Facing Nolan  映画の舞台裏を監督に聞く スポーツライター 丹羽政善 - 日本経済新聞
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Facing Nolan  映画の舞台裏を監督に聞く

スポーツライター 丹羽政善

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「一種の嫉妬。それがモチベーションになった」

今年3月、通算5714奪三振など51の大リーグ記録を持つノーラン・ライアンのドキュメンタリー映画「Facing Nolan」が全米で公開された。監督を努めたブラッドリー・ジャクソンは2020年夏、故郷のテキサス州を車で旅行していて、企画を思いついたそう。

それはちょうど「(NBAブルズで2度の3連覇を達成した)マイケル・ジョーダンのドキュメンタリー『ラストダンス』を見終えたばかりのことだった」という。「3度目だったんだが、見るたびに視点が変わってきて、自分の手であんなドキュメンタリーを撮りたい、と考えるようになった」。広大なテキサスの大地を車で走りながら、「自分はテキサス生まれのテキサス育ち。自分にとって、テキサスの人たちにとって、マイケル・ジョーダンは誰なんだろう?」と思いを巡らせた。

「そうしたらそれは、ノーラン・ライアンしかいなかった」

ジャクソン監督は10月にFOXスポーツで放送された大谷翔平(エンゼルス)の番組「Searching for Shohei」の監督も務めた。一緒に来日し、大谷が生まれ育った岩手県での取材を終えて東京へ戻る新幹線の中で映画を見たこと、ライアンには一度だけインタビューしたことがあることなどを伝えると、映画の感想の前に、「ライアンは、どんな印象だった?」と聞かれた。

12年、ダルビッシュ有(パドレス)がレンジャーズへ移籍。その翌年、彼の周辺取材をしているときに実現したのが、ライアンのインタビューだった。場所は、当時のレンジャーズがホーム球場としていたレンジャーズ・ボールパーク(現チョクタウ・スタジアム)の一塁側ダッグアウト裏にあった6畳ほどの小部屋。壁、天井、床、すべてコンクリートで覆われた殺風景な場所を指定され、そこにライアンが入ってきたのは、試合が始まる直前のタイミングだった。

そのときの印象——まず、狭い部屋に大柄のライアンが入ってきた瞬間から存在感に圧倒され、子供の頃から見てきたあのライアンが目の前にいるというだけで、足がすくむ思いがした。「やぁ、元気か?」といった社交辞令的なあいさつは一切なく、世間話も一切なし。かといって、決してピリピリしているわけではない。冗談が飛び交うこともなかったが、義務的に取材を受けている感じもなく、どこか温かみがあった。

10年近く前のこととはいえ記憶は鮮明で、そんな話にジャクソン監督もうなずいた。

「俺も、最初はそうだった。怖そうだったし、なにか粗相をしたら、『インタビューは中止だ』と言われそうな感じもしていた」

撮影を始めて間もない頃、こんなことがあったと苦笑しながら振り返る。

「彼が、牧場に車に乗って現れるシーンでは、撮影の段取りをしてくれた息子から、ワンテークでやってくれと言われた。『もう一度やってくれ、というのはないから』と」

撮り直しがきかない?

「そう。現場には常に緊張感があったけど、実際に何度も会って話しているうちに、最初の頃のイメージは消えた。こちらのご機嫌を取るようなこともないが、どんどん親しみが湧いてきた」

そのライアンの印象は実際、映画を見れば、5分で変わる。あえてそういう構成にもなっている。

最初のエピソードは、奥さんのルースさんを初デートに誘ったときの話から。ライアンが、ややはにかみながら2歳年下で、8年生(日本の中学2年生に相当)だった彼女を映画に誘ったときのことを振り返っている。

「彼女は『いいわよ』って言ってくれたけど、『ママに聞いてみるね』って。『ノーランはダメ』って言われたらどうしようって思った」

ライアンのそんな柔らかな表情を初めて見たが、そのルースさんとの絆は、映画全編を通して描かれている。そもそも、「ルースさんの一言がなければ、この映画は実現しなかった」と12月半ばに改めて行ったリモートインタビューでジャクソン監督は明かす。

「旅行から帰ってきて、製作会社、プロデューサーと具体案をまとめた。そして、興味を持ってくれたライアンの息子たちを通して、本人に映画製作の打診をしたのが8月。でも、それから6週間、何の連絡もなかった」

その時点では知る由もなかったが、ライアンが首を縦に振らなかったそうだ。ようやく動きがあったのは、10月に入ってから。突然、「『あす、Zoom(オンラインミーティング)で話せるか? 父が話をしたいと言っている』と息子の一人から連絡があった」という。

それは、面接的な意味合いだったのか?

「どんなやつなんだろう、ということだったと思うけど、こっちもテキサス出身ということを伝えると、安心したようだった。テキサスの人は同郷の人に寛容だから。次の日には承諾の連絡があったが、裏ではルースさんが、説得してくれたそうだ」

かたくなに拒んできたライアンをどう動かしたのか?

「『野球ばかりのあなたに27年も振り回された。一つぐらい、私の言うことを聞いてくれでもいいじゃない』と迫ったらしい(笑)」

もちろん、奥さんのためではない。ライアンの功績を形として残すことは、息子、孫など、家族全員の願いでもあった。

「そこからは早かった」という。映画の中では、ロジャー・クレメンス(ヤンキースなど)、ランディ・ジョンソン(マリナーズなど)、ピート・ローズ(レッズなど)、ジョージ・ブレット(ロイヤルズ)、デーブ・ウィンフィールド(ヤンキースなど)、ロッド・カルー(ツインズなど)ら名だたる名選手がインタビューに応じているが、1人を除いて、全員が二つ返事で承諾してくれたそうだ。

「普通なら、その調整が大変なんだ」とジャクソン監督。「でも、むしろみんな『俺にもしゃべらせてくれ』という感じだった」

ライアンがレンジャーズでプレーしていたとき、同球団のオーナーグループの一人に名を連ねていたジョージ・W・ブッシュ元米大統領(第43代)もインタビューに応じている。彼こそ、段取りが大変だったのでは?と聞くと、ジャクソン監督は首を振りながら「ライアンと話しているとき、ダメ元でブッシュ元大統領にも話を聞けないか、と伝えたら、その場で電話をかけてくれた。そしたら、すぐにOKが出た」と苦笑している。

「直後に秘書から電話があって、『3週間後のこの時間、ダラスで30分だけ時間があります。どうしますか?』と聞かれて、すぐに場所と時間も決まった」

基本的に映画は、時系列でライアンのキャリアを追っている。

ドラフトされ、ワールドシリーズ制覇も経験したメッツ時代(1965〜71)。覚醒し、4度のノーヒットノーランを記録したエンゼルス時代(72〜79)。故郷に戻って過ごしたアストロズ時代(80〜88)。通算5000奪三振、40代でさらに2度のノーヒットノーランを成し遂げたレンジャーズ時代(89〜93)。

そこに例えば、65年にドラフトされたとき、ライアンが「ドラフトされた」と伝えると、ルースさんが「陸軍に徴兵された」と勘違いした話や、69年にメッツでワールドシリーズ制覇を果たしたが、オフには、エアコンの設置のアルバイトをして糊口(ここう)をしのいだエピソードなどが挿入される。前者はちょうどベトナム戦争のさなかのことであり、後者は、主力でもそれが当たり前だった頃。そうした時代背景も透ける。

また、ライアンは一時、野球をやめようと考えていたという。球は速いが制球が安定せず、メッツでは決まった役割がなかった。しかし、それを止めたのはルースさん。タイミングよくエンゼルスへのトレードの話が舞い込み、転機となった。それまではずっと我流だったが、エンゼルスのトム・モーガン投手コーチの指導で制球が安定。その後のキャリアは知られる通りである。

1973年にマークした383奪三振、7度のノーヒットノーラン、通算5000奪三振といったいまも破られることのない大リーグ記録にまつわるエピソードも本人の述懐とともに、掘り起こされていく。2度目のノーヒットノーランは73年7月15日のことだが、このとき、最後の打者であるノーム・キャッシュは、テーブルの脚を持って打席に入った。思わず笑ってしまった球審に「どうせ打てないから」とキャッシュは話したらしいが、一連の経緯を振り返るライアンの表情にも笑みが浮かんだ。

さて、映画の冒頭で、ライアン夫妻のなれ初めが描かれていることはすでに紹介したが、終盤には家族との食事のシーンや、孫らと釣りを楽しむシーンが出てくる。

節目、節目で家族のインタビューも挿入されているが、そうした構成について「撮影を始める前、ライアンは家族を大切にする人だと聞かされていた。実際に撮影が始まると、その通りだと感じた」とジャクソン監督は意図を説明。ただ、「それだけが理由ではない」という。

「彼のキャリアというのは、家族あってこそ。実際、結婚していなかったら、彼はメッツ時代に野球をやめていた。彼の偉大さは、もちろん、もって生まれた才能もあるが、家族が彼のことを信じたから。だからこそ、家族との関係を野球のキャリアと並行して描き、最後に"ファミリー"を強調することで、その象徴にしたかった」

最後に紹介される殿堂入りしたときのスピーチでも、ライアンは家族への感謝の言葉で締めくくっている。

「野球選手の家族は大変だと思う。長く野球をやれたのは、彼らのサポートのおかげだ。私はそのことを決して忘れない」

ところで、唯一インタビューを断ったのは誰だったのか? 1993年8月4日、右肩甲骨の下に当てられたロビン・ベンチュラ(ホワイトソックス)はマウンドへ向かったが、逆にライアンに頭を抱えられ、パンチを浴びた。26歳の若手が、46歳の引退間際の選手に返り討ちにあったシーンはいまも語り草だが、ベンチュラの口から、思い出が語られることはなかった。

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