「香港芸能界の生徒会長」アンディ・ラウの最初の挫折
香港映画史上屈指の名作シリーズ『インファナル・アフェア』3部作(アンドリュー・ラウ&アラン・マック共同監督)が日本公開20周年の今年11月、4K版リバイバル公開を果たした。連載第3回で取り上げたトニー・レオン(梁朝偉)とともにW主演を務めるのが、香港が誇る明星アンディ・ラウ(劉德華)だ。アンディと言えば1990年代香港音楽シーンで「四大天王」の一人としてブレイクし以降もコンスタントに楽曲リリースする歌星(音楽スター)にして、映画出演160本超の影星(映画スター)。人気におごることなく常に謙虚、ファンにもマスコミ取材にも神対応、チャリティ活動にも熱心。先輩歌手のアラン・タム(譚詠麟)に「華仔(アンディの愛称)は香港芸能界の生徒会長」と言わしめたのも納得の、誰もが認める品行方正なスーパースターである。
アンディは1961年9月27日、香港郊外の新界・大埔の農家の生まれ(都会のイメージが強い香港だが、大半のエリアは郊外である)。姉3人、妹弟1人ずつの大家族の中、敬虔な仏教徒の親に厳しく躾けられ育つ。5歳頃、父親が廃農して士多の経営を始め、アンディも家業を手伝うように(「士多」は英語のstoreが語源で、かつて香港に多数あった、生活必需品、食料品、飲料等を売る商店のこと)。店番の傍ら値札を毛筆で書いていたことがその後、書道の名手としても名を馳せることの下地となった(『墨攻』(ジェイコブ・チャン監督/2006年)はじめ、主演作品の題名を自ら手がけることも多い)。父の希望で英文中学に通っていた頃のアンディは、英語が苦手で危うく留年しそうになったものの、スポーツ万能ないわゆる「陽キャ」。幼少から近所の映画館に足繁く通いエンターテインメントの世界に興味を抱き演劇部に入るが、意外にも役者ではなく脚本家志望だった。
中学卒業後(香港の「中学」は日本の中高6年間に相当)、テレビ局TVB(無綫電視)の俳優養成所を経て1981年から役者として専属契約を結び、ドラマに多数出演。この頃すでにトニー・レオンと時代劇ドラマ「鹿鼎記」でW主演を果たしていた。翌年にはウォン・カーウァイの脚本家デビュー作でもある『彩雲曲』(ン・シウワン監督)で映画デビューし、同年には香港ニューウェーブを代表するアン・ホイ監督の社会派作品『望郷 ボートピープル(投奔怒海)』で香港に密航を企てるベトナム難民の青年を演じ、爪痕を残す。が、映画出演がTVB幹部の怒りを買い、1年以上仕事を干されてしまう。
驚異の映画出演本数でも「テンプレ」演技? アンディ・ラウの迷走時代
最終的にTVB創業者兼映画会社ショウ・ブラザーズ創業者のランラン・ショウ(邵逸夫)が仲裁に入りアンディはTVBと和解するが、干されたのが相当堪えたようで、その反動か尋常でないペースで映画に出演する。1988年から1992年の間の出演本数は驚異の50本超! ジャッキー・チェン(成龍)やチョウ・ユンファ(周潤發)主演作品では弟分役を演じ先輩俳優をナイスアシストしていたが、主演作は大体「心根の優しいチンピラがヒロインと結ばれるものの、一悶着の末に非業の死を遂げる」パターンで(流血・鼻血シーンと白ランニング着用率高し)、「同じようなテンプレ役柄・演技ばかり。髪型も全部同じだし、役作りを放棄している」と一刀両断する批評家もおり、作品数の割には香港電影金像獎はじめ映画賞とも無縁だった。
とはいえ「テンプレ」の中にもウォン・カーウァイ監督デビュー作の『今すぐ抱きしめたい(旺角卡門)』(1988年、日本公開1991年)のような良作もあるし、「テンプレ」ではない作品もある。やはりこの時期のウォン・カーウァイ監督作『欲望の翼(阿飛正傳)』(1990年、日本初公開1992年)ではレスリー・チャン(張國榮)演じる主人公のプレイボーイに翻弄される競技場売店の売り子(マギー・チャン【張曼玉】)に密かに想いを寄せつつ良き相談相手となり、その後自らもレスリーに散々振り回される人の良い警官役を抑えた演技で好演している。
1991年、満を持して映画制作会社・天幕製作有限公司(以下天幕)を立ち上げたアンディは、売れ線のアクションやコメディとは一線を画す壮大なファンタジーや純愛ロマンス等、6本の映画を製作する(全て主演)。が、どれも興行成績は振るわず、制作費のかさむ大作が多かったことも相まって多額の負債を抱えてしまい、天幕は人手に渡ってしまう。天幕作品で見るべきは『アンディ・ラウのスター伝説(天長地久)』(ジェフ・ラウ監督、脚本/1993年、日本公開1994年)。夭逝した伝説的映画俳優の青春を描いたノスタルジック、かつ実験的アプローチの文芸作品だ。アンディはもちろん主人公の映画俳優役で、珍しく長髪姿を披露している(お約束の白ランニング姿&流血シーンもあり)。劇中劇の撮影でアンディは命綱を着けてビルの屋上から飛び降りるはずだったが、映画界の大物に囲われた愛する人への想いを完遂すべく、命綱を外して飛び降り若い命を散らす。直前のメイクルームで自らドーランを塗るシーンで鏡に映る、密かに死を決意したアンディの目は狂気をはらんで爛々と輝いており、観ていてゾッとするような妙な迫力があった。
役に没入し悲願の香港電影金像獎最優秀男優賞!アンディ・ラウの演技開眼
天幕時代の数少ない収穫がエグゼクティブプロデューサーを務めた映画『メイド・イン・ホンコン(香港製造)』(フルーツ・チャン監督/1997年、日本初公開1999年)で、香港電影金像獎最優秀作品賞と最優秀監督賞を勝ち取り、海外の映画祭でも度々受賞し、興行的にも成功した。制作途中の本作に惚れ込んだアンディは資金集めを買って出て、天幕の倉庫に余っていたフィルムを提供した。フルーツ・チャン監督は本作を皮切りに「返還三部作」を世に送り出し、監督が街中でスカウトし本作で俳優デビューしたサム・リー(李璨琛)は本作で香港電影金像獎最優秀新人賞を受賞し現在も俳優活動を継続中だ。
香港電影金像獎と言えば、アンディ自身も1999年に『暗戦 デッドエンド(暗戰)』(ジョニー・トー監督)で完全犯罪を計画する末期ガンで余命4週間の男を演じ、悲願の最優秀主演男優賞受賞を果たした。本作を機に与えられた役に没入する演技スタイルに変わり、「全く違う人格になり切る」ことの快感に目覚めたようだ。
翌年には再度ジョニー・トー監督とタッグを組んだ『Needing You(孤男寡女)』(ジョニー・トー&ワイ・カーファイ共同監督/日本公開2001年)の「スーパーヒーローではない、その辺にいそうなフツーの男」役で更に新境地を開く。ラジオドラマが原作のオフィス・ラブコメディで、ラジオドラマの時点でアンディとヒロインのサミー・チェン(鄭秀文)が出演、映画でも二人は同じ役で続投。アンディは買春もするバツイチで、優秀だけど実は精一杯虚勢を張っているサラリーマンを親近感たっぷりに演じ、サミー演じる男運のない結婚願望強めの部下と少しずつ距離を縮めていくものの、最後の最後までカップル成立しない。そして終盤では「テンプレ」時代のヒット作『アンディ・ラウの逃避行(天若有情)』(ベニー・チャン監督/1990年)のセルフパロディをノリノリで繰り広げ、その年の香港映画興行収入第1位を樹立した。
『インファナル・アフェア』シリーズ最大の見所は最終章?アンディ・ラウの狂気演技
『Needing You』を機にアンディ×サミーのカップリングの映画が多数作られたが、冒頭で触れた『インファナル・アフェア』シリーズも然り。トニー・レオンが黒社会で潜入捜査を続ける警察官を、アンディが警察に送り込まれた黒社会の構成員を演じ、香港のみならず世界中で大ヒットを飛ばし、第3弾まで制作された。後にハリウッドでマーティン・スコセッシ監督が『ディパーテッド』(2006年、日本公開2007年)としてリメイクしている。
第1弾『インファナル・アフェア(無間道)』(2000年、日本初公開2003年)ではトニー演じる裏稼業のヤンは荒んだ生活を送り警察官の身分に戻ることを切望しているが、アンディ演じる警察官のラウはサミー演じる妻と新婚ホヤホヤのリア充。覚醒剤取引の検挙失敗を機に警察と黒社会、双方に内通者がいることが明るみになり、最終的に二人は対決しヤンは命を落とすが、ラウは正体がバレることなく生き延び、警察官として残りの人生を歩む道を選ぶ。余談だが本作の中国大陸(及びマレーシア)上映バージョンは結末が違い、生き残ったラウが逮捕され「劇終」(=The end、香港映画ではおなじみ、エンドロールの最後の最後に表示される)。「警察が黒社会に負ける結末は許しがたい」と、検閲が入ったようだ。
第2弾『インファナル・アフェアⅡ 無間序曲(無間道Ⅱ)』(2003年、日本初公開2004年)は1997年の香港返還前後のヤンとラウの若き日を描きつつ知られざる過去を明らかにしており、ショーン・ユー(余文樂)とエディソン・チャン(陳冠希)がW主演を飾る。そして第3弾の『インファナル・アフェアⅢ 終極無間(無間道Ⅲ:終極無間)』(2003年、2005年日本初公開)はヤンの死去10ヵ月後を描く後日譚。ヤンを殺し警官として生きる道を選びダークヒーローへと堕ちたラウが徐々に狂いゆくさまを、アンディは見事に演じ切っている。本作で役者としての高みに到達した、と言っても差し支えないだろう。「3匹目のドジョウ」に留まらない、むしろシリーズ中最も見応えのある1本だ。
万里の長城でMVロケ、2005年以降純香港映画にほぼ出演せず。アンディ・ラウの中国進出
2002年にアンディは新たな映画製作会社・映藝娛樂有限公司(FOCUS FILMS、以下映藝)を立ち上げる。天幕の失敗に学び大作にこだわらず、台湾映画『私の少女時代-Our Times-(我的少女時代)』(フランキー・チェン監督/2015年、日本公開2016年。アンディは本人役で友情出演)をはじめ、香港のみならず台湾、中国、マレーシア、シンガポール等中華圏の良質な作品を厳選してプロデュースするようになる。自ら出演することにもこだわらなくなった。
香港返還を経て2003〜2004年、CEPA(中国大陸・香港経済連携緊密化取り決め)が締結・施行され、中国大陸での香港映画の上映本数制限が無くなり、中国・香港の映画合作規制も緩和された。アンディも中国との合作映画や中国映画に出演をシフトするようになり、2005年以降は純香港産の映画にほとんど出演していない。中国市場は香港の何倍もの規模だし、ビジネスマンとしては正しい判断だろう。
香港人に「標準中国語(普通話)が上手い明星は誰か?」と聞けば真っ先にアンディの名前が挙がるし、本人も「作詞は広東語曲よりも普通話曲のほうが想いを乗せやすい」とコメントしている。自らを「伝統的な古いタイプの中国人」と分析しているアンディは中国人としての誇りを常に抱き、香港返還の年にはズバリ『中國人』という曲をリリース(MVのロケ地は万里の長城)、CCTV(中国中央電視台)の年越し歌謡番組に毎年出演し、今年の杭州アジア大会では公式テーマソング『登場』を歌い、中国大陸に軸足を移している。
セルフパロディ完成形『ムービー・エンペラー』はどこまでガチ?アンディ・ラウの「陰キャ」疑惑
先日開催された第36回東京国際映画祭で上映されたアンディの最新主演作『ムービー・エンペラー(红毯先生)』(ニン・ハオ監督/2024年中国・香港公開予定、日本公開未定)も中国映画である。ニン・ハオ監督は映藝発のコメディ映画『クレイジーストーン(瘋狂的石頭)』(2006年、日本公開2007年)が大ヒットしシリーズ化した気鋭。アンディは本人役を演じており(名前は若干変えているが)、『Needing You』を超える全編「セルフパロディ」である。香港電影金像獎の受賞式、アンディは主演男優賞にノミネートされたものの最優秀主演男優賞を受賞したのはジャッキー・チェン……というシーンから物語は始まる。アンディと同時に主演男優賞にノミネートされ受賞を逃す仲間(?)として、TVB養成所同期のレオン・カーフェイ(梁家輝)も本人役で友情出演している。香港電影金像獎以上に箔がつく国際映画祭の賞が欲しくてたまらないアンディは農村を舞台にした中国映画に出演を決意し撮影に入るが、やることなすこと、ことごとく裏目に出てしまう。
「農村が舞台の中国映画は国際映画祭に強い」、これはもう『赤いコーリャン』『初恋が来た道』等、農村が舞台の作品で国際映画祭受賞多数の中国映画第五世代を代表するチャン・イーモウ監督を連想せざるを得ないし、アンディが「主人公一家は豚を飼っている設定にしたらいいんじゃないか?」と提案すると監督(ニン監督がノリノリで演じている)も「いいね、(国際映画祭受賞多数の旧ユーゴスラビア出身の映画監督エミール・)クストリッツァの作品にも豚がよく登場するしな!」と安請け合いする、と皮肉満載で見ていて思わずニヤリとしてしまう。現実でもヴェネツィア国際映画祭とカンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞しているトニー・レオンが今年、ヴェネツィア国際映画祭で生涯功労金獅子賞を受賞した一方で、アンディは三大国際映画祭で無冠だし(今年、トロント国際映画祭特別貢献賞を受賞したが)「これ、ガチなの?」と錯覚させられる。
水面下でバタ足を止めない白鳥の如くたゆまぬ努力を重ね、「香港芸能界の生徒会長」どころか世界中の華人から愛される陽キャのスーパースターへと成長したアンディ。でも素のアンディは実は「陰キャ」なんじゃないか。「明星アンディ・ラウ」のパブリックイメージを裏切らないよう腐心する一方で、素のアンディはそんな自分を生暖かく客観視し、狂気演技やセルフパロディで自らの内なる矛盾を解消しているんじゃないか。過去の失敗を気にして何かと空回りしがちなのも、どうにも陰キャっぽい。でも人間誰しも色んな面があるし、そんな人間臭さこそが実はアンディ最大の魅力だと思うのだが。年末には久しぶりの香港映画『金手指』(フェリックス・チョン監督)が全世界公開予定(日本公開未定)、しかも『インファナル・アフェアⅢ』以来18年ぶりにトニーとW主演! これからも様々なキャラで魅せてほしい。
【参考文献】
『デラックスシネマアルバム69 香港映画の貴公子たち』(イーグルス・カンパニー編/芳賀書店)
『決定版!!香港電影通信』(「香港電影通信」編集部編/プレノン・アッシュ)
『香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録』(久保田貴幸著/幻冬舎メディアコンサルティング)
『現代の香港を知るKEYWORD888』(小柳淳・田村早苗編著/三修社)
紅水蜜桃(くれないの・すいみつとう)
香港電影と明星を細々と推し続け約30年のフリーランス編集ライター。某誌WEBのディレクターをしつつ、書籍編集やWEB記事編集・執筆も。大学の卒業論文のテーマは香港が誇る大衆迎合娯楽電影量産型の名監督、バリー・ウォン(王晶)が作品中で捧げたオマージュの元ネタ分析。