孤独な夜に聞くクラシック(13)NHK のクラシック番組で思った事 ① クン=ウー・パイク - 明日香の細い道を尋ねて

明日香の細い道を尋ねて

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孤独な夜に聞くクラシック(13)NHK のクラシック番組で思った事 ① クン=ウー・パイク

2021-10-17 18:40:30 | 芸術と映画

1、クン=ウー・パイク

1946年韓国ソウル生まれのピアニストで、本名は「白建宇」というのだそうだ。10歳でもうグリーグの協奏曲を韓国国立交響楽団と共演しているそうだから、地元じゃ有名だったのかも。その後1961年アメリカに渡り、ジュリアード音楽院のロジーナ・レヴィーンに学んだらしい。というか、この先生の名前は勿論素人の私は知らない名前である。1967年にロンドンに渡りイローナ・カボスに師事した。だから何だと言われれば「何でもないです」と答えるしかない(惨め〜)。1976年パリのソルボンヌ大学に留学中、女優の尹静姫と結婚した。以上は wikipedia の略歴である。テレビじゃヴィルヘルム・ケンプにも師事したとあるが、ネットには書いてないので多分ちょっと見てもらった程度だろう。テレビでは他にもブゾーニ国際ピアノコンクールで金賞受賞と紹介しているが、これも本当は「入選」の間違いらしい。まあ本当は調べてみないとわからないが、何となく韓国人特有の誇大妄想的自己愛の傾向がありそうではある。番組を見た後の感想は特に何の印象もなかったので結果「書くことも無い」のだが、ショパンのノクターンを4曲演奏した。ショパンの数多い楽曲の中でもノクターンというのは、実は演奏会には向かない種類の曲で、あっても「アンコールで一曲」がせいぜいだろうと私は思っている。とにかくノクターンというのは、「孤独な夜に独り月を見上げて物思いに耽る」といった類の情景しか頭に浮かばないのだ。彼の演奏も観客に訴えるものが何もない「自分の中に沈潜する」ものなので、見ている方も「何かピアニスト自身に興味がなければ」全然面白くも何ともない演奏会である。これなら他の高名なピアニスト、例えば「ミケランジェリ」などを CD で聞いた方が、よっぽどマシと思ってしまった。

それほど個性的でもない「ただのノクターン」などというのは、演奏会では聴衆を感動させるのは難しい。なお、ノクターンが難しいというのは本人もそう言っているから、これで本人を責めるのは間違いだろう。ただ、映像では良く客が入っていたようで、日本人のピアノ学習率がかなり高いということは、この番組でも充分に分かる。私も何曲か弾いたことがあるが、ゆっくり演奏して丁度良いノクターンは「初心者が大好きな曲目」に必ず入っているのだ。まあリサイタルで取り上げるような曲ではないのだが、観客は「やっぱりプロは上手よね」などと感心するのだろう。演奏会の帰り道など、ふと心の中で流れるノクターンの調べなどに「じっと耳を傾けるの」は心地良い。演奏は流石に素人学生よりかは数段上手いので、聞いていて「突っかかる」ようなところは全くなかった。但し、テレビの前で畏まって聞くほどの演奏では無いので、さらっと流し聴きして消去してしまった。なぜだか韓国人のクラシック演奏者は、私はあんまり好きになれないのである。

チョン・キョンファなど、有名なソリストもいるのだが、私はどういうわけか「食わず嫌い」なのだ。韓国人が我が強いというのも理由の一つかも知れない。結局聴くのは大抵はイタリア人かドイツ・オーストリア系か、それかロシア人の「古典派演奏家」に決めている。但し、こないだショパンコンクールで優勝した「チョ・ソンジン」は、不思議なことに好感をもった。なぜか彼の演奏スタイルには「礼儀正しい清潔感」が漂っていたように思ったからである。これは私が「韓国嫌い」のヘイト野郎では無いという言い訳では無くて、「いいものは良い」だけだと思うんだがどうしても誤解されてしまうのは辛いところだ。ショパンはポーランドの人である。やっぱりショパンはポーランド人が弾くのが「観る上では」良いかもね(CD で聞くのはどこの国でも構わないけど)。というか、ショパンは演奏者のビジュアルが「相当に楽曲の鑑賞に欠かせない要素」になっている作曲家である。その点では若い頃のアシュケナージなんかベストだと思うけど、これは聞く人によるだろう。

ショパンを聞くと観衆は一様に、一種の満たされない悲しみのような感覚を覚える。それは少なくともショパンの心の根底には、「抑圧された人々の思い」が色濃く強く残っているからじゃないだろうか。いくらパリで裕福な御夫人方から持て囃された寵児と言えども、「心に描く故郷の思い出」は知らず知らずと楽曲の端々に現れている筈である。その「憂愁」があるからこそ、ショパンには我々の胸を打つ「甘美にして孤独」なメロディが生まれたのだと私は思っている。その辺がバッハやモーツァルトと言った、自分の心の内を吐露する習慣のなかった古典的作曲家との「違い」だろうと思っている。

今回はショパンの心の内に分け入って記事を書くことになり、肝心の演奏家については何も書くことがなかった。次回はもう少し演奏者について書けるようにしたい。(続く)


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