子規の旅19_房総への旅 | 土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ) - 楽天ブログ

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2019.11.27
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カテゴリ:正岡子規
 明治24(1891)年3月25日、勉強が手がつかなくなった子規は、10日ほどの房総行脚の旅に出ました。暴走を舞台に漢詩をつくった夏目漱石への対抗心か、はたまた漱石の漢詩の舞台を見ようと思ったのか、子規は暴走旅行を思い立ちます。
 子規は、常盤会寄宿舎を出発し、朝食は芋、昼飯は市川でとり、菅笠を買います。これが、この度の紀行文「かくれ蓑」となりました。ついで八幡神社、船橋神社に参詣し、そこから痩せ馬で大和田に着き、「榊屋」に泊まりますたが、枕が堅くて寝られません。
 26日、朝7時に宿を出て、白井を経て佐倉に至り、佐倉宗吾の社に詣でました。そして、成田に向かい、成田山新勝寺に参詣します。午後2時ころに昼食をとって成田を出発。40余の男と同じ道すがら、「農、官、商」などについて話しました。六時ころ酒々井で別れ馬渡へ向かいますが、日が暮れてきたので山道を歩き、馬渡の「上総屋」に入ります。宿の飯は軟らかいのですが、蒲団は一枚で固く、この日、11里(約41キロ)も歩いた子規は足に豆をこさえ、肩をひどく凝らしました。
 27日、子規は朝7時半に「上総屋」を発ち、篁(竹薮)に入って竹の杖をつくりました。正午に千葉に着き、笠を持って記念撮影。昼飯に鰻飯としゃもを食べます。鰻はあまり美味しくありませんが、漬物が美味でした。しゃもは少し甘いようです。数丁歩いた後、竹杖を忘れたことに気づき、取りに戻りました。
 子規は、寒川から海岸に出ます。浜伝いに浜野、潤井戸を経て、長柄山に向かい、東京湾の眺望を楽しみます。子規は「富士山がないのが惜しい」と思いました。7時に宿の「大黒屋」に入りました。宿の飯は軟らかく、平(煮物)と初めて食べたせいろ(背黒鰯か)の刺身と、はりはり漬けのおかずがとても美味しく、大きな茶碗に4杯、ご飯のお代わりをしました。昨夜、一昨夜と同じように木枕のため、子規はよく眠れませんでした。
 28日、朝7時に宿を出ると霧が出ています。しかも曇天でした。路傍の穴の中で雨宿りし、句をいくつも詠みました。長南に着いても小雨が降っていたので蓑を買いますが、この蓑は終生、子規のお気に入りとなりました。明治32年に書かれた『室内の什物』に「十年前房総に遊びし時のかたみなり。春の旅は菜の花に曇りていつしか雨の降りいでたるに、宿り求めんには早く、傘買わんもおろかなり、いでや浮世をかくれ蓑着んとて、とある里にて購いたるが、着てみればそぞろに嬉しくて、雨の中を岡の菫に寐ころびたるその蓑なり」と紹介されています。この喜びが、『かくれみの』という紀行文のタイトルになったのでした。
 子規は、蓑を身につけたのがうれしくて、草間に寝ころがっていると、雨が激しくなってきます。子規は、大多喜の蕎麦屋を兼ねた大きい旅館「酒井屋」に泊まることに決めました。夜半には雨が上がり、月が出てきました。
 29日、子規は朝8時に宿屋を出発します。前日、笠の紐をきつくしばっていたためか、唇がはれ上がっていました。台宿から小湊の誕生寺に向かったのは、漱石が明治22(1889)年にまとめた漢文の紀行文『木屑録』には鋸山と誕生寺の風景が描かれています。子規は、「畏友」漱石が描写した景観を体験したいと考えていたに違いありません。子規は「鶯や此の山出れば誕生寺」と詠んでいます。町はずれで寿司を食べた子規は、トンネルを通って天津に出ると日は暮れていました。路傍の少女や老婆に問うと、宿は学校の隣にあるといいます。木賃宿「野村」ではすぐに夕食が出ました。風呂がないので湯屋に行くと混浴で、しかも混雑していました。子規は初めて按摩を呼び、気持ちのよさに爆睡しました。
 30日、硬い朝飯を食べて、朝8時に宿を出ました。道沿いに、今年初めてのレンゲの花を見ました。和田の茶屋で昼食をとりましたが、飯が硬く、魚が臭くて食べられません。そこで海に臨む茶店に入り、寿司と生卵を食べました。朝夷で日が暮れたので、平磯の「山口屋」に泊まります。湯屋に行くと湯が魚臭く、宿の夕食の飯は軟らかいのですが、魚が臭くて食べられません。
 31日、朝8時に宿を出て、野島崎灯台に行きますが修理中で見られないので、下から太平洋の眺めを楽しみました。滝口で菓子を買うがそれが昼食がわりとなりました。北条へ向かう山中で一時間ほど寝てしまいますが、疲れがたまっているようです。五時前に館山の宿に入ると、新築なのに一人も客がいません。それなのに、子規は最下等の部屋に案内されてしまいました。
 4月1日、宿を8時過ぎに出ます。那古の観音に行き、左甚五郎の彫刻を見ようと思いましたが、これも修理で望みはかないません。諏訪神社で菓子を食べ、市部に向かう途中にトンネルで昼食をとります。加知山を経て保田に到り宿に入りました。鏡を見ると顔が真っ黒になっています。これで、人が子規をジロジロと見ていた理由がわかりました。
 2日は、羅漢寺から鋸山に登り、五百羅漢を見ます。山頂から武蔵、相模、房総を望んだのち、船で帰京して常盤会宿舎に着きました。
 房総の旅を終えた子規は、叔父の大原恒徳と大谷是空に手紙を送りました。「菅笠を戴き蓑をかぶり、一足のわらんじも二日はくなどその勇気その打扮、君ら富家の子弟には薬に見せたきくらいに御座候。この夏も同じ姿で木曽道中と出かけるつもり(4月7日是空宛書簡)」と次の旅の予定を綴っています。
 
 
 
 鬘華(かずらはな)の落ちた天人殿の堕落か、人を救うた畜生奴の生れ変りか、とにかく、天人と畜生の相の子に浮世女之助といういたづらものありけり。浮世はもとより地獄の旅、心やすさは東京もたびなり。旅よりたびとさまよう姿は道心の邪魔ぞかし、せめてもの女難だけはのがれんと、菅笠脚半に身をやつの時計とともに并州を霞になして天下りぬ。気のはらぬひとり放は、三界に家なしとの笠印に行きつく処を草枕と定め、佐保姫をそそのかしての道行、羨む人もなければ、胡蝶の追手も恐ろしからず。車と女は大禁物との誓文たて、から尻馬にむかしの日本堤をかしく、茶屋の婆様に国はとほかツぺいと問わる。宿をこいては心とむるなと迫い出されたが何の果報か、この月をながめずに寐るたはけもあるよと独り言、影法師にきかせ、まさか間違ったら野をなつかしみ一夜ねんとの覚悟やさし。行く手定めぬ旅は足にまかせて六道の辻に地蔵とちかづきになり、時計なき中食は腹加減をあてにして残りの菓子に餓鬼道の乞食をすくう。雨には蓑をきて昼の中をあるき、日和には笠を枕にして菫に腰をやすむ。長閑なたびに若返りて宿帳には生年十九、どこへいっても色男の心苦しさよ。数日の難行に姿やつれてか、道行く人に尋ねらるる商売。これも英雄殿のなれのはてかな。不動の利剣を渉り鋸山の歯をつたいて病身の危きことを知らず。菜畑の香に糞をたれ、七浦の波に手を洗うて独り風雅の骨髄と誇る。ああ風雅か風雅か。顔は真黒と知らぬが仏の有がたさよ。あたかも風雅は黒いものなり。都に帰ればどなたさまぞという。これはお見それ申した、女之助様のお帰りか、しかも前向きかうしろむきかと問うももっとも。先ずたびずきのたれかれ集って「房総には何事かござる。山はいがいが海はどんどんどん。菜の花は黄に、麦青し。すみれ、たんぽぽ、つくづくし」(かくれ蓑)
 曰若稽我病勢。脳痛悶々。文思不安。魂馳四表。格于房総。明治二十四年卯辛春王三月二十五日出舎。市川獲莎笠。告天子迎于郊。蛺蝶為嚮導。詣船橋神社。潮侵華表。騎痩馬。山茶紅桃屡犯顔。就伝舎。担而不納。投于榊屋。此日始見菜公麦伯。
二十六日。婢子驚夢。金衣公子来候。至佐倉。有人見我曰。非西郷隆盛乎。賽于宗吾社。蓋匹夫廟食于百歳。所稀観。議士三百将塊死。歌曰。笠兮鞋兮。凄其以風。我思古人。実獲我心。往成田。在山陵之峡。堂塔輝煌。利剣突天。爺公婆子。来修冥福。銭隕如雨。蕃薯入于稈。途見一商。使之相我。商曰。非工非商。応農家子弟。我請為小厮。不可。曰。宜去為吏。不然則帰郷。日波于酒酒井之野。路入山林。天狗来襲。嫦娥救之。宿馬渡。蹠多豆。
二十七日。発馬渡駅。入于篁。伐竹為杖。非礼也。達千葉街。納影于枯桐之匣中。殺雞子。灸鱣公。病乃瘳。拾団扇。過潤井戸。路在岡上。海水如糸。木枕撃頭。不果如華胥。
二十八日。発長柄山。菜畦阿尿。冷露侵尻。女子負薪。憩于洞穴。屋制稍異。与仏舎似。梁棰之端塗青粉。雨師来侵。蓑子防之。歌曰。緑兮蓑兮。緑蓑黄笠。心之楽矣。曷維其乏。宿大多喜。雨軍猖獗。風伯大援之。鮮膾一盂。独醪一瓶而待。睡魔竟不到。賦詩曰。耿耿不寐。如有隠憂。微我無酒。以敖以遊。憂心悄悄。慍于群小。観閔既多。受侮不少。静言思之。寤辟有摽。雨師以豊隆師雲而退。半夜月子陣于天頂。
二十九日。大悟徹底。下脣腫脹。前日笠紐緊口。故然。菫菜筆頭。蒲公英会於郊。菜公麦伯来修盟。山茶放火於頽籬。伐之。獲首級無算。有婦。問其子。調将至自京。乃作詩曰。我子于帰。遠返于南。瞻望弗及。実労我心。入房州。海開於脚底。出于小湊。封姨及海若戦於岩上。非復如菜公麦伯之可
狎。心稍恐。誕生寺負険山臨大海。天之生英雄。豈偶然哉。天津問客舎。有少女。教我以安泊賤者伝舎之再問之老婆。所答合符。乃嘆曰。吁安泊乎。安泊乎。将入門。一婦要我曰。君何処人。曰下総也。曰不知下総在何方歟。然亦可也。妾有女。年歯十三。詩与君為伝婢。曰我未有子。已入安泊。款待甚厚。竊笑曰。我亦安泊国裡之王哉。食了如混堂。湯纔一槽。男女相混。肩摩腰触。詩曰く。
   瞻彼湯奥。緑鬢依依。有肥娘子。如切如瑳。如琢如磨。●兮●兮。
   嫻兮析兮。有肥娘子。終不可諼兮。瞻彼湯奥。乱髪如蓬。有痴漁子。
   如銅如鉄。如牛如仏。●兮噴兮。猗褻語兮。善戯謔兮。不為虐兮。
帰自混堂。在衾中。笛声破静夜。乃聘按摩師。我使人行気。始自是。
三十日。青帝誑人。遂迷于路岐。菜畦矢。行程八里。右黄菜。左白浪。遇路于老売。婆子侑魚鮓。投平磯山口屋。克出三銭。以令行混堂。体浴既了。薄設野味。百姓昭明。優待覉客。黎民於変時雍。
卅一目。過七浦。憩于野島崎。一望無涯。所謂太平洋。八犬伝云。里見義実航到于此。義経記去。源頼朝戦于石橋山。軍敗而航于安房洲崎。洲崎与野島崎相対。模糊于杳靄之問。嵯吁自古英雄常遇災禍。而渠輩竟不知烟蓑雨笠之味也。易曰。見群龍无首。吉。沿道村家寥寥。無可午飯。而漂母亦不出。路出于内海之岸。青山白帆。真掌上之盆山矣。外海如豪傑。内海如君子。芙蓉入于雲。鏡浦無影。宿館山。
四月一目。上那古観音堂。鏡間関于脚底。詣舟形観音。嵌堂于巌。凭檻望海。円鏡稍仄。有婦負子而到。懸魚于諏訪神社之櫺而去。宿保多。始窺鏡面黧黒。古色近銅仏。差強人意。昨来英気沮喪。若喪家之狗。
二日。従羅漢寺攀鋸山。石仏幾百。或孤栖。或孤栖。安坐而怒者。欲堕而笑者。仙気撲人。踞仏側者少時。上山頂。武相房総。皆在指顧之間。不知俗塵安乎在。伐山為石材。百年之後。地図無鋸山烙矣。舟而帰于京。舟中俗気紛紛。終俗了数日之仙遊。古人曰。鮮克有終者。
帰舎。友曰。来規。汝笑言。予笑曰。都卿。予何言。予思曰得得。友曰。吁如何。予曰。二豎攻頭。
滔滔悩魂困魄。雙眼眩暈。予被蓑笠。尋春探花。曁蝶枕草露宿。予詣成田。到千葉。横総山距海。曁漁郎伍。忍諸艱食飲食。懋愛家兄別号孔方就安泊。烝民朴訥。山奥海昿。吁楽境哉。仙地哉。(隠蓑日記)





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最終更新日  2019.11.27 07:44:32
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