満州事変は関東軍や一夕会の謀略ですから、起こさなければ・・・といってもいろいろ難しいのですが。
なにより日本がまともな国家になることが大前提です。政府が軍をコントロールできないとか、軍中央が内部のコントロールができず一部の軍人が勝手に戦端を開くとか、そういった情況では戦争回避どころではありません。
満州事変について中国のテロがとか言っている人がいますが、根本的な勘違いをしています。
満州事変は1928年3月、木曜会会合で合意された満蒙領有方針が原点です。第一次世界大戦で展開された国家総力戦に日本は対応する能力がなく、今後起こるであろう総力戦に耐えられる力を得るため満蒙の領有が必要であるとしていました。
この方針は一夕会に引き継がれ、1929年6月に一年の準備期間おいて実行するものとしました。
これの重要なところは1928年3月は張作霖爆殺事件の3ヶ月前で、つまり日本政府と軍中央が張作霖を擁立して満州権益を確保していたそのなかで、国家方針に反する軍事行動を内々で決めていたってことです。
さらにその三ヶ月後には北伐で敗北した張作霖の再起を図ることで合意した政府と軍中央の方針に反発した河本や関東軍の一部が張作霖を爆殺し、政府方針を瓦解させることとなります。
そしてさらにその処理を巡って軍の圧力に屈した田中首相が昭和天皇からなじられ辞職・・・。
書いていくとキリがないのですが、こんな国家方針を平然と潰しにかかってくるような情況でどうやって戦争回避ができるのかという話です。
木戸内大臣が東條を首相に推薦したのも、北部仏印進出で平和進駐の合意ができたという通達を現地軍が握りつぶし、勝手に武力行使を開始したことに危機感を抱いていたからと言われています。
こんなことがまかりとおっては戦争回避どころではなく、東條なら軍を掌握できるだろうと期待したわけですが・・・。
まあともかく、制度的な問題もあって国家指導を誰もできず、軍の掌握もできない情況ではなにをどうしようもありません。