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幕末歴史好きのみなさんの意見を聞きたいです。 坂本龍馬を斬ったのは、新撰組離脱組の伊東甲子太郎一派であり、 その中でも一番の剣客として知られる斎藤一である。 という説。

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回答(5件)

別の方も書かれていますが、そのお話は浅田次郎氏の小説「壬生義士伝」で書かれた創作物語です。斎藤が左利き、御陵衛士と薩摩のつながり、等々は、全て浅田次郎氏が考えたフィクションなんですね。ご本人も仰っています。 それを「商業タレント歴史家」の本郷和人氏が、テレビで嬉しそうに語っていたことから世間に広まった感じですね。ちなみに本郷氏は本説では何の根拠も示されておらず、何となくそう思う、とビックリ仰天の理由を述べられていました。苦笑 あとトンデモ説を広める研究者の根拠として、殺害者が 左利き=斎藤一 というのがあります。これ根拠は掛け軸の1点の血痕のみなんです。別に龍馬の額のキズを検視したわけでもなんでもない。血痕1点の根拠で「左利き」を語れるのは無理があります。 某県警の検視官に言わせると、「こじつけ」もここまでくると笑けてくる、刀を振れば血痕なんて色んな位置から飛んでくる、またあの血痕では左利きかどうかは絶対に断定できない、と苦笑されていました。 色んな説にロマンを持たれるのは良いのですが、この坂本龍馬・中岡慎太郎殺害事件の実行者は、京都見廻組です。多くの史料から疑いの無いような事実として認知されています。謎でもなんでもないんです。 他の実行犯説を唱えるのは、その方が書籍も売れるしテレビの視聴率も上がるからです。商業系のなんちゃって研究者、視聴率至上主義のテレビマンたちによって、常に語られるトンデモ説と断定して構わないでしょう。 百歩譲って、かろうじて謎なのは黒幕(殺害指令者)でしょうか。こちらを色々研究されるのであれば、それは非常に有意な活動かと思います。ちなみに私は、松平容保・松平定敬・京都見廻組の単独(職務執行)のいずれかだと思っています。 ご質問の内容に対して夢のない書き込みで申し訳ありません。 ご理解いただければ幸いです。

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しかし、あなたも実際にみたわけでもないのに、 やたらと「決めつけ」で真実はこれだ。とおっしゃっているわけだから、それも危険な行為だと言わざるをえませんよ。 実際、京都見回り組に、坂本、中岡を殺れるだけの手練れが存在したのか。も疑問ではあると思われますが。

それは説じゃなくて、浅田次郎の小説で描かれたフィクションっす。 史実は見廻組が実行したものっす。函館戦争で降伏した見廻組の今井信郎が取調べに対して詳細に自供し、新政府側もそれを認め今井を処罰してるっす。 御陵衛士がやったとかいうトンデモ説を唱える人はいるけど、そういう人が黒幕としてあげてる薩摩藩と近江屋事件当時の御陵衛士は接点が無いっす。 これは近江屋事件の後におきた、油小路での御陵衛士粛清を逃げ伸びた加納鷲雄が、明治になってから「知っている人はいなかったが、薩摩藩に身を投じるしかないと考えて薩摩藩邸へ行ったところ門番に拒否されてしまい、だったら門前で切腹する、と脅してようやく薩摩藩邸に入れてもらえた」とハッキリ証言してることから明らかっす。 つまり御陵衛士と薩摩が関係もったのは、近江屋事件の後なんす。以降、御陵衛士の残党は薩摩の配下として戊辰戦争を戦ってるっす。 それに御陵衛士が「中岡慎太郎」をも殺すワケないんすよ。 御陵衛士は元新選組であり、勤皇勢力を池田屋事件で切りまくった藤堂平助が参加してたこともあって主な勤皇勢力には全く信用されず、孤立無援な状態だったっす。坂本龍馬も御陵衛士を信用せず、塩対応してるっす。 そんな御陵衛士と唯一接点を持った勤皇派の重鎮が中岡であり、伊東は中岡 にバックになってもらうよう、御陵衛士の橋本皆助を中岡の陸援隊に入れてるんす。 でも近江屋事件で伊東の目論見もパーになり、御陵衛士は結局孤立無援なまま新選組に粛清されて終焉したっす。

斎藤一が左利きっていうのは、子母澤寛の新選組三部作の中に書かれている、「暗殺された谷三十郎の死体を検分した篠原泰之進が、傷口が左の突きであったことから左片手一本突きを得意技とする斎藤が下手人ではないかと疑った」というエピソードが元ネタっす。 でも、子母澤寛の新選組三部作は貴重な証言をまとめてあって基本の資料にはなっているものの、同時代史料との比較で話を持ったりフィクションをちりばめてあるのも確認されてて、この篠原の逸話も史実かどうかは不明っす。 篠原自身は明治になってから、谷三十郎の死について「おそらく谷は近藤の命令で斎藤が粛清した、しかし確証はなく、案外つまらないヤツに斬られたのかもしれない」とだけ証言してるっす。

京都見廻組の佐々木只三郎、というのは、 ほぼ間違いないんじゃないですか。 佐々木の実力は、斎藤一と比べたって遜色ないでしょう。 何しろ、坂本と同じく北辰一刀流免許皆伝の清河八郎も、 仕留めた実績があります。

斎藤説は、 当時「御陵衛士」が薩摩の配下にあった事と、 手練れ揃いの「新撰組」の中でも、3本の指に入る剣客であるとともに、 当時は珍しい「左利き」であった事が、根拠になっているようです(^^) 対する龍馬は、同じ「塾頭(師範代)」とはいえ 人格によって選抜された「桂小五郎」と違い、 剣術の技量によって、選ばれた事もあるので、腕は本物です。 当日は、風邪をひいており、かなり体調が悪かった上、 相手が「斎藤一という最強の暗殺者」であったことが 悲劇の要因になったのでしょうね(>_<)

坂本龍馬を暗殺したのは見廻り組でほぼ確定しています。 しかし、その黒幕はわかりません。