「実録に近いだけに評価が難しい」ニトラム NITRAM R41さんの映画レビュー(感想・評価) - 映画.com

劇場公開日 2022年3月25日

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「実録に近いだけに評価が難しい」ニトラム NITRAM R41さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5実録に近いだけに評価が難しい

2024年5月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

タスマニア島で起きたオーストラリア史上最も残忍な事件を、かき集めた情報を丁寧につなぎ合わせて、おそらく、「製作者がたどり着いた事実」に沿って忠実に描いた作品。作品というよりもフィルムかもしれない。
彼の犯行直前までそのことに気づかずに見続けてしまった。
この作品がダイレクトに伝えているのが「銃による犯罪」
この事件で銃規制が行われたが、どの州も徹底しておらず、現在では当時よりも銃を持つ人が増えているとエンドロールが締めくくっている。
これがこの作品が伝えたかったことだ。
そしてオーストラリア人であればだれもが知るこの犯人の名前「ニトラム」。
ニトラムが作品の主人公であるのは、また人の名前であるのは、作品の中盤でわかる。
私にはその言葉の意味が解らないので、ようやくそれが人の名前だと知る。
そもそも作品の意図がわからないので、ニトラムがどういった人物なのか、それをどのように捉えればいいのかわからない。
しかしオーストラリア人に対しては、彼が犯行に及んだ原因がどこにあったのか考えてほしいという意図があるのだろう。
最後に犯行のニュースが流れ、それを聞き流すように外でタバコを吸う彼の母。
父の言葉「お前はいつも息子を追い詰める」
これが基本となったのは否めないが、彼の言動、挙動の抑圧というものがそもそもの原因かもしれない。
余談だが、かつてオーストラリアへ行ったとき、公園を散歩するベビーカーを押す父と一緒に歩く母を見た。彼女はまだ1歳にもなっていない赤ちゃんの行儀の悪さに、赤ちゃんを叩きながら暴言を浴びせていた光景を思い出した。
もしかしたらこのような習慣がオーストラリア人の日常で、作品はこのことについても指摘しているのかもしれない。
また、
薬も同様で、薬によって一時的に抑えられた衝動は、実はそのまま残っていて、次回は更にその衝動に拍車がかかることを言っているような気がする。
銃も薬も「利権」だ。
そう考えると、その利権の犠牲者こそニトラムなのかもしれない。
彼は母に「僕はみんなが思っているような人間じゃない」というようなことを話すが、母がその意味を聞き返しても「うまく説明できない」と濁したシーンがあった。
冒頭、ニトラムは海岸で出会った女性に名前を聞く。「ライリー」
彼女の恋人「ジェイミー」 彼は紹介されていないが、ニトラムは二人に「じゃあね、ジェイミー」という。
以前ニトラムはジェイミーに会っているが彼はニトラムのことを覚えていなかったのだろう。
それはバーでジェイミーと再会した時も同じだった。
ニトラムに母が訪ねる「彼女はいるの」
「ライリー」
このことで彼の話した「みんなが思っている人間じゃないという意味の一部がわかる。
精神疾患者でノロマでバカという彼へのレッテルはすべて間違っているのだ。
彼が抑圧されることで生じる行き場のない怒りは、一旦薬によって鎮められるが、次回はそれに加算される。
これはおそらく誰しもがそうなるのだろう。それを製薬会社は隠している。と言えば陰謀論だろうか。
悪ふざけでハンドルを動かした結果事故を起こして死んでしまったヘレン。
それが自分の所為だと悔やむ。どこにもぶつけようのない怒り。
父が購入する予定だった場所を横取りされた怒り。
お金を手にしたニトラムはシースケープを買い戻そうとしたが断られた。
父が弱り動かなくなった。父を叩きまくって動かしたのは、ニトラムがそれが愛情だと思わされていたからなのではないか?
そして、父の自殺。
あれは自殺だったのだろうか?
母に「なぜ取り乱さない?」と聞いたニトラムには、母に対する疑念があったのかもしれない。
その前に父に暴力をふるったニトラムを母は冷酷に見ていた。ニトラムを押さえつける力がなくなった父に、もう用はないのだろうか?
しかし作品の中を探しても彼が観光地で銃を乱射する根拠はどこにも見つからなかった。
そうなれば彼の怒りとは社会に対する怒りだと判断するしかない。
しかし、実録フィルムだけに評価は難しいと言わざるを得ない。

R41