日本銀行は2024年3月、「異次元緩和」を解除した。10年以上継続してきたこの金融政策をどのように評価すべきなのか。「経済学の書棚」第17回前編は、日本の金融政策の全体像がつかめる『金融政策 理論と実践』と、1970年代から今日までの米国の金融政策の変遷を検証し、教訓を引き出そうとする『21世紀の金融政策』を紹介する。

日本銀行は2024年3月、「異次元緩和」を解除した。「経済学の書棚」第17回前編では、金融政策の手段や目的を改めて確認するための2冊を紹介する
日本銀行は2024年3月、「異次元緩和」を解除した。「経済学の書棚」第17回前編では、金融政策の手段や目的を改めて確認するための2冊を紹介する
画像のクリックで拡大表示

「異次元緩和」をどう評価するか

 日本銀行は2024年3月、「異次元緩和」を解除した。1990年代後半からデフレに直面してきた日本経済は、ウクライナ戦争の影響などでインフレに転じつつあり、2013年4月からスタートした異次元緩和の「出口」を巡る議論が活発になっていた。

 マイナス金利政策、長期金利を抑え込むための長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)を停止し、上場投資信託(ETF)などリスク資産を買い入れる枠組みもなくした。ただ、日銀の植田和男総裁は金融緩和を維持すると表明しており、金融引き締めに転じたわけではない。異次元緩和をどう評価するのか、専門家たちの意見を聞いてみよう。

 異次元緩和は金融政策の手段の一つである。異次元緩和に評価を下す前に、金融政策の手段や目的を改めて確認しておこう。

 慶応義塾大学教授の白塚重典著『 金融政策 理論と実践 』(慶応義塾大学出版会/2023年5月刊)は、金融政策の全体像をつかめる概説書だ。白塚氏は日銀出身。慶大経済学部の3、4年生を対象とする「金融論」の講義ノートを基にしており、金融政策の基礎から応用まで平易に解説している。

『金融政策 理論と実践』(白塚重典著)。慶大経済学部の「金融論」の講義ノートを基にしており、金融政策の基礎から応用までを平易に解説している
『金融政策 理論と実践』(白塚重典著)。慶大経済学部の「金融論」の講義ノートを基にしており、金融政策の基礎から応用までを平易に解説している
画像のクリックで拡大表示

 同書によると、金利がプラスの環境の下で政策金利の調整を通じて運営するのが金融政策の前提だが、日本では長期間、ゼロ金利が続き、「非伝統的金融政策」と呼ばれる政策運営が常態化している。異次元緩和は非伝統的金融政策の一つであり、「通常の金融政策運営の応用編」と位置づけられる。

 「金融の役割」(第2章)、「貨幣と中央銀行」(第3章)、「金融政策の目標」(第4章)、「金融市場調節」(第8章)などの章で金融政策の基本的な仕組みや制度を説明している。「非伝統的金融政策」(第11章)では、名目金利の実効下限(ELB)制約の下で、主要国の中央銀行が導入してきた手法や効果を整理し、その限界にも言及している。マクロ経済学の基礎モデルであるIS-LMモデルを修正したIS-MPモデルや、総需要=総供給(AD-AS)モデルを活用して金融政策の効果を理論的に分析する章も設けている。

持続可能な金融政策の枠組みを構築せよ

 最終章の「金融政策の将来展望」(第13章)では、「異次元緩和」という表現に象徴される非常事態・異例時の政策を解除し、長期的に持続可能な政策運営枠組みを再構築するよう求めている。

 その際にポイントとなるのは、金融緩和の度合いを調整することで最低限の金利機能が働く状況を創り出し、日本経済の構造改革を息長く後押ししていく緩和的な金融環境を持続可能な形で構築していくことだと強調している。

 「異次元緩和」は解除されたが、持続可能な金融政策の枠組みを構築できるかどうかは、これからの政府・日銀の動きにかかっているといえよう。

 次に、2006年から2014年まで米連邦準備理事会(FRB)議長を務め、2022年にノーベル経済学賞を受賞したベン・S・バーナンキ著『 21世紀の金融政策 大インフレからコロナ危機までの教訓 』(高遠裕子訳/日本経済新聞出版/2023年10月刊)を紹介する。

『21世紀の金融政策 大インフレからコロナ危機までの教訓』(ベン・S・バーナンキ著)。ノーベル経済学賞を受賞した元FRB議長のバーナンキ氏が、中央銀行の使命を歴史から問い直した本
『21世紀の金融政策 大インフレからコロナ危機までの教訓』(ベン・S・バーナンキ著)。ノーベル経済学賞を受賞した元FRB議長のバーナンキ氏が、中央銀行の使命を歴史から問い直した本
画像のクリックで拡大表示

 1970年代の激しいインフレ、1990年代半ばから2000年代初頭までの「大いなる安定」と呼ばれた成長期、2008年のリーマン・ショック、2020年のコロナショックなど、米国経済を取り巻く環境は激動してきた。米国の中央銀行にあたる連邦準備制度(Fed)はそれぞれの時期にどんな課題に直面し、どのように金融政策を打ち出してきたのかを、客観的な事実を中心に記述している。

 バーナンキ氏がFRB議長を務めた時期も含まれており、とりわけリーマン・ショックへの対応が興味を引くが、個々の金融機関と交渉する場面などの描写はない。金融政策の変遷を検証し、教訓を引き出すのが同書の狙いであり、通常の回顧録のスタイルではない。

日銀の「量的緩和」に懐疑的だったバーナンキ

 基本的にはFedの金融政策に焦点を絞っているが、海外の中央銀行の動きにも随所で触れ、日銀への言及も多い。リーマン・ショック後、Fedが大規模な資産買い入れを始めるにあたり、日銀が2001年から実施した「量的緩和」(QE、2006年に解除)を参考にしたことも明らかにしている。

 ただ、バーナンキ氏も含めた連邦公開市場委員会(FOMC)参加者のほとんどは、準備預金を標的とする日本型の量的緩和には懐疑的だった。準備預金が増えても、景気が低迷し貸し出しのリスクが高いなかで、銀行に貸し出しを増やすインセンティブはほとんどなく、準備預金をFedに放置しておくことで満足するだろうとみていた。バーナンキ氏は会合で「審判を下すとすればかなり否定的になると思う」と発言したという。

 FOMCの多数派は、残存期間が長い米国債を買い入れれば、長期金利を押し下げ、景気を刺激できると考えた。新たな金融政策手段は、まだ下限制約まで下がってない長期金利に直接働きかけることを狙っていた。日銀が準備預金に的を絞った資産買い入れプログラムをQEと名付けていたことから、それとは一線を画す意味で、家計や企業が負担する長期金利の引き下げを重視した点を反映して「信用緩和」と呼ぶことにしたが、QEの呼び名が定着した。この名称はFedを含めて他の中央銀行の資産買い入れプログラムにも使われるようになった。

 ちなみに日銀は2013年4月、異次元緩和(「量的・質的金融緩和」)を導入し、マネタリーベース(資金供給量)と、長期国債・ETF(上場投資信託)の保有額を2年で2倍に拡大すると宣言した。同時に、長期国債の買い入れを増やして金利低下を促すともうたったが、「量の拡大」を主たる政策目標とする声明だった。量の拡大を軸にした金融緩和政策は「リフレ政策」とも呼ばれ、異次元緩和の代名詞となってきた。

 仮に、FOMCのメンバーにこの時の日銀の決定に関して是非を尋ねたら、賛成していただろうか。バーナンキ氏は日銀の異次元緩和に対する評価を「日本語版への序文」で簡潔に述べている。

インフレ目標を阻んだ国民のデフレ心理

 安倍晋三政権の下で日銀の黒田東彦総裁は「おそらく他のどの中央銀行よりも積極的になった」。「私を含め多くのエコノミストは、慎重ながらも楽観的な見通しをもった」が、日銀は2%のインフレ目標を持続的に達成できなかった。「問題は努力が足りなかったからではない。日銀は強力な拡張政策を一貫して維持してきた。国内総生産(GDP)比で日銀のバランスシートは、他の主要中央銀行に比べて圧倒的に大きく、バランスシート上の資産の種類も幅広い」と分析したうえで、「国民に広くデフレ心理が根づいた、いわゆる失われた数十年の経験によってインフレ目標の達成が阻まれた」との見方を示している。

 序文の最後では、「日銀の経験は、金融政策に限界があること、デフレを回避し成長を取り戻すには、同時に金融以外の政策も必要であることを浮き彫りにしている。インフレ率や金利が低いときに世界の主要中央銀行が直面する課題の先例とみなすべきなのだろう」と総括している。ここでいう金融政策以外の政策とは財政政策を指す。

 先へ進む前に、同書の内容にもう少し触れておきたい。Fedの政策手段、政策の枠組み、コミュニケーションは1951年の財務省・Fed合意(アコード)で中央銀行がマクロ経済の目標を追求できるようになって以来、大きく変化したという。

 バーナンキ氏によると、こうした変化は経済理論やFedの正式な権限が変化した結果ではなく、経済の3つの大きな潮流の変化が相まって中央銀行自身の目標や制約に対する見方が変化したことによってもたらされた。

 第1は雇用との関係におけるインフレ動態(変動パターン)の変化。かつてはインフレと失業率には逆相関が見られたが、両者の関係は大幅に弱まった。金融政策立案者は2000年以降、インフレ率が高過ぎるだけでなく低過ぎることがありえると認識するようになった。

 第2は正常な金利水準の長期的な低下。中央銀行が利下げによって低迷する景気を下支えする余地が狭まった。

 第3はシステミックな金融不安定性の高まり。金融政策はどの程度まで、金融システムの不安定性リスクを考慮すべきなのかを問われるようになっている。

中央銀行の独立性を守れると確信

 Fedの独立性の問題にも切り込んでいる。多くの国と違って米国には、中央銀行の独立を明示的に保証する法律がないが、実務上、Fedの政策の独立性は、草創期に確立された、いくつかの法律の規定で守られている。こうした規定が変わらず支持されているのは、議会の大多数、そして少数の例外(筆頭はドナルド・トランプ前大統領)を除いてリチャード・ニクソン大統領以降の歴代大統領が、独立した中央銀行は経済的にも政治的にもメリットがあるとの考えを受け継いできたからだと説明している。

 ただ、21世紀のFedの独立性に対するリスクは、かつてよりも大きくなっているとの懸念を示す。金融危機でFedは左右両派から攻撃され、その評判は傷ついた。左派からは救済策でウォールストリートを優遇していると非難され、右派からはリスクが高く実験的だと金融政策を批判され、左右両派からそもそも危機を防げなかったことを非難された。Fedのような実務型の無党派組織にとって、陰謀論が広まりエリート不信が高まるなどのポピュリズムの台頭はとりわけ脅威であると警戒している。

 それでも、透明性を高め、国民に周知すれば、より大きな説明責任を果たし、Fedの政策の支持を取り付けることができると気づいたという。

 Fedの独立性と権威は、世界金融危機後の負の影響も、トランプ前大統領のツイッター(現・X)攻撃もかわしてきた。Fedは責務の達成について引き続き説明責任を負いながらも、政策の独立性を守り通せると強調している。

 リフレ政策の評価とは別に、安倍政権は「中央銀行の独立性」を脅かしていなかったのか、そもそも「大統領の攻撃をかわす」といった発想が日銀側にあったのか、検証が必要だろう。

(後編に続く)

写真/スタジオキャスパー

中央銀行の使命を歴史から問い直す

インフレ、雇用、金融危機――。経済の変化にどう対応すればよいのか。ノーベル経済学賞受賞の元FRB議長が歴史を通して未来を展望する。

ベン・S・バーナンキ著/高遠裕子訳/日本経済新聞出版/5280円(税込み)