神聖ローマ皇帝オットー1世大帝妃 聖アーデルハイド - まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝オットー1世大帝妃 聖アーデルハイド

2010-12-02 02:02:41 | ドイツ系王妃
聖女でも息子の嫁が憎たらしい~!と思ったでしょう…
オットー1世大帝妃 聖アーデルハイド・フォン・ブルグント


931~999/在位 (イタリア:ロタール2世妃)948~950
         (神聖ローマ皇后)962~973 (イタリア王妃)951~973

オットー大帝は前妃エドギダの死から5年後の951年にアーデルハイドと再婚しました。

アーデルハイドはブルグント王ルドルフ2世の王女で
15歳の時、父親の敵イタリア王ウーゴの息子イタリア王ロタリオ2世と結婚しました。
しかし名ばかりの王だったロタリオ2世は、結婚から4年後
真の権力者であるベレンガリオに毒殺されてしまいます。
ベレンガリオは、オットー大帝の前に神聖ローマ皇帝だったベレンガリオ1世の孫でした。
          
ベレンガリオはイタリア王になると、息子のアダルベルトとアーデルハイドを結婚させて
権力の基盤を固めようとしました。

けれどもアーデルハイドは再婚を拒んで逃亡し捕らえられ投獄されました。
4ヶ月後、カノッサに逃れたアーデルハイドはベレンガリオ2世に包囲されると
オットー大帝に助けを求める使者を送りました。

この “ 助け ” というのが、兵力だけを求めたものだったのか
自分の身を引き取ってほしいということかわからないのですが
ともあれ、オットー大帝は兵を送るとともにパヴィアまで出向いて
アーデルハイドと落ち合い結婚しました。

アーデルハイドが美しいという噂がたっていたのかもしれないし
ブルグント王国が魅力だったのかもしれないけど、素早い決断ですね。

オットーの皇帝即位後、前妃エドギタとのたったひとりの王子リウドルフが
妻の実家であるシュヴァーベンの助けを借りて反乱をおこしました。
リウドルフは敗れ,イタリアに逃げてしまったので
後継者はアーデルハイドの王子オットーに決まりました。

アーデルハイドは、オットー大帝の3度目のイタリア遠征にも同行しています。
宮廷での地位は高まる一方です。

973年にはオットー大帝が亡くなり、息子オットー2世が神聖ローマ皇帝に即位します。
アーデルハイドも皇太后としてしばらくは宮廷で力を発揮していましたが
オットー2世妃テオファヌの影響で息子と反目し合うようになります。

嫁姑問題…下々の者だけにおこることじゃないんですよね。
しかもお互い力も資金も取り巻きも持っているもんだから、熾烈極まりないですよ。

アーデルハイドは争うことを避けて、兄のブルグント王コンラートのもとへ身を寄せました。
5年ほどしてコンラート王の調停でオットー2世とイタリアで会うことができましたが
オットー2世はその年のうちに亡くなってしまいました。
せっかく仲なおりができたのに…母親としてこんなに悲しいことはないでしょうね。

孫のオットー3世がドイツ王に即位すると、アーデルハイドはにっくき嫁テオファヌと
摂政に就くことになりました。
しかしテオファヌ、王太后の威力を発揮して義母を廃位し、その上追放する始末
鬼嫁よね、追放しなくたっていいじゃないの。
アーデルハイドは、8年後にテオファヌが亡くなってから晴れて摂政に返り咲き
やっと宮廷に戻りました。

オットー3世が成年に達すると表舞台から退いて慈善に打ち込むようになります。
特に力を入れたのは教会や修道院の修復に力を注ぎました。
尼僧にはなりませんでしたがゼルツの修道院に身を引き、祈りの日々を送りました。

1097年にウルバヌス2世によって列聖されています。
なにか奇跡的なことがおこったというエピソードはないのですけど
亡くなったのが999年12月16日で世紀末に近く
キリスト再臨をもたらすと考えられていたそうです。

でも、いくら聖女でもやはり嫁のテオファヌは嫌いだったと思うよぉ。
どんなに人が好い人でも嫌いな人間はいるはずですもの。
自分をとことん追い払おうとした嫁なんか、誰が好きなものですか。
悪口を書いた手紙とか日記が見つかったら面白いですよね。
人間らしくていいんじゃない?

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)

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