2021. 11. 11 (木) 19 : 00 ~ サントリーホールにて
モーツァルト:交響曲 第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」
シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調 D.944 「グレイト」
(アンコール)
J.シュトラウス II :「皇帝円舞曲」
指揮:リッカルド・ムーティ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(コンサートマスター:フォルクハルト・シュトイデ)
もう2週間も経っちゃった! 11日(木)に行ったコンサートの話です。
前日の九響の興奮も冷めやらぬ中、昨年のウィーン・フィルの公演を聴きに行って以来、1年ぶりに上京した。
80歳のムーティ、私は初聴き 今年のニューイヤー・コンサートでの無観客でのムーティ&ウィーン・フィルの演奏、そしてムーティの視聴者に向けてのコメントも記憶に新しい。
前半はモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。
せっかくなので、毎回もらえる無料パンフの中のオットー・ビーバ氏の曲解説を。
1781年にザルツブルクからウィーンへ移住したモーツァルトは、ザルツブルクで作曲した作品をウィーンで披露したいと考えていたが、当時のウィーンの聴衆は最新の音楽を聴きたがっていたため、モーツァルトはザルツブルク時代の作品を改作するか総譜に記した日付を消すなどしていた。
その中のひとつがこの「ハフナー交響曲」である。 彼はこの作品を1782年7月にウィーンで作曲した。
当初は冒頭の行進曲とメヌエット2曲を含む、合計6楽章から成る「セレナード」として作曲した。 モーツァルト家と親交があったザルツブルクの大商人ジークムント・ハフナー2世が叙爵し、貴族「ハフナー・フォン・インバッハハウゼン」となった記念として作られた。ザルツブルクでは、オーケストラのためのセレナードを祭りの夜にみずからの家で多くの親戚や友人とともに演奏する、という伝統があったが、ウィーンではそのような習慣はなく、ウィーンでこの作品を披露するためには”交響曲”に改作する必要があった。
そのため、序奏の行進曲と2曲のメヌエットのうち1曲を削除し、フルートとクラリネットを加えて編成を拡大した。 1783年3月23日にウィーンのホーフブルク劇場で初演。
この作曲と同時期の1782年7月に彼のオペラ「後宮からの逃走」が初演されたが、このオペラでのオスミンのアリアの主題が、ハフナー交響曲の最終楽章の主要主題となっている。
モーツァルトの(父親への手紙に書いた)指示によると、第1楽章は「炎のように」、最終楽章は「できる限り早く」 演奏するよう求めているそうだ。
ウィーン・フィルの演奏は、むしろ最終楽章が炎のようだった
1年ぶりに聴いたウィーン・フィルの音色、特に弦は ああぁぁ~~ といった感じ(どういう感じやねんw) 個々の奏者が思いっきりちゅうちょなく弾いているように見えるのに、ビターっと揃っているのはなぜなんだ~。
フルートにシュッツさん、クラリネットにオッテンザマーがいたけどふたりとも2番のとこに座っていた(そして後半はいなかったので超残念!) オーボエの方は見たことないお若い方のようだったけどどなただろう。
ウィーン・フィルもだいぶお若い方が増えて毎回知らない方が多くなってきた。
後半はシューベルトの交響曲第8番「グレイト」(「第8番」は新シューベルト全集に拠る)。
この作品は1825年夏にグムンデン、ガスタインの滞在中に作曲されたと言われている。翌1826年秋にシューベルトは自筆の総譜を楽友協会へ献呈(当時は献呈の返礼の金銭を期待して一般的に行われていた)、楽友協会はオーケストラのパート譜を作成した。1827年、この作品は楽友協会で音楽院の「オーケストラの練習」(=音楽院のオーケストラの演奏会のことを指す)で演奏されたと考えられているが、この交響曲の長大さと、様々な難しさから、オーケストラは何度も練習を重ねたが通常の演奏会にこぎつけられなかったそう。
1839年に楽友協会の演奏会で取り上げられたものの、その長さのせいで二つの楽章のみが演奏された。 1838年、ウィーンに滞在していたシューマンは、シューベルトの兄のフェルディナントに勧められ、楽友協会にあるシューベルトの自筆譜を吟味、その写しを手に入れ、それを用いて翌1839年ライプツィヒの演奏会でメンデルスゾーンの指揮よって全曲が演奏された。
交響曲第8番に関するシューベルトの手紙
(画像はwikipediaよりお借りしました)
そういえば余談ですが、ウィーン・フィルにはシューベルトの子孫がいらっしゃるってご存知でしょうか。
ゲラルド・シューベルト (Gerald Schubert) さんといってシューベルトの祖父直系の子孫。 第2ヴァイオリンの奏者でウィーン国立音楽大学の教授です。
Gerald Schubertさん
(画像はウィーン・フィルのHPよりお借りしました)
私が最も感動したのがこの「グレイト」!!
ウィーン・フィルの「グレイト」は前にズービン・メータの指揮で聴いたことがある。
ついこないだのように思っていたが、調べたら5年前だった。
この時はメータは自分の周囲に木管群、フルート、オーボエ、ファゴット、クラリネットと8人の奏者を半円状にぐるっと座らせて演奏させていて、木管の音色が際立って聴こえてとても面白かった。
私が「グレイト」の実演を聴いたのはこのメータと、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、そして今回が3回目だったのだが、それぞれが全部趣が違う「グレイト」だった。
それぞれとてもよかったが、今回のムーティの「グレイト」が一番感動したかもしれない。
第1楽章冒頭のホルンが鳴り始めた途端、あのウィンナ・ホルンの温かい包み込むような音色にウルっときた。 あぁ、なんて優しい音色なんだろう。
テンポがゆっくりめと書いてらっしゃる方もいたが、私はそんなに遅いとは思わなかった(ブロムシュテット&ドレスデン・シュターツカペレのCDが第1楽章の途中までがすごくゆっくりなのでそうは思わなかったのかも)。
メータは木管を自分の周囲に配置することで木管の存在を際立たせていたが、ムーティの場合は木管を目立たせるというよりも全体の中にうまく組み込んで絶妙にブレンドさせた感じ。
ともすれば、長くて単調で飽き飽きして眠くなっちゃうこの曲、表現とか構成とかある意味すごく難しい曲だと思うのだけど、謳わせ方がめっちゃうまい。 でもあざとさがない。
私の今までのイメージではムーティが先導して音楽を作っていくのかなと思っていたが、(いい意味で)おおまかにはオケにゆだねていて(第2楽章あたりからは左手をわずかに動かすくらいでほとんどオケに任せているところも多々あった)、要所要所をぐっと引き締めているように見えた。
最終楽章はさらにギアが入ったかのようにテンポも速くなり、視覚的にも弦などの熱量はすごかった(コンマスのシュトイデさんなんかいつもながら前のめりの一心不乱の弾き姿は感動しちゃう)
ムーティが振ってたからそう思った、というわけでもなく、全体的になんだかオペラを聴いているかのように思えた。全楽章を通じてひとつのストーリーを見ているかのような。
とにかくこの作品の偉大さ、面白さをあらためて認識した。 超楽しかった
アンコールは他公演に行かれた方のブログを見ていたので予想通り「皇帝円舞曲」。
ムーティ自ら、「ヨハン・シュトラウス(でもこれお父さんじゃなくて2世という意味でしょう)、カイザーワルツァー」と紹介した。 多くの方がこのアンコールにすごく感動したと書いてらしたが、もちろんウィーン・フィルならではですごくよかったんだけど、私的にはグレイトの感動の余韻が大きすぎてなんだかぼーっとしたまま聴いてしまった・・・
ムーティのソロ・カーテンコールが2度あった。
あとちょっと気になったこと。
ブロ友さまも書いていらしたが、終演後の時差退場を守ってない人が多いのにびっくりした
帰りの公共機関の時間に間に合わない、という方々もいるとは思う。そういう方は仕方ないと思うけど、あまりに多すぎる。1階の人たちなんか大勢の人が守らず帰っていってるように見えた。
福岡では割とみなさんちゃんと守って退場しているので、余計に驚いた。
ムーティのカーテンコールまでは待っててさかんに拍手してるのに(そこまでは待てるのに)それが終わるとさ~っと帰るってどーなのかな やむを得ない人はしょうがないけど、東京はただでさえ感染者が増えやすいんだから、個々人がちゃんとルールを守ったらどーなん?と思いました
(画像はウィーン・フィルの公式ツイッターよりお借りしました)
(ちなみに別日の公演の時の写真です)