Full text of "Jisseikatsu ni oyobosu kokugo to moji no hamon" Skip to main content

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Unno,  Shohei 

Jisseikatsu  ni  oyobosu 
koloigo  to  noji  no  hainon 


5 

L  A-  5 

F  5  u 


UNIVERSITY  OF  TORONTO  LIBRARY 


本書 納 むる ところの もの 二十 五 項、 之 は 大別して 二つと する ことが 出來 る。 即ち、 前半 は 日 

常 見聞す る 國語的 常識 を 拾集して 趣味 的に 解 說を加 へ たもので あり、 後半 は 同じく 文字に つ い 

て 誤謬 を 正し 正確なる 使用法に ついて 說 明した ものである。 しかし, 兩^ とも 日常 接する 處の 

手近い もの & 中から 材料 を 求め、 之が 知識 を 一歩前進 せしめ、 或はより く 敷衍せ しめようと 

した 意阖は 全く 同じであって、 著作の 目的 も 此の 一 點 にある ので ある。 

我々 が 常識と して 知って 置かねば ならぬ こと は、 之を國 語と か、 文字と かとい ふ 範^に^ 切 

つても、 多々 ある。 又、 巳に 知って ゐる 事で も、 今少し 深く 廣 くしたい もの も 多い し、 さう す 

る 事に 依って、 新しい 興味 を覺 える 事も少 くない。 例へば 「年中行事」 の 項に 述べた こと ゃ殊 

に 「國 名の 起源」 等 は、 知らす に 過せば それまで^-あるが、 疑問 を 挿んで 探究 すれば ノ 幾多の 

興味 ある 發見. を 得られる ので ある。 文字に 於ても 同じで ある。 外國 語と は 違って、 字數 から 云 

つても 苦しむ 事が 多い ので あるが、 可及的に 正しき 理解と 使用 を 期したい。 本書の 著 股 は 此^ 


である。 

しかし、 決して 舉問 的、 研究 的の 書で はない。 執筆に あたって は、 あくまで 平易 簡明 を 旨と 

したので、 机上に 備 へて、 適時 引用され る のみでな く、 「肩の こらぬ 書」 として 繙 いて 戴ける 

と 思 ふ。 たビ、 以上の 目的で 出來た 此の 書が、 そのす ベて を 網羅した ので はない。 頁 數の關 係 

で 他日に 割愛した もの も ある。 

題して r 實 生活に 及ぼす 國 語と 文字の 波紋」 とい ふ。 波紋と は 波の 模様で ある。 我が 國 語と 

文字が、 古來 いかなる 波紋 を 描いて 來 たか、 その 跡 を、 讀者 諸賢と 共に 靜 かに 再考 三思しょう 

とい ふ 意味で ある。 

昭和 十二 年 新春 を迎 ふる 日 

著者 識 


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;;; 節 

;;: '分 

; 書 

^^:ク 神 放 まき §g  ;  5 初 


glf 化 國 語と 文字の 波紋 目次 


年中行事の 話  

正月 …… 一 門松 …… 一一 一 正月に 必要な 物 …… W 四方 拜 …… 一九 若水 …… no 

…… 一二 初夢 …… 一 一 一一 元始祭 …: g 鏡開き …; Is 小豆粥 …… き 藪 入り 

閻魔 詣 …… 一 ー<  廿日 正月 …… S 正月の 其 他の 行毐 …… 一 I 一一  追儺 …… Is 

:i 初 午 …… 一一 一七 針供養 …… 紀元節 …… en 涅槃 會 …… £1ー 祈年祭 

. 雛 市 …… 潮干 …… 2- 地久節 …… Em 彼岸 …:. 皇^ 祭 …… S 花見 

神武 天皇 祭 …… Ml 灌怫會 …… Is 天長節 …… 八十 八 夜 …… 葵祭 

田 m …… 笑 梅雨 …… 六 一 大跋 …… 六 一一 蟲 おくり …… 六 一一 一 八朔 …… S 草市 

盂蘭盆 …… ^ 中元 …… ^  土用 …… さ 二 十六夜 待 …… き 二百十日 …… 

生會 …… 七 四 秋季 皇靈祭 …… ま 十五夜 …… 十三夜 …… 八 0 ぉ會式 …… 

嘗祭 …… 八ー一 べつたら 市 …… 八! 一 I 惠 比須講 …… 八  一! I 甲子 待 …… 八 Hi 明治^ 

亥の子の 祝 …: 八 六 冒 …… Q 酉の市 …: 八 九 七五三の 祝 …… さ S 魂 祭 

新嘗祭 …… さ 一 乙子の 朔日 …… なー 御怫名 …… S 荷 前の 使 :… き 歳の市 

冬至 …… ル八 煤拂ひ …… 化 堪 曰裔麥 …… 一 00 除夜 …… 一 00 

五 S 句  

1 月 七日 …… i 三 月 HI 日 …… 1 五月 五日 …… 一 o 九 七月 七日 …… 二 一一 


^  二三 S  ^  ミ 七 六 ミミ 三一 
四 七三 三 八 丑 13 丑 七 一 八 九 

— 2  — 


九月 九日 …… 二 六 

三、 曆 の 話  

四、 昔の 時 間…  

五、 干支の 話  

六, 月日の 名稱  

七、 國 名の 起源  

八、 二十 四 孝の 話  

九、 忌 み 詞  

1 〇、 いろは 歌留多と 俚諺  

いろは 歌留多 …… K0 俚諺 …… 一 九 一 

1 一 、 地名 奇談  

驛名 …… Is 地名 …… 一一 八 一 

1 二、 漢字の 構成  

一 三、 略 字  • 

1 四、 類似の 字  

1 五、 難讀の 漢字 …: ~  


1 六、 書き誤り 易い 字… 

1 七、 俗 字  

一八、 國  字  

1 九、 特殊な 宛字  

1〇、 外國 語に 宛てた 字 

二、 慣 用 音  

ニー、 同訓 異字  

一三、 假名の 由來  

一四、 假 名 遣  

1 五、 動詞 活用 表  


目次 終 


r 年中行事の 話 

年中行事と いっても、 土地に より 時代に よりいろ くで ある。 それ 等の 總 ベて を 網羅す る こ 

と は煩雜 でも あり、 叉、 部分的の 興味と もなる ので、 此處に は 主な もの を あげて 解說 した。 し 

かし、 御 佛名ゃ 荷 前の 使 等 は 昔、 宮中の 重要な 行事であった。 今 は 行 はれない が、 參考 のた め 

人れ た 次第で ある。 其の 外に も 興味 ある こと は、 一部に 限られても 解說を 試みた。 

叉觀櫻 御宴、 觀 菊會、 陸軍 記念日、 海軍 記念日、 靖國 神社 祭、 鮎 漁、 狩獵 等よ く 知られて ゐ 

て、 起源 等に ついても 述べる 要 もな いのは 省略した。 

五節 供 も 年中行事の 一 つで あるが、 之 は 一 つに まとめて 說明 する ことにした。 

正 月 

鳴 雪の 句に 「元日 や 一系の 天子 不二の 山」 とい ふの が あるが 誡 によく 元日の 情趣 を 詠 じた 句 


である。 山川 草木、 何の 異 ると ころもな き 景觀 ながら、 元日に 見る 富士は 常より 秀麗で あり、 

宮城 前にた^ づむ 時、 瑞雲 棚び く大內 山を拜 して、 何となく 莊嚴の 念ー曆 胸に せまる ものが あ 

る。 早曉、 祌 社に 詣 でる 人 も 多い が、 掃き 清められた 神域 も、 昨日に 變 つて 敬虔の 感、 一 しほ 

である。 

「正月 や 家に ゅづ りの 太刀 はかん」 の 句 も 亦よ く 正月の 風習 を あら はして ゐる。 新しい 着物 

新しい 下駄 は 昔で、 今 は 新調の 洋服、 蜎子 であらう。 年始 廻りの 新し もの づ くめの 人々 の 姿が 

門松 をた て、 國 旗の ひらめく 中に 繽く樣 は 平和の 吉兆で あり、 又 和やかな 極みで ある。 

この 朝、 配達され た 年賀郵便 を廻禮 から 歸 つた 夜、 靜 かに 讀み 行く 時、 別離 以來 幾年、 稍よ 

記憶から 遠の いた 知人からの を 見る と 追憶の 念 新たなる ものが ある。 この 賀狀 について 虛禮な 

どい ふ聲 があって も 交誼 を あた、 める 意味から はうる はしい^ 惯と いはねば なるまい。 

一月 を 正月と いふの は 何故で あらう か。 「正月 者、 立春 之氣節 也" 本 爲ニ政 だ? 秦皇帝 以ニ此 

月 1 仍名レ 政。 途改爲 二 正月 一」 等と あるから、 支那で も 古くから 呼ばれて ゐ たので ある。 一年の 

始めの 月で 端 月で あるが、 端 も 正 も 正しい 月と いふ 意味から 名づ けられた やうで ある。 叉、 孟 


一 2 一 


陽、 上 春、 開 春、 献春、 首歲、 發歲 >  初歲、 滎歲、 華歲 など i もい ひ、 元日の 朝 を 元旦と 1| 目 4 

外に 鷄旦、 元朝、 歳旦, 歲首 等と もい ふ。 

世の中が 忙しくな り、 打算的になる につれ て 從來の 行事の 中には 屮 絡され たり、 簡略 化され 

たりす る ものが 多い が、 この 新年 だけ は 最も 多く 舊態 を傳 へて ゐ ると 言 はれよう。 以下、 、"王な 

ものに ついて 解說 しょう。 

門 松 

門松 は 松: s とも 言って 我が 阈 特有の 風習で ある。 これ は 神前に 榊 を 供へ る處 から, 神 を 祭る 

ことの 多い 正月に は 松 をた てる やうに 變じ たものと 思 はれる が、 松 は 常 盤 木で 古來愛 重され て 

ゐ たので、 一 年の 始めに 松 を 飾る の は 誠に 意義深い ことで ある。 

飾り 方に はいろ く あるが、 本 飾と いはれ るの は、 一 丈の 松 を 心と して 葉の ついた! 二 本 か 五 

本 か 七 本の 竹 を 新しい 繩で 三ケ所 を七卷 き、 五卷 き、 三卷 きとし、 下の 方に 二つ 割の 松の 薪 を 

並べて 繩で卷 き 上げ、 根の 方 は 地面に 圓く 太い 繩を 張って 此の 中に 砂 を 敷き、 更に 左右の 松に 


一 3 一 


長い 竹 を 立て、 上は橫 にも 竹 を 結びつけて 鳥居の 形に する。 この 横に 渡した 竹に は 注 連 を かけ 

蜈ゃ 橙、 裏白 を 結びつけて 飾る。 これが 德川 幕府の 本丸に 飾った ものである。 地方に 依って は 

根の ついた ま &の小 松 を 門柱 や 入口の 左右に 打ちつ けて、 軒に は 裏白 を澤 山に 結んだ 注 連 を さ 

げる處 もあって、 いろ/, \ である。 

門松 は 舊年內 に 飾って、 十四日の 夕方まで 飾った が、 江戸時代から 七日の 朝に 取り去る やう 

になった。 この 七 曰 間 を 「松の 內」 と 言って ゐる。 

門松の 始めは 何時頃 かとい ふ 事 はよ く 分らない が、 土 佐 光長が 書いた 繪が あるので、 大分 古 

いらし い。 堀 河 天皇の 御代に 藤 原 顯季が 門松 を 詠 じた 歌が ある。 

玉 田 玉敎の r 稔中 古事記」 に 次の やうな 文が 見える。 

日 神 (天照大神)、 天. 岩窟へ 入り 給 ふの 古例に て、 鳥居に 擬 へて 往昔 は 榊 を 立てし なり。 

ま さか キ)  まつりき 

日本 書記 神代 卷に 曰く、 「天 香 山の 眞坂樹 を 根こぢ にして」 と あり。 松の 訓は 「祭 木」 の 

略な り。 又、 千歳 經て 霜雪に いたます、 孔子 も是を 賞せ り。 竹の 訓は 「高」 f。 又 「長」 

なり。 一年に 長 じて 堅き こと 木に まさる。 直き 事 並ぶ ものな し。 


一 4  — 


正月に 必要な 物 

&  ぶ 

曰 比 布 

昔は廣 布と 稱 した。 この 音が 「ひろめる」 と 似通 ふので 飾り ものと し、 叉 「こんぶ」 が 「よ 

ろ こぶ」 とも 通じる ので 愛用され たので ある。 松 前 昆布と いって、 北海道から 產 する ものが 

良質で、 「蝦夷松 前の 海岸の 砂上、 家の 上、 往来の 道に 至る まで 一 日 乾す こと 實に錐 を 立つ 

るの 隙 もな し」 とか、 「家の 屋根 を 昆布 にても ふくな り」 等と あって、 彼の地に 限られた や 

うで ある。 

これ を 食用と したの は檨 日本 記に 依る と、 元 正 天皇 靈龜六 年の 條に 祖先 以来 採取して ゐる記 

事が あるので、 古くから と 思 はれる し、 喜 延式ゃ 土 佐 日記に 元日に 用 ひた ことが 見えて ゐ 

る。 

ゅづ , せ 

^讓^ - 

「高 丈餘、 似-柿 葉? 霜 後染, 葉 可 A 愛。 東海 諸島、 除夜 以ニ此 樹葉ー 懸^ 門戸 1 祝。 」 と 支那の 本 


一 5  — 


にある が、 東海 諸島と は、 我が 國を 指す ので ある。 この 葉 は 春まで 古 紫が ついて ゐて、 新年 一 

になり 若葉が 出てから 落ち 散る ので、 讓 ると 云 ふ 意から 名づ けられ、 叉 親が 子に ゆづる やう I 

だとい ふので、 親子 草と もい はれて ゐる。 家の 系統の 祝福 を こめて 飾り物と された ので あ 

る。 「十二月 晦日に 亡き人の 食物に もしき、 春の 祝に も 用 ひる」 と 枕 草子に 出て ゐる。 

5 ら  じろ 

裏 . 白 

これ は 齒朶と 書く。 齒は 年齢の 意で あり、 朶は 長く たれ 下る 意で ある。 即ち 命が 長く 延びて 

しげる とい ふ 所から 祝 ひものと したので あるが、 冬に も 枯れない ので 「飾 二 元旦 嘉祝之 物? 蓋 

取-一長 生 不老 義こ ともい はれる。 

ほん  だ. H ら 

穗 俊 

I  ば ぴ S う 

「ほ だはら」 を延 して 讀ん だので ある。 これ は 馬 尾 藻と いふ 海藻 を 俵の 形と して 使用した の 

で 穂 俵と 稱 した。 尤も 闢西 では 束ねて 俵の やうに したが、 閼柬 では その ま-にして お供の 上 

にかけ たりした。 

この 海藻 は 枝が 細く 出て ゐて 馬の 尾の やうで ある 處 から 馬 尾 藻と 稱 したが、 叉 一 つに は 「な 


のり そ」 ともい ふ。 それ は 小さな 浮き袋の やうな 實が ついて ゐて、 食べる 時に ぶつく とつ 

ぶれる 音が する ので 喧しい から 「名な のり そ」 と 制止す る 意で ある。 藥 草で、 若 いのは 食用 

にもした と. s ふ。 

橙 

この 實は 冬に 熟して 黄くなる が、 其の ま X 叉靑 くな つて、 四 五 年 も 落ちす に 大きくなる のが 

ある。 そのため 「回 靑橙」 ともい はれる。 舂の 飾りと する の は" 代々 榮 える 意で ある。 

へた 

これ を だいくと 稱 したの は镲が 二つ 重って ゐ るから だとい ふ。 

かち  c^, 

勝 栗 

勝 栗は搗 栗と 書く が 正しい。 勝つ とい ふ 音から 祝 物に 用 ひた。 出陣の 時に 用 ひるの も その 意 

味で、 勝 栗、 昆布、 熨斗 (鮑 をのした もので、 廣 める 意。) を 三 肴と 稱 した。 

これ は 正月に 限らす、 神社 や、 神 を 祭る 時に 用 ひる。 今、 古書に 見える 註釋を 示さう。 

貞丈雜 記に 


— 7 — 


しめ 繩 のこと、 藁に て左繩 にな ふなり。 な ひながら、 所々 に 七五三の 藁 を 下ぐ るな り。 

三 筋 下げて 間 を 置きて 五 筋 下げ、 叉 間 を 置きて 七 筋 下げ、 叉 間 を 置きて 七五三と 下げる 

なり。 繩の兩 端 をば 切り そろ ふ 事な く、 その ま X に 置くな り。 これ 取りつ くろ はす 直な 

る 姿な り。 七五三の の 間に は ゆ ふしで を 下ぐ るな り。 ゆ ふしで は鈹に 切れ目 を 入れて 

眞 中を取りて 上へ 折り 上ぐ るな り。 銥ニ枚 重ねて 切るな リ。 細き 紙 四つ 下ぐ るな り。 

と ある。 曰 常 見る もので は あるが、 古人の 解說 によって その 形が 明らかと なって 面白い。 又 

世 諺 問答と いふ 本に よると 

繩の端 を そろへ ぬ ものな り。 左 は淸淨 なる いはれ なり。 端 を そろへ ぬ は、 すなほなる 心 

なり。 されば 天照大神の 天の岩戸 を 出て 給 ひし 時、 しりく め繩 とて ひかれた る は、 今の 

注連繩 なり。 淨不淨 を 分つ によりて、 神事に は必す ひく 事 侍り。 賤が 家居に ひく 事 も 正 

月の 神 を 祝 ひ 祭る 心 だてなる べし。 

と ある。 

正月に は 此の 外に 環に なった 瑗飾を 用 ひる。 


串 柿 

柿 は 嘉來と 合せて 緣起を 祝った ので、 澤 山の 嘉が 串で 剌 したやう に來 ると いふ 意で ある" 

祝 箸 

正月 三日間 (除夜に も 用 ひる) 用 ひる 箸 は 兩端は 細く、 中 は 太い。 これ を 太^ 等と もい ふが 

雜煮等 を 食べる 時に 箸が 折れる の を 不吉と し、 武士の 間で は、 落馬の 前兆 だと 思って ゐた。 

足利義 勝が 幼に して 將 軍職 を 韈 いだ 虚が、 或る 年の 元日、 箸が 折れた が、 その 秋に 落馬して 

亡くなつ たので、 義 政の 時 は 家臣 達の 取 計 ひで、 折れぬ やうに 太い もの を 用 ひた 事が 見えて 

ゐる。 

- 4 ら M 

柊 

柊の 葉に は澤 山の 刺が ある。 これで 剌 される と 痛む。 「ひ、 ら ぐ」 と は 疼痛で、 木の 名 もこ 

、から 出來 たので ある。 「枸 骨樹」 r 剛 穀樹」 「猫 兒剌」 「鳥 不 立樹」 ともい ふ。 四季、 ^が 落 

ちす、 叉 葉の 上に 雪が 積らぬ とい ふ。 祌 前に 供へ るの は 此の やうな 意味から である。 


梅花 を 賞す る こと は、 古來 詩歌に 詠まれた ものが 非常に 多い ので 明瞭で あるが、 正月の 床の 

飾りに もなくて ならぬ ものである。 古書に 

梅 は、 其の 花、 色香 もこと 木に 勝れ、 百花に 先立って 雪中に 開き、 君子の 操 あり。 實に 

も 叉 味 ことにして 藥 となり 食品と す。 

と ある。 

この 梅 は 

うむみ 

熟窒 とい ふに 似たり。 凡そ 木 SK、 うめる にあら ざれば 食 ふべ からす。 それが 中に 殊に 

熟め る を もて 佳と する 者 は 梅と 瓜との 二つな り。 されば。 漢土 にても、 た^ 此の 二つ を 

熟 梅 熟 瓜な どい ひて、 熟 を もて 稱し、 我が 國の 俗に も、 ウメと いひ、 ゥリ とい ひて ゥと 

いふ 語 を もて 呼びし もの、 この 二つな お。 

と ある。 

南 天  . 

紅の 實、 綠の 葉、 斡の 形 は、 いかにも 正月ら しい。 しかし、 た r それに 止らない。 貞丈雜 記 


一 10  — 


の 中に 

* じな ひ 

南 1K を 常に 見れば、 災を拂 ふとい ふ。 叉 軍陣の 時の 禁^な どに 川 ひて 災を拂 ふとい ふこ 

と、 南天に 災を拂 ふべき 効能 はなく、 南 IK とい ふ は、 難轉 と^じ 昔なる 故に, 難 を轉す 

ると いふ 心に て 用 ふるな り。 災難 を轉 じて 吉事に するとい ふ 意な り。 

と ある。 誠に 正月に ふさ はしい 木で ある。 元來、 この 木 は 昔から 藥川 として^く 川 ひられた 

ので ある。 

海老 

蝦と か魴 とか 書く のが 正しい ので、 海老 は、 古來 吉事の 飾り物と された ので 宛てた 宇で あ 

る。 これ は 海老と いふ 字の やうに 鬚が 長く 腰が 曲って ゐ ると ころから 長壽 者に たと へられ 

た。 支那で も その 目が とび 出し、 角が 出たり、 殼を 食うて ゐる 形が 「似 二 小 龍 1.」 等と いはれ 

てゐ る。 それで、 かう いふ 芽出度い 者 を 床 等に 飾る やうに なった ので ある。 

もち はもち いひの 略 音で、 もち は 「ねばり ある 物」 の 意で ある。 いひ は 「飯」 である。 これ 


一 11— 


を 「かちん」 とい ふの は r 搗っ」 即ち 「搗 く」 意で あらう が、 又い ろ/ \ の 話 をつ け 加へ て 。一 

ゐる。 その 一 つ は 閑 田 耕 筆の 中に ある 記事で 能 因 法師が 伊豫 國の三 島で 祈 雨の 歌 を 詠み、 そ 一 

の驗 があった ので * 里人が 喜んで 餅 をつ いて 饗應 したから、 「歌 賃」 の 意 だとい ひ、 又、 朝 

かちん 

廷御 衰微の 頃に 川端 道 喜と いふ 者が 毎日 餅 を 献上した が、 この 道 喜が 褐色の 服 を 着て ゐ たの 

で、 女官 達が 「かちん はどうした のか」 と 尋ねた 處 からと もい ふ。 

餅 を 食べた の は 古くからの 事で 孝 謙 天皇の 御代に、 餅 を 作る 役 を やめさせた 等と いふ 記事 

が 見えて ゐ るから、 この頃 以前と 思 はれる。 

餅に は、 三月 三日の 草 餅、 五月 五日の 柏餅、 櫻 餅、 案 一 餅、 土用 餅、 菱餅、 大佛餅 等 多い が 正 

月に 用 ひられる の は 鏡餅と 熨斗 餅で ある。 

鏡餅 は 上が 圓 くて 下が 平で、 二つ 或は 土地に よって は 扁平の を 三つ 重ねる む も ある。 二つと 

する の は 日月に かたどつ たので ある。 普通 「お供」 「おすわり」 等と いふ。 これ は 鏡の 形 を 

して ゐる ところからの 名で ある。 昔、 宮中で 用 ひられた の は 上 は 紅で 下 は. E であった と傳へ 

さん ほう 

ら れてゐ る。 これ は 正月に 限らす、 神 を 祭る 時に 作り 神德 餅と も稱 へたが、 正月に は 三寳に 


のせて 飾った。 この 飾った 餅 は 後に 說く やうに 期日が 來 ると 割って 食べた ので あるが、 切る 

とい ふの は 正月 早々 忌むべき であると して、 匁 物 を 使 はすに 缺き 割って、 缺き 餅と した。 こ 

れを 「鏡開き」 と稱 して ゐる。 この 「開く」 とい ふの も緣 起から 來た言 ひ 方で ある。 後に は 

r 缺き 餅」 は 別に I 鼠 形の 餅 を 薄く 切って 乾した もの をい ふやう になった。 

正月に 鏡餅 を 何故 飾 るかと いふ こと は、 

歲暮に 鏡 を 作りて 鏡餅と 稱 する こと は、 日 神、 岩戶 にこ もらせお はしける 時、 その 御 

像、 鏡に 禱 奉りて 跅 り-申しけ るに、 再び 岩戶 開き 給 ひしと いふ 佳例に とりて. 新 玉の 年 

たち かへ る 春の 初め を、 かの 當 時より 又し もうつ X に 開け 明けぬ る嘉慶 になん たぐ へ つ 

>- 祝 ひける  • 

と、 成形 圖 說 にある。 

飾り 方 は、 三 寳に大 奉書 を 二 枚 重ねに して 四方に 敷く。 その上に 裏白、 交 讓葉を 二 枚 重ねて 

四方に 並べる。 r てして 紅白の 鏡餅 を 載せ、 その上に 大麥葩 を 十二 重に のせ、 大長 昆布 二れ を 

重ね、 尙、 穗俵ニ 把と 串柿 二 本と 砂 余 餅と 海老と を 紅白の 水引で 結んだ もの をのせ る。 コ S 


—  13  — 


の 周圍に は、 柚子、 柑子、 橘 を 二十 づ -"、 かやの 實、 勝 栗 を 二 合、 密柑、 白 柿 を 二十 づゝこ 

れが宫 中の 飾り 方で あるが、 これ を 本と して 武家 等で はいろ/ \ 'に 飾った ので ある。 

熨斗 餅 は r 延し 餅」 である。 手で 延し廣 げたので ある。 これ は雜 煮の 中に 入れて 食べた。 尙 

鏡餅 は 「一と 重ね」 と數 へる が、 この 方 は 一 枚と 呼んだ。 

餅 は 何れも 芽出度い ものと されて、 いろくの 祝儀め 時に 搗 いて 祝 ふので あるが、 古書に 次 

の やうな 話が のって ゐる。 

豊後 國球珠 郡に 廣ぃ 野が あった。 大分 郡に 住む 人が 此處 にやって 來て、 家 を 造り 田 を 耕 

して 住んで ゐ たが、 次第に 富んで 行った。 或る日、 酒に 醉 つた 時に、 弓 を 射ようと した 

が、 的がなかった ので、 餅 をく- - りつけ て 的と して 射る と、 餅 は 白い 鳥と なって 飛び去 

つた。 それから は 次第に 衰 へて、 蓄財 もな くな り、 遂に 叉 もとの やうな 荒れ 野と なつ 

た。 天平 年間に 速 見 郡に 住んで ゐ た訓邇 とい ふ 者が、 こんなに 荒れた の は 惜しい と 思つ 

て、 此處に 移って 田 を 作った が、 苗 は 皆 枯れて しまったので、 あきらめて 二度と 作らな 

かった とい ふ。 これ は 餅 は 福の 神の 源と なる ので、 この 神が 去った \ め である。 


一 14 一 


と ある。 福生菓 などと 稱 して ゐ たこと もあった。 

雜 煮 

餅と いろくの もの を 雜ぜて 煮る。 處に 依り、 家に 依って その 作り方 もまち くで ある。 そ 

して 中に 入れる 結び 昆布 は 結び 喜ぶ 意、 八つ 頭 芋 は 子供が 多い やうに との 意 等い ろくに 言 

はれて ゐる。 

牛 蒡 

こ の 根 は 深く 地中に 入って ゐ るので、 こ の 根の やうに 家の 基礎 も 張り 擴 がる やう にと いふ 意 

から 用 ひられる。 

豆 

正月に 用 ひられる の は、 多く は黑 豆、 隱元、 大豆で ある。 人の 身の 丈夫な の を まめと いひ、 

felff なの を まめと いふので、 正月に これ を 食す るの も 「まめで 働け」 とい ふ 怠. 力ら であ 

る。 

C  ,め 

田 作 


一 15 — 


之 も 豆と 同じ 意で ある。 田作と 書く の は 百姓が 五月 頃に 稻の 苗を梳 ゑる 頃に 一 番 食べる から 

と 言 はれて ゐ るが、 叉 乾し かためた もの は 田畑の 肥料と もす るから とい はれる。 

鲷 

この 音が 「芽出度い」 と 似て ゐ るので、 正月に 限らす、 吉事に 用 ひられる。 「形 色 倶可レ 愛。 

在, 一水 中, 則 紅 瞵動レ 光。 自レ古 供,, 宗廟 之 紀ー薦 二 至尊 之 膳?」 と ある やうに 形が 上品で、 色彩 も 

青れ^ \ してゐ ると ころから 用 ひるので ある。 

「弱し」 から 轉 じたので、 捕 へられる と 直ぐ 死に、 又 傷つく ので、 國字 「鰯」 と 名 づけた の 

である。 これが 正月の 食膳に 上る の は、 鯛 を 王と し、 鰯 を 家來 とする 意味から だと 一一 一一 口 はれ 

る。 

節分の 夜に これ を 柊の 槳 と共に 家の 入口に さして^ くと、 その 年に 惡 鬼が 來 ない と 言 ふ。 

數の子 

骈ば 「かど」 と 言った ので、 その子 は 「かどの 子」 である。 それが、 無數 にある ので、 「數 


一 16 — 


の 子」 と 寄く やうに なった。 それ は、 その 名に よって 家門 繁 a を 祝 ふ^で ある。 正月ば かり 

ではなく、 出產、 婚禮 等に も 用 ひられる の はこの 篛 からで ある。 

鰊と 齊 くの は、 「東海に 出づる 故なる べし」 と ある。 

屠 蘇 

屠蘇 は 正月に なくて はならぬ もの- 一 つで ある。 紅 C 巾の 囊に 入れて 味^に つけて 飮 むので あ 

るが、 之 を 酌む 時い かに も 正月が 來 たやうな 氣 分になる ものである。 

1 體、 屠蘇 は どんな 物 を 調合した かとい ふと、 いろくに 言 はれて ゐ るが、 歐船、 ^ち ボ、 

々-キ や^ だい^- 0 チ,? つ づ ぶし はっけつ さいしん  さん. I- う しょくせ. C  く. 7*  .ht しレ ぐ .* 

桔梗、 大黄、 川 烏 頭、 附子、 菝葜、 細 辛、 麻 黄、 山椒、 蜀椒、 肉 粗、 n^、 菜! <、 赤 小豆 等 

十數 種の 草根木皮 を 適當に 混じた ものであるが、 我が 國 では. H: 朮、 桔梗、 蜀椒、 桂 心、 大^、 

0, 菝獒、 防風の 八 穂で あると いふ。 これにつ いて 而. E いのは、 この 藥を洒 に 浸して 飮む 

と 「變 レ老爲 レ兒、 變レ 異爲レ 常」 とか r 一  人 服, 之 一 家 無レ 病、 一 家飮, 之 一 里 無 レ恙」 等と いって 

元氣を 恢復し 病疫を 避ける とい はれて ゐる が、 支那の 調劑の 中の 烏 頭、 附 子等 は 毒物で、 酒 

の 中に 長く ひたして 笸 くと 毒素が 澤 山に 出て、 飮 用した- -め 倒れた 事^が 齊 物に 见 えて ゐ 


る。 今の 屠蘇に は 勿論、 烏 頭 や 附子は 含めて ゐ ない。 

屠蘇 は 屠蘇と も 書いて ゐ るが、 之 は 屠の 字の 尸が 「しかばね」 で、 正月に ふさ はしくな いの 

で戶と 書いた ので ある。 屠蘇の 語源 は數說 あって 定め 難い。 

1、 屠蘇 庵の 意で、 この 庵に 住んで ゐた孫 思邈が 毎年 屠蘇 酒 を 作って 人々 にも 飮 ませた。 

チふ 

二、 この 酒 は 邪氣を 屠って 元氣を 蘇らせる から。 

とばり 

ニー、 昔 、支那で は 貴人 は 正月に は 屠蘇と いふ 帳の 中に 一家の 者が 入って 酒 を 酌み、 邪氣を 

拂 つたと いふ。 

昔 は飮み 方に も 規定が あつたので、 大晦日に 井戸の 中に さげて 置き、 元日 早朝と り 出して 四 

角の 囊に 入れて あた >- めた 酒に 浸し、 家族の 者 は 東面して 坐し、 幼少 者から 順に 飮む。 これ 

らいぎ 

は 幼い 者 は 年 を 重ねる ので 先にし、 老者は 年 失 ふから 後に する。 叉禮 記と いふ 本に ある 說に 

よると、 藥を與 へる 時 は 臣下が 先づ飮 用して 君に 進め、 子供が 飲んで 親に 進める ものと され 

てゐ る。 これ は 所謂 毒味と いふ 意味で あらう。 

この 屠蘇が 正月に 用 ひられる やうに なった の は、 五十 一 一代の 蜣峨 天皇と 傳 へられて ゐる。 


一 18 — 


四方 拜 

四方 拜は 四 大 節の 一 で、 古 は 此の 四方 拜と 朝賀の 禮、 元始祭、 新年 荽會は 元日に 行 はせられ 

たので あるが、 今 は 五日までに それ <t\ 分けて 行 はせられ る。 この 朝、 主上に は神嘉 殿に 設け 

られた 玉座に 出御 あらせられて、 伊勢神宮 始め 天神地祇、 祌武 天皇 御陵、 先帝の 御陵 (大正 天 

皇〕 埼玉縣 の 氷 川 神社、 賀茂 神社、 男 山 八幡、 熱 田 神宮、 鹿 島、 香 取 兩祌宮 を遙拜 あらせられ 

て、 太平と 寳祚の 隆祥、 庶民の 幸福 を 祈らせられる 俵 式で ある。 この 朝 は 四時に 準備 をな し、 

五 時 出御 せられて 御拜。 それより 賢所 を 拜し給 はれる ので ある。 

これ は 宇多 天皇の 寬平ニ 年に 始 つたと 傳 へられる が、 當時 は淸凉 殿の 本 庭で 行 はれ、 降雨の 

時 は 弓 場 殿で 行 はれた とい ふ。 この 座に は 屛風を 立て 廻し、 北 向に 玉座 を 設け、 前に は 白木 机 

に 香、 花、 燈を 供へ る。 陛下 は洗髮 沐浴の 後、 黄 攄染の 御衣 を 召され、 劍を 捧持す る 近衛 府中 

將を從 へさせられて 出御、 藏 人は屛 風の 傍に 笏を 奉じて 侍す。 主上に は先づ 北極星 を拜 せられ、 

次で 天地 四方 山陵 を御拜 あらせられ ると いふ。 


—  10  — 


この 儀式 は、 上皇 及び 攝政關 白 家で も 行 はれた が、 足利時代の 中頃から 宫 中の 諸 儀式が 廢さ 

れる やうに なり、 この 四方 拜も 中止と なった が、 應 仁の 亂 以後 再興し、 C 後土御門 fK 皇の 文明 

七 年) 將 軍から も 献上 物 を 奉った とい ふ。 

0  0  0  0  ,  、  せち _0J 

ー兀 日節會 とい ふ 事が 昔 は 行 はれた が、 之 は 今 は 五日に 新年 宴會 として 行 はれる。 この 節會、 

卽ち宴 會は、 陛下が 紫宸殿に 出御 あらせられ、 百宫 群臣 を 召して 行 はれる 宴で、 その 始めは 祌 

武 H< 皇の 御代と 傳 へられる。 この 宴に ni 一献の 儀」 とい ふ 事が 行 はれる。 之 は、 第 一 に!: ^ 

たちが く 

歌、 笛 を 奏し、 第二に 群臣に 酒 を 賜 はる 御酒の 勅使の 儀、 第三に は立樂 といって、 日華 門、 月 

しゅんて. S がく 

華 門から 樂 人が 春 庭樂を 奏して 入り 來り 一 一曲 を 終って 返く ので ある。 

若 水 

元日、 五 時 前に 汲む 水で ある。 水 は 莴物を 成育させる もので、 若水 を 神前に 供へ、 それぐ 

に 用 ひると 其の 年の 邪 氣を拂 ふので ある。 昔 は 

今の 世に 正月 元日 初めて 汲む 水 を 若水と いふ は 誤りに こそ。 古 は 立春の 日に 汲む 初の 水 を 


—  20  — 


若水と いふなり。 

としをと こ 

とあって、 立春の 朝の ものであった。 之 を 汲む の は 歳^の 役で、 麻の 榨 をつ けて、 新しい 手桶 

に 砲と 鶴の 字 を 草書に して、 その 年の 年號と 一月 元旦の 文字 を 書き、 輪 飾 をつ ける ので ある。 

元日に は 午前 十 時まで 掃除 をす る もので はない とされて ゐ るが、 これ は 新しく 來る陽 氣を拂 

ひ枪 てす に靜 養す る 意で、 昔 は 一 日屮 しなかった やうで ある。 尤も 支那で は 五 曰まで 「糞土 を 

除かす」 とい はれて ゐる。 そして 五日に なると、 車 を 引いて 野原に 行き 石 を 載せて 歸る。 これ 

は 齊: 物 を 拾って 歸る 意と して ゐ るので ある。 

書 初 

元日に は 筆 をと つて 今年の 書き初め をす る。 これ も 昔は吉 方に 向って 赤い 羝に吉 福の 文句 を 

書いて 歲德 神に 供へ た。 元旦 試筆と 言って、 若水 を 汲んで 墨 をす つて 書いた が、 二日の 朝に. 筲 

くの が 普通で ある。 地方に よって は 十五 日に、 これ を どん ど燒の 火の 中に 投げ入れ、 その 燒け 

片が 高く 上れば 字が 上手になる 等と もい つ て ゐた。 


二日の 夜で ある。 以前に は 東京で も 二 曰の 夕刻に なると r ぉ寳 く」 と 呼んで 寳 舟を賫 りに 

來 たもので あった。 これ は 正月 氣 分の する もので、 子供 等 は 早速 買った ので あるが、 今 は 玩具 

屋の 店頭に 並ぶ 位の ものである。 この 寳 舟と は 半鉞 に 七福神の 乘 つた 寳 舟の 繪が 書いて あつ 

て、 その上の 方に 

なかき よのと をのね ぶりの みなめ さめ 

なみのり ふねのお とのよ きかな 

とい ふ 歌が 書いて ある。 此を 枕の 下に 敷いて 寢る とよ い 初 夢を見る とい ふので ある。 

これ は 買 ふべき ものと は 限らない ので、 各自 書く 人 もあった。 

さて、 此の 歌 は 上から も 下から も 同じに 讀め るので あるが、 分る やうに 書く と、 

長き 夜の 十の 眠りの 皆目 覺め 

浪乘 舟の 音の よき 锭 


一 22 一 


となる。 「十の 眠り」 と は佛敎 の十界 (佛 界、 菩薩 界、 緣 覺界、 聲 聞界、 天上界、 人^界、 修 

羅界、 畜生 界、 餓鬼 界、 地獄 界) で、 長い 夜の 眠りの 中に 十 界を流 轉し來 つて、 こ k に 初めて 

解脫の 境地が 開ける とい ふ 意で ある。 

しかし、 寳 舟の 繪に は、 金銀 肘 寳を澤 山積んで あると ころ を 見る と、 そんな 精神的な 淸ぃ意 

味ではなくて、 もっと 功利的な ものと 見られる が、 中には そんな 物 を^んで ゐ ない 繪も あるの 

で、 初めは 去年の 惡夢を 流して 新年 を 祝福し ようとい ふ 意味で は あるまい か。 

この 歌 は 誰が 作つ たかは 分らぬ。 

それで は どんな 夢を見れば よいので あらう か。 それ は 昔から il: つの 吉夢 を數 へて ゐる。 即ち 

* 嘸 -  なすび 

1 富士、  二 麿、 三 茄子で ある。 これが どうして 吉夢 であるか は 分らない が 古人 はこれ について 

いろ/ \- の解說 をして ゐる。 

笈埃隨 筆に よると 

この 三 事、 夢の 判に あらす。 皆駿 州の 名產の 次第 をい ふ 事な り。 富士 はさら なり、 二 ^は 

富士 より 出る 縻は唐 種に て 良な り、 こまかへ りと いふ。 三 茄子 は 比の 國 第一に 早く 出す 處 


一 123 — 


の名產 なり 

と ある。 

元 始 祭 

一月 三日に 行 はれる。 元始祭と しての 制度が 定 つたの は 明治 五 年で ある。 昔 はこの 名 稱のも 

とに 特に 行はなかった。 古事記の 「元始 綿遨」 とい ふ 語から 名づ けられた ので ある。 

鏡開き 

一月 十一 日の 行事で ある。 前に も 記した が、 鏡餅 を 下して 割って 汁粉と して、 神前に 供へ、 

又 家 內の者 も 食す るので ある。 

昔 は、 

1 一十 日に 鏡 を 祝 ふ は 初 顔 祝と いふ 詞の緣 をと るな り 

とあって、 二十日に 行 はれた。 叉、 


—24 


二十日と す 柄と 訓 同じ。 二十日 を 祝 ひし は 匁 柄 を 祝 ふとい ふことの よし、 俗にい ひ傳 へな 

り 

とも ある。 これが 十 一 曰と なった の は、 承應 三年 正月 二十日、 四 代 將蚩家 綱が 籙 じたので、 以 

後、 忌日 を 避けて 十 一 曰と なった ので ある。 

叉、 今 は 小豆 を 煮て ゐ るが、 昔 は 武士の 家で は 小豆 を 煮る と、 ふくらん でさけ るので 腹切り 

を 聯想して 忌み嫌って ゐた。 

小 豆 粥 

十五 日に 行 はれる。 小豆 を 煮て 釵を 入れ、 又 粥 柱と いって 餅 を 入れる。 これに は 支那に 傳說 

が ある。 

黄 帝の 時代に 唐の 國に S 尤 とい ふ惡人 があった。 黄 帝と 戰 つて 大敗し、 斬罪に 處 せられた 

が、 首 は 天に 上って 天狗と なり、 胴體 は蛇靈 となって 人 を 苦しめた ので、 黄 帝 は その 命日 

である 十五 日に 小豆粥 を 作って 祀 つたと いふ。 


—  25  — 


小豆粥の 起源 は此處 にある とい はれて ゐ るが、 十五 日 は、 昔なら 月は滿 月で 望で ある。 この 

望と 餅と が 混同され たと もい はれる。 E 月が 無事にす ませた 感謝の 意の ための 行事で ある。 世 

風紀と いふ 本に、 

小豆粥 を 煮て 天狗の ために 庭 中 案 上に 祀る 時、 其の 粥 凝る 時、 東の 方に 向 ひて 再拜長 跪し 

て 服 すれば、 年 を 終る まで 疫氣 なし 

と ある。 

叉、 小豆 を 煮る 時、 枝 を 削った 木で かきまぜ、 女の 尻 をた \ くと 男の子が 生れる 等と も 傅へ 

ら れてゐ るが、 根據 はない。 しかし、 足利時代に は、 將 軍まで 妻の 肩 を 三 つづ X 叩いた とい 

ふ。  , 

守貞漫 稿に 次の やうな 事が 見える。 

正月 十五 日、 十六 日、 俗に 小正月と いふ。 元 曰と 同じく 戶を閉 す。 叉 三 都と もに 今朝、 赤 

小豆粥 を 食す。 京阪 はこの 粥に 聊か 鹽を加 ふ、 江戶は 平日 粥 を 食 はす、 故に 粥 を 好まざる 

者 多く、 今朝の 粥に 專ら 白砂糖 を かけて 食すな り。 鹽は 加へ す。 又、 今日の 粥 を 餘し蓄 へ 


—  26  — 


て 正月 十八 月に 食す。 俗に 十八 粥と いふ。 京阪に は 此の 事な し。 

薮入リ 

商店に 働いて ゐる者 や 雇 はれて ゐる 者が、 一月 十六 日に 暇を贳 つて、 遊びに 行ったり、 親の 

家に 歸 つたり する こと は、 近頃 は 定休日が 毎月 あるので 昔 ほどに 娠は、 なくなつ たが、 それで 

も 各所の 盛り場に は、 新しい 着物に 角帶 しめて 鳥打帽 かぶった 姿 は 見受けられる。 

按す るに 正月 十六 日、 庶民の 子女 及び 奴婢、 此の E を 以て 問 暇と なし、 父母の 家に 還り、 

自在に 遊戯し、 或は 寺院に 詣づる を 免 さる。 近年、 七月 十六 日 も亦然 り。 蓋し 此は 盂蘭盆 

たる を 以て 慈愛より 出で、 終に 春秋 二度と なる。 俗に 之 を 藪 入りと いふ。 

と ある やうに、 元來は 正月 だけの ことであった のが、 元祿^ から 七月に も 行 はれる やうに なつ 

たの^ ある。 

この 藪 入りの 語源に ついては 諸說 あるが、 一 一三 主なる もの を 記す と、 


—  27  — 


1、 「和 俗の 言 (我が 國の 一 般 人の 一一 目 葉) に 凡庸の 者 を やぶと 稱 する 例 多し、 奴婢の 故鄕 

. 草深く むさと したる 土地に 入る との 意に て 卑下の 詞 なるべし」 と 年中行事 大成に ある。 

やど 

2、 「宿 入り」 から 轉 じたので ある。 

支那で は 「走 百 病」 と稱 して、 この 正月 十六 日に は寺詣 りする ので あるが、 之 は 外に 遊びに 

行って 元 氣を養 ひ、 百 病 を 走らせる 意で あらう が、 この 習慣が 渡来した ものと 思 はれる。 

又、 我が 國 では、 昔 その 前年 中に 嫁に 行った 妻が 此の 日に 里に 來 ると、 餅を搗 いて 祝 ひ、 そ 

の 餅 を 十六 餅と も、 略して 六 餅と もい つて ゐ たので ある。 

し-きせ 

明治 以前 は 主人 は 雇人に 仕 著と して、 縞の 綿 入に、 小 倉の 帶、 白 足袋、 晒の 下帶、 手拭 一 

本、 蹄 鼻緒の 雪駄、 扇子 一本 を與 へ、 叉當 日の 小使錢 として、 主人から 三百 文、 內 儀から は 二 

百 文、 その他、 平常 使って ゐる 番頭な どから も與 へたと いふ。 

閻魔 詣 

正月 十六 日に 行 はれる。 閻魔と いふの は 地獄に あって、 常に 十八 人の 將と八 蔦の 獄卒 を從へ 


—  23  — 


てゐ ると 傳 へられる。 そして 人が 死ぬ と、 この 王の 處で 生前の 惡事を 審判し、 その 軤 重に 依つ 

ていろ/ \ と 苦しめて 再び 犯さない やうに する の だとい ふ。 

十六 日 は 亡者 を 苦しめる こと も 止めて、 靜 かに 休ませる ので、 「地獄の 釜の 蓋が 開く」 口と 

して、 勸善 懲悪の 意 を ふくめて、 寺院 を參詣 する 者が 多い。 

これ も 一月 十六 日に 限られた ので あるが、 後に 七月に も 行 はれる やうに なった。 丁度、 蔽入 

りで あるので、 閻魔 堂の ある 寺院 は參詣 者に 露店 や 見世物で 賑 ふので ある。 柬 京で 有名な の は 

淺草 寺、 下 谷の 世 尊 寺、 深 川の 八幡宮 境內、 芝の 增上 寺、 四 谷の 太.: 示 寺、 目黑の 不動 錄境內 等 

である。 閻魔 堂に 參詣 すると 地獄の 苦しみ を 避れ るば かりではなくて、 いろくの よい 事が あ 

ると 傅 へられる が、 十訓抄 にある 話 は 面白い。 

晴 遠と いふ 者 は 代々 還城樂 とい ふ 舞 を 舞って 宮中に 仕へ てゐ たが、 まだ 人に 俾 へない 前に 

は、 その もリ 

死んで しまった。 そこで、 家人 は 棺を柞 森 の 下に 置く と 二三 日經 つて 側 を 通った 者が 呻 

く 聲を閲 いたので、 怪んで 遣 族に 傅へ ると、 妻子 親族が 急いで 行って 見た。 すると 晴遠は 

生き かへ つて ゐた。 家に 述れ戾 つて、 介抱す ると、 次第に 元氣を 取り M して 言 ふのに は 「閻 


一 29 一 


魔王の もとに 行って 罪 を 定められた 時、 一人の 者が いふのに、 この 者 は、 まだ 還 城 樂を傳 

へない のに 死んで しまった。 それ は 惜しい 事 だから、 許して やる からもう 一度 戾 つて、 よ 

く 傅へ てからに しょうと 相談す ると、 他の 者も黉 成して、 歸 された と 思 ふと 息 を 吹き かへ 

したので ある。」 と 語った。 人々 は、 「誠に 靈驗 あらた かなこと である。」 と 言って 非常に 

喜んだ が、 それから 此の 舞を季 高と いふ^ 子に 傅へ て 死んだ。 

廿日 正月 

正月と 言って ゐる うちに 日 は 過ぎて しま ふ。 最後の 正月 を 心から 樂 しんで^れ ようとい ふの 

が、 廿日で ある。 この 日 は 「初」 とい ふ訓に 通じる ので 祝 ひ 日と したので あるが、 和漢 三才 圖 

繪に 次の 意味が 書いて ある。 

京師の 俗、 正月 廿日に, は 家 毎に 赤 豆 餅 を 食 ふ。 思 ふに 小豆 は 赤色、 紅縷に 準す るので あら 

う。 但し、 天 を 祭らす、 n を 祭る だけで ある。 其の 他、 近畿 地方の 民俗 は、 此の 日に 糯米 

に 小豆 を 混ぜて 蒸し、 强飯を 作って 食す。  . 


一 30 一 


京阪 也 方で は 新年の 祝 ひに 獅を 食べる ので、 この頃に なると 食べつ くして しま ふから、 骨 を 

煮出して 食す るた めに 「骨 正月」 とも 言って ゐ ると いふ。 

正月の 其 他の 行事 

1 兀 旦 詣 . 

元日の 早朝、 氏祌ゃ 主なる 社頭に 詣 つて、 新年 を 祝し 長久 を 祈る ので、 今では 除夜の 錡が 鳴 

つて 十一 一時 を 過ぎる と 先 を 競って 參拜 する。 

&  はつ 

ぢ 匕 日 

ブ 言 

金曜 星 の 方向 は 大凶 n 一年 塞り といって 嫌 ふので、 その. 反對の 方に 當る 寺社 に 參詣し て 幸 福 を 

祈る ので ある。 惠方は その 年に よって 異 るので ある。 

歳德祌 

歳德 神は祌 道で は^ 受大 神と 素薷嗚 尊で あるが、 佛敎 では、 牛 頭 天 王の 妻で ある 婆 梨 女と か 

牛 頭 天 王で あると か、 いろくに いはれ てゐ る。 


家の 中の 吉 方に 棚 をつ り、 注 連 を 張り、 小 松 を 立て、 燈 明と 供物と を 供へ て 祭る。 この 棚 を 

* 惠方 棚と もい ふ。 

寒 詣 

歉ぎ 離と も稱 して 寒中の 夜に 白衣に 白鉢卷 をして 神社 佛 寺に 參詣 して 祈念す る。 

塞 念 佛 

傦 侶が 寒中に 念佛を 誦しながら 町 を 歩く。 

寒稽古 

寒中に 武道の 稽古 をす るので ある。 早朝、 武道 具 を 持って 道場に 通 ふ 勇ましい 姿 は 此の頃 は 

見られ なくなつ たが、 稽古に 行く 者 は 多い。 

初 荷 ■ 

二日に 問屋から 華客の 店に 初めて 荷物 を 運ぶ 時に、 美しく 着飾った 人々 が、 美 装した 車 を ひ 

くの は 春ら しい 情景で あるが、 都會 では 少く なった。 

初 寅 


—  32  — 


正月の 最初の 寅の 日で、 この 日に は毘 沙門 詣を する。 

まゆだま 

最初の 卯の 日で、 この 曰に 參拜 する 神社で は、 悪鬼 を拂 ふといって、 繭玉 や 卯 枝、 卯槌 のつ 

いた 玩具 を賫 つて ゐ る。 

初 已 

最初の 已の 日に あたる。 この S に は辨才 天の ある 寺 ゃ稻荷 神社に 參拜 する。 此の 日のお 守 を 

み なる^ん  > 

特に 已 成金と 呼んで ゐる 

初 亥 

设 初の 亥の 日で ある。 この 曰に は 摩利支天へ 參詣 する ので あるが、 それ は、 水火の 難ゃ盜 

難、 毒虫の 難 を 免れる と傳 へられて ゐる。 

七 幅 神 詣 

松の 內に 七福神 を 祭った 寺社に 參拜 すると 幸福が あると いはれ てゐ る。 


一 33 — 


今では 追儺と 節分と を 一 つに して ゐ るが、 節分と は 「季節の 分れ」 で、 冬が 春になる 日の こ 

とで ある。 その 夜に 行 はれる のが、 追儺で、 「豆まき」 「鬼 やら ひ」 等と も 呼ばれて ゐる。 舊 

曆 では 大抵の 年 は 一 月 一 日から 春で あるから * その 前日の 十 一 一月 三十日に 行 はれた ので ある。 

昔 はた 「儺」 とい ひ、 之.. V 我が 國 では 「なやら ひ」 或は 「鬼 やら ひ」 と讀ん だので あるが 

後に^ を 加へ たので ある。 勿論、 支那の 風が 傳 へられた ので、 彼の 國 では、 「擊レ 鼓、 驅, 疫, | 等 

といって、 周の 代に は 四季と も 行 はれた ので あるが、 冬が 最も 盛んで あつたと いふ。 

我が 國で行 はれる やうに なった の は、 文德 天皇の 慶雲 三年、 諸國に 惡疫が 流行し、 澤 山の 百 

姓が 死ぬ ので 土 牛 を 作って 初めて 大儺 すと 傳 へられて ゐる。 これから 宮中の 行事と なった ので 

ある。 この 土 牛 は 土 牛 童子の 像で、 陽 明 門 待 賢 門は靑 色、 美 福 門 朱 雀 門 は 赤色、 談 fK 門 藻^ 門 

は 白色、 安嘉門 偉^ 門は黑 色、 郁芳 門 皇嘉門 般富門 達 智門は 黄色に 塗って ある。 それ は 靑は春 

で 東の 門に、 赤 は 夏で 南、 白 は 秋で 西、 黑は 冬で 北と いふ 意で ある。 この 土 牛の 高さ は 二 尺、 


一 34 — 


板に $ せて 立てた。 大寒の 日に 立て ゝ 立春の 前夜に 除いた とい ふが, これが 何時の 頃から か、 

次の やうに なった。 

お ほと ね, 

この 夜 午後 八 時、 大舍 人の 役人が 方 相 氏 (鬼の こと) となって 黄金の TO: つ 目の 恐ろし さうな 

面 をつ け、 上 は黑、 下 は 朱の 衣裳 をす る。 叉、 倔 子と いって 廿 人の 者が 紺の 着物 をつ ける。 こ 

の 人々 を 役人が 連れて 承 明 門の 外に 来て、 中務 省の 指示 を 待ち、 柬の宣 陽 門、 南の 承 明 門、 西 

なやら 

の 陽 明 門、 北の 玄嗶 門の 四つに 分ける。 十 時になる とそれ, <\ 門 を 叩いて 「儺 ふ 人 等 率 ゐて參 

入」 「某 官 親王 門に 候す」 と 奏する と、 方 相 氏 を 先と して 親王 以下が これに 從 つて 中庭に 並び 

ほこ  I 

儺 祭 を 行 ふ。 これが 終る と 方 相 氏が 聲を あげて 戈で 三度 循を 打つ。 一同が これに 和す る。 それ 

から 桃の 弓に 葦の 矢 をつ がへ て 四方 を 射、 桃の 杖で 惡鬼を 追 ひながら ia 城の 四 門 を 出る。 それ 

から も 郊外まで 京都の 役人 達が 追って 行く。 この 方法 は 支那で 行 はれて ゐ たもの を 基と したや 

うで ある。 この 儀式 は 武家時代 になって 廢 されて しまったが、 今では 豆撒きが 行 はれて ゐる。 

豆撒き は 何時頃からの 事 か は 分らない が、 宇多 帝の 御代から 等と 傳 へて ゐる。 これに は 面白 

い 傅說が ある。 


一 So  ― 


鞍馬の 奥、 僧正 ケ 谷の 美曾路 池の 側に 一 丈 四方 位の 穴が あって、 その 中に 藍婆惣 主と いふ 

二つの 鬼神が 住んで ゐた。 時々 都に 出て 亂 暴す るので、 毘 沙門の 御 示現で、 鞍馬 寺の 別當 

が 朝廷に 七 人の 博士 を 集めて 七々 四十 九の 家から 物 を 取って この 穴 を 塞ぎ、 三 石 三 斗の 大 

、  かぎ はな 

豆 を炒て 鬼の 目 をう つと、 ために 目 はつ ぶれて 捕へ る 事が 出来る。 叉、 聞 鼻と いふ 鬼 を 捕 

へる のに は、 「この 鬼が 人 を 食 はう とする 時に、 鰯 を 串に さして 燒 いて 家の 門に 差して 置 

けばよ い。」 と 奏上した ので、 直ちに この 鬼 を 捕へ たとい ふ。 

叉、 京都の 郊外に 豆 塚と いふ ものが ある。 これに も 面白い 傳 說が鹽 尻と いふ 本に ある。 

寬平 の 御代に 悪病が 流行した ので 責船 神社 を 祭 つ た。 それ か ら 除夜 に その 地の 人 は 神舆を 

かついで 池 を 廻り、 炒り豆 を 折に 入れて 四方に 撒き、 殘 りの 豆と を 地中に 埋めた のが 豆 

塚で ある。 

今 は 各 寺院で 歳 男 を 招いて 盛大に 行 はれて ゐる。 一般の 家で も 「福 は內、 鬼 は 外」 との 呼び 

聲 で玄闢 口から 各 部屋に 撒き、 人々 は 自分の 年の 數 だけ 拾って 食べる とい ふ 習慣に なって ゐ 

る。 


—  36  — 


節  分 

節分 は 季節の 分れで あるが、 た^ 節分と いふと 立春の 前日の ことで ある。 この 夜の 豆撒きの 

事 は 前に 述べた が、 この 日に 民間で は 嫋の頭 を 柊に さして 入口に 打ちつ ける の だが、 それにつ 

いて 年中 故事 要 言に 次の 文が あ^。 

古 は 鰯に あらす、 なよ しの 頭なる にや、 貫 之の 土 佐 日記に、 元日の 下に 「今日は 都の みぞ 

忍 ひやら る、。 小 家の 門の 端 出の 繩な よしの 頭枸 等い かに ぞと ぞい ひ あへ る」 と 書かれた 

り。 今の 世、 節分の 夜に 鰯の 頭 を 軒に さす 事、 聞 鼻と いふ 鬼の 人 を 食 はんとす る を 防ぐ 術 

なる. H  (中略) 

初 午 

ラ ま 

二月 第一 の 午の 日の 行事で、 稻荷 神社の 禮 祭で あるから 稻荷 祭と もい はれる。 稻荷 神社 は、 

c がの みた i  さるた . ひこ  お ほみ やめ  ,、1 

倉稻魂 神、 猿田彥 神、 大宮 女神の 三 祌を祀 つたので、 京都の 稻荷 山に あるの が 最も 古く 大きく 


—  37  — 


官幣 大社で あるが、 衣食住の 守護神で あると いふ 虐 から、 全 國に祀 られる やうに なった。 京都 

の 稻荷祌 社の 祭禮は 四月に 行 はれる ので あるが、 初 午、 として 何故に 一 一月に も 祭る, A とい ふと、 

稻荷 山に 神を祀 つたの が、 元 明 天皇の 和 銅 四 年 二月 十一 口  (七日と も 九日と もい ふ說 あり) 

で、 その 日 は 一 一月の 初めの 午の 日であった からと い ふ。 

この 日に は、 その 年の 福運に ぁづ からう として、 稻荷 f: ほに 參拜 し、 子供達 は 小屋 を 造って 

太鼓 を 鳴らし 神樂 のまね 等 をす る。 

土地に よって は、 この 日、 神社の 前で 毂 物の 種を賫 つて ゐる。 この種 を 買って 捲く とよくな 

ると いふから である。 

元來、 稻 荷は稻 生の 意、 卽ち^ は 飯の もとで ある。 その 稻が 「生る」 とい ふ 處に緣 起 を 結び 

つけたの である。 しかし、 稻荷 神社 を祀 るの は 農家ば かりで はたい。 

衣食の 神に て、 百姓 は 種芋 をい のり、 商人 は 賣得を 願 ひ、 工業 は鍊磨 をね が ひ、 公業 武事 

といへ ども 此の 神の 利签を 被らざる とい ふ 事な し。 されば 往古 は! K 子 諸侯と いへ ども、 膳 

に 向 ひ 食事の 時 は、 匕箸 をお ろさ^る 先に、 少し 釵を とりて 瞎 のかた はらに 置き、 この 祌 


— ss  — 


に 備へ給 ひきと ぞ 

と ある やうに、 信仰者 は 職 を 問 はない • 

稻荷 神社に は、 どんな 小さな 社に でも 「正 一位 稻荷大 明祌」 の 幟 を 立て^-ある。 これにつ い 

て 面白い 話が あ る。 德川 時代に 寺社 奉行 の 阿部 備中守 正 祐が藤 森 社 司 に その 理由 を尋 ね て 、 

「天慶 三年 八月 一 一十 八日に 從 一 位に 昇進した 事 は 見えて ゐる。 何年から 正 一 位と なった か」 

と 問 ふと、 社 司 は 返答が 出来す、 日延べ を 願って 一 萬 日に なった とい ふ。 成る 程、 古來、 攝政 

閼 白の 人で も 生前、 正 一位に なった 者は少 い。 神に 位階の あるの も を かしい が、 馬 琴 は 兎攆小 

說の 中に、 平田大 角の 言 を 引いて、 

古、 三位 を 援け給 ひし 後、 日本 國 中に 神社、 おしなべて 一階 を 昇せ 給 ひし 事、 宇多 天皇の 

御 時より 總 ベて 四ケ度 あり。 されば 速くに 正 一位に てお はすこと なり。 さる 故 をば、 いか 

で お 答 へ 申され ざり けん 

と 藤 森 社 司 を抗擊 して ゐ るが、 よく 分らぬ 事で ある。 

稻荷 神社に は 狐が つきもの であるが、 稻荷 山に 狐が 多かった ので、 使者と したので、 八蟠社 


—  39  — 


の鴆、 熊^の B と 同じ 意味で ある。 夢の 代と いふ 本に 

るの 地に 多き 故に、 民是を 言うて 崇敬す る 故に 集まるな り。 或は 社 前に 土偶の 狐を献 じ、 

だん/ \ と 多くな りたる が 例と なる。 遂に ー轉 して、 凡俗 は 狐 を 以て 稻 荷の 神 體と思 ふや 

うにな りたり。 これより して 稻荷社 ごとに 狐 を 祭る。 諸 所の 鎭守 或は 狐の 子 を 生みた る を 

見つけて 祠を 立て、 稻 荷の 神職に 吿 ぐれば、 忽ち 稻荷大 明 神の 神號を 送り、 幟幢を 立て 

尊敬す。 

と ある。 

あ 供養 

二::!: の 八日に 行 はれ、 「おこと」 「事 納め」 とも 稱 して ゐた。 折れた 針 を 集めて 淡 島 社に 納 

めて、 今までつ くして くれた 禮心を 表すので ある。 

この 曰 に は 裁縫 を 休んで 「おこと 汁」 を 作って 食べた とい ふが、 それ は、 小豆、 牛蒡、 芋、 

大根、 豆腐、 燒栗 くわ ゐ等を 入れて 作った 味^汁の ことで ある。 


—  40  — 


紀元節 

二; :!: 十一 日の 紀元節 は、 神武 天皇が 大和 國槿 原宮に 御 即位の 式 を舉げ 給うた 日で ある。 この 

最初 は 明治 五 年 一月 二十 九 曰で あつたが、 七 年に なって 新曆 となった ので、 日本書紀 にある、 

辛 酉年 春 正月 庚辰朔 、天皇 即>1 帝位 於 稷原宫 ?是歲 爲,, 天皇 元年 > 

とい ふ記錄 によって、 御卽 位の 年 を 紀元 元年 正月  一 口と し 順に 數へ ると 一 一月 十 一 日に 當ろ ので 

この 口に 定められ たので ある。 H< 皇が御 即位に なった の は 五十二 才 であらせられた。 御 ^位せ 

みちのお A のみこと 

らる, >. や、 論功行賞 を 行 はせられ、 道臣 命に は 築 坂に 宅地 を與 へられ、 大來ロ 命 を 守護に 任ぜ 

く にづくり  と み やま 

られ、 其の 他の 功臣 も それく 國造 にし、 天 富 命 をして 鳥 見 山に 天 照大 神の 御 恩 を 奉 謝せし め 

二: 秫祌器 を 奉祀 あらせられた。 我が 國に とって は 誠に 意義 ある 日で、 近來 この R に 建國を 記念 

する ため、 建國 祭が 行 はれる やうに なった。 春 まだ 淺き 此の 朝、 瑞雲た なびく 大內 山を拜 する 

時、 國內を 平定し 給うて 大和の 地に 御 即位の 式 を擧げ させられた 神武 帝の 御 姿が 尊く も 思 ひし 

のばれ るので ある。 


—  41  — 


この 日、 宮中の 賢所、 皇靄 殿、 祌 殿で 御 親祭が 行 はれ、 夜 は 御 神樂が 奏せられる。 豊明 殿に 

於て は 御 祝宴が 行 はれる。 叉、 各 神社に 於ても 祭典 を 施行せられ。 御陵に は 勅使が 派遣せられ 

る。 

ね  はん  & 

涅 槃 會 

二月 十五 日 は 釋迦の 亡くなった 日で ある。 涅槃と は 「消える」 で, 死ぬ 意で ある。 

釋迦が 亡くなつ たの は 八十 歲、 この 夏に 弟子の 阿難と 共に 1 1 人で 吠舍漦 國拘尸 那揭羅 城に 向 

つたので あるが、 その 途中で 純陀 とい ふ 者から 給せられ た 食物で 腸 を 害して 痛苦に 堪 へられ 

す、 路傍の 沙羅 雙樹の 蔭に 入って 休み、 阿難の 看護 も 効な く、 十五 日夜 半に 死んだ ので あつ 

た。 この 時、 頭 は 北に、 右 脚 を 西に 向けて 居った と傳 へる。 そして、 沙羅雙 樹は极 が 八本 ある 

が、 ニ本づ i 1 つに なって ゐた。 この 木が 如来の 死 を 悲しんで 白く 變り、 枝葉 は 屍に 蔽 ひか、 

り、 筌 も 悲しみ 哀聲 が何處 から ともなく 聞え、 大海 湧き上り、 川の 流れ は 涸れ、 日月 も 光な く 

黑 風が 吹いて 草木が 折れた。 その 様は傳 によると 極り なき 悲しみであった やうで ある。 


一 42 — 


諸 天 哀しみ 號 びて 天の 香華 を ふらし、 天の 音樂を 奏す。 唱 へて 曰く、 「苦 哉く、 如何 ぞ 

I 旦慧日 滅沒す や。 一 切の 衆生 慈悲の 父 を 喪 ひ、 所 敬の 天 を 失 ふ」 と。 或は 佛に隨 うて 滅 

する 者 あり、 或は 心 を 失 ふ 者 あり、 或は 大きに 叫びて 胸に 槌っ者 あり。 或は il 絡して 大地 

に 倒る k 者 も あり。 

と 書いて ある。 人々 の 追慕の 淚 にくれ る 様が 誇張して 記されて ゐる。 遗 《= は 八國に 分って 供養 

した。 

この 時の 樣を 書いた のが^ 槃繪 であるが、 今に 傳 はる もの.^ 中で 高野山 金剛 峯寺 にある のが 

莰も 有名で ある。 この 綺を 飾って 法 會が行 はれる。 

我が 國で行 はれた の は 平安朝 時代 の 初期に 山^ 寺 で 壽廣が 行った のが 最初で 後に 宫中 でも 行 

はれる やうに なった。 現今 は 各 寺院 だけで ある。 

新年 祭 

3 

二月 十七 日に 行 はれる 祭典で ある。 これ は その 年の 五穀 豊欉 を^ 中 ー1: 殿、 ^神せ " 初め 諸: t  | 


一 44 一 


に 祈念す る 儀式で、 「としご ひの まつり」 とも 稱し、 秋の 大甞 祭と 共に 古 來各祌 社で 大祭と し 

て 行 はれる。 

一時、 廢絕の 形に なって ゐ たが、 明治天皇 は 明治 二 年 再興せられ、 祌宮を 始め 全國の 官國幣 

社に 幣帛 を 供進せ しめられ、 大正 二 年から は府縣 社に も 祈 年、 大 甞の兩 大祭に は 奉幣せ しめら 

れる こと  なった。 特に 伊勢神宮に は 勅使 を 御 差 遺 あらせられ るので ある。 

二月 四日に ia 中で 班 幣の儀 を 行って、 各 神社に 献 進の 幣帛 を 班た せ 給 ふが、 之 を 祈年祭 班幣 

とい ふ。 そして、 伊勢神宮に は 勅使 を, 官阈幣 社に は 所在地の 地方 長官 を、 府縣鄕 社に は 之に 

準じて 地方 宫、 町村 長 を 遣して 供進せ しめられる。 宮中の 三 殿の 式典 は、 一時、 皇靈殿 は 四日 

賢所 神殿 は 十七 日に 行 はせられ たが、 今 は 皆 十七 日に 改められた。 

この 式典が 行 はれた の は天武 天皇の 御代で、 公 赛 根源に、 

IK 武 天皇 四 年 1 一月に 始めて 此の 祭 あり。 

と 記され、 また 

天武 天皇 四 年 一 一 月 甲 申 有, 一 祈年祭 1。 


と ある。 文武 天皇の 大寳 令に も 制定して あるが、 詳記され たの は、 淸和 天皇の 貞觀 儀式、 醍醐 

天皇の 延喜 式で ある。 

當日 は. 京畿 から、 白鷄 一隻、 近 江より 白 猪 一頭 を献す るので あるが、 之 は御歲 神に 供へ る 

ので あり、 左右の 馬 寮から は 各々 神馬 十一 頭を献 ぜられ た。 この 馬 は 伊勢 祌 ^を 始め 二十 二 社 

に献 する ので ある。 

雛 市 

雛人形 を はじめと して 三月 三 曰のお 維 祭に 必耍な もの を賫る 市で ある。 昔 は 一 一月 一 一十 五日 か 

らと 定められて ゐ たが、 今 は 一 一月に 入る とそろ- その 聲を 聞く。 

德川 時代から、 東京で は 日本 橋の 十 軒 店で 行 はれる のが 最もお 名であった。 兩固 橋の 畔 では 

露店の 市が 開かれた とい ふが 今 は廢れ てし まった。 

しま  ひ 

0 干 


—45 — 


海水の 干潮になる のは每 日あって も、 蔡曆 三月 三日 前後が 大潮と 言って 最も 干滿の 差が 大き 

い。 恰も そろく 暖氣も 加 はるので、 一 日 を 出で \ 貝 取りに 與じ るので あるが、 昔 は 取った 具 

や 小魚 は その 場で 料理して 食べる のであった。 

古來、 この 名所と して 傅って ゐ るの は 

堺住吉 浦 凡そ 三 里ば かり 干潟と なりて 見物の 男女 沖に 出で、 蛤 を 取るな り。 叉、 所の 人 は 

多くと りて 見物の 人へ も賫 るな り。 すべて 潮干 は 入海の 分 は 何方も 同じ 事な り。 然れ ども 

堺浦、 住吉 浦の 潮干 その 名高し。 尼 崎 浦の 潮干 甚だよ し。 砂 海に て 貝類 をと る こと 自由な 

り。 江戸に て は 品 川の 潮干 賑やかな り。 此の 浦で は 比 目 魚 多くして、 鹽の たまりに 居る を 

見物の 人と りて 樂 しみと す。 

と、 山海 名物 圖繪に 記されて ゐる。 

W  ク節 


一 4(3  — 


皇后陛下^ 御 誕生 を 祝 ひ 奉る 日で ある。 

この 起源 は 明治 七 年 五月 1 1 十八 日、 昭憲 皇太后の 御 誕生日に 御 祝 俵 を 行 はせられ たのが 始め 

であって、 この 語の 起り は 天長節と 同じ やうに、 老子の 「天長地久」 と ある ことから 出て ゐ 

る。 

ひ  おん 

彼 岸 

舂 分と 秋分と を 中心として、 その 前後 七日 間 を 彼岸と 稱 して、 寺院に 詣り 墓所に 參 るので あ 

る。 大抵、 春分 は 三月 1 一十 一 日、 秋分 は 九月! 一十 I 日で、 此の E を 「彼岸の 中日」 と^ ひ、 笫 

1 日 を 「彼岸の 入り」、 第 七日 を 「彼岸の 明け」 といって ゐる。 

彼岸と いふ 語は佛 語で、 生と 死の 間に 大海が ある。 この 煩惱の 大海 を 越えて、 ^槃 に逹 する 

のが 彼岸で、 即ち 此の 眞 如の 世界い ^槃の 世界 を 指して いふので ある。 菩薩 は 生の 世から、 此 

の 岸に 渡す 役 を 努める とされて ゐる。 

この 日に お 寺で 請經、 法話 をす るの が 彼岸 會 であるが、 これ は 我が!: 特有の 行事で、 印度 や 


一 47 — 


支那に はない こと & いはれ てゐ る。 これにつ いて 和漢 1 氣 指南に、 

此の 時、 天 氣和暖 に、 晝夜 等分に して、 萬 民 農業 隙 ある 時節 なれば、 寺院に 詣で 信心 を 進 

め、 作 善 を もな さしめ ん爲 めぬ、 立 S いて 諸人 を敎 化するな り。 

とあって、 三月 も 九月 も 時候 もよ いので 寺院 を參詣 して 後世 安樂 を 願 ふ 人々 の 心から 始 つたこ 

とらし い。 そして、 此日は 太陽が 正しく 西に 沒す るので、 西に 極樂が あると いふ 僧に とって は 

說 明し 易い 時な ので あらう。 叉、 七日と 定めた ことにつ いても、 草 茅危- 一一 一口に、 

天竺 (印度) の 法 は、 上下 四方 (東西南北〕 中と 立て、 七 類 あるより 何事 も 七 を 以て 紀と 

するな り。 これ、 豈、 曆算 に干涉 あらん や。 

と 言って ゐる。 

この 法會 は、 何時頃から 行 はれた かとい ふ 事 はよ く 分らない が、 延曆 二十 五 年 二月に 諸國に 

命 を 下して 金剛 般若 經を讀 ましめ たと あるが、 之が 起源の やうで ある。 

この 日に は 「お盆 ぼた 餅、 彼岸 圑子」 といって、 圑 子を斿 へろ 習惯 である。 また、 時候の 上 

でも 一 つ. の Isgl 切りと して、 「暑さ 寒さ も 彼岸まで」 とい ふ。 


—  48  — 


—  40  — 


皇 靈 祭 

春分の日と 秋分の日 とに 行 はれる。 聖上 親しく 皇靈 殿に 出御 あらせられて、 感 代の 天皇、 皇 

后、 皇妃の 饞を祀 り 給 ふ 曰で ある。 

現今の やうに 春秋! 一季 皇靈祭 を 行 はせられ る やうに なった の は 明治 十一 一年からの 事で ある。 

明治 一 一年 に 東京に 御 遷幸と 共に 神殿 を 建て 給 ひ 賢所と 共に 天神地祇 を 始め皇 靈を鎭 めら れて、 

翌 三年 正 月 三日に 祭典 を 行 はせられ た。 しかし、 この 祌殿は 六 年に 火^の ため 燒け、 赤 坂 離 {a 

を假 御所と せられて 神殿 も 御 移しに なった が、 I  一士 一年 皇居 新築と 共に 宮城に 賢所と 隣り して 

建てられ たので ある。 

つ り 3 ご は 

この 式典の 起源 は 遠く 祌武 天皇に 始まる と傳 へられる。 即ち 四 年 一 一月 、大和!:.::! 兑 山に^^ を 

建て 給 ひ、 皇祖 を祀 り、 

我 皇祖 之^ 也、,: 大降鑒 、光,: 助 朕躬 T 今 諸虔已 平、 沲 内無レ 事、 可 T 以郊 -1 祀 天神 1 巾 ま 大^ 1 

^也 


—  50  — 


花 見 

四月 陽春の 候に 咬き 出す 櫻 ほど、 古來 人々 の 心 を 動かした もの はない。 花に もい ろく^ 類 

はあって も、 た^ 花と いへば 櫻 を 思 ふ 程, 我が 國の 人々 にと つて は 離れられぬ 親し さ懷 しさ 樂 

しさ を 持って ゐる。 加 之、 一時に 哚き 出し、 叉 忽ちに 散る 花吹雪 は 誠に 我が 武士の 心に 似て ゐ 

るので、 戰瑪に 千 軍 萬 馬 を 指揮す る武將 も、 この 花 を 見て は、 うた、 感激の 情の 湧き出 づるを 

止むべく もない。 さう いふ 櫻に ついて、 こと 新しく 述べる まで もない が、 二三 話题を 拾って 見 

よう。 


と 仰せられ たので ある。 

だかみ むすびのかみ かみむ ナ 

この 皇饞祭 と共にせ" 屮 では、 祌殿 祭が 行 はれる。 神殿に は舊 く八祌 殴に 祭る 高 御 魂 神、 祌魂 

びの かみ .S くむす ぴ のかみ たるみむ ナぴ のかみ たまと めむ すび の. 1? み お ほみ やの めの かみ お ほみ けつの かみ ことし, ろぬ しの かみ 

神、 生 魂祌、 足 魂祌、 玉留魂 神、 大宮乃 寶祌、 大御 膳部 神、 辭代 主祌の 八祌と 天神、 地 

祗を祀 り 奉る ので ある。 これ も、 明治 十二 年の 秋から 親祭 あらせられる ことにな つたので あ 

る。 


お ほ ャ* つみ ひみこと r- ひ はな さくや ひめ  . 

樱は 神代から あつたと いふ。 大山 祗命を 木 花 唉耶姬 ともい ふの は、 天 上から 樱の 木に 下られ 

たからの 名で あると 傅 へ られ る。 

屐屮 天皇が 宮中の 池に 舟 を 浮べて 御遊 をせられ た 時に、 御手に して 居られた 酒盃に 散り 來る 

花びらが 一片 落ち 來 つて 浮んだ ので、 皇居 を 「若 櫻の 宫」 と 名 づけら れた。 

花の 御宴 は、 蜣峨 天皇が 弘化 三年に 神 泉苑に 行幸あって、 詩歌 を 作らし め 給うた のが 最初で 

ある。 

si 宸 殿の 階下の 兩 側に 橘と 櫻が ある。 樱 は桓武 天皇 遷都の 時 は 梅を植 ゑら れ たので あつたが 

承 和 年中に 枯れた ので、 仁 明 天皇が 樱に植 ゑ か へられた。 その 櫻 も貞觀 年中に 枯れて 元から 縱 

に 芽が 出て ゐ たので、 坂 上 瀧 守に 命ぜられて 保守せ しめられる と、 枝槳が 延びて 繁 つたと い 

ふ。 その後 も 幾度 か 桢ゑか へられた。 橘 はこの 地が 橘 本 太夫の 舊 宅であった ので、 この 人の 家 

にあった もの を その ま &梳ゑ 置かれた ので ある。 

神武 天皇 祭 


一 51 — 


四月 三日 は、 神武 天 皇が御 即位 後 七十 六 年 目の 三月 十 一 日 崩御 あらせられた 日で ある。 御 年 

百 二十 七才。 九月 十二 日に 畝 傍 山 東北 陵に 御 埋葬 申 上げた。 ^御の 日 は 新暦で 四月 三日に 當る 

ので ある。 

かむ やまと いはれ ひこの 

此の 日, 御陵に は 勑使を 遣 はされ て 幣帛 を献 ぜられ る。 尙、 御 生前の 御名 は、 神 日本 磐 余彥 

尊と 申し、 後に 諡號を 神武 天皇と 贈り 奉った。 

くわん  ぶつ  10?  • 

灌 佛 會 

I: 月 八日 は 釋迦の 誕生日で ある。 各 寺院で は 釋迦の 像 を かざり、 甘茶 を灌ぎ かけ、 叉 この 甘 

茶 を參詣 者に 飮 ませる ので ある。 この 甘茶 を 莨って 歸 つて、 硯に 入れて 墨 をす り、 

千 早 振る 卯月 八日 は 吉日よ、 かみ さげ 虫 を 成敗 ぞ する 

と 書いて、 柱 や 壁に かけて 置く と 虫 除の 呪と なるとい ひ、 又、 

八大 龍王 茶 

と 書いて 天 井に 貼って 置く と I 田 除と なる 等と 信じられて ゐた。 


一 52 — 


釋迦の 降誕に ついて 佛 敎に傳 へる ところに よると、 母の 摩耶 夫人の 胎 中に 在る こと 十 ヶ月、 

舊曆 四月 八日の 日に 母 夫人が 當 時の 印度の 習慣と して 生家に 歸 つてお 產 をす るので、 歸 鄉の途 

中、 花園 を 逍遙し、 無憂樹 とい ふ 木に 登り かける と、 車の やうな 大きな 連 華の 花が 生じた。 そ 

の 時、 釋迦は 母の 右 脇から 生れ 出て その 無 憂 華の 上に 落ち、 歩く こと 七 歩で 右手 を あげて: 大上 

天 下 唯我獨 尊と 稱 したと いふが、 その 愨は 獅子の 吼 える やうで あつたと 傅へ てゐ る。 その 時、 

.  ' - )  :  ていしゃ くてん  ぼんてん わう ほっす 

四天王 は 衣で つ- んで澤 山の 寳の 上に 置く と、 帝 釋天は 蓋 をと り、 梵天王 は拂子 をと つて 左右 

しゃ-つじ やうす ゐ 

に 侍した。 九つの 龍が 天に あって 淸淨水 を 吐く。 

その 一は 冷水、 他は溫 水で あつたが、 この 水が 釋迦 に灌 がれる。 そして 釋 迦 はこの 水の 中に 

あって 大 光明 を 放っと、 三千世界に 輝き渡り、 天から は 音樂が 問え、 花が 降った とい ふ。 

この 行事が 始 つたの は 推 古 天皇の 十四 年 四月であって、 丁度、 元與 寺が 建立され 一 丈 六尺の 

釋迦の 像の 開眼 式が 行 はれた が、 聖德 太子が 此の 式に 臨ませられ 供養 を 行 はれた。 その 夜に こ 

の佛 像が 大 光明 を 放って 家の 內 外まで 照した と 傅へ てゐ る。 これが 朝廷で 行 はれる やうに なつ 


一 53  — 


た 0 は、 仁 明 天皇の 承 和 七 年で、 公事 根源で は、 その 日の 様 を 次の やうに 記して ゐる。 

け しき 

御殿の 母屋の 御簾 を 垂れて 日の 御座 を撤 して、 その 跡に 山形 をた てた る怫の 產れ給 ふ氣色 

を 作りて、 糸に て 瀧 を 落し、 いろ/、 の 造り 物 あり。 北の方に 机 を 立て、 鉢 五つに 五色の 

水 を 入れら る。 公卿 參り 集りて 殿上に 侍 ふ。 女房の 布施 どもい ろくに 結 ひたち 華に つけ 

ころもば こ 

て 風流な ど ある を、 衣 箱の ふたに 入れて 毫, 盤 所より 出さ るれば、 藏人 とりて 殿上の 臺 盤の 

上に 置く。 上達部 我が 布施の 舟 づゝみ を 持ちて 御殿の 上なる 白木の 机に 置きて、 次に 座に 

つく。 御料の 御 布施 は弒を 置かる。 不參の 人の 布施、 藏人 置く。 御 導師の 傦參り 上りて 佛 

前の 作法 を 終りて 鉢の 水 を 一 つに 汲み 合せて、 先づ御 導師 潢佛 す。 公卿 次第に 進めて 笏を 

さし 膝行して、 ひさ ご をと りて 水 を 汲みて 灌佛 して 後禮佛 す。 導師 布施 賜りて 退く。 この 

佛生會 は 推 古 IK 皇 より 始まる。 釋迦 如來の 俱毘^ 城に て 生れ 給 ひける 時、 天 龍 下りて 水灌 

ぎて 釋 尊に あぶせ 奉りし 事 を 申すな り。 

レ た r ^もち 

昔、 この 日に は 戴 餅と いふ もの を 作って 祝った とい ふが、 これ は 蓮の 形 をした 圑 子の やう 

な ものである。 


― 54  — 


—  55  — 


天長節 

天長節 は 誰も 知らぬ 人 はない が、 今上陛下の 御 誕辰の 祝日で ある。 此の 日に は^ 屮 では、 賢 

所、 皇鑌 殿で 御祭 典が あって、 観兵式に 行幸せられ、 次で 皇族 以下 百せ の 御 參贺、 豊明 殴の 御 

荽が行 はれる ので ある。 天 長と いふ 語 は、 老子と いふ 木に、 

天長地久、 天 地所 H 以能 長且久 1 者、 以其不 自生、 故 能 長生 

と ある Si から 出た ので IK 地の 長久で ある やうに 天^も また 長久な らん 事 を 祈り 奉る 心で ある。 

その 始めは 支那で 唐の 太宗が 祝って から 代々 行 はれ、 玄宗の 開 f 儿 十七 年に は、 

秋 八月 、以, | 帝 生 月 T 爲, 一 千秋 節-  V」、 

とあって、 千秋 節と 稱 したの を、 「天 寳七戟 八月、 詔 改爲, 一天 長 節 こと ある やうに、 改めた。 

これ は、 我が iS 武 天皇の 御代に 當 つて ゐ るが、 繽 日本 記に よると 光仁 天皇の 御代に、 六 

年 九月、 勅して 十月 十三 日 は、 是 勝が 生 日な り。 此の 辰の 至る 毎に 感^ 兼ね 集る。 

宜しく 諸 寺 僭 尼 をし て 每年是 の 日 に 轉經行 道せ しむべ し。 海 內諸國 も 並びて 宜しく^ を斷 


つべ し。 內外 百官に 酺宴 一 日 を 賜 ふ。 仍て 此の 曰 を 名 づけて 天長節と 爲す。 

と あるから、 この 時から 始 つたので ある。 この 年 は 支那の 天寳七 年から 二十 七 年 目に 當 つて ゐ 

る。 それから 代 々宮中で も 盛大な 祝宴 を 行 はせられ、 庶民の 幸福 を はかられ たので あるが、 皇 

窒の御 衰微と 共に 簡略に なった の を、 明治 ー兀年 八月 一 一十 六日 布吿を 下されて、 

九月 二十 二日 は 聖上の 御 誕辰 相當 にっき、 毎年 此の 辰 を 以て 群臣に 翻 宴 を 賜 ひ、 天長節 御 

執行 相 成り、 天下の 刑戮 を 差 停められ 候。 偏に 衆庶と 御慶 福 を 共に 遊ばせら る-思 召に 候 

間、 庶民 一 同に 於ても 御 嘉節 を 祝し 奉り 候 様、 仰せ 出され 候 

とあって、 玆に 天長節 を 再興せられ たのであった。 九月 二十 二日 は舊曆 で、 之 を 太陽 曆に 換算 

して 十一月 三日と せられた の は 明治 六 年からで あった。 尙、 この 伎き 口に 陸海 軍が 祝砲 を發し 

たの は、 明治 三年で あり、 觀兵式 を 行 はせられ たの は 明治 五 年で ある。 

八十 八 夜 

立舂 から 八十 八日 目で あるから、 新曆 では 大抵 毎年 五月の 二三 日頃になる。 霜 もこの 夜で 終 


一 5u  ― 


― 5  / 一 


ると いふので 「忘れ 霜」 と 呼ばれて ゐる。 しかし、 この 夜^りで 降らない とはい はれない 和 

漢運氣 指南に、 

此の節 は穀 雨の 中に て 土用な り。 春の 木氣 終りて 地氣旺 し。 夏の 火 氣に變 化する 界 にして 

陰陽 相擊 ちて 地氣 上に 迫り、 濕 陰極り て 霜 を 生す る 事 あり。 年の 氣運 によるべし。 叉、 八 

十八 はかの 字の 形 なれば、 此の 時、 苗代 を營 み、 秋 米の 基 を 致し、 且は穀 雨の 節なる 故、 

農家 殊に 此の 日、 秋 を 祝す る 事 あるか 

と ある。 

霜の 降る うち は 春と いっても、 ほんと にょい 氣候 とはい はれない。 霜が なくなれば いよく 

草木の 延びる 時季で、 農家に とって は 大事な 夜で ある わけで ある。 

葵 祭 

五月 十七 日、 京都の 賀茂 神社の 祭禮は 葵祭と もい ひ、 又 石 淸水八 •§ が 南 祭と いふのに 對 して 

北 祭と も稱 せられて ゐる。 この 祭禮 は^ 史も 古く、 祭事 も いかにも 京都ら しい 風雅な 趣 を 持つ 


てゐ るので、 昔から 詩文につ^- ら れてゐ る。 

明治 十七 年 以來、 五月 十七 日と 一定され たが、 それ 以前 は、 

なかのと a- 

卯月 中 酉、 元 明 天皇 和 銅 七 年に 山城の 國司撫 祭して、 年 ごとの 祭た るべき 出、 鳳 詔 を 下さ 

る。 (加 茂 祭 繪祠〕  ノ, お 

と ある やうに、 舊曆の 四月 中旬の 酉の 日に 行 はれた ので ある。 

これ を 何故に 葵祭と いふかと いふと、 勅使 以下の 祭に 關係 する 者が 葵の 蔓を 懸け、 その他の 

道具 や 装飾に も 葵 を 用 ひたからで、 この 事 は 公事 根源と いふ 本に、 

加 茂の 葵 葛 は、 昔 神の 夢に 吿げ給 ひし 謂れ 深し といへ り。 加 茂 松 尾の 社 司より 方々 に 祭の 

日 進む るに、 二葉の 葵 を 長く 連ねて 柱の 枝に つく。 御簾 諸道 具な どに も かけらる- - 事と ぞ。 

尋常の 葵に 異にして、 之 を 結ぶ にも ロ傳 ある ことなり。 

と あり。 尋常の 葵に 異 ると いふの は、 

昔より 君と 神と に 引合 ひて、 今日の 葵 は 二葉な りけ り。 

と 記されて ゐる。 叉 一 書に、 


—  53  — 


ちろ は ぐ さ 

加 茂の 祭に かくる は 諸 葉 草と も 言 ひて その 形^^の 如し。 この こと 秘事と す。 昔、 瓊瓊杵 

^ も たけつ ぬみ 

尊、 此の 日本の 從 はざる 神 を 平げ 給 ふ 時に、 加 茂 建 角 身命の 神 功多し。 故に 褒め 給 ひて、 

今より 以降、 臣 神の 列に あらす。 縱 へば 諸 葉 草の 左右の 如く 覺 さんとの 御甞 によりて 君臣 

合體の 切に、 此の 草 を 賞す といへ り。 

かもた けつぬ みのみ こと 

と ある やうに、 こ の 社の 祭神た る 加 茂 建 角 身命 の 功 勞を賞 せられた こ と に 起 囚 す る。 

いつ 頃から 始まった かとい ふと、 欽明 天皇の 二十 八 年に 風雨の禍 のために 人民が 苦しんだ が 

之 は 加 茂 神の 祟で あると いふので 祭祀 を 行った が、 前に も 記した やうに 元 明 天皇の 御代に は 山 

城の 國 司が、 王 催し、 足利時代に は 一時 中 絡され たの を、 明治 十七 年に 再興され たので ある。 

田 植 

田梳は 虚ゃ氣 候で 相違 は あるが、 大體は 梅雨の 前後で ある。 五月雨で 田に 水が 滿 つる 頃で あ 

る。 本朝 食鑑 に、 

蒔レ籾 、至-三 S 十 曰 T 旣生レ 苗 七 八寸、 或 尺餘。 采 ^ 、移,! 種 干 田 1 此 稱, 1 早苗 T 叉 謂い 采 -In 十^ 


—  59  — 


—60 


而 歌人 賞い 之。 

とあって、 農業 國の 日本に あって は、 古來 風雅な ものと して 秋の 牧穫 と共に 歌 や 俳句に 詠ぜら 

れてゐ る。 尙、 同書に 次の やうに ある。 

本邦 種 レ苗 者、 大略 農婦 及 娘 子 "此稱 -I 早 こ 女? 而 男子 之 種 者少。 無 -1婦 娘-者 男 亦種レ 之。 或 

請, 一 他 之 早 こ 女 一 而 種, 之 亦 有。 惟男 常 勞,, 田 事 T 無 レ遑ぃ 種レ之 乎。 

古來、 女の 仕事と されて ゐた。 そして 不淨者 は 忌み、 老練な 者が 指導して 植 ゑない と、 よく 

熟さない とい はれて ゐる。 この 時に 歌 ふの が田植 歌で ある。 菅笠 を かぶった 乙女の 口から 漏れ 

る 自然の 歌 は、 た f 民謠 だけに 止ら す、 人々 の 心に 印象づけられ、 やがて! I 呂中 にも 取り入れら 

れ、 田 舞 ともなった。 この 田 植歌は 各地に よってい ろくに 異 つて ゐる。 

田植の 時に 行 はれる の は田植 祭で ある。 和歌 童蒙抄 に、 

A さ 

田舍に 田作る 折に 國の神 を 祭る とて、 幣を 五十 はさみて、 田の 畔に 立て 祭る。 

と |E いて ある。 

伊勢神宮 では 六月 二十四日に 行 はれる が、 六月 十四日の 大阪 の住吉 神社の 祭 も 有名で ある。 


梅 雨 

梅雨 は徵 雨と も 書く。 これ は 梅の 實の 熟する 頃の 雨で あるから 梅雨と 書いて ゐ るので ある。 

六月 中旬から 七月 初旬まで、 約 一 ヶ月の 間 晴れた空 も 見えす 糸の やうな 雨が 降ったり 止んだり 

で 陰欝な 時季で ある。 

この 現象 は、 支那 中部から 來る 使氣壓 がと r こ ほる ためと 氣象擧 上で はい はれて ゐ るが、 昔 

の 本に は、  • 

梅雨 は 霧な り。 正月より 四月まで 陽氣 のぼる。 五月に 一 陰 生す る 故に 舂 よりの ぼり し 陽 g 

くだる 時、 長雨 ふる。 たと へば、 こしき (せいろう) の 下に 火 をた きて 氣 のぼる 時 は、 釜 

の 上の 水氣、 下へ おちす。 火 をた かざれば、 のぼる 氣 なくして、 こしきの 上より 水氣 くだ 

りて 露と なる が 如く なれば、 五月雨 をつ ゆと いへ るなる べし。 

、と ある。 新しい 蔡說の 上から どうで あらう か。 

ぼうし ゆ 

入梅 は 芒 種 (二十 八 宿の 一 つ) の 前の 壬の 日、 出 梅 は 小 暑の 後の 癸の 日と 本草 綱 B にある。 


—  61  — 


又、 この 梅雨の 雨水 を 大瓶に 入れて 貯へ、 茶 を 煎じる と美 味で あり、 衣 物 を 洗 ふと 灰汁の 如 

し 等と 日本 歳 事 記に 見える が、 今から 考 へれば 却って 害 をな すで あらう。 

和漢 三 才圖繪 に 面白い 話が ある。 

京都の 烏 丸 中立 寶 下る 町と 大德 寺の 門前の 人家の 後の 庭に 梅雨の 穴と い, ふ ものが ある。 毎 

年、 この 時期に なると 水 を ふき 出し、 明ける 頃に は 涸れて しま ふとい ふ。 

お ほ  ほら ひ 

大 祓 

六月と 十一 一月の 晦日に 行 はれる。 六月の は 水無月 祓 とか 名越祓 とか 呼ばれて ゐる。 

元来 我が 國民は 淸淨を 尊び 罪穢を 忌む ので あるが、 しかも 病疫 とか 汚濁と かの 形の 上の もの 

ばかりで はたくて、 心の 穢れも 忌んだ ので ある。 汚れた 時 は 少しで も 早く 淸 くしょうと いふ 美 

しい 風習が ある。 この あら はれが 祓 である。 

よみのくに 

それ故に その 起源 は 遠く、 伊 S 諾 尊が、 亡くなられた 伊 S 冉 尊の 後を 追って 黄泉 國に 行かれ、 

を ど あは チ おはら 

穢 はしき もの を御覽 になって 引き返されて、 筑 紫の 日向の 橘の 小 門の 檍 原で 祓ひ をせられ た 


—  62  — 


のが 始めで ある。 そして、 神武 天 皇が裰 原に 御 即位 せられる 時に 天 種子 命に 祓を する やうに 命 

ぜら れた處 から、 この 命の 子孫た る 中 ほ 氏が 祓の詞 を 述べる やうに なった。 

かく 祓は 時期 を 定めす 必耍 なる 毎に 行 はせられ たので、 一般人^も 之に ならった が、 之を定 

期 的に 年 一 一回と 定められ たの は天武 天皇の 三年 六月 晦日に 行 はれた のが 起り であると いふ。 こ 

の 時 は 百官 一同、 朱 雀 門に 集って 行 はれた。 かくて 年 二度の 祓 によって 罪科 を淸 める ので ある 

が、 勿論 この 外に も 適宜 行 はれた。 

ひとが た 

民間で は 今 は、 各 氏神から 羝で 作った 人形が 配られる。 これに 各自の 氏名、 年齢 を 誓いて 神 

社に 持って行 くと、 まとめて 祓をゃ つて くれる とい ふやう に 簡單に 行 はれて ゐる。 

お ほぬ さ 

この 祓の 時に 麻苧を 榊に つけた もの を 用 ひるが、 之 を 大麻と いって ゐる。 

この 他、 神社 參拜の 時な どに も 行 はれる が、 御手洗 場で 手 を 洗 ひ ロを漱 ぐの も祓の 意味で あ 

る。 

蟲 おく リ 


—  63  — 


七月 末から 八月 頃に 農家で 行 はれる 行事で ある。 神社で 稻虫拂 ひの 祓 をして、 夜になる と 一 

同 は 松明 をと もし、 先頭に は 藁人形 を 馬に 乘せ、 弒の旗 を 持ち、 「虫 追 ひ」 と 叫んで 螺貝を ふ 

き 鉦 や 太鼓 をなら して、 田の 畦 を 巡った。 

.S なご 

農作物の 虫 はいろ く あるが、 最も 多 いのは 蝗 である。 

お ほと こめし 

これにつ いて 古語 拾 遣に 傳說が ある。 大地 主神が 田 を 耕して ゐる 百姓に 牛肉 を 食べさせ たの 

で、 御 歳 神が 立腹し、 田に 蝗を 放った ので 忽ちに 稻の葉 を 食べられて、 篠 竹の やうに 枯れた と 

ある。 

蝗は稻 子で ある。 

八 朔 

八月 一 日の 祝 ひで あるが、 今 は 名 だけの やうで ある。 これ は 「たのむ の 祝」 とも 稱 して 人に 

贈物 をす るので ある。 八月に 限らす 毎月 一 日 は、 新月の 無事 幸福 を 願 ふ 心から 祝 ふので あるが 

舊の 八月 は稻も 熟する ので 「田の 實」 にかけ て 特に 祝ったら しい。 元來 は、 主人に 頓みを かけ 


—し 4  — 


ると いふ 意味から、 早 稻の米 を 土器に 入れて 贈った のが 始 りで、 農家で は 大事な 祝 事と した。 

古+ 耍覽 に、 

八朔の ま, 儀 は 武家より 事 起り て 公家に 及びし ものな り。 その 始め を たづぬ るに、 年 紀さだ 

かなら すと 雖も、 建久の 末に 錄倉 より 出で 來 りたり しょし 言 ひ傳 へたり、 公家に て は後鹺 

哦院の 御宇より 行 はれし。 

と あるから、 民間で 行 はれた 行事が 宮中に も 及んだ ので ある。 しかし、 江戸 幕府で は 正月と M: 

じ やうに、 諸 大名 は 白の 帷子 長 袴、 閏の 日は染 帷子で 登城して, S 俵 を 述べた。 

草 市 


七月 十二 日の 晚 から 翌朝までお 盆に 必要な 品物 を寶る 市の ことで、 盆 市と も 言って ゐる。 品 

が ^靈 祭の 品 だけに 稍 i 沈んだ 氣分 もす るが、 初夏の 景物に はふ さはし い。 どんな もの を赍 

るかと い ふと、 

♦=4- が ぎ e うづ さ みそ は 5 

麻殼 蓮の 葉 眞菰 猿 坂 鬼 灯 鼠 尾 草 蓮華 饺能 角燈^  土器 供養 隧 茄子 風 


一 (35 一 


,であるが、 昔 は 

太鼓 手拭 金 銀箔の 紋所 作 髭 奇特 頭巾 

等 の 盆 踊 に 必要な ものまで 寶 つたと いふ。 

. 盂蘭盆 

しゃ .r りゃう ま つ り 

七月 十三 日から 十五 日まで 三日 問 行 はれる。 「精 靈 祭」 ともい ふ。 

しゃか  もくれん 

釋迦の 弟子 目 蓮 は 修行して 悟り を 得た 時に 僧の 安息の 日に、 その 父母の 恩に 報じよう として 

未 來の樣 を 伺 ひ 見る と、 亡母が 餓鬼の 苦しみに 會 つて ゐる。 そこで 何とかして 救 はう として^ 

に 飯 を 盛って 供へ ると、 飯が まだ 口に 入らない のに 火炎と 化して 食べる ことが 出來 ない。 彼 は 

非常に 悲しみ 淚を 流して、 どう すれば よい かと 佛に敎 を 乞 ふと、 「お前の 母 は 生前の 世に 於て 

非常に 罪 をつ くった ので、 お前 一人の 力で は 救 ふこと は出來 ない。 それ故に 十 方の 多くの 僧の 

力に 依って 脫れる やうに する 外 はない」 と。 そこで、 目 蓮 は 七月 十五 日 法會を 營んで 供養した 

ところが、 母 は その 功德 によって 脫れて 極樂に 行った とい ふ。 


— 6G  — 


これは^ 蘭盆經 にある 話で あるが、 起源 はこ、 にある ので ある。 即ち 此の 日に 父母の^ 命 を 

祈り 七 世 前までの 祖父母の 冥福 を 祈り、 叉 一般 死者の ため 百味の 飮食、 五藥を 供へ、 ^明 をと 

もして 供養す るので ある。 元 來; 孟蘭 盆と いふ 意味 は 「救 二 倒懸 こ とい ふ 事で、 冥土に ある 亡 

翳が 地嶽で 倒さまに 懸けつ るされ た 苦しみ を 救 ふとい ふこと である。 

それで 十二 日の 草市で 買った 飾 物で、 精靈棚 をつ くり、 眞 菰の莛 をし き、 正面の 左右に は 小 

かや 

さい 笹竹を 建て >- 柱と し、 これに 橫 へた 竹 ゃ繩に は素麵 粟の 穗、 干 柿、 榧の K、 稗の 穗、 茄 

子、 瓢簞、 鬼 灯 等 を 飾り、 正面の 下に はませ 垣 を 作り, 亡魂が 乘 つて 來 たり、 又乘 つて 歸 ると 

いはれ る 茄子 や 風 や 厲菰で 作った や、 馬 を 並べる。 さう して 十三 口に は 門口に、 迎火 といって 

麻殼を 焚いて 精靈 を迎 へる。 次で、 岐阜 提灯 や 白弒で 作った 切 子燈^ に 火 をつ け、 十 w、 五 口 

に は 僧を迎 へて 繽經 する ので ある。 「まざく とゐ ますが 如し 魂 祭」 とい ふ 句 はよ くその 曰の 

様 を描寫 して ゐる。 十五 日に は 精 靈が歸 る 日で あるから 門前で は、 ^り 火と いって 麻 殼を焚 

き、 飾 物 等 は 川に 流す ので あるが、 處 によると 夕方に 「ぉ迎 へ, (-」 といって 飾 物 を IM ひに 

來る ものに 渡して 一緒に 流しても らふ。 


この 事 は 支那で は 梁の 武 帝の 大同 四 年に 始めて 行 はれた が、 我が!: では 齊明 天皇の 三年 十五 

しゅみせん  あすか 

日に 印度に ある 須彌 山の 形 を 飛鳥 寺の 西に 作って 盂蘭盆 會を 行った と 日本書紀に あるが、 聖武 

天皇の 天平 五 年に 供養が 行 はれてから、 一般お 間に も 行 はれる やうに なった とい ふ。 それから 

毎年 行 はれた 儀式で この 日、 陛下に は淸凉 殿の 晝の 御座の 中央に 位置 せられて 三度 合掌、 拜禮 

せられる。 

この頃に 暇な 夜 を 夕凉 みが てら 行 はれの が、 盆踊りで ある。 叉、 この 十五 日 は 「中元」 とい 

つて ゐ るが、 これ は 支那で 「三 元」 とい ふ ことがある。 卽 ち. 一 月 十五 日 を, 「上 一: 儿」、 七月 十 

五日 を 「中元」、 十月 十五 日 を 「下 元」 といって、 中元 は 人の 罪 を はらす 日と いふの が 佛敎の 

お盆と 混同され てし まった。 

尙精靈 祭 は 十一 一 日に も 行 はれた ことが 見え、 

巾 世に は 七月と 十二月の み 祭りし を、 それ を 兼 好 (室町 時代の 人で、 徒然 草の 著者) の 頃 

に は、 はや 盂蘭盆に のみ 此の 事 をな して 、十一 一月 は 京都の なら ひに は 祭ら ざり ける が、 田舍 

に はま だ 殘 れる由 見えし も、 今 江戶を 初め 見 わたる わたりに は、 その 事 ありと も 知らす、 


—  63  — 


定めて 遠國 にて は 今 もこの 事 あるべ けれど、 未だ 定かなる 事 は 聞き出で 侍ら や 

とあって、 いつしか 行 はれ なくなった。 

この頃に 行 はれる 盆 踊、 月光の 下に 夜凉を 追うて 廣 場に 木蔭に 響く 太鼓の 音 は 人の 心 を そ^- 

らす に は 措かない。  頰 冠り 姿で 踊る 様 は田舍 にと つて は、 最大の 娛樂 とも 言へ よう。 悪風 を 除 

き 正しい 民衆 娛樂 として 更生す るなら、 平常 無味乾燥な 農村に 與 へる 慰安 は 他に はないで あら 

ラ 0 

中 元 

舊 麿の 七月 十五 日で あるが、 多く は新曆 七月 十五 日と なった。 しかし 盆と 同じ やうに S3 曆七 

月 十五 日に 行 はれて ゐる 地方 も ある。 

これ は! 二 元の 一 つで、 三 元と は 

上 元 —— 一月 十五 日 

中元 I 七月 十五 日 


—  GO- 


下ー兀 11 十月 十五 日 

で、 支那で は 人の 罪 を拂ふ 日と されて ゐ たが、 我が 國 では 孟蘭 盆と 一 緒に される やうに なった。 

今 は褎れ てし まった が、 昔 は 「生靈 祭」 と 言 ひこの 日に は 蓮 飯と いって 糯 米の 赤飯 をたい て 蓮 

葉に 包んだ もの を 作り、 鯖 を 煮て 兩 親に 献じ、 親戚の 間に も 贈り 合った。 

今 は 商店で 大寶 出し を やり、 知人の 間に 進物の 贈答 を 交す にと ビ まる。 

土 用 

土用と い へば 今では 夏の 事とば かり 思 はれる が 之 は 四季 各々 にある ので,、 多少 その 年に よつ 

て 前後 はする が、 

春 四月 十七 日頃から 立夏まで 

夏 七月 1 1 十日 頃から 立秋まで 

秋 十月 二十日 頃から 立冬まで 

冬 一 月 1 1 十日 頃から 立春まで 


一 70  — 


である。 これ は 何れも 新曆 によった もので 陰曆 になる と 一月 位お くれて 數 へる わけで ある。 何 

れも 十八 日間で ある。 

夏の 土用 は、 いよく 土 ffl になる 日 を 「土用の 入り」 とい ひ、 三日 目 を 「土用 1-1: 郞」 とい ふ。 

この 十八 日間 は 「暑中」 で、 n 二 伏」 ともい つて ゐる。 三 伏 は 三分して, 「初 伏」 「屮 伏」 「末 

伏」 とし、 土用 三 郞は寒 四郞、 八專 ニ郎、 入梅 太郞 と共に TO: 大厄 日と されて ゐる。 即ち、 此の 

四日が 平穩 だと その 年は豐 作 だとい はれる。 

土 m の 丑の 曰に は 昔から 鰻 や 鰌 を 食べる ことと 定 つて ゐ るが、 それ はどうい ふ 起源 か 明瞭で 

な いが、 次の やうな 傳說も ある。 

束 京の 「神 田 川」 とい ふの は 有名な 鰻屋で あるが、 江戸時代に 家運が 袞 へた 時に、 狂 欹師と 

して 有名な 太田蜀 山人が、 「明日 土 W 丑の 曰」 とい ふ 看板 を 出させる と、 これが 人々 の 注^ を 

ひいて 繁昌した とい ふ。 叉、 鰌屋の 「春 木」 とい ふの が、 土用の 丑の 日に 鰻を壶 に 入れて 地中 

に 埋めた が 幾日た つても 腐らなかった ので、 これが 傳っ て鳗を 食 ふやう になった ともい ふ。 

何れもた ビ傳說 ばかりの ことで ある。 


一 71 — 


一 72 — 


土用に 食べる の は 鰻ば かりで なく、  土用 卯、 土用 蜆と 言って 暑氣 にあたって 健 廢を害 はぬ 食 

ベ 物と いはれ てゐ る。 

一一 t 六 夜 待 

舊 磨で 七月 二十 六日 夜の 月 を 見る 行事で あるが、 今 はた^ 名ば かりとな つた。 この 夕、 海の 

昆 える 高臺ゃ 海邊で 月の出 を 賞す るので あるが、 江戸で は 祌田明 神の 境內、 九 段 坂 上、 品 川の 

濱、 深 川の 洲崎 等で、 酒宴の 中に 月 を 待って 詩歌 を 詠 じたので ある。 

この 夜の 月の出 は、 水蒸氣 のために 三 段に 分れて 見える ので、 怫敎の 阿 彌陀、 勢 至、 觀 音の 

三 尊の 形で あると いはれ てゐ るが、 闇の 曙と いふ 本に よると、 「これ 跡 方 もな き 虚妄な り」 と 

いひ、 尙 この 作者 は、 江戸で は 七月 廿 六日 だけ だが、 遠 州で は 正月と 七月の 二度と して ゐ るし 

河內 では 十 一 月 二十 六日、 京都で は 全く 言 はない。 月 は 同じで あるのに、 處 によって 別の 日に 

見える 理由 もない といって、 極力 否定して ゐる。 

叉、 燕居雜 話に は 「了譽 上人 は 二十 七日に 死んだ ので、 そのお 逮夜で ある。 丄人を 世人 は 一 


m_  7 ゥ _^ 


つに 上睏 人と いふ。 それ は、 額に 睏の 形が あるから である」 等と も ある。 上人の 墓は柬 京の 小 

石 川の 傳 通院に あって、 額に 弦月の 形が あつたので、 一 つに 三日月 上人と 呼んで ゐた。 應永七 

年に 八十 歳で 亡くなり、 毎月 廿 六日の 夜 は了譽 待と も稱 して 法會が あるので、 或は これと それ 

とが 混同した のか も 知れない が、 夜 を 通して 海邊で 歌 を 詠 じて 凉 風の 中に 月 を 待った の は 風雅 

な 遊びで ある。 

これ は 十五夜と 同じく • 月 を赏 する 行事で あるから、 新曆 でも 舊曆に 相 常す る 夜でなくて は 

意味の ない 事で ある。 

二百十日 

立春から 數 へて 二百十日 目 は 最大の 厄日と して、 殊に 農家で は氣遣 ふので ある。 この n と 次 

で來る 一 Ifsl 1 十日 さへ 無事で あれば 豊年 だとして、 早く も 豊年 祭の 準備に とり か-る 所 も ある 

とい ふ。 

この 二百十日が 麿の 上に 記された の は餘り 古い 事ではなくて、 德川 時代に 貞享^ を 作った 安 


井 春 海が 漁師から 體驗 上の 話 を 聞き、 初めて 知って 記した とい はれて ゐる。 勿論、 二百十日 は 

決定的の 日で はなく、 大體 その 前後と いふ 意であって、 

日 限定ら すと 雖も、 多く は處 暑の 節より 八月 白露の 節に 至りて 暴風 あり。 强弱は 同じから 

すと いへ ども, 必す 此の 時分、 風 常に 變 りたる 氣色 あり。 七 八月 は 申 酉に て金氣 (秋の 氣 

のこと) 至大なる 時な り。 處 暑の 殘火、 白露の 凉 金を尅 して、 金 氣怒擊 によりて 强風發 生 

と、 和漢 運氣 指南に ある。 

はう  しゃう  S 

放 生 會 

九月 十五 日に 京 部の 石淸水 八幡宮で 行 はれる のが 最も 有名で ある。 しかし、 放生會 とい ふ 名 

は 明治 元年に 廢 されて、 中秋 祭と いふ 名で 今 も 行 はれて ゐる。 

之 は 佛敎の 殺生 戒 から 起った 事で、 生の ある 普き 鳥獸 魚類 を 放ち やる 法會 である。 

起源に ついては、 元 正 天皇の 養老 四 年 九月に 大隅、 日向の 兩國に 叛^が 起った。 朝廷で は 宇 


一 74  — 


—  75  — 


佐 八格宫 に 平定 を 祈られた。 すると、 此の 神社の! | 宜辛島 勝 波 豆 米が 軍 を 率ゐて 討伐した。 こ 

の 戰に澤 山の 死者 を 出した ので、 神託に 依って 諸 國に放 生 會を行 はしめ たのが 最初で ある。 

次で、 後三條 天皇の 時に 石淸水 八幡で 行 はれ、 後醍醐 天皇の 代に は 世の 亂れ と共に 神事 も 疎 

略に なった が、 延寳七 年から 再興し、 毎年 八月 十五 日に 行 ひ、 次で 葬式 や 死者の 命日、 佛 事の 

日 等に も 行 ふやう になった。 

これにつ いて、 今昔 物語に 面白い 話が 記されて ゐる。 

天 曆 年間に 粟田 山の 東、 山 科の 北の方に 藤 尾 寺が あった。 この 寺の 境內 にあった 堂に 一人 

の 尼が 住んで ゐた。 尼 は 年老いて ゐ たが、 蓄財 もあって、 樂な 生活 をして ゐた。 若い 時 か 

ら石淸 水 八幡 を 信じ、 常に 參拜 して ゐた。 或る時、 自分の 堂の 近くに 八幡 社 を 建 て > -、 ^ 

日參拜 しょうと 思 ひ 立って、 直ぐに 宮殿 を 造り 宮を 建て 崇め 尊んで ゐた。 所が、 八幡の 

本宮 では 八月 十五 日に 放生會 とい ふこと をす るから、 自分 も 法會を しょうと、 毎年 本宮通 

りに 傦を 招き 樂を 奏して 行った。 財產も ある 事で、 費用 を かけて やった ので、 途に は本宮 

の 方より 盛大と なった ので、 本官の 人達 は 自分の 方が 衰へ たこと を 歎いて、 使 を やって、 


「八月 十五 日の 放生會 は、 神託に よって 昔から 行 はれて ゐ るので、 人が 考へ 出した ので は 

ない。 然るに 此方に 盛んに 行 はれる やうに なり、 自分の 方は衰 へた。 そこで、 此方の は 十 

五日 以外に して ほしい」 と 申出た。 尼 は、 「放 生會は 八月 十五 日に 定 つて ゐ るから 變 へる 

事 は 出来ぬ」 と 答へ た。 之 を 聞いて 本官の 神官 は 大いに 怒って、 直ぐに 行って 宮殿 を壞し 

御 神 體を取 返して 本宫に 安置し ようとい ふ 事に なり、 若干の 神官が 出かけて 尼の 御 神體を 

取 返して 護國 寺に 鎭め 申した。 かくて、 尼の 放 生會は 絡え てし まった。 尼 は 朝廷に 申出て 

許可 を 得た のではなかった ので、 訴 へる こと も出來 すに、 人 笑 ひとな つた。 他の 日に 行へ 

ば 今でも 盛大に 行 はれた であらう に 强く担 絡した ので 却って 自ら を 亡ぼした。 

秋季 皇靈 祭 

九月 秋分の日に 行 はれる 宮中の 儀式で あるが、 民間で も 「お 彼岸」 と稱 して 墓詣 りに 出かけ 

皇靈 殿に は、 代 A の 皇靈、 皇后 や 皇妃 及び 皇子の 靈を 神殿で は 天神地祇の 御 親祭で、 舂季皇 


— 7C  — 


—  77  — 


» 祭と 同じ やうに 行 はれる 

十五 在 

芭蕉 は 「名月 や 池 を めぐりて 夜もすがら」 と 詠 じ、 貝 原 益 軒 も 

秋の もなかに なり ぬれば、 一 年 を經て 待ち 得た る 月 あきらけ き は 凡そ 天 地の 問に ならびな 

きついで ひとつの 見 も の なれば、 よろ づ の 麗しき 景色 は 皆 其 の 下なる ベ し、 

と 賞し、 叉 

月 々 に 月見る 月 は 多 かれ ど 

月見る 月 は 此の 月の 月 

とも 歌 はれて ゐ るの は 十五夜で ある。 これ は陰曆 八月 十五 日の 宵で あるので、 「仲秋の 月」 と 

いひ • 「三 五の 月」 「望の 月」 「芋 名月」 とも 言 はれて ゐる。 十五の 園 子 や 芋、 枝豆、 栗、 芒 等 

を 飾って 一 夜 を 明月と 共に 明かす の は 誠に 風雅な ことで ある。 

この 事 は 支那の 季^の 頃から 盛んであって 我が 國 では 宮中に 乃 見の 宴の あつたの は 醍醐 天皇 


の 御代 寬平九 年で、 後水尾 天皇の 御代に、 「八月 十五 日、 名月 御 杯、 帝の 御所に て參 る。 まづ 

芋、 次に 茄子 を 供す。 茄子 を とらせ まし/ \ とて 萩の 箸に て 穴 を 明け、 …… 御杯參 りて 後、 御 

前の を 撒す。 淸凉 殿の 庇に 構へ たる 御座に て 月 を 御覽 あり、 かの 茄子の 穴より 御覽 じて」 と あ 

る。 

此の 夜、 月 を 祭る に は 十五 歳の 女 を 主人と し、 その 夜が 明月で あると 幸福で あると 稱し、 或 

は 女子 は 此の 夜の 月明りで 針の孔に 糸 を 通す 事が 出來 ると、 裁縫が 上達す る 等と も傳 へられて 

ゐる。 

怫敎 では 月 宮殿に は 三十 人の 天女が ゐて、 十五 人 づ\ 白衣と 靑衣を 着て ゐる。 十五 曰に は 白 

衣の 天女 十五 人が 殿中に ゐて 仕へ るので 滿月 となる。 十六 日から は 一 人 づ-- 減って 靑 衣の 天女 

がそれ だけ 代り、 三十日に なると 靑衣 十五 人になる ので 月が 見えなくなる。 一 日に は靑衣 十四 

人、 白衣 一 人で それに つれて 月 も 少し づ& 出て 來 るので あると 傳 へられて ゐる。 

古來、 我が 國で觀 月の 名勝 地と 稱 せられて ゐ るの は、 明 石, 須磨、 吉野、 初瀨、 嵐 山、 石山 

寺、 松 島、 姨捨山 等で 初瀨 では 檜が 多かった ので、 その 樹 間から 輝く 月 を 「檜 林の 月」 と稱 し、 


一 78 — 


眼下に 琵 g 湖 を 見下す 石山 寺 もよ か つたで あらう。 特に 此處で は 紫 式部が 源氏物語 を 書 い たと 

言 はれて ゐ るので、 今に 殘る 源氏の 間に 昔 をし のぶ 者が 多い。 姨捨山 は 昔 は 信 州と いふ 都から 

離れた 也で はあった が、 この 山上に 立つ 時、 幾 段に もな つて ゐる 山腹の 田に 滿 つる 水面に うつ 

る 月影 は 田 毎の 月と いはれ て絕景 である。 

異鄉 にあった 安部 仲 麻 呂が春 日の 山の 月 を 思 ひ 浮べて 故鄉を 慕うた の も 有名な 話で ある。 

守貞漫 稿に 興味 ある こ とが 書いて ある。 

江 戶と京 阪大. ^異同 あり。 江戸に て は 机上 中央に 三 寳に圑 子數々 を 盛り、 又 花瓶に 必す芒 

を 挾みて 之 を 供す。 京阪に て は 芒 及び 諸 花 共 を 供せ す。 手 習 師家に 此の 机 を携へ 行き、 此 

の 引き出しに、 筆、 硯、 紙、 手本 等 を 納め、 京阪の 如く 別に 手文庫 を携 へす。 京阪 にても 

机上 三 寳に圑 子 を 盛り 供す る こと 江戸に 似たり と雖 も、 その 圑 子の 形、 小 芋の 形に とがら 

すなり。 然も 豆 粉に 砂糖 を 加へ、 之 を 衣と し、 又醬油 煮の 小 芋と 共に 三寳に 盛る こと 各々 

十二 箇、 閏月 ある 年で は 十三 筒 を 盛る。 

この 十五夜の 月が 萬 一 曇って はとい ふので、 その 前夜の 月 を 賞す る ことがある。 それ を 「(竹 


—  79  — 


待の 月」 といって ゐる。 

十三夜 

み か はみ づ 

醍醐 天皇の 延喜 十九 年 九月 十三 日、 淸凉 殿の 南の 隅に 御 溝水が 流れて ゐ るが、 その 水の 音 を 

聞かせられながら 月 卿 雲 客 を 集めて 宴 を 催させられた。 

叉、 

九月 十三夜、 今宵 雲淨 月明、 是夜寬 平 法皇、 明月 無 雙之由 被 二 仰 出; 乃 我 朝以, 1 九月 十三夜 7爲,, 

明月 之 夜 1 

と ある。 寬平 法皇と は 宇多 天皇 が 上皇と なられて からの 御稱號 である。 これから 此の 夜 を 「十 

三 夜」 として 十五夜に ついで、 觀 月の 宵と なった ので ある。 そして これ は 支那で はない 事で、 

我が 國 固有の ものである。 

十五夜に 對 して 「後の 月」 「栗 名月」 ともい ふ。 


—  80  — 


一- 81 - 


&  じ *1 

ぉ會式 

はう おん _*  お » い. A3 

曰 蓮宗の 開祖で ある 曰 蓮の 命日た る 十月 十三 日に 行 はれる 法會 である。 「報恩 會」 『御影 供 

は. T も 

法會」 とも 呼ばれる。 お 會式は 十月 八日から 十三 日まで、 各 日蓮 宗の 寺院で 行 はれる が、 十三 

日が 最も 盛大で ある。 

日蓮 は 鎌 倉 物語に、 

日蓮 上人 は聖武 fK 皇の 末孫、 姓 は三國 氏、 名字 は 貫 名、 本 阈は遠 州、 生國は 安房 國小湊 の 

浦な り。 御 母 は淸原 氏、 常に 朝日 を 念誦し 給 ふ。 日 天 胸 を 照す と 夢に 見 給 ひて 懐姙 し、 貞 

應 元年 二月 十六 日に 誕生、 御 童 名 を藥王 丸と 申し 奉りし。 十二 才 にして 淸澄 山へ 上り、 十 

八 歳に して 出家し 給 ひ、 御名 自ら 日蓮と 改め 給 ひ、 八 宗顯舉 して、 卅ニ才 建 長 五 年 n 月下 

句の 頃、 初めて 南無 妙法 蓮華 經の七 字を唱 へ、 安房の 國 より 鎌 倉へ 移り 給 ひて 名 越の 松 獎 

ケ 谷に 小 庵 を 結び、 毎日 名 越 坂へ 出で 妙法の 首題 を唱 ふ。 

と ある。 入寂 は弘 安五 年 十月で、 十二 日の 夕 六 時 頃から 柬 京の 池 上 本 門 寺の 御座に 北 向に 坐し 


平常から 自愛の 大曼^ 膨を かけ * 前 に 机 を 置き、 香華 を 供へ 澄明 をと もし、 靜 かに 遣 言 をし、 

翌十 三日の 八 時 頃に 方 仏 品、 壽量品 を 誦し、 衆 僧 も 唱和した が、 壽量 品の 半^まで 誦して 息 切 

れ たと 傳 へられる。 時に 年 六十 一 才。 

東京で は、 池 上の 本 門 寺が 最も 參詣人 も 多い が、 雜司谷 法 明 寺、 堀の 內の 妙法 寺 等 も 有名で 

ある。 

神嘗祭 

十月 十七 日に 行 はせられ る 儀式で 「かむな め まつり」 「かむ にへ まつり」 と 言 ふ。 昔 は 九月 

十七 日に 行 はれた が、 太陽 曆に なつてから 十月 十七 日と 定められた。 

元 正 天皇の 養老 五 年 九月 十 一 日に 使 を 遣 はされ て 幣帛 を 伊勢神宮に 奉られた 事が 見えて ゐ 

る。 

0  て 5 の^ぬ 

今では 十六 日に 豊 L 大神宮、 皇太 神宮に は 十七 日、 勅使 を 遺せられ て 幣帛 及び 荷 前の 調 絹 を 奉 

しせられる。 これ も、 昔 は神宫 附屬の 神 田から 收穫 された 新穀と、 そして 荷 前の 調 絹 も 諸國か 


— 8  J  "― 


ら 奉献せられ たもの を 用 ひられた が、 今 は 神宮 司 鹿で 適當の 新穀と、 命じて 造らせられた 生絹 

を 用 ひられる。 

ひさし  すごも 

この 日、 宫 中で は神嘉 殿の 南の 庇に 御屛風 ニ雙を 立てられて 其の 中に 箦薦を 敷き、 午前 十 時 

に 出御 あらせられて 御遙拜 せられ、 次で 賢所 御前に て 御 親祭 を 行 はせられ る。 

ベ つたら 市 

十月 十九 日の 夜に 主に 東京で 行 はれる 市で ある。 べつたら と は淺漬 大根の ことで、 この 夜の 

市に も 之を賣 るので ある。 この 特殊な 名が 興味 を 引いて、 江 戶以來 なか 繁昌した ので ある 

が、 市が 立つ の は 日本 橋區の 大傳馬 町 を 中心として ゐた。 

翌 二十日 は 恵比須講 なので 盆の 前の 草市と 同じ やうに その 必要な もの 即ち、 夷 子、 大黑、 器 

物 や 魚類 等を賣 ると ころから 起った ので あ る 。 

惠比 須^ 


一 83 — 


十月 1 1 十日で あるが、 正月 十 曰に も 十 一 一月 1 一十 曰に も 行 ふ。 ■ 正月の は 十日 夷と いって 區 別し 

てゐ る。 この 日の 樣を 永代 藏と いふ 本の 中に 西 鶴 は、 

諸 商人 萬 事 を やめて 我が 分限に 應じ、 いろく 魚 鳥 をと-" のへ、 一家 集りて 酒く みか は 

し、 亭主つ くり 機嫌に 下々 勇みて、 小唄. - 淨 瑠璃、 江戸 中の 寺社、 芝居、 その他 遊山の 繁 

昌 なり。 

と ある。 

この 惠比須 神と は 何で あるかと いふ 事 は 明瞭で ない。 が 兵 庫 縣西宮 市の 西宮 神社 は、 古來 # 

、 ,  ことしろ 

の 宫と言 はれて ゐる。 その 祭神 は大國 主命で ある。 所が その 御子の 事 代 主神 をい ふと も傳へ 

, ,  しろな す 

る。 それ は 大國は 大黑と 音が 同じ 所から 大國 主命が 大黑樣 で、 事 を 「代」 とい ふ 緣で事 代 主神 

を 夷と したと いふ。 

すくな ひこな 

しかし、 叉 一 說 では 「ヱ ビス」 と は、 何でも 常に 違って ゐ ると いふ 意味で、 少彥名 神 は 身長 

が 小さかった ので、 御名 も そこから つけられ たので、 この 神 をい ふと も傳 へられる。 

弒局は 前の 說が よい やうで、 r 以 i 釣 レ魚爲 レ樂」 とも ぁリ、 「出 雲 國三穗 崎に 遊行して、 魚 を 


― 81 ― 


釣り 給 ふ 御 姿 を かたどる」 とも 古書に 見える- 

廿日と か 十日と かに 定められ たの は、 市の 日 取であった からで ある。 

甲子 待 

^^に 當る日 は 一年に 六 回 ある。 その 中で 十一月が 最も 盛んで あるが、 甲 は 十干の 初め、 子 

は 十二支の 初めで ある。 で、 此の 日 を 祭った ので ある。 しかし、 これに 大國 主命の 話 を 給び つ 

けて ゐる。 即ち、 大國 主命 は大黑 で、 或る時、 命が 荒野で 火に かこまれた 時、 鼠に よって 救 は 

れ たとい ふ。 大黑は 農家に とって、 五穀 豐饒の 守護神で あるので、 この 夜 は その 使者の-鼠が 來 

るの を 「; 子」 に 言 ひかけ て 祭った のが 「甲子 祭」 であり、 深夜まで 一家が 圑! i し 雜談に 時 を 過 

すの が 「甲子 待」 である。 

寺つ とい ふ 意 は 「その 時に な るまで 眠ら で 居る と いふ」 と ある。 甲子 待 について 日 次 記事 

に, 

凡そ 一年中、 六 甲子の 夜、 禁裏 (宮中) 子 を 祭らる。 大乳 人、 小豆粥 を 御前に 献じ、 並に 


一 S5 — 


殿中の 男女 を 饗せら る。 甲子 毎に 民間に て は 燈心を 買 ふ。 俗に 子燈 心と いふ。 その 中、 十 

一 月 甲子 を 以て 最と爲 す 

と ある。  . 

明治 節 

明治 節に つ いて は此 處に說 明す るまで もない。 明治 大帝の 御代 四十 五 年 は 誠に 新 日本の 基 を 

同め られ たので ある。 

大帝の 御 偉德、 御 遣 業 をし のぶ 心 は 期せす して 明治 節 制定と なり、 第五 十二 議會 は滿場 一致 

を以 つて 可決、 御 裁可 を 仰いで 決定 を 見た ので ある。 

同日、 叉 代々 木なる 明治神宮 では 大祭が 行 はれる。 

亥の子の 祝 

十 一 月の 亥の 日に 餅 をつ いて 小さく 作り 祝 ふので ある。 これが 亥の子 餅で ある。 この 月に 亥の 


—  86  — 


日が 二回 あれば 二度 作り、 三回 あると 三度 作る ので、 順に 一番 亥、 二番 亥と 呼ぶ。 

この 起源 は 貞丈雜 記に  ; •  -  ぐ 

亥の 日に 祝 ふこと は、 猎は子 を 多く 產む ものなる 故、 それに あやかる ための 祝に て、 子孫 

繁昌の 祝な りと いふ 

と ある 通りで ある。 

いつの 頃から とい ふ 事 は 明らかで はない が、 延喜 式に も 記されて あるので 大分 古い ことら し 

い。 三才 阖繪に は 攝州能 勢 郡の 土民で ある 門 太夫と いふ 者が、 毎年 亥 子 餅 を 献上す ると 記され 

て あり、 或る 年、 献上が 遲れ ると 御 使 を やって 御 尋ねな された 事 も ある。 

昔、 宮中で はこの 餅 を 陛下が 御手で 取って 臣下に 賜った。 その 時 は 公卿に は黑 餅、 四 位 は 赤 

餅、 五位 は 白 餅と 定 つて ゐた。 

さ * げ 

餅 は、 大豆、 小豆、 大 角ぎ、 栗、 柿、 胡麻、 糠の 七 種の 粉 を 入れて 持へ たもので ある。 

MU  まつ, 

祭 


一 87 — 


舊曆 十一月 八日で ある。 鞴は吹 革で、 鋇冶屋 や 石工 や 飾屋が 炭火 をお こす 道具で ある。 それ 

故に、 その 祭 は 平常から 鞴を使 ふ もの X 行事で ある。 

この 起源 は、 昔、 三條に 住む 小 鋇冶宗 近と いふ 者が、 刀 を鋇 へる のに、 或る時、 稻荷 山の 土 

を 持って来て 匁 を やいた ところが、 非常によ く 切れる 刀が 出来た。 それから は 常に 稻荷 社に 願 

を こめ、 土 をと つて 鋇 へた ことに 始まる と傳 へられて ゐる。 

この 朝早くから、 業 を 休んで 鞴の 掃除 をし、 注 連 を はって 赤飯 をた き、 神酒 や 御馳走 を供ヽ 

る。 そして 稻 荷の 神 を 祭る。 附近の 子供達が 集って 來て 「銀 冶 やの びんぼう」 と 呼び 騒ぐ と、 

二階から 「あな、 かま や」 と 言って 澤 山の 密柑を 投げる、 子供 は それ を爭 つて 拾 ふ。 拾って し 

まふと 投げて くれた 數が少 いこと を 罵りながら 子供 は 別の 家に 行く。 

この 子供が 集る の を、 一 つに 「ほた け」 とい ふが、 それ は 「ほた けく」 とも 叫ぶ からと 傳 

へる。 しかし、 この 事 は 明治 中年から は 行 はれ なくなって、 た f 家の 中で 祭る ばかりの やうで 

ある。 


一 88 — 


酉の市 

十一月の 酉の 日、 鳥 を祀 つた 神社で 行 はれる 祭であって、 束 京で 有名な の は 

下 谷 K 神社 1*^9 る-:  :  n。 

深 川 富 岡 八幡 神社  . 

四 谷 須賀 神社 

新 宿 花園 神社 

品 川 大鳥 神社 

等で、 その外に も隨 所に 行 はれる。 これ は、 元來は 武神で ある 天 穗日 命と、 その 御子の 天 鳥 舟 

尊 を 祭る 大鳥明 神の 祭禮 であるの が、 何時と はなく 商人に 福を與 へる 神事と なって しまった。 

はっとり  , , ,  , , 

一と 月に 酉の 日 は 二度 或は 三度 あるが、 その 最初の を 初 酉、 次の を 二の 酉、 三度 目の は 三の 

酉と 言って ゐる J 大抵の 年 は 二度で、 昔から 三の 酉まで ある 時 は 大火が あると 言って 恐れられ 

てゐ るが、 勿論 これ は根據 のない 一 種の 迷信で ある。 


— S9 — 


一 90 一 


1 體、 酉 は 「取り」 で 取り集める、 即ち 今年 は 殘りも 僅かと なった が、 來年は 大いに 搔き込 

ぐまで 

んで 儲けようと いふ 緣起を 祝った もので、 各 神社で は 社名の 紙 を はさんだ 小さな 熊手 を 神授す 

る。 これ を祌 棚に さしてお 守りと して 来る年 を 祝ひ迎 へようと いふので あるが、 境 內には 店 を 

張って、 五寸 位から 六寸、 八寸、 大き いのは n 一尺 位の 熊手 を寶 る。 この 熊手の 寸法 は 柄の 長さ 

ではなくて、 普通 骨と 言って ゐる 熊手の 爪 を 標準と して 計る ので ある。 そして これに 七福神 や 

おかめ や 大福帳、 千兩 箱、 寳船、 こばん 等 を 飾りつ ける。 

二の 酉、 三の 酉 は 十一月 も 末に 近い 頃な ので そろ/ \ 正月 も 近づく から、 寒風に 吹き さらさ 

れる。 この 祭 も暮の 景氣を 見せる 第一歩 を 思 はせ て 參詣者 は 多い。 

七 五ミの 祝  _ 

十一月 十五 日に 行 はれる が、 昔 は 十五 日から 末までの 中で 吉日 を 擇んで 行 はれた。 男 兒は三 

うぶすながみ 、 . I  Z 

歳と 五 歳に、 女兒は I 二 歳と 七 歳と に 新しい 衣裳に 着飾って 產 土神に 參拜 する ので ある これ は 

元来、 七五三の 祝と は 次の 三つの 祝から 起った ので ある。 


0 男女と も 三 歳になる と、 節糸で 白髮を 作って 子供 を吉 方に 向 はせ て 之 を 冠ら せ、 

櫛で 左右の 髮を - 一度 づ ゝ かく 祝。 

0 男 兒が五 歳になる と 碁盤の 上に 立た せて 袴着 親が 袴 を 着せる ので、 大人に なって 

祷を はく 時に 歩きながら 着る 癖 を 防ぐ ためだと いはれ てゐ る。 德川 時代 以前に は 

三 四 歳から 六 七 歳までの 間で 行 はれ、 女に もあった。 

if 女子が 七 歳になる と 行った とい ふが、 男子 も 五 歳から 九歲 までの 問に 行 はれた。 

これな, 今まで 着物に 附絲 がつ いて ゐ たが、 それ をと つて 帶を しめる やうに する 俵 

おびな ほし ひも 

式で、 附^ こと を r 附帶」 といった 處 から r 帶解」 と稱 したので t 帶^」 「弒 

ひろぶ た 

懇; 3 とも 稱 した。 十一月 中の 吉日に 行 ひ、 その子 供を吉 方に 向 はせ て廣 蓋に 入れ 

た附絲 のない 着物と 帶を、 今までの 附絲の ある 着物と 脫ぎ かへ させる。 この 時に 

睨ぎ かへの 役に あたる の は 子供の 多い 夫婦の 者で 男子の 時 は その 夫が、 女子の 時 

は その 妻が あたる。 

この 三つの 祝が 丁度、 七、 五、 三の 歳の 時な ので 七五三と いふ やうに なった が、 今 はこん な 


—  91  — 


に嚴 重な 儀式 は 行 はないで 神社 參拜 だけです ませて ゐる。 

ち,?  こん  さ. S 

鎭魂祭 

十 一 月 一 一士 一日に 行 はれる。 「ミタ マ シヅメ の 祭」 ともい つて、 離れ 去った 魂 を 招いて 身に 

鎮め まつる ための 祭事で ある。 宮中の 綾綺 殿で 行 はれ、 天皇、 皇后、 皇太子の 御 魂 を鎭め 奉り 

や- M よろ づ 

御 齢の 長久 を 祈願す るので ある。 これ は 天の岩戸に H< 照大 神が お入り 遊ばされた 時に 八 百 萬の 

あめの <• づめ のみこと 

神々 が 御 相談の 上で、 天 鈿女 命が 岩戸の 前で 踊った 故事から とい はれて ゐる。 

新 嘗 祭 

十 一 月 一 一十三 日に 行 はれる。 宮中の 行事と して 重要な ものと され 天皇 御 親祭の もとに 崇嚴に 

行 はれる。 これ は 「に ひなめ まつり」 ともい ひ、 神武 天皇 御 即位の 年に 行 はれた と 1 目 ふ。 但し、 

御 即位の 年に は 特に 「大 嘗會」 即ち r お ほな め まつり」 と稱 し、 盛大に 行 はれる ことにな つて 

ゐる。 


—  92  — 


此の 日に 先立ち 十 一 月 十日に 伊勢神宮に 勅使、 各 宫國幣 社に は その 地の 地方 官を遣 はされ て 

<A はく  しんか でし 

幣帛 を献ぜ しめられる。 二十 三日 午後 二 時に 神 嘉殿を 装飾し、 四時になる と 式部 職員が 蔻 床し 

.S みび  に は SS 

て 神 座 を 設けられる。 五 時 四十 分になる と 忌 火 を 點じ. 庭燎を 焚いて 準備が と-の ふと、 六睹 

くわ. 0 ろ さめ  か 

に 親王 以下 諸 員が 着床して お待ちす る。 陛下 は 黄 攄染の 御衣 を 召されて 出御 遊ばされ ると、 神 

ぐらうた 

樂歌を 奏する 中に 神饌 を 並べる。 やがて 陛下に は 本殿に 進ませられて 御手 づ から 神饌 を 供へ 給 

ひ 御 吿文を 奏せられ、 次で 各 府縣の 有志から 献納の 米と 御苑で 出来た 米と を 混じて 造らせられ 

しろぎ  くろき 

た 白酒 (白米の 酒) 黑酒 (玄米の 酒) を 聞し 召される。 かう して 神饌 を 撒す ると 陛下 は 入御 あ 

ら せられて、 夕の 御祭 典 は 終る。 翌 二十四日 午前 一時から は、 叉 陛下 出御の もとに 间 様の 依 を 

行 はせられ るので ある。 

とよの ちかり 0 せち ゑ 

昔 はこの 後に 盛大な 御宴が 催され、 之を豊 明 節會と 言って 舞樂等 も 行 はせられ た。 

おとご  つ t たち 

乙子の 朔日 

十二月 一 日の 行事で ある。 こ 子と は 弟兒の 意で、 一 月 は 第 一 の 月で あるから 太^ 月と いった 


—93  — 


のに 對 して、 十二月 を 乙子 月と 稱す るので ある。 

今 はす たれて しまった やう だが、 昔 は 

フヲ  ト  リア ヲフヲ  フ  へ ぺヲキ プル  二 

朔日、 謂, I 之 季朔? 人家 爲, 餅 食い 之。 謂,. 季朔食 A 餅 無,^ 陷ニ溺 之 宴 1 也。 

とあって、 此の 日に 餅 をつ いて 一 年 最後の 月 を 祝った ので あるが、 之 を 乙子の 餅、 川 浸 餅、 川 

渡 餅な ど X 稱 した。 叉、 この 日に 異裝 をな し 雀躍り をして 錢ゃ 米な ど を 莨って 歩いた こと 等 も 

あるら し い。 

川 渡 餅と いったの は 水上 を 祭る からと いはれ、 この 餅 を 食べる と 水難 を 除く とされて ゐた。 

鲁 

お  ぶつ  みやう 

御佛名 

これ は 今は廢 された が、 昔は宫 中の 行事の 一 つと して 行 はれて ゐた。 十二月 十五 日から 三 口 

W であるが、 後に は 十九 曰から 三日間と なった。 一 つに 「怫名 懺悔」 といって、 淸凉 殿に 仁お 

ひさし 

殿から 怫の 本尊 を 移して 御 帳の 中に 懸け、 南の 額の 間に 机 を 置いて 怫像ゃ 塔 形 を 置き、 庇に は 

地獄 繪の 舁 風 を 立て、 導師に 佛名經 を 誦し, 過去、 現在、 未来の 三千 佛の名 號を唱 へさせて 罪 


一 94 一 


-95  — 


障 を黻悔 するとい ふ法會 である。 これ は 寳趣五 年 十二月、 光仁 fK 皇の 御代に 始まり *  .U 明 K< 皇 

の 承 和の 頃に は 此の 三日間 は 諸國の 殺生 を 禁ぜられ たこと も あると いふ。 

0  H- ぎ 

荷 前の 使 

今 は 行 はれない が、 昔、 十二月 中の 吉日の 日に 十 陵 八 墓に 勅使 を 遣 はされ て 奉幣す る 公 車で 

その 使に 行く 者 を 「荷 前の 使」 とい ふ。 2?」 は 「諸國 から 奉献す る 貢物の 荷」 とい ふこと で 

「前」 は 「お 初穗」 とい ふ 意で ある。 先づ 十二月 十三 日に 使の 住に 當る者 を 定められ るが、 こ 

なごん 

れは納 言、 參議、 三位、 四 位、 五位な ど を 以てした。 

當 日になる と、 陛下に は建禮 門に 出御 せられて 禮拜を 行 はれ、 各 使 は大藏 省から 幣物 を 受け 

て參 向す るので ある。 この 時の 幣物 は 絹、 綿、 染糸、 木綿、 晒 布 等で 柳の 竹 {: に 入れ、 尙 漆の m 

に 納めて ある。 

淸和 天皇の 御代に は 十 陵 四 墓で あり、 叉 十 陵 五 墓と なった が、 後に 十 陵 八 墓と 定められた。 

これ は 次の やうで ある。 


近 陵 (天皇から 等親の 近い 陵) の稱 で、 淸和 天皇の 貞觀の 初めに 近 陵、 遠 陵の 制 を 定められ 

山 階の 陵 (山 科の 陵。 天智 天皇、 山城 宇治 > 田 原 東 陵 (光仁 天皇、 大和 添 上 > 柏 原 陵 (桓武 

やま も. *  た むら 

天皇、 山城 紀伊 > 楊 梅 陵 (平 城 天皇、 大和 生 駒 > 深 草 陵 (仁 明 天皇、 山城 紀伊 > 田 邑 陵 (文 

德 天皇、 山城 葛 野) の 六 天皇と 田 原 西 陵 (田 原 天皇 I 天智 帝の 第二 皇子 施 基、 大和 添 上). 八 

島 陵 (崇道 天皇— 光仁 帝の 第二 皇子 早 良、 大和 添 上) の 二 追 尊 天皇 陵、 竝 びに 大枝 陵 (光仁 

帝 皇后 I 桓武帝 母后、 山城 乙 訓> 長 岡陵 (桓武 帝 皇后— 蜣峨帝 母后、 山城 こ訓) の 十 陵 を 近 

陵と し、 その 餘は皆 遠 陵と 定められた。 貞觀 十四 年 大枝 陵 を 除いて 後山 階 陵 (仁 明 帝 皇后 I 

文德帝 母、 山 域 宇治) を 置かれた。 光孝 天 0 即位 後、 田 原 (西) 陵 を 除き、 中 尾 陵 を 置かれ 

た。 醍醐 天皇 延 喜の 制に は、 後山 階。 楊 梅の 二 陵 を 除き、 後田 邑 (光孝、 山城 葛 野 > 小 野 

(宇多 帝 女御—. 醍醐 帝 母、 山城 宇治) の 二 陵 を 加 へられた。 朱 雀 天皇の 世、 田 邑陵を 除き、 

後山 階 陵 (醍 翻、 山狨 宇治) を 置き、 村 上 天皇の 世、 中 尾. 長 岡 • 楊 梅の 三 陵 を 除き、 宇治 

の 三 陵 を 置かれた。 宇治 は^ 世 母后の 陵で あるから、 後に、 その 親疎に 因って 廢 置され た。 


その後 十 陵 は 加除 一 定 しないが、 山 階 • 後田 原 (田 原 東 陵). 柏 原 • 八 島 • 深 草 • 後田 邑 • 後 

山 階の 諸 陵 は歷世 除かれない。  ; 

八 墓 

たうの みね  .: 

近 墓 (天皇から 等親の 近い 外戚 者の 墓) の稱。 淸和 H< 皇貞觀 の 初め、 多 武峯墓 (藤 原 鎌足) • 

宇治 墓 (同 冬 嗣> 次 宇治 墓 (冬嗣 妻). 愛宕 陵 (外祖母 源氏) の 四 墓 を 近 墓と 定め、 貞觀 十四 

年に 後 愛宕 慕 (外祖父 藤 原 良 房) を 加へ て 五 墓と された。 陽 成 天皇 元慶 元年、 次 宇治 墓 を 除 

き、 深 草 墓 (外祖母 藤 原 氏) を 加 へられ、 光孝 天皇の 世、 愛宕 • 後 愛宕の 二 墓 を 除き、 拜志 

墓 (外 祖總繼 > 八 坂 墓 (同上 妻 籐 原 氏) を 置かれた。 醍蘭: 大皇延 喜の 制、 宇治 • 深 草 二 墓 を 

除き、 髙畠墓 (宇多 天皇の 外 祖仲野 親王). 河 鳥 墓 (同 上妃 常宗氏 > 後 宇治 墓 (藤 原 s」 經) .小 

野 墓 (外 祖高藤 > 後 小 野 墓 (同上 妻宫道 氏) を埒 S して 八 墓と された。 膝 世 その 親疎に 依つ 

て 加除され たが、 多 武峯墓 だけ は 除かれない。 

歳の市 


—  97  — 


—  93- 


いよく 正月が 迫って 來 るので その 飾 物 や 神 祭りの 道具から 臺所 品、 或は 羽子板 等の 遊び も 

のまで 並べて 寶る のが 歳の市で、 十二月 十四日から 始 つて 大晦日まで つ^くの である。 あはた 

^しく 忙しい 中に も 早く も 新年ら しい 氣 分が あふれる ものである。 

冬 至 

今の 曆 では 十 一 一月 一 一十一 一 三日の 頃に あたる が、 舊曆 では 十 一 月で ある。、 日本 歳 事 記に、 

冬至 は 十一月の 中な り。 三 至と て、 一に は 陰極の 至り、 二に は陽氣 始めて 至る、 三に は 日 

行 南に 至る。 この 故に 至 日と もい ふ。 冬至の 前 一日に 至りて 陰氣 長す る 事き はまり、. 日の 

短き 至りな り。 叉 夜長き 事 もき はまれり。 日の 南に 至る こと もき はまれり。 今日 一 陽來復 

して、 後陽氣 日々 に 長 じ、 日 もやう やく 長くなる。 

と ある。 

こ の 日に 柚子 を 切って 風呂 をた て \ 入る と 風邪に 犯されな いとい ふの は、 菖蒲湯と 同じ こと 

である。 


-99  — 


煤拂む 

年 もい よく 押しつ まると 新年の 準備と して 煤拂 ひが 各 家で 行 はれる が、 今 は 別に 日 を 定め 

すに する。 しかし、 太田蜀 山人の 半日 閑話に は 江戸 幕府の 記事 をのせ て、 

十二月 十三 日朝 六つ 時 前、 御 年男 登城、 御 奥より 御案內 あって 通る。 御 煤 竹 は 毎年 御 代官 

所より 上る。 御寢 間、 御座の 間兩所 之を拂 ひ、 それより 御 次 は、 殘らす 御 下男 は 麻 上下 著 

し 之 を 勤む。 右 相す み 御 rnlEJr 御 吸物 御酒 下され 退出 仕り 候。 右の 御 下男 頭 御 使に て 御 年 

おしき 

男へ 下され 物、 甴米 一俵、 鹽 いなだ 三 尾、 薄緣 胡座 三枚、 赤 椀 三つ組 三 具、 山 折 敷 三枚、 

右の通り 宿所へ 遣 はさる。 この 品 を 元旦 御 年男 夫婦、 家 司 一人、 上下 三人に て 之 を 祝す と 

いふ。 

とあって、 十三 日 を 定め、 一般 も 十三 日に 行 ひ、 若し 當日 風雨の 時 は 十五 日に 行 はれた。 

定 つた 吉日に 行 ふこと は、 鎌倉時代の 嘉禎ニ 年から とい はれて ゐ るが、 その 事 は 吾妻 鏡と い 

ふ 本に 記されて ゐる。 吾妻 鏡 は 幕府の 記錄 であるから、 朝廷で はどう 行 はれ たかはよ く 分らな 


一] CO 一 


い。 しかし、 行 はれた 事 は事實 で、 「常の 御殿 は 四 位 五位の 殿上人と 藏 人が 勤め、 御緣 側は靑 

侍が 勤める」 等と ある。 現在 は、 この 外に 春秋の 大掃除が あるが、 迎春の 準備の 煤拂ひ は、 慌 

しい 中に も 春の よろこび を感 する もので、 

煤 拂ひ顔 を 洗へば 知った 人  . 

等と いふ 川柳 も ある。 

晦 B 藿麥 

嗨曰 蘅麥は 商店に 始まる とい ふ。 即ち、 一年の 決算で 仕事 は 徹夜し なければ 終らない。 そこ 

で 夜食と して 出す のが 薺麥 であると いふが、 一 般 にも 食べる 習慣と なった。 

三日と ろ \ に 晦日 S 向麥 

といって、 昔 は 毎月 三日に はとろ-汁 を 食べ 晦日に は薔麥 を 食 ベ たので ある。 

除 在 


1 年の 除かれる 夜で ある。. 「除 夕」 とも 稱 したが、 「お ほみ そか」 といへば 我が^ 請の 名で あ 

る。 新年の 準備と 一年の 決算と で 何となく 慌 しく 感ぜられる。 しかし、 床の 問の 飾り も 終って 

1 年の 回顧に ふけりつ i 過す の は、 哀れの 中に も 新春の よろこび を 感じて なつかしい。 

^中で は 除夜 祭が 行 はれる。 これ は 夕方 五 時、 賢所、 皇鍰 殴、 神殿の 飾り をな して 神饌 を 供 

へ 祝詞 を 奏して 終る ので ある。 

夜半 十二時から は、 各 寺院で 百 八つの 鐘を掎 く。 これ を 除夜の 鐘と いふ、 日本 歲事 記に、 

一年の 終る 夜 なれば、 つ k しみて 心を靜 かにし、 禮服を 着、 酒 食 を 先祖の 靈 前に 供へ、 Q 

らも 配 食 を^し、 家人 奴婢に も與 へ、 一 とせ を 事なくて へぬ る 事 を 互に 歡娛 し、 座して 以 

て旦を 待ち、 舊を 送り 新を迎 ふべ し。 

昔 は 此の 夜につ^ ぎの 式が 行 はれた が、 新曆 となって から は 二月 立春の 前に 行 はれる。 これ は 

舊 g では 季候の 上で も 冬 はこの 夜まで^-あるから である。 

叉、 この 夜に 東北の 風が 吹く と 新年の 五穀 は大豐 年と なり、 犬が 吠えない と 新年に 疫病が な 

A  €  €  つぐみ 

いと 傳 へられ、 攛ぐ 身に ことよせて 鶫を 食べた とい ふ。 


一 101 — 


二、 五 節 J? 

節句 は 節供で ある。 即ち 「せちく」 で、 その 季節の 物 を 供へ て • 神 を 祭り、 又 自分から も 食 

ベ て、 邪 氣を拂 ひ 齢 を 延べ ようとい ふ 意味から 生じた ので ある。 

これ は 支那からの 傳來 であるが、 支那 人 は 陽の 數 (即ち 奇數) を 尊ぶ ので、 これが 月が 曰と 

重った 日 を その 日と した。 我が 國 では 昔は必 すし もさう と は 限らす、 例へば 「上 已」 といへ^ 

三日で なくても、 n 一月 最初の 巳の 日に 行 はれた ので あるが、 後で は 日 を 一定す る やうに なって 

今に 傅って ゐる。 

昔から 節句 は 五つと 定められて ゐ るが、 次の やうで ある。 

一 月 七日 人 日 

三 月 三日 上 已 

五月 五日 端 午 

七月 七日 七 夕 


一 102  — 


九月 九 曰 重 陽 

この 中で 一月 は 一 日で あるべ き だが、 一 日 は 元日で 巳に 佳節で あるので 七日と された。 

これ は 前に も 述べた やうに 支那 傳來の もので はあって も、 やり方 や、 また 人々 の 心 持 は 我が 

國 固有の 風俗 習慣 や 思想 を 十分 汲み 入れて ある。 それ は 現行の ものに ついて おへて 見れ ば^ぐ 

諒解され る。 

この 五節句 は 明治 六 年に なって、 天長節、 紀元節 等が 新しく 制定せられ たので、 公式に は廢 

止された が、 このうる はしい 日本人の 樂し みは 今に 行 はれて ゐる。 我等 はこの 良い 習 はし を 昔 

を ふり か へ つて 知る と共に 長く 鑌 けて 行きたい ものである。 次に それ,^ について 起源 ゃ债式 

の 様子な どに ついて 述べて 見よう。 

一月 七日 

五節句の 第一 である。 正月の 樂 しみ も 七日と なると そろ/ \ 落ちついて 來て 職に つき、 舉校 

の沐 みも^り となる。 門松 もとれる し、 平常に M るので あるが、 この 日に 七草の 粥 を 炊いて 食 


一 103  — 


一 104 — 


ベる 風習 は都會 では 次第に 見られ なくなった。 舊曆 時代 は 正月 は 文字通り 新春で、 寒 も あけ 吹 

く 風 もの どかに 草 も 生 ひ 出る 頃で あるが、 新暦の 今 は 新春と は 名ば かりで、 寒さ はこれ からで 

ある。 であるから、 昔 朝廷で 行 はれた 「子の 日の 遊び」 等 は 寒くて 出來る もので はなく、 寒風 

な- f  くさ 

に 吹き さらされる 砜揚 げや 追 羽 子 も 震へ ながらの 事で ある。 しかし 「七 種」 は 聞く だけで も 何 

となく 懷し い 風雅な 感じ を 起す ものである。 

元來、 この 日 を 「人 日」 と 言って ゐ るが、 これ は 支那で、 一 曰を鷄 とし、 二日 を狗、 三日 を 

猎、 TO: 日 を 羊、 五日 を 牛、, 六日 を 馬と して 七日 を 人と して ゐる處 から 起った 名稱 である。 そし 

て 「七 種の 節句」、 「若菜の 節句」 とも 言 ひ、 昔 は 朝廷で は 前に もい つた 「子の 日の 遊び」 をし 

たので ある。 

我が 國 では 古 來 面白い 說話を 織り込んで ゐる。 その 一 つ は 次の やうで ある。 

七 種の 草 を 集めて 柳の 木で 作った 盤に 載せ 玉 椿の 枝で 六日の 夕方 六 時から 始める。 先づ两 り 

す—  t づ i  ごぎ やう 

0  (六 時) に は 芹 をた X  く。 次の 戌の 時 (八 時) に は 薺、 亥 (十 時) に は 御 形、 子 (十二時) 

に は &|,らぞ、 丑- ai 時) に は i け I、 寅 (四時) に は菘、 卯 (六 時) に は 鈴 代、 辰 (朝 八 時) 


一 105  — 


に はこの 七 種の 草 を 合せて 東方 0 井戸の 水 を 掬んで 若水と 名 づけ、 この 水で^,: 4^ とい ふる 

I  ひと- *ま 

の來 ない 前に 食べる と 一 時 (今の 二 時間) に は 十 年の 齢 を 延べる。 七 時には 七十 年若くな つて- 

それから 八千年 壽 命が 延びる とい ふので ある。 

次に は 六日の 夕方 から 七日 の 朝に か けて 鬼 車 鳥、 又は 鬼 鳥 とい ふ 惡ぃ鳥 (み いづぐ、?) が 

空に 飛び 廻る ので 其の 災禍 を拂 ふために 各 家で 門 をた k き戶を 打つ のであって、 それから この 

七草 を 打ちた & くやう になり、 尙此を 食べる と 長命 を 保つ とい はれた ので ある。 そして、 敲く 

時に 「七草 七づな 唐土の 烏 が (とと もい ふ) 日本の 國に 渡らぬ さきに」 とい ひながら 七つ づ& 

七 度、 即ち 四十 九度敲 くので ある。 この 四十 九と いふの は 七曜、 九曜、 二十 八 &、 五 S とい ふ 

合せて 四十 九の 星で、 此の 星 を 祭る 意味で あると いふので ある。 

兎に角 この 行事 は 古くからの ことで あるら しく、 醍醐 天皇の 頃に は 已に赏 行され てゐ たやう 

である。 江戸時代に は 七 種 を 青菜と 薺の 二つに 略し 俎板の 上に 火^ 、ナ^お、 庖丁、 杓子、 薪の 

五つ を 並べ て數 だけ を 七つと して 敲 いた。 

尙、 朝廷で は 公式の 行事ではなかった が、 武家で は K 行し、 殊に 德川氏 は 五節句 中の 笫 一 と 


して 嚴靈 盛大に 行 ひ、 諸 大名 は 熨斗目、 長 S£ で 登 域して 祝儀 を 述べた とい ふ。 

また、 「七草 爪」 とい ふ 習慣が あって、 之 は 鬼 鳥 は 人の 捨てた 爪 をと ると いふ 傳說 からこの 

鳥に とらせて はならぬ といって、 鳥 を 追 ふために 敲 いた 七草 を 水に 浸して、 その 水で 爪 を ぬら 

してきる とい ふので ある。 

「子の 日の 遊び」 とい ふの は、 昔 我が 朝廷で 行 はれた 行事で、 後廢れ てし まった のでた 歌 

や 文章の 上に 見る ばかりと なって しまった。 これ は 最初 子の 日に 行 はれた のが 七 曰と 定められ 

たので あるが、 春風 和やかな この 日、 野邊に 出て 小 松を拔 きとって 遊び、 千歳の 齢 を 祝した の 

である。 歌 や 詩 を 作り 荽も 催された の は 勿論で あるが、 いかにも 暖き日 を 待ち こがれた 當 時の 

大宮人ら しい 遊びで ある。 松の 芽生え を拔 きとる の は 子と 根の 音が 同じな ので 根 ご と 引抜い 

た。 

攀 

舂日 野の 飛ぶ 火の 野 守 出で て 見よ 

いまい く 日 ありて 若葉 摘みて む 

これ は 若菜 摘む 日の 待ち きれぬ 奈良 朝の 公卿の 心 持 を 詠 じたので あるが、 小 松 曳く樂 しみ も 


—  106  — 


さ こそと 思 はれる が、 叉 霜雪に. S たまぬ 松 は、 古來 千年の 壽を 保つ 木と されて ゐ たので 門松と 

共に 正月に は 誠に ふさ はしい ので ある。 七草の 七 種に ついては いろくに 言 はれて ゐ るが 

A-f なづな ご- w やう はこべら とけ ざ  ナ s* な す しろ 

芹、 薺、 御 形、 蘩、 怫の 座、 菘、 鈴 代、 

これ ぞ七 草 

とい ふ 歌が 一 番 知られて ゐる。 

三 月 三 日 

「上巳の 節句」 とい ふ。 この み 方 は 「じ やうし」、 或は 已を訓 にして 「じ やうみ」 ともい ふ, 

これ は 昔 は 三月 最初の 巳の 曰に 行 はれた ので 三日と 定 つたこと ではなかった ので ある。 hij は 

みみ 

即ち 上の 已の 日と いふ 意味から 名づ けられた ので ある。 三日と 日 を 一 定 する やうに なった の は 

そう  f  ちょうさん 

ま 那の宋 の 頃から とも、 魏の 頃で あると もい ふ。 日 を 定めた ので 「重 三」 とい ふやう になり、 叉 

此頃は 桃が 唉 くので 「桃の節句」 と稱 し、 一般に 雛祭り をす るので 「雛の 節句」 ともい はれて 

ゐる。 舊曆 では 春 も そろく 末、 新曆 でも この頃から は日增 しに 暖く なって 春の 訪づれ として 


-107 — 


桃办^ き 出す ので いかにも 長閑な、 义 いかにも 女の子に ふさ はしい 遊びで ある。 

キ J よくす ゐ 之ん 

この 日、 朝廷で は 「曲水の 宴」 が 行 はれた とい ふが、 之 は 勿: i 支那から 傅った ことで、 その 

起源に ついては、 周の 武 王が 暴政 を ふるった 殷の紂 王を滅 して 洛邑 に狨を 築き、 流水に 盃 * をお 

ベて 天下 銃 一 の 祝宴 を はった とい はれて ゐる。 叉, 「上巳の 祓 3 等と いって 身 や 心の けがれ を 

修祓す る 事が 行 はれて ゐ たので、 それに 附隨 した 宴と して 趣向 を こらし 行 はれた とも いはれ て 

ゐる。 

我が 國 でも 文武 天皇 以来 行 はれた。 誠に 風流な 御遊で ある。 御苑の 池に 水 を 流し、 その上に 

うか 

酒 盃を泛 ベ て 文才の ある 公卿が 酔に 並び、 それ/^ \ 自分の 前に 盃が 流れて 來 るまでに 詩 や 歌 を 

作って その 盃を とって 飮ん だとい ふ。 靜かな あたり、 淸き 水と 對 して いかにも 我々 日 本人に ふ 

さはし い 宴で ある。 

しかし、 一般に は 雛祭りの 方が より 以上 盛大に 行 はれた。 屛風を 奥に 赤い 毛氈の 上に 並べら 

れた 雛人形の 前に 女の子が 集って 樂 しむ 様 は、 やがて 嫁いで からの 甲斐々 々しい 姿が しのばれ 

てうれ しい。 雛 を 祭る 事 は 我が 阈 固有の 行事で、 可成 古く 行 はれて ゐ たやう だが、 元來 女の子 


一 108  — 


が 人形 を翫 ぶこと は その 性質から 誰でも やる ことで あるから、 昔 は その 程度であった らう。 そ 

れが 雛祭りと して 上巳の 節句の 日に 行 はれる やうに なった の は、 足利時代の 中頃と いはれ てゐ 

る。 人形の 作り方 や 衣裳 等 も 時代が 進む につれ て 人々 の 要求に ともなって 行った。 德川 時代 か 

らは 一 an 盛大に 行 はれる やうに なった。 尙 また 前に 言った 「上巳の 祓」 に は 今でも 六月 や 十二 

月に する やうに 絨で 作った 人の 形 をした もの を 用 ひたので、 これと 混^して 三月に 飾る やうに 

なった の だとい ふこと である。 

つ いでに 祓には 今でも 弒 の.^ iw- 用 ひて ゐ るが これ は弒雛 (神 雛と もい ふ) が 人に 代って 災 

厄 を 引受け、 そして 幸福 を もたらす と 言 ふ 信仰から 用 ひられて ゐ るので ある。 

五月 五日 

、 きゃ& きかと 稱 せられて ゐ るが、 重 五の 節句、 菖蒲の 節句 等と もい ふ。 端 は 「もの k 初め」 

とい ふこと でかの 日の 最初で あるので 「端 五」 と稱 した。 「五」 を 「午」 と 書く の は 音が 同じ 

ラ ま<  ^  > 

であるから である。 叉、 一 說には 「五月に 入って 第一 の 午の 曰」 で、 ー兀來 は 五日に 限った こと 


一 1CD 一 


はなく 最初の 午の 日 を あてた の を 五日に 1 定 したと もい はれて ゐる。 三月が 女の 節句で あるの 

I  ちま さ 

に對 して、 五月 は 男の 節句と して 颯爽た る 初夏の 签 に 鯉幟 を飜 して 菖蒲 を 軒端に さし 粽を 食す 

る 等、 季節から も 飾りつ けから も いかにも 男らしい 潑剌 たる ものが ある。 

これ も 勿論 支那から 來た 事で あるが、 これに は 面白い 傳說が 織りな されて ゐる。 

屈 原と いへば 楚國の 家老と して 有名な 人で ある。 懷 王に 事へ て 世 を 治め、 舉 問も廣 かった が 

ぺ きら 

讒言され て 江 南に 左遷され た。 彼 は 赴任の 途中 「懷 河の 賦」 とい ふ 詩 を 作って 汨羅 とい ふ 川に 

投身して しまった。 それ は 五月 五日であった。 楚の 人々 は 之 を 憐んで 毎年 此の 日に は 竹筒の 中 

に 米 を 入れて 水中に 投げ入れ 彼 を 弔った。 漢の武 帝の 時に 長 沙の歐 回と いふ 者が 河の 畔を 通る 

と 見なれ ぬ 者が 來て、 「自分 は三閭 太夫と いふ 者 だが、 每 年祭っても らふの は 嬉しい が この 淵 

の 中には 蛟龍が ゐて、 折角の 供物 も 食べられ てし まふ。 それ故に これから は 葦の 葉で 包んで 五 

色の 糸で 縛って くれ。 さう すれば 葦 や 五色の 糸 は 蛟龍の 嫌 ふ もの だから 食べられない」 と。 こ 

の 話 を 聞いた 屈 原の 妻の S が、 所謂 粽を 作って 投げ入れ たとい ふ。 事の 眞僞は 別と してい かに 

も 支那ら しい 說話 である • 


—  110  — 


棕は 悪鬼に 象った もので、 之 を 切って 食べる の は 悪鬼 を 降伏させる 意 だとい ふ。 菖蒲 は藥萆 

ぶち W 

で、 之 を 湯に 入れて 浴す の は 惡病邪 氣を拂 ふので ある。 軒端に 菖蒲の 葉 や 蓬 を さすの も 災難 を 

避ける ためで あるが、 こんな 話 も ある。 

へ t- じょ. C.C 

平舒 王が 臣下 を 殺した 時、 その 靈が 毒蛇と なって 禍を なした。 その 時に 智者が 「蛇の 形 は 頭 

が 赤く 身 は靑く 菖蒲に 似て ゐる。 それ故に 菖蒲 を 切って 酒に 入れよ」 と。 その 通りに すると 蛇 

は 姿 を かくした とい ふ。 これ は 一 つの 精神 作用で あらう。 

柏 は 古昔 神 を 祭る 時 に 供 へたので 柏餅 を 食 べるの も 邪 氣を拂 ふ 意 で あらう。 鍾尬 は 支那で 疫 

鬼 を拂ふ 神と いはれ てゐ る。 唐の 玄宗 が病氣 になった 時に、 夢の 中に 小 鬼が 現れた の を 藍 孢を 

著た 大 鬼が 捕へ て 食った。 玄宗 がその 名 を 訪ねる と、 「自分 は修 南山に 住む 鍾馗 である」 と。 

夢から 覺め ると 病 は 全快した ので、 吳道 子に その 姿 を 書かした とい ふが、 大きな 眼, 長い 髯、 

黑ぃ冠 を かぶって 長靴 を 穿き 拔劍 した 姿 は 勇ましく も 凄い。 吹流し は德川 時代から 始 つた。 鯉 

蜣は 爽快で ある。 殊に 鯉 は 昔から 出世魚と され、 男子の 立身 榮達を 祝す る 意と されて ゐる。 

帱は昔 は弒で 作った が 布と なった。 胄 人形 も 最初 は 蓬で 人形 を 作り、 紙で 作った 胄を かぶせ 


一 in 一 


たりし、 或は 眞菰の 槳で馬 を 作った ので ある。 又、 端午の if り は 幟が 最初に 行 はれた ので、 そ 

れも 外に 飾った のが、 座敷 幟と いって 窒內に 飾る やうに 小さく 作った。 

我が 國 では 仁德 天皇 頃から 行 はれて ゐ たやう である。 中古 時代、 朝廷で は 三日に 六衛府 から 

もぐさ  との も づ かさ  • 

藥 玉に する 菖蒲 ゃ艾を 上る と、 四日の 夜に、 王 殿 寮の 役人が 所々 の^ 舍の 軒に さす。 五日に は此 

の 日の 藥玉 など を 作る 糸 所から 菖蒲 縵を献 する。 陛下 は その 綏を つけられて 武德 殿に 出御 せら 

れて宴 會を行 はせられ、 群臣 も綏を かけて 御馳走 をい た^く。 それから 馬場で 騎射 を 行 は せら 

れた。 そして 柱に かけた 藥玉は 九月の 重陽の 曰に 菊と 取替へ るまで かけて 遛 いた。 

武家 や 民間で も 一般に 行 はれ 足利時代に は 菖蒲 酒を飮 み、 菖蒲湯に 入り、 又粽を 贈答し 合つ 

そめ. A たァら 

た。 德川 時代に は 益々 盛んで、 染 帷子に 長 f: で 登城し 祝儀 を 首 上した。 大奥で はお 目見え 以上 

の 者は參 殿して 祝賀 を陳 ベて 柏餅 を 献上し、 叉 三 家 三 卿等將 軍 家の 姻戚から は粽を 上った。 將 

軍 家に 嗣子の 誕生が あった 年に は玄關 前に 幟 を 飾り 與カ 同心が^ 衛 した。 

七月 七日 


一 112 — 


—  113  — 


綠 滴る 竹の 枝に 赤 や 黄 や 紫 等の 色鈹に 天の川と か 俳句 ゃ欹を 書いて 結びつけ、 軒端に 飾る の 

は 夏の 空に ふさ はしい 情景で あり、 叉 いかにも すがく しさ を與 へる 風趣で ある。 まだ S けき 

らぬ 暁に 芋の 葉 や 草葉に 宿る 夜露 を コップ や 茶碗に 集めて 硯を すって、 筆 を 走らす の も 風雅な 

ことで あり、 衣裳 や 吹流し を 作る のも樂 しい ものである。 飾った 竹に 風が 吹き 來 つて 葉 かげに 

ゆれる 色弒 はな まめかし い。 それ も都會 では 次第に 見られ なくなって 懷 しい 思 ひ 出と ならう と 

して ゐ るが、 仙臺 では 今 も 變らす 盛大に 行 はれて ゐる。 丁度 此の頃 は晝の 暑さに 弱り はてた 人 

々が、 夕日の 沈む の を 待って 凉を 求めて 外に 出る。 すると 晴れた空に くっきり 了條の 天の河お 

見える 何 かしら そこに 幽遠な 思 ひに ひきつけられる。 一 生 を 旅に 募した 德川時 if の 俳に 公 尾 

芭蕉が 江戸 を 離れて 幾 月 か、 北陸の 海岸に 泊った 夕、 この fK の 河 を 見た 時、 さすがに 旅の 寂し 

さが ひし/ \ と せまって 

荒海 や 佐 渡に 横た ふ 天の河 

を よんだ 心 持 もよ く 思 ひ 知られる。 

>  け ふぎう ひこ まし  しょく ぢ t 

支那の 傳說に 依る と牽牛 (彥 星と もい ふ)、 辯 女の 二つの 星が あった。 織女星 はもと 天 帝の 


女で、 年々 天帝の 衣 を 織って 暮し、 年頃と なっても 容姿 を かま はや 仕へ た * 帝 は その 獨 居を憐 

んで IK の 河の 西に ある 牽牛星に 嫁がせる と、 それから は 織女 n 生 は 機 織 を 怠った ので 天帝 は 怒つ 

て 河の 東に 歸ら せ、 一年に 一度 會 ふこと を 許した。 それが 丁度 七月 七日の 夜で、" §が 翼 を 並べ 

て 橋 を 作り、 川 を 渡って 會 合させた とい ふ。 そして 星の 光が 明らかな 時 は 天下 泰平、 光が 喑ぃ 

と 兵亂が あると されて ゐる。 星 を 祭る 處 から 星 祭、 織女 祭と も 云 ひ、 叉 女の手 藝に 上達す るた 

き こうてん 

めの 祭と いふので 乞巧奐 とも 稱 せられて ゐる。 

起源 は 古く、 明瞭で はない が、 支那の 漢 代に は 實 施されて ゐ たとい ひ、 我が 國へ 渡来した の 

も相當 古い やうで ある。 

宮中で も定 つた 儀式と して 行 はれ、 淸凉 殿の 東 庭に 莛を 敷き 朱塗の 机 を 超き、 梨 や 桃、 大角 

豆、 大豆、 瓜、 茄子 等から 酒 を 供へ、 また 女の手 藝に耍 する 針な どまで 供へ たやう である。 そ 

して 一 晚中、 番をして 夜明け 頃に は 管絃を 奏した とい ふ 事で ある。 

江戸 幕府で もい ろくの 供物 をして 祭り、 供物 は、 翌朝 、品 川 沖の 第三 臺場 附近に 遝び 出し 

て 捨てた とい ふこと である。 


一】 14  — 


飾り 方に ついては いろく ある やうで、 今でも 机に 茄子 や 圑子を 供へ 香 を 焚いて 星 を 祭る 風 

習の 傅る 地方 も ある やうで ある。 德川 時代に 作られた 覉旅 漫錄を 見る と、 京都の 七夕 は. f さい 

提灯 を澤 山に 竹の 枝に 結びつけ、 子供 は 手 習の 先生の 家の 前に 持って行き、 夕方 は 加 茂 川に 流. 

すので あるが、 ニ條と 五條の 河原と 定められて ゐ るので、 提灯 を 持った 人が 何百 人と なくつ ビ 

いて、 丁度 星が 飛ぶ やうで あると 書いて ある。 いかにも 夏の 宵に ふさ はしいで はない か。 

ー體、 七夕 は 棚 機と 書く のが 正しい ので 七日の 宵で ある 處 から 七夕と 書いて 「たなばた」 と 

, t  はた 

讀む やうに なった ので ある。 棚 機と は 機織りの 道具に 棚 を わたした やうな ものが あると ころ か 

, ,  V! なば. &っ め  , , 

ら出 たので、 はた 織る 女 を 「棚 機 津女」 といった の を 「つめ」 を 略し、 叉 織女と 書いて 讚む や 

うにな つたので ある。 

此の 夜の 鵲 について は 次の やうな 傳說が ある。 

昔、 支那に 遊子と 伯 陽と いふ 夫婦が あって 健康な 身で 長生した が、 遊子が 九十 九に なった 時 

に 妻の 伯 陽 は 死んで 行った。 夫 は 心から 嘆き悲しん だが、 なすべき 法 もない ので、 せめて はと 

1 1 人が 眺め 樂 しんで ゐた月 を 一 人 眺めて 淋しく も 自ら 慰めて ゐた。 


-115  — 


然るに 或る 夜、 いつもの やうに 月 を 眺めて ゐ ると、 死んだ 害の 妻が 一羽の 鵲に のって {4! を 飛 

ぴゅ くの を 見た 3 遊子 は 見ない 中であるなら 兎に角、 一 寸 でも 見てから は 一 朁 傷、.: a は 加って 途 

に そのため 百 三才 を 最後と して 死んで 行った。 彼 は 死ぬ と 自ら 星と なって 鵲に乘 つて 伯 陽 を 追 

つたが、 悲しい ことに、 妻 は 天の川の 彼方に 行って しまった。 

しかし、 七月 七日の 夜 だけ は 鵲が翼 を 橋に して 二人 を會 はせ て くれる とい ふ。 

力 月 九 曰 

ちょうやう  ま  しょうえ う 

九月 九 曰 は 「重陽の 節句」 と 言 はれて ゐる。 魏の文 帝が 鍾 i に與 へた 文の 中に、 「歳 往キ月 

來リ、 忽チ復 力 月 九日。 九ハ 陽數ト 爲シ、 而シテ 日月 並ビ 應ズ、 故 -1 重陽 ト曰 フ」 とあって、 

奇數は 陽、 偶數は 陰と したと ころから、 その 九の 陽が 二つ 重る ので 重陽と いはれ た。 支那で は 

ちょ-つ. う , , 

重 九、 九九 等と いったが、 丁度 その 頃に 菊が 哚 くので 「菊の 節句」、 栗が 出る 頃な ので 「栗の 

節句」、 ともい つたので あるが、 之 は 勿論 陰曆の 九月 初 句で、 新曆 では 菊 や 栗に は 早い ので あ 

る。 


一 116  — 


その 起源 は 明らかで はない が、 支那で 漢 代の 初期から 行 はれて、 山に 登って 詩を賦 したと い 

ふが、 我が 國に 傳來 したの は天武 天皇の 御代と いふ。 

k でし  みとせ り  ぐ み 

官中 では 此の 日、 天皇 南 殿に 出御 あらせられ、 御 帳の 左右の 柱に 茱萸の 袋 を かけ、 花瓶に 菊 

花 を揷 して 御^の 緣 側に 置き、 公卿 を 召され、 文舉に 秀でた 者に 探^  (漢詩 を 作る ときに 韻字 

ひ う を 

を 探って 分ち 取る こと) を 賜って 詩 を 作らし め、 後、 氷 魚と 菊花 酒 を 賜った。 茱萸を かける の 

はこれ は 邪氣を 除き 寒さ を 防ぐ からと いひ、 菊花 酒 を 酌む の は 黄菊の 花片 を 酒に ひたして 生命 

を 延べる ためと 稱 せられて ゐる。 尙叉、 八日の 夕方、 菊花に 綿 を 著せ 置いて 夜露に しめった も 

の を 九日に 取って、 之で 身 を 拭いて 老を拂 ひ 菊の 露で 身 をし めして 千年の 齢 を 延べようと 祝つ 

たとい ふ。 

菅原 道眞の 有名な 「去年 今夜 侍- -淸凉 こ と 太宰府で 作った 詩の 去年の 今夜と は 何時かと いふ 

と、 大 鏡と いふ 本の 中に 「內 裏にて 菊の 宴 ありし に」 と あるし、 日本 紀 略に は、 r 昌泰 三年 九 

月 九日 甲 午、 重陽 宴、 題 云、 寒 露 凝、 十日 乙 未、 公 宴、 題 云 秋思」 と ある。 これに 依る と 重陽 

の 宴の 時には 「寒 露 凝」 とい ふ 詩 を 作り、 十日の 夜 宴に は 「秋思」 を 作った が、 時の帝、 宇多 


一 m — 


Jb- ゥたく 

天皇の 御感 にあ づ かって 御 恩賞 を 賜った。 しかし、 翌年に は 草深き 筑 紫の 里に 流謫の 身と なつ 

て 雷-陽の 夕を迎 へた 時、 彼の 感懷 はいかに や。 思 ひやる さへ 愁傷の 極みで ある。 

武家で もこの 日 を 式日と し 連綿と して 重視され たが、 殊に 德川 時代に は 諸 大名 は 出仕 登城し 

て 献上の 事が あった。 大奥で は 此の 日 は 命 を 延べる 吉例と して 御 祝の 杯に 黄菊の 花片 を 浮べ て 

飮み、 女中 達に も 料理に 酒 や 丸 餅 を 添へ て 賜った とい ふ。 

民間で も 祝 ひ、 菊 酒 をく み 栗 飯 を 食 ふの が 風習であった。 

支那の 傳說 にかう いふ ことがある。 汝 南と いふ 慮の 桓景 とい ふ 者が 費 長 房に 學ん でゐ たが、 

或る時 「丁度 九月 九日に お前の 家に 災難が 來る。 それ故に 囊を鏠 ひ 茱萸を 入れて 肩に かけて 山 

に 登って 菊 酒を飮 むと 逃れる ことが 出來 る」 と。 桓景 はこれ を 信じて その 通りに すると、 家の 

雉 や 犬、 牛、 羊 等 は盡く 死んだ。. 長 房 は それ を 聞いて 「お前の 身代りに なった の だ」 と。 これ 

から 出た の だと 傳 へて ゐる。 


—  118 一 


三、 曆の話 

曆には 二つ ある。 太陽 曆と 太陰 曆と である。 

昆在陡 F されて ゐ るの は 太陽暦で、 今 は 世界 各國 とも 之に 依って ゐる。 略して 陽 麿と も 呼ん 

でゐ るが、 之 は 太陽が 緯度 を 一周す るのに 要する 時間 を 一年と して 計算した ものである 我 力 

國で 陽暦に 改められ たの は 明治 五 年からで、 之に ついては 解 說の要 も あるまい。 

太陰 曆は、 明治維新 前まで 我が 國 でも 使用して ゐ たので、 古い 誉物 を讀む 場合に はよ く现解 

して 置かない と 意味が 分らない 事が ある。 玆に說 明す るの も 此の 太陰 麿の 事に ついて^ ある。 

ー體、 曆^ 支那から 傳來 した ものであるが、 何時頃 かと 云 ふと、 怫敎が 初めて 傳ハら れた欽 

明 天 皇の 御代で、 御卽位 十四 年 目に 百濟 から、 醫擧 ゃト學 と共に 曆擧 も傳 つて 來 たので、 曆學 

の 博士が 來た 事が 古書に 見えて ゐる。 しかし。 まだ この 曆を 使用す るまでに は 至らなかった。 

推 古 天皇の 御代に は、 更に 百濟 から 恥 いふ 僧が、 天文 や 地理の 書物と 共に 暦の 書物 を も 


—  119 一 


持って来て、 我が 國の 人々 によって 大いに 研究され、 二 年 目の 十二 年 正月から 曆 法が 使用さ^ 

る やうに なった ので ある。 この 曆は 太陰 曆、 即ち 略して 陰曆 である。 

陰曆と はどうい ふので あるかと いふと、 太陽の 周 行に は關 係な く、 月の 滿盈、 卽ち 月が 出 は 

じめ てから、 月が かくれて しま ふまで を 一 ヶ月と する ので ある。 之 は 正確に 言 ふと 

1 一九 日 三 • 五 〇 

となる ので あるが、 小の 月 を 二十 九日と して 切捨て、 犬の 月 は 三十日と して 切上げる ので あ 

る。 かくて、 月の 滿盈は 一年に 十一 一回で あるので、 從 つて 十二 ヶ月と したので ある。 

然るに、 この やうに すると、 一年、 即ち 十二 ヶ月で は 

三百 五十 四日 

となって、 餘 分が 出て 來る。 と 云って 十三 ヶ月と すると 

三百 八十 四日 

となる。 一 年 は 

三 六 五日 二 四 • ニニ 


一 120 — 


ひ あるから、 十二 ヶ月に しても、 十三 ヶ月に しても 丁度と ならす、 差が ある。 そこで 平年 は 十 

二 ヶ月と し、 その 餘分を 集めて 一 ヶ月 を增し 十三 ヶ月と した。 これが 閎 月で、 大體五 年に 二度 

で、 十九 年間に 七つの 閨 月が あれば 調和す る。 この!: 月 は 今の 曆の やうに 二月に 限らす、 どの 

月の 後へ でも 入れる。 例へば 正しい 二月が すんで 次に 阖 月が 入る と、 「,一月」 と稱 する。 「i3 

七月」 とい へば、 七月の 正しい 月の 外に、 もう 一 度、 七月 をく りかへ すわけ である。 

陽暦 を 使用す る 現今で も、 農家な ど は 却って 陰暦の 方が 農事と よく 適合して 都合が よいので 

暦に は兩 方が 記されて ある。 殊に 季節な ど は 陰暦の 方が よい。 

現在の 四季 は 誰でも 解る が、 昔 は陰曆 とよく 合 はせ て稱 したので、 ^に ま此 こつ (て說 明し 

ょラ。 

萬 葉 集に 

睦月た ち 舂の來 たらば かくし こそ 

梅 を 折りつ i たぬ しき をへ め 

とい ふの が あるが、 睦月 は 正月で あるが 正月に なって 春が 来たと いふ こと は、 今 も 新春な ど., 


用 VJ てゐる 力ら よいと して、 梅の 枝 を 折る とい ふの は 花の^いて ゐる 枝で あるの は 言 ふまで も 

ない。 溫暖 な南國 ならば 兎に角、 束 京 あたりで は 正月に 梅 はま だ哚 かない。 

水無月の 頃に なり ぬれば 端 居の 風した しく、 わら ふだ 敷きて 居る も决 し。 

これ は 貝 原 益 軒の 文で あるが 水無月 は 六月で あるから、 六月に 緣 側に 出て ゐ ると 虱が 凉 しい 

とい ふの も 一 寸 諒解し^ ねる。 

力う いふ やうに 昔の 文 を讀む 時、 よく 注意し なければ ならぬ の は 季節と 月と が 今と は 異るこ 

とで ある。 これ は 太陰 麿から とった、 めであって、 昔の 曆 では 正月と いへば^ K に 季節 も新卷 

であった ので ある。 即ち 曆の 新春と 季節の 春と は 一 致して ゐた。 そこで 一 年 十二 ヶ月 を 四季に 

分ける と 三 ヶ月 づ X になる ので ある。 

それ故に 現在で は 正月に なつてから 更に 大裟 となり 寒さが 加 はる。 そして 二月 初 句に 寒が 明 

けて 季節 は 冬に 別れて ほんとの 舂 となる、 所謂き 分で あるので ある。 この 夕方、 今でも 豆まき 

を 行 ふが 昔 は 大晦日の 夕に 行 は れ たので ある。 


一: 122 — 


十 十 十九 八 七 六 五 四 三 二 


1 月 —孟 舂、 新春) 

月 ー 仲 春  舂 

月 I 季 春  ) 

月 I 孟夏、 初夏 ) 

月 1 仲 夏  . 夏 

月— 季 夏  一 

月 I 孟 秋、 新 秋 一 

月 ー 仲 秋 . 秋 

月— 季 秋 

月 I 孟 冬、 初冬 一 

1 月 —仲 冬 . 冬 

1 1 月 I 季 冬  I 

今 「新春」 といっても 曆の上 だけで、 季節で はない。 叉、 

今 は 九月 (即ち 舊曆 では 八月) をい ふ。 

とせ 

年の 內に 春は來 にけ り 一 と 年 を 

こ ぞ  ことし 

去年と やい はん 今年と や 言 はん 


「仲秋」 は 八月で あるべき のに" 


一 123 — 


荩鴻獺 
木 雁 祭 
萠北魚 

動 行 


魚蟄東 七 
陟虫風 十 
負始解 二 
水 振 凍 候 


李杏釆 望樱迎 花 
花 花 花 春-花 舂 信 


これ は 有名な 古今 集の 中の 歌で ある。 どうい ふ 意味 をい ふかと いふと、 前に も 述べた やうに 

閏月 等の 閼 係で 年內に 立春が 来た 時の 歌で ある。 

舊曆 では、 太陽が 黄道 (太陽の 視 軌道で、 赤道と 二十 三度 半の 傾斜 をな して ゐる) 上に ある 

位置に 依って、 一 年 を 二十 四氣に 分ける。 一 氣は 更に 三つの 勢に 分ける ので、 一 候 は 五日と な 

る わけで ある。 

昔 は 1 1 十四 氣は 暦の 上の 日と よく 適って ゐ たが、 前に も 記した やうに 新 麿に は 適合して ゐな 

い、 又 小寒から 穀 雨までの 間に 哚く花 を 順に 記して、 古人 は その 花の^く の を曆を 見ながら 樂 

しんで ゐた。 之 を 表に 示す と 次の やうになる。 

一一 十四 氣 太陽暦 B 取 節 氣 

立 春 二月 四日 正月 節 

雨 水 二月 十九 日 正月 中 


—  124  — 


芒 小 立 穀淸春 啓 
種 滿夏雨 明分蟄 


五 

四 

四 

月 

月 

月 

月 

月 

月 

月 

節 

中 

III 

中 

中 

節 

/ — へ 、 

'  ~N 

反腾螳 麥靡苦 王蚯蝼 戴嗚萍 虹 ni 桐 始雷玄 飚食祧 

舌始瑯 秋^: 菜 瓜蚓蠼 滕鳩始 始鼠始 乃^ 化庚始 
無 鳴 生 至死夯 生 出 鳴 降拂生 il 化 華 電發至 ^^華 

m  桑 其 ^ 聲旭 


羽 

楝酴牡 柳麥桐 木 梨 海 笾棣桃 
花醱丹 花 花 花 蹒花棠 漦花花 


—  125  — 


三 月 六日 

一二 月 一 一十 I  口 

TO:  H 五 口 

TO: 月 1 1 十  一 口 

五月 六日 

五月 二十 二 H 

六月 六日 


秋 白處立 大小 夏 


八 

八 

七 

七 

ハ 

六 五 

月 

月 

月 

月 

月 

月 月 

中 

節 

中 

節 

中 

節 中 

水蟄雷 
始虫始 
涸坏敉 
戶聲 

群玄鴻 禾天隳 
鳥 爲雁 乃 地 乃 
養歸來 登始祭 
m       肅 馬 

大土腐 
雨 潤 草 
時溽爲 
行暑螢 

隳蟋溫 ^^鹿 
始蟀風 i 始角 
擊居至 生 鳴 解 
習 壁 

至 六月 二十 二日 

暑 七月 八日 

暑 七月 二十 三日 

秋 八月 八 S 

暑 八月 二十四日 

露 九月 八日 

分 九月 二十 三日 


— 12G- 


小 冬 大小 立 霜 寒 
寒 至 雪 雪 冬 降^ 


雉鵲罹 水 麋 蚯 荔虎 30 閉天虹 雉 地 水 蟄草豺 菊雀鴻 
始北 ^角 蚓 挺始鳥 塞 騰^ 入始始 虫 木 乃 ^入 雁 

^mm 動 解 結 出交不 成地不 ; 凍 水 咸黃祭 黄水 来 
m  v^\n 俯 落 華 g 

7h 山 梅 
仙 茶 花 


十月 九日 九月 節 

十月 一 一十 四日 九月 中 

十一月 八日 十月 節 

十 一 月廿 三日 十月 中 

十二月 八日 十 一 月 節 

十一 一月 廿 三日 十 一 月 中 

一月 六 曰 士 一月 節 


山蘭瑞 
礬 花香 


大 寒 一 月 二十 一日 十二月 中 一征 鳥癘疾 

〖水 澤腹堅 

四、 昔の 時間 

時 問の 話と 言っても、 昔 我が 國で 使った 時間の 數へ 方と いふ 事で ある。 

今では 世界 各國か 時計に 依って 時 問 を 言 ひ あら はして ゐ るので、 時計 さへ あれば、 分らぬ 人 

はない ので あるが、 時計の なかった 昔 は、 時 問 はほんの 大體の ものであった。 

昔 は 時計がなかった ので 時間 を どうして 計った かとい ふと 「漏刻」 と 言って 時間 を はかる 道 

具が あった。 これ は 大きな 器の 中に 水 を 入れて 置き、 下部に 小さい 穴が あって、 その 穴から 常 

に 一定量の 水が 漏出す る やうに なって ゐる。 その 水量で 時間 を はかる ので 「k 寺 計」 ともい ひ 

この 方法 をよ く 心得て ゐる者 を 「漏刻 博士」 と稱 した。 

支那で やって ゐた 事で あるが、 之が 我が 國へ 傳來 したの は齊明 天皇の 六 年で あると いふ。 m 


—  128  — 


原 時代に は 一 一人の 博士の 下に 1 一十 人の 役人が あって 測定して ゐ たが、 後に は廢れ てし まった。 

漏刻で 測定され た 時刻 は鎵ゃ 太鼓 を 打って 一 般に 知らせた が、 これは^ 表の やうに 夜 十一 一 時 

に 九つ 打ち、 一 刻に 一 つづ >- 減じ、 正午に は 叉 九つ 打った ので ある。 

鎌 倉、 足利時代 は 漏刻 もなかつ たので、 た^ 大體の 時 問 を 知る ばかりであった らしい が、 家 

康は夜 明 六 時と 夕暮六 時に 太鼓 を 打た した。 秀忠 時代から は 鐘 を 打た せた。 

そして 一 晝夜は 十二支に 從 つて 十二分し たので、 一刻 は 今の 二 時 Si に相當 する。 十二支の 方 

では 一 刻 を 更に 四 分して 「一 つ」 「二つ」 と數 へた。 例へば 「子 一つ」 とい へば 十一 一 時半で あ 

る。 又數の 方で いふ 時間 は 「半」 とい ふ 語 を 使って 一刻 を 半分した T 九つ 半」 は 一時で ある。 

「草木 も 眠る a 三つ 時」 と は n 一時 半 頃で ある。 しかし 「丑滿 つ」 とい ふ^で 「丑に 滿 ちた、 

即ち 丁度 二 時 だ」 ともい ふが、 實際 午前 二 時 頃の 方が 靜 寂な 感が ひとし ほす る やうで ある。 

「更」 と は 夜の 時間 をい ふので、 八 時から TO: 時まで を 五つに 分けて ゐる。 それ故に 丁度、 夜 

中になる こと を 「夜が 更ける」 と 更の字 を あてはめて ゐる。 

今の 時間の やうに 一 定 された の は 明治 六 年 一 月に 曆 法改正と 共に された. のであって、 畤 計の 


-129  — 


あ 


四 五六 七 八 九 
四 五六 七 八 九 

つっつつ つつ 
半つ 半つ 半つ 半つ 半 ゥ半ゥ 


已 


巳 ノ辰ノ 卯 ,寅ノ 丑 


子 


丑 

ノ 

つ 刻 つ 刻 つ 刻 つ 刻 つ 刻 つ 刻 


ノ  f  ノ 


午 

十 十九 八 七 六 五 四 三 ニー 〇 後 

時時 時時 時時 時時 時時 時時 
夜       夕  晝 

X _ ^  V —"- '  


た 
ら 
ラ 


察 


戍 酉 

ノ?  ノ空ノ 

つ M  o  M つ M つ M つ M  o  M 


亥ノ戍 


申 未 
未 


午 


ノ  ±  ノ 


午 

十 十九 八 七 六 五 四 三 ニー  〇 前 
時時 時時 時時 時時 時時 時時 


i 不便で あつ 


三更、 丙 夜 

四更、 丁 夜 

五更、 戌 夜 


される- 


九 つ 

九つ 半 

八 つ 

八つ 半 

七 つ 

七つ 半 

六 つ 

六つ 半 

五 つ 

五つ 半 

四 つ 

四つ 半 


初更、 甲夜 

二更、 乙夜 


る 現在から 昔 

次に 時間の 對 


一 ISO  — 


十干 十二支 は 支那の 太古、 黄 帝が 作られた と傳 へられて ゐる。 即ち 帝 は大撓 とい ふ 者に 命ぜ 

られて 時 を 正された ので ある。 大撓は 陰陽 五行 說を 基と し、 北斗星 を 中心として 甲乙 を 作り 日 

に 名 づけて 「幹」 とい ひ、 子 丑 を 作って 月に 名 づけて 「枝」 とい ひ、 幹と 枝と を 組み合せて 六 

十日 を 作った のに 始まる。 

この ことが 應神 天皇の 時に 百濟 から 王 仁と いふ 者が 來た 時に、 丁度 その 年 は fQ 濟 では 乙 巳で 

あつたので、 日本で も 初めて 乙 巳の 年で ある 事 を 知り、 推 古 H< 皇の 時に 曆を 作られた ので 此の 

榦枝を 用 ひ、 大化 時代に 至って 年號 まで 初めて 出來 たので、 これから 一 般に行 はれる やうに な 

つたので ある。 この 幹 枝が 干支と 改められ たので ある。 

五行 說と いふの は、 天地の 問に 常に 循環して ゐる 五つの 元氣 があって、 これに 依って 萬 物 は 

育成 するとい ふので、 此の 五行に 方角、 TO: 季を あてはめ ると 次の 如くで ある。 


木 東  お" 育成 

火 南  夏  變化 

土 中央  生 出 

金 西  秋  刑 禁 

水 北  冬  住 養 

合性と いふ 事 をい ふが、 之 は 木から 土、  土から 金、 金から 水、 水から 木 を 生じる ことで、 木 

と 土、  土と 水、 水と 火、 火と 金、 金と 木と は相爭 ふので 相剠 といって ゐる。 現在、 人の 生れた 

年に この 五行 を 配して その 性と し、 合 相の 男女が ー緖 になれば 和合し、 相剠の 女が 一 緖 とな 

ると 不和で あると いふの は、 こ  >- に 起因して ゐ るので ある。 

この 五行に は 陰と陽と があって、 陽 は 「兄」、 陰 は 「弟」 である。 そこで 五行 は 十と なる が、 

これに 十干 を あてはめ、 そして 我が 國 では 音讀を せす に訓讀 にして ゐ るので ある。 

に  一 H  甲 きのえ 

1 ト —— 乙 きのと 


一 132 — 


辛 庚 己 戊 


丙 


以上の やうで 「えと」 と は 一 兄弟」、 即ち 五行の 陰陽の 事で あるが、 一方に 「十二支」 とい 

ふ ものが あるので 之と つ^けて 十干 十二支 を 「えと」 と稱 する やうに なった。 

十 一 一 支 は 前說の やうに 黄 帝が 作らせられ たので あるが 之 を^: 獸の 名に あてはめ たの は 漢時代 

であらう とい はれ、 佛 敎の說 からと もい はれて ゐる。 十 一 一 支の 夫々 は 一 年 問に 於け る 萬 物の 成 

熟から 牧穫 までの 意 を あら はした ので、 十二 ヶ月の 名と して 用 ひられた のが 始めで、 年 や 曰 や 

其 他に も 用 ひられる やうに なった。 今 その 意味 ゃ禽獸 との 闞係を 表示す ると 次の やうになる。 


ひのえ 

ひのと 

つちのえ 

つちのと 

力の え 

かのと 

みづ のえ 

みづ のと 


一 133 — 


申 未 午 

M       羊 馬 


已辰卯 寅 

蛇 龍 兎 虎 


丑 子 

牛 鼠 


子は滋 とか 孳と いふ 意で、 すべての も ひが 地下に 滋る。 即ち 一 月に はま だ 草木の 芽 一 

は 出ない。 鼠 は あと を かくす ものな ので あてた。  一 

丑 は 弒で舂 の氣 分が 天 にあって まだ 地に は來 す、 やがて 絲で 結ばれて あるので 訪れ 

る。 牛 は 子牛 を 可愛がって 慈愛 を たれる からで ある。 

萬 物が 陽 氣を迎 へ て蟥然 始まる の で 寅と いった。 虎の 性は亂 暴な の で 之に あてた。 

卯 は 茂る 意で ある。 兎 はものに 感じても 激 する こと はない ので あてた。 

辰 は 神で 萬 物が 延びる 頃で ある。 龍 は 風雲に 乘 じて 活動す るからで ある。 

巳 は 陽氣が 最高 點に 達した 時で ある。 蛇 は 龍に ついでい ろくに 變 化する から あて 

はめた。 

午 は 陰と陽と が 混る 時で ある。 馬 はよ く 走る ので あてた。 

未 は 味で 萬 物 成熟して 味が あるから 名 づけた。 羊 は 跪いて 乳 をのみ、 禮を 知る 故に 

あてはめた。 

申 は 身で 萬 物が 皆 一 つの 體を なすので ある。 猿の 黠の 性質から とった。 


已戊丁 丙 
卯 寅 丑 子 


已 戊 
丑 子 


丁 丙 こ 甲 
亥 戌 酉 申 


丁 丙 乙 甲 
酉 申 未 午 


一 1^5  ― 


酉 雞 萬 物が 老熟す る。 日が 西に 入って 門が 閉ぢる 時で ある。 雞は 兎に 比べて 元氣 でも 物 

に 動かされない。 

戍は脫 で 萬 物 つきはてる。 犬は靜 かなもの なので あてる。 

亥 は 核で ものが 皆 堅く とざ &れて 陽氣が 下に かくれて しま ふ。 猎は 犬より 一 腎靜" 

な ものである。 

この 十干と 十二支と を 組み合せて、 年 や 月 や rn にあて はめる。 干 は 十, 支 は 十二で あるから 

一っ^つ 餘 るので、 從 つて 六十 種の 組合せが 出来る。 


戌 犬 

亥 猎 


木 


火 


土 


第 一 

「甲子 (きのえね) 

.こ5  (きのとう し) 

、丙 寅 (ひのえ とら) 

丁 卯 (ひのとう) 

、戊辰 (つちのえ たつ) 

-已已 (つちのとみ) 


年 目 

甲 戌 (きのえい ぬ) 

こ 亥 (きのと ゐ) 


第二 年 目 


第三 年 目 


癸 壬 辛 庚 
未 午 巳 辰 


癸 壬 辛 庚 
已辰卯 寅 


庚 午 (かのえう ま) 

辛 未 (かのと ひつじ) 


. 八 /壬 申 (みづ のえ さる) 

フ i 癸 酉 (みづ のとと り) 

かう して 六十 種、 即ち 六十 年た つて 六十 一 年 

目 は、 叉 もとに 戾 つて 「甲子」 となる ので、 之 

を還曆 とい ひ、 年齢で もこの 年になる と 祝 ひ を 

する ので ある。 

十干 十二支 は、 年月日に 用 ひたの が始 りで あ 

るが、 之 をい ろくな 事に 利用した。 別記の 昔 

の 時間に も 用 ひ、 又 方位な どに も 次の やうに あ 

てる。 


—  136  — 


六、 月日 の名稱 

我が 國民 性の 一 つに 風雅と いふ ことが 數 へられる。 この 風雅 は 自然 を 愛する 心から 生れて 來 

る。 櫻 が^けば 花 を 見に 出かける。 月の 輝く 宵に は 月 を 眺めて 樂 しむ。 そしてた 見たり 眺め 

たり だけで は滿 足出來 なくて 欹に 詠す る。 

かう いふ 處 から 同じ 一 つの もので もい ろく 風流な 名 をつ けて 樂 しむ。 十一 一ヶ月の それ^- 

に 異名が  あるの もこの  ためで  ある。 

左に 舊曆で 言 はれて ゐた名 を あげて 艉說を 加へ よう。 

む  つ 

1 月. 睦月 

むつ 

正月 は 人々 共に 遊び 樂 しむので 「相睦 ぶ 月」 であると いふ。 叉、 我が 國 では 稻の 成熟 は 重 

大な闕 係 を もつ ので、 其の 稻の 成長に 依って 各月の 名 をと つたので あると もい ふ。 これに 

依る と 正月 は 「實 月」 とい ふ 意で、 この 顷に 始めて 稻の K を 水に 浸す からで あると いふ。 


一 137 — 


四 


月 如月 

この頃 は暖 くなる ので 綿 入から 袷に か はるが、 叉 寒い 日 も あるので 再び 冬の 着物 も 着な け 

き さらぎ 

れ ばなら ない とい ふので、 「衣 更月」 或は 「着 更着」 とい ふ 意味で あると いふ。 

^さ ゆら ぎ づ ま 

しかし 「萠搖 月」 の 意で、 草木が 生 ひ 出る 月で あると もい はれて ゐる。 

や よ ひ 

月 彌生 

草木が いよく 生 ひ 出て 來る からと いふが、 叉 一 月に 浸した 稻が生 ひ 延びる からと もい は 

れてゐ る。 何れにしても 今の 四月に 相當 する ので 暖氣 と共に 花 は 哚き草 も 木 も 茂り 行く の 

である。 

う づ *~ 

月 卯月 

うつぎ 

卯の花が 哚く 頃で あるから だとい ふ。 卯の花 は签 木と いふ 木に 哚く 花で、 この 木の 幹 は 中 

が うつろで 然も 堅い ので、 昔 は 木管と して 用 ひられた。 五六 寸の穗 の やうな 先に 五 瓣の白 

い 花が 初夏の 頃に 唤 くので、 四月 は舊曆 では 初夏で あるし、 その 晴れく した 處に 白い 花 

なので 人々 の 注目 を 引き 文 や 歌に よくと り 入れられて ゐる。 「卯の花 月」 ともい ふ。 


一 138 — 


うづぎ  >  • 

叉、 「植 月」 で稻の 苗を植 ゑる からで あると もい ふ, 

さ  つ *0 

五月 皋月 

さ t へづま 

「早^ 月」 の 略で あると いふ。 早苗 を植 ゑる からで ある。 これ は 今の 梅雨の 顷で, 毎日 雨 

さつ さ やみ  ほれ 

模様の {仝 は喑 いので 「五月闇」 とい ふ 句 も ある。 晴れる の は 珍しい ので 「五月 晴」 とい ふ 

句 も ある。 

みな づ *- 

六 月 水無月 

さすがの 梅雨 も 晴れて いよく 夏で ある。 雨 も 夕立 位で、 そんなに 降らない とい ふので 「 

水がない 月」。 暑熱が 劇しくな つて 水が 枯渴 する からで ある。 一 つに は、 「田 水の 月」 で 田 

に 水 を S へる 月の 意と いふ。 

ふ づ *- 

七月 文月 

ほふくみ づ *- 

稻も 延びて そろく 早 いのは 穗を 出し 始める ので、 「穗含 月」 と いふの が 略された とい 

f み づき  ばくしょ 

ふ。 叉、 r 穗見 月」 であると いふ 說も ある。 支那で は 七 n 七 曰に 曝書と いって 書籍 を 虫 干 

する ので 文月と 稱 したと いふ 說も ある。 


— 1.°,9  — 


は づ^ 

八月 葉月 

これに はいろ く說が あるが、 稻の穗 が 張る 月、 即ち 穗が 大きくな つて 垂れる やうになる 

月と いふの がよ い。 「葉 落 月」 で、 木の葉が 散り 初める からだと もい ふ。 

な y つま 

九月 長月 

舊曆 では 秋 も 終り、 燈火 親しむ 候で 夜が 長くな つた。 「夜長 月」 とい ふ 意で ある。 多感な 

人々 はこの 頃に、 読書に 物 思 ひに、 しみ, <\ と 夜の ふける の も 知らないの である。 叉稻の 

ほ なが づ *- 

穗が 長くな つて 刈り入れに 近い 顷と いふので r 穗長 月」 であると もい はれて ゐる。 

かん な づぎ 

十 月 ; I: 無月 

一般に は 諸 神が 出 雲國に 集る ので 神が ゐ なくなる からと いはれ てゐ る。 それ故に、 特に 出 

雲で はこの 月 を 「神 有 月」 と 呼び、 神 在 祭と いふ 祭事まで 行 はれて ゐる。 

しかし、 この 月に 諸 神が 出 雲に 集る とい ふ 話が 古書の 中 にないので、 いつ 頃から こんな 話 

が始 つた か、 神 在 祭の 起源が どうい ふところ か は 明らかで ないやう である。 まだいろ く 

の說 があって、 雷が 鳴らなくなる、 即ち 「雷 無月」 と 首 ひ、 X 「醸成 月」 で、 十 一 月の 新 


—  140  — 


嘗 祭の 準備に 新米で 酒 を 作る からと もい はれて ゐる。 「雷 無月」 が 一 番 あたって ゐる やう 

である。 

し. * つ * 

十 一 月 霜月 

霜が 降り出す からで あるが、 叉 一つに、 新嘗 祭が 行 はれる と共に 一般に も 新穀 を 食べる の 

& しもの 

で 「食物 月」 が 略された とい ふ。 

し はす 

十二 ほ 師走 

f  し を は 

極月と も 書く。 歳が 極て ると いふ 意で あると も 言 はれ、 叉 一年中の いろ./ \ の 事 を r 爲終 

す」 意と もい ふ。 この 後の方が よい。 

以上^も 廣く^ ひられ、 舊 曆で言 ふので あるが、 今 も 準用され てゐ る。 此の 外に も 佼雅な 名 

を 用 ひられて ゐる。 

i 月 II さみと り 月、 初春 月、 初空 バ、 霞 初 月、 上^、 首歲 

5 みどり づ^ かリ かへ るつ 4-- 

二 月 ,! 梅見 月、 雪 消 月、 小 草 生 月、 早綠 月、 雁歸 月、 仲 El 

三 月. i— 花見 月、 櫻 月、 春惜月 


—  141 一 


なつ. H  ほくしう  せう まん 

四 月 ii 1「 初 月、 花殘 月、 得 鳥^ 月、 麥秋、 立夏、 小滿、 純 陽、 仲呂、 正 陽、 淸和 


五 月 —— さく も 月、 たくさ 月、 賤男染 月、 橘 月、 月見 不月, 五月雨 月、 鳴蜩 

六 月- 

七 月- 


とこなつ  なる かみづ^ 

- 常夏 月、 風 待 月、 鳴 雷 月、 松風 月 

あきに  さ-つげつ どうしう 

• 秋 初 月、 七夕 月、 女郎花 月、 文披 月、 相 月、 桐秋凉 月、 親 月 


くれな いぞめ 

八 月 — 月見 月、 紅染 月、 秋風 月、 木染 月、 桂月、 仲秋、 素 秋、 淸秋、 塞旦、 秋 半、 深 秋 

ねざめ  &だ かり づ *w  ちくす ゐげっ 

九 月 —— いろどり 月、. 寢覺 月、 紅葉 月、 小 田 刈 月、 彌寢 月、 竹醉 月、 季秋、 髙秋 

こはる  やうげ つ  しひょう 

十 月 II 小春、 祌 去月、 初霜 月、 時雨 月、 陽 月、 上 冬、 初冬、 始氷 

^みか へり  ねの つき § き *<s  よ しづ.^ 

十 一 月 11 神歸 月、 子 月、 雪 待 月、 霜 降 月、 寒月、 葭月 

おとご  ごくげつ & ふげ つ げんとう 4v ゆうげつ  み ふゆ づま 

十二月 i 弟 月、 年よ つむ 月、 春 待 月、 極月、 臘月、 玄冬、 窮月、 梅 初 月、 三冬 月 

ついでに、 舊 曆は滿 月の 日 を 十五 日と し、 月が 出始める 日 を 一 日、 なくなった 日 を 三十日 又 

は 一 一 十九 日と して 作られた ものであるが、 この 語の意味 も 味 ひ ある ものである。 

つい たち 

1 日 朔日 

つまた ち 

これ は 日が 西の. M に 入った 後に 月が 微かに見え 初める 日で、 月が 出始める ので 「月 立」 と 


いったの が 音便で 「ついたち」 となった ので ある。 

十五 日 

』 ちづ. 3 

この 夜の 月 を 「望月」 といって ゐる。 この 「望」 とい ふの は、 月は滿 月で 日と 同じ 形と な 

り. 西に 日が 入る と 同時に 東から は 月が 出る ので、 同時に 相 望む ことが 出來 るからで ある 

とい ふ。 

つ ご も リ 

三十日 晦 日 

小の 月で は廿 九日になる。 「みそか」 とい ふの は 「三十日」 を 和訓で 讀ん だので ある。 十 

五日 を 過ぎる と 月 は 一 日 は 一 日と 缺 けて、 i ヶ月の 末に は 全く なくなって しま ふので 「月 

が こもる」 とい ふので 名づ けられた。 「晦」 は r 喑」 とい ふ 意で 宛字で ある。 

所謂 三日月 は 弓に 弦 を 張った やうな 形に 見える ので、 「弓 張 月」 といって ゐ るが、 七、 八、 

九日 頃の は 上 を 向いて ゐ るから 「上の 弓 張」 叉 は 「上弦の 月」 とい ひ、 二十 二、 三、 四日 頃の 

は 下 を 向いて ゐ るので、 「下の 弓 張」 「下弦の月」 とい ふ。 

叉、 十六 日 以後の 月 を 次の やうに もい ふ。 


一 143 一 


レ «- よ ひ 

十六 日 十六夜の 月 

「いざよ ふ」 とい ふ 語 は 「ためら ふ。 行かう として 行か や、 留まらう として 留ら す」 とい 

ふ 意で、 日が 西に 入って から 少し 後に 出る ので 「いざよう てゐ るう ちに 出る 月」 といった 

ので ある。 「望」 が 過ぎた ので 「旣 望」 ともい ふ。 

たちまち 

十七 日 立 待の 月 

十六 日より 遲 くなる が、 まだ それ 程で もない ので 立ちながら 待つ とい ふこと である。 

ゐ まち 

+ 八日 居 待の 月 

すわ 

出方が 大分 遲れ るので 「居って 待つ 月」 とい ふので ある。 

ね まち  ふし まち 

十九 日 寢 待の 月 (臥 待の 月) 

之 は 大分 遍 くなる ので 立ったり 坐ったり では 待ち きれぬ から、 寢て 待つ とい ふので ある。 

二十日 

f 日月と いって、 その 形から、 殊に 木の間から 輝く この 月 はもの 凄い として 歌 等に よく 詠 

まれて ゐる。 


一 144  — 


七、 國 名の 起源 

我が 國 では 現在 は府縣 となって ゐ るが、 昔 は 六十 八 ケ國に 分って それぐ 名 をつ けた。 これ 

は 今でも 用 ひるが その 名の 起源 は 興味深い 理由が あるので ある。 次に 簡單 に解說 する。 

山 城 古く は 「山 代」 「山背」 と 寄いた ので、 「山う しろ」 とい ふ 意で ある。 

やま と  やず ま と 

大 和 「倭」 と 書く のが 古く、 四方が 山に かこまれた 地と いふので 「山^ 處」 といった。 

^は ち  おほし 

k 內 「凡 河內」 「大河 內」 といった が、 國名 は必す 二字と いふ 定めに なった ので、 河內 

と 書く やう にな つ た。 大 川が 西北 を繞り 流れる と い ふ處 から 出来た。 

(づみ  ちぬ 

和 泉 今の 大阪灣 は茅婷 海と いって ゐた。 即ち 和泉灘 である。 そこで 西 はこの IS に 接する 

ので 「茅 濘國」 といって 河內に 合して ゐ たこと もあった。 これ を 和 泉と いふの は、 神功皇 

后が 新羅 を征 せられる 時に、 淸ぃ 泉が 湧き出て ゐ たので 名づ けられた とい ふ。 


一 14c 一 


*0  0  つのく こ 

攝 津 r 攝」 は 「かねる」 とい ふ 意で ある。 攝津と は 官職の 名で、 難 波と 津國と を かね 治 

める 役 を 置かれた。 それが 國名 となった。 此處は 淀川が 海に そ^-ぐ 地に あるので 「津の 

國」 ともい ひ、 仁德 天 皇が都 を 置かれて 「高 津宮」 と 言 はれた の は、 岸が 高かった からで 

ある。 

叉、 「難 波」 とい ふの は 「浪速 一 とも 書く やうに 「なみ はや」 で、 神武 天皇が 吉備 國高嶋 

に宫を 立てられ、 次で 東征の ため 御乘 船に なって 瀬 戶內海 を 進み、 此處 まで 來られ ると 浪 

が 速く 流れて ゐ たので、 「浪速」 と 仰せられ たのが 名と なった と 言 はれて ゐる。 

ぁュ M  あ ふみ 

近 江 「淡 海」 と 書いて 用 ひられて ゐ たが、 これ は 琵琶湖の ことで、 「淡」 と は 鹽分を 含 

まない から 淡 海と いったの である。 後に 濱名湖 も 「淡 海」 とし、 之 は 都から 遠く、 こちら 

は 近いので 「近つ 淡 海」 と稱 したが •  二字と して 「近 江」 と 書き 讀み方 は 淡 海と した。 こ 

れに對 して 「遠つ 淡 海」 は 「遠 江」 と 書き 讀み方 は 「とほつ あ ふみ」 が 訛って 「とほと 

ふみ」 と 今の やうに 讀む やうに なった。  •  • 

^ 賀 大化 改新の 時 は 之 は 伊勢に 合せられ たが.' 夭武 天皇の 九 年に 復活した ので、 起源に 


—  146  — 


ゥ いて はニ說 ある。 そ ひ 一 は崇神 H< 皇の 皇女の 伊賀 津 媛の 御镇で あった からと いひ、 他 は 

猿田彥 神の 娘の 吾峨津 媛が 居られた ので、 吾哦の 郡と いひ、 この 「吾 峨」 が 訛った の だと 

いふ。 

^ 勢 神武 天皇の 臣に 天 曰 別命と いふ 方が あつたが、 勑 命に 依って 數百 里の 束に 入る と 村 

があって、 治めて ゐる 神が あった。 この 神 は 伊勢 津彥 とい ふ 名で あつたが、 初 は 命令に 叛 

いたが、 後に は從 つて 領土 を 献上した。 この 神の 名から 起った とい はれる が、 まだ 外に も 

說 はあって、 川が 多い ので、 「八十 瀨」 とい ふと 言 ひ、 「五十鈴」 をつ めて 出來 たと も 言 は 

れてゐ る。 この 地 は 伊賀と 共に 平氏の 根據 地であった。 

志 摩 伊勢島と いふ 意味で、 元來は 伊勢に 屬 して ゐ たので あるが、 後に 分れた ので ある。 

たぶ し r 

その 國は答 志 崎と いふ 處が 半島の やうに 海中に つき 出て ゐ るから 伊勢の 島の 國と名 づけら 

れた。 壹岐國 に 次いでの 小 國で今 は 志 摩 郡と いふの が 一 つし かない。 

紀 伊 素盞鳴 尊の n 一人の 御子が 苗樹を この 地方に ぉ植 ゑに なった ところが、 非常によ く 成 

長す るので そのま^-長く 住まれた とい ふ。 「木 ノ國」 といん の を 國名は 二字の 定めに よつ 


一 147 — 


て延 して キイと いひ、 紀 伊と あてた。 

あは ぢ 

淡 路 淡路は 「淡 道」 と 書いても よいので 對岸は 四國の 阿波で あるから、 「阿波に 行く 途 

上」 の 島で あると いふ 意味で 名づ けられた。 

たん ぼ 

丹 波 昔は旦 波 又は 田 庭と 書いて 丹 後と 合せて 一 國 であった。 四道將 軍の 一 人で ある 丹 波 

みちのう し 

道主 命の 姓から 出た 名で ある。 

た, ん" ご  たんば のみちの しリ 

丹 後 奈良 朝の 和 銅 六 年に 丹 波から 分れ 丹 波 後 國と稱 したの を、 阈名は 二字との 定めで、 

丹 後と 改めた ので ある。 

た , じ ま  しらぎ 

但 馬 多遲 麻と も 田 道 間と も 書いた が、 垂仁 天皇の 頃に 新羅の 王子の 天日 槍と いふ 者が こ 

i に 土地 を 賜って 住し、 その子 孫を但 馬と いったと いふ。 その 中で 田路間 守と いふ 者 は 遠 

く 南の 熱帶 地方から 初めて 密柑の K を 持って 來 たとい はれて ゐる。 「たぢ ま」 とい ふ 意 は 

たち ま 

山路が 多くて 馬で ない と 通行が 出来ない ので、 逹 馬から 變 つたと いはれ てゐ る。 

^ 磨 いろくの 說が ある。 最も 簡單 なの は 針を產 したので 「針 間」 といった とい ふ。 叉 

萩原と いふ 處に 井戶 があって、 一 晩の 中に 萩が 生え 一 丈ば かりにな つたので 「萩原」 とい 


一 148 — 


つたので あるが、 こ q 萩は榛 のこと で、 r 榛間 井」 から 起った とい ふ。 叉 この 逯の 海岸 は 

屈曲が 甚 しく 「張 弓」 の やうで あるから ともい ふ。 

, ザん 

備 前 昔 は 此の 邊一體 を吉備 國と稱 した。 神武 天皇 御 東征の 時に 滞在 せられた 髙島宫 はこ 

の國 にある。 應神 天皇が 秋に 此の 地に 行幸 せられた 時に 御 友^が 兄^ や 子孫 を 隧 夫と して 

御馳走 を 献上した ので 此の 地 を 割いて 封 じ吉備 氏を稱 したと いふ。 この 御馳走 は 黍で ある 

ひこ. i そ さ チ ひこ 

ので、 阈名も 黍に 闊 係が あると いはれ てゐ る。 孝 靈天皇 の 第三 皇子 彥 五十 狭 芹汔命 は 四 道 

將 軍の 一 人で、 この 地に 來ら れ吉 備津彥 命と 稱 せられて マて 3 子孫 は國 守と して 永住せられ 

みちの くち 

た。 この 吉備國 を 三分した の は 天 武 天皇の 時と いふが、 備前は r 吉備 1: 道 之 口」 で 入口に 

あたる ので 備 前と 稱 した。 

ひ つ ち 5  な^あ^た 

傭 中 「吉 備阈 中縣」 で 中に あるので 稱 した。 

備 後 r 吉備國 道 乃 之 利」 で最 奥に あるから である。 

みま さか  み わ 

美 作 元 正 天皇の 和 銅 六 年に 備 前から 分れた。 その 時國 境に 美 和と いふ 處 があった ので、 

み わさ- A  み さか 

「美 和 境」 といった と 言 ひ、 叉 「三 坂 山」 (頂上から は 十 州 を 望まれる とい ふ 高い 山) か 


一 140  — 


ら ともい ふが、 ー說に 「甘酒」 で 古く 酒の とれた 事 は 歌に も 詠まれ、 この 國に美 甘と いふ 

地が ある。 

因 蹯 昔 は 「稻 羽」 叉 は r 稻葉」 と 書いた。 稻が とれる からと 傳 へられる。 

伯 耆 箒から 出た ともい ひ, 或は 伊 邪 奈美命 を 此の 國と出 雲との 國 境の 比 婆 山に 埋葬し 奉 

ははぎみ 

つたので 「母君の 國」 と稱 したと もい ひ、 又 稻田姬 が 八 頭 蛇に 呑まれよ うとした 時に 母が 

はは キ」 たる 

來 たので 「母 來國」 とい ふ處 からと もい はれる。 

.S づ も 

出 雲 素盞嗚 尊が 須賀 に宫を 定められた 時に 有名な 

八 雲 立つ 出 雲 八重垣 妻 ごみに 

八重垣つ くる その 八重垣 を 

, や つかお みつ の 

とい ふ 歌 を 詠 ぜられ たので 四 世の 孫に 常ら れる八 束 臣津野 命が 此の 「八 雲 立つ 出 雲」 から 

とって 國 名と 定められ たので ある。 こ の 歌 は 雲が 八重に かさなり 立った 眼前の 景に 感ぜら 

れて その 有様 を 詠 じて 雲が 出た、 即ち 出 雲と つ^けられ たので ある。 

石 見 この 邊の 海岸 は 岩が 多い、 殊に 唐 崎の 岩屋 山が 最も 甚 しいと いふ。 そこで 「岩 群」 


一 150 一 


「岩 見」 である, 

^  ^  「奧」 の 意で 伯 耆ゃ出 雲 等の 沖に あるから 稱 した。 

^ 藝 神武 天皇が 御 東征の 時に この 地に^ ませられ たので 「我 界」 から 出た とい ふ。 併し 

又 一 方に は、 仲哀 天皇が 行幸せられ 殍 田の 門と いふ 所で 船 を 止めて 食事 をな さると^ が 船 

の 周 園に 集って 來た。 そこで 皇后が 酒 を 投げ入れ ると 魚は醉 つて 浮んだ ので 滞 山に とれ 

た。 皇后 は、 「これ は 陛下が 一 番御 好きな 魚で ある」 とよろ こばれ たが、 これから 此處の 

ぁギ 一とう 

魚 は 毎年 六月に なると 「傾 浮」 ことが 醉っ たやう だとい ふ。 この 「傾 浮」 から 起った 名 だ 

と稱 して ゐ るが、 この 魚 は樱鲷 であると いふ。 

周 防 「周 芳」 と 書いて 周波 宇と よませた。 語源 はよ く 分らない が、 次の やうな 傅 說もぁ 

る。 建 御名 方 神が 出雲國 より 此の 地に 遁げ來 つたの を 建 御 雷神が 追ひ來 つて 攻めた ので 须 

波と 驚いて 信 濃へ 去った からだと いふ。 

長 門 孝德 天皇の 代まで は 「穴 門」 と 書いた。 本州と 九州との 間の 海峽 で、 穴の やうな 水 

門が あつたから とい ふ。 この 海峡 は 古の 人の 說 にも 兩 沿が 山で 崖が 崩れ落ちた 形から 陸つ 


一 L51  — 


i- きで、 下に 穴が あって 海水の 通る 道が あり、 船が 往来して ゐ たと 書いて ある。 

阿 波 「阿波」 は 「粟」 である。 粟 は 昔 は 各地に 澤山 作った ので、 特によ く 出 來た國 であ 

るから 名 づけた ので ある。 

さぬ た. Ih ほひ 

讃 岐 古 は 「紗 拔」 r 讃吉」 「讃 藝」 等と 書いた。 手 置 帆 負 命と いふ 人が 茅の 竿 を 作った 

さ をのつ vl-f のく に 

が、 後に は 之 を 朝廷に 献上した。 そこで 「竿 調國」 といった の を ヲを峪 し、 ノッ をつ めた 

ので ある。 

伊 豫 いろくの 說 があって、 「伊豫 二 名氣」 といって 四 國の總 名と して 用 ひられた。 び 

は 言 ひ 出しの 語で、 豫は 湯で 溫 泉が あるから とい ひ、 叉 昔の 鎭讒 神であった 伊豫 部彥、 伊 

豫部姬 の 名から だと もい はれる。 尙 一 說には 本州に ついで 二番目に 出來 たから 「彌」 の義 

だと もい ふ。 

と さ  かつらぎ の ひとこと ぬし 

土 佐 土 佐と いふ 地、 葛 木 一 言 主神 を祠 つた 土佐大 神が あつたので 地名が 出來 たが、 この 

地 を 土 佐と いったの は、 舟が 入る 水門が あって、 非常に 狹 いので 「門 狹」 と稱 したからで 

あると いふ。 これ は 今の 浦戶 港に 當る とい はれて ゐる。 


R ぜん にん ご  とよく に 

豊前、 I 後 共に r 豊國」 と稱 したの を、 文武 天皇の 時に 分れて 豊後 國 をた てた。 「豊 國」 

は 字の 通りで、 「ゆたかに 富み 榮 える」 意で ある。 景行 天皇が 此の 地に 行幸 あらせられた 

時に 「十二 年 冬 十月、 到 二 碩田國 T 其 地形 廣大、 亦麗、 因 名- 碩田匚 とあって、 碩田は K に豊 

國の 意に 適して ゐる。 

ちく ぜレ ち くご  , 

筑前、 筑後 ニ阈を 合せて 「筑 紫」 と稱 した。 筑紫は 一 國の 名に も 用 ひ、 又 九州 全 體 の 名稱 

ともした。 此の 地に は 古く 太宰府 を赶 いて 九州 を鎭 護せ しめたので 「西 國を 51 す」 即ち 鎭 

西が 筑 紫の^ 名と しても 用 ひられた。 筑紫國 が 二つに 分れた ので あるが、 筑 前と いふ 名が 

見え 出した の は 文武 天皇の 時代、 筑後 は天智 天皇 か天武 天皇の 顷 とい はれて ゐる。 さて 

r 筑紫」 と はどうい ふ 意 かとい ふと、 之に は 四說が ある。 

(一) 形が 木 兎に 似て ゐ るから。 

(二) 兩國の 間に 高山が あって、 乘馬で 通行す る 時に 餘り 急な ので 鞍が 摩り きれる ので、 

此の 地方の 人が 「盡の 坂」 といった からと いふ。 

(三) 兩國の 境に 荒猛な 神が あって、 通行人が 半死半生の n にあ ふ 者が 多い ので^ 依姬が 


—  153  — 


之 を 憂へ て 祭り をした ところが、 マての 害が なくなった。 人命 を 盡す祌 だとい ふ。 

(四) 叉、 死者 を 葬る ためこの 山の 木で 棺を 造った ので、 木が 盡 されようと したから。 

う * への つめつ く し 

寓葉 集に よると 「馬 之 爪都久 志」 とあって、 我が 固の 西 端に あるから 「盡」 だと ある。 德 

川 時代に 貝 原 益 軒 は、 異國 から 賊兵 が來 襲す るの を 防ぐ ために 海岸に 石垣 を 築かせた ので 

つく. i し 

「築 石」 といった からと いふ。 古 は 「竺 志」 とも 書いた。 

ひぜん ひご  ひの くこ  n  b  t 

肥 前、 肥 後 合せて 「火 g」 と稱 した。 景行 k 皇の 御代に この 逯に ri、  !f^ とい ふ 二人の 

者が 百 八十 餘人を 率ゐて 天皇に 叛 いた。 そこで 健鍺 組と いふ 者 を 遣して 討 戈せ しめら A 

I やつし ろ 

た。 天皇 は 國內を 巡視し 八 代 郡の 白髮 山に 登られる と 日が 暮れた ので 泊ら れた。 その 夜、 

纥 から 火が 見えた ので 健緖組 は^ぎ 陛下の 御前に 至って、 「刀に 血 ぬらす して 强賊 を誅 する 

を 得ました が、 これ は 一 つに 御 威光に よります。 今、 天空に 燎 火が 見えます の も 吉兆で せ 

う」 と。 陛下 はお 喜びに なって T 見た こと もない 不思議な 火 だ。 この 火の 下の 地 を 火の 國 

と 言 はう」 と。 そこで 健緖 組に 大君 健緖 純と いふ 名 を 賜 ひ、 この 阈をも 下された とい ふ。 

1 つに は 天皇が 船で 葦北から 来られた 時に 海上に 火が あって 舟航の 目標 を 誤らなかった か 


一 154 — 


一] お 一 


ら ともい ふ。 この 火 は 所謂 「不知火」 である。 此の 國が 二つに 分れた ので あるが、 吧後は 

S のうみ  ひの. * ちの く-; 

古の 火國 でも 肥 前 は 火 海 を距て X 前に 海を控 へて ゐ るから、 「火 前國」 と稱 した。 

日 向 景行 天皇 が 此の 地に 行幸 せられた 時に 「此の 國は 日の出る 方に 向いて ゐ るから 日向 

と 言 はう」 と名づ けられた が、 「ひむ か」 である。 叉、 犬 孫 降臨の 時に も 「朝日が 直ぐ さす 

國、 夕日の 照る 國」 と ある。 神武 天皇 御 東征の 後 は 熊 襲の 一族が 住し、 璲 1 と稱 したが、 

景行 天皇 が 西征に 来られて 名 づけ 給うた ので ある。 昔は薩 摩、 大隅も 日向に 入って ゐた。 

ぉほ ナ. * 

大 隅 日向 國の內 で 西南の 隅に 差 出して ゐ るので 「大隅 郡」 と稱 したの を、 元 明 天皇の 和 

キ J もつ ま そ お  はやと  あ ひら 

銅 六 年に 肝 付、 贈 於 (熊 襲 隼 人の ゐた 地)、 大隅 (大 ig: 隼 人の ゐた 地)、 烚 良の TO: 郡 を 合し 

て 大隅國 とした。 

•  さ .5  ほ』  ,  さち はま  さつ  さつ 

薩 摩 語源 は 明瞭で ない。 或は 「幸 溪」 で、 この サチは 「^物」 とか 「 獵」 の 意で あると 

さち ま 

いふ。 又 「陘 間」 で、 連山の 中が 絡え て狹ぃ 地と いふの だとい ふ。 古く は 口 向國の 一部で 

あった。 天孫 降臨の 地で あるが 神武 天皇 御 東征の 後 は 政欉の 中心 は 畿内に 移った ので、 遠 

く 王化 及ばす、 熊 襲の 一 族が 勢 を 得て、 「襲 國」、 「隼 人國」 とも 稱 した。 景行 天皇が 討伐 


—  156  — 


に 下られた 時 も 此の 國には 入られなかった とい ふ。 

登 岐 數說 ある。  - 

( 一 ) 朝鮮に 渡る 舟が 一 時 「息」 を やすめる ところ。 

ゆ ま 

(二) 此の 島に 神 を 祭る ための 「齎 忌」 があった から。 

(三) 「雪」 で、 よせてく だける 波が 雪の やうに 白い から。 

いさき  .J さな  レ さな き 

(四) 「鯨 來」 の 略で、 勇 魚 (大きい 魚。 又は 鯨の こと) が來 るので 「勇 魚來」 である。 

つ しま 

對 馬 これ は 「津 島」 である。 「海 津之中 所 レ有之 島 也」 と ある。 朝鮮に 往來 する 舟が 泊る 

, , ,  ,  つ 3 ば  ぎ 

津の 島で、 津は 港の ことで ある。 この 津島を 支那 人が 聞きち がって 對 馬と あてた ことが 魏 

志と い ふ 支那の 本に 出て ゐる。 これ を我國 でも 用 ひる やうに なった ので、 「對馬 島」 は 「津 

島島」 と 島が 二つ 重なる やうに なって しまった。 

狹 「若々 しく 狭い」 意と 傳 へる。 昔、 この 國に 或る 男女が 夫婦に なった。 年と つても 

容貌が 少年の やうに 若々 しかった ので、 人 はこの 二人の 年齢 を 知らなかった。 後に この 二 

人 を 神と して 祠 つたが、 今の 二 呂神肚 がそれ であると いふ。 或る人 は 「稚櫻 郡」 から 出 


かし はでの ちれし 

たと い ふ。 即ち 履 仲 天皇の 代に 膳臣余 磯と い ふ 者が 稚 櫻と い ふ 名 を 賜った と傳 へ る • 

越 前、 越 中、 越後 越 前、 越 中、 越後、 加賀、 能 登、 出 羽 等 を總稱 して 「越 國」 といった • 

これ は 「髙 志國」 とも 書いた。 その 語源 は諸說 あって 一 定し 難いが、 この 地に 入る に は 角 

鹿と いふ 坂 を 越して 行く からと いひ、 叉蜈 夷に 越え 行く 道 だからと いひ、 ^外 阈 から 貢物 

を 持って来る 時に 越して 來 るから とい ふ。 a: 鹿 は 今の 敦賀で 古昔 は 三韓との 交通の 要地に 

あたって ゐた。 天 武 天皇の 時に 三つに 分れ、 「道の 口」 であるから 越 前と 稱 した。 越後 は 

京都から いって 最 奥で あるから 名 づけた。 

加 賀 弘仁十 ra 年に 越 前の 二 郡に 他の 郡 を 合せて 出来た!; である。 此の 地 は. h く 人が 多い 

ので 「ひらけた 國」 即ち r 赫國」 である。 叉、 こ^-から は 鏡 磨師が 山 出る から、 「鏡」 

からと も傳 へ る。 

能 登 明瞭で ない が、 能 登 部 村と いふ 土地が あるので、 この 地名が 國名 になった ので あら 

うとい はれて ゐる。 「と」 は 水門。 海門の 門に 常って、 入り こんで ゐる處 である。 能 登 部 

村 附近の 七 尾灣は 海が 深く 陸地に 入り こんで 咽 の やうで あるから とい ふ。 


一 157  — 


佐 渡 數說 あるが、 「さはと」^ 意で 「さは」 は 多い とい ふ 意、 「と」 は 港で、 この E! に 

港が 多い ので 名 づけた。 叉、 狹 渡で この 島に 舟が 入る 處が せまいから ともい ふ。 

美 濃 「御 野」 とも 書いた ので、 この 地方 は廣ぃ 野原が あつたので、 之 を ほめ 稱 して 

野」 といった のが 訛った。 叉ー說 に各務 野、 靑野、 賀茂 野から 出来た とも 傳 へられる。 

ひ: だ〗 ひ だ びと 

飛 驛 「挽 手 人」 から 起って 國名 となった。 代々 飛 騍ェ といって 工匠 を 出して 朝廷に 仕へ 

たので ある。 即ち 「木 を 挽く 人」 である。 飛 驛は昔 は 「斐 陀」、 又は r 斐太」 と 書いた。 

を は W 

尾 張 「尾羽 張」 とい はれる 劍は、 先の 方が 巾廣 くな つて ゐ るが、 草 薙劍も その 一 つで、 

熱 田 神宮に 此の 劍を祠 つて あるので 「尾羽 張」 から 出た とい ふが、 それ 以前から あった 名 

前で あると いふ。 さう いふ 人達 は 大和の 葛 城の 高 尾 張と いふ 處 から 移住した の だとい ひ、 

-  を はりだ むら じ 

或は 「 尾 張の 山甶 郡の 小 治 田速藥 とい ふ 者が 尾 張と いふ 姓 を 賜った」 と あると ころから、 

「小 治 田」 の 田 をと つて 宇 を 改めた の だと も傳 へられて ゐる。 

•V  か は  や は T 

三 河 男 川 (大平 川)、 豊川 (吉田 川) 矢 作 川の n 一川が あるので 名づ けられた。 男 川 はこ 

の 上流に 山 神が ゐて白 髮の明 神で あると いふ。 豊 川の 上流 は 民家が 澤山 あるので 豊川 とい 


一 I5S  — 


ふ。 叉 矢 作 川 は 日本 武尊御 東征の 時に 河 逯で矢 を 作って ゐる 者が 多かった ので 名づ けられ 

たとい ふ。 

信 濃 この 國には 「木が 品々 ある 故、 品 野」 であると いひ、 又 日本 武尊御 柬征の 時に 此の n 

に 来られる と 山嶽 重疊、 谷 深く 翠嶺萬 里であった。 そして 坂が 多かった とい ふ。 そこで 

しな さか  , たへ 

「級 坂」 とい ふ 意からで、 シナも 坂の 意 だとい ふ。 しかし、 シナは 科で 栲の 木で ある。 こ 

しなめ の た ふ A の 

の 皮 は 白い。 それ をと つて! S 訪 神社の 御用に した こと も あり、 叉 級 布 紙、 多 布 布 等 を 出し 

さらしな はに しな に しな たてしな 

たこと も ある。 今 も 地名に 更科、 坡科、 仁 科、 蓼 科 等と いふの が あるので、 この 科の 生え 

てゐる 野と いふの が當 つて ゐる。 

甲 斐 「山の 峽」 ともい ふが 「飼 ふ」 意で、 「甲斐!: より 神馬 を献 す。 馬 身,::: 髮」 な ど- 

も 古書に 見える し、  牛馬 之牧? 毎年 貢 二 駿馬 肥牛匚 ともあって、 飼養して ゐた 意味 か 

ら である。 

とほ た ふ % 

遠 江 近 江の 處に說 いたやう に 「遠い 淡 海」 である。 この 「淡 海」 である 濱名湖 は 今 は 海 

とつ^いて ゐ るが、 以前 は獨 立した 湖水で、 濱名 川に よって 海に 注いで ゐた。 それが 明應 


—  159  — 


七 年の 大 津波に 依って 陷沒 し、 一時 この 川 は 入江と なって ゐ たが、 それ も なくなって^ エ 

っ^いた ので ある。 「今 切」 とい ふ 地名 も そこに 起因す る。 

する が  するとが は 

駿 河 「尖 川」 の 約で、 この 國の川 は 山から 出て 海に 流れ 入る 水流が 烈しい ので、 川 波が 

強く、 よせる 勢が 烈しい 處 から 名づ けられた。 又 「駿河 有 二三 大河 S 勢 如-駿馬 骶ニ 千里 f 

故爲 n 國號こ とも ある。 尙 また 次の やうな 說も ある。 

富士川の 下流に 駿 河と いふ 村が あった。 これ は 西の方で、 今の 御殿場の 近くの 駿河 は駿束 

郡と いふ 郡 名で も 分る やうに 東に あった。 富士川の 下流の 地名の 駿 河が やがて 阈名 となつ 

たので あるが、 富士川 は 天下の 急流で、 ともす ると 水量が 增 して 岸の 波が 川遨に ゆすり 流 

れ るので ュス ルガと いったの をュス がつ まって ス ルガと 讀む やうに なった。 ュ スル. H 鳥り 

響く こと をい ふので、 カは處 とい ふ 意で ある。 

U づ 

伊 豆 ニ說 があって、 その 一 は 伊豆 は 「いづる」 と いふ 意で、 東の 相模と 西の 駿 河の 間に 

出て ゐる 半島 だからと いふ。 もう 一 つ は 「出湯」 がつ まった ので、 fK 孫 降臨 以前にお ほ g 

すくな ひこな 

尊と 少彥名 命が 我が 國 人が 若 死す る 者の 多 いこと を憐 まれて、 入湯の 法を敎 へ ようと 溫泉 


一 160  — 


一 161  — 


を 造られた。 之が 箱 根の 元 湯で あると 傳 へて ゐる。 

相 校 語源 は 明瞭で ない が、 こんな 傳說も ある。 足 柄 明 神 は 狩人であった。 その 妻が 死ぬ 

時に 鏡 を さして 「自分の 死後、 若し 自分 を 慕って くれるならば この 銥を 兌て くれ」 と。 死 

後 その 鏡に 寫る 姿が 亡妻 その ま i であった ので、 その を祠 り、 その 地 を 「さがみ」 と稱 

した。 この 「さが」 は 姿で、 「み」 は 兌る であると いふ。 

む  さし 

武 藏 一 般に傳 へられて ゐる 語源 は秩 父の 山 は 高く^ えて 勇士が 怒り 立って ゐる やうに 見 

える ので、 日本 武 尊が 此の 山 を {A し戰 勝の 祈禱 をせられ て 武具 を K の 洞の 中に 藏 めら れた 

ので 武藏 とい ふとい はれて ゐ るが、 それ は 誤りで あると もい ふ。 贺茂露 淵 は 「牟 邪斯」 

でむ さは 俘囚 とい ふ 意, 三韓 や 蝦夷の 俘虡を この^に 置いた からだと いって ゐる。 

あ は  ふと だま  あめのと み 

安 房 神武 天皇が 阈內を 統一 せられた 時、 太 玉 命の 孫の 天 富 命が 阿波の 人々 を 率ゐて 此の 

地に 移住した からで あると いはれ る。 

かづ さ  しも ふさ  *1 さ  , 

上總、 下總 r 總」 は 麻の ことで ある。 安房と 同じ やうに 天 富 命が 來られ て 麻を植 ゑた とこ 

ふさの くに  かみ 

ろが 非常によ く 生じる ので 「總 國」 と稱 した。 大化 改新の 時に 之 を 二つに 分けて、 「上つ 總 


國」、 「下つ 總國」 としたの を 約して 讀む やうに なった ので ある。 

かう つけ しもつ け  けぬ  け 

上野、 下野 上野と 下野と を 合せて 「毛 野の 國」 と稱 した。 「毛」 は 「土地 之所レ 生爲, 毛」 と 

古書に あって 木 や 草の ことで、 「野」 は 木 草の 地 を 意味した。 この 缦は ー體に 草木が 多 かつ 

たので, 毛 野國 といった の を 「兩國 中間 有, ニー 野 T 曰 二佐 野、 笠懸 野? 其 野中 有 ,ー 一 河 T 號ニ 渡瀨 T 又 

•  . . ,  かみつけ ぬ しもつ けぬ 

有レ 川、 曰, 一佐 對中川 T 以, 一渡 瀨 一 爲ニ兩 國境こ とあって、 二つに 分けて 上 毛 野、 下 毛 野と 稱し 

たの を 二字と 定められた 時に 毛 は 省かれた が、 讀み方 は 毛を殘 して 野は發 音せ すに、 み を 

音便に して 「かう つけ」 といった ので ある。 

ひた ち 

常 陸 これに は 諸說が ある。 

fcs. さす 

ハ ij 曰 高見 路で 東北の 總稱 である。 これ は 朝日の 直 刺と いふ 意から 出來 たので、 この m 

高國 へ 行く 道と い ふ 意 だと い ふ。 

(二) 東海道から 「ひたつ^き」 に 陸が つ いて ゐ るからで ある。 

(三) 海 遂に 沿うて 國道 がつ r いて ゐる からと いふ。 

陸 奥 今 は 靑森縣 だけ をい ふので あるが、 昔 は 東海道と 柬 山道の 奥に あたる ので 東北 地方 


一 162  — 


163  — 


1 帶 即ち 磐 域、 岩 代、 陸 前、 睦 中、 睦奥 を總稱 した。 之 を 五ケ 國に 分割され た ひ は 明治 五 

年で ある。 陸 奥 は 「みちのお く」 即ち 「道の 奥」 とい ふ 意で、 之 を 「みちの く」、 叉 略して 

ろく  ろく 

「むつ」 と 讚む ので あるが、 何故 「むつ」 と讀ん だかと いふ 事に ついては 「陸」 と 「六」 

は 音が 同じで あるので 「六」 を 「六つ」 とよんだ の だとい ふ。 

う ぜん う ご 

羽 前、 羽 後 陸 奥の 中の 「出 羽國」 を 明治 初年 二分した ので ある。 出 羽 は 和 銅 五 年に 陸 奥と 

越後との 一 部分 を 合して 置かれた ので、 出 羽 は 「道の 奥より 出端 國」 とい ふ 意で ある。 

りく ぜん ずくち う  9 

陸 前、 陸 中 ニ國 とも 明治 初年に 名づ けられた 國で 「睦 奥」 の 睦 の 字 をと つたので ある。 

磐 城 養老 二 年に 磐 城、 磐 背の ニ國を 置いた が、 後に 陸 奥に 合併され、 更に 明 冶 元年 十二 

月に 分れた。 

f-ま しろ  i- はせ 

岩 代 明治 初年に 名づ けられた が、 昔 「岩 背」 の 地であった ので 「いはう しろ」 と 請み、 

これ を 更に 「いはしろ」 とつめ て 「岩 代」 の 字 を あてた ので ある。 


八、 二十 四 孝の 話 

支那の 元 時代の 郭居 業の 作と して 傳 へられて ゐる。 史上に 傳 はる 孝子の 中から 一 一 十四 人 を 撰 

出して、 その 事蹟 を 述べて 賞揚した ので あるが、 その 說話 は何處 までが 事實 であるか は 分らな 

いが、 德川^ 代に 子弟の 敎 育に は 非常な 善い 影響 を與 へた。 

二十 四 人 を 撰んだ の は、 六曲屛 風に 一 曲に 二人 づ、 の 肖像 畫を 描いて 賛 をした からで あると 

傳 へ ら れてゐ る。 

次に 各人に ついての 事蹟 を 略記す る。 

ぐ  しゅ,; >  # 

虞 舜 

母に 死別して 糠 母に 事へ たが、 この 糰 母に 象と いふ 子供が 生れる と舜を 憎んだ。 或る時、 

舜が歷 山と いふ 處で 耕して ゐ ると、 大きな 象が 來て 耕す 手傳ひ をして くれた。 これ は 天の 

神が 舜の 至誠 を 以て 繼 母に 事へ た 孝心 を赏 する ためで あつたが、 母 は 益々 舜を 憎んで、 或 


一 164 一 


一 1G5 一 


時、 殺さう とまでした。 それでも、 彼 は 少しも かま はやに 孝 をつ くした ので、 逮に 此の 事 

がその 時の 聖 天子 堯 帝の に 入り、 堯の 信任 を 得て 太子と なり、 帝位に 登って 舜 ^ と稱す 

る やうに なった。 

漢, 文 帝 

高祖の 子の 文 帝 は 母の 薄 姬に孝 をつ くした。 常に 食事の 時 は先づ c ら 試^して す-めた。 

天子の 位に つく やうな 高贵の 方が 自ら 試食 せらる、 事 は 感激の 至りで ある。 多くの 臣下 達 

も 之 を 賞し, 途に兄 もあった が 推されて 皇帝の 位に ついた。 此が、 即ち 孝 文 帝で ある。 

やつ  し、 ん 

曾  參 

孔子の 弟子で、 孔子の 命で 孝經を 作った 人で ある。 家が 贫 しかった が、 よく 母に 孝 をつ く 

した。 或る時、 參が 山に 薪 拾 ひに 行って ゐる 留守に 友人が 來た。 贫家 とて、 何の 饗應も 出 

來す、 留守居の 母が 困って 指を嗨 むと、 山に ゐた參 は胸騷 ぎがして、 ^いで 家に 歸 つた。 

之 は、 平素の 孝心から、 遠く離れて ゐても 母の 心が 參に 通じた ので ある。 

びん し けん 

閎子蹇 


— 16  — 


ぴ ん そん  あざな 

孔子の 門人で、 閎 損と いふ。 子騫は 字で ある。 韆母 のために 虐待され た。 或る 冬の 寒い 日、 

1 一人の 異母 弟に は 溫ぃ 着物 を 着せても、 損に は 薄い ものし か與 へなかった ので 震 へて ゐ 

た。 父が それ を 見て 事情 を 知り、 この 後妻と 別れよう とすると、 損 は 「若し、 そんな 事 を 

すると、 今度 は 二人の 弟が 寒さに 震へ なければ ならない。 自分 さへ: g へて ゐれ ば、 弟 共 は 

暖 いの だから 止めて ほしい」 と 願った ので、 耱母は その 孝心に 感じ、 それから は掼を 大切 

にす る やうに なった。 孔子 はこの 孝心 を 聞いて、 「孝なる 哉、 人。 その 父母 昆 弟の 言に 間 

せす」 と 賞した。 

ちゅう  いう 

仲  由 

し ろ  ひやと ひ 

これ も 孔子の 門人で、 字 を子路 とい ふ。 貧しかった ので 日慵 人足と なって、 米 を 運んで や 

つて 赏金を 貰 ひ、 母 を 養った。 後に 役人に なった が、 母 を 亡くした。 貧乏の 時 を 思 ひ 浮べ 

て、 「いくら 貧しくて 人の ために 米 を 背負 ふやうな 仕事 をしても、 母が 達者で ゐて くれた 

方が よい」 と述懷 した。 

とう  之い 

董  、ォ 


漢の 千乘の 人で ある。 子供の 時に 母 を 喪 ひ、 父に 事へ たが、 家 は 次第に 贫乏 になった。 そ 

こで、 永 は 小さい 車 を 造って 毎日 田 を 耕しに 行く 時に 父を乘 せて 行き、 田の 畦に 置いて 働 

いた。 父が 亡くなる と 葬式 費がない ので • 人に 「若し 返金 出來 なければ、 あなたの 奴と な 

らう」 と 誓って 錢を 借りて すませた。 その 葬式の 歸り 道で、 一 人の ^人と^: つた。 ^人 は 

「妻に して くれ」 と 願 出た。 永 は 承知して 速れ て歸 つたが、 それから は 人 は 一 ヶ月に な 

らぬ うち、 絹 三百 疋を 辯った ので、 永 は それで 借金 を 返す ことが 出來 た。 その 時、 「自分 

は實は 天 女で ある。 あなたの 至孝の 心が 天 に 通じ、 天の 祌は私 を 下して 機 を 織って あなた 

を 助けさせ たので ある。 借金 も 返せた し、 これで、 もう 用 はなくな つた」 と 言って, 天に 

昇って しまった。 

»~ん  し 

炎  子 

兩 親が 年と つて 眼病に なった。 この 藥には 鹿の 乳が よいと 聞いた ので、 彼 は 鹿の 皮 を かぶ 

つて 山に 入って かくれ、 鹿 を 捕へ ようとした。 その 時、 狩人が、 ほんとの 鹿と 見誤って 射 

殺さう とした。 子 は 急いで 皮を脫 いで 理由 を 話す と、 狩人 は その 孝心に 感心して、 牝鹿を 


一 1 ひ 一 


射て 與 へた • 

かう  かく 

江 革 

漢の 臨淄の 人で ある。 子供の 時に 父に 死別し、 一 人の 母 を 養って ゐた。 或る時、 叛亂が 起 

つたので、 母 を 背負って 避難した。 ところが、 運 惡く其 處で賊 に出會 つてし まった。 革 は 

老母の ある こと を 告げて、 見逃して くれる やうに 頼んだ。 その 言葉 は 非常に 哀愁に 滿 ちて ゐ 

たとい ふ。 賊も 遂に 感動して 去った。 人々 は 孝子と して 賞した が、 問 もな く 母 は 死んだ。 

革 は 墓 側に あって 着物 さへ も 着かへ すに 悲しんだ。 後に、 家老に とり 立てられた。 

W- く  せき 

睦 鑌 

吳の 人で ある。 六 歳の 時に、 袁 術のと ころに 行く と、 袁は 橘の 窒を 出して 饗應 して くれ 

た。 鑌 はこの 實を 三つ、 そっと 懐中に 入れた。 いよく 歸る 時に、 落した ので、 袁は 怒つ 

て、 「お前 を こんなに 御馳走して 優遇した のに、 盜み をす ると は 何事 か」 と。 繽は、 「あ 

まりお いし さうな ので、 母に 持って 歸 つて 上げようと 思った の だ」 と 答へ た。 袁は 孝心 を 

賞して 與 へたが、 大きくな. つてから 正直であった ので、 郡長に とりたてられた。 


一 163 一 


一 169  — 


唐 夫人 

雀 南と いふ 人の 妻で ある。 姑に よく I へた。 姑が 年と ると * も 0 を 食べる に 不自由と なつ • 

たので、 .E 分の 乳を與 へた。 姑 は 臨終の 時に 人々 を 集めて、 「お前 達 は 唐の やうに 孝 をせ 

よ」 と。 

^猛 

ぽ くやう 

晋の濮 陽の 人で ある。 八才 でよ く 親に 事へ た。 贫 しくて 夏に なっても 蚊帳が 買へ ない ので 

着物 を脫 いで 親に 着せ、 自分の 身に は 蚊 を 集めて 血 を 吸 はせ た。 

王 祥  、: 

晋の 臨,. 沂の 人で ある。 繼 母の 朱に よく 孝 をつ くして た。 或る 冬、 母が 病氣 となり、 生魚 を 

食べたい といった。 祥は 川に 行った が、 厚く 氷が はって ゐ たので、 着物 を脫 いで 氷 上に 座 

つて ゐ ると、 解けて 中から 二 匹の 鲤が 躍り 出て 来た。 これ は 天 の 神が その 孝心 を赏 したの 

である。 後、 晋公 になった。 

くわく  まよ 

郭 in!  , 


漢の^ 廬の 人で ある。 母に 孝 をつ くした。 母 は 巨の 子、 即ち 孫 を 可愛がって、 食物 を 常に 

半分 わけ て やった。 巨 は 妻に 言 ふのに、 「母が 食物 を 皆 食 ベな いのは 子供が ゐ るから だ。 

子 はまた 生れる。 母 は 再び 得られない。 母の ために 子 を 殺さう」 と、 土 を 掘って 塊め よう 

とした。 三尺ば かり 掘る と、 地中から 黄金の 釜が 出て 來た。 そして 「こ Q 釜 は 天が 郭 巨に 

賜 はる ものである」 と 書いて あつたので、 政府で もどう する こと も出來 なかった。 

揚 香 

魯の 人で ある。 父が ゐた。 十五 才の 時に 父と 共に 山に 行く と、 虎が 出て 來て 飛び か > "らう 

とした。 香 は 父 を かばって、 「自分 を 食って、 父 を 助けよ」 と 頼む と、 虎 も 感じて か、 そ 

のま X 逃げ去った。 

しゅじゅし やう 

も § 昌 

そう  たうし ゆく 

宋の 時代の 人。 字 を唐叔 とい ふ。 三才の 時に 父が 揚 州の 長官と なった 時、 父 は 母 を 出して 

しまった。 壽昌は 年長 じて 母の ない 事 を 悲しみ、 母 を 慕 ふ あまりに 役 を 止め、 刀 を 指に 剌 

して 血 を 出し、 金剛 經を書 いて 天に 祈って 母との 再會を 願った。 五十の 時に 漸く 陝 州で 母 


に會 ふこと が出來 た。 母 は その 時 は 七十で あつたが、 共に 非常に 喜び、 家に 連れ 歸 つて 養 

つた。 他の 役人 達 は 之 を 聞いて 賞し、 詩 を 作り、 有名な 文章 家の 蘇東坡 は、 その 序文 を 書 

いて 送った。 朝廷 も 之 を 知り、 叉 復職 させた。 

ゆ  ^ん る 

麼 *5 宴 

せん f ようけん 

南北朝時代の 人で、 孱陵 縣の縣 知事と なって 赴 住した が、 十餘 日、 急に 胸騷 ぎがした ので 

父が 病に なった と 思って 急いで 歸 ると、 果して 重病であった。 父の 糞 をな めて 見る と 危篤 

の狀 態で ある こと を 知って、 北斗七星 を 祭り、 自分が 父に 代らう と 祈った。 しかし、 その 

効な く 亡くなつ たが、 墓 側に 侍して 事へ た。 

らう らい し 

老萊子  • 

周 時代の 楚の 人であった。 彼が 七十 才 になった 時、 兩 親に 年 を 忘れさせようと、 子供の ま 

ね をして 慰めた。 叉、 五色の 着物 を 着て 堂の 上に 上り 子供の 泣く まね をして 樂 しませた。 

楚 王が 之 を 聞いて 任官しょう としたが 受諾し なかった。 そして 蒙 山の 麓で 靜 かに 生活して 

ゐ たが、 孔子 も 激賞した。 


-171 — 


蔡 順 

じょなん  わう まう 

漢の汝 南の 人で ある。 父に 別れて 母 を 養って ゐ たが、 王莽が 漢に叛 いて 亂を 起した ので 國 

內は 亂れ、 饑飢 がっ^き 盜賊 が拔扈 した。 順 は 母に 供す る 食物が なくなり、 熟した 桑の K 

を 進めた。 丁度、 そこに 盗人が やって 來て、 順が うま さうな の を 選り分けて ゐ るの を 見て 

感動し、 米 二 斗と 牛の 足と を與 へた。 

黄 香 

漢の 人で ある。 九才の 時に 母に 死別し、 殘 つた 父に 事へ、 夏に は 床の 側で 扇ぎ、 冬 は 自分 

の 身で 床 を あた \ めた。 その 縣の 知事の 劉 護が 賞して 門下生と した。 

き やう  し 

姜 詩 

漢の 人で ある。 母に よく 事へ たが、 その 妻 も 姑に 對 してつく した。 母 はよ く 川の 水 を飮み 

なます 

川魚の 膾を 好んだ ので、 妻 は 六 七 里の 道 を 出かけて 買って 來て與 へた。 或る時、 暴風雨の 

ために 歸 るの が遲れ たので、 詩 は 怒って 妻 を離緣 した。 それでも 怨 ますに 膾を 運んで 與へ 

たので、 詩 は 感激して 妻 を 入れた。 これから 二人 は 心 を 協せ てつく した。 或る 朝、 雨戶を 


—  172  — 


あけて 見る と、 庭に 水が 湧き、 二 匹の 鯉が 飛び出した • これ は H< が 二人の 孝心に 感じて し 

た 事で あると 言ひ傳 へた。 

わう  はう 

王 褒 

三國 時代の 人で ある。 父 は 文 帝に 事へ てゐ たが、 忠言した ことから 遂に 殺されて しまつ 

た。 それから は 褒は文 帝 を 怨み、 假り にも 文 帝の ゐる 方に 向って 座らなかった。 父の 墓 側 

に 柏の 木が あった。 褒は、 毎日 墓參 りに 來て、 この 柏に よりか X つて 泣いた ので、 柏は淚 

のた め 枯れて しまった。 母 は 雷が 嫌 ひであった。 母が 死んで から は 雷の 時 は、, その 墓に 行 

つて、 「私が ゐ るから 安心して 下さい」 と 言った。 或る時、 詩經を 護んで ゐる うちに 親の 

事 を 書いた 處に來 ると、 淚を 流して 止まなかった。 門人 達 は 心配して、 そこ を 切りと つて 

見せない やうに した。 

て. S  、ん 

漢の 河內の 人で ある。 幼い 時に 母に 死別し、 悲しみの あまり、 母の 木像 を 造って 生前と 同 

じ やうに 事へ た。 蘭の 留守の 時に 隣の 張叔が 蘭の 妻に 金 を 借りに 來た。 妻 は 木像に 向って 


一 173  — 


尋ねる と 許さない ので 担んだ。 その 人 は 怒って、 木像 を^り 杖で 首 を 打った。 蘭は歸 つて 

木像 を 見る と、 不快な: なので 妻から この 話 をき X、 怒って 叔を 打った。 そこに 役人が 

來て蘭 を 捕へ た。 すると、 木像 は淚を 流して ゐ た。 此の 事 を 聞いて 郡長 は 天子に 傅へ ると 

その 孝心 を 賞し、 木像の 繪を 書き 寫 して 献 じさせた。 

孟 宗 

吳の江 夏の 人で ある。 母が 病の ため 食慾が なく、 何 か 珍しい もの を 食べたい と 言 ひ、 冬で 

あるのに 筍が ほしいと 言 ひ 出した。 宗は 竹林に 行き 雪の 中に 泣き叫んで 天に 訴 へた。 その 

心が 通じて か、 笱が拔 き 出た。 後、 役人と なって 他國に 行った が、 母の 訃報に 接して 役 を 

拾て X 歸 つた。 無 斷で役 を 捨てる の も 孝心の ためな ので 罰せられなかった。 

ちう てい けん 

!«: 庭 堅 

さん こ < 

宋の 詩人で ある。 山 谷と 號 した。 母の 病氣の 時に、 他人の 手 を かりす に 自分で 糞便の こと 

まで 世話 をして 看護に つとめた。 


一 174  — 


九、 忌 み 詞 

目出度い 時に 不吉な 言葉 を 云 ひ、 不吉な 時に めでたい 言葉 を 用 ひる こと を 嫌 ふの は 人情の 當 

然 である。 更に、 これが 進んで 不吉な こと や、 めでたい 意 を 聯想させる 一 In :粱を も 使 ひたくない 

ものである。 婚禮の 時に r 歸る」 と 言 はすに、 「お開き」 とい ふの は、 「嫁が かへ る」 とい ふ^ 

し にち  よつ 

を 聯想して 忌み嫌 ふので ある。 叉、 「四日」 を 「四日」 とい へば、 「死」 に. 音が 同じな ので 「四 

曰」 と 呼んで ゐる。 葬式の 時に 「今度 は」 とか 「重ねく」 などい ふの を 嫌って ゐる。 

これが 忌み 詞 であって、 今でもよ く 言 はれる ところで ある。 これ は 前に も 記した やうに、 一 

つ は 人情から でも あるが、 叉、 言葉 は その 人の 品性 を あら はす ものな ので、 さう いふ 意味から 

も 忌み 詞が 出来た。 下品な 言 ひ 方 を 避けて 品よ くと いふの は 我が 國民 性の 一 つで、 便所 を 「御 

不淨」 とい ひ、 もっと 婉曲に 「御手洗」 とも 稱 して ゐ るの など はこの 類で ある。 漢^で は r 淨 

房」 「閑 所」 等と 稱 する。 


我が 國の 武士 は 敵に 負ける こと を 恥と して, Q た。 ^くも 負 をと る こと は 武士と して は 死より 

も 嫌った。 それで、 敵に 胄を 射られながら 、「射させた」 と 使役 的に いって ゐる。 これ は 軍記 物 

によく 見る ところで、 武士の 面目が 躍如と して ゐる。 即ち、 こ、 にも 忌み 詞が あるので ある。 

问 じこと でも 「射られた」 と 受身に いふよりも、 「射させて やった」 とい ふ 方が、 どの位 勇壯 

に 聞え るか。 武勇 を 尊ぶ 我が 武士が、 この やうに、 言葉の 端まで 心 を 用 ひた こと は 誠に 感激の 

至りで ある。 

忌み 詞は 平安朝 頃から 始 つたら しいが、 その 始めは 伢勢 祌宮に 奉仕 せられた 皇女 方 や 賀茂祌 

社に 事 へられた 女王 方が 使 はれた のに あると 傳 へられる。 神に つか へる ので あるから 主に 佛敎 

上の 一一 1  一口 葉 を 忌み嫌 はれた ので ある。 

^勢 神宮に 御 奉仕の 皇女、 即ち 齋宫の 忌み 詞は、 古書に 七つ あつたと ある。 

延 喜齋宫 式に 

ゾ  /  なかご  ユーめ おみ  あらら ぞー  、はらぶ き  かみな が  め 

凡 忌詞、 內七言 、佛稱 二 中子? 經 稱,, 染鈹 3 稱,, 阿良 良岐? 寺 稱,^ 葺 T 僧稱 n 髮長; 尼稱 -I 女髮長 7 

かたしき  ノ  なほる  やすみ  しほ^る  あ せ  なづ  fe ナ 

齋稱, 片膳? 外 七 言、 死 稱ニ奈 保留; 病 称, 一 &須美 T 哭稱, 一 血稱ニ 阿世 T 打 稱,: T (六 稱き、 墓 


ゥ ち くれ  /  こうた ォ  うば t  く 

称レ 積。 叉 別 忌詞、 堂稱 -1 香 ij. 優 婆 塞稱, 一角ず 

と 記されて ゐる。 右の 中、 r 髮長」 は髮 のない 傦侶を 反對に 「長い」 とい はれた ので ある。 「染 

羝」 は 經文は 多く は 黄色に 染めた 鈹に 書いて あるから である。 「瓦 葺」 は祌 社の 屋根 は 多く は 

檜 皮で 葺 いて あるが、 寺院の は 瓦で ある。 「死」 は 反對に 「なほる」 とい ひ、 「病」 は 「やすみ 

臥す」 意で ある。 この 外に、 

よん  あし 

聋  葦。 「惡 し」 と 同じ だから 忌んだ。 

よね  しね 

米  米が 正しい が、 「死」 と 通す る。 

十四日  「四」 は 「死」 と 通じる から。 

大幕 打ち 揚ぐ —— 武士の 間に 用 ひられた ので T 引き 張る」 とい ふと、 返却の 「返く」 を聯 

想され る。 

ありの K ! 梨。 「無し」 と 同じ 音 を 嫌った。 

しゃく  こつ 

笏  笏と讀 むの が 正しい が T 骨」 を 思 はせ るので、 長さ を 計る 「尺」 をと つた。 

7 

iu.0 で o  わ- 0 てぎ  1 

撗笛  横笛の 字音が 「王 敵」 と 問える ので、 かりにも 口にする 語で ない。  I 


一 178  — 


卯の花—  —豆 胬糟。 「から」 は 下品な ので、 美化した。 又、 「得の 花」 とも 聯想され る。 

當り箱  硯箱、 硯の 「する」 は 損 をす る 意と 同じく 問える から、 反 對に當 る (まう 

かる) といった。 同じ やうな のに 次の ごとく ある。 

當り鉢  摺鉢。 

鬚 を當る —— 鬚 を そる。 

あたりめ  するめ。 

一 〇、 いろは 歌留多と 俚諺 

俚諺 は 作者 は 誰か 傳 はらぬ。 それ は、 傳 はらぬ 程、 名 も 知れぬ つまらぬ 人が 作った ものである 

からで ある。 作った とい ふよりも、 偶然 言 ひ はなった ことが、 廣く言 ひ はやされる やうに なつ 

たので ある。 それだけ 人情の 機微 を捉 へ、 世態の 眞髓に ふれて ゐる。 卽ち 折角 作っても 人々 が 

成る 程と 首肯 出來 なければ、 その 時 だけで 忘れられ てし まふ。 首肯す る こと は 人々 が 常て 思 ひ 


感じて ゐる事 を 言 ひ あら はして あるから である。 

今に 傳 はる 俚諺の 中には 自己 修養の 一助と もなる べき 名句が 多い。 た^ 俗 問に 作られ、 俗間 

に 傅って 來た e けに 表現が いかにも 素直で あり、 叉 中には 稍 i 下品な ものが ある。 これ は、 a; 

の 意味の 平民 文學 であるから 致し方がない。 

俚諺の 中で よく まとまって 最も 知られて ゐ るの は、 「いろは 歌留多」 である。 正月の 遊戯の 

1 つと して 行 はれて ゐる 此の カル タは德 川 時代の 文政 七 年に 尾 張國の 小山 駿亭が 作った 「敎訓 

伊呂波 喩諺 歌」 を もと & して 多少の 訂正 をして 文政の 末 頃に 出来 上った ものである。 

1 體、 この カル タは 今の が 一 つ だけと いふ わけではなくて、 多くの 人に よって 種々 に 作られ 

た。 その 一番 初めは 伊勢の 人の 南 勢 南叟が 「兒 宣敎訓 伊呂波 歌」 とい ふ もの を 安永 三年に 作り、 

宇治山 田の 講 古堂と いふ 本屋の 主人が 世話 をして、 京都の 菊屋 喜兵衛 から 出版し、 翌 g: 年 一月 

に 下河逯 拾 水が 繪を 書き 添へ て、 r 兒 童敎訓 伊呂波 歌 繪抄」 とした もの だとい はれて ゐる。 そ 

れが 現在の ものに 一 定す るまでに は、 いろくの 人の 手に 依って 作り か へられた ので ある。 

幾分、 下品な ところが あり、 叉 現代人に は 不向きの もの も あるに は あるが、 よく 世態 人情 を 


—  179  — 


一 180 一 


洞察して 眞理を捉 へて ゐる點は敬服 の 外ない。 まに 再豐考 する 時、 津々 たる 興味 1 える 

と共に 自己 If 深き 內 f 促される。 f 新 文化の み を 霞す る ff れて、 一途に 棄 

て、 顯 みないと レ ふこと は餘 りに 無謀で ある。 深き 修養の 鑑 としたい。 

一般の 謹の 中には 支那の 故事に 基く も Q、 叉 I の 格 f 依る も ss?t 卩 こ 

、に は 我が 履 有の も? 主として 廣く行 はれて 意 もの ぷを あげた。 殊に 故事に 基く 種類 

の もの は 可成の 解說 を必耍 とする ので、 一 括して 別 書に 述べたい。 

一、 いろは 歌留多 

犬 も 歩けば 棒に 當る 

ぢっ として ゐれば 何でもな いが、 犬で も 歩けば 棒に あたる ので、 事 をな す 者 は 困難 si 

する の は 仕方が まま ふので t が、 今 は それ 直に 進めて、 ぢっ として ゐて はだめ,, 、 

何でも すれば 思 はぬ よい 事に 出會ふ もの だとい ふ 意味に とる。 

論より 證璩 


議論 をす るよりも 據 になる もの を 見せる のが、 より 以上に 力が あると いふ こと, 

花より 圑子 

これ はいろ,/ \ の 意味に とれる。 花 を 眺めて 歌 や 詩な ど を 作る よりも、 腹の 足しになる 圑 

子の 方が よいと いふ 實利 主義の 意に もなる。 華 を 去って K につけと いふ 意に も 用 ひる。 

憎まれ 子、 世に は^かる 

f まれ 子 は い ろく の 驗を體 得し て 成長す るので、 却ってし つかりした 處が あると いふ 

意が よいので あるが、 それ を、 憎まれ 子 は 世の 人々 から 排斥され る やうになる とも 解して 

ゐる。 

骨折り損の 草 臥 儲け 

勞す. るば かりで 何の 効 もない。 いくら 一 所 懸命に 働いても 認めて くれす 報酬 もない。 

屁 を ひって 尻つ ぼめ 

ぬす 

こ^は 下品な 句で あるが、 よく 露 理を 穿って ゐる。 人の 目 を 倫んで 不正 をしながら、 ごま 

かして 分らぬ やうに 繃鏠 する 例 はよ く ある ことで ある。 


一 181  — 


一 182  — 


年寄の 冷水 

老ノか 冷水 を飮 t の は 身 を こ はす もとで ある。 身分 や 位置 を考 へす に 不相應 な 事 をす る Q 

は 慎し みたい。 

塵 も 積れば 山と なる 

「塵 も」 とい ふの は 「塵で さへ も」 である。 塵 はつ まらぬ ものであるが 良い 事の 方を考 / 

たい。 

律義者の 子澤山 

正直で 眞 面目な 者 は 却って 子供が 澤 山に 出 來 ると 皮肉に い つたので あるが、 皮肉との みと 

りたくない。 

盜 人の 晝寢 

盜 人が 晝寢を する の は 夜 働く た め で ある。 何でも 目當 てが あ つてす るので ある。 

琉璃 も 玻璃 も 照せば 光る 

装飾に 用 ひる 寳 石が 琉璃で き璃は 硝子。 この 二つ は異 つて ゐて も 光を與 へ れば M.  くと い ふ 


ので、 凡人 も 勉強 させ、 適した 業に つければ 一人前と なれる。 

老いて は 子に 從へ 

年と つてから は 子供に 世話にな るので あるから、 子供の いふ ことに 從 へと、 頑固な 親を戒 

めた ので あるが、 これ は 支那の 禮 記に 書いて ある、 「女 は 家に あって は 父に、 嫁して は 夫 

に、 夫に 別れて は 子供に 從へ」 とい ふ 婦人の 三 從の誡 から 出た ので ある。 

割れ鍋に とぢ蓋 

似た もの 夫婦と いふ 意。 拙い 男に は 叉 似合 ひの 醜女が ある。 相 應に皆 夫婦になる。 

かつたい のか さ 怨み 

これ は 極端な 言 ひかた である。 ものに は 程度が ある。 上 を 見れば 限りがない が、 叉 下に も 

際限がない。 身分 や 地位に 常に 滿 足して、 安らかな 生活 を 迗 る こと は 出來ぬ もので あらう 

か。 同じ 醜いながら、 まだ あの人の 方が よいと 怨 むは 人の 情と はい ひながら 餘 りに 聞き 苦 

しい。 

葭の莖 から 天上の ぞく 


一 183  — 


天上 は廣 い、 その 廣ぃ 天上 を 細い 葭の 管から 覼か うとしても 一 小 部分し か 見える もので は 

ない。 小智 を 以て 廣大 なる 眞理を 極めん とする の は あまりに 無謀で ある。 

旅 は 道 づれ世 は 情 

旅行で は 道連れがなくて はならぬ し、 世 を 過して 行く に は 人情 を かけ 合って ゆく のが 大事 

であると いふ 意。 よく 眞理を 言って ゐる。 

良藥は 口に 苦し 

「諫言 耳に 逆 ふ」 とい ふ 句が あるが、 同じ 意で ある。 苦く とも 身に 良く 効く 藥は 服用した 

い。 自分の ためになる 他人の 忠言 は 耳に 聞きに く-. - とも、 良く 聞いて 欠點を 改めて ゆきた 

總領の 甚六 ■ 

長男 は 大様で 智 意の 足らぬ もの だとい ふ 意で あるが、 これ は 偶然 さう いふ 場合が あった Q 

で、 作者が 一 部 を 見て 作った ので あらう。 

月夜に 釜 をぬ く 


— 1S4- 


大丈夫 だと 思って ゐる もの を 奪 ひ とられる 意で、 月夜 は 明るい し、 釜 は 大きくて 目立つ も 

ので ある。 誰し も 捕られる 等と は 思 はす 油斷 して ゐる 時に 盜 まれる。 「ぬく」 と ある けれ 

ど 「拔 かれる」 とい ふ 意。 

念に は 念 を 入れ 

心 を 入れた 上に 心 を 入れよ とい ふので、 何事 もよ く 注意す る ことが 必要で ある。 

泣き面に蜂 

一 つの 不幸に あった 上に 更に 別の 苦しみが 加 はる。 泣き顔に 蜂が とまった ので は 更に 泣か 

ねばなる まい。 

樂 あれば 苦 あり 

樂 しみと 苦しみ、 これ は 常に 循環して 一方に と^-まること はない。 この 句 は樂の 時に 苦に 

ならぬ やうに よく 用心せ よと 戒めた ので あるが、 苦し さに 堪 へれば、 やがて 樂も ありと 慰 

めの 意に も 用 ひる。 

無理が 通れば 道理 引 込む 


—  185  — 


理 にない 事が 通用され \ ば 道理 は 却って 無理の やうに 見えて 引 込んで しま ふ。 無理 を 通さ 

ん とする 者 を 戒めた ので ある。 

^から 出た まこと 

初めは 冗談の つもりが、 いつの 間に か眞實 になる。 

芋の 煮えた の 御存じない 

世帶 なれない 妻の こと。 尙、 一 般に 世間 を 知らない 者の こと。 

のど あと 

咽喉 元す ぐれば 熱さ を 忘る 

熱い もの を 呑む の も 咽喉 を 通る まで?、 それから は 感じなくなる。 一度 は 懲りても 直ぐ 忘 

れて 再びく りかへ す やうになる のを誡 めた。 

鬼に 金棒 

强ぃ者 を 一 暦强 くす る譬。 强ぃ 鬼に 金棒 を與 へれば どうす る 事 も出來 なくなる ので ある。 

臭い ものに は 蓋 

汚い 物で は あるが、 單に 物質ば かりで はなく、 精神的の もので も 蓋 をして 人目に つかぬ や 


一 186 — 


うにせ よとの 意で ある。 

安物 買 ひの 錢失ひ 

安値な もの もよ いが 自ら 限度が ある。 却って 錢を失 ふ 結果に ならぬ やうに 用心せ よと いふ 

こと。 

負ける が 勝 

他人と 議論な ど をす るに 當 つて、 一時の 不滿を 忍んで 負けても、 それ は眞 からの 負けで は 

ない。 却って 器量 を あげて 立派で ある。 

• 藝は身 を 助く 

職 を 失ったり、 財產を なくした りして 生活に 困る やうに なった 時に、 身に 覺 えた 藝 によつ 

て牧 入の 道 を 得て 行く。 こんな 時に 曾って 遊び半分に 習得した 藝が どんなに うれしく 思 は 

れる ことか。 

文 は 遣りた し、 書く 手 は 持たぬ 

文盲 者の 嘆き を譬 へたので ある。 文章が 書け たらと 後悔しても 旣に遲 い。 


一 187 — 


子 は 三界の 首枷 

三界 は 慾界、 色界、 無色 界で、 此の I ニ界を 超越して 後に 道 を 悟る ことが 出來 るので ある。 

ところが 子供 は 可愛いた め、 首枷 (首の 自由 を させない 器具) となって 悟る ことが 出來な 

い。 此を 逆に 子供 は 厄介な もの だとい ふやう にもと る。 

えて に 帆 を あぐ 

機會を 巧みに 利用す る。 「えて」 は 追手で、 後から 吹く 順風で ある。 順風 を 利用して 行く 

船 は 漕ぐ 力 も樂で 早い。 

亭主の 好きな 赤 烏帽子  . 

主人の 好む ところであって みれば 妻 も 從者も 同意し なければ ならない。 「好きに 赤 烏帽子」 

ともい つて、 昔、 義敎將 軍の 時に、 ある 人が 赤 烏帽子 を かぶって 來た處 が. 將軍は 面白が 

つて 繪に 書き、 それ を 松 平 肥 後 守に 賜った。 すると 肥 後 守 はこれ こそ 將 軍から 賜った 物と 

して 長く 大切に して ゐ たとい ふ。 好き は 「ものす き」。 

頭 かくして 尻 かくさす 


一 183  — 


1 部分の 惡ぃ事 を かくして、 其の 他 を かくす ことが 出来ない こと。 雉 は 頭 を かくしても 尻 

まで はかくされ ぬから、 尾が 見えて 直ぐ 居處が 知れる。 

三遍 廻って 煙草に せう 

三遍 働いて 休んで 煙草 を 吸 はう とい ふので、 三遍は 煙草 一服に 對 して 言った ので ある。 こ 

れを、 話が 遲く 廻りく どい 意味に もとって ゐる。 

聞いて 極樂、 見て 地獄 

話に 聞く と美し さう であるが、 一 度 踏み こむ と 地獄へ 落ち入つ たと 同じで 出て 来られない 

との 意で あるが, 之 を 一 般に は、 話に は 善く 聞いて ゐて も實際 行って 見る と反對 であると 

い ふやう にと る。 

油断大敵 

これ はよ く 言 はれる 語で、 意味 も 明瞭で ある。 この 下に 「火が 燃える」 とつ f けて 特に 火 

事に 注意して ゐる。 

目の 上の たん 瘤 


—  189  ― 


自分の 上に あって 邪魔になる もの。 出世の 妨げになる 同僚な ど をた と へ る。 

身から 出た 鐯 

自業自得、 災厄に あ ふの は 自分でした 原因から である。 人を怨 むこと は出來 ない。 

知らぬ が佛 

事情 を 知らないから 良い 氣な もので、 知れば 怒る であらう。 餘 りに 探求して 氣 にかけ ると 

暮す こ とも 出来なくなる。 

緣は 異な もの 味な もの 

夫婦の 緣は 不思議な もので、 全く 知らない 者が 思 はぬ ところから 夫婦になる。 考 へれば 分 

らぬ もの だが、 それで ゐて 一緒に なれば 嬉しい もの だ。 

貧乏 暇な し 

貧乏人 は その 日の 生活に 追 はれて 金 もな く 暇 もない。 

門前の 小佾、 習 はぬ 敎を讀 む 、 

t 境に よる 影 饗 の 大きい こと。 寺の 門前の 子供 は 殊更 習 はなく とも、 聞き 覺 えて 經を讀 む 


—  190  — 


やうになる • 

背に 腹 はか へられぬ 

人 は 助けた くても 自分の 困難 を 見捨てる わけに は ゆかない。 

粹が身 を 食 ふ 

粹は 通の ことで、 通人 は 金が いる。 そのために 资產を 失 ひ 遂に は 身 を滅す やうになる。 

京の 夢 大阪の 夢  』 V 

夢の 話 をす る 時に かう いってから 始める もの だとい ふが、 とりとめ もな く. S 想す る 意に 解 

二、 俚 諺 

あ 

C 

明日の 百より 今 五十 

常て にならない 將來の 百よりも、 今 五十 貰った 方が よい。 「あの世 千日、 此の世 一 日」 と 


いふのと 同じ。 

虻 蜂 とらす 

あまりに 慾 張り 過ぎて、 兩方 とも 取れなくなる。 

開けて くやしい 玉手箱 

期待 は 大きかった が、 結果 は 案外であった 場合に いふ。 浦 島 太郞の 話から 出た 句で ある。 

暑さ 忘れて かげ 忘れる 

人 の 恩惠を 忘れ てし まふ。 

あの 聲で 蜥蜴 食ら ふか 時鳥 

其 角の 句で あるが、 なか/ \- 面白い。 人 は 見かけに よらぬ ものである。 

悪事 千里 

悪い 事 は 直ぐ 人に 知れる。 然も 千里の 遠くまで 傳 はるから、 惡事 をせ ぬ やう 注意せ よ。 

悪錢 身に つかす 

不正で 得た 金 は 直ぐなくなる。 盜人 がその 金 を 持って ゐす、 直ぐに 遊興に K つてし まふの 


は 良心が 咎める からで ある • 

-5 加な さけ 

悪女の 深 情 

よくな い 女の しつ こさ。 

足 もとから 鳥が 立つ 

思 ひも よらぬ 事が 起る。 不意に 近くから 鳥が 飛び立って 驚く。 叉、 急がせる 

商 ひ は 牛の 涎 

商賫の 秘訣 は、 ねばり 强 くやる のがよ い。 

あきな ナ 

秋 茄子 は 嫁に 食 はすな 

姑が 嫁 を 憎む 心から、 旨い 秋 茄子 を 食べさせるな といった ので ある • 

過の 功名 

仕損じた ことが 却って 都合よ くなる。 

案す るより 產 むが 易い 

婦人のお 產の 事で あるが、 一 般 にも 適用す る。 思った よりも S 際に 當れば それ 程で もない。 


一 193  — 


後の 雁が 先になる 

後進 者が 先輩 を 追ひ拔 いて 出世す る 

當 つてく だけろ 

失敗 を覺 悟で 事に 當 つて 見よ。 

合せ もの は 離れ もの 

無理に 合せた もの は、 結局 離れる やうになる。 夫婦な どの 場合に 言 ふ。 

雨 赛 れて笠 忘る 

要が なくなる と 忘れ勝ち であるが、 困難が 去る とその 當時 世話になった 恩 を 忘れて しま ふ 

の は 現代で は 殊に 多い。 よき 誡め である。 

雨 降って 地 固まる 

雨後 は 却って 地面が 固る やうに、 一 度 紛擾の あった 後 はよ く 治まる。 

有りが た 迷惑  ^^r  f^rl 

親切が 却って 迷惑と なる。,, 


一 19i 一 


頭莉 るより 心 を 剃れ 

頭 を 剃って 洒落れ るよりも、 心の 修養 をつ とめよ。 

足駄 を はいて 首った け  • 

足駄 を はいても 首まで 浸る 程 深く 思 ひこむ。 

足がなくて は 動かれぬ 

足と 錢とを かけた ので ある。 

あとばら 

後腹が 病む 

お産の 事から 譬 へたので、 事が すんだ 後に なって 疚しい 事が 起ったり、 費用の つぐな ひ を 

する やうに なったり する。 

あさがけ 

朝驅の 駄賃 

朝 は 人 も 馬 も 勢 ひがよ いので、 少しの 荷物 は 心に とめない。 

朝風呂、 丹前、 長火鉢 

安樂な 生活の 様子 を 並べ あげた。 


—  195 — 


家鴨の 火事 見舞 

丈の 低い 人が ちょこく と 急いで 歩く 姿。 

、 

急がば 廻れ 

「武夫の 矢 橋の わたり 近くと も 急がば 廻れ 瀨 田の 長 橋」 とい ふ 歌 もあって、 急いで £ 道 を 

すると、 却って 失敗す る。 

生 馬の 目 を拔く 

非常に 敏捷な ことの 譬で、 生きた 馬の 目 さへ 拔 きとる 江戸の 様子 を 言つ さ。 

痛くない 腹 を さぐられる 

覺ぇ のない 疑 を かけられる。 

1 寸の 虫に も 五分の 魂  • 

小さい 者で も、 魂 は あるから 蔑る こと は出來 ない。 

1 富士、 1 一鷹、 三 茄子 


196  — 


吉夢を 頂に &べ たので、 この 夢を見る と 良い 事が あると 言 はれて ゐ るが、 S 偽 は 分らぬ。 

年中行事の 「初夢」 を參 照せられ よ。 

1 文吝 しみの 百 知らす 

少しの 金 を 惜しんで、 却って 大損 を 招く やうになる。 

1 寸先は 闇 

as と 一 S とま 常 C 頃に fl つて 來 るので、 今 はよ くても、 先 はどうな るか 分らない 

痛し痒し  . 

どうしてよ いか 分らす、 困った こと。 

一す. A はし 

鹚の 嘴の 食 ひ 違 ひ 

もの 事が 齟 -1 する こと を譬 へ た。 

石の 上に も 三年 

in の 上で も 三年 もつ けて 居る と 暖まる とい ふ 意で、 つらくても 忍耐して 勤めて 居れば 自 

然に 他の 同情 や 信用 を 得て 成功す る。 


一 197  — 


石が 流れて 木が 沈む 

物 ごとが 顚倒 する こと • 

石 を 抱いて 淵に 入る 

石 を 抱いて は 浮き 上る ことが 出來 ない ので、 危 いこと ゃ必す 亡びる こと を譬 へる。 

石橋 をた.^ いて 渡る 

堅固な 石橋 を壤 はれて ゐな いかと 杖で 叩いて 渡る とい ふので、 用心深い こと をた とへ る。 

「念に は 念 を 入れ」 は、 これより 輕ぃ 意味で ある。 

命あって の 物種 

命が 何より 大事で ある。 

命 長ければ 恥 多し 

永生き はよ いが、 それだけ いろ,/ \ の 事に 出會 ふので 恥に も あ ふ。 

命の 洗 灌 

平常 忙しい 勞苦を 慰める ための 氣 ばらし。 


命 を 的に する 

命 を 捨てる 免 悟で 事 をす る。 

井の 中の 蛙、 大海 を 知らす 

狭い 井戸の 中に ゐる蛙 は、 これが 我が 天下と 思って ゐる。 兑聞ゃ 兑識 のせまい 人 もこれ と 

同じで ある。 

陰德 あれば 陽報 あり 

人の 見ぬ 處 でも 人の ため 世の ためにつ くせば、 いっか はよ い 報いが ある。 

犬の 糞で 敵 を 討つ 

卑怯な やり方で 怨を はらす こと。 

犬の 遠 吠 

遠くから 人 を攻擊 する 卑怯な やり方 をた と へ た。 

犬の 川端 歩き 

川端 を 歩いても 餌 物 は 水に 流されて ある 喾 もない。 其處を 犬が 歩いても 得る もの はないで 


—  199  — 


—  200  — 


あらう。 同じ やうに^る ことのな いたと へ。 

いやく 三 杯 十三 杯 

嫌 だと 思っても、 さ X れるま V- に 飮む盃 は、 初 は 三 杯 位で と 思 ふ もの X、 何時しか 數を重 

ねる。 物事 は 知らす くひ かされて 深入りし 易い。 

鰯の 頭 も 信心から 

信仰の 心が あれば、 神 ゃ怫に 限らない。 つまらぬ もので も、 靈 ある やうに 考 へられる。 

う 

C 

氏より 育ち 

人格の 養成 は 家柄よりも 修養 や 家庭の 美に よる。 

氏な くして 玉の輿 

女 は 卑しい 家に 生れても、 美しければ 高貴の 人に 迎 へられて 立派な 舆に乘 る やうな 身分と 

なれる。 昔 は 平民で は 名 はあって も 氏はなかった ので、 「氏な くして」 といった ので ある。. 

內辨慶 の 外す ぼり 


「內廣 がり」 ともい ふ。 內 では 威張っても、 外に 出て は意氣 地がない。 

內胶 *: 藥 

內股 につけた 膏薬が、 あちこち につく やうに 一定の 節義の ない 人。 

內兜を 兌す かされる 

兜の 內、 即ち 心の中 を 見す かされる。 

g の 目 魔の 目 

この 二つの 鳥 は 目が 銳ぃ處 から 譬 へたので、 氣を 配って 物 を 探す こと • 

馬 は 馬づれ 

同じ 者が 集って 連れと なる。 

馬の 耳に 念怫 

いくら 言 ひ 聞かせても 道理の わからな いこと • 

つむぎ 

生れぬ 先の 襁褓 定め 

物事の 早計な こと。 


一 202 — 


牛に ひかれて 善 光寺 詣り 

他人に 誘 はれて 事 を させられる こと。 善 光寺の 近くに 住んで ゐた 老婆が 洗潘 して 干して 置 

いた 布 を 隣り の 牛が 角に ひっかけて 善 光寺の 方に 逃げた。 老婆 は 追 ひかけ て 遂にお 寺に 行 

き、 ぉ詣 りした とい ふ 話から 出た 句で ある。 

牛 を 馬に 乘 りかへ る 

にぶい 者 を 捨て X 早い ものに かへ る。 

うしろがみ  • 

後髮を 引かれる 

未練が 续る こと。  ド ん 

ろしろ べんてん まへ はんがく 

後辨 天, 前板 額 

. 後 姿は辨 天の やうに 美しい が、 顔 は 醜い。 板 額 は 鎌倉時代の 初めに ゐた 勇婦の 名で、 容貌 

は 醜かった とい ふ。 

- 魚心あれば水心 

人が 好意 をよ せて くれ k ば、 自分 も 好意 をつ くす。 これ を 「心あった から實 際に もやつ 


一 203 — 


た」 ともとる。 

運 は 天に あり、 牡丹餅 は 棚に あり 

棚に ある 牡丹餅 を 取らう とすれば 容易で あるが、 天に ある 運 はとる こと は出來 ぬので、 時 

の來 るの を 待つ よ. o 外 はない。 

海と も 山と もっかぬ 

物事が どうなる か見當 のっかな いこと。 

海に 千年 川に 万年 

多年 世間の 苦勞 をした ため 世 なれて 社交 等に 長 じて ゐる こと。 「海千山千」 ともい ふ。 

瓜の 蔓には 茄子 はならぬ 

子供の 賢愚 は、 其の 親の 賢愚に 從ふ もので、 凡 席の 親なら ば 子供 も 賢くな いのは 當然 だ。 

风 二つ 

瓜 を 二つに 割った やうに、 よく 似て ゐる。 

歌 を 作る より 饅 でも 作れ 


下手な 歌 を考 へ るよりも 實 用になる 饅を 作った 方が よ い。 

上兑ぬ 鷲 

幾 

悠々 何物に も 長れ す 飛揚す る 鷲。 しかし 世の中 は、 さう とば かり 行かぬ。 とかく 高 俊な^ 

は 折れ 易い。 

裏の 裹 ゆく 

「裏 を かく」 者が あれば 更に その 裏 を か X うとい ふ。 

え 

緣の 下の 力 持 

何事で も 人の 目につかぬ 處でカ をつ くす 者 は ある ものである。 r 椽 q 下の 舞」 とも C-V 

これ は 能樂で 一 段 ひくい 處で、 舞っても 人から 見えない ので gi へた。 

緣の 下の 筍 

いつまでも 出世の 出来ない もの X こと。 

緣と 浮世 は 末 を 待て 


—  204  — 


-205  — 


良い 緣と 好い 機 會とは 無理に 急いでも だめで、 ゆっくり 將來 にかけ て 待つ ものである。 

® で鲷を 釣る 

つまらぬ もの を 贈って、 返しに 鲷の やうな よい もの を 莨 ふ。 小 資本で 大利を 得る こと。 

お 

C 

奥 齒に劍 

やさしい 言葉の 中に 害意の こもって ゐる こと。 

奥齒 にものが 挾まる 

ほんと に 打 解けないで、 まだ 何處か 隔て 心の ある やうに 思 はれる。 叉、 幾分の 不足が ある 

やうに 思 はれる こと。 

啞の 問答 

話し 會 つて ゐて も耍領 がよく 通じ ない こと。 

お 里が 知れる 

言語 や 動作で その 人の 素性 や 經歷が 分る こと。 


落 武者 は 薄の 穗に 怖ぢる 

ひけ 目の ついた 者が つまらぬ 物事に もび く./ \ する やうに なること。 

同じ 穴の 貉 

同じ 仲間。 主に 惡ぃ 意味に 用 ひる。 

鬼の 霍亂 

鬼の やうな 壯 健の 者が 急に 病に か X る。 . 

鬼の 念佛 

鬼の やうな 無慈悲な 者が、 殊勝ら しく 振舞 ふこと。 

鬼の 目に 淚 

無慈悲な 者に も 時には 慈悲心が ある。 叉 鬼の やうな たけぐしい 者が 流す 淚。 

鬼の 留守に 洗濯  -. r 

一 番 遠慮し なければ ならぬ 人の 留守 を 利用して、 氣樂に 休息す る こと。 

鬼 も 十八、 番茶 も 出花 


番茶 も 入れた て はうまい。 どんな 女 も 年頃に なれば 美しくなる。 「鬼 も 十八、 蛇 も廿」 と 

もい ふ。 

帶に 短し 櫸に 長し 

中途 半ばで 何の 用に も 立たない • 

帶紐 解く 

安心して 警戒 を 解く こ と。 

負うた 子に 敎 へ られ 淺瀨を 渡る 

子供に 正しい 道を敎 へられる。 老練家 も 時に よると 未熟者から 導かれる ことがある。 

負 ふ 子より 抱く 子 

背中に 負うた 子よりも 抱いた 子の 方が 可愛い」 離れて ゐる 者より 近い 者 ほど 愛らしい。 

重荷に 小 づけ 

ある 上に 更に 過重の 負擔 をさせる こと。 

老いた る 馬 は路を 忘れす 


一 207  — 


代 々 惠を 受けた 者が 長く そ の 恩 を 忘れな いこと。 

小田原評定 

意見が まちく で 評議が 定まらな いこと。 天 正 十八 年に 秀吉が 小 田 原 征伐の 時に、 北條氏 

康が 臣下 を 集めて 和戰の 評定 をした が、 なかく 定まらなかった 事から 出来た 語。 

ぉ爲 ごかし 

親切ら しく 見せかけて 自分の 都合の よい やうに する。 

落ちれば 同じ 谷川の 水 

初めは それ^- 異 つて ゐて も、 海に 入れば 同じと なる。 最後に 歸涪 する 所が 一 つで ある。 

親に 似ぬ 子 は 鬼子 

子は必 やその 親に 似るべき で、 似ない 子 はよ くない 子と いふ 意。 

親の 心 子 知らす 

限りない 親の 愛情 を 知らす に 子は氣 ま^-に 振舞 ふ。 

親の 脛 を かじる 


一 208 — 


一人前になって、 まだ 獨 立して 生活が 出来す、 仕 袋り を 受ける。 

*.« ひか 9 

親の 光 は 七光 

親の 財產 ゃ名聲 等の ため、 子供 もお 蔭 を 受ける。 

親 はなく とも子 は 育つ 

親 はなく とも 人情に より子 は 育つ もので、 世間 はすべ て 案じる 程の こと はない。 

親方 思 ひの 主 倒し 

主人の ためだと い つ て 却って 不埒 をす る。 

尾鰭 をつ ける 

事實 のま いではなくて いろくつ け 足して 誇張す る。 

思 ひ 立つ 日が 吉日 

吉凶な どい ふ 迷 心に とら はれす、 思 ひ 立った 事 は 直ぐ その 日から K 行せ よ。 

遲 かりし. E 良 之 助 

時機が 遲れて 間に合 はない。 これ は 忠臣 藏の 芝居で 判宫 切腹の 時に、 ^良 之 助の 来邸が; 


-- 209 一 


いので 切腹し かけた 處に來 ると ころから 出た 句で ある。 

力 

蝙蝠 も 人の 數の中 

「餓鬼 も 人數」 と 同じで、 つまらぬ 者 も 人の 中には 入る 

垣 堅く して 犬 入らす 

家が と^-の つて ゐれ ば亂 さう としても 出來 ない。 

隱 すより 現 はる 

物事 を かくすと 却って あら はれる。 

影の 形に 從 ふごと し 

何時も、 つき 從 つて 離れる ことがない こと。 

蔭で 絲を ひく 

操 人形の やうに、 かげで 人 を操縱 して 言動 をさせる • 

鏠で水 を飮む 


水 を 汲まう としても 饉 では 直ぐ 漏れて しま ふ。 勞カ をつ くしても 効 はない。 

駕籠に 乘る 人擔ぐ 人、 その 叉 草鞋 を 作る 人 

世の中 はさまぐ で 贵賤贫 富、 職業 や 地位 等 限りがない が、 互に 持ちつ持たれつして 立つ 

て ゆく ので ある。 

可愛い は 憎い の 裏  - 

糠 子な どの やうに 憎い が、 口で は 可愛い とい ふ。 

可愛い 子に は 旅 を させよ 

子供が 可愛い ければ 苦勞 させて 立派な 人と せよ。 

可愛 さ餘 つて 憎さが 百倍 

愛情が 厚い 程 嫉妬 心も强 く、 一 度叛 いた 時な ど は 非常に 憎く 思 ふ。 

かざかみ 

風上に 置け ぬ 

臭い もの を 風上に 置いて は 臭 氣は甚 しい。 性行の 葸 いもの-こと。 

稼ぐ に 追 ひつく 貧乏な し 


一 211 — 


常に 働けば 貧乏に 苦しむ こと はない。 

刀の 匁 を 歩く 

非常に 危 いことの たと へ。 匁の 上 を 歩く やうに 危ハ。 

勝てば 官軍、 負ければ 賊軍 

維亲^ 時の 語で ある。 勢力の あると ころに 名譽も 集る とい ふこと。 

門松 は 冥途の 旅の 一 里 塚 

1 休 禪師の 作。 老人に は 芽出度い 門松 も 一 歩 死期に 近づく 標 とも 思 はれる。 

河童の川流れ 

上手な ものが 却って 失敗す る。 

蟹の 念佛 

くどくと 分らぬ こと をつ ぶやく ことが、 蟹の 泡 を ふくに 似て ゐる。 

蟹 は 甲に 似せて 穴 を 掘る 

身分に 相應 して 行動したり、 考へ を^った りする。 


一 213  — 


金が 敵 

金錢 のために は 道に は づれた 行 ひ をし、 友と も 袖 を 分つ こと も あるので 敵と も兑 られ る。 

金が もの を 言 ふ 

余錢の 力の 大きい こと。 

金に 絲目 はっけぬ 

惜し 氣も なく 金錢を 費す こ と。 

. 金の 切れ目が 緣の 切れ目 

金錢の ある 中 はな か-/ \ うまい 事 を 言って 御機嫌 をと るが、 なくなつ たと 兌る とそろ/^ 

手 を 引く 人 は 多い。 人情の 輕薄さ をよ く  S へて ゐる。 

金の 世の中 

何事 も 金の 威力で 出来ない もの はない。 

金 持と 灰 吹 は^る 程き たない 

金 をた める もよ いが、 溜れば 溜る 程、 慾の 皮が 厚くなる。 


皮 一 重 

美醜 も 皮 一. 重の ことで、 これ を剝 げば 誰も 異る ところ はない。 

飼犬に 手を嚙 まれる 

恩惠を ほどこした 者に 叛 かれる。 この頃 は 「叛 く」 程で もない が、 世話になる 時 は 追從し 

て、 さて これで 良い となると 見向き もしない やうな 者が 多い。 

兜の 緖を しめる 

勝利の 後に 油斷 はしが ちで ある。 緒 をし めて、 ゆるむ 心 を 引き締めたい。 

兜 を脫ぐ 

降參 する。 降服す る。 

壁に 塗られた 田螺 

土の 中に 混って 壁に 塗り こめられた 田螺。 時が たつ 程 動きが とれなくなる。 

壁に 耳 

どんな 處で 聞いて ゐる とも 分らす、 叉 洩れ やすい。 


—  214  — 


蛙の 子 は 蛙 

子供 は 親よりも 出世す るかと 思つ て も、 矢張り 親に 似て 愚かで ある, 

蛙の 面に 水 

蛙の 面に 水 を かけても 平氣 である。 少しも 感じない ことに 譬 へ る。 

蛙の 頰 ぼり 

蛙 は 後脚で 立つ と 目 は 背に あって 前 は 見えない 處 から 目先の 見えない こと。 

南瓜に 目鼻 

圓 顔で 醜い 人の こと、 かう いふ 女が 嫁に 行く のが 多い 年 を 「南瓜の 當り 年」 とい ふ。 

神の 正面、 佛 のまし り 

神棚 は 正面に、 佛壇 はかげに 作れと いふ 意。 「ましり」 は眞 尻で 後方の こと。 

鴨の 水搔 

身 は ゆったり 見えても 水中で は游 ぐた めに 常に 水を搔 いて ゐる。 外見 は穩 でも、 心の中 は 

安らかで ない 人の譬 。 


一 215 — 


堪忍袋の 緖が 切れる 

堪忍 もこれ までとい ふ 場合に 用 ひる。 

枯木 も 山の 賑ひ  に 

用に は 立たなくても、 ない より はよ い 人の たと へ。 

さ 

C 

き ぶっかな ぶつ いしぼとけ 

木佛金 佛石佛 

情味のう すい 人 も ある もので、 そんな 人 を この 三つに 醫 へ 並べ た。 

木に 竹 をつ ぐ 

物事の そろ はない こと。 木に 竹 を ついでも、 つかない。 - 

雉 も 鳴かす ば 打 たれまい 

無用の 貢 槳 をき いたが ため、 思 はぬ 禍を 受ける。 

あ づ *J めし 

狐に 小豆 釵 

狐 は 小豆 釵を 好く ので、 前に 出して 置く と 直ぐ 食べられ てし まふ。 この やうに 安全 だと 保 


一 216  — 


證 の出來 ない もの k 譬。 此の頃 は保證 の出來 ない 者が 多くな つた。 

昨日 は 人の 上、 今日は 我が身の 上 

禍福の 變轉は 限りがない。 「世の中 は 何 か 常なる 飛鳥 川、 昨日の 淵 は 今日の 瀨 となる」 と 

嘆 じさせて ゐる。 

窮 すれば 通す 

物事が 行き詰り、 どうと も 仕方なく なった 時に、 却って 切り開く 道が 考へ 浮ぶ ものである。 

京に も 田^ a あり 

立派な 地に も、 開けない 靜 かな 土地 は ある。 

兄弟 は 他人の 始まり 

兄弟 も 幼時 は睦 じいが、 一 家 をな すと それぐ 妻 や 子に ひかされ、 思 はす 疎遠が ちになる。 

義理と 襌 かけねば ならぬ 

揮 を 常に かける やうに 義理 を 少しで も かく やうな ことがあって はならない。 

近所に 事な かれ 


—  217  — 


一 218 一 


近くの 變事は 自分の 身に も 及び 易い ので、 無事 平穩 であれと 願 ふ。 

く 

C 

苦 は 樂の種 

苦勞 する 事 は 後の 安樂の もとで ある。 

苦しい 時の 神賴み 

無事 平 穩の時 は 不信心で あっても、 困難に 出會 ふと 神 を 頼る。 平常 訪ね もせぬ 家に、 苦し 

い 時には 依賴に 出かける。 

櫛の 齒を ひく 

次から 次へ と續 いて 筢 えない こと。 

腐り 目に 爛れ目 

災難の 上に 重る 災難。 こんな 事 は 兎角 起り 易い。 

腐っても 鲷 

元來 よい 品 は 老朽しても 何處 かよい 處 はあって、 何 か 用に たつ。 


糞 も 味嵴も 一 緖 

何も彼も 一 緖で、 是非 善惡 の^ 刖を しない こと。 

口で は大阪 の狨も 建つ 

言 ふこと は 易い、 が S 行 はな か/ \- 困難で ある。 

口から 先に 生まれる 

口の 達者で 上手な 者 や 多 辯の 者の こと。 

口に 稅 はか、 らぬ 

勝手な こと をい ふの は 人の 情で ある。 しかし、 よく 注意して しゃべりたい- 

口 も 八挺、 手 も 八挺 

八挺の 機械 を 使って 物事 をな すと ころから、 口と 手と 共に 上手な こと をい ふ。 

口 で 身 を 滅ぼす 

言葉 を 注意す るの は 大切で ある。 愼 しまない ために、 遂に 身 を 減 ぼす やうになる 例 は 多い。 

「口 は禍の 門」 とい ふの も 同じ こと。 


國 に盜、 家に 鼠 

新築した 家に 最初に 入る は 鼠と いはれ る 程、 家と 風 はっき ものである。 支那の 歷史 を兑て 

も 分る やうに、 國を 捕らう とする 者 も 多い。 害を與 へようと する 者 は 常につ きまと つて 來 

る。 

首と 引き か へ 

首の やうに 大事な もの。 「首 を かける」 といへば、 萬 一問 遠った 場合の 代償と いふ 意で あ 

る。 これ を外國 人が 聞いて、 「日本人の 首 はそんな にやす いか」 と 疑った とい ふが、 國民 

性 を 知らぬ ためで ある。 

雲に 懸橋 

浮ぶ 雲に 橋 を かけよう としても 無理で ある。 達成 出来ぬ 望みの こと。 

雲 を 霞と 逃げる 

雲 や 霞 は 去 つてし まへ ば 影 もなくなる と ころから、 早く 逃げる こ と に 聽| へ た" 

暗闇の 頰冠 


—  220  — 


喑闇 では 誰の 顏も 見えない の に頰 冠り すると は 無駄な こと。 無用の こと 等に 譬 へ る • 

車 の IW4^ 

1 1 つ そろって 大切な ものである。 

果報 は寢て 待て 

運命 は 天に まかせて、 あせって はいけ ない。 

サ 

C 

藝は 身の 仇 

藝事 のために 身 を 滅す例 も 多い。 藝の ためとなる と金 を 惜しまない 人 も あらう。 

桂馬の 高 あがり 

桂馬 は 飛んで あがる が 下せない。 身分 不相應 の 位 S に^いで 進んでも、 却って 失敗す る。 

げすの 一 寸、 のろまの 三寸 

障子 を 閉める にもげ す は 一寸 餘し、 のろま は 三寸 あける。 注意の 行きと r かない^ は K 川 

2 

に はた X ない。  一 


9  , あとし あん 

げすの 後 思案 

げすの 者 は その 場で ょぃ考 へ は 出ない もので、 事が 過ぎてから 良い 思案が 出る。 

毛 を 吹いて 疵を 求む 

他人の 不利に つけ 入って 利签を 得ようと して、 却って 失 體を暴 露す る こと。 

結構 毛 だらけ、 猫 灰 だらけ 

すぐれた 事 を 滑稽 化して い ふ。 

今日の 情 は 明日の 仇 

人情 は實に 薄氷の やうで ある。 

蹴る 馬 も乘手 次第 

乘手 によって 上手に 乘 りこな す ことが 出来る。 物事 は それ を 扱 ふ 人 次第で どうに でもなる。 

喧嘩す ぎての 棒 千切れ 

川柳に 「知 盛 は 喧嘩す ぎての 棒 を 振り」 と ある。 源平の 戰ひ 終って 義經 が兄賴 朝に いれら 

れす、 鎌 倉 を 遁れて 上京した が、 其處 にも 賴 朝の 手 は 及んで ゐた。 義經 主從は 四國に 落ちの 


—  222  — 


びんと して 大物 浦から 舟 を 出した 時、 一 天 俄かに 搔き晷 II つて 現れ 出た の は 知 盛の 衋 であつ 

た。 長刀 を ふりかざして 義經に 打って か、 るので 辨慶は 念佛を 誦して 靈を靜 めた とい ふ。 

そこで 出來 たのが この 川柳で あるが、 これから 變 つたの が この 句で ある。 事が すんで から 

では 可に もなら ない。 

喧嘩 兩 成敗 

兩 方に 惡 いところ が あるた めで ある。 兩 方と も虚罰 する のが 公平で ある • 

I し 

C 

鄕に 入って は 鄕に從 へ 

風俗 習慣 は 土地に より 異る。 他國に 行って は その 地に 從ふ は當然 である。 

好事 魔 多し 

よい 事に はきつ と 防 害する ものが 入る ものである。 

弘法 も 筆の 誤 

弘法 大師 は蜣哦 天皇、 橘 逸勢と 共に ー1ー ゆと 稱 せられた 能筆 家。 どんな 巧みな 者で も 時には 


一 223  — 


失敗が あると いふ 意。 

募 敵 ま 憎さ も 憎し ® し \ 

負ける と 憎く も 思 ふが、 また 對 局しょう と の懷 しさ も あると い ふ 人情の 機微 を 現した。 

事 ある 時 は 佛の足 を 戴く 

平常 は 不信心で も、 變事 にあ ふと 信心に よって 救濟を 得ようと する。 

事が 延びれば 尾鰭が つく  一 

物事 は 延引 すれば 故障が 起り やすい。 よいと 思った こと は 早くせ よと い ふ 意。 

言葉 は國の 手形 

どんなに ごまかしても 言葉の 訛り は 生地 を あら はすので、 何處 の生國 か^-すぐ 分る。 

言葉に 花實を まぜる 

花 は 飾り、 實は 眞實。 この 二つ をう まく 混ぜて とりあ はせ る。 

言葉 多き は 品 少し 

言葉の 多い 人 は 品格 も少 く, 信 實味も 疑 はれる。 殊に 自己 宣傳の 多 辯 は 見苦しい。 


—  224 一 


一 225 — 


C ま 30 せぎ し V 

田作の 齒軋 

小さい 田作が 齒 S しても 聞え る わけ もない。 力の 及ばぬ 者が 憤慨しても 始まらぬ • 

轉 ばぬ 先の 杖 

前から 用心せ よ。 準備して か.^ ら ぬと 失敗す る ことがある。 

轉ん でも 只 は 起きぬ 

轉ん でも 何 か 落ちて ゐ ぬかと 地面 を 探す と は 貪慾な 者。 

後生大事 や 金 欲し や、 死んでも 命の ある やうに 

これ も 前と 同じ やうに 貪慾 者が 利签に 目が くらむ 樣を たと へ た。 

子 は 夫婦の 鏺  . 

夫婦に 愛が なくなっても 子に 對 する 愛情に よってつ ながれる。 

子 故の 闇 

子の 愛に ひかされて、 分別の なくなる の は 親心で ある。 この 意 を 1! く 貢った のが 「子に 引 

かる、 親心」 とい ふ。 


ひと fe ちな かたちく すし , 

子供の 喧嘩に 親が 出る、 人 立 中立 醫師 立つ 

子供の 喧嘩に その 親が 大人 氣も なく 出て 來て 遂に 親 同士の 喧嘩が 始まり、 人が 集り 立つ。 

そして 仲介者と して 醫 者が 出る とい ふ騷 ぎの 大きくなる 様子 を 言った。 これ を 指で あら は 

すので、 兩 手の 小指 は 子供 同士。 母 指と 母 指 をう ち 合せて 親の 爭ひを 示し、 次の 外の 指 全 

部 を 立て 、人 立の 意 を あら はす。 

子供 は 風の子、 年寄 は 火の 子 

子供 は 元氣で 外に 出て 風に 吹かれても 何でもない。 年寄 は 火の 側に よる。 

子供 隠された 鬼子 母 神 

鬼子 母 神 は 子供 を 大切に する 祌。 子供が 見え なくなつ てうろ たへ 騷ぐ様 をい ふ。 

ち Ft  v.- サ 

此處 まで 御出で、 醴 進上 

巧 餌を以 つて 人 を 誘 ふ 意味。 

心の 鬼が 身 をせ める 

心の やまし さが 我と 我が身 をせ めたてる。 こんな 時に よく 寢る とうな される。 


一 22G  — 


—  £27  — 


心に 笠 を 着せよ 

笠 を かぶれば 上が 見えない。 兎角 上 を 見る と 現在の 地位 身分に 不滿 がちで ある。 

乞食 を すれば 止められぬ 

その 氣樂 さ、 そして 遊惰の 風が 身に 泌 みて やめられなくなる。 

乞食の 系圖話 

乞食が 自分の 系圖 について 自慢話 をしても 何にも ならぬ。 即ち 役に も 立たぬ 昔話 をす る • 

乞食の 朝謠 

乞食で あれば こそ 朝から 世間 かま はす 謠も 出来る 氣樂な こと を 譬 へた。 

乞食 も 場所 

何事で も 場所 を 選ばぬ と 効 はない。 乞食で も 場所に よって 貰 ひ 物が 逮ふ。 

五 七 は 雨に 九 は 病、 六つ 八つ 風に、 四つ 日照 

數は 昔の 時間 を 指す ので、 刖 項の 「昔の 時間」 のと ころ を 兌ら れ たい。 地お のあった 時 叫 

に 依って 結果が いろくに あら はれる とい ふので ある。 


自  あさつ て 

紺屋の 明後日 

紺屋 1 後 曰出來る といって 延 しがち な ものである。 約 f 延期す る譬。 

さ 

細工 貧乏、 Ail: 

. 細 H す i は 人の 物 まろく 作って J が、 白 f 何^へ も^。 人 I 寳 がられて 

自己に 利の ないた とへ。 

酒 は 憂 ひの 玉 箒 

箒で 塵を拂 ふやう に 憂愁な 心 を 忘れさせる。 「玉」 と は ほめて ハ ま 

酒なくて 何のお のれが 櫻 かな 

櫻 見に も 酒な くに は 興がない。 

酒屋へ 三 里、 豆腐屋へ 二 里 

灘な 土地の こと をた とへ, た。 靈 や foi 腐屋 は何處 にも ある 店で あるが、 I 

いふ こと。  Z  、、お, 


000 


さっき ソ里 メ 

五月 の i 流しの 觸は議 である。 口先き ばかりで 基が 粗略 で眞箕 味の ない こと。 叉 江戸 

の 人の 俠客 的の 性質 もた と へ る。 

指せ 乾せ 傘 

傘 を 永く 使 ふ 要領で あるが、 この やうに 大いに 働け とす、 める 意で ある。 

さと ばら • 

蜃^ とって は 姑 は 何事に つけても 心苦しい。 姑 S で If 十分 出來 まが、 ml 

. とうまいので 澤山 食べる から 歸 つても 一二 曰 位 は 大丈夫で ある。 

猿の 人眞似  > 

猿が 人の 眞似 をす ると は 不相應 である。 身分 不 謹の 人の 行動 をす る こと 

袁こ^ 帽千 

猿は不 似合 Qsf かぶらせても 仕方が ま。 ふさ はしく ま 様子 をす る こと。 

猿の 尻 笑 ひ 


稍く 下品な 言 ひ 方で あるが、 よく 眞理を 表して ゐる。 自分の 欠點は 見えぬ が、 同じ やうな 

人の 欠點を 見て 笑 ふとい ふので ある。 

山椒 は 小粒で も 辛い 

身 は 小さくても、 負けぬ 氣 があって 侮り 難い。 

三人 よれば 文珠 の智惠 

どんな 者で も 三人 よればよ ぃ考へ も出來 る。 文珠 は大智 の佛。 

去る 鳥 後 をに ごさす 

去って 行く から 後 はどうな つても よいと いふので はなく、 よく 整理して 行く とい ふ、 立派 

な 心 懸けで、 誰でも かう ありたい。 

去る 者 日々 に 疎し 

親しい 者 も 別れる と 次第に 疎くなる とい ふ 人情の 常 を 表した。 

三拍子 そろ ふ 

すべて の條 件が よく 備 はる こと。 


一 230 — 


姑の 淚汁 

ほんの 少しと いふ 意。 姑が 嫁に 對 して 同情の 淚を 流す こと は少 いもので ある。 

地獄の 沙汰 も 金 次第 

金の 世の中で ある。 地獄で さへ 金の 額に よって 難^の 差 をつ ける とい ふ。 

獅子 身中の 蟲 

百獣の王 たる 獅子 は 死んでも その 威 を 怖れて 他の 獸は その 肉 を 食 はう としない が、 獅子の 

身中に 生す る 虫 は 平然と その 肉 を 食 ふ。 それから 怫 弟子で ありながら 佛敎の 害 をな す もの 

>-譬 となり、 尙、 味方で ありながら 災害 をな す ものと か、 恩 を 受けた 者に 叛く 意に する。 

獅子 食った 報い 

怖るべき 獅子 を 食った 報いが 直ぐに あら はれる。 惡ぃ 結果の あら はれる こと • 

地 藏の顔 も 三度 

いかに 地藏 でも 顏を 三度 も 撫でられて は 怒る。 溫 和な 人で も 度々 侮辱され て は 怒る。 


一 231 一 


—  232  — 


親しき 仲に も 垣 

親し 過ぎる の は 却って 疎遠の もとにな るので、 互に 或る 程度まで は 敬意 をつ くせ。 

沈む 瀨 あれば 浮む 瀨 あり 

世の中 は變轉 極り なく、 浮ぶ こと も あり 沈む こと も ある ものである。 

死んで 花實 がなる もの か 

死んで しまって は 花 が^き 實 がなる やうな 幸福 は 得られぬ。 生前に 生命 を 大切に すべきで 

ある。 • 

死んだ 子の 年を數 へる 

親心で ある。 數 へても 効の ない こと。 愚痴 を こぼす こと。 

死んでの 長者より 生きて の 貧乏 

貧乏して ゐても 生きて ゐる のが 何より 大切と いふ こと。 

芝居 は 無擧の 早擧問 

無擧の 者に は 芝居 はよ い 敎 訓を與 へる。 昔の 芝居 は勸善 懲惡を 主眼と して 筋 が^られ て 


ゐ たからい へる。 

四百四^の 病より、 貧 ほどつ らい もの はない 

病苦よりも 貧乏が 苦しい。 外國 では 「健康が 资本」 とい ふ • 

自慢の 糞 は 犬 も 食 はぬ 

自慢話な ど 相手に されぬ。 

^ は 泣きより、 他人 は 食 ひより 

不幸 Qbi 夜に 親しい 者 は 心から 淚を 流す が、 他人 は 御馳走が 目 あてで 桀る 

蛇の 道 はへ び 

その 道の 者 は、 その 道の 事 をよ く見拔 くこと が出來 る。 

釋迦 に說法 , 

無用の こと、 要らぬ 世話と いふ 意。 

朱に 交れば 赤くなる 

人 ま 交る 友に よって 善悪の 感化 を 受ける ので、 友 を 選ぶ ことが 大切で ある。 


重箱の 隅を揚 子で ほじく る  • 

隅から隅まで 細かい 事に 干涉 されて はた まらない。 

上手の 手から 水が 漏る 

手品師が ど〃 なに 上手 だと はいへ、 時には 失敗 もあって 手から 水が 漏れて 來る。 「猿 も 木 

から 落ちる」 とも. S ふ。 

虱の 皮 を 槍で 剝ぐ 

小さな 虱の 皮 を 槍で 剝 がう としても 出來る もので はない が、 その やうに 小さな 事 を 大袈裟 

にして 騒ぐ こと。 

白川夜船 

よく 眠って ゐて 何も 知らない ことの 譬へ。 京都 見物 をした 振り をす る老 が、 「白 川 は」 と 

きかれて 返事が 出來 す、 「白 川 は 夜中 船で 通った ので 眠って ゐて 知らなかった」 と 返事 を 

した 處 から 出た。 

尻く らい 觀音 


一 234 一 


物事 を やりつ ばな しにして 始末し ない こと。 さう いふし まりのない 人。 觀 音の 緣 日は舊 暦 

の • 十 八日から 廿 三日まで-、 昔の 曆 では 月末に 近くなる 程 月が かけて 闓に 近く なる ので 

「尻が 喑ぃ」 とたと へた。 

尻から 燒 ける 

非常に あわてる 様子 をた とへ る。 

詩 を 作る より 田 を 作れ 

金に もなら ぬ 遊びより、 K 利になる 事を勵 むがよ い。 

す 

好き こそ 物の 上手 

ものが 好きに なれば 自然 上手になる。 將來の 目的 を^むる 場合 もよ き參考 となる 句。 

雀 百まで 踊 忘れす 

子供 時代の 習慣 は 老人に なった 後で も 忘れない。 

す- & ぜん , 

据膳食 はぬ は 男の 恥 


一 235 — 


婦人の 所望に 應 じな いのは 男子の 面目に か X はると いふ 意で あるが、 今 はな か/ \ 油斷が 

ならぬ。 

寸を 曲げて 尺 を 伸ぶ 

小利 を 捨て  >- 大利を 得る とい ふこと。 

せ^ま 

寸前 尺 魔 

世の中 はよ い 事は少 い、 悪い こと は 多い、 それ故に 善 は 急げと 敎 へて ゐる。 

う 

せいて は 事 を 仕 損する 

「急がば 廻れ」 と 同じ 意で あるが、 一方に は 「せかねば 事が 間に 會は す」 と敎 へて ゐる。 

せゥ ちん 

雪 隱で槍 

雪隱は 便所、 狹ぃ處 では 十分の 働き は出來 ないし、 折角の 腕 を 見せる こと も出來 ない。 

雪隠で 饅頭 

臭い 處 でも 平氣で 饅頭 を 食 ふとい ふの は、 場所 を かま はすに 利 を 得ようと する こと。 


—  236  — 


善 は 急げ 

善しと 思 へ ば 急いで K 行せ よ * 

千叠 敷で 寢 るも疊 一枚 

金 持 を 美んでも 寢る時 同じ 一 枚の 疊の廣 さ だ。 又、 熟 張っても 有り 餘 つて は 仕方がない • 

艄頭 多くて 舟、 山へ 登る 

指揮者が 多く 命令が まちく で、 却って 自然の 進歩 を さまたげ、 思 はぬ 方に 行く。 

そ 

C 

袖の 下からで も 廻る 子 は 可愛い 

上に 立つ 者の 心 持で ある。 裏から 顏を 出し 機嫌 をと る 者 を、 追從 者と は 思 ふ もの  >-、 たび 

重なると 遂に 心 ひかされて 惡ぃ氣 はし なくなり、 公事の 上で も その 者の する ことを^^に 

とる やうになる。 

損して 德 とれ 

1 寸考 へる と甚 しい 矛 厨の やうで あるが、 小利 を 拾て X 大利を 得よ とい ふこと。 


—  237  — 


た 

大は小 を 兼ねる 

大きい 物 は 小さい もの、 効用 を 兼ねて 持つ とい ふ 意。 「過ぎた る は 及ばす」 は 此の 反對。 

大疑は 大悟の もと 

特に 學問 上の こと は 常に 疑問 を 持って 見なければ 眞理は 決して 開けない。 

むち 

太鼓 も 俘の 鬵 りゃう 

やり方 次第で 栢手 はどうに でも 動く。 

大山鳴動して鼠一匹 

騷ぎは 大きかった が、 その 割に 結果 は 小さくて とる に 足らない • 

ナ1% の^の 事 

大きな 事 をす る 前に は 小事 を先づ 注意せ よ。 小事の ために 失敗す る 事が ある。 叉 大専の 前 

に は 小事な どか まって ゐられ ない と ゝ ふ 意に もとる。 

た. f- じん 

唐人の 寢言 


—  203  — 


—  239-- 


唐人 0 言葉 は 通じない、 寢言も わけがわからない。 とる に 足らぬ つまらぬ 事に たと へる- 

想は飢 ゑても 穂 をつ まぬ 

節義 3  士は、 どんなに 窮 しても 不義の 財 を とらない。 今は飢 ゑな くと も穗 をつ まう とする 

寳の 持ち腐れ 

折角の 利用 價 値の 多い もの を 持ちながら、 その 方法 を 知らぬ ために 使用し ない こと。 

寳の 山に 入りながら 手 を {仝 しくして 歸る 

よい 機會に 遭遇しながら、 利用せ すに 無駄に 逃す。 

Is の 上の 水鍊 

方^ は 知って ゐ ても實 際に 應用 しなくて は 役に はた X ぬ。 

立ち よれば 大樹の 影 

檨 力の 大き い 者 や 大金 持に 頼って ゐれば 何かと 便宜が 多い。 賴 るなら さう い ふ 人。 

立って ゐる者 は 親で も 使へ 

物事 は 早く 用 を するがよい。 傍に 立って ゐる 者なら ば 誰でも 使へ。 


たつ 鳥 跡 を 濁さ や 

立ち去る 者 は、 彼 これ 言 はれぬ やう にして置くべ きで ある。 水鳥が 飛び立つ 時 纏 かこと 

ぶ ものである。 「去る 島」 ともい ふ。 

たで 

蓼 食 ふ 虫 もす き/^ 

- 蓼 は 葱より 臭 氣が 強くて からい。 それ を 好む 虫 も ある。 人 も 好む ところ はまちく で t 

力ら 他力ら かれこれ いふべき ではない。 

棚から 牡丹餅 

思 ひがけない 幸 ひや 好機が 突然く る こと。 

他人の 疝氣を やむ 

自分に 開 係の S 者の 身の上に つい て餘 計な 心配 をす きと。  • . 

锂 の睪丸 八疊敷 

下品で は あるが よく 用 ひられる。 金管 延ばす のに 筵の 皮の 間に 揷んで 上から I でさ 

X くと 良い とい ふ。 かくして、 1^5 の 金 を 八疊の 面積に 延 せる。 


&達の 薄着 

美し/、 見せよう ために 薄着す る。 めかす こと。 

旅の 恥 ゆ かき 捨て . 

護 も 知らぬ 虎なら、 どんな 事 をしても かま はぬ, 恥 は 意と する に 足らぬ とい ふので あるが 

之 は 今 は 通用したい。 

IH れても 土 をつ かむ 

r 轉ん でもた^ は 起きぬ」 と 同じ。 

短氣 は損氣  、 • 

短氣を 出して 怒る の は 損で あるから 忍 酎せ よ。 

短氣は 未練の 始め 

短氣を 出す と 後悔が 多い。 忍んで ゐ よ- 後に なって 未艨が 8! る • 

ち 

象で 愈 を汔ふ 


兄弟、 親子 同士が 爭 ふこと。 

智慧の 持ち腐れ 

折角の 智慧 も實 際に 用 ふること がない こと。 

近い 火で 手 を あぶる 

目前の 利 を 得ようと する こと。 

祖父 は 辛勞、 子 は樂、 孫 は 乞食 

折角、 祖父 は 辛苦して 身代 を 作っても、 子 は そのため 安樂に 暮 して 費し、 孫の 代に は 乞食 

の やうな 境遇に なるとい ふので、 よく 世の 様 を 言った。 「長者 は 三代 綾 かす」 と 同じ。 

提燈で 餅 をつ く 

明りが 十分で ない のでよ くつけ ない。 思 ふやう に 手が ゆきと M かない 意。 

提燈に 吊 鐘 

懸隔が あまりに ありすぎ る ことのた と へで ある。 提燈も 吊 鐘 も 提げる もの。 

沈香 もた かす 屁 も ひらす 


—  242  — 


平凡な 人の ことで、 別に 功 を 立てた こと もない、 叉 失敗 ゃ惡事 もしない とい ふ 意。 

C 

すつ K ん 

月と 歷 

非常な ちが ひの たと へで ある。 

月夜に 提灯 

月夜に 明り はいらぬ。 無用の もの を 重ねる 意で ある • 

角 を 矯めて 牛 を 殺す 

牛の 角の 曲った の を 直さう として、 餘 りに やりすぎた & めに 牛 を 殺して しまったと いふ。 

缺點を 矯めん として あまり 度 を 過す 事は考 ふべき なり。 

爪で 拾って 箸で こぼす 

爪で 拾 ふこと はな かく 辛苦 を 要する。 それ を箬で 無造作に こぼして しま ふの は 惜しい。 

爪で 火 をと もす 

自分の 爪に 火 をと もして 明り をと ると いふ 意で 非常に 儉約 する こと。 


—  214- 


面の 皮の 千 枚 張 

• 顔面が 厚い ので 何とも 思 はない こと。 恥 を 恥と も 思 はない こと。 

つり 合 はぬ は 不緣の もと 

男女 雙 方の 身分 や 位置が 適合して ゐて こそ 安心で あるが、 之が 餘 りに 違 ひすぎ ると、 一時 

はよ くても 結局 はこの 緣も 長く はつ だかぬ。 

杖の 下に 廻る 犬 は 打てぬ 

打た うとす る 杖に 鎚る犬 はどうしても 打てな. い。 鎚 りつく 者に 殘 酷な 處置は 出来ない。 

鶴の 一 聲 

目上の 人の 一 言に は 誰も 異存な しに 服從 するとい ふこと で、 鶴 を 目上の 人に 譬 へて ゐる。 

て 

C 

手の ない 將棋は 負け 勝負 

「手」 は 手段 方法で ある。 なすべき 方法の ない 將棋 は必ゃ 負ける とい ふので、 將拱 は^く 

通じる。 事に 當 つて 主義 方針の ない 者 は 失敗に 終る ので ある。 


點 のうち 處 がない 

點は 歌な どの 添^の ことで、 その 場所がない 程よ いとい ふ 意。 人を赏 める 時 等に いふ。 

出る 杭 は 打 たれる 

出し や 張ったり、 先に 立ったり、 頭角 を あら はしたり する^ は 人から 怨 まれたり、 羡 まし 

がられた りして 災難に あ ふ 事が 多い とい ふ 

敵 を 見て 矢 を 知ぐ 

どろな は  , , 

「泥 繩」 と 同じで 目前に 迫って から、 その 進. 備を する。 何^も これで は; i い。 矧ぐは 作る 

ではれ に  , 

出物 腫物 所錄 はす 

場所 を かま はす 出て 來る こと。 「出物」 はこ k では 放屁の ことで ある。 

天の 網 

惡ぃ事 をした 者 は 自然に また 惡ぃ 報いが ある。 天 は 天の 神。 

天下 は 廻り 持ち 

好運 は 一人で 獨占 出來る ものでなくて、 順に 廻る ものである。 それ 故悲述 を^く に 及ばぬ 


― 245 一 


傳 家の 寳刀 

家に 傳 はる 寳刀。 これ は 平常 は祕藏 して 置く が 何 か 大事の 時 は 用 ひる。 

と 

豆腐に かすが ひ 

どんなに 意見しても 効力が 少しもない こと。 

時の 代官、 日の 奉行 

代官 も 奉行 も 官名。 その 當 時に 權勢を ふるって、 どうに も 仕方がな いもの^. こと。 

時の 用に は 鼻 を 殺ぐ 

必要に せまられ ると どんな 方法で もとって 處现 する。 鼻 を 殺ぐ 位 は 何とも m5 はない こと。 

時に 會 へば 鼠 も 虎 

時機に 遭遇 するとつ まらぬ もので も 虎の やうに 幅 をき かせる。 

時の 花 を 挿す 

その 時季く の 花 を 頭に 揷 すと いふ 意で、 時の 櫈カ 者に 從ひ へ つら ふこと。 


一 246 — 


毒に もなら す藥 にもなら す 

害に もなら ぬが 利に もなら ぬ。 あっても なくても よい やうな こと。 

毒 を 食 は ^皿まで 

毒 を 食 ふ 以上 は 少し 位淺 しても 別に 被害が それだけ 少ぃ 理由 はない から、 皿まで 殘 さす 食 

ふ。 一 度罪惡 を 犯した 以上 少しで も澤 山で も歸 する 處は II じで ある。 

毒 を 以て 毒 を 制す 

惡人を 押 へる のに 他の 悪人 をう まく 利用して する。 

處か はれば 品 か はる 

その 土地に よって 風習 は それ^. \. ある。 何でも 場所に より^ ふ ものである。 

隣の 疝氣を 頭痛に やむ 

隣家の 事な ど 直接の 閼係 はない のにい ろくと 氣 にやむ。 無 閼 係の 事 は 手出しせ ぬがよ い。 

鳶が魔 を 生む 

平凡な 親から 生れた 立派な 子供。 


鳶に 油揚を さら はれる 

思 ひも よらぬ ものが 現れて 來て、 自分の もの を さらって 行かれ、 呆然と する こと。 

鳶もゐ すま ひから 鷹に 見える 

廳は 鳥類の 王で ある。 賤 しい 者 も 居常が 正しければ 立派な ものに 見える。 

問 ふに 落ちす 語る に 落ちる 

人から きかれる 時 は 注意して 答へ るから なかく 祕密な こと は 打ち あけない が、 自分から 

進んで 話す 時 はう つかりす ると 口 を すべらして 失敗す る。 

遠くの 火事 背中の 灸 

小さな 事で も 自分に 直接 利害の ある 事 だとい ろくと 心 をつ かふ。 他人の 火事な ど、 どう 

でもよ いと は あまりに 利己的で ある。 「遠くの 火事」 は 「火事よりも」 である。 

遠くの 親類 近くの 他人 

近く ゐる 他人の 方が 急な 場合 はより 以上に 間に合 ふ。 「親類より」 と 比較の 意で ある。 

. A のこ  かたびら 

土用 布 子に 寒 帷子 


一 24S  — 


暑い 土用に 布 子 は 不要で あり、 寒い 時の 帷子 も 用 をな さない。 時節の 用 をし ない 事の醤 へ 

鳥な き 里の 蝙蝠, 

蜩蟠 でも 鳥の ゐ ない 處 では 威張った もの だ。 つまらぬ 者で も 偉い人の ゐ ない 處 ならば 幅が 

ぎく。 

燈臺 もと 喑し 

遠くの 事 は 知って ゐ るのに、 手近の 事 は 却って 知らない。 

同病 相 憐れむ 

同じ 困苦 にゐる もの 同志 は 同情し あ ふ。 

面 栗の 丈 較べ  • 

同じ やうな 平凡な ものが 並んで ゐて 優劣 を 定め 難い こと。 

捕らぬ 狸の 皮算用 

まだ 手に入らな いのに、 捕った 狸 を どう 處分 しょうかと 思案す る こと。 

十で 神童、 十五で 才子、 廿 過ぎて はた^の 人 


-249  — 


子供の 時代に 神童と いはれ て ほめられ 大事に される 子 は、 あまりに、 ちゃほやされ るので 

良い 氣 になって 次第に 平凡 人に なって しま ふ。 

な 

名のない 星 は 宵から 出る 

つまらぬ ものが、 他の 先に ある こと を譬 へる • 

名 をと るより は 得 を とれ 

名譽 より 利益と いふので、 これ は あまりに 利己的な 心で ある • 

ぢ とう 

泣く 子と 地頭に は 勝たれぬ 

「地頭」 は賴 朝が 諸國に 配置した 守護 地頭の ことで、 勢力 を 得て なかく 無理な 事 を 治下 

の 民に 要求した。 然も 權 力の ある 者の 命に 從 はぬ こと も 出来ない。 泣く 子 も その 通りに し 

て やらぬ と、 尙泣 くので 止むな く 要求 を 入れて やる。 

泣く 猫 は 鼠 を とらぬ 

よく 泣く 猫 は 鼠 を とらぬ ものであるが、 同じ やうに 口達者な 者 は 却って 實行 はしない もの 


—  250  — 


一 251 — 


である • 

情に 刃 向 ふ 刃な し 

人情 や 慈悲に 對 して 抗 する こと は 出来ない ものである。 

ない 袖 は 振れぬ 

持ち 入口 せがなくて はどうと もしょう がな い。 

なくて 七 癖 

誰に も 癖 は ある もので、 ない といっても 七つ は あると 極端に たと へたので ある。 

七重の 膝 を 八重に 折る 

願 ふ 時、 謝る 時な どに 頭 を さげて 謙遜して 叮重な 様子 をい ふ。 

やおき 

七 轉び八 起 

幾度 失敗しても 勇氣を 出して 努力せ よ。 

怠け者の 節句働き 

平常 怠けて ゐる 者が、 いよくと なって 仕方がなく、 人が 遊ぶ 節句に 働く とい ふので ある 


生兵法 大きす の もと 

少しば かり 知って ゐる者 は、 知って ゐる 事に 賴 るので、 却って 大 失敗 を 招く やうに なると 

いふ 意。 

七 度 尋ねて 人 を 疑へ 

人 を 無闇に 疑 ふ もので はない、 靜 かに 何度も 尋ねて みてから にせよ。 

なに は  はまお ぎ 

難 波の 蘆 は 伊勢の 濱荻 

同じ もので も 土地に よって 名 稱が變 る ものである。 

こ 

C 

f 虫 を かみつぶ したやう 

非常な 嫌な 顔 つ きをす る こ と。 

逃がした 魚 は 大きい 

人に は 誰も 慾が ある。 とりそこなった 魚 はいかに も 大きく 見える。 

逃げる が 勝 


—  252  — 


つまらぬ 口論 ゃ爭ひ をす るよりも、 相手に せす 逃げる 方が 結局 は 勝で あると いふお。 

1 1 階から 目藥 

二階から では 阡 心な 目に は 入らない。 急所に ふれない こと。 

1 1 足の 鞋 ははけ ぬ 

1 人で 1 1 つの 仕事 をす るの は 無理で ある。 

女房 は 流し元から 

妻 は 自分より 低い 身分の 家から 貰 ふが よい。 それでな いと、 とかく 尻に しかれが ちで ある。 

断々 の 嫁の 腹から 可愛い 子 

姑の 心 をよ く あら はした。 困った ものである。 

ぬ 

盜人 にも 三分の 理 

どんな 者で も相應 Q1! 屈 は ある。 . 

盜人を 捕 へ て 見れば 我 子な り 


一 253 一- 


盗人 を 捕 へて 見れば 意外に も 自分 の 子であった。 

盜人を 見て 繩 をな ふ 

盜人を 捕 へ て から 繩を つくった ので は遲 い。 何事 も 時機に 遲れた 準備 は 用 を、 なさぬ。 

盜 人に 追錢 

被害を受けた 上に 被害 を 重ねる こと。  . 

糠に 釘 

糠に 釘 を 打ち こんでも 何の 用 もな さない。 効果の ない 事の たと へ。 - 

濡れ手で粟 

手が 濡れて ゐれば 粟 はよ くつく ので ある。 何の 骨折 もなくて 利 を 得る こと。 

拔 かぬ 太刀の 高名 

臆病者で 太刀 を拔 いて 向 ふ 事 は 出来なかった が、 それが 却って 高名と なる。 

拔け龃 けの 高名 

人の 知ら ,ぬ 間に 敵陣に 進んで 行って 功名す る。 人 を 出しぬ いて 一 人 功 をた てる。 


ね 

c 

猫に 小判 

猫に とって 小判 は 有り難くない。 何の 感じ もない 事 を 譬 へる。 

猫に 鰹節 

鰹節 は 猫の 大好物な ので、 直ぐに 食べられる。 好物 を與 へる こと。 

鼠と る 猫 爪 を かくす 

「能 ある 魔 は 爪 かくす」 と 同じで、 漫然と 能力 を あら はさぬ。 

の 

能書 筆を擇 ばす 

善く 字 を 書く 人 に は 筆の 善惡 など 問題で はない。 何でもよ く 書け る 

暖餱と 腕 押し 

暧猻を 押しても 少しも 手 答 へ はない。 はり 合 ひない 事を^ へ る。 

野良の 節句働き 


- 25o 一 


—  256  — 


「野良」 は 「なまけ 者」 である。 「怠け者の 節句 傲き」 と 同 じ。 

鑿と いへば 槌 

何でも 事に は必 す附隨 する ものが ある。 罄が 入用 だとい へば 必す槌 も 必要な の だから、 氣 

をき かして 持って行 けとの 意。 

乘 りか-つた 舟 

事 を はじめて 中止が 出來 ないで、 引き すられて しま ふこと。 

ま 

C 

馬鹿と 鋏 は 使 ひやう で 切れる 

使 ひやう によって は 何でも 役に立つ ものである。 

初の さ >- やき、 後の どよめき 

最初 は祕密 にして ゐて も、 後に は 世間に 知れて 騷ぎ となる。 

5 はぬ り 

恥の 上塗 

恥の 上に 恥 を かいて 上塗す る。 


腹 も 身の 內 

食べたい と:  一一 一口 つ て 度 を 過す と 胃腸 を こ はす a 

ぼら 

腹 八 合の 醫者 要らす 

大食漢 を誡 めた。 食物 も 八 合 目 位に して 置けば 病に か X る 心配 もない • 

箱入り娘に 虫が つき 易い 

箱入り娘 は 大事に 育てられた 娘で あるが、 世間 知らす であるから 問 逮ひを 起し 易い。 

花 は 櫻 木、 人 は 武士 

花の 中で 第 一 は 櫻、 人の 中での 第 一 は 武士。 

八卦 判斷 ^九 段 

八卦 はやり やうで どうと もなる。 が、 大部分 は噓 である。 八卦と 判 斷とを かけて 九 段と い 

つた。 九 段 は 九 部 通り。 

ひ 

C 

火 を 見たら 火事と S3 へ 


一 257 — 


何事に も 用心が 大切で ある。 

火の ない 處に煙 はた  >- ぬ 

噂の あると ころ 幾分 か は 事 實 も あらう。 

ひさし  おもや 

庇 を 貸して 母屋 を とられる 

庇 は 家の 一部分で ある。 その 庇 を 貸し たがために 遂に 家まで とられる とい ふ 意で、 少しの 

恩惠が 却って 仇と なる の は 稀し くない。 

人の 口に 戸が 立てられぬ 

世人の 噂 はうる さい もので、 防ぐ こと は出來 ない。 

め じろ 

人 ごと 言 は f 目 代置け 

人の 蔭霄 をい ふ 時 は 番人 を 置いて、 他に 聞えぬ やうに せよ。 目 代 は 番人。 

人と 入れ物 はあり 次第 

入れ物 は 道具。 人と 道具 は 多ければ 多い やう、 少 ければ 少. S やうに 何とで も 融通が 出来る。 

人 を^ は r 穴 一 つ 


—  258  — 


穴 一 つ は 同じ 穴の ことで、 人 を 呪 ふと 結局 は 同じ やうな 運命に 陷ら ねばならぬ とい ふこ 

と。 同じ 意の 句に 「人と る 趣 は 人に 取らる」 いふの が ある。 

人に は 添うて 見よ、 馬に は乘 つて 見よ 

乘 つて 見れば 初めて その 馬の 善惡 がわ かる。 人 も 近づき 交際す ると 當 人の 性格が 分る 

人の 一 生 は 重荷 を 負うて 遠き 道 を 行く が 如し 

家康の 有名な 格言で、 急ぐな とい ふこと を敎 へた。 家康の やり方 をよ く あら はして ゐる。 

人增 せば 水^す 

家族が 增 せば 費用 も かさむ は理の 當然。 

人の g- も 七十 五日 

人 や 世間の 噂 も 長く はつ^く もので ない • 

人の ふり 見て 我が ふりな ほせ 

ふり は 姿で あるが、 單に 形式 上の 事に 限らない。 

人 はみ めより た f 心 


一 250 — 


みめ は 容貌で ある。 それに も增 して 心が 大事で ある。 

人の 揮で 相樸 をと る 

「人の 牛蒡で 法事 をす る」 ともい ふ。 他人の もの を 利用して 自分の 用に する。 

人 は 見かけに よらぬ もの 

見た^け の外觀 では 人と いふ もの は 分らぬ。 どんな 事 をして ゐ るか 知れぬ。 

人 は 一 代、 名 は 末代 

人の 一生 は 短い が、 名譽は 永く 傳 はる。 

人 は 善惡の 友に よる 

人 は 友に よって 善に もな り惡 にもなる。 「 水 は 方圓の 器に 從ふ」 とも 醫 へる。 

人は惡 かれ、 我よ かれ、 後生大事に 金 欲し や、 死んでも 命の ある やうに 

慾 深い 者の 心 をう まく 言 ひ あら はした。 

人 を 見れば 盜 人と 思へ 

極端な 言 ひ 方 だが、 人に 油斷 をす るな とい ふ誡 め。 


—  260  — 


人の 心 は 九 合 八 合 

人の 心 は大體 似た ものである。 九 合 も 八 合 も、 ただ 一 合の 差で ある。 

1 人口 は 食へ ぬが 1 1 人口 は 食へ る 

一 人で 生活す るより 一 一人で、 暮 した 方が 經濟 的で 妻帶 しても その 點苦 にならぬ。 

膝と も 談合 

膝と 膝と をつ き 合せる ばかりで、 よい^ 見 もい つて くれす、 何の 役に も 立たぬ 人 だが、 そ 

れ でも 相談す る 方が 自分 一 人より は 勝る。 . 

百日の 說法も 屁 一 つ 

長い間の 苦心 を 一 度の 過失で 無駄に してし まふ 3 

百日の 抵^に 編 笠 一 つ 

貧しくな つて 借金 を 返す ことが 出来す、 絹 笠の やうな つまらぬ もの を 返して すませる。 

1 口 物に 頰を燒 く 

1 口 食べる だけの 極く 少ない ものに も 頰を燒 かれる ので、 一 寸の 事の ための 大 失敗。 


1 ゥ 穴の 貉 

同じ 惡ぃ 事の 仲間。 

一 人 娘に 婿 八 人 

ほしい 者 は 八 人 もの 多くで 相手 はた 1 人で ある。 

瓢箪が 浮いたり 沈んだり する やうに 落ちつき のない こと。 

瓢箪から 駒が 出る 

瓢箪から 駒が 出る わけ もない。 さう した 思 ひも よらぬ. 事が 起る こと。 

瓢箪で 鯰 を 抑へ る 

丸い 瓢箪で はな かく 抑 へられない。 耍領を 得ない 譬。 

に 

C 

笛吹け ども 踊らす 

笛 を 吹き 拍子 をと つ て やっても なかく 踊らない。 誘っても 乘 つて 來 ない。 


— 2G2  — 


263  — 


福德の 三年 目 

三年 目で 好運に 出會 つたと いふ 意で、 久々 でよ い 事に あ ふ。 

夫婦喧嘩 は 犬 も 食 はぬ 

仲裁す る は 馬鹿らしい。 

武士 は 食 はね ど 高楊子 

高楊子 はつ ま 楊子 を 高々 と 使って 威儀 を 示す 譬。 利 慾の 念の ない 武士の 正し い 心得 を 表 

す。 たった今、 食事 をす ませた やうな 顏でゐ る。 

布 ^ に 似た 經を讀 む 

報酬 だけの 仕事 を するとい ふので、 現金 主義な やり方で ある。 

古川に 水筢 えす 

古い 川 は どんなに 晴天つ 丈き でも 水の なくなる こと はない。 以前 盛んであった もの は へ 

て も、 まだ 幾分の 餘カは ある。 

下手の 考へ 休む に 似たり 


下手の 考へは 用に た X ぬので 止めた 方が よい。 

なが だんき 

下手の 長 i 議 

話の 下手な もの は 長く、 無駄が 多い。 

ま 

C  ; 

棒 ほど 願うて 針 ほど 

願 ひの 何分の 一 しか、 いれられぬ ものであるが、 願望 は それ 程 達せられな いとい ふ醫。 

坊主が 憎ければ 袈裟まで 

憎みの 心の 强ぃ 意で、 憎い と 思 ふと その 人 のみでな く、 身に つけて ゐる 物までと 啓へ た。 

佛の顔 も 三度 

「地 藏の顏 も 三度」 と 同じ。 

佛 作りて 魂 入れす 

大事な もの を 爲し殘 す ことで、 佛像を 作って 外形が 出来ても 精神 を うちこんで 作らなくて 

は 死んだ 佛 である。 最も 大事な 所の 工夫が かけて ゐる こと。 


—  254 一 


ま 

c 

馬子に も 衣裳 

つまらぬ 馬子に も 衣裳 を 着せれば 立派になる。 內容 はどうで も、 外觀を 飾れば 見られ? 

蒔かぬ 種 は 生えぬ  •  • 

原因がなくて は 結果 は 生じない。 

眞 綿で 首 

遠 廻し にじ わ, とせめ る こと。 

み 

C 

木乃伊と りが 木乃伊と なる 

木乃伊 を 探しに 行った 者が 途に 探し あてる 事が 出来す に 死んで, 自分が 木乃伊になる とい 

ふこと で、 尋ねに 行った 者が なかく 歸ら す、 尋ねられる 人と なること。 

三つ子の 魂 百まで 

三 か 6 やと は 生れて 間 もない 子の 意。 生れな がらに 持って来た 根性 は 一生 とれない。 


-265  — 


三日 見ぬ 間の 櫻 

世の 無常の こと を 言った ので、 待ちに 待った 櫻が 十分 見る 間もなく 散る。 

見え はるより 頰 ばれ 

含蓄の ある 句で ある。 つまらぬ 見え を はって 上品ぶ るよりも、 見たところ では 惡 くても 口 

1 つぼい に頰 ばれと いふ 意。 

む 

C 

六日 菖蒲、 十日の菊 

時期が 遲れて 役立たない こと。 菖蒲の 節句 は 五月 五日、 六日 は旣に 節句 を 過ぎて ゐる。 同 

じ やうに 菊の 節句 は 九月 九日で ある。 

きね づ. A  き 

昔と つた 杵柄 

昔 熟練した 事 はな かく 忘れる もので はない。 杵とは 刀の 柄の 意で ある。 

め 

目明き 千 人、 盲人 千 人 


一 : り G — 


世の中に はいろ/ \ の 人が ゐる もので、 目明き、 即ち 賢い 人 も 居り、 愚な 者 も 居る。 

盲人 蛇に 怯ぢす 

目が 見えねば 何の 恐る k 物 もない。 もの を 知らぬ 者が 何事 も氣 にかけ す 平氣な こと • 

盲人の 垣 のぞき 

覼 いたと ころが 何も 見えない。 從 つて 何の 役に も 立たない • 

あ 

C 

餅屋 は 餅屋 

各々 その 職分が ある、 專 門が ある。 

もと もく あ み 

元の 木阿彌 

元の通りに なること。 郡 山の 城主の 筒井 順昭が 死んだ 時に、 その 死を祕 して、 丁度 順昭に 

似て ゐた木 阿彌と い ふ 盲人 がゐ た。 そこで 此 の 人 を薄喑 ぃ窒に 連れて行って 座ら せ 病氣中 

の 順昭に 似せて 人々 を だました。 三年 後に 順昭の 死を發 表する と、 木 阿 彌には 用が なくな 

つたので 暇が 出て、 もと 通りの 木阿彌 になった とい ふ。 


—  267 一 


—  268 


貰 ふ ものなら 夏で も 小袖 

和:^ は 綿入れで ある。 夏に 要らぬが 貰って 置かう と は 人間の 慾 心 をよ く 表した。 

燃える 火に 油 を そ \ ぐ 

火に 油 を そ \ い では 一 I ^燃える。 尙、 勢 ひよくす る こと。 

や 

C 

燒 石に 水 

支拂が 多くて、 收 入が あっても 何にも ならぬ。 

燒 野の 雉 

子供の 事 を 思 ふ 親心。 野に 巢を つくる 雉 は 野が 燒け、 火が 自分に 及んでも 子供 を 庇護す る 

柳の 枝に 雪折れ はない 

「柳に 風」 ともい つて、 柳の やうに 强ぃ 者に 柔く あたって 居れば 衝突す る 虞 はない。 

柳の 下にい つも 鰌 は 居らぬ 

一度 柳の 下に 鏟がゐ たからと て、 また ゐる だら うと 思っても 常に 居る 者で はない。 前に ゐ 


たの は 偶然の ことで, 思 ひがけぬ 幸 ひ は 常に はない。 

蘩 力ら 棒 

突然の 言動 をた とへ る。 

薮醫 者の 薬味 箪笥 

醫術は それ 程で は な い が 構 へ は 立派。 內容 よりも 外形 の 立派な こ と。 

藪 をつ.. - いて 蛇 を 出す 

餘 計な 事 をして、 却って 損 をす る こと。 I 薮蛇」 とも 言 ふ。 

病は氣 から 

病 は 心の 持ち やうで 重く も輕 くもなる とい ふ。 

圄 夜に 鐵砲 

なかく. あたる もので はない。 

やはり 野に 置け 蓮華草 

野に あるから こそ 美しい。 何物で も 本来の 場所に S くが 一 番 美しい ので ある。 


山の 芋が 鰻と なる 

形 は 似て ゐ るが、 それが 出世して 魚の 仲間に 入る とい ふので、 卑しい 者の 出世す る こと 

ゆ 

C 

行きが けの 駄貧 

ついでに 利 を 得る こと。 通りが \ りに 人の もの を かすめとる。 

弓 は 袋に、 刀は雜 

弓 は 袋に おさめ 刀 は 鞘に とい ふので、 世が 太平に なること。 

よ 

C 

楊枝で 重箱の 隅 を ほじく る 

細かい ことまで 探し出して 問題と する。 

横の もな を縱 にもし ない 

ものぐさ 者の こと。 横の 物 を縱 にす る は、 た 易い のに、 それさへ しない。 

横槍 を 入れる 


― 270- 


歸係 のない 者が 干涉 する こと。 

夜目 遠目 傘のう ち 

K 際より 美しく 見える 物に 夜 見る、 遠くから 見る。 傘の 中で 見る 時。 特に 婦人の 事 をい ふ。 

弱り目に た&り 目 

災難の 上に 叉 災難が 重なる こと。 

宵越しの 錢は使 はぬ 

昨夜から 持ち こした 金 は 費 はぬ とい ふので、 淡白な 江戸 子 氣&: を あら はした ので ある。 

用心に 繩を 張れ 

用心の 上に も 用心せ よ。 

ら 

樂は 苦の 種 

樂が あると 先に は 苦が あると 誡 めた。 r 樂 あれば 苦 あり」 も 同じ。 

來年 のこと を 言 ふと 鬼が 笑 ふ 


一 271 — 


先の 事を考 へ て も 役に立たぬ。 明日 は 分らぬ 人の 身で 先を考 へ ると は 地獄の 鬼に 笑 はれる 

リ 

理を 以て 非に 落ちる 

道理 はありながら、 やり方の 手 違 ひから 非理に なること はよ く ある ことで ある。 

兩 方^いて 下知 

「下知」 は 命令で ある。 兩 方の 言 ひ 分 を 聞いて 處斷 しないと 不公平になる。 

兩雄 並び 立た す  , 

1 一人の 偉い人 は 並び 立って 行く こと は出來 ない。 どちら か 負けねば うまく ゆかぬ。 

る 

類 を 以て 集る 

同じ やうな 種類の 者 同士が 集る。 惡 人は惡 人、 若い 人 は 若い 人 同士。 そこに 弊害 も ひそむ。 

ろ 

論語 讀 みの 論語 知らす 


一 272 — 


is! 語 はよ く 讀 めても。 S 行 はしない。 擧理は 知って ゐても S 際にし ないなら 役に は 立たぬ。 

わ 

我が身 を 抓って 人の 痛 さ を 知れ 

自分の 身に ひき 較べて 人の 苦痛 を 思 ひやれ との^。 かう 考 へれ は 無慚な こと も 出来ない。 

笑 ふ 門に は 11 来る 

常に 愉快な 心で 仕事 を勵 めば、 やがて 幸 Si が來 る。 これ は必 すし も 物質的に 幸 ひが 來 ると 

いふので はなくて、 例へば 一 家圑欒 して 募す こと は、 それ 自體が 幸 福 である わけで ある。 

若木の 下で 笠 を脫げ . 

若い 木 はやが て 成長し 立派な 木になる ので ある。 人 も 間 じで あるから 輕ん じて はならぬ。 

十 r 地名 奇談 S 企 4f や: がで たつ," に^^ 

一、 驛 名 


一 273 — 


—  274  — 


東北 本線の 盛 岡の 少し 先、 r 沼宫 內」 とい ふ驛に 汽車が 停る と、 大きな 驛に はっき もの、 立 

賫が 車窓に 近づいて、 r 辨當、 壽司、 ビ ー ル」 と 呼びかける。 空 腹 を覺 えた 者 は 言 はす もがな、 

それでな くと も 車窓に 見る 柬國 の荒凉 たる 風景に 飽き./ \ した 乘客 は、 旅の つれぐ に キャラ 

メルで も 買 はう かと 窓から 首 を 出して、 辨當 にしよう か、 壽司 か、 それとも パンで もと 考 へて 

ゐる 時、 「うまくない、 うまくない」 と 呼ぶ 聲に、 「さう か」 と 出し かけた 財布 をし まふので、 

立 賣は瘕 に 障る が驛 名が. 「沼 宮內」 で 何とす る こと も出來 す、 つくぐ 誰が 名 づけた か、 自分の 

た ぼな  , 

村の 名 を怨ん だとい ふ。 また, 上野から 赤 羽 行きの 省線に 乘 つて 三つ 目に、 「田 端」 とい ふ 驛 

が ある。 夕方、 一 日の 仕事に 疲れと 飢ゑ とで、 やう やく 此處 まで 來た 人々 が 「た ベ た、 た ベ 

た」 と 聞え たので 元氣を 取り 戾 したと いふ。 その 反對に 「五反田」 では 「御飯 だ、 御飯 だ」 と 

いはれ るので、 まだ 降車 驛 ではない のに ふらく として 降りて しまったと いふ 話が ある。 

これ は 何れも 落語家の 小咄で あるから 事 K あつたと は 思 はれす、 叉、 沼宫內 は 一 小驛 である 

ので、 停車した からと て 立 寶が來 る わけ もない。 けれども 聞き方が 惡 いと 妙に 感じる 驛名ゃ 地 

くつち ゃム 

名 はいくら も ある。 北海道の f! 舘 から 小 樽に 行く 中頃に ある r 倶知 安」 は 「くち や、 めちゃ、 


—  275  — 


くち や」 と W える。 上越 線の 淸水 トンネル を 出て 間もなく、 「小 千 谷」 も 筌 腹黨を いら 立た せ 

ま な ぐら  , , , 

る。 山陽 線 福 山から 分れる 支線の 「萬 能 倉」 は 喧嘩早い 人 は 直ぐ 胸 ぐら をつ かみ さう だ。 倶知 

安の 一 つ 手前 は 「比羅 夫」、 安部比羅夫 を 思 ひ 出される が、 驛 はそんな 英雄的な 感じ も 起ら す 

車窓に 見る 町 も 寂しい。 が、 この 逯 から 見える 蜈夷 富士の 景觀は 雄大で ある。 汽車 は 此の 山麓 

, , , ,  こんぶ  ヒ 

を 鏠ひ 谷川の せ^- ら ぎに 沿うて 行く ので あるが、 そんな 山中に も 「昆布」 とい ふ驛が ある T 海 

を 距る幾 十 里、 それでも 昆布と はこれ いかに?」 とい ひたくなる。 危篤の 病人に 心 ひかれて 急 

ぐ 旅、 狩 勝 峠の 絕景も 眼に 入らない。 if 愁に とざ ゝれた 心に は 汽車の 速度 は 牛の歩み だ。 時計 

お だのし け 

を 見る と、 もう 十分で 釧路に 着く と 思って 停車した 驛 からの 呼び 聲は 「大樂 毛」。 これで は 一 

つ そ. 汽車な どに 乘ら なければ よかった と 言っても 後の祭。 

r 辨當 があります か」。 「いや、 ない」。 立賣 のかつ いで ゐる 箱の 中には 澤山 あるで はない か 

やな 、• 

と 思って よく 見れば 「柳 井 (山陽 線ヒ であった。 どんなに 白髮の 老人ば かり ゐる處 かと^って 

しらお 一  とうや 

行って 見る と、 刖に變 つたこと のない 「白老 (室 蘭 線)」。 驛名 ではない が 「洞^ 湖」。 眠らう 

と い つても 此處が 終點で 誰でも 起されて 降車 を 命ぜられる の は 「根 窒」。 


山陽 線の 「戸田」 をへ タと讀 むの は 面白い。 下手に 讓ん だら 笑 はれて しま ふ。 高山 線の 「上 

枝」 は 何とい ふか。 これ はまた 非常に 古典的な 讀み 方で 「ホヅ ヱ」、 頰杖 ではない。 ほづ えと 

は 純粹の 我が 國の言 葉で、 意味 は 「上の 枝」 であるから 「卜: 枝」 でよ いの だが、 いかにも 風流 

人が つけたに 違 ひなから う。 下の 枝 は 「しづえ」 だが、 これ はま だ 見當ら ぬ。 山陽 線に は 「下 

松」 が ある。 

お ぴ とけ 

「帶 解け」、 何とい ふ 失 禮な驛 夫と 思 ふが、 これ は樱井 線の 「帶 解」 とい ふ驛 だから 致し方 

がない。 尤も 驛夫は 慣れた 心で 呼んで ゐ るの だ。 山陰 線 は、 トンネルが 多い が 日本海の 怒濤 を 

眺めな がらの 旅 は 目先き が變 つて 慰められる ところが 多い。 然るに 汽車が 通る、 即ち、 鐵路を 

「馬 路」 とい ふ は 妙 だ。 何と 解く かと 考 へる 間もなく 停る と、 突然 「はし、 はし」。 箸で もな 

は し  しも こ ふ 

くして 探して ゐる のかと 思 ふと、 これ は 「波 子」。 次 は、 「下 府」。 どうも 變 なのが っ^-いて 煩 

I 一つと い 

はしい と 思って ゐ ると 果して 「特 牛」。 

海の 國立 公園 瀨戶內 海 を 横斷 して 高 松に 上陸、 乘車。 海 5 景に もや」 飽 いた 氣 持で ゐ ると、 

やがて 停った 驛。 何氣 なく 窓から 見る と 目に うつる は 「鬼 無」。 鬼が ゐて たまる もの か。 殊更 


—  276  — 


かう 斷 つて あるから に は 鬼はゐ たの かも 知れない。 地狱 にだけ ゐ ると 聞いて ゐ たのに、 やはり 

赏 在す るの かと 思って ゐ ると、 「きな し、 きな し」 と 驛夫は 叫ぶ。 「鬼 無」 と讀 むので あった。 

「丸 龅」 を 間に はさんで 「宇多津」 に 「多 度 lu は烦 はしい。 

富 山 縣の高 岡から 日本海の 「伏 木」 に 出る。 何が 不思議 かと 大いに 不^ 謹が つて ゐ ると、 雨 

もない のに 常に 「雨 晴」。 これで 分った。 驛夫は 「あま はらし」 と 呼んでくれ るので、 梅雨の 

やうな 時に 聞く と 定めし 氣晴 しになる であらう。 人 は 降りても 馬の 姿 は 見えぬ のに 「馬 下」。 

これ は 磐 越 西 線。 千 槳縣に は 「馬 來田」 が ある。 

吉 野から 高 野へ の 車中 「隅 田」 とは柬 京の 川と 同じと 思 ふが、 騁 夫の 聲は 「すだ」 とい ふ。 さ 

うだ、 和歌 山縣 だと 合點が 行く。 

以上、 r 沼宮 內」 に 引かされて 漫談 的に なった が、 次に 分類して 見よう。 

まひ さか べんてん じ ま 

「舞 坂」 r 辨 天 島」 等 は 名 も 風光 も 共に 優美で よく 調和して ゐる。 これ は 景勝地と いふ 先入 

主から 驛名も 優しく 響く のか、 又は 文字の 聯想から 感 する 景色で あらう か。 兎に角、 この^ を J. 

7 

走る 時、 窓外に 眼 をう つさぬ 者 はない ので ある。  I 


す ま あかし  ら 

須磨 明 石 舞子 宮津 C 宮津 線) ^良 (同) _ 天, 橋 立 (同) 松 島 萩 (山陰 線) 

等、 何れも 風光 を 想 はせ、 叉、 何 處か懷 しさ を 抱かし める。 驛名 ではない が 博 多 近くの 「千代 

の 松原」 等 もさう である。 尤も、 松 島 は 美景の 海岸から 一里 も 離れた 處に驛 が あるので、 車窓 

から 目に 入る は 田畑と 丘で 何の 樂 しみ もな く, 落跷 させられる。 

象 潟 (羽 越 線) 平 泉 (東北 線) 石山 (東海道線) 笠 置 (闢西 線) 奈良 (同) 道 

成 寺 (紀勢 線) 畝 傍 (和歌 山 線) 

は、 懷古 的情緖 にかられ る。 京都 は 殊に さう であるが、 之 等 は 何れも 和歌 ゃ歷史 によって 得て 

ゐ る豫備 知識が あるた めで あらう。 

し 力し これに 反して 名に ひかされて 行って 見る と 全く 失望 落瞻 させられる 處も ある。 

くさな^ 

草^  (東海道線) 鶯谷 (束 北 線) 桔梗 (函 舘線) 紅葉 山 (夕 張 線) 

桔梗 も哚 かす、 紅葉 もな く、 勿論、 鶯 など 聞え る どころ でない。 所謂 位 § ふれで ある。 これと 

全く 反對 で、 驛 名からの 聯想 や 語呂 は惡 いが 實 質の 勝れて ゐる處 も ある。 

蒲 郡 (東海道線) ^不^  (北陸 線〕 S  (紀勢 線) P  (高山 線) 


— 27S  — 


で、 いかつく 聞 えても、 車窓の 景は なかく よい。 

アイヌ 語 を、 その ま k 漢字に あてはめた 北海道で は 振った 名が 隨分 多い。 

し なから JS ぼい なへ ぽ ことに 

舌 辛 美 唄 苗穗 琴 似 

1 體、 此の 地方の は 漢字 だけで はな かく 諫めない。 切符 を 買 ふに も 骨が折れる。 柬 京ゃ大 

阪等 大驛の 出札掛で も 果して 言葉 だけで 通じる かどう か。 字 を 示さない と 分らな く はないだら 

うか。 さうな ると 筆談と いふ 事になる ので ある。 二三 その 例 を あげる と、 

をし やまん ベ な., „~ あんた ろ i を とい ねつ ぷ ほん びら ち rs ら てし か 5» にした つぶ さ る ふと や^わつ か .b  * うし 

長 萬 部 七釵 安足間 音 威子府 譽平 安平 弟子 屈 錦多峯 佐^ 太 止^ 右 妹脊牛 

おさ, 0  みると  もや  わつ かない 

長 流 美 流 渡 雲 谷 稚內 

昭和 十 一 年 舂 の 皆 旣食は 北海道 北部で よく 見られた ので 各國 から! K 文擧 者が 集った が、 その 

め まんべ つ 

中心地 は 「女 滿^」 で、 新聞紙 上に いろく 記事が のせられても、 その 地名に ついては 暫く 讁 

假名がなかった。 つけられなかった のであった。 女 は 誰し もジョ と讀ん でし まふ。 メと讀 むな 

らば まだ 「芽 滿^」 の 方が よく はないだら うか。 

「札 幌」 r 釧路」 r 凾舘」 等 も讀 みつけて ゐる から それ 程に も 感じない が、 單 なる 阈 漢文の 知 


ちて 

ii だけで は讀 めない。 數年 前に 北海道 內 でも 不自由 するとい ふので、 どうせ 宛字で あるから、 

もっと 分り 易い のに 變 へたら とい ふ說 をな す 者 もあった が、 結局、 影響す ると ころも 大きく 實 

行に も 難關が あると いふので 中止され てし まった。 

しかし、 これ は 何も 北海道に 限った ことで はない。 アイヌ 語に 近いと 思 はれる 驛名は 他に も 

ある。 

お ぼない  ないじょ うじ  けまない 

生保 內 (奥 羽 線の 支線) 撫牛子 (奥 羽 線) 毛馬內 (花輪 線) 

まだ 他に も 多い。 

や はぎ  むかば き  はじ  しの- f»0 

矢 作 (彌彥 線) 行滕 (日 豊線延 岡の 支線) 土師 (因美線) 東雲 (宮津 線) 

これ 等 は 古い 語で、 地名 を はなれても 立派に 意味が あるので ある。 

かうたり  かみこ ま  さ-? ほき  も ぼ さみ  おせぶ け 

神 足 (東海道線) 上; i  (奈良 線) 坂 祝 (高山 線) 文 挾 (日光 線) 大更 (花輪 線) 

はしかみ  つ f ら  あう だ  つ いき  一 なみ 

階上 (八戶 線) 綴 (営 磐 線) 網 田 (三角 線) 築城 (日豐 線) 印南 (和欤 山 線) 

以上 は訓讀 みや 訓讀 みの 音便 等から 出来て ゐて讀 み 難い 名で ある。 

尙、 終りに 讀み 難く、 叉 珍ら しい 驛名を あげる。 


一 281 一 


養 や ^ 雜 5 
父ぶ 津づ 餉 k 
隈の 

御 % 石^ 
來 5 動き 三み 
屋ゃ 、 納な 
生  <  代 ^ 
五い 地ぢ 

十 そ 大 S 
猛き 畑 こ 


安 t 小 : 用 1 

食き 牛' 宗 i 
田 ^ 


田 だ 小 こ 賀ぉ 
鳥 づ 保 * 
周す 谷 や 
西ュ 厚 あ 
我 あ 狹 さ 
東" 孫び 
浪ら 子 こ 埔は 


見; 


生' 


ぶ 


二、 地 名 

驛名も 地名から と つたので 殊更 一 一 つ に區 別す る 要 もない ので あるが、 前に は 全^ 镂道 圖 の 中 

から 拾った もの、 こ、 には鐵 道の 引かれて ない 地 や、 たと へ 開通して ゐ ても騁 のない 處な どか 

ら 見ようと いふので ある。 地名と いっても 前述の やうに 北海道 や 朝鮮、 S 灣 などに は 珍しい, 

叉 難しい 名 は 澤山ぁ つても これ は 特別な 關 係が あるの で 省略す る。 

あざ  , , 

それから 地名 も 村 や 町の 字 等 を 探す と^り 力ない 


東海道、 山陽 

東北、 常 磐 

九州 - 

北陸 

山陰 


は そ/?  やさ もち 

東京に も 牛 込に 破損 町、 或は 燒餅坂 等と いふの があった が 今では なくなって しまった。 叉、 

i も あら ひ 

同じ 字で も 「一 口 坂」 とい ふの が 正しい のに 「ひとくち 坂」 と 電車の 車掌 は 呼んで ゐる。 であ 

るから 地名 も 幾分の 變遷を まぬがれぬ。 

現に 「明治」 「大正」 「昭和」 等と いふ 町村 名が 各地に あるが、 これ は 改名した のか、 新しく 

名 づけた のか、 兎に角 新しい 名で あるに 違 ひ はない。 また、 「高麗」 と 書く 村が あるが これ は 

朝鮮 系統の 人が 住んだ 地方で ある。 しかし、 同じ 此の 字で も處に 依って 讀み 方が 違って ゐ るの 

で、 東京の 武藏 野鐵道 沿線の は 「コ マ」 とい ひ、 京都 近くの は 「, コゥ ライ」、 鳥取縣 では r コ 

ゥ レイ」 と 讀んで ゐる等 はな かく 煩雜 である。 同じ 字で も 三 通 リも讀 むので あるから 外國人 

が 日本語 は 難しい とい ふの も、 尤な ことで ある。 

「等々 力」 にも 柬京府 の は 「ト, 、口 キ」 で、 山梨縣 では 「ト *、 リキ 」 である。 こんな 例 は あ 

げれば 限りがない。 

一 あきた 熊 本縣. 曲 一 としま 東京 府 

飽田ー あいた 茨城 縣 曲 てし ま 大阪府 


—  232  — 


たす  六 淸菊機 

g る  m        7K 田 織 

ん わ  だお すしく き はは 

いほんみ くくと た 
多 他陶末  ふ ふづづ たたりお 

鬥 門 野 野  くく  り 


兵 新 京 新  奈福鳥 靜福神 幅 秋 

庫 潟 都 潟  良 閊取岡 島 Ji] 島 田 

縣 縣府縣  縣 縣 縣 縣 縣 縣 縣 縣 


あ  © 

一 さ さ 
麻 厚 阿 安 
狹木藝 

香 山岐廣 
川口 阜島 

縣 縣 縣 縣 


靑 高大 靑 埼岐滋 滋廣廣 
森 知 阪森玉 阜賀賀 島島 
縣縣府 縣縣縣 縣 縣縣縣 


叉、 同じ 發 音で 漢字 は 別な のが ある。 


く はなし 

むくな し 

よろ ぎ 

よるぎ 

(まきた 

蒔 田ミ〕 

(まいた 


•I" 三 

\ じふ さう 

f な- 1 と 

七 戸一 しちのへ 


一 2S3 — 


さ 

ラ 

箕き 草 さ 淸 し:^ ち は た 
輪 わ 津っ 水き 思 ぐと か 
茨 栃群長 難 群 宫栃 靜茨滋 ^ 丄 丄 ュ 

城 木馬 野 島賀馬 城 木 岡域賀 ^  ^ 5 1 1  If 

縣 縣縣 縣縣縣 縣縣 縣縣縣 # 


兵 愛滋大 
庫 知賀阪 
縣 縣 縣 府 


M 牙、 

都 都 
府 府 


歐 茨石埼 
岡 城 城 川 玉 
縣縣 縣縣縣 


新 山 栃宫東 
潟 形木 狨京 
縣縣 縣縣府 


お し 


ほ み 
ふ み 


け づ 


大大冷 志 淸 
镜更水 水 水 


新 岩 和新靜 
潟 手; 5; 潟 岡 
縣 縣 縣 縣 縣 


— 2S4  — 


全阈の 町村 名の 中で 一字の が 大分 ある。 附近の 中心 をな したと いふ 意味から 「本 町」 「元 町」 

等と いふの はよ く 見る 名で あるが、 中にはな か/ \ 面白い のが ある。 

し ナな かすみ かな お ほ ^ほ- a 

東京 府 志 砂 霞 金大扇 

お ほと 》- たつみ なか 

大阪府 鳳 巽 中 

京都府 田篠 

やどりき .S は か は 

神 奈川縣 寄 岩 川 

* ゐ しば やしろ ひろ レ ち はた うら 

兵庫縣 藍 芝社廣 市畑沛 

*- ん みや みね 

長崎縣 琴宮峯 

みやこ むつみ つち み^もと たま^ まる かし は ちきら 

千葉縣 都 睦土源 環 丸 柏 明 

あくつ かなめ ともえ だ i ぶみ はやし L づ お ほ 

茨城 縣 坏耍巴 玉 文 林靜大 

すがた  < は ぎぬ ひし なか 

栃木 縣 姿 桑 絹菱中 

群 馬縣島 i  』 

ひら しづか しば  ^ 

埼玉縣 平靜芝  7 


み A- こ お ま 

奈良縣 都 多 

.  かさ-' ぎ ちがた つば さかえ あきら 

三重 縣 鹊縣 楕榮明 

- I  .  :  S おこし おな  < 、ナ 0 き 

愛知 縣 園 起 奥 楠 

r  さのと ま^ つばめ レ ま 

新潟縣 乙 卷燕今 

和歌 山縣 廣 

^  5^  おなか 

Ju  i  たから かぶと を か レはひ にしき はなぶ さ やま さかき みなもと ほ しのぶ 

に 梨 縣 寳甲岡 祝 錦 英山榊 源巖忍 

;. f . . : レナ みや なへ 

滋賀縣 稻宫苗 

he  ,  I  。口ら .V レ たま .9 すぶ S ぐ ひす なか すえ かみ い. 2& みや な だ 

岐阜 縣 鹑岩時 玉結鶯 中 陶上乾 宫灘 

vr  ^  ^さ/ か, み. ほっさ こ^^き ホ W ゆ^か や, まと 養 か S かな  <  しがら み 

長野縣 長上 梓 壽大溫 倭 縣和鼎 柵 

•  ?, . :  さくら きな 

宮狨縣 櫻 北 

rl .1.  あさひ 

鼷島縣 旭 

, • :>  さか, 

岩手縣 盛 


靑森縣 

山形 縣 

輻井縣 

富山縣 

鳥取縣 

島根 縣 

山ロ縣 

廣島縣 

德島縣 

香川縣 

愛媛 縣 


たて 


.5 つ * 

齊 

なつめ 

ぉパ 

直 

しも 

下 

一 

はやぶさ 

久 

.S さ 

今 

ぐし 

串 

やす 

安 

わ ま 


ち^ 


むかひ 

向 

なか 

中 

うづら 

裒 


なか 

泉 

ゆ たか 

畳 


t& ぬか 

牧 額 

とま リ の 

泊 野 


お 2 

大 


しゃう 

は ざ 

とち 

伴 

つち 

辻 

i やし 

—林 


やし C 


がう かぶと はし 

鄕兜端 

た ひら 

平 

と り わ た M- あがお 

泊渡縣 


たに 

とみ 

富 鄕 

すえ かよ ひ 


がう 


ぉま 

つぼき 


3 ち おか おく さか とも まま ひろ 

市 高 奥 坂 鞀牧廣 


た 

高知縣 岩 田 鏡 

つるぎ ひらき あか なか みさき 

福岡縣 劍開赤 中 岬 

た に うへ お ギ| 

大分 縣 谷 上 荻 

か 2* み ふもと 

佐賀縣 鏡 麓 

ベ み どリ と e ろき とりで ち  うへ うら か は じん お- H わ ヒリ if 

熊本縣 鍋 綠轟砦 阿 上 浦 川陣大 渡^ 

, T  . :  つま あ ふま あや 

宮崎縣 妻 憶 綾 

さと 

鹿 兒島縣 里 

きん 

以上 は 珍ら しい ものば かり を あげたの であるが、 長 崎 踩 の 「琴」 等 は讀み 方が 珍しい。 茨城 

あくつ 

縣の 「2 は讀 めない。 

た  つち はたな へ く はの  その さと ゆな か 

氏、 土、 畑、 苗、 桑、 野、 園、 里、 豐等 はいかに も 農村に ふさ はしい 名で ある。 叉、 名から 

Li-I  *  >  うらな:^ ふもと みさき はま 

して 地境が 分る やうな の は、 浦、 灘、 麓、 岬、 濱等 であらう。 

この 一字 名の 町村 は、 廣、 大、 久 等と それだけ 言った ので は 町村と は 聞えない が 、お^、 

く むら 

久村 とつ 丈け ると 普通に 聞え る • 


「大」 を 書く の は各縣 にある やう だが、 「多」 は少 い。 熊 本縣の 「砦」 は 茨城 縣 では 「取手」 

あか みどり  はやぶさ 4 さ、 C うづら 

と 二字に して ゐる。 色から つけた 名と して は、 赤、 綠。 鳥の 名 をと つたのに は、 隼、 鵲、 鹑、 

うぐ ひす  > 

鴛 等が ある。 

あざ 

「上」 と 「下」 と は 字の 名と して は あるが、 一 つの 町村 名と して は少 い。 しかし、 「中」 は 

澤山 ある。 

山 梨縣の 「谷 村」 は 町で あるので、 「谷 町」 とはい はすに 「谷 村 町」 といって ゐ るが、 之 は 谷 

が もとで、 杓が つき、 g が 加った ので あらう。 

數を 意味した 名 は隨分 多い が、 之 も 珍ら しい もの だけ を あげて 見よう。 

一つ しんで^  レ ちう  いっしょうち  .S つま ざん  ひと. S ち 

一 一 ^田 (三重) 一 宇 (德 鳥) 一 勝地 (熊 本) 一 贵山 (幅 岡) 一 日 市 (秋 

田) 一町田 (熊 本) 

ふたえ  ふたご  ふに ゐ  にがう 

二  二見 (熊 本〕 二 江 (同) 二子 (岩 手) 二つ 井 (秋 田) ニ鄉 (三重) 

%  みさ. •  みか は  みすみ  みさ. N  l  一 

三 三 (茨城) 三 朝 (鳥 取) 三 川 (和歌 山) 三角 (熊 本) n-! 里 (高 知) I 

みけ siw  さんざい  み な ふ  さんみ やう 、  2 

三毛 門 (幅 岡) 三 財 (宫 崎) 三納 (同) 一 二 名 (德 島)  一 


四つ 合 (新 潟) 


よ かお 

四方 (富 山) 


よつ や 

四屋 (長 野) 


五 台 (茨城〕 


ろく^う 

六鄕 (同) 

な、 たき 

七 瀧 (熊 本) 


0 四 (和歌 山) 

四鄉 (三重) 

ご  ごか  ご じ やうの め 

五 五 (和歌 山) 五箇 (京都) 五城 HT  (秋 田) 

五ヶ谷. (三重) 

み さ.^  ろく かく  ろく しょ 

六 六 ぁ (熊 本) 六角 (佐 賀) 六ケ 所ス靑 森) 

しち か  しち か は  しちのへ 

七 七箇 (香 川) 七 川 (和歌 山) ; 七戶 (靑 森) 

しち ふく 

七 福 (千 葉) 

や  はちのへ  や さと  や ばら 

八 八 (福 井) 八戶 (靑 森) 八 里 (茨城) 八 原 (同) 

くばん  くき  く- 0?  く かしゃう 

九 九幡 (岡 山) 九 鬼 (n 一重) 九會 (兵 庫) 九箇莊 (大阪 ) 

と  とういち  じふ ぜん  とうやし ろ 

C 十 (福 井) 十 市 (高 知) 十全 (新 潟) 十 社 (三重) 

じふに かぶら  じふに しょ  じふに さと 

二 十二 鏑 (岩 手) 士 一 所 (秋 田) 十二 里 (靑 森〕 

じふさん 

三 十三 (靑 森) 

じふし やま 

四 十四 山 (愛知) 


四海 (香 川) 


ご せん 

五泉 (新 潟) 


七 折 (宫 峰) 


八 知 (三重) 


九重 (和歌 山) 


—  290  — 


十五 濱 (§ 

じふろ く 

十六 (高 知) 

五十猛 (鳥 极) 

百 枝 (大分) 


5 そ .1 ち  r 

五十市 (宮 崎) 


九十 九 (群 馬) 


i ぴ キ J 

百 引 (鹿兒 島) 

ち さと 

千里 (福 島) 


ひゃく づか 

百 塚 (富 山) 


ごひゃくこく 

五百石 (同) 


千 種 (千 葉) 千 城 (同) 


せんぴ ま  ち とせ 

千疋 (岐阜) 千年 


八千代 (德 島) 


千歳 山形) 

(靑 森) 

まん ヤぃ  まんせい  ぐら 

萬 歳 (岡 山) 萬 世 (鹿 兒. S) 萬 倉 (山 口) 

に 入れた 名で 多 いのは、 八幡と 一 宮 である。 この 外、 た^ 地名と なると 限りがない。 


C ま 

1 1 萬 (岡 山) 


はち ま o 

八 萬 (驚) 


(奈 良縣) 

(新 囊) 

(栃木 縣) 

(石 川 縣) 

(千 紫縣) 


九 鬼 

さんざい 

三 財 

な あ く  9 

七 栗 

* なり 

三 成 

や そ じ 4H 

八十 島 


(ニー 蠢) 

(宮 崎縣) 

(三重 麻) 

(島根 縣) 

(宫 狨縣) 


八十 一 鳞 (岐阜 縣)  十八 成 (宮城 縣) 

十八 女 (栃木 縣) 七五三 場 (栃木 縣) 

ととろ ま  ついひち 

1 1 十六 木 (山形 縣)  1 1 十五 里 (千 葉縣) 

廿 九日 (石 川 縣)  九十 九 (石 川縣) 


千 葉縣に 「白 里」 とい ふ處が ある。 跳 子から 房 州の 太平洋に 面した 海岸 は 九十 九里濱 といつ 

て 雄大な 眺望で ある。 この 「九十 九」 は 「百」 に 一 つ 足らない。 そこで 「百」 から I 畫 とり 去 

ると 「白」 となる。 この 「白」 に 九十 九 里の 「里」 をと つて 出來 たのが 「白 里」 だとい ふ。 元 


つくも 


來、 「九十 九」 は古來 「白」 に緣の ある 句と して 用 ひられる ので、 「つくも」 と讀 むの も 「白 

髮」 から 來てゐ る。 老人ら しい 村 は 高 知 it の 「波 介」 である。 

佛敎 に緣の ある 町村 も隨分 多い" お 寺が ある 處 から 出來 たので は 香 川縣の 「善 通 寺」 等は最 

も 有名で あるが、 その外に も それらし いのが ある。 

だ .1 しゃう じ  しゃう ねん  だ. s くわう じ 

大聖 寺 (石 川 縣.) 正 院 (石 川縣) 大 光寺 (靑 森縣) 

紫雲, (新 潟縣) ぁ| ぎ (新 潟縣) 平お 寺 (驕 井縣) 


一 292  — 


文 殊 (岐阜 縣) 

だ. S ぜんじ • 

大善寺 (福 岡縣) 

ち じ 

地藏寺 (髙 知縣) 

くわん おんじ 

觀音 (香 川縣) 

はう くんじ 

法勳寺 (香 川縣) 

«レ しゃう ねん 

大生 院 (愛 嫒縣) 


み ど =»i うづ 

綠 僧都 (愛 嫒縣) 

わ やが 4- ま 

念珠 關 (山形 縣) 

般 若 (富 山縣) 

帝 釋 (廣 島縣) 

お を はか 

靑 墓 (岐阜 縣) 


つし やう ねん 

吉祥 院 (京都府) 

普賢 寺 (京都府) 

ろくで うねん 

六條 1 (岡 山縣) 

さ. S だ. X じ 

西大寺 (岡 山縣) 

雲 林 i  (三重 縣) 


此等は 町村 名で あるが、 單に 地名と なると 限りがない。 その 中で 珍し いのは 

ほとけ さ 含 

怫 崎 (高 知縣) 

S ん. 0 か 

三途河 (愛知 縣〕 


さん づ のか は 

三途川 (富 山縣) 


.1 


つし やう 


等で ある。 日本 アル ブスの 槍 ケ嶽に は 「殺生 小屋」 が あり、 箱 根の 芦, 湖畔に は 「殺生 河原」 


が あるし、 各地の 溫 泉が すさまじく、 出て ゐる處 は 「地獄」 と 名 づけ、 別 府には 八つ ある- 

れ に對 して 神社に 嫁の  ある 名 は 割に 少ぃ。 


こ 


—  293  — 


― 204 一 


神社 (三重 縣) 

たいしゃ 

大社 (島根 縣) 

み や 

宫 (滋賀 縣.) 

神 (廣 島縣) 

切目 (和歌 山縣。 切目 王子 神社が ある) 

やしろ 

社 (長 野縣) 

そ-の? レゃ 

最も 長いの は、 長 野踩の 「五郎兵衛 新田 村」 である。 これ は 勿論、 五郎兵衛と いふ 人が 新し 

く 開墾した とい ふので 名づ けられた ので あらう が、 よく その 村の 由來を 現して ゐる。 

: , :、  きな さ  、 、 

同じ 長野縣 にある 「鬼 無 里 村 J は 無事 だが、 熊 本縣の 「鬼 池 村」 となると、 今 は 鬼 無で も 何 

處 となく 恐ろしく 感じる。 同 縣には 優しい 村 もあって 「乙女」 とい ふの 等 は 鳥 取縣の 「若 櫻」 

あねた 一 

「花見」 「春 日」 と共に 優美 だ。 これが 岩 手踩の 「姉^」 になる と 見た 字から 稍々 なまめかし 

おびと け  み ぬ 

くなる が、 奈良踩 の f 帶解」 に 至って は、 聞いても 字 を 見ても 甚 しい。 大阪府の 地名に 「三 犬 


が」 とい ふの が あるが、 何 か傳說 的で ある。 福 岡縣の 「山川」 は 平凡な やうで も 珍しい。 廣島 

じ やう 4>  ちけ みや  し- 1  くひ 

縣の 「ト: 下」 も HI: じで ある、 熊 本縣の 「健 軍 村」 は 勇ましい。 德島縣 の r 宍喰」 は 字 だけで は 

大した 感じ も 起らない が、 「獅子 喰」 とすると 「鬼 池」 以上で ある。 長 崎 縣には 「獅子 村」 が あ 

だんし  T うがう 

る。 香 川縣の 「ii 氏」 は 風雅で ある。 同じ 縣に 「象 鄕」 が あるが、 別に 象が ゐる わけで も ある 

とみく  *<  く, くま 

まいし、 「富 熊」 「栗 熊」 等 面白い のが 多い。 

神 奈川縣 の 大根 はダ イコンではなくて、 ォホネ である。 之は閒 けば 合點が ゆく が、 猜 みにく 

かもさみ  , 4v んだち 

い。 同じ ものに 奈良縣 の 「鴨 公」 が ある。 公 は 公達 等と 熟語して キミと 讀 むが, 鸭公は 一 寸分 

るまい。 

また、 大きな 區域を 二分 三分した と 兌ら れる處 も 可成 あるが、 その 中で 特 殊な名 は、 

かみ ぶんかみ やま しも  かみき とう 

德島縣 上 分 上 山 下 分 上 山 ム木頭 中 木 頭 下 木 頭 , 

にし, たま 

大分 縣 西 虞 玉 中眞玉 上眞玉 

かみあり ナ 

岩手縣 上 有 住 下 有 住 

廣島縣 口 北口 南 


〜 295 —— 


山ロ縣 東 厚保 西 厚保 

鹿 兒島縣 東方 西方 

香川縣 では 人の 姓と も 思 はれる のが 多い。 

大野 淺野 安田 林 田 中 池 田 桑 山 坂 本 岡 田 和 田 山 田 南 神 田 辻 

千葉縣 にも 多い。 

戸田 內田 市 川 白鳥 野 田 中 山 福 田 關瘃田 源 福 岡 森 山 大倉 豊田 

豊岡 大森 川上 白 井 本 野 和 田 

聯想の 面白い 0 を 拾 ふと 次の やうな のが ある。 

たんす  ふくろ  つくだ 

東京 府 铂江 簡簟町 袋 町 佃 町 

は つかし  い か 5* 

京都府 羽束師 (恥し) 五十河 (如何) 

けう じ  ね や が は 

大阪府 孝子 (熟語) 寢屋川 (寢る 部屋) 

ざ £ 

神 奈川縣 座 間 (ざま) 

お くも  さ C しゃう  だ うぢ 0-5 

兵庫縣 大芋 (お 芋) 三椒 (山椒) 道場 (稽古す る 道場と 同じ) 


—  296  — 


宫 長岐靜 愛三 奈山栃 千 埼茨群 
城 野 阜岡知 重 良 梨 木 葉 玉 城 馬 
縣 縣縣縣 縣縣縣 縣縣縣 縣縣縣 


たけし 

剛志 (人の 名に 似る) 

うり つら う 9 づら  あまび *!  あん ぞ ゆう 

ffi: 連 (瓜 面) 雨 引 (雨 を 引きよ せる) 安中 (饅頭). 

いめ. S  < げ 

精 明 (淸 明) 久下 (公卿) 

おん M ゆく  ほんな う や ぶ 

御宿 (お 泊り 所) - 本納 八 生 (藪) 

なべ かけ  まし こ  へ や , 

鍋掛 (食べ かけ。 鍋 を かけ) 益 子 (女の 名) 部屋 

おほめ  *1 うそく 

大目 休息 (休む) 

大福 (菓子の 名と 同じ) 國 i  (屑) 

お らう ふ 、 、 、 、  あほ 

太郞生 (太郞 生る で いかにも 作った 名) 阿保 (阿呆) 

& ぴ 

海老 

< お  くま _ww け た  . 

戶田 (下手〕 熊 切 氣多 (下駄) 

かたびら  ■ げろ  をぐ ま 

帷子 (着物の 名) 下呂 (汚い) 小 熊 

よみかき  よませ  やん 9 う 

00  (擧 者ら しい 名) 夜 問? 1 (讀 ませる) 川柳 

も じ  あら を  つるの す 

文 宇 荒 雄 (荒い 男) 鶴巢 


一 297  — 


はりみ m 

福島縣 針 道 (針の 道) 

つくも うし  ご へんち  うすぎぬ ひ ご ろ., t ち 

岩手縣 附馬牛 (字に 對 する 讀み 方) 御 返 地 薄 衣 日頃 市 (平常の 市場) 

しゃ S- キ I  さるべ  お ほ わに 

靑森縣 車力 (車屋) 猿邊 (猿の ゐる 所) 大鰐 

こ く は かし はくら もん でん 

山形 縣 蠶桑 柏 倉門傳 

こはく  JS  い ひづめ 

秋田縣 强首 (恐い 首) 飯 詰 (飯の つまり) 

お ほむし てんか しんめい 

福井縣 大虫 殿下 神明 (神) 

を ぢ や  をん なか は しんくみ 

新潟縣 小 千 谷 (粥のお ぢゃ) 女 川 新 組 

ちま を  おにさと 

滋賀縣 玉緖 (玉の 緖。 いのち) 鬼鄉 

てう や 

石川縣 蝶屋 

ご .1 し あか まる  ふしき 

富山縣 碁石 赤 丸 (赤の 丸) 伏 木 (不思議) 

て ま  !0? うかん  ち づ 

鳥取縣 手間 (手間が いるの 手間〕 遙堪 (菓子の 名) ^頭 (地 H) 

お ほへ  な だぶん 

島根 縣 大家 (大家) 灘分 (多分) 

ちゃや  むねあげ 

岡山縣 茶屋 (お 茶屋) 胸 上 (胸の 上) 


一 298 — 


宮熊大 長 佐 輻高愛 香 德和山 廣 
崎 本分 崎賀岡 知嫒川 島^!  口 島 
縣 縣 縣 縣 縣 縣 縣 縣縣縣 縣縣縣 


くま 3 あと  た んと  , , , 

熊 野 跡 (熊の ゐた 跡) 田 頭 (澤 山の たんと。 田の 長) 

お ぶく  との ゐ  へ た 

於 福 (女の 名) 殿 居 (殿が ゐる。 宿直) 戶田 (下手〕  . 

じん %*  ま ろ  I, 

仁義 (俠容 らしい 名) 萬呂. (人の 名の 麿) 

なが. s け  ひろ 

長生 (長いき) 晝間 (晝) 

み あ ひ  ^んダ * 

美 合 (見合) 圓座 (まど ゐ) 

^  u  ふたな  ゆ げ 

舌 田 (只) 二 名 (二人の 名。 二人) 弓 削 (道錢 の 姓と 同じ) 

和食 (日本の 食事) 後 I  (御免) 

た ぬし まる  のぶな が . 

田 主 丸 (田の 所有者) 延永 (信 長) 

うれし Q  よぶこ  こ 

嬉野 (嬉しい) 呼子 (呼び^) 

ど b のく ぴ  たけ まつ  .5* ふく 

土 井頭 (土 井と いふ 者の 首) 竹 松 (人の 名に 近い〕 今 福 (今が 幸福) 

よ あけ  くさち  あさく  ー 

夜 明 (夜の あける 時) ^地 (^の 原) 朝來 (朝來 る) 

須子 (壽 司) 八 分 字 (八 分の 字)  , 

お ; S  レま め 、 ,  / 

飫肥 (帶) 生 目 (生きた 目) 


く な  い りき 

鹿 兒島縣 求 名 (來 るな) 入來 (入り 來る) 

その他、 難 讀の名 や 珍しい 名 は 多い が、 その 主なる もの を あげる。 但し 北海道 や 裏, 灣、 朝鮮 

等 は 別で ある。 

ひぶす ま は, i しま た なし た 5- を お..? かた ふつ さ こ り 

東 京 府 碑 衾 拜島 田 無 忠生 恩 方 福 生 古里 

かみむ と ベ  かみや く の たうの を み つ .S やさ か とよ さか くんた あま S うち さ V ベ 

京都府 上 六 人 部 上 夜久野 當尾 美 豆 彌榮 豊榮 栗 田 餘內 雀 部 

.  .1  一 - つみ  も  卡  くさ か  けう じ  うり わり た かう をの "ん だち さ だ 

大阪府 止々: a 美 百舌鳥 孔舍衙 孝子 瓜 破 高 向 雄 信 達 嗟跎 

.» なめ  ち ぎ ら  え ち  ^な-つる かき を 

神 奈川縣 金目 千木 良 依 知 眞鶴 柿 生 

め .&  たキ 一 や  i- 孑 ふ かむ よし かるが う ね 

兵庫縣 妻 鹿 建屋 射 添 祌美 斑鳩 有 年 

わたうち く に  うねめ  さいもく  U さま 

群馬縣 綿 打 六合 采女 西牧 伊參 

なめ かた い たこ げんせいた くろこ こか ひ を ごすげ *| かゐ やま し-. くら ゆ ま fr 

茨城 縣 行方 潮來 源淸田 黑子 養蠶 生子菅 逆 井山 志 子 靡 弓馬 田 

ふま  やつ  こう-つ  や ぶ  たか ひら まさ *,)  やち 烹た こて はし なはキ J 

千葉縣 府馬 八 都 公津 八 生 公平 正氣 八 街 犢橋 南 白^ 

あんぎゃう か-つのす か は ど ほり Z て さし おごせ  も ろ  ほうじめ はな 

埼玉縣 安行 鴻巢 川 通 小手 指 越 生 毛呂 寳珠花 

はう キ-ぉ まな ご う ほが ゐ くげた ぼとう 

栃木 縣 箒 根 M 名 子 祖母 井 久 下田 馬頭 


一 300 — 


—  301  — 


つげの しろがね はり べっしよ ごぜ う % し み てん e か は たい t 

奈良縣 安堵 都 介 野 白銀 針 ケ別所 御所 宇赏志 耳 成 天 川 當麻 

あ 《b き  r ざ かゆみ あましろ h ぶと あけ あ ひ ナぐ 9 あの リ いるか お ほみ つ 

三重 縣 阿下喜 御座 粥 見 天 白 加 太 明 合 村 主 安乘 入 鹿 大三 

は づ  て oi く しつ? < う そ ぶ え  し W ふ  ち 9 ふ あ すけ さ な!^ 

愛知 縣 幡豆 天 白 七寳 祖父 江 志 段 味 知 立 足 助 猿^ 

お ff  ぢ A I う^た ナ ばし タ あし? つん う A 一  むかさ かぐろ  くミ IN  W 

靜岡縣 於 保 地頭 方 須走 足 柄 有庶 向笠 祌久呂 熊 切 

とくさ  レ しくら 今ん せい あ ひお き お ぶ  う ぼ ぐち ひらし な か せい 

山梨縣 木賊 石廩 金 生 相 興 釵富 右左口 平等 禾生 

ける ちか お ほくて か vrf  さ. S ぐん ほら ど  おろし  ほ づ え あ^よ 

岐阜 縣 春 近 大湫 各務 西 郡 洞戶 下石 上 枝 明 世 

あもり  さ みづ にしご 3- あ ふち  ち 3  ながた  ふじ や *< てら  み ナ のぶし な かう ふ 

長野縣 ぎ 茂 利 三 水 錦 郡 食 地 知 里 廊田 富 土 山 手 良 突^ 信 殺 更府 

せ *<  あづみ なにち ひ と ャま 

洗 馬 安 あ 七ニ會 外様 

の だけ け せ ぬま 9 ふ  しか ま 

宮域縣 i 嶽 氣仙沼 利府 色 麻 

ひのえ また ぼんげ むつみ あ ひ もん でん 

福島縣 檜枝岐 ^下, 睦合 門 田 

え づ M- こ あ ひさり .f 一. 一-一ん ちつ か -f 'のす ゐ かるまい あねたい に さつない おつき ら, 4 

岩手縣 江 釣 子 相 去 立 ^ 安家 鹈 住居 輕米 姉帶 雨薩體 越荅 I 

ぢ ねこ はしかみ みる^ へ 

靑森縣 笹子 階上 見前  . 

あ ら き  0 ぞ き  に ち .& う あ i る め 

山 形 縣 安樂 城 及 位 日向 余 目 


t 山 廣岡島 鳥 富 石 滋新福 秋 
ま 口 島山 根 取 山川 賀潟 井田 

縣縣 縣縣縣 縣縣縣 縣 縣縣縣 


はキ ぐち お -, M *w がリ ち に ち ひ ま さ お た 

早口 大曲 阿仁合 象 潟 

たか ぽこ いぬ. GO か は 5 ひる いし ど しろ 

高椋 乾 側 鹿 蒜 石徹白 

s とう ザ お ほ も  ^ぢ かた X な *V つ  一 M みの しば だ  たかさ い 

鹿 峠 大面 味方 米納 •:<!!: 五十 公 新發田 高道祖 

ぎ わう たら を を ごと せ^  おいがみ こんせ  あ ふ ばえ み 

祗王 多羅 尾 雄 琴 膳 所 老上 金 勝 仰 木 葉 枝 兌 

、みて る よ ご  ち ど  あへ ぼ  けんく ま おきなが 

神 照 余吳 安曇 饗庭 劍熊 息 長 

た こじま は ぐ ひ わ あ^ リ ぶんげ う レ ぶり ほし み たらし  はう W ふ みん J 

蛸 島 羽咋 根 上 分校 動 橋 御手洗 寳立 三 馬 

うのはな くまな し お V- や  もよ の くら し  にんぶ  つくりみち 

卯? 化 熊 無 大鋸屋 船 皭下タ 仁^ 作 道 

たんぴ ち づ お- IS づか ねう ぁプし え «> 

丹 比 智頭 逢束 根 雨 阿毘緣 江 尾 

も 9  しし  おったて ゆの つ  あ V- う み くりや 

母 里 志々 こ 立 温泉: a 吾鄕 御来屋 

うし まど うね ケし ひ なレ つぶえ くれせ うかい ひがし く もん 

牛 窓 神 根 鹿 忍 日 生 粒 江 旲妹 宇甘 東 公文 

つね かわ i る かふぬ きさ こぬか みこと はぶ むべ や * ム 

常 金 丸 甲扠 吉舍 小 奴 可 美 古登 土 生 宜山 

かね  しふく ひし お い レ ぐ も つか -V や じ 

嘉年 紫 福 菱海 生 雲 束 荷 衣 市 

うぶい し さっき すさみ  かむ ろ  ふなつ き さんだ  ねごろ おう 

生 石 五 西 月 周參見 舉父路 膨着 三 田 根來 應 


た^ら .ぃ< ひ な »  4110. む や, 

德島縣 多^ 良 生比奈 鬼靝野 抱 養 

しゅじ ま は A- か をが  とま  ね ど  たがす み ひち ふた 

香川縣 雌雄 島 羽 床 奥庭 土器 井戶 長 炭 比 地 二 

せした ゃ玄 一 だい きすき  をぐ リ の *<  いか す- * み i  ふじみね めん どリ に T ふ 

愛嫒縣 千 足 山 伊 台 喜須木 雄 群 乃 萬 五十崎 三 問 父 二 峰 妻 鳥 二 木 生 

なる たへ ゆ こ  せんちゃ C 

成 妙 遊子 千 丈 

f  6  な は 9  とく わう じ  ちゃう じ や く どう か,? うら ナ くげ  うま ぢ  ふけ  み ♦><  > 

髙知縣 介 良 奈半利 德 王子 長者 具 同 甲 浦 ^$ 馬路 富家 御お^ 

あかつ か くれ だ 

曉霞 久 1 田 

かう くろ ,がりが ね いど 含く お ほね は こ  へ はる き,; -ナん いかづち あん. V け た み 

II 岡縣 ^袋 勾金 ^土 企 救 大莞 釵江 浚 春 銀 水 雷 山 安德 忠見 

ゐゐ かね t やう かい いら ぼる くろつち かんだ あ ま ぎ  だいぶ  むしろう ち 

猎位金 兩開 伊良原 黑土  ^田 安 莨 木 大分 席內 

ま V- ちか  う *f あ? b ナこ  こせ  ^ん りつ み か づさ 

佐賀縣 嚴木 値贺 打 上 須古 巨 勢 金 立 n: 日 H 

な- • つが ま し 今-み  の も  だいら  そのき  ち わた さ ザ はり を  う^  む しゃみ づ け ち 

長崎縣 七 釜 式 見 野 母 多 似 良 彼杵 千 綿 崎 針 尾 有 喜 武 生水 雞知 

づ さ  レ きづ * み ゑ  かみ- Q のく? S 

豆醉 生 月 三會 上 井 首 

ゆ ふか は かく いっしゃくや いんび だ? らい ぷ ベ や チ うつ リ IH.: ねん あじむ 

大分 縣 由 布 川 賀來 一 尺屋 因尾 玉來 針戶 山 移 玖珠 安心院 

おとめ しらぬ ひ たむ か: S はら あか お ほ.;!  くだら き やつ.. J  く たみ 

熊 本縣 こ 女 不知火 田迎 腹 赤 網 田 百濟來 八嘉 來ぉ 


漢 
字 

の 

構 

成 


漢字 は 一、 人、 手、 月と いふ やうに 單 一な もの も あるが、 大部分 は 此等を もとにして、 いら 

に 組み立てられて ゐる。 これ を 分解す ると 七つになる。 

^  (字の 左に つくもの) 


ン 

女 


(にんべ ん〕 

(にす ゐ) 

(くち へ ん) 

(をん な へ ん) 


サ (心) (りっしん べん) 


き" W 呆 

冴 冷 荽 

^咽 樊 

奴 如 姓 

^寺恤 


\v  (. ぎ やう にんべん) 

シ (水) (さんず ゐ) 

土  (ど へ ん) 

山 (やま へん,) 

キ (手.) (て へ ん) 


行 往 後 

泳 流 河 

坪扭堵 

持 掘 探 


- CJ ミ、 にう だ と おこ ほり かみの お ほつ か う ど 

官崎縣 新田 都 於 郡 上野 大束 鹈戶 

鹿兒 s  fi  0 靈 ^ぎ 懇 I ま S 觀 豪 £ 


一 304 一 


木 

曰 

月 (肉) 

玉 . 

石 

禾 

糸 

ネ (衣) 

食 

5*  (足) 


(き へ ん) 

(ひ へ- ん) 

(にく づ き) 

(た ま へ ん) 

(いし へん) 

(のぎ へ ん) 

(いと へん) 

(ころも へ ん) 

(かひ へ ん) 

(こざと へん) 

(; しょく へん) 

(ほねへ ん) 

(あし へん) 


昭 


松 

乍 


櫻 

明 


現珍琢 


哉 田 勺 

糸,^ 

袴 初 裾 


包 


蹄 距 


角 (つの へん) 

^  (けものへん) 

月 (つき へん) 

火 (ひ へん) 

目 (め へん) 

ネ (示) (しめす へん) 

米 (こめ へん.) 

虫 (むし へん) 

言 (: ごん べん) 

金 (かね へん) 

革 (か はへん) 

馬 (うま へん) 

f I  (う をへ ん) 


粹 

虹 

0 

鞋 

I 


觴 觸 

猛 獲 

朧 (期) 

澄 煙 

一 壬】 tc 

祌 祝 

精 粉 

^« きい 

0 鞭 

也 ^ 

鲋 0 


—  305  — 


耳 

4( 牛) 

タ (タ) 

鼻 


(くるま へん) 

(み ふへん) 

(ひつじ へん) 

(うしへ ん) 

(はぐ へん) 

(ほこ へん) 

(がつ へ ん) 

(ゐの こ へ ん) 

(ふな へ ん) 

(すき へ ん) 

へと り へ ん 

グひ よみ のとり 

(の ごめ へ ん) 

(はな へん) 


輕鞑軒 

K 一  狩 (群) 

牧犧特 

殊歿殉 

豬 (象 

耕 耗 

TOM 配 

睪 由 


率 


牙 

身 


(しゃう へ ん. > 

(きば へ ん) 

(かた へ ん) 

(あくび へん) 

(や へ ん) 

(こ へ ん) 

(ゆ み へ ん) 

(た つ へ ん) 

(む? しな へ ん) 

(まめ へん) 

(した へ ん) 

(み へ ん) 

(さとへ ん.; 


牆 牀 

旅 於 旗 

欣次欺 

短 ぼ 失 

孤 孫 (季) 

竝 竣 端 

終 4s? 貌 

豌 (豊) 

羝 (舍〕 

弓果 區 

野 (量 重〕 


一 ^06  — 


鳥 (とり へん)  嗚鴨鳩 

齒 (はへん)  齟齡齲 

片 (かた へん) 版脾牒 

二、 旁 (字の 右に つくもの) 

-リ (刀) (りった う)  劍浪^ 

(邑) (お ほざと)  都郊邸 

隹 (ふるとり)  雞難雜 

羽 (はね づ くり) 翊 翔 (翁) 

\\ ノ  (さんつ くり) 形彫彰 

三、 冠 (字の 上に ある もの) 

t  (わかんむ り) 冠冢冥 

穴 (あなかん むり) ta 窮突 

K.W  ノ  、くさ カスむ リノ  ぎ i 匕 JnD 

.C し (さう かう ) pr ネ f タ 


田 

止 


殳 

山 


(た へ ん) 

(とめ へん) 


(る また) 

(お ほが ひ) 

(を のづ くり) 

(ち か ら) 

r ふで づ くり) 


(やまかんむ り」 

tTKCTS) (け いがしら) 

爪 (つめかん むり) 


町畔略 

武歳正 


段 


嵩 

爭 


殺 殴 

頭 頗 

助 (加) 

嵐 崩 

爲§ 


—  307 — 


(はつが しら) ^ 

( おいかん むリ) 老 者 

(あさかん むり) 0 麼 

(うかんむ") 字 窒 

(たけかん むり) 竿 荀 

(あめかん む no  雪 

n> ほ (宇の 外に ある もの) 

(もんが まへ) 開 關 

(くにが まへ. >  國園 

(とうが まへ)  鬪 0 

(きが まへ)  氣 氛 

(ゆきが まへ)  衍 街 


ダ 

かま へ 


P 

气 

ねう 

五、 0 


癸 

4 一ん 

き fa 

0 


^  (けいさん.)  亡 交 亭 

戶 (とかん むリ) 戾房扇 

^  (とらかんむ リ) 虎虚虞 

四 (g、r§) ( あみがしら) 置罪羅 

彭 (かみかん むり) 髮 0  0 

八 (はちが しら) 公 兼 (兵) 

勺 (つ. >- みが まへ) 包 匈 匂 

に (はこが まへ) 匡 匠 匪 

匸 (かくしが まへ) 匹區^ 

PCC) (ふ しづくり) 卯 印 却 


—  303  — 


kB  (しんね う) 


走 

ゾ 

たれ 

六、 垂 


厂 

ちし 


(さう ねう) 

(ばくね う) 

(にんね う) 

(ぶんね う) 

(きね う) 


(がん だれ) 

(まだれ) 

に、 0  (字の 下につ くもの) 

|( 火) (れんく わ) 

皿 (さら) 


辻 途 通 

趨越趣 


允 


煮 

盆 


1 一し 

ーフ 

斑 


厄 

度 


兄 


0 


盟 益 


夂 


(す ゐ ねう) 

(いんね う) 


t へ しねう 

^  ぐんだ ねう 

支 (夂) (ぼくね う) 

こ (おつね う) 


广 (やまひだれ) 

尸 (しかばね) 

心 (した こ >! ろ) 


夏 ^ 

延建廻 


改 

乞 


病 


收 故 


凝 ^ 

屍 居 


*- し ^  0 


漢字 は 以上の ものが 基と なって 出 來てゐ るが、 なほ 其 を 九つ の 線で 組織され てゐ る- 


—  300  — 


一 310  — 


I 點又 © 一一、 勒又盡 一一 一、 努又直 四、 翅又鈎 五、 策 六、 掠又疋 七、 啄 

八、 磔又拔 九、 戈 

この 中で 八まで を 「永」 の 字に あてた のが、 書道の 「永 字 八 法」 である。 それ は 次の やうで 

ある。 


— 3U  — 


擊の數 は 時代が 經 つに 連れて 增 加して ゐる。 I の 字書に どの位の 字が 載って ゐ るか を 時 

代に よって 見る と, 發 達の 様子が 分って 面白 レ 

^  * 代  九 三 五三  ?  V  , 

魏代  一八 一 五 〇  ^7^^^ V - S^i3^,> リ 

唐 代 二 六 一九 四 

明 代 三 三 一七 九 

f 代 四 ニー 七 四 

唐の 時代に は 「唐宋 八 大家」 等と いって、 次の 宋 時代と 共に 有名な 文章 家が 澤山 出た。 その 

中の 代表者が 八 人で、 即ち 次の やうで ある。  一 

唐 代 II 韓退 之、 柳宗元  • 

宋 t II 歐 陽修、 蘇洵、 蘇軾、 蘇徹、 酋鞏、 王 安 石 

從っ てこの 時代に S 問 も 盛んと なった ので 字 數も急激 な 增加を 示して ゐ" , 

淸は 我が 德川 時代に f、 四 萬 二 千 百 七十 四 ff て t の は 有名な 「康攀 典」 で、 之 


は 家 宣將軍 時代に 出來た 事になる。 之を漢 代の 數に 較べる と 誠に 今昔の 感に堪 へぬ とい ふと こ 

ろで あらう が、 文化の 發展 はこれ だけで は 止まない。 康熙 字典 は その後に 補修 を 加へ て 四 萬 八 

千 六 百 四十 一 字に した。 

現在、 我が 國の辭 書に のって ゐ るの は 俗字、 國字、 僞字等 を 合せる と 五 萬 を 越えて ゐ るが、 

實際用 ひるの は 約 一 萬 位で、 (小舉 校の 讀 本に は 二 千 五百餘 である。 ) その他 は辭 書に だけ 載 

つて ゐる 字で ある。 昭和 六 年 五月に 文部省の 臨時 阈 語調 查會で 常用漢字 として 定められ たの は、 

略字 も 合せて 一千 八 百 五十八 字で ある。 これ だけ を 常用して、 他 は 假名で もよ いとい ふ 事で あ 

るが、 寶際、 新聞、 雜誌 等に 出て 來 るの はこれ だけで はない。 又、 文 を 作る 時^も 不足で あ 

る。 例へば 「鮒」 「笹」 「芋」 等 は 入れて ない。 

文字と 言 ふの は 支那で は 古く 名と いったが、 春秋 時代 以前まで は义 とい ひ、 秦の 時代から 文 

字と いふ やうに なった。 


—  312  — 


割が 多くて 書きに くい 字 は 略して 用 ひられる が、 これ は 次第に 多くなる 倾向を もって ゐる。 

ァ 压 (壓) 

虽 (雖) 逡 (遠) M  (爲) を (費:) ffl  (圍) 

驟 (驛。 沢、 択、 択) 坦 (鹽) 0  (營) 塩 (^) 


ィ 医 (醫) 

ェ 円 (圓) 

才 応 (應) 

力 李 (舉) 

勧 (勸) 

キ 巨 (距) 

ク 区 

ケ 献 ハ献) 


瓮 (甕) 

画 (害.) 

厂 (雁) 

氕 (氣〕 

径 (徑) 


於、 ^  (於) 

〈十 (傘) 萑 § 


会 (會) 

旧 (舊) 

1は1 、§:ノ 

0  § 


^  (假) 関 (關) 

広 (廣) 

m  ffi) 器 (器) 挙 (舉) 胶 (脇) 教 (敎) ^8 

m  (輕) 0  (經) 俊 § 険 (險) 


n  口、 囯 (國) 号 (號) 们 (侗) 广 (廣) M  (黑) 扣 (控) 


済 (濟) 

尔 § 

条 (條) 


サ筹 (算〕 雜 (雜) 

シ 辞 (辭) 糸 (絲 ) 

^(寫 ) 昼 (書) 

渋 (ぎ 役 (從) 

ス数 (數) 酔 (醉) 

セ戋 (錢) 浅 (淺. ) 

ソ双 (雙) 続 (鑌) 

夕択 (擇) 讽 (澤) 

チ 昼 (晝) 汐 (潮) 

ッ 図、 n 面 (阖) 

テ 鉄 (鐵) 点 (點) 0  (遞) 

ト 党 (黨) 独 (獨) 当 (當) 


斉 (齊) 斎 § 参 (參) g  S) 残 (& 

0  8) 赏 (質) 状 (狀) 実 (S 

齒 (齒) 繩 (繩) 処 (處) 児 (兒) #  (壽) 

^  (所) 称 (稱) S  (盡) 来 (乘) K  (釋) 


声 (聲) 勢 (勢) 

属 (屬。 嘱) 凡 十 (卒。 悴) 0  (桑) 镇 (鼠) 搜 (投) 

対 (對) 担 (擔) 断 (斷) 胆 (膽) 休 (體) 

珎 (珍) 


稲 (稻) 徒 (徒) 読 (請) 


—  314  — 


八 廃 

b  ia、 

フ 払 

へ 辺 

ホ 宝 

マ 万 

ム 梦 

メ 麵 

ャ 尔 

ュ 史 

ョ 与 

ラ 糸 


(き 

(濱) 

(拂) 

(寳) 

(萬) 

(夢) 

(臾 0 

(與) 

(樂) 


0  (發) 

荧 (美) 

仏 (佛) 

弁 (辯) 

豊 § 

満 § 


蛮 (蠻) 拝 (拜) 麦 (麥) 

猕 (瀰)  , 一 

普 (普。 譜) 売 so 

变 (變) 并 (幷。 迸。 併。 堺。 餅) 並 (竝) 


称。 弥) m  § 

様 (様) ^  (舁) 

乱 (亂) 来 (來) 


栾 § 


-315  — 


リ 竜 (龍。 滝) 离 (離) 

儿 縐 (縷) 

レ 厂 (歷) 礼 (禮) g  (聯) 恋 (戀) 0  (麗) 灵 (靈) 励 (勵) ig 

0  (獵) 

口 炉 (爐) 楼 (樓) 労 (勞) 0  (蠛) 芦 (蘆) &  (驢) 

ヮ 湾 (灣 ), 


"柳 こ 「挈紙 こ は 狸、 台に は f のせ.」 とい ふの が ある。 これ は 使に 持たせて やった 手紙 

こ は 「今 曰 とれ S をお 目に かける」 と あるので、 ? もらって は大變 だと 恐る く 包み" 

いて 見る と、 中には 鯉が 台に のって ゐ たとい ふので、 狸と 鲤とを 書き ちがった のであった。 數 

多い 攀の 中にはよ く 似た 字が あるので、 讓を 要する。 それに は 撃の 意味 を 明瞭に 知る 必 

要が ある。 次に は 普通 使 はれる 字で 誤り 易い もの を あげよう、 


〔ァ〕 

(アイ) うつ。 ゑし やく 

(アイ) ほこり 

(アイ) かなしみ 

(チウ) まご \ ろ 


挨拶 

塵埃 

悲哀 

衷心 


I 衰 (ス ヰ) おとろ 〈 る 

M  (アイ) せまい 

I 溢 ( ィ ッ) あふれる 

〔縊 (ィ) くびる 

『露 (アイ) もや 


t 夕 

和氣 5 


I 靉 (アイ) 

ま 9 ク) 

握 (ァク ) 

"ま (ァク ) 

f 斡 (アツ) 

幹 (カン) 

r 翰 (力 ン) 

r¥ 广フ ッ乂 

^  (キゥ ) 

「粟 (ゾク ) 

(栗 (リツ) 

「按 (アン) 

【桉 (アン) 


たなびく 

四方 を とりまく 幕 

にぎる。 つかむ 

水に ひたる。 手 あつい 

めぐる 


みき 

てがみ 

さしる 

た^す 

あは 

くり 

おさ へ る _ 

なでる 

案と 同じ- 


幄舍 

握手 

優 握 


力ん 力 ハ る 


し a? 

邊地粟 散 

栗 子 

按排 


-, 

一 一一 -a 

猗 

ー椅 


根幹 j 猗 ( 

^  (ィ) 

: (ィ) 

.. (ヰ) 

一 (- ヰ) 

(ヰ) 

(ヰ) 

かんがへ る 思案 『意 (ィ) 


(アン) やみ 

(アン〕 くらい 

(アン) そらで いふ 

?ヰ〕 

(ィ) かたよる。 倚と 同じ 

あ X と 嘆く 意 

いす 

よる。 もたれる 

まく。 とばり 

た^。 それば かり 

おも ふ 

これ。 たぐ。 つな 

わけ。 こ 》 ろ 


喑黑 

一一 一-口 言 


猗嗟 

椅子 

依^ 


帷幕 


思惟 


意味 


一 318 — 


「偉 (ヰ) 

【緯 (ヰ) 

「慰 (ヰ) 

【熨 (ヰ) 

-違 (ヰ) 

逢 (ホウ) 

-遣 (ケ ン) 

:圯 (ィ) 

〔圮 (ヒ) 

、因 (ィ ン) 

囚 (シゥ ) 

回 ハク ヮ ィ) 


しま ひまで。 遂に 

なみく でない 

よこの いと 

なぐさめる 

皺 をのば す 

ちが ふ 

であ ふ 

つ 力 はす 

はし。 土の 橋 

やぶる。 もと 

よる。 ちな む 

つみびと 

めぐる 


畢竟 

偉大 偉功 

緯度 

慰安 

熨斗 

相違 

派遣 

i 己 

原因 

囚人 

回春 


(n ン) こまる 


、险4  (ィ ン) 


もの にお ほ はれた ところ 


ー芋 

一雨 

【兩 

一 干 

f 鬼 


日光の あたらぬ ところ 

(ィ ン) 陰と!: じ 

(エイ) もの-うつつ たかげ。 

す 力た 

〔ゥ〕 

(ゥ) いも 

(セン) しげる 

(ゥ) あめ 

(リ ャゥ) 二つ 

こ-にと いふ 發語 

(力 ン) を かす。 たて 

(エイ) ひく 


困苦 

山陰 道 

樹蔭 

影像 

芋田 

降雨 

兩方 

干犯 


—  319  — 


s  2 ィ) もれる  昂曳 

| 噎 (ユイ) た ふれ 死ぬ  噎仆 

I 暗 (エイ) くもる  陰噔 

| 瑩 (エイ) 玉の 一 

I 塋 (H ィ) はか  塋域 

^搖 (ユウ) ゆれる  動搖 

ー徭 (K ゥ) 政府の 土木 等の 役に つく 徭役 

| 疫 (ユキ) はやり やま ひ  疫病 

ー疾 (シッ ) やま ひ  . 疾病 

ー掖 (ェキ :>  わきの した。 わき  掖下 

一 液 (ェキ ) 木の 名 

「#2 キ) ^味 ゆ^ づ ねる  寅懌 

fc-  ならべ る  ぉ弒 

1 譯 (tt) わけ をと く  譯解 


j 鐸 (タク) す ^  木鐸 

(偉 (ェキ ) よろこぶ  ^睪 

| 謚 (ェ キ) 笑 ふさ ま 

ー諡 (シ) 死人に 贈る 名  諡號 

| 婉 (M ン) しとやか。 美し  婉麗 

1 蜿 (H ン) うねり ゆく こと  蜿蜒 

一 苑 (ェン ) 花ぞの  花苑 

一 宛 S ン) あだか も  宛然 

^ 捐 (ェン ) すてる  義捐金 

1 掼 (ソン) そこな ふ  損失 

,緣 (ェ ン) ゆかり。 ふち 緣故 緣側 

<椽 (テン) たるき  橡大の 筆 

-掾 (ェ ン) したやくの もの  書掾 


一 320 — 


- ^ 、  y^—>. 

ウテ ゥヲ 

ン ンンン 


〔才、 ヲ〕 

一 謳 (ォゥ ) た、 へ ほめる 

うつ 

はく 

かめ。 はち 


謳歌 

毆打 

嘔吐 

金 甌無缺 


おも ふ。 考 へる 憶測 記憶 

むね。 こ  ろ。 氣 おくれ 臆病 

萬の 千倍  億兆 

おだやか  穏健 

かくれる 

あた k かい 

いかる 


I! 色 


、叚 


乂 

r 艾 


) さかんな さま。 ふるわた II 袍 

) ぬの こ 

〔力〕 

(力) 力る。 力す 

かり  假定 

胄の しころ 

きた へ る  銀^ 

かる。 を さめる  乂安 


(力) 

(力) 

(タ ン) 

(ガイ) 

(ガイ) 

(ガイ) 

(ガイ) 

(ガイ) 

(ガイ) 


よもぎ。 もぐさ。 かりとる 艾康 

あらまし  概要 

なげく 

あら ひす 

そ- -1 ぐ 


—  321 — 


(街 (ガイ) まち  街路 

ー衙 (ガ) 役所  官衙 

衞 (ユイ) ふせぎ まもる  衞兵 

W  (ショ ゥ) つきあて る  衝突 

J 睚 (ガイ) がけ  斷睚 

I 涯 (ガイ) はて  生涯 

J 咳 (ガイ) せき  咳 痰 

ー該 (ガイ) そな はる。 あたる  該當 

,諧 (カイ) かな ふ  諧和 

. 階 (カイ) きざ はし  階段 

-揩 (カイ) てほん。 書體の 一  楷書 

『校 (カウ) 擧問 をす ると ころ  擧校 

一校 (カウ) はかる。 くらべる 


、恪 (カク) つ >- しむ  恪勤 

< 格 (カク) うつ。 た-かふ  格鬪 


产格 (カク) た しい  正格 

J 豁 (ク ヮッ) ひろい  豁達 

ー轄 (カツ) ものごとの とりしまり 統轄 

j 刊 (カン) きざむ。 けづる  發刊 

^  (セ ン) きる 

杆 (カン) 手すり  観杆 

干へ カン) 水 を 入れる もの  ff^I 

J- (カン) ふせぐ。 あたる  衧 相 

、.&r  C- カン ノ オの みき 

^  ^fz もとになる もの  ?も 

一 乾 (カン〕 かはく  乾燥 

【堪 (カン) たへ る。 こらへ る  堪忍 

< !: SC* カン〕 カスカ ハる  钫ぉ3 

S  ?  つき 合せて しらべる S ま 


—  322  — 


李季祗 祇覉^ 覉 覉摩麼 


—  323 — 


I 紀 (キ〕 すぢ みち。 とし  紀元 

| 氣 (キ) いき。 ありさま  氣管 

ー汽 (キ) ゆげ  汽車 

^礼 (キゥ ) ただす  礼 明 

ー糾 (キゥ ) 前と 同じ  糾斷 

| 吃 (キッ ) どもる  吃 昔 

j 屹 (キッ ) 山が そば だつ  屹立 

仡 (キ ッ) よろこぶ 

-訖 (キ ッ) を はる。 しま ふ 

(享 (キヤウ) うける 

一亨 (WM ゥ) とほる。 す&む  亭通 

(虐 (ギヤ ク) つらくあたる  虐待 

1 虚 (キヨ) むなしい。 から 虚妄 虚無 


ー湛 (タン) た-へる。 水 等を滿 たす 湛碧 


〔キ〕 

(キ) さしまねく  麼下 

(マ) こする  摩擦 

(キ) たび  SS 旅 

(キ) 前と 同じ。 覉は 俗字 

S たづな。 つなぐ  Ei^ 

(キ |>  前と 同じ。 

(t) かみ  天神地祇 

(シ) つ-しむ  祗伺 

(キ) とき  季節 

(リ) す も  >-  桃李 

(キ) しるす  記述 


j 鄕 c キヤウ) むらざと  鄕里 

i 卿 (ゲイ) 執政の 大臣  公卿 

J 協 (キヤウ) かな へ る  協同 

^  (キヤウ) おび や 力す 

馁"; -4 ゥ」 儕と 書く のが 正しい 劫 協 

~彊? ヨウ) 強い 弓。 つとめる  自彊 

ー疆 (キヤウ) さか ひ。 かぎる  疆 域 

-均 (キン) ひとしい  平均 

句 (>  ン) 三十 斤の 重みの ことで ある 句 尉 

<r ぐ- V が、 均と 同じ 意に も 用 ひる^ f 

釣 (テゥ ) 魚 をつ る  釣魚 

i 鉤 (クウ) かぎ。 まがる  釣 曲 

〔ク〕 

軀 (ク) からだ  體軀 

驅 (ク; >  かける  疾驅 


、虞 (グ) うれ へ る。 そな へる  危虞 

1 虔 (ケ ン) つ X しむ  敬虔 

| 隅 (グゥ :>  かたすみ  一隅 

一 偶 (グゥ ) 二で われる 數  ^數 


寓 (グゥ ) かりす まひ。 よせる  寓居 

掘 (タツ) ほる  發掘 

堀 あな。 ほり  堀割 

菅 (クワン) かや。 すげ  ^笠 

管 (クワン) くだ。 つかさどる  管理 

快 (ク ワイ) 氣 持が よい  快樂 

快 (ァゥ ) うらむ。 あきたらない 怏々 

懷 (ク ワイ) ふところ  懐中 


S  (ジ ャゥ) つち  土 壊 


一 324 一 


S  (ク ャゥ) はら ふ  摟夷 

f 誨 (ク ワイ) をし へ る  敎誨 

ー晦 (ク ワイ) くら い  晦闇 


I 侮 (ク ワイ) くいる  後悔 

『獲 (ク ワク) とらへ る。 魚 鳥 を 捕る 捕獲 

【穫 (クヮ クム り 入れる 收穫 

,喚 (クワン) さけぶ  叫喚 

渙 (クヮ ン) ちる。 水の 盛な 樣  涣散 

煥 (クワン) 光りか^ やく  煥發 

ー換 (クヮ ン) とり か へる  交換 

-歡 (クヮ ン) よろ こ ぶ  歡迎 

觀 (クヮ ン) みる  觀察 

勸 (クヮ y) す- 1 める  勸業 


I 鐘 (クワン) つるべ。 かま  汽錯 

罐 (クワン) 鎌と 同じに 用 ひる  罐詰 

0  (クヮ ン) そ  >- ぐ  灌慨 

霍 (クワン) よろこぶ  懼喜 

9〕 

(經 (ゲイ) たていと。 を さめる  經營 

ー徑 (ゲイ) 小さい 道  小徑 

^0  (ゲイ) たに。 たにが は  谿谷 

^  (ゲイ) もとる  ^勃 

| 皎 (ケゥ ) 月が しろい。 きょい  咬々 

,皓 (カウ) 白く 光る。 あきらか  皓々 

【澆 (ゲゥ ) うすい  澆季 

一 Sg  (ゲゥ ) さ ひ は ひ  僥 & 


一 325  — 


(撓 (タウ」 たはむ。 まがる  不撓不屈 

C ケキ) てがみ。 通吿  徼文 

ー徼 (ゲキ ) うつ  擊檄 


ー激 (: ゲキ :>  はげしい  激流 

一穴 (ケッ ) あな  洞穴 

^  0 ン ヨウ) むだ。 冗と 同じ  ^漫 

I 訣 (ケッ ) わかれる  訣別 

ー袂 (ペイ) たもと  分袂 

f 缺 (ケッ ) かく  缺席 

一 欠 (ゲン) あくび。 不足す る  欠伸 

^ 協 (ケフ ) あはせ る。 かな ふ  協力 

I 協 (ケフ :>  倚、 脅と 同じ。 おそれる 

f 狹 (ケフ ) せまい  狭隘 


(峽 (ケ 7) 山 Q 間  峽谷 

た兀 (:ゲ ン) もと  根元 

^几 (カウ) あたり ふせぐ。 たかぶる 亢進 

~舷 (:ゲ ン) ふなべり  舷側 

弦 (ゲ ン) 弓の つる  弦月 

絃 (ゲン) いと  管絃樂 


ー泫 (ゲン) 淚を 流す こと  泫然 

一 遣 (ゲン) つか はす。 やる  派遣 

一 遺 (ヰ) のこす  遣 言 

驗 (ゲン) ためす  經験 

儉 (ゲン) つ 、ましい  儉約 

嶮 (ケ ン) け はしい  嶮蛆 

i 險 (ゲン) あや ふい  危險 


—  326- 


ト人、 とらへ る 

撿 (ゲン) とり レ まる 

(ケ ン) しらべる 

「倦 (ケ ン) あきる 

【捲 (ケ ン〕 まきあげる 

f 卷 (=) まく 

一 券 (ゲン) てがた 

一 券 (ゲン) つかれる 

、視 (. ゲン) す^り 

(碩 (セ キ) お ほい 

「孤 (コ) ひとりもの 

弧 (コ) 圓の 一 部分 

狐 (コ) きつね 


撿束 捡校 

檢査 

倦怠 

捲土重来 

一 卷 

. 债券 

筆 lot? 

碩擧 

孤兒 


| 壷 (コ) 

(壺 (コン ) 

惧 S 

娛 (ゴ) 

誤 (ゴ) 

(侯 (コゥ ) 

一 候 ( n ゥ) 

j 互 (コゥ ) 

一 一旦 (クヮ ン) 

j 構 (コゥ ) 

I 構 (-コ ゥ) 

| 腔 (カウ) 

I 控 (コゥ ;" 


つぼ  金壺 

宮中の 道  奧壶 

あざむく。 あやまる 

たのしむ  娘樂 

あやまり  誤解 

大名。 侯 餺 

うう ヾ?^ 

わたる 

もとむ。 桓と じ 

かま へ る 

ひつば る 

內 のからの こと  腔 腸 

ひかへ る  控除 


述互 


糸 ネ 


一 327 — 


j 寇 (コ ゥ) あだ。 害 を 加へ る  寇敵 

一 冠 (クヮ ン) かんむり  加冠 

『饭 (n ゥ) つね  恆久 

ー恒 (コゥ ) 前の 俗字 

『悃 (コン ) まご、 ろ  悃望 

ー捆 (コ ン) うつ。 た \ く  捆縛 

j 懇 (コン ) ねんごろ  昵懇 

1 墾 (コン ) たがやす  開墾 

. 〔サ〕 

、蝶 (サ) 山の け はしい 機  峨嵯 

< 嗟 (サ) なげく  嗟嘆 

槎 (サ) いかだ 

f 採 (サイ) とりいれる  採用 


彩 (サイ) いろどる  彩色 

f 裁 (サイ) たちきる。 さばく  裁鏠 

【栽 (サイ) う ゑる  盆栽 

へ 操 (サゥ ) あやつる。 みさを  操縱 

-繰 (サゥ ) 手で くる  繰 業 

噪 (サゥ ) さわがしい  喧噪 

,燥 (サゥ ) ものが かはく 焦燥 乾燥 

f 藪 (サゥ ) やぶ  藪澤 

【藪 (ス) 十六 年の こと 

「莊 (サゥ ) おごそか  莊齩 

【壯 (サゥ ) さかん  壯年 

『槍 (サゥ ) やり。 鎗の 俗字  槍術 

一 槍 (サゥ ) かすめとる  捨奪 


—  328- 


やり 

つめ 

うり 

こ ろす 

寺 

さる 

はぢ 

ほめる。 たすける 

た^-へ ほめる 

きる。 深く き はめる 


I 鐘 (サゥ ) 

I. 爪 (サゥ ) 

I 瓜 (クヮ ) 

一 殺 (サッ ) 

I 刹 (サ ッ) 

曙 (ザ ン) 

ー慚 (ザ ン) 

【黉 (サ ン) 

-讚 (サ ン) 

I 鑽 (サン) 

『孜 (シ) つとめ はげむ 

ー牧 (ポク) 家畜 を かふ 


爪牙 

瓜田 

名刹 


赘助 

管 W 

研缵 

孜々 


/侍 (ジ) 

恃 (ジ) 

待 (タイ) 

持 (ジ) 

峙 S 

一 侈 (シ) 

一 移 (イリ 

I 紫 (シ) 

ー柴 (サイ) 

J 刺 (シ) 

W  (ラッ ) 

J 市 (シ) 

C フッ ) 


はべる。 貴人の 则にゐ る 侍 ほ 


たのむ 

まつ。 もてなす 

もつ 

山 や 岩が そば だつ 

おごる 

うつる 

むらさき 

しば 

さす 

もどる。 そむく 

まち 

ひざかけ 


吟寿 

待命 接待 

持參 

峙立 

: 奢侈 

多き 

名刺 

市町 


329  — 


,朿 (シ) 

(ソク ) 

ー識 (シキ ) 

織 (シ ョク) 

'0  (シ ョク ) 

「証 (シ ャゥ) 

1 證 (ショ ゥ) 

「場 (ジ ャゥ) 

(ェキ ) 

「商 (シ ャゥ) 

I 商 o アキ) 

【瀉 (シャ ) 

I 潟 (セキ ) 


とげ 

たばねる 

しる 

をる 

仕事 

いさめる 

あ 力す 

ところ。 ばしょ 

あぜ。 くろ 

あきな ふ 

滴と 同じ 

X  く は く 

うら。 かた 


「藉 (シャ ) 


朿帶 

失識 


證文 

敎場 

疆場 

商人 

吐瀉 

干潟 


セ キ 

シ ャ 


「檣 (シ ャゥ) 

【牆 (シ ャゥ) 

f 詳 (シ ャゥ) 

I 祥 (シ ャゥ) 

「猖 (シ ャゥ) 

^ ヨウ) 

^0  (シ ュ ク) 

I 蕭 (七 ゥ) 

(俊 (シ ュ ン) 

g  (シ ユン) 

^  (シ ュ ン :> 


草 をし く。 かりる 

なぐさめる 

かいた もの。 ふみつける 

ほばしら 

かきね 

く はしい。 つまびら か 

めでたい 

あばれくる ふ 

獸の 一  猩々 

つ-^ しむ 

ものさびし い 

Jy  く^1 る 

心 を 改める 

を はる 


慰藉 

書籍 

檣 竿 


羊 一 

1!=n え 


祥雲 

昌陝 

猩紅熱 

穿 「丄 

蕭條 

俊才 

改悛 

竣工 


—  330  — 


先 嘱恩殖 梳竦戰 舛ー均 衝徐除 
蹤目宫 民 樹然悚 錯升衡 突 行 外 


^  (シ ュ ン) 

^  (シ ュ ン) 

「醇 (ジ ュ ン) 

ば S ュ ン) 

【塵 (ヂン ) 

シ ュ 


さら ぷ 

け はしい 

きょ い 

くり かへ し說く 

ほこり 


騫 ^ ス 

儒 9 ュ ) 

濡 (ジ ュ ) 

襦 (ジュ ) 

戎 9 ュ ゥ) 

戒 (カイ) 

緖 (ショ ) 

渚 つ !o 


大きい 鹿。 この 尾 は 塵を拂 

ふとい ふので 拂子を 作る 

擧者。 孔子の 舉問 

ぬれる 

はだぎ 

えびす 

いましめる 

いとぐち 

水ぎ は 


浚搽 

急峻 

淸醇 

諄々 

塵埃 

营 

霊學 

染濡 

Tf- 一  3  、  二  J 

符ぞ 

戎人 


除 (ヂョ ) 

I 徐 (ジョ ) 

W  (シ ョ ゥ) 

I 衡 (カウ) 

J 升 (ショ ゥ) 

I 舛 (セ ン) 

J 悚 (シ ョ ゥ) 

一 竦 (シ ョ ゥ) 

【植 (シ m ク •) 

^0  (シ ョク) 

ー屬 (ゾ" ク) 

I®  (シ ョ ク) 

HK  (ショウ) 


のぞく 

しづか 

つく 

た ひらか。 はかり 

ます。 のぼる 

そむく。 みだれる 

ぞっとす る 

っ^-しむ。 そびえる 

う^る 

ふやす 

從 ひつく 

よせつける 

あしあと 


一 331 ― 


侵 浸 蹴 
入 水 球 


I 瘁 (ス ヰ) つかれる  盡瘁 

、推 (スキ ) おす  推量 

、堆 (タイ) うづた かい  堆積 

.椎 (ッ ヰ) つち  鐵椎 

ー陲 (スキ ) 國の はて  邊陲 

一睡 (ス ヰ) ねむる  睡眠 

I 帥つ. ヰ 一 ひきつれる  帥先 元帥 

ー師 (シ) 先生。 軍隊  師父 師圓 

〔セ〕 

一晴 (セィ ) はれる  晴天 

I 睛 (セィ ;* ひとみ  畫 龍點睛 

f 齊 (セィ :>  そろ ふ  一 齊 


齋 (サイ) ものいみ。 まつる 齋戒 書齋 


(シ ユウ) ける 

(シン) ひたす 

(シン) を かす 

(シン) はかる 

(カン) 考 へる 

(ジン) はやい 

(ジン) たづね る 

(シン) おどろく 

(シン) 口び る 

〔ス〕 

,悴 (ス ヰ) つかれる。 うれへ る 

淬 (サイ) つとめる 

粹 (ス ヰ) よりね き 


あ 1M 

迅速 

訊問 

脣頭 

憔悴 

精粹 


—  332  — 


借 悼背脊 天井 性 姓 砂 抄 抄 進 徒 
家惜 後^井 泉 質 名利 歳 本陟涉 


ー涉 (セゥ ) 

陟 (チヨ ク) 

_ 抄 (セゥ ) 

杪 (ぺゥ ) 

一砂 (サ) 

J 姓 (セィ ) 

一 性 C セィ) 

J 井 (セィ ) 

一 丼 S 

J 脊 (セ キ〕 


ィ 


^  (セ キ) 

k  日 o ゾャ) 


わたる 

髙ぃ處 にの ぼる 

うつす。 かすめとる 

木の さき。 すゑ 

すな 

名字 

うまれつき 

ゐど 

と^ p ぶり 

せなかの 骨 

せなか。 うしろ 

をし む 

かりる 


、ss  c: セ キ) 

as  (セキ ) 

漬 oo 

g  (セ キ) 

(セ キ) 

哲 (セ ッ) 

晳 (セ キ: > 

哲 (テツ) 

折 (セッ ) 

お (セキ ) 

柝 (タク.) 

一 囁 (セ ッ) 

ー攝 (セ ッ) 


てがら。 つむぐ 

昔の あと 

つける 

つ もる 

か はら。 砂 はら 

てらす。 あきらか 

は つ きり 見える 

あきらか。 さとい 

をる 

わける 

拍子木 

さ^-やく 

とりいれる 


功 綾 紡績 

漬物 浸 漬 

铙 雪 

碛礫 

昭哲 

白 晳 

分析 

^柝 

證 

.1 掭取 


一 co3 一 


さら 4 

しめし あはせ る 

しゃべる 

かくれし のぶ 

わるがしこい 

分限 を こえる。 みだす 

料理。 食事の 臺 

なほす 

えらぶ 

詩 や 文 を 作る 

ぜに 

ふむ 

別れの 時の 送り もの 


喋々 

潜伏 


食瞎 


? ^擧 

撰 文 

金錢 


賤 (セ ン) いやしい 

I 棧 (サン) かけはし 

宣 (セ ン) のべる 

宜 (ギ) よろしい 

〔ソ〕 

粗 (ソ) あらい 


餞 


另 


祖 (ソ) 

阻 (ソ) 

姐 8 

『疎 (ソ) 

疏 (ソ) 

(ソ) 


ねんぐ 

はぐみ とめる 

け はしい 

うとい 

とほす 

野茱 

うつたへ る 


訴蔬疏 疎 險阻租 粗 
訟茱通 遠 UE 止稅末 


便 宣棧卑 
宜 言道賤 


一 334 — 


義 損率 率 兵 側 測 惻則 含含詐 
捐害先 直卒近 量隱度 嗽漱僞 


严詐 (サ) 

J3g  (ソゥ ) 

I 嗽 (ソゥ ) 

M  9 ク) 

, (ソク ) 

0  (ソ ク) 

0  (ソク ) 

ー卒 (ソッ ) 

一 率 

一 損 (ソ ン) 

ー捐 (ェ ン) 

【噂 (ソ ン) 

一 禅 9 ど 


リ ッ 

ソ ヅ 


いつはる 

うが ひ をす る 

せき。 うが ひ を 砍1亥 

する  嗽 嘆 

すな はち。 のり。 てほん 

力なし も 

はかる 

そば。 かたはら 

おへる。 しもべ 卒業 

ひきつれる。 したが ふ 

さきだつ。 さっぱりす る 

少く なる。 へる 

すてる 

うは さ 

たる 


0  9 ン) へりくだる。 おさへ る 

〔タ〕 

(ダ; >  なまける 

(ダ) ほそながい 

(タイ) 星の 名 

(タイ) うてな 

(タイ) からだ 

(ホン) あらい 

一 態 (タイ) ありさま 

ー黨 (タウ) たぐ ゐ。 なかま 

I 党 (タウ) 人の 名 

(撓 (ゼゥ ) た わむ。 くだける 

I 撓 (タウ) みだれる。 た ゆむ 


i  (=) うすい。 そ、 ぐ 繞季 


I 棹 (タウ〕 舟の さほ  棹 舟 

悼 (タウ) いたむ  悼惜 

掉 (タウ) ふる ふ  掉尾 

ー綽 (シ ャク) ゆるやか  踔々 

I 擢 (タク) ぬき 出る  拔濯 

I 濯 (タク) あら ふ  洗濯 

ー潭 (タ ン) ふち。 ふかい  深潭 

ー譚 (タン) 談と 同じ。 はなし  物譚 

暖 (ダン) あた^-かい  溫暖 

緩 (クワン) ゆるい  緩滯 

ー煖 (ダ ン) あた、 まる  煖房 

r 歎 (タン) 悲しんで なげく  悲歎 


I 嘆 (タン) 感じて なげく  感嘆 

^ 疸 (タン) 身が 黄色になる 病  黄疸 

ー疽 (ソ) 惡 性の はれもの 

【端 (タン) はじ  尖端 末端 

ー湍 (タン) 水流の 急な ところ 湍瀨 急湍 

1. 喘 (=) あへ ぐ。 ぜんそく 喘々 端 息 

【 探 (タ ン〕 さぐる  探 s 

一 深 (シン) ふかい  深遠 

一 擔 (タン 〕 にな ふ  擔任 

ー膽 (タ ン) きも  膽カ 

ー擔 (タ ン) うすい  溏泊 

ー檐 (ユン) のき  檐端 

^0  (セ ン丫 みる  瞻望 


一 336  — 


I 章 (タン) 

1 簟 (テ ン) 

^  (ダン) 

ー叚 (力) 

J 鍛 (タン) 

f 旦 9 ン) 

ー且 C シ 3 

(タ ン) 

狙 (ソ ) 

M  (タ ン) 

S  (工^ 


はこ 

竹の むしろ 

きざ はし 

力り る 力す 

きた へ る 

しころ 

あさ 

から。 しばらく 

た t -。 た^し 

ねら ふ 

た ひらか 

かきね 


簞笥 

簞牀 

階段 

鍛冶 

元旦 

苟且 

狙擊 

平坦 

垣內 


〔チ〕 


一智 (チ) 

一知 (チ) 

| 畜 (チク ) 

ー蓄 (チク ) 

{ 茶 (チヤ) 

1 荼 (ト) 

一 摘 (チ ャ ク) 

1謫 (タク) 

『仲 (チュウ) 

す (チ J ゥ) 

冲 (チュウ) 

注 (チ ュ ゥ.) 

I 註 (チ ュ 5 


ちゑ。 さとい 

しる 

やしな ふ 

たく は へ る 

お茶 

野の 草の 名 

長男 

とがめる 

なか。 第二 

や はらぐ。 おき 

沖と 同じ 

そ^-ぎこむ 

ときあかす 


智勇 

知覺 

家畜 

蓄音機 

茶屋 

嫡男 

謫居 

仲兄 

冲 天 の 勢 

注入 

註^; 


一 337 — 


ー冡 


I 著 

J 筋 

一 沈 

1 枕 

3 


(チョウ) もりつち。 墓  冢子 

(ボウ) 覆 ひかぶ せる 

(チョウ) めしあつめる。 しるし 徵兵 

(ビ) 力す 力 

(チョウ) こ らす 

(U ク) 本 を 作る。 つく 到 著 

(チヨ) はし 

(チヨ ク) と & のへる。 いましめる 

(シ ョク) かざる 

(チン) しづむ 

(チ ン) まくら 

〔テ〕 

(ティ) やしき  邸宅 


懲戒 

著作 

戒餘 

沈沒 


话級 

抵抗 

底流 

根柢 

牴觸 

呈上 


啼鳴 


桃花 


一 338 — 


仁 怒 诸堵 屠賭睹         轉 詔 夭 

號 岸 列 殺博視  倒 諛折 


渚 堵 屠赌睹 


^  (テ キ j 

'0  (テ キ) 

i へ テキ 

M  V チヤ ク 


、迭 (テ ッ) 

お V イツ) 

、撤 (テ ッ) 

撤 (テ ッ) 

0  (テツ) 

^0  (テ キ) 

I 趣 2 ゥ〕 

ー傳 (デ ン) 

一 傅 (フ) 

f 天 (テ ン) 


つまむ。 えりと る 

水の しづく 

あと k り 

力 はる 

なくなる。 ちる 

とほる 

とり 除く 

車の あと 

ぬき 出す 

ひかり 

つたへ る 

か しづく 

そら 


摘出 摘耍 

雨滴 

. 交迭 

亡 S 

徹夜 

車 轍 


傅育 

天上 


(夭 (ェゥ ) わかじに 

J 詔 (テン) へつら ふ 

ksut) うたが ふ 

^ 轉 (テン) ころぶ 

一 囀 (テ ン) さへ づる 

〔ト〕 

(ト) みる 

(ト) かける 

(ト) ころす 

(ト) かきね 

(ショ ) なぎさ。 みぎ は 

、怒 (ド) おこる 

r 恕 (ヂ ョ〕 おも ひやる 


—  339  — 


癡 m 排 俳 徘 


紙撚 撚糸 

燃燒 

惱殺 

頭腦 

蓄膿症 

^厚 

俳 回 

俳優 

排斥 

廢止 

瘦疾 


(トウ) 

(トウ) 

(トウ) 

(ュ) 

(ト ゥ) 

(トウ) 

K ゥ 

シャゥ 


杓 (トツ ン 

r 納 (ナ フ) 

〔ネ〕 

嚀 (ネ i 

r 寧 (ネ ィ〕 


ふぢ  藤 花 

竹に 似た 蔓 生の 植物 籐椅子 

ぬすむ  偷安 

たのしい  愉快 

あがる  騰貴 

うつす  謄寫 

子供。 しもべ  僮 僕 

V 力 o 力れ る  々> ズ 

あこがれる  懂情 

話 力 下手  twrs 

吶と 同じに も 使 ふ  ^お 

を さめる  钠人 


寧と; H: じ。 ねんご 

ろ。 やすらか 

ぬかるみ 


安寧 丁 # 


f 燃 (ネ ン) よる 

一 燃 (ネ ン) もえる 

〔ノ〕 

一 惱 (ナウ) なやむ 

ー腦 (ナウ) 頭の 中の もの 

I 膿 (ナ ゥ) うみ 

一 濃 (ノウ) こい 

S 

(ハイ) さまよ ふ 

スィ) 藝人 

(ハイ) おしのける 

(ハイ) すたれる 

(ハイ) なほらぬ 病 


一 340 — 


ー賠 (バイ) 

1 陪 a イリ 

p»  (ハウ) 

ー膨 (バ ゥ) 

ー貌 (バさ 

一 JS  (ゲイ: * 

、傍 (バウ〕 

-0  (バウ) 

榜 (バ ゥ) 

I 薄 (ハ ク) 

ー簿 S 

國 (ハ ク) 

拍 (ハク) 


つぐな ふ 

かさなる。 はべる 

水の 盛な 様子 

ふくれる 

かたち 

し&。 猊 と!: じ 

かたはら。 そば 

舟 を こぐ 

むち。 ふだ 

うす い 

帳面 

力し は 

うつ 


賠償 

陪臣 

講 


I 粕 (ハク) 

ッ 


捞人 

校 札 


簿記 

松柏 

拍手 


沫, マツ 

沬 (バイ) 

伐 (バ ッ) 

筏 (パ 5 

筏 (ハイ) 

伴 (ハ ン) 

»  (ハ ン) 

袢 (ハン) 

氾 (ハ ン) 

犯 っノ ン) 

挽 (バ ン) 

j 使 a ン) 


力す 

あは 

うす あ 力り 

うつ 

-S 力た 

しげる 

とも。 なかま 

な は。 つなぐ 

したぎ 

水が あふれる 

罪 をお かす 

ひく 

つとめる 


系 絆 


水沫 


半^ 

絆創^ 

襦袢 

氾濫 

i 


—  341  — 


健披 祕疵庇 繙燔播 斑 班 分 
波 見 密瑕護 讀肉種 點長娩 

撫 撫仆訃 貪 貧 瀕颦擯 賓糜縻 


憮撫 仆言ト 貪 贫瀕耀 擯貴麼 
然 育伏電 慾 困繁蹙 斥賓爛 


波披秘 祕疵庇 


I 娩 (ベ ン) 子供 を 生む 

^ 班 (ハ ン) くみ。 れつ 

1 斑 (ハ ン) ぶち。 まだら 

i 播 (バ ン) まく 

燔 (ハン 3 やく。 あぶる 

繙 (ハン) ひもとく。 本 を あける 

〔匕〕 

< 'ヒ)  力 はふ 

(シ) きす。 そこな ふ 

(ヒレ  力く す 

(ヒ) 祕の 俗字 

(ヒ) ひらく 

(ハ) なみ 


(ビ〕 な は。 つなぐ 

(ビ) た 丈れ る 

(ヒン ) お 客 

(ヒン ) おしのける 

(ヒン ) 顔をしかめて 心配す る 

(ヒ ン.; L^ohv 

(ヒン ) まづ しい 

(ドン) むさぼる 

〔フ〕 

(乙 死の 通知 

(フ) た ふれる 

(ブ) なでる 

(プ) ぼんやり する 


一 312 — 


SI 檩 ^慄货 弊 白紛愤 喷吻刎 

然示流 t  ?- 幣害 粉援激 出 合 頸 

一 343 — 


扮 佛拂沸 趣 赴 幅輻重 回 胃 立 
裝 敎底騰 味 任 员輳複 復腸腹 


S 標 感, 隨 幣弊 粉紛1 &噴吻 勿 IJ 


腹 (フク) はら 

I 腸 (チャウ) はらわた 

J 復 (フク) かへ る。 ふた \ び 

ー複 (フク〕 かさなる 

^0  (フク) 車の 中心からの 矢 

1 幅 (フク) は 

一 赴 (フ〕 ゆく 

一 趣 (シ ュ) おもむき 

、沸 (フッ ) わく 

-拂 (フッ ) はら ふ 

,佛 (ブ ッ) ほとけ 

扮 (フン) 木の 名 

ー扮 (フン) かきまぜる。 いでたつ 


(フン) ま ュ る 

(フン) くちびる 

(フ ン) ふき 出す 

c フ ン) 立腹す る 

(フン) 入りみ だれる 

(フン〕 こな 

〔ぺ〕 

(ヘイ) やぶれる 

(ヘイ) ふだ。 ぬ さ 

(へ ゥ) すばしこい 

(へ ゥ) た^ょ ふ 

(へ ゥ) しるし 

(へ ゥ〕 ひるが へる 


I 縹 C へゥ) うすい 藍色。 ひるが へる 様 

SC へキ) かべ 

im  (へ キ) たま 

一 劈 (へ キ) つんざく 

一癖 (へ キ) くせ 

#  (へ S かたよる。 ひがむ 

^ 蔑 (ベ ッ) あなどる 

ー篾( ぺッ) 竹の 皮 

一 辯 (ベ ソ) のべる 

I 辨 (ベ ン) わき ま へ る。 わける 

!瓣 (ベ シ) はなびら 

ー辮 (ベ ソ) むすぶ 

f 偏 (ヘン) かたよる 


雙璧 

劈頭 

惡癖 


侮蔑 


辯 論 


J. 匕睑 

t ィ加 


辮髮 


(へ ン」 あまねく ゆきわたる 。たび 遍歷 

短篇 

(へ ン) あむ。 あみつ くる  編纂 

〔ホ〕 


(ヘン: >  一 っ^り の 本 

文の 數を あら はす 


S 

S 

(ホ) 

(ホ) 


戊 

i 戌 (ジ ュ ッ〕 いぬ 


みせ 

午後 時 „ 

うら 

とら へ る。 

たすける 

おぎな ふ 

やしな ふ „ 

つちのえ 


夕方 


つかま へ る 


たべる 


店舗 


饨 ち 

戊 夜 


一 344 一 


n  m 悖 涝 枚牧 下 樸撲扑 仆 
沒^  m  ;李 數畜 僕 赏殺撻 臥 


逄逢 栂拇母 


衛戌 j 仆 (フ) 

歳暮 I 扑 (ポク) 

, 募集 撲 (ポクし 

敬慕 樸 (ボタ) 

父母 僕 (ポク) 

母 望の 福 1瑛 (ポク) 

拇指 j 牧 (ボタ) 

I 枚 (マ ィ) 

逢會 | 淳 (ボッ ) 

I) 

蜃 (ボッ :> 

萠芽 ー沒 (ボッ ) 

素朴  〔一 


た ふれる 

うつ。 た i く 

うつ。 た、 く 

飾らない 

自分。 しもべ 

玉 

牛馬 等 を かふ 

數 へる 時に 用 ひる 

さかんにお こる 

もどる 

死ぬ 

沈む 


产戌 (ジ *  j まもる 

、暮 (ボ) くれる。 くらす 

募 (ボ) つのる 

慕 (ボ) した ふ 

『母 (ボ) は X 

(! 0 なし。 打消の 意 

(ボ) おやゆび 

(國 宇) つげ 

(ホウ) であ ふ 


(ハウ) 

崩 (ホウ) 

萠 (ホウ〕 

( 朴 (ポク) 


人の 名の 1 

く づれる 

もえ 出る 

表面 を 飾らない 


一 345  ― 


^ 沬抹未 末 昧昧盂 孟遇邁 磨 摩 


(マ) なでる 

(マ) みがく 

(マイ) すぐれる 

(グゥ ) あ ふ 

(マウ) もの X はじめ 

(ゥ) おわん 

C ハツ) くらい 

(マイ) おろか 

(マ ッ〕 すゑ 

S ひつじ。 いまだ 

(マツ) なでる。 こな 

(マツ) しぶき 

(マツ) まぐ さ 


英邁 

遭遇 

孟春 

盂蘭盆 

愚昧 

末代 

未明 

抹茶 

飛沫 

糧秣 


摩擦 I 秣 (マツ) 

a  (マン) 

曼 (マン) 

曼 (マ ン) 

0  (マ ン) 

^0  (マ ン) 

幔 (マン) 

S  (マ ン) 

漫 (マ ン) 

蔓 r マ ン) 

、滿 (マ ン) 

瞞 (マ ン) 


支那の 地名 

う なぎ 

ひろい。 ながい  曼衍 

おそい 

あなどる  嫂 罵 

こて 

まく  慢幕 

たかぶる  自馒 

そ^ろ。 あても ない  漫歩 

つる。 のびる  蔓延 

みちる  滿腹 

くらます。 だます  碟着 


一 346  — 


妙瞑暝 蜂 祕自已 眛美 憂 
案默晦 蜜 密已然 者 味 懣 


們 艨^ 際 溁摸模 野免眇 
m 艟眯 flii 雨擬範 兎許視 


蜜 密己已 


I 眇 

j 免 

I 兎 


r 摸 

f 濛 


る 


(ぺゥ ) すがめ 

(メ ン) ゆるす。 のがれる 

(ト) うさぎ 

〔モ〕 

0 てほん。 かたどる 

(モ) さぐる。 まね をす る 

(モウ〕 こさめ 

(モウ〕 おぼろ 

(モウ) くらい 

(モウ) S 

(モ ン) など。 等と 同じ 

r モン: >  さすお もつ。 なでる 

〔ャ〕 


l 慂 (マン) もだえる 

「■ ミじ 

一味 (ミ) ぁぢ 

ー昧 c マイ) おろか。 

f 已 T) へび。 十二支の j 

(ィ: >  すでに。 やむ。 のみ 

rn) おのれ。 つちのと 

十干の 一 

で、、 ッ〕 ひそか 

(ミツ) みつ 

暝 (メイ) くらい 

0  (メイ) 目 をつ ぶる 

/妙 C メゥ) たへ。 りっ^ 


一 347 — 


八 


舆 

丁 


予舆贈 
犟論與 


隔融 遊游平 
離 解 覽泳癒 


渝揶愉 
易 揄 快 


偷謊比 
盜吿喩 

' ^ 、  ,  " ^ S 

予舆與 


「揶 (ャ) からか ふ 

厂椰 (ャ〕 木の 一種 

,陽 (ャゥ ) ひ。 ひなた 

揚 (ャゥ ) やなぎの 一 種 

揚 (ャゥ ) 上に あがる 

-. 暢 (チャウ) のびる 

-洋 (ャゥ J> 大きい 海 

佯 (ャゥ ) いつはる 

-徉 (ャゥ ) さまよ ふ 

4  . 〔ュ〕 ^  r 

^(ュ ) たと へる 

餘 CO  さとす 

偷 (ュ) かすめる 


椰子 

太陽 


太洋 

佯言 

彷徉 


愉 (ュ) こ  >- ろよ い 

^  (ュ) 力ら 力 ふ 

0  CO  か はる 

險 (ュ) こえる 

I 癒 (ュ) 病が なほる 

、游 (ユウ〕 およぐ 

r 遊 (ユウ) あそぶ 

、融 (ユウ) とける 

f 隔 (カク) へ だてる 

S 

(ョ) あたへ る 

c-ョ) こし 

(no  自分 


一 348 — 


I 矛 (ム) ほこ 

I 痒 (ヨウ) かゆい 

ー庠 (シ ャゥ) やしな ふ。 學校 

J 慾 (ョク ) のぞむ 心 

I 欲 (ョ ク) のぞむ 

J 抑 (ョク ) おさ へ る 

I 仰 (ギヤ ゥ) 上 をむ く 

0フ〕 

『來 (ライ) くる 

徠  來の 古い 字 : 

萊 (ライ) あかざ。 草 むら 

0  (ラ ッ: >  もどる。 そむく 

刺 r シ) さす。 とげ 


矛盾 

痛痒 

庠序 

慾 望 

欲求 


来遊 


荒萊 


、瀬 (ラ ィ) 

, 、? 

「懶 (ライ) 

t 傾 (ラ ン: > 

-洛 o フク) 

^  0 フク) 

^  (カク) 

^  0 フク) 

M  0 フ ク) 

^  0 フチ〕 

^  (ラ ン) 

is  (ラ ン. > 


せ。 早い 流 

誤字 

きら ふ 

おこたる。 なまける 

洛 陽と いふ 支那の 都 

やく 

喀と 同じに 誤用す る 

く. >| る。 からむ 

おちる 

低い 垣 

とる 

とり 行 ふ 

木の 名 


鯉 魚 

草籬 

溜飮 

柯 T ィ 

琉瑠 


淸凉 

i 累 

掠奪 


欖 (ラン) とも づな  解纜 

藍 (ラ ン) ぁゐ  藍色 

籃 (ラ ン) かご  搖籃 

濫 (ラン :>  ぼろ  |樓 

^  (ラ ン) みだり  濫伐 

〔=0 

o) うら。 なか  裏面 庫裏 

(クヮ ) つ、 む  包裹 

?.) さと。 ゐなか  俚謠 

S たぬき  狐狸 

(リ: >  をさむ。 すぢ  理論 

裡 0〕 うち。 裏と 同じ 庫裡 留裡 

0  (リ) たぬき。 と 同 t  虎貍 


(リ) こ ひ 

= 離 (リ) 草の 名 

I 籬 (リ) まがき 

W  (リウ) した &る。 たまる 

ー檔 (リウ) ざくろ 

ー瑠 (リウ) 寳 石の 一 種。 琉と M じ 

瘤 (リウ) こぶ 

1 騮 (リウ: >  馬の 一種 

【凉 (リ ャゥ) す^しい 

一誌 (リ ャゥ) まこと。 思 ひやる 

(リ ャク) かすめとる 

(口) あし 

(0)  爐、 蘆 等と 同じに H= ふ 


—  350  — 


揪淋璘 燐磷瞵 i 躪稟 禀炅良 g 


、J  y 


9  V 


へ , ヽ 


壘 累樓縷 


) いほり  廬舍 

ゥ) よい  良才 

) と^まる。 うし とら  止 見 

) 次の 俗字 

〕 米 ぐら。 うける 倉稟 天稟 

) ふみにじる  蹂躪 

) きしる 

) となり  隣家 

) 石の 間 を 流れる 水 

) 鬼火。 怪火。 鑛 物の 一 燐火 

^ 玉の 光  班璘 

) さびしい。 ながあめ 淋雨 

) 玉の 一 。 玉の 音 


沈淪 

人倫 

高 櫻 

累計 

堡壘 

髿 


-淪 (リン) しづむ 

論 (。ン ) のべる 

倫 (リ ン) たぐ ひ。 人の 逍 

M  ? ン) ふとい 糸。 お ほづな 

S 

(ル) 糸の 筋 

(ロウ) た 力 やぐら 

(ルイ) かさなる 

(ルイ) とりで 

〔レ〕 

燎 (レゥ ) か ^りび 

K  (レゥ ) こ k ろよ い。 あきらか 

瞭 (レゥ ) あきらか 


一 351 — 


敏 (; レゥ) 

療 (レ ゥ. - 

一 僚 ハレ ゥぃ 

J 怜 (レイ) 

一 冷 (レイ) 

、襟 (レ キ) 

櫟 (リ ャク 

碟 (レ キ) 

(レ キ) 

J 冽つ ッ) 

ー洌 (レ ッ) 

0  (レ ン) 

煉 (レ ン) 


みだれる 

なかま 

づぐれ る 

凉 しい 

くぬぎ 

くすぐる 

こいし 

うごく。 こえる 

さむし。 つめたい 

きょ い 

木の 一 種 

ねる。 火で とかして ねる 


治療 

同僚 


寒冷 【艢 (D) 

?  (so 

J  (。) 

I  (。) 

^  (口) 

一 (o 


(レ ン) ねりぎぬ a ねる  練達 

(レン) やき を 入れて ねる  鍊磨 

〔5 

(口)  やぐら。 舟 を 漕ぐ もの 櫓聲 

舟の 後の方  舳艘 

こす  應 

はぜ〕 はじ  黄瀘 

ゐ ろり  爐逯 

あし。 よし  蘆 荻 

舟の 後。 とも 

ろくろ  轆轤 

ゐ ろり。 爐と 同じ 

やす り 


一 352  — 


勒 お 

高樓 


驢 (0) 馬の 一 種 

、樓 (ロウ) たかどの 

樓 (。ゥ ) ひきあつ める。 ひきよせる 

ま (P ゥ) 草の 名 

、矓 (。ゥ ) 曰の 出 

L 朧 (。ゥ ) おぼろ 

「錄 (。ク ) しるす  記錄 

祿 u ク) さ ひ は ひ  一 ifg 

睡 (D ク) 少 いこと  碌々 

「籙 (。ク ) やなぐ ひ。 矢 を 入れる もの 

(P ク) 本箱 


f 枉 (ヮ ゥ) まげる 

旺 (ワウ) さかん 

汪 (ワウ: >  水の 廣ぃ 様子 

捥 (ヮ ン) ねぢる 

椀 (ワン) 木製の 小さい 器物 

腕 (ヮ ン) うで 

|彎 (ヮ ン) ひく。 まがる 

In  (ワン〕 海の 入江 


一 五、 難讀の 漢字 


大抵の 漢字に は 「音」 と 「 訓」、 即ち 「音 讀み」 と r 訓讀 み」 とが ある。 音と は 字の 音で 支 

那で發 音され た 通りの 讀み である。 訓と. に 漢字 を 我が 國の 言葉に あてはめた 讀み である。 例へ 

•±、 


31; 


言 


音 


こく 

くろ 

き 

しるす 


ま 


I 音 

一音 

产 1 


ぐし 

むれ 

じょ 

たす. 


音に ついて 言 ふと、 時代に 依って 同じ 一 つの 字の 音に も 變遷が ある。 これ は 我が 國 でも ある 

ある 

ことで、 昔の 111 一口 葉と 今のと は 違って ゐる のが ある。 例へば、 今 は 「歩く」 とい ふが、 昔 は 「あ 

りく」 であった。 殊に 現在 支那で 用 ひられて ゐる 漢字の 音 は 全く 違 ふので、 地名に しても、 北 


一 354  — 


in 

1 / 
頃/ 

音 音 音 

m 

みめみ 
や 

ん いう 

明 

あ 力 * ざ 
や 

ん うう 

行 

きけ き 
や 

ん いつ 

京 

きけ き 
や 

ん いつ 

ととと 
ん うう 

柬 

、 吳音は 我が 國に 最も 古く 傳來 した 音で、 f いふの は 掌 地の 總稱 である。 ^ 

が國に 文字 を 初めて 傳 へた 百 濟 はこの 時代 は吳の 地方に 暴して ねたので、 吳の音 は百濟 

に傳 はり、 やがて 我が 國 にも 傳 つたので ある。 しかも その後、 我が 國と吳 と は 交通が 盛 

ん であった 事實も あるので、 滂々 吳 音が 傳來 したので ある。 吳 から 来たので 「吳 服」 「吳 ^ 

竹」 など 今に その 名 を 绫 して ゐる。  一 


M  ^お 等と 發 音して ゐる。 それ故に、 いくら 漢文の 力が あっても 其の ま k の發音 をし 

たので は 現在の 支那 人に は 通じない。 即ち 支那 語 は 別に 習 はねば ならぬ ので ある。 

普通 吏 用され てゐる 字音 は 次の やうで ある 


二、 漢音 は吳 音に ついで 傳っ たもので、 漢土、 即ち 日本に 對 して 支那 本 國全體 を 漢と稱 し、 

その 漢土の 音と いふ 意で ある。 元來、 漢は 吳に對 して 北方 地域の 稱 である。 そして この 

音が 初めて 傳 つたの は 支那 北方と 交通す る やうに なつてから なので、 北方 即ち、 洛陽, 

長 安 あたりの 音で あると もい はれて ゐる。 我が 國 では 時に よって は吳 音を排 して 漢音 を 

獎勵 したので 盛んに 用 ひられる やうに なり、 今の 漢字の 多く はこの 音で ある。 

三、 唐音 は 鎌倉時代 以後に 支那との 交通に よって 傳っ たもの なので、 唐と は 唐土で、 平安朝 

以後 德川 時代に 至る まで 支那 を 唐土と 稱 した。 これ は 前の 漢土と 同じ ことで ある。 これ 

が 我が 國に 初めて 傳 つたの は 鎌倉時代に 僭が 當 時の 支那 は宋 といって ゐ たが、 その 宋に 

行き、 禪 宗を傳 へる と共に、 多くの 新しい 發音を 持って 來 たのが 最初で ある。 それ故に、 

或 場合 は宋音 ともよんで ゐる。 これ は禪 儈が佛 敎に閼 係の ある 名稱 上の 發音 を傳へ 

たもの なので、 一般の 文章 上に は 影響 は 少なかった。 

"す  ふしん  あんま や  ちゃう ち ん 

椅子 普請 行脚 提灯 

等、 智佛 敎に關 係の ある もの X 唐音で ある • 


—  356  — 


漢字が 二つ 以上 組み合 はさる と、 所謂 熟語が 出来る が、 之の 發音は 上の 字が 漢音で あれば 下 

の 字 も 漢音に、 上が 吳 音なら 下も吳 音と いふの が至當 である。 然るに 年を經 ると 共に 相互に 混 

用され て、 漢音と 吳音、 吳 音と 漢音、 宋 音と 漢音と いふ やうに 亂れ てし まった ので、 音 諫みも 

なかく 難しくな つた。 二三の 例 を あげる と、 

難 讀の例 

舆音 ^音 

クウ カウ  , 

通 行 (ッ ゥは吳 音の ッを延 した 音。 通 は 漢音で は トウ) 

n ゥ ミヤ ゥ 

功 名 (名 は 漢音で は メイ) 

キヤウ グゥ  . 

境 遇 (グゥ は 漢音の グを延 した 音。 境 は 漢音で はケィ )- 

スゥ カウ 

數 行 (ス ゥは吳 音の スを延 した 音。 數は 漢音で はシ ュ) 

訓は 日本 讀み である。 別項に も說 明した やうに、 字 は 支那から 傳來 した もので、 我が 國 では 

言葉 だけし かなかった ので、 文字が 渡来す ると、 此の 言葉 をい かにして 字で 寄き 表す かに 苦心 


― 357 一 


したので ある * その 結果が 言葉の 現 はす 意義と 漢字と が 同じで ある 時に その ま... 宛てたり、 义 

は訓を 宛てたり したので ある。 即ち 

49 じろ  あげ ま キー  あまだれ 

網 代 總角 雨滴 (垂) 

あっし  キー-め  みそか 

厚司 私 目 晦日 

等で ある。 此 等の 中には 讀 むのに 相當 苦しまされる ものが ある。 叉音と訓とそれ/^.は別のも 

ので あるのに、 場合に 依って はこれ を 混同して 讀 まねば ならぬ 例 も ある。 

ぢ ゆう (音) ,こ (訓) しん (音) がら (訓) を こ (訓) い、 音) 

重箱  新柄  底意 

此等を 普通に 音と 訓を 重ねる ので f 重箱 讀み」 と稱 して ゐる • 

我々 が 曰 常、 新聞 雜誌 書籍で 見る 漢字の 中には 以上の やうな ものが いろ/ \ 、に 交叉し、 請み 

難く、 讀み 誤り 易い 字が 多い。 殊に 名詞、 卽ち木 や 魚 等の 名 稱に用 ひた 字 は隨分 多い。 さう い 

ふ もの は、 肌に 一括して 述べる ことにして、 先づ 主な もの を あげよう。 

〔ァ〕 

嗚呼、 噫、 嗟 呼、 干 嗟 あ >• 


—  358  — 


咄嗟 あは や (非常に 危ぃ事 を 兑てゐ る 時、 驚き 恐れて 出る 聲) 

雨滴 あまだれ 

厚司 あっし (和 泉國 から 出る 厚い 平地の 木綿で 作った 着物。 勞働 者が 仕事着に. U る: > 

按察使 あぜち (昔, 諸國の 政治 を 巡察 させた 役) 

胡 坐 あぐら (熟語の 意味に あてた 字) 

$ あひる (意味の 宛字) 

海人 あま (意味の 宛字。 海で 魚 をと る 人。 主に 女) 

淺葱 あさぎ (うすい 水色。 普通 は 誤って 淺 黄と 書く) 

網 代 あじろ (アミ シ 口が 略された" 竹 や 木 を 組んだ 網の 代りに 用 ひるから 此の 字 を 宛てた) 

閼伽 あか (佛に 供へ る 水) 

總角 あげまき (昔、 子供が 左右に 分けて 結った 髮) 

欠伸 あくび 

四阿 あづま や (庭に 建てた 休屋) 


—  359 — 


生憎 あいにく 

灰汁 あく  (意味の 宛字) 

行脚 あんぎゃ (佛道 修業の ため 諸國を 巡る こと。 )£M、 衍^1 う、 拭ぽかょ、 tmi" 

足搦 あしがらみ (倒す ために 足 をから める) 

足搔 あがき (ァシ カキの 略。 もがく) 

鹽梅 あんばい ,( 昧を 調理す る こと) 

有體 ありてい (訓と 音との 混用 音。 ありの ま X) 

合圖 あいづ (訓と 音との 混用 音) 

阿閎利 あじゃり (肺 となる 僧) 

阿修羅 あしゅら (佛 敎に獰 はる 鬼神) 

?ヰ〕 

五 布蒲圑 いつの ふとん (表裏と も 五 布で 仕立てた 布團) 

尻當 ゐ しき あて (着物の 裏に 尻の あたる ところに 縫 ひつける 布。 意味の 宛字) 


十六夜 いざよ ひ (十六 日の 夜) 

剌靑 いれす み (身に 字 ゃ畫を ほりつける) 

逸物 いちもつ (すぐれた もの^ 

うがの みたま 

稻荷 いなり (五穀の 神と して 倉 稻魂を 祭った 神) 

田舍 ゐ なか 

一途 い ちづ (ひたすら〕 

因業 いんごう (佛敎 で惡ぃ 結果になる もと。 又、 慘 酷レ 

所謂 いは ゆる (普通に いふ 漢文の 所レ 謂の 意 を訓讀 みに した) 

異口同音 いくどうおん (別の 入々 で 言 ふ 事 は 同じし 

1 言 半句 いちごんはんく  (ほんの 少しの 言葉) 

〔ゥ〕 

不產女 うます め (意味の 宛字。 子供の ない 女) 

泡沫 うたかた c 熟語に あてた 字。 ハウ マツ。 水の あは) 


空 蟬 うつせみ (蟬 の脫 けがら。 蟬の 枕詞) 

產土 うぶすな (生れた 處を 守る 神) 

圑扇 うち は 

憂 婆 塞 うば そく  (俗人で 佛 門に 入った 男。 女なら ば 憂 婆 夷と いふ) 

點 頭く うな づく  (承諾の 意で 頭 を 下に 動かす) 

00 うどん 

有卦 うけ (幸福の 年 ま はり。 これ は 干支に よってき まる。 一 般 ではよ い 事が っ^いた 時に いふ) 

.T  ^ん 

有無 うむ (ある とないと) 有 嫁 

-っ ひざん 

初陣 う ひぢん (初めて 戰 場に 出る こと) 初產 

埋木 うもれぎ (地中に 長く 埋れ てゐた 木) 

i う レ 3 フ へ 學問、 技藝の 奥義。 ォクの 音便で ォゥと 假名 はっけて 發音 する 時 は ノウで ある。 ン 

i うんのう 广 上の 字が if! である 時 は 下が 變 つて 讀 まれる 例 は 多い。 觀音、 安穩、 元 和 等で ある」 

干支 えと (十干 十二支の こと) 


—  362  — 


胎盤、 胞衣 えな (胎兒 を 包んで ゐる もの) 

海老 えび 

烏帽子 ゑ ぼし (昔の 人の かぶりもの) 

惠方 ゑ はう (吉の 方。 正月 元日に この 方に あたる 社寺 を參拜 する こと を r 惠方詣 り」 とい ふ) 

回向 ゑ かう (死者 を 弔 ふこと) 

繪圖 ゑづ (訓と 音との 混用 音) 

會釋 ゑし やく  (輕 く禮 をす る こと) 

〔ォ • ヲ〕 

白粉 おしろい c 意義からの 宛字) 

和尙 おしやう (坊さん) 

母屋 おもや (その 家の 主なる 建物。 意味の 宛字) 

花魁 おいらん (遊 さ 

思惑 おもわく  (考 へ。 利 を^ようと 工夫す る こと。 訓と 音との 混用) 


音頭 おんど (音樂 や 踊の 時に 調子をとる 事) 

遠 流 をん る (遠い 島に 流される こと) 

澤 瀉模樣 おもだ かも やう (澤瀉 は 芋の 一種で、 この 葉 を模樣 にした もの) 

怨靈 をん りゃう (怨を 持って 死んだ 人の 靈 魂,) 

越年 おつ ねん (年 を こす こと) 

〔力〕 

土器 か はらけ (うは 藥を かけない 陶製の 盃) 

水夫 おれ ふ (船頭) 

甲高 かんだかい (聲の 調子が 高い こと) 

こじき 

乞食 かた ゐ 

固 唾 を飮む かたづ (息 を こらして、 どうなる かと 視ふ) 

彼 誰 時 か はたれ どき (意味に あてた 字。 彼 は 誰かと 尋ねなくて は 分らぬ 頃。 夕方) 

河 直 かっぱ (水中に ゐ ると いふ 動物) 


—  364— 


冠木門 かぶきもん (意味に 宛てた 字。 門の ff 柱の 上に 横に かさぎ をつ けた 門リ 

剃刀 かみそり 

垣間見る かいまみる (カキ マ ミルの 音便。 垣の 間から 晛く) 

怆 好 かっかう (姿。 かたち) 

界隈 かいわい (あたり。 附近) 

苟且 かりそめ (熟語の 意味に あてた 字。 た e 假り のこと) 

飛白 かすり (織物の 一 つ。 うまく 宛てた 字) 

首途 かどで (熟語の 意味に あてた 字。 戰ゃ旅 等に 出發 する こと) 

徒歩 ^ ふ,: ,に  ' ■ : 

神樂 かぐら (神前に 行 ふ 舞樂) 

蚊帳 かや (帳 はまく) 

骨牌 かるた 

^炎 かげら ふ (日光の ために 上る きら/ \ する もの) 


一 3G5  — 


雁擬 がんもどき (油揚 の 一。 雁の 肝 は 油が 多い ので、 それに 似せて 作った とい ふ) 

蒲鋅 かまぼこ 

鍛冶 かぢ (金 をき たへ る こと) 

金 巾 かな きん (織 物の 一 つ〕 

金佛 かなぶつ (金で 造った 佛像。 感情の 冷やかな 人を譬 へる こと も ある) 

合併 がっぺい (二つ 以上の もの を 合せる こと) 

〔キ〕 

利 目 き X め (効果) 

如月 きさらぎ (舊の 二月の こと。 あて 字) 

公達 きんだち (貴人の 子供) 

切手 きって (キリ テ とよむ と 切る 人) 

牛車 ^は付 (牛の 曳く 車。 昔の 貴ん が乘 つた 車) 

急須 きふす (茶道具の 一) 


— 36G  — 


香車 や (將棋 の 駒の i  . 

脚錚 きゃはん (歩行 を樂 にす るた め 足に 卷ぃ たもの) 

黄粉 きなこ (訓と 音と を 混用して 訛る) 

樣牲 ^^^へ (人の ため 世の ために 身 を なげ 出す こと) 

歸依 きえ (佛敎 を 信仰し、 極 樂淨土 を 願 ふ 事) 

r ク〕 

工合 ぐ あ ひ (もの 》 調子。) 工面。 工夫 

公家 くげ (朝廷。 朝廷に 仕へ る 人) 

公卿 くぎ やう (攝 政、 關白、 大臣、 大納言、 中納 言、 參議 をい ふ。 これ はクゲ とは鑲 まない) 

公^  くばう (將 軍の こと。) 公事 

供奉 ぐぶ (陛下の 御供 をす る こと。 ) 供御 

紅蓮 ぐれん (紅の 蓮) 

庫裏 (裡) くり (僧侶の 居間) 


一 307 一 


草臥れる くたびれる 

熊 襲 くま そ (昔、 九州に 住んで ゐた 人種) 

:  くき まひ 

曲者 くせもの (怪しい 者) 曲舞 

功德 くどく  (よい 事 をした & めの めぐみ) 

口授 くじゅ (口で 授け 敎 へる こと) ロ傳 

〔ケ〕 

怪我 けが 

撿 非違 使 けび ゐし (昔あった 役で、 警察官と 裁判官と を 一 つに したやうな もの) 

希求 けく  (願 ひ 求める こと〕 

稀 有 けう (まれな こと。 珍ら しい こと) 

懈怠 けたい (なまける) 

鲁 

假病 けび やう (偽りの 病) 

夏至 げし 


一 3C8 — 


境內 けいだい (神社の 垣の G 内裏 ^内 

結 象 けちえん (怫 道に 緣を 結ぶ こと) 

決定 けってい (古く は ケッ, チャウと 讀ん だ) 

1:5  , 

巨, 迎 こさい (大と 小と。 殘らず 全部) 

小; !£ こざね (意味の 宛字。 鎧 を 作る 小さな 板。 これ を綴ぢ 合せて 一 枚に する〕 

木枯 こがらし (秋の 末に 木の葉 を 吹き散らす 風) 

功名 こうみ やう (てがら) 

罟士 こじ (男の 法名の 下につ ける 稱號。 又 佛敎を 信ずる 男の^ 號) 

東風 こち (意味の 宛字。 東から 吹く 風。 春風) 

金米糖 こんぺいとう (昔の 菓子で 砂糖で 作って ある) 

垢離 こり (神佛 に 祈念す るた め 水 を 浴びて 身の 垢 をと る) 

炬煃 こたつ 


0^ こくう (: そら:) 

虚無 僭 こむそう (: 普 化宗の 僧" 修業して 廻った ので とい ふ 意から 出た とい ふ) 

獨樂 こま (宛字) 

聲色 こ はいろ (人の 聲 のまね をす る) 

金色 こんじき (金の いろ。 キン イロ、 キン ショク ともよむ) 

今昔 こんじゃく  (昔から 今まで) 

黑白 こくびゃく  (もの  >- 黑と 白) 白 虎 

欉化 ごんげ (佛が 入 を 救 ふために 檁 りに 姿 を あら はした もの) 

建立 こんり う (もの をた てること) 

献立 こんだて (料理の 品) 

田作 ごまめ (年中行事の 正月のと ころに 詳述), 

〔サ〕 

小波 さ^なみ (小さい 波の 意味に あてた 漢字) 


小枝 さえ だ (小さい 枝) 

五月 さっき (舊 唇で 五月の こと) 

五月雨 さみだれ (梅雨) 

三途川 さん づ のか は (死後 行く^ 中に あると 傳 へられる 川) 

三下 さんさが り (三味線の 調子の 一 つで、 本調子より 三つ 低い 昔) 

I 二 枝 さいぐ さ (サキ グサ、 即ち 幸 草で、 一 本の 莖 から 三本の 枝の ある ものと いふが 赏 際に は 分らない 

剌子 さしこ (布 を 細かに よく 縫って 丈夫に した もの) 

指貫 さしぬき (挎の 一 つで、 裾 を 糸で 貫し ふくらし たもの) 

流石 さすが (さう は 思 ふ もの  >-。 支那の 故事から 出來た 熟語) 

催馬樂 さい ばら (我國 に 古來傳 はる 音樂レ 

遮莫 さも あらば あれ (この 上 はどう ともなれ。 宛字) 

雜魚 ざこ (いろく 混った 小魚。 こ は 子の 意) 

雜色 ざう しき (身分の ひくい もの) 


一 £71  — 


差 參 
別 內 

しさ さ 
やべ ん 
べク だ 


月 代 さかやき (意味の 宛字。 昔、 男子 は 定年に 達し 元 股す ると、 頭の 前部 を 月の 形に 丸く そった〕 

白 湯、 素 湯 さ ゆ (たどの 湯) 

私語 さ \ やき (意味 か ら の 宛字) 

防人 さきもり (昔、 九州 等に 置いて 邊 防の 備へ をな した 人。 意味の あて 字) 

棧敷 さじき (物見の 臺〕 

だい 9 びな 

い (: 宮中に 參上 する こと) 內裏鏃 

竹刀 しな ひ (劍術 練習の ために 作った 竹の 捧) 

加 之 しかの み-ならす (こればかり ではなく。 加 之の 漢字 を訓讀 みに した) 

下 枝 しづえ (下の 方の 枝) 

東雲 しの、 め (夜明け の 東の 空) 

枝折戶 しをり ど (木の 枝 を 折り かけて 作った 戶) 


一 372  — 


一 Fl i^b 

戶 珍子數 

じしし しす じ 
や ゆち ゆ チゅ 

うちん す す 


注連繩 しめな は 

注 連 飾 しめかざり 

信夫摺 しのぶす り (葱 草 を 布に あて >-、 すりつけて 模様と した もの) 

師走 しはす (意味の 宛字。 十二月の 锘名) 

時化 しけ (海が 荒れる こと) 

時雨 しぐれ (秋の 雨。 時雨 は贲は 「雨の ほしい 時に 降る 雨」 の 意が 轉 化した) 

(織物の 一 種) 

(糯 子^で 模樣 美しく 鸫 つた もの) 

(酒の 好きな 者〕 

上手 じ やうす . 

不知火 しらぬひ (九州の 有 明灣で 見える 火) 

指 木 しゅもく  (鐘 を 打つ 棒) 


入魂 (昵懇) じっこん (吳 音と 漢音の 混用。 親しい こと) 

入內 じゅだい (天皇、 又は 皇太子の 妃 となられ る 方が 宮中に 入って 御慶 事 を 結び 給 ふこと〕 

所 化 しょけ (吳音 と 漢音との 混用。 僧侶の 弟子) 所作 

執着 しふち やく  (とりついて はなれな いこと) 

四時 しい じ (シの 音便で シィ となる。 春 M 秋 冬。 常に) 

詩歌 しいか (シの 音便。 詩と 歌) 

弑逆 しいぎ やく  (シの 音便。 君 父 等 を 殺す こと) 

色 代 しきたい (挨拶す る こと) 

紫宸殿 し、 いでん (京都の 御所 内に ある 御殿) 

、ジ ャゥゲ —— 上" 下りの 意ン 

U.-T ぐ ゾャゥ 力 ——- 上と 下の 意 ) 

洒落 しゃれ (座興に いふ 滑稽な 句) 

寸白 すばこ (病氣 の 一) 


主 基 すき (即位の 年の 大嘗會 の 時に 西方に まつる ところ〕 

數寄 すき (風流の 道) 

數奇 すうき (不運な こと) 

雙六 すごろく 

駿府 すん ぷ (靜 岡の 舊名) 

先達 せんだつ (道 案內 者。 先輩。 セン ダッ テと讀 むと 「此の間」 の 意) 

千生 せんなり (澤山 群り なること) 

兢寶 い (澤 山の 貢 手の 中で 、一番 高 價に値 をつ けた 者に 賈る こと) 

雪駄 せった (革で 作った 草履の 一〕 

雪 隱 せっちん (便所。 セッ ヰンの 訛り) 

臺詞 せりふ (芝居で 俳優の いふ 言 葉) 

節會 せち ゑ (昔、 朝廷で 定 つた 公事の 後に 行 はれた 宴會) 


—  .175  — 


刹那 せつな (その 瞬間) 

女 街 ぜ げん (遊女の 口入れ 業) . 

殺生 せっしゃう (生き物 を 殺す こと) 

〔ソ〕 

卒都婆 そとば (墓場に 立てる 細長い 板の やうな もの) 

征矢 そや (戰 場に 用 ひる 矢) 

反齒 そっぱ (外に そって ゐる齒 。ソリ ハの音 I© 

僧都 そ うづ (僧の 官で 僧正の 次位) 

〔夕〕 

反物 たんもの (織った 布) 

手 向 たむ け (神佛 にもの を 供へ る) 

大極殿 だいごくでん (昔, 宮中に あった 正殿) 

帝釋 たいしゃく  (佛敎 信者 を 守る とい ふ 神) 


炭圑 たどん 

黄昏 たそがれ (夕方。 「誰 そ 彼 は」 とい ふ 意から 出來 て、 漢字の 意から 宛てた) 

潷庵 たくわん (タク アンの 轉訛。 品 川 東海 寺の 澤庵和 尙が考 へた ものと いふ) 

玉章 たま づさ (手紙の こと) 

伊達 だて (派手に ふるま ふこと。 みえをはる こと) 

竹光 たけみつ (竹で 作った 刀。 又 切れない 刀の こと を 蔑って いふ) 

足袋 たび "でに  -り 

新 食 だんじき (食物 を 一 切 食 はぬ こと) 

〔チ〕 

丁 髭 ちょんまげ 

中風 ちゅうぶ (腦 溢血) 

提燈 ちゃう ちん 

地下 ぢげ c 昔、 昇殿 を 許されぬ 人。 殿上人で ない 人) 


- H77 —— 


地方 ぢ がた (舞踊の 時の 離し をす る もの) 

地口 ぢ ぐち (語の 讀みを 合せた 文句) 

鎖 西 ちん ぜぃ (九州の こと) 

九十 九 つくも (九十 九の こと。 又 百に 一 つ 不足のと ころから 白で つくもが みと は白髮 のこと) 

土筆 つくし (春に 萠ぇ 出る 草。 形から 宛てた 字〕 

旋毛 つむじ (曲り 曲った 毛と いふ 意の 宛字) 

梅雨 つゆ (年中行事 を 見よ) 

釣瓶 つるべ (意味の 宛字〕 

黄楊 つげ (木の 一 。 櫛 や 印 版 を 作る) 

葛籠 っ^ら (意味の 宛字。 葛で 作った 籠) 

廚子 づし (佛像 を 安置して 置く 入れ もの) 

築地 つ いぢ (土塀。 ツキ.. チ、 卽ち土 を 盛った 塀) 


頭巾 づきん (頭に かぶる もの。 頭の 巾と 宛てた) 

頭陀袋 づ だぶ くろ (僭が 家々 で 貰った もの を 入れる ために 頭から かけて ゐる 袋) 

月次 つきなみ ネ 凡で 陳腐な こと) 

氷柱 つら &  (意味からの 宛字) 

杜漏 づ ろう (やりつ ばな しで 始末 をつ けない こと) 

杜撰 づ さん (あやまりの 多い こと。 支那の 故事から 出来た 熟 织じ 

都度 つど (その 度 毎に。 音に あてはめた 字) 

丁稚 でっち 

挺 子て こ (物 を こじ 上げて、 動かす 時の 道具) 

天秤 てんびん (天秤 はかり 3 

天逮 てっぺん (一番 上の こと) 

手水 て うづ 


外煮獨 

漦魚鈷 


としとと 
ざ みぎ つ 


殴 上人 てんじゃう びと (昔, 宮中の 御殿に 昇る こと を 許された 人. > 

弟子 でし (門人) 

庭訓 ていきん (家庭の しっけ。 支那の 故事から 出來た 熟語) 

〔卜〕 

刀自 と」^: (老女の 拿稱。 又、 家事 をす る 婦人) 

刀禰 とね (昔の 村長、 里 長 等) 

舍人 とねり (宮中に 仕へ る 下賤の もの。 又、 馬丁) 

S とき は (永久 不變。 常 磐が 正しい) 

緞子 どんす (織物の 一) 

こ (僧が 修業の 時に 持つ て 歩く 銅 又は 鐵 製の 杵の 一 ) 

よ (着物 や 書物 を 食 ふ 虫) 

ま (德川 時代に 將 軍の 一 家 や 今までの 家来で なく、 後から 從っ たもの) 

〔ナ〕 


—330  — 


苗 南 南 

代 面 殿 

ななな な 

は んめ で 

し めん ん 


奈落 ならく  (地獄。 舞臺の 下の ことに も 用 ひる) 

直 衣 なほし (昔, 貴人の 常 服) 

直會 なほら ひ (祭禮 の 後に 供物 をいた V く 宴) 

長刀 なぎなた (長い 刀と、 字の 意 を 宛てた) 

長 押 なげし 

(南向きの 御殿。 紫寢 殿。 天皇の 御 殴) 

(昔 はな めんと 讀ん だ) 

海鼠 なまこ (海中に ゐる 動物〕 

納^ なっとく  (よく 諒解して 承知す る こと。 音便の ための 讀み 方。 ) 納所。 納 M 

崩 雪 なだれ (意味に あてた 字) 

仲人 なかう ど (ナ カピトの 音便) 

名簿 ぬ£" ぶめい ぼ (ナ. ツキ、 ミヤ ゥブは 昔の 讀み 方) 


—  381 ― 


就中 なかんづく  (その 中で も〕 

on 

仁王 にわう (佛敎 でい ふ 金剛 神の こと. > 

荷足 船 にたりぶね (蓮揆 船: > 

錦 色 (薄 黑ぃ 染色) .  • 

女房 にょうば う (妻。 -1 ョの延 音) 

女人禁制 にょにんきんせい (女 は 身に 汚れ ありと して 靈 場に 入られない) 

〔ヌ〕 

射 干 玉 ぬば たま (からす あ ふぎと いふ 木の 實。 黑 いので 夜 や 星、 闇、 月に か >- る 枕詞と なる) 

〔ノ〕 

能 **  § うが.^  (ノウ ショは 字の 上手な こと。 ノウ ガキは 効能書き のこと) 

長閑 のどか (熟語の 意に 宛てた 讀み。 のんびりして ゐる こと) 

海 苦 のり (巧く 宛てた 字) 


狼煙 のろし (意義に 宛てた 字。 合 園の 時に あげる 花火) 

I のり 

is ゥ つ , 

熨斗 のし 


祝詞 ひ (:祌 前に 奏する 文) 


刷毛 はけ 

法度 (規則の こと :>  法被 

旅籠 はたご (宿屋) 

疾風 ぼ^う (勢よ く 吹く 風) 

破風 造 はふ づ くり (屋根の 兩 端が 山形に なって ゐる 造り 方の 一 つ) 

藐 姑射 山 はこやの やま (支那で 仙人の 居る 山。 我國 では 上皇の 御所 を^へ る) 

土師 はじ (ハ ニシの 略で 土器 を 造る もの) 

羽 振 はぶり (人に 對 する 面目) 

般若 はんにゃ (怫敎 では 智慧と いふ 意。 1 般 では 恐し い 顔の 鬼女の こと) 


直 引 

垂 板 

ひ ひひ 
た ^た 


頒布 はんぷ (廣く 分ち 與 へる) 

〔5 

拍子 ひょうし (歌 や 音 樂の節 をた すける ために 調子をとる こと) 

C  (田畑に あるなる こ。 ヒキ イタが つまって ヒタ となる〕 

k れ (昔 は 一 般 人民の 平服 * 後に は 武士の 禮服〕 

柄杓 ひしゃく  (水な ど をす く ふ もの) 

終日 ひね もす (意味に 宛てた 字) 

領布 ひれ (昔の 婦人が 顏を蔽 ふための 薄い 布) 

檜 皮 ひ はだ (檢の 皮) 

日和 ひより (天氣 のよ い 日) 

日向 ひなた (意味の 宛字。 曰の あたる ところ) 

左利 ひだりき k  (左手が きく 者。 酒の み) 

尾籠 びろう (汚い こと) 


—  334  — 


ひつ ぢ やう (きっと、 たしかに。 吳 音と 漢音との 混 5) 

びくに (出家した 男 は 比丘、 女 は 比丘尼〕 

びやく ゑ (白い 着物) 

ひたすら いっかう (意味に あてた 字: > 

〔フ〕 

ふびん ヘ可哀 さう。 フ ベンと よむ と 便利が 惡 いとい ふ 意。 漢文の 不レ便 を-つ e けて 讚んだ) 

ふつ-. -か (至らぬ 者、 愚か者〕 

ふだん (平常、 漢文の 不レ斷 をつ^-けて 音讀 した。 ) 

ふしどう ふんどし 

ふづき (锾の 七月) 

ふ づくゑ (文 を 書き 本 を の せ る 机) 

ふに き (フク ュ キを つめた。 ) 


蒲圑 ふとん 

不如意 ふにょい (思 ふやう にならない こと。 不レ 如レ意 をつ づけて 讀ん だ) 

無頼 ぶらい (行 ひの よくない 者。) 無禮 

〔へ〕 

下手 へた 

兵兒帶 へこおび 

糸^: へ ちま 

〔ホ〕 

時鳥 ほととぎす (定 つた 時節に 鳴く から 宛てた) 

雪洞 ぼんぼり (紙で 張った お ほひの ある 手燭) 

黑子 ほくろ (意味の 宛字) 

上 枝 ほづぇ (上の 枝) 

! ぼうふら 


反故 1^  (むだ) 

文身 ほりもの ぶんしん (意味の 宛字) 

火口、 引火 扠 ほくち (何れも 意 を あてた。 昔、 火 をう つす 綿の やうな もの) 

發起人 ほっきにん (吳 音と 漢音との 混用 音。 最初に 案 を 出した 人。 ) 發端。 ^心。 發^ 

呪禁 まじな ひ (意味の 宛字) 

眞砂 まさご (砂の こと) 

資僧 まいす (宋 音の 讀み 方。 僧 を 罵る こと) 

勾玉 まがたま (篝 曲した 飾り もの) 

萬 葉 集 まんに ようし ふ (我が 國 最初の 歌集) 

眞向 まっかう (眞 正面: >  眞中。 眞 最中 

〔ミ〕 

兎缺 みつくち (兎の 口の やうに 割れて ゐる 意味の 宛字) 


— 3sr  — 


御手洗 みたらし (神社に ある 手 洗 場) 

みち 

ii 奥 みちの く むつ (奥^ 地方 ー體 の, こと。 陸の 奥 をつ めて 讀ん た) 

巫女 みこ かんなぎ (意味の 宛字。 神に 仕へ る 女) 

未曾有 みぞう (イマ ダ曾テ 有ラズ とい ふ 漢文 を昔讀 した) 

晦日 みそか (毎月の 終り。 晦は喑 いの 意味で、 昔 はこの 夜 は 月が こもって 闇夜で あるから である) 

睦月 むつき (意義の あて 字。 舊曆の 正月) 

矛盾 むじゅん (前後の あはぬ こと。 故事から 出来た 熟語) 

謀叛 むほん (叛 くこと) 

〔メ〕 

夫婦 め をと ふうふ (意味の 宛字。 夫と 妻) 

〔モ〕 

木綿 もめん 


― 338  — 


最中 もなか (菓子の I) 

75  btr 「水色のう す 色。 葱の 生えた ての やうな 色の ことで、 萠 黄と 書いた ので は 全 

1^  f」 もえき U- 意味が 違 ふ 文句。 

文盲 もんもう (吳 音と 漢音の 混用 菅。 字の 讀 めぬ 者) 

文珠 もんじゅ (智慧 を 掌る 佛の 名) 

〔ャ〕 

山賤 やまがつ (意味の 宛字。 木こり) 

火傷 やけど かしゃう (意味の 宛字) 

かぶらや 

流鏑馬 やぶさめ (意味に 宛てた 字。 馬 を 走らせながら 鏑矢 を 放って 的 を 射る こと) 

胡錄 やなぐ ひ (矢 を 入れる もの) 

彌生 やよひ (ィ ャォヒ がつ まった 讀み 方。 瑪 唇の 一一 一月) 

夜叉 やしゃ (佛 道に 傳 はる 猛惡な 鬼神) 

遺: 百 ゅゐ ごん (臨終に 言 ひのこした 言葉〕 遺誡 


一 389 一 


唯 一 ゆね いつ (たった I つ) 

浴衣 ゆかた (意味に 宛てた 字) 

結納 ゆ ひな ふ (訓と 音との 混用 音) 

弓手 ゆんで (ュ ミテの 音便。 弓 を 持つ 方の 手。 即ち、 左手〕 弓勢。 弓 杖 

悠紀 ゆき (大嘗 祭の 時の 東の 祭場〕 

由緒 ゅゐ しょ (いはれ) 

湯 桶 ゆとう (湯 を 入れる もの) 

所以 ゆ ゑん (ユエ-一の 音便。 この 故に) 

S 

米琉 よねり う (米澤 琉球紬 とい ふ 織物の 略 稱.) 

終夜 よもすがら (意味の 宛字。 一晩中〕 

黄泉 國 よみのくに (死後の 世 I 

〔ラ〕 


—  390  — 


禮拜 らいはい (神 や 佛を拜 むこと リ 

鱧讃 らいさん (ほめた 、へる) 

〔リ〕 

苹果 りんご (意味の 宛字。 林檎と も 書く) 

兩 り やん こ (二つと いふ 意で、 二 本 指し。 卽ち 町人が 武士の こと をい つた) 

龍 頭 りゅう づ (龍の 頭に 似た もので、 釣鐘の 上に ある もの。 水道の 口、 時計の ねじの 頭 等 もい ふ: > 

六合 りくが ふ (天地 四方) 六 衛府。 六親。 六藝 

律義者 りちぎもの (實 直な 者) 

流布 るふ (世に ひろまる) 

流浪 るら う (さすら ふこと :>  流人。 流鵡 

綠靑 ろくし やう (銪 の錶) 


一 rm 一 


〔ワ〕 

和 琴 わごん (我が 國 在来の 琴) 

腋臭 わきが (意味の 宛字) 

草鞋 わら ぢ (形から 出来た 宛字) 

山葵 わさび 

我 御料 わごり よ (昔、 婦人に 對 して 言った 镎敬 語) 

一 六、 書き誤り 易い 字 

前說の 類字で 大體は 諒解 出來 るので あるが、 實際 にどん なやう に 誤る か。 曰 常用 ひる 中から 

誤り^い 字の 例 を あげて 簡單に 解說を 試みよう。 これ は 熟語の みに 限らない ので ある。 

〔7〕 

相 憎 (生 相 は 互にと いふ。 互に 憎み 合 ふので はない。 〕 


-392  — 


^393  — 


狹溢 (隘 ^ ま 溢 は イツで あふれる。) 

安身 立命 (心 怫敎の 語で 心の 憂 をな くして 安らかに 天命 を 全うする とい ふ 意で ある。 身 を 安 

ん する 意で も あるが、 安身と は 書かない。) 

愛憎が よい (想 愛憎で は 「愛と 憎」 の 意で ある。 もてなし ぶりが よ $ とい ふ^で あるから 

「愛想」 である。) 

跡 方がない (形 「あとの 形がない」 とい ふ 意で ある。 方で は 方向で ある。 ) 

合 棒 (相 「相手になる 棒」 である。) 

安の 條 (案 思って ゐた 通りと いふ 意で あるから 案 を 寄く。) 

暗記 (請 おきる 喑 はくらい 意で ある。 諳 一 字で 意味 は 明かで ある。〕 

〔ィ〕 

意久地 (氣 「いきごみ」 とか 「いき はり」 の 意で、 意 氣に地 をつ けた。) 

意味 伸長 (深 詩 や 文の 意味が 請めば 讀む ほど 奥深い とい ふ 意で あるから 深で ある。 仲 はの び 

ると い ふ 意。) 


一率にす る (律  一 II- 音 を 同じ 調子に するとい ふ 意から 出來 たので ある。〕 

慰藉 (藉 がる 籍は 書物と か 札の 意で ある。) 

威赫 (嚇 ?: 」 赫は 「か^ゃく」 である。) 

威巖 (嚴 ば j め 巖は 岩で ある。.) 

意味 深 重 (長 「奥深い」 とか 「含蓄が 多い」 とい ふ 意で ある。) 

引率 (卒 の 「卒を 引いて 行く」 ので ある。) 

陰蔽 (隱 れく 陰 は 「くもる」 である。 「かくしお ほふ」 では 違 ふ。) 

意氣昇 IK  (衝 く 天に 昇る のではなくて、 天 をも衝 くやうな 意氣 である。) 

倚 頼 (依 お 倚 は 「よりか \ る」 である。 「たよりた のむ」 の 意 はめが よい J 

一等地 を 柚く (頭 一つの 頭が 地面から ぬき 出て ゐ ると いふ 意で、 一等、 卽ち 一番 抜き出て ゐ 

ると いふ 意で はない。) 

遺 趣 (意 ろ 「おも ふ樣 子」 であるから 「意の 趣く」 と 書く。 尙 意趣に は 「うらみ」 とい ふ 

意 も ある。〕 


一 394 — 


1 連 託 生 (蓮 ^ 1 と 組の 連中で はない。 元來、 佛敎の 句で、 一 つ 蓮 葉の 上に ならび 生れる 

ことで、 多くの 人が 運命 を 共に する ことで ある。) 

意 恨 (遺 かこ 「忘れられない、 即ち 後に のこされた 恨み」 である。) 

1 生 懸命 (所 一 ケ 所の 領地 を 命に かけて 頼みと するとい ふの が 元来の 意で ある。 これから 

「命が け」 とい ふ 意に 用 ひられる ので、 一生涯で はない。) 

〔ゥ〕 

打 入 (討 つ 同じう つで も 意味 は 違 ふ。 うちこみに 入る ので あるから 討で ある。) 

打 死 (討 これ も戰 場で 死んだ ので あるから 討で ある。) 

橡側 (緣 橡は テン、 たるき。 橡大の 筆と いふ 熟語が ある。 緣の 方と いふ 意で ある) 

得 安い (易 ^ 手に入れ やすいと いふ 意で ある。 「安い」 は やすらか。) 

英氣を 養 ふ- (銳 この場合 は 銳氣で 「するどい」 氣象 である。 英氣 では 「すぐれた 才氣」 i 

となる。)  7 


—  396  — 


®  せ ま少 *、*  9  ^  f  m-  9 

俺讒 (掩 舞 ひれ かば ふとい ふ 意で ある。 援護と も 書く。 援 はたす ける である J 

〔ォ〕 

憶 面 (臆 ひる 面 は 有様。 氣 おくれした やうす。 憶 は 「おも ふ」 であるから 違 ふ。 ) 

橫様 (鷹 が 鷹が 空に 飛ぶ やうに ゆったりした 樣。 橫樣は 「よこざま」 とよむ。) 

憶病 (臆 ひ" S びくく してお ぢ 恐れる。) 

憶 却 (億劫 「めんだ う」 とか 「ものうく」 思 ふの 意。) 

殿 歌す る (謳 毆は ォゥ、 なぐる。 毆打。 ) 

謳 吐 (嘔 謳 は タタへ ル。 製。 ) 

〔力〕 

勘忍 (堪 乂:^ 我慢して こらへ しのぶの である。 勘 は 「かんがへ る」。 〕 

濯 合 (逅 ^"り 邂も逅 も 同じ 意で ある。〕 

確固 (乎 確固で も惡く はない が、 「しっかりした 様子」 の 場合 は 乎が よい。 乎 は 形容の 勢 を 

つける 時に 下につ ける。 炳乎。 ) 


渴を § す (翳れ" 癒はィ とは讀 まなく、 ュで 「病が なほる。」 醫は 一般に 救 ふとい ふ^が あ 

る。〕 

畫 龍點啧 (睛 きと 龍 を 書いて 最後に 股の ひとみ を 入れる と 始めて 生きく する。 肝心な 一 點 

に 手 を 入れて 成就す る ことに 譬へ るので、 嗬 ではない。) 

伽藍 (籃 佛敎の 語に あてはめた 字で ある。) 

諧紋 (階 衝も カイ、 と讀 むが、 意味 はかな ふであって、 その 熟^の 一例 は^ 調。 ) 

形 身 (見 . 「思 ひ 出の 種と なる 遣 物」 とい ふ 意で 「身 を 別け たもの」 とい ふ^で はない。) 

喝仰 (渴 t ばび 非常に 待ち 迎 へる ことで、 喉が かはく やうに とおへ たので ある。) 

®  た 輋を  、 

渴采 (喝 ん网" ほめ はやす 聲 のこと であるから、 喝 である。) 

煥發 (渙 Mwi^ 煥は 「光り輝く」 こと。 水が 八方に 散る やうに 險難を 散 解して 天 下に 發 布す 

ると いふ 意で ある。) 

凱戰 (旋^へ d 凱歌 を あげて かへ ると いふ 意で ある ノ) 

介胞 (抱 け 「たすけだく、 世話す る」 であるから 抱。 胞は胺 とい ふ 意で ある。) 


—  307  — 


S  ぶ! ff  、 

感概 (慨 ひけ 概は 「お ほむね、 大體」 である。 感じで なげく 意でなくて はいけ ない。) 

看視 (監 れれ^ 看 は 「見る」 である。 語の 意 は 「みはって みる」 とい ふ 意で ある。) 

勸迎 (歡 ひお 勸は クワン、 す 》 める。 勸 工場な どと 熟語す る。) 

問 暇 (閑 力 間 暇で も 意味 は 通る が、 ひまの 意の ある 閑が 正しい。. } 

含畜 (蓄 y る、,^ 畜は 家畜の 畜 である。 「含み 持つ、 即ち 意味が 深い」 ので あるから、 蓄 であ 

る。) 

回復 (恢 .K は 意味が 强 くなる。 それ は恢は 「大きい、 ひろ 5」 とい ふ 意で あるから、 「小さ 

くな つた もの を 再び もとに 戾す」 ことで ある。 回復 はたで 「元の やうに する こと ピ) 

〔キ〕 

氣車 (汽 g 湯氣で 動く 車で ある。) . 

起原 (源 "リ 起^で は 「起る 原」 である。) 

奇與 (寄 るせ 「よせ あたへ る」 とい ふ義。 寄寓、 寄託 等 も奇と 誤り 易い。.^ はめ づ らしい の 意。) 

奇略 (機 2 とむ 奇は 「 めづ らしい」 義 である。 たで 「はかりごと」 の 意 は 機略で ある。〕 


一 398  ― 


^笛 (汽 ゆげ 汽罐の 蒸汽で 鳴らす 笛と いふと ころから 出来た ひ) 

寄 遇 (奇 ぉ「 思 ひも よらす に 不思議に 出會 ふこと であるから 奇。 ) 

義 損金 (捐 れ S 損はソ ン、 そこな ふ。 損害。 〕 

紀念 (記 冗る 紀 はキ、 年號の 初め。 心に よくしる す 意で あるから 記。 よく 誤り 易い 

記 元 (紀 記 はキ、 しるす。 記述" ) 

危機 ー發 (髮 「一 本の 髮の やう だ」 と 極めて 微細な もの をと つて^へ た。) 

強固 (鞏 づ.' 强く 固い のではなくて、 しっかりして 動かない 意で ある。) 

奇麗 (綺 W 「美しい」 とい ふ 意で 奇^^ら ではない。) 

凝 問 (疑 凝 は 「こらす」 である。 疑 ひ 問 ふ 意。 ) 

欣喜 雀 濯 (躍 W ど うれし さに 雀の やうに 躍り あがる とい ふ 意で ある。) • 

驚歎 (嘆 I ^"て ^は 悲しむ 場合に 用 ひる。) 

僞瞞 (欺 S い」 僞は 「いつはる」 である。 リ 

伎 巧 (技 ル^ まへ 「細工」 とか 「わざ」 が 巧い とい ふので ある。〕 


― r,oo  ― 


據金 (聽 SMtt 據も キヨと S むが、 意味 はよ^) 

©  あち 

恐惶 (慌 てる 恐惶 とも 書く が、 經濟界 が打擊 のために 不安の 狀 態になる 場合な ど は 「おそれ 

あはて る」 意で ある。 惶は をの X く。〕 

〔ク〕  • 

苦腦 (惱 W や &は頭 中の 腦 である。) 

草莉 (刈 お ^は 俗字で あるから 草 刈が 正しい。) 

玩强 (頑 ひが 玩は 「もて あそぶ」 である。) 

岩 同 (頑 岩の やうに かたいと いふ 意で なく、 「かたくな でかたい 意で ある。」) 

我 張る (頑 强く 抵抗す る 意で ある。) 

〔ケ〕 

遶季 (澆 しい 一 道德 風俗の 輕 薄な 世と いふ 意で ある。) 

0  (僥 お g 澆は ゲゥ、 うすい。) 

亨年 (享 るけ 生 をう けて 生きて ゐた 年齢の 意で ある。 亨は 「とほる」 「あまる」 の 意で ある。) 


一 400 — 


^束 (撿 と (t 撿 はしらべ るで ある。〕 

決審 (結 ^す 審^が 終る 意味で、 刑が 定 るので あれば 判決で ある。) 

共力 (協 ^ 力 を あはせ る。 共に する ではない。 叉 脅 1^ や と 誤り 易い。 共同 事業 は 「とも 

-^」 で、 協同 一 致 は 「心 を あはせ る」 意で ある。) 

見界 (解 ひ みこみと か 意見の 意で あるから 解で ある。 見える 範 固なら 服界 である。) 

輕擧 盲動 (妄^; だ 「見えす に 動く」 ともとれ るが、 「出たら め」 とか 「わけもなく」 動く 意 

である。〕 

根醵 (據 醵は キヨ、 金 を 出し合 ふ。 醵出。) 

剛情 (强 剛は柔 の 反對の 意で ある。 强は 弱の 反對 である。 「堅い 心」 ではなくて r 强ぃ 心」 

である。: > 

講和 (媾: 交 戰國が 敵 對行爲 を やめて 仲^りす るので ある。; > 

互 格 (角 Hp 互 ひに 相當る 意で ある。) 


—  401  — 


9  き 

五 里 夢中 (霧 り 見えない 意で あるから 霧に かこまれた やうと いふので ある。) 

言語 同斷 (道 " 言 ふこと を斷 つ、 即ち 言 ふこと が出來 ない とい ふ 意で ある。 同じく 斷 つで 

はない。) 

行路病者 (旅 行旅 は 旅人で ある。 旅人が 途中で 病氣 になる 意で、 r 路を 歩行す る」 ではない。 

今 はよ く 通行 者の 病氣 として 行路病者 とも 書く。 ) 

交代 (任期が 滿 ちて 入れ か はる 意 はこの 方が よい。 「交り 合 ふ」 なら 交替。) 

懲り 固まる (凝 む" 懲は 「こりる」) 

〔サ〕 

妻 君 (細 小 君と 同じで 諸 大名の 夫人と いふ 意で あつたが、 漢の柬 方朔が 自分の 妻の こと をい 

つたので、 他人に 自己の 妻の こと をい ふ 意と なり、 更に 今 は 他人の 妻と 誤り 用 ひる。) 

三弦 (鉉 弦 は 弓の つるで あり、 絃 はいと である。) 

®  %  9  , ,  ,  、、、、 

骸子 (骰 こん 骸は ガイで ほねで ある。 骰は 一 字で もさい ころの 意で ある。) 

裁 下 (可 裁いて 下す のではなくて、 可し とする ので ある。) 


—  402  — 


詐僞 (欺れ ま いつはつ てだます こと。) 

裁 培 (栽 "炎 裁 は 布な ど を 「たちきる」 の 意で ある o) 

壯重 (莊 ^に 壯は 「 さかん」 である。 それ故に 壯嚴も 同じく 誤りで ある。) 

最後 を とげる (期 一 希 終りの 時で ある。 最後で は 一 番 あと。) 

深切 (親 親 は 「いつくしむ、 か は ゆがる」 意で ある。 ) 

衆知 (周 ^は 衆 は 「大 くの もの」 である。 周 はもつ と廣ぃ 意で 「あまねく 全部」 である。) 

主旨. (趣 ^;; 「主なる 旨」 ではなく 「わけの 旨」 である。) 

除 行 (徐 K おもむろ、 即ち 靜 かに 行く ことで ある。) 

植民 (殖 おや 植 はう ゑる で、 此の 場合 は 人民 を ふやす 意味で ある o) 

七 轉八倒 (願 バぉ" ト^ なる 顚倒は 「さかさまになる」 ことで、 之に 七と 八 をつ けた。) 

®  、  、  ら. s さ 

若 冠 (弱 支那で は 男子 二十 才を 弱と いふので、 ^ではない。 禮 記に 「人生 十 年曰レ 幼、^。  二 

十 曰, 弱、 冠。 三十日 レ壯、 有い 窒。 四十 曰い 强、 而仕 I と あるから 出た 語で、 二十になる と 元 


3 

o 


服す るので 「二十 才 位の もの^-こと」 である。〕 

お 分 (十 充分で も r 充ち る」 で 誤りで はない が 十分の 方が 正しい。〕 

指 輝 (揮:^ る 字 は 似て ゐ るが 全く 違 ふ。)  , 

實踐窮 行 (躬 | らだ 自分から 行 ふので ある。 窮 では 「き はまる」) 

收況 c 狀 ^ 牧は 「おさめる」 で、 似て ゐ るが 全く 異 る。) 

眞髓 (神 事物の ほんとの もの、 即ち 正味と いふ 意で、 精神と 骨髓 とい ふ 意から 出た ので あ 

る。〕 

@  さ、 

^潦 ^ す ^は 「そ もく、 はねる」 等の 意で ある。 刺戟で もよ い。) 

賞揚す る (稱 &げ^ ほめあげて、 いひた てる 意。) 

純 厚 (醇^ ^ 人情 や 風俗が 手厚い とい ふ 意で、 ひ S ではない。) . 

進涉 (陟 ジ I 仕事が 進みの ぼる ことで ある。 涉 はセゥ とよむ。) 

©  ち J  、 

狀體 (態 體は 「からだ」 である じ 

妆獏 (穫 おる" 農作物 を 取 入れる 義の 時は穫 である。 ^ は 魚 d| を 捕へ る こと。〕 


一 404 — 


唱導 (道 唱へ いふ 意で ある。) 

紹會 (介 紹は セゥで 「うけつぐ」。 會 ふので はない じ 

照 介 (會 「問 ひ 合せる」 意で ある。 照 は セゥ。 ) 

終極 (局 局 は圍碁 等の 勝負の 場面と いふ 意。 「局が 終る」 である。 「終り 極まる」 ではない。 

推考 (敲 ,: 詩 や 文の 句 をね る ことで あるが、 これ は 故事の ある 語で ある。 即ち 唐の 詩人 賈 

島が 敲と 推と どちらに しょうかと 考へ、 韓退 之の 意見で 敲 にした とい ふので ある。) 

數奇 (寄 これ は 誤りではなくて 字に よって 讀みも 意も異 るので ある。 數奇は スゥキ で 「ふし 

あはせ」 である。 この場合、 數は 運命、 き は 相 合 はない とい ふ 意。 數寄は 我が 國で スキと 

よんで、 「ものす き、 風流」 の 意で ある。) 

推 選 (薦 財い 推し 選ぶ ではない、 す i める ので ある。) 

推賞 (獎 財る 推賞 は 「推し ほめる」 とい ふ 意に 用 ひ、 全く 誤りと いふ わけで はない。 獎と書 i, 

o 

くと 「推しす X める」 となる。)  一 


广 セし 

撰擧 (選 おら 撰 は 文 や 詩をク いる。? 

接 迫 (切 接 は 接近な. ど-いって 近づき ふれる 意で ある。) 

切 角 (折 郭林宗 が 雨に あって 巾の 角が 折れた の を、 他の 人が まねた 故事) 

接衡 (折衝 敵が 衝 いて 來 るの を 挫く 意から、 敵と 交涉 して 我が 體面を 全くす る 義に變 つた。) 

專問 (門 專ら問 ふで はない。 或る こと を 主と する 意で ある。) 

正服 (制 め^ 「正しい」 とい ふので はなくて、 「さだめた」 即ち 制 式の 服で ある。) 

絕對 絶命 (體 むら 體も 命も絕 えようと する 意から 出來 たので ある。) 

絡體 (對 っゐ 他に 對立 する ものがない とい ふ 意で ある。 ) - 

©  へズ, >  *  〕  、  、  9  t  W 

戰々 競々 (兢 がい 荥 競 は 競爭の 競で きそ ふで ある。 「びくく 恐れる」 義に はならない。) 

生存 競走 (爭 生存す る こと を 走り くらべる のではなくて、 爭 ふので ある。) 

^後 策 (善 「後日の ためによ いやう に 今から 仕向けて 置く 計畫」 とい ふ 意で あり、 叉 「不結 

果の あとしまつ」 とい ふ 意に も 用 ひる。 それ故に 「前後の 計畫」 ではない。〕 


—  406  — 


ii 寺 (即 サ あ i- は 早い とい ふ 意になる が、 普通で は 即座の 意に 用 ひる。) 

• 進 ^で 早く 進める ではなく,  くづ- して ゐ るの を 進める ので ある。) 

i. 直 (率 や は 「お へ る」 である。) 

# 先 (率 率 は 「ひき 從 へる」 とい ふ 意味から 出來 て、 「さきだつ、 さきだてと なる」 義。〕 

粗製 i 造 (濫 ^だ 「みだして 造る」 のではなくて、 「やたらに 造る」 ので ある。:; 

i 嚼 (咀 ^^く  i は 【かむ」 の 意 も あるが、 齒 がくひち がふの 意で ある。 齟 II。〕 

〔夕〕 

探險 (檢 it 危險を 探る ので はない。 探り しらべる ので ある。) 

41 の緣 (他生 佛敎 でい ふ 語で、 この 世ば かりではなくて 他の 世、 即ち 前世で も緣 があった 

とい ふ 意で ある。) 

短刀 直 入 (單 た 1 刀で 直ぐに 敵陣に 切り こむ とい ふの が 元来の 意で、 それから 本物に 直ぐ 

入り こむ 意味に 用 ひる やうに なった ので ある。 短い 刀で はない。) 


一 407 — 


〔チ〕 

註文 (注 £3 註 は 「意味 を ときあかす」 とい ふこと である。) 

注吿 (忠 誡實の 心で 吿げ ると いふ 意で、 吿を 注ぐ ではない。) 

直經 (徑 I" レ まっすぐの 道で ある 字 はよ く 似て ゐ るので 書き誤り 易い。) 

哀情 (衷 !;^ あは^ はれで ある。) 

頭 骸骨 (蓋 W 骸は ほねで ある。 頭 を ふたして ゐる 骨の 意。) 

@  ちノ  *c\  こら 

追懲 (徵 がめ W 後から 懲 すので はなく、 とりたて X 集める ので ある。) 

釣 二: 味 (眛 い 怫敎に 夢中になる 事 を 三昧と いふ 事から、 何でも、 もの 事に 熱中す ろ^と 

なった。) 

0 ァ〕 

低腦 (能 引们 能力が 使いと いふ 意で ある。) 

®  ひろ 

天 筌 開濶 (海 海の やうに 濶 いので、 開けて 濶 いので はない。) 


一 408  — 


歒慨心 (懷 ど これ は 「君主 を うらみ 怒る 者に 手む かひ あたる」 とい ふ 意で あるが、 「敵 

なげ  - . 

と爭 はう とする 意氣」 とい ふ 意に 用 ひる。 それ故に 慨 くので はなくて 「い 力る」 の 意で 

ある。〕 . 

但抗 (抵 ; 5^ 低 は 「ひくい」 である。) 

巔 末 (顚 ^ 巔は 山の頂 上で ある 。顧に は 「くつが へる」 とい ふ^も あるが、 こ、 では 「も 

と、 根本」 である。 即ち 顚末は 事物の 始と 末。 始 から 終までの 有様の^。) 

〔卜〕 

特志家 (篤 ^ つ 「特別」 の 意味で はなく、 あつい 志 を 持った 人と いふ 意。) 

吐 潟 (瀉 U 字 は 似て ゐ るが 全く 違 ふ。) 

®  ン ITN  、 、 、 

同 巧異曲 (ェ ざ^ 巧 は 上手。 この 意味 は 「した 結 菜 は 同 じで も 趣は異 る」) 

同朋 (胞 :;; 同じ 腹から 生れた 兄^と いふの が 元来の 意で ある。) 

〔ナ〕 

難 波 船 (破 いる" 荒天の 海上で 破れる ので ある。 波に くるしむ ではない。) 


2〕 

日 新月 步 (進 日 新と いふ 句 も あるが、 意味が 別で ある。 この場合 は 日 進と 月 歩と は、 大體同 

じこと で對 句で ある。) 

®  -こ *H  ち ぼ 

二足三文 (束 £S  二足で 三文と いふので はなくて、 二つの 束で 三文の 値で ある。) 

肉 身 (親 非常に 親しい ものと いふ 意で ある。 肉と 身と たと へたので はない。〕 

澎脹 (膨 お;;; 澎は 水が 盛な 様子の ことで ある。) 

陪償 (賠 陪 では 「かさなる、 したが ふ」 の 意。) 

波亂 (瀾 「波瀾 を 起す」 は 大きい 波 を 生じる 意で、 波の やうに 亂れ るので はない。) 

萬 善 (全 M レ 善い のではなくて、 すべてが 完全の 意で ある。) 

潑刺 (刺 f  わ 刺 は 「さす」 である。 これ はよ く 似て ゐて、 よく 誤る。〕 

®  ま)、、 

放從 (縱 Ji„ " 從は 「したが ふ」 で 意味 をな さない。〕 

發動 汽船 (機 これ は r 發 動の 汽船」 ではなくて r 發 動機の 船」 である。) 


一 410  — 


畢世 (生 世を畢 るので はなくて、 生涯 を畢る 意で ある。) 

非認 (否 非い 認 ではなくて、 否 と 認める とい ふ 意で ある。〕 

か 迫 (逼 W ま ifs も 迫 も 同じ 義 である。 r 必す 迫る」 ではない。.) 

〔 フ〕 

®  く だ  , 

粉 骨碎心 (身 「骨 を 粉に し、 身 を 碎く」 と對 句に なって ゐ るので、 骨に 對 して 心で は 通らな 

いじ 

不思儀 (議 引力 「思 ひ議る ことが 出来ない」 こと-いふ のが この 字の 元來 の^で、 それから 

現在の やうに 變 つて 来たので ある。) 

不則 不離 (即 い 「即 かす 離れす」 とい ふ 意で ある。 則 はき まりで 全く 別。) 

腹臣 (心 氣が 合って 賴 みとなる とい ふ 意で ある。) 

復雜 (複 K 重って いろく まじる 意で あるじ 


一 411  — 


變屈 (偏: S ひ 變 るではなくて、 一 方に かたよって ゐ るので ある。) 

@  t ナ、 

避 易 (辟 ^ 避 も 「さける」 であるが、 辟 を 書く。〕 

辯當 (辨 我が 國で あてた 熟語で 「そな へて、 食事に 當る」 意で ある。 ) 

〔ホ J 

@  もて *^ 

飜奔 (弄 M お 奔は 「はしる」 である。 風に ひるが へる やうに ^ふま、 にもて あそぶ ので 

ある 讀み方 も 違 ふ。) 

坊備 (防む せ 敵 を ふせぐ ために 備 へる 意で ある。) 

〔ミ〕  、- 

見 倣す (做 ; J; 倣 は 「まね をす る」、 做 は 作と 同じで ある。) 

無我 無 中 (夢 夢の 中に ある やうに 自分 を 忘れて しま ふ 意で ある。) 

〔モ〕 

盲動 (妄 何も 知らす にめ くらの やうに 動く のではなくて、 みだりに 動く ので ある。 妄信 


—  412  — 


も 同じ。) 

妄從 (盲 " 理由 も 知らす に從 ふので ある。) 

勇姿 (雄 勇姿で も 意味 は 通じる が、 「男らしい 姿」 の 方が よい。〕 

勇飛 (雄 これ は 雄飛で ある。〕 

S 

餘世 (生 餘 つた 生涯、 即ち 殘 りの 年で ある。) 

〔ラ〕 

亂用 (濫 "た むやみに 用 ひるので、 亂雜 ではない。 濫は 「みだりに」 とい ふ 副詞に 用 ひる。) 

亂費 (濫 前と 同じで ある。) 

,  一七、 俗 字 


一 — 


正しく はない が、 普通に 廣 く^ ひられて ゐる字 を 俗字と いって ゐる。 中には、 俗字の 方が 餘 

りに 一般に 用 ひられる ので、 正字と 信じて 使って ゐる やうな の も ある。 その 反對 に、 俗字と 思 

つて ゐ たのが、 案外、 正字であった りする。 それ 故、 正 俗と 對 照して 見る こと は、 認識 を 新に 

する 意味から 必要で あらう。 

これ も、 全部と なると 限りがない ので、 一般に 使用され る ものに 止める。 (上が 俗字。 下が 

正字)  - 

ァ 亜— 亞 (惡) 

ィ 異. I 異 陰— 陰 懿— 懿 韻 —韵 

ゥ 欝 —• 

H 衛— 衞 焰— 焰 埴 I 鹽 

ォ 牲 —往 奥 I 奥 温 I 溫 (慍) 

力 間- 艮 ilfrl お) 鮮 I 解 隔 I 隔 签— 蓋 fm 寛 ー 寛 濶—, 改 I 改 (誠 お) 

嵌— 箝 33 舘 I 館 碍 I 礙 f0  SI 回 (^く) 卧,^ 


一 414  — 


I  I  、菓子、 果物と ノ き m 零 i へ 正字 を 知る ン へ ^ 忘れ) 

菓 I 果, ® 別して ゐる」 享, I 攀 鰐— 鲺 V もの はなに 1 V ら れてゐ る、 

GE-  f へ 別 字と 思はン f  § へ 正字 を 知る ン き 

桿— 杆 I れてゐ る ) お —品 3  ( 者 はない J  f0 

キ 强 I 強 况— 況 戯 I 戲 毁 ー 毀 丹— 卉 ま— 汽 (I も) 寄 —寄 (崎、 騎) ^—旣 (厩) 

I  I 脇— 脅 (tlf^c^s" ヒ) f0  規— 規 (概 ぽ! る) 

照— 熙 霜— 器 驛|驟 010  〔t 宜 gl 膨 (鼓.^ f る) 躬 I 船 (額) 去 I 玄 

恭 —愨 呌— 叫 

ク 群— 羣 勲 —勳 

ケ减 I 減 决 I 決 憇— 憩 献— 獻 蒸 I 兼 刑 —刑 (硏、 锌、 ^) 劎— 劍 f0 

携 I 攜 彦 I 彥 

n 寇 —寇 戶 I 户 抅 —拘 (枸) 皋— 臬 光 I 究 010  MI0 昂—! :& 

敲 —敲 石— 斛 !:— 刻 令— 今 鈞— 鈎 効— 效 銜 —衡 号— 号 (號) 冴— 冱 

恒— 饭 

サ 殺— 敉 歲— 歳 黉— 贊 (讚、 鑽) 做— 作 左— 宅 冊— 冊 


—  415 — 


シ 姉,— 姊 尋 |& 潞— 澀 准 (準) I 準 衆— 冢 晋— 晉 真— 眞 竪 —豎 墻 |牆 

稱— 偁 冗— 冗 BI- 刃 素— 乘 食— 旨 衝— 衝 丈— 丈 (gl) 

翁— 州 一  0 柿 厠 —廁 収— 牧 (敍) 舎 I 舍 床— 牀 (Mt^f る) 010 

ス 醋 I 酢 

セ 僭 (僭〕— 僭 (潸) 窃— 竊 實— 靑 (淸、 情) 髯 I 雜 剪 I 翦 杏 I 世 繊 I 織 

ソ 撹 I 損 揷 I 插 総— 總 (聰) 窓 I 窗 象 I 象 忽— 悤 搜— 按 即— 卽 村— 邨 

タ 鉢— 體 丹— 丹 (謝き) 堇— 臺 (I き 夢— 多 楕 —鴨 菜— 朵 駄— 馱 

チ 耻— 恥 痴— 癡 腸 I 腸 (場) 厨— 廚 遲— 遲 着— 著 猎— 豬  ■ . 

テ 揑 —指 

ト 鬪 —鬪 兎— 免 , 

ト へ 正字 は 知る ン ^ きへ w 字 を 知る ン 

ナ 奢 (者がない ) 夺— 柰 I 者がない j 

ハ 半— 半 罸 I 罰 罵— 1 跋— 跋 (拔) e— 霸 搬— 般 (龍默 し^") 栢— 柏 幾 I 發 

ヒ 賓 I* 水— 冰 秘 I 秘 貓— 猫 眉— 奢 (赃 tn) 


一 416 — 


-417  — 


フ 噴- |ぉ & 冨 I 富 欠— 文 

<  f 平 别— 別 I  S3  . .  . 

ホ 旁 —傍 褒— 褒 胃— 冒 (S) 亡 11^1 歩— 歩 ( おお) 舗 |鋪 畝— 嗨 几 —凡 

マ 麻 —麻 桝 I 粉 . 

メ 麵— 麴 

モ 莽 —莽 泶 —蒙 

ュ 俞 I 兪 (偸、 論) 

ョ 熔 —鎔 羊— 芊 (丽 る)  •  • 

ラ 覧 —覽 (欖、 纜) 敕 I 賴 § 埒 I 埒 

リ *— 略 両— 兩 凉— 涼 隣— 鄰 亮 I 亮 (I お) 梨— 梨 (まお f る) 倍- 吝 一良一良 

留 I 罱 (榴、 溷) 裡— 褢 隆 I 隆 裏 I 稟 (凜〕 

ル 瑠 —瑠 類 I 類 

レ 令 —令 隸 I 隸 


P 荦丄牛 010  §  i 

8 

4 

1 八、 國字 

我 か國で 特に 作った 字が ある。 これが 國字 であるが、 中で は 思 ひも よらぬ 字が 國字 であった 

りして ゐる。 國 字の 中には 今 は 使 はぬ もの も あるが、 大體 次の やうで ある。 

ァ あんかう 蜊 あさり 遒 あつば に 

ィ H いわし (f お) き いすか  一 r 

ゥ 魷 うぐ ひ ^CT) 

ォ し (^お) 俤 おもかげ (m")  s おきて 絨を どし (お f む 

力 s かる 桂 かつら (3 樓 かし (Is い) 縱 こうじ 3fM お) 錢 かすが ひ 

转 かみしも (お おつ) 0f  S3 きかす のこ 

キ 樵 I 薦を) 


ク e  くぬぎ est) 条 くめ (は lg 宇) 俾 くるま (リ^) 喻く らふ 

n  ^ こがらし M 、飾 こち 恢 こらへ る (们 込 こみ 

サ 柳 さかき 杯 供) 錄 さば 整さ& 

シ 稱 しきみ (H)  0 しっけ (ば ぽ) 0 しゃち 鴨 しぎ (ば ゐ) 

ス. 檔 すぎ (類) 、u すべる は 1 で) 

セ腺 セン 盼 せがれ (1^1) 

ソ 杣 そま (ば I) 

タ * たうげ (お;^ n)  ® たら (^お 鍾) m たこ (=5 

0 たす き 

チ 衞 ちどり 狎 ちん 

/ 巧つ- ヽる へ 門の 前に 山が あ〉 ± つ 二 へ 道が 十文字に ン g つ.」 t つ; 

ッ 閊っ 力へ る, るので つかへ る」 辻つ じ广 交って ゐる ) ^ つくみ 栂っ 力 

棲 つま (tl) 

ト 働 はたらく  (。い ) 較 どぢ やう 迎 とても 辆 とも 


ナ g なぐ 0 なます 

一一 鲁 こま へ 水に 入) 花て え へ 刀の やきに 雲形の 美ン 3 こで , 

一一 ^ に ほ 广る鳥 ) 0 にえ 广 しい あやの ある もの」 匄 に ほふ 

ヌ 钦 ぬかみそ 

、 4n よで 十、 水 を 乾して 白ン 田よ e ナヘ 火で やいて ノ  、、。 こ:、 岩の き リン 

ハ 畠-ねたけ (くな つた 田 ) ^;: s たけ r つくった 田」 ^たに (免った 間 j 

f よ t ン へ 新しい こと ン 

i はなし I を 口にする」  . 

匕 鰭 ひが ひ 鍈 び やう 

フ ゆ ふもと (1  = る) 

マ 树 ます 0 まさ (は^) 

厶. 接む しる (K)  * むしる (^^て) 

モ空 もく 大工 (お" 5) 梳 もみ ぢ m もみ 

ャ鏠 やり 

ュ 歪 ゆがむ 桁 ゆき 

ヮ枠 わく 


十九、 特殊な 宛 宇 


現在 新聞、 雜誌 等に 出て 來る 宛字 は、 讀み音 を あてたり、 意味 を 無理に あてたり、 或は 兩方 

混用したり、 さま, <\- であるが 中には 判じ もの やうな の も ある。 そんな もの は あまり ほめた 

もので はない ので、 寧ろ 假名で 書いた 方が 良い ので あるが、 讀 めな いのも 困る ので 列舉 する。 


あ 彼奴 あいつ 

歷梅 あんばい 

淺墓 あさはか 

,間 敷 あさましい 

淺猿 しい あさましい 

い 日 外 いつぞや 

敦圈く いきまく 


白地 あからさま 

呆氣に とられる あっけ 

天晴 あつ ばれ 

厚 釜 敷 あつかましい 

阿房 あはう 

生不好 いけすかない 


—  421  — 


5 浦 山 敷し い うらやましい 

迂路つ く  、つろ つく 

胡亂 うろん 

お 奥床しい おくゆかしい 

女郎花 をみ なへ し 

以爲 おもへ らく 

か 可愛 かはい > - 

{4! 穴 からっけつ 

可成 かなり 

隱坊 かくれん ばう 

^^/\ がらく 

签繰 からくり 

き 吃 度 きっと 


五月 g、  00  - つるさい 

迂路/.^ うろく 

胡散臭い うさんくさい 

大雜把 お ほざつ ば 

十八番 おはこ 

#許 がましい を こが ましい 

可哀 さう かはい さう 

强突張 がつつ くばり 

頑丈 がん ぢ やう 

岩疊 がん ぢ やう 

歌留多 かるた 

g 山 ぎ やうさん 


一 AOO 一 


きょろ/^ 

く 愚 圖/\ ぐづ /\ 

吳れる くれる 

け 劍呑 けんのん 

鳧 がっく けリ がっく 

こ 胡麻 化す ごまかす 

業 突 張 ごふつ くばり 

さ 薩張 さっぱり 

P さぞ 

左程 さほど 

三 1 さんぴん 

し 素人 しろうと 

洒 蛙./ \ しゃ あく 


彼奴 き やつ 

吳々 くれ t 

刽突 けんつく  . 

下衆 げす 

是許 こればかり 

這 さすがに 

偖、 扨 さて 

左 迄 さ ま で 

妻惚爺 サイ ノロ クイ 

鹿 爪 顔 しかつめ が ほ 

冗談 じょうだん 


一 o 


宵氣る しょげる 

乍 併 しかしながら 

七 面© 臭い しち めんだ うく さ 

す 素破抜く すっぱぬく 

素 破、 驚 破 す は 

寸寸 ずた く 

擦 太 揉 太 すったもんだ 

せ 世話 敷い せ はしい 

そ 十露盤、 算盤 そろばん 

た 頓母 敷い たのもしい 

鱒 腹 たらふく 

ち 一 寸、 鳥 度 ちょっと 

猪口才 ちょこざい 


洒落る しゃれる 

白面 しらふ 

素敵 すてき 

素晴 しい すばらしい 

素寒貧 すかんぴん 

切羽つ まる せっぱつまる 

大口 魚 たら 

魂消る たまげる 

丁度 ちょうど 

地圍太 ぢ たんだ 


血塗 ちまみれ 

つ 圖々 しい づ うくし い 

iS 發 つるべうち 

て 手 古 招る てこずる 

出 露 目 でたらめ 

天鞋羅 てん ぶら 

木 偶の 棒 でくのぼう 

と 兎に角 とにかく 

頓痴氣 とんちき 

頓珍漢 とんちんかん 

、い 太 ところてん 

何奴 どいつ 

pr^H どぶろく 


圜 太い づぶ とい 

手 具 脛 ひく てぐすね ひく 

手 莨 似 てまね 

轉手 古舞 てんて こま ひ 

兎角 とかく 

頓 間、 頓馬 とんま 

^狂 とんき やう 

左 見 右見 とみ かう み 

泥 塗 どろまみれ 


—  425  — 


な 可成 なるべく 

に 二進 三 進 にっちもさっちも 

ね 寢腐 ねく たれ 

の 野呂間 のろま 

野良仕事 のらしごと 

は 灰殼 はいから 

蠻殼 ばんから 

ひ 素 見 ひやかし 

樊驚 びっくり 

ふ 腑甲斐ない ふが ひない 

巫山戯る ふざける 

へ 篦棒 べらぼう 

ほ 弗々 ぼつく 


刀 豆 なたまめ 


^0 の んき 

呑 平 のんべえ 

果敢い はかない 

派手 はで 

只管 ひたすら 

不貞 腐 ふてくされ 

不貞寝 ふてね 

變挺 へんてこ 

凡藏 ぼん くら 


盆 槍 ぼんやり 

ま 問 誤 まごく 

間 誤つ く まごつく 

豆々 しい まめく しい 

滿更 まんざら 

み 不見目、 慘め みじめ 

不見轉 みずてん 

む 六ケ 敷し い むづ かしい 

無闇 t やみ 

め 滅茶苦茶 めちゃくちゃ 

滅多 めった 

M 切り めっきり 

目 星し い めぼしい 


ほ ® ほろ よ ひ 

眞逆、 豈夫 まさか 

間違 ひ まちが ひ 

眞平 まつびら 

土產物 みやげ もの 

無鐵砲 むてつ ぼう 

無理矢理 むりやり 

面^ ふ めんくら ふ 

目出度、 芽出度 めでたい 

丁羝魚 めだか 


—  42:  — 


も 耄碌 もうろく  勿怪の 幸 もっけの さ ひ は ひ 

や 矢 鱒 やたら  野暮 やぼ 

矢 張 やっぱり  躍起 やっき 

矢 庭 やに は 

ゆ 由々 しい ゆ 》 しい 

よ 宜 敷く よろしく  方 山 よも やま 

泥醉者 よっぱら ひ 

ろ 無價 ろ は 

二 〇、 外國 語に 宛てた 字 

外國 語に 漢字 を 宛てる の は隨分 無理な 話で、 かう いふ 漢字で 書かれて は讀 めなくなる 

つて、 假名ば かりで 書いても 煩し い。 普通 化して ゐ るの だけ は覺 えて 澄きたい。 


地名 ゃ藥 品、 畢術 上の 名稱 等に 宛てた 漢字 は 

ァ 亞 鉛板 ァ H ン ばん 

亜爾 加里 アルカリ 

瀝靑 アスファルト 

亞米利 加 (米 阈) アメリカ 

亞 剌比亞 ァラ ビヤ (地名〕  . 

酒精 アル コ - ル 

亜爾然丁 アルゼンチン (國 名: > 

歷山 大王 ァレキ サン ダ ー 大 HI- (人名) 

ィ 时 インチ 

英吉利 イギリス 

伊太利 ィ タリ.' 

印度 ィ ン ド 


可成 多 い が 廣く使 はれな い の は 省略した。 

ゥ 烏龍茶 ゥ - o ン ちゃ 

$0 ウィルソン (人名) 

維也納 ウィン (地名〕 

ェ 埃 及 H ク ブト 

X 光線 ェ ッ キスく わう せん 

ォ 溫突 オン ドル (f 藝 默) , 

和 蘭 オランダ (國 名) 

濠 太利亞 (濠洲) ォ-ス トラ" ァ (1 名) 

管絃樂 ォ -ケス トラ 

力 合羽 カツ パ 

加奈陀 カナダ 


加 比 丹 カピタン 

ぬ曲民@ カノン. H う 

JJ/  石  IT 

加特 カ敎會 カトリック 敎會 

加答兒 カタル 

硝子 ガラス 

瓦斯 ガス 

金糸 雀 カナリア 

金 巾 カナ キン 

加 壽貞羅 カステラ 

キ 木栓 キルク 

杆 キ ロメ ー トル 

0 キ D グラム 

煙管 キ セル 


幾那 キナ 

希諷 ギリ シャ (國 名) 

ク 瓦 グラム 

n 珈琲 コ ー ヒ ー 

洋杯 コ ッブ 

- 護謨 ゴム 

古 倫 僕 コロン ボ (地名) 

サ 朱欒 ザボン (木の 名) 

珊 サン チ 

洋刀 サ I ペル 

桑 港 サンフランシスコ (地名) 

更紗 サ ラサ (織物の 一 ) 

シ 石驗 シャボン 


酒 

シ シ 
ャ ャ 
ン ン 
パべ 


仙 セント (米さ 

聖路易 セント ルイス (地名) 

ソ 曹達 ソ, 'ダ 

タ 煙草、 莨 タパ n 

達 摩 ダル マ 

打 ダ ー ス 

チ 丁 幾 チン キ (藥 品) 

芝罘 チ.. 'フ- (地名) 

西藏 チベット (地名) 

テ 兩 テ, ル (支那お) 

紛 デシ リットル 

丁抹 デシ マ ー ク (國 名) 

阜子 テ,' ブル (國 名) 


ン へ佛國 製の 上ン 

ン の 葡萄 洒」 

志 シ ルリ ング (英貨) 

瓜哇 ジャワ (地名) 

00 シャム (國 名) 

襯衣 シャツ 

賴幅 シルクハット 

沙翁 シ H クス ビア (人名) 

フ 肉、^ ソッゾ 

蘇 格 蘭 スコットランド (州 名) 

油 頭 スヮ トウ (地名) 

瑞西 スィ ス (國 名) 

セ 0 センチ メ I トル 

錫 蘭 セィ o ン (地名) 


一 431 — 


ト 獨逸 (獨國 ) ドイツ (國 名) 

隧道 トンネル 

土 耳 古 ト ル コ (國 名) 

杜翁 トルストイ (人名) 

頓 卜ン 

弗 ドル (米貨) 

ネ 螺旋、 螺子 ネジ 

ノ  g 威 ノ, -ル ウェイ (國 名) 

八 牛酪 バタ- 

把手 ハンドル 

鳳 梨 パイン アツ ブル 

麵包 パ ン 

洋絃 バイオリン 


匈牙利 ハン ガリ ー (國 名) 

巴 繭 幹 バルカン. (地名;! 

巴奈馬 パ ナ マ (地名) 

哈雨賓 ハルビン (地名) 

漢堡 ハン ブ ルグ (地名) 

匕 天鵞絨 ビ 。たト (織物の 一 

洋琴 ピアノ 

麥酒 ビ, ル 

比律賓 ヒリ ツビ ン (國 名) 

短銃 ビス トル 

フ に フ I ト 

->  WN ヒ. I 卜 

佛蘭西 (佛國 ) フランス 

勃 牙 利 プ ルガ リア (國 名) 


—  432  — 


^ フラン (佛貨 ) 

浮標 ブイ 

ず府 ヒア デル ヒア (地名) 

剌西雨 ブラジル (國 名) 

刷子 ブラシ 

海 牙 ヘイグ (地名) 

調帶 ペルト 

封 度 ボンド 

啷 筒 ボン ブ 

葡萄牙 ポルトガル 

釦 ボタン 

磅 ボンド (英貨) 

香 #3 ホンコン (地名) 


マ 馬克 マ,' ク (獨 货〕 

哩 マイル 

燐寸 マ ツチ 

馬 耳 塞 マルセ ー ュ (地名) 

麻尼剌 :ラ (地名) 

•Z  ^ ミ リグ ラム 

凭 ミ リメ, トル 

メ 米 利 堅 粉 メリケンこ 

米、 米突 メ ー トル , 

墨 其 亞哥 メキシコ (國 名) 

木精 メチ ー ル 

莫大小 メリャ, ス 

旋律 メ  P デ- 


ャ碼ャ し ト 

ョ 沃度 ョ 1 ド (藥 品) 

沃剝 ョ.' ボッ (藥 品) 

歐羅巴 ョ, '。ツバ 

ラ 洋燈 ランプ 

喇麻敎 ラマき やう 

羅紗 ラ^ヤ 

ニー、 慣 用 音 

漢字に は 元来の 音の 外に 習慣 上の 讀 みが ある 

讀 みなら されて ゐ るので 一 般に用 ひられて ゐ る- 

普通 用 ひられて ゐる ものに つき 說明を 加 へ よう _ 


リ 立 リットル 

里昂 リオン (地名) 

兩 リ ヤン (支那 貨^ 

^ 呂宋 ル ソン (地名) 

留 ル I ブル (露 貨) 

羅^ 尼 ル,' マ-一 ァ (國 名) 

口 露西亞 0 シァ 


これ は 正しい 音で はない が、 長年の 慣例から 

これ を 一 々あげる と 限り はない ので あるが、 

括弧の 中の 讀 みは 正しい 音、 そして 意味と 熟 


—  434  — 


寓偶 屹喫他 攪驚 鏜該森 
居數 立茶岐 亂駭 袖當々 


語 を あげた * 


r ァ〕 


斡 アツ (バ^ン) ま はる、 めぐる 


〔ィ〕 

院ヰン (M ン) 

〔力〕 


駕 ガ 

佳 力 

蓋 ガイ 

街 ガイ 

硬 カウ 

阀, カウ 

拷 ガウ 


力 ィ 

(カイ) 

(カイ) 

(ガウ) 

(カウ) 

(カウ) 


かこ ひ。 てら 

のりもの。 のる 

よい 

かぶせる。 お ほふ 

まち。 四つ辻 

かたい 

こ はい 

むちうつ 


斡旋 

寺院 

佳良 

蓋 世 

街路 

硬骨 


拷問 


森 ガウ 

該 ガイ 

0 ガイ 

駭 ガイ 

挖 カク 

岐 ギ 

樊 キッ 

吃キッ 

偶 ダウ 

寓 グゥ 


(ク ワウ) 

(カイ) 

(カイ) 

(カイ) 

(カウ) 

〔キ〕 

?) 

(ケ キ: > 

(ギッ ) 

〔ク〕 


ゴ ゥ 

(グ) 


と ろく 

そな へる。 あたる 

よろ ひ 

おどろく 

かきみだす 

わかれみち。 また 

く ふ。 のむ 

そば だつ 

一 一で 割れる 數 

よる。 かりの やど 


—  435  — 


窟クッ (コ ッ) 

窩 クヮ (ヮ) 

月 グヮッ (ゲ ッ) 

广ケ〕 


あな 

あなぐら 

つき 


鯨 ゲイ 

莖 ケィ 

峽ケゥ 

狹ケフ 

驍 ゲゥ 

摩ゲキ 

隙ゲキ 

硯ケン 

妍ケン 


(ゲイ) くぢら 

くき 

山の 間 


力 ク 

ギヤ ゥ 

力 フン 

ゲ フ」 

カフ ノ 

ゲフ」 

(ケゥ ) 

(ケキ ) 

(ケ キ) 

(ゲ ン) 

(ゲ ン) 


せまい 

すばしこ い 

つよい 

はげしい 

すきま 

す 丈 り 

うる はし い 


巖窟 

蜂窩 

月日 


峽谷 


囊將 


寸隙 


妍華 


誇 


5n\ 


次 


弑 


ゴ 

コ ゥ 

ザィ 

ザ ン 

ザン 

シィ 


〔n〕 

(クヮ ) 

(コ) 

(コ) 

〔サ〕 

(n 

(サ ン) 

(サ ン) 

(シ) 

{ シ の 


ほこる  誇大 

まもる  護送 

うしろ。 あと  後世 

つみ  罪人 

かげ 口す る  讒言 

きりはなす  靳罪 


つぎ  次男 

しげる 

身の 養 ひになる もの ^0 

しるし。 印  劍; 應 

ころす  弑虐 


一 436 一 


增老齟 染ロ絶 稅!? 是 芻崇 

加 瘦鼯 料 舌 望 率澤非 蕤拜 

一 437  — 


溢 ジフ (シプ ) しぶい。 と^こ ほる 

獄 シゥ (シ ュク) ける 

執 シッ (シフ ) とる。 とりもつ 

沙 ジャ (れ) すな 

娑シャ (サ) あるく 姿 

ジャク (シ ャク) す^-め 

^ ジュ (ユ) のろ ふ 

守 シ ュ (B ゥ) まもる 

充 ジ ユウ ぐシ W) あてる 

住ジ ユウ (tu) すむ 

縱 ジ ユウ (シ ョ ゥ) たて。 ゆるす 

助 ジョ (ショ ) たすける 

〔ス〕 


蹴球 

執行 

沙利 

娑婆 


呪文 

守備 

充實 

住宅 


助力 


崇 スゥ 

芻 スゥ 

是 ゼ 

0 ゼィ 

稅 ゼィ 

m ゼッ 

舌ゼッ 

染 セン 

灰 ソゥ 

增ゾゥ 


シ ュ ゥ 

y ゥ 

(ス) 

(シ) 

(セィ ) 

(セィ ) 

(セ ッ) 

( セッ) 

(ゼ ン) 

〔ソ〕 

(r) 

(シュ :> 

(ソゥ ) 


あがめ たっとぶ 


くさ 力 


り 


よい。 この 

むだ 

ねんぐ 

たちきる 

した 

そめる 

くひち がふ 

やせる 

ます。 加 はる 


溯ソク 

屬ゾク 

率ソッ 

汰 タ 

兌 ダ 

掉 タウ 

0 ダク 

奪 ダッ 

瀬 ダッ 

晚 ダッ 

談 ダ ン 


(シ ョク) いたみ かなしむ 

(n) したが ひつく 


2ッ 

パス ヰ 

(タイ) 

(タ ィ) 

テ ゥ 

ダ ゥ 

ダ ク 

K ク 


? ッ: > 

(タ ッ) 


タ ッ 

タ ィ 


霉官 

したが ふ。 ひ きゐる 率先 


沙汰 


お ご る 

えらび わける 

あつまる。 かへ る 兌換 


ふる ふ  掉 尾の 勇 

にごる  濁流 

うば ふ  奪還 

か は を そ  獺祭 

ぬぐ。 ぬける  脫退 

(タン) ものがたる  談話 


茶 

註 


臀 

登 


C チ〕 

(ヂョ ) 


ヂ (ヂョ ) のぞく  赛 除 

チヤ (ご お茶  茶器 

チュウ (1 ン U) そ k ぐ  注入 

チュウ (チュ .) だいどころ  厨房 

チュウ (チュ ) ときあかす  註釋 

チン (チュン) つばき。 か はりこと 椿事 

。ァ〕 

テキ (タク) ぬき 出す  拔擢 

デ ン (テ ン) しり  撙部 

〔ト〕 

ト (トウ) 十 升の こと  一斗 

ト (トウ) のぼる  ^山 


一 438 — 


窒 ドウ (トウ) 

動 ドウ (トウ) 

桐 K ゥ (トウ) 

働 ドウ (トウ) 

憧 ドウ (ショウ) 

洞 ドウ (トウ) 

胴 ドウ (トウ) 

§s ドン (ト ン) 

谷 ドン (ト ン) 

〔5 

柔 -一 ゥ ョ) 

乳-一 ユウ (" ュュ 

S 


こども 

うごく 

おど 力す 

なげく 

心が ひかれる 

ほらあな 

からだの 中部 

織物の 名 , 

のむ 

やまら 力 

ち i 


き 

歹12 

勖作 

同曷 

嚷ぶ 

洞穴 


呑吐 

&^  口 

w-禾 

牛乳 


^ ハ 

倍 バイ 

萠 《ゥ 

爆 バ ク 

謗 バウ 

晚 バン 

播 バン 

否 ヒ 

1 ヒ ッ 

紊 ビン 


ハ ィ 

へ 

バ ゥ 

ミ ャ ゥ 


わかれ 

芽 を 出す。 もえる 

はれる。 ふくれる 

はげしく 燃える 

そしる 

ゆ ふべ。 くれる 

まく 

しげる。 えびす 


(ハウ) 

(ハク) 

(ハウ) 

a ン) 

ュ ン) 

〔匕〕 

(ヒゥ ) いな。 あらす 

(ヒ ョク) せまる 

(ブン ) みだれる 


紊逼否 蕃播晚 謗 爆 膨萠倍 派 
亂迫定 人種 年 毀 彈脹芽 加 出 


田 父 戊 鼈 別 刎 佛 丘浮埠 
畝 母 夜 甲 人 頸 敎阜木 頭 


密 水 抹末盲 猛昧痲 發勃素 
吿      ^茶 尾 人 虎者痺 心發朴 

—  440  — 


填 フ 

浮 フ 

阜 フ 

佛 ブッ 

が フン 

別 ベ ッ 

鼈 ベ ッ 

戊 ボ 

母 ボ 

畝 ホ 


〔フ〕 

(5 

フ ゥ 

(フゥ :> 

フ ク 

ブ ッ 

(ぶん) 

〔へ〕 

(へ ッ) 

(へ ッ) 

〔ホ〕 

(ボウ) 

(ボウ) 

(ボウ) 


はとば 

うく 

を 力 

ほとけ 

はねる 

わける 

づ つ ほん 

つちのえ 

は X 

あぜ。 面積の 單位 


朴 ポク v ホク. / 

勃 ボッ (ホ ッ) 

發 ホッ (U) 

痲 マ (バ) 

味 マイ (バイ) 

猛 マウ (り" ゥ〕 

盲 マウ ヨウ) 

末 マツ (バ ッ) 

抹 マツ (バッ ) 

沫 マツ (バ ッ) 

〔ミ〕 

密 ミ ッ (ビ ッ) 


表面 を 飾らない 

に はか 

はなつ 

はしか。 しびれ 

くらい。 おろか 

たけぐしい 

めくら 

す 炎。 さき 

なでる。 こな 

あは 

ひそ 力 


0 ミン (バハ ) ねむる  陲 g 

冥 メイ (I ャゥ) くらい  冥途 

0  メイ (U ゥ) くらい  谋潆 

明 メイ (U ゥ) あきらか  明確 

盟 メイ (wt ゥ) ちか ふ  盟約 

瞑 メイ (バ" ) 目 をふさぐ  P 目 

若 メイ (W" ゥ) 茶の こと  若 宴 

滅 メッ (ハ i) なくなる。 ほろびる 滅亡 

1: モ〕 

漾 モウ (ボウ) くらい  濛昧 

藤 モウ (5U) おぼろ  朦鹏 

艨 モウ (" ゥ) いくさぶね  艨艟 


物 ブッ もの  物價 

〔ュ〕 

輸 ュ (シ ュ) おくり はこぶ 輸送 

〔ラ〕 

埒 ラッ (レ ッ) かこ ひ  放埒 

〔リ〕 

龍 リュウ (1" ゥ) たつ  龍 虎 

虜 リヨ (to とりこ。 えびす  捕 旗 

稜リ ヨウ (0 ゥ) かう ぐし い 威光 稜威 

^  ロウ (り ヨウ) を か  隨: g 

贿 ワイ (ク ワイ) たから。 まじな ひ 賄賂 


一 441 一 


Is み 方 は 同じで も 漢字が 異 るので 意味 も 幾分 異る のが ある。 從 つて 用 ひる 場合 も異 るので あ 

るが、 熟語から 推して 考へ ると 明瞭になる のが 多い。 f 通用 ひる 字に ついて 解說 する。 

あきる 

はう しょく だん. s 

飽きる 腹 一 つばい に 食べる こと、 飽食暖衣。 

•C  ^ん せレ 

厭きる あきて いやになる、 厭^ 

あげる  • 

よ へ ,1 

擧げる 下に ある もの を あげる。 ものごと をと り 行 ふ、 擧兵、 擧行。 

揚げる 飛び あがる、 發揚。 上に 高く あがる、 飛揚。 

あたる 


ことにぶ つかる、 當局。 あてはまる、 當選、 相當 

的に あたる、 百發百 中。 

ちゃう ど、 方今。 

あつい 

薄の 反對、 厚恩。 精神 上の 事に も 用 ゐる, 厚志 • 

心 を 用 ひる ことが 確かで 專 一な こと、 篤行。 病が 重い こと、 危篤。 

風俗 や 性質 等が まざりけ ない こと" 風。 

まざりけ がなくて 良い 酒、 芳醇。 

ぁづ かる 

金 や 品物 をぁづ かる、 預 も。 

くわん よ 

ものごとに 閼係 する、 千 與リ 

あはれ む 

氣の 毒に 思 ふ、 花や 月 をい としが る。 


樂 の反對 で、 死 を かなしむ、 哀悼。 

心に か あいさう に 思 ふ、 憫然。 

あ ふ 

集る、 會合。 

兩 方から 出合 ふ、 逢 著。 

前と 同じ、 めぐりあ ふ、 遭遇 • 

^はす あ ふ。 

あ ぶ ら 

ともし あぶら、 石油。 

肉類の あぶら、 脂肪。 

前と 同じ。 

あら はる 

しゅつげん 

かくれた ものが 出て くる、 出現" 


見る 前と 同じ、 露見。 

顯る 照り 輝く やうに 出て くる、 顯著。 

露る むき 出しに 出る、 露出。 

著る 明らかに 知れる、 名高くなる、 著名。 書物 を 作る、 著作。 

表る 表面に 出る、 發表。 

彰る もの 》 模様 等が 外に 見える やうになる、 表彰。 

あ る 

有る 無の 反對、 有給。 所有の 怠に もなる、 有志 者。.. 

在る 存在す る 意、 在鄕 軍人。 

あやまる 

誤る 氣づ かすに 失敗す る、 誤字。 

過る (あやまち) 惡 心なく 規則 を 犯す、 過失。 

謬る 筋道の ゆきち がふ こと、 謬見。 


おこる (いかる) 

怒る 喜の 反對 で、 外にまで あら はれる、 怒號。 

ふんど 

忿る 前の 反對 に、 外に は 出ない が うらみい かる、 忿怒。 

憤る 今までた まって ゐ たのが 一 度に 出る、 憤然。 

fi る 心に おこって、 むっとす る 事。 

恚る 怨み を 持つ、 恚亂。 

いたる 

至る 十分の 點 までと^ く、 至極。 

到る 出發點 から 着く、 到着。 

格る ゆく ベ き 正しい 處 まで ゆきと まる。 

いたむ 

痛む 身が 痛い、 疼痛。 悲しみの 深い こと、 悲痛。 

悼む 人の 死 を 悲しむ、 悼惜。 


一 4 化一 


傷む 怪我 をす る、 負傷。 怪我の やうに 悲しむ こと、 傷心 a 

悵む 恨み 歎く, 惆悵。 

いつはる 

僞る こしら へて いつはる、 僞善。 

佯る 表面 を いつはる、 佯言。 

詐る だます、 詐欺。 

い ふ 

言 ふ 口で いふ、 言說。 

云 ふ 文の 終りに つけて 用 ひる、 云々。 

謂 ふ 人に 對 してい ふ、 批評 的に いふ、 又 思 ふと 同じく 「謂へ らく」 と W ひる。 

道 ふ 言と 大體 同じ。 

曰く 人の 言 を 引用す る 時に 「孔子 曰く」 と 用 ひる。 

いれる 


一 上 V7 一 


入れる 出 Q 反對、 外から 入る、 入 舉。 

納れる 受け入れる、 納付。 

容れる 器の 中に 受け入れる、 容器。 

いよく 

愈々 次第に まさる。 

彌々 次第に 一 つ ぱいになる。 

伺 ふ ひそかに 探り 見る、 伺 察。 人 を 訪ねる、 伺候" 

偵 ふ 前と 同じ、 偵察。 

窺 ふ 隙間から のぞき 見る、 窺知。 窺竊。 

候 ふ 待って ゐて樣 子 を 見る、 斥候。 

うし. H ふ 

失 ふ 得る の 反對で 取り 失 ふ、 失職。 し 損じる、 失策。 


― 44S — 


撻毆搏 伐 征討 擊撲拍 打 喪 亡 

つっつつつ つっつつつ        ふ ふ 


全くな くす、 死ぬ、 滅亡、 死亡。 

なくなる、 喪失。 

う 0 

た k  く、 打診。 

手のひら や 拍子木 等 をう ち 鳴らす、 拍手。 

そっとた X く、 うちあ ふこと、 相撲。 

手 や もので 强く うつ、 敵 や 仇 をう つ、 鐵 砲で うつ こと, a. 破、 射 a.- 

罪 を とがめた て^-うつ、 討伐。 

上の 者が 下の 者の 罪 を とがめて うつ、 征夷。 

討と 同じ。 

手に 力を入れて ばちく とうつ、 雨 虎相搏 つ。 

杖 でん をた X く、 殿 打。 

鉦 や 鼓 をう つ こと、 韉で うつ こと。 


—  449  — 


* フっる 

寫る 書きう つす、 寫字。 

映る 光が ものに うつる こと、 映寫。 

さ せん  9  ,  ,9 

遷る 物事のう つり か はる こと、 左遷、 變遷。 宮ゃ 都が うつる の を 宫遷、 遷都と いふ。 

移る 苗 を植ゑ かへ ると いふ ことから、 場所 を かへ る こと ノ 移植、 移轉。 

うれ ひ 

憂 ひ 心配す る、 憂慮。 

愁ひ 悲しむ、 ものさびしい、 愁傷、 哀愁。 

患 ひ 病 や 災難な ど を 苦にする、 災患。 

う ら む 

恨む くやしが る、 殘 念に 思 ふ、 遣 恨 十 年。 

憾む 恨と 同じで、 や X 輕ぃ 意、 遣憾。 

怨む 人 を 憎む, 怨靈。 


—  450  ― 


冒 侵犯 陵 阜丘岡 
すすす 


擇撰選 

ふ ぷ 、ふ 


え ら ぶ 

多くの 中から 良い もの をより 出す こと、 選擧。 

詩 や 文章 を 作る、 撰述。 驟 とも 書く。 

よしあし をよ る こと、 擇言擇 行。 

お (を〕 か 

山の背に あたる ところ。 

四方が 高く 中が 低くな つて ゐる ところ。 

高原の こと。 

山の 傾斜が なだらかで 登り 易い ところ。 

お (を) かす 

規則に 叛 いて 罪 を を かす、 犯則。 

改めて 押し入る、 侵略。 無理に 入り こむ、 侵入 

向 ふ 見す に 進む、 冒險。 


一 451 一 


迎 の反對 で、 人 をお くる こと、 送別。 もの を 届ける こと、 送達。 

人に もの を與 へる、 贈與。 

食物 をお くる。 

利益 を 得ようと して 人に おくる、 贿賂。 

おこたる 

敬の 反對で 心が ゆるむ、 念 馒。 

心が たるむ、 惰 氣。 

おこる 

廢 の反對 で、 衰 へた ものが 盛になる、 興隆、 復興。 

はじまる、 事 を あげお こす、 發起。 臥の 反對で たちあがる、 起居 

お ご る 

心に おごりた かぶる、 驕躞。 


奢る 儉の 反對で 衣食住に おごる こと、 奢侈。 

傲る 人 を輕く 見る、 傲倨。 

お (を) さめる 

修める 家の 惡ぃ處 をな ほす、 修理。 精神的の ことに も 用 ひる、 修身。 

治める 亂の反 對で亂 れた事 を を さめる、 治定。 

牧 める もの を 取り入れる • 牧益。 

^ん 

敛 める かき 桀 めて 取り入れる、 收斂。 屍 を 埋める こと、 斂葬。 

お (を) しへ る 

敎 へる 先生が 先づ實 行して、 知らない 事 を吿げ さとらせ てなら はせ る、 敎 育。 

誨 へる 言って きかせて 導く こと、 敎誨。 

訓 へる 昔からの 定めに 從 つて 敎 へる、 訓導。 

おしむ 

しょぐ 

齐 しむ しわん ぼうの こと、 吝嗇。 


惜しむ 廣く用 ひて 物 を 大事に する 意。 

愛しむ 心に おしむ、 愛惜。 

嗇 しむ 無駄に つか はない こと。 

おそれる 

恐れる 將來 のこと を 思って おそれる、 人心 恐々 

怖れる わけもなくお それる、 恐怖。 

懼れる びくく する、 疑懼。 

畏れる 敬 ひは^ かる、 長 敬。 

おちる 

落ちる 上から 下へ おちる、 落下。 

墮 ちる おちて こ はれる。 

墜 ちる くづれ ておちる、 墜落 • 

零ち る こぼれお ちる。 


ね ふ 

隕 ちる 眞 直ぐにお ちる、 ^石。 

おはる 

終る 始と對 して ゐて始 から 終りまで とい ふこと、 始終, 

了る すっかり すむ、 終了。 

畢る 終と 同じで、 すべて を盡 してし まふ こと、 畢生。 

おも ふ 

思 ふ もの を 思 ふこと で、 廣く用 ひる、 思案 * 

想 ふ 想像して 思 ふこと。 

憶 ふ 過去の こと を 思 ひ 出す、 追惊。 

つ ゐくゥ t 

懐 ふ 過去の こと や 遠くの 事 等 を 忘れす になつ かしく^ ふ、 追忟。 

惟 ふ よく 考 へる、 思惟。 

力 け 

影 もの-かげ、 人影 • 


蔭 nnQ かげ、 綠蔭。 

陰  ものに お ほ はれた 處、 山陰。 

か つ 

勝つ 負の 反對で 勝負に かつ、 勝利。 

捷 戰爭 にかつ、 大捷。 

克 心に かつ、 抑へ つける、 克己。 

かって 

嘗て もとから。 

曾て 前のより も 重い 意味で、 これまでに、 過去に 於て, 

かなしい 

悲しい 喜の 反對で 痛み かなしむ、 悲痛。 

哀しい 樂 の反對 であ はれで 深く かなしむ、 悲しみが 聲 にまで あら はれる、 哀悼 

かねて 


― 456  ― 


歸 易 渝替換 更代 化變 兼豫 

る  るるる るるる る  てて 


前から、 あらかじめ、 豫告。 

二つ 以上の もの を 一 つに 合 はせ る、 兼職。 

か はる 

常の 反對 でう つり か はる、 變化。 

他の ものに 全然 か はって しま ふ、 風化 作用。 

か はって 役目 を はたす、 名代。 

もの を 新に かへ る、 更生。 

他の ものと 取り かへ る、 交換。 

とり か へ る、 置き か へ る。 

約束 を かへ る、 湓盟 • 

換と 同じい、 貿易。 

かへ る 

出て 來た 場所に かへ つて 落ちつく、 歸鄕 • 


-457  — 


還る 往 くの 反對で 行き先から めぐり かへ る、 歸還。 

返る 出た ものが 元へ もどる、 折り かへ る、 返事。 

反る 前と 同じ。 

さ く 

聞く 自然に 耳に きこえる、 聞知。 

聽く よくき く、 注意して きく、 傾聽。 

ま- * め 

利く 藥 がきく、 利 目。 

きえる 

消える なくなる やうに きえる、 消 减, 

熄 える 火が きえる。 

滅 える 亡びて しま ふ、 滅亡。 

さ る 

切る 刀で 斷 ちきる、 切開 • 


ざんさつ 

靳る 人 をき り 殺す、 斬殺。 

煎る はさみきる。 

さいだん 

截る ばら/ \ -に斷 ちきる、 歡斷。 

研る  一 と 息に きる。 

き はめる 

窮める 行きつ まる、 窮地。 

極める 最上の 處で それ 以上ない こと、 極地、 北極 * 

究める 奥まで 尋ねさが す、 研究。 

く づれる 

崩れる 高い 山 や 岸 や 岩が 一 時に くづれ るへ 崩 墜。 . 

s、 れる 少 しづ-く づれて 破れる、 破壞。 

額れ る くづれ おちる、 すたれる、 頹 廢。 

く む 


— 45D  — 


汲む 井戶 から 水 をく む、 汲 水。 

酌む 酒 をく みか はして 飮む、 晚酌。 

斟む 前と 同じ。 叉、 くみ 足す こと、 斟酌。 

けがす 

をせ し 

汚す 人の 行爲 のこと に 用 ひる、 汚染。 

穢す 前のより は 重い 意味で きたない こと。 元來は 畑な どが 草 だらけで きたない こと。 

瀆す 狎れ 近づいて けがす、 あなどる やうに する、 瀆戤。 

こたへ る 

答へ る 質問に こたへ る、 答 辯。 

對 へる 一 つく あげて こたへ る、 對質。 

應 へる 先方に 從っ てこた へる、 應諾。 

こ え る 

肥える ふとる こと、 肥大。 


沃 土地が よい こと、 沃土。 

越える 飛び こす、 踏み こす、 越境。 

超える 秀でる、 超過。 

踰  わたる、 のりこす、 踰垣。 

こ ふ 

乞 ふ ねだって もら ふこと、 乞食" 

請 ふ 禮を つくして、 もら ふこと、 請求 • 

これ (この) 

此 彼に 對 して 用 ひる。 「此の 本」 

是 上の 事情 を 受けて 下 を 指示す る。 「是の 故に」 

之  上の もの を 受けて 下にっ^-ける。 

斯 此 より 重い 意。 

0 之に 似て 稍々 强ぃ 意。 


-461  — 


維  「^ふに これ」 とい ふ 意、 又 意味 を强 める 時に つける、 維新。 

ころす 

しかく 

^  さしころす、 刺客。 

屠  牛馬 等 を ほふり ころす、 屠 牛。 

弑  臣下が 君主 を、 子が 親 を ころす、 し Jlf。 

戮  死刑に する。 又 屍 を さらす。 

殺  廣く用 ひる、 殺傷。 

誅  罪人 を ころす、 せめころ す、 誅 夷。 

さ 力ん 

盛 衰の 反對。 大いに, 強く、 勢よ くの 意、 盛宴。 

壯 氣カ がさかん、 勇壯。 

わ-つせ , 

旺  はなやかで さかん、 旺盛。 

はんじゃう 

昌 榮 えて さかん、 繁曰 n。 


― 4G2  ― 


覺悟 鄉里 

る る 


割 析 剖 刳 
< ぐ < 


熾 隆 


,ゆうき 

髙 くもり あがる こと、 隆起。 

火勢が さかん、 熾灼。 叉 その やうに 氣 力が 强ぃ、 熾烈。 

さ く 

こふく 

ゑぐ.^ さく、 剖 腹。 

はう もく 

わける、 剖 腹。 

ぶん 

木 を さく、 さいて 明らかにする、 分析。 

刀で さく、 割腹。 

さ と 

むらざと、 里人。  . 

ふるさと、 故鄕。 

さとる 

我 知らす 心の 迷 ひが とれる、 悟脫。 

今まで 知らなかった ことが 知的に わかる、 覺醒。 


—  463 一 


曉る 喑 いところ から 明るい ところに 出る やうに なること、 通曉 

さびしい 

淋しい 元來 「さびしい」 とい ふ 意 はない が、 我が 國で讀 む。 廣く用 ひる。 

寂しい 靜か でさび しい、 靜寂。 

寥 むなしく さびしい、 寥々。 

さわぐ 

騷ぐ 急いで 落ちつかな いために さわぐ、 騷動。 

擾ぐ みだし さわぐ、 擾亂。 

噪ぐ 鳥が さわがしく 鳴く やうな こと、 喧噪。 

しげる 

繁る ごさくと しげる、 繁華。 

茂る 草木が しげる、 茂 生。 

しづむ 


—  464  — 


,  ちんで *- 

沈 水中に 深く 入る、 ぬ 溺。 

沒  しづんで なくなる、 沒了 • 

し ま 

島  大きい しま。 

嗨 小さい しま。 

し る 

知る 眞相を 十分 知る、 知覺。 : 

識る 大體を 知る、 一 面識。 

すくない 

少 多の 反 對で數 のす くない こと、 少數。 

寡 衆の 反對で 人の すくない こと、 寡言。 

す V める 

進める 退の 反對 で、 次 弟に す X める、 進行。 


蘅 める 說 きす^-める、 勸業。 

獎 める ほめて す、 める、 獎勵。 

薦める 立派な 人 をす \ める。 もの を 人に す k める、 推薦。 

すな はち 

M  r  すれば  である」 とい ふやう に 「ば」 の j 

即 その ま \、 直ぐに、 即座 

乃 そこで。  、 

顿 すぐさま。 

便 即と 同じ。 

廼 乃と 同じ。 

せまい 

,  け ふ ざ 

狹 廣の 反對、 狭義。 

隘 もの - 間が せまい、 隘路。 


せめる 

攻める 敵 をせ める. 攻擊 • 

責める せめな じる、 责問。 

そそぐ 

注ぐ つぎこむ、 流し こむ、 注入。 

くわん が. i 

漑  田 等に 水 を 入れる、 灌漑。 

くわん ナゐ 

灌  草木に 水 を かける、 灌水。 

としゃ 

瀉 勢よ くそ &ぐ、 吐瀉。 

そ の 

園  草木 を植 ゑて ある その、 公園。 

苑  動物 を かって ある その。 その 集った ところ 

• そ ふ 

添 ふ ある 上に 加 はる、 添附。 


—  467 一 


沿 ふ つき 從 つて ゆく、 沿岸。 

副 ふ かけが へと して 豫め そってお く、 副業。 

傍 ふ そばに ゐる、 路傍。 

そむく 

叛く 人から はなれて そむく、 叛賊。 

反 前と 同じで 從 つて ゐ たもの がひつく りかへ る、 反對。 

くわう り 

乖 逆 ひそむ く、 乖離。 

背  向の 反對で 今まで 從 つて ゐた 人に 背 をむ けて 道に もどる やうな こと をす る、 背信 

たく はへ る 

貯  平常 餘 つた^け ためて、 なくならない やうに する、 貯金。 

蓄 少 しづ X よせ 集めて おく、 蓄藏。 

たすける 

助ける 力 添へ をす る、 助力。 


一 468  — 


苜や徒 但 


援 ける 救って やる、 救援。 

輔 ける 倒れない やうに 左右から さ、 へる、 輔佐。 

ほひつ 

弼 惡ぃ點 を 正しくして 救 ふ、 輔弼。 

よくさん 

M  周圍 からか、 へる やうに する、 翼黉。 

佐  その 人の 身に ついて 手の やうに なって たすける、 輔佐。 

資 金 を やって たすける。 • 

た に 

唯  「これ だけ」、 「た r ひとつ」、 唯一。 

只 前と 大體问 じだが 稍々 輕ぃ 意。 

「それ はさう だが、 これ は」 と 上の句 を 受けて 反對 のこと を あげる 時に 用 ひる。 

「むだに」。 

この 下に は必す 打消しの 語が つく。 「た V …… のみなら す」 

た-く 


一 469  — 


こ うと う 

叩く うつ、 叩頭。 

はくし^ 

拍く 手で た-く、 拍手。 

かう も v? 

敲く 音 を 出す やうに た k く、 敲門。 

たにれ る 

糜れる でき * もの & やうに くづれ 破れる、 糜敗。 

爛れる 熟しき つてた にれ る、 やけどで たヾれ る、 くさる やうになる、 爛熟。 

た つ 

斷っ 一 一つに たちきる、 斷線。 . 

結つ なくなる、 絡 無。 

裁つ 衣服 を 縫 ふ 時に 布 をき る、 裁斷。 善惡を 分ける、 裁判。 

たっとぶ 

贵ぶ 賤 の反對 で、 身分 や 官位の 高い、 貴人。 

尊ぶ 卑 の反對 で、 心から たっとび 重ん する、 尊 祟。 


尙ぶ 大事に する、 尙 齒會。 

たづね る 

尋ねる 廣く用 ひる、 求めて きく、 尋求。 

訪ねる 人 を たづね る, 訪問。 

じんもん 

^ねる とがめて き >- た^す、 訊問。 

たてる 

立てる しっかり たつ、 直立。 たちあがる、 起立。 出 だす、 出立。 

起てる 座 を 立つ、 起床。 

建てる 組立て る、 家 をた てる、 建築。 

樹 てる 木を梳 ゑて たてる、 植樹。 

たと へ 

縱令 r  はないだ らうが、 さう する こと を, まあ ゆるして みる 一とい ふま。 

假令 r :… はないだ らうが、 かりに さう する」。 


0  或る ものに 較べて 見る とい ふ 意。 この 下に は 「 …… の やう だ」 とい ふ 意味の 語が つ 

くの が 正しい。 

例  先にあった こと を 引用す る 時に 用 ひる、 前例、 引例。 

たのしむ 

樂 しむ 苦の 反對 で、 心からた のしみ、 樂 地。 

嬉しむ 子供の 遊ぶ たのしみ、 嬉遊。 

ごらく 

娛 しむ なぐさみ、 娛樂。 

たのむ 

頼む 人に たよる、 信頼。 

恃む 自分で 深く 信じる、 恃顿。 

憑む 頼と 大體 同じ。 

た ふれる 

ふふく 

仆れる 横にた ふれる、 仆伏。 


一 472 — 


倒れる 

斃れる 

顚 

たへ る 

堪 へる 我馒 して 通す、 堪忍。  , 

耐 へる もちこた へる、 忍耐。 

た ま 

寳玉。 

鲁 

わにな つたた ま。 

まるくて、 中に 穴の あいた &ま • 

美しい 色の たま。 

山から ほり 出した ばかりで 磨かない たま。 


立って ゐる ものがた ふれる、 顚倒。 

死ぬ、 k 死。 

てんぷく 

ひつく りかへ る、 Hi 覆。 

けつな う 

つま づ いてた ふれる、 撅倒。 . 


—  473 一 


まるいた ま。 

つかへ る 

る 役目と してつ かへ る、 仕 宫。 

る 義務と してつ かへ る、 師事。 

0  く 

そへ る、 したが はせ る、 附屬。 

ぴったり つく • 附著。 ゆきつく、 到 著- 

わ たす、  交付。 あたへ る、 付與。 

職に つく、 就職。 とり か \ る、 就業。 

位に つく、 即位。 

先で つく、 突進。  , . 

うちあてる、 撞球。 

つきあて る、 衝突。 


搗く 臼で つく。 

つ ぐ 

襟ぐ 絡 えて なくなった あと をつ ^ける、 ^承。 

綾づく つらなりっ^ く、 綾 行。 

嗣ぐ あとつぎ、 嗣子。 

つ-しむ 

愼 しむ 心 をつ X しむ、 用心す る、 愼戒。 

謹し む 心からつ >. しむ、 謹直。 

つとめる 

勤める 勵み行 ふ、 精出す こと、 勤勉。 

務める 勤と 大體 同じ だが、 なすべき 仕事 をす る、 執務。 

勉 める 勵む、 勉強。 

力める 勉に 同じ、 主に 力 わざに 用 ひる、 カ行。 


つ ね 

常  あけても くれても、 いつも、 常備。 

毎 そのたび に、 每時。 

恒 變る ことがない、 恒產。 

とける 

解  もの を 分けて 明らかにする、 分解- 

ゆう 

融  とけて 消える、 融合。 

しやくぎ 

釋 意味 を 明らかにする、 釋義。 

溶 水に とける、 溶液。 

說  言 ひき かせる、 

よ. 013, リ 

鎔 金屬 がと ける、 鎔銀。 

と r める (と *v まる) 

止まる やめと y まる、 中止。 , 


—  476  — 


留まる とまって 動かない、 滞留。 

伶 まる しばらく とまる、 停車 e 

逗 まる 途中に 一 時と 4- まる、 逗留。 

駐 まる 馬 をと にめ る、 叉 早く 過ぎる もの をと r める、 駐車場。 

と-のへる 

調へ る 丁度よ くす る、 調和。 

齊 へる 同じ やうに そろへ る。 

整へ る いろくの もの を 一 つに して 正しくす る、 整理。 

と y こ 

廣  いけどり, 虜猹。 

掄 戰 勝の 時 捕へ た 者。  . - 

俘 軍で 捕へ た 者、 俘囚。 

と る 


-477  ― 


哭泣 永 長 撮捉捕 把 執 採取 

くく  い レ  るるる るる. るる 


捨 の反對 で、 自分の ものにする、 取得。 

とりあげる、 拾 ひとる、 採用。 

固く とって はなさない、 執着。 心 をと り 守る こと、 固執。 

手に 握り もつ、 把持。 

追 ひかけ てっか まへ る、 捕獲。 - 

はそく 

手で とる、 把捉。 

つまみとる、 うつしと る、 撮 抉。 

なが" ?に 

短の 反對で 時に も 形に も 廣く用 ひる、 長時間、 長身。 

時に 闢係 ある ことに 用 ひる、 永久。 

な く 

聲を 出さす に淚を 出して なく、 涕泣。 

大聲 でな く、 慟哭。 


— 47S  ― 


鳴く 聲 がする こと、 鳥獸 等に 用 ひる、 鳴 鳥。 

啼く さ/ づり なく、 啼鳥。 

號 する 大聲を あげる、 號令。 

叫ぶ 急に 聲を たてる。 

なげく 

嘆く 太 息をついて なげく、 聲を 出さす になげ く、 嗟^。 

歎く 怒りな げく、 悲しみな げく、 ほめな げく、 歎聲。 

^く 怒って なげく、 慷慨。 

な ナ 

作す つくり 始める、 作業。 

爲す こと をす る、 行爲。 

成す こと をな しとげる、 成就。 

な ま 


一 479  — 


一 480 一 


尙 その上に つけ 加へ て。 

S  まだ やはり .:•: である、 猶は獸 の 名で、 これが 木から 下りて 一 日を暮 すと ころから 

出た。 

なみだ 

淚  目から 出るな みだ、 淚涕。 

涕 鼻から 出るな みだ、 流涕。 

なめる 

し と < 

S める 舌で なめる、 舐犢の 愛。 

嘗める なめて 味 はふ、 臥 薪 嘗膽。 

なれる 

慣れる 幾度 もくり かへ して なれる、 習慣。 

馴れる 鳥獣に 用 ひる、 したしんで なつく、 馴致。 

かふきん 

狎れる なじむ、 狎近。 


狃れる 前と 同じ、 狃恩。 

にくむ 

悪む 好の 反對 で、 きら ふ、 いやに 思 ふ、 好悪。 

,  ぞう ねん 

憎む 愛の 反對 で、 理由が あってに く  k 思 ふ、 憎 念 • 

にげる 

逃げる たちのく、 逃走。 

IS げる にげかくれる, 遁走。 

北げ る 戰に 敗れて 後 を 見せる、 肷北。 

にせもの 

僞物 眞 の反對 で、 暨は莨 物と 全く 同じ やうに 似せる こと 

,ぬすむ 

盜む もの をと る、 盜賊。 

せっしゅ 

竊 かすめとる、 竊取。 


の 1 しる 

ぼ げん 

罵る 人に 惡言を 加へ る、 罵言。 

詈る 前より 輕ぃ 意。 

のばす 

伸ばす 屈の 反對、 屈して ゐる もの をのば す 

延ばす 長く する、 時日 をのば す、 延期。 

展 ベる ひろげる、 展覽。 

の ベ る 

述べる 文章 や 言葉での ベ あら はす、 詳述。 

陳 ベる く はしく のべる、 陳上。 

宣 ベる のべ ひろめる、 宣言。 

のぼる 

登る もの- - 上に のぼる、 登山。 


降の 反對 で、 進みの ぼる、 昇釵。 

下の ものが 上になる とい ふ 意から のぼると なった、 「川 を 上る」。 

を どり あがる、 物價 騰貴。 

の む 

もの を かま はすに 丸の みに する、 「呑 舟の 魚」。 かろんす る、 「敵 を^む」、 

湯水な ど をのむ、 飮食。 

はかる 

もの- -數を かぞ へる、 計算。 心に 工夫す る、 計 霰。 

人と 相談す る、 謀議。 

分量 を はかる、 分量。 

ど  そんたく 

物指で はかる、 尺度。 心に みつもって 見る、 忖度。 

たづね て 見る、 諮問。 

深さ や 長さ を はかる、 測量。 心に おしはかる、 推測。 


評定す る、 議案。 

ォ  く 

呑の 反對 で、 一 口に はく、 吐瀉。 

だん, /^とっ^け て はく、 喀血。 

前と 同じ。 

勢よ く はく、 噴出。 

はじめ 

後の 反對 で、 時の ことに 用 ひる。 はじまり、 おこり, 初夏。 

終の 反對 で、 事の はじまお、 開始。 

開き はじめ。 

新しくつ くり 出す • 創立。 

尾の 反 對で, 一 番の かしら、 頭 首。 

大きくなる ことのは じめ。 


m%  m 羞 k  m 愧き辱 


孟 季節の はじめ、 孟夏, 

は だ 

肌 はだの 肉。 

0  身の 表面。 

は ち 

^  心に はぢ る。 

& の反對 で、 外聞の 惡 いこと、 命令が 降る の を 受ける 意。 r :… を; s うす」 

自分の 見苦しい こと を 人に はぢ る。 

前と 同じ。 

は ぢて顏 を 人に 見せられない やうに なること。 

赤面す る こと。 

悪口 をい はれて はぢ る。 

は れ 


—  485  — 


晴  签 がすむ やうに はれる。 

霽 雨が やんで はれる。 

+* ら ふ 

掃 ふ 箒で はく、 一度に はらって しま ふ、 掃除。 

拂ふ 少 しづ、 はら ふ、 はたきで はら ふ、 支拂。 

攘ふ おしのける、 攘夷。 

祓ふ 禍を のぞき 福 を 求める。 

除 ふ かたづける、 不潔 物 をと つてき れいに する、 除去。 

ひ く 

引く 弓 を 引く 意で、 廣く用 ひる、 ひきよせる、 引力。 ひきのべ る、 延引。 

ほ,?  くわ. i 

挽く 力を入れて ひく, 挽回。 

こう 

曳く 長く 尾 を ひく、 ひ きづる、 曳航。 

延く ひきのばす、 延期。 


一- 1SG  — 


密竊窃 私 低卑 退碾 彈惹牽 
に. にに に       いい       くくく  くく 


前の 方へ ひく、  制。 

心 を ひく、 ひきおこす、 惹起。 

だんきん 

琴 等の やうに 手で はじく、 彈琴 • 

臼で ひく。 

しりぞく. 退職- 

ひくい 

身分 や 位置に 用 ひる、 卑賤。 

高の 反對で 土地 等に 用 ひる、 價が やすい、 低地。 低廉。 

ひそかに 

內緖 で。 「私に 行く」 

人目 をぬ すむ やうに。 r 窃に ほ-^ 笑む」 

前と 同じ。 

外へ もれない やうに、 秘密。 


— 4S7  — 


雛 鄙 均齊等 涵漬漸 浸 陰 
ししし       るるる る ,に 


かげで、 人に 知れない 所で。 

ひたる 

水に ひたる、 浸水。 

いつの Si にか 水に ひたる、 漸時 • 

水に つかる、 漬物。 

十分に ひたる。 

ひとし 

同じ やう、 同等。 

を. S しゃう 

そろ ふ、 一 度に、 齊唱。 

等分、 高低がない こと、 平均, . 

ひ な 

ゐ *^ 力 sk/ 

鳥の 子、 廣く 幼少の もの、 雛 僧。 


—  488  — 


ひ •、 き 

響 震へ 動く 音、 音響。 

よ ゐん 

韻 音の 後の ひ r き、 餘韻。 

てんらい 

0 穴から 出る 音、 笛の やうな 音、 天籟。 

ひらく 

開く 閉の反 對で廣 く 用 ひる, 開花。 

啓く もの- -ロを あける、 知識 を ひらく、 啓 發*  . 

闢く 開と 同じ。 

發く あばく、 急に ひらく、 發見。 

ひろい 

廣ぃ 狭の 反 對で、 面積の 廣 いこと、 廣大。 

博い ひろく ゆきわたる、 博學。 

浩ぃ 水が 滿 ちて ゐる やうに ひろい、 浩然。 


— 4S0- 


ひろ <\ と 

闊 ひろぐ と 巾が 廣 くひら けて ゐる、 闊達。 

弘 大きく ひろい、 學德 上の 事に 用 ひる、 弘道。 

寬  ゆったり して 餘裕 ある こと、 寬仁。 

ふせる 

伏せる 起の 反對、 地面に うつぶせになる、 伏在。 伏罪。 

俯す 仰の 反對 で、 下 をむ く、 俯瞰。 

ふせぐ 

防ぐ 前から 準 傭して ふせぐ、 豫防。 

禦ぐ その 場に 臨んで ふせぐ、 防禦。 

担ぐ こばみ ふせぐ、 担 絡 • 

ふ む 

踏む 足で ふむ、 舞踏。 


— 4C0- 


歷む 定 つた 通り K 行す る、 履行。 

じつせ ふ 

踐む 精神的に 行 ふ、 實踐。 

ふるい 

古い 今の 反對、 古代、 古昔。 

舊ぃ きの 反對、 舊家。 

ちんぷ 

陳 物が 久しくたって ふるい、 陳腐。 

故 ^の 反對、 叉 死んだ もの、 故人。 

ふるへ る 

震へ る ゆり 動く、 震動。 

振る 手 を ふる 等の やうに 形の ある もの を ゆり 動かす。 「旗 を 振る」 

奮 ふ 勇む、 奮鬪。 

せんりつ 

慄 へる 恐れて ふるへ る、 戰傈。 

せんどう 

類へ る がた く ふるへ る、 顫動。 


—  491 一 


撣ふ 鞭 や 筆 等 を 持って ふること、 指揮。 

ほし. S ま- 4 

せんし 

恣 悪い こと を氣ま X にす る、 專恣。 

擅  一人で 勝手にす る。 

放 しまりがない、 放縱。 

縱  規則な ど を 守らないで 勝手に ふるま ふ。 

ほめる 

,  は 3 か 

褒める 貶の 反對 で、 善い こと を ほめる、 褒嘉。 

賞め る 罰の 反對 で、 物を與 へて ほめる、 賞與。 

頌 善德 善行 を 文 や 歌に 作って ほめる、 頌歌- 

美 ほめて あら はす、 褒美。 

ま く 

捲く まきあげる。 


—  492  — 


^レ しゅ 

播く 種 を まく、 播種。 

撒く 水 を まく、 撒水。 

まこと 

信  まちが ひがない、 信用。 

E  ありのままで、 つくろった ところがない、 眞實。 

■i つせ 9 

誠 前と 同じで、 詐の 反對、 誠心。 

まさる 

侵る 劣の 反對 で、 ゆったり と餘裕 があって まさる, 優勢。 

勝る 負の 反對で 人の 下につ かすに まさる、 勝。 

まさに 

正に 正しく その 通りに、 「正に その 通り」 

當に 當然 さうな る、 r 當に然 り」 

方に 今ち やう ど、 「方に 十二時」 


—  493  — 


將に 間もなく さうな る、 「將 に來 らんと する 

ま た 

又  別に また、 その上 また、 「又 失敗」 

亦 また これ も 同じく、 「弟 も 亦 偉い」 

復 ふた-び かさねて、 r 復 行く」 

まつる 

祭る いつでも 定 つた 時な く 供へ 物 をして まつる、 祭典。 

祀る 定 つた 時の まつり。 

祠る 願 ひの ための まつり、 願 ひが かなった- - めの まつり、 又 やしろ、 祠 jil。 

まある 

守る 大事に する、 守 身。 もちこた へる. 固守。 

衛る ふせぎ まもる、 防衛。 

護る たすけまもる、 護身。 


一 494  — 


研と 礪磨 


戌る 國境を まもる、 戌 逢。 

まる 1> 

圓ぃ 四角の 反對 で、 まんまるい、 圓 形。 形の 外に も 用 ひる、 圓光 • 

丸い 玉の やうに まるい、 丸藥。 

圑  まるく 集める、 圍欒。 

みがく 

く こすりみ がく、 磨碎。 

く といしで みがく。 

ぐ とぎみ がく。 

琢く 玉 をみ がく。 

みちる 

滿 ちる 缺 の反對 で、 I つばい になる、 诺月。 

充 ちる 端まで ゆきわたる、 充當。 


-495  — 


盈ちる 器物に 一 つばい になる、 月が まるくなって 行く、 次第にみ ちて ゆく- 

うづ  てん 

填める 不足 をた す、 充塡。 

み な 

皆 みな 一同。 

咸 悉く。 

み る 

見る 目につく もの を 自然に 見る、 見物。 

視る 心 をと めて 見る、 視察。 

觀る 視 より  一^よ く 見る、 關係を 調べながら みる、 觀察。 

覽る ざっと 目を通す、 一 覽。 

瞰る 下 を 見お ろす、 I 下。 

瞻る 仰いで 見る、 瞻望。 

閱る 始終 を 見る、 檢閱。 


-496  — 


* へつ けん 

ちらと «1 ^る、 管 貝 

見 >ffl す。 

も 力 *9 

目的の 方に 眞 直ぐにむ く  • 

出む かへ る、 奉迎。 

待ち受け てむかへ る、 邀拳。 

めぐる 

ま はって しらべる、 めぐって 守る、 巡回 

せんく わ. S 

くる./ \ ま はる。 旋回。 

月日 や 天 や 時勢が うつり か はる、 運行。 

ついて ま はる、 循行。 

とりかこむ、 環視。 

まと ひついて かこむ、 繞帶 • 


好る まがりめ ぐる、 紆曲。 

5  くわ. S 

廷る とほく ま はる、 廷回。 

廻る 旋と 同じ、 水が 渦 を まくやう にめ ぐる、 廻送。 

もっとも 

最も 多くの 中で 一番 良い、 「最もす ぐれる。」 

尤も 秀 れて異 つて ゐる、 「彼が 尤もつ とめる。」 けれども、 「. 尤もよ ぃ點も ある。 

もて あそぶ 

W, ふぶ つ 

玩  なぐさみ とする、 玩物。 

しゃう ぐ b ん 

^  もて あそび なれる、 賞翫。 

ほ しろう 

弄  なぶり ものにする、 翻弄。 

ち と 

元 もの X はじめ、 元日 • 

本 末の 反對 で、 同じ もので さきが 末、 もとが 本、 本 志。 

« 


一 498  — 


素 白い 絹と いふ 意から 平素、 素行。 

原  根元の こと、 原因。 

もどる 

R る 和の 反對 で、 ねぢ まがる、 暴 戾* 

は. i あく 

悖る 逆 ひも どる、 悖惡。 

あとめる 

求める ほしがる、 さがす、 慾 求 • 

需 める 買 ひもとめ る、 需要。 

索め る さがしもとめる、 探索。 . 

覓 める 前と 同じ。 

も の 

物 形の ある 品物 を 指す、 物品。 

者  人 か 無形の ものに 用 ひる、 「夏と いふ 者 は 暑い」" 


やせる 

瘦 せる やせて 細くなる、 瘦面。 

そうし, ん a 

瘠せる 病氣 のために やせる、 瘠 身 " 

やぶる 

敗る & つの 反 對で敵 を まかす、 敗 戰_ 

破る われる とい ふ 意、 破竹。 

壌れ る く づれこ はれる、 崩壞。 

や す 7} 

病  やま ひが 重る こと。 

疾  急の やま ひ。 

ちんこ 

痼 長い間の やま ひ、 沈 痼。 

しゅくあ 

0  深く 入り こんだ やま ひ、 宿 病, 

やめる 


止める 

已む 

息む 

行く 


逝 


く 


許す 

宥す 

めん 

免す 


容 


仕事 を やめる、 中止。 

すべてが 終る。 

やめて なくなる。 

ゆ  く 

止の 反對 で、 とまらす に 進んで 行く こと、 進行- 

かの 反對で 先方に ゆく、 往昔。 

再び か へらない、 逝去。 

ゆるす 

願 ひ を ゆるす、 許可。 

なだめ ゆるす、 宥免。 


ゆるして 自由にす る、 免許。 

罪 を ゆるす、 大赦。 

忍んで ゆるす、 容認。 


― 501  — 


從自 喚 呼 可 佳 好 良 善 允 

りり  ぶ  いい w いい 


承知して ゆるす、 允許。 

よい 

惡 いの 反對、 立派な こと、 善行。 

すぐれる、 質が よい、 選良。 

都合が よい、 氣に 入る、 好物。 

美しく よい、 佳人。 

否の 反對、 「それで 可い」 

よ 

聲を たてる、 呼號。 

く  b ん い 

急に 大聲 をた てる、 喚聲。 

よ =\ 

「 …… から」、 自今。 

したが ふ、 「これ 從り西 一 里」 


一 502 — 


歡, 齊 據 因由 寄 賴倚凭 依 

ふぷか  るるる るるなる な 


よ る 

よりそって はなれない、 依 倚 

ものに もたれ か &る。 

前に 同じ。 

たよりと する、 信頼。 

ものに よって 居る、 寄寓。 

ことの なりゆき、 由來。 

或る 原因で。 

よりどころ とする、 根據。 

よろこぶ 

うれしく よろこばしい、 喜.^ 

心に うれしく 思 ふ、 悅樂。 

よろこび 勇む、 歡 乎の聲 。 


一 503 — 


欣ぶ 前と 同じ、 よろこび うきたつ。 

-  わ ^含 

懌ぶ よろこびが 心に しみる、 和懌。 

怡ぶ なごやかな 樣、 怡々。 

おける 

別け る IE! 別す る、 混ざらない やうに する、 差刖 o 

分ける 合の 反對 で、 もの を わける、 二分。 

頒 ける わけ 與 へる、 頒布。  . 

訣っ 永く 別れる、 永訣。 

お ざ は ひ 

禍 福の 反對 で、 ふし あはせ、 禍殃 • 

災 天地の わざ は ひ、 天災。 

殃 神のと がめ。 

厄 なんぎ、 厄難。 


—  504  — 


嗤笑 吾 我 n 僅 互涉渡 

ふ ふ  力、 力 *  るるる 


わたる 

川 を わたる、 渡河。 

淺瀨を 歩いて わたる、 徒渉 • 

よく ゆきわたる。 

ぉづか 

少しば かり。 

やっと。 

わ れ  ,、,.- 

彼に 對 して 用 ひる、 「我が 國 (彼の 國)」 

對 する ものな く 自分 を 指す、 「吾が 兒」 

わ ら ふ 

よろこんで わら ふ、 笑聲。 

あざわら ふ。 


—  505  — 


啯 ふ 微笑す る- 


片 假名 


假名の 由來 


ァ阿ィ 伊 

力 加キ幾 

サ散 シ之 

ク多チ 千 

ナ奈- 一仁 

ハ八ヒ 比 

マ 末 ミ 三 

ャ也ィ 


ゥ宇 ヱ 江 ォ於 

ク 久ケ氣 コ已 

ス須 セ世 ソ曾 

ッ川 テ H< ト止 

ヌ奴 ネ彌 ノ乃 

フ不へ 反ホ保 

ム牟 メ女 モ毛 

ュ勇ェ  ョ與 


一 506 — 


一 507 — 


ラ良 リ利ル 流レ禮 n 呂 

ヮ和 ヰ韋ゥ ュ 惠ヲ乎 


平 假名 

ぃ以 ろ呂 は 波 

ち 知り 利ぬ 奴 

ょ與 た 太 れ禮 

ら良 む武 う 宇 

や 也 ま 末け 計 

あ 安 さ 左 き 幾 

ゑ惠 ひ 比 も 毛 


に 仁 

る 留 

そ 曾 

ゐ 爲 

ふ 不 

ゆ 由 

せ 世 


ほ 保 

を 遠 

の 乃 

こ 己 

め 女 

す 寸 


へ 逡 

才 禾 

ュ I 

ォ PJ 

お 於 

え 衣 

み 美 

ん 无 


と 止 

>  P 

力 力 

な 奈 

く 久 

て 天 

し 之 


元来、 我が 國には 言葉 はあって も 文字がなかった のが、 支那から 漢字が 傅來 して、 初めて 文 

罕 なる もの を 知る やうに なった。 しかし. 我が 國と 支那で は 言葉 は逮 ふので その ま、 の 文字 を 


—  508  ― 


我が 言葉に 用 ひて 書き あら はすこと は出來 ない ので、 當 時の 人 はいろ く 苦心して 文字に して 

書き出した。 その 有名な もの は 古事記、 日本書紀で、 大體は 漢文 調の 文に なって ゐ るが 日本風 

の 語法 も 用 ひて ゐな。 それが 萬 葉 集と いふ 歌集に なると 純日本風の 語法、 即ち 漢字 を 假名に あ 

て はめて 用 ひられる ことが 甚 しくな り、 所謂 「萬 葉 假名」 とい ふ ものが 出來 た。 これ は 大體ニ 

つの 方法で 構成され たもので、 一 つ は 漢字の 音 を その ま \ かりて あてはめ たので ある。 即ち、 

「阿」 の 音はァ なので 「あ」 とい ふ發 音に あて、 「伊」 を 「い」 とい ふやう にした。 叉、 他 は 

漢字の 意味から あてはめ たので、 「冬」 の 音 は 支那で も 「フユ 」 なの だから 「ふゆ」 とい ふ 語 

にあて るので ある。 

かう して 出來 たのが 「萬 葉 假名」 で、 萬 葉 集 はすべ て 漢字で 書かれて ゐ るが、 漢字ば かりで 

書かれて ゐても 漢文で はない。 例 を あげる と 

天皇 詔 n 內 大臣 藤 原 朝臣 i 競 n 憐舂山 萬 花 之艷、 秋 山 千 葉 之 彩 一時 額 田 王以, 歌 判, 之 歌 

冬 木 成、 春去來 者、 不: fell 有 之、 鳥 毛來鳴 奴、 不レ開 有 之、 花 毛 佐 家 禮杼. 山 乎 茂、 入 而毛不 レ取、 

草深、 執 手 母不レ 見、 秋 山 乃、 木 葉 乎見而 者、 黄葉 乎 婆、 取 而曾思 奴 命、 靑乎 者、^ 而曾 歎久、 酋 


許 之 恨 之、 秋 山 吾 者。 

これが 純 漢文で あれば 讚む こと は 容易で あるが、 前述の やうに 漢字の 意味と 昔と を 混ぜ合せ 

た 文で あるから、 その 當 時の 人、 或は その 時代に 近い 頃で は讀 めた であらう。 しかし、 おの 

變遷も あり、 次 弟に よめなく なった。 そこで、 天曆 年間に 宮中の 梨壺 とい ふ窒に 時々 召されて 

歌 會の御 相手 を 仰せつ けられる 歌人が 五人ゐ た。 即ち 「梨 壺の五 人」 と 言 はれて ゐ るので、 源 

頫、 大中臣 能宣、 淸原 元輔、 坂 上 望 城、 紀 時文で ある。 この 人々 に 命ぜられて 訓點 をつ けさせ 

られ た。 此の 本 は 今に 傳 つて ゐ ない が これ を古點 といって ゐる。 

さて、 萬 葉 假名 は 前述の やうに 出來 たので あるが、 漢字 はいつ も 楷書でば かり 寄く ので はな 

く、 行書に し、 Is にして 用 ひられる やうに なった。 即ち、 「以」 を JI に 書く と 「い」 と:! 

じ やうになる ので ある。 平 假名 はかう して 出來 たので, 「草 假名」 ともい ひ、 その 夫々 の もと 

になる 漢字 は 前記の やうで ある。 叉、 この 假名 を 四十 八 字と したの は 弘法 大師 だとい はれて ゐ 

るが、 それ は 疑 はしい。 が 大師の 作に 次の やうな 歌が ある。 

色は匄 へど 散りぬ る を、  我が 世誰ぞ 常なら む。 


-500  — 


—  510  — 


有爲の 奥山 今日 越えて、  淺き 夢見し 醉 ひもせ す。 

これ は佛敎 思想と 無常 觀を詠 じたので あるが、 古來 「いろは 歌」 として 傳 へられて ゐる。 

片 假名 はどうして 作られた かとい ふと、 これ は 漢字の 省 劃で ある。 即ち 「阿」 の 字の 「可」 

の 部の 「丁」 をと つて r ァ」 としたの である。 「俘」 から 偏の r ィ」 をと つたので ある" これ 

さ ぴ のま キ1ぴ 

ほ吉備 眞備の 作と もい はれて ゐ るが、 信じられぬ ことで ある。 それ はもと になった 漢字が 「ァ」 

は 「阿」 からと 一 つし かないが、 或る ものに よるとい ろく.. に 言 はれて ゐ るので ある。 例へ る 

と、 「サ」 は、 散、 薩、 ^、 藏と 四つの 說が ある。 これ は 一 人の 手に よって 作られた ので はな 

ぃ證據 で、 數 人の 手で、 然も 長い 年月の 間に、 言 はす 語らす、 自然の 必要から 用 ひられる やう 

になった ので あらう。 

尙、 中古 時代に は片 假名 は 男子が、 平 假名 は、 王に 女子が 用 ひたので、 「女文字」 等 ともよば 

れた。 

かくて、 漢字と 假名と を 混用して 現在の やうに 文章が 作られる やうに なった ので あるが、 古 

事 記、 日本書紀、 萬 葉 集 等の 文章 も 假名 を 振り、 或は 假名 混り 文に 書き改められて 誰でも 讀め 


る やうに なった。 前記の 萬 葉 集 ひ 歌 を 書き改め ると 次の やうになる。 

すめら みこと うちのお ほいお と e 

天皇、 內 大臣 藤 原 朝臣に 詔して、 养山萬 花の 艷と秋 山千椠 の 彩と を めら そ はしめ 給 

ふ 時、 1 田 王、 歌を以 つて こと はれる 歌 

冬 ごもり、 春 さり くれば、 啼 かざりし、 鳥 も來嗚 きぬ。 さか ざり し、 花も^ けれど、 山 を 

しみ、 入りても 聽 かす、 草深み、 とりても 見す。 秋 山の、 木の葉 を は, て は、 もみ づ をば、 

取りて ぞし ぬぶ。 靑 きをば、 ^きて ぞ 歎く。 そこし 恨めし、 秋 山 われ は。 

弘法 大師の 「いろは 歌」 は 次の やうに 怫敎 思想 を; 1 じた ものである。 

諸行無常 いろはに ほへ ど、 ちりぬ る を、 

是生 滅法 わがよ たれ ぞ、 つねなら む、 

生滅 減 己 ぅゐ のおく やま、 け ふこえ て、 

寂滅 爲樂 あさき ゆめみし、 ゑ ひもせ や。 

これで は餘 りに 悲哀の 度が 强 すぎる とい ふので、 改作した ものが 澤山 ある。 江戶 時代の 本 居 

宣長は g: 十八 字の 假名 を 使って 次の やうに 作った。 


一 Ml — 


ゐ ぜ *|  もろびと  むらな へ  まほ、 

雨 降れば、 井堰 を 越 ゆる、 水分け て、 安く 諸人 下り立ち 植 ゑし、 群 苗、 その 稻ょ、 眞穗に 

榮 えぬ 

これ は 農業 國 日本の 姿 をよ く 詠 じて ゐ るが、 明治 三十 六 年に 「萬 朝 報」 が募槃 した 時に 一 等 

に當 選した の は 坂 本 百次郞 氏の 作で、 これ は 明朗 潑剌 たる 元 氣に滿 ち/ \ て ゐる。 

鳥嗚 く聲 す夢覺 ませ、 見よ 明け渡る 東 を、 

空色 榮 えて 沖つ 邊に、 帆船 &れ 居ぬ 露 の 中。 

:.〜, 二 四、 假 名 遣  'mTt  、 

假名 遺 は 四つに 分ける ことが 出來 る。 

一、 字音 假名 遣 I 漢字の 讀み 方に 振る 假名で ある。 

U  0  0 

じふ にん  ^うせい  てうぎ よ 

十 人 笑聲 釣魚 

二、 字訓 假名 遣 II 漢字の 訓 につける 假名で ある。 


—  512  — 


0  0  o 

か. e し もとこ fc なか 

嫋 男 田舍 

三、 語尾 假名 遣 I 動詞の 語尾の 假名で ある。 

梳 ゑる 越える 例へ る 

四、 助動詞、 助詞、 副詞 等 

r  0  0 

. 行 力う 盆の やう 

右の 中で、 た r 假名 遣と いふの は 三と 四の こと をい ふので、 1 と 一、 一は 普通に は^ 字 を 知って 

ゐゎは 手紙 やその 他の 文章 等に 假名で 書く こと もない ので あるが、 何 かの 場合に 淡 字の^ み 

方 をつ ける 時な どに は 假名 をつ ける のに 苦しむ ことがある。 殊に 音の 場合 はな かく 锥し ハ 

が、 それ も 一 の 音の 方 は 読め さへ すれば 假名の 方 は 許容され る。 即ち、 

『にっかう  へし ふくわん 

日光に つか ふ  習慣 一し う 力ん 

0  しゅ il 力 A 

产 につく わう  一し ゆうかん 


一 513 一 


〇 印の が 正しい が、 他の 假名 をつ けても 誤で は あるが よい ことにな つて ゐる。 

, 

二の^の 方 は 漢字 を 知って 居れば よいが、 假名 も 正しく 覺 えて 置きたい。 一一; と は 勿^ 正し 

くなければ いけない。 

ー體、 假名 は 何 を 誤る かとい ふと、 發 音が 同じで も 假名に いろ,/ \ 、あるから である。 例へば 

ィと發 音す る 假名に も、 ィ, ヰ、 ヒの 三つが ある。 コゥ とい ふのに も、 カウ、 カフ、 コゥ、 コ 

フ、 タワウと 五つ も ある。 此等を 漢字 一つ/ \ について 覺ぇ るの は 難しい 事で あるから 一と 「一 

について は少ぃ 方の 假名 を覺 えて、 多い 方 は 推察す るの がよ い。 一 i 一と i と は 文法的に 覺ぇ ると 

簡單 であるが、 叉 少ぃ方 を覺 えて 置いても よい。 

叉、 音便と 言って 綾け て發 音す る 時に 便宜上 他の 音に かへ て發 音され る ことがある。 例へば 

「白し」 力 「白い」 となる。 こんな 時には 「白 ゐ」 「白 ひ」 と は 書かない ので ある。 

次に 此 等の 方法に 付て 記さう。 

0 語尾の 塲合 

語尾の 送 假名 を 誤り 易 いのは 五十音 圖の 中で 左の通り である。 


—  514  — 


-TT-- 
曰 


わ"? ゆ を 
行 行 行 行 


わ は 
 ^  ' 

音發と ヮ 

ゐ いひい 

音發と ィ 

う ふう 
音^と ゥ 

ズ、 え rf  、ん 


を _ ほ 5 

に名遐 送 
しな 


蜀 f 一  ざ 行 — じ) 發 音す | 發音 

羽, 一 だ 行 i . ぢ j 同じ づ J 同じ 


叉、 送 假名 を 二つに 分ける ことが 出來 る。 

動詞の 語尾 I 動詞 は呰 活用す るが、 それ は 五十音 圆 の 各 一行に 限られる から、 正確に 

活用 を 知る ことに 依って 誤る ことはなくなる。 (末尾の 活用 表 を參考 して ほしい〕 

音便 III 音便 は 原音 を考 へれば よい。 

次に、 この 二つに 付いて 最も 簡明に 說 明しょう。 

1 、 活用語 尾の 假名 遣 

前に 示した 誤り 易い 行の 活用と 動詞と を 先づ考 へて 見る。 (活用 表 を參^  ) 

あ 行  下 一  一  C え え う うる うれ え) 


一- 515 — 


や 

行 


下 上上 


1± 

行 


下 上 


上 四 
一 段 


ふ 


貯 

ふ 


一 516  — 


得 これ 一 語し かない。 

(は ひふ ふへ へ) 

思 ふ 追 ふ 舞 ふ 買 ふ 等澤山 ある。 

(ひ ひ ひる ひる ひれ ひ) 

乾 (干) る 簸る この 二 語し かない。 

(ひひ ふ ふる ふれ ひ) 

用 ふ 强ふ 生 ふ 戀ふ 誣ふ この 位。 

(へ へ ふ ふる ふれ へ) 

迎ふ 敎ふ 考ふ 堪ふ 從ふ 備ふ 添 ふ 

澤山 ある。 

(い い いる いる いれ い) 

鑄る 射る この 位。 

(い い ゆ ゆる ゆれ い) 

老ゅ 悔ゅ 報 (酬) ゆ 此の 三 語 だけ。 

(ええ ゆ ゆる ゆれ え」 

^ゆ 冷 ゆ 超 ゆ 聞 ゆ 肥 ゆ 聳ゅ 榮ゅ 

消 ゆ 覺ゅ 越 ゆ 等 多い。 


捕 ふ 等 


は 

映 ゆ 


わ 行 


ざ 行 


だ 行 


上 1 1 C ゐ ゐ 

居る 

下 二 II (ゑ ゑ 

植ぅ 

下 二 I (ぜ ぜ 

交す 

さ變 I (ぜ じ 

信す 

住す 

上 二 —— (ぢ ぢ 

閉づ 

下 二 II (で で 


ゐる ゐる ゐれ ゐょ) 

率ゐる この 二 語 だけ。 

う うる うれ ゑよ) 

据ぅ 飢 (饑) う この 三 語 だけ 

す する すれ ぜょ) 

この 一語 一 つ だけ。 

す する やれ ぜょ) 

禁す 報す 應す 感す 

判す 念す^ 澤山 ある。 

づ づる づれ ぢょ) 

. 恥づ 怖づ 綴づ 攀づ 

づ づる づれ でよ) 

出づ 撫づ 詣づ 愛づ 


一  秀づ 

以上の こと を 記惊の 便宜上、 表示す ると 次の やうで ある 


^す 論す 歎す 轉す 投す 


ぬき  ゆ 

擢 eg) んづ 奏づ ぎづ 


さ 

1 

上 

上 

四 

變 

段 

得う 

あ 

つ 

だ 
け 

行 

澤 
山 

ふ 

あ 

割 

に 

少 

レ、 

簸乾 

二る 八 

つ 干 
だ' リ 
け る 

澤 
山 

あ 

る 

は 
行 

澤 
山 

あ 
る 

H 報侮老 

^ゆ ゆ 

け ゆ 

射 鑄 

つ 

だ 
け 

や 

行 

ゅ( 鐮) 湾 

"'筠 

二 率 居 
っゐ る 
だる 
け 

わ 
行 

交 

― ず 

つ 

だ 
け 

ざ 
行 

1 

澤 
山 

る 

1 

だ 

行 

― 518^. 


以上の 表で 少ぃ方 や、 全くない もの を覺 えて 置けば、 他 は 推測 出來 るので ある。 例へば 四^ 

活用で ィと發 音す るの は ハ行 だけで あるから 

o 

友 を 2 あう 

彼に 乞いて 敎へ を受く 

等の 誤で ある こと は 直ぐ 分る。 

上 一 では ハ行 二つ、 ヮ行 二つ、 ヤ行 二つで、 この 六つの 中で ハ行の は 語の 上で あるから ヒと 

發 音し ィとは 言 はない から、 結局 四つになる。 この 四つ を覺 えて 遛 けば 

用いる ものな し 

等と は 誤らない。 

尙、 形容詞、 助動詞の 濁音の 語尾 は 「ざ 行」 である。 それ故に ヂ、 ヅと 書く こと はない。 

例へば 

同扣 日に 花見に 行く。 (形) 

同^ 日に 花見に 行く。 


一 519  — 


1 


凄 ぢぃ働 をした。 (形) 

凄 W い 働 をした。 

言 は^に 實行 する。 (助 動) 

言 はおに 實行 する。 

音便に よる 假名 遣 


音便 は 次の 四 種で あるが、 動詞ば かりではなくて、 形容詞に も 一 つ ある _ 


種 類 


詞 

活 用 


お 


原 


か 行 四 段 連用 花 が^きた 

が 行 四 段 連用 海が 風^た 

う 音便  < は 行 四 段 連用 彼に た 

、ま 行 四 段 連用 本 を 讀,; ?た 

ば 行 四 段 速 用 英語 を擧 .5 た 

な 行變格 連用 死^た 友 を 思 ふ 


い 音便 


撥音 便 


音  音 

花が^ た 

海が だ 

彼に 會 引た 

本を讀 J だ 

英語 を舉. ^だ 

死^だ 友 を 思 ふ 


便 


一 520  — 


2 


促音 便 


た 行 四 段 連用 新しく 家 を 建ちた 

は 行 四 段 連用 買, 3 た 本 

は 行 四 段 連用 彼に 從. 5 て 行く 

ら行變 格 連用 此處に 居.^ て ほしい 

四つの 音便で 促音 便 は 誤る こと はない。 


新しく 家 を 建った 

買^た 本 

彼に 從,? て 行く 

此處に 居^て ほし い 


形容詞 

種類 段 


例 


原 音  音 便 

う 音便 連用 行 を 正しぐ する 行 を 正し.^ する 

い 音便 連體 美し^ 哉  美し, 5, 哉 

撥音 便 連用 重 q す  重 ^ す 

形容詞の 音便 は 主に 文語の 場合で ある。 

促音 便 は 誤る こと はない が、 他の 音便の 語尾 を 誤らぬ やうに 書く のに は 活用の 語尾 か 音便の 

語尾 か を 見分ける ので あるが、 前に も 記した やうに 原音に なほして 見て 右の 表の 何れに か當 


一 521  — 


て はまる の は 音便で あり、 音便で あれば 語尾の 送 假名 も、 四つの 中に 限られる ので ある。 

例へば 

問 ひて 

の 「問 ひ」 は 本來は ハ行 四 段で あるから 音便と なれば 

問うて 

となって 

問 ふて 

ではない。 ハ行 四 段な ので 「問 ふて」 で 誤りない やうに 考へ 易い からこの r う 音便」 の 場合 

殊に 注意したい。 

言 ふて —— 言うて 

競 ふて I 競うて 

等 皆 同じで ある。 叉、 

飛む で 


—  522  — 


一 523  — 


とすると 「飛む」 は マ行の 何 かの 活用になる ので あるから、 音便で ある 以上 は 「飛んで」 と 

書かねば ならぬ。 

0 助動詞、 助詞 副詞 等の 場合 

1、 「よう」 と 「やう」 

「よう」 は 推量 又は 未来の 意味 を あら はすので ある。 之 は 文語の 未 米の 助動^ 「む」 を 

口語に したので あるから、 「む」 の 意に 相當 する 場合 は 「よう」 と 書く。 

明日 は 早く 起きよ ケ (起き 5) 

出来る かも 知れない から やって み^  (み .5) 

行かう か、 行くまい か、 どラ しょ ラ (^5) 

「やう」 は 「敏」 の 假名で 「 :… の 如し」 と替 へる 意味で ある。 . 

同じ やうに 分ける (.g^ に) 

燕の^^ に 早い 汽車 (如くに) 

今夜の 月 は 盆の^^だ (如し) 


文語の 助動詞で 「む」 となる 所 は 口語で は 「う」 となる。 

(ィ) む —— う 

早く 行かが —— 早く 行か.^  (從 つて 「行こう」 は 誤) 

明日、 話さ. s I 明日 話さ 引 (從 つて 「話そう」 は 誤) 

(B) らむ  らう 

花唤 く:^ W II 花が 唉 くだ.^  (從 つて 「だろう」 は 誤) 

雨 降る Is  ! 雨が 降る^^  (從 つて 「だろう」 は 誤) 

3、 「かう」 

副詞の 「 かく」 は 口語で 「かう」 となる。 

t なさん II -.^ なさう (從 つて 「こう」 は 誤) 

^言 ふ 我 は I ^言 ふ 私 は (從 つて 「こう」 は 誤) 

4、 「御座います」 


これ は 

御座^^ます (原型) 

御座.^ ます (まが^: につまる) 

御座います (W の い 音便) 

と變 つて 行った。 それ故に 「御座 ゐ (居) ます」 と w きたいが、 誤りで ある 

5、 助詞 「は」 

^わ 行きます —— 私 は 行きます 

助詞、 即ち テ 一一 ヲ ハ の 場合 は 「は」 と 書いて 「わ」 と發 音す る。 

6、 助詞 「を」 

本お 讚む I 本 を讀む 

前と 同じで、 助詞の 場合 は 「を」 を 用 ひる。 

7、 「さう」 

厶  o 

(ィ 3 そうして  さう して 


接鑌詞 「さう して」 は 「左 ありて」 がつ まって 出来た。 

(口) 悲しそう —— 悲し さう 

歩け そうだ —— 歩け さう だ 

副詞 「さう」 は 「然」 を延 した 音で ある。 

8、 助詞 「へ」 

東京え 行く ,—— 東京へ 行く 

この 「へ」 は 方向 を 示す もので、 方と か邊 から 出來た 語で ある。 

〇 訓の 場合 

1 い ゐひ 

1、 r ゐ」 と 書く 語 

猪 ゐ のし ゝ  井 ゐ 

井戶 ゐど  田舍 ゐ なか 

藺ゐ  藍ぁゐ 


— 52G  — 


hi  くれな ゐ  紫 陽 あち さゐ 

基 もと ゐ  位 くら ゐ 

圑欒 まど ゐ  慈姑 くわ ゐ 

居る ゐる  乞食 かた ゐ 

參る まゐる 

2、 「い」 と 書く 語 

(ィ) 語の 上 6 時 は 前 q  r ゐ」 の 外 全部 「い」 

色い ろ  今い ま 

等、 澤山 ある。 

(口) 語の 中、 下の 時 

擢 かい 

3、 「ひ」 と 書く 語 

語の 中、 下の 場合 は 以上の 「い」 「ゐ」 の 外 は 全部 「ひ」 と 書く 


、 音便の 場合 は 「い」 

白い —— 白し 

憎い.  憎し 

つ. S たち 

朔日 —— つきた ち 

等 多い。 

え ゑへ 

、 「ゑ」 と 書く 語 

繪  ゑ 


笑顔 


末 


ゑが ほ 

ゑん じゅ 

こ ゑ 

すゑ 

つく ゑ 


Hi: い. ず; し 


多い. 

さ. S は ひ 

幸— 


I 多し 

• さき は ひ 


0 ゑ 

靨 (笑 窪) ゑく ぼ 

巴  ともゑ 

杖 つ ゑ 

棺  こす ゑ 

礎 い しづゑ 


故  ゆ ゑ  所以 ゆ ゑん 

微笑む ほ^-ゑむ 钊る ゑぐ る 

2、 「え」 と 書く 語 

(ィ) 語の 上の 時 は 前の 「ゑ」 の 外 全部 「え」 

枝 えだ  獲物 えもの 

等 多い。 

S 語の 中、 下の 時 

笛 ふえ  稗 ひえ 

蠑螺 さ f え  ^ ぬえ 

夕 映 ゆ ふば え 

一二お を ほ 

1、 r を」 と 書く 語 

尾 を  雄 を  苧を 


一 5 ツ J 一 


小  を 

夫  をつ と 

緖  を どし 

伯父 (叔父) をぢ 

親父 をゃぢ 

をし どり 

節  をり 

女  をん な 

一昨年 をと- -し 

烏 許 (滸) を こ 

魚  ろ を 

芭蕉 ばせ を 

竿  さ を 


緖 を 

少女 をと め 

尾花 をば な 

伯母 (叔母) をば 

荻  をぎ 

斧 をの 

大蛇 をろ ち 

女郎花 をみ なへ し 

遠近 をち こち 

菜  しをり 

鰹  かつを 

操  みさ V! 

敎 へる をし へ る 


男  をと こ 

桶  をけ 

岡 (丘) を か 

甥  を ひ 

長  を さ 

濫  をり 

0  をと り 

一昨日 をと  >- ひ 

^  を さ 

靑  あ を 

功  いさを 

十  と を 

踊る を どる 


—  530 一 


を はる 

をる 

をさむ 

ま をす 


終る 

居る 

牧む 

申す 

を さ/ \ 

幼い をさない 


2 


3 


戰  をの、 く 

折る をる 

治める を さめる 

薰る かをる 

喚く をめ く 

可笑しい を かしい 

、 「お」 と 書く 語 

語の 上に ある 時 は 前の 

御前 お まへ 

置く おく 

等 多い。 

、 「ほ」 と 書く 語 

語の 中、 下の 場合 は 以上の 外、 全部 「ほ」 


を」 の 外 は 全部 「お」 

面影 おもかげ 

重い おもい 


惜しむ をし む 

犯 (胃) を かす 

拜む をが t 

萎れる し をれ る 

た を やか 


顏 かほ  凍 こ ほる 

等 多い。 

4、 次の 「ふ」 は 「を」 の やうに 發 音され るから 注意し なければ なら ぬ- 

け ふ 


. 葵 あふひ 

昨日 きの ふ 

仰ぐ  あ ふぐ 

煽ぐ あ ふぐ 

四 わ は 

1、 「わ」 と 書く 語 

慈姑 くわ ゐ 

諺  ことわざ 

理  ことわり 

皺 しわ 


今日 


倒れる 


一色 


ふくろ ふ 

た ふれる 


いわし 

はらわた 

こわいろ 

くつ わ 


一 532  — 


浦曲 うらわ  鶸  ひわ 

廓 くるわ  水泡 みな わ 

斷る ことわる  慌てる あわてる 

撓む た わむ  乾く かわく 

坐る すわる  騒ぐ さわぐ 

弱い よわい  ^しい あわただしい 

爽か さわやか 

2、 「は」 と 書く 語 

前の 「わ」 の 外 は 全部 「は」 と 書く 

桑 く は  變る か はる 

等 多い。 

五、 う ふ 

1、 「ふ」 と 書く 語 


-533  — 


扇  あ ふぎ 

尊ぶ た ふとぶ 

近 江 あ ふみ 

尊い た ふとい 

2、 「う」 と 書く 語 

語の 中 は 前の 「ふ」 の 外 皆 

六、 じ ぢ 

1、 「じ」 と 書く 語 

目尻 めじり 

銀  やじり 

聖  ひじり 

網 代 あじろ 

馴染む なじむ 


夕  ゆ ふべ 

候 ふ  さ ふら ^ 

危ぃ あや ふい 

「う」 

貉 むじな 

^  力 じ 力 

蜆 しじみ 

交 はる まじ はる 

豫る にじる 


—  534  — 


詰 なじる 

彈く  はじく 

施 毛 つむじ 

姐  うじ 

* つじ 

雉  きじ 

攄  はじ 

頃  うなじ 

籤  くじ 

辟易ぐ たじろぐ 

混 (雜) る まじる 

短い みじかい 

2、 「ち」 と 書く 語 


始める はじめる 

旋風 つむじかぜ 

主人 あるじ 

虹  にじ 

髢  かも じ 

匙  さじ 

羊 ひつじ 

恭ぃ かたじけない 

呪 ふ まじな ふ 

著しい いちじるしい 


-535  — 


前の 「じ」 の 外 は 全部 「ぢ」 

藤 ふぢ  縮ま る 

等 多い。 

せ、 す づ 

1、 「す」 と 書く 語 

$  力す 

り 

た r すむ 

す M 

み、 す 

こす ゑ 


佇む 

漫ろ 

數珠 


ち どまる 


鈴  すャ 

0  きす 

凉む すすむ 

準へ る なすら へ る 

、必 す  力 な らづ 

礎  いしす ゑ 

雀  すすめ 

^  くす 


一 537 一 


喾  はす  0  すすき 

^  すすな  百舌鳥 もす 

2、 「づ」 

前の 「す」 の 外 は 全部 「づ」 

和 泉 いづみ  崩れる く づれる 

等 多い。 


四 


り 

仃 

け 

行 

C 

仃 

、や 

類 

祭 

汲 

買 

—La 

增 

行 

幹 語' 

ら 

拿 

は 

た 

さ 

力、 

然將 

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尾 

も 

み 

ひ 

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き 

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む 

ふ 

つ 

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止 終 

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す 

ぐ 

體連 

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め 

へ 

て 

せ 

け '' 

然已 

1 ュ 

れ 

め 

へ 

て 

せ 

け 

令 命 

種 

m 

ら 
わ 

ま 
订 

は 
仃 

た 
仃 

さ 

か 

祭 

汲 

■  f  m. 

增 

行 

¥r  口口 

ら 

ま 

は 

た 

ざ 

力、 

然將 

尾 

み 

ひ 

ち 

し 

き 

麵 

る 

む 

つ 

す 

< 

止 終 

る 

む 

ふ 

つ 

す . 

< 

11 連 

れ 

め 

へ 

て 

せ 

け 

定假 

れ 

め 

へ 

. て 

せ 

け 

^命 

S 詞 活用 表 S 幹に 括 孤 0 あるの は 語 ない もの) 


—  538  — 


一 上 

さ 

叫 

ら 

な 

わ 

? T 

仃 

仃 

は 
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ォ.、 
7 よ 

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格 

格 

變 
格 

變 
格 

は 
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73、 
仃 

へ 

居 

へ 

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リ 

見 

干 
リ 

恭 

爲 

來 

有 

遊 

漕 

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ひ 

に 

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せ 

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ひ 

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き 

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い 
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ひ 

る 

に 

る 

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す 

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ぐ 

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ろ 

み 
ろ 

ひ 
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に 
る 

さ 
る 

す 
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ぐ 
る 

る 

ぬ 
る 

ぶ 

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い 
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み 
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か 
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段 

1 わ 

I 行 

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仃 

は 

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仃 

變 
格 

變 
格 

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ハ 

居 

射 

見 

干 

リ 

ハ 

煮 

着 

ハ 

爲 

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來 

有 

死 

遊 

漕 

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い 

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ひ 

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ひ 

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る 

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ぐ 
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ひ 
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得 

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一 540- 


二  下 

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述 

交 

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流 

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で 

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る 

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る 

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め 
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へ 

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で 
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ぜ 
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れ 

え 

れ 

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よ 

ぜ 
よ 

け' 
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之 

め 
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へ 
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ね 
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て 

よ- 

せ 
よ 

-541  — 


直 J 照 桑 
柳 

原 林 文 

書 

店 堂 社 


昭和 十二 年 一 月 叶 五日 印 刷  箕生活 に 及ぼす 

昭和 十二 年 一 月 二 叶日發 行  國 語と 文字の 波紋 

改正 定價躉 圓 七拾錢 


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關東資 捌 元 

關西賫 捌 元 


朿京市 祌田區 錦 町 1 ノ 三錦ビ ル 

振替 口座 東京 三 五 ニニ 五番 

東京 市 神 田 區錦町  ーノ 一 一 

振替 口座 六 〇 一 八 II 一番 

大 K 市柬區 北 久太郞 町四ノ 一  六 

振^  口座 大阪 二三 一番 


者  海 野 昌平 

東京 市 神 田 茈錦町 一 ノ 三錦ビ ル 

行者 天 野  耍 

東京 市 小石 川區 白山 御殿 町 六 四 

刷, 者 新 妻  乾 


—はれ 吾れ 吾 づ先ー g 

!談演 文 手 新 i  I 

I 話 說章紙 聞; ま 
を を を を を ■ 

; すす 作 書 讀 ?'1 


海 野 昌平 編著 


新 四六判 四 A 〇 

買 上製 凾入 


定 價壹圓 五拾錢 

送料 拾貳錢 


「故事 や 成語」 な 知って K かなけ 

れば ならぬ。 1 舣に 故事 や 成語 即 

ち 中原 LL 鹿を逐 ふ、 殷鑑 遠から す、 

入口に 膾炙、 牛耳な 執る 等々 は B 

常 使 ひながら その 由 來ゃ眞 意 を 知 

ら すに ねる 人が 非常に 多い、 そこ 

で 本書 は 誰も 覺ぇ たい、 是非 知つ 

て 置かれ. はなら! 2 と 思 ふ これら 約 

一 千 五 百 語^ 撰び それ を 最も 興味 

的-」 簡潔に. S 來 から 眞意^ 解いた 

もので どの 頁 を 開いて 兌て-^ 「なるほど」 と 思 

ふ もの ば かリ である。 どんな 場合で も 日常 語の 

.E 來ゃ眞 の 意味^ 知らす に は滿 足な 怠 志 表示 は 

出来な、 >0 又 之 を 座右 LL 備 へて 置けば 新 iS 雜誌 

などで 如何なる 難解の 故事 成語に 遭遇した 揚合 

でも 容易 LL 引用し 怠 味^ 解す る 事が 出來 ろ。 本 

書は實 に學校 家庭の 敎育资 料と して は 勿論の こ 

と 階級、 職業、 老若男女 を 問 はす 現代人の 生活 

上紹對 不可 缺の良 害で わる。 (內容 見本 進呈) 


入^ 製 上 判 六 四 

鈸拾七 mi 壹慣定 
s  二十 


唐 韻の 區割、 詩詞 の^ 等よ ゥ 

詩の 寳庳 ともなるべき 雜剌、 

傳奇、 小說の 韻文 一般 を 何人 

にも 了解し 得らる、 やう、 各 

章 何れも 平易 懇切 を 極めた る 

ものにして、 一 讀 直ちに 作詩 

の 秘奥に 通す る ことの 出來る 

ものである。 作詩 家 は 勿論、 

苟 くも^ 洋 文明の 根柢た る漢 

舉に手 *v 染めん とする 人の 必 

讀 すべき 良書で ある。 


本書 は 開闢 以來の 大詩舉 家 

として その 令名 束亞の 全土 を 

壓 したる 森槐南 先生が 畢生の 

蘊蓄 を 傾注して 詩學界 の爲め 

に 遣され たる 不朽の 名著で あ 

る。 平仄の 原理、 古詩の 音節 


1 

伊 

藤 

松 
雄 

伊 
藤 
松 
雄 

田 

國國 

ゃ练 
乂  H 口 

研 

究 
會 

新 
道 
—高 
章 

木 
• 村 

岳 
風 

木 
村 
岳 
風 

高 
橋 
幅 
雄 

を 今 
—日 
日の 

—歴 

呤史 
百 

十 

五 
吟 
集 

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漢 
s 土 

5 寸 
を 

る 

易 わ 
か 
いり 

古 

文 

學 
の 

常 

誤 

易 
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漢 
字 

と 

の そ 

運 
用 

入圖 

新 
劍 

の 

指 

導 

解 註 

興 
國 
朗 
吟 
詩 
集 

寺 

入吟 

漢 
名 

詩 
の 

吟 

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手 
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頁 截 

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頁 判 

一 ポ 

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各 5  5 

後 前 

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各 三 三 
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詩 の 
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養 漢 
書 詩 
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得 漢 
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隨 W 

筆 界 
、 を 
輿 趣 

味 味 

津 的 

々 I: 

ォ: 探 

1 1  八 

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見 

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得 1: 
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好 古 
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常 文 
譏 學 
書 の 

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一 漢 
寛 字 
等 の 
日 使 
常 ひ 
是 力' 
非 同 
必 訓 
要 異 
の 字 

書 9 

明 
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字 

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舞 家 
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名 P^f 

著 を 
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七 
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宛 
集 

の ^ 
P^T     P ふ 

吟 每 
指 1: 

導 詩 
書 吟 
、 符 

好 を 
評 附 
噴 し 
々 1: 
斯 
界 
唯 

手 從 
m 來 
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作 文 
リ 例 
方 式 
を を 
指 捨 
て 

tf 辭 
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式 

リ 

口:^ 金お