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権力の予期理論: 了解を媒介にした作動形式 単行本 – 1989/4/1


登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 勁草書房 (1989/4/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1989/4/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 194ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 432610077X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4326100774
  • カスタマーレビュー:

著者について

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宮台 真司
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1959年、宮城県生まれ。

社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『中学生からの愛の授業』(コアマガジン)『<世界>はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)、『制服少女たちの選択』(朝日文庫)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)など多数。

カスタマーレビュー

星5つ中3.8つ
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6グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2024年5月1日に日本でレビュー済み
権力を数理的に記述した点については凄い。
権力者の意図とは無関係に権力体験として描いた点が秀逸。
2012年11月13日に日本でレビュー済み
ヴェーバーは、ある存在の意思が、他の存在の意思を挫いて貫徹される契機のことを権力と呼んだ。これに類して従来の権力論は、権力定義に「命令主体の意思」を含ませてきた。本書の肝は、この「命令主体の意思」を権力概念の定義から省いたこと。本書は「権力」を「体験形式」と見る。

日常の経験を鑑みれば思い半ばに過ぎる。上司の心中を「深読み」し、自らを自制する場面。この「深読み」が勘違いだろうとなかろうと、相手の心中への「予期」があれば、相手の心中の述懐を聞きだす以前に、自制=服従という意味の付託が観察し得る。本書はこの観察から出発し、権力論の書き換えを試みる。

だがここでいう「書き換え」には留保が付く。それは本書は「生成論」でないということ。希少なる前提の組合せから、我々の意味世界の全体を演繹的に覆うことが本書の意図ではないとの断りがある。

たしかに、権力概念は日常言語・自然言語の内に在るものであって、自然言語中の概念間の関係は「=(等号)」の規範を含まない。従って、「家族的類似」を示す「≒」による連結があるだけであり、ある概念群の順列から別様の概念を「演繹的に」導けはしない。演繹を無理に押し広げると、家族的類似が薄くなり記述対象とのズレが顕著になる。中範囲の理論が、必然的帰結となる。

生成論ではなくして、本書の企図は「権力理論という意味システムに境界を与え、内部を構造化したい」(p.28)と述べられる。「意味システム」はルーマンを意識した語だが、これはモデル提示を目指す研究なら断るべくもない。にもかかわらずルーマン流に言い回されるのは、「構成素とシステムの同時同定が不可避」という社会システムの記述要件を強調せんがため。

但しそれが社会システムに限った要件ではないことは、クワインの論考によって知られる。ある少数の規則で構成された概念系が、自然言語上で指示される概念系と対応関係にあることを指摘する、という営みが「意味システムに境界を与え、内部を構造化する」ことに当たる。

この「意味システム」に物理学理論を代入しても営みの内容は同じ。これは「モデルを立てる」との宣言に尽きる。ただ宮台氏の本書以前の論考では専ら社会記述の種差性が強調され、これは当時の理論社会学全般の趨勢でもあったろうから「モデルを立てる」と安易に言えない背景もあったのだろう。以上のような事柄が「わざわざ」断られているのは、ルーマン受容の過渡-成熟期ゆえの、本書の時代性とも言える。

さて実際、本書の論考は、予期、選好、可能的服従者/可能的支配者という少ない概念に少しずつ前提を付加してゆき、自然言語系における「権力」の意味論の布置に対応する、権力類型論を展開する形で進んでいく。

宮台氏が「昔は数理の研究をやっていて」と言うときのそれが本書だが、数理的記述が顕著になるのは第三章だ。この第三章の目的は明快で、それは権力体験マトリクスと、ゲーム理論との対応条件を示すこと。その上で可能的服従者が「権力体験」を被る確率を数値化することで、相互行為上でいかに頻繁に「権力」が現出するのかを論証することにある。言わばこの章は、マルクス的な疎外論=特定人称に権力源泉を見る立場、を論駁するために割かれたとも言え、「意味論を覆う形式モデル」を本書の主題と見るならばやや論旨が異なる。いっぽう「否が応にも権力体験は遍在する」という点を主題と見るなら、論旨は一貫している。

「意味論を覆う形式モデル」という主題に関しては、本書は極めて成功的であると言える。何を以て成功的か。少数の前提から構成された概念系が、自然言語において多様に用いられる「権力」の意味論を、広く覆っていると思えるからだ。

統治機構に付託される権力のみならず、対面相互行為における権力や、M. フーコー的な権力概念があること。また同じ権力にも、人称の類型(人称/汎人称/奪人称)があり、この類型が社会学や政治学で集中的に取り扱われる「高い服従蓋然性を有する権力」の含意を導くこと。更に、同じ服従であっても「目前の命令者に服従する場合/目前の命令者の背後にある主体に服従する場合」のように権力源泉の類型があること。これらのことを、トートロジカルにではなく、準演繹的に覆うことに本書は成功している。この「成功」は、我々が「権力」を考察する際の備忘録として有用だ。少ない規則からの再構成が可能であるためだ。良質な索引と言っても良い。

加えて本書が優れていると思うのは、「予期」と「期待」とを概念上区別した上で、あくまで「予期」のほうを用いてモデルを組んでいるところ。これがなぜ良いのか。意思決定にとっての索引として機能するからである。

「予期」とは端的に予測のことであるのに対し、「期待」とはそこに感情の正負が託された概念。期待の最中や実現以降に報償の感情が訪れ、逆に期待外れに際しては忌避の感情が訪れる。いっぽうの「予期」はそのような感覚変項を省いた概念である。「予期」は実際的には曖昧模糊とした対象であって、我々は何をどこまで「予期」しているのか自明ではない。したがって「予期理論」は認知科学によって評価されるものではなく、あくまで「既存の意味論を覆い得るか」で評価される。これが「期待」の場合、曖昧模糊さでは予期と同じだが、こちらはなまじ身体感覚への言及を孕むがゆえ、具体性が過剰となる。そのため意味論を文脈自由に覆うことが困難となる。

ある状況での感覚の来訪は、一回的で千差万別。行為者が「自らの意思が挫かれた」と事後補足し、それを「権力体験であった」と類推するとして、その意思が挫かれた瞬間、いかなる身体の収縮や感覚があったかは、一意に言えない。この一意に言えぬものと、何らかの感覚類型との対応を定めた途端、そのモデルは恣意的なものとなる。或いはそのモデルへの適合を志向する「主義者」や「信者」をうみだす。

本書以降の宮台氏の仕事はサブカルチャー分析や、若者論へと続くが、それらの仕事では分析枠組みにおいて「予期」ならざる「期待」が前面化する。これが悪いのではない。「期待」型 - 行為者の感覚状態を書き込む - の具体的記述は、別様の、権威化された「期待」型の具体的記述を相対化する。その点に効用を限定すれば「期待」を用いた記述は価値を持つ。だが「期待」型の分析が「一般的モデル」として、読み手の間や、あるいは分析の只中で権威化されることは、頻繁だ。

それらと比べたとき、本書の「予期」理論は、その期待への非言及ゆえ、意思決定への良き備忘録となる。権力の「予期理論」を用いることで、日々の体験を、それがいかなる人称や源泉に付託された体験だったのか、と整理を施すことが出来る。そして予期理論の根本的性質からして、この整理が「厳密に」正しいかは問題ではない。意味論を補足せんとする理論に、我々の意味論が拘束されねばならぬ必然はない。

自然言語における概念連関を、あるモデルで覆おうとする研究(理論研究と一般に言われるが、単に数理的記述を用いることとは違う)は、どこであれ、パーソンズ、ルーマン、ギデンズというように一握りの有名人がいて、その人は異端扱いすらされる。実際、この作業は「実験器具」や「現地調査」を要せず、モデルの概念連関の導出も集合論と論理学に準拠する過程ではない。だから大学という機関にとっては似つかわしくない。けれど、索引 - 埋もれた意味を引き出すトリガー - として、この手の仕事は、面白い。
41人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年5月28日に日本でレビュー済み
緻密さなど一切ない、ゲーム理論の社会学への貧相な応用、概念、理論、一人合点、よく、こんな論文で博士がとれるものだ。先行研究も意図的にぼかしており、怪しさがある。わが国を代表する最高学府は、学士一流、修士二流、博士三流ということなのか?
32人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年3月23日に日本でレビュー済み
 宮台真司・首都大学東京教授(東京大学大学院・博士課程修了・社会学博士)の博士論文にして、最高傑作である。
因みに、彼の最も優れた啓蒙書は「日本の難点」である。おそらく、その書物も丸山真男の「日本の思想」に対応するであろうと、私は考える。

 丸山が所謂「戦後民主主義」を招来してしまったようには、宮台は、いわゆる「悲劇の共有」という原=経験を招来しないであろうと、
この拙いレビューの結論として、述べておくことにする。御拝読を誠に、感謝する。Mercy!!

 
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