380.ステラ、オースター、ベッツ逝去、『Living』、『魔の山』に関するお知らせ - 平らな深み、緩やかな時間

平らな深み、緩やかな時間

380.ステラ、オースター、ベッツ逝去、『Living』、『魔の山』に関するお知らせ

はじめにお知らせです。

NHKの「100分de名著」ですが、今月はドイツ出身の文学者、トーマス・マン(Paul Thomas Mann、1875 - 1955)さんの『魔の山』(1924)です。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p2DR8gZbLa/

私が『魔の山』を読んだのは、学生時代のことでした。その時は、なんだかよく分からないけど濃厚な本、きっとすごい本なんだろうけど、まだ自分には受け止めきれないものを感じました。
私が学生だった頃、トーマス・マンさんの作品としては、映画の影響もあって『ベニスに死す』(小説1912、映画1971 )の方が話題になっていましたね。
https://eiga.com/movie/56941/
この映画を、やはり学生時代に見た私は、マンさんの小説世界よりも監督のルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, conte di Modorone, 1906 - 1976)さんの映像作品として鑑賞し、感心してしまいました。主人公を魅惑する少年役のビョルン・アンドレセン(Bjorn Andresen 1955 - )さんの美貌が評判でしたが、やはり老境に差し掛かった作曲家役のダーク・ボガード(Dirk Bogarde、1921 - 1999)さんの切ない演技が良かったと思います。
そして映画の中で使われていたマーラー(Gustav Mahler, 1860 - 1911)さんの音楽も素晴らしくて、私はこの時、はじめてマーラーさんの音楽に触れることができたのだと思います。
そのようにちょっと距離のあった小説が、その後に読んだ村上春樹さんの小説『ノルウェイの森』(1987)に『魔の山』が出てきた時に、一気にマンさんの『魔の山』が身近なものに感じられました。ネットで調べると、そういう人は割と多いみたいですね。
多分、『魔の山』の、異国の第一次世界大戦の頃の結核療養所の話だと、時間も空間もあまりに遠く隔たって感じられたのが、村上さんの小説を間に挟むことによって、マンさんの表現したかった異世界の療養所のイメージが把握しやすくなったのではないか、と思います。
そして、もしもこの本を読んでいない若い方がいらっしゃるとしたら、今回の番組を見てから『魔の山』を読むと、うんとハードルが低くなるのではないか、と期待します。
私自身も、二、三回読んだにも関わらず物語がうる覚えになってしまっているので、今月の「100分de名著」が楽しみです。


次にご紹介したいのが、映画『生きる living』です。
https://ikiru-living-movie.jp/

前から見たかった映画ですが、私はたまたま先日、ビデオで見る機会がありました。最大手の某ビデオ配信サービスを宣伝するつもりはありませんが、そこで見ることができるようになったのがきっかけです。
もちろん、原作は黒澤明(1910 - 1998)監督の『生きる』(1952)です。
https://eiga.com/movie/4446/
今回のリメイク版の映画の脚本は、ノーベル文学賞(2017)を受賞したカズオ・イシグロ(Sir Kazuo Ishiguro 、1954 - )さんです。
映画の公式サイトにこんなことが書いてあります。

黒澤明の不朽の名作『生きる』(1952年)が第二次世界大戦後のイギリスを舞台に蘇る。小説「日の名残り」、「わたしを離さないで」などで知られるノーベル賞作家カズオ・イシグロは、若かりし頃にこの黒澤映画に衝撃を受け、映画が持つそのメッセージに影響されて生きてきたと語る。そんな彼が脚本を手掛け、この鬱屈した時代に新しい『生きる』を誕生させた。
イシグロは、黒澤映画の“何事も手柄が得られるからやるのではない。世間から称賛されるからやるのではなく、それが自分の成すべき事だからやる。”そんな人生観に魅力を感じており、それは、戦後の日本もイギリスも、そして現代においても変わらないと語る。オリジナルの高い評価に怯えることなく、長年抱いてきた戦前・戦後のイギリス文化への憧れを支えに、自分なりの英語の脚本を書いた。
(映画の公式サイトより)

黒澤さんの映画は、今見るとかなり芝居がかった演出に見えますが、それでもひとたび映画の世界に入ると、それがまったく気になりません。そして、時折挟まれたユーモラスな場面に笑いながら面白く見ているうちに、最後にはずしりと重いメッセージを受け取ることになります。こんなふうにストレートな表現で映画を作ることは、今の時代では不可能なのかもしれません。
それをカズオ・イシグロさんは、今の時代に合わせた大仰でない作品に仕上げて、しみじみとしたメッセージが伝わってくる作品にリメイクしました。イシグロさんは、映画の舞台を日本からイギリスに移しましたが、時代背景は第二次世界大戦後のままです。さすがにインターネットで情報が錯綜する現代では、この映画のリメイクは困難だったのかもしれません。
映画で描かれた時代よりも難しい時代を生きているとも言える私たちは、この映画から受けたメッセージをどのように解釈し、それをどのように自分の生き方に反映させていくべきなのか、それぞれが考えなくてはなりません。ケース・バイ・ケース、答えは一つではないのです。
しかしそうではあっても、激しい雨の中を役所の閉鎖的な建物から外へと踏み出そうしていた主人公の英雄的な姿に、感銘を受けない人はいないでしょう。さえない老人がなんとカッコよく見えることか!こんなふうに生きられたら最高ですね。
この映画では、癌という病が一人の人間の人生を動かしていきますが、すでに老人の領域に入ってしまった私はもちろんのこと、人生に限りがあることに気づいた人なら、誰でも主人公の生き方を自分の生き方として見直すことが可能でしょう。学生時代に黒澤監督の『生きる』を見たまま、無駄に時間を過ごしてしまった私ですが、その反省も踏まえて、これからの日々を大切にしていくことにします。
明日もまた、同じ日が続くのか・・・、と思っている方には、とくにおすすめの映画です。


ここからは訃報を三つ取り上げます。

一つ目は、オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)のオリジナルメンバーで、シンガー、ソングライター、ギタリストのディキー・ベッツ(Dickey Betts)さんが亡くなったという訃報です。2024年4月にフロリダ州の自宅で逝去されたそうで、80歳でした。
私はオールマン・ブラザーズ・バンドの一員としてのベッツさんしか知りませんが、今回の訃報に応じてピーター・バラカンさんが自身のラジオ番組で追悼特集を組みました。音楽好きの方は、そのプレイリストを参照されると良いでしょう。
https://www.nhk.jp/p/sunshine/rs/ZYKKWY88Z9/blog/bl/prGL2NxxRv/bp/pkpOW0AQlX/
ベッツさんと言えば、何と言っても『Brothers And Sisters』(1973)というアルバムの中の『Jessica(ジェシカ)』という曲が印象的です。誰でも聞いたことがあるのではないでしょうか?
https://youtu.be/1ToMMcQ3O3Q?si=CFFkNCu1makO2KqW
あるいは、オールマン・ブラザーズ・バンドの実力を世に知らしめたライブ盤『At Fillmore East 』(1971)の中の『In Memory of Elizabeth Reed』を繰り返し聞いた方も多いでしょう。
https://youtu.be/8jVz1NSZIlo?si=QGu84FVoLvkjuuWG
両方ともインストゥメンタルの曲ですが、ロック・バンドの演奏でありながら、激しさよりも軽やかさが特徴で、親しみやすいメロディと自由自在のアドリブが素晴らしいです。何回聞いても飽きることがありません。
ベッツさんの演奏する姿を見ることができる動画をピックアップしましたので、上の2曲が気に入った方はちょっと覗いてみてください。

https://youtu.be/NRE3Bv1goyI?si=rq9QUb4_yVVOHryy

https://youtu.be/hd66VD1zm9M?si=tvu-zWkZGxDKkbQv

https://youtu.be/LUXRjfHoVl4?si=uH2J2kJY4zPA5uOQ


二つ目の訃報は、現代のアメリカ文学を代表する作家の訃報です。
日本では、柴田元幸さんの翻訳で広く知られるようになったポール・オースター(Paul Auster、1947 - 2024)さんが亡くなりました。享年、77歳だったそうです。
https://www.vogue.co.jp/article/paul-auster-memorial

私はこのところ、ぱったりと小説を読まなくなりました。しかし30代半ばの頃は、勤めていた高校の最寄りの駅の横に図書館があったので、よく本を借りて読みました。今のようにインターネットで本を調べたり、気軽に電子本の試し読みができる時代ではなかったので、図書館の海外文学の膨大な書棚の背表紙をにらみ、ひたすら勘に頼って面白そうな本を探していました。
そのうちに、柴田元幸という人が翻訳している本が面白い、ということがわかって、柴田さんが翻訳していたオースターさんの本に辿り着きました。例えばニューヨーク三部作と呼ばれている『幽霊たち(Ghosts)』 (1986)ですが、当時はそんな評判の本だとは知らず、人物名がブルーとかブラックとかホワイトとか、色の名前になっている不思議なストーリーに引き込まれてしまいました。なんだか懐かしくなってきましたので、読み直してみようと思っています。
思い起こせば1980年代は大きな物語が否定され、かといってミニマルな小説にはうんざりしていた頃で、若い作家が荒唐無稽な話を書いたり、難解な小説を書いたりしていた時期でした。時代がモダニズムの文学から、ポストモダニズムの文学へと変わっていったのです。そんな中で、オースターさんは旧套的な物語とは一味違う、それでいて知的で面白い小説を書く若手作家だったのです。
そんな海外の動向に敏感だった作家の村上春樹さんと柴田元幸さんが、『翻訳夜話』という対談本でオースターさんの同じ小説を競って翻訳しているので、興味がある人は読んでみてください。
ということですので、これ以上私に語ることはないのですが、その後もオースターさんは小説に、そして映画にも進出して活躍しておられたようです。ご冥福をお祈りしつつ、機会があれば彼の足跡を辿ってみたいと思います。


三つ目の訃報は、現代美術を代表する作家の訃報です。
フランク・ステラ(Frank Stella, 1936 - 2024)さんが5月4日に87歳で亡くなったそうです。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/28902

ステラさんはアメリカの作家ですが、幸いなことにステラさんの作品とその移り変わりは、千葉県にある「DIC川村記念美術館」のコレクション展示としていつでも見ることができます。
https://kawamura-museum.dic.co.jp/art/collection/#collection09
先ほどの『美術手帖』の追悼記事の作品写真も、「DIC川村記念美術館」の屋外展示の作品です。私たちは美術館に入館する前に、ステラさんの作品と出会うことになるのです。なかなか素敵なことですね。
ステラさんの業績について、私にはコンパクトにまとめる力量がないので、「DIC川村記念美術館」のステラさんの作品解説を是非ともお読みください。

お読みになりましたか?
それでは、私個人のステラさんへの想いを少しだけ書いておきたいと思います。
ステラさんは、私たちの世代の美術家からすると、時代のトップランナーでした。
商業主義の人たち、美術市場を司る人たちからすると、トップランナーはいろいろと変わったことでしょう。ステラはもう古い、次はバスキアだ、とか、いやいやキーファーだ、という具合です。
時代背景そのものも変わりました。先ほどのオースターさんのところで書いたように、時代はモダニズムからポストモダニズムに変わった頃でした。ステラさんの作風の変化も、時にはポストモダニズム的だと言われました。特に「DIC川村記念美術館」のステラさんの紹介の最後の頃の作品ですね。
ここだけは美術館のサイトの記述を引用しておきましょう。

ステラの挑戦はなおも続き、75年以降はアルミニウム板を素材に採り入れ、数多くのパーツを組み合わせて作品の立体化を進めました。
 なかには「これも絵画?」とたずねたくなる作品もありますが、ステラにとっては、壁に掛けられるなら、それがどんな姿をしていても「絵画」であるといいます。インド滞在中に入手した鳥の本から名付けられた《アカハラシキチョウ5.5X》も、格子状に組まれた金属パイプに、20ものパーツが複雑に入り組んで取り付けられ、壁から90cm近く“飛び出す絵画”です。作品の重さに難があった〈ポーランドの村〉シリーズを省み、軽量素材であるハニカム構造のアルミニウム板を使うことで、数多くのパーツの取り付けが可能になりました。そのうち、カラフルで先がくるりと曲がったパーツは、曲線を描くための雲形定規の形を拡大したものです。ストライプと同様、ステラが一目で気に入ったモチーフです。この動きのあるパーツに施された荒々しい筆捌き、派手な着色、随所に散りばめられた金属片の輝きは、南国に住む色鮮やかな鳥たちが自由奔放に飛び回るさまを思わせるでしょう。
(DIC川村記念美術館サイトより)

この頃のステラさんの作品は、美術雑誌のポストモダン的な新しい傾向の美術として、取り上げられたこともありました。ステラさんほどの人気者ですから、当然のことながら自分の作品が時代に遅れないように気を配ったことは確かでしょう。
しかし、ステラさんにはブレない一面があって、仮に彼の作品が群れなす鳥のように見えたとしても、彼は直接、鳥を描くことはせず、飽くまでも抽象的な表現にとどまりました。また、彼の作品がどんなに立体的に、そして巨大になっていっても、それは「彫刻」ではなくて「絵画」の延長だったのです。
ステラさんにとっては、自分が常に新しい「モダニスト」であること、そして新しい「絵画」の担い手であることが重要であり、それが彼のアイデンティティーでもあったのでしょう。ステラさんがバスキアさんのように、鳥の姿をらくがき調に描いて仕舞えば彼は遅れてきたポストモダニストになってしまいますし、彼の立体的な作品が「彫刻作品」だと見なされて仕舞えば、正面性の強い彼の作品の特徴は欠陥彫刻となってしまうでしょう。
だからステラさんはモダニズムを超えた「モダニスト」であり、絵画形式を革新する「画家」であることにこだわったのです。そんなステラさんが、どれくらい自分の作品の市場価値をにらみながら、そのアイデンティティーにこだわったのか、その本心は私のような下々の人間には計り知ることができません。しかし少なくとも、私はそのステラさんの努力に対して、芸術家としての一貫した矜持を感じているのです。
さて、そのような美術界におけるステラさんの位置(ポジション)は、彼の意志によってコントロールされたものでしょうか?
すべての芸術家が、自分の作品の傾向を思い通りにコントロールできるのか、というとそうでもないと私は思います。それこそ、落書き程度の作品であれば、いくらでもコントロールできるのでしょうが、ステラさんのように高レベルの作品を維持するとなると、例えステラさんであってもそうはいかなかったと思います。ですから、ステラさんにとって「モダニスト」であり、「ミニマリスト」であった自分のポジション、そして自分の描く絵画は、彼の資質から必然的にたどり着いた表現だと思います。
彼の描いた平面的な絵画は、徹底的に平面的であり、即物的でもありました。ちょっと例えが悪いかもしれませんが、ステラさんはペンキで色を塗るようにストライプの絵画を描き、まるで工作好きの子供がお気に入りのものを貼り合わせるようにして、立体絵画を制作したのです。
それは同時代の画家、ブライス・マーデン(Brice Marden,1938 - 2023)さんの作品と見比べていただくとよくわかると思います。
https://www.sfmoma.org/artwork/98.200/
マーデンさんは、単色のミニマルな絵画の中に、いかに絵画的な豊かな空間を表現しようか、と苦心しています。それは時間をかけて重ねた絵の具にも表れていると思います。そしてその後のマーデンさんは、いわゆる一般的な意味での抽象絵画に回帰してしまうのですが、その作品の変遷にはマーデンさんの資質が関わっています。
つまり、同じ時代にミニマルな絵画に関わった二人の作家ですが、即物的なステラさんと、絵画的なマーデンさんでは資質がまるで違っていて、そのことが作品にも表れているのです。どちらかといえば、画家としての資質としてステラさんの方が特殊な例だと言えるでしょう。

このようなステラさんの資質は、彼が高く評価した絵画にも表れています。次の2点の作品を見比べてください。

パウルス・ポッテル 「若い牡牛」
https://www.aflo.com/ja/contents/14195239

カラヴァッジョ 「聖パウロの回心」
https://www.aflo.com/ja/contents/10703845

普通に絵画を鑑賞する能力のある人ならば、カラヴァッジョさんの作品を高く評価するでしょう。しかしステラさんは、ポッテルさんの作品を高く評価しているのです。
それはポッテルさんの描く牡牛には、「即物性」があるという理由からです。一方のカラヴァッジョさんの絵画に描かれている人や動物は、すべてがカラヴァッジョさんの構築する独特の絵画空間の中にちゃんと収まっています。通常の古典的な絵画と比べれば、カラヴァッジョさんの作品も絵画を鑑賞する私たちの方へと迫ってくる臨場感が際立っているのですが、ステラさんにとってはカラヴァッジョさんの作品が絵画空間を有していることが物足りないのです。
このステラさんの絵画空間への考え方は、ある意味では絵画への理解不足、絵画への誤解であるとも言えるものです。また、ステラさんが通常の絵画を描くことが、おそらくあまり得意ではなかったこととも関連していると思います。もしかしたら、ステラさんにはポッテルさんの絵画のバランスの悪さ、絵画空間全体としての密度のなさが見えていなかったのかもしれません。仮に見えていたとしても、ステラさんには気にならなかったのでしょう。
このような絵画に対する考え方は、ステラさんの晩年の作品にも反映しています。彼の絵画がどんなに複雑に錯綜していたとしても、それらは絵画空間の中で入り組んでいるのではなく、即物的なそれぞれのパーツが入り組んでいるだけなのです。それを絵画として見做すのであれば、確かにステラさんの絵画はそれまでにないものですし、他の人には真似できないユニークなものでしょう。
そして私は、このようなステラさんの絵画への独特の理解を貶めるつもりはありません。ステラさんは自分自身の信念に沿って偉大な仕事を成し遂げましたし、自分の理解をあのハーヴァード大学で堂々と講義し、それを『ワーキング・スペース』という書物に残してもいるのです。
実は、このことについて、私は以前にもっと詳細に書いたことがあります。
https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/d54929f5f1f4d62c4e1802d73a272d58

私にとっては、今でもステラさんは時代のトップランナーです。
しかし絵画空間への理解という点では、私と彼とは決定的に違っているのだと思います。
今回、彼の訃報に接して、私はまたステラさんに対する複雑な思いを改めて感じました。しかしそうではあっても、ステラさんがエネルギッシュな表現者であったことには変わりありません。彼の作品に停滞を感じたことはありませんでしたし、そこには一切の妥協もなかったと思います。
その偉大な業績に対して、私は深い尊敬の念を抱くものです。

亡くなった三人の芸術家に対し、あらためてご冥福をお祈りします。
時代はどんどん、変わっていきますね・・・。
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