大河女優へ 片山萌美 | ミス日本公式サイト
 
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大河女優へ
片山萌美

2012ミス日本ネイチャー

INTERVIEW03

INTERVIEW

片山 萌美(かたやま もえみ)

1990年10月1日生まれ。2012ミス日本ネイチャー。

大学在学中にミス日本を受賞し、女優へ。

パルムドール受賞映画「万引き家族」、大河ドラマ「いだてん」はじめ、多くの話題作に出演。

舞台・映画・テレビドラマ・グラビア・写真集などで幅広いジャンルで人気を博す。

2022年7月15日より「警視庁強行犯係 樋口顕 Season2」(テレビ東京 毎週金曜夜8時~)
刑事 藤本由美 役にて出演

https://www.instagram.com/moet_mi/

人生迷子の挑戦!将来を切り開くためにミス日本出場

萌美さんは、なぜミス日本に出場しましたか?

将来を切り開くためだったかもしれないです。当時は大学生で、将来、何をしたいのか考えていた、いわば迷子だった時期でした。とにかく色々なことに挑戦したいと考えており、その一環でたくさんのアルバイトをしたり、芸能事務所のスクールに通ったりしていました。今の事務所(ウイントアーツ)に所属していたのですが、当時はまだ芸能で食べていこうという強い思いもなくて。事務所にミス日本を勧められて、調べてみた結果、何か切り開けるかもしれないと感じて応募を決めました。

今やテレビを見ていると萌美さんが出てきたり、電車に乗っていると広告に写っていたりしますが、芸能界で生きていこうと決めたきっかけは何ですか?

最初に出演した舞台です。お客さんとの距離が近い小さい舞台だったのですが、だからこそ楽しそうな目線や感動してくれている表情が見えて、笑い声が聞こえて。私の一言に反応するお客さんたちを目の当たりにして、感情が動くってこんなに気持ちのいいことなんだって感動しました。思い返すと、あの舞台を機に本格的に役者を目指すようになった気がします。

グラビアからスタート!女優への道

役者を目指すようになってから今まで、どのような道のりでしたか?

大変でしたね。オーディションに呼んでいただく以前の問題で、まず書類が受からなくて。なぜか考えた時に、演技力を磨かなければいけないのはもちろんですが、お仕事の経験が少ないと役を任せていいのかはかることができないのではないかと思いました。なので、マネージャーと相談してどんなに小さい役でもやるようにしました。たとえ台詞がなくても。あとは、まずは顔を売るためにグラビアにも挑戦しました。勿論売り込みです。週刊誌に初めて掲載される時はあえて「女優・片山萌美」という肩書にしてもらって。写真や身長・スリーサイズの情報は加工もごまかすこともできてしまうので、私もマネージャーと一緒に顔見せにも行きました。「週刊プレイボーイ」に出させていただき、そこからのスタートでした。業界の方もかなり見ている媒体なで、その後は書類も通るようになりました。「名前を聞いたことがある」と感じていただく意味は大きかったと思います。

役者を目指す中でグラビアに出演するというのは、結果として繋がりましたが、繋がらない可能性もあったと思います。グラビアをやることに迷いはありましたか?

グラビアも多岐に渡るので、人によってイメージが違うと思います。私の場合は、マネージャーを信頼していたし、「週プレ」が用意してくれていた衣装やイメージを含めた世界観も信頼できたので、怖さはなかったです。まずは挑戦してみないことには始まらないという気持ちでした。

信頼関係と信念!大切にしていること

マネージャーの方との信頼関係を築くきっかけはありましたか?

素敵なマネージャーと巡り合えた私は幸運でした。「片山が本当にそれをしたいのなら、私がこう動く」と明確に提示してくださる方なので、信じたいと思いました。元々、大学の卒業が迫っていたこともあり、芸能活動を続けるか迷っていたのですが、その方が私の担当になり、芸能活動を続けることを決めました。役者に全くあわない役柄でも流れ作業でオーディションに送り込む事務所も多い中、今のマネージャーはオーディションを選んで持ってきてくれます。役者は商品でもあるので、もちろん商品として売ってくれてはいるのですが、ちゃんと人として向き合っていただいています。

芸能界で活動する上で、他に大切なことは何だと思いますか?

自分の芯を持つことですよね、きっと。成し遂げたいことがあればそれに向かって邁進すべきだし、どうしてもやりたくないことはやっぱりやってはいけないと思います。ミス日本に出ていた時も、ファイナリストの仲間たちは皆それぞれ芯を持っていて。しっかりと信念を持った女性たちと密な時間を過ごす経験は珍しいので、良い刺激を受けました。

戦う相手は自分!ミス日本ファイナリスト時代の思い出

萌美さんにとって、ミス日本はどのような経験でしたか?

不思議な経験でした。「ミス日本」という字面だけ見て、女性らしくなければならないのかなと思い、受賞できないと思っていました。いざ出場して他のファイナリスト(注釈1)に会ってみると、上品だけど可愛らしかったり、女の子の一面もありつつかっこいいところもたくさんあったり。良い刺激をたくさん受けながら、自分と戦う時間でした。コンテストなのでお互いとの戦いだと言われればそうなのですが、各々が自分と戦って成長して、それがたまたま同じタイミングでミス日本に選ばれるという感覚でした。

ミス日本のファイナリスト
書類審査・地区大会を経て、毎年秋に誕生する。
1月末のコンテストまで、各種ミス日本プログラムへの参加資格が与えられる。
毎月開催される「勉強会」と呼ばれる特別教育プログラムでは、伝統文化、芸術、外交、ウォーキング、栄養など多岐にわたる分野のトップランナーが講師を担う。

大河も怖くない!ためになったミス日本勉強会

勉強会で学んで良かったと感じることはなんですか?

能楽師の先生に着物の所作を教えていただいたことです。着物で演技する機会がたまにあるのですが、基本を教わっていたので自然と役に入り込むことができます。例えば、下駄を脱いでから戻って下駄を揃えるって普通のことではありますが、知らないと「あれ?後ろ向きで脱ぐの?座って脱いだ方がいいのかな?」ってわからなくなってしまう。でも「これ昔やったな」と、当時教えていただいたことが無意識に残っていて、着物が怖くないです。大河ドラマはじめ、しっかりと所作まで教えてくれる現場もありますが、ミス日本の勉強会のおかげで元から苦手意識がないので、緊張せずに取り組めています。

初めての海外へ!ミス日本ファイナリストとして日中国際交流

ミス日本のファイナリスト期間では、何が印象に残っていますか?

日中両国の政府による文化交流事業(注釈2)に参加させていただいたことです。私はそれまで海外へ行ったことがなかったので、急いでパスポートを作りに行ったのを覚えています。ファイナリストになった直後だったので、そこで皆とたくさん話せて楽しかったです。ミス日本の先輩方について行った立場なので、公務をした訳ではなく、どちらかというと文化の違いが印象に残っています。例えば、夕方に自由時間があったので、ファイナリスト仲間と水を買いに少し外出したら、車が日本のように歩行者のために止まってくれなくて、いつ道を渡っていいかわからなかったです(笑)。育った環境が違えば考え方や行動は変わるということを、海外へ行って初めて痛感しました。

日中青少年交流事業
2008年の日中平和友好条約締結30年を記念して、数年間継続していた文化交流プログラム。日中両国からそれぞれ約4000名規模の青少年が相手国を訪問し、相互交流する。外務省と連携してミス日本が参加したのは2011年10月で、ミス日本、OGそしてファイナリストらで合計約30名の団を組み、中国の各都市を歴訪した。

背景を考える!台詞を聞く!役作りの基本

環境が考えや行動に影響するという気付きは萌美さんの演技に影響を与えましたか?

そうですね。役を演じる前に、必ず「この人、どこ出身だろう」「海外に行ったことあるのかな」とか、背景を考えるようにしています。例えば、「永遠の1分。」という映画で、英語を喋ることのできる記者を演じたのですが、「留学と言っても、オーストラリアかもしれないし、中国かもしれない。どこに行っていたんだろう」と考えました。役作りは、そういう台本に載っていない背景のところまで考えた方が楽しいです。

他に役作りで考えていることはありますか?

相手の台詞をしっかり聞くようにしています。覚えていた台詞をそのまま言っていたときもあるのですが、相手の発言を受けての台詞とただ覚えているだけの台詞では、実感が違うし、話し方の圧も違います。これを意識するようになったのは、舞台がきっかけかもしれません。舞台は感じやすいので、相手の話をちゃんと聞けた時に、私の感情が思いっきり変わったんです。心から涙を流せたり、今まで言っていた台詞の言い方ができなくなったり。「これが演技だ」と気付いてからは、相手の台詞をしっかりと聞くようにしています。

現場で気をつけていることはありますか?

もちろん生意気なことは言わないように気をつけています。あと、遅刻は絶対にしないと決めています。礼儀正しさが大切だと思うのですが、それを意識させてくれたという点でもミス日本に挑戦して良かったです。仕事場に10分前に行くこととか、部屋に入る時のマナーとか、根本をミス日本の活動現場で経験しながら身につけることができました。

海外出張に同期との出会い!ミス日本に出て良かった理由

ミス日本といえば、受賞後の活動で印象に残っていることはありますか?

海外へ行ったことですね。台湾へ行って、東日本大震災時に寄付してくださったお礼の植樹をしましたが、人が穏やかで、ご飯も美味しくて、流れている時間が心地よかったです。韓国へも行かせていただきましたが、豪雪でびっくりしました。知らないことがたくさんあると気付かされる経験でした。

ミス日本に出て良かったですか?

はい!ミス日本では、何より凄く素敵な出会いをいただきました。私の同期だけでも、新井貴子さんがパリコレモデルになっていて、酒井美帆さんがアナウンサーをしていて、今でも会うと刺激を受けます。勉強会を一緒に頑張ったファイナリストたちも、それぞれの分野で活躍して社会貢献していて。コンテストに出るくらい目的意識があるから、今でもボランティアをしたり、お仕事を頑張ったりしているのだと思います。そういう同年代の女性と縁が繋がる場は貴重でした。

ミス日本のコンテスト当日は覚えていますか?

実は頭が真っ白状態だったので、ほとんど何も覚えていないんです。唯一覚えているのが、ウォーキングで。舞台の先端でポージングしなければならなかったので、印象に残ろうと、投げキスをしました(笑)。

怒鳴る!蹴る!度胸から出る怪演の数々

度胸がありますね。

怖いもの知らずかもしれないです。先日、「和田家の男たち」というドラマで相葉雅紀さんと対面でお話しするシーンの撮影で、「あなたってつまらない男よね。さよなら」という台詞があったのですが、監督に怒鳴ってほしいと言われて。周りはエキストラとはいえ、現場はカフェなので、変な女ですよ。でも演じてみた瞬間、大きな声が出て、やっぱり怪演するには度胸が必要だなと思いました。

今までの人生で一番度胸が必要だったのはいつですか?

映画「富美子の足」で、でんでんさんを蹴り殺す役を演じた時です。私は本気で蹴るのを躊躇していましたが、でんでんさんはお腹に布団を巻いて、「大丈夫だよ」っておっしゃってくださって。フリだとバレてしまうので、本番ではとにかく蹴らせていただき、本当に大丈夫か内心ヒヤヒヤしながら蹴りまくりました。

萌美さんの名演技といえば、パルムドール受賞で話題となった映画「万引き家族」での虐待が印象的でした。反響の大きかった作品はありますか?

「万引き家族」の反響は異次元でした。あとはいまだに言っていただくのはドラマ「居酒屋ぼったくり」で、海外でも配信されているのか、外国語でも「続編はないのか」とメッセージがきます。

海外へ!今後の目標

今後、お仕事の目標はありますか?

女優として、もっと安定して仕事がくるようになりたいです。もちろんオファーいただくこともありますが、オーディションに行って受かることもあれば落ちることもあるので、できればもっとコンスタントにしていきたいと思っています。あとは、映画をやりたいです。

プライベートでやりたいことはありますか?

海外へいきたいです。コロナ禍で海外へ行くお仕事もなくなってしまったのが残念です。ヨーロッパへ行ったことがないので、パリへ行ってみたいですね。定期的に芸術に触れないと感性が死んでいくような感覚に陥るので、ルーブル美術館へ行きたいです。

インタビュアーから一言
2011ミス日本グランプリ・ミス日本運営委員会委員 谷中麻里衣(やなかまりえ)
「最後まで読んでいただき、ありがとうございます。萌美さんは私の翌年のミス日本で、日中国際交流でもご一緒しました。その後、大河ドラマや映画を見ていると、たまたま萌美さんが出演されていることもあり、活躍する姿を度々お見かけしていました。「万引き家族」では虐待の演技力がすごく、「他人の空似かな」と思うほどでした(笑)。今回のインタビューを通して仕事に対する誠実な姿勢が窺え、萌美さんの作品をもっと見たいと思いました。この記事は私たちの会話の一部抜粋ですが、皆様にも萌美さんの魅力が伝わっていれば嬉しいです!萌美さんもたくさんのことを学んだというミス日本コンテストは、出場者を募集しています。ぜひご応募ください!」
(2022年6月)


2012ミス日本ネイチャー