ヒンギス、ダブルス世界1位君臨の理由 40連勝中の35歳、勢い止まらず

山口奈緒美

ダブルスでも発揮される天賦の才

35歳、2度目の復帰でダブルス世界ランキング1位になったマルチナ・ヒンギス。衰えぬ強さの秘密はどこにあるのか 【Getty Images】

 先月、16年ぶりにダブルス女王に返り咲いたマルチナ・ヒンギス(スイス)の勢いが止まらない。ダブルスで昨年のウィンブルドンから全米、WTAファイナル、先の全豪と、ビッグタイトルを総なめにし、先週ロシアのサンクトペテルブルクでも優勝して連勝数を40とした。1990年にヤナ・ノボトナとヘレナ・スコバが達成した44連勝という記録の更新は目前だ。

 35歳にしてナンバーワンに返り咲いたとき、ヒンギスは言った。

「ずっと夢見ていたことだけど、決して夢じゃないという思いだった。新しい章の始まりだわ」

 一流のアスリートなら誰もがドラマチックな“章”の数々を持っているに違いないが、中でも引退と復帰を繰り返してきたヒンギスのキャリアは特異で波乱に満ちている。ここでそれを子細に振り返る余裕はないが、その引退と復帰だけを追えばこうだ。

 02年に左足首のケガによりツアーを離脱し、翌年初めに22歳の若さで引退を表明。しかし05年初めにパタヤの大会にワイルドカードをもらって出場すると、翌年から本格的にツアー復帰した。しかし07年に再び引退に追い込まれる。ドーピング検査でコカインが検出され、2年間の出場停止になったことが原因だ。本人は否定し続けたが、真相はうやむやなまま約6年のときを経て、13年7月にダブルスに限定して再びツアーに戻って来た。

 ヒンギスは98年にダブルスの年間グランドスラムも達成したほどのダブルス巧者だ。最近はシングルスのトッププレーヤーがダブルスでも活躍する例は少なくなったが、単複同時に世界1位になった選手は史上6人いて、ヒンギスはそのうちの1人でもある。96年にはウィンブルドンのダブルスで15歳9カ月の史上最年少グランドスラム・チャンピオンにもなった。ヒンギスを“天才少女”たらしめた天性の勘やラケットさばき、頭脳的な展開力といった武器はダブルスに大いに生かされるものだった。

きっかけは新パートナーとの出会い

サニア・ミルザ(左)との出会いが、爆発的な成功の鍵になっている 【写真:ロイター/アフロ】

 170センチの細身でパワーの面では劣るが、こういったヒンギスの武器はどれも加齢による衰えが比較的小さい。ブランク中もエキシビションなどで実戦をこなしていたこともあり、ダブルスプレーヤーとしてのある程度の活躍は予想されたが、ここまで爆発的な成功を遂げたカギは、昨年3月からコンビを組んでいるパートナー、サニア・ミルザ(インド)との出会いだろう。

 そもそもヒンギスを再びツアーに連れ戻したのは元世界5位のダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)で、復帰初年の13年は全大会でペアを組んだが、コンビとしてはあまり機能しなかった。そこへきて、夫から「浮気と暴力」を訴えられるという衝撃の事件があり、これが3度目の引退の引き金になるのではともうわさされた。しかし引退どころか、半年ほど休んでほとぼりが冷めると、ペアを変えてまずはザビーネ・リシキ(ドイツ)とのペアで復帰後初のツアー優勝、さらにはフラビア・ペンネッタ(イタリア)と組んで2大会を制した。しかし翌15年、ペンネッタとのペアが4大会連続で不振に終わると、コンビを解消。次に組んだのがミルザだった。

 ミルザはシングルスでもトップ30入りしたことのある選手だが、低迷とともに12年半ばからダブルスのスペシャリストに転向。ヒンギスと出会う前にも、12人の異なるパートナーと合計22ものツアータイトルを獲得しているが、2年近く組んだカーラ・ブラック(ジンバブエ)と14年末に別れ、継続的・長期的にペアを組む好相性のパートナーを探していた。そんな中、試しにヒンギスと初めて組んだ15年3月のインディアンウェルズでいきなり優勝、そこから3大会連続優勝を果たしたのだ。

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著者プロフィール

1969年、和歌山県生まれ。ベースボール・マガジン社『テニスマガジン』編集部を経てフリーランスに。1999年より全グランドスラムの取材を敢行し、スポーツ系雑誌やウェブサイトに大会レポートやコラムを執筆。大阪在住。

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