高田恭子

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高田 恭子
生誕 (1948-10-24) 1948年10月24日(75歳)
出身地 日本の旗 日本 京都府京都市中京区
ジャンル 歌謡曲カンツォーネ
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1967年 -

高田 恭子(たかだ きょうこ、1948年10月24日[1] - )は、日本の歌手京都市中京区出身[2]

来歴[編集]

同志社女子高等学校卒業。京都のアマチュア・フォークシーンで活躍した後、1967年、「大塚孝彦と彼のグループ」を経て、マイク真木が結成したGSバンド、ザ・マイクスに二代目女性ヴォーカリストとして加入、シングルを一枚残す。

その後カンツォーネに興味を持ち、独学で練習。1968年報知新聞社主催「第一回カンツォーネコンクール」で優勝。

1969年3月、「みんな夢の中」(作詞・作曲:浜口庫之助)でソロデビュー。同年「第11回日本レコード大賞」新人賞を受賞し、「第20回NHK紅白歌合戦」に初出場。

1980年に引退、結婚。

1997年、17年ぶりに「NHK思い出のメロディー」に出演した。

現在はホテルでのショーや、昭和歌謡のコンサートなどに出演。2008年7月4日テレビ東京の『第39回夏祭りにっぽんの歌』に生出演。同年8月30日放映の『第40回NHK思い出のメロディー』にも出演した。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1969年
3月1日
A面 みんな夢の中 浜口庫之助 小谷充 BS-970
B面 耳のうしろで
2 1969年
8月1日
A面 ゴンドラまかせ BS-1040
B面 恋の灯り
3 1969年
11月20日
A面 夜もバラのように BS-1112
B面 気になる人
4 1970年
3月20日
A面 河を野菊が 橋本淳 筒美京平 BS-1187
B面 私の愛は
5 1970年
7月1日
A面 女はかわる BS-1237
B面 あたりまえのことだけど
6 1970年
10月20日
A面 今日の雨 有馬三恵子 中村泰士 高田弘 BS-1272
B面 夜はブルース
7 1971年
4月1日
A面 雨の夜京都に帰る どいあきら 森岡賢一郎 BS-1350
B面 哀しい花びら
8 1971年
8月20日
A面 愛はまぼろしか 有馬三恵子 彩木雅夫 馬飼野俊一 BS-1416
B面 恋の木馬 高田弘
9 1972年
1月25日
A面 ラブ 橋本淳 筒美京平 BS-1482
B面 貴方の暗い情熱
10 1972年
6月5日
A面 夜のひき潮 山上路夫 平尾昌晃 高田弘 BS-1553
B面 くちづけからもう一度 尾中美千絵
11 1972年
11月10日
A面 恋ばなし 千家和也 小林亜星 BS-1609
B面 私に何が出来るでしょう
12 1973年
4月25日
A面 さよならの向こうに 小谷夏 森田公一 BS-1657
B面 恋の十三月 笠井継程 桜田誠一
13 1974年
2月10日
A面 あじさいいろの日々 万里村ゆき子 P.Mauriat BS-1799
B面 そよ風にのって 西川ひとみ A.Borly
P.Mauriat
青木望
14 1975年
2月25日
A面 すてました 石原信一 中村泰士 あかのたちお BS-1887
B面 二度目の恋
15 1976年
 月 日
A面 女の気持 中山大三郎 竜崎孝路 BS-1992
B面 とりのこされて 喜多条忠 川口真
16 1977年
1月21日
A面 白い献身 石坂まさを 杉本真人 高田弘 GK-74
B面 あなたの世界
17 1977年
5月21日
A面 驟雨 有馬三恵子 平尾昌晃 竜崎孝路 GK-102
B面 沙羅の花
18 1977年
11月21日
A面 平戸の詩 森文明 若松正司 GK-148
B面 君待草は咲いても 木下龍太郎 桜庭伸幸
19 1979年
9月21日
A面 今日の雨 有馬三恵子 中村泰士 高田弘 GK-347
B面 夜明けのララバイ 山川啓介 桜庭伸幸

コンパクト盤[編集]

  • 高田恭子の小唄集 (キング 17A-14 非売品) 1971年

アルバム[編集]

  • 高田恭子デラックス - 夜もバラのように(キング SKD-33) 1970年
    CD化:1994年6月22日(キング KICS-8047)
  • 高田恭子ダブルデラックス (キング SKW-27〜28) 1970年
  • 高田恭子オン・ステージ (キング SKD-103) 1971年

オムニバス[編集]

  • 関西フォークの歴史 1966-1974 [1] (URC URL-1039/40) 1974年12月 2曲収録「継子」「竹田の子守歌」。京都でのアマチュア時代の音源。後者は加藤和彦も参加していた「大塚孝彦と彼のグループ」の1967年の自主盤「ザ・ファースト&ラスト」収録曲。この歌の最初の録音[3]と言われている。
    CD化:2003年10月15日(avex io IOC-141001/2)

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1969年(昭和44年)/第20回 みんな夢の中 17/23 美川憲一
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

脚注[編集]

  1. ^ ソロデビューシングル『みんな夢の中』の歌詞カードに「昭和23年(1948年)10月24日生まれ」と記載されている。
  2. ^ 『中日新聞』1970年1月11日付朝刊、中日サンデー版、20面。
  3. ^ 藤田正「赤い鳥『竹田の子守歌』とその背景」、ソニーミュージックハウス『赤い鳥コンプリートコレクション 1969-1974』2003年、ブックレット119頁