オリビア・ニュートン=ジョン - Wikipedia

オリビア・ニュートン=ジョン

オーストラリアの女性歌手

オリビア・ニュートン=ジョン[1]: Dame Olivia Newton-John AC DBE[2]1948年9月26日 - )は、イギリス生まれ、オーストラリア育ちのポピュラー歌手実業家オーストラリア勲章および大英帝国勲章を授章されている。

オリビア・ニュートン=ジョン
Olivia Newton-John
Olivia Newton-John 2.jpg
オリビア・ニュートン=ジョン(2012年)
基本情報
生誕 (1948-09-26) 1948年9月26日(71歳)
イングランドの旗 イングランドケンブリッジ
出身地 オーストラリアの旗 オーストラリア ビクトリア州メルボルン
ジャンル ポップカントリー
職業 歌手女優
担当楽器 ドラムギターピアノリコーダー
活動期間 1963年 -
公式サイト www.olivianewton-john.com

1970年代から1980年代半ばにかけて数多くのヒット曲を放ち、世界的な人気を博した。現在もレコーディング、コンサート、自社ブランドのオーナーなど、多方面で活躍する。公称身長は、167.5 cm(5フィート6インチ)。

概要編集

イングランドケンブリッジ生まれ。母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツ出身のユダヤ系でノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学ドイツ語教授であった。母方の曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリングである。

5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。

クリフ・リチャードのバック・コーラスなど下積みの時期がしばらく続いたが、1970年にヴァル・ゲスト監督による『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』で映画主演し、歌も披露。1971年ボブ・ディランジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー「イフ・ノット・フォー・ユー (If Not For You)」がヒットしたのをきっかけにスターの階段をのぼり、可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めた。1973年頃よりMOR、コンテンポラリー色を強め、1974年のシングル「愛の告白 (I Honestly Love You)」が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝いた。1975年にアメリカに移住した後も「そよ風の誘惑 (Have You Never Been Mellow)」などのヒットを連発する。

女優としては1978年のミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演。興行成績は大成功を収め、サントラからも「愛のデュエット」、アカデミー賞歌曲賞候補となった「愛すれど悲し」、「想い出のサマー・ナイツ」が連続ヒットし、押しも押されもせぬ世界的なスターとなる。1980年の映画『ザナドゥ』に主演。興行成績は不発に終わるも、サントラ曲「マジック」、ELOとの「ザナドゥ」、クリフ・リチャードとのデュエット「恋の予感」(日本ではシングルにならず「春風の誘惑 (Suspended in Time)」がシングル・カット)がヒット。トラボルタと再度共演した『セカンド・チャンス』のサントラ曲「運命のいたずら」、「ディスペレイト・タイムス」といったヒットを挟み、アンディ・ギブと「愛は微笑みの中に」など、AOR系のデュエット曲を発表。

1981年にはロック色を強め、アップテンポなディスコ調の「フィジカル」をリリース。全米でビルボード10週連続1位、キャッシュボックス8週連続1位、1982年度の年間チャート1位という爆発的ヒットを記録(エアプレイ中心のラジオ&レコーズでは「フィジカル」は1位にならず、ビルボード、キャッシュボックスで「フィジカル」に抑えられ2位どまりだったフォリナーの「ガール・ライク・ユー」が逆に1位を独走していた)。最終的にこの曲はビルボードにおいて、1980年代の全米チャートで最もヒットした曲となった。当時のフィットネスブームを意識し、ミュージックビデオではレオタード姿でエアロビクスを踊るという強烈なイメージ戦略があたり、オリビアのセールスはこの頃にピークを迎えた。しかし、その意味深な歌詞のせいもあって、保守色の強い州南部などの一部の放送局では、この曲の放送を自粛する動きも見られた。

1985年のシングル「ソウル・キッス」がミディアム・ヒットに終わってセールスが一段落すると、ポーランド人のダンサーであるマット・ランタッジとの結婚生活に入り、音楽界と若干の距離を置く。その後、出産、乳癌手術などを経て、環境保護活動やがん啓蒙活動といった社会運動に取り組みはじめ、ユニセフ親善大使もつとめた。

1994年の音楽界復帰後は定期的なライブツアーを行なうほか、2000年シドニーオリンピック開会式で「Dare To Dream」を披露した。

2012年、約35年ぶりに、ジョン・トラボルタと共演したデュエット・アルバム『The Christmas』をリリース[3]。自身が鬱病との闘病生活を送っている事を告白。

2018年、前年2017年に3度目の癌となる脊髄の癌を患っていることを告白した[4]

その他編集

来日記録編集

  • 1972年 - クリフ・リチャードの日本公演のバックコーラスとして初来日。
  • 1973年 - 東京音楽祭出場のために2度目の来日。
  • 1976年 - ソロとして初来日。
  • 1978年 - 2度目のソロ公演。4月の公演は彼女が日本のイルカ駆除に反対したため延期となり、半年後に開催された(後に壱岐の漁民が生きる為の手段であった事を知り、日本公演の際にイルカと人間が共存できる研究の為に千葉県の海洋生物研究所に2万ドル寄付した。)[6]
  • 1981年 - 5度目の来日。
  • 1990年 - 環境親善大使として来日。
  • 1991年 - 24時間テレビチャリティコンサート出演のために来日し、都庁で歌を披露。
  • 2003年 - 25年ぶりのソロ公演で来日。
  • 2006年3月 - ソロ公演で来日。
  • 2009年3月 - 乳がん撲滅キャンペーンのため来日。
  • 2010年 - 10月にデビュー40周年記念CDのキャンペーンで来日。11月 - 12月にかけて4都市(東京都・金沢市・名古屋市・尼崎市)でライヴ・ツアー。
  • 2015年4月・5月 - デビュー45周年を記念した来日公演[7]、5月に震災追悼公演「Pray For Fukushima」を開催[8]

ディスコグラフィ編集

スタジオ・アルバム編集

ライブ・アルバム編集

コンピレーション・アルバム編集

主なシングル編集

  • 「イフ・ノット・フォー・ユー」 - "If Not For You" (1971年) ※全米25位、全英7位
  • 「バンクス・オブ・ジ・オハイオ」 - "Banks of the Ohio" (1971年) ※全英6位
  • 美しき人生」 - "What Is Life" (1972年) ※全英16位
  • カントリー・ロード」 - "Take Me Home, Country Roads" (1972年) ※全英15位。1976年に「たそがれの恋」との両A面で日本でシングルカットされオリコン6位。オリコン洋楽チャートで1976年11月29日付から15週連続1位を獲得[10]
  • レット・ミー・ビー・ゼア」 - "Let Me Be There" (1973年) ※全米6位
  • 「青空の天使」 - "Long Live Love" (1974年) ※全英11位
  • 愛しい貴方」 - "If You Love Me (Let Me Know)" (1974年) ※全米5位
  • 愛の告白」 - "I Honestly Love You" (1974年) ※全米1位、全英22位
  • そよ風の誘惑」 - "Have You Never Been Mellow" (1975年) ※全米1位
  • 「プリーズ・ミスター・プリーズ」 - "Please Mr. Please" (1975年) ※全米3位
  • 「秋風のバラード」 - "Something Better To Do" (1975年)
  • 「レット・イット・シャイン」 - "Let It Shine" (1975年)
  • 「フォロー・ミー」 - "Follow Me" (1975年)
  • 「フライ・アウェイ」 - "Fly Away" (1975年) ※ジョン・デンバーのEPにデュエット参加
  • 「一人ぼっちの囁き」 - "Come On Over" (1976年)
  • 「ジョリーン」 - "Jolene" (1976年) ※オーストラリア・日本・ヨーロッパ圏の一部の国で発売
  • 「たそがれの恋」 - "Don't Stop Believin'" (1976年)
  • 「恋する瞳」 - "Compassionate Man" (1976年) ※日本のみ発売
  • 「サム」 - "Sam" (1976年) ※全英6位
  • 「きらめく光のように」 - "Making A Good Thing Better" (1977年)
  • 「サッド・ソング」 - "Sad Songs" (1977年) ※日本のみ発売
  • 「愛のデュエット」 - "You're The One That I Want" (1978年) ※ジョン・トラボルタとのデュエット。全米1位、全英1位 
  • 「愛すれど悲し」 - "Hopelessly Devoted To You" (1978年) ※全米3位、全英2位
  • 「想い出のサマー・ナイツ」 - "Summer Nights" (1978年) ※全米5位、全英1位
  • 「愛は魔術師(マジジャン)」 - "A Little More Love" (1978年) ※全米3位、全英4位
  • 「さよならは一度だけ」 - "Totally Hot" (1978年)
  • 「愛の炎」 - "Deeper Than The Night" (1979年)
  • 「愛は微笑みの中に」 - "Rest Your Love On Me" (1979年) ※アンディ・ギブとのデュエット
  • 「アイ・キャント・ヘルプ・イット」 - "I Can't Help It" (1979年) ※アンディ・ギブとのデュエット
  • 「マジック」 - "Magic" (1980年) ※全米1位
  • ザナドゥ」 - "Xanadu" (1980年) with ELO ※全米8位、全英1位。ソフトバンクモバイルホワイトプラン』CMソング
  • 「恋の予感」 - "Suddenly" (1980年) ※クリフ・リチャードとのデュエット。全英15位
  • 「春風の誘惑」 - "Suspended In Time" (1980年)
  • フィジカル」 - "Physical" (1981年) ※全米1位、全英7位。オリコン洋楽チャートで1982年1月25日付から9週連続1位を獲得[11]
  • 「ムーヴ・オン・ミー」 - "Make A Move On Me" (1982年) ※全米5位
  • 「ランドスライド」 - "Landslide" (1982年) ※全英18位
  • 「ハート・アタック」 - "Heart Attack" (1982年) ※全米3位
  • 「タイド・アップ」 - "Tied Up" (1983年)
  • 運命のいたずら」 - "Twist of Fate" (1984年) ※全米5位
  • 「テイク・ア・チャンス」 - "Take A Chance" (1984年) ※ジョン・トラヴォルタとのデュエット
  • 「ディスペレイト・タイムス」 - "Livin' In A Desperate Times" (1984年)
  • 「ソウル・キッス」 - "Soul Kiss" (1985年) ※全米20位
  • 「恋愛専科」 - "Toughen Up" (1985年)
  • 「ベスト・オブ・ミー」 - "The Best of Me" (1986年) ※デイヴィッド・フォスターとのデュエット
  • 「噂」 - "The Rumour" (1988年)
  • 「愛を抱きしめて」 - "Can't We Talk It Over In Bed" (1988年)
  • 「リーチ・アウト・フォー・ミー」 - "Reach Out For Me" (1989年)
  • 「アイ・ニード・ラブ」 - "I Need Love" (1992年)
  • 「ドント・カット・ミー・ダウン」 - "Don't Cut Me Down" (1994年)
  • "Had To Be" (1995年) ※クリフ・リチャードとのデュエット。全英22位
  • 「愛の告白」 - "I Honestly Love You" (1998年) ※「愛の告白」のセルフカバー
  • "Back With A Heart" (1998年)
  • "Love Shouldn't Hurt" (1998年) ※チャリティ・シングルCD with オール・フォー・ワンマイケル・ボルトン、ジョーダン・ヒル、カーニーアン&ウェンディ・ウィルソンスティーヴン・ビショップボビー・コールドウェル、グレゴリー・カーティス、ローラ・デイヴィス、オーウェン・エリオット、エマニュエル・オフィサー、スティーヴン&クリス・スティルス、リチャード・スタイツ、タミア
  • "Dare To Dream" (2000年) ※ジョン・ファーナムとのデュエット。シドニー・オリンピック・テーマ曲
  • "Physical" (2010年) ※デュエット with ジェーン・リンチ (テレビドラマ『glee/グリー』より) iTunes配信シングル
  • "Hotel Sessions" (2014年) ※配信 EP

フィルモグラフィ編集

  • Funny Things Happen Down Under (1965年)
  • 『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』 - Toomorrow (1970年)
  • グリース』 - Grease (1978年)
  • ザナドゥ』 - Xanadu (1980年)
  • セカンド・チャンス』 - Two of a Kind (1983年)
  • 『クリスマスに願いを』 - A Mom for Christmas (1990年)
  • A Christmas Romance (1994年)
  • ラスト・パーティ』 - It's My Party (1996年)
  • Sordid Lives (2000年)
  • 『ジャスミン・ラブ』 - The Wilde Girls (2001年)
  • 1 a Minute (2010年)
  • Score: A Hockey Musical (2010年)
  • A Few Best Men (2011年)
  • シャークネード5 ワールド・タイフーン』 - Sharknado 5: Global Swarming (2017年)
  • The Very Excellent Mr. Dundee (2020年)

出典・脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ オリビア・ニュートン・ジョン」の表記もある。
  2. ^ 英語発音: [oʊˈlɪviə ˈnjuːtən dʒɑn] オウーヴィア・ニュートゥン=ジャ(ー)ン、または、[əˈlɪviə ˈnjuːtən dʒɑn]ーヴィア・ニュートゥン=ジャ(ー)ン
  3. ^ ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン・ジョンのクリスマス・アルバム、11月13日リリース - Barks
  4. ^ a b 歌手オリビア・ニュートン・ジョンさん、3度目のがんを告白(CNN、2018年9月11日)
  5. ^ 2009年3月24日日本テレビ系列の『スッキリ!!』にて。
  6. ^ 『海からの使者イルカ』藤原英司 朝日新聞社 261頁 ISBN 402260770X
  7. ^ オリビア・ニュートン・ジョン、「そよ風の誘惑」とともに5年振りの来日公演が決定 - Barks
  8. ^ オリビア・ニュートン・ジョン、5月に福島公演「Pray For Fukushima」の開催が決定 - ロッキング・オン
  9. ^ 英国盤は『Music Makes My Day』のタイトルでリリース。曲順変更、差し替えあり。日本盤LP『レット・ミー・ビー・ゼア』は、英国盤を基にしている。
  10. ^ コンピレーション・アルバム『ナンバーワン70s ORICON ヒッツ』の裏ジャケットナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツも参照。
  11. ^ コンピレーション・アルバム『ナンバーワン80s ORICON ヒッツ』の裏ジャケットナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツも参照。

外部リンク編集