 月, ジュ ネー ヴで 開かれた 同委員会 海洋 科 会に この 考え方 を 条文の
形と して 提案, さらに, 同年 8 月, ジュ ネー グで 開かれた 海洋 法 会議の 準備 会議と しての 国 速 海底 平和 利
用 委員会 夏 会期に, これと ほぼ 同文の 条文 案 を 提出した 注 1). その 要旨 は, 次のと おりで ある。
(1) 沿岸 国 は, 12 力 イリ 領海の 外側に 钜岸 200 力 イリまでの 範囲で, 第 1 義 的に 自国 民の 福祉と 経 ap の
た め の 経済水域 を す る 權 利が あ る 。
(2) その 水域で は, 沿岸 国 は, 天然 资源 開発の ための 主権 を 行使し, その 资 源の 規制 *開 発 '9 保の た
め, な ら びに 汚染 防止 と そ の 規制の た め の 排他的 管轄 梅 を 有す る 。
(3) 但し, その 水域に おける 航空機, 船舶の 自由 航行, 海底ケーブル や パイブ • ライン »K の 自由 は 害
されない。
(4) こ の 沿岸 国の 管轄 權は, 水面 • 水中 • 海底 • 地下の 生物, 非 生物の 柽 済的资 源の すべてに 及ぶ。
この ケニアに よって 代表され るァフ リ 力 諸国の 経済水域の 主張に 対して, ラテン • ァメ リ 力の 力 リ ブ海
諸国 は, 1972 年 6 月に ドミ ユカの 首都 サン ト • ドミンゴに 会合し, サン ト • ドミンゴ 宜言を 採択した が
«2>, その 宜 首で 「世襲 (または 固有) 水 城」 (Patrimonial Sea) の 股 置 を 提唱した。 この 水 城と アプリ
力 猪 国のと なえる 経 iff 水域との 差 は, 実 B 的 効果に おいて は あまり 大きな ものではなかった。 ただ その 発
想が, 経济 水域の 場合 は, 资 源に 着目して その S 分 を?! 保す ると いう 見地からの もので あつたのに 対し,
世 域の 場合 は, その は 沿岸 国が 父祖 伝来の 遗 産と して 承け 統ぃ できた 沿岸 国に 固有な 水域で ある
というと ころから 出発して いた。 また, 経济 では ^国の 權限 行使 を 200 力 イリに 限定して いる 力、
外務省 参与
2
川上 鍵 三
も 爾 者の 相違して いる 点であった。
この 世 IMU まに ついては, 1973 年の 海底 平和 利用 委員会 春 会期に, メキシコ • コロンビア • ヴ エネズ ェ
ラ 3 国の 共同 提案と して, これ を 条文 化した もの 力 Ml 出された お)。
かくて こ の 経済 と *fWc« に 間す る 提案 は, その後の 海洋 法に B8 する W 議の 中心的な 議 理 となり,
に 至った が, この場合 この; に対して はもつ ばら 経済 という 呼称 力 ^ 用いられ, 本年 3 月から 5 月 ま
でジュ ネー ヴで BB かれた 同 会議 第 3 会期の 最終 日 に 配布され た 海洋 法 非 公 —交涉 草案で も 「# 他 的 経
という ことにな つてい る。
このような ところから, 経済 tW* の 概念 は あたかも ケ-ァ によって 代表され る アフリカ » 国の 発想で あ
るかの ように も 思われる が, そもそも 200 力 イリ 水域に ついての 考え方 は, ラテン' アメリカに その « を
発して いる, すなわち, 終« 直後の 1945 年 9 月 28 日, トルーマン 米 大統領 は 大睦拥 と 漁業 保存 水域に 間す
る 2 つの 宜首を 発した。 大陸 »! 直 首 は, 公海で あっても, 米国の 沿岸に 接統 する 大睦拥 の 天然資源に 対し
て 米国が 管轄権 を 行使 するとい う 趣旨の もので あり, 保存 水域 宣言 は, 米国 沿岸に 接統 する 公海で 米国民
のみが 4* 業す る 水 城で は, 米国 攻府の 規制と 管理に 服す る 保存; を K 定し, 米国民と 他の 国民と が 操業
する 水域で は, 合意に 基づ く 保存 水域 を 設定す る という 趣旨の ものであった。
しかるに, この 2 つの 2: 首 を 自己に 都合よ く 解釈した ラテン • アメリカ » 国のう ちに は, これ を 契機に
管轄 水域 を一 方 的に 拡張しょう とする 動き 力 MB 次いだ。 その 主張のう ちに は, 大睦 ffl とその 上部 水域と に
対して 管轄権 を 行使しょう とする もの もあった が, 大陸棚の 狭小な 太平洋 岸の ペルー, チリ, エクアドル
など は, これに 代るべき ものと して, 距岸 200 力 イリに 及ぶ 管轄権 を 主張, それが 3 国 共同の 立場と して
これ を 明らかにした 1952 年 8 月 18 日の サン チヤ ゴ宜 言と なった。
1969 年の 第 24 回国 速 総会に おいて 第 3 次 海洋 法 会議の 開催が 問題と なるや, いち 早く 翌 1970 年 5 月に
は, ペルー, チリ, エクアドルが 中心と なって, 200 力 イリ 水域 を 支持す る ラテン' アメリカ 9 力 国を糾
合して, モンテビデオ 宜首を 出した が, この 宜首 は, ケニアの 経済水域の 提唱に 先立つ こと 約 2 年で あつ
た •
n. 絲水 の 背景
これまでの 海洋 制度に 代って, 200 カイ リ経济 水域の 設定 は, もはや 動かし難い 世界の 大勢と なって い
る。 この 200 力 イリと いう 考え方 は, 戦後 トルーマン 宣言 を 契機に, チリ, ペルー, エクアドル 等に よつ
てはじめて 提 W された こと は, 上述のと おりで ある。
この % 介, その 範囲 を 200 カイ リ と したの は, 水産 资 源に 富む フン ボル ト 海流が, ほぼ 200 カイ リ の 幅 を
もって これらの W 々の 沿^ 沖合 を 北上して おり, また, これらの 国々 は, 太平洋に 面して いて 200 力 イリ
の 1?« 水 城を胶 けても, 他国の 橡 利と 抵触 しないと いう 地理 的 事情に 負う ところが 大きい。 これに 閱し,
ペルー 外相 は, 1970 年 5 月の リマ 駆 在 外交団に 対する 海洋 主権に 関する 講演会に おいて, 次のように 述べ
ている^)。
「ペルー は, その 沿^に » 接する 海 城に 対し, 200 力 イリの 管轄権 を 主張す る 十二分の 理由が ある。 各
W を距 てる 海が あまりに も 狭いた め, 各国の 国家 管 糖 権 を 制約 せざるをえない 锗国も あるが, ペルーの
* 合 は, 世界 ft 大の 大洋に 面して おり, 海洋 主権 を 200 力 イリまで 拡張しても, 他国の 管轄権と 牴触す
る こと はない。 ペルーの 地理 的お よび 海洋の 特微は 特異の もので あり, ペルー 沿岸の 寒流 (フンボルト
海流) が ペルーの 海に K 大な 生物 资源を 提供して おり, 3 力 イリから 12 力 イリに 直る 範囲で は, これら
の? HR を 保存し, かつ, 開発す るに 不十分で ある。 海洋 研究所の 科学的 調査に よれば, 一連の 水産 资源
を 包蔵す る フンボルト 海流 は, 200 力 イリの 幅 を 有して おり, このため 沿岸 国と しての ペルー は 優先権
を tT している ので あり, また かかる 资源 がわが 国民の 利益に 反して 枯渴 するな どの 事 據 を 回避す る た
一 2 一
B 済 水 S と 地 理学 上の MS 点
しかし, 2oo 力 イリ 水 城 を 支持す る 他の eh* に は, 必ずしも このような 地 awaiR が ある わけで はない,
それだけに 200 力 イリ 水域 を «定 する ことに なれば, いろいろと 困 霞な 閱题に 1* 着す る ことにな ろう, こ
れ について は 後に 検时 する,
それ にも拘らず, 200 力 イリ g 済 は 今や 必至の 形勢に ある, それ は. このような 考え方 力 阜に ペル
—や チリの WS< 情に 基づく 主張に OS* したと いう ことで はなく, 他の 沿岸 国, 特に! 5S 途上 沿岸 H とし
て は, これ を 主 » する 背景と して, 次の ような * 情が ある ことに 注目す る必! I が ある,
ひ) 公海 自由 を 基 麓 とする 現在の 海洋 秩序 は, 先 道捃 国の ための 法理に 基づく もので あり, 今後 は »展
« 上 国の 利益 を 十分 g« した あたらしい M 度 を » 立 する 必要が ある, というの が, 新! MBB 途上
H の 一» に 抱いて いる 31 えであった。
! 2) «後 の? ft« 技術の 目 1£ しい 進歩と, 遠洋 の 行 1W6 囲の 飛 》 的な 拡大に 伴い. このままの: ^で
は, 自己の »8fffi 力の 向上 を 待たずに, 遠洋 国に よって その 地先冲 合の Si 業 S? 涿は 81 り尽 されて
しまう こ とを, K 展 途上 19 岸 国と して は! B 念した。
(3) W 後の 海底 物 5f 源の 開 56 技術の 進歩に 伴い, 大 ISffllBiaU こ Jtt する 沿^ 国の 管 の 主張が 髙 まつ
てきた ことと BB» して, その上 郎水《 の (こ 対 しても これ を ffi 岸 国の 財産 として その 管 Bit 下
に 置くべき であると の 主張へ と 発展 した,
(め 《 後の 海上 交通の »Wt 大型 特に 大 S タンカーの 就航に よって, fi 岸 沖合の 海洋 汚 » が W 大
してきた ことから, 海洋 汚染 防止と ぉ済 水 はの 主張と が 結び付いた 形で 主張され るよう になった。
このよう にして, 200 力 イリと いう 範囲に ついては. チリ, ペル一 等の 者え 方 を Hf» したと しても, M
に対する 管 Stt の 大幅な 拡大と いう ことに ついては, ? 9 岸 国, 特に? 6 展 途上 S 岸 国と して は, それ
を 主張す る 十分な 基お があった わけで あり, 従って ほ 済 水域 K 定に拌 う 多くの 困 « は あると しても, その
S* 的な 方向 は 必然の も のであった こと を 理解すべき である。
この 意味に おいて. さきに 述べた 海洋 法 非公式 車一 交涉 草案 は, 本年 5 月の ジュ ネー ヴ 会期の *R 日に
8 長から sa 布され た 今後の 交涉 のた めの たたき 台と しての 性格 を も つものに すぎない が, 少なくとも その
うちの Sifl 水域に BB する &定 は, 上述の ような 背聚の もとに, かつ, 可能な ffl りの 利害 BB 係 国 を 含む 主 《
国の 首 w 代表 クラスが 非公式に 会合して 作成した エベ ン セン 案 を 大部分 a« している ことで も あ!), 新 海
洋法 *&の 内容の ペースと なる 可 ffi 性 は, 相当に 大きい とみる ことができよう,
III. » 済 水 城と 地璉学 上の M 题点
1. 水 城の 国に よる 格 羞
at 場 海洋の 生物 5liS は, 海在 の K 物 Sf*i 同 B6, 均一 に は 分布して いない。 好 が 形成され る 条件
は, K 料 i しての ブランク トンの 多量に あ 生す る 水域で あるが, それ は, 一般的に いって,
; 1 ) 冬期に 表層 水と 栄 * 塩 頃に S む 底 IB 水と が 逆転す る S« 度 水«
(2) 大睡 から 栄養に 18 んだ 河川が 流人す る- 大 の 55 逮 した 水域
(3) 大 ほから 沖に 向って 風が 吹き. 海水が 冲に 向うた め, その 隙間に 底 ほ 水が 流れ込み, iSf^ 流が 》
生す る 水域
U) « 流と 寒流と が 接合し, 魚群が 《« される *«
» の 条件の いずれ かまた は その 複合した » 因 によって いる,
このような 条件に K 当す るの は. 主として **ffiSS に S む. 地形の な 北半球; «« 度の 水域で, それ
は i た大 26 分 先進 B3 の 沖合で ある, すなわち, が 設定され る ことに なれば, 広大な 地 を 持ち,
»Jb»» にも 《 まれて いる 先: ISftS が, 世界の 臺窗な ft» を 囲い 込む ことになる。 これに 反して,
性 * 白の 多く 4)(Wt« に&存 している アジア や アフリカの 》展 途上国の うちに は, 人口に 比して 国土 は 狭
一 3 一
く, 海岸 * も 短い 上に » 洋の 生産力 も fi いところ が # い,
mm は, 距 g の s 難が 2oo 力 イリで あるが, gga» 力 イリ を 実 b に M できる 国が 果して ど
るかに ついて みるに, それに は その 国の 前面の » の 拡がりと, 海岸 練の HRft 方向と が 大きく INI
する。 すなわち. その 国の 前面に 広い 海洋が 開け, かつ, 海岸 綠のー 《 的 方向が S» に 近い か, または
fl^ 形に なって いると ころで は, 200 力 イリの 水 « を 享有で きる が, その 反対に, « えば 力 リブ? 地中
m, バルト海 のように 多くの 国に よって 取 囲まれ, かつ, その 水域 內に 多くの ft* が 散在して いると こ
ろ, あるいは, 赤道 付近の アフリカ 西岸の よ ラに凹 宇 形の 海岸線と なって いると ころで は, 200 力 イリの
*«を» 保す る こと はでき ない。 これ を 実 88 について みるに, te 国の と 重複す る ことによって,
一 «1 は 若干 300 力 イリより は 短 かくな つて いるもの を 含めても, 北米 (来 *加>, 大洋 州 (豪 ユー ジ一
ラント "*?6 力 国) を 除いて は, 200 力 イリ を 享有で きる 国 は, 南米 62%, アフリカ 45%, 中 来 25%, アジ
ァ 25%, ヨーロッパ 17%g* にすぎない こと 力1 WW する。
第 1 表 200 カイ リ水 《 享有 状 S
区 《 1 北 *
大洋 州
アフリカ | 中 米
200 力 イリ 享有 国 | 2
200 カイ リ 享有で きない 国 1 0
34 ! 9
享有 a の 比 * | 100%
100
62
45 | 25
- 1 "
これに Mi* して, 200 力 イリ 水 «の& 初の 提唱者で ある ペルー. チリ. エクアドル は, 決して 200 力 イリ
的 立場 は, 沿岸 国 は それぞれ o 地理 的, 地 R 的, 生物学 的 実情お よび 社会的 済 的な ぬ 岸 国と しての 必
B 性と 責任と を 》 案し, 1
第 2K 主 S 国の 国土 面 《 と g 済 水 《 面 》
9,202,580 7
km'
621,460
棄 州
7,686,880 1 7
1,490.420 | 5
OOS.500
410,140
268,680 4
9,221,020 4
22,403,500 1 4
834,600
699,100
491,600
a 本
369,760 1 3
8,510,740 3
862,200
169,300
1,972,360 2
740,740 2
324,390 : 2
852,050
288,840
025.400
る。 このような から, ペル一, チリ, ェク
ァ ドル 3 国と して は, その 範囲 は 200 力 イリで
ある, というに あった
その 立場の 是非 は tfc かくと して, それが ど
の 国 も S 済; (ctt 200 カイ リ という 主張に « 展し
て 行った ため, 本来の 趣旨と も はなれ, また 実
情に も M しない ものと なった わけで ある。 .
mm 次に g 済 水 «e の 面積に ついても. 国に
よって 広狭の 差が 著しい * これに ついては. 米
国 地 KMl£3f の 測定した 結果が, 本年 4 月 14
日付の NEPTUNE 紙に 揭載 された。 それに
よれば, 米国が g 済 水域の 面 SI として は 世 界»
大で, 地理 的 不利 国と して 最も 狭小な シン ガボ
—ルと 比べれば, 実に 22,400fS となって いる,
わが国 も S« 水 城の 面 K として は, ソ連に 次い
で 世 第 7 位で, 国土 面積の 10侑 以上に 当た
これ を大睡 別にみ ると. 北米で は 米国 第 1
位, カナダ 第 5 位, 大洋 州で は * 州 第 2 位, ュ
1 ージ— ラント '第4 位と いずれも 最も 広い am
経済水域と 地理学 上の rail 点
5
に 属して いる。 なお, 群島 国家 は 国土の 割合に 経済水域が 広く, インドネシア 第 3 位, フィリピン 第 12
位, モー リシ ァス第 17 位, フィジー 第 20 位, モル ディブ 第 23 位と なって いる。 その他の 大睦 について, 第
25ffi にまで 入る 国 をみ ると, 欧州 は ソ連の 第 6 位 を 筆頭に 6 力 国, 中南米 は ブラジルの 第 8 位 を 筆頭に 4
力 国と なって いる。 これに 対して アジア は 第 7 位の 日本 以下 3 力 国, アフリカ は 第 15 位の マダカスカル 以
下 2 力 国 (但し 群島 国家 は 除く) という 状況で, その 絶対 数から も, また, 全体の 国の 数との 比率から みて
も, アジアと アフリカ は, 経済 水 城の 広さと して は, 他の 大陸に 比して 非常に 不利と なって いる。 それに
±3* の 漁場 ゃ钜 離との 関係 も 考慮 すれば, 経済水域の K 定は, 鉱物 资源は 別と して, 特に アジア, アプリ
力の 発展途上国に とって, 必ずしも 有利で あると はいえない であろう。
第 3 表 主要国の 経済 水 城の 面積
区 域
国 名
国 数
全体と
の %
北 米
大洋 州
群島 国家
中南米
欧 州
アフリカ
米国 (1), カナダ (5)
紊州 (2), ニュージーランド (4)
インドネシア (3), フィリピン (13), モー リシ ァス (17), フィジー (20),
モル ディ ヴ (23)
ブラジル (8), メキシコ (9), チリ (10), エクアドル (19)
ソ連 (6), ノル ゥヱー (11), ボルト ガル (14), スペイン (16), イギリス
(24), アイス ラン ド (25)
曰 本 (7), ィ ン ド (12), 中国 (22)
マダカスカル ひ 5), 南阿 (21)
2
2
5
4
6
3
2
100
25
13
19
8
5
( ) は 頫位を 示す
2. 境界 画定の fflH
現行の 領海お よび 接 IK* 域に 閣 する 条約の 第 I2 条に は, 相対す るか または » 接して いる 国の 慎 海の 境
界, 大陸棚に BB する 条約の 第 6 条に は, 相対す るか または » 接して いる 国の 大睦 棚の 境界の 決定 方法に つ
いて, それぞれ 規定して いる。 前者で は, 間 係 国 間に 反対の 合意の ない 限り は 中 問 練に よる 旨 を 規定し,
後者で は, まず 合意で 決定す る ことと し, 合意がない とき は 中間 棟に よると 規定して いる。 そのい ずれの
»^ も, 別段の 合意がない 限り は 中 問 線に よる ことと している 点 は 共通して いる。
海洋 法 非公式 単一 草案 は, 領海に ついては 領海 条約の 規定 を 踏襲した が (第 13 条), 大陸棚に ついては,
面定 は, すべての 閣速 する 事情 を 考慮して 衡平の 原則に 基づいた 合意に より 実施され る ことと し, そ
の 合意の一 つの 行き方と して, 適当と K めら れる » 合に は, 中間 練 または 等钜 を 採用す る ことと した
(第 70 条)。 そして この 大睦 棚の 境界 画定に ついての 規定が, そのままに 経済水域の 境界 確定の 場合の やり
方と して 路襲 された (第 61 条)。
大陸棚と 経 の 場合 は, 沿岸からの 钜 離の 短 かい 領海と は 異なり, 関係 国 も 多く, その 利害 も
となると ころから, 瑰 界面 定に 当たり, 特に 「すべての 関 速す る 事情 を考盧 して 衡平の 原則に 基づいた 合
意 J という ことにし たものと 思われる 力、 それだけに 境界 画定の 困難 さが, 今から 推察され るので ある。
さきに, 地形 的に は 比較的 単純で, 閱係国 も それ 程 多くない 北海 大睦 棚の 分割に 当って すら, 国際 司法
裁判所に よる 判决を 必要と したが, それよ り も遙 かに 地形 も 複雑で 関係 国 も 入り くんで いる 東南アジア や
地中海, カリブ海 などに おける 経済水域の 設定 は, まず その 境界 画定の 問題で 行きつ まること も 考えられ
る。
なお, 仮に 「中間 練」 という ことに 合意され た »^, その 中間 線と は, いずれの 点 をと つても, それ ぞ
れの 国の 領海の 幅 を 測定す るた めの 基線 上の 最も 近い 点から 等しい S 離に ある 線 (第 61 条 4) という こと
になり, それ は理 的に はまった く 正しい。 しかし, 実 » に それ を 作図す る ことになると 技術的に いろい
― 5 —
! B 1 W カリブ海 ■ メキシコ 《 の #界》 の 》 定 ®
ろの 困 « が ある !e«。 ことに それが & 力 国と bb 係して いる a (合 は, 問 题 は ー層複 雑になる。 また それが a
上で は 描く ことができても, その at が 複雑で あれば ある 菘, 海上で その 境界線 を 知る こと はます ますむ づ
かしくなる。 この 点 固定して いる 大 aw の 閱発 と は 異なり, 水域の 境界線に ついては, その as の 上
から fefflB が 多い。
3. 資澤 の#存 と 有 《) 利 ffl
89f 水域 内の 生物 >f» の 保存と 利用に ついては, # —革 案 では 次のように « 定 されて いる,
(1) は, g 済 水 城の 天然 SI» を 探 まし, WJEU 保存し, 管理す るた * の 主 《1 的 * 利 を 行使す
る (*45#)。
(2) この 立 » から, f& 岸 国 は. g 済 水 城内の 生物 の W 容 ffliSi と 自国の 力 を ft 定する (第
50*1, 第 51*2),
(3) 国 は. 許容 量の すべて を »» する 能力がない 時 は, 許容 の 余 « 分 に対して 他国の
利用 を K める ものと する (第 51 条 2)。
(4) この場合, g 済 水 城内で する 他の 国の H 民 は, 沿#国 が 定める 保存 推 匿 その他の * 件に 従わ
なければ ならない (第 S1 条 4)。
すなわち, a 洋 先進国と して は, 沿岸 s が 水域 を 囲い 込んで, その 生物 资《 を 利用し ない こと とな
るの を! B 念し, BiB の 保存と モの 完全 利用 を 付ける こと を 条件に, g 済 水域の 設定に 切る こと を #
えた わけで あるが, これに 対し 》展 途上 沿 g 国と して は, 内で は 沿岸 国で 主《 的 》 利 を 行使す る
t い 5 ことで ある 以上, モの資 》 を どのように ft うか は, ffi^ffl 自身が きめる ことで あるとの 立場で あつ
た,
この 両者の 妥 K として, この S 案で は, 沿 庫 国の 《 獲で きない 分に ついては 他国に 利用させる 雄 IB
を 負う ことと する が, 》f 容 や 沿岸 国の S 獲 能力, さらに は 余剰 分に 対する 他国の 人 » の S め 方な ど
について は, 沿 S 国が これ を决定 する という ことに したわけ である。
E に 単 一 * 案の ような 線で ほ済水《 がき まること となる 沿せ から 200 力 イリ もお つた * 域と もな
れば, その 水 城内に は 沿) * 性の 魚 《 ばかりで はなく, 多数の 回; Sttft 種 も 存在す る ことになる * このよう
- 6 -
経済水域 と 地理学 上の 間 雇 点
7
な 魚 種 は, 人為的な 境界に は B8 係な く 移動し, 産卵し, 生長す るので, それぞれの «Ht に応じて これ を 管
理 する 必要が ある。 しかるに 経済水域の K 定は, 200 力 イリに も苴 つて 各国が 人為的に 海 を 区切って これ
を 別々 に 規制し, 管理す る ことになるので, 最大限 12 力 イリ 領海の 外 は 公海で あつたのと は 異なり, 资藏
の 保存と 有効な 利用 を 期待す る こと は 困難であろう。 しかも 発展途上国の 場合 は, その 7k« 內の资 JR に 対
する 知 *も»« の も 乏しい 場合が 多い。 さらに, 各 水 城に よって 推 置が 相違 するとい うこと になれ
ば, 換業上 も 非常な 支障 を 来す ことになる。
このような 経済水域 設定に 伴う 生物 资 源の 保存 • 利用 上の 不合理 性 は, 例えば いくつかの » 接 沿岸 国の
問 で 共同の 推 置 をと るな ど, 試行錯誤に よ つて 時の 8BS とともに ある 程度 は 是正 される ことになると 思わ
れる。 しかし, 経済水域 内の 生物 资源 に対する 沿岸 国の 排他的 榷利を 前提と する 限り は, 経済; 内の 资
源の 利用 は, 沿岸 国の 意図に よって 左右され, なかには いたずらに 水域 を 囲い 込んで 资 豚の^ 6 利用に 努
めない よ う な 国 も 出て くる こと が 考え られ るので, 世界の 漁獲高の 飛躍的 増加 を 期待す る こ と がで きない
のみ か, 当分の 間 は, 現在の 漁獲 水準 を 維持す る ことす らも 困 簾と なる かもしれ ない。
4. その他の «|雇
なお, 単一 草案で は, まぐろの ような 高度 回遊 性 魚 種と, さけ • ますの ような 遡 河 性 魚 種と は, HR の
魚類と は 区別して 取扱って いるが (第 53*, 第 54 条), まだ 內容 的に 十分 固まって いないと ころも ある。
また, たらばがに やず わい がに, つぶ 貝な どの 定着 性 魚 種に ついては, 既に 1958 年の 大睦棚 条約に おい
て, これ を 鉱物資源と 同搽の 取扱いと したと ころに 問題が あつたが 的, 単一 草案で も それ を 路« した (第
すなわち, 定着 性 魚 種に ついては, 経済 水 城内に おける 生物 资 源の 保存 • 利用に B8 する 規定, 従って 余
剰 分 は 他国に 利用 させなければ ならない とする 規定 等 は, 適用され ず, 再生産の きかない 鉱物 资 源と 同
様, 沿岸 国の 意図に その 開発が 左右され る ことになる。 しかし, 定着 性 魚 種 は 他の 一般の 魚類と 同様 再生
産が 可能で あり, しかも 漁獲し なければ 培 加して 行く という もので もない。 自然死 亡に よる 無駄が あり,
これ を 適正に 漁獲す る ことにより 最大の 持統的 生産 を 举げる ことができる。 これ を, 採れば それだけ 減少
する 鉱物資源と 同一に みる こと は » り である。
以上の ほか, 経済水域 は 領海の 基線から 測定され る ことになるが (第 46 条), 領海の 基線に ついては,
単一 草案 は 原則的に は 1958 年の 領海 条約の 規定 (第 4条~ 第 7 条) を 路 襲して いる。 従って 領海 条約の 領
海の 基線に おいて 問題と なった 点 は, この 草案で も 依然として 解決され ていない。 例えば, 「領海の 基 練
は, 沿岸 国力 公 S する 大 縮尺 海図に K« されて いる 海岸の 低瀕 線」 (第 4 条) という ことにな つてい る 力5,
低 湖 練が 海図 上に 記載され ている 5 万〜 6 万の 1 程度の 大 縮尺 海図 を その 国の 海岸に ついて 整備で きる の
は, ごく 限られた 先進国の みで あり, 今後 これ を 全世界に!: つて 拡充 整備す るに は, 莫大な 経 * と 日時と
を 要する ことにな ろう。
また 複雑な 地形の 海岸に ついては, iJI 基線 を 採用で きる ことと なって いるが (第 6 条), その 場合の
基準と して は, 「海岸線が 著しく 曲折して いる」 という ことと, 「海岸に 沿って 至近 钜讎 に一 連の 島が あ
る」 という こと だけで, 直線 基線の 長さに ついての 制限がない ので, その 引き 方に ついて 紛争 を 生ずる お
それ も ある。
さらに, 単一 草案に は, これまでの 領海 条約に はなかった 群島に 関する 規定が ある (第 117 条〜 131 条)。
この 規定に よれば, 群島 国家 は, その 群島の 最も 外側の 島 を 結んで 基線 を 引き, その外 側に さらに 領
海 • 経済水域 を 設ける ことにな り, 鮮 島内の 水域 は, 群島 国家の 主権が 及ぶ ことになる。 群島 国家と して
は, 広大な 水 城 を 自国の 権力の もとにお くこと がで きる ので, いかなる もの を 群島 国家と して 取扱う か
は, 重大な 問 « である • 単一 草案で は, 基線の 長さ をき め, また 群島に より 囲まれる 水域と 国土の 全体の
面積との 比 をき める ことによって これ を 定義 づけよ うとして いる 力 礼 まだ に 固まって いない。
一 7 一
肩 上 健 三
し い て
J 9 W
IT- 翻
FAO r^mr^'^r^ ハ人 *^60% 比 荣奏 不良に よる 菜 il な に S まされて,、 る と い
5* 1 5 乃 JE6 雷ご^-リー Oi&»«L 量 は, « と WSHtSe き, ほとんど おいて 纖 たされて い
ない, え g では 人 i ョ 当:: つ *ロ リー Sit 量^ カロ:; 一 » 後で あるのに 対し, g 展
SLfcM-*^/- :^:»:» ; -z h2.y^- ;- :' わ:^ S*t2.5C0i - リ 一,, また 至 白 貢 は, m^t'-So
グラムシら ^グ ラーで ある:: に^ 一 後者 は 罕 ^59 グラム t わさ ぼ は rs グラム という * 畫で,
わう ち ふ!^ 蛋白;: ま 合^ gS^hH つ 龄 はき わめて
一方 ま JM> 人コ は, 錢 乙 雒定で i97^ に ii38.«5«A であるが. 2.1、. つ »^ で in: してお り
^^まわ » ^て^ WI する とお 定す れ^- はじめに は: OKA に る も Or みられて v 、る, しかし こ
城の 俸 ひ 漆が 1-3、 であるのに 対し, 発»*±^««が2-5%でぁる0で, 人口^ it 加に
两者' つ 栄賽坟 意 ^咯差 はます ま 十 大き くなる おそれが ある,
二 r, こお^ t るた めに^, さ^っ食ぉ 奎。 につと める^^:!: あるが. 食糧^ M に^な ±* は,
つ 見積り!^ •::« へクな 一, ハっ 半分,:; 上 は 現 に « 弔され ており, 浅り .っ±* を 開 免す る
に^ * そ' つ fe' つ 多つつ 弒約 要素^ あり, 巨 領の費 弔 を 要する 上に, 技術 上 o 困 霞 も ある. ここにお いて
«3ffT る 人 二ず J1 に^? し, 二つ, 厘ご^ ±国 との K の 栄 ILL- つ 鞋を 緒^して 行く ために は.
分ん 2 r 占 乞る 海洋^らん 主^ 资 源の » 免と «^ に矣 つべ と ころ ジま十 ま 十 大きくな つてく
る *
ニニで^: 界乃 fcBS 衮を みるに, 浮の トンで, 前年より 万 トン 坳> なって',、 るが, 1970
年に 比して 4'カ 万 、ン, 1971 年に 比して 450 万 トンの * 少 となて',、 る, これ は 主として 1970^, 1971 年に 最
高の *獲* r 示 し たべ/ > 一, チ リ ^つ アンチ ョ ビー が 1972^£J» 急激に * 少 した ことが 大きく してい
る * 二れ を 涂;ナ ば, f: 界の^ » 高 は 年々!^ J0 万 トンから 300 万 トン g^iTE して 今日に 至ってい る •
第 4 表 ペルー
, 《 リ アンチョビー
at 瘦 离を狳 *、 た
ま, 高
年 %
fir 界 亮
B
ルー, アンチ ョ ビー
さ- 51 芽
,c、
チノ. アン 早 3
筹赛
ビー S "や 一 B + C,
63,900 千 ト ン
10,263 千 ト ン
1,019 千
ト ン 32.618 千 ト ン
1959
62,700
8,961
751
52.988
1970
70,000
783
56.940
1971
70,200
10,277
967
58,966
1ST72
65,500
4,447
368
60,685
197 :i
65,7CX)
1,769
192
63,739
B 踵 は 経済水域 設定に 伴う 影響で ある, わ^国の 場合, 1973 年の 簾 高のう ち, 外国の 钜牮 200 カイ
リ 内で »» した 量 は, 水産庁の 推定に よれば 456 万 トンで, それ は 全 ^簾!: の 43% に 該当 十る, わが国 以
外に も ソ連 を はじめ 多くの 遠洋漁業 国が 外国の 200 カイ リ で換業 している が, これ を 1971 年に つい
て 試算した と ころで は, 世界の 海面 * 業の 総^ 簾 量 約6, 000 万 ト ン の ft27?0 に 当る 1,600 万 トンと いう 結果
が 出た,
さきに も 指摘した とおり, 単一 草案で は 許容 量のう ち, 沿岸 国が 力の ない 余剰 分に ついては
^Hl»te による 入 * を 認める こと となって いる- 従って 外国の 200 カイ り 水域 内で »8 した 1,600 万 トンが
全««» できなくなる という ことに はならない。 ことに 癸 展 国の # は, 入» 料 さえ 支払えば 入 »
を g める 国 もあろう し, また 外国の 资本ゃ 技術に よって 自国の 水産業の »1 を * えてい る 国 も あるので,
このような 国々 について は, 逮洋 » 業 国 として その の にそ^ 困難 はない ものと 思われる. しか
一 8 一
経済水域と 地理学 上の 問題点
9
し, ただ 水域 を 囲い 込んで 自分で も flj 用せ ず, 外国に も 利用 させない 国 も ありうる。 その上 »展 途上国の
沖合 は 概して 资源 的に あまり 恵まれて おらず, また 発展途上国の 资源 管理に 問題の ある こと は, さきに 指
摘した とおりで ある。
资» 的に ft 富な の は, 北半球 高 維 度の 水域で あるが, ここ は 先進国の 沖合で あり, これらの 国々 として
は 漁獲の 技術 も 能力 もあって, 他国の 援助に たよる 必要 はない。 従って それらの 国と して は, むしろ 外国
8MB が 立 入らない ことが 最も 望ましい ことになる。 ただ 先進 沿岸 国と して, これまでの 実績 国 を 直ちに 排
除す る こと はで きないと 思われる が, それにしても 自国の 漁業と お 合する ものに ついては, 経済水域 内 か
ら渐次 フェイズ' ァゥ ト する 方向に 進む 可能性 は ある。 また 自国 漁船が 漁獲の 対象と していな いものに
ついては, その 漁獲 を 他国に 認める としても, 対 « 魚 種との 混 獲の 問題が ある ほ 力、, 最近 は 海洋 生 據 系
(Marine Ecosystem) の 保全 • 確保と いう こと がい われる よ う にな り, 自国で 直接 漁獲 対象と していな
いものに ついても 閣心を 持つ ようになって きている。
いずれにせよ, 経済水域の 設定に よって, 海洋の 30% から 50% という 広大な 水域, しかも それ は, 生物 资
溉の 多い 岸 近い 部分が 沿岸 国の 管轄権の 下に 置かれる ことになるので, 沿岸 国と して は, その 资 源の 保存
と ^» 利用の ために 重大な 責務が ある わけで ある。 しかし, 現段階に おいて は, 特に 発展 途上 沿岸 国と し
て は, この 水域に おける 自己の 権力の 確保に 非常な 関心 は あるが, 资源 に対する 責務に B8 する 自覚 は 乏し
い。 それに 人為的に 広大な 水域 を 分割 管理す る 不合理 性 も 加わり, 経済水域 設定に よって 世界の 漁獲高の
飛耀的 嫩ロ は 期待 できない のみ か, 現在の 水準 を 維持す る こと も 困難と なるお それの ある こと はさきに 指
は 相当の 日時 を 要し, その 間の 世界の 漁獲 i を どのように 維持 *增大 させて 行く か は, 経済水域 設定に 伴
う 今後の 重要な KJ1 といえ よ う。
(1975 年 10 月 23 日 受理)
注
1) A/AC. 138/SC. H/L. 10.
2) A/ AC. 138/80.
3) A/AC. 138/SC. H/L. 21.
4) 川上 健 三 (1972) : 戦後の 国際^ 業 制度. pp. 904-907.
5) 川上 健 三 (1972) : 戦後の 国際 漁業 制度. pp. 917-918.
6) 川上 健 三 (1963) : 海洋 制度と 地学 上の 問題点. 地学 雑誌 Vol. 72, No. 5 (736), pp. 4-6.
7) 川上 健 三 (1963) : 海洋 制度と 地学 上の 問題点. 地学 雑誌 Vol. 72, No. 5 (736) , pp. 3-4.
一 9 一
地学 雄 紡 85, 1 (1976)
永久 凍土 調査
木 下 誠 一 *
Joint Studies on Physical and Biological
Environments in the Permafrost
Seiiti KlNOSHITA
Abstract
Scientific expeditions in permaforst regions were carried out (1) Yakutsk, Siberia
in the middle of August, 1972 and (2) Alaska and North Canada from the middle of
June to the end of July, 1974.
(1) Yakutsk, Siberia
Field observations were carried out on permafrost around Lake Surdakh, which is
located 250 km northeast from Yakutsk, Siberia. Lake Surdakh is an alas, which is a
depression formea by a thermokarst development in which local deep thawing has taken
place in permafrost masses accompanied by the melting of ground ice. Ihe shape of
the alas is nearly round and the diameter of Lake Surdakh is about 4 km. The lake is
surrounded from all sides by a larch forest. The height of the basin cliffs is about 20 m.
At some places along the cliffs underground ices are exposed. The top of the ices is
1.5 m below the top of the cliffs and the ices sink into the ground in a wedge-like
shape. Field observations were made as to the exposed ice, the soil around the exposed
ice and the forest above the ground.
(2) Alaska and North Canada
1 he group was divided into three sub-groups according to their research subjects :
(i) frozen ground (ii) vegetation and • (in) soil invertebrates.
(i) Frozen ground Drilling programmes were carried out at the following locations
by using a portable boring machine : three spots on polygons at Barrow ; one in a Poly-
gon and four at Ibyuk Pingo in Tuktoyaktuk ; two at Caribou Hill near Reindeer Depot.
Core samples of 4.5 cm in diameter were taken from the surface to a depth of 140 cm
for analysis of their layer structures, soil colors, densities and pH,s. These samples
were dried in an oven, and measurements were made as to the water contents, densities
and size distributions of the soil particles contained.
Ice lumps were picked up from ice layers in an ice tunnel (Fox, Fairbanks), an ice
cellar (Tuktoyaktuk village) , one of the ice wedges and one of the buried ice masses
which were exposed along the seacoast of Kugmallit Bay 6 km from 1 uKtoyaktuk village
to the southwest. These ice lumps and the ice cores which were taken during the drill-
ing were sliced and observed under the polarized light for analysis of their crystal
* 北海道 大学 低温 科学 研究所 The Institute of Low Temperature Science, Hokkaido
University
一 10 一
永久 凍土 PI 査
11
structures. It was found that the samples of ice from the above contained air bubbles
and dirts, both of which were aligned in stripes, and the texture was poly-crystalline ;
the crystal sizes were several millimeters.
These ice samples which were melted there were brought back to Japan for measure-
ment of the ratio of 180/l80. Also a "C analysis was done on the organic materials
which were included within the core samples.
(ii) Vegetation Permafrost is an important ecological factor in the subarctic forests,
and the knowledge of its relationship to a vegetation process is important for an under-
standing of forest ecology of northern regions. On the warm, well drained sites such
as southern slopes and sides of rivers, white spruce trees or white spruce-paper birches
grow, while on poorly drained sites including plateaus, flats and north* facing sites,
stunted black spruce trees with moss layers of Sphagnum spp. are predominant. We ob-
served that the depths of the active layer and drainage are of special importance in the
vegetation and succession of trees on permafrost near Inuvik.
(iii) Soil invertebrates Sod samples (each 19.6 cm2 X 8 cm) were taken from various
habitats. Soil invertebrates were picked up from the samples. The total number of
soil invertebrates which were picked up at Ibyuk Pingo was 1974, of which 81.6% was
found in the layer of 0-2 cm in depth, 15.1% 2-5 cm and 3.3% 5-8 cm. The composi-
tion of soil fauna and their individul numbers were as follows : Collembola : 743, Ne-
matoda : 548 ; Acarina : 469 ; Chironomidae : 22 ; Enchytraeidae : 11 ; Tardigrada : 1 ;
1 richoptera : 1.
I. はしがき
永久 凍土と いうの は, 寒さの ために 凍った 土が 永久に » けないで いる 状據 である。 永久? « 土 は, シ ペリ
ァ, アラスカ, カナダ 北部お よび 中国 等に 広く 分布す る。 人間 活動の 極めて 少ない 地域で あるが, 近年 石
油 や 天然 ガス 等の エネルギー 资源地 及び その 輸送 路と して 脚光 を 浴びて いる。 その 総 面積 は 地球上の 全 »
地の 140 ん にも 及び, 日本 全土の 55ffi もの 広さで ある。 また, その 厚さ は? &ど 100m 以上で, 深い 所では 500m
以上に も 達する。
寒冷な 永久 凍土 带 とはいえ, 地表面 は 夏に は » ける。 この 毎 夏 » ける 地表 近くの 眉 を 活動 層と 呼ぶ。 夏
の 活動 層に は 凍土の ft 解に よる 水分が 蓄えられ, また 降水が 上から 浸み 込む。 し 力、 し, その 下の 永久に 凍
つた ままの 層 は, 水分 を 透さない ので, 活動 暦 内に 水分が 蓄積され る。 この 水分が 生物の 涵養 源と なり,
永久 凍土 地 * に も 生物が 存在す る。
活動 餍 内の 水分 は 冬に 再び 地表面から 凍り 始める。 土が 凍る 時には, 土中 水分が そのままの 位置で 凍る
ので はなく, 凍結 線に 向って 下方の 未 凍土から 水分の 移動が 起り 氷の 層と して 析出す る。 そのための 体 m
增が凍 上で ある, 又い つたん 凍った 後で も 地表面が 極寒に さらされる ため, ,; IS 勾配に もとず く 熱 応力が
生じ, 各所に 鉛直な 割目 を 作る。 夏に は 又 地表から 融ける 力、 このよう にして 凍結 ft 解 を 何千 年 年と
練り 返す うちに, 特徴 的な 地形が 出現す る。 ビンゴ, 構造 土, アラス, 水 楔 等が それで ある。
活動 層の 厚さ や 融けて いる 期間 は, 地域に よって 異なる。 そのため 自然環境 特に 林 相に 大きな 差異が 生
ずる, 極地 方で は, 夏の 気温が 低いた め 活動 層が 薄く » けて いる 期間が 短 かい。 地表 は 立 木が なく ッンド
ラ である。 内陸へ 入る に 従い, 活動 層が 厚く 融けて いる 期間 も 長くな り, 榭 林が 生育す る。 それに 応じて
寒冷地 形, 植生, 又 土壌 動物 も 変って 来る。 我々 の翻査 では, ッン ドラ 裕, 樹林 裕 及び 两 者の 移行 裕 にお
一 11 一
12
木 下滅一
ける 活動 層の 物理化学 的 特性 を 調査 するとと もに, それによ つて 出現す る 寒冷地 形, 植生, 土壤 動物 等と
の 閟連を 解明しょう とした。
昭和 47 年 8 月, 木 下1, 《, 酒 井" >, 鈴 木, 山 本 "力' > 文部省 科学 研究費 補助金に よる? 6^ 学術 W 査 として,
シベリアの ヤクーツク 周辺 を 調査した。 ヤクーツク 周辺 は 永久 凍土 層の 厚さが 200m で カラ マツ を 主と し
した 針 葉 榭林帯 (タイガ) である。 極端な 気温 年 較差 (100。C にもなる) と 乾燥 (年間 降水量 催 か 200mm)
が 特徴で あるが, 活動 層に 蓄えられる 水分の ため, カラ マツの 榭 林が 生育して いる。
又, 昭和 49 年 6 月 ~ 7 月, 木 下^, 酒 井 8), 鈴 木, 丹 野 》》, 堀 口 う 吉田 '福 田" > は, 文部省 科学 研究
费 補助金に よる 海外 学術 調査と して, アラスカ 及び カナダ 北部に おいて 永久 凍土 調査 を 行なった。 ッンド
ラ帯, 樹林 带 及び 両者の 移行 帯の 特徴 的な 地点 を 調査した ので あるが, 特に, 榭林带 では, 気温 年 較差 数
10°C, 年間 降水量 400mm 前後で, 同じ 永久 凍土 樹林 裕の ヤクーツク 周辺より は 条件が 緩い と 云える。 榭
種 も トウ ヒを 主と した もので, ヤクーツク 周辺の カラ マツと は 異なる。
ここで は, 一般的な 永久 凍土の 解説 も 含めて, 我々 の 2 回の 鋼査の 概略 を 述べよう。
II. 世界の 永久 凍土
1. 永久 凍土の 定義
冬に 気温が 0°C 以下に なると, 土 は 地面から 凍り 始める。 北海道の 寒い 所では, だいたい 11 月末 頃に
凍り 始め, 3 月に は ほぼ lm も 凍る。 しかし, 3 月に なって, 気温が 0°C を こえる ようにな ると, 土 は
地面 か ら » け 始め, 6 月始めまでに は 完全に » け てし まう。
シベリア のように 冬が 長く, 非常に 寒い 所では, いったん 凍った 土が 夏に 地面から 融けて いっても, そ
の 期間が 短 かいため, すっかり » け 切らない うちに, もう 次の 冬が やって来る。 そして 再び 地面から 凍り
始める。 やがて, 夏のう ちに B けた 土が 再ぴ 全部 凍って しまい, 下の 凍土に つながる。 しかも, まだ 冬の
寒さが 続く ので, 先に 凍って いた 土 を 越えて, 更に 下の 方へ と 深く 凍結が 進む。 » けたり 凍た り する の
は, ごく 地表 近く だけで, その 下に は 永久に » ける ことのない 凍土が でき, しかも その 厚さ を增 して 行
く 。 地面 近 く の 夏に 融け 冬に 凍る の を 操 返す 土の 眉 を 活動 層 と 呼んで いる。
永久 凍土と いう 言 菜 は, 日本で は 昭和の 始め 頃から 使われて いるよう であるが, だいたい 現在で は 英語
の permafrost の 訳 として 通じて V 、る。 permafrost は, permanently frozen ground の 省 l&fe とし
て, 1945 年に S. W. MULLER") によって 使われた。 以来 ァメ リ 力, カナダに おいて 通用して い る 力;,
1974 年 カナダの NRC で 出版され た 用語集 1" によると, 「少く とも 相楝く 2 冬と その 間の 1 夏 を 含めた 期
間より 長い間, 0°C 以下の 温度 を 保つ 土 又は 岩に おける 温度 条件」 と 定義され ている。 従って, perma-
frost の 日本語訳 として は, むしろ 永久 凍結の 方が よい かも 知れない。
—方, ソ連で は, 土の 凍結の 耱統 期間 をと り 出して 定義して いる。 即ち, 多年 凍結 土, 季節 凍結 土, 短
期間 凍結 土の 三つに わけてい る。 永久 凍土 はこの 多年 凍結 土に 入る ので あるが, 文字通り 多年に わたる も
の を 意味し, 数年間 たまたま 統 くもの は, 多年 凍結 土と 季節 凍結 土の 中間の ものと している。 このような
意味で, ソ連 側と アメリカ や カナダ 側と では, 若干の 違いが ある。
2. 永久 凍土の 分布
永久 凍土 は, 現在 シベリア や アラスカ • カナダ 北 郁な どに 広く 分布し, その 面積 は 21X10* km2 にも 及
び, 全睦 地の 14% を 占めて いる。 凍って いると いう 意味で は 氷河 も 同じで, その 面積 は 16xl0*km2 である
が, 氷河の 上で は 人間 生活 はない。 永久 凍土の 上で は, 現に 人間が 住み 生産 活動 を 行なって いる。
ソ連の 教科書" 5 に 地球上の 凍結 状況 を 示した 図が ある。 それが 第 1 図で ある。 図の 中で, 点 JB¥ で 示され
た領 城が 永久 凍土と 氷河で ある。 南極 や グリーンランド は 大部分が 氷河で, 永久 結と いう ことに は 変り
ない が, 地面が 露出して いる (勿論 冬の 問 は 雪に 蔽 われる が, 夏に は その 雪が » けて 地面が 露出す る) と
ころ を 永久 凍土 地带 としてい る。 その 飱 どが, シベリアと アラスカ ,カナダ 北部で, ごく 一部が, 北欧 や
一 12 —
永久 »土11査
中 H, モン ゴールに ある,
第 1 図の 幅せ まい 線 觯の領 * は,
お 年 必ず 冬に は » り, 夏に は » ける
とい ラ Jtett である, 永久 »土 の 表層
» の 活動 暦 も 冬に! 《 り 夏に は》 ける
が, この * 節 * 土で は, Jt に 全) * 土
が 完全に » け 切って しまう, 日本で
は, 北海道 や 東北の一 部が この 領域
に 人る。
第 1 図の 幅広い «B の領城 は, 短
期間た とえば, 夜に は 凍る が S に は
» け ると いう一 日 ace, あるいは *
たまたま 短 期 ra 凍る という 地) * で,
この 第 1 図に は, 日本に この 領域が
ない ことにな つてい るが, に BB
束 地方に おいても 冬に 霜柱が &られ
るよう に. や は! IS 期間 * 土と いえ
る, 第 1 図 は, 必ずしも すべて を 正
確に 表現した もので はない が, 多少
と も; * 結に s« われる 地 《 というの
は. 実に 地球上の 全睡 地の 7 割 近く
にも 及ぶ わけで ある,
永久 凍土 带を 更に 分けて. 連«
不連 a 帯, 点在 W と している.
*« 帝と は, 永久 凍土 》 が 水平 方向
にも »E 方向に fcJItt している 地 »
で, 不速 fitff と は, それが 不速 « の
ところ,, 点在 寄と は, ポッン と 孤
立して いると ころで ある, 凍土 は,
寒い 空気で 地面が 冷やされて 出 * る
ことに は 違いない が, 河川. 湖? H,
斜面の 場合 は その 向き 3 の 地形 因
子. 又 地下水. ±JJ. «生» によつ
て 》 結の 進行が 》く》 響され る。 從
つて, 広い 地域に わたって, 同じ *
結の 状 德が ぼく こと は? & どない, fl
直 方向に, 永久 凍土 B がと ぴ とびに
残る IB に はさまれた 不凍 IS 觸
をタ リク i 圩ん でい る,
第 2図 に 北半球に おける * 久 w 土の 分布 状 si! "を 示す, 又. 第 1 表に 永久 a (土の 庳 さの 若 千の 実 sows;
地球上の 凍 8 状 jK
1 一 * 久 * 土 及び 氷河, 2 —季 B» 土, 3 — S)BfH»±,
文 K 4) による.
3. 永久 孩 土地 域の 候
年 平均 ft 温
*3 図に アラスカ • カナダの 年 平
均 ft» 分布図 を 示す, 等 a» と, 永
久 凍土の 速 fit 不 it«, 点在, 永久
凍土な しの 境界 fit と は 必ず しもよい
—St を 示さない。 連 《flt は, アラス
力 西 海 * と,、 ド ソン ffiS では 一 5°C
よ り も 低い 所に あるが, アラスカ •
カナダの 国境 練に 近ず くに つれ, 一
10X よりも 低い 所に なって いる,
又. 不; 裕も アラスカの 西海岸と
'、ド ソン 湾岸で, 一 3°C よりも 低
く. アラスカ • 力 十 ダ国塊 付近で
は, 一 5°C よりも 低くな つてい る。
一方, 点在 帯と 永久 凍土な しの 境界
線 は, カナダで は ほぼ 一 rc 線で
あるが, アラスカ 南部で は o。c «
に そってい る郎 分が 多い,
± が 凍る のに は. 冷たい 空気が 必
耍 なの は 云う まで もない が, 冬に は
地面 を S が蔽 うので, 気 ifi と 地面 S
K と は一 致しない,
精算 寒 度
土の 凍結の 進行と * さとの BB 係 を SR 的に 表現す る 方式と して, 凍結 深 Hem と 穑算寒 度 尸 C'days
(日购 気!& の 0°C 以下の 分 だけ を M 算 した 植) との 問に, H=Cj/F の Bflffi が 用いられ ている, この BB
fit は 積算 寒 度 lOOTC-days 位までの 季節 凍土 地? の 除 雷 された 地面に ついて 8 用され ている ので あるが,
永久 凍土 地带 においても, * 結の 厚さと 積) J* 度と は, 密接な M« が あるに S8 いない。 第 1 表の 右 m にモ
の 土地の 現在の 1 冬の «* 寒 度の 该を かかげた, 比 はの ため, 羊 » 凍 土裕の 北海道の 例 も かかげた が, 永
久凍 ± ^带が いかに 寒い かが 解る。
この « 算; * 度の ffi は, 気 ia からと つた ものな ので, 冬に 地面が 雷に k われる と, at 接 凍桔に 効く 髖には
ならない, 例えば, シベリアの ヤクーツク では, 冬の 精算 寒 度 5600'C . days, 年 平均 — 10°C である
が, 地下 10m の 地 fl は 一 4°C で一 年 を 通じて ほぼ 一定で ある。 従って, 年 平均の 地面 iSg がー4。 C とい
える。 土の » 結に 有効な の は 地 ffiifi 度で ある こと を すると, 有効な一 年 IHI の稹算 は W60°C.days
になる。 ヤクーツクの 永久 » 土の 厚さ は 200m である。 大昔から 同じ 気條が BS いたと して, 200m 凍 るの
に 要した 年 » を 計算す ると, H=Q/T の M 係から (C の 値 は 土 Jff, 水分 状況で II なる が, 2.5 から 5 の 間
である。 ヤクーツク では 大体 C の植が 4 位で ある) 17,000 年と いう ことになる。 ともかく 永久 凍土 は,
fPTS 年と いう 程度の 昔から 存在して いた ことになる。
» 水量
アラスカ • カナダ 北部に おける 年 30 降水量 分布 を 第 4 図に 示す。 北極海^の ッン ラ带 では, 150mm
»2 囟 北半球に おける 永久! * 土 分布 1 一連 ぼ 帯. 2 —不速
fitflf, 3 —点な flf, 文 iR15) による.
永久 》 土 ■ 査
第 I 表 *±o 厚さ t 年 平均 《ifl.
国
地 も
» 土の 厚さ
年 平均 *»
* 土 分布 状 S
ff 算寒度
Jarrow
N W
71° 157"
m
300 —400
"C
— 12.4
。C ■ days
'~J0
7
Prudoe Bay
70
148
650
メ
Umiat
69
152
320
—10
Kouebue
163
73
as— 7
„
Fairbanks
65
148
20—90
― 3.4
ポ
連 《
—700
力
65
165
37
― 3.3
"
-200
Chitina
61
180
28
在
*
Melville Island
75
110
450
,
A!
Resolute
95
390
„
6200
*
Tuktoyaktuk
69
133
330
— 10.7
„
4700
Aklavik
68
135
120
― 9.2
4400
Norman Wells
66
127
不
*
Dawson
139
60
二 4.7
3400
Yellowknife
63
114
60 — 90
- 5-5
„
3600
Aishtnik
62
138
15—30
一 4,2
2800
ダ
Uranium City
59
109
お
在
Churchill
30-60
一 7.2
3600
Thompson
一 3.9
在
128
640
ペル * ヤンス ク
68
134
250
6900
62
130
200
-10.1
5600
68
38
1.3"
n ほ
1000
0.7"
600
0.9"
750
0,6"
350
* ffi さ 30m の 地 31
** 冬期 M» 育した ところ
8 度, 内 IS の W 林 帯で 300~400mm. IS に 南に なって 不速» 帯になる と, SOO—eOOnm になり, W 林 も
ftfrK なる. シベリア では, 北 «海 摩の ッン ドラ 帯で 同じく 150mm 程度, ッン ドラ ■« 林の «界 (ベル
* ヤンス ク 付近) で felSOmm 程度, の ヤクーツク 付近で 200mm, 不 jg«ffi の イルクーツク 付近で
«0mm 位で, アラスカ • カナダに 比べて ^少ない。 B 本の 多雨 地帯で 3000mm を こす こと をお える
t, * 索に 少ない »* 量で ある。
*. 永久 * 土地 城の B 真 地形
永久 凍土の 表層 «B の 夏に IB け 冬に 凍る 活 » 屠に 起因して, 待» な いくつかの 地形が 見られる, それ は,
ビンゴ, 氷 構造 土, アラス, 集 » 氷で ある, これらに ついて 我々 が 謂 4 した 中から 8 介しょう。
ビンゴ (piiwo)
平らな 湿地 * の 中に ボッン と S り 上る 小 丘で ある, 丘の 内 筋に は 氷が つまって いる, 髙 さは fcra から
60m 位で ある。 カナダ 北 «S ^の マッケンジー デルタに はお 山の ビンゴが あり ビンゴ 公園と, W ばれて い
る, モ の 一W イブ ーク ビンゴ を 第 5図 に 示す • 海面からの K6 さは 48m である。 ビンゴ は ヱ スキモ 一B で H
* 形の 丘と いう; S 味で ある。 シベリア では ヤクート S でプ, レ ダニ ャルと 呼ばれる, 永久 » 土地 ffi に It く 分
布す る もので は あるが. どこに でも あると いう もので はない。 マッケン ジ一 デルタ, ユーコ ン州南 (B のァ
ラス 力と の 国 « 付近, シべ リ ァのャ クーツ ク 周辺に 特に 多い。
ビンゴの 成 S として, 土が 》 ると きに 凍結 線へ 未 凍土から 水が 吸 寄せられて * が 折 出す る, いわゆる 擦
上 現象が # えられて いる。 更に その a 式に m 式と 閉式 とが ある。 so 式と いうの i±, ビンゴ 下 ffl へ斜 a にモ
つて 流れる 地下水の «人 が あるとき, 又閉 式と いうの は, 地下 * の «A がない ときで ある。 tt» に 広く »
永久 I* 土 調査
いおが あった » 合に できる と豨 えられ
ている ♦ この ffl の 水の 熱容量の ため,
ffl の 下の ある 深 さまで は 冬で も » らな
いままで 不 aw (タ リク) を 形成し. そ
の 下に 永久 » 土 層が あつたの が, ある
ときより 5* い? us にお そわれて, ffl の
水が 凍り, 沼の k にある 不 * 雇 も 凍り
始めた。 この 不凍 層 は, 上下 前後 fee
の 四 ffl を! * 土で つつまれて しまう が,
s に 寒さが 《 くので, この 未 凍 ±«
分 は 次第にせば まって 行く。 水 を 含ん
だ 土が a [ると きの 凍 上で, 氷が 析出し
体 が 起り, 上 w へ 押し上げて 丘が
a 現す る。 このよう にして 内 as に
を もった 丘が できる と されて いる,
以上 は, 一つの 考え方で これの は なかなか 蒙し いが, マッケン ジ一 デルタに は, jft 近 数年 来 上 # を
« けて いる 小さな ビンゴ, いわば ビンゴの 赤ん坊が 》晃 され, モの 成長が »定 されて いる"), 又, 第 5B
の イブ ーク ビンゴに おける 表 IB 土 内の 木片 »K の "C 分析の 結果から, 1 万年 以 ffl に « り 上りが せ まつ ft
と 解 R されて いる11 ぶ), これらから ビンゴの 成因の »E も 近い;: とが 想» される,
又 北 くの 海 は 海水の 度が 一 l*C で, に は 0°C よりも 低い W± が 存在す る ことが 確かめ
られ ている"" が, 海底に ビン ゴの ある こ k も 最近 見つけ られ た""。
*樣 (ice wedge)
層 と 永久 J* 土との * 界面から 下に! Sf つて W 点 を 下に, 地中に »を 打ち こんだ 形の 氷の こ と である,
タク トャ クタ —クの 海岸に 露出す る 氷 S を 第 6 図に 示す。 上面の 幅 2m 位で 86 さは 10m 位で ある。 -ンべ
リアで は, ベルホヤンスク 近くの ャナ 河の 崖に, «» ra 高さ 40m 位の 氷模が »+ も 群 をな して 露出して
! R5 図 カナダ 北 マッケンジー デルタ O タク トャク
ターク (Tulctoyaktuk) から 南 «!B5.5kni にあ
る イブ ーク ビンゴ (Ibyuk pingo)
この 成因と して 次のお えが ある。 i ず 冬に 活 ft 層 力 ると, 活 ft 履 内の 上下の fiSS にもと ずく 熱 応力
が 生じ, «直な«れ 目が できる。 この « れ B の 先 * は 下 土 層の 內 «B にまで 入り こむ, 真に 活 » 履
: ,,-
、み, に .
) タク トャク タークの 南 BttSkm の 海岸に 露出す る *«.
) 氷模下 w から 氷 》 を *m している 所.
が it ける と. その » け 水が 先に 永久 凍土 履內 にで きていた 割れ目の 中に « れ こみ, ほ 囲の 寒さの ために at
つてし まう。 次の 冬に は 再ぴ活 ttS の 同じ 所に れ B がで き, 夏に は 又 前と ISI じこと &搡 返す, 畏年 にわ
たり. この ことが 繰 返されて 氷が 大きくな! 3, «*t になって 行く,
活動 8 に 出 * る 割れ目に ついては, 银 実 Ww) が あるが, 氷 8! の 成 S について は, ソ適 その他で 必ず
しも 上記の 抆 をと つてい ない。
構 3 土 (patterned ground)
地表面に 昆 られる 規則的 を 凹み ffiffi のく りかえ しで, 第 7 図 (a) に アラスカ 北 バロ一 における
円形 » 造 土の 拔子を 示す。 一つの 模 樣 の BttlOm で, 中央 ffi の S り 上り は 50cni である。 情 造 土 はッン ド
ラ ffi に 広く a られる もので. その ffiffi の 形 伏から, 円形 土, 網状 土, 多角形 土, Hf 段 土, 》 状 土の 5«B
に 分! E される211。
'― (Bartow) の 構造 ± 凹 SB における ボー リンゲ 状 iii.
(b) 地下 30~48cm から 採取 された 凍土 K 料. * の 薄い BB« が iRlIl & られ る.
このような 地表面に 出來る DD みは, さきに 氷锲 のとき に 述べた 割れ目と 同じ ものと 考えられる。 一つの
の 大きさ を决 める 割れ目と » りの 割れ F1 との mSR ぷ は. 活動 S 内の 上下の it 度 勾 と 次の M 係
にある。 ズ = r/^nG(D で. ここで r, n, G は それぞれ * 土の 剪断 強度, 線!! 張 係 », 剪 R 弾性率で
ある。 割れ B のでき 方が *W の 場合と 同じと すると. M 造 土の 凹 郎 の 下に は 氷 W 氷が ある ことになる, 事
実 第 7 図 (a) の パローの (B 造 ±ffil 部の ボー リンダから 地下 55cm より 下に 氷の ほが ある ことが 解った,
—方凸 おに は 氷の 雇が a られな かつ た。
アラス は シベリアの ヤクーツク 周辺に » 多く a られる 地形で, 帯の 中に ボッン と 開ける jims を 凹ん
だ 所で ある1"。 アラスが できる に は, まず 林が なくなって が 出来る ことで ある, 第 8H (a) はァラ
スの 始まりで, 6 月に 木 を 切って 裸 地に した 所 を 3 力 月 後の 9 月に 撮影した ものである。 今まで W 林に «
われて, K の fffl でも 深さ 50cm 位し か» けなかった 凍土が. 地面が g 接 ««; にさら された た *, MM が 2
m にも 及んだ" 今まで 活動 雇の 下の 永久 » 土 内に » けないで いた 氷が » け 地面 は lm ほど も ft 下した,
し, 地面に 円形 土 状の 凹みが できた, 凹みの ma (は ほぼ iom であつ た,
さきに 氷 « や 溝 造 土ので きる 原因 は, s 動 ほ 内の 割れ s である こと を 述べた が. この 初期の アラスに あ
動 層 内の fflffi 勾 e が 小さく, 割れ目が できる 可能性 はない, 然るに 円形 土 s ほが 潜在して いたと いう こと
永久 » 土 M 査
第 8 図 ァ
3 力 月 抑に « 地に なった 所で,
BU2 年 9 月 5 S 木 下
> iffS 数百 m の 皿 状に Pfl んだァ
ック) a a)
沈下し n 形 土が 出) (e た.
は, I の はこの * 所に « 林がなかった こと を 意味す る, ヤクーツク 周辺の タイガ は, カラ マツが 主体で 大
体 ioo^ から ax ^で 生え 変って いる- このような タイガが, 赠 どうして 出現した か 深い 間 B で
ヤクーツク 地方の 复 は 短 かく, 9 月に 人る と 気 s は o°c 以下に さがり, 再び 地表から 土が 凍り 始める。
しかし. 又翌 夏に は «« が 始まり, oa みの 下の 氷 を 更に M かす。 かくして一 s の tt 下が 起る。 毎年 この こ
と を » 返す うちに, Si 下 は 大体 10~20m で $着 く。 皿 状に M むと, 皿の MSS 面で も » 解が jg り, J!l の C さ
を « 方に 拡げて 広くな つて 行く。 第 80 (b) は, このよう にして 広さお 百 m になった アラスで. ャク
—ト まが 放 (Wte として S 用して いる。 大き いのは 直搔 10km にも 及ぶ もの も ある。 ヌ, の 凍土 内に
巨大な 埋蔵 氷が あり, 夏の M の WUW で 水が JS つて 湖 をな している もの も ある (第 11 図の スィル ダッハ 湖が
その w である),
海岸 や 湖岸の S に 露出して いる 巨大な 氷塊で, 通 ffi 地表面 下 2 — 5m から 下へ ほび て, 30m 位に も 及
», その 横の 広がり は ftlOm から 数 100m にも 及んで いる。 ~« を 第 9 図に 示す。 これ は タク トャ クタ 一
クの 南西 約 6km の? ((岸に 露出して いるもので ある, これ はたまた ま 海の R で されて 露出した もので
あるが, 地中に 埋れ たま まの 巨大な 氷 (埋蔵 »«* buried massive ice) も 多く されて いる. 現 住
エスキモー は;: れを 見つけて. この 中に 穴 を » り, 天然の 冷 IS* に 使用して いる,
集塊 氷の 成 H について, MACKAY" "は 凍 «
S への 移動 水の 氷 折 tti に よる ものと; ft えてい
る, 氷が 鉛^に 並ぶ 気泡の 列 を 含む ことと, m
晶 主軸が St 泡 列に ffil [である ことから 桔» して
いる。 いずれに しろ 地下 屎く 巨大な 氷の 塊が 存
在す る こ と は不思 |» な 現 ft である。
5. B 本に おける 永久 》 土
第 1 図 [こよる と, 日本に は 永久 凍土がない こ
とに なって いる。 しかし. 最近 北海道の 大 3 山
タク トャ クタ— クの 西 約 6km の 海岸に 系 "> や 富士山 項 付近 等 》 ""で 永久 凍土の 現存が
■ 出す 5 巨大な *. 集 »* (massive ice). 確かめられ ている, 又 の 氷 W 期に おける 永
久 凍土の 名残り t 者 えられる 地形 も见 つけられ ている1",
in. nmmm. 方法, 事 4
シベリア (招? 047 年 8 月)
主として 謂査 をした の は, 第 10 図に 示される ヤクーツク 市から 北 束 約 2S0km O スィ ルダッ (辺
である (N62'E131°>, スィル ダッ' 、湖 は 直径 4 km ほどの ほぼ 円形の 湖で, アラスで ある。 湖掸は 高さ
20m の 農で 西 まれ, 所々 に 地下 * が « 出して いる。 その 様子 を 第 11H (a) (b) 及び 本 S 口絵に 示す, ス
ィル ダッハ 湖 は, アラスに できた 水 ffl りで, その 水 » は Bfl 岸の S に 露出す る 地下 氷で ある。 この 氷が 夏に
» けて » 入す る だけで, 他に は 流入す る 川 も 流出す る 川
もない, 湖水 面からの 水の 蒸 » と 地下 * の 夏期の SM? に
よる 流入と が ほぼつ りあって, 現在で は 一定の 湖水 面 位
t 保って いる。 湖の 深さ は 6m である。 湖の 底 は 2~
5m ほど した 土で あるが, その 下 は 200m もの 厚
い 永久! « 土 力! « く。 ここ は, ダフ リア カラ マツ を 主体と
する 齡藥 《 林 寄で, 永久 a [土 連敏 香に 入る,
アラスカ 'カナダ; fc» (昍 和 年 6~7 月) « 生の特
微で 分け, 次の 地点 を 選んだ。
ッン ドラ 帯
パ b— (Barrow) …'アラスカ 北 g 海岸 (N 71"19'
W156s31') の 構造 土,
タク トャク ターク (Tuktoyalctuk)'-'- カナダ:
岸 (N 69°26' W133 つ') の ビンゴ, 氷 集 « 水, 構
リア ヤクーツク 市の 近く ス ^ ト
ィルダ 'ノ^湖 の 地図
■ 〜-^ flN^^B
! fill W
) スィル ダッハ 湖, 湖岸の 崖の 高さ 20m, その上の 《林》;« さ 10~15m.
) 湖谆に 地下 氷が)! 出して 》* している,
樹林 帯
フェアバンクス (Fairbanks) …-アラスカ 内睦 ftf (N 64°57' WH7°36'). 特に » 林 及び フェア パンク
ス 郊外の Fox にある トンネル 内の 地下 氷 を«4 した,
ィ ヌビク (Imivik) '…カナダ 北極海 岸から 内陸へ 100km, (N 68°22' W133°45').
ッン ドラ 行舉
レイン ディア デボ (Reindeer DepoO - ' ' . タク トャク タークと ィヌ ビクの HI の マッケンジー 河 East
永久 凍土 詞査 21
Channel 沿いの カリ ブー ヒル (Caribou Hill) に 在る。 (N68。40' W134。8')。
チャーチル (Churchill) …'カナダの ハドソン湾 岸, 僅か 10km の 間で 移行が みられる。 (N 58°46' W
94。4')。
2. II 查 方法
凍 ±0E
表層 土の 試枓 採取 を携 ffi 用 ボー リ ング 又は 押し こみ サン ブラー を 用いて 行なった。 採取した Kft に
ついて, その 層 溝 造と 土質 や 土色 を 観察した 後, 密度, 含水 比, 土 粒 比重, 粒度分布, 土中 水分の pH
や 戴 気 伝 荨度を 測定した。 又一 部 日本に 持ち帰り, 比 表面積 測定 や 熱 分析 を 行なった。 又, 試料 内に 含ま
れ ている 有機物に ついて,14 C 分析 を 行ない 年代 決定 をした。 氷 禊 や, 集塊 氷の ように 崖に 露出した 氷
や, 地下 トンネルの 壁に 露出した 氷に ついては, ハンマーで * 位の 大きさの 氷塊 を 削りと つた。 このよう
な 氷塊 や, ボーリングで 得られた 氷に ついては, 鉄板で こすりつけて »か す 方法で 薄片 を 作った。 この 薄
片を 拡大 接写 装置で 観察した。 又儸光 板に はさみ 結晶 溝 造 も 観察した。 又] B け 水の pH や 電気伝導 度 を
» 定 する一 方, 日本に 持ち帰り 180/i«0 の 測定 を 行なった。
«^ 班
««, 榭高, 密度 を 測定した。 雜型 年輪 計で 樹幹 を 買く 試料 を 採取したり, 榭 幹部から 厚さ 3cm
ほどの 円 板 を 切り出して 年輪 を 数え, 又 年輪 間の 間 H! から 成長過程 を «Wf した。
土«12) 物 班
直径 5cm の サン ブラーで 地面から 2cm, 2 cm から 5cm, 5 cm から 8cm の 3 層の 土 試料 を 各 H 査
点 ごとに 採取し, 土壤 動物 を 抽出した。
3. M 查 事項
凍 ±0E
(D 永久 凍土 地域の 特異 地形で ある ビンゴ や 構造 土 等に おける 表層 土の 物理化学 的 性質 ② 地形 観察, 土
試料 內に 含まれる 有機物 中の "C 分析 を 現地で 採取した 氷の) « け 水中の 》0/"0 分析から, 寒冷地 形 形成
についての 地史 考察 ③ 地下 氷, 氷 禊, 集塊 氷の 結晶 構造
«^ 班
® 永久 凍土 地域に おける 森林の 遷移 ② 南北 斜面に おける 土壤, 植生 及び 生長 It の 差 ③ 立地条件, 特
に 8 地, 乾燥地に おける 植生 及び 生長 It の 差
土 壊 動物 班
® 永久 凍土 地域に おける 土壤 動物 分類 ② 土中 水分 状況と 土 * 物 相 (D 現地の 気候と 各土壤 動物の 耐凍
性との M 速
練 含
以上の 調査結果から 永久 » [土 と 生物 環境 との 関連 を 考察す る。
シ ベリ ァの ヤクーツク 周辺 を 旅行す るのに は, ソ連 科学 アカデミーの 許可 を 必要と する。 許可 をう けた
人数, 日 » が 十分でなかった ので, 上記 諷査 項目のう ちの 若干に ついて 調査した にと どまった。 又, ァラ
スカ • カナダ 北部の 調査に おいても, 上記 調査 事項 を 完全に 辆羅 したわけ ではない。 更に 機会 を 得て 謂査
を 十分な ものにしたい。 ここで は, これまでの 調査で 得られた 結果の 概略 を 紹介す る。 詳しく は 文献 1—
H) を 参照され たい。
IV. 果の概 裏
1 . 表 暦 <9 の 断面
シべ リ ァの スィル ダッハ 湖 屑 辺1
(1) 湖岸に 露出す る 地下 氷の 溝 造 は, 一つ 一つの 結晶の 大きさが 1 mm 前後の 多 結晶 体で, 土 粒 や 気
一 21 —
22
木 下滅ー
泡 を 含んで いるが, 頓 著な 層 構造 は 見られなかった,
(2) 地下 氷の 用 りの 土 は シルト ff で, 度 1.4l~1.61gcm ,,^比 Id — 30?^ 土 « 【比重 2.36 —
2.49 であった, 土 粒 分, 水分, 空気 分の ««« 合 は, それぞれ w50~57%, 21-27%, 30 — 30% で, かなり
隨 間の 多い 土 ff である,
(3) 8 月 中旬に おける » 解 ほ の 厚さ は, 密林 lha 当り 15,000^: 位 内で 80 — 100am 粗 林 1 ha 当り
5,000^ 位) で 150cm, で 200cm であった,
アラスカ • カナダ: t 糠
(1) バローの 構造 土 (第 7 囡》 の 凹» では, 地表が スゲ で, 30«1は地下7 011 であつ 已 地下 10cm
位まで は * と シルト If 土と がま じり 合って, 比 は 37% であった, その 下 は シル卜 貧 土て ^Tktt: が 20~
30% であった。 43 — 48cm に 71%, 50- 55cm に 598% という 大きな 含水 比の ものが あり, f 第 7g (b) に
された 凍土 の を 示す. 簿ぃ 氷の 間 層 を 沢山 含んで いる 0 その 下 は 米に なって いた. 氷の 現
われる 55cm の 線 力; 1WB 層の »^ 值 といえる, 構造±£«は,地表が地衣で3«6線《«下8011 であった。
地下 10cm 位まで 根と シルト 質 土と がま じり 合って いて, その 下に シルト R 土が 41 くが, 30cm から 下に
なると, 有機 分の ビートが まじって いた。 大きさ 3mm ほどの む S もあった, 凸 部の 地 は 凹
邡ょ り も 50cm 高い。 従って, 凹» で 氷が 見つけられた 層の 55cm は, 凸部 では 地下 105cm の レベルに な
る。 し 力、 し, 氷 は 見つからなかった,
タク トャク タークの イブ ーク ビンゴ (第 5g) の 山 項 は, 地表が 凰 化した 薄片 状の 赤い 岩の かけらの よ
うな ものから なり, 含水 比 も 10%ggE と 小さく, さらさらの 感じで あつ/^ 地下 5 cm から 63cm まで,
岩石の 風化 效が 主で, 48cm 以下に シルト R 土 も 少し まじって いた。 有機 分 を 含まず, 含水 比 は 30~70%
であった。 63cm 力 1 ら 下に 氷が 見られた, 1mm 程度の を 含む 多 結晶 氷であった, JHg|| は 22cm で
あった。 イブ ーク ビンゴに おける 断面 観测 結果 を 第 12g に 示す。
山 項より 少し 下の クレーター 内で, 地表に 植生が なく 砂地 カ^ I 出して いる 所では, 138cm まで » どが q»
地で, 89cm から 下に 所々 に シルト 質 土が まじって いた。 含水 比 は 小さく, 上 » で 10% 以下, 下 » で 10~
29% であった。 138cm から 下 は 氷であった, 凍結 練 は 131cm で, 山 項より も 深い, これ は 山 項が 凰に さ
ら される のと, 放射 冷却 力 せいこと, 又 土の 含水 比が 大きい ことによ るので あろう。
クレーター 内に は 小さな 灌木 群 (高さ » 十 cm) が あるが, その 合間の では, 地下 20cm まで カ^
で, その 下 は 次第に 粒子が 編 かくな り, シルト 質 土から 粘土質 土にまで なった。 含水 比 は 20 — 30% であつ
た。 87cm から 下に 氷が 得られた • 第 130 に lll~118cm で 得られた 氷の K» を 示す • 抄層を 含んで いる
のが 見られる 》 凍結 線 は 70cm で, 同じく 山 項より は 深かった,
山薦の 地表が?? の 所では, 地下 40cm 位まで が, 极 まじりの シルト 質 土で 含水 比 は 60% 前後であった。
I* 結 線 は 41cm で, クレーター 内より は 浅かった。 土の 含水 比が 大きいた めであろう。 40 cm 以下 は ビー
ト まじりの シルト 質 土で, 70cm 位から 粘土質 力 ; 現われ/^ ビート まじりの ため 含水 比が 大きく 100% を こ
える 雇 もあった ■> 121cm まで K^Sft を 行なった が, ここから は 氷が 得られなかった。
タク トャク ターク ffl 辺に は 構造 土が たくさん 見られる が, 部落から 束 南 lkm の g で, 幅 11叫 凸 ffi と
Dfltt との 高さの; film の ものに ついて, その 凸 部で ボーリング を 行なった。 その 結果 を 第 14 図に 示す。 地
* は 小さな * 木 (« さ Rem) と 地衣で 蔽 われて いた。 地下 30cxn 位まで は シルト 質 土に 根が まじった も
のであった, 凍結 線 は 15cm と 非常に 浅かった。 30cm 力、 ら下は 異臭 を 伴な う 未 分解の ビートで, 含水 比
は 100% 以 j: で, 900% にも 達する ものが あった。 地下 100cm の 温度 は 一 7°C であった。 パローの 溝 造 土
れ邾 と M じく】 03cm 掘っても 氷 は 見られなかった。 又, 凹 部に は 水が たまり, 構造 土の 緣に そって 高さ 数
10cm の 灌木//' あった。
(2) ボーリングで 得られた 氷 や, 氷 禊 氷, 集塊 氷, トンネル 内の 埋蔵 氷から 採取した 氷に ついて, 薄
片を 作り, 結 * 構造 を 観察した。 数 cm 程度の 大きさの 単 結 品 もあった が, 飱 どが ひとつひとつの 結晶の
一 22 —
第 12 図 タク トャク タークの イブ ーク ビンゴに おける 断面 観測 結果.
大きさが l~5mm の 多 結晶 氷で, 気泡 や 砂粒 を 列 状に 含んで いた。
(3) »解« の 厚さ は, 地表の 植生 及び 土の 含水 比に 大きく 影響され る。 矮小な 植生が 地表に 密集して
いる ときには, » 解 層 は 高々 10cm であった。 植生が 疎な ときには 40cm にも 達した。 又 植生の ない とき
に は, 砂地で 22~131cm (土の 含水 比の 大きい ほど 薄い), 岩 地で 495cm であった。 榭 林内で も 地表面の
植生の 疎密の 度合で 65cm から 40cm まで 変った。 以上 は, 我々 の 観測 期間 (6 月下 旬一 7 月下 旬) 內の
データで あるから, K の 終り 8 月下 旬までに は, » 解 は 更に 進行す る ことであろう。
2. 地形の 発 連と 第 四 き 史 について1"
ビンゴ 及び ッン ドラ 構造 土に ついて, その 地形 発達 史を 考察し, 過去の 気 侯 変動 を 推 1» した。
バローに おける 構造 土 形成期
バローの 氷 禊と ッン ドラ 溝 造 土 は, 比 高 10 — 15m を もつ 海 成 面 上に よく 発達して いる。 この 海 成 面 は,
約 3 万年 前の ウィスコンシン 氷期 中に 生じた 海 進 時 (Woronzofian) の 堆積 面で ある。 構成 層 (パロー 層)
一 23 —
永久 凍土 謂査
28
TUK P1NG0 5-6 JULY 1974
(t) UATCR CONTENT
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on ooc^oo め C め^ o ひ
05W T 1
ィ ブ一 ク ビンゴの 頃上 タ レ一タ
—内 図の C 点) の 地下 111
-118cm から 取 出された 氷の
試料, 砂 B を 含む.
POLVGONE
3U4 図 タク トャ クタ一
9S m S otl S sE: .
の 《ffl 上凸 SB における
は シルト fc 砂の »a 履で, 海 iaas で » 化する につれ て
氷 » が 形 成 された と 思われる • 表層 «に» ぃ奠成 S が あ
る ことから, 8 化 後 暫く は 海浜 砂に 蔽 われて いて (砂 層
は fiyc 性が 乏しい ので) 氷澳は 形成され なかった と 思わ
れ る- その後, 10- 20m MB で 氷 禊が 形 fi£ された 桔 *,
地 ま 面に 構造 土が 出現した。 構造 土の 形成 年代 を, 表 S
土 S 料 内の 有機物の >*C 分析から 推定 したと ころ,
3,700±105B.P. 年 (Gak— 5434) であった。 氷 禊の 先
(8 の 伸 S 速度が 1—2 mm/year である ことから, パ D
—の 海 成 面 上の 氷澳と 構造 土 は, 約 1 万年 油 に は S に 形
成 通程 にあり, 約 3 千年 觔 に は ほぼ 現在の 状 ffi にあった
と # えられる,
タク トャ クタ一 ク における ビンゴと 永 W の 》 成 IB
イブ一 ク ビンゴで 表層 土の 層位学 的 SIS を 行なった 》
果, この ビンゴ は 12,000^ 前に 氷河が デルタ 地 W から 後
退した 後に 形成され たこと が 解った。 ビンゴの 表層 を 構
珐 する シルト 層 は, アウト ゥォッ シュ ©谁« 物で あつ
た。 この 時期に は, デルタの 中央 W に 氷河の が あつ
て, タク トャク タークで は 氷 fsi から 難れ て アウト ゥォッ
'ンュ が 堆積して いた。 その S 小規模な 海 進 と それに IB れ
て 生じた 陸地の 相対 »起 があって, 湖沼の 形成, 次に 湖
水 排出に よ る 再 》tt が 生 じ ビン ゴが 形成され
た。 一方, 珐 化した 地表面で は, 永換の 形成と
ッン ドラ 溝 造 土の 形成が «« して 行なわれた。
ffift 差の 露頭で, 氷模 と) ft® 土の 断面 し
たと ころ, MS 土の— 辺の 長さ は 20m で, *
模の下 (S までの S さは 6m に 速して いた, *
85 の闳 り の 地 履 は ビン ゴの » 合と 同じ 氷河の ァ
ゥ トウ ォ' ノシュ に 由来す る 泥 流 状 堆積物で あ
る。 このな かから ffi© した 木片 を "C 分析し
たと 二ろ, 9,980±140B-P. 年 (Gak — 5433)
が 得られた, 従って, この 氷 まと 情 造 土 は 1 万
年 M 以降に 形成され たものと * えれ る。 形成に
必要な 気 R 条件 は, シベリアでの 事 W と 比 R し
, 年^ 均 -
-io°c の 寒冷な 環境で ある こと 力 miss された。 このような k 果は, 北海道 各 » で
3. 表酈 土の 化学的 性 貧 特に »性* について11"
永久 凍土 地 城の 土の « 性 度に ついては, その 土の 構成 物質の fi» から, 次の 2 つの 考え方が ある, まず
構成 物 Sro— つで ある! S- 石の a 化生 成 物 (ケィ » 塩 について は. 鉱物 & 子 表面の ァ' レ カリ や アル 力
リ土 si イオンな どの 置換 ま 基の 流失が 少ない (年間 降水量が ゆない 上, 下層への 土中 水の 》a がない こと
から), そのた 》 土 は アルカリ性 を 示す。 この こと は, 《 物の 物 aw 作用に よる si* の 方が 土中 水の 化学的
永久 凍土 謂査
2S
作用 水^) によりも 大きい こと を 意味す る。 シベリアの ヤクーツク 周辺の カラ マツ 林の 土の 讀性度
を 測定した ところ, pH が^ 8.9 という 強い アルカリ性 土が あった w。
—方, 土の もう一 つの 構成要素 である 有機物に B8 して は 次の 考えが ある。 寒冷で ある ことと, 降水 H が
少ない にも拘らず, 排水が 悪いた め 低地に は 多 It の 水分が 含まれる ことのた め, 土 は 的になる。 従つ
て 生物 遣 体 を 分解す る土壤 微生物が 非常に 少なく, 有機物の 分解 再 結合が 不完全で, 土中の 無機 成分の 影
響 を かくして しまう ほどの 多 It の 腐植が 作られる。 この場合に は, 腐植の 中に 含まれて いる カルボ キシル
基 や フエ ノール 性 水酸基な ど を 有する 有機物に より, 土 は 一般に 酸性 を 示す。
以上の ことから, 永久 凍土 地域の 土の 度 は, 有機物の 含有 it によって 酸性から アルカリ性までの 広
い 範囲に わたって 変る ことが 予想され る。 従って, 土の 酸性 度 を 問題に する 場合に は, 土中に 含まれて いる
有機物の 量 を 飆 ベる 必要が ある。 そのため, pH の 測定に 並行して 示 差 熱 分析と 熱 天秤 分析 も 行なった。
ビンゴ 山 項の クレーター 部の 土 は, 一般に 含水 比が 小さく » 解 層 も 厚い。 ここで は 土 は全餍 にわた つて
アルカリ性 を 示した。 主として 無機物 質から なる 土で ある ことが 確かめられた。 有機 分の ビート を 含む 構
S± の 土に ついては, » 性 を 示した。 タク トャク タークの 構造 土凸 部の 地下 15 cm では, 含水 比 600% で,
有機物 を 74% 含み, pH は 3.5 であった。 一方, パローの 構造 土で は, 有機 分が 少なく, pH は 5 ~ 6 であ
つた。
4. 永久 « 土と 森林の 共存 M 係
中 緯度 地方なら 砂漠になる ほどの 少ない 降水 It であるに かかわらず, これが 活動 層 内に 蓄積され るた
め, 森林が 生育す る。 アラスカ • カナダ 北部で は, トウ ヒを 主体と し アメリカ カラ マツと St 葉 広葉樹 を ま
じえ る。 このような 常緣 針葉樹 を 主体と する 森林 は, ソ連で は 西 シベリアに みられる だけで, 束 シベリア
では 落葉 針葉樹の ダフ リア カラ マツが 極 相 林で ある。 そして 常 »tt 葉 樹は 川沿いの 湿った 所に しか 見られ
ない。
アラスカ 内睦 部で は, いったん 永久 凍土が 形成され ると, 排水が 恶く なって 水苔が 生育す る。 その 下に
未 分解の ビートが 堆積し, その 結果, 熱 は 地中に 伝わりに くくな り, 木の 生育 期間 中の 6 — 7 月に, 土 は
たかだか 5 — 10cm しか) » けない。 従って 大部分の 根 は ビート 層 や 地面 近くに 位置す る。 又, そこの 地沮
も 5 — 0°C である。 こうした 立地条件 では Black spruce が 極 相 林になる。 このように 永久 凍土が ある
と, * 水 不良 を もたらし, White spruce から Black spruce • 水苔 植生へ と 移行す る。
ィヌビ クは速 的な 永久 凍土 地域で あるが, 南 斜面 や 丘の 上 や 川岸で は White spruce を 主体と す る
林が 多い。 ここ は 活動 層が 厚く 排水 性が よいから である。 又, Black spruce の 湿地 林で も 山火事で 地表
面が 裸 地になる と, 活動 S が 深くな り, White spmce が 生育 できるようになる。 このような 永久 凍土と
森林 植生との 間に は 密接な 相互 M 係が ある。
ヤクーツクの ダフ リア カラ マツ 林内で も, ィヌビ クの南 斜面 や 川沿いの White spruce の 林内で も,
根が もっとも 多く 分布す る 地下 10cm の 部位の 生育 期の 地温 は ほぼ 5 °C であった。 いずれも 榭高は 10~
15m にすぎないが, これ は 支柱 根が 地中 深く 入れない ためで ある。
5. 土 壊 動物"
植物の 存在が 活動 層に おける 種々 の土壤 動物の 生育 を 可能に する。 永久 凍土 地 城 は 一般に 高 棒 度の ため
太 » からの 幅 射 は 少なく, 従って 植物に よる一 次 生産 It は 少ない が, 寒冷 過 湿の 土壤 条件の 下で は 微生物
による 分解 It が一 次 生産 量 を 下 まわり, 土壤 有機物の * 積が 起る。 特に 北極海 岸の ッン ドラ 帯で は, 年間
降水量が 僅 力 400mm 前後で は ある 力 礼 寒冷と 少ない 頼 射 « のた め, 蒸発が 殆どな く, 地表の ごく 薄い 層
が 水 を 多く 含んで, 夏の 問 は 常に じめじめと している。 ッン ドラ 带 では 微生物に よる 植物の 分解 を 高める
のに 役立つ 大形 節足動物 ゃミ ミズが 生存して いない 事実 も土壤 有機物の * 積 を 促進す る。
緯度が 高くなる につれ 生物の 種の 多 »tt が » 少 するとい う 事が, 種々 の 動植物 群で 明らかにされ てい
る。 土壤 動物 も 同 接に 高緯度 地域で は 種々 多 搽性は 少ない * 活動 餍內 での 短 かい 生 宵 期間 や 冬の 低温 等の
一 25 —
26 木 下滅ー
きびしい 自 件に 耐えて 世代 を統 けられる もの だけが 生存して いる。
地表面から 2cm までの 間に » どの 土 壞 動物 力せ まれて いた (80~90%)。 バローの 構 逸 土で は, lcm«
当り 34«6» され, その ラち トビ ムシ 頻カ M4%, 線 虫頻カ ^31%, ダニ 類が 19%, tWWR が 2%, ヒメ ミミ
ズ頻が 2%, 双 80R が 1.5%, クマ ムシ 頻 が^). 3% であった。 又 イプー ク ビンゴの クレーター 部分で は, 1
cm* 当り 91.5fl«8l され, そのうち トビ ムシ 顏力 "1%, 線 虫類 力; 31%, ダ-頻 が 26%,
貧毛頻 がめ. 6% であった。
文節 省 科学 研究費 補助金に よる シ ベリ ァ 及び アラスカ • カナダ 北部に おける 永久 凍土 調査の 実 にあた
つて は, 現地の 人々 に 大変お 世話になった。 それ は, ヤクーツクの 凍土 研究所, アラスカ 大学, タク トャ
ク タークの PCSP 基地, ィ ヌビク 研究所 及び カナダ NRC の 方々 で, ここに 厚く 感謝の 意 を 表する 次第
である。
文 默
1) 木 下 《—' 鈴 木義男 (1973) : シベリア ヤクーツクの 永久 凍土 屬査. 低温 科学, 物理 驚, 31, pp.
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2) 木 下滅ー • 酒 井 昭 (1974) : 永久 凍土 地带の 森林の 生態 的 特性. 日本 生態学 会 誌, 24, pp. 116-
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3) 酒并 昭 (1973) : ヤクーツク 地方の 森林の 生應的 特性. 低 诅 科学, 生物 篾, 31, pp. 49-66.
4) 酒 井 昭 (1973) : 極寒に 生きる 森 を 求めて. 科学 朝日, 3, pp. 131-134.
5) 山 本 敏 (1973) : シベリア 開発. 講 R 社 現代 新鲁, pp. 206.
6) 木 下 Ife — (1975) : 永久 凍土 圏 学術 屬査の 絵 説. アラスカ • カナダ 北部の 永久 凍土に おける 寒冷
地形 及び 生物 環境の 総合 属査. 昭和 49 年 6 ~ 7 月, pp. 1-32.
7) 木 下 《 — • 鈴 木 義 男 • 堀【】 n - 福 田 正 己 (1975) : 永久 凍土 表層 部の 断面 観測. アラスカ 'カナ
ダ 北部の 永久 凍土に おける 寒冷地 形 及び 生物 環境の 総合 調査. 昭和 49 年 6~7 月, pp. 33-61.
8) 酒 井 昭 • 吉田静 夫 (1975) : 永久 凍土 地帯に おける 森林 植生の 生據的 特微. アラスカ • カナダ 北
郎の 永久 凍土に おける 寒冷地 形 及び 生物 環境の 総合 謂査. 昭和 49 年 6~7 月, pp. 95^126.
9) 丹 野眛三 (1975) : 永久 凍土と 土壌 動物. アラスカ 'カナダ 北部の 永久 凍土に おける 寒冷地 形 及び
生物 環境の 総 台 鋼査. 昭和 49 年 6 ~ 7 月. pp. 127-143.
10) 堀 口 薰 (1975) : 永久 凍土 表層 土の 化学的 性質 特に 酸性 度に ついて. アラスカ' カナダ 北部の 永
久 凍土に おける 寒冷地 形 及び 生物 環境の 総合 調査. 昭和 49 年 6~7 月. pp. 85~94.
11) 福 田 正 己 (1975) : 永久 凍土 地 城の 地形 発逮と 第四紀 地史. アラスカ • カナダ 北部の 永久 凍土に お
ける 寒冷地 形 及び 生物 環境の 総合 調査. 昭和 49 年 6〜7 月, pp. 62-84.
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ring problems. US Geol. Surv. Spec. Rept., Strategic Eng. Study No. 62, 2 nd, 231 pp.
13) BROWN, R. J. E. and KUPSCH, W. O. (1974) : Permafrost terminology. Technical Memo-
randum No. Ill, National Research Council of Canada, NRCC, 19274, 62 pp.
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15) Me^bHHKOB, n. H. h Tojicthxhh, H. H. (1974) : 06mee MepajioTOBe^eHHe . H3Aaiejib-
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17) M0LLER, F. (1962) : Analysis of some stratigraphic observations and radiocarbon dates
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18) MACKAY, J. R. (1972) : Offshore permafrost and ground ice, Southern Beaufort Sea,
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19) SHEARER, J. M., MacNab, R. F., PELLETIER, B. R. and SMITH, T. B. (1971) : Sub-
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一 26 一
永久 凍土 詞査
27
21) WASHBURN, A. L. (1956) : Classification of patterned ground and review of suggested
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22) 木 下 誠一 (1968) : 永久 凍土の アラスと ビンゴ. 自然, 3, pp. 54-57.
23) MACKAY, J. R. (1973) : Problems in the origin of massive icy beds, AVestern Arctic, Ca-
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25) 藤 井理行 •« 口 敬 二 (1972) : 富士山の 永久 凍土. S 水, 34, pp. 173-186.
26) 十 勝 団体 研究会 (1973) : 北海道 十 勝 三股の 永久 凍土 層の "C 年代. 地球科学, Vol.27, pp.
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27) 小嗜 尚 (1974) : 凍結 • 融解 作用が つく る微 地形一 日本の 構造 土一. 科学, 44, pp. 708-712.
(1975 年 10 月 14 日 受理)
一 27 —
地学 緯坊 85, 1 (1976)
利 尻 島 に お け る 偏形樹 の 形成 要因 について
田 上 善 夫 *
Formation of Wind-«haped Trees in Rishirito-island, Hokkaido
Yoshio TAGAMI
Abstract
In the mountain district wind- shaped trees constitute typical climatic landscapes and
they are regarded as effective indicators of the winds. But, there are some disagree-
ments between the theories of their origin. The author attempts to clarify what agenci-
es act on wind-shaped trees.
Some investigations are made in Rishirito-island which has an isolated mountain in
the Hokkaido district and following facts are found. (A) The distribution of wind-
shaped deciduous broad-leaved trees, birches and alders etc., suggests that southwesterly
winds blow toward the mountain and become separate to its both sides (fig. 2). On the
other hand, the aistribution of wind-shaped evergreen conifers, white and silver fir, sug-
gests that winds diverge, and also blow into the coast and blow down on the mountain-
side (fig. 3). (B) On the Sea of Okhotsk temperature inversions in the lower layer oft-
en appear in Spring and Summer, and they affect the distribution of winds in Rishirito-
island significantly. In the period of stable stratification (May- August), generally,
southwesterly winds that blow against the mountain, diverge to its northwestern and
southeastern side. And the winds stagnate in the windward, blow through the both
siaes, and blow gently in the leeward. While in the period of unstable stratification
(October-March) , gnerally, the westerly strong winds blow on anywhere but the leeward
(fig. 5).
Then, examining characteristics of the distributions of winds that agree with the
distributions of wind-shaped trees, the author concluds that wind-shaped trees in
Rishirito-island are formed in the following way. In the case of deciduous broad-leav-
ed trees, they are deformed by the southwesterly winds that prevail in the period of
stable stratification. In the case of evergeen conifers, they are deformed by the same
southwesterly winds as in the former case, and in the limited area they are deformed
by the salt breezes that prevail in the period of unstable stratification. Hereafter it is
essential to find out another agency that formes wind-shaped trees.
I. はじめ に
気候 景観の一 つで ある 偏形榭 は, 風 を 示す 指標と して, 通常 観測 资 料の 少ない 地 城で, 詳細な 風の 分布
* 束 京都 立 大学 大学院 博士 踝裎 Department of Geography, Tokyo Metropolitan University
一 28 —
利 尻 » における fi 形 w の 形成, a について
29
を 推定す るた めに 用いられ ている, 特に 山 通に おいて は, 傷 形 W は 風の 分布 だけでなく, 艇に拌 なう 気 ま
!S 秦の 出現 状 », K に 影響 を まける K 現象の 原因 を も 明らかにする 手がかり となる。
ところで, 従来の K 研究に は, ffl 形 W が 示す 風の 出現 期 W. 出現 SB 度 等々 に BB する R 两に, 多くの 相違
ほが ある。 ffl 形 8) を 風の 指 » として 活用す るに は, さきに 小川 (1974) が S 摘して いるよう に, まず «e
K の 成因の 検时を * 密に 行なう 必要が ある。 彼 は 尾 顺ケ原 南 ほに おいて, 86 地点で 風 を 実 ffl し, 傷 形 W 分
びそれ に 伴な う 気 * 要 5R の 特性な どから, 偃 形 W の 成因 を 検討した。 いずれの 山地に おいても, 偏 胃 分
布と, 多数 地点で 実 ffl した 風の 分布と を 対比 十る ことから, 1H 形 81 の 成因に ついて, 十分な 分 折が 可 « と
なる。 もちろん, その 方法 をと るに は, S« 權 IS によって, 風の 分布, 出現 »« を 明らかにし 得る ことが
(B 提 となる, そのため, より 多くの 通常 ■ 特別 »fflSt 料が 得られ. また 地形の 風に 与える 影響の 把 g が容
易な 山地に おいて, より 有効に 但形 »t の 成因の 検时を S し 得よう。
本 » では. 利 尻 ft において 偏 形) #t 分布と 実測 風 分布 を 対比し, 傷 形の 形成 3S 因の 解明 を«* る * これ ま
でに, 矢 沢 (1953) により 伊 S 大 ft で, YOSHIMURA(1971), OKA (1972) により 富士山で 膨 W の 研究
お行なわれ, 山 体 を とりまく 風の 存在が 明らかにされ ている。 これらの 孤な » では, 各 気象 条件 下で 凰の
分布 は 比 « 的 な ため, それらと 偏 形 W 分布と は 対比 させ &ぃ, 利 尻 ft はまた. 海上に 位 匿す るた *,
上位 スケールの 状 »の» 妙な 差 おも, S の S の 分布に 反映され, 風 の 分布が fi 形 W 分布に一 致 する »
合 を哏定 する ことが 可能で ある。
II. 利 尻 烏の «■ と MX 方法
I. 地形 '幢 生 ■ ft 僕の 特色
利 尻 島 は, 北海道 本島 北部の 西方 海上に 位耋 する。 » の 海岸 》 は g さ 50km 余!) であるが, 北西 ー禽束
方向に やや 長い W 円形 を S する (第 1 図 >。 島の ほぼ 中央に 山 ほ を 持つ 利 尻 山 は. 円 維 状の 成層火山 であ
る, 山 体 は 高度4 00 m 付近で ほ斜が 変換し, 上部 は; &竣で M 析が 進み, 谷が 放射 状に 刻まれて いる。 こ
の 浸食に より 生じた 砂 》 は 山麓に 堆 » し, 扇状地が «邋 している, 特に, 島の 北西, 南西 **86— flf は,
その ffi 度 S 向の 出現 《度 およ
谷の 開口部から 海岸 付近まで, 起伏の 少ない 緩
傾斜の S 状 地面^ く。 しかし, 北西 節の 海岸
m. 西 M 斜面, 南部一 W の 岩 流 上に は,. ショ
レン ドームが 露出す る。 また 北 SB に は, 束 西に
ぃポン 山, べシ W などが, 南 SB に は 仙 法 志
ボン 山 や オタ ト' マ リ ボン 山 浦) などの 小 丘が
点在す るお 〉。
山麓で は, トト' マツ' ェゾ マツから なる « 木
帯が, 山 体 を 《 状に とりまいて いる。 束お, 南
西部 を S* くと, 海岸 付近に は, クマイ ザサ およ
ぴチシ マ ザサ, ォ オヨ モギ, ォ オイ タト' リ など
からなる 革 原が 広がる お), そこに は, ナナ 力
マド, ダケ カン バ などが « 在し, また 地に
は ト^ノ キ などが 列 吠に 分布し, 坷3 林 を 形成
mm 靄 査地城
80
田 上 善 夫
側で 大きい 镇 向が ある。 S 木箝 中には «!! 広葉樹 も 混 生して いる。 ダケ カンパ, ミヤ マハン ノキ など は,
» 木 状を呈 して 榭林 限界 上に も あらわれ, 矮生 化しつつ 項 上付 近にまで 逮 している。 偏形榭 は, 樹林 K 界
付近 や 山麓の 草原な どに, 広範に 見出す ことができる。
利 尻 島の 気候に は, シベリア 気団, オホーツク海 気団の 影響が 大きい。 月 平均 晴天 日数 は, 季節風の 吹
き 出す 11 月から 急滅 し, 12 月に は 最小 (5.0 日) となる 注 3)。 山麓での 初雪 は, 10 月 24—25 日頃. 終 雪 は 4
月 中旬で 注3), 根雪 は 12 月 上旬から 4 月 中旬まで 練く。 冬季の 月 平均 降水量 は 90mm 前後 注3) で 比较的 少な
い。 また, オホーツク海 気団の 影 * を 受ける 初夏に は 天気が 悪く, 7 月に は 晴天 日数 は 極小 (10.3 日) に
なる 注 3)。 沓形 における 旬 平均 最高, 最低 気温 を 札榥の ものと 比較す ると 注4), およそ 9 — 3 月に は 大差 は
無い が, 4 一 8 月に は沓 形が 各々 2 — 3 。C も 低く, 初夏に 昇 温が 著しく 妨げられる 傾向が ある。 榭 木の
開花 は, パッコ ャナギ は 4 月 中一 下旬, ス モモ, サ クラ, イタ ャカ エヂ, 沢 筋の ミヤ マハン ノキは 5 月下
旬で ある 注5)。
2. 僵形樹 の » 查と 気象 责 科お よび 特別 «;1H について
「風に よる 偏 形榭」 の 認定に は, 落葉 広葉樹の 場合, 梢の なびき を, 常緑 針葉樹の 場合, 榭 冠の 左右 非
対称 を 主たる 基準と し, 偏 形 方向 は, 風に 影響 を 受けた (風上 側の) 方向と した。 調 杏 は, 喬木の 密生
地, 急峻な 斜面 を 除いた 地域で 行なった。 草原 中に 散在す る 孤立 木の 場合, 一般に 偏 形が 明瞭で, 力、 つ 近
» の もの 同志 は 偏 形 方向に 大差が 無いた め, 一個 体の 測定値で その 地点の 偏 形 方向 を あらわした。 一方,
林緣 では, 偏 形が 顯 著な もの を 複数 本選び, それらの 偏 形 方向の 平均値 を その 地点の 代表 値と した。
お しど まり
現在, 風の 自記 観測が, ^泊 *沓 形 • 仙 法 志で 行なわれ ており, 鬼 脇で も 以前の 記録が 保存され ている
注7)。 山蓖 部の 風 を 明らかにする ために, 各々 の 2 年 問の 毎時の 風の 整理 表 を 使用した。 他の 気象 要素に
M して は, 沓形 • 仙 法 志の 甲種 観測所の 資料 を, また 島内の 風と より 上位 スケールの 気象 状態との 関係 を
明らかにする ために, およそ 40km 北東に 位置す る稚 内の 高層 気象観測 资料等 を 使用した。 また 利 尻 山頂
において, 1896 年 8 月, 1899 年 8 月の 各々 1 力 月間, 隔 時の 気象観測が 行なわれ ている 注8' 9)。
風の 実測 は, 主として 移動 観測に よるが, 観測 コース • 地点 を, 海岸線に 沿って, また 偏 形の 調 象
樹木に 隣接して 設け, ビラム 式 風向 風速計, あるいは^ ft 風速計 を 用いて 行なった。 観測 値の 同時性 を 確
K する ために, 一部の 場合を除き, 1 つの コース を連統 して 2 周し, 前後の 風の 分布の 差異 を, また 定点
および 観測所の 自記 記録から, 観測 時間 中の 風の 急変の 有無 を 検討した。 本論 文中で 示す 風の 分布図 は,
みな 同時性 を 確認した 場合の ものである。 また ここで は 時刻 補正 は 行なって いない。 その他, 気温' 湿
度 • 積雪 深に ついても, 随時 観測 を 行なった。
III. 僵形樹 の 分布
1. 落 X 広葉樹
諷査 対象 榭種 は, ダケ カンパ、 Betula Ermani") 力'、 最も 多く, 次いで ミヤ マハン ノキ (Ainus Maiim-
oxviczit) が 多い 注 10》。 偏 形の 形態 は, 榭 冠の 上半 部の 枝が 滑らかに 風下に なびく もの, 梢の みが 鋭く 風下
に 曲がる もの, また 榭 冠の 風上 側に は 枝が まばらな もの, 榭冠 全体が 風下 側に 傾く もの 等々 多搽 である。
樹林 限界より 上の 尾根 上 や, その 風上 側斜而 K 下で は 特に, 灌木 状の ダケ カン バ • ミヤ マハン ノキの 儸 形
が頓 著で ある。 それらに は, 梢が 枯死し, 生長 期に も^ 部 的に 着 葉し ない ものが 多数 ある。 ただし, 枯死
した 捎の偏 形 方向 は, 他の ものと 違いがない。 一般に このような 山地で は, 偏 形の 形態 は, 榭種ゃ 樹林 密
度の 差な どに よる 影響が 大きい。 しかし, 偏 形 方向に は それらに よる 違いが 認められな いため, 一括して
扱う ことにする。
« 葉 広葉樹の 偏 形 方向の 分布に は, 全体 的に 明瞭な 系統 性が みられる (第 2 図)。 すなわち, 利 尻 島の
中央 を 南西 一 北東 方向に 走る 軸 を 中心として みると, 偏 形 方向の 分布 は その 両側で 対称的で ある。 この こ
とから, 南西の 風が 山 体に あたり, その 两 側面へ 吹き 分かれ, さらに tt やかに 迂回して ゆく 状據が 想定 さ
一 30 —
図 》 葉 広葉樹の IB 形 方向の 分布
れる, ほ 形の 形態 は, 南西 R に対して 風上 脚の 地域よりも, むしろ 脚 面に あたる 地 K で 著しく. かつ »*
の IB 形 方向の ずれ も ffl 面で 小さい。 B 下側の 地 城で は, 塥 形 は tl めて 不明 W (である。 樹林 限界より 上で
は, 員 査カ' '尾根 付近に ffl られ るが, ^方向の 分布 は, 山)? の * 合と 大体 同 傑の 傾向 を 示して いる。 ま
た, ボン 山, 仙 法 志 ボン 山 S の 周辺で は, 風 はさら に 2 次 的に 吹き 分かれて いるよう である。
STfitJt 葉) « は, トド マツ (Abiei swfuiHnensh), ェゾ マツ を MS の 対 ft とした am,
S 種に は. 僱 形に 大きな 差 S はおめ られ ない, « 形の 形 1» は. 幹が 垂直で SLhffl の 枝が 欠損した, いわ ゆ
る-旗 型-の ものが 一 R 的で あるが. それ は ボン 山の 尾根 上 や, 南 郯 の 山 W などで 特に 明瞭で ある。 旗 翌
に) して. ft の » 上側に 小枝 を * す ものが あり, ま fcW の两 脚 面から 出た 枝が 風 下に 向かって わずかに
臂曲 する もの も. 沼浦两 辺に 少» みられる。 海岸 付近で は ffl 形が 著しい が, K 形の 形態 はや や S なる もの
(> ある, W えば 杏 形の 海岸線から 約 100m の 林 》 の 場合, «a は 剪定され たように ft 下側が 漸 高し, 次々
と W の 風下 俩 の 大技が 立ち上がって 上に 伸びて いる。 また 海 ^ から 山 はに 2km にわた つて 革 ^が« く大
» 铒辺に は 矮樹が 多ぐ 特定 方向に 限らず 》« が 著しい aia, それらの 場合, 偏 形 方向 は 定めに くい, さ
らに上 E の 僱 形 形 » の 特» を 部分的に 示す もの, また 折衷 型の もの も あり, 形 想の 分 S は 困難で ある。 こ
二で は, B 形の 程度に ついて, の 非対称の 度合いから, 1- 樹 冠が 若干 非 対 》■ 2. M 上侧の 技が 僅
3. 風上 脚の 枝が 欠 M, «3gi» に 分け, IB 形 方向と ともに 示した (第 3 図),
常 》 針 菜 W の 18 形 方向の 分布 は, 》 葉 広 *»f の S 合に 比 《S して 複維 である, しかし. ほ 地 的な 系 性お
32
!B3 図 *» 針 葉榭の (B 形 方向, 傷 形 « の 分 *
よび 》 葉 広 葉榭の 特微と 一お する 点 も みられる。 まず, K 泊から 北侧山 B (の 《*MB 界緯 にかけ て は, 006
方向 は 大体 南西 である, ffl 形 方向より 推定す ると. 南西の 風 は, ボン 山と その ft« の 本山との W の K» で
E 束し, ボン 山の 東西の 尾お に S 交す るよう に 向き を 変えつつ 吠き 上げ, 北 SMB 面に 吹き tt している ♦ »
林 》界 付近で は, fl 形 方向 は 谷 中で SB に 平行に, 尾 S 上で S 根に 直交す るよう に ずれる fi 向が ある, ま
fc 仙 法 志から にかけ ての 海岸 付近で は, S 形 方向 は 海岸線の 方向に 沿って 西寄りの ものが みられる,
1Tb ち 《 ,しな t,
SMS より 北の 海岸 付近 は, 雄忠志 内まで ほ 形 ffl が ほとんどない, これらの 地域 内の 偏 形 方向, 度
の 分布 は, sme 菜 樹の» ^とよく 似 ている。 次に, * 浜から 長 浜に かけての 西 w 海 # 付近で は, a» 方
向 は 北-西で ある。 咨 形の ^ 辺で は, 海岸 * りで 特に 但 形が 噴» である au)。 その (H 形 方向 は 大体 西 北 B で
»岸«と3« し, から 山 »S へ 向かう。 このような 傷 形 方向の 分布 は, 杏 形 付近に ほられる aw, なお
ある ことに, 西 8E の W 林 Elf 付近から, 南 8E の 山 簾に かけて, 但形 方向が 山 HI から 海岸に 向かう 方向
と する B 向が ある。 ただし, それらの ほ 形 方向 は, 》 形 W の 近辺の Rft 方向と は 必ずしも一 g する わ
けで はなく, また この 偏 形 方向 を 示す もの は, «^ 面 上に も みられる,
IV. 凰の 分布
1. 上層 凰と 地上 凰の 釅係
山地の 風の 分布に は. 下層 大気の 安定 度が 大きく 影 る ことがある siw 。利 尻 島で は, その 《Ji の w
色から. 两 者の BBffi に 考慮 を 払う 必要が ある,
— 32 —
« 尻 * における 《 形寶の 形成, B について 83
第 4 図 下層 逆 (E 出現 頻度の 年 変化 (《 內は 65 — 1974)
まず, 稚内 における 高層の 気 ifi 特異点から 逆 (E の 出現 ほ 向 を た (第 4 図), ここで は, 逆 は あ
る 特異点の 気 fi がその すぐ 下の 点の 気愠 より ft い » 合 とし, S5 度 10mb 毎に 旬刖 に, その 出現 を
算出した。 すると, 逆転の 出現 高度 は大 f*850mb 以下で, 21 時には 9 時より やや 低く, また 21 時の
« に は 接地 逆転と なること が ある。 これらの 下層 逆転の 出現 頻度 は, 9 時と 21 時で^ FS なる 力! 《 4 月 中
旬に &坩 し, 8 月下 旬に 急 « する。 また その 出現 率 は, 900mb の 風 向が 東寄りの ときには, その M3J の
大小に かかわらず, きわめて 高い. この 下 8 逆 (E は, 根 室で も 頻繁 に 出現し, 札 «■ 三 沢 '仙 台な ど, 才
* ーック 海に 近い 北 S 本で も みられる お 6)。
»S を ほらなければ, この 下 眉 逆転が 800mb 以下に 出現す る 頻度 は, 6 ■ 7 月に は 80% に 近い, その
B 響 は. 推 内の lOOOmb と 900mb の 気 ifi 差に も あらわれる。 すなわち, 気 差の 月 平^ « は, 逆 (E の ffiS
する 4 一 8 月に 小さく' 特に 5 — 7 月に は l'C 余りに 低下す る (第 lg), 下層 大気 は, 初 I には大 攻
定 な成驩 にある と 言える,
* に 下 B 大気の 状態と, 地 _h» の 分布との BB 係 を, 北 林 • 下 形 (1973) の » 摘した よどみ 城と M 速させ
て »« する。 ここで は 仙 法 志 を W に t り, その 速と 上 8 の K3S (稚内 MOmb の 風速) との 比 を, 仙 法 志
すると, 先 述のほ がより 小さい (著しい! ^に は 逆 (E する) とき ほど, 比 も 小さくなる ことが わ
かる (第 2«)。 これ は 実 B の 大気 中に おいても, 下層 大気が 安定な 成 層に あるときに, 奠上 W によ どみ
城が 形成され る こと を 示す ものである, 一方, 上層の *a は, 極端に おい (3m/S 以下), あるいは 31
い (20m/» 以上) 楼合を 除けば, 風速 比に 影響せ ず, また 赢速比 は, このように W 上 M になる 》 合に は,
0.5"0.6 位で ある (第 3g)。
Z- 安定 》 と 不安定 《 の 風の 分布の 差 興
科 尻 島の 良の 分布 を, 上 磨 (稚内 900mb) «を~» 風と して ftffl し, その 風向 別に s ら かにす る am,
これに は, VI. 1 で ©«时 に基づいて, 期閱を 凰の 分布が j» なる 5-8 月と 10-3 月の 2 期に 分け aw), 各
94
田 上 善 夫
第 I 表 lOOOmb と 900mb の 第 2 表 ifi 差と 地上/上 嗎の 第 3 表
月 平均 ftifl 差 (fi 內 1973; 平均 》 速 比 (仙 法 志 1973; • つ 平均 風 建 比 (tt 法 志 1973)
a
1
6.0
2
6.5
3
5.8
4
4.8
5
1.2
6
1.1
7
1.6
8
4.3
9
5.7
10
7.0
11
7.1
12
6.9
J が。 C)
ft 速 比
Wv
(ms)
風速 比
2.1
0.15
一 3
1.17
2.0 一一
1.1
0.17
4 一
0.56
1.0——
0.1
0.17
6 —
0.55
U.U —
U. 1 /
o
o —
y
1.0 —
1.9
0.30
10 —
11
0.62
2.0 —
2.9
0.29
12 —
13
0.55
3.0 —
3.9
0.29
14-
15
0.59
4.0-
4.9
0.51
16 —
17
0.57
5.0-
5.9
0.57
18-
19
0.56
6.0-
6.9
0.67
30-
0.40
7.0 —
7.9
0.81
8.0-
0.87
々の 利 尻 島 4 地点の 風 配 図 を 作成した 注 说。 ここで は その 2 期のう ち 前者 を 安定 期, 後者 を 不安定 期と 碎
ぶこ とに する (第 5 図)。 ただし これに は, 上層風 速が 5m/s 以下の: » 合, および 上 屑と 地上の 風に 著
しい シァ 一が あると 考えられる » 合, すなわち, 稚內 から 半径 100 km 以内に 低気圧の 中心お よび 前線が
ある 場合 を 除外して ある。 また 図示した 風 配 図 は, 各 期間 內で一 般 風向の 出現 頻度が 高い 場合の もので あ
る (第 4 表)。
安定 期に は, 風が 西のと きに, 沓 形と 仙 法 志の 最多 風向 は 向き 力5 正反対と なる。 一般 » が 南西の 湯
合に は, 風上に あたる 仙 法 志で は 風向が 乱れて 風速 力'、 小さい ことが 多い。 一 jR に, 海岸 付近に おいても,
(4,;US-SW 5.LS - WSW 6 LS - W (7: I S WXW
第 5 図 一般 風向 別 風 配 図
(1)-(3) …安定 期 (SS) (5-8 月)
(4) - (8) — * 不安定 期 (US) (10"3 月)
梨 子 地 • …地上 風速 5.0m/s 以上
一 34 一
«尻» における 傷 »«t の 形 «,B について
mi ft 一 « 風向 出現 «s(%)
900mb 1964.4-1966.3, 1972-1974)
; ii MW
) 移動) KifflMte — » 了 時刻, RiM 年月
Q Wd, Wv : « 内 900mb の 風向, 風 i* M -
» 内の lOOOmb t 900mb の 気 iBg B 時刻)
» 上側に はよ どみ 城が 形成され, M は 吹き 分か
れて等 SSK にぬ つて 山 体 を 迂回し, やがて B 下
ほで わずかに 収束す る, 杳形 では 地上 IKS が
5.0m/s 以上の 比 tt 的せ 風の 場合に 》 つても *
き 分かれ は 存《 してお! K 安定 期に は 海岸 綠に
直交して * き 込む «は, ほとんど 出 a しない こ
とがわ かる。
不安定 期に は, 各地 点と も一 般 風と a 向が一
おする。 凰上侧 でも 安定 期の « 合と 対照的に,
風が 海岸 » に 直交して 吹き込んで いる ♦ に
海岸 付近で は, 山 体の k 響 は ほとんど あらわれ
ない。 しかし, 一 jfeS が 北西のと きの 鬼 KS のよ
うに, 山 体の H 下側で は, 81 は 弱ま!), また 山
頃 を 若 千 迂回 してく るよう である,
3. 山 鐘の 凰の 分布
IV. 2 で g 観 的に 明らかにした 安定 期の 風の
分布の 特性 は, 同時) の 事 PI の それと ほぼ—
おし, « 々の » 合に おいて も成 りなつ もので あ
る (第 6 図 (a),(b>aa») 。すなわち, よどみ
城, 吹き 分かれな どが 気 温 差の 小さい ときに,
明 St に 形成され る。 一般 ia 向の » いは, その 特
性に ほとんど 影響し ないよう である,
(a),(b) の » 合 ,下層 逆転が 出現して いたが,
このような ときには, 明 》 な 天気 界が 形成 さ
れる。 すなわち, 風上 側に は その上 K が fflSft
百 m にある 層 雪に 伴な われた 露ない し 霧雨の
B 天 《 が, 》 下 侧には S —つない 好 が 形成
される, 天 «界 は 測 面の »M« 内に あるが, ft
日 w 同じ 位置に 持 a する こと も ある。 夜間の 場
合 (b) に は, 風下 側の 沓 形に 山頂の 方向から
弱い a が呔 いている。 これ は 風下 側 好天 域に お
ける 夜 M の 冷気 流の 下降 を 示して いると 考えら
れ る。 また, 利 尻 島 付近の 気庄親 度が 小さい と
きに は, 夜 W に 冷気 流が 全島で 発 速す る (第 6
図 (c))„ しかし, いずれの 地点で も 風力 は 1
程度に しかなら ない。 この ときには 天 ft 界は形
成されず, 全 ft で 暴 天で ある。
w に 問《 が ある 地 城で 重点的に 行なった。
!K»JBffl では, 不安定 期に は 地上 1 向 は" » 風向と 大体 一致す る (!B7 図 (
は (B 形
ボン 山 付近で も, 地
Cb) 22s 39m, leth^ 58n, 17th Aug.
Data: Wd 103°, Wv 7m,'s. J(M.2。C
16 th)
形 は 風向に ほとんど していない * ! « や 雲
理の 流れから みると, ボン 山の 山頂 付近で は 風
向が 南寄りの ときには, 風 は IBffiS: 越え 北侧斜
面へ 吹き 14 りる。 一方, »向 が 北寄りの ときに
は 風 は 尾根 を 越え, 南侧 斜面の 上 W では 凰 向
が 逆になる。 しかし, 尾 8 上の Jtffi が Wm/s
ffl 後でし この 補«« の Kffi は lm/a Sffi で
ある。 また. 安定) W における 银 M では, ボン 山
付近が一 » 風に *t し 利 山 の 風下 w に なる 》
合, 風 は 非常に 弱くなる が, これ は 山麓の 凰の
分布の 特性と 一致 する,
沓形阃 辺で t, 不安定 ffi に は 山麓 同接樹
界 付近で も, a 向 は 一 is 風向と ~gt する (第 7
図 (w)。 また, w 林 is 界 付近 を 吠き 上げる 風
は, 山 養に 比 (SL 臘 速が 小さい が, 一 》K 向が
m, または 北 * りの 場合に は, w 林 e 界 付近の
風速 は, 山麓の ものと 違わない, (b) の M の
BflB は, 3* い 南寄りの 風であった が, 海岸線 か
ら山 91 〜約 400m にわた つて, 》 幹の 1上« の
みが 濡れて いる 状 された。 当 S の 天 S
■sua など も考 « すると, これ は 海水の 飛沫の
付着に よるよう である, 一方, 安定 期に おける
概》0 では, この W 林 18 界 付近で も山覧 t isi»
に, 風向 は一 》風 の 如 W にか かわらず, 南南東
一 南に 集中す る。 ffl 林 ffi 界 付近で は, 凰に 山 体
の 管が 直接お ょぴ, また 下層 逆転の 出現 高度
以下で あるた め, 風 は 安定 期に は * 時 吠き 分か
れ ている と 考えられる,
K 泊から 杏 形に かけての 山舊 でも, K 泊と 杳
形の iliM でも, 不安定 期に は B 向 は —» 凰 向と
一 Sc する (第 7 図 (c))。 ただし, 樹林 ffl 界付
近で 斜面 を 吠き 上げる 風 は, が »少 する よ
うで ある, その 点 を 除けば, 不安定 W に は 鳳の
分布に 山 体の 影響 は, ほとんど あらわれない,
ffl 浦 周辺に おいても, 不安定 期に は, 凰 向 は
向 t~a する (第 7H (d)) 。この w にく
らべ 一 »S 向が 北 B し, この 地 SE が 山 体の 凰 下
*!) になった 》 合, 風下に なった » 合 等の 權測
結 * を 》 合する と, ■; 下 ffl に は, 不 に は
安定 W に lt« して, 》 小な お 農 域が 形成され
る, この 内に は, まれに 》 い 斜面 上界 風
15m/s, 60 6.2-C (09" 27th)
*JB* における 籲»« の 形成 賽 B について 3?
が あらわれ, つむじ asi 通過す る ことがある
mi\ 不安定 期に はこの saw においても)
a は «m されなかった が, 特に , 地表 fta©
がー i7.8°c まで 下降し, 強い «yft5S<E が
» 生した M にも, 斜面 上に 冷, » は あらわれ
ず, ほぼ 無 真に 近かった,
v. 德 b« の 形成 《 因の mi
前述した ように, 《棄 広 葉 w の 傷 形 方向の 分
布に は, き 分かれ- および 山 体の 側面で 僅
形:^ « 著で ある, などの 特徵が ある, それら
は, 安定) H における «■ の 分布の 特色. すな わ
ち, 風 は 吹き 分かれ, Si: によ どみ tfc M 面に
3MUS, 風下に 弱 M« が 形成され る, など 翼
の 分布 その ものの 持つ 特色と よ く 一もす る。
また 偏 形 方向から, 一《» 向 は 南西と 推定され
るが, この 南西 風 は 岡 じく 安定 期に おいて
ナる ものである。 この 》 葉 広葉樹の 儸形 方向 分
布と一 S する 安定 期の 風の 分布 を, 南西 M
ぶこと にす る。 しかし, ffl 形 方向の 分布
を, 風の 同時 観 88 の W (第 6H(a), 他 1W) と
! B7H(b) lSNM^ie"!^, 23ih Dec. 1
Data: Wd 257', Wv 12m/s. i
* 地上と 900mb の fllifl 差
4.3"C- (09* 23th)
に Ittt すると, (B 形 方向
と 実測 風向の 一 S の 程度 は.
地 城 毎に 差が ある, —ft の 8
S が K5 いのは, 2 W で 多少 具
なる が 各 M における flS の 31
■U まにあた つてい る,
さて, まず 南西 風 型が 実 15
に 出現した B 時 を 求める, 現
の自 ESW 観 SH を 行なつ
ている; R 泊 •: &形 *讪 法 志 3
地点の S 辺の 傷 形 方向 は それ
ぞ れ 南南西 一 西南西, 南 南
東 一 南南西, 西南西 一 西北西
の R 囲 内に ある。 各地 点で 各
々上記の 風向が 同時に 出現す
る, すなわち 南西 風 S の 出 8
する 時刻 を 抽出す る, それ は
1973 年の 栅合, W237 時 (B あつたが, それが 1
日に 3 時 M 以上 出現した 日の み を, 特に 南西 風
型 ags とする。 南西 出 》日» は, 月別に み
ると, 不安定 期に はなく, 安定 期お よび 移行 期
104 • 9 月に K られる ことが わかる (第 5 表),
また, 南西 風 型 出現 B は. 2,3 3違« する こ
!: が あり, 出現 時刻 は 夜 閬 よりも B 中に 多い,
次に, 南西 風 型 出現 日の, # 形 および 仙 法 志
における 各 気 * 要 * の 乎 均 植を, 年
の4年»1の同歴3のものと战する(第6表>。
ただし 気温に ついては, 者の 差 を 示して あ
る。 南西 K 型 出現 日に は, 平年に 比 (fi して, 最
ftfi 気 fl は 0.6"1.9°C 高 い。 これ は 南西
風の » に は, 利 尻 島 は» 太 付近に 中心 を 持つ 低
気圧の «« にあた る;: とが 多いた め, と 考えら
日 年 均 S3 は 必ずし *>» くない。 天 *
は, ギ 年に 比 R すると 暴 天の 出現 率が S5 いよう
である, 1mm W_h の 降水の ある 日の出 現 串
は, 平年と 差がない。
!09" "th) 利 尻 島に おける 落葉 広 葉 坩の匾 形の 形成!? E
は. 上記の 検 M により, は 初夏 を 中心とした 5- 8 月に 卓越す る 南西 風が その 主因で あると 考える。
また その Wffl 內に は, 樹木の M 葉 期が 含まれて いる, しかし, その 南西 R に拌 なう に は, 顕著な
W 色 は みられない,
B 7 fl (d) 07b56m— 12*22ffi, 2th Jan. 1974
Data: Wd 294°, Wv I3m/s, <W7.2°C
科 尻 * におけ S««W の 形成 KB につい'
第 5 表 月 鳳 SUSBft ひ 973)
Apr. M«y Jun Jul. Aug. Sept.^J."
第 6 表 南西 凰 型 出 % 曰 •
の 平均 *
二の! •* 曰
* 形 | 'fill 法 志
(出?!卩平牟^出?!バ!?年)
2- 樹
常 ほ 針 *)» の (B 形 方向の 分布 は複綠 であるが,
碌地 内に K れば 》 の 分布と 対比す る こ と がで き
る, まず, 1H 形 方向 大体 ft 西で ある K 泊 《a で
あるが. 風の 分布の 特性 を 31* すると, この 偏
形 方向と 一S する 風が 出現す るの は, 安定) H に は
一 》 風向が ま 西一 西のと きで ある。 それ は, 1»1
広 *»の《 形の 検时の 》 にもみ たように, 出現 《
度が 高い, 一方, 《 形 方向と一 S: する S は, 不安
S 期に は一 ft 風向が 南西の 場合で あるが, その 出
g 頻度 は 低い, 次に 但 形 方向が ほぼ 西で, また 海
掸 付近に おいて は, その 偏 形 方向が 海岸線に 窗交
十る 唯一 の 地《 にあた る * 形 周辺で ある, この 鲴
形 方向と一 おする, すなわち. 海から 海岸線に jK
交して 吹き込む 風 は, 安定) H に は ほとんど 出現し
ない, こ n 臭が 出現す るの は, 不安定 » において
ー» 風が 西 一西北西の ときで ある, また 不安定 W
に は その 風の 出現 « 度 は K い。 このように, 駕泊
および S 形 ffl 辺で は, 偏 形 方向と一 B: する 風の 出
現が 特定 期 M に 集中す る。 そのため, 各々 の 期 m
の 卓《11 は 優形の 形成 と 深い SB 速 を 持つ ものと 考
えられる. ここで は. 安定 期の 卓 tfi 風向と. S 形
方向が 一 g する 偏 形 W について 南西 不安定 W
の 卓《11 向と, 值 形 方向が 一お する 偏 形 w につい
て 西 型, と Bf ぶこと にす る,
次に, 南西 型, 西 2! の «形« を 抽出す る (第 8
図)。 ただし, 各地 点の 两) H の 卓 tt 風向 は, 実 «
風の 分布の 特性 や 落 * 広 葉 » の ほ 形 方向 か ら 推定
し, その 方向と ffl 形 方向との ずれが 22.5° 以下の
ものに ついて, 抽出した, 南西 ® は ft の 北 «ゃ«!
«W に * く, 南西 « や *K に 少ない。 この 分布 »
性 は, 南西 風 塑 の 強 11«の 分布と 一致 +る。 一
方, 西 5! は ft の 西 W と 南東 郎に 多い, しかし, こ
れら のうちから, 同時に 南西 5! を も 示す もの を 除
くと, 西 ® がさ ffl する の は 西 節に 限られる。 特に
海岸 付近に 西 型 は 多い。 ところで 前述の ように'
«® の *@ 付近で は, 《 幹に 》 水の 飛沫が 観察され る ことが ある。 不安定 期 卓 tt 風に 拌 なって 塩分が もた
& されるなら, 同期 は 寒 ft であるた め, 付着した S 分 は 洗浄され ず « 木に 影響 を 与える と考えられる。 西
B ほ, 不安定 期 卓 《員 の 》± にあた るた め, 局地的に 塩赢を 被り やすい, 一方, 南 束 》 は 卓 S 凰の 風下に あ
たり, ^域よりも むしろ M はおく, この 地 《 の もの は, みかけ 上 西 型を 示す に過ぎないと 考えられる •
上記の 核时 S: 通して, 筆者 は 利 尻 A における 常 » 針葉樹の 偏 形の 形成 要因 は. 安定 期の 卓 ttil ならびに
葉樹の IB 形 方向 型の 分布
40
田 上 善 夫
不安定 期の 局地的^ a であると 考える。 しかし, その 两 者からで は 説明され ない 傷 形樹も 多数 ある。 それ
らに 該当する 風の 分布 «Mt は みられない が, の検时 を 付記したい。
南西 型 • 西 型 以外の 倔 形樹に は, 山頂から 海岸に 向かう 方向, すなわち 吹き 降ろす 風 を 示す 傾向が B め
ちれる。 特別 観測で は, 夜間に 放射 状に 山麓 を 下降す る 冷気 流が 2 例 出現した。 しかし, いずれの 場合に
も, 風力 は 1 程度で ある。 利 尻 * では 常時 風が 強く, また 山 体の 規模が 小さいた め, 冷気 流は儸 形に 影響
する ほどに は 発達 しないと 考えられる。 一方, 偏 形樹の 示す 吹き 降ろす 風, 特に は, 自記 s« 観測に も
現われない。 しかし, その 観測地点 はいずれ も 山頂から 7 ~ 8km 離れた 海岸 付近に あり, また 特別 観測
は 回数が 限られる ため, 山腹の 風に は 不明な 点が 残されて いる。 すなわち, 山腹に は 局地的に 吹き 降ろす
»風 が 出現す る 可能性が あり ^22), 傷 形樹は その 風 を 示す ものと 推定す る。 なお, 風 以外の 要因と して,
このような 偏 形 方向に 影響 を およぼす 可能性 を 持つ ものに は, aw の 移動が あげられる。 しかし. これら
の 傷 形樹に » 接して, 積署 深の 測定 を 多 雪 期に 随 所で 行なった が, 樹林 限界 付近 は 積雪 深 は 特に 小さく,
大体 0.5m に满 たない。 また, 偏 形樹の 周辺の 傾斜 方向, 傾斜度, 偏 形 方向と 根元 付近の 枝 を 欠く 方向の
ずれな どから みても, 偏 形 に 積雪の 移動 は 影響 していない。
VI. お わ リ に
本論で は, 既存の, および 今回の 観測に より 得た 風の 资 料から, 利 尻 島で は 期間に よって 風の 分布, 出
現 頻度が 大きく 異なる こと を 明らかにし, さらに 風の 分布と 傷 形 方向の 分布との 対応 関係から, 偏 形榭の
形成 要因 を 検討した。 その 結果 は 以下のと うりで ある。
落葉 広 菜 榭の偏 形 方向の 分布に は, 吹き 分かれ, 一般 方向が 南西, などの 特色が ある。 » の 分布と 対比
すると, これらの 偏 形の 形成 要因 は, 安定 期 (5~8 月) の 卓越風で あると 考えられる。 しかし, その 吹
走 時には 顕著な 天候の 特色 は 見られない。 天候との 関連に ついては, 今後 更に 厳密な 方法で 検討す る 必要
炉 ある。
常緑 針 菜 榭の偏 形 方向の 分布に は, 局地的に 南西 寄り, 西寄りの 風 を 示す ものが みられる。 風の 分布と
対比し, また 偏 形 方向の 分布の 特色 を検 射す ると, 形成 要因に は, 安定 期 (5~8 月) の 卓越 », および
不安定 期 (10~3 月) の 局地的 塩 風が 考えられる。 しかし, その他の 山頂から 海岸に 向かう 方向 を 示す 倔
形樹に は, 対応す る 風の 分布 特性 は みられない。 それに 該当すると 推定した, 山腹 を 吹き 降ろす » 風の 出
現の 可能性 を 含めて, それらの 偏 形樹の 形成 要因の 検討 は, 今後に 残されて いる。
謝 辞
本 研究に 終始 御 指導 を 賜った, 都立 大学の 矢 沢大ニ 教授, 前岛 郁雄 助教授に 厚く 御礼 申し上げます。 多
くの 御 教示, 御 助宫等 をいた だいた, 東京大学の 小川 肇氏, 北海道 林業 試驗 場の 紊藤 新一 郎氏, 稚内 地方
気象台の 成 田《 昶氏, 都立 大学の 青山 高義 助手, 気候 コロ キゥム および 寒冷地 形 淡 話 会の 賭 兄, 観測に 御
協力いた だいた, 都立 大学の 石 田栄三 氏, 高 井 鍵 雄 氏, 遠山 喜 重 氏, 林 和 広 氏, 明治 大学の 荒 牧美枝 子
さん, 塩 野 崎^ 子さん, 千 葉 大学の 湾口 正 三 氏, 貪 重な 資料 を 提供され た, 稚内 開発 建 股 部 沓形港 修築 事
業 所, 東 利 尻 町役場, 利 尻 高校, 稚內^ 林 》 など 閱係賭 機閣の 各位, および, 調 杏に 際し 多くの 御 配慮 を
いただいた 方々 に 対し, 深く 謝意 を 表します。
注お よび 参考文献
1) 松 井, 他 (1967) によれば, 北部の 小 丘の いくつか は, 利 尻 火山 形成 以前の 熔岩 円頂 丘 辟で, ま
た 南部の もの は, 利 尻 火山 形成 以後の 寄生火山 裤 である.
2) これらの 分布の 概要 は, すでに 川上 (1900) による 植生図に も 見る ことができる. また 舘膝 (1941)
は, * 泊 -沓形 間, 仙 法 志-鬼 脑閒の 山 驚に 針葉樹 林が みられない ことにつ いて, 山火事 跡地で あ
るた め, と している.
3) 佐々 木 (1962) による.
— 40 一
利 尻 島に おける 僂 形樹の 形成 荽因 について
41
4) 1971-1973 年の 平均
5) 利 尻 小学校の ェ 藤光倌 氏の 鬼 腺 周辺での 謂査 による.
7) いずれも 稚内 W 発 建 83: 部に より, 各 港の 修築 事業に » して 行なわれ ている。 現在 は, エア 口べ 一
ンが 使用され ている.
8) 北海道 庁 (1896).
9) 北海道 庁 (1900).
10) 他に, シ ラカン ノく {Betula platyphylla var. japonica) , ケャ マノ、 ンノキ Air^^fl), ィ
タヤ カェデ \Acer Mono) , キノ、 グ (Pheliodend ron amurense) , ナナ 力 マ ド (^Sorbus comm*
ixtd) , ナガ パャ ナギ (Saiix sachalinensis) , ドロ ノキ (JPopulus Maximowiczii) , ハリ ギリ
^alopanax pictus) , ャ マグヮ (Mort/s bombycis) , ミズ ナラ (Qu^ra" mongolica var.
grosseserrata ) など.
11) 冬季に 積 雷 下に ある ハイ マツ, 落葉 性の カラ マツな ど は, 他の 常緑 針葉樹と 偏 形の 成因が 異なる
可 徒 性が あるた め, 除外した.
12) それらに は, Oka (1972) が 富士山の カラ マツの 僞形樹 に ® めた 樹幹の "赤化" にあた ると 考え
られ る, 雷 面 付近の ある 方向の 変色 状據が みられる. ここで は その 方向 もまた, ばらつきが 大き
く なって いる.
13) 斉藤, 他 (1974b) の沓形 防風 林 城の 解析に よれば, その トド マツ. ヱゾ マツ 林 分 は, 林齡 90»
130 年の 一斉 林 タイプで あり, 林 分の 高さ は, 厲 上部 (海 寄り) で 6- 10m, 風下 部で 11 - 13m で
ある.
14) 斉藤, 他 (1974a) によれば, 利 尻 島 西南 半 部の 屋敷 林の 構成 は, 西側 ほど 質量が 贫 弱で, 南 か
ら 東へ ゆく とそれ が ft 富になる 傾向が ある. それに は 周囲の 森林の 有無お よび 卓越風との 閣 係が
指摘され ている.
15) 北 林 ,下 形 (1973) の 風 涧実驗 によれば, 大気が 強い 安定 成 暦 を 為す 場合, 山の 前面で は 気 塊 は
山の 斜面 を 登り 得ず, そこによ どみ 領域が 形成され る.
16) 千島 (1965) によれば, 北海道 北東 部で は, オホーツク海 高気圧に 伴な つて, 春 一 夏に 頃 著な 下
層 逆転が 出現す る.
17) —般に 上層風と 地上 風に は, 季節 や 前線の 影響な どに よる ずれが ある. 利 尻 島の 場合, 地形の 影
響が 加わって 風向に 局地的な 差異が 生じる ため, 两 者の 関係 は 明らかに できない. しかし, 稚內
一利 尻 島 間の 距離 や, 用 辺の 地形から みて, 利 尻 島 付近の 地上の 一般 風向 は, 稚 内の 900mb 風
向と 一 «: に 近似す る ものと 判断した.
18) 4 月 • 9 月 は 同じ一 般 風に 対し, 地上 風の 変動が 大きい.
19) 地上の 風向 • 風速の 资料 は, « 泊 (1973-1974), 沓形 および 仙 法 志 (1972-1973), 鬼 脇 (1964.4
-1966.3) の 毎日 9 時, 21 時の ものである.
20) 第 6 図お よび 第 7 図に は, 移動 観測の 開始 • 終了 時刻と 稚内 900mb の 風向 • 風速, lOOmb と 900
mb の 気温 差 を 付記した.
21) 佐 藤 .恩 田 (1974) の 風 涧実驗 でも, 垂直 方向に 風速の 勾 E を 持つ 気流 は, 円錐の 側面に 沿って
流れ, 風下 側に 弱い 上昇 流 を 形成し, また 風下 寄りのと ころに は 非 定常 的に 沸が 出現して いる.
22) ただし, 利 尻 島の 海岸 付近で は, 強風 時に も 風下 側の 海上 だけに 「あぶみ」 と 呼ばれる 波の 静か
な 海域が 形成され ると いわれる.
小川 肇 (1974) : 尾瀕ケ 原南稜 における 風に よる 偏 形榭の 成因お よび その 分布の 示す 意味に ついて一
その 総 観 気候学 的 方法に よる 検討一. 地理 評, 47, 437-461.
川上 濂弥 (1900) : 北 見 国利 尻 島に おける 植物 分布の 状慷. 植物学 雑誌, 14, 77-83, 99-112.
北 林 興 二' 下 形 茂 雄 (1973) : 山の 上流 側に おける よどみ 領域の 発生に ついて. 天気, 20, 141-145.
斎 藤 新ー郞 '小 原義 昭 • ft 田佾明 (1974a) : 利 尻 島 西南 半 部の 屋敷 林に ついて. 日 林 北支 講集, 23,
74-78.
紊藤新 一郎. 小 原義 昭 • ft 田 倫 明 (1974b) : 利 尻島沓 形の 防風 林に ついて. 口 林 北支 講集, 23,79-
83.
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一 41 一
42
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and significance as a climatic indicator. Climatol. Notes, Hosei Univ" 12, 1-52.
(1975 年 10 月 14 日 受理)
一 4 ム ―
地学 雑珐 85, 1 (1976)
東亜 地質 鉱産誌 編集 委員会 (その 4, 5, 6)*
坂 本 唆 雄
Compilation Committee for Geology and
Mineral Resources of the Far East
Abstract
The work of the Compilation Committee was inaugurated early in 1950 under the
auspices of the Tokyo Geographical Society. lhe work which has continued for 25
years was recently completed in June 1975. The data for the compilation were con-
tributed by the geologists who had been engaged personally in investigations in geology
and mineral resources on the Continent and Taiwan, before the end of the war. The
number of contributors reached about 200.
The main books and maps published by the Committee are itemized below :
Geology and Mineral Resources of the Far East (in Japanese)
60 sets Vols. 1, 2 & 3 1991 p 1952 ;
Geologic Maps of the Far East, 1/250,000 (in English)
196 sets 127 sheets/set 1954-1960 ;
Geology and Mineral Resources of the Far East (in English)
600 sets Vols. 1, 2 & 3 1385 p 1967-1971.
In April 1975, a total of 391 volumes of the Geology and Mineral Resources of the
Far East were mailed to 274 universities and organizations in 86 different countries of
the world, as a gift from the Committee. 140 have reported and acknowledged the re-
ceipt of the gift.
We very sincerely acknowledge the assistance accorded the Committee throughout
the years by different institutions such as the Ministry of Education, the various uni-
versities, the National Science Museum, Geological Surveys both of Japan and the
United States of America, and the University of Tokyo Press. The U.S. Geological
Survey, through their former Tokyo Branch, very generously helped the Committee,
especially in color printing the geologic sheet maps.
In accomplishing the Committee's work for distribution of the above publications,
we hereby cordially thank again all the institutions which helped promote the project
as well as all of the collaborators for their contribution of unpublished materials for
compilation.
Tsutomu Ogura, Sendai
Chairman of the Committee
October, 1975
* その 1, 2, 3 東京 地学 協会 90 年史 地学 雑誌 78 卷 3 号 153-175 参照.
一 43 —
44
坂 本峻雄
Addressees of the Geology and Mineral Resources of the Far East. A tolal of the
receipt cards returned from countries italicized was 140 by February 1st. 1951.
Asia 34
Bangladesh, Burma, China (continent and Taiwan) , Cyprus, Hongkong, Indonesia,
India, Iran Iraq, Israel, Korea (North and South) , Kuweit, Laos, Malaysia (East and
West) , Mongolia, Pakistan, Saudi Arabia, Singapore, Sri Lanka, Thailand, Turky, Viet
Nam (Saigon, Hanoi) , U.S.S.R. (Siberia, Far East, Kazakhstan, Uzubekhstan)
Oceania 7
Australia {Canberra 9 A.C.r.f New South Wales, Queensland, South Australia, Tasmania,
Victoria, Western Australia), New Caledonia, New Zealand.
Europe 63
Albany, Austria, Belgium Britain, Bulgaria, Czechoslovakia , Denmark^ Finland, France,
Germany, East and West, Greece, Hungary, Iceland, Ireland, Italy, Luxemburg, Nethe-
rlands Norway, Poland, Portugal, Roumania, Spain, Sweden, Swiss, Yugoslavia, U.S.
S.R, (Leningrad, Moscow, Estonia, Ukraina)
Africa 8
Algeria 9 Ethiopia, Ghana, Madagascar, Morocco, Mogamotquet Nigeria, Senegal South
Ajrtca, Sudan, Tanzania, Tunisia, Uganda, United Arab Republic, Zambia.
North America 17
レ anach, United States of America (Alaska, Arizona, California, Colorado, Connecticut,
District of Columbia, Hawaii, Illinois, Iowa, Kansas, Louisiana, Maryland, Mas-
sachusetts, Michigan, Minnesota, New Jersey, New York, Ohio, Oklahoma, Texas, Vir-
ginia, Wisconsin)
South America 11
Argentina, Bolivia, Brasil , Chili, Colombia, Costa Rica, Cuba, El Salvador, Equador,
Guatemala, Jamaica, Mexico, Peru, Uruguary, Venezuela.
その 4 頒布 事業の 継続 ィーホ (昭和 44 年 一昭 和 49 年)
その 5 海外 拡大 寄贈 計画と 委員会 解 »: ィ 一二 (昭和 49 年 一昭 和 50 年 6 月)
その 6 経理 ィーハ (昭和 43 年 一昭 和 50 年 7 月)
別 表
ィ. 英文 鉱 雑誌 Vol.1 — Vol. 3 目次
口 . 東亜 地質 鉱産誌 編集 委員会 年次 別事 業 経過 概要 一 K 表
その 4 頒布 事業の 継铳
ィ. 英文 ttKB 刊行の 継 練 (昭 44- 昭 46)
5 vol. 2 の 原稿 決定 (90 年史 p. 164)
Korea 9 篇, Manchuria 6 篇, China 2 篇, 地名 1 篇
13 vol. 2 の 3 校 を 著者に 送る。
一 44 一
東亜 地 貧鉱 集 委員会 (その 4, 5, 6)
45
9. 22 印刷 代 250 万円のう ち 半金 (125 万円) を 東大 出版 会へ 振込み。
BB45. 1. 13 44. 12 vol. 2 印刷 600 部 完了, 500 部 委員会 買 取り, 1 畴献 本な ど vol. 1 に 準ずる。
» 文 JB 目 は卷末 別表の 通り。
1. 24 vol. 3 の 刊行 は 予定の 通り 進める ことに 決定。 原稿 を 次回 委員会に 持ちよ る こと。
2. 26 vol. 2 印刷 代金 125 万円のう ち 100 万円 を 出版 会へ « ^み。
4. 24 同 最終回 分 25 万円 を 同じく 振込み。
4. 28 地質図 セット は 北満 「 雅 魯」, 朝鮮 「済 州 *J 2 枚 欠と して あと 3 セット だけで きる。
8. 7 vol. 3 餘文侯 補 次の 通り :
Korea and Manchuria 12|| 299 頁
N. China, S. China, Taiwan 9〃 265〃
地 名 1,/
BB46. 3. 5 vol.3 印刷 代金 第 1 回 分 50 万円 出版 会へ 振込み。
3 . 20 第 1 回皇家 飯店 委員会 (委員 : 小 林, 尾 崎, 植村, 立 岩, 早 坂, 三 土, 官沢, 坂 本, 伏
島, 後藤, 三 沢, 食 田)
SI 事 次の 通り :
1) vol. 3 外人 edUing 終り。 委員 分担 校正
2) 東亜 地質図 受渡し »i (伏 島より 出版 会, 大久 保へ)。
3) vol. 1 and 2 の 在庫 数
4) 銀行 残高 : 46. 3 . 5 155, 720 円 三菱 丸の 內
3. 19 210,340// 第一 本 »
5) 科学博物館 は 来る 11 月頃 移転の 模様に つき, それまでに 全资 料の 処分 を 要する。
5. 21 印刷 代 前渡金 第 2 回 分 50 万円 を 出版 会へ 振込み。
9. 11 英文 鉱産誌 並に 東亜 地 K 図 販売 同 在庫 調べ, 科学博物館 移転に 伴う 资料 処分の 緊急
9. 14 伏 島 氏 多忙と なり 委員会 事務 を 辞退いた したし。
「英文 鉱産 誌 vol. 3 印刷 代金の 振込み ••
5 第 1 回 50 万円
〃 2 〃 50 "
46. 3.
5.
(10.
21
8 鉱産誌 vol. 3 印刷 完了 献本 寄赠は vol. 2 に 準ず)
11.
9
第 3 回
45 万円
昭 47.
5 .
19
// 4 "
60 "
11.
11
n 5 ff
35 "
48.
6 .
最終回
10 " (全 6 回 計 250 万円。 出版 会より 売上金 振 込の 都度 同 会 口座へ 入金) J
口. 国立 科学博物館 における 資科 整理 (昭 46. 11-47. 1)
46. 9. 25 赤門 委員会で 资料 処分の 件 をと くに 緊急と 認めた ので, 次の 坂 本案 を 作製した 《
D 東亜 地質図 処分の 作業 案
2)
3)
4)
5)
6)
〃 処分 案
" 保存 分 10 セットの 処分 案
" 販売 経過
〃 現在 *
" 地城别 縮小 セ ッ ト 針 面 並に 接壞 地域 追加 図 幅 名
一 45 一
46
坂 本峻雄
昭 46. 10. 8
昭 46. 10. 8
昭 46
昭 47
11.
29
25
ボル ト ガル
イス ラエ/ レ
ゴ
イラン
赤門 委員会 (植 村, 立 岩, 小 林, 早 坂, 坂 本, 三 土, 宫沢, 小 林 興 (代理 音 柳资料 課長,
伏 島) 前項 9. 25 付 処分 案 を 審議した。
30 付録 1 のように 部数 を 定めて, 学校 その他の 機 BB に 対し 寄赠 する 案 を 立てた が, 移転
作業の 開始が せまり, 事務 処理が 間に合わなかった ので, 取 止めと し 次のように 処分し
た。
科学博物館 において は, 全館 職員 等 fi 人 希望者 を 通じ 寄赠 処分 を 行ない, 予想 以上に 進
行した。 残り 地質図 パラ 46 図 幅 3585 枚の 地質 BOE^f 资料媒 に寄赠 する。 地質図 格納 用
シヱ ブロン 八 連 は 科学博物館に 寄賺 した。 英文 原稿, 和文 鉱産 訪 (パラ) その他 製版 未完
成 図 等の 雑资料 は, 格納 場所が 無いた め 廃棄 処分した。
伏 島玲子 氏の 事務 嘱託 を 解く。
地質 謂^に たいし, 永久 保存 资 料の 保管 を 依頼 するとと もに, 外国から 寄賺 された 地 S
図 等 を 同所へ 寄賺 した。 尚 英文 鉱産 g (vol. 1, 2, 3), 東亜 地質図 欠 図 セット, 同地
K 域セッ ト等 は, 引統き 東大 出版 会お よび 大久保 書店で 販売した。
地質調査 所長 宛 委員会 永久 保存 用 東亜 地質図 (欠 ナシ) 3 セット, 381 枚の 保管 を 依頼し
た。 さらに 同所 長 宛 東亜 地質図 パラ 約 3,000fe とともに, 下記の 外国 地質図 を寄赠 した。
東亜 地質図 1/25 万 分 46 図 幅 約 3,000 枚
1/ 5 万 分 27 図 幅
1/10 〃 19 〃
1/50 " 7 //
1 "
昭 47. 2 . 25 東亜 地質図の 地域 セット (欠 図 ふくむ) 販売価格 を 次の 如く 値 引した。
地域 別セ ット 売り 価格: 北满, 南満 夫々 2 万円, 北支, 朝鮮 夫々 1 万円
ハ. 東亜 地質 B セッ トの売 切れ (昭 48)
昭 48. 2. 6 Pacific Gulf Oil Co. は 東亜 地質図 (欠 4 ) を 3 セット, 同 (欠 1) を 1 セット 計 4 セッ
トを 東大 出版 会より 購入した と 通知が あった。 これ を もって 43. 9 . 27 以降, 博物館に て
編成の 欠 図 1 一 4 を 含む, 東亜 地質図 15 セットの 追加 販売 分は充 切れと なった。 したがつ
て昭 38. 10. 4 以後 東亜 地質図の 売上 総数 は, 126 セットと なった。
二. 英文 tt 産 li vol. 1, 2 & 3 の 出 J£ 会 在庫 数
昭 48. 6. 14 第 2 回皇家 飯店 委員会 開催 委員 : 植村, 立 岩, 小 林, 早 坂, 坂 本, 尾 崎, 三 土, 宫沢,
小 林 勇, 靑柳 90 年史 記事 以後, 48. 6 にいた る 5 年間の 委員会 活動の 詳細に ついて, 付
録 1 一 10 (袋入り) を 参考 资料 として 報告した。 主な 継 事 は
1 の 资料大 整理 (科 博に て) 東亜 地質図 通算 126 セッ ト売 切れ (東大 出版 会 扱い)
二. 英文 tt 産 B の 阻 売 在庫 Ml ベ (東大 出版 会 扱い, 昭 48)
英文 鉱産法 在 * 数に 閣 して, 出版 会と 委員会 合同 打 合 会 を 開き, 出版 会より 次の 報告が あ
つた。
vol. 1 vol. 2 vol. 3 計
出版 会 帖尻残 70 250 385 705
昭 48. 7 . 10 英文 鉱産誌 永久 保存 用 5 セット を 地質 諷査 所に 預ける 件. vols. 1,2 & 3 X 5 セット =15 冊
を 出版 会 在庫より 返却 をう け, 地質調査 所资料 室へ 保管 依頼した。 そのため 出版 会 帖尻在
庫 は 各 5 冊 を滅じ 次の 通り となった :
vol. 1 vol. 2 vol. 3 ff
46. 10-47.
昭 48. 7. 4
一 46 一
東亜 地 « 鉱産眛 纖集委 具 会 (その 4, 5, 6) 47
出版 会 帖尻残 65 245 380 690
これ を 将来 針算の 基本 数と 定めた。 そして 将来の 方針と して vol. 1 が 売 切れた 段 瞎でー その 時期 は 多
分 49.9 頃の 見込み 一vol. 2, 3 の 残部 数 計 約 500# となる 見込みで ある。 その 際 残部 数 を一 括 処理 (たと
えば 出版 会に 依頼して 一括 買 上げて 貧う) を 考えて はどう 力、, との 話合いが あった。
BB48. 8. 17 地質調査 所長 宛 英文 鉱産誌 vol. 1,2 & 3 の 委員会 永久 保存 资料 として 保管の 依頼状 を 出
し 承 » を うけた。
ホ. 英文 ttj«l vol. 1 の 売 切れ (昭 49)
昭 49. 8. 3 昨 48. 7 の 在 寒 調べの 後, 引続き 販売 を 維 練し 1 力 年 を 経過した。 この 時 出版 会の 報告で
fflt 数 は:
vol. 1 vol. 2 vol. 3 針
在雜 0 155 330 485
つまり vol. 1 は 売 切れた。 但し この 外 相当数の 海外 委託 中の fflt が ある 答との 回答であった。 したが
つて 49. 9 頃に vol. 1 が 売 切れる であろう とした 1 年 前の 予想に 近い ものであった。
昭 49. 12. 5 東大 出版 会より 最近の 売上に 対し, 次の 通り 委員会へ 入金が あった。
vol. 1 vol. 2 vol. 3 針
売上 部数 40 50 50 140»
代 金 70 万円
昭 49. 12. 9 第 3 回皇家 飯店 委員会 (委員 •• 立 岩, 小 林, 早 坂, 坂 本, 三 土, 官沢。 出版 会 : 中平理
事, 倉 田 « 集 部員) において, 庶務, 経理の 検討と ともに, 出版 会 在 寒 数が:
vol. 1 vol. 2 vol. 3 計
在 康 数 0 155 330 485
となった こと を 確認した。
その 5 海外 拡大 寄贈 計画と 委員会 解 »:
ィ. 英文 ttKB 在庫の 拡大 寄 請 計画 (昭 49. 12-50. 4)
昭 49. 12. 21 上記 左 家 数 485 部にたい し, 海外 拡大 寄賺 計画 を 立てた。 東亜 地質図に ついては, 昭 39. 8
に 海外 36 力 国, 38« 閣 宛に 寄 赠 したが, 英文 鉱産 誌に ついては 各卷 刊行の 都度, 援助 をう
けた 米国 要員 等にたい し, 約 10 冊 余り を寄赠 したの みであった。 しかし 委員会 はかね て资
料 を, できるだけ 速やかに, 力、 つ 広く 頒布す る こと を 主旨と してきた ので, 今回の 在 庫郎
数にたい し, 拡大 寄 » 計画 を 立てた。
昭 50. 4. 2 寄賺機 118 の S 定と 外国 小包 発送。? 機関の mailing list は 主として 小 林 委員が 作製に
あたり, 東大 出版 会お よび 岡 本 出版 » 送 KK に 依頼し, 渋 谷 国際 »便 局より, 4. 2 外国
小包と して 発送した。 発送 数 は 世界 86 力 国, 274 機閣宛 合計 391 冊で ある。 (うち 2 冊は委
員 会 永久 保存 分より vol. 1 を 追加)。
昭 50. 4 . 22 委員会 解散の 準備 本 月 を もって 委員会の 業務 を一 応 終了した ので, 東大 出版 会, 東京 地
学協会との 間に 打合せ 小委員会 を 開いて, 最終 事務 処理 を 完了した うえ, 6 月下 旬 頃 委員
会 解散の ため 総会 を 開く 予定と した。
口. S 員 会 解散に M し 小 S 員 会 並に 錄会
開催 通知と 議事 参考 资 料の 送付 (昭 50. 5)
昭 50. 5. 16 打合せ 小委員会 及び 緣 会 日程 案の 通知, 50. 6. 4 東大 出版 会との 打合せ, 50. 6. 12
束 京地 学協会との 打が, 50. 6. 24 解散 報告 委員会 総会, 50. 5. 24 第 36 回 束 京地
一 47 一
坂 本峻雄
学 » ^総会に 上記 針 面 予定に つき, 委員長 «a よ り 口 頃に て 報 « した。
昭 50. 5. 29 上記/ 員 会議 事资 料と して 「束 IE* 質紘産 ft 纏 集 委員会 概要」 を, 委員 及び H 係 機 H 宛
送付した, 内容 は 下記の 通り。
東亜 地質 鉱産 訪 纏 集 委員会 概要 1 ) 一 4 )
D K 立: 東京 地学 会 及び 東大 出 JK 会との H 係
(1) 昭 25. 3. 31 終戦 前 多数の 日本人 専門家が, 束 亜 各 質の 研究, W 査に 従事した が, それら 资料
を 記録し 散佚 を 防ぐ 目的で, 東京 地学 協会 内に 設立され た (90 年史 pp. 154-155)。
(2) 昭 26. 10 文部省 刊行 出版 助成金 24 万円 受領
(3) 昭 38. 2 资 料の 保管と 広汎な 利用 を 針る ため, 「頒布 委員会 を 東京 地学 協会に K 置す る 件」 を
細 川 会長 宛 提出 し, 協会 当局 と 事務の 具体的 取扱い 等に つき 検射 した。
(4) 昭 41. 5 しかし 资料カ ^ 極めて 多!: に 及び, むしろ できるだけ 速やかに 頒布して 内外 一般の 利用
を 計る ことが 望ましい こと を考盧 し, 東京大学 出版 会の 販売網 を 利用す る ことと し, 同 会
と の 間に 頒布 事務の 協定に W 印した。
2) 事業お
( 1 ) 昭 27. 4 • 1 刊 東亜 地質 鉱産誌 (邦文) 頒布 開始
朝鮮 531 頁, 满州 867 頁, 華北, 華南, 台湾 593 頁, 計 1991 頁
昭 39. 2. 11 60 セッ ト売 切れ
(2) 東亜 地質図 幅 (英文) 1/25 万 分, 127 枚 1 セット 頒布
昭 29 — 31 刊 朝鮮 (18 枚) |
31-35 满南 (94 " ) 1 セット 127 枚
34-35 華北 (15") J
48. 2 以上 図 幅 126 セット 売 切れ
( 3 ) neology and Mineral Resources of the Far East (英文 鉱産 誌、) 頒布
販売 用 印刷
(49.
昭 42.
9 刊
vol. 1 (498 頁) 500 部
0 部
44.
12〃
vol. 2 (486,,) 500,,
155"
46.
10〃
vol. 3 (401 n ) 500"
330〃
49.
9 計
刊行 部数 (販売 用) 1500 //
485〃
総 販売部 数 1000 //
帖尻残 485,,
vol. 1 売 切れ 0"
(4) 在庫 部教 (49. 9 現在 485 部) と 拡大 寄赠 計画
昭 49. 12. 21 在庫 485 冊にたい し 拡大 寄 赠計面 を 立て, 世界 86 力 国, 274 機閱 にたい し, 合 針
391 冊 を寄赠 する ことと した。
4. 2 東京 渋 谷 国際 » 便 局より 下記の 通り 発送 を 終った。
英文 鉱産誌 海外 寄 賄 敷 :
発 送
宛先 国 敷, 同 冊数 別 機関 数
計
期 口
国 数
vols. 1 vols.
1, 2, 3 I 2, 3
vol. 3
機閣敷
冊 ft
当初 計画
渋 谷 局 発送
50. 3 末
50.4.2
50 以上
86
一 150
(2) j 113
150
159
300
274
450
391
注 : (2) は 永久 保存 部数 を 外して 発送に 加えた vol. 1 の 2 郎
一 48 一
束 亜 地 貧鉱 産 集 委員会 (その 4, 5, 6)
49
3) «9 (本文 その 6 の 項 参照)
昭 25 年 一昭 37 年末 1
昭 39. 4 —昭 43. 8 本文 その 6 「設立より 解散までの 収支 計算 表 J 参照
昭 43. 8 —昭 50. 6J
出版物 頒布 » 量, 総 価格, 最終 ft* とその 処理
出版物 販売 «量 :
(2)
(3)
(4)
出版物
東亜 地質 鉱産誌 (邦文)
東亜 地質図 (英文)
同
英文 鉱産誌
計
販売 数
60 セッ ト
126 "
パラ
1,000 冊
総収入
542 千円
10,080 〃
266 〃
10,000 〃
委員会 手 取 り 在家
271 千円 0
5,040 " 0
133 " 南 律 144 枚 (大久 保)
5,000 〃 485{§
10,444 〃
20,888 "
注: 在庫 処理 は 次 項 (5), (6) にあり, 英文 鉱産誌 最終 売上げ 高 50. 6. 11 付 29 冊 145 千円 入り
(5) 英文 鉱産 S'ffi* 帖尻残 (49. 9) と 実: ft* (50. 3) 部数:
vol. 1
vol. 2
vol. 3
計
昭 49.
9
帖尻残
0 冊
155 冊
330 冊
485 冊
50.
4
海外 拡大 寄賺
(2)
115
274
389(2)
49.
10-50. 3
最終 売上 数
14
15
29
49.
9 以前
海外 委託 在家
7
14
15
29
50.
3
実在 庫 数
12
19
31
4)
昭 47.
48.
〃
(6) 東亜 地質図 パラ (大久 保 害 店 扱い) かねて «| 国 南部 8 図 幅 30 セット 外 バラ を 大久保 書店に 委託 販
売した。 そのうち 18 セット 144 図 幅が 在庫と なって いる (49. 3)
銀行 預金 残高 (総会 後の 決算 を 含め その 6 — 経理の 項 参照)
永久 保存 資料 を 地学 tt 会に 移管の 件
かねて 地質調査 所長の 承認 を う けて, 同所 资料媒 に 保管 中の 永久 保存 资料は 次の 通 り である。
1 . 25 預け : Geologic Map of the Far East 3 sets (127 枚 X 3 セット)
8 . 17 ft : Geology and Mineral Resources of the Far East 3 sets (vols. 1 , 2 , 3X3)
〃 〃 " vol. 2 2 volumes
〃 〃 〃 vol. 3 2
以上の 资料を 地学 協会に 移転し, 保管 を 依頼す る 予定。
昭 50. 6. 4 東大 出版 会との 問の 打合せ 小委員会 を 次の 通り 開催した。
日時 昭 50. 6. 4
場所 東大 赤門 学士 会 分館
出席者 東大 出版 会 中 平 理事, 食 田 編集部 員
委員 : 立 岩, 小 林, mm, 宫沢, 坂 本
議事 : 最終 売上 代金 精算の 件 (49. 10-50. 3 )
vol. 1 vol. 2 vol. 3 針
0 14 冊 15 冊 29 冊
代金 14 杆円を 6. 15 第一 勧銀 委員会 口座へ 振込み 受領。
最終 部数と その 処置
vol. 1 vol. 2 vol. 3 計
ィ. 49. 9 帖尻残 0 155 330 485
一 49 一
50
坂 本
峻 雄
n .
50. 1
委員 返却
0
0
4
4
ノ、 •
50. 1
帖尻 &
0
155
326
481
二 •
50. 4
斜 拡大 寄 赠
(2)
115
274
389(2)
ホ.
50. 4
帖尻
0
40
52
92
へ,
49. 9
以前 海外 委託
(7)
14
15
29
ト.
49. 10-
-50. 3 最終 売上
0
14
15
29
チ.
50. 6
本社 実在 庫
0
12
22
34
y .
出版 会へ
'寄赠 (へ + チ):
26
37
63
6. 4 東大 出版 会 理事長 加 藤 一郎 » 宛 最終 在庫 63 部 寄赠の 手紙 を 出した。 後日 同 理事長 名で 受納
の 返が あった。
6. 4 大久保 書店 主 大久保 雄 一 » 宛, 南韓 地質図 パラ 144 枚 を 寄赠を 決定し, その 旨 手紙 を 出し
た。 これ は 韓国に おいて 近年 1/25 万 分 地質図が 新たに 刊行され ている 等の 事情 を考盧 した
ものである。
昭 50. 6. 12 東京 地学 協会との 間の 打合せ 小委員会 を 次の 通り 開催した。
日 時 昭 50. 6. 12
場 所 東京 地学 協会 会議室
出席者 地学 協会 : 坪 井 弒太郎 会長, 保 柳睦美 副会長, 末 野悌六 副会長, 岡 山 俊 雄 理事
委員会 : 小 林, 早 坂, 坂 本, 三 土, 官沢, 小 林 勇, 青柳 资料綴 長
%t -V :
1) 委員会 報告 (庶務, 経理) を 90 年 史統篇 として, 印刷 依頼の 件
2) 委員会 永久 保存 资料を 協会 资料 として 保存 依頼の 件
3) 銀行 預金 残高 (本文 その 6 — 経理の 項 参照) を 協会に 引継の 件
以上 を以 つて 継 事 を 了した が, 残高の 使途に つき
ィ. 大睦 における 物故 先辈の 業績
口. 大睦 諸国に おける 現代 学界お よび 鉱 業界の 進歩
等に ついて 記録 を 集める 等の 談話が あった。
/、. 昭 50. 6. 24 解散 員^ « 会
5. 16% 総会 開催 案に より 次の 通り 総会 を 開催した。
日 時 昭 50. 6 . 24 12.15-16.00 場所 表 参道 皇家 飯店
出席者 委員長 小食 勉 (欠席)
(敬称 略) 委員 立 岩 康, 小林貞 一, 坂 本 tttt, 三 土 知芳, 尾 崎 博, 官沢 俊弥, 小 林
勇 (代 音 柳 信義)
機関 代表 坪 井 被太郎 (地学 協会), 末 野悌六 (地学 協会), 岩 生 周 一 (地学 協会), 川上 喜 代
四 (地学 協会), 岡 山 俊 雄 (地学 協会), 中 平 千三郎 (束大 出版 会), 食 田和彥 (東大 出版 会),
大久保 雄一 (大 久保會 店), 来賓 後藤 繁子
1) 然禱 東亜 地質 鉱産 ffi 物故 役員 氏名
昭 37. 1. 26 逝去 山贿次 顧問 殿, 昭 37. 7 . 30 逝去 本 間 不男ニ 委員 殿, 昭 40. 5. 13 逝去 市 村
毅 委員 », 昭 41. 1. 17 逝去 言 田 逮 委員 », 昭 44. 4. 1 逝去 遠 藤隆次 委員 殿, 昭 44. 6 . 23 逝
去 矢 部長^ W 問委 MR, 昭 44. 11. 18 逝去 細 川 » 立 会長 殿, 昭 46. 8. 3 逝去 大久保 五郎 店 ±18
昭 48. 11. 17 逝去 植村癸 己男委 MR
2) 小食 勉 委員長 挨拶
(委員長 は 病気 欠席され 仙 台 市より 郵送され た)
一 50 一
束 亜 地質 鉱産訪 纏 集 委員会 (その 4, 5, 6) 51
束 京地 学協会 会長 坪 井 K 太郎 JB
謹啓 時下 初夏の 侯い よいよ 御 健勝に わたらせられ, 慶賀の 至りに 存じ 上げます。
さて 本 束 舰質 鉱産誌 « 集 委員会 は 終戦後 在京の 地質 専門家 (委員) 数名の 発意に より 昭和 25 年 3 月,
貴 東京 地学お 会の 1 委員会と して 発足 し, 本年 25 两年を 迎える こ とに なりました。
本 委員会 設立の 主旨 は, 主として « 後 外地から 引揚 帰国した 地学 M 係 者 同志に たいし, 東亜 地質 鉱産坊
を » 集 刊行す る 必要性 を 力 K し, その 達成 を 期す る もので ありました。 その 結果 幸いに も 200 余 名の 協力
者 を 得る ことが 出来, それら 協力者から その 研究 资 料の 提出 を 依頼し, 提出され た 资料を 整理 統合して こ
れを 出版 刊行し, 遂に 本 会 事業の 東亜 地 S 鉱産 誌の 集大成が, 成し遂げられた 次第であります。
その 主要 刊行物 は 次の 通 り です。
(1) 邦文 束 亜 地質 鉱産 S 3 卷 (昭和 27 年刊 行) (2) 束 亜 地 « 図 (25 万 分 1) 127 枚 (昭和 29-35 年
刊行) (3) 英文 東亜 地質 鉱産誌 3 卷 (昭和 42-4阵 刊行)
この 25 年間の 長期に 亘 りまして 貪 ft 会 を 始めと し, 文部省の 刊行 出版 助成金, 地 « 翻^, 国立 科学 博
国立大学 などの 资料 刊行物の 保管 依頼な ど あり, その外 米国 地質 W 査所 東京 出張所から は, 束 亜 地
K 鉱産 誌と 東 図の 印刷, 事務用品の 現物給与, 図版 原稿の 浄 製図な どの 物的 援助 を 受けました。 こ
のように 各方 面からの 物心 両面の 援助に よ り 本鉱産 S ならびに 地質図の 刊行が 成し遂げら られた 次第で あ
ります。
力べ の 如く 当 協会 は 本 委員会に たいし, 特に 事務室の 貸与, 会 * 室の Kffl, 研究 资 料なら びに 刊行物の
保管な どに つき, 終始 多大の 御協力と 便宜 を «^ され, 本 委員会の 事務 処理に 円滑な 運営 を もたらした 次
第で あ りまして, ここ に その 御 厚意にたい し 深甚な 感謝の 意 を 表する もので あ り ます。
なお 英文 鉱産法 第 1 卷は充 切れ となり ま したが, 第 2 卷 および 第 3 卷 会計 約 480 冊が 在庫と なり ま した。
当初から 资料を 速 かに 且つ 広く 頒布す る 希望 を もってお りました ので, 本年 4 月初めに, 世界 86 力 国,
274 機関に たいし 合計 391 冊 を 寄 賄いた しま した。
なお 本 委員会 は 本来の 任務 を 終え 近く 解散の 予定であります が, 解散 後の 処匿 といたし まして, 下記 刊
行 物の 永久 保存 方 を 当 協会に 御 依頼 申 上げた く, 甚だ 御迷惑の 儀と は 存じます が, 何卒よ ろしく 御 願 申 上
ます。
先 は 以上 刊行の 経過 を 申 上げ 御 挨拶 といたし ます。 昭和 50 年 6 月 24 日
東亜 地 S 鉱産法 18 集 委員会 委員長 小食 勉
下 記
永久 保存 方 を 御 sys いたしたい 刊行物
1. 東亜 地質図 3 セット 381 枚 , 2. 英文 東亜 地 « 鉱産誌 (第 1 卷一 第 3 卷 ) 3 セット 9 冊 , 3.
英文 鉱 産 餘 第 2 卷, 第 3 巻 各 2 冊 4 冊
計 地 K 図 381 枚 鉱産誌 13 冊
3) 坪 井 錶太郎 会長 御 挨拶
拝啓 御 清祥の 御 事大 * に 存じます。
さて, さきに 本 協会に K 置され ました 東亜 地 S 鉱産誌 編集 委員会 は, 所期の 目的 を 達成し このたび 解散
の 運びと 相 成 り ま した 趣, 御 報告に 接し 委細 拝承いた しま した。
当 委員会に よって 集大成され ました 「東 MfeK 鉱産 法」 は, 全世界の 斯 学界に 多大の 稗 益 を責ら すと 共
に, 戰前東 質の 調査 研究に 従事され た わが国 地 S 学者の 業績 を 不朽なら しめ, これ を親彰 記念す る も
のと 存じます。 同誌の 出) K 刊行 はまこと に 御 同慶に 堪えない 次第で ございます。 この 機会に あたり, 右の
事業 を 完遂され ま した 貪 委員会の 委員長 はじめ 委員 各位 並に 御閟 係の 方々 にたい し, 心からなる を捧
げ 深く 敬意 を 表します。 なお 解散 後の ことにつ き 御 申出の 件 は, 本 ft 会に おいて, 貪 意に 副うよう 处 置す
一 51 一
52
饭本峻 雄
べき 所存で ございます •
核まで 敬具 昭和 50 年 6 月 24 日
束 京地^ « 会 会長 ^^Mbtft
束 S%fflt£Kli 集 委員会 委員長 小食 «JS
二. msiMtiu»«k 委員会^ smu£WH — 1» (自 bb お. 3 —至 昭 50. 6)
(別表)
その 6 経 理
ィ. 委員会 出 入 明 編 (90 年史 p. 165 の j& 前よ り昭 50.6.11)
| 東亜 地 Rt^
英
乂 MU
EE
1 ム
ST
1
セット' 万 円
1 vol. 1
冊
vol. 2
1 冊
vol. 3
冊
小
m
liu
計 1
77 円 ,
ノ' I J i
―,, 一 rrt
力 円
42. 9.13
(緣越 現物)
i :
500
1 0
0
500
(250) ;
(250)
43. 4.24
(第 1 回 入金)
16 64
150
0
0
150
75
139
43. 4 以前よ り垛越 残高
1
67
43. 8.24
「90 年史 p. 165 第 1 銀行 本郷 支店 預金 残高
206
11.24
20
1 0
0
230
10
10
45. 1.26
20
100
0
0
100
, 50
70
5.22
12
! 108
0
120
60
60
46. 3. 6
5.20
, 1
40
70
0
110
{ 20
! 1 35
20
35
7. 3
1 10.3
1
i
10.3*
11. 6
1
i
30
, 60
0
90
45
45
47. 5.12
24.5
30
30
25
85
! 42.5
67
11. 7
1 10
10
0
40
50
25
35
48. 3.22
1
3
1
3*
5.17
10
10
50
70
' 35 i
35
( 3.31
65
245
380
690
出版 会 在 康歡)
f>. 5
9
1
9
11.13
25
40
1 0
65
32.5
32.5
に
cn
1 1
40
50
50
1 140
70 1
70
50. 6.11
14
15
I 29
| 14.5
14.5
,11-
1 140.8
467
382
180
\ 1,029
― ひ
655.3
注 : * 大久 保^ 店 扱 v
口. » 立より 解散までの 収支 計 » 表 (昭 25. 3— 昭 50. 6)
1) 自 昭和 25 年 一 至 昭和 37 年末 (13 年間) 2) 自 昭和 39. 4 — 至 昭和 43. 8
収 入 2, 189 千円 収 入 5,501 千円
支 出 2,080 支 出 3,439
緣越 109 差 引 2,062
(内釈 略 90 年史 158_159 頁に あり) (内釈 略 90 年史 165 頁に あり)
一 52 —
束 亜 地質 鉱産紡 編集 委員会 (その 4, 5, 6) 53
3) 自 昭和 43. 8 —— 至 昭和 50. 6 50. 6 . 27
収 入 7,507 千円
支 出 6,655
差 引 852 (第一 勧 接本郷 支店 預金 残高 50. 6. 27)
収入 內訳 支出 内訳
夹义 ffi 産话 (vol. 1. 6)
ま 在 tihff 岡 麻 レ!^ A
f oo
員 取 T^iK
Oyxjuu j ni
^XWbMm 〃
4,o95
海外 研究 费 補助金
170
銀行 利子
110
事務 费
200
旧 委員会 三菱 丸の 内
謝, 礼
390
支店 残高 (解約)
172
会合 费
457
針
7,507
香華 料
90
外国 小包 料金 (手数料 共)
205
コ ビー, 通倌费
55
90 年 史別刷 印刷 代
53
雑 费
35
計
6,655
ノ、.
昭和 50. 7. 5
A 行 預金 残 X を 東京 地学 « 会へ 引継
上記 6 • 12 の 束 京地 学協会 と の 打合せ 小委員会の 決議に よ り , 第一 銀行 本郷 支店 預金 残高 852 千円より
円 也 を 地学 協会に 引継ぐ こ ととし, 第一 接 行 飯 田 橋 支店 束 京地 学協会 口座に 振込み を 了 した。
(委員長 代理 坂 本峻雄 記)
別表 ィ. 英文 鉱産誌 Vol. 1— Vol. 3 目次
Vol. 1
PREFACE
rhe geologist's units are often continents and oceans, centuries and millenia. Within the
vast scope of geology, this book is devoted to China, Korea and Manchuria. It complements
other English-language studies of Asian geology by Japanese geologists : Geology of Japan
(1963), Geology and Palaeontology of Southeast Asia (volume I, 1964 ; volumes II and III
forthcoming), and geologic Sheet Maps of the Far East (1964).
lhis volume is derived from the formation of a committee in March, 1950, by the Tokyo
Geographical Society, which had the purpose of compiling material on the geology and
mineral resources of the Far East. Inaugurating a program for the preservation, compilation,
and publication of such data, the committee collected articles from more than 200 specialists
who had been repatriated after the war, and edited a three-volume series, Toa Chishitsu
Kosan Shi (Geology and Mineral Resources of the Far East). One volume was devoted to
each of the major areas, China, Manchuria, and Korea.
The series was published in 1952 and is now out of print, since it was the committee's
hope that the study be made accessible to Western as well as Japanese scholars, it is con-
sidered appropriate to publish an English version of the series rather than a second edition
in Japanese.
一 53 —
S4
The present volume consists of a selection of seventeen articles from the 1962 edition.
It deals with stratigraphy, geology and mineral resources in the three areas. The remaining
articles will he translated and edited for future publication.
Much of the basic research data were gathered before and during World War H. The
intervening years have been ones of accelerating acientiEc research with the development
of new tools and techniques, but since all of China and Manchuria and the northern half of
the Korean Peninsula is now closed to Western ~ and Japanese ~~ geologists, and since a few
decades are minute in terms of geologic time, the value of the studies based on these data
and included here have increased. Some articles were, of necessity, written from memory
due to the desruction of data.
Publication of the Japanese and English editions was made possible by grants from the
Ministry of Education and the generosity of the United States Geological Survcj, which
supplied the committee with topographic base maps and continued assistance in translating
and editing.
The editors have striven for consistency in Romanixation, particularly of place names.
Some names conform to U.S. Board of Geographic Names style but no feasible way of
obtaining complete consistency was available. A glossary is, however, provided.
Because of the trying conditions under which some of the articles were written, it was
not always possible to include an extensive bibliography.
We would like to acknowledge with gratitude the assistance of the following stafE members
of the U.S. Geological Survey who, while they were stationed in Tokyo, were especially
active in the promotion of the committee's work : Messrs. T. KUR06AKA, S. K. NEUSCHEL,
M. E. Wing, C. S. Johnson, Helen L. Foster, D. H. Doan, G. Corwin, and R. C.
Kepferle.
We would also like to thank Miss Reiko FUS^JIMA who prepared the glossary and Miss
Ellen LOOAN who edited the English text.
Compilation Committee for
Geology and Mineral Resources of the Far East,
Tokyo Geographical Society
Chairman : Tsutomn OGURA
Advisors : Hisakatsu Yabe, Shinji YAMANE*
Members : Riuji ENDO Ichiro HAYASAKA
Fujio HOMMA* Takeshi ICHIMURA*
Teiichi KOBAYASHI Tomofusa MlTSUCHI
Toshiya MlYAZAWA Hiroshi OZAKI
Takao SAKAMOTO Konosuke SATO
Iwao TATEIWA Toru TC»«ITA*
Kimio UEMURA
* deceased
CONTENTS
Preface
KOREA
Synopfit of the Geological Systems of Korea Iwao Tateiwa 3
Geology of South Korea Teiichi KOBAYASHI 25
Volcanic Geology of the Cenozoic Alkaline Petrographic Province of Eastern Asia - - -
Toru TOMITA 139
On the Cenozoic Vertebrate き in Korea Fuyuji TAKAI 203
The YOnch'On System Containing Cyanite and Andalusite Deposits
Takao YAMAGUCHI 209
一 54 一
55
On "Kotoite" and "Suanite" Takeo WATANABE 236
MANCHURIA
A Summary of the Columnar Sections Riuji ENDO 271
The Quaternary Period Tokio SHIKAMA 298
Metallic Deposits Tsutomu OGURA 337
On the Gold Ore Deposit of Chia-pi-kou and Lao-chin-chang Hiroshi OZAKI 342
Banded Iron Ore Deposits of An-shan and Other Districts Goro ASANO 357
Aluminous Shale Takao SAKAMOTO 370
Nonmetallic Deposits Takao SAKAMOTO 380
CHINA
Upper Paleozoic Formations of Coal Fields in North China Yoshio ONUKI 395
The Huangtu Formation and the Loess of North China Eigo SAKAI 438
General Review of the Coal Fields in Central and South China - - Misaburo SHIMAKURA 464
Fluorite Deposits in the Vicinity of Hsiang-shan, Che-kiang Province
ZennojO IGARASHI 471
Place Names 479
Vol. 2
PREFACE
The geologist's units are often continents and oceans, centuries and millenia. Within the
vast scope of geology, this book is devoted to China, Korea and Manchuria. It complements
other English-language studies of Asian geology by Japanese geologists : Geology of Japan
(1963), Geology and Palaeontology of Southeast Asia (volume I, 1964 ; volumes II and III
forthcoming), and Geologic Sheet Maps of the Far East (1964).
This volume is derived from the formation of a committee in March, 1950, by the Tokyo
Geograpnical Society, which had the purpose of compiling material on the geology and
mineral resources of the Far East. Inaugurating a program for the preservation, compilation,
and publication of such data, the committee collected articles from more than 200 specialists
who had been repatriated after the war, and edited a three-volume series, Toa Chishitsu
kosan Shi (Geology and Mineral Resources of the Far East). One volume was devoted to
each of the major areas, China, Manchuria, and Korea.
The series was published in 1952 and is now out of print. Since it was the committee's
hope that the study be made accessible to Western as well as Japanese scholars, it is consi-
dered appropriate to publish an English version of the series rather than a second edition
in Japanese.
The present volume consists of a selection of seventeen articles from the 1952 edition.
It deals with stratigraphy, geology and mineral resources in the three areas. The remaining
articles will be translated and edited for future puolication.
Much of the basic research data were gathered before and during World War II. The
intervening years have been ones of accelerating scientific research with the development of
new tools and techniques, but since all of China and Manchuria and the northern half of
the Korean Peninsula is now closed to Western ― and Japanese ― geologists, and since a few
decades are minute in terms of geologic time, the value of the studies based on these data
and included here have increased. Some articles were, of necessity, written from memory
due to the destruction of data.
Publication of the Japanese and English editions was made possible by grants from the
一 55 一
66
Ministry of Education and the generosity of the United States Geological Surrey, whidi
supplied the committee with topographic base maps and continued assistance in translating
and editing.
The editors have striven for consistency in Roman ization, particularly of place names.
Some names conform to U.S. Board of Geographic Names style but no feasible way of
obtaining complete consistency was available. A glossary is, however, provided.
Because of the trying conditions under which some of the articles were written, it was
not always possible to include an extensive bibliography.
We would like to acknowledge with gratitude the assistance of the following staff members
of the U.S. Geological Survey who, while they were stationed in Tokyo, were especially
active in the promotion of the committee's work : Messrs. T. KUROSAKA, S. K. NEUSCHEL,
M. E. Wing, C. S. Johnson, Helen L. Foster, D. H. Doan, G. Corwin, and R. C.
Kepferle.
Compilation Committee for
Geology and Mineral Resources of the Far East,
Tokyo Geographical Society
Chairman : Tsutomu OGURA
Advisors : Hisakatsu YABE*,
Members : Riuji ENDO*
Fujio HOMMA*
Tciichi KOBAYASHI
Toshiya MlYAZAWA
Takao SAKAMOTO
Iwao TATEIWA
Kimio UEMURA
Shinji YAMANE*
Ichiro HAYASAKA
Takeshi ICHIMURA*
Tomofusa MlTSUCHI
Hiroshi OZAKI
Konosuke SATO
Tom TOMITA*
* deceased
PREFACE TO VOLUME 2
As is stated in the preceding PREFACE, this is an English version of a three- volume
series, Toa Chishitsu Kosan Shi (Geology and Mineral Resources of the Far East). The
original three-volume series contains 260 articles in Japanese. In preparing the English
version, topics considered to be of more general interest were selected. Volume 1 contains
seventeen articles, and another seventeen articles have been selected for Volume 2. These
articles cover fields in structural geology, stratigraphy, topography, volcanic geology, mineral
deposits as well as hydrogeology in major areas of Korea, Manchuria, and North China.
These articles, like those in Volume 1, are the results of years of comprehensive or
original studies by the authors who actually worked in each of the above areas. It is hoped
that these articles may serve as good references in studies on geology and mineral resources
of the Far East.
We would like to thank Miss Reiko FUSEJIMA who prepared the glossary and Mrs. Annik
CHAMBERLAIN who edited the English text.
CONTENTS
Preface
Preface to Volume 2
KOREA
Geologic Structure of North Korea and South Manchuria Teiichi KOBAYASHI 3
一 56 —
57
Cjranite-Andalusite Deposits in the So-Called Okch'6n (Yokusen) System
Takao YAMAGUCHI 124
Boron Mineral Resources in Korea Takeo WAT AN ABE 132
Lithia Mica Deposits in Korea with Special Reference to Spodumene and Amblygonite
Hidekata SHIBATA 158
Allanite in Korea Jitsutaro TAKUBO, Mitsue SAITO 169
Monazite Deposits in Korea Hideo TSUDA 185
Mica Chuzo KONDO 188
Supplement to "Minerals of Korea" Hideo TSUDA 198
Thermal Springs and Cold Mineral Springs in Korea Chuzo KONDO 241
MANCHURIA
Summary of Physiography of Manchuria Riuji ENDO 263
Topography of the Liao-Tung Peninsula SaaajirO TSUCHIDA 284
The Sinian System of Kuan-Tung Province Susumu MATSUSHITA 316
Carboniferous and Permian Systems of Manchuria Mitsuo NODA 324
Volcanoes in Manchuria Tsutomu OGURA 373
Copper- bearing Contact Deposits of Hua-tung-kou, Fu Hsien, Feng-tien Province,
Manchuria Kamezo MATSUDA 414
CHINA
Banded Magnetite Ore Deposits and Metamorphic Rocks in the Vicinity of Yen-
tou-tsun, Wu-tai-shan, Shan-hsi Province, China (with Appendix on Hematite Ore
Deposits in the Vicinity of Ting-hsiang and Tung-yeh-chen) Shuichi IWAO 425
Exploration of Ground Water Resources in North China Nobuo KURATA 442
Place Names 463
Vol. 3
PREFACE
The geologist's units are often continents and oceans, centuries and millenia. Within the
vast scope of geology, this book is devoted to China, Korea and Manchuria. It complements
other English- language studies of Asian geology by Japanese geologists : Geology of Japan
(1963), Geology and Palaeontology of Southeast Asia (volume I, 1964 ; volumes II and III
forthcoming), and Geologic Sheet Maps of the Far East (1964).
This volume is derived from the formation of a committee in March, 1950, by the Tokyo
Geographical Society, which had the purpose of compiling material on the geology and
mineral resources of the Far East. Inaugurating a program for the preservation, compilation,
and publication of such data, the committee collected articles from more than 200 specialists
who had been repatriated after the war, and edited a three-volume series, Toa Chishitsu
Kosan Shi (Geology and Mineral Resources of the Far East). One volume was devoted to
each of the major areas, China, Manchuria, and Korea.
The series was published in 1952 and is now out of print. Since it was the committee's
hope that the study be made accessible to Western as well as Japanese scholars, it is
considered appropriate to publish an English version of the series rather than a second
edition in Japanese.
The present volume consists of a selection of seventeen articles from the 1952 edition.
It deals with stratigraphy, geology and mineral resources in the three areas. The remaining
articles will be translated and edited for future publication.
Much of the basic research data were gathered before and during World War II. The
一 57 —
58
l&teryeniojS years hare been ooet of accelenting scientific reseucfa with the development of
new took and techniques, but tioce all of China and Mandiuria and the northern half of
the Korean Peninsula it now closed to Western ~ and Japanese ~ geologists, and since a few
d^catdet are minute in terms of geologic time, the ralue of the studies based on these data
and included here have increased. Some articles were, of necessity, written from memory
due to the destruction of data.
Publication of the Japanese and English editions was made possible by grants from the
MinUtiy of Education and the generosity of the United States Geological Survey, which
supplied the committee with topographic base maps and continued assistance in translating
nxyi editing.
The editors have striven for consistency in Romanization, particularly of place names.
Some names conform to U.S. Board of Geographic Names style but no feasible way of
obtaining complete consistency was available. A glossary is, however, provided.
Because of the trying conditions under which some of the articles were written, it was
not always possible to include an extensive bibliography.
Wc would like to acknowledge with gratitude the assistance of the following staff members
of the U.S. Geological Survey who, while they were stationed in Tokyo, were especially
active in the promotion of the committee's work : Messrs. T. KUROSAKA, S. K. NEUSCHEL,
M. K. Wing, c. S. Johnson, Helen し Foster, D. H. Do an, G. Corwin, and R. C.
Kepferle.
Compilation Committee for
ueolosry and Mineral Resources of the Far East,
Tokyo Geograpmcal Society
Chairman
Advisors
Members
Tsutomu OGURA
Hisakatsu YABE*,
Riuji ENDO*
Fujio HOMMA*
Teiichi KOBAYASHI
Toshiya MlYAZAWA
Takao SAKAMOTO
Iwao TATEIWA
Kimio UEMURA
Shinji YAMANE*
Ichiro HAYASAKA
Takeshi ICHIMURA*
Tomofusa MlTSUCHI
Hiroshi OZAKI
Isamu KOBAYASHI
Toru TOMITA*
* deceased
PREFACE TO VOLUME 3
The articles in Volume 3 deal with the same regions and nearly the same variety of fields
in geology and mineral deposits as Volume 2. They are supposed to cover, in a general
way, geologic features of cratons as well as an island arc in this part of the Far East.
Numbers of articles contained in each Volume which has been published are summarized
as follows :
Korea
Manchuria
China
Total
Place names
Vol. ]
1967
6
7
4
17
Vol. 2
1969
9
6
2
17
Korea & Manchuria
N. China,
S. China &
Taiwan
Vol. 3
1971
12
4
3
20
1
一 58 一
59
We would like to thank Miss Reiko Fusejima who prepared the glossary and who edited
the English text.
CONTENTS
Preface
Preface to Volume 3
KOREA & MANCHURIA
The Manmo Group of the Mongolian Geosyncline in Manchuria and Adjacent Areas ••
Teiichi KOBAYASHI
Earthquakes in Manchuria Win INOUYE
Heavy Sand Deposis of Fergusonite and Columbite in the Kikune (Kukkun) Mine,
Ydnbaek-kun, Hwanghae-do, Korea Toshiya MlYAZAWA
Silver-Lead-Zinc Deposits in Manchuria Kamezo MATSUDA
Deposition and Metamorphism of Precambrian Banded Iron Ores in Manchuria
Takao SAKAMOTO
Molybdenum Deposit of the Yang-ch ia-chang- tzu Mine, Manchuria Masashi OKUSA
The An-tu Antimony Mine Hiroshi OZAKI
Vanadiferous Iron Ore Deposits in Manchuria Makoto MURAOKA
The Geology of the Pei-piao Coal Field, South Manchuria ShOichi NlSHIDA
Hao-kang Coal r leld, Sankiang Province Manchuria Shigeo SAKAGUCHI
Magnesite Deposits in the Districts of Ta-shih-chiao and Hai-cheng, Manchuria
Keiji UETANI
Dolomite Deposits in the Districts 01 ra-shih-chiao and Hai-cheng, Manchuria
Keiji UETANI
NORTH CHINA, SOUTH CHINA & TAIWAN
Survey Report on the Bain-Bokto Iron Ore Deposit in Wulanchapu M も ng, Inner
Mongolia Ryuichi SONOB 色
Lung-yen Iron Ore Deposits and Stratigraphy of the oinian System, North し hina
Seiichi SHOJI and Tatsuo YAMASAKI
North Ta-tung Coal Field Yoshio ONUKI
Geology of the Yang-chuan Coal Field Shan-si, North China Haruyoshi FUJIMOTO,
K. Watanabe, N. Sato, H. Sawa,
K. TACHIBANA, R. MORIKAWA and S. SUZUKI
Topography and Geology of Fu-cmen Province Kin'emon OZAKI
Geomorphology of Taiwan YoshirO TOMITA
A Summary of Geological Observations in Taiwan from 1895 to 1948
Ichiro HAYASAKA
On the Geotectonic Development of Taiwan (Formosa) Teiichi KOBAYASHI
Place Names
3
70
85
100
114
130
139
143
147
157
166
177
183
194
213
243
268
283
322
364
385
一 59 一
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(自昭 ぉ25 年 3 月 至お ftSO 年 6 月)
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85 を *SS250 万円で , 取り, 100 部
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英文 ftStt vol. 2,485賈 刊行
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英文 KSffi vol. ; 1, 401g 刊行, 500
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32
同上 「*wj 刊行
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Mineral Resources of the Far
East (英文 ESS) ra 刊行に ついて
協定した も US は 《** 作 (t を もち
tUSi; は 出 饭《 を * も— する。
は 本 * の 内 S に 》 任 を t ち 出 ほ 会 は
外人 コビ一 エディターに よ!) 英文の
針 1,045.5
刊行 《! 無 《9S 布 数 :
東亜 地1 ft 70 セ v ト
;; ■:::: 770 冊
東京 地学 B 会に ほ存 * 科と して 預け :
来 亜 地 Kia 3 セ-, ト <38ira)
英文 tt 産 8 3 " ( 9H)
-60-
書 と 紹介
田 中 三業 《 刊行会 《 : —— 6B 中 《 ,三 ——
窠續と 昭 SlSO^. 東京 (世界 文 東). 625 頁
田 中 16 秀三 (1884—1951) は 火山 学, 湖沼 学.
» 理学 を はじめ, 広汎な 分 》 において, 先 B 的な
多くの 》 績を 《 し, また 東北 帝国 大学 理学 ffl 地理
学 «^の» ら ん 期に こ れ を 主宰 した ほか 種々 の 研
«*M にあって 後進の 指導に 当り, 多くの 人材 を
生むな ど, 学界の ffi おに 太い 足 » をと どめる 先学
01 人で ある, 外国の 学界との 接« が 広くて 深い
こと, 内外で BB かれた 国 での 活動が 極めて
gK であつ t ことな どで も, 異色の 存在で あつ
た, また 1918—1931 年の) に, +SI 編の » 文 や
S 告を本 S に 寄せるな ど, 本 との BB 係 tiS いも
のがあった。 本 害 は その ffi 弟の 1 人. 山 口 W
が 主体と なり, 故人の »績. ffifS など を? H らかに
する ために 計画され た K 念 出 ほ 物で ある,
本 * の 内容 は 次の 3 つからなる, すなわち 第 1
は 故 入の 主要 S 文 等の « 刻, 第 2 は 故人の 年! t 及
び 著作 S». 第 3 は 故 人の * 者, 友人, 門弟な
ど, ゆか!) の 深い 人々 による 追憶で ある, このう
ちで. 》 文 等の 復刻に この ffl! 厚の * 物の 大半が W
かれて いる, その 点から 本 » は 故人の S 文集の 色
彩が * い,
された の は 邦文 》 文 3«, 英文! ft 文 11« の
ほか, 随筆 》 の »告7 編で ある。 邦文 論文 3» と
は "北海道 火山 湖 研究 概報" U925 年, 155 頁. 北
嘱託と して 執 筆). 学 上より 見た る *
北 地方の 闋拓" (W37 年. 放送 原稿), "M« 地方
人口密度の 地形 的 分析" (1938 年, 本誌. 16 頁)
である * 何れも 故人が 特に 意をモ そいだ & 野に M
する S 告 であり, これら 3編 から 故人の 学問の一
H が うかがわれる,
風の ものと して は 自らの 体験 を 》 つた "南
* 文化 tt» の 接収 ——BB 南 島- の ほか,
'» 逸 地理学 会の 思い出" (1944) & はじめ 何れも
»*M こついての MS. であり, さまざまな 写真 も収
S されて いて, 故人の 眼 を 通しての 往時の の
学界, IB 学の 面影な ど を 伝えて いる,
復 文 II 文 はすべ て 火山に M する 研究報告で
あり, B 本の 火山活動に ついて, 内外の 学会 &
国際 学術会議な ど 》 表され fc もの が 主体 をな して
いる。 欧文で 書かれて いるた めか, »B 弘 3 によ
る (1952) の 復刻 もこ こに あわせて 収» され
ている。
» は 故 入に BB する E» である, 石 川 俊 夫に よる
故 人の 年» は 故人の 人となり をよ く 伝え, また 山
口 》 —郎ら による 著作 目 (9 は 故人の 内外に わたる
»£ 横の 活麵の あと をし のばせる, なお 特に 人 a 地
S 学に B8 する 研究に ついては. 上田 正 夫に よる 解
題が なされて いる,
の, 追 》 の 欄に は 2(W の が 収められて
いる。 何れも 短文で は あるが, 本 害の 冒ほ の 山 口
一郎の 序言と と もに. 故人の 人 Mtfc モの ft»
等の一 S を うかがわせる。
これが 本書の あらまし である。 その 主体 を なす
復刻の 部分 は, 組 方, 版 面な ど 全く 区 * の 邦文,
& 文 nSUSK であるた め, 頁 ») 付な どに 若
千の 問 题が あり, そのため 多少 使いに くい 点 も あ
るが, それ は ある 程度まで おし 方の ない ことで も
あろう。
本 害に は, いまと なって は容 ft に は 手に し 得な
い 先 IEW な 》 文も収 S されて いるし, また
科 もよ く 整えられ ている, このように 本 香 は, 阜
に 1 先学の 論文 集と いう だけで はなく. 学史 M 係
の S 要な » 料 を 提供す る もので もあろう。
(矢 沢大 二)
豳 MA 明 箸 : 自然 ~ 河岸 平 B の
— A5 版. 306p. 写真版 24 p. 図 + 表 多 »
1975 年 10 月. 束 京. 古今 «院. 価 3500 円
このと:: ろ 地形 術瞎を * 名に した 単行本の 出 SS
が 目立って 多くな つてき た。 河岸段丘 (町 田 S
著, 1963), B 伏 地 (矢 SR, 戸 貝塚 編. lWD, 低
S 地 (tt« 良 明 著, 1972), S 角 州 (井 M 弘太 fifS 著,
1972) などで あ も。 なるほど K 丘 S や 8 状 地 論 は
地形学の 分野で 古くから 手がけられて きたが, 自
然 堤防 となると それ ほ ど 研究の *« が あ る と は 思
われない。 本 害の 特 S な 点 は 第一に 著者が 地形学
者で はなく, 農業 地理学者 である ことで ある。 著
者の 学位 B 文 「わが国に おける 低位 生産 水 B 地搭
の 地 S 学 的 研究 J にもつと も; ifi» の 地形が 低 »»
であり, 自然 》防 であり. 研究の 《 化が おもむく
所, その 立地す る 地形に むいた という こと は « 解
できる。 人文 現 * の 分析から 地形に M 心が 向く こ
と は, 地理学 的 手法に t とづいた 場合に: « えられ
る 正当な 帰 « と 思われる の だが, 実 R! にモ のよう
な の 研究 歴を もつ 研究者 は, 不思議な ほど 少
ない。 却って 自然 地理から 人文地理 へと 考 S の 及
究者の W は 多かった が, 昔 は ともかく, » 近
では この 傾向 さえ も歡 a しない 雰囲気が ある。 専
W が »^ 化し, 地理学者と * しながら 広い (を
S け 人れ るのに 積 機 的で なく, »B 節の 専攻 分 ff
に 垣 接 をつ くって 侵されまい とする 自衛の なせる
業で は あるまい かと 思われる S である。 地理学に
携わる 者が. 学問の K (する ^ 果, 自然, 人文の 両
分 P を 能くす る 傾向 こそ 大いに 期待され てよ く,
それでこそ 真の 地理学 徒と いえる ものであろう,
著者 は その S 味で 真の 地理学 的 分野 を M 拓 しょ う
としてい る 勇敢な 竽 徒の 一人で ある。 ここで 地形
学の ffi 向す る 地形と, 著者の 扱う 地形との M に 相
H 点が あるか どうか を 注目で きる ことに も 本省の
WHS の 意 «が^ めら れ よう。
この 著鲁は 》1B に 「河岸 平 》 の 事 W 研究 _) と あ
るよ ラに, 各地の 自然 8 防に BB ナる ケース 'スタ
ディで ある, モの » 例 は 北海道から 九州まで はか
所に 及び, 自ら 現地に 赴き «W に まかせて R 料 を
Jt 集し, これら を 組み合わせた 賣 S な 労作 である
ことに は 間 » いない 。北海道, 東北 地方の 事 W に は
西 別 川の 浮 石 * 自然 堤防, 雄 物 川 呋 さく 部, 最上
) リ抉 さく K, 北上 川 一 BB, 中 田 m の: S 底 平 ff 及ぴ
仙 台 平 If の 自然 堤防が とりあげられ ている。 M 東
地方の 事例に は, 秩父 盆地 荒 川 沿岸, « 川 新 B 状
地, 墙玉 E 地帯, 中部 地方の 事 W として は, 新 »
平 » 白 根 鳳 刈 谷 田 川, 保 食 川, &知》 低地 裕,
矢 作 川 fB 岸 平野が あげられ ている。 IS に 近 » 地方
の 事 おに は 近 江 六 甲 山 由 良 川下 流 谷 fi
平野, 中国, 四国, 九州 地方の 承 ffl に は 江川 狭 さ
<6E. 四 万+川 T 流 地 《, 熊 本 平野, 中 * 平野 及
ぴ宮 * 平野が あげられ ている,
評せの 平野 地形の フィ 一, レト から, いくつ
か 例 を t りあげて! «想 を 述べて みたい, 秩父 aw
の 段丘 面に は 高位の 尾 BWS: 丘, 羊 山 S: 丘 を » い
て B8 東 ムを 欠いて いる こと は, 火山 »& 源から
の 位置 的 ra 麵で, 沖 《 世 形成の 問《 でない こと は
すでに 判 S している 事柄で あるが, 著者 は それ を
IH 题 にして v 、るよう である, 冲 «» 丘と い ラ* 称
の 使用 は あいまいで あり, 著者 自身の 立 》 で それ
を 定« する ことが 先で ある,
熊 谷の 立地す る 荒 川 新 》吠 地に ついて 筆者 は M
凧をあげながら ril^J と 呼ぶ ことに 示
している が, その 点 は も 同 « である, 熊^
近 は 荒 川の 旧 自然 堤防と K 行扯に 特色が あり. 一
方 地下 の » 層は洪 と 解釈で きる こと も あわせ
て, この S の 平 if 地形に ついて 正確な 呼び名 を 地
形 学徒から 提案され て 然るべき である, 平野に B
する 地形の 研究 は, 土地 条件 図の 成果 は 蓄« され
て も 案外に すすんで おらず, 地形^ はこの «6
慢の そしり を廿 S してよ かろう。 * 川 や 利 S 川の
自然 堤防が かっての 綿 作 地と ma の ある ことな ど
嫩 地形と 歴史的 土地利用に m する 指 w は, 著者の
独 渲» である,
矢 作 川 は 河口 付近の 西 三 河 平》 で 砂 J! の 自然 «
防が 低地 寄に 寄 広 く 及ぶ という 指 » に も 抨者は 同
まで あるが, この タイプ は 木骨 It! 平野すな わち 滅
尾 ¥P の 特» でも ある。 のこの 特色から
「自然 港 防 帯」 という 用 IS を 一 《 的に 普及しょう
とする 試みまで あった。 矢 作 川が 砂 河川で ある S
由 は 流域の 花 w 岩の 深層 a 化に 由 来する こと を 先
ず 指摘すべき であると 思う が, S 河 山地の 老年 *
形 を IS 因と している の は, 娯 りで はない とほして
も, 效《 すべき S 点が 外れて いるよう に 思える,
そして ここで は 自然 堤 ffi そのもの 明す るより
は, 河床 低下, 天井 川 化;: か, 河 道 两 脚の クイ ツ
ク サンド 現象と か, 土木工学 的 BB 逭の R ,にお
わって いる, 各地 域の 自 ffi 堤防で 問题 のとり あげ
方が B* 断片的であって, 首尾一 貫した ものが な
い, この 点で は 著せ は 多角的で あり. お 》に» 欲
である こと は 判る が, 地理学 耆の! r い 点 を, *a
に! e 揮し すぎた といわれても 致し方 あるまい,
六 甲 山麓の IB 状 地 河川の 天丼 川に 沿う «S 地堆
積 物 を r 自 wtg 防」 とする g 首 は 一理 あるよう で
tt あるが, 用語の is 乱 を 招く おそれがない であろ
うか, 自然 Jt 防 は 三角州 河 JII に 特徴 的な 地形で あ
r>, その 堆積 》 式 も 独特で ある, 地形学 用 si は 成
63
因 的 分 観に asai をお いている ので あるから, 単な
る 形 擦 的 類似で, 用 » の 適用 範囲 を ひろげて いく
のに は閬 in が ある。
由 良 川の 例 は 34 ページ を费 し, もっとも 力が 入
れられ ている。 次に 長いの は 29 ページの 雄 物 川
» さく 部で, 他の 例 は 10 数 ページな いし 数 ページ
である。 由 良 川で は 谷底 平野の 自然 堤防の 特質と
水害との 閣速, 集落 移転の 問遍, 繩文 ,弥^ t»
の 発掘な どに 焦点が あり, 他の 章 をぬ いた 迫力が
ある。 雄 物 川の 例 も 谷底 平野の 自然 堤防が とりあ
げられ, 農業 用水 や 土地改良へ 首 及し, 水害との
W 速に も 触れて いる。 最上 川の 狭 さく 部で も 水害
と 集落 移転 力; 扱われ, 著 著者の 興味の 焦点 を 知る
ことができる。
この 會 物に は 写真と 地図が まこと に 臺富 で あ
る。 定 儀の 割合に 出版社 側の サ ビースが 行き届い
ている。 写真 は 害 物の 前 付 頁に 集められ ていて, 24
ページ 4^|| の アート 版で ある。 図に ついては 例え
ば 県 白 根娜の 記述が 8 ページ ある 中に, 図 は
6 葉 も いれられ という 具合で ある。 等高線 間隔 25
cm の 1 万 分の 1 やその 他 3000 分の 1,2500 分の 1
等大 縮尺 地形図 を 基 図と して 微 地形の 作図が 行な
われて いる。 図の 臺富 である こと は 説得力 を埯す
と 共に, 地方公共団体の 作製 した 工事 用, 計 面 用の
M 尺 地形図 を 基本的な 分析 资 料と している 著者
の 方法 »の钲 左で も ある 。大小と り まぜて 総計 225
H に 及び 本の スペース の 半ば を 占めて いる ような
8 が ある。 著者 は 地形図 判読に ついて すぐれた 啓
蒙 的 教育的 著作 「地図 読解 入門」 が あり, その 経
* が 反復され ている と 思われる fi 所が みられる。
従って 僳々 の 例の 解釈 や 形成の 理 についての 分
析 的な は 量的に は 少なくな つてい る。 むしろ
この 害 物 は 図 集と 力、 儀々 の 事例の データ • ブッ
クと 考えた 方が よいよう である。 表 は 図に 比べる
と 1 割に 充 たず 17 表で, その 半分の 8 表 は 8 節の
「埼玉県 低地 裕の 自然 堤防の 離, 藍 作, 睦田 J に
集中して いる。 ここで はいずれ も 土地利用 面積に
閟 する 表で ある。 図の 飱んど は 平面図に ある こと
を 合わせる と, この 害 物 は 記載 的で あり 定性 的で
あり, 定量 的, 分析 的と は 云い 難い。
個々 の 例 を あげる こと 力、 基準 的 事項に ついて
の 解説で あり, 相互の 比較 研究で あっても 欲しい
が, 問 雇 点の 指摘に とどまつ ている ffi 述が 多い。
日本の 自 然 堤防の 理始ゃ 一般性が 帰納的に 抽出 さ
れる 力、 あるいは 自然 堤防の 性質 や 形成 通 程, 人
文との M 係な どに ついての 演 » 的な 説明であって
欲しい。 しかし, これらの 一 tt» は 著 著の 意図で
は, すべて 後輩に 託されて しまった ように 見う け
られ る。
著者 自身 も 終 章で 述べて いるよう に, 狭 さく 部
谷底 平野の 自然 堤防, 旧 自然 堤防 (いわゆる 段丘 上
の もの) と 各種 自然 堤防の 水害 危 » 度への 閣心を
あげてい る。 判明した 地形学 的, 科学的 事項の 記
載が 体験 的, 感想 的 であり 過ぎる。 これ だけの 多 *
例から は 帰納的 法則が 得られる 答で ある。 「模索」
や 「迷い」 という ^» に 代る 部分に いくつかの 事
項が 指摘され ている が, 著者 は 自己に 正直す ぎる
のであろう か。 地質 区との 関 速 や 自然 堤防の 分類
の 系統 化な ど, となるべき 魅力的 媒 題が 単
なる 提 首で 終わって いる。 それにしても 当分の 間
は 平野 地形の 资料的 文献と しての 価値 を 損な う も
ので はない。 更に 著者に 地形 地理学の 本格的な ま
とめ を 期待したい ものである。 (式 正英)
一 63 —
64
協会 記事
理事会 (昭和 51 年 1 月 16 日)
出席者 : 评井 会長) 保 柳 副会長, 岩 生, 尾 崎,
川上, 西 川, 矢 沢 理事, 山 内 監事
m 事:
1. 正会員の 入会 申込 を 次の 通り 受理した。
大町 北 一郎
2. 正会員の 退会 申込 を 次の 通り 受理した。
* 山昌巿
3. « 助 会費に ついて
赞助 会費 は昭? P49 年度 通常 総会で 最低 1
ケ 年 10 ,000 円 を 希望す る こと が 決 鏃 さ れ
て あり, また 1 会員 当りの 地学 雑誌 発行
の 年間 経費 も 6, 000 円 以上に なって いる
ので, 10,000 円末满 の会费 納入 者 7 社に
対し, 最低 1 ケ年 10,000 円に して 欲しい
旨の 依頼 文 害 を 送る ことと した。
4. 東京 地学 協 会の 今後の あり方 を 検討す る
委 S 会の メ ン バーに ついて 第 2 回 評議員
会で 推せん 方 を 依 « したが 期 K までに は
1 名の 推せん となかった。 时の HMD
会長と 庶務, 会計 担当 理事と で 次の 理事
会までに 原案 をつ く る ことにな つた。
5. その他
1, 錄 会までの 日程に つき 事務局 案が 厚
則 的に 承 ほされた。
«S 委員会 (昭 »51 年 1 有 23 日)
出席者 : 矢 沢 委員長, 安斉, 井上, 河 村, 神 戸,
式, 譚舫, nm, 前 島, 前 田
m 事: 地学 雑 ft 第 85 券 3 号の 編集に ついて 審
SI された。
編集 委員会 (昭和 51 年 2 月 23 日)
出席者 : 矢 沢委员 長, 安斉, 井上, 川上, 神 戸,
式, ^ 肪, mm, 前 島, 前 田 各 委員
m 事: 地学 雑誌 第 85 卷 3 号 以降の 編集に つい
て審鏃 された。
□ □
お 顧い Vol.84, No. 6 の 口絵 写真 は 編集 上の
手違いで » まって 印刷した ため, 今 号に 正しい も
の を 挿入した ので, さし かて 下さい。
編集 委員会
委員長 矢 沢 大ニ
安斎 俊 男 井上 英ニ 川上 s 代 四 河村武
神 戸 信 和 佐 藤 正 佐藤久
式 正英 ^肪 彰
高 崎 正義 前 島 郁雄
ねな 田 四郎 山 本 正 三
I ^mia. 昭和 51 年 2 月 20 日印 刷
I 形 811 号 昭和 51 年 2 月 25 日 発行
| » 集 兼 発行者 矢 沢大ニ
I 印刷所 ーッ描 印刷 株式会社
束 京都 品 川 区 上大崎 3-12-15
発行所 |5 東京 地学 協会
東京都 千 代 田 区 二番 町 12 の 2
郵便番号 1 0 2
電話 束 京 (261)0809 番
振替 口座 東京 66278 番
Roatg および Tichiervs 水 河の SHI
:S 中 Tschierva 氷河の 氷 舌 (1971 年 9 月 2 II スイス 連邦 地形 SW 最 縮尺
約 1 万 9 千分 1 )
Reproduction of the aerial phorograph and ihe topographical map was permi-
(ted by EIDG- LANDESTOPOGRAPHIE, Wabern/Bern, in 28 Feb. 1974.
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^著 S • S や • UXUi^k ,1935-1950) 〒350
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地学 雑 tt 3 弓 ^r:. 1 亡 年 さ, loo 3
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ネリ;: ク " ムぉ; の 的^ 究
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JUM 1 0 1976
地 黌胜識
JOURNAL OF GEOGRAPHY k
VoL 85, No. 2 (812), 1976
小 泉武栄 : レバ.' ン山 k の; 地形
新 《» 夫 ■ 铕閣 東 地 城の 地下水 利用 と 地 mm 下 - '
E 田お 余 + ffl 村 は扣 ■ S 刀 利! 《 ■ S 井降弘 : 1975*!^
USB に みられた 断 JBiSSIj に 迚 させ る …'- tiC\i
ま if 嚷 一お : 南 • 朿 アジアの WI 造 地 55MS^f!-£^VS>^-:M£l*i 作 W の 準
書 》と《 介 -*iO *■
H 立 公 M 協会 : 本州 ヒ叫^(^^>11:':4'3 辺地 域の tlftfB ぬ 保 つ
ための WS« 告^ (式 正英 I
ttfiE 事 '
口 ffiffi ビクトリアランドの ドライ • パレ 一 ->
CONTENTS
Llimaiii; Geumorplitilogy uf Lebanese
High Mountains Taketi KoiXL'Ml i
Groundwater Utilization and Lundsuhsidencc
in ihe Southern Kamo District
-' -Siiiziiii SHINliOU '.
Some Evidences uf Faulting Associated
with the Earthquake of April lil,
1975 in the Central Pari of
Oila Prefecture I ware MATSUI>A,
Tushikazu TAMURA, Toshirj MOCHIZLki ami Tiikabim Kl'MI ■
Meelini; »f ihe Editorial Commiitee of Tet Ionic Map ami
the Preparation of Metallogenic Map i>i
South and Easi Asia Ktii.-hin. Kanehi«a I
TOKYO GEOGRAPHICAL SOCIETY
(TOKYO CHIGAKU KYOKAI)
Founded in 1879
Nibancho, Chiyoda-ku, Tokyo
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南極 ビク ト リア ラン ト' に 氷の ない ト' ライ ■ バレー (Dry Valley) が ある。 ここ は 南! Si では 珍ら しい 18
岩 地域で, 色々 な 地 W 現 ft がみら れる。 先 カンブリア S の片麻 W を 貪いて S»«Sffi 辟が ほぼ 承 a に 走
つてい る。 岩脈 はいく ら か Hi 科 を もってい るので. では K 行して いるよう にみ える。 iV も —は ラン
プロ フ アイ ヤーが おもで, 安山岩 h である。 岩»1 は 谷 を «1 切り, 大きな 波の り のよう な 3! 子で 歩いた。
これらの 岩 flfi など を. 水平に Ferrar doleriie の sill が 切って いる。 Wright S を なへ, へ リコ ザ
,一で 飛んで, 眼前の やや 紫が かった 霜い バンドに! » ろかされ た。' 与 では その sill の J? さは 300
m はあろう。 岩石 はかん らん 石 玄武岩で, その 性 W から は. 高ァ, レ カリ • ソ レ了ィ 卜と 呼べる,. ス
トロン チウ ム同位 (ftffihE ("Sr/»«Srt などから は. オース トラ リマの タス マニアの もの じ 系統と さ
れ, ゴン ドヮナ 大陡一 大陸 ft 動 説の となって いる u
ドライ' パレー 奥地 は 氷 河 が 流れて いる。 流れて いっても 年に l()-50m の は ft£ である。 *坷 に 削
られた 雄大な 南 Si»i 断 山脈の 断面, 1® お 千万 年 前に 活動 した 大なマ ダマが, どのよう にして 地中 を
移動 して 行った か。 その メカニズムと ェ 丰, レギー を 思い, していた, (昭和 50 年 lfj. Dry Valley
Drilling Project に 参加して. - 0
地学 雑誌 85, 2 (1976)
レバ ノ ン 山脈の 気 侯 地形
小 泉武栄 *
Climatic Geomorphology of Lebanese High Mountains
Takeei KOIZUMI
Abstract
Lebanese Mountains running along the eastern coast of Mediterranean Sea are
about 3000m high and consist of jurasic and cretaceous limestones. Several geomorpho-
logical phenomena derived from lithology and climatic conditions develop in these
mountains.
Several undulated erosional surfaces which are strikingly contrast of deep valleys
with high cliffs are well reserved. The limestone composing the Mountains is weak
enough to be cut into deeply by water erosion but it resists to mechanical weathering,
so the erosion is restricted only along the streams and the slopes and erosional surfaces
are apt to be reserved.
At the head of the streams there are great cirque-like landforms, represented with
Cirque de Cedres " and have been regarded as glacial cirques by several authors.
These landforms, however, are also ones derived from lithology and it is impossible to
think them glacial cirques. These landforms seem to have been created by the land-
slides occured frequently under the different climatic conditions in the past.
Small hollows, distributing generally on the erosional surfaces above 2000 m high,
have been often considered as nivation hollows. But these hollows seem to be karst
landforms and their distribution is controlled with the underground water system.
Therefore it is not correct to relate these hollows with firns.
Patterned grounds develop widely on the gentle slopes in the alpine zone of
Lebanese Mts. For the formation of these landforms intensive destruction of bedrocks
and productions of gravels and small particles are needed at first. The grain size com-
position under the present climate is favourable to the formation of patterned grounds.
In this Mountain tree limit altitude is estimated to about 2500 m high, though it
is not clear at the present time. Astragalus and perrenial herbs < Via a cariescene) distri-
bute instead of trees. Judging from this, the lower periglacial limit is estimated to
have been at 2600-2700 m high. On the area above this lime debris production and
movement were vivid, and the area below this line soil formation was predominant and
patterned grounds occur only as extrazonal phenomena here.
Periglacial deposits belong Riss and Wlrm ice ages are observed around Qornet es
東 《 大学 大学院 理学 系 研究科 地理学 卑門媒 程
Graduate School, Department of Geography, Faculty of Science, university oi Tokyo.
Saouda and other placet. Thes« old deposits are consolidaled. Riss deposits are
coarser than Worm deposit a. And boih deposits are coarser than the deposits on th«
present ilopes.
« 中 海の 束 岸に 位 匿す る レバノン は, せ阜 県と ほぼ 同じ ffiffi の 面« しかない が. 国内に 3,000m を 越え
る ifi 山 を もつ 山国で ある, この 国の *SS について は, フランス, ドイツ を 中心とする ョ一 d 7 パほ 国の 学
者に よって, 主として 気お JftJg 学 的 M 面から 研究され てきた が * 近で は, ifiJi? 学者と 先史学 者の 共同
研究 もさかん に 行なわれる ようになり, この は 西 アジアの 洪 fldfi: の ft 侯 や 地形の 変化 を 16 ずる 際, i?
t す ことので きない IffiW の 1 つと なって いる。
—方, この 国 は 気 侯 帯 こそ S なる が, 西南 日本と ほぼ 同 に 位置して ぉリ, この ことから ここの 山 地
での «® 研究 は, 日本の 高山との 比較の 上で さまざまの PI 味 深い 事例 を 提供して いる, また, &近 では,
構 iS 地 W 学の 分野で も 注目され る *W の 1 つと なって おり. 新しい 造山带 であると いう 点から も. 我々 に
は R^ffi い U&« である。
» 者 は 1974 年, 第五 次 東京大学 西 アジア ^81 世人 SitWBIS 団の一 員と して この 国 を 肪れ, この itett の
と §然》 境の 変遷に IW する 研究に 従事した。 » 者の 》 (査は レパノ ン山 脈の ffl 山 带 における 気候 地形学
的概 g を 主として おり. に 必ず
しも 全 iM 的に は g える もので はない
が, 若干 新しい データ も 得られた の
で 報告す る^ 第で ある。
-*7 ^Mik^mfi
i. » 査地 《 の 《«
レバノン は, 地中海 沿いの 狭い 海
岸 平 w の 邾分を 除く と. 海岸 《t ほ
ぼ 平行して NNE-SSW 方向 に 走
る, 3 つ ^地形 単元から 成リ 立って
いる。 西の レバノン 山 SR, 束の シリ
ァ との 国境 をな す アン ティ レパノ ン
山脈お よ ぴ两山 *S の M を 走る ベ: y 力
盆 地で ある。 このうち, レバノン 山
岍は 長さ 約 165 km, 幅 約 20km, S
さ 約 2,000~3,000m の R ほ 状の 山
地で ぁリ, これと S 走す る アン ティ
レバノン 山 SR:±. 規樓 では レバノン
山 Sfi にや や 劣リ, 3S 度 も 2,300~
2,600m と 低下す るが, 南 《 は 2,800
m の ヘル モン 山に 連なる。 いずれも
S 本 ァ., レプス 接 度の 規 ffl と 考えて よ
い。 この 两 山脈に はさまれ るべ クカ
お 地 tt, B10~20km の #B 長い & 地
で, KS から 死海 地 清に fit く 大地 溝
レパノ ン 山脈の 気 侯 地形
67
m
3000-1
LEBANON
Qamcl •• %»mudM
[ ]Altvium {^. ] N«og»n*
M
40
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50 60 70 km
iraC«r>om*ni«n- f-£^ Lower Cr*Ue*ous
第 2 図 レバノン 山脈, アンティレバノン山脈の 地 断面図 (de VAUMAS による)
帝の 北端に 相当して いる。
地 R 学 的に は, レバノン, アン ティ レバノン
の两 山脈 は, ジュラ紀〜 白亜紀の 石灰岩 からな
つてお り, 第 2 図 2) に 示した ような 背斜 構造 を
なして いる。 この 背斜 構造 をつ くった 構造 運動
は, 中 fHi: に 始まった と 考えられて いるが 8),
その後, この 背斜 構造 を 切って, 侵食 小 起伏 面
が 形成され た。 この 侵食 小 起伏 面の なごり は,
現在, レバノン 山脈 各地に みられ, 標高 2,800
〜2,900m, 2,500m 付近, 2,000 m 付近, 800
〜 1 ,200 m 付近お よび 400 m 付近に 平坦な 面が
存在す る。 これらの 面 は 高度 頻度 曲線 (第 3 図)
や Suzuki (1971)" の 作製した 切 峰 面 図に よく
表われて いる。
ところで, 面の 配列 をみ ると, 髙 位の 面 ほど
東よりに 分布して おり, 面と 面との 境界 は 一般
に 直線 状で, 山脈の 走る 方向に ほぼ一 致して い
る。 したがって, レバノン 山脈 は 主 稜線が 著し
レ-
レ
ノ
ノ
ノ
山 北お
山! til 中^
ill 随 お
0
12%
2 4 6 B 10
第 3 図 レパノ ン 山脈の 高度 頻度 曲 練
く 東に 儡り, 急な 東 斜面と 緩 かな 階段 状の 地中海 斜面と から 成って いる わけで ある。 これらの 事実 は, か
つて 一統き だった 侵食 小 起伏 面が, 差別 的に 隆起して 数 段の 面と なった 可能性 を 示唆す る ものであるが,
これにつ いての 詳しい 研究 はま だ 行なわれ ていない。
一方, ペッカ 盆地 は向斜 部に 相当して いるが, 両 山脈との 境界 は, 落差 l,000~2,000m に逮 する 正 断
層 度で 境され ている。 盆地 底に は 数 100m に逮 する 第 四 系が flfcfg されて おりへ 第四紀 における 相対的な
盆地の 沈降' 山脈の 隆起 を 示して いる。 また, レバノン 山脈 周辺で は, トリ ボリの 東北 部な ど 数 « 所で 玄
武 岩の 流出が みられ, その 時期 は 鲜新ー 洪積世 境界 ごろと 洪積世 末に 集中して いて, 後者 は 第 四紀に 入つ
てからの 断 裂 運動 を 示して いると 考えられる。
レバノン は 気候 的に は, K 季の 乾燥と 冬季の 湿澜を 特色と する, 地中海 式 気候 区に 属して いる。 降水量
は 地中海 沿岸で 800~l,000mmSS で, レバノン 山脈 主稜 部に 向かって 墦 加し, 最高で 1,400~ 1,800 mm
に遑 する。 主 を 越える と 降水量 は 急激に 滅 少し, べッカ盆地では400〜800111111§*, アン ティ レパノ
ン 山脈で は 200〜600mm 程度 落ち こむ。 この 降水量 は 大部分が 雪の 形で 冬季に 集中して 降る。 とくに 主稜
部 は, 11 月から 5 月に かけて 雪に おおわれ, 局地的に は 9 月 ごろまで, 雪 田の 形で 雪が 残る。
II. レバ ノ ン 山脈の 山地 地形の
レバノン 山脈の 山地 地形の 最も 目立つ 特色 は, 深い 谷と 平坦な 河 間 地 城の 著しい 対照で ある。 レバノン
では 海岸の すぐそばまで 山地が 迫って いるが, この 山地 を 深く 切り込んで 两 側に 高さ 数 100m に逮 する 絶
一 3 一
OS
泉武栄
* をち つた 姨谷が 生' 二て r る-, 二ん ような 峡谷 は Nahi«> Ibrahim など, 主要な 河 Ml に^ o て 典 鹏 にみ
られ る、 姨谷 瘙 ^お M 續物は 乏し ぺ ~H ^こ 基 «が 露出して いる。
これらの 峡^ を f:^ へた どって いくと, 棵 高 l,400~l,800m 付近で 泉に 到 逢し, 峡谷 は そこで 途切れ
つ、 バリ., こん^ 分 をみ ると, 平坦な 面に 切' つ 二んで 突 M い 峡谷が 始まって おり, 日本の 山地の ように,
多 * の 支 ィ r 應 して, しだ, 'に 大き', '河川に なって いくの を 見 憤れて いる 目に は, いささか 奇異な 感じ
がする つ レバ ノノ 山^で は, 水 H ^い 谷の 底に 限られて おり, 1 に 水利 条件 は 悪い が, この 泉の 都 分
は 水が たえす れ, 可 旃:^ W しに いので, 山中 にもかかわらず, Bcharre や Faraiya を 始めと して,
かなり 大ケな 集落が^-, 7: していろ. 二れ らの レバノン 山脈 中の 都市 や 集落 は, 歴史的に は, 7~8 世紀 ご
ろ, ィ フラム 教徒に j& われて 山中へ 逃れた 原始 キリスト が, その 基 を 築いた といわれ ている-
ヒソ, ザ', ^い 谷と 谷の 間に は, 平坦ない し 小 起伏の 河 m 地 城が 細長く のびて いる 2 レバノン 山脈 中の
中小の 集 » は, ほとんどが:: の と に 立地した ものである; 主要な 道路 も, 主として この 河 間 地域 を 走り,
覼ト' に^い 峡^ を 兌 f 'すと. しばし; f 恐 怖す ら 感じさせられる, このような 河 間 地域に は 2 系統の ものが
な ff. すん., 1 つ は 先に 述べた fift 小 起伏お であるつ しかし, 一般に みられる もの は, この Sft 小 起伏 面 を 盆
状に 削り; もんだ の-:', に^ 河川に 'に; ii ^して みられ, 現在の 峡谷が 形成され る 前に 広い 谷 をつ くって
いたよ う '"'ある, i/fi にに 堆 « 物が ^ 出されな ',、こ とから, これらの 面 は Sft 段丘 面で あると 考えられる
//., : の fi>ft ^は 「^へた どって いくと. 400m の g 食 小 起伏 面に 連なる ようにみ える。 すなわち, ?可川
が ゅノ P んょ うに 「刻 を める^ に は, 400m ifri が S 食 基準 面に なって いたよう にみ える: >
-- -. -n 1 つ は, ひしなければ な 'vv い 二 と; に こ の 侵食 段丘 面 を 切って 生じた 峡谷 沿いに, 河岸 SlE がみ
られ な' /' '. > , 'あな. rftHV: 付近に み。 れろ W 段の 海/^ 丘" は, 内達 部に は連統 しない 。 このような 河岸
»n ノんク け. 400m ル| 形成 後, レバノン 山脈が 新たに 隆起 を 始め, その 結果, 急激な 下 刻 力 滞 続して お
'ノ' : ^ひ^ゃつ z るよう な 河床の 安定 期が 生じなかった ためと 考えられる。
W 川^いの ほ ftifti を H . た どろと,^ の 背後に ある 巨大な 馬蹄 状の 地形に 到達す る。 第 1 図に 示した よ
ゥに, I: ^な « 川の? fiWf$ に は ほぼ 例外な くこの 地形が 発達し, 北から Ceder 付近, Faraiya 付近,
B«^mfa 付)/ i, Hammamna 付近^に 典 や. 的な ものが みられる。 いずれも, 幅 3 ~ 6 km 程度, 比 高 敷
100", の |' 人な' 卜 | リ形 状の II を ^ に^けて いろ; ^食 小 起伏 面との 閟係 をみ ると, Ceder の ものの み 最高
位の |Al に 食い : んで おり, その他の もの はよ り 下位の 而 に 生じて いる。
III. Ceder の 馬 » 状 地形
レパノ ン山脈 の 地形 を特 « ベけ る, このような 巨大な 馬蹄 状 地形の 成因に ついては, 相対 立す る 2 つの
W 力'' 出々 れ C* レ、 る,, 1 つ は Kaiser り" による 氷食税 で, この 説に よれば, この 馬蹄 状の膨 は 水食
BT/ に •》, り, Ittl^Ut の郎 分に は モレー ンゃ ルンド ヘッカーが 認められる という。 Kaiser はさら に, レバ
, : III 脈に {J :ビ IH の 氷 ft 作 川が^ め にれ ろと し, Baharre や Faraiya まで 氷河が 達した ことがあ ると 主
« I /' .
'-れ に^し, KLAKR (19<i2)») や MESSERLI (1966)", BESANCON, DRESEN et TRICART (1973) " ら
は. i.'ftr め, 灰 や 水^みの: トメ i' 流 的な マス ムー ブメ ント によって 差別 的に 侵食され て, 馬蹄
状の ま f'; が 形成、 わたと !:' W していろ .
»«U : 力.】 りな W 蹄 状の 地形のう し. ^も 大きく, 典型的な Ceder の ものに ついて 実地に 観察す る
■»'/,' ひ A たの に 以 ド それにつ! ■ 、てに') ベる。
') に. 'ド 山 III'; は JfHW に 小した iifi りで あ •':>。 第 4は1の 北半 部お よび, 南西 部に 残された 小 起伏 面が, ス
ん •: 伏に^'' ひ, れて おり, 比ぶ/ i 杓 800m に^ぶ 急な 斜面が 形成され ている (写真 1)。 この 長大な 斜面
は. ^に は I* 好の スキー場 として 利 IH されて いる。 馮蹄 状の 地形の 底の 部分 をみ ると, Ceder のの る,
1,800 〜: i,(KX)ni の ゲ .J11 な郎 分と. Bcharre のの る 1,400 m 程度のより 低い 平坦 部と が B めら れる。 この
一 4 一
" 、■ '一. *
レバ ノ ン OiB の 《(* 地形
0 1 I ton
ほ 40 Ceder の 馬 B 伏 地形お よび 山頂 fit の » 地 K の 分布
うち, 下位の 面 は 前記の4 00m 面に 連緣 する ほ
食 S の 一部 を » 成す る もので, た i たま, 《 岩餍
である 玄武岩 層の 位 匿に 一致して いる。 これに
WL, 上位の 面 は, 厚さ «; 大 《0m にも 速す る
*19 物から なる 堆積 面で, 堆 8 (物の 基底 は,
Bcharre のの る 面で ある,
地 JS 断面図 (第 50) に 示した ように, Bcha-
rre のの る » 食 面, すなわち, 広 い 盆 状の 谷の
形成 s, 背後から 大 ft の 岩 屑の 供給が あり. a
伏の 谷 は, 現在の 堆 fll 面の レベルまで 埋 精され
た: この 分厚い 堆 « 物 は, 下流 部で は 見出され ¥S 1 Ceder の 馬 « 状 地形の 料 面
ず, 堆 9 のお こったの は, 谷 頭 付近に 限られて いたよう で fc る。 堆積物 は 全体に 粘土 «で あるが. 搔 10m
t あるよう な 岩 塊 も 含み, 嚷理も K めら れる ことから, BESAN90N にの 主張す るよう に, 崩壊な どの マ
ス ムーブメントの くり 返しに よって 生じた ものと 考えられる。 巨大な 馬蹄 状の 地形の 斜 ffi は, 堆積の 》ff
に 伴って 後退した に違いない。
m5m Ceder および Bcharre 付近の 地«»面ほ
lWB« の 位置 は 》4H に 示す)
[ 2 Ceder のの る SS: つくる W»
は 状 地形のお B. 手 flK は Bcharre
のの る 面に« く 平坦 面.
は S び 下方から AME をう けて, 力、 つて
の 谷が 掘り出された。 Bcharre のの つ
ている 郎分ゃ 房の 郁 分に ある 《 層 は,
かって 堆 9 物の 削り S しで ある1"。 そ
して 現在, この 掘り出された S 状の 谷
の 底 を さらに 深く えぐって, V 字 型の
峡谷が 形成され ている ので ある。 現
在, 峡谷 をつ くる 下刘は Qadicha の
mm ca«.fR> (第 a 図の ® 地点) ま で 速
している が, & 状の 谷の 掘り出し もち
ようど この SB 分まで Sia してお!), そ
こに は 比 ffi400m にも 速す る 急 «が 形
成されて いる (写真 2)。
—方. ^蹄 状の 地形の 斜面の 部&
は, 全体にの つ ペリして 出入りに 乏し
く, KRffi 形は斜 ffi のどの S6 分 をと つ
て t ほぼ 同一で, わずかに 凹形 を 示
し, 氷河 作用に 起因す ると 考えられる
ような 凹 みは みられない。 傾斜 も围谷
壁と 考える に は 8( かすぎ る。 また, 斜
面 は 一般に 岩觭 におお われて 露 岩 地に S しく ,
隱谷 ffi と 考える に は 不都合で あり, 露 岩の « 分
でも * 食の 証 «1 を 見出 ナ こと はでき ない。 した
がって 地形から みる 限り, 氷 食 作用の 痕》 は B
めら れ ない。 馬蹄 状の 地形が 全て 81« の 西 W に
分布し, 東側に これに a 台う ものが 存在し ない
の も, 氷 食 K に は 不利で ある。
これらの 事実から 判断す ると, 馬 ft 状の 地形
および 2段 の 平坦 面 は, 氷河 作用と は 直接関係
がない ようで ある。 Kaiser が モレ— ン とした
小 丘 や ルンドへ'.' 力一 としたで つばり は, 堆
をつ くる 堆 《 (物の 表嶋 W が 固 結し, それが
小さい Sii によって 刻まれて 小 丘と なった もの
で, モ レーンな どで はない らしい。 これらの 小 丘 をつ くる 堆 s [物 は, 溶 食と 再 固 結に よって, ごつごつと
した 穴 だらけの 硬い 岩と なって しまって おり, しばしば Jf い 赤色 土 をのせ ている。 したがって, 堆 9 物の
iSiS はかな!) 古く さかのぼる 可 (6 性が ある。 ただ, 膨大な 堆« 物の 供給され た 時期, そのと きの 気お 条件,
崩 «等 が 頻》 した 理由お ょぴ それが 現在お:: リ 得ない 理由 等に ついては, 今のところ 不 W であり, R 蹄 状
の 地形が 氷 食 匪 谷で ない ことが はっき リ した だけで, »大 な 堆積物が * 期に 供給され た 可 « 性 を 否定す る
もので はない。 これらの 点の 検时 は, 今後の Bf 究に まちたい。
Ced" 以外の 馬蹄 状の めについても. 同 » の堆 SWft が «S されて ぉリ, Ced" の 場合と 似た ような
が 行なわれ たようで ある。 氷 ft の 可 ffi 性に ついては, すでに *S« されて いるよう に111, «養《 に
レパノ ン山 as の *ft 地形
比較して 圏 谷が 大きす ぎる という こと も あり,
Ced" の 場 台と 同 as, 可能性 は 小さい といえ
なお, Ced«r のの る 堆積 面の 中央 SB に は.
地名の fc とに なった CwArr (レバ ノ ン杉) の 林
が « されて いる (写真 3)。 "の 木 は, ェジ
ブトの ビラ ミ つ ドの 中に 納められ ている 棺ゃ,
a— マの 軍船に 使われた ことで 育 名で ある。 か
つて は レバノン 山 SR を 広く おおって いて, レバ
/ ンの 国旗に も 描かれて いる この 木 も, フ: t 二
キア 以前から といわれる S: 年月に わたる 伐 探に 写真 3 CWcr (レバノン 杉) の: *
ょリ, S 在で は, : このほか JaUl"' Barouk などわず か»窗 所に 《 される だけにな つてし まい" >, すべ
て 天 物に 指定され ている" >。 C(d びの 林 をつ くる 木 は, いずれも 直径 lmSS に: る 大木で, K
を 大きく 広げ, 美しく りつば である i»。
iv. 山: «» の 小 について
Ceder の 馬 ほ 状の の 斜面 を登 リ つめる と, 最 SS 位の ftft 小 g 伏 面と なる。 ここに は 前輪 《 性の 谷が
みられる ほか, 流出 河川 を もたない 内陸 地域 も 生じて いる。 «± は 2,000m 付近から «激に» 少し, 露 岩 地
や 岩 S 斜面が 卓越す る。 小 起伏 面 上で は Astra-
gali's S の トゲの 多い
3 ン植物 (写真
g の 多年 生 草本) 力: 卓越し, 主として 北お よび
西向き 斜面に 生育して いる。
gft'j 、起伏 面 上の 斜面 は 一般に 出入のに 乏 し
i. 谷 密度 も 小さい が, このような 特性 は, 小
s 伏 as 上で あると いう ことに 加え, 本 地 城の 地
s に 原因が 求められる ようで ある。 本 地域の 石
r 岩 は 多孔 質で 水 を させ やすく, また, »
の 形で 冬季に 集中し, 》S 水 は 1* 々に 写真 4 Astragalus
ft 下へ « 透す るから, 表 流水の 生ずる の はごく 短い 期 M に 阻ら れて しまう。 その 結果, 支 谷 は 56 速し にく
くな り. 山 ひだに £ しい, のつ ぺ りした 斜面が できあがった と考えられるの である。 斜面 は一 SC の 露 岩 地
;: 除いて, ほぱ岩 S におお われる が, これらの 移動 は 主に, as 酗解 による マス ムーブメントと ごく ほら
れた期 M の 表面 流出に よってい るよう である。
S 出ナ る。 しかるに 山脈の 主 Sffi をつ くる 白亜紀 層が わずかに 西へ" « いている ため, 山] Stt 分で した
16 下水 は大郎 分が 地中海 側へ 流 下す る。 A や 主!! 河川 は ほとんどが 地中 jSW へ 生じて ぉリ, 前述の 再» 状
ffiJB も 地中 ifflH に 分布が « つてい るが, これ はこの ような 地下水の 動きに 密接に M 速して いると みて よい
であろ 5。 なお, * から 下流で は, « 時 水の ある *SE の 85 分が 下 刻の 進 むのに 対し, 谷 壁の 部分 は 上 12 の
と 同じ 理由で なかなか 後 やしないから, 必然的に 急な 谷 壁 を もつ R 谷が 形成され ると 考えられる。
ところで, この BMt 小 g 伏 面 上に は斜 E, 平坦 地 を 面わず, 多 》 の 小 窪地が みられる。 このような 小 81
地に はこの に R られ ず, レバノン 山 W の 2,000:»を« える 平坦な 山 » 上 は, ごく *»に«« に みら
れ, ~»! 的な もの は 写真 5 に 示した ように, H 形 あるいは ft 円形で, 深さ 1— 5mS« のす!) ばち 型の 凹
みで ある。 この 小應 について 鈴 木 -ffl 田
(1971)1" は, 残雪 下部からの 水が 石灰岩 中
に S3 する ことによって 形成され た, nivation
hollow であると 考えて いる。 鈴 木ら によれば,
'1、 窪地の 分布 は 東, 東 ffl, 南の 風下 斜面に 片寄
つてお り, この ことから も as 分布が 小 ほ 地の
© 成と 密接に M 速して いる ことが わかる と い
このような 4、g 地 を snow patch あるいは
firn に 結びつけて 考える 考え方 は, この 他に も
KLAER (1957)" などに みられる が, とくに
Kaiser (1963) "はこの 小 g 地と 氷期の fim と
を 結びつけ, レバノン 山 ffi の 平坦な 山 » 上に
plaleau glacier が 存在した と 主張した。
し 力、 し, 上記の ような 小窈地 を nivation hollow とする 考えに は 若干 » 問が ある。 內 餌 に 残 奮の つま
つてい る 小 窪地 は 61 かに 存在し, この場合, fttlt 水が 小瘙 地の 拡大に M 与して いる こと は # かで ある。 し
かし, 筆 §が7 月下 旬〜 8 月 上旬に 観察した とき は ,奮の つまった 小 g 地 は 標高2, 800~ 3.000m の Qoraet
es Saouda 付近で まれに しか 存在せ ず. #|«2, 000- 2, 100m 程度の Jabal Kesrouane では 全く 見られ
なかった。 また, 鈴 木ら は 東 あるいは 南 斜面に 小 窪地が 多い と 主張して いるが, 小 g 地 は 平坦な (BS 分に も
多 » 分布して おり, そ:: では nivation hollow を 生じさせる ような, 積雪の 不均一 な 分布が 生ずる と は
考えに くい 0 したがって 小 g 地 内に S が 残る の はむしろ, 小 g 地の 存在が 原因に なって いると 考えた 方が
よさそう である。
さらに 鈴 木ら の a では 小 s 胃 成の 初期 条件が 81 明で きないよ うに 思われる。 この 山地に は, i>a 地の 期
芽と でもい うべき, ^RlOcm, 深さ 10~20cm の ごく 小さい 凹み も 多数 みられ, これらが 次第に 大きな g
地に 18逮 していく と考えられるが, このような 小さな 凹地 は, «S の不 均一 分布と は 全く BB 係な く 生じて
いる。
ここで 小 S 地の 分布 を 改めて 検时 してみ ると, 小廯. 地が 単独で 存在して いる » 合 はまれで あり, いくつ
かの 小 S 地が 線 状に 速な つてい る ことに 気がつく, 線 状の 違な り は 主として, 斜面 上の 21 い 谷 筋に みられ
るが, 平坦な お 分で も 小 ffi 地の 連貌 している のが みられる。 このような 分布 パターンから すると, 小
)S 地の 分布 はお そ ら く 地下水 系に よって 規定され ている と 考え られ る。 ffl: 透 水の 通路に iS つて 物質が t リ
去られ, 小 窪地が 形成され ていく のであろう。
筆者 は 今回, 小き 地の 形 I* に M わると みられる 興味深い 現 * を した。 それ は Qornel Fahd 付近の
なだらかな 斜面 (第 40 の①) に 生じた, 直 ほ 杓 5m, 深さ 2.5m 程度の 陥没で ある (写真 4)。 g 透 水に よ
つて 物 K が 除去され. 地下に 空润を 生じて 陥 S した ものであろう。 この 穴の 脚 壁に は 怪】0 〜ほ cm の 角 確
とお «の 乱雑な 堆 » が 現われ. 不明瞭な B 理が 認められた。 このような 穴の 側壁が 期 れれ ば. すりばち 状
の 典型的な 小 g 地が 生ずる であろう。 形 も 円形ない し tKPI 形になる はずで ある。 したがって ras の' 1、3 地
は, g 本 的に は カル スト 地形の 一種であって, 一 9E では! が 拡大 要因に なって いるものと みられる。
なお. Qomet es Saouda の 西方 約 2km に は, 直径 杓 200m の 巨大な ゥバ一 レが 存在す る。
v. レバノン 山 k の 精 at 土
写 J5 5 Qornel Fahd 付 S の 小 S 地. 左^に 新
しい SBS がみえ る. 手 W の植 «1 は! S い' つ
が Astragalus, t う 1 つ は マ メ 本,
1974 ff. 8 ^ 9 ilW 映.
この 山地で は 多くの 場所で 構造 土の Kg され, 構造 土に ついての 《 告も多 » に のぼる。 KLAER "によれ
ば, 直後 60cm までの 多角形 土が 頃 斜 5° 以下の 斜面に みられ, それ以上の 鄉 の 斜面に は 土が 《速
レバ ノ ン 山脈の 気候 地形
73
している。 鈴 木ら (1971) は 構造 土の 断面 を 観察して, 多角形 土が 表層の 角 » 層の 下部に ある シルト 層の
突き上げ によって 形成され たこと を 見出した。 鈴 木ら はさら に, 構造 土の 生成 や 分布 を 考える 際, «Kt 土
を 溝 成す る 物質の 生産 搽式 (風化 様式) と 生産され た 杓 質が 分布し, 残 積す るよう な 斜面の MM やその 広が
りに ついても 考える ことの 必要 をのべ たつ
この 鈴 木ら の 指摘 は 注目すべき ものであるよう に 思われる。 構造 土 そのもの は 周 氷河 地形のう ちかな り
特殊な もので あり, 限られた 条件が そろわないと 形成され ない が, 構造 土 をつ くり 出す ような 物 K の 生産
配分 様式 は, 他の 地形 形成に も K 要な 役割 を果 すと おえられる からで ある。 このような 理由に より, 筆者
は 溝 造 土と とも 注意した。 その 結果, 明らかになった こと は 次の ようで ある。
まず, 現在の レパノ ン 山脈 高山帯の 気候 条件 下での 岩石の 風化お よび 岩厣の 生産 様式に ついて 述べよ
う〕 本 地域の 石灰岩から は大 ざつば にいって, 径 10〜15cm 程度の 璣 から シルト までの 各 サイズの 岩枏が
生產 されて いる。 これらの 物質のう ち 細 粒な もの は 下方へ 流出して しまうた め, 山頂 部で は « 原が 形成 さ
れ ている が, 山腹 斜面 は 澳と細 粒 物質が 厚く おおう。 断面 を 観察す ると, 礫の 卓越す る S 準と 細 粒 物質 か
ら なる 層 準が 層 をな してお り, 粒度 袓成 にも 著しい 変化が あって, 斜面 物質の 生産と 移動に 変動に 変化の
あった ことが わかる。
一方, 平坦な 部分 や Qornet es Saouda 付近の 前輪 廻の 谷 あるいは 锾 傾斜の 部分に は, 山頂 部 や 斜面
から 流れて きた 細 粒 物質が 集積し, 櫟 まじりの 著しく 土 K な 表層 堆積物が 生じて いる。 多角形 土 や 土
が 生じて いるの は 実は こ の 部分で あ り , 大量の 細 粒 物 W の 存在が これら の微 地形の 生成に 重要な 役割 を果
している こと は, 疑い 得ない ところで ある。 また, 谷 筋に はしばしば, レ リックと 考えられる 赤色 土が 残
存 している が, 構造 土 はしばしば, この 赤色 土の 分布 地 城に 生じて おり, 細 粒 物質から なる 赤色 土が 同
様に, 構造 土の 生成に 関与して いる ことが 予想され る。
本 地域で は 多角形 土は怪 20〜30cm 程度の 網目 を なすこ と が 多 く , 粗 粒 部に は 2 ~ 5cm 程度の 角 碟が卓
越す る。 条線 土の 場合, 条線 間の 間隔 は 10〜 15 cm 程度の ものが 多く, 粗 粒 部分 を 構成す る礙は 5 ~ 10 cm
の ものが 卓越す る。 細 粒 部分 は細璣 まじりの 砂〜 シルト である。 細 粒 物質に 乏しい ところでは, 同一 の 傾
斜 でも 岩 甩 におお われた 斜面 をつ くる だけの ようで ある。 前述の 小 窪地との 関係 をみ ると, 分布 地 城 はか
なり 共通して おり, 小 窪地の すりばち 状の 斜面に はしばしば, 条糠 土が 観察され る。 このような 分布の 共
通性 は 水の 動き と 細 粒 物 H の 集積に 関係して いるので あろう。
なお, 日本の 山地と 異なる の は, 階段 状 構造 土が ほとんど みられな いこと である。 レバノン 山脈で は不
明瞭な 植胃状 土が わずかに みられる 程度で, 璣質瞎 状 土 は みられない。 これ はお そらく, 本 地域の 石灰
岩が *K 陪状土 をつ く るよう な 粗大な 磯 を 生産して いない こ と に 原因が 求め られ よう。 粗大な 碟 または 岩
塊の みられる の は 崖 錐, ヮ ディ 底, 雪 田 跡 あるいは ロック グレー シャ一 と みられる ところに 限られ, いず
れも おそらく 過去に 生産され たもので ある。 化石 あるいは レリ ックの 構造 土 も 見出す ことができなかった
が, これ も 1 つの 特色で ある。
VI. 通 去の 届 氷河 堆糁物
過去の 周 氷河 環境 下で 形成され た 地形 そのもの は 識別で きなかった が, 堆積物に つい は 3 つの 異なる 時
期に 厲 する ものが 区別で きた。 いずれも ソ リフラ クシ ヨン 堆 f| (杓と 考えられ, 写真 8 に 示した ように, 長
軸 を 斜面の 傾斜 方向に 向け, 急な 斜面と 平行に 堆積 するとい う 独特の 堆積 構造 を 示して いる。 水に よる 堆
積 物と は 明らかに 異なり, 斜面 上 を ずるずると 移動して いた 物質が そのまま 固定された ものである。 いず
れも多 かれ 少な かれ 淘汰 を 受けて いる。 まず 古い ものから 記述す ると, すでに 物質 を 供給した 斜面 は 後退
し, わから なくなって しまった 堆積物が 存在す る。 Qornet es Saouda の 南西の 谷の 中央 (第 4 図の ②) な
ど 数 力 所で 観察され, 著しく 硬く 固 結した 岩 塊 あるいは 確 岩 状 をな して 存在す る (写真 6)。 この 堆積物 は
他の 2 種に 較べて 相対的に 粗 粒で あり" 〉, 淘汰 も 悪い。 鑠と 磯の 間 を 充填す る 細澳は 融合して おり, 一粒
一 9 一
««K 造
ン堆 ffl 物の
—粒が 纖 &J しにくく なって いる。 また, マ トリ
-' クスの » 出に よ!! 全体に ガサ ガサした C» 状
を呈 している。 色 は 全 # に 風化して 貧 色くな つ
ている, この 堆 » 物 は BESAN<^)N(1973)"C
より. おそらく リス * 期の ソ リフラ クシ, ン堆
9 おで あろうと 考えられて いる" "。これに 対し,
ヴ ュルム 期の ン リフラ クシ, ン堆 81ft と 考えら
れる もの は. 次 のよ ■) な 特嫩& もっている。 R
く 固 結して »S 状 をな す 点 は 変わらないが, 相
対 的に 細 粒で あ リ"、 ^ 汰 t よい。 とくに am
を 充填す る 5 ~ 7 mm ほ 度の iifflIK の 满汰は よ
く, 固 結 はして いるが, 粒と 粒との St 合 はお こ
つてい ない, マトリックス は を S けて おら
ず, リス 期の 堆| ((物と された t のに « ベ, 空 »
が 少ない, この 堆 at は 写真 7 に 示した ように,
現在の 岩赝 斜面から 突き出し たような 形 をと つ
て 分布して おり. 現在よりも わずかに 》«*t な
斜 Si に 堆積した ようにみ える。 全体に 青み がか
つてい る 力;, 風化 as 分 は 赤色 土の 汚染 を 受けて
赤み がかって いる。 このように 2 期の 堆積物 は
持》 が 異なり, たやすく 囊 別で きる。
一方, これらと は 別に, 後 * 期に R すると 考
えられる 未 固 結の 斜^ 堆 tuft が 存在す る。 層 厚
は 場所に ょリ 興なる が, 一 般 に 80Cmffi 度 あ
J, 上 SE に 著しく ±« 化した 履 準が 》 め られ
る: この 節分 は径 l~4cal の 角》 を 含む 厚さ
ほ cmg 度の 睹« 色 土 壊 鹰 をな している。 この
±«S の 上: こ 再び やや 粗 粒な 痛 履が のリ, その
fi 上部が 再度 土 * 化 を 受けて いる。 そして その
上 を 現在の 周 氷河 堆 9» である。 径 2~3cm
のお 汰の よい 角 « からなる 層が, 7cmSffi の
厚さで 斜面 をお おう。 現在のお 面 物 « を 含めれ
ば, 都& 4 期に わたる 周 氷河 堆 され
たわけで ある。 このような ttffi 組成に みられる
変化 はお そらく, 気 侯 条件の 変化 を 反 狭して い
ると 考えられる。
なお. この 問題に ついて » —の 《cs で ほぼ 逾统 的な 変化が 《s された ので, 次に それにつ いて a ベる。
» 所 は Ceder から Col de Ceder へ 登って いく iSBfi いの H 頭で (第 4 図の ®, 標 《2,250m 付近),
Ceder の H 蹄 状 地形の 斜面の 途中 を 切った ものである。 斜 3d の 该斜は 23°, 堆積層 は S» 堆 9ft に 近い。
第 ii 図に 示した ように, »SS の 下 SE2.5m 以上 はき わめて く 固 結した 石灰岩の 粗 と we» の SB か
ら なって いる。 互 層の MHi は 10~30«n で, 粗 »W は 7~10cmS 度の 》 が 卓 *8 する が. »粒餌 はすで に
»fr して一 枚の 石灰岩の よ う な 》 相呈ナ る。 色 は 全^に 灰色が かってお リ, 時代 は リ ス期 であると 考えられ
レバ/ > 山 の »S 地形
る。 この 困 結した 囊 層の 上 m に 不整 台に ヴュル
ム W と考えられる 堆積物が のる。 全 層 厚 は 150
cm で 3 層に 分かれる; > まず. 下 ft! は 60cm の
厚さ を もつ やや 》 く 固 結した S« 色囊 層で, 径
4~5cm の * が 卓 *8 して マト リックスに 乏し
に この 上に. 10cm の * まじり W 色 砂 層 を は
さんで, 摩さ 80 cm の)) (色 角療暦 がの る。 マト
リ :' クスは 砂で 固 結の は 弱い。
ft 上部に は 55 cm の 履 厚 を っ完新 世-現在
の增積 物が のる。 これ は 2 層に 分かれ, 下 部 は
20 cm 角讓 まじり 明 層で, 未 S 結で あ
る, 上 8635cm は 含 角 土 壤層 で, 山頂
» のよう な 土 *S の 上に ft* がの る 現 » は みら
れ ない。 地表に は ん fra か/ w が 主として 生育
し, 植被率 は 約 30% である。
W 上み てきた ように, この 地点で は リス 期 W
* と考えられる 堆積物が ほぼ 速 に みられ,
岩 W 生産の の 変化 をた どる ことができる:
まず リス 期に は 相対的に 粗大な * が 生産され, 厚い 堆 8( 物 をつ くった。 ヴ: レム 期の 前半 は リス 期と ほぼ
同一 であるが, 後期に 人る と 細 «W 下の 細 粒 物 s の 生 《 が 相対的に » え, 》 の 生 8は« 少した ようで あ
る。 そして 完 Rtt に は 細 粒 物 K の 生産が 土 « 化が 進んだ。 標 ft が 低いた めか, 現在, 河 性 岩
1» の 供給 は 行なわれ ていない。 もし, より 寒冷な 気候 下で より 粗大な * が 生 塞され ると いう 仮 R をた てる
こ とが 許されるならば, 本 では リス 期が ヴ ルム 期よりも 寒冷だった ことになる。 ただ, 石灰岩の W
性に よる もの か, 日本の 高山で みられる ような, Sim を 越える よ ラな巨 « の 集 « は みられない ようで あ
8<if*l Ceder の 状 地形の 斜 B の
VII. 奮 線お よび 鬬 * 河 |»界緣 について
SS1 表に これまでに 18 出されて いる。 レバノン 山《 北 節の 省 ffl 氷河 E 度に BB する 見解の ゥち, 主要
な もの を まとめた。
これら を もとに, さまざまの 通 去の 免 候 像が 提出され ている が, まず. 現在の 蜇 (ft から »时 しょう。
Klaer "と Kaiser ""はと もに Qwnw es Saouda の 山 項 近くの 小 規漠な 越年 雷 を 指 摄 にして 貢 練を考
えた。 これに 対し, MESSERL リ) は 気 率から 3,700m t 計算して いる。 万年 «の B 度 を S» の 基準
»1 表 レパノ ン OiWUIlB の 雪》 および 1« 氷河 ほ界》 に M する tt&S*
KLAER, W. (1957)
i ,nn 1 free solifluclion 1 ,900
J'IUOm ~ 1 ― binded solifluction 1,800 1 -
Kaiser, K. (1963)
3,000 1,950 | ― | 1,800 | 1,100
Messerlin, B. (1966)
3,700 | 2,700 1 2.400-J !, TOO : |" て
E. de VAUUAS«> ひ 970)
76
J 、泉 武栄
にす るの は 古典的な 方法で あるが, 本 地 城の 場合 は 明らかに 吹き だま り による もので あ り, それ も, ただ 1
力 所の 万年雪の 存在から 雪線 を 設定す る もの は 危険で ある。 また, 筆者の 1974 年 10 月の 観察で は, 近年の
降水量の 滅少 傾向 を 反映 して 問題の 雪 田 は 著 しく 縮 少し, 越年す る こ とすら 困難の ように 見う け られ たぬ。
現在の 雪 練に ついては MESSERLI の 値 をと るの が 妥当であろう。
次に ヴュ ルム水 期の 雪線に ついて 検討す る。 まず, Kaiser は l,950m まで 雪線が 低下し, レバノン 山
脈に は plateau glacier が 生じた と 考えた が, これに ついては すでに 否定した。 これに 対して MESSERLI
は Qornet Fahd の 東 斜面, Machraa Tourmous 北側な どに 氷 食 地形 を 認め, 阍 谷底の モ レーンの 下限
は, Qornet Fahd の南柬 斜面で 2,500 m, 山地の 西側 斜面で2, 950 m, 北側で 2,500 m においた。 2,700m
という 側 は これらの 平均で ある。 ところで MESSERLI が 氷 食 地形と した もの をみ ると, 予想外に 小さな
ものである。 Qornet Fahn の 東の もの は MESSERLI が 代表的な ものと みなした ものである 力く, それでも
半円形の 直怪は 200m に满 たず, また, 固 谷と しての 凹み も 少ない。 現存 形成され る 雪 田 は 9 月までに は 消
失して しまう。 圏 谷の 末端 はわず かに 高まって いる 力、 堆積物 ははつ きり 確認で きない。 II 谷に 統く氷 食
谷の 全く 欠 除して いるもの 特徴の 1 つで ある。 また, 分布 を みても, 明らかに 局地的な 雪の 吹き だま リに
よって 生じた ものである ことが わかる。 したがって 氷河が 存在した と しても, ごく 小規模な ものであった
に 違いなく, 地形 形成 や 岩 屑の 生産 等に 対する 影響 も ごくわず かであった と考えられる。 雪線 を 圏 谷底で 定
義 するとい う 方法 をと ると, この 2,700 m が 雪線と いう ことになるが, 実際に はごく 局地的な 現象で あ
り, 2,700 m 以上が 1 つの 高度 带と して 氷雪に おおわれ たので はない という ことに 注意す る 必要が ある。
なお, BESANQON ら はこの 圏 谷 状の 地形 を karst nival, すなわち, nivation の 作用 を 受けた カルス ト
地形で あると 解して いる。 筆者に はこの 見解が 最も 妥当な ものである ように 思われる。
次に 現在の 周 水 河 限界 線に ついて 考えて みょう。 これ は 従来, 構造 土 限界 線と かソリ フラクション 眼界
とか 呼ばれて きた ものであるが, このような 呼び 方 は 誤解 を 招き やすいので, 上記の ように 呼ぶ のがよ い
と 思う。 これ はかって 筆者が » じたよう にめ, 温 « 山地に おいて は 構造 土ゃソ リフラ クシ ヨン 現象 その も
の は extrazonal な 現象と して かなり 低位 匿に も 出現し え, その 下限が とくに 意味 を もたない のに 対し, 気
候 MWe^ と しての 周 水 河 地 城の 下限 は, 地形 形成に とっても きわめて 重要な 意義 を もっと 考えられ るか
ら である。
さて, 本 地 城に おける 構造 土 あるいは ソ リフラ クシ ヨンの 下限に ついては, l,700〜l,900m とかな リ
類似した 値が 報告され ている。 しかし, これらに はいずれ も 共通した 問題点 を 指摘で きる。 それ は, 構造
土 あるいは ソ リフラ クシ ヨンと いう 現象の 有無の み を 問題に し, それが zonal な 現象で あるか 否かの 検討
を ほとんど 行なって いない ことで ある。 これ は, 先の 雪線に 関する 議論に も そのまま あてはまる ことで あ
るが, この 程度の 標高で 構造 土が 形成され る こと はごく 稀れ であり, たまたま 条件の そろった ところに 出
現した ものであるに すぎず, zonal な 現象で あると はみ なし 難い。 たとえば, Ceder の 堆積 面の 標高 はこ
れに 相当す るが, 構造 土な ど は 皆目 みられな いし, 逆に 1,900m を 越える 部分に CVJfr のりつば な 林が
みられる ので ある。 同様に Jabal Barouk では, 2,000m を 越えて Ceder や モミの 林が みられる。 した
がって, ここで も 構造 土の 下限の 値 そのもの は 大した 意味 を もたない。
筆者 はむしろ, 周 氷河 限界と して, 凍結 破砕に よって 生産され た 角碟が 斜面 を 広範に おおう 下限 をと リ
たい。 これ 以下で は 土壤の 形成が 進んで いるのに 対し, この 限界より 上部で は, 活発な 磲 の 生産と 移動が
行なわれ. 明らかに 異なった 地形 形成 带に厲 する からで ある。 レ、 うまで もな くこの 現象 も, 植生 分布 や 土
壌 水分, 斜面の 向き あるいは 傾斜 等に よって 分布 や 出現の し 方が 異なる が, 構造 土に 較べて はるかに 普 a
的 あで り, zone としての 把握 も 容易で ある。
本 地域で は, このような 岩 屑に おおわれた 斜面の 限界 はおよ そ 2,600〜2, 700m 付近に ある。 この 値 は,
KLAER らの 提出した 値に 較べて 800~l,000m 高い が, 決して 高す ぎる 値で はない。 レバノンの 20 万 分の
1 森林 図" 》 を 検討す ると, 人為に よる 破壊 を 辛うじて 免れて きた 山地に おいて は, 棵高約 2,500m まで
レパノ ン 山脈の 気 侯 地形
77
Junipers が 生育して おり, 人為的な 森林 破壊 さえなければ, この あたりまで 森林 限界が 上昇し うる こと を
示して いる。 また, 実際に 山地に おいて は, この 推定され る 森林 限界 を 越えて A^ra^i/f" 厲の 多年 生木
本 や マメ科 草本が 広く 生育して おり, 岩甩の 移動 を 食い止め ている。 したがって 2,600〜2,700m という
植は, 周 氷河 地域の 下限と して, ほぼ 妥当な ものと 考えられる。 構造 土が ごく 普通に みられる の もこの 程
度の 高さから である。 人為的な 森林の 破壊に よって, 構造 土の 形成され うる 下限 は 確かに 下って いると み
られる 力;, あくまで extrazonal な 現象に とどまって いるよう である。
最後に 残された 問題 は, 氷期の 周 氷河 限界 線の 問題で あるが, この 問題に ついては はっきりした 解答 を
出す ことができない。 Kaiser によれば, 寒冷 気候 を 指示す る 凍結 破 碎«, ソ リフラ クシ ヨン 堆積物, ブ
口" ク スト ロームな どが この 山地の 多くの 場所で 観察で き, また, ペッカ 盆地 北部 や アン ティ レバノン 山
脈で も, イン ポリューション や クリオ タ ^ ーシ ヨンが みられる という。 Kaiser はこの ことから, 周 氷
河 限界 を 海岸 地域で 1,100 m, 内陸の 乾燥地 域で 800m においた。 これに 対し, MESSERLI と de VAUMAS
は, レバノン 海岸 付近で みられる 崖 錐 状の 乱雑な 角 礫 層 を 寒冷な 気候に よる ものであると みなし, 周 氷河
限界 を 現 海面に 近い ごく 低地に おいてい る。 この de VAUMAS らが 見出した, 厚さ 30m にも 達する 角 *
層 は, レバノン 各地で 見出され, また, いくつかの 先史遗 跡で も, 表土 層の 下に 新 期の 厚い 角 * 層が 存在
する ことから, 現在の 気候 状態に 変わる 前に, 低地に おいても 角碟の 生産が 激しく 行なわれる 時期の あつ
たこと は 確かで ある。 本 報告の 始めの 方で ふれた 峡谷の 底に は, しばしば 植生に よって 固定された 崖 錐が
見出され るが, 現在, 谷 壁からの 岩 滑の 供給 は ほとんど 停止して いるから, これ も, 過去の 角 » の 生産 を
示して いると みて よいであろう。 このような 膨大な 角 礫が, 海岸 段丘 堆積物 や 海底 堆積物に 転化して いつ
たこと は 想像に 難くない が, 問題 は, これらの 角 礫が 果して 寒冷 気候に よる もの か 否かで ある。 今のと こ
ろ, これらの 礙が 寒冷 気候 下で^ 破砕に よって 生産され たもの か, 他の 気候 条件 下で 単なる 風化に よつ
て 生じた のか, はっきり 見分ける 方法 はない ようで ある。 また, 角 * の 堆積と いう 現象が zonal な 現象
であるか どうかの 検討 もな されて いず, 気候 変化 以外の 原因 (たとえば, 地殻変動 等) による 可能性 もま
だ 捨て きれないので, de VAUMAS らの いう 値が 正しい かどう か 判断す る こと はで きないが, もし この 値
が 正しければ, 現在より 13〜14。C 程度 気温が 低かった ことになる。 この 値 は 異常に 大きい ようにみ える
が, 俩然 にも BUTZER" の あげた 値と 一致して いる。
当時の 森林 限界 高度に 関する デー タが 全くない ので, たとえ このよう な一 致が みられた として も 適否の
判断が できず, 結局 この 問題の 解決 は, 将来の 研究の 進展に 待つ ほかない ようで ある。
本 研究に あたり, 第五 次 東京大学 西 アジア 洪镇 世人 類遗跡 調査団の 埴 原和郎 団長, 同 調査団 地学 班の 阪
口 ft 助教授, 遠 碟邦彥 氏なら びに 他の 団員 箝 氏に は 大変お 世話になった。 また, 原稿 は 東京大学の 佐 藤
X 教授, 阪ロ 整 助教授 ならびに 上 杉 ® 氏 にみ ていた だいた。 大森博 雄 助手から は レバノン 山脈の 高度
顇 度に 閗 する データ を 提供して いただいた。 以上の 方々 に 心からお 礼 申 し 上げる。
注お よび 文献
1) BUTZER, K. (1958) : Quaternary stratigraphy and climate in the Near East. Bon. Geogr.
Abh. Ht. 24.
KLAER, W. (1957) : Beobachtungen zur rezenten Schneeund StrukturbCdengrenze in Ho-
chlibanon. "itsh. ueomorph. 1, 51-/0.
MESSERLI, B. (1966) : Das Problem der eiszeitlichen Vergletschemng am Libanon und
Hermon. Zeirsh. Geomorph. 10, 37-68.
FARRAND, W. R. (1971) : Late Quaternary palaeoclimates of the Eastern Mediterranean
area. The late Cenozoic glacial ages. Yale Univ. Press, 529-564.
J. BESAN^ON, J. DRESCH et TRICART, J. (1973) : Observation sur les processus morpho-
g も netiques <froids> au Liban. Rev. Geogr. Phys. Geol. Dynavnq. (2), XV. 231-272.
2) E. de VAUMAS ひ 954) : Le Liban. Paris. による.
一 13 一
78
J 、泉 武栄
3) 宝 来 帰一, 鎮西淸 高 (1971) : 大地 溝带と 新しい 変動^ 一束 アフリカから 死海まで 一. 科学, 41,
332-345.
4) SUZUKI, I. (1970) : Outline of Topography and Geology of Lebanon. Report of the reco-
nnaissance survey on palaeolithic sites in Lebanon and Syria. Univ. Museum, dniv.
Tokyo, Bull. 1, 6-11.
5) WOLFART, R. (1967) : Geologie von Syrien und dem Libanon. 152-157, Berlin.
6) Nahr は 川の 意.
7) BUTZER, K. (1958) : 前掲 1) によれば, 95 〜: 100 m, 55〜60m, 45 m, 35 m, 15m および 6m
の ifi5 さに 段丘が 存在す る.
8) KAISER, K. (1963) : Die Ausdehnung der Vergletscherungen und " perigiazialen ,, Ers-
cheinungen wfihrend der Kaltzeiten des Qufirtfiren Eiszeitalters innerhalb der Syrisch-
Libanischen Gebirge im 5stlichen Mittelmeergebiet. Rep. VI Intern. Congr. on Quater-
nary (Warsaw, 1961) . Geomorph. Sec, 3, 127-148.
9) KLAER, W. (1962) : Untersuchungen Zur Klimagenetischen Geomorphologie in den Ho-
chgebirgen Vorderasiens. Heiderberger Geogr. Arb. 11, 135 s.
10) Bcharre のの つてい る 面の 原形 は 剝離 面で あるが, 堆« 物の 残されて いる 点に 注目す ると fill
strath 段丘と みなす こ と もで きる.
11) 鈴 木 郁夫 (1973) : 西 アジアに おける 氷河と 周 水 河 問題. 新潟大 教育学部 紀要, 15, 94-118.
12) Jabal は 山の 恋.
13) M. W. MlKESELL (1969) : The deforestation of Mount Lebanon. Geogr. Rev. LIX. 1-28.
14) 現在, Ceder の 馬蹄 状の 地形の 斜面な どで, OJtrr の 木 を 再 植林しょう という 実驗が 行なわれ
ており, 次の よう な 報告書が 出されて いる. 森林の 復活に はま だかな り の 時間が かか りそうで あ
る.
M. BASBOUS et R. de TARADE (1955) : Notes sur l'^cologie du C^dre du Liban. Publi-
cations de 1, University Libanaise. Sec. Sci. Nat. I. 28 pp.
J. R. DESAUNETTES et A. SALIBA (1966) : Etude de reconnaissance du perimetre des
Cedres. FAO, Republique Libanaise, Projet de bonification integrale de la Montagne
Libanaise formation et recherches farestieres. 69 pp.
15) 東京大学の 総合 図 害 館の 横に も 数 本の レバノン 杉が 植えられ ており, 現在 かなりの 大木に 生長し
ている.
16) 鈴 木 郁夫' 福 田 正 己 (1971) : Lebanon, Kornet es Saouda 付近の 阀 氷河 現象. 地学 維, 80.
352-362.
17) 岩 塊の 表面に 100 cmX 100 cm のメ ッ シュを かけ, 表面に 現われて いる 截を 大きい 方から 100 但
選び出し, 長径の 平均 をと つたと ころ 34.90cm になった.
18) BESAN^ON ら はべ ッカ 盆地の 両側の 山 魔 部に, 氷期に 形成され た 2~3 段の ぺ ディ メ ン ト を S め,
それら を 上流に 追ってい く と 段丘 化した ソ リフラ クシ ョ ン 堆積物に 連統 する こと を 見出した. 山
頂 部の 堆積物 はこれ と は連統 しないが, 層相の 類似 性 や 産 状に より 時代が 決められた。 なお, ぺ
ディ メン トの 時代 は, ぺ ディ メ ン ト 上で 見出された 石器に よって 決定され た.
19) リス 期の ものと 同搽の 計測 を 行なった ところ, 3.64cm になった.
20) 石灰岩 藻 は ある 程度 時間が 経過す ると 固 結し, 侵食に 耐えて 残り やすくなる. 日本の 山地で もど
こ かで 古い 周 氷河 堆積物が 見出されない ものであろう か.
21) E. ae VAUMAS (1970) : Phenomenes cryog も mques de la cote Libanaise. Rev. Geogr. Phy.
Geol. Dynam. XII. 265-292.
22) このような 書 田の 周辺に は, 日本の 山地で みられる ような 霄田 植生 は 全く みられない. 水分 条件
のよ い 部分で も, ほぼ 裸 地の まま 残され, 雷 田 植生 は ほぼ 完全に 抜け落ち ている. わずかに みら
れる 植物 も, フ 口 ラ 的に は 日本の 高山 ゃ北搔 周辺の ものと は 全く 異なる ものである. 用 囲 を 乾燥
地 城に 囲まれて いる 孤立 山地で あるた め, 北方 植物が 伝播で きなかった のであろう 。
23) 小 泉武栄 (1973) : 構造 土 限界 線に ついて. 地理 評, 46, 618-624.
24) Republic of Lebanon (1966) : Carte Forest i^re Liban au 200,000. Green Plan UN Deve-
lopment Programme. FAO.
(1975 年 11 月 21 日 受理)
一 14 一
地学 雑珐 85, 2 (1976)
南 関東 地域の 地下水 利用と 地盤沈下
新
静 夫'
Groundwater Utilization and Landsubsidence in the
Southern Kanto District
Shizuo SHINDOU
Abstract
In this paper the author deals with the prediction of groundwater level and
landsubsidence accompanied with the groundwater utilization.
The main results of this investigation are as follows.
1) Close agreement between distribution of hydrogeological constants and geologi-
cal structure is pointed out.
2) As a result of digital simulation, accelerative water level decline in heavy
pumping area and recovery depended on the reduction of discharge are showed.
3) Quantitative relation between landsubsidence and amount of discharged water
is clarified. The ratio of the former to the latter is 2-20 ana its average value is
about 5-6.
4) Efficiency of discharge to landsubsidence takes maximum value in the first year
and decreases as a time proceeds.
5) By the means of electric analog computer method, a reasonable disposition of
observation well and the interference areas which are caused by regional groundwater
utilization are examined and he points out that there are some problems in present
observation system.
6) He proposes the simple method for prediction of landsubsidence of wmch idea
is based on a black box and points out that there is close agreement between observed
and calculated values.
筆者 は昭 SJ45 年 以来, 南 関 束 地方 地« 沈下 調査 会の メンバーの 一員と して, 当該 地方の 地下水の 実據を
明らかにする 作業に 従事して 来, その^ S: を 同 調査 会に よる 報告書 (1971, 1973) の 外, 日本 地下水 学
会, 日本学 術 会 » 地 水 文 地質 小委員会 主催 シンポジウム (1971)»\ ならびに 日本 地質学 会 開催の シ
ン ポジ ゥム (1972) ぬに おいて ぽ した。 また これ らの 総括 を 土質 工学 会 誌に 掲載 した (1972) w>.
これらの 内容の う ち, 本 ほに 関係す る 重要な 点 を とりま とめる とつぎの よ う になる。
D 地下水 面 は, 全体として m^iwi 、部 を 最低 位と し, その 周辺 部が 高くなる, いわゆる ft 状の 形状 を
示す。
はじめに
* 来洋 大学 工学部
Faculty of Enginering, foyo University
一 15 —
-, 地 ト-水 このような 形状 を; ち' 'つ; H 行して いるが. JftKfffi は 年 * 北に は 《 'い »•
つ 水 卜-地 拡大して いる,
:i, こ: りような 形状 は, 地下水の w 水と い,' 入: rugra にレ- 'て かたちべ くられた i 二ろ が 大きい- こ
の::;: は 地下水 f'U'i! がき わめて わずかであった 初期。 吠^ を 保 元 十る こヒ によ-', て 理解で きる - すな わら
お 地 K' ハ 外に^ 和 市お よび iiluiti- め 北 あ K カぺ' Wtw'.l'- に-'.' けて 叫 に 地下水 W ト 卫リ 部が みとめ
にれ. それぞれ ¥V) 地ド 水域に あつたが, 地ド水 下、:、 i 塗 行と ヒ t に 地ト水 iW に 形状'' > t^WieWi''-
つい 地下 *W を 形^す ろに'. 'たった も;') b 解され る
a 地下 *ssi 带水 ほ^^の ra 係 を w 示 と. ほぼ ね ' つ 纷上: こな-び' おおむね その raw をぱ ちつ
つ' 5; 化して..' ると'. 'える つ t'15 サ として 》tO:-:':'fl;' つ 上で,':' を 巧し ながん It 化 十る も。 ヒ'
える.
5; 二れ!", の:と か. -.H.¥IWm んを ft; 叫^い- -' に::: 大き': ^''~Hi^.-:t. は!^') 地ト' Hi. ほ
ば その b$jK での 地 F 水 化の を あ -' わし-: い 'つ ち ヒ して fli ' ニヒ. つ * " 的 ま化: こつ
いて: 》5« を 進めろ 坳; > に;!:. ^ゃ5^'"-"2ト- なで -、 —ごも Ul>J お 下お ヒ ほほ >i し :: v な & えみで f* あ fL て も
ii, s-m< * ft i *(f.Ht K lil/- ■ ■■ - H : W . S^H. SfeWSr -ぉ した 地 W.ftfl: のギ& 。麼 出^ を: お、11 て
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fH2m * 下水 揚水 量の 分布 (昭扣 45 年 1
ると いう ことが いえる。
以上の a 点 を ふまえて, 筆者 は そのの ち (51! 実驗を 併せ 行ないつつ, 地下水 位 変化と 地 SKtT の予 ffl の
問 8 を 追求し, これ を》 査会 最終 報告 i して 公表した (1974)".
ここで は これらの うち, ® 地下水 位 変化の 予刺. ③地 《Kt 下体 》 と 地下水 揚水 量の SB 係お よび 地
下 量 推定の^ 法 をのべ る。 また ® の の 過程で 利用した ® 電気 アナ o グ モデルに よる 解析 例を& わせ
てべ る ことにする。
本 》 を 公表す るに あたり, これらの 研究 《» 会 を 与えて 下さった 東京都, 千葉県, 《i 玉 県, 神奈川県の
各 M 係 機 RB の 担当 « 員の 方々, 種々 御 助言 をいた だいた 》 査 会の メ ン バーの 方々 に 厚く »扎 申し上げる。
II. 地下 *位《 化の 予 》
(1) » 料 処理お よび 計算 方法
南 BB 窠地城 を 第 1 図に 示した ように, 東西 *»km, 南北 48km の 方形の 区闺 でか こみ, これ を一 辺 2km
の 方 眼で 細分 した。 したがって 小 区画の 総 おは 7208 と なる。
揚水 蓋, 水 雇 定数, その他の S 料 はすべ てこの 方 股に 整理した。 なお 地下水 位の 予 81 計算に あたって
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第 2 表 基準 年に 対する 揚水 量の 墙械量 (比率)
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(2) 揚水 量
a. 実績 tt の 算出
一 21 一
86 新 藤!^ 夫
第 2 表 つづき
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0.35
0.34
0.34
0.34
松
伏
1.20
*1.14
牢 1.09
.03
0.97
0.64
0.35
0.34
0.34
0.34
岩
n
1.15
粉
*1.06
*i
05
1.02
0.66
0.35
0.34
0.33
0.34
皇
香
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OP
1.18
♦1.15
•1.12
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1.06
0.70
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0.37
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0.35
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1.06
♦1.04
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0.96
0.66
0.33
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0.35
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雾
1.36
♦1.29
*1.22
ま 1
丰 1
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1.07
0.85
0.44
0.46
0.41
0.46
川
越
1.09
*1.00
*0.91
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82
0.73
0.66
0.63
0.30
0.21
0.20
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0.72
♦0.73
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0.74
0.79
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0.29
0.19
0.19
入
卞
0.84
♦0.77
♦0.71
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.64
0.57
0.60
0.52
0.30
0.25
0.05
朝
霞
1.10
*1.01
♦0.92
*0
.82
0.73
0.69
0.58
0.35
0.26
0.22
志
木
1.11
*1.05
♦0.99
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0.86
0.73
0.64
0.46
0.47
0.49
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光
1.02
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0.97
0.92
0.78
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0.34
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座
1.01
*0.95
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84
0.78
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1.23
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0.78
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0.15
0.15
0.15
0.15
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橘
0.70
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0.44
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0.44
0.44
0.44
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0.97
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0.97
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07
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1.07
1.07
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2.00
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2.00
2.00
2.00
2.00
2.00
* 推定 来 補正
各種の 资枓が ほぼ 同一の 度で 広域 的に 整理され ている 昭和 45 年 を 基準 年と し, この 時点での 地区 別,
用途 別の 深 井戸 1 本当り の掛 水量 を 算出した。 いま 参考までに 全域の 平均値 を 示す と, 公 # 水道 水源 井で
は l,488m»/d, 工業用 水で は 325 m8 d, 雑用 水で は 158m» d, 簡易 水道で は 274 ml'd, 農業 用水で は 191 m»'d.
となって いる。
つぎに 既往の 深 井戸 分布図2'18'20'" '25〉 に 補足 諷査の 結果 を 加えて 各 小 区画 ごとの 井戸本 数 を 集計した。
ここで 網 査地城 全 城での 用途 別の 井戸本 数 は, 上水道 水源 井が 917 本, 工業用 水源 井が 3,483 本, 雑用 水源
井 カ^, 100 本, 農^ 水源 井が 4 ,087 本で 台 計 1 1 ,587 本 となって いる 3
以上の 結果が 区 国別の » 水量 を 算出 した ほ"。 第 1 表が これで *■ る:
また 第 2 図 はこの 分布 を 示した ものである。 これによ ると 東 SS^.BE の 外に 武蔵 PH5 域. 束 武:) (UJ»,
m». 束 北 練, 束武伊 »«綠 の 各 S» 地 《 の 揚水 量が 多くな つてい るの が 指摘され る。
b- 予 91)1 水量
* 扦 Be 区 ごとに 算出され ている 計画; S 水量 を 基準 年に 対する 比率!: して 表示した。
!«:! 表が これで ある。 ほとんどの 市町で は 揚水の 削 W を 策して おり, 昭 W55 年に は 全 ft として 楊 水量 は
S 在の 半分 以下に おさえたい としてい る 3
(3) 害水屬 定数
a. 透 水量 係数
城の » 水 KiW 料 220« 余り を 用いた ほか, その 補足 * 料と して 比 湧出量 を 参考に 透 水量 係 » の 分
布 を 求めた。 第 3 図が それで ある。
3*歉係致 は 霸査地《 の 中 t'ffll にあた る 浦 ft, 大&, 岩 m, « 谷地 W 力; S.OOOmVday に 速す る 高い 筐を
示し その 《辺« が 低い tt となって いる。 全体として は 当地 城に ほ定 される 地下水 ft の 形状と 一» した 分
固
: 三
5!4 i'l 地下水 は K 下 E''.' & *(«i^4*r— «lfu45!|--)
布 を 示し, 注目され る。
b. 産出 率
産出 率に ついては つぎの 方法に よって 求めた,、 十な わち まず 昭和 《 年から 45 年に かけての 地下水 位の 記
録から この 期 問 における 各 K 画 ご i の 水位 K 下 量 をめ 求た。 第 4 図 は その 分布図で ある。
すでに 指摘して 来た ごとく, 武 《»地《 ゃ场玉 県での 水位 低下が 目立ち, 最大 年 M 5m 以上に » すると
:: ろが みとめられる。 つぎに この 図 t 第 2 図の 揚水 量の 分布から 単位 面 《 当りの 地下水 産出 量 (水柱 高に
よって 示す) を 求めた。
• 第 5 図 は一 SE に 手直し を 加えて 画いた その 分布図で ある, iS 水量 係数の 分布と 同 ほに 《5 玉 » 南 » が 高
く, その 周 aas が 低くな つてお!), やはり 地下水 s の 形状と一 s している のが 指摘で きる。
この fi は 多 造の 地 《 を 対象と して « 出した ものな ので. いわゆる 有効 空 H (串 と は その 意味が S る
が, 水 収支 計算の 時 m 的, 空 m 的 スケ一 'レが 大きい * 台に は. これと 同 ft に とりあつかい。 かつ ffis 地下
水に 対しても 拡張して これ を 適用 ナる ことが 出 * る"'。
ここで はこの fi をべ一 ス とし, 《 々の 検定 計算の 結果 これ を 補正し, 固定した。 針算に 用いた 敏は第 5
— 24 —
MM 東 地域の 地下水 利用と 地 《沈 下 89
msm g 出 率の 分布 (tewis で 示す)
Si やや 異 るが, これに 0.1 を! R じた 值と ほぼ 一 K する。
W 計算 条件
a. 初期 水位
先に 昭 f&M 年 時の 地下水 面が 得られて いるので1) 二れ を 初期 水位と した。 第 6 図に これ を 示す。 なお H
からの 水位の SE みとり は, その 区画 内の 平均 水位 を もってした。
b. 两 辺 条件
«a はすべ て 《) 放と し, 一定水 a 差で 流 入して いる t のとした。 水 頃 はいくつ かの k 行 計算の 結果 と 現
8&»考 と して, 北緣 で3 m, 西 (》 で 5m, 束 « で 3m, 南 * で 2m と した。
計算 期 W
計算 は 1 年 W みとし, ffifi!45 年— 昭和 55 年の 11 年 Wt した。 このうち お〜 48 年 は 検定の ための であ
!), 49 年— 55 年 は 予《 期 W である。 なおい うまで もな く 計算の 人力 tt は 揚水 量と 两辺 条件お よび W 水 層 バ
ラ メータで あり, 出力 龃は 地下水 位 (海抜 髙 度〉. である,
(5) 針 JI 結果
計算にば NEAC 3100« 子 針 算》 を 用いた。 ここで は 計算 結果 を 10 万 分の 1 の 縮尺 を 考えた 位置に 打ち
— 25 —
m6m 地下水 as (Wftw 年)
出す ようにした c 第 7図— 第 9 図に その 結果 を 示す。 地下水 利用の 地 城 分布. また その ffi 摸に よって 地下
水面の 形状が 変化す る 》 子 がよく 示されて いる。
つぎに 第 lo 図 は 各地 区の 水位 変化 図で ある。 今後の 針 面 揚水 量の tg 加が a 込まれる *« たとえば w 玉 »
上. ま 市 付近, 千葉県 柏 市な ど は, かな リは げしい 水位 低下が 予 fli される が. s 水量 を 現在の 半分 以下に お
さえる という 計画の 大宮 市, if 和 市な どで は その 効果が 明らかに e めら れる ; またす でに 揚水 量の 規制が
行なわれ. また その » 在 を 期して いる 板» 区. 足 立 区な どで は 地下水 位の 回復が » めら れる:
III. 沈 "F 量の 予 》
(I) St 的な 考え方
地 «沈 下 量の 予 M に 際して 圧 * 環 » を * 用して 解 こ う とする 場き は 勿 ». これに 親した ほかの 方 を
用いる にしても, これ を JS 用す るた めに は, 圧 * に B8 する: 係数. あるいは 水位 変化の S 料 を 各 II 毎に
確定して おく が ある。 しかし 実 RS に はこの こと は ほ とん i' 不可 * に 近い。 厳密な 值& 要せず, 大略の
地 Stt 下の 8 向 を把揚 しょうと する 》 台 は, 地下水 位!: いう を 介さずに 揚 * 量と 沈下 《 の実赣 霞を ベ
—ス として 求めた 方が 手っ取り早い。 これ はつぎの 2 つの 手統 きを も と として 行なわれる。 すなわち一 つ
は; t 下 $ 積と 揚水 量の BB^ であ リ, 他 は その 時間 的 S 分で ある,
(2! 揚水 量と 沈下 体積
a. et 下体 S
南 M 束 地域の 地下水 利用と 地 « 沈下
91
» flf 歸 •》
歸
9km •,•
第 7 図 推定 地下水 面 図 (1) (昭和 46 年) 数字 は 海抜 高度 を 示す
第 11 図に 示した ように 5 万 分の 1 地形図 を 16 等分して これ を 1 区画の 大きさと し, 全部で 111 区 面 を K
けた。 本 » に はふれ ていないが, 地質 構成, 裕水牖 の 利用 頻度, 水位 変化 等の 処理 はすべ てこの 区 面の 中
で 処理して いる。
沈下 ftflf は 1 区 を さらに 16 等分して その 交点に 相当す る 地点の 沈下!: を 読みと り (これ は 各 年度 毎に と
り まとめられ ている 地 « 沈 下等 JU» 図から 読みと つた) その 柳 旌に小 区画の 面 種 を 乗じて 求めた。 第 3
表 は 各地 区 ごと の 揚水 量で あ り, 第 4 表 は 以上に よって 得た 沈下 体積で ある。
b. 揚水!: と 沈下 体積の 比
第 5 表 は 第 3 表, 第4 表より 得た 平 ^水量 を 平^ ft 下^で 除 し た 値で あ る 注 8)。 こ れに よると その 使
が 大きい ところでは 10 以上, つまり 揚水 量 は 沈下 体積の 10» 以上 を 示し, 小さい ところで 2 程度と なって
いる。 また 平均 は 5〜6 といった ところで ある。 ここで 比率の 大きい ところと 小さい ところの 地理 的 分布
に は それぞれに 共通の 原因が 関係して いるよう に 思われる。 例えば 江 東, 浦 安の よ う に 極端に 小さい とこ
ろ は, 通常の 地下水の 揚水 以外の S 因, つまり 天然 ガス 採取に よる ものが 大きな ウェイト を 占めて いる も
のと 思われる。 これに 対して 地下水の 補給が 多く 行なわれて いるよう なと ころ や, 下が 終息に 近づ
いている ような ところでは, Q/S 植は 大きくなる ことが 予想され る。 この こと は 第 12 図に 示した 揚水!: と
QS 植の 閣 係 や, 第 13 図に 示した Q/S 値の 年 変化の 上で K める ことができる。 すなわち これによ ると 全
体と して 揚水 量の 大きい ところ ほど R 発 的な が 行なわれて Q/S 値が 大きくな るが, 時間の g 過に 従
• 廉ソ
•in* » 一 * 参
| 番 》%«
\
1/1 t ^/^ :
一 27 —
mem 推定 地下水 aia (2) (昭和 * 宇 は 海 ft« 度 を 示す
がい, 水位 低下 地域が 拡大して. 地下水の 補給が 《 退 するとと t に Q/s B が « 小 する IWiS] が 示される も
のと 解され る。 なお 第 12 図に は 閱 係に みとめられる およその 地 tt 区分が 示されて いるが' ここで
a 地 ほ は 上述の ように ガス 採取 地域に ほぼ一 おし, は fl; 下の 漸» がみ とめられる JftW あるいは 周 3
からの 地下水の 補給 を R?6 している と考えられる 地 « にあたり, b は その 中 M 的な 性格 を 示す 地域に あた
る ものと 思われる。 as 玉 県 南 sw« が これに あたる。
c 揚水 量と a 下体 《 の 相 bb 度
*3 表, 第4 表よ つて. ある 年度の 沈下 »8 とこれ に *H "る 当年, 1 年 前, 2 年 前- …の 各 年度の 揚水
量 を 13 示し, 各々 の » 合に ついて 两 者の 相 MS を しらべる と, 当年の » 合が もっとも 大きく' 以下 年度 を
さかのぼ るに したがい 渐» する のが 示される。 たとえば 第 W 図の 場合に は 相関係数 は 当年 力 れ64, 1 年 Sfl
が 0. ぬ, 以下 0.60, 0.58«« となって いる。 年度に よる 揚水 量の 変化が かなり 顕著に なって いる «M« でし
かも 収縮 層が B 定 されて いる W. たとえば, 江戸川 観 《 井 (5Sm) の E«" と 江 東' 江戸川 地 区 の 揚水 董
の 12 録 によって 同様の 手铳 きを 行なって みると, 当年で は 0.93, 1 年 抑 では 0-80, 以下 0. は, 0,13 とかな
り 明 « (に 相 M の 度合いが 示される。 この W では 沈下に 対する 揚水の は 大きく 2 年 前までで, モれ以 抑
の 揚水に よる 度 は »*に« 退す る ものと 判断され る,
(3) 沈下 量の 簡易 予 ffl 法
— 28 —
南 M 束 地域の 地下水 利用と 地 « 沈下
93
' •M.tmt IA «UM( KAMI MftlfftU
以上に のべて 来た 結果から, つぎの 仮定 をた てる。 すなわち,
1) 揚水に よる 沈下 体積の 割合 は, 地域に よって 差が ある ものの, 一つの 地 城で は それ は ほぼ 一定の 値
を 示す。
2) ある 年度に 行なわれる 揚水に よる 沈下 i は 上述の 闋 係から 求める ことが 出来る。 この 沈下 量 は その
年度で 大部分が 消化され るが のこり は 次年度 以降に 持ち越される。 その 比率に も 地 城 性が 憨 めら れ るが,
前項に のべた ような 资 料が 得られない 場合に は, 試行 的に 決める より 外 はない。 その 値 は 沈下 量の 記録に
よって 補正され, 固定され る 注"。
3) 次年度の 揚水に よる 沈下 量 は, 前年度の 残留 分に 上積みされ。 それが その 年の 沈下 « となる。 以下
同 « の 通 程が く りかえ される。
以上の 仮定の も と に 沈下 量の 簡易 予測 法 をのべ てみ よ う 。
1) 一定期間の 平均 沈下 体積と 揚水 量の 比 (Q/S) を 求める。 この 値の 中には 地下水の 産出 機構に 関す
る 要因つ ま り 揚水に 伴 う 補給の 状態 や 揚水に 対する 地 « の 応答の 大き さ が 含まれて お り , 前にの ベた よ う
に!^ によって 様々 な 値 を 示す。 なおこの 場合 Q/S 値 は 年度, 揚水 量に よって 変化す ると 考えられ るが,
短期間の 予測の 場合に は 一定 と仮定しても 大差 はない。
2) つぎに 上記に よって 求めた 沈下 体 種の 年度 毎の 配分 率 をき める。 この * 值の 中には 地下水の 補給の
第 9 図 推定 地下水 面 図 (3) (昭和 55 年) 敷 宇 は 海抜 高度 を 示す
、
一 29 一
94
新 藤 » 夫
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«t 霧 看,
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mom 地下水 位の 変化 2
— 30 —
第 103 地下水 位の 変化 1
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タ l に mmt ハ »/k に対する, の 速さに かかわる 要因が 含まれて いるものと 解され る。 一定年 度の 沈下 体
«'; 1 2 mi …'の 揚水 量との 間の 相関 度から この 配分 率 を 推定す る こと も 考えら
HK.tr. つぎの ようなん 法 も'" J 能で ある。 まず 実績 値に もとづいて 年度 一 沈下 体積の グラフ を 画く。 沈下
の WW ゾ 4*W ひ は, M からの 沈下の 残 を ほとんど 無視し うる ものと して, Q/S 値と 揚水 量から 求めた
iiiw にの it 卜'^ «と* 際の a 卜' 体積の 盖 をと ると, これが 次年度 以降に 線り 越される 残留 沈下になる。 次
に aftu り.度 の 沈 i、'fMK から 上記の 結 来に よ り 推定され る その 年の 揚水に よる 沈下 体積 分注 7) を 差し引く。
卜と みなす ことができる。 つま り これによ つて 第 1 年度から 第 2 年度へ 如何 ほど 沈
I' が^ W1 るかが わかる。
: い « に 次の^ 度の 沈ト' 体積から その 年の 揚水に よる 沈下 体積と, 上に 求めた 第 1 年度と 第 2 年度の 残
mt ド * か ら i!i 算 した 第 2 年度の 沈下が 第 3 ^度に 練 り 越される 残留 分 を 共に 差 し 引けば, 残り は 第 1 年
南 H 束 地域の 地下水 利用 と 地璧 沈下
第 5 表 プ o ック 刖 平均 沈下 量 と 平均 揚水 i
97
クロック
平 J^fll 璽 mB/y
平 財 暴? K 靈 mB/y
11. r*»
PL 4*
37
1,534,000
38
1,255,719
2,667,663
2.1
45
1,710,150
13,906,682
8.1
46
1,265,604
17,895,402
14.1
47
1,207,375
12,890,218
10.7
48
1,160,792
5,339,828
4.6
49
621,833
2,418,733
3.9
56
2,188,063
15,666,834
7.2
57
2,232,750
28,426,625
12.7
58
1,710,854
18,720,600
10.9
59
1,769,083
8,690,103
4.9
60
1,103,375
3,814,189
3.5
67
2,026,917
16,017,720
7.9
68
1,556,474
37,199,522
23.9
69
1,476,583
17,364,205
11.8
70
2,006,875
14,169,969
7.1
71
902,688
7,921,352
8.8
79
836,333
27,494,537
32.9
80
387,563
22,048,190
56.88
81
1,222,000
18,497,409
15.1
82
496,438
11,647,210
23.5
83
1,125,313
9,690,203
8.6
91
196,625
92
1,446,250
7,485,724
5.2
93
1,454,375
10,223,528
7.0
94
2,213,250
8,722,648
3.9
95
2,260,375
7,843,303
3.5
100
112,521
101
2,776,313
5,187,502
1.9
102
2,891,146
3,606,078
1.2
プロ ック 番号 は 第 11 図に 対応
度から 第 3 年度に * り 越さ れた 残留 沈下 量 とみる ことができる。
3 初年 度の 沈下 率 は, のちに 試行 的 計
算を <ft り 返した 上で 固定され る。
第 15 図に 以上の 手統き を 図示す る。
(4) 実 例
第 16 図 は 川口 市と 大宫 市に ついて, 上述の 方法で 沈下 量 を 求めた ものである。 (計画 揚水 量 は 第 2 表に も
とづいて いる)。 まず Q/S 値に ついては 第 5 表から 川口 市で は 8 〜10, 大宫 市で は 12〜14 と 推定され る
ので, これ を 採用した。 次に 残留 沈下の E 分 率 は 何回 かの 試行 計 II の 結果, 上記の 比率に よって 求めた 沈
下 fl« を 1 と した 場合, 两市 とも 当年 力' め .5, 1 年後 力 'め.3, 2 年後が ゆ .15, 3# が 0.053«| 当で あると 判断
された。 第 16 図に は 水準 点の CJft も 併 示して あるが, 比較的よ く を 近似して いるものと 思われる。 な
一 33 一
' 46 川口, 浦 和
47 越 谷
57 m
58 草 加
68 板樓
69 足 立
79 晝島
80 荒 川
81 葛 飾
, 82 江戸川 北部
伏 束 安
松 江 浦
S1 2
o o
1 1
/| 1 . ,
比率の 小なる ところ
比率の 大 なると ころ
98
新 9 縿夫
300,
68
0«44
S«44
300.
68
0=43
S -44
330
68
(Q*A2
•57 I S?44
10
20
30
100
2D0
300
49 a36
* GO #46
'92
•7、 #*59
'92 •
47. 67
45 、70
8レ69 • '5^56
60 Ae
101
.95
•94
100
2D0
300
•57
68
0?4I
S«44
10
_ !
20
30
•Q 60-38
7J 83 .59 101
82 • #93
龜 .92
い 5
56.- 70
69 • ら7
• 46 * 58
.81
80
•57
.95
94
揚
水
量 xiofn,
(0)
沈下 体積 (S)
xidVn*
Q«40
S -44
•68
第 14 図 沈下 体積に 対する 揚水 量の 関係
ぉ大' 市の 例で 水準 点の 変化 記録 は 測定 開^ を 力点に とってい るので 計算 値と 見掛上 ずれて いる。 この
» 介 は 曲線 を 平行 移動し, それが ほぼ一 致す る ことに 注目して いただきたい。 いうまでもなく, ここに 述
ミた 方法に はいろ いろ 間理も ある。 理» 的な 根拠 も 全くない。 しかしす ベての データが そろわなければ 針
ベ
100.
200
49
60^.
92
71
48
82 .83
63 45 •
• 81 '46*67
•101
.95
94
100
58
'57
• 101
95
•94
• " -go
餳 * 量と a 下体 積の 比 <
滅
C
一
T , ?
ゲ
滅
謬
♦
サ
<
纏水繼
め
o
7
9
5
8- I
7 »
6 6
5
ぬ
9
4
7-
2
8
7
6/8
o
8.
一 34 一
算が できない と いうの も 困る。 現 状 は 早急な 解答 を B* している
(多少 精度が » くても)。 ここ に 述べ fc も の は » 水量 と 沈下 (Ml とい
う , l 、わば 自然 を 《^ にした 巨大な 実 WIS 果 を 利用 し た 一つの ブ ラ
ゾク ボックス W#ffit でもい えよう。
IV. 電気 アナログ モデルに よる 解析
CD 電気 アナログ モデルの 効用
こ の 方法の 利点 は, OJJMt な « 界 条件 下 でも 面 倒な 》 学 的 手 《 き
ひ コンデンサ- を 要しない: ② W 激に る 応答の 速度が 早い ので 結果 をみ なが
mm 回 ら. その 場で 揚水 遣, 井戸 WSS などの 各種の 条件 を 》 正し, あるい
は 定 する ことができる。 ® 製作に S する » 用が 少ない。 また R'C* 子 (抵抗 コンデンサ一) を 自由に
と!) かえられる ようにし ておけば, 一つの 装 匿が いろいろな 地 城の に 適用す る ことができる, 今回の
IWE では 先にの ベた ディ ジ タル 計算に 用いた At 水 層 定 》の» 时と, 地下水 位 E 視 井の E 置の 検 H にこの t
ナ b グ モデル を 利用した。 あわせて 井戸 B の 相互 干 * の予 M など も 行なった。
(2) « 気 アナログ モデルの 原理
第 17 図に 示した R + C 回 HM において は キルヒホッフの 法則から (1) 式が 成り立つ,
V,— v» + v.-v. + v.-v. 十 v.-v. _c SVd (1)
c ; 電気容量
V に V*; 周辺 ノ ゾ ト' の 電位
V0;*f* / - ' ドの HE
抵抗 ffi が 等しければ
A-E (V.-4V.)=C-^- (2)
(2) 式 は Jacob (1950) が 示した 二 次 元 非定) Itffi の 式 を 差分 近似した 式
T- E(h1-4h.)=a'S— (3)
ここで hl;ffl 辺 ノ ドの 水位
ho; 対 ft ノッ ト 'の 水位
a ;グ リツ ト' の一 辺 の g さ
s ; 貯留係 》
T ; S 水 11 係
と 対応し, アナ o ジ一 が 成立す る。 ここで 闳 者の Klffi を 一対一 に 対応させる ために は, 次の スケールと フ
アクター を* める 必要が ある,
; 電 ifi ァ ン ペア
; 揚水 時 M
; パルス 幅
O-D hv Q-I ; s 一. s
-- = I 一 -I
南閣束 地域の 地下水 利用 と 地 ttit 下
101
一方 モデルに 用いる 抵抗 値 は
R=T^( オーム ) (5)
コ ン デンサ 一の は
C=a-S~^ "(フ ァラッ ド) (6)
Ki
"ゝ ら 求められる。
揚水 率 は パ ル ス 発生 器 と モ デルの 間に 既知の 抵抗 を 挿入し, そのと き の 電位 降下 量 を 計り,
則から
Q=Ka-X- (7)
によって 求める: >
(3) スケール ファクターの 決定
この W 査で 用いた スケール ファクター を 参考までに 示せば つぎの ようで ある。
1) K2 = l 電位 1 ボルト 水位 lm
2) Ka=2xl07
抵抗 透 水量 係数
10 kQ 2,000 ml/day
20 kQ 1,000 mVday
40 kQ 500 "
オームの 法
200 〃
3) K4=3. 65X107
パルス tt
10 ftsec
4) Ki=K8xK4=7.3xlO"
100 〃
揚水 日数
365 日
—辺 2,000m と して
C=0.55XSX10"8
電気 容!: 貯 苗 係数
1500 pf 0.27
1000 " 0.18
500 " 0.09
なお 装 匿の 写真 を 末尾に 示して おく。
(4) 解析 例
a. 地下水 位变 動の 監視
調査 地域に は 現在, 第 18 図に 示した 位置に 地继 沈下 観測 井が 設置され ており, 水位の 継 練 観測が 行なわ
れ ている 3
地下水の 十分な モニタ リ ングを 行なう のに 必要な 観測 井の 本数と 分布 を 知る ために は, 地下水 汲み上げ
による 水位 変動の 状況 を 現在の 観測 井で どれ 位 キャッチ 出来る か を 検討し なければ ならない。 第 18 図に
は, 現状の 揚水 量に 加えて, 一方 眼 当り (4xl0«m り 1 日 5,000 m» の 揚水が 新ら たに 追加され たと した
場合, この を 上記の 観測 井 群が 年 問 水位 低下!: 10 cm, 以上の 精度で キャッチ 出来る 範囲が 示されて
',、る 5 図で わかる ように, 埼玉県 北部, 中央部, 西部, 千葉県 北部, 東京都 西部で は 地下水 位の 現況 を 把
握で きない ことが わかる。 第 19 図に 日 量 3,000m» の場& であるが, 監視 可能の 範囲 は 更にせ まくな つてい
る ことが 示されて いる。
一 37 —
1 il5,000m,» 水 による 影 * を;^ ^位 低下 10cm W J:«t*^ で キヤ "チ L う る KB
b. 地下水 利用の 相互 干 *
地下水 利用に よる 水位 低下が. どの E 囲に どの S 度の 大きさで S ぶが, また 同 B きに 他 地 W での 揚水の *
響と どの « に 干 * し 合う か, さらに その 干渉の 大きさ を ある K 度 以下に とどめる ために は, 揚水 量 fc 如
に コント a —, レ すれば よい か, などの 問題 は. 地下水 ift みあげ を ゼロに 近づけて ゆく 過 g での 段 » 的な H
鼠と して 必 S と考えられる。 このような 問 8 では. 揚水 量の 削 減量と その 地区 別の 組み合せ 》 "が 多 tt に
わたるた め, の 度 台い を 下げる ための 》 水量の 分配 は K 行 的に 検討され た 上で 決定され る ことと なろ
'つ。
結果の を 上げる ために は, ディジタル 計算に よらねば ならない が, たくさんの 事 を 早くせ 理し,
さらに モの S 果を みて 針 国 を »iE して ゆく というよ うな 場&に は, アナ 。グ モデルの 方が である。
第 20 図に 一例 を 示す。 これ は 昭和 45 年 時の 地下水 * み 上げの 影響が 年間 lm の 水位 低下と して あらわ
れる 15 囲 を 示した ものである。
なお. S* 量 は 次の ような 地区 9] に 分けた もの を 人力 ヂ一々 i した ほ": これから 地域 間の 干 i 歩の HS 子
がわ かる。 図中斜 » で 示した 地 城が これに あたる。
* 玉 》娜 地区 (1) 大宫, 川口, 浦 和, *. 戸田
s 玉 県 西 se 地区 川 H. 富士 見, 福 ra. 三. 芳. 大井, 志 木. n». 和 光, 新 座
北 S5« 区 北 本, 桶 川, 上 尾, * 田, 伊奈, 久喜, 杉戸, 宫代
« 玉 県 東 80 地区 庄和, 春 日 部, 岩 M. 越ケ 谷, 古川
SSlMrtt 坶 S(2) 及び 束 京 職86(1) 草 加, A 湖, 三 》, w ケ谷, 足 立, 北
*s«Mtwc2) mm, ttffi. 臺 a
* 水に よる 水位 低下が 年 lm 以上に * する 地 (((図 P の St 字 は 1 日当!) の 》 水量)
こ のよう な [«を もと に干涉 地域の »少 に 必要な 揚水 量の 低 が » じられ る こ と になる。
第 は その— W で. I
かれて いる,
最後に 地 《 沈下に 1«連 して 二三 據! « をのべ てみたい, *3fi«R の 江 束 地区 を はじめ, 川 崎 市の 81»« な
どで 地下水 位が ft 速に 回復し, ちょっとした KB となって いる。 しかし これ は 別に 驚くべき' 現象で はな
い, 本文の 中で も ふれた よ う に, 地下水 は 全体と して 静水圧 分布の 上で を 》 持 しょうと している の
で, ある 暦 準の 地下水が 揚水され. その SB 分の 水位が 低下しても, » 水の 停止と ともに, 上下 あるいは そ
のま わりから 地下水が 補給され るからで ある。
第 21B 揚水の ff|« に 伴う 干渉 《の《 小 (ほ 中の は 1 B 当!) の 揚水 霞)
現在 は a* な 地下水 揚水の ため に 強 ffl された "ひずみ" が fta に 逢され ようとし ている a« である
といえる 《
このような 現象 は, はじめは: ft» に 行なわれ るが やがて «* となり, 漸« する であろう。 このような 推
» は, この の 地下 * が あたかも 一つの "たらい" の 中に つめ fc 砂の 中の 水の ように 横に も « にもつな
がった ひとつ づきの 水で ある こと を 考えれば 容易に 理解す る ことができよう。 本文に のべて 来た 内容 はす
ベて このような 考え を 前提と している (地下水の 補 は ほとんど 地下^からの "湧き上!)" による もの
と考えられる)。
さて, iMKt 下 naiB はよ く 古くて 新しい だと 云われる, 古いと いうの はこれ が はじめて 注目され た
o が 昭和の 初期にまで さかのぼ!), すでに その! BE も かなり にお さえられ ていたと いう ことで あり,
南閟束 地域の 地下水 利用 と 地 髮 沈下
107
注お よび 参考文献
注 1) 年間 揚水 量の 算出に あたって は 上水道, 専用 水道, 雑用 水の 各 水源 井 は 365 日, 工業用 井戸 は 300
日 稼動す る ものと し, 農業 用 井戸 は卷 末に 揚げた 资料 23) によった.
ii 2) 例えば 和 速 (1940) による もの, LOHMAN (1961) による もの, または 三 木 (1969) による ものな ど
ある. しかし 実際に はこの こと は ほとんど 不可能に 近い. 厳密な を 要せず, 大略の 地 11 沈下の
傾向 を 把握し よ') とする 場合 は, 地下水 位と いう 变欲を 介さずに 揚水 量と 沈下 量の 実績 値 をべ 一
ス と して 求めた 方が 手つ 取 り 早い. これ はつぎの 2 つの 手統 きを もとと して 行なわれる. すな わ
ち 一つ は 沈下 体積と 揚水 量の 闋係 であ り, 他 は その 時間 的 S 分で ある.
以下 沈下 体積 を S, 揚水 量 を Q, 両者の 比 を Q/S と 略号 を もって 記述す る ことにする.
S 料の 粗密の 問題 も あり, 絶対 よ り 年度 間の 相対的な 間 係に 意味 を 有する ものと 解すべき であ
o .
この場合 は 沈下 体積で はなく, 年間 収縮 量 を 用いて いる.
—回 決めて おけば, その 比率 は ほとんど 変更し なく て も 良い.
1 年次から 2 年次 以降に 緣 り 越される 沈下の 割^が 上述に よって 求められて いるので これ を 利用
して 推定す る.
た と えば 親 合 地域での 揚水 量 をお さえて, これ を 他の 非 干 -i 歩 地 城に ふ り 分ける ことな どで ある.
この 例で は 垮玉県 中央部に 焦点 をお いて 検討して いる.
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千葉県 (1967 〜: 1969) : 地下水 位 観測 资料.
千葉県 (1972)
千葉県 (1972)
千葉県 (1973)
千葉果 (1973)
埼玉県 (1970)
垮玉県 (1969)
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千葉県の 地继 沈下.
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一 43 一
108
新 藤静夫
33) 森 川六郎 (1970) : 埼玉県 束郎の 地質と 地下水, 文郎省 科研费 研究 報 ft.
34) 官地 直 己 (1967): 土 暦の 局郎的 収縮の 研究一 東京の 地 * 沈下に BB 速して一. 束 京 糠 土木 技術 研究
所 報告, No. 44.
35) 尾 崎 登, 稲葉 佳 (1968) : 最近 の 江 東 地区 地 《 沈下と 今後の 晃 通し, 東京都 土木 技術 研究所報
吿, No. 45.
36) 遠 藤 敫, 山 田 信 幸 (19^0) : 下町 低地 寄に おける 洪積層 表面の 変動. 一束 京に おける 地 H 沈下-つ
研究 (1) 一, 東京都 土木 技術 研究所 報告, No. 46.
37) 遠 藤 毅, 行 德智好 (1970) •• 深層 部 の 層 間 収縮に ついて 一束 京に おける 地 11 沈下の 研究 (2) — .
東京都 土木 技術 研究報告, No. 46.
38) 東京都 : 地 * 沈下 観渊 成果.
39) 千葉県 : 地 11 沈下 観測 成果.
40) 埯玉県 : 地 11 沈下 観測 成果.
(1975 年 11 月 21 日 受理)
一 44 一
地学 雑 85, 2 (1976)
1975 年 4 月 21 日 大分県 中部の 地震に みられた
断層 活動に 関連 させ 得る 現象
松 田 磐 余 * 田 村 俊 和' 望月 利 男"
国井隆 弘 W
Some Evidences of Faulting Associated with the Earthquake of
April 21, 1975 in the Central Part of OiU Prefecture
I ware MATSUDA, Toshikazu TAMURA, Toshio MOCHIZUKI
and Takahiro KUNII
はじめに
1975 年 4 月 21 日 に 大分県 中部に 中規模の 地震が
発生した。 震央 は 33.08°N, 131.20°E, 震源の 深
さは Okm, マグニチュード は 6.4 である (気^ f
1975) 3 この^ jR により, 大分県 中部の 庄内 町,
九重 町, 直 入 町, 湯布院 町な ど を 中心に, 家屋の
倒壊, 斜面の 崩壊, 道路 破損な どの 被害が 生じ
ん
に 3
筆者ら は, 墓石の を 利用した 加速度 分布,
建築物 • 土木 構造 物の 被害, 斜面 崩壞, ならびに
地震 断層の 調査 を 行った。 その 結果, 地震 断層の
露頭 は? *S できなかった が, その他の 講査 から,
地震 断 暦と 関連 させ 得る いくつかの 現象 を 明らか
にす る ことができた。
I. 慕 石の M 査 からみた 加速度 分布
地震 被害地で 墓石の 転倒 状況 を 調査し, その 地
域に 作用した と考えられる 加速度の 大きさ, もし
く は 震度 を 推定す る こと は, しばしば 行なわれて
いる。 とくに, 今回の 地震の ように, 内睦 型の 中
規模 地震の 場合に は, 加速度の 分布 は, 活動した
であろう 断層 沿いに 特定な 分布 をす ると 考えられ
るので, 重要な 翻査 の一 つと 言える。
の 脚査は 4 月 23 日から 27 日に 行い, 補足 調
査を 5 月 8 日から 11 日に 行った。 翻査 した 墓地の
多く は, 1« 偁 から *10« の が 存在す る 共同
墓地で ある。 小規模な 共同墓地 ゃ偁 人の 専有 墓地
での 調査結果 は 参考に とどめた。 それ は, 墓石の
数が 少なかったり, その 型が 同じで あるた めに, し
ばし ばす ベての 墓石が 転倒して いるから である。
転倒した 墓石 を 計測す る ときには, 低い 台石 上
に 底 部 をのせ て 転倒して いるものが * 適で あるの
で, この 条件に できるだけ 近い もの を 遇ぶ ように
した。 また, 台石が きちんとして いなかったり,
傾斜して いるもの, 堪の 端に ある もの は 除いた。
転倒し なかった 墓石の 謂査 では, 転倒 を 予防す る
処置が とられて いるもの を 除いた。 以上の こと を
考慮して, 寸法から みて 転倒し そうでし なかった
墓石, および 転倒した 墓石のう ちで 転倒し にくい
もの を 通んで 計測した。 前者から は, 推定 加速度
の 上限が, 後者から は 下限が 得られる。 したがつ
て, この 方法で は, 各地の 推定 加速度が ある 程度
の 幅 を もって 定められる。
調査結果 を 第 1 図に 示 した。 図に は 推定 加速度
の 他, 墓石の 転倒 方向 も 示して ある。 推定 加速度
の 大きい 地 城 は, 九重 町 野 上から, 庄内町 內山を
通り, 野 津原町 今 市に 至る までの 約 25 km にわた
り, 幅 数 km で裕 状に 分布 し, かつ, 被 客の « 著な
地 城と一 致して いる (地質 脚 ,, 1975, 望月 •
宫野, 1975)。 また, その 方向 は, おおむね WNW
— ESE で, 初 動の 押し 引き 分布の nodal line の
一" ^の 方向と 一致 している。 したがって, この 方
* 東京都 立 大学 理学部 地理学 教室 東京都 立 大学 工学部 建築学 教室 束 京都 立 大学 工学^ 土木
工学 教室 lokyo MetroDolitan University.
一 45 一
110
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第 1 W 墓石 調査に よる 推定 加速度お よび その 主 方向の 分布
义地 « の 動き
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断 W の USA
お 面 崩壊 地
、 リ ニァメ ン ト
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第 2 図 山 下 池 周辺 地区で 求められた 地 « の 動き
向の 地下の 断層が 活動した 疑いが 澳 いと い う 意見
(東京大学 H« 研究所, 1975, 地質調査 所, 1975)
と 脚 和す る。 なお, 墓石の 転倒 方向 は 九重 町と 鹿
伏と * 上 を 除けば, N — S 方向が *B する "。
II. 建築物 被害な どから みた 地 の 動き
1. 湯 布 院町山 下 池 周辺 地区
この 地区に は 九重 レーク サイ ド ホテルの 倒壊,
別府 阿蘇 有料道路の 崩壊な ど, 被害が 集中して い
る。 こ の 地区で は 17 の 建物の 被害 状況 を 調
査 した。 このうち 8 棟 は 鉄筋コンクリート 造で あ
る。 被害 状況 を 調査した 建物のう ち, 7 棟から は
地 « の 動きが 求められる «2 図)。
第 2 図の 地点 1 の 建物 は, 小 田野 池 レスト ハウ
ス である。 この は 鉄筋コンクリート 造 1 層 か
一 46 一
ら なる 人工 地 Bt, その上に 建つ 《fl"ig 平家から
な' る。 鉄 SS コ ンク リート 造から なる 郎 分の SES
は. 完全に M 放された « ラーメン 造に なって い
5, この « ラーメン ffl を 構成す る 8 本の 柱のう
ら. SE 側の 5 本に 特« 的な 被 客が みられる。 す
なわ ち, fiS と に 著しい 曲げ せん 断 »H が 生
!;. —B では 主 B が 露出して いる。 》« は ttlfi で
は SW» 角 面, ttW では N81B1 角 面 で 著しい。 こ
れ は地《 が N 方向に 特に * しく 動いた 二と を 推 iW
させる。
! fejfi2 の 8ft は 九 S レーク サイ ト' ホテルで あ
る, この * 物 は 地上 4B, 地下 1 ほの KiR コンク
リート 造で, 石 まじりの 火山灰から なる 地 を
E 接基虚 にして いる。 著しい 《壊 は 建物の NES
に 生じて いる。 M きと!; IHE によると. 約 30 &ほ
ど St いた IfiRft のうち, 最初の 5 秒ない しそれ 以
|*1で«壞 したと いう, この W 分 は 全体として N 方
向に 4°~5°«斜 している,一 方. S 壊 をまぬ が
れた SW ffi では, 建物の g 上に ある ユン トツが
N 方向へ ぉ讓 している。 また, この 郎分 では, 各
St の 壁面に S あがりの せん 断 *S が 卓 ほし. その
うえ, これらの ftS に X 状に 交差す る *» は みら
れな い。 こ tOHt な は, 建 ft の 基 51 が S 方向へ
« き, かつ, » 物 mffi がそれ に 追 m できない た
め, 一定 ISK 以上の せん 断 変型が 生じた 場合に み
られ る。 したがって, この 建! » に 被 客 を 与えた 地
動き は, 建物に 位相 il れを 生じさせ るのに +
分な ほどの 短 周期で, s 方向に 動いた と 推 i« でき
5„ また, それに 前後す る 《», すなわち, N — S
方向の く し 地 « 変位 は, 《W こ K 接 被害 を 与
える ほど 大きく はなかった か, あるいは Sffl 期で
fc つた かの いずれ かが 考えられる。 この 点に 閣 し
て は, この 地区の 近くに が K 置され ていな
かった ので, どちらと も决 めが たいが, 大分 港に
おける 計の !£« に は, した 長 ffi 期成 分 は
られ ていない (片山 ほか 1975)。
木 S«* では, 狩 場 亭 (3), 山 下 クラブ ハウ
ス (4), 山 下 fflffff (5) に 付 風す る 建物, 民家
(6). ゴルフ場 管理 事 》3f 付 SHt 物 (7) が, すべ
て N 方向に 18 いている のが みられる。 とくに 狩 *
亭は N 方向への «^ が 著しく, ffiHW:S» から 同
方向に »大《~50«0 も 移 ft している。 また, 山
下 クラブハウス では, 建物 内部の o ッ カー や 木 B
戸 ffitN 方向に C 倒して いた"。 これらの 現 «t も
地 «のミ 方向への 動き を 示して いる。
なお, 小 Blf 池 レスト,、 ウスの 北に ある 有料 道
K の 料金 微 HKSi は W 方向に 傾む いて S れ ていた。
二れ は, E—W 方向に おれ やすい 構造 をして い
たこ t が 原因と g えられる。 ただし, 往の 破壞位
匿 付近に は, N — S 方向の せん 断 » 裂が 明 R に *
されて いる。
山 下 池の 南に ある ゴルフ場 内に は, ほぼ NW-
SE 方向の リ ユア パント を 構成して いる 谷が あ
る。 この 谷に は ほぼ N-S 方向に 3 本の fj が 架け
られ ている。 いずれの «t 長さ «70ni の 2 ヒン
ジ アーチ 歩 道« である。 これらの 橋で は, 表土と
ともに ffl 台が N 方向へ 移動して いると いう 共通点
が みられた。 flUS では 両 ft とも «げ たと « 台 胸 18
とが 衝突した あとが 見られ, ffl の 変 状 は ffl が 明ら
かに 《 軸 方向の 圧縮 力 を S けた こと を 示して いる
OS 井 .ffl 井, 1975)。 また, NW の ヒンジ 支点の
フー チン グ基 » が, 谷 脚に おいて, ffiS とすき M
を见 せて いるのに 対し, s ほの 基 a に はこの » な
すき M が 見られない。 すなわち, S 側が 地す ペリ
£ 起して いると 思われる。 したがって, リ -ァメ
ン 卜の SW で 地 tt が S 方向に 動いた と 考える と 被
害の 说明 がっき やすい。
2. 圧 内 町内 山地 区
内 山地 区は是 も 被害の 著 しかった 地区の一 つで
ある。 大分県 庁の 発表で は, 戸数 12 で, 全 壤棟数
が 12, したがって |«« 率 は 100% となって いる。
また, 非 住 * の «» (が 9 據 となって いる。 しか
し, 空中写真 を 利用して 調べる と, 小規 摸な » 物
まで 含めて 建物 «Ot は 35 になる (第 3 図)。 完全に
S« している の は 古い わら の 物置と, ブ o ッ
ク iS の IBS を 持つ *g の 2«( のみであった。
M きとり WS によると, K« は のく り 返し
I こよる t ので はなく, HB のうちに « 生した とい
う。 また, モルタル 外 整の 新しい 家屋で t, 水平
振動の く り 返しに よって 生じる ような *S は ほと
んど みられず, 一方向へ 向う 斜め や, おもし
くは樣 48 が 多い。 柱が" «fl (した K 量が みられる
など, * しい 地 Sft があった と 思われる が, その
港 《1 時 M は 非常に 短 かかった と考えられる。
112
松 田 磐 余 • 田 村 俊 和 • S 月 利 男 • 国并 ft 弘
3
W^r ヽヽ、 f -V
地 《 力 動き
^rf> 搏!!カ稱ま
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第 3 図 内 山地 区で 求められた 地 魅の 動き
この 地区で みられた 家屋の 傾斜, 瓦の 移動ない
し 家屋の 倒壊 方向から 求めた 地! 8 の 動き を 第 3 図
に 示した。 集落の NE 部で は, 家屋 は E ない し
SE 方向に 傾いて いるが, その他の ところでは,
地点 1 および 2 の 建物の 例外 を 除いて, W ないし
NW 方向に 傾いて いる。 地点 1 の 家屋 は S 側の
盛土の 崩壞 による 影響 を 受けて いるし, 地点 2 の
家屋 は ブロック 造の 腰 壁 を 持って いるので, その
影響と 考えられる。
集落の 西の はずれの 地点 3 では, 直径 2 m を
越える 転 石が 移動して いる。 この 転 石 は 水田の 中
にあり, 地继 に対して 相対的に 15 cm ほど NNW
方向に 動いて いる。 したがって, 地 が SSE 方
向に 急激に 動いた と 考え られ る。
3. その他の 地区
建築物の 傾斜, 移動, * 裂の 発生な どから 地继
の 主要な 運動 方向が 推定で きたの は, 前述した 地
区の 他に は, 湯 布 院町鬲 山, 花 合 野, 九重 町 寺
床, 直 入 町 塩 手が ある。 いずれの 地区で も 主要な
方向 は S 方向で ある。
III. 地 « の 動きから みた 地震 断層
1. 湯 布 院町山 下 池 周辺 地区
山 下 池 周辺 地区での 地继の 動き は, 地点 1 が N
向きで ある 他 は, すべて S 方向の 成分 を 持つ (第
2 図)。 すなわち, 地点 1 と 2 の 間の どこか を 境
にして, N 側で は N 方向へ, S 側で は S 方向の 成
分 を 持つ 地继の 動きが みられる。
地点 1 と 2 の 問に は, 山 下 池の 北東 岸 を 通 り ,
ほぼ NW-SE の 走 向 を 示す リニア メント が ある。
また, 山 下 池の 西の はずれまで 西方から 延長され
てく る ほぼ E-W の 走 向 を 示す リニア メ ントの E
方向への 延長 も 地点 1 と 2 の 問 を 通る 可 ft 性が あ
る 3 この 他に は, 地点 1 と 2 の 間に は, リニア メ
ントは 存在し ない。 村 并* 金子 (1975) による 図
にも, この 地点 付近で は, この 他に 明昧な リニア
メ ン トは 描かれて いない。
ところで, 別府 阿蘇 有料道路 は これらの リニア
メン トを麵 している。 もし, これらの リニア メ
ント 沿いのと ころで, :HMl 断層が 発生したなら
ば, リ ニァメ ントを する 地点で, 有 JlsHiK は
著しい 被害を受ける はずで ある。 し 力、 し, そのよ
うな 被害 は みられなかった。 また, これらの リニ
ァ メント 間の 地点 8 では, N 80°E の 走 向 を 持つ
断層の 露頭が あつたが, その 長が 有料道路 を 横
断す る 付近に も 被害 は みられなかった。 したがつ
て, この 断層が 活動した と は 考えられない。 既存
の 断層 面に 沿って 小規模な 崩壊が 発生した だけで
ある。
有料道路の 被害で 注目され るの は, の 南
に みられる * 裂 である。 この 付近 は 比 <S 的 平坦
第 1 表 別府 阿蘇 有料道路で みられた ftS の ずれ (cm)
地 点
氣 裂の 一般 走
向
道路 北側の 捧 j 北側 路側带 と ; センター ライ
壁 , 車道の 境界線 j ン
南 侧路側 得と
$ 道の 境界線
道路 南 M の 嫌
壁
9
10
N 25°W 右 0.5
N 40°W 左 3.0
左 2.0
右 1.0
CO ォ
o o
— 48 —
で, これらの iMa は斜 ffiw 壞ゃ 盛土の 崩壊に とも
なう もので はない。 これらの ft 裂の-:) ち, 地点 s
tio では, JSB の »S, センタ一 ライン, 路 W 带
と 車道の «界 線に ずれが 認められる (第 1 表)。
we の as に みられる ずれの 向きと 大きさ は 地点
9 の 北 « の 擁壁が 右 ずれ 0.5cm を 示す 他 は, す
ベて 左 ずれで, 動きの 大きさ も 3.0—4. 5cm と大
きい。 また, 地点 9 と 10 の閱 でも, »K 南 « の擁
H のみに 左ず *l3-0cm の »S! が みられた。
なお, B 面の アスファルトに 描かれて いる セン
タ 一ラインな どの « は, その ほとんどが IHt のず
れ fc は 逆の 右 ずれ を 示す。 これ は, »g は その 根
が 《 く 中に 人って いるので, 地« の 動きが そ
o まま 氣 H に 91 われる のに 対して, ! 8 面 上の «は
とァ スフ ァ ルト" が悉 * に 動 い た 地 》 につい
ていけずに, 16 床上 を 滑った fc めと 考えられる,
ftiB の 1H 雇に とも まう 面の!^ では, と阆
—方向に »*】 や アスファルトが 引きずられ, セン
?— ラインな どの » も »S と 同じ 方向の ずれ を 示
している。 地点 9 および W では, »g の ずれと セ
ン ター ラインな どの ァ スフ アル ト 上の の ずれが
se になって いる こと も, sat 断層の 活動に よる こ
!: を示レ ている 可 tt 性が あろう, なお, *S に は
上下の 変位 はみ とめられない。
«B の一 1» 走 向 は, 地点 9 では N 25'W. 地
S10 では N 40°W で, リ-ァ メント の 走 向と ほ
している。 また, 前節での ベた ような 地 «
0«) きから みると, N-S 方向の 張 加が 考えられ,
MWf 層が 》 生 すると ナれば 左 ずれ を 示す こ t と
Ittl する。 したがって, 地点 9, 10ft 近 を 通り,
リニア メント に す るよう な JfeB 断層が 活動 し
たと# えられる。
なお, 地点 U では 道路 南側の 》 壁で 右 ずれ 3
m, センター ラインお よ ぴ ほ脚带 と 車 JS の 81 界線
で 左 ずれ 1.5cm の ずれが 生じて いた。 しかし,
ft* (の W! に は »8 は 生じて いない。 路面の 亀级
向 は N 40"W を 示し, 地点 9, 10 とほ
ぼ 同じで ある。 地点 11 では SE 土の 》»も 考えられ
るが, J&^S. 10 と 具る ずれ を 示す 理由 はよ く 解
ら ない。
2. 圧 内 町内 山地 区
內山 地区で は 集] 束の はずれに ある 十字路 付
近 を 通り, 石 》»g が 著しく W 壞 している 2 地点
を 結ぶ ほぼ NW-SE の « を 描く t, この 線 を 境
にして 地 《の» きが 異る (第 3 図)。 この 練より
SW 側で は 地 «が3 ないし E に 動いた ように 見
える 家屋が 多い。 これに 対して, NE 側で は, モ
の 逆 を 示して いる。 これ を そのまま *R すれば,
内 山地 区で は, E-W の庄 (8 力に より 左 ずれ 断層
が 生じる ことになる。 しかし, 第 3 図 をみ ると,
地 » の 動き は, 家 S の fttt に fi 交 もしくは3 Fff し
ている W が ほとんどで ある。 集 « の 西の 水田に あ
る 転 石の 動きから 求め られた 地 » の 動き は SSE
である。 したがって, 地 » の勳 きの E 方向の 成 ft
が, W 方向に SE いている 家で 表現され ている とも
考えられる。 とすれば, 境界 ttS: はさんで, NE
ffi では W へ 向う 圧縮 力, SW 側で は S へ 向う »
力と する こと も 可 徒になる。
墓石の 》 査 から 推定 加速度の 分布 を 求めた。 そ
の 結果. 内 山 付近 を 通り, WNW ESE 方向の •
を 持つ 报定加 の 大きい が あら か になつ
た。 ついで, !W(6 物な どの 被 S から Jt« の 動き を
求め, その 傾向の S る 境界 を 山 下 ffiffi 辺地 区と 内
山地 区に ついて 求めた。 どちらで も 界 » の 走 向
は ほぼ NW-SE とみな せ, 推 定加 の 大きい
地 US の 主 14 の 走 向と ほぱ— おした。 これらの 走 向
は, 初 ft の 押し 引き 分布の »» の 一つの 方向と ほ
ぼ一 致して いる。 そのうえ, 建物の 被 客から 求め
られた 地お の 動き は, tenssion 核が ほぼ N-S で,
pressure 軸が ほぼ E-W という 56 震 機構 (R«
It, 1975) と , 和して いる。 したがって, * 者ら
が 求めた 境界 » は, 地表で は«» できなかった
が, 地震 断 星の 位置と みなし 得る。
なお. 内 山地 区の 西方に は. Hi 山の 集落が あ
る。 そこで は, N 60°W の HR 走 向 を 持つ 左 横
ずれ 性の 地割れ » が 生じて おり, SIR されて はい
ない が 地下の 断 眉 S 動が 示 « される 可能性が ある
という 010! (大学 地震 研? C3»975)。 内 山と 扇 山
の 集 s は, 同じ リ ユア メント 上に あるので, ~a
の ffi 層が 活 ft したと 考えて よいので あろう, しか
し, 山 下 ft 北西 を 通る ことが 定 される もう一 本
の 断 雇と は 連 St しそうに ない。 したがって, 震央
付近での 地震 断層の 現われ 方, 初« の 押し 引き 分
114
ftB 磐 余 • 田 村 俊 和 • 望 月利 男 • S 丼賺弘
布, nodal line の 現われ 方な どの 検« が-今後の
HB と して 残される,
31* らが地 « の 動き と して とらえて いるの は,
地震 動の? 0« の 動きで ある 可能性 カ^ T. ,: こ の 動
き は, 地震の 発 震 * 搆に M 係す る 地 動で, 地震 断
屠の ITsB に みられる よう な 地 « の 変位と は異る ft
きで ある。 被 « の ^調査 や 聞きと り属査 では,
* 初の 1R な'/、 し數 K, もしくは ft 初の ほんの 短
い 時 W に 主 * な 被害 を 与えられた とみな せる 現象
が 多かった, 震央 付近の 被害に ついては, 上下動
の!^ i も あるので よ り 詳しい 調査 も 必要で ある
が, 二れ までのべ てきた ような 被害の 起り 方 は,
內昧 K の 中規模な 地震の 震 近に 発生す る 被害
に特微 的な ものな ので あろうつ
Jft 後に, 現地 調 杏に 同行して いただいた 東京都
立大 ネ丄ネ 部!: 木工 学 教室 福井留 男, 同大 学院 生
^野 ill* の W 氏, ならびに, 現地調査の 際に 御世
おにな つた 九州 《«W 開発 株式会社の 方々, IS 稿に
ついて 助 » をいた だいた 気象 研究所 地震 研究 部^
紡彰 に を 表したい つ
注お よび 引用文 1K
1) /お 内 町の 西, 平 石, 袭^ では 推定 加速度
が 大きく, « 石の 転倒 方向で は E-W 力:
ゆ 越して いる。 : こから 庄 内町內 山に か
けて, ここでの ベた 推定 加速度の 大きい
地域と rt 交す る よ り な 推定 加速度の 大き
い 進 域 を 考える ことができる が, 资料不
足の ため 明言で き ヱ
2} 山 下 湖畔 茌 r 柬西 にある 癱 渔 場に 付飘す
る 建物 を^く 十べ ての 建物で ある-
3) 口 'カー ^ 木 餐戸權 の 寸法から 报定 され
る 最大 加 速度 は 450gal 以上で ある。
4; 砂利と ァ スフ, な トはー 糖 にくつつ',、 て
路床' つ 上; こ 二って にる 3
* 霄闞査 所 (1975) : 大分県 中 震の 被 客と
龙貢溝 造. * 霣 予知 連 格 会報, 14, p. 119-
121.
片出恆 雄 ほか (1975) : 1975 竽 大分 g 中 35 の 地
fl; こよる 土木 情^ 物っ^ さ. t_ 産 研究, 27,
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^象 庁 (1975) : 1975%: 4 月 21 口の 大分^ 中部
の 地震に つ'.、 て. 地 S 予知 連絡会 会 *, 14,
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丼^ 引 • 摇件留 男 (1975) : 大分 ^中部の 地
震に よる 橘の 被害. 第 12 回 災害 科学 シンポ
ジゥム 講演 » 文集, p. 245-246.
望月 利^ • 宫 野道 逢 (1975) : 大分県 中部の 地
粱 による 建物の 被害. 第 12 回 災害 科学 シン
ボジゥ ム講潢 » 文集, p. 241-242.
村 井 勇 • 金子 史朗 (1975) : 大分県 中部 地震の
被害と 活断層 分布. 第 12 回 災害 科学 シンポ
ジゥム 講演 脑文 集, p. 233-234.
柬 M 大学 地震 研究所 (1975) : 大分 地震の 被害
讕杏 報告. 地震予知 連絡会 会報, 14, p.122 -
126.
(1975 年 11 月 25 日 受理)
一 50 —
地学 維 誌 85, 2 (1976)
南 • 東ァ ジァの 構造 地質図 編集者 会議と
鉱床 生成 図 作製の 準備
兼平慶 一郎 *
Meeting of the Eaitorial Committee of Tectonic Map and the Preparation
of Metallogenic Map of South and East Asia
Keiichiro KANEHIRA
I. まえおき
1975 年 8 月 4 日から 7 日に わたって, イン ドネ
シァ 地質学 会の 主催で, 東南アジア 地域の 地質と
鉱物 资源に BB する 会議 (Regional Conference on
the Geology and Mineral Resources of Sou-
theast Asia) が ジャカルタで 開かれた。 これ を 機
会に, 万国 地質学 会議 (IGC) の 永 細 な 委員会の
1 つで ある 世界 地質図 委員会 (Commission for
the ueological Map oi the World— CuMW)
の 仕事の 1 つと して 編集が 進め られ ている 南 • 東
アジアの 構造 地質図 (Tectonic Map of South
and East Asia) の 者 (Regional し ooraina-
tor) 会 簾が 時 を 同じく して 開かれた。 日本 *朝
鮮 半島 • フィリピン' 台湾 地 城の 構造 地質図の 編
集 は, わが国の 地 K 綢麵が 责任を 負って おり,
この 数年間 は 主として 広 川 治 氏が この 仕事 を 進
めて きた (広 川, 1973, 地学 雑, 82)。 しかし, た
また ま 広 川 氏が 今回の 会議に 出席で きない 事情に
あった ことと, 構造 地質図と 密接 を 関連 を もつ 鉱
床 fefc 図の 編集の 仕事の 一部 を 筆者が 分担して レ 、
て, 構造 地質図に ついての 会 継に も 出席した 方が
好都合で あろ う と の 判断 か ら , 地質調査 所 小 林
勇 所長 は じ め M 係 者の ご 好意に よ り , 地質調査 所
調査員の 资 格で 同 会議に 出席した。 ここに 会議の
内容と, 南' 東アジア 構造 地質図の 編集の 進 胃
況の あらまし 等 を 報告す る。 また, この 会議への
途次, 南 • 東アジア 地域の 鉱床 生成 図 作製の 準備
のた め, フィリピン, マレーシア, タイの 関係 機閣
を訪 照し, 担当者と 打合わせ を 行って きたので,
ぽ^ 図 作« の 準備 情況に ついても 簡単に ふれ
* 千 葉 大学 理学 郝 Department of Earth
sciences, し hiba UmveiBity.
る ことにする。
II. 南' 束 アジア 横遼地 KB 編集者 会議
従来, ヱ 力 フユ 地 城の 地質図, 構造 地 K 図, 鉱
床 生成 図な ど の 編集 作業 は, ェ カフェ が 中心 と な
り, ユネスコの 経済的 援助 を 受けたり, 世界 地質
図 委員会との 共催の 会議 を 開いたり して 進められ
てきた。 しかし, これらの 仕事 は, 世界の 地 城と
同様, アジア 地 城で も 世界 地質図 委員会の もとで
行われる ことと なり, 同委員会の 下部 機構と して
ifl* 束 ァシァ 部会 (Subcommission for South
and East Asia) が設 匿され, その 第 1 回 会 讓
が, 1974 年 2 月 11 日から 16 日に わたって, インド
の カル カツ タで 開かれた。 すでに アジア 極 束 地域
の 地質図 は, ェカ フユの 仕事と して 出版され てい
るが, 構造 地質図 や 雌顿 図の 編集の 仕事 は,
世界 地質図 委員会の 上記 部会お よ び 世界の 鉱床 生
成 図に 関する 部会が 责任を もって 行う こ と になつ
た。 ここで は, ほぼ 同じ 地域に 対して 従来の アジ
ァ 極東 (Asia and the Far East) のか わ り に 東 •
南アジア (South and East Asia) なる 地 城 名が 用
いられて いる。
1974 年 2 月の カル カツ タの 会議で は, 構造 地質
図の 編集に 関して 次の ような ことが きめられた。
(1) オース ト ラ リ ァの 鉱物資源 地質 地球 物理 局
の H. F. DOUTCH がィ ラ ンの J. STOCKLIN
および インド 地質 調 と 相 淡しながら 作った 凡
例 を 用いて 構造 地 K 図 を 編集す る こと。
(2) 同 図に は, 地質 断面図, 構造 柱状 図 をつ け
る こと。
(3) 地球物理学 的 情報 も 何ら かの 形で つける こ
と o
(4) 構造 地 R 図の 説明書 を 準備す る こと。
一 51 一
116 兼 S
そして 各 の 《* 者 は, 1975 年までに. 担当
»« の 1/5,000,000 の 構造 地 の 原«囡 を 用意
し, 1975^ の 早い 魔 会に ジャカルタで 整の
ための 会鹛を 開く ことが 同意され た。 以上の 决定
にもと ずいて M かれた のが 今回の 会 » である。
会 扇の 出 * 者 は 次の 通 P である。
]. MAR?Ais ; CGMW 会 g (フ ラ ンス)
F.DELANY : CGMW 事務局長 (フランス)
H. F. DOUTCH : ブ n ジ: c クトの 顔^ (ォ
ース トラ リア)
J. ST0CKLIN: イラン 地 »8|歸, D. K.
RAY: イン ト' 地 JJiWE?f. F. HEHUWAT :
インド イネ シ ァ 国な 地質 山 研究所. 兼 平 *
-66: 日本 地質調査 所
このほかに M. J. TEBMAN (USGS) が 出席し
て 2 • 3 意見 を 述べ, また 会 « の A 終 fJ に は, 世
界 «t 地質図 郎 会の V. E. Khain (ソ
建) の 代理と して Y. Lconov が 出席し, mt
地 jfH プロ ジュ ク トの な 朋題 について K 言
した,
会 » は阏 時に 行われた 束 南アジア 地 城の 地 « と
«; 物 sat に M する 会 * と 歩 S! を & わせて 行われ
た。 8 月 4 B の 午前 は, 束 南アジア 地 《 の 地 S と
E 物 に M する 会 » の M 会セ レモ ニー や 基 SHI
» 等が 行われた が, われわれ もこれ に 出席し, ま
た 8^5 B は 会期中の 巡 » 日であった ので M» は
休み. —般の »S (会が 行われて いると きに 実質的
な 时» がな された。
会 « の は 次の 通りで ある。
第 1 口 (8 月 4 日) 午後: 各 担当 地域の 構 iS 地
« 図の 提示と 説明. S ほ £ 答
«2 B (8 月 6S) 午前: « 接する 地 KM の揹
遣 地!! 図の 91 整 作業, 午投 : 構造 地質図 編集
上の 問 B 点の 抽出 ■ 討《. 構造 地! SBI に 付 1«1
としてつ けるべき 断 ildia, 柱状 は 地球 物理
^的 情 《 の 内容の 》时》
第 3B (8 月 7 S) 午後: 東南アジア 地域の 地
» と 鉱物 資 3S に BB する 会 》 との &闳会 》 を 行
い, 構造 地 « 図の 提示と 各 担当者に よる 説
明 ■
3 8 問に わたる 会議で 各 担当者 は それぞれ S 持
ちの 地 « の 構 it 地質 0 を 示して その ttW を 行った
が, 地《 によって fllfi まちまちで, ^までに は
この 点の 肩 整が 多少 と. B われる。 また, 中国
を も 含んだ 《s 地 58 図が 計阖 されて いるが, m&
のと ころ 実際 上 中国 自身 はこの プ B ジ: タトに は
参加して おらず, 中国の 人 逢に よる 麵査 の 最新の
なまの 资: S を t りこめ ないきら いが あるの が, こ
の 溝 造 地 » 図の 1 つの 次点になる かも しれない と
« じられ た。 わが国の 構造 地質図に ついては.
DONTCH の 凡例 (後述) によって 広 川 氏が 作つ
た 原稿 図 を 提示し, 広 川 氏に かわって 擎 * が 説明
した。
溝 造 地 sia を どのよう な 形で まとめる か は attt
の 多い ところで *> る。 しかし, この ブ 1=ジ《 クト
では, と fe かく H. F. DONTCH が 1973 年に i
カフ ュ の アジア 構造 地 « 図 (1/5,000,000) の
fc めに 提案 した 凡 W を 1« 襲 して »( 造 地 を まと
める ことが 同意され ている, DONTCH の 凡 W は
" Tectonic Stage " という * え を基碰 において
いる。 彼の »案 による Tectonic stage というの
11. 不蹩 合に よって おられた一 岩石
S 味す る。 Tectonic "age によって 色分けして
« 造 地 《図 を 作ろうと いう わけで ある, DONTCH
は 彼の 凡例 は 客 « 的な 構造 地質図の ための 凡 W で
fo ると 主 » している。 この 凡例 は 37 ページに わた
るタ イブ 印刷に よって 詳 »8に 解 R されて いる, ど
のよう な コンパイル マップで も, それ を 作る とき
に はこの 植の凡 伊 J が必 S であろうが, この 凡 W に
も 問 題がない わけで はない。 たとえば, この 尺 «
に從 うと わが国の グリ一 タフ 地 tt など は, base-
ment, fold belt に対して cover t いう こと K
なる。 大 ataw と 島 孤と を 同一 の 限られた 数の 凡
(BJ で 示そうと する ことに あるいは 無理が あるの か
もしれ ない。 コンパイル という 作業の むずかしさ
を « じさせられ る。 ^際 今回の 会議 を も, 凡 W を
どうす るかと いう ことのむ しかえしの ような 識 編
も 2 ■ 3 行われた。
J. ST0CKLIN は, オフ ィォ ライト を 図 上に 示
すべき だと? S 言した が, 実 K は オフ ィォ ライトと
は问 かとい うこ とが 間 g になる わけで, オフ ィ才
ライ ト という 表現で HI 示すべき かどう か が 得
られ なかった。 w 造 地 sia に は ある s 味で は 《*
者の 主 « が 反映され るであろう が. 凡 w の
鹵 • 直 アジアの 構 a 地 SB 編集 #A« と K* 生成 H 作 》 の攀籲 "7
Dontch は, できるだけ な 図に しょうと
主張して いた。
以上の ような 时 * の 次の ことが きめられ
(1) 従来 イン ト' ネシァ の 担当 眷が^ * の 編集 責
K# となって いたが, これ を 2Jft« に 分け. 中 g
および インド 以西 は インド (D. K. Ray), 束^
アジア, B 本な ど は インドネシア (F. HEHNWAT)
が まとめる。
(2) 各地 《 担当せ は. 各自の 担当 地 城の
1/5,000,000 構 を 完成 し 1976 年 1 月末 B
までに RAY または HEHNWAT の もとへ » 出す
る。 これに は 構造 柱状 図 fe つける。
(3) 編集 資任蓄 はこれ を まとめて, 全体の 構 逸
« 貧 H を 1976 年の IGC (シドニー) の 会 81 まで
に定 成す る。
なお, 地 SBfffi 図 は どの 地域の 断面 にす るか,
また as« 物 8 学 ««« を どのよ う な 形で も ! 3 こむ
かな どに ついては. «* 时 » された が はっきりし
た sat は 得られなかった。 従って, シドニーの
igc までに 構造 地 《 図の 主 s な 部分が ^した
としても, 付図 害まで そえて 印 w 出版され
5 までに は, まだ 若干の S 時 を * する ものと 思わ
れる c
m. it 床 生成 B 作領 の準籲
ァ ジ ァ ttJC% 城の 床 SfiE 図 作製 の 努力 はお 年
B けられて きている が, «: 床 tofi 図 は, 信 幅のお
ける 構造 地 «0を ベ— ス にして こそ 意味が あると
考えられ, 構 透《« 図の^ を 持つ という 形で,
»R! の 作業 は なかなか 進まなかった。 し 力 * し, 構
SS 地 S 図 作 の に 伴い, 床 生成 S3 作 B!
««« も * まって きた。
1973 年 10 月 に マレ— シァの クァラ ルン ブー 'レに
おいて 第 2 回 アジア 極東 構 逸 地!! 図 16 問 グループ
会議 (広 川, 1973) が M かれた にェ カフ- &
ftH»flfl»Se 会に 会合が fc たれ, *t 床 生成 図 作 K
0 作業 を どう 進める か时 * された。 この 会 » で,
アジア S«J«« を 5 つに 分け, それぞれの 地 城の
K^fiK 図 を H 集す る 担当せ (担 当国》 がき めら
れた, すなわち,
イラン ゾ《 キス タン • アフガニスタン 一 イラン,
インド' ネ パー, レ 'シ; /キム' ブー タン 'スリ
ラ ンカ 'パン ダラ デシ 1 ーィ ン ド, ビルマ' タイ •
マレーシア ■ ラオス • ク メール 'ベトナム一 タ
ィ, インドネシア一 インドネシア, 日本 •«#
半島 . モンゴル. フィ リ ビン • 中国一 S 本
そして, これらの ttl£« 任眷が 日本で ある。
また この 会 》 では, の 凡 Wfe どうす
るか 时« され, 北アメリカの 図に 用いら
れ ている 凡 w を アジア a« に 合う よ ラ に 多少 修正
して 用いる ことが 同意され た。
その後. 図 も 構造 地 質図 と laia, ェカ
フユの 仕事から 一応 はなれ, CGMW の もとで,
m • 束ァ ジァ地 城の j^^Kia と して 編集の 作業
が it めら れる ことにな つた。 そして の カル 力
プ タ の 会 SI では, H 本 は 出席し なかった が,
CGMW の K 床 生成 図 部会の 会 g P. W. Gtild
(U.S.G.S) によって. クアラルンプールの 会議の
合意に もとず いて, 直ちに 生成 図^ « の^ «
を道 めるべき である ことが 強く 主 され, それが
同き された。 したがって, 南 '柬 アジア *« の は
図^ M の 手) (fi&« り, 凡 WSr5£h£ し, 各
の 担き 者に *B し, 具体的な 作業 を: it めて いく 資
tt が 日 本の 地質調^に K せ られ たわけ である。
担当者との 速 絡に あって は, 手 tt によるよりも *
S に 会って 时 « した 方が S** が あ る と 思われた の
で, 今回の ジャカルタでの 会 » の 途次, 3 つ ©H
の m»«m の 担当者 を asra し 図に BB する
いろいろな 問 88 を H» した。 肪拇 したの は
フィリピン •《£ 山 局 (マニラ), マ レンシ ァ地 K
ィホ' — ), タイ レ、 'ン コク)
である。
フ イリ ビンで は ^分布図が 1973 年に 出 RS さ
れ, 現 feG. R. BALCE が 担 S 者と なって
±^131 の が 遭め られ ている。 ここで は 北ァメ
リカの 凡 W を もとに, フィリピンに 適合す る 凡 W
を 新に 作って が ig めら れ ている。 たとえば,
北アメリカの ボ一フ イリ 一S!*E* は Cu— Mu 鉱
床で あるが。 フィリピンの 多くの ボー フィ リー S
は Cu — Au im である というよう なおが
あって, 多少の 凡例の 修正が 必要と なる。 *e,
同国の についての データが まとめられて 出 S6
された ので, iw&sia 作 》 の も 進 》 する も
118 m 平
のと 思われる。
マレーシア では Jaafar bin Ahmad 力 生
成 図の 担当者で ある。 この 図で は, 地 料の 整
81 がよ つて ゆきとどい ており, ほば 北アメリカの
凡 W に も t ずいて 図 作 » の 作業が 《 め ら
れ ている。 すでにお 床 生成 お (1/2,500,000) の埤
稿 図が^ している。 マレーシア では, W といつ
て も *k« が 中心と なる。 sea^ の 一 抑 は 《 かに
河川 堆積物 中に 含まれて いるが, 一 ffi は 花 SSiS の
» 化した 8E 分の もの も 採掘され ている。 この こと
生成 H 上に ど ラ 表現す る か は一 つの H] 題で
あろう。 いろいろ 意見の 分れる ところで あるが,
現在 準 ffli されつつ ある 生成 図で は, 花 ft) 岩と
« t の M 係 をより 強 < 強 鋼 L て * 現 L た 方が よ i 、
ように 思われる。
タイ は Manas Veeraburus が 担当き であるが,
3 本が クァラ ルン プ一ル の 会» で 提案した 凡例に
t とずいて 作 3E を 進めて いる t のこと であった。
わが国の SE 床^ 図の 準 161 状お は 次の ii りで あ
る。 1957 年 年に 閣 根 良 弘'大 町 北 一郎 +
間野武 雄ら の 3 氏に よって 4 枚の [3 本 KfS 区^
(1/2,000,000) が 作られた。 古生代 区 図, 中
生 代 一 古 第三 fcK 床 区 図, 新 第三 区 図, 第
床 区 図の 4 枚で ある。 1973 年に は アジア 極
SUfiW の KfffeE 図の ための 凡例 をつ くり, これ
を 前述の ェ カフ: c 鉱 物 « 郎 会の 会« に 提案
した。 そして この 凡例に よる モデル H として, S
島 请' 五十 mettt 两 氏が b 本の g 生成 図 (ひ
2,000,000} を 準 KS し, それが 同 会 St に 提示され た。
同じく 1973 年に は, 深 ftU 作用に 関連す る 雌と
して, Sn, W - Mo の! 生成 図 (1/2,000,000)
が 石 原 S 三 + 佐々 木 昭眄 氏に よって 作られた。
以上の ように, それぞれの 囡 によって 準 «8 され
つつ あ る 原図 は 1/2, 000, 000 ない し 1/2,500,000 の
囡 である。 しかも 凡例 は 現在のところ まだ iffi— さ
れ ていない, これ を 1/5,000,000 の S として まと
めて 図 を コ ン パイ ル しなければ な ら ない
わけで あるが. 構造 地 « 図から どのような 要素 を
抽出して 図に 示すべき か, そして 北アメリカの 凡
w を モデルに するとしても どのような 凡例が 南-
東アジア 地 《 のお 床 生成 図に 適当な のか, 早急に
しかも 慎 意に 検时 して. 決定し, 各国の 担当 * と
a*s をと り ながら^ を 進め る 必要が あ るよう に
IS じられ た。
IV. おわりに
以上が 今回の 構 逸 地 it 図に 閱 する 会議の あらま
し を at* 生成 H 作製の w« 状況の 《» であるが,
会 鍵に 出席し, また いくつかの 国の 機 BB を tt
問して! « じた 2 • 3 のこと を 述べて まとめと した
«* された 1?1 とい-) もの は, 多 かれ 少か
•ff の g え を ^映す る ものと 思われる。 10 力 国 以上
の闰が 参加して 作ろう と している I* 造 地 W 闵ゃ K
床_& 戌间の * なに は. 各 H あるいは それ を 代表し
てく る 人 * の g えが一 致 する こと は なかなか 大 *
な ことのよ うに 思われる。 実 RS, 今回の 会 » でも,
ブレー トチク 卜- クスの 立 # にたって 地
を まとめた 方が よい (勿 »** を まげようと いう
ので はな く ,»BI の 仕方 を そのよ う にす る) と 主 《
する 人 も いたが, それに 反対の 人 もいた, 多 く の 人
の 寒 a の 一致す ると ころで まとめられる 図 という
もの は, ある 意味で は « 性の 乏しい ものになる か
もしれ ない が, 力に よる この種の コンパ ィ
ル図 では, ある 程度いた し 方ない かもしれ ない。
溝 造 地 》 図に L ろ^: fe* 図に しろ ft 終 的に は
1/5,000,000 に まとめられる ことにな つてい る, わ
が a の 1/5,000,000 の 地形図 あるいは 地 K 図 を 思
いうかべ て みれば わかる ように, これ はかなり 小
さい 図で ある。 当然 そこに 図示され うる we なり
K 床な りの に は IB 度が あり, 大胆に 取捨 SK
して K 示しない と, いたずらに で わか!! にく
い 図と なるお それが ある。 この « の 図で は, 勿 簾
正確さ を «牲 に してよ いという では な いが,
わかり ft い. 全 をみ わたして ある atg: がっかめ
ると いう ことが より S 要な ことのよ うに 思われ
る。 » 柒 にあたって はこの 点の EJ*t が 大切で あろ
う と 思われる。
いずれに しろ, おくれて いた 南. 束 アジア
の 構造 地 « 図 も, おそから ず一 応 の^をみ る こ
とに なった。 次の 段 » として, KS^feH の 作 »
が, CGMW の 南 '東アジア 部会の 主な 一の 1
つと なる であろう。 (1975 年 12 月 16B S 理)
書評と 》 介
S 立 公 (llffi 会 : 本 MESBa»«M に 伴 ラ員辺
の のた めの ■ 査輸告 書 (そ
(D2). 学 * 鵬査纏 A4 饭 1974 年 3 月, 580
ページ, ペーパーバック, 図. 表 多 》.
別冊 付図 計 7 集.
本 » は 本州 四国 **Sffi 公団の 委 K によって 行な
われた 昭 ft«7, 年度の US 報告 害で ある。 本 m
ma. 三 鉻« の 同時 »ェ の 是非で ft 治 ffl 題 化し
ている ほど. 壮大な j+ 两 である こと は 周知と 思わ
れる。 この 様な 開《。叶画 を 突 機に sa 的 学術 ai:ft
が 行なわれる こと は! s いこと ではない。 自然 保 9
行政に B8 与 してい る 国立 公 会が H 査を
L. 工事 計 S をす すめる 公団が ス ボン サ 一である
fill. BtftS 匿の 便宜 は あるに せよ, 折角の 科学
的 » 料が, Rf& 的 色彩で みられる 恐れ を 含む こと
になり かねない。 併し 内容 的に は 各 専門分野の^
SBtt 付近の 生の 资料 集で あり, 《( 料 的 《K を 持
つと 思われる ので (3 介す る ことにした,
内^ は 地形 + 地質 (坂 本 ** 雄), 海洋 (石 If
X). 植生 (沼田 真), ft* (鵬田 長久). 海中 生
Ufiff 峻), 人文 ほ 本 常一) の 6 部門に 分か
れる (括弧 内 は 各部^の 資 言)。
膨 + 地 K» 門の 01 査者は 16 名に &ぴ, 3 ルー
トの 夫々 の 地域に ついては 地元に 近い 大半 教官が
各 譲と して 担当し. 全域に B8 する 所見 は, 束 京大 学
所属の 教官が 担当して いる。 すなわち 神 戸- 鳴 P1
について は 市 川 藤 田 和 夫. 須 « 和 巳. JS
出に ついては 小島 丈 児, 濡木 » —, 鈴 木 盛
! K, SiK 治に ついては 今 村 外 治, 桶 ft 久.
吉田 Rffi, 全 《 について は吉川 虎雄, 岩 生 周 一.
*H«», 龥 J* *, 鎖 西 演髙, 竹 内 均が 夫々
の 専門に » つて 概 R している。 各論で は 地 騙. お
石と 地 あの HK, I* の 際の 注 »t 景镇破 » につ
いての 所見が 加えられ ている。 痛屬, 平坦 面
上の 深矚 風化, 断層 破 liMF に 沿う 風化, i さ 断層 »
の 存在に 注; t を 払わねば ならない こと を ほぼ 結 瞌
と している。 委託 31 あの 結 と して はこれ が 常識
なのか もしれ ない が, 大規 核な 》aaa« によらな
く i もこの 程度のお » は 出し 得る ので は あるまい
か。 むしろ これらの 事項から 出 8 して 91査 の »部
が 進められた 方が 前進 的で ある。 応用 分野に つい
て も, 大学 *m によって に 研究の 範两が 開拓
されても おかしい ことで はない。
海洋 は i に 文献 鐧: も-によって おり, 瀨 ^内海の
海況と 地形, 地 《 (* 木 三 » 祖 が とりあ
げられ, 付図と して 水 iB. & 9l, 透明度の 月别分
布 M (200 万 分の 1) がつ いている。 どの « 境 »1 査
の場& でも, 地 W の 生物 相の 把握が « 先され る »
合が 多 く , この » 告 * で も 生物 B8 係で 364 ベー ジ,
(Rjft の 6 别以上 を 占めて いる。 植物に ついては 付
|'3 に 多色 刷の ffi 生 図 (5 万 分の 1) が 付され, 海
中生 物に ついては, 付表に 瀬戸内海の «) 物が 93 ぺ
ージ にわた つて « つてい る。 人文 は 民俗学 者の 執
* であるた め, 記述に 特色が ある。 S 予察 ft, ffl
»»F の 島々, 淡路島に ついて. & 民の 生 i£. 文
化 財の 記 * を 主と した 簡 Hi な 地 ffi となって いる。
この 稳の 官^ 用 調査報告 S の K 行 種 類と 部》 は
if -々 K 大な ものと 思われる が, これらが 活用され
るよう に 工夫され て S 集され ている かとい ラ 点に
ついては 》 問が ほる。 本 害の 接に 多 方 ffi の 専門家
からの アブ ローチと いう 特色 は 3 めら れ るが, 成
果は寄 木 細工の « がな く もない。 「» 境 J として
坷 故 この 項目 をと りあげた か, 自然 H 塊 保全の た
め W 査には どのような 方法が 接ら れ るべき か. と
いう 埭 な 「環境」 の 解 W や 「調査」 についての 体
系 的 1K 明が, 先づ W めにあって よいで あろ 5。
(式 正
120
tt 会 記事
霸事会 (昭和 51 年 1 月 16 日)
出 : 评井 会長, 保 tmw 会長, 岩 生 + 尾 《 •
川上 • 西 川' 矢 事, 山 内 監事
n 事:
1- 正 会 R 入 ig 会?: して, 次の 申 &をま 理し
入 会: 大町 北一 郎
退 会: 德山昌 市
2. 賛助 会费を 1 力 年 金^ 万 PI に
文嘗を 発送す る ことと した。
纏 》S 員 金 (昭 》51 年 2 月 23B)
出!?; 者: 矢 K 委員 ft, 安 S. 井上, 河 村, 神 戸,
式. vm. ffiSf. Bflft. 前 田 各 * 員
M 事: 地学 «S 第 85 き S3 号の について
决定 した。
理本会 (昭? U51 年 3 月 W 日)
出 «! 赛 : 坏井会 g, 保 «WW 会長, 岩 生, Stt 川
.ト., W 川 理事, 岡 山, 山 内 監事
1. 正 会 B 入 退会と して, 次の 申込 を 受理し
た。
人 会 : 甲 藤 次 W
退会 : 須田睽 次 (51 年 2 月 19 日 逝去)
2. 黄 室 fHtt 上げ を 日本 テレビ放送 網 (株)
に 申入れ を した。
3. 昭和 50 年度 会計 決算の 見通に ついて 尾 崎
理事から 明が あった。
4. 昭 fC51 年度 事業 計画お ょぴ 会計 予算案に
ついて 川上, S« 理事よ D 考え方が のべ
られ た。
5. 束 京地 学 K 会の 今後の あり方 を 》 おする
$ 員 会の メ ン パー を 次の 正 会 gll 名に 委
嘱 する こと をき めた。
岩 生 两一. 片山 S 夫, 神 山 貞一. 川上 喜
代 四. #藝 正 次, 末 野 » 六. 西 川 m.
保 we 美. 森 本 良 平, 矢 沢大ニ
金 (昭 ft51 年 3 月 22S)
出 * 者 : 矢 沢 委員 s. 安奇. 川上, 神 戸, m
CA). 式, 前&, 前 田 各
m 事:
1. 地学 第 85#4 号の 《«fr»« した。
S 本 地学 史! K 科 H 査 委員会 年 3 月 27
曰)
mm : 小林委 n», 石山, 今 井 各 s 員
St 亊: 「日 本 地学 史文 IR 集」 を 一J£^ 成した が
追加 fe あるので, 次回までに 改訂し,
的に 各 委員の 承 》■ を 得る ことと し
行事 S 員 会 (阻 和 51 年 4 月 7 日)
[Uffifi- : W 川 *g お
Pitt 武. 化 藝 茂. 浜 田 降 士各 * 貝
at や
1. 総会 》* 会の 講師 他 について 審議した。
2. a«« について 審》 した。
環 事 金 (昭 ¥051 年 4 月 9 B)
出 : ^井 会長, 保 ttW 会長,
岩 生, M», 川上, 西 川, 矢 沢 理事,
山 内 監事
» 事:
1- 正会員 入; B 会に ついて
入会 : 金 《直《
ほ 会: SEB» 夫 (昭 ft51 年 2 月 23S 逝去)
2. 昭 ?050 年度 事 *«告 および 会 針 决算案 を
審》 の 上 承 B された。
3. 昭和 51 年度 (第 98 年) 事業 計爾 および 収支
予算案 を 春 » し 之 を 承 8 した。
MRS 魏会 (昭 ¥051 年 4 月 23B)
出席者: 矢お 》 員 5, 井上. 川上, 河 村, 神
戸, mtiiKi. » 防. 前 島, 前 田各委
貝
» 事: 地学 Jt 訪第 8K(M + 5 号の 編集に つい
て審 《 した。
日 史责 《調《藏 会 (昭 年 4 月 248)
出 ffi 者: 小 林 S 員 長, 岡 山, 川上, 》肪, 今 井,
石山 各委 g
» 事:
1. rs 本 地学 史 文献 集 j を 地学 に す
る こと を决 めた。
2. 今後の 針 画と して B 人伝お カード 作成に
着手す る こと をき 》 た。
1*議桑 金 (昭和 51 年 5 月 1B)
121
入会者 : 大町 北一 郎, 甲 藤 次郎, 金 尾 直
敬
退会 者: 須田皖 次, 黒 田 偉夫 (以上 逝去)
糠山昌 市, 稲井 信 雄 (以上 本人
希望に よる)
2. 昭和 50^ 度 事業 報告お よび 会計 収支 決 »
案が 承 おされた。
3. 昭和 51 年度 事業 計画お よび 収支 予算案 を
承 % した。
一 57 —
am : 坪 井 会長, 小 林 名香 評 « 員,
有田忠 雄, 岩 生 周 一, 尾 崎 博, 川上
喜 代 四, 河 野 我 礼, 蔵田延 男, JT 持 文
雄, 斉藤正 次, 式 正英, 末 # 俤六,
凍肪 彰, 中 人, 保柳睦 美, 前 島
« 雄, m 秀雄, 森 本 良 平 ひ6 名) 他に
委任状に よる もの 22 名
» 事:
1. 正会員 入 退会に ついて 次の 通り 決定し
た,
安斎 俊 男
編集 委員会
委員長 矢 沢 大ニ
井上 英ニ 川上 喜 代 四 河 村
藤 正 佐 藤 久
諫 肪 彰
前 島 郁雄
山 本 正 三
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tf* 奇" »812^- 昭和51 年 4 月 20 日印 刷
地チ雑 》 第812 兮 昭和 51 年 4 月 25 日 発行
編集 兼 発行者
印 刷 所
発行所
矢 沢大ニ
—ッ柵 印 JW^C 会社
東京都 品 川 区 上: fe« 3-12- は
|5 東京 地学 協会
東京都 千 代 田 区 二番 町 12 の 2
郵便 番母 1 0 2
電話 東京 (261)0 8 0 9 番
捩替 口座 東京 66278 番
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156 地震探鉱 法の 5?f 究
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300 -3 ろ 石 一 'が乂 石 比が もつ 地 R 学 的 意義 , ^
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164 1 火薬 爆発に よって 生ずる 雑 振動お よび 反射: .,56 ^ぉ; 九れ?^ K 構造
164 ; 波の^ R 的 研究 400 一 お « 三角 地 城に まつわる 問題
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163 北海 ai のチ クン
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330
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176 1 北海 m の クロウ ム鉱床
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研究 ! 370 1
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• 400 究著 料 •» 文ロ玆 (1935 — 1950)
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184 i 弾性 波 パルスの 伝播に fel する W 究
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八 «i1llHl« 水の 地球化^
第 11 M 太平洋 学術 会 «組 繳委 A 会 編集
Japan Guide Book for the v^ongress rours
Sfi 布 価格 1 部 700 円 〒 350
400 , 地 KM 査所 月報 ^ 月 発行, 1 力 年 (昭, 51 年) は, 510 円
: 地学 雑 I* 隔刀究 ?ム 1 力 年 8, 100 円
備考 ご注文 はすべ て iVl 金, 正 会 fi は 定価の 1 割引。
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地 S 付近の 天然 放 ft!f,ti によ る ガンマ^ 強度 400 h
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193 1 北海; mm 路地^の /ぶ出 ガスに ついて
194 ; フミな 下 木 Wi^^WHI: ^孔虫 »
197 ! 北 rf^fi 屮粬 :;ば にお 系の 堆 M について
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200 . 本お; ク w ムぉ; n ミの成 LWJ 研究
420 :!
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地, 齄 it
JOURNAL OF GEOGRAPHY c7
VoL 85, No. 3 (8i3), 1976
浚 辺 ftft • HJ 中芳則 : 斜面 《i5« の 地 R 学 的 研究
g 田修 二' 藤井理 ft' M 口 R 二: ネ パール ヒマラヤの 》lSi±-'
«»久« • 小 池敏夫 : 第 8MMRTfl«J 系 報告
«7 と IB 介
浅 M— 巧: 被 子 «ft の iBK (fflB 四郎)
Stfi. 巧: 九州 古 第三 (E ほの JiS 序 (井上 英ニ)
tt « re 事: 須田皖 次会 の 御 逝去 を w みて \ir^V
その他 ん で、
: ネ パール ■ ヒマラヤ の 氷河 • ぉ石^!^^^リ フラクション。一 ブ (S 丼理 行)
CONTENTS
Geological Study of Landslide
Kagetaka WATANABE and Yoshinori TANAKA ( 1 )
Patterned Ground of the Nepal Himalayas Shuji IWATA,
Yoshiyuki FUJI1 and Keiji HlGUCHI ( 21 )
VI International Congress on Carboniferous
Stratigraphy and Geology, 1975 Hisayoshi IgO and Toshio KOIKE ( 40 )
Book Reviews, The Society's News < 48 )
TOKYO GEOGRAPHICAL SOCIETY
(TOKYO CHIGAKU KYOKA り
Founded in 1879
Nibancho, Cbiyoda-ku, Tokyo
東京 地学 tt 会 取扱い 出 ffi 物
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* バール' t マラ ャの * 河' e 石 * 河 ■ ソ リフラ クシ ヨン a —:
ネ パ一, レ. ヒマラヤの 氷河の 特) R の ひとつ は. 部が. superglacial moraine (お 面堆
石) で 被われて いる ことで ある: W い moraine の 下の 氷 体 は. slaKnant ice (ffftlf*) になって
いる こと も あり. ft 近の 氷^の 变 fid を 知る. I: でも, 乂 この m"minc の # 解 制御の K 割に 閣 しても.
M 心が もたれて いる。
if) 耗 w 周 a の 側壁 >'se に は. ^氷 /=: 風化 作 ffl によって, がよく 発 速して いる- s 真 1 お 下に
見られる ように, 小規 BS なお— お 水 河が. 小さな 圏 谷底 や. ^錐 料お 下 fill に ft られ る。 58 は, * ネ
バ—, レ. クン ゲ地 城に ある Mt. Ama Dablam (H858m) と, その 北面の Dun Glacier- 197:1^5
月 伏 見頃 二! ■ttR 影,
中央 ネ パール, Dhaulagiri Himal の 北 iM に 位 1R する Hidden Valley では, ffl 水 W 地形の *S 遍
が 著しい ; SH 2. 氷河の ablation valley に B_ られた si'lifl ぼ lion lobe である- lobe '灰 JB の爽
± は, 1 ~ 2m. 幅 は & l<>m である, も-斜め 上 は. side m"r:iiw とその 内側の supergladal
moraine で K われた 永 河 氷 tt^ W-Kt- 9 (画 井 fflff)
地学 雑珐 85, 3 (1976)
斜面 崩壊の 地質学 的 研究
渡 部景隆 * 田中芳 則"
Geological study of Landslide
Kagetaka WATANABE and Yoshinori TANAKA
Abstract
The authors thought that a breakdown of a slope is basically attributable to the
augumentation of the slope's instability potential, and that the time- variation of cau-
sative characters related to geological and topographical conditions must be taken into
account in the discussion of the mechanism of landslide development.
The Chichibu basin was chosen as the area of the present study, and the mechanism
of landslide development was considered mainly from the geological stand-point. The
major object was the landslides caused by the action of weathering.
Bedrocks
The physical properties of rocks are correlated to one another, and it has become
clear that they can be represented by the uniaxial compressive strength and the dry
shrinkrage ratio.
Among the Tertiary rocks of the Chichibu Basin, mudstone shows that its physical
properties vary with geological horizons, and the ralation between its physical properti-
es and the geological horizons is represented by two cycles which correspond to the
Oganomachi group and the Chichibumachi group respectively.
Weathering zone
The weatherability of fresh rocks can be expressed by the uniaxial compressive
strength and the dry shrinkage ratio. A weathering zone is easily developed in a
area where the basement is composed of rocks with small uniaxial compressive strength
and large dry shrinkage ratio.
A weathering zone can be divided into four subzones, I - IV, from the ground sur-
face to the fresh bedrock down below. The physical properties of each subzone change
according to the degree of weathering, but their changes from one sabzone to another
are gradational.
Moreover, it has become clear that the quantity of cracks in the weathering zones
of the study area is far from negligible.
Development of weathering landslides
On the basis of the factors which augument the slope's instability potential with
the lapse of time, the authors classified the landslides into three groups, namely, the
* 東京 教育 大学 理学部, 地質 鉱物学 教室 Department of Geology and Mineralogy, Faculty of
science, Tokyo University of Education
** 東洋 大学 工学部, 土木工学 科 Department of Civil Engineering, Faculty of Engineering,
Toyo University
124
澳節景 ft • 田 中芳則
weathering landslide, the stream erosion landslide, ana the head erosion landslide. In
the present paper the authors focusaed the ducussion on the mechanism of development
of the weathering landslide.
In order to infer the state of development of the weathering zone before the break-
down of the slope, the authors carried out seismic prospecting along the margin of the
destroyed slope. There are two types of landslides, one occurs mostly in the first velo-
city layer with less than 0.4 km/s, and the other extends down to the second velocity
layer with 0.4-0.8 km/s. It is evident that the character related to the cracks of the
weathering zone and to the softening of rock fragments is contributing to the develop-
ment of landslides.
The depth of the weathering zone has its limit in accordance with the slope's gra-
dient. The depth of the weathering zone increases with time, and in tnis process the
part that overstepped the critical stability would be broken down.
I. 序
本邦に おける 第三紀 層 は 全国的に 極めて 広く 分布して おり, 地形 的に は 丘陵 性 山地 を 構成して いる 場合
が 多く, 各所に 斜面 崩壞が 見られる。 これらの W 壞は, 従来, 軟 岩と 呼ばれて いる 第 3 系の 岩石の 種々 な
««« 性質に 関 速す る と こ ろが 多い。 人 m 活動の 場の 拡大 とともに, 地質学 的に も 斜面 w 演の 根本的な 原
因 や 通 程 を 究明 し, 予知 及び 対策に 反 * さ せ る 必要性が 生 じている。
筆者ら は, 秩父 盆地の 第三 系 域 を 研究 地域と して 選び, 従来の 地質学 的 調査に 加えて, 岩石 t«t 彈性
波 aat など を 行い, 斜面 崩壞の 発生 機構 を検纣 した。 本 研究が, 斜面 崩壞の 予知 や 対策に ついての 指針 を
得る こと に 役立てば 幸いで ある。
なお, 本 研究で は, 気象 条件に 起因す る 自然 斜面の w 演 のみ を 対象と した。
n. w 舰 域の! M
秩父 盆地 は, 関 束 平野に 向けて 徐々 に
高度が 低下 して ゆく 関 束 山地の 東緣近 く
に 位置す る。 本 研究の 調査 «SH は, Fig.
1 に 示す よ う に 盆地の 第三 系 分布 地 城の
主部 を 占める 東西 約 14km, 南: Ib^J 12
km の 地域で ある。 調査の 目的から みて
ここで は 盆地 内の 地形 を 丘 8H± 山地の 斜
面と, 数 段の 平坦な 河岸 gt& 面と に 大別
する。
丘陵 性 山地 は 250~700m の 標高 を 示
し, 盆地の 西方に おいて 最も 高く, 東方
に渐次 高度 を 低下して いる。 主に 第三 系
によって 構成され, 一部 は 段丘 堆積物に
よって 被われて いる。 山腹に は 細かく 沢
が 入 り 込んで かな り 開析 されて お り 第三
系が 随所に 露出して いる。
Fig. 1 Map showing the study area. ほとんどの 斜面 崩 壞の基 は 果三系 ビ
((I)-(Vn) denote the stratigraphic divisions) ある。 この 丘陵 性 山地の 斜面 をつ くる 第
一 2 一
斜面 W 壊の 地 貧 学 的 研究
125
V
C
9)
ひ
O
rable 1 dtratigraphic division of the lertiary system
in the Cmchibu Basin
((I)〜(VH) denote the divisions used in the present work)
Chicnibumachi
group
Oganomachi
group
Hikokubo group
Kamiyokoze formation
Hiranita formation
Saginosu formation
Nagura formation
Sakurai formation
Yoshida formation
Miyato formation
Nenokami sandstone
Ushikubitoge formation
(vn)
(VI)
(V)
(IV)
(in)
(n)
(i)
(After ARM & KANNO, 1957.)
三 系の 地質学 的 研究に ついては, 従来, 多くの 報告が ある。 本 研究で は, 層 序 区分, 岩 相, 地質 構造な ど
の 地質学 的资 料に ついては, 新 井 '营 野 (1957) による 見解に 従った。 その 層 序 区分 は Table- 1 (Fig. 1
m) のようになる。
» 研究に よ り 本 地 城の 第三 系 は 次のように まとめられる。
第三 系 は 下位から 彥久保 層群, 小 鹿 野 町 層群, 秩父町 層祥の 3 層祥に 大別され る。 第三 系 は その 周囲に
おいて 秩父古 银, 中生 餍, 長瀞 結晶 片岩 などの 古 期 岩 類と 接して いる。
各層 群の 堆積 状況から みると, 彥久保 層群 は 基底 部の 山地の 脚部 を 埋めた 璩 岩, 酸性 深 性 岩 風化 物に 特
微づ けられる 砂岩, 含 化石の 砂岩, 泥 質 岩と 重なる 海 進 時の 堆横 輪廻 を 示し, 水平 的な 速統 性に 富む 地層
を^ 6 している。 これに 比して, 小 鹿 野 町 層群, 秩父町 層群で は, それぞれに 厲 する 各層 は 藤 岩から はじ
まり, 砂岩, 泥 K 岩から なる が, 横への 速 金が乏しくなる。 この^ JH の 層 準に は 種々 の 堆積 構造が 見ら
れ, 襄 岩に は 下位の 第三 系の * が 含まれる ことな どから, 中, 上部 S 群の 堆積 時には 堆積 盆地が 東南 方へ
移動し, 堆積の 場が 不安定に なると 同時に, 後 背 地の 状態と 河流に 対応して 水平 的な 岩 相 変化 や 厚さの 变
化 を 生じた ものと 推定され る。
この 堆積 状況の 差異 は, 第三 系の 岩 相 だけでなく, 斜面 崩壞に 88 速す る 風化に 対する 基 魅 岩の 潜在的な
性質 を 規定して いる 可能性 を 指摘して おきたい。
盆地の 第三 系 は ゆるい 軸 を もつ 向斜ゃ 背斜は あるが, いずれも 上部 屑 分布の 方向に 傾いて いて, 西 縁の
彥久保 層群の ほか は 急傾斜 を 示す こと は 少なく, 概ね 傾斜 は 30° 內外 であり, 南東 部で は 20° 以下のと こ
ろが 多い。 したがって, 地 K 構造 上, 斜面 崩壞の 研究に は 概ね 適する ものと 云える。
III. WH 点の 抽出と 研究方法
斜面 崩壞の 発生に かかわる 個々 の 要因 を 明らかにする こと は もちろん 重要で あるが, 従 * の 斜面 崩壊に
H する 研究に おいて は, 崩壞の 要因, 特に 素因に ついては 調査 時の 条件に かたよりす ぎている ため 時間 的
に 固定され たものと して 扱われて いるき らいが あると 筆者ら は 考える。 しかし, 長期 間のう ちに は, 斜面
の ほ斜, 風化の 程度な どの 諸 条件 は 変化し, この ことによって 崩壊 発生が 左右され ると ともに, 発生す る
崩 壞の接 相 も 変化して ゆく ことが 考えられる。 したがって, 斜面 崩壊の 発生 機構 を 明らかにす るに は, 崩
壊の 要因の 時間 的 条件 を も 重視すべき である。
* 者ら は, 以上の 点に 問 超 点 を 見出し, 崩 * 発生 機構 を 時間と 斜面の 不安定 化の 程度 を あらわす 概念的
な It である 不安定 ポテンシャルとの 関 速で 把え る こと を 考えた。
— 3 —
126
渡^ 景 It • 田中芳 則
斜面 崩壞の 要因になる 諸 条件 は, 変化 速度に よって 次のように 分類され る。
a. ほとんど 変化し ない 条件: 岩 種, 地質 構造な どの 地質 条件
b. 若干の 変化 を 示す 条件: 斜面 形, 傾斜な どの 地形 条件
c やや 急な 変化 を 示す 条件: 風化 現象, 水流 侵食 現象, 表面 侵食, 堆 » 現象
d. 急な 変化 を 示す 条件 : 降雨な どの 気 件
筆者ら は, 1 ケの 崩壊が 発生して 後, 消滅し, 周囲の 斜面に 完全に 順化して 再度 崩 * 発生の 可 徒 性が 生
ずる ま での 期間 を 100^ ォー ダー と 仮定 した。 上述の 各項の 変化 条件の 期 問 はこの JEffl 内 を 基準 と する。
a 及び b 条件の 変化 は 極めて 小さく, ほとんど 固定された 条件と 考える ことができる。 換首 すれば, a
条件と b 条件 は 斜面 崩 * に 関し, 地域 特有の 不安定 ポテンシャル を 与える ものと 云える。
これに 対 し, c 条件の う ち 斜面 崩壊に 閣 与する こ と が 大きい と 思われる 斜面 基部の 水流 ftft 及び 風化 現
象 は, 気象 条件と 密接な 関係 を 保ちつつ, 斜面 位置に よって は一 方の みが 卓越す る ことが 多い が, 絶え ざ
る 侵食 作用 あるいは 風化 作用に よって, 斜面の 不安定 化 を 促進す るよう に « らく。 すなわち, 時間の 経 通
とともに 不安定 ポテンシャル は 増大す る。 なお, 斜面の 表面 侵食 や 堆積 現象 も 無視で きな く, 表面 侵食 は
不安定 ポテンシャル を 低下 させ, 斜面 上の 堆積 は 不安定 ポテンシャル を 増大され る はずで ある。
—方, d 条件 は 上述の 不安定 ポテンシャルの 上限 を 定める ものと 云える 力' N 崩壞に 到る までの 不安定 ボ
テン シャ ル ft は 降雨 条件 によって 変動す る。
時間の 経過と ともに, 風化, 水流 などの 進行に より 斜面 は 全体として 不安定 化を增 して ゆく 力 礼 あ
る 時点での 降雨 条件に よ り 崩壊が 発生す る と 不安定 ポテンシャル は 急に 低下して, 一応, 斜面 は 安定す
る。 その後 再び 類似の 過程 をた どって 不安定 ポテンシャルが 増大して 崩壞に 近づいて ゆく。
このように 斜面 崩 * の 発生 機構 を 明らかにす るに は, 不安定 ポテンシャルの 時間 的 変化に 注目す る こと
が 合理的で あ り , 斜面 崩壊の 予知と 閬速 づけ る こと が 可能に な ると 考えられる。
この結果, 地質学 的 立場から, 次の 2 つの 猓 題が 重要で あると 考えられる。
a. 風化 現象の 進行と 崩 * との 関連
b. 水流 ft* 現象と 崩壞 との 閟速
これらの 猓 題に 対し, 筆者ら は 目的と 研究 地域に 選定した 秩盆父 地の 第三紀 層と を 考慮して 次に 列挙す
る 研究方法 をと つた。
a. 基继- おの 物理的 性質に ついての 試験 を 行ない, 圧縮 強度 分布図 を 作成した。
b. 斜面に おける 風化 带 調査と して 現地で は 短 かい 測 線の 弾性 波 速度 測定 を 行ない, 採取 試料に ついて
は 強度な ど 物理的 性 K についての 試験 を 行なって 風化 帯の 諸 性質 を 明らかにした。
c 風化 带の 中で 崩壊に する 分带を 知る ために, 崩壞の 発生して いる 斜面に おいて, やや 長い Mlft
の W 性 波 探査 を 行なった,
以上の 方法に よって, 斜面 崩壊の 要因のう ちゃや 急な 変化 を 示す 条件と して 重視され る 風化 現象, 水流
侵食 現 * と 斜面 崩壊 と の 関連性 を 検討す る。
IV. 基 « 岩石の 物理的 性 K
1. 物理的 性 K
研究 地 城内の 153 地点から 195 ケの 試料 を 採取した。 これら はいずれ も 地表 試料で あるが, 肉眼 的に
な もの を 採取す るよう に 努めた。
試験 項目 は 次の 通りで ある。
a. 密度, 間陂率
b. 乾燥 収縮 率
c —軸 圧縮 強度
一 4 一
斜面^ 壞の 地質学 的 研究
127
d. 超音波 伝播 速度
e. ショァ 硬度, ページ 強度
以下, 各項 目の 測定 結果に ついて 述べる。 なお, これら の^は 全て 供 轼体を 3 ケづっ 使用して 平均 «
を 求めた。
密度, 間陳 率:
乾燥 状態に おける 密度 m 及び 湿澜 状態に おける 密度 > を 求めた, > は 泥 K 岩で は 2.3〜2.5, 砂岩
では 2.2~2.6 である。 砂岩 は 相対的に 泥 質 岩よ り も 密度が 大きい と 云える。
間隙 率 は 4~22% と 変化が 多く, 泥 R 岩の 方が 砂岩よ り も 一般に 大きい 値 を 示す。
錄収縮 率:
測定 結果 は 最大 5% 程度の 収縮 を 示す。 泥 質 岩の 多く は 0.5% 以上 収縮す るのに 対し, 砂岩で は ほ とん
どが 0.5% 以下と なって いる。
ー赃縮 強度 :
乾燥 時の 圧縮 強度 び d 及び 湿潤 時の 圧縮 強度 び w を 求めた。 び w は 50〜2000kg/cm2 の 範囲に ある。 泥 貧
岩の " は 一般に 小さく 500kg/cm* 以下の ものが 多い が, 砂岩で は 強度の 大きい ものが 多い。
超音波 伝播 速度 :
超音波 伝播 速度 測定装置 によ り P 波の 測定 を 行ない, 乾燥 状餱の 速度 Pa 及び 湿澜 状態の 速度 Pw を 得
た。 Pw は 概ね 2000〜5000m/sec の 範囲に あり, 泥 質 岩の 方が 小さい 値 を 示す 傾向が ある。
ショァ 硬度, ページ 強度 :
"Legend
• Hudstor.e
o Fine-grained sandstone
2000 ト " Coarse-grained sandstone oo
iooo-
100
50
乾燥 状態の 供 試 体 を 使用した。 ショァ 硬度
の 測定 結果 は 30〜90 の 範囲に あり, 試料の 粒
径が 大き く なる につれ て パラ ツキが 增す 傾向
が ある。 ページ 強度の 測定 結果 は 岩 質に よる
差異 は 少なく, 4〜60cm の 範囲に ある。 こ
の 2 つ は 斜面 崩壊に 直接的な 関 速 を もつ 野外
条件 は 多くない と 思われる が, ショァ 硬度 は
上述の 場合と 同様, 泥 質 岩の 方が 小さい « を
• Rudstone
. o Fine*eraln«d ■«n4aton*
2qqq|_ X 0 0 ■ Co«r*«-frftin«d teo«
lOOOr
500r
100 厂
50L
0
1000
J I
2000 3000 4000 50006000
rw (n/s)
0 し
0
«0
20
30
tig. 2 Relation between wet compressive
strength Cw and wet ultrasonic
wave velocity Pw.
\ lg. 3 Relation between wet com-
pressive strength <7W and
porosity n.
* * 0 0 /^tm^
o
s
5
(») P
― 5 ~ "
128
浚 郎景嚷 • 田 中芳則
示す。
以上, 研究 地域の 物理的 性質 を 通: K す
る と 岩 K に よ る 差異が ある こ と が 判明 し
た。
2. 物理的 性質 相互の M 速
岩石の 物理的 性 K は ある 1 つの 性質 を
測定 すれば 他の 性 K が 推定で きる ような
相互 閱 連 性 を 有する 場合が ある。 相互に
比较 する とき は, 現地に おける 基お 岩が
漫 つた 状態に ある 場合が 多い こと を 考え
ると, 湿潤 状態に おける 性 K を 重視す る
ことが 望ましい。 ここで は, び w 及び 乾
燥 率 と 他の 接 性 K と の 関係 を 中心に
述べる。
。, との M 係 :
<3, と ? v 及び P, との 間に は 両対數 紙上に て 直線 関係が 認められる。 Fig. 2 は" と Pw の M 係 を
示す。
次に " と 間隳率 n との 間に は Fig. 3 のように 片 対数 紙上に て 直線 関係が 成立す る。
このように, び w と 他の 主な 性質との 問に は 対応 関係が 存在す る。
乾燥 率との 関係:
1R« 率と 他の 性 » との 関係 は 興味深い データ を 提供す る。 Fig. 4 は 収縮 率と " との 関係 を 示す もので
cw が 小さく なるほど 収縮 率 は 大きくなる。 特に, び 胃 が 500kg/cm2 以下の 泥 R 岩に おいて この 傾向が 頃
著で ある。 なお, 砂岩の 収縮 率 は 小さく ほとんど 問題に ならない。
本 地域の 泥 K 岩 は 収縮 率と 。, との 関係から みると A 型と B 型に 区分す る ことができる。
A 型 は, 相対的に 収縮 率が 大きく, び 胃 が 小さくな るに つれて 収縮 率が 急激に 增大 する タイプで あり,
B 型 は 収縮 率が 小さく, 〜 が 小さくな つても 収綰 率が さほど 增大 しない タイプで ある。 例えば, Fig. 4
でび, 力: 100kg/cm2 の 場合, A 型で は 2.5〜 4% の 収縮 を 示す のに 対し, B 型で は 1 % 前後の 収箱率 を 示
すに 過ぎない。
以上の 2 つの 型 は 地質 層 準と 密接な 関係が ある。 すなわち, A 型 は 下部 層 準 (I) 〜(! V) の 試料に, B 型
は 上部 ® 準 (V) ベ VH) の 鄉 に 対応す る。 収縮 は 含有 粘土 量, 粘土 鉱物 種, 組織 等に よって 左右され るで
あろうから, 上部 及び 下部 饜 準の 間で 含有 粘土!: 等が 異っ ている ことが 予想され る。 この こと は, 通常 泥
K おと 一括され ている 岩石で あっても, 風化 作用に 対する 抵抗 性に 差異が 生ずる 可能性 を 示唆す る ものと
して 重要で あると 考えられる。
以上の 考察に よって, 岩石の 主要な いくつかの 物理的 性 K は, " と 収縮 率と で 代表で きる ことが 判明
した。 これ は 斜面 崩壊 を 考察す る 際の 重要な 視点になる ものと 考える。
3. 地域的分布
斜面 崩壊 は 1 つの 力学的 現象で あるから, 外力に 対する 抵抗の 尺度と してまず 第一に, * も 一般的に 利
用され る 岩石の 一 ttn: 縮 強度に 着目し, 153 地点の 岩石に ついての " 測定 結果に 基ず いて <j, の 分布図
を 作成す る こと を 試みた。
砂岩, 泥 K 岩の " 測定 16: について は 先に 述べた。 本 地域に おいて 問題と なる の は濂岩 及び 互 層の 存在
である。 これ は, 供 試 体の 測定で は 求める ことが 困難で あるから である。 礫岩に ついては 現地 観察の 結
果, 本 地 城で 最も 強度が 大きい ものに 属する と 考えた。 互 履に ついては, 互 層 を 構成す る 砂岩と 泥 質 岩と
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tig. 4 Relation between shrinkage ratio and wet
— 6 ~ ~*
»■ 肩 襲の 《 質 学 的 》 究
Fig. 5 Distribution of wet compressive strenglh cr..
OS 度から a, を 算出した。
Fig. 5 はこの ようにして 求めた 。- を « 度 A~D の 4 つに 区分して 作成した ものである。 1- の 分布 は
岩 相 分布 を ある 反映して いる,
A の 分布 通 域 07»>60Okg/an') は, 礙 S 及び 多くの 砂岩と 一部の な 泥 質 岩と から 構成され ている,
B の 分布 地 《(600> び-: >400ltS/Cm リ は, 砂岩 を 主と する 互 層の 他, 層 準 (I) 上 8S と 雇 準 (IV) 基底
» の 砂岩 を 含んで いる,
C の 分布 地 城 (400><.->300kg/cm') と D の 分布 地 城 (び-く MOkg/cm1) は, 泥 K 岩 または 泥« 岩 を 主
t する 互 層より なる が, C の 分布 地) « が 各層 準に 含まれて いるのに 対し, D の 分布 地 城 は ほとんどが 上位
0 準 層に 含まれる,
±(* として, 斜面 崩壞に 影響が ありそうな <$' の '1、 さい 地域 は, 泥 «岩 の 分布に 依存して いる ことが わ
かる,
次に, 収縮 率 を の 分布 El に 重ね合わせて みると, 乾 》 収縮 率の 分布 も a, の 分布と ほぼ 同様の
IB 向 を 示す ことが a みとれる が, 層 準 (in) 可び (no の c の 分布 地域に おける ffij? 岩の 収« 串が 特に 大
きく, 崩壞 との MJg において 注目す る 必要が ある,
* 地 城の 第三 系に は, ほ 曲 は ほとんど なく, 先 第三 系との 境界 付近 を » けば 断 St 比お 的 少なく, 割 B
以上の 理由に より, 上述の 岩石の〜 や 乾燥 収縮 串 は, 溝 造の 乱れの ある 部分 以外 は, ほぼ 基 « 岩の
や 燥 串に 対応す る ものと みなす こ と に した,
*- wawitit と霤序
K*. 岩石, 特に 非 3E 成の 堆 » 岩の 物理的 性 K が 作用に よって 変化す る こと は 知られて いた, この
醮鋒康 M • Ml 屮 *«
im iv) ivii
本 地 W の » .«>■! I-DH'I'ViIK-1
W におり く. 地 KIKI*
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*>«. 砂 VI に ■' い (u^WIM-iifll 'て ]. の #»IJ' レ ない- ffiWVt め
はなく, .-.^fw(*fl- :t ■^i»in ;>ni.'..'-AW.* ;,. 1- なわ',, m
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i-i, が * め- U» く, *»* と l た t ので も W.、 細' " に H び, ■'<"*
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MrkM'lM. [ い 4MWfc»iL C いん
斜 WW 續の地 « ャ的
20
次に, では (MM 寧 n. MM 時! I; 精 Mlt 〜, 纖剩時 « 實 域 度 し についても, 地賓雇 寧に 埘化;
した 2〃 ば f タル (fc 小' す 傾 I 幻が W め C, れ 6- " UFitf. 7 のよりに, 级ひ 人 保' 小 *if 町 * 鮮と^ 乂 町 鳩 群
に Wit する W 率 U )*UV) と * 寧 (V)-(Vll) の a • ' のサ < タノ U こわけに わ, W 貪の n が 卜 (なから 1,' 位へ
簡 次 细 加 n .iw と IV につい C も 2 つの リ < タルカ' め にれ, ", と IV はいぐれ も 卜 位 か,,, h 位へ
麵 次 «少 < る-
以 i、, «♦ な^ < ク a m 、! 町 won'^wiinw め 物 « 的忤 IU' 屮心に 述べ 仪
1.1' に 慮な くに' 'め itlUKW におい c, 、二れ 山り 物 Jt« 的 tlW に: J » の サ i リルが (Wh する 二と について は
いく 'か 山^ W が^ えられる 一 そ 内 I, な ものお 上 ける と 次 i /はり e あんり u
すな わし, ") 1 、推な 独^^ 譬, io nnt^m. い) w,aiwmh 成と *il の hiw, ") mn^
ぬ の夺 im. 0) 膽紿 物の +ぉ舆 なと である,
こわに め "の 1、«A^ 成 t ハ^ 響に や" は リく {mo a i . w r ( . ? ih wwm. nt^ ^ ^
fci/^** と^^.1: め W ^においし. 本 地 «.1 向 » な l«ttU'«ft し, つれえ' 1 、核 ft 恥 の 唯 Wiit 地
の «: 降 * の nm に丄 ^ もめ.1 しし w 叫した. も 他« の 1 、糠な に-' い (は. m^) は 小 鹿» 餺
と^ V: 歸 i««U'vofW に 郎 ゆ 的 i、《fr が あり, 町) K«Ufl«Wl にり、 fffeiPiWW ハ鑛 'た 造 «灣 動 t'm 摘し
たが, えの »• • (iur>7) は 二れ H4i にヤ ベい: :し i たが ■ c "め i;«^t のが 譬は
め 対 * から 除外 ひきょう-
いり WHl,fiUlMi6^» ひ あ 'に HiniMiJ の洋肩 はない u
*j の 鉱物 w 成と * 比に ついては, 物が^ 慮の 対象と なん 特に や ンゃリ w 十 c トは " をん 右す
もめ f- に, 粘 I. 鉱 W であ 6. *
翁に が^ 地ム め« 料に 上 鉱物
した 粘 * に 上 6 わ,
舞の- 1. 郎 (IV) に t ン t 'J II )- f
卜が 特に 本 いこ と が^ 摘で さる. これ
は 鳩 寧 (IV) と l.to の * 中 (v) との
(B に 物 練が JH: 寅め ギヤ -v パ/ pi: じた w
W になり (4 6 1 i の であ 6 え 'ム え
も,
れ、^ U お の *^ の 影 養に n、 u よ
it^m くは^ * されな か 'た トニん
である • ,般 に, 輕ま产 が * く^しる
はと W 睐 し, 'は^ 加 I,
W 時に «1 粒 f ^HHtU-»Vi i 幻 御:
lr)|M 二と に丄 に" 搠度; 4 び «&ぬ
遍« が ことが おえ に わる-
本 では, tmr^mnf ^t\iK
の i a 'め j うにし (水め た. 〃ぶ
わ". 赠^ ん醎 においに M
« l/wm"、 以 I 力 粒 f ^Hk\mt*¥t^
めて <ll«t 率と し, こわに よ-' 資
の Wtltfr あにわき ことにした, も 地域
幻ぬ ケ^で その 地点の^ Wtttftr 代 A i
もと みられる ぉ楝^ し. これらの
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1 ぬ 囊奠餐 鼈 中, 廳
を * めて Fig Sfra た, 85 で わかる ょラに 各き 攣の flBWUl かなう パラつ いている が, 履 華 (D)
~ or; では 相 ^ に 粗) e 車力:,:、 さく, 疆攀 v, 〜^^では 大きい ご 云える * に * 疆攀 にて, i% 以下
の 率 を 示す の 比率!: 求める と, 疆! H n 一' IV, では ICT^ 藝, 'V, では 約 20% であ
る * なお. 騎 》 i, は ^ご w» に, 疆 重.,〜' ずべ は 鼻な つた 優 ft を もつ,
このように, つ '、直 f^.'¥»。 n.~ iv がつ、 さ に 儘て he に: £C 一, こ r: にせして 秩父町
藝 解の W WII ではお きい. 儘で 相互に する こと は, これら トヌ 二 疆鎮わ 物 質の^ 萬に BJ
係し, 《藝»广 緩 * でダ * ソブを 生ずる 涿冗 の】 つになる-考えら n る ,
次に. -。》結^'っ影罾にっ* て 考える. 《質《0»»«窗 によ r いご, 《8C できる <G 子 鴨 ま 《物 は,
及:/ 麵ぉ 石が 多く, 他に 《 ^石, 騭 雲^ «NL 生 などの:^ 石片 などが あげら
れ, B 結 物に に 石英, ^il^lft 方解石な ある. : たらのう ち * 疆。 子に つに て は嚷攀 w の逮
いは 晃られ ない,
これら を充霍 する — て は, 方解石が 最も 多く, 橡は 少董て nro>?#t- ュ齡 外す 仁 方解石 は
大 It 分の に 含まれて いる. ュ、" その 董は疆 庫に よって かなり 鼻なる. T な^ち. » 館お としての
石 。愈お た 表現に « 鍵で あるが- 疆 ar'i —^ ir では 赠ぞ めに 少な に^ 一 霸 arv^-ir では
かなり 多 * • —たが. つて. 霸逮 マ では, 疆肅 r ~ ず tflaw による 露 《r によって g 蒙が
多く ぞ《 ?广 一' i こ :1:ぉノづ'..、 :■_ ^ o :- we r>i^m^j^% .: ^ - 、ブを 生 ずる : つの 厚お となって
いる^ :: tkd つ * 合 :l .
以上^ 核お に::. 案 ご» ^の Hit ご ,x 々«m 腐-教父 ■»: 疆 おこが^々 の サイクル を 示す
の ¥奢 r 考え らた c.
2M$LW- '-ナ : 大,' • 二つ ダー ブ!: H-j|3|»^rn. ら #trr ると 次のように
ゥ' ft^»;»|Sr 玲义 に'嶋|5〇 續穆 霧壤::. 'っ^。 ゑ で ^鼻— て • る: こ ズ:*« できる t «な《« によ
り 費 養 «x に.^^ つ 零お が 蕩: ひ.. ミた, 二^流に: え: 璿霍 やる 緣笔 にあった 彥久 ft 導 tr 。辟 謂 を
H 一 '.、«J^r»lRJt 穆 ^に- «:4 力: — jAic** を 含^ ifeasr 的に: かった のに ^し,
,^す 慕お 烤穆 ゆ.::;: 缘 庇て-あった と 5 た る貪 親の 緩 も かと し, ^msj^
賺》 -ー 讀,^ つお て ズ ヤヨ ズ: ズ&: : な * 0れ:, -Lepxd^z.^ な: ナる看 潜て' あつたと itt
" 7 い : 一べ : 'に. '. 着 15 r»z^rr*© 。續攀 オ^に::^^ x^^$ 化が あに こめ g なによ つ
てき ^もに よえ-冬 , H い r - I OC/X ゥ囊 *T る *«を 多く もつ こ
i: にな-た f. つ-考え: つ r. る t
-mm^.z ^種 盆 堆グ. .^f^it^ 地广ノ 《:g を i た: -,2- 鞭 抑に ftK^^^m^.^mik
&っ変 ズ:: 一パぇ 略, あ ' ュ 二 へつ S な:!: き'. ダー ン―ら RP'ts 鍵で あるが. 2
物 薄ド. や »ブ:* ノ〜' ' 々 ?ッ譬'? 矛で 籽ま r 一一 蕾 n てきな ^と考えられる,
V . 直 《: 香
1 m.^mcM$Lt^n
置 化擊 つ-に ": た z 1化 ず'。 ^tffc* 伊 え :f 3餐广 お ^ と !: 一-に 暮—/ 翼な る こ:: から
r」. る: : •: さ.: 时 なめ 石 r^t^Jf に^ ナミ^^ ノ^ i にて き- 遂を^ つて. る. すな わ、 侵
食れ h r ぉ警 tt ひ、 に 二 ご :i S^tf* ぶる に て 化き ^形 ^ /,: INK- o で擎ぃ 《fc»
-n^k^r - さに ち 厂 ゥ. さ . -* 合に に Jt 化鲁は 降, なる あ ると 考え ht る.. し
一 - , / - H's^n^- ^t^t^r I u ^ £ こ o« ^。分 在 を, しかに する こ
-に: つて. 裏 各 建の 氣^ ^ぐノ^^!!:饔!:^^で る ここ7,: できる 奪 えられる * この 8 約の た
斜薦 崩讓の 地質学 約 W 究
70
60
50
一 40
30
20
10
0
• Wti^ht loss ptrcent*^« > 90 *
• •' M 90 < > > 50
0
o
50
10
10
0
めに, 新鮮な 岩石の 風化 MR を 行なう とともに, この tt 条を 測定の «易 な » 石の 物理的 性質と BB 遍 づけ,
風化に 対する 抵抗 性の 尺度 を 物理的 性質に よって あらわす こ と を 試みた •
風化 作用 は, 物理的 風化 作 W と 化学的 風化 作用と に分鎮 される, 纖錄, 砂^, 泥 質 » などの 增 表の 讓
Iff に閽 速の ある 化学的 風化 は 物理的 風化に 較べて 一 » に 小さい と考えられる。 また, 化学的 風化に よる »
わの ぉ£抗 性 を数最 的に 示す 適切な^ 法がない. したがって, ここで は 主に 物理的 風化 作用 をと りあげる •
物瑰的 風化 作 川と して, tt が W のよう な« 象 条件 下にお いて は, 割 t! あるいはれ 石 内 水分の 冬期に おけ
る *M 融解 作 川と, 降^と *% 乾燥の 繰返しに よる 诅潤 乾燥 作 川と が 最も 人き な 影響 を^え ている ものと
巧 える. そこで. 風化 K» として は, 凍結 » 解 と 214 潤 乾燥 K 驗とを 行なった. この l«, WIMIC が 本 地
城の 特 fttt を 示す か 否か を検 W する ために, 本 地 城と « 似の 地 H 時代と される 数 地 城 («玉* 比 企 丘陵,
T« 県 房 »6 や *, 来 京都 五 B 市 ft 地, 秋 横手 ft 地) の こついても M« に弒驗 を 行なった,
及び 時 M についての K ま 条件 は
ト^の よう に^めた,
凍钫 M 解 t<M ;
凍轱 (一 2o°c, i2o 分) rmm (水
M 5 。C, 60 分)
诅瀾乾 ;
mm (水 iii2o。c, 6o 分) パ 乾燥
(80°C, 120 分)
V,1 <i の 物理的 性質 について は 各種の
ゆ II を --お 弒驗 したが, 風化に 対応す
る 物 的 性質と して は 激満時 圧縮 強度
〜, 問 |» 串 n, 乾燥 収縮 串が 考慮の 対
* になる と 考えた。 なお, 風化
* と 物理的 性 II との 対比 は, 風化 K 驗
において ある a* 変化が 晃ら れたサ ィ
ク ル 時の 襖 失 重!: 百分率 を W いて 行 な
•) ことにした,
Fig. 9 は 凍 粘 » 解 Wfc の ぴ w と n
との 閣係. 10 は 》 満乾燥 KM の
0. と 燥 収縮 率との M 係で ある •
o
ぜ %c V
0
o
0
0'
4
0
び
0
o
e
0
100
200
300 400
500
600 700
fJw (VCR ん m つ
rig. 9 Kelaiion of the degree of breakdown at
the 25th cycle of the freezing and thawing
test to o, and n.
c. mark denotes specimins of Chichibu
Tertiary system.
凍 tt» 解 W» の »仓 は, a, が 小さい は ど 破壊の ftUff が 人き い。 しかし, 破壞は n 及び 乾燥 収縮 率の 大
小に は あまり M 係がない。
^潤 乾燥 M 驗の *ft は, "と n が 共に 小さい ほど 破壊の ftUtf は 人 さい (Wl, 'りが あり, " と n の W 方が
破壞に M 係す る • しかし, 特に 明 昧な閣 係 は, 乾燥 収縮 率と 破壞 との 閱 係であって, 乾 * 収縮 率が 大きい
は ど 破壞の が 大きい (W^ が あり, 乾燥 収縮 率 は祖溯 乾燥 を 支 fid する 物? B 的 性 II と ム える,
以 h の tt* からみる と, 凍 W 融解 W 驗 では ぴ冒 との 閗係, 湿 では 乾燥 収縮 率との IW 係が 特に
顚著 であり, 風化に 対する 抵抗 性の 尺度 は, <rw と 乾燥 収縮^と であら わす ことができる ことが ゃ则 した。
この 2 つの 物« 的 性質 は, 本 地 城の 基 tttt の 物理的 性 « を 代^ 十る もので も ある。
2) 風化 可 M 度
斩» な 沿 石 を 対象と した 場仓, 風化に 対する 抵抗の!)! MS は, 風化 可能の を あらわす ものと 云える,
これ t 風化 可能 度と 呼ぶ ことにする, 風化" J 能 度 は 上記の M 驗 からみて, " と 乾燥 収縮 率と によつ
て, Table 2 のように あらわす ことにした。 a は 風化 可能 度が 最も 人き く, d は 最も 小き い-
一 11 一
田 中: 》,
Table 2 Divicioni of wcatherabiity
I o.<200kg/cm'. Shrinkage ratio>1.5%
j o-<200kg/cm», Shrinkage «tio<l.5%
600k8/cm*><rw > 200kg/cm"
' a.>600kg/cm'
上に 規定した 風化 site 度 fcfl
とに よって, 本 地 城に おける t
81 化裕 の g 度 を 推定す る 二
⑩^
Fig. 11 は 》 化 可能 度 a
城 を概路 示した ものである, J
ffi の 分布 は, 基 Be の 層 序と *
jt との fa に 見られた サイ クリ -
化 を 反映して いる, 風化 可) 6S
い 地 《 は. 斜面 崩* との BB*,
べきで ある。
2. 凰 化 寄の せ 質
~ --0—
203
地表に 露出した 新鮮な 基盤
» に 述べ fcJW 匕 可 (6 度に お
で 風化し, -ぉ聰 から 鳳 化 » に,
c mark denotes
Tertiary system
lkage
of breakdown at
felting and drying
imins of Chichibu
本 地 《 では 泥 J? 岩の 風化 iH(
であり, これが 斜 as»i» に 影 着
ころ 力: 大きい と 思われる ので,
斜面 をつ くる 泥 n 岩の 凰 化 帯 s
ベる ことにする,
ifew おの 風化 帯 は 肉 an 镇 おに よって i w から! \
ける;: とがで きる. 各 分 * の 特徽は 次の 通りで; *
1^ は 斜面の 表 を 占める 性堆 物で,
Ii ^と I, # の 2 つに 袖 分され る。
U 布 は ほ 睢堆 の- お 暦に 当る M 角礙 ffiP ま
る, 斜面 全体に E めら れ るが, 一 « に «K, 摩さ
以下の * 合が 多い,
h 挤は《» の 本体に 当る SB 分で, 土 》 り 風 ft
らな るが, 分布 は R 所 的で ある。 厚さ は lmti
と は ほとんどない,
nw は, 移 » の K めが たい 》 化 s« の 上« に 当
» の 割目に よって 基《 から 分 難した 岩片が B 立つ
あり, I 帯と は 明 》 に IR8IJ する: とがで きる, «
斜面 ^壞の 地質学 的 研究
135
色を呈 して 軟質で 個々 に 分離し, 開いた 割目に は 細 粒 物質が 充 * されて いる。 割目 相互の 間隔 は 2~10cm
である。 n 裕の 厚さ は lm 前後で ある。 植物 根 系の 入り込ん であるの は, ほぼ n 裕の下 底までで ある。
m 袵は, 《 化 岩 » の 極めて 《 化が 著しい とほ ぼ 新鮮な 基继 岩の iv 裕 との 中 M 袵で, nh 寄と nuff
に 分けられる。 n 裕と m 裕 との 境界 は, 渐移 的で 不明瞭な * 合と 明瞭な 場合と が ある。
nh 裕は » 灰色 を呈し 全体 的に 軟質で あるが, 風化の 軽微な »分 が コアと して 存在す る。 割目の M 隔は
5〜15cm であり, 割目 は 開いて いる 場合が 多い。 ffli 寄の 厚さ は 1~ 3m の 場合が 多い。
m: 裕は黄 灰色 を呈 し, 全体 的に nh 袵 より は 《 化の 程度が 低い が, 新 鲜な基 « 岩に 較べれば * 度が 小
さい。 割目 は 概ね 閉じて いるが, 割目 沿いに » 鉄鉱の 沈着 あるいは 若干の 風化が 見られる 場合が ある。 割
目 間 ほ は 10~20cm である。 この 風化 分 » の 厚さ は 1~ 3m の » 合が 多い。
IV 裕は 風化の 影響が ほとんど K めら れ ない 新鮮な 基继 岩であって, ffl 裕 との 塊 界は漸 移 的で ある, 割目
(は 20cm 以上になる。 地表より IV 带 までの 深さ は 概ね 5 m ftfl 後で ある。
砂岩の 場合 は, 風化 裕の 厚さが 薄く lm 程度で 新鮮な 基 魅 岩に 逮 する ことが 多い。 砂岩の 風化 袵を 軟質
化の 程度 と 割目 の 間隔に よって I 〜! V 带に 区分す る こ と は, 泥 R 岩の 場合 と 同様に 可能で ある。
2) 物 性質
各 晨化分 * の 物理的な 性質 を 求める ために 20 ケ 所の 地点で 測定 及び 試料 採取 を 行なった。 各地 点に おけ
る 測定 及び 採取 « 料 に対する 物理的 K» 項目 は 次の 通 り である。
現地に おいて ; » 性 波 速度 測定
採取 試料に 対して; 超音波 速度 測定, 圧 裂 引 張 試驗,
破碎 強度 指数 KUt 密度 • 間 陳率 測定
これらの 緒拭驗 から 得られた 物理的 性質 はいずれ も 風化の 進行と 対応 関係に ある ことが B めら れる。 す
なわち, « 化 分? の! V* から 上部の I* になる につれ て, 現地 » 性 波 速度 は 低下し, 岩石 片 試料に おいて
は 超音波 速度, 圧 裂 引 張 強度, 破砕 強度 指数, 密度が 械少 する 反面, 閒 » 率は坨 加す る。 これらの 物理的
性 質 は 同一の 分裕 内で はかな り 類似の 性 K を 持ち, 各 « 化分裕 «1 では, 急変す る 例 は ほ と ん どな くむし ろ
渐移 的で ある。
風化に 伴 う 各 物理的 性質の 変化の 程 )5 は, 項目に よって それぞれ 異な つてい る。
Table 3
Degree oi changes in physical properties due to weathering
V' : Elastic wave velosity in the field,
V : Ultrasonic wave velosity,
y : Density, n : Porosity.
Zone
Ii
I:
n
mi
nh
IV
V
60〜60%
40-80
30-65
25〜45
0
V
10〜50%
5〜30
0〜10
0
5〜15u;,
2〜10
0〜 7
0
n
20〜600;
15〜50
0-25
0
Table 3 は, 新 鲜な基 «S の 物理的 性 K に対する 各 風化 分带の 物理的 性 K の 変化 率 を 示す, ただし, 表
に は 圧 裂 引 張 » 度 及び 破 # 強度 指数の 変化 率 は« 略した。 これ は 測定 « [の バラ ツキが 激しく, 変化 率 を 決
定 する ことが 困難であった ためで あり, その 原因と して, 測定値が 内在す る 多数の ヘア クラックの 状況に
一 13 —
SffiftK • 田中芳 M
大きく 左右され る ことが 考えられる,
Table 3 によれば, 最も 大きな 変化 率 を 示す の は »g© 影響 を 含む 現 地 弾性 》 速度で ある ■ 次いで, 間
»*, 《 音波 速度で あり, 密度 は 最も 変化 率が 少ない,
3) 風化 帯の W 目
W の 性 質 を 規定す る 割目 量と 岩石 片の 軟質 化の 2 つの 耍秦を » 合 的に 示して いるた 》 と 考えられる, 凰 化
» の 性 W は 主に, »1 目 量と 軟) (化の g 度の 2 つの 比率で 示す ことができる •
* 實の ひとり (EB 中, 1970) は, 先に 弹性 による « 目の 定量 化に ついて S» 的な 核 时 を 行なった
が, 本 地« では » 用 «H が 抉い ので. こ こで は 新ら たに 提示した 実用的な 方法に よった。
割目の 程度 を Fc, 軟 H 化の 程度 を F, とすれば
Fc=V7V
F»=V/V.
Fw=V'/V«
'は g 地弹性 iffi 速度, Vd は 割目の ない 新鮮な 岩石 片の 超音波 速度, V は 各 風化 分 被 か
ら 8 取 し た s 石片 の a 音波 速度で あ
る, Fw は « 合 的な 凰 化の 程度 を 示す
ものと 云えよう,
Fc, Fa は それぞれ, 0<FcS 1. 0
<FsSl なる jfiffl にある, すなわち
Fc が 小さくなる ほど 割目が tt し, F,
が 小さくなる ほ ど軟 Kft が it ん だ:: と
を 示す。
Fc, Fa を 《«! 及び « 輪に とつ fc*
» に 本 地 城に おける データ を プロ ッ ト
すると Fig. 12 のようになる, W ら
かに 風化 ff の 上 « ほ ど Fc 及び Fa が
大きく 低下して いる こ と が 8 めら れ
本 地 tt において は, 特に 割目の 影響
の 大きい ことが わかる. すなわち, n
化 》flf の nar 及び mffi では, 割目の ない 新鮮な &ぉ 岩の 速度 v0 に 対し, 割目 i の w 加が それぞれ eo—So
%a び ぉ-85% の 速度 at 下 を もたらして いるのに 対して, ぉ石片 の軟 w 化 は では 45% 以下, m* では
30% 以下の 速度 低下 を もたらして いるに すぎない。
Fw は ほね n?ff では 0.15 以下, raflf では に は〜 0.3, IV* では 0.3 以上であって, それぞれ 風化の ig 行 8
度 を 示して いる, なお, のまつ fc くない 新鮮な S«« に (S ベれば, IV 帶の Fw も « 目の 影響 を 受けて
Degree of crack development and
JeK^ee of aofming.
風化 * に 生じた 割目 は, i"! 石片の ttWf 匕よ'
VI. 科 面 ffl* の B 生
1. 状況
1) ffl« の 分 《
«*» の 》 生 は,
も 斜面 1«» の 56 生に 大きな 影響が ある ものと 考えられる,
. 次のように 》1 裏 を 分麵す
斜面 )《* の 地 K# 的 8f*
«. ftSi 斜 斜面の 風化に S 接 M 連す る W 壊
b. 河川の 下方, W 方 》* に 直接 90 連す る W 壊
c 侵 * に 直接 《連 する 《讓
本文で は 以後, at 風化 *1 壊, bS: 水 SeaftW 讓, c を SBffiflHtWI* と 呼ぶ ことにする,
この 分類 は, の K 生 位置 及び 物と BB 連が ある, 風化 は 主に 山 》 斜面に? 6 生し, *!» 物 は 表
土, fli 錢及ぴ 風化 岩で ある. 水流 浸食) W 鎮は 谷! 8 斜面に 5E 生し, 崩 》«5 は 主に 風化 岩で ある, 頭 Mi 侵食 》1
康は. 風化 1» 壞 などに よって 谷 》SS の 凹地に 堆》 した 土砂, が) 《« ナる ものである,
2) m« の 分布
» 者 らは 研究 地域に おけ る崩壞 SI 査
を 1971 年と 1972 年に 行なった, JH ま を
a める にあたって は 次の 方針 を t つ
ft.
ft* と 判定し 得る もの はすべ て 対象
とした, したがって, 発生 時期の 異な
讓も一 括して *1 象と した, たた-し
ft 壞は, その 面 « (が 20mi 以上の もの
と ia 定 した, なお, いくつかの «s« (の
觏 合した »!* は 1 ケの) «a (と した,
讕査 によれば, 本 地域の は 2000
ケ所を える, »IB した 崩 » の 内訳
*. 風化 )《 壞 416 ケ所, 水流 S 食 崩 *
1684 ケ所, 》ぉ》 食 崩 譲36 ケ所 であ
5. « 生 機構に 181連 する M 査 項目と し
r, 分布, 崩 》 画 》, 深さな ど をと り
Distribution of weathering land, line,.
Fig- 13 は纖化 fM 壞の 分布 を 示す, 》 化 W 壊の 分布に は, 一 » に, ««斜 斜面で あると いう 地形 的特徽
地 W 層 準 別に 見れば, 風化 は 層 準 (m), mo, m) と 層 ¥ (n) の一 w に 多い, これらの うち, 層
準 (m) 及び mo の «i 壞多 «ia 域 は, 前章に おいて 基 tt 岩の 風化 可能 度が *t 大きい と した 地 城に ー» する
(Table 2, a# 解)。 層 準 (HO の) ft 壞 分布 域 は, 風化 可 S 度が かなり 大きい 地域に 相当す る (Tabk2,
b*ffi>。 層 準 (II) の 分布 城で は 西方に t« 壊が 多い。 この 地域 は, 風化 可 依 度が やや 小さい が Table 2,
c (f 照), fi 地 城内で は 特に 標 B が 高 く Sffi 斜 斜面が 多い と こ ろで ある。
Fig. 14 は 水流 侵食 の 分布 を 示す, このうち, 下方 8 食に 86連 する W 壊 は, 荒 川, 赤 平 川な どの 幹
»! に 注ぐ 小 支流の 河岸 突 ffiffi に 多く, 側 方 a» せに M« する 崩壊 は, 幹 川, 支流 をと わず, K 行 《曲郎 に 多
い, 地)! 層 準との は, 風化) ft« の 》 合 ほど) B 著で はない。
8«SflHkW 壞は 上方の 斜面に! S 生して いるものが 多い が, いずれも 小規模で あり, かつ » が 少ない。
3) 康墙の 規模
« 壞の «« は, aa と 深さで あらわす ことができる, ns. is は 面 a 別 加 積 崩 壞&率 を 示す。 すなわち,
IB* の 90% 以上 は, 面« が 1000m' 以下の ものである, 全体として, 水流 浸せ ffl 讓は 風化 ffl 壊よりも 大き
いものが 多い, 》ぉ《 食 )«* は, 前 2 者に 《( ベて お 摸が 小さい。
H* 壊の さは 凰 化) 《* について «査 できた, 風化) 《 壊の 深さ は) 《 壊 面の ほ斜 によって 差異が ある,
田 中 》«
豚 斜面の ほ #t は 30°~80° ま でに わたる
が' 大 SS 分; *yo°~60e の 範囲に 人る, 40'
以下と 60° 以上の) «« について は ffl 壞 数が
少なく, 探さの as 定し 得る ものが 少ない の
で, 40°~60° の 崩*| について 50° を 境に し
て 2 分し, )« 壞の 81 さと の JR8IS* 串
の Bfl 係 を 示す と Fig. 16 のようになる。 こ
の閱 係 は, 図に 示されて いるよう に
率 班上 にて ffltt とみな し 得る。
崩壞の 深さ は 斜面 頃 斜に よ つて 差 s が 生
じている といえる, この 見解 は, SS 量的に
処理 し 得なかった 40° 以下 及び 60° 以上のお
お についても, およそ a 用し 得る t のと s
える。
水流 SftiiS 壞 と 頭部 崩 讓の深 さ は,
Dislribulion of stream erosion landslides. 原 斜面が 消失して いて 深さ を 判定し がたい
ものが 多い ので, 数 ft 的に 示す こと は 省略す るが, やはり 上述の ffi 向 は K めら れ る。
以上, を 行なった 斜面 崩 壞 のうち, 地質学 的に みて 基本的な 崩壞と S える 風化 崩 裏の 36 生 《 構 につ
いて 述べる ことにする。
2. 風化 《| 墙の ft 生植槽
これまで 述べて きた ことに よれば, 風化 崩壞が » 生す る 紫 因に は, 地質 条件と 地形 条件が ある。 地 R 条
件で は, 基 の 風化 可 胃に 支配され る 風化 ffi の 拡大が 大きな 要因と なる が, 風化? ff の 深 SB へ 拡大して
ゆく 過程で/ «鱭 が 5S 生す る ことによ P, S 実の 風化 W の 深さに は I® 度の ある ことが 指摘で きる。
そこで, ここで は 地 « 条件と しての 纖化 ffi の? 6 速と, 地形 的 萎 因と しての 斜面 该 斜 との SB 係 を検时 し,
H 化 ゅ* の 発生 »» を する,
Relation between the area oi
e percentage oi
accumulative number of land-
af each type.
: weathering landslide
: stream erosion landslide
: head erosion landslide
Cumulative probability of th«
depth of breakdown at differ-
ent gradients of slope.
0
0
5
0
ダグ
5 _ 10— 15
DISTANCE (m)
20
5
0
5 10 15
DISTANCE (m)
20
(b)
15
v
0
(d)
15
5>
0
5
0
5
20
10 15 20 ' 0 5 10 15
^IcTAIICE ic.) DISTANCE (n)
Fig. 17 Profiles of velocity layers (Examples) . D denotes the depth of breakdown.
l) 崩 域に H 与する 速度 履と 風化 分 寄との M 係
風化 帯の 崩壊に 関連す る 物理的 性 K を 総合的に 把握す る ものと して, 現地に おける » 性 波 速度が ある こ
とに ついては 前章に 述べた。 実際の 崩壞が どの 風化 分带で 発生して いるか を 猙性波 速度に よって 推定す る
ことができれば, 崩壊 発生の 機構 を 知る 上に 極めて 有効で あると 考えられる。
現地 測定に あたって は, 地質 条件と して は 風化 可能 度が 異なる 種々 の 地 K 層 準, 地形 条件と して は崩演
が 多発して いる 斜面 傾斜 40°~60。 の 範囲の 中から, 14 ケ 所の 崩 壞地を 選定した。
1 つの 崩 * 地に おける 弹性波 探査に あたって は, 崩落して しまった 崩壊 地 地 » の崩壞 以前の 風化 状餱と
風化 分带 との 関係 を 知る こと を 一応の 目標と した。 測 線 はなるべく 崩壊 地のへ りで 最大 傾斜 方向に とつ
た-
この ようにして 求められた 各地 点の 速度 層 断面の 例 を Fig. 17 に 示す。 各 測 線 は 将来^ 壞 する 可能性が
あると 判断した ところに 設置した ので, 各 速度 層 断面 は, 崩壞 地の 崩演 以前の 地继 状態 を ほぼ あらわして
いるものと 考えられる。
これら の 断面図 か ら 速度 層 を 区分す ると 概ね, 次のようになる。
第 1 速度 層 0.2~0.4km,/s
第 2 速度 層 0.4~0.8km/s
第 3 眉 0.8 〜: l.5km/s
斜面 ^壞の 地質学 的 研究
0.25
0.55
(c)
0.25
0.6
km/t
5 o 5
(a) li
o 5
(s) iiu. 二.: LI
o 5
は o 5
(B) IIWK
一 17 一
1^0 X ま景嚷 • 田 中芳删
以 I ノ、 分 は大 郎^ 、っ 地点で 可能で ある,
次に、 W 壞 地のへ'' 】 で测 « した 上述の 速度 疆 区分と 現実の « 壊の 深さとの について 考える. なお,
* 壞 、っ* さい o 筒 $ に は. ゆ壞の ft* が * 壞後の » 食に よって あまり M されて いないと 考えられるな
を遷 び、 面 を W 壊 地表面 を^ 長して 求め, « 壊 ま 面と o 比 高から 推定した, 一方, 速度
膽ハ凍 さは^ ぞし も 一定で はない ハで, 長の 內で 平均 維 を 甲いた-
以 I、 '、こと を^ 提 にして * 各 速 <H と W 壊: 深さと め B8 連 を 求めて 人 ると. 第 1 速 * 鬌に する 崩壊
が r«、 第 嚷が 1«と なる- そして. 大 g 分 .っ搴 壊. つ 深さが, 第 1 速度 履の 下
**Mil vFip 1:, a, ト お^、 と 第:: 速 < ,ハて ^ 芘せ if Fig. 17. c, d 參 S にある と 云える。
* 壞ハ衆 さ が * 1 >*^.C ある^ 壊と 第 2 罾ハて S^if にあ る S 壊と では, 第 1 速度 層
及び い^さに 待に^ 麟は 、、れ ない: こ 「堤き, お 《 耀ぉ; つ £S に 分布し, 両者
め *|| はない, にたが、 て、 》 'ヒ苓 に s 十る まほ^ 等— いと 云え 巳
次に、 * 康 6: 、'、*ケ"《 に ^1、 叉、、:、 ハ るた 終に. S'li^r き 窆, ニニって 区分し なお
ナし I 、、、 坟 つ s >\>\ 靈舉 ,0 ^-0 ^Tns , IV* :' Sfcs ^二 r 3 つと な :, ^壊 地
で ^*t* ^、、よ 、にれ - 、十:、 こと: S できる,
»:*^t« ,一 it 冬
擎さ、 擎 , ▲ :v 聲
に 1:、-、 I 、、ぐ^え やる と. それ それ, ほざ ^、、でる ここ 二 孛舊 悉广 冬 3 ま霸ジ i; ット
n^^ss や- る :ぐ樣 '、攀 ^ ク歌 «ん をミ 、ミニ こ; ミこ: 〜でき ミ,
こハ 省え くよ 六 i, ま康は I 、 II 攀が え、 マミ も、 へこ、 1E 雩:: さ-こ 了 ミミ 「r 二 ある::
へ :
♦、
氣
«mi^ 建 臂餐 そ^ぴ 零警餐 ^乂 ^十る 奢^ん!!^ パ耳? 、 て- お s -es^*^« え た^こ せ 十る:
こへ ま, 、、; vm^、 ^に 禽^ INI な、、 號 t^: 乂き、 • S しナ I よ - こ 考えられ
る
攀:れ響《;、、擎:料舊ミ、.'、^«ニ、,»ケ、'1て 擎 罾 こきくて- * こ 鹳目量:: 大
さ、 ftrV, パ1 'ぐに-、 お * ^T、\ さ^: 錄 に ぺ^^? ャミ蠢 たを そなえて. る: 財 o#S
ほ 寧 乓ナ、 tei 、、こ *sit、 て、、;: 、導^に^ 醫ぉ 遍さ夂 る,
こ。 寧 逢 、マ 春 in 木が き: き^ 擎にミ こ、 て^ it チ 《二 : に 二-て 之 こる^ « 二 轰醫に
チ. 事き に、 や ^'二 5: 華、 やる • : 艾て も-" 了^:: —てき に秘 疆
*:^«« -化 きぐ *, てべ. «M^t :、 〜幾、 霧 : ^、- imi^*.. , ;ニ 《>9e*o^err" る
,*. ^拳 : ,《脅 、江 、 こ 、卜*ヽ. 》 :瀑 TMir : 、^ ' て 一! > こ:::! ^される •
Cr , \. «e t*. \ 象き- S ヽ r:» : 、て 之 き: 蓬 も 鼉こミ
« い お^、::: 傪 、、ll>、? ^で^: ^Hlf^r -、J 、 :ク I き: 骣: 鼓 醫雙 门«1
、こ ,>
,嫂き、:: お、'》 《M^l、 * : き て HM::— c こ、 r* にリ, る- そこで- ± ^な
<=«*ぉ ,"寄:、: ヽ、 て^ W««^«F ^亡、 職械 きズ r ( ; て, i«r« さと «
- 寸'、 :、 -ヌ — < 、 v c ^W^C^^c : St-r- 二 、 さ に
« ^ i、、 鐵て ^ 8|-、,,、 r、 こ ,^ はも ナこ 、れ て. PLS お ま 、^ミこい ラ
、
* ゆ、 、 • : Ft » や 愠秦 、 雷 : 有す, てぐ'^ さ^ い K 霍^^ さナ- る KP^t え る
へ \t 、 た 、: 一- 、 5 r K た 攀 \ にな 霰 取 S> ミこ • «t ば' Ufci こ
斜面 崩壞の 地質学 的 研究
141
10
8
6
4
2
0
\
\
Legend
― Slopes with baeestnt consisting of
Tertiary sedimentary rocks
0 Slopes with basement consisting of
other rocks
a Chi chibu landslides
\A
\
\
\
\
o \
\
o
\
8.
.•o.\
o «0 8 I # ° S A A
〜"'。た: iT 。へ A
• 《• .«^V 。れ 一 • V
••• } % 8\
。 *,、ぞ 。な、 A
。 • ハ • \
J 0<*"O
參 o
J m-L
ふ
0° 30° 60。 90°
L'LC?E GRADIENT
Fig. 18 Relation between the slope gradient and
the depth of the velocity layer (<0.8km/s) .
こで も 支持され る。
要するに, 崩 « の 発生 は 深部へ 発達した 風化 带の 深さ を滅少 する 現象で あると 云える。 したがって, 崩
壞の 発生 は, 風化 帯の 発達 程度から ある 程度 予測す る ことができる はずで ある。
本文で 研究 地 城と した 秩父 盆地 は 第三 系で ある 力、 他の 地 R 的に 異なる 地 城に おいても 本 地域で 得られ
た 斜面 崩壞に M する 基本的な 考え は, 同搽に 適用し 得る ものと 考える。
謝 辞
本文 を ま とめる にあたって, ^京 教 ff A: 学の ffi 本 苴 教授な ら びに 苷 野三郎 博士から は 有益な 御 助 首 を
項いた つ 東洋人 学の 新 藤睁夫 博士に は 頃 稿 を 説んで 項いた。 以上の 方々 に 厚く 御礼 申し上げる。 また, 数
多くの 弹性浚 探 杏 報告 を 提供され た 地 黄 計測 株式会社に 惑 2M 致します。
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一 20 一
地学 雄眛 85, 3 (1976)
ネ パール ヒマラヤの 構造 土 "
岩 田 修 二2 〉 藤 井 理 行" 樋 口 敬 二"
Patterned ground of the Nepal Himalayas
Shuji IWATA2), Yoshiyuki FUJII8) and Keiji HlGUCHI45
Abstract
The authors discuss about the distribution of the recent patterned ground in the
Khumbu region and Hidden Valley of the Nepal Himalayas (b lg. 1) by their investiga-
tion carried out as a part of " Glaciological Expedition to Nepal, 1973 and 1974".
Beeing influenced by each climatic and geomorphic conditions, the distribution and
development of patterned ground in these two regions show the different features.
The holizontal and vertical distribution of patterned ground in the Khumbu region
are shown in Fig. 2 and Fig. 3 respectively.
Vegetated patterned ground develops in large area up to 5500 m because dense win-
ter freezing acts over the vegetated ground fed by monsoon rain and high temperature
in summer.
Earth hummocks appear just higher part of the forest line (4200 m) and occupy the
alluvial plain around Periche and moraine slopes around Dzonglha Karka (t lg. 3).
Vegetated lobes are formed by solifluction on flanks of moraines and valley slopes
around 5000 m typically, but turf banked terraces and ploughing clocks are also formed
on vegetated slope above the forest line.
Frost cracking occures in winter in various parts of the study area. On alpine mat
vegetation of flat surface of moraines, frost cracks develop into non-sorted polygons,
0.8-1 m in diameter (Fig. 6).
Sorted patterned ground is rare in the Khumbu region and is found only at the bare
ground in front of glacier turminus and at the bottom of pond which are driea up in
autumn.
Neither vegetated nor sorted patterned ground is observed above the upper limit of
continuous vegetation cover where mountain slopes are occupied by glaciers, steep rock
walls, talus and block slopes.
The characteristic of patterned ground in the Khumbu region is found to be com-
mon to the south slope of the Eastern Nepal Himalayas.
^ince most part of Hidden Valley is situated above the limit of vegetation cover,
1) ネ パール ヒマラヤ 氷河 学術 調査 隊 業績 No. 2
2) 束 京都 立 大学 大学院 理学 研究科, Graduate School, Tokyo Metropolitan University.
3) 国立 極地 研究所, National Institute of Polar Research.
4) 名古屋 大学 水 圈钭学 研究所, Water Research Institute, Nagoya University.
一 21 —
144
岩 田修ニ • 藤井理 行 •« 口 敬 二
sorted patterned ground distributes in large area, but vegetated patterned ground, such
as earth hummocks and turf banked terraces, is found along the small atreams drained
from glaciers (Fig. 10 and Pig. 14).
Sorted polygons (both large and small scale) occure on the flat surface of the va-
lley's bottom and top of the crest, but sorted stripes (Fig. 12) and sorted lobes cover
most of slopes. It was obserbed that the sorted stripes developed even in the steep
slope over 30 gradient and the period of survey (rig. 13).
Striated ground, reported by SCHUBERT (1973) in the Venezuela Andes, was found
in many places in Hidden Valley, and its direction coincides with the wind direction in
the morning and at night.
The climatic and topographic conditions in Hidden Valley are adequate to forming
the sorted patterned ground in such large areas.
Though there is not so much difference in mean monthly air temperature between
in the Khumbu region and in Hidden Valley, the freeze-thaw cycle is much more in
Hidden Valley than in the Khumbu region (Table 1), because Hidden Valley, situated
north of main axis of the Himalayas, has less cloudy days in the monsoon period.
The geomorphic feature in Hidden Valley which consists of gentle and non-vegetat-
ed slopes is also suitable for developing sorted patterned ground up to the snow line.
It seems that the characteristic of patterned ground in Hidden Valley mentioned
above represents Tibetan slopes of the Himalayas.
The distribution of patterned ground on both Nepalese and Tibetain slopes of
the Himalayas are found to be different from the ones of Japan Alps and European high
Mountains.
I. はじめ に
この 論文 は, ヒマラヤ山脈の クンブ (Khumbu) 地 城と ヒ ドン ノく レー (Hidden Valley) における 各
種 構造 土の 分布 をのべ, 両地 城での 分布の 特微 を, 気候 • 地形 環境 を 中心に 考察した ものである,
ヒマラヤ山脈 は, その 高さ, 長さ, 位置に おいて, 地球上で もっとも 特色 ある 山脈で ある。 それに も か
かわらず, その 自然の なりたち を 解明しょう という 試みに は, いまだに 手つ かずの 部分が 多い。 われわれ
は, ここ 数年間 ネ パール ヒマラヤで 氷河と それに 関 速す る羝 現象の 調査 をお こなって きた。
岩 田 は, 1969 年 7 月 =ゴ ザイン クン ド地 城, 1974 年 8 月 = パンチ ボ カリ 周辺, 1974 年 10 月 一 75 年 1 月 =
クンブ 地 城, 藤 井 は, 1973 年 5 月 ー8 月, 1975 年 1 月 一 3 月 = クンブ 地域, 1974 年 6 月一 9 月 = ヒ ドン
パレー 地 城で 調査 をお こなった (Fig. 1)。 クンブ 地域での 帯 在 期間 は 2 人 を 合計す ると ほぼ 全 季節 (1
年) となる。 ヒ ドン バレーで は, 政治的な 理由で 夏期の かぎられた 時期し か 諷 査が できなかった が, ク
ンブ地 城 と の 比較 という 意味で 食 重な デー タ が 得 られ た。
地面の 凍結 •» 解 作用の くりかえし によって 形成され る 地表面の 微細な 模搽 は, patterned ground と
らばれ, 高山 や 極地の 地表 を 構成す る 非常に 特励 な 現象で ある。 patterned ground の訳蹐 として, 模
搽 地面な どが 使われる こと も あるが, まだ 定着して おらず, 本 篛 文で は 古くから 用いられ ている 構造 土と
いう 語 を 用いる。
高山に おける 構造 土の 研究 は, ヨーロッパの 山地 や 南北 ァメ リカの 山地な どで は 古くから おこなわれ,
最近で は, わが国に おいても さかんで ある。 しかし, ヒマラヤで はこれ まで, まとまった 報告 や 研究が な
かった。
一 22 —
Fig. 1 The Nepal Himalays and the study areas. 】 : Hidden Valley
2 : Gosainkund 3 : Panch Pokhari 4 : The Khumbu region
H 山に おいて 溝 造 土が 形成され る 場所 は, おおざっぱに いうと, 奮 線 以下 一森 林 限界 以上の 裹«寄 と W
れ ている, しかし, 構造 土 はこの ゾーン 内の すべての » 所で 形成され る 1R ではない,
» 化 質 をの させない 基 》 岩, 一年中 水 をた たえた 池の 底で は, 情 造 土が 形成され な いのは 当然で ある
し, afcg*ft« 作用が 》 かしえない 巨襄の 集《 地な どで も 形成され ない。 また, 凍結 •》 解 作用 をう わ ま
b るよう な, 地 S 物質の 力'' おこる »所 でも 形成され ない. fi 力の 作用で 物質が 移動して いる: 面,
ガリーの 底な ど jfok の S 力が 卓 « している ところな どが, それに あたる。 低木 林 や ft 度の 高い 草原な どの
S な 植生 地で は. 地面の 凍お がお こっても 地表 物 w の 移動が おこらない から, 構造 土 は 形成され ない. い
うまで fc ない ことで あるが, 土壤 ft)! が » 結 する ために は 水分 力— 要で あるから, 全く 乾燥し きった 場所
でも 構造 土 は 形成され ない。
このように, fli 山に おける H (造 土の 分布 # 所 は 気候 • 地形' 地質 •« 生な どのから みあいに よって, か
なリ ffi 定 される はずで あり, しかも «»に 入り » む,
本 》 文で は, このような, 構造 土の 分布 を 中心に 議 » をす すめる, 土壞 »K 深の 分布 やそれ とか かわる
lfifl などの 気 《 要素に ついての くわしい 》», にと もな つて 移動す る ftW© 速さ, 構造 土より 大
な 周 氷河 現象に ついては, 刖の » 会に ゆずる。
II. クンブ JMt の 構造 土
1. クンブ 《4 [の 地 f£ ,地 «• 植生
菜 ネパ一 ル の大; ST スン コシ (Sun Kosi) の 支 ド, ド コシ (Dudh Kos りの 上 « 域 は, クンブ 地
« と よばれて いる, クンブ はおお ざつば にいえば, ヒマラヤ山脈 主 « の 南 脚に 位置す る ft 地 状の^
をして いる (Fig. 1)。 北 ffl は チヨ一 ォ ユー • エベレスト 'ロー ツエの 8000m « で チベット とへ だてら
れ, 西 «■ 束 (H はと もに 7000m 前後の 高い 山 稷で, 南 9) も 6000m « で さえぎられ, ドウ 卜 コシ がその
|!) に 深い ゴルジュ を 期んで 流れて いる,
われわれの 氷河 • 所 は, クンブ 地 城の 柬 半分 を 占める ィ ムジャ コーラ 流域の 《17m の ハジ
ユン (Lhajimg) とよぶ 地点に ある。 SME は'、 ジ ユン *88 所 ffl 辺と クンブ 氷河 下流 部お よび 《« 所 南 倒 か
ら 束へ つづく 谷に そってお こなった, この SttKffl は クンブ 地域 全体 を カバーし ている わけで はない が,
以後, この w««a のこと を クンブ 地域と よぶこと にす る,
SB 修ニ 井理行 .德(1« 二
Pig. 2 Patterned Ground in the Khumbu region. 1 : Lhajung g [ac iome t eorolog ica! station
(4417m) 2 : Lake 3 : Glacier 4 : Glacier covered by debris 5 : Peak, rock wall
and debris-covered slope (talus, block slope and rock glacier) 6 : Earth hummocks
7 : Vegetated lobes 8 : Sorted polygons and nets 9 : Debris islands 10 : Sorted
lerraces 11 : Vegetated polygons 12 : Forest line D : Dzonglha K : Kalar Pa I tat
L : Lobuche P : Pokalde (5806m) Pe : Periche
ネ バール t マラ ャの 構造 ±
'、ジ ユン 観 « 所の 北 « 13km ほどに チべッ ト *ネ パール 国境が あ!), i ベレス トを j» 養誕 とする クンブ
氷河の 末 《 は 4km ほど 北侧 にある, クンブ 地 城の 《 査 地に は, 氷河 ももった 岩 峰が そびえ, 典 ® 的な 高
山地 形が みられる, は, 大きく みれば チベット M へ « くな!), » かく みれば 南向き 斜面で 高い。 急な
fi 璧の 面» が 広く, 崖 *• 岩石 * 河 • 岩 塊 粗大な 岩 肩に おおわれた 岩 塊 斜面 t 広い ■ Fig. 2 では, こ
れら を 岩 蟹 と 岩 H 地 と して一 括 した,
クンブ 地域の 地 K は, 花 ffl 岩 '片 麻 岩の ゾーンに 含まれる が (GANSSER, 1964; OHTA and AkIba,
1973), 片岩ゃ 千 枚 岩 も ある.
'、ジ ユン ほ 辺で は, 生態学 的な M 査が おこなわれて いるので (HAFFNER, 1972). 楗生 についての
S: 得る の は, たやすい,
SH* は パン ポチ-付近まで みられ, 北向き 斜面に は, カンパ 'シャ クナゲ が, ffl 向き 斜面に は ビヤ クシ
ン (Jimifxtrus 属) が 生育す る, 森林 限界 は, 北向き 斜面で は 4200m で, 南向き 斜面よ り 2 ~3«)m も
* い,
森林 限界 以上, 4800m 付近までの 南向き 斜面に は, に 強い ビヤ ク シンの 低木が パッチ 状に 生育し,
その あいだ は, ョモギ 頃 • ウス ユキ ソゥ などの: S 地に なって いる。 4900m 付近までの 北向き 斜面に は, 'ン
ャク ナゲの 低木が かなり 密生して いる。 4600~4700m までの 谷底の 沖 « 地に は, マメ 科の 低木 や
の 低木が はえ, スゲ S も 多い,
ビヤ クシ ンゃ シャク ナゲの 生育 限界 (4800— 4900m) 以上で は, 短い 革 本 だけが 生育す る, 南向き 斜面
では, 密生した マット 状の さ厣 になって おり, なかで も特微 的な の は, 团 塊 tt 物 {Androsace «) がかな
5 みられる ことで ある, 北向き 斜面で は, スゲ. イネ 類 (Carfx • Cobraia - Festuca) などが 生育す る,
これらの 草 ほ は, 標 i« が SS くなる につれ て, しだいに パッチ 状の 分布になる が, 5300~5400m 付近で は,
まだ かなり である, それ以上の 高度に なると, iffijg が: & しゅんになる と 同時に *1 可 岩 屑 地
がふえ, M*J の 生育に 蘧 した » 所がな く なって しま う。
!. クンブ 地 « の 構 》 土の 分布
クンブ 地 « の 情 造 土の 分布 を Fig. 2 に 示す。 構造 土 は, 地表面の 微 細な 現象で あるから, すぐそば ま
で 接近 しないと 発見で きない ことが #
いし 山岳 地で は しがき かない か
ら, 実 B に は 存在す るに も かかわら
ず, 見落して いる fe のが あるか もしれ
ない,
次に それぞれ について R 明し よ う,
1) earth hummocka
もっとも 低 所から 存在し はじめる 構
S 土で, ペリ チュの 南側で は 4200m
で みられる, 大楚- 小型 さまざまの も
O が あるが, 平面形 は 長円 形が 多い。
ハジ ユン 観 W 所の 近くで は, 高さ 12 —
35cm, 長 340~90cm, 短 径25— 55cm Fig. 3 Earth hummocks on the mora in slope at
t いう 小 5! の ものが 形成され ている 地 Dzonglha (4850m), the Khumbu region,
fit, H さ 25~65cm, 長怪 90-460cm, 短 怪 45- 300cm という 大型の ものが 形成 されて いる 場所と が
*> る。 大 S の もの は, »水 による S 潤 地に 分布し, 小型の もの は, モレ一 ン 表面の 凹地に 分布して いる,
earth hummocks が もっとも 広く 分布す るの は, ペリ チュ から 上流の 沖積 地と, ゾ ン'、 (Dionglha) 周
iS (Fig. 3) である, ペリ チュ S 辺の ような, ャクの 放牧地に 近接す る 場所 や ャクの 通路に ある earth
— 25 —
» 田修ニ • 藤并理 行 • 機 口数 二
hummocks は, 阀囲を 家畜に 路 みか ためられ ており, 家畜が きまった 場
所 を 歩く ことが 原因で 形成され たように みえる。 しかし, そのような 場,
所で も 断面 (Fig. 4> をみ ると, 典型的な earch hummock の 形状 を
示して お り , 土壞 凍結が 原因で 形成され たこと は K う 余地がない。
earth hummocks をお おう 核 生 は, Care: • Cobrrsia などの 蕈本 であ
る 力:, ペリ チェ 付近の ものの なかには, シャ クナゲ ゃメギ の
低木に おおわれ たもの も ある。
高度 5000m 以上で は, earth hummocks の 分布 は 断片的と な る。
earth hummocks の 形成に 必要な 植生の 条件が » 足され, かつ ft 富な 水
分に めぐまれろ 場所が 限られる からであろう。 クンブ 氷河 右 岩の カラバ
タール, ヌブッ ヱ 氷河 右岸, チュ クン カル 力 北の 台地な どで は, 後に 述
ベる 植被 多角形 土と 連統 して earth hummocks が 存在し, 大署山 白雪 岳
火口 内で 観察され たもの (小 «, 1965) とおなじように, 植被 多角形 土と 同じ 成因と 考えられる もの も あ
る。
2 ) Vegetated lobes
この グループに 含めた ものに は, いろいろの 形の ものが 含まれて いる 力 乙 典型的な もの は, 最大 煩斜方
向に 長軸 を もつ 長さ lm 以下, 幅 40~50cm の 舌 状の ふく ら みで, 表面 は 全面 短い 密生した 草本に おお
われて いる。 これ は, 融 水で 飽和状態 になった 融解 土壌が 凍土 上 を 流 下す るソ リフラ クシ ヨンに よって 形
成される。
形 慷 が 不明 眛 でも, ソ リフラ クシ ヨンで 形成され た ことがあ きら かなもの は 含めた から, 長さより S が
広い Hf 状 土 的な もの, lobe の 急な 部分に しか 植生 を もたない もの (turf garlands • turf banked terraces)
も 含めた し, * が 融解 後の 地面 をす べつた ploughing blocks や, 反対に 大きな 岩 塊のう えに 上方から 流
下した 土壌が のりあげて いるもの も, すべて veigitated lobes のなかに 含めた。
vegetated lobes は, 4500m 付近から 現われる 力:, 5000m 以下で は, lobe の 長さが 50cm 以下で 小
さく 横 ft で, « 状 土 的で ある。 lobes が もっとも 広く 分布し, 典型的な ものが みられる の は, 5000m ftWt
の マツ ト 植生の 郎分 であり, もっとも 高所 は, ヌブッ ヱ 氷河 右岸の 5500m の 地点で ある。
能率よ く ソ リフラ クシ ヨンが おこる の は 急 斜面 だから, lobe は 急な モ レーンの 側面 ゃ土壤 におお われた
斜面に 多く みられる。 北向き 斜面に 分布が 少なく, 南向き 斜面に 多 いのは, 南北 斜面の 植生の ちがい
によるの であろう。 およそ 4900m 以下の 北向き 斜面に は シャク ナゲが 密生して いるから ソ リフラ クシ ョ
ンが おこらな いし, それ以上の 高度で は lobe 力 ^ 典型的に 努逮 する 密生した 草原が 少ない。
クンブ 地方で は, 多くの ャク • ャギ などの 家畜が 飼われて いるから, 各所に 家畜 睹段 (cattle terraces)
が みられる。 ハジ ユン 周辺で もいた ると ころに みられ, 場所に よって は turf banked terrace と 区 »lj が 困
難な もの も ある。 ハジ ユン 観測所 南側の チヨ ル テンの 北 斜面に は 典型的な 家畜 階段が みられる が, 断面の
観察から は, turf banked terraces とのち がい はない (Fig. 5)。
ここで は, すぐ 接して 疑う 余地がない turf banked terraces が
あり, « 状 土と 家畜 « 段と は 密接な 閱係を もっている にち がいな
い。
3 ) 植被 多角形 土 (vegetated polynog)
この 多角形 土 は, われめ タ イブの もの (小 1965) で, マット
Fig. 5 Cross-section of cattle 状の 草原に みられる。 われめ は, 深さ 5~ 10cm, 幅 数 cm 〜〜 5cm,
terraces, Lhajung, the Khum- ^, . v ,一 ―', ^ _ 一 、, たサノ は" 丄,, ん ,
, ノ 底 はた いらで, それによ つて, できる 多角形 は 中央が やや ふくらん
du region.
だ 80〜100cm の 大きさで 全面 植生に おおわれ ている (Fig.6).
148
0 90cm
Fig. 4 し ross-section of
an earth hummock
among cattle tracks,
Lhajung, the Khum-
bu region. 1 : humic
material 2 : silt 3 :
sandy silt
# バール t マラ ャ 土
Vegetated polygons, Lobuche (4950m) , the
Khumbu region.
多角形 土の 分布す る揚所 は, カラバ
タール, チ a クン カル 力 北のお 地,
ク ンブ 氷河 右: &とヌ プッ = 氷 W 右岸の
モ レーン 上で, すべて 《00m 以上の
高度で ある, なかで も カラバ タール
0 5200m での 56:* が fc つ ともよい,
囊 R 多角形 土 は, ¥坦 な » 所 にし か
みられな いが, この 植 K 多角形 土 は 平
坦 地から 20° 以上の 頃斜 地で も みられ
る • o プチ z の 束 倒で は, ff 斜 24° の
ところで も みられた 力:, 傾斜が, & なと
ころで は, 多角形が ほお 方向に 長 SB く
ひきのばされ, さらに 下方で は ™gc.
isted lobe に 移行して いた。
ハジ ユン 周辺の 革 地で は, 冬に 地面が H おした 時に, 凍結 われめが みられる。 » おわれめ は «l~2cm,
R さ 5cm ほどで 多くの 多角形 をつ くる。 多角形の 大きさ^ はさま ざまで あるが, ペリ チ-の 北西
2-5km の 地点 (4350m) で みられた もの は, 植被 多角形 土と おなじ 大きさ, 形態 をして おり 内部に は, よ
り/ J まの パターン を もっていた (Fig. 7).
凍お われめ は, 地面が 》 結 するとき の 土 壊の 収縮に よ
つて 形成され る。 3* 結われめ の B が 広くな つて, 夏に な
つても M じなくなる と, 凍結 われめから 多角形 土と なり
保存され る, われめの 幅が 広がる 原因 は, 凍土 や か
&の« 水が, 閉じる 前の われめ を 侵食した からで あろ
4) 鐮 造 土 (sorted patterned ground J
よに のべに earth hummocKS * vegetated lobes ,植
被 多角形 土 は どれ も, 植生に おおわれた 情 造 土で, II 査
地 内で はよ く発邃 している, いつぼう, 植生と BB(S な
く, « の ふるいわけ によって 形成され る * 質 構造 土の 》
逮は 悪く, 分布 城 もせまい。
ハジ ユン) B»l 所から 尾扭を へだてた 北 束 側の 永 食 谷 を
われわれ は コンマ (kongma) 谷と よんで いる, コ ンマ
谷の 5100m と 5250m の 氷 食 谷底の 沖 糠 地に 大 翌 の 確
« 円形 土 (debris islands) が みられる, P! 形 土が 形成
されて いる S 所 は, モンスーン 期に は 池になる ところ
で, その ffl ほに は earth hummocks が 分布して いる。
円形 土の 直 g は 3~5m, 中央部 は SMS 砂 « からなる や
ゃコン ベック スな 面で, その 两囲を ^sas からなる みぞが とりかこんで いる。 w 形 土の 中央の 分の
SB に は, 小型の 多角形 土が 形成され ている ところが ある。 周囲の 粗 » 部で は, 現在, * が 動いて いるよ
5 す は みられない,
*R 多角形 土 や 》 状 土が 観 « でき te 場所 は, わずかで ある。 ドウ ォ氷 1 可 末« の ffi は, ボス ト モンスーン
I こなる と 水位が 下がり, 池 が 露出す る, 池の 北西 岸ち かくの 池 底に は, 多くの 多角形 土が みられ
cracks near Feriehe
(4350m) on January 28,
1975. By March 11. all
cracks closed. The numbers
in figure indicate depth
of the cracks id cm.
SB 修ニ + 廳井斕 行 •《 口 « 二
た, iR 度 は 4700m で, ハジ ユン 两辺 では つと tfiM で みられる »質需 造 土で ある,
ィムジ ャ谷南 H のチュ クン * 河の の モ レーンの 表而に は, 20~30cni の 大きさの » 質 多角形 土 や 《!
土が みられる, » つた 典型的な パターン を fc つもの は 少ない が, かな? 広い (EH に 分布して いる •
=> ンマ谷 漏 【»w にあ る コ ンマ 氷河の から 流れ出す 融水水 at がつ く つた 砂 * 地に は, 小 s の われめ 型
土質 * 角 形 土が あるが, 》a はよ くない。
ボル カデ にある H 谷 入口の モ レーン 上 (4900m) に囊 »B 状 土が ある, 上面の 幅 は l~2m, M
B の髙 さは 30~50cm で 粗礙が あつまり !?高 線に 平行に のびて いる。 きれいな 形き を もつ »tt± は, 1-
2 段し かなく, それ 以外 は 斜面 上の わずかな H 斜の となって いるに すぎない.
MCLLES (1959) は, カラバ タール 付近に おいて 多くの «W 構造 土 を » 告して いるが, われわれ は, ほ
とん ど « 見で きなかった。 クンブ 地域の 氷河 《a の * 地に は, われわれが 未 の 》 質 構造 土が 存在す る
かもしれ ない が, その 分布 面 « は E く はないで あろう。
S. クンブ 地 J まの 楊 遭 土の 分布
以上に のべた, それぞれの 周 * 河 現象の 分布 をお お ざつば にくり かえす と, 次のようになる,
earth hummocks - vegetated lobes • 植被 多角形 土の ような 植生に おおわれた 構造 土 は, 沖 9 地. せい
モ レーンの 表面 や 刺 面 • 山 a (斜面な ど 各所に みられ 分布 面 » も 広
い。 いっぽう, »«« 造 土 は 氷河 舌《 付近の 砂 》 地 や, モンス一
ン 期に は 水 s する ような 限られた » 所に しか 分布せ ず, 》at よ
くない。
垂直 分布に ついて まとめて みると. Fig. 8 のよ ラ になる。 種
披 W 造 土 は 森林 限界 か ら上, 草啄 植生 上 K までの ほ と ん ど 全髙度
帯に 分布す るが, *W« 造 土 は 一 SE の W をの ぞくと 5000m RJ:
に 分布し. 上 ffi は植被 ffi 造 土の それと一 a している.
— ifeW にいう と, ft 山 草原 上部から 雷 » までの あいだに は無植
生地が ひろがり, »j (溝 造 土が 広く 分布す る。 しかし クンブ
では, 草原 植生の 分布 上 B 付近から 上で は, ほとんどの ところが
:& しゅんな fiS や 岩 « 地 になって いるた め 溝 造 土が 分布す る 余地
がない。 いいかえ ると, 構 ほ 土と 植生の 分布で きる 風化 物 ゃ土壞
におお われた 地表面の 分布の 上限が 地形 条件に よって 規定され,
それが « 生と 《 造 土の 上限 を 決めて いると いえる,
地 E の 移動 》»1 の 結果, 5000m 以上に は, 永久 凍土が 存在し
ている « 所が ある ことが わかった (FUJII, 1976). 5000m 前後 か
ら, S に « 造 土の »速 がよくな るの は, 永久 凍土の 存在が 原 H し
ている のか も しれない,
こ のよう な 構造 土 分布の あ リ さ ま は, クンブ 地 « の 南西 侧 にあ
る リク 一 コーラ 上流 加 の パンチ ボ カリ ffl 辺 や, カトマンズの 北
脚に ある ゴ ザイン クン ド でも みられた。 両 地域と も, 地形 •» 生
とも クンブ 地域と おなじ 性格 を もち, 植被情 造 土が よく! 《a し,
SB* 岩 屑 地の 下 《 まで 分布して いる。 » 質 構造 土 は 裸 地が 少ないた め 分布が せまく, 圈 谷底の 池の 底な
どに ffi られ ている。
ネ パールの 束 どなりの, シッ キム ヒマラヤの 地形' 植生 結 作用の ようす (KAR, 1969) も, クンブ
« 城と おなじ 性格 を もっている,
この ことから, クンブ 地域で みられる 構造 土の 分布 は, シッ キム
Vertical distribution c
the patterned ground
the Khumbu region. S】
Snow line, UV: Upp
limit of vegitation co\
FL: Forest line
7 ラャ から 束お ネ パール t マラ
suo&A-Dd:sl き paljos
5>po_tEnLI
ネバ— ル ヒマラヤの 構 a 士
£1* に 共通して みられる と おもわれる,
III, t ドン. バレーの «51 土
1. t ドン ■ バレーの 櫬票
地 城 は, 中央 ネパ一 ルの ドウ ラ ギリ ヒ マールの 北 脚, すなわち ヒマラヤ 山 ffit 主 K の 北 «1 に 位置す る
S で, 東 S1 の カリガン ダキ (Kali Gandaki) や, 南 01 の マ ヤン ディ コーラ (Mayandi Khola) と は, 5100
~5300m 以上の 山 接 で 区切られ てい
る。 このため, 気候 的に は, モンス 一
ン ©影» は 残る ものの, チベット 型の
K» した 気 Sfe 差が 大き く が 強い
となって いる。
t ドン' パレ一 は, 5000- 6700m g
の 山稜で 囲まれた !« けた U 宇 谷で, 0
S は 筏い (Fig. 9)。 その 中 を, 西から
東" ~流れ る リカ ヮ ンパ iRikha sab ma)
は, その 方向 を 北へ 変え, ゴルジュの
中へ ^える。 そして さらに 束に 向き を
変えて, ヒマラヤ山脈 を 横切って 流れ
る 力 リ ガン ダキの 上流 部に 合流 ナる。
t 卜' ン' バレー 内の * 河 は, 4900-
5400m の ffl に 末烺を も ち, その 周囲
は 切りた つた at 岩と なって いる。 調査 地 ー带 は, チベット ーテ一 チス堆 に (し, 石灰 B の 片岩ゃ 千
ftS からなる (GANSSER, 1964 ; OHTA and AKIBA, ed., 1973)。 地 S 面の « は MS の もの 力: 多く, 大
お 分が 風化の ため 赤色 化して いる。
t ドン • パレ一 内の ffi 生 は (S めて g 弱で, リカ サンバが 流れの 向き を 北に 変える あたりに, 背丈 30cm
程の 低木が a られる 以外 は, 草本 植物 群落が 水流に ffi つて «在 している にすぎない。 団塊 クッション 植生
や 地衣! H すら も, 非常に まばらで, ヒ ドン 'バレーの ほとんどの 部分 は, » 地で ある。 カリガン ダキの B
m, ダン ブシ パス (51Mm) までの 植生 は, 釺;! ESf 林 * が 3760~3850m で 終わ!), それより 上 は 約 4600
m 付近まで « 山 $W となり, それぞれ, 明瞭な 阪界線 を a せて いる,
SIS は, ヒト' ン' バレ一 の 中央, 高度 5055m 地点に したべ一 スキャン ブを 中心に, 1974 年 6 月 *
から 9 月 初旬までの 約 2 ケ 突 施した。 この 問, * 河 や 地形 M 査に 並行して, ベ一 スキャン ブ において
は, クンブ 地 城の ノ、 ジュ ン《»1 所での 気 » 観 刺に 準じた 定常 観 M が 実施され た。 ダン ブシ パス一 カリガン
ダキ 問の 講査 は, 往路と 復路に のみ 実施した,
i. t ドン • パレーの 精 S± の 分布
ヒ ドン ,パレ一 では 植生が 貧 弱で あるから, 植彼 » 造 土の! E 逮は 良くない。 》 逮 がよ いのは, 造
土で ある (Fig. 10). ここで は, クンブと は 反対に, »KW 造 土からの ぺ ていく。
1) »Jt 多 ft 形 土 (sorted polygon)
多角形 土 は, リ 力 サンバ 氷河の 古い ターミナル モ レーンの 凹地 内の 平坦 地に あった 土 S! 多角形 土 (non-
sorted polygon) を 除き, 観 g したの はすべ て, 粗 粒 物 I! と S^PftSt がふる いわ けられて できた »W 多角
形 土で ある,
多角形 土 は, 烦斜 3" 抑 後までの 平坦 地に 広く 分布し, 新しい 冲積 地の 一郎 を 除いて は, 多角形 土の 分
— 29 —
Fig. 9 Aspects oi Hidden Valley from east, near the
Base Camp. Rikha Samba (in the center) flows
in the dry and non-vegetated glaciated valley.
s 田修ニ 井; a 行 二
Fig. 10 Patterned in Hidden Valley. 1 : Base Camp (5055m) 2 : Glacier 3 : Debris
covered part on glacier 4 : Ridge and rock wall 5 : Eanh hummocks 6 : Turf-
banked terraces 7 : Sorted polygons (small) 8 : Sorted polygons (large) 9 :
Sorted stripes (small) 10 : Sorted stripes (large) 11 : Sorted lobes 12 : Stria-
ted ground indicating the direction of its long axis.
布 は, 平坦 地の 分布 を 示して いると いう こと もで き J
う。 平坦 地 は, リカ サンバ 沿いの 段丘 面 上と, ラ テラ/ i
モ レーン 上に 分布して いる,
多角形 土のうち, 砂 «K の 段丘 ffi 上に g 速した も 《
は, 纏の ふるいわけが 贫 弱で, 直径 20em 程の 小型 e
fe のが 多く, i^ftR を 多く 含む ラ テラル モレー ン」
や, U 半 斜面 途中 や S 線の ギ 坦部に 形成され たも 《
は, 小 5! の もので も 痛の ふるいわけが 良く, 形の » つ/.
多角形 をな している。 小型 多角形 土 は, 更に 大きな 多 #
形 土に. いくつか いっしょにと り BB まれて いる ことが S
Flg. II Sor.ed polygons m Hidden いが まわり をと りかこむ 大型の 方が mt£ESE の g| の 立'
Valley
上りが 觀》 である.
大型 多角 土 は, ベースキャンプ 東方 約 lbn の 所に ある 直 SjR 10m の 池の 两 囲の 平坦 地と, ダンプ ミ
パスの 平坦 地に * もよ く発邃 している, 池の 周辺の 大型 多角形 土 は, 直 ai~1.5m であるが, モンス-
ンの Jfcffiffl ごろから, 港 水で 水面下に S する ようになる。
大型 多角形 土の 粗 «SE 分 は, S 20cm 程の やや 局 sp で 角ば つた » で M 成されて いる。 # くの もの は, B
なして いる.
Sorted stripes on a 22" gra-
dient slope in the expcri-
mental siie for mass move-
ment, Hidden Valley.
ネ パール ヒマラヤの 《 造 土 153
小 S 多形 土 は植被 » 状 土の 平坦 節 (上面) に fc 見られた, この 多角形 土 は, 直 g 約 15cm で, » 状 土の
平坦 SE の 《1 斜は, 4~5° であ!), 特に ベース キャン ブ *( 南西) の W 状 土の 坦 では, 形の 整った 小
g 多角形 土の 56 途が 良い。
2) 囊«» 条土 (scried stripes)
ヒ ドン' バレ一 では, U 岩 ffi や 段丘 斜面の 崩 》 地な ど を 除く 斜面に よく 56 速して いる 構造 土で ある, 練
条土 は, ft 粒 BEM の M 隔が 10cm 位の 小型の ものと, lm
位の 大 S の ものと に 分けられ るが, » の ふるいわけ は, 大
S の «条 土の 方が よい。
小 SIK 条土 (Fis- 12) の は, リカ サンバ 氷 「"1 の
£ 岩の 斜面, 高度 約 5680m 付近での 観 fii の 結果, 傾斜が
5 ° 以上に な る と 明 » にな リ は じめ, ほぼ 20° 以上に なると
砂 « の «sBMaK の ふるいわけが さらにす すみ, それぞれの
» の 幅が 広 < なる, 30' 以上の 頭 斜 地での 線条 土の 記録 は
11 とん どない というが (WASHBURN, 1973), 40° 近くで
t よく ふるい 分けられた «条 土 を 観 s できた.
この 斜面で, 》条± を 構成す る 《 の 移動 量の a 定を実 is
した, 測定 は, 7 月 13 日に 14m の 距離 をお いた 2 つの H
S«M 目に »1 量 《T を 打ち込み, ひも を 張り, その 下の 5-10cm の g 怪を もった S 平な »6 ケに ベン キマ
-ク を つけた。 ひも は, 線条 土の « に ほぼ iff 交す るよう に ほった, これ を 8 月 29B に, ひもの 下から, m
?) ペンキ マークまでの 距 趣, すなわち 47BM の 各 * の &助量 を湖定 し, その 結果 を 傾斜との fflff で (Fig.
13) に 示した, この 図に は, 同 斜面 近 く のモ レーン 表面
(斜面) の 10— 30cm の を もった 恵 平な 》 の 移動 ftfc
示して ある,
t^y » の 移動 量 は, ほぼ 傾斜の 平方根に 比 w してお り, 約
I 30° で, 0.4-0.8cm/day (I50~300cm/yr) であった。 こ
の fit は, ほお や, 礫の 大きさ, 気象 など 条件 は 1% なる
が, BL* 山の 2~5° の 斜面での 3 — 6cm/yr (小 1964),
ダリ一 ン ラン ド での 10-14° の 斜面に おけ る 0-9—3. 7cm/
yi (Washburn, 1967), スピッツ ベルゲンの 7 - は。 の斜
面で ©5~12cm/y【 (JAHN, 1960) 等の 測定 ほ果 に比べる
と, 1~2 桁の オーダで 大きい,
斜面の 20 — 30cm 以上の 大きき な礙の 下方 は, « でお おわれて おらず, 10- 20cm の 長さで 細 粒 物 質が
Sfc 引く よ 5 に 現われて いた, これ は, 小さな 》 の 移動 速度が, 大きな 礙の » 動 速度に 比べて 大きい こと
になる ものであろう。
同地 点での 8 月 29B の 50cm ffi 地 ffl は, +l.l°C, 79cmS6 地 ifl は +0.6°C であった, 後述の よう
に, ヒ ドン, バレーに は氷久 * 土が 存在す るから, この 地点での 活動 層 厚 は 約 110cm と 推定され る。 こ
O 活動 觸は, 凍土の ft 解に よって, 含水 率 は 大きく, 地表面 付近で feiSfll 状態に なって いて, 斜面 を 下る
時, くるぶし 近くまで もぐる ような 状 » であった。
これらの 観 W 観 S 結果から, この 線条 土 斜面で は, 斜面 全体の ソ リフラ クシ ヨンと, * &の 遠い によつ
て 6 こる 差 》JW な (row creep とが 同時に 起って いるものと 考えられる, また, 大きな 移» 速度 は, 永久
直 土 E (permafmot table の fiiK) 上の S 潤な » 解 層が, 30。 近い ft 斜面に 置かれた という 条件が SK き
い fe ことになる fc のと 思われる,
10
iTie relationship between
slope angle and mean diu'
ma! movements of painted
stones of the sorted stripes
in Hidden Valley.
154
岩 田修ニ • 藤并理 行 • 機ロ敏 二
小胃条 土と した ものに は, 確の ふるいわけ を ほとんど 伴な わないで, 藻 種と それによ る 色の 違いで 美
しい 縱痛 模様 を 作って いるものが ある。 稜線 部 や 斜面 途中の 露 岩 や 巨 * から, frost shattering によって
生産され た * が, frost creep ゃソ リフラ クシ ヨンで 斜面 を 最大 傾斜 方向に 移動した 結果と 考えられる。
これ は, リカ サンバ 氷河 中流の 左 * の 斜面 や, ベースキャンプ 東方に ある 氷河 右岸の 露 岩の 下の 斜面に 顕
著な ものが 見られた。
大 Mj» 条土 は, 大型 多角形 土の 形成 城に 接して 分布して いる ことが 多く, ダン ブシ パス や フレンチ コル
周辺 や, ベースキャンプ 東方の 池の 周囲の 斜面に よく 発達して いる。 ベースキャンプ 東方の もの は, 線条
土が 2 〜 3 。の 傾斜の 平坦 地に くると, しだいに 閉じた 多角形 土に 移行して いくのが K めら れた。 他の も
の は, 多角形 土から 移行して 形成され たもので あった。
大形 線条 土 は, ベースキャンプ 束 方の 氷河の 末端 部の 厚い 土砂に 被われた ところで も 見られた。 この 土
砂の 厚さ は, 120~200cm で (NAKAWO, 1970), ここでの 確の ふるいわけ は 強く はない 力:, 礙カ '^45° 近く
に 立った 線条が もあった。 これ は, この 部分の 氷河 氷 体が dead ice 化して いる こと を 示す ものと 考
えら ォ1 る。
3) sorted lobe
ヒ ドン 'バレーで みられた soliflaction lobe は, 植生 を もたず, と 粗 胃 の ふるいわけが すすん
だ lobe 状を呈 している ので, クンブの vegetated lobe と 区別して, sorted lobe と 呼ぶ。
sorted lobe は, 5050m から 5500m の 高度 «SH の 緩 斜面に よく 発達して いる。 傾斜 15~20。 の 斜面で
の lobe の 大きさ は, 傾斜 方向の 軸が 3 ~ 5 m, 幅 は 2 m 前後, 厚さ は 30cm 程で ある。 lobe の 周囲 は,
溝 状 M 地に なって いて, 径 10〜20cm 程の 礙 がつ まっている。 lobe の 前方 (下方) は, 比 « 的 細 粒な 物
質から なり, 平坦と なって いる ことがあり, ここに 小型の 多角形 土が 形成され ている の も 観察され た。
地 ifi の 移動 測定 (FUJII, 1976) の 結果から, ヒ ドン • バレー 内の 永久 凍土の 分布の 下限 高度 は, 約 5000
m と考えられる 力' s sorted lobe の 分布 は 永久 凍土の 分布と よい一 致 を 示す。
永久 凍土の 活動 層で おこる ソ リフラ クシ ヨン は, 非常に 効果的で あるから, このような 大型の lobe が
形成され るので あろう。
ソ リフラ クシ ヨンが 起って いる 地表 層の 厚さ は, 最大で 活動 層の]? さと 考えて よい。 lobe が 発達して い
ろ 斜面での 地温の 測定の 結果, 活動 層 厚 は, 5055m 地点で 約 220cm, 5240m 地点で 約 190cm, 5340m 地
点で 約 165cm であった ので, ソ リフラ クシ ヨン を 起こして いる 地層の 厚さ は, 最大で も 数 m(2〜3m)
といえるであろう。
4) 植被 構造 土 (vegetated polygon)
ffi 被 構造 土と して は, earth hummocks と, turf-banked terraces (植被 階 状 土) が ある。 これら は,
高山 草/ ボの 分布と ほぼ一 致し, earth hummocks は, このうち, リカ サンバ 沿いの 湿地に, turf-banked
terraces は, U 字 谷底 付近の 緩 傾斜の 場所に みられた。 しかし, いずれも 植生が 贫 弱な ため, 分布 も 眼ら
れ, 分布 高度 は, 4850~5150m と 狭い。
ダン ブシ パス 東の 力 リガン ダキ西 斜面で は, earth hummocks の 発達 はよ く, 森林 限界から 200m 程
上の 髙度 4000m 付近から, 草 植生の 上限 付近 (4600m) まで 見られる。
turf-banked terrace は, 幅が 1.2 〜: L.6m, 前面の 高さ 15〜20cm, 長さ 10m 以内の 規模の ものが 多
く, 平坦 部の 傾斜 は 4 ~ 5 。であった。 4 ~ 5° の 傾斜 にもかかわらず, 形の 整った 小型 磯 質 多角形 土が 形
成されて いたの は, 前述のと おりで ある。
5) striated ground
striated ground (SCHUBERT, 1973), は, 高さ 1 ~ 3cm, 長さ 10cm 位の 線条の たかま りで, 2 〜 3cm
の 平行な 溝で へだてられ ている 規模の 小さな 構造 土で, リカ サンバ や, 氷河からの 流れに 沿った 湿った 平
坦な 砂地の 上に よくみ る ことができた。
一 32 —
ネ パール ヒマラヤの 構造 土
155
Fig. 10 に 示した 短い 線 は, 調査 期間 中に «定 した striated ground の 方向で, 全体として は, SW~
NE の 方向 3 ^卓越して いる。 ダン ブシ パス 付近で は, W-E ないし は WNW-ESE 方向の ものが 多く, こ
れは 地表 付近の 雲の 動きに 近い。
ベースキャンプ 前の 平坦な 砂地 上の striated ground の 方向 は, 7 月 17 日の 測定で N75E, 9 月 7 日で
は, N86W であった。 それぞれ, 通 去 3 日間の ベースキャンプでの 卓越風 向 は, 05 : 40NST 〜: 17 : 40
NST 問の 3 時 IB 毎の 測定に よると, 前者が NE~ENE (午前), W〜WSW (午後) , 後者が, 午前, 午
後と もに WSW であった。 8 方位 法での 風向 酒定 という こと を 考える と, striated ground の 方向 は,
風向, 特に 風向の 測定 時間 内で は, 午前中の 風向に一 致す るよう である。 これ は, SCHUBERT (1973)
の 報告の ように, striated ground は, 夜間 凍結 時に, 霜柱が 卓越風 向の 影響で, 直線 的に 並ぶ ことによ
つて 形成 された と 考える ことができる。
striated ground は, 周 氷^ 象の 中で も, 形成 速度の 最も 短い 現象の ひとつで あるが, 昼間, 称
が Hit 解しても 形 は 保 たれて いるし, 観測 例 は 多く はない が, その 方向 も少 くと も 数 週間 は 保 たれて いる。
したがって, striated ground の 方向から, ある 期 IH 内の 夜 IH の 卓越風 向 を 知る ことができる。 Fig. 10
の 短い 線に 谷 を 下る 方向に 矢印 をつ ければ, ヒ ドン • バレーに おける, モンスーン 期間 中の 夜間の 卓越風
向 を 示す ことになるであろう。
6) 垂直 分布
ヒ ドン 'パレーに おける 構造 土の 垂直 分布 を 14
に 示した。 ヒ ドン' バレー 自体の 高度が 4800m 以上で
あるから, それ 以下に ついては, ダン ブシ パスの 力 リガ
ン ダキ俩 斜面 も 含めた。 クンブ 地方と 同様に もっとも 低
位置 か ら 現われる 構造 土 は, earth hummocks であり,
森林 限界より やや 高い ところから 現われ はじめる, クン
ブ 地方で 広く みられた vegetated lobe は, ヒ ドン • ノ《
レー 内で はみ とめられなかった し, カリガン ダキ 斜面で
は 充分な 調査 を 行って いないので 詳しい こと は 分からな
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SL
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UV K
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Fig. 14 Vertical distribution of the
patterned ground in Hidden
Valley; SL : Snow line, UV-
H : Upper limit of vegetati-
on cover in Hidden Valley,
UV-K : Upper limit of vegi-
tation cover on Kali Gandaki
slope, FL : Forest line
簾 質 構造 土 は, 4800m 以上で 急に 畫 富になる ので,
5200m 近くまで は, 植被 構造 土と している。 この
範囲 内で は, »結 作用に よる «ゃ 土壌の 移動の ために,
植物の 根 切れが おこり, それが 植生の 拡大 を 阻止して い
る。 このように, ヒ ドン' バレーで は * や 土壞の 移動と
植物の 生育の 親 合 関係で, 周 氷河 作用の 方が 優って いる
所が一 般的 である。 むしろ 植生の 成育が 構造 土の 形成 を
抑制して いる クンブ 地域と は, 対照的で ある。 しかし,
植生と 構造 土との 88 係に ついては, 今後のより くわしい
調査が 必要で ある。
sorted lobe と 大型の «K 構造 土 は, もっとも 高所 か
ら 分布が はじまる 力 礼 その 原因 は, これらが 永久 凍土 層
の 存在と 関係して 形成され ている からであろう。
構造 土の 上限 は, ほぼ 雪線 " と一 致して いる。 ヒ
ドン' バレーで は, クンブ 地 城と は 違って, 露 岩 や 岩壁
などの 地形が 構造 土の 上限 を 決めて いるので はなく, 雪
J T
ill
-11
-•i
All
i
1 1 1
一 33 一
156
岩 田修ニ • 藤井理 行 • 機ロ敏 二
練と いう 気 侯 的な 原因で 上限が 決って いる。 »»» 条 土の 分布 は, 雪線 以上にまで のびて いるが, それ
は, «» 以上の 部分で も 操 地が 存在す るからで ある。 ヒ ドン' パレーで は, 地表面の ほとんどの ffl 分に 礫
質 構造 土が 発逮 している といえる。
IV. ネ バール' ヒマラヤ における 構 遠 土の 形成
これまでみ てきた ように, クンブ 地域で は, 植被 構造 土が よく »逮 している のに 対し, 藤 質 構造 土の 発
逾は 悪い • 一方, ヒ ドン' パレーで は, 氷河と 岩壁 以外の 地表面で は, いたるところ 藤 造 土が 見られ
ると いえる 程^が よ く, クンブと は 対照的な 違い をみ せて いる。
この 違い は, ヒマラヤ山脈 主脈の 南側 • 北側 という 两»« の 位置の ちがいと, それから 生じた 気 侯 条件
の 差 (ネ パール 型 湿 « ヒマラヤ 気候と チべッ ト型 乾燥 ヒマラヤ 気候) および 地形 条件の 差 (急 しゅんな 地
形と ゆるやかな 地形) によって 生じた と考えられるので, 以下で 考察 を 試みる。
1. ft 核 の 逮 い
構造 土の 生成に かかわる 最も 重要な 気 侯 要素 は, 湿度 条件で ある。 Fig. 15 に は, 1974 年の 気象観測の
結果のう ち, 気温 '20«11 深 地温' 降水量 (Glaciological Expedition to Nepal, 1976) を 示した。 ハジ
ユンで は 月間 値 を, ヒ ドン' パレーで は, 観測 期間が 短 かかった ので 10 日 平均の 值を 用いて いる。
Table 1 1 emperature conditions related to frost action with each altitude in
the Khumbu region and Hidden Valley, using extrapolated value from
the date obtained at Lhajung Station and at Jomoson Weather Station
(2615m) , the nearest station from Hidden Valley, respectively.
Altitude Region Mean annual Freezing Thawing Freeze- thaw
air temperature index index cycle
(m) (°C) (degree-day) (degree-day) (days)
ハジ ユン 観測所で は, 月 平均 気温 は 約 5 ヶ月 間, 20cm 深 地温の 月 平均値 は 約 4 ヶ月 間が 氷点下で あつ
た • ハジ ュ HBSfl ^より 高度の 高い ヒ ドン' パレーの 気温と 地温 はと もに, より 低い 値 を 示す から, 氷点
下の 期間 ももつ と 長い はずで ある。
このように, 観測地点の 高度が 異なり 直接 比 敉 する ことができな いので, 気溫滅 率で 高度 補正 2〉 して 高
度 別に 比べる 必要が ある (Table. 1)。 これから, 平均 気温で は, それほど 大きな 差異がない ことが 分る
が, ft 温 較差" を 比 tt してみ ると, ヒ ドン • パレーが 約 9°C であるのに 対し, クンブ 地域で は 約 6。C と
小さい。 これ は, 主に 雲に よる も 日射 あるいは 夜間の 長波 長 放射の 遮断 効果の 違いに あると 思われる。 ヒ
ドン • パレーの 方が, モンスーンの 影響が 小さく, 雲量の 少ぃ 日が 多い からで ある。
気温の 較差が 大きい という こと は, ひんばんに 凉結 融解の く りかえ し (freeze-thaw cycle) が 起こる こ
と を 意味し, その 結果, 凍結 破?^ 用 • 霜 くさび 作用 •» 凍 攪拌 作用が 強く 作用す る。
aaeswi のく りかえ し は, aas が 起こらなくなる 高度 以上, 融解が 起こらなくなる 高度 以下で あるが,
Khumbu
Hidden Valley
o
5 3 2 83 2 3 OQOP 47
ゥ】 41 1 7 9 9 Qd 0^ o
1 12 2 N 15】 12 13
o o o o 5," 7 00 7 8 o s 1
P6 a5 9 8 & 9
2 2 7 7 3 4 2 3
11 2
29 63 63 5 1 2P 73
27 39 ^ 7 ft5 7 1 ひ o 4
75 5 3 s 4 0C5 7 4 3 1
3 3 z z 11
29 97 74 42 001 13
o 9 6 6 33 o o 23 66
II II 二 I I ++ + +
I -K* -H_ トト p ト
5 4
一 34 一
ネ パー ノレ ヒマラヤの 構 it 土
ftSttS が 大きい という こと は, この 高 SJBH が 広い という ことで, これによ つて 31 きお こされる 構 遣 土
の 分布 « 度の «Ht 広い ことになる, 気 ifl の 《 差の 大きな ヒ ドン • バレーの 方が, 凍ぉ» 解 B» が はるか
に 大きく, 《««a も 広くな つてい る。
地表面 fi 度 は, 気 S より B 平均で 高く, 特に 日射の せい SIH は, この 差 はさら に 大きくなる,
従って, 地表面 度の R 差 は, 気 iSBt 差に 比べる と, かなり 大きく, table 1 の 凍結 » 解 B|k は, *B (の
地表面での B» [に比べ 相 S 小さ 目に なって いる,
構造 土の 形成に 大きな «:« を 果たす 作用と して, * 上作 用 (frost heaving) t*« 割目 作用 (fro«
cracking) が ある。 これら は, 年 IW を 通じた «算 寒 度 (freeing index) であら わされる 凍結の M« が大
きい ほど »く 働く と考えられる, table. I に みられる ように, クンブ 地域. ヒ ドン ,パレーと も, » 算寒
K に は, あまり 大きな 違い は 8 めら れ ない.
従って, 溝 造 土 形成に BB する 两 地《 の 気 条件 は, 《 算 寒 度, 平均 気 jfi など, 凍結の 《flf や 期 ffl といつ
た 点で は 大きな 差 S はない が, 《結, 》 解の くりかえしに * く M 与する 気 》 の tt 差の 相逾 は, 非常に 大き
い, これ は, ヒ ドン' パレーで は, 》 の ふるい 分け を 併う 構造 土の がよ いこと &H 明す る もので あろ
~ 8 月の モンスーン 期に 年 » 水量の ほ
Rfi* 件の 次に は, 降水量 を 比 (S してみ る, クンブ 地方で は,
とん ど 力: 集中して 降る のに 対し, 10
月から 4 月に かけて は, ほとんど »
水 をみ ない (Fig. 15).
t ドン • バレ— での, モンス一 ン
期の 3 水量 は, クンブの 杓 半分で あ
る, ft 水量 だけでなく, 相対 S 度 ■
蒸! S 量の 点で もより ft» した 条件に
おかれて いる,
このような, モンスーン) B の
量の ちがい は, ヒマラヤ 山 BR 主 ♦* の
^侧と ft« (t ドン • パレ一) の 違
いの 反映で ある, しかし, ネ パール
全域の 分布 (Climatological
RecortUof Nepal, 1970) の 中で は, クンブ 地« も.
がで きる,
南» に 前山 を もたず, 直 接 モンス一 ン にさら される ヒマラヤの 南側 斜面で は, モンスーン 時の » 水量 は
J ノ
j
Mean monthly air and soil lemperalure and total
monthly precipitation at Lhajung station (4417m) ,
the Khumbu region in 1975 and mean air and soil
temperature and lotal precipitation in each lOdaya
from July lo August, 1975 in Hidden Valley.
ラャ内 » の 比)5的《 燥な HMK と 位置づけ る こと
ヒ ドン • パレーでの. 冬 w の 降水に ついては, «»龃 がない ので 不明で あるが, クンブに くらべよ!) B
に 位 匿す るので, 冬期の 西方 (* 乱 を 受け, と t まさって いる ことが 推定され る, 冬に ヒ
ドン' パレ 一にもたら される »g は, i*g に; tt し 負の 作用 をす るか t 知れない が", そのかわり, mm*
を 《*e する から, による 凍結の 低下 を おぎなう であろう。
ニゥ ような 》* の 量と 変化 《W 色 は. 《 生の? Eai:S»» 度に, 大きな 影響 を 4 えてい る, クンブ
パレーで は, モンスーン え, 蒸? S 量の 方が 降 * 量 を うわまわって おり, 植 «5 が 生育す るた めに は, 乾
» しすぎて いる, このため, 植生 (B 界が 低くなる,
クンブ では, 5» が もっとも 高くなる モンスーン ft の ftWi こ, 山 »を おおう « 零の 下 |««5度 は, ft
向き で 5500ni, t つと も 高くなる チベットよりの * 向き 斜 B で 6000m 近い, *« する 植生の
1&H ^田修 二 • 藤 井理行 • 握 口 歌 二
上 IR は, クンブで は 5500~5600m であるから, それから 雷 線までの 高度差 は, 平均す ると 200m 程で,
狭い. ヒ ドン. バレーで は, その 高度差 は クンブの 倍 以上で ある。
このような 気 tt* 境の 違いの W 因 は, ひとことで いえば, ヒマラヤ 主軸に 対する 南侧 斜面と 北侧 斜面と
いう 位 匿の 違いで ある。
2. 地形 耀 境の 遠い
われわれが II ている ヒ マ ラ ャの 地形 は, ヒ マラ ャ 山脈が 形成され は じめ た 時 以来の 地 » の *fi と,
それ t 侵食し つづけて きた 紫 力との 相互作用の 結果で あり, 共通の 地 史的 環境 を した 場所で は, 同じ
ような 特徹を もつ。
クンブ 地域で みられる 5300~5400m 以上が A しゅんと いう 地形 的 配 匿 は, 束ネ パール ヒマラヤ 南侧斜
W に * 通して みられる. ヒマラヤ 主軸から W に はなれた 山 1HK 度 6000m 以下の ffi 分で も, 山稜 頂 « は 急
な W 養に なって おり, 植生が まばらになる 高度 以上に は, 平坦な 胃 は 存在し ない。
クンブ 地域で. 構造 土が %逾 している ところ は, すでにみ たように, 圏 谷底 'U 字 谷底 'モ レーン 表面 •
氷 WfrSWMMl の 台地 上な どで ある. これらの 地形が 分布す る 上限 は, だいたい 5300〜5400m であって,
それより 离ぃ場 所 は. WW 地 • や }« • 氷河に なって しまい, 構造 土が 分布す る 余地 はない。 急 斜面が 多い
から W 養が 広く. そこから 生産され る ftW も, 花 W 岩 '片 麻 岩と いう 岩 質の ため, 大きな ブロック になり
mm I: の^ 成に はつごう が * い。
ヒ ドン ,パレー は, これと は 対照的で, 山稜 頂 tt まで 比 tt 的 緩 斜面が 存在し, ^の 面積 もせまい,
5l0O〜5'JO0m cO**RRff よ 0j« い 位 匿に, モ レーンの ような 平坦 面 を もつ 地形 も 存在す る。 クンブで は,
霄 U 以 h の 氷河 *«胃 におお われて いない 部分 はすべ て 岩壁で あるが, ヒ ドン パレーで は, 砂秦 地に なつ
ている 地 «ilti' が frfr: 十る,
ヒ ドン • パ i 一で は、 讓 «r 溝 iab つ ^成 に 適した 高度に, 構造 土 形成に 適した 地形が 用意され ている と
いえる- 地 《r も, ヒ ドン • ペレ 一の 增 や 石庆 質片«* 千 枚 岩 は. 細かい 建に 分 » される から, 構
逝 トメ 、^ 成に はハ ごろが いい, このような 地 形 は, ヒマラヤ 主軸の 北 筒から 羊べ/ 卜 高原に かけて 広く ひ
'、がって おし そこで は、 龜 w 溝 遗 七が よく 発逮 している と考えられる.
a. «u« 域との 比較
これ i でみ'、 さた1^ ィとヒ ドン • ベレー。 気候と 地 fUt« は, それぞれ ヒマラヤ 山!! 主 輪の 南 面
けん' 1« 斜 Al) と. fc« 斜 « けべ、、' ト « 斜おヽ "に 共通して いると いえる, 従って, クンブ J«t とヒド
: • ベ I 、'、溝 ffl し'、^ あ vv 特敏 は、 それぞれ、 卞べー 化« (と-にべ' ト を 代表して いると いえよう。
しかし 、: '埯« は、 t ベー' ハ * やよ n は is: 燥して お"、 ヒ ドン • ペレ 一に は, モンスーン
ハ^ 響 さ、^ ぺぃ: 、さ、.、、、 *| や 的^ 卞 ベー' t 侧斜 Ifc' および-にく ト^^お では、 溝 造 土. っ^ 布 は, われ わ
れが し た 域 上 " さ'、、 に それぞれ ハ神敏 をより * く A せて ぃケだ ろら,
v マ'、 ヒ、' 、溝 3; ヒハ; >ぁ とや^ 爾« ハ将敏 を さ'、、 にあき 入で、 に 十る ために * 飽尸 * 域. n 高山と 比鲛 して
に" ここで は. H おと-! 一" 'ベ をと'、 あ, ギ、 爾|1 分布 系 を 《fc ^に; t 較 してみ 巳
i< 地お 的な W おが^く^く、 ハムに よ-、 て 重 |1、チ お: 定 される 着^を 考えて みる (Fi^
W 、や
宵 ^レヽ sMt^ さに' ,'v.i せで も一^ たと 十れ^. ^候 ハ 達,、, こ^:: て m^s 界が 上下す
:、 、-、 ャ' '、あべ で' ,银 S くまで 敏 キ. 地で: あ,、 ItJI^tSrh で::!: く兮窗 できる, そし
'ゝ、 ほせ.'、 «ミ> ほ:、 ふく、 mw® ヒハゃ あお w は^くな し
, く、 '、! W おおで は. 載 t^'^JIili お!^ く、 礙 « 鋒 «.t:'"« 建 ざ、 ir、 •、,
卜、,、 ベ HOL1KKMANN. 1か マ、 GR\F、 19:: ; KtTREI^K で. ま、 二と ftj^g 土と
もに や, >n でき:. …卞、 hi: では、 '、そ ベー 《鳅ぁ至 におて いる さ-、 上に^ ハ
,マ、 v ゲ、 ft^ 十: で"、、、 滅 iwat: お でき 7,、 、^>* l えで、 yn,
■ 一 、\^^ - 一
ネ バール ヒマラヤの 》* 土 159
□ 1 O 2 S 3 誦 4 [W] 5 ^7] 6
Fig. 16 Schematic comparison of vertical zonal ions. A : relating to
climatic conditions, B : relating to topographic di/ferences,
E : High mountains in western Europe, HT : Tibelain slo-
pes of the Himalaya, UN : Nepalese slopes of the himalayas,
J : Northern part of the Japan Alps, 1 : Snow and ice, 2 :
Sorted patterned ground, 3 : Vegetated palterned ground
in alpine glass land, 4 : Rock wall, 5 : Subalpinc Krumm-
hon vegetation {Pinus pumpila), 6 : Forest
次に, これに 地形 条件が 加わった * 合 を 考えて みょう (Fig. 16- B). 地表面の 》 起伏 は, すべての R 界
» を, 直線から 》 雑な ジダザ ゲの綠 に 変える から, どの 場合で も *K 構造 土と 清 被 構造 土と が 同時に 出現
する 髙度 《 を 生じさせる。
ヒマラヤの 場合 は, すでに 述べて きたので 省略す る, ョ一 。ツバの アル ブス • ビ レネ 一• ス カンジ ナビ
ア では, 地形 的 条件 も满 足され, 植被 '》?!«造± ともに 良く 36 速す る.
B 本 アルプス では, 山の 高さが ハイ マツ fff 上限 を tt えない が, による 山頂 現象と して 造 土が
形成され る, B 本 海ぬ S の 多 S な 高山で は, 残 S のた め 裸 地 や 車 原が,、 ィ マツ ff の 中に パッチ 状に 分布
し, そこに 》S 構造 土 ゃ植被 構造 土が 形成され る こと も ある。
このように, ョ一 ロッバ の 高山で も 日本の Si 山で t, 構造 土の 分布 は, それぞれの 気お • 地形の 条件 を
反块 してお り, これらの 谶 塊 条件との M 速で, ヒマラヤ 山 SR のネ パール W 斜面, チベット 型 斜面の 構造 土
は, ユーラシア 大 I* 東, 西 M の S 山の 構造 土の 分布と も S なる 分布 をして いる ことが 明らかになった。
クンブ i6« では, 植彼 構造 土の 発 逢が よく, earth hummocks, vege.ated lobes は, 森林 限界 以上 か
ら 植生 ffi 界 付近まで 広い 面 《 に 分布し, 5000m 以上に は植被 多角形 土が 分布す る,
植被 構造 土が 》遍 する 原因 は, 夏の モンスーン 期に 充分な 降水に めぐまれて, 植生が 《 所まで 生 宵し,
そこに 寒 期に は, * 結 作用が 働く からで ある, 構造 土 は, 主として, 5000m 以上に? 6 逢す るが, 分布
» 所 は 限られ, 面積 t 抉い。 植生 限界 以下で は, 豊畜 な據 生が 形成 を Ifl 止して いるし, それ 以上で は, ;&
な 岩 g や 粗大な 膽地 によって 占められ, 構造 土の 形成に » した » 所に 欠ける からで ある。
このよ うな クンブ 地域の 構造 土の 分布の あ り さま は, ヒ マラ ャ 山) BE のネ パール W 斜面に 共通 して みられ
る ものである。
t ドン' パレーで は, 》««造 土の 発 逢が よく, 大型, 小型の 多 ft 形 土 « 条 土 '瞎状 土な ど
さまざまな タイプの ものが 分布 ナる。
ヒト -ン* バレ一 で 磯 « 構: g 土の 》逢 がよ いのは, 気 a お 差が 大きく, 凍 SS»« のく りかえ しが ひんぱん
に g こる ことと, 侯の ため, 植生 地の 面 》 が 少なく 砂 * 地に むこと, 高い ところまで 》 斜面が 多
いこと による。 さらに, ヒ ドン ■ パレ一 は, 全体の 高度が 高い から, 楠 生の 分布 も それだけ K 定 されて い
る, すなわち, ftR' 地形な どの S 候 条件 は, 礙 RSI 造 土の 》逮 にと つて 非常に 有利に B つてい るので あ
る,
— 37 —
160
岩 田修ニ • 藤 井理行 • 握 口 歌 二
このような, ヒ ドン 'パレーの 構造 土の 分布の ありさま は, ヒマラヤ山脈 チベット 側 斜面に 共通して み
られる ものである。
ネ パール 側 斜面, チベット 型 斜面と もに, そこで みられる 構造 土の 分布 は, 日本 や ヨーロッパでの 構造
土の 分布と 比べても 独特で あり, ヒマラヤの 高山 * の 自然の なりたち, とくに, 気 侯 胃 # 力の 理解の た
めの 重要な 鍵と なる であろう。
最後に, 本 研究 は, 1973 年度 ネ パール ヒマラヤ 氷河 学術 調査 隊 (口 本 S 氷 学会, 水 河 情報 センター) と
1974 年度の 同名の 査隊 (文部省 科学 研究 * 海外 学術 W 査, 研究 代表者 口 敬 二) に 参加して おこなわれた
ものである。 調査に あたって は, W 査隊 のす ベての メンバー それに 地元の 多くの 人々 から 御 援助 をいた だ
いた。 ここに 厚く お礼 を 申し上げる。
注お よび 引用 文献
注 1) ここで は, 9 月 上旬に おける 山腹の 大部分が 積雲に おおわれ ている 下限 を 雪線と した.
2) ヒ ドン' パレーの 年閬を 通した 観測 值 はない ので, 最も 近い ネ パール 気象 局の 測 侯 所, Jomo-
som(2615m) の データー を, 高度 補正して 用いた. (Climatological Record of Nepal, 1970)
3) クンブと ヒ ドンの 両方の データーが ある 1974 年 7 月 • 8 月に ついての 月 平均 最高 気 と, 月 平
均 最低 気温の 差 を 比較した。
4) 東 (1954) によれば, 北海道で は, 積 零が 15cm に 達する と 凍結の 進行 は 止まる.
5) ヒ ドン • パレー は, ネ パールに 厲す るが, 気 侯 • 地形 環 塊が チベット 的と いう 意味で ある.
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(1976 年 1 月 23 日 受理)
一 39 —
地学 雑 85, 3 (1976)
第 8 回国 際 石炭 系 会議 報告
猪 郷久義 * 小池敏 夫
VIIi Internatinal Congress on Carboniferous Stratigraphy and Geology, 1975
Hisayoshi IGO and Toshio KOIKE
昭和 50 年 9 月 3 日から 13 日まで, 第 8 回国 際 石
炭 系 会 » が, モスクワ 大学で 開催され た。 参加者
は) 1^750 名で あつたが, そのうち 約 500 名はソ 速,
250 名 は 23 ケ 国からの 出席者で ある。 日本から は,
离柵良 平, 加 藤 弒の 両氏と * 者ら の 4 名が 参加
した。 会議の 役 貝 は P. P. TIMOFEEV が 議長,
S.V. MEYEN が 事務^長 を 務めた。 会議 は 開会
日と 閉会 日に おける 全体 会 鏃と, 次の ような 分科
会議が 開かれた。
I Stratigraphy and Paleontology
II 1 Paleogeography and Lithology
2 Mineralogy and Geochemistry
HI 1 Coal-bearing formations
2 Tectonics
IV 1 Petrography and Genesis
2 Relation of Coal-, Oil-, and Gas
Formation
V Coal geochemistry
VI Mathematical methods
さ らに期 問 中に 下記の 国際 委貝 会が 開かれた。
括弧 內は 座長 名で ある。
International Committee for Coal Petro-
logy (R. Noel, ベルギー)
International Commission for Microflora
of the Paleozoic (P. ALPERN, フランス)
International Subcommission on Carboni-
ferous Stratigraphy (A. BOUROZ, フラン
ス)
* 筑波尺 学 地球科学 系 Institute of Geo-
science, The University of Tsukuba.
** 横 浜围立 大学 教^学 郎 Institute of Geo-
logy, Yokohama National University.
International Subcommission on Permian
Stratigraphy (P. L. STEPANOV, ソ連)
また Symposium on Conodonts 力 S O. S. VYA-
LOV を 委員長と して 会議 中 連日 行なわれた。 会
鏃の 前後に 行なわれた 巡検 は, モスクワ 盆地, ド
ネッ 盆地一 北コー カサス, 南 ウラル, クズネツク
盆地, 中央アジアと いずれも 魅力 ある コースが 約
10 日 間 にわた つて 組まれて いた。 筆者ら は 南ゥラ
ルと 中央アジアの コースに 参加した。
さて, 講演, 时» 会の 中には 多くの 興味深い テ
一 マが 並んで いたが, 同時に 進行して いる 多くの
会 » で, 聰 くことの できる もの は 少数に とどまつ
た。 筆者ら に 興味 ある 分野での 講演の 中で 特に 重
要な もの を 二三 紹介す る。
A. P. POTAI (ソ連) は Stratigraphic scale
of USSR Carboniferous と 題し, ソ連の 石炭 系
を Ht 括した。 これによ ると (1) 石炭 系 は 従来 ど
うり 上. 中. 下の 三統に 区分す る。 Namurian を
二分し, その 下部 Namurian A を Serpukho-
vian とする。 上部 Namurian の B • C は,
Bashikirian の&底 部に さめる。 Serpukhovian
は Tournaisian, Visean と共に 下 邡 石炭 系と す
る。
Serpukhovian について は, N. E. BRAZHNI-
KOVA らカ s Lower Carboniierous serpukho-
vian Stage in the USSR と 題して Si じた。 こ
の 階 は, 古く 1890 年に S. N. NIKITIN が 提唱し
た 力 S Visean 上部に 対比され ると みなされ たた
め, ほとんど 用いられなかった。 しかし, 第 I,
II 问の 国際 石炭 系 会 « で, その 最上 郎が Namu-
rian A に 対比され た。 今回 Namurian A に 相
当 する 狭義の Serpukhovian の 使用が 提案され
一 40 —
第 8 回 面 RI 石炭 系 会議 報^
163
たわけで ある。 (2) 上 ft 石炭 系 は, 1951 年の 提
案に «s つ いて, Kasirnovian と Gzhelian に 二
分され る。 (3) 石炭 系と デボン 系の 境界 は,
Wockiumeria 搭の i 底, Quasiendothyra ho-
beitusana とその 類似 種の 化石 搭の 基底に 引かれ
る。
E. A. REITLINGER らは, Devonian/Carbo-
niferous boundary in the USSR の 題目で, こ
の 問題 を ま と めた。 Wockiumeria 裕の 基底 は,
« 足 類, 腕 足 類, 有孔虫, サン ゴ, 介 形 虫, コノ
ドント, 植物 微 化石な どの 新しい 要素が もっとも
多く 出現す る。 これ は ドネ ッ 盆地の C*iai, 西ョ
一口 ッノ 、'の Famennian の Fa2d, CONIL(19€4)
の Tnlaor の 基底に 一致す る。 Quasiendothyra
kobeitusana 裕の 基底 は, 有孔虫の 進化に 基づい
ており, ドネ ッの C*ia2 の 基底, Etroeungt(Tn
la め の 基底の やや 下位に 対比され る。 Gotten-
ぉづ £a 得の 基底 も 注目す べきで, 主な 化石の 変
遷が あり, また 多くの 古い 要素が 絶滅す る。 上述
の 三つの 境界のう ち, 国際的に は Gfl/ お w ゴ or 加
寄 の 下 底に 石炭 系 。 デボン 系の 境界 を 引いて いる
が, ソ速 では 新 しい 要素の 出現が 敏 著な U^trWw
nVz 裕の下 底に 引く こと を 提案す る。 ただし,
系の 境界 は 国際的な ものであるので, 今後 各地で
の 検时を 加え, 国際的な 視野で »» して 决 めた
い。 ( 4 ) 石炭 • ニ叠 系の 境界 は Schwagerina
層 準の 下 底に 引く。
RAUSER-CHERNOUSOUA らは Carboniferous/
Permian boundary in USSR の 題目で この 問
«! を » じた。 ソ連で は 今世紀の 半ばまで, 石炭'
二 * 系の 境界 を Schwugerirta 層 準の 上限に 匿い
てきた。 しかし, 現在 は 多くの 研究者 や 公共 機 M
で, Schivagcrina 暦 準に 対比され る Asselian
B の 基底に 境界 を 引いて いる。 この 境はゴ ニァタ
イトの Me talegocerat idae , Paragastriocerati-
dae, Protopopanoceratidae に 厲 する 三 の 出現
Schwagerinidae の 多くの 属の 出現, Pseudofusw
Una の 前進 的な 進化に よ つ て 特微 づけ られ てい
る。 Asselian に は 二 9:紀 の サン ゴ, Kleopatnna,
Protolonsdaleiastrea な ど, Nicklesopora, Cos-
cxnotrypa などの コケ 虫, Restrenteris, Ingela-
rella, Cyrtella などの 腕 足 類が 出現す る。
なお ソ^ O Schwagerina は、 よく 知られて い
るよう に, 北米 やわが 国の 多 く の 研究者の 指す も
のと は 異なり, 球 型で 初 房が 小さく, 内郎 がき わ
めて 密に卷 いた もの をい う。 最下 » 二 叠系 はこの
•&r/rwa が ri/w の 最初の 出現で はなしに, Alpino-
schwagertna や Occidentoschwagertna など 力 *
ら なる 化石 搭 を それと みなして いる。 ぶ か 'no-
schwagerina it わ 力 ミ 因の Pseudoschwa/rerina
morikawai や P. minatoi などで, 力 * つて 猪
や 勘 米 良 ら が » じ た ニ叠系 基底 と 一致す る ことに
なる。 なお 中央アジア などで は, わが国の
bustosch wagertna schellwem 裕を &zibiuzrta;i
の 基底に 匿いて いる。
コノ ドント シンポジウム は モスクワ 大学の
生物 教室で 行われた。 I. S. BARSKOV 氏が 実行
委員と して 精力 的に 世話 をして くれた。 25 名 ほど
のコノ ドント 研究者が 参加した が, その 7 割はソ
連の 研究者で ある。 表はソ 速の カンブリア 系 か
ら三叠 系に わたる 各 時代の コノ ドントの 生 層 序の
研究が 大半 を 占めた。 特に 女性の 研究者が きわめ
て 精力 的な 研究 を 行って いる 点が 注目され た。 そ
の ほか コノ ドントの 古生物 地理 的 分布, 種の 違い
による 垂直 • 水平 的な 住み わけな ど に B8 す る 発
表 '时» が 行われた, この シンポジウムと ¥ff し
て, 実体 に よ る ソ速 各地の 標本の 検时 会が
催された。 きわめて 保存 良好な 各 時代の 標本 を 観
察しながら, ソ 速の 研究者と ドイツの ZIEGLER,
Kozur, アメリカの Lane, Merril, カナダの
Von Bitter, ベルギーの Grouressence, に
筆者ら と»» が 果てしなく, 標本 どうしの 比較 検
討が いかに 重要で あるか を? » おしあった。 シンポ
ジゥム の講滾 のなかで, 主な もの は 次の 通りで あ
る。
G. P. ABAIMOVA et al. " Conodonts and
other fossils of the Middle and Upper Cam-
brian in Malyi Karatau ,', M. P. SNIGIRIOVA
et al. " Lower and Middle Devonian Conodont
Complexes of East Slope of the Urals ,,, L. I.
KONONOVA "Conodonts from the boundary of
Devonian and Carboniferous strata of the
west slope of the Urals ,,, H. R. LANE
' conodont zonation of the North American
一 41 一
秦歸久 翁 • 小 itt 敏夫
Morrowan and its Implication for interna-
lional Correlaiion ", M. V. PjATAKOVA "
New Conodonls from I he Upper Permian and
Lower 1 riassic deposits of Transcaucasus "
南 ウラル 山地: S 核
会 》 抑の 7 BM にわた つて 行われた 南 ゥ ラル 山
地の 巡 (ft は, パシキ リア 地方の 西 山 K (シス • ゥ
ラル) に 分布す る石崁 系, ならびに これに 靈 合に
篁なる とみ られる 上 BE デボ ン系 と 下 SBi: 叠 系の 見
学が 目的であった, <*加 者 は 約 50 名であった, 以
下, BS におって & 学の 内容 を 筒 単に 述べる,
Shakh Tau 山の 二 臺* : Shakh Tau 山はゥ
ファ から 130km Sffi の Stariitamak の Bd«ya
川 右岸に 点 散して 分布す る 小 丘 » の一 つで ある。
ここ は 下 Sfz: 覺 系の ffliffi 灰 岩から « 成され, 上 W
Anelian と Sakmadan が «遍 している。 この
地 は. 《 前に M かれた 万 S 地!! 会議の 巡 》 地で,
C. 0. Dunbar な ど が 参加し, " The type
Permian " の » 文 を 書いた きっかけ となった,
この 》 石灰岩から は 》S な W 足 貝 • サン ゴ, コケ
石灰 藻, 有孔虫, ゴ ユア タイトが 産出す る,
(1) Shakh-Tau 01 の Asset ian の 石 «
i7 に 含まれる ゴ ユア タイ ト
Sikaza 川ぬ いの 下 HE 石炭 系 : Stariitamak か
ら約 50km 束, Makarovo 村 東の Sikaia 川 沿い
では, 下部 石炭 系 Toucnaisian. Visean な らび
に デボン 系の Famennian の g 合一 jj の 石灰岩 か
ら なる 地 S が) できる。 ここで は BS 足 貝 (N.N.
LAPINA による), サン ゴ (D. D. Degtyarev),
有孔虫 (Z. A. SlNlTSYNA, N. E. CHERNY-
SHEVA), 介 形 虫 (N. M.KOCHETKOVA), コノ
ドント (し I. KONONOVA) などに よる 生 層 序が
» 立して おり, 化石 リス 卜 や 写真 を B 示しな が
ら, それぞれの 専!" I 家の があった,
lumeria 帯 は 今回の ソ迪の 石 W 紀 会の ど
5 り 石 K 系の 中に 含められて いた,
Voskreienka 山の 上 BE 石炭 系 : この 山 は Star
liiamak の 約 SO km 北に 位置し, 上 AS 石炭 »
Kasimovian の ひ i * と Gihelian O CH, Cft
* ならびに Awelian の一 ft が 分布す る, Gsbe-
IUn と Awelian, すなわち 石炭 * • ニ叠 * の *
界で 石灰: »の 岩 相 はかなり 変化す るが, 靈 合に 1
なって いる が みられる, しかし, この 地の
Asaelitui はフズ リナが きわめて 少ない,
Asky 川沿いの 中 • 上 » 石炭 * : Stariitamak
から 約 50km 北 来, Solontsy 村, Aiky 川沿い
Autau 山の 南 斜面に 下 «5« 系の 最上 « ならび
に 中 ffi 石炭 系 Bashkitian, Moscovian が 露出す
る. 全 層が » 合で, 一連の 石炭: B からな り, B«-
shkirian の 横 式 地と されて いる。 石廣 S は" «
に 成 層して おり, S«« に ドロ マイ ト) (であった
0, チャートの 団« を ともなう。 ここで も 有孔虫
(Z. A. SINITSYNA に よ る) 腕 足 貝 (N. N.
LAPINA ほか), 介 形 虫 (N. M. KOCHETKOVA),
=■ ノ ドント (R. S. FURDUJ) などが fftt に »f«
されて おり, その リスト を 参 * に 探 集 を 行つ fc«
ここに 分布す る 下部 石炭 系 は, 今回 再定義され 探
用され た S«ipukhovian ほの Ustswbajskjr 屬華
の 一 ft だけで ある。 ここから は Endolkyra bra-
dyi M 1 KH . , Eostaffellina paraprotvac (R AUS . ) ,
Strialifera striata (FlSCH.) など を S する,
Uklykaya 山 の Moicouian : Stulitamak か
ら約 50km 北東, Tashasty 村 Zilim 川 右岸の
Uklykaya 山に は Moscovian の ほとんど 完全な
的 を 示す 大»« が ある, チャートの »■
を 夾む成 《 した 石灰岩で fll 成されて おり, 化石が
きわめて 豊富 で あ る。 G. I. THEODOR(»tlCH
(1935) 以来 多くの 人の 古生物学 的 研究が あるが,
有孔虫が Z. A. SlNlTSYNA ほか, 腕 足 貝が 0.
し. ElNOR ほか, コ ノ ドン トが R. S. FURDUJ
によ り 再検时 されて いる, Mtwcovian の 下位に
は BasWdrian の 石灰岩 もみと めら れる • Mo«co-
vian の 各 履 準 を W 嫩 づける フズ リナ, Aljuto~
vdla, Profusuiinella, Eofusulina, Pstudoita-
ffella, Fusulina, Futulinclta, WtdtMndtllina,
第 8 回 石炔 系会鵰 報告
(2) Ublykaya 山に 分布す る Moscovian
n 大露 《(
? ara-wedehincUllina や K 足 貝 を 含む 石灰岩の »
集が できた,
こ の 巡» は Uldykaya 山麓での 二 B W の キャン
プも あ!), 9 月 上旬で も かなり * かった 力:, きわ
ft て覺 直な 化石, みごとな «a, ソ連 m の 用; t 周
S な 準備に 参加者 一同 感激 した。
中央アジア 》 樓
この 巡1» は 会 « 終了後 9 月 14 日から 10BW にわ
fc り 行われた。 巡 ft の 目的 は (1) 中 9E 天 山 区
Tslawky Alaiau 山地 南西 山 B の 海 成 下 W 石炭
%, (2) 南都 天 山 区 Fergana 南部の Akche-
chek の —沿岸 堆 《 相の 上 8E 石炭 系と 二 昼 *■
ならびに H 地区の Karachatyp 山地の 海 成一 Hfit
中 B~ 上 とニ曼 系の) である。 参加者
は ft60 名であった,
Talassky Alatau 山地 瞎 西 H の 下 ffi 石炭 * :
Cbirokeot の 約 70km M, Duanytau 山: It 斜面
裔 の Tyulkubas RlSfll で, 上 SB Famennian と
みなされ ている Koktereksky 層!!! と 下部 Tour-
Qlisian の San ku laky 觴!^ を, Duanytau の 西
S (りの Koikebiltau 山で, Tcmmaisian から 下
StBashirian にいた る 地層 を 観) B した。 こ の 地
tt© 場 序と 貝 を 研究した 74 歳の O- K. SER-
GUNKOVA が 案内 をして くれた, 全 壞が成 層した
石 BE 岩から なり, 有孔虫, 腕 足 貝. サン ゴの研
究が烊 しくな されて いる。 Koktereksky 觸 ip は
Famennian を 特« づける 化石 を 多産す るが, ィ
ギリスの Klei"oj>ora 帝 や Etroeungt に 知られ
る W 足 貝が 含まれて おり, デボン 系 一石 炭 系の 境
羿を 考える うえに 興 * が あるが, Tournaisiau
下お とみな さ れ てい る 石灰岩からの 大 gft5 の產
出が きわめて 少ない と O ことで ある,
Karatau 山 tfiSffi Afcchechek の 上 ft 石 K 系な
ら びに 下 曼系: Fergena から 160km 西の
Kanibadun 町の 束に 約 30km 付近から 南西に の
びる Kaptarkhan 谷に 分布す る 上 »S 炭 系 Ka-
simovtan と Gsberian, さ らに 整合に 重なる ニ叠
系 Awelian を 観察した。 Kaiimovian の 位に
は 上 《 デボン 系が 傾斜 不 M で 接する * Kwimo-
vian は 主として 》 岩, 砂岩, S 岩から なる, 化
石 はと ぼしい が, 淡水 性 二枚貝, 植 *5 化石が 見つ
かってい る。 この 谷の 4 — 5km 束で S 出す るフ
ズ リナに より 時代が 決定され ている。 Kasimo'
vian に » 合に 畫 なる Gzherian は 砂岩, 頁 S,
賺岩を 主と する が, 数 層 準に 薄い 石灰 豪
を夾 む, この Hf の 下 底 は R"gosofusulin(t slabi-
lis longa Bensh や R. procera BENSH を 含む
砂岩の 基底に き I かれて いる, 多くの Wft 化石 を 含
む 頁岩が 3 — 4 層 準 ほどみ とめられる, 石炭 系と
二 璺# の 境界 は, Rugosofusuiina compiicata
(SCHELW) , Quasifusulina longissima (MOEL-
LER) など 含む 石灰岩 を夾む 砂岩の 下 底に 便宜 的
に 引かれて いる, 二 S 系 は 砂岩 を 主体と する。 種
物 化石が 比 » 的 上 86 の 頁岩 か ら 採集で き た。
(3) Kaptarkhan 谷に 露出す る 上 ffl 石 ほ 系
Kasimovian の赚ぉ (C) と « 斜^ 8
合で 重なる S 成 上 IBrj 亜 系 (K)
Alaisky 山地 山 SB Karachatypr 丘陵に 分布す
る 上部 石炭 系なら びに 二 S 系: Fergana の 南東
30km, Kyzylkiya 町の 北側に 広がる Karachatypr
丘陵に 分布す る, 上部 Bashkiriaii から AsselUn
にいた る 陸 成 —海 成層を 見学した。 この 地域なら
びに 前述の Karatau 山で は, 有孔虫の 研究者で
ある F, R. BENSH や Z. S. RUMYANTSEVA
らが 案内 をして くれた。 Bashkirian は その一 JJ
» 駕久藝 ■
小 ft 敏夫
(4) Karachatyr の 石 K 系 (C) と 二
S 系 (P)
が 分布す るの みで あるが, 厚さ 900m 以上 あり,
砂岩, 頁岩から なる。 下郎に K 逮 する 石灰岩から
PseudostafftUa, Profusutmella な ど が 產 出す
る, 下部 Moskovian は 削 « をう けて 欠 除して い
る. 上 SB Moskovian は 》 お, 砂岩, 頁岩から な
り 1200m 以上の 厚さに のぼる, 全体 的に 化石 は
きわめて とぼしい が, » い 石灰お 眉から フズリ
ナ, B 足 貝, 二 ft 貝が S 出す る. KMhmovian と
Giherian は 》 岩, を 主と する が, 前# に は
囊» がかな!) 夾 まれる, 化石 は胄 # と fet, 砂
岩, 石 R 岩の 14- ほ 層 準から 產 出して いる, 有孔
石 RJfc Hfi 貝, ゴ ユア タイト, 植 《ft« が
K 集で きた • ニ覺 系の As«li>n は 》 岩, gg,
石灰岩から な!), 上 《 で 石 R 岩が 優 »に なる。 石
炭 系と ニ曼 系の H 界は AJpinoschv.-agerina や
Occideatoschuagerina の 出現 を もって 引かれて
いるが, その 境界 付近 を ほしく 親 S し, » 本 18 集
がで きた。
この 巡 ft でも 多くの ソ * の 研究 * や Sfe « され
t 同時 aiiR の 案内の もとに, H 本で は みられない
s 成 層 を 含む石 炭 * を a 学で き, きわめて 有意 »
であった。 これら ソ連 « の uses 者に 心から « 謝の
SSrS したい, (1976^1fl23PSa)
書評と 》 介
SH-H : 被 子 の IB» 1975, 400p, 164
B. 口絵 4p, 11 表, 三省 S
« 質 時代の 生物の 3H ない し は 生 化の
を 知 り 得る 手 だて は, 化石の 仔 « な 研究に たよる
ほか, 他の W らの 方法 もない. 地球が 創 生して か
ら S 在に 至 るまでの 畏ぃ時 IH に どの よ う に 生 ft が
誕生し, また それが どのように X» ないし it 化し
て 来 たかは, « しも 非常に 》 味 ffl く おもわれる こ
t である, 現在, 地 at 上に みられる 動 • 植物界 は
すべて a* の 地 からの 逮産 であり, それ は
また 朱 来への? 6 展の一 こまに しかす ぎない ものと
云えよう。 現在の 地球上の 被子植物の もろもろの
Wt も 地質時代から 現在までの M に, 理由が あつ
てなる ベく してな つたわけ である,
著者 は 核 物 化石の 研究, 特に 古 植物の 研究に 30
年 以上に !:り 従事し, ことに 大理の 古生代の 資料
S; も 含めて 多数の »文を&* して 来て いるが, こ
の —被子植物の SiT と) B する 《E は, 著者
S 身 feit ベて おられる ように, これまでの SF^tt
* を 一つに まとめ あげた ものと 云え, 浸存 する 被
子植 fe の 祖先 を 化石 をと おして 探究す S と共に,
S 化 iiS で 作用した と考えられる 因 や 被子植
ft の 進 化の ほ 向性な ど を も 》 及して いる, E みに
本會は 「植! ft の J1 化生 «!1 学」 と B した series の
第 H# にあた る ものである。
本鲁の « 成 は, 序 車 に まつわる 請两 題,
第 1 章 • 被子植物と は 坷 か, 第 2 章 • 単元 か 多元
か, 第 3 章' 古生代 末にお ける 菜 形 変化と その 意
* 一 Hi 秦の 出現, 第 4 車 • 》ff 束 植物の S 化ーシ
ゲ り 裸子植物 をへ て 被子植物へ, 第 5章'
古 《ft の 変 S と 分布の 変 S. 第 6 章, 彼 子 植物の
tti 現の 時代と 地 SE. 第 7 家 • 被 子 ffift のお 源, 第
8聿_»進 化 S と 生 &8 滞お となって いて, これ
にあと がきが お記して ある。
序章て-は, 被 子 tt 物が 白亜 *£ 中期に は 全世界 的
に ほぼ K 時に 出現し. しかも そのな かに 現在の 被
子 植物の 代表的な 《Wfc 含まれる 地 史的 事実 を あ
if. 被 子《 物が 地 SS 時代の いつ, どこで, いかな
る樯 《) か ら 由来 した かな ど の 彼 子 核 物の ぉ« に 関
する の 《:* を a ベて いる, *i 車で は, 植
物の it 化の «*v, すなわち 最初の » 上植 fc として
出現した の はシダ 植物で, ついで IW* 的な 種子 椎
ft が 形成され, 生 M 方法が 改善され つつ, 最後に
胚珠が 心 皮で 保瘦 された 彼子植 《) が 出現す るに 5
つたこと を し, it 化の Mil から 被子植物と は
生 f» 器官が 被 子 的 S:W に 逢した もの と 定義して い
る, 第 2 章で は 被子植物のお jK に M する »K を述
ベる と共に, 系絲分 蒙に あたって は S.
S 官を 同等に Hffi すべき だと 主 « する, 第 3 拿で
は 植物の « 化に « 則 性 を B め, 中 H 山 西 省の 太
K 炭田 B の Enpia'lopwris * の it 化 を はじめ,
Taeniopteris ; R, Tingio 系, Lobatannutaria
系, 禊 葉 系の 進化 を 》 及して いる, そして 地
代の は 植物の 生長に 対して 》 いほ う に定ぉ 的
に 変化し, それに 伴って 植物の 生長 は S 滞した と
考え, 生長 SWR (GR St) を提 《 している, 第
4 章で は II 贅束 植物の 分 S の MlttSrJB 介す る と 共
に, 著者に よる *8 管 束 《W の 分 《 体系 を 示す, す
なわち 小禁 系, 大禁 系, 有 節 系の 系列と, 各 系列
ごとの 進化 段 ほと みなされる シダ 植物, «T 核
m, 被子植物との 組み合わせ による 分 » を提 《b し
単元 的に 考えた 従来の 分 鎖, 二 元と 考える 分 «•
著者の 三 元 と 舞える 分 « と roffl 互 比 tt を 提示 し,
さらに 小 葉 》iS 行 群, 有 ffi 系 退行 》, 大藥系 邁 行
», 小 葉 系 向上 《, 有 * 系 向上 《, 大葉系 向上 》
についての 與昧 ある それぞれの 特性 を !¥ 述し てい
る „ 第 5 聿 では, 棺 物の 生長 を 抑制す るよう に定
向 的に! K 化した 古 « 候が, 定向 進化 • 平行 « 化の
照 因で ある ことな どや, 古 気 S の 変 a と植 ft 区と
の 年 « 差渐 « の 古 気 «i に ついて 述べて い
る, 第 6 章で は, 初期の 被子植物 や 中生代に みら
れる 被子植物 颥 似の 核 物の 特 》, 初期 被子植物の
出現に M する 》 争, 被 子 《 [物 出現の 時代と その 地
« などに ふれて いる, 第 7* は, 双子 * 植物の 標
準 的な 形 ffi や 単葉の 彭成, すなわち 羽 状 脈 菜, ャ
シ! S 禁, タケ ま 葉の それぞれの 形成に ついて 述
ベ, その W を あげてい る。 第 8* では, 進 化に BB
する 雜 説と 著者の 捉 頃 する 生長 SifSi (GRK)
と を IfiE して, まとめと している。
以上 は 各せ の 紹介で あるが, 本書に 含まれる 内
容は 豊富で, 多方面に 亘 つてい る, 著者が 30 年以
168
上:; の 道 ひとすじに «究 してき fc, いわば 汗の 結
晶と fc 云うべき もの を 本書に 充分お り こんでいる
ので, 者と しての 著 S の 面目 の B
所に よく? e 揮され ている •
本 害の 内容 の 特色 を な りに まとめて みる
と, 1) 古生代 後期の 植 《5 の aa から, 植》 は ど
のように 変わる か を awt との から 知り, それ
を 生長 »» の » 則 (GR の 原則) とし たこと, 2)
GR の 原則 は, 古生代, 中生代, 新生代の 植物に
も あてはまる こと, 3) GR のほ则 が, すべての
地質時代の 植» の にあて はまる こと は, in*
が 地 K 時代 を 通じて » 化した こ と を 意味す る こ
と, 4) この 環 «の》 化 は, の 《大 する 古
«fc の! M と 仮定され る: t, 5) 年 *81 の漸 JO
する 古« 侯の 変 a を 仮定す ると, 生物の it 化が つ
ごうよく できそう である こと, 6) » 物の S
» を 三 元 ('!^ 系, 大業 系, 有 節 系) と * え, こ
の 三 系列の 植物 は, 平行 的に シダ摧 «9, » 子植
m. 被 子 ffi 物へ と ii 化した と si えられる こと, な
どが' あ 〖すられる,
内容 は, 極めて ユエ ークな ものであるが, さら
に 書の ffitt を 高めて いるもの は, 164 に 及ぶ 図,
4 頁に S る カラー 写 良 多 SR の 表で ある。 写真 も
a もよ く "4 味され, ことに 写真版が 多い ので, 古
生 代の 植物 を 知りたい 研究 «• にと つて 大変 有益で
あり, 丁寧な 図 は 理解 を一 層 深めて 有難い, 卷末
に あげられた 文 《も 多ぐ 本 嘗は単 的に 云って デ
ータが 豊かで ある,
本 會の通 書 者の si 裡に 《 つたことの 一つ
IJ, 本書の あとがき にも 15 されて あるよ 5 に, 中
国 山 西 省 太 原の 炭田 地 城の 古生界 S の 化石 植物に
箸 者が 着実な 観察 を 行って こられた ことが, *#
にと つて 非常に 幸いした ことで あつ ft ろうと 思わ
れ る;: とで あり, H 者 fc 機会が あれば, 地
の 影響の 少ない ら しい 太 ® の 炭田 an* を一 度肪ね
てみたい とさえ 思われた ことで ある。 古 植物 &主
とする 進化に BB する このた ぐいの 著述 はこれ まで
植 めて: £ し いこと にかん がみ, 本 害 をと おして,
植物: 18 化に 関 し 示 * される こと 大 である。
(前 田 四郎)
M 巧: 九 M 古 第三 £ 層の 層 序 (ftdti
fi«» 地学 会, P. 261, Fig. 4S, T*
錄 P- 6.
ft • H« 九 W» 炭田に 》迪 する 古 第三 «
曰 本の 古 第三 系の fl (^の ひ おつであって,
の *A を 研究す るう えに 欠かす ことが で S
層で ある, 北, 西 8E 九州 It 炭田 は ほ B 麵 S
性から w 抬 中頃よ り 炭田] fe«»】 に
きたが, これら 8 炭田 Srtt 括して 古 第三 51
mh • 古生物^) に 体系化し たのが 長 «
(1891— 19«) である。 博士 はみ ずから 全 {1
まなく II 査 して 地層 対比 を 行ない, それ ま
が 行なった 烊細 では ある 力 《 片 的な BBtt
て, 全 *w な iw の もとに, 北' 西 aiA*
分 ft する 第 HfcJBtlt —レ これに 鵰; W
的 位置づけ を 行なった, この »大 な
)( [北 帝国 大学 地質学 科 在学 中 から フラン
(1927) までの 約 10 年 (B, すなわち W 士の S
の 初 JH になされ たもので あって, 研^ W
は 年 3 月 (1926) より 昭和 3 年 6 月 (19»
* 京地 学 (6 会の 地学 *S (第 38~40^ f
472^) に 23 回に わたって された • H
立した 古 第三 系の 層 序 体系 は, 基本的に 3
る ことなく, 九州の みならず B 本の 三
HI として 《 用 している.
本 * は, 長崎県 地 学会の 創立 は ss^tej
ひとつと して 刊行され fc*fi£«WJK であ ミ
本 » 文が 地学 雑 S の あちこちに 分 « され 1
» に, 研究者 は 輪 文の » 照に 不便 を « じた
あるが, 集成 饭の 出現に よってき わめて 0
つたの は 有難い,
本書の 内容 は C9 々の 地層の 記載 と 岩 相 ま
Si, 貝 化石 得の K 定, 古地 理学 的 ** か E
溝 成 は 南の 炭 B から 北の 炭田へ 順に
B について 地層の 紀« を 行なった のち, v
の 炭田 & まと めて (8 括す る と いった 形 SW
ている, さらに ftW 車に おいて, 全 «田《
行ない, 古 flfeS 的, JftA 的考 S! を 行なう,
ち, 本會は 7 章から 構成され, 第 1 章 ?
及 宇士半 ft, 第 2 章 三池崁 田, 第 3 車
田, 第 4 章 崎 戸 及 松 島 炭田, 第 5 章 雕
及 ft 世 保 KB, 第 6 章 福岡県 内 《 炭 EB,
»7 傘 » 括と なって いる, このような 炭田の 南
から 北への 記述 IKff は, 当時の 海 》 が Si から 北へ
行なわれ, 《*:fc* へより 新しい 地層 a: 形成され
ていった と無緣 ではない • 各章 は 層 S または
* 層 m 位で 》 に まとめら 札 *■ と s 出 化石, m
,の E« がな されて いるが, その 記載 は にし
て 的確で あり, 相の 特微を あます ところ
なく 表現 レて いるので, の^1 も すれば 冗慢
になり がちな *JPK«E になれ た R に は, かえって
新» にう つる。 また 考 » における はき わめて
実 SE 的で あ!) かつ 編理 的であって, 無 «: がない。
ト- だ. amnsw の な 定義が なされて ない の
は. 当時の 屠 厳窗 度から まして, やむ を 得
なかった もの t 思われる,
各 * の K 載と 考 g は. つねに 他の 炭田との 比
において すすめられ てお!), きわて » 理的 であり
つ 博士 の 思考の 3ES が しのばれる Rife もあって
IW» い * しかし, なによ 5 も 圧# なの は 第 7 聿
ott 括であって, ここに は, 北, 西 W 九州お よび
t の 周辺 地域の 第三 K 地史 に BB する 博士の 考えが
)| 約され ている。 同聿第 I 節に は全崁 B の鹰 f**f
ia (が あるが, これ こそ 本書の 眼目であって, 地
お を 編み, 古 地理 を 復啄 する 基 « となった ばかり
でな く, 炭田 開《 の ««• ともなった 表で ある。 実
ほ, 本睿に はもう ひとつの 雇 序 対比 表が ある。 そ
れは本 害の si 首に ある, こ の 対比 表 は «; 括
o» 比 表に tt« してき わめて 整然とし ており, 下
»は》 成 暦, 中 85 は夾炭 屠, 上部 は 海 成 層と いつ
ft: ように, 今から みると 時代が S なった 同 層相 を
3 —層 準に 並列す ると いう 嶼》 をお かしてい る,
おそらく, この 对比表 こそが, (»±が浙 究 にたず
さわった 当初の 常 » であった ので はなかろう か。
(比 表 を 比 K するとき, 両者 M の歷然 たる R 的
な 差に, 博士の なみなみならぬ 努力の あとと, 対
It の Sip の 発见を K みとる ことができよう。 それ
まで, 地層 対比 は 恐らく 炭 8 と岩 相の 類似に よつ
ての み 行なわれて きたに ちがいない が, ((士 の 連
出 貝 ft^E のお IB な検时 に もとづく 1W 匕 石裕の R 定
と » 比への 導 人に よって はじめて は 括に 示される
対比が 可 HE となった ので ある, この W 比 は その後,
松下久 道 博士 ひ9«) によって された と
はいえ, 大 5! において * 更 されて いない。
つづいて 第 2 節 は 》 比の 基!? と なった lOfW 裕
について, その 分布, S 状 を E 述し, 各 寄の 時代
考征を 行なって いる。 この 節 は 博士の 束 北 帝 B 大
学 ifig の 第 9 卷 3* (1928) と 第 号 (1928)
の Palaeogene Fossils of the Island oi Kiyu-
»hu, Japan の S 約と もい うべき お 分で ある, 第
3 節に は, このよう にして » なした 鹰序と 化石 帯
にもとづいて 北西お 九州の 古地 理を考 まし, 古 第
三 ft 層 は 南から 北への 3 回に わたる 海進 と 海; ifi に
よって 形成され たこと, 当時の B« は 九州の 北方
に 存在した こと, 当時の 北西 部 九州 は 1 つの 大き
な 《8IS 地で あ 9 , 現在み る 古 第三 《8 の 分散 は,
の 断觸地 動 と 削 M 作用に 由来す る こ と
を 指 適する, この 結 》 は, 以降の 北西 ffi 九州の 研
壳饗に 大きな 影簪を 与えて きた • 第 4 節で は, 第
三 紀廢 堆積 S の 地史が tttt 销造 S 的 立場から 展開
される が, これ はむしろ 第 3 節の 裏付けと いった
« じがし ないでも ない, 两 節に 記述され た 古!^
および 地史に BB して は, その後 今日に 至る まで ro
おびただしい データの 追加と, «81* 的 • 岩石学
的, 古生物学 的, 海洋 地質学 的な 研究の 結果から
みて, 博士の 結» がすべ て 当 を 得て いたと はいい
がたい。 しかし, 約 50 年 前にす でに;: のよう な 卓
抜した 考 S が 行なわれた ことに 対して, ただ 驚 具
を IS ずるの みで ある,
と まれ 本 魯は北 都 九州の みな らず B 本の 古 第三
系の 研究者に とって, 一度 は 必ず ひもとくべき S
文で あると ともに, 古色蒼然たる 大きな S 字 を 3
じて じかに 先人の 偉大な 精神と S 績に 接し, 層 序
学の 方法 》 を 学びと る * 味で fc, 若い 研究者に 是
非 一R をす すめたい »文 である。
最後に, このような 名著 を 《fS 復刘 されて 新ら
しく 世に だされた 長崎県 地学 会の 刊行 B1 係 各位の
力に 対して, われわれ は «)» すべきで あろ
う, (井上 英ニ)
tt 会記亊
須田 U 次会 A の l»i 去 を t« みて
Bfi 和 51 年 2 月 19 日 午後 8 時, 須田皖 次会 良が 街
逝去に なった, 行年 83S,
先生 は 明 》25 年 5 月 1 Bfffffi 県勢 * 郡^ * 村で
大正 6 年 3 月 東京 « 等 ェ » 学校 ェ SMS 員 養
成 9i 亀 X 科 を 卒業, 直ちに 通信 省 《 気^ 技 に
St 職され たが, 翌 7 年 9 月に は iB 職され, 束 北 帝
H 大学 理学 《M*ia^ に 入学, ここで 先生の 将来
定 付けた M 田武松 先生の JMI を S けられた,
大正 io¥ 3 月 卒業と 岡 時に 神 戸 海洋 気 <6 台 S で
あった 岡 田武松 先生の 受けて 神 戸に 赴任
し, 海洋学 S としての 第一歩 を による 大阪
S の 海 で I* み 出された, 昭和 7 年 fSW にお
任される までの W1 は 研究室に こ fc る ことなく, 常
に 海? の 第一 核で 活躍され たが, 大正 1阵3
月から 約 1 ケ年 8 ヶ月 (« 英国 + ノルウェー. 米国
に 学ばれ, これらの 国々 では 海洋学が 国民の 中に
极 付いている こと を され, S 本の 実情と tt«
して 「なにが 日本 は 海国な もんか」 と 慨嘆され て
いる, この 神 戸 時代に は 多くの 観 M 報告 を 「海洋
時 «」 「海と 空」 に? e 表されて いるが, 「科学」
「地理」 「天気と 気 RJ 等に も * くの 啓 豪 的な 》
文, W* を 掲載され ている。 また 曰 Si 孝 次 氏との
ffl 合い もこの 神 戸 時代の 外遊 W 国 後で あり, 先生
の 新しい は 日 B 氏に 大き な 響 を 与えて い
昭和 7 年 12 月 褐 岡に 赴任され ると, 海洋 概 溯の
» 会 はなくな つたが, それまでの を もとに 著
a に從 車され, 昭和 8 年 11 月 名著 「海洋科学」 を
古今 書院から 刊行され た。 この 著 香 は 岡 田 武松先
生から 「実地 家の に 立つ S な 海洋学 書 を 書いて
は」 と すすめられ, 「中 s 教育の 数学, 物理の 素
» ある 方に は!! にで も 理解し 得る やう 率 明 を 旨と
した」 ものであって 宾 RS に 海洋 観 88 に 従事す る も
の, あるいは 海洋学 & 志す t のの よき 伴侶と して
多くの 者に 利用され た。 また 昭和 13 年 9 月から 翌
W 年 4 月に かけて 北支 を 歩かれた ときの を 維
ss r 地理」 に 連 « され, 9 月に はこれ を 集めて 古
今會院 から 「洋 車」 を 出 钣 された が, 地理学 的に
も 興味 ある 印 *IE である。
BBS121 年 3 月 区 気 《 台 St 最後に ほ 官さ
れ たが, 同年 10 月に は 第 27 代の 水 is« 長に a えら
れた, 水 18«は 明治 4 年 創業 以) );敗« まで は » 單
に 所 j« していた が, 航海 者の ifeit としての 使命 を
果たし, 民 M の 要望に t こたえて, さ らに » 洋
学, 地球物理学, 天文学な どの 学問の 分 》 にも 大
きく 貢献して おり, その 平和的な 使 *Sr 引 统き行
うため に 解体と 共に S 幢 S に 移管され,
軍人に 代って これ を 指導して 行く 人 を « していた
ところであった, g 田 ffig は 水 の 技) が 「創
* 当時の 方法 守して, たいして 生成 》 展を遂
げ 得ない」 の は 「水路 *W に 研究 《 査が ともなわ
なかった」 ためで あると 断 じ, » に 昭和 25^ 3 月
から 6 ヶ月に 亘 つて 米国に 出張し, « 後の 水 BM
* や 海洋 観測が 音波 や Ekctronica を 応 用して 飛
» 的な 進歩 を とげて いる 実情 を 見て, ますます «f
究 《 査の £'要 を « じ, 人材 を 集めて 海洋 研究室 6
つくり, 米 S 水路 fK への S 学の 道 を ひらき, 多く
の 国際 観 脚に 参加 させるな ど して Sg 歩した 科学 ft
tS の 導入 を 行ない, 水 (8 業 》 の 技術面に おける it
歩 8 展 に賈献 された。
昭和 34 年 3 月 W 年 M の BBS を 辞され, 民間で 水
(8»1 量 会社 をお こされ, わが国に おける その it の
先 K 者 とな!), 昭和 37 年 東海 大学に 海洋学 部が 素
S される や 初代 学 BEgt して 招 》 さん 4¥M 学
SHE 展 のために 尽力され, その後 も 教授と して 多
171
くの 学生から 慈父の ごと く 慕れ て おられた。 たので あるが, ここに 幽明 塊 を 異にする ことと な
また 36* は昭 »28 年から 昭 »40¥ まで 12 年 問 本 り, まことに 残念と いう 外 はなく, 心から の
» 会の ff 議員と して, わが » 会の 発展に 尽力され 御 冥 18 をお 祈りす る 次第で ある。 (川上 宴 代 四〉
— 49 —
172
tt 会 記事
将来 検 It 委員会 (第 1 回 • 昭和 51 年 5 月 1 日)
1. 出席者: 坪 井 会長, 岩 生, 尾 崎, 片山, 斉
藤, 末 野, 西 川, 保 柳, 森 本, 矢 沢 委員
2. 会長 挨拶の あと 委員長 を 互選の 結果 末 野悌六
委員が 委員長に 選出され た。
3. 厳 事:
差 当 り 当 協会の 財政問題が 議 翁の 対象 となり,
会館 改築 等に ついて 神 山, 斉藤 委員で 下調べ を
する ことにな つた。 なお 委員会の 名称 を 「将来
検討委員会」 とする こと を 申し 合せた。
mat 会 (昭和 si 年 5 月 22 日)
石油 健保 会館に おいて 「国土 情報の 整備に つ
いて」 講師 高 崎 正義 君の 講演が あった。 参加者
51 名
通常 «会 (昭和 度 第 97 回, 昭和 51 年 5 月 22 日)
於, 石油 健保^!
出席者: 坪 井 会長 ほか 236 名 (委任状に よる
もの 203 名)
議 事:
1. 昭 »50^度»« 報告お よび 会計 収支 決算に つ
いて 質航劣 の 上 これ を 承 » した。
2. 昭 fn51 年度 計 面と して 麟離 の 発行,
地学 講演会 開催, 地^ «|| などの 行事 を ほぼ 前
年度の で 実施す る ことと し 会計 収支 予算案
通り 承 » した。
3. 正会員 費 を 2,500 円に 改変す る こと を 可決し
J^mQ
将来 検 tt» 員 会 (第 2 回, 昭 fn51 年 5 月 26 日)
出席者: 末 野 委員長, 岩 生, 片山, 神 山, 川
上, 斉藤, 保 柳, 森 本の 各 委員
SI 事:
1. ff^fHBC 上げの 件と^ ffi 改築 ««« 査結
果の 報告が あった。
編集 委員会 (昭 ?P51 年 5 月 28 日)
出席者: 矢 沢 委員長, 安斎, 井上, 川上, 神
戸, & »( 久), 式, 課肪, 前 島の 各 委員
鏃 事:
1. 地学 雑 S 第 85 卷第 4 号 以降の 編集に つい
て 審議した。
昭和 50 年度 (第 97 回) 収支 針算書
昭和 月 1 日から 昭和 51 年 3 月 31 日まで
昭和 51 年 5 月 22 日 通常 総会
貧 僚 対 II 表
昭和 51 年 3 月 31 日 現在
借
方
贷
方
摘
要
金 額
摘
要
金 額
固定 资産
円
基 金
円
土 地
建 物
9,001,265
基
金
3,500,000
機 械 設備 什器 備品
2,624,497
運用 资金
図
鲁
706,113
会館 敷
金
6,640,000
有 価
証 券
200,000
預 り
金
2,487,755
流動資産
退職 給与 積
立 金
2,005,350
預金 及
現 金
10,292,102
未 払
金
50,000
現 金
16, 205 円
積立金
預 金
10,275,897 円
敷金 返還 準
備 金
6,273,623
受託 頒布
図 害 在 高
239,502
事業 復興
资 金
265,209
一 50 一
178
ait
W\ m 9
立 金
1, 600,000
剰余金
241,542
み 牛 小疋 ffi
460,348 円
前年 ft»J 余 金
701, 890 円
合
計
23,063,479
計
23,063,479
財 盧
目 錄
昭和 51 年 3 月 31 日 現在
科
百
前年度 末 残高 50 年度 末 残高
比較 墙 M«l
固 定
资 産
計
12,531,875
12,531,875
9K 動
資
盧
現
金
23,380
16,205
A
7,
,175
預
金
9,842,623
10,275,897
433,
,274
普
通 預
金
3,208,666
3,007,124
厶
201,
,542
第
一 勸業 銀行
2,966,681
2,859,129
厶
107,
,552
菱 银
行
241,985
147,995
A
93,
,990
定
期 預
金
1,218,953
1,337,795
118,
,842
第
ー勸業 銀行
1,218,953
1,337,796
118,
,842
貸
付 侰
託
5,040,000
5,640,000
600,
,000
住
友 侰
託
2,600,000
2,900,000
300,
,000
安
田 信
託
2,440,000
2,740,000
300,
,000
金
餞 侰
託
249,173
277,994
28,
,821
住
友 侰
託
132,323
139,009
6,
,686
安
田 信
託
116,850
138,985
22,
,135
振
替 預
金
125,831
12,984
厶
112,
,847
受託 通 布 図書 在 高
116,450
239,502
113,
,052
流 動
资 産
計
9,982,453
10,531,604
549,
,151
资産合
針
22,514,328
23,063,479
549,
151
负債 合計
10,173,606
11,183,105
,009.499
差 引 正味 资産
12,340,722
11,880,374
厶 460,348
円
円
円
9,001,265
2,624,497
706,113
200,000
9,001,265
2,624,497
706,113
200,000
円
6,640,000
2,005,350
871,165
657,091
円
6,640,000
2,005,350
2,487,755
50,000
円
厶
,616,590
607.091
0
の
資
定
資
物品 書 券
建備 脏
地 器 a
土 什 図 有
0
金 金 金 金
敷 積
与り 払
の 館 給
債 職
会 退預未
一 51 一
174
BB 和 60 年度 (K97 回) 《1 支 針算書
昭和 50 年 4 月 1 日から B 和 51 年 3 月 31 日まで
科
百
予算 額
決算 額
備
J& 人の IE
円
暴 4
円
暴 '
ひ) 会3^ 収人
780,000
884,000 |
1
正 会 s
729,000
826,000
夢 助 会員
"J *H
51,000
58,000 '
(2) 甚本 財産 収入
、"ノ <X> 严為 I3£m Z 〜
9,974,000
10,035,589 ,
基本 財彦 利子
455,000
513,671
会 IB 収人
9,519,000
9,521,918
常時: ^ 室料
8,555,000
8,550,528
K 時 ft 室枓
1,
750,000
751,790
管理 共通 费 収入
19,000
219,600
(3) 邇 用 財産 収ス
120.000
169,073
利子 収入
120,000
169,073
(め 印 剔 物収 人
\ 墨, ■ 暴, V ' 、
6,822,000
7,140,749 1
地学 雑 法収人
1.050.000
1,124,190 j
受託 頒布 図 害 収入
5,772,000
6,016,559 ;
(5) 雑 収 入
28,000
150,000
広告料 収入
18,000
0
雑 入
10,000
150,000
収入 合計
18,379,411
当期 不越金
460,348
合 計
18,839,759 1
前年度 緣越 剰余金
701,890
241,542 1
18,425,890
19,081,301
科 目 i 予算 額 決算 額
ン : I
円
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
,000
0
,000
,000
,000
,000
,890
890
9,
3,
o
3
9
4
3
3
tT25
,339
,851
,073
50
364
,385
173
300
27
190
296
43
327
299
,367
221
198
,114
,840
733
,805
301
,877
50
18
31
17
31
29
214
53
円
,438
,459
(376
,399
,000
,684
,979
,348
,440
940
100
(600
,910
,357
^354
,030
,340
0
,560
,321
,200
,345
,180
,675
,471
,070
,550
520
0
,785
,510
,720
,265
;m
0
18,839,759
241,542
合
計
18,425,
差 引 剰余金
支出の
(1) 事
人
務
件
給 給
手
费
当
金
利 厚生 *
務所 *
耗品費
»1 費
災 保険料
m 費
務 費
費 交通費
倌 運搬費
道 光熱費
说 么 跌
K 費
品 費
(2) 事 m *
地学 雑誌 出版費
編集 費
印 别 製本 費
発送 費
受託 頒布 図書 事業 費
図 害 室 費
図 害 整偏费
図書 購入 費
地学 振興 费
伊 き 敏 記念出版 費
講演会 費
謂査 研究 *
地学 功労者 表彰 *
地学 クラブ 費
(3) 予 備 *
9,114
5,924
3,609
1,885
40
390
3,190
200
150
30
150
50
260
270
1,310
240
100
150
9,225
4,515
806
3,355
355
4,060
200
100
100
100
100
100
50
100
86
棒 » 謝搞 ,消印 火 修役旅 通 水 租会備 雑
174
BBftSO 年度 (K97 回) 《1 支 If 算書
昭 ft5(WM 月 1 日から B»51 年 3 月 31 日まで
科 目
予算 親
決算 銕
備
収入の 部
円
円
(1) 会 * 収
入
780,000
884,000
正 会
員
729,000
826,000
赞助会
員
51,000
58,000
(2) 基本 財産 収
入
9,974,000
10,035,589
基本 財産 利
子
455,000
513,671
会館 収
入
9,519,000
9,521,918
常時 贷室
料
8,555,000
8,550,528
» 時贷室
料
750,000
751,790
管理 共通 * 収入
19,000
219,600
(3) 運用 財産 収入
120,000
169,073
利子 収
入
120,000
169,073
(4) 印 M 物収
入
6,822,000
7,140,749
地学 雑 S 収入
1,050,000
1,124,190
受託 頒布 図書 収入
5,772,000
6,016,559
(5) 雑 収
A
28,000
150,000
広告料 収
入
18,000
0
雑
入
10,000
150,000
収入 合
3 ト
18,379,411
当期 不越
金
460,348
合 計
18,839,759
前年度 級 越 剰余金
701,890
1
241,542
合 計
18,425,890
19,081,301 j
科
予算 親
決算 額
支出の
(1) 事
人
俸
謝
事
消
印
火
修
役
旅
通
水
租
会
備
雑
(2) 事
部
務 費
件 费
あ お Vi
手 当
金
利 厚生 *
務所 *
耗品費
刷 費
災 保険料
m 費
務 費
費 交通費
信 運搬費
道 光熱費
税 ム ifll
K 費
品 費
業 費
地学 雑誌 出版費
編集 費
印 刷 製本 費
発送 *
受託 頒布 図書お 費
図書室 費
図書 整 偏 費
図書 購入 費
地学 振興 費
晚£ 敏 記念出版 費
講演会 費
調査 研究費
地学 功労者 表彰 *
地学 クラブ 費
(3) 予 備 *
合
計
9,114
5,924
3,609
1,885
40
390
3,190
200
150
30
150
280
50
260
270
1,310
240
100
150
9,225
4,515
805
3,355
355
4,060
200
100
100
100
100
100
50
100
86
18,425
円
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
000
0
000
000
000
890
890
円
9,725,438
6,339,459
3,851,376
2,073,399
50,000
364,684
3,385,979
173,348
300,440
27,940
130,100
296,600
43,910
327,357
299,354
1,367,030
221,340
0
198,560
9,114,321
4,840,200
733,345
3,805,180
301,675
3,877,471
50,070
18,550
31,520
0
17,785
31,510
29,720
214,265
53,300
0
18,839,759
差 引 剰余金
241,542
一 53 一
176
剰余金 » 分
本 年 度 収入 高
18
,379,411 円
同 支出 高
18
,839,759 円
差 引 不足 金
厶
460,348 円
前年度 腿 剰余金
701, 890 円
当期 未処^ « 余 金
241, 542 円
J
♦
剰余金 処分
昭 »50^ 度 収支 差 引 未 《L 分
剰余金 241,542 円
これ を 次の 通り 処分す る。
翌年 度 (昭 »51 年度)^ IfeB 241, 542 円
昭和 51 年度 (第 98 回) 《1 支 If 算書
社団法人
東京 地学 協会
科 目
! 前年度 予算 親
1
予算 額
厶
比 16 itt - S
収入の 部
円
円
円
(1) 会 * 収入
780,000
1,350,000
570,000
正会員
729,000
1,250,000
521,000
赞助 会員
51,000
100,000
1 -
49,000
(2) 基本 財産 収入
1 9,974,000
j 11,775,000
1,801,000
基本 財産 利子
' 455,000
500,000
45,000
会館 収入
9,519,000
11,275,000
1,756,000
常時 贷 室料
8,550,000
10,260,000
1,710,000
» 時 貸 室料
| 750,000
796,000
45,000
管理 共通 * 収入
219,000
220,000
1,000
(3) 運用 財産 収入
120,000
270,000
150,000
利子 収入
120,000
1
270,000
150,000
(4) 印刷物 収入
6,822,000 j
7,622,000
800,000
地学 雑誌 収入
1,050,000
1,600,000
550,000
受託 頒布 図 害 収入
5,772,000
6,022,000
250,000
(5) 雑 収 人
28,000
30,000 |
2,000
広告料 収入
18,000
20,000
2,000
雑 入
10,000
10,000
収入 合計
17,724,000
21,047,000
3,326,000
(6) 前年度 余剰 金緣入
701,890
241,542
厶 460,348
合 計
18,425,890
21,288,542
2,862,652
一 54
177
TT
B
1-1
前年 麿予簠 IS
予
篡 III
比 It さ ffi
さ£ 出の
部
円
円
pq
n
ひ) 事
務
9,114,000
11,524,000
2 410 000
人
件
*
5,924,000
6,864,000
940 000
俸
料
3,609,000
3,927,000
318 000
手
1,885,000
2,026,000
141 000
m
金
40,000
50,000
10 000
福利厚生
390,000
1
425,000
35 000
退
職
金
0
436,000
436 000
*
務 所
費
3,190,000
4,665,000
1 475 000
消
fc 如
200,000
200,000
印
别
150,000
I
200,000
50 000
火 ;
% 保險
料
30,000
30,000
修
費
150,000
250,000
100 000
建物 债却
0
800,000
800 000
役
務
280,000
300,000
20 000
旅费 交通
50,000
60,000
10 000
通信 運搬
費
260,000
400,000
140 000
水道 光熱
270,000
270,000
租
税 公
1,310,000
1,600,000
290 000
八
議
240,000
250,000
10 000
備
品
100,000
100,000
雑
150,000
200,000
1
1
50 000
(2) 事
業
9,225,000
9,651,000
426 000
地学 *ttt 出版 *
4,515,000
4,801,000
286 000
編
集
806,000
1
1
729,000
1 A
76 000
印
刷 製本 費
3,355,000
3,770,000
415 000
発
送
355,000
1
1
302,000
A
53 000
受託 頒布 図 害 事業 費
4,060,000
I
1
4,100,000
40,000
図
書 室
200,000
1
200,000
図
害 整備 費
100,000
1
1
100,000
図
書 購入
費
100,000
100,000
地学 振興
100, OCX)
100,000
講
演 会
100 000
100,000
M 査 研究
100,000
100,000
地学 功労者 表彰 *
50,000
150,000
100,000
地学 クラブ 費
100,000
100,000
(3) 予
備
86,890
113,542
26,652
八
計
18,425,890
21,288,542
2,862,652
一 55 一
l&ttMtt 慎 813 み 昭和 51 年 6 月 20 日印 刷
IBtDIW サ 昭和 51 年 6 月 25 日 » 行
編集 兼 発行者
印 刹 所
発行所
矢 沢大ニ
—ッ樓 印 》賊 会社
東京都 ift 川 区 上: 3-12-15
^束 京地 学協会
: 都 千代 田 K 二番 町 12 の 2
便 番号 1 0 2
括 束 京 (261)0809 番
替 口座 束 京 66278 番
編集 8 員 会
委員長 矢 沢 大ニ
上 英ニ 川上 »ft 四
武
村
河
久
和
彰
肪
英
正
井 S6 式
俊 *•
* 正
^ 本
前 山
紊
安
一 56 一
夫 : 南 期 東 地 城の 地下水 利用と 地 «沈 下
正誤表
なジ
I 行
澳
— 一 ― E
注
Faculty of Enginering
!• acuity of engineering- ■ - -
6
- --- 地下水 面に 形状の
- ■■■ 地下水 面の 形状の
30
3
…調査 会 最終 報告
---•as 査 会の 最終 報告
20
21
下よ り
下より
'- …方 眼に sa した。
ticit---
方 眼 毎に sa した。
23
以上の 結果が
licit
以上の 結果から…
! 下より
8
'-— 上積みされ 2_
- …上積みされ,
'- -- 揚水に 対する。
水に 対す i 二
'…測定 IB 始時を 左 点に'…
- ■■■ 測定 開始 時 を 5 点に-…
つの 装 匿 がいろい ろ
"つの 装置で いろいろ
(抵抗 コンデ ン;— )
(抵抗 !_ コンデンサー)
36
! 下より
の スケールと ファクター
-. -' 次の スケ一 ゾレ ファクター
, 下より
…年 問 水位 低下 貴 lOcn^ - ■■■
…年 IB! 水位 低下 量 10cm_
下より
8
大きさで 及ぶ が
-- 大きさで 及ぶ か
「しかし 実際に は.'' '時 閒的配
全 文 削 除
分で ある。 J
43
'- '-による ものな ど' ■-■
■■ -. による ものな どお- -''
220 : 北海道の 鉄 巧 ほ
地 1R 査所
at «
地方の スビ ライトと 含 マンガン
470
母 | 各〒 500
定価 .
円
22S 1 イラ ン国北 was のァ ングラ ン は 山
430
IS6 j HUtffi S£ 乂 9 ^の 9f9E
1 300 1
500
L60 : 兵庫県 西 ffi 地 水^地
:61 I 山形 市 付近の 天然 ガス 地 化学! WSfflG
ぎ ^g^S^g^ 設 《 "中の 変
162 ! 秋 B 県 小 坂お 山の B£- の 変 S
|火«»« によって 生ずる St««i および WW
iM ! s の 的 研究
•65|:)M の チタン Ef;W
小 林 市 付 ほ: Ai« 力' ス ,T
.76 | 北海; ifi の クロウ ム お^ :
探 Si: における BtSffi 法と PLUii の
研究
»性眩 バ ルスの 伝 ffi にに する 研究 j
JifiCTTW.WffMttM 過^に おける K!fi 堆と^
盆地 |
186 jA«Sil!lBI« 水の! 16 は 化^ |
地表 付近の 天然 WWfit に よる ガン マ W 強度 I
分布に ついて I
139 j 靑森県 尾 太 E 山 o!H: 化な: れ屮の WfllAS に
90 j B 本に おける ゥラ ンの^ 状 I 1
'KE 湖) If 方 ^は 二^も ハ MS* 虫' っ^ 究 1
に 北 Kiffifi: お 地 は:' つお W ガスに 一、 いて
1 ; 天 fiiTjEma— 木 wiifftwiiiff 孔! iiin
' 北^^'1,«!;!?1'1ぶ^の*はにっ', 'て
99 Hi 化 Si わの 微 KhJE 分の 地球 化な ft'J 研究
200 口 ム Kl^mtE 的 ffi 究
県"
I 縣中^ Kftlft/il _
; 北 W 九州の 地 KtBS
二 ffi 地 城に まつわる
: 下にお ける 現世 海 Iff 堆 I
' ,| 特別 兮 (
, | ぉ別气 v
n 本の ネ者 による 中国 本土に 関する 地理^! 研 200
? £^'.1 ■ 5? 科 • 文目 » (1935-1950) jx3S0
, ほ11问太¥#^«^«»«»員会《»
|| Japan Guide Book for the Con^eu Torn*
SS 布 AStSl 部 700R 〒 350
1 L 地 MM 査所月 « ^月》 行, 1 力 年 CBH. 51 年) ほ,
一 に 地学 HB 隔 Jl^ 行, 1 力 年 8,100 円
' | 備考 ご £t 文 はすべ て iVl 企, 正 会 £1 は 定価の lffl 引,
地, 鐮錄
JOURNAL OF GEOGRAPHY ,ほ
今
VoL 85, No. 4 亂 1976 /
a 次
陶山 》 治: 世界に おける 地熱 B8» の a 勢 ( 1 )
角 Mat: s 本の 地 HiSiss ( io)
JKVttH : B 本に おける 地熱 探査 ( 27 )
«B «:DIET2 K による 地 向斜. ならびにお » (38)
m と m 介
保镇噠 美) : 伊能 忠 《c のお 学 的 業 核 (》 田 武*) -rf«ft ( 54 )
cassis 洋 s 料 センタ一 sft: 海洋 環《図, 外洋 s ftwii««Vifti!ma) (56)
«*e 事: ^qjL/VT' (58)
□ 輪: ビクトリアの 《(a s> . ^/^ft ^
CONTENTS
On (he Situation of the Development of the Geoi hernial Resources
Juitji SUVAMA ( 1 )
Geothermal Resources of Japan Kiyoshi SUMI ( 10 )
Geothermal Exploration in Japan Kcnzo liABA ! 27 )
New Concept of Geosyncline Proposeil by DlETZ and \hc Related
Discussions Hi I IORIKOSHI ■' :J8 1
Book Reviews and Society's News
TOKYO GEOGRAPHICAL SOCIETY
(TOKYO CHIGAKU KYOKAI)
Founded in 1879
Nitaneho, Chiyoda-ku, Tokyo
北海 + 非 &W6£ 床) *K I
北 金 B • ^&»fc*8K n
北 ffiiSSfeH ,非 金 JRte 床 ttJE ni
£ 地 KB RWWt き
S 本 ffi 田 ガス 田 図 (I) 靑 山奥
B 本 iifiH ガス 田 図 (n) « 浜
曰 本 iSia ガス to 図 (m) 横須 H
日本 ffipj ガス 田 図 (vh) fli iS
s 本 油 ガス EEaow 本 宿
S 本 油田 ガス 田 図 (DO 七 #
B 本 油田 ガス 田 図 (X) 茂 原
—日本 油 H ガス 田 図 (M) & «_
日本 水理地 S 図 (IV)
日本 水理地 K 図 (V)
日本 水理地 KSKVI)
S 本 水 S 地 巧 図
3 本 水理 地お 図
n 本 水 理地
i3 本 水理地
t! 本 水理地 S 図
B 本 水 地 S 図
口 本 水 理地質 図
R 本 水 现 地 SEI
fl 本 水 SI! 地 ^図
3 本 水现地
IJ 本 水理地 WE
U 本 水:? 0JS 锊図
U 本 水?!! J8JK 図
U 本 水: 倒
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il 本 水 地 ftlM
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愛 tsiK^m' 加 茂
川 : 中 山川 ■ 重 信 川
流域
千 * 西 w
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兵 庫 S 南西 部
«| ^&地
仙 台 ffitt 胃 成
^ 知 き 川 ■ 国 分
川お よび &卸 USES
48 岡 ■ さ 分 山国 川お
f ^川お よび *
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山 梨 • £IF 県 £ 無 川
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K-X) 川
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日本 地 KM
n 本 fflfii 分布 レ
リ木 iU?iW 二れ 一 K
地' な H
リ辺 i 也 はの jiiifi
1/200 万
1/20077
1/2007;
l/2007j
1/20077
1/2007/
1/200-Jj
1/ 20W
1/ 50 万
1/ 50 万
1/2 万 5 千
1/2 力' 5 千
1/2 万 5 す-
1/ 10 万
1/ 50 万
1/ 207;
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1/ 107;
1/ 5007/
1/ SJi
! w^^^ 柳 柳^^^^^^^^ w
写真 上 K*. 下 の ビクトリアの »
一
t L.
ビク 卜 リアの 湾
ヒ' •' I- " 'マ 1; せ ぺ;/ 河の 屮流. ,ドニ ビアと" 一千' シァの にある、. 幅 約 l,700m に
^ぶ i も' 'に か Hi か 。卜 や I- ':、、-- しがて' きない ト. に, jfwfti 山 n»3 の WW が rflifi されて いるた め, 人 H
ノっ、 V ぃバ に" : に 丫(1111 か 「,は わ •:'、'> は *iM レ) 約 T ノ ふで ある.
iftU' に: 、:' f" レ'、 Mfr に 1 :,WfN! 力;. リビニ 、'ストーン 附近に 分布 十る 力' レー 系 (Karoo Sys-
W I に,、 Wl いく 卜 ム い l , iSium、t、er"'、 坊 V; に ゆん た', 町に あ1), ザン ベ':/ 河 は 淹の下
iir.iiMi.vi'.. ; せ'1 H はお1 が 《,tn' で v :、 t •、 な. f isiuhi し o ひ: い^とな つてい
:'. に 卜'1 へ' '^も ひ!;: f;» い '川 I リト: は 地 》 ト: 卞 的に も渖乂 '。こと を ft えてい る. ぜン ベジ 河 fi 体が
い") め にん uNHHt ひト. :」 〖 -'、 も, i か'、 ド^に^ く', tt't" ハ 曲^; よ 1-:'2::^ 理 に^う; IS 択^ 蝕の
"'I »i" 、- :'' ' 、 , 1 '':'、!"1 に'.、 ;セ ;.
«. V- 1 ••::、、•、 ;^^. リ, 化 ;、: 、に:
、い" '-パ 、い、 し, ,r, \ ; l ti'u ふ,. : '、
■' . し • . % v 8iMn -、 N :.
\\ く ふ ,や i" -、, に トに卜 にい':'
■.、: - v. ■' ■['•■ < .• :;> し, i v い ベ
- に '•' にむ
\ - -' い ■ リ
に.
"; -に • ,
: 、ペ. ん
•• . • ■ I ■ ,
ほ, に ': して, fe.h 流 部の 峡谷
こ MmJi-.V;: ! た: 111、 ' 'J 、い^。^^ である. 淹
)U に ; i : く ^;iHK>m, i,'4- に 向って K く な
• n • * 、'- '、 I\-v:.s Cataract 1 ;ま 中て'
:,ニぺ乂::ソ :ぉ ふこ、 リ ぺ.、 : ->^^^.«
、 ■•:,、 - -, • • -' - -、••'《'; ぶが 淹. つ fa。
. .•■ ;: い. ■■ : ニニ ヒ^. ^^か
l て^ は, 新殃
*、
■'. ご ん •》、 -' i%
? vm* であ c
B ち
地学 雑訪 86, 4 (1976)
世界に おける 地熱
発の 趨勢
陶 山
淳
治 *
On the Situation of the DeveloDment of
the Geothennal Resources
Junji SUYAMA
Abstract
Geothermal energy has becoming rapidly perceived as a viable alternative energy
source available with the current technology as well as solar energy. For a long time,
geothermal energy has been utilized in various forms. High temperature steam and
hot water have been mostly used for an electric power generation. World-wide today,
total power of geothermally fired electric generating plant amounts to approximately
1,100 MW. On the other hand, intermediate and low temperature geothermal fluids
also have been consumed for space-heating and industrial processes in certain locations
of the world.
However, the full potential of electric and non-electric application of geothermal
resources has not yet been realized, and only a small part of geothermal energy stored
within the earth's crust has been tapped. Remaining enormous amounts of natural heat
will be made available with the further exploration and technological lesearch and
development.
Under present technology, use of geothennal energy for electric power generation
is limited to the hydrothennal convection system having the temperature above \8ffC
Among this, energy of natural tt«am has best quality, but the existence of this type of
energy may be expected within only a part of whole high temperature convection
system- Other hydrothermal convection systems are much more abumlaiit geothermal
resources.
Research and development of technology for the efficient utilizatirjn of hydrothermal
system having temperature below 18(fC as well as hot water system above \HffC, are
needed. Especially, development of technology of electric power generation from in-
termediate temperature ^fL-ltffC, geothermal fluid and multiple use of this type of
geothermal resource must be enforced.
Geothermal deposites in sedimentary basin are aUo potentially valuable geothermal
resources which contain enormous amounts heat. la a high heat-i!ow area, deep^eated
layered strata produce hot-water having intermediate temperature above y/C, but, in a
nonnml heat-flow area, water-bearing strata at depths of more than 2 km show tes^tera-
tme above 6CTC, which is hoc enough for space-beating and other ooa-electric use. Ia
ife 質属査 所蠊饊 IRK Geothermal Research Dep«rtcDenc9 Gcologicai Survey of Japsn.
180
陶山谇 治
former case, reservoirs in subsiding sedimentary basin sometimes show abnormally high
fluid pressure, and said to be geopressured.
Hot dry rock deposit without associated hydrothermal system is expected as other
potential geothermal deposit and may become an attractive geothermal resource if
technology extracting the stored heat is developpea. Research and development of
exploitation technology for this type of deposit are now world widely under way.
糖 雷
エネルギー 霈耍は 世界的に 年と ともに 墦 加の 一途 をた どって おり, 今後と も, こうした 傾向が 変わる こ
と はない。 このような エネルギー 需要の 坩大に 対処す るた めに は, 水力, 火力お よび 原子力 以外の 新しい
エネルギー 源の 開発 利用が 必要と されて いる。 ところで, 地熱 エネルギー は 太陽 エネルギーと と もに 天然
に 存在す る 未開発の 賣 重な エネルギー 源と いえる。 これら は いづれ も, 古くから 人類が 何ら かの 形で 利用
して 来た エネルギー 源で あり, かつ, 現在の 技術に よって, さらに一 段と, 積極的な 利用 を 針り うる もの
である。 事実, 高温 地熱 流体 (天然 蒸気お よび 天然 高温 熱 水) は, すでに, 発 竜 用の エネルギー 源と して
利用され, 現在, 全世界で 1,100MW 容!: の 発 竜 K 備 がか 働して いる。 一方, 中低 沮 地熱 流体 は, アイス
ランド を はじめと する 各国で, 地 城 暖房 用 熱源と して 積極的な 利用が 進んで いる。 ところで, 地球 内部に
は 莫大な!: の 熱が 包蔵され ており, 現在 利用され ている もの は そのごく一 部に すぎず, また, 利用され て
いる 地熱 資源の 種類 も 限られ, 利用 方法 も 限られて いる。 今後, 地熱 ヱ ネル ギー资 源の 想の 解明が
進み, かつ, その 利用 技術が 発展 するとと もに, 地熱 エネルギーの 開発 利用 は一 段と 活発化し, 地熱 エネ
ルギ 一が エネルギー 供給源の一 雲 を 荷う ことが 期待され ている。 このような 観点に 立って, m& 世界的
に 地熱 エネルギーの 開発 研究が 進められて いるので, ここに, その 概要 を 紹介す る ことにする。
地熱 灝
1. 离 通 地 » 流体 資》
地熱 ヱ ネ ルギー を 利用す る 立場 か ら すれば, 地下 深 所の 熱源に よ つて 加熱 さ れた 天然の 地熱 流体 は 利用
のし 易 さとい う 点で, 资源 としての 価値 は 高い。 一方, 地下 深部 ほど 熱源に 近く 温度 も 高くなる こと を考
える と, 地熱 流体が 存在す る 場合に は, 伝導の ほかに 対流に よって 深部から 熱が 運ばれう るので, 浅い 所
で 高い 熱 エネルギー を もつ ものが えられ 易くなる。 現在までに 開発の 対象と されて きた もの は, このよう
な 比較的 浅 所に ふ存 する 地熱 流体 资源 であり, おおむね 1.5km 以 浅の ものである (第 1 表)。
ところで, 地熱 流体 资源は 高ヱン タル ビーの もの ほど 熱 対 率が よく, とくに 発 竜への 利用 を 考える 場
合, 高工 ンタ ルビーの 地熱 流体 资 源の 経済性 は一 段と 重き をな している。 イタリアの Larderello での 天
然 蒸気に よる 発 竜 は 地熱 発 竜の 端緒 をな す もので あつたが, この場合の 天然 蒸気 は 乾き 飽和蒸気 ないし 通
熟 蒸気であった。 乾き 飽和蒸気 ないし 過熱 蒸気 は 天然 蒸気の なかで もっとも ヱン タル ビーが 高く, 熱 対 率
がよく, かつ, 不安な 成分に 欠けた 良質の 地熱 流体で ある。 したがって, 地熱 開発の 初期の 段瞎 では, 関
発 対象 はもつ ばら この種の 高ヱン タル ビーの 地熱 流体 资 源に しぼられた。 その 結果, 1960^ アメリカの
The Geysers で, 1966 年に 日本の 松 川で 発 竜が 行われる ようになった。 第 2 表に 示す ように, 乾き » 和
蒸気ない し 過熱 蒸気から なる 高温 地熱 流体 资源 (乾き 蒸気 型ない し 蒸気 卓越 型 地熱 资源) による 発 «»備
は 全世界で 827. 6MW か 働して おり, 全世界の 地熱発電 設備 容!: の 約 750/0 を 占めて いる。 しかしながら,
この種の 良質の 高温 地熱 流体 资源は 貯溜層 温度 は 240°C, 初期 孔ロ圧 は 34bar という 息 まれた 条件 下 "にの
み 存在す る もので, 高温 地熱 流体 资源 全体の 5% 程度の 资 源!^ しか 期待 出来そう にないと 考えられ てい
る。 今後 大!: に 開発 力' 4« 待され ている 地熱 流体 资源 は, 現在 ある 技術で 発 竜に 利用 出来る ものに 限るなら
ば, むしろ, 次に 述べる 离温 型 地熱 资 » である。
一 2 一
世界に おける 地熱 開発の 趙势
181
第 1 表
- — — ^―— ―
Field
Vr AO A r 、,八, 1*
xvcsci voir
temperature
(°C)
— . ― '― -
Reservoir
iiuia
well depth
(m)
Fluid salinity
vppm ノ
XVXculO now
per well
(kg/hr)
Larderello
245
Steam
1,000
<1,000
23,000
The geysers
245
Steam
2,500
<1,000
70,000
Matsukawa
230
Mostly steam
1,100
<1,000
50,000
Otake
200+
Water
500
〜4,000
100,000
Wairakei
270
Water
1,000
12,000
—
Pauzhetsk
200
Water
600
3,000
60,000
Cerro Pneto
300+
Water
1,5UU
Niland
300+
Brine
1,300
260,000
-200,000
Ahuachap&n
230
Water
1,000
10,000
325,000
Hveragerdi
260
Water
800
〜1,000
250,000
ReyKjanes
280
Brine
1,750
-40,000
-400,000
Naroafjall
280
Water
950
-4,000
400,000
(J. B. KOENING の 表よ り 抜萃)
1958 年に - ユー
ジー ランドの Wairakei で 熱
第 2 表 世界の 地熱発電 所の K 備 容量と 型式
地 域
国
名
跌 備 容量
(MW)
型式
松 川
0
本
22.0
お 気
大 岳
P
本
13.0
熱 水
大 沼
0
本
10.0
熱 水
Larderello
ィ
タ
リ ァ
358.6
蒸気
Monte Amiata
ィ
タ
リ ァ
25.5
蒸気
Wairakei
ニュ-
一 ジ
一 ランド
160.0
熱 水
Kawerau
―
一 ュ
-ジ
一 ラント
10.0
熱 水
The Lreysers
リ 力
412.0
蒸気
Cerro Prieto
メ
キ
シ コ
75.0
熱 水
Path も
メ
キ
シ コ
3.5
熱 水
Namafjall
アイ
ス
ラ ン ド
2.5
熱 水
Pauzhetsk
ソ
連
5.0
熱ん
ia 熱 水 型 资源も 発 竜 用の エネルギー 资 源と して 考
えられる ようになった。 高温 熱 水 型の » 合に は,
9 & 高 lass* を 定められた 圧力 状 想 下で フ ラシ
ュ して えられる 蒸気 (湿り 蒸気) のうち, 蒸気 部
分の みが 発 竜に 利用され ている。 この場合, ブラ
シン グに よつ て^する 蒸気!: ともとの 高温 熱 水
の as との w 係 は 発 竜 用 タービンの 入口 圧 如何に
よって 変化す る。 蒸 件が 一定で あれば, ター
ビン 入口 圧の 大きい ほど, タービンの 出力が 大き
く, 熱 対 率 もよ くなる が, 一方, 生産 井の 孔ロ圧
によって 噴出 量 は 変わり, しかも, その 関係
は貯 S 層の 深度 • 性 K および 孔 井の 孔怪に よって
&6 される。 この種の 高 沮 熱 水の 貯澝 層の 性 K に
もとづいて, 適正 «Wc 産出!: をうる ための 圧力と, タービンの 対 率と を 考慮して, タービン 入口 圧が 設定
されて いるが, 現在 発 竜の 行われて いる 地域の 例で は, タービン 入口 圧 は, 一部の 地域で は lobars を こえ
る もの も 使われて いるが, おおむね 3〜5bars 程度の ものが 多く 使われて いる。 このような 圧力 条件の も
とで, 生産 井より 噴出す る 熱 水から フラ シン グ によって 蒸気 をえ ようとす るた めに は, 熱 水 fi 度は少 くと
も 150。C 以上で ある こと;^ 必要 a) となる。 (150°C のとき の 飽和蒸気 圧 は 4.75bars である)
なお, 接» 性 を 考慮に 入れるならば, 180~200°C 以上で ある ことが 望ましい。 現在, この種の 150°C
以上の 高 tMfok 型の 地熱 流体 资源 による 発 竜 は, 第 1 表に 示した ように, 日本の 大岳, 大沼, 鬼 首, -ュ
ージ ラン ドの Wairakei および Kawerau, メキシコの Cerro Prieto および Path6, アイス ラン ドの
Namafjall, ソ 速の Pauzhetsk で 行われて おり, エル • サル パドルの AhuachapAn (30MW) および ブイ
リピンの Tiwi (10.5MW) で 発 «3f 力; 建牧 されつつ ある •
1S2
膚 ill 淳. き
高 熱 水型资 源が 蒸 と比べて «資 わ るん 之 SSIMc^ もつ «^ ネル ギ 一の" •« が
蒸気の 形で 利用 されて いるに すぎな- '点と. 第 2 奢に 禾 したよう に Kfift** に; 量に 含有され
る ことが 多い 点と にある • »水 中に 含まれる ^の 量と 雾ゎ IWILt 高 WMcfflHI を »t に する *
合に 重要な 要素と なる, 第 2 表の Nilana ? i, ァメ' J 方 n Salton Trough の Imperial Valley
地域) の 1 つの 地熱 12* である:^ SalwoTrocgh 内に はこの ような 高 t?«WMcgBli[
が 多量に ふ存 する ことが 知ら n て パ るジ ぽ', 多 i のお frfft* が 含む ために «aw>»t** では そこ
に 含まれる 地熱 エネルギー を努 竜に « 毛 する 二 ご, ま 雌し く, かつ »|Ric つ W» ^を も 含め ft* しい
の 開発が 進められ ている ", ニ^よう な 分 'っ俩 は ^で あ る が. 1 に IMc 中には 可 ま り の澳
度の 埴 分が 含まれる ので, 有 m 弔お よ: のた めの 技 発 は- 後に 述べる ように, 欠かす
こと は 出来ない。
2. 中低 iUfe 熱 ま体»
現在 発 竜に 利用され ている 港 然资 源, ま, 主として, 上記の s«« 垔ぉ よ: 水 s の 高 aJMHtfr
资 « であるが, 150X 以下 90:C 内外 以上の 中 fi intermediate temperature 体资 * は 各地に
広く 分布して おり, 古くから 種々 の 形で 科 弔され ている • その ftfE^T な もの ^の であり,
アイスランドの Reykjavik では, 1925^ よりこの ような 中 fiUMc による が 進められ ており, *
在す でに, 市 ^ 人口 約8 万, の 99.5% に対して 地 «J*5I«" カ^ £ している • ニュージーランドの Rotoma
において も 1940 年頃から 地域 暖房への 天然 の 利用が 進め られ, 現& 市民の 30% が lOW160eC の!
を 熱 交換 後 暖房に 利用" している, 一方, 発電への 利甩 は, 1967 年に ソ 速の Ptauunka で 行われて いる.
この場合の 発 竜 方式 は バイナリー. サイクル であり, 低 沸点の 2 次 作 «t 体に は フ レオンが * われて い
る。 発 竜 » 備容 It は 750k\V と 小型で あるが, 地熱 発 竜に バイナリー • サイ クル:^ C^K われ fc« 初の も
ので ある w。 中 熱 水 は, 地域 暖房, パイ 十 リー • サイクル による 発電の ほか, 古くから MUfflR 備の *
a および » 物, 諸 の 乾燥 用の エネルギー 源と して 使われて いるが, いづれ の # も, その は
未だ 大き く ない。 本格的な エネルギー 源と しての 利用 は 今後の 問題と して * されて いる 地 «Bt 体资 狐で あ
る 《
ところで, さき に 述べた Reykjavik および Rotroua はと もに, 近傍に J6fi« 熱 jt 体资 * の ふ 存が知 ら
れ ている。 Reykjavik は, 市の 地下 500~2000m 付近より 94 一 135°C の 熱 水が 多!: に 産出す るが, その
束 方 約 20km にあた る Hengill では, 最近の 試掘に よって, 深度 1830m で 285~295°C の 高 力 «
おされて いる。 Hengill は 新しい 火山活動 裕 (nco-volcaniczone) 内に 位置す るが, Reykjavik は その 西
雲に ある やや 古い 第 3 紀の 火山活動 帯內 にある, Rotorua では, 30-300m の 深度より 100~160°C の 熱
水 を 産出して いるが, その 東に » 接して Taupo 火山 带が ほぼ 南北に 走って おり, この 火山 香に は 高 ffl*
熱 流体の ふ存が 確認され ている Wairakei, Broadland および Waiotapu などの 地熱 地域が 分布す る1 w。
このような 中 温熱 水 型 地熱 流体 资 源と 高温 地熱 流体 资 流と は 互に 密接な bb 速が あり, 熱 « [の 規 at
熱源と 貯溜稱 との 相対 位 匿 (ffi 離) および 水理 地質学 的 条件な どの 違いが あると しても, いづれ も 新生代
の 火山活動と 閗 連の 深い 地熱 流体 资源 である。 Paratimka の 場合 は, 第 4 紀の 火山活動に M 速 ある 熱 深に
よって 加熱され た 地熱 流体 资源 であるが, 地表からの 浸透 水の 混入に よって ®S が 低下した w と 考えられ
ており, 水理 地質学 的 条件に よって, 髙温 地熱 流体 資源が 中 温熱 水 型 地熱 流体 資源と なった ものである。
このように 新生代の 火山活動に 関連す る ものの ほかに, 第 4 紀の 火山活動と は RB 速が なく, むしろ 新生
代の 遗山 運動に 伴う 摺曲 山脈の 周緣の 堆積 盆の 貯溜 層から 産出す る ものが ある。 その 代表的な ものと して
ハンガリー 盆地が あげられる。 ここで は, 深度 約 2000m の鲜新 世の 砂岩より 約 90。C の 熱 水が 多量に 產出
し, 現在, 地域 暖房, 給湯 用なら びに 農業 用 熱源と して 利用され ている" )1WW。 ハンガリー 盆地で は 地
勾配 は 50~70°C/km と 高く, 地殻の 厚さ は ヨーロッパ 大陸の 平均の 僚より 8~10km も 薄く, 平均で 24~
26kmi" しかない。 その 熱源 は, さきに 述べた 地熱 资 * の »^ のよう な マグマ » りと いう R» 的な
— 4 —
世界に おける 地熱 M 発の 趙勢
183
* でな く, 地域的な マントルの 高まりに あると * えられて いる。 ソ 速の Georgia 山間 盆地に も 105°C の
SMc が 下部 白 ffile の 石灰 質 岩石より 多量に 産出 15) する が, これ も 同種の 中 体资 源と 考えられ てい
る o
ところで, 大 ハンガリー 盆地の 南部で は 堆積物の 厚さ は 6 km 以上に 逢す るが, この 部分で は, 深度
3.9〜4.8km 付近の 異常 高圧 層 中に 212~ 249°C の 熱 水が 多!: に 存在1 « する ことが 知られて いる。 一方,
ァメ リ 力の メキシコ W 盆地の 現在の 地向斜 中に も, 深度 3.0〜4.8km 付近に ある 異常 高圧 層に 150 〜; L60°C
の 熱 水が 多 i に 存在1 W18)w> する ことが 知られて いる。 これら は いづれ も 石油, 天然 ガス 鉱床の aaE の BR»
見され たもので, 貯溜層 內には 天然 ガスが 含まれて おり, 高圧の あまり 高温で ない 熱 水が 天然 ガスと とも
に 産出す る もので, 熱 エネルギー とともに 力学的 エネルギー を もっている 地熱 流体 资源 である。 アメリカ
では, この種の 地熱 流体 资源を Geopressure 型资 JR とよび, それに 含まれる 熱 エネルギーと 力学的 エネ
ルギ 一の 双方 を 利用して 発 竜 を 行うた めの 研究が 進められ ている。
高 fi および 中 fi* 熱 流体 資源 は, ともに 異常に 高い 熱 流!: のために 加熱され たもので あるが, 正常な 熱
流!: の 分布す る 地域に おいても, 深度が 2km 以上の 地層で は 60 — 90°C の SMc が 多!: に貯 溜され うる こ
とが ある。 この種の 低温 地熱 流体 資源 は 発電 以外の エネルギー 源と して 充分 役立つ ものである。 パリ ft 地
の 例 は その 1 つと いえる。 パリ 盆地の 南部に 位置す る Melun では, 1969 年より, 深度 1.8km 付近の 中部
ジュラ紀の 緑色 砂岩から 70°C 内外の! Ifck を 採取し 熱交換器 によって 真水 を 加熱し, これ を 暖房, 給
» 用に 供給して いる。 ソ連の 表 Caucasus にある 前睦 盆地に は 47 — 86°C の jR* が 産出し, 現在までに 農
業 用に 多く 使われて いるが, Makhachkala とその 周辺 地域で は, 深度 1200 — 1500m 付近の 貯溜] B から
€0〜70°C の ft* が 多 量 えられる ので, これ を 地 に 利用" している。 また, 西 シベリア 低地に は 深度
2 km 付近に 60~80。C の 熱 水が, カスピ海 の Turana 低地に は 深度 2 km 付近に 65〜95°C の 熱 水
が^! られ ている。 これら はと もに 古生界 基 地の 地 JR« 体资 » といえるが, その 熱 S は 高い 熱 流!: に
ffit が あ り, ここ で ft* 殻の 厚さが 薄くな つてい ると も 云われて いる w。
以上 述べた よ う に, 新生代の 火山活動 がみ られ ない 地域の 地下 深部に 多!: の 中低 fi 地熱 流体が 存在す る
こと は 注目すべき 現象で あり, これら を 地熱 资源 として 有効に 活用す る こと は 地熱 エネルギー M 発 上の 重
姿な 細隱 である •
3. その他の 地 熟資 灘
地熱 « 体と いう 形で 熱 エネルギー 力 : 埋蔵され ている ものの ほかに, 熱 « そのものが ある。 たとえば, マ
ダマが 地下 深 所に 貧 入し, « 緣の不 »4 地層に 激しく 割れ目 を 生ずる こと もな く, 現在 冷却 をつ づけて い
る ものが ある。 このような場合に は, 熔 »賈 入 岩 体の 周縁の »a 率が « めて 悪いた めに, 循環 水の 浸入と
それによ る 冷却 効率が 妨げられ, 長期 間 にわた つて 熱 エネルギー 力 ミ賈入 岩 体お よび その 周辺の 岩石 內に蓄
えられた ままと なって いる。 すなわち, 地層が 浸透性に 欠けて いるた めに, 地熱 流体に よる 熱 水系が 充分
«t+ る ことなく, 対流に よる 熱の 輪 送が 行われぬ ままに, 現在 も 岩 体と して 熱 K1§) のみ 力; 埋蔵され
ている。 このような 流体 を 含まない 乾 操した 高沮岩 体の もつ 熱 エネルギー は 莫大で あり, そこに 内蔵され
ている 熱 エネルギー を 採取す る 技術が 出来 上れば, 乾 jft 高 雌 体 (hot dry rock), は 地熱 资 深と して 利用
B 来る。 乾 » 高温 岩 体の もつ 熱 エネルギー を 利用す るた めの 研究 は, アメリカで 最初に 取り上げられた •
%fiE, New Mexico 州の Valles Caldera の 西 外壁に あたる Jemez Plateau で, 水力 破碎 (hydraulic
fracturing) と fHR 碎 (thermal stress cracking) を 組み合わせる ことによって, 人工的に 割れ目 をつ く り,
*« 水 を このよう にして 作られた 人工的 貯 » 層に 注入して, 熱 エネルギーの 回収 を 計る ための 実驗が 行わ
れ ている 2im)。 乾 » 高 岩 体の もつ 熱 エネルギー は 非常に 大きい • たとえば, 厚さ 2km, 幅 4km, 長さ
5km の 350。C の J6iW& 体 を 150°C まで?^ するとき, 4.2xl0"kcal の 熱!: が 回収され る。 この 熱 エネ
ルギ 一は 50^IH10,OOOMW の 熱 出力に 相当す る。 そこで, アメリカ 以外に も, 日本, イタリア, ソ 速で,
この a の资 * の 探査お よ 技術の W« 力^? われつつ あり, 将来 资 源と して 期待され ている。
一 5 一
靈 プダ' 止した のち. それ 4め藏 していた エネルギー t«« しょう t すもも B
« 動力 '•(♦ 止して いない マグマの » エネルギー を WBfcS えられる, そ O 第 1 歩 t して,
9At.mWi>\"»-h\\mm". ; の IS 鸛 エネルギー と そ 用の ための HI デー タの W(4Stfto れ
ており, H 卓— rt« 摩 碗 貧 * が, アメリカ では ハワイ 鳥が モデ として H5 上げられて いる,
i. IHM 蘼 とその 分 *
* "ふ 繊 ««1 お (* および 火山 ft» に 伴う エネルギー とが 考えられる, このうち で,?^ 技
tW^Wfflflf* な l,«tJ)«#llil [体資 》 であり, tt»*flU& 体 は 熱 i ネル ギ 一の 》6 技術が 出来 上れば, 直ち
I'»wm ノ'; plfffilik る (,ので ある, しかしながら, A 山 S 動に 伴う エネルギー は 熱 i ネル ギ一 そのもの
わ 出 * もが. 寶纖 としての 实体が 明確 さも 欠いて いるので, aa« で これ を资 » と * える に a
•»i,»t, ( ,れ もが. の エネルギー « ((に ia み 人れ る 努力 は必 奏で ある。 という から 地熱 资滅の
I 一 ゆし ■■:»! り にげた ものである,
mm に 熟 M 体 *■ の ふ存が JHtt され 地 * が SB の 開 》 対象と なって いるが, これら は, 環太平洋
わ ii*. w 巾 «ヒ マラ ャ auitt, 束 アフリカ 地溝 およ ぴ大 b» 中央 »嫩» の いづれ かに 属して いる, r
«J りな) ftWi 靳 1^<: の 火山 活« および » 山 達 動の 活 R な 地域で 地 <geotherm«l region) と哼ば
(«,* v るれ aimSMB が f—r われて いる ffl^ttt 熱 地 城との M» は *S1H のようになる,
W 熱資賺 の囊美 ■ ftffl
の W 熱 M« ほ. 高 》 地熱 淹体 d« (を R まし, ? 6 電用ェ キル ギ 一 源と して 科 g する fc»0«*ffi»i
ftiir t ^ザ-- のぼ 取 • 利用 技« の m» と を 中 t 、に it めら れ ている,
精 *wi ^、,"は n*;, ィ *リァ'ァ">リ*' アイスランド およ ぴソ 違で とくに 活 s であり, その 亂 m
1 > T'i . ドん, ラゲ" r, 3, * リ *, 力 リブ 籮 仏顿 U G«wdeloape *, f J, ペルー
世界に おける 地熱 開発の 趙勢
185
などの ラテン • アメリカ でも いくつかの 地点で 探査 • 関 発が 進められ ている。 アフリカ では, 束 アフリカ
地溝 寄に 属する ケ- ァ, エチオピア および 旧 仏 fR ソ マリー ランドの いくつかの 地点と, 大西洋 中央 海嶺 系
に * する スペイン 俵 カナリ 一 K 島で 探査が 行われて いる。 また, トルコ, ギリシャ および インドネシア,
フ イリ ビン, 台湾で も かなり 以前から 謂査が 進められ ており, フ イリ ビンの Tiwi ではす でに 10.5MW
の 地熱発電 所が 建設され つつ あり, トルコの Kizildere お > では 10MW の 発 «fHB が 進んで いる。
地熱 ヱ ネル ギ 一の 有効 利用の 問題のう ちで, 第 1 に 考えねば ならぬ 問題 は中但 地熱 流体の もつ 熱ェ ネル
ギ 一によ る 発 竜の 問題で ある。 中 温 地^ 体资源 は, 熟 源の 年齢 および それと 貯溜] B との 相対 位置
な ど の 加熱 条件お よ ぴ水理 地質学 的 条件 によって, 高温 地熱 流体 资 W となりえなかった もので, 高沮 地熱
流体 资 « と比べて 質の 劣る, すなわち, 品位の 低い 资源 であるが, その 资源 it は 高 地熱 流体 資源 を 大幅
に 上駕る ものと 考えられ ている。 一方, 高温 地熱 流 源のう ち, 高沮 型 资源は 蒸気 卓越 型资 源の 約
20fff の资源 量 が あるが, それが もつ 熱 エネルギーの 1 厶 程度が 蒸気と して 発 竜に 利用され ている のみで,
残りの 熱 エネルギー は 中 沮の# 熱 水 として & 分され ている。 たとえば, 蒸気 タービンの 入口 圧力 を 50psi
(4.46 絶対 圧) とし 260。C の 熱 水 を この 圧力で フラ シン グ して えられる 蒸気 量 は 直 量 比で 24% にす ぎず,
その 蒸気の もの 熱!: は 260°C の 熱 水の もつ 熱!: の 590 石に すぎない 《。 排熱水 は 重 量 比 760/0 も あり, ブラシ
ング によって 3 割 方 温度が 低下して # 熱 水 度 は 200°C 以下と なる。
»«WC という 形で, 莫大な i が 未 利用の まま 残されて いる。 中 fi*«tft 体 を 利用す る 発電 方式と して は,
2段 ないし 多 段 ブラシ ュ 方式と バイナリー • サイクル 方式な どが ある。 前者 は EJBE タービン を 用いて, 中
ffl 熱 水の フラ シン グ 圧力 を 下げて えられる 蒸気で 発 竜す る 方式で あるが, 熱 水温 度の 低下と と もに 急激に
率 力 K なる。 後者 は, 低 沸点の 2 次 流体 (フ レオン, イソ ブタン, プロパン, アン モ- ァ, 炭酸 ガ
ス など) を 作 働 流体に 用い, 熱 によって 2 次 流体 を 気化 させ, その 蒸気に よって ガス' タービン を
駆動し 発電す る 方式で, 小 容!: の もの はわが 国で も 工場 排! 用に か 働して いるが, 10~50MW 鈒の容
量の 3«備 の経济 性に 間 « が ある。 多段フ ラシ ュ 方式 は-ユー ジ ランドで 実用化し ており, 日本で も 近く 実
用 化される 段 » にある。 バイナリー は 日本お よび アメリカ がその 実用化の 研究に 力を入れ ている。 い
ずれの »^ も, 中 温 地熱 流体に よる 発 竜 は, 経济 性の 高い トータル • システム を どう 考える かとい う 点に
しぼられて 関 速す る 技術の 開発が 進められ ている。 このような 考えで 進められ ている 研究 は^ 低温 地熱
« 体の 技術へ と発逮 する ことになる。 その 1 例と して あげるならば, まだ 基礎研究の 段瞎 では ある
が, アメリカでの Geopressure 型资 源の 熱 水の 噴出 圧 と? と の 並用 利用 方式の 研究が あ り, また, ソ
速での JMcfiS と 外気 沮 度との 間にある 落差 を 直接 力学的 エネルギー (麵転 エネルギー) に 変換す るた
めの 研究が ある, 地熱 ヱ ネル ギーを 動力 用 エネルギー » と して 利用す るた めに は 力学的 エネ ルギ 一^ ^の 変
ft 効率 を 高める ための 広汎な 研究が 必要で ある。
次に, 地熱 »« の 有効 利用と いう 点で 重要な 問 寧 は, 中低 温 地熱 流体の もつ 熱 利用で ある。 石油 '天然
ガスな どの 燃料の 消 »» 城に 寄与す るた め, 地熱 资源を 地域 暖房 • 給湯 用 熱浪と して 利用す るに は,
KWcfi 度 もさる ことながら, 资源 ふ存 地域と 消費 地との 钜 離が 最大の 問 « である。 アイスランドの Rey-
kjavik, ハンガリーの Budapest, Szeged および Szentes, ニュー ジ ランドの Rotorua, ァメ リカの Kla-
math Falls'" など は, この 点で 好 条件 下に ある。 これらの うち, ハンガリーの * 合 は 火山活動と 関連が
なく, 高い 熱 流 量 を 示す 堆 » 盆の 熱 水で ある- この種の もの は 熱 水温 度が 余り 高くなかったり, 貯 S 層の
力 i 深くなる ことがあ るが, 资源 ふ存地 城と 消 * 地との 地理 的 条件に 恵まれて いた ものが 多い。 地 * 暖
房 用に は少 くと も 70°C 以上の 熱 水が 必要で あり, 生産 井の 口元 温度 は 90°C 程度が 望ましい が, 低温の も
ので も 利用 システム を 考えれば 実用になる。 フランスの パリ 盆地の Melun, ソ連の Caucasus の Mak-
hachkala での 熱 水利 用 は 熱 水温 度 は 70°C 內外 である。 冷房. 冷蔵 用への 利用 は少 くと も 75~85°C の 熱
* が必 奏で あるが, 暖房 • 冷房お よび 冷蔵 用に 効率よ く 役立てる に は, 熱 交換 システムの 研究が 必要で あ
一 7 一
186
陶山淳 泊
る。 現在, 各国で 中低 温 地熱 流体の もつ 熱 エネルギー を 効果的に 取り出し, 空 謂 • 冷房 用の エネルギー 灘
として 活用す るた めの 研究 カミ 進められ ている。 中低 温 地熱 流体の 有効 利用 を 針る 場合に, その は,
上に 述べた 熱 交換 システムの 選択の ほかに, 熱 水の 沮度 • 生産 量が 影響す るが, また 熱 水の 化学 » 成が 重
要な 要因と なる。 KWc の 化学 m 如何によ つて は, 排 JMc の 地下 還元が 必 B となる が, # 熱 水の 地下 還元
はまた 熱 水の 枯渴と 地 « 沈下の 防止の 两 面で 必凝 な もので も ある。 ところで, 多!: の jIMc を 効果的 》c* 下
に 還元す るた めに は, 還元 能力の 向上 を 計る 必要が ある 力、 この こと は貯 » 層の 冷却 を 引き起す »tt が あ
り, 貯 » 層の 冷却 を 防止しつつ, 排熱水 を 地下へ 還元す る 研究が^ f われて いる。
このような クローズド • システムの 開発 は 地熱 资 源の 効果的な 活用と いう 点で 極め て 重 B な 蹀 JB であ
り, そのために は, 地熱 流体の 貯溜 層の 実 想の 把握と 貯 » 層 内での 地熱 流体の 挙動に ついての 貯灌層 工学
的 アブ ローチと 力 t 必要で ある。 この種の 研究 は アメリカ ユー ジー ランド, フランス などで とくに 活発
に 行われて いる。
以上 述べた ように, 各国で 地熱 资« の 開発 • 利 用の ための 研究開発が 行われて おり, とくに, 资 源の 実
據 の 把握と そ の 有効 利用 のた めの 研究 が 重点 的 に 進められ ている。
結 び
地熱 エネルギーの 包蔵!: は 莫大な もので あり, これ を 人類の 利用す る エネルギー 源と して 活用す る こと
を, いまや 真剣に 考えるべき である。 ところで, 地熱 エネルギー は 種々 の 形 想で 资源 として 地下に 埋蔵 さ
れ ており, まづ, それぞれ について 资 源!: の 評価 を 行う ことが 必要で ある。 現在のところ, 资 源!: の SWB
は一 応 なされて いるが, その 精度の 向上の ために は, 評価 方法の 適切 化の ための 研究の 努力 を 必要と す
る。 一方, エネルギー 資源と しての 利用 は, 現在, 150°C 以上の 高温 地熱 流体 资 源が 発 竜 用に 利用され,
90°-150°C の 中 温 地熱 流体 資源が 1 部で 地域 暖 • 冷房に および 農業 用 熱源と して 利用され ている にす ぎ
ない。 今後, 本格的な エネルギー 资 源と して 地熱 流体 资源を 利用す るた めに は, 有効 利用の ための 技術の
関 発 を 一段と 促進す る 必要が ある。 その他の 地熱 资 源に ついては, その実 体の 把握と 熱の 抽出の ための 基
H 的 研究に 重点 を 匿いて 研究 を 進めるべき であろう。
地熱 资 « の 評価 • 探査 • 採取お よび 利用に 関する 研究開発が 着実に 進行す る こと によって, 地熱 ヱ ネル
ギ 一は 確実に 将来の エネルギーの 供給 » となる であろうし, また, そうなる ための 努力 を 怠って はなら な
V、。
文 默
1) WHITE, D. E., MUFFLER, L. J. P., TRUESDELL, A. H. (1971) : Vapordominatcd hydro-
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— 8 一
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187
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(1976 年 3 月 22 日 受理)
一 9 一
地学 雑訪 86, 4 (1976)
日本の 地熱
資源
角
清
愛 *
Geothermal Rcsoutcm
of Japan
Kiyoshi SUMI
Abstract
Characteristics of geothermal resources of Japan are summarized with special in-
terests in their geological distributions. There are four kinds of hopeful geothermal
resources in Japan i.e. super- heated steam high enthalpy thermal water in volcanic area,
low enthalpy thermal water in sedimentary basin in non- volcanic region, hot dry rock
and volcanic heat.
Amongst them, the high enthalpy thermal water in volcanic area is most hopeful at
present. It may be resulted from the fact that most of Japanese geothermal resources
are distributed in a big volcano- tectonic depressed region which was formed at miocene.
The depressed region is filled mainly with Neogene Tertiary volcanic rock in one or two
kilometers thick and overlain by the clusters of volcanic cones of Qnaternary age. Such
structure is probably preferable to the formation of high enthalpy thermal water which
requires reservoir structure and the su&cient supplies of heat and water into it.
National reserves of the superheated steam and high enthalpy thermal water which
is able to be utilized for commeraly power generation are calculated to several ten thou-
sands million kW. thousand year at least as far as the production wells are not deeper
than 1.5 kilometers.
Writer demonstrated that the attention of the prospecting hereafter should be focuss-
ed to the deeply seated geothermal resources which may be occured in pre-miocene
fructured sedimentary rocks hidden beneath the miocene volcanic rocks of the neogene
volcanotectonic depressed area in Japan.
I. 糖 言
1973 年 以来 世界的な 規模で ひろがった エネルギー 危機 は, エネルギー 源の 大部分 を 輪 入に 親って いる わ
が 国に とって はとく にきびし いものが ある。 各国 は K つて 代替エネルギー 源の 研究開発に * り 出して いる
が, 日本 も その一 つで あり, 地熱 エネルギー は その 中の 最重点 項目の一 つと されて いる。
天然 资 豚の 価値 や 範囲 は 経済 情勢お よび それに 刺戟され て 起る 技術の 革新に よって 変化す るので あるか
ら, 地熱 资 源の 考え方 も 近年の エネルギー 情勢の 変化に よって 大きく 変り, 力、 つ 複雑 化して いると いえる。
1970^ にィ タリーの ビサ巿 において 第 1 回国 速 地熱 会 議 が 開催され た 当時 は, まだ 大«« 努電 所が 引き
合わない, 僻地ない し は 開発途上国 における 地熱 開発の メリットが 強調され ており, 今日の ように 先進 ェ
* 地質調査 所 地 效熱部 Geothermal Research Department, Geological Survey of japan
一 10 一
B 本の * 鹯 8E 鼴
窠 S が 麓って 自 S の エネルギー » として 》熱 の 研究 開 める こと 《»* も 出 * ない ことであった,
197Wpt いう 年 は 日本で は0 本 地鹘赒 *6 による 「日本の 地 IBftHEJ が 出 K された 年で あ 6, これ は B
* で 初めて 地! ftSSE の 現状 JTte を K み た ものと いえる ものであるが, その 作業が 行われた 1968 — 1969*F は
わが国 《91の商》的地»»電所の1«業のぁった1966年 (松 川) および 1W7 年 (大 岳) の 翌年に あたって お
D, 地 » 発電の S 内に おける ffffi も * く 定まって 来た 頃で ある, このような 情勢 下で. B 本の 地熱 资 »量
を あらためて 考えて みる ことと なつた ので ある,
エネルギー 危機 はしか レモの fi» に おった, 産 油 B パワーに よる— 時 的な S 度の 危機感 は 去った もの
の, 石油 « 洛の髙 看と, エネルギー 自給 度の 低い ことと から 来る 的 危»» はすで にぬ ぐいが たい もの
fc なって いる, 代 #ェ ネル ギ 一! (を 求める 時代の B» の&, 漸く 実用化 時代に 人った 地 »»» も それが 通
熱 蒸気 あるいは 高工 ンタ ルビ一 《1 水で あるかぎ!), —在 熱 S»" の カテゴリーに 入れられ' 》J の 新
しい 力 チゴリ 一の 地 R«S (の 利用 研究が 求められる ことと なる。
1973 年から はまず 在 *翌 地熱 SHR の 全国 鬮《 < 全国 地熱 基 》H 査) が 》 めら れ, 翌 W7i 年から は 従来 利
用 不可能と みられて い fc 低 i ンタ ルビ 一KMC, 岩 体. 火山 熱 等の JlftSSi 利用 技 W の 研究 (サン シャイ
であろう,
しかし, 新たな) R 点に よる 地熱 接査は 始まった ばかりで あり, ほ 査 JS 針と なる 赒査 地遺定 には^ =F»iL
が あるよう にも 思える。 一方 単なる 《 査 •» 查の みで なく, 定期的に. を 整理して, RiH«6 作 * を
行わねば ならない, そのための ffffi 技術の 改良の 努力 も必 II である。 本文 はこの ような 《B に 応える ため
に, 日本の 各種の 地熱 状, 価 » 杲の W を まとめた ものである。
終 り に:? 真 を 撮影して いただいた 正 井 《« 氏に 対 し 《W© 意 を 表する •
II. «UM» の M
tfi 熱 《fll の «ft は 上に も 述べ fc ように, 時代 t ともに K 遷 してお り, とくに 近年 は 変化が はげしい,
b 本 は 古来より 入浴 を 好む B 民 性の ため, 湯 » と 呼ばれる fi 泉 利用 a'f われて おり, 保養 の 利
用 は 今でも tt々« ん になりつつ ある, 生活 や 生 S へ 利用で きる 天然 物 を と 呼ぶならば, 11* 用 *1* も
攀生 »魔 という ことができる, ま fc 今日 九州の JB 宿 や 岳の 湯で み られ るよう な 天然 *ft の 家庭 用 炊事への
S 面 も 多分 Sgtt 古いので あろう ,
^tttt に 入って, モの初 rtl9M 年に イタリーで 天然 蒸 SL が 産 « 用 ft 力に され tt める と, わが国で も
!8 戴 は その後 《 年 を S て 松 川の 商 * 的 地熱 》« 所と して 実 を »ん だ。 この 47 年 W は 日本の 各地で 天然 «気
を* めた 探査 活動力! われた 期 W でもあった, テスト プラント も » —数 10kW に 通ぎ なかつ たこと も, 操
» すれ ぱ 探査 上み るべき 成果で 上って いなかった ともい える ので ある。
1958*F, - ユー ジ一 ラン ドは ワイ ラケィ において 熱 水からの フ ラシ ュ 蒸気 を 用いて »« する ことに fifcSd
仲阖 入りす る ことと なった ので ある。 « 力 中 ^の 招きに よって 来日 (1956 年) した フランスの マ チェ
tt» の意见 害すな わち, 日本に は 》然 蒸気の 地 ft* 帯 は 少なく 地熱 56« に は 何かない という 者え に さ
れて, 地 ま 活動が一 時 中断した ので あるが, ワイ ラケィ の 成功に よって. 探査が 再 W される ことにな
&. その 結 *1967 年の 大岳 》 電所, « いて 1973 年に は大沼 » 電所! im»&BB 始し, また 大分県 八丁 原 や S
の 上で) 利用す る » 電の M» が it 行中で ある, 熟 水の 561 利用への 8 望が M け
C BI およ IWfe 集に よる 《* 活動 は 一層! (ffltt となった。 1973 年から B» で 始められた 全 B 地熱 t 当然の
ことながら, 蒸気と SIMc と を 探査 対象と した ものである。
熱 水の 》謙 利用 は 上述の ように, フラン ュ熏 ft を 用いる 技術の 《» に A う 所が 大きい ので あるが,
190
A 淸愛
発 竜 サイクル における 熱効率 は 当然 低い ことになる。 現在 商業 的に 引き合う 発 竜 用 熱 水の 貯« 層 は
180°C が 限度と されて いる。 この 熱効率 を 高め, 下限 温度 も 引き下げる 目的で バイナリー サイクル 発 竜 技
術の 研究開発が 進め られ ている。
これ はィ ソ ブタン または フ レオンの ような 低 沸点の 熱 交換 剤 を 用いて タービン を 回す ものである。 ソ
速, 米国, 日本で 関心 を 持 たれて おり, ソ連で は カムチャツカに テスト ブラント (*A 口の 水温 は 81°C)
を 建設 している。 日 本で は 工業技術 院の サン シャイ ン計 面の 中で 昭和 4阵 か ら こ の 発 竜 システムの 研究が
とり 上げられ, 65 年までの 50,000kW ブラントの 建設が 指向され ている (工業技術 院, 1975)。
1973 年から 始まった 世界的な ヱ ネル ギー 危機 は, それまでの 地熱 资 源の 範囲 を 大き く ひろげる こと にな
つた。 资 源の 範囲 は 技術の 発展に よって 决定 される ので あるが, 緊迫した エネルギー 状勢 は 技術の 研究 簡
発に その 完成の タイムリ ミ ッ ト を敉定 する こと を 余儀なく させて いる。 この こと は 技術の 完成 を 持って か
ら资 » 評価 作業 を 始める よう な 状勢で はない こ と を 意味して いる。 技術の 研究開発と 资源 評価と は 併行し
て 行われねば ならず, 资 源の 結果 は 逆に 技術の 研究開発への 重点 投资へ 貢献す るからで ある。
従来から 利用が 実用化され ている 蒸気 • 熱 水に ついては, 超 深度 (2,000m~4,000m) への 探 取 範囲の
拡大 を はかり, 一方 低温 低圧の 熱 水の 56 竜 利用 を 目指さねば ならない。 後者に ついては, 上に 述べた パイ
ナ リー サイクル 発 竜 方式 カ^: 究 されつつ ある。
—方 また 従来は ほとんど 注目 された ことのなかった 熱が 注目 される ことにな つた。 それ は 堆積 盆地の 熱
水, 高 岩 体お よび 火山 熱で ある。
堆積 盆地の 熱 水 は 地下 墙温 率が 特に 異常と はいえ な くても, 容水 層が 大規模で かつ 深部に 及んで いる 所
では, 数 1000m の 所で 100。C 近い 熱 水が 多 量 に賦存 する ことになる。 古くから ハンガリー &地ゃ ジョル
ジァ 地方で このような 熱 水が 農業 等に 利用され ていた。 ところが^ 回の エネルギー 危機に よって, これが 空
WJ 暖房に 利用され るよう になって 来た。 その 初最の ブラントが パリ 盆地の 熱 水 を 利用す る ムランの 都市 熱
供給 事業で ある。 この ニュース は 世界的に 注目され, 異常 熱 微侯は ほとんどな いに 等しい ドイツ さえ も 地
««R 査に秉 り 出して いる。 わが国 も 都市 熱 の 経 * が 悪化して おり, この種の 地 用 も 併用され
ようとし ている。 このほか 米国で 注目され ている ものに 岩 圧 水 型 (Geopressured) 地熱 资 18 [が ある。 これ
は メキシコ 湾岸 地方で 注目され ている もので (Jones, 1970), 急速に 沈降す る 地 向 jftftit 積 盆の 中で, 不
透水性の 粘土質の 地層に よって 熱 水が 閉じ こめられて いるもので 深さ 4 ~ 7km の 所で 150~273。C とな
つてい る。 含まれる 水 は 天水 起源の 循 でな く, 堆積物 自身の 圧密 や 说 水に よって 生じた ものと されて
いる。 特微 的な こと は 水圧が 静水圧より はるかに 离 いこと で, ここで は 岩石 fflf 重 勾配の 2.3kg/cm«'10m に
近い もの さえ ある。 日本で も 主と して 油田 地裕 において 期待され る ものである。
高温 岩 体 は 地温 は 異常に 高い が 透 水 率が 低い, 乾いた 岩 体の こと をい い, これに 人工的に 割れ目 を 作れ
ば 水 を 循環す る ことによって 熱の 回収が 可能になる という ものである。 この 概念 は REX (1972) が 米国 西
部の 地熱 资源を 評価した 際に 100 年間, 1,000 值 kW の 数字 を 出した こと, また LASL (ロスアラモス 科
学 研究所) が ニューメキシコ 州の Jemez 山系で 実 » に 地下 破» 技術の 研究 を 始めた ことによって 急に 资
灘 と しての 高温 岩 体が 注目 される に 致った。 JK5 の-ユース では (Geological Survey of Japan, in pxcss),
Jemez 山で は最深 12, 500 フィートの 3 本の ボーリングが 行なわれ, 実 B に 割れ目 を 作る ことに 成功した と
のこと である。 そして 更に カリフ オル- ァの Coso 地区で はもつ と 大きい と考えられる 离置 岩 体 を 目標に
近々 l~1.5km の ボーリングが エネルギー 研究開発 局 (ERDA) によって 実 拖 される とのこと である。
Jemez 山お よび Coso はいずれ も 第 四紀の 巨大 カルデラの 基お 花 豳 岩の 高 fi» を 対象と している, これと
and BAAG, 1973), 最近 これ は 高温 岩 体で なく 93。C の 熱 水 循環系であった という (Geological Survey
oi Japan, in Press; 0
火山 熱 は, 火山の 噴火 エネルギーの 巨大 さから, 非常にば く大な ものであろう こと は容 * に 想條 される,
一 12 —
B 本の 地 ffi 资靄
TEMPEUTURE l"C
しか し 活火山の I ネル ギー tt 出 は 利用する に は
余!) にも 気まぐれ 的で, むしろ 災害の とし
て みられて いる ことが # い。 この * 火山 熱 利用
は 防災 と *8« えた 研究 M3B が 必!! であろ
5. つま!) この エネルギーの 研究 はま だ 実用と
いうよ P は 基 » 的な KB にある ので あるが, そ
れ にしても, 現実の 活火山の 熱源 は 浅» の 冷 地
下水 W で しゃへいされ ている ことが 多い のて',
£«的 な 熱 構造 》 査 すら 非 M に 困難で ある. あ
とで 述べる B 本での 大 ft, 招 ft* 山, 矢 » 山な
どが そのよい 何で, 米国の ハワイ 鳥
1975) など もそう である。 これ は 熱 エネルギー
出が マグマの ,出と いう 形で 行われる の
で, 火山 体 を 1* 成す る 地層 モの もの は, むしろ
ふつうより 低い 事が 多い。 しかも 浅 層の 性
地下水に よる 冷却 効果の 為, 更に 低い 地 示
すので ある, *fi キラウェア 火山で 行われた 地
» 研究 井 も そのよう な iB 度 分布 を 示 して いる,
この 井戸 は ffi さ 1262m であるが, 孔 口の 海&
真 度 は 1102m であるので, 孔底は 海面 下 160m
にすぎない, この 井戸の 度 分布 は S1B の 通
5 で, iKS500~750m の 所に 80- 90°C fiflE の 鱭 1
(WQ 層が あるが, その 下 W は i& 激に 温 度が 下つ
ており, 熱 水觸は 横に »» する 性質の ものと 考えられ てい
に遏 ぎない,
このように 現在 考えられる 地 解と して は 天然 蒸気, 髙ェン タル ビー 熱 水, 堆« 盆地の 低 ェンタ ルビ
一 熱 水, Kfi 岩 体お よび 火山 熱の 5«» に 分ける ことが 出来る ので あるが 以下, それぞれ について, b 本
における R 存 状態 を 紹介して みよ う,
III. 天然 蒸 S
率の 最もよ い 天然 蒸気 は, 当然の ことながら, B 本で も ほ 査の第 1 目標であった, しかし ffiftZO
^ぉょび30^代の全国各地での|84活»にもかかゎらず, イタリーの ラルデ レ o のよ うな » 霞 徒 力 を 持つ
か 所 近い ま 気? !?(» とう 泉 も 含む) があって (第 2 図), 現に 絶え間なく 天 S 蒸気 を « 出して いるので あるが,
その 多く は 比 い 所で 熟 水から 分 建した 二次 蒸気で, 発電の 立 # からい えば 熟 水 型と 《¥ ぶべき もの
で, 蒸 511! ではない らしい ので ある。
BS120 年代の 地 熱 探査の 基本的な 考え方であった 近 藤 (1954) の 第 33 のよう な, 地下 蒸 は 実際に
tt なかなか » 見され ず, 地表で は 地 At をな していても, ボーリングして みると, 地下 は 熱 水で ある こ
とが 多かった ので ある,
Bfc20¥ 代の 考え方の 基礎に あるの は, マグマ 灌り または その H 辺の 《!B 岩 体で 加 熟された 蒸気が, 上
& して 地下 空 M に で ft まっている, すなわち 一次 蒸気の 考えで あつたと ffif* される, しか uaai
に は * 下 は ft* 暦で ある ことが *<, 天然 蒸気と いわれる ものの 多く は それからの 二次 蒸気で ある ことが
ハワイ * キ ラウ ユア ■ 火山に おける itt
!» 研究 井内の IBS 分布 (古本, 1975)
, ? US に 到って 濯く 最 «136°C が 記 « された
S2 図 B 本に おける および 沸と う 泉の 9 布
ttflt は その 場所に 降る 天水の それと 同じで ある こと, マ ダマに 近い SiflS 境 はお it した ことがない ことな
どが わかる に 及んで 二次 は 益 * 信ぜられる ようになって 来た,
天然 蒸気の 多くが, 分隱の »所 の 深さの 大小 は あるに せよ, 二次 蒸気で ある ことが わかって 来る と, 現
このために 考案され たのが White ひ 971) の 断面 H (第 4H> である。 この 図 は 近 藤 ひ954> の 第 3E
の 断面 囡と 似て はいるが S 底 SE に, もとの 熱 水 層が ある 点で S つてお り, たとえば 熱 *fi» の 蒸気で も,
水の 少ない 高 am 体が あれば, 》 熱 蒸気が *fiR し 得る こと を 述べた ものである. この * えで ま 》な= と は
B* の 《 熱资 《
*Mc か ら の 蒸 91 ^離 度お よ び貯 ffl 岩と 《S と の 深度で あ り ,
いずれもが ft 当の 深 K でなければ ならない, S 本で たしかに この
S とされて いる 松 川で は, 900~l,000m 以下の 深度に ある 第三
K 層の 山 津田觸 が, 蒸 §W« 層と なって いる。 しかし, 他の i«L!B
では, JfclOm 程度の * が 多く, S«S な 場合 は 数 m 程度と 思
われる ことがある,
松 川 は M» 以前 は 50°C にみ たない fi 泉が 自然 湧出す る だけで
あつたが (角, 1970), 300m 程度の ボーリング によって, 蒸気が
噴出した。 この 付近 は 深度 160ra 付近 を 境と して, 上が 第 四 (E の
松 リ! 安山岩, 下位が 鲜新 世の ffl【l» 結 »庆 岩で あるが, 玉 川 S 結
»K 岩 は その上 (H! は 割れ S の 多い 》 灰角礙 岩が 多いた めに 抝 US
山 岩が 相対的に W 岩の 8; 百 を 果してい たようで ある, しかし この
S さでの 蒸気で はェ * 的 発 « 量 は 望めない ので, 深部 を する
= ととな つたが, 山 》 田 層に 遣す るまでの 玉 川 S 結 B 灰 岩 中には
有! » な貯 8 層 は 存在せ ず, Sfi 岩 体に 近い 状 ffi であった と S えら
m3m 地 》 地 A? の 推定 断面
山 津田層 は 中 新 世の の 海成堆 8 (岩層で. 黒色 砂 '
岩. ほ 灰 岩の 互 雇で ある, P 本の 地 熟 地 城の 地下 地質の 87% は 第三紀 • 第 四紀の 火山岩で あ!), このよう
な 第三 *e 堆 a 岩 は, 松 川と * の 上た' けで ある。 * の 上 は 熱 水 型で あり, 第三 ぉ堆« 岩 即通熱 iKas という
こと はあり 得ないで あろうが, « 状 火山岩が 上位, 板 状 堆積岩が 下位で あるよう な 地質 溝 造 は, 中 古生代
岩 も 含めれば, わが国に は 非常に 多い はずで ある • 世界で 最も 著名な 天然 蒸 《Jffi 帯の ラルデ レ b • ガ
ィザ 一が いずれも 中生代 堆 9 岩 を その 貯溜層 t している ところから, 上述の ような 地 H 溝 造 は 今 》 の 重!?
(cffiS の 対象に してよ いと 思われる.
また, d 川 は J6« 熱 徵《 は 非常に 小さい もので あつたが, 》性《58带 だけ はわが 国有 »: の ものであった
[ft, 1970). 天然 蒸 * 地 ffi では, 蒸? 6 に 伴な う 揮 》 性 成分の * 集の ため 》 性 》 液が でき & いので,
^き,
ゆ6'
ト V ノ
か 曙 GU\) ゆ々 °f
第 4B »«車《5! 地! Rtft まの 推定 断 E 図 (White e
ffi 場 鍵 三 R, 地熱,
_J
し O Os E> C36
B 本の 主 Jf 地熱 地帯に おける 状 H (角, 1970), 1: 中生代 * 積 岩, 2:
先 K 第三紀 花 MS, 3: 前 - 中 ffl 中 新 世 火山岩, 4: 後 ffl 中 新世堆 H 岩, 新 It
火山お, 6 : 第 四紀 火山岩, A : アト サ ヌブリ, B : 昭和 新 山, C : »ぉ, D :
松 川, E : S の 上, F : 八 « 平, G : 鬼 首, H : « 子, I : J : 大島, K :
**, L : 熱 川, M : jf«, N : 大白 川, O : »J 府, P : 大 fi, Q : » 天. R :
岳の 》, S : 霧 ft, T : tB 宿
S 状堆 W 岩 中の! ((とう * (秋 田 小
安の 大«!6. 堆積岩 は 第 3*3 の
川 層). 正 井 《郎 撮 K
松 川 地熱 地帯の 》 性 変質 書. この 露鰂
は 幅 60m, K75m で, 石英 t« ばん S
fc から 成る。 この 場所に ** 熱徵 R は
全くな く, :? 真のよ 5 に 植生 もよ く *
ま する. しかし ここの 》Tftl200m 付
近で は 約 270'C が 観 湖され ている (中
ft ■ 中 村, 19TO). :£ 丼 義鯧摄 影
日本の 地熱 资灘 195
第 1 表 日本に おける 6CTC 以上の 浴用 熱 水の 構造 区別 慶出量
地質 構造 区
QUO6 cal/min)
sp. Q(10"6 cal/sec. cm2)
VPH-1
0
0
VPH-2
7,700
5
Av-1
16,000
17
Av-2
6,900
267
Av-3
1,000
13
Av-4
11,300
53
AM
400
2
Af-2
0
0
針
42,300
Q: 放熱 量, sp. 単位 面積 あたりの 放熱 量, VPH-1: 先 アル ブス 造 山 推 (束
北 日本), VPH-2: 同 (西南 日本), Av-1 : アル ブス 造 山 火山 寄 (束 北 日本), Av-2:
同 (伊豆 • マ リ アナ 弧), Av-3 : 同 (山 除 • 北陸), Av-4 : 同 (九州), AM : アル ブ
ス造山 權曲推 (束 北 日本 日本海 ffi), Af-2: 同 (南部 フォッサマグナ).
Jtff (明ばん 石 • カオ リン • パイ ロブ イラ イトで 特微づ けられる) が^し 易い。 このような 大規模 IW4
変質 * は, 日本 は 非常に 多い ので ある。 面積 2km» 以上の もの を 大規模 » 性 変 かとするならば, 昭和
48, 49 年の 全国 地熱 基 確 調査の 行われた 20 地域のう ちで も, 農 羽 一定 山渓, 支 笏ー涧 爺, R が 岳 南 Iffc 八
甲 田, 八 « 平 北部, HUB 北部, 南部, 吾妻 北部, 吾妻 南部, 白 根 南部, 伊豆 北部, 伊豆 南部お よび
« 南の 計 13 地域に 上る (第 2 表)。 このような 大規模 変質 寄の 中で 深い K«t が 行われた 例 は 少ない ので, 今
後 蒸 «S 地熱 地 寄が 発見 される 可能性 は 大き い と 思われ る 。
IV. 离ェン タル ピー 熱 水
ここにい う 高工 ンタ ルビー 熱 水と は «E による フラッシュ, 低 沸点 流体 を 用いた バイナリー サイクルに
よって » 雷 可能な 熱 水 をい う。 フラッシュ 法に よる M の 貯溜層 温度の 下限 180°C, バイナリー サイクル
法で は, これ は 今後の 技術 開発の 結果 如何によ ると 思われる が, かなり 100°C に 近ず くものと 思われる の
で, このような 以上の JIWC をい う。 そして, 採取 深度 は 1~ 2km とする。
このような 高工 ンタ ルビー 熱 水 は, 十分な 熱と 水との 供給お よびこれ を 貯潘し 得る 地 造の 存在, こ
の 3 条件 を * たす 所に 分布す る よ う にみ える。 このよう な 条件 は, 地質学 的に は 新 期 火山 性 構造 盆地が 最
も ふさわしい • ニュージーランド 北 島の 口 ト ルアー タウ ボ 地溝 带のヮ イラ ゲイお よび ブロード ランドの 熱
*|» は その 最も 典型的な 例で ある。 日本で は 八 « 平, 栗 tt, 九重, 鹿 児 ft 湾 周辺な どが これに あたり,
B;|co«Uft 地熱 地 « をよ う している。
B 聿 における 离ェン タル ビー 熱水资 源の 分布 を 概括 的に 予想す るに は 温泉 分布 をみ るの が 最も 手つ と り
というの は 泉 は 熱 流体 そのもの であるし, それに 日本 は 世界最大の 浴用 利用 国で あるので 行政 サ
ザ p«>ftfnaE が 行き わたって おり, 未 利用の 熱 徽侯地 は 極めて 少ない からで ある。
1975* に 相つ いで 出版され た 日本 温泉 分布図 第 2 版 (角, 1975a) および 日本 温泉 鉱泉一 K (角, 1975b)
fc は 全国の 2237 の 温 • 鉱泉が 記載され ている ので, 上述の 目的に よく 合 S する。 高工 ンタ ルビー 熱 水の 賦
存が 予想され る 所 を 60°C 以上の 熱 水澳出 地と 仮定し, これ を 地 Jt« 造 区別に 放熱!: を 計算して みたの が
第 1 表で ある • これに よれば 60。C 以上の 熱 水の 88% は Av 地区 即ち アル ブス 造山带 (中 新 世 以降の 造 山
誉) の 火山 嘗 から 產 出して いるので ある。 また 単位 面積 あたりで みても Av 地区 は VPH または Af 地
K に « ベて 1~2 けた 大きい 镇を 示して いる。 Av 地区 は 上に 述べた 新 期 火山 構造 性 SB 没 寄 そのもの であ
9, ここが 日本の 主な 地 寄と なって いる こと はうな ずけ る 所で ある • そして Av 地区の 中 はさら
一 17 —
に 相 *tW に 火山活動の S い 所と 3* い 所, の 著しい 所と そうでない 所に 分けられ るので, これらの 组合
せに よって, 顯蒈な 火山 溝 ifittteift 帯が 作られる。 これが 上に 述べた 八 《 平, 九 S, 廉児 »« など
で 1» の 地 fi 地 W と なって いるので ある, ただ 伊 S のみ は 果して 火山 構 fittBftff かどう か はわから な
い, 火山 性 台地との 意見 もあって 今後の 研究 asB である,
このよ うな 者え に 立てば 蒸気お よび ffi ェンタ ルビ一! R 水の 《* 地 《の瓊 定には 次の ような 基準が 適当と
思われる (角, 1975c)。
7, まず 龔 S の 単位 EM を 50~100km» とする。
ィ, 各 単位の 中には? あるいは 70°C 以上の 熱 水の 流出 点が 少く とも 1 か 所 は ある ものと する,
区 * は 火山 分布, HM» 候 分布, teS«ifi および を 考慮して 定める.
V. JMMt 地の 《 ェン タル ビー »水
る に は そこに 経 S 性の ある 地熱 が 4* される ことになる。 地 II 学 的に は堆 地と いわれる と;:
ろが, このような 条件 を 具えて いる,
都市 暖房 用の 熟 水 AS の 下 K を 80-C, グリーンハウス 用の それ を 60°C とし, そ ©ffiK の 熱 水 を 得る た
めに は 通常の 地下 ififi 率の 3°CV100in では, 井戸 BE 度が 200Om 以上で なければ ならず, B 本の ダリン タフ
でしば しば みられる 4°C/100m でも, 1500m 以上の IE 度が 必要で
ある, つま りこの 霍の熱 》« の 接 S • 開発に は 深 井戸 を 鍵らねば ならない
ので, 石油 • 天然 ガス S 燃料 (E 床の ほ査に 伴って, この種の が 》 見さ
れて 来た, この こと は, ヨーロッパ » 国, 米国, 日本す ベて 同 » である,
S 本での 堆 «fi 地の 熱 水の 利用 は 大部分が 浴用, 一 »淌 雷で あるた め 妻
求され る S 度 は それ ほ ど髙 く ない。 これ ま でに こ の 種の 熱 (は » 尾 平
IF, M 束 平 ff, 新 S 平野, 新庄 £ 地, 津 g 平 P, 小川 原 湖, 《« 炭田, S
小牧, 天 北 等で 知られて いる.
* 尾 平野で は&藝 (1973) によれば, 熱 水 採取 層 は 鲜新統 の 基底 礙層か
ら中新 K の * 上部で あり, 井戸の 深 度 は l,«»~2,000m で, 地 fi 上昇 率
は 2°C H/100m である, 多くの 井戸 は自 * し, 最大 自! * 量 は 90W/min. で
あり, 孔ロ水 fi は 34~60eC である,
W 東 平 ff では 佐 藤 (1973) によれば, 井戸 度 は 500—2,10011! で,
地 ifi 上昇 率 は 2°CA00m, 孔ロ水 fi は 26~55°C である,
新 では fe» (1973) によれば, 井戸の 2,100m で. 30-
61.5°C の 水が 得られて おり, 地 率 は 2°C/100m SSt いわれる,
(1975) によれば 新 » 平 ff の 地 は 1.5°C/100m から 35-C/100
m の IB を 変化す るが (第 8 図), おおむね 沈 の SB 分が 小さい 值 S: 示し,
基 《降 起 《s が 大きい 德& 示す ようで ある, 8o'c の 地 ia は lttofc とえば
新津丘 R 付近な ど を 除けば 大体 2,000~2,300m の M で 得られる ようで あ
る, 新 S 平野で 浴用に 利用され ている 》 泉で * も 泉 il の 高い 三条 市の 本 成
寺 fi 泉 も 石油 探査 井 (ffiff 約 2,600m) を 活用 した ものと いわれ, ««700C,
自« 量 約 aXW/min. の ものである。 は 中 «m の 七 谷 層 といわれる,
新庄& 地で は 佐 藤 (1973) によれば eW-gOOm の 井戸から 39.1— 48°C
©a* を 得て いる, 一方 小川 原 湖 あるいは »(S 平 》 などで は l,O00m クラ
»8I3 JfiiS 平野に おけ
る 地! B 勾 BB 分布
日本の 地熱 资灘
197
スの fi 泉 井が 4~5。C/100m の 地温 上昇 率 を 示して いるが (佐 藤, 1973), これ は, 前述の 油田 • ガス 田地 寄
のよう な 厚い 堆積 盆地で ないた めか も 知れない。 北海道の 苫小牧 付近 も 比 tt 的 高い 地诅 勾配 を 示す 堆積 盆
である。 これ は苫 小牧巿 付近から 登 別 市に かけての 延 *Hft25km の 太平洋^で ある。 描 富 ほか (1970)
は昭 ft44 年に ここの 虎 地 城の 59 本の 井戸 を 研究して, 澳 出口での 激度 (40-53. 5°C) の 8Wc
が, 深度 300~700m 付近の 室 蘭 層 (鲜新 世 黒松 内 期) または « 别層 (中 新世訓 » 期) の tt れ目 中に 胚胎
している こと を 述べて いる。 なお これらの 温泉 井は澳 出口に おける 静止 水理が 高い ことが 特微 で, それ は
8~10m で, 11.6m に逮 する ものが あると いわれる。 最近, この 地 城で, 1200~ 1500m の ボーリングが 5(6
んに 掘削され ている が, これらに 関する 平均 的 地 上昇 率 は 100m にっき 4.5~4.9°C である。
常继 炭田 は 油田 • ガス 田で はない が, やはり, 堆積 盆地 型の 熱 水賦存 地で ある。 中 村 '安藤 (1953) に
よれば 3 X 6km 位の 地域に, 深さ 200 — 700m の 所に 30~64°C の激 水が 胚胎して いる。 貯溜層 は 基 » 花
« 岩に のる 第三紀 層 下部で あると いう。 中 村 • 安藤 (1953) の データ Sr«Wf した 酒 井 (1955) は 地 上昇
率 を 100m あたり 6.3°C としてい る。 このような 高い 地 湿 上昇 率 をみ ると, 熱 水の 循環系の 存在が 疑われ
るので あるが, 2,400cf/m というよ うな 大量の を 絶えず 排水す る 点から みて, これ は 堆積 盆地 型の 力
テゴ リーに 入る ものと した 方が よいと 思われる。
最後に 米国で 注目され ている ような 岩 圧 水 型 地熱 资 源が 日本に も あるか どうかの 間 « であるが, 具 常 高
圧 自体 は 秋 田 • 新 潟 油田で 知られて おり (河 井, 1973), その 地 城が ffl 曲地带 である ことと 相 まって, 日本
でも メキシコ 湾岸 型の 岩 圧 水 型 地熱 资 源が 発見 される 可能性 も ある わけで ある。
vi. mmmw
日本の 地熱 地 带は透 水 度の 高い 火山 性 地層から 成り立つ ている ことが 多い ので, 水の 少ない 高温 岩 体 は
少ない。 基 《 岩が 結晶 質 岩 (主に 花崗岩 質 岩) からなる 高熱 流!: 地 城に 高温 岩 体 は 生成され るので あり,
このような 地質学 的 条件 を そなえた ところ は, 乗 鞍 火山帯 北部, 大山 火山 琳, 阿蘇 火山な どで ある。 土木
工事に よって » 見され た 黒 部 渓谷の 阿 骨 原, 安房 峠な どの 高熱 岩 » は 正に それで ある。 杉 山 (1972) は 日
本の 温泉に 花 M 岩 体の 陸 起 構造と 成因 的に M 係す る ものが あると 述べて いるが, そのような 温泉が 多い と
いわれ る 山 險 • 新 潟に も 高温 岩 体が 期待 される かも 知れない。
一方, 花 M 岩 K 岩で なくても, 日本の グ リン タフ 地 寄の 古 期 火山岩の 中に, しばしば 高温 岩 体 類似の 高
熱 岩 体が 発見され ている。 :» 羽, 湯 田 股, 葛 根 田な どが その 例で ある。
黑部 渓谷の 阿 骨 原 谷と 仙人 谷の 間に 3 本の 高熱 ほ 道が あり, 昭和 11 一 15 年お よび 昭和 35— 37 年の 水力 発
tffl 導水 トンネル および 軌道 トンネルの 工事中に 遭遇した ものである。 昭和 35 — 37 年に 掘 さくされ た新黑
三 導水 トンネル 延長 1,273m のうち, 100。C 以上の 高熱 部が 963m あり, 最高 温度 は 175°C で, 全般的に
乾 » してお り, 乾燥して いる 所 ほど 温度が 高かった といわれる (関西 電力 (株), 1965, 1975) o 地質
は 黒雲母 花 (ffl 岩お よび W 緑 岩から 成る といわれ るが, これ は 多分 飛 » 変成岩 類 を 貫く 白亜紀 花 W 岩 類に *
ナる ものであろう。 土木工事 施工 上の 岩 K 等級 分類に よると, A 級 (きわめて 新鮮 堅 硬で, A 裂 節 理が少
なくよ く * 着して いる), B 級 (新鲜 堅 硬で, AS 節理も ほとんど 密着して いる), C 級 (堅 硬で あるが A
8»1 に 粘土な どが 介在し, いくぶん 開口 状で 変色して いる) および D 級 (風化 を 受けて 軟弱と なり, 粘
土 を に 介在し あるいは 大きい 開口 A 裂が ある) に 分けた 場合, それぞれ 区間 延長に して 36, 40, 22 お
よび 2% を 占めて おり (関西 電力 (株), 1965), ここの 場所が 熱 流体の 対流 を 許さない ような 敏密な 岩 相で
ある こと を 示して いる。
S 羽 は 北海道の 定山 »fi 泉の 西方 10km にある, 日本 有 敷の 銅鉱 山で ある。 地 K は 中 新 世の 変 K 安山岩
その 火山 IWB 岩, 貫入^ などから 成って いるが, 坑道 あるいは 探坑 ボーリングの 度が 異常に
高い • 石 川 (1969) は 一 350m 地 並までの 温度 分布 は, 100m にっき 14。 位の 地下 iifi 率に なり, また 离灘
度地裕 と: 貫入 体と は 分布 上 H 係が 深いと 述べて いる * 深度 150m の 付近までの 最高 a« は iwc
一 19 一
第 9 図 晝羽 At 山に おける IS 度 • B 度曲絲 Ott 内 ほか, 1975)
である, またく るみ 沢 で 掘削され た 1000m ボーリング は孔 底で iR230°C に: 8 している。 坑内に 8! 出す る
fi 泉 はお もに 地表の 川筋の 下部に 多く, 乾いた 岩 « が 多い. 竹 内 ほか (1975) は 地下の 貯鹰 層から S
石の すき 間 を 通って 熱 水 あるいは 蒸気が お ft し, 桔»^ に SSfig 体 におけると 同じような による »
» 分布 を 示して いると 解釈して いる (第 9 図), いずれにしても 日本で は 珍ら しい タイプ OiMS 地 であ
0, «年度 から は国费 による 地熱 《 まも 行われて おり, この 地区が Bfig 体 g であるか, あるいは
fflJB の * な る帼 岩で ある か, いずれ 明 かにな るであろう,
» 田 股 は 秋田県 後生掛 fi 泉の 南 4 km の 湯 田 R; 川 出口に あり, 昭和 34 — 35 年の » 電 用水 トンネル 工事に
みつな) 岩から 成って いる。 加 瀬 田 (1959) の 12 载 する 所に よれば, 坑口から 218m 地点で 95-C, 230m
JftjS で 123で の 岩 fiflg が M 定され たという。
vii, 火山 鶴
火山の 噴火 エネルギー は 余りに 巨大で あり 人工的 M» は ffi めて むづ かしい, しかし, その 欲に 地熱 エネ
ルギ一 » の究機 目標の一 つと もい える ので ある,
日本で 火山 熱 利用が 考えられ SIS 研究が 行われ fc の は, 大 島, 昭和 新 山, 矢 答 山, tt 黄鳥な どで ある,
大 A (伊豆) では 1957 年に 磨 田 観光 (株) によって 大 A 地 WW 査 * 貝 会が K 立され 大 島の 地熱 WE が 行わ
れ たが, これ は 活火山で ある 三啄 山の 熱 利用が 究 S 目 擦であった, 1958 — 62 年に は カルデラ 内で 130~3TO
m の 5 本の ボーリングが 行われた が, いずれも 孔 内に 70— 80°C の fi 泉水の 存在 を IB め fc にと どまつ fc«
水位 は 200~300m の 所に あり, また これと て宙 水の 可能性の ある ものである,
昭和 新 山 はよ く 知られて いるよう に 1943 年から 19ぉ 年に かけて 新生した ものであるが, これに ついては
多 » の 地 K 学, 地球物理学, 地球化学 上の が 行われた (扭本 • 早 川 ほか, 1957 など)。 1966 年に はマダ
マの 通路であった と みられる 南方 lkm の 地点に 375m の 構 透 K« が 行われた • しかし 予想に 反し? tB»
*20X を 得た だけで, これ は 山からの S 層 伏 ifok のた めであろう と) (M! され fc (早 JII ほか, 19OT).
矢 S 山 は 伊豆 半 ft 天 城 火山の 《 火山の 石英 安山岩 ドームで, fi2,830 年 |» から 870年«©|11に 生成され た
- 20 -
日本の 地熱 资灘 199
ものである。 静岡県 庁 (鲛島 ほか, 1967) の 基 確 調査に 基づいて, 1974 年に 東京 電力に より 構造 試 錐が 行
われた が, 孔 BE (77m) で 12.5°C を 得た のみであった。 これ も 山 体 を 流 下す る 浅 層 地下水の 強い 影響に
よる ものと みられる ので ある,
揚原 (1974) は 新しい 活火山に 温泉 を 伴な うこと カレ 少な いのは, その 水 文学的 特微 にある と 考えた。 す
なわち »tt の 進まない 火山の 成 層 構造が, 水の 地下への 渗透を 妨げて おり, 深部の 高温 部が 乾いた 状 簾に
なって いると 考えられ, このような 熱 は 水の 人工 注入に よって 回収で きる ものと した。 この 考えに よる 調
査 «»E が, 工業技術 院の サンシャイン ft 画の一 環と して 1974 年から 硫黄 ft (廉 児 島 県) で 始められ ている •
vra. 日本に おける 地熱 資灘 優
以上, 日本に おいて 利用 可能な あるいは 将来 利用 可 « となる であろう 地熱 资 源の 種類 • 性質 • 分布な ど
について 述べて 来たが, 资源 » の 立場から すれば, それらが 何 cal あり, あるいは 何 kWh に 当る かとい
う 定!: 的资 価 こそが 究極の 目的で なければ ならない。 その 結果が 日本の 長期的 エネルギー »|& 針 面に
反映され て ゆく ことになる。
地熱 资 漏の 評価 技術 は 世界的に みても 未だ 初歩 的 段» にあり, 問題が 多い ので あるが, 現在までに 日本
で 行われた 評価 結果 を 紹介 してみ る こと にす る。
日本での 地熱 资 «[ 評価 はこれ までに 4 回 行われて いる。 それら を 実 IS 年代に よって, 1957 年 評価, 1970
¥ffff, 1974 年 評価お よび 1976 年 評価と 呼ぶ ことにする •
1957 年 評 |5 は 地質調査 所が その 昭和 20^ 代の 全国的な 地熱 地 概査の 結果 を もとに 行なった もので, 日本
« 産 ttVI-a, 3^< —ジに 述べられ ている (地 K 調 ぉ, 1957), この 評価 は 全国の 主要 地熱 地 13 地域の 面積,
間隔, 蒸 « ^産!:, および 発電!: から 算出した ものである。 13*« と は アト サ ヌブリ, 登 刖, 9
山, 八 « 平, 荒 雄 岳, 白 根, 箱 根, 立山, mm, 大岳, * 仙, 阿蘇お よび 霧 ft であり, 総 面積 6km» とな
る。 面積 算定の 基 « は 多孔 算珪化 変質 带が 主で あるよう ある。 生産 井 間 PB および 蒸気 生産 量 は 1948 — 1951
年の 工業技術 庁の 别府 における 結果 (原 田 ほか, 1952) を もとに, それ ぞ tUOm および 10t/hr とす
る, もっとも この * &別府 での 実績 は 40m, 2t/hr であるが, これ は 深度 100m, 口径 3 インチで あるので,
深度 300m, 口径 8 インチと すれば 10t/hr は 期待で きる だろうと している。 発電!: は別府 では 2t/hr. につ
き 100kW であるが, ラルデ レロ では lt/hr にっき lOOkW であるので この 值を 採用して いる。 これらの 前
* に 立ち » 計 400 万 kW という 数字が 算出され ている。
1970¥評« は 昭和 43 および 44 年度に 日本 地熱 W 査 会の 地熱 资 « 委負会 (佐 藤 光之助 委員長) によって 行
われた もので 同 W 査会 発行の 地熱 別冊 No. 3 「日本の 地熱 资源」 (地熱 調査 会, 1970) の 中に その 結果が
述べられ ている • 1957 年 評価 以後, 1966 年に は 松 川, 翌 1967 年に は大 岳の それぞれ 商業 的 発電が 成功し 評
儀の ための 基 « データの 確実性が 墙大 するとと もに, 作業 そのものへの 要望が 高まった ために 実 IS さ
れ たもので ある,
197脾 評 ft において は 8 の 方法が 提案され ている が, これ を 便宜 的に 分類して みると (A) マグマ 潘の
«fflMt 法, (B) 自 然 放熱!: 法, (C) 地熱 地域 面積 法お よび (D) 地下 filfok 量 法と になる。
マグマ 灌の 残存 熱!: 法 は 日本の 新 期 火山の 地下の マグマ 溜に 残存して いる 熱量 を 理論的に 計算して, こ
れ から »«« 量 を ft 算 する ものである。 これ は 日本の 第四紀 火山 200 が 通 去 10 年の WJ に 平均 的に 誕生した も
のとして, 500^ 毎に 1 つず つ マグマ 溜が^ した ものと する, マグマ 溜 は 半径 5 km, 厚さ 5 km の 円筒
形で 深さ 10km の 所に あり, feft 当時 は 1,200°C, 7 万^ « に は 900eC となって 固 結す る ものと する. こ
の «« に 立って, 現在の 熱 *6.15xl0«cal を 出し, この J!* を 5,000^ 問に 12% の 熱効率で 発電に 利
用 するとす ると 2,000 万 kW となる。
自然 ttt» 量 法 は 地熱 地域で 》 泉 • « 気な どの 形で 自然に 発歉 している 熱量 を 評価の めやすに する もので
ある, *j«Bl での 研究に よると, 411 の 泉から 6.3X10»ctl/min が 放出され ている ので, S 本 全体 10,S78
— 21 —
200
角 淸愛
の 置 泉から は, 比例 針算 によって 16xlO"cal/min の »}R が あると 推定され る。 これ を そのまま 電力に 換
算 すると 400 万 kW となる。 次に すでに 地熱 » 電が 行われて いる 地域で, 取 量が B! 発 前の 自然
の 何 倍に あたる か をみ ると, ワイ ラケィ • アイスランド などで 4〜5 倍, ラルデ レ 口で 10», 松 川で 30
倍, ガイザーで 170fflP となり, 平均 数 10« がみ こまれる, したがって 上記 400 万 kW の 敷 10 倍の 1« kW
は 日本の 発電 容量 を 示す 1 つのめ やすとなる。
地熱 地域 面積 法は既 開発の 松 川と 大岳 において 単位 面積 あた り の » 電量を 求め これと M» 可 維 面積との
積に よって 総努電 可能 量 を 求めよう とする ものである。 松 川で は 顕著な 変質 带 (明ばん 石お よび カオ リン
«) 2.1km* を 開発 可能 面積と すると, 現在 0.35km* の 開発 区域から 20,000kW の 発電 をして いる, すな
わち lkm2 あたり 57,000kW の 発電と なり, 全部で は 120,000kW の 発電が みこまれる ことと なる。 大岳
では 電気 探査の 結果 有望な 194ha に 地形 条件 を 考え その 6O-70o/o の 1.3km» を 開発 可 徒 面積と する。 大岳
の 平均 的 生産 井 間隔 は 150m であるから, 1.3km* は 65 本の 掘削が できる。 現在の 生産 井 1 本の 平均 出力
は 3,000kW であるから, 3,000kWx65~180,000kW の 出力が みこまれる。 これ は 単位 面積 lkm* あた
り 138,000kW となる。
地下 包蔵 水量 法 は 熱!: と は 独立に 熱の 運搬 媒体で あ る 水の 包蔵!: か ら 評価 しょうと する ものである。 こ
の 方法に は 現在地 下に 埋蔵され ている 熱 水 を 採取 するとい う 静的な 考え方に 立つ 化石 水量 法と, 地表から
浸透す る 水の 量 だけ を 採取す る という 動的な 考え方に 立つ 循 法との 2 つに 分け られ る。
化石 水量 法 は 日本の 地熱 地裕の 面積 を 26,000km* と 見積り, 深さ 1.5km3, すなわち 39,000km» の貯潘
層が 10% の 孔» 率 を もつ ものと して, 包 jfok 量 は 3.8X10" トンと なる。 1 万 kW の 発電に は 100t/hr
(8.8xl0*t/yr) の 蒸気が 必要な ので, 上記の 包蔵 水 を 1000 年で 消 * すると すれば, (3.8X10") + (8.8X
10* X 10*) 卸 4000, すなわち 4000 万 kW の 発電 容量が みこまれる ことになる。
循 IMC 量 法 は, 世界の 地熱 地带の 湧出 水量 は 全 降雨量の 10~33% であると いう 事実に もとず き, 上述の
26, 000km* の 年間 降雨量 を 1,600mm として, その 10% を 取得 可能 量と すると, それ は 4 X10*tl/yr とな
る。 この 水が すべて 蒸気で あり lOOt/hr で 1 万 kW 発 戴が 可能の ものである とすれば, 発 « 可 は 4000
万 kW となる。
循環 水!: 法に よる 取得 可能 量 4 Xl0»t/yr は 化石 水量 法に よる 包蔵 水量 3. 8x10" トンの 約 1000 分の 1 に
相当す る。 この こと は循 H 水量 法に よる 毎年の 取得 量 4 X10» トン は 浸透して から 熱 交換して 澳 出す る ま
での 時間が 1 ,000 年であって よい ことにな る。
1974 年 評価 は, 1973 年に 始まった 世界的な エネルギー 危機に 対処す る 為に 通商産業省が » 足させた 新 ヱ
ネル ギー 技術 研究開発 計画 (いわゆる サンシャイン 計画) の 内容 を 審議した 産業 技術 審» 会 エネルギー 技
別 部会 地熱 分^の 報告 (同 部会, 1974) に 現われた ものである。 この 評価の 特微は 新しい «取' 利
用 技術の 開発に よって 利用 可能に なると みられる 低温 熱 水, 超 深度 熱 流体, 高 ffl 岩 体お よび 火山 を »« の
対象と して 注目した ことに ある。 在来 技術に よって 採取 可能の 资 源すな わち 天然 蒸気 (水 まじり 蒸気 も 含
む) の资海 評価 は 上述の 1970 年 評価の 結果 を ほぼ そのまま 路 » し, 5,000 万 ~lttkW と 推定して いる •
熱 水 発電 は 1 万 kW の 発 戴に 必要な 蒸気 100t/hr の 3 倍の ものが 産出 するとし, lgr の 水から 40cal を
抽出し, 10% の 効率で 発電す ると して, 天然 蒸気 » 電の約 Va の 発電が 出来る ことになる。 現実に は 天然
蒸気 を 伴わない 熱 水 地域 も 存在す るから, それ は 前者の 3 倍 は あると して, 上記の i/a の 数字 は 1 ん (3 +
1) となって V2 となる。 超 地熱 资源は 現在の 開発 対象 1.5km を 2 信 以上と し, したがつ てこの 量
は 在来 型 地熟资 源と ほぼ 同程度の 量と する。 火山 エネルギーに ついては 新 » 電 方式 I* 合 IHE 委員会 火山 *
« 分科会の 試 JI2000 万 kW を 採用して いる • 高温 岩 体に ついては, わが国に おける 例 はない としな が
らも, ァメ リカの Jemez Mountains の 試算 例 を 参考と して 1 tt kW 程度と )1« つた. 以上の 天 織«»
低温 熱 水, 超 深度 熱 流体, 高温 岩 体お よび 火山に よる 资新 埋蔵量 を それぞれ, 1 億, 5,000 万, im. 1 值
および 2,000 万 kW とすると 合 針 3 <g7,000 万 kW となる 0
一 22 —
日本の 地熱 资灘 201
第 2 表 変質 寄 調査 驗条 による 地熱 埋蔵量の 暫定的 雀
地
域 名
変質 裕 面積 (km«)
推定 包蔵 量 (10«km)
パイル フィ ライ トの 有無
が
岳 北
W
0 7
W • 督
42
蒽
W
8 2
492
\j
塞
北
213.0
2.780
n
伊
豆
南
3.5
210
o
南
7 2
432
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羽 •
定 山
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2.3
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部
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肘
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香
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南
部
9.6
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O
白
根
南
部
5.5
330
i
岳
0.1
6
o
伊
豆
北
部
4.7
282
o
阿
蘇
1.1
66
露
島
3.1
i 186
針
87.2
5,232
1976 年 ff 価 は 1973 年から 1975 年に かけての 3 年 計 面で 地 K 調査 所が 実施した 全国 地熱 基 確 調査の 結果 を
総合して 行われる ものである。 ここで は 1973— 1974 の 2 年間の 結果から された 暫^ ff 価の 結果 を 述べ
てお く • この 作業 は 放熱 量 調査と 変質 *W 査との 結果に 基ず いて 行われて いる (地質 調 lE^f, 印刷 中お よ
び Geological Survey of Japan, in press) 0 放熱!: 謂査 による 評価 は 1970 年 評価に おける 自熱放 熱量 法
による もので, 調査ず み 16 地域の 自然 放熱 量 合 針が 1.5xl0»cal/sec (9 Xl0»cal/min) となり, これ は 60
万 kW に 相当す るから, これに 20 を かける と 1,200 万 kW となる, これから 30 地域 分 を 比例 計算で 求める
と 2,300 万 kW となる。 変 による 評価 は 1970^fftf における 地熱 胃 面積 法に よる もので 調査ず
み 18 地域の 変 総 面積 87.2km2 に 松 川の 係 敷 6 万 kW/km* を かければ 520 万 kW となり (第 2 表), 30
分 を 比例 針算で 求めれば 870 万 kW となる。 ただし 係 ft に 松 川の もので なく 大 岳の 14 万 kW/km* を
用いれば 870 万 kW は 2,000 万 kW に增大 する。 1976 年 評価の 結果 は 従来の 評価 結果と 本質的に 異なる も
ので はない が, その 特微 とすると ころ は, その 基 確 データが, 各地 熱 地 城の データの 積み上げ である こと
にある のであって, 今後の 最終 緣 括が またれ るので ある。
IX. HT 外国との 比較
以上 日本の 地熱 资源 として 考慮に 値する, 通 熱 蒸気, 高工 ンタ ルビー 熱 水, 盆地の 低ヱン タル ビー
高 as 体お よび 火山 熱に ついて 考察して 来たが, これら 5 種の 资源 は大 なり 小な り, すべての 国が
ft 有して いるものと いえる。 しかし これらの 陚存 状態 は 上述の 通り, 地質 構造 上の 特微に 支配され るの
で, その 国の 地 造に 応じた 探査 順位が 決められなければ ならない。 米国で たとえば 高温 岩 体の 研究が
» まった からといって, 日本で も 直ちに 高诅岩 体の 地 T« 砕 技術に 巨 類の 研究 投资 する 必要が あるか どう
か, あるいは これと 別の 超 深度 熱 水の »1E が 優先され るべき かも 知れない ので ある。 このような 点から,
202 角清爱
先ず 日本の 大きな 特徽は 火山が 多い ことで ある, 世界の 活火山 は 今のところ 合 針 829 とされて いるが
CKATSUI, 1971) その 中の 実に 76 が, 百分率に して 9.2% の ものが B 本に ある。 B 本の B 土の B« は 世界
©0.27% であるから, 活火山 分布 ま 度 は 世界の 平均の 34 倍と なる, 世界に 均等に 分布 すれば 日本に はわ
ず か 2 つの 活火山が 割当てられる にすぎないの である, さらに その上に, 休火山, 死 * 山, さらに 火山の
, を 失な つた 火山 も1 の 量が 非 * に 多い, この ことから. B 本 は 火山活動に BKg する 地熱 Jf« に 最も 重点
がおかれ る 必要が あろ 5, すなわち 業 太 ¥ 洋 地域, 大西洋 中央? MWWfc 地中? ft 束 》 アフリカ 大 *flMf
などの 火山帯と 共通で あり, 通 熱 蒸気. 《 ェンタ ルビ一 熱 水 》 の 高!! 性の! が 多い. この 点で. 堆積 S
地の 低: c ンタ ルビー 鹪水 SSE を 主と する ョ一 " ツバ 大 睡地统 米国 メキシコ « 岸 地方な ど と 具な つてい
次に 同じ 火山 裕の 中で も 基盤 岩が 多孔 us か tesi? 岩 か, あるいは 岩 かが, 水の 透水性と Baa
れらの 地層 は 1M« 的 S 水性が ffi いらし く, この fc め 熱と 水との 畫窗な & によって 高工 ン タル ビー 熱 水が
多く 期待され るであろう。 日本, アイスランド' ニュージーランド, 南 イタリー などが このような 地 城で
あると 思われる. 結晶 質 岩 これ は 主として 花 W 岩 ffS であるが, これが 主たる 基 » の 所 は, たとえば 来 DB
の大 盆地 «« など は, 水の 》 透が 良くない ために Mil 岩 体力1 M 待され る: とになる • 勇 味 あるの は 第 3 の
岩石 即ち 板 状 堆積岩で あり, これ は 中 S 度の 水 供給 をお * する のか どうか, とにかく, この 岩石 を 貯清鲴
ある。
第 3 に A 山 岩の 化学 成分の fflIB が ある。 日本の 第 四 紀 火山 は 中性の 安山岩 K の ものが 多く, それの 下 tt
の の 火山岩 は珪 Mt の «R 岩 • 石英 安山岩が 多い。 アイス ラン ドゃ ハワイの よ ラ な 大洋 性 火山で は
»RW の 玄武岩が 主で ある, モ して 米 BB や ニュージーランド では 珪 SKS が 多い, 火山岩の 化^ I 分 は,
マグマの 》 生 場所の 》 度, マグマ 清の 様 (マグマ ©tttt のちが いに 88 速して) に 大きい 影響 fc 与
える であろう。 この IS 题 はこれ まで 研究 H はない が, 今後 注 S して 行かねば ならない と 思われる,
第 4 の MB は B 本に は 《 生の 熟 流体が 非 S に 多い 点で ある ■ » 性 》 水 は 成因 上, 食 tt* (中性ない し S
アルカリ性) から 禅 分が 分 * し, これが S 層の 地下水と S 合して される ことが 多い ■ つま!) 天
«9R««t 特微 づける ものである。 しかも S 本で は lkm 以上 も 深い 所から KttJlMciS する *WMWH,
鬼 *\ 八丁 » 等に あ 5, このよ 5 な こと は 台湾 北 W などの ほか は 世 にも 稀で ある • » 部で 天
が i« ナれ ば, これ は 気と なる 可能性が 大きい • 》ぉ の 件 下で 4 ^される バイ 》 フ イラ イト
が 》A される の は 世界で も B 本 だけで ある, この 事 は B 本で 今後より Si« において 邐 1*««裕 が 》 見され
る 可能性が 大き いこと を 物 》 つて いると いえよう,
X. H 雷
以上 日本の について, その 性)! および 分布に ついて 述ぺ たが, これ を!? 約 すれば Ik のようにな
る。
日本に は: IfiSKtSSt, 高工 ンタ ルビ一! (S*. 非 火山 性 の 低 i ンタ ルビ一 熱 水, 高 および 火山
熟の 51i)H の 地 《資灘 が あ!), それぞれに 希 S が もたれる,
現在 ffi 業 的 》 竃に案 用 に 入って いるの は, 上 E のう ちで 》 熱 * 気と * ェンタ ルビ — «W( の AW
1 -1.5km までの もので, こ ©«H での B 本での JB 電 量は少 くと も *1000 万 kW ttJUi まれる,
今後, B 本の 地熱 *« の 》 査の 目標 は, iMMWl および 高工 ンタ ルビー 熱 水の 赋存 Jft 域で ある アルプス
SS 山の 火山 寄の Biffi におくべき である, この 地 # での 地! ^は 岩に 遍 していない fe のが 多く,
それに SI 逾 する ま で に 期待 さ れ る に 注目 する が ある,
曰 本の 地熱 资灘
203
非 火山 性堆 «ft の 低ェン タル ビー 熱 水, 火山 熱お よび 高温 岩 体 も 同時に 研究して ゆかねば ならない。 中
でも 日本が 火山 国で ある H 係から 火山 熱の 利用 研究が 効果的と 思われる。
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— 26 —
地学 雑 85, 4 (1976)
日本に おけ る 地熱 探査
馬 場 ft 二
Geothermal Exploration in Japan
Kenzo BABA
Abstract
The Geological Survey of Japan started to carry out the basic geothermal survery
at the beginning of 1973 FY. In that survey, the selected thirty geothermal areas shown
in the figure 1 are being surveyed by geological, geophysical, and geochemical methods
to develop geothermal exploitation at each area. This is the first systematic project
conducted by the Government for geothermal exploration in Japan.
In each area, hydrothermally altered zones are mapped and the measurement of
natural heat discharge including shallow temperature survey is done. Geophysical pro-
specting (electric and gravimetric methods) and geological mapping are applied at some
of them. Collecting chemical data of hot spring is also done at the most of places.
The results of these exploration work are utilized to decide the sites for the pro-
ceeding drilling. At each area, a few wells of about five hundred meters depth are
drilled by the government to know the underground geothermal structure. This drilling
project started in 1974 FY.
At some geothermal areas in foreign countries, using geophysical techniques the suc-
cessful results were reported. However, generally speaKing, the technique of geother-
mal exploration is not well developed. Recently, the Geological Survey is concentrated
also to develop exploration technique.
I. はじめ に
地熱の エネルギー 资源 としての 役割が 最近 見直されつつ ある。 これ は 内外に 共通す る 傾向で, 我国で も
による 開^ 進の 施策が とられつつ ある。 探査 活動 も 盛んになつ ている。 我国の 地熱 » 電の 沿革 は 古
く 大正の 時代に さかのぼる ことができる。 また 地熱 探査の 歴史 も それに 伴い 古く さかのぼる ことができ
る。 地熱の 全国 稠査 として は 1947 年 工業技術 庁 (工業技術 院の 前身) カミ 着手した 地熱 発 戴の 研究の 際の も
のが «: 初と いえよう。 我国の 地熱 発 « の 沿革, 探査の 歴史な どと 共に この 研究 成果 は 同 庁の 報告書 " に詳
とめられて ある。 これ は 地熱 地の 分布と 大略の を まとめた もので, 本邦の 地熱 発 « 可能: l*^400^kW
の 推定が 行われた。
的 探査 活動の M 始 はさ らに 最近の こ ととい える,
* 地 繋 赒置所 地 tt 熱お oeothermal Research Department, Geological Survey of Jaoan
一 27 —
! B 1 a 地 KMX 所に より 調査され た 30 地 1C 位置 E (B48~50)
なお 我国に おいて は ffl 知の ように, JS* 水の 浴用 利用と いう 形で 古くから 地熱 利用が なされて いる, し
かし IfcRS 電 はなん といっても^ B 利用の 上から は 面 期 的な ことで あり, 今 S の JWB 開 通の 大きな ね
らい も そ: にある, 従って 本文で a 地) 査を, 電を主 目的と した^の と して » う,
さて 地 所では その後 も 地熱に ついての Bttt 行って *fc が » に 《»48* 度から 3 ケ年 « "画と して
大々 的に 全 国的《 模の 地熱 探査 を 行って いる。 現在:!! 行中の ものであるが その 91況 を 中心に 》寰活» を 本
文に のべ 大方の 參 31 に 供したい,
地熱 》査 技 》 の 研究 は 31 在 内外の BKIfi 学 • 技 》 者め M 心 を よんで いる • においても 工業技術 ほが
iB 和 49 年度から 開 » した 大 5( の 研究 プ a ジェク ト である サンシャイン 針 繭の 地熱 8E 門の 主 B 研究 テーマの
一つに なって いる。 なお サンシャイン IfB と は 地熱 を はじめ 太 石 ほの ガス 化 • 水 * ガスな どめ « 用
の 技術の 隨? St ねらいと した 新徵 エネルギー 利用 の BHBtt 蘭で あり, SKEaSMf の 主 賽なプ 《 ジ * ク
卜の 一つと なって いるもの である,
本' 文で は ±» の Hf«8¥KJ:!ilW された 《9 におけるい ば 《«DO 全围的 ttMHErafe いえる JfcK
日本に おける 地熱 探査
207
第 1 表 地域 名と 各 年度 毎の 調査 項目
眷号
地域 名
20 万 地形図 名
所在地
48 年度
49 年度
50 年度
1 ; 臺羽定 山
1 渓
札
札 ttm
1 1
1
1 1
北 港 IK 有珠 IS
3 i 駒 ケ岳北
| 部
室
北海道 茅部邯
\ 放熱 量 • 変質 寄
1 • 地 化学 ,地震
4 | " 南部
M 館
it
1
5 +勝 川上
流
旭 川
北海道 上 川 W
6 下 北
函 蛾 • 尻屋崎
• 野辺 地 • 音
森
音 森 県下 北 W
1 1
7 ' 八 甲 田
音 森 • 弘前
音 森 県 音 森 市
放熱 量 • 変質 裕
• 地 化学 • 亀 気
放熱 量 • 変質 寄
• 地 化学 • 電気
放熱 量 • 変質 裕
• 地 化学 • 重力
8 ; 八 W 平 北 | 秋 田
! 部
9 " 南部
〃
十 扣田巿
秋田県 鹿角巿
秋田県 仙 北 郡
放熱 量 • 変質 推
• 地 化学 • 亀 気
放熱 量 • 変質 推
• 地 化学 • 亀 気
放熱 量 • 变質裕
• 重力 • 地 化学
放熱 量 • 変質 寄
• 重力 • 地 化学
放熱 量 • 変質 推
• 亀 気 • 地 化学
• 写真 地質
10
栗 駒 北部
新 庄
秋田県 雄 勝 郡
' 揚沢市
放熱 量 • 変質 寄 ,
, • 地 化学 • 重力 1
1 • 地質 !
11
〃 南部
宮城県 玉造邯
12
肘 折
仙 台
山形 乘 最上 郡
13
蔵 王
〃
宫城 W 刈 田 郡,
山形 市
! !
1 1
1 ,
14
吾奏 北部
1 山形県 米 沢 市
| 放熱 量 • 変質 寄 !
15
" 南 W
〃
t8 島 県 IS 島 ぁ
16
m m
日光, 白 河
\ 栃木県 黑確市
, 那須町
放熱 量 • 変質 裕
• 地 化学 • 重力
放熱 量 • 変質 裕
• 地 化学 • 電気
放熱 量
• 重力
変質 推
地 化学
放熱 量 • 変質 推
• 地 化学 • 重力
17 白 根 北部 長 野 田 : 長野県 下 高 井 郡
放熱 量 • 変質 推
• 重力 • 地 化学
• 写真 地質
放熱 量 • 変質 寄
• 重力 • 地 化学
• ^真 地質
18 ; // 南部
19 I 北 アル プ
ス
20
21
22
23
ま 岳
白 山
伊豆 北部
" 南 節
〃
富 山 • 高山
高 山
金 沢
nm • 横須賀
nm • 横須賀
• « 前 崎
群 j« 県 s 妻邯
! 富山県 下 新 川 郡
\ 長野県 南 安 暴 郡
! 蚨阜県 吉城邯
I 石川県 石 川 都
挣岡県 伊 束 市
賀茂郡
挣两県 賀茂邯
下田 市
変質 寄
• 重力
地 化学
放熱 量 • 変質裕
• 写真 地質 • 地
化学 • 重力
放熱 量 • 変質 裕
• 地質 • 地 化学
放熱 量 • 変質 裕
• 写真 地質 • 地
化学 • 重力
放熱 量 • 変質 推
• 地質 • 地 化学
放熱 量 • 変質 裕
• 地 化学
一 29 —
208
鳥場键
第 1 表 のつ づき
番号
地域 名
20 万 地形図 名
所在地
48 年度
49 年度
50 年度
24 1 紀伊 山地 田 辺
25
26
28
29
30
美 方 周辺 鳥 取
湧蹇' 大分
阿 蘇
霧 島
薩 南
南西 猪 島
〃
鹿 児 島
M 聞 岳
和歌山県 束牟赛
都
兵 庫 俱美方 郡
焉取 ift 気 ifcW
大分 * 玖珠 W
熊本県 阿蘇 郡
鹿児島県 烚良郡
宮崎県え びの 巿
鹿 児 島 俱指宿 市
揖宿郡
鹿児島県 三 島 村
放熱 量 • 変質 推
• 地質 • 地 化学
• 重力
放熱 量 • 変質 寄
• 地質 • 地 化学
放熱 量 • 変 寄
• 電氕 • 地 化学
• 写真 地質
放熱 量 • 変質 裕
• 地質 • 地 化学
• 重力
放熱 量
• 重力
地 化学
放熱 量 • 変質 裕
• 写真 地質 • 地
化学
放熱 量
• 重力
変質 帑
表 中 「20 万 地形図 名」 は 地域が 含まれる 20 万 分の 1 地形図 名で ある. 調査 項目 中 放熱 量 • 地質 • 変
質带 • 写真 地質 • 地 化学 は その 各 謂査の 意味で あり, 重力 • 電気 • 地震 は その 各 探査 を 意味す る.
謂査 所の 全国 地熱 基 確 調査の 概要 を 紹介す る。 次に 最近 我国で 行なわれ ている 探査 法の 研究の 現 a の 紹介
を 試みる ことにする。
II. 全国 地熱 基磁 II 査 について
地質調査 所では 全国 地 熟 基礎 調査と して 昭 fP48 年度よ り 3 ケ年 計画で, 全国的 地 査を 行って 来て い
る。 この 計画 は 全国より えらばれた 30 地 城に ついて 基 確 的 地熱 調査 を 行い, 本邦に おける 地熱の 発の 発
展に资 する こと を ねらった ものである。 この 計画 は 従来の エネルギー 资源, 殊に 石油に ついての 供 お
よび 価格に 対する 最近の 危 に 対応すべき 施策で あり 新 エネルギー 资 源の 開発の一 環 と して 行 ft± の 重
要 施策と された ものである。
第 1 図に えらばれた 30 地 城の 場所 をし めした。 また 第 1 表と して 各地 城で 行われた 調査 項目 を 示した。
30 地 城の 選定 は 地熱の 地 表徴 侯が 活発な ところ を 含む 地 城で ある こと, 30 地域 をなる ベく 全国的に かたま
ら ないように 選ぶ という 考えで なされた ものである。
調査の 方法と して は, 第 1 表 中に あるよう に 自然 放熱 量 諷 査, 変質 带 調査, 地質調査, 地 化学 調査, 写
真 地質 (赤外線 地 «) 調査, および 物理 探査が ある。 物理 探査の 方法と して は 主に 戴 気 探査お よび 重力 搮
査が 用い られ た。 以下に これら の 各 調査 法に ついて «»& の 説明 を 行 う 。
地下に 熱 的 異常がない ところでは 大略 1HFU の 地殻 JRiSlt が ある こと はよ く 知られて いる • しかし 異
常 熱源が 存在す る 地熱 地で は 熱 流: 1 の 値 は, 1HFU を はるかに 上 まわる のが 普通で ある。 また 温泉 澳 出
や » 気の 形で^ 導に よる もの を はるかに 上 ま わる 熟が 地表 上に 運び出 されて いる。 このよう な 異常な 自
然 放熱!: を 定量 的に 観測し, 地熱の 規模の 推定, さらに は 地熱 探査 上役 立てる こと をね らう ものが 自 JS&
熱!: 調査で ある。 自然 放熱: 1 についての 知識 を 地下 熱 構造と 結びつける 試み は 例えば 箱 根大涌 谷に ついて,
湯 原 (1968)" の 報告が ある。 自熱 放熱 量の 測定に あたって, 一定 深度の 地温 W 査, または 地 a 勾 E 調査 を
行い, これ はまた 地下 異常 熱源の いわば 直接 探査の 役 わり を果 す。 地熱 地に おける 温泉 » 出に ついては 孔
井に よる ものが 主な ものであると ころも 多い。 現 ftft 々の 行って いる 測定で はこれ らもす ベて 地域からの
放熱!: と して 极 つてい る • 日本の 主要な 地熱 地からの 放熱!: は福窗 • » ほらに よって これまで いくつかの
一 30 —
B 本に おける 地熱 》 査
»2 表 B 本の 置 泉 地からの: » 熱量 (その 1> 文 K« よ 5
面 n
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よ る
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22.0
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32
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20
17.3
VI
25.9
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52.4
9.
19
1
38.1
12.7
63.6
JUE で 行われて おり, その 結果 はたと えば 》DS(1969)« のまと めた 表が ある。 第 2 表に は 》 原の 表 を 第 3
表に は 新たに 今回 我 * の 行った M 査ぉ果 より えられた * 直 を まとめ fc もの を » げた。
地 熟 地の 地熱 S» を あらわす 示樣 として 放熱 量 を & うこ t がで きる, そして また それ は 包》 地熱 量
D 大きさ を 比 する 上に 有効な ものと * える ことができる。
お!), 暴» が ここで JB 介す る 任 にないが, 簡単に 記せば 次の 《 になろ 5, 変質 *«査 は 熱 水 ほ 》 による 《
WMI 分布 を あきらかにする ことで あり, これ は 過去の 地! R®» を も 含めて 地域の 地熱の 規模の 示標
t 示す fc のと 更る こ とがで きる * ま た 変質 W の 分布の MS の 結果 は 試 お 地点の 選定 を 行う に 有用で あ !) ,
IMMSaLh 重 賈 な 方法の一 つで ある。 地表の 地) tB 査 および 81 出 》* の 化学 成分の S (査が これに 加えて 行
210
鳥 場 鍵 三
第 3 表 日本の a* 地 か ら の 放熱 *( そ の 2 )
地域 名
謂査 対象 地
基準 温
放熱 量 l^cal/sec
tr
108
cal/sec
熱
報告者
度
沮 来
m 気
熱伝導
蒸 発
«ケ 岳北郎
m 川
10C°
1.2
2.2
3.4
IV
浦 上
臺羽 • 定山
淡
定山渓 • 白 井
川 • » の 沢
7
5 4
2 6
8.0
V
浦 上
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10
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八幡 平北郎
玉 川 • 焼 山 •
浸 川 卜 口 3
7.8
14.1
8.4
2.7
6.1
31.3
VI
川 村
栗购 北部
小 安 • 大潘 •
川原 毛 • mm
. 普 溢
0
2.1
8.6
0.07
10.8
V
高木 • 馬場
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1.4
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0.05
2 Q
ム攀フ
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富 太
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1.78
―
0.00
1 78
IV
IV
白 根 南部
万 座
0
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0.3
0.1
3.2
IV
mm
m 岳
上 宝 村
0
3.6
0.5
0.3
4.4
IV
紀伊 山地
潘 の峯, 渡顺
川潘
o
2.9
2.9
IV
mm
美 方
美 方
0
1.0
1.0
m
mm
W 露
■ftp *3T iT\ , え
SEHL$ り 仕
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丄リ
0.6
0.9
0.2
0.05
1 A
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霧 島
牧鑭町
13
21
21.2
1.0
25.6
VI
mm
鬼
指 宿 • 成 川 *錢
長 崎 鼻 • 児ケ
水 • 川尻 • 伏目
• 權ケ浜 • 上玉
利 • 254 高地 •
榷太 郎スメ •
榷現山 • カオ
リン 山
0
2.17
0.09
0.01
2.28
IV
mm
われて いる • また 地質 構造 推定の一 方法と して 写真 地質調査, 空中 赤外線 映像に よる 調査 も その 適用の 効
果が^ B 待で きる と こ ろで は 応用され ている。 空中 赤^ « 映 » 調査 は 未発見の 地熱 地 侯が ある ところに
おいて はき わめて 有用で ある。
基礙 属査と して 物理 探査が 行われて いる。 そこで は 主に 電気 および 重力 が とり 上げられ てい
る * 地 ««*上 内外 各地で 用いられ ている 物理 探査に ついては 次 節で あらためて のべる が, 現在のところ
電気 探査 は 広く 用いられ ている 方法で ある。 その JW1 は 熱 水 を 含有す る地驪 が, 含有し ない JW1 にくらべ
て 電«»« 比 抵抗 部 を 形成 するとい う 考えに 基く もので あり, この 考え は一 応^! 的で ある • « つて 電気
探査に よって 検出され る 地下の 低 比 抵抗 部が 即ち K« の ター ゲッ ト となる • 電«» 法に よる #MMt は
ft 国で も 大いに 普及して おり, 金 厲紘床 や 地下水の 探査に ついての その 応用 は 広く 行われて 来て いる • い
ずれの 場合 も 地表に 流 WIS を K 置し 電流 を 地中に 送る と いう 方法 を と るが, 探査 ®t を 大き く する ため
に は 長い 電流 を 要する. 我国の 地熱 地 は 一 « に 地形の 起 状の はげしい 火山岩 地 書に 多く »<E レ
また 地表の 岩 質が 非常に ««« 抗が 大きい # が 多い ことが 考えられる • 前者 は の の電
練の » 置に 困難 を 伴う, また 後者 は 流 «t« が 小さくなる ことによ る测定 精度の tt 下 o«H となる, « つ
て その 応用に は 改良点が 多く あるので あるが 要する 経費と その IB 待され る»» から lit ば HR に は *«»
査に とられる 有利な 方法と いえる •
一 32 —
B 本に おけ SJ6 熱 86 査
■ 力 HIS 法 は » 使な 地下 構: ig«* の 方法で あり, これ また 多くの 分 》で« 査 方法と して 広く 用いられて
いる. しかし これ また 我国の 多くの 地熱 地に おける ような, »維 な 地形, »» な 火山岩の 分布が あると こ
ろで は その 効用が St わしい ことが 考えられる。 外 ffl における 遍用 W では 後に 紹介す るよう に, JMM?Wi
の e 接 she に 有 s» であった w も ある。 また * 近で は アメリカの ガイザー 地熱 地 城の 重 力 探査の 結果 《 下熱
以上の ベた S な 地表 H まに » いて, ttltlBHE が 行われて いる。 これ は « 源 エネ' レギ一 庁に よってな され
ている もので, 各地 域に 2 ~3 本の 500m 規模の K* を 行い 地熱の 存在の 有無 を WB しょうと する もので
ある。 これ は 49 年度よ!) はじめられ ている,
上述の ように 30 地域に ついての は 一応 昭 f050 年度 を もって 完了す る。 もちろん H 掘に ついては 50¥
S 以降に も 行われる. そして, この S による SS ち は 51 年度から も 新たに W 画 中で あ!), 地熱 探査 活動 は 引
き つづいて 活発に 行われる 見込みで ある。
以上 国に よる *fl« 的 探査に ついて 》8 介した が, 民 fff 企 * による 探査 活動 もこれ に 併行して に 行われ
つつ ある。 九州 《 力 (株), 日本 宣 化学 (株), 三 S 金篇 (抹 ), 同 和 鉱業 (株), 三 井金氧 (株), 日 鉄 tt 業 (株),
および 日本 K« (株) などの 各社が 国内 各地で 探 * を 行って いる. また 地方自治体 として は 北海道の M 立
地下 調 ま 所が 道 内の 地熱 探査 を 行って いる, 現在 本邦に は 岩手県 松 川, 大分県 大岳, 秋田県 大 ffl, 宫
»» 鬼 首の 4 つの 地熱 K 電所が あるれ ここ fc 年 先に は これらの ffi 査の 結果が S を 結び これらに 加うる 新
しい Jft»«« 所の B 立が 期待され ている。
今後の 我国の 地熱 》« にと つての 大きな 問 B は 自然 公 ■ 内での 》« 所 建》 を B める かどう かに ある。 上
£SR の 》 電所は いずれも 自然 公園 地 内に あり, 霸* 庁と して は 当分の M これ 以上の 新 R を 自然 公園 地 内
ている。 間 S が 行 策 上の ことで あるので これ 以上の ベる こと は 本文の 趣旨で はない が, 一考 を! (する
聞 « はこの 点に も ある,
III. 探査 技術と その 研 A の 現況
本 B ではまず 地 KftffiS 技 《 の 現況 を 外国に おける 例 をと り, S 介 を 試みる, ft に 現在 我国で 行われて い
る 技術の 研究に ついて 《 介す る。 fc だし 研究の 現況に ついては * 者が 所) 》 する 地質 赒査 所お よび 工業
技 tft 院 BB* で ff われて いるもの を 対象と する, 地熱に ついての SB 心が 大きくな つてい る 現在 t ち ろん 上 IB
ランドに おいて は 広く 応用され て 来て いる, そこで はゥ エンナ一 または シュ ランべ ルジァ 一方 式に よる 比
ffi 抗 法が 用いられ ている。 その^ は 地熱 貯苗 雇が 電« 的 低 比 抵抗 をし めすと い ウ^ B に 基く ものである,
B« 眉 を充た 体の 塩分 濃度の 大きい こと, 高 fi である こと は 一般にい ずれ も 流体の 比 抵抗 を 小さく す
る 方向に 働き, 結局 地層の 比 抵抗 を 小さく する。 第 2H は-ユー ジー ランドの 有名な 地熱 地域の 一つで あ
る ブロード ラン ドの 探 S)£ 果 を まとめた ものである", 550m の « 極 MB (の ゥ ェ ン ナー電 ffi 配置に よ
ItB 抗を 表現した もので, 中央 81^、 ツチで 囲んだ 所が 2~50m の 低 比 抵抗 を 示して いる, 一方 PI じと こ
ろで 行われた 地 探査 結果が 第 3 図に 示されて ある, これ は の 地 fi の 等 fi« を; fift で 示し, は m
の それ を 実線で 示した ものである *>, 低 見掛比 抵抗 郎 と Ria 部の よい 一お が 見られる。
自 *S の W 小 地 まの SiK は 地 «1 探査の 方法と して «3» であろ ラ という こと は # く の 著者に よって のべられ
ている, 地熱 地: K に 存在す る 断層に そって その 断層の 運 》 にと もな つて 微小 が 多数 fi る こと; WW 待で
きる, 從 つて 《«W ないし » ヶ月 fSl —定 *« 内の) (M 、! &R& 観 iH し それらの 震 》 分布から 藭層 分布 を 推
- 33 -
212 應 場 鍵 三
30-60
Drill hoie
o
1/ 50-100
30-50
第 2 図
ニュー ジ ランドの ブロード ロン ド 地熱 地
城の 電気 探査 結果よ り えられた 見 掛比抵
抗 分布. 単位 Qm, 550m 電極 間隔の ゥ ェ
ンナ 一法に よる. 大略 750m 深度の 比抵
抗を 反映す る と 見る ことができる (Risk
et al. による). 黒丸 は孔井 位置 番母を 表
わす
第 3 図 第 2 図と 同地 城の 地温 探査 結果.
点 練 は 1 m 深度の 地 诅 の 等 a
線, 実線 は 15m 深度の それ を
温度 。(: で 示して ある (LUMB
et al., によ る).
定 する ことができる であろう。 断層 は 熟 水の 通路と なると 考えられる からこの 結果 は 地熱 探査 上 有用で;
る。 グランド ノイズの 観測 も 探査 法の一 つと して 用いられる。 地熱 貯留 暦が 地下に 存在す ると ころの 地ミ
上で は ノイズ レベルが 高い という 予想が で きる という のが 探査 原理で ある。 そしてし ばし ば 応用 さ れて I
る 探査 法で ある。
重力 探査 法 も 広く 応用され る 方法で ある。 地熱の 探査 上き わめて であった 例と して ァメ リカの ィ:
ベリア パレーに おける 結果 や 先に 電気 探査のと ころで あげた ニュージーランドの ブロード ランドに おけ'
例 を あげる ことができる。 これらの 例に おける 探査 原理 は 熱 水 活動に よる 変質の 大きい ところでは 岩石 <
密度が 大き くな り, 結局 重力 異常で は 正 異常 と して 見出 される という ものである。
第 4 図に は REX et al. (1971)" による インペリア パレーの 地熱 探査 結果より 引用した, 同地 方の メサ j
常 と 名 づけ られた 重力 異常が 観測され た と こ ろの 重力 コン ターで ある。 同 じ 報告書 中に 摁 げられ た 地 置く
配 図 を 第 5 図と して 引用した。 両者 を比蛟 する と 重力の 正 異常 と 高地 温 勾配 と の 相関が 非常に よい こと:
わかる。
第 6 図に は HOCHSTEIN and HUNT (1970) "による, 岩石の 密度と 変質の 度合いの 88 係 を ボーリング
ァ による 実驗的 研究 結果 を まとめた 図 を 引用した。 熱 水 変質 を 受けて 2 次 鉱物の feK により, 同一 *ll
おいて 変質の 度合いが 大きい と 石 密度が 大き くなる という 結 » を 示して いる。 ブロード ラン ドの 重力 j
査の 結果から, 変質に 起因す ると 考えられる 正 異常 を 検出し, 探査 上 有用であった とされて いる *
以上 外国に おいて 地熱 探査の 目的で 用い られた 物理 探査 例 を 紹介 したが これら はいずれ も, いわゆる i
熱の 直接 探査 法 と しての 適用 と 見る ことができる。
地熱 貯 9 層の ^8 あるいは 存在に ついて 地質 上 構 it± の 規制が あるであろう こと は 当, 想され る • i
一 34 —
第 4囡 メサ地 * の)! tSB 力 図. コン ター 間 SK0.5mgals. 点 は ffl 点.
つて 物理 探 S 法の 地熱 探査 上の ft お 0 を 一 《 的に 地質 構造の 描出 という 位 B づけ をナる こと t g え られ,
しい 地熱 地域の W も 多い ので, そのような ところでは 地 «W 造の 検出と いう B 的で 物理 法が 用いられ
地 化学 探 iff 法と いう カテゴリ一 に はいる 方法の 地熱 探査への 応用 も その M は 多い。 澳出 S 泉の SiOi iR
度の 》1 定, 土 » 中の ラドン, ヘリウムの 刺定, あるいは また 水銀 蒸気の 制定な ど その 適用 は 多い, これ
ら は 地熱の 直接 探査 的 方法 を 見る ことができる,
が 低い と 見るべき であろう, そこで 次に 我国に おける ほ査 技術の 研究の 現状に ついて 地 査所 における
現 RS: 中心に « 介し よ 5,
W 熱 地域の 地下の 熱 構 3ES: 推定す るた めに, 地表の 地)? 露 Si の 地質学 的 研究より, 地表の 熱史を あきら
かにして, その^に ft 立てる:: とが 考えられる。 具体的に は 地表 》« についての 地 《fi 度&的 研究と 地
S5 図 メサ 地《 の 地 fi 勾 E 図. 丸 印 は 地 Bfll 定用試 維孔. コン ター は 100m ついての 温 K °C.
Mean Wet Dchsitv
»6 図 = ユー ジー ランド + プロ 一卜-ラント' *» 地域の ボーリ ング コア W 料よ り えられ
る BKt 変質の の f« 係 (HOCHSTEIN 他に よる). 横 《は g/cm, を 単位と
する * 度 を 示し ffitt の 3SB は 変《 の 度合 を 示す. C;#$B, B;ttS の 変
K, A;« 度の 3E 質, を それぞれ: K 味す る. (1)~(4) は 地層 あで *> る. (1) 上
« ワイ オラ 層, (2) p トル ァ 'ブ レツ チヤ 層, <3) オハ キ fliftS, (4) プ》 —
ト' ラント' 《tesfc それぞれ 示す.
- 36 -
日本に おける 地熱 探査
215
いる 地 ««« 技術の 研究の一 つの 方向が これ を ねらって いる。
また *5£ アーツ 衛星に よ る 我国の 空中写真 が 多く えられて おり, これらに ついて 写真 地質学 的 手法
を 応用して, 各種 地質 構造の 推定が 可 « となりつつ ある。 地熱 としての 応用 も 試みられて いるので,
これが 地 ««« 上 有用な 結果 を 生む こと 力 溯 待され ている。
電気 法が 地熱 探査の 上で 有力な 方法と 考え られ, 内外の 地熱 地で 多 く の 応用が ある こ と について は
既にの ベた 通りで ある。 そして その 適用 例 は ほとんど 地下への 流電を 伴う, いわゆる 比 抵抗 法が 用いられ
る。 この 方法 は 探査 の塘大 のために は 流電々 極 間隔の 增大を 必要と して, 結局 困難な 長 ffi 離の 2 電欏
間の «»» 設を 要する。 このような 現場 作業 上の 困難 を 克服す るた め, いわゆる 電磁 法と よばれる 原理に
よる 地下の 電気 比 抵抗の 検出 方法 をと る ことが 考えられる。 ニュージーランド ゃァメ リカに おいて その 適
用例が 報告され ており, その 方法に よる 探査 技術の 研究が 行われつつ ある。 我国に おいても 地質調査 所に
て, 地熱 探査の た め の一 方法 として この 研究が はじめられ ている。
その他 地熱 地の 地表面 温度の 測定の ための サー モカ メラの 応用, 地震 探査 法に にる 地熱 地の 地下 構造の
検出の 試みな どが 計 面されて いる。 笨 者の 立場 上 承知して いる 地質調査 所に おける 地熱 探査の 研究 を 以上
にの ベた が 他 機 B8 による 研究活動 も 活発に なりつつ ある。 例えば 日本 鉱業 会に おいても 地熱 探査の 研究 グ
ループが 発足 し, 電気 探査 や 地震 探査な ど を 地熱の 探査に 役立てる ための 研究が は じめ られ ている。
こ こ 数年 内 に これら の 研究の 成果が 徐々 に 実用化 されよ い 結果 を 生む こと が 期待 されて いる。
文
1) 工業技術 片 (1952) : 地熱発電 試 狭 研究報告 害 第一集.
2) 地質調査 所 (1957) : 日本 鉱産誌 BVI-a 水お よび 地熱.
3) 揚原浩 三 (1968) : 箱 根 火山の! ft 気 活動と その 熱源に ついて. 火山, 2 集 13 卷 2 号, p. 74-83.
4) 潘原浩 三 (1969) : 温泉 学. 地 人 害 館, p. 141.
5) RISK, et ai., (1970) : D. C. resistivity surveys of the Broadlands geothermal region, New
Zealand. Geothermics, special issue 2, v. 2, part 1, p. 287-294.
6) LUMB, et al, (1970) : Near-surface resistivity surveys of geothermal areas using electroma-
gnetic method, ditto p. 311-317.
7) Rex et al. (1971) : Cooperative Geological-Geophysical-Geochemical Investigations of Geo-
thermal Resources in the Imperial Valley Area of California, Univ. of Calif., Riverside
p. 29-41.
8) HOCHSTEIN, M. P. and HUNT, T. M. (1971) : Seismic, Gravity and Magnetic Studies,
Brodlands Geothermal Field, New Zealand, 7) に 同じ, p. 333-346.
(1976 年 2 月 23 日 受理)
一 37 —
地学 雑 85, 4 (1976)
DlETZ 説に よる 地 向斜, ならびに 討論
堀 越
New Concept of Geosyncline Proposed by DlETZ and the Related Dtsciusioiis
Ei HORIKOSHI
Abstract
Robert S. DlETZ is a unique geologist. His new hypotheses always brought forth
controversies, but were finally accepted as a whole. His most prominent paper on the
spreading sea-floor theory appeared in 1961. He managed thereafter to establish a new
geosynclinal concept in terms of plate tectonics.
DlETZ's proposal may be summarized as follows :
1. Continental rise and shelf couplet constitutes eu- and mio-geosynclines, respec-
tively.
2. Eugeosynclinal sediments mainly deposited on the oceanic crust, while miogeo-
synclinal ones on the continental crust.
3. An orogeny is the geological expression of the collapse of continental rise sedi-
ments resulting from either the new subduction of the oceanic crust or the contient-con-
tinent collision.
4. Even Flysch fades indicate commonly the collapse of the continental rise, while
Molasse facies appear much later than the former.
5. Real geosynclinal sediments were derived exclusively from the continent, hence
the geanticlinal continent has never existed.
DlETZ 's proposal is probably nothing peculiar to most of geologists at the present,
but not at the time. His proposal was felt to be more than revolutionary by the ordi-
nary geologists. All his papers have much been in the aiscussion column. However,
the progress of the affair is very instructive. The present author can learn the follow-
ing matters through the discussions.
1 . It may be difficult that a new hypothesis tides over the limit of a certain group
such as university, country and so on.
2. It may be also difficult to evaluate fairly a pioneer's achievements.
I. はじめ に
新しい 学説が 優れた もので あれば ある ほど, それ を 理解 出来ない 層 力 S 厚く, 反発が 致い 事が 多い, ifti
科学に おける 革命と も 首 われる ブ レート • テク トニ タスに しても, それが 地質学 者に 広く 理解され るの I
は 10 年 近く かかって いる。 しかし HR に 2脾 を 経る とその 間に 世代の 交代 も 生じ, 20 年 前の 新しい 学 »ま
ほとんどの 層に 受け Ail られ るよう になる。 ァメ リ 力 合衆国な どの 学術雑誌 では 时» の 欄が «ん だから,
* 束 京大 学理 学 » 地質学 教室
— 38 —
DITETZ 说 による 地 向斜, ならびに 时譲
217
新説の 登場 時点で 何が 理解され, 何が 理解され なかった かの 記録 力' >残 つてい る * &が 多い。 このような 时
» の 記録 を 時代 を 経て 読み返して みると, 色々 と 得る 事が 多い ものである。
ここで 取り上げる Robert S. DlETZ は, 1941 年に イリノイ 大学から Ph. D. を 得て いる。 1950 年代の
初めからの 彼の 多くの 論文 は, ある 研究者に とって は銜撃 であり, 他の 研究者の 怒り を 買った。 しかし 結
果 として, DIETZ の 新説の 多く は 受け入れられ, 広まって いった。 彼の 仕事の 中で われわれ 日本人に もつ
ともな じみの 深い 事 は, 北太平洋の 天皇 海山 群の 平 頂 海山に 日本の 古代 天皇の 名前 を 付けた 事であろう
(DIETZ, 1954)。 しかし 筆者の ごと く 鉱床 学 を 専攻す る 者に とって は, カナダの サ ド ベリー 迸 入;^ 岩と 首
われて いた ものが, DIETZ によって 初めて, II 石 落下の 衝撃が 引き金と なって * 出した 巨大な 熔岩 湖で あ
る, とされた 事実が 記憶に 新しい (DIETZ, 1964)。 ともかく, 彼に よって 昔の! 学の 教科書 は 書き換え
られ た。
DIETZ の もっとも 偉大な 論文 は, 1961 年に イギリスの 雑誌 Nature に^^された。 この » 文で 彼 は 地球
科学の 革命と 言われる 海洋 底 拡大 税 (Spreading Sea Floor Theory) を 唱えた。 もっとも, 同様な 主旨
の HESS の 論文が 翌 1962 年の American Journal of Science にの り, この 翁 文の ブレ ブリ ン 卜が すでに
広く^ していた ため 色々 の 問題が 起きた の だが, この 問題に ついては 触れない 事に しょう。 Dietz は そ
の 当時までに 知られて いた 観測 データ を まとめて, 地球上の 変動 を 説明す る ことと なる 壮大な 仮説 を 提唱
した。 練いて 出された 論文で, 彼が 海洋 底 拡大 説に 基づいて 具体的に 個々 の 地質 現象 を 説明す るに およ
び, 彼の 考え は 反論の 集中砲火 を 浴びる 事に なった。 この一 連の 論文なら びに 时論 カミ 1962 年から 1966 年 ま
での 間に 投稿 されて いる 事実 は, おそらく 意味が あ る。
海洋 底 拡大 説が 発表され たの は 1961 年であった し, それ を 支持す る » 文が 爆% 的に 発表され たの 力 U967
年, チューリ ッ ヒ における IUGG の 会 鏃 である。 その 翌 1968 年に なって これらの Morga^, Le Pichon,
ISACKS et al. などの 論文が 印刷され ると, 海洋 底 拡大 説はブ レート • テク トニ タスと 発展し, 地質学 者
の 中で も かなり 広く 理解され るよう になった。 筆者の 個人的 S» でも, 海洋 底 拡大 説 を 取り入れ たの は
1960 年代の 終わり頃 からだ, という 研究者が 大変 多かった し, 世界の 一流 大学の 地質学 教室で も, その 頃
から ブ レート • テク トニ クスが 講義に 出始めた ようで ある。 そして 1970 年に DEWEY and BIRD の Moun-
tain belts and the new global tectonics が 56 表される と, もう その後 は 既成の 地 向 j^8L 念に 基づく 地
史を 新しい グローバル • テク トニ タスの 下に 組み 換えた 輪 文が 鍾 を 接して 表われる 事になる。 要するに
DIETZ 力 U960^ に 受けた 反発 は, 革新的な 論文が 世に出る 時にはい つもあった 現象であろう。
以下の 章で は, DIETZ が 地 向斜と 造山運動 を极 つた 3 つの J6 文 を 取り上げ, 彼が 何 を 主張し, その どこ
が 理解され なかつ たかを 捩り 返って みる 亊 にしよう, 彼 はこの ほかに も, 彼の 考え を わかりやすく 通俗的
に 説明した 縿文を American Scientist (DlETZ, 1964) と Scientific American (DlETZ, 1972) に?^ し
ている。 しかし これら は 内容に 原著 翁 文と 重複す る 部分が 多い ので, ここで は 取り上げない 事に する。
II. 大 の 崩 墙
DlETZ の it 又 I Collapsing continental rises : an actual istic concept oi geosynclines and moun-
tain buildingj は 1963 年の Journal of Geology に 発表され た。 "continental rise" について はい ま
だ 適当な 訳がない が, ここで は" 大睦緣 »" と釈 する 事に しょう。 この 当時, 地向斜 なしで は 地質学 を »
れ ない ほど, 地 向 念 は 地質学の 多くの 分野に 食い込ん でいた。 しかし この 概念の 最大の 欠 » は, 地 向
斜とは 現在の 地球上で 言えば どこか, という 質問に 明睞に 答える 事が 出来ない 点に あつたと 首え る。 この
せきについて 「ブ レート • テク 卜-タスの 立場から みて, 地 向斜と 呼ばれた もの は 現在で 首えば ここ だ 0J
と 主張した のが この DIETZ » 文で ある。
合衆国 柬 海岸に はァ パラ チア • 力 レ ドニ ァ 造山運動 によって 出来た « 成 岩 類と, よ り }»« の 大洋 地 » に
またがって 中生代 以後と 思われる 堆積物が 分布して いる • これらの 堆積物の 厚い 所 は 2 つあって, 一つ は
一 39 —
218
場 越 «t
第 1 図 合衆国 東海岸の ニュージャージー 沖の 海底 構造 (A) (Drake et al., 1959) と Kay
(1951) が 復元した ァ パラ チア 地向斜 (B)0 もしも ァ パラ チアの 地 背斜が 幻であった
とすると, 两者は 堆積 盆の 形) i といい, 厚さと いい, 大変に よく 似て いる。 (A) の
欽字は Vp (km/sec) で, 点を打つて ある 部分が 中生代 以降の 堆積物と 考えられる.
Vp=5.0~5.5, 6. 3 の 地 暦に ついては 本文 中の Hsu の 討論 を 参照
大陸棚に 当たる 基继 の大睦 地殻の 上で あり, も う— つ は大睦 斜面から 大洋 地殻の 上の 大睦緑 « にわた る 所
である。 これら 2 つの 堆積 盆 は 大陸棚 縁で 境され, ほぼ 平行に 分布して いる。 この 細長く 厚い 2 つの 堆積
盆 は, 定義の いかんに よって はま さに "地 向斜" である。 DRAKE et al. (1959) は これらの 堆積物の 分布
の が, M. Kay (1951) の 復原した ァ パラ チア 地向斜 に似てい る 事に 気付いた (第 1 図)。 そして 大変
重要で 画期的な 考察 を 行なった。 「大 睦緣膨 堆積物が 主 地向斜 (engeosyncline) 堆積物, 大陸棚 堆 « 物 は «
地向斜 (miogeosyncline) 堆積物で あるの かも 知れない。 そして 大 睦緣膨 堆積物が 造山運動 によって 大睦
に 付加され, 大睦が 生長す る 可 簾 性が ある。」 1963 年の DIETZ の 主張 は, この DRAKE etal. の モデル を
一 般 化し, 海洋 底 拡大 を 造山運動の 引き金と して 持ち込ん だものと 言える。 しかし Dietz は Drake et
al. の 業績 を 「事実 を Kay の 地向斜 概念に 合うよう に ゆがめて 解釈した。」 として あまり していない。
DIETZ によると 一般に 造山運動の一 輪廻 は 次の 3 期に 分けて 考える事が 出来る (第 2 図)。 出発点と して
大陸 地殻と 大洋 地殻が 接して いる 場所 を 考える事 にしよう。 第 1 は 堆積 期で ある。 大睦 からの 物質 は大睦
斜面の 下の 大洋 地殻の 上に 堆積し, 大陸 緣膨を 形成して いく。 この 堆積物が 主 地向斜 堆積物と 言われた も
ので ある。 堆稜が 進行す ると 大洋 地殻 はァ イソ スタシ 一によ つて 沈降し, この 沈降が 大 ISIft を 下へ 引っ張
るので あろう。 この 歪曲した 大 IS» に 堆積した のが 副 地向斜 堆積物で あり, 先の 大 1*»膨 堆積物と 共に
主 • 副 地向斜 堆積物の 対 を 形成す る。 第 2 は 造 山 期で ある。 拡大す る 大洋 底 は 比重の 軽い 大睦 地效の 下へ
沈み 込み を 始め, 海溝が 形成され る。 この 変動に 伴って 大睦 緣應の 堆積物, すなわち 主 地向斜 堆積物 は a
曲, 変成し, 結局 は 大陸 地殻へ 付加され る。 この 外側が 新しい 大睦 斜面で ある • しかし 大 ft«Lh の堆糠
物, すなわち 副 地向斜 堆積物 は大睦 地效が 軽く 受動的に 動く ので, あまり 変動 を 受けない。 第 3 は 後 造 山
期で, これ は 次の 輪廻の 前 造 山 期と 考える事 も 出来る。 この 時期に なっても 大洋 地效は 沈み 込み を « け,
海溝の 形成が 維持され る。 この 海溝から 引っ張り 込まれる 堆積物 や, 先の 変動に よって 地下 深 所に 持ち込
まれた 堆積物が 熔け, 花 マグマが 形成され て大 !&» へ 貫入す る • 一方で は 新しい 大 B«» の 外 働
— 40 —
DITETZ » による 地 ならびに W»
OROGENIC PHASE ― SI ma ih taring btnialh contlntnlal
: OROGENIC PHASE — PI u ton I* m
第 2 ほ S 実 的 概念に 基づく 地 向斜の 《3史 (Dietz, 1963)
1. * 核 ffl. シ マが- ンァル を 押す が, 两宥は 共に 移動す る。 これが 大ほ ftftnffl 因で,
ft 向斜 はこの M に 形成され る. 2. 造 山 W. -ンマ はシ アルとの おび 付き を 醺れ,
;*: &の 下へ it み 込み を 始める. この ft きに 拌 つて 大 B»» (正 地 向斜) 堆 91* は 庄18 さ
れ, » 曲し, 変成す る. しかし 大ほ機 地 向お) * 核 物 中の 变 ft は 弱い. 黑 色の »は
大洋 b から 大》»*«81 物 中へ 6 り 込まれた 性 s& 示して いる. 3. aamffl.
衝上 Bfi 層 E に 沿って 海溝が 《* する. ほ々 な は 大 ほの 下へ 引つ K り 込まれ シ アル
R とな!!, 底《 を 形成す る. 大洋 地 S の 蛇 ftS からの 《1 水が この 反! £: を 助ける. 銜 上3!
» が 止む とそれ までに K 成された され, 状!! は 1, の 堆《 期の 始ま P に S た
5 ょラ になる.
に 斬し ぃ大 堆積物の 形成, すなわち 第 1 期の 造 山; S 動が 進行す る,
が 力 s したの は 次の ような 点で ある, 大睦 » 膨堆 » 物が アイ ソス タシ 一で 大洋 地效を m ませて いる * 実
は, 地震 測に より H ほされて いる。 また 採集され た コアから, 大陸 »6堆》 物 は 主として 乱泥流 堆積
ft である 事が わかって いるが, これ こそ 主 地 向斜に 典型的と された ものである, その 堆 91 深度から 考え
て, 合な どの 堆積 IB1BS は 一 般 に は 存在し ないし, 石灰 S もまれで ある。 しかし 大睦 堆ま物 は 大洋
«» の 上に 直接の るので, 玄武岩 熔岩 や 玄武岩 JfiS 成 S は 産出 ナる。 アル ブス?! の Ktt 岩 は 大洋 地お そ
««»Ofc ので あっても 堆 » した 場所 は 深海で ある, したがって, その 中に される 化石 は 環境の
のために は ffl 頼 出 * ない 事が 多い。 大 ®(B での 堆積 は大珐 緣膨の 形成に 伴 う 大睦 地效の 下方への 歪曲に か
な! > 依存す るので, 大陸 緣 での 堆積より g れ がちで ある。 そして 大睡 » の 歪曲 は徐 * に 生じる ので, 大
B*o 上の »積 は 一 » に 常に 浅海 相で あり, 大 S» の 方へ 厚くな り. そ;: で 魚に 消失して しまう, 地向斜
の 復元 B にしば しば 害いて ある M 地 向斜の の 翼 ほ, が 海の 方から 供給され たという M 遠った 奪
え や, Wli は 《 に 薄くな つて 消 《 すべき だとい ぅ«» から, 実 》 に *B されて いない 所まで 延長して 鲁ぃ
fc ものである, 大»« の 上の 《« 物 は 海 # に 打ち * せる ft によって SIMM" る • ま fc^HMkK の) M 该が tt
220
堀 越 ft
まると この 部分が 大睦 側へ モ ラッセ 相の 堆穣物 を 供給す る。 したがって 81 痕 などに よる 堆 の 供給 方向
は, 供給源と なった 陸地 を 指示す る ものと して は 当てに ならない。
DIETZ は それまでの データから? F~ 観 的な 地 向斜を 考えた。 しかし 彼の 結» に は 当時の 地質学の 常識 を
破る 多くの 点が 含まれて いた。 それまでの 地向斜 モデルで は, 通 去の 地 向斜に 類似の もの は 現在の 地球上
に 存在し ない 事に なって いた。 だから こそ KAY (1951) は, 現在の 合衆国 束 海岸 を Paraliageosyncline
と 呼んだ ので ある。 この 原因に は 色々 あるが, その 最大の もの は 通 去の 地向斜 の? 6« に は いわゆる 地背斜
(geanticline) という ものが あって, それが 地 向斜へ 堆積物 を 供給した, という 考えで ある, しかし この 幻
の 大陸 地殻が どこへ, なぜ 消えた かとい ぅ亊 はどうしても 説明 出来なかった。 地向斜 概念の 下で, 幻の 大陸
の 問題 は 説明 を 食わされ ている 最大の ものであった。 しかし 「ァ パラ チア 地 向 斜の束 側に 地背斜 などと い
う もの は 存在し なかった。 すべての 物質 は大睦 があった 北西 側から 供給され たので ある。」 という DIETZ の
主張 は, 当時の 地 K 学者の 多くに とって は 大変な 驚きであった。 DIETZ 以前に 同様な 考え を 述べた DRAKE
et al. (1959) は, 表現が 控え目であった 事と, 論文が 特殊な 出版物に 揭 裁され たため を かもさずに 済
んだ, しかし DIETZ は戦闕 的に, しかも 広く 流布して いる 学術雑誌に その » 文 を » ^したため, 無事に
は 終わらなかった。
III. Hsu の Ktt
DIETZ の斉一 観 的な 地向斜 モデルに まず 食い付い たの は 当時 カルフォルニア 大学に いた HSU (1965) で
ある。 DIETZ 説で は 主 地向斜 堆積物, すなわち 大 睦緣膨 堆積物 は 大部分 大洋 地 欲の 上に 堆積す る はずで あ
る。 しかし Hsu はこれ に 反対し, 地 向 斜の底 は大睦 地觳の 上に 堆積し 始めた と 主張した。 Hsu がその 縿
拠と したの は, 地向斜 では 深海 性 堆積物が 浅海 性 堆積物の 上に のって いる 場合が 多く, 海が だんだん 深く
なった 事 を 示して いる。 また 地向斜 堆積物 は 酸 M 成 岩に 貫入され ている » ^が 多い が, これ は 基 « が大
睦 地殻で ある 事 を 示して いる。 さらに DRAKE et al. (1959) が 示した 合衆国 柬 海岸の 断面図 自 堆積物
が 大陸 地效の 上に のって いる 事 を 示して いるで はない か, といった 点で ある。
この HSU の 最後の 指摘 は, DRAKE et al. (1959) の 断面図 (第 1 図) の大 睦緣膨 堆積物の 下 ffi にある
Vp T*6.3, 5.0~5.5km/sec の 2 つの 地層の 事で ある。 もし これが 結晶 質の 基继, すなわち ァ パラ チア 造
山带の 岩石 類で あると, Hsu の 主張に一 つの 譲 拠 を 与える 事になる。 し 力 > し Drake et al. (1959) も述
ベて いるよう に, この 地 城で は 大陸 地殻と 固化した 堆積物の Vp が 似て いて, 相互の WW が必ら ずし も容
易で ない。 当然 Dietz は これら は 固化した 堆積物で あると 反論した。 しかし その後 かなりた つてから,
Deep Sea Drilling Project 力; DRAKE et al. (1959) の 断面図に 沿って 4 本の ボーリング を ff 面した •
そのうち 3 本 は 大洋 地殻に 逮 しなかった が, 1970 年 5 月に 実施され た No. 105 は 約 200m に逮 する 白 ®g
から ジュラ紀に わたる 石灰岩 を 貫いて 大洋 地殻に 達した (Geotimes, 1970)。 これ は大 ffift 膨 堆積物の 束の
端で ある けれども, 少なくとも 結晶 質の 基继は 存在し なかった。
地 向 斜の基 « についての HSU の その他の 主張 は, そう 簡単に 結 が 出せる 問題で はない。 たとえば 花
M 岩 K マグマ は 大陸 地 鼓の 中 だけにし か 発生 しないの か という 問題 はい まだに 未解決で ある。 しかし
DIETZ の モデルに しても, 花崗岩 は大 積 物が 造山運動 を 経て 新しい 大睦 地效と して 旧大睦 地效に
付加され てから 発生す る 事に なって いる。 また HSU が 言うよう に, 地向斜 堆積物が いずれも 下部 は 浅海
性, 上部へ 行く につれ て 深海 性の 層相 を 示して いるならば, 確かに 大 睦緣膨 堆積物と して はありそう にも
ない 層相で ある。 しかし Hsu が 実例と して 挙げた フランシス カンで も, このような 層相の 異なる 堆
は 断層で 接して いる。 もし 化石に よって 相互の 上下 閣係 がき まっても, DIETZ に 首 わせれば 浅 }«4 の
物 は大睦 ffl 堆積物で あ り , 深海 性 堆積物 は大睦 緣應堆 « 物で あ る, という 事に なって しまう 。結局 DIET2-
HsuW» でもつ とも 実りが あつたの は, ァ パラ チア 地 向斜の 物質が 北西 大睦 側から 来たの か, あるいは 当
時の 定説であった 南 束 側の 地背斜 から 来たの かとい う 点であった ろう。
— 42 —
DITET2 R による 地 向 «, ならびに! ■( 論
第 3 図 ァ パラ チア 造 山 帯の 》«g (Bird and Dewey, 1970 から «»化)
大 堆 は ほ 側から 供給され たフ リク シュ からなる が, 変 * されて おり, その BE
«8 に は 不明の 点 も 多い. 大洋 庄 の 沈み 込みの まりから やや 3 れて逸 山 lH4ite ま!), m
H からの *t« 物の 供給 も 始ま る. この 堆 «ft がお もに フ リ v シ 1 からな つていた 事が 多
くの 地 HBf 究 奮の »* つ fcW 断 を 導き, a の大 |» が «* される ISEB となった. いわゆる
モ ラッセ 相が 出現す るの は 造 山 W も ごく *)H になって からで ある.
HSU は 現在の Sffl から ァ パラ チア 地 向 斜へ物 «が》» されて 来た E» として, 古 « 系 ^« 犢岩 岩石学 か
らの 多くの 知 &を# げた。 HSU のこの 主 めについての DIETZ の 反 » に は 大変 重要な 点が 含まれて いる,
の ものである. Dietz によれば, この頃に 大睦 »« の 崩壞が 始ま!), 大 ISftK 堆積物が 海上に 表われて 物
« を 北西 《 へ も 供 絵した, したがって, これ 以 ft の堆 » 物 は W 地向斜 帯に 堆精 したと しても ,成因 的に は
311 の 地 向斜堆 » 物 ではなく 後 造 山 期の モ ラッセに 当たる, Dietz の 首う 地向斜 期の 物 S が 北西 大 iftft から
ft 給され た 事実 は, HSU 自身 も 8 めた ように カンブリア 紀の 砂岩に よく 示されて いる (第 3 図),
モ ラッセと いう 言 « は, もともと アルプス 造 山 後期 を 代表す る W 汰の B い 粗 粒な 堆 « 物に 与え られ
た 名 W である. 合 * 国 束 海岸に? S ぅァ パラ チア • カレド ユア 造 山 S 動に おいて, 岩 相 上の モラ: /セは オル
ド ビス IE も 終わりに なって 堆積し 始めて いる, しかし 造 山: 後期の 堆積物 は それよりも ずっと 早く, ォ
ルド ビスお の 初め 頃から 堆 a [が 始まって いるら しい, しかし その 岩 相 はモ ラッセと は 似ても 似つ かない フ
リツ シュ であった, 多くの 地 « 学者 は, 造 山 逐»8 期 堆積物の 岩 相 はすべ て スイスの モ ラッセと 同じで あ
ると 恩い 込んで いたた め, つじつま を 合わせるべく 幻の 大 B を 作り上げ たので ある,
IV. 受》 的に 》 く
DtETZ の 第 'I の 文 " Passive continents, spreading sea floors, and collapsing continental rises "
H1966 年の AmeriMtt Journal of Science に? Ht された, はこの »4 で 地 * 上の S 山: «ft を WS 的に
cali*t ではなく, ft« の AMft を 重んじる hwi«jnt«li« である と 述べて いる, そ は 1970 年に
mim 銜突 SitOiSft の 《* 図 (Dewey and Bird, 1970)
いまでは ァ パラ チア + カレ ト ァ S 山 Sft が » 突 S である 事は徨 立して いる. しかし そ
れは 1966 竿に Wilson によって 初めて きえられた. Dietz は Wilson (1966) の IS 文
SrH んで いなかった らしい.
Dewey and Bird によって 出された S 文と 似て お!), 結果と して は Dewey and Bird の縿 文の 方が ft 等
考える と, Dewey and Bird ひ 970) の » 文より 4 年 早く? £ 表されて いると いう * 実は, + 分に 評価され
なければ ならないだろう。
の大 》の» 突に よる ものと に 分けた (第 4 図)。 これら は 後に アンデス 型と 衝突 S などと I* ばれる 事が 多く
なる, この » 文で D1ETZ が した 事 は, 大睡 地» も 大洋 地 S も 非常に *® しがたい, しかし, 大洋 地
という 点で ある。 すなわち 大洋 地 ® は movable であるが mobile ではない, たとえば 当時 EWING et
al. (196J) は, 大洋 地 《 の 上の 堆積物が 全然 変形して いない 事実 を 里 出して, 海洋 底 拡大 说に懷 R 的な 立
»を とった, しかし D1ETZ によれば, この 事実 こそ 大洋 地 效 が 《« な 一 &板 として 移動して いる 事 を 示
すので ある。
1960 年に Gastil 力
H), Dietz はこれ
ならば, 古い 変成 の « 対 年代 は 消されて し i つて, このような パターン を 示さない であろ ラ, たとえ ぱ
サ ト' ベリーの 》 石 孔ゃ花 B 岩の 貫 人形 應 の ごと く, 大睦地 殺の 上で 本来 円形に 近かった tS われる もの
i た 古い 始生 代の 地廢 でも 著しい 変形 を 受けずに 残って いるの は, それが一 度变成 作用 を 受けた 大睡
の 上の 堆« 物で あるから であろう。 この 考え は Gastil の g» と は !8 つてい る。 しかし Dietz によると.
» 山! 8 動 は 大陸 地 效の綠 の 大洋 地 fi の 上で 起こ り, 大睡地 » が 影響 を 受ける の は その 緣の だけで あ
る。 大ほ地 9* は 次から 次へ と 起こる 造 山 運 》 によって 新 しい 大 珐 地 》が* に 付加され て 生長し, 大きくな
つて 来 fc» これが 第 2 の » 文に おける DIETZ Ott 輪で ある.
DlTETZ 111 による 斜, ならびに Wit
第 513 アバ ラ チア • カレ ト '=ァ造 山 * の S« のブレ カン プリ ァ ttft 年代 K
北米 太 |» の 《: 物 年代 区に ついては, GASTIL(1960) が » 括した あと, その後の カナダの
»fi が STOCKWELL et a しひ? 70) によって * とめられ ている. この 第 5 図 は そのほか
の 多くの 》 料 を * 照して 作成され た. ァ パラチ ァ ■ カレ ト '=ァ造 山裕の 《B について は
多少の ran が あ 5. それ はァカ ディ アン 変動 を どう B うかで ある. 同じような H を 作つ
(1971) に. ァカ ディ アン SCDiKf と ヘル シニア ン ifi 山 » を 一括して いる. こ
のへ ルシエ アン 逸 山 S»j がまた, よく 性 ft がわから ない 造 山: 8ft なので ある. ともかく,
Young (1967) はァ パラ チア 地 向 弒が大 BftS の 上に 形成され た E85 として, アバ ラチ
ァ 造 山 » の ft 佣の ブレ カンブリアの «® が 連 (すると 主張した. Young のこの 主 8( が
Dietz 81 に対する SE となる かどう か は 90 と しても, ァ パラ チア • カレ ド ユア 造 山 带 の
のプレ カンプ リアの « 物 年代 区に は 対応が B* られ る.
V. YOUNG の NH
Dietz の 第 2 の Ji 文に 时 » をぶ つけたの は カナダの ウェスタン. オン タ リオ 大学の G. M. Young
(1967) である。 彼 は 当時 だんだんと 56 表されて 来た プレ カンブリアの 岩石の) i 対 年代の 分布が DIETZ の
ように 同心円 状に ならず, «* の 年代が » ざって いる 事 を 強 属した。 YOUNG は GAST1L ひ 960) の 結
論 を 支持し, 大睡 地« の あちこちが それぞれ 異なる 時代に 安定化した * を 主張した, Dietz は 現在の 大 B
Young は
えた, Young は 昔の 地 向斜が 大睡地 fit の 中に 生じた E» として ァ パラ チア ■ カレドニア 造 山 *SrW に *
げ ている, 16 は Dietz に 反 W しながら fc 大睡移 »を« め, fc し 大西洋 を 閉じて しまう とァ パラ チア • 力
レ カンブリアの 大ほ地 » の 中で 8 き であると 考えた。
DlBKtfyiJS は へ 同時に 生長して 行く と 考えたならば, これ は 彼の 31 み 足であった, D1ETZ モデル
224
場 越 敷
のよう な 大陸 緣應 堆積物の 崩 * は, プレートの 動き に 直交す る 大 ft« で もっとも 激しく 起こる はず だから
である。 たとえば; lb* 大睦 のブレ カンブリア 紀層 では, ある 一定の^; に 造山運動 を 受けた と考えられる
各地 城 は ほぼ 带 状に 分布して おり, しかも 全体として 北西と 南 束 方向に 年代が 新しくな つてい る (第 5
図)。 また Young が大睦 地效が 繰り返え し 造山運動 を 受けた 例と した グ レン ビル 地域で は, 普遍的に 見
出される 約 955m.y. という »6 対 年代の 僚の ほかに も, 確かにより 古い^: を 示す ものが 目につく (STOCK-
WELL et al., 1970)。 しかし そのような 異常に 古い 值は, ダレン ビル • フ 口 ントに 沿った 北部 地域に 限られ
ている らしい。 この 問題 はまた 後で 触れる * にしよう。 ァ パラ チア • カレドニア 造山運動 を 大陸 地效の 中
の 造山運動の 例と して 举 げた YOUNG の » 旨 は, DlETZ も 指摘した ように, intracratonic 造 山带と en-
sialic 造 山 带とを 混同して いる。 また WILSON (1966) が 首うよう な Proto-Atlantic Ocean を 考えれば,
大西洋の 両側の ブレ カンブリア 紀層 についての YOUNG の 指摘が 正しく とも, DIETZ 説 は 成り立つ ので
ある。 しかし DIETZ 自身の 反 » は 次の ようであった。
造 山带の 境界が 多 く の 場合 非常に 明睞 だとい う 事 は, 造山運動が 大 膨の崩 * によって 起き ると いう
考えで よく 説明され る。 なぜなら, 大睦 緣應の 大陸 側の 境界 は 著しく 異質な 大睦 地殻と 大洋 地 鼓の 境界と
一致して いるから である。 もし 大睦 地殻の一 部 だけが 造 山 作用 を 受けるならば, 境界 はむしろ する だ
ろう。 また 地 向斜の 基盤が シ アル 質な 岩石なら ば, その 密度から 考えて 地表に 露出しても よさそう であ
る。 それ にもかかわらず 地向斜 基盤が 発見され な いのは, それが 密度の 高い シマ 質の 岩石から 成り立って
いるた めだろう。 実際に は 地 向斜の 基盤 はス ビラ イト, 蛇紋 岩, 超 S 基 性 岩な どの 構造 的な ブロック とし
て 地 向斜の 中に 存在して いる。 さらに DIETZ が 予言した の は, いままでの ブレ カンブリア 紀の 地質 は 地
層の 外観に よって 判断され た 点が 多く, とかく 強い 変成 作用 を 受けた ものが 古いと して 扱われて 来た。 し
かし 絶対 年代の 測定値が 增加 すると, これらの 知識 はかなり 変わる だろう, という 点であった。 これ は
1960 年代 を 通じて 現実に 起こった。 DIETZ は 最後に こう 結んで いる。 もしも 過去の 地向斜 が大睦 堆積
物と 大陸棚 堆積物の 対でないなら ば, 地質時代の それら は どこへ 行って しまった のだろう。 この 堆積物の
対 は 海と 睦 とが ある 限り 存在す る はずで ある。 Young に対する Dietz のこの 反論 は, Dietz の 斉一 «W
立場 をよ く 示して いる。
VI. Miogeocline
先 章で 紹介した 翁 文で 斉一 観 的な 地 向斜の イメージ を 追究した Dietz は, さらに 1966 年に 第 3 の ft 文
を » 表する。 Dietz はこの 論文で は 主として 副 地 向斜を 取り上げ, 一般に; は 四方へ 薄くな つて 尖滅す
ると 考えられて いるが, 厚くな つて 消え失せる 事が ある 事 を 強調し, 副 地向斜 堆積物, すなわち 大 睦棚堆
積 物 こそ その 例で あると 指摘す る。 Dietz が 自説に 確信 を 持てた の は, 現在の 合衆国 東海岸が そのよう に
なって いるた めで ある。 とすれば, 過去の 地質時代 にも 同搽な 堆積物が 存在した に違いない。 それ こそ W
地向斜 堆積物と 呼ばれて いた 地層で ある。 これが Dietz の 根本的 立場で ある。 そして 彼 は, その実 例 を
世界 各地に 探し 求めた。
この頃に なると 海洋 底に ついての データが 蓄積され て, 大陸棚 堆積物が 沖に 向かって 厚くな つた まま 消
え 失せて いる 所 は, なにも 合衆国 東海岸 だけで ない 事が わかって 来た。 この 事実 は 当然 Dietz の 説に 有
利に 作用した わけで ある。 そこで Dietz は, 地層が 厚くな つて 消失す る 事 を 強 P! する ために, それまでの
miogeosyncline に 換えて miogeocline という 名称 を 提唱した。 し 力 、し, おそらく 彼に とって 気が かりだ
つた 事 は, ニュージャージー 沖の 地層 断面図で は 大睦栩 緑に 基盤の 隆起が 察され (第 1 図), これが 大膽
が 大陸棚の 沈降に 伴って その 緣に 生長した 場合に は, それが 原因と なって 地層が 厚くな つた まま 消失す る
* が 起こり 得る かも 知れない が, それ は 全体として はまれな 例だろう と 考えた。 しかし Dietz 自身, 地
層が 厚 く なって 消え失せる 原因に ついてはい く つかの 可能性 を 述べ たもの の, 明 まな 結縿は 出せな かつ
一 46 一
Dietz B による 地 li) 斜, ならびに (Nil
一: +,, 一
二-— . '
CONTBJtKTAl. Ef.CCK
*60 グ レン ビル 造 山 * の RA 図 (D1ET2 and Holden. 1966)
Dietz は » の 言う S 実 的な 地向斜 モデルが ブレ ガン プリ ァ S にも SffiiB* る tft え, モ
の «fc して グ レン ビル 地 城 Sr# げた. ft によると ダレン ビ ^'フ0 ン トは 当時の 大 IS 緣
である. サド ぺ リーの » 石 孔は大 Iffi 地 B の 上の »1 地 向 物で ある ヒ ユー 》= アン It
の 中に 形成され たため, グ レン ビル ifi 山に よっても あまり 変形され なかった
fc. その後の 研究の 果 によると, 合 SftS 東海^の 大睡 ffl 堆積物の 末 SS が 断ち切られ たように 消え失せて
いる 是大の 原因 は, メキシコ »» による 浸蝕の ためで あるら しい (HEEZEN et al., 1966 ; Uchopi and
Emery, 19OT ; Pilkey el al. 1971). おそらく DiETZ が に 画いた ように, 大ほ ffl 堆積物が 厚さの
* 化と 層相の 変化 を拌 つて 大 B«» 堆 Ktt に 移 化する 場合が, より一 なのであろう (第 6 図)。
ともかく Dietz は, 堆核 ft の 半分が to られ ていない 地層, それ こそ 地 K 時代の 大陸 槲 堆積物で あると
た, Dietz の K によると, S 時の 大ほ地 » の緣は miogeocline 堆 8 物の 一 # 厚い 所. すなわち 大陸 «堆
9» の緣に 求められる, この 》に 対して 大睦 SW 堆 « 物が 新しい 大 B 地 》 として 付加され, 大睦が 生 す
るので ある,
この Dietz の 86 文 はまた また かみ 付かれる わけ だが, この 時の 相手 は カナダの マック マスター 大学の
Clifford and Henderson (1968), そして ウェスタン' オン タ リオ 大学の Young (1968) が 再度 登場す
となって いる 海洋 底 拡大 K は, 1967 年頃から 爆 》 的に 普及した。 CLILLORD らの时 は 1966 年に 投« され,
ft. 1960^ft に 海洋 底 拡大 K& 押し進め たの は, 地? [学者の 中で t ごく 少 おの 遷 ばれた 頭 88 である, 当
& 今でもそう だが, 海洋 底お 大 R を 裏付ける データの 多く は, まず イギリスの一 tt と 合 « 国へ もたらさ
れ fc, それが 同じ (feR きであって fc 国 »を« えて カナダへ 人る と, その 理解の ほど; れ ていたの か
も *tft ない,
VII. IR3 の B 文に 対する WM
Dietz の 主張の 基 »«念
226
場 越 敷
問題 はもう一 つ ある。 DIETZ は 海洋 底 拡大 説 をブレ カンブリアの 地質にまで 適用した わけ だが, ブレカ
ン ブリアの 造山運動に 海洋 底 拡大 説, あるいは ブレー ト • テク トニ タスが 適用 出来る かどう かはいまで も
必ら ずし も 明らかで はない。 海洋 底 拡大 鋭が 色々 と検 E 出来る の は, ブレ カンブリアの 終わり頃から 始ま
つた ァ パラ チア' カレドニア 造山運動 以後と みるの が 適当であろう。 1970^ 代 も 半ばに 入った ブレ
カンブリアの テク トニ タス を餘 じる » 文 はかなり 堆加 したが (たとえば TARLING and RUNCORN, 1973) ,
筆者 はい まだ 際立って 注目され る 翁 文 を 知らない。 当然 CLIFFORD らの时 » はこの ような 点 を もつ く 事に
なる。
DIETZ はグ レン ビル 地 城が グ レン ビル' フロント を 明 睞な境 として ヒ ユーロ ニァ ンの 岩石 と 接して いる
点に 注目, これ こそ ブレ カンブリア 紀 の大睦 斜面で, ヒ ユーロ-アン * 層群が 副 地 向斜, グ レン ビル 層群が
主 地向斜 堆積物であろう と 述べた (第 6 図)。 これに 対して Clifford and Henderson や Young は, 絶
対 年代の 測定 結果で は ヒ ユーロ 二 アンが 変成した の は 約 l,700m.y. 前, グ レン ビル は 約 900m.y. 前で あ
る。 したがって 両地城 を 主, W 地 向斜の 対と 考える に は, この 差 lb.y. は 大き 遢ぎ るし, 两 地域の 岩 相 も
主, Bij 地 向斜の 対と は 著しく 異なる と 翁 じた, この Clifford らの反 翁 はもつ ともで ある。 しかし Dietz
は, ヒ ユーロ 二 アンが ダレン ビル • フロントで 急に 消える 事実 は, その 反対の 翼 力 めから 存在し なかつ
たと する miogeocline の 考え 以外で は 説明 出来ない と 答えた。
ダレン ビル 地 城の 地質に ついては, 最近に なって Irving et al. (1974) が 新しい 事実 を 見出した。 彼等に
よると, グ レン ビル 地域 は 少なく とも 2 つの 大睦 地殻から 形成され ている らしい。 その 境界 は グ レンビ
ル. フロントの 南側, 約 200km の 所をグ レン ビル' フロントに ほぼ 平行して 走って いる。 そして ヒ ユーロ
- アンが 分布す る 地 城から グ レン ビル' フロント を 越えて 地質 や 変成 作用の 速 綾が » めら れ るの は, グレ
ン ビル 地域で もこの フロントに 沿った 北側の 部分 だけら しい。 したがって IRVING ら のこの 結 » が 正しけ
れば, Dietz モデルに よる ダレン ビル 造山運動の 大 睦栩緣 は, グ レン ビル' フロント そのもの ではなく,
約 200km ほど 南側に あるの かも 知れない。
Young はこの ほかに も, ァ パラ チア 地 向 斜の問 S を またぶ り 返して いる。 Young は, Dietz が 首うよ
うに カンブリア 紀 だけが 真の 副 地向斜 堆積物 を 供給して いたと すると, 当時の 北米 大陸の 大 «5 分 は 浅 »tt
の 海に 覆われて おり, ァ パラ チア 地 向斜に 堆積物 を 供給す る 後 背 地が なくなって しまう, と » じた。 さら
に 彼 は, 堆積物の 構成 物質 はいずれ もシ アル 質の ものであるので, 地 向 斜はシ アルの 上に 堆積した と 考え
た。 これに 対して DIETZ は, ァ パラ チアの miogeocline の 構成 岩の 大部分 は 炭酸 堪岩 類で あり, 砕 屑 岩
類 は 非常に 限られて いる。 大陸 緣膨 堆積物の 供給源 はなに も すぐそばの 地效 物質と は 眼らない し, むしろ
反対の 証拠が 多い ので, Young の 論旨 は 疑わしい, と 反 » している。
地 向斜の 堆積物が シ アル K だから 地 向斜の 底はシ アル だ, という Young の 餘法は 明らかに おかしい。
ァ パラ チア 地向斜 への 堆積物 は 大部分が 陸から 供給され たのであろう から, それらの 多く はシ アル R の は
ずで ある。 この 事実と 地 向斜の 底と は 何の 関係 もない。 しかし このような 亊を 言った の は 何も Young だ
けで はない ので, 当時 はこの 種の 議論が 当然の 事の ようになされ ていたら しい。
VIII. Dietz t«t の 今日的 意義
ここに 取り上げた Dietz の 3 つの 論文 は, 海洋 底 拡大 説が 登場して それが 広く 理解され るまでの 問の
時代に^ された ものである。 Dietz は 海洋 底 拡大 説の 提唱者の一 人と して, いち 早く この 説 を もって 邊
去の 地質 現象 を 考え直す 事 を 試みた。 したがって 多くの 地質学 者が Dietz の 説 を 十分に 理解 出来な かつ
た, あるいは Dietz の脫に 反対であった。 という 事 は 大いに 考えられる。 Dietz の» 文の^ « が时縿 極 を
にぎわした 事 自体が 非常に 異常で ある 事 を 考えても, その 事が わかる であろう。 平均 的な 地質^ # に とつ
て は 大変 過激な 仮説に 思えたら しい Dietz の 説 も, 1970 年に Dewey and Bird のさ らに AMR な » 文が
^される におよ び, 細かい 点 は ともかく, だんだんと 受け 容れ られ るよう になって 来た • DietzR が 登
一 48 一
DIETZ K による 地 向斜, ならびに 时膽
227
* してから 10¥ 以上 を 経た 現在に なって 时» の 内容 を 振り返え つて 見る と, 色々 の 事が 感じられる。 DIETZ
の モデルに 欠点 もあった し, 村翁 を R つて 出た 人々 が 海洋 底 拡大 説 を 理解 出来なかった という 事 も ある。
また 単 « な もあった。 しかし, 筆者が DIETZ 肘 翁から 学び 取りた いのは 次の ような 点で ある,
DRAKE et al. (1959) が大 堆積物 こそ 主 地向斜 堆積物で はない かと 考えた 時, 彼等に とって この
説の 難点の 一つ は, 大 睡緣膨 堆積物の 中には 主 地向斜 堆積物の よ う に 火山岩 類が 挾まれて いそ う にない,
という 事であった。 DIETZ は そのような 主 地向斜 堆積物と いう 名称に とって 本質的な 事柄の一 つに は 全く
この 弱点が 时» に 取り上げられなかった の は 不思議で ある。 DIETZ 説の 登場から ブレー 卜 • テク ト -クス
へと 努展 した 現在, ァパ ラ チア 造 山 搔 の 主 地向斜 と 呼ばれて いた 堆積 盆に は 2 つの 重要な 要素が ある 事が
明らかで ある。 一つ は大 睦緣膨 堆積物で あるら しいと いう 事で あり, もう一 つ は, もし 火山岩 類が 沈み 込
む プレー 卜に 関係した 活動に 由来す る ものである ならば, すなわち 島 弧 型の 火山活動に 伴う ものであるな
らば, 当時の 火山 前線 は 大陸棚の 外側, 大^ «膨 の 上 を 走って いたのだろう, という 事で ある (DIETZ,
1963 ; BIRD and DEWEY, 1970)。 地 向 斜の模 式 地で ある ァ パラ チア 造山带 における 主 地向斜 のこの 2 つ
の 本質的な 特微 のい ずれ を 取 り 上げて 主 地 向斜を 定義す るかに よって, 主 地向斜 と 呼ばれた も のの 実体 は
著しく 変化す る。
まず DIETZ がした ように, 堆積 相に 重点 を 置いて 大睦 緣膨を 生地 向斜, 大陸棚 を 副 地 向斜と 定義して
みよ う。 火山 前線の 位置 は 海溝の 位置と そこから 沈み 込む 大洋 地殻の 角度に よって ほとんど 一義的に きま
つてい る (Dickinson and Hatherton, 1967 ; 上田 誠 也 • 杉 村 新, 1970)。 したがって 火山 前線が 大睦
» の 上 を 走る 事 も 起こ り 得る。 そのような 場合, 火山 噴出 物に 富む 大睦搠 堆積物 を 副 地向斜 堆積物と 呼び,
火山 噴出 物 を 伴わない 大 睦緣應 堆積物 を 主 地向斜 堆積物と 呼ぶ 事 は, 多くの 地質学 者に 受け入れられ るで
あろう 力、。 たとえば, 秩父紫 層群が 大睦 地殻の 上で 堆積した ものである ならば (巿 川浩 一郎 ほ 力、, 1972 :
木村敏 雄, 1973), 秩父地 向斜と 呼ばれて 来た 地 城の 多く は 副 地向斜 である。 その 対の 主 地 向 斜は黒 »1|
海溝の すぐ 内側, すなわち 現在 四 万 十 層群が 分布す る 地域の 下部に 広がって いるであろう (堀 越 |X,1972)
(第 7 図)。 また ァ パラ チア 主 地 向斜の そもそもの 原義 は, 堆積物の 中に 火山 喰 出物が 多い という 点に あ
る。 このような 特微を 重要視して 秩父 * 層 裤を主 地向斜 堆積物で あると みなすならば, 秩父 « 層 鮮とは 対
の大 SlM^t 積 物 を 何と 呼んだら よいので あろう か。
筆者 は, DIETZ 时» の 延長 方向に は 「地 向斜 J が 持つ このよ うな あいまいさ に対する 吟味が あっても よ
力った と 思う。 しかし »* は そのような 方向に は 発展せ ず, この種の 問題 は 散発的に 論じられた だけにと
どまった (Ahmad, 1968 ; Cony, 1970 ; 松 田 時彦, 1971 ; Wang, 1972)。 そ してい ま だ に, 海洋 底拡
大説を 理解して いると 思われる 人々 によっても, 何の ためらい もな く 「地 向斜」 が 使われて いる。
IX. DIETZ に » 向かった 人々
この種の 革新的な 説に 対する 反 翁の 中には 科学 史的 必然性の ある もの, つま り 当時の 考え をみ ごとに 反
* している もの も あるし, また 全く 見当 はずれと 評価され る もの も ある。 むすびと して, DIETZ 説に 反対
した 人々 の その後の 考え を 追 # してみ る 事に しょ う。
まず まつ 先に DIETZ にかみ ついた HSU を 取り上げよう。 HSU は 1929 年に 南京で 生まれた。 合衆国へ
* つて 一時 民間 会社に いた 後, ニューヨーク 州立大学から カリフォルニア 大学へ 移った。 ここにいた 1964
年から 1967 年までの 間に, 主として フランシス カン 層群 を 研究した。 DIETZ 説に 反対した の はこの 問の 事
である。 その後 彼はチ ユリ ッヒの 工科大学へ 移った が, そこで 1969 年に 発表した 論文まで は 古い 地 向斜概
念に 貫かれて いる。 彼が みごとに 変貌した の は, 1970 年に 投稿され 1971 年に 発表され た 論文から である。
なかで も Fransiscan Melange についての 論文 は (Hsij, 1971), 造 山 帯の プレー 卜 モデルと して 広く 引用
される ものの 一つに なった。 この 翁 文で 彼 は, フランシス カン 造山運動の 地 史をブ レート • テク 卜-タス
一 49 一
228
堀 越 敷
第 7図 佐 川 造山運動の テク トニック スの 概念 M
この 凶 は 三 波 川, 秩父带 の 基 « に大 睦地效 があった とすると こ うなる だろ':) という 一つ
の 例で あ り, 筆者 (1972) の 主張と は一 致しない. ブ レート 'テク トニ クス はもと もと
斉一 観に 基づいて おり, 地向斜 概念の 登場に よって 採用され た 特殊な 用 35 を 必要と し
ない。 しかし 地向斜 概念で は, 正 地 向 斜 • 副 地向斜 という 用 SS にしても, その 模式 地で
ある ァ パラ チアでの どの 性格 をよ り 重要視す るかに よって 用い 方が 典な つて く る.
2. し ate Jurassic
collision of continents
I Nevadan orogeny J
第 8 図 フランシス カン 造 山の テク トニ クス (Hsu, 1971)
地 向 斜派を 代表して DIETZ に 食いつ いた HSU は 1969 年頃に 転向, 1971 年に フラン シ
ス カン 造 山の ブレー ト • テク トニ クスを 発表した. 造山運動に 微少 大陸が 登場す るの は
これが 初めてで はない かと 思われる. しかし サ リニア 嫩少 大陸 (?R5 冈) は, 北米 大睹
の一 部が ト ラ ンス フォーム 断層で 切られ, 移動して 来たと 十る ちえ も ある (ATWATER,
1970) o
一 50 一
Kuros^gawa trench s'op* br%ak
volcanic front \ f ^;ま ^ J
Kuros9gawa trench
Structural Division
Rate Tectonics
Geosynclinal Concept
I Shimanto )
Sanbapawa - Chichibu
Continental Shelf Continental Rise
1.
eugeosyncline
2. miogeosvrKline
•u9«otyncline
7 レ /ぃヽ、
数
I た/: /て
DIETZ 説に よる 地 向斜, ならびに 时膽
229
を 用いて 説明した。 そして 当時の 大睦緣 より 外 ffl と 思われる 大睦 地效の 存在 を, "微小 大» (micro-con-
tinent)w という 概念 を 導入して 切り抜けた。 HSU は フランシス カン 主 地向斜 堆積物の フランシス カン 層
鮮は 大洋 地殻の 上に, 副 地向斜 堆積物の グレート パレー 層群 は 大陸棚の 上に 堆積した として, それまでの
主, 副 地向斜 堆積物の 対が 大洋 地殻と 大睦 地殻の それぞれに 堆 した 堆積物の 対で ある 事 を 述べた (第 8
図)。 まさに DIETZ の 説 を 全面的に 採用した, と 思える の だが, 面白い 事に HSU は DIETZ の Ji 文に つ
いて は一 言 も 触れず, 文献と して すら 引用して いない。
執念深く 二度 も Dietz に 食い下がった Young は, 主として ブレ カンブリア 紀 暦の 堆積 構造に ついて
の 研究 を やって いる (たとえば Young, 1968). したがって 彼が 現時点で ブレー ト 'テク トニ クスを どう 理
解して いるの か, あるいは 地向斜 についての Dietz 説 を どう 考えて いるの か, といった 点を縿 文から 推察
する 事 は 出来ない。 Clifford も 同様に ブレ カンブリアの 火成岩 類に ついての » 文が 多い (たとえば Cli-
fford, 1968) 0 彼 は テク トニ クスゃ マグマの 成因に ついて 触れて いないので, その後の 彼の 考えが 変わつ
たか どうか はよ くわから ない。 ただ 彼の 1968 年の » 文に は マントル 対流 ゃ大睦 移動が 出て 来る ので, これ
らの 点に ついての 彼の 理解の ほど は 知る 事が 出来る。 HENDERSON に は 筆者の 目に 触れた 餘 文が なく, 彼
の 現在の 考え はわから ない。
この 一文 は 複雑な 過^ を 経て かかれた。 まず 1970^ 琅, 笨者は ノルウェー 工^大学で 「造山運動 概念の 変
み'」 というお 文 を 書いた が, 複 する 部分の 多い 論文が H 本で 発^された 事 を 知り, 発表し なかった。 そ
り 後 1973 年に 「地 向斜 とは^で あつたか」 を^いた が, これ も 発表し なかった。 この 两 方から, この 小 文
の 第一, 二 章に 相当す る 部分 を 抜き出し, 有き 加えた ものが 本稿で ある。 ノル ゥヱー 稿 をみ て 頃いた 束 京
人-学 木 村敏雄 教授, 1973 年 稿 を^んで 识 いた 束 m 大学 付风 高校 浜岛 尚 氏, 筑波 大学 佐 藤 正 教授 さらに
この * 終 稿 を^んで ^いた; *:京 人 学 地震 研究所 松 W 時涣, 中 村 一明 ゆ】' 助教授に 深く 慼 謝いた します。 な
お, い^ 月の 間に 色々 の 方々 に^んで な( き, その 時 その 時に 手^し をし ましたが, 甘う まで もな くす ベ
ての 貴 任は笨 者に あります。
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一 51 一
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堀 越 ft
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(1976 年 2 月 23 口 受理)
一 53 —
i
書評と 紹介
(St»tt 美) i 著 : 伊 の 科学的 SM — B 5
NR. Slop. MB 2. 口お 写真お lop. (カラ- f»
2p.> 挿入 B'g 多 ». 眧 和 49 年 11 月. 東京.
今古 鲁院. ft8,800 円
カール. リツ ター は プトレマイオスの 地 H がな
かったならば, 今日の 地 H は 現在の ょラな 完成の
« に は 逢し えなかった であろう と 述べて いるが,
わが国で も 伊 飽0 が 存在し なかったならば, 明治
以 » における B 本の 地 B の 急 速 な 近代化 は 望みえ
なかった であろう, すでに 江戸時代 中期に *8« 日
本 全 せしめた 伊能 忠》 の 功 * に対して,
Sf&22 年 (1889) に * 京地 学 (6 会に よって 「伊 * 忠
«iW 地 遣 功 «J が! t» され, また 大正 6 年 (1917)
に は 帝国 学士院の 委鲺に よって, 大? 吉 a*
「伊 が 出 おされた。 しかし 大 吉氏は
物理 を #H とされた ので, : の 800 ぺ 一 ジ に
近い 著鲁 において, 伊 S 忠 R の 伝記 を はじめ, 彼
が (* 用した fesyasfl や 法な ど, 忠 B の M 量 *
業に ついては 極めて 細に 記述され ている が, 忠
« の H 学 的? R 績で ある 伊 « おその ものに ついて
は, わずかに » れられ ている に » ぎない。 そこで
* 京地 学 KS 会で は昭お 40 年の 忠《» 功 表 》 建の «
会に, その 特別 事 S として 伊 * 忠 《: 記念 出饭 委員
会が K け られ, と く に《 集 委員長 保》 睦美教 15 の
« 身 的な 努力に よって, 伊能 図に M する »» 文 を
中心に 幅 慕し, ようやく 完 fi£ をみ るに 至った のが
本書で ある。
本 * も B5?K50O ページ を 超える 大冊で あるた
め. その BH&ffi 介す るに とどめる が, 本 » の »
成 は sis ~ » 文, mm — ss 料と その 解
の 2BB より 成る, 第 1« の H(8 の 》 文のう ち, *
n 宏 および 広 瀬 秀》 教授の それぞれ i» を 除い
た te の 9»の《 文 は, いずれ fc 保 柳 教授の に
なる ものである,
第 i 編の s 頭 》 文 「伊 fea の: ksj (保 柳) は.
Bft43 年に 佐 原 市で 開 催された 伊能忠敬 150 年祭
におけ る 著者の をお S した fc ので あ り .
また 本鲁 のい わば te» にあた る ものである, まず
箸 者 は 忠《 の 全国 a 量の *« について 述べ, つい
で 伊 *BB の 特色が, 地 B の 16 しさ や 》** などに
ある こと を « 鐘して いるが, 忠 《カせ》 たちの 援
助に よって 地 B を » しく tt 上げる ことにつ とめた
の は, 暮府の 要人な どの * 人た ちに t 地 B の儀值
を 理解せ しめる ことが 必耍 だった からで ある * ま
た 伊 《B がき 時と して は 甚だ 高い 精 *SEfe 有して
いたの は. 忠 《の》 量 & は 三角 渊最 法な ど を 用い
るまでに は 至ってい なかった が, 従 * の eitw な
u»K 法と 交 会 法に, 恒星の 観 m による tuens
を. 全 s にわた つて 非常な « 気 を もって, ていね
いに 実 tt した 結果で ある。 しかし 伊 D6H の B 本の
北 束 W や 西 BS では 東に (B して S 度の ズ レが 》 め
られ る。 このような g 度の R 差が 生じた の は, ク
ロノ メーター もなかつ たので. は 針算
によって * めざる をえなかった からで あり, また
伊能 H は 結果 的に はサ ン ソン • フ ラムス チート 'S
法 を ffl いたと H じに なって いるが, 実 B は あと か
ら IH "算 によ つてお 入され たので ある, したがつ
て, 日本 全図で は 各地 方 H を そのまま 束 西に 權げ
たため, 京都 を 通る 中 度 (0°) の S«t から 遠ざか
るに つれ S« の ズレが 多くな つてい る こと, また
忠 R の 科学 • 技術的 教麴 について は, 忠 《 の 蔵 *
などに S づ いて し, 忠« が 学んだ B 洋 科学の
技 tfi は S 接 M 学の 影響に よる もので はなく, M
を は じめ すべて 漢籍 を 通じて « 取され たこと を «
ら かにして いる。
「伊 (6 忠 R の 全国 JW 量の BtSitt の 功労者 J («
M) では, 著者 は B 本 全 SM 量と いう 大 *« をな
しとげた ft 大の 扭》 は, 忠 《 の 実行力と « 気に あ
る こと を あげ, r 大 B*iG«Sffl«U (W*) や
「M 量 日 (28 冊) など を として, 伊能
» の 《( 量' レー トゃ行 嶋を できる 》 り 正 * に 把
ML, さらに *ftl2 年 (1800) の » 夷 地 Wt から
*» の 文化 10 年 (18 は) に 至る までの 全 H 謂 量 中の
できごと を ffW にお 載して いる, ま の
を S けた 人た ち は 《 機 至 時 や M 直窗 など も あげ
られ るが, 是大の 功 劣者 は 保で あると し,
ぬ 海 測量に はじまった 忠 敬の 全国 》* が, 核 年 は
中国 や 九 州 地方の an 最, レー トが s になって いる こ
とから みても, 幕府の 方針が 忠 《c の 》 最の 道 要 性
S:E» て 内陸 節の 》( 量にまで 及ぶ ょラに 変更され
たからで あり, それ は景 保の #R による もので あ
る t» じている,
「大^ -伊 の B*» 最 につい
て」 mm は, mm の 《«に》 して, j« 方 n
藩で は 猜疑し, の * 令で あると はいえ, 》*i
に は 内心 不快, 不满の 念 を » いていた とみな
す大 s 氏の 見解に 《 する批 w である. この m 麵に
ついては 》wwi も している ところ である
6\ 場 ttttt (は^ B» と との 交 # について,
W 田 藩 や *i« きな どの 事 W 研究に よって,
享扣 3 年 (1808) までの » 量に おいて は 1« 方 ft 人
n«ta* から 若干の ト ラ プル はあった に して も,
文化 2 年 (1805) 以後, となって から
は 8 泰は^ IfeMUK を 》衡 的に 授 助し, ことに A
»» では waft に はま 迫して いたに も かかわら
ず, S めて tt 力 的であった こと を, 島
に基づいて HBE している,
「 伊徒忠 R による 緯度 1° の 16 離, 定と新 投影法
0#«J (保 梆) において は, 忠 R の 緯度 《 定の
g» について » ベ, 忠 » によって 算出され ftlME
ls-28.2 里が, ラランドの 廣 * の 示す ところに «
つて, ft 保に よって 1MB された こと, また 忠 » が
用いた いわゆる 伊能 折衷 尺が 艢 ft 的に は, 度量 «
法の ft 尺と ほとんど 一S し, 1 尺 =0.303O3m, し
たがって 28.2 風- 110.75km に 相当す る こと を W
ら かにして いる, さらに 著 # は 伊 SfeH の に
ついて BSE は 算 による ものである
fc*. 伊能 B の W 度 は 緯度 ■ 方位 難の 三者 を
Wft に W 定する ことによって H 成され fcfc ので あ
り. また 伊能 B の gflE は 前述の ように, あとから
JE 入され たので, 見かけ 上 は サン ソン ■ フ ラムス
チ一ド 8 法の eim のよう であっても, この
s によって 描かれた 地 s でない こと を あわせ » じ
ている。
「伊能 忠 《 [の 全国 8B 量と g 度 問鹰」 (広 頫) では,
まず 忠 国 《 量が ft 初 は K» 至 時の 指導に よ
つて, B* における 》 度 1, に対する 地 *S 難の 测
定を 目的と した ものである こと を if ベ, ついで 広
WMI は 伊能 S の 8 度 は SS 地 観 W, すなわち Hrt
* 量に よった ものである ため, ダリ ニッチ g 度 は
伊) eatoraa ではなかった ので ある. したがって
シー ボル ト B の 京都の ダリ-' ノ チ» 度 135°40'E
は, 大谷 氏が" »]£ され fc ように わが国で 天文 «»
によって 決定され たもので はなく, 逆に, クルー
ゼンシ 3 テ ルンが g« に! SB; した 《( に 行った
團定镇 を, 伊能 B によって 京 》に》 したに 遏 ぎな
いこと が 《 明され た。 また 以 上の よ ラな灣 量 方式
から 生ずる HSEHIB について は. とくに 伊 ftB の
四 B '九州 8 から » みとつ fc*Jt の tt« について
に 械 し, さらに 忠 twm い た》*»» ネット
は. i だ 投影法の to 嫌 を有レ ていなかった ので,
東洋 流の 北 出 地と 方 格 0 という 思 に. 西洋
* の B 練 を 書き こもう と した ことから 必然に 生 i
れ たもので あると されて いる,
「伊 ト K と 《» 中 H」 (保 W では. 大 0"
屮 H • 小 ほのほ かに, 小 H の '/, の 縮尺の 特小 H
が あり, その 最初の 地 H は. 景保 によって ff» さ
れ fcB* 囊地 B* と 呼ばれる ものであるが, 忠歌
の 81 量が まだ 九州に: » んで いなかつ たので, 九州
は ff 妙に) ぃ形& なして いる, その te の » 小 s
として は, 日本 s*«m 量 之 a と ft される もの
や, ft 保が シ一 ボ, レトに 4 えようと して! E* した
片 カナ 地名 B 本 B などが あり. 著者 は これらの 特
小 H の 担当の BB 係に ついて *S し, さらに 縮尺 は
中 H であるが, 内容 的に は大 S の 性 tt を 持つ 学 冒
院 大学 所蔵の 中 S につ 1 、て も 付 IE している,
「伊能 a と シーボルトの B*S*BJ («») で
は, シーボルトの B 本 S の 啄0 は, 田 伊人 氏の £
う 正 保 H ではなく, シーボルト 図の B 本 列島の *
岸 線の 基本 H として はさきの 片 カナ 地名 B 本 S,
主 £ 地点の 度 は iKHMt 保 》 の 「地勢 提 に
» り, また 内^に は 赤 *H に ft うと ころが 多い
ことが 》BE されて いる。
「伊能 H に 基づいた イギリス « 日本 沿海 0」 (保
m では, 1855 年の イギリス RB 本 ffi 海 H は クル
一 ゼンシ ュテ ルンの 海図に よる 不正 « な もので あ
つたが, 文久 元年 (1861) に * 日した イギリス 海軍
の が 持ち 《 つた 伊 ほに 基づいて, 全面的
に改 打され た !!« について 述べる, また 「世界の
地 b 作 》 史上にお ける 伊 hi 図の 地位」 mm) で
u, s 時の ョ一 o ッパ ftissa の 地図と 比 ft すれ
ば, 伊 *e 図 は g» 度の 《 度 や 地形の 表現に 劣る と
こ ろが あ!!. 高度の « 量 (> 欠如して いるが しかし
アメリカ ,アジア B 国の 地図と 比 « すれば, はる
かにす ぐれ, ことに アジアに おいて は, 伊能 8 は
S 代の 》«*H の 基 as として, 《ぴ 抜けて M いこ
と i!M5 している,
さらに 「明 ft 以 《 の 日本 社会と 伊能 図の 存在」
(保 柳) では, 明 f& 以降に おける わが国の 近代 地
H の 《遼 に ^えた 伊能 B の 貢献に ついて B 述さ
h, ことに 伊 IK 囡を 基本 S として 作 》 された *MK
20 万 分 1B が. 三角測量 による 大« 尺の 地形 ほが
すべて 完成す るまで. 明治から 大 IE にかけ て » し
た 大きな 社会的 について 12 されて いる,
最後の 「伊 と *s 地学 tesj は. 本害の
««i にあた る *> ので あり, 伊 s 忠 おの 《 おのた め
にこれ まで 行って きた * 京地 学 Si 会の などに
ついて 述べ, r 忠 b の 科学的 業績 を 公正に し,
その 業績の すぐれた 点 を w かにす る ことが, nac.
地学 » 会に * ねられた 仕事の一 つで ある」 と 結ん
である •
以上の 第 i 編に 》 して, 第 n» では, stst し
て, 「伊能忠敬 • ffiffi 至 時 高 ffift 保の
文丄 洪川景 佑 編 「伊 Rgftsmej な ど を は
じめ, r 大 b 本 沿海^ * 全図 序文. I. 保 «
「地勢 提 《」, および 東京 地学 B 会で 行われた &w
* 民, 長 M 半 太 SB の講 S (が, いずれ t は 》 な 解 Ift
を 加えて 集 S され, も《 には忠 R に Bflii する 年 S
や, 忠 敬の 時代 を 中心とする 地 B 学史が «K とし
て 付 載され ている,
なお 卷未 31 ページに わたる 英文 要 gfe, 外国に
は » つて 伝え られ ている:: と の 多い 忠« の
«繚 について, 正しい をせ える のに 大きな 意
鹣を 有して いる.
以上に みられる ように, 本鲁は 伊能 忠 R の 日本
全 H にわた る 》 最事 * と 伊 * 図に ついての 《MH
&, それぞれ 多方面に わたって 把え. しか (> いず
れ tWS された 》 多くの 4« や S 料に 基づいて,
» く検时 された 貴重な 》 文で ある, ことに 》 者の
保 ««S が * 京郝立 大学 (¥ 年 SS 官後. 非常な 熱 S
と 努力 を かたむけて 伊能 忠« の 研究に 専念され,
その 成果が 本 害と なって 結实 した こと は, ft 年に
なって 実 »! 日本 H の完 につと めた 伊能 忠 » の 根
気 « さに 通ず る ものが あ!), 本 害 は大谷 氏の 著 香
とともに, 伊 *^«研究 の 金字塔 をな す もので あ
る。 ただ ft& 云えば, 本 * の 序 首に も E されて い
ると;: ろで あるが, *» 文 S: それぞれ 单 独で まと
まった ものにする ため, 記述の すると ころが
# いのは, (に « じられ る。 また 著者の 職
断 も 避ける ために, 少しで も *IE し 得る 資科 がな
い 場合に は 推定 を 下さない など, 余!) にも 厳正 4
紀述 のた め, かえって 著考の S ,解の 瓚解 t 困難な
らしめ ている 点 も みられる。
なお 本 * の 刊行 後に みられ た 伊 nee*! に ,する
g 事と して は, 髙 «att ra 中の 》bj (富 山 文
*12. 昭? n50^) に tt, 山蕩 における
B のこと が 12 されて いるが, それに 引用され た 奉
行 所から 十 狩に 対して出された rirtwi 用 «j k
»)量《 の 接待に ついての 心得が s され, ま
に洪 された 料理の iti や, 忠 r は^ e きで »»な
客で あり, 酒 を 飲まず, すまし 汁よりも
好む 者であって, 忠 n の 素朴な 人となりが しのば
れる,
また * 近, fflB 地 g 研究会の 企 隨 によって, 九
州 文化 t 研究 it» 所蔵の rssw« 下町
Nt 古 国」 の復 «饭 が 刊行され た. この 地 B は 「伊
mmi の 特色 を 具えて いるが, 直ちに 「伊 (BBj
と Kf 定す るに は 多少の 余地が あり, また これに,
建して さらに 望 局の 言 を 述べるならば, 模写 面し
か« 存 しない か, 文化 13 年 (1816) の 「江 戶
困」 などの 研究 も 加えても らいたかった, ifc*
* とならんで h "面された という 伊 の rui
日お」 も 保 W 教授の 手に よって MS される ことが
5B まれる, (纖ョ
水 tt 部 海洋 貴料セ ン タ 一 Wk :
編 IB 太平洋 一 海洋 B 秦 ttIK 全 月) 一 A
2 版. 解 R4 頁. 図表 164. 1975 年 12 月. 日本
水 Kffi 会 《 行. 価 27000 円
今日 ま での 海洋 観測 は 専 ら 船舶に よる もので あ
つて. 是 近よう やく 人工衛星 ゃ鎮 測プィ によって
行われる ようになった. K 舶 による 観 » は, ある
時の ある 場所の 續 8) が 行われる だけであって, し
かも 海洋に おける 》 位 决定の 困難 さから 再び pa —
16 点での 観 W を 行う こと は 衡 めて 困難で あり, 定
点で お 期に わたる; g«Hfi»| が 行なわれ 得ない 欠 点
を 持って いる。 從 つて 海洋 BM (を 》)t する fc め K
tt, 出き る だけ * くの * 測 》 料 を 集め, これ を標襻
化 して s»Ha 理 を行ラ こと に なって く る,
285
1961 年 (昭 S136 年) に 開催され た 第 1 回の IOC
会議 (INTERGOVERNMENTAL OCEANO-
GRAPHIC COMMISSION ; 玫府問 海洋学 委
会) で 世界の 海洋 资 料の 収集, 処理, 解析, 交換
を 容易な らしめ るた め に 各国に 海洋 资 料セ ン ター
の 設立が 勧告され, 既に 1957 . 1958 年 (昭
^年) に 設立され た 世界 海洋 资料セ ンタ 一 (WDC)
A (ワシントン) と B (モスコー) と 提携す るよ
う 期待され た。 この IOC の « 告を うけて, 1965
年 (昭 »40 年) 4 月 日本の 海洋 资料セ ン ター (JO-
DC) が 海上保安庁 水路 « 内に R 立され, WDC
の A および B と 海洋 資料の 相互 交換 を 行う と 共
に, 国内 的に は あらゆる 機 M の 海洋 観測 K 料 を 集
め, 標準化す る ことと なった。
本 図表 は, 海洋 资料 センターが 収集し, 標準化
tea した 1923 年 (大正 12 年) 以来 約 50 年間の, 日
* 近海お よび 北西 太平洋 海域 (0。 一 48°N., 100° —
170°E.) における 海洋 観測 約 11 万 測 点の 资料 によ
つて 作成され ている。 内容 は 水温 (°C), 塩分 (%o),
»m (ml/1), 海水 密度 (g/1), 力学的 深度 偏差
(dyn. m) (l,000db 基準), 透明度 (m) の 海洋
要素に ついて 平均値, 標準偏差, Vu) 最大
«, Vip 最小 fi (メ ッ シュ 毎の 統計 全 期間に 関す
る もめ) を 接 度 0, 100, 200, 400, 600, 800,
1,000, 1,500, 2,000, 3,000, 4,000, 5,000m
毎 I こ 化して いる。 但し 標準 傷 差, 最大 值, 最小
* は O-l,000m, 力学的 Slffiffl 差 は 0 ~600db ま
で 0平 均 僚と 擦 準 傷 差, また 透明度 は 平均 依の み
となって いる。 そして 統計 は jg 度の 1 度メ
ッシュ を 3£*«5 針 単位と して 実 し, 地形が
含まれる 日本 iHK について は 棒 度 • 経度の 30^ メ
ッシュ に 細分 化して いる, 基 図に は 880 万 分の 1
の 海図 を 1,800 万 分の 1 に 縮図して 使用して いる
ので, 投影法 は メルカ トール 図法で ある。
海洋に 関する この種の 出版物 は, わが国で は最
初の ものであって 緘に面 期 的な ものである という
ことが 出来る。 閣係 者の 努力に 対して 心から 敬意
を 表する ものである。
この 図表 を 見て 最初に 感じる こと は, 宏大な 海
域に 対して 海洋 概 測の 実績が 余 り にも 少ない と い
うこと である。 約 畔 問の 統«« が 100 を 超える
1 度 メッシュ は H 本の 周辺 600 浬 以内の 海 城で あ
る。 従って 現状で は 季節 別の 統計 を 行い 得る の は
日本 近海が やっとで あり, 日 別と なると fi« のう
ちの 限定され た 海 城と な ら ざる を 得ない と 思われ
る。 また 垂直 的に 見れば, 例 を 水温に とっていえ
ば 表面 水温 こそ 10.6 万点 あるが, 水 flieOOm では
3.3 万点に 逮 せず, 水深 1500m では 6711 点, 水深
5000m の 深海に なると 測 点数 は 僅かに 340 しかな
い。 海洋の 開発 利用, 環 « 保全, 防災 等の 分野に
'お 用 的な 価牴の ある 资 料と して は 月別が 必要で あ
ろうと 思われる が, そのために は资料 センターの
—層の 積極的な 活動 を 期待す る ものである。
海洋 開お, 海洋 環境 保全 を 単なるお 題目, また
は 海洋の 荒廃に 終らせな いために は, 基 碰 的な 海
洋 観測 をまず 充実 させなければ ならない という こ
と を 改めて 思い知 ら さ れた 出版物で あ る。
(川 >•# 代 四)
tt 垒記事
» 会 (昭和 51 年 6 月 9 日)
1 • 出席者 : 评井 会長, 末 野, 保 柳 各 副会長, 岡
山 監事
im, 川上, 矢 沢 各 理事
si 事:
地 会 百年 IB 念 行事に つ レ 、 て
1. 準備の ため 準備委員会 を 設ける ことと
し, 保 柳 副会長 を委貝 長に 選出した" 委
H について は 委員長の 手元で 次回の 理事
会まで 選考す る ことにした。
2. 矢 沢 理事より 50 周年に は 地学 雑誌の 錄
目録 を, 70 周年, 90 周年に は それぞれ 年
史を 出版した 旨 紹介が あった。
編集 委禽会 (昭和 51 年 6 月 25 口)
I • 出席者 : 矢沢委 長, 安斉, 川上, 河 村, 神
f. 式, 前 島, 前 田 各委貝
n. m :が: 地 雑誌 第 85 卷 5 ゆの |8 集に ついて 審
Jfk し 'こ。
将来 検 » 委員会 (昭和 51 平 〖;刀 29 U)
I • 出席 : * 野委 H^, 生, 践, 神 山, 川
に 斉藤, 西 川, 保 柳, お 各 委員
一 57 —
236
n. 議事:
1. 猪般の 意見交換が なされた。
検 1« 事 会 (昭和 51 年 7 月 14 日)
I. 出席者: 坪 井 会長, 末 野 委員長, 尾 《f, 片山
神 山, 川上, 斉藤, 西 川, 保 柳各委
a
n. 議事:
1. 各 委員からの 経 通 報告が あり, 猪 案に
ついて 検时 がな された。
理事会 (昭和 51 年 7 月 14 日)
I . 出席者 : 坪 井 会長, 末 野, 保 柳 各 M 会長, 岡
山監 *,
岩 生, 尾 崎, 川上, 西 川, 矢 沢各理
事
n. 議事:
1. 正会員 退会と して, 次の 申込 を 511 し
た。
笠 井惠祐 (昭和 51 年 6 月 1 日 逝去)
2. 東京 地学 協会 百年 記念 事業 準備 委 ft に
ついて。
保 柳 委員長 より 次の 委員 を 委嘱した き
旨 申出で が あり 了承され た。
岩賴 一, m 博, 川上 四, 8HR
彰, 虎^ * 夫, 西 川 治, 浜 田!! i 士, 矢
沢大ニ
3. 東京 地学 16 会赏 の赠呈 について 次回 理
事 会まで 候補者が あれば 提案す る ことに
した。
4. 役員 通举 について,
9 月 25 日 評議員 会 を 開き, 会の
10 名 を 還 出す るよう 準備す る ことにし
た。
編集 委禽会 (昭和 51 年 7 月 19
I. 出席者: 矢 沢 委員長,
安斉, 川上, 難. 前 島, 前 田各委
n. 議 事:
1. 地学 雑誌 第 85 卷 6 や jfi* について 審議
し た o
逝去 会禽
会員 中 尾 清 蔵 君 は 昭和 51 年 6 月 20 日 逝去され
ました。 瑰んで 哀悼の 意 を 表する。
東京 地学 ft 会
地学 雑 B 第 8" 号 ffils8^^1
編集お fen* 者
印 刷 所
発行所
矢 沢大ニ
—ッ樓 印刷^: 会社
東京都 品 川 区 上大崎 3-12-15
^東京 地学 協会
東京都 千 代 田 区 二番 町 12 の 2
郵便番号 1 0 2
電話 東京 (261)0809 番
振替 口座 東朿 66278 番
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東京 地学 tt 会 取扱い 出 Ktt
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地 K » 査所報 «
ooj 北海道 常呂 地方の スビ ライトと 含 マンガン' 4?0
分
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56 ! 探お 反射 法の 研究
60 兵 ItWFJ' 播 地域 工業 水源地 城 調 杏 fflft
61 ' 山形 市 付近の 天然 ガス 地 化学 調査報告
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300
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226 イラン 国 北 ffi 部の アングラ ン 鉱山
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o,s 西南 日本 内带の -夜久 野 複合 岩 体" 中の 変
一48 はんれい 岩と その M 速 岩 類 700
oM 爆破 地 » による iffi* 波 速度の 時間 的 変化に ggj
-ol M する 研究 930
62 秋田県 小お 鉱山の 母 岩の 変 H
450
つお 與 なった 三つの 環境 下にお ける 現世 海 庇堆 i
fflft 中の 道鉱 ft 組成 900
64 ! 火薬 爆発に よって 生ずる 雑 振動お よび 反お
64 眩の 实狭的 研究
I
65 リ诚^ の チタン 资 ^
68 ; 宫 崎 ttw 、林 m 付近 天然 ガスお 査報 おお
450 特別ち- (C) ゲルマニウム 资? 5 について
330
™ 3*cvT. (5) 煤 破 地 » 動 観測 Sf 料より 得られた 松 !ぃ
DO0 符リん 代 群発 地 » 城の 地下 構造 :1-'
A^ . I】 本の 学き による 中国 本土に ffl する 地理学 的 研 200
400 究著 S • 资 料 • » 文 II 録 (1935 — 1950〉 〒350
76 北海 近の クロウ ム&床
oo 1 地 S 探鉱に お け る 鲊; 法 と 多孔^ 発 法の
8" 研究
84 弾性 波パ' 'レスの 伝播に 問 する 研究
fic ' 上部 石打« 舴堆 m 過 ^ における ffiiiu 隹 と:?
85 . 別 沈降 盆地
86 八幡 a 水の 地球化学
400
370
400
460
620
^ 11 太ギ洋 や 術 会 at 組緻委 a 会 » 集
Japan Guide Book for the Congress Tours
頒布 価格 1 部 700 円 〒 350
地質 M 査所 月報^ 月 発行, 1 力 年 (昭, 51 年〉 ほ, 510R
地学 雑 K 隔月 発行, 1 力 年- 8, 100 円
備考 ご注文 はすべ て^ 金, 正 会 H は 定価の 1 割引 •
oo • 地 X 付近の 天然 放 91 能に よ る ガ ン マ iffi 強度 ' 100
80 I 分布に ついて • 4UU
89 | ff 森 1W も 太お: 山の K 化^ ゥ屮 の微 il^ 分に 350
90 、 口 本に お け る ウラン の,' だ 状 I
1,300
91 KM) ((方 地^二^:^'' お! ゾぷにた 1,000
93 . 北海 5iUff、K 地 W の^ Hi ガスに ついて
97 北お m^ifMfl' に V ^。巧 はに つ', 、て
99 お; ft の 微^ 成分の 地 iR 化学的 研究
470
470
800
420
200 本化 クロム だ:^ の 戌 [に ft 研究
580
鎮
まゆ 栽 鍵
JOURNAL OF GEOGRAPHY T
VoL 85, No. 5 (sis). 1976
□ は: アンデスの 氷せ 地形 (MB 四
CONTENTS
1 Distribution and し nsnpng Pattern of Urban
ation Density : A Case Srudy of Hiroshima City Hiroshi MOR1KAWA (
\ (he Cretaceous System in Bolivia Shiro MAEDA and
Mario H. L'RUININEA R. I
The 13lh Pacific Science Congress, Vancoubar, Canudu,
i, and the Problems Relaied to Mankind's
l the Pacific Akira WATANABE i
^ il the 13th Pacific Science Congress Tatsuio MATSUMOTO (
Ciicum-Pacific Map Project Chikao NlSHIWAKl ami Shun ichi SANO (
Report of the 10th Meeting of I he IGU Commission on
Geomoiphlogica] Survey and Mapping hel<l in
the Netherlands Masahiko ()YA (
Book Reviews and Society's News
TOKYO GEOGRAPHICAL SOCIETY
(TOKYO CraGAKU KYOKAI)
Founded in 18.79
Nibancho. Chiyoda-ku, Tokyo
B 森 川 洋 : » 市の 人口 *度 分布と その 変化 一広 S 市 を (B) と して
前 B 四 flS.Mario H. Urdininea R. : ボリ ビアの 白 亚 系に ついて
«• 資料
«22 光: 第 13 回 太平^ ffi 会 《 と, その 中 心》題 としての 「太平洋 ffl における
人 S の 将来 J について
&本 *郎 : 第 13 回 太 洋学 術 会 » の « 巧 : -
西) B«Ut 環太平洋 マツ ブ- プ ロジェ ク]^ Yy^mHEf.
大矢 : 第 W 回 igu 地形 (QVfc^*1*^
agraphie zur
i« 物 化石 .__
(浜 田 ft 士), A- Marti NSSON ed. : Evolution and maipholi
Tiilobitoidea nnd Meroatomata (浜 田 Riccardo LEV-SE
—A photographic atlas— (お 田 ほ-上)
(herausg.) : Monograph ie zur Landeskunde Tiruls. Folge 】
:0l 著: 神 戸 B お産 物 化石 (浜 田 » 士),
Raume von Tirol [A. Leidlmair u
Folge I〕
fl 本の 古
■logy 。
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I photographic
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(▲ 印 新刊〕
*ma k 明 s 付き
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288
森 川 洋
Figs, o and 7 forms almost circular in 1965 as well as in 1975 and the highest point ot
urban population density appears about 1.5 km south of the city centre. Because of re-
sidential growth in the urban fringe, however, most of isopleths of the trend surface
moved outwards in 1975 as compared with those in 1965. The distribution of residuals
from the trend surface in 1975 (t lg. 8), shows the over-estimation in the urban centre
ana in the areas which contained non-residentials such as fabrics, schools and slope
lands. On the other hand, the comparison of the two trend surface maps of percentage-
change in population in the periods of 1965-70 and 1970-75 (rigs. 9 and 10), shows the
spatial disturbance in the period 1970-75 as compared with the circular pattern in 1965-
70; the areas of decreasing population have expanded in the overall existing built-up
areas. The distribution of residentials from the cubic trend surface demonstrates spatial
anomalies such as the under-est i ma t ion of urban renewal area and urbanized area located
directly near the built-up areas and the over-estimation of the urban centre and an old
fishing village in the suburbs (Fig. 11).
5) The critical density called by NEWLING has gradually declined and its location
has moved outwards from the urban centre from 1965 to 1975 as shown in Tab. 3.
Thus, the location of density crest tends to move outward as it declines. Under the
present technological and economic conditions and the physical terrain- • -sea in the south
and mountains in all other directions- - • which prevents free expansion of the built-up
area, the writer infers, however, that the outward movement of density crest will be
stopped in due time.
はしがき
都市の 人口密度 分布に 閣 する マクロ 的 分析 は, 単に それ 自身の 法則 追求 的 研究で ある だけでなく, 都市
地 城 構造と その 変化に 闋 する 研究と も閣 速し, 都市 地理の 重要な テーマの 一つと いえる。 本稿で は, これ
までの こうした 研究の 動向 を «S し ", それらの 分析 手法 を 用いて 広 島 市 (1970 年の市 城, 55 国 *K 計 区、
における 人口密度の 空間 的 パターン とその 変化 傾向 を 明らかにしたい。
I. 都市 人口密度 分布の 研究
都市 人口密度の 空閲的 パターンに 閣 する モデル は Bleicher, H.2^:X 後, Clark, C.8〉 や Newling,
B. ら によって 発展 をと げた。 Clark は, CBD を 除く と, 都市の 人口密度 は 中心から 外緣に 向って
傾斜し, しかも 都心 部で 低下し 外縁 部で 上昇す る 傾向が ある ことに 着目 して
d,=doe-b* (1)
を 適用した。 dx は 都心から x マイルに おける 人口密度, do は 挪11 、人口密度 (central density), b は 密度
勾配 (density gradient) を 示す。 CLARK が両 パラメータ do と b の 都市 間の 比較 や 時系列 的 変化に 注
目して 以来, この 検討が 都市 人口密度 研究の 中心 課題 をな してきた。 都心 密度 は 居住の 混雑 度 (congesti-
on) を 示し, 密度 勾配 は 市街地の 集中 度 (concentration) または 逆に 郊外 化 (suburbanization) の 度合
を 代表す る 係数と いえる からで ある。
Clark モデルの 適合 性に ついては その後の 研究に よって, 世界 各地の 過去 150 年間の 100 の 事例に つい
てよ く 適合す る ことが? *® された。 Berry ら" は, この Clark の 研究が 当時の 都市 地理学の 研究 分 »
で 全く 評価され なかった こと を遗 « とし a〉, この 研究 を 強く 支持し, 発展 させた。 とくに, Clark モデル
一 2 一
都市の 人口密度 分布と その 変化
289
の 成立の 理» 的 根拠に ついて 土地利用 や 地価の 観点から 説明す る と と もに, 都市 規模と 密度 勾配との B8 係
について 考察した。 都心から r マイルまでの 間に 居住す る 総人口 Pr は
Pr=^doe-bx(27rx)dx (2)
となり
Pr =2^dob-lCl - e-br (1 -f br) ] (3)
で 示される" ので, g r を 無限大, その 人口密度 を 0 とする 円錐形の 体積で 表わされる 都市 人口 P は
P=2^d0b"1 (4)
となる。 すなわち, 都市 人口 規模の 堉大は 密度 勾配 を 低下させる ことになる。 シカゴ 市の 外 緑の 人口密度
(marginal density) を 2000 人 1 平方 マイルと した NEWLING8) の 計算に よると, その 総人口 は 1920 年 以後
、の ドーナツ 現象の 発達の ため 都市 地域 (urbanized area) 人口 を 過大評価 する ことにな つた。
密度 勾配 は 時系列 的に みると, 都市の 人口 面積の 拡大の もとで 低下す る。 0 時点の 密度 勾配 を bo とし
の それ を bt とすると,
btsboe" (5) c は 常数
の M 係が 成立つ と いわれる"。 しか しそれ と 同時に, 密度 勾配の 変化 要因 をた だ 単な る 時の 経過 と せず,
積極的な 原因が 検討され た。 MUTH, R. F.io> は 合衆国 46 市の 分析に て 密度 勾配が かなり 都市 間で 相違す
る ことに 注目し, 密度 勾配 (対 敷 値) を 従属 変 敷と する 重 回帰 分析に よって 輪 送 費や 世带 当り 平均 住居 支
出 (平均 収入) などとの 閟係を 考察した。 各 都市の 輸送費の 差異に ついては パス 路線 密度な ど 代替 指標 を
用いた。 この 分析の 結果, 輸送費が 低い 都市 ほど, また 平均 収入が 大きく 住居 費 出費の 大きい 都市 ほど 密
度 勾 E 力 '>綬 くなる 傾向が 認められた。 そして SMA 内に 製造業 厘 用が 分散して いるか 否かが 密度 勾配に 強
く 影響す る ことが 知られた。 SMA 内の 中心 都市に 製造業 就業 者が 集中して いる ときには, 市街地 はコン
パク ト であり, 人口密度 は 急勾配 を 示す ことになる。 一方 WlNSBOROUGH, H. H."> は 密度 勾配と 大 量 輪
送 旅客 数との 関係 を 歴史的に 分析し, 合衆国で は 1890 年に は 大量 輸送機関の 発達した 都市が 緩 勾配 を 示し
たが, 自動車 交通の 発達した 1950 年に は その 関 係が 逆転した こと を 明らかにした。 これに 対して Mills,
E. S.m は, 密度 勾配の 平 担 化 を 輸送費の 滅少 による 単なる 時の 経過と みるよりも, 都市 人口増加 や 所得
の增大 によると 考えた。 また 東京に おいて 夜間 人口と 昼間人口 を 分析した 大友篤 は 13〉, 当然の ことなが
ら, 显間 人口の 方が 急勾配 を 示す こと を 確認した。
紘に、 密度に ついては, Stewart Warntz") は 1940 年の 合衆国 都市に おいて 都巿 人口 P との 間に
do 义 75>/F (6)
の闋 係が 成立し, さらに 都市 人口と 市街地 面積 A との 間に も A&Pi/357 の 関係が ある こと を 見出した。 そ
して かかる 関係が 成立す る 理由と して, 都市の 人口 規模の 増大に つれて 人口 的 重力 (demographic gravi-
tation) が增大 しそれ が 都心 人口に 加重す るので 都心 人口密度が 高まる とした。 この場合に は, (6) 式と
C4) 式との 関係から^ に、 密度と 密度 勾配との 間に
do=cb-2 (7) c は 常数
のよう な 関係が 成立す る はずで ある。
しかし一 方で は, (4) 式 は 都市 人口 P を 一定 一 例えば P= 1 — とすれば,
do=bV2«- (8)
で 表わされる ことになる。 すなわち, 都 巿規樓 が 一定なら ば 都心 密度 は b2 の 関数と なり, (7) 式の 結果
と は 相容れな いものと なる。 さらに Weiss, H. K"〉 による 合衆国 都市 (1950 年) の 検討で は, 密度 勾配
とその SMA 人口 Pm との 間に
b=(10*/Pm)i (9)
なる 回# 線が よく 遍 合する という。 Pm=P と 考えて (9) 式 を (4) 式に 代入す ると
一 3 一
240
森 川 洋
do = oo^ ひ。)
b
となり, (7) 式に 類似した 関係が みられる ことになる。
このような^に、 密度と 密度 勾配との 相対 立す る閣係 について Berry らは 次のように R 明す る" ゝ すな わ
ち, (8) 式の 関係 は ある 一定の 都市 規模 グループに 適用され, 同一 規模の 都市 集団に おいて は 两者は 正の
相閣 をな すのに 対して, (10) 式の 関係 は 都市の 地形 的 位置と か 市制 年数 (city age) とか 交通 的 位置の よ
うに, 同搽な 都市 発達 史を もつ 都市 グループに 適用す る ものであると 考える。 、密度と 密度 勾 E との 88
係に おいて は, 都市 規模 や 市制 年 敷な どの 問題が 絡み合って いるので, これ を «31 して 考える のがよ いで
あろう。 Adams, J. S.i" は, まず^に、 密度と 市制 年数との 問に は 正の 相閣が 成立し, しかも 大»« な 都
市 ほど IW1 、密度が 大きい こと, 膝に、 密度と 都市 規樓の 間に も 正の 相関が あり 古い 都市 ほど 、密度が 高い
こ と, 密度 勾配と 都市の 古さとの 間に も 正の 相 BB 係が あり, しかも 小 都市 ほど 密度 勾配が 大き くなる こと
を 図に よって K 明した。
、密度と 密度 勾配との 閣 係に ついては, さらに いくつかの 実証的 研究が ある。 わが国 15 市に ついての
大友 篤"0 の 研究で は, 密度 勾配 は 都市 規模と 逆 相関 を 示す が, 都心 密度 は 密度 勾配 や DID 人口の と
は 無関係で, 各 都市の 歴史的 条件 や 機能的 特性と 閣係 する。 一方, 都心 密度に 影響す るの は 都市の 歴史 や
建物の 古さ, 搽式 であると 考えて いる。 さらに WINSBOROUGH1" の シカゴ や MARSDEN, B. S.m> のブ
リスべ ーンの 例に おいても, 後述の Berry らの 研究に おいても, IM1 、密度と 密度 勾配の 変化と は 別途の
ものと 考えられ ている。 シカゴで は i860 年 以来 密度 勾配 は 減少の 一途 をた どるのに 対して, 、密度 は
1900^ か 1910 年まで は增 加し, その後 滅少に 向って いる。 しかし 他方で は, Bussi^re, R.*" は パリ 大都
市 K の 1911~68 年の 調査に おいて do = 286500b — 5725, r =0.999 の 関係 を K め, STEWART • WARNTZ を
支持す る 結果 を 得て いる。 したがって, 都心 密度と 密度 勾配との 関 係に ついては 今後な お 検討の 余地 カ游
されて いるよう に 思われる。
さらに Berry ぬ や Rees2" は両 パラメーターの 変化の 搽 式から 西洋 都巿 とか 非 西洋 都市の 差異に 注目
した, インド を 中心とした 非 西洋 都市で は, 逆 Burgess モデルの 居住 パターン を 反映して 密度 勾配 力 ミ一
定の もとで 、密度が 塘大 する 過程が みられる という。 しかし その後の Brush, J. E."〉 の インド 都市の
研究で は, 4 つの 類型 化が 考えられ, 一律 的に は 説明され ない という。 こうした 郊外 化 現象と «W1 、称の 潙
雜 状況の 差異に よる 都市の 国際 比较は 今後の 研究に 期待され ると ころが 大きい ようで ある。
^、から 外縁に 向って 強度 (intensity) の变 化する 現象 は 人口密度 だけで はない。 都市の 人口増加 率に
ついては. 人口密度と は 逆に 都心からの 距離と と もに 増加し,
(1 +rd) = (l +r0)e'd (11)
で 示される。 rd は 都心から d マイルの ところの 人口増加 率で あり, ひ は 都心の 人口増加 率, g は 常歡で
ある。 人口密度 も (1) 式の ように^ H、 からの 距離との 関係で あるので,
(1 +n>)=aD-k (12)
でもって, 初期 人 U 密度 を D とする ある 期間の 人口 增加率 rD が 示される。 k' a は 常数で ある。 NEW-
LING:" は 人口増加と 滅少の 境界 点に ある 人口密度 を ffi 界 密度 (critical density) と 名 づける。 (12) 式 か
ら rD=0 の 場合 を 求める と, K 界 密度 dc は
dc = aiA (13)
となる。 ピッツバーグと キングストン (ジャマイカ) の2 市で » 界 密度の 計算 をす ると, 32,000 人と 30,000
人 八 平方 マイル (11588 人/ km2) となり, 都市に は それ を 越える と 社会的 費用が 急増す るよう な最遍 人口
密度が 存在す るので はない かと NEWLING は 考える。
さ らに 地価 や 地代の 分布, 都市 的 土地利用の 集約 度に ついても 都心から 市街地 外緣に 向けての 密度
が みられる。 Mills2« によると 地価 分布 も Clark モデルと 同型の R(«〉=Roe-AU で 表わされ, シカゴ 市
一 4 一
都市の 人口密度 分布と その 変化
241
では 電車 通勤の 始まった 1857~73 年, 自動車の 登場した 1910~28 年に 地 勾配 A は滅 少し, 人口密度 勾配
の滅少 と も对応 する こ と が 明らかにされた。 MILLS によると 地価 分布 モデルからの 残 差 は 居住 快速 度 (re-
sidential amenity) を 示す 力、 YEATES, M. H.2" の シカゴ 市の 分布の ように, ミシガン湖からの 钜難ゃ
非黑人 比率が その 測定に 適する かどう か は * 問と している M)。 MlLLS»〉 はまた, 合衆国 18SMSA の 人口
ま 度と 4 産業 就業 者 (就業地 別) についての 密度 勾配の 時系列 的 変化 を検 肘した 結果, 1948~63 年に かけ
て 平 担 化に 向う ものが 多く, そのな かで は 人口密度の 密度 勾配が 最低で 製造業 • 小売 業 • サービス 業 • 卸
売 業が こ れに繞 き, しか も こ の ほ 位 は 1阵 問 不動な こと を 明らかにした。
このように 人口密度と 都市 土地利用の 密度との 関係の 考察 は, 都市の 地域 構造 縿に とって 重要な 媒题で
あり, 人口密度 分析 は 都市 地理学の 幅広い 研究領域に しっかり と 根 をお ろした ものと なる。
以上の ように, CLARK モデルに 基づいて 多くの 検时 がな された が, これ は fill 的 指数 モデル (linear
exponential model) のた め, 都心 都の ドーナツ 現象の 説明に は不遍 であり, » 外にお いても 実測 値から
たものと なる。 NEWLING80) は, この 点に 着目して 2 次 方程式 モデル (quadratic model)
d«= doe1**^2 (14)
を 適用した。 b • c は 常 敷。 変形す ると,
lndx= lndo+bx— cx2 (15)
となり, 自然対数 を 用いた 半 対 * 方眼紙に 拋物 線で 表わされる。 この 曲線の 特微 について みると, iw: 、か
b2/4C
ら b/2C の 位置に, d>e の 人口密度の 極大 点 (density cres りが 現われる。 また b<0 の ときには ドー
ナツ 現象 (density crater) は 現われず, b=0 では 先に 発表され た TANNER • SHERRATT の モデル M〉 と
—ft する。 b>0 において はじめて, ドーナツ 都 分と 極大 点 を もった 曲線と なり, さらに b/ノ 冗の 値 を
分析す る ことによって 都市の 成長 段瞎 を 区分した。
Newling はこの モデルに よって 19 市の 事例 を検 射した 結果, 2 つの 例外 を 除く とすべ て は c<0 とな
つて モデルの 適合 性が 確 » された。 しかも 時系列 的 変化 をみ ると, 極大 点の 人口密度 は 19118: 紀 以後 次第に 低
下 するとと もに, 多くの場合, c 値の 低下に より 市街地の 拡大に つれて 密度 勾配 は « やかな 曲線 を 描く こ
とが 49 明した。 しかし の 恒常的 堆加は みられず, 予想され た 人口密度の 極大 点の 外方 移動 は 実 E
されなかった。 この 問題に BB する その後の 実 IE 的 研究で は, Guest, A. M,> は 1920^ 以後 クリープ ラン
ド市 では 極大 点の 外方 移動 を めなかった が, Latham • Yeates^o トロン ト 大都市 圏の 調査で は 極大
点 は 1966~71 年 問に 年 問 0.47 マイルの 割合で 外方に 移動しつつ あると 推定した。 すなわち, (15) 式に おけ
る 係数 do - b • c を 時 問 t に対する 変数と すると, do. c は 次第に 減少す るのに 対して b 値 だけ は堆大
し, BLUMENFELD, H."〉 の 「密度 波動 (density wave) J の 仮説 を 支持す る 結果 を 得た。 BLUMENFELD
は «M1 、から 外方に 向って 生ずる 都市 的 拡大 を 波動に たとえ, 各 時期に みられる 最大 成長 地裕は 波動の よ う
に ゆつ く りで は あるが しかし 明らかに!^ に、 から 外縁に 向って 移動す ると 考える。 しかし こ う した アナログ
は どこまで 妥当す るの か, その 要因 は 何 かに ついては 今後 十分な 検討 力 不必要であろう。
ところで, これまでの 密度 勾配 を 中心とした 研究 は, 2 次元 的 (面 的) 現象と しての 人口密度 分布に 対
して 1 次元 的 (線 的) に アブ ローチした ものであった。 したがって, とくに 市街地の 歪みが 著しい 都市に
おいて は, かかる モデルの 適用に よる 空間 的 パターン 分析に は 問題が あった M)。 地質学の 分野で 開発され
た 傾向 面 分析 (trend surface analysis) は 使用 上 種々 の 問題 も ある M〉 が, 緩やかな 連統的 変化 を 示す 密
度の 空間 的 パターン に関する 分析に は 有効な 一つの 手法と 考えられ ている。 すなわち 空間 的愔報 は, スム
ーズな 広域 的 パターンと して 抽出され る 傾向 面と その 残 差 部分と に 分れ, 残 差 はさら に 説明 可能な 局地的
成分と ©庫 や 測定の 誤差から なる lacal noise とに 区分され る。 したがって 空間 的 情報 はより 単純な, 体
系 的な 広域 的パ ターンの メ 力 二 ズムゃ 要因の 考察 と , 残 差分 布に 基づ く 局地的 成分の 説明 と の 両面から 検
时 される" 》。
都市の 人口密度 分布に 関する 镇向面 分析に は, トロント 市の 1941 ~66 年の 5 時点 を 調査した HILL, F.
一 5 一
1.« の 研究が ある, トロント 市で は« 向而 によって 》1« される *» (重 ft 定係 »> は 時 系 M 的に * 第に 低
下した が, これ は 都市 的 成 S に 伴な う 土地利用の spaiial Mgreration の t« 大 による ものと 解 fi される,
—方, 空 ffl 的 パターンの 変化が 少ない ことに ついては, JjT««!» 辺 おの « 則 的な 成 S によ! 》 同心円 的 バタ
—ンが ほとんど 変形す る ことなく 拡 大したた めと 考えた。 しかし それと ともに 生じた jWSWttfcWtt 下が,
BP 瘦に 》W1 和の 証 » とみる の は》 問で あると いう. また 1840— 1960 年の イリノイ 州の 入 ロボ テン' ン アル
の 分布に ついて 検 W した MOORE - OLD"1 の 場合に は, 5 次 面 (quimic trend surface) の 分布 バタ一 ン
はこの W に 著しく 変化 するとと もに, これによ つて 》1 明され る 変動の 比 * は 1890^ ま では ft 下し, その後
ぉ定 する ことが 判明した, これに 対して, 1890^ 以 m の 合衆国で は フ《 ン ティア 拡大; 1» の もとで まだ 人
口 分布が 安定して おらず, ランダム 性が » かった ためと ttS する,
R 向 B 分析 ttffi めて 有 3 である。 それ は, 空間 的 バター ンの 3E 化に ついて だけでなく, 61 向 面に よる
の 比 «9f 究をも 可 16 にす るであろう, しかしそう した 研究が CLARK モデ A^f NEWLING モデルに ± る 分
圻に 完全に とって 代る と は 思えない, 闳 モデル は それぞれ S 要な 研究 テーマ をと どめて いるから である,
_b« のように, 本 M で ft うの は広& 市の a»«IH£55* "について である。 1970 ^当時の 市 域 B5 積 は 86. 75
km, しかな く, 広 A 市の DID は 市 域 を J8 えて 两辺町 に 伸びて いた, したがって この 分析で は爽 B 的に は
» 外 を 》 く 市 S 地 だけ を& うこと になる。 しかし 広 ft 市の 郊外 地域 tt, 西方の 官 =lt* の 太 B 川
K. 束 方の 《» 川 ffi および a«i6 練に 限定され, これらの 地域 は それぞれ かなり 》* な 人口 ««& かかえ
ており, &6 を 中 t 、とする 同 t、W 的な 郊外 地 城の? S 遣 を 期待す る こと は 困 I* である, その; t 味で は,
この 囊査 域に おける 人口 «Kt 入口 増加 * の 分布 は »1* 20 に 示す とおりで ある。 «B によって 各 »区
相 sm の 人口 » 度 を itRss する こと は 可 si であるが, 広 s 市の 入口 * 度 分布が 全 f»w にみ ていかなる »
色 を もつ のか, どのような SfciSS にある のか, さらに は 各地 区が ~» 的な 空 IB パターンに 照らして どの
ような *H± を 示す のか. といった 問題に ついては 十分な Si 明 力1 » られ ない, モデルの 達 用の 性 はこ こ
にある。
8 市 人口密度 分布に B8 する
Clark ■ Newing モデルに よる 核 W
551 H Eft* の 人口密度 (1975 年)
(1) CLARK. NEWUNGp* モデルの
まず Clark • Newling 繭 モデル fc 用
いると, 第 1 表の ようになる, 表に よる
と , 自 由 度 修正の 重 決定 係 » R' (Et 下
重 決定 という) は 当 ft の;: とながら
独立 JEft の 歉 が 多い NEWLQ4G モデルの
方が やや 高い が. 8 回 • c の爐
は t 検定に より 有意 水準に 迪 しない もの
が 多く, いずれの モデルが よ 5 適 台せ S;
大きい S^l 定が 68» である * これ を B 示
した において は. 1975 年の 入口 «
布 は Newling モデルに 近いが,
196 や 1979 年の Newling モデルで
は ドーナツお 分が « われず, しかも とく
に 1»5 年の 人口 «度 分布に ついては P (モ
デル は ほぼ一 S する ので, (Xark モデル
都市の 人口 * 度 分 * とその 3C 化
CLARK モデル 'NEWLING モデルに よる ま t パラメ 一
\
Clark model
Newling model
Dx \
b
Ri Do b c b.'ZC V2C
1965
1970
1975
0.458
0.319
0.249
23249*
17501,
17613*
-0.31623*
-0.21378*
-0.17696*
0.465 17182- -0.12835 -0.02328
0.358 19503* -0.1821 —0.010073
0.299 11420* 0.092396 - 0.033376
-2.27567 0.5948
-9.039015 1.2633
1.3842 0.3576
* 5% 水準に て 有意
O 方が こ の 時点で は 優れた ものと いえる。
fc だ 注目すべき は, 两 モデルと も 1965
- 75 年 IB1 に 次 » に R1 tt が 低下す る こと
である。 これ は, 上述の ように » 市 成長
に 伴な う 都市 ftit の 化の ためと 解 ま
される。
さらに Clark モデル (第 3 図 参照〕
によると, 密度 勾 Eb の 絶 は 次第に
« 少し 化の 方向に あるが, 度
は 1970^ に 最低と なり, その後の 5 年間
に は あまり IB 著な 変化 を 示 さ ない。 一方,
Newling モデル (第 4S#RS) による
と, 密度の »大 点の 位 匿 b/2C は 1975*^
t 至って は じめ て 現われる"'。 Newling
モデルに よる と 1965~70¥ には& に' せ 度
はや や 高くな り. また Clark モデルに S!
おける ^や b 爐の 変化 を すると, 1965~70 年の 人
口 S 度 パターンの 変化と 1970~75^ の それとの M に は 人口
分布の Wi£W 変化が 予想 さ れる,
(2) 人口密度の 空間 的 変動に 対する tt 明 要因
次に, 人口 * 度 分布に » 響す る 要因に ついて »时 しょう。
«2 表 は, 人口密度 や 人口 增加率 tue 係す ると 予想され る
いくつかの 変 » をと りあげ, 変» 相互 ra の 相 bb マ トリ' ノク
スに 示した ものである, Xt~X10 の 4 変) R は 広 ft 市の 因子
t«l(factorial ecology) の 分析 において 生じた 4 大 因子
に対して, それぞれ 最も S い 因子 A 荷 ft を 示した 変 * であ
る, 4 大 H 子 それぞれの 因子: » 点 を 変 » として B 回帰 分析
する 方法 も あるが, 各 因子 自体 は抽 ft 的な もので あり, 入
力 変数の 差 H によって 容易に 変化す るので, 各 H 子と 密接
な B 係 を もつ オリジナルな 变 Sc を 用いる 方が よいよ 5 に 思
おれる。 すなわち, 幼年 人口 串 は 第 1 因子の 家» 状お, 大
は 第 2 因子の 社会 ほ 済 的 ffi 位, 性 比 は 第 3 因子の ブ
ルー カラ— 労 儀 者 因子, 1965—70^ 入居者 率 は 第 4 因子の
75 牢の 人口 M 加 率
S3 s Clark モデル
洋
移 »tt を, それぞれ 代表す る ものである。 ただ
しこれら の 各 変数 は资料 的 M 約の ため, すべて
1970 年の 国勢調査 による ものである。 さらに 地
m (Xn, 1975 年)") と 普通 世裕 1 人 当り JSHR
(1970^) を 後から ,した。
第 2 表に よると, 人口密度 は 各 年次と も, 人
口 堆加率 以外で は, raw: 、からの e 難 "m 変数
x« と 最も 相閣が 高い。 したがって, を 第 1 変
数と して 段 « 的 重 回帰 分析 を 試みる と, いずれ
の » 合に も 第 2 変数 を 加えて も 重决定 係数
はさして 埯大 せず, 第 2 変数の t 値が 有意 水準
に 達しない という 結果が 現われた。 すなわち,
人 口 密度の 空間 的 分布 を税 明す るの は 、か ら
の钜雕 変数 だけで, 他の 変数 を 追加しても R 明
力 を あげる こと はでき ない ことが 判明した。
(3) 人口 埯加 率と 人口密度
これまで 3 時点の 人口密度 分布の 比較に よつ
て 人口密度の 空間 的 パターンの 変化 を 推定した
が, 人口 »加 率の 考察に よりそれ は 一層 明 凍と
なる。 1965~70 年お よび 1970~75 年 問の 人口 墙
加 率 を, 上述の (11) 式 を 用いて 「都 41、 からの K
雕」 との 関係から R 明す ると, 第 3 表の ように
なる。 表に よると 勾配 g は 1965~70^ 期間の 方
が 急で, 、部の 人口 滅少と 縁辺 部の 人口 埯加
とが 急激に 生じた ことになる。 しかし 重 決定 係
数 R2 について は 1970~75 年期 間の 方が やや 高
いのが 注目 される。
552 表の ように, 人口増加 率と 人口密度との
間に は 負の かなり 高い 相閣が あり, Newling
の (12) 式 モデル を 適用す ると, « 界 密度 dc は
11017 人/ km2 から 8055 人/ km2 へと 低下す る (第
3 表 参照)。 » 界 密度が なお 低下す ると すれば,
これ 以上の 人口密度 を もつ 地区 は 将来 も 人口が
滅少 する ポテンシャル を もつ ことになる。 #
においても, ドーナツ 化した^に、 や 海岸 部の ェ
場, 輪 送 地域 以外の デルタの 全地 域が それに 該
当す る。 ただし, 人口密度の 飽和点に ついての
こ う した 分析 は, « 面積 当 り の 人口密度よ り も
宅地 面積 当 り の 純 居住 密度で 考える 方が よ り遍
切であろう。
次に 人口 增« の 要因に ついて みよ •:>。 段 « 的
重 回ね 分析 (stepwise multiple resressioo
森 i.
:6ぉ
:5 ト
0 08
0 08.
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8 一
都市の 人口密度 分布と その 変化 245
表 3 Newling の (6) 式, (7~8) 式への 適用
人 口
増加率
都心からの 钜 離との M 係 人口密度との 閬係
c2 a 丄-" a (l+rd)=100
K U+ro) g ? も のとき の d
Rl a k dc 人;/ km2)
1965-70
1970-75
0.376 77.8* 0.097063* 2.59km
0.475 81.6* 0.056794* 3.58
* t 検定 5% 水準に て 有意
0.524 8.22189* 0.22636* 11,017
0.447 3.80266* 0.14851* 8,055
表 4 人口増加 率 を 従属変数 とする 段» 的 重 回帰 分析 (説明 変数 は 表 2 の Xi, X2, Xe-Xio)
幼年 人口
人口 塘加率
R2
i8o
都心 か
らの钜
人口密度
率
1965
1970
1970
1965〜70 大学卒 率
年 入居 率 1970
a) 1965-70
t-value
標準 偏 回帰 係数
b) 1965-70
t-value
標準 偏 回帰 係数
c) 1970-75
t-valuc
裸 準 偏 回帰 係 敷
0.707 -24
一 1
779 4.
109 2.
0.
0.681 一 30. 771
一 1.230
0.647
55.
4.
9196
206
2615
721 2.
644 2.
0.
5893
272
2952
0.0013215
2.543
0.2391
■0.0010758
2.081
0.1723
0.000772
2.838
0.2837
311.
9
0
457.
4,
0
143
2
0
523
3023
60
546
441
06
373
2652
123.
5.
0.
113.
4.
0.
09
179
4133
12
559
3798
106.28
3.383
0.2978
表 5 都心 • 辺 緣铒斜 事象への Clark モデルの 適用
1 ^
do
b
地 価 (1975)
0.574
306.493*
-0.35863*
女子 労 元 力 率
0.452
59.6563*
-0.065645*
労 元 力 率
0.442
60.1722*
一 0.038789*
卸 小売 就業 者
0.428
41.7446*
-0.10463*
1959 率 年 以前 入居者 率
0.403
29.9570*
-0.13846*
サービス 業 就 桊者率
0.303
31.7372*
-0.065453*
準 世带比
0.192
11.1816*
-0.13797*
若年 人口 率
0.138
35.370*
-0.02525*
老年 人口 率
0.115
27.909*
-0.053314*
民営 佾家率
0.066
53.2501*
-0.053664*
昝 通世带 1 人 当り 昼 敷
0.007
5.5761*
0.006789
* 5% t 検定に て 有^
^ysis) の 結果 は, 人口密度の 要因 分析と は 異なって いくつかの 独立変数 を 含み, 第 4 表の ようになる。
1965~70^ の 人口増加 率に ついては, 1965 年の 人口密度よ り も 1970 年 時点の 方が 相 関 が やや 高い ので, 両
時点の 人口密度 を 独立変数と した 回帰 式 を 別途に 求める ことにした。 1965 年の 人口密度 を 独立 変 敷と した
ft) 式で は, 「1541、 からの ffi 難」 変数 は 採用され ず 最終 段 « の 重 決定 係数 は Rl=0.681 で, (a) 式の R2=
0.707 よ り もや や 低い ものと なる。
樣準偏 回帰 係数に 変換して 各 独立変数の 比重 を 検討す る と, 1965〜70 年の 人口 堉加 率の (a) 式で は 「1965
一 9 一
~70fF 人 居 * 率 J が »大 となる が, (W 式で は その 逆に «1¥ 人口 率の ゥ i イトが 最大と なる, さらに 1970
~75^ の * 合に は. 大卒 者 率 「«■(:■、 からの 距離」 • 人口密度 (1970^-) * 幼年 入口 串の W となる が, それ
ぞれの 様 準 IHSffl 係 » に は ほとんど S がな く, この 4 変 » が ほぼ 同 じゥ i ィ トで 影響して いるよう わ
れる, この 回 《 (式で は, 「1965~70 年 入居者 率 J は 時 M 的に ずれる ので 独立 変 9: として 《 用され ない。 人
口 はいずれの 》 合 でも. 人口増加 率に 対して A に 作用す るが, その他の 変 》 はすべ て ブラスに 作甩す
る, また 当然 予 « される;: とで は あるが, ^から 難れ るに つれて; ^ 人口 率が 高く 1965~70^AJg 看 率
が ffl いところ ほど, 人口増加 率 は H くなる。 1970— 75 年の 人口増加 # で t, 同期 IB の 入 g 者 率の «H*W9
られれ ば, 当 ffi この 変数との BB 係が 強く 現われる であろう。 大学卒 率 は その ftffl として 生じた (> のか もし
れ ない。 性 比に ついては いずれの 回 ffl 式と も 接 用され ず, 人口 « 加 率と は 無 BB 係であった,
(4) その他の 密度 《斜閣&
(中 13不》» 研究所: 広 ft 市 地 BH, 昭 和50^» による〕
»M : 地価 S 示 地《,
» 宇 は 単位 10,000 円 Z3.3mi
x 印: 地 最; •; 点 (9, 000,000 円 /3.3m1)
都市の 人口密度 分布と その 変化
247
Mills の 研究に みられる ように, 人口 « 度 £W にも 、から M に 向って * 度の «» を 示す もの 力 M¥ 在
する はずで ある • それらが 人口密度の 時系列 的 変化に いかに 对応 した 変化 をな すか, また それが いかなる
要因に よる か を 究明す る こと は 敏に 、地域 構造の マクロ 的 分析と して 極めて ある 問 JB であるが, 残念な
がら 時系列 的 変化に ついての 资料を 得る こと は 不可 «6 である。 また 土地利用 分析に おいて は 就業地 単位の
S 料 は 得られなかった。 したがって, ここで は 若干の 事象に ついて, 人口密度と 同搽に Clark モデルが
適用し うる こと を 示す にと どめる。
広 島 市の 因子 生態 分析に よると "〉, 第 1 因子の 家族 状況 因子が 同心円 状の 得点 分布 をな すので, これに
高い 正の 因子 负 荷!: を もつ 変数 を 選んで Clark モデルに あてはめ ると, 第 5 表の ようになる。 また 地価 分布
(1975 年) もこれ に加えた。 表に よると 地価 分布が 第 1 表に 示す 人口密度の 場合 以上に 高い 決定 係 敷 を もつ
のが 注目され る。 地価 分布 は 図 5 に 示す ように, 八丁 堀 を 最高と する もので ドーナツ 現象 はなく, Berry
の 地価 分布 モデル w とだいたい 一致す る。 第 5 表に よると 地価 勾配 はかなり 急で, 1975 年 時点の 人口密度
に 比較す ると, 両者の 勾配 間に 有意差が K めら れる 47)。 地価 分布の 時系列 的 変化と 人口密度 勾配の 平坦 化
傾向と がいかに 対応す るか は 興味 ある 問埋 である。
地価 分布の 他に も, 第 5 表の ように 女子 労 儀 力 率 や 1959^ 以前 入居者 率 • 卸 小売 就 菜 者 率 • サービス 業
就 菜 者 率 • 労働力 人口 率な ども 都心から 郊外に 向って 傾斜す る。
III. 人口密度の «斜 分析
前述の ように, Clark モデル や Newling モデル はすべ て 都に 、を 中心とした 同心円 状の 都市 構造 を 前
提 とした ものであった。 これに 対して, 傾向 面 分析 は 複雑な 空間 的 パターン をな す 人口密度の 分布から
local noise や 局地的 成分 を 捨象して 少数の 広域 的な 体系的 説明 成分 (systematic descriptive component)
によって 把え る 点で 特色が ある。 上述の Hill や Moore • Old の 例の ように, と く に 空間 的 パターン
の 時系列 的 変化の 考察に とって 極めて 有効で ある。
第 6 表 は 1 ~ 4 次 面の 重 決定 係数 を 示 し, 第 7 表 は 2 次 面に 対する 3 次 項 追加が, 3 次 面に 対する 4 次
項 追加に よる 説明 カ埯 加に ついて 分散 分析 を 試みた ものである • 高次 面になる につれ て 説明され る 変動 は
大きくなる 力;, 植の堆 加 分で は 1 次 面から 2 次 面への 增 加が 最も 大きく, 高次 面になる につれ て! ^貧
の增加 i は 小さ く なる 場合が 多い。 と く に 自由度 修正の 重 決定 係数 を 用いて いるた め, 1965 年の 人口密度
のように, 3 次 面から 4 次 面に かけて ^値が «少 する 場合 も ある。 第 7 表に 示す ように, 重 決定 係敷墻
加に 閣 する 分散 分析に おいて 5% 危險 率に て 有意差 を 示す の は 2 例に すぎず, 他 はいずれ も 1 次 項 iiin に
よって 説明 力に それほど 大きな 変化 は 現われない。 おそらく, これ 以上 高次 面 を 計算しても 説明され る 変
動 はさして 変らない ものと 思われる。 また 第 6 表に よると, 人口密度の 傾向 面よりも 人口増加 率の 傾向 面
第 6 表 1~4 次 面の « 向 面に おける! [決定 係数 (R り
次 3q (order oi surface)
2
3
4
1965
0.031
0.392**
0.441**
0.416**
人口密度 •
1970
0.063
0.332**
0.389**
0.415**
1975
0.045
簧
*
CO
o
0.368**
0.470**
1965-70
0.038
0.615**
0.710* 丰
0.744**
人口 坻加率 •
,1970-75
0.065
0.590**
0.628**
0.652**
** 印 は 1% 水準に て 有意,
* 印 は 5% 水準に て 有意
(NORCLIFFE, G. B. (1969) , p. 346 による)
一 11 一
»7* 3 次 項お よび 4» 項 追加に よる 直 ft 定係 ft (R,) の 分 》 分析
3 次 項 迫 加
4 次 9 追加
f 1965
人口密度 j 1970
人。 》H=
2
2
1
5
2
058
142
024*
258
2
634
397
737*
198
625
* 印 は 1%* 車に て 有意
の 方が はるかに !^11が« い。 これ は 入口 * 度が J6 対 量で 表わされて いるのに S# して 人口 19 加 率 は 比率の
形で * 車され ている ことと 無 BB 係で はないで あろう。
8( 向 面 分析に おいて 何 次 E を 採用す るか は 重 S な 問 B である。 第 7 表の 分 》 分析に おいて 有意差 力! 91 わ
, 第 7 表に よると, 1975
したがって, 2 次;
による は 明 力の 著甩は 当然の ことと 思われる ので, 3 次 面 (cubic trend surface) を 採用す るの が 適当で
あろう w.s"。
人口 密 BE (1965 cp) i
S(» 宇 は 坩 位 1000 人/ km1)
»7|'«| 人口密度 (1975 年) の 3次« 向
面 (R 字 は坩位 1000 人/ km り
第 6 + 7 図に 示す よう
しかし 3 次 面の ため 完全な 同, に 、円と はならず, 1965 年に は 北方の 太 EB 川筋と 西方の 宫島 * (沿線に 对 して »
いた 形) » をな し, 1975 年に は 北方に だけ M いた 形 をな している。 また ffiSE は 海岸 練に よって 切断され る t
め, 等 IE 線 は 南方に 向って 急煩斜 し, 人口密度の 中心 は CBD よりも やや 南の 千 田 町 付近に 位置す る。 »
S を 比 K すると, 】965 年に は SK» の 広がりが やや 小さく, 1%5^ 以後 市街 辺 IE に 住宅地 化が 逢行レ
たこと がう かがえ る, 3次 面で は ^部の ドーナツ 現 ft は 現われず, 最高の 等 fi» は 1965 年に は 14000 人,
km1 であった が, 1975 年に はさら に 16000 人/ kmi の 閉曲錄 も 生じて いる, 1965~75^|81には*^、»の人ロ
密度 は《 少した が,
大した ものと みられる,
心郎に 過大 Sffi された 地 城が はがり, その fflia 部に 通 小 の 地域が 項 われる。 守! BW 幸 ,宇& 神 田兩地
IE 市の 人 a** 分布 t その 変化
K のように 期待 貧よ り MOOX/km* 以上 #ぃ» 合 も ある,
«i、«Mt 方の 白 島 地 K で 具) If に * いのは 再 BM6 による « 層
住宅 のた * である。 — « に, 善心お の遏大 ff« は
3次« 向 面に おいて は ドーナツ 現 «が»« されない ためで
あるが, 周 a おの 住宅地 域で 入口 * 度の sff に » い 地域が
生ずる の は 状お と 無 BB 係で はない ようで ある。 鑭 心地
(都心 西方 約 300m) から 2km 以内の ほ蟝 被災地 は» 災復
舆 による 区 爾整瓔 がな された が, 《災 を 免れた 残存 家屋 地
において は!!! 集 住宅地 « が存 《1 する"、 宇 品の ほかに も
SIg や 革 » 地区な どに 人口 83ffi 地域が あるが, 国勢 区
HI 位の 分析で は 山地 や 大事 * 所 (広大 付厲 病院) が 含まれ
るた 》 不明 まな ものと なって いる。 また 古 江 や 己 g, 戸坂
o 新興 住宅地 や 海岸の ェ » 地 « でも 通大 ffflfi される 場合が
多い。 この 分析で は, #6W 住 密度 (nel residentical den-
«ity) の St 料 力 'ゆられず & 人口密度 (gross density) によ!]
®8 M 1975 年 人 ciiESffi 向 B(3 ft 面)
からの » 差 分布
(» 宇の * 位 100 人/ kmi)
しかも H 査 区が かなり 広 いため, 非 居住 空
B を 多く 包含す る 地区が 過大 ffffi の 地区と して 現われる きらいが ある,
99[S 人口 tS 加 串 ひ 965 ~70 年) の 3 次
IH 向 S (1965年を10 とする)
*10S 人口 《 加 率 (1970~75 年) の 3
次 《 向而 ひ 970 年 を 100 とする)
次に は 人口 ま 度の 空 M 的 パターンの 変化の 接 相 をよ! J» 接 的に 》| 定 する ために, 人口 《加 串の ほ 向 面 分
みた, 1965~70 年の « 加 * は, 第 9 図に 示す ように, を 中心とする ほぼ 同心円 状の 形 » がみら
れ, 》t ,から 麵れ るに つれて 入口 増加率が 高くなる, とくに 北方の 戸 S 地区で は 著しい 人口 《 加 率が •》£
される。一 方, 1970—75^ になる と, 第 10 図の ように, [SK_ 、円 はや や 変形し, 人口 #« 少 地域 以下)
BCBD 付近 だけでなく, それ を とりまく 住宅地 域 や 南 8S の 工場, 翰 送 地 寄まで 含まれ, デルタ 上の (t^
市 ft* に 大幅に tt がるの が 注目され る。
面からの 》 差分 布 は, 第 11 図に 示す ように, 入口 增 » の 分散の 大きい 1965~70^ 期で は 当然の こと
ながら 残 差分 » も 大きく 現われる, 第 11 図に よると, 1965—70 年と 1970- 75 年の 両期 にわた つて 著しい 特
»tt を 示す ものに 草津 地区が あげられる。 草津は 西郊の 新 W 住宅地 域に 囲まれた 古い 漁 * 集落で, 入口 は 停
» してお り, B 期と も 傾向 面 分析 は通大 Rffi する こ と になる, これに 対 して, 14 常な 都市化に よる 成長 地域
1;は1955-70 年期に 人口 急場した ものが 多い。 牛 田 北 《! • 宇 品 束 • 矢 《 ■ 仁 保 = 本 浦 • 二葉の 里 = 山 1MT
などが それに SC 当す る, これと は 逆に この 期 IH1 に 過大 抨価 された ものに は 南 IH 音 や 古 江 '的» ,向洋が あ
250
洋
1970 75
40
30
•32
40
•21
•49
•38
•51
20
•18 47-
.13
.43
'23 8 12o
31 '::
."11
14 .15
•25
. ' -6
39 *4
ノ ^9 .42
さ 7
も,: £•
-5 *22
•1
20
55
44
19
10
.48
•52
53 «50
"30
1965 70
•4«
30
•35
•34
•41
•2*
17
第 11 図 人 HI ^ 加 率の 3 次 傾向 面からの 残 差分 布
1 紙屋 町 • 本 通, 2 基 町, 3 白岛, 4 八丁 堀 • 棟 町,
5 流 川 • 平 塚, 6 富 士見町 • 昭和 町, 7 小町, 8 千 田
町, 9 住 古町 • 羽衣 町, 10 古島, 11 光南, 12 江 波 南,
13 江 波 東, 14 舟 入 南, 15 舟 入, 16 広 瀬 • 十 n 市町,
17 牛 田 北部, 18 牛 田 南部, 19 二葉の 里 • 山 根 町, 20
大須贺 町 • 蟹屋, 21 的 場 • 金屋 町, 22 段 原, 23 比 治
山 • 吿 実 町の一 部, 24 皆 実 町, 25 ^町, 26 宇 品 束,
27 宇 品 海岸, 28 宇 品 神 田, 29 宇 品 御幸, 30 宇 品 西 •
出 島, 31 観音 新 町, 32 南 観音, 33 観音 本 町, 34 福
島 町 • 小河內 町, 35 中 広 町 • 天满 町, 36 横 川 • 楠 木
町の一 部, 37 山手' 三篠 '楠 木 町, 38 大芝 '大^,
39 戸坂, 40 中 山, 41 矢賀, 42 尾長 • 若草 • 曙 町,
43 大州 • 南 蟹屋, 44 東 S, 45 段 原 日出 • 霞 町, 46 旭
• 出汐, 47 大河 • 円那 町, 48 仁 保 • 本 浦 町, 49 青 崎
• 堀 越 • 向洋, 50 井口, 51 ^津, 52 庚 午, 53 庾午
北 • お 須, 54 田 方 • 古 江, 55 己斐
る。 1970~75 年に 異常な 人口 坳 加 を 示 1
の は 白 島 や 牛 田 南 瓶 大河-丹 » など t
ある。 白 ft 地区で は, 都市 再 M» の もと
で 市営 • m • 公団の 大規模な * 層住考
が 建設され たためで ある。 己斐と 束霣 P
地区 は 1965 年 以後 比 鹏 恒常的な 異常お
長 を 示す 地域で ある。 一方, 、の «U
町 = 本 通 地区 は, この ffi 向 面 分析で は I
一 ナツ 現象 を 評価し えない こ とも あく
て, その 人口 滅少が 通 小 HMB されて ^
り, しかも それ は 1970 ~75 年期に 至つ 1
より 顕在 化した ことが わかる。
IV. 人口 S? 度の 変化 * 向
上述の いくつかの 分析に 基づいて, £
ft 市の 人口密度の 空間 的 パターンが ど-
ような 変化 傾向 を 示して いるかに 注目 1
よう。 その » 合に とくに 重要な の は, 1
一 ナ ッ 現象の 拡大 と 密度 極大 点の 外方 i
動の 問題で ある。 第 3 表で は f^L 、から tf
距離との 98 係 は あまり 明昧 とはいえ な i
が, 第 9 '10 図の 傾向 面に よって 比較 検 J
すると, 人口 滅少 地域の 拡大が 明白と メ
る。 また 人口増加 率と 人口密度との BBt
や 郊外に おける 成長 前線 »の 外方 移動 ズ
頃 著な こと5 w などから 推して, 密度 極フ
点の 外方 移動の 傾向 を 推定す る こ と が"
きる。 しかも 第 3 表の ように, 臨界 人口密度 も 次第に 低下の 傾向に ある。
とはいえ, これ は 過密な 住宅地 域 (一部の 工業 地域な ども 含めて) でも 人口の 停滞 ゃ微 減が 生じつつ 3
る こと を 意味す る もので, 人口 著滅 地域が 大幅に 面積 的に 拡大して いる わけで はない (第 9*10 図 参照)。
都心 部で は 再開発に よって 高層 化が 進み, 夜間 人口の 雜逐が 行なわれて いるが, かかる 現象 は 、肩 辺 c
住宅地 城で は 顕著で はない。 一方で は 高教 マンション 建築に よる 人口密度の 增加も 考えられる。 それ"
は, CBD の 境界 地带 では 周辺の 混在 地 带* 住宅地 城 をお かして CBD が 拡大して いるだろう 力、。 CBD«
能 は 百貨店の 進出 や 拡張な どに よって 高まりつつ あると はいえ, 高餍 建造物の 建築 状況から みても, CB1
の 拡張 傾向 は それほど 顕著と はいえない。
—方, 第 3 表に よると, 1965〜70 年に 人口増加す るの は 都心から 2.6km 以遠の 地区で あり, 1970〜75^も
は 3.6km 以遠の 地 城に 当る。 しかも NEWLING の 人口密度 モデル (第 4 図 参照) では 1975 年の 密度 flyU
は 都し から 約 1.5km のと ころに ある。 原爆 被災地 城 は 爆心地から 約 2km に 達し, 戦前の 広 島 市の 成 J
過程 はさして 問題に ならない かもしれ ない が, これ は 大正 末期の 市街地と だいたい一 致す る。 密度 極大 メ
は 今後 外方に 次第に 移動 するとと もに その 密度 自体が 低下して いく 傾向に ある。 密度 極大 点が 外方に 移 |
する こと は, ドーナツ 現象の 地域が CBD を 中心としながら も, その 周辺の 機能 混在 地域 や 住宅 の-
部 を 含む こと を 意味す る,
一 14 一
都市の 人口密度 分布と その 変化
251
人口密度 極大 点の 外方 移動 は B 界人ロ 密度が どこまで 低下す るかに BB 係す る。 既存の 研究で も 指摘され
ている 《o ように, 市街地の 形成期と 闋 係して, それに は 住宅 密度 や 住宅の 質的 差異 も 影響す るであろう。
広 島 市の » 合に は, 上述の ように, 非 戦災の 密集 住宅地 域が 将来い かに 変化して いくかに よると ころが 大
きい。 また 一方で は, 市街地に おける 公 常住 宅の 建 « 計画 や 民間の 高層 アパート (マンション) の 開発と
も 密接に 88 係して くるだろう。 しかしながら, このような 開発が すべて 人口密度 極大 点の 外方 移動 を 促進
させる 方向に 働いた としても, それが どこまでも 進行す る こと は, 広 ft 市の ように 山地 や 海岸に よって 市
街 地の 発展 を 著しく 制限され た 都市で は 疑わ しい。
むすび
Clark • Newling モデルお よび 傾向 面 分析に よる これまでの 都市 人口密度 分布に 関する 研究の 動向 を
整理し, これらの 手法 を 用いて 広 島 市の 人口密度の 空閒的 パターン とその 変化 傾向に ついて 検时 した。 そ
の 結果 を 要約 すれば 次の よ うになる。
ひ) Newling モデルに よると, 1975 年に 至って はじめて ドーナツ 現象が 現われ, Clark モデルで は
密度 勾配 は 次第に 低下して いるが, 都心 密度 は 1965〜70 年に は 低下し, その後 5 年間に は 頃 著な 変化 はな
い。 したがって 1965〜70 年と 1970〜75 年の 間に は 人口密度 パターンの 構造 的 変化が 予想され る。
(2) 第 1 表に 示した ように, 両 モデルと も 決定 係数 は 次第に 低下して おり, 都市 成長に 伴な う 地 城 構造
の 複雑 化に よる ものと 考えられる。
(3) 人口密度の 分布 は 「都し 、との 距離」 要因に よっての み 説明され るが, 人口増加 率の 場合に は その他
に 人 口 密度 や 幼年 人 口 率, 1965〜70^ 入居者 率 を 加える ことによ つ て 説明 力 は 高められる。
(4) 3 次 面の 傾向 面 分析に よると, 広 島 市の 人口密度 パターン は ほぼ 同心円 状 をな し, 人口密度の 中心
は IM1 、よ り もや や 南の 千 田 町 付近に 位置す る。 そ して 1965〜75 年間に おける 市街地の 拡大が 傾向 面に も認
めら れる。 傾向 面からの 残 差 は 高層 建造物の 多い 都心 部 や 周辺の 山地 や 工場 • 学校な ど 無住 地の 多い 地区
で负 となり, 傾向 面 は 実際よりも 過大評価 する ことと なった。 また 人口 增加 率に ついても, 1965~70 年に
は 同心円に 近い 形 想 を 示す が, 1970〜7阵 に はかなり の变 形が みられ, 人口 微滅 地域が 既成 市街地に 広く
拡大した。 また 人口増加 率の 傾向 面からの 残 差分 布で は, 都心 部 ゃ草津 地区の 異常 械少, 白 ft 地区の 高層
住宅 建 K による 異常 增 加な どが 認め られ る。
(5) B 界 人口密度 は 次第に 低下の 傾向に あり, 密度 極大 点 はや や 低下しながら 次第に 外方に 移動しつつ
ある。 しかし IW1 、部 を 中心とする 人口 著 减地城 は あまり 拡大せ ず, 住宅地 域の 人口 «少 は 比較的 低率で あ
り, 広 ft 市の 自然 的 条件と 今日の 経済的 技術的 段 K では, 密度 極大 点の 外方 移動に は 限界が ある ものと 思
われる。
都市の 人口密度 は, 都市の 土地利用 パターンの 変化に 照ら して 考察し, さらに 他 都市との 比較 研究に よ
つて一 眉の 成果が 期待され よう。 本稿で は 広 ft 市 だけ を 対象と したため, 密度 勾配 や 都心 密度に 対する 影
響 因子に ついては 分析され ず, また 広 島 市の 郊外に おける 人口密度 分布の 分析 も 割愛され た。 他日に 期し
たい,
統計的 手法に ついて ご 親切な ご 指導 を 賜わり, また 計算 ブロ グラム を 作成して 下さった 広 島 大政 経学 部
横 山 和 典 教授の ご 厚意に 厚く お礼 申し あげます。 計算 は 広岛大 計算機 センター (HITAC 8700) を 利用し
た。 地図 作成で は 広大 地理学 教室の 大庭壌 治 氏の 援助 を あおいだ。 また 田 辺 健一 先生 を 代表と する 総合 科
研 (1975 年度) の一 部 を 使用し ました。 記して お札 申し あげます。
注お よび 参考文献
〔注〕 すでに 要镇 よく 整理した ものに 次の » 文が ある。
1) 大友 驚 (1973) : 都市 內郞 における 人口密度 モデル. 地理 25>4, pp. 183-189.
一 15 —
252
森 川 洋
2) BLEICHER, H. (1892) : Statistische Beschreibung der Stadt Frankfurt am Mein und ihrer
BevOlkerung. Frankfurt am Main. (未見)
3) CLARK, C. (1951) : Urban Population Densities. Journ, Royal Static. Soc., Ser. A, Vol.
114, Part 4, pp. 490-496.
4) NEWLING, B. E. (1969) : The Spatial Variation of Urban Population Densities. Geogr.
Rev., Vol. 59, pp. 242-252, in : Bourne, L. S. (ed. 1971) : Internal Structure of the Ci-
ty. Oxford Univ. Press, pp. 329-337.
5) BERRY, B.J.L., SIMMONS, J. W. and TENNANT, R. J. (1963) •• Urban Population Densi-
ties. Structure and Change. Geogr. Rev. Vol. 53, pp. 389-405.
6) とくに MAYER, H. M. and KOHN, C. F. (eds. 1959) : Readings in Urban Geography.
Univ. of Chicago Press に 収録され なかった こ と を 指した.
7) (2) 式から (3) 式への 展開 は
xe"b*dx
=^。{〔X(— や)〕: ,f)dx}
=2jrdoi-ret +i(re-bxdxl
^ b b J© )
br r 1 A-bz
=2W- T+ [お- や B
=2k6q-
b しい b
re-br e-br I j
=^-°{l-e-br(l+br))
8) NEWLING, B. E. (1966) : Urban Growth and Spatial Structure : Mathematical Models
and Empirical Evidence. Geogr. Rev., Vol. 56, pp. 213-235.
9) REES, P. H. (1970) : The Axioms of Intrauban Structure and Growth, in : BERRY, B. J.
L. and HORTON, F. E. (eds.) : Geographic Perspectives on Urban Systems. Prentice-Hall
Inc. pp. 276-305.
10) MUTH, R. F. (1961) : The Spatial Structure of the Honsing Market. Papers, Reg. Sci.
Asso., Vol. 2, pp. 207-220.
11) WlNSBOROUGH, H. H. (1963) : An Ecological Approach to the Theory of Suburbaniiati-
on. Amer. Journ. Soc, Vol. 68, pp. 565-570.
12) MILLS, E. S. (1970) : Urban Density Functions. Urban Studies, Vol. 7, pp. 5-20.
13) 大友 M (1973) : 前揭.
14) STEWART, J. Q. and WARNTZ, W. (1958) : Physics of Population Distribution. Journ.
Reg. Sci., Vol. 1, pp. 99-123.
15) WEISS, H. K. (1961) : The Distribution of Urban Population and an Application to a
Servicing Problem. Operation Research, Vol. 9, pp. 860-874.
16) Berry, B. J.L., Simmons, J. W. and Tennant, R. J. (1963) : op. cit.
17) ADAMS, J. S. (1970) : Residential Structure of Midwestern Cities. A.A.A.G., Vol. 60,
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18) 大友 第 (1973) : わが国の 主要都市 内部に おける 人 【J 密度の 距離 的 変化. 東北 地理, 25~4, pp.
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19) WlNSBOROUGH, H. H. (1963) : op. cit.
20) MARSDEN, B. S. (1970) : Temporal Aspects of Urban Population Densities : Brisbane,
1861-1966, Austr. Geogr. Stud., Vol. 8, pp. 71-83.
21) BUSSIERE, R. (1972) : Modele de Localisation R^sidentielle. Compte rendu de recherche,
Centre de Recherche d'Urbanisme, 4, av. du Recteur Poincar^ 75016 Paris. (SANDERS, E.
(1975) : Urban Population Density Function oi i、wo Polar Variables. Reg. Studies, Vol.
9, pp. 63-68 による).
22) Berry, B. J. L., Simmons, J. W. and Tennant, R. J. (1963) : op. cit.
23) REES, P. H. (1970) : op. cit.
一 16 —
都市の 人口 密突 分布と その 変化
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24) BRUSH, J. E. (1968) : Spatial Patterns of Population in Indian Cities. Geogr